だだもれ

2016年04月26日

弟、ハーセプチン+オキサリプラチン+TS-1+ゾメタ。 これで止まってくれ頼む。以前より全身状態が悪くリンパ球が減っているので、 その分だけ効きが悪くなったりせんかなと心配。

オキサリプラチンの痺れには打つ手がないとのこと。 ただし実際に症状が出たら症状を抑える薬はあるので それを出すそうだ。神経に毒が溜まるのが問題なので、 毒を捨てやすくするなり毒に強くなるなりすればいいのだが、 そういう薬は知られていない。 牛車腎気丸+加工ブシ末、というのが比較的メジャーにやられているのだが、 臨床試験がないんだよな。牛車腎気丸だけの試験はあるが、 無効っぽい雰囲気で終わっている。

2016年04月25日

自分の好みとかについて考えていた。

Unityみたいなものが嫌いなのは何故か。良く出来ていることに間違いはなく、 性能の問題など遊びそのものに比べれば大した問題ではない。 つまり、合理的な理由ではない。 技術において負けていることを認めるのが嫌、 ということも考えられるし、なくもないが、負けるのは今に始まったことではない。 私が作ったものの質がその道の一流の物に勝ったことなどない。 世界最高のものと比べて勝てないと思うのは当然だが、 以前隣に座っていた男にも勝てないと思った。たまに会うが、 やはり勝てる気がしない。 別にそいつだけでもなく、今近くに座っているある男にも、 素のプログラム能力と速度においては勝てる気がしない。 以前新人研修で教えたあいつにもおそらく勝てんだろう。教えるまでもなかった。 つまるところ私はプログラムで一流であると自惚れられるような状態にはなく、 世界から才能が集まっているであろうUnityの中の人に勝てるなどと思うはずもない。 雇ってもらうことすらできんだろう。

つまり私は仕事において何をしたいのだろうか、と考える。 なぜ自作したがるのだろうか。 覚えたり調べたりするのが苦手だから、というのは一つの説明だが、 本当に苦手か?それは言い訳だろう。 なるほどそれが得意な奴に比べれば劣るし、 まず英語で探す、というようなことをする気に ならない英語力であることは極めて不利だが、 致命傷というほどでもない。 そもそも、資料を読むのが嫌いで苦手な奴が 5機種用のラッパライブラリを作るだろうか? それぞれ当然調べねばならないし、ある程度は覚えないと効率が悪すぎる。 Javascriptにしたところで、MDNのページが常時5タブくらい開いた状態でやっていた。 英語は苦手だが、日本語が胡散臭い時に英語を見に行く程度のことはする。 Unityはモノがデカいのでまだ全貌は見えないが、 これはそもそも全貌を見ようとすべきではないのであって、 変に勉強しようなどと思わずモノを作ることを優先したならば、そこそこ作れるだろう。

自作する目的はやってみたいからであり、出来たものに興味がないことは間違いない。 他に勝てるものを作りたい、などとは微塵も思っていない。 もしそうなら何かしらの専門で一流を目指すはずだ。 しかし現実にはすぐに飽きてしまう。 以前取り組んでいたレイトレのコードは放置状態だ。 Javascriptにしても、一応実用になるツールを作って渡したところで、 それ以上の改善もしていないし、勉強もしていない。

もちろん、一応仕事との折り合いはつけていたはずで、 私が自作したのは、製品に投入できる程度の質は確保できる見込みがあり、 買うまでもないようなものだ。 そうであろうと思って本当にそうか確かめるために軽く試作したケースもあるが、 扱いは同じだろう。 本気の品質を目指さなくていい分野においては、 買うか、適当に作るかで二つの選択肢がある。 買うまでもないほどどうでもいい要素もあり、 丁度いい売り物がないこともあるし、 売り物があっても諸々の事情で買えないこともある。 それを作れる人間が中にいて、さしたるコストもかからないのであれば、 自作するのが合理的だ。しかしそれであっても、 自作したいと思う人間がいなければ自作という選択肢は取れないのであって、 私には自作したいという思いがあったということになる。 実際、おそらく普通は特定の製品一つのために、 5機種の機種抽象化層を一人で新しく作る、という選択肢は取らない。

以上から、私の動機は「やってみたいからやる」が主であるということになるのだが、 これだとUnityの類が外れることの説明がまだつかない。 それだって「やってみたいからやる」の対象になったっておかしくない。 調べるのが面倒とか、新しいことをやると自分が素人に思えて嫌とか、 まあそういうことがないとは言わないし確実にあるのだが、 それだけで説明はつかんだろう。

そう考えて、プログラムに限らず私の行動を決める要素があることに気づいた。 「理解したい」欲求だ。私は何かを理解したがっている。 「こういうことか」と思いたいのである。 本を読んだり説明を聞いたくらいでそう思えれば時間もかからず効率的なのだが、 残念ながら私はもう少し手間をかけないと「わかった」とは思えないらしい。 バイオリンや拳法がいい例なのだが、これらは自分で弾けたり、殴って強かったりして 初めて「わかった」と言える。自分でできていないことは、わかってはいない。 プログラムも同じだ。自分で作れないものはわかってはいない。 だから自分で作れるレベルの理解が得られそうにないことに時間を使いたくない。 他人が作ったものをいくら上手に使えても、それは使えているだけだ。 2歳のシノンがiPadを使うのと変わらない。 DirectXだろうがOpenGLだろうが、理解などしていない。 使っているだけだ。しかし、 レイトレするなりして同等の処理をある程度でも自分で再現すれば、 「わかった」という実感が得られる。 しかしなにしろ飽きっぽいので、実際に再現できていなくても、 「このまま長くやってれば再現できるんだろう」という確信が得られれば、 それでわかった気になって飽きる。だから一流にはなれない。 その意味でDirectXやWin32APIなどは正直やりたくもないのだが、 単純に仕事で必要になったし、自作は不可能だし、 より大きな「CGを理解したい」という欲求があるしで、 問題にならなかったのである。

Unityはどうか?おそらく自作が不可能と感じられないのが大きい。 規模や技術の問題として不可能、というのは、不可能の度合いとしてはまだ弱い。 DirectXのように「GPUにアクセスできないから絶対無理」というレベルでないと 自作できない印象にならない。VisualStudioなんかも同レベルに置換が不可能だ。 Unityは今まで自分が作ったことがあるものを多く含んでおり、 バラバラに見れば作れないものという印象を持てない。 そして、作れそうなものは理解したいので作ってみたいと思う。 スクリプトを組み込む枠組みや、各種便利なプロファイラ系ツールや、 多機種で同じものを動かせる仕組みなどは作ってみたい。 作れそうに見えるものを作らず他人のものを使うことは、 「わかった」に至れる気がしないので嫌なのだ。

今までの経緯を見るに、仕事上使うことが不可避であれば、 あっさりあきらめて使い出すことが予想できる。 そして、その時にはそれなりに早く習熟する。 また、理解の対象がそれそのものでなく、それを使ってやるもっと上層のものになれば、 やはりさして気にならない。 DirectXのAPIが気に入らなくても、それが必要で、CGをやるという上の目的があれば 気にならない。 Unityでも同様だろう。仕事上不可避で、Unityを使ってやることの方に興味があれば、 Unityそのものなどどうでも良くなる。理解したいという欲求も生じず、 必要上最小限の勉強をさっさとして使うだろう。 DirectXに興味があったことなど未だかつて一度もなかった。 使えるようになるのに興味など不要だ。 なにせ横着なのでUnityをよく理解して Unityとして良いやり方を学ぶ気はあまり起きないだろうが、 誰かと仕事をしていれば指摘してもらえるはずだし、 たまたま調べていて良いやり方が目に入ることもあるから、 長期的に見ればそう悪くないやり方に落ちつくはずだ。 なにせ勉強しないので少々時間がかかるだろうが、 そこに関して私は不安を持っていない。

ここまで考えて、Unityを使っても仕事できる気がしてきた。 しかし実際に仕事をするならこれに加えて考えるべきことがある。 それは私を一番高く売る方法か?ということだ。 あるいは、私が一番社会に貢献できる道か、と言い換えてもいい。 なるほどそれなりに使えるようにはなるだろうし、やってれば下の方も詳しくなって、 ツールを作ったりなんなりするようにもなるだろう。 ゲーム本体を作れと言われるにしても、ゲームのミソがルールや挙動にあるから、 そこはほとんどコードの世界だ。Unityだろうがなんだろうがほとんど関係ない。 ゲームのミソがパラメータ調整や外から来るスクリプトにあるようなゲームであれば、 仕事の中核は仕様の実装とツールの整備になる。 最適化なんかも同様で、 その都度その都度それなりに考えていい感じに仕事すればいいんだろう。 慣れの問題だ。大した問題じゃない。 問題は、それをやりたいか、それを他の人間よりうまくやれるか、それが価値を産むか、 といったことだ。もはや技術の問題じゃない。

私は理解したいと思っている。それを捨てるとたぶん効率が落ちる。 この点は、理解の対象が上のゲームデザインや、 あるいはプロジェクトをうまく行かせることや、 さらには客を喜ばせることになるならば、問題ではなくなる。 しかしこの場合は長期的には技術者ではなくなる方向に行くだろう。 技術者の仕事はおおむね必要条件を満たすことになる。ウリを作ることではないし、 技術で解決する問題だけ見ていてはプロジェクトをうまく行かせることはできない。 そっちに興味があれば、自然と仕事の比重は技術以外のところにかかってくるだろう。 しかし現状私にその能力があることは証明できていない。 自分でもやれるかわからんし、まして他人にやれると主張することはできない。 だからこれは将来的な話だ。今は技術者として自分を売らねば給料をもらえない。 ここが問題だ。

Unity上で企画からやってきたパワポなりエクセルなりに 書かれたことを実装する仕事をやったとして、 今の700万超という給料に見合う生産性を出せるか?無理だろう。 今この時点ではUnity素人だし、そもそも仕様を実装するタイプの仕事は差が出にくい。 ましてUnityのようなものではなおさら差が出にくい。 差が出ないようにするためのUnityだろうからな。 300万の奴にやらせれば良くね?となったら死ぬ。 最適化仕事は現状Unityの中で何をやっているか 想像できる人間が少ないらしいので有利だが、 いずれUnityの中の人の努力で最適化の 必要性自体が薄まる方向に行くのは間違いないし、 商売としても「最適化に金かけるならテクスチャ半分でいいじゃん」 なケースはどんどん増えるだろう。 最適化やデバグの類で食っていこうなどとは決して思ってはいかん。 そこに自分の強みがあると思うことは危険だ。 まあ最初はそれなりにやるんだろうけど。 というわけで、Unityな所で仕事をするなら、 ツールの類がおそらくは主戦場になるのだろうなと思う。 ただしそれは、ツールが手薄な場所であれば、の話だ。 堅い作り方をする集団であればそこが手薄であることは考えにくいし、 ツール寄りの人間が多数いれば私など及ぶまい。 ゲームの中身をやる人間になれればという思いもなくはないが、 ゲームの中身に関わった実績はない。才能があるとも思えん。 私はたぶん「遊び」というものを根本的にわかっていないからな。

いかんな。今までやってきたことがほとんどゴミだ。使い物にならん。 時代が変わってUnityみたいなものを使わずにゲームを作ることが ほとんどなくなるのだとすれば、給料半分になってでもそっち側に行かんと 後々死ぬことになるだろうが、しかしできれば今の給料に見合う働きができる道を 見つけたいものだが。 本書くのはいいと思うんだが、残念ながら金にならないんだよな。 名誉にはなるので、後々金につながる可能性もあるのだが。

だがとりあえず、もう少しUnityみたいなものを使った 開発というものを知らねばならんな。 Unityそのものを知る必要はさほどない、と考えよう。 そこを理解しようとすると好みの問題が出てきて厄介だ。 不可避で、単に便利だから使うだけのものとして考えれば良い。 興味は上層に持つべきだ。

新技術に興味はない。 新技術をいきなり理解できるくらい習熟した分野なんて一つもないからだ。 理解できそうにないものには興味は持てない。 もちろん興味がなくても使えた方がいいものはある。 それは合理性の問題で興味の問題ではない。冷蔵庫は冷やせればいいのであって、 中身に興味を持つ必要はない。 それをしっかりと分けて混同しないようにするためには、 自分で触らないのが一番だし、実際自分ではやりたくなかったのだが仕方ない。 さっさとリーダーなりマネージャーなりになって、 そこに情熱のある人間にやってもらう権限があれば良いのだろうが、無理そうだしな。 Unityのような重要なものには自分で触ることにしよう。面倒だが必要なことだ。

私が興味を持つのはむしろ知らない分野の旧技術でいいと思う。 旧い技術であっても、プログラミングにおいては 十分にわかりやすい説明が発明されていないことが多い。 そこをどうにかすることに関しては私がそれなりに役に立てそうな気がする。 なにせ、そこに情熱を持つ人がどうやらあまりいないようだから、 競争しないで済む。

2016年04月23日

私は根本的に、作りたいのではなく、理解したい人間なのだろう。 「理解する」が何を指すかは人によって違うようだが、 私の場合、ある分野において支配する少数の規則を見つけ、 それを操作し組み上げれば何でもできる、という確信を得ることだ。 多様な現象が少数の法則の現れとして理解できることが好きだし、 多様な機能を少数の機能の組み合わせで実現することも好きだ。 生物学や生化学に行ったのは失敗だったと思っている。 元々は医学の基礎研究に行くつもりだったが、 もしそうしていればなおさらひどいことになっただろう。 本来の性向を考えれば、 数学から逃げずに物理か化学をやるべきだったのだろうと思う。 レゴに窓や車輪があるのは邪道、的な考え方で、 それが過去書いた本には色濃く出ている。 そういうタイプの人間は結構いると思っていたのだが、 どうやら少数派であるらしい。

もちろん、商売や工学は理解でなく成果を求める。 当たり前のことだが、物を作って売らねばならない。 数年前までは、理解を求める性質がそれほど成果とぶつからなかったし、 むしろプラスに働いた。 自作したものは製品に使えたし、自作によって腕が上がり、 成果に結びつく仕事の出来も良くなった。 コリジョンを自作する合理的な理由がなくても、 出来たものが製品に入れられる品質で、 それを通してプログラムがうまくなれば全体としてはプラスになった。 しかし、どうやらそういう時代は終わったようだ。

八百屋と肉屋と魚屋に別々に買い物に行く習慣があるうちは 一味違った肉屋をやる、という選択肢も取れるかもしれない。 しかし誰もがスーパーに買いに行くようになれば、肉屋をやること自体が難しくなる。 一塊のものとして各部品が提供されるのが当たり前になり、 各部品の詳細について考えたことのない者が多数そこにいるとなれば、 そのエンジンなるものの中の人にならずに部品を供給する側になるのは難しい。 私が求める「理解」は自分で作ってみないと得られないものだから作りたいのだが、 それを使う人がいなければ作ることが正当化できない。 勉強にしかならないことは事実上やれないのだ。 本はその点の問題がなくていいのだが、もうからないし、 書くことに意味がある分野も限られる。

この構図、どこか他でも見たことがあるぞ。最近ツイッターで見たな。 「地方の道路で経験を積んでから東京の道作る、 みたいなことがなくなって修行の場がなくなった」 みたいな。漫画や音楽でも同じだな。 「需要がトップのものに集中するので新人が育たない」 みたいな。結局、鍛えるためには実戦投入することが必要で、 訓練としての訓練では育成効果が弱いのである。 客に出してナンボなのだ。 しかし、Unityみたいな「個人が勝てないレベルのもの」が「一塊のものとして」 提供されていて、それを使うことが当たり前になってしまえば、 そのような修行を積む場はなくなってしまう。 私は今のコード能力を得たのは、本来自作する必要のないものを作りまくったからだ。 コード能力が今の水準になったからこそ見えることはたくさんあって、 やったことがない分野でも想像がつくし、 他人のレベルを推し測りやすくなった。 今後はそれをどこで得ればいいのだろうか。

2016年04月20日

数日Unityを触っているのだが、いろいろ考える。 まず、ライブラリ屋としてこれを商売敵と考えた時に何をすべきか、という視点がある。 何をパクるべきかとか、逆にこれを作ると比べられるから絶対作っちゃダメだとか、 そういう話だ。もう一つは、「これに乗るとしたらどこで仕事をするか」。 「Unityでモノ作るからそのために働け」と言われた時、 私は何をしたら一番役に立ち、私も楽しくやれるか。 エディタ拡張でツール作るのか、Unityの外のツールなのか、 サーバ側へ行くのか、 何らかのライブラリなり何なりをUnityの上に作るのか、 はたまたゲームコードを書くのか、 そしてあるいは、コードを書かない仕事に移行するのか。 コードを書かなくて済む場面が増えるのがUnityの魅力だろうが、 私は現にコードが書けるわけだから、 それを使った方がお得だろう。 Unityに絡んでコードを書く能力を要する仕事は何か、 という話になる。 しかしもしかしたらUnityをマウスでいじって物を置いたりパラメータを いじったりする仕事をやってみたら向いているかもしれないし、 そもそもリーダーなり管理職なりに移行した方が いい可能性もある。

Unityはいらんことをせんでゲーム作りに集中できていい、とよく聞く。 そうなんだろう。 しかし私はマウスでモノを置いたりパラメータをいじったりすることを メインの仕事にしたいとは思ってない。 具体的なレベルデザインみたいなものに興味があまりない。 ゲームの仕組みを作る所に興味がある。 それはAIだったり流れだったり仕掛けだったりするので、 おおむねコードで書く方が向いた作業だ。 そこをやる分にはUnityだろうがなんだろうがコードを書くことに変わりはなく、 Unityであることにさしたる魅力は感じない。 しかし、逆に言えばUnityであってもかまわない。

とはいえ、C++でゴリゴリ書く以外の選択肢がない状態の方が私の価値は 際立つのであって、面倒なところはUnity様がやってくれるとなれば、 私の価値は落ちる。「調べるの面倒くさい自作するわ」属性が活きるスキマが Unity仕事にあるかどうかも怪しい。 困ったな。

1000万円くらいもらう価値のある人間になる、 というのは目標として具体的でいいかもしれない。 金なんて単なる数値なので必ずしも実際にもらう必要はないが、 それくらいの価値を産み出せる人間になった方がいい気がする。

そのためには何をしたらいいんだろうな。何で金を稼ぐべきなんだろう。 何を鍛えるべきなんだろう。誰に何で満足してもらう仕事をすべきなんだろう。

わからないからとりあえずUnityで仕事したらいいのかもしれんな。 明らかに向いてない場所に一回つっこんでみれば何か見えるかもしれん。

2016年04月18日

弟の骨転移の痛みがヤバい。生活の質が著しく落ちている。 今日ようやくオキシコンチンをもらってきたそうだ。 強力な医療用麻薬であり、 量さえあればこれで除けない痛みはないというほどのものである。 ただし量によっては意識障害、眠気、便秘、嘔気などもろもろの副作用が出る。 薬をやめる時にも、一定以上の量になっていれば徐々に減らさないと離脱症状が出る。

基本的な戦略。とにかく痛みと吐き気を薬で抑えて、 活動量を減らさず、気持ちを落とさない。 来週からのゾメタ、ハーセプチン、オキサリプラチン、TS-1で、 身体のダメージを許容できる範囲に保ちつつ癌を叩く。 基本的には増殖を止めれば良いが、 ダメージが増さない範囲で縮小は期待したい。 5月末のMRIで病巣が広がっているとみなされれば定位照射ができなくなるからだ。 それで6月に無事定位照射して危機を乗り切り、 骨転移の痛みが引けば、骨転移が深刻化する前の状態まで戻せる。 もし、5月末までに痛みが抑え切れなかったり、圧迫骨折に至るような事態になれば、 5月末を待たずに骨セメントを試みることを考える。 これで骨転移の痛みは高率で止まるが、 この時にはハーセプチンで癌が止められない状況であり、分が悪い。 肝臓の病巣が急拡大するようであれば、 とにかく急いで焼いてもらうように動かないといけないこともありうる。 ハーセプチンの効果が見えるのに前回と同じであれば1ヶ月半くらいかかるが、 可能なら5末にCTをお願いしたいところだ。

ゾメタは10日くらいで80%の人はカルシウムが正常化するらしい。 2週から2ヶ月くらいで痛みが軽減するというデータもあり、 その後維持されるようだ。そうなってほしいと思う。

最悪なのは、定位照射が不可能となった場合と、 定位照射したが短時間で再燃した場合。 いずれも骨セメントを間髪入れずに試すことになるだろう。

Unity中。どうにも好かんなこれ。もっともUnityのせいというよりは、 この本のせいなのだが。「Unity5入門」という本だが、どうにも合わない。 しかし、新しいことをやる時には一旦無批判に受け入れた方がよかろうたぶん。 今までそんなやり方をしたことはないが、unityはそれくらいせんといかん気がする。 文句を言わずに最後までやろう。

クラロワ、第三アリーナまで来たが、まるで勝てん。 戦術を開発すればどうにかなるのか、 手札の組み合わせを改善すればどうにかなるのか、 腕を上げればどうにかなるのか、 単にパラメータが足りんのか、よくわからん。 辛くなってきた。

パズドラ、勇者二人も倒したが、ノーマルは相変わらず星空で止まり、 テクニカルは歴龍。レベルを上げて火力その他を増すか、 新しい手駒を増やして別の戦術を試すか、いずれにしても周回が必要になる。 気が乗らない。もういいかなあこのゲーム。

城ドラは面白いのだが、対人をやるには気力が足りん。 明日気力が充実して空いた時間があればチケットを消費し尽すまでやりたいが、 さてどうだろう。

2016年04月15日

体調が戻らん。数日前から口の中が妙に乾いて細菌の繁殖が強く、 舌にポツリポツリと触ると痛いところがある上に、歯茎も全体に炎症で、 歯ブラシを当てると痛いし血が出る。 自転車でオタマを送るのもなんかしんどいし、 歩いていてもどこか力が入らない。

ただ改善傾向ではある。 二日ほどはまともに寝るようにしたし、昨日今日と半夏瀉心湯+黄蓮解毒湯を試した。 痛みはかなり引いて、 昨日はバター100gくらいしか食べる気にならなかったが、 今日はチーズと鯖缶を食べられている。

Javascriptで寝不足が続いた所で、 弟関連で病院行ったりして疲れが出たのが原因だろう。 ここのところまともに運動してないし、身体が弱っている気がする。 歌やピアノも体調を保つ上ではずいぶんと役立っていたんだろうな。

明日あたりからUnityの世界に行くことにしているのだが、気が乗らんな。 調べれば調べるほど、覚えることが多そうだ。

2016年04月14日

弟の病気の話。昨日13日、駒込でPETを受けた。 結果、肝転移2個の増大と、第九胸椎転移の再燃を確認した。 見える病巣は、それらに加えて、胸のリンパ節、胃の裏のリンパ節。 あとは肩にうさんくさい集積があり、気になる。

放射線医は、再照射を提案。今度はピンポイントの定位照射で 食道や骨髄を巻き添えにしないように腫瘍を叩く。 ただし、放射線は5ヶ月空けないといけないらしく、 その間に骨髄が侵されるようだと定位照射そのものができなくなるという。 どうにか別の手段で抑え、最低でも悪化を防がないといけない。

今日は銀座の先生に相談に行った。

まず、とにかく痛みを止めないと仕方ない。 セレコキシブでは効きが悪いので、オピオイドを試すべきとのこと。 つまり麻薬だ。麻薬を使うようになったらおしまい、的なイメージがあるが、 実際にはそのようなことはなく、副作用への対処も確立しているようだ。 眠気、吐き気、便秘、というあたりが問題で、 少量から試していかないといけないだろう。 主治医もオピオイドには末期のイメージがあるのか、 「これ以上強い薬と言えば麻薬ですよ」と言う言い方をしたそうだ。 そう言われたら普通躊躇するだろうよ。

次に骨転移の進行を遅らせる方策だが、これはゾメタを使う。 本来なら1月から使い始めているべきだったのだが、 放射線治療の成果が出るのを待ちたいということだったのか、 まだ使っていない。そのためかどうかはわからないが、 今回の再燃を許すことになった。今からでもやろうということになる。 ただ、ゾメタがそんなにあかさらまに効く印象はないとのこと。 とりあえず打てる手は打とう、という程度のことだ。

次に抗癌剤だが、サイラムザではもう抑えられないので少なくとも 替えるか足す必要がある。サイラムザが効くタイプの細胞は減っているだろう、 と考えるなら、足すのは分が悪い。 まずは、かつて効いた実績があるハーセプチン+オキサリプラチンに戻すのが良かろう、 とのこと。オキサリプラチンの痺れの問題は、 定位照射を済ませて危機を脱してから考えるのが良いだろう。

また、オプジーボという手もある。保険が効かないので、一回20万円とかだ。 それを2週あるいは3週に1度やることになる。 効いた場合はしばらく効く、という話もあるので、 ずっと打ち続けるよりは金を節約できるかもしれないが、 しかしそれでも負担は跳ね上がる。 加えて、効くかどうかを判定するのに2ヶ月以上かかるという。 最初はむしろ大きくなったりするらしい。 奏効率は20%程度というので、過度の期待は持てない。 少なくとも今は確実性がなんぼか高いハーセプチンを使うべきで、 オプジーボは使うにしても今ではないのだろう。

肝転移は、まだ小さいので命に関わるにはしばらくかかる。 できれば小さいうちに焼き捨ててしまいたいのだが、 他に転移がある人に対して局所治療を行うことは大抵は許されない。 肝臓が問題になる前に他の臓器の問題で死ねば、無駄な治療だったことになる。 治療そのものも苦痛もあるし手間もかかる。 また、抗癌剤で対処する場合、効くかどうかを判定できる病巣が多い方が情報が増える。 とりあえず今は抗癌剤に任せて2ヶ月は待とう。

どれくらい危険な状態なのかについておおまかな意見ももらった。 まず、命に直接関わる状態ではなく、 放っておいても半年やそこらは何も起こらないだろうとのこと。 ただし、骨転移は痛いので気力が萎えるし、放っておけば骨折や麻痺につながり、 寝たきりになる。これだけは絶対に防がないといけない。


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