だだもれ

2016年11月29日

書き忘れていた。 26日は川崎で家族揃って食べ放題。 すたみな太郎という店で、凄まじくモノが安い。 土日の昼飯時で大人が1600円程度と実際安いので仕方ないが、 値段高くてもいいからまともなものを食いたい気分ではある。 ただ子供と行くことを考えればまあいいのか。 肉だけ食ってれば問題ないし。

とか言いつつ、ピラフとかチャーハンとか食べてしまって 猛烈な後悔。なんであんなにおいしくなくなるんだろ。 唐揚げすら安い味。 そんな中、焼きそばは所詮焼きそばなので案外問題なく食えた。 そんなに食べなかったけど。

職場が遠くなって3日経った。 8時40分に家を出れば10時に着くが、 一本遅れたら遅刻になるのがちょっと不安。 みんな5分遅れてもslackで連絡入れるくらい真面目だしなあ。

飯を食わないのが効率のためには重要。 皆のランチについて行ってしまうと、 親睦は深められるが午後の効率は落ちる。 単純に昼休みに休むと時間効率が悪い。 でも、仲間とダベる時間は大切だし、楽しいので、 誘われたら行く。

今日は昼は出ず、持っていったピーナッツしか 食わなかったのだが、それでも結構ダルくなった。 単純に量が多すぎた。蒸しピーナッツ200gくらいはあったもんなあ。 結局、食事なんて一日一回でいいんだな。 必要性と健康の観点からは。それ以外は娯楽だ。

2016年11月28日

日曜は川崎競馬場へ行った。よくわからない 催し物をしていて無料で入れるので行ったのだが、 催し物自体はどうでも良く、遊具がたくさんあっていい感じだった。

例によって外出が絡むとひつじこに怒られる率が高い。 私はそもそも外出を好まないしテンションの上げ下げがあまりないのだが、 そんな盛り上がらないのは嫌だろうから悪いのは私だ。 ただ、悪いとしても、それをどう直せるのかはよくわからない。 大抵の場合行ってしまえば結構楽しめるので、 「さあ行くぞ」と言って引っぱってくれればそう悪いことには ならないと思うのだが、まあ嫌だよな。

家に限らず、GDCやCEDECなんかでも同じだったりする。 行かない理由はいくらでも出てくるので、 放っておくと行かないのだ。面倒くさいし。 でも行けばやっぱりいろいろ刺激を受けて面白いと。 そんな人間がなぜ転職なんてマネをしたのかと自分でも思うが、 あれはあれでなりゆきな感じもあるからな。 きっかけは誘われたことなわけだし。 しかし、転職はそう悪くない選択だったと今のところは思う。 少なくとも新しいことを勉強し、 新しい人と接し、新しい文化に接している。 転職しなければこれほどの速度でそれらは得られない。 なお、経済的に得をするかどうかはまだわからない。 順当に定年退職して退職金をもらえる状況と比べれば、 1000万とか2000万とか損しているのかもしれない。 なにせ今度の会社は退職金がないからな。 それで月給は同じにしてもらっているわけだから、 普通に考えれば大損だ。

日曜は家で2時間か3時間くらい仕事ができた。 押入で行ける。 ただ尻が痛いので何かクッションは必要だ。 コンパクトで性能が良く、変なでっぱりがない座椅子が欲しいな。

朝0830に出て、夜2030に帰ってくると12時間だ。 12時間は長い。短縮したい。 しかし朝会は1000で、電車遅延に備えて1本前にするなら 朝はこの時間だ。夜1900に出れば多少はマシになるが。

2016年11月25日

通勤時間が長くなった。60分程度。 前も40分くらいかかっていたので1.5倍程度だが、 それでもやはり長い。行きは混んでて座れないし、 クラロワをやればトンネルで切断してボロ負けするし、 帰りは座れるがネットつながらないから仕事にならないし、 やっぱりクラロワやるとトンネルで切断してボロ負けするし、 これどうしたらいいんだ? コード書く分にはつながらなくても行けるだろと思ったが、 オフラインで実行できる作りじゃないからなあ。 テストシーンで配置だけやる分には行けそうだが、 ピクセル単位で合わせるGUIの操作を揺れる車内でやるとか無茶だし、 そもそも画面が狭すぎる。

帰りは日報書けばいいと思っていたが、 gmail上で書いてるので、ネット切れた状態で間違ってリロードすると 何もできなくなる。ローカルのテキストに書けばいいが、 前日からコピペして中身を変えているのでこれではダメだ。 テンプレをローカルのテキストに入れておいて、 そこで書くようにする工夫がいる。 あと、社長ブログの感想を日報に入れているのだが、 これも見られないと書きようがないので、 会社でサイトの全ページを開いておいて、その状態で 閉じて帰るということになる。 スマホで書ければいいんだろうが、これもありえん。 不愉快すぎる。

テザリングを使うべきなのか。 しかし通信容量増やさないとダメそうだからお金かかるし、 それ以上に電池がヤバいので、できれば避けたい。 読書か瞑想くらいしかなさそう。 日報は工夫すれば辛うじて書けそうだが。

瞑想で効率が1.2倍くらいになれば元取れるんだけどなあ。 遠くなる分だけ労働時間を減らしたいわけで。 まあ試してみるか。

お参り行こう。

エルゴは買う方が早いだろう。あと1年くらいは使うだろうし、 まあそれ以上使うことが絶対にないとも言えないからな。 しかし、ひつじこの妹さんの所で使わなくなっているようなら もらって部品を取り換える手はある。一応聞いてからか。 今過去のメール調べてみたが、1.8万もするのな。 確かに躊躇する値段ではあるが、やむをえんものはやむをえんだろう。 ダメなら明日川崎行って買ってくる感じかな。

もう一人子供いたら面白いなあ。 だが、それには家と会社を近づける必要がある。 懸念は幼稚園だけか?買い物や施設の問題で解決できないものはあるか? あるいは一駅離せば劇的に改善するというなら、 そういう妥協もありうる。 とりあえず最大の懸念である幼稚園がどうにかなるのか調べてみようか。

unityのシェーダの書き方と、現状のレンダリングパスの変更の仕方が わかればいろいろ楽しいことができそうな気がする。 しかし、そういう類の楽しいことをやってる場合かと言われると微妙だな。

2016年11月24日

ここ二日は全く違う場所で、全く違う仕事を、全く違う人としていた。 おそろしく楽しかった。 私は新しいことをやるのが苦手なタイプなので緊張はするが、 それは無視だ。この会社やっぱりすげえな。 この気分で切り換えできるかな、と一昨日は思ったが、 全く杞憂だった。しかし、本来の仕事の問題は何一つ片づいていないので、 明日と週末でおおむねどうにかしなければならない。 家でやらんとどう考えても無理だろうな。

うちの会社には気持ち悪いくらい良い文化があって、 それが実際に機能している。 人を褒めること、誰かの発言に乗ること、の二つは特に重要なものだ。 酒の席で顕著だが、とにかく褒める。「誰誰マジすげえ」 みたいな発言が次から次へと出てくる。 そして、会議の席では誰かの発言を無駄にしない。 採用するとは限らなくとも、それを聞いて次の発言を かぶせることが良い、という雰囲気を作ろうとしている。 社長の思想を広めるべく真面目に 推進している上位層の熱意がすごい。

うちの会社、とそろそろ呼んでもいいだろう。

2016年11月23日

一旦自分で考えて試してダメだとわからないと納得がないし、 その過程で諸々勉強したのでこの時間は無駄ではなかったが、 それを他人に納得してもらうことはできないので負債は負債だ。 負債は返さねばならない。 ひつじこには申しわけないが、 これがどうにかなるまで長時間労働する。

2016年11月22日

今日は本格的にヤバい感触だった。 進まない。夕会が最高に怖い。 道具が手に馴染んでない、 つまり挙動を完全に把握できていないため、 何かする度に予想外の不具合が起きて遅れていく。 とりわけUnityのGUI上の操作は何かが起きても気づきにくく、 起きてしまった後で復旧するのも困難で、gitで戻すしかない。 コードで書けば、書いただけは確実に進む。

やっぱりコードなのか。コードはUnityが勝手に書き換えることはなく、 diffもできる。unityのデータはそうは行かない。 しかしコードで書くことで失われることは多い。 アセットバンドルに入れて後から更新追加できない。 メモリから追い出せない。 事実上プログラマしかいじれない。 たぶんコンパイルも遅くなる。 昔私が新人だった頃はムービーをもらってコードでデモシーンを 作っていたが、14年前の私はそれを拒否して softimageのエクスポータとコンバータ、ランタイムを書いた。 だが今回は同じマネはできない。 あれをやる時間はないし、たぶんあれよりも面倒くさい。 そしてコードを書いてしまえばその後のことを考えねばならなくなる。 そもそも、そういうものを極力自力で作らないのが正義な時代だろう。 greeがflashを取り込むツールを作っていたようだが、 2014年以降の記事はほとんど出てこない。

こんな時でも平静は保たないと。 焦りや劣等感は原動力にもなるが、大抵の場合副作用がある。 それなりにコミュニケーションも要する以上、 心が暗黒面に落ちた状態で仕事をするわけには行かん。

日報を書くのについ1時間くらいはかかってしまうので、 家に帰ってから書いている。 10分で書けた方がいいんだろうが、いろいろ考えていると それくらいかかってしまう。 この日記も昔は毎日1時間じゃ済まない時間をかけていたからな。

ところで、日報の推奨フォーマットの中に「今日のありがとう」 みたいな項目があって、今日は少しそれに救われた気がする。 かなりヘコんだ気分なのだが、何か「ありがとう」を探してみれば それが多少なりとも和らぐ。 無駄話を一緒にできたこともありがたいし、 何かを教えてもらうことはもちろんありがたい。 これだけ自分が無能に思える状況そのものにも感謝すべきだろう。 それだけ成長できるはずだ。 感謝を表明する、というのはいい文化なんだろう。

だが、正直まぶしい。私は明らかにそういう文化の人間ではなく、 「素直」とか「前向き」とかいう言葉とは縁遠かった。 しかし、そういう場所に自分が入っていった時に自分がどう変わるのか、 あるいは変わらないのか、ということに興味がある。

それはそれとして、ヤバいな。どうしようか。 flashでデータをもらうならflashの勉強をしようかと思ったが、 ここで勉強したらダメだ。 本屋に寄ったら技術書が全くなくて帰ってきたのだが、 それは本など買うなという神の啓示に違いない。 ギリギリ必要な機能だけ人に聞いた方がいい。 勉強しないでやれる方法を考える方がずっと難しいわけで、 その訓練をすべきだ。勉強しない勉強をせねばならん。 flashはSpineなりUnityなり、直接HTML5を吐く何かなりに 取って替わられる可能性も高いしな。 adobeもedge animateとかいうのを出してるし。

昨日だったか、ココアを買いに行ったら全くなかった。 ヴァンホーテンとか高いし面倒くさいしで、 そんなに使われるものでもないはずなのだが、ない。 どうもテレビで何かやったらしいな。迷惑としか言いようがない。

いかん。眠れん。ずっと考えていた。

Unityはどういう道具か。作っているものは何か。どういう大きさか。 基本に立ち帰ろう。Unityで無理なくできることしかしない。 まずプレハブは入れ子にできない。 それはそのような開発を想定していないということだ。 プレハブはおそらく 実行時にはオブジェクトとして存在しない。クローンされて シーンにつっこまれているだけだろう。 であれば、プレハブの用途は思っていたほどは広くない。 そういうものだと考える。 あとは、コードを書かずにやれることを広げよう、 という意思は感じられない。コードで書くことはやむをえない。 規模が大きくなると厄介なことになるが、 規模を大きくしないのが最高の解決策だ。 大きくなっても大丈夫なようにしようと思うと、 コードを増やさずデータに追い出していく必要があるが、 今すぐに打てる手はあまりない。 アニメ関連機能は人型のものを作る方を向いていて、 カーブは外から来るのがメインの経路だ。 MonoBehaviourを継承するといろいろなものが丸見えになって 気持ち悪いのだが、いちいちインターフェイスを作って キャストしていては手間がかかるしコードが大きくなるわけで、 そういうマネはしない。 そして自作するのはインターフェイスが小さい道具に限ろう。

2016年11月21日

ヤバいくらい進まない。本気で私無能なんじゃないかと感じ始めた。 本気で時間が足りない。

UIの類をどうやって作るか?という話は奥が深い。 前職では、「アート側で絵素材を作って配置し動きをつけて、 どういう時にどの動きを起動するかの制御はプログラムで書く」 というあたりが落とし所になっていた。 配置したり動きをつけたりする道具は専用のものがあって、 そこからデータが吐き出され、 それをゲーム側にあるプログラムが読み込んで解釈する。 そのプログラム自体はライブラリなので、いちいち書くわけではない。 プログラマに配置や動きのセンスがあろうはずもないし、 バグって死にうるのがコードなわけで、 コードで書かずに済むならその方がいい。 アート側でやる方が早いし質も高いはずだ。

しかしこのやり方にも欠点がある。 アート側で使う道具を作る手間、吐き出すプログラムを作る手間、 解釈して再生するプログラムを作る手間、といったものがかかる。 そんな余裕がない場合は別の手を使うしかない。

アート側が何かしらの道具で配置したり動きをつけたりするが、 それを実機で動くようにするのはプログラマ、 という流儀もある。アートは素材とイメージ動画を作り、 配置や動きも含めてプログラマがやりなおす。 吐き出すプログラムや解釈再生するプログラムを書く余力がない場合や、 アート側で最後まで作り込む手間をかけられない場合はこうなる。 プログラマが比較的安く使える組織に向いた方法だ。 しかし、所詮プログラマなので大した動きはつけられず、 アート側の人間が手をかけて磨くこともできない。 アート側でかっこいいものを作れば作るほど、 アートとプログラマの二度手間になり、 プログラマがそれを再現するためのコストがかさむ。

unityを使う場合、もうちょっと改善できる可能性がある。 アート側がunity上で配置したり動きをつけることは不可能ではないからだ。 まずアート側がunity上で配置、動きをつけた後、プログラマが 制御を加える、という流れもあるだろうし、 とりあえずプログラマが粗く配置と動きを作って、 それに制御も加えるが、最後の磨きはアート側、 という分担もできる。つまり分担の自由度が広がる。 昔と違って全部コードで書かないといけないわけではないからだ。 unityも専用ツールほど出来がいいわけではないにしても、 配置や動きをマウスでやれるようにはなっている。 しかし配置や動きをプログラムで書いてしまっては この可能性が断たれるわけで、 プログラマにとってはかえって面倒くさかったりもする。

今日はAnimatorの使い方を学んだ。 前は直接Animationをくっつけていたが、 状態を分けてプログラムから遷移トリガーを引いた方が いいこともある。そして、直接Animationをくっつけるやり方は すでに非推奨だ。だいたい同じAnimationという名前なのに 互換性がなかった。罠多すぎる。

とにかく道具が手に馴染まない。 「この範囲は手に馴染んだ。この範囲でならストレスなくできる」 という感じにならない。とにかく道具のインターフェイスがデカい。 他の人が書いたコードを解読するとか、webでリファレンス見るとか、 そういう時間が無視できる範囲まで落ちないと、 「手に馴染んだ感」が出てこない。 だが、読まねばならないコード、知らねばならないAPIは どんどん増えていく。 一旦打ち切って限られた範囲の道具で動くものを作りたいが、 それができん。なにせ知らないとまともに書けないことが多すぎる。 テトリス本の「本当に必要になるまで新しい道具は使わない」は 私の行動原理であり、身体に染みついているわけだが、 それが今までにないほど禁じられている。

私、自分で思ってたより数学っぽいのかもしれん。 証明できてないことを使いたくない。 よく「unityの挙動調べてみた」的な記事を見るが、 ああいうのを信用できないタチだ。 公式の文書に書かれていないことは全ていつ変わるかわからないから、 調べる行為自体が悪だと思ってしまう。 ExecuteInEditModeなんかはいい例で、AwakeやStartが呼ばれるなんて 書いてない。書いてない以上それに依存はできない。 そういう状況で編集中と再生中で極力同じコードで動かそうと思ったら、 Updateでしか意味のある処理をしない、という実装になってしまう。 それはおそらくUnityっぽくはない。

2016年11月19日

「英国一家日本を食べる」を何故か読んだ。オトモをだっこして 散歩して図書館に行ったら、たまたま目についたのだ。 NHKで妙なアニメをやっているのを見てはいたが、 本当に原作があるのかは半信半疑だった。 日本人が架空の外人と原作をでっちあげて 日本を褒めちぎっているような臭いがしたのだ。 原作を読んで、その疑念は晴れた。 基本的に賞賛しているが、全てがおいしかったと言っているわけではない。 くじらやそうめんはイマイチだったようだ。 それにしても最後に出てきた完全予約制の懐石料理屋はすごいな。 会員制で、毎月一度だけ食べることができるのだという。 料金は月謝という形で払うそうだ。意味がわからない。 「壬生」というお店。そんな世界あるのか。関わることもあるまいが。

雨もあって何もせずダラダラして一日が過ぎた。 仕事が進まないので帰ってやろうとPCを持って帰ってきたが、 開きすらしなかった。

オーケーは問屋やメーカーに溜まっている売れない商品を 安く買い叩いてくることがよくある。 板チョコアイスのマンゴーが57円だかで大量に置いてあって、 ひつじこがそれを気にいった。 もう20個くらい買ってる。さすがにそろろろ店からなくなりそうだ。 最近ビエネッタが出てきていて、子供の頃食べたなあと気になっている。 たぶん一回しか食べたことがない。

2016年11月18日

鉄血2-6。 どんな面白さを表現したいかはわかるが、 成功してる感じはないなあ。見られるけど。

真田が面白いのだが、これから負けるとわかっていると虚しいな。 ところで、見終わった後wikipediaでそのへんのことを調べたら、 ひどく凄惨でやっぱりなあという感じだった。 手柄の証明として首を取っていた時代だけに、 非戦闘員を虐殺して首を取ったりすることが平気で行われていたという。 当時欧米と接触があったら、モンゴルと大差ないレベルに「マジ蛮族」 扱いされたんだろうな。

2016年11月16日

ひつじこ実家の横に家を建てたら私は週末しか帰れないなあ。 今調べたら125分とか出た。さすがに無理だろう。

というわけで、鎌倉に引っ越すことになると思うのだが、 問題はいつにするかだ。

もっとも、正社員化も決まったし、 なんかこの会社でやってける気がしてきたから、 「もう無理だ!東京の別の会社行く!」みたいなことはなさそうだ。 オフィスは横浜か鎌倉なわけで、横浜より南に引っ越せば どちらの勤務地であれ今よりは近くなる。 幼稚園と小学校がどうにかなって、 致命的に暮らしにくい要因がなければ、 今引っ越してもかまわないといえばかまわないのだろう。 その幼稚園に不安があったから一旦ここに引っ越したわけだが。

つうか、通勤40分の今でも結構キツいのに、 それが60分になるからな。会社にいる時間をその分削って 行きでその日やる仕事を整理、帰りで日報を書く、 とすればまあ今と大差ない感じにはなるはずなのだが、 それでも家が遠いのはキツい。

家賃は今と変わらんなあ鎌倉。下手すると上がる。 あと近くにオーケーのような使えるスーパーがない。 買い物の通販依存度が上がるのは間違いない。 通勤に慣れた人は「藤沢か大船、あるいは逗子がいいよ」 と言うが、電車乗る段階であまり近くないからなあ。 幼稚園も未知数。

ああ、通勤のびるならPC持って帰る生活にしないとダメだな。 家にあるPCは使い物にならん。買うべきな気もするが、 USB type-cとやらがその後で流行ったら嫌だな、 とか思うと今買う気になれない。

2016年11月14日

昨日は痔で入院している友達を時村と一緒に見舞ってきた。 なんか結局時村とunityのことをダラダラ話してただけだったが、 いいのかな、それでも。

モロゾフ、プリンあんまりうまくないな。 見舞いに持っていったが、イマイチな印象。

unityのことをいろいろ時村に聞いた。 さすがロクに使い物にならない時期からやっていただけのことはある。 ロクに使い物にならない時期に、「あんなのヤダ」 と言って関わろうとしなかったせいで、 こうして後塵を拝しているわけだが、まあ仕方ないな。 触りたくなかったんだし。 というか、正直今でも好きにはなれない。 合理性は理解しているつもりだが、好みの問題は別だし、 これを使わないことが合理的になる条件を整えられる機会があれば 逃さずそうしたいと今でも思っている。

unityは急速にプロの道具になっている気がする。 うちらにとっては良いことだが、 元々の客だった「楽しくゲームを作りたい素人」にとってもいいのだろうか。 心配になってくるな。

なんにせよ、unityはまだまだ大きくなるのだろう。 そしていつか自重に耐えられなくなる日が来るはずだ。 スーパーマーケットがコンビニに敗れる日が来るとは 誰も思わなかったはずだからな。今起こると思えなくても、いずれは起こる。 そのいつかが5年後なのか10年後なのかは知らんが、 3年以内ではないだろう。3年先なんて今考えても無駄なので、 つまり今はunityが世界であり法だ。 unityの後の世界はunityを踏まえたものになっているだろうから、 今よくよく学んでおくことは次の世界で生き残る上でも必要条件になる。

OnValidateはインスタンス化されてないプレハブに対しても呼ばれる。 プレハブをマウスで選ぶと、インスペクタに出てパラメータをいじれる。 内部的にはインスタンスがあるのだろう。 実際OnValidateで自分のインスタンスIDを吐かせると吐くし、 シーンにも所属している。名前なしシーンだが。 しかし、インスタンス化されていないものに関してSetParentを呼ぶような マネをすると例外で落ちる。プレハブの構造をいじるようなコードは 許可されない。よくわからんタイミングで意味のわからん 落ち方をして困ったが、なるほどそういうことだったわけだ。 OnValidateで下流にオブジェクトを生成してつなぐような初期化は 走らせられない。そこで、ExecuteInEditMode属性の出番だ。 これをつければUpdateに来るが、Updateに来るのはインスタンス化 されたものだけだし、初期化も済んでいる(ように見えるが確認は取れてない)。 OnValidateだとシリアライズ対象メンバが nullの状態で来たりもするのでとにかく厄介なのだ。 よって、OnValidateではフラグを立てる程度にしておき、 初期化も処理本体も全部Updateにつっこんでおく方が安全に書ける。 時村が昨日言ってたのはそういうことなわけな。

動的に子にオブジェクトを生成してつなぐ場合、 その状態でセーブしたくはない。HideFlags.DontSaveを つければそうなるという話だが、プレハブapplyしたら普通に 生成したオブジェクトが入ってるんだよな...もうちょい調べるか。 よくわからん。変更不能フラグつけたら効いてるから、 効いてないわけではなさそうなんだが、 思ってるのと違うんだろうな効果が。

時村と話しててお互いオッサンになったなと思うわけだが、 オッサンかどうか、あるいはプロかどうかは、 物を量で見られるかどうかだという気がしている。 定性的、つまり、「いい」とか「悪い」とかで見ているうちは まだまだ素人だし若い。問題は「どれくらい」であって、 匙加減だ。「いい」と「悪い」の間には無限の段階があり、 「いい」や「悪い」には無数の種類がある。 その時の状況でほどよく妥協しつつなんとかやるのが現実であり、 それをやれるのがプロでありオッサンだ、ということになる。 プロであるからこそ「妥当」に辿りつけるのだ。 コードレビューのような道具も、つまりはどう匙加減して使うか ということなんだろうな。まあ、単純に私はやりたくないんだが。

半ば自虐的に「自作なんてするもんじゃないな」 的なことを書くと、それを若い奴が真に受けてしまうことがあるという。 時村はもはや有名人だからな、そういうこともあるだろう。 しかし、有名人になるような人間は結局回り道をしながら 腕を上げていったのであって、「今の時代なら俺のような無駄なことは しなくていい」みたいなことを言うのは気に入らない。 どれだけ無駄なことをして今の腕を手に入れたのか、 自分を振り返ってみればいいのだ。 しかし、えてして賢いタイプの人はそれを本気で言うから困る。

2016年11月10日

行けっかなーと思ったら罠。 プレハブ入れ子にできないとか意味がわからない。 いや、何重にもなるとわかりにくいだろう、 というのはわからなくもないか。 元々Unityが誰に向けて作っていたのか、 ということにも関係するだろうし。 プロの道具として作ってはいなかったのではないかという気が 濃厚にしている。もしそうならそれを後からプロの道具にしようとしても、 綺麗には行かないだろう。 プロの要望を聞いてプロ向けの機能を入れることを 良しとしない開発者がいたっておかしくない。 その手の機能は素人にとっては邪魔になりかねないからな。

まあいい。今はこの現実をどうするかだ。 妥当なところを探そう。 OnValidateとかそういうエディタで動く関数をうまく使えるなら 手はあるかもしれん。

コードが綺麗というのは、スタイルがどうとか言う前に、 コードの複雑度が小さいことだと思う。 コードの複雑度が小さいというのは、情報のやりとりの経路と量が小さい ということだ。関数があるとして、入力だけから出力が決まる時、 情報のやりとりの経路は一本しかない。 関数がクラスのメンバ関数で、メンバ変数をいじっていれば、 メンバ変数を通して他のメンバ関数とのやりとりの経路が生まれる。 さらに、他のクラスの参照を持っていていじれば、 他のクラスとのやりとりの経路も生まれる。 特段の理由がない限り、関数は入力値だけを使って出力を作るのがいい。 しかしそれをやろうと思うと入力や出力が増えすぎてしまう ことがあり、経路を増やしてでも情報の量を絞った方がマシなことがある。 メンバ変数を使うのはそういう時だ。 それでもできればインスタンスの中で計算が収まるのがいい。 とはいえそうも行かないことはあり、 引数がアホみたいに増えるくらいなら別のクラスインスタンスへの 参照を持ってやりとりをした方がマシなケースはあるし、 インスタンスAからBに情報を渡さねばならない時に、 上流にCを置いて介在させるよりも、AがBの参照を持った方が 総経路数が減るということはある。 つまるところ、情報のやりとりの経路数×情報量が最小になるように コードを書けば、たぶんそれが一番わかりやすい。 量が多くても配列や構造体の形で構造化されていれば 緩和されるし、単に並んでいるだけなら複雑化の度合いは低い。 経路が多い方が複雑になる傾向がある。

あと、情報の流れがコード上に表れないことがある。 ある関数の戻り値がintである時、 コード上でその範囲はわからない。 呼び出し側はあらゆる値が帰ると想定して書くべきだ。 しかし実際にはそんな面倒なことはせず、 「この関数は0から10を返す」みたいな知識を持って呼び出すことが多い。 これは、本来呼ばれる側の関数が持っている情報を、 人間がコードの外を通して呼ぶ側の関数に運んだことを意味する。 人間を通した情報のやりとりは、人間の中にしかないので、 人がいなくなれば失われる。人は忘れるし、入れ替わるのだから、 コードの外を通る情報の流れは極力少ない方がいい。 せめて関数のインターフェイス定義にコメントとして書くべきだ。 ある関数を書く時には他の関数の動作を忘れるべきだし、 あるクラスを書く時には他のクラスの動作を忘れるべきだ、 という話だと思う。 掃除機は掃除機の仕事をすれば良く、サイクロンかどうかは 掃除をする時には関係ない。 設計の基本ってそこじゃないのかなあ。

でも、そういうのが気になるのは、 単に自分のコード把握能力が低い、あるいはなまってるだけ、 という可能性も十分あるか。なにせ現実は現実だ。 文句を言う前に自分が適応できるところは適応すべきだろう。 適応してしまうことで改善の機会が失われることもあるが。

2016年11月08日

関内二郎を食べに行った。ずいぶんと並んだが、 本物の二郎を食べた気がする。 実のところ麺はもっとゴワゴワなのが二郎、 というイメージはあるが、それは学生の時に食べた 吉祥寺店のイメージがまだ残っているからだろう。

また数ヶ月後に行きたい。当分はいいし、これから冬だから 並ぶのは辛い。

正社員として雇ってくれるそうだ。給料も今もらっている 仮の額のまま。面談では周りの人の私への評価の話もしてもらえて、 コードは書けるとか、職種横断で見てていいとか、 発言するとか、そういうお褒めの言葉をいただいた。 周りの人がそういうふうに言ってくれているのがうれしい。 しかし、unity初心者レベルだとか、発言の勢いで相手を否定しているように 聞こえることがあるとか、厳しい意見も頂いた。 後者はだいぶ気をつけていたはずなのだが、まだまだ不足のようだ。 新人のつもりで根掘り葉掘り聞いていたが、 当然「前はこうやっていた」という前提があって出てくる疑問だから、 「なんでこうしないんだ」という受け取られ方をしやすい。 そしてもちろん、私の中に「おかしくね?」という感情が ないわけではない。それが出てきてしまうこともあるだろう。 そこへの配慮はしていたが、完全というわけには行かなかった。 あと、unityが初心者レベル、というのもそろそろマズい。 2ヶ月経って素人なのは成長が不十分だろう。 どうしたものかな。

unityの仕組みは見えてきて、「こういうもんか」感はあるのだが、 具体的な操作が伴ってないので実際仕事にならない。 そして、unityの問題と別に、コールバック主体設計で物が 作られていることや、サーバが存在することによる諸々への 理解が同時に必要だ。どんなイベントがあって、 どんな順番でイベントが飛んで、みたいなのをコードだけ見て把握 するのは骨が折れる。

2016年11月07日

免疫力についての7つの誤解。 免疫力などというものが存在するように考え、 それを高めようとか下がらないようにしようとか 考えること自体が間違い、という話。 科学的には良いと思う。

ただ問題がある。 普通の人は、免疫の科学的な定義の話をしたいとは思っていない。 病気にかかりにくくなる方法はないのか、ということを知りたいのだ。 それが科学的な意味での免疫であるかどうかは問題ではない。 「風邪を引かない、引いても治る」ことですらない。 風邪だけの話でなく、病気全般、 さらに言えば、病気ですらない「なんか調子悪い」 を逃れられるかどうかを問題にしている。 「それは免疫じゃねえよ」と言うのだろうが、 「疫を免れる何かが免疫」というのは自然な理解で、 それをバカにするのは専門に浸りすぎている。 つまり検討すべきは「笑うと免疫が強くなるか」 ではなく「笑うと病気が減るか」であり、 さらに言えば「笑うと調子がいいか」なのだ。 もし爪をもむと調子が良くなるのであれば、 免疫が強くならなくても一向にかまわないのである。 是非ともそこを否定してもらいたい。 T細胞もB細胞も知ったことではないのだから。 「身体の調子と免疫に関係はない」 とか「規則正しい生活は健康に大切だが免疫とは関係ない」 とかいうことまでわかっているなら、 「一般人は実は免疫なんて気にしてない。 免疫と言っているが調子の話をしている」 ということにも気づいて良さそうなものだがなあ。 専門家でない人にとっては言葉なんてどうでもいいんだから。

医者はあからさまな病気を治すことを仕事としており、 科学的な裏付けも求めるべきだからそれでいい。 しかしこっちとしては、 医者がそういう人々であることは把握しておいた方が 話がしやすいと思う。 なお、未病が云々とか言う医者もたまにいるが、 たいていは胡散臭い。科学的な医者をまずは頼るべきだ。 ただし、こちらもその科学を理解する努力をした方がいい。 「それは医者の仕事だろ」とか思っているとひどい目にあいかねない。

風邪で無理に体温を下げない方が軽く済む、 は漢方医の経験則だ。これが免疫によるのかどうかはどうでもいい。 軽く済む、ということ自体が本当か嘘かが問題であり、 それは大規模なランダム化試験でしか白黒はつかない。 現状、白黒はついていないし、そこを白黒つけるために 莫大な金のかかる臨床試験をやるとも思えない。 仕方ないので、経験則に従ってやってみて、 悪いことが起こらなかったり、なんかいい感じならそれで良しとする わけである。私は軽く済む気がするけどなあ。

爪もみはやったことないから知らん。 体温は低いより高い方がいい気がするが、明らかな根拠はない。 脂質代謝や蛋白代謝が低いと体温が低くなりそうなわけで、 それらは高い方がいいんじゃないかなと思う。

河原段ボールすべりはいいなあ。やりたい。やろう。

ひつじこは別に太ってはいないのだが、確かに腰から股に かけてはだらしない感じになっている。 美観だけを言うなら、もう2-3L体積が減った方がいいんだろう。 でも授乳してるし、脂肪を保つように調節されてるんだろうから、 ある程度は仕方ないと思うなあ。 やれることがあるとすれば、運動くらいだろう。 体幹を使って動いていれば、そのへんに筋肉がつくので、 脂肪が減らなくても形の印象は変わるし、 たぶん脂肪も減る。オトモが乳を飲まなくなれば多少は 変わるのかもしれないし。問題は体重ではなく体脂肪率だからな。

シノンは普通の絵は全然描かないのになあ。 頭がロジック寄りなのだとしたらちょっとワクワクする。

今日は会社でいろいろあって気分を盛りたかったので 二郎へ行こうと思った。しかし、 外に出た瞬間、この気温で30分並ぶのは無理だと思った。 半袖Tシャツの上に普通のシャツで、 真夏と同じ格好をしていたからな。 気温が14度以上で、外にいる間は歩いている、 という条件を満たしていれば、この格好のままでいい。 しかし、立ち止まって時間を過ごすのは無理だ。 そして、10度を切ってきた時に大丈夫とは思えない。

丁度ユニクロに服を注文している。届いたら行く気になるかな。

unityが好きになる日が来るんだろうか。 しかし考えてみれば、DirectXが好きだったことはないし、 OpenGLは嫌いだったことしかない。 C++が好きだったかといえば、そうでもない。 つまり慣れの問題にすぎん。 ただ、「よしこれでもう覚えなくてもやりたいことができる」 という状態になるのが「手に馴染んだ」ということではあるので、 バージョンアップしまくる上にデカいUnityは その条件を満たしにくいとは言える。 これ、手に馴染む日は来るんだろうか。

2016年11月06日

今日は川崎の住宅展示場へ行った。 家を買いたくなったからではなく、 客寄せに動物ふれあいコーナーが用意されていたからだ。 ひよこ、ねずみ、かめ、モルモット、うさぎ、やぎ、がいて、 オタマとシノンはえんえんローテーションして触っていた。 ひつじこはその間にせっかくだからと家を見に行った。 結構面白いらしくなかなか戻ってこないが、 オタマとシノンもなかなか飽きない。 オトモをだっこして立っているだけだが結構キツかった。 体調が万全ではない。 ひつじこが2軒見たところでオタマやシノンも飽きて、 残りは一緒に見られた。 2世帯住宅設計だったり、そもそもデカかったり、 間取りが展示用だったり、 おしゃれすぎたり、と参考にならない点はいろいろあるが、 各社結構特色があるらしいということがわかった。 例えばヘーベルハウスは耐久性を押し出している。

家に帰ってから、 40年前はうちのこの感じが新しかったはずで、 モデルルームもこんなだったに違いない、と考えて面白くなった。 今見るとどう見てもダサいからなうち。 今は文化財になっている寺の類も、 建った時には最先端建築だったに違いない。

家なあ。安定してやってける感じになって収入がべらぼうに 増えたら考えなくもないけどなあ。 今のところ明日をも知れぬ身だ。 今はまだ、正社員になれるのか、給料はどうなるのか、 みたいなところからクリアしないといけない。 今もらっている仮の給料は、 今やれている仕事には見合っていない。 現時点での出力で給料を決めるなら、下がらざるを得まい。 その方は気は楽だが、下がってうれしいわけもないしな。 私が活躍しそうだとみなされているかどうかの問題なのだろうが、 そんなもんわからんし。 とにかく家庭と両立可能な範囲で最大の成長を遂げる以外にない。

Unityで物置くのがおっくうなのが辛い。 かかる時間はともかくとして可能なことはわかっており、 問題はほぼほぼ速度だ。質を上げられるかどうかは速度の問題で、 面倒くさくて速度が上がらなければ質も上がらないだろう。 かけられる時間には限度があるからだ。 つまり、単純に、慣れて覚えるだけのことである。 しかし、そういう思いを持ってしまうことに罠がある。 私はあまりにも長いこと、生産以上に生産手段に興味を持ちすぎてきた。 今求められているのは、具体的な製品を生産することに 情熱を持つことな気がする。 それが試されているのだろう。これは試練だ。

帰ってきてしばらくしたら気持ち悪いのがぶり返した。 ゆうべレーズン入りのヨーグルトを400g食べたのが悪かったのか、 それとも今朝豚肉とマッシュルームとにんにくのオリーブオイル炒め を作って食べたのが悪かったのか。 なかなか治らないので、気持ち悪いのを我慢して五苓散を飲んだら、 だいぶ楽になった。胃に水が溜まって抜けない感じで吐き気がある時には 五苓散だ。でもそれがわかっていてもなかなか飲む気にならないんだよな。 なにせ気持ち悪いわけで。 弟もそういう感じなのだろうか。気持ち悪い状態で MCTオイルを飲むとか考えたくないわな。

異様に二郎や生しらす丼その他の外食がしたくなる。 具合が悪いからだ。 具合が悪いと肉や脂への欲求がなくなるが、 何故か炭水化物への欲求は強まる。 肉体的には具合が悪い時に食べるのは良くないので食欲が減ずるのだが、 そういう時には炭水化物の禁断症状的なものが強く出るのだろう。 数日絶食した所で何が起こるわけでもなく、 糖質の禁断症状さえなければさしたる苦痛もない。 完全に糖質を断った方が 食い物に煩わされずに済み、しかも身体も損ねないのかもしれない。

川崎二郎は欲しかったものではないので、関内に行きたい。 だが職場から20分かかり、しかも家と逆方向。 行列必至なので昼休みというわけには行かず、 夜食えば確実に帰りが遅くなる。 もうちょい短時間でモノが出来るようになって、 あっさり18時半に帰っても気にならなくなってからにするべきだが、 それはいつになるんだろうな。

夕飯を家族で食えない状況が普通というのはたぶんおかしい。 うちは18時半までが定時だが、18時半に会社を出たとしても、 家につくのは19時15分かそこらになる。子供の夕食の時間としては遅い。 開始時間を朝8時にすれば、9時間後が17時になるので まあそれなら良かろうが、今度は朝幼稚園に送ることすらできなくなる。 通勤が数分になればかなりの程度解決するんだが、 今の段階でそれは望めない。 ゆくゆくは解決したいが、どうしたものかな。

2016年11月05日

多少は仕事できるようになった気でいたんだが、 まだまだだな。Unityで物置くのが凄まじく遅い。 そもそも物置くのはプログラマの仕事じゃないだろ感があるし、 置くにしてもコードで置いた方が早いわ感もあり、 加えてUnityの操作に慣れてないのでまどろっこしい。 GUIで物置けるのが楽、と感じない身体になってしまったからな。 むしろGUIで置いたものはいつどうなるかわからない、 という思いの方が強い。マウス操作は一発で 恐ろしく破壊的な結果をもたらしうるし、 それを無意識にやってしまうことも多い。 結局diffで変更箇所見てからでないとコミットできないからな。 .prefabや.unityの中身を知らなくていいということにはならない。 一方テキストは私が打たない限り絶対変わらない安心感がある。 まあ自動補完や自動整形、 さらにはキーを押しながら寝落ちすること もあるので絶対とは言えないのだが。

今日はオタマとシノンを連れて川崎。 電球のソケットと、thunderbolt-HDMIケーブルを買いに行くのが 目的だが、ひつじこが嘔吐下痢以来の疲労困憊でどうしようもなかったので 連れ出したのが大きい。 負担かけてるなあと思う。

ドイツ語で「女性の機嫌を取るためのプレゼント」を「竜の餌」 と言うらしいのだが、どこでもそういうことはあるのだろう。 そして、たぶんさほど奏功していないのだろうなと思う。 うちでは奏功しない。結局、一番重要なのは、 「私がひつじこのためだけに時間を割く」ことであって、 代わりを用意したところで、 一番重要なものが得られなかったという負の記憶は永遠に残る。 女性は負の記憶を忘れないというが、 とりあえずひつじこはそうかもしれんなあ。 プラスでマイナスを相殺することはできないっぽい。 何ヶ月経っても「いつもそうだ」的な怒られ方をする。

ひつじこがしんどい時に子供を連れ出すことも、 同様に最良の選択ではない。ひつじこが望むのは、 私が家で子供を楽しくさせつつ、ひつじこが自由でいられる状態だ。 ひつじこが横にいる状態で3人を私に引きつけ続けるとか 不可能としか思えないので連れ出してしまうが、 不可能だろうがなんだろうが最良でない以上、同じ問題が起こる。 結果で評価されるので、試みてダメだった、も許されないしなあ。

子供が食う料理を作る、とかも同様に大変で、 たまにしか作れなくなった今となっては、 子供が食う条件がよくわからない。 辛くしない、しょっぱくしない、固くしない、 という程度なら簡単だが、シノンの偏食がひどいので かなり厄介なことになっている。 オタマも一時期面倒くさかったが、シノンは比じゃない。 カレーの玉葱のけるからなあ。 朝は鶏胸と玉葱、人参、だけでカレーを作って、 味はうまかったようなのだが、鶏の皮と人参だけ食べて残した。 オタマは脂身や皮が嫌いで、シノンは脂身や皮を好む。すごく厄介。 なので、今は半ばすりおろし状態にまでミキサーにかけて玉葱と、 牛筋、人参、トマト缶でまたカレーを作っている。 牛筋はシノンが好む「プルプルお肉」であり、オタマも食えるからだ。 玉葱は跡形もなく汁になっているので除けようがあるまい。 トマトが入れば味も好みになるはず。 本来なら茸やグリーンピースなども入れたいのだが、 まずは最小の材料でやらないと。シノンは確実に茸食わんし。 こいつ偏食激しすぎるぞ。弁当どうするんだろ。 まさか肉とトマトと芽キャベツで固定、 というわけにも行かんだろ。 うち米もないしな。パンは大豆粉で焼いているが、 今はシノンが食べないので、主食っぽい見掛けのものが入らなくなる。

最近は多少糖質食っても皮膚に出なくなったからいいといえばいいんだが、 そのために米炊くのも馬鹿馬鹿しいしなあ。

料理は結構得意な部類のはずなのだが、 極少数の原則に従って作っているので、 レシピを多数覚えているわけでもないし、 調理技術が高いわけでもない。 動物ダシと植物ダシが足されればうまい、 の原則を超えたところにある料理は作れてない。 つまり、肉プラス昆布かチーズかトマトか玉葱か味噌だ。 酸味や苦味、香りといったものをどうプラスしていくかが よくわかっていない。 それでもそれなり以上にうまいものになっていると思うんだが、 子供ウケは良くない。 もっとわかりやすい味を覚えてしまっているからなあ。 市販のカレールウを入れたら食う、というのであれば、 それもアリなんだろう。

私ならこれにすがるな。 科学的根拠とは到底言えない単なる一例で真実かどうかすらわからんわけだが、 科学的根拠のある治療が科学的に「あと半年で半分死ぬ状況」 的なことを言うような状況であれば、 仮に科学的根拠のある治療に劣ったとしても博打を打ちたくなる。 癌という奴は、完全切除しない限り癌死は避けられないのが常識だ。 抗癌剤で治ることは極めて稀で、 延命するかどうかは確かではなく、 症状を緩和することはまだ期待できるものの副作用は確実に食らい、 全く効果なく副作用だけを食らう可能性も高い。 一部の医者は少量づつ使えば副作用をさほど食らわずに 延命の可能性が高まると言っていて、 それを言う複数の医師に話を聞いた感じ、 ウソではないのだろうと勝手に思ってはいる。 しかし、統計の裏付けはないし、仮に本当でも最終的な結末は癌死だ。 薬は必ず効かなくなる時が来る。 癌を克服した、と言えるためには、 癌死しないで済む治療法が見つかる必要があるわけだが、 それはまだ遠い。 免疫チェックポイント阻害剤が実現してくれるかもしれないが、 今出ている薬にそれほどの力はないし、現状年間一千万単位の 金がかかる恐ろしい薬でもある。

ケトンの話が魅力的なのは、実質タダということと、 もしそれだけで止まれば恒久的に止まるかもしれない、 ということにある。 しかも薬と違って選択肢がなく、試行錯誤しなくていい。 1年やそこらで人体にヤバい害がないことは、 子供のてんかん治療などで確認が取れている。 身体をケトンまみれにするには、極端な糖質制限をした上で、 ココナッツオイルの類を多量に食えばよく、それだけのことで、 どこにもお金がかかる要素がない。 もしそれだけで癌が成長を止めてくれれば、癌死を免れる可能性が出てくる。 そこまで行かずとも、もしこれで成長速度が鈍るのであれば、 抗癌剤との併用で癌と引き分けでいられる時間が延びるはずだ。 ただ、デメリットはある。普通の食べ物を食べられなくなる ことは人にとっては大きい。好みの問題と言うのは簡単だが、 本人が食えないと言うならばそれは食えないのだ。 実際、弟は夏頃に糖質制限をやめたという。 米を食べているわけではないそうで糖質制限と言えなくはないが、 前ほど厳しくはない。吐き気のために受けつける食べ物が極端に 減ってしまい、おそらくは昔から馴染のあるものしか食えなくなっている。 元々食に保守的で、胃を切る前に生ハムやらチーズやらは持っていっても 全然食べなかった。あまり噛まずに食べ、早食いだったが、 胃を切ってもそれを改めなかった。 吐き気は、長年の食習慣、胃を切ったこと、精神的なもの、 医療用麻薬の副作用、抗癌剤の副作用、などが織り重なっており、 とても簡単に解決できる気がしない。 最近はシスプラチンの吐き気すら抑えるイメンドまで投入しているのに、 普通に物が食える状態にはならないのだという。 まあアルブミンは上がっているので、 糖質制限をやめたことで食えるものが増えて栄養状態は良くなったとは 言えるのだが、腫瘍マーカーは止まらない。

それまでの行動スタイルを丸ごと捨て去る くらいのことができたら多少は変わったりするんだろうか。 生き延びた人の手記の類ではそういう人が多い印象があるが、 そういう人じゃないと手記なんて書かない、というだけかもしれない。

糖質制限だけでは止まらないのはとっくの昔にわかっている。 おそらくは速度を緩めてくれているのだが、 それ以上の効果は得られていない。 だいたい、血糖値はなんぼ糖質制限しても一定以下には落ちないわけで、 血糖値を下げることによって癌を兵糧攻めにするという理論には穴が多すぎる。 それもあってか、最近は血糖値じゃなくケトン体濃度だ、 と言う方向に変わってきた。 ケトン体がたくさんあると、血糖値がそんなに低くなくても 癌を増えにくくするという。理屈どころか事の真偽も不明だが。

弟のケトン体濃度はどうだろうな。 SGLT2阻害剤はケトン体濃度を増すようだし、 糖質制限もそれなりにはしていた。今は甘そうだが。 ただ、ケトンでやってるクリニックの医師が書いた本には、 糖尿病の人間はケトン濃度が上がりにくく、効果が薄い、ともあった。 ケトンが上がるということは、脂肪を燃やせているということだ。 糖尿の人間は長い間脂肪よりも糖質で生きてきたため、 脂肪を燃やす能力が落ちているのかもしれないという気はする。 まだ胃を切る前、弟に炒り卵を作って食わせたら冷や汗をかいて トイレに座りこんでいたことがある。私が家で作っている感じで、 普通よりはずっと多いが、そんな異常なほどでもなかったはずだ。 せいぜい30mlくらいだったと思う。 たぶん油に慣れてないんだろう。 体脂肪の減りが悪いのもそのへんかもしれない。 そしてケトン濃度も上がってこないのだろう。

そんなわけで最近ケトンが盛り上がっているが、 これがガセだったかどうかは数年のうちにはわかるのだろうな。 もしガセでなかったとなれば、結構大きな変化が来るかもしれない。 糖質制限そのものはだんだんメジャーになってきた印象があるし。

ひつじこは結構あっさりケトンが出る。 産婦人科で目をつけられる原因になるので面倒なのだが、 油の代謝が盛んなのであれば良いことだろう。 コーヒーに生クリーム入れて飲んでるしな。 私も以前尿ケトン検出紙を試した時には出た。 生クリーム200ml一気飲みしても気持ち悪くならないし、 それなりに耐えるんだろう。 もっとも、同量の油を含む豚の角煮を一気食いしたり、 ココナッツオイルを入れすぎた炒り卵を食うと 気持ち悪くなるので、種類によって耐性は違うとは思う。 ひつじこも羊肉や牛肉の脂には弱い。


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