だだもれ

2013年11月29日

速度、あるいは時間の流れ方というものは、 人によって違う。個性の要素はいろいろあるが、 その中でも時間の流れる速度はかなり重要な位置を占める気がする。 これがあまりにずれた人同士が協力して事を進めるのは難しい。

早く書かないと。でもいろいろ気になる上に、手がこんななので 集中できない。時間だけが経っていく。

月曜の診察までに小指MPを自力で90度まで持って行きたい。 暇があれば握っては開くことを繰り返す。

1テラのnasne買った。明日届くと思うが、 問題は開けてセットアップできるかどうかだ。

炭水化物を食べないことは、癌の予防と悪化抑制にも効果があるらしい。 癌は糖を餌にして増えるからだという。 糖質制限に否定的な人でも、食べられないものが増えて元気がなくなって 体力が落ちるからダメだと言っているだけで、 もともと糖質制限で生きている人には当てはまらない。

2013年11月28日

26日、朝から入院。検査は前回の結果を使うということで一切なし。 麻酔科の説明だけで、一日ドラクエをして過ごす。 麻酔科は今回はオッサンで、異様なまでのベテラン感。 前回の茶髪女性のマニュアル通りやってます感とは違う。 何が大切で何がどうでもいいかを理解している人特有のいい加減な感じが頼もしい。

ドラクエ6は、細かい話がいろいろ刺さる。 クリアベールの少年の話や、雪の街の老人の話など、 一応ハッピーエンドな体裁を守りつつも、 余韻の残る苦さがある。そのあたりは5よりいい。 これがさらに苦くなったのが7と考えると、 7もやりたくなってくる。ただ、7は6に比べると だいぶ面倒くさいので、やるとしても先になるだろう。

そしてとりあえずクリア。だいたい全キャラが基本4、上級2個くらいを 極めた感じ。最初突っ込んだ時は魔法使い系3人が賢者を終えて 踊り子か何かだったので一瞬で殺された。 仕方ないのでフォーン城あたりで熟練度稼ぎをしてもう一つ上級職を つけてから撃破。真面目に戦えばそうするまでもなく勝てた気もするが、 どうにも考えるのが面倒くさくてAIにまかせてしまったのである。 そして初めて裏ボスへ。高校の時は休みで帰省中にやったので、 時間切れで裏ボスまで行けなかったのだ。 そして瞬殺される。いやアレ無理だろ。 全員でマダンテとか、そういう火力がないと。 あるいはベホマズン。そこまでする気せんので、終わり。 全員勇者とか苦行すぎるし、 そこまでせんでも意味のある強化をしようとすると凄まじく辛い。 盗賊とか踊り子とかで熟練度稼ぎするのは苦行すぎるだろ。 HPの平均が300に満たない状態ではつらすぎるわけだが、 レベル上げなんてしたくない。

ふと このサイトを見て、 自分がいかにヌルい遊び方をしているかがよくわかった。 使える特技はいっぱいある。 ダラダラプレイは良くないなあ。

入院記録がドラクエで中断した。話を戻す。

27日は朝早くから手術。何をするかはわかっているのであまりビビらずに済んだ。 病衣に着替えて待っていると、点滴を刺しに医者が来た。 その後手術室まで歩いて移動。 名前と患部の確認をして、手術室へ。 台に寝て、右腕を出し、麻酔開始。 まず脇に局部麻酔2本。その後本番をおそらく3箇所。 皮膚の穴は一個で、途中までもどして場所を変えていたようだ。違うかもしれない。 今回はベテランの麻酔医が指導役としてついたため、 前回とは比較にならないほど痛みが軽く、時間もかからなかった。 手にビリッと来たのも一回だけで軽かった。 前回は派手なのが5回くらいは来ていた。 やっているのは同じ若い女性なのだが、 どこから進入するかから、どこでどれだけ薬を入れるか、 どこで一旦針を戻すか、 そして超音波画像を見て薬の入り具合を確認する方法などが 細かく指導されていたので実にスムーズ。

麻酔が効く前からイソジンを腕と手に塗りたくり、布をかぶせたりしている うちに麻酔が効き、手術開始。 手と顔の間にカーテンが置かれて見えない。 今回は切って開けるためにレントゲンが不要なので実況中継モニタはなし。 だから状況がわからないわけだが、上にある照明に患部が 映り込んでいることに気づいたのでずっと見ていた。 赤い赤い。プレートの選択や、使うネジの長さの見積もりに 時間がかかっていたようで、手術時間は1.5時間ほど。 8:45開始、10:20終了。 途中開いたままの右手を不意に見せられて、 「骨ぴったり合わせたけど薬指に触るよ?これ、こういうもんだよね?」 と聞かれたので、「骨ピッタリでよろしく」と返答。わかるかそんなこと。 つうか、もうプレートつけてるしいいもクソもないだろう。 初めて自分の骨を見た。 肘のところで曲げられて持ち上げられても全く感覚がないので。 まるで自分の手に思えないのが面白い。

10時半過ぎ。感覚が戻り始める。前回よりも早い。 麻酔が的確で小指側に強くかかるようにやっていたため、 感覚が戻るのは親指から。11時過ぎには人差し指までミリ単位で 動くようになり、圧力センサーが全域で戻り始める。 温度と痛みは後から来るのだ。

12時過ぎ、小指も動くようになり、痛みが出てくる。 13時過ぎには麻酔が切れ、激痛。両手両足から汗が噴き出す。 13時45分頃、看護師が通りかかったので坐薬を頼む。 看護師さんが忙しいのは知っていたし、 最大の痛みがどの程度かが分かる前に鎮痛剤を使うのは 負けた気分になるので、回ってくるのを待って耐えていたのである。 アニメとか全く見る気にならない。

14時45分ごろには鎮痛剤がかなり効いて、耐えられるレベルに 落ち着いた。それでもアニメを見るのがきついレベルで、 読書はおよそ無理である。 その後、医者が来てレントゲン写真をくれた。 第五中手骨に板が当てられ、ネジが6本刺さっている。 そりゃ痛いよ。 右手はガーゼとシーネと包帯でぐるぐる巻なので、 見えないのだ。

15時頃にはアニメを見る気になったので、 今更ながらロードス島戦記を全部見た。 静止画の作画は綺麗で、力の入れようが伝わってくる出来だが、 正直話の筋そのものや構成に難がありすぎて ツッコミを入れずには見ていられない。 6話開始時には激しく話が飛び、間違って1話飛ばしたかと本気で 思ったほどだ。キャラの行動動機はよくわからなくて、 ディードいつパーンに惚れた?つうか、なぜついてきた? みたいなところからわからない。 唐突に新キャラ2人が出てくるのもtrpgの都合としか思えないし、 バーサーカーという設定はまるで活用されていない。 ナレーションでアシュラムを死亡扱いにしておいて、 次の話であっさり生きている。 動画としても作画の手間の問題なのか、聖闘士星矢的な見せ方が よしとされたのかわからんが、アクションで一人づつ写すために 何をやってるかさっぱりわからないし、 位置関係が明らかにおかしい。 叫んでかっこ良く剣を振り、全画面エフェクトが出て、 次のシーンでやられる方が死んだり剣を飛ばされたりする。 ディードがさらわれるあたりも、ヒロインがさらわれないと 盛り上がらないという作劇上の都合はわかるのだが、 ハイエルフ他にもいるんじゃないの?つうか、もっとさらいやすい奴を選べよ、 というツッコミを抑えられない。 ギムがカーラの飾りを飛ばしたシーンも、 「おまえ、探してた人の頭に斧投げたわけ?」とツッコミたくなる。 ラストバトルは聖闘士星矢的演出の極致で、「何起こってるかさっぱりわからんが 音楽と絵でゴリ押しされてなんかすごそうと思っている間に勝利」 である。絵はすごいんだよ。絵は。あと、勢いというか力強さは本物を感じる。 なんだかんだ言って全部見てしまった。

ところで、真剣でやりあってるのに、最後に劣る方の剣が飛んで勝敗が決まるあの 様式は誰が発明したんだ?もちろん、飛んだ剣は必ず地面に刺さる。 作中でこのパターンのシーンが片手の指で足りないほどあって、 いくらなんでも多用しすぎだろと思った。 何かで発明されて、 しばらく流行し、いつからか消えたフォーマットなのだろうが、わからない。 あと、片手でつばぜり合いできんだろ。 鍔迫り合いは殺し合いの最中に顔を近づけて会話させるのに便利なので 多用したくなるのはわかるのだが。

うちらの世代のこっち方面の趣味の持ち主にとっては、 ロードスは特別な作品だったはずだ。 中学の時の友達のハマり方は尋常じゃなかった。 アニメも名作ともてはやされていた気がする。 しかし、時代を超えて通用するものではなかったようだ。

高校の時の私がこの作品をどう思っていたかは よく思い出せないな。そもそも、 このアニメ、最後まで見てたんだっけ? 後半は初めて見たと思えるくらい記憶がない。 加えて言えば、原作を全部読んだかどうかすら わからない。読んでるはずだよなあ。あんだけTRPGだったんだから。

同じ部屋に、左腕の複雑骨折で入院しているじいさんがいて、 私の後に手術だった。全身麻酔で4時間とかかかっていたし、 ベッド周りでの会話からも相当大怪我っぽいことが感じられた。 どうも、骨はバラバラ、靭帯は切断、一部壊死、みたいな 感じだったようだ。手術はそこそこうまく行ったようで 綺麗につながりはしたらしいのだが、 麻酔が切れた後の痛みは想像を絶するだろうし、 その後のリハビリも大変だろう。

しかしそれはそれとして、 そのじいさんは消灯後にも看護師を何度となく呼んで 細かいことを言うので、こっちが眠れん。 しかもその時はまだじいさんの伝達麻酔は切れておらず痛みではなかった。 尿意や、点滴のチューブがいまいましいやらで 呼んでいたのである。導尿管をつけっぱなしにしていれば 尿意の問題はなかったはずなのだが、夕方に「変な尿意が嫌だ」 とダダをこねて導尿管を外してもらっていたのだ。 そのせいで看護師が尿とりをせねばならなくなった。 まああれは痛いし不快なのでとってほしいのもわからんでもないが、 耐えろよ男ならと思うわけである。 また、その話しぶりも「オレは患者としてもっと大事にされるべきだ」 的な感じで、看護師さん達がしんどい仕事をしていることへの 敬意が感じられなかった。全身麻酔なので前の晩から食べておらず 空腹感があっただろうし、どうもヘビースモーカーらしく 禁断症状がきついのもあっただろう。 対応する看護師も最初は若い男性で新人だったので、 対応に柔らかさがなくそれが余計に怒りを呼んでいた面もある。 ああなるのは必然だったのかもしれないが、 あの理不尽な物言いを痛みに耐えながら聞かされるのはなかなかに不快だった。 その看護師は前回私が入院した時の担当で、 熱心さと礼儀正しさに好感が持てるなかなかいいやつなのである。

何度か後の呼び出しで熟練した女性の看護師が来て、事態が動く。 「私達にも至らない点はあると思いますが、がんばってやってますので」 的なことを訴えつつ、丁寧に説明。若干語気が緩んだが、 納得するには至らない。ついに看護師が耐え難くなったのか、「手術後で痛みを 我慢して寝てる患者さんもいますし、ここでお話するのは迷惑になりますから、 ナースステーション脇に移ってお話の続きをしましょうか」と言うに至った。 ベッドごと移動。それで私は寝られたわけである。

翌朝、つまり今日だ。朝の血圧体温チェックで看護師が回ってきて、 「眠れました?問題の患者さんには移ってもらいましたけど」と 単刀直入な物言い。いや、まあありがたかったけど、「問題の患者」 はちょっとひどくね?あんだけ大怪我して全身麻酔も初めてなんだろうし、 と思ったりもしたが、まあああなるよな、と思った。 その後じいさんが戻ってくる。 そして、私ともう一人耳鼻科で入院している人に、 「物置みたいな所に置かれて、一回も見に来ない。ひどい所だ」 と同意を求めてきた。「大変ですよね。私は小指一本ですけど、腕の複雑骨折 ですもんね」的に若干ずれた返事をしてかわしておいた。

その後医師が回ってくる。ガーゼとシーネを取って消毒。 シーネというのは、好きなかたちに固まるプラスチック的なもので、 ギプスみたいなものである。 そしてガーゼはがすの痛い。湿潤治療をやってくれよと思う。 それでまたシーネ固定をしようとしたところで、 「どうせリハビリするなら早い方がいいんでしょ? シーネあったら動かせないですけど、それいるんですか?」 と言ってみた。すると、「じゃあ、なしにしましょうか」 とあっさり撤回。ガーゼと防水フィルムだけになって終わり。 次回は月曜朝。ほどほどにがんばって動かせとのこと。 傷と骨にいやな痛みが来ない範囲でできるだけやろう。

回診がじいさんの所にも来て、消毒その他。 そこでじいさんが医師に看護師の問題点を訴える。 医師も若い人であまりこういう患者には慣れていないのだろう。 受け流せずに、「私は現場を見てませんしなんとも言えません。 看護師もがんばっていると思いますが」 的な正論を言ってしまい、じいさんの怒りが急上昇。 最後は「回診の途中なのですみません」で逃亡。 じいさんも出て行ってしまった。

その後しばらくして、白髪交じりの白衣のオッサンが入ってくる。 じいさんに用らしい。トイレにもいないことを確認すると、 一旦は出て行った。名札には副部長とあった。 上司が出てきたわけな。

その後どこかでじいさんを見つけたらしく、部屋で副部長自らの診察が開始。 これがすごかった。じいさんの知識レベルに合わせた的確な説明をしつつ、 人情味あふれる物言い。新人看護師は男であることもあって 理屈っぽく、礼儀正しさも裏目に出ていた。 女性ベテラン看護師は柔らかさはあるがそれがあしらいの技術であることは 感じ取れてしまう。人間は 「自分がスルーされてる感」を敏感に感じ取れるものなのだ。 その点副部長は完璧だった。 点滴の管のレイアウトや、三角巾の長さなどの細かい所まで指示し、 さらにじいさんが点滴を嫌がっていることを聞き出すとすぐに、 点滴をやめると決断。水分補給を口からやれればいらない点滴だったのだろうが、 若い医師や看護婦にはそれを決める権限がないか、あるいは やめるという選択肢が出てこないのだろう。 じいさんはありがとうございましたと大きな声で副部長を見送った。 地位の高い人が出てくることで収まる場合はあるんだなと思った。 まあその後も、「看護師がなってない」と話かけられて レスに困ったわけだが。耳鼻科で入院してる人がちょっとかわいそう。 私はあっさり退院だったが、あの人はまだかかるだろう。

費用は67900円。ピン固定の時は42000円だったので、格段に高い。 手術の形式による差だ。しかも半年かそこらしたら 似たような手術をして取り出さねばならないのである。 3万くらいはかかるだろう。しかし、手の骨は回らないように固定するのが 難しく、ピンではダメっぽい。

帰ってからオタマの幼稚園付き添い。待ち時間、 図書館で「任天堂 驚きを生む方程式」 を読んだ。DSi発売位の時期で、任天堂が大勝ちしていた頃に出たものだ。 すげえ会社だなあと思う。中いろいろあるんだろうが、 外から見て偉大に見える段階で、それは偉大な会社だろう。 並の会社は外から見ても突っ込みどころに満ちているものだからな。

やってることは、びっくりするくらいドラッカーの言ってることと重なる。 ドラッカーの本で任天堂が具体例として出てこないのが不思議なくらいだ。 本気でやれることだけをやれ、というのは、 娯楽をコアとしてそこから外れないことにつながる。 技術を制約条件としてとらえ、単体で価値と考えないことは、 「枯れた技術の水平思考」をやるための必要条件だ。 「客は何を買うか」「製品を何として売るか」を考えるからこそ、 dsやらwiiみたいなものが出てくる。 また、「誰が購入を左右するかを考えろ」という教えに関しても、 wiiでは母親に嫌われないようにするという形で実践している。 まあ著者がドラッカーに合うことだけを選んで本にしているという 可能性もあるが、さすがにそれだけということはないだろう。

逆に、なんで普通の企業がドラッカーを実践できないのかの方が 気になるんだけどな。正直未だによくわからない。 人間の自然な性質がドラッカーの教えに従うことを難しくしているのは 確かだが、何が邪魔をして実現できないのかははっきりしない。 ただ「できない」でなく「やらない」なのは確かだ。 個人の利害と会社の利害のズレが大きいとそうなりやすいが、 積極的に拒否しているケースよりは、 消極的に保留した結果としてやらないケースの方がたぶん多い気がする、 会社にとって不利益になるとわかることを積極的にやるには かなりのエネルギーがいる。そこまで悪人にはなかなかなれない。 単に、なんとなく面倒だとか、好みじゃないとか、 そういうことで行動を遅らせたり保留させたりした結果として こういう現実が現れているのだろう。 十分に速度が遅ければ、それは止まっているのと同じだ。 やるかやらないか、だけでは現実にはダメで、 どれだけの速度でやるかも重要になる。 決断と行動が遅ければ全てがダメだ。 まあいい。私は私の戦いをしよう。

つうか、ドラッカーが難解とか言われてる意味がわからん。 具体的にどうしたらいいのかわからんとか言ってる奴がいるが、 それは自分で考えるしかないだろ。そのための枠組みが書かれているのだから、 一文一文自分の会社やチームに置き換えながら読んで考えればいいだけだ。 それが難しいというならば、それは自分の仕事や会社について 真面目に考えてないということにはりはせんか。

テトリス本のアマゾンランキングが5万まで落ちた。 そりゃ在庫ないんだから当たり前だけどな。 でも、前の本は5000位とかだ。そりゃ増刷するわな。

10万冊売りたいなあ。そのためには市場を作らないとダメだ。

2013年11月25日

丸山健二の「まだ見ぬ書き手へ」を読んだ。 本気がほとばしりすぎてたまらん。 突っ込みどころはあまたあるが、 「とにかく小説を書け。才能がないなら去れ。食えないなら野垂れ死ね」 という根幹の主張の汗臭さはあたかも隆慶一郎キャラのようだ。 男尊女卑だと叩いている人もいるし、それもわかるが、 そこは笑って流してやるのが良かろう。これは世界観の問題なのだ。 クーデターを画策して割腹自殺したり、 愛人と心中したりするのは、所詮真の才能をもたない弱い人間だったからだ、 と言い切るあたりもゲラゲラ笑って読めばいい。 芸術性の定義など人によって違うのであって、 この人の芸術の定義がそうだというだけのことだ。 読む人は自分の芸術の定義において この著者が考えるような姿勢を持ったとしたら どのように生きるか、ということを考えればいいんだろう。

それと、「おまえこんな生き方してないだろそもそも」という 根本的なツッコミもある。実際丸山健二のブログはつまらない。 講演会の宣伝が貼ってあったりして この本を読んでから見ると実にがっかりな代物だ。 しかしそれでも、この本から漂う本気度は本物だろう。 なぜ本物かと言えば、 「この本は丸山健二がなりたかった自分について書いた本」 だからである。丸山健二自身がこれを実践できていたならば、 そもそもこんな本を書くはずがない。 こんなふうに生きられないまま老人となった丸山健二の 自分への怒りと焦りが、他人への攻撃の形をとって噴出しているのが この本なのであって、だからこそこの迫力が出ているのではなかろうか。

なお、7回最初から書き直せ、という主張は共感できる。 本は結局は直列的な代物なのだ。 直列的というのは、後ろが前にある全てに依存するということである。 だから、ちょこちょこいろんなところを直していてはダメなのだ。 最初から最後まで通して直す、ということを何度も繰り返す方法でないと、 全体を通した流れがおかしくなるし、軸を保てなくなる。

とは言え、前作はそれを徹底できなかった。 1.4MBの文章についてそれをやるのは絶望的に手間が大きいし、 また、章ごとにそこそこ独立性があるので、 バラバラに直してもそれほど問題がなかったというのもある。 しかし本当は、あんなに独立性がある事自体が手抜きなのであって、 技術書であっても全体の流れをしっかり考えて作るべきだと私は思う。 前の章で行った説明を後ろで否定したり、改善したり、 思いがけないところで再登場させて役立てたり、 といったことをたくさん仕込まないと、面白くならない。 ただ面白くならないだけならいいが、 理解が深まらないし、記憶の固定も弱くなるので、 実用的な観点からも品質が落ちる。

今作はそこにそこそこ気を使った。 成功したかどうかはわからないが、とにかくそれをやろうとした。 そのためにべらぼうに手間がかかった。 次はさらにそれを推し進めるだろう。 しかし、それで手間が増せば私の心が折れる。 だからもっとうまくやらないといけない。

2013年11月22日

骨折は固定でしくじったのかなんなのか、 小指が回転したままになってしまったので、 再手術してもらうことにした。 経皮ピンニングはあきらめて、プレート固定。 傷跡を気にしていられる状況ではない。 機能復元を優先する。 チタンかポリ乳酸かは、医者の第一判断を尊重しよう。 たぶんポリ乳酸だが。

最終決断は月曜だが、まあやるだろう。 火曜入院、水曜手術、木曜退院。 例によって木曜の午後には会議があり、 痛いのを我慢しながら出ることになる。 経皮ピンニングよりもプレート固定の方が 傷がでかいしネジ穴のために骨も多く削れるはずなので、 痛みは今回の方が強いだろう。 鎮痛剤が大して効かないことはわかっているので、 今から覚悟しておかねばならない。 前回ですら手術した晩の痛みは眠れるか怪しいレベルだったわけで、 かなり気が滅入る。 しかし、脚やら腕やらでもっと派手に傷が大きい患者もいて、 そういう人たちも痛い痛い言いながらも病室でおとなしくしていられるのだから、 私も耐えられないことはないだろう。 そもそも、痛みの大きさが単純に傷の大きさに比例するわけでもないので、 もしかしたらそんなに変わらないかもしれないという期待もある。

今回は手術後に坐薬の鎮痛剤を頼むか。耐えられないとは思わないが、 耐えることに意味があるわけでもないし、 どれくらい効くのか興味がある。

血液検査、点滴、前座の麻酔2本、本番麻酔1本、 で5回注射する。そのうち本番麻酔は脇に深く刺したまま数分間だ。 気が滅入る。そしてさらに気が滅入るのは、 そんなことがどうでもよくなるくらい術後の痛みが強いことだ。 更に悪いことに、それが引いた後はリハビリの痛みが控えている。

韓国のgstarというゲームショーの記事を読んで思い出した。 何ヶ月か前のことだが、あの本が韓国で翻訳された縁で、 そのショーでなんか話してくれというメールが来た。 そもそも何を話して欲しいのかもわからんし、それ以前に何語で 話すんだよという問題があったので、とりあえず 「英語しゃべれないよ?無理じゃね?」と返したら、それっきりだった。 「じゃあいいです」というメールすらなく、それっきり。 もっと前向きな答えをしたら違ったんだろうか。 でも、「先端技術について語ってください」とか言われてもなあ。 私の価値はそこじゃないだろ。

英語で講演できるくらいじゃないとダメなんだろうなあ。 でも、そのために払うコストが許容できない。 そんな暇があったら本を書く。 それに、英語で話せば伝わるというものでもない。 文化の壁は言語の壁とは別にあるのだ。 純粋に技術の話だけするなら文化の問題はほぼなくなるが、 その路線ではあまたいる優秀な人々に勝てないのであって、 技術を何に使うかまで含めた商品設計をしないと生きていけない。 そして、そういう話まで入れるとたぶん文化の壁が問題になる。 英語で本書いてもたぶんダメだと思うんだよ。 何食ってどんな空気を吸ってる人たちかを私は全然知らんのだ。

本当は生身での教育や技術コンサルもやりたいのだが、無理そうだ。 実際何度か売り込んだが買ってもらえなかったし、誰も頼みに来ない。 人間性に問題があると思われているか、技術がないと思われているか、 そもそも知られてないか、まあそのへんだろう。 いっそ会社の外で教育や技術コンサルを提供する方を先に試みるべきかもしれない。 社外で名が売れれば社内で使ってくれる人も出てくるかもしれないし。 九州大学での講義はそういうものとして大事にしたい。 他の学校も頼んでくれないかなあ。 そのへんの中学なり高校なりが呼んでくれてもいいんだけど。 課外活動や部活でもいいし。 ゲーム専門学校の卒業制作ゲームに対して描画設計やら高速化指南やら しに行くとかだっていい。

個人的には他の会社の研修講師や高速化指南だっていいんだけどな。 競合他社のゲームであっても、質が高い方がこっちも得をする。 クソゲーがひとつ増えるたびに業界全体がダメージを受けるからだ。 技術なんてゲームの要素の中ではわずかな部分にすぎんのであって、 そこを秘密にして得られるものなんてたかが知れている。 失う物の方がはるかに多かろう。 情報を出す人間は、それ以上の情報を得られるのだ。 別にこれは抽象的な道徳の話ではなく、具体的な例をいくらでも挙げられる事実である。

まあすべてはあと2冊書いてからか。アルゴリズム本とCG本は 私がそこそこ書けることを示す上では役に立つだろう。 2chでは「所詮教育担当で技術がない」とか言われてたわけで、 ちょっと奮起して多少は技術もあることを示さないと私の未来がない。 もっとも、十億単位の金を突っ込むゲームで使われている技術力と 比べての話であれば、技術がないというのも事実だし、反論する気もないが。

「Excel VBAのプログラミングのツボとコツがゼッタイにわかる本」 という本が化け物じみた売れ方をしている。 アマゾンのIT系ランキングで5年以上100位以内だ。 参考になりそうなので見てくる。 誤字が多いという評価があったが、正誤表を見る限りそうとは思えない。 私のなんてすごいぞ。まあ文章量が全然違うんだが、それで許されるわけでもない。

見なおしてみると前の本の間違いも相当致命傷だな...10刷以降であれば ほぼ全部直っているはずだが。

やはり子供って結構金かかるな。私の医療費も結局10万コースだ。 コンピュータ機器の買い替えペースは抑えておこう。 払った金に見合うほどの満足はない。 X220とX201sも保障が切れるまではこのままだな。 サーバの置き換えは金に加えて時間までかかるが、これは そこそこ意味があるのでそのうちやる。右手が使えるようになってからだが。 あと、ニコ動のプレミアムやめよう。 生協を使うようになったり、ミートガイから肉を買うようになって 食費が上がっているのだが、これに関してはそれだけの価値があるので許容する。 糖質制限パン材料はそれほど圧迫しないはずだからこれも問題ない。 電気ガス水道通信は削れる余地がない。

ipad5と3ではCPUが4倍くらい違うと聞いた。chromeがもっさりしているのが だいぶ解消するんだろう。でも、今年はまだいいよな。 液晶の消費電力が落ちてからでいい気がする。

最大の固定費である家賃は8.5万で相場より安いくらいなのでこれも動かせない。 家はこの会社にいるうちは買わないので考える必要がない。 保険はほとんどない。月2000円のがん保険は解約してもいい気はするな。 よく見てみると保障の内容が弱い。切って終わりで済まないヤバイ癌になると、 この程度の保障では歯が立たない医療費がかかる。 これが助けになる額なら貯蓄で耐えられるからな。意義が薄い。 交通費は気を使うレベルじゃない。高くつくのはイベント性の高いもので、 それは削りようがない。 服もそんなに買ってないよなあ。糖質制限で 痩せたのでズボンを2本くらい買うかもしれないが、6000円。 子供服は所詮無印良品で年2万行くかどうかくらいだし、 皮膚炎が去ったおかげでワセリンによる服の消耗もなくなった。 ひつじこは滅多に服買わんし、買うとしても無印かユニクロか西友。

前の本が増刷するらしい。それも、結構たくさん。 「ライバルは自分」がまさに当てはまるな。 うれしい以上に悔しい。 「最終的には前の本よりも売れるポテンシャルがある本」 として書いたからな。売るためには大量に障害があるので 売れない覚悟はしていたが。まあ、独自言語はやりすぎだよね。

健康診断。バリウムやらなかった。時間が惜しかっただけで、 効果がないと確信したわけではない。他行って胃カメラやってくるべきなんだろう。 なお、体重が服込みで59kg。ちと減りすぎな気はするな。

そういえば昨日近くのラーメン屋で食べた。二郎欲の代償行為である。 そして、しっかりと後悔した。なんだあの魅力のなさは。 麺にもスープにも力がない。具としてはきくらげが珍しいが、 水で戻したものが載ってるだけなので調和がない。 玉ねぎは悪くないが、これも調和しない。 肉はそこそこうまいが、肉に関してはうちで作る 真空調理肉にまさるものなどそうそうないわけで、そこは求めてない。 そして食券の機械が変に最新鋭で感じが悪い。 アイコン凝りすぎて見づらいんじゃ。物理ボタンの方が楽。 さらに店員の関係が険悪で居心地が悪い。

写真屋さんがプロだった。 オタマの機嫌を良く保ち、望みのポーズでいさせるテクニックがすごい。 写真の技術だけでも相当なものなのだろうが、それだけで終わらない。 なるほど、あれがプロの写真屋か。あんな高レベルなのは初めて見た。 持ってったカメラで撮ってもいいのもいい。 「貴様らの技術とそんなカメラでいくら撮られてもオレが撮る最高の 写真に比べればゴミだからどうでもいい」ということだろう。実際そうだ。 ちょうどTG1が見つからず焦ってDMC-FT1を掘り出して行ったので、 なおさら画質が悪い。 行ったのは北糀谷の産業通り沿いにある橋本写真館。 オタマの七五三と家族写真で2.6万円。 スタジオアリスとか多少安くても行く気がしない。サイト見たが制約多すぎ。

ひつじこと協議の結果ipad5は見送り。 待ち時間がかったるいことはあるが、その過半はネットワークレイテンシっぽい。 あとは充電速度の問題だが、新型でも1.3倍程度だろうと思えば意義は薄い。 ipad6ではもっと電池が減ることを望む。液晶の消費電力が落ちないと無理だろうな。

節約しようとか言ってるこんな時に、メガネを踏んだ。 処方箋書いてもらったのがあるし、明日買うか。 やっぱり形状記憶合金でないとダメだ。 しかし、形状記憶合金にもそれなりに欠点があり、 顔の形に合わせる調整がしにくいらしい。 でもそれは問題じゃないな。 大半の期間歪んだ状態で使うことになるわけだから。

20日のことだが、いっぺいが来て泊まっていった。 鉄の話を聞いたりした。鉄すげえな鉄。 単にたくさんあって安いだけだと思ってたが、 結構変な性質があってそれが便利らしい。 それにしても量子力学の計算でいろいろなことを明らかにする、 というのは応用性の広い技術っぽい。 基礎だけでも勉強したいな。第一原理計算とか言ってた。 そのうち暇になったら自分でコード書いてやってみたいものだが、 まあそこまで暇になる日は来ないな。 本当に商売になるなら別だが。

あと、いっぺいがオタマの写真をとりまくってくれたのが免疫になったらしく、 写真屋さんでオタマがビビらずにのびのびと写真を撮れた。ありがたい。 機械シャッターのカメラはいいなあ。しかし、 うちではオタマやひつじこの暴虐に耐えるものしか買えないので無理。

次世代機の勝敗の話で盛り上がっているが、 物作らない部署に移ってから完全に客視点になったので、 自分が買うかどうか以外の評価基準がなくなった。 現状一番買いそうなのは3DS。でも、実際にはDSiを中古でゲットして レトロゲーで遊んでればそれでしばらくオーケーな気もする。2500円で買えるし。

ドラクエ6やってて思ったのだが、 この手のゲームの面白さって何なんだろうな。 ストーリーと演出の問題を外して考えた時に、 ロープレのゲーム性に中毒性を持たせる方法って何なんだろう。 つまりクッキークリッカーなんだろうとは思うわけだが、 それを考える上では適当にレトロゲーで遊びながら考えるのが 一番早道な気がするわけである。最近のは待ち時間が長いからな。 スーファミのドラクエ6ですら当時すごくストレスを感じたものだ。 DSの6はそのへんがすごく良く出来ている。 前のアニメが終わる前に次のアニメに移ってるからな。

昔、邪聖剣ネクロマンサーというゲームがあった。 中学くらいの時だと思う。難しいという触れ込みだったが、 ふっかつのじゅもんが凶悪すぎるなどの 点を除けば、しんどいながらも普通にクリアできるレベルだった。 しかし当時からあのゲームの欠点は山ほど目についていて、 何がドラクエに比べてダメなのかをえんえん考えていた。 まず、一方通行すぎた。一度話が済んだ場所には二度と戻ってこない。 これはこれでロープレのガンゲー化したものと考えればアリではあるのだが、 それが世界の深みみたいなのを感じさせない原因になっていた。 あとは、武器防具の比重が高すぎた。基本は「とにかく先の街に辿り着いて武器を買え」 だ。レベルが多少上がったところでどうにもならないのである。 終盤の拾う武器の性能が高すぎてキャラ性能がほとんどどうでも良くなっていた。 あれは意図的なのだろうか。たぶん意図的なんだろう。 ウィザードリーにおいて強化はかなりの部分が武器と鎧による。 あれをドラクエ式のパラメータシステムでやったらああなったのかもしれない。

なんかやりたくなってきた。そして、2があることを知った。 バーチャルコンソールは3DSとWiiUで同じのが全部動いたらいいのになあ。 セーブデータ連携も希望。 ヘラクレス3とか3DSで動くなら即買うのに。 WiiUはトイレでもできる点で進歩だが、病院の待ち時間にはできないわけで3DSに劣る。

2013年11月21日

骨折についてちょっとまとめ。 骨折の固定には、内固定と外固定があり、 内固定は板やネジ、針金を手術で埋めて固定する方法。外固定はいわゆるギプス。

内固定の方が早く動かせるようになり、 リハビリを早く始められるのでリハビリが楽で、治癒も早い。 リハビリの苦痛は結構なものなので、手術の苦痛分の元を取るくらいの効果はある。 ただし傷が残る。

内固定には針金と板があり、針金は傷が小さいが、 固定が弱く、術後1周間くらいはギプスが必要で、 この間にかなり関節が固まるのでリハビリが長引く。 さらに針金のせいで皮膚がつっぱって痛いので動かすが億劫になる。 また、手術はかなり手間取っている印象があった。 骨を直接見ずにレントゲンを頼りに進めるため、難度が高いものと思われる。 普通に考えて、直接見ないで小指の太さのものに 細いドリルで穴をあけて固定なんて相当難しい。 さらに、ピンの端は手からはみ出しているため、週二回通院して消毒する必要がある。

板にも二種類あり、チタンとポリ乳酸主体のものがある。 チタンは安くて強くて薄いが、永遠に残る。ポリ乳酸は数年で溶けてなくなるが、 高くて強度で劣り分厚い。 ポリ乳酸は強度的に荷重がかかる部位には使えない。実際、主に顔面に使われる。 中手骨に使われる例も少ないがみつかるので、今回はこれで行けるだろう。 ただし、手術中の扱いが少々面倒で時間がかかるとの記述もある。

チタンを使う場合、取り出すか取り出さないかで選択肢がある。 取り出さない場合、異物反応が起こる可能性がゼロではないし、 ネジがいつまでも残るので骨の強度的にどうかという話にもなるが、 大抵は取り出さない。再手術のリスクの方が問題視される。 取り出す場合も、出してしばらくはネジ穴付近の強度で劣り、 傷がより目立つ形になる可能性があり、そもそも面倒くさい。

2013年11月20日

CGはいろいろわかってないことがあるなあ。 始めるのが楽しみだ。 つまり、今書いてるのがしんどいので逃避したいということなのだが。

スタックとヒープの区別がなぜあるのかをスッキリと説明する 方法を見つけないといけない。あるいはその区別自体を 知らずに済む方法でもいいが。 とにかく、自動変数で100MBの配列を作ってはいけない理由が必要だ。 スタックをOSからメモリもらって拡張できればいいんだが、 それができない、というのが原因なわけである。 そりゃべらぼうに遅くなるからな。 スタックを1GBとかにしておけば動くが、スタックサイズの指定は コードでなくコンパイラオプションなので扱いが面倒だし、 スタックがキャッシュに乗らないサイズとか悪夢としか思えない。 だがそんな細かい事情は素人には説明できん。

自動変数だけでプログラムを書くのが至難であることを 数行のプログラムで納得させる方法があれば、 スタックとヒープの区別に踏み込まずに目的を達せられる気がする。

なぜmalloc的なものが欲しいのか。 ただし、この本で言うmalloc的なものは、グローバルにあるギガ級のchar 配列から切り出す物であり、処理に対してスケーラブルなメモリ使用量 を実現するという理由は使えない。 malloc的なものがない場合、用途ごとに固定サイズ配列や変数を 多数用意することになる。 それぞれが考えられる最大容量を持つ羽目になり、メモリの利用効率が ひどいことになる。また、グローバルにそれらの変数が置いてあるため、 やろうと思えば関係ないところからもアクセスできてしまう。 malloc的なものであれば、帰ってきたポインタ変数を持っていないコードは アドレスを知り得ないので、カプセル化が強まる。まあメモリ範囲を超えて アクセスすれば破壊できるのでそこは変わらないし、 アドレスが可変になるせいで破壊の再現性が落ちるので、悪いこともある。 やはり効率の問題として扱うか。

すると、「なぜmallocが必要か」→「全部配列用意しといたら それぞれの用途の最大量用意しないといけなくて無駄だから」 で終わりか。しかし、有効活用したいと思わなければこの理由は通用しない。 実際、メモリを有効活用する気がなく、仮に自動変数のサイズ制限がなかったら 私だって平気で固定配列を使うだろうからな。 自動変数のサイズ制限があるせいでグローバルに取らねばならなくなるが、 そうすると変数定義が使用開始点と離れる上に変数のスコープが 大きくなりすぎて気持ち悪いので、newしてしまうわけである。 別に有効活用したくてやってるわけではないことは多い。 しかし、離れて気持ち悪いとか、スコープが大きくて気持ち悪いとかいうのは、 かなり大きなプログラムを書くようになって経験を積まないとわからないことだ。 初心者に言うべき理由としては使いにくい。 とすれば、本来は「でかい自動変数が取れない」が根本の理由だということになる。 しかし、これは「スタック領域は固定サイズ」という実装上の理由により、 これまた初心者にはわかりにくい理由だ。 説明しにくい。説明するとしても、もうちょっと後だ。 「自動変数はでかいのはダメです」と言うだけでは 他の本と変わらん。「理由は後で説明するから今は納得しとけ」 も私は極力やりたくない。

あーでも、自動変数ででかい配列は作れない、ということは本のどこかでは 説明せねばならない。テスト用の配列をいちいちグローバルに置きに行く ケースはかなり初期から出てくる。 スタックが1MBあれば、25万要素の配列が作れる。しかし、これは ソートの実験をするには足りない。まして、昔のゲーム機のように 64Kですら惜しいみたいな環境だってまだあるだろう。 何でコンパイルされるかわからない以上、スタックサイズに前提は置けない。 32Kもあれば十分動くプログラムだけにしておかないと。 昔作ったゲームなんて8Kくらいまで削ってたしな。

とすると、やはりでかい自動変数を作れない事情も説明すべきか。 ひとまず納得できる短い説明をまず一章でやっておいて、 深い所は後回し、ということができるといいだろう。 まず利用効率の話をして、加えて、でかい配列が作れない現実を どうにか説明する。

2013年11月19日

1章が難しい。 1章の役割は、動的メモリ管理が何のためにあってどう使われるのかを 説明すること、動的メモリ管理を題材にすることを納得させること、 宣言と定義について説明すること、ポインタの扱いの基本とキャストを 説明してcharの配列さえあればどうにでもなることを納得させること。 だいたいこのへんだ。読者のコーディングレベルを どこに置くかが私の中でまだはっきりしてない。 さらに、動的メモリ管理以前に、メモリ管理とは何かをスッキリ説明できない。 そもそもメモリを管理するってどういうことだ? 私はそれを知っているが、体で知っているので言葉にならないのだ。

読者は配列は知っている。しかし、アドレスの概念は知らない。 当然配列変数が単にconstなポインタであることも知らない。 さらに、ポインタをキャストして好き放題できることも知らないし、 当然のことながらいろんな型の変数が一枚皮をはげば バイトの集まりにすぎないこともわかってない。 この辺を少なくとも理屈では理解させないといけない。 それが一章の役目だ。体で理解するには物量が必要で、それは この本全体が担うことだが、最初の理屈くらいは この章でスッキリした形でわかっておいてほしい。 さて、これをどうまとめる?技術的な問題じゃない方が難しい。

ダメだ。今日は書ける気がしない。小指のつっぱりや、エディタ代わりに 使っているVisualStudioの白い背景、そしてgoogle日本語入力の便利さが 気になって仕方ない。どん兵衛の臭いも気になる。二郎が食べたい。 これはだめだ。

2013年11月18日

やっぱり原始的な環境で学んだ人はすごい。 ただ、今から本当に原始的な環境で訓練するのは効率が悪い。 現代のハードウェア、現代のソフトウェア環境、 現代の規模、現代の人材資源、 といったものに適応できなければ、それまでだ。 そう考えると、仮想的に原始的な環境を用意して、短時間の訓練をするのが 落とし所としてはいいんだろう。 Sunabaもこっそりアセンブラテキストを食えるようにしておくか。

なんでできなくなってるのか思い出した。ちょっと面倒くさい。

4kBでプログラム作って、森田将棋のバックアップRAM に自作プログラムを入れて自作ロムカセットを作るとか、 そういう時代に生きてきた人はやっぱりすごいと思うな。 もっとも、同じ時代に生きていた人でもすごくない人はいるわけで、 結局は人間の問題なのだろうが、 若い人でもすごいと思う人は何かしら自作する訓練を楽しんでやっている 印象があり、自作が人を育てるという仮説はそんなに間違ってない気がする。 最悪なのは、自作して育ってきた人間が「今は自作する時代じゃないよ」 とか言うことだろう。

もっとも、単純に私が「自作出来る人」をすごいと思う人間であるだけで、 自作しないで利用することで成果を出す人を評価しない傾向があるのは確かだな。 この偏りはよくないが、この偏りが私に本を書かせているのだし、 まあいいだろ。

本当「アニキ」って感じだなあ。

レイトレで本読むとしたら何ですかね?と聞いたら physically based renderingという返事が帰ってきて安心した。 あれでいいんだ。ならこれまでの取り組みも、 これからやる予定の方向もそう間違ってない。 第2版買うべきだなあ。まあもう一冊書いた後だ。

初心者向けに本を書く私だが、自分で買うのは大抵一番ごつい奴だ。 ただし、「一冊で済ませたい」というのがその理由であり、 私が書く動機と矛盾するわけではない。 当たりとわかっているならもっと読みやすい本を買う。 とにかくハズレを引きたくない。

私が一人で本を書いている分には、 私は直接客に製品を届けられる。責任も成果も私のものだ。 それでいて金の心配をしなくていい。こんなに都合のいいことはない。

本当、ドラッカーの言うとおり、すべてがマネジメント次第だ。 技術なんてマネジメントなしでは何の値打ちもない。

会議が多い割に何も決まらず、さらには明らかに間違った決断がくだされるのは、 会議に出席させる人間を間違っているからだろうか。 たとえば、バグってもいいから要素を足して製品の魅力を上げる、 という選択はありうる。 しかし、バグることによる損害を決定者が適正に判断しているとは限らない。 決定者はまず技術者ではないので、適正な判断はほぼ不可能だ。 また、バグった時の責任をとる人間と決定者が一致していなければ、判断は必ず歪む。 ゲームのような知識産業においては、 うちらのような末端の技術者であってもその行動や言動が経営を左右しうる。 それが末端に至るまで専門家である今の世界だ。 技術的に不可能な決断をしてしまえば、いかに魅力的な製品でも完成しない。

実行可能な解決策がない問題は、問題ではない。 それは宇宙の法則と同じだ。従うほかない。 そういうものは放置してもっと意義のある仕事をすべきだ。

能力的に不可能なことでない限り、「できない」と言うな。「やらない」と言え。 「他に仕事があるから最適化やデバグはできない」と言うな。 「他の仕事を優先して最適化もデバグもしない」と言え。 自分の意思で選び、捨てたのだと言えないようで責任など果たせるか。 それが言えないなら何も捨てずにどうにかする案を出せ。

自分に対して言うべきことだ。他人に言っても意味はない。 まず私がそれを実行して示さなくてはいけない。 このまま行くと私が部下を持つ日は来ないだろうし、 下手すると人と協力して仕事をすることすらないかもしれんが、 それでもこれは自分に課すべきことだ。仕事に限らん。 「できない」は能力的な事情でしか使ってはいけない。 自分と他人を欺くことになる。

このごまかしは放置しておくと話が進まんのだ。 「できない」と言う人には 「それは優先度が低いからやらないって意味ですよね?」 と問い返さないといけない。 それに対して「いや、でも必要なんだよ」と言うならば、 「捨てずに両方やる方法を考えましょう」と話を進められる。 妥協するにしても、どこで妥協するかを前もって設計でき、 単に野放しになって終わるよりはかなりマシな着地点を見つけられるはずだ。 だが、「できない」で終わればそのチャンスは失われる。

今日は全然書けない。ポインタの説明から必要だと気づいた瞬間に 著しく萎えた。小指と薬指の間のつっぱりがどうにも不快だし。 この皮膚感覚がないのも針金抜いたら治るのかなあ。

小指と薬指あたりがこわばってるのは、手術で傷がついたところが 変な癒着をしてるせいかもしれんなあ。 入っている針金が邪魔をしている可能性も否定できない。

2013年11月14日

病院。小指が回ってることを伝えると、看護師に「ラジペン」と指示。 もちろんラジオペンチのことだ。 滅菌パッケージからラジオペンチが出てくる違和感ったらない。 それで針金の出てる部分をぐいぐいいじって、 角度があまり変化しないと見るや、「一本抜いちゃおう」となった。 数十秒かけてラジオペンチで針金がぐいぐい引っ張られ、抜かれた。 もちろん麻酔なんてない。痛いがそれ以上に、どれくらい痛くなるか わからないのが怖い。 その後指をねじられたが、すぐに場所を移動。 レントゲンを見ながらやれる部屋になった。 ラジオペンチで針金をぐいぐいいじりながら 内出血するくらい指をぐいぐいねじられて、 これが猛烈に痛い。「どうですかね」 「…なんぼかマシになったんじゃないですかね、固定もされてますし、 とりあえずこれくらいで…」 「まあ痛いしそう言いますよね。もうちょっとやっときましょう」。 ぐいぐい。みたいなやりとりを3回ほどして一応終了。 一本になると回転の自由度が上がるわけで、 痛さに耐えた甲斐あって、多少はマシになった。 すでにそこそこくっついているようだが、 まだ可塑性があるらしく、無理矢理ねじって形を変えられるようである。 先週できてればもっと楽だったんだろう。

終わった後、 「やっぱり、板の方が良かったんですかね?」と聞くと、 「針金だと固定甘いですし、まあそうかもしれませんね」。 最初に言えよ!こっちは骨がまともに戻る前提で傷が小さい方がいいと 言ってるわけで、元に戻らない可能性が高いなら板にしてたわ! まあ、針金2本で正しく固定できると思う方がおかしい、ということか。 次から回転しやすい部位を折ったら板にしてもうらうことにしよう。 しかし大きく切れば中のダメージも大きく、それによる悪影響も あるかもしれない。やってみないとわからないわけだ。

リハビリについても「動かせるところは動かしてください」 とは言われていたが、痛みを我慢してでも動かすレベルとは思わなかったので、 MP関節、つまり一番根本の指関節(げんこつのところ)はあまり 動かさなかったのだが、これがマズかった。 かなり固まっており、小指は135度くらいから曲がらない。 左で見てみると60か70度くらいまでは行くわけで、 あと60度くらいは曲がるようにせねばならないわけだ。 痛くてもやれということであれば、覚悟が決まる。 というわけで、今日は病院の後ずっと動かしていた。

そしてやりすぎた。ぎびん(滝沢千円氏)に 「やってる間痛いが、やめたら痛くないくらい」と後から教えてもらったのだが、 今日やってたのはそんなレベルではない。 今も何もしてないがかなり痛い。その甲斐あって左手で曲げれば120-110 度くらいまで曲がるようになったのだが、やりすぎることで 何か良からぬことがあったら嫌だなと思う。 しかし、来週の木曜までに右手が自力で90度まで曲げられるくらいまでは 回復させておきたいので、まあちょっとがんばってみよう。 なお、拮抗する手の甲の筋肉もかなり痛くて、 こいつも短い状態でこわばっていたことがよくわかる。 ストレッチが必要だ。

10日かそこらで関節ががっつり固まるというのはなんでなんだろうな。 そもそも、関節に何が起こってるんだろうな。 コラーゲン繊維とかでどんどん固められていくのか。 そうだとすればリハビリはその余計な組織をこわす作業ということになる。

リハビリについては情報があまり出てない。 理屈がわからない。自力で動かすのと、受動的に動かされるのの どちらがいいのか。開始時期はどうか。一日どれくらいやるべきか。 どれくらい痛くすればいいのか。 温度はどうか。そのへんの疑問に理屈つきで答えてくれるものがない。 バラバラだ。 医学書はべらぼうに高い上に図書館にないしな。

2013年11月13日

小指がまわっていて薬指に干渉する。 クロスフィンガーというやつだ。 これを避けるために手術したはずだが、完全には除けないものなのかもしれない。 正直治ってもらわないと困る。もう一度手術してでも治してもらわないと、 ピアノは弾けない。まあ弾けないとなれば完全にあきらめるだけだが。

最近遊ぶということがどういうことかよくわからない。 したいこととすべきことの区別がよくわからない。 だが、まどかは見に行く。

XCodeとVisualStudioで、クラスのコピーコンストラクタにexplicitを つけていいかどうかが違うことがある。explicitがあると XCodeで通らない。mapに入れるところでエラーになる。 なので現状#ifdefだ。自作mapに入れかえるか。これだから嫌なんだ。 「STL使わないとかバカだろ」と言う人は、 このコンパイラやライブラリの実装依存っぷりを知ってて言ってるんだろうな? まあ私が何か間違ってるのかもしれんが、explicitつけちゃダメ なんてことはないだろう。1引数のコンストラクタはexplicitなしだと 何が起こるかわからない。私は基本全てつけておくようにしている。 後から外すことはあまりない。暗黙変換は危険すぎる。

10万冊売ってみたいものだ。金は会社に行くのでどうでもいいが、 それくらい売れる人間になった時に何が起こるのかを知りたい。 もっとも、本を書いたり、cedecで講演したりしても 大して変化はなかったわけで、やっぱり大して変わらないのかもしれない。 あるいは、変わっていることに気づいていないだけかもしれないが。

会社をやめさせやすいのは、全然役に立たない人ではなく、 そこそこできて転職しやすい人の方ではなかろうか。 人をやめさせるべく圧力をかけられた管理者が どの部下をやめさせようとするかと考えてみれば、 良心の呵責が少なくてすむ転職しやすい人になりはしないか。 転職できるだけの能力を持った人の方が辞めることに抵抗が少ないだろう。 また、仕事がつまらない、というだけで辞めてくれるかもしれず、 積極的な手を取らずに済むかもしれない。 会社のことを考えればできない人をやめさせるべきだが、 大きな会社は人間を適した場所に再配置する機能が衰えていることが多く 有能な人材を活かせるとも限らないし、 人をクビにしろなどと命令されている段階で その管理職も「どうせ上は数しか問題にしていない」 と考えて不思議はない。

会社が人をやめさせねばならない状況に追い込まれることが どれほど深刻なことかということだな。 余剰人員を減らそうとすれば、かなりの確率で 有用な人材を手放すことになるのではなかろうか。 人が減る事自体のプラスの影響がその悪影響に勝ればいいが、 どうなるかはわからない。人を増やすことに慎重な企業は そのへんをよくわかっているのだろう。

そのように考えると、技術があれば安泰、という発想は根拠が弱いと言うべきだ。 私なんていつクビになってもおかしくないと思う。 危機感を持って生きよう。

ひつじこの協力もあって、まどかマギカを見てきた。 「え、これ、どうすんの?」と5回くらい思った。 あと、ドラゴンボールガンカタ。 洒落た悪意と悪い冗談を愛でまとめあげた素晴らしい出来だった。 これで明日からがんばれる。 編集さんからも「この路線で」と言われたことだし。 右手も指が3本も使えるしな。

にしても、賢いよなあ。制約条件を満たしつつ、それを利用して まとめあげるこの手腕にはあこがれる。fate/zeroもそうだったし、 これまでのどの作品も「何々風」みたいなのが制約というか縛りに なっていたと考えれば同じ構造だ。 「トレードオフを超越するものこそが本当のアイディア」 と誰かが言っていたが、本当そうだなと思う。 制約は満たすだけではダメだ。その制約がプラスに化けるような 何かを盛り込みたい。

ゲームにおける制約と言えば、時間と人と金がまず出てくる。 これらをプラスに転化する方法は、基本的には選択と集中だ。 制約が厳しいからこそ土俵をどこにするかを真剣に考えねばならない。 そしてそこで間違えなければ、より金と人と時間に恵まれつつも 土俵を間違えた作品に勝てる。

みな分析は得意だ。何が問題なのかを驚くほど正確に洞察する。 だが、現状は一向に好転しない。行動しないからだ。 しかし悲しいことに、行動しないことの正当な理由もまた 正確に洞察されている。なるほどそれでは変わらない。 物事を変えるためには、会社にいられなくなってもいいという覚悟と、 会社に居続けて変革を継続するための周到さを両立させねばならない。 敵を作ることも厭わない大胆さと、敵を作らずに立ち回る慎重さもまた 両立させねばならない。ではそこで私がすべきことは何か。

本を書こう。確実性と費用対効果と個人的事情の全てにおいて これが最良の選択肢だ。

2013年11月12日

Sunabaのコードをutf8化。デバグ用出力テキストファイルをutf16leに変更。 sjisからunicodeへの変換関数を自作に置換。 機種非依存になったのでOsからUtilityに移動。 ネットワーク関連を完全に削除。 VMの変更と事前デコードにより1.5倍高速化。 というあたりのことをやっておいた。 これで中身を見る人にもだいぶ優しいはずだし、移植も楽だろう。 XCodeとのコード共有もやりやすい。 「試験中」フォルダの方に入れておいた。 普通に使う人にとっては意味がない更新なので、 念のため置き換えずにおく。

まどか見に行こう。明日か、明後日か。

片手がふさがった状態ではドアを開けられないため、 ドアの向こうにある給湯室でコップに茶を入れることはできない。 ペットボトルの飲料しか飲めない。だが、ペットボトルを開けるのも一苦労である。 そして今日はなぜか財布から小銭が消えており、1000円札もないので、 それも不可能。一体どうやって小銭が消えたのか。 仕方ないので、ドアの外で水を飲んで、空にしてから帰ってくることにした。 空ならコップを袋に入れるなどの手段が取れる。

リンクに10分かかるとかいう状況を放置して開発を 続けるのはとてつもない損失だと思うのだが、是正されない。 GPUリソースのCPU書き換えは細心の注意を払って設計しないと 処理がブロックして速度がガタ落ちするわけだが、 あまり気を使う人がいない。そんな危険な所はライブラリの深層で 面倒を見てやるべきだが、考えが及ばないし、後で発覚した時には もう中をいじる危険を冒せない状況だったりする。 戻り値でstd::stringを返すなんてのは、相当に悪い作りのはずだが、 気にする人は少ない。 ビルド環境が特殊すぎてチームの外でビルドできない状態をよく見るが、 外部の協力者による検査や修正が難しくなり終盤に多大なリスクをもたらす。 しかしあまり気にしない。 こういう地味な所をきちんとしておかないと、 本当に挑戦すべきところで挑戦する余力が残らない。 しかし、そういうことがちゃんとされるかどうかは技術力では決まらない。 そういうことに気がつく人間がいればいいというものでもない。 必要なのは、「いい空気」とでも 言うべき曖昧な何かだ。曖昧なのでどうすれば手に入るのかわからない。

目の前に困っている人がいる。しかし、目の前以外にも困っている人はたくさんいる。 私にどちらかを助ける能力があるとしたら、どちらを助けるべきだろうか。 目の前の人が助けを求めておらず、それどころか困っていることを 自覚していないとしたらどうだろうか。

2013年11月11日

amazonが「18点在庫あり」とかになると、減ってないか頻繁に見てしまうなあ。

STL嫌いと思われている私だが、Sunabaの中はSTLがいっぱいだ。 使う利点が大きければ使うのである。まあ嫌いなんだが。 多機種で動きうるプログラムで 環境によってコードが違うライブラリを使うのは 根本的に不安になる。機種をまたいでも全く同じコードだ とわかっているならまだ許せるんだが、 STLみたいなものは当然実装依存だ。

Sunabaをwebで動かすものを作ってる人を見つけた。 基本何もしないけど、心の中で応援しよう。 うまく行けばmacが最後の移植になるだろう。

弱虫ペダルを2まで見た。漫画の方がテンポいいんじゃないかなあ。 アニメはどうにも遅い。

前書きを書き直した。編集さんの意見聞いて、 この路線かなと思えたら一気に書く。 だがその前にまどかを見に行きたい。

2013年11月10日

Sunabaは全ソースコード入りです。 SunabaCliWrapperプロジェクトがSunaba.dllを作るためのものです。 cppがほとんどなく、incディレクトリ以下でヘッダ実装してるために ソースが隠蔽されてるように見えますが。 私、最近はほとんどcppファイルを作らないんですよ。 コンパイル速いし管理も楽なので。

あと、元々は全部tcp/ipで通信するつもりでしたが、途中から面倒くさくなって 関数引数で直渡しするケースが混ざってます。 さらに、tcp/ipでバグっても嫌なので、現在のバージョンは ローカルホスト専用のダミーで通信してます。 Socket.cppの中はソケットのフリをしたただのリングバッファです。 ソースいじる人には本当申しわけないくらい適当です。

全画面書き換えでカラーキーとか入ってくるとまず速度が足りないと思います。 Sunabaの実行速度が足りないせいです。 抜くものと抜かないものを分ける、8x8程度なら内側ループを展開しておく、 などの工夫は必須になります。 現状若干の命令セット変更と事前デコードで1.5倍までは目処が立ってますが、 そこから上は最適化コンパイラ、レジスタマシン化、JITにx86ネイティブコード変換 などの修羅の道が待っているので、たぶんやりません。

というわけで、手元のコードでは命令セットが変わってます。 retが即値を取ってpopを兼ねるようになり、関数コールごとに1命令減ります。

神社で七五三。ちゃんと祈ってもらえた。そして餅をもらってきた。 捨てられないのでおでんの汁に入れて食べた。おいしい。 だが、耐え難い眠気と胃の不快感と口の中のすっぱさに襲われて 辛い。あともらったポッキーが信じられないほど甘かった。 こんなに甘かったのか。

とか言いつつ今日はひつじこがチョコアイスを作る。 カカオマス多めでミニストップの奴くらいの苦味があるが、 オタマはカカオマスをそのまま平気で食えるすごい子なので、 おいしく食べた。レシピはひつじこが書くだろう。 甘味はエリスリトールなので、血糖値は上がらず口がすっぱくもならない。 甘味料の中では味も自然でおすすめである。人口甘味料でなく自然にあるのもいい。 ただし、お高いので注意。もっとも糖質制限をしてると あからさまな菓子でない限り甘味なんていらないので、 問題になるほど消費量は大きくない。

2013年11月09日

まどかの劇場版を見ている。良くできている。 合理的すぎる。合理的な世界のひどさだ。 理不尽の方がよほど救いだ。そしてひつじこには見せられん。無理だ。 あの電車のクズ台詞とかもあるし、とても無理だ。 ひつじこは単に不快になるだろう。精神負荷が高いというよりは、 ただ不快になるだろう。

動画アプリは再生位置スライダーだけでなく早送りボタンも用意してくれ。 CM飛ばしが困難で困る。 まさかCMを飛ばされたくないからついてないんじゃあるまいな。

QBの正体と目的が目を覆わんばかりに馬鹿馬鹿しいのを 叩く人がいるのは理解できんな。 しかし、このシャレた悪意を耐え難いというのはまっとうな神経だと思うし、 笑うよりは怒る方が健康的か。

でも、ちゃんと感動的だぞ?いろんなところで。 まあその直後は必ずひどいが。

見終えた。ひどい。すごいが。新しい映画見たいなあ。

久しぶりに投資状況を確認。ここのところ出費が激しいのもあって、 このペースでは変換速度に投入が間に合わない。 PCとiPadを買うのは控えよう。それと信託報酬が高いやつを売るか。

2013年11月08日

誕生日おめでとう弟。何もしないが、遊びにきたら肉くらい食わせるよ。

家での作業用に低いテーブルを買った。ニトリ通販。999円ってすごいな。 これと座椅子の組み合わせで行く。学生の時はそれだった。 まともな机とまともな椅子を買うのは 家で大半の作業をやるような状況になってからでいい。邪魔だし、20万くらい 覚悟しないといけなくなる。

打ち合わせでコンセプトがまた変わった。これなら行けるかなあ。 とりあえず、私が盛り込みたい内容と、編集さんが狙いたい客層と、 客から見た時の題名と内容のマッチ感みたいなものの全てで折り合いがつく ように見える。malloc本は狭すぎ、アルゴリズム本も届けたい人に届かない。 プログラムの性能と言うと、漠然とする上に、そもそも速くしたいと 思っていなければそれまでだ。だが今回のコンセプトなら そういった問題がない。直球すぎて盲点だった。 つまり、「訓練」と言ってしまうのである。 「これをやればおまえのレベルは上がる。だから信じてやれ」 というわけだ。具体的なスキルでなければ目標にならないという 思いがあったが、「プロとして恥かしくないコーディング力を貴様にやろう。 そのための題材はmallocでありアルゴリズムだが、 それは貴様を最も効率良く鍛える題材だからで、それ自体はどうでもいい」 と素直に言ってしまうのもアリな気がしてきた。 アームカールやスクワットに意味はないからな。 それでもやるのは、それで筋肉がつく確信があるからだ。 アルゴリズムもmallocもアームカールよりはマシだろう。 一応それ自体で使えるからな。

実際、アルゴリズムを覚えればいいというものではないし、 mallocなんて書けても無価値だし、速けりゃいいというものでもない。 さまざまな要素のバランスを取りつつ、 必要な要件を満たすプログラムをゼロから組み上げていく能力を 鍛えてほしい、という私の狙いを、そのまま言ってしまおうということだ。 なので、また前書きを書き直す。「訓練」を売ろう。 そして、売れる訓練であるためには、その訓練の果てに手にする 「鍛えた自分」が魅力的である必要があるし、 訓練が必要であること、つまり今の自分に不足があることを納得してもらう 必要もある。そういう前書きを書けばいい。

まあこれはこれで漠然とする危険はあるが、 「で、何ができるようになんの?」と聞かれたら、 「ゼロからいろんなアルゴリズムでmallocが作れるくらいのコード力」と言えば そう悪くはない気もする。アルゴリズム本では5000で終わりだからな。 5000では話にならん。編集さんによれば5000でも売れる方らしいが、 下を見ても意味がない。

まあ書いてみてからまた判断しよう。何度だって書き直せばいい。

アルゴリズム、CG、C/C++入門、関数型プログラミング入門、 プログラミングを利用した数学物理学習、というあたり で本を書けないかなあと思っている。後ろ二つは妄想段階。 そもそも私に書けるか技術的な面からしてわからない。 haskellとかlispの解説サイト見ても何言ってるかわからん人間が 何言ってんだと思わなくもないが、やるとなればやれるだろ。 「関数型Sunaba」的な言語を作ってみてから考える。 作ってみないとよくわからん。

つうかschemeでプログラミング入門とか無理もいいところだろう。 一部の才能あふれる奴以外お断わりだ。 せめてconsとcarとcdrをどうにかして、 グラフィクスの機能を内包してからにすべきだ。 傲慢であることを承知で言うが、私が読む気にならないようなものを 普通の高校生にやらせようとするのは無茶だ。R言語はいいらしいが、 まだよく調べてない。

CGはどうやっても売れないだろう。工夫にも限度がある。なにせCGだ。 しかし、「その本があることでCGをやってみたくなるような本」 ができれば、可能性はある。どんなに良く書けたとしても、 「CGをやる人が買う本」であれば5000冊で終わりだ。 CGに興味がない人でも魅力的に感じるような 到達点を示しつつ、CGに興味がない人でもやれる気になるほど 前提条件を下げる、という離れ技が必要になるな。 どんな絵が出たらうれしいか。どこまで数学を避けて説明できるか。 避けられなくなった時にどれほど良い説明ができるか。 そのあたりだなあ。数学はおおよそ避けられる気はしている。 積分記号を出さずにモンテカルロなレイトレを実装できるところまで 連れていくのは、たぶんそう難しくない。 離散的な世界から出ないのは理論的な広がりで言えば不利だが、 それでも動くものは作れる。そこまでに集中するのはアリだ。

2013年11月07日

Sunabaページ直さんと。このままじゃアカン。

記事になってた学校開設の発表動画をちょっと見たが、 猛烈に誉められててびっくりした。 てっきり言語だけ使って本は紹介するだけかと思ったが、 本も使ってくれるらしい。

ただ、授業かあ。結構大変だろうなあ。少なくともあの本は自習用であり、 授業時間と目標到達度次第ではあのまま使うのは得策ではないだろう。 例えば来年も九州大学で授業をやるのであれば、 私はあれを紹介はするが授業では使わない。自習用のテキストも別に用意する。 たかだか15時間程度しかない演習である以上、 テトリスは無理だ。また、一応プログラミングの経験があるはずの奴等なので、 不必要なプライドがあることがある。そこで、 本と違って仕様を全部伝えて、「さあ作れ」 といって途方に暮れさせる儀式をやる必要がある。 自分がコピペ改変しかしていなかったことを理解させるためだ。 他にも留学生がいることもあるので使うのが英語風文法だったりと、 形式に応じてアレンジしないといけない。 理解度のばらつきをどう扱うかも課題だ。 できる奴には挑戦的な課題を臨機応変に出す必要があるし、 他の言語でも活きるような形でSunabaを使わないと満足しない。 そしてできない奴は想像を超えたところでつまづくので、 ビビらずに対応し、教え方を修正せねばならない。 あの本で対応できないつまづき方はいくらでもあるだろう。

2013年11月06日

Sunabaページがやっつけすぎてやばい。 本を買った人用にダウンロードページがあればいいとしか思ってなかったが、 それ以外の人の目に触れる可能性が出てきた。 とりあえず早見をzipから出して置いておこう。

アルゴリズム本を、速いプログラム本に変えた。 扱う技術にあまり差はないが、 客が異なる。コンセプトが異なる。よって、盛りつけが変わるし、 調味も量も変わる。さしあたって、前書きは完全に書きなおした。

アルゴリズム本は、アルゴリズムを学ぶ気のある人にしか 届かない。しかし、速いプログラム本であれば、 アルゴリズムがそのための手段だと知らない人にも届きうる。 しかし、この変更によって、アルゴリズム本を明確に欲している人 を遠ざける危険をおかすことになる。なんの本かがぼやけるからだ。 テトリス本も「ゲームプログラミング入門」から 「プログラミング入門」に対象を広げてぼやけさせる戦略をとったが、 今の所成功したとはいえない。「誰が買う本かわからん」との評を 複数から頂いた。

しかし、アルゴリズム本市場が狭すぎて目的を達成できないのであれば そこに製品を投入するのは無理である。 危険を犯してでも市場をひろげなくてはならない。 1年で1万は最低ラインだ。最終的には2万必要である。 達成できなければ無意味であり、 企画段階では9000は0と同じと考えねばならない。 売った後では0より9000の方がずっといいが、それはそれである。

まず、なぜプログラムを速くする必要があるのか、というところ から納得してもらわねばならない。 その上で、その手段としてアルゴリズムを学ぶことを納得してもらわねばならない。 これを、前書きのせいぜい3ページで実現できなければ負けである。 並べ方も、到達点も、雑談のはさみ方も、文体も、 単なるアルゴリズム本だった頃とは違うものが要求される。 説明がすぐれているだけではだめで、 なぜそれを学ぶのかを耐えず納得し続けてもらう必要があるし、 実際の仕事の中でどう活かすのかといった技術以外の内容の 比重も高めねばならない。なので、書いた500ページは完全に書き直しになる。 織り込み済みだが。

でもまあ、その方が私の能力は生きるか。説明の質一辺倒だと とにかく苦しいし、遊びがなく窮屈な本になる。テトリス本も もう少し笑いを入れられたらよかったのかもしれない。 しかし、あれを書いている時は説明の質だけで頭がいっぱいいっぱいだったのだ。 それ以外のことに労力を割いて説明の質を落とすようなことは 許せなかったのである。主旨からいって、それは間違っていなかったように思う。 それでページが増えると値段もあがっただろうし。

テトリス本がネット通販で売れ切れ状態だ。 増刷は来週判定するそうである。 増刷した分だけ売れると思われなければ増刷はされない。 されるといいなあ。

リストラを待つ人扱いなんじゃないかと本気で怖い今日この頃だが、 それならそれでいい気もしてきた。すべきと思うことを全力でやる。 どうにかなるだろう。どうにかするのだ。

キルラキルは絵はすごい。しかし、私は島本はそんなに好きではなく、 島本に似たものはなおのこと好きになれない。

2013年11月04日

ログ・ホライズン見てるが、アカツキの人、言葉の意味わかってなくないか。 なんか変な気が。

メールの処理で夜中。 手が治るまで治癒速度を上げるべく 糖質断ちの強度を上げることにしたのだが、 コンビニで買えるものはほとんどない状況。 片手で食えるという条件までつくので、 もう無理。 家からちゃんと運んでこないとダメだ。 しかし、夜ともなると準備が容易じゃなかったりもする。

もちろん、糖質制限で早まるという確証はない。 願掛けみたいなもんだ。

睡眠不足も治癒を遅らせる気がするな。 でも今日は仕方ない。 入院で放置状態だったメールが多数あった。

文章書くのがしんどい。左手一本だからな。 日記を書くのすらしんどい。 せめてギプスが取れれば右手の指2,3本は 使えるようになるだろうが、それまでは厳密に左手だけだ。

片手で缶詰は食べられないことを学んだ。 中途半端に開けられたのがまずかった。 どうにか食べたが、一歩間違えば 中身をぶちまけていただろう。 もうやらん。

何として売るか。客は誰か。客は何として買うか。 客は何に金を払うか。そのへんだよなあ。 私の本は、客が読者とは限らんのだと思う。 客を読者だけと考えると取れる戦略が狭まりすぎる。 私の目的は必ずしも読者本人が望むものを売ることではないからだ。 学習塾や学校と似た性質がある。 それらは親を同時に客として考えている。 購入を決めるのは誰か、ということも考えないわけにはいかない。 放っておいても勉強する奴は既存の本で足りているのだ。 そういう人にとっても価値のあるものを作るつもりだし、 そうしてきたつもりだが、そこはメインではない。 自発的に選んで学んだ人にこそ最大の効果を及ぼすはずだが、 そうであってもなおメインの客ではない。 この本を愛してくれず、感想を書くこともない、 そういう普通の人に向けて書かないといけない。 そういう人に読ませようと思うからこそ堕落した態度では書けないのだ。

2013年11月01日

かえってきた。

skkかつviは苦痛。片手では無理。 Sunabaページを更新したが、恐ろしく苦行だった。


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