日記

1999年11月30日

合宿から帰ってくる。かなり金はかかったが、 なによりも恐い話がいろいろ聞けたのがよかった。 現実がたいがいのフィクションよりおかしいのは有名な話だが、 それを実感するような出来事にでくわすことは少ないのではなかろうか。

練習をしないと命がない、というのはおおげさだろうが、 練習をしないとヤバいことは確かになった。 しかしまあ、なんとかするしかないのだし、 なんとかしよう。 おそらく、打撃を食っても大丈夫な体をつくるよりは、 打撃を食う前になんとかする方が楽だし現実的だ。 もちろん両方ともやるのだが、どちらに重点をおくかという話だ。

帰る途中に寄ったパーキングエリアで、 どういうわけか野菜を売っていた。 チンゲンサイがかなりの量で100円。 買った。

帰ってまだ8時だったので、例会に行ってみた。 これというイベントがなく、ゲームをしにいく人達を見送る。 自分で何かをやろうと呼びかければいいのだろうが、 みんなを楽しませるイベントを企画するにはオレは偏りすぎた。

1999年11月28日

友達のUSBスキャナの設定にいく。 えらい簡単だが、何もしらん初心者には辛かったか。 それにしてもCANONの最新スキャナだけあって小さいし、デザインも秀逸だ。 オレの論文ファイルと同じくらいしかない。 いいなあ。うちのumaxのastra1200sはデカいことにかけては天下無双なのである。 電源プラグがないのもいいし、電源スイッチすらない。 スカジーの巨大なコネクタもターミネータもない。 USBケーブルは細くて長くできるし、 OSの再起動もいらずにさせば使える。あんないいものはない。 早くLinuxでもUSBが使えるようになるといいのだが。

依頼されたMIDIアレンジだが、まったくいじるところがない。 アレンジすれば曲のコンセプトそのものを変えることになるのだ。 2音しかない単純な曲だが、それこそそれとして完成されているのである。 打楽器をつけても、和音を重ねてもうるさくなるだけだ。 パートごとに明確にわけて、おかしい音を2、3直しはしたが、 これ以上なにもできない。 せいぜいやるとすれば曲を延長することくらいだが、 それはもうアレンジではない。 曲そのものはそう変わったものではないが、 こんなものはオレには書けないなと思った。 ましてそれほどの音楽経験も音楽知識ももたぬ人である。 ああ、センスというものはかくも大きなものであったか。 音楽はプラトンだかだれだかが「最も高度な芸術」と評したもので、 それは現実の他の現象に最も依存しないものだからだと言う。 絵は現実にあるものの形に依存する。詩も出来事や言葉に依存する。 だが、音楽にはそれがない。つまり、最も経験を必要としない芸術なのである。 いいかえれば、一番努力が無駄な分野ということか。 そう考えると腹が立ったので、自分MIDIを改良した。

流しがつまったのは前に書いた通りである。 こう目の前でつまって水にあふれている流しをみていると、 部屋が汚いのも、調子が悪いのも全てこのせいに思えてくる。 そこでジャンプ(大手雑貨屋)に行って便所ズッポンを買ってきた。 正式名称は知らないが、こう書いてわからない方はおられまい。 あの半球状をしたゴムが棒についていて、 便所などがつまったときにズッポズッポやる奴である。 530円だ。これを流しに適用する。 すると、恐るべし便所ズッポン! みるみるうちに水が流れてゆくではないか。 心のもやもやが晴れてゆく思いで、流れ去る水をみつめる。 これを発明した人に多大な敬意を表したい。 だが、名前はやはり便所ズッポンである。

不意にドラクエIを始めてしまって、30分。 まちがってロードをしてしまって10分がパーになった瞬間目がさめた。 しかし、このペースだと3時間あればクリアできる。 しかし、それにしても何かさみしい。 10分パーにしたのも寒いし、 そもそもドラクエなんぞを始めてしまった事自体も寒い。

1999年11月27日

いろいろあったが、とりたてて書くほどおもしろいこともない。 やっていたことはと言えば、実験、拳法、サイト更新(現在)で、 これからやろうとしているのは、漫研サイト更新、依頼MIDIアレンジ、バナー2号作成 といったところだ。ささやかすぎて涙が出る。 それにしても、バナーというのはどういうものがいいのだろうか。 要は社ロゴと一緒だろう。とすると社名(サイト名)は書いてないと話にならん。 マークとも違うし、大変だ。考えるのが面倒なので、 てきとうにタブレットで落書しよう。

漫研サイトを更新しようとftp.fortunecity.comにアクセスするも、拒否される。 たまに通るのだが、たまにでは困るではないか。 おそらくはアクセス人数制限だろう。 すいてる時間にしか更新できんとでもいうのか。 さっそくサイト紹介文が届いたので掲載しようと思ったのに。 ああ、そういえば、部員紹介オレがかかんと誰もかかんな。 さっさと描くか。明日の昼間中には。

1999年11月26日

朝から小泉氏がちょっとした用でくる。 ついでなので、帰る時についていってフロを借りる。 ところが、恐ろしいことにテレビ大阪でガッチャマンの再放送が。 ものすごいバカさである。いや、当時はまじめだったのだろう。 だが、今となってはギャグにしかならないようなやりすぎな演出だ。 こんな漫画描きたいな。 しかしそれにしても人体のデッサンはちゃんとしすぎているくらい ちゃんとしていて、恐い。まだアメコミ調な時代ということか。

1999年11月25日

筋繊維損傷。医者によるとそんならしい。全治2週間。 蹴られて筋肉が傷ついて出血したせいで筋肉が動きにくくなり、 可動範囲が狭くなっているらしい。 そのせいで、ねじったり、 力を入れたりするとつっぱって痛みが走る。 骨に異常がなくてよかった。

友達のスキャナがおかしいとかで、うちで動作確認をしたところ異常なし。 だったら、持って帰ればいいと思うだろうが、 このスキャナはとにかく縁起が悪かった。 SCSIとの相性問題を起こしたのに始まって、 日本語のまともなドライバがなかったりとロクな経験がないのである。 そこで、高値で売れるならうりはらって接続の楽なUSBにしようと、 小泉氏に売り払う交渉をすることになった。 あっさりと交渉は成立する。 ところがその後にオレがケーブルを見たところ、嫌なことに気づいた。 ケーブルの端子が一本折れていたのである。 いつもオチは意外なものだが、これは意外なだけでおもしろくもなんともない。 彼にとっては特に。商談成立の後になかったことにしてと言うのも寒かろう。 まあ、新しく買おうと思っていたものの値段とそう買わらぬ値段で売れたようなので、 大した問題ではないのだろうが。

うに氏の描いた栞(久遠でなくKANON)にペン入れをして遊ぶ。 ここどうなっとんねんとか思いつつ、そこそこ忠実にペン入れ。 横におった香里を勝手に制服にするあたりは例外と言えよう。 それにしてもむつかしいのは「よれないこと」。 長い線をふるえないように一撃で高速でひかねばならない。 それに加えて太さの制御もついてまわる。 ここは太く、ここは細く。そんなことも引く前に決定し、 一撃必殺でひく。これは全ての準備を整えてから一気に炒めるという 中華料理とも通じるところがあるだろう。 まあ、どうもマシにはなっているらしい、ということと、 これ以上マシになるには何を気をつければいいか、 ということがそこそこわかったような気がしないでもないので、良しとしよう。 いつぞやのタブレット一撃必殺描きがこれに貢献していることは間違いない。 もっとやってみよう。 コピー本の表紙(カラーに決まっている)くらい自分でかけたらいいなと思うし。 しかし、メモリたりねえな。こりゃ。 それにどうやって印刷機のある家まで運ぶのか。 300dpi、220x150mm、256色で4.4MB。 これに圧縮がかかるとすればWEB経由でもなんとかなるか…。

1999年11月24日

23日0時から5時までカラオケ。 普段歌わないような歌を普段あえないOBと一緒にえんえんと歌う。 叫ぶのはいい。楽しかった。

23日18時30分。 学園祭は一足先に終わった。 さて、あのことはどうだろう。そのことはどうだろう。 問えば、あたりまえのように答えは返る。

ささいなことで脳はそのホルモンバランスを変える。 心なんて、気分なんて、化学反応だ。 オレはそう思うことで、その反応条件を変えようとする。 では、「思う」とはなんなのだ。

観測できないことは存在しないのと同じに見える。 自分が何かに作用を及ぼしていることを知るには、 その何かから作用を及ぼされなければならない。 反作用が、作用の存在を証明するのである。 だから、 おもしろい同人誌を読んだ時には作者に感想を伝えよう。 もっとがんばってもらえるように。 その程度もまたむつかしいのだけれども。

1999年11月23日

「主張しない」ことができるようになりたい。 オレの文章も言葉も主張に満ちている。 傲岸という言葉の意味を知ってはいたのに、 それを国語辞典でひくことはオレには重すぎたのだ。 全面改訂を行おう。

自分の外からの見返りを期待した努力は才能や運の裏付けがなくては 徒労に終わる。 もうすこし楽な生き方にあこがれよう。 それを阻むのは朽ちた誇りだけ。

1999年11月21日

学園祭。えんえんと校舎でポスターを描いたり、 ダラけたり。

たきこみごはんを10合作っていって、売りさばいて現金を得る。 840円。コスト分は元がとれている。 しかし何よりも、今金が手に入ったということそのものが大きい。

わびを入れる決意をする。自分の生き方は変わったことにしたのだから、その 方針に従おう。極端はまず疑ってみる。

1999年11月20日

muleをひさしぶりに導入してみた。速いので感動。 いらんものがないので感動。 古くさいものも捨てたものではない。 mewとirchatが使えることさえ確認できれば xemacsはさようならしてもいい。

急にtruetypeが出なくなった。 truetypeを出そうとするとxごと落ちる。 昨日の更新でライブラリーが変わったのだろう。 やむを得ずまたXFSに。速い石ほしい。 というかDEBIANにXTTつきのXserverは入らんのだろうか。

1999年11月19日

中国人をスキャンして印刷しようとしたが、無理だった。 余白の調整、サイズ合わせ、 白黒二値化、PS書き出しにそれぞれ分単位の時間を要し、 その上印刷した結果がズレていたのである。 やめだ。 メモリが256MBになるまでは印刷サイズの絵は扱わない。 今はサイトに置く程度の小さいのをタブレット直書きでやってればいい。 DRDRAMも出てきたようだし、 そろそろSDRAMなんて物はカス同然の値段にならぬものだろうか。

例会後、漫画評論本の印刷を手伝うことになる。 ちょっとだろうと思ったら部数も ページ数が多くて、かなりかかった。 できたての本を買えればよかったのだが、 持ち金が40円台。 読むこともできず帰る。

道場の合宿の宿代を払わねばならない。 1万円。 豆を買ったことを後悔せねばならないらしい。 親に泣きついて入れてもらった、 その金がこれで消える。 もう、完全に金がない。 楽しい学園祭は明後日だが、金はない。 もう、ダメだ。

1999年11月18日

なぜこうも半端に時間が開くのか。 半端でもちゃんと少しづつ進めればいいのだが、 どうもできん。とりあえず、自作曲3をまともにした。 そこそこまともにできたとは思うが、 まともなだけでどっかで聞いたような曲だ。 展開も教科書通り。なぜもっとおかしな旋律が出てこない。 これは音楽に限らないことなのだが、 このままでは良くても全能力値17のソードワールドキャラだ。

コミケにはどうがんばっても2日間しか行けない。 たぶん26しかいけない。 24まで研究室のセミナーがあるからだ。 そして、オフセット本を出す予定も断念。 印刷所のしめきりが思ったよりもはやく、 オレもふくめた参加者全員がしんどいからだ。 仕方ないのでその企画とは関係なく勝手にコピー本でも作ることにする。 そんなものが売れるわけがないので、ちょっと刷れば十分だ。 表紙どうしよう。オレにちゃんと目にとまる表紙がかけるとは到底思えない。

またいらぬことを言ってしまったことに気づく。 掲示板。発言を消すことも、 訂正のメッセージを書きこむのも等しく愚かだ。 つまらぬことで不快になるのもアホだし、 つまらぬことで人を不快にするのもアホ。 自分にとってつまらぬことではなくても、 絶対的に多数の人間にとってつまらぬことならば、 それはつまらぬこととみなした方が賢いのである。 とにかく、余計なおせわはもう正式にやめよう。

1999年11月17日

12000。危機感。近頃まともな意味での更新が少ない。 小説を上げたもんでダラダラしとった。 MIDIと日記ではちゃんとしているとはいい難い。 食い物の話も興味ある人がそう多いとも思えん。 やはり人がよく見にくるのはたいがい絵がきれいなサイトだし、 オレもそれにならうべく努力してみるのもいいかもしれない。 やはり見栄えはたいせつだ。 ここも色を変えてとりあえずアングラ系サイト には見えなくなっただろう。 次は表紙絵を自分で描きたいものだが。

小泉氏の家でコンテ。 だが、別の紙にコンテを切るのは性にあわず挫折。 とりあえずページ配分だけ決めて、 あとは妄想コンテで下書きに進む。 しっかりノートにコンテをかいてから それを描き写すなんてのはオレには耐えられない。 行きあたりばったり出たとこ勝負だ。 失敗したら描きなおせばいいのである。 というわけで16ページに確定した。 ページを決めてしまうことで ペース配分も決められるし、作業時間が推定できる。 しかし、いままで絵にさほど執念を燃やしたことがないので、 本当にちゃんと描いたらどれくらいかかるのかがわからない。 それだけに今回は相当大きな経験になるだろう。 だが、いろいろな要素がからまって、間にあう確率は高くない。 頼む予定の印刷会社は何度電話しても電話に出ないので、 仕方なく2つの印刷所のサイトを調べてみると、 フルカラー表紙の入稿は20日前後。 本文も12月の3とか6とかだ。 描く人間が一箇所にいないので連絡がつきにくいし、 輸送でも時間がかかる。編集などを考えると 12月になる前には上がってなければ絶望的だ。 ただどう見積っても、16ページなら12月中旬までには上がる。 印刷所に出すのは間にあわなくても、 冬コミそのものには間にあうのである。 そうしたらコピーして配らせてもらってしまおう。 練りに練ったKANONの妄想は 漫画一つ描いたくらいで消えはしないので、 2月のイベントには別の漫画を用意してやるぞ。 どうせ今回のは時間がないからといって 別に考えたストーリーの奴なのだ。

1999年11月16日

あまりに半端に時間があまったので、ドラクエIIを片づけてしまった。 おもろい。ただオレのおもろいは作り手の視点で、 数値の処理やバランスなんかでおもろがっているところが大きい。 なつかしさがあって、 かつこれが異様なほどちゃんとできているからこそやる気になるのだ。 仮にこれが新作ならやりはすまい。 この時代にRPGを出すなら、女神転生やWizzardryのように、 他にない楽しみや売りをもったものを作っていただきたいと思う。 だが、誰かが作るのを待っていてもダメなので自分でやることにしよう。 今はKANON本でそれどころはないのだが、 それが終わればやれる。

最近道場でメニューに加わった筋トレ。 ただの筋トレではないらしく、やけに背筋にくる。 毎日ちゃんとやろう。道具は小麦ダンベル。 類似品にライ麦ダンベルととうもろこしダンベルがある。 はやい話1kgの粉の袋を重りに使ってるだけなのだが。

1999年11月15日

昨日かきわすれたのだが、フロ屋で体重をはかって驚愕。 57.2kg。重さを増した付属品(毛)がついてそれなので、 おそらく実際は57kgを切っているものと思われる。 体脂肪率8%。オレの体には脂肪が5kgもないらしい。 そしてその8割は尻にあるに違いない。 それとは関係なく体の調子はすこぶるいい。 上半身はだかでこたつで寝ても、 若干のどが痛くなる程度でそれ以上病状が進まずに治ってしまう。 まえまでなら間違いなくかぜだったものを。 しかし、それにしたってこの体重は何かイヤだ。 食いものは完璧ともいえる状態なので、 あとは筋肉をつけるべく運動をしようということか。

中国人カレンダーのためにJOJOを読む。 おかしい。なぜこんなにおかしいのか。 やはりオレとしては2部までのこのおかしさをこそ買いたい。 たぶん無自覚なあたりが素敵である。 もちろん3部以降も十分すぎるほどおもしろいのだが。

DIO似ない。困るほど似ない。でもいいや。 そこそこかっこいいし。でも、微妙にやおい耽美系っぽい。 そういやJOJOのやおい同人誌ってあるんだろうか ないってことはないんだろうが。

鼻の穴の奥にちりめんじゃこが侵入。痛いので、 ちりめんじゃこを食いながらくしゃみをする時には注意しよう。

いかん。濃く描きすぎて野望の王国になってしまった。 ああ、読みたくなった。 一冊50円なら全巻そろえてもいいのだが。

ベタを電気でやろうと思ったら、遅くてダメだった。 せっかく領域が閉じるようにペン入れしたのに。 バケツで塗るのは範囲選択に時間はかかりすぎてほとんど不可能だ。 ブラシは機能するが、せいぜい修正にしか使えない。 はっきり言って生身でホワイト塗った方が楽である。 結局数字も含めて完全に手書きになってしまった。 文明の利器が泣く。 一体いつになったら完全に電気でできるようになるのだ。 256MBのメモリと浮動小数の速いCPUがないとどうにもならん。 ちなみに、一番早いのはGIMPが加速することなのは言うまでもない。 PHOTOSHOPがいかに恐しいソフトかがよくわかる。

1999年11月14日

蹴りを受けた腕が痛い。 蹴りを受けられたすねが痛い。 筋トレの後遺症の筋肉痛が痛い。 しかし、空手の大会に出るなんざそんなものではない。 フロ入って筋肉痛をマシにしてから今日の練習をしよう。 ああ、でも中国人かかなきゃ。今日はそれ。明日はKANON本コンテ。 あさっては…そんな先のことはわからない。 急にボトムズみたくなった。 ああ、次回予告全部録音してmp3にしておこうっと。 お、それよりも中島みゆきを全部HDDにたたきこんで エンドレス再生できるようにせねば。 …HDDたりねえ。 しかし、富士通から一枚10GBのやつが出て安くなるまでは待ちだな。 それにしてもK62+はなさそうだ。 Athlonの廉価版に期待しよう。 socketAだったっけか。もうどうでもいいが。 それよりも、絵かくのにメモリがほしいな。 中国人もベタから先は電気でやるつもりだし。 おっと、フロいって中国人かかねば。 ネタがもどった。

いっぺいがもの食いにきた。 レンティルもやしと、のこりものの竹の子のにものを前菜に食わせ、 ライ麦小麦とうもろこし混合パンに、 カレーとリンゴジャムを合わせてふるまう。 食後に紅茶を一杯。 金を置いていってくれたりして、とてもありがたい。 けっこうな額なので、次は多少多めに食わせよう。 で、いっぺいが「The Star」をもってきた。 マガジンの昔の漫画なのだが、 ネタに困ったのか どんどん演出に頼るようになっていって、 5巻くらいでもうハッタリ漫画と化している。 真剣にやってるのにバカというのがたまらない。 こうなるとマガジンというよりジャンプだ。 普通に読めばなにもおもしろくないのだが、 ネタを探して読む分には異常おもしろいので、 一冊100円以下ならコレクションに加えたい。 とりあえずいっぺいがもう少し買いそろえるのを待つことにする。

1999年11月13日

冷静な自己分析ができるかどうかよく考えてみると、 たいがいできていないものである。 自分が自分を分析できていないことがわかるくらい自分を分析できれば、 少なくともそうそう傲慢にもなるまい。 同じように、 自分が正しいかどうかよく考えてみると、たいがい自分は正しくない。 自分が正しくないことがわかるなら、少なくとも独善には陥るまい。 だが、いつもそう簡単にはいかない。 感情が理性を使役するからである。 「オレは正しいんだ」と思っている感情が そのための根拠を理性に要求するような事態になると、 もう冷静な判断などできるはずもない。 なにしろ、自分が冷静であるか否かのマーカーのうち最大のものは、 理性を使えるか否かである。 そして、自分が冷静であるか否かを判断するのはその理性である。 一見理性を使っているが、 実はその理性が感情の手先になりさがっている状態というのは当然自覚症状がない。 だから、感情がたかぶった状態、あるいは感情がおちこんだ状態においては 自分の理性すら信用できない。疑うのも理性の仕事なので、 疑うことすら信用できない。だが、それでもなんとかして疑う努力をしなければ、 待っているのは孤独と後悔だけだろう。 間違って見える人間が、本当に間違っているのか。 自分に原因はないのか。よく考えてみれば例え相手に非があってもたいがい許せるし、 自分にも非がみつかるものなのだ。 そこで「そんなことはない、オレが正しい」と断言できるなら、 それは完全に理性が壊れているのであり、迷惑この上ない。 オレは経験からこういうことを知った。

1999年11月11日

今日は実験も早く終わり、部屋を掃除して漫画をかける体勢を整えていた。 部屋は思ったよりも物理法則に忠実だったらしく、相当に散らばっている。 掘っても掘っても古い地層が露出してくるのに難儀しながらも、 ただただ作業を続けるしかない。

発掘が六割がた進んだころ、一枚の紙屑が発見された。

「うぐぅ」

それはいつぞやのたいやきの包み紙。 脳裏に浮かぶのはあの流線形だ。 だが、私は即座にそれを振り払わねばならなかった。 なぜなら、もうサンプラザの前にはたい焼き屋はありそうになかったからだ。 あそこにたいやき屋があったのはあの日だけで、 その後何度か行ってみてもそこにあるのはたこ焼き屋だけだったのである。 サンプラザは決して近くはないし、 なかった時の落胆を考えるととても行く気にはなれない。 私にできることはただ関西人の習性を呪いつつ掃除を続けることだけだった。

買い物に行くと、十数種の食い物について値段を記憶している自分に気づく。 日本橋やら秋葉原に行った時にはコンピュータの部品で同じことをしていたので、 やはり私にはそういう傾向のようなものがあるようだ。 もっとも、近頃のそれはやるべきことからの逃避なのかもしれないが。

季節は冬。何かの季節である。このネタは前にやったのでもういいとして、 今日はこたつを出した。こたつは「炬燵」と書くのだが、 自分で書けない漢字を使うのもしゃくなのでひらがなで書く。 と、ふと気づいたが、実はこたつを出したという以外に書くことがないようだ。 仕方ないので、終わる。

水増しすればけっこうかけるものだな。そう思って、ひとりほくそえむ。

1999年11月10日

石井さんの講義がおもろかった。 自信に満ちあふれて、好きなことを好きなだけやって生きている人には 輝きがある。果してオレはあれほど学問を愛せるだろうか。 いや、それ以前にオレにはそれほど愛せることが見つかるのだろうか。

日記のネタがない。書いてはならんことを書かんようにしていると、 だんだん尽きてくる。あと三日もこんなつまらん日記が続いたら見放されるな、 と思うので、なんとかネタを仕入れる努力をしよう。 おもしろい出来事が起きれば何の演出もしないでいいのだが、 なかなかそうはいかない。何かとんでもないことがおこらんものだろうか。

1999年11月9日

例会に行って思う。ああ、楽だ、と。 今は楽になっている場合ではないのだが、 ちとふぬけているのでそうも言えない。 ふぬけた時に楽になるのがいいのか、 あえて厳しく戦うべきなのかはもう判断がつかないのである。 ただ、しめきりが近いという現実だけがのしかかるのだ。 そんな時に栄養の文章を書いてるのはふぬけの証拠である。 でも、今日は東海大の石井さんが老化についてセミナーをやってくれたので、 ちょっと触発されたのだ。あの人はおもろい人だ。 自信をもっているが、冷静に自分のやっていることを把握している。 土曜の学会の先生の一人とはえらい違いに見える。 まあ、イメージの域を出ないのだが。

1999年11月8日

自転車を買う。保証やら鍵やらで16000円ほどかかった。 ついでに穀物と豆を補充にいく。 金がないので貧乏シフトするのである。 貧乏シフトとは、野菜を買う頻度を減らし、穀物と豆で生きることだ。 魚も備蓄だけで生きる。 計算上月7000円に抑えても健康を害することがないという究極の体勢である。

今まで調べてきた安い食料情報をまとめて別に文書を作った。 情報がありましたらお願いします。 なお、料理関係のことを日記にかくのはうっとうしいという意見があるので、 日記に食い物の話を書くのはネタとして使えると思った時だけにする。 食い物コーナーを作ったので、こまいことはそちらに記す。

コーナーが増えてきた。もう何のサイトかまったくわからない。 しかし、まだコーナーを増やす予定はあるのである。 漫画をのせるとか、 作ったゲームをおくとか、そんなだ。 それに、作ったはいいがぜんぜん増えてないコーナーもある。 特に絵だ。これを増やさねばコーナーを作った意味がない。 さて、あとは定期的に更新するものの新しいネタがほしい。 毎日日記をかくのはあたりまえなので、あたりまえじゃないことをしたいのだ。 しかし、日替わり表紙絵程度ではめずらしくもないので、 日替わり1ページ漫画くらいやらないと話題にはならないだろう。 毎月8〜16ページ漫画をのせるなんてのも地獄でおもしろいかもしれん。 毎週2〜4ページもありである。 よく考えたら前は毎月8ページ書いてたのだから、 もう少し加速すればできそうではないか。 オレは見てる人が増えれば増えるほど燃えるので、 きっと必死になって描くだろう。とりあえずはKANON本を完成させ、 それを足がかりにするのだ。じゃ、描かなきゃ。 調子が悪いなんてのはいいわけだ。

XOOMにとっておいたスペースにファイルを送ってみる。 送れるぞ。見てみる。見えるぞ。 容量がつまったらここにおくようにする。 ここは10MBしか割り当てがなく、あと7MB。 絵なんか置くようになったらあっというまにうまるに違いないのだ。

1999年11月7日

朝、めざましが鳴った。その瞬間に目が覚めたのだが、急に腹が立った。 オレはおまえが鳴ることなんて期待していなかったのに、とわめいて、 もう一段階目が覚めた。

学会みたいなものに行く。 活性酸素の話2つと、タンパクとDNAどちらが先に生まれたかという話。 前者はほうれんそうの汁を細胞にかけたら活性酸素がなくなった、とか。 仮にそうだとしても、だからなんだという気がする。 SOD(Superoxide Dismutase)というタンパク質があって、 こいつがとある活性酸素を壊す酵素なのだが、 こいつを食ったからといって消化されるんだしどうなるものでもないだろう。 ちなみに、いつものパジャマっぽいズボンとはだしにサンダルで行ったので、 無用に目立った。寒くないか、ときかれたりもしたが、 その質問は言葉通りの意味にとっていいものか。

学会が長びき、出町柳に着いたのが20時。 自転車もないし、歩いたら1時間はかかるので道場も断念。 漫研の例会に行ったが、みな麻雀に行った。

1999年11月6日

今日も実験。明日はなんだかわからない講演。 時間が寸断される。まとまった時間がほしい。

実験が一段落し、道場へ行こうと外に出ると自転車がなかった。 道場へ行く手段がない。 歩いてでは8時をはるかにすぎてしまう。 きっと「こんな自転車摩擦大きくてヤだよ」なんて思ってたのを 怒って神様がとりあげてしまったに違いない。

神様っていう言葉はオレには似合わんな。

もやし研究会の資料が来る。一言。あやしい。 健康食品=サギというイメージは偏見もいいところなのだが、 あまりにもそのイメージそのまんまなのである。 科学っぽいデータがたくさん並んでいたり、 アメリカのなんとか基準がどうのこうの書いてあったり、 なんたら博士がどうのこうの書いてあったりと、 うさんくさい条件を見事に満たしている。 さらに印刷や紙面がなんとなく新興宗教のパンフレットみたいな印象で、 ただでもあやしいものをますますあやしくしている。 でもまあ、たぶんまともだろう。 ちなみに値段はそう安くはない。品質は最高級らしいが、 「品質の割に安い」というのはオレには意味がないのだ。 丸元の「安い」はそういう安いである。 参考にはするが、そのままは使えない。

漫画。 考えても出てこない。出てくるのは短いギャグばかり。 マジなものは出てこないようだ。 仕方ないのであれでいこう。

日常的にあるとじゃまに思えてくるが、 いざなくなると途方にくれることがよくある。 いらんものは捨てるのが良いが、 いらんかどうかは捨ててみるまでわからないのである。 金で手に入るものはまだいいが、そうとばかりとも限らない。

カレー。肉はやめだ。 鷄ガラがない分何かでアミノ酸を補わないと味が足りないが、 そこは豆。豆を煮て正体がなくなったところに 別々に炒めた野菜を次から次へと放り込む。 野菜入りダールカレー風味である。

スタイルシートを交換した。 今度のは明るい配色。1x1280の背景画像も用意した。 背景が黒い方が目が疲れないだろうと思ってそうしたのだが、 どうも世の中では背景が黒いサイトはアングラと決まっているらしく、 そういうイメージは困る。 もう一つくらい配色パターンを作っておいて、 しょっちゅう交換して遊ぼう。 スタイルシートのありがたみを天下に知らしめるのだ。

玄米と押麦とイエロースプリットピー(乾燥黄色いんげん) をまぜて炊くという実験を行った。 パラメータは配合比率と水加減である。 今回は全部等量、水は玄米と同じ1.5倍体積とした。 結果、ネバる物体ができた。 ネバりの正体はツブれた豆である。 玄米と押麦は原形を留めている。 見た目は悪いが、味が濃くおかずなしで食える。

1999年11月5日

実験ではじめて放射性物質を扱った。 やけに厳重だった。比べてみると例の臨界事件はムチャだろう。 これはネズミの動物実験の話だが、強烈な放射線を食らうとまず腸がいかれ、 吸収がおかしくなって2週間で死ぬ。 もっと強烈だと、免疫が粉砕されて数日で感染症で死ぬ。 そして、もっともっと強烈だと脳がイカれて即死する。 人間の場合は治療するから死なずに済むこともあるが、 放っておいたら100%死ぬ。 無知がいやなのは、そういうことがあるからである。

漫研の会誌の締切だった。 例会がおわったころ行ってみたが、 大半は編集作業にいき、残りは雀荘に行った。帰った。

日記が単なる料理記録になっていると指摘された。 だが、カイオウの鎧を剥げば魔闘気があふれる。 それをおさえつつ話題を多様にするのがなんとむつかしいことか。

柊氏(うに)に「近頃元気ないですね」といわれた。 彼に言われたら末期であろう。 だが、確かに末期かもしれない。

カレーを作る。食えるのは明日。 食欲くらいは満足させないとおかしくなりそうだが、それも叶わない。 気をまぎらわすためにラーメンを食べにいって、やはり胃を痛める。 金も、健康も、ただ失うのである。 得たものは数十分の思考停止だけだった。

1999年11月4日

実験しにいくが、誰も来ないので一人でできるところだけやって帰る。 30分とかからなかった。ついでにあそこに行こうかと思ったが、やめた。

ダメだ。漫画にするところが決まらない。 プロットのために小説を書いたのに、 どこを切り出しても不完全になる。 長く切り出せばなんとなかるが、ページ数が増えすぎる。 24ページにはおさめたいところだ。 それ以上は品質の保証ができなくなる。 こうなるとやむを得ない。これはこれでそのままにして、 別のストーリーを考えよう。あ、思いついた。

今日ほど気分が沈んだ日も珍しい。 と、気分が沈んだ時は思うものである。 今日もその例にもれないようだ。 まったく勝手なものである。

メシを炊いて、炒りおからを作って食う。 面倒だったのでごぼうしかいれず、ダシもかつおこんぶダシしか使わなかったので、 ちょっと味わいが浅い。しかし、おからがどれくらいのダシを吸うかはよくわかった。 おから220g程度でダシ汁をゆうに700mlは吸いこんでしまう。 2袋のおからで炒りおからを作ろうとしたら、 かつおこんぶダシ1Lに、椎茸ダシ500mlは必要になるのだ。 コストのかかる料理で、 まともに作ったら1200円程度になる。 ただし、できる量は半端ではない。 5.5Lのなべの8割くらいは占めるような量だ。 おから450g、人参2本、ごぼう2本、こんにゃく一個。 ねぎ5本。重量はゆうに2Kgを超える。 莫大といってよい。冷凍保存は効くが、場所を食いすぎる。 1.2Lタッパー1杯分400円ていったら誰か買うだろうか。

はかりを買ってきた。980円。これで味の再現性があがり、コストの計算が正確になる。 ついでにリンゴ酢も買ってきた。 ポテトサラダなどに米酢を使うと、主張が強すぎるのだ。 そして100%レモンジュース。レモンを買うより保存が効き、安い。 これでダールを作る材料は完全に用意された。 まともな料理が面倒で、1時間くらい時間がある時はダールに限る。 1.5リットル150円はアクエリアスより安い。ほとんど主食と化してきた。 冷凍するのもアホらしいくらい簡単である。

小説書き終えちまった。さすがに16kしかないだけあって速い。 しかしまあ、デッチアゲもいいところだ。 しかも全然舞のストーリーじゃねえ。 オレ何やってんだ。ちょっとこれは漫画にならんよなぁ。 役に立たない。本当は舞が自分で剣を打ってどうこうの話だったのに、 書いてるうちにありえないことがわかってきて、どうしようもなくなった。 祐一と会ってから剣の作り方を学んだってことはまずないしなぁ。 祐一と会ったのは7歳だもんなー。 うー。漫画どうしよう。

1999年11月3日

肉屋と豆屋を探しているうちに、うぐぅを発見。 たいやきだ。東大路丸太町北東のサンプラザの前。 思わず2個買う。これがまたかなりの味。 あんこがしっぽまでつまっているのはおやくそくだが、 なにより生地がサクっとして、口あたりがいい。 ハイレベルなたいやきと認定しよう。 そして、オレはあんこを作って備蓄することを誓った。

錦市場をうろつく。 ひとつおもしろい店があった。 店にデカデカと飾ってある色紙にかかれた文字は、「豆魂」。 豆腐屋である。豆乳ソフトや豆腐ドーナツなど、 わけのわからんものもありつつ、ちゃんとしたかなりおいしい豆腐を売っている。 普通のの倍くらいするが、 もし近くにあったらしょっちゅう買うだろうというほど味がいい。 ただ、錦市場は遠いので、買いにくることもなかろう。 ついでにおからを100円分買ってかえる。 ダシで炒め煮にするとおいしいのだ。 本当はおからなんかよりも豆本体の方がいいのだが、豆本体が高すぎる。 安い豆は一体どこで手に入るのだ。

あんこを作ろう。 今日のたいやきはおいしかったが、あんこがちょっとあますぎた。 自分に合った甘さを実現するには自分で作る他ない。 砂糖を入れれば入れるほど豆の味はわからなくなるので、 豆の味を楽しむためにも砂糖はできるだけ減らしたいところだ。 あんこの重量の3分の1が砂糖というのは気分がよくない。

レンティル(ひら豆)のスープ。たまねぎとにんにくを炒めて、豆をいれて煮る。 おいしいが、イエロースプリットピーを煮たダールに比べると味が薄い。 ストックで作りたいところである。

丸元の本に度々でてくる謎の組織「もやし研究会」。 検索したところ、1件だけひっかかった。 「CCさくら」とか「スーパー32x」とか「BTRON」いう単語が見え隠れする マニア系サイトの一角に料理関係の場所がなぜかある。 どうももやし研究会の会員らしい。 しかし、会の実体はさっぱりわからない。 そこで思いきって電話してみることにした。 すると資料を送ってくれるという。 どんなものが来るのか楽しみである。

夕方。そろそろ最終修羅場が始まったころか。 間にあうか間にあわないかの瀬戸際で火花を散らす男達の宴。 いてもたってもいられなくなったオレは漫画のプロットを書くために、 その原版たる舞小説を読み直す。 だが、なんと稚拙なことか。まるであらすじのように味がない。 しかしいまさら仕方なく、細いところを直してながら考える。 一体どこを漫画にしよう、でもやはり納豆巻は欠かせないな、 などととりとめのないことを考えながら、ただただ豆のスープをすする。 もう六時になる。

近頃食欲がひどい。試したい料理があとからあとから湧いてくるからだ。 食欲に知的好奇心が加わって、もはや止めようがない。 そのとばっちりを食ってか、買い食い頻度まで高くなっている。 そして、たいがいうまくなくて後悔する。 ラーメンを食ってひどい目にあったのもその一環だった。 そんな状態なので、食費削減が目的なのにメチャクチャな金がかかっている。 今もまだ常備食品リストの完成のための実験が続いており、 そのためにかかる金もバカにならない。 そのくせなぜか体重は減る。どれも低カロリーな食い物ばかりだからだろう。 肉はなかば追放されているし、 魚も干物か塩漬けなのでそうそう量は食わずカロリー源にはならない。 結局大量に食うのは豆やら野菜で、 そんなものはどう大量に食ったところで大したカロリーでもないのだ。 今日も58キロ台だった。体脂肪率は下がる一方である。 投げを食った時のダメージが大きくて困る。

牛丼を作っておく。ちょっと醤油が過ぎた。次は気をつけよう。 それと、油を除く画期的な方法を発見した。 どこぞのメーカーの油とりシートである。 以前実家から送ってきたのを忘れていたのだが、 使ってみたところ、見事に油だけがとれた。 水ははじくので、ダシを吸いこむ危険はない。 いちいち面倒なことをするまでもなく、 こいつをなべに入れて出すだけでもう油はさようならしているのだ。

1999年11月2日

料理やKANON熱をネタにして日記をかいていることは、 実はカイオウの鎧と同じ役割を果たしていたらしい。 機嫌がよかろーが悪かろーが、そういうことについて書いている分には 文章に現れないからだ。おっと、それ以上はやめよう。 とにかく、オレに考えるヒマも与えないほどの忙しさを与える以外に手はあるまい。 近頃オレもそのことを一種の諦めの気持ちでながめられるようになりつつある。 「理解」や「寛容」は諦めとは別のことをあらわす言葉だが、 しばしば表すものがよく似てしまうことがある。 それでも「諦め」でなく、「理解」や「寛容」という言葉を使わざるを得ない、 ということを諦めをもって理解するのである。 このくらいだとギリギリか。

漫研の人達が修羅場っている。 オレも行きたい。ああいうお祭り騒ぎのような中で人の 熱気をそばに感じながら原稿をかくというのは、 あまりにも濃密で楽しい時間だ。 だが、オレには風車小屋に描くべき原稿がない。 原稿を描かぬ者が修羅場にいても意味がない。 ジャマになる。オレならそういう奴をジャマだと思う。 だから、行くことができない。 だが、原稿など描く気になれば描けるのだ。 KANON本があるとはいえ、例会後に顔を出して、 人の家で数時間ダラダラできるほど時間があるのだから、 到底忙しいとは言えまい。そんなものはいいわけなのだ。 オレは3日半で構想込み12ページを上げたことがある。 一日半で構想こみ8ページをあげるのは毎月やってきたことだ。 締切は4日の夕方だが、 今からでも8ページ程度なら描ける。 だが、オレは描かない。描けないのではない。描かないのだ。 月刊誌の連載をやめる決意をした時よりも辛い。 辛い上に、それが自分に有益である自信もない。 そして、まわりには不快感を与える。 漫研の本に漫画をかかないことでオレが何かを得られるという根拠も確信もない。 だが、それ以上奥へ進もうとするとジャマするものがあった。 その障害とは、 描かない理由はもっと低レベルで、 幼稚な何かだということをオレが知っていたことだ。 それがわかっても、 それが何かを考えるのはイヤなのだ。 おそらくオレはそれが何であるかすらも知っているのだけれども、 言葉にしなければ考えなくてすむ。 外からのきっかけがなくては オレはどちらへ動くこともできそうにはなかった。

オレの心情を語ってみた。 これを「演出する余裕がある分まじめに考えてはいない」と見るか、 「素直に書いただけで演出したように見えるほど真面目に考えている」 と見るかで、オレというもののイメージが変わるだろう。 オレにもどちらなのかは判断がつかない。 ちなみに、ずいぶん前からこんな心理状態なので、 舞小説の舞はだいぶオレだ。シンクロ率が高かった。 異様な妄想強度もそれで説明がつく。

1999年11月1日

いちじくをつまむのにも飽き、買い物にいく。 魚と豆はあるが、それだけでも栄養が偏る。 というわけで買ってきたのは牛レバー。 キロ1000円と並だが、キロで買うわけではない。 で、これをどうするかというと、ただ焼くのである。 ただし、焼き方が問題だ。 火を極限までしぼり、油を使わないで、ふたをして焼く。 厚さ5ミリ程度ならまず2分、裏がえしてさらに2分。 多少こげはするが、すぐ洗っておちる範囲だし、肉も黒くはならない。 ビタクラフト以外でもできるだろうが、なんにせよふた付きが必要である。 でないと下からしか火が通らないため、 加熱時間を増やさねばならなくなる。 油を使わないために、油に味が逃げず油こくもならない。 焼いた後、少量の塩とくろこしょうを振って食う。 残り半分はカレー粉をまぶして焼こう。 そうだ。こんどいかを箱でかってこよう。 いかはレバーを食える海産物では一番安いはずだ。 身は冷凍できる。レバーはトマトと煮てソースにすれば冷凍できる。 もちろんスミも投入する。おいしいぞう。たぶん。

肉屋ない。あってもすじ肉おいてない。 肉屋になければどこで買えというのだ。 スーパーにもあるにはあるが、100g100円と高い。 スジ肉なんて普通100g70円くらいであるものなのだが、 どうもまわりにはみつからないのだ。 そのかわりイズミヤでは豚レバーが常に48円であることが確認された。 手に入る中で最も安いレバーである。 ちなみにポップコーンをさらに安く発見した。300g148円。 キロ500円を切っている。これなら常備するのも楽だ。 豆専門店とかでキロで買えれば、さらに安いことが予想される。 明日は肉屋と豆屋を探しに少し四条の方まで行ってみよう。 電話帳にはのっている。

小説初版をあげた。そのうち改訂するだろう。 改訂するかもしれないようなものを上げてしまうのはどうかとも思うが、 完璧を期したところでそうなるはずもない。 それに時間的な制約もある。 それにしても、舞らしさは出ないな。 「〜じゃない」とだけ言わせておけばいいというものでは断じてないし。 ま、今度舞のボケボケがよく出たストーリーも描こう。 「エスパー舞」とかいって。…たぶんもうあるんだろうが。


もどる