食い物日記

2000年4月27日

有精卵を買ってきた。一個29円と高い。 だが、味はケタはずれに濃いのだ。 そのまま生で食ってみるとよくわかる。 これは別物だ。くさみがあると言えないこともないが、 それこそがうまみである。 倍も高いわけでもないのだし、これからはこれにしよう。

麦を補充した。これで繊維質もとれる。

あわ、きび、こうりゃんなどが売っている。どれもキロ1000円程度と高い。 だが、使ってみたい。ものすごく使ってみたい。 混ぜて炊くだけでどれだけおいしく、どれだけ栄養のあるものにできるかは これからの生活において死活問題である。基本的に多種を食えばそれだけ 栄養も味も豊かになるはずだ。

ミューズリーはいい食べ物であるが、 その重量あたりのコストはそう安くない。 100gのミューズリーに200mlの牛乳をかけて食うとすれば、 300gで125円となる。 その上保存の効かない牛乳を買っておかねばならないという弱点がある。 一方、メシはどうかと言うと、 一合を炊くと430gで、これのコストがだいたい72円+水+ガス。 あきらかに安いし、保存や補充の手間もない。 玄米に大麦を混ぜたものなら、栄養も十分であるし、 カロリーでは圧倒的である。しかもおかずと組みあわせやすい。 よって、炊く時間さえあればメシが最強である。 さらにキビやらアワを足すことができれば、 麦を入れたことによるネバリの減少をおぎなえる上に、 鉄などの栄養も強化され、味も豊かになる。

大麦。このプニプニした食感がたまらない。 かなり噛まないと食えないあたりがなんともすばらしいではないか。 玄米と大麦を1:1で混ぜて炊いたものを一合も食えば、 もうそれだけで腹が一杯になるのである。 次は他の穀物も混ぜてみよう。五穀万歳である。 ちなみに五穀とは米、黍(きび)、小麦、大豆となんだっけ?粟だろか。 よく考えたら大麦は入ってない。それに大豆は昔の分類では穀物だったのか?

2000年4月26日

ここ数日外食に頼っている。といっても3食ではない。 朝起きて何も食わず授業に行き、合間に何かを買うなり食いにいくなりして、 あとは実験を夜まで。帰ったらそのまま寝てしまうという状態なので、 一日1食である。栄養は足りず、金もかかる。 ジリ貧である。ジリジリ貧乏である。加えて体も持たない。

おかずもないので、余っていたキャベツを蒸して食う。 が、キャベツ半分は一度には喰えない。 吐き気がする。出来がどうとか言う前に何よりわびしい。 同じものを大量に食うのは間違った行為なのだ。

朝8時から夜8時まで研究室か授業という状態では料理どころではない。 空腹に耐えかねて外食しても満たされずただ金だけが減り、 帰ってもおかずがないから米だけを食うしかない。 いや、メシを炊く時間があればまだいい。たいがいは疲れて寝てしまうので メシも食えないのだ。そのせいで一日外食一食プラスほしぶどうという悲惨な 生活が続いている。なんとかこの忙しさの中でも栄養を十分にとるシステムを 構築しないと後がない。

というまにカゼ。

まずはメシを炊く。これさえがんばればあとはどうにでもなる。 あとは麦を補給して、米だけでは足りない栄養を強化する。 そこにちりめんじゃこや干ししいたけが入れば精神的にも楽になる。 あとは、大量に備蓄がある大豆をどう生かすか。

大豆。よく腐る豆である。 メシと一緒に炊いた場合、常温なら半日で腐る。 蒸した場合も多少は長くなるかもしれないが、似たようなものだろう。 焼く、炒める、揚げるといた調理法はあまりに 面倒で味も落ちる。味の濃い煮物にすればもつだろうが、 それでは台無しである。 結局、蒸すか昆布と煮るかしたものを 研究室の冷蔵庫に入れておくというのが唯一の解決策か。

2000年4月23日

キャベツを蒸して食う。だが、ちょっとブルーだったので時間を失敗して クソまずい物体になってしまった。ものすごくもったいない。 キャベツの加熱は3分までである。

2000年4月20日

プルーン。小学校の給食で出て気持ち悪くて喰えなかった。 それ以来ずっと見もしなかったのだが、 最近のドライフルーツブームにのって買ってみたのである。 結論から言おう。うまい。 小学校の時はたぶん見た目と食感でイヤがったのだ。 考えてみればそのころはレーズンも嫌いだったのである。

2000年4月18日

ある闘いの話をしようと思う。

今日もまた研究室は忙しい。正確に言うと、授業と健康診断のおかげで 無駄に拘束されていたのである。かくして帰ってメシを作るヒマがない。 そこで外食するか耐えるかするわけだが、 今日は外食を選ぶことにした。 だが、普通にやっても意味はない。 そこで、例の「ばん」で噂に聞くあげそばを食うことにしたのである。

そして敗れた。全部喰えなかったのである。 昔から「よく食う男」という称号をほしいままにしてきたのだが、 それも過去の話であったことを再確認するはめになった。

しかしながら一つ言っておこう。 はっきり言ってあれは凶悪すぎる。量がではない。質がである。 油っこいのはまだいい。味が下品なのだ。 化学と塩に支えられた見事な味である。しかも濃い。 量的にはまだいけただろうが、オレの舌はあれ以上許容できなかったのだ。 「おえっぷ」という擬音がよく似合う。

うまいものをどこまで喰えるか。これが本来の大食らいの勝負だろう。 せめてマズくないことは勝負の条件として欠かせないように思う。 二郎が勝負として成立するのはそのへんである。だが、これは違う。 ただ体をいじめる行為に他ならない。いや、そこまでマズいわけではないのだが、 量が多くなると致命的にキツくなるタイプの味なのである。 二郎の勝負と比べるとかなり味覚によるダメージが大きい。 二郎はなんだかんだ言って、終盤にさしかかっても味によるダメージはほとんどない。 ただ腹の容量との勝負である。というわけで、あの店は並を普通に食うのが良い。 勝負をするには理由がなさすぎる。並ならちょうど「多め」くらいで済むだろうし、 その程度ならあの濃い味もそうマイナスではない。 値段の安さを考えればかなり有力な選択肢だろう。 待たされても良いのであればだが。

ちなみに、このために3限をサボるはめになった。

2000年4月16日

弟から電話。「天一食った」。 けっこう衝撃だったらしいが、仙台の天一などカスにすぎん。 もっとも、総本店の天一ですら二郎の足元にも及ばぬのだが。

2000年4月15日

昼飯。炊くヒマもない。仕方なく外食するかと思ったところで、 まさしろが言っていた店のことを思い出した。 妙に量の多い中華料理屋のことだ。 東一条のところにある。名前は「ばん」。漢字は忘れた。 さて、とりあえず入ってチャーハンの大盛りを頼む。 チャーハンほどわかりやすい食べ物はないからだ。 これがマズければ、たいがい他のものもマズいものである。 でそのうち料理が来た。デカい。確かにデカい。チャーハンにしてはデカいのだ。 こんなに油っこい料理をこの量食うのはけっこうしんどいのではないか? と思いながらも食いつくした。 で、味についてだが、一応平均は越えている。 量を食うとさすがに気分が悪くなるが、それは油の量からして仕方ない。 値段がクソ安い(チャーハン大400円)ので、その点を考えればじゅうぶん合格点だろう。 いかんともしがたいときには行くことにする。 しかしながら考えてみるとまともな中華料理屋に一度も入ったことがない。 うまい店ってのは果たしてあるのだろうか。 マズくない店は多いのだが。

2000年4月12日

米はあるのだが、炊く時間がない。 だが、金はないので外食もできない。 ここ数日他人からほどこされた食料と、 宴会の食料と、 ほしぶどうで生きている。 一日平均1.5食もない。 ちりめんじゃこもつきた。 たらこもつきた。 生活リズムとかいうやつを見につけないと メシを炊く気にもならない。 とりあえず、明日は夕方から宴会なので、それまではほしぶどうでしのげる。 明後日から考えよう。

2000年4月4日

米が来た。救われた。明日からは米。 しかし、耐え切れずにミューズリーを買ってきた直後に届いたので、 なにかさみしい。

ついでに買ってきたトマト缶がおいしい。 この前のデルモンテの奴は妙な味がしたが、 今度の輸入物はただトマトだ。 やはりトマトは偉大な野菜である。 しかし、トマト缶をそのまま食うのはどうかと思う。

2000年4月3日

米を注文した。玄米20kg。問題はこれが届くまでに数日かかるということだ。 それまで何を食おう。

水道水を飲んだら、メチャクチャまずかった。 こんなにまずかっただろうか。 田舎の水に慣れると京都の水は耐えられないのだろう。 浄水器を通してすらこれだ。一体どうしろというのだろう。

2000年4月2日

福島で食ったものは全般に砂糖で甘かった。 ばあちゃんの料理然り、ケーキ然り、スーパーの惣菜然り。 中華料理屋で食えば、アミノ酸が不自然なほど強くて 後味が悪かった。味の素である。 やはり、まともな味付けのものを食おうとしたら自分でやるしかないのだろうか。 少なくとも、菓子以外の料理からは砂糖を排除した方がおいしい。 砂糖を入れると砂糖の味が勝ってしまう上に、たくさん食べたときに気分が悪く なるからである。油と砂糖は腹一杯にならなくても気分が悪くなる やっかいなもので、入れずに済む時には入れたくない。


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