だだもれ

2017年06月29日

2017年06月27日

2017年06月24日

弟が危険な状態。すでに生命維持に必要な栄養が入ってこない 状況が長く続いているわけで、癌がどうとか言うまでもなく、単純にもたない。 しかし、悪液質が甚だしくなれば、いくら栄養を入れてもかえって苦しむだ けだとも言われる。今の状況がどうなのかはわからない。

2017年06月23日

体調がまだ戻らない。鼻の奥から喉にかけての炎症は昨日が最大。 昨日は下痢もした。昨日は薄荷桔梗甘草忍冬、今日は補中益気湯+桔梗。 足しになっているかはわからないが、できるだけ実験しておきたい。 明日も補中益気湯だな。

仕事が積まれていると、とにかくそれを消化することに集中するので、 何作ってるかわからなくなる。 飾り付け仕事が積まれている状況で、ゲームの中身を気にするのは難しい。 それに飾りつけ仕事はやれば終わるからな。 やっただけ進む仕事と、やっただけ進むかわからない仕事がある時に、 後者に手を出すには勇気がいる。 まして「何々何時間」のように可視化されていると、 「とりあえずこれ減らさないとマズい」的な心理状態になる。 それを減らすことだけ考えていればモノができて万歳、 という状況が確保できるならその方がいいんだが、 そこまで持っていくのも大変だ。 これはデッサンの練習をしても漫画が面白くなるわけではない、というのに似ている。 しかし確実に一定のデッサン力はいるわけで、 必要条件を満たさなくていいわけではないし、 必要条件を満たすために必要な労力がすでにして莫大だから、 そこを放置すると売り物品質にならない。 だがそれでも、デッサンだけでは売れんわけだ。

理屈は簡単なんだがな。物量を確保したり、飾りつけに労力をかけたり しなくても魅力的なものを作ればいい。 また、そこにいる人間が得意な方面に集中し、 苦手な方面で手を抜く算段ができればいい。 理屈はな。だが実際にはそう簡単には行かん。

また下痢か。下痢の割には元気な気はする。喉も昨日よりはいい。 でもまだ十分に風邪だ。明日までに治らんかな。

「姿勢の教科書」という本を読み初めたが、筋肉の名前が容赦なく出てきて 読みにくい。このレベルに読みにくいものが5万冊売れるんだなあ。 読みにくくても勉強にはなるので読むし試すが。

下流から上流のクラスを叩く場合に、上流の参照を下流に渡して呼ばせるか、 コールバックを渡して呼ばせるか。 前者は関係は固定されるので追いやすい一方で、 上流の機能を丸ごと下流に公開してしまうことになる。 不要な権限を下流に与える意味で良くない。 後者は下流に不要な情報を与えない意味で良いが、 関係が固定されないので下流は「それが何のクラスであるか」に依存しないで 書かねばならないし、本来想定したものと違うものが差さっている 可能性を考えておかねばならなくなる。

関係が固定なら前者だろう。害を縮小したければ、 インターフェイスで情報を絞ってから与えれば良い。 呼ばれたい関数だけを持ったインターフェイスを作って、 それにキャストして渡せば害は減る。 そして、関係が固定でないことが必要であれば、後者以外に選択肢はない。 あとは、単に書くのが面倒な場合も後者だ。 そんなに気にしなくてもいいならラムダを渡して済ませてもいい。 ローカル変数のキャプチャもできて便利だ。ただしnewが走ることは 知らねばならない。C#で関数を渡せばほぼ確実にnewが走る。 つまるところ関数ポインタ+thisだからな。 そしていずれにしても、参照は両方向になるので、 下流で呼ばれる時に上流のオブジェクトが正常に存在するかどうかは 気にしないといけない。MonoBehaviourであればいきなりnullである可能性がある。

2017年06月19日

眠れないのでファミマに行って、ウィダーの類を見てくることにした。 そしてウィダーのプロテインを飲んでみた。苦いな。飲めるには飲めるが。 となるとスーパープロテインはもっとマズいだろう。 残念ながらファミマにはなかった。 ファミマのライザップ菓子とか使えないかな。 糖質制限をしている人間にとっては中途半端に糖質が多くて使えない代物だが、 ゼリー状だったり甘かったりしないと食べられない状態の人間にとっては、 糖質多すぎなウィダーよりは使いやすい。プリンは脂質が18gもとれる。

家族揃って体調を崩す。私は謎の頭痛と長引く咳、そして下痢。 ひつじこは激しく嘔吐。オタマは食欲がなく夕飯を食べないで寝た。 学校では保健室に行ったという。シノンは下痢。オトモは嘔吐と下痢。 派手に来たなあという印象。 私はとりあえず頭痛をどうにかしたい。 揉むと痛いということは筋肉か?首筋も痛い。

2017年06月18日

昨日、弟が入院した。 意識が朦朧とし、一人で歩けなくなったという。

眠れん。3時に起きてしまった。

結局決めるのは自分だ。他人の行動を変えるというのは容易じゃない。 他人の行動を変えるためには、認識を変える必要がある。 本人にとっての世界、価値を変えないと、行動は変わらない。 情報で行動が変わるのは、もともと情報を見て行動するような世界観で 生きている場合だけだし、そういう行動の変化は浅い変化だ。 納豆がいいらしいと聞いて納豆を買って食う、みたいに。

米を食わない、という生活をするかどうかは、 単に米が体にいいか悪いかという情報の問題ではなくて、 米を食わないということについてくる 諸々の面倒を引き受ける気になるかどうかだったり、 むしろそれを楽しめるかどうかだったり、 そもそも米が単なる食料なのかそうでないのかだったりして、簡単じゃない。

癌のように、発見当初は何の症状もない病気を、辛い思いをして治す というのは、直感に反している。理性で無理矢理やることだ。 だからバーンと入院して手術するとか、薬を出されて飲むとか、 そういう感じに、一過性だったり、権威その他による強制だったりする 形でないとやりにくい。 治らないはずの癌が寛解する例は文献やwebを見る限りおそらく 実在しているのだろうが、 それはどうやって起こるのか。科学的に検証した例はあまりないようだが、 科学っぽいノリで書かれた本はあって、 より深い所で行動を変えた人が多いみたいなことは書かれていた。 仕事をやめて家族と過ごす時間を大事にする、 みたいなのは、認識が変化した結果として起こる深い変化だろう。 牛乳は悪いらしいから飲まない、とかいうのとはレベルが違う。 放っておいたら認識が変わらないタイプの人間に、 そういう変化を起こさせようとしたら何が必要か? と考えると、そこはまさにコミュニケーションなのだろう。 とりあえず緊急回避的に情報によって行動だけを変えさせることはできるし、 それでとりあえずの成果が出てくれれば、何もしないよりはいい。 しかし、長期的にはそれでは足りないのだ。 理屈の問題じゃない。理屈で行動を変えるのは、 元々理屈で行動を変えるような世界観にいる人間だけだ。

私やひつじこは結構そうで、食べ物とか結構どうでもいいんだろう。 そこに儀式性とか精神性とか、そういうのがない。 自分はこういう人間だ、という定義の中に、米を食うことは入ってない。 しかし、そうでない人はたくさんいるのだろう。 仮に行動だけを変えても精神がついてこないので、 諸々の不都合を起こす。ストレスというのは化学的な状態で、 リアルに化学なわけだから体調に影響がないわけがない。 呼吸が浅くなるだけでも体内の状況は変わるのだ。 そこをどうにかする算段なしでは事は成せない。

足りなかった。今思っているようなレベルでは気づけていなかった。 私にタスクばらしをやらせる以上に難しいと考えれば、その難しさがわかるし、 私が多少なりともタスクばらしをやろうという気になったのが何故かと考えれば、 やはりコミュニケーションだった。うちの会社はいい人が多い。

CRPが10とかになるのは、壊死した細胞が多量にあることを意味する。 それが癌細胞であってくれたら最高だが、そうでなければ好中球が吐いた 活性酸素によって破壊された正常細胞だったりするのだろう。 癌で亡くなる数日前にはCRPが急上昇して10や20になる例がある。 それが実際何によるのかを研究した例は見つからない。

ケトンが4000とか6000とかになっても、インスリンが出ていれば アシドーシスは起こらない、ということで、 アシドーシス以外に直接具合が悪くなる要因は見当たらない。 この状況ともなると、他にいくらでも問題はあり、 それが危険な状況をもたらすための引き金を引いたのだろうとは言える。 単純に蛋白不足が5日間で限界を越えてしまったのかもしれないし、 動かないこと、入院で気力が萎えたことなどが問題になることだってあるだろう。

ステージ4で手術もせずに5年生き延びる人は1/20以上いるようだが、 一体どういう状況にあるのだろう。 たまたま頑丈だったのか、たまたま増植が遅いタイプだったのか、 はたまた癌を発見できない状況まで手術なしで持っていけたのか。 そしてそういう人達には共通点があるのか。 1/20といえば相当な数だ。医師は日常的にそれを見ているはずだろう。 なのに情報が見当たらない。

今日はゼリー飲料を3本飲めたらしい。 意識がはっきりしているのであれば改善だ。 とりあえずは良い知らせだが、 もしそれがウィダーのエネルギーだとしたら蛋白質はゼロだ。 父が「こういうのっていいんだよな?」 と私に見せたのがウィダーのエネルギーだった。 「それは栄養ない」と返したが、なにせこんな状況だ。 それしか食えなければないよりマシだということになるだろう。 せめてカロリーメイトであってくれることを祈る。 それなら蛋白も8g入っているから栄養になる。明日確認しよう。 ウィダースーパープロテインなら蛋白10gに糖質15gで、 メジャーなゼリー食の中では一番マシだが、脂肪は入ってない。

現場は「ダメなのはわかっているが、それしかできないから仕方ない」 という状態になることがよくある。 こういう言葉が出てきたら相当に危険だ。 どうにかして「これが可能な選択の中で最良だからそうする」 と言わねばならない。やる事が同じでもだ。 しかし、「できない」と言われた時に、「それは、やらない、という意味ですよね」 と問い返せば、「違う、できないんだ」と言われることが圧倒的に多い。 「やらない」と答えるには、自分の選択と行動によって未来が 作られることを引き受ける勇気が必要だからだ。 まず普通は耐えられないし、私だってそういう状況になればそう違わないだろう。

仮にウィダーのエネルギーしか食べられない、食べられないから仕方ない、 と言われた時に、どうすれば状況を変えられるか? たぶんそこで必要なのは理じゃない。 理で行動が変わるならもっと早く手が打てている。 そこを突破できるとすれば、コミュニケーションの力によってだけだろう。 愛の表現と言い換えてもいい。

ウィダーのエネルギーは昔ひつじこがつわりの時に箱買いしたことがある。 カロリーだけでもないよりマシだと思っていた頃のことだ。 しかし糖質制限を知り、丸ごと捨てた。 3000円分くらいは捨てたと思う。 糖質制限に限らず、行動を大きく変えるには、 過去を派手に否定することが役立つ気がする。 過去に一度ゴミ袋に入れて捨てたものをもう一度買うのは難しい。 ひつじこの両親は米をゴミとして捨てはしなかった。 そしてまた再び米を炊くようになった。 うちの両親も米を捨てなかった。それどころか、 弟が糖質制限をしている時ですら、米を炊くことをやめなかった。 弟まで米を再開することになった背景にはそれもあるだろう。 もしあの時に米を打ち捨てて、家族揃って糖質制限をやっていれば、 米を再開する確率は激減していただろう。 米を食わないことが本当に良いかは未だにわからないが、それはそれとして、 行動を変えるに際してはそういう儀式が効果を発揮するのだろうなとは思う。 だから、プロジェクトが危険な状態になった時に方針変更をする場合も、 同じように何らかの過去を否定する儀式が有用なのだろう。

もっとも儀式があまり効きすぎるのも考え物だ。 転換した後の方針が正しいとは限らない。 もし5年後に「糖質制限には深刻な害がある」なんてことが発覚した場合、 戻せなければ危険なことになる。 菜食主義がいいと信じて、それを伝導するブログをさんざん書いた後に、 「やっぱ肉食った方がいいよ」と言うのは相当に大変なことだろう。 まして仕事の場合、糖質ほど明確な悪役はいない。 何が間違っていたかを事後に検証する場合ですら、 それは後付けのストーリーにすぎない。 それがなければうまく行ったとは限らないし、 そもそもそれが本当に悪かったのかすら定かではないのだ。

ビタミンケトン療法が本当に効くのかはまだわからん。 しかし、facebookで5人以上の医師が議論をし、 うまく行かなかった例含めて症例が紹介され、 今まさにそこにいる医師に治療を受けている患者が書きこんでいる。 医師はどうしたら保険適応の範囲でやれるか、 逸脱するとしても最小のコストでやるにはどうすればいいかを研究している。 とりあえず細胞免疫療法や漢方よりはマシに見える。 だが、今回はあまりにも雑だった。 どうにかして次を作りたい。万全な形で。

2017年06月13日

昨日、オタマの精密検査で病院に行ってきた。 東京は自転車で行ける範囲に総合病院が3つも4つもあったが、 ここは2つ先の駅まで電車で行って、その後バス。

結論から言えば機能性雑音で、実質的には問題なかった。 しかし音は明らかに変らしく、聴診が終わってこれから心エコー、 という時の医者のセリフは、 「まだ機能性雑音の可能性も残っとる。それが一番ええんやけどな」だった。 そんなフラグの立ちそうなセリフを聞いた後に心臓のエコー検査を待つのは 結構嫌な気分だったが、幸いにして心エコーで血流に異常は見つからなかった。 音が変で心電図に異常があるということは、 何かしらおかしいはずなのだが、現状それが血流に対しては害を 及ぼしていない。この先も何か検査する度に引っかかるだろうが、 そういうものだと思って覚悟しておけば問題ないだろう。 いずれ血流に影響が出るような異常に進展してしまうかもしれないが、 その時はその時だ。

弟がビタミンケトン療法のために入院していたが退院。 現状効くのかどうかはよくわからない。 たった五日だし、本来やるべきビタミンC点滴の量がわずか0.5gだった。 弟はよほど米が食べたいらしく、 「一ヶ月に一週間だけ入院でこれやって、後は家で好きに食べてもいいよな?」 みたいなことを聞いてくるのだが、「わからん」としか言いようがない。 ケトンで癌が止まるかどうかは未知なわけで、 一回一月か二月は全力でケトンを出して効果判定をしないと 何も言えないと思うのだが、そう簡単にも行かないようだ。 逆に「そんなものは効かないからやらない。俺は米を食べる」 と断言するなら、もはや止めようもないのでそうさせるしかないが、 そう断言できるならTS-1をいつまでも飲んでたりはしないだろう。 しかし、普通はそうなるのだと思う。 論理的にそれしかない、という状況になっても、 それが心理的に受け入れ難い時には「保留」という選択肢が取られる。 だが、さすがにもう保留する時間はない。

勝利シナリオは、「癌が止まりつつ体調が好転する状態」 が作れるかどうかにかかっている。 一度でもそれが可能な条件を見つけられれば、 あとはそれを続けるだけでいい。 仮にケトンで本当に止まったとしても、 食えるものがなく衰弱方向であれば負けだし、 抗癌剤を足さないと止められず結果副作用で衰弱すれば同じく負けだ。 もし、わずかでもプラスの状況を作れれば、 いずれは胆道と十二指腸の間にバイパス手術をして胆汁を有効活用できる 状況に戻し、それによってさらに脂肪の消化を良くできる。 回復速度が上がる。さらに、縦隔リンパに放射線もしくは 血管内治療を施してつぶせれば、声が回復するかもしれない。 飲みこむ神経も一緒に回復してくれれば、これまた回復の速度が上がる。 全ては「ケトンとビタミンで癌が止まるなんてことが本当にあるのか?」 ということに依存する。医学常識的には夢物語だが、 まがりなりにも医師の集団が取り組んでいて、 クリニックだけでなく公立病院の医師が混ざっていること、 改善した報告が1例や2例ではなく、 しかもfacebookに本人が書きこんでいること、 ビタミンケトン療法に何一つ金儲けの要素がないこと、 などから、よくわからんキノコや水素よりはよかろうし、 今となっては先が見えている標準治療よりもいい。

今日のケトンは4000。おとついが5400だったので下がり気味だ。

2017年06月11日

他のところに負担かかる、は私が言ったんだと思う。 あの医者そこまで言ったっけ。

発覚したのが小学校ということから、可能性が高いのは心房中隔欠損。 症状が出るのは30代以降らしいが、今治す方が傷の治りもいい。

2017年06月10日

弟、TS-1が止まってなかった。夕方に看護師が薬を持ってきて発覚。 医師としては、症状は悪化しつつも、 腫瘍マーカーが高止まりしていたことをもって、 TS-1が効いていたとみなしていた。 向こうから見れば、 患者家族がよくわからん治療を提案してきた、というだけのことだしなあ。 「ある意味では、続ける理由もないし、やめる理由もない」と言っていたわけで、 止める理由がないので止めてない、ということだろう。 でも、TS-1続けてる状態で下痢や吐き気が改善するとはとても思えん。 抗癌剤の副作用は体力が落ちれば落ちるほど強く出て、 そして同時に効果も落ちていく。もはや効いてないんじゃないかなあ。 効いていたとしても、胆道が詰まって声が出せなくなって腹水が溜まるような 状況を良しとするわけには行かない。それが医学の限界だったとしてもだ。

薬が多すぎて、ビタミンケトン療法に必要なビタミン類を飲む気力が出ない。 全く薬が整理されていないので10個を超えてる。 一回整理してもらわないと。 そしてやはりTS-1は一回止めた方がいい気がする。 このグロッキー状態と無関係なはずはなく、 気力を一旦回復させないと展望がない。 褥瘡までできてるのは、傷の回復が遅いからだが、 それにもTS-1が絡んでいる可能性がある。なにせ細胞分裂を邪魔する薬だ。 そして特に最も問題になっている下痢と吐き気はTS-1の主力となる副作用だ。 止めれば軽減して多少は食えるようになるかもしれん。 そうすれば蛋白不足も軽減して傷の治りもマシになるだろう。

もちろん、もしかしたらTS-1が効いていて、そのおかげで今まで生きてこれたのかもしれない、止めたらすごい勢いで癌が増えるかもしれない、という可能性はある。 しかし、効いていたとしても悪化の一途だったし、 生活の質はかなりひどい状態だった。 せめて10日くらいは、ビタミンケトン療法なるものを評価するために、 その邪魔になるものを全部一旦止めた方がいい気はする。

2017年06月06日

急遽福島行って、家族で話をし、主治医の先生に要望を伝えた。 おおむねかなえてもらえる感じになった。

弟は明日から入院してビタミンケトン療法的なことをしてもらうことになった。 ケトン濃度が高い状態を維持することで、癌の増植を抑えられる、 という話がある。脂肪メインの点滴にビタミンを追加して糖を厳密に断つ。 自分で食べるといろいろ難しいが、点滴なら寝ているだけで確実に 入れたいものを体に入れられる。

10日ほど前から腹水が溜まってきている。 1ヶ月かそこら前から縦隔リンパによる反回神経の圧迫で声が出せなくなっている。 もう後がない。TS-1では止まらないし、吐き気その他で弱ってしまう。

2017年06月05日

windowsPCやっぱいるな、と思ったが、支給されたmac book proにwindowsも 入れてもらえればそれで足りる気がする。

それはそれとして、家のPCが足りない。X220のファンをヤフオクで手配したので、 届いたら直してみて様子を見る。

cmakeって何なのか知らなかったが、vcprojを生成する何かなのかな。 コードいじらないとビルド通らない状況でなければどうにかなると。

変に直すくらいなら丸ごと書き直したいが、 それをやると旧版が売れなくなるわけで、どうなるんだろうなあ。

あれの下層をUnityにしたらウケるんだろうか。 Unity使った売り物がこれだけ出てくれば、プロの道具というイメージは ちゃんとあるので、そこの問題はない。 しかし、あっという間に記述が古びてしまう問題は回避し難い。 毎年改訂せねばならなくなる。どう考えても割に合わない。

2017年06月04日

昨日は長谷幼稚園のイベントの前日準備。今日は当日。 恐ろしく疲れた。しかし、謎の充実感がある。

長谷っ子クッキングなる父親集団(オヤジの会)による企画で、 園児に料理を体験してもらうもの。 しかし、単なる料理体験ではなく、 筋書きがあって寸劇がある。 3歳4歳でもできる「料理参加」を考えるだけでも結構大変で、 120人という規模の問題もある。 準備のためにに集まったのは数回で、それも土曜の午前限定だ。 試作に至っては一回しかしていない。 その状態で寸劇の準備が入ってくるわけで、それはもう大変だ。 しかしイベント運営やアドリブ司会の類に長けたパパがかなりの数いて、 細かい進行は今日の朝に決めるような状態でも ちゃんとウケる代物になっていた。 料理に関しても、経験者が知恵を継承してくれる上に、 元より実務能力が高い人が多く、どうにかなってしまうのがすごい。 逆に準備が甘いとどうにもならない事もあって、 演出のためにドライアイスで煙を出そうとしたら全く出なくてガッカリとか、 そういうこともあったが、あれだけやれば大したもんだろう。 子供にはウケていたわけだし。 というか、幼稚園行事に父親が参加、というレベルじゃない。

後片付けの後、打ちあげ。予想以上に酒が出て、 久しぶりに結構な量のエタノールが体内に入った。 18時からの合唱はだいぶキツかった。 少しでもマシになるようにと、三黄丸と五苓散。 あと異様なほど足がつったので芍薬甘草湯で緊急回避。たぶん脱水。

合唱、あと3回で本番ならまあ大丈夫だろう。 難しいことをやらない前提で組まれているし。


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