だだもれ

2013年12月31日

28、29、30、31とほとんど何もせず過ごした。 そして、5まではこの調子で何もしない。 福島の実家は遠すぎて無理だし、 ひつじこの実家はバイオハザード中で近づけない。

年越しパスタは客には出せない代物だがおいしくできた。 にんにくトマトソースと、たらこ。 糖質制限を始めて以来、オリーブオイルの使用量がすごいことになっており、 一回の料理で50mlくらいは平気で使う。 瓶を逆さにして2,3秒ドクドクさせておくくらいの量。 たらこの方はさらにカルピスバターを混ぜている。 油コストが普通の家とは比べものにならないほど高いのだが、 うちの場合油は調味料ではなく食材なので問題ではない。 オリーブオイルは1L900円くらい。50mlあたり約50円。 カルピスバターは450g1000円と相当高いが、これも20g程度なら50円。 100円で600kcalほどをまかなっている。

糖質制限を始めて以来、食べる量はかなり減っている。 油は重量あたりのカロリーが大きいし、大抵の食材は蛋白質量が多いので 少量でも栄養は足りるのだ。

シノンは乳をあまり飲まない。単に個性なのか、糖質制限の影響 なのかはわからない。糖質を断っているとそれほど食欲が 出てこないのだが、もしかして母乳の糖質量がオタマの時よりも 少なかったりしないだろうか。 むしろ、これだけ食べているものが変わったのに母乳の成分が 変化しないということの方が不自然な気がする。 何かしらの変化はあるのではなかろうか。 しかし今のところは経過観察。シノンは体重は軽めだが、身長は平均よりある。 体脂肪の量が少ないだけならさして問題はないだろう。 軽めと言っても、成長曲線の帯からはみだすほどの軽さでもない。

いっぺいによれば、材料はおおむね3種類に分けられるそうだ。 金属、セラミックス、高分子。金属は方向によって強い弱いがなく、変形に強く、 熱や光に強い。形も作りやすい。でも重い。鉄を除けば 資源の問題もある。セラミックスは、固い。 熱や光に強い。 しかしもろく、しかも方向によって強い弱いがある。そして加工がしんどい。 高分子は糸や木だが、原子のつながりからして例外なく繊維状だ。 繊維の方向には強い。そして軽い。 おおむね炭素と酸素と水素と窒素なので、資源の問題もない。 しかし繊維方向以外には全然強度がない。 プラスチックのように特定の方向でそろえずにバラバラにしておけば方向の問題は ないが、強度は出ない。そして熱や光、そしてモノによっては生物に弱い。

そのうち車を炭素繊維で作れたりするのかなあなどと思っていたが、 金属には型を使ってベコンと一瞬で形を作れるという利点があり、 これは金属以外では無理だ。 将来鉄がべらぼうに高くなるとか、軽量化への要求が尋常でなく高まるとか しないと無理っぽい。でも、やりはじめてはいるようだ。 固まるまで待たないといけないので高くつきはするようだが、 軽量化によって他の部品を安くできるので結構いいらしい。

ふと思い出したので記録しておく。 そういえば、ダイアモンドを半導体として使うといい、 みたいな記事を読んだ覚えがある。 炭素でできることが増えていくのはいいことな気がするな。 なにせ大量にある。

ダイアモンドは高分子か?セラミクスか?分類としてはどっちなんだろう。 金属酸化物をセラミクスと言うなら違うことになるが。

年越しそばを食べない大晦日は何年ぶりだろうか。 オタマがもう少し大きくなったら復活することもあるかもしれない。 うちはもうおせち料理のような文化は継承しないが、 そばをゆでるくらいならすぐできる。 代わりに味噌作りを継承しよう。まあそれも本当にやるかわからんが。

来年もよろしく。今年より働かないといけない気もして心苦しいのだが。

2013年12月28日

バターを2kg以上買った。動物性脂肪は体に悪いとか思ってたが、 根拠なかった。リノール酸食いすぎると炎症しやすくなる、 というのもどこまで本当なんだろう。 うちはあまりリノール酸を食わない状況なのでいいんだが。

炭水化物は体に悪いかどうかはともかく、不快なことが多くあるのは事実だ。 血糖値が上がって下がる感覚がヤバいし、 満腹した時の不快感や、その次の朝の口の中のすっぱさもヤバい。

2013年12月27日

まあ、読んでくれると思ってたら全然読んでくれなくてガッカリしたのは事実だが、 そのガッカリがあったからこそ、あそこまでしつこく書き直して 質を上げる気になったのも事実。 とはいえ、もちろんあの記述は謝辞を装ったギャグだ。 「全然感謝してないだろおまえ!」とツッコんでもらってナンボである。

うどん県の話は、twitterでとある人の発言を見ていて思いついた。 その時の思いつきで入れた注釈で残るとは思っていなかった。 次の本も、そういうどうでもいい思いつきは大事にしたい。

Sunabaを使ってくれるというコードアカデミー高等学校が認可された。 何か手伝えるだろうか。とりあえず、 今年も九州大学から頼まれるのであれば、 それ用に別の独習テキストを書くつもりなので、 それも送ってみよう。 正直、中学出たばかりの人が課題としてやるには、テトリスはしんどすぎると思う。 リアルタイム性と幾何の問題をなくせる分、 オセロの方がたぶん楽だ。やってみたら案外むずいかもしれんが。

会社は納会で、出る時ケーキや寿司が余っていた。 少し前の私ならギリギリまで食べて、さらに持って帰っていただろう。 だがうちは糖質制限である。実際腹も不快なほどいっぱいだった。 満腹という感覚が不快以外の何者でもなくなって久しい。 そういうわけで帰ってきたのだが、 それでも気になる。もうあれは捨てられたのだろうか。 誰かがもってかえったのだろうか。 今から会社に行ったらまだあるのだろうか。 とにかく、食べ物を捨てるということがどうにも我慢がならないのである。 なお、ひつじこにピザとあんパンを少し持って帰ってきた。 こういう時くらいはいい。

ブドウくらいは持って帰るべきだったか。なぜかフルーツは毎度人気がなくて 余るのである。前は輸入イチゴで、残っていた分はほぼ全部私が食べたが、 ブドウは種もあるし甘いしで食べにくい。 レッドクローブで皮は食べられるし、シブくてもよければ種もバリバリ 食えるのだが、やはりネックはあの甘さ。

2013年12月26日

未来にはあまりにいろんな可能性があるので、 考えても考えても予測はできない。 しかし、予測を何のためにやるかと考えてみれば、 それは今の行動を決めるためだ。今何をするかを決めたい時に、 その材料として予測を使うのである。 であるならば、その予測は今何をするかに関係する部分だけで良い。 だから最初に考えるべきは、何を後で考えるかと考えることだ。 「今何をするか」を決めるのに影響しない要素を、考える対象から外すのである。 すると、かなりの部分が消えてくれる。

さらに言えば、今何をするかという問いは、 一定の文脈の中で発生する。「ごはんどうしよう」という文脈の中では、 トイレに行くかどうかはどうでもいい。 その結果、取るべき行動は結局2,3の選択肢に収まることがほとんどだ。 夕飯を何にするかは、冷蔵庫にある食材と、料理のスキルによってかなり限定される。 そして、ありうる結論が2,3個しかないのであれば、 判断に用いる情報やそのロジックは、 それほど複雑である必要はない。 モデル化して近似してしまっても、それほど結論に差はないということだ。 もちろん近似によって間違う可能性はあるが、 出した結論がいかなる仮定、いかなる近似のもとで出たものかを 覚えておけば、その後チェックすることで修正ができる。 多数の人間と利害関係がからみあうような複雑な状況であっても、 結果として行う判断が「やるか、やらないか」程度に単純なのであれば、 それほど複雑に考える必要はない。 影響する要素のうち、その要素次第でやるかやらないかが変わってしまう ような要素以外は無視してかまわない。 ただし無視したことは覚えておく必要がある。

前の本が増刷決定。15刷。正直悔やしい。

たぶんだが、Unityで作られるゲームの大半は商売向けじゃない。 もしそうなら、できたゲームが商売になることよりも、 作り手が楽しいことが重視されそうな気がする。 ロクに触ってないのでわからんが、 商売をする前提の人間にとっては、 良い開発環境とはなりにくいかもしれない。 良い開発環境とは、客が喜ぶゲームを安く早く作れる開発環境のことだ。

まあこんだけ使われてるんだから、 きっとそのへんの折り合いのつけ方がうまいんだろうが。

今年の仕事は終わり。

2013年12月25日

銀英伝を見てるが、1話の伝言ゲームっぷりはうまいな。 必要なキャラ紹介と状況説明をいい具合につないでいる。 しかも前半でおおよそ過不足なく終えた。

しかし、戦争の状況というかルールがよくわからんな。 20000vs13000で20000に全く損害が出ないというのはどういうルールなんだろうか。 先手を打ったということなんだろうが、移動に数時間かかるなら やられる方も心の準備くらいできるだろ。 まあアニメだから尺が足りなくて仕方ない側面もあるし、 原作からしてそのへんをあんまりよく考えてないのは明らかなのだが。

宇宙戦争は私がゲームにしたいと子供の頃から思っていたジャンルだ。 もう20年も経ってるのにまだ実現させてない。 もっとも、単純に作ってみたことすらないので、 作ってみれば何かしらのものはできるだろう。 ただ、3次元の位置及び方向の指定を直感的にできるUIが思いつかない限り、 古典的な2次元ゲームにするしかなくなる。それではつまらんな。 その前に2次元の普通の合戦ゲームが先か。

アマゾンが在庫切れ状態なのは、過去の注文をまだ処理し終えていないからだ。 入荷する度に注文済みの人に送っているが、まだ数が足りてない。 出版社の倉庫にはまだあるので、そこからアマゾンにバンバン送られればいいのだが、 倉庫の在庫をネット書店担当営業とリアル書店担当営業が 取り合っている状況らしく、そう簡単でもないという。 じゃあ増刷してくれよと言いたいが、増刷して売れ残ると損害が出るわけで、 容易には踏み切れない。 それを踏み切らせるほどの売れ行きではないということだ。 前の本はすごい勢いで増刷されたわけで、 つまり今回はイマイチなのである。

でもテトリス本に関してはどうしようもなかったな。 こういう本を書きたいと思う本を、私は書いた。 細かい表現や説明はともかく、おおよそとしては後悔のない出来だと 思っている。そしてそれに、出版社がベストと思う題名をつけた。 結果として十分な初速が出ず、増刷を決定させる力が弱かったわけだが、 れは仕方ないとしか言いようがない。 出版者的にはすでに黒字だし、アマゾンやwebで見る限りおおむね評価もいい。 10年後に見たらたくさん売れている、ということを期待しておこう。 もはやテトリス本に関して私ができることはない。mac版もあるし。 とにかく早く次の本を書こう。

でも楽天のレビューで「ちょっとかじった人にとっては余計に難解」 というのはすごく気になる。 こういう人にこそ詳しく話を聞きたいのだ。 しかし、基本気に入ってくれていない人のレビューは短いので 真意がよくわからないのである。 おおよそ想像はつくのだが、それが当たっているかは確認したい。

自分では画期的な本を書いたつもりでいる。 しかしそれはそれとして、 この本を必要とするようなレベルの奴は才能ないんだから、 つまりこんな本は無用、 という意見はわかる。 前の本も「これ読まないとダメな奴なんて使えないから来るな」 という人はいた。 でもまあ、いいじゃん。こんなのがあったって。

本書かんとなあ。だが普通の仕事が急に湧いて、 頭を完全にそっちに取られている。本は時間だけあってもダメで、 他に考えることがない状態にならないと無理なのだ。

twitterで前の本が「キャプションをさらっと読んだ限りは 大変胡散臭いし個人的な理由であまり 信用できないんじゃないかと思ってる」と評されてて、 どのへんでそう思ったか聞きたい気分で一杯になった。 胡散臭いって何だよ。そして個人的理由ってなんだ。知ってる人なのか。 直接聞きたいし、twitterならそれは可能だが、 こういうのは暴力になりかねない。やめておくべきなのだろう。 私が適当に漫画の感想書いたらいきなり作者が 「それどういうことよ」と聞いてきた、 なんてことを想像すればその無茶さがよくわかる。非対称すぎる。 まあ実際には本を書いた程度では有名人とは言えないわけだが。

まあ、目次見て「胡散臭い」と感じるのは いい感性をしているような気もするけどな。

文章書くの難しいなあ。 コードの方が楽だ。もっともコードは私より得意な奴がごまんといるので、 私は文章を書いた方が金につなげられるのだが。 にしても、こう集中できないなら、いっそCG本のコード部分を 先に片づけるべきな気がしてきたぞ。 でもあっちも、読者のC言語スキルをどこに置くかで 書き方がゴッソリ変わるので容易ではない。 「空間周波数」「サンプリングと再構成」「BRDF」「モンテカルロ積分」 みたいなものを、数学も物理も中学レベルでCの本一冊読んだだけ、 みたいな人間に本当に教えられるのか、 という問題もある。やっぱり先に手をつけたものから完成させるべきだ。 こっちは集中できさえすれば終わらせられるからな。

人に仕事をさせる仕事に時間の1/4以上割くな、とドラッカーが言っていた 気がする。プレイングマネージャーでないとダメだと。 そう思う。どうにかして自分の本来の仕事に没頭する時間を確保しないとダメだ。 四六時中いろんなことが気になっている状態では時間効率が悪すぎるし、 家ではひつじこに怒られる。

でそれはそれとしてだ。しばらくは寝る時間を確保しよう。 どうせ集中できないならバッサリあきらめるというのもアリではある。 集中できる二週間は集中できない半年に勝るからな。 集中できる状況になるまで健康を優先するのもアリかもしれん。 もっとも出版が遅れれば遅れるだけ私個人としてはいろんなことが不利になるのだが。

ドラクエ1とか3を金を使わない縛りでやるのって面白いんだな。 極限攻略の連中に比べればヌルいが、あれは一般人には無理。

遊ぶ側としては、工業製品としてのゲームにあんまり興味がない。 作り手の個性が見たい。 その意味では一人で作ったものが最高なのだが 一人で作れば品質と物量の問題が出る。 一人で必要な技術や才能を持ち合わせていることはまずありえないし、 なんぼなんでも必要な物量というものもある。 一番面白いゲームは5人から10人くらいで 作ったゲームなんじゃないかなあ。 古い感覚なのだろうが。

ちゃんと遊べるところまで一人でゲームを作ったことがないんだよな。 強いて言えば新人研修の3週間で作った奴が一番遊べた。

2013年12月24日

21日だったか、ひつじこがマックシェイクを食べたいと言うので 買っていった。ちょっともらったが、つらい。 成分を調べたら脂肪がほとんどない。脱脂乳だろうか。 ひつじこは平気で食べていた。そろそろ私が真面目に料理しないとダメだな。 なお、一緒に買ってきたチキンナゲットは一体肉比率がどれだけなのだろうかと 思う味だった。でんぷん入れすぎだろ。

サンタのことなんて教えてないから幼稚園だろう。 というわけで、今年はクリスマスプレゼントなるものの用意を することにしたが、そのへんでいろいろひつじこに怒られた。 来年はもう少し真面目に考える。

私は幼稚園を出る時に126cmあった。オタマはそれを超えるかな。

シノンは小さい。しかし、首が座るのはそう遅くない感じなので、 まあいいのだろう。支えてやれば結構立つし、背はそんなに低くない。

クリスマスということで夜働くのをやめて帰ってきたが、 あっさりひつじこも寝た。連日疲れてるからな。 ちょっくらアイスでも買ってきてやるとしよう。 granがいい。あれが市販のものでは一番うまい。 ミニストップのソフトクリームもうまいが、 あれは冷凍庫で保存できないからな。 授乳中につき酒はダメだし。

つうか、酒、どれくらい乳に出るんだろ。 体重1kgあたり0.5gまではアリという記述がある。 ひつじこの場合52kgとすれば26gで、14%のワインであれば185ml。 その倍、つまり1gを超えると、吸われても乳が出にくくなるなどの 害がある。 で、授乳までどれくらい空ければいいかだが、 30分が半減期で、5周期くらいとのこと。つまり2.5時間。 ただし、サイトによっては4時間とか8時間とか幅がある。 その時間に作ったと思われる母乳は捨てろという人もいて、 要するにロクな研究がないということだ。

飲んだエタノールの2%くらいが赤ちゃんに行くらしい。 つまり、200ml飲めば、4mlくらい。ワイン4mlが 新生児にどれくらいダメージになるか、という話なわけだ。 しかし、その2%がどういう実験によるものかはわからない。 また、webで「赤ちゃんが赤くなった」とか報告している人は、 おそらくべらぼうに飲んでいるので、あまり当てにはならない。 「ワイン1合なら2.5時間待て」は複数の場所で同じ記述があるので、 たぶん妥当なラインなのだろう。 その半量しか飲まなければ2時間で同等の濃度まで 落ちるので、そんなもんならアリなんじゃなかろうか。 毎日飲むわけでもないかろうし。

試行錯誤にかかる時間が短縮された結果何が起こるかについては、 確たることは言えない。コストが下がると確信することはできないし、 品質が上がると確信することもできない。 あらゆることには副作用がある。しかし、 だからといって改善しないで放置するわけにも行かない。 しかしその結果何か悪いことが起きる可能性は あるのであって、注意深く影響を見ていく必要がある。 「面倒くさいことは自動化する」はそれ単体で見れば正義だが、 それによって必ず行動が変化する。その変化が望ましいとは限らない。

糖質制限につき、市販のごちそうでワーイ、ということはできない。 手の込んだ料理をしてもいいが、今日は会社を休める状態ではなかった。 というわけで、正月にこの埋め合わせをしよう。 つうか、味噌できてんのかなあ。かなりの確率で生ゴミだろうから、 覚悟はしておこう。

オタマがどういう経緯で「自分がサンタにプレゼントをもらえる」 という確信に至ったのかには興味があるが、知る術はない。

2013年12月22日

ナジーム・ハメドの動きは武術的には正しい気がする。

2013年12月20日

毎日一つは失敗する。それだけ学びの密度が高いということなのだろうが、 それが致命傷にならないという保証はない。怖くて仕方ない。 失敗だと思ったことは書き留めておこう。

私は思考が結果から出発するので、 脳内の結論が邪魔をして目が濁る。 今目の前で何が起こっているのかを正しく見る能力で劣る。 ある仮説を先に持った上で、それが是が非かという枠組みで物を見るため、 その仮説と関係のなさそうな要素を見落とす。

CG本を先にした方がいい気がしてきた。 正確に言えば、本そのものでなく、 その過程で得られるCGの理解を前倒しして得ておくべきな気がする。

舵取りが悪いからダメなんだみたいなことをさんざん言いながら生きてきたわけだが、 自分でそれをやる破目になってしまった今では、 今までいかに無責任な物言いをしていたかが骨身に染みる。 しかし、それでいいんだと思う。 「自分ができないことを言うな」はダメだ。 それぞれ役割が違うのだから。舵取りでない人間は 舵取りに優秀であるように求める権利がある。 変な優しさは無用どころか有害だ。 何もできない新人であっても、「まだ組織に馴染んでいない目で思ったことを言う」 ということはすでにして価値ある仕事なのである。 それに、部下は上司が有能でなければ成果を上げられないのであって、 部下には有能な上司を持つ権利があると言える。

マルドゥックスクランブルのアニメを見た。片手間に見ちゃ ダメな作品で、絵の情報量が多いのでちゃんと見ないといけない。 もっとも、ちゃんと見たとしても原作の記憶がない状態で 話がちゃんとわかるかはわからないわけだが。 絵は綺麗だし、声優も素敵なのだが、単純にあんまり好きじゃないなあ。 暴力があんまりうれしくなくなった。元々うれしくないんだが、なおさら。

あるいは、単純に精神に余裕がないせいかもしれない。 たぶんそうだ。一度ギャルゲーでも徹夜で読んで 過去において私が持っていたある種の優雅さを取り戻すべきかもしれない。 あるいはWiiU買ってピクミンをサルのようにやり続けるとかでもいいが。

テトリス本のアマゾン在庫がさっぱり回復しない。

自由があれば、不均一さに応じて最適な構造の流れを作ると、「流れとかたち」 の著者は言った。河川の氾濫は大きな目で見れば、その構造の一つの 現れでしかない。

2013年12月19日

仕事にかまけてオタマの幼稚園を忘れかけた。いかん。すまん。

上司じゃないのでドラッカーの言ってた「上司が部下に聞くべき質問」 をそのままは使えないのだが、参考にはしよう。 何で貢献できるか聞こう。そのために邪魔になっていることは何かを聞こう。

2013年12月18日

水と一緒に煮てないデンプンは血糖値を上げない、 ということの裏付けが欲しいな。 腸内に酪酸菌がいれば、それを食べて酪酸を作り、 それを吸収してカロリーにできるらしい。 カシューナッツとかのデンプンは血糖値を上げるんだろうか。

速度。速度。速度。速度で思い出した。 アレクサンダー戦記をまた見たいな。 頭抜けた頭のおかしさがウリになっている。 意味は全くわからないが無駄にかっこいいシーンの数々とか、 何をどう発想したらああなるのかわからないデザインワークとか、 物語の完成度以外の所で見所満載だった印象がある。 しかし、同様の印象だったはずのジャイアントロボが もはや見てられなくなっていることを考えると、 あれも無理かもしれんなあ。 いやでも、ジャイアントロボは人間ドラマが紋切り型で、 絵を見せつけようとする時間が長すぎるのが辛かったのだ。 アレクサンダー戦記はドラマは意味不明だし、 アクションシーンもインパクト十分でありつつ短いので、案外耐えられるかもしれん。

解像度が高いX240が出た。迷い所ではある。 だが、金は有限だ。CPUは1.5倍くらい速くなるようだが、その必要はない。

2013年12月17日

帰りにひつじこが牛丼と言うので、すき家で牛皿二倍量を買ってきた。 実にうれしそうに食べ、後でちょっと気持ち悪いと言った。

どうしたら勝手に回るか、が最大の課題だ。 間断なく尻を叩かないといけない状態では長続きしない。 コンストラクタル法則だよなあこれも。 あの話から行けば、自己組織化するには流量が必要だ。 枝分かれするような川は、それだけの水量があって初めてうまれる。 では、組織を組織化させる流れとは何の流れか。 決まっている。情報と成果だ。そして役に立たない情報に力はないと考えれば、 メインは成果だ。成果につながる生産物が上流から下流に 十分な量流れていけば、勝手に組織化されて回る理屈になる。 もちろん成果を出すために組織化したいわけで、 逆ではないのだが、こういうフィードバックがかかる系では 目的と手段がごっちゃになるのはよくあることだ。 成果を出すために働くのか、 働くために成果を出すのかはわからないし、どちらでもいい。

流れを生むのは不均一さだ。偏りだ。それに相当するのは、 有効に使われてない能力と、それに期待するニーズだ。 それを結びつける。つまり「客はこれを望んでいる!そして君達にはそれを 叶える力がある!さあ望むところを行え!」ということだ。 どのように叶えるかは勝手に考えられるだろうし、 必要な組織化もされるだろう。 ただ、ペダルの踏み方を知らないならば 背中を押さねば動かないし、最初は補助輪もいるだろう。 そして、気づかれずに背中を押すのをやめ、補助輪を取り除く。 それがリーダーということだろう。 いなくなって崩壊するようでは、リーダーとして正しい仕事をしていないことになる。

つうか、そうしないと本書けないし。 リーダーとかマネージャーについてはいろんなことが語られているが、 いろんなことが語られているということは、 とにかくうまく行ってないということだ。 どれも個別の状況でどうするかの話で、 全員にあてはまるわけでもない。 いろんな状況にあてはまることもあるが、 そういうものは要求するところが大きすぎて、普通の人間には無理だったりする。 それでは「すごいリーダーがいれば大丈夫」としか言っていない。 すごいリーダーやマネージャーに簡単になれる方法があるならいいが、 それはたぶん無理である。 一番助かるのは、人がすごくなくても回るようになるための原則 は何かということがわかることだ。 「流れとかたち」は本当に使える本だと思う。 とりわけドラッカーと組み合わせえるとすごい。 しかし、本当に使えるかどうかは結果が出てみないとわからんな。

シノンは普通にかわいいなあ。

整数型の名前として何を使うかについて文章を書いた。

バイト列ポインタをvoid*にするかuint8_t*にするかは正直悩み所だな。 前者は楽だがバイト配列という意味を取りにくく、 void**を渡しても通るという事故が起こったり、本来渡すべきでないポインタを 渡しても気づかなかったりすることも起こりやすい。また、ポインタを進めたければ キャストがいる。 後者はバイト配列という意味は取りやすく、整数を加えるだけでポインタも進められ、 変なポインタを間違って渡すこともないが、 reinterpret_castまみれになって面倒くさい。

ふと会社に入りたての頃の日記を3ヶ月分読んだが、 私、最初からできてたんだな。プログラミング。 性能、保守性、分業適合性、などの要素をバランスすることを最初からわかっている。 2002年の段階でコスト削減手段としてのテッセレーションについて考えてたりして、 コストがかかる点はどこで、どのようなものが改善しうるかを 列挙している。

8月の段階でロード時間の改善に手をつけてたのか... 他に優先度の高い処理が出てきて中断されたままになったんだよなたぶん。 なんてこった。そこで徹夜を繰り返してでもやれていればなあ。

つうか、一行エントリが我ながら面白い。キモい。 これが若さか。 枯れ果てたものよ。あの当時に今書いてた短文を受けていたら、 内容はともかく文章は面白かったかもしれん。

結局4時か...7回書き直せという丸山健二の教えを忠実に守ってしまったことになる。 これで終わればだが。

2013年12月15日

オタマ連れてひつじこ実家。ひつじことシノンは留守番。

基本じいじとばあばに任せて、寝かせてもらった。 世話したくてうずうずしてそうだったし、 夜は原稿書かないといけないので身体を休めたかったのもある。 つうか風邪で辛い。

オタマはニシマツヤで服を買ってもらったのだが、 黒地ピンク装飾で、正直な感想を言えばヤンキー。ありえない。 しかしまあ、そういうものが選ばれるということがわかったのはいいし、 乾燥機にかけまくっていればそう長くは保つまい。 私が買い物についていかなかったのは、 ついていけばそういうものを選ばないように誘導してしまうのが わかりきっていたからである。 それに、じいじとばあばの邪魔をしたくなかった。 単純に寝たかったのもあるが。

タスクシステムの合理性がやっと理解できた気がする。 あれは、初期学習コストと組織運営コストを節約するためじゃないのか。 全体の流れを知らなくていい。関係を理解しなくていい。 他の人が何をしているかも知らなくていい。 人が大量にいて、それを適切に組織化することもままならないような 状況で、最大の並列度を発揮させるためのシステムではないのか。 本来異なるカテゴリにあるものを同一の集合につっこむことで、 見た目の複雑性を消し去れる。 部長や課長がいるのは複雑だから、社長とヒラだけにしました、 というようなものだ。一見シンプルになる。

しかし、もちろんのこと、部長や課長がいるのには理由がある。 一定の単位でまとめて階層にする方が全体把握が容易で、 また、情報の流れを効率化できるからだ。 全員をヒラ社員にしたとしても、 社員同士が協力したり情報をやりとりしたりする必要が なくなるわけではない。 階層化してあれば見えたはずのそういった関係が、 全部個別化されて見えなくなってしまう。 結果全容を理解することは難しくなり、 大規模な修正やデバグが困難になるように思われる。 そんなことないのか?

要領を得ないレスが帰ってくるってことは、 こっちが何言ってるかが伝わってないってことだ。高確率でこっちが悪い。 レスが遅い時にもそれを疑った方がいい。 そして、単にその原因となった発言だけでなく、 それまでのやりとり全部を疑うべきだ。

ドラッカーに関してこんな記事があるが、 的外れだろう。 あれは占いみたいなもんであって、自分の環境でどう使うかは 読んだ人間が考えるべきことだ。 翻訳した人も「それぞれのドラッカーがある」的なことを 糸井サイトで言ってた。 「現代にはそのまま応用できない」というのは当たり前のことで、 誰もそのまま使えるなんて言ってない。ジムコリンズの本も同様だ。

この記事でもドラッカーは科学じゃない と言っているが、根本的に経営は科学ではないし、 経営者は科学者ではない。経営学と経営はイコールではなく、 科学じゃないとダメかと言えば、そうでもない。 すげえシェーダ書けてもそれで面白いゲームできるか? というのと同じで、専門化されたすごい理論を使っても、それだけで 社員が元気に働いて、いいものを作って、客が幸せになって、もうかる わけではあるまい。 こういう記事 も見つけたが、 根本的に経営は科学じゃないと思ってるから、読んでもさっぱりわからない。 経営者の名言集を「こうやればうまく行く」と考えて読めば役立たずで うさんくさい代物になるが、電車のモニタで見かけた占いの上等な奴、 程度に思えば恐ろしく役立つものにもなる。 占いはそうバカにしたものではない。

しかしそれはそれとして、ドラッカーを読む気にならない人が たくさんいて、読んでもピンと来ない人もたくさんいる、 ということについては考えておく必要がある。

ドラッカーとか、流れとかたちとか、ああいうのって、 読む側が受け取れる状態にあるかどうかなんだろうな。 それらが名著と言われるとすれば、 受け取れる状態にある人の数と、受け取ったことによる成長効果を 掛け算したものがデカいことによるのだろう。 それらの本は鍵みたいなもので、その本自体が持つ情報の量や質が どうかはそんなに問題ではない。鍵穴に合いさえすれば良く、 読んで得られるものは元々読者の頭の中にあったものなのかもしれない。

私の本もそういう本になるといいなあ。 書いてある情報自体の価値で勝負する気はない。 あーでも、それだと数が出ないか。うまくバランスを取ろう。

2013年12月14日

数日で風景が一変した。

せっかくなので、今のところドラッカーの言う通りにやっている。 あれは占いの本みたいなもので、実際にどうすべきかは書かれていないのだが、 それゆえに応用がしやすい。

2013年12月12日

成果だけ求めること。過程に口を出すな。 目的と制約を伝え、どうするかは自分で決めさせること。 いつまでにできるかと聞くな。いつまでにできるのがいいと思うか聞け。 余裕があれば勝手に前倒しされ、遅れがあれば自動的に負荷分散あるいは 目標修正が行われるように仕向けること。 管理を最低限にし、分散すること。状況はできるだけ目立たない手段で探ること。 しかし、独裁が効果的な部分ではそれを捨てるべきでないし、 見られていることを意識させる必要があれば目立つ手段を敢えて 使うべきかもしれない。とりわけ初期にはそれが言える。 また、自主性を重んじることと、期待することは違う。 期待はしない。バックアップは常に用意する。 自主性を重んじるのは個々人の能力を最大に活用するための必要条件だが、 十分条件ではない。 最大に活用されていると信じることはできないし、 最大に活用されてもそれが十分であるとは限らない。

目標がブレーキになる状況は避けたい。 満たせばオーケーはダメだ。目標は個々人で決めるべきもので、 集団で決めれば必ずブレーキになる。 組織として必要なのは、目的と制約だけでいい。 目標と制約は紙一重だが、達成すると誉められること、 という意味合いで目標を設定すると害にしかならない。 制約という表現の方がたぶんいい。

直接統治か間接統治か。直接統治は確実で簡単だが、依存症になる可能性があるし、 短期的には反発も大きい。間接統治は難しいが、長期的にはそっちの方がいい。 自立して回る状態にもってかないと。 コミュニケーションの設計がキモだが、設計してその通り行くものでもないしなあ。 やりながら考えるしかないか。

変化。衝撃を与えてあらゆることを一瞬で変化させるか、 極力変化に気づかせないように徐々に変えるか。匙加減だなあ。 変わったことは気づかせないといけないが、それが反発につながると厄介だ。

オタマは小麦にアレルギーがあり、たぶんその成分は集中的にふすまに 入っている。そういうわけでふすまパンで若干皮膚に出るのだが、 制御可能な範囲なので良しとしている。この程度で済んでいるのは 炭水化物を削っているからだろう。たぶん。 その仮説を確かめるには、普通の全粒粉パンを食わせてどうなるか見るべき なのだが、それをやる気はしない。

シノン5.75kg。遅い。オタマが3ヶ月の時は推定6.2kg程度。 まだオムツは新生児用。 身体能力も遅くて、シノンはまだ寝返りできないが、 オタマは3ヶ月時点でうつぶせになって飛行機ポーズをしていた。 身長は平均より上だし問題があるレベルではないが、シノンはオタマにジャマされて ロクに乳を飲めてないのは間違いない。 あとは糖質制限で乳の脂肪含有量が少なくなっているという可能性もあるか。 身長が伸びているということは蛋白はそこそこ入っているはずだ。 でもまあ、健康に問題ないしいいか。皮膚は乾燥していて放置すれば 湿疹になるが、弱いステロイドとワセリンでギリギリ制御可能な範囲だ。 オタマの時の方がひどかった。

機械が10倍速くなった程度では、根本的なところでの変化はないけどな。 60fpsにしてフルHDにしてライト倍にすれば、 それでもう8倍の性能向上がチャラになる。 結局は機械の問題じゃなく作る人間の問題だろう。あと資金。

人に仕事させる仕事が湧いたので、ちょっとそっちに本気になる。 人生の選択肢を増やせる可能性があるし、 私がミスが他の人を不幸にすることにもなるので、 いいかげんなことはできない。 自分で書けば済むような仕事は本当に楽だ。 今日は顔の筋肉がこわばって痛い。

しかし、管理職はその楽でないことをやるからこそ 高い金を払われている。私は階級は管理職ではないが、 管理職に次ぐ給料を払われている。責任を果たすべきだろう。 ドラッカーが言ってることがどれくらい実戦で役立つかを試せる機会でもある。 今のところは想定の範囲内で事態が推移しているが、 そう思っていること自体がおそろしい。

ドラッカーは、真摯さだけは後から学べず、 真摯さがない者にマネージャーの資格はない、というようなことを言っている。 「真摯さ」は元はintegrityで、高潔、誠実、といった意味だ。 語源のラテン語では、完全とか健全とかの意味らしく、おおよそイメージはわかる。 要するに、信用できる人間であることだ。 これが一番自信がない。しかし、そうあろうと努力するしかない。

さしあたって、これだけは守らないといけない。 「関係する人は全員がそれぞれの生きる現実において合理的であると仮定すること」。 これを破った時、私は確実に失敗し、しかも決して挽回できなくなる。

増刷分なかなか出回らんなあ。 アマゾンが「在庫あり」になるのはまだか。 そして、そうなっても順位が回復しなかったら泣くな。 機会損失きつい。 だが躊躇せずに増刷してもらえるだけのものを書けなかったのは私の罪だ。 これを挽回するには次の本を書いてたくさん売らねばならん。

2013年12月11日

本以外の仕事が湧いた。まあ短期の仕事のはずだし、 フルタイム拘束されるわけでもない。

2013年12月10日

糸抜いてきた。のだが、一本糸の切れ端が中に残ってしまい、 ピンセットでほじくり出すハメに。痛い。血出まくり。 なんか最後までケチつくなあ。最後じゃないかもしれんが。

ともかくも、小指MPも自力で90度まで曲がるようになり、 傷もまあまあふさがった。あとはこのつっぱった感じを リハビリで軽減させていけばいい。 傷は医者が貼った絆創膏をはがしてハイドロコロイドを貼り直しているが、 これも3日くらいで終わるだろう。 乾燥させると治りがおそいし、あとが残る。 まあ、もっかい切るし、あとが残らないわけもないんだがな。 なお、傷口の長さは5cmを超えており、3cmとか言ってたのとは話が違う。 しかし、しっかり固定するために大き目に開けたんだろうから この際かまわない。中身優先だ。

手の甲の薬指と小指の間が固い。針金を刺したり、切り開いたりして、 それが治癒する時に癒着してるんだろう。 外からのマッサージも併用しないと ダメだろうな。力学的に、単なる曲げ伸ばしでは関節でひっかかって 甲部分のこわばりをほぐす効果は薄い。

文章の件はすこし丁寧にやろう。訓練だ。 昼間集中を削がれるネタがあるので、本が書きにくいのもある。

今はCPU側を弱くする設計が合理的な時代なわけだが、 作る側の事情として、CPU側の最適化をちゃんとやってる所は たぶん少ない。CPUがキツいと物を作るのは難しいだろう。 GPU側は、素敵なエンジンを買ったり、 できる人一人か二人が理にかなった仕組みを作って 素材の作り方を指導したり制限したりすれば、それで済む。 後になってからでも挙動を変えないで高速化できる余地は多いし、 データの削減も一定のルールで自動的にやれることがいろいろある。 最悪見栄えは落ちても挙動は変わらずに済む。

しかし、CPU側はそこにいるプログラマ全員がまともなスキルを持っていないと、 塵がつもって山となるような形で重くなり、 問題が発覚した時にはもう直せない状況に陥る。 確かに大半のコードは適当に書いても大した影響が出ないものだが、 全体のコード量がアホみたいに多ければ、 性能に影響する部分だけでもかなりの量だ。 そして、そういった部分を挙動を変えずに高速化するのは 後からでは難しい。数年前からCPUが弱い設計が普通になっているわけだから、 アプリ側プログラマもかなり勉強して気を使うべきなのだが、 現代は「性能気にして生産性落とすとか石器時代かよプゲラ」 みたいな人の声が大きくなりやすい時代だし、 それにも一定の合理性がある。全てのゲームにおいて性能を気にすべきとは言えないし、 現実に性能を気にするプログラミング技術は希少だ。 今できないことをできるようにするのはコストがかかるわけで、 それよりは今できることを使って価値あるものを作る方がいいという正論はありうる。 だいたい、高速化に興味がないからこうなっているのであって、 興味がないことを勉強しろと言っても効果は上がらないだろう。 だから、CPUは無駄使いされる前提で組むべきであり、 ハード設計上もできればCPUが無駄に速い方がありがたいわけである。 そして製造コストや電力効率がこれと真っ向から対立するわけだ。

客の幸せのためには、もうちょっとみんな性能を考えたプログラミングを した方がいいと思うんだけどなあ。別にSTL使おうがboost使おうが、 速けりゃ文句はないんだよ。ただ、そういうのを好んで使う人の多くが 速度に無頓着なまま「もうなしで作るなんて考えられない」とか言うのが問題なだけで。

ロープレ作りたいな。ドラクエ1規模のものなら出来はともかくとして 簡単に作れるんじゃないのかなあ。 生のC++とピクセル直塗りだけで作れば前提知識はほとんどいらないし、 本のネタとして悪くない気がする。C++入門本は「ドラクエを作りながらC++入門」 にできるんじゃなかろうか。まあ作ってみないとわからんが。 案外難しいところがあるかもしれんからな。

追加課金が嫌がられるのは当たり前だと思うんだよな。 「喜んで払える価格などない」という悲しい現実はどうにもならない。 タダと1円の間の壁は絶望的に高い。 とりあえず、これは感情の問題で、理屈の問題じゃない。 それを取り違えるとひどいことになる。 必要なのは理論や説明ではない。妥協や誠意だ。 最終的には世代交代以外に解決方法はないのかもしれない。

ドラッカーは「客が喜んで払う価格で提供できなければ失敗だ」と言った。 たしかに「価値があればそれに見合う金を払う」と考える人もいるだろうが、 「あわよくばタダで」という虫がいい思いから逃れるのは難しい。 ただ、「タダは怪しいだろ」とか「タダで欲しいなんて 言って浅ましい人と思われたくない」とか、 「安く買うための努力が面倒くさい」とか、 まあそういう考えが働いて、結果的に「いいものには金を出す」という行動に なっているにすぎないのではないか。しかし、こと対象が娯楽となると、 本来の無慈悲な本性が顔を出しやすくなるように思える。 娯楽、それも電子的なものに金を払うことは、 現状の社会の道徳基準に照らせば良いとは言えないからだ。 そこを打ち破るには、人との関係性を利用するとか、電子的な手段で後払いにするとか、 そういう人間心理をついた方策を用意しないといけないだろう。

ゲームはどうやって収入を得るべきか? 私にはわからん。いろいろ試し、いろんなところで妥協し、 失敗したり成功したりしながら探っていくしかないんだろう。 ただ、私は「ゲーム産業が成立しなくなるからタダはダメ」 という言い方はしたくない。タダにしないと買わないようであれば、 それは人類の総意としてゲーム産業なるものが望まれていなかった、 と考えるべきだろう。滅びるしかない。 「人は馬鹿だから自分の首を締めるようなマネをする」みたいな言い方を 業界の人間がすることは許されないんじゃなかろうか。 客を馬鹿にする者が客に愛されるわけがない。 「コピーで遊ぶ奴は客じゃない」という台詞が間違っているとは言わないが、 そう言っても何も解決しない。 「タダならゲームをする人」と「タダでもゲームをしない人」 のどちらが客に近いだろうか?と考えれば、商売上のチャンスがそこにあると 考えるくらいでなくてはダメなんじゃなかろうか。

まあ責任がないから言っていられるだけなのだが。

省電力サーバをkabiniマザーで組むのは、半導体の選択としては間違いなんだよな。 だってグラフィクスいらないもん。kabiniのダイの半分はGPUだからな。 普通の値段のsilvermontマザーが出ればそっちにすべきだろう。

2013年12月09日

短い文章を頼まれたので、受けると決める前に粗く書いてみることにした。 書けて気に入ってもらえたら受けて、その路線で よく考え直してからもう一回書き直す。 書けなかったり、気に入ってもらえなかったら断る。 でその粗く書く期限を月曜朝にしたので、 日曜の夜だというのにこんなに頭を悩ませているわけだ。

短い文章は難しい。短くてもネタを考えたり構成を考えたりする手間は そんなに減らないからだ。本に比べて分量が1/100になったとしても、 そのための手間は1/100にはならない。つまり、 内容及び成果が分量に応じて増えるのであれば、短い文章は割に合わない。 しかし、短い文章には短い文章の利点がある。 長い文章よりも潜在的に読んでくれる人が多い。 そして、それで私に興味を持ってくれれば、それが宣伝として作用する。 宣伝的な文章を書く必要はない。ただ良いものを書けばいい。 何人か名前でググッてくれればそれで十分だからだ。 その機会が得られるのであれば、手間は十分に報われる。

のだが難しい。本は、私が問題だと思い、どうにかせねばと思い、 これをできるようになる人が増えればいいと思い、 それをできるようになる方法を考えることで出来上がる。 「これこれをできるようにする」と目的が明確だ。 しかし、短い文章はそうは行かない。 何かができるようになるような文章は短くは書けない。 何か主張をする文章は短く書けなくもないが、 主張を納得してもらうためには長さが必要だ。 短い文章で私が意味あると思うことを納得してもらうのは難しい。 97の奴はそこをがんばって書いたが、web上に一つとして感想がないので おそらく成功とは言えなかったのだろう。 もし本気で納得させようとするなら、あの5倍は欲しかった。 あとは、何か方法や情報を知らせる文章も短く書き得る。 理解せずとも、やり方が伝わればそれでいいようなものだ。 「このソフト便利よ」とか「こういう時はこうすると簡単よ」とか。 しかし、私はそういうものを持ち合わせていない。 ライフハックとか言われるジャンルのコラムはそういうのが多い気がするが、 私にはそういうものが何もないのだ。 あったとしても、私が語ることに意味があるようなものがない。 私が何かの専門家として知られていればいいが、そうではないからだ。

となると、論理的な主張よりは、印象あるいは感情に刺さる形で 単純な事実や体験を並べ、判断は読者に委ねる作りの方がいい。 もちろん、私がどう思っているかはその選択や配列から わかるようにはしておくが、それに留める。「どうなんでしょうね」でいい。 これなら、読者を論破したり説得するような論理展開は不要だから短くできる。 ただし、「で、何なの?」と思われてはダメで、そこが難しい。 「こういうことがある」という事実だけでもそこそこ面白い必要があるだろう。 そうすれば私の問題意識が伝わらなくても多少は面白がれる。

でもまあ、結構な確率でダメじゃないかなあ。

文章書いてる間。小指はそんなに曲がらない。 数時間も書いていると、関節が結構固まる。 たまに握ったり開いたりしないと。骨折というものは面倒なものだな。

小指が全く反らない。手の甲に反るための腱が走っているはずだが、 これが骨から離れないのだろう。真っ直ぐ引っぱっても反るはずがないからだ。 とすれば、単に力をかけるだけではダメで、 外から揉むなり何なりして引き剥がす必要があるように思われる。 そのあたりのことは何も指示されてないが、骨がくっつくまで 待った方がいいのかね。 曲げる方向も腱がつっぱって90度以上行かないので、 たぶんこっちも同様の問題があるのだろうが。

2013年12月07日

予定になかった短い文章を書いてみることにしたが、書ける気配がない。 制約条件の列挙と絞り込みだけで朝になりそうになったので、あとは明日。 うまく書ければ得をするのでもう少しがんばる。

リハビリを加速するため、SKKに復帰。 さようならgoogle日本語入力。便利なんだけどな。

2013年12月06日

病院。消毒だけなので早いはずなのだが、 予約されてなかった。先生が一週間間違って12日に入れていたのである。 というわけで余計に時間を食った。 なお、治りは順調。小指MPは全力で握って80度。50度くらいで痛みが来る。 月曜の抜糸までに抵抗なしで90度まで曲がるようにしたいものだが、まあ無理はすまい。 あまり力をかけると固定した骨が曲がりそうで怖い。

高校生に接触したいなあと思って、 軽い自己紹介及び提案パワポを作ってみた。 ひつじこのつてで渡してもらう。

アクセス解析を見てると、10年以上過去のエロゲ感想文にもかなりのアクセスがある。 あと、ひつじこ日記は私の日記の1/10くらい。1日60人。 ずいぶん少ないなあ。まあ最近は寝不足で大変そうなのもあるだろう。 というか、これはシステムをごっそり直して気軽に写真を貼れるようにしないとダメだ。 私と違ってひつじこ日記には絵があった方が圧倒的にいい。 しかしこれが難しい。携帯その他からのメールで日記を更新できる システムを作り、添付に絵があればうまいこと挿入するようにしないと。 といってもアップロードのトリガーはチェック後に手動で引きたいので、 htmlの生成まで自動でやっておいて、実際のsannetへのアップロードは 手動ですべきということになる。アップロードまで自動でやるコマンドも 一応用意するだろうが。

あー。丸一日ありゃできそうな気はするんだよな。 家サーバにメアド作って、cronで適当な間隔でメール見に行って なんかあったらいい具合にhtmlに追記してくだけのことだ。 自動でメール見に行くあたりがわからんが、perlなりpyrhonなりに そういうライブラリあるだろどうせ。 手動更新と自動更新でおかしなことにならないように配慮がいるのと、 いいかげんひつじこ日記もSVNに突っ込んだほうがいい、みたいなこともあるな。 でもまあどう見積もっても2日あればそこそこ動くように思われる。 だがそれでも手間だ。だいたい丸一日家でプログラミングするとか、 不可能としか思えない。やるとすれば徹夜だが、 徹夜したからといって次の日容赦されるわけじゃないからな。子供がいるってのは そういうことだ。

なお、過去のひつじこ日記全部に対して1回づつアクセスがあった。 誰かが通して読んだとしか思えない。長い間サイトやってるってのは こういうことなんだなあ。今更実感している。

エチオピアからのアクセスがあるなあ。出張してらっしゃる方だろうか。

1章が難しすぎる。進まない。なぜ動的メモリ管理が必要で、それは 何をするものか、ということは説明できていると思う。 しかし、読者が素人でポインタをわかってないという前提に立つと、 ポインタの説明をせねばならない。 体でわかるのには時間がかかるのでそれはいいのだが、 一応の理屈の説明は済ませておかねばならない。 それを短い文章でわかった気になり、かつ当面は支障が出ないような 説明にせねばならず、これが難しいのだ。 charの配列になんでint入れていいの?的なことから それなりに説明しないといけない。 キャストって何?ポインタが単なる整数ならint*とchar*は何が違うの? 的なことを不安なく、かつ短時間でわかってもらわねばならないわけだ。 図は大量に必要になるだろう。 練り上げるのは後でやるとしても、粗い筋はできていないといけない。 そして困ったことに、説明の過程で「単に前から切り出して解放しない」 アロケータが出来てしまっている。前まではその前に「毎度同じメモリを返す」 という欠陥mallocを置いていたのだが、これが出てくる正当性がなくなってしまった。 そしてそのために、これを見破るテストを作る必然性が消え、 ここでソートが必要になる理由まで消えてしまったのである。 このままでは2章でソートを扱えない。 何かいい筋をでっちあげないと。

本当、難しいのは技術ではなく、技術の説明でもない。 その順序で説明することを納得させるストーリーの方がずっと厄介だ。 ここに気を使う人があまりいないおかげで私は自分の本を差別化できるわけだが、 正直差別化できなくていいからみんなそこに気を使って欲しい。 私が本なんて書いていられる状況自体がおかしいんだよ。

「プログラムはこうして作られる」を増刷することになった。 12/10以降に出回るはず。 既知の間違いは全部直し、mac対応も注釈にて追記した。 初刷を買っていただいた方には何もできず本当に申しわけなく思う。 出版社側で図を清書した時に間違えたとか、 出版社側で勝手に表現をいじったところが多すぎて把握しきれなかったとか、 そういう前の本では起こらなかったタイプの間違いが混入したこともあるし、 仮に些細な間違いでも初心者向けゆえに被害が大きいという点で、 今回の方が前回よりも欠陥が多いと考えている。 今回の方が入念にチェックしたにも関わらずだ。

2013年12月05日

サイトのほぼ全部のページを解析対象にした。案外perlとbashを覚えてて助かった。 perlの10行で書ける時の便利さは異常。

googleアカウントを持った人間がgoogleで検索すると 検索語が隠されるようだ。だから大半は検索語がわからない。 どのページに飛んできたかで推測できることもあるが、 日記の場合内容が多いので無理だろう。

2013年12月04日

面談。本が出たこともあって、前回ほど辛い感じにはならなかった。 しかしこれはむしろ問題かもしれない。 私は精神状態が悪くて追いつめられている方がいいものを書く気もする。 私を駆動するものは劣等感と疎外感だからな。

意識して右手を使っているが、どの指もMP関節を70度以上曲げると 甲側の表面がつっぱって痛い。小指はわずか30度から抵抗がある。 そのためキーボードを打つ程度のことですらそこそこ痛い。 皮膚には余裕があるので、 問題はその下の腱だろう。短くなっているのか、変なくっつき方をしているのか。 なお、全力で曲げた時の小指MPの角度はおよそ70度。 これが110度まで行って、90度での抵抗がほぼゼロになれば完治と言っていいだろう。 そこまで何日かかるだろうか。 できれば木曜までに全力で90度くらいまで持っていきたいな。

手の甲がクリームパンのようにふくらんでいたのは、 指を反らせれば骨が見える程度には引いてきた。 しかしまだ血管は見えない。 また、掌側は何度となく垢が出てきたが、 甲はまだだ。そのため、手術時のイソジンで染まって黄色いままである。 手の甲って新陳代謝遅いんだな。

すっかり忘れてたので整理。 メモリ管理が必要なのはなぜか。 まず、自動変数を素直に使うだけでは足りないことを示す。 ファイルを2個読むことを考えた時、 mainに2つの十分に大きな配列を置くと、メモリの利用効率が悪くなる。 だから、配列を一つにして切り分ける工夫をしたくなる。 その切り分け処理がすでにメモリ管理である。 では、mainに大配列を置けばいいのか? それは駄目で、そうすると深い関数まで引数で延々mainにある 配列と切り分けに付随する情報を渡していかねばならず、凄まじく面倒くさくなる。 だから、グローバルに置きたい。 うん、これでおおよそストーリーとしては問題ない。 スタックにでかいものを置けない、ということを説明せずに グローバルに逃げられる。

そろそろ出版社への提出をepubにしたい。 今回からやれるかどうかを検討する。

まず大前提として、私はviで原稿を書く。テキストファイルだ。これは動かさない。 最終的な出力はepub。 しかし、epubが前提とするhtmlは手書きに向かない。 とりわけMathMLが致命的に手書き不可能だ。 だから、数式込みで手書きに適した書式のものが必要である。 texでもいいが、プレビューに時間がかかり、環境構築が面倒で、 現状実用になるtexからepubへの変換方法はない。 そこで、自作を考える。

なんらかの言語を作り、それをパースしてepubを吐くとする。 かかる手間は、言語を考える手間、パーサを書く手間、 epubに変換する手間、といったあたりになる。 ビューアはまともに動くepubビューアがあれば不要だが、 epubへの変換が困難なら、独自言語から直接表示するビューアを 書いて、epub化は後回しにしてもいい。 しかしそうするとレイアウトエンジンを自作する羽目になるので、これは避けたい。 やはり、ソース+画像→epub、という単純な変換プログラムを 書くのが良さそうだ。

数式は今回の本にはほとんど出てこないから後回しにできる。 texのプログラミング言語としての側面は、 レイアウトが決まりきっていて、後からcssをいじれる前提であれば 考えなくていい。あれ?そんなに面倒でもないんじゃね?

でも今回はやらない。現実逃避になる。

google analyticsを入れて約一日。 このサイトを見てる人が250人くらいであることがわかった。 エロゲ感想文サイトとしての最盛期は1000人くらいいたはずだから、 ゲーム屋になって本とか書いても増えるわけではないということになる。 そもそもそんなに更新してないし、シリアスな話題多すぎてつまらんだろうしな。 10年以上前は全力で気持ち悪いエロゲ感想に満ち満ちていたわけで、 それに比べればつまらんのも道理である。 twitterの重要度が上がってるのもあるし。 ここで無理しておもろいことを書こうとは思わない。 そんな暇があるなら本に投入すべきだ。

真面目にやるなら全面リニューアルすべきだろうな。 表示順をいじったり、特定日にジャンプしたり、検索したり、 といったことができる形にすべきだ。でもまあ、今はまだ本が先だろう。

あとどうでもいいことだが、 携帯機器については見てる人の画面解像度がなぜか取れていて、 320x568というサイズが一番多いことがわかった。次が320x480。 携帯機器の比率は約2割。無視できない比率で、これからも増えるのは明らかだ。 とすると、妙に固定的なレイアウトをすれば迷惑をかけるということだ。 今の前時代的な見栄えはレイアウト自由度が高いという意味では好都合である。 フレームをわけてナビゲーションバーを置くようなことをすると、 そういった機械を使う人に迷惑をかけることになるだろう。

もっとも、iphone5の640x1136の解像度を持つ機械が全くないのは 不自然だ。新型がウソをついている。実際には320x568の機械なんて 一台もないんだろう。 しかし、ああいう小さい機械では、解像度の高さは高密度を意味し、 大画面を意味しない。フォントが綺麗になるだけのことだ。 やはりナビゲーションバーの類を配置するのは良くないということになる。 やるなら横でなく上か下かだが、傾きを取って動的に変える必要がある。 Javascriptでデバイスの向きなんて取れるのかね。 ちなみに、1536x2048もない。iPadがウソをついているようだ。

表紙を経由して日記を見ている人が結構いる。 ひつじこ日記はまだ解析対象にしてないので確実なことは言えないが、 たぶん両方読んでる人はそうしているのだろう。 やはり最低限ひつじこ日記も最新を抜き出す装置に通す方がいいな。 そして、最新日記同士にリンクを貼る。 そうすれば表紙を経由する必要がなくなって利便性が上がる。 また、毎月表紙のひつじこ日記へのリンクを差し替えずに済む。 あーでもまとめて直したいなあ。

私の日記を「twitterのつぶやきが並んだような独特なブログ」 と評している人がいて、今のブログに慣れた人には そう見えるのかと驚いた。 話題ごとに段落を割れば自然にこうなるだろ。 違和感があるのは、ブログと違って画面の端まで字がつながるからだと思われる。 いわゆるブログでは改行位置をブラウザにまかせないのが普通だが、 私のはhtmlのもともとのコンセプトに従い、どこで改行するかは 画面解像度その他に応じてブラウザが決めている。 結果、横長の長方形がいくつも並ぶような見かけになり、 twitterっぽく見えるわけだ。

検索経由で来た分の統計が取れるのはいいが、どんな検索ワードで来たかは大半わからない。 いくらかは取れるのだが。Sunabaで検索して来た人や、秀和システムから 来た人もいくらかいる。

あーリンク元検出もできるな。ならば全ページ解析対象にするか。 しかし最近はだいぶperlの使用頻度が減ったので、さくっと書けるか不安ではある。 一時pythonを集中的にやったが最近まるで使ってないのですっかり忘れてしまったし、 結局この手の書き捨てスクリプトならperlの方が早い。

トラックバックというのが何なのか知らなかったのだが、 「僕のサイトからあなたのサイトにリンク貼りました」的な通知を 送る機能のことか。受け取る側が対応してないとしゃーないし、 リンク元検出とは別物なのがわかったので、私には無縁。

ピアノ弾くからちゃんと治せ、と言って再手術までしてもらったわけだが、 ピアノ弾く予定はまるでない。つうか、もし続けてたら 今回の中断で絶望的な気分になってただろうな。 季節が季節なので発表会もキャンセルだっただろうし。 それにしてもこんな日に限って脳内バッハ回路がよく動く。 ヴァイオリンを弾いている自分とピアノを弾いている自分が重なって、 合わせて3声のフーガじみた何かが鳴っている。

テトリス本は短期的には失敗だ。 長期的にはわからんが、このことは反省せねばならない。 モノそのものの問題かどうかはわからないとしても、 伝え方をしくじったという面はある。 この反省を活かしてがんばろう。 でも、10年待ったら2万くらいは売れてくれないかなあ。 そのためにも次の本を売らんと。

いずれ書く予定の、 C++でテトリス本的なことをやる本には独自言語という不利はなく、 うまくやれば言語入門書の比較的大きな市場を奪い取れるはずだ。 リファレンス的な本の代わりにはならないが、 リファレンスはwebで良くなりつつあるから、その不利は軽減できる。 C++学習者が最初に読む本の地位を他から奪い、 さらに、他の本を買う必要を感じさせないくらいの完成度にすることが目標だ。 「あとはwebでいいや」となれば完璧である。 さらに言えば、C++をやるか決めかねている人をC++に 引きずり込んで市場を増大させられるだけの力を持つことが望ましい。 今私が持っている企画の中で一番数を狙えるものだと思う。 というわけなので、誰か代わりに書いてくれると私が別のことをできてうれしい。 ちゃんとできれば5万冊くらいは売れるんじゃないかと思う。 しかも、それで成功したならばJavascriptやJava、C#でも同じノリで書け、 結構な確率で同じように成功するだろう。商業的には今すぐかかるべきだといえる。 それでも後回しにしているのは、今持っている企画の中で、 一番私が書かなくてもいいものだからだ。私でなくてもいい。 一方今書いているアルゴリズム本や、次に書くCG本は、 たぶん私しか書かないし、私が書かないと私が欲しいものにならない。

ふとしたきっかけで前の本が出たあたりの過去日記を見たら、 テトリス本の構想がすでにあった。5年かかったな。 そして、当時の目算の甘さがよくわかる。 プログラミングはそんな簡単なもんじゃない。 「自分ができていることが難しいはずがない」 という思いから逃れられなかった頃だ。 今の私は、自分には多くの人にできないことができる、ということを認められる。 そして同時に、私にできないことをあっさり出来る人がたくさんいることも知っている。 人それぞれ能力が異なり、それは運で決まっているというだけのことだ。 才能は運だし、努力も努力する気になる性格であったことは運による。 能力差は単なる事実として存在し、誇ったり悲しんだりするには及ばない。 それは感情の対象ではなく、分析の対象だ。 私はコードを書けることに関して喜ぶ必要も悲しむ必要もない。 ただ、それがなぜかを考えればいいだけのことだ。

2013年12月03日

マインドストーム調べてみた。代理店のサイトに技術情報がある。 ubuntuなPCでCコード書いてコンパイルして 実機に送って実行できるのが一つ。macかAndroid上のjavaプログラムから 無線でコマンド飛ばして操作できるのが一つ。 bluetoothでもプログラム上からはシリアル扱いしていいのな。 だが、そこに乗せる通信の仕様が公開されてるわけじゃないようだ。 javaのクラスライブラリを通さんといかん。 うん、無理。javaに翻訳すること自体はできなくもないが、 面倒が多すぎる。マシンがmacに限定される上に依存するものが増えて メンテが面倒くさくなる。つうかなぜmac。macのシェアって結構デカいのか? 良く知らないんだが。

Sunabaでロボ動いたら楽しいよなあと思ったが、これはきついな。 Sunabaを拡張するとしたらマルチタッチ取れるようにするくらいか。 IOアドレス空いてるしそれくらいはそのうちやるが。

異常な孤独感が襲ってきた。一回人と関係する仕事を 挟んだ方が精神の安定にはいい気がするが、 精神が不安定な方がいいものが書ける気もする。 そもそもそこを選ぶ余地はないんだが。 人と関係する仕事は頼まれない限り発生しないからな。

検索と乱数とソートが出てきて、実行速度とデバグ効率と容量効率と断片化 が問題になるような、ゲームを考える。 オセロの類における検索はちょっと違う。そもそも当たりである条件が定まらない。 だからその手の思考ルーチンをベースにしたものは違う。 単純にmallocがそのままゲームになることが理想だ。 しかし、mallocの処理を行うのはプレイヤーではなく機械であって、 敵AIがmallocのアルゴリズムに沿って動くのと対戦するか、 マリオにおける重力のような役割をmallocのアルゴリズムが果たすかのいずれかとなる。 ここで後者は普通に考えてまずい。アルゴリズムが変われば挙動が変わる。 重力が変化したり、テトリスのルールが変わるようなものだ。 ゲームとして成立しない。すると敵AIだが、 プレイヤーがやることは何だ?と考えると辛い。 指定された容量をより上手に詰めるゲームか? mallocするサイズと、freeする領域番号を機械が出題して、 プレイヤーとmallocアルゴリズムで充填率を競い合う。 一応成立するには成立するが、これだと速度がまるで問題にならないのでダメだし、 たかだか20領域くらいしか人間に扱えないと考えれば、全然足りない。 100万回とかmallocしてなんぼだからな。 うーん。視覚化さえすればゲームでなくてもいい気がしてくるよなあ。 だがそれは逃げだ。もう少し考える。

もう少し広げよう。つまりは辞書と乱数だ。乱数はどうやっても使うので、 辞書の性能が死活的に重要であるようなゲームであればとりあえずはいい。 しかし、母集団の要素数は万を越えないと速度が問題にならず、 万は人間にはもはや知覚できないし、データはプロシージャルに生成する以外の 手がなくなる。一次元空間ならたくさんの兵士が合戦するゲームとかも ありうるな。隣の兵士と相互作用するなら、誰が隣かを検索しないといけない。 これは動的に要素が増減しつつソート状態を保つ問題だから、辞書と同じだ。 しかし、一次元空間ってなんだよ。合戦にならんだろそれ。 テルモピュライか?それとも頭の上を ジャンプして飛び越えていくのか?1.5Dは新しいな。 先頭しか戦えないじゃん。後ろ何のためにいるんだよ。 それに、1万とかどうやって表示するんだよ。

一列に何かが並んでて、押し合いへし合いしたりして相互作用しつつ、 物が増減するゲーム?意味がわからん。うん。ゲームは無理だよ。 それに、「メモリ管理の仕組みがわかる!」というのは トレーニングとして売るなら価値だ。そこでゲームにすると 「あんたを鍛えてやる」という意味合いがぼやける。 変に取っ付き易くするのは多分逆効果だ。 面白いつまらないではなく、必要で役に立つ訓練なのだから四の五の言わずやれ、 という方がわかりやすい。 「ゲームだから面白そう」みたいなのはダメだ。 それが売れるかどうかはわからんが、 客にとってこれが何なのかがわかりにくいよりは、わかりやすくして爆死する方が よほどいい。「訓練したい人なんていなかったね」という結末に 終わる方がいい。ここは取るべきリスクだし、やっておくべき実験だ。 ゲームを題材に使うことが私の本にとって必須なのかどうかは 早い時期に知っておかねばならないことでもある。 ただ、可視化は十分に考えよう。コンソールの範囲でも可視化はできる。

縦シュー作ってみたいな。タスクシステムの合理性がわかるのかもしれん。 性能上の要求であるならば、弾を10万個くらい出さないといけないんだろうが。 あ、10万オブジェクト出す、と考えるとかなり要求が厳しくなって いろいろ考えないといけなくなるぞ。これはちょっとおもしろい。 アルゴリズムの問題としても面白いが、描画側の最適化が入ってくるし 本のネタにはならんな。

google analyticsを入れてみた。古いアクセス解析用のコードが そこかしこに残っているが一括置換すら面倒なので今は放置。 perl書いてテストして異常がないか確認するには、 なんだかんだ言って1時間くらいかかる。面倒くさい。 今はsunaba関係と最新日記だけわかればいいや。

2013年12月02日

呼ばれてもいないのだが、 「なぜプログラミングが必要なのか」という題名のシンポジウムに 行ってきた。オタマがカゼでゲロとか吐いてる状態で本当にひつじこには 申しわけなかったのだが、見ておきたかったのだ。 本当は会社に戻る予定だったが、なにせゲロなのでそのまま帰ってきた。

単なる客なので、素直に思ったことを書く。将来関係が生じる人は あの中にはほとんどいまい。配慮は無用だ。

シンポジウムそのものについてはあまり言うことはない。 話す人がそれぞれおもろそうな人であることは確かだが、 それが活きるような段取りにはなっていないからだ。 複数人壇上に上げれば、私の印象としては100%失敗する。 1時間とかしかないわけだが、 大抵は自己紹介で半分くらいはもっていかれる。 それぞれがそれぞれのパワポを発表しているだけで大半が過ぎるのだ。 それが終わってからも、司会が何かを質問して順に答える程度であり、 それも中途半端に終わるのが常だ。複数人そこにいることの意味が出ない。 準備がきちんとなされていればもう少しマシになるような気もするが、 準備をまともにやるには、登壇者を前もって集めて話をしておく必要がある。 おそらく、あの手のイベントではそれができないのだろう。 登壇者は客寄せの観点から有名人が多いわけだが、 有名人には当日以外に割ける時間などないのだ。 それでもああいう形式のセッションが多くなされるのは、 登壇者の負担が少なくて済むからだろう。 客のことを考えた事情ではない。

私が司会なら自己紹介パワポは1枚に限定し、前もって集めて一つの パワポファイルにしておくだろう。そして、議題を絞って事前に 登壇者に予想される論点や資料などと一緒に投げておくだろう。 そこまでなら登壇者を事前に集めなくてもできる。 しかし、たぶんそれすらできない事情があるんだろうな。 登壇者からすれば自分の名を売るチャンスでもあるわけで、 長い自己紹介をしたくなる動機がある。 登壇者がそこに参加するにはメリットが必要だ。 客にとって面白ければいいというわけには行くまい。 そう考えると、やっぱりうまく行く気がしない。

私はCEDECでは自己紹介と製品紹介ムービーを禁止すべきだとすら思う。 その場でしか得られないものに時間をフルに使ってほしい。 事前に名前さえわかれば、それが何者かなどいくらでも調べられる。 優れた講演、優れた議論であれば、それを行っている者が 何者かなんてそもそも問題ではない。 問題は何が話されるかで、誰が話すかではないのだ。 どれほど有名人であろうが、話がつまらなければ講演としてはダメなのである。

プログラミングでヒーローになる人がいないからプログラマになりたい人が 増えないみたいな話があった。何億と稼いだり、すげえ有名になったりする 人があまりに出てこないと。しかし、 プログラマは野球選手やピアニストとは違う。 プログラミングは単なる道具で、問題はそれで何を作ったかだ。 何を作るかはドラッカー用語でのマーケティングの問題であり、仮に 何かのプログラムを書いて有名になる人がいたとしても、 それはそのプログラムがマーケティング的に当たっただけで、 プログラマとしての能力が優れているとは限らない。 高いスキルがないと作れない製品は確かに存在し、 それが製品そのものとプログラミングスキルの境界をわかりにくくしているのだが、 しかしやはりそれらは別のことである。 確かにズバ抜け料理人の包丁スキルはそれ自体が見世物という商品になりうるが、 それは例外的なケースだし、一過性のものだ。 プログラミングスキルを誇るのは、九九を高速に暗唱することを 誇るのと大差ない。道具をどれほどうまく使えても、それ自体に 大した意味はないからだ。競技プログラミングは 面白い試みだし、やりたい人はいるだろうが、私は興味がないし、 今後も世の中の大半は興味を持たないだろう。 だから、プログラマがそのスキルによって大金を得たり名誉を得たりすることは、 あったとしても例外的なことだろうと私は思う。 それが成されるとすれば、そのスキルを活かして皆にアピールする 製品を作ったからであって、それはむしろマーケティングやマネジメントの問題だ。

それに、プログラマの給料が低いとすれば、 それはその程度の成果しか出していないからだろう。 全体として見れば生産性はどう考えても低いのだ。生産性が高ければ、 自然に地位は上がる。もうかるし、プログラマの発言権は増す。 IT土方とか言われる人達を見たことがないので何とも言えんし、 プログラマが冷遇される構造があるのかもしれんが、 しかし生産性が高ければ遅かれ早かれその問題は緩和していくだろう。 かけ算をやる仕事なのに九九を覚えてない奴ばかりたくさんいる、 みたいな状況なのは間違いないのであって、 九九をいかに低コスト高歩留まりで身につけさせるかという 当たり前のアプローチはあっていいのではないのか。 それがうまく行けば、ヒーローなんて出てこなくても 皆が少しづつ幸せになるだろう。

もちろん、プログラマの生産性はスキルのみによらず、 それを何に使うかというマーケティングやマネジメントに大きく依存する。 そこがクソすぎればスキルがいくら高まっても成果は出ない。 売れないゲームばかり見事に作っても仕方ないからな。 だから、スキルの平均値が上がりさえすればいいとは言えない。 しかし、少なくとも改善はする。 現状は「プログラミングは高くつくスキルである」ということが 前提として構造ができており、そこを改善することは いずれは構造へも影響を及ぼすだろう。 というか、それなしに構造を変えるのはたぶん無理だ。 先に構造や制度をいじる試みはたぶん失敗する。

ruby作った人が、やりたい人がやればいいんじゃね的なことを言っていた。 これは私がそう受け取っただけだから、意図するところは違うかもしれない。 できる人ならそう思うよなあと思った。 無理矢理やらせてもどうせできんし、 根本的に現状の教育機関はプログラミングを教えられるようにできてない。 私も、今やれることは、すでにプログラミングを学ぶと決めた人間に 対して効率の良い学び方を提供することくらいだろうと思っている。 プログラミングなるものがあることを紹介する試みはあっていいが、 義務化の類は失敗するだろう。

しかしそれはそれとして、 自己実現とか、楽しさとか、そういうものを軸に考えるのは贅沢 すぎると思うんだけどな。それはもっと低次の欲求が 満たされた後の話だ。 そりゃ楽しい方がいいし、自分の能力が拡張されてうれしいとか、 他人に頼らず自分で物を作れる自由が手に入るとかいうことは素晴らしいことだ。 しかし、そういうふわっとしたことが、 給料をもらって生きていかねばならない普通の人に届くだろうか。 強制力や必要性の裏付けなしに、楽しさや自己実現といった高次の欲求に 基いて努力することを皆に期待するのは無茶にすぎる。 「これやると受験受かります」くらいに低レベルな欲求しか 前提としない教え方があってもいいと思うんだよ。 もちろん教える中でできるだけ 楽しませたり、自己実現につながることを説いていくのはいいが、 出発地点は「やらないと困るから」と「やるとおいしいから」 だけで済むようにしておいてもいいんじゃないか。 その意味で、できる人の話はおおよそ当てにならんわけである。

プログラミング教育と言うと、 「子供のすばらしい創造性を刺激し花開かせてやればいい」 とか「子供の学ぶ速度は素晴らしく大人の想像をはるかに超える」 みたいな「子供すげえ」神話がなにかと出てくる。 まあそういうことがないとは言わん。 しかし、それを引き出せるケースはかなり限られているのが 現実ではないのか。イベントの類では、それに参加してくる段階で 相当に選抜されている。 普通の学校でやったら、よほど御膳立てしないとひどいことになるんじゃないのかね。 だいたい子供の興味はすでにして多様なのであって、 例えばscratchのようなものを持っていったときに興味を示す率が そう高いとは思えん。 仮にscratchをいじっていても、scratchが期待するプログラミング的な 行為をしているとは限るまい。 オタマはレゴで遊んでいるように見えて、 うちらが作ったものや動物ブロックでままごとをしている。 大人が期待した通りに行くような生易しいものではないぞ。 なんといっても、人類は欺瞞と怠惰を基本とする霊長類なのだ。 そして子供の方がその特徴が顕著に出る。 子供向けプログラミング教育については考える気がしない。 実効性のある方策が出てくる気がしない。 ピアノやらせるのと一緒で、興味が出てくるのを期待して 私が子供の前で楽しそうに遊ぶ、というのがせいぜいだ。

私は子供向けはやらない。 大人になってから必要に迫られて学んでも十分短期間に 使えるレベルになる学習法を確立できれば、 子供のうちから無理をしてやらせる必要はなくなる。

プログラマ度の高い人達が出てきて経歴とかを話してたが、 すげえなあの人達。風呂でプログラミングするとか意味わからねえ。 そもそも家でコード書かない段階で私なんてゴミ決定だ。 つうか最近会社ですらほとんど書かんし。 プログラミングそのもので勝負したら勝ち目なんてない。 まあ本当に勝ち目がないのかはどんなコードを書いてるか知らんのでわからんのだが、 姿勢としてはそういうことにしておいた方がいい。 プログラミングは単なる道具にすぎず、 必要なだけ使えればあとはそれを何に使うかの方が重要、 という立場を取ろう。「必要なだけ」の見積りは厳しめに しておかないと危険だが。

でもそれはそれとして、私のコーディング能力は結構高い気がしている。 よほど相手が悪くない限り負ける気がしない。 まあ今日あそこにいた人達はケタ外れなんだろうが、 そんなレベルの人はそんなにおらんからな。 プログラミングは道具にすぎんので、一番である必要はなく、 トップレベルと比べることに意味はない。 なにせ不勉強なので知識では負けることが多いが、 何に使うかとか、誰が使うかとかいうところを鑑みて いらんところで徹底的に手を抜くので、 そこそこ早くできるし、客から見た時にはあまりひどいものにもならない。 たぶんプログラミング力は大して高くないんだろうが、 使い方で勝負してるんだろう。 あと、負けそうなところではそもそも勝負してないのもある。

Sunabaを授業で使ってくれると言う人に挨拶してきた。 今日の目的は主にそれなので、それが果たせて良かった。 どういう問題意識からこんな誰も知らんものを採用するという決断をしたのかが 知りたかったのである。 普通に考えて、こんな実用にならんものを使うのは叩かれる危険ばかり 大きくてマイナスだ。あまたあるゲーム専門学校は 「プロの使う環境で即戦力」みたいな物言いをしているわけだからな。

今回の本、やはり題材をゲームにしたいな。できないと思いこんで 考えていた。真面目に考えんといかん。

プログラミングが不要になるように進歩していく、 という見方もあるんだが、そう簡単とも思えんなあ。 結局最終的には意図を機械に伝えねばならず、 元々の意図を練り上げる必要性はなくならない。 進歩によってその際に余計なことを考えずに済むというだけのことだ。 一定以上のレベルになると、その意図自体の複雑性が 余計な部分などどうでもいいくらいに大きくなるわけで、 そういうプログラミングはいくら進歩してもさして楽にはならない。 もちろん大半が余計な部分だったようなジャンルでは大幅に楽になるのだが、 たぶん需要が伸びて相殺するだろう。

会場にレゴのマインドストームが 展示されていた。コンピュータにプログラム送って歯車やらモーターやらで 動かす奴。欲しい。どうもjavaやcで動かせるらしい。 プロトコルわかればSunabaでも動かせるんじゃね? APIどうなってるかくらい調べてみるか。 webに技術情報は公開してるとか言ってたし。


もどる