だだもれ

2013年02月28日

apacheの設定に「IndexOptions Charset=UTF-8」を加えておこう。

食パンとバナナもらった。バナナはともかくとして、何故食パン。 いろんな人がいて、いろんな生活をしている。

豚トマトシチューはうまく行った。分量を書いておく。

豚肩ブロック2kgを適当に切ってブラウンで挽肉めいた感じにし、 ヘルシオのウォーターオーブン250度で30分焼く。 にんじん4本、にんにく1.5個(片ではない)、玉葱6個、セロリ3本を ブラウンで粉砕し、オリーブオイルで炒める。 肉と合流させ、トマト缶4つ(400g×4)、ローレル8枚、塩25g程度を 加え、肉がつかる程度に水を足して、30分煮る。 ローレルを捨てる。数時間煮る。1時間くらいでも食えなくはない。 ガスが惜しければ、しばらく煮た後は 発泡スチロールの箱にでも入れて保温調理してもいい。 その後、鍋を外に出して数時間冷やし、 表面に固まっているラードを捨てる。 どれくらい捨てるかは好みと使った肉次第である。 今回は少なく見積っても200gは捨てた。 全く捨てなくてもかまわないが、たぶん普通の人には重すぎる ものができるだろう。実際捨てる前はひつじこが辛がった。 まあ私だけが食うなら捨てないんだが。最近脂耐性が高いからな。 豚が家畜として愛されてきたのは、 この脂肪生産能力の高さによるのである。

鍋はジオの深両手6.8Lを使った。 おおよそいっぱいいっぱいである。 一般家庭では半量でも十分だろうと思われる。 もっともうちだとこの量作っても二日で消える。 それも私がほとんど食べていなくてもだ。 私も普通に食べれば1日半で消えるだろう。 米や麦を食わず、それを主食的に食べているため、 おわん3杯くらいは平気で食べる。 チーズを載せてカロリーを増強してもなお、それくらいは 食わないと食事として不十分なのである。

肉は牛か羊か豚がいい。鶏だとなぜか気持ち悪い感じになる。 鶏を使うなら皮は捨てることになるだろう。 また、私はエコ好きなので牛よりは豚を選びたい。 豚を使ってもヘルシオで焼いた後 数時間煮ていれば不思議と牛と大差ない感じになる。 豚っぽい臭いは大半が抜けるのである。何故かはわからない。 焼きの工程が重要な気はする。 でもスカトールって高温ごときで壊れたっけかなあ。 ヘルシオはそこそこ密封状態なのでスカトールが 揮発して飛ぶとも思えんし。

このワイン、なんかそこそこうまい気がしてきたぞ。 ちびちび飲むか。ひつじこもたまに舐めたらいい。 舐める程度な。

オタマの皮膚の悪化原因が赤ワインだったのかは よくわからない。赤ワインを使わないバージョンを 食べてからも一回出た。 いずれもワセリン直後なのだが、 ワセリンが悪いとは思えない。 いけないものを食べた後のワセリンがマズいんだろう。 とりあえず赤ワインを使わなくてもそれなりにうまいので、 これで良しとする。材料費も高くつくしな。

周りが壁でないと集中できない人は結構いる。 しかし、コミュニケーションと集中は 多少なりともトレードオフの関係にあり、 壁で囲めばコミュニケーションの頻度は落ちる。 それを補うべくミーティングなどを設定することもできるが、 「勝手にうまく行く方がいい」という理想からは 離れざるを得ない。話す必要がある人が勝手に話す、 というのが一番無駄がないのは間違いないからだ。 椅子を立つ必要もなく振り向いて話しかけるだけでいい、 というのはこの上なく安いのである。

全員を個別に壁で包む必要はたぶんない。 それが合理的であるほど一人一人が完結した作業の比率は高くない。 ただし、壁で包んだ方が合理的な人はいる。 壁がないと集中できないというならそうすべきだし、 そこまででなかったとしても、 他の人とやりとりしなくていい仕事をしているのであれば 隔離して集中させる方が効率は上がる。 しかし、壁がある人とない人が混在するとなると 現実的には配置が面倒だし、 壁の中の人と外の人でコミュニケーション格差が生まれなねない。 壁の中の人はますます一人で完結した仕事に向かうので、 専門特化が進みすぎる恐れがある。 まあそれでいいくらいに専門特化した人もいるだろうから、 それはそれでいいんだろうが。

なんつうか、個別に対処としか言いようがないよなこれは。 配置に黄金ルールのごときものはないんだろう。 誰と誰の間にコミュニケーションが必要か、 ということは配置を決める際には一番考えるべきことだ。 そして、コミュニケーションがそれほど必要のない仕事に は、コミュニケーションを得意とせず専門性の高い人間が ついているはずで、そういう人は壁を欲しがる率も高かろう。 そういう人に対しては多少配慮する必要がある。 壁に向かって机を配置するとか、奥まったところに配置するとか、 横に視界を遮る箱やら棚やらを置くことを許し、 そうしても他の人にとって邪魔にならない所に配置するとか、 そういうことはたぶんできる。 そのへんをロクに考えずに配置すると、 たぶんいろいろ問題が出るんだろう。 しかし、やってみたら逆に一切考慮せずに適当に 配置した方が良かったりもするかもしれないよな。 配慮が不平等感をもたらしたりすると相当に面倒なことになる。

私はまず左が開けていると不安になる。耳が聞こえないからだ。 左には壁が欲しい。 そして勝手な話だが、私から話しかけたい時には 壁はない方がいい。開けている方がいい。 しかし、話しかけられたくない時には壁で囲まれている方がいい。 ただその一方で、誰の目にもふれない状態では 自分の規律を保てる自信がない。その意味では開けている方がいい。 また、周囲で何が起こっているかわからないのは困る。 他の人同士の話も、多少は聞こえてくる方が都合がいい。 ただし、それは本を書く上ではマイナスである。

つまり何かと言えば、一人の人間であっても、 「壁がある方がいい」とか「壁がない方がいい」 とかいうことをはっきりとは言えないということだ。 言える人もいるだろうが、言えない人もいる。 また、言える人であっても、それが本当に その人の仕事効率を上げるかどうかはわからない。 2ch見てたいから壁が欲しいだけかもしれない。それでは困る。

今現在の私については、360度壁がなく開けてる方がたぶんいい。 本の進みが遅くなる問題は、人がいない時間にやることで 軽減できる。人がいる時間は周囲の状況が見える方がいいし、 私に気軽に話しかけられる状態を保つことは決定的に重要になる。 そして、度を越して集中が妨げられるようなことがないのであれば、 私以外の人間についてもコミュニケーションの容易さを 優先した配置をした方が良いように思われる。 効率は測定しやすいために重視されやすいが、 そのためにコミュニケーションが割を食うケースは多い。 2年3年経った後にその害に気付くというようなことに なりやすいのも面倒だ。 効率は短期的に測定できるので頻繁にケアできるが、 コミュニケーションはそうは行かない。 どちらか言ってコミュニケーションを確保する方向に 振っておいた方が無難だろう。 そうすれば無駄な定例会議の類に頼る必要も薄れる。

机の上の物は減らしておこう。座ってるとモニタやPC、本に 隠れてしまう、というような状況はあまり良くない。 極力視界を確保する。 つうか、参考にもらった本、もういらないの多いんだよな。 とりあえず適当な段ボールに詰めておくか。

2013年02月27日

仕事してねえ。いや、これも仕事なんだろうが。

豚のトマトシチューがすごい脂だったので、 一旦外に出して脂が固まるのを待つことにした。 帰った頃には冷め切ってるといいなあ。

教えるつもりでいたら教えられてた、 ということはよくあるわけで、 これは私にとっても有意義なことだ。 本がいつまで経っても出ないのが問題だが、 時間の使い方として悪いわけではない。 でも、本当にヤバい。

ブツブツが出ている時は、洗い、収まるまで待つ。 かさかさしていれば、もう大丈夫だ。ヤバい時には湿っている。 ブツブツがない場合、皮膚に明らかな傷が出来ていれば、 ハイドロコロイドを貼る。 汁がにじみ出てくるが、明らかな傷というほどでもない、 という場合は、プロペトで痒みが収まって 掻かれずに済むならそれで凌ぐ。 無理ならハイドロコロイドを貼るが、 プロペトを塗ってぬぐった後にし、接着力を弱める。 それ以外のケースでは完治まではプロペトで保湿する。 これが現状のフローチャート。wikiにも書いておいた。

U2212Mを2枚欲しい。今より若干狭くなるのだが、 21.5インチと図体が小さいのがいい。 欲しいのは画素数であって絶対的な大きさではないのである。 むしろ机を占有して邪魔だ。古いからなおさらデカい。 あと、今の2枚はVAとIPSでパネルが違うために、 色がズレる。というかVAの方の色再現性が悪すぎて辛い。

会社の机の上を掃除したので、なおさらモニタが欲しくなった。 デカすぎだよこのモニタ。机の上を占有しすぎだ。 そのくせiPadより解像度低いとかおかしすぎる。

仕事の割り振りってのは、ファイヤーエムブレムの 経験値の割り振りと似たようなもんだ。 小さなダメージで素早く敵を倒すことは大切だが、 それで経験値を成長率の悪いキャラに与えれば 長期的には首を締めることになる。 私がやるのが一番早いとしても、 そうすることが長期的に良いとは言えないことが多々ある ということだ。 私はこれに関してはジェイガンみたいなもんだからな。 脳内にすでにある設計で作って9割はそのままで行けるだろ と確信しているような人間がやっても、経験値がもったいない。 短期と長期はバランスを取るべきなのだ。

ただ、ファイヤーエムブレムと違って、 できたものの品質は問題になる。 私がやった方がもし良いものになるとしたら、 それは客に迷惑をかけることになる。 だから、私は最終的に私が書いた時以上になる ことは保証する義務を負う。 そのためには結局私も脳内で一通り作ってみる必要があるし、 できたものに目を通す必要がある。 つまり仕事を他人に振ったにも関わらず、 全く私の仕事は減らない。むしろ自分で書いた方が 自分の仕事だけを見ても少ないとすら言える。 だが、この手間は時間が経つほど減るし、 いずれ私がどうこう言う必要がなくなるだろう。 どこを見ても「オレが書くよりうまい」と思う状況になれば、 私の出る幕はなくなる。 どうやってそこまでもっていくか。いかに安くもっていくか。 そして、とりあえず短期的にやらないといけないことと バランスを取るか。そういうことを考えればいいわけだ。

どうやって本を書く時間と脳の集中力を確保するか、 ということだな。時間以上に集中力。 「あれオレならどうするかなあ」とか考えてたら 書けるわけがないわけで、 どっかで思考を切り換えないといけない。 だが、思考の切り替えは私が最も苦手とするところである。 無理そう。

本には付録的な章をいくつか加えるつもりでいた。 まず言語機能の説明。見開きに重要機能と使用例をまとめた早見。 実用言語への導入としてHTML5版を用意するが、その説明。 その他補足的な説明。 しかし、これらは必ずしも印刷する必要がない。 また、場合によってはSunabaの更新によって変化が生じうる。 そういうものは印刷してしまうことのデメリットの方が大きい。 紙が勝る部分と劣る部分の線引きは考えよう。 商業的な理由もあるし。単純に紙代が高くなると価格に影響が出る。

オタマは風呂で毎回「ラッコと、キンギョと、ヒミツって何?」 と聞く。恐ろしく答えに困る。 ラッコは熊の友達で貝を食べてる、とか適当に言う。

アルファベットの発音は私が妥協しないので、エーではなくエイ。 もっとも、すでにオタマは耳が日本語になっているので、 正確というわけには行かないのだが。

2013年02月26日

今日は幼稚園の申しこみに行く。 なぜか先着順。意味がわからない。 兄弟枠があるなら、それ以外は抽選でいいじゃん。 別に抽選と言いつつ中では適当な基準ではじいてもいいけど。

いっそオークションにすれば経済学上は一番いいのになあ。 幼稚園への補助金をやめて、個人の状況に応じて個人に 補助金を出せば、 仮にオークションにしても金持ちが有利に なるということはなくなる。 というかもし収入が低い人を優先させたいなら、 世帯収入が低い順に合格させればいいじゃん。 あるいは収入レンジごとに何人と決めるとか。 なんにしても先着順は非効率すぎる。 去年は前の晩から並んでたとか言うしな。 今年は13時より前に来るなとのことなので、 13時ぴったりに行く。それでダメならもういい。 つうか二時間待つのか...本借りてから行こう。

行ってきた。うちの子やっぱデカいんだな。 あと、あんなに大人しくない。 2時間座ってられるとは到底思えない。 10人くらいいたのに走り回る子はいないし、 かなり経つまで泣く子もいなかった。 オタマなら絶対無理だぞ。

「古代文明と気候大変動」。つい数千年のスパンでは 気候がおおよそ一定だったように思ってしまっていたが、 全然そんなことはないらしい。 ローマやらマヤやらの文明が没落したかなり大きな原因として 気候の変化があるというのが著者の主張だ。 数百年のスパンで十分大きな変化があったらしい。 デカい火山が爆発して地球全域の日照量が落ちるような ことも何度かあったようだ。 昔の人は許容できるギリギリまで人口が増えていたため、 ちょっと何かがあると一瞬で文明ごと崩壊するというのがすごい。 小さな変動に対して耐えるためには集団を作って定住し、 農耕して備蓄するのが良いわけだが、 そうすると良い時期に人口が増えすぎてしまうし、 機動性が失われて移動しにくくなる。 そんな状況でデカい旱魃が来ると対応できなくなって 人が死にまくったり、バラバラに散ったりする。 そして散る際に周囲にも人がひしめいていると、 略奪と戦争が始まる。

明日どっかの火山が激しく爆発して5年くらい世界中で日照が 減ったとしよう。どうなるんだろうか。 たぶんそれで即死する人口が億単位でいる。 それがきっかけになって社会不安になれば、 それが連鎖して何が起こるか知れたものではない。 また、過去何度か大きな海流が止まって広範囲に 気候が変わることがあった。 例えばヨーロッパの大西洋岸を北上していく海流が止まれば、 ヨーロッパは緯度に見合った寒さになる。 北欧は丸ごとシベリア状態になるだろう。下手すると氷河の下だ。 国そのものが消えてなくなるクラスの変動である。 どうも、たまたま1500年以降がかなりいい時期だというだけで、 基本今より良くなるよりは悪くなる方が確率が高いらしい。 そんな時期にこんなに人口増えて大丈夫か。 2100年には100億で、そこからはたぶん減るだろう というのが国連の予測だが、その前に何かすごいことが 起こってもおかしくない。 この地球は本当に100億養えるのか?

スマフォやテレビをもっとバンバン普及させて、 世界の出生率を下げる努力をすべきなんだろうな。

国連の人口予測では、どこの国も出生率が1.85に収束するという 謎の仮定が置かれている。 先進国に関してはこの数字はないよなあ。 フランスとか2を超えているが、あれ移民だろ。 政策のせいもあるだろうが、それだけで置換水準に 達するわけではない。

オタマの子供や孫は2100年を越えて生きる。 私にとって関係のある世代はそこまででその先は知らん、 と言い切ったとしてもなお、 うちらには途方もなく重い責任がある。 今のじいさんばあさん達はそう考えてくれているだろうか。 少なくとも政治家をやっている人達が そう考えてくれていることを祈ろう。

2013年02月25日

糖質制限で身長が止まるか。可能性はあるが、 それ以上にカロリー不足が原因になっている気はする。 糖質を削って、その分脂肪を増やしていればいいが、 現実問題脂肪の摂取量を増やすのは大変だ。 胃に重いので、一度に大量には食えない。 そんなに脂肪が大量に手に入ることが歴史上なかったせいか、 消化能力は限られているように思える。 また、高脂肪食品は大抵高糖質食品でもあり、 揚げ物のようなものを避けると選択肢がかなり狭まる。 魚の脂は鮮度が良くないとマズいし、 肉の脂に偏ると不安がある。 オリーブオイルやココナッツオイルを多めに使った食生活に するのが大切かもしれんなあ。

ココナッツミルクの脂は炭化水素鎖が短く、 どうも蓄積しにくく燃やしやすい脂らしい。 実際、胃に重い印象がない。 カロリー源として有用な気がする。

オタマに脂肪を食わせるのは大変である。 ココナッツミルクでアイスクリーム的なものを作って食わせるのが 一番簡単だ、というくらいに難しい。 アボカドはそう多量には食えない。 卵黄の脂肪の量など知れている。 チーズが楽だが、オタマの場合自転車に乗っている時しか食べない。 食欲がない時には口の中にいつまでもほおばっていたりして、 無理に食わせてもロクなことにならない。 これが米なら簡単だ。うちらが身をもって知っているように、 米やパンは水のように大量に食べられる。 そもそも、「胃にたくさんものが入ってる」という感覚、 いうならば物理的満腹感、みたいなものを 味わえるところまで食えるのは澱粉くらいだ。 肉だけ食っても、脂だけ食っても、 そのはるか前に食べられなくなる。

というか、そもそも身長がそんなに伸びる必要があるのか、 ということから考えるべきなんだろうが。 外見上の理由を除けば、人類の身長なんてこんなにはいらない。 肉体を使って戦うことはもはや稀だし、 一定以上の大きさは骨への負担も大きく、動きも鈍くなり、 健康に対しても悪影響を与える。 急すぎる成長はたぶん害だろう。 私も下腹部あたりは皮膚の成長が追いついておらず、 皮膚に余裕がない。急激に身長が伸びた時期があったせいだ。 179cmもあることはほとんどの局面では欠点である。 表面積が広く寒さに弱いし、靴も高いし、 頭はぶつけるし、風呂は狭いのだ。 最悪なのが布団で、背さえ小さければ 布団が小さくでき、収納するのも干すのも格段に楽になるのである。

なお、肉体での戦闘力にしても、多少小さいからといってそれほど 不利になるわけではない気はする。 体がデカくなれば動きは鈍くなる。 同じ角運動量を得るために必要な筋力が大きくなるから、 よほど鍛えていない限り素早さでは劣る。 相手の移動力が低いなら、そもそも戦わずに逃げれば済む。 破壊力に関しても、体のコントロールがしやすい分だけ パンチ力の上達は早いから、体格差による破壊力の差は それほど大きくもならない。体が小さくて軽い方が上達は早い。 まあ掴みあいになるとデカいことが圧倒的に有利だが、 ボールペンを急所に刺すくらいの覚悟があれば その不利もだいぶ補えるんだろう。 素手で戦わねばならないなんてのは競技の時だけで、 普通は使えるものはなんでも使えばいい。

武力はなんだかんだ言って重要で、 私にしてもひつじこにしても、それがないことが性格を歪めている という側面はある。効率的に体を使えるようにすれば、 自然にある程度の武力はついてくるわけで、 精神の落ちつきには寄与するだろう。 私はこれに関しては拳法の師匠には本当に感謝している。

たぶん身長を気にする必要はなかろう。 澱粉をこれだけ減らしてもオタマはデカいままで、 他の子に追いつかれる気配など微塵もない。 十分な蛋白質と脂質を供給した上で止まるなら、 仮に澱粉を食わせることで身長を伸ばせるのだとしても、 無理にそうする必要はない。 皮膚を悪化させてまでする価値はない。女の子なのも幸いしている。

むしろ問題は次に生まれてくる子だろう。 かなりの確率で男だ。 幼少期に大量の糖質を食わせることで今の平均身長に なっているとすれば、糖質を避けることで 身長が平均に届かない可能性は出てくる。 まあ注意深く見守るしかあるまい。 脂質不足や野菜不足には気を使わないとな。

糖質制限で花粉症は軽減するか。 とりあえず今年もくしゃみが始まった。ちょっと目も痒い。 花粉が終わる季節までにどれくらいひどくなるか楽しみである。

同じようなシチューを豚肉でも作れるか。 牛は高い。脂肪酸組成的にも あまり歓迎できない。豚ならそのへんは改善する。 同じく飽和脂肪酸主体ながらも、比較的鎖が短く融点が低いからだ。 ただ、味として大丈夫かというのが一つと、 スジ肉の類が豚にはないので、あのゼラチン感が出るか というのが問題になる。しかし試しておくべきだ。 なにせ安い。 クックパッドで探しても、市販のビーフシチューのルゥを使って肉が 豚なだけのレシピばかり出てくるので、 これは自分で試すしかなさそうだ。

豚の脂はリノール酸が10%。牛は3%。鶏は25%。 これが高いほど加熱に弱いはずで、 豚をえんえん炒めてたりすると牛に比べて 味の落ち方が激しそうである だから牛なのかもなあ。鶏なんて論外だ。 逆に言えば、酸化さえ防げればいいということなので、 ヘルシオの加熱水蒸気焼きで炒めの工程を代替すればいいのか。 奴は酸素を水蒸気で置換して焼くので酸化が軽減される。 あるいは、還元剤の類を一緒に入れるか。 味に影響を与えずにビタミンEと一緒に加熱する方法はないかなあ。 ごま油ってのはまさにそれなんだが、 シチュー作るのにごま油はない。 ステンレス鍋で密封してオーブン的に 加熱すれば似た効果が得られるか? でも今度は水蒸気が逃げず、加熱温度が100度を超えにくくなる。 欲しいのは焼きであって蒸しではない。

炒めの工程を省いてどれくらいマズくなるのかは実験すべきか。 いや、するまでもなく想像がつくな。 ヘルシオ焼きが第一選択だろう。

牛乳の脂肪は牛の脂肪よりも融点が低い。豚と同レベル以下。

バターは牛由来だけに飽和脂肪酸が多いのだが、 しかし放っておくと結構酸化する。 あれ、何が酸化してるんだろう。 牛肉は長期保存しないからわからないだけか? バターは数ヶ月放置したりするからな。

牛は乳を生産するために使うべきで、 肉は余った雄を有効活用するために 食べる程度でいいと思うんだけどな。何せ効率が悪い。 肉と言えば豚だろう。同様に、鶏は卵の方が効率がいい。

肉は実際に生産の現場を見ると凄惨すぎて辛い。 生物を生産する工場ってのは、その生物に感情移入すると 吐き気がするほど怖い場所になる。 野生を狩るにしても殺すことは同じなのだが。

安いラップは酸素を素通りさせるが、 クレラップとサランラップは大差なく高性能であるようだ。 それでもアルミ箔には勝てないので、ラップで包んで アルミ箔を重ねるのが良いらしい。

赤ワイントマト煮込みでオタマの顔が真赤になった。 どうしようもないので昼寝させた。ひつじこもしんどい。 夜遅くなるがやむをえん。 つうか、会社休んだ方がいいかもしれんな。少なくとも夜の 出勤は無理だろう。出るにしても寝かせてからだから 23時以降になる。

赤ワイン、セロリのいずれかが怪しいが、 顔だけに出ており、顔には午前中日焼止めを塗って外に 出掛けているので、日焼止めも怪しいと言えば怪しい。 ただし、日焼止めを塗って外に出ることは今までも頻繁にあった わけで確率は低い。そもそも成分がワセリンと二酸化チタンで 蛋白質入ってないし。 となると赤ワインかセロリだ。確率が高いのは赤ワインだろう。

つわりはぶり返すし、オタマの皮膚もこれだ。 まったく楽にならん。福島行ったのは失敗だったなあ。 法事とか言ってる場合じゃなかったか。 一日二回も外に遊びに行くなんてがんばりすぎだ。 そりゃ体調も悪化する。もっと手を抜いてくれ。 そんなに全力でオタマの相手してたら体もたないだろ。

ワセリンを塗る時には手を洗うべきか。 手にアレルゲンがついているとヤバいことになる。 あと、ワセリンはダメでもプロペトならオーケーという例が あるっぽい。ここは念のため顔に限ってはプロペトにしておこう。 それと、べったり塗った後で多少ぬぐっておく方が、 アレルゲンの類が付着しにくくなっていいっぽい。 もう一つ、何か食って皮膚がボツボツになった時には ワセリンを塗らず、お湯で頻繁にぬぐうべき。 ワセリンで激しく悪化する。 たぶん発疹部からアレルゲンが出てきており、 これをワセリンで伸ばすようなことをすると 皮膚全域がアレルゲンに接した状態になるからだろう。 ボツボツしている間はワセリンはダメ。 これで乗り切ろう。

人参と一緒に豚を炒めたらカロチンが身代りになって酸化されてくれ たりしないだろうか。

豚でワイン抜きで作ってみた。さてどうなるかなあ。 完成は明日の朝。

最大の効率化は、仕事を丸ごと消すことだ。 ライブラリを作るとか言うなら、作らずに済めばいい。 コードレビューをするなら、しなくて良くなればいい。 現実的に可能かどうかはともかくとして、 理屈の上では「客に価値を直接与える仕事」以外は全て消え得る。 そういうわけで、そういう「消し得る仕事」をしている 大多数の人間は、常に「どうすれば自分の仕事を不要にできるか」 あるいは「どうなれば自分の仕事が不要になるか」 を考える必要がある。 その仕事をやる時よりも、 やらずにその人間を他に回す方がプラスになれば その仕事は不要になる。仕事の品質を下げればそうなるが、 それでは意味がないわけで、 他の仕事をすることのプラスを大きくするか、 その仕事がない時のダメージを減らすかすれば、 その仕事を消せる可能性は大きくなる。 ライブラリで言えば、出来を悪くすればいらなくなるが、 それでは意味がない。なくても困らない状況を作ったり、 誰でも作れる状況にして専門化の意味を薄れさせたり、 ライブラリなんか作るよりももっと重要な仕事を見つける なりすればいい。いいライブラリを作るという方向だけでなく、 そういう方向でも仕事を捉えていかないといけない。

コードレビューをするのは、その労力をかけることの プラスが、労力より大きいからだ。 しかし、本当に大きいのかは相当に疑わしい。 とりわけ制度化されたコードレビューが保険以上の意味を 持てるとは私には信じられない。 まあやるならやるでいいんだが、 同時に、どうしたら制度的にコードレビューをするような マネをせずに済ませられるかを考えるべきだろう。 その最大の手段はたぶん議論で、どうすればコードに関して 議論が発生しまくる状況を作れるかということになる。 理想的には、議論によっておおよそ重要な点については 合意が得られるはずだし、プログラミングスキルも 一定以上になるはずだ。変な規約の必要性は減るし、 アホなプログラマがいつまでも放置される危険も減る。 つまり、どうすれば議論、あるいはコードへのツッコミが 勝手に起きるようにできるかということになる。 下手に制度化すれば必ず形骸化するわけで、 メンバーの温度みたいなものをいかに上げていくか、 そして、温度が下がる要因を除くかということになるだろう。

温度を上げるにはどうすべきか。 温度を下げないためにはどうすべきか。 結局、「うちらの仕事は誰のための何か」 ということまで常に立ち帰って仕事するようにせんと アカンのだよな。 細かいことは個人個人に裁量を与え、 目的を達成するために努力することだけを誓ってもらえばいい。 そうすれば、自分がやったことがダイレクトに結果に つながるし、貢献も目に見える。 大抵の人間はそれで温度が上がるはずだ。 上がらない奴は別途考えればいい。 そして温度を下げないためには、それを邪魔することを除き、 うまいこと温度が高いことを奨励すればいい。 「うちとしてはこういう使命がある。あんたはこの使命を果たす ために何ができる?」と個々人に聞くのが基本だろうが、 実際にやる上では気をつけることは山ほどあるな。

コードをまともにするのは手段にすぎんのだが、 実行する上では手段の方が目的よりも強い。 目的が「コードをまともにする」だと、「まともって何?」 みたいなことはあまり考えないままになりやすい。 皆が勝手な「まとも」を追求しておしまいになる。 趣味あるいは努力目標と化す。 しかし「客を喜ばせるためにコードをまともにする」 というように手段になれば、 「客が喜ぶようなまともさって何?」 ということを必死で考えざるを得ないし、 その結果でてきたことは必ず実行せねばならない。 コードレビューは、曖昧な「技術力向上」とか「リスク回避」 とかいう言葉だけで行われているうちはダメで、 「客に喜んでもらうために必要だからやる」 とはっきりした手段として実施する必要がある。 もし、それがはっきりしないなら、たぶんやるだけ無駄だ。 そもそも自然と形骸化したり忘れられたりする。

ドラッカーは利益を目的にするなと言っていて、 そのロジックは上と同じだ。目的は何かの度合いに 関するものではダメだ。コードの綺麗さとか、もうけとか、 そういうのは度合いの問題だから、目的にはなりにくい。

同じように「技術で先端を走る」、 とかは目的にしてはダメだろう。 目標としても測定できないのでダメだ。 「先端って何?」みたいなことが曖昧になるから機能しない。 何か目的があって、そのための手段としてそれを設定すれば、 「目的のために必要な技術は何か」という問いが出てきて 具体的に何でどう先端でいるべきかを決められる。

目的にしても目標にしても、 簡単なチェックで達成できてるかわかるものがいい。 「世界中を笑顔にする」とかは曖昧なようでいて、 案外目的としては使える。 「オレの製品は皆を笑顔にできているか?」 と問いかけることは誰にでもできるし、すぐできる。 そして心の中ではすぐに結論が出る。 それで「否」と出れば、 それはちゃんと仕事ができてないということだ。 チェックとしてはこの上なく簡単である。 日本でしか売ってなければ「世界中」を満たさないし、 あまり多量に金を使わせて後悔する人がいるのならば、 それは「笑顔」とは言えまい。道を踏み外しているか、 少なくとも道半ばであることがすぐわかる。

サポート部門は何を目的として設定すると便利なんだろうなあ。 「モノを作る連中がストレスなく作れるようにする」 という程度だとなんつうか弱いが、まあそんな感じか。 「連中がストレスを感じてないか?」と問いかけることは 簡単だし、心の中ではすぐ答えも出る。実際の測定も 聞くなり行動を見るなりすればいいのでそれほど難しくない。

なんとも難しい。しかしまあ、なんとなくやりながら考えよう。 頭だけでどうにかなるものでもない。 とりあえず、「コードレビューを毎週してます」「勉強会を 頻繁にやってます」みたいなのを自慢したくない。 むしろそれはダメなことを告白しているに等しい。 それらがわざわざ必要になる状況なわけだろ? それってダメじゃん。 意識が高いのは結構だが、それを明確に成果を出すための 手段としてやっていなければ、 単なるポーズあるいは趣味でしかない。

なんか文章にまとめておかないとなあ。 もう半年か一年くらいいろいろやって 失敗したりうまくいったりして 経験積んでからの方がいいのかもしれんが、 段階段階で一応のまとめを作っておくことには意味がある。

「コードレビューをすれば売り上げが上がるのか?」 という心ない台詞はたぶんよく聞くと思うが、 反論できない方も悪い。CEDECなんて行って金になるのか? と言われても同様。 ただしCEDECの場合、 「オレは行きたいから行く。自腹で有給なら文句ねえだろ」 と言ってそうすれば説明責任を回避できるだろう。 問題は講演する場合だな。 有給で自腹というわけにも行かん。 それが会社にとって有益であることをどう説得するかは 相当な難題になりうる。 そして、そもそもCEDECで講演することに寛容であることが 会社として良いとも限らない。 もしそれが本当に金にもならず何の益にもならないとすれば、 業務としてするのは変だからだ。 もっとも、講演したいという思いを否定すると やる気が失せたり他社に逃げたりするので許さざるをえない、 という消極的な理由もあるかもしれんし、 大したコストでもないならわざわざ否定するまでもなく いちいち判断するコストの方が高い、 というのも合理的な判断ではある。

2013年02月24日

福島日帰りの後遺症で猛烈に体を動かす気になれない状況ながら、 昨日私が留守にしたせいでひつじこが疲れて具合が悪くなっていることは明白。

というわけで、朝はカレーの一歩手前みたいなものを作った。 オタマが食うかもしれないと思ったのでタイカレーペーストだけを抜いて、 その分クミンとターメリックを若干増量したもの。 が、ひつじこがおいしくないと言う。 白菜が1/2と前の倍量で、それに合わせてにんにくが増量されているが、 そのせいか。そして、オタマはやはりロクに食べない。

あとは0930から1200あたりまでオタマを萩中公園につれていき、 その後1530くらいまでダラダラしていたらオタマも一緒に寝てしまい、 その後ストライダーを持って防災公園に行き、 帰ってきたらひつじこを休ませるためにオタマと一緒に長風呂。

20時寸前になって、ビーフシチューだかドミグラスソースだか牛丼だかの、 そんな感じのものが食べたいとひつじこ。 いや、赤ワイン使った料理とかやったことないし、 たぶん一発目は失敗すると思うので気が進まないのだが、 失敗してもいいと言うのでやることにした。 赤ワインは所詮料理用だから安物にしたいが、 赤ワインに求めるのは酸味や渋みで、甘味ではあるまい。 発酵が甘い奴では用をなさないだろう。なので、一応1000円以内で 一番エタノール濃度が高くて渋そうな奴にした。 所詮マルエツなので大した種類はないし、店員に聞くこともできない。 ラベルしか情報がない状態でワインを選ぶとか普通なら自殺行為なのだが、 まあ料理用だ。ちなみに、飲んだらやっぱりイマイチだった。 肉もマルエツだと高くつくのだが、カレー用のとすじ肉を合わせて500gくらい。 あとは玉ねぎとセロリとローリエ。

クックパッドのレシピは基本あてにならない。 レシピを載せてる人間も、そのレビューをする人間も、大抵は素人だ。 味覚も私やひつじことは違う。簡単調味料の類を使わないものと使うものが 混ざっていてカオスなので、うちらにとって使えるレシピを探すのは なかなかにしんどい。 そして仮にまともなレシピであっても、理屈がわからない。 「赤ワイン」と書いてあっても、それが何のためで、どういう性質のものが いいのかは何もわからない。なので、複数のレシピを見ると同時に、 プロが何か書いてるものを探し出してそれと照らし合わせながらやる必要がある。 そうでないと、結局缶詰のソースを買ってくる方がマシという状態に陥るからだ。 今日も一応「どうせ失敗するし、市販のでいいんじゃね?」と言ったが、 市販のはマズいから嫌だと言う。作っても大差ないっつうか下手したら別物に なり果てるぞ?とか思いつつも、まあやったことがないことは楽しいので やることにした。

まず肉をフライパンで炒める。「焦げつくくらい」とある。 水分を抜くこと以上に、100度より高い温度で加熱する必要があるはずだ。 焦げっぽい風味が欲しい可能性もある。そういうわけで、ここは手を抜かず 20分以上かけた。横でセロリ、ニンジン、ニンニク、タマネギを粉砕して 弱火で炒める。たぶんこれも本来なら焦げるくらいにすべきだと思うのだが、 二つ同時にかきまぜが必要になるのは危険だ。弱火で放置した。 事実上こっちは蒸し加熱である。 で、肉が黒っぽくなってフライパンにこびりつくあたりで、 赤ワインを投入。このまま10分煮る。エタノールが飛ぶ必要があるのと、 フライパンにこびりついたダシ成分を抽出するのがこの工程の目的だろう。 そこまで済んだら、全部合流してトマト缶、ローレル2枚を追加。 あと飛ばす前提で水200ml。これがないと汁が足りず、 肉のコラーゲンをゼラチン化するのに支障が出る。あとで煮詰める前提だ。 で、あとはゼラチン化するまでひたすら煮る。 ただし、30分の時点でローレルは捨てる。苦味が出るらしい。 その後さらに90分(コンロのタイマーの最大)煮る状態にしたところだ。

味見した感じ、味の深みはあるが、力強さに欠ける。 というか、この手のワイントマト牛肉ソースは市販品しか知らんので、 どうなればいいのかがよくわからんのもある。 市販品の押しつけがましさはなく、セロリとローレルの香りもあって こんなもんかなあとは思うのだが、しかし焦点が定まらない。 単品で食うことを考えると塩分濃度もこれ以上は上げたくないしなあ。 どうせ煮詰まるし。

煮てればなじむんだろうか。まだ牛や野菜からの味が十分に出てはいないはずだし、 ともかく90分待ってから考えよう。 にしても、あと90分起きてないといかんのか。今23時なんだが。 うちのコンロのタイマーは便利で勝手に火は止まるのだが、 手でスイッチ的なボタンを押すまでピーピー鳴り続ける。 まあ火がついた状態で外出したり寝たりすんな、ということなんだろうから これでいいんだろうが、しかし辛い。 手間かかるなあこの手の料理。 もし本当に作るなら肉2kgで仕上がり5L、みたいな量で作らないと割に合わない。 これでひつじこ食わなかったらますます割に合わんなあ。 まあ仕方ない。つわりってのはそういうもんだ。 一人でそのしんどさを背負ってもらっているのだから、 私の手間なんて大した問題ではない。

八つ橋なあ。モロ米とあんこで糖質まみれなんだよな。 あまり食うと前と同じ状況に堕ちそうで怖い。 送料600円で500円のものを注文するのが一番害が少ないのか。 空港の交通費の方がよほど高いからな。 まあ楽しみのために空港に行きたいというのならそれはそれでいいけど。 つうか、そんな余裕あるなら川崎のアカチャンホンポに 帯とやらを買いに行くべき。八つ橋はないだろうが、 ラゾーナや駅ビルの地下にいろいろあるだろう。

タンドリーチキンのあの色の正体はパプリカか。 パプリカって味とか香りそんなにあったっけ。 なければ色だけということでうちで買う理由はないな。 なお、ターメリックも若干それに近い印象。 なくても黄色くならないだけで、そんなに影響がない。 もちろん香りも味もあるにはあるのだが、 クミンや胡椒などの他の強力なスパイス群と比べると些細な力だ。 そういうものを絶妙に配合してこそ本当にいい料理になるんだということは わかっているが、何せ家庭料理なのである。

2013年02月23日

服が薄汚れている問題は、ワセリンカットの頻度を上げることで マシになる。ワセリンを使わないという選択肢がない以上、他にしようがない。 そして、ワセリンカットを楽にやるにはもっといい形の 発泡スチロール箱が必要だ。 30日に買えるといいなあ。

タイカレー三日連続。ほとんどひつじこ一人で食べている。 今日の夜は明日私が留守なのでそのために作ったのだが、 ひつじこが我慢できず食べ始めてしまい、かなり減った。 それにしても、こんなにおいしそうに食べてくれると本当にうれしい。 つわりは終わったのだな。こんなに早く。

いろんな人がいる。組織で会う人はある程度似かよってくるので そのことを忘れがちだが、 地域で会う人はちゃんと多様になりやすい。

寝て起きたら福島行って法事。 問題は出発が2時間後ということだ。寝たら起きられる気がしない。 6時ぴったりに出発しないと10時までに実家につけない。 今3時45分。

やっぱり寝過した。1時間遅れたので、寺の読経に間に合わなかった。 しかしまあ、ばあちゃんに顔見せたしまあいいか。 じいちゃんは地球に溶けているので、その気になれば 挨拶はいつでもできる。とは言え写真その他があると便利なのは確かだ。 会食の会場に遺影が置いてあったので、オタマは元気だと伝えておいた。 遺伝子は受け継がれている。

それにしても会食のメシがマズすぎた。ありえない。 これ砂糖濃度どれだけあるんだよ。炭水化物すぎる。 まあそれはそれとして、ばあちゃんにオタマ写真を送らねば。 4月か5月にオタマ連れて会いに行かないと。その後は 来年の正月くらいまでは動けない。ばあちゃんも高齢だからな。

同じ理由でラベル先生に会いに行くなら4月か5月だ。

糀谷のドゥルガ。おいしくない。さくらダイニングに比べて落ちすぎる。 作り置きバイキングには限度があるんだろう。ナンはふかふかだが、 そこは求めてない。あくまでカレー。 バターチキンは辛くないという意味の甘口ではなく、 砂糖が入ってるとしか思えない甘さでこまった。 キーマらしきものと野菜カレーはそこそこ食えたが、 スパイスの心地良さがない。インドでも実際にはそんなにスパイスを入れまくる わけではないと聞くが、これはないだろう。

2013年02月22日

仕事してねえ。いや、これが仕事だということに 気づかなかったり、忘れたり、軽んじたりしたことが 過去の失敗の元凶であることは明らかなので、 これは仕事だ。仕事であるべきだ。 だが、やはり仕事とは思えない。 「方向付け」や「コミュニケーション」は立派な仕事だが、 私が自分でそれを仕事とみなすことはできそうにないし、 おそらく私は自分に対して戒める意味でも、 これを誇れる仕事と思ってはいけない。 私はそれが仕事であることを知りながら、 「こんなの仕事じゃない」と思い、言うべきである。

私は測定できる成果を何も出せていない。 コードは書けば見えるし動く。 だが、方向付けやコミュニケーションは見えない。 測定できない仕事が重要であることは間違いないが、 測定できない仕事を測定できないままにしておくことは、 堕落を招く。やはり、私は仕事時間の1/4以上を これに割いてはならない。 金曜は丸々割いても良かろう。 月から木は、一日のうちせいぜい30分以内とすべきである。 残りの時間は集中して本を書くべきだ。

責任は道具だ。ルールは道具だ。 道具は有用である範囲でのみ使うべきである。 責任はコミュニケーションを、 ルールは思考を節約するための道具であり、 またいずれも安全装置としての側面も持つ。 しかし、いずれも副作用を持つ。 節約したものは、節約するが故に軽んじられる。

現実には責任を誰かが100%負うことはありえず、 それは近似にすぎない。 しかし、80%と20%に分割して二人が 責任を負うような状態は、結局はどちらも責任を負わない ということになりやすい。 そのような状況を回避する上では誰かに100%責任がある とする近似を行うことは安全装置でもある。 しかし、所詮は近似であり近似が妥当である範囲は限られるし、 安全装置には必ず副作用がある。ルールも同様だ。 ルールは必要悪である。ルールを使わずに済ます方向と、 それでこぼれる部分に副作用を抑えつつルールを適用する方向は 両立させねばならない。 責任の所在をはっきりさせれば、責任がないことになった側は堕落するし、 責任を押しつけることに熱心になる恐れがある。 責任の所在をはっきりさせる、と言うと良いことのように思われるが、 それがあくまで安全装置であることは理解させねばならんし、 間違ったインセンティブを与えないように注意深く運用すること をセットでやらないといけない。

「決めてくれないとやりにくい」 「決めた方がいいんじゃないでしょうか」 等々の声は、現状全て却下している。 個々の状況全てでありうる選択肢全てについて検討する、 というのは確かに非効率である。 しかし、非効率であっても今はそれが必要だ。 だからルールは定めない。定めることを許さない。 「ルールだからこうする」という理由で何かをすることは手抜きだ。 その手抜きをすべき段階はまだ先である。 「その都度その都度最も良いと思う方法でやれ」としか言わない。

プログラマにはそれぞれ個性がある。ルールによって 縛ることは生産性を落とさざるを得ない。 だから、好きに書けば良い。ただし、 その書き方は、当人が「この書き方が最も良い」 という確信を持って行わねばならない。 誰かに「何故?」と聞かれた時には、 それが合理的であることを説明する義務を負う。 その説明を聞いた相手は納得しないかもしれないし、 反論もあるだろう。反論をもっともだと思えば改めてもいいし、 納得できなければ改めなくても良い。 それは自分で決めればいい。ただし、そう決める理由は 説明せねばならない、というだけだ。

この遠回りなやり方がもたらすメリットが、 コミュニケーションを軽視して ルール化などの機械的な方法で手を抜いたことによる 効率性を上回るのにかかる時間は、そう長くはない。

コーディング規約は、 それを議論する段階でその目的をほとんど達している。 その議論による成長と、議論の過程で考えがある程度収束して ルールを強制しなくてもそこそこ似た感じになることが重要なのだ。 したがって、コーディング規約の議論に参加しなかった人間に コーディング規約を守らせることは効果が薄い。 決まった規則を説明する、というのでは不十分である。

2013年02月21日

最近の機械って真面目に使ったら どれくらい出るんだろうなと思うが、まあ家でやるべきか。 もはやハードの性能を云々するのは趣味だし。

どうフレームワーク組んだら8コア有効活用できるかなあ。 おおよそ考えはあるんだが、実験する場所がない。

Sunabaのコンパイラに最適化を入れたいなあ。 趣味だが。

2進法を教えずにプログラミングを教えることを嫌う人もいるが、 私はそこはミソではないと思っている。 論理回路の図も書けないでプログラミングをする奴はダメだ、 みたいな意見を私は持たない。 だからSunabaはビット演算も論理演算も持たない。 また逆に、今時オブジェクト指向でやらないのはダメだ、 という人もいる。これも私は賛同できない。 オブジェクト指向だけではプログラムは書けない。 プログラムには時間の流れがあり、どのように 上手にクラスとメソッドを切り分けたとしても、 一番下は時系列順に起きることを書き留める作業に ならざるをえない。いわゆる 手続き型プログラミングが不要になるわけではない。 オブジェクト指向はそれに加えて使うものにすぎず、 現実にいかに重要であったとしても、 単体で何かができるわけではない。 初学者に対しては必須のものから教えるべきであり、 そして必須のものだけでも大変なのである。 オブジェクト指向などという贅沢が入りこむ余地はない。 だから、Sunabaにはクラスどころか構造体すらない。

オブジェクト指向はカレーにおけるスパイスのようなものだ。 スパイスなしではカレーにならない。 しかし、スパイスを抜いても食べられる何かではあるし、 スパイスだけでは食べられもしない。 カレーを作らねばならないという文脈において スパイスは他の食材と対等に必須だが、 もしカレーであることよりも食べられるものであることが 重要なのだとすれば、スパイスの重要性は一段落ちることになる。

ビットの概念がなくてもプログラムは書ける。 だからSunabaでは扱わない。 また、数値の範囲というものも取りたてて意識しない。 メモリの単位を32bitとし、「プラスマイナス10億くらいは入るよ」 と言うに留めている。それで困るのはかなり後のことだ。

しかし一方で、Sunabaはメモリの概念を 前面に押し出している。 ビットがなくても数字が扱えれば困らない、 というのと同じように、 メモリの概念がなくても変数等のオブジェクトが扱えれば 困らない、という考え方はありうる。 実際、初心者が学びやすいと言われる言語は ポインタもなく、メモリの番地などという概念は 存在すらしないことがある。

しかし、メモリの概念を放棄するのであれば、 その代わりに型の概念とオブジェクトの概念を導入せねばならない。 なにかよくわからない箱のようなものがあり、 それは一つだけ数字が入ったり、文字列が入ったり、 数字の並びが入ったりする。 この抽象概念を教えるのは、実はそう容易いことではない。 しかし、「プラスマイナス10億くらいの目盛がある ダイアルが数万個並んでる。これを好きに使え」 と言われれば、これは極めて具体的である。 「3番ダイアルを回して5にする」は、「変数aに5を代入する」 よりも具体的である。使い勝手は悪いが、 理解は容易い。そして、メモリの番号を直接指定しなくて 済む便利機能として変数を導入すれば、 変数という概念を地に足がついた形で理解したまま 使い勝手を改善できる。

なお、実際にはガベコレ言語で番地がコロコロ変わるのだとしても、 「どっかのダイアルにaって名前つけて回してるんだオレは」 と思うことは論理的には可能だ。だからそれは問題ではない。 ガベコレって何?と気になった時には一瞬で理解するだろう。 「電車で一個飛ばしで座ってて家族が座れないから詰めてもらう」 というのは、元々のメモリのイメージがなければ 理解できるものではあるまい。 それがわかれば、ガベコレどころか論理アドレスと物理アドレスの 変換すらすぐに理解できる。 「あー変換してたんだ」くらいのことである。

メモリが大量にあって、作ったものをロードして埋める、 というのでは使い切れない状況が来るのだろうか。 メモリが安くなってそういう状況が普通になりつつあるのだが、 それに対応してどう作るのが合理的なのかは見えてこない。 まず、作ったものをロードして埋める場合、 それを作るコストと、ロード時間が問題になる。 8GB埋めるほど物を作るのは金がかかる。 8GB埋めるほど物を転送するのは時間がかかる。 どちらも悪影響がある。もし埋めるなら、 作ったものではない何かで埋めるべきで、 それは実行中に生成したデータということになる。

まあそんなにがんばらなくても、 ファイルキャッシュとか、jpeg2000とかでガチ圧縮かけた テクスチャを激しく展開するとか、 そういう楽な使い方はなくもない。 極端な話、起動と同時にメモリにインストールするくらいの 勢いでバックグラウンドロードしてしまえば、 電源を切るまでは快適だ。 しかし、何か根本的な使い勝手が変わるわけではない。

やっぱり複数アプリが起動しっぱなしにできる、 というのが一番おいしいんじゃなかろうか。 ドラクエやってる最中に格ゲーのネット対戦に誘われて、 ちょっと格ゲーやってすぐドラクエに戻ってくる。 切り換えに1秒とかからない。 そういうことをやるなら、アホみたいに大量のメモリを 積むことには大きな意味がある。 そして、そういうことであれば、 一つのゲームが使うメモリはそれほど多くすべきではない。 他のアプリを強制終了させるようなアプリは嫌われるだろう。 まあそれでもいいくらい面白ければそれでいいんだろうが、 そう思ってメモリを馬鹿食いするアプリはたぶん嫌われる。

CPUの性能は、数×周波数×周波数あたりの性能、で決まる。 うち1つだけではほとんど何も言えないし、 2つがわかってもなおわからない。 さらに言えば、3つわかっても実際のところはわからない。 性能はそう単純なものでなく細かく見れば得意不得意 があるのが普通だからだ。 加えて、この掛け算の結果だけが問題になるような作り方を するのは結構大変だ。 数がいくつあっても、結局一個だけに負担が集中して 他が遊んでる状況になりやすい。そこをちゃんとやらないと 数がいくつあっても宝の持ち腐れになるし、 よほど注意深く作っても完璧というわけには行かない。 数が増えれば増えるほど有効活用は難しくなる。 さらにメモリの問題もある。CPUがすごくても メモリが足を引っぱる状況は多い。 容量だけでなく速度の問題もある。また、速度も二種類ある。 道の広さと、道を通る車の速さだ。 「帯域」と言われるのは道の広さなので、 これが広ければ「たくさんの車が次々到着する」ことは言える。 しかし「ある車が到着するまでの時間」は別の問題だ。 時速10kmでしか走れないが100車線ある道を想像すればいい。 単にそこを10往復するのにかかる時間が問題なら、 車線よりも制限速度の方が重要だろう。それは「帯域」 からはわからない。

要するに、コンピュータの性能なんてものは、 それで何が動くかを確認するまではわからないのである。 推測はできるし、それでおおよそのことはわかるだろうが、 おおよそとしか言いようがない。 「何倍速い」と言うことすらできない。 「何をした時に何倍速いのか」が問題だ。 別のことをすれば違う数字が出るだろう。 だから、機械ごとにその特性を良く見て、 得意なところを最大限に利用するような使い方を してやらねばならんわけである。

糖質制限で身長の伸びが遅くなるという記述があるが、 今のところは何とも言えんなあ。 アトピーと身長が二者択一だとしたらアトピーが 出ない方を取るだろう。 でもまあオタマも糖質食ってないわけでもないし、 たぶん大丈夫だとは思うんだが。 ガセな気はするし。

2013年02月20日

独立GPUボードとしてのラデオンって、 最新の世代ではもはや安物が存在しないんだな。 価格コムで調べたら安物は6450が最後っぽい。 しかも、それですらそれほど安物でもない。 2500円とかのGPUボードはゲフォ8400とかの化石ばかりだ。 GPUをわざわざ買ってきて差すのはごく一部の趣味人だけということか。

最新のインテルCPUでもOpenGLは3.1止まり。 ES2相当まででそこで止めておけば移植性はかなり良くなるわけで、 それより上を使う気がしない。 それにしても基本GLは嫌いだ。しかし適当に作る時でロクにデバグしなくて良くて 今ここにある機械だけで動けばいいという限定ならGLの方が楽である。 Sunabaは内部をDXからGLに切り換えたが、それは1.1で足りるからだ。 本を改訂するならこれもGLに変えていいのだが、 ES2相当までは必要で、そうなるとドライバの出来の影響をモロに受ける。 同じシェーダコードがNVIDIAなら通るのにAMDだと通らない、 みたいなことがよくあるらしいからな。

国内債券投信を買うのを止めた。考えたら売るとか言ってるんだから買う必要がない。 積立設定から外した。

タイ料理と、ステーキと、洋食? パスタ、ピザ、ラーメン、餃子、麻婆豆腐、寿司、そば、お好み焼き、 などは澱粉によってアウト。たぶんひつじこは食べられない。 焼き肉は問題ないが、肉ならステーキだろう。 てんぷらとかもあるが、お上品すぎてオタマを連れていく気になれん。

タイ料理はアホかと思うくらい辛いことが多いので、 結構きついかもな。インド料理は結構手加減してくれるが、 タイはあまり手加減してくれる印象がない。

2013年02月19日

キムチはうまい。偉大な発明だと思う。

右薬指の爪が一部はがれて痛い。なんで指ってこんなに痛覚激しいんだろう。

組織の生産力を増大ないし維持しなくてはならない、とドラッカーが言っている。 要するに、チームメンバーが変わらないなら、 能力が上がり続けないとダメだということだな。 単位時間あたりの生産力と、残り生産力の両方だ。 時間が過ぎればそのメンバーが働ける残り時間は減るのだから、 それを補う分だけ能力が上がらないと残り生産力が減る一方となる。 ということは、「今できることでやれる仕事だけやらせる」 というのは未来から借金をするに等しく、 まっとうにマネジメントできてないということだ。 また、ドラッカーはメンバーの技術が古くなるのは マネジメントの恥だと言った。これも 「今できることだけやらせてる」ことの結果だ。 隣接領域に仕事を広げさせないといけない。 具体的な技術はすぐ古くなったり適用条件が満たされなくなったりするし、 人間は分野が固定されるとあっと言う間に劣化する。

私に部下はいないが、事実上二人ほどあずかっている。 彼等の時間の流れる速度を上げること。可能な限り大きな仕事を与え 自分の裁量で失敗したり成功したりできるようにすること。 得意とする領域で成果を出させることと、その隣にあるまだ得意でないが 得意になれそうな領域に手を広げることのバランスを取ること。 いや、いい勉強になっている。

結局、どれだけ失敗できるかだよなあ。失敗できる場所をどれだけ確保できるか。 失敗と判定してやり直すタイミングをどこに設定するかが具体的には問題になる。 早すぎれば学びに必要な大きさのダメージを負えない。 遅すぎればダメージが大きすぎて高くつく。

考えることは多い。多すぎる。そして、これが慣れた後も多すぎるのだとすれば、 多すぎること自体が間違っている。優先順位をつけたり、 自動化したりして考える手間を削らないといけない。 ドラッカーはこの手の仕事に1/4以上使うのはおかしいと言っていた気がする。 おおよそ午前中だけで終わらせろ、という感じか。

国の赤字が増えていくなあ。やはり保険はかけておく必要がある。

若い人が割を食っているのは事実だが、 40代以上の給料も下がっているようだ。 やろうと思えば給料を下げる方法はあるんだな。 確かに、組合の類が死に絶えているのであれば、 「辞めるか給料下がるか」と迫れば給料が下がる方を選ぶだろう。 賃金の下方硬直性は絶対のものではないわけだ。 高齢になるほどクビが致命傷になるわけだから、 社会の安定化を考えれば安い給料で雇い続ける方がありがたい。 しかし、これが会社の生産性を下げることにつながりやすいと。

ココナッツミルク届いた。SAMUIというブランドで、 youkiよりは薄いかもしれないが十分な品質。なにせ170円だし。

一緒にタイカレーのペーストが届いたので作ってみた。 緑と黄色を買ったが、今日は黄色。 まずにんにく3かけとクミンシードを炒める。生姜入れ忘れた。 にんじんをダイス状に切って追加。 タイカレーのペーストを20g追加。 塩を振って解凍しておいた鮭700gくらいを4x1cmくらいに切っておく。 ほうれんそうを洗って1cmくらいに切る。 ココナッツミルク400mlを投入。固まってるのでなべで湯煎しないと出てこない。 沸いたらほうれんそう追加。やわくなったら鮭を入れて、 ナンプラー20ml。数秒沸騰させて火を止める。 たぶんこの後胡椒などの辛味があって香りの立つものを 挽いて入れるといいかも。かなり適当だが、そこそこうまい。 先にペーストを炒めておくべきだったかもしれない。 あと生姜を入れ忘れなければもっとうまかったはず。 さらに、鮭はスパイスとヨーグルトあたりであえて寝かせておいた方が うまいかも。鶏や豚なら必須の工程だろう。肉は脂の少ないものが良さそう。 ココナッツミルクだけで600kcal分くらいの脂が入っており、十分だ。

煮込まずに作れるので肉も固くならず時間もかからない。 慣れたら相当早く作れるな。これは楽だ。 野菜はなんでも余りもので良く、たぶん白菜や大根でも行ける。 ブロッコリーなんかも。皮なしトゥール豆なんかを入れても うまかろうが、あれは糖質制限的に微妙なんだよな。

メコンフーズで売られてるタイカレー。400g300円で、 20gづつ使えば20回分にもなる。本来なら50gくらい入れて 良かったんだろうが、初回だし、もしかしたらオタマも食えるかもと 思って減らしてみた。結論から言えばこの濃度でも辛い。 オタマに食わせるなら香りづけ程度の量にしないとダメだなこれは。

クミンシードとターメリックは常備しておく価値がある。 この二種類だけでも簡易的にカレーっぽくなる。 あとは生姜の粉とにんにく、黒胡椒があればだいたい行ける。 インデラはうまいが、毎度同じになるので飽きやすいし、 長期間保存するので香りがどうしても飛ぶ。 あとは俄然すり鉢が欲しくなってきた。あまりに使わないし、 洗うのが面倒なので捨てたんだけどな。 あるいはフードプロセッサを買う方がいいかもしれない。 ブラウンのマルチクイックでは無理だ。

自分が最大の貢献をするにはどうすればいいか、という話だが、 とりあえずの方向性としては二つある。 一つは、自分がやってることが不要になるようにすること。 仮にライブラリを作るなら、 ライブラリを作る必要がなくなるようにするにはどうなればいいかと考える。 間接部門にいるということは、直接製品は作らないわけである。 もし、デメリットなしでその仕事を消せるなら、消す方がいい。 ライブラリとか技術サポートとかが、もし不要になるような状況を作れたならば、 その分だけ全体が良くなったということになる。 ライブラリや技術サポートはある意味では必要悪だからだ。 もう一つは、自分がもってるスキルを他人が簡単に手に入れられるようにすること。 私が持っているスキルが安くなれば、相対的に私の価値が下がる。 私に依存する度合いが減り、究極的には私がここにいる必要がなくなる。 デメリットなしで間接部門にいる人間が減るということは、 収益力が上がるということである。

私の仕事が不要になり、また、私のスキルがありふれたものになる方法を 常に考えよう。たぶんそれが正しい方向であり、 それに逆行するような仕事の仕方は一時的には必要であっても理想的ではない。 極力理想の方向へ行くことを妨げないように配慮しつつやる必要がある。 例えばライブラリを作るなら、それによって現場が ライブラリ内部に使われる技術がわからなくなったり、 ライブラリの存在に依存しきってそれなしで物を作れなくなったりするような 状況にならないような配慮がいる。 ゴミ収集は必要だが、ゴミ収集が不要になるような状況というのは 考えられなくもない。発電所にしても警察にしてもそうで、現実的に なくすことが不可能な仕事でも、仮想的に考えることはできるし、 そこに向かって進むことは大抵進歩だ。ゴミの量が減ればゴミ収集の仕事は減る。 各家庭で太陽電池なりガスなりで分散発電できればデカい発電所は減る。 犯罪が減れば警察の仕事は減る。どれも良い変化だ。

専門化と分業による効率化は、「そのスキルに専門化するほどの価値がある」 という前提に依存する。片手間に身につけられる スキルで、片手間にやれる程度の仕事ならば、専門化も分業も無用である。 また、そのスキルが製品の価値につながらないのであれば、 究極的にはこのスキルそのものが不要である。 もちろん、価値につながる間は仕方ない。 綺麗な絵でゲームが売れるなら、優秀な人間を専門特化させて 間接部門でバリバリ研究させ、現場はそれをもらって使うべきだろう。 しかし、もしその前提が崩れているのであれば、 そこの専門特化は疑ってもいい。現場にそこそこのスキルを持つ人間が 分散して存在している方が安い可能性はある。

なお、理屈の上では、それに成功すると私はいらない子になって 仕事を失うのだが、たぶん実際にはそうはならない。 もしそれを次々と成功させられたとしたら、私は相当に成長するから いらない子にはならないし、それによっていろんなことが良くなるだろうから 出世もするかもしれない。 「いつ死んでもいいよ」と言われることを目指して働けば、 結果的に「死なれると困る人材」になれるはずだ。 逆に「オレにしかできない技術」をたくさん作ろうとすれば、 かえっていらない子になる。 なぜなら、誰だってそんなものに依存したくないからだ。 なくて済ます方法を考えるようになるに決まっている。 価値の高い人材を持つことは資産だが、 価値の高い人材に依存することは負債なのである。 例えば私は自分以外の特定の個人に依存した計画は立てない主義だ。 その結果大抵自分で作ってきたわけだが、 その主義を変えないままに、全部他人に依存した計画を立てる方向もありうる。 どんな人でも許容できるコストで必要な水準まで育てられるという確信があれば、 「今いる特定の人間」には依存しなくて済む。いなくなったらかわりを育てれば良い。 さらに理想的には、わざわざ育てるまでもなくそのスキルを持った人間が そこら中に満ち満ちていれば良い。スキルが安くなるというのはそういうことだ。

で、スキルを安くするための手段の一つが本だ。 今書いてるのは根っこのところで一番重要である。 そのうちグラフィクスとか最適化とかについて書きたいが、状況次第だ。 前の本の改訂もしたい。 あとは、マネジメントについて書く気になるくらい経験と実績を積みたいものだな。 それが今後5年の主要目標ということになるだろう。 40になる前にそこができてないと未来の選択肢が狭まる。

でも、とりあえずつわりが終わってくれ。そうしたら、 しばらく集中させてほしい。すまぬ。たぶん集中できればすぐ終わるんだよ...

2013年02月18日

増刷。13刷。まだ売れてたのか...だが2012対応しないとマズいだろ... 早く終わらせねば...だが、その前に本業に区切りをつけないと安心できんし、 そもそもつわりが終わってくれないと無理。

魚って肉の生産効率としてはどうなんだろう。 体温低いし効率高そうな印象があるんだが。 魚は液体中で生育するので、やろうと思えばプラント化 できそうな気がするんだがなあ。 今のところ海に取りに行く方が安いからそうしているというだけで、 そのうち畜産並の近代化をする方が割に合う時代が来るんじゃないだろうか。 それをやるとしたら日本人だろうと思うし、 やるのは漁業出身者でなく、別のところから行く人間なんだろう。 要するに、高度の技術と知識を持った人間が漁業の世界にあまり行かないので そういう進歩が起きてないだけなんだと思う。

自分がやってることが失敗するとしたらどういう原因で失敗するか、 というのは考えないとダメだな。

クミンとターメリック買ってきた。 コリアンダーの種買い忘れたが、まあそれはまた今度でいいか。

2013年02月17日

ココナッツミルク48缶(19.2kg)を注文。主たる用途はアイスクリーム的な 何かだが、一緒にタイカレーペーストを買ってみたので、 おいしければそれにも使われる。 オタマがアイスクリームでココナッツに慣れてくれるなら、 それで野菜煮ても食ってくれるだろう。

時間稼ぎを兼ねて川崎のカルディにココナッツミルクを買いに行ったが、なかった。 あきらめるのもなんなので、大師のイトーヨーカドーに寄ったら、 ユウキの高い奴があったので買った。1缶300円。無添加。 でその後帰ってきて、ココナッツミルクを常食するなら箱で買うべきだろう と思い、探したら見つかったので買ったわけである。 SAMUIというブランドのもので無添加らしい。 いきなり謎ブランドを48缶買うのもどうかと思ったが、 まあ大丈夫だろ。レビューもいいし。 なお、ココナッツミルクは灰色っぽいのが本当で、白いのは漂白したか薄いかの どちらか。脂肪含有率が15%を切るようなものはダメ。

昼間ひつじこがカレーカレー言うので、またさくらダイニングで買ってきた。 チキンカレーと、ついでにシシカバブ。1300円。たけえ。 カレー単品で買った時の量は、どうやら600円の弁当の中のカレーと 大差ないようだ。しかし、ひつじこによるとモノの質に差があるらしい。 弁当で選べる4種は何かのグレードが落ちるのか、それともたまたまなのか。 なんにしても、たまの贅沢なら多少高くてもかまわんといえばかまわん。

次は弁当の汁だけ、量多めにして同じ値段で売ってくれ、とかけあってみるか。

なお、タイカレーペーストを買ったのは、自力でひつじこのカレー欲を 満たせないかと思ったからである。 毎度買ってくると高くつきすぎるからだ。 インデラカレー粉はそこそこはうまいが 所詮簡易的なものであって、 ひつじこのスパイス欲を満たせない。クミンシードとかをバラで買って プラバールさんのレシピで作りゃいいんだろうが、 インドのスパイスの使い方を本格的にやるのは手間すぎる。 しかも、それをやってもどうせオタマは食えないのだ。 オタマが食えない料理にさほどのコストを払う気にはなれない。 とりあえず簡易的な方法で。

もっとも、いつかはやりたいんだけどな。スパイス調合。 まずクミンで、そこにターメリックと唐辛子を合わせて なんとなく形にし、そこから先はアレンジ、 というのが基本であることはおおよそわかっているので、 嗜む程度に調合するのはそれほど難しくないだろう。 インデラに加える形でやっても効果はあるだろうし。 なお、唐辛子は辛いだけでなく旨味も強いわけで、 抜くと辛さだけでなく味も抜ける。 そこが悩ましい。とりあえずクミンだけ買ってくるか。

調べたら、近くにドゥルガというインドカレー屋がある。 そっちの方が安めで食べ放題。 比べてみたいところではあるが。

2013年02月16日

金曜は午後休み。オタマの日本語はまだ不完全なので、 予測補完がうまく当たらない。なので非常に聞き取りにくい。 それに対応しようと思うと相当な集中が必要で、 それが数時間を超えるとさすがに消耗する。 だがこれから二日は丸一日だ。気合で乗り切ると同時に、 どうにか予測補完の精度を上げないと。 大きな声でしゃべってくれればまだ聞き取りやすいんだが、 それも期待できんしなあ。聴力が足りないってのはこういう時にも ハンデになるわけだ。

夜オタマが寝てから出社。unixコマンド入門的な文書を書いたり、 報告について考えたり。2時になったので帰ってきた。 しくじった。明日きついぞ。カフェインで無理矢理動かすしかないかもしれん。

報告についてはここに考えをまとめたいが、それをやると朝になるので やらない。細かい思考は失われるだろうが、極力ロスを抑えるために メモだけ。

ホウレンソウとか言うが、報告には根本的に問題があるように思われる。 事実まともに機能している報告は稀だ。 基本的には上司が部下に必要に応じて聞きに行くべきだろう。 報告が口頭である場合、聞きに行くのと報告させるのの差は小さいが、 それでも報告してほしいのは上司なんだから上司から聞きに行くべきだ。 部下からしたら「仕事増やしやがって」と思うのが自然なわけで、 部下の側には正しく報告することにインセンティブはない。 文書による報告は、それが上司が読むだけのものであるならばたぶん有害だ。 手間がかかりすぎる。 そして他の人も読む何かなのであれば、それは今問題にしている報告と言うよりは、 多数の人が読む文書を作るというれっきとした仕事である。 報告という枠で考えるべきじゃない。

ひつじこがカレーを食べたいというので、 糀谷のさくらダイニングで買ってきた。 こんな名前だが、店員がインドっぽい外人の完全なインド料理屋である。 2009年まではもっとインドっぽい名前だった。 何故こんな名前なのかはわからない。

弁当を2人分。600円×2。ひつじこが汁を全部食べて、 残されたナンだけを私が食べた。 冷えると噛むのが大変で、ナンそのものは普通の水準。

で、夜「一人で行ってきな」と言われたのもあって、 試しに食べに行った。滅多にないことでもあるし、1600円のディナーA。 結論から言えば、この店のカレーはうまい。また、焼き物もうまい。 だが、それ以外は普通である。 昼なら900円で食べ放題だし、 夜の1600円のセットもコストパフォーマンスはいいのだが、 「不要に澱粉を食う気はない」ことと 「店として気合を入れてない料理はコースの一部としても不要」 であることを考えると、 単品でカレーと焼き物のみ注文して持って帰るのが一番良かろう。

内容。普通のドレッシングがかかった普通のサラダ。普通。 何故か溶き卵入りの中華スープ的なもの。陶器のレンゲで、明らかに中華。 熱い鉄皿で出される、 鉄棒にひきにくを巻いて焼いた奴と、タンドリーチキン。 これがうまい。カレーはマトンとゆで卵入りキーマにした。 これもうまい。キーマはクリームでバターの香りが面白いが、 たぶんなくてもいい。マトンはスパイス度が高く、羊肉の香りがいい。 肉本体は抜け殻だが、気にならない。 辛さはどちらも普通にしたが十分に辛い。 ただし、食べ難いとは感じないレベルなので、 多少食べ難いと思うくらいの辛さが欲しいなら中辛にすべきだろう。 ナンは大きく甘め。だが普通。大森のマトゥの方がうまい。 黄色い米飯が少しついてくるが、こっちの方がうまい。 デザートはマンゴーソースがけヨーグルト。量産品っぽい。

カレーは2種類あるが少ない。1種類のセットならもっと多いのだろう。 昼の600円の弁当の方が多く見えた。

次は汁だけ買って帰ることになると思うが、 ダル系とかチキン系とかの安い奴を大量に売ってほしいものである。 もっとも、ひつじこのカレー欲が続く限りの話だが。 つわりと一緒に消え失せるかもしれない。

なお、食い物そのものとは関係ないが、店員の日本語がそこそこ上手で、 気配りも日本の店っぽくて努力の跡が伺える。皿を置く時の丁寧さとかも日本くさい。 食べログの過去記事だと日本語がヤバいとか、頼んだのと違うものが来た、 みたいなことが書かれているが、たぶん今は大丈夫だろう。

2013年02月15日

銀の弾丸はない、という言葉は銀の弾丸ではない。 万能と無能の間には無限の段階があり、 何が問題なのかや、どうなれば解決なのかという定義によっては、 十分に銀の弾丸と言えるような方策はありうる。 完全はなくても十分であることはあるのであって、 それが完全でないことを騒ぎ立ててもどうでもいいということはある。

2013年02月14日

オタマは幼稚園見学に行った時に「こんなにちらかってる!」 とか言って先生をおどろかせたらしい。「かたざけなきゃ!」 とか言ってたらしい。

チケットのシステムは実にいい。高機能備忘録として実に優秀で、 掲示板機能までついている。なるほどこんないいものは使うべきだ。 ただ、使い方は考えないといけない。

情報は必要な内容を満たしさえするならば、量が少ないほど価値がある。 情報がもたらすコストには、取るコスト、溜めるコスト、見るコストの3種があり、 それぞれは当然安いほど良い。 このうち、取るコストと溜めるコストは技術によって劇的に下落しうるし、実際した。 工夫さえすれば、いずれもほぼゼロにみなせるところまでは下落する。 しかし、最後の見るコストだけは人間の脳がボトルネックになるため、 下落には限界がある。

したがって、いかに安く取れて溜められるからといって、 大量に溜めれば、見るコストが跳ね上がる。 毎日の時間がそれに割かれる、という程度であればまだ対応のしようもあるが、 人間は本能的にそういう状況でズルをするため、 量が増えるほど、実質的には見なくなる。 全く見なくなることもあれば、一つ一つを真面目に見なくなることもあるが、 とにかく見なくなる。 そしてさらに恐ろしいことに、見ていないことに本人も気づかない、 というくらいに巧妙なやり方で見なくなる。 読んでいても、それについて考えなくなれば、読んでいないのと同じだ。 チケットやメールが大量に来る状態がマズいのは、その理屈による。 情報システムは機械だが、使うのは人間だ。そのギャップについて思いを致さない限り、 確実に失敗する。

ただ、それはそれとして、 人間が見ない前提の情報を大量に溜め込むことには意味がある。 タダで取れ、タダで溜められるのであれば、 見ない場所に大量に溜めこんでおいてもタダである。 見える場所に溜めこめばコストが発生するが、見えない場所なら問題ない。 見ないのに必要なのか?と思うかもしれないが、タダならそれでもいいし、 見るのが人間でなく機械であれば問題ない。 要するにアプリの動作記録、ソースコードの書き換え履歴、などなど、 「後で何か必要があった時に機械に探させて、出てきたものだけを人間が見る」 という用途であれば、無尽蔵に情報を取りまくることは悪くない。 むしろ、そこにこそ機械の真価があるとすら言える。

そうでない、普通に人間が見るものは、 紙やホワイトボードでも多少不便こそあれ運用可能なものだ。 実際チケットのシステムは低機能で不便で良ければそれらでも良く、 肉眼で見えることが重要であれば、その方が合理的な局面はありうる。 実際アジャイルアジャイル言う人々が壁に付箋で仕事メモを貼ってたりするのは、 つまるところそういうことだろう。

機械化することが圧倒的に有利で、機械なしにできないのは、 その大半は一度も見ることなく捨てられるような 大量のデータをひたすら溜めこむ用途だ。 それ以外は「機械を使うとより便利」というレベルにすぎず、 それは本当に便利かの判断が必要になる程度に便利であるにすぎない。

機械をうまく使えるのは、 「このケースでは機械を使う方が良いか?」と常に問いかけ続けられる 人間が機械を使う時だけだ。私はそう思う。 この問い掛けをやめた瞬間に、機械は古代超文明の遺跡となり果てる。

田中芳樹の小説に、「古代の超文明人が月にレーザー砲を作り、500m以上の高さに 飛ぶと打ち落とされるようにした。そしてそのまま滅んでしまった。 なので誰も空を飛べなくなった」という設定のものがある。 無害な遺跡ならばいいが、 こういう暴力的な力を持った遺跡に成り果てると手に負えない。 機械化には多かれ少なかれそういう危険があり、 良く出来た凝った機械であればあるほど、 暴力的な遺跡になりやすいように思われる。 ラピュタみたいなもんだ。

もうLinkedInのアカウントは消そう。いいだろ。 facebookが消えてそっちメインになるとかありえん。 facebookを消すような状況になれば既存のSNSなんて全部いらなくなってるはずだ。 で、消した。もうSNSとか登録しないぞ。よほどのことがない限り。 向いてないんだよ単純に。たぶん人間関係を重く考えすぎてるんだろうが、 そりゃ性分だ。今更変えられるようなもんじゃない。 片耳なのが影響してたりすんのかなあ。同時に3人かそこらとしか会話できない状態で 育ってくればそういうふうになるのかね。言い訳だが。

結構な人が機械化というものについて勘違いしていると思うんだよな。 機械化を否定すると、 「それじゃ人間依存じゃないか。確実性はどうする」と良く言われるのだが、 仕事なんて人間依存で不確実なものなんだよ。それをまず認めるべきだ。 どんな馬鹿でもうまく回るように自動化システム化ルール化しよう、 なんてのは幻想にすぎんのではないかね。私は信じない。 それを信じない立場から私は貢献する。 それを信じる立場からの貢献は他人にまかせる。

機械化が最もうまく行くのは、そこから人間を消せる時だ。 その場合、不確実性は消えてなくなる。これが正しい機械化だろう。 コミットされたコードをビルドしてテストする、ということのために 一人置く必要があったのが、jenkinsでいらなくなった、 となれば、これはそういう類の機械化だろう。副作用はゼロではないが、 たぶんそれほど深刻にはならない。 例えば自動ビルドならモラルハザードの原因にはならない気がする。 何かをしていた人がそもそもいらなくなる、というような機械化を、 まずは検討すべきだろう。 最近できたらいいなあと思うのが、議事録を取る人を音声認識に置換することだ。 どうもまだ無理っぽいが、いずれはできるだろう。

次にうまく行くのは、何かしていたことが不要になるような機械化だ。 電話だと記録が残らないが、メールだと通信をすれば勝手に記録が残る。 だから、もし電話をしながらメモをしなければならなかったとすれば、 そのメモをするという作業が消えてなくなる。電話とメールではモノが違うので 完全ではないが、いずれskypeが全部録音して文字起こししてログに残してくれる ようになりでもすれば、完全と言えるものになるだろう。 CGでも、ライティング焼きが不要になって全部動的計算になるのであれば、 これはいい機械化と言える。 まあそれで十分な絵が出るにはまだしばらくかかるだろうが。

次が、人がやっていることを省力化するための機械化で、これもおおよそうまく行く。 エディタの一括置換の類はそれで、これによって何か悪いことが起こることはそうない。 ただし、電子メールのようにコミュニケーションのコストを変化させる場合には 副作用が大きくなりうるので注意がいる。電子メールは確実に 本来必要なコミュニケーションを削ってしまう副作用を生んでいる。 何かをする手間が変われば、それと関係した他の行為をする頻度に必ず影響を与える。 ピザが安くなれば、マクドの販売量は減るだろう。 twitterが増えればmixiは減る。電話が普及すれば会って話す頻度は減る。 それが望ましい変化とは限らない。 コミュニケーションに限らず、何かが楽になることが必ずしも良いとは限らないことは 忘れられがちではある。

最後に、確実性を増すための機械化がある。 目覚し時計はそれで、いつ起きるか怪しいので機械の確実性を利用して 保険をかけるわけだ。 Googleカレンダーやチケットのしくみもこの側面を持つ。 これらが便利であることは疑いない。しかし、こいつらには致命的な欠点がある。 まず、起動は人間がやる。目覚し時計をセットし忘れれば終わりだ。 チケットやカレンダーも同じである。次に、知らせが来た後どうするかも人間が決める。 二度寝すればそれまでである。チケットも放置できる。適当な対応で 逃げることもできる。保険を二重三重と強化していけばいいと思うかもしれないが、 人間のズル賢さを甘く見るべきではないし、仕組みをややこしくすればするほど 手間が増え、副作用が大きくなる。 この機械化は、ドラッカーが「人間を機械の一部とするような機械化」的な 呼び方をしたものだ。ドラッカーは人間を機械の一部にするなと言っている。 便利なのは確かなので使い方の問題なのだが、 確かに「人を機械の一部にする」と言えてしまうような使い方はよろしくない。

期日までに仕事を遂行する巨大な機械の一部として構成員を扱うための 工夫がチケットである。目覚し時計にしても、 人間を社会という機械の一部として扱うための工夫と言えなくもない。 この手のものには、意識が高いほど有効性が落ちるという特性がある。 「明日はピクニックだ明日はピクニックだ」と念じながら寝れば、 大抵は起きられるのだ。こういう時の目覚し時計は単なる保険であり、 なくても大して困らない程度にしか働かない。 しかし、「あーどうでもいいー面倒くせー」と思っていれば、 寝過して目覚し時計に叩き起こされ、不快な朝を迎えることになるのである。 チケットにも同じことが言える。意識が高ければ、正しく保険として働く。 なくても大して困らない程度にしか働かない。 しかし、意識が低いほど、それなしには機能しえないほど重要な働きをする。 そして、それに依存することが、ますます意識を低めていくことになりかねない。 目覚し時計があるから夜更ししてもいいや、と思うのと同じだ。 目覚し時計がなかった方が良かったのかもしれない、 と思ってしまうくらいに状態が悪くなることもある。 しかし、そう思ってももはや依存から逃れるのは容易ではないのである。

機械化に限らず、ルール化の類も同じ特性を持つ。「ルールだから守る」 という守り方をしていると、元々の意義がどんどん忘れられていく。 防具なしで組手をしても案外怪我をしないが、防具があると油断して ひどい怪我をすることがある、というのにも似ているかもしれない。 しかしそれでも、便利だから使う。使わないとは言ってない。 ただ、便利であり、副作用が許容できる範囲でのみ使わなくてはならない。 ルールも機械も道具である。 並の人間でもそれなりに働けるようなガイドライン、ルール、 といったものは便利で有益だが、副作用は重大なものになりやすい。 ハードルを下げればジャンプ力も下がるのが人間だ。 そこを無視してルール化だ機械化だ自動化だとばかり言うことは、 人間の生物としての性質を無視している。人間を機械の一部として使うことには 元々無理があるのである。 こんな不確実で適当なものを確実なものの一部として使おうなんて無茶だ。 運動が苦手な奴はサッカーをすべきでなく、他にすべきことがある。 人間には「確実に云々」はそもそも向いていないのだ。

リスクを最小化する、という思想自体がダメで、 いかに多くのリスクを取っても割に合うくらいにリターンを高められるか、 と考えないといけない。人の能力をフルに引き出し、多少アレなことがあっても 補って余りあるくらいの実りをもたらす努力をすべきだ。 アレなことを減らすことばかりに集中していては何もできなくなる。 ただ、現実問題それでは困ることもあるので、どうしてもマズいことに関しては 多少の副作用があっても保険をかけざるを得ない。 ただ、そこの見極めは相当に真剣でなければならない、ということなのだろう。

ドラッカーのマネジメントのどこぞの章に書いてあった内容は、 つまりこういうことだろう。ほんの1ページかそこらで、 読んだ時はピンと来なかったが、チケットのシステムをいじったり人と 話をしたりしつつ数ヶ月を過ごしてみて、ようやくなんとなくわかった気がする。 たぶんあの本はどの1ページを持ってきても、 経験を積んだ後に考えればこういう感じに納得できる 何かにつながっているのだろうなと思う。

伝え聞いた程度でしかないが、 たぶん私はカタギのソフトウェア業界の考え方は好きにはなれんのだろう。 コベリティやジェンキンス、レッドマインですら 一歩間違えば重篤な副作用をもたらすのだ。 ここにモデル駆動開発やら何やらの「先進的な道具」がゴッソリやってきた時に、 副作用を避けてその長所だけを適切に取り入れるようなマネジメント ができる自信は到底ない。「うまく使えば便利」 の「うまく使う」が恐ろしく難しいとなれば、それらを打ち捨ててしまうことも 合理的でありうる。ゲームエンジンを買って済ませようとした連中が どうなったか、という話はそこかしこで聞くじゃないか。

たぶん、このへんが私はプログラマじゃないんだろうな。 でもいいよ。プログラマであることが成果を出す妨げになるなら、 プログラマである必要がない。プログラミングがそこそこできる会社員で十分だ。 それに近くに優秀なプログラマ的プログラマが少なく見積っても2人いる。 プログラマ的思考が必要なら彼等にやってもらえばいい。 彼等と同じ土俵で戦っても勝てないし無意味だし、そもそも戦う気になれない。

2013年02月13日

猛烈にもうかっている。資産が25%増えた。 予測通りというか、こうなる可能性が高いと踏んで外貨シフトしていたわけだから これでいいのだが、なんというか、 定期預金のまま放置している人が周囲にいる状態を思うと 若干憂鬱である。でもあの時にあれ以上強くは勧められなかったしなあ。 今でも、またあっさり円高に戻ってなかったことになる可能性もなくはない。 また今が円安のピークなら、今から外貨シフトしてももうからない。 私なら今からでもリスク分散のためにやるし、事実 円が半分を切った今でもまだ止めていないが、それも当たりである保証はない。

まあ、仕方ない。言うべき機会があった時には、できるだけの説明はした。 あとは相手の問題だ。結局この手のことは、自分で考えて、 自分で決めて行動しなければ、結果を自分のものと思えない。

20%円安になったと考えれば、ドルで見れば大して資産は増えていない。 もうかったわけではない。ただ、減らなかっただけだ。

上司が成果を出せないと部下も成果を出せなくなる、 とドラッカーが書いている。 それが正しいなら、もし私が上司になるなら成果を出せる人間にならないといけない。 ただ、勘違いしてはいけないのは、今の地位で成果を出すことと、 上がった後で成果を出すことは違うということだ。 昇進は「働き方を変えろ」という会社からのシグナルとして見るべきものだろう。 逆に言えば、働き方を変えてほしいと思わない人間を昇進させる会社は 間違ってるわけだ。たまたま売れたものに参加してたとか、 年を取ったとかいう理由は論外だが、 すごい技術で大活躍した、とかもダメである。 昇給の理由にはなっても昇進の理由にはならない。 もちろん、階級とマネジメント度が別扱いなのであればそれもいいんだろう。 少佐だけど部下はいなくて技術職、みたいなのが軍にはいるそうだが、 そういうのが会社にもあればいい。

今まで私は2回の昇進をしたが、考えてみればよくわからんな。 少なくとも1回目の昇進にはそういう意味を感じなかったし、 取りたてて自分の行動を変えもしなかった。 2回目にしても周りからそういう圧力というか期待を感じることはなかったのだが、 今回は自発的に変えることにする。 案外周りは変えてほしくないのかもしれんけど。

あの本は敵に塩を送るようなものだ、と評した人がいる。 そうかもしれない。 しかし、味方に塩を送る方法があれしかなかったのだとしたらどうだろう。 高校に入学した後、「何々君と同じ中学校だったんでしょ?どうだった?」 とか聞かれても、高い確率で何々君とは面識がないだろう。 GDCでアメリカまで行って初めて同じ会社の人と技術談義をする、 なんてことは珍しいことではない。

範とならない人間を高い地位につけてはならないとドラッカーは書いている。 しかし、ドラッカーの言う「範となる」は、成果を出すという点が最優先で、 そのための必要条件として「真摯さ」を挙げてはいるが、 他には触れてない。マネージャーと言ってもいろんな人がいて、 いろんなやり方がある、というのは何度となく語られる所だ。 細かいツッコミ所が満載であってもかまわないのだろう。 パトレイバーの隊長が人気キャラになるあたりを見るに、 みんなそう思ってるってことだよなきっと。

私もドラクエ6やりたい。 ひつじこがルカニを使って井戸モンスターに勝てるようになったりして成長していて、 すごくいい。ブーメランの便利さに気づいたり。 いやー、本当にドラクエって良く出来てんな。

扉が3つあって当たりが1つある。3人の人がいて、一人しか正しいことを言っていない。 A「右が正しい」、B「真ん中はダメだ」、C「Aは正しい」。 ひつじこがこれで混乱してて、「面倒くさいから右行こう」とか言ってたので、 ちょっと待て考えろと言った。こんな時にどう考えれば限られた脳の能力で 混乱せずに答えが出るか、ということを学んでおくことは悪くない。

ここには情報が4つある。3人の人と、 「一人だけ正しい」という前情報で合わせて4つだ。 この4つをどうこうして正解を考えるのは、それなりに頭を使う必要がある。 うまく出来ていて、どの情報も単独では選択肢を狭めない。 「この情報から、右はないと言える」というような情報がない。 こうなると考え慣れてないとどこから始めていいかわからず混乱しやすい。 こういう時には、結果から考えるべきだ。 まず「左だとしよう」と考えるのである。 左だとすれば、Aはウソをついている。Bは正しい。 Cは、Aがウソをついているのでこれもウソになる。 結果Bだけ本当のことを言っている。なので、左だ。いきなり正解である。 真ん中ならどうか。Aはウソをついている。Bもウソをついている。 Cもウソをついている。全員ウソをついていることはないので、これはない。 右はどうか。Aは正しい。Bの人も正しい。Cも正しい。全員本当のことを 言っており、それもない。こうやって結果から考えれば確実に選択肢を削れる。 また、二つ以上正しいものが出てくれば、どこかで間違ったなとすぐわかるから 出てきた答えの確実性も高い。 選択肢が数個しかない時には、こうやって結果から導く方が確実だし頭が疲れない。 選択肢が多い場合には情報をうまく使って選択肢を削る必要があるが、 数個まで落ちたら結果から考える方法に切り換えるべきだ。

とにかく、「なんかややこしいなあと思ったら結果から考える」 がクセになれば、多くの局面で役に立つ。 例えば、昇進試験でやらされるSPIの類でも役に立つし、 料理で何を作るかを決めるのにも役に立つし、 会社での意思決定にもたぶん役に立つ。 まず削りこみに使いやすい条件から使って選択肢を数個に絞りこむ。 例えば「右はない」「玉ねぎを使う」「基本無料」みたいな制約条件だ。 その後、選択肢それぞれについて検討する。 料理や会社の仕事の場合は、 ドラクエやSPIと違って「一個だけが明らかに正しい」 という状況にはならないだろうが、 それでも全部についてそれなりな検討をしているので、長所も短所も おおよそ明らかになっている。間違うにしても、 それほど派手な間違いにはならないだろうし、 間違いとわかった段階で他の候補に乗り換えることもできる。 条件からいきなり一個に絞りこむと、その作業自体が大変だし、 その過程で間違うことが致命傷になりかねない。 そして頭のいい人ほど削りこみが上手なので、かえってその間違いを犯す。 選択肢は複数残すべきだ。人間の脳の能力と、 世界の不確定性の両面から、それが言える。

国内債券投信を売った。おお、税金を3000円も払っているらしい。 なるほど途中で売るのは基本的には損なわけだ。 今回は資産組成を買えるための売りだから仕方なく、最低もう3回売る。 たぶん今年中に。 にしても、証券会社のwebで表示される資産総額は、 換金時の税金を考慮してない額なんだよな。 換金する時が来たら結構な額を払うことになるってことか。 プラスの投信を売る時にはマイナスの投信も売って相殺した方がいいのかもしれない。 だが、証券会社が分かれているとそういうことがしにくくなる。 外貨MMFはマイナスな上に利率が悪いので いずれ始末せねばならんのだが、こいつだけ野村にあるから 他の売却益と相殺しようと思うと確定申告が必要だ。 でもまあ、どうせ今年は出産その他で医療費が豪快にかかるので 元々確定申告はする予定だ。勉強も兼ねていろいろやってみよう。 損得はこの際どうでもいい。数千円だし。 今年は投資信託の換金と税金に関する経験を積める。

2013年02月12日

11日の午後、いきなり吐き気と下痢に襲われ、熱が38.7度まで上がった。 夜中まで布団の中で動かずにいた。22時かそこらまでは眠れるレベルではない 苦痛っぷりだったが、少なくとも朝6時までには寝たようだ。 6時に目覚めた時には37.4度まで下がり、吐き気もそこそこ収まっていた。

朝、ひつじことオタマが幼稚園の見学に行ったので、掃除して布団を干し、 部屋をあけっぱなしにして家計簿の処理。 その後調子に乗って食ったらまた吐き気。今はまた布団に逆戻りしている。 今日明日くらいは水だけの方がいいかもしれん。

昨日の午前中はオタマを連れてまず萩中公園で自転車に載せ、 川崎のカルディにココナッツミルクとブルーベリーを買い、 上でやっていた北海道物産展でマルセイバターサンドとチョコレートを買い、 最後にヨドバシでDSのドラクエ6をひつじこに買った。 金使いすぎだな。まあドラクエは2000円ちょいだったし、 マルセイバターサンドはひつじこが六花亭ブームだからいいか。

インフルエンザか、食中毒か。 インフルエンザでのどと鼻に来ないってありうるのか? しかも一晩で熱下がったぞ? 食中毒だとしたら疑わしいのは10日夜に食べたチーズくらいだが、 さてどうなんだろうな。もう一回食べて再発すれば当たりということになるが。

まだおならをするのが怖いレベル。下痢の時ってそうだよな。

ログホライズンを4巻まで読んだ。 大したもんだと思うが、なんだろうなこの感じは。 うまいし、題材も私にとっては新鮮で、実際こうやって読んでしまうわけだが、 もう一歩何かが物足りない。たぶん精神負荷が足りないんだろう。 それほどひどいことにならないという確信が裏切られない。 それは大多数の読者にとってはきっと長所なんだろうなと思う。 あと書き忘れていた気がするが、 まおゆうを最後まで読んだ。ドラクエ部分はいらんなあ。 純粋に後出しジャンケン大会として読めればそれで良かった。 魔法使いの女の子とか、意味がわからない。 しかしそれはそれとして、良くできている。 このレベルに出来ているものが当たり前のように現れるのだとしたら、 生半可なプロに居場所はなかろう。

でも、たぶん「良く出来すぎてる」んだろうな。それぞれのキャラが 役割をきちんと背負って物語を進めている。 遊びというか歪みというかが感じられない。 人間の臭いがしてこない。でも面白いのでいい。

つうか、一般人もステータスウィンドウ出るのかよ!

アマチュアが強くなるというのはゲームでも起こっていることだ。 アマチュアが力を持てば、プロの優位は薄れる。 ただ、ゲームの場合は規模がでかい。 金と組織はアマチュアにはそう簡単には持てないものだ。 しかし、この優位は客が規模を求めなくなれば容易に崩れ去る。 また、組織化と規模をアマチュアが得る方法も発見されつつあるように見える。 ミク動画を見ているとそんな気がする。

考えてみれば、 はっきりした作者がいる創作ばかりではないのかもしれない。 誰かが思いついたことを別の誰かが形にし、それをまた別の誰かが いじる、ということが繰り返されて完成していくというあり方はある。

「良さ」が誰にとっても同じなら、皆が一番いい物に金を払う。 二番目以下はゴミだ。一番になるものが大半のお金を獲得するので、 お金を相当な額かけても良くなる。 このしくみが大作ゲームや大作映画を支えている。 しかし、「良さ」が人によって違うなら、 金をかけて作っても払ってくれる人はそれほど増えない。 だから大作は作れない。そして、「良さ」が多様であれば多様であるほど、 個人のセンスが活躍できる場は広がる。アマチュアが強くなるのは そういう状況だ。「良さ」がどれくらい拡散したり収束したりするのかで、 産業としての形は違ってくるということになる。 しかし、長い目で見れば、好みは拡散する方向へ行く。 目が肥えれば肥えるほど評価軸は分散するからだ。 したがって、大きく見れば、大作主義はやりにくくなる。 ただしグローバル化と新興国の経済成長によって市場が広がれば、 大作主義にとっては追い風になる。 どちらの効果が大きいかはそう簡単にはわからない。 2年で見るか、5年で見るか、10年で見るか。 そういうことによっても出すべき結論は変わってくる。

でも10億かけたくはないがなあ。感動のコスト効率が悪すぎるだろ。 10億で100万人に1の感動を与えるのと、1億で10万人に1の感動を与えるのは、 経済的には同じなんだろうが、どこか釈然としない。 うちらはファミコンであれだけ楽しかったのである。

そして、ファミコン時代のゲーム開発者にうちらが並べている気が全くしない。 単純に開発費に見合うだけの感動を客に提供できているのか。 その昔3人で半年で作ったゲームに対して、今30人で2年かけて作ったゲームは 40倍の感動を提供できているのか。とてもそうは思えない。 技術が進歩したのだから、同じく3人で半年で作っても昔より感動できるものを 作れても良さそうなものではないか。 もちろん、話はそう簡単ではないのだが、 たまにはそう簡単に考えてみてもいい気がする。 今のゲーム開発は個人個人の力をちゃんと活用できているのだろうか。 さらには、個々人の力量は昔に比べて劣ったりしてはいないのだろうか。 そもそも、客が欲しいものを作れているのだろうか。

2013年02月11日

オタマが寝て、ひつじこの腹に手を当てていたら日が変わった。 夜は仕事をするつもりだったが、今からやったのでは 朝まともに活動できない。朝は8時台に起きて オタマを公園に連れていかねばならないのだ。

2013年02月09日

昨日の夜、ひつじこが買った白米ごはんに、コンビニの100円カレーをかけて 食べた。異常なエンプティ感。全く食い足りないのに、 胃は重い。 あとこれもひつじこが買って食べ残している焼きおにぎりを食べた。 単純にマズい。 あとはちゃんぽんが残っている。これも始末してしまおう。 電子レンジだけでできるのか?すごいな。

六角家が上々家と名前を変えてオープンしたが、 味は全く同じということなので特に食べたくもならない。 澱粉を食べまくって胃が重いからというのが大きかろうが。 さてちゃんぽんを食うか。一気に食う方が害が少ないからな。 合理的に考えるなら捨てるべきなんだろうが。

和菓子は基本食えんなあ。大福一個でも糖質50gとかある。ヤバい。 一日100g食ったらもう多い。それだけで活動に支障を来す。 昔はその活動に支障を来した状態が日常だったわけだから、 恐ろしい話だ。まあ若かったというのもあるんだろうが。 しかし、澱粉はうまいんだよな。

昨日はひつじこがイクラ入りおにぎりが食べたいと言うので 買って帰ったわけだが、見事に二時間語に吐いた。 食べてる時は実にうまそうだったんだが。 うまいものが体にいいとは限らない。 糖質がこんなにありふれたものになるという前提で人類の体はできていない。 たまのごちそうだったからこそ、これほどまでに甘いものはうまいのである。 過剰にうまいものは頻繁に食うべきものではないのだ。 うまいイコール栄養がある、と単純に考えていた時期が長かったが、 やっぱりそうとも限らない。

夜はとりあえずひつじこの胃に何かを送っておいた。 下部の腸に接続する所に冷感があったので、手を当てて 熱を送りこみ、冷たい何かを吸い取り、胃が動くイメージを持つ。 ほどなく冷感が消え、胃が多少は動くようになり、ひつじこが寝た。 もちろんこんなのはオカルトの範疇なので 効くとは期待していないし、効いていると信じる気もない。 ただ、それくらいしかできることがないということだ。 祈るくらいならこの方がいい。

ひつじこは、とにかく胃の動きが悪く、また下の門が開かない。 二時間とかしてから吐いてしまうわけだ。 しんどそうな時は下の門に手を当てるようにしよう。 胃の中心や上の方に悪いところは感じない。

ひつじこアイス、うまいよ。ただ、冷凍してしまうとハーゲンダッツ並に固くなる。 できたての方がいい。

ちゃんぽん。鍋の方が早いし、電子レンジでやる時にも熱湯は必要。 まあそうだよな。

ドラクエ7を3DSごとひつじこに買おうかと思っていたのだが、 出てから考えようと思って待っていわけである。 ちょっとふんぎりつかない。3Dにするならカメラには気を使うべきだと思う んだがなあ。あと、フリーズするとか、海の上を歩けるとか。 あと、つわり時にやったゲームは、吐き気とセットでしか思い出せなくなるので、 それはちょっとなあというのもある。

ひつじこにおすすめしたいドラクエは何か、と思ったが、 4と5はやったわけで、もういい気がする。 3までは思い出補正が強く、今の文明レベルにおいて遊べるゲームじゃない。 DSでできるのは6と9だが、どっちもなあ。つうか9は私すらやってない。 6は好きだけど。

2013年02月07日

なぜ国内債券投信の値段も上がってるんだろう。 安定して上がっていくものではあるが、幅が大きい。 海外から金が入ってきているということか。

Thinkpadのタッチパネル付きの奴が20万弱。 金に糸目をつける気はないが、さすがにない。 そもそも14インチはデカすぎる。

ビット演算は並列処理だ。そう思うと世界が一気に広がる。 そして、「一番左の1が立っているビットは何ビット目か」 が2分検索で判定できるということが、その応用範囲を一気に広げてくれる。 こりゃあいい。たまらなくいい。 本に入れたライブラリをごっそり改良できるぞ。 改訂したいなあ。

だが本が進まん。回転って説明するの難しいなあ。 2次元の回転やるのって高校だよな。 あれを覚えてることを前提にするなら簡単なんだが、 それは無茶だ。そして何よりも、 まずは相対で位置を考えることを理解させないといけない。 次に、相対で方向を考えることを理解させないといけない。 90度単位回転限定であることが、具体的に考える上では助けになる。 特に2マスの時には上下左右でしかないので簡単だ。 相対位置の概念さえ理解できればかなり助けになる。 3マスに拡張した時に東西南北を前後左右と関連づける考え方を導入しよう。 それができれば、あとは種類を増やすだけで4マスに至り、完成となる。 道が見えてはいるんだが、いざ書こうとするとどうにも手が動かない。 会社の仕事なんてやってる場合じゃないんだがなあ。 本が長びけば結局会社の仕事にも悪影響を与えるわけで。

WiiUでストリートビュー見たいなあ。それだいぶ楽しそうだ。 ブラウザで見てるとどうにもピンと来なくて、 ストリートビューなんて滅多に使わないのだが、 あのUIなら確かに使えるし、娯楽としても面白い。 あの「社長が訊く」はWiiUの宣伝というよりはgoogleの宣伝だが、 それでもいいと思ってやってるんだろう。

赤字転落するというのは、赤字転落するくらいの挑戦をしたということなわけで、 そのことはむしろプラスに評価されるべきことだと思う。 あの莫大な内部留保はそのためにこそあるのだろうし。 任天堂はかっけえなあ。

私もがんばって仕事しよう。社会に役立つ仕事と、会社に役立つ仕事の バランスをうまく取りたいし、あわよくばそれを一致させたい。 書いている本をどう会社に役立てるか。 本業でやってることをどう社会に役立てるか。 そのへんはもうちょっと考えてもいい気がするな。 階級的にもそれを考えることが期待されているだろうし、 実行するための手段もないわけじゃない。

失敗すれば会社にいられなくなったりもするかもしれんよなあとは思うが、 それはそれだ。私も「内部留保」はそこそこあるからな。挑戦してナンボだろう。 結局、やめる覚悟なしには何もできん。 すべきことをやろうとすれば、保身は二の次にならざるを得ない。 なるほどそれで失敗して辞めてしまえばそれまでだが、 結局そうなったとしても、それだけの挑戦をすれば私には経験が残る。 単純に利己的な動機から言っても、何事も会社をやめる覚悟をもって すべきことをした方が得だろう。真の意味ではそれが保身だ。

ビット演算を使った高速化をいろいろ試したい気分でいっぱいになったが、 同僚にアイディアを伝えて終わりにした。自分ではやらない。 やればできるのはわかっている。おおむね脳内ではコードもできている。 だから私がやっても意味がない。それが訓練になる人間にやらせるべきだ。 仕事は一種の資源であり、それによって成長できる人間が優先的にやるべきである。 私がやれば半分の時間でできるとしても、教育効果の重要性を考えれば よほど差し迫っていない限り私がやるべきではない。 ファイヤーエムブレムで年寄騎士に経験値を与えるのはいくら強くても下策であり、 完全に同じことが言える。

まあ改訂の時までおあずけだ。その時には自分でやる。 そして、その時にそのへんのことを文書化しよう。

投信を売ることを考える。 例えば0.1%のペナルティがかかる。仮に100万円とすれば1000円。 まあ無視していい。あと税金。 5万円のプラスだとすると、1万円払うことになる。結構デカい。 100万が105万円になったとすればプラス5万なわけだが、 税金によってプラス4万になる。5年間であれば年利0.8%だ。 売らないでいれば複利で増えるわけで、基本売るというのは不利なわけである。 もちろん、値下がりが予想されるとか、もっと割のいいものに乗り換えるとかなら 話は別だ。

国内債券投信のパフォーマンスが3年で1.8%とかだ。1年で0.6%。 定期預金を買うくらいならこっちの方が良くないか。

2013年02月06日

帰ってきて日記を貼ったら4時だ。明日はしんどいな。 そして、オタマの位置からして、これは一回起きたな。 ひつじこががんばって再度寝かせたのだろう。

まるで進まねえ。夜中まで種まきをしていた。

デカい円盤を回す仕事。そうそう回らないが、 一旦回れば容易には止まらないくらい重い。それを回す。 そして、回す人を他にも作る。そうすればさらに加速する。 回す人候補をもっと見つけねばならないし、回す人も増やさないといけない。 半年くらいでとりあえずの成果が出ればいいんだが。 というか、出さないといけない。 それくらいで出ないと失敗だろう。 まあ、私個人としては本が出ればそれでいいんだろうけどな。

円は毎日1円下がる気か?94円まで行ったそうだ。 週末カルディ行ったらいろんなものが高いんだろうなきっと。 トマト缶はそろそろ98円とかかもしれん。 ちょっと前まで78円だったのに、この前見たら88円だった。 オリーブオイルも1000円超えるだろうなあ。 まあ、その値上げを補うくらいは資産が増えているので 別にかまわないんだが。

2013年02月05日

ドル93円。 しかし、それくらい円安になっても日本企業が息をふき返すかどうかは疑問だ。 根本的にモノがダメな場合、安くなった程度ではどうにもならない。 むしろモノがダメであることを放置する原因にもなりかねない。

ドル100円になったら円ベースでは相当もうかるなあ。 単純計算10%は増えるはずだし。 持ってる金の大半が外貨というのはこういう時にはありがたい。 円安による給料の下落を補ってくれる。やっぱりやっといて良かった。

今が一番金を溜めやすい期間なんだろうな。 給料が安定して、子供も小さいから出費も高が知れている。

若いうちにがんばって給料を上げて後でダラダラしよう、 というのは危険な考え方だ。 昔はそれが通用したが、今はダラダラしてれば昔どれだけ有能だった としても切られる。その意味で言えば、 今がんばるべきは未来の自分の稼ぐ力を高めることであって、 単純に地位や給料を上げることではない。 スキルを高めることと、出世することはある程度までは比例するが、 やり方によっては相反することにもなる。 相反するような方法で出世することは、 将来切られる確率を上げるだけだ。出世や給料の増加は結果として 現れるものだと考えるべきで、目標にしてはいけない。 長期で考えると損をする。

ただし、自分を鍛えると言っても、それが人の役に立つようなスキルでなければ 意味がない。それも未来においてだ。 今しか使えない技術を学ぶこともあるが、その経験は未来に活かせる形で 勉強せねばならない。単に記憶の棚を増やすだけになる学び方は危険だ。 その意味で、今やってることはたぶんすごく役に立つ。 ただ、しんどい。

未来において確実に役に立つスキルとして、 物に上達するスキルと、物を教えるスキル、そしてマネジメントがある。 「上達する」ということ自体を理解すれば、この先何が必要になっても対応できる。 また、物を教えるスキルは、上達するスキルと表裏の関係にある。 上達するとは自分に教えることでもあるし、 教えるためには上達の原理を理解していなければならない。 この二つが私の最大スキルになるようにしよう。 今持っている具体的なスキルが全部ゴミになっても、 この二つが残ればそれでかまわん。具体的なスキルはこれから いくらでも移り変われば良く、10年後の私がプログラマでなくても一向にかまわない。 あとはマネジメントだが、これは向いてないことがわかればそれでもいいや。 ただ、マネジメントにはいろんなやり方があるので、 自分の特性に合ったマネジメントというものは可能だろう。 単純な技術の不足は機械や人の力を借りれば補える。 それに、「成果に責任を持つための技術」と大きくとらえれば、 人を使わなくてもマネジメントである。 それに人を使わなくても、成果を出すためには人の協力が必要なのだ。

最近思うのだが、一緒に仕事をして成果を出すのに、 必ずしも仲良しである必要はない。互いが「奴は自分にできないことをやれる」 ということを認めることと、 「お互いに要求できることは客を喜ばせるための行動だけ」 ということを認めることだけだ。これだけあればいい。 しかし、その二つの認識を持って一緒に働いていれば、 たぶんそれなりに仲良くもなる。互いに尊敬できる関係であれば、 激しい議論をしたとしても、それは仲が悪いということにはならない。 ただ、これはもしかしたら男的な感覚なのかもしれないとは思う。 女性優位の職場ではこの理屈は通用しないかもしれない。 ひつじこの話を聞くにそう思う。 それにそもそも、男しかいない職場でも完全にこれが通用するわけではない。 でも、私は基本この路線で行こう。

昼休みから戻ってきたらひつじこからSOS。 即座に帰ってオタマを萩中公園に連れ出した。 いろいろ工夫したら2時間自転車に乗りっぱなし。 遅くなってきたら即興で適当な節をつけながら「たまちゃんがー遅くなったー つかまっちゃうぞーつかまえ...られない!速い!」 とかいって加速を促してた。たぶん明日は通用せんな。 自転車の貸出時間が終わりそうだったので図書館に寄って時間をつぶし、 家に帰ってオクラとピーナッツと唐揚げを食わせ、 しばらく遊び、フロに入れ、バーバパパを読んで寝かせた。18時30分。 ひつじこも寝ていた。電気を消して家を出た。今に至る。

この時間に寝かせてしまうと夜中起きる可能性が高いな。 だがやむを得ん。

水が汚れた金魚鉢がある。 古い水をコップですくって捨ててその分新しい水を入れることを繰り返すか、 隣に新しい金魚鉢を用意するか。大抵はどっちもやらないといけない。 そりゃ水を換えるのは面倒くさいし、魚をコップで叩いて怪我をさせるかもしれない。 新しい金魚鉢を買うのは高くつく。 しかし、放っておけば汚れは溜まり、魚の活力は失われていくのである。 魚が老いていて寿命もわずかだというならば、 死ぬのを待って丸ごと捨てても良かろうが、 もし魚にまだ寿命が残されているのであれば、 掃除をしないという選択肢はあるまい。

今日一文字も書けてない。気になって仕方ないことがある。

製品は新しく今からそれに触れる客がどう感じるか、 ということを考えなくなったら終わりだろう。 そりゃ旧来の客は大切だ。 しかしだからといって、新しく客になる人間を無視していいわけじゃない。 「今から触れる人がいるとして、その人がどう思うか。 印象を良くすることはできないか」 と考えることは自然なことだ。 考えた結果、常連客にとって害になったり、手間がかかりすぎたりするというなら あきらめても良かろう。しかし、考えもしないというのはナシだ。 そしてそれは、本当の製品でなくても言える。 私が書いたコードを使う誰かがいるなら、そのコードは製品で、使う誰かは客だ。 私はその客のために、もっと改善できる点はないかを考える責任を負う。 そしてその客は、 すでに客になっている人だけではなく、これから客になるかもしれない人を含む。 実際にやるかどうかは別であっても、その責任があることに変わりはない。

2013年02月04日

勉強になったなあ。自分で企画したことが、それなりに失敗。 最大の敗因は、「何がどうなったら全体が崩壊するか」 という問いを持てなかったことだな。 まあ、道義上の責任は遅刻した発表者にあるのだが、 遅刻しうるということと、遅刻した場合にどうなるかを 考えることを怠ったという意味で私が悪い。 なるほど、こういう所でぬかるのか私は。 しかも、ぬかってもリカバリーは可能だった。 考えたら電話番号知ってたじゃん。 リアルタイム思考力みたいなのが弱く、 そのくせ場合分けをしっかりやって抜け目なく考えるということも面倒くさがって やらない。根本的に脳が粗雑なのである。

まあそれでもやらないよりは良かっただろう。だからいいや。 周到に考え抜けば防げたかもしれんが、 そうやって際限なくコストをかけるのは逆に良くない。 単純に、より安いコストでやれる奴に振るべきだったのだ。 まあ次からはそうなるだろう。

時間は余るよりは足りなくなる方向に行きやすいということがよくわかった。 メモリと一緒だな。「もうあと何メガしかありませんよ」と過少な値を 言っておくと、結局はみ出してギリギリ間に合うくらいになる。

モデル駆動開発というのを知った。 理念はともかくとして、やってることは、 謎のGUIツールを使ってクラスやらメソッドやらの関係を書いて、 イベントが起こると何がどうなって、みたいなのを書いて、 という感じのことをして、最後にコードに変換するとコードが出てくる。 メソッドの中身は後から何らかの手段で書くんだろう。 メソッド名で右クリックしたらメニューが出てきて「コードを書く」 とかあるのか?まあ実際には違うかもしれんが、そういうイメージで良かろう。 とにかくエディタで直接書くことはしないに違いない。 C#のフォームデザイナのイメージが近いか。

本質的に自由度が減るので、安全性が上がる。 やり方次第では教育コストも削れるはずだ。 自動化や強制がしやすいのも長所である。 また、クラスの関係図が先にあるので、おかしな設計をしにくいし、しても人に見える。 中身を何も書かなくても、遷移やクラス関係のテストを先にできる。 このように利点はおおむね想像がつく。コンパイル速度、その概念とツールの習熟に 別途コストがかかること、実行速度、あたりに若干の懸念はあるが、 やってできないことはあるまい。あれが合理的な局面はありそうだ。 しかし実際に小規模ないくつかのタイプのプログラムで試してみないと 何とも言えないな。コマンドラインツール、GUIツール、ゲーム、 というあたりか。

でもまあ、どんな道具も適用範囲はある。 現実のゲーム開発があれになってないのは、 単にまだ浸透していないだけかもしれないが、 適用範囲外だからである可能性もある。 なんにしても試してみて適用範囲を探る必要があるのだろう。 ただ問題は、あれはデカいものを作る時に威力を発揮する手法なので、 小規模な試験運用ではイマイチ威力が見えず、面倒くささばかりが 見えてしまいそう、ということだろうか。

関数型言語は素晴らしい、という意見をちらほら聞く。 それが本当かどうかを確認するには、自分で試してみるのが一番早い。 しかし、ぶっちゃけ面倒くさい。プログラミング言語を覚えるなんて、 よほどの理由がない限りやりたくないのである。 なので、試すにしても、身近な人でそういうのに興味がある人にやってもらって、 話を聞く方がいいだろう。私がやると「面倒くさい」が邪魔をして正当な評価を できない可能性がある。

ただし、それすら不要だろうという気はする。 本当に素晴らしいならば、流行り、普及するはずである。 javascriptやphpくらいに流行れば、使えることがはっきりした、と言えるだろう。 それから学んでもそれほど遅くはない気がする。 ただ、興味を持ちそうな素質のある人間が近くにいるなら煽っておいて損はない。 それでテトリスでも作ってくれれば、その過程でいろいろわかるだろうし、 C++で書くより楽そうかどうかは、できたコードを見れば 文法を知らんでもおよそ判定できる。 というわけで、近くにいた人を煽っておいた。果報は寝て待とう。

すごく久しぶりにかつ丼食べた。すさまじく胃に重い割に物足りない。 もう外食できる体じゃないなこれは。

オブジェクト指向がわからないと言う人は珍しくない。 しかし、それは教え方がなってないからだろうとしか思えない。 オブジェクト指向が何なのかを私は良く知らんが、 いつもやってることがオブジェクト指向なのであれば、 それはつまるところ人間の役割分担をプログラミングに持ちこんだだけのものだ。 カプセル化は「関係ないことを知る気はないという人間の素直な感性」 がプログラムで表現されただけのことである。 こんなに簡単なことがわからないということはまずありえない。 わかってなかったら社会生活を送れてないはずだ。 単純に用語やら教え方やらの問題だろう。 とりわけ用語が意味不明すぎるのがガンな気がする。 もっとくだけた日本語でまずは理解させろよ。 変な言葉を覚えるのはその後でいいんだから。

つうか、クラスってみんな擬人化してイメージしてるんだよな? 「伝える」とか「頼む」とか「知ってる」とかいう言葉を 使う人はたぶんそうだと思うんだが、実際に尋ねたことはないので 確証は持てない。そして、そういう日常語を使わないで話す人もいて、 そういう人がどういう形で理解しているのかは考えてみれば全然わからない。

アイスクリームを作るとか考えたこともなかった。 娯楽としての食べ物は作らず買う、が私の考えなのだが、 作ることが楽しいならそれもいい。 また、オタマに食わせるという話になれば、砂糖以外に悪い物が入ってない ものを作るのは悪い話ではない。 菓子を何も食わせない、というわけには行かないからな。 調べたら3000円だし、いいんじゃなかろうか。

2013年02月03日

糖質制限は効くのだが、甘いものや澱粉をバカ食いして 体を傷つけることには快楽がある。だからタチが悪い。二郎食べたい。 あと、丼の類への欲求が危険。 ただ丼に関しては味を想像すれば「あー米いらねえなあ」と思うので、 まだ対処はしやすい。そのへんの丼屋の米は基本マズいからな。

セブンイレブンでサバ缶が100円で、モノも良く素晴らしい。 糖質制限的にあれは大変助けになる。 だが問題は会社に行く時に前を通るコンビニはファミマだけで、 そこの鯖缶は180円する、ということである。

納豆を100g食べたことがきっかけなのか、オタマの皮膚が悪化した。 とりあえずゲリ。ゲリの中身は納豆なので、納豆が悪いのはほぼ間違いない。 とりあえず、納豆は一日1パック。

回復するまで、豆腐、乳、卵主体で。繊維質が多いと ゲリしかねない。ゲリが原因なのか結果なのかははっきりしないが、 ゲリをした時にはほぼ間違いなく悪化する。

つわりの対処。ビタミンB6、漢方、生姜。 副作用は観察されておらず、効いたという報告がそれなりにある。 胃の動きが悪くなるのが吐く原因なので、 そこだけどうにかできんものかな。 しかし、生物としてわざとそうしている可能性もあるわけで面倒くさい。

マイルやら何やらのポイントを今のところ全く気にしていない。 どれくらいつくんだろと思って調べたら、 東京福岡で530とかで、普通の席だと半分らしい。 1マイル1円であるならば、おおよそ1%というところか。 生活費を1%減らすためにかけていい手間は相当に小さい。 カードを余計に持つ負荷はすでにして割に合わない。

マルエツでTポイントが溜まるようになった。0.5%還元。

10%円安になった時に、円で見て10%増えるような資産構成になっていれば、 おおよそいいわけだ。そう考えるとおおよそいい具合になっていると言える。 逆に、10%円高になった時に円で見て10%減るのは問題ない。 定期預金にしておけば減らずに済むので得だが、 得をする時により得をし、損をする時により損をするような方向は リスクが大きい。円高という得の時には損をし、 円安という損の時には得をするようにしておいた方が安定化する。 結局今の経済は世界中がつながっており、 円安になれば多かれ少なかれ値上がりはおきる。 うちのように輸入品比率が高い家においてはなおさらだ。

幼稚園か。とりあえず行ってみるのがいいんだろう。 明日申し込むのは、所詮は体験入園みたいなものだ。 引き返せないわけではない。

ピアニート公爵という人を知った。ショパンと巨人の星を混ぜた奴を ニコ動で弾いていた人だ。すげえな。

ピアノに限らず、芸術の類はモノがデジタル転送されるため 個性とか好みとかはあるにしても、基本的には世界中の人が 一番の人に集中して金を払う。 二番に払う理由がないからだ。 一番と二番の差は凄まじく大きくなりがちである。 これはゲームでもなんでもそうで、同じカテゴリの中では、 一番になったものだけがもうかり、他は死ぬ。 したがって、一番になれる見込がないのであれば、 他と同じカテゴリに落ちないようにするしかない。 しかしその一方で、相当に狭いカテゴリであっても、 世界中にモノを供給し、金をもらう方法が今はある。 人に届ける方法はいろいろあり、昔のようにメジャーにならないと どうにもならないというわけではないからだ。

もっとも、狭いカテゴリだけで元を取るためには 相当にコストを抑えないといけない。 ピアニストなら払うものは自分の人生だけだが、例えばゲームはそうは行かん。 Unityやら何やらのおかげでプログラマのコストは下げようもあるが、 ゲームデザインや絵素材、音素材は単なる効率化ではどうにもならない。 そこに芸術性というかミソというかがあり、効率化には限度がある。 しかし、「固定で給料を払う組織でやる」 ということを捨てればやりようがあるんだろう。 webで集まってその場限りのチームを編成するようなマネが、 今ならやりやすいかもしれない。 会社にやることがあるとすれば、そのマネジメントや、 芽が出た後にメジャー化させて育てる部分の方かもしれない。

バグは直した。2マスづつ落ちてくるテトリス的なものが動いたぞ。 括弧が中途半端なまま改行した時と、行末が演算子だった場合には 改行を無視することにした。副作用がありそうだが、たぶん大丈夫だろう。 出たら直せばいい。そろそろこのコンパイラは一から書き直した方が いいんだろうが、今は無理だ。書き直しの時に備えてメモだけは しておこう。

回転だけ隔離して説明しよう。2マスの段階でしっかり説明できていれば、 3マス、4マスに行ってもそれほど修正は必要ない。 しかし、4マスまで見越したアルゴリズムを導入することはしない。 近視眼的に2マスしか考えずに作る場合の最適解で止める。 「そのうち必要になるからやっとく」は、この本ではやらない。 それをやったら既存の本と同じになる。 私は徹底的にそれをやらない。行きあたりばったりでやって、 困ってから考えればいい。この本を読む程度のレベルの人には 困る経験が必要だし、困っても良いだけの時間があるはずだ。

得意なことをどう使えば人が喜ぶか。会社はそれを考えないとつぶれる。 それを考えられないならつぶれた方がいい。 だが、個人はどうか。

個人が趣味でやる分には、本来それを考える必要はない。 好きにすればいい。アインシュタインは下手くそなくせに ヴァイオリンの練習にえらい時間を費したと言うし、それは好きでいいはずだ。 しかし、少なくとも今の私には、人が喜ぶかどうかを無視して 何かをするような贅沢なマネはできない。そんな時間はない。 「したいこと」に割ける時間なんてない。「すべきこと」をやるだけでも あふれているのだ。だが、「したいこと」を全て捨てて「すべきこと」 だけをすれば、精神がもたない。 こうなると、「すべきこと」を そのまま「したいこと」にするか、 「したいこと」を「すべきこと」と言えるレベルまで引き上げるしかない。

自分はどこで何をしたら一番効率良く役に立てるんだろうな。 今のところ本を書くのが一番いい気がするんだが、 残念ながら本で生きられるほど私に才能はない。 年間300万くらいは安定して稼げないとキツいからなあ。

ゲーム作りたいんだけどな。裏方でなくてアプリ、それもゲームデザインそのものを。 しかし、それは「したいこと」を出ない。 得意なことをすべきだという話になると、 プログラムを書いたり直したり教えたりする方が良い。 本もとりあえず一冊は売れたんだから、これもたぶん得意なんだろう。 これでさらに目論んでいる方向でも役に立てるとなれば、 なおさらゲームを作っている場合ではなくなる。 中途半端にやろうとしても前みたいに人に迷惑をかけるだけになる。

ニンジャスレイヤーの同人ゲー作りてー、とか思ったが、そんなヒマねえよ。 今は「すべきこと」だ。家でプログラムを書くにしても、 先にすべきことはこの日記を近代化することだろう。 ひつじこが手軽に画像を貼れる状況を作らないといけない。

2013年02月02日

投資が+22%とかになってる。しかしそれでも給料に比べれば微々たる額だ。 投資が威力を発揮するには相当な元手が必要であり、 もうけようとしてやるものではないということだな。 今の状況は相当に幸運なはずだが、それでもこの程度の利益だ。 そして、何かの弾みで一瞬で消えてなくなるのである。

2013年02月01日

前書き直そう。ちょっと喧嘩売りすぎてる。 九州大学の先生に試作品を送ろうと思って 読み直したら、ちょっとマズいかなあという具合だった。

円安にせよ円高にせよ急激すぎると辛いよなあ。 投資というマネーゲームの観点からは変化が激しいほど もうける機会があっていいんだろうが、 まっとうな商売をする上では為替の不安定さはマイナスでしかない。

編集さんから感想が来た。やっぱ文章多すぎるか。 まあそれは二周目で図と併用してごっそり削る予定ではいるので、 どうにかなるだろうし、どうにかするつもりではいる。 図もイラストっぽくして柔和な印象にする、という手があるのか。 本当にそれでわかりやすくなるならそれもいいのかもしれんが、 現状なんともわからん。 とりあえずは自分でなにやら描いてどうにかしよう。 二周目はカメラと方眼紙を用意せねば。 以前はスキャナ使ってたが、面倒くさすぎる。 誰かが清書してくれる前提ならとりあえずは手書きで十分だ。

まあ、一回最後まで書かないと何も始まらないんだけどな。 この本、本当に出るのかね。まだ全然出ると信じられない。

この本は面白いのか。役に立つのか。わかりやすいのか。可能性はあるのか。 それを他人に言ってほしいと思うわけだが、その段階で心が負けている。 誰もそんなことは言ってくれない前提でいよう。 言ってくれる人がいれば、それは運が良かったのだ。 全力で感謝しよう。それが酷評であったとしてもだ。

結局中身に関しては私が一人で責任を持つしかない。 失敗は全て私のものだ。 今回の本は前回以上に需要が読めないし、うまくいっても 経済的な意味では意義が小さい。私は意義があると思ってやっているが、 それは私が勝手に思っているだけだ。 仮に誰かが賛同してくれたとしても、それに甘えてはいけない。 facebookに書いてコメント乞食をするような甘さは捨て去らねばならぬ。 誰かが意見をくれる、なんていう甘い期待もまた捨て去らねばならぬ。 どこまで自分の本を客観的に見られるかが試されている。 一方で、どこまで自分の本の価値を信じられるかという主観の強さも試されている。

今更Sunabaにバグ。条件行を2行に割るとまともに動かないっぽい。なんてこった...

2045年。私は68歳になっている。カーツワイルの予言が中途半端に当たることを 期待しよう。完全に当たると人類が終わるので困る。 だが、まるで大外れでは面白くない。 その頃のコンピュータが今の予測をブッチぎった代物になっているくらいのことは 起こってほしい。

あと30年そこそこしかない。30年前のコンピュータと今のコンピュータの能力比 くらいの能力比があれば、30年後のコンピュータは結構すごいだろう。 しかし、それでも所詮「結構すごい」にすぎない。 根本的に変わるためには、「プログラミングしたものが動く」 という今当たり前のことを改めないとダメだろう。 この方法は作業量的にも能力的にも効率が悪い。 人間は論理思考がそもそも苦手であり、 論理思考の結果をコンピュータに入力したものがプログラムだ。 つまり、プログラムとは人間が苦手な能力によって作られている。 人間が苦手な論理思考をコンピュータによって補った結果人間の 論理思考力は大きく拡張されているわけだが、 それでも根本的な元のロジックが人間由来なので、どうしても限度がある。 人工知能的なアプローチも出てきてはいるが、 あるアプリのある機能の中での話にすぎない。 この枠を出て人工知能的な何かが動き出すようになれば話が変わることも あるんだろうか。よくわからない。

Sunabaのバグ。文の途中で改行した時にその改行を無視する条件が足りない。 括弧が中途半端なら改行を無視する、という処理しか入れてないから、 括弧が完結してるとうまく動かない。 さてどうする。 python式に改行やインデントが意味を持つので、 改行を完全無視できない、というのが問題なわけだ。

改行の直前か直後のトークンが演算子なら改行を無視する。 演算子で終わる行もないし、演算子で始まる行もない。 後者は本当か? いや、ウソだ。ありうる。演算子で終わる行がないことは間違いない。 後置演算子がないからだ。しかし、前置演算子はあるので、 それで始まる行はありうる。前置でありうる-だけを特別扱いしてもいいが、 「行が終わる時に途中とわかるケース」だけを対象とする方が 間違いが少ない。改行の直前だけ見るべきだな。

なお、Sunabaにおいて代入は演算子ではない。 C++においても演算子でない方がいいと思う。 =の戻り値をさらに他の何かに使うような書法は利点 より害の方が大きいように私は感じる。 「そんなバグいれねえよ」と思う人もいるだろうし、 そういう人は実際そうなんだろうが、 それでバグる奴の方が多いんだよ。しかもバグった時のダメージが半端ないのだ。 そして見つけにくい。だから私は代入演算子の戻り値を使うことを自分に禁じている。

凝ったテストの仕組みってのは、より大きなリスクを取るためにあるはずだ。 単にリスクを軽減するためだけに使うには豪華すぎる。 10のリスクを5に減らす装置として使えば、その効き目は5だ。 しかし、100のリスクを50に減らす装置として使えば、その効き目は50である。 テストの類は乗法的な効き方をするはずで、例えば「バグを半分検出する」 といったことになる。であれば、元のバグが多いほど、 たくさん検出できる。 同じ導入コストをかけるなら、大きな効き目がある方が入れた甲斐があると いうものではないか。 別にバグを出せというのではなく、バグが出てしまうような大きな挑戦を より多く行うためにこそこれを使うべきだ、と言いたいのである。

もちろん、もしバグを0にすることだけが重要で、1個でも残れば無価値なのだという 極端な立場に立てば、1のリスクを0にする最後の砦として使っても 価値は減じない。 しかし現実的にはリスクはゼロにはならず、 また、ゼロになると信じるべきでもない。さらに言えば、 ゼロにしようと思うこと自体が経済的には非合理である。 バグがなさすぎるプログラムは、デバグに不要なコストをかけ、 他の品質に割くコストを削っている、と言うこともできるからだ。 デバグしてる暇があったら、多少フリーズしてもいいからゲームを面白くしろ、 という考え方はあっていい。なんぼバグがなくても、クソゲーはクソゲーである。 安定性が重要なライブラリの類であっても、 「バグはないけど性能悪くてインターフェイスがクソ」では話にならぬ。 限られた資源をどう割り振れば一番皆が幸せになるか、という問題であり、 「バグは0であるべき」と言っても意味がないのである。

自動テストの類の本質的な役割は、バグの発生率を下げ、 また、直すコストを下げることである。 しかし、これが持つ「バグの可視化」という機能は、バグの測定を容易にする。 測定が容易なものは、改善の対象になりやすい。 優先順位が上がりやすい。その結果、コスト配分が変化する可能性が高いのだ。 導入で安くなった分で相殺される程度の歪みで済めばいいが、 そこで止まってくれるかどうかはなかなかに不安である。 「漫画がつまらんと言われたが、どうしていいかわからんので、デッサンの練習をする」 的な間違いに誘導することになりはしないか。 逆に言えば、そういうアホな真似をしないような対策とセットで 導入すれば、素晴らしい働きをするはずである。 自動ビルドや自動テスト、テスト駆動開発の類の リスク軽減及びコスト削減効果は絶大に大きい。

あらゆることには副作用がある。コストの変化はインセンティブを変化させる。 その結果どうなるかは必ずしも読み切れるものではない。 だからこそ、小規模なテストと、高頻度でのチェックが必要なのである。 もちろん、インセンティブの概念を理解し、 事前に副作用を予測する訓練を積むこともまた必要だろう。


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