日記0012

2000年12月31日

映像の世紀。内容もさることながら、編集、演出、構成などが すさまじいまでの完成度だ。ノリノリなオープニングもそうだし、 繰り返しアレンジして流されるテーマ曲も破壊力抜群である。 これを作るのにどれだけの労力と才能と資金が投入されたのだろうか。

自分に他人を理解しようとする気がないのに、 他人に自分を理解させようとするのはムチャだ。 悪いことに、他人を理解しようという気がないことにすら 気づかないこともある。 自分を理解させたいという欲求は止められるようなものではないが、 せいぜい聞かない権利のある 独り言の範囲にとどめておくか、 あるいは作品や行動でやるのがいいのだろう。

世の中のたいがいのことは仕方ないのだが、 なぜだと問うて怒るくらいはいいだろう。 「そういうものだから」で思考を停止するのは 頭を有効活用しているとはいえない。 「こうこうこうだから仕方ない」という ところまでは考えてもいいのではなかろうか。 ただし、「こうこうこうなのにそうなってないのはおかしい」 と必要以上に怒ってもやはり健康に悪いので そこはバランスってやつか。

テレビ見っぱなし。それもNHKのBSだけえんえんと。 世の人の多くはNHKをつまらないというが、それは オレが民放のいわゆるバラエティー番組をつまらないというのと 少なくとも同じ程度には説得力のある理由によるのだろう。 確かに見て暗い気持ちになったり 怒りを覚えたりするような番組をおもしろいと思う感性は どこかがおかしいと言えなくもない。

とバランスがとれてるっぽいことを書いてみたりしたが、 正直に言おう。ああいうのはオレには耐えられん。 今なにやら珍獣やら怪獣やらの正体を暴く とか言う感じの番組をやっているのだが、とても見ていられない。 演出はあざとくて陳腐だし、テンポは悪いし、 面白がり方を強制してくるような字幕が腹立たしい。 確かに耳の聞こえが悪いオレとしては耳に神経を集中しなくても 何を言ってるかがわかって便利なのだが、別にそういう人のための 字幕でもあるまい。ああいう番組はああいう番組で様々な工夫や 趣向が凝らされているのだろうが、残念ながらオレにはそれを 受け取る能力はないようだ。

掲示板が突如復活した。立ち入り禁止のはずなのにいったいどうやって 電源を入れたというのか。ひょっとすると別の建物にあるであろう どこかの上流サバのせいだったのろうか。 なんにせよもうあそこは信頼できない。 ああーもう、やめだやめ。

2000年12月30日

かぜがマシになってきた。やっと一安心だ。 今回のかぜはここ数年で最強のものだったのである。 一日目は鼻と口の間の部分の激痛。二日目はのどの痛みと鼻水と 頭痛と悪寒。三日目は便秘と吐き気と発熱。四日目になってやっとうごけるようになったが、 未だ体を動かす気になどならない。 環境の変化のせいなのか。それとも日頃実は無理をしていてそれが噴出したのか。

掲示板が死んでいる。pingを打ってみると反応なし。誰かがお節介にも電源を落として 帰ったのだろう。28から3は研究室が立ち入り禁止なため、数日もの間誰も使わないことがわかっている機械の電源 を切るのは普通の感覚としては正しい。 こういうことが重なるので ますますあそこにサバをおくことが無駄に思えてきた。 いくら教えてもおそらくわかるまい。というわけで、おそらく9日くらいまで掲示板その他は使用不能。 あれに頼るのはもうやめようか。

映像の世紀。人間が何度となくアホウなことを繰りかえしている様がこれでもかと見せつけられる NHKの名作である。しかし以前と違ってアホウであることにそれほどの怒りは感じなくなった。 一人一人を見たときはともかく、集団としてみた時人間というのはとんでもなくアホウな 生物なのだ、ということがオレの頭の中で常識となってしまったせいだろう。 人間がまともでいられるのは、まともな状況の時だけである。そしてまともな状況とは 今まで生きてきた状況のことであって、どのようなものであっても変化は人間を狂わせる。 もちろん人によってその耐性の度合は異なるが、20世紀のような激動の中にあって 正常でいられる人間などかぞえるほどしかいなかっただろう。 善良であるとか賢いといった性質はとある状況においてのものであって、 状況が変わったときには失われてしまう程度のものなのだ。

暗殺される心配もない国家元首を持つ我々ははたして幸せなのだろうか。 きっと幸せなのだろう。

2000年12月28日

更新スクリプトがなくてめんどいので、仙台にいる間はこっちでひょろーっと更新します。 帰ったら整理しますが、今はこれでごめんなさい。

かぜをひいた。 ついたその日にはもうのどに来ていた。 帰ったその日に上半身裸でヨガをやったりしてたのが直接の原因かどうかはわからないが、 まあそれだろう。さっさと治らないとこまる。

読んだ漫画。バガボンド8冊。天は赤い河のほとり17−22。マスターキートン12ー15。 どれもおもしろい。

毎日クウガ。なぜか一日二話づつやっているのだ。今日で8話。なんておもしろい。主人公のバカっぷりが

2000年12月25日

上位のサバまでpingが通った。 一応うちのサバも起動はしているのだが、上が起動したからといって そいつが即使用可能になるわけでもないようだ。 だからといって今(0時27分)から起動し直しにいく気はしない。 悪いが明日だ。なお、バスの時間までに68から79へ完全に機能を 移して68を止める予定だが、果たせない可能性もある。その時はすまない。

私、実家に帰らせていただきます。

2000年12月24日

これが本当の単鞭か。なるほど美しいまでに理にかなっている。 でも書かないもんね。悔やしがれ犯人。 といってもまあ、たいがいの人には「だから何?」って感じなことなのだが。

友人が一人亡くなった。これは本当はずっと前のことだったが、 行方不明ということで亡くなったとは思わないでいただけのことだ。 加えて高校の時の担任の一人が亡くなったと聞いた。 寮にテレビを持ちこんだ件で呼び出されたり、 京大とか狙ってるんですけどとてきとうに言っちゃってびっくりされたり、 夢にもできると思ってなかったバク転をできるようにしてもらったり。 月並みな言葉だがお世話になった人だ。 久しぶりに高校のホームページを見て、 航空写真に見慣れない建物が写っていることに気づいて、 少ししんみりした。

とらハは人の死がけっこう多く出てくる。 しかし、「死んじゃった悲しいね」じゃなくて、残された人がどう生きるかが 描かれているのがいい。 「また死ぬ話かよ」とか「人殺さんと感動させられんのか」とか言う奴は やるな。オレも勧めない。断じて勧めない。 オレが思うに都築先生はいい人だと思う。邪気のある人にあんなものは書けない。 書けるべきでない。書けるはずがない。 ショボいところはいくらでもあろうが、心のない技巧よりはずっといい。 ただ願わくは技巧も少しは身につけては欲しいのだがそれはそれ。

キャラ萌えと呼ぶなら呼ぶがいい。ダメ人間と言うなら言うがいい。 二次元も三次元もあるものか。人の心はそんな空間の次元数で語れるものではない。

ファイアヲールの設定を誤ったおかげでダウンロードができなくなった。 わかるまでアレは停止させとこう。

言い遅れましたがDNSの説明ありがとうございます。とても端的で参考になりました。

ところで、道場から帰ってきて最初に見たのは輝く流し。 ありがとういっぺい。ありがとう。 メシ食わしただけで、ちゃんと材料費も払うのに加えて 掃除までしてくれる君は神だ。

とらハってなんであんなにエロくないんだろう、と思うのは 今に始まったことではない。2をやってそう思った時は 二人があまりにラブラブだからだ という仮説を立てたものだが、 3はそうラブラブに見えないにもかかわらずエロくない。 つまり仮説が間違っていたことになる。 とすれば、エロくないのはあくまでエロとしての完成度が低いからで、 2でラブラブがどうこう言っとったのは、オレがそのラブラブな雰囲気が好きで そこしか見てなかったからだということになる。 そう、つまりオレは幸せな二人を見ているのが良かったのだ。 そして3はそれシーンでは大して幸せさを見せつけてくれなかったので、 そのためにエロシーンがどうでもよくなって欠点がよく見えただけなのである。 元々オレはエロさを珍重しないので別にそれでもいいが、 どうでもいいシーンが混ざっているのはジャマなのでやはり腹は立つ。

ところで関係ないが、 中学一年生や二年生でそれシーンはダメだと思う。 倫理的にどうとか社会的にどうとかロリは変態だよとかそういう ことを言うんじゃなく、 身体ができてないんだからダメなのだ。そこがいいんだという人がいるのは 重々承知しているが、そういうものはエロゲーでやって頂きたい。 オレ内部でとらハはエロゲー一般とは扱いが別である。 ONE、Kanon、Airもまたそれとは違うが別である。 こいつらはエロくない。だからエロがウリにならない。 そしてなにより、それで全くかまわない。さらに幸いなことに、 オレ同様にそう思う人がたくさんいる。 だから、こいつらは主観的には断じてエロゲーではなく、 客観的にもそれなりにエロゲーではないのだ。 人間を描いた、 あるいは控え目に言えば描こうとした何かである。 人間が描かれているというのはそう堅苦しくむつかしいものではない。 キャラがそのへんにあふれている人間と同じ種類のものに見えたならば、 そこには人間が描かれていたのである。

なお、「どう見てもエロゲーだろ。18禁シール見えねえのか?バカじゃねえの?」 という方もおられましょうが、そんなこと当然重々承知です。 「もっとマシなもんで感動しろよ」というご意見ももっともですが、 しちゃったもんはしゃーないし、感動するのはいいことです。 そのもっとマシなもんを見たらもっと感動します。 「エセいい子ぶってんじゃねえよ偽善者」というご意見もまことにもっともで、 私もそう思います。しかし、偽善も善と申しまして、 本当に純粋な善なんてもんはこの世にはないわけですね。 いい子ぶるにしても、いい子ぶるには動機がいります。 いいと思わないものに感動したフリをしていい子ぶるのはけっこう無理です。 例えいい子ぶろうという打算があるにせよ、それにいささかは感動しているわけで、 そのこと自体にウソはありません。 つまり何かと言うと、なんでもないです。

レンは身体はともかく中身は到底中学一年には見えない娘なのだが これってある意味普通と逆ではなかろうか。 普通は設定上は15だけど見た目や中身は小学生くさい とかそんなもんである。初音とか。

最近聞いた音を感覚フーリエ解析してしまう。 つまり、「このくらいの高さの音がこれくらい混ざってる」という聞き方を してしまうのだ。そういう状態で舞の声を聞いて気にいらなかった理由がなんとなく わかった。 基底波より3オクターブ以上高い高調波がやけにたくさん混ざってる。 そう書くとわかりにくかろうが、要は不自然にボソボソ、あるいは低い音で しゃべろうとした時に出る空気の音だ。 オレはこの不自然な音がいやだったのだ。 舞には普通にしゃべってほしい。普通に、でも無愛想にしゃべってほしい。 ボソボソとは違う。 ところで関係ないが、 あゆ役の人の「うぐぅ」はものすごくはっきりとそれはもう鮮明に 思い出せるので、とてもよろし。

日記にかくことは次の四つのどれかにする。 人の役に立ちそうなこと。おもしろいと思うこと。 記録しておいて未来の自分のためになること。 そして、どうしても書きたいこと。 最後のはあいまいだが、「これを本当に書きたいのか?」 と自分に問いかける習慣がつくとつまらないどうでもいいことを 書かなくなるし、よしんば書いてしまったとしてもできるだけ おもしろく書こうと努力すると思うから、これでいい。

3の音楽まるで想い出せないよ。浮かぶのはほとんど2。たまに1。 みなさんはどうなんですか?!

また一つアホによって新しい言葉が生まれた。「裸漫画」。 都築真紀先生の漫画のようにエロくないが交尾シーンのある漫画のことだ。 同様に、とらハは「裸ゲーム」。

このっ!この善良な小市民どもがっ!くそっ!くそぉっ!

というわけでとらハ3全エンディング征覇。 この世界に三作品にもわたってつきあってると妙な愛着がある。 これがとらハ完結編ということで、もう終わりなのだが、 なにやら淋しい。うおおおお。

停電のこと

  研究室の停電。9時から17時。 掲示板その他が使えない。 電気系統の整備やらなにやらのためのものだが、 その間の予備電源もないあたりが寒い。昭和30年代の建物だから 仕方ないとは言うが、本当に仕方ないのだろうか。 ともかくもそのために自前で発電器を持っていない研究室のシステムは 全部停止。もちろん停電前にシャットダウンしに行き、 停電が終わったら電源を入れてやらねばならないのだ。

  停電用電源。 停電したら勝手にシャットダウンし、電気が戻ったら勝手に起動するように できるなら非常に便利だ。 しかし読んだ限りでは勝手にシャットダウンはできるようだが 勝手に起動について書いてあるものが見当たらない。 もっとも、ATX機はコンセント入れただけで何も押さんのに起動したりするので、 そのへんはてきとーにできていてちゃんとした制御は無理なのかもしれない。 二回行くのが一回になるだけでもありがたいが、 そのためだけに高いもんを国の金で買うわけにはいかないだろう。

  ところでよく考えてみれば、 みんなはあんまり凝ったコンピュータの使い方を必要としてない。 いくつかのソフトが動いて、インターネットにつながっていればそれでいいみたいだ。 メールすらみな使っていないし、持っている人も自分の家か、 あるいはWEB上で見られるやつである。 そんななので、 24時間勝手に動いているコンピュータというものがそもそもわからない。 そういう人達が大半の場所でオレは何をやっているのだろう。 自分のための楽しみという面がないとは言わないが、 一応みんなの便宜をはかろうと思って今苦労しているのは確かだ。 しかし、こうなると自分がただ趣味のために 国の金と研究すべき時間を費している気がしてくる。

  ITだITだとよく言うが、なにやら大切になるらしい というくらいにしかみんな思ってない。 じゃあがんばって情報技術に慣れようとまでは思わず、 勉強したいなあと言いながらもしない。 そして誰かが魔法をかけて自分をIT化してくれるのを待っている。 そんな魔法はないのに。 でも、それを責めても無駄なことだ。 そのスキルの欠如によって致命的なダメージを受けるまでは決してわからないだろう。 LANでつながった機械にフロッピーでデータを運ぶことに疑問を 感じない人達にオレが何をしても、それはおせっかいでしかない。 今ならば全ての作業を放棄して導入した機械を半スタンドアロンの ただ速い機械にすることもできる。120MHzとかのマックを置き換える のも意味があるだろう。でも、それすら彼等にはありがたみがない。 機械に速さがあるということすら彼等にはあまり意味をもつことではないのだから。

  やる気がなくなる理由はいつも同じだ。 徒労だったと思うから。それだけ。 そして徒労だったと思う理由もいつも同じ。 他人が自分の期待したように動かなかったから。 全ての原因はどこにあるかと言えば、他人に期待すること。 でも、そうやってやる気を失うごとに得たものもあった。 何かでがんばればスキルがつく。そのうちやる気が失せても、 そこまでがんばったことによるスキルは残る。 それがただ一つの救い。

  停電が終わったころ。研究室に行ってサバを起動する。 しかし、どうにもネットワークがおかしい。 ゲートウェイであることがわかっている 機械にpingを打ってみると、死。 そう、上流の機械がまだ起動していないのだ。 一時間待ったが起動する気配はない。 明日の朝にでも起動すればいいやという腹づもりだろう。 つまり当分使用不能。

  年に数回以上ある停電の度にこれかと思うとますます 自分のやっていることに意味がないような気がしてくる。 稼働する義務がない機械の下流でネットワークを組むのは ひょっとしてバカなのではないだろうか。

  オレが卒業する時にどうするかを少々考えておく必要がある。 IPアドレスが足りない以上NATは絶対に必要だが、 それを管理できる人がいなくてはいずれ破綻する。 コンピュータの数をIPアドレスの数に合わせて減らすか、 NATをやってくれる機械を買うか。 少なくともFreeBSDのサバを残しては行けない。

  夜11時。まだ上位サバが起動していない。 130.54.1.55(京大基幹ライン)から先へ行かないあたりどうしようもなかろう。 クリスマスだからとでも言うのか。

2000年12月23日

とらハ3。美由希をやり直したが、お話そのものに大差はなかった。 CGもどうも眼鏡ありとなしのバージョン 違いのおかげで足りていないらしい。次は晶。

まとめて。晶、忍、フィアッセ、那美。これでみんなだ。だが、 おまけが一つ足りない。がんばってCGを埋めておまけを出そう。

久しぶりに青空を起動したらおまけが出ていた。 しかしすっげえどうでもよかった。いいや。

とらハはいい。いいんだが、布教しようとは思わない。 けなされるのに耐えられないからだ。冷静に評価されることすらけなされることの 範疇に入ることがある。彼があれを布教したがらない理由も似たようなものだろう。 こいつにはウケる、という確信があれば布教はしたいものだが。

2000年12月22日

sambaは認証でひっかかる。暗号化云々がおかしいらしい。 さらにnetatalkはなにやら起動すらしない。とにかく通るドメイン名を どこからかパクってこよう。ドメイン名がなければ困るソフトがたくさんある。

ドメイン名をもらってこよう。abc.sbchem.kyoto-u.ac.jp (Applied Biological Chemistry)とか。 おとなしくすでにあるtanakalab.sbchem.kyoto-u.ac.jpでもいいのだけれど、 田中研なのもあと一年だし。 ところで、 どういうわけかうちの研究室のコンピュータのドメイン名はバラバラだ。 合成生物化学専攻のドメインはsbchem.kyoto-u.ac.jpのはずなのだが、 なぜか大型計算機センターのドメインであるkudpc.kyoto-u.ac.jpとか 謎のkuic.kyoto-u.ac.jpとかが混ざっている。 一体ドメインって何よ。 どうもオレはまだドメインとIPアドレスと物理的接続の 関係をよくわかっていないらしい。

DNS HOWTO。 やっとなんぼかわかった。ヨガやって寝なあかんのに何をやっているのだ。 しかしいろいろわかったので良し。 とにかく、ドメイン名と呼んでいたもの(正確にはシンボリック名) とIPアドレスの間には何ら関係がないらしいことがわかった。 加えて物理的な接続とシンボリック名も関係がなく、 IPアドレスと物理的接続にはそこそこ関係がある。 A.B.C.DとA.B.C.Eがまるで違うシンボリック名という可能性はあるが、 物理的には近いのだ。

WEBサバからIPアドレスを奪ってシンボリック名も手に入れた。 研究室ホームページも中身はともかく動き、 一見順調っぽい。しかし、いまだnatdは動かない。 いや動いてはいるんだろうが、お望みの通り変換してくれないのでは何の意味もない。 これではただのファイアヲールだ。 と、よく考えたらIPをどう変換するのかをどこにも書いてないぞ。 勝手に考えてやってくれるとは思えないし、そこらへんか。

tanakalab.sbchem.kyoto-u.ac.jpは長いしショボい。 abc.kyoto-u.ac.jpとか、abchem.kyoto-u.ac.jpとかに改めてもらおう。 こればかりはボスを通さねばなるまい。

ラブクラフト全集5巻のドイツ人の話。 「プロイセン人であるところの我輩としては…」。 訳の勝利か。

2000年12月21日

ヨガ。エビぞり系を重点的にやって背筋を鍛えていたら、 前屈系が固くなった。というわけで、エビぞり系を抑えて前屈系を増やし 元に戻そう。膝に頭がつく状態は維持せねば。 なるほどヨガを1セットやることの利点はこうやって バランス良く鍛えられることか。 ヨガで君も関節技が効かない男になろう。

今のところヨガ+横蹴上げ+腰ひねり腕ブンブンが最低限のメニュー。 しかしこれだけでは身体の基礎はできても拳法そのものの上達や スタミナ強化にはならない。むしろなまる。 だが、 それだけでもけっこう時間を食う。最低限これに移動稽古と一回でもいいから型を やらねば。どんなに眠くてもヨガやってりゃ目が覚めるのだから、 いいわけは許されない。ただし、練習した後はかなり寝すぎてしまうので 昼間地獄のような眠さが襲うことになるのだが。

ところで今回のとらハは武闘派である。 言いかえればカラテ(武術全般を総称する言葉。70年代によく使われた)。 異常なほど流派を名乗る奴が多い。 ちょっと考えただけで5人やそこらは余裕でカラテである。 ニセ松尾象山まで出てくる始末だ。 一体何に影響されたのだろうか。

外国人関西弁率は驚くほど高いと思う。 方言全般を合わせたらこの手のものの外国人キャラの2割くらいはいそうだ。 そういえば、うちの研究室の韓国人も関西弁。 そう考えたら。なんだ、普通のことなんじゃないか。

そういえばとらハはあからさまに絵が変わった。 原画の人の絵が色濃く出てるんだろう。 都築先生はキャラデザだけと聞く。

研究室コンパ。いかん。いかんぞ。焦れ。

研究室のとある男にX68000の音源エミュレータの存在を教えてもらった。 素直で懐しい音が鳴る。すばらしく鳴る。聞かせてもらったのは バトルガレッガというゲームの音楽でまるで知らないのだが、 とてもかっちょいい。音が鳴るプログラムっていいなあ。 絵が出るプログラムもいいなあ。とりあえずDSPに送りつけるデータの フォーマットくらいは知って音を鳴らして遊ぼう。 しかし、何で勉強すればいいのかとんとわからん。 やはりソースか。世の中ソースを読まねばダメなのか。

明日は奈良。6時に出る。でもヨガは欠かしちゃなんねえ。

J○○がとらハ2にハマった。良し。名誉のために2文字目と3文字目は隠してやろう。

とらハ3第一段階

  レンちゃん。いい娘だ。放っとけない娘だ。それでいて、ああ、もう。 というわけで、非常にヒットした。

  だが、残念なことは山とある。第一に最後までプロローグかと思うような メリハリのない展開。 第二にあまりにひねりのないオチ。第三に十分犯罪なそれ。 レンがいい奴であることとは全く関係ないところで 足を引っぱることが多すぎた。 全体に完成度は高いようだが、一番大切なお話の完成度は捨て置かれた ようである。レンしかわからないが、今のところの印象では2よりショボい。 細いエピソードをバンバン入れてくるのは良いが、構成が悪いせいでテンポが ない。瞬間幸せ度は2に劣るものではないが、全体を通した幸せ度(幸せ積分)は どうにも2には及ばない。 ともかく、まだ一人だ。レンはとってもいい娘なので、それを心に刻んで 次へ行こう。

  それにしても関西弁はなぜいつもこうまでがっかりなのか。 唯子と同じ声のようだが、あまりうまい人ではないな。むしろ下手。

  と文句ばかり言っていたのは2時間ほど前のことだ。 少し別のことをしてから思い出してみると、 不思議といいシーンばかり。目を覆わんばかりの幸せさ。 ああ、これだ。これがとらハだ。 つまり何かと言うと、時間とともに頭の中で好ましくないものが 追いやられて、いいところだけが増幅されたのである。 ラブひなもこれで勝利したのだった。

  昔は最初やった時に衝撃を受けハマり、そのうち 知恵がつくにつれてアラが見えてきて冷めることが多かった。 しかし今は逆で、最初にやる時の方が冷めている。 そして次第に冷める原因になるような要素を頭から追い出していき、 その末に残った砂金を愛でるのである。ああ、頭の中にはレンと晶の幸せな日常が。

とらハ3第二段階

  美由希。しかしCGは半分もない。ということは、ストーリーも全ては見ていない と見るべきだろう。今の状態ではちょっとこれではという感じなので、 次こそはきちんと見ねば。

  さて、それはともかくとして印象。 やっぱり都築先生だった。超能力と必殺技バリバリである。 加えてこのシナリオはレンのような幸せ爆発がない。 都築先生のウリはラブラブ爆発と 幸せ日常爆発であって、それがなければ悪いところがむき出しになってしまうのだ。 すなわち、痛い設定と痛いストーリー展開である。 2のリスティ並みに悪いところだけが目立つシナリオ、といった感じか。

  ところで声が豪華になったと聞いたのだが、 1や2の声の方がよほど耳にこびりついているのはどういうことか。

  そういえば音楽が豪華になったと聞いたのだが、 1や2の曲の方がよほど耳にこびりついているのはどういうことか。

  そういえば効果音が比較的まともに鳴るようになったが、 鳴る音がいまひとつ典型すぎて痛い設定と痛い展開をより痛くしている気がする。 ないよりいいのは確かだが、それでも。

2000年12月20日

買った。買ったよ。

さて、しかし実験。 夜中の1時半に帰ってきて、今日は朝9時から実験。 それも夜中まで。

natdはとりあえず頓挫。firewallのことがわからんので、進まない。 ともかくもプロキシが動いたのでまあよしとしよう。 研究室の3台のマシンからIPアドレスを剥奪。次はsambaとnetatalk。 プリンタ共有が急務だ。

都築先生。描き分けしてください。でも、たぶん実際にやったらそんなこと どうでもよくなるに決まってますね。あははー。 そういえば前作で初音にケンカを売って見事に打ち勝っていたこともあって、 今回の相手は舞かなあなどと思っていましたが、パッケージを見る限り どうやら違うようです。目つきも悪くないし、メガネです。 どちらに勝たれても悲しいのでまったく一安心ですね。 それにしてもエモノをもった女の子は良いものです。

眠かろうと疲れてようと、6時間後には実験だろうと、ヨガをやるのだ。 スーリヤ・ナマスカーとかいうそれっぽい名前の準備運動をやる間に どんな眠気も吹き飛ぶのである。ああ終わった後のこの脱力感。 寝るか。

sambaをいじる。まともには動かないが、ともかくも動く兆しが見えた。 natdとsambaをまともに動かさねば明日はない。 プリンタ共有すらできないのだ。明日は実験をする必要がないので 丸一日使ってやる予定。ここらでunixがどうやって動いているのか ドカンと説明した本を読むべきとも思うので、探してみよう。

さあ、とらハだ。

2000年12月19日

死因

  人が健康に生き、健康なまま死ねるようにするのが医学の努めだ。 目が見えないだとか、耳が聞こえないだとか、 紫外線に当たるとガンになるだとか、 そういうもろもろの苦しみはことごとくなくなってしまえばいい。 みさき先輩の目は断じて治るべきである。 そういう人も元気で生きられるように、そして間引き以外の手段で これ以上そういう人が生まれないようにするためにどんな技術がいるのか。 そう考えた時に遺伝子治療はどうしても外せない。 必然的に品種改良にもつながってしまうことにもなろうが、もはや止めること はできまい。

  ところで、寿命には最長寿命と平均寿命がある。 前者は一番長く生きる人の人生の長さで、だいたい120歳くらいだ。 これはいつの時代もあまり変わらない。 一方後者は平均なので、戦争があったり、食い物がなかったり、 医学が進歩してなかったりすると劇的に下がる。子供の死亡率は特に 影響が大きい。さて、医学の夢は前者をのばすことだが、 現実的な役割は後者をのばすことである。 前者はもう遺伝子というか人類が人類という種であり、 この形式の生物であることで半ば決まってしまう値だ。 しかし後者は事故死と、それに遺伝的欠陥と環境の悪影響、そしてガンがなければ 理論上は最長寿命に一致する。これが医学の究極目標なのだと言っても 過言ではない。さて、環境の悪影響の最大のものは感染症だが、 今の時代これで死ぬ人はそういない。つまり人類は感染症には ある程度勝利したのである。あと残る環境要因は食いもの、水、空気、 紫外線等だが、このうち食いものは個人の心掛け次第でどうにでもなる。 水、空気、紫外線については環境破壊を止めるべくがんばるのが唯一の手段で あって、それは医学の範疇ではない。事故死もそうだ。 あと残るのは遺伝疾患とガンである。 これが今の医学のターゲットなのだ。

  遺伝疾患は致命的なものは もうたいがい原因遺伝子がわかっている。つまり、今の技術でも そういう人が生まれなくすることは容易だ。調べて欠陥があったら 間引きすればいいだけである。 しかし、そんな手段は美しくないし、無茶だろう。そこで、遺伝子を書き換えて 治療してしまう手段が必要になる。これが遺伝子治療だ。 これが進めば理論上は遺伝子の欠陥からくる病気はこの医療を受けられる地域 では根絶される。 遺伝子の欠陥による病気はたくさんあって、強烈なものは本当に悲惨だ。 太陽の光にあたっただけで致死的なダメージを受けるとか、 脳の発達がおかしくなるとか、それはもういたたまれない病気がたくさんある。

  もう一つ別格な病気がガンである。ガンは多細胞生物である限り避け得ない 病気だ。どんな機械も部品はいずれ故障する。その故障がいうならば ガンなのであって、タイヤがすり減るのと同じくらい自然なことなのだ。 だからこれを完全に根絶するのは不可能なのである。 しかし、実はまともな生活をしている普通の人が ガンで死ぬ確率など限りなくゼロに近い。 たいがいのガンは遺伝子の欠陥か、よほど極端に有害な環境要因に さらされたかの二つに一つだからである。 しかし予防はともかく、すでにできてしまったガンはかなりタチが悪い。タバコや 食べ物のかたよりのように自業自得なものであっても、 やはり悲惨な死を見るのはあまりに忍びないだろう。 これを直すにはガン細胞だけが持つ特徴を発見し、 その特徴を持った細胞だけを選択的に抹殺する薬や方法が必要になる。 そして自覚症状がない時期に検査をしてガンを発見することも重要である。 二年に一回の定期検診くらいで発病直後のガンを発見でき、 それを手術によらない手段で治療できれば最良だろう。 今のところ有力なのは、血管形成現象で区別する方法だ。 成長期でもない限り、新しく血管を作ることはまれである。 しかしガン細胞はデカくなるために血管を新しくひいてくるという働きを 持つ。そこで、血管をひいてこようとしている細胞だけを殺す 薬ができたなら、多少の副作用はあれガン細胞をねこそぎ抹殺することができ る。また、ガン細胞は転移するから恐しいのであって、転移しなければ ただのイボだ。転移するには周りの構造をブチ壊して他の場所に侵入すること が必要なのだが、これを行っている細胞を区別して抹殺できれば やはりガンは恐るに足らぬものになる。

  世紀単位の長い目で見れば、 いずれ遺伝病とガンは死因にはならなくなることだろう。 残る死因は事故死と戦くらいで、戦さえなければたいがいの人が自然死できる 世の中になる。人類の夢だ。果たしてそれを成しとげるか、 それとも科学の副作用によってまた新たな死因ができてしまうのか。 どちらにせよ、人間の努力の結果であることに変わりはない。 原爆が愚かさの結果であったか賢さの結果であったかは 所詮感情的な問題にすぎないのだ。

2000年12月18日

今日から明日あたりにかけて、 掲示板、倉庫、エネルゲンFTP、エネルゲンチャット等々の機能が いくらかの時間使用不能になる可能性があります。できるだけ速やかに移行する 予定ですが、いつどういうトラブルがおこるかわからないので、 ご了承ください。できたら一秒で。 なお、このsannetのアカウントは外から更新できず不便なので、 いずれどこぞに移転する可能性もあります。その時はどうかよろしく。

あゆが似ねえ。そのせいでトップ絵更新がえんえん滞っている。 何が辛いかと言うと、 オレの絵は理屈っぽい性格に似て比較的リアル系なのだということだ。 リアル系の輪郭のなかに無理矢理アニメ系の目やらなにやら を入れると妙にぎこちなくなって不気味な絵になる。 そこで輪郭もアニメ系にすればいいのだが、中身以上にマネしにくいのが輪郭 というものだ。だったらいっそと中身もリアル系にしてしまうと これがまた破滅的に似ないのである。 香里ねえさまや舞ならばまだ良い。 オレ内部イメージ的には顔が長いキャラなのでまだやりやすいからだ。 しかし、あゆやらマルチやらは…。清水の奴が苦しんでいる通り、 幼いのと丸いのとプニなのは全て違うことである。 輪郭を幼くしても、それは幼いのであってあゆやマルチが属する世界のものと は違う。ましてどれみのようなものの属する世界には1ミクロンたりとも 近づかない。漫研の会誌の作者のコメントのところに、 「ギャルゲー同人やってます」という文とともにオッサンの群れを描いて ウケを狙ったが、マジでシャレにならない。この絵でギャルゲー同人は 致死量だ。ともかくも「かわいい女の子」というものをどうにか 描けるようにならないと。楓が迫っているのだよ。楓が。 「いいかげんネタじゃなくて漫画を描け」と言われたりもするので、 ちゃんとした絵を描けねばヤバいのだがなぁ。 描く量が足りんのだ。量が。

研究室新サバにネットワークカードが必要だったので 安物を公費で買ってきたのだが、ソースを見ると「史上最悪のカード」と書いて あった。realtekの8139である。「ローエンドの定義を更新した」 とかなんとか、とにかく罵詈雑言の限りを尽して「このカードを使うな」と 言っている。ドライバの作者が言うくらいだからさぞやすごいのだろう。 確かにエラーが連発する。 とりあえずintelのまともな奴を発注。来るまでこれを使っていよう。 仕方ないので差し換えてあまったらwindows機に差して使うことにする。

研究室マシンにサバソフトやらなにやらをドカドカ入れる。 IPアドレス割りふり装置dhcps、 IPアドレス変換装置ipfilter、WEBサバapatche、 プロキシサバsquid、メールサバqpopper、 MACとのファイル共有を行うためのnetatalk、 windowsとのファイル共有を行うためのsamba、 エネルゲン用ircサバ。加えてまともに使うために必要なemacs、skk、Xその他。 入れるだけは入れたが、まともに設定できたのはsquidとdhcpsだけ。 内側にあるwindows機からWEBを見られるようにしたところで今日は終わりだ。 FTPが使えないのは passiveがどうとかいう問題だと思うが、おそらくipfilterの設定が終わるま では治るまい。natdでもいいようだが、何が違うのかすら今の段階ではわから ない。webでさらってもバージョンによって設定のしかたが違うらしくさっぱ りだ。全部のソフトの説明書を読むしかないのか。

とにかく、ipfilterがまともに動いて下流からFTPができるようになったら 機械の接続をやってしまうことにする。どうせみんなそれくらいしか使ってな いのだからグローバルでないと困ることなどない。 その次はapacheとircを入れてノートパソコンの機能を置換。 とどめにsambaとnetatalkとnfsを入れてファイル共有環境をつくる。 後は新しいwindows機にphotoshopを入れてスキャナの設定をすれば めでたく研究する体勢が整うことになる。 いきなりえらい量の勉強をすることになってしまってうれしい。

manを読む限りではnatdの方が簡単らしい。カーネルを通さないのが いいらしい。カーネルがからむと ややこしくなるのはPPPと同じということだろう。早速明日やってみる。

とらハは今日もお借りできなかった。木曜までなど到底待てん。 噂から考えて買って然るべき作品であろう。 弟も出資するということなので、そう負担も大きくはなるまい。

科学

  どうも今の研究室にいるのはヤバいような気がしてきた。 忙しいと言って実験にかまけていると、 本当にこのまま進学することになってしまう。 保留はやめだ。 まず、研究者になるとしてどの分野に行くべきかを考えよう。

  たとえば寿命をのばすにはどうすればいいだろう。 生物の老化はたぶん酸素その他による損傷の蓄積による。 酸素消費率(酸素消費/細胞数)の激しい生物ほど寿命が短いという事実からし てたぶんこれは正しい。とすればこの損傷をいかに防ぐかがミソという ことになるのだが、残念ながらこのアプローチは望み薄である。 酸素損傷を防ぐには、酸素をあまり吸わないようにするか、酸素によるダメー ジを最小限に抑えるか、酸素によるダメージをもっと効率よく修復するか のいずれかしかない。最初のは当然ダメだ。 そして2、3番目のアプローチにしても、これまでの進化でまるでそういう 機能に優れた生物が出てきていないという事実からして 遺伝子をどうこうしたくらいで強くなるとも思えないのだ。 このアプローチは子孫に遺伝するので使い勝手が良く、 人類全体のわずかな品種改良を目指すならば重要であるが、 即席な効果は得られない。 壊れた部分をいかにして取り換えるかこそが 寿命をのばすためには、あるいは健康なまま死ぬ人を増やすためには 重要な手段だということになる。

  組織やら臓器を本人の細胞から再生させられれば、 提供者待ちなどという面倒なまねをしなくて済む。 これが再生医工学だ。トカゲのしっぽのような現象を 人為的に起こそうというもくろみである。 今流行っているのはES細胞というやつで、 要は受精卵のようにこれからなんにでもなれる可能性を秘めた細胞のことだ。 こいつにどうにかお望みの細胞になってもらい、できるならば 組織やら臓器にまで成長してもらおうというお話である。 どうも最近はなにやらいけそうな気がしてきたらしく、 かなり勢いがついている。 目の水晶体、角膜、耳のかたつむり管などをもし作ることができ、 移植が可能になればオレの近視も難聴も直るだろう。

  脳みそ系統の学問もおもしろい。 神経がどういうふうにつながって記憶やら思考やらが出来あがっているのか を知ろうというもくろみである。 また耳、目などのセンサからの刺激をどう受けとるかということがわかれば それらのセンサを人工のものに置き換える技術にも役立つ。 サイバーパンクへの階段だ。もし脳みその情報の制御が可能になるならば、 情報通信技術との融合によってテレパシーは現実のものになる。 また、人工知能を作る上でもこういった知識は役に立つだろう。

  それらとは別、というか並列にある学問として、 生物情報工学というのがある。 いままでの生物学は遺伝子一個、たんぱく質一個の機能を探って得られた知識 を積み重ねることで発展してきた。部分がたくさんより集まれば全体に近くな るという考えかたである。しかし、このやり方では本当の全体像をつかむのは かなり無理だ。そこで、全体をバっと眺めつつ情報伝達や代謝の経路を探り、 生物ってのはこうなってるんだという全体的な情報を得ようという学問がはや りつつある。最終的な確認やらなにやらは実際に実験をせねばならないのだが、 実験をするための方針や当たりをつける作業にはこれから必須になるだろう。

  ところで、人類は技術を手に入れたがえらく半端である。半端であるが故の弊害は 挙げればキリがない。脳死なんてやっかい事が出てきたのは 臓器を作れもしないくせに移植できるようになったせいだ。 また、分解がやっかいな化学物質の類も、分解法をロクに確立する前に 実用化してしまったからこんなに面倒なことになっている。 プラスチックをバカバカ食う生物でも生み出さない限りは ゴミはたまり続けるだろう。 今科学の発展が止まれば、この悲惨な半端状態はえんえんと続くことになるわけで、 であれば人類は科学するしかない。 その結果いつか地球を丸ごと吹き飛ばして終わるのかもしれないが、 このまま止まるよりはずっと健康的だし、そもそも科学の発展を止めるなんて もう誰にもできやしないのだ。 さて、ではオレはその科学のどの部分にこのわずかな力を注ぐべきか。

  科学の発展は加速する一方である。なぜなら、蓄積された知識の量は増え、 情報通信、情報探索、移動などにかかる時間や手間は減り、 かつ科学する人間の数が増えているからだ。 科学の発展速度が遅くなる時が来るとすれば、それは人類の科学が 自然の究極にまで迫ってしまった時か、人類が衰退する時だろう。 20世紀はすごい世紀だった。だが、21世紀は人類に致命的な出来事が起こらぬ 限りは20世紀よりもすごい世紀になる。夢にまで見たその21世紀まで、 あと二週間だ。

2000年12月17日

これは土曜の話なのだが、書いているのが日曜なのでここ。

朝から研究室の掃除。で終わってからはコンピュータいじり。 ハードディスクだけ入れ換えたのだが、チップセットも石も同じだし 動くかなーと思っていたのだが、なぜかプリンタだけが動かない。 そんな時に 同輩から「学会行かん?」と言われた。別に発表するわけでもなく、 単なる見学である。一人では行く気がしないというので、 ならばとついていくことにした。コンピュータは放置。

神戸は遠かった。それはいいとして学会だが、実はそんな大層なものではない。 同人誌即売会に使うようなホールにたくさん板を並べ、そこに 自分の研究をポスターのように貼って展示するのである。 自分はそこの前にいて、質問をしてくる人がいたら応対するのだ。売り子である。 一テーマあたりの広さは、幅2メートル、高さ2メートルといったところで、 同人誌即売会の机一個分と思えば良い。そういうふうに考えると ますます同人誌即売会くさくなってくる。本当は見学でも参加費 が必要で、なにやらバッジのようなものをつけねばならないのだが、 うちらが着いたのはもうほとんど終わりそうな時刻だったので、 まるでチェックはなかった。パンフが売り切れて入場フリー状態である。 分子生物学会などといういかにもえらそうでデカい学会でも こんなもんなわけで、要は学会なんてこんなもんだということだろう。 国際的な奴だと何もかもが英語になるのでかなり様相は違ってくるが、 たぶんやることは一緒に違いない。

会場でボスや先輩OBの人と合流し、 おごってもらってしゃぶしゃぶ食い放題。 タダで食わしてもらって言うのもなんだが、 やはりあの食べ方はなにか間違っている。

さらに4人で神戸のルミナリエとかいうものを見にいこうということになった。 ルミナリエというのは、なんだか知らないが豆電球をたくさん使って デカい模様を作ったものである。道に沿ってデカい建造物を描いたり、 何重にも門のようなものを作っていたりした。 しかしまあ、どうでもいいやという感じである。 イタリアでわざわざ作った骨組みを日本で組み立てているそうだが、 だからなんだろう。光ってはいたが、 光ればきれいというのはいささか単純すぎやしないか。 もしもっと人が少なかったら素直によろこんだかもしれないが、 あんな人混みの中では風情もクソもない。どれくらいいたかはわからないが、 万のオーダーであったのは確かである。

ところで、あの企画は元がとれているのだろうか。 そもそも一体どんな団体が金を出しているのだろう。 電気代、交通整理のための費用、その他もろもろで一晩でも7けたや8けたの 金はかかっていると思うのだが。

帰ってきたのは12時近く。そういえば漫研で忘年会をやっていて、 本当は学会に行っても十分合流できるはずだったのだが、 ルミナリエのおかげでまるで間にあわなくなった。 電話してみたが、カラオケな連中にはつながらないし、 うにの家の連中は格ゲーに興じていて行ってもどうなるものでもない。 とらハをお貸し願う予定の某氏はどこにいるかも謎。 というわけで合流するのはやめた。

この年代の人間はなんでも男女の関係の話にしたがるものなのだろうか。 今日のメンツには一人だけ女が混ざっていたので、なにかと 彼女がからかわれていた。オレを誘って、というか引っぱって 二人で学会まで来たというだけでラブラブよばわりされる始末だ。 確かに23やら24になって浮いた話一つもないのはむしろ不自然なのだという 気はするし、当然それに対して焦りもあるのだろうとは思うが。

モテるという状態がどんなものかは興味があるが、 それを求めて努力してもそうなるとは思えないし、 そもそもそうなったところでそんなにうれしいとも思えない。

burncdの使い方がわかった。あとはすでにあるCDROMをいかにしてイメージに するかさえ覚えればいいはずだ。01をまんま読み出してしまえれば 日本語ファイル名もクソもあるまい。 これでFreeBSDでもCDが焼ける。もうwindowsはいらないぞ。

cdromドライブ(/dev/acd0a)をcatしたらなにやらイメージが出てきた。 焼いてみる。焼けたらしい。これだからunixはたまらない。

しかし、その抜いたファイルを マウントしようとしてもブロックデバイスが必要と言われてできない。 ファイルにマウントできたら中身見られておもろそうなのだが。 そのブロックデバイスというのがなんなのかを知らないのではどうにもならないので、 unixが水面下で何をしているのかをもっと知らねばならない。 すごそうな本を読むことにしよう。

そういえば、Ktoreishi氏が昔抜いたISOイメージを FCD(CD革命のファイル形式)にすることができたと言っていた。 同様にFCDをISOイメージにして焼くというマネもできるのだろう。

そういえばTHEガッツをお借りしていたのだった。寝てトップ絵を上げたら やってみよう。

築地に行った時に思ったのだが、Theガッツを魚市場でやったらおもろいかも しれない。やることは一緒なのだが、工事現場とはまた違った趣きがあるだろう。

celeronの800は外部100らしい。それ、研究室の750MHzより速いんじゃないの か。何か損した気分。ところで、プリンタにLPTとUSBの 二系統の入力があるからといって、それに同時に差して二台のマシンから使う なんてマネができるもんなのだろうか。今動かないのはそのせいではないのだ ろうか。研究室行って確かめてこよう。

高級サウンドカード。オンキヨーのSE-120PCI。 金メッキまみれでノイズがのらないそうだ。 ごついサウンドカードが欲しいと言っていた某氏と某氏への情報提供。 しかし今時サウンドカードで24800円ってのはなかなかすごい。 何年か前ならあたりまえだっただろうが。

2000年12月16日

ノートパソコンのサバ機能を新しい研究室マシンに移す予定。 明日決行。IP枯渇なんてわかってたことなんだから、最初から プライベートアドレス使っていてくれればこんな苦労はしないのだ。 先人の遺した中途半端なNTサバも頭痛の種の一つ。 一応のためボスの使ってるマシンだけにはグローバルIPを当てたままにしておこう。 他は全部プライベートにしてやる。

2000年12月15日

無邪気だったのはオレの方か。邪気があったのもオレの方か。いいだろう。

研究室の壁に貼ってあった新聞記事。内容はいいが、写真がアザラシだった。 顔がとんでもなくかわいい。おまえ、なんも考えてないだろ。 人と比べるにけっこう大きそうだ。 あんなデカい図体してあんなかわいい顔してるのは反則だよ。 抱きついたら絶対気持ちいい。ちょっと臭いかもしれないが、ご愛敬。 という感じでしばし見とれてしまった。そんな生物が横にいたら オレは何もしなくなるだろう。 逆に言えばオレが何かを必死こいてやっているのは、 そういう生物が横にいないからだ。

研究室にコンピュータがやってきた。 しかし、IPアドレスが足りなかった。 とりあえずDHCPサバを作らねば。

体幹の筋肉が圧倒的に足りん。打撃のパワーを支え切れないのだ。 トレーニングあるのみ。

2000年12月14日

青空感想文。 いいのだが、どういいのかを説明するのはとてもむつかしい。 みんなやってるAirなどなら日記でネタバレまみれなものを書いてもいい 気になるが、こういうのは是非勧めたいという意図から言って ネタバレは避けたいからである。 もっとも、どうせやらない人の方が多いのだから いくらネタバレしてもかまわないといえばかまわないのか。

やっぱりDNAが気になる。あれさえなければ他のはそれほど気にならなかったと 思うんだが。よく知っているということは不幸なのか。

次はとらハ3。お借りしたい。が、今は実験と、トップ絵、バナーが先か。 実験を来週に回して今週中は逃げ回りながらとらハ3とお絵描き、というのも 悪くないが、そうするといくらなんでも遅くなりすぎる。

もりりん氏に、点数と好みが比例するような採点のしかたをあみだしてくれ と言われたが、オレの好みはそんなに単純じゃない。 放っとけない度だけでは真雪(とらハ2)は説明できないのだ。

オレが好きになるキャラは大きく分けたら「何かをしてあげたい」奴と、 「なにかを一緒にしてほしい」奴に分かれる。 たいがいのキャラはこの両方をあるバランス で持っている。そして前者が「放っとけなさ」、後者が「いい奴さ」 がもたらす感情なのである。 観鈴は前者の筆頭。真雪は後者の筆頭だろう。茜なんかはけっこう いいバランスで両方かもしれない。舞に至っては、これに「わけわかんなさ」 が加わっているおかげで非常に強力だ。「放っとけない」「いい奴だ」 という感情に加えて、「何を考えてるか微妙に不思議」という知的スリリング まで加わるのだから、そのパワーの程が知れよう。茜やみさき先輩も このへんはけっこう大きい。ちなみに、真雪は「かっちょよさ」 という新たなパラメータが加わるために微妙なブーストがかかっている。 なお、今回の文乃さまは「放っとけなさ」が異常に高く、 微妙に「いい奴さ」があって良い。だが、たぶんオレを好きにはなってくれない どころか相手にさえされないだろうと思うと悲しくなるのでマイナスである。 ちなみに彼女は「師匠度」という値が高く、 それこそ師を仰ぎたいくらいすごい人なのだが、 相手にしてもらえそうにないのでそれどころではない。

ああ、人を愛したいものだ。

アホのために初心者用テーブル説明文 を加えた。自分のを読めというのも自信過剰だが、敢えて言おう。 読め!!一応サルでもわかるHTML入門11章 ということになっているが、 善良な皆さんにはあまり真似して欲しくはない。 というのも、テーブルをレイアウトに使うのは邪道だからだ。 しかし、世の中には邪道であってもやらねばならないことがあるのである。

アテルイ2世。原哲雄先生の最新作だ。もうあまりのダメっぷりに大爆笑である。 話の最悪さと、原哲雄先生の原哲雄な絵や展開や表現とのギャップが すばらしい。今の原哲雄はやはり武論尊と隆慶一郎の 2人と出逢うことによって作られたのだろうか。 なお、原哲雄のダメ漫画としては他に ヒュドラ、猛き龍星などがあるので、是非読んでみよう。 あまりのダメっぷりに感動することうけあいだ。

ふかふかして、まるっこくて、かわいくて、ちんまくて、おっきいもの に抱きつきたくなるのは普通の感情だよな。 誰かそう言ってくれ。「薔薇のために」のあの分析は絶対に正しい。

「いっしょにいさせて頂きたいキャラ」というのもけっこう 好きらしいことがわかった。 「師匠と呼びたいお方」と言いかえてもいい。真雪先生の「かっちょいい度」 はまさにこれであったのだ。 ちなみに、これに関してもやっぱり現実におけるオレの願望を如実に表している。 誰か師匠になってくれ。

「いっしょにいてあげたいキャラ」「いっしょにいてほしいキャラ」 「いっしょにいさせてほしいキャラ」。 一見同じことを言っているようだが、断じて違う。 これがオレのキャラが好きになる3要素なのか。 驚くほど舞が全部高い気がするのだが、やはりな。

一つめは相手のために自分が何かをしてあげられるという喜び。 二つめは相手と心が通じあえるという喜び。 三つめは相手が自分に対して価値を認めてくれるという喜び。 全部勝手な思いこみなのだが、その思いこみで世界は成り立っているのだ。 それにしてもこういうふうに言い換えると、 ギャルゲーやって萌えてるダメ人間だということを忘れられる。

ギャルゲーは、忘れたころに、やってくる。 次に来るのは、どこのどいつだ。

2000年12月13日

新生エネルゲンサイト 改良。保守性と見栄えの両立を目指しつつスタイルシートを いじる。かたはらが毎日落書をすると言っているので、 たぶんものすごい勢いで絵も増えるだろう。オレもやらねばな。

とある分類によれば、世界には3種類の人間がいる。 無邪気な人、邪気のある人、そして無邪気でもないが邪気もない人だ。 この中で最悪なのは邪気のある人である。 人の不幸を自分の幸せとし、積極的に人を不幸にしようとする。 自分の正しさを証明せんがために人の失敗を願うのもこのうちだ。 「ざまあ見ろ」と思う人は、邪気のある人である。 こういう人は他人から好かれにくいし、 本人も幸せではあり得ないだろう。もちろん他人も迷惑する。 次に来るのは無邪気な人だ。悪意がないだけマシだが、 自分のしている行為の意味に気づかず他人がどう思うかということを 考えることができない。 本人はいたって幸せであるが、いつの日か自分が何をしてきたかに気づいた時 にはとてつもない恥ずかしさに襲われることになるだろう。 そして最後の分類が無邪気でもなく邪気もない人だ。 自分の位置を集団のなかでとらえて、 自分の利益と他人の利益のバランスをとることができる。 不満もたまるから完全に幸せとは言えないが、まあこれが一番マシだろう。 さて、この3分類は連続的なもので、 たいがいの人はこの3つの極の間のどこかにいる。 同じ人でも時と場合によって違うこともあろう。 つまり、「完全に無邪気な人」というのはおらず、 いるのは「こういう時に無邪気な人」 である。「いろんな時に無邪気な人」は「無邪気な人」として 認識されるだろうというだけの話だ。 オレもまた無邪気なことも多ければ邪気のあることも多い人間である。 できるだけその両方でない時間を長くできるように魂を鍛えていかねばならない。

青空。この田舎っぷりはすごい。普通田舎を描く時には都会が失ってしまった いいものをこれでもかと見せつけることで郷愁やらあこがれを抱かせるものだが、 これは違う。いや、一応そういう意図で作っているらしいのだが、 どうにも田舎の不気味さ、閉鎖性、停滞といったものが色濃く出てしまっており、 とても郷愁やらあこがれなどを抱ける雰囲気ではない。 ストーリー云々は今のところどうでもいいが、この雰囲気は高く買いたい。 さて、では続きをやるとしよう。

5人のキャラのうち、4人はバッドエンド。 なんとか2人はハッピーエンドを見ることができたが、 他の3人はどこの選択肢が効くのかがさっぱりわからず まるでハッピーエンドにならない。 しかし、ハッピーとかそんなのはどうでもいいほど話がおもしろくなってきた。 一つの事件をどういう視点から見るか、というタイプの分岐であり、 いうならば痕並みに分岐をうまく使っている。 これだけのものを構築するのにはさぞや骨が折れただろう。 下手に見えるのは部分的にネタがショボかったり、 クサイことをあんまり素直に書いてしまったりするからで、 構成が下手なわけではないらしい。 悪役がもう少しきちんとかかれていたらそんな印象は受けなかったと思うのだが。

全員終了。根本的なところで「なぜ?」と思うことが残っていたり、 「それなんかおかしくないか」というところがあったり、 かなりとりあえずエロシーンになったりするが、 全体としてはいい出来か。 キャラの魅力について語るのはむつかしいが、文乃の台詞は たまらなくいい。物語を語る便利屋的な役割でありながら これだけ人間ができているとたまらない。そっけないキャラが だんだんかわいくなる快感、って奴もなかなかだ。 どうも、一度もバッドエンドを見ないで全員クリアすると おまけがつくらしいのだが、そこまでは今はいいだろう。 全体としては「うおおおお」系でなく「うむ、おもしろい」系のゲームであった。 作品世界の描写の説得力(設定とか話は関係ないぞ)はトップレベルである。

やっぱオレが気にいる最大のポイントは「放っとけない」ことだ。 その基準から言うと文乃はかなりすごいのだが、 あまりの放っとけなさに放っとかざるを得ないく らい放っとけないキャラなので 多少逸脱気味ではある。無愛想キャラは基本的に放っとけないので好きなのだが、 こいつは行きすぎっぽい。でもそれでもいい。美しいまでに悲しい打算。 うおお、やはり放っておけない。みさき先輩、茜、舞、美凪…。放っとけないよなあ。 ちなみに、これに「変な奴」がつくとかなり完璧である。ちなみに好きにならない 条件は、うっとうしい奴、頭の悪そうな奴、善人面した奴、その他である。 例えば誰と言うと戦争になるので言わないが。

まとめて文章にしておこう。

2000年12月12日

合同研究発表会。おおむね好評、というかみんなついて来てなかったようだ。 今中さん(今中研のボス)がいなかったので 質問がいまひとつ来なかったというのもあるが、 全体に質問が鈍かった。 あんまり見慣れない話なだけに質問もしにくかったのだろう。 そういうふうに話をしたのだから無理もない。 しかし問題はまた今回でうちのボスが喜んでしまったことだ。
「もっとプログラミング関係でアピールできるようにして量子力学の○○教授とか に認められとくと、化学とも関係ができて博士でも有利やで」
話の内容はともかくとして、 オレはボス内部では博士に行くことに決定しているらしい。 いつもなら巧妙に匂わせるに留めるボスもポロリともらすほどの大喜びさ。 いまさらながらにハッタリを効かせすぎたと反省した。 博士に行くのも、待遇が悪くはないのでそう問題があるわけでもないが、 期待に答え続けねばならないという重圧はついて回る。 しかしまあ、面倒な作業は下々の四回生や修士にまかせ、 国の金を自由に使って好き勝手できるというのはかなり悪くない。 退屈な待ち時間さえなければ生物学の研究はかなりおもしろいのだ。 さて、あとはハッタリをかましすぎて実際よりも大きく見えているであろう オレのプログラミングスキルその他をいかに相手の期待するレベルに近づけるかが 最大の問題になる。3月までに今の研究を片づけて4月からは 新しいことをやりたいというのもあり、これからしばらくは忙しくなりそうだ。 一年以上同じことをやるなんて苦痛にすぎるではないか。

横浜決定。おそらく12月中に。今週中にRNAサンプルを採取して奈良へ運び、 来週中には理研に送られて実験に供される。早ければ再来週には再び 行くことになろう。なお、今度は事前に金が出る。宿泊費つきで。 実は今回も宿泊費が出ているのだ。
「一泊二日で申請するなら宿泊費ないと見咎められるやろ」
とか言ってチョチョイと書類に書いてしまうあたり、 世の中のしくみを見た。まさかここにこうやって書いたことが元で 大変なことになるなんてことはなかろうが、ちとこれからは ヨゴレ話を控えた方がいいのかもしれんと思ったりもする。 オレも片棒をかつぐのだから。

5時間寝てから中間発表の資料を作る。英語。 しかし今日言うことは言ったので、明日は研究室内向けの正直な話を 軽くして終わろう。英語も1ページならすぐ書ける。

「果てしなく青い、その空の下で」。春の章をとりあえず読み終えた。 どの程度分岐するのかはわからないが、まあ10分の1程度だろうか。 とりあえず今のところ、正直ヤバげだ。 つかみが弱いし、キャラもいまひとつ何がなんだかわからない。 何がどうとは言えないが、もし最後までこの調子ならちょっとショボいのではないか。 しかし作りは良く、たまにハっとする表現があったりするし、 だんだん話も盛り上がってはきたので、この先に期待すべきだろう。

「(前略)青(中略)空(後略)」(以下「青空」)。 なんだこりゃ!!。最初の薄い、田舎度を増したフォークソングのような印象を 見事に粉砕してくれる超常展開が熱い。吹き荒れる理不尽。 迫る狂気。 ここでのネタバレは したくないので詳しくは言わないが、終の空に匹敵する電波を感じる。 どう言っていいかわからないが、 このシナリオライタは何かがおかしい。たぶん未熟で、 話を組み立てるのも下手なら、 キャラを立てる技術も下手だが、この奇妙な説得力はそうそう出るものではない。 たまに言い知れぬ不気味さがふと顔を出す瞬間がたまらないのだ。 狙ってやっているのなら大したものだし、そうでなくても大したものである。 なお、まだバッドエンド2つ。全貌が明らかになるにはあと2、3回は バッドエンドを見ねばならないような気がする。

2000年12月11日

再現性がなさすぎる。二回同じ実験をしたはずなのに、 ほとんどランダムだ。まるで相関性がない。 これをどうネタにして発表すればいいのか。

どうにか目途が立った。ハッタリがどれくらい通用するかわからんが、 あとは話し方で圧倒するのみ。

「やれ」と言うな。「やろう」と言え。「やる」でもいい。 「やれ」は自分の分をちゃんとやっている奴だけが言っていい。

まともなデータがない。隣の今中研と合同での研究発表会とは言え、 ないものは仕方ないので正直に言おうと思ったのだが、 ボスや上司の顔を見ていると 他の研究室への対抗心がバリバリである。 不利益なデータは出さぬ方が オレのためでもあるだろう。というわけで二回目のデータはまだ解析 していないことにして前回の解析結果を持ち出すことにする。 あれが間違っているのはもう明らかだが、世の中は綺麗事だけでは動かないのだ。 まさかうちや今中研の人がこれを読んでいるとは思えないが、 もし読まれていたらごめんなさいと言おう。それくらいのリスク がないといまひとつ気が乗らない。 3月の学会にはさすがにまともなデータが出せるはずだし、 今年度中に論文を書いてしまいたいのだが、さてどうなるか。 自分の都合だけでどうにでもなるならいいが、 こういろんな組織が関わるといろいろと面倒なのである。

数値に踊らされやすい研究である。9300×20も数値が並んでいると だんだん感覚がマヒしてくるのだ。これを避けるにはさらにデータの数を 増やすしかない。何度やっても同じ結果が出るようになって初めて 数に踊らされないで数を見つめることができる。

2000年12月10日

ハードディスク復旧。実はBIOSにハードディスクをリードオンリーにする オプションがあっただけという寒すぎる結果だった。 下手にWEBで似た症状が見つかってしまったのが不運だったようである。 ktoreishi殿すみません。それにしても、一体いつそんなオプションがオンに なったのだろう。自分でやった覚えなどまるでないのだが。

新エネルゲンサイト を3人でよってたかって大更新。 内容はまんまだが、スタイルシートの一本化によって 保守性が改善され、いろいろと細かいところを直してまわった。 あとは作品公開ページの体裁を整えれば とりあえずは第一段階終了だろうか。アホも日記をつけはじめたので、 おそらくは毎日更新にもなるだろう。

windowsインストール完了。ktoreishi氏によるとwindowsのトラブルの原因は たいがい人間なのだと言う。windowsが止まったかと思ってリセットしたりすると それが原因で壊れるのだそうだ。ウンともスンとも言わない時でも 根気良く待たねばダメらしい。例えばインストールの時などは、 30分動かなかったらリセットしてもいいと説明書に書いてあるそうである。 ひどい。

再現性がまるでない。死ねというのか。とにかくもう一度やる必要がある。

プログラミング中。趣味でなく研究の。装置を作った人の書いたプログラム のアルゴリズムを信頼すべきなのだろうか。

2000年12月9日

エネルゲンサイト移転完了。 管理者がアホ(良月のこと)になった。清水は個人サイトを作るそうである。 場所は前にエネルゲンがあった場所なので、開設の際はどうぞよろしく。

トップ絵更新するぞ。するぞ。するぞ。 ついでにバナー。そしてあれのための妄想を溜めるのだ。 発表会?中間報告?ハッタリだよ。そんなものはね。 でもそれはともかくとしてwindowsが動かんとスキャナもプリンタも使えんのです。 ハードディスクゥゥゥゥゥゥ。

やる気をなくす理由がなくなったので、やる気になることにしたのだが、 急に世界が明かるくなって、云々。

漫画はやっぱり生身である。電気は壊れるが、生身は壊れない。 やはり自己修復能もないような下等な無機質に依存するのはダメだ。 というわけで、この機械を強化する必要がまるでなくなった。

今オレがのばして一番おもしろいことになるのはやっぱり漫画能力だ。 プログラムもしたいが、どうせ研究の都合上イヤでもやることになるから たぶん上達もする。拳法は一生物なのでのんびりやっていく。 漫画は今だ。今が漫画の時だ。炸裂する。

2日サボったので長めにヨガ。ついでにできないポーズに関して、 どの筋肉がダメでできないのかを分析してみた。 その結果、いくつか足をひっぱる固い筋肉を発見。 尻、尻の上のあたり、ももの腹側、内股、膝の裏、アキレス腱。 ももからすねにかけては蹴りにダイレクトに響く筋肉どもだ。 こやつらを特に柔軟にして強烈な蹴りを手に入れよう。 そして尻の上。これは打撃の中枢たる腰背だ。 こやつこそ一番やわらかくなければならない筋肉である。

「限りなくすごく このそれの下で(アホによる捏造含む)」を 借りてきた。が、ハードディスクが死んでいて今は無理だ。 というわけで、感想予定ゲームは、「果てしなく青い、この空の下で…」 「とらハ3」「AIR」の3本。AIRはどういうわけか今では美凪しか頭に残っておらず、 それすらがKANONやONEに侵食されて風前の灯である。 ひょっとしてオレはAIRが好きではないのか? AIR本出すってのにどうするんだ? でもまあ、どうせ先の話だ。時代は楓。

「死ぬれ」というのが妙におもしろくて一時多用していたのだが、 考えてみると文法的に間違いすぎていたので最近は使っていない。 しかし、それがアホにネタにされ、 たとえば「もののけ姫の"生きろ"が"死ぬれ"だったらすごいションボリだ」 というふうにバカにされ続けた。 そして、今回の遠征では「かえれ」等の他の動詞の命令形まで 「かえるれ」にする等々の非道が行われたのである。 帰り際にそれに対抗して「かえるれられろ」 とかいう意味不明な言葉を吐いたりしたが、 オレは何をやっているのだろう。

東京

  東京遠征終了。あったことをちらりと書く。

  7日朝。適当に新幹線で新横浜。目指すは鶴見の理化学研究所だ。 地図の上ではなにやら埋め立て地にあり、かなり新しくて近代的な 建物なのだろうという期待がふくらむ。 が、実際鶴見に着いてみると周りは70年代だった。 70年代の番組を今見るとなにか独特の色というか空気があるものだが、 あれがそのまんま目の前に壮大なスケールで展開しているのである。 ただでも埋立地の工業地域であるわけで無理もないのは確かだ。 しかし、妙にわびさびを心得た建物の色調と、 排気ガスにかすむ風景。聞こえてくる工事の音。 濁った海に上下するビニール袋。やりすぎなほど素晴らしくまさにそれだった。 そんな中歩いて理研についたのだが、これがまたびっくりである。 工事中のだだっぴろい敷地の中に建物が1セット、ポツンとあるだけなのだ。 作りたてであろうことくらいは想像していたが、これはむしろ作りかけである。 そしてその建物の形もまたすごい。 四角い普通の建物の間に 丸いドームが5つ星型の頂点に配置された、 いかにもゼビウスで地上弾を食らいそうな形のものが2つもはさまっているのである。 完全に浮いていた。自慢気に航空写真が飾ってあったが、やはり浮いている。

  データの回収はつつがなく終わった。結局一番おもしろかったのは理研の 外観という状態だったのだが、 電気代・試薬代その他で毎日400万円が消えてゆくということを聞かされると、 「ああ、国の威信をかけてるんだこれでも」と思えたりもする。

  夜、アホの家。jagと三人で、ダラダラする。

  8日朝。鍋のための買い出し。築地である。

  昼、二郎。

  夜、鍋。失敗。泣いて帰った後は、アホの家で小松さん、T野、 かたはらとダラダラ話す。同人、大変なんですね。 最近はボク達もそれがちょっとくらいはわかってきましたよ。 しかしまあ、1ヶ月ほど前の 夢も希望も影もない暗黒時代に比べれば、今はまさに夢と希望に満ち満ちた 光の時代である。 次の楓本に原稿を寄せて下さると言う方も現れ、 我らがエースかたはらもやる気まんまんですでにプロットを上げている。 サイト移転も完了し、管理者もアホに移り連続的に企画を立ちあげて活性化する 計画も進行中だ。 ここ数ヶ月の仮死状態の不名誉を拭い去るべく、全身全霊で当たろうではないか。 なんかやる気が回復しているぞ。

  ああ、そういえば「てごめ券」。 くそ!負けだ!!。

  ちなみにちょっと前に小松さんのところに原稿を寄せたのだが、 その本ができた(「君が僕を知っている」マッハスペシャル探偵団)。 うお、オレの浮いてないか?大丈夫か?というか、 他の方々異様にビッグな人達な気が。とかまっとうなことを言う前に思ったのは、 仮面さんの1ページ漫画がすごすぎるということである。 まるでかなわない。

  そのまま9日朝。5時ごろ人がいなくなったので、 そのまま帰ることにした。のぞみ号で京都。今9時。 眠い。

2000年12月7日

栄養成分表改訂。 どうせ不足なんてしないであろうV.K、V.B6、V.B12と、 あそこに書いてあるものなら何食っても入ってる繊維を省いて、 少々は見やすくなった。また、栄養の名前を元素記号と省略表記に変更。 加えてのりとひじきを追加。海藻はいいよ。海藻は。

のじりの言っていたことが今日ほど身にしみた日はない。
「自分を理解しようとしてくれるなんて思う奴は甘ったれだ」
「知ることとわかることは違う」
そして、
「物事がうまく行くなんて思うのがそもそも甘ったれだ」
身体がふるえてキーボードが打てんよ。 怒ってるのか、泣いてるのか、笑ってるのかも区別できん。

おさまったら、世界がまた少し変わっていた。

自分が冷酷であることに気づくのは、 まだ手遅れなほど冷酷ではないのかもしれない。 だが、それとは別にオレは冷酷な人間ではありたくない。 自分を見れば見るほど冷酷で他人のことがどうでもいい人間であることが わかるとしてもだ。もし仮に、冷酷な人間でありたくない理由すら、 オレが冷酷であることに由来しているとしても、 オレが冷酷な人間でありたくないことに断じて変わりはない。 オレは一貫してロマンと人間らしさを賛美してきた。 それが自分の中の冷酷さを見て見ぬふりをするための かくれみのだったことがわかったとしても。 いい。人はそれでも生きてゆく。美しく生きようという意思さえあれば、 美しく生きられるはずだ。

2000年12月6日

ヨガ。だんだん手順を覚えてきて、本を見んでも一通りできるようになった。 1ポーズ10呼吸。約40秒。吐く息に合わせてより筋をのばし、吸う息にあわせて 少々戻す。だいたい全部で35分くらいかかる。たいがいの奴はアイソメトリクスな 筋トレも同時にやってるので、なかなかいい感じだ。

ガッカリ。何がだって?聞くなよ。

ビックリ。何がだって?聞いてくれ。だが言わない。

原田ウダル氏の8/109の日記に書かれているの鬱についての文章が素晴らしくいい。 何を言ってるのかわからないところも多々あるが、 何を言いたいのかは不思議なほどわかる。 無理矢理に意味がわかりにくい表現が多く 文体としてはそう好きなわけではないが、 やはり構成やリズムがうまい。文章を金に変換できる人はやはり違う。

MIDIを聞いていてますます録音式MIDIへの憎悪がつのる。 なぜこんなに表情がなくのっぺりした演奏になるのだ。 強さによって音のやわらかさ(=高調波比率)を変えるのは当然のはずだ。 おかげでONEの雨な曲はバンバンうるさい。 Airの夏影はフォルテとピアノの変化がない。 強さとは音の振幅のことだけではないのだ。 そのへんの表情がつけられねば音楽には聞こえん。 たのむから誰か専門な人が作ってバラまいてくれ。 大学で音響工学をやった人なんていっぱいいそうなものなのだがなあ。 くそ、こうなったら勉強してやる。

国出るのにはパスポートがいるんだった。迂闊。 何も考えてなかった。もう遅い。というわけで台湾はなし。 それに実は金があまりになさすぎる。 奨学金せしめたら来年あたり行く機会もあろう。 とりあえずパスポートは早いうちにとっとくか。

なんか博士行くことになりそうな予感。 なぜなら就職する方が今やることが多くて面倒くさいからだ。 こうやって流されると後で死ぬほど後悔するのはわかっているのだから、 動かねばならないのだがな。よし。年が明けたらドカンと何かしよう。 博士に行くにしてもこのままの研究室では野望には近づかん。

博士号欲しいなあ。もってるだけでなんかおもしろそうだ。 実はけっこうな人数がもっているのでそう大したものではないのだが、 あるのとないのではできることがまるで違う。 修士ごときで就職したって研究の主導権を握ることはできないのだ。 しかしそれに3年かかるのはかったるい。 飛び級でもらえたりするところないだろうか。 もちろんかなりすごい論文をちゃんと書かねばならんのだが。 たぶん2つ。

うおおおお。ラプラス変換ッ。 美しすぎる。素晴しすぎる。もっと速く勉強したかった。 ちなみに今読んでる教科書は 「信号解析のための数学 三谷政昭 森北出版」。 異常なほどわかりやすいので、フーリエとかラプラスとか DFTとかZ変換で苦しんでいる人にはおすすめ。 と言ってもまだ第2章までしか読んでないのだが。

友達の着陸車輪がサイトを閉じた。 「突然ゴメンネ」というメッセージの下に 奴の写真がネタ的に貼られている。 何があったのか知らないが、始まるものは終わるものか。

音色を作る

  どうやったら式で音色を作ることができるか。 読んだ本(「現代音響学 改訂2版」牧田康夫他 オーム社) を参考にして方法を考えてみた。 なお、オレは素人だ。にわかに仕入れた知識で頭ゲームをやっているにすぎない。 こうやって作ってまともなものができる保証などないし、 それどころかたぶん何か問題が出てきてダメだろう。 これはこのサイト全体に言えることなのだが。

  フーリエ先生によればどんな音も周波数がnf(nは整数、fは基底周波数) の波の合成で作れるのだが、それはともかくとして 自然界はそうやって音を作ってはいない。 自然界はnに整数であることを要求せず、そもそも基底周波数もクソもない。 だから、元々の音の鳴り方から考えてシミュレートしようとするなら フーリエを使わずに「構造的にどの周波数の音が鳴り得るか」を考えて 足していった方がいい。いわゆる物理シミュレーション方式だ。 フーリエは倍音積み重ね方式に直結するが、 実はそれでは打楽器のシミュレートをやるのは辛い。 たとえば、太鼓なんかは振動が周波数の低い順にf,1.59f,2.14f,2.3f… となっていて、まるで倍音ではないからだ。

  しかし、物理シミュレーション方式も、絃をはじく、絃をこする、 閉管振動、開管振動、膜振動などの 単純化したモデルで考える分にはわかりやすいが、 実際に個々の楽器をモロにマネようとすると とんでもないことになる。明らかに専門家が組織単位で取り組む仕事だ。 もっと簡単にやろうと思うなら、録音したのをフーリエ変換して 周波数組成を調べ、それと同じ比率で整数倍音を足して作った方が はるかに速い。しかし、これでは楽器の物理的特性に関する考察など 微塵もなくなってしまうし、これでもけっこうな手間である。

  さて、では一人で根本的な理屈と 本に書いてあるデータしか知らない状態で そこそこ遊べるものを作ろうと思ったらどういう手があるか。 まず第一に生楽器のマネをすることをハナっから放棄するという 潔い手がある。その場合には、あらゆる音色を表せる式を決め、 それに与えるパラメータをてきとうに決めていろいろ聞きながら 使いたいのを選び出すことになる。 中には生楽器っぽいのもあるにはあるだろうが、 基本的には現実の楽器の形に制限されない電子楽器らしい使い方である。 しかしピアノっぽいものが欲しいことはどうしてもあるわけで、 そういうやり方だけでは満足がいかない。 そこで、物理シミュレーションをすることになるのだが、 素人がいじれるパラメータはせいぜい以下のものであろう。

  よって、これらを与えればとりあえず音色を作ってくれるような 機構を作り、その後パラメータを微調整して好き勝手にいじるということになる。 また、この微調整にもいろいろと簡単な調整法を提供する。たとえば、

  などだ。作った音色にこれらの修正を加えてバリエーションを作ることができる。

  さて、ではあらゆる音色を表すための式を考えよう。 まず含む波の周波数全てについて振幅の時間変化を決定すれば 音は決まる。しかしながらこれは極限であって足し算をやれる回数は有限だ。 よって、足す波の周波数は離散的になる。 たとえば1倍音、2倍音、3倍音から成る音があったとして、 これの時間変化を独立に決めるだけでは不十分だ。 1倍音がニュルニュルと0.99倍音から1.01倍音までを 動くようなことが再現できないのである。 特に金管ではこういう効果が著しい。 とすると、それぞれの波にさらに周波数の時間変化も与えねばならない。 つまり、この段階で式は、振幅の時間変化×sin(周波数の時間変化×時間) となる。これを各周波数で和をとるわけだ。 ここで計算量と精度に直接に響くのは、 振幅の時間変化をどう近似するか、 周波数の時間変化をどう近似するか、 時間の単位をいくつにとるか、 そしていくつの波を足すか、の4つである。

  さて、まずは振幅の時間変化を考えてみよう。 これに欠かせないのが楽器の演奏形態だ。 たとえばバイオリンは弓でこすり始めた時に音が成り、 こすり終わって弓を離した時から音が減衰しはじめる。 しかし、同じ絃でまた音を鳴らした場合や弓を絃につけたまま停止した場合 にはすぐに消える。 またピアノでは、鍵盤を押した時に音が鳴り、 はなすまでは減衰していく。そしてはなした時には音が消え、残響のみ残る。 あまり長く押していればはなす前に減衰しきって音は消えるし、 ペダルを踏んでいればはなしても音は消えず減衰して消えるのを待つことになる。 またさらに、ギターでははじいた時に音が鳴り、その後は減衰に移る。 この際、同じ絃で音を鳴らせば瞬時に音は消える。 これらから考えて、時間にはいくつかの相を決めてやればどんな楽器でも扱える であろうということがわかる。

  この最後の残響相については音色としてでなくエフェクトとして持つ方 が適当であろうし、残響がある程度あるならば、 消音相を考えずにいきなり音量を0にしてもいい。 つまり、発音相、継続相、減衰相があれば一般には十分ということになる。 たとえば、ピアノであれば発音相、減衰相となりそこでキーを離せば 音が消える。 ペダルを踏んでいた場合は、同じキーを叩かない限り 発音相、減衰相となり音量が0になるまでそのままである。 同じキーを叩けば普通と同様に音が消える。 バイオリンで弓を解き放った場合には、 発音相、継続相となり、弓を離した時点で減衰相に移行する。 継続相で弓を止めたり別の音を鳴らした場合は、 その時点で音が消える。また、スラー(鳴らしながら周波数を変える)の 場合には発音相がなくなる。と、このような音の相を各音色に設定し、 それごとに時間変化の式を決めることになる。 この場合は比較的単純な式でもそこそこの感じが得られることが予想される。 極端な話tの一次式(直線的推移)でも大丈夫であろう。 この場合音色として持つデータは発音相の傾き、 減衰相の傾きの2つだけである。 継続相の傾きは1であるし(クレッシェンド、デクレッシェンドは 演奏データに記されるべきものだろう)、 発音相以外のそれぞれの相の終了時刻は演奏データによって決定される。

  実は振幅変化はこれだけでは足りない。 継続部分における変動も音色としては重要な要素である。 しかし、これは当然n次式の形では表しにくいし、 かといって正弦波のようなきれいな波形でもない。 だからといって正弦波をいくつも合成するのも面倒だろう。 そこで、ランダムを利用するとよさそうだ。変動幅と変動速度を パラメータとして持ち、ランダムに得られた数字を1が中心になるようにして 変動幅の範囲におさまるように変換した数値を振幅にかけることを 「変動速度」秒に一回ランダムな数値を変えながら行う。 変動速度がミリ秒のオーダーであれば急な音量変化もそう不自然には 聞こえないだろう。そしてもう一つ加味しなければならないのが、 立ちあがりの時の振幅のゆれ幅の変化だ。 変動幅は資料によれば大きい場合には50%にもなるが、 すぐに安定してくる。これを表現するには変動幅が時間によって 変化しなければならない。そこで、発音相では振幅にもう一つ 時間の関数をかける。変動幅は次第に小さく落ちつくので、 発音相の中では直線的に小さくなると近似してもよさそうだ。 そこでこれをtの一次式で表す。この関数は発音相の終わりには1 になるので、at+bという形であればbを決めればaが、aを決めればbが決まる。 基本的にbを決めた方が楽なので、ここでは初期振幅変動幅として 設定するのがいいだろう。 なお、処理速度が足りないときにはこの機能を切れると良い。

  次は周波数変化である。これは特に管楽器では音色の特徴を決める 重要な要素なので、そうバカにはできない。 これには振幅と違ってだんだん高くなっていくようなことはなく、 ランダムな変動だけで十分である。これが重要になるのは 金管楽器の立ちあがりと、エアリード楽器の継続音くらいなのだが、 特に前者はなくてはならない要素である。 これも同様に変動幅と変動速度だけをパラメータとして持てばいい。 金管楽器の立ちあがりでは最大40%にも及ぶ周波数変動が見られる。 これも処理速度が足りない時には切れるようにしておくと良い。 また、金管では立ちあがりから時間が立つにつれて この変化幅が小さくなるのが特徴である。 そこで、振幅の変化の時と同じように、 発音相における変化幅にさらに時間を変数とする関数をかける。 これもtの1次でとりあえずは近似できるだろう。 初期周波数変動幅といった感じだろうか。

  次に時間のとり方だ。一般のオーディオでは一秒間を44100 の単位に分けているので、これに従えばいいだろう。 しかし、当然あらゆる分け方に対応できるように作ることには意味がある。 処理速度が足りない時に落とすこともできるからである。

  次はどのくらいの波をどのように足して最終的な音を出すかを考えよう。 まず足す波の数だが、そのへんのメロディー楽器のフリをしていることが わかる程度でいいなら4つくらいでいい。フルートなどは実際に 解析しても4つくらいしか重なってなかったりするので、 そういう楽器ならけっこう似せられるだろう。 しかしこれがトランペットのようなものになると最大で16倍音くらいは 検出できてしまう。だから、本当にいい音を鳴らそうとしたら16個くらいは いることになるのである。しかし、人間がピッチを聞けるのは せいぜい8倍音程度なので、8つもあればそこそこ使えそうな気はする。

  次に波の足し方だが、当然強く混ざっている波も弱く混ざっている波もある。 振幅の時間変化のところでこれを決めることもできるのだが、 そうするといじる時の柔軟性がどうしてもなくなる。 そこで、各波に固有の定数をかけておくことにしよう。 波の関数をφnとして、その定数をknとすれば全体はΣknφnとなる。 輝きをいじる時にはこのパラメータをまとめていじればいい。 また、たいがいの楽器は叩く強さが強いほど高次の波が強くなるので、 その調整もこれでやれる。

  実はまだ終わらない。というのも楽器というものには特定の周波数の音を 抑制してしまうような物理的特性を持つことが多いからだ。 たとえば そこで、その値に近い波の振幅を下げてしまうような 回路がいる。これはなんたらフィルタでやるのだろう。 低域通過フィルタとか、高域通過フィルタとか、ノッチフィルタとか そんな名前だった気がするが、消してしまうのでなく 弱めるだけである。まあやることは一緒だろう。そのへんの勉強は まるで足りないのでわからない。

  さて、これでともかくも音色を作ることができるらしい。 あとはこうやってできてきた波形をさらにいくつか束ねて ポリフォニーにするだけだ。加えて残響をエフェクトとしてつけていけば きっとそれっぽくなるだろう。 音色が持つパラメータは混ぜる周波数ごとに、 発音相と減衰相における振幅傾き。 発音相における、初期振幅変動幅と初期周波数変動幅。 全相共通の ランダム振幅変動幅・速度とランダム周波数変動幅・速度。 そしてその波を混ぜる比率の定数。波一個あたり9個だ。 また、残響の強さやらビブラートやらのエフェクトパラメータがあれば さらに増えていく。あとはこういうのをある程度楽器のタイプを 選んだりすれば自動的に決めてくれるような機構を作れば 自分で好きに音色を作れるソフトMIDI音源ができそうな気もする。

  ところで、この理屈はそんなにものすごく間違っているとは思わないが、 信号処理の基礎知識がハデに欠けているので 何かアホウなことを言っている可能性が高い。 まずは信号処理をみっちりと勉強するべきだろう。 勉強した後でもう一回考えてみて、実行はそれからだ。 しかし、まともに使おうと思ったらSMF(MIDIのファイル)を読めねばならんし、 dspにデータをたたきこむ形式とかも勉強せねばならない。 いろいろと本体以外で面倒くさそうである。 また考えるだけ考えて放置か。

2000年12月5日

小林よしのり「新ゴーマニズム宣言9」。ああ、この人まっとうだ。 自分の立場でいいたいことを見事に表現している。 背伸びしすぎず、かといって自分一人に閉じこもらない。 矛盾もなく、とても正直に見えるのもいい。

立花隆をえんえんとこきおろす本があった。京大の教官の誰かが書いた本だ。 佐藤とかいったような気もするが覚えていない。 どうけなすのか興味があったので見てはみたのだが、 5ページも読めないひどい内容だ。 国民の歴史批判本の時もそうだったが、 なぜこうもけなす方というのは頭が悪そうに見えるのだろう。 筆者の意図を考えようともせず、えんえんと言葉尻をつかまえては 不毛な罵詈雑言を繰り返す。相手がどういう意図で言ったのかがわからない状態では 批判などできようはずがない。意図がわかりにくいことを責めるのはアリだが、 そういうわけでもなくただ表現に踊らされているだけにしか見えない。 もちろんこれはオレにも言えるわけで、 オレが彼の意図を汲みとれずにこういう感想を持っているだけという可能性も ないとは言えないだろうが、こいつはいくらなんでもあからさまにバカだ。 前書きの最初で 「私は別に立花という人にこれといって関心をもっていたわけではない」 みたいなことを書いているあたり、頭が悪い以上に美しくない。 小賢しい。卑怯だ。

「気に食わねえ」というだけのくせに「間違った記述を放置してはおけない」 とか「若者に悪影響を与えかねない」とか言う理由でこきおろし文を書くのは卑怯だ。 しかし本当にやっかいなのは、その本人がその建前を本気で信じており、 単なる「気に食わねえ」という動機であることに気づいていないことである。 オレも人のことを言えないようなことを何度となくしているのでかなり寒くなった。

「人をバカと言う奴はバカだ」という言葉の意味は、 おそらく以下のようなものであろう。
「一般的な道徳観からして、人をけなすのはあまり美しいとは言えない。 また、けなしている方がけなされている方の意図を理解しているかというと 必ずしもそうではなく、むしろ統計的には理解していない場合の方が多い。 これらのことから考えて、安易に人をけなすのは社会的に利口な行為とは言えず、 けなす前に相手と自己についてよく考える必要があろう。 それをしないでただけなすのは確かに頭が悪い行為である。」
さすがに広く使われる言葉だけはあって意味が深い。 もっと深い意味もあるかもしれないな。

最近の恥を知らない若者は脳障害患者に等しい、 というかなりイカした主題の本があった。 公的空間の概念が頭の中にないのは病気で脳障害が起こった患者にも よく見られることで、現象としてはまるで同じだと言うのである。 おそらく意味のある「他人」として 認識する集団の大きさが小さいというのがその原因だろう。 オレも街ですれ違う人間程度にならどう思われてもかまわないと 思うタチなので、程度の問題だ。 しかし、パンツ丸見えで気にしないのはある種の境地である。

ところで、その本にあったのだが、確かに電車での携帯電話は大してうるさくない。 電話よりも大きい声で会話している奴などいくらでもいるのだ。 にもかかわらず「デカい声でしゃべるな」と言わないで 「携帯はダメ」と言うのは確かに変である。 とすればうるさいとは別の理由があると考えるべきだろう。 なお、その本ではその理由を「独り言をえんえんしゃべっているのが不気味」 という一般的観念だとしている。確かにそれ以外に考えられん。 ちなみに、オレはそういう観念はない。本当に独り言なら確かに不気味だが、 電話の向こうに人がいることを考えればそこで複数の人間がしゃべってるのと 変わらないと思うのである。たぶんこう思えるあたり オレもニュータイプなのだろう。おそらく20年も経てば 誰も電車での携帯はいかんとは言わなくなるのではなかろうか。

よく考えてみればwindowsがないと研究の資料がつくれない。 FreeBSDでは印刷環境をまるで整えてないのだ。 9日中にはwindowsが動く環境を整えなくてはならないが、 ハードディスク代をどこから。

運動科学コーナ設立。 とりあえず第一章は栄養。ネタ本の構成そのまんまに 最初は要約をしていくに留める。全部終わったら再構成して、 栄養・食い物コーナーとの統合と内容の改訂をはかる予定。 できれば年内に全部終わらせてヨガに入りたい。 が、12日過ぎるまではヒマにはならない。 12日を過ぎたところでいいかげん楓漫画を描かねばならないのである。

兄弟子から買った殴り用クッションにアイスノン (保冷ゲル入り枕。冷凍して使う)をはさんで木にくくりつけ、殴る。 やはり水の入ったものを殴るのは感蝕がたまらなくいい。 しかし、調子がのってきたあたりであっさりとアイスノンが破裂。 ダラダラと水が垂れ、ビチャビチャとゲルが落ちてくる。 がっかりだ。やはり人体に近いものと言えばゲルや水であろう。 どうにか頑丈な袋を調達して、それに水をつめるのが吉だ。 なんといっても水はどこにでもあるのである。

そういえばAIR買った時についてきたビーチボール。 水入れて殴ったら一撃で破裂するだろうな。

何か殴って気持ちいいものを開発して殴る訓練をしない限り、 永遠にまっすぐパンチが強くならないような気がする。 何か固いものを殴るのを思い描いただけで、 大胸筋が締まってパンチを止めようとする 感蝕が頭を支配するのである。 このイメージを抹殺するくらい気持ちいい経験をしなくてはダメだ。 「そうか。殴るのに力はいらないんだ」ということを身体に教えてやる必要がある。 裏拳はもうだいぶできてきたのだがな。

更新履歴、改訂履歴をどうにかしよう。 やめてしまってもいいかもしれない。 日記に書いてリンクを貼りつつ、個々の文書に作成・改訂情報を自動的に挿入した 方がマシだ。 あんな巨大なテーブルはジャマくさい。 そもそもトップページみたいな内容のないファイルを見ることを 強いるようではユーザフレンドリーとは言えまい。 どうせ日記はほとんど必ず更新されてるんだし、 よしんばされてなかったにしてもアンテナ経由の人は一発でわかる。 なんとかあれも自動化せねば。もう手で書くのはイヤだ。

人が成長していくのはいい刺激だ。ヤバいぞ。焦れオレ。

2000年12月4日

長月邸にスキャナと原稿を運んで作業。 環境の違いと意味不明の挙動に悩まされながらもどうにか上げた。 しかしCD-Rもなく持ち帰る手段がないので、 その場で二値化して研究室サバに送信。 慣れない環境と時間的制約 のせいでとてもじゃないがトーンを貼ったりできる状態ではなく、 少々白い。調子にのってベタをふでペンで塗っていたので 見られんこともない程度には黒いが、 予定の行程を果たせなかったのはやはり痛い。 電気編集を前提とした描き方をしてしまったのがこれほどの ダメージになるとは思わなかった。 やはり生身でできるに越したことはないのだ。 しかし、字だけは…。 これから練習して字がうまくなるだろうか。 活字などいらぬほどに。

windowsが死んで丸一日。12/8にはとらハ3が出るのでそれまでにはハードディスクを 買わねばならない。この際だ。もし2000円とかで手に入るなら3Gくらいでもいい。 複数ハードディスクがある状態はうるさいのでイヤだが、 金がない時にはそんなことは言っていられないのだ。

音響学の本を借りてきた。楽器のマネをするのに必要なパラメータが いろいろとわかる。が、これがあまりに多い。倍音合成法が ロクに使われてない理由はこのためである。 しかしオレは敢えてそれで作ってみたい。 オレは基本的に電子楽器に生楽器に似た音は期待していないわけで、 電子楽器は電子楽器にしか出せない良さを出せばいいと思うのだ。 その意味で物理シュミレーションや録音よりも、 単純な倍音重ね合わせ法の方が新しい音を期待できる気がする。 あとは、音色のパラメータをどう設定してどういう式にすれば いろんな音色を表せるかを考えるだけでいい。そのうちやろう。

傾向がわかった。アレを消しておく。

音源について整理

  音は結局振幅の時間変化である。一般にこの時間変化は式で表せるような 単純なものではないので、録音というのはこの振幅をまるごと全部の時間で 記録することによって行う。しかし、楽器を作ろうと思えばこれではマズい。 その時間変化は莫大な容量で、人が手で入力することなど到底できないからだ。 ピアノの音は複雑だが、人がやる操作はキーを押すことだけなわけで、 操作が持つ情報量は出力される情報量に比べれば無視できるほど小さい。 たとえばピアノの音を出す手続きが持つ情報は、どのキーを叩くか、 どのくらいの速さキーを叩くか、どれだけの間キーを押すか、 そしてどのくらいの速度でキーを離すかという4つだけである。 これを山と組み合わせるまでが人の仕事で、それを受けて音を出すのは 自然の物理法則がやってくれるわけだ。 つまり、音要素を組みあわせて音楽を作るための道具が楽器である。 コンピュータに楽器のフリをさせようと言う時には 望みのタイプの音要素を出力する機構をいかに作るかということが問題になる。

  一番簡単なのは音要素を録音することだ。ピアノならピアノの全部の音を 録音し、発音要請が来たらそれを再生する。いたってシンプルである。 しかしこのやり方は莫大な容量が必要だ。 例えばピアノなら、全部のキーについて 強く叩いた時から弱く叩いた時まで何段階か録音することになる。 容量をケチろうとすれば、たとえば強い音と弱い音で同じ録音を使ってしまうとか、 違う高さの音でも同じ録音の再生周波数を変えて対処してしまうとかすることに なるのだが、当然元の楽器が持つ深みは失われて表情というものが まるでつかなくなる。加えて、この方法ではバイオリンのように音が 継続するタイプの楽器の録音は極めてむつかしいし、 なめらかに高さを変えられる楽器になるともう手のつけようがない。 ピアノには主として4つの要素しかなかったが、バイオリンやらトランペットとも なると発音手続きのパラメータもとんでもなく多くなるわけで、 その全てに対して録音を用意するのはあまりに非現実的である。 今のMIDI音源はたいがいこの原理で動いているが、 容量をケチるためにかなりのズルをしているので 音楽に豊かな表情をつけるにはあまりに向かない。

  さて、次の作戦は フーリエ先生の発見した技を使って、 その音要素を式で表してしまうという手だ。 式だったらあまり容量は食わないし、パラメータを変えるだけで 柔軟に変化できる。 フーリエ先生によれば 周期的な変化は単純なサインカーブの和で表せる。 もちろんいっぱい足せば足すほど元の形に近づくが、 どうせ聞くのは人間なので、人間に区別がつかなくなるくらい似ていれば十分である。 どんな楽器の音も、いくつかの相にわければその中では十分周期的な波と みなせるので、その相いくつかについて違うパラメータを用意しておけばいいだけだ。 こう言うとなんだか万能そうだが、実はそう簡単ではない。 まず、いくつの波をどうやって足すかを各楽器ごとに設定するのは 死ねる作業である。録音したのを解析してそれに似たようにすればいいのだが、 人はけっこう微妙なところまで聞いているのでちょっとやそっとでは似ないのだ。 一般に、十分似て聞こえるくらいに精度を上げようとするなら 16個やそこらの波を合成せねばならない。これは相当な計算量なので リアルタイムで計算するのはかなりしんどい。ましてそういう音を いっぺんにたくさん鳴らそうとすればとんでもないことになる。

  ところで、楽器の物理特性をまるまるコンピュータにマネさせるという すごい方法がある。 録音を解析してどんなサインカーブをどれくらい足すか試行錯誤するよりも 「こういう形で、こういう材質のものに、こういう振動を与える」 というのを定義すれば勝手に音が出てくるはず、という考え方の方が 生楽器に近づくという目的からすれば正しいだろう。 そのシミュレーションが完璧ならば理論上は生楽器と全く同じ音が出るのだ。 実際管楽器は比較的単純なのでかなりの効果を上げており、 聞き分けるのがかなりむつかしいレベルに達している。 ただし、当然ながら処理は莫大だしなかなかうまくいかない。 反射、吸収、共鳴、干渉などを 完全に計算するなど到底できることではなく、 有効な近似をあみ出すだけでも大変な苦労である。 近似がちょっと荒かっただけでまるで違う音になったりもするわけで、 それはもう大変だ。 しかしこの手法には非常な利点がある。 それは、実際の奏法と音の関連がわかりやすいことだ。 たとえばピアノは強く叩くと大きいだけでなくより刺激的な音になる。 もし物理シミュレーションが完全にできていれば、 それに叩く強さを与えれば当然のようにそうなるのだ。 バイオリンなら、どの絃を弾くかで音色が違うし、 駒(絃を真中あたりで支えてる木の板)からどれくらい離れたところを弾くかでも 音色が違う。そういうことがダイレクトに反映されるわけで、 より楽器に近く、表情の豊かな演奏をさせることができる。 ただしこれはある一面では欠点でもある。 MIDIのように手続きとして 周波数、強さ、長さしか設定できないようなものに適用しようとすると かなりの無理が出るということだ。考えてみよう。 バイオリンは同じ楽器でも 上手い人が弾いたのと下手な人が弾いたのではまるで音が違う。 とすれば、この方法では当然のように下手な演奏が可能になるということだ。 パラメータの与え方がマズければちゃんと下手な演奏ができてしまうのである。 これは自由度が高いという意味では長所だが、 まともな演奏を手軽に期待する人にとってはあまりに面倒である。 実際の楽器をある程度触ったことがなければ到底まともなパラメータ を与えることはできないだろう。自動的に最適なパラメータを 決める方法が開発されるまでは庶民には普及しないのではないだろうか。

  しかしまあ、コンピュータは放っておけば速くなるし、 近似もだんだん進化するので、いずれ物理シミュレーション音源が覇権を 握る日もくるだろう。不便な録音音源は駆逐されそれだけ電子音楽の 表現力が高まることになる。確かに今のCPUと近似技術では一度に一つの楽器 しか鳴らせない。しかし、当然CPUが倍速くなれば倍になるし、 近似の計算量が半分になれば倍になる。後者はちとキツいが、 CPUの速度は我々にとっては勝手に速くなるもので、 おそらく10年後には100個やそこらの楽器を同時に鳴らせるようには なっているだろう。そんな日が待ち遠しい。

2000年12月3日

雅史が似ない。芹香が似ない。実はセバスチャンも似ていないのだが、 けっこうどうでもいい。つまり全員似ていないのだが、どうしよう。 どうもならん。今描いてる漫画はウシオんところからでる本にのります。 下書き8割終わったから楽勝で朝までには上がります。 月曜の朝10時までに届くのでごめんなさいウシオ。

身体描けないよ。円筒の集まりとみなして描けばそこそこ の形にはなるのだが、当然円筒の集まりにしか見えない。 かっちょいい人体にするには肉のつき方と骨の湾曲を学ばねばならんのだが、 そんなもんいちいち考えていられない。 なんか適当に描いた方がマシな気もする。 絵の上達には、 てきとうに描いてみて変だったら描きなおすという 法則性のない方法をくりかえしてなんとなく技術が上がるのを待つのと、 いわゆるデッサン本にかかれているような法則性のある方法を繰り返して だんだん速く正確に描けるようになるという2つがある。 右脳法と左脳法と言ってもいい。 前者の方法はてきとうなので速くて個性も出るが、 放っておくととんでもない人体しか描けなくなりがちな上に どうしても描けないポーズや角度というのが必ず出てくる。 後者の方法は言うならばジオメトリ演算で正確さは上がる一方、 時間がかかりがちで、しかも正確なだけで個性が出にくい。 てきとうなバランスで混合するのがいいんだろうが、 それ以前にオレには両方とも足りん。 つまりもっと描け。

身体を描くのにちょうどいい教科書としてある時期のタツノコアニメが使えそうだと 思ったが、ポーズがいちいちアレになりそうなのでそのへんは気をつけよう。 立っているだけでかっこいいのはある意味問題なのだ。

2chという掲示板の集合体がある。名前を書く欄がないわけではないが、 みな名前を書かないのが慣習になっている。そして、 名前を書かないことをいいことに好き勝手だ。 便所の落書きと違って掃除する手間はないのでそう迷惑はかからないが、 気にいらない。2chに限らず、匿名で何かを言うことそのものが気にいらない。 どうしても匿名じゃないとマズいものもあるからそれはそれでいいが、 基本的に人は行動に対してリスクを負うべきだとオレは思う。 思う自由ほどに行動する自由は自由ではないということを身体で知らねばならない。 しかし、気にいらないと言ってどうなるものでもないので、 そういう気にいらないものは見ないことにして オレはオレで「匿名で何かをすることは決してしない」という誓いを守 ることにしよう。 因果応報が保証されてこそ人は成長できるのではないか。

ヨガの哲学には「霊的進化こそ生きる意味で、それこそが幸せである」という とてつもない思想があるという。それが正しいかどうかはこの際どうでもいい。 正しいと思うことができるか、そして正しいと思った時に幸せになれるか が問題である。霊的進化というとオカルトくさいが、普通の言葉で言えば 「肉体、ひいては精神を健やかにし、世界をありのままに見る知性と直観を 養うこと」だろう。それなら悪くないとは思わないか。 たいがいな宗教の宗旨は電波な部分をわかる言葉に置き換えれば とてもまっとうなものになるような気がする。 宗教が電波っぽいのは、信じている奴の頭が悪くて電波な言葉をわかる言葉に 置き換えられないからではないのか。内容が電波なのではなく、 表現がたまたま今の我々には電波に見えるだけなのではないか。 悪魔とか、天使とか、地獄とか、天国とか、神とか。 そんなものを物質的な実在ととらえるから電波になる。 頭の中の話で、いうならば比喩なのだと思うとキリスト教だろうが イスラム教だろうが至極まっとうなものになるのではないのか。 ただ、教祖とその信者の頭の出来にあまりに差がありすぎたために 理解できずこんなことになっているのではないのか。 そう考えていくと、 実はイエスやらブッダやらはカントやプラトンと同じように 哲学をしていたのであって、たまたま表現がアレだった上に人にウケてしまったので 今のような宗教になってしまったのだと考えるのも妥当な気がする。

気分転換にヨガ。とそこでふと自分がけっこう人並くらいにはやわらかい身体に なっていることに気づいた。 思えばオレの身体の固さは筋金入りであった。 中学の時の立位体前屈はマイナス10センチを下回るというまさに トップレベルの固さだったのだ。 そして去年あたりも勢いをつけねば床に手がつかない悲惨な状態だったわけで、 拳法を始めてからもなお固いままだったのである。 だが、今のオレは膝をのばした状態で拳を床につけることができる。 今体力測定があったらプラス10センチは行くだろう。 そう、20過ぎてもまだ手遅れではなかったのだ。 もちろんガキに比べれば効果は出にくいが、 オレの身体はまだ適応能力を残している。 あとは健康的な食事と呼吸法で身体に活力を与え、 さらにその能力を中からバックアップしてやろう。 というわけで、健康科学コーナの中ににヨガストレッチコーナを作ろうと思う。 当然図解付きだ。問題は誰にモデルをやってもらうか (=どのキャラにヨガポーズをとらせるか)である。

日記2つの目立たないところに別々のカウンタを置いてみた。 そこら中に置きまくるのもアリだが、サバにいらぬ負担をかけることもあるまい。

徹夜でがんばって、あと一時間で明日中に届く限界時刻。 さあ、取りこんで30分であげて郵便局へGo。 と思ったのだが。

詳細は下に書いたが、ハードディスクが壊れてwindowsが死んだ。 とりあえず今日は緊急事態なので清水んちで残りの作業をしよう。 いてくれよ。頼むから。

いなかった。加えて携帯電話にも連絡がつかない。 誰か、誰かいなかったか。スキャナは持ってきゃいいし。 そうだ。もりりん氏。

いない。バイトか。あとは…。うおー。

コンピュータは使おうとすると壊れる

  ごめんウシオ。明日中には届きません。最悪友達の家で作業をしてでも、 どうにかして明後日の朝には届くようにします。 一応完成し次第WEBにも上げておくので、そっちで印刷して入稿って手も。 で、こんな私信をWEBに書くのは意味がないので、 日記らしく何があったかを書いてみよう。

  ああ、頭の悪い漫画描いたなあ。さあ、windows行ってとりこんで ちょちょいといじって上げちまうか。おおそういえばwindowsも久しぶりよのう。 と思ったらwindowsは起動しなかった。 write protect errorとかいう奴らしい。CもDも読めはするが、 書きこめなくなっているのだ。 ハードディスクにそんなもんあるのか。 謎すぎるが、とりあえず起動ディスクで起動することにした。 が、同様に書きこめない。うう、止むを得ん。 windowsだからな。というわけで、こういう時はフォーマットだ、 っとフォーマットしようとしたのだが、またもやライトプロテクトエラー。 ならばfdiskで領域ごと葬ってくれよう、と思ったが、Dを消さないとCは消せない。 拡張パーティションがあるままでは基本パーティションは消せないのである。 そしてDには山とデータとアプリが入っている。できることならば まっさらにするのは避けたい。

  さて、 ともかくプロテクトってのはハードディスクがどうにかなったことによって 起こっているらしく、ソフトがトチ狂ったせいではないということがわかった。 そこで試しにFreeBSDでCやらDに書きこんでみると、書けた。ということは、 windowsにしか効かないやり方でライトプロテクトされているらしい。 とすれば、そのライトプロテクトの根源となっている部分を どうにかツブしてしまえばいいことになる。 さて、CとDが両方読めないということだが、 それら各々にプロテクトが設定されてしまったとは考えにくい。 共通領域たるmbrのあたりにそれがあると考えるのが妥当だ。 とりあえずFreeBSDからmbrを書き直してみよう。 それでダメなら一回Cを領域ごとまっさらにしてからインストールし直してやる。 と思ったらsysinstallが「No Disk Found」と文句を言う。 このハードディスクコントローラに対応してないという話だが、 前はできたような気はするし、起動時もちゃんと認識している。 謎だ。とりあえずメーリングリスト検索。 お、ktoreishi氏の書きこみが。でも関係ない。 そしてオレはsysinstallを使わない方法は知らない。 とりあえず、仕方ないので久しぶりにmake worldして まるごと新しくしてみることにした。 しばらくなんもできん。

  終わったが、何も変わらなかった。 しかし、インストールフロッピーから起動した時には sysinstallで動く。謎だ。にしても恐い。 何か一つ間違えばここ何年かに渡って蓄積してきたデータが全て 消し飛ぶのだ。 一回disklabelをいじって起動しなくなったりして、とんでもない恐怖を味わった。 もうイヤだ。やっぱりwindows用機を別に用意せねばなるまい。 遠い未来になるだろうが。

  ともかくこれではなにも進まないので、思い切って C,Dドライブのパーティションを抹殺してみた。 描いた絵は避難できたが、他のいろいろと集めたものはさらばだ。 だが、それでも、ライトプロテクトエラー。 一体どこにそんな情報が書かれているというのだ。 mbrはFreeBSDからなんべんとなく書き換えている。 WINDOWSの息がかかった場所は全て消えた。 では一体どこだと言うのだ。BIOSをもう一度あたってみよう。

  WEBで調べる。もっと早く気付け。気が動転するってやつですね。 で調べた結果があんまりガッカリだったので、そのうちの一つを リンクしておく。 つまりなにかというと、ハードディスクが壊れました、という意味だ。 クラスタスキャンにもひっかからなかったので安心していたが 壊れているものは壊れているのである。 待て。どうしろというのだ。FreeBSDはこの通り使えているが、 いずれこっちもイキそうで恐い。しかし金はない。 恐怖におののいてwindowsが使えないまま暮すなど不可能だ。 だが金はない。どうしろと言うんだ。

  それにしても不可解な壊れ方だ。どっかの部分が死んだだけなら そこにあるファイルが読めないくらいで済むはずだが、 全体がダメになった。しかしデータの大半は読めたし、 クラスタスキャンにもひっかからなかった。 一体どういう死に方をしたのだろう。

2000年12月2日

昨日は道場の忘年会だった。滅多に食えない鴨鍋などというものが食えたので、 多少値ははったもののおもしろかった。豚肉の味がする鶏肉といった感じだ。 その後はカラオケ。オレのせいじゃないと思うが、 どういうわけか特撮ソング大会と化してしまい、 のどを枯らす。先生や師範は当然のように知らないが、 歌詞や曲のアホさでウケていた。結局4時間まで延長してしまい、 またまた金はかかったもののおもしろかった。

例のパクリ事件は内部からの密告によってうちらの知るところとなったらしい。 ますますヨゴレだ。それにしても本が出るなら見てみたいものである。

打撃の破壊力とは何かということを考えていたら、 いつのまにか物理が大流行りになっていた。 物理学を勉強しよう。あと関係ないが音響工学も。 いつかソフトMIDIを作ってやる。録音型ソフトMIDIは単音としてはいいが、 曲の表情とか情緒、流れといったものを伝えるのにはあまりに貧弱だ。

勉強まではするのに、その後物を作るところまでは まるで行かないのはどういうわけだろう。

身の周りを見ていると頭のいい奴ほど真面目に働かない気がするのだが、 気のせいか。少なくともオレが「こいつには到底かなわねえ」と 思うような人は例外なくまともには大学を出ていない。

2000年12月1日

もりりん氏が妙なビデオを持ってきた。いろんなアニメの映像をつぎはぎ した奴だ。しかし、中身ははっきり言ってそうおもしろくなかった。 マッドテープの足元にも及ばない。映像がつけばいいというものではないのだ。 おもしろかったのはむしろおまけに入っていたオープニング集である。 たくさんのアニメのオープニングがただズラズラと入っているだけなのだが、 なつかしかったり珍しかったりしておもしろかった。 全身全霊で80年代であることを主張しているようなものが多く、 時代はこうやって過ぎていくのだなと感じたりもする。 「ああ、これ80年代の輪郭!!」「ああ、これ80年代の背景!!」 「女の子にメカ!!これぞ80年代」云々。しかし、そんなダサさを差し引いても 異常なほどおもしろそうな作品も多い。あのあたりの流行りアニメを 一話づつ観賞する会なんか開けたら楽しそうだ。 ところで、聖闘士星矢のオープニングはあんなに やる気満々だったのか。あれでおもしろくなかったらサギだろう。 北斗の拳や聖闘士星矢などはやはりオープニングからして格が違う。 また、サムライトルーパーの最初のキャラデザはあんなに泥臭かったのだなぁとか、 アラレちゃんは昔の方がかわいいなぁとか、 弾劾凰は爆発がすばらしい一方でネタくさいまでにあざとい映像が キツいなぁとか、いろいろ思った。 アニメはいい。「これは教養として見ておけ」というものがあったら 教えてください。

スポーツ科学の本を借りてきた。一冊は日本人の書いた教科書的なもので、 200ページ余りの薄い本。もう一冊はアメリカン好みに650ページもある 分厚い事典のような本である。これらを最初のネタ本として スポーツ科学・健康総合ページを作る予定。 栄養のところは食い物とかぶるのでそのあたりは省くが、 特に運動をする上で大切そうなことはそっちに書く。

WEBでやること

  基本的に自分でやるのは面倒なことだ。たとえば健康関係だって、 WEBであさればすぐ見つかるに決まっているだろう。 しかし、敢えて自分でやるというからには何かしら理由がある。 第一にはできるだけ多くの情報に触れたいからで、 WEB上に教科書一冊分もの情報をまともに載せているような サイトはそうそうないであろうということ。 もう一つはそういった情報を自分で整理し考察するのが楽しそうだからである。

  では、逆にこういうことを自分でやらないで人がやってくれるのを待つなり 探すなりするのにももっともな理由があるはずだ。 一つは自分が必要とする情報をサイトによってより少ない労力で得られる場合。 もう一つは、情報の加工のしかた、表現といった 「ある人の能力」に期待する場合である。 さて、人が外界から受けとるものは情報と呼ばれるのだが、 こと文字や画像に限った場合、この情報は「知識」と「おもしろさ」に 分けられる。知識というのは たとえば「筋トレはスピードを落とさない」のようなもので、 誰がどう書いてもあまり影響を受けない。もう一つのおもしろさは 表現やらなにやらが複雑にからんだもので、誰がどう書くかそのものが意味をもつ。 こと科学に関する限り、 WEBサイトは普通この「知識」の一次発信源になることはまずない。 たいがいは論文がそれであり、書物すらそれをまとめた二次創作物である。 サイトともなればその書物をさらにまとめた三次創作物だ。 だから、WEBサイトで科学の知識を得ようというのはある意味間違いである。 しかし、 だからといってWEBサイトで科学をやるのが無駄だということには決してならない。 読みにくい論文や文献を読まなくても手軽に知識が得られるようにすることは 人の役に立つことだからだ。 また、逆に書物や論文で真面目に勉強した人にとっては、 知識そのものよりもそのサイトの製作者が どういう考えをもっているかがより重要になる。 論文や書物はそういうことをできるだけ排して書いたものが多いので、 自分の考え方がよく現れているWEBサイトはやはり価値がある。 そういう「その人独自のもの」がここで言う「おもしろさ」だ。

  WEBサイトに限らず、いわゆる情報を人に伝えるということにおいては この「知識」と「おもしろさ」は車輪の両輪である。 大きな知識をできるだけ少ない労力で得られるサイトには価値があり、 大きなおもしろさを提供するサイトには価値がある。 ものによってその比率はちがうが、 最低でもどちらかがなくては情報は価値を持たないのだ。 たとえばギャルゲーの感想文は限りなく「おもしろさ」に偏っている。 ある人がどう考えどう感じたかというのは 知識としてはまるで役にも立たないとしても、 ある人にとってはおもしろく感じられることがあるからだ。 またニュースサイトなどなら、おもしろさはともかくとしても知識が重要だろう。 もちろん書き方がおもしろければなお良いわけで、 書き手の手腕が問われることになる。

  さて、こういうことを考えれば、 オレがどういうWEBサイトを作るべきか、そして作りたいのかは おのずから明らかになる。オレは自分で知識を作ることはできないのだから、 より正確に、読みやすく、わかりやすく知識をまとめ、 そこにオレが提供できるだけのおもしろさを足せばいい。 同人界には「エロかパロ。可能ならば両方」という言葉が あるそうだが、サイトには「役に立つかおもしろいか。可能ならば両方」 という言葉が成り立つだろう。これは当然サイトに限らず同人誌でも同じであり、 ひいてはテレビだろうが新聞だろうが全てに共通の原則である。

  ただし、ここで一つ断っておかねばならないのは、 サイト製作者にはそれを求めて精進する義務などないということと、 何がおもしろいか、何が役に立つかは見る人によって違うということだ。 サイトは言うならばボランティアである。 読者か勝手にタダで知識やおもしろさを得るだけで、 作者は読者には見返りを要求しない。作者が得る見返りは自分の内に 見出だされる満足感だけなのだ。 だから、作者が自分の内から見返りを得られなくなったらサイトは閉じられる。 さらに読者は多様であるから、ある読者にとってつまらない、あるいは役に立たない ものが、別の読者にとってはそうでないことがいくらでもある。 だから「おまえのサイトつまらん」と言うのは無茶な話だし、 そういうことを作者に向かって言うのは必然的に 「もっと(オレにとって)おもしろく、役に立つようにしろ」 という要求を含むので、ボランティアであるという原則から言っても 筋違いになる。

  とここまでが堅苦しい原則のお話で、実際はそんなに厳密にやっていては 肩がこる。サイトの作者が完全に作者で、読者がそれを受けとるだけの存在ならば それでいいが、現実にはそうではない。 日記リンクのように 別のサイトの作者とのコミュニケーションが頻繁に行われることもあるし、 掲示板のようなものもある。読者には作者に要求する権利はないが、 作者が読者に要求されたいこともあるわけで、権利なんて肩苦しいことを言わないで 要求もしたらいいと思うのである。世の中のサイト作者がどの程度 人に反応してほしがっているかは知らないが、 ウケたいと思う自分に嫌悪感を抱いてさえいれば 心が汚れすぎずに済むし、行きすぎた狙い方をしてハズすこともそうないだろうから、 ウケたいと思う心を抹殺しようとまではしなくてもいいと思う。 そもそもまるでウケたいと思わなかったらサイトを公開するなんて面倒なことは 割に合わないに決まっている。 ウケたいと思わなくなっても、ウケたいと思いすぎても やはり表現はダメになるのではないだろうか。


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