だだもれ

2013年03月31日

ひつじこ実家。プラス墓参り。 いろいろあってひつじこの兄弟が揃っていたので良かったが、 オタマの暴虐っぷりが激しく、いとこには申しわけなかった。

2013年03月30日

日本版ISAって何だろ。100万が5年非課税、というのが10回あるっぽいが、 それそんなにおいしいか? リターン5%として、100万が105万になる。税率20%なら1万持っていかれる。 10回で10万だ。減税10万円分と考えると、大したことじゃないよなあ。 もっとすごい額もうけるなら別だが。 でもまあ口座作ってみるか。

2013年03月29日

ひつじこが悔しさと怒りで泣いている。 過去周囲の人がカルトに人生を破壊されていった経験をたくさん持っているからだ。 ママ友が比較的新しい宗教の人だったわけだが、それで過去の記憶が蘇えったらしい。 同僚が入信して生徒にまで布教を行うようになって、 それでクビになった、みたいなこともあったそうだ。 すげえな。全然知り合いにいないのでどんなもんか知らなかったが、 カルトってあるんだなあ。 仏教もあんまりいい印象はないが、連中は勧誘はしないので とりあえず無害。一方私の中でキリスト教の評価は高い。 私が知る限り、信者の本気度は最強だ。 ラベル先生は「イエスは一人のユダヤ人の男。死んだ後にキリストになった」 と言った。こういう発言をできる宗教者が他の宗教にそれほどゴロゴロ しているとは思えん。まあキリスト教信者の中にもゴロゴロ しているわけではないのだろうが。 つうか、あの人教会組織の中でのランクはそれほど高いわけじゃないんだよな。 一人の修道士にすぎない。それがすごい。

カルトな組織に入る人は、別に信心深いとかじゃなくて、 単に居場所が欲しいだけなんじゃないのか。 金出したり布教したりしてるのも、 コミュニティにおける序列を高めたいとか、承認されたいとか、 そういうことで、神なんてどうでもいいんじゃねえの? 神と自分の関係とか、自分にとっての神とか、 とても真面目に考えているとは思えない。 本当に真面目であればコミュニティで変な競争とか人間関係をやってないで、 もっと神に向き合うだろう。

人類はサイコパス化した猿なのか。 大抵の人は本当にサイコパスと呼ばれる人に比べれば穏かなものだが、 それでも人類以外の動物と比べれば十分にサイコパスである、 ということになるのかもしれない。「天才と分裂病の進化論」 はすごく面白い本である。歩いてる間しか読めないんだが。

アラキドン酸を食べすぎると炎症起こりまくって厄介ということで うちでは避けているのだが、分裂病の人はこれが足りてないらしい。 発熱したりしてアラキドン酸が活発に出るようになると 症状が収まるのだそうだ。 ちなみにアラキドン酸はリノール酸から作られる。 植物油は大抵リノール酸なので、 揚げ物の類を食べすぎているとアラキドン酸まみれになるらしい。 現代人に慢性炎症が多いのはそのためだという説がある。 本当かどうかは知らない。

古代の人類はそれほど飽和脂肪酸を食べられなかったため、 昔はサイコパスもそれほど激しくなかった。しかし、 水辺から離れて濃厚と牧畜で生活するようになった結果、 オメガ3油が不足してサイコパス度が上がっていき、 それが芸術や科学、文化の発展を加速するとともに 暴力的傾向を強めていった。そういう仮説。 現代でもサイコパス度が高い人は先進国に多く、 それは飽和脂肪酸と必須脂肪酸の比率に相関があるらしい。 このへんはデータ次第で一瞬でくつがえるので鵜呑みにはできない。 しかし、脳や骨髄の脂肪は必須脂肪酸比率が高く、 食べるなり作るなりしないとそれらの発育が滞るのは間違いない。 そういう意味では、肉食いすぎってのは良くないのかもしれん。 ちょっとバランス考え直すか。肉買いすぎ。

魚をたくさん食うことでおだやかな性格になりやすいのだとすれば、 それは一緒にとがった才能を抑えこむことにもなるんだろう。 それはそれで人間の面白いところが失われるわけで迷いどころかもしれない。 でもまあ、昔のノルウェー人の暴虐っぷりとかを考えるに、 魚食ってるくらいで攻撃抑制がかかるとも思えんがなあ。 魚を良く食べていたであろう日本人だって一旦牙を剥けば すごいことになっていたわけだし。

私のサイコパス度は並より高いんだろうなあ。人情を解さない。 オタマはそれを受け継ぐのだろうか。 やっぱり魚たくさん食べさせよう。

Unity(及び、それみたいなもの) が当たりまえになるとして、その状況で給料をもらうためにどうするか。 Unityに適応するというのは下策だ。 需要が多くても、それ以上に供給が多かろう。 また、今持つ優位をドブに捨てる前に、それを活かす方法がないか 検討する価値はある。むろん、古いやり方にしがみつくことに なりやすいので注意は必要で、 一旦ドブに捨てる気で新しいことをしてみたら、 不思議と古い経験を活かせる、ということはよくある。 ただしそれも、本気になれるならだ。 私がUnityに本気になれなければそれは望めない。

Unity(みたいなもの)を作る側になる、というのは一つの選択肢ではあるのだろう。 しかし、そこはそこで狭き門だ。その路線も高確率で失敗する。 やっぱ別の道だろうなあ。

イコサペンタエン酸を食えと言われれば、魚しかない。 問題は、魚は長時間煮込めないことだ。酸化する。 どんと作って保存するようなことができない。 そうなると、焼き魚と、味噌汁ということになる。 煮魚は酒が必要で、酒はたぶんもう補充しないから無理だ。 ポーチはおいしいが、汁は何かしらの方法で飲むわけで、 だったら味噌汁でいいじゃんということになる。

やり方を教えるんじゃなくて、やり方を思いつく方法を教える、 というコンセプトで書いてるわけだが、 3章で早くもそれに違反してる箇所がある。直さなきゃ...眠い。

findの使い方を今更理解した。 でもこれ、熟練しすぎちゃダメだ。 -pruneとか-execとか使い始めるとえらいことになる。 まあ使ってるんだが。 一歩間違うとプログラミング言語だなfind。

特定のディレクトリを除いて、cppとhの行数を測って大きい順に並べてファイルに 書き出す、みたいなスクリプトを1行で書いたわけだが、これ皆に 習得させようってのは無茶な話だよなあ。

wc $(find ./ -name "externalLib" -prune -name "*.cpp" -o -name "*.h" )
|sort -nr |unix2dos > codeAmount.txt

こんな感じ?-pruneはアクションなので、前がFALSEの時は式をTRUEに変えて 次の項の評価に進む、という理解でいいんだよな? そうでなかったら-pruneの前がFALSEの時にそれで終わってしまうことになる。

2013年03月28日

キプロスおもろい。さんざん腐敗して、ザルな法律で ロシア人の預金を集めた末に、ギリシャのあおりを食って破綻した。 EUに助けてといったら、「ちょっとは努力しろ」と言われ、 臨時に増税しないといけない。 預金の一部を税金として取るしか手がないのだが、 金持ちの税率を上げると、お得意さまのロシア人に損害を与えることになる。 普通の人から取ると言えば、預金の取り付け騒ぎになる上に、 支援するドイツは、「オレらの金をロシア人助けるのに使うのかよ!」 となって怒る。詰んでる。

ユーロってやっぱ無理なんだろう。ユーロがバラバラになるのが先か、 南欧が十分に過疎るのが先かという話だったんだろうが、 過疎るにはまだ時間がかかりそうだ。 それまではドイツが養ってやるしかない。

ギリシャみたいなのがユーロの足をひっぱるおかげでユーロは安くなり、 それでドイツ人は輸出でもうけられる。 言うならば、味方がだらしないせいでもうけられるわけだ。 しかし、そのだらしない味方を助けてやる義務も負う。 そして普通の人にしてみればユーロ安の恩恵を直接感じることもないわけで、 だらしない味方を養うことの腹立たしさだけを感じるだろう。 それがドイツで多数派であれば、もうユーロなんて嫌じゃ、 という話にもなりかねない。本当おもしろい。 日本ですら東京で集めた金を島根につっこむことに拒否感が出てきているわけで、 まして違う言葉を話してる外国となれば相当だろうな。

スキャナ。結局フラットベッドのCanoScanLiDE210なのか。 一部のスピーカーみたいに、 バッテリー積んでヒマな時に溜めておくことでUSBバスパワーでも CCDを駆動できる、みたいな素敵な機械は作れないのかなあ。 それくらいのバッテリーならもう安いんじゃないのか。 しかし、画質差が十分にあるならGT-S640にすべきな気もしてくる。

GT-S640はCCDでありつつ画質が良くないらしい。しかも遅いとか。 GT-X820まで行かないとCCDの良さが出てこないという意見がある。 しかしそうなると2万超。しかもぶ厚くて重い。 やはりcanoscanLiDE210か。

canoscanは前も持ってて、使い勝手は良く知っている。 ソフトはかなりダメだった。しかし、エプソンのがそれよりマシという保証は どこにもない。なんでPCの周辺機器のソフトはああなのかと 毎度思うわけだ。何か買う度にオレに作らせろと叫ぶことになる。 しかし、単体スキャナの選択肢はもはやほとんどない。

ストックオプションとか言うが、 基本そういうものに乗ってはいけないと私は思っている。 給料をもらう会社の株を買うのは、 一つのカゴに卵を全部入れるな、という原則に反している。

そもそも、ストックオプションで株もってるからといって、 株価が上がるようにがんばる動機になるのか。 どうもその制度そのものの有効性が信じられない。 あれって、ベンチャーが現金なしで人を集めるための テクニックじゃないのか?

資産が3割増になっている。今くらいの円安だとプラスだな。 まして今なら物価はさして上がってない。 今物を買いまくればお得ということになる。 今年出産するのはその意味ではお得だな。

これからもらえる給料を資産としてカウントすれば、 今の資産の3割なんて誤差みたいなもんだ。浮かれるには値しない。 ストックなんて大した価値はなく、問題はフローなのだ。 普通の人はどんなに蓄えても、遊んで暮らせるほどにはならない。

一票の格差問題もユーロと似ている気がする。構造は同じか。

東京には鳥取の20倍の人間がいる。ならば国会議員の数も1/20でいいと言えるか。 これは、「人は対等である」という建前と、「自治体は対等である」 という建前のどちらを選ぶかという問題だ。 人が対等であるならば、鳥取は1/20の力しか持つべきではない。 そうでなければ鳥取の人は強い力を持つことになる。 自治体が対等であるとするならば、人口の多少に影響されるべきではないから、 極端に言えば東京と同じ数の議員がいて然るべきだという事にもなる。 現実には、人は対等ではないし、自治体も対等ではないわけで、 どちらも建前にすぎない。どの建前を採用することが都合がいいか、 という話でしかない。現実は、その間のどこかで妥協することになる。 それに、票の価値が小さいのが嫌ならば、 鳥取に住めばいいのである。そうしないのであれば、 票の価値の格差なんてどうでもいいと言っているに等しい。

憲法に書いてあると言うが、 憲法なんて解釈次第でどうにでもなることは自衛隊の存在が証明している。 どれくらいを超えたら平等でないのかは匙加減にすぎない。 というか、この国が本気で憲法を大切にしているのであれば、 もう何度となく改正されているはずだ。 変わってないってことはメンテされてないってことだろう。 書いた奴がいなくなって誰も中身を見てないプログラムと似たようなものである。 それでも「動いているものは触るな」と言うことで触らずに来たわけだ。 それはメンテしているとは言わないし、大切にしているとも言えない。

私は憲法をどうするかを議論することには賛成だ。 今新しく作るとしても今の憲法になるか? と考えて議論してほしいと思う。それで今の形になるなら、良く出来た憲法 だということになる。

どこかの県が52万人を切ったら、参議院議員が一人いるだけで 県民が過大な参政権を持つことになる。 参議院議員は半分づつ選挙するので、 実質的には104万人を切ったところで、選挙ごとに一人選ぶだけで過大になる。 つまり、すでにして56万人の鳥取なんかは過大な状況にある。 参議院における格差を是正するには、 隣の県と合わせて一つの選挙区にするくらいのことをするしかない。 まさか参議院の定数を増やすわけにも行かないだろうし。 あるいは半分づつ交代するという制度をやめるとか、 そもそも参議院をやめるとかしてもいい。 いっそ県ごと合併しちまえよということにもなる。

オタマはひらがなを10個くらいは読めている。 絵本読んでる時に「ここ読んで」と私が言うと、結構読める。 ただし機嫌がいい時に限るが。 オタマは答えたくない質問や要求をされると「ちがう」と言う。 「これ、なんて読むの?」「ちがう!」。

本当に今年の後半に出るPCは、スリープで一週間放置できるのか? 本当にそうなるなら即買うな。 しかし、液晶がついてる状況での駆動時間はそうそう増えないだろうし、 それは期待できないだろう。 無線と液晶は動きっぱなしになるわけで、CPUとGPUがいくら減っても限度がある。 せいぜい倍がと考えると、3時間が6時間になる程度だ。 その程度ではなあ。

キンダベートを買いに近くの薬局に行ったが、店員が1分以上携帯電話で話をしていて、 仕方なく待っていた。 終わってから「キンダベートって処方箋なくても買えると思うんですけど、買えます?」 と聞いたら「薬剤師が留守なので」と言われておしまい。 いや、いたら買えるのかどうかくらい教えてくれよ。 近くに皮膚科がある店でないと置いてないかもしれないと思ったのだが、 明日は別の薬局に先に行こう。

カメラでもそこそこ行ける気がしてきた。解像度は十分あるので、少し離して撮れば、 影にならない。また、傾きや歪みが減る。シャッタースピードは1/4秒まで許容する。 これで感度が上がりすぎてザラザラになるのをなんぼか避けられる。 面倒くさいのは後段のgimpで保存するフォルダを選ぶ方だ。 これのデフォルトがファイルがあった場所なので、 まずファイルを保存予定の場所にコピーしてから作業をすればなんぼかマシになる。

2013年03月27日

これ、英語圏偏重な意見だよなあ。 世界の標準語が英語だという前提であれば悪いとは言えないので難しいが。 ソニーにしたところで、ドイツ語で馬鹿正直に読めばゾニュだぞ。 外来の固有名詞と知っているからソニーと読んでくれるんだろうが、 結構な人がゾニーなんじゃないのかね。知らんが。

音を近づけるアルファベット言語として何を選ぶかを 考え直した方がいい、という提言であれば良いんだろう。 「ラテン語をやめて英語にしよう」と言えばいい。 しかし、そうしたところで限度はあるわけで、 表記法以前に何という名前にするかというところから 考え直すべきだろう。sonyは表記がいいのではなく、名前がいいのだ。 元の社名の東京通信工業だったら、 なんぼ表記を工夫してもどうにもならなかろ。 任天堂とかはグローバルっぽくない割にいいと思うけどな。 母音が少ないので発音しにくくないし、たぶん日本っぽい。 どこの国の製品かがイメージできることは欠点にもなるが、 娯楽や芸術の類では長所にしやすいだろう。 どこの国の企業かわからん方がいいこともあるが、 国のイメージを借りられて、それが良いイメージなのであれば それもお得だ。

アルファベット言語に持ってった時に3音節程度に 収めるのは重要だと思うなあ。松下みたいに そうならない場合はナショナルなりパナソニックなりのように ハナッから外語な言葉を当ててしまうことになるんだろう。

日本語だと4音節の名字や地名が多い。略称にしても4文字になる。 ウ段やチやシは母音を消せることがあるのでマシになるが、 そうでないもので4つあるとキツかろう。 ヒラヤマとか、ダメすぎる。 最初はheera-yahma-sanという感じに読んでくれるが、 会話してるうちにだんだん省略されてきて、her-yahma-sanになり、 最後には、her-yam-sanになる。名前のタカシも、 tah-kah-sheeと読むのは凄まじく面倒くさいらしく、 tkah-sheeになり、tka-shになる。トゥカーシュ。

LEDシーリングライトはすごくいい。 使ってみると、明るさと色を連続的に変えられることが どれだけ便利かがよくわかる。 レバーで火力調節できるガスコンロみたいなもので、 地味な利点であっても一度使うと戻れない。 効率で劣るものでも、最大輝度にする必要がなければ あまり問題ではない。安物でも器具効率80lm/W近いので、 対抗相手が高周波型で剥き出しの蛍光灯、というわけでなければ 効率でもいい勝負ができる。 6-8畳向けを1万円で買える所まで来たし。

そういえば玄関に電球つけないと。

女の子確定。

やっぱりスキャナ買うか...暗い、抜いたり差したり面倒くさい、 ゆがむ、と何一ついいことがない。 手で動かす小さい奴がいいのかね。

カメラ、手で動かすスキャナ、 紙を動かす小さいスキャナ、フラットベッドスキャナ。 手書きの図を取りこむのにどれがいいか迷う。

カメラは照明がなく影になり、ゆがみ、 しかもつなぎっぱなしで撮影できないから、画質も悪いし使い勝手も悪い。 これの利点は今すでにあることだけだ。

手で動かすスキャナはカメラよりはマシなことが期待できる。 しかし、画質は十分ではないらしい。 そして、今持ってない以上買うわけだが、 もし最終的にフラットベッドスキャナが必要だとしたら 使い分けるのが馬鹿馬鹿しくなる可能性がある。 これは紙を1枚づつ動かすタイプの小さい奴でも同じだ。

フラットベッドは、もし図をひつじこに頼むとかいうことになるなら 必須になる。画質的に最善を尽す必要があるからだ。 そしてこれがあれば、少なくともカメラよりは楽になるわけで、 これを買ってしまえば他のものはいらないかもしれない。 ただ、問題はジャマなことだけである。

とりあえずフラットベッドを買えということか...

キンダベートは輸入すれば通販で買えるが、1本1000円を超える。 処方箋が必要な薬でもないので、薬局でくれと言えばくれそうな気はする。 その場合の値段は700円くらいのようだ。 もちろん、病院に行ってもらえばタダなのだが、 オタマを泣かせる上に手間と時間がかかることになる。 それを考えれば2000円くらいはよかろう。

炎症は酸化ストレスであり、それによって治癒が早まるわけでもない。 プラスの効果は免疫による感染防止くらいだ。 感染の危険がないのであれば、薬で炎症を止めることは何ら 悪いことではない。ステロイドは副作用が出るほど長期に使わなければ、 おそらく問題にならないだろう。三日とかならまず問題ない。 ましてキンダベートの強さは知れている。 脇と顔はキンダベートを使ってでもさっさと完治させた方がいい。 あしたそのへんの薬局行って聞いてみる。

くるみ怪しいなあ。ワセリンを塗って発疹が出たのは、私が会社でくるみを 含むミックスナッツを食べた後だ。 手は洗ったが、疎水性の蛋白質であれば皮脂と、 くるみの脂にくっついて水ごときでは落ちないのだろう。 それがワセリンに溶けてオタマにくっついたと考えると、いかにもありそうだ。 くるみがアウトなのかどうかを後で確認せんとなあ。 もうちょっと治癒が進んでから、対処しやすい場所にくるみをさわらせてみる。 前腕外側かな。

2013年03月26日

手足の冷えはずっと前から問題になっている。 そろそろ克服したい。

そもそも体温が低ければ冷える。しかしこれは当てはまらない。 体温が並以上にあることは確認している。 よって、カロリー不足もない。 あとは血流の力が弱いということもありうる。 血圧は低めなので、これはありうることだ。 もっと運動量を増やせという話にもなるが、 筋肉量を増やすことによる解決は燃費も悪く、 いまひとつエレガントさに欠ける。そもそもそんなに足りなくない。 179cm、61kgで体脂肪率9%とかだ。体重だけ見ると軽いが、 体脂肪率が低いので筋肉量はそう少なくない。 体幹に集中しているために末梢が冷えやすいのも道理なのだが。

酸素の不足も疑わしいが、この場合体温も落ちるだろうから、 主因ではなさそうだ。しかし増やす努力はしていい。 また、手首足首から先に血が行かないのは、 リラックスができてないからだろう。 緊張すると手足が冷たくなるが、それと同じことが常時起こっていれば 当然こうなる。たぶん今すぐやるべきはこれをどうにかすることだ。 「こうすれば手足が暖かくなる」という単純で確実な方法を 習得すべきだ。それ、つまり気功だよな。 一緒に呼吸も改善して酸素の取り込み量を増やそう。

問題は、この手の訓練には時間がかかり、しかも集中が必要なことだ。 本片づいてからだな。それまではやれる範囲でやろう。 歩いてる間とか、電車で立ってる間とか。 しかし本気でやるには寝てやらないといけない。 それでコツをつかめれば、立っていても歩いていてもできるだろう。

足先を持ち上げる筋肉の緊張がなかなかほぐれない。 これ直さんといかんなあ。体の動きの質にも悪影響が大きい。 とりあえずは足首のストレッチをして物理的にほぐすか。 それがある程度できればリラックスもしやすくなる。

新世界より23。え、細菌兵器?みんな死なない? というか、なぜそんな飾り物に入ってるんだ炭疽菌。 この潜水艦の技術力といい、 地図もロクにないはずなのに正確に行きたいところに行ける能力といい、 たまたま地中に出来ている洞窟の類が丁度良く目的地に通じてることといい、 何もかもが都合がいい。説明不足なだけか?

え!炭疽菌投げつけるの?つうか、割れて相手が感染したとして、 それで相手が発症して動けなくなるまで数日かかるなら 殺されることに変わりはないぞ。まあそれはいいのか。 悪鬼を殺せればあとはなんでもいいと割り切っているのであれば。 つうか、悪鬼が二人の子供で確定って、どういうこと? なんの証拠あんの?そもそも子供を産むまで生きていた証拠もないだろ?

この作品、偶然を使いすぎじゃね?原作はこんなじゃないんだろうがなあ。

見終えた。キロウマルさん、哀れ。「人間こそ悪魔だ!」だな、つまり。 話の仕組みが面白かった。 一方で人の行動の連続としての物語には魅力を感じない。 最終話のサトルとか、どう描けばバカっぽく見えないんだろうか。 作品内の文化、社会における正論が、 読者にとってもっともに感じられるようにするには、 何を積み重ねればいいんだろうか。 ザブングルの3日の掟の場合、見てる人間はあの社会ではおかしい 主人公をまともだと思ってもいいし、まともだと思うような設計がされていた。 しかし、この作品でサトルがバカに見えてしまうのはあまりよろしくない。 アニメの描き方の問題かなあ。 あるいはアニメという形の問題か。 あの台詞が文字だけだったならば、あれほどはっきりとした白黒の つきかたはしなかったかもしれない。 でもまあ十分良く出来てるか。炭疽菌を焼いたサキは バカに見えたわけだから、少なくともどのキャラが白でどのキャラが黒、 という単純な分け方はできなくしてある。 もっともそのために始終気分が悪くキャラに魅力を感じられないわけだが。

最終回が単純なメッセージ性を帯びてしまったのが残念と言えば残念か。 「多数のために少数を犠牲にしたり、 残虐行為が行われたりするのも、まあ仕方ないよね」 という視点と、そうでない普通の視点の間で絶えず 揺れ動くのがこの作品の醍醐味だったんだろう。 見てる人間に「大人汚ねえよ!」と思わせた一方で、 「確かにこれじゃ子供間引くしかねえなあ」とも思わせている。 おおよそそれには成功していた。 それと同じ葛藤をネズミと超能力人間の間にも 残したままにできれば良かったんだろうがなあ。 あれだと「人間こそ悪魔!」になってしまうんじゃないのか。 私だけか。

たぶん、あの裁判や刑罰を「仕方ねえか」と思えるような何かが 原作にはあるんだろう。 半年して覚えてたら原作を読むかな。図書館にもあるが、 今はアニメのせいで予約がたくさん入っていて当分借りられない。 読める状態になったら買ってもいいが。3冊だし。

紙の本が欲しい。しかし、電子書籍の携帯性や場所の食わなさが 魅力の時もある。さて、図書館で借りると、紙で読める上に、 読み終われば返してなくなるので場所を食わない。最強じゃないか。

所有でなく使用に興味がある場合、 借りるという選択肢は魅力を増す。 つまり、これが物を買うことの欠点だ。 ゲームであろうと車であろうと、さらには家であろうと 全く同じことが当てはまる。 所有を選ぶための条件は結構厳しい。 とりわけ、所有に社会的な意義を感じない場合はなおさら厳しい。 車や家は所有がとりわけ価値を持つとされているが、 本その他でも「応援するために金を払う」というような価値を 見出す人はいる。しかし、所有に価値を感じる人は おおよそ減っていく方向にある。 大きな方向としては、ゲームは売るべきじゃない。使ってもらうべきだ。

家買う日は来るのかね? 家の値段が相対的に安く見えるくらい金持ちになるか、 組織で働く必要性がなくなるような状態になるかのどちらかだろうが、 それはつまり本書いて食ってけるとか、 起業してどうにかなるとか、そういうことだよな。ありえん。

「ここがボクの居場所」みたいなのは、私だって嫌いじゃない。 土地や壁や天井、家具に愛着がゼロというわけじゃない。 しかし、その愛着は結構すぐに湧いてくるものだ。 今まで何度となく引っ越したが、半年もすれば 自分の家へは半ば無意識で帰れるようにもなるし、 家にいれば落ちつくようにもなる。 そして次に引っ越す必要が出てきた時には、 単に面倒だなあと思うだけでなく、嫌だなあと思うようになっている。 しかし、それはそれだけのことだ。 また引っ越して半年も経てば新しい所に愛着が湧くのはわかっている。 まして今は、家そのものなどより大切なものがあって、 それはいくら引っ越しても一緒のままだ。 もちろん、ひつじこをママ友と別れさせるのは忍びないと思うだろうし、 オタマに友達ができればそう思うだろう。 それは引越しのコスト見積りを確かに大きくする。 しかし、それはそれであって、愛着がどうとか居場所がどうとかいう ものではない。だから、必要になれば引越しはするだろう。 引越ししなくて済むように何かを変える、 という順番で考えることは、当分はない。 それは今のところ、贅沢だ。

しかし、いつかひつじこが落ち着ける土の上の家に住めるといいがなあ。 それはかなえてやりたい。しかしそれが私とひつじことオタマにとっての 他の何かと折り合いがつくようになった時だ。

数十平方メートル以上のそれなりに植物が育つ土壌に、 2DKとかの小さな家を建てる、みたいな感じだよなきっと。 ひつじこの兄上はそんな感じだった。

極力金を溜めること。組織から出て金を稼ぐ能力を手に入れること。 この二つの必要条件をいかに満たすかというゲームなわけだ。 しかし、金に関しては必要額の見積りは事実上不可能である。 給料が絶えてもなお足りる額、と考えれば億を超えてしまう。 結局はストックなんぞよりもフローだ。 稼げる力がどうしたらつくか、ということに集中すればいい。 私が社会に需要があるスキルを持つことが一つ。 私を使う経路を作ることが一つ。 そして、私がより使いたくなる人間になるようにすることが一つ。 二つ目は、つまるところ「名を上げる」ということだ。 私にアクセスする方法がたくさんあるほど良いし、 私が選ばれる率が上がるほど良い。 三つめは、私の人格の問題だ。人間として信用、信頼できなくてはいけない。 一緒に働けなくてはいけない。目的を共有できると思って もらえなくてはいけない。

まあこれはある意味簡単なことなんだろう。 「真面目に生きろ」ってこと以外の何物でもないからだ。 社会とか組織にとって良くあろうと努力すれば、ある程度は 勝手にそうなる。それで足りない部分もゼロではないので、 それを埋める工夫はするが、それはそれほど重要でもないし、 時間をつっこむべきところでもない。 そうだということにしておく。

私が40年後にまだ社会にとって役立つ存在であることは、 ひつじこと二人で楽しい老人生活をするために必要なことだ。 ラベル先生は手本かもしれない。 あの人は、うちら二人に大きな影響を与えた。 40年後にあの人への恩返しを別の人に対してできれば、 それで社会は回っていく。

何かにつまづいて左足の指3本を激しくぶつけた。 こういう時にビブラムは防御力が低い。 この痛みは骨に多少なりともダメージがある感じだな。 しかし腫れはないし、動かせる。問題なかろう。 数日は走る気にはなれないが、それだけのことだ。 しばらく買い物は自転車で行こう。 ちょうどいい。オタマと一緒に買い物をする習慣としたい。 ひつじこを少しでも休ませねばならぬ。

昔書いた文書を読み直していたが、我ながらすごいな。 こんなもん書いてチームの人間に読ませたのか。 読んだ人どう思ったんだろうな。感想ロクに聞いてないけど。 「いや、ドラッカーが言ってるだけでオレじゃないよ?」 的な設定でしゃべってはいるが、どう考えてもオレじゃん。 しかし、あの時に始まったドラッカーごっこは まだ続いている。もはや始まる前には戻れない。

2章を図を描きながら直している。 カメラをUSBでつないだまま写真撮れたらいいのになあ。 で、撮った写真がPC側で自動で出てくると。 なぜそういう機能を入れない? ...まあ必要なのは私くらいか。スキャナのかわりに使うなんて 普通はないだろう。 薄くて軽いスキャナないかなあ。

棒を自分で動かすタイプのスキャナか。 正直使い物になるのか懐疑的なんだが、 たぶん使えるんだろう。 あのデカい四角いのはもう無理だからな単純に。邪魔すぎる。

カメラで写真撮れば一応は撮れるんだが、画質がきつい。 会社でフラッシュなんて焚けないので暗い。ボケる。 あと当然歪む。

2013年03月24日

今日は上野動物園に行った。 ハシビロコウかっけえ。カピバラとかアルパカとかを見たかったが、 オタマが疲れていたので素通り。 ヤギやらヒツジやらウサギやらに触れたので良かった。 ひつじこも楽しかったっぽい。 まあ、帰ったらへばってしまったので、体力的には きつかったようだが。

触れさえすれば、うさぎでいいんだよなあ本当に。

要するにallocaを実装するわけだが、さて、 これどうやって作るんだ? コンパイル時に数が決まってればローカル変数と同じ扱いなので 問題はない。問題は数が実行時に決まる場合だ。 どうやってやるんだ?

関数ごとにテンポラリ込みで何個メモリを使うか 事前にわかってないとダメだな。 これは各命令ごとにスタックポインタがど変わるかはわかっているし、 たぶん行ごとにプラスマイナス0になることも証明できるだろう。 その上の領域に動的確保して、 動的確保した末尾アドレスはどっかのメモリに覚えておかないといけない。 それを関数呼出した時のフレームポインタにする。 で、スタックポインタも退避しておかないといけない。 関数コールの手間が一つ増える。

うん。すごく面倒くさい。一日ありゃできるだろうが、見合うかなこれ。 コンパイル時に数が決まる奴を先に作って、後で拡充すべきだろうな。 構文木生成までは同じだし。

それに、そんなに便利でもなかったりはする。 なにせこの言語にはグローバル変数がない。 確保した領域を関数に渡すには引数でえんえん伝える他ない。 たぶん相当面倒くさい。なんかいらない気がしてきた。 配列が欲しければグローバルのメモリから番号決めて使え、 というのはある意味一貫しているし、 気合が入っていればmallocを実装すればそういう汚ないマネを しなくても済む。まあそんな奴はいないだろうが。

サイコパスを最後まで見た。まったくすっきりしない終わり方だが、 納得できる終わり方ではある。 これでシステムぶっこわして終わりとかいうようでは ダメだろう。結局、この手の作品は、 現実の何らかの側面を誇張して見せていると 受け取らざるを得ない。 そうでなければ荒唐無稽なクソ設定でしかない。 webで外人の評価が高いと言うが、それが本当なら、 そう受け取っている人が多いからだろう。 一方、日本人がスッキリしない、ガッカリした、 と言っているのが目立つが、 そういう人達はフィクションを求めているのかもしれない。 アクションとか、衝撃の展開とか、 そういうものを求めて見るなら、全然ダメ作品だと思う。 でもまあ、ダメかなあ。嫌いじゃないんだが、 「単純な面白さ」が足りてない。

単純な娯楽としてのレベルが高ければ、システムぶっこわして 終わりでも良かったのかもしれんがなあ。 時間の使い方が良くなかった印象はある。

新世界より。2話目、すでにしていろいろわからない。 キャラの行動動機が全然わからないんだが。 主人公何かに気付いちゃったんじゃないの? 何普通に学園行事でがんばってんだ? 片手間に見てちゃダメってことか。

3話で金田ビカリが炸裂してるのは一体どういうことだ? 何主人公楽しそうに夏休みバカンスしてんだ? 隠された真実が次第に明らかになっていく作品なのは 明らかなんだが、まだ決定的なことは起こってない。 のであれば、1話の主人公の疑い方は変だと思うがなあ。 1話の時点で決定的なことが起こっていたのであれば、 2話3話のほのぼのっぷりが説明がつかない。 いや、人間そんなもんだと言われればそんなもんかもしれんけどな。 あと、やっちゃいけないことを普通にやれすぎだろ子供達。 本当に禁忌ならちゃんと止めとけよ大人。

え?なんで「つかまえて」?なんでつかまえたいの? おまえ、何したいの?小説読めばわかるんだろうなあたぶん。 え?おまえ、なんでそんなに破壊したいの? 明らかに大人の仕業だろ?なんで言うこと聞かないのこの子? つうか、おまえの理解力中途半端に高すぎだろ?

4話。え?脅し効くの?これ、機械じゃないの? そしてやっぱりおまえら理解力中途半端に高いな。 つうか、え?おまえらそういう歴史聞いてそんなにショック受けんの? そんなショック受ける歴史を子供程度が 聞き放題なのっておかしくね?管理甘すぎだろ?

5話、意味がわからん。坊主、いつ死んだ? 爆発で死んだらしい、ということはわかるが、 その爆発する犬、一体いつ出てきたの? 4話の最後に一瞬出てきたのはわかるが、唐突すぎる。 それにしても絵は変わるわ、説明足りないわで、 全然わからん。何が爆発してんの?つうか、このワンパク いつの間にこんなかっこよくなった? そして最後のシーンに至るまで全く何が何だかわからない。

6話。おい、5話の終わりにネチャっとしたのを槍で突いたのは、 何だった?説明はないのか? つうか、キャラが話によって全然違う気がするのは私だけか? つうか、主人公、ネズミを殺すのは嫌だったんじゃないの? それを私も戦うって何?と思ったら、 すぐまたアンチ殺戮モード。 本当に主人公の性格がわからない。やさしいの?やさしくないの? 慎重なの?大胆なの?どう描こうとしてるの?

7話。なぜおまえは今更人がいなくなることに疑問を持った? そして、むしろとっくに疑問を持っていたはずの主人公が そんなことはないと否定する? そしてなぜおまえらはこの裏切りネズミを信用する? むしろこいつが監視役だと思う方が自然だろ。

え、何その劇的に都合のいい再開。え、なんでこいつら この裏切りネズミに寛容なの?え、そのカヌーどこから出てきた? そんな都合良くカヌーに戻れんのか? なんというか、話進めるのでいっぱいいっぱいな印象がある。 そしてその話ですら、webで感想まとめを見ないとわからない。

8話。いや、言ってる意味わかんない、とか言うおまえがわからねえよ。 この主人公の人格がとにかくわからない。 まあ、えてして主人公というものはそうなりがちなものなのだが。 話の都合から逃れ難い。 なんにせよ、ひつじこと一緒に見るほどの価値はないなあ。 原作には興味がある。 屍鬼もアニメになったらああなったわけで、原作がすごく面白いということは まだ十分にありうる。むしろそれが濃厚。

9話。4人揃っても手分けしても大差ないだろと。 相変わらず説明が足りてない。構図やカット割りで 改善できることも山ほどありそうに思えるのだがなあ。 雰囲気だけはすごくいい。

2013年03月23日

朝はオタマ連れて外に行き、夕方はオタマ連れて買い物に行き、 オタマと二人で長風呂し、とかになれば、そりゃ一緒にいる時間も短く なるよなあ。ひつじこを一人にして休ませるためなわけで、 ひつじこが体力的に万全になればやりようもあるが、 どうしたものか。17:30に一回帰るようにしてるのも、そのためだしなあ。 もちろん、単純に時間だけの問題ではないのだが、 家にいる時間はオタマの相手するか家事するかになりがちで、 家にいるわりにはひつじこと話す時間があまり取れてない。

2013年03月22日

私が知る範囲では、大槻ケンヂはシャーマンっぽい。 ひつじこはシャーマンなので、シャーマンでないと物足りないんだろう。

なんかすごそうなプログラミング合宿の教材に シーグラフでやったテニスモドキの資料を参考にしたいという申し出があってびびった。 役に立てたとしたらうれしい。

こういうのに来る学生ってどんなレベルなんだろ。きっと優秀なんだよな。 あれか。漫研の時のあの先輩みたいな感じか? だとしたら申しわけなく思えてくる。

任天堂かあ。学生の時受けたけどあっさり落ちたなあ。

texはすごいが、ずっとこれで行くのかと思うと頭が痛い。 プラグインの類の挙動が気に入らない時に 中身を調べるのが面倒くさすぎる。

wrapfigを使った時のレイアウトの意味不明さは 一体どうすればいいんだろう。なぜ前後が入れかわるのか。 空いた場所に適当に図を入れようとするアルゴリズムが働いているのだろうが、 いらない。

ハナッからXML+CSSで書けないかなあ、本。 でも、きっとやってみたらいろいろ不満なんだろう。 やっぱり作った方が早くね?で、epubとpdfで吐ければいいんだろ? どうせ仮レイアウトにしか使わないんだから、細かい品質なんて どうでもいい。その用途であればそう面倒じゃない気がする。 しかしとりあえずはepubだな。epubで足りればそれでいいわけだから。

epubは手書きが面倒くさそうだな..GUIなエディタで吐き出す前提で、 手書きすることは考えてないだろこれ。閉じタグ必須とかありえん。 独自フォーマットからXHTML化する方向で考える必要があるよなあきっと。 あと、スクリプト食わせられないときつい。

CSSで足りてるんだろうか、epub。 内容と見た目の分離と簡単に言うが、それは近似にすぎない。 それじゃ無理な用途だってたくさんあるはずだ。 しかし、一定以上複雑化すると、結局「画像貼れ」で終わりになるわけで、 問題は棲み分け境界をどこに設定するかだ。

毎度思うが、tex本も書く人の技術力はtexを作れるレベルであるはずで、 誰か一人くらいそうしてもいいと思うんだけどなあ。 文書を良く書く人なら、自分のためだけに作っても元取れるだろ。

まだ出てもいないが、 仮に続編を書くとする。ObjectiveSunaba、みたいな言語を作ってそれで説明する ことになるわけだ。 型定義に配列を入れられないというのは論外に無理なので、 配列も言語仕様に入れないといけない。 しかし、この配列というものが厄介で、 スタック上に配列を取ると、そのポインタを関数から持ち出す 事故を止められない。スタックのアドレスを持ち出そうとしたところで コンパイルエラー吐けるか?吐ける気はするな。 吐けるとすれば、それはアリな気がする。 そして、吐けるとすれば、それはSunabaにも入れていいことにならんか?

この問題、もうちょっと掘り下げる必要があるな。 関数内で配列定義できるとする。a[10]とすれば、 aはスタック上を指すアドレスだ。 これを関数から持ち出そうとした時にコンパイルエラーを吐けるかどうかである。 aに「スタック上アドレス」であるとしるしをつける。 これを含む式全体にもそのしるしがつく。 これを何かに代入すること自体を例えば禁止する。これは簡単だ。 しかし、b=a+5、としてオフセットしたポインタをローカル変数に入れたいことはある。 そこで、代入先がローカル変数であれば、これを許容し、 その行から先bにも「スタック上アドレス」のしるしをつける。 戻り値で返すことも禁止だが、これもできる。

できるじゃん。できるできる。これ、やった方がいい気がするなあ... あとはその文法か。a[10]で終わりが一番簡単だろうが、未初期化ってどうなの? a = allocate(10)もいいが、これは未初期化上等ということにならざるを得ないよなあ。 中で自動で0埋めする、なんて仕様はいかにも気持ち悪い。

普通のMakefileを書こうとするとplatexの建て増し仕様が困る。 同じコマンド何回も呼べ、というこの仕様はどうにかならんのか。 2回目に出てきた.idxを使って.indを作り、それを使って3回目を回すが、 3回目にも.idxが出てくる。おかげで元のtexをいじってない状態でmakeしても 全部走る。

tex、目次とか索引とか参照とか込みで1パスで終わるようにしてほしい。 遅すぎる。そのうち自作してやる。 どうせ仮レイアウト用なわけで、品質はtexに劣ってもいいんだよ。

2013年03月21日

プログラムを直していた。.netのフォームのレイアウトの仕組みが よくわからんのでえらく手間取った。 あとはデバグ機能の一部を試験的に入れてみたり。 おおよそできたので、あとは脱稿してからかなあ。

お手本テトリスがスタックを50バイトしか使ってない。 プログラムは2000バイト、ヒープの使用量は600バイトくらい。 まあ1バイト32bitだけどな。

編集さんにメール出して、もう5時半。明日は無理だなこれは。

ウィンドウのリサイズ周りのバグを修正。 これで一応こんなもんだろと言える状況にはなった。

岡田英弘「中国文明の歴史」。細かいところはよくわからんしどうでもいいので ほとんど飛ばしている気もするが、大筋おもしろい。 「漢族」というのは出自がはっきりした少数民族ではない、 という意味でしかないとか、 1950年を回るまで中国語のマルクス系書籍は 日本語から訳したものしかなかったとか、 元は完全にモンゴルでそれまでの中国じゃないとか、 明は秘密結社による革命でその皇帝は秀吉レベルに下剋上だとか。 とにかく、中国というのは雑多な人々や勢力がわらわらしていた場所で、 トルコ人、モンゴル人、タイ人みたいな今のイメージでは 中国っぽくない人達が混ざってよくわからんことになって今に至るんだな。

「今の中国は日本文化圏の中にある」なんて言ったら、ネトウヨ扱いされそう。 しかし、中国の現代語の語彙のかなりの部分が日本語由来 というのは本当っぽいし、そういう面もあるんだろう。 もっともそうであるならば、いずれは英語由来の語彙が増えてきて、 日本の影響が薄れていくのかもしれんなあとも思うのだが。 コミュニティとか、もう訳語ないもんな。 中国語にもコミュニティという言葉はあるんだろうが、 向こうで訳語を作ったのか、それともカタカナ書きに相当するような 表記で落ちついているのか。映画の題名とかの話を聞く限り、 いろいろ工夫を凝らしてるんだろうな。 「微軟(マイクロソフト)」とかの例を見てると表音文字 があって良かったと思うわけだが、 中国の人にしてみればそれが普通で別に不便とも思ってないんだろう。 以前韓国の人に「漢字捨てちゃって不便じゃね?」と聞いたことがあるが、 「そうでもない」と言われた。そうでもないらしい。 結局慣れればなんでもいいんだろう。 ヨーロッパ圏の子供は数や九九を覚えるのが大変だと聞くので、 多少の違いはあるんだろうけどなあ。

前書きを短くするつもりで表現を削ったりしたが、 1ページも減ってない。14ページある。実質これは第一章なので いいと言えばいいんだが、「さっさと本題行けよ」的なことは 思われるかもしれんので、考えどころではある。 でもまあ、一章の方がよほどウザいはずなので、こっちを先にどうにかしよう。

図の横に文章流しこまないと場所食ってもったいない。 明日そこを試そう。ちょろっとできればいいが、そうでないならいいや適当で。 フローティングで空いた場所に図を入れるアルゴリズムは使い物にならんわけで、 その場に置いてもらう必要がある。そういうのすでにあればいいけどなあ。

1章も一応直したが、例によって1ページも減ってない。 図は仮のものを入れておいたが。 インストーラを作るのはやめた。デスクトップにzip展開して、 中のexe叩け。それが一番いい。 フォルダとファイルの操作はできると仮定していいよな? というか、そこができないレベルだと説明は不可能になる。

mac版作らんとイカンのだが、その前に丸ごとjavascriptに移植すべきか...

2013年03月20日

味噌汁。ナスと油揚げはオタマも食べる。 これらに他の野菜や鮭の栄養を吸わせて食わせる、と考えればいいのか。 基本ナスと油揚げは入れよう。

ホタテを70度調理したらいい具合になった。出た汁は味噌汁にした。 一緒に豚薄切りもやったが、3日目にかすかに酸味が出てきた。 この調理法をやっていいのは塊だけだな。保たない。 先に汁だけ取り出して何かに使ってしまえばもう少しマシかもしれない。 あと間違って野菜室に入れたのも敗因。温度が高い。

微妙に危険な肉を捨てるのが惜しいのでトマト缶と胡椒を入れて煮ている。 私が責任をもって食べよう。弁当にする。 一緒に何か入れたらうまくなるかなあ。 肉とトマトと塩で一応味は整うはずだが、深みには欠ける。 横でクミンとにんにくを炒めて足すのが吉か。

おかしいなあ。タマが寝たら一緒にジョジョとジャイアントロボを見ようと 思ってたのに。9時半に寝たのに起きたのが8時。 ここのところ朝4時とかまで本書いてるのでそれで疲労が溜まっていたのかも しれないが、主因は夜の外食の方だろう。蕎麦だけで100g、 おまけに出てきた寿司でプラス50gくらいの糖質は食べていたはずだ。 それだけ食えばああもなる。逆に言えば、糖質さえ食わなければ 4時間くらいの睡眠でもそれなりに耐えられる。

クミンとにんにくと玉ねぎを炒めて足した。 あと、ナスも入れた。なんか立派に料理になってきた。 ナスを入れればオタマが食うかもしれん。基本トマト味は好きだし。

元々ダメになったからという話だったはずだが、普通に料理になっているな...

オタマがナス3本分食べた。コラーゲンと豚脂まみれなので、 それなりに蛋白質と脂質も取れただろう。 なおオタマは最近スパイスを嫌がるのだが、クミンと胡椒だけなら大丈夫っぽい。

オタマはデブなのか?身長と体重をちゃんとはかってみないとわからない。 身長は推定97cm、体重は推定16.5kg。 身長は平均91.3cm、標準偏差3.3だから、たぶん2σは離れてない。 体重は平均13kgで標準偏差1.5。+2σを上回る。 これだけ見ると若干デブ気味ではあるのか。 実際顔も丸いし腕も脚も太い。 とある友達っぽい男の子と比べると運動量は明らかに少ない。 しかし、なんつうか脂肪太りじゃないんだよなこいつ。 筋肉量なんてはかりようもないのでわからんのだが。

まあ問題なかろ。恐ろしく高蛋白高脂肪だが。

オタマ食材リスト。主力蛋白源は以下。 牛乳。チーズ。ヨーグルト。卵。豚肉。豆腐。油揚げ。納豆。ピーナッツ。 サンマ。鮭。ほっけ。これで食ってるものの80%は行ってる。野菜は、 にんにく、玉ねぎ、にんじん、セロリは汁に入ってるので食ってる。 個別に認識した上で食う野菜はナスとブロッコリーくらいか。 あとヘロヘロになった白菜。そのまま食べるトマト缶。 にんじんと大根は煮物の味次第では食べるが、 条件は厳しい。 もう少ししたらピーマンが安くなるのでまた食べるようになるだろう。 果物はリンゴ、レーズン、ブルーベリー。 あと、調味料と言えないほど大量に使うオリーブオイルとココナッツミルク。 うちのオリーブオイル使用量は結構半端ない。

食材の種類としてはそう少なくもないな。米とか麦とか芋とかはないが、 それらを抜いても3種類減るだけのことで、多様性がそう減るわけでもない。 つうか、摂取カロリーの過半を米一種でとるとか、 バランス悪いにも程があるな考えてみれば。

岡田英弘という人の「歴史とはなにか」という本が大層面白い。 凄まじくわかりやすい。わかりやすすぎるものは大抵疑ってかかった方がいい ものだが、これもそうだろう。しかし、事実はウソでも考え方は使えるし、 そこが面白ければ問題はない。 史料は書いた人の都合が色濃く入っているので、 そのまま信用する奴はバカだ、という感じの主張は実に心地良い。 日本の建国は700年くらいらしく、その前の天皇の系図とかは捏造らしい。 最初の天皇についての記述は、700年頃の天皇のやったことや事件が そのまま使われているのだそうだ。 もっとも、その時点で建国された日本の領土には九州も関東も東北も 入っていなかったようなので、今の日本のイメージでとらえると間違える。 それは中国も同じらしく、三国志くらいの時代の中国というのは ずいぶんと小さいものだったらしい。 そもそも、今の国という概念がここ200年くらいのもので、 それを昔を見る時に持ちこむと間違えてしまうのだそうだ。 こういうのが本当面白い。

この手のものを読む時にはいつも思うが、 図は頻繁に入れてほしい。特に地図。地図を見ながら読めばいいんだろうが、 そんな面倒くさいことをするわけがない。 あと、中国の王朝の名前なんて覚えてないので、唐の時代とか言われても困る。 さっぱりピンと来ない。

図書館に行って、塩野七生が十字軍物を書いてたことを知った。 そのうち読もう。そのうち。

糖尿病学会が糖質制限はダメという見解を出した。 全然ダメだぞこの見解。

2013年03月17日

こう派手にもうかると売りたくなってくる。 しかし、売るとは円を買うということだ。 この先円安またはインフレに行くなら、円を買う行為は失敗となる。 売って、下がったらまた買えばいい、 というのは円の価値が不動でなければ成り立たない。 相場は読めない、という前提に立つならば、 円は資産の形の一つにすぎないのだと考え、 結局資産の構成比率の調整だけを考えるべきだということになるだろう。

定性的な判断は数字なしにできるが、定量的な判断は数字なしにはできず、 数字が変われば結論まで変わる。うちらは専門家ではなく、 数字に親しむ時間はないのだから、定性的な判断のみで考えるべきだ。

ステージ固有コードをzipでサーバから送ってきて、展開し、evalして呼び出す。 なるほど。データにできるならデータにすべきだし、 機能を絞ったスクリプト言語を中に作れるならそれを使うべきだが、 データ化できるほど定型化しておらず、 スクリプトでは速度が足りないという場合にはjavascriptをそのまま送りつける 他ないだろう。それはニセモノに差し換えられているかもしれず、 何かのファイルの中身をどこかに送信したりするかもしれない。 しかしそれが具体的にマズいのかどうかは具体例で考えてみないとよくわからないな。

14章、あとはあとがきと謝辞だけ。 ここに入れられれば後書きを索引の後ろに入れる必要はない。

一応最後まで書いたぞー。

2013年03月15日

ディレクターごっこが案外悪くない。 3人しかいない今は実験をするのに最適だ。 将来本気でそういう仕事をやるにしても、 向いてないとあきらめるにしても、 有益な情報と経験が得られる。 6月末までで一段落するはずなので、 それまでは楽しもう。

javascript大会。

コンパイル時エラーが出ない言語ってのはこういうことか。 引数の数を間違っても平気な顔で動く。 これは恐い。かなりテスト駆動に寄せた開発にしないと 大変なことになる。 言語によって作り方は変わってくるのだな、 ということを思い知った。

canvasを使って作り、chromeではあっさり動いたのだが、 IE8に持っていったらピクリともしない。 canvas未対応だった。なんてこった。

excanvasというライブラリを持っていってIE8でも動くようにしたのだが、 速度がべらぼうに遅い。そして、そのライブラリの再配布が 大丈夫なのかを調べるのが面倒くさい。 やめた。あと、IEにはaddEventListenerがなくてひどい目にあった。 こんな所でも分岐をしないといけないなんて。

あと、標準規格(DOM)にはキーボードのキーを取る方法がないという すごいこともわかった。 幸い「こうすれば知られているブラウザでは同じように動く」 という方法はあるが、何ら標準化されていない。たまたまである。 マウスイベントは規格にあるが、キーボードはないのだ。 そんなに各社そこにこだわりがあるのか?

canvasを捨て、とりあえずはテキストにしてみることにした。 divを20段用意して、中に12個のspanを入れ、 その背景色をcssで3色用意して、 classアトリビュートを毎フレーム書き換えてマス目を描画する。 chromeではいい具合に動いた。 だが、IEではひどいことに。行間が広すぎるのである。 cssのline-heightをいじったが、chromeとIEで結果が違いすぎる。 spanはwidthやheightで強制もできんようだし、この路線も無理。

table化した。12×20のマスを用意して、cssで幅と高さを10画素とした。 これでどうにかなった。 しかしIEではセルの隙間の幅が場所によって違って実に汚ない。 まあ動くからいいけどな。 これでどうにか機種依存コードはイベント設定だけで済んだ。

そういえば罠。onkeydownはwindowでなくdocumentにやらないと動かない。

半日ほどIEに苦しめられてみた。これがブラウザごとに全然違うってことな。 おおよそ理解した。ここは抽象化してくれるライブラリがあるらしいし、 実用のものを作るならそれを使うだろう。

あとはクラス定義のやり方だけわかれば、普通にプログラムが書けるな。 もちろんC++ほど適当には書けないが。 関数ごと、機能ごとにちゃんとテストを書いて一歩づつ進まないと絶対破綻する。 静的な型を持ち、おおよそコンパイルエラーになる言語とはどうしても そのへんのスタンスを変える必要がある。 生産性が高い、というのは適当に書く場合の話じゃないのかね。 数千行以上のものを書くなら相当周到にやらんとダメだろこれ。 単純に、javascriptしか選択肢がない所ではjavascriptを使う、 というだけのことにすぎず、C++と選べる局面なんてほとんどない。 よって、比較するだけ無駄だ。

作っていて今更気づいたのだが、 Sunabaのコンパイラと実行はjavascriptで書いてブラウザ上にした方が良くね? そうすれば、特定のサイトにアクセスして、 その状態でメモ帳で書いたテキストをブラウザにドラッグアンドドロップすれば Sunabaのプログラムが起動する、みたいなことができるんだろ?たぶん。 何も配布する必要がなく、また、OSごとに別アプリを作る必要もなく、 そもそもユーザに見慣れないアプリを使わせずに済む。 もちろん懸念点はある。 ドラッグアンドドロップが主要なブラウザでまともに動くのか。 十分な速度が出せるのか。 1万行近いC++コードをjavascriptに移植する能力が私にあるのか。 それに時間がどれくらいかかるのか。

とりあえず、将来的にはそうするのが間違いなく良かろう。 ただ、出版を遅らせてでもそれを最初から実現すべきかどうかは まだ何とも言えない。 何と言っても、速度が足りるのかが未知数すぎる。 秒間に数万のVMの命令をこなせるだけの処理速度はjavascriptで出るのか? 今の10倍遅くなったらもうアウトだぞ。 100x100とは言え、画素の色を直接プログラムからいじるし、 その色指定はSunabaの変態仕様により100進だ。 256進に変換する部分はC++ですらそう軽くはないのである。 たぶんシェーダ書いてGPUでやらんと間に合わんだろう。画素数だけ走るからな。 するとwebGLということになる。本当にいろんな環境でまともに動くのかそれ。 いろいろ不確定すぎる。

まあおおよそjavascriptがどんなもんかはわかった。 おおよそのことはこれで書けることもわかった。 うちで何か動かす時とかは、データを圧縮バイナリで送りつけて、 クライアント側で動くjavascriptでそれを展開してから 動的にhtmlを生成する、なんてこともできるわけだな。 テーブルで項目押したらその項目ソートする、なんてのもそれでやるんだろうたぶん。 日記とかも、そういうのを活用したら読みやすくなるんだろうな。 掲示板にしてもサーバ側はデータ管理だけして、 html生成はクライアント側にする方がいいんだろう。

圧縮したjavascriptコードをロードして、それをjavascriptで展開して そこにある関数を呼び出す、みたいなことできるんだろうか。 それができれば、クソデカいプログラムが全部来るまで実行を始められない、 みたいなことを避けられるし、転送サイズも小さくなる。 webで本格的にデカいゲームをやらせるなら、 できないとマズいんじゃないのかなあ。どうなんだろう。 つうか、きっとできるんだろうな。なにせ言語仕様が動的なので、 dllを差し換えて多様な動作、みたいなマネも労せずできるんだろう。

javascriptはやりゃできるな、という確信は得た。 調べたり覚えたりするのが面倒だが、 根本的に違う概念があるわけではないっぽい。 クラス定義は見栄えはだいぶ違うが、 妙なことをしなければ見栄えだけの問題だ。 C++ではできないような動的な動作をさせてこそのjavascriptなのかもしれんが、 それもやってりゃわかるだろ。 すでに無名関数がおいしい局面は見えている。

オタマに1+3と2+2で4になることを教えた。結構あっさり理解してくれる。 単に覚えているのではなく、数えて同じ4になることを理解しているように見える。

あと、あいうえお表から「ひらやまたかし」の文字を順に見つけ出してくることもできる。 もちろんひつじことオタマの名前もできる。 ただ、途中で何かがわからなくなって最初からやりなおすことは多い。

土曜と日曜の夜中で14章を片づけたい。今日はjavascriptで終わってしまった。あと本業。

2013年03月14日

株式市場より債券市場の方が大きいらしい。

javascript中。なるほどなあ。

ミックスナッツ注文。

違法ダウンロードという望ましくない現象のダメージを減らすには、 違法ダウンロードしない状態を良くする、 違法ダウンロードで得られるものを悪くする、 違法ダウンロードをするのにコストがかかるようにする、 の3通りの方法がある。これは化学反応と同じ理屈だ。 「反応前エネルギーを下げる」「反応後エネルギーを上げる」 「活性化エネルギーを上げる」 の3つで反応を抑制できる。 さて、しなくていいようにするには、正規品を安くするのが一番手っ取り早い。 するまでもなくなる。 得られるものを悪くするには、違法ダウンロード品を持っていると 罰せられる法律を作るとか、違法ダウンロードでやってると 悪評が立つような世論作りをするとか、そういう手がある。 そして最後のコストは、プロテクト外しを面倒にするとか、 道徳に訴えてやる気を削ぐとか、 そのための機械その他を規制して二の足を踏ませるとか、 容量をデカくしてダウンロードさせにくくするとか、 そういう手がある。

違法ダウンロードのコストを上げる手段は、 当然のように努力されているが、敵は当然コストを下げる努力を するわけで、無限の戦いになる。あきらめるわけにも行かないが、 ここに無限のコストはかけられないし、構造的に不利な戦いにならざるを得ない。 所持を罰するのは困難だし、道徳やイメージを利用することは できなくもないが決定的な効果があるとは言い難い。 違法ダウンロードで手に入れたものは操作性が悪い、 なんてことは普通はできないわけで、つまり違法ダウンロードの果実の魅力を 小さくするような方法はなかなか取れない。 正規品を安くすることはまっとうな対策であり、効果も見込めるはずだが、 違法品を入手することがあまりに簡単になれば、 100円にしてもなお高いという状況に陥る。 まして、モバイル端末の興隆によって、そもそもソフトウェア全体が 凄まじい価格低下圧力を受けており、100円ですら珍しくも何ともない。 加えて趣味で作ってタダでバラまく人間が大勢いて、 しかも品質が結構良かったりするために、価格でどうにかすることはなおさら 難しくなっている。

これを本気で撲滅したければ、 サーバにアカウントを作らないと何もできないゲームにするしかない気がする。 サーバ実行にして基本無料で何らかの従量課金的なしくみにする、というのが 今の正統的な手段だろう。 あるいは80%違法でもなお商売が成立するくらい 普及させる、という馬鹿正直な方向性もある。 スタンドアローンで動く、あるいは追加課金が困難なデザインなのであれば、 広告収入だけでどうにかなるくらい安く作って大量に普及させるか、 現物を伴う周辺展開をきちんとやって、その「現物」で金を取るモデルにするか (ロボットアニメのビジネスモデルはそれだった)、 一部の人にたくさん払ってもらえるような「オーラ」の出た製品にする、 などの手も理論的にはありうる。 もちろん、どれもそう簡単にできることではない。 皆がなめこになれるわけではないし、 グッズ展開がうまくいく保証もない。 ましてソフトウェアにシャネルのバッグやフェラーリのようなオーラを 付加することに成功した例はまだなかろう。 金を出してそのソフトを買うことが社会的ステータスになるような、 そんなゲームは果たしてありうるのか?

なんにせよ、客に向かって「おまえらが買わないから滅んだんだ」と叫ぶのは みっともない話ではある。 道徳や情に訴えて金を払ってもらうのは効果がないとは言わないが、 決定打にはなるまい。 まして、「君等は自分の首を締めてるんだぞ」と説教するなど勘違いも甚だしい。 客が合理的に行動していない、と企業がわめくことほど見苦しいことはない。 客には客の合理性がある。うちらにとって不利益な合理性を叩くのは、 うちらの勝手にすぎない。「立派に盗みじゃねえか」という意見はあり、 実際そうなのだが、しかし何が盗みかは理論よりも文化で決まる。 ソフトウェアは盗みによって何も減らない。 元々買わない人がタダで遊んでも、それは経済的には損失ではない。 それを盗みと認識するかどうかは文化が深く絡んでくる。 理屈上盗みであり、また法律上も盗みであるとしても、 文化的に盗みとみなすところまで持っていけなければどうにもならない。 そして、文化的に盗みとみなす社会にする、ということが絶望的に困難なことは もうおおよそわかっていることだ。努力はすべきだが、効果に期待すべきではないし、 ましてやその効果を前提としてはならない。

単純に、世界が変化して商売が成立する条件が崩れただけだと思うんだけどな。 商売の形を変えるか滅びるかだ。 車が出てきた後に馬車の魅力を必死で訴えて何になる。 そりゃ馬車が好きな人がいなくなるわけではなかろうが、 元々の市場規模を保てるわけがない。 車が支配する世界の中での馬車の売り方を工夫するか、 馬車をやめるか、というくらいの選択肢しかないのである。

とか書くと、「他人事のように言うな」と言われるのだが、 まったくもって他人事ではない。 10年後に給料をもらえるかどうかは、 ここで成功できるかに死活的に依存している。 他人のせいにして泣き言言ってる場合ではなく、 今死ぬ気で頭を絞らないと本当に死ぬ。

どうすればいいかはわからないが、 今のままじゃ死ぬということははっきりわかっている。 そういう場合は多い。 しかし、人間は悪いことは起こらないかもしれないと楽観的に考える 生き物だ。「案外死なないかもしれない」といつまでも思い続けて、 いつしか死ぬのである。 さらに人間は「何かして死ぬより、何もしないで死ぬ方がいい」 と考える生き物でもある。失敗の引き金を引くより、 引き金を引かなかったことで失敗する方がいい、と思いがちだ。 だから改革は手遅れになるまで行われない。

javascript勉強中。キーイベントのデータの仕様はどこだ? サンプルは山ほどあるが、仕様はどこなんだろう。

2013年03月13日

貧乏な時代、地域では余裕がない。余裕がないため、効率的にならざるを得ない。 インドで牛を食わなかったのも、イスラムで豚を食わなかったのも、 それで説明できると以前読んだ。 江戸時代にうどんやそば、さらには米すらが贅沢品だったのも、 それらが非効率だったからだ。 効率には、生産効率と栄養効率の二つがあるが、 そのどちらも高めざるを得ない。 エネルギーを投入する余裕はないし、栄養のないものを食べる余裕もない。 その意味で、貧乏な状態での農業や食生活は、効率が高かったはずだ。 ただ、何に関する効率かは今とは違っている。

現代の生産効率は、エネルギー当たり生産量よりも、 土地あたり生産量や、時間あたり生産量を意味している。 エネルギーが希少だったり、土地が余っていたりすれば話は違ってくるわけで、 現代の機械と肥料をつっこむ農業が効率的とは必ずしも言えない。 また、無駄にエネルギーや水をつっこむことで生まれた余裕のために、 非効率なものを食べていられるのだとすれば、 そのツケはいつか払う必要があるかもしれないし、 非効率なものを食べることそのものが体にダメージを与える。 技術によって、エネルギー、土地、時間、水などの 資源全ての利用効率が高まっているのであれば その分は昔よりマシになっているはずだが、 おそらく大半の効率向上は何かの犠牲によって実現している。

たぶん人類は肉を食ってるのが一番いい。その他補助的に植物も食ってただろうが、 主食は肉だったんだろう。 ただ、肉の栄養効率は高くても、生産効率は悪い。狩猟でまかなう場合は とりわけ土地効率が悪い。 人間がまばらにしかおらず、狩で必要なだけ取れてた時代はその効率の悪さが 問題にならなかったんだろうが、人間が増えればそうは行かなくなる。 土地効率を高めようと思うと、労働力と水をつっこむ農業に移行せざるを得ない。 養豚が成立していたのは、残飯のような「人間が再利用できない資源」 を使って人間が利用できる肉を生産できたからだ。そういうスキマで畜産が 成立する余地はあるにしても、それをメインにするわけには行かない。 羊や牛の放牧が成立していたのも、草という人間が食えない資源がそこに あったからであり、これも当然土地効率は悪い。 豆や穀物は肉を食うより栄養効率は落ちるが、 土地効率が何より重要ということになれば、そうも言ってはいられない。 しかし、同じ土地効率でやれる範囲で、 栄養効率の高いものを作るようにはなる。インドで豆があれだけ栽培 されているのはそういう進化のたまものだろう。

メタンハイドレートを掘ったとか言うが、正直あまり大々的に言ってほしくない。 争いの種になるかもしれんし、温暖化が本当ならそれを促進することにもなるだろう。 新しく燃やせるものを見つけてくる、という方向はいいかげんおわり にして、燃やさずに済む方向に持っていけないものかと思う。 しかしあと100年くらいは人間は増えるわけで、 燃やすものをみつけないともたないというのも事実なんだよな。

糖質制限と豆利用のバランスをうまく取りたいなあ。

U2212HM、小さくて軽くていい。解像度が変わらないなら 小さい方がいい。23インチの奴はいらんなあ。 そして細長いのも気にならない。 カーソルの移動距離を小さくするために、右モニタは 論理的には左モニタの下にあることにしてある。 慣れると問題ない。

525ページあるぞすでに。あと1章足して後書きも加えるんだがなあ。

2013年03月12日

管理は全てを左右するほど大切でありながらも、本質的には必要悪である。 100%の時間と労力を生産に直結するところに 投入するのが理想であることに変わりはない。

そして、管理は自分に対するものであるべきで、それが最も効率が良い。 ただし、無理な場合もあるし、 組織としての安全保障を何もしないというわけにも行かない。 そのための必要悪として、組織の管理というものが出てくるし、 その害を最小にするための手段として各種の道具や工夫や制度が出てくる。

redmineは良く出来ていて便利だが、しかしそれでもなお、道具にすぎん。 道具には適用範囲があり、その外では害をなす。 道具の適用範囲内にあるかどうかは、そこにいる人間とやっている仕事に依存する。 そして、仕事は道具の存在と関係なくそこにあるし、 人間を道具に合わせることはほぼできない。どこかで歪みが出る。 つまり、道具を使うかどうかは後から決まる。先に決めることはできない。 道具に合わせて人や仕事を歪めることはできるだけしたくない。

うん。当たり前のことだな。反論のしようもない。 「道具はおいしい範囲で使う」「全ては成果のための手段であり道具」。 規則も制度、そしてコミュニケーションすらが成果を出すための手段であり、 道具と言っていい。うちら自身がすでにして成果を出すための道具だが、 人間を道具としてうまく働かせるには、人間以外の道具とは少々違った扱いが 必要だ。嫌なことはしないし、好きなことはいくらでもする。 そうでないと結局大したこともできないわけで、 その性質を認めた上で最大に利用しないといけない。 朝来ないとか、しょっちゅう何の連絡もなく休むとか、 そういうのはこの際どうでもいい。 それでモノが出来ればそれでいい。それがモノを作ることに害を与えると証明できるか、 実際モノが出来て来なかったという事実がない限り、 それを咎める理由はない。そういう人であるという前提で、 使い方を考えるべきで、その責任は上司が負う。

つうか私だって遅刻禁止とか言われても嫌だし困る。 そもそも制度上は遅刻という概念は ないのだ。裁量労働だからな。 朝は家事をせねばならんし、オタマを公園に連れていかねばならぬ。 そっちの都合で多少遅れることはいくらでもある。 別に夜中働いて辻褄を合わせればいいんだし、遅刻しちゃいかんなんて微塵も思わない。 夕方も家事のために一旦帰るが、 これも結果が出ていれば咎められる筋合いはない。 今のところこういうフリーダムな働き方に関して文句を言われたことはなく、 大変助かっている。つうか、ダメなら給料下げてもらってかまわんのだけどな。

まあ、決まった時間にいる方が都合はいいこともある。 同僚がいつ現れるかわからんよりは、わかっている方がやりやすい。 しかし、それを強いることで成果が減じるのであれば、やむをえん。 非同期的なやり方をするとか、やりようはいくらでもある。それを工夫する責任は 上司にある。まあ私は上司じゃないんだが。

とにかく成果だ。規律と成果の間の相関が強い仕事もあれば、 弱い仕事もあるだろう。弱い組織なのであれば、規律のことなど忘れてかまわん。 しかし成果に関しては妥協は許さない。それだけが絶対の規律だ。 ある意味、遅刻しなけりゃいい、 なんて状況よりはずっと厳しいと思うけどな。その方が。

ワタミの社長は言ってること自体はまともだと思うんだが、 あれを社長が言うことの怖さはまた別の問題だ。 もし私が社長になったならば、今下っ端の立場で言っているようなことは言えなくなる。 もっとも「成果が大切」は誰が言ってもいい言葉であり、 上と下がまともな話をできるとしたら「成果」を軸にしてでしかありえない。 見ている世界が違いすぎるからな。 ただ、その「成果」も、定義がおかしくなったり、 短期と長期のバランスがおかしくなったりすると、 あっさり暗黒面に落ちていくことになる。 結果、上が「成果」と言うと下の人間が嫌な気分になるような状況が生まれる。 成果ってのは、「客が喜んで金を払ってくれる状況」以上でも以下でもないと 思うんだがなあ。

成果主義で給料を決めることが成果にマイナスの影響を与えうるとしたら、 成果主義って何だろうなという事になる。 その成果主義はまがいものだ。

国内債券投信をいくらか売って、税金を払った。 この額が複利で効くわけで、頻繁に利食いすることがどれだけダメかがわかる。 資産構成をいじるためにやむを得ないケース以外は売るべきではない。

CEDECやGDCが成果を出すために役に立つ活動かどうかを 定量的に判断することはたぶんできない。定性的、つまりは「趣味」で決める他なく、 「いらん」という判断と「いる」という判断は同じくらい合理的でありうる。 どちらを合理的とするストーリーも容易にでっちあげられるからだ。 ただ、社員が行きたいと言うのに止めれば、それは人心の面で悪影響を与える。 だから、いらんと思っても妥協の結果として行かせる可能性はある。 そしてどうせ行かせるのであれば、歓迎していない本心を丸出しにするよりは、 理解し推奨すらするような態度を出す方がおいしい。

というか、経営幹部レベルが「CEDECに行かせて勉強させれば成果が上がる」 とか信じてる例があるとしたらその方が恐い。

ハードを使いこなすのが難しいせいで起こる損害なんて 大したことないと思うんだが、そんなことないのかね。 別に性能出ないだけだろ?それでできる範囲で作ればいい。 メモリだって、足りないなら足りないなりの作り方をすりゃいいだけじゃないのか。 たぶん、メモリが足りないと言ってる人は私とは違う現実を見ている んだろうなあ。

2013年03月11日

thinkpad twistがタッチできて電気も食わず良さそうなのだが、 何故か無線が2.4GHzだけ。5GHzもつけられれば今すぐ買いそうなものだが。 これはとりあえずhaswell待ちか。でも秋以降だよな確か。 それに、いずれタッチパネルが当たり前につくようになるのはおおよそ見えている。 うちは単にタッチパネルがあればいいのであって、 twistみたいに変なものである必要はない。 壊れやすそうだし。

コンテンツをタダで味わえるのはおかしい、と言うのは作る側の事情であって、 宇宙の真理ではない。 少なくとも味わう人は時間を払っており、 それを味わったことを表明したりすることで そのコンテンツを広めたりもしている。 コンテンツを作る側が「それを消費してもらうこと」そのものを報酬と 考えるのであれば、その意味でコンテンツはタダではない。 金を取らなくては成立しない、というのは狭い考え方だ。 金を必要としない創作者は存在しうる。 それが支配的な世界というのはありえないものではない。 それはそれとして、コンテンツ作りを商売としてやるのであれば、 金を払ってもいいと思うような物を作る必要があるし、 また、金を払ってもらう仕組みを考える必要もある。 それはコンテンツを作って商売する側が考えることだ。 それができなければ滅ぶだけのことである。

と、そう思えばこそ、滅ばないように必死に努力できる。 他人のせいにして甘ったれたことを言うヒマがあったら 喜んで金を払いたくなるようなものを作るのに力を注ぐべきなわけだ。 で私は、そのジャマをするものを必死で取り除いて、 現場が24時間客のことだけを考えていられる理想の世界に近づけるよう 努力するわけだな。なるほど有意義な仕事である。

WiilUより先に3DSを買いそうだが、 ドラクエ9を買ってからでいいと 考えるとそれすらだいぶ先になる。DS買ったの気胸で入院した時だから パワスマ3作ってた時か? さて、ひつじこはムドーを倒したらしい。

ゴーストトリックをやりたい。だが、一旦最後まで書き終えねば話にならぬ。 最後まで行ったら品川の二郎行って、その晩は徹夜でゴーストトリックするんだ。 早ければあと三日。

関数名は名詞なら、その名詞を得るゲット関数。 形容詞なら、そういう形容詞があてはまるか否かをboolで返す関数。 こういうルールは悪くないな。size()でサイズが取れ、empty()で空かどうか取れると。 STLのルールそのものだが、これは私ももらおう。

津波で被害を受けた所はすでに限界集落な所も多く、 復旧しちゃいけない所もあるんだろう。だが、それをはっきりと言うのは酷すぎる。 しかしだからと言って、一向に復興が進まないままお年寄が 一人また一人と亡くなっていく、というのもやはり酷だ。 政治家がそういうところのケアをしないといけない職業だとすれば、 それは大変なことだと思う。

味噌汁は、魚ダシをまともに取りさえすれば簡単だ。 もらいものの混合節50gを1Lの沸騰した湯に入れて、少しアクを取って10分煮る。 中火まで行かないが、完全に弱火でもないくらい。モノが分厚いので 汁が動くくらいにする。別の鍋にザルを置いて、節を除く。 あとは適当に具を入れればいい。 具によって加熱度が違うことに注意する。 大根、にんじんはかなり煮ておいていい。沸騰気味で10分くらいかかる。 早く煮たければ元の繊維方向に長く千切りにすること。 ブロッコリーは5分。わかめ、ネギ、モヤシ、あたりは沸騰したら終わりでいい。 冷凍鮭ハラミに至ってはほぐれたら終わりでいい。 白菜は1分でも食えるが煮ておいてもいい。ほうれんそうなどの 普通の葉物野菜は3分未満。 そして、味噌の量は1リットルあたり56gくらい。 決して沸騰させないこと。火を止めてからでもいいくらい。 なお、鮭は80gを3-4パックが適量。 鮭の代わりに豚肉を入れてもいい。もし塩漬けにしている場合、 味噌を減らすこと。100gあたり1gの塩をまいているはずで、 200g入れるなら2g分味噌を減らす必要がある。味噌8gで塩1gなので、 この例なら40gにする。 肉は道場で粉砕して肉団子にしてもいいかもしれない。 卵と一緒に粉砕するとオタマも食うかもな。

もらいもののダシがなくなったら、かつおぶしを削って入れる。 この場合、50gも削るのは面倒くさすぎるしもったいないので、 適当でいい。1分がんばるくらい。新鮮なので少なくても味が出る。 こちらは弱火で5分煮出す。どうせ粉になっているので、面倒なら捨てなくてもいい。

書いてみると案外複雑だな味噌汁。 しかし、基本がわかっていれば、結果のレシピを覚える必要はない。 塩とダシの濃度、そして加熱度。結局これだけだ。ここにスパイスとハーブ、 酸味や苦味、甘味などを加えるが、それらは二次的と言ってもいい。 ちょっと違う料理を作りたい時にはそこが重要になるが、 普段栄養のために食べるものにおいて、そこは適当でいい。

ダシは植物と動物。 味噌、昆布、トマト、醤油、チーズは植物群。肉、魚、ナンプラーは動物群。 なお、チーズは植物扱いにする必要がある。こいつの味は核酸でなくアミノ酸 だからだ。だから肉や魚と合わせる。チーズにナンプラーをかけて焼くと 即席旨味地獄が出来上がる。納豆とナンプラーの組合せもすごい。 核酸系の調味料は少ないのでナンプラーは本当に重宝する。 オイスターソースは混ぜ物が甚だしくて使い物にならんし、 干し貝柱なんかは高すぎてどうにもならない。

案外厄介な食材が卵。動物性のくせに肉や魚のようにダシにならない。 温泉卵をそのまま食うのが最も良い。 他の調理法は娯楽として考える。

2013年03月10日

山本電気のMB-MM22Rが素晴らしすぎる。ミキサー。 氷を粉砕してかき氷を作れるほどのパワー。 出来る挽肉の品質が素晴らしい。 入れすぎると安全装置が働いて止まるので、 入れすぎて機械を傷めることもない。 強いて言えば、電源ケーブルが巻きとり式だったら収納が楽だっただろうが、 まあ問題ない。あとはこれの大容量版が欲しくはある。 こいつは300gまでだ。

花粉症きついなあ。今日は家族揃って一回も外に出なかった。 窓から見える外が黄色いぞ。

黄砂どうにかならんかなあ。

定期預金は過去30年インフレに負けていないという指摘。 なるほど、定期預金より株や土地を勧める人はだいたいこれを根拠に反論される。 インフレ率が連続的にゆっくりと変化する限りにおいては、 金利も連続的に変化するはずだから、問題にはならない。 多少遅れた所で大した害はない。 また、この過去30年はインフレ率が下がる方向で変化してきたため、 なおさら負けることはありえない。 インフレ率が下がるのに金利が遅れて追随すれば、預金は有利になる。 預金が負けるのは、不連続で上昇方向の変化が起きた時で、 それが起こらないと考えれば預金は安全である。 起こるかもしれないと思えば、預金は安全とは言えない。 私は起こるかもしれないと思っているので、分散をしている。 しかし、起きずに済むならその方がいい。 ドル200円になれば私も当然損をする。 ただ、他の人に比べて損の額が小さいだけだ。

過去の延長として未来を見る気はない。 原理的に起こりうることには準備がいる。 心の準備だけでいいこともあるが、何かしら実際に準備できることもある。 少なくとも、起きた時に驚かないようにはしておかないといけない。

それにしても大もうけだぞ。ドルで見てもなおもうかっている。 世界中がリスクを取る気になったらしく、株が上がっているからだ。 しかし、こんなのはちょっとしたきっかけで吹き飛ぶ。 リーマンの時にはそれが起こった。 その意味で、やっぱり人には勧められない。責任が取れん。

国内債券投信をまた売った。円比率はまだ落ちる。

国内債券投信が上がっているということは、金利が下がったということだ。 債券市場ではインフレが起きるとは思われていないのか、 あるいは日本国債の安全度が上がったという判断なのか。

13章を半分くらい書いた。3マステトリス終了。あとはテーブルを書き換えれば 4マステトリスにできる。回転処理をもうちょっとエレガントにしたいが、 そこは理解できなかったとしても一応テトリスにはなる。 それでめでたく完成したら、 終章14章にて、ゲーム性とかざりに気を使ったバージョンの紹介をし、 さらにHTML5版のソースをちょっと見せて、実用言語もそんなに変わらないよ、 と言いつつ先を示して終わる。その後後書きと謝辞をなんとなく書いて、 一応最後まで行ったということになる。 付録のリファレンスの類は全部zipに入れるので、 脱稿までに完成させる必要はない。 問題はHTML5版だな。私haまだjavascriptでまともなもの書いたことがない。 極力Sunabaからの距離が近くなるように書くので、 javascriptとは思えない原始的なコードになるのは間違いないが、 やってみたら案外しんどいかもしれん。

菅元総理を思い出すにつけ、自分がよくわからんことに口を出してはいかん ということをかみしめる。現場が一番知ってるなら現場が決めればいいのだ。 ただし、それはそれとして、 何かしらを頼むのであれば、 自分が良く知らんことであっても放置するわけには行かない。 自分が仕事を頼んだ人間が、自分の要求を満たす仕事をしたのかどうかは 知る必要がある。でも、それはそう難しいことではないだろう。 「こうでないと困る」という点についてそうなっているかを聞けばいい。 動かしてみればわかることなら動かしてみればいい。 そして、そうなっていない点があるのであれば、それは何故かを聞く。 場合によってはその理由を理解するのに専門知識が必要なケースもあるが、 そういう場合は担当者の専門知識を疑わない範囲に済ませるべきだ。 論理的に破綻や矛盾がないかどうかだけを調べればいい。 それ以上のことはできないのである。

例えば、相手が「これを可能にすると計算量が爆発するので無理です」 と言う場合、自分がそれを否定できるだけの専門知識を持っていればともかく、 持っていないならそれは受け入れないといけない。 頼んだ側ができるのは、「計算量が爆発してもかまわんから可能にしろ」と言うとか、 「許容できる計算量でできるのはどこまでだ?」と聞くとか、 そういうことだ。「そんなことはない。できるはずだ」 と言ってはいけない。言うならば、その仕事を引き取らねばならない。 しかし、それをするくらいなら最初から任せるべきではないのだ。 教育のために任せるケースでは多少話も違うが、 普通は上に書いたような対応をしない限りうまく行かない。

頼んだら基本口は出さんようにせんとなあ。 頼んだ後の確認よりも、頼み方に神経を使うべきだ。 頼まれる方と頼む方の間で世界の見方みたいなものがある程度共有できてないと 全然話が伝わらないことにもなりかねない。 頼む側が何を見ているのかは、紙に仕様を書いた程度では 伝わらんわけで、日頃のコミュニケーションが必要だ。 厳密な仕様書を書くことでそれを省略することができる、 という考え方もあるが、私にはどうにも信じられん。 そして、頼む人が他の会社や外国にいたりするならともかく、 振り向けばそこに座っているというならば そのようなやり方をする利点はない。ないと私は信じる。

しかしそれはそれとして、頼んだものを放置しておくわけにも行かん。 どれだけコミュニケーションを取っても、絶対に完璧ではありえない。 最小の手間で保険はかけておく必要がある。 そして、その保険にかけるコストもまた、 日頃のコミュニケーションによって小さくできる。 「あれ?あーそういう意味でしたか。オーケーすぐ直します」 程度で済まそうと思えば、結局日頃の行いが物を言う。

ゲームデザイナーはプログラマや絵描きに物を頼む立場だ。 そして、頼んだ側は頼まれた側が持つ専門知識をほとんどまったく持っていない。 だからこそ、ゲームデザイナーには物を頼むスキルと、 それが正しく実行されることを確認するスキルが要求される。 そしてその前提にあるのはコミュニケーションのスキルだ。 ゲームデザイナーが日頃から何を考えているのかが 伝わっていなければ、結局まともな仕事はできん。 なるほど、チームがデカくなったり、地理的に分散したりすれば やむを得んこともあるだろう。 そういう時にはその害を最小化するための努力と工夫は必要で、 その手段として仕様書なり何なりが出てくるのはわかる。 しかし、厳密な仕様書とやらで解決できると信じるのは無茶にも程がある。 プログラムに関して言えば、「厳密な仕様書」とは、 「すでにして動くプログラム」以外の何者でもないのである。 それ以外の形であれば必ず曖昧さが入りこむ。 どのような形を取るにせよ、「相手に意図が伝わっていないかもしれない」 という疑いは常に持ち続けねばならない。その危険をどう軽減するかは 本当に難しい問題であり、絶えず注意せねばならないわけである。

上司になるってのは、それをわきまえることのはずだ。 上司は常に部下に仕事を頼む存在だから、これに例外はない。 部下の立場で考えた時に、都合のいい上司というのは、 それができている上司のことである。 上司になってから考えればまた違う世界も見えるのだろうが、 しかしそうであっても、部下にとって都合の悪い上司になれば、 絶対にうまく行かない。 服従するわけないし、下手すれば反逆が起こる。

まあ、上司になったことないからわからんけどな。 今は形式上対等の立場でしか物を頼んでない。 年と階級が上なので、実質的には上司と思われてるのかもしれんが。 これが形式的にも上司になる日がいずれは来るのかもしれんが、 制度的にも現実を見ても、それは1年以内ではありえない。 要するに1年かそこらは安心して実験できるということだ。

1年後。順調に行けば子供が4歳の誕生日寸前のオタマと、6ヶ月の赤ちゃん。 ひつじこの卵子は年齢の割には若いそうだし、もう一人欲しいがなあ。

レンダリング本。今書いてる奴の続編のオブジェクト指向編。 数学。物理。アルゴリズムとデータ構造。前の奴の改訂。 書きたいのが6冊あるわけだ。今のが出たらすぐ改訂にかかろう。 やることが決まってるので悩む時間はいらんし、 細切れの時間でもやれる。土日だけでも家でできるだろ。

Sunabaにデバガつけたりエディタ統合してIDEにしたり、mac対応したり、 iOSやAndroidで実行プログラム作ったりするのは他人にやってほしいなあ。 自力でやるのしんどすぎる。そんなヒマあったら次行きたい。 しかし、そこがちゃんとしてないと学習効果が低いとか言うなら、 やっぱりやらんといかんことになる。 とりあえずソースは置いておこう。 「著作権は放棄する」って書いとくのと、「BSDライセンス」って書いとくのと、 どっちがうれしいのかね、こういうのって。 メジャーなライセンスにしておいた方が扱いが楽、という話はよく聞く。 「気分としては著作権を放棄する感じでそう思ってもらっていいが、 法的にはBSDライセンス」 というのがいいのか。そうすれば法とか気にしない人は気にせずに済む。

2013年03月08日

ドル114円、ユーロ164円の時に買った外貨預金は、 今は外貨MMFの形で眠っている。 分散投資がどれほど重要かを思い知るために、 あれは必要な失敗だった。 損切りできないのはダメ、と良く言われるし、それは事実だが、 時間方向の分散ができていれば、損切りせねばならない状況に 陥る可能性はかなり下がる。 まずは分散だ。その上で、耐えられる損害率を決めておいて、 そこで感情をはさまずに売るようにすることは重要だろうと思われる。

もっとも、余った金をつっこむのが投資であって、 その意味では耐えられる損害率は100%と言ってもいい。 一方で、金はあれば使えるのであって、なくなってもいい金などないとも言える。 その間のどこに線を引くかはそう簡単なことではない。 加えて、「実質で見ても絶対にいくら以上のダメージを負わないように投資する」 ということはそもそも不可能である。普通預金につっこんでおいても 円安したりインフレしたりすれば実質ではダメージを負うのだ。 そういうわけで、結局のところ 「いくらで機械的に損切りすると総合的にプラスになるか」 という程度を判断する問題になる。やっぱりこれも簡単に決められない。 損切りは難しい技術なので、素人はそんなことよりも分散を重視すべきだろう。

カツマ本に馬鹿正直に従った人間は、今はおおもうけしているはずだ。 去年末まででビビッて降りた人も多かっただろうし、 実際叩かれていたわけだが、私はあの本は有益な本だったと思っている。 そもそも、「期待値としてはプラス」と言っていただけで、 実際どうなるかについては何も言っていないのだから、 参考にする人間は「実際にマイナスになることもあるだろうが、期待値がプラスならば それで良い」と納得した上で実践すべきだろう。 リーマンやらで損したと叩くのは変だ。 そもそもきちんと時間方向の分散をしていれば、 マイナス幅はたかだか20%程度だったはずだ。 それもリーマンやサブプライムの直後だけで、 数ヶ月以内にはマイナスは数%に収まっていたはずである。

もっとも、預金で放置しておく方が実質的な危険度ははるかに高いと思うのだが。 額面なんて大した意味はないのだ、ということはもうちょっと広まってもいい知識だと思う。 ガソリンの値上がりは、本質的には円の値下がりなのだから。 そろそろヨーグルトのパッケージが450gから400gに減るかもしれない。 納豆も45gが主流になって久しいが、そろそろ40gのものが増えてくるかもしれない。 これらは保温に莫大に電気代がかかるため、電気代が上がれば価格転嫁せざるを得ない のだそうだ。 ところで、ヤマザキのケーキドーナツって 私が大学の時には1000kcal以上あったよな。今は800しかないのだが。

炎症。血管が拡がる。汁が漏れ、一緒に白血球その他が血管から出ていき、 そこで敵と戦う。なので赤くなるし、湿ってきたりもする。 ひどいことになるとそのへんの細胞ごと敵を皆殺しにする特殊部隊まで出てくる。 さて問題は、そこに敵がいるのかどうかだ。 敵がいなくてもこれが発生してしまうことがある。 皮膚が弱くなるとちょっとした刺激で炎症スイッチが入ってしまうのが厄介だ。 そして厄介なことに、一緒に痒みが発生する。 痒みがどう合理的なのかがよくわからん。こいつの合理性がわかれば 人体がどういう前提で設計されているのかが見え、対処もわかりそうなものなのだが。

これに対処する方法。まず皮膚を強くする。 これは生活をまともにすること以外にできることはない。 刺激を止める。服による摩擦なら、服を脱ぐか、何か刺激にならないもので覆う。 空気と乾燥による刺激もあり、この場合は覆う必要がある。 ワセリンを塗るなどの手がある。 ただし厄介なことに、温度も刺激になりうる。 下手な覆い方をすると温度が上がって、これが痒みの原因になる。 ワセリンを塗るだけでも熱伝導が弱まるので温度は上がり、 これがワセリンで悪化する原因の一つだろう。 塗る時の手の摩擦も悪化する原因の一つだろうから、 よく温めてワセリンを流動化させると共に多めに使って、 圧力をかけずに塗ることが必要だろう。もちろん手は洗う。 それと、治癒を早めることも効果があるはずだ。 これには、傷を乾燥させないことが肝要で、 つまりワセリンを塗るなり何か水を通さないもので覆うなりしろということになる。

ちゃんと食う。ちゃんと寝る。疲れない。 その上で、その部分の温度が上がず、摩擦にならないように何かで覆う。 熱伝導率が高く水を通さず、内側がゲル上で摩擦が小さいような、 そんな都合がいいものがあるといい。ハイドロコロイドはそういう条件を それなりには満たす。その上に服を着ていると温度が上がりすぎるかもしれない。 面積が広い場合は結局のところワセリンだ。プロペトならなおいい。 塗る際には手を洗い、多めに使い摩擦を与えないように注意する。 体が冷えてもマズいが、傷が温まるのもマズいというなら、 理屈の上では部屋を温めて薄着もしくは裸で寝ればいいということになるだろうか。

ひつじこそこそこ食ってると思うんだよな。ただ魚が少ないから 油が偏ってはいる。リノール酸が多いと炎症が強まると評判だし、 魚を食えということになる。 疲れと睡眠不足はオタマがいるからどうにもならんところがある。 もっと手を抜けばいいんだろうが、ひつじこはそれができんからなあ。 後は治療側でやれるだけのことをするだけか。 あとは、しばらくガーゼのパジャマ以外着るな。 外行く用事は基本私が引き受ける。 湿疹だろうがなんだろうが、結局のところは傷だ。 傷であれば、湿潤環境にして刺激を除去できれば数日で治る。 逆に言えば、治らないならば、湿潤環境になっていないか、 刺激が消えていないということだ。 あとは皮膚刺激が少なく外に出られる服をどうにか確保することだな。 さすがにずっと外に出ないというわけにも行かない。

久しぶりにマーガリンを食べたが、うまくないなこれ。 ひつじこの気の迷いで買ったにすぎないものなので、捨てた。 同じように気の迷いで買ったうどんは昼食べたが、やっぱり捨てりゃ良かった。 午後の眠気がひどいことになった。

2013年03月07日

オタマはひらがなを10個くらいは覚えているように見える。 あいうえお表の前で「つ、はどれ?」と聞くと指差すのだが、 違うあいうえお表を見ながらでもわかるかはわからない。 「つ」から「つくし」を連想し、つくしの絵を探し、 その上にある「つ」を指すという経路である可能性も濃厚にある。

病院に20万払ってきた。分娩費用が今回は70万くらいかかる。 国が40万くらい払ってくれるので30万で済むが、 うちみたいな家庭に払う余裕があるなら他に回すべきだろ。 所得制限つけた方が良くね? 所得制限をつけると事務コストが上がるとかよく聞くが、 このIT化した時代にその程度の複雑性でコストが上がることの 方が問題だろ普通に考えて。

やっぱり私は左翼だと思うんだがなあ。 規制緩和に小さな政府って、どう考えても左翼の思想だろ。 国家とか民族とかいうものをブチ壊す側が左翼だとするならば。 なぜそれが右翼だと思われてるんだ? たぶん資本家と労働者という対立軸で見てるんだろうな。 そんな考え方今時流行らんだろうに。

当たり判定を一回しかせずに済ませられんものかなあ、 とテトリスを書きながら考えていて、猛烈に眠くなって寝てしまった。 起きた後、思いついた。ちょっと挙動がおかしくなっても良ければ行ける。 これでいいじゃん。どんどん最終コードが短くなるな。 200行そこそこのものを書けるようにするために500ページも書くわけだ。 もうページ数は減らない気が濃厚にしてきたぞ。 世界で一番詳しいテトリスの作り方になると思う。

1500円は無理か?税込2000円ならオーケーか? でもまあ、極力がんばろう。ページ数も価格も品質より優先なわけではない。 しかし、より少ない量で同じ質の説明をする努力は最後までやる。 ただ、それで「味」みたいなものが失われるとすれば、 それも厄介なことだ。プログラミングの本に「味」とか言っても 仕方ないし、そういうことを言うのは勘違いだと言う意見もあるだろう。 しかし、前に書いたものがウケたのは、書評を見る限り私の「味」による面も 大きい。自分としては必要になる順に淡々と説明を書き連ねただけなのだが、 分量を制限する気がなかったために知らず知らずのうちに雑談が混入し、 あんなことになった。なんとなく浮かんだことがそのまま垂れ流された結果が あれで、設計して雑談を挿入したわけではない。 今回も今はまだ分量を制限していないため、同じことになっている。

しかし、削ってこそ良くなるのも間違いない。 漫画は最初のコンテの1/3くらいのページ数まで削らないと面白くならない、 というのは感覚的にあった。一つの絵に込める情報量を増やすこともあれば、 焦点をぼやけさせる情報は大胆に切ることもあった。 本も同じだろう。同じはずだ。 しかし、前回はそういうことを全く考えずに書いて、ああも売れたわけである。 たぶん、漫画と違って一息に読む分量ではないため、 「ブログ一年分」みたいな適当な書き方でも良かったのだと思う。 どれくらいの量を読んで一息つくかは読み手が決められるということだ。 漫画はそうは行かない。話が一段落つく単位でしか止められないし、 そうでなく止まったら作者の負けなのだ。この手の本の場合そういう性質はない。

やっぱり適当でいい気がしてきた。 ただし、紙代の問題はキツくて、到底無視できない。 私が無駄な文字を書けば書くだけ紙代が上がり、それによって価格が上がる。 前の本くらいぶ厚ければ多少増えてもどうでもいいやと思えるが、 今回はさすがにそうは行かん。

たぶん、本がデカい方が安いんだよなきっと。 紙の面積に対する情報量の比率が上がるので紙の面積がそもそも減るし、 紙の面積でなくページ数に比例してかかるコストもたぶんそれなりにあるだろう。 A5で作るのはたぶん効率は悪い。 B5で薄くなる方が安いとしたら、その方がいいかもなあ。 そのへんは編集さんに確認しておかんと。 一番安くなる形でおねがいしよう。

ページが多くても軽くて薄い、 というのは困難らしい。薄くて透けない紙は高いのだそうだ。 前の本を改訂する時にはそのへんをどうにかできればと思ったが、 値段が上がることは許容できないので無理っぽい。 いっそ「軽くて高いの」と「重くて安いの」の2バージョン作ったらどう? とか思うが、まあ元が取れんわな。 買ってくれる人はいるかもしれないけど。 そもそも重さを言うなら電子書籍版を売れよ、という話だし。 つうか、そのうち本当に売ってくれないかなあ。 検索できた方が絶対いいよあれ。

これ、結構な確率で「3000円で」と言いそうだよなあ。 部数が前と同程度に出たとしても、値段が半額ならもうけも半額になる。 編集コストその他は何を作るにしても大差なくかかるわけで、 安い本ほど割に合わない。 ボーンデジタルのがああいう価格になるのも仕方ないんだろうと、 今ならわかる。 死守ラインは税込2000円なんだが、それだと利害関係者に十分な利益を 与えられない可能性もあって、それはマズい。 出版社が十分にもうけてくれないと、次がないからな。 でも、大した数も出てなさそうな本が1500円で売られてたりするわけで、 どうにかならんでもないんじゃないかという気もする。わからん。

もう4時だが、12章を一応上げた。 節分割を直さないといけないので、明日一回推敲するが、 それはもう軽く済ませてとにかく13章に進もう。 一回最後まで行く。最後まで行くんだ。 そうしたら、これまた辛い二周目が待っている。 推敲というレベルに留まらず、大胆に再配置や削除をせねばならない。 そしてさらに、図を全部書きながら進める。 方眼紙に鉛筆で手書きしてはカメラで写真をとる、という感じになるな。 スキャナとかデカいし邪魔だ。

前の本が一行42字くらいある。今の仮レイアウトは33字くらいだ。 これでかなりの差が出るが、紙の大きさの比率から考えてそれほど悪くない。 紙の利用効率的にはあまり差がないかもしれん。 それにしても、仮レイアウトで460ページあるぞ。 あと2章足すし、まだ図も一切入れてないんだが。さすがにヤバくね? でもまあ、最悪600ページの本を出せばいいと考えれば、まあいいか。

デカい方が開きっぱなしにしやすい。薄くなるからなおさらだ。 重量が同じならデカい方がいいのかもしれない。 だが、紙がデカいとコードの量に比例して紙の利用効率が悪くなる。 今回はコードが多いからな。前回の比じゃないくらい多い。 そうすると、幅広は不利かもしれん。

今から寝るのか?寝ない方が良くね? でも3時間寝ればそこそこ回復するよなきっと。帰ろう。 最後まで出来たらB5とA5で比べてみよう。

2013年03月06日

外から見ておかしく見える時でも、 中の人間にとっては合理的なことはある。 外の人間が持っていない情報を中の人間は持っているのであって、 能力が同じであれば中の人間の判断の方が正しい可能性が高い、 という仮説はもっともらしい。 したがって、「あそこ何かおかしくね?」と思っても 「オレにはわからん事情があって、きっとあれが合理的なのだろう。 よそ者が口を出すことじゃない」 と考えるのが、大抵の場合は正しい。

しかし、自分の今までの過去を振り返るに、 中の人の判断が合理的でないケースはある。 それが稀ならいいが、稀というには多すぎるくらいにある。 なるほど中にいれば得られる情報は多いが、 人間の判断能力は有限であるため、 その情報の多さがマイナスに作用することもある。 人間関係や歴史的経緯が過剰に大きく見えることは多い。 また、「うちのチームおかしくね?」と言うことで自分が失うもの のことを考えると、言いにくい。とりわけ年少の者は言いにくい。 さらに慣れも厄介で、問題の大きさを小さく見積りやすい。 その意味で、他者の目を適切な度合いで確保することは大切だ。 もちろん余所者にトンチンカンなことを言われて 時間を無駄にすることもあるが、 ある程度まではその無駄を保険料として許容する方が致命傷を避けやすい気がする。

しかし現実問題、外部からのチェックというのは稀にしか行われない。 普通は外の目に晒したいと思わない。 トンチンカンな余所者の相手をするヒマはないし、自負もある。 また、チェックする側に関しても問題で、 普通は他人事に首をつっこもうとは思わない。 まともな判断力を持つ人間であればあるほど、思わない。 うまく行っても他人事だし、うまく行かなければ 自分の株を下げ、相手にはいらん時間を取らせて迷惑をかけるだけとなる。 メリットがほとんどないが、デメリットは大きい。 つまり、チェックされたくないし、チェックしたい人もいない。 大抵の場合、チェックが入るのは誰の目に見ても明らかなほど 事態が悪化した後だ。上位の力が働いて強制的に入ることになる。

それに、「助けたい」という思いには、倫理的に問題がある。 助けるというのは、どこかの点で 自分が正しくて相手が間違っていなくては 成立しない言葉である。そもそも傲慢だ。 「みんな精一杯がんばっているし、自分が優秀であると信じる 理由もない。口を出すのは邪魔にしかならない」 と考えるのが、倫理的に正しい謙虚さである。 よって、自分から助けたいと思うのではなく、 助けを求められたので応じる、という形を取らなくてはならない。 それであれば、助けられれば感謝され、 助けられなくても責任は生じない。

みたいなことを考えたくなるような出来事がいくつかあったので書き留めておく。

やっぱ自分がコントロールできる範囲で実績を積み上げることに 集中すべきなんだろうな。 いらんことはせんで本書いてろってことだ。 味方に塩を送る方法は 敵味方無差別に塩を送ること以外にないのかもしれない、と良く思う。

「遅くないコードを書く」に絞って扱った本を書いたら いいんじゃないかなあとずっと思っている。

本当に得意なことってのは、「他人がなんでできないのか全然わからない」 くらい自分では当たり前に思えることらしい。 まさかとは思うが、私ってプログラミング得意なのか? もしそうだとしたら、人に教えるのは適任とは言えんなあ。

まあ今書いてる本が出ればはっきりするか。 今日はちょっとだけ書けたぞ。

次から次へと写真が女性にしか見えない男からfacebookの友達リクエストが 届いているのだが、何だこれ。

2013年03月05日

女性は妊娠出産で割を食いすぎている。 社会として産んでほしいならいろいろ支援すべきだし、 支援が嫌なら開き直ってなりゆきにまかせりゃいいんだと思うんだがなあ。 人口減少が始まって50年も経てば人口増加時代の諸々を改めることにも 抵抗がなくなって、自然にどうにかなるんだろうし、 今は少子化してもいいと開き直ってはどうか。

ひつじこに聞いたら、出産はせっかくついてる機能なので、 使ってみたいと思うのは自然だとのこと。 若いうちは仕事の方が大切に思えても、30過ぎたあたりで やっぱり使ってみたいと思う人は多いんじゃないか、みたいな。 若いうちしかできないことは男にもあるが、その重みがケタ違いなわけだ。 ただ、出産に伴うコストが半端ないため、葛藤も激しいものになる。 単純にやりたいかやりたくないかというものでもないわけで、 それは大変だと思う。

でもそれはそれとして、「子孫とかいらねえ」と思う人に対して 変な圧力をかける社会は居心地が悪いだろう。

もし無理矢理出生率を上げたいなら、 産まれた子供を正当な権利として捨てられるようにする、 くらいのことをしないとどうにもならん気がするけどなあ。 赤ちゃんポストを国策でやるくらいの勢いで。 もちろんそれは極端で、 平日あずかって週末だけ親に返す施設を作るとか、 朝7時から夜9時まであずかる保育園が普通になるとか、 まあいろんな段階があるとは思うが、 とにかく子供と一緒に過さなくてもいい、 という状況にしない限り、子育てのコストの高さは いかんともしがたいように思われる。 もっとも、そうしたらそうしたでいろんな副作用が起きるんだろう。 人口が減る方がまだマシだと思うようなことも起きるかもしれない。 というわけで、私はやっぱり人口が減るのは仕方ないから あきらめる、というのがいいと思う。 その条件で制度設計し直せばいい。

ナイジェリアが7億人の国になるという予測が あるわけだが、いやさすがに無理だろ... しかし何が起こって無理になるのかと考えると、 あまり愉快な理由は出てこない。

本書くのは土日以外無理なのか。勝手に始めた仕事が気になって仕方ない。 でも、始まるかもと思った仕事は始まらなかった。それも複数。

2013年03月04日

売上と利益ってどう考えればいいんだろうなあ。

「問題と機会のどちらに力を入れるかを迷ったら機会に入れろ」 というのが商売の基本ではあるらしい。本で仕入れた知識で実践を伴わないが、 感覚としては納得できる。 ただし、自分が問題に力を入れる部署にいるのであれば、 すべきことは問題解決だ。 自分より上位でその資源配分の決定がなされているのだから、それでいい。 しかし、自分の部署がどっちなのかがわからんとなると厄介だ。 下っ端に至るまでが自分でそれを決めねばならなくなる。 もっとも、それも悪いことばかりではないか。 全員が「自分が社長だったらどうするか」を考えねばならないということなわけで、 それができたらすごくいいように思える。

音楽を聴きながら仕事することで集中する、というのはどうやら無理らしい。 音楽に集中してしまう。 もっとどうでもいいものをかければいいのか?

ゴーストトリック。犬を助けるまで。 これ、良くできてんなあ。だが、 夜中以外にできる時間はなく、 夜中はすぐ寝てしまうので続きがなかなかできん。 とりあえず私がクリアしてからでないとひつじこには やらせられんし、どうにかやろう。 詰まった時に助けられないと。 ひつじこが一人でやるには難しい。

バッハのシャコンヌにはピアノ版がある。 ブゾーニという人が編曲したものらしい。 あまり好きではなかったが、 まともな演奏ならちゃんと聞けることを知った。 でも、ピアノの限界は感じる。単音のクレッシェンドができず、 どうしても音の出がうるさい。優劣でなく守備範囲の問題なんだろう。 この限界を補うための編曲がなされてはいるのだろうが、 演奏者はそれを簡単に台無しにできる。

コストダウンといいものを作ることは必ずしも矛盾しない。 というか、それが矛盾しない範囲でのコストダウンに集中して取り組むことが たぶん重要なんだろう。

人の能力が高まることが一番効果は確実なんだよな。 能力が高まれば何をやっても良くなる。 問題は能力を高めるのにかかるコストを、 高まった結果得られる利益より小さくできるかだ。 コストは今確実にかかるから大きく見えるが、 利益は未来のものなので小さく見える。 それだけに、相当な確実性を持って、明らかに安いコストで、 短期間に大きな成果が出るような能力向上手法でないと実行する気になれない。 あとはあれか。短期的に結果を出せる仕事に、バレない程度に 訓練や教育を混ぜていく手法か。 そのへんのバランスを取りながら人に仕事を振っていかないといかん。

ジョジョ2部ってアニメにするといろいろ間抜けだが、 しかし芝居がたまらんのでそんなことはどうでもいい。 作り手の熱意を鑑賞する作品、という印象は正しい気がする。

2013年03月03日

川崎カルディでブルーベリーと茶。 山本電気のフードプロセッサーを買いにヨドバシにも寄ったが、なかった。

帰ってヨドバシのネット店舗で買ったら、今日届くらしい。 すげえなヨドバシ。

腹が減ったので、いんげんとにんじんとにんにくとクミンとキャラウェイ と豚肉薄切りを炒めて、ココナッツミルクとナンプラー。 横の鍋でタイカレーペーストを炒めて、これは別の皿に盛る。 好きなだけ混ぜて食べる形式とした。 しかしそれでもオタマがあまり食わんなあ。 根本的にココナッツがダメなのか、それとも単に腹が減ってないのか。 チーズ食った直後ではあるもんなあ。

ちょっと味濃かったか。たくさん食べるとのどがかわく。 ちょっと食べる時の味付けと、たくさん食べる時の味付けは違う。 豚肉に振った塩の分だけナンプラーを減らすのを忘れていた。 まあ20分かそこらで作ったからな。

いらんincludeを見つけ出す自動ツール作れんかなあ。 「消してもビルドを通ることを確認する」と考えれば、 時間はともかく自動化はできるはずだが、 これでやれるのは「本当にいらんインクルード」だけで、 たぶん大した効果もない。 たぶん規模がデカくなるとインクルード関係の図なんて描かれても困る。 しかし、とりあえず図を描く前段階のグラフ生成までをやって、 そこで見やすい統計データを吐くツールを作るまでは そう難しくもなかろうし、それだけでも案外役に立つような気はする。 「こいつをインクルードすると、そこから先に大量についてくるヘッダ」 みたいなのを自動で見つけ出すことはそれほど難しくない気がする。 気がするだけだが。

なんてことを考えているのは、本を書くのが苦行すぎるので 現実逃避しているだけである。ただ、 人の役に立つ現実逃避であればそれも良かろう。 仕事のストレスを仕事で解消する、というのは実に効率的だ。

ジョジョ、ワムウに毒をセットされるまで見た。芝居のテンションが異常。 それにしても2部って映像化すると間が悪いな。 いや、漫画でもそうだったかもしれんが。 そこを楽しむところはあるし。あと、ワムウ達の言語修得速すぎ。 ずっと前から実は目覚めてた、と考えればいいのか。

2013年03月01日

12章で回転を加えているわけだが、 適当に書いてきたツケが回ってきている。 しかし、適当、つまり「思いつきやすいが非効率な書き方」 を優先して書くのは本のコンセプト上やむをえない。 そして、客が素人であれば、奇麗なコードにすることの 価値はわかるまい。とりあえず機能を実装して動いたら、 コードがどうだろうが先に行きたいはずだ。 それを私の都合で整理することを押しつけるのは良くない。 そういうわけで、許容できるギリギリまで汚ないコードのまま 進んできたわけである。

しかし、回転を足すのは大改造だ。元々40行くらいあるメインループに、 20行とかのブロックを足すことになる。 紙を馬鹿食いする上に、たぶん読者の把握できる限界を超えてしまうだろう。 まだ戻り値をもった関数を紹介していないので、 関数化して飛ばすにも限度があるし、 それがあってもそれほどは減らない。長いのは根本的にやり方がマズい からなのだ。しかしそのマズいやり方が一番思いつきやすく、 説明もしやすいのである。 極力コードは省略せずに紙に印刷したいわけだから、 コードを短く保つことは重要だ。 しかし、短いやり方は大抵思いつきにくい。

さすがに無理だな。コードの整理を入れよう。 今は「左に行っても大丈夫で、左が押されたら左に動く」 という感じのことを右と下についてもやっている。 回転も同様にやればいいわけだ。 しかし、このために衝突検出を左右と下と回転それぞれでやらねばならない。 本来なら、とりあえず左右移動も回転も落下もやってしまっておいて、 めりこむようなら戻す、という方が楽だ。衝突検出は一回で済む。 しかし逐次的に拡張してきたので左右や落下がバラバラに書かれているし、 「動いちゃってめりこんだら戻す」は初心者にとっては妙に感じられるだろう。 現実にはそういう動きをするものはないからだ。 めりこむような動きはしないのであって、それをプログラムに 持ちこめば、「めりこむなら動かない」が自然である。 でもこの変更はしないとダメだな。でないと行数多すぎて 紙がもったいない上に頭がパンクする。

ツイッターで500人以上にフォローされているが、 私そんなにオモロいこと書いてるか? 最近流行りのドラッカーごっこがウケてるのか?

このドラッカーごっこはたぶんすぐ終わると思うんだよ。 これは一種実験みたいなもので、 うまく行っても行かなくても知識と経験が得られる。 うまく行く方がいいが、あらゆる犠牲を払ってでもうまく行かせたい というほどのものでもない。 そして、もっと面白いネタが出てくればあっさりと打ち捨てるだろう。 例えばソフトウェアレンダリングなんかに手を染めはじめたら、 間違いなく放り出す。 他人にとって価値がないことはゴミだ、という信念はあるものの、 それはそれとして自分がやってて面白いなら他のことなんて考えなくなるのが私だ。 それに、その「他人」が違う人になるだけだとも言える。 もしソフトウェアレンダリングに習熟して、 それを説明できるところまで行ければ、それは人の役に立つのである。

私がいきなり消えても回るようにしないといけない。 そして、今回の実験は、それが可能か、どうすれば可能か、 ということを調べる実験でもある。 今そこに人がいる組織を強化する、ということがそもそも可能なのかどうかを 知りたい。結局誰がそこにいるかで決まり、後からできることはせいぜい管理だけ、 という結論になるならそれはそれでいい。 しかし、「人を育てることはでき、組織も強くできる」 という結果が得られるならば、それは役に立つ知識になるし、 希望にもなるだろう。

新人以外を育てることはできない、というのは現場の常識になっているかと思う。 新人すら育てることはできず、せいぜい仕事のルールとノリを 教えるだけで、あとはすでに持っている性質とスキルがその後を決める、 とも思われている気がする。 それが事実なのかどうかは実験してみないとわからない。 今のがうまく行ったら、さらに厳しい条件下や、さらに規模が大きい場合でも うまく行かせられるのかの実験をしたい。 実現性を無視して言うならば、 そのうち社長とかになって会社規模で実験したいんだがな。 まあそうなる見込みはないし、そもそも私が何年も同じネタに 興味を持ち続けるとも思えん。3年も経ったら 飽きて全然違うことをしている可能性の方が高い。

ピアニート公爵のを聞いてたが、 集中するために音楽かけるとか間違った選択だったな。 そして、ふと気づいた。ウザイ文章になると思うが、メモとして書いておく。

私にとって、自分のための音楽と、他人のための音楽は 全然違う何かだ。自分のための音楽は、幽体離脱の手段みたいなものである。 頭を空っぽにして、体の各部がそれぞれの仕事をするのを感じる。 瞑想とか座禅とか、たぶんそういうものに近い。

きちんと幽体離脱するための条件は厳しい。 体にストレスがあってはいけない。思考が介入する必要もなく、 体は自動的に動かなくてはならない。 それでいて、念力みたいなものを脳から出すと、 それを体が受け取って音の形がかわる。 それくらいのゆるいコントロールだ。 ただしこれは主観の問題だから、絶対的なテクニックで劣っても、 それが私にストレスをもたらさなければかまわない。 実際、私のヴァイオリンは客観的には大したレベルじゃない。 所詮子供の習い事レベルだ。 当然人に聞かせて喜んでもらえるものではない。 しかし、それ自体が、そもそもどうでもいい。 人を楽しませる気なんてなく、誰かにウケる曲を特別に練習する気もしない。 そこにコストを割く気がしない。どうでもいいからだ。 ヴァイオリンであれば練習するまでもなくコストゼロで弾けるからいいが、 ピアノはそこまで行っておらず、何かしら練習せねばならない。 「そのうちなんかオモロイものを作曲編曲演奏ニコ動に上げてやるぜ」 とか思ってはいたが、まあやらんわな。 本当にうまい連中に勝てるわけがないし、そもそも他人に聞かせること自体が どうでもいいのである。

そういう方向に行ったのは、中学を出てレッスンがなくなってからだろう。 函館の寮暮らしになって習い事から解放された以上 もはや弾く理由はなくなったのだが、当時の私にとってヴァイオリンは 特技であり捨てるのが不安な何かだった。 最初は弾けなくなるのが怖かったし、自慢もしたかった。 しかし、レッスンのためでなく弾くことを繰り返すうちに、 弾くことの意味がだんだん変わってきた。 大学で夕方の校舎で弾いていた頃は完全に幽体離脱タイムだ。 だからといってテクニックがどうでも良くなったわけではなく、 むしろ逆だ。中学まではレッスンで言われたことをやっていただけで 正直音楽の中身なんてどうでも良かったのだが、 それが変わった。テクニックにしても、気持ち良く幽体離脱するために 必要なテクニックは、単純にチゴイナーを弾くことよりもある意味では高い。 指が回る速度では中学がピークだっただろうが、 総合的にはあの頃が一番うまかったんだろう。 チゴイナーはピークの頃ほどの速度では弾けなくなっていたし、 レッスンで最後の課題だったパガニーニのカプリースは全然ダメだったが、 バッハの無伴奏は全曲暗記して通して弾けた。 あれは完全に幽体離脱ソングである。 夏休みに家に帰って弾いていたら、父に「なんか聞けるようになってる」 と言われた。中学の時よりもあの時はうまかったのである。

当時は音楽研究部というサークルにも所属していたのだが、 今にして思えばそれなりに認められていたような気がする。 たまたま聞きに来た奴に 「君は本当に自分の好きなように弾くな」と言われたのを覚えている。 たぶん否定的な響きはなかった。 あのサークルは音楽マニアの集まりで、 私みたいに他人の演奏に興味がなく音楽を聴く習慣がないなんて奴は ほとんどいなかったはずである。そういう奴がわざわざ聞いてくれたんだから、 まあそう悪くもなかったんだろう。

私は他人の演奏がうまいか下手かがよくわからない。耳が肥えていないんだろう。 ある年のサークルの演奏会で、 高いヴァイオリンを持ってる先輩が演奏した後、 部員が「あの楽器であの演奏はねえよ」的な感じで陰口を叩きまくっていた。 私は特に何とも思わなかった。 ピアノでも、誰かが伊福部を派手に弾いたのだが、 隣にいた同級生が「目をつぶって聞いてみろ。これは音楽じゃない」 と苦々しい顔で言った。私はこれも特に何とも思わなかった。 派手だし、腕をグルグル回したりしてパフォーマンスとしてもおもろいじゃん、 と思った程度である。根本的に他人の演奏がどうでもいいのだろう。 たぶん、音楽を耳で聴くものだと思っていないのである。 前も書いたが、たぶん私は音楽が好きなわけではないのだろう。

今こうやって考えると、つまるところ私は幽体離脱したいだけなのである。 うまくなれるかの実験とか、上達そのものに上達するためのネタとか、 そういう要素もあるが、これらは別に音楽でなくてもいい。 私が音楽に求めるのは幽体離脱であり、 これは聞いて得られるものじゃない。自分で弾かねば得られないものだ。 だが、それは幽体離脱が目的であるがゆえに、 他人にどう思われるかなんてどうでもいい。 しかし、音を発しておいてそれを聞く他人がどうでもいい、 なんてのは普通に考えてありえない。ゲームを作っておいて客がどう思うかは どうでもいい、なんてのは許されないわけで、普通に考えておかしい。 幽体離脱したけりゃそんな迷惑がかかる方法じゃなくて他のやり方をしろ、 と言われたら反論しようがない。そんなのバイクで騒音をまき散らすのと変わらん。

やっぱ無理だ。今ようやく納得がいった。 時間がないからとか、そういう問題じゃない。資源制約の問題とか、 優先順位の問題とか、そういうのじゃない。

プログラミングは音楽の穴を多少埋めてくれている気はする。 これはこれで多少は幽体離脱感がある。 プログラミングは論理思考の権化みたいに思われてるかもしれんが、 私にとっては音楽に近い。たぶんかなりの部分、 音楽と同じ脳を使ってプログラミングをしている。 だから他人が作ったものの使い方を覚えるのが嫌なのかもしれない。 手足のように動かせる部品だけを使って組み上げれば 幽体離脱に近い感覚が得られるが、 調べ物をしたり、他人の意図を推測したりする作業が混ざるのは、 熟練していないテクニックが使われていて引っかかったり、 まだ十分に暗記していないために気持ち良く弾けないのに近い。

私は言葉では「割に合うかを考えてやれ」「その都度最も合理的なやり方を模索しろ」 みたいなことを言う。自分でもそうしているつもりでいたりもする。 しかし、根本的には全然そうじゃないんだろう。 「適当にやる」が私の根本だ。ボトムアップとトップダウンの切り替えタイミングや、 複数の価値基準のウェイトを調整するのは、 頭でやっているというよりは体がやっていることだ。 「どういう判断基準でそのへんの匙加減を決めるんですか」 的なことを最近良く聞かれる。 聞かれて初めて考える。それっぽい理屈は出てくるし、 それはそれなりに合理的で、相手も納得してくれる。 しかし、100%私はその理屈なしで書いている。 適当に書いては動かして、みたいなことを繰り返していたら、 気がついたらそうなっているのである。 いろんな選択肢を比較検討した、というものでもない。 「なんとなく」としか言いようがない。 後から理屈はつけられるが、すべてウソだ。 たぶん料理もそうである。ひつじこに説明する段になって、 無理矢理理屈をでっちあげている。 自分でやる時は、それこそ「適当」としか言いようがない。

もし上の段落で書いたことが本当だとしたら、 私が本を書くことの意味は相当に疑わしくなる。 自分でやっていないことを読者に押しつけることになるからだ。 今本に書いているのは、自分が適当にやっていることに、 後付けで理屈をつけているにすぎない。 そして、結局のところ適当にやれる人間こそが向いているのだとすれば、 私はたまたま向いている人間で、 そうでない人はアウト、という救いようのない結論に至る。 そして、私が料理とプログラミングに向いているのはおそらく間違いない。 勉強としての勉強をこれらでやったことはない。 その時の要求を満たすという実践を繰り返すことしかしていない。 訓練と実践は一体で、そうでないような「勉強」はしていないし、 この先もする気はない。

しかし、それでもいいか。後付けであっても、 この理屈はそれなりにそれっぽい。 そして、こういう本当の基本に触れた本は滅多にない。 あっても何故か上級者向けで、本来それを最も必要とする初心者には読めない。 だから意義はある。あると信じよう。


もどる