日記0010

2000年10月31日

資料の英語化が完了。あとはグラフと写真を印刷して レイアウトするだけ。コピーは寸前。寝られるぞ。 しかし、 なぜ英語な留学生まみれなわけでもないのに資料を英語で作らねばならんのだろう。 訓練だと思うしかないのか。

ジャム本決算。400円黒字。8400円が8800円になって帰ってきたのだ。 しかし、黒字といっても、もりりん氏とオレが自分の分に金を出さずに 済むだけという金額でささいなものだし、 交通費入れただけで莫大に赤字である。 しかしそれは別として本が売れるというのは気持ちいい。 自分達で作ったものにお金を出してくれる人が それだけいるというのはなんという快感だろうか。 というわけで、11/26合わせのAIR本を決意。誰かつてを頼って委託させてもらおう。 しかし、学祭の準備が重なるので漫研の協力者は期待できない。 オレとまさしろの2人だけかもしれない。 というわけで死ぬ気で描くようにまさしろ。 オレもネタすら浮かんでないので、そこまで言っていいのか恐いのだが。

しかし、委託できなかったら通販?物を見ないで買うなんてことが可能とは思えない。 そんときゃWEB公開にして印刷はやめよう。ちなみに、ジャム本は 近々WEB公開します。売り物をタダで公開してしまうのは買った人に失礼だという 見方もあるでしょうが、あれは紙メディアにするコストで、 内容に対する対価ではないということではダメでしょうか。

美凪かわいすぎる。なぜだ。なぜなのだ。こんな変な奴で作為バリバリなのに。 ところで、「かわいさ」「雄度」「いい奴さ」「放っとけなさ」「暗黒度」 「わけわかんなさ」 の6項目でギャルゲーキャラを採点しようという 頭の悪いことを企ててるのだが、またバカにされるのだろうな。 ちなみに雄度の高いギャルゲーキャラとして筆頭なのが ファントムのエレン。キャルも高い。 というか、他のゲームのキャラはほとんど全員雄度は0点だ。 MOON.の郁未が例外的に高い程度である。 あと暗黒度の筆頭は今のところホアルバの美咲さん。 MOON.の郁未も高い。あと、わけわかんなさの筆頭はホアルバのはるか。 美凪、舞がこれを追う。ちなみに、 オレ内部では芹香先輩はあまりわけわかんなくない。

原稿K開始。SS初挑戦。そう、漫画じゃないのだ。挿絵は自前だが。 日記を書いてるノリと変わらないのがいいのか悪いのか。

自転車がない生活。自転車屋に行っても中古はなく、 買うなら1万以上かかってしまう。どうせ買うならもう絶対に盗まれたくない と思うくらいいい奴にしたい。 自転車に求める性能は、摩擦のなさと、耐久性。 どんなムチャな場所を走っても大丈夫で、かつ摩擦が少なく疲れにくいものが欲しい。 というわけで、自転車メーカのサイトを調べてみることにしよう。 カタロクなんぞ見てもそのへんはわからないが、 値段が高い奴が安いものと何が違うのかがわかるだけでもかなりの手がかりになる。

日記レス掲示板を作れという妙な依頼が来たので作ることにする。 なんだそりゃ。

ゴテゴテいろんな音色を使うより、ピアノ一本の方がずっとかっこいい。 音の間違いをごまかせないのも雄度が高くていい。 全部ピアノ化しようか。

オレ内部キャラ分類

  キャラを分類する時に必要なのが、そのための採点項目である。 これをいかに独立したベクトルとして取ることができるかに 分類の成功はかかっているのだが、ここで問題なのは成功よりもおもしろさなので、 まあいい。 さて、「かわいさ」は「抱きつぶしたさ」と言いかえられる。 この対極にあるのは「抱きつぶされたさ」で、いわゆる「甘えてー」という奴だ。 また、「いい奴さ」は「一緒にいて楽しそうな度合」と、 「人格として魅力がある、あるいは信頼できる度合」に分かれる。 前者にはわけわかんなさも含まれるので、微妙ではあるだろう。 後者はわかりやすく善良だとか頼りがいがありそうとかそんなのだ。 「放っとけなさ」は、「おせっかいを焼きたくなる度合」であって、 「死んじゃう度」もこの範疇である。 また、 「暗黒度」には人柄のいやらしさと、そのものズバリ打算バリバリの二種類がある。 ホアルバの美咲さんは前者のクイーンであり、ファントムのクロウディアは後者の エンプレスであると言えるだろう。また、「雄度」だが、これはおそらく 生き方に筋が通りすぎている人、というふうに置きかえることができるだろう。 花山、独歩、といった連中を見ればそんな気はする。 ギャルゲーキャラで言えば、To Heartの坂下、ファントムのエレン、クロウディア あたりか。しかし、これを評価項目に加えるのは少々無茶だろう。 あとギャルゲーキャラに重要な要素として「甘度」がある。 これの筆頭はとらハ1の唯子だろう。山葉堂特製ワッフル並みに甘い。 とらハ以外では痕の初音あたりか。さて、このような妄想をふまえて、 どのような項目を設ければ適切にキャラクターを分類できるのかが問題である。 あまり項目が増えるとつまらなくなるからだ。

  以下に軽く表にしてみよう。面倒なので3点満点とする。 一つ断っておくが、これが高いほど好きだという意味では断じてない。

キャラ 抱きつきたさ 甘えたさ いい奴さ 放っとけなさ 暗黒度 雄度
高橋
瑠璃子さん030200
002000
楓ちゃん211300
マルチ102100
麻枝・久弥
郁未 000022
みさき先輩023210
七瀬 003100
113300
長森 013000
113301
美凪 323200
ウダル(ホアルバ)
美咲さん 020130
はるか103000
その他
クロウディア(PHANTOM)000033
真雪(とらハ2) 113011

  こんなものか。美凪のポイントが高いのははしかのようなものとは思うが、 知らん。問うな。 なお、美咲さんの暗黒度が高いのは別に悪いと言っているのではない。 善人面をしている自分が見えてイヤなのだが、それがイヤだと他人に言うことを 善人に思わせることに利用してしまっている、というえんえんと循環する 状況に気付いてしまっているあたりが暗黒度が高いというだけである。 彼女はそれはそれとしていい人だと思うが、ちと自己分析ができすぎてしまった 不幸な人なのだろう。その点麻枝物は天然ちゃんばかりなので安心できる。 あんまり天然なのでつい大丈夫かと思って放っておけなくなってしまうほどだ。 七瀬は一見まともだが、やはりあいつは放っておけない。 長森なんぞもうわけがわからない。 なお、クロウディアの暗黒度は美咲さんのとは別物で、モロ裏切り打算タイプの 暗黒度である。そのために身を切るような思いで主人公を殺しにくるあたり 雄度が高かろう。なお、いい奴度は基本的にオレが一緒にいて楽しそうだと思う 度合なので、善良さとは関係ない。初音とかは一緒にいたら妙に疲れそうだ。 なお、オレが気になるキャラには甘度の高いタイプは少ないので、 甘度は省いた。

2000年10月30日

一日中プログラム。ただし趣味ではなくて研究の中間報告のためだ。 なにかと言うと、DNAチップ実験の データ処理用プログラムである。 1行に量、DNAの名前、機能の概要の3つのフィールドがあってタブで区切られている のだが、これが9300行もあるのである。 量が多いものや少ないものをみつけて、そのDNAの名前を引き、 これをwebと論文で調べて資料とするという作業をするには、 DNAの名前がわからないものはリストから外して、 量でソートするというプログラムがどうしても必要だった。 unixなツールを組み合わせればできるような気もしたが、 どんなものがあるかさっぱりわからない状態ではいかんともしがたいし、 エクセルやらそんなものもないのである。 というわけで作っていたが、どえらい手間がかかった。 構造体にブチこんで文字列を数値に変えて構造体のポインタをソートして いらん行をつめて…。今日一日でかなりわかってきた気がする。 特に自分がどういう間違いをするのかの傾向がだんだん見えてきた。 なんだかんだ言うてたった4キロしかないソースだというのに情けないことだ。 今日は急ぎなのでとりあえず置くが、 中間報告が終わったら汎用化と機能の分散化と組織化をせねばなるまい。 あまりにも使いにくすぎる。もっと早く作っておけばよかった。

次はその量が一定の値以上の行だけ抜いてくるプログラム。 これさえ済ませればどうにかあとは手動で作業する気にもなる。 さすがにそろそろコマンドライン引数で挙動決められるようにしなきゃ、 それすら死んでしまいそうだ。 一度寝てからやろうっと。ゼミまでに50くらい遺伝子調べられればいいや。

C言語はおもしろい。メモリをどう使ってるかがわかってないとできない なんていかにも玄人っぽいではないか。どうやったら速くなるか えんえん考えるのも楽しい。でも、 今回perlでやってりゃもっと楽だっただろう。 所詮テキスト処理なのだ。なぜCなんぞでやろうと思ったのか 自分でも謎である。

Athlon1.2GHz。最新のが自分ののたかが倍と考えるとやけに気分がいい。 このくらいの位置を保ちたいものだ。値段は10倍近いが、 どうせ倍にもならず1.5倍程度の性能がせいぜいだろう。

C-REVO。本はロクに売れなかったそうだが、 ジャム本とコピー本がなくなったそうで その点ではありがたいことである。 しかし新刊が出ない同人サークルなど目のにごったサバに等しかろう。 申しわけない。 しかし実のところうちのサークルは現在一つもイベントに申しこんでいないのだ。 2月の楓のないしょに申しこむ予定はあるが、それ以外の予定はない。 イベントの予定がないので、本の予定もない。 そうこうしているうちに就職活動な奴とか、マジで就職する奴とかが出てくる。 どんどん全員参加で何かやることが不可能っぽくなってくるのだ。 しかし、全員参加の本でないとサークルの本とは言えないというならば、 オレはサークルの本じゃなくてもいい。 さしあたってAIR本でも作るか。まさしろと2人ということにもなりかねないが、 それでもいい。配るところがなければWEBでいい。とにかく漫画を描こう。

こんな季節にもドムがいる。さすがだ。

自分が大好きな自分が大嫌いだ。MOON.が気になるのはそのせいか。

ごめん。

UNIXのよくない点は、使いこなすために勉強をする方法が、 結局は知っている人に聞くことしかないということだ、ともりりん氏。 全く正しいと思う。しかし、そこがUNIXっぽさなのだろう。 勉強する気がない奴はハナっから相手にしない、 自分さえよければそれで良し、ついてくる奴は勝手についてこい という雄度の高い世界なのである。 windowsとはコンセプトが違うだけで、 個人でコンピュータを使う分にはUNIXを使おうがwindowsを使おうが 趣味の問題にすぎないのだ。 問題は、UNIXならば理屈をわからねば到底できないようなことを、 windowsだとなんとなく何も知らないでできてしまい、 それが致命的な迷惑をかけてしまいかねないということなのである。 普及を目指すOSは人を信用しない作りでなければならない。 どんなタコな操作をされても大丈夫なように、 あらゆる手を打ってできることを制限せねばならないはずなのだ。 UNIXならルート権限でないとできないような操作を、 お手軽にできてしまうのは危険すぎるのである。 いっそルート権限だけ別売にしたらどうだろう。 普及版はc:/program filesとかc:/windowsとかがまるごと完全にアクセス不能で コントロールパネルも何もないような奴にして。 「rm *」とかできてしまうOSを普及させるのは無理だろう。

ドキャKANON観賞会をやってるらしい。 清水がまるまる真琴シナリオをやるつもりだという。 オレもいきたいけど、中間報告。

2000年10月29日

ジョジョアニメ新シリーズ1、2観賞。 作りが堅すぎてジョジョくさくない。 絵はきれいで演出もそれっぽいが、テンポが悪く、 爆発がない。つまり、おもしろくない。 旧シリーズのダービーの回には遠く及ばない出来だ。 それにしてもディオの声はなんでああなのだろう。 テレビチャンピオンにしか聞こえない。

朝8時、アホから電話。即座に「(かたはらの本名)と間違えたぁ」。 疲れてるのはわかるが、ひでえ話だ。

2000年10月28日

おかげさまで大破壊のダメージは完全に修復されました。 わざわざプロキシを探してくださった方々、ありがとうございます。

掲示板の反応がどんどん遅くなっているような気がする。 WEBサーバにアクセスする時間か変わっていないということは、 単純に保存件数が増えるにつれて処理が重くなっているということだ。 ログの形式を見てみよう。

ログの形式だが、ただダラダラと記事が入っていた。 改行が記事の境界で、<>がフィールド境界らしい。 ポインタらしきものは見当たらないので、どうやら毎回 これを検索しながら前から順に読んでいくようだ。 実に単純な方式である。 だが、これでは486で実行するには遅いのだ。 同時表示件数を増やさぬ限りこれ以上遅くなることはないだろうが、 問題は書きこみだ。前から新しいものを挿入しているということは、 新しいのを書きこむ時にはこれを全部どこかにコピーしてから書いて、 その後元のを書き戻すという作業をやっているということである。 つまり、書きこみにかかる時間は増える一方なのだ。 この時は文字列の検索はないからそんなに遅くはないだろうが、 ログがたまってくれば有意な時間になってくるだろう。 早々に結着をつけなければならない。 ログの量が増えても計算量がほとんど増えない方法を模索せねばならないのだ。 ちなみに、設計図はだいたいできているので、あとは書くだけである。

どこへ言ってもある程度まともになるMIDIを作りたかったら、 段々音量が減衰していくタイプの楽器を使うことだ。 結果的にはじくかたたくかで音を出す楽器しか許されない。 今のMIDIでは絃楽器や笛は音のつながりや表情の表現はむつかしいし、 機種によって差が大きすぎるのだ。 物理音源ソフトがあたりまえになるくらい機械が速くなれば 音色そのものが環境によって違うということはなくなるだろうが、 あれはあれで欠点がある。 何から何まで手動で入力してやらないとまともに鳴らないのだ。 音を文脈の中でとらえて自動で鳴らし方を操作するようなルーチンが備わらな ければとても今のMIDIと同じ感覚で使うことはできない。 玄人は自分で全てプログラムして やって究極を目指すべきだが、 素人はそんなことをやるスキルもヒマもないのである。 ちなみに、今の段階では事実上ピアノ以外は可搬性がないと言っていい。 ピアノは似せるノウハウがかなり蓄積されているので どの機械でもだいたいピアノに聞こえるようには鳴るが、 他の楽器に関してはそんな保証はない。 というわけでロマサガ曲はピアノオンリー。

ところで、矩形波や正弦波が機種によって音が違うのはどういうことだ? 名前の通りの波ではないのか?だからMIDIはイヤなのである。

オレの頭に「艦長」が二人称代名詞として登録されて久しい。 元はマッドテープのヤマトネタで「艦長!動きません!」なのだが、 これが拡張されてなにかと人を呼ぶ時に艦長になってしまっているのである。 何か驚くべき、かつ大して深刻でもないことがあった時に、 その場にいる人に「艦長!〜〜」と叫ぶのが作法である。 うちの漫研の一部はこの表現をよく使うし、 たいがいの人間はこの意味を解する。しかし、 そろそろこのネタが通用しない時代になってきたようだ。 マッドテープ。何もかもみな懐しい。

2000年10月27日

バキアニメ化らしい。見なきゃ。それは見なきゃ。 そのためならアンテナだってつなごう。 ただ、OVAのような刃牙の精神がないものを作られたらたまらないのだが。

朝4時に起きたらもりりん氏が原稿を残して消えていた。 さすがだぜ。

美凪を描きたいが、今のオレの力ではあれを リアルシャドウすることはできない。 あいつは舞以上にわけわかんない一方で舞ほどおかしくないし、 そのへんでうまいこと像を結ばないのだ。 気のきいた美凪ワードが浮かばないというのもある。 奴のセリフの出来がいいかなどもはや問題ではない段階にまで 我々は来ているのだ。

3800×2400とかいうバケモノみたいな解像度の液晶ができているらしい。 ブラウン管では解像度は上がらないようなので、 そういうところは液晶の独壇場なのだ。 それはいいとして1280×1024の液晶ディスプレイを5万で売ってくれ。 最近液晶のシェアがずいぶんのびているようなので、 あと一年保たせればずいぶんと展望がある気がする。 がんばれよ、オレも調整してやるからな。

清水本ができた。なんだかんだいうて、 ちゃんと表紙やらなにやらも書いていたようで、 ちゃんとしすぎたくらいちゃんとしたタダ配布コピー本となった。 というわけでよろしくお願いします。

自転車がとられた。カギをかけわすれたオレの落度である。 デカデカとマジックで名前と電話番号が書いてあるような 恥ずかしい自転車をよく盗むものだと感心してしまうが、 案外警察に撤去されただけかもしれない。 隣りに撤去警告のついた自転車が置いてあったからそれもありうる。 ともかくもどうしよう。 盗まれる人は徹底的に盗まれ続けるのが自転車というもので、 おそらく次に買っても同様に盗まれるだろう。 恐しく高いやつでも買えば包丁と同様に大切にするかもしれないが、 そんな金はない。また中古で5000円か。

原稿が終わってデータ解析もイヤなのでロマサガ1戦闘をちょっと作ってみた。 面倒なので記憶だけで、パートも5つだけのピアノオンリー。リズム楽器もなし。 しかしピアノ曲にしてもそこそこかっこいいので良し。 とりあえずMIDI置場に置いておく。

調子にのってF-Zeroもやってみたが、こちらは格段にむつかしい。 やむを得ず原典を参照したが、 変な音が爆発している上に妙に聞きとりにくい。 気分転換レベルのエネルギーの使い方では無理だ。 スーファミの音源にも勝てないのは悔しいが、マジにやる気もないので放棄する。 一応音はだいたいとったのでMIDI置き場においておく。

2000年10月26日

日付にアンカーをつけるperlスクリプトを書いていた。 うまくいったようなのでうりゃっと日記をかけたのだが、 メチャクチャ大変なことに。文書がランダムなところで断ち切られていたのである。 バックアップをとらなかったのが最大の失敗だったのは確かだが、 まさかファイルの末尾付近でいきなり壊れるとは思ってもみなかったのだ。 調べてみるとファイルの最初から壊れているものもあり、 原因はどう考えてもperlのマッチ機構。 どういう理屈でファイルの途中で消えてなくなるのかは謎だが、 あるまれな条件が満たされるとそれ以降が消えてなくなるらしい。 仕方なく昔(9月中旬)のバックアップから破損分を持ってはきたが、 日付けが全角のままだったり、アンカーがついていなかったりと最近の 成果がパーだ。偶然10月の日記は編集中だったので回復したが、 食い物日記の9月後半と10月の末尾が完全に失われた。 今日の大破壊はperlの落とし穴の恐怖を存分に教えてくれるに十分である。 文字コードなんて意識せずに置換やらマッチができるものだから つい安心してしまうのだが、いつ恐しい大破壊が起こるか知れたものではないのだ。 というわけで、まず大破壊の原因を完全につきとめることから始めねばならない。

過去のはもうさわらないようにして、これからどこぞの日記システムを使うか。 それがいい気がしてきた。日本語は恐い。なんかperlも恐くなった。 EUCであれば アスキー文字と日本語の2バイト目を絶対に混同しないようにはできるはずなのだが、 なぜそういう機構が備わっていないのだろう。それともそんなこととは 関係ないオレの単純ミスなのか。 ともかく、当分日記をどうにかしようとするのはやめます。

ひょっとしてこのダイジェスト作成機能にもそんなバグがあるのか。 そういえば50日とか取り出すとエラーが起こったりする。 50日分もとり出すと大破壊の条件が満たされてしまうということなのか。 これもヤバいな。と言ってるそばから今日は4日分とり出されている…。 バグまみれだ。

まさかとは思いますが、過去の日記をローカルに保存している酔狂な方、 いませんか?いませんよね…

サイト管理関係のスクリプト類を一から作り直すことにしよう。 その場その場でてきとうなスクリプトを書いていたものだから もう完全にわけがわからない。加えて今見るとひどいコードだ。 文字列をいじるフィルタ類はCで一から書いてやる。 さしあたって全角英数→半角変換からだ。わけのわからんおまじない入りのperl よりはそっちの方がいい。

ジャム本が京都で9部はけた。イベントで22冊。これで総計販売冊数31冊。 14冊タダで配り、加えてオレのが一冊。これで46部なくなった。 元々59部あったので残り13冊だ。C-REVOで売り切れること祈ろう。 売り切れなかったら通販でもやらないと永遠に売る機会がないからだ。 ところで、コストは8400円なので42冊売らねばならないのだが、 つまりは13冊中11冊売らねばならない。 最大にもうかっても400円ってのは、元がとれればいいとは言え 余裕がなさすぎる。 ましてあと3冊以上タダで配られればマイナスなのである。 エネルゲンへの上納金だな。これは。

風邪ひいた。オレともあろうものが。カレーくって養生したいが、 オレには原稿がある。清水に電話したら何も考えてなかったようなので、 出るかどうかはかなり怪しいのだが。

朝7時。下書き終了。だが、エネルギー限界。2時間寝かせてくれ。 あなたにギリギリまで原稿を描かれる編集の気分をお届けします。 でも上がるから安心しろ。オレが描くといって締切破りをしたことは未だかつて 一回しかない。

リアル

  実際に生きている現実において、人はふつうことごとしく理由を問うたりはしない。 起こってしまっていることは仕方ない、とばかりにその時その時を生きている。 しかし、ことフィクションを見る時になるとやけに理由を気にするのである。 本来なら逆であってもいいところではないだろうか。 現実において理由を問うことは未来をより良く生きるための糧となるが、 フィクションに理由を問うても何らメリットはないはずなのである。 しかし、理屈はともかく、たいがいの人はそうなのだ。 それは何故かと言えば、おそらくは余裕の問題であろう。 現実においてはそんなヒマはなくともフィクションを観賞する時には そういうことを問うヒマがあるのである。

  前も書いたが、人はリアルを求める習性がある。 そして、前提として現実は無条件でリアルであり、フィクションは無条件で非リアル である。非リアルであるところのフィクションがリアルに見えるためには、 無条件にリアルである現実に何かが似ていればいい。 とすれば、因果がはっきりしたものをリアルと感じるのは、 現実が因果がはっきりしたものだと思っているからなのだろうか。

  現実が理不尽なことはみな知っている。 それは予測不可能なことが多いからだ。 しかし、現実が理にかなっていることも同時に知っている。 予測可能なことも多いからで、 原因を知り、対策を考えることが生きる上で有益であるという 生きる上での経験則から導かれた実感だ。 もし原因を考えることがまったく利益を生まなかったとすれば、 人は世の中が理にかなっているなどとは全く思わないだろう。 人の実感は所詮経験によって形作られたものにすぎない。 ただ、比較的世の中に理を感じ、 かつ同時に少々の不条理も感じているというバランスの人が絶対的に多いという 事実があるだけである。 これは世の作品において偶然というものの位置を考えればわかりやすかろう。 少々の偶然のはストーリーにリアルさを生み出すとされるが、 偶然がすぎれば非リアルとなる。有無を言わさずそういうことになっているのだ。

  人は基本的に理由を問うようにできてくる。 努力すれば結果が出る、とそう信じるようにできてくる。 ただ、現実の個々の物事に臨んで理由を問うようなヒマがなく フィクションにおいて特にその習性を発揮してしまうだけのことだ。 これは皮肉なこととも言えるだろう。フィクションは理由を問うても問わなくても かまわないはずのものだからだ。問うことによってつまらなくなるものも多い。 世の中に理を感じる人は因果のしっかりしたストーリーを書くだろうし、 世の中に不条理を感じる人は因果など無視したストーリーを書くだろう。 それだけのことなのに、世の中の人の性質の分布によって 後者の人は評価を落とすことになるのである。

  麻枝氏は著しく後者の人だ。 彼の作品を見るにあたって、因果を問うことはほとんど意味がない。 ただ人は自分の生き方と実感に沿った見方しかできないのが普通であり、 彼の作品を見る時にもつい因果を問うてしまうことが多いのである。 だから彼の作品は時に絶賛されるが、それ以上にこきおろされていた。 ひるがえってAIRを見れば、その因果が作品の一部として機能するほどに高められ ている。しかし、あれは売るということから言えば正しい選択だった にしても麻枝氏の考える本筋とはおそらく関係のないものだろう。

  ところで、世の中に因果を求めない人の割合はおそらく増えている。 エヴァンゲリオンという作品が流行った背景にはそれがあるだろう。 あれもまた理由を問うても仕方ない作品であり、 ストーリーの流れ云々で語ってうれしいタイプではない。 その時その時の状況でどうするか、それだけである。 オールドタイプであるオレにとってはただめめしいだけにしか見えない あの主人公も、因果にリアリティを感じない人にとってはリアルに見えたのだろう。 世の中が豊かになってヒマになると、 未来のためにがんばる必要というものはなくなる。 未来のためにがんばる時には因果を問うことが必須だが、 今この時がんばるのなら因果をどうこう言っても仕方ないし、 そもそもがんばらない人にとってはどうでもいいことだ。 オレは麻枝氏のシナリオはがんばるから好きである。 未来のためにがんばるのは昔から好きだったが、 そんな計算も何もなく今この時をがんばるのもやはり美しいのだ。

2000年10月25日

まさひろが帰ってきて、 LEAF系、KEY系のオンリーイベントの申込書を山と置いていった。 これは山である。しかしこれは全部年あけで年内はもうイベントはないので、 本を作っても売りようがないのだ。 しかし作りたくて仕方ない。1週間で企画から入稿までやるとダレないので とても楽しいのである。そういう本に向く狭いネタはないものか。 ポテト本とか、たいやき本とか、うぐぅ本とか、そら本とか、みさき大食い本とか、 無理矢理な企画はなんぼでもあるにはあるが、 実際に実行できるかどうかはどれも甚だ疑問である。

落としてきた音ファイル (ラジオと思われるが不明)の猪木の詩の下りを聞く。 言われてみれば納豆を黙って食った話と目に指をつっこむ話を 同列に置く猪木の神経は恐ろしいことだが、ただ聞く分には ただの意味不明で技術もクソもない物体にしか聞こえない。 どんな些細な手がかりでも広げてネタにしてしまう芸人の 心構えを見た。が、こういうタイプの話し方を聞いていると イヤな気分になるのはなぜだろう。こういうタイプで饒舌な人は どうも苦手なのかもしれない。

にしても猪木が詩集とは。ネタとして買っておいてもいいかもしれない。 値段次第だな。

電気泳動装置が壊れていた。壊されていたらしい。 部品が来るまで何もできん。どうしてくれる。

日記ダイジェストをつくるスクリプトのバグを直した。 続きが読めなくなっていたのである。 ちょっとした改良でどんなバグが入るかわからない。

掲示板がやはり遅い。つながってから3秒から5秒もかかる。 いつもヒマで負荷もまるでないはずなのにだ。 速くて高機能な掲示板なんてその道の人 にかかれば一日でできてしまいそうな気がするので 探したらきっとあるのだろう。 しかし探すよりも作った方が楽しいので良し。

掲示板。ふと気がついたのだが、とてつもなくデカい入力が来た時に バカ正直にメモリを確保してたらパンクしてしまうし、 受けとる間ずっと居座ることにもなって大変だ。 プログラム的にはともかく機械やネットワークが耐えられないような状態には 対処せねばならない。限界を決められるように作るのと、プログラムに限界が あるのは別のことなのだ。 というわけで先に限界を任意の値に定めておいて、 あふれたらその時点でエラーを出して拒否するという機能を入れることにした。 どんな悪魔の攻撃にも耐えねばならないのが こういうプログラムの条件なのである。 そういうことを考えていくといくらか無駄なステップを踏まざるを得ない。 処理を関数に分けて必要な構造体やら変数やらをリストにしていたが、 まだまだ増えそうである。

実際にプログラムを組めるかどうかは別にして、変数のスコープやら ポインタと配列の概念やらが妙にわかる気になってきた。 設計してて「返り値は構造体へのポインタ」とか書いてる自分を見てると なんかいい気分になる。だが、実際にコード書く時にはこれがゲドゲドの恐怖面に 変えられることになるのだろう。

自然の真実と心の真実は受けとるのが人間である以上結局は同じものである。 しかし、それでも敢えて自然の真実が断固として存在していると信じるのが 科学のロマンだ。利根川先生とか見てるとそう思う。

弟(中三)がMIDIに手を出している。耳コピをしているようだ。 生まれた瞬間からヴァイオリン の音を聞いて育っているだけに絶対音感ができてしまっている。 ロマサガ1の戦闘を8割方正しくとれているのだから かなり大したものと言ってもいいだろう。 オレが手を出したものに7年も早く出しているのだから、 抜かれるのも時間の問題だ。プログラムもMIDIも。

モニタが再びボケ始めていたことに気づいた。 以前ボケたのを直したのが9/5だから、 2ヶ月保たなかったことになる。しかも元ほど鮮明にならない。 だがまたツマミをひねって直した。あと何日もつことか。 1ヶ月保たなくなったら買いかえよう。それまでに液晶が安くなることを 祈るが、無理だ。

絵描きソフトが妙に速い。加えてAIRの文章スキップが異様な速度だ。 こりゃ速いぞDuron。おそるべし690MHz。

2000年10月24日

01時から実験。なんでこんなのばっかり。

二次元電気泳動。タンパク質が種類によって電気の帯び方が違うことを利用して 分ける方法だ。2種類の方法を直角の方向で行うので二次元と言う。 だいたい2000種類のタンパク質を平面的に分けることができるという 強力な研究手法なのだが、むつかしい。上に時間がかかる。 準備に12時間。第一ステップで16時間。 第二ステップに数時間。終了したのを 染色し、脱色に半日。泣きたい。

2000年10月23日

「神々の山嶺」(夢枕獏)。 おそろしくおもしろい。ストーリーそのものはなかなか入り組んでいて 頭を刺激するのだが、つまりは山なのである。 山に登る。究極的にはそれだけの小説だ。 だからこそ、目的とか意味とかそういったものを超越したところにある「現実」 の圧倒的な存在感が出るのだろう。 描写の異常なまでの詳しさもその力を作り出している一つの要因だ。 山に何故登るのかという疑問に対しての 「そこにそれ(山)があるからだ」という言葉は有名だが、この作品ではこれが 「おれがここにいるからだ」になる。もはや理由でもなんでもない。 生きているとはどういうことか、などという軟弱な疑問に用はないのだ。 それ以前に人は生きているのである。

それにしても雄度高すぎだ。夢枕。

「しろはた」のレビューの中の猪木暗黒神話を読め。 すばらしい。AIR話も若干含まれている。

「ピュアメール」というのがおもしろいらしい。 「果てしなく青い、この空の下で…。」というのがおもしろいらしい。 だが。機会を待とう。

2000年10月22日

美凪はかわいいなぁという話を猿としていた。 それでふと気づいたが、それは前には抱かなかったであろう感情だ。 オレはギャルゲーキャラを「かわいい」と思うようになっていたのである。 それまでは「いい奴だ」とかそんなのが全てだったのだ。 ギャルゲーが新たな感情を茅生えさせてくれたと見るか、 そんな感情が茅生える時期にギャルゲーが割りこんでしまったと見るか。 なんにせよオレも生臭くなってきたものだ。

繭はかわいい。みさき先輩や茜はいい奴だ。 長森もいい奴だ。七瀬は豪快だしいい奴だ。とらハの面々はことごとくいい奴だ。 観鈴は放っておけない。美凪はかわいい。佳乃もかわいい。神奈もかわいい。 梓はいい奴だ。楓は放っておけない。瑠璃子さんはすごい。 舞はなにやらわからんがいい奴だということに決めた。 さて、この段落がキャラのオレ内部におけるあり方を分類したものだと 言ったら説得力があるだろうか。

美凪はかわいくて舞はいい奴。ちなみに美凪はホアルバのはるかに位置が近いのだが、 はるかは「かわいい」ではない。この違いはどんなパラメータに起因しているのか? どれだけの独立なパラメータを用意すればこの感情を記述することができるのだろう。 人工知能の研究にはそういう考え方が不可欠だ。

ktoreishi氏が変なものを持ってきた。 SUEZENの「しんせいかつ」。漢字での表記はむつかしいので省く。 この漫画、ネタを並べてみればとても頭の悪い漫画に見えるのだが、 話の流れや描き方がマジなので、なにやらいい話に見えてしまっておかしい。 変な漫画として一見の価値があるだろう。 今お借りしているので、読みたい人は言ってほしい。 しかし読みにくい漫画だ。SUEZENの漫画ってこんなに読みにくかったか。 説明がとにかく少なく、出来事がバラバラに描写されるのが原因だろう。 それにしてもだからなんだったのかはさっぱりわからない。 そういうコンセプトなのだろうが。

エターナルカノン2終了。ずいぶん売れゆきが良かったそうで、 今さら何故?という感じだ。ジャム本も半分はなくなっているらしい。

設計は楽しい。それだけなら

  無気力で一日ヒマだったので 掲示板プログラムの設計をしていた。 無限件数を保持できる掲示板をまず最初に考えて、 これをだんだん現実的な数値に最適化していこうという目論見である。 そのためにランダムアクセスファイルにすることに決めた。 で、新しい順に表示するためにはソートがいる。 いつ削除や挿入がされるかわからないので ファイル内で順番に並んでいることが保証されないからだ。 32ビットで40億件保持できるようにすると仮定すると、 40億件たまっていて一度に40億件表示しろと命令された場合は 40億×4×3(番号、ファイル内位置、ソートするためのポインタ) で48GBのメモリがいる。そりゃすごい。だが、 普通は100件保存の一度に10件とかなのでたった1280バイトで済むし、 もしデカい掲示板で10000件保存の一度に100件とかでもたかだか120KBだ。 問題ない。

  さて、40億件書きこまれることは絶対にないわけで確かに無限なのだが、 あまりに無限すぎる。一日1000件書きこまれるとして、 これが100年続いたとしてもたった3650万件だ。 その100倍も見積もる必要はまるでない。 しかし、16ビットの65536件では一日100件が2年続けばパンクであり、 なにか無限と言うのは淋しい数だ。 3バイトなら1677万件で十分なのだが、3バイトの整数を扱うのは面倒なのである。 しかし、普通は256件もあれば十分なので、 コンパイルの時に8、16、32ビットを選べるようにすれば良さそうだ。 誰も32ビットは選ぶまいが。

  そういえばWEBチャットも似たような原理ではないか。 というわけでそれにも使えるように 本文の限界サイズをコンパイルの時に指定できた方がいい。 チャットなら本文のサイズは小さくていいからだ。 しかしたまに何かの文書をはりつけたりする人がいないとも限らないので、 やはり複数単位対応は必須になるだろう。 ところで、肝心のサーバ側からクライアントに更新情報を送る機構は謎だ。 javascriptなんかで30秒ごとに自動リロード、なんてのができるのかもしれない。

  日記にも使えないか、これ。 CGIな部分を抜いてみればほとんど似たようなものだし、 そのCGIもどこからでも更新できる便利な道具になる。 w3mからアクセスしてエディタをemacsにしておけば 製作環境も変わらないし、 手動で怪しい操作をしてブチ壊す危険もなくなるのだ。 日記を楽に書くための機能を付けくわえるなら、日記モジュールにでも してしまって変換作業をはさめばいい。 日付けを使いやすい形式で保存しておけば、 月ごとにまとめたファイルを作ることもたやすかろう。 とすれば削除のみならず訂正もできるように作らねばならない。 表示フォーマットもテンプレートを外部から与えて決めるようにした方が 柔軟性が上がる。あ、でも外から更新するなら認証がいるぞ。 queryでそのまま送るのはヤバそうだ。

  いかん。当初の必要最低限というコンセプトはどこへ行った。 だいたいこんなややこしいもんオレごとき初心者に作れるものか。 とりあえず増築の余地だけ残して、最初は最低限の機能だけ持たせることにしよう。 増築の余地を残すのもまた大変な気はするが。

2000年10月21日

研究室の掃除その他で道場に行けない。いけない。これではいけないぞ。

猿と着陸車輪が来てダラダラしている。天一。う。 それにしてもこいつら遠路はるばる何しに来たんだろう。かなり謎。

そういえば昨日エターナルメロディというゲームがすごいと聞いたのだが、 あまり勧めたそうではなかった。とりあえず広く評判を聞きたいところだ。

掲示板設置成功。 CRLFをLFに直すフィルタまで作った甲斐があったというものだ。 そんなものそのへんに転がってるんだろうけど、まあ練習ということで。 それにしてもこっちは確かに必要十分な機能なのだが、反応がさらに遅い。 みなさんいろいろやって試してみてください。エラーが起こらないようなら こっちに全面的に移行します。

とりあえず、掲示板をいくらでも使えるようになったわけだ。 10個でも100個でも思いのまま。 というわけで、トピックごとに掲示板を分けようかと思うのだが、 何の掲示板があったらいいだろうか。ラサール掲示板とか、 日記レス掲示板とか、そんな意見は出てるのだが決め手に欠ける。 ところで、身内で掲示板にお困りの方、貸してもいいです。 ただし止まってもログがブッ飛んでもいつサービスをやめても 文句を言わないという条件つきですが。

彼女?縁がない。着陸車輪は最近モテモテだそうだが(男含む)、 オレは今までモテた経験などないのでよくわからない。 うらやましいとは思うが、 そのうらやましさのどの程度が好奇心なのかが問題だろう。 ちなみにオレだって年相応にかどうかは知らないが そういう欲求はあるのであって、仙人だ仙人だ言われると困る。 ただ、近くにいないものは仕方ないし、 遠くに求めに行く方法も知らないのだからやはり仕方ないのである。 しかし考えてみればそろそろ売れ残りを心配する年頃なのだろうな。 周りの奴等も同様に縁がないものだからついそれを忘れてしまう。 子孫を残す義務などないが、じいちゃん達にひまごを見せて喜ばすのは そう悪いことでもなかろう。親に五十前にしてじいさんばあさん の称号を与えるのもまた悪くない。

着陸車輪が帰った。 奴にはなにやらオレの生活がとてつもなくみじめで非文化的なものに見えるらしい。 洗面所がないというだけで異常なほど衝撃を受けていたのである。 オレはよほど一般の標準からはかけ離れているらしい。 でもいいよもう。一時落ちこんでいた時はそういう些細なことにも気をつかって 生きようと思ったものだが、最近バカバカしくなった。 そういうことを気にする人は 努めてそうしているわけではなく、自然にそうなってしまっているだけなのだ。 そんな偶然の産物を努めて得ようとするのはバカげている。 つまり葵ちゃんはあれでいいということだ。

余り物を売り払ってきたが、うち一つは10円だった。

2000年10月20日

秋子ジャム本は東京にもう届いているそうだ。反応が気になるところである。 さて、物も見ないでで言えることではないのを承知で言いますが、 イベントに行かない人で欲しいという人がいらっしゃいましたら連絡ください。 21日までに連絡があれば確保しておきます。

掲示板考察中

  URLデコードが面倒だ。理屈はわかったから手間の問題なのだが。

  ログファイルの形式が問題。 とりあえず、無限にも置けて、でも数を制限もできて、 かつ削除ができ、最初までさかのぼれる、という条件を満たすものとしよう。 日記の保存のしかたにもけっこう共通する問題だ。 とりあえず考えついたのは以下の4つ。

  1. 一つのファイルにまとめておく。新しいのは上から書きこむ。 ファイルアクセスは読み書きで2回。 表示も記事の区切りが表示件数の回数だけ出るまで流せばいい。 ただ、そのために更新する時に全部読み出してメモリに置き、 ファイルの中身を消し、新しいのを書きこんでから読み出したのを また書きこむという作業がいるし、 あんまり保持件数がデカいとメモリを食うため、ある程度たまったら 別のファイルに置いていかざるを得ない。 表示の時にもファイルをまたぐので面倒だ。 削除も番号を検索して詰める作業がいる。
  2. 一つのファイルにまとめておくが、下から追記する。 ただ追加する分にはファイルアクセスが一回でいい。 件数制限さえなければ 下から記事の区切りを探してさかのぼっていく手間だけである。 しかし件数を制限する時には 一番上から消さねばならないため、結局1同様に読みこんで消して書き戻す 作業がいる。よってある程度たまったら別ファイルにせねばならない。 削除は1同様。
  3. 記事それぞれにファイルを用意し、ファイル名を記事番号にしておく。 メモリも食わない。 削除や訂正もそのものズバリで楽である。 表示の際には番号でソートして新しい順に出す。 件数を制限する場合は常にファイル数を把握しておいて、 限界になったら一番古いのを消す。一番古い番号はどこかに保存しておけば 最小値を求めたりする手間もない。 ただ、ファイルを開ける手間が表示件数分だけいるし、 クラスタサイズの関係で無駄にディスクを食う。
  4. 一つのファイルにまとめ、下から追記する。 この際に一件の大きさを決めてしまい、足りない分はなにかをつめておく。 その単位の先頭には記事番号を書いておく。 削除はそれを-1にでもすればいいことにする。 表示するには番号と場所の連想配列みたいなものを番号でソート してデカい順に出せばいい。 制限がある場合には限界になったら一番古いのを探して消す。 一番古い番号は記録しておくといい。 ファイルは一個でいいし、メモリも食わない。 が、無駄にファイルがデカくなるし、「何キロまで」と書くのも何か寒い。 何キロまでという制限を外したければ、 複数単位に渡る書きこみができるようにすればいいのだが、 そうなると一つの記事がバラバラに配置されるため、 各単位の頭に「記事何番の何番目です」という 印を付けなければならない。さらに追加の際も古い順にソートしてから 順に置換していくハメになる。

  3が圧倒的に楽ちんなのだが、ファイルを開ける手間ってのが不気味だ。 4は長さ制限をなくすと地獄だ。 1は100件固定とかなら楽なのだが、それも寒い。 ファイルを開けるのが大したコストでないのなら3、 大したコストなのなら長さ制限つきで4、というところか。 ところで、keyのネタバレ掲示板とか一体どれくらいログ保存してあるんだろう。 もし最初の書きこみから保存してあったらビックリだ。

  しかしまあ、自分で使う分には100件保持できればそれでいい気がする。 今置いてるとほほさんの掲示板をCにして削除キーつけるだけで十分なのでは ないか? というか、このままでもいいんじゃないのか? 人に配ろうと思う時にしか問題にならないようなことで 無駄に頭を使っている気がする。 でも、考えるのは楽しいので良し。

2000年10月19日

寒い。部屋の中で手がかじかんでくるくらい寒い。 足に毛布を巻きつけているが、それでも寒い。 そろそろ冬フォーメーション(コタツでコンピュータいじれる体制) にせねばなるまい。でも手は寒いまんま。 もうサンダルは無理かもしれないな。 しかし靴はもう合わないのだ。どうしよう。

libjcodeというライブラリの存在を教えてもらって これで掲示板が作れるような気になった。 とにかく動く掲示板を作ることだけ考えよう。 ちゃんと考えて作れば機能拡張もしやすい物になるはずだ。

私もです。 ただし私の場合は単純に聴力が悪いだけということもありますが。 というかそのせいか。 ちなみに左耳は120デシベルないと聞こえません。それ以下でも振動はわかるので 音が鳴っていることはわかりますが、音として脳までは伝わらないわけですね。 というわけで私は自然に左側に人が来ないように左へ左へと 寄っていくクセがあります。おかげで「左ゴルゴ」なんて呼ばれたり。

Duron化。しかしおかしい。あまり速くないのだ。 2万近い金を投入したにしてはどうにもおかしい。 速いどころか、自前で作ったサイコロ100万回ベンチは逆に遅くなっている。 まさか、AMD750と440BXの性能差がそれほどだと言うのか。 とりあえず本命のwindowsでの速度を確かめねばなるまい。 PhotoshopとSuper Piで。

それにしてもDuronは安い。750MHzすら1万を切っているのだ。 600を買った後に見つけたのでかなり残念だったのだが、 750ともなると消費電力も相当なものなので、今はこれでいいだろう。 しかしこれで買いかえた意味はあったのか。謎。

と思いきや、あっさりと115×6の690MHzで動作。 スイッチ一つであら不思議、というくらい動作が機敏になった。 これで安定するのかどうかは確かめるが、熱も出ていないしたぶん大丈夫だろう。 mpg123の負荷が1%前後という境地だ。さあ、いこうwindowsへ。

Super Piが3分1秒。前まで4分19秒だったので、かなり速くなっている。 これならまあいいか。次に買う時には新型のDuronにでもしよう。 いつ出るのか知らんが、どうせすぐなんだろうな。

Windowsを再インストールしてブートローダ粉砕。 久しぶりなもんだから忘れてた。必死こいて調べて直した。 そういえばwindowsのドライバ類も入れ直さねばならないのだが、 面倒だから使う時でいいや。すなわちゲームやる時か原稿描くとき。 そういやドライバのCDROMどこ置いたっけか。…全部ダウンロードした方が早いな。

celeronに買い手が現れた。というわけですぐ発送。

tcupはもう見限った。しばらくは放っておくが、もうメインは 今試験中の方に移す。近いうちに自作のを走らせてそっちを試験用にしよう。 そのうち安定して使えるようになるに違いない。

2000年10月18日

いろんなところで「汚ねえよ!あれは汚ねえよ!」と泣きながら叫ぶ人が多発したという AIRの青空を、 演出の面から考えた文章を発見。おもしろい。 それにしても事実あれは卑怯なほど効くのだが、 オレはそのあたりで完全に混乱していたのでその混乱が余計に高まる効 果の方が大きかった。いきなりなんじゃこりゃあなエンディングの直後に ド肝を抜くくらい今までと全然違う音楽が流れてきたものだから、 もうまるで感動どころではなかったのである。 DREAM編の一回目は感動うんぬん以前にわけわからんかったというのが本音だ。 そういうわけで、 果たしてあの青空が効果的演出だったのかはオレもよくわからない。

なんじゃこりゃあ。 とりあえず読んでいただきたい。 「オタク話をしたかった」という本音のために 構築されたかのような見事な論説がすばらしい。 特に枕から本題に入る時のギャップが非常な風情をかもし出している。 オタク話に夢中になりすぎて論の流れが意味不明に なりかかっているのを自分でフォローを入れているあたりもまた良い。 それに、 これがどういった状況で語られていたのかを想像するとこれがまた笑えてくる。 顔に「学者」と書いたような連中を前に、 デジ子の絵をスクリーンいっぱいに表示してとうとうと理屈を語る様が 目に浮かぶではないか。そうか。もう世界はそんな時代になっていたのか。 頭のいい文系オタク学者ほどおもしろいものはない。 かたはら、こんな卒論書いてくれ。 ところで、やっぱり初音なんでしょうね。あの図版。

更新時刻を自動的に挿入するようにした。 アンテナに登録されているかどうかは知らないが、 されているとすればこれでちゃんと取得できるはずだ。 ちと自意識過剰かもしれないが、まあこれでperlでの環境変数のいじり方を 勉強できたので良しとしよう。

こんなに布団が恋しいのは、昔人間に毛がたくさん生えていたころが 懐しいからに違いない。

デカくてフカフカした生物を抱いて寝たい。人でもいいが、人はいろいろ問題が ある上に望むべくもないので却下。

一度足をつっこんだ分野はそこそこにはなりたいものである。 漫画しかりプログラムしかり。 自分でオレもうまくなったなぁと思えるくらいにならねば ば足をつっこんだ甲斐がない。やってて楽しければいいのは確かだが、 オレはヨゴレなのでどうしても人の目が気になる。ヨゴレは治療できるのだろうか。

人が来てくれることがこれほどヤバいとは思わなかった。 調子にのってゆく自分がスローモーションで見える。 前方に壁があってもうブレーキをかけても間にあわない状況をはっきり認識し ているような恐怖がある。が、どうせ慣れたら適当に書くようになるので元通りに 戻るに違いない。日記を始めた当初はかなり狙って書いていたのだから。

奈良から成功の知らせ。あとは10月29までにデータが間にあってくれれば中間 発表で十分なネタを披露できる。描かねばならない原稿も一つ減ったので、 なんとかなりそうだ。あとは予備のネタも用意しておかねばならない。

IRCに入ったらマルチ(ボット)がいた。しばらく放っておくといきなり 「うっすヲサム」。おまえら妙な言葉を教えるな。と思ったら マルチのふりをしたまさひろだったらしい。

掲示板が死んでいる。タダだから我慢しようという思想はオレにはない。 どうにかしよう。早急に。誰かいい掲示板ソフト教えてください。 作っていては時間がかかりすぎます。ちなみに、トップから もう一つの掲示板にリンク貼っておきました。 どうにでもしてください。

人工知能って考えるだけならおもしろい

  人工知能が人に近づくためには絶対的に文字データ以外の入力がいる。 最低でも快楽と苦痛を文字データ以外の方法で得なければならないだろう。 なぜなら、それが学習の根本的な方向を決定するからだ。 これなしではただ情報だけが蓄積されるだけになる。 生物の場合はこれが全て「生きる」ということに直結しており、基本的には 死と遺伝子の断絶を避ける方向こそ快楽であり、それに近づく方向が苦痛なの である。機械の場合には遺伝子は面倒なので、個体の保存だけを問題にするこ とになるのだろうが、この場合はたとえば叩かれたら壊れるから苦痛、 バッテリーが減ったら動かなくなるから苦痛、というふうな入力を どうにかして定義せねばなるまい。

  加えて、目、耳、触角、温度、痛み等々の入力なしでは 意味を学ぶのはほとんど不可能に近い。 そもそも人間が得る入力において言葉の占める割合なんてのはカスみたいなも ので、言葉なんてのはそれ以外の入力を分類して保存するための手段にすぎな いのだ。言葉なんかなくても生きている生物はたくさんいるわけで、 これは自明であろう。 言葉だけではどうしても限度があるわけだ。 また、入力に対応してなんらかの動作ができなければ、 快楽に向かって行動することも苦痛を避けるように行動することもできないわ けで、すなわち快楽や苦痛が無意味化されてしまう。 「エサください」と言うとか、「叩かないでください」と言うようなことで、 言葉を行動にかえるようにすることもできるが、できるならば 実際の動作を伴った方が学習の効率がいい。ただし、 実際の動作だけでそれが満足されてしまう場合は言葉が不要になるので 動物同様になってしまう。つまり言葉を覚えさせるには言葉を話す他者との関係が 快楽を追及したり苦痛を避けるために必須である必要がある。 要は一人で生きられちゃダメということだ。バランスがむつかしいのである。

  さて、そんなことは今の技術ではまるで無理なわけで、 それを知った上で人工知能を作ろうとするなら ある程度の妥協がいる。すなわち、用途を制限するか、 役に立たなくてもいいとするか。そういう妥協だ。 オレとしては役に立たないけどたまに人間っぽくておもしろいものが いつか作れたらいいなぁ、と思う。 用途を制限するなら最初からデータを与えればいいわけで そうむつかしいものではないが、果たしてこれが知能を呼べるのかは疑問だ。 さあ、とうわけで機械屋さんと生物屋さんのがんばりに期待しよう。

  ちなみに、こういう物言いをしているところからわかると思うが、 オレは人間なんてよくできた機械にすぎないと思っている。 人間と同じものが作れないのは単純に技術が足りないだけで 原理的に不可能ということはないはずはないのである。 宗教は社会的装置であって、心の真理は語れても、 自然の真理は決して語れない。

2000年10月17日

カウンタを増やそうという欲求は金をもうけようという欲求 以上にヨゴレな印象があるが、なぜだろう。 カウンタを増やす秘訣みたいなサイトも山とあるわけで そういう欲求はたいがいの人がもっているに違いないのだが。 オレもな。

と、こうやって本音を言うからいけないんだな。きっと。 「あー、チヤホヤされてー。誉められてー」とか「あー、同人誌でもうかってみてー」 とか思ってても言っちゃいけないんだろう。 もっとも、そのために多大な努力をする気になるほど 強く思っているわけでもないので、あんまりヨゴレではないと自分では思っている。 しかし、ヨゴレだろうがなんだろうが、そのための努力で能力が上がるなら その方がよっぽどいいのであって、やっぱりオレは腑抜けなのだ。 動機、過程、結果のどれが大切かは場合によって違うわけで、 いつもある一つが正しいわけではない。〜〜が大事、 というのを言い訳に使うようでは男として情けなかろう。

うちの掲示板ダメだ。 ロックかかってんのかなんなのかデータが来ないことは多いし、 そもそも応答しないことも多い。自前で用意すべきか。 さすがに掲示板なんかは迷惑がかかるのでちゃんとしたスキルがつくまで自作は 控えるべきだろう。ためしに設置してみる予定。 必要十分な機能をもつ掲示板ソフトを知っている方、どうか教えてください。 なお、486DX2-50MHzでちゃんと動くという条件なのでひょっとしたら厳しいかも。

掲示板。 いっぺいに勧められた奴をためしに入れてみたが、 単純すぎていろいろと不便だ。それにしても反応が遅い気がする。 486のせいか。

CGIはCでも書けるらしい。別に言語を特定するものではないようだ。 速いに越したことはないので書けるならそちらの方がいいのだが、 Cは面倒くさい。作業量に比例してバグは増えるわけで、 すぐにできるものではあるまい。 しかし、今Cの練習になって、かつ実際に使いたくて、 かつ今のオレにどうにかなりそうなものなど掲示板くらいしか思いつかない のでやってもいいとは思うのだが。

ところで、コードの量とバグの入り込む率の関係はプログラムの方法によって ある程度決まるような気がする。最良の方法とは バグ率がコード量に一次で比例する方法なわけだが いいかげんな方法なら二乗や三乗に比例してしまうくらい ありそうで恐い。というわけで一画面に入る量だけ相手にするようにしよう。 そのためにはちゃんとした設計が必要だ。 途中で仕様を変えたくなっても、ちゃんとした設計図に基いて部分に分けていれば 全部パーということにはなるまい。

変なフロッピードライブが出るらしい。 普通の1.4MBの奴に32MB記録してしまうという謎な機械である。 次世代SUPER DISKらしい。 そういえば今出てるSUPER DISKは売れてるのだろうか。 オレとしては5000円なら買うが、たいがい1万近くするので結局買わないのだ。

朝4時から実験。今日は寝ます。

2000年10月16日

ゲーム会社の人と話をする機会があった。 いろいろとお話を聞けて参考になったが、 今の根本的な問題はマジでそんな業界へ行くだけの気合いがあるかどうかであって、 どううまくその業界に入るかではない。 形式上M3(修士三年)にさせてもらって一年遊ぶというのも捨て難いが、 なんというか最近あせりが出てきたのでそんな気もだんだん失せてきたのだ。 体の能力が衰えないで生きられるのは今まで生きた分のせいぜい倍なわけで、 そろそろすごい人になっておきたいところである。 というわけで、そろそろ就職活動をせねばならない。 しかし今のオレには売りがない。というわけで普通に入るわけだが、 やはりオレに「すごい人になるためのスキル」 をつめこんでくれる会社を選ばねば意味がないわけで、 さあどうしようかという感じだ。

建前なんて大嫌いだけど、嫌われたくないのでよく練習しておかねば。

昨日バナナを買う前、財布には70195円入っていた。 バナナを買ったことによって85円減って、70110円になった。 7枚も入っている福沢に恐れをなして7万を郵便局に預け、 結果財布の中身は110円になった。が、それに気付いたのはさっきのことである。 今日はフロに入ろうと思っていたのだが、そんな金もない。 おろすにも郵便局はもうしまっているのだ。

「〜〜する権利がある」という言い方をするが、実はよく意味がわからない。 〜〜してもいいという意味か。それとも〜〜してあたりまえだという意味か。 たとえば「幸せになる権利がある」 という時、その意味は「幸せになってもいい」なのだろうか。 それとも「幸せになってあたりまえ」なのだろうか。 どちらもなんとなく違う気がするが、 それでは権利があるとはどういう意味なのだろう。

2000年10月15日

メールで危険な記述を指摘されたので消しておいた。 ありがとうございます。確かにヤバい。意図するところと別のところで 大変なことになる可能性がある。物を書いて公開する以上こういうことは 気を使わねばならんのに。バカバカおれのバカ。 どうしてオレにはこうモラルがないんだ。

名雪朝〜目覚しにだんだん音が大きくなる機能を導入。perlさまさま。 さらにそのうちGTKかなんかでこれを止めるボタンを表示させるようにすれば、 途中で消す時にわけのわからんコマンドラインを打たなくて済む。 今はスピーカの電源を切るという頭の悪いことをしているのだ。 ボタンの大きさを画面全体にしておけば、どこにカーソルがあろうとマウスの ボタンを押せばいいわけで、ディスプレイを見なくてもいい。 そこまでやってはじめて目覚しっぽくなる。 さらにいちいちcrontabで時間をいじるのは面倒なので、 絵的に時間を入力できるようにして(電卓風に) その結果をcrontabに書きこんでもらうようにしよう。 それにしてもそこまでしてコンピュータで目覚し作る意味があるだろうか。 たぶんない。それにしても音質悪いのう。 FreeBSDで動いてデジタル出力のあるものはないのだろうか。 マウスを動かすとウブブブブブブブブと音が鳴る。

ファンがうるさいなあと思って、なにげなく羽をおさえてファンを止めてみたら、 いきなりシステムがリブートした。ファンなんて嫌いだ。 計算しかしない機械がモータなんて使ってるのは絶対に間違っている。

Duronを買おう。そう思い立って金をおろし、駅まで行った。 が、切符を買うことができずに出町商店街でバナナ(85円)を 買って帰ってきてしまった。

2000年10月14日

カウンタ。SSI以外に字にする方法はないんだろうか。 サーバのログ見て元のファイルに直に書きこむってのも一つだろう。 その場合はIPアドレス同じ人は12時間の間カウントしないとか そんな設定もできるので本当に何人来てるのかがよくわかるし、 やろうと思ったらファイルごとに統計までとれる。 アクセス解析だ。SSIよりは利点があるだろう。 ただし定期的に実行するのだとリアルタイム性は消えてなくなるので 「〜〜ヒット踏みましたぁ」というのはほぼなくなる。 でもそんなのどうでもいいな。作ってみるか。

金が一気に入るとかえって使えない。もしこれが5万でなく2万だったら、 とっくにDuronを買っていたはずである。 celeron300(450可)とマザーで7000円くらいで買ってくれる人がいたら売るのだが。 なお、オレがK6-III(450)からこれに換えた時、 photoshopの速度が倍近くになった。 他の作業(ゲーム等)は微妙に遅くなったが、 そんなことがどうでもよくなるほど浮動が速い。 K6であえいでいる絵描きにはおすすめできる。

ボットがいる。で思うのだが、 会話は音でするもんだ。字で会話してても頭の中では音なわけで、 「マルチ」と「まるち」と「まーるーちー」を全部同一の語と判断できれば それだけでかなり自然になる。こんないいかげんなもんでもふと 人間っぽく見えてしまうことがあるのだから、もう少し改良したら かなり錯覚してしまえるのではないだろうか。 パターン数を増やしてそれをやるのは芸がないし面倒なので、 もうちょっと根本的なことからいじってみたい。 そのうち作ろうっと。作りたいもんだらけだ。

茶筅。 単語・品詞分解ソフト。日記をかけたら驚くほど正確にバラしてくれた。 これで音にできるぞ。漢字をどうするかがネックで、 ひらがなとかたかなだけ音ベースにするかと思ってたが、 これを使ったら漢字ごと完全に音にできるじゃないか。 加えて品詞分解もあるから、その情報を使ってうまくやれば より自然っぽいセリフを吐かせられる。 とりあえずIRCのプロトコルでも勉強してみよう。RFCでも読むか。

朝5時から実験。

銀色が結構話題になっていたが、理由がわからない。 第三部のおかしさで話題になるならわかるが なにかとAIRと比べられているわけで、 とすればけっこうマジであろう。 過去物だからか。それとも近頃出たのでストーリー系なのがあれしかないからか。 どう考えても完成度でもスタッフの異能者ぶりでも AIRには遠く及ばない気がするのだが。 そもそも、銀色って普通じゃないか。普通じゃ仕方あるまい。

幸運は小出しな方がいい。祖父から差入れがあったのだが、その中に。 多くは語るまい。これからちょっとした交渉をしに漫研の例会に行くとしよう。 うまくいったら明日は日本橋。

実験ために道場2週連続サボリ。 毎日稽古はしているので背中がかたくなってパンチが飛ばないなどという 悲惨なことはないのだが、物を殴るカンは鈍っているかもしれない。 来週からせっせと通おう。

そういえば道場の師範から看板の原画を頼まれている。 いいかげんもっていかないとヤバい。 近所の中学校の門付近に置くつもりらしく、 小さい子供をゲットして英才教育をほどこし、 空手に対抗しようという目論みだろう。 でこれに「漫画チックに」という指定があるのだが、 「君んとこからリンクされてる闘う女の子描いてる人みたいな感じいがいいわ」 と言われたので、どうも「同人くさく」と解釈してもよさそうな雰囲気だ。 だが、それはオレには向いてねえ。誰かに頼んでしまえれば楽なのに。 ところで、まさか師範この日記読まれてませんよね。 ネタの大半わからないだろうし。

今日文章書きすぎ。機嫌が悪いってことだろう。 去年あたりの日記から読み返していくと、 どんどん熱意がなくなっていくのがよくわかる。 がんばればどうにかなるもんだ、という盲目的な信仰がもうなくなってしまった。 あれだけどうにもならないことが起こったのだから無理もない。

世の中うまくいかないよね

  掲示板で勧められたアラン・チューリング(電子計算機の生みの親の一人) の論文を読んだ。論文と言っても数式がバカバカ出てきたり専門知識が バカバカ出てきたりはしないのでヒマな人は読んでみるといいと思う。

  さて、これを読んで思ったのが、驚くほど驚かなかったということである。 あたりまえなのだ。「極限まで状態数の多いデジタルはアナログと区別できない」 というのはオレの持論であり、オレの議論はたいがいこれを根本原理としている。 だから驚きはしなかったわけだが、よく考えてみればやはり彼はすごい。 彼は計算機がロクに何もできない時代にこんなことを考えていたわけで、 計算機がそこら中にある今の時代に生きているオレとは比較にならないほど 頭がいいということだ。

  そして、ある種の共感も覚えた。 「極限まで状態数の多いデジタルはアナログと区別できない」 という命題が真であると同意してくれる人がとても少ないという実感である。 これは極限の話であって、アナログと区別がつかないデジタルが実際に用意できるか どうかは問題ではないのだが、 それが問題ではないということがそもそも理解されない。 生きてきた上で形成された根拠のない経験的イメージと、 理屈上のことを分離しないのである。 0.9999999(以下略)=1を理解できない高校生が多いのもそのあたりだ。 本当に9が無限個つながるなら<1ではなくなるのである。

  たとえば社会のふるまいをどうにか記述しようとする時に ふたつのやり方がある。 一つはこれを個体の集合ととらえる見方で、 個体のふるまいが仮に完全に記述できれば 社会はその集合にすぎないから同様に完全に記述できると考え、 いかに個体のふるまいを正確に記述するかということに 執念をそそぐ。しかし、個体そのものが多様であったり、数が多かったりすると 生半可な理屈ではまるで役に立たない。 逆に個体が社会の構成要素であり、社会という実体を認める見方もある。 これは個体のふるまいが不定で記述できないという実感に基づいて、 不定なものも和になればある程度の範囲におさまって記述がしやすくなる という経験上の事実によって支持される。これはサイコロ100個もふれば だいたい350前後に落ちつくという確率的な実感と同じだ。 ひとつひとつのサイコロの目を予測するという困難とは無縁で、より 現実的なのは確かだが、それでは永遠に正確な解を得ることはできない。 ところでオレはここでどちらが高度であるという主張をするわけではない。 ただ、一般に前者の思考をする人が後者の思考を理解できるのに対して その逆は真ではないというだけのことである。

  彼の論文はそういう理屈と経験を分離できない人への反論で内容のほとんどが 占められている。それだけ反感を買ったということだろう。 彼の反論は容赦がなく、理屈の上ではまったく隙がないし、 わかりやすくもあるのだが、 だからといって彼が勝ったといえるかは疑問である。 実感から言って、こういう論争に勝つのは人の話を聞かない人だ。 どんなに精巧な理屈を用意しても、相手が理解しないのでは意味がない。 たいがいの場合は自分が理解できていないなどとは夢にも思わないものだし、 仮にわからなくても自分に非があるとは思わない。つまりわかる気がない。 議論が成立する前提は互いにその理屈を理解することだが、 これがそもそも成り立たないのだから議論になどなるはずがない。 そして議論にならない状態においては、議論をしようとした方が負けである。 最初のうちはますます意地になって理屈で打ち負かそうとするが、 いずれ相手がそれでどうにかなるものではないことに気付いてやる気をなくす ことになる。 彼はこの論文を書いている時点ではまだ反論する元気があったようだ。

  理は理を理解する気のある人間に対してしか役に立たない。 そして世の中のたいがいはそうではない。 加えて、自分は理で考える方だと思っていても、 それも程度の差であってやっぱりホルモンの魔力には勝てないし、 生まれてから培った根拠なき信仰を捨て去ることもできない。 理が万能ではないのは、理を完全な形でもった人間がこの世に存在しないからだ。 そしてそれは自分も同じである。人を責める前にそのことを知っておかないと どんどんイヤになるし、なにより人から嫌われる。 人のせいにするのは楽だが、あとあと困る。 自分のせいにするのはその次に楽だが、気分が悪い。 であれば、世界のせいにしよう。そういうものなのだ、と。 他人や自分の無能には腹が立つが、熱力学第二法則に腹は立つまい。 こんなものに腹を立てるくらいになれば立派なノヴァ教授である。

  ところで人工知能の論文だった気がするが、オレが考えたのは全然関係ないことだな。 最近イヤなことがあったからだろう。何を読んでも自分を投影してしまうのは 悪いクセだ。

共感とか感動とか

  相手が自分と同じように、あるいは少なくとも似た形式で考えていると 信じられなければ心の交流を感じることはむつかしい。 真偽に関係なく、「奴はロボットだ」と言われてそれを信じてしまった人間が それまでと同じ接し方をするのは困難だろう。 人間は自分と同じものには優しくするという根源的な性質を備えているからだ。 だから、キャラのような「つくりもの」に対して素直にそういう感情を抱くのは とてもむつかしいことなのである。

  これに対抗する手段は作り物くささを減らすことしかないわけだが、 大きく分けて二つのやり方がある。 一つは設定でつくりものくささを小さくする方法、 もう一つはもっと抽象的なもので、感覚として つくりものくささを忘れさせる方法だ。 前者はとにかく目につくところで現実との距離を縮めることによって つくりものくささを感じさせないようにする。実写にするとか、現代にするとか、 普通にいそうな人にするとか、変なセリフを言わせないとか、 心理描写をちゃんとするとか、そういうことだ。 そういう設定あるいはコンセプトレベルでの勝負である。 そして後者はそういう目に見えるところでなく、 あるものの「本質みたいなもの」を感じさせることによってリアリティを出す。 抽象的な次元での話なのでどうしたらいいとは言えない。 たとえばマルチなどはハナっからつくりものくささが充満しているのだが、 それを忘れさせてくれる極上の瞬間が存在した。 麻枝物に関しては言うまでもないわけで、あれだけ変な奴に感動し共感できるのは、 何か不思議なリアリティが言動とか、世界とか、そんなものに隠れているからだろう。

  基本的に作品は作品というだけあって作った品である。 これを覆い隠そうと努力しても限界があるわけで、 実写にしようが、現代にしようが、日常的にしようがそれほどの差はない。 実写だからドラマの方がアニメよりリアルだという人は確かに多く存在するが、 数多く作品を見てきて「スレ」てしまった人間はもはやそんな次元にはいないわけで、 そういう連中にリアルさを感じさせるには後者によるしかないのである。 キャラの存在感も、「こういう奴が実際にいるか」よりも 「こいつに何か人間としての本質のようなものが感じられるか」 が問題になるのだ。設定を現実的にすることが 意味をもつのはリアリティうんぬんよりもむしろ、 演出、見せ方としてどういうものがこの作品に適しているかということを 追及する技術においてである。

  というわけで、キャラに実在感があるとオレが今まで言ってきたのは、 そっちの意味だ。なお、舞がそういう意味で出来がいいかというと、 あまりそうは思わないのだが、そのへんは愛も時の運であって 必ずしも原因を出来の良さに求めることはできないということで納得して頂こう。

  ところで今萌えという言葉が便利なわけがわかった。 愛している、というとおおげさで恐い。好きだ、もけっこう恐い。 萌え、は照れ隠しにちょうどいいし、現実と虚構を区別していますよーという サインにもなる。でもオレは使わないからな。

まだAIR話

  AIR話注意、とか書くのも面倒になるくらいAIRは流行っている。 まだ話題になっているわけで、それはすごいことだ。 他に話題になるものがないからというのが一番の理由である気はするのだが、 それだけということもまさかないだろう。 AIRが他のと違うところは何かと考えると、 結局「変だ」ということに落ちついてしまった。

  例えばキャラ一つとってみても、 ギャルゲーを作っているという意識が感じられない。 変人にしてキャラを立てるにしても、そこにエロースがないのだ。 おそらくある意味で最も対極にあると思われるToHeartと比べてみると 違いが歴然とする。ToHeartは人をハメるために、あるいは書いている本人が 好ましいと思うようにキャラを変人にしている。「男のロマン」と言うのが わかりやすかろうと思うが、そんなのがバリバリである。 また、ToHeartほどあからさまでないにしても、 普通は「いい奴を描こう」という意識くらいは働くわけで、 多少のマイナス面をつけるにしてもその大筋からはそうそう外れないものだろう。 だが、AIRはおかしい。確かに妙な口ぐせの類は萌えワードなわけで、 人をハメるための武器ではあるのだが、それにしてはおかしすぎる。 「うぐぅ」くらいならまだそれとして理解もできよう。 むしろ最も成功した萌えワードの一つであると言ってもいい。 しかし、「がお」がその範疇に入るのか。「ハワイ旅行獲得」がその範疇に入るのか。 変にしすぎて失敗したということはあるだろうが、 どうにもそれだけには思えない。狙ってやったとまでは言わないが、 作者の性質によって必然的にこうなってしまったような気がするのである。 いうならば、こういう方向性でやりすぎてしまう傾向みたいなものが 彼には備わっているのではないだろうか。

  麻枝氏はたぶんキャラ萌えの男ではない。 男のロマンも人並以上には持ち合わせていない。 加えて、作ったもの、作られたもので感動しようとか、感動させようとかいう 意識も薄い。さらにおそらくフィクションそのものに関心が薄い。 なぜここまで言うかと言うと、オレがそう思うからである。 失礼にも程があるが、 クリエイターにとっては避けては通れない道なので我慢して頂こう。 とりあえずMOON.あたりから続く彼の傾向をおおまかに列挙してみようか。

  1. 人が変。
  2. 人と人との交流が一方通行。
  3. 内面系。
  4. 基本的にお話(出来事の羅列)としてはお粗末。

  第一の点だが、これは明らかだろう。 たとえば繭。たとえば舞。説明するのも面倒なくらいあれはおかしい。 繭はまるで主人公になびかないし、そもそも何を考えているのかわからない。 舞もそれに近い。真琴も後半は同様である。 これは二つ目とも関係したことで、 ヒロインから主人公に働きかける描写はないにも等しい。 舞は勝手にハラを切ったし、過去のことはまるでしゃべらなかった。 真琴は勝手もなにもあれ自身にしてからが自分のことを知らなかったし、 後半は人格そのものがケシ飛んだ。これがおかしくないはずがないではないか。 思えば主人公→ヒロインもお話の都合上なにかとあるにはあるが、 肝心なところが欠けている。 祐一も浩平も往人もロクに自分のことをしゃべらないのは、 プレイヤが既知でジャマだから書かない、という構成上の技術である 以上に彼等が自分のことを人にわかってもらう気がないということではないのか。

  そう考えるとAIRもすごい。まず往人はハナっから観鈴に興味がない。 観鈴は往人になにかと接近するが、あれは動機としては誰でもよかったわけで、 「淋しい」という自分の状態をどうにかしたかったのが一番の理由である。 つまり往人そのものに興味を持ったのではない。もちろん一緒にいるうちに だんだん互いにも興味が出てくるわけで、結果愛がどうのこうの言える状態には なるのだが、導入だけ見ればかなりドライだ。 愛は動機でも結果でもなく過程だと言う人もいようが、 普通ギャルゲー、それも純愛感動系(本当にそうとは思わないが) でそこまでやるだろうか。

  そして次に三つめの「内面系」というところだが、これは四つ目とも関係する。 基本的に彼のストーリーというのは、頭の中のことだけである。 誰がこうなって、その次ににこうなって云々、 というのは彼のストーリーにおいてはどうでもよかった。 MOON.ではオチが宇宙人だったし、科学者だったし、宗教と言っても 社会的側面などまるで描かずなにがなんだかわからなかった。 ONEでは「えいえん」は別になんでもよく、 一応の説明をつけようと入っているみさお話は、 悲しくていい話なのはともかくとして、場違いで、唐突だ。 KANONは舞で顕著だが、母親の話がONEのみさお話とまるで同じである。 真琴も同様で、狐なんてのは説明にもなんにもなっていない。 どれも、ある心理的状況を作り出すためのお膳立てであり、 売り物であることを考えるとそういうものが必要だろうと思って入れてはみたが あんまり興味がないのでてきとーになってしまった、 というところではないだろうか。

  4つを総合すると、 「お約束」を楽しむような気質を持ちあわせていないばかりか、 ストーリーというものにそもそも興味がないのではないかという気がしてくる。 好きではないけれども、売り物だから入れようという意識はあるので そういう要素も入れはするのだが、どうにも無理矢理になってしまう。 嫌いだからこそわざと無理矢理にして「オレはそんなことはどうでもいいんだ」 と主張しているのだ考えることすらできてしまうくらい無理矢理だ。 ONEの時はみさお話が、AIRの時はそれが「がお」や「ラーメンセット」 等の形で現れたわけで、根は同じではないだろうか。 ただオレとしてはONEの時が一番バランスがとれていたと思う。 ションボリなのはみさお話くらいだし、キャラもやりすぎな割に自然でおもしろいし、 なにより強烈だった。KANONは「売る気」が暴走していた気がするし、 AIRはストーリーがちゃんとしていてかえって オレにとっての本題がボケてしまった気がする。 普通におもしろい話はファントムのようなもので十分なので、 彼にはやっぱり普通じゃないものを書いてもらいたいと思うのだ。

  ちなみに、以前ONEを「売る気ねー」と言ったが、 あれは正確に言えば「売る気で作ったにしてはおかしすぎる」という意味で、 「彼等に売ろうという意思がなかった」という意味ではない。 誤解を招くな。確かに。

2000年10月13日

金が5万近く返ってきた。が、急にこれだけ金が入ると恐れおおくて使えない。 ビタクラフト鍋もう一個とけっこう包丁2本を買えてしまう金なのだ。 だからとりあえずはストック。

犬大将氏からトルコな贈り物が届いた。 中身は、

さすがに犬大将氏だけにわけのわからんラインナップだ。 期待に見事に答えてくれる。ありがとうございます。

知り合いがサイトを作っていたのを発見。 そこにある文章で、随分前にオレが言ったことをいまだに根に持っているらし いことを知った。好きなものは良いはずで、嫌いなものは悪いはずだと 思ってしまうのは人間の業であり、 これが単なる好みの違いが言い争いになってしまう原因である。 というわけでちょっと反省。相手のことがようわからん状態で なにかについて悪く言ってはいけないということだ。

掲示板が最近死んでいる。11時から12時くらいまではたまにデータが来ない。 ロックされているのだろう。 しかしそんなに人が来ているわけでもなさそうなので、 プログラムの出来かサーバの負荷の問題に違いない。 自分で作って研究室に置くのが最良か。 別に作らんでも拾ってくれば済むのだが、どうせだから練習がわりに。 しかし、486DX2-50MHzでperlの掲示板は大丈夫だろうか。 動作しっぱなしにしておいて、 要求が送られてくるのを待ちうけてるようなソフトにするなら perlでも遅いことはないだろうが、そういうのはかなりスキルがいりそうでしんどい。 Cで書いてみるか。単純な奴を。どうせ大した機能はいらないのだし。

ボットってもんがあるらしい

  ircのチャネルを維持する必要にせまられてきた。 ついでにログも保存してくれるとありがたい。 人がいない間に人のフリをしてチャネルに陣どってくれるソフトがいるわけで、 これをボットという。 でこれがまたみんなして異様に凝ったものを作っている。 あたかも人であるかのように返事までするのだ。 人が来ると「こんにちわ〜」と言うとかそんなんである。 「せりか」「マルチ」「あかり」等々いろんな口調パターンのソフトがあるらしい。 が、結局のところ原理は簡単で、Aという発言があったらB、というような データベースを作ってそれにそって出力するだけだ。 変なのもあって、疑問文と見るや「ま、忘れましょう」と 返してくるようなものまである。で当然だがこういう形式では とても擬似人格とまでは言えない。というか実用上の問題から言って 下手に会話に参加されてもジャマなだけなのでそれでいいのだが、 どうせだったら人っぽいものを作ってみたいなどと思ったりもするではないか。

  まともな会話をしようと思ったら、日本語をわからなければならない。 この段階ですでにオレごときの手には負えない。 加えて、日本語がわかって語彙をたくさん手に入れたとしても、 発言に対して適切な応答をさせるには内容を理解しなければならないわけで、 もはや世界中の誰の手にも負えまい。 「こう来たらこう」というのを大量に入力すればなんぼかそれっぽくはなるだろうが、 それでは限界がある。とすれば勝手に学習せねばならない。 さて、学習するには価値基準が必要だ。 やかんに触って熱かったらさわるのをやめる。これは苦痛がマイナスポイント であり、それを避けるからだ。人間には快楽と苦痛という価値基準がある。 これを人工知能にも用意してやらねばならない。 だが、言葉だけの世界ではそれを用意することは不可能である。 怒られたらマイナスポイントというのは一見わかりやすいが、 何をもって怒られたとするかという定義を与える必要があるわけで それでは一からの学習とは言えまい。 つまり、一からの学習にはプラスマイナスの単純な量で 計れる刺激を受けとる機能が必須である。 どう考えてもそれは文字だけの世界では無理なのだ。

  辞書なしで単語分解くらいできないだろうか。 たとえば「おまえはバカだ」を 単語分解しようと思ったら、7+6+5+4+3+2+1で28通りの分解方法がある。 このうちどれがそれっぽいかで点数をつければいいわけだ。 流れてくる文章を長い間見ているうちに登場頻度の高いものを選んで 単語候補として残していけばだいたいはよさそうである。 字だけだと音がないので、漢字はかなに変換して音にしてしまい、 「。」とか「、」とかをまたいだ切り方はありえないということを教えておけば 相当パターン数が減ってくるはずだ。 アクセントや高低がないので音よりしんどいが、 漢字が同じなら同じ単語で違えば違う単語ってのが明らかなので 字の方が楽なこともある。 さてそうすると、たとえば「おまえ」とか「バカ」とか 言うのが数が多く出てきて、どうも単語っぽいということがわかってくることだろう。 しかし動詞や形容詞とかに関しては活用表を知ってないとこの方法は使えない。 活用まで勝手に覚えるようにするには一致だけ見ていたのではダメで、 「似ている」ものも選んで残す必要がある。 「買った」と「買う」が似ていると判定されれば、 同じ単語であると認めることもできようし、語幹もわかるだろう。 というわけで、似ていることに点数をつけるアルゴリズムもいる。

  やってられるか。キリがない。 人間ってのは大変なことをやってるらしいということだけはわかる。 内容を伴わない部分でこれなのだから、 マルチ並みにマジな人工知能ってのはかなり無謀なんじゃないのか。 生きているうちにマルチはおがめそうにない気がしてきた。

  そういやボットの話だった気がするが、ボットは所詮ボットだ。居座ってくれて、 あとはせいぜい伝言とログとりくらいあればそれで十分事足りる。 いろんな返事をするなんてのは長く使ってるうちに底が見えて飽きるし、 そもそも実用上ジャマだ。ネタにすぎない。 と思うと自分で作る気は急速に失せるのだが、人工知能はロマンだな。 「どこでもいっしょ」を超えるくらいものは作ってみたい気がする。

  とりあえず現実的なラインで考えてみよう。

  1. 品詞分解に必要なデータとアルゴリズムを与え、 あとはテキストを読ませれば勝手に品詞ごとに分類した語彙を増やす ようにする。 読ませれば読ませるほど語彙が増え、品詞の分類も確実性を増していく。 この際、助詞、助動詞、接続詞くらいははじめから与えておけば大部楽だろうが、 それをしない方が個性が出る。 マルチのセリフだけえんえんと入力されたりしたら口調がマルチそのもの になってしまうことだろう。
  2. 品詞に分類された語彙に関連性を与える。 特定の形容詞と名詞、動詞と副詞などのつながりをテキスト内における 距離と頻度から判断する。「ゆっくり」と「歩く」とか。
  3. そうして生まれたつながりを拡張して意味的関連性を探る。 「ゆっくり」と「歩く」、 「速く」と「歩く」の頻度が共に高ければ「ゆっくり」と「速く」は 意味的関連性がある、というように。
  4. 特に独立して用いられるものをピックアップし、 感嘆詞とあいさつを識別する。この2つを分けるのはむつかしいので、 よくあるあいさつは最初から登録しておいてもいい。
  5. 入力の語尾を見て、疑問や念押し等の態度を推定する。 これに合わせて返答の形式を変える。
  6. 語彙を組み合わせて文章を作るアルゴリズムを与えて 文章を作れるようにする。内容の理解はどうあっても無理なので、 入力された言葉(返事を与えるべき言葉)から単語をとりだし、 これに関連性の高い言葉を選んできてランダムにつなぐ。

  こんな感じか。 どんな文章を読ませるかでデータベースが全然違うものになるわけで、 しゃべる言葉が全然違うものになる。 常駐させて勝手にリンクたどって文章読みまくらせとけば あっという間に語彙が広がりそうだ。 同じことを再現できなければ二つと同じデータベースはできないわけで、 つまりは二つとない個性がでることになる。 おもちゃとしてはかなり楽しめるだろう。 しかし、こんなもん作るのは相当しんどいんだろうな。 プロがやるべき仕事だろう。金になるならの話だが。

  くそ。自分で言うのもなんだが、すっげえおもろい。 二つ同時に走らせて偏った文章ばっかり読ませて、 互いに会話させてみたい。 うまくできたらものすごい勢いで内容のない会話を繰り広げるんだろうなぁ。 そして互いの出力が互いに入力になるわけで、 えんえん話させてるとだんだん語彙が似てきたりして。 頼むから誰か作ってくれ。

2000年10月12日

サイトを夏な色に。これから冬なので。

mozilla-M17(netscape6)コンパイル。 デカいのでいらなそうなものは片っ端から切った。 それにしてもコンパイルってのはこんなにエラーが出てもいいものなのか。 動けば官軍、という考え方でやってると いつか破綻するのではないだろうか。 いや、すでに破綻しているのかもしれないな。 netscapeの今の状態を考えるに。

mozillaの表示がおかしい。 テーブルに限ってブロックの中央寄せが無視される。 どうもIEもそうらしい。 テーブルはブロックエレメントではないのか。 あとH?のパッディング計算もmozilla、IE共に謎。

特定の文字列をみつけると、それに対応した場所へのリンクを張る 機能を自動更新装置に組みこむ予定。 たとえば人の名前を書くとその人のサイトに飛ぶとかいうことになるわけだ。 しかし、すでに張られている場合の処理とか、 「〜〜の日記」と「〜〜」で場所を変える処理とかはまだ実装していないので このままでは使い物にならない。ちょっとめんどう。

「良い」は理屈の産物で、 「好き」は感情の産物である。 人と対話する時に、好きというのは勝手だが良いというのは相手の同意がいる。 だから、「良いものだから好きになった」と主張するのは無理があるということだ。 「好きになる要素があったことによって好きになり、 それを受けて理性が良い物と判断した」だけである。 批評でも感想でもあらゆる言葉に先立って印象というものがあり、 それは半ば運に左右されているのだということを忘れなければ、言葉に 過剰に影響されることはなくなるだろう。 この2つの間で混乱が生じるとなにかと見苦しいことになる。 好きでないものを「良くない」と言ってしまって恨みを買ったり、 好きなものを「良い」と人に勧めて淋しい目にあったり。 もうたくさんだ。

2000年10月11日

予定通り朝10時に出発して入稿完了。 朝の7時を過ぎてなお二人ともまだ自分の原稿をやっていたにもかかわらずである。 朝の5時の段階では表紙を誰が描くかも決まっていなかったにもかかわらずである。 朝の8時を過ぎてから穴埋めページの処理を考えたにもかかわらずである。 自分で言うのもなんだが、これはものすごいことだ。 ただ、そのためにいろんなものを犠牲にしてしまったのも事実。 完成度や完成度、そしてなによりも完成度をだ。 しかし、それはそれとして今回の修羅場は本当に楽しかった。 思えばこの企画が出てからわずか一週間である。 完成度さえ問わなければ一週間で28ページのオフセット本ができてしまう ということがこれで証明されたのだ。 できることならば来週も何かで修羅場をして C-REVOに別のオフセットをもっていきたいところなのだが、 さすがにもりりん氏が忙しいので控えよう。

よく考えたら、これアレルゲンとあんまり変わらんな。 原稿の完成度も、ドタバタぶりも、突発っぷりも。 違うのは印刷屋に頼むという一点だけだ。

さて、今回の印刷費は8400円。50部だ。売り値は200円とするので、 年内に42部売れれば大勝利である。 それが達成されるようなら間違いなく調子にのるわけで、 アレルゲンのような恒例企画をオフセットでやるという暴挙にすら出かねない。 が、元がとれなかったらその被害はアレルゲンの比ではない。 しかし、あっちはタダである以上小なりと言えども確実に赤字は約束されており、 こっちはリスキーながらも黒字になる可能性もゼロではない。 やはりこちらの方が雄度が高いと言えよう。

雄度を価値判断の基準に用いるのはどうか。

表紙ページを改める。ついでに同人コーナーを増設して そこに秋子ジャム本の宣伝を載せた。アレルゲンへのリンクもそちらに置いた。 それにしても、いかにも同人っぽくレイアウトバリバリなトップページにする 予定だったのに、やっぱりこんなで落ちついてしまった。 やはり字を絵にしなくてはそういうサイトには見えないのだろうか。 ましてテーブル組むのが面倒だから縦方向はリストで代用、 なんて状態では失格に違いない。いつになったら同人っぽいサイトになるのだろうか。 ちなみにオレとしては、ならない方に魂を賭けてもいい。

いいかげんトップ絵変えよう。バナーも一緒に。ダサい原因のかなりの部分がこれだ。 普段絵の出ないもんで見てるとそのへんがマヒしてくる。

ものすごいルートで「朝〜(以下略)」が手に入った。感謝の極み。 とりあえずコンバインのかわりにしかけてみることにする。 一応コンバインも5分後にしかけておこう。あまりに頼りない。 ところで、一緒にもらった「…私は魔物(以下略)」。 合ってる合ってないなどとは言わない。が、イヤだーこんな声イヤだー。 もっとクールに、つうか普通にしゃべれー。

2000年10月10日

疲れたよ。

入稿が10/18になったらオレのせいです。 ごめんなさい。今まともに描ける状態にありません。 起きてゼミが終わるころにはノリノリになっていることを期待します。

結論。11/26のBSは出ない。AIR本は無期限延期。 サークルは現状維持のまま存続。 楓本は2月の楓のないしょ合わせに延期。 つまりエネルゲンの次の新刊は2月となる。 10/22、あるいは10/29にはジャム本を持ってゆくが、 これは京大漫研有志本であってエネルゲンとは関係ない、委託扱いである。

「このジャンルで描きたいもんがあるから描く。 くわえてたまたま同じ趣味した奴がいたから組む」と 「一緒に同人をやりたい奴がいたから組む。その後そいつのやってるジャンルで 描く」。 オレだって後者の考えが全くないわけではないし、 どっちが優れてるなどと言うつもりはないが、 あからさまな後者はどうにもダメだ。 一緒に遊びたいという思いが、 好きでもないジャンルで漫画を描く気になるほど強いというの はある意味うれしくないこともないが、気にいらない。
「同じ女を愛した男だから」
シンが死んだときのこのケンシロウのセリフは理屈こそ意味不明だが 気持ちはよくわかる。

サークルってのは現実的に考えれば イベントにおいてスペースをとる単位のことだ。 スペースの中でジャンルがバラけることは愚なわけで、 つまりジャンルが一致していなければサークルは成り立たない。 同じネタで描きたい人間が集まる必要がある。 一人でも気に食わないジャンルで我慢していては 他の人間も気まずいし、いい結果はもたらすまい。 だから、趣味が変わった人はサークルを出る。 オレだってギャルゲーに飽きたらすぐやめる。 そうしてみなが変われば分解する。ラーメンに浮いた油がくっついたり離れたりする 程度の些細なことだ。 同じサークルに属することと友達で あることは別のことなのだから、 それにそんな大層な感慨を抱かなくてもいいだろう。

サークル、特に同人サークルなんてのは狭くていい。狭くてあたりまえだ。 いろんな価値観を認め合う大人の団体である必要など微塵もない。 好き勝手言っててもまとまってしまうような人間が 集まっているくらいが一番楽しいに決まっているのだ。 そこに敢えて入っていこうというのなら郷に入っては郷に従えの精神がいる。 漫画が嫌いな人が漫研にいられるだろうか。 同様にギャルゲーが嫌いな人がギャルゲー同人をやるのが自然であるとは とても思えない。せめてギャルゲーを好きになる努力くらいはせねば 同じ場所にいることはできまい。
「ギャルゲー嫌いだけどおまえらと一緒に遊びたいから」
だったらギャルゲー好きになれ。それが無理でもせめて勧められたONEくらいやれ。 それもできないくらいギャルゲーが嫌いなら、 同じサークルで活動することなどできるわけがない。 本を作る以外にも遊ぶ方法はあろうよ。

というわけで半年以上我慢してきたのが限界に達したわけで、 この爆発がサークルにとっては不利益な結果になったかもしれんが、 すまんとしか言えん。 というわけで、オレは疲れた。 サークル粉砕を主張しようにも、エネルゲンはオレの私有物ではない。 ここはオレが折れるべきだろう。 サークルはこのまま続いていくようだが、 従来通り企画その他をやる気力はもうない。 企画、運営、編集その他は良月にまかせる。 しかし考えてみればこれでやっと作家という立場になれるわけだから、 あながち悪いもんでもないかもしれんな。

「朝〜朝だよ〜朝ごはん食べて学校行くよ〜」
誰か録音させてください。cronを 使って目覚しにしたら起きられるか実験してみようと思います。 うっ。あの甘ったるい声が脳裏によみがえる。

キーボードを叩くとスピーカからノイズが。 マウスを動かしてもノイズ。 やはりデジタルのままスピーカまで送りつける方法がほしい。 USBスピーカとかFreeBSDで動いたらいいのだがなぁ。 ところで、あれどうやってCD-DA鳴らすのだろう。

女の子をかわいく描けない。今に始まったことではないが、 今も続いているので困る。なぜこうもむつかしいのか。 野郎はこんなに簡単なのに。すまん栞。すまん秋子さん。 すまん名雪。すまん香里。でもな、この路線のままオレは行くよ。 目が小さくたってかわいくなるはずなのだ。 いずれその境地に到達するまで我慢してくれ。

体の動きはなんとなくだいたいこんな感じ、 というところまでは描ける気がしている。 しかし、肉がどうついてるかがよくわかってないので 骨格に肉をつけた瞬間に奇妙な物体に変化してしまう。つまりダメだ。 塩田剛三の動きを舞にやらせて毎日描くくらいの気合いがないと ダメなのかもしれん。やられ役は佐祐理さんな。 あ、香里と名雪でも可。こういう遊びはKANONキャラが一番しっくり来る。 AIRはイマイチ。

あとペン入れ。これもたぶん毎日やらんとダメだ。 使ってる時間に比例する類のものだという気がする。 えんぴつと総使用時間が逆転するくらいの修練を積んだら 何かが見えるのではなかろうか。 そういう意味でも日変わり舞は最強の練習法になり得る。

2000年10月9日

AIR本の締切が思った通りのびた。 ダレ気味を通りすぎてダレダレである。 とろけて流れてきそうだ。 最初から3月には滅ぶ予定だったが、こんな状態なら 今すぐ木ッ端微塵に滅んだ方がマシではないのか。

原稿だよ原稿。しかし、様々な要因でエネルギーが出ない。 言うならば勁が通らない。なぜああもああでこうもこうなのだ。

久しぶりにアレルゲンを見て、悲しくなった。 ノリノリだからだ。 4から6号あたりがそのピークで、 7号8号とエネルギーがなくなっていく様がまた淋しい。

などと言いながらも下書き2ページ。明後日の朝までに4ページと、おそらくは表紙を 上げねばならない。さまざまな要因が重なってやる気がかなり削がれているのだが、 やけに自分の漫画がおもしろく見えてそれが唯一のエネルギー発生源になっている。 たのむから明後日まで保ってくれよ。

後期の授業は捨てた。来年の前期にとらねばならなくなるのだろうが、 もういい。考えるのも面倒だ。 今日より明日と言っていられるほどの余裕はない。 よってケンシロウの分類ではオレは人間ではないことになる。

鳥の詩。歌手の音域を外れた音が一つあって少々残念。 中島みゆきみたいな人でない限り女性にあのファはキツかろう。 ついでに言うと、歌詞と曲の調和がとれていないのも残念だ。 イントネーションと音の上下が調和し、 音節と曲のリズムが調和してこそ歌は歌としての価値を最大限に発揮できる。 確かに歌詞が雰囲気やリズムのためだけにあるものは聞きとれる必要はないが、 この歌はそうではあるまい。

周波数39KHzで流したら妙に迫力のある中性的な声になって恐かった。 49KHzで流すと妙にかわいい声になって逆に恐い。 ちなみに こういう遊びをやってさほど違和感なく聞こえるのはだいたい 39KHzから49KHzくらい。 それ以下やそれ以上になるとビブラートや子音が不自然になる。 子門真人やささきいさおなどはこうやって遊ぶと新たな発見があるだろう。

下書き終わり。あとは明日のゼミ後に片づける。

2000年10月8日

7日は1時に着いて5時までテニス。そして7日夜はえんえん宴会。 カラオケ、麻雀、卓球、大富豪とこの世の快楽が集ったような状態だ。 OBもたくさんいて話が異様に盛りあがる。オレはそういう状態が苦手なので あまりしゃべらずにいたのだが、気がついたらカラオケに巻きこまれて うろおぼえで「乾杯」を歌うはめに。 しかしド肝を抜くことに成功。ちょっとほくそえむ。 グリー(男声合唱)部の経験が役に立つ貴重な機会だ。 そうこうするうちに酒がまわり知らないうちに寝ていた。 人々の証言によると「さなぎになって寝ていた」とのことなので、 いつも通り丸くなって寝ていたらしい。 気がついたら朝で二階の布団の中にいたのだが、それも自分で移動したという。 酒プラス疲れプラス眠気の威力は恐しい。でそのまま8日は10時から4時までテ ニス。疲れすぎである。 しかしながら、オレもテニスならそんなにひどい目に あわずに済むということがわかって少し安心できた。恥ずかしくて 昔やっていたことがあるなどととても言えないくらい下手だが、 それにしても完全初心者というほどでもない。 というわけでなんだかんだいって楽しかった。

で、結果残ったのがひどい筋肉痛。走りっぱなしだったので主に太股にダメー ジがきている。加えてねんざも再発。方向転換を伴う全力疾走に耐えられるほ ど回復はしていなかったようだ。 とはいえ、60過ぎたおっさんがバリバリプレイしている横で タラタラやっているわけにはいかなかったのでこれも仕方のないことなのである。 夫婦でチームを組んでいたのだが、その年を感じさせぬ腕前に 何チームもが敗北させられていた。 技が枯れているというのはこういうのにも適用できる表現かもしれない。

今日は疲れすぎている。風呂入って寝ます。原稿ヤバすぎです。 右手は豆がツブれているし、内股は筋肉痛。手はともかくとして、 足がこんななのは馬歩が足りなかったということか。 筋肉の使い方が全然違うというのもあるだろうが。

フロ屋でテレビがかかっていた。耳を傾けてみるとなつかしい単語が聞こえる。 「プラズマ」。一人より二人がいいさ、とか、魔夜峰夫漫画のロボット とかが即座に連想されるあたり救い難いのだがそれはいいとして、 なんとも懐しい響きである。似た意味合いの言葉としてNASA、KGB、遺伝子などがある。 これらの類似した点が何かというと、実際にあるものではあるがその実態 がよく知られておらず、その特徴を活かして なにかとハッタリに使われるというところだ。 実際にあるということが広く知られているだけに説得力はあるが、 それがなんだかは知られていないので何を言ってもバレない。 つまり非常に使いやすいわけである。謎の発光現象が宇宙人の仕業だと言うのと プラズマの仕業だと言うのがそのわけわからなさにおいてほぼ同レベルに あるにも関わらず、 後者の方がありそうに思えるのはそのためである。 遺伝子もとかく濫用されているが、それを毎日いじくっている者としては ちゃんちゃらおかしい使い方をしているものが山とあっておもしろい。 プラズマも同様だろう。なお、今日のテレビの内容がその類なのかどうかは 不明だ。しかし、「空気中のプラズマが凝縮して発光現象を起こした…」 などと言われては笑わざるを得まい。

ところで、「学者」というのもそういう言葉の一つである。 実際にいておぼろげにはイメージがあるものの、 実際に何をしていてどんな人種なのかはよくわからない。 つまりハッタリに最適である。加えてNASAなどよりも普遍性があり、 説得力もある。 そういうわけで彼等はなにかとインタビューされるのだが、 学者がしゃべる内容はインタビューをしている人間にとっては 問題ではないことが多い。 学者がしゃべっている絵や事実がほしいだけで、 問題の出来事に関して製作者側 が求めている結論と矛盾しないセリフを引き出せればそれで良いという場合も 多いのだ。 インタビューされる学者がネタにされていることに気づいているのならいいが、 知らずに真面目に答えているのだとしたら滑稽で哀れになる。 健康関係なんかだと学者も売名のためにテレビを利用するという大人の関係が 築かれることも多いからまだいいのだが。

一つ言っておきます。学者を信用しないでください。 何でも知っていると思うのは間違いで、たいがいは自分の研究分野しか知りません。 他の分野に関しては下手したらそのへんの学生よりも物を知らないのです。 加えて自信満々な人が多いので、自分が間違っているなどとは夢にも思いません。 本当に頭のいい人ばかりならそれでもいいのですが、 当然頭の良くない学者もたくさんいます。 つまり、間違ったことを言う可能性も大いにあるというころです。 テレビなどは特に注意が必要で、「〜という可能性がある」というのは 「〜ひょっとしたらそんなことがあるかもしれないね」あるいは 「まあ〜だということがないとは言わないけどね」程度の意味だと思ってください。 彼等は自分の言うことに責任を取る必要がないので、言いたい放題なのです。 数が多ければ必ずアホが混ざります。学者なんて何万人もいるわけで、 当然アホだらけです。そのへん要注意。

2000年10月7日

そういえば日本橋でエルフの新作を見た。表はともかくとして箱の裏を見て 愕然。ダサい。そしてエルフくさい。 アリスとかエルフとかいう会社ってのはもう変わる気はないのだろうか。 いくらダサかろうとやったらおもしろいのかもしれないが、 あれではやる気にはならない。乱暴に言うならば、 この世界はエヴァを境に変わったのだ。 そろそろそのへんを理解せねばなるまい。 そもそも80年代の、自分が見て育ったものをそのまま作ったところ でダサいに決まっている。メガテンのようにいっそ70年代まで行ってしま えばかえっていい結果をもたらすこともあるのだろうが、それも センスあってこそのことだ。

ところで、 高橋龍也氏も放っておいたらマジでそれをやってしまいそうな怖さを持つ作家 である。「ファンタジーをやりたい」と言って入社したらしく、 そのファンタジーがいわゆるアレを指していることが明白だからだ。 ロードス島戦記に代表される日本化ファンタジーの世界である。 スレイヤーズによってそれが葬られてさらに数年が経つというのに、 あれをそのままやってしまうというのは悪夢以外の何物でもない。 剣乃(菅野)氏や都築氏や青紫氏もそのへんは同じだ。 80年代に青春していた年代の人々が この呪いを逃れるのはよほどむつかしいことなのに違いない。 麻枝氏はそのへんと無縁なので安心して見られるのだが。

今アレ系ファンタジーをやってダサくないようにするのは ものすごく大変だ。昔ドラマガでやっていた「雷の娘シェクティ」などは アレ系にもかかわらず今見てもさほど恥ずかしくないような気がするが、 それは名詞以外のものをアレな世界観に頼っていないからだろう。 自分でしっかりと世界を作り、「なんとなくそんな感じ」といういいか げんなものに頼らなければいいのかもしれない。 意味も知らず「バスタードソード」とか言ってるようではお話にならないだろ う。ちなみに「バスタード」とは「両手片手両用」の、 という意味だという説が有力だ。他にも「切るだけでなく刺すこともできる」 という意味だという説もある。当時は刃の強度が低く、刺せる剣はそれだけで 価値があったからだ。そんなことはどうでもいいが、要は覚悟の問題である。

これから旅行いってきます。明日の夜に更新することでしょう。余力があれば。

2000年10月6日

奈良。

山田川駅でバスを待つ間に、いきなり知らないオッサンが話しかけてきた。 なんでも世界でも珍しい本を書いているのだという。 何を言いだすか興味があったし、なによりこういうのを冷淡に扱うことに慣れていない のでついつい話を聞くことになってしまった。 どうやら霊についての本なのだという。 世界に類を見ない内容で 300ページほど書いて止まっているというが、それ以上は不明。 そのうち話はいきなり戦時中苦労したことに移り、 母親を米軍の機銃掃射でやられたことなどが語られた。 ウソではなかろうが、話に脈絡がなさすぎる。 電波だ電波だと言うのも不謹慎なのだろうが、はっきり言っておもしろかった。 が、仮にこれが作品だったらセンスがないといって一蹴していただろう。 目で見たものは強い。

日本橋。アホに探せと言われたあるCDを探していた時にふと目に入ったものがある。 「輝く季節へ」の攻略やら資料やらそんな本。だが、ものすごい違和感。 一瞬表紙が誰だかわからなかったのだ。 娘太丸氏が描いた長森だということを理解するのに 1秒近い時間がかかった気がする。 あれは偽物を通りこして別物だ。 にもかかわらず咄嗟に買いそうになったが、なんとか押しとどめた。 それほどまでに娘太丸の絵はオレを蝕んでいたのか。

KANON真琴CDドラマを発見。買わなかったが、 誰かが買うのは目に見えているので良し。 それにしてもKANONはずいぶんと商売のネタになっているようだ。 AIRはなるまいな。あれでは。

秋子ジャム本最終締切は11日10時。即座に大阪に行って入稿し、 その足で奈良。よって絶対に遅れは許されない。 描く人は覚悟を決めておくように。 なお、9日夕方の時点で申告がないものはそれ以降も受けつけない。

道場の兄弟子から借りた夢枕獏「キマイラ」。6冊ほど読み終えた。 とりあえず「おもしろい娯楽小説」である。センスが古いのは 実際古い作品だから仕方ないのだが、そこが何よりも気になる。 つまりあの当時流行った書き方をしすぎているということだ。

2000年10月5日

4日は一日中ゴロゴロしていた。奈良に行っていることになっているので安心 である。仮にそうしなかったとしても奈良の都合のせいで何もすることはない。 で、ゴロゴロしていたのだが、これがまたおもしろい。 頭から理屈を追放してボーッと寝ているのか起きているのかも不明瞭な状態で いると、いろいろとわけのわからんものが浮かぶ。 十分すぎるほど寝た後だと寝てしまえないのでなお良い。 この状態を保ちながらちょっとだけ思考のベクトルをKANONに向けようとして みるのだが、なかなかうまくいかず思考が散る。しかし、たまにうまく行くと それはもうわけのわからんものがKANONと結びついて楽しいイメージになるのだ。 これをもっと具体的な形に直せれば創作に直結できるのだが、 うつつな状態なだけに覚えてないし、よしんば覚えていても 今のオレの能力ではそこまでは無理だ。 頭でゴリゴリ考えていては普通のものができてしまうから、 やはりそういう「なんとなく」を大切にしたい。

ゴロゴロウツツ発想法が実を結んだ。4ページ漫画が2つ浮かんだのだ。 しかし、すでにこれを書いている段階で筋以外は忘れてしまっており、 やっぱり実を結んだとも言えないかもしれない。妙におもしろかった気はするんだが、 筋だけになってみるとそうでもないのだ。ギャグをメモしたものを読んでもまるで おもしろくないのと一緒である。ここからは演出力の勝負ということか。

とあるところでとあるものを見つけてしまって有頂天。 誉めすぎ。そんなに誉めたって何も出ませんぜ。 いや、誉めたことでオレがダメになってしまうかもしれない。 いいのか。いいんですか。 とかいって浮かれながらも同時に重圧がのしかかってもくる。 むしろそっちの方が大きいかもしれない。 どんな御託を並べてみたところで結局は誉められたくてこのサイトを やっているわけなのだが、いざ誉められてみると素直に喜べない。 オレはどうしたいのだ。

今日は AIRの感想文でこんなの をみつけた。 戦慄するほどマジだった。 ここまでオレはマジになれるか。マジだったか。 AIRで100KBの文章を書けるほどマジだったという自信はない。 こういうのを読んでると、自分で感想文を書くのがどんどん恐くなってくる。 小賢しいエセ批評を書いて悦にひたるような状態になるのが恐いし、 かといって素直で真剣なフリをしていかにもイカれてますよみたいな 文章を書くのも恐い。文章というのは魔力があって、 書いているとどんどんそのノリに支配されていってしまう。 感動的だったということにして文章を書いていると だんだんマジで感動してくるし、 出来が悪かったということにして文章を書いていると どんどんつまらなかった気がしてくるのだ。 今にして思えば雫の感想文なんかは前者だし、久遠の絆の感想文は後者に入る。 結局本当はどうだったのかというのがまるでわからなくなってしまう。 普段思っているような「オレ」というものは本当に存在しているのだろうか。 あるにしてもそんなに確かなものだろうか。 他人からはそれが確かであることを求められるというのに。 意見が変わることは嫌われるのである。

オリジナリティの正体がブレンド比率だということに気づいた 時はけっこうガッカリしたものだ。オリジナリティーというのは互換性のない 「その人」というもののことだが、これがブレンドの産物であるということは 人格というものからしてブレンドの産物だということになる。 言い換えれば人格は経験の関数なわけで、 つまりはさっきの感想文を読む前のオレと読んだ後 のオレは違うものだということだ。 だから、人格がしっかりしているというのは ある量の経験を経ても人格の変化が小さいということを意味している。 さて、経験的に言って、経験豊富な人は人格がしっかり固まっている。 これを算数的に言えば、人格の変化量は経験の総量に反比例する、ということ になる。 コップに墨を一滴たらすのと、フロおけにたらすのでは意味合いが違うということだ。 逆に言えば、何かを見て考え方がコロコロ変わるのは経験が足りないからなのである。

しかし一方で、こういう開き直り方もある。 経験の総量が大きくてある意味鈍感になっていたとしても、 新たな経験の量がそれに見合うだけ大きければそれだけ変化を 受ける、と考えるのである。 要はどんどん新しい情報を受けいれて自分を変えていく努力をしていれば いかに経験豊富でもさらに変化できる。この変化を成長と言い換えると 余計にいい気分になれる。これを「いつまでも子供の心」と呼ぶわけだ。 というわけで、オレはガキかもしれないが、それは置いておいて いつも子供の心を忘れずにがんばろう、ということで話が落ちつく。 経験の総量が平均に比べて多いか少ないかなんてのは自分ではわからないのだ から、そうやって上を目指す心を忘れさえしなければいいのである。

麻枝ものには一貫して「どうしようもない状態」というのが出てくるが、 その中にあっても「がんばる」ことは一貫して賛美されているような気がする。 オレがそう思うだけかもしれないが、 真琴を前にした祐一はがんばったし、観鈴を前にした晴子はがんばったのだ。 わかりやすい結果を伴わなかったからといって そこに虚無感や皮肉は感じられない。 そこらへんで麻枝氏はいい人に違いないと思うのだ。 小賢しい損得を無視して、ただがんばる姿に感動する人なのに違いない。 ハッピーエンドだろうがなんだろうが、そんなことはどうでもいいのだ。 ただハッピーエンドだと「そのためにがんばった」ような色が出て 何かそのがんばりが濁ってしまう気がする。彼はそれがイヤなのではなかろうか。 久弥ものほどシーンの美しさ、つまりは演出力はないかもしれない。 茜の別れシーンのせつなさ大爆発には及ぶべくもない。 長森シナリオは強引であり、舞シナリオは意味不明だ。 しかし、麻枝ものの小賢しい演出だ構成だ展開だどうのこうの以前に あるあの美しさはなんだ。

彼が出来事とか技術とかそういう俗世のものに もう少し興味があれば、話がわからないと言われて評価が落ちること もなかっただろう。周りにも「宇宙人に宗教?寒すぎ」とか 「いい話だが意味不明でイヤ」とか 「狐だぁ?ショボすぎるわ」とかいう人が多い。 彼にしてみればそんなことはどうでもいいことなのだろうが、 売り物として考えればそこで嫌われるのは割に合うまい。 いくら作品内で狐やらの設定を「バカげた」と自分で言ってみたところで、 照れ隠しにしか見えず余計に評価を下げることになるのが関の山なのだ。 オレもそういう俗世のところをけっこう気にするタチなので、 「俗世切り離しモード」を身につけるまでは麻枝を素直に観賞することはできなかっ た。やはり彼には監督がついてあげる必要がある気がする。 AIRの妙に「ちゃんとした」印象はおそらく監督か他のシナリオ書きによるも のだろう。彼一人で暴走していれば美しさこそあれやはり意味不明なものになっ ていたに違いない。一部ではこれを「麻枝コントロール説」と呼んでいるらしいが。

ちなみに監督が必要なのは都築先生も同様です。誰か止めて差しあげて下さい。 お願いだから。

2000年10月4日

漫画の筋を考えようと目をつむって寝ころがっているとたいがい寝てしまうのだが、 こういう時には決まって妙な夢を見る。 夢とは言うものの、起きて想像しているのと本当に寝て夢を見ているのとの 間くらいの感覚だ。自分は超越者的な視点であれこれ言うことができるのだが、 世界そのものの迫力は現実に近く、 自分の意思でそこを離れることはできないのである。 確かに支離滅裂なことも多いが、その迫力は目が覚めてから思い出しても なかなかすさまじい。これが今描かなければならないネタの範囲で 起こってくれるととてもありがたいのだがなあ。 画力がおいつかなくてとても再現できないとはいえ。 で、今のお題は秋子ジャム本。舞出さにゃオレじゃないよな。 あとは香里か。ふ。

「私だって通学くらいするわよ」
久しぶりに読んでいてみつけた香里の名台詞。 やはりこのセリフをあかりの声で言われたのでは迫力なかろうに。 最後の二文字が「よお」だったらぴったりだけれども。

「柿食えば、鐘がなるなり、法隆寺。」
風情があるかどうかはともかくとして、 異常におもしろいのは確かだ。 誰かが英語にしたりもしたのだろうが、このおかしさは伝わるのだろうか。

鐘がなるなり法隆寺 if 柿食う;
perlの条件文。英語風に読めて良い。 ただし、「柿食えば」の「えば」は条件ではないのでこれは間違いである。

そういえば昨日のとらハ漫画には「2から3へ」というような副題がついていた。 ということは3はこんなガッカリなものになるということなのか。 頼むから誰か止めて差しあげてくれ。

遠藤浩輝「EDEN(1〜5)」(講談社)。すごい。 ちらちらと読んではいたが、まとめて読むとすごさがよりはっきりする。 エンターテインメント的要素がちゃんとしている上で、 メッセージ性そして雰囲気がある。 単純におもしろい。そして、複雑にもおもしろい。 これを切るようなまねをするなよアフタヌーン。

2000年10月3日

数人に塩田剛三を見せて盛り上がる。三船久蔵も人気急上昇だ。 それにしても、単純に動きが速いのはすごい。 技術以前にあの速度で動かねば単純にダメだということだ。 ともかく元気になろう。

銀色。思い出してみるとかなり無理矢理で都合よく 困る展開になってた気がする。そこそこ描写がきれいだったので あまり気にしていなかったが。

奈良。次は6日。助かった。今のうちに漫画を描いてしまわねば死。 研究室には4、5と奈良に行っていることにしておこうか。

ktoreishi殿から情報を得て、都築真紀氏のとらハ漫画を読む。 どこにファンがいるかわからないし、オレ自身ファンっぽいので 言いにくいのだが、敢えて言おう。痛かったです。 普通に恥ずかしい話を描いていれば絶賛してしまうのに、 なぜああも別の意味で恥ずかしい話にしてしまうのだろう。 ちょっとでいいから科学を勉強してほしいな、と思います。 ところで、彼のコメントが「〜でぶしゅばあ」。 外道校長って流行ってるのだろうか。

所持金26円。これほどの金のなさは久しぶり。 奈良にそんなギリギリの金しかもっていかなかったわけで、 我ながら後先考えないものだ。 ちなみに、少し前までは94円あった。マクドで68円のハンバーガーを買ったのである。 2けたの金しか持たずに店に入って2桁の値段のものを買うのはとても新鮮である。

銀色おまけシナリオで沈黙。JOJOパロをプロの作品で見ることになろうとは。 そういえば某有名同人屋の名前があった気もする。彼等の仕業か。

銀色感想文を書いた。 Airと違ってすぐ書ける。

花輪和一「刑務所の中」(青林工藝社)を読む。 刑務所の実体験を描いた漫画だが、これはおもしろい。 作者に主張がないのがいいのだ。 刑務所はひどいところだ、などという怨念もなければ、 悔い改めよう、などという思いもない。 ただ、毎日をあるがままに送っているように見える。 それにしても、刑務所はラ・サール寮に似ている。 自由の制限度合が100倍くらい、という感じか。 この「100倍」に根拠はないが、 そんなイメージなのだから仕方ない。大きいけれども、 そんなにものすごく大きくはない。そんなイメージだ。 自由が制限されていると、日々の会話がどんどん他愛のないことになってゆく。 些細なこと、例えば今日は日曜で朝飯が納豆だ、とか、今日は土曜で義務自習がない、 とかそんなことが至上の快楽になるのだ。刑務所ではそれがより壮大なスケールで くりひろげられるのだろう 殺人を犯して罪を償う者がしている生活と 比べる気になるような生活を送った経験というのはなかなか貴重だ。

そのへんにうっちゃっておいたズボンのポケットから150円発見。 フロ屋のおつりだ。なぜこんなに嬉しいのだろう。

近頃日記が日常的だ。もっと血涌き肉踊るような事件は起こらんものか。 同人も始めたころは刺激的だったが、近頃はなにやらあたりまえになっていて困る。 もう半年以上たつわけで無理もなかろう。 大躍進か大崩壊かどちらかがあればもっとおもしろいのだが、 後者は快楽を得る手段としては安易なので、前者に向かってがんばるとしよう。

最近流行っているのが、手首に2キロづつ重りをつけて馬歩になり、 手を地面と水平にのばしたまま背骨をねじる運動。 背筋の強化と可動範囲の拡大を狙う。ついでに足腰も強くなり、 打撃力も増すという寸法だ。ボキボキ鳴るのがもう快楽。 引き続き重りつきで雲手。重りがあるといらん筋肉に力が入ったときに すぐわかるので非常に良い。

2000年10月2日

久しぶりに 原田ウダル氏の日記 を読んで、なんとなく言いたいことがわかる気になるのを楽しんだ。 美しく生きたいという思いが伝わってくる、 と思うのはオレの意識が投影されているだけか。

日記を大幅にどうにかすることにした。 この際極限まで楽に書けるようにシステムを作る。 てきとうなファイルに書いて何かで処理すると 日付もタイトルもアンカーも段落分けも勝手にしてくれて、 さらにちゃんと一月分まとめて適切なファイル名をつけ、 加えて最新の何日分かをまとめてダイジェストを作ってくれる、 そんなものを作ろう。人に配るソフトを書こうという者ならば、 何を作るにしても汎用にしてしまうような心意気がほしい。 今は大変でも、 スキルが上がればどんどん楽に作れるようなるに違いないのだ。 でも、HTML知らなくてもかけます、みたいなものはイヤ。 作るの面倒だし、オレが使う分にはかえって使いにくいに決まっている。

銀色終了。やっぱり普通だった。終わり方も普通。 終わる快感がない。かといって余韻もない。 結局バラバラにいい話が5つあっただけだった。 おっと違った。いい話4つと、変な話1つ、ね。

2000年10月1日

うにに塩田剛三と三船久蔵を見せる。 ここまで来るとすごいを通り越してウサンクサイ。 ところで、 力で劣る者が勝つ方法というのは流派を超えて一つなのでは ないだろうか。 すなわち、全身の筋肉の動作の協調と、タイミングである。 背筋のように強靭な筋肉をいかに末端に伝えるか、 そして力の流れや相手の意識というものをいかに読みとるか。 うちらが練習してるのも根本は同じなのだろう。 ところで、他に見たい人はいないのだろうか。 来週の金曜には返すことになるので、見たい人はお早めに連絡ください。 ちなみに数を増やしてくれる人募集。

例のスクリプトをくいもん日記にも適用。 が、いろいろバグが出る。というか予期せぬ事態がいろいろ起こるのだ。 とりあえず、毎日書いていないと正しく動作しないという アホみたいなバグがあるので、後で直しておく。

銀色。ネタバレというほどでもないが注意。

第1章。お、いい話だ。題材もおもしろい。以上。

第2章。お、いい話だ。題材もおもしろい。以上。

第3章。お、いい話…じゃねえ。なんじゃこりゃあ。

この前読んだ塩田剛三の「合気道修行」をほうふつとさせる出来である。 なにより不自然なのだ。 オレが見てきたもの全ての作品と比べてもズバ抜けているこの罵詈雑言の数々と、 とってつけたようないい話っぽさのミスマッチがもうたまらない。 どう考えてもこの罵詈雑言を言わせたいがために作られたストーリーであり キャラである。急にいい話になるのは一応体裁はつくろわねばという 作者の意図であろうが、それもネタに見えてしまうのでマイナスにはならない。 確かに痛いシナリオではあるが、「うわ、いてーよこれ」と叫び ながら踊り回るような痛さなのだ。 第1章や第2章もいい話さが微妙にネタくさかったが、 第3章の前ではひれ伏すしかない。 作者はおそらく正直な人で、 自分で信じていないことを力説できるような悪人ではないに違いない。 つい本音がほとばしって建前がおろそかになってしまう。 そんな人柄がしのばれて、とても良い。話題になるのもわかる。

ここまでのところ、ある物を共通モチーフとして、 いろんな時代を舞台にして多少の時代的背景などをネタにしつつ いい話を見せる、というのが全体のコンセプトであるらしい。 金を払う気はしないが、 人生の一部を費してみたいくらいの価値はありそうだ。 どうまとめるのかも興味がある。 でも、第3章の作者はこれ以上は書いていなさそうなので、そこが残念。 クライマックスあれだったらブチ壊しだろう。オレは喜ぶが。


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