日記0008

2000年8月31日

ちょっと説明。関係ない人はいいが、 例の南京やら慰安婦のことだ。 下の文章で「なかったという人」というふうに表現しているのは 実は「とりたてて責められるほどの残虐性や規模を伴ったものではなかった」 という意見を含んでいる。むしろそっちが多数派だ。 「あったという人」はその逆である。 ちゃんと書くのが面倒だったし、否定派、肯定派とかけばだいたい意味がわかるだろう と勝手に思ってしまったが、ちとまずかったと反省している。 つまり、オレは「南京大虐殺はなかった」というのがもっともらしいと 書いたのではなく、 「南京大虐殺などという名前をつけて、ことさらに責めねばならないほどの出来事で はなかった」というのがもっともらしい、と書いただけである。 南京侵入で死んだ人は当然いるだろうが、それが今ボロクソに言われるに値する 事件だったのかどうかが知りたいだけのことだ。

9/23のイベントの申し込みを出し忘れられた。 今日必着なので、じかに届ける以外に術がない。 というわけで届けてきた。大阪のイベントながら主催者が京都在住だったのが 不幸中の幸いだ。しかし調べてみたら京都の南の果て。 交通費だけで往復1420円もかかってしまった。 かなり損した気分。 いや、気分もなにも実際損しているな。 やはり自分で責任をもってやるのが一番得をするし楽なのだ。

明日はレポート。身の回りの生命現象の不思議なことを5つあげて、 うち一つにそれを明らかにする実験法を考えろという一見中学生の 夏休みの宿題のようなレポートだ。しかしいざ考えてみるとむつかしい。 本当に中学生のレポートになってしまってはさすがにヤバいからだ。 かといってあんまりひねっても不興を買う。まったくむつかしい。

今日は日記をいつもより多めに推敲している。 無難な文章を書くためだ。まだ無難さが足りない気もするが、いいや。

2000年8月30日

他人のコンピュータトラブルが連発。 もうこれ以上面倒は増やさんぞ。 ちゃんとした見返りのある契約としてでなければ 絶対に関わらん。メシの一食ごときでは釣り合わんのだ。

髪がのびてきた。3月はじめにボーズになって以来半年が経つ。 うちのボスに「これくらいが一番わかわかしいな」と言われたりして 気分はそう悪くはないのだが、いかんせんジャマくさい。 切るなら中途半端はもったいないのでボーズだが、 ボーズにすると思うともう少しのばしてみてどんな印象を与えるのかを 実験してみたい気もする。

それにしても、こだわりというのは捨ててしまうと本当にどうでもよくなるものだ。 何年にもわたって尻まであるようなジャマくさい髪の毛を保持してきたのも ひとえにこだわりのためだが、捨ててしまった今ではあまりにどうでもいい。 もちろん過去の自分の心境というものは知っているしそれがバカバカしかったなどと 思っては過去の自分に申しわけがないのだが、 今事実として髪の毛はどうでもいいのである。 こだわりを捨てるのはむつかしいが、一度捨ててしまえばなんでもないということだ。 とすれば、今もっている他のこだわりもまた、捨てた後にはクソほどにも 感じないに違いない。さて、次は何を捨てようか。 捨ててみて後悔するようなものがみつかったら、それはきっと大事なものに違いない。

戦争についての本を2冊と、倫理学の本を一冊読む。 古いのばかり読んでいてもかたよるので、 この3冊は新刊だ。いずれも本屋をウロウロしていてみつけたものである。

一冊目。確か「なぜ殺人はいけないのか」というような題名だったと思う。 これがすごい。問いはそれを問う動機をこそまず考慮しなければならない、 というのは言われてみればあたりまえだが、いっぺん問いを発してしまった 後では気づかないものである。 なぜ殺人はいけないか、などという問いを発する動機や状況にこそ その問いの意味があるのだ。そういうことで10ほどの根源的な疑問を 考察しているが、いずれも人間というものがどういうものかを考えて 道徳に終始しない態度がいい。何事もいい悪いでしか判断できない人は 是非読むべきだろう。近頃では一番おもしろかった。

二冊目。「戦争の教え方」。各国の教科書でどう戦争が扱われているかを 筆者の見解つきで紹介した本。日本の教科書があまりに寒い現状がわかるとともに、 教科書には時代、国の体制などがモロに反映されるもので、 それはなんらおかしいことではないというのがよくわかる。 中でも感動モノなのはオーストラリアの教科書で、 ヒロシマについて相当詳しく言及した後、シドニーに20メガトンの水爆が 落ちたらどうなるかという予測を事細かに載せているという。 筆者は平和主義者寄りな人なようで、戦争反対の立場やヒューマニズム信奉の 色が濃いが、やはりそういう素朴な感じ方は大切だろう。 また、教科書はつまらないものであってはいけないという主張は まったくもって賛成である。

三冊目。戦争のなんとか。手元にないのでわからない。 これもおもしろかった。平和主義者こそ戦争の原因になるという 派手な主張をかかげている本だ。もちろんその平和主義者とは、 みんなで平和を願えばそれで平和になると思っているような夢想家のことである。 平和を考えるためには戦争について深い知識と洞察が必要であり、 戦争の目的、やり方、などについても十分に知らねばならないというのが 筆者の主張だ。うしろの方では二次大戦時の日本がいかに戦争が下手だったかを述べ、 戦争をする者に必要な能力についても論じている。 ちなみに筆者も俗に言われる「自虐史観」に反感を持っており、 戦時中の軍の行いが愚かではあり、事実悪業であったとしても、 戦争である以上それは普通であり、 他の軍のしたことに比べてもそう際だっているわけではないと主張するとともに、 従軍慰安婦や南京虐殺についても十分な根拠がないとして疑問を投げかけている。

今オレ内部では南京やら慰安婦やらがブームである。 とりあえず、いままで読んだところでは、 それらがあったという人達の主張にはどうも具体性がない。 否定派が「この写真はニセだ」というような具体的なことを山と主張しているのに、 それに対する反論がまるでみつからないのだ。ただ「学問的に結着がついている」 のように根拠もあげずくり返したり、 「否定するのは人としてはずかしい」のように感情に訴えるかどちらかである。 理屈上もなかったという人の方がはるかにまともに見える。 著作にも下品なものが多い。 従軍慰安婦の非を鳴らす本の中には鬼畜系エロゲでもここまでは… と思うような描写がこれでもかと書いてあるものもあるのだ。 悲惨にしよう悲惨に描こうとするあまり完全にポルノになっている。 MOON.の高槻も裸足で逃げ出すなじりっぷりだ。 というわけで、今の段階ではどうやらそんなにすごいことがあったわけではない のだろうと思っておく。 長期出征する軍隊に娼婦が必要なのはあたりまえだし、 女子供老人を含むそのへんの農民にしか見えん人達が いつ襲ってくるかわからんような状態では 軍服を着ていない人間を殺してしまうのもあたりまえである。 それが当時の常識だとすれば責めるには値しないだろう。

2000年8月29日

月曜。だが、研究室の勉強会と中間報告と、他人の機械いじりで終わった。 もう金輪際他人のコンピュータの面倒は見たくないはずなのに、 なぜこうもオレは足をつっこむのだろう。

ものを発表した時に反響がないといって怒る、 あるいは必要以上にがっかりする人がいるが、 それは甘ったれである。 自分の作品がその程度だったというまぎれもない証拠であり、 他人を責める筋合はない。 同人誌なんかで「絵はアレだけど中身はいいんだ」なんてのは言い訳である。 見てもらえないといって憤概するのも同様だ。 人に見てもらうということは、それが見るに値すると感じさせる何かを持っていて はじめて可能なことである。 友人ならつきあいとして見てやることもあるだろうが、 それとて読んでくれ読んでくれ言うのは無礼であろう。 また、感想を求めるということを軽く考えすぎる人が多いようにも感じられる。 感想を言うということはさまざまなリスクが伴うことなのであって、 それを要求するからにはそれなりの根拠がなくてはならない。 「これ、どう?」と言ってモノを見せられた時に、 どう返すかは大変な問題なのだ。 おもしろければいい。だが、つまらなかったらどうする。 たいがいの人はつまらんなどと言って傷つけたくはないわけで、 なんとかいいところを探して誉めるか、 何も言わないかのどちらかだ。 前者は多大な労力を必要とするし、 後者は間がむつかしい。 そしてどちらも相手の気分を害する危険があるのである。 そういう人間関係のリスクが発生することを覚悟して、 それでも敢えて見せるのならいいし、 それができない程度の友人関係など大したものではないのだが、 やはりあまり軽い気持ちでやってもらっては困るだろう。 親しき中にも礼儀あり、という言葉はそういう意味だとオレは思っている。 もちろんオレ自身が完全に実践できるわけではないが。

2000年8月27日

アレルゲン8号完成。これをもってアレルゲンを完結とする。 別企画発動を予定しているので落胆には及ばない。

アレルゲン全号をWEBに掲載した。肩の荷が降りた。 間を置かずに戦いなさい。

道場。思ったよりも背筋が発達していることを実感する。 押し合いでみるからにゴツいいっぺいに勝ったのだ。 しかし引き合いでは負け。背筋を使える限られた角度では強いのだが、 やっぱり胸筋と腕力では勝てない。でも、腕立ては禁止されたので 上半身強化は他の手でやろう。

mebius stories終了。本の売りあげはそこそこだ。 これで今回の印刷費の4割程度を回収できたことになる。 とらのあなと販売委託契約(200部)も結べたので、数ヶ月で元がとれるだろう。 なんとかまだ続けられそうである。 しかしそんなことはともかく、今日は重大な事件があったのだ。 なんとスケブを頼まれたのである。 スケブとは好みの絵を描く人のところにスケッチブックを持参して 即興でイラストを描いてもらう風習のことだ。 清水でなく敢えてオレを指名するあたり珍しいし、 「ボクでいいの?」と聞くのび太の心境ではあるが、 頼まれて描けねば男がすたる。男女平等なので、女もまたすたるのだが、今はいい。 というわけで、二起脚で襲ってくる佐由理を下勢で外す舞を描いた。 格闘動作はむつかしいものだが、それ以前にただ立ってるだけの人体ですら オレには荷が重いのであって、それはもうむつかしかった。 普段なら特にちゃんと描きたい時には 写真やビデオからパクってくるのだが、 当然会場にはそんなものはないし、格闘動作に限らず人体をリアルなバランスで 描く作家はけっこう少ないのでパクることもできない。 というわけで行きあたりばったり、 独力でそこそこにがんばった。 かなりおかしい気もするも微妙にそれっぽくなってホっとする。 閉じて渡したのもあってその場では見てくれなかったが、 ウケてくれているものと信じたい。

東京の方はあまり売れなかったようだ。そりゃそうである。 リーフのイベントにKANON本を山と持っていっても売れるはずがない。 しかし友達ができたそうなので売れなかったことをさしひいてもプラス だったと言っていいだろう。やっぱりイベントは遊び場なのだ。

次は9/17のサンクリ。すでにAirをやっているはずだから、 即興で何か作ることになるだろう。さすがにその段階ではコピーだが、 あわよくばそれを加筆修正して 9/23の大阪のイベントにはオフセットの形にしたい。 売り物の表紙ともなれば絵をちゃんと描かねばならないわけで、 今までにない執念を込めなければならない。 オレがそれに耐えられるのか楽しみである。

「捨て童子・松平忠輝」。隆慶一郎の小説だ。 最初のうちはいつも以上に忍者と道々の者が大活躍しすぎる上に あまりに忠輝が超人すぎたので多少不安になったが、 中巻を読み終えたころにはその不安はなくなっていた。 そんなことを気にする余裕がなくなるほどおもしろいからである。 確かに裏の事情に関してはなにかとその二つで片づけてしまうのだが、 それは知られている歴史と矛盾するものではないし、 事実が他の要因によるとするよりも物語として こちらの方がおもしろい。ただのこじつけではなく、 歴史に美学やロマンを付加するエンタテインメント的手法の一環である。 特に伊達家のスペイン使節の下りはおもしろい。 歴史の教科書に名前しか出てこない支倉某のさわやかな 生き様には半ば眩暈すら覚える。確かに、侍が強すぎたり、 忍者が強すぎたり、頭切れすぎる奴等ばかりだったりと疑問はある。 だが、仮に極めてよく仕組まれて見える 事が単なる短慮や偶然のために起こっていたり、 考えられる人物像に反した行動をとったためだったりしても それは物語としては当然おもしろくない。なにより、説得力がない。 現実は関わった人間にとっては、それが現実であるが故にどれほど 荒唐無稽で無茶なことであっても事実であり、説得力を持つ。 しかし、虚構はそうでもないし、事実であっても関わっていない人に とってはそうでもない。

虚構、あるいは見ていない出来事というものは 説得力すなわち理がなければ容易に受け入れることはできない。 だから、物語には現実感が必要である。 現実が現実感を必要としないのとは対照的であり、 人に出来事を語ることのむつかしさはそこにある。 そして、隆慶一郎にはその説得力があり、さらに美がある。 史料や学説を十分にふまえており、 学問的な説得力をも持ち合わせている。 いや、おそらくはその順序は逆かもしれない。 彼はその史実を道具としてロマンを語っているのだ。 「伝奇的手法を用いて歴史を再構成する」とは彼の言葉であるが、 まさにこのことではなかろうか。 彼は歴史に出来事よりも人間を見ているのである。

ところで、物語の説得力というのは現実にないものはかかない、とか 全てのことに理由がつく、というのとは根本的に違うことである。 妖精が出てこようと、宇宙人が出てこようと、 説得力のあるものは説得力がある。 つまり説得力とは迫力である。すごみである。 理とは言うけれどもその理は論理や物理の理ではなく、 心理の理である。生きる実感に基づくものである。 だからこそファンタジーやSFは成立するのだ。 そして、それらに共通するのは人である。 その生き様に迫力、あるいは説得力があってはじめて、いかなる荒唐無稽な要素も 物語としての完成度を損わないでいられるのではなかろうか。

つまり、キャラには重みがなくてはならない。 重みのないキャラに語られる物語はパズル的、つまりは数学や物理と 同じ種類の楽しみしかもたらさないだろう。 星新一はしばしばこういう種類のものとして分類され、 実際に人格の描写は徹底的に排されているようだが、 そこには人間個人よりも、人間という種類のものに対する 深い洞察がある。人間の描写は個人の思考を描く以外の手段でも可能なのだ。 個人としての重みを排除された抽象的なキャラであっても、 そこに人間というものの持つ何かが投影されていれば、それは重みのあるキャラだと 言える。ただ、オレ個人としてはそういうものよりも、 「この人はかっこいい」という単純な感動の方が好みだというだけである。

さて、そうするとやはりとらハ2であろう。 とこのようにあらゆる話が結局ギャルゲー話になってしまうことに 不快感を持たれる方も多かろうが、話の流れとしては極めて自然なはずだ。 ギャルゲーのキャラの捉え方と、隆慶一郎小説の歴史上の人物の捉え方が 同じであったところでなんら不思議はない。もちろん、であればギャルゲーなどに そのキャラを求めなくても他にいくらでも出来のいいものは あるではないかと思われるだろうが、事実その通りである。 間違いなく文学の方がすごいものは多い。たまに読むとそれこそ眩暈がする。 しかし、それを読みとるのに使うエネルギーがバカにならないのだ。 エンタテインメント的要素を度外視したものは疲れるのである。 たまにならいいがそれだけは辛い。 もちろん映画でもアニメでも漫画いいのは確かだが、 たまたま近くにあったのがギャルゲーだっただけだ。

ところで、オレのこういう理屈によるキャラへの好意は 果たして「キャラ萌え」なのであろうか。 単純に考えれば、 これがキャラ萌えであるならば同時に忠輝萌えであることになり キャラ萌えでないとするならばギャルゲー同人をしつつも キャラ萌えを知らぬ男であることになる。 しかし、実際にはキャラ萌えもまた人物に対する好意的な 感情の中のある範囲のものにすぎないのであって、 言葉の成立過程によって対象が絵を伴う新しいメディアの女の子 キャラに限られているだけにすぎない。 だから「忠輝萌え」は言葉の用法からすればおかしいが、 その意味を心の働きに注目して捉える限りにおいては正しいのだ。 こう考えると特定の範囲のキャラに対する好意を「萌え」と呼んで区別することに あまり価値は感じない。「好きだ」の一言で事足りる。 隆慶一郎の忠輝は好きである。同じようにとらハ2の仁村真雪は好きである。 確かに好きの種類こそ微妙に異なるものの、 その違いはマルチが好きだという好きと、梓が好きだという好きの間の違いと 区別できるほどの違いではない。好きには無限の種類がある。 しかし、だからこそ、好きの一言で良い。微妙な違いは聞いた者が 汲みとれば良いのだ。

それにしても、一体オレは何を強弁しているのだろう。 この文章を書く意味がどこにあるのかがよくわからない。

ビデオボードが余っていることに気付いた。2日早く気付いていれば 某Fに売りつけて事無きを得たであろうに。仕方ないので次にコンピュータを新調、 あるいはアップグレードを図る奴に売りつけることにする。 中古屋に売る値段より高ければ得したことになるし、 最新性能を必要としないのならそれは店で買うよりははるかに安い。 「あなたうれしい、わたしうれしい」である。

2000年8月26日

友達がサイトを閉鎖した。いろいろ大変らしい。

何かを持っている人が、その持っていることによってイヤな目にあって文句を 言っても、 もってない人にはそんなことは理解できないし、贅沢言うなとしか言わないものだ。 しかし、持っている人というのはそれを持つために多大な努力をしたのが普通で、 その努力の見返りがそのイヤなことだったとすればやっぱり グチもこぼしたくはなる。そのへんを持ってない人もわかって あげられたらいいのにと勝手に思う。 例えば一流大学に受かった人の場合を考えよう。 いっしょうけんめい勉強して受かったが、そのことでイヤミを言われたとする。 お高くとまりやがってムカつくぜー、云々。 ここで「あーあ、こんなにイヤなこと言われるんだったら三流にすりゃよかったぜ」 などと 言うのは確かにそりゃ死ぬかコラなのだが、 そのためにがんばったのは事実なんだから、がんばったことによって なんでイヤミ言われなあかんのだと思うのも無理からぬことではなかろうか。 ましてそんだけの努力をしていない人に言われたら腹も立つ。 もちろんだからといって甘ったれるのは論外であるが。 「自分に厳しく、他人に優しく」はメチャクチャむずかしい。 両方厳しい人や両方優しい人は多いのだが。

2000年8月25日

落ちた。アレルゲンは落ちた。おもしろいネタがまるで浮かばなかった。 ちょっとしたイベントにツッコミを入れるような漫画や、 他の漫画につながってしまうようなネタはいくらでも浮かぶが、 自分で許せないくらいつまらなくて普通だった。 10やそこらのネタが全部そうだというのは自分でも衝撃である。 頭がマンネリ化している証拠だ。 それに加えて、結局KANONほど漫画に必要な妄想を練った作品はなく、 例えネタであってもKANON漫画がいまだに一番作りやすい。 どう考えても自分で描いたやつはKANON漫画が一番おもしろいのだ。数も多い。 毎日布団の中でえんえんとKANONのことだけを考えていたあの日々のおかげである。 それをそろそろ別の作品でやらねばならない。

何でやるか。好みだけでは決められないのが辛いところでもあり 逆におもしろいところでもある。そうして様々な条件を吟味すると、痕だ。 来年の始めまでイベントがあるというこの異常な息の長さは 魅力だし、なによりオレが好きだ。サークルの全員がちゃんとやっている 唯一の作品でもある。すでに11月26合わせで痕本を 作ることが決定していることもあり、痕以外にないとすら言える。

だがしかし、それだけやっているとまた飽きるに決まっている。 オレは飽きっぽいのだ。いろんなもんで本を作った方が気分転換にもなるのである。 そう思って始めたアレルゲンは時期、分量、形式などで制約が多く、 今のように妄想エネルギーストックがない状態では辛すぎる。 もっと適当にしがらみなく勝手にやれる方が今はいい。 実はやりたいことはいろいろある。

どの企画にしても一人で勝手にやるしかない企画だ。 表紙からなにからなにまで一人でやるというのは責任や調整がないだけ楽で、 しかもやりがいがある。 しかし問題は発表手段である。タダ配りのコピー本を置いて無理矢理 おまけにつけるというのが一番現実的だが、そこまで安売りするのも寒い。 やはりやるならオフセットでちゃんと金をとって勝負だろう。 一人でオフセットならフルデータ入稿も可能になる。 問題はやる気と金だけだ。

奈良。莫大なデータ量に呆然とする。 9000の遺伝子の発現レベルが一度にわかってしまったのだ。 この9000の遺伝子の発現レベルを3つのサンプルで比較して、 特に違いのある遺伝子を選び出し、分類し、さらにはそれを解析する。 気が遠くなるような作業である。 助けてくれ。

帰りに大阪。とある男のコンピュータの更新のためにDuronセットを 買ってきた。だが、帰ってびっくり。箱が小さくて マザーが入らなかったのだ。同じATXでもえらい違いである。 すまんが、明日ケースを買いにいくことで結着。 誰かに古いマザーともども回してやってくれ。

大阪の道具屋筋で刃物に心を奪われる。欲しくてたまらない。 あんな美しい刃物をもっていたら人を斬りたくて仕方なくなるのではないか と思うくらい美しい。きっと魚を斬ってその衝動を抑えることになるのだろう。 一文字光秀の出刃包丁(刃渡り18センチ)が12000円。 業務用と家庭用の狭間のあたりのグレードのものだ。 家庭用のものは9000円だが、さほどの品ではないらしい。 そのさらに上は完全に業務用で20000とかになる。 上は50万くらいまであるらしい。あれで魚をさばいたらさぞやよく斬れるのだろう。 そんなことを思いながらも、 やっとのことで欲求を押し殺して帰ってきた。金がないのだ。 いや、正確にいうと、どれくらい金がないのかわからないのである。

隆慶一郎の風の呪殺陣を読む。すごくおもしろい。 それはもうおもしろい。作者のさわやかな人柄がたまらなくさわやかである。 普通の人は複数の歴史の解釈を目にした時にまず どれがもっともらしいかを考えて主張するものだ。 しかし、作者はその前にまずどれが好きかを言う。 「私はこの解釈が一番気にいっている」などという台詞は教養がつけばつくほど 言えなくなる台詞であろう。男らしいという言葉がこれほどしっくりくる作家は いまだかつて見たことがない。船戸与一も男らしさには定評があるが、 彼の男らしさはどちらか言ってオレには少し厳しい。 クールであって、涼しげはでない。 オレはどうやら隆慶一郎のような涼しげな男らしさの方が好みなようだ。

さて、京都のイベントのアレルゲンの方はオレ一人ではないので 落とすわけにはいかない。さっさと描いてしまうか。

2000年8月24日

まじかる☆アンティーク。 結花シナリオをやったところまではよかったのだが、 ついでにみどりシナリオを見ようとしてつい熱中してしまった。 その上失敗。意外に売上がのびない。 完全修復の後一割引きを基本にして 限界まで評価を上げつつ、掃除と整頓をバランスよく行って 店の底力を上げてゆくという 作戦自体は間違っていないようだが、 魔法を使うべきかどうかで迷った。魔法を使うためには魔力の回復が必要であり、 必然的に毎週一単位それに使わざるを得ない。 しかし、その無駄を補って余りあるほど魔法の効果は大きいようだ。 評価の上がるスピードがまるで違う。 そのへんを洗練させれば今の記録である2300万は軽く超えるだろう。 みどりさんの攻略は、 どれだけ早く資金を増やせるかにかかっている。

とりあえずここで中断してネタを練る。間に合わん。最低4コマ2つだけでも 上げねば本が出ないのだ。

が、みどりとリアン強行。リアンは攻略失敗。原因は不明だが、 だいたい見たのでいいや。それにしてもそこそこなシナリオだ。

逃避フロレアール。4日目にして何やらいろいろとストーリー が語られ始めた。これはひょっとしてかなりおもしろくなりそう。 とか言ってる場合じゃないんだが。

2000年8月23日

冬コミは申し込まなかった。みんなして忘れていたのである。 さようなら冬コミ。

うちのサークルも夏コミを終えてあらたなステージに突入した。 が、思ったよりも売れなかったので軌道修正が大変である。 他のサークルに委託した分がまるで売れなかったのが淋しい。 さて、次の本は11月末になりそうだ。いまさら痕。 ギャルゲーがどんどん衰退していきそうなこの雰囲気にあって、 痕だけは少し別格っぽいのである。

しかし、やはりギャルゲーは衰退する運命にあるし、 すでにその徴候は出ている。 最近ビッグなタイトルが出ないのが一番わかりやすい。 数が売れていても、それで同人が 盛りあがらなければビッグとは言えないわけで、 いかにこみパが10万近く売れたにしても同人の盛りあがりは寒いばかりである。 Airが延びたのが痛いというのもあるが、 AirがKANONほど爆発的に盛りあがるとも思えない。 泣きゲーも萌えゲーも数が出ればそれだけ薄まってくるのだ。 KANONはギャルゲー最後の花火だったのかもしれないという 意見はもっともである。

しかし、好きなもんは好きだし、衰退したとしてもゼロにはなるまい。 いいのだ。いくらすたれようと。

ところで、デジモンの1・2話を見たのだが、なかなかおもしろい。 企画そのものは二番煎じもいいところだが、 そんなこととは関係なくちゃんと作れば ちゃんとおもしろいアニメになるのだ。 かたはらはこれでやりたいらしいので、 オレも足をつっこんでみるのもまた一興。

フロレアール味見。3日目だが、何もおこらん。 何もおこらんが、ヒロインが出てこないところは雰囲気は良い。 なにやら噂に聞くフランス文学な匂いがプンプンしてそれっぽい。 ところで、ところどころに教養爆発な名詞がちりばめられているのだが、 あれはなんなのだろう。知っていたらよりおもろいのかもしれないが、 まあハッタリ(別名演出)の一種としておく。 今のところさしたる効果をあげてはいないからだ。

とりあえず先にま☆ンティークだ。さっさとアレルゲンを作ってしまわねばならない。

810MBのノート用ハードディスクを3500円で入手。これでwebサーバ復活である。 サイトの容量不足はひとまずアレルゲンをこちらに移すことで乗り切ろう。 しかし、インストールがまた面倒だ。時間もかかる。涼しくなったらやろう。

何が書いてあるかわからんと言われて悔しいので、 純正調の文章 を書きなおしてみた。文体も丁寧調にしてソフトにした。 もっとも書いてあることはいっしょなので、音楽を知らん人には わかるわけもないのだが。

ゲノム(古賀亮一)を探して本屋をさまようが、まるでない。 注文するしかないようだ。出版社を聞いて近くで注文しよう。 エロ漫画誌でやっている非エロ漫画としては破格におもしろい。 「キィー!ズババーン!開けてよー!」 に代表されるセリフのセンスはズバ抜けており、技術的に見ても 8ページをあれだけ濃厚な空間にしつつちゃんとまとまっているという点で かなり優れている。買いだ。ところで関係ないが、 アホはあれに出てくるパクマンさんに似すぎていて困る。 最近さらにパクマン化していて余計にタチが悪い。 オレもあれを読んで以降ちゃんとしゃべるのが面倒くさくなって、 つい「ええとあれあれドガーン」のように擬音を連発するクセがついてしまって 困っている。ドガーンとかボガーンとかズバーンとか言うのは考えなくていいので とても楽なのだ。

その途中、外道校長東堂源三郎を見つけたが、買わずに帰ってきてしまった。 誰か買え。カス人間漫画として猛烈な出来だ。 技術やセンスから見れば表現が過剰なだけで普通ではあるが、 あれを描いてしまえる作者の人間性と、どんなネタでもなにやらいい話っぽく してしまうあの手口がすばらしい。 次に見たら今度こそ買おう。だが、 10軒以上回ってあったのは結局四条の「談」だけだったことを考えると そうそう巡りあわないかもしれない。ロリータ番長、ロリータ番長RXも 同様に勧められるが、外道校長にはかなわない。

遊んでいる間に共同研究が進んでいた。明日奈良まで結果を見にいく。 ごめん。でもいいや。欲しいのは結果だけだもの。

いっぺいのコンピュータをいじってネットに繋げ、いらんパッケージを削り、 日本語が出るようにした。その報酬としてメシをおごってもらったが、 いっぺいは金をもっていなかったのでオレが貸した。 なにやら変だ。

ま☆ンティークをインストールしようとして容量が足りないことに気付く。 領域4GBではまるで足りない。描いた絵がたまってきたのもあるし、 複数ゲームがインストールされているのもある。 ふと見てみればBSDの方も8割方使っており、いいかげん足りないようだ。 20GBのを買わねばなるまい。

2000年8月22日

京都に帰ってきた。10日間ひたすら遊びほうけていたわけで、 さすがに疲れた。この10日間何があったか書いてもいいのだが、 どうもそれほど書いておもしろそうなことはない。 まあ、それにしても記録するのはいいことだし軽く書いてみようか。

12日夜。岡山まで18きっぷで向かう。姫路までは近かったが、 そこからが存外遠くて参った。各駅停車しかないためである。 しかも、元々思っていたよりも岡山というのは遠いところだったのだ。 ともかくも着いて、ダラダラと歩いて会場を発見した後 寝やすそうなところをみつけて寝た。

13日。試合。細かいことは書きたくないが、無惨に負けた。 試合というものに慣れていないのがモロに露見するような負け方だ。 技術がどうとかいう次元ですらない。ともかくも慣れることが先決だろう。 あとは筋トレで体重を増やそう。八卦掌の歩法も練習を重ねてモノにせねばならない。 そのへん。

終わってすぐ新幹線で東京へ。 一足遅かったのでカラオケ程度しか参加できなかったが、 普段会えない人に数人会えたのでまあ良しとしよう。 その後はD.C氏といっしょにアホの家に泊まって電エース。 電エースが何かは身内には身をもって教えてあげられるので、 興味がある人は是非どうぞ。

14日。起き出してD.C氏を見送り、オレもおもむろに一足先に福島へ向かう。 家族が集まっているからだ。というわけで久しぶりの再会。

15日。家族とダラダラする。そのうちにアホ達東京組が現れる。 さらにruin達東北組も到着。 ひとり遅れてきた小山鳥(仮)がアホウにも高萩で電車がなくなったので、父に頼んで 車で出迎え、全員集合。ちょっとした手違いで、本来家族が仙台に帰ってから 奴等と集まる予定だったのが重なってしまったので、 うちの家族が家のはしっこに追いやられてしまった。すまん。 しかし、別荘があるというのはいいものだ。 何より別荘という響きがいい。 老後に住むために建てたが仕事の関係で今住めないだけというのが真相なのだが、 別荘は別荘である。

16日。家族は追いだされるように仙台へ帰った。 殘るは7人のダメ人間達。誰一人就職していない。 ひどいのになるとまだ大学二年だ。卒業する気がまるでない奴もいるし、 まったくダメ人間ばかりである。オレはその点形式的には極めて順調に 院生をやっているのだが、浪人したかったとか思ってる段階でもうダメだろう。 ともかくも海に行ったり、ドライブをしたり、ダベったり、 料理をしたり、酒を飲んだり、それはもうダラダラして時間を過ごした。

18日。東京へ戻る。寝たら19日。 アホは20日からのキャンプのために旅行のしおりを印刷しに 滝沢千円氏の家に行った。オレは面倒くさいので吉祥寺に二郎を食いにいき、 ついでに某T氏の家でダラダラ。何を話したわけでもないが、 まあダラダラした。

で、アホの家に戻ってみるとまだアホが帰っていない。 そこでそのへんに転がっているゲームでもやることにした。 選んだのはphantom。ハードボイルドなエロゲーとして一部で評価が高い作品だ。 で、まだ途中だが感想。「おもしろい」。単純におもしろい。 キャラがどうとかはどうでもいいとして、なにやらおもしろい。 後でちゃんとやろう。とかいってる間にアホが帰ってきた。 完成した旅行のしおりを見るとまあ、アホだ。 一人1ページの自己紹介もみな趣向を凝らしていてアホである。 ちなみにオレはこの日の午前中に20分で落書を描いただけ。 なお、題名は「はだしゲン」。ヤバいって。

20日。キャンプだ。奥多摩だ。メンバーは極めて濃い。 オレ、アホ、you、jag(以上ラサール組)。小松氏、滝沢氏、かたはら、 ごはん(仮)、ミスター(以上成蹊大漫研関係)。 ところで、その舞台となった奥多摩というのは東京都なのだが、 その田舎さと山奥さはそんなことを微塵も感じさせないすばらしいレベルである。 「東京都コンビニ終端」とか書いたコンビニがあり、かつ10時にしまるあたりも まったくもって感慨深かろう。

ところで、やってたことは福島でやってたこととあまり変わらない。 ただ、川があって、キャンプぽくて、なによりも人が違うだけである。 で、その川だ。流れが速くて、ひざまでの深さのところでもう前には進めない。 川の中を歩いて上流に向かおうと思っていたのだが、 あっというまに進めなくなって断念。仕方なく適当に上に橋があって日陰になると ころで涼もうと思ったら、いきなり深くなっていて流された。 命にかかわることではないのでいいのだが、海パンもなくTシャツで、 サイフまで持っている状態ではたまらない。その上サンダルも流され、 みんなの連携プレーで確保してくれなかったらいまごろ大変なことに なっていたところだ。それにしてもこんな小さい川でこのパワーである。 津波の前では人間などひとたまりもなかろう。 自然は偉大、というかデカい。

ところで、youが珍しい酒をもってきた。瓢箪山(ひょうたんやま)である。 かのアル伝で吐くほどマズイと書かれていたものと思われる酒の 一つだ。大阪の地酒という段階でもう印象は最悪なのだが、 これがまたマズイ。まさしく吐くほどマズイ。 含んだ瞬間にあふれる暴力的かつ不自然なフルーティーさが特徴か。 東大阪のひょうたん屋という店で手に入るので、ネタとして誰か入手してみることを おすすめする。ちなみに、これは候補の一つにすぎず、これ以上にマズイ酒で ある可能性もある。誰か検討してみてほしい。

22日。半分徹夜で同人について語った後帰途。みんな次第にバラバラに散り、 新宿を過ぎるころには一人になった。そのまま18きっぷで京都。 今に至る。

32000。10日も更新サボった直後なうえにこれからもそう 更新の予定があるわけでもないのだが、 ともかくも近いうちにゲーム感想文が4つくらいと、 アレルゲンが2号ほど追加される予定。 これからもよろしく。

2000年8月12日

当日の朝岡山まで行けると思ったが、新幹線なしでは不可能という結論。 であれば前日の夜に行くしかない。なんてこった。野宿か。

うちの師範が武芸という雑誌に4ページほど記事を書いたらしい。 それは読まねば、と思ったらもうなかった。 丸善まで行かねばならん。

なんか、無理矢理東京行っても解散してそうな雰囲気。 当日電話かけて何事もなく解散してるようなら、 とっとと東京は素通りして福島行ってしまおう。

timidityパッチ集め。というのも、とらハのMIDIがまともにならないからだ。 今までクラシック系の音色しか考慮していなかったので、 こういうポップなものはまともに鳴らないのである。 しかし、そのへんに転がっているパッチセットのどれをもってきても そうまともには鳴らない。それぞれ集めた人の好みがモロに出ていて、 まともに演奏される曲ととんでもない曲になってしまうものが かなり分かれるのである。

基本的にいい音色とは元の楽器に近い音であるものなのだが、 残念ながらそう簡単ではない。例えばバイオリン。 ゆっくりな時には立ちあがりをゆっくりにして、味わい深い音を出すが、 速いときにはピシッと音を出すものだ。 そのへんを無視してバイオリンらしいけれどもトロトロ立ちあがるような音色を 使うと、速い曲では音がまともに鳴る前に次の音に行ってしまって ロクに鳴らないという事態になる。リズムがズレて聞こえることもあるので、 これは重要だ。また、音量変化のパターンも重要である。 似せようとして妙な山をつけたりすると、曲によっては不自然になる。 ピアノのように一次関数的に消えてゆくか、オルガンのように均一か、 このどちらかで良い。あまり極端にビブラートがかかっているのも 使い勝手を悪くする。 それと、MIDIでは本来の楽器では鳴らさないような 音の高さで鳴らしてしまうことが頻繁にあるため、 倍音組成によっては本来の範囲から外れた音で全然違う音が鳴ってしまう 可能性がある。リアルにしようとして倍音をたくさん入れるベル系の音では、 本来の音域であっても音程を識別にしくいことが多く、 特に曲が乱れるのである。主旋律に用いられた場合などメロディが化けてしまい、 曲にならなくなるのだ。というわけで、

を十分に満たしている上で、似ている音が好ましいことになる。 つまり、思ったよりも無難で機械っぽい音じゃないと いろんな曲をまともにこなせるものにはならないということだ。 似ている似てないだけで選ぶととんでもないことになる。

帰ってきたらGM分だけでもひとつひとつ吟味して選んでみよう。 ついでに音量も合わせておけば万全だ。それぞれの音色の推奨範囲の中央で 合わせればよかろう。

今日から当分更新されないだろう。23あたりまで更新されないと思う。

2000年8月11日

ほぼ3/4日でアレルゲンを一人で作った。4コマ2つに表紙にコラム。 やればできる。 さあ、次はちゃんとオール漫画で8ページにしたいものだ。 もっとも次はネタが問題で、 できることならば「ま☆ンティーク」か「こみパ」で一冊は作りたい。 また、もう一冊に関してもKANONやONEでなく、 リーフ、タクティクスの別のものにしたい。痕、雫、ホアルバ、 すずうた、MOON.のうちのどれかであろう。 さあ、どうしたものか。

気がむいたので純正調について文章 を書いてみた。 興味のある方はどうぞ。

アレルゲンをWEBに置く作業をしていたところ、 ちょっと困ったことになった。字が細かすぎて読みにくいのである。 字ネタはやはりHTMLにして置くべきなのだろうが、 元々画像ソフトで打ったので電子的な形では残っていない。 打ち直すのも面倒だし、レイアウトも面倒だ。 そして、字が細かいために圧縮率が悪い。 40KBまで落とすともう何が書いてあるのかまったくわからなくなるのだ。 100KB以下には下がらないという悲惨な状態。 容量もそろそろ尽きるというのに、一体どうすればいいのだろうか。 何か抜本的な改革をしないとダメな気がする。 さしあたって次からアレルゲンには10ポイント以下の字は禁止。 掟として加えておこう。 あとはなんとか容量をどこかから手に入れねばならない。 絵だけリンクしても大丈夫で重くないサーバはないものか。 この際多少金がかかってもいい。探してみよう。

圧縮方法を変えることにしよう。まだ7号しか出ていない今のうちだ。 というわけで圧縮を自動化した。品質は50で固定。やっぱり元よりは大きくなったが、 読めないものはない。とりあえず容量を確保せねば。

2000年8月10日

もりりん氏が来てとらハ1の小鳥シナリオをやった。 すごいダメだ。最後にやったのが唯子シナリオで、それはあまりヒドくなかったもの だからつい忘れていのだ。 しかしやはりこれくらいダメなゲームだったのだ。どんどん思い出してくる。 さて、一体どうすればいいというのか。どこに着目するかで 評価がガラっと変わるのはともかくとしても、 このヒドさはヒドすぎる。

ちなみにネタは浮かばない。とらハ1に関してはこれで大部萎えた。 あんなに唯子シナリオはラブラブでいい感じだったのに。 いや、確かにストーリーはひどかったが。

とらハ3の情報を見る。ダメそう。剣術がどうとかいう話がメインらしい。 しかしまああらすじを聞いてダメそうなのはいつも通りなので、良しとしよう。

細かいところにチャチャを入れるような漫画は思いつくが、 それではオレがとらハ2が好きだということが伝わりそうにない。 布教本だけにそれがなくては話にならないし、 そういう愛のないチャチャ漫画はそもそも描きたくない。 今日の夜までに4コマ2つと1ページを埋めるネタが浮かべば十分勝負できるとは言え 果たしてどうだろうか。 研究室はサボリじゃサボリ。どうせボスいないし。

午後7時半。徹底的に浮かばない。正確に言うと、オレが良しとするものが浮かばない。 はじめ2コマで原作のある状況を描写し、3コマ目で何か変なことを起こし、 4コマ目でてきとうに落とす、という形式的な4コマ 漫画を作るやり方をオレは望まない。そんな工業的な手法には味がない。 オレ臭くないし、ウケる気もしないからだ。 自分でおもしろがれないものを描くのは辛すぎる。

だが、それは作り手としてのオレの意見であって、計画屋としてのオレは いかなる質のものであってもアレルゲンを刊行することを強いる。 アレルゲンは毎回出すことに意味がある企画だからだ。 たった6号で終わりというのはあまりにふがいないし、 せっかくの巨大イベントで自分が目立つ機会を無にするのは あまりにもったいない。とらハ2が好きだということを表現して、 その「ある限定された社会」に入りたいというぼんやりとした望みもある。 ともかくもファンとして、そして目立ちたがりやのオレとしては なんとしても出さねばならないという立場をとる。

本は出したい。でもネタは浮かばない。助けて。

ある種の開き直りの果てに、一つネタ浮かんだ。 あと一つ。とらハ2真雪本決定だ。真雪さん。

ネタを探しながらななかシナリオを読む。テキストをそのままなので速い。 …いい話じゃないか。本当に。またまた唐突に怪我したりして そのへんはガッカリなのだが、別にもう慣れたのでかまわない。 そんなことよりも、いろんなキャラがけっこういい感じにからみあって 話がつくられているのがいい。1のキャラが大活躍するあたり 同人くさいといえば同人くさいけれども、 それが悪い印象を与えない。やはり2はいい。いいのだ。 あとでちゃんとゲーム中でななかシナリオを読もう。

筋トレにストレッチを始めてからすこぶる体の調子がいい。 筋肉を使う感蝕というものをわかってきたのと、 あとは単純にストレッチの効果だろう。 そのうち筋肉がついてくる効果も出てきたらさぞ調子が良くなるに違いない。 2年前に始めていたらどんなにか強くなっていたことだろうと残念に思うが、 嘆いても始まるまい。きっと最初から筋トレに熱中していたら 脱力できなかったに違いないということにしておいて、 今これに気付けたことをこそ感謝しよう。

2000年8月9日

弟の友達のサイトを発見した。何かと東京に行くと会う男である。 そんなわけでたまにaltavistaで 自分のところにリンクを張ってるところを探すといろいろ妙なところが ひっかかっておもしろい。 なお、たとえばこのサイトだったら、

link:http://www.page.sannet.ne.jp/hirasho/

とする。urlの前に「link:」をつければいいのだ。 インフォシークでも可。ただしこっちは相当に意味不明なものもひっかかる。 あとはgooの 詳細サーチでも可。 なお、これらの手段では全てがひっかかるわけではないのでご用心。 むしろ半分もひっかからないと思った方がいいだろう。

IBMが腕時計サイズでLinuxとXが動く機械を開発したらしい。 つまり、もうどんな大きさの機械でもlinuxを走らせることができるわけだ。 しかし、何に使うのかが今一つわからない。 一番わかりやすいのは携帯電話か。

ネタが浮かばない。妄想の熟成期間が短すぎるからだ。 とすればこみパ、ま☆ンティーク等の同人誌をつくるのも相当むつかしいはずで、 8/27のアレルゲンも相当にキツいだろう。 結局今描けそうなのはKANONと痕とTo Heartしかないのだ。 だが、敢えて挑戦しよう。タイムリミットは11日13時。

ネタが浮かばない。浮かんでも、とらハの雰囲気と 違和感がありすぎて漫画にするのがためらわれる。 キャラも似ない。雰囲気が違うから、絵の似てなさがさらに致命傷になる。 あのストレートなはずかしさがないととらハにはならないのか。 どうしよう。本格的にヤバい。もうダメか。

スクワットで筋肉痛。馬歩では鍛えられていなかった内股の筋肉だ。 加えて胸から腕にかけて筋肉痛。腕立てだ。鍛えてる実感がうれしい。 今日はストレッチと腹筋だけだ。

現実逃避に筋トレやってるのはどうか。

とらハ真雪シナリオ再び。ええ奴じゃ。だが、1ページ漫画にはならない。 キャラを記号化しにくいのだ。「これがあればこのキャラ」という使いやすい記号が ない。やりやすそうに見えたのは外面だけだった。 ちゃんと描かないと別人になるという点ではONEよりもタチが悪い。 ある程度長い漫画は考えやすいのだが、 4コマのようなものをやるにはしんどすぎるのである。 だがアレルゲンに4コマは必須。2つ。2つ浮かべば本を作れる。 たのむ。浮かんでくれ。2つだ。2つ。たった2つじゃないか。

2000年8月8日

最近文章を適当にかきすぎる。最近やったゲームの感想文は 本当に適当だ。人のせいにするのもなんだが、 「そこそこ」なゲームが多いからである。 これがズバ抜けてクソだったり、ズバ抜けてすごかったりすると 一所懸命考えて書くのだが、そこそこだとついそこそこに書いてしまう。 いけない、いけない。それでもちゃんと書かなければ。

とらハ1。テキストがそのまま読めてしまうもんだからつい読んでしまったのだが、 ヒロイン2人が車にひかれそうになるイベントの文章が壮絶だ。 それはともかくここが選択肢の選び方によってけっこう秀逸な展開を見せるので 紹介しておく。車が迫る二人に主人公は、

けっこうそこら中にボツテキストが埋もれている気がするので、 ヒマな人は探すとおもしろいかもしれない。 ちなみにボツテキスト由来のCGも残っているらしく、 うまく解析すれば見られるそうだ。

とらハ1。こうやって部分だけのテキストを読むとすごい。 ストーリーの出来があんまりだったので気付きにくかったが、 1も2に劣らぬほど幸せだし、個々のシーンそのものは悪くない。 考えてみればいきなり車がつっこんでくる前述のイベントにしてからが 相当唐突でムチャなのだが、そのムチャささえ目をつむればシーンとしては けっこういいのである。ストーリーの陳腐さを無視するのはオレの得意とするところ だったはずではないか。 おそらくキャラが少々やりすぎにスパイシー (あやややとか、うにゅーとか)だということも印象が悪くなったことに 関与していると思われる。 言うならばダシはちゃんととったのだが、 ちとスパイスを入れすぎて味よりも辛さが際だってしまったということだろう。 それでも辛さに耐えて味わえば深みのある味を観賞できるわけで、 そもそもダシもとらないでスパイスを投入するようなつくりよりははるかにマシだ。 カレー粉をカレールウと同様に使っては味のない カレーしかできないのは広く知られているところである。 スパイス入れすぎという点ではKANONの方がよほどヒドいのだ。 いや、スパイスの量に関していえばKANON以上のものはそうそうお目にかかれない。

というわけで、もう一度とらハ1をやってみましょう。 たぶんアレルゲンは1、2を問わない「とらハ本」になるものと思われる。 感想文も書き直しじゃ。オレに客観的評価などできるはずがないということである。 開きなおるぞう。

前半がとてつもなく退屈だが、話が進んできてからはすごいラブラブで見ていて 恥ずかしくなる。この人の武器はラブラブだ。

とらハ1の感想文を書きなおした。あんまり評価が変わってしまったので、 なぜ前はあれほど評価が低かったかについての考察をつけた。 やっぱり、とらハつまり都築氏はすごい。いろんな意味で。

エロゲの主人公は読者がやりたくてもできないことをすることに意味がある。 それを通して自分がそんなことをしている気分になるからだ。 善良っぽいあのTo Heartですら委員長に男物のシャツを着せるだとか、 綾霞でひざまくらだとか、そういうのがちりばめられている。 しかし、とらハにはその類のものがまるで見当たらない。 エロシーンでも互いに与えよう与えようとしていて、 奪おうとか手に入れようという勝手さがほとんど見えない。 「ははは、オレの女だぜー」みたいなものがない。 オレが青いから気がつかないだけか?

ちなみに、To Heartでも青紫はエロくない。ホアルバは当然のごとくエロくない。 こういうのもアリな時代なのだろう。エロゲ多様化万歳。

9/17のサインシャインクリエイション9当選。場所はL23b。

つま先立ちスクワットと腕立て。あとはストレッチ。これでいいや。 一日おきに スクワットの日と腕立ての日を交替させ、 蹴上げとストレッチと移動稽古と型は毎日やる。 これくらいの種類じゃないとわけわからなくなる。

右体側部が固い。 パンチを出す上で一番重要な部分であるだけに、 こんな状態でパンチが飛ぶわけがない。 どうりで最近パンチがヘロヘロなわけだ。

2000年8月7日

とある人の日記を読んでわかったのだが、なにやら 東京の連中が妙に楽しそうなイベントを企てているようだ。 いいもん。オレ一人で漫画かいて妄想にひたるもん。 史上初、一人アレルゲン。オレ本。やる気がでてきた。 やはり物事は軌道に乗ったら飽きる。6号もつつがなく出しているとダレてく るものだ。ここらでドカンと違うことをしてやる。

面倒が起こった。サイトを公開することの恐しさの一端をかいまみた。 というわけで、一部修正。ダメ押しに後で説明のメールを出しておくことになった。 組織がからむと物事は本当に面倒になる。オレがどこにも所属していなければ 何の問題もないだろうが、そうはいかないのが人間社会だ。 それにしても個人名も団体名も書いていないのによく探し出すものだと感心 してしまう。

数人で魚を食いながらズバット最終2話を見る会。 さて、これから清水んちでグッズ印刷作業。 それとは関係ないが、 今回こそアレルゲンは落ちるかもしれん。ネタがうかばないのだ。 そして落ちたら前ので最終号となる。続ける意味がないからだ。

2000年8月6日

とらハを作った ivory のサイトを見てみる。 …こわい。以前のオレでは恐くて近づけなかったサイトだ。 だが、今のオレはその抵抗をかきわけてでも前へ進むことができる。 なぜかは問うな。しかし、それにしても、 とらハのアクセサリー集みたいなものの副題が「ラブラブおもちゃ箱」 なのはどうにかならないのか。ホームページの怖さが こういうセンスに由来しているのは間違いない。

都築真紀のホームページ。 ひさしぶりに見てみたが、やはり何か恐い。 何が恐いかといわれれば、何か微妙な別世界を感じさせるあたりだろう。 個人のサイトとは思えない度合にとらハづくしだ。 愛がはじけている。一体どんな人なのだろう。

ソフマップでLEAF VOCAL COLLECTIONを入手。 で、本来ソフマップに行ったのは例の「ラブラブおもちゃ箱」を買うため だったのだが、3980円。心は揺れに揺れた。そして、 「寺町でもあったらそれは買えという啓示に違いない」という勝手な 理由をつけて逃走。そして寺町。J&Pで4680円で発見。 買わずに逃走。チキンめ。チキンめ。 帰りに研究室に寄ったところちょうどよく彼女がいたので渡す。 オレは何しにこの炎天下(36度)の中あんな遠く(4Km程度か)まで行ったのか。

帰っても暑いので研究室でゲーム批評サイトをまわっていたのだが、 鬼畜鬼畜いってる人ほど泣きゲーに弱い傾向があるのは気のせいか。 で、PHANTOMというのがけっこうすごいという話。 今のところすごいと聞くのは

といったところ。このへんをどうにか味見しておきたいものである。 特にフロレアールは一部で絶賛されているだけに押さえておかねばなるまい。

とらハのシナリオファイルが実はテキスト文書であるという情報を得た。 主人公が女の子をかばって車にはねられるシーンでそのまま死ぬ話とか、 小鳥が唯子を呼びすてにするようになったエピソードとかがエディタ (ワードパッド等)で読めるらしい。 ボツにされるくらい壮絶な出来らしいので、なんとしても読まねばならないだろう。 というわけでとらハ1誰か貸してください。前は誰に借りたんだっけ。

それとは関係なくとらハ1をもう一度やっておく必要がある。 2に冒された状態でどう見えるのか、確認しておかねばなるまい。

とらハ本作ったる。一人だが、それでもかまわん。4ページでも本は本だ。 誰ももってかんでもいい。 ちなみに都築氏のサイトに「とらハ関連のものを作る人用告知板」 というのがあるので、書きこんで宣伝してやるぞ。 けっこうKANONとかLEAFな人が本業とは別に作っているパターンが多いので、 オレも気が楽だ。

ズバット。親友を殺された主人公が犯人を探して放浪しつつ 悪人を退治していくというストーリーだ。 開始30秒以内に必ず事件が起こるという特徴がある。 退屈するヒマもないので良い。 ちなみに何話か見ているといろいろと変化があっておもしろい。 最初は「犯人はおまえだな」と問われた悪人が ただ「違う」とくり返すだけだったのだが、 近頃は「あの日はXXにいた」 とアリバイを吐くようになった。
「あの日は…北海道に…いたんだ」
「あの日オレはバグダッドにいた。やってねえ」
「ワシャそのころインドで修行をしとった」
…おまえら一体どこで活動してるんだ? ちなみにこれらの悪党の呼称は全てはヤクザである。

ズバットは全話なんかのパロディらしい。 …時代劇、西部劇、当時流行りのドラマシリーズ、推理もの…。 渡り鳥シリーズはもとより、横溝正史もあった。 元ネタが全部わかったらものすごく面白いんだろうが、 そのために勉強する気にはならない。 これに関しては20年前に生まれなかったことを残念がるしかなかろう。 ひょっとしたらうちの父は全部わかるかもしれない。

けっこういろんなところから金もらって宣伝してるな。 遊園地とかホテルとか…。わざわざ「ホテルXXまで行こう」 などという不自然なセリフが入っていて泣ける。

ズバットは悪人に関しては男女平等である。 普通悪人側でも女はなんだかんだいってけっこういい役どころにするものだ。 ところが、ズバットは違う。容赦なく悪人であり、やけに裏切るし、 男の悪役同様にズバットに蹴散らされる。 ザコ戦闘員が女なこともあるのだが、 主人公はこれまた容赦なく殴る、撃つ。 男女平等万歳であろう。しかし一方ヒロイン役はとにかくさらわれる。叫ぶ。 ちなみに、暴力の対象としては老若男女平等である。 老人だろうと女だろうと子供だろうと、縛る、つるす、殴る、打つ。 今こういうのを見ないのは倫理規定でもあるのだろうか。

男の子「オレのとおちゃんとかあちゃんはオレを捨てて行ってしまったんだ」
女の子「何か理由があるのかもしれないわ」
男の子「じゃあ、どうして電話の一つもよこさないんだよ」
次の瞬間。
悪人「おまえの両親が脱走した。そこでおまえを人質として連れてゆく」
男の子「なんだって?じゃあとおちゃんとかあちゃんは家出していたんじゃなくて つかまっていたのか!!」
悪人「わははははは」
男の子「とおちゃんとかあちゃんを返せ!!!1」
速すぎます。

見終わった。ひどい最終回だ。伏線もクソもない。 わかりやすく言うと出来が悪くてつまらない。 しかし、これがまたおもしろいのである。なお、ビデオの残りの部分にとある 宗教の宣伝アニメが入っていて、とても見ていられないほどイヤなので止めた。 すまん。オレはこれをおもしろがって見られるほど人間はできていない。

うにの家でセンチメンタル・グラフティーを見物。 5分で逃げ出した。耐えられません。

とらハ2が帰ってきた。さあ、一回やって妄想ためて、 勝負だ!! そういえば、寺町のドスパラとパソコン工房でCyrixIIIを売っていた。 533MHzが8780円。秋葉原でもレアなアイテムがなぜ京都で2軒も? ともかく浮動小数点が破滅的に遅いという話なので買わなかったが、 24時間動いてるサーバ用としては電気も食わなくていいかもしれない。 2台目には是非試したいものだ。

2000年8月5日

昼間っからストレッチと筋トレを研究をしていたが、 何もこんな暑い時間にやらんでもいいのではないかと思い直してやめた。 夜にやるのがよろしい。

筋トレが辛い鍛練であるのは間違いないが、 軽くやるくらいだと妙に気持ちいい。 馬歩も5分くらいまでだと妙に気持ちがいいものだが、やはり他の筋トレも同様らしい。 ストレッチも同じである。 これで毎日体脂肪率なんて計っていようものなら、下手に数字がついてくる分 もっとタチが悪くなるだろう。というわけで明日体脂肪測定機能付き体重計が いくらくらいするのか見てこようと思う。 小山鳥(仮)の気持ちがわかる気がした。

ズバットを見ながら筋トレとストレッチ。加えていまだに蹴りがまともに打てない という弱点をなんとかするために、前、横の蹴り上げをえんえんとやる。 妙に楽しくて画面をあまり見ていなかった気もするが、 音だけでも十分おもしろいし場面も十分わかる。

四股ってすごいな。考えてみると。

ズバットを見て思ったのだが、展開が速くてテンポがおかしくて説明不足なのも、 ここまでやると十分ネタになるくらいおもしろくなるらしい。 オレの漫画ももう少しセンスがあったらズバット的な面白さが出るのかもしれないな。

2000年8月4日

31000。ありがとうございます。 ちょっと2、3日時間ができたので3つほど感想文を加えてみました。 更新した気になれて気分いいです。

とらハのシナリオライタ兼キャラデザの都築真紀の同人誌を見せてもらった。 短いエロなのでわかりにくいが、なんというか悪意のようなものがまるでないのは 確かにとらハと同じだ。 ふと思ったのだが、エロというのは二人が完全にラブラブなところには 成立せんのではなかろうか。どこか勝手さというか悪意というか、 そんな不純物が微妙にあって始めてエロくさくなるのではなかろうか。 自分で書いててもよくわからんが。

一歩ふみこえた。結果は近いうちに出るだろう。

とらハ2の同人誌作って布教したい。布教に適した同人誌を作るってのも テーマとしてはおもしろいではないか。紹介文とかいろいろつけて。 しかし、それをやるには夏コミアレルゲンくらいしか機会がない。 う。…考えたらとらハ2貸してる。しかもそいつ京都にいない。 たぶん当分帰ってこない。ギャー。あきらめるのか…。

正式に試合に出ることになった。もう後には引けない。 というわけで組手な日だったのだが、つい右足を使ってしまって 妙な感覚。やはり威嚇かフェイントにしか使えない気がする。 ちなみに体中の筋肉が固くなっていて、まるで蹴れないしパンチも飛ばない。 神経は荒くて見切れないし、もうボロボロ。 きっと派手に負けることだろう。だが、この前と違って負けても落ちこむことはない と思う。あの時よりは未来は明るいのだ。もう足も治りかけだし。

筋トレストレッチ本を借りた。今日からこれで肉体改造だ。 やっぱり格闘技には元気が必要である。 科学の力でどうにかなる部分は確かにあるのだから、 科学の力でやってしまうのが一番いいのだ。 科学で届かない理論を学ぶのはその後でも間にあう。 一週間でどれだけ筋肉がやわらかくなるか知らんし、もちろん 手遅れなのはわかっているが、タダでは負けん。

13日の試合終了後、即座に東京に向かってコミケの打ち上げだけは参加する予定。 ボロボロになったオレを慰めてもらおうという趣旨だが、バカにされて よけいにボロボロになる確率の方が高い。まあそんなことはいいのだ。

2000年8月3日

研究室でダラダラしていた時のことだ。
「平山君、ヴォーカルとか詳しい?」
韓国からの留学生の女の子にいきなりそんなことを聞かれた。 みな学会に行っていて他に誰もいなかったのでオレに聞いたのだろう。 しかし、オレの答えは当然、
「全然知らん。オレに聞くのは間違いだ」
である。知るはずがない。すると仕方ないと彼女はコンピュータに向かって なにやら検索し始めた。Yahoo オークションのようだ。
「あ。あった」
あったらしい。指を差して彼女が言う。 「平山君、これとか知らないかな。 弟にお土産に買ってきてって頼まれたんだけど」
知るわけがないと思いつつ見てみると、どういうわけか見覚えがある。
「うっ」
リーフ・ヴォーカルコレクションVol.1。
「全然知らないバンドだよね」
そりゃそうだ。バンドとかいう問題ですらない。
「…それ、悪いがオタクアイテムだぞ。普通の店には売ってないだろう」
「えっ?」
オレは瞬間的に彼女の人柄を考慮した後、リーフのサイトを見せることにした。
「このゲームの音楽のアレンジCDみたいなもんだな。 言っておくが、18禁。つまりエロゲーだ。」
「……。」
「…最初に聞いたのがオレでよかったかもしれん。 なんだかわからなくてもこの絵を見ればオタク系だってことくらいは みんなわかるだろうからな…。」
確かに日本特産と言えなくもないが、なんぼなんでも韓国人が土産に頼むものでは ないだろう。とりあえず10万以上売れたゲームでいろいろとグッズも出ていることを 説明してみる。 日本人の数百分の一があのゲームをやっているということにいまさらながら に気づいて愕然としたりしたが。
そのうちオレも調子にのってきて、自分がこれ系で同人をやっていることを 明かしてしまったり、いろんな同人サークルの絵を見せてみたりした。 彼女もそれを見てけっこうかわいいかわいい言ったりしていたが、 みんな似たような絵だねとも言われて納得である。 そうしてとある絵を見せた時のことだ。
「これTo Heartみたいだね」
「はっ?」
みたいもなにもそれだ。
「…知っているのか?(雷電←心の声)」
「この前弟が来た時に借りてきて一緒に見てた」
アニメの方か。それにしてもどういう弟なのだろうか。 当然元のゲームもやっているのだろう。日本語が読めるそうなので、 そのへんの心配もない。けっこう日本のゲームも裏で流れているそうなので、 どうやって手に入れたかもさほど不思議ではないらしい。 加えて今までにもニュータイプやアニメージュを頼まれたこともあったそうで、 筋金入りである。
「…まあ、里帰りする前にオレが買ってきてやるわ。 どこに売ってるかわからんだろうし。」
放っておいたら普通のCD屋で聞いたりしてけっこうはずかしいことに なっていたに違いない。 下手をしたらさっきYahooのオークションで出てきた 画像をプリントして持っていって店員に見せたりして。ああ、それははずかしい。 ともかくも、身近にまた一人理解者ができそうである。

新しく古い自転車を買った。つまり中古だ。5800円。 こぐとキーキー言う。 せっかくだから5万くらいだしてバネとかついてるゴッツイマウンテンバイク でも買ってみんなに自慢してやろうかとも思ったのだが、 その考えに財布の中身がついてこなかったのである。あおりんご号とかつけて バカ丸出しにしようとも思っていたのに、残念だ。

弟に、「おまえのゲーム批評は、けなし方は説得力があるが誉め方に説得力がなくて 本当に誉めてるのかわからん」と言われた。好きなものはこんなに好きなのに。 なんだかんだ言ってKANONとか。一回全部愛がほとばしってるように書き直すか?

文章を書く時の心得についてどこぞのサイトで読んでいた。 特に目にとまったこと。
「自分のことを書かない」
…ごめんなさい。せめてできるだけおもしろくなるようにがんばります。 ここは事実上日記サイトになっているので仕方ない。ちなみに 文章の2.5分の1は日記である(約1MB)。半分を超えたらオレも終わりだ…。

2000年8月2日

ビヨンド。DOSのころの作品のリメイクだそうだ。 古くさいコマンド選択型ADVである。 強引なギャグと妙に立ったキャラ、そして力が抜けるような設定がウリだろう。 が、80年代丸出しなゲームである。 ところでいきなりバッドエンドになってしまった。攻略によれば 原因が相当前の方にあるらしく、 事実上最初からやり直すしかないらしい。

感想文2つ。やはりよほどのゲームでないと翌日にはかなり忘れているらしい。 リフレインブルーの感想はかなり書きにくかった。

ホームページ容量がついに底をついた。いつの間に10MBも使ったのだろう。 どう見ても5MBしかないように見えるが、ダメなものは仕方ない。 手を考えねば。容量はまだまだ増える一方なのだ…。

2000年8月1日

今まで日記はdiary.htmlという名で書き、月が変わったらこれを diary(年・月).htmlという名に改めて保管することにしていた。 いつも更新するのはdiary.htmlで楽だからである。 しかし、これだと日記の特定の場所にリンクする場合にやっかいなことになる。 月が変わるとファイル名が変わるためにパーになるからだ。 というわけで多少は面倒でも最初からdiary(年・月).htmlを更新してゆくことにし、 diary.htmlは廃止した。食い物日記の方も同様である。

あーあ。この忙しい時にこんな長い文章書いちまって(下参照)。 瑠璃色の雪はバカでおもしろいなぁ。早く続きやろ。 まだやらなあかんゲームが3つも残っているのにこんなことをしているヒマはない。 今週末はアレルゲンの原稿もあるのだ。

アレルゲンの予定はこんなもんでどうだろう。 こみパ本はコミケ爆破ネタで4ページくらい描けそうなので 人にあまり描かせる気はないが。

PentiumIIIが1133MHzに。さあがんばれAthlon。

いまさら戦争その他について考えてみた

  「国民の歴史」の批判本を立ち読みした。かいつまんで読んだので全部ではない。 なにしろつまらないので読むのが辛いのである。 大半は細いことをうだうだつっこむまさに批判本だが、 人によっては良識的なものもあって、確かにそうかもしれないと思わせるものもある。 さて、おもしろいかどうかと正しいかどうかは違う。 紳士的かどうかと正しいかどうかも違う。 国民の歴史の著者はかなり言いたい放題な人であり、紳士的とはあまり言えない。 自分の思うように勝手に解釈していて一つのストーリーにすらなっている。 しかし、おもしろい。一方その批判本の著者の大半は余計に紳士的ではない上に ストーリー性もなく、つまらない。 しかし、こういうことは書いてあることの正しさ とはまるで関係がないのだということに注意せねばならない。 普通、おもしろく書いてあれば説得力を感じるものだし、 言いたい放題勝手な文章よりは、紳士的に見える控え目な文章の方に説得力を感じる ものだからだ。しかし結局どっちが正しいかは体験を欠く オレにはまるでわからないのである。

  個人の悪事というのは社会に迷惑をかけることである。 国の悪事というのは国の集団を社会とみなした時にその 社会に迷惑をかけることであろう。 さて、個人は基本的に利己的である。 こいつらが集まっている中で、他人に迷惑をかける奴は その他の多数の人間にとって困る。ジャマである。 だから他人に迷惑をかける奴は「悪い」として修正あるいは排斥する。 人を殺すのが悪いのは、 社会が困るから悪いのであって、もともと道徳とかいうものが絶対唯一で 与えられているわけではないということだ。 さて、この利己的な人間共が集まって社会を作る。 ある程度均一で数がいれば、この集まりは一つの人格と近似できる。 だから「国が」という言い方ができる。さて、国は利己的である。 国の構成要員にとっては国の中が世界の全てであることが多いから (人によっては自分一人が全世界だったりするが)、 その外に迷惑をかけることについてはあまり気にしない。 「人間は進歩すれば地球全体を自分の世界として意識し、無関心を克服できる」 と信じる人もいるだろうが、そんな奴が大多数をしめる日は永遠にこないだろう。 そんな外のことは気にしない奴等の集まりが国だから、 当然国も外のことは気にしない。つまり利己的である。 さて、国というものはそういうもので、国際的にどうのこうの言うのは 自分の不利益がイヤだからであって道徳心に燃えているからではない。 勝手なことをすると他から叩かれるからこそ、勝手なことをしないのである。 怒られるのがイヤだから万引しないガキの行動原理と 何も変わらない。愛も道徳もクソくらえである。 だから、多少怒られても得をすると見れば、どこの国も平気で勝手なことをする。 アメリカはよく人の土地に踏みこんで荒らすが、 根回しをして怒られないようにするとともに、 強いので他の連中が文句を言えないことを知っている。 頭のいいジャイアンである。勝手であまり美しくはないが、 それがあたりまえなのだ。人間はその平均値をとれば利己的なのは間違いなく、 であれば国も当然利己的であり、自分の利益でせいいっぱいである。 食うに足りた奴は他を思いやるヒマもあろうが、そんな国は存在しない。 「うちはもう金持ちだから、他に奉仕しよう」なんて 国があったら中の人間が怒るに決まっているからだ。 そういうわけで隙あらば尻の毛までひんむいてやろうと必死である。 しかも規模がでかいのでやることは個人の時とは比較にならないほどエゲツない。

  ところで、国の悪は国があつまってできた社会に迷惑をかけることなわけだが、 個人の集まりとしての社会の時とはいろいろと話が違ってくる。 まず、国の個体差と、個人の個体差では圧倒的に前者の方が大きい。 人の数、広さ、軍事力。何をとっても平等なんて 言えるはずもないくらい違う。加えて数が違う。個人はなんぼ少なくても 国あたり万単位でいる。万いればそれはもう統計的に処理可能な数だ。 しかし、国は百のオーダーである。ゆらぎが大きすぎて統計的には処理しきれない。 この2つの条件からして、小さい国が殺されたところでデカい方にはあまり 迷惑もかからないし脅威でもない。 個人レベルでも浮浪者が死んでもあまり気にしないわけで、 国であればなおさらであろう。 個人の集団では成りたつことがいろいろ成りたたないのにもかわらず、 無理矢理成り立つことにしているのが国際法であるとも言えるのである。 なぜ無理矢理成りたつことにしているかというと、 その方がある程度強い国みんなにとって都合がいいからだ。 戦争が抑えられているのは、デカくて影響力のある国がみんな戦争をしたくなく、 させたくないからであり、デカくて影響力のある国がみんなで戦争したくなれば 今の平和一番な風潮はあっというまにブチこわされるだろう。 所詮損得の話である。他人が自分に悪意をもっていないと信じるのもむつかしいのに、 他の国が自分の国に悪意をもっていないなどと信じることができるはずがない。 悪意とは言わないまでも、他国の損を自国の損と同一視するほどの善意は 持ち得ない。まかり間違ってそんな気 を持った国は尻の毛までひんぬかれて滅ぶはめになる。

  ところで、国と国の友情やらなにやらというのは、国民のそれの平均値で決まる。 ここで重要なのは、個人が外国を意識する時、外国人の個体を意識せずに、 その総和である国という抽象イメージを意識するということである。 日本人はアメリカに対するイメージを抱くのであり、 アメリカ人の個体に対するイメージを抱くのではない。 さて、日本人のアメリカに対する信頼と、 アメリカ人の日本に対する信頼どちらが大きいか。 言うまでもなく前者だろう。というか言いかえると、アメリカ人にとっての日本は 日本人にとってのアメリカほど重要ではない。関心が薄い。 つまり、日本はあまりアメリカに迷惑をかけられないが、 アメリカは日本に迷惑をかけてもあまり気にしない。 そのへんは少しわかっておいた方がいいのではなかろうかと思ったりもする。

  さて、国の悪事なんてものはあるだろうか。 この瞬間に北朝鮮がどこかに消滅させられたとて、あまり困る国はないだろう。 もちろんそれをネタにして、攻めた国をやり玉にあげて自国が得をしようという努力は するだろうが、それは攻めたという悪事を懲罰するためではない。 そんな正義やらなにやらという概念で国をあげて何かをする国はアホウである。 アメリカは正義をネタにしつつも国益を行動原理にしているのであって、 そんなアホウとは違うのだ。当然日本もなんだかんだいっても国益を行動原理にして やっているはずである。 韓国に金を払うのも払わないよりも日本が得をするからで、 根本的な同期は罪悪感云々の話ではなかろうし、 アメリカに基地をやってるのもその方が日本が得をするからだろう。 その判断が正しいかどうかはともかく、そのように上の人は考えているはずである。 もしそのように考えてやっていないとしたら、そんなアホウな政治家はいらん。 政治家に必要なのは高潔な人格ではなくて損得勘定だ。 ともかくも、国のやることに道徳は適用できない。 善悪は道徳の産物であって、道徳の適用できないところに善悪はない。 言うならば自分が得をすることが善で、損をするのが悪である。 「弱いものいじめはいけない」などという個人の集団ですら成り立つか危うい道徳が 国の規模で成り立つとは到底思えないではないか。

  そう考えると、第二次大戦はどうだっただろう。 国のやることに善悪を決めにくいのは見た通りである。 個人と社会の関係から類推した道徳で国の行動を考えるからわからなくなる。 「日本は朝鮮を植民地にしたりして悪いことをしたので、 空爆したり原爆を落としたりしてとっちめた」。 こう書くとまことにわかりやすくて筋が通っている。 しかし、当然逆に日本がいい者だったという筋もかける。 筋を書くのは簡単であって、そのもっともっぽさで善悪を断じても はっきり言って意味がない。 「西洋諸国に対抗する力をつけないと日本も植民地にされてしまうので、 弱そうな中国やら韓国を手に入れたりしようとしたが、やっぱりそれでもダメで かえってそれをネタにしてとっちめられた」というのも事実ではあろう。 もちろん「弱そうな中国やら韓国」にとっては迷惑だっただろうが、 そんなことを国が考えられる余裕はない。自分のことで精一杯である。 日本が悪でアメリカが正義、なんてのは単純すぎてアホウだ。 利己的なのが悪であるという一般イメージからすれば、 「やられた国以外みんな悪」と言った方がしっくり来る。 ナチスのアレも、「すっげえ悪いことをした」と言うことはたぶんできない。 「他の国を怒らせることをしすぎた」と言うことはできたとしてもだ。

  さて、「他がやってるんだし自分もやっていいだろう」 という考え方は嫌われるものだ。 「西洋諸国は植民地化しまくったんだから日本も韓国をそうしていい」 という考え方は嫌われる。同様に、 「日本が中国人を虐殺したなら アメリカも日本人を虐殺していい」 という考え方も嫌われるはずである。 しかし、こっちはあまり嫌われていない。 それはなぜかと言うと、悪人は何をされても仕方ないという概念があるからである。 因果応報である。 「Aはしたんだから、Bもしていい」は嫌われるが、 「Aはしたんだから、Aはされていい」は当然と思われる。 個人であればこれは当然ともいえるが、 言ったように国ほどデカい集団になると道徳概念は通用しない。 あるのは損得勘定だけである。

  というわけで、いま主流の「日本は悪いことをしたからちゃんと謝って これからは平和に尽力しましょう」という考え方の本音は、 「日本は国の得にもならん戦争をして他から責められて大損をしたので、 これからはそういう軽率なことは謹み、かつ平和というスローガンをかかげて他から 責められないよにしよう」というものであるはずである。 一般国民はいざしらず、国のお偉いさんはそう考えているはずである。 が、たぶんそうではないのだろうなという気がするあたり オレは政治家を信用していないのだろう。

  念のため。オレはあの戦争が「いいこと」だったなんて言ってはいない。 善悪そのものを言っていない。だから道徳うんぬんでオレを攻撃しないでほしい。 この手のことを書くと恐い人がたくさんメールを送ってきたりするらしいからだ。 モラルに欠ける人だと思われるのは耐えられるが、 言われるのはうっとうしいのである。 が、国のやることにも善悪がある、ということを論ずるのは歓迎である。 そこらへんの本を読んでも個人レベルの道徳と同一視しているものが大半で、 国の行動に道徳が適用できる根拠を示しているものがみつからなかったのだ。

  さらに追記。こうは書いたが、人間は道徳観念をかなり強烈にもっており、 そこから逃れて自由に理性を働かせることはまず不可能である。 こんなことを書いてるオレもナチスは悪者っぽいと思っ てるし、 アメリカの空襲や原爆もクソ悪事だと思っている。 日本のやったことも「善悪」と結びつけないと思考することすらできない。 言葉でなんぼ否定していても、植民地化は「悪かった」と思ってしまうのである。 だからして、みなが個人と集団の違いをわきまえて国のやることにそのまんま道徳を 適用しないほどの知性を持ち得るなどとはまるで思っていない。 そうなるべきだと思うことと、そうなることが可能であると思うことは別だ。 前者はまだ知性の範囲だが、後者は信仰に属するだろう。 たぶん、オレは絶対捕まらないとしても人を殺せない。


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