純正調について

ここでは和音というものについて書いてみましょう。 そして、この和音というものを周波数から考えていくと、 どうしても純正調と呼ばれる概念が入ってくるのです。

まずは半音づつ

まず、ある音を半音づつ上げていった時に周波数がどう変化するか見てみましょう。 1オクターブとは周波数が倍になる音程のことですが、 この1オクターブは12の半音(ドとドのシャープの音程)です。 よって、半音上がるということは、周波数が 2の12乗根倍だけされることなわけです。 以下に表にしてみましょう。

さて、ここで和音というのは周波数的にどういう関係を満たしたものだと考えられるで しょうか。感覚的に不協和音というものはうなりが聞こえる和音だと理解 できますから、逆に調和した和音というのはうなりが生じない関係と考えられます。 うなりが生じないということは、 周波数が整数倍になっていることですが、3/2倍とか4/3倍のように ある程度の周期でぴったりと重なるのならうなりは聞こえにくくなります。 つまり和音というのはそういうふうに何分の何という形に書ける関係になっているもの と考えられるわけです。

さて、一般に調和しているといわれている和音は、 長三度、長五度、長六度が有名です。ドとミ、ドとソ、ドとラですね。 しかし、これらの周波数を見ると、それぞれ、1.2599、1.4983、1.6818と そのままでは何分の何とは書けません。 しかし、少し考えてみればこれがそういう値にかなり近いことがわかります。 1.2599は1.25、つまりは5/4。 1.4983は1.5、つまりは3/2。1.6818は1.6667、つまりは5/3に それぞれ近いのです。つまり、前述の周波数の関係であれば和音であるという仮説は かなりそれっぽいということが言えます。ところで、この関係を考えると、 より調和した和音にするには正確に数学的に得られた周波数よりも 少しずらして何分の何とかけるような関係にある周波数の方が適していると 言えなくはないでしょうか。正確なドとミでは1.26倍になりますが、 少しミを低めにして1.25倍にすればミ5周期、ド4周期ごとにぴったりと重なり、 もっときれいな和音になることが予想されるのです。 これが昔から感覚的に知られていることで、純正調と呼ばれてきました。 実際に演奏する時には数学的に正しい音の高さではなくて、 この切りのいい方の周波数を鳴らすのです。

さて、実際には他の音程も比較的切りのいい比の数値に近いと見ることができます。 これを表にしてみましょう。分母が5以下のものだけ挙げます。

+1、+2、+11半音は分母が大きいことからかなり無理があり、 調和した響きを期待するのがむつかしいことがわかります。 また、+3、+6、+8半音に関しては、 調和しているとまでは言えなくても、ある程度ズラすことで うなりを抑えてより調和して聞こえるようにできることが期待できるでしょう。

ところで、3度の和音と10度の和音は同じでしょうか。どちらもドとミの関係です。 一見1オクターブズレているだけで似たようなものに見えますが、 実はこれはずいぶん違う和音なのです。 3度では+4で、比は1.25ですが、10度では+16で比は2.5になります。 分母が4と2では調和の度合がまるで違います。10度の和音をならった時 その調和の美しさに漠然とながら感動したものですが、 それはこういう原因によるのです。10度の和音は5度とならんでオクターブの関係の次に 調和の度合が高い和音です。オクターブでは分母が1ですが、 10度や5度では2になります。 よく用いられる3度が4、6度が3ですから、 その調和の度合の高さがうなづけるでしょう。 事実最初に生み出された和音は5度だと言われています。 グレゴリオ聖歌などは5度の和音から成り立っていました。 ところで「オクターブずれても同じ」という感覚は広くあるものですが、 だとしたら2(+2)度と7(+10)度の響きの違いはまるで説明できません。 前者はうなりがひどく不快ですが、後者はそこそこきれいな和音なのです。

さて、三和音以上はどうでしょう。 これは分母を同じくする比の音どうしを混ぜて作られるのです。 「ドミソ」つまり+4、+7の和音では、1、1.25、1.5となり、 それぞれ4/4、5/4、6/4の比となります。分母は等しく4です。 前の表からして、分母が6よりも小さければ経験上調和している和音とみなせますから、 これは3和音として聞こえることが数の上からも裏づけられます。 また、「ドファラ」すなわち+5、+9の和音では、1、1.33、1.66となり、 それぞれ3/3、4/3、5/3となることがわかります。分母は等しく3です。

絶対音感そんなにいいものか

さて、このような操作を感覚的にやるには、 音の基準を瞬時に切り変えなければなりません。 そのためには、「この周波数の音がドである」という感覚よりも、 「今この音をドとすれば、あの音はレである」という感覚の方がはるかに役に立つ のは自明でしょう。 前者を絶対音感、後者を相対音感というわけですが、 楽器の演奏を行うに際して圧倒的に重要なのは相対音感なのです。 絶対音感の持ち主は、あらゆる音が同等なために、 一つ基準を作ってしまってから 全てその音との差で感じるという感覚的な作業がしにくくなります。 頭の回転が速ければ「+X半音だから…」のように計算していくこともできますが、 前述のように和音に際しての周波数操作は「半音」などというおおざっぱなもの ではないのです。「何長調だから、この音を弾く時にはこれくらい高くして…」 のようなあまりに複雑な計算をするハメになり、 そんなことを実際に行うのはほとんど不可能なために結局音が調和しないことにな ってしまいます。 絶対音感が相対音感よりも強く働いている状態というのは 音楽をする上では非常にやっかいな状態なのです。

また、オーケストラによってドの音の高さが違うということもよくあります。 ある楽団は440Hz(時報の低い方)をラとしていますが、 またある楽団は448Hzをラとしているということが実際にあります。 いち速く「それがドなのだ」 というふうに頭のなかを切りかえて、そこからの音程というものを作る方が ずっと現実的なのです。

やたらともてはやされる絶対音感ですが、 実はそんなにいいものではないというのが おわかりいただけただでしょうか。

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