だだもれ

2012年11月30日

ブルーレイドライブと、マダガスカルのブルーレイを買った。 今後レンタルビデオ屋で借りる時にブルーレイがあればそっちを選べる。 結構な頻度で借りると思うんだよな。オタマがだんだんわかってきたから。 もっとも、日に日にネットワーク配信のシェアが上がってきているわけで、 ブルーレイドライブがゴミになる日はそう遠くないだろうとも思う。 いくらなんでも5年後にまだ光ディスクを使っているとは思えない。 PCのリカバリディスクを作るくらいしか用途がなくなりそうだ。 それすらUSBメモリにしろという話になりかねない。

kindleを見せてもらった。液晶じゃない方。 使える用途はあるな、という印象。ただし、 現状はわかった人がちゃんと使い分けてナンボの機械だ。 素人まで普通に使えるものにしようと思えば、 解像度と反応速度はもう少し改善する必要があるだろう。 UIももっと洗練される必要がある。 私はもう少し待ちだな。 電車移動中の読書は結局紙の本で足りてるし。なにせ図書館だ。

iPadの問題は重いことだ。逆に言えばそれ以外に問題がない。 確かに電子ペーパーには利点があるが、夜中にバックライト付きで 見る分にはあまり変わらないだろう。あくまで反射光で見てこそ 真価を発揮する。消費電力の問題はあるにしても、 私の使い方だとそれほど致命的ではない。 動かさなければ電気を食わないという特性は、 そういう時は机に置いているはずだから充電しておけばいい、 と考えれば大した利点ではなくなる。 結局のところ、軽いiPadが出れば万事解決なのだ。来年に期待。

オタマの皮膚が改善している。 米とバナナを追放した時期と一致するのだが、 本当にそれが関係しているかはわからない。

一つ懸念がある。蛋白質食いすぎじゃないか? 肉100g、魚100g、チーズ20g、ピーナッツ20g、牛乳500g、卵2個、 というくらいは一日で食べかねない。蛋白質80g近い量で、 それって大人並みだぞ。カロリーで言っても1000kcal近い。 2歳ってそんなに食うのか? 蛋白質を確保するのが大変だなあ、とか言ってたのがウソのようだ。 とりあえず、牛乳は減らないかなあ。 ちょっとミネラルウォーターでも買ってきてみるか? 液体でカロリーを取るな、というのは江部さんも言っていることだし。

あとは、野菜を増やすべきなのだろうか。 しかし、現状葉野菜をモリモリ食う感じでもないんだよな。 ブロッコリー、ピーマンは蒸せばそれなりに食べるが、 それなりだ。あと、トマト缶も結構食べる。 たぶん普通の幼児よりは野菜を食べていると思うし、 調理法のこともあって栄養効率もいいのだが、 しかしオタマの食欲が満たされるわけでもない。

まあ、たぶん大丈夫だろう。江部さんの病院では カロリーの32%を蛋白質で取るような食事を出している。 それで問題が出てない。一日1000kcalなら320kcalが蛋白質で、 これは80gに相当する。オタマが1000kcal食うなら、80g食べてもいいということだ。 また、調べてみたところ、 3歳の標準摂取カロリーは1200kcalを超えてくる。 これを間に受けるなら、オタマはまだ食い足りないということになる。 そして、その 32%を蛋白質でとっていいなら、100gくらい食べてもいい計算になる。

窒素のやりとりを元に推定した「体を維持するのに必要な蛋白質量」 は体重1kgあたり1gくらいらしい。だから、15gは最低食べる必要がある。 そして、一年に2kg体重が増えるとすれば、一日あたりは だいたい6gだ。食べた蛋白質の4割が成長に使えるという試算があるので、 2.5をかけて15g。合計30gだが、アミノ酸の比率の関係で 利用効率は100%ではないし、吸収率の問題もあるので70%しか使えないとすれば、 これにさらに1.5を掛けて45gくらい食べればいいだろう、ということになる。 これ以上の蛋白質摂取が腎臓への負担を増すだけで有害だというならば、 残りのカロリーはおおむね脂肪でとるべきで、 脂肪の必要摂取量が一日あたり90gとかになる。 2割糖質を混ぜても、70g以上だ。 これはかなりきつい。つうか、ちょっと食べすぎたくらいで 本当に腎臓に害になるのか?どれだけ調べても「これくらいから上は食べすぎ」 という量が出てこないぞ。

赤ちゃんが母乳を一日1000ml飲むとする。 母乳の蛋白質濃度は100mlあたり1.1gなので、蛋白質の合計量は11gだ。 案外少ないな。ちなみに、母乳は案外糖質が多く、 「母乳は糖質制限」というのは正確ではない。 ただし、糖質由来のカロリーよりは脂肪由来のカロリーの方が多いので、 「糖質制限気味」とは言える。

人類が肉食だったとすれば、カロリーの大半は脂肪でとっていたことになる。 100gの肉のうち、20%が蛋白質で、200kcalあるのであれば、 脂肪が120kcalだ。15gくらいが脂肪という計算になる。 この状況で1000kcal食うと、蛋白質は100gくらいになる。 やっぱり、それくらいの量は想定済みで、 肉を食べまくっても問題ないんじゃないか。

2012年11月29日

Intel Tools for UPnP Technologyというものを落としてみた。 nasneの中身が見える。DLNAだけでリストは取れることがわかった。 右クリックすると削除という項目もあるのだが、選ぶと例外を吐いて落ちる。

Windows Media Playerでもnasneの中身が見える。 しかし、一つの動画が5個並んでいる状態。あと、削除がない。 DiXiMでも5個並んでたな。

いずれのツールでも、日付けが取れない。長さは取れる。 まさか、PowerDVD12で日付けが出てこないのは、DLNAの仕様として 日付けと時刻を取れるようになっていないからなのか。 だとしたらDiXiMで取れることがわからない。 同じ項目が5個あるのはどうもnasne側の問題っぽいが、何故そんなことに なっているんだろう。 あと、DLNAで情報を抜くのには時間がかかるということもわかった。 録画数が数百を超えてくるとリストが完成するまでに数十秒以上かかる。 まさかこれディレクトリの中身を一個づつ調べるのと同じような ことをネット経由でやってるのか。 「リストよこせ」で一発、という作りではないなこれは。

5個とかある原因がわかった。nasne側は「日付」「ジャンル」というような 分類別リストを出していて、DiXiMやWindows Media Playerが それを全部掘ってタイトル順にソートするために 中身が同じものも別に並んでしまっているせいだ。 Windows Media Playerで一個づつプロパティを見てみてわかった。 単純にDiXiM Digital TV plusの作りがアホだということだな。 サポートは「仕様。うちのせいじゃない」と言っていたが。 競合他社の製品くらい見とけよな。そっちでできることができてないのは 何かあるはずなんだから。

DiXiMでは個々の番組の日時が表示される。 なぜ他のクライアントでは出てこない? uuidの一部に時刻を入れてるとか、 そういうのが規格と関係なく慣習として行われている、 みたいなことなんだろうか。完全に推測。

DiXiMにも削除するUIはある。でも灰色になっていて選べない。 nasneが削除をDLNAクライアントに対して公開していないということだな。 となると、chan-toruとの通信を傍受するしかない気がする。

iOSで動くDTCP-IPアプリが現れた。 あとで試す。値段いくらだろ。

タダだった。そしてあっさり見られた。 並び順の変更や検索が見当たらないので、 現状では実用には耐えないが、 リストを作って連続再生できるなどの利点もある。 つうか、ソートと検索だけあればこれだけでいいのに。 何故やりたいことを全部できるものがないのか。

PowerDVD12返品したいなあ...DiXiMの再生開始までの時間 だけどうにかなればいいのだが。 もう一度だけ調べよう。サポートは全く頼りにならん。

これ、まさかとは思うが、録画番組が大量にあると 再生開始が遅れるとかいうクソ仕様ではあるまいな。 もしそうならライブチューナーなら早いとかいうこともありうる。 あーでもマシン違えば早いんだからそれはないか。

WiiUはHDMI出力だ。これをDisplayPortにはつなげない。 しかし、DVIにはつなげるはずなので、DVIとDisplayPortがある モニタを買えば問題はない。 ThinkpadX220がDisplayPortなので、こうすれば2台ともつないでおける。 そうすると、買うべきモニタはdellのU2212HMということになるか。 HDMIとDVIしかないモニタでは辛い。 X220のDisplayPortから吐かれたものをモニタにつなぐには DisplayPortがいるので、もっと安いモニタで済ますわけには行かない。 もっともX220にデカいモニタをつなぐ必要があるかと言われると 特になかったりはするのだが。 あとは、WiiUがHDMI出力時にも音声をアナログで吐けることを確認しないと。

モニタは何にしてもいつか必要にはなるんだけどな。 サーバにつなぐモニタがなく、今はtelnetかvncで操作している。 しかし、いずれOSの入れかえをする時がくれば それでは済まなくなる。 根本的にOSの入れかえなしで移行する方法を考えた方が いい気はするのだが、それくらいの頻度で新しいFreeBSDを 入れ直すのは悪いことではない。

wikipediaにページが作られるくらい有名になろう。 そのためにはもう一冊書いて5万部売らねば。 5万部売れば多少は有名人になれるに違いない。 しかしバカ売れと言われた前の本の倍、 と考えるとなかなかにきついな。 出て数ヶ月した頃には「毎年1万冊くらい売れるんじゃね?」 とか思ってたが、さすがに止まったし。 10年古くならないものをと思って書いたが、 まだ半分も過ぎないうちにそもそも3Dゲームそのものがこんな状況である。 技術云々以前に市場が変わってしまった。

対象レベルを落とすほど数が出るはずだから、 モノさえ良ければ今回の方が数は出るはずだ。 しかし、ある意味では今回の本の方が対象レベルが高いとも言える部分があって 難しい。 丁寧に説明すればするほど、結局は抽象的な内容を 含まざるを得ないからだ。 「なぜループを学ぶ必要があるのか?」 なんてことを考えさせ、説明する本なんて見たことがない。 なんというか、この「徹底的な思考」 というコンセプト自体に拒否反応を起こされたら もうどうしようもない。必要な知識はほぼゼロだが、 要求される素質という意味では前の本より厳しい可能性がある。 そのへんはもうちょっと書けたらいろんな人に意見をもらって 多少でもマイルドにせんといかん。

もっとも、私の思想全開で突き進んだものも見てみたい気はするのだが。

脱稿前にここで前書きのプロトタイプだけ 公開してしまおうかと思っているのだが、怒られるかなあ。 承諾取ろうなんて思ったら面倒くさいし。

2012年11月28日

糖質制限が皮膚に効いたと見るべきか、 単に玄米か小豆か大豆がアレルゲンだったと考えるべきか。 いずれにしても、皮膚が回復しつつあるのは事実。 あと、昼寝が減った。

卵2個食べさせた。これで牛乳が減るのか。減らないのか。 減らないとすればその分大きくなるはずなので、それはそれでめでたい。 あとはアレルゲンでなければいいのだが。

私の職場ではドラッカーが役立つように思うのだが、 そう思ってるのは私だけなのかもなあ。 だって他に読んでる人知らない。 これ使えると思うんだけどなあ。

処理落ちとメモリ不足からいい加減逃れられないものかな。 なぜ「十分な性能を持った機械などない」 という当たり前のことを受け入れて、初期設計と学習に多少のコストを 払おうという気にならないのかと毎度思う。 それがクリエイター魂という奴の副作用なのであれば、 全否定すべきでもないのだろうが、たぶん違う。 近いものは大きく見える、というだけのことだ。 しかし長期の見通しをもって計画を立てることはたぶん人類の能力を超えている。 解決策はないのだろう。そういう問題を解決できる人間がたまたまそこに いればいいし、いなければダメだ、ということにすぎない。 組織として仕事をするというのはそういう不確実性を仕組みによって 軽減するということなのだが、たぶんそれも人類の能力を超えている。 だから未だにドラッカーをありがたがるような状況が続いているのだろう。

単純に考えればいいんだと思うんだが、現実はそうなってない。 何故そうなってないのかを学ぼう。 単純に考えるならば、例えば「このまま行くと目標を達成できないだろう」 という判断がある時にやれることは二つしかない。 「このまま行かない」か「目標を変える」かだ。 「案外達成できるかもしれないので何もしない」 という甘えた判断が絶対にありえないとは言わないが、 その場合は「達成できない場合にどうするか」を考える必要がある。 「やっぱダメだ」と判断するタイミングをいつにするか、 そうなった時にどうするか、ということを考えた上であれば、 「とりあえず保留」ということは許される。 しかしそうでなければ許されない。 すごく単純な気がするんだが、やっぱりそうもいかないんだろう。

マダガスカルをオタマが気に入った。 ペンギン大作戦入りのものを買いたいが、どうせならブルーレイにしたい。 だが、ない。ブルーレイって普及しないまま消えるんじゃないのか。 そして、DVDもペンギン大作戦入りのものはとっくに生産が終わっている。 中古か。

次世代不揮発メモリが製品化されてきたなあ。 しかしギガバイト量になるにはまだ10年くらいはかかるんだろうか。

著作権とか特許とか、そういうものは電子配布が当たり前になって 数十年も経てばなにかしらの変化をするんだろうな。 選挙活動のネット利用とかも、 なんぼなんでも30年待てばできるようになるだろう。 大抵のことは世代交代が解決する。 それを待っている余裕があるかどうかだけが常に問題になるが、 それはなんとも言えんなあ。

録画番組の管理が問題。 chan-toru経由だと消して容量を空ける作業が苦痛。 検索が貧弱でバッチ操作もロクにない。 ある意味容量が0.5Tしかなくて良かったんだろう。 これがもっと多かったら消去作業がえらいことになる。 普通の人は30分とか1時間単位で録画するんだろうが、 うちは子供番組だから5分とか10分とかがザラにあり、 項目数が尋常じゃない。

DTCP-IPのソフト自分で書きたい。 その規格を管理してる団体か何かに金を払って契約すれば 書けるのか?きっと100万単位、下手すると1000万単位だよなあ... 売らないと元取れない。 そして売ろうと思うと認証とかでえらい手間がかかると。 想像するだにダメだ。

なんか、プログラム内にある鍵をハックされたら億単位の賠償金を払う 契約をする羽目になる、とかいう記事を見た。 そりゃ誰も作らないわけだ。

SDKがあった。 でも、これも個人がゲットできる代物ではないだろうし、 DTCP-IPの団体とどうこうするのは別に必要だとすれば どうにもならない。 あのソフトを作ってる所だとすれば、SDKの出来も期待できん だろうしなあ。

視聴はともかくとして、コンテンツ管理だけだったら DLNAだけでできたりしないんだろうか。 削除用の適当アプリを自作していいなら かなり楽になるのだが。 しかし、当然のことそれを自作できるくらいなら そういうアプリがすでに存在しているはずである。 それにchan-toruがどうやってnasneと通信しているのか知らないが、 削除コマンドを何らかの規格にのっとって 送信しているなら私にもできるはずだ。

とりあえずタダで使えるDLNAクライアントを 適当に試してみて何ができるのかを探ろう。 それで消せるならそれでいい。 あとは、chan-toruから送られてくるパケットを どこかで横取りして中身を見られれば、nasneとどういう やりとりをしているかがわかるのだが、そこまでしたくはないな。

ネットワーク系は素人なので、もし本気でやろうと思ったら 半年くらいかかりそうだ。しかし、 ド素人が会社に入ってきて一年もしないうちに ネットワークの仕事をしていたりするところを見るに、 本気で半年やればそれなりにできるようにはなるんだろうとは思う。

Thinkpad Tablet2って、今の家電PC(X220)を置き換えられないかなあ。 動画再生が怪しいか。USBチューナーの動画再生は CPUゴリ押し再生っぽいから支援ハードがあっても 役に立たないだろう。 しかし、数年のうちには家電PCをタブレット的な 何かに置き換えられるはずだ。キーボードはUSBか無線で足せば良く、 マウスやトラックポイントはタッチパネルで代替される。 まともな出来のDTCP-IPクライアントと、 ブラウザが動いて動画再生に不安がない状況があれば、 Windowsである必要もなく、x86である必要もない。 とりあえず来年あたりhaswell積んだタブレットが出ることを期待。 トラックポイントキーボードをUSBで差せば 文字を打つ時にも問題ないし。

今の食生活になって眼精疲労が軽減してる気がするんだが、 気のせいか。 というのも、今日は眼精疲労が激しいのだが、 ここのところそんなことはなかったのである。 今日激しいのは、もろもろあって余った菓子を 食べたせいではないのか。あるいは単に寝不足。 まあ仮説仮説。そんなに万能とも思えん。

そういえばひつじこの口内炎の頻度とか変化あるかなあ。

オタマの一日あたりの蛋白質必要量は体重の1/500と考えると 30g程度のはずだ。肉150gに相当する。 幼児の過剰摂取に関するデータはまるでないので、 この倍くらいまでは健康に異常は出ないと思うんだが、 わからんなあ。必要量、推奨量は示されているが、 いずれも根拠が見当たらない。そして上限量はどこにもない。 仮に肉100g、魚100g、牛乳500ml、を一日に食べたとすれば、56g。 これくらい食べかねないといえば食べかねないんだが、 たぶん問題ないだろう。

2012年11月27日

カナダ産ロース、普通にうまい。 豚でたまにすさまじく臭いのに当たることがあるが、あれは何なんだろう。 部位の問題なのか、質の問題なのか。

卵1個食べさせた。急性は出なかった。IgEは大丈夫。 IgGがどうかはもう2日くらい様子を見ねばならない。 明日明後日は卵をお休みしたいが、 オタマがそれを許してくれなければ食わせるしかないな。

尻にヒビを入れた状態でゆでると殻が簡単にむける。ガッテン知識。

ある整数が2のべき乗かどうかを知る方法と、 ある整数が何ビット必要な数かを知る方法を学んだ。 バカ正直にやる方法はもちろん知っていたが、 もっと賢い方法があったのである。 前者は2羃の数のビット上の特徴をつかめばそれほど難しくないし、 後者も分割統治の応用だ。なぜ自分で思いつかなかったのかと恥かしくなる。 もっとも、こんな処理を速度が問題になるほど大量にやることは 今までなかったので、こんな凝ったやり方が必要になることもなく、 したがって知らないまま、編み出さないままここまで来ても無理はない。 と思ってもいいよな。

日立の415Lの冷蔵庫が気になる。58Lしか増えないのだが、 奥行+47mm、高さ+78mmでそれだけ増えるなら悪くない気がする。 問題は奥行き+47mmを許容するか、という一点に絞られる。 あと、今機種入れ替えの時期で、旧機種がすごい勢いで消えつつあるのが問題 といえば問題。出たての新機種はだいたい異常に高い。 大差ない旧機種と倍くらい違うのが普通だ。 冷蔵庫に20万はきつい。それが半年後に5万は下がるとわかっていればなおさらだ。 なんでこんな商売になってるんだろ家電。 毎年モデルチェンジすること自体が無駄じゃね? 量産効果も下がるし。でもまあ作る側の事情なんだろうな。 2年に1回しか出さないとしても、開発者の給料が半分になるわけじゃない。 それに、ガワが全く変わらないマイナーチェンジであれば 量産効果も大して落ちないだろう。サンヨーのSR-361シリーズなんて 毎年何が変わってるのかまるでわからないからな。

観音開きの冷蔵庫ってどうなんだろうと思ったが、 少なくとも消費電力はデカいらしい。開くところが多い分だけ断熱が甘いのだそうだ。 幅が広い冷蔵庫なら使い勝手もいいが、幅60cm程度だと扉の収納力が 奪われすぎて困るらしい。あくまでも幅の広い冷蔵庫に向いた方法のようだ。 もう壁面の断熱は極限まで来てるんだろうな。 たまに開けた時の温度上昇やら、開くところの断熱の甘さやらが支配的なんだろう。 壁を薄くする方向ももうやり尽してるらしく、 うちの2003年製のものと大差ない。

2012年11月26日

豚骨付きあばら肉。塩胡椒で焼いたらふつうにうまかった。 キロ990円と安いが、可食部だけで考えればキロ1500円くらいの印象。

明日はカナダ産ロースを同じように焼いて食う。

卵ってどう食うのがいいのかなあ。 ポーチするのが一番楽なのは間違いないが、飽きる。

円安進行しすぎ。高いうちにだいぶ外貨建てに換えたのでいいのだが。

牛乳依存がもたらす問題は高コストだけではない。 寝小便だ。オムツの吸収能力で収まらないほどする。 これはダメだ。卵を試そう。 インフルエンザワクチンで出ないんだから、大丈夫なんじゃないか。

卵って通販できるのか?と思って調べたら、できた。 「何個までは割れてても文句言うな」 という売り方をしていることが多い。 さて、肉より安くないと価値がないと考えると、 10個300円以上は払えない。 160個くらい買えば、それくらいの値段に入るものはあるのだが、 問題は160個をどこに保管し、どう消費するかである。 一日一人2個食べたとしても、生食期限の2週間で消費できるのは、 14×6=84個だ。80個入りくらいだと送料比率が高くなりすぎて 不経済である。そして、80個であっても、 冷蔵庫の占有体積は結構なものになる。無理だ。 卵はスーパーで買う他ない。 大きな冷蔵庫があればなあ。だが、この先の引越し自由度を 下げるほどデカいものを買うわけにも行かない。 高さ方向だけが増えるとか、壁が最新素材で薄くなるとか、 そういう方向で容量を増やしてもらえないものか。

2012年11月25日

政治は、分散型にして、フィードバックサイクルを高速化しないとダメな 気がするのだが。選挙プラス議会、という方法でやる範囲はもっと 縮小しないと回らないんじゃなかろうか。

ディオが母子の母親をゾンビにして子供を食い殺させるシーンは、 ディオが母の子に対する愛情に多少の期待を していたことを示しているのかもしれない。 ゾンビになっても襲わない、なんてことがあるのではないかと思ったのかもしれない。 しかし、実際やってみたらあっさり食い殺してしまったことで、 人間の情みたいなものに対する期待が完全に消えたのではなかろうか。 ディオが完全な悪になるのに必要な儀式で、単にディオの悪さを 印象づけるためだけのシーンではない。 ディオは父に関して「母を苦労させて死なせた」と言っていたわけで、 母親に対しては愛情があったんだろう。 原作には、 母のドレスを売って酒を買ってくるように指示する父に激昂するシーンもある。

以上ひつじこに対して補足。

味噌作り。最安で考えると、プラスチックの桶+うちにある大豆+適当に通販で麹、 という感じで、かなり安く作れる。しかし、ここでケチる必要はどこにもなく、 キロ1000円で収まる程度なら問題ないだろう。 正月までには仕込みたい。

澱粉食ってりゃ、そりゃ太るよな。澱粉主体だとどうやっても蛋白質が足りない。 しこたま澱粉を食べた後で必要量の蛋白質を食えば、 そりゃ太るだろうよ。

糖質制限の方向はたぶん間違いないのだが、問題は どうやって食事を構成するかだ。まだ結論は出てない。 今のところ食材の種類が少なすぎる。 その結果、ひつじことオタマの牛乳依存が激しい。 牛乳の消費量が多いうちは、食事が完成していないことを意味する。

牛乳のコスト。1kgあたり蛋白質33g。これで200円と考えると、 蛋白質1gあたりのコストは6円。チーズやヨーグルトよりは安いわな。 そりゃそうだが。 なお、大豆の場合安いものなら1円を割る。 レンズ豆だと2円。 キロ1000円の肉で5円。 ちなみに、米だとキロ5円以下、小麦だと1円とかなので、 穀物が安いのは間違いない。とりわけ小麦のコストパフォーマンスは異常だ。 世界中で主食になっているのも当然である。 ただ、それで必要量食うと澱粉が余計に ついてきてカロリーが過剰になってしまう。 さて、うちの家族の必要蛋白質量がおよそ150gだから、肉でまかなえば750円。 牛乳なら900円。チーズなら1050円、ヨーグルトなら1200円にもなる。 現状大豆は補助程度にしか使っていないので、 うちの食費は原理的に一日800円を割らない。 豆を使えば豪快に下がるし、レンズマメ、キマメ、ヒヨコマメあたりの 豆は料理にも使いやすいし、味もいいし安いのだが なにぶん澱粉が大量についてくる。

結局この値段が環境負荷や消費エネルギーなどを反映しているんだよな。 付加価値のない安物に関しては人件費の比率は低かろうと思うと、 そう考えてもそれほどおかしくはないだろう。 今の人口を支えようと思えば小麦で生きるのが合理的なんだろうな。 穀物は蛋白質あたりで考えてもなお安いくらい安く、 だから世界を席巻しているわけだ。

グラム5円払って肉や魚を食えば余計な澱粉なしで生きられる。 グラム2円払って豆を食えば、蛋白質の2倍の澱粉がついてくる。 グラム1円の小麦粉で生きるならば、蛋白質の6倍の澱粉がついてくる。 希望は大豆で、キロ1円だが、蛋白質と同量以下の澱粉しかついてこない。 しかし、現状主食にはなってない。結局マズいってことなんだろうな。 アジアに小麦はあっさり入ってきたが、 アジア以外に大豆を食う習慣は広がってはいない。

とりあえず今は金もあるし、肉と魚と乳をふんだんに食べる贅沢な生活を 送ろう。しかし、この先世界の食料生産が逼迫してきて 肉が値上がりしたり、単純に経済的に困窮したりした時には 豆にシフトせざるを得ない。 まあグラム3円で澱粉がついてこない素敵なピーナッツというものがあるのだが。

ハラルって食材の種類だけじゃないのか。イスラム教徒が屠殺せねばならず、 殺し方まで規定があるらしい。そういうのを扱う店からイスラム教徒でない私が 買うのはあんまり良くないのかもしれんなあ。 なんか申しわけない。

イエロースプリットピー、ピジョンピー、キマメ、 トゥールダル。これらが同じものであることを知った。 豆なのに木らしい。木と草の境界線って結構曖昧なのかもしれない。 実際、wikipediaで調べたらだいぶ曖昧だった。 同じ種類の植物でもデカいと木に見えて、小さいと草に見える、 みたいなこともあるんだろうか。

オタマは嫌な状況から脱したい時に「はずかしい」と言う。 そのへんのオバサンに「いくつ?」とか聞かれた時に 「はずかしい」と言うと状況を脱出できた、 みたいなことが成功体験になっているようである。 類義語に「ねむくなっちゃった」などもある。 たぶんこれで来客を追い払ったのだろう。 また、オタマの「バイバイ」は挨拶ではなく、 「嫌なのでこの場を去る」の意思表示である。 最近は挨拶として使うケースも増えている気もするが。

そういやそろそろ卵を試すべきか。 考えてみれば、卵1個で蛋白質6g。10個180円として、 グラム3円の蛋白源だ。素晴らしい。 ただアレルギーが出るならどうにもならないので、 少しづつ実験ということにはなるな。

牛乳が変に高いのは輸送か。 かさばり、重く、冷蔵が必要。キロ1000円の大量生産チーズ で計算するとグラム4円になるので、そう考えると乳は肉より安い。 あと、肉は肉でも鶏肉はキロ500円くらいでも買えるので、 そうなると卵より安いということになる。 考えてみれば卵も輸送その他にコストがかかるんだろう。 衝撃に弱いので輸送の手間がかかるし、冷凍もできない。 常温で何の配慮もなく送れる豆がどれだけ有り難い存在かということだな。

次回はサムソーも買おう。キロ1100円と、 ナチュラルチーズとしてはほぼ下限の安さだ。 ちょっとづつ食費の低減も考えないとさすがにマズい。

0で割れないことは私は小学生の時には腑に落ちた理解をしていたがなあ。 お金を分ける人が少ないほど一人あたりは多くなる。 0人より少ない人はいないので、一人あたりは無限に多くなるはずだ。 無限なんてものはないので、0では割れないのである。 しかし、無限の存在を認めるなら「プラス無限」とすることで 0で割ることを定義できてしまうので、これは数学的には穴がある。 しかし小学生のレベルとしては十分だ。 なお、中学生になると、マイナス方向からはさむことでも納得できるようになった。 お金を山分けする時は人数が少ない方がいい、というのと同様に、 借金を分けるなら人が少ないほど借金が重くなる。 プラスから0に近づくとプラスにデカくなるが、 マイナスから0に近づくとマイナスにデカくなる。 だから、 そのド真ん中である0では、プラス無限大であると同時にマイナス無限大 である必要がある。だがそんな数はない。だからダメなのである。 私なら小学校の教師に意図を聞きに行くな。 そして同時に、そんなものは解けないし、 それで点数をもらえなくても気にすることはない、 ということをオタマに説明するだろう。 しかしさらにその一方で、5/0=0と書いて点数がもらえるなら、 そうしておけばいい、とも言うだろうな。 間違っていることは知っておくべきだが、 そこで正義を貫いて得することはあまりない。 もちろん、オタマがそこにこだわるなら、自信をもって空欄にすればいい。 中三までは受験はないのだし、受験でそんなバカな問題が出ることはないから、 そんな問題で点数を落としても実害はない。

2012年11月24日

固定に筋肉を使わないアプローチか。 関節の角度を調整して支える。一番簡単な例で言えば、 膝がのびていれば、筋肉を使わずに立っていられる。 こういうのを、かかる力の方向に応じて動的に調整して実現できれば、 例えば物を持つとか、物を押すとかいう時に応用できる。

オタマが寝た後コンビニでいろいろ買ってきて酒盛り。 セブンイレブン。 袋に入ったおでんは、汁は良く出来ているが、練り物がダメ。 しかし、市販の練り物の大半はダメなので、こんなもんだろう。 真面目に作るとえらいコストになる。 まともなソーセージが高いのと同様、まともなかまぼこも高いのである。 おでんセットでも高い奴は具一つあたり50円以上は確実にする。 一方シュークリームは出来がいい。ロールケーキもかなりいいが、 ひつじこはシュークリームの方がいいと言っている。

酒は龍勢。仙亀はさすがに劣化しすぎたので料理に使う。 もう買わないかもしれないな、日本酒。

ひつじこにどうぶつの森をやらせようかとも思ったが保留中。

2012年11月23日

キマメのスープ。サポニン強いなこの豆。一旦別に煮てアク取らないとダメだ。

オタマにマダガスカルとペンギンズのDVDを借りてきた。 ペンギンズは見向きもしない。 「ペンギン大作戦」という回を別のところで見ていたが見られなくなったので 代わりに借りてきたのである。全然キャラが違うじゃねえか。 こっちだと隊長のキャラが少佐になってる。なぜこんなにヘルシング。 そして、DVDって予告編飛ばせないのな、なにこのウザさ。 アマゾンで買う前にレンタルしておいて良かった。 絶対買わねえ。そもそも円盤をドライブに入れる段階で面倒くさいのに、 数分にわたってつまらない予告編を見せられるとか、 どんだけクソなんだ。メニューを出すこともできない。 ましてこれは子供用なんだぞ。 子供がそんなもん大人しく見てるわけがない。 一体どれだけ売りたくないんだ。 どういう経緯と思想でこういうマネをしているのかはわからんでもないが、 そんなことをやっているようならこのまま滅ぶだろう。

やっぱり豚だなあ。とか言いつつ、スーパー行ったら羊肉を食べたがったので、 買って帰って焼いておやつにした。うち、本当食生活がおかしいな。 全く問題とは思ってないが。

豆スープはうまいのだが、やっぱり体が重い。もう澱粉系の豆すらダメなのか。

食彩ネットで買えるデンマーク産豚肩ロースが臭くなければ万々歳だな。 肉はそれでいい。

ひつじこと一緒にジョジョを7話まで見た。 ひつじこは早くディオがやられてくれることを望んでいる。 本当悪いよなあディオ。こんなに悪いキャラはそうそういない。

サイコパス4まで。これ、刑事ドラマなんだな。 1,2話の構成がうまくないというか、うまくやってもわかりにくいというか。 しかし3話まで見て、かなり面白い気がしてきた。 だが、ひつじこにはきついか。一話でいきなりレイプ犯だしなあ。 そして、4話まで見て、ひつじこには絶対に無理だとわかった。 ひつじこは悪い人耐性がなさすぎる。 フィクションで悪い人や悲惨なことを見てそれを娯楽とする神経は ひつじこにはない。

2012年11月22日

向いてない仕事継続中。 気をつけるべきポイントが見えてきたが、向いてない。 ついコードを書く仕事に逃げこみたくなるが、ダメだ。 それは自分でやっちゃダメだ。それを始めたが最後、 それがおもろくなってしまえば、その間は外のことが見えなくなる。 今は何にも夢中になってはいけない。

でもまあ、なんつうか仕事してないよなあこれ。 これが成果につながるのであれば仕事だが、その保証はない。 「ここ遅いから直そう」は確実に成果が出る。 それによって誰かは確実に助かるし、製品も良くなる。 しかしそれでもなお、それは逃避だ。 今の私の時間の使い方として、それは最適ではない。 そう信じてやっているが、他の人にもそれを信じてもらえるかどうかは わからない。その不安ゆえに、確実に成果が出ることに手を染めたくなる。

マネージャーという人種がどういう苦しみの中で仕事をしているかが なんとなく想像できてきた。あくまで想像だが。

メモリ管理には空きブロックをどうやって探すかでいくつかのやり方がある。 空きをリストでつなぐ方法。空きを赤黒木に構成する方法。 空きをいくつかに分類したリストに構成する方法。 赤黒木にするというアイディアはおもしろい。 そうすれば確保も開放もlogNになるように見える。 木の平衡化が手間なので平均して遅くはなりそうだが、 メモリの無駄を最小化できる。

TLFSという手法があることを知った。ああなるほどと思う一方で、 一番上のビットを取る命令がないとしんどいなあとか思う。 そして、昔私が書いて本に入れた奴がそんなに考え方としては 間違ってないこともわかった。あれをもうちょっと工夫すれば似た感じに速くはなる。 しかし根本的にnewの負荷が問題になるほどの回数newすること自体を どうにかした方がいいと私は思うけどな。 実行中どの単位時間(例えば1フレーム、あるいは1秒とか)を取っても、 その1%以下しか食ってない、という状況まで落とせばそれで良く、 そのための手段はnewそのものを速くするよりも、 newの回数を削ることでやる方が確実だろう。 new一回あたりの速度が問題になる段階で負けなんだと思う。

「ベクトルの乗算結果がクォータニオン」という説明で説明してもらったら あっさり2シータ回ることがわかったりとか、クォータニオンが何物かわかったり とかして、感動した。しかし、この話は「ベクトル乗算をこう定義する」 という前提から出発している。 「なぜベクトル乗算をああ定義する気になったのか」 がまだわからない。ああ定義すればああなるわけだが、 ああなるためにはああ定義すればいい、という必然的な論理の流れが あるのかがわからない。

オタマが早い時間に寝てしまい、夕御飯を作りに帰らなかった。 朝も野村證券に行ったのであまり家事をしてない。 昼掃除は手伝ったが、その程度だ。 メシを作るのは私の仕事なのだが、最近いいかげんだ。 糖質制限のせいもあってあまり料理する余地がなく、 ピーナッツとかチーズとかと、魚焼いて食えばいいよね 的な状態になっているのもあるが、ちと良くない。 しかし、正直頭の中が向いてない仕事でいっぱいいっぱいなのである。

国債売ってきた。そして、野村ネットアンドコール、 というのが野村證券とは別サイト別システム別口座であることを知った。 本家のネット売買を拡充するのではなく、別でどうにかすることにしたわけか。 新しいことは別組織でやるというのは理にかなっている。 しかし、客の立場から言えば、普通に野村證券サイトで ノーロードの投信を買えるようにしろよと言いたいし、 別口座作れとか言うなと言いたい。

さくら荘4話のスクショを見せてもらったが、私の本はあんなに薄くないぞ。 つうかアニメ見たい。時間と心理的余裕がない。 このまま永遠にゲームもアニメも消費しない人生になるんじゃないか。 解決すべき問題と、把握すべき事柄と、書くべき本と、勉強すべき技術と、 そしてやるべき家事が目白押しすぎて、 遊ぶということがそもそも不可能だ。

羊は脂の融点が高すぎて、胃の中で溶けないし、 洗い物も面倒くさい。私は大丈夫だが、ひつじこは腹痛を起こす。 こりゃダメだ。羊はやめる。 あとあの店で買えるのは山羊か。でも品切れしてるのでまた今度。 となると、やはり豚に回帰してくることになる。 鶏は脂が重いのでダメだ。ささみならいいが、 言うほど安くないし、味にも魅力がない。

食彩ネットは肩ロースはあるなあ。キロ1000円弱で。 このデンマーク産の奴が臭くなければこれがいい気がする。

明日は豆スープを作ろう。さて、にんにくが切れた。買う。買った。 今年はそんなに消費せんだろうから、量は減らしている。 といっても3kgだが。

実家から親にもってきてもらった 1/16バイオリンがまるで鳴らない。絃と弓の毛を両方換えないとダメだが、 結構な出費だ。1/16サイズは何かと割に合わないのである。絃もあまりないしな。 今はまだヴァイオリンのポーズもしないので、 おもちゃになるのは1/8でもかまわない。 こっちはなんぼか鳴るので、こっちのメンテを優先するか。絃だけで良さそう。 1/8ならドミナントもあるし。 さて、1/8の適正身長は110cmという話だが、 成長曲線を見るに、オタマが110cmに達するのは早くても4歳くらいだ。 それより早くヴァイオリンポーズをしたくなるようなら、 1/16も鳴る状態にしないといかんだろうなあ。 楽器そのものがダメなら買わないといかんし。

ちなみに、この1/8は私が31年前に初めて触った楽器だ。 安物のスズキとは言えそれなりに作りがいいようで、 絃と弓の毛さえどうにかすればそれなりに使えそうだ。

そうだ忘れてた。フラフープ買おう。あとペンギンズどうするか。 まあ何話か入ってるし、買ってもいいんじゃないかな。つうか買っとくか。 しかし、あの話がどっちのDVDに入ってるのかがわからん。

2012年11月21日

WiiU欲しいなあ。しかし、一体いつ遊べるというのか。 そして、ひつじこは長く遊んでくれるのか。

Wiiのソフトはあのコントローラだけでは遊べないのか。 バーチャルコンソールもそうらしい。 とりあえずはバーチャルコンソールで名作をトイレで遊ぶぜとか思っていたのに。 WiiU向けバーチャルコンソールが別に出るらしいが、 売れそうなものから一個づつということになるとだいぶかかりそうだなあ。

向いてないなあ。本当、向いてない。だが、今更やめられん。

他人が変わらない前提で仕事をするのは楽だ。偏微分みたいなものである。 しかし、自分が何かしている間には他人も何かするし、 自分が何かしたことが他人に影響を与えることもある。 他人が変わらない前提はあくまでも近似にすぎず、 それもかなり粗い近似にすぎない。 そして、これで導き出せる最適な行動は、全体最適ではなく局所最適にすぎない。 偏微分係数の最大化と、関数値そのものの最大化は全く異なる。

もしかして、政治家って案外簡単になれるんじゃね?と とある記事を読んでいて思った。 地方の議員の競争率は相当低い。 高齢になってからの転職先としてはありうる選択肢なのかもなあ。

澱粉を食うと確実に調子が悪くなる。 そういう食品が手に入ったら、もったいないとか言わずに 捨てるべきなのかもしれない。 間違いなくそれが合理的な選択だ。 しかし「もったいない」に抵抗するのは容易ではない。

AMD大丈夫か。小さいのに行くか、大きいのに行くかを 決めかねているうちに死にそうな予感。 とりあえず小さいのが出て、それを積んだマザーが 売られてくれれば文句はない。

私は小さなコア路線が行くところまで行くのを 見てみたい気はするけどな。 2コアくらいだと「性能半分でいいや」と言えるし、 4コアくらいでも「なんか重いところだけ別スレに飛ばせばいいだろ」 と言えるが、8コアくらいになってくると 覚悟を決めざるをえない。 たぶんコアあたり性能はゴミだろうから、 過去作品のなんちゃって移植すら簡単にはできない状況に陥る。 それ前提で設計からやる覚悟を全員が決めるには、 これくらいのコア数が必要だ。 でもまあ、 コアがなんぼあってもメモリは一個しかないし、GPUも一個しかない。 コアが倍になっても性能が倍になるわけではない。 8コアの時代は結局来ないのかもしれない。

2012年11月20日

でんぷん恐るべし。

野村は明日にしよう。体調悪い。

「ペンギンさんがいない!」と言ってオタマが起きた。かわいいなあ。

今日は宴会。

朝からマトン推定1.5kg近くとネギと大根を 煮ている。後で里芋を追加して味噌を入れる予定。

池田信夫という人はまともなことを言っている ように感じるが、ああいう言い方だと反発されるんじゃなかろうか。 なんにしても、金融政策は量の問題なので、 素人には何が正しいかは判断できん。 定量的に考えるのは専門家の役目であって、 政治家は専門家じゃないんだから定量的に考える人に対して 定性的な方針を示せばそれでいい。 こうならこう、という論理だけ示して、 実際にどうするかは量を把握している人間が決めればいいだろう。 定量的な判断が必要な領域は政治家にまかせない方がいい気がする。 それは専門家の役割だ。

金バラまいてそれでどうこうできる気もしないが、 割に合う公共工事もあるわけだし、 インフレさせて借金を返すこと自体はそんなに悪いことでもない。 税金や歳出削減の一手法にすぎない。 そんなことをしている間に既存の規制で恩恵を受ける層が 自然消滅して規制もなくなり、外科手術なしに 歪みが解消される、なんてこともありえないことではない。 でも、若い人達の状態を考えるに、その手では手遅れになる 気がする。 すでにソフトランディングできる時期は過ぎた、 とか言われてる始末だし、やっぱりクラッシュするんだろうか。

ThinkpadXの解像度がiPad並になるのはいつなんだろう。 値段倍以上するのに解像度で劣るってのはどういうことだ。 しかし、電池食うのも困るし仕方ないのか。 せめて1600x900くらいはあっても良さそうなものだが、 何故いつまでも1366x768なのだろうか。 厳密に16:9なわけでもないし、気分が悪い。 X1はデカいしなあ。A4に収まらないのは嫌だ。 それで言えばX230も収まってないんだが。

宴会は苦手だなあ。聞きとれねえ。盛り上がってくると声がデカくなるので なおさらひどい状態になる。唇見る以外にどうしようもねえよあんなの。

結婚も子育ても人に勧めようとは思わない。 宴会の会話ネタとしてであれば適当なことを言ってもいいのかもしれんが、 私はこれに関して適当なことを言う気にはなれない。 結婚することも、子育てすることも、生き方の一つにすぎない。 それらが幸せをもたらす条件はあまりにも厳しく、 私のような人間にとってそれを成しとげる確率はほとんどゼロとしか思えない。 私は結婚して良かったと思っているし、子育ても良かったと思っているが、 何か一つ狂えば違った結果になっていただろう。 宝くじに当たったようなものであり、それは私の選択が正しかったからでも、 私が努力をしたからでもない。単なる運だ。 結婚が幸せにつながる可能性は否定しないが、 他人にそれを保証することはないし、勧めることもしない。 結婚するまでの私は結婚しない生き方を選んでいたわけで、 私は過去の私を否定しない。

結婚は手段である、ということを、結婚しようと思うと忘れやすい。 結婚は一緒にいるための手段の一つにすぎない。 日本の現状の文化からして便利、という程度のものである。 それを目標にすればロクなことにならない。 私も一度間違いかけたが、運良くそこに陥らずに済んだ。 合コンに連れていかれたこともあったが最悪だったし、 結婚活動サービスみたいなのに登録したこともあったがこれも最悪だった。 それらが最悪だったことが私にとっては幸運だったのだろう。

ひつじこに会ったのは、拳法だ。当時教えてた人がひつじこの友達で、 誘ったのである。 そして、その当時教えてた人は、別の教えてる人が連れてきた人で、 その人はかつて教えてた人が連れてきた人だった。 その人はたまたまこの日記を読んでいた人で、それまで会ったこともなかった。 会社の同僚で何年も一緒にいた、というような比較的必然性のある出会いではない。 何か一つずれていれば出会えなかった。 尊敬に値し、人生に責任を負う気になる人間にそういう出会い方をするというのは、 宝くじどころの確率ではない。 これほどの幸運を得た以上、世界に何かを還元せねば 申し訳が立たないと本気で思っている。 社会の役に立たんといかんなあと思うようになったのはそのへんが大きい。

私はコミュ障で人と仕事ができず、自分のやりたいことしかやらず、 責任を負うのも嫌いというかなりダメな人間だったはずである。 たまたまプログラミングはそれなりにできたし、 開発の効率化という思想もそれなりに受け入れられたが、 人とのやりとりが多いタイプの仕事には向いていないはずだった。 しかし、ここのところそういう人間ではできない類の仕事に手を染め始めている。 そういう仕事に手を染めるには、 皆には皆の現実があり、それぞれの脳内では合理的な行動をしている、 という当たり前のことが、それなりに当たり前に思えている必要がある。 正義は人間の脳の中にしかなく、脳は複数ある、 ということが自然にわからないといけない。 私はそういうことを理解できない人間だったはずだ。 今でもそれが理解できているとは到底思えないが、 少なくともこうして文章化できるということは、理屈としてはわかっているのだろう。 この変化が何によるかと言えば、結婚以外に考えられない。 ドラッカーを読めたのは、ひつじこと結婚したからだ。

私は20年後にも今の会社から給料をもらえる状態にしたい。 もちろん私が何もしなくてもそれくらいのことは満たされるかもしれないが、 私はその確率を上げるように努力をする。 1年後、2年後、5年後、10年後、20年後、と5段階くらいで考えた時、 それぞれのスケールですべきことは違ってくるが、 それらが決定的に矛盾しないようにバランスせねばならないということだけはわかる。 1年後のために20年後を犠牲にしてはいけない。 20年後を犠牲にせねばならないような方法で1年後の危機を乗り超えても、 それは解決策としては失敗だ。

家を買うとか買わないとか、そういうのは趣味の問題だ。 リスクに耐えられるか耐えられないかは定量の問題なので、 趣味だけで決めるのもどうかと思うが、 耐えられるのであれば、あとは趣味である。 とやかく言っても仕方がない。それに、 これから買う人と買う気がない人の論争ならまだしも、 すでに買った人と買う気がない人の論争は、 買った人は引き返せないことから感情が混入しやすく厄介の種になる。 生身では触れないのが吉だ。こういうことは他にもあるので 注意しないとなあ。ひつじこに怒られる原因にもなる。

それにしても、自分で好きにしていい家があるってのは魅力的なことではあるよな。 ひつじこの実家は一軒家だし、私の実家も今となっては一軒家だ。 思い出が染み込んで云々、みたいなのはわかる。 ただ、私は生き方の選択肢を減らすような選択を今したくないというのが 一番大きい。怖すぎる。初めて買うものはほぼ確実に失敗するのだ。 失敗と言わないまでも、何かしらの不満は出てくる。 一回しか買えないほどデカい買い物 をするとなれば、失敗する前提で買わねばならない。 抜け目なく考えることが苦手で反復型開発を信奉する私としては、 極力避けたいことだ。 リカバリできないような巨大な決断は、結婚だけにしておきたい。 それに今回みたいに、いきなり職場が10km離れた場所に移るかも、 みたいなことになった時に取れる選択肢が著しく制約されるのも嫌だ。 そして何より、ひつじこは東京にそう長く住める人間じゃない。 どこかのタイミングでそこそこの田舎に引っ越すべきであり、 それまでは所詮仮の住まいである。 その田舎が日本国内かどうかすらわからん、という程度に不確かなわけで、 根本的に今の状況で家を買うということはありえない。 売って乗り換えるという選択肢があるとは言え、 確実に売れる物件を選べる自信は私にはない。 うち程度の経済力では、そこでしくじることは許容できない。

いつ田舎に行けるかなあ。会社を離れても生きられる条件を整えないと 無理だよなあ。そのためにはがんばって昇進して貯金を大きくして 早く辞められるようにするか、何か別の道にスイッチできるように 自分を鍛えるか、みたいなことが必要なわけだが、 何がどうなるかわからんので考えられることは全部バランスして実行 しておく必要がある。昇進は結果なので、 がんばって会社を良くしよう。そしてそれはそれとして、 自分が社会に貢献できるように鍛えよう。 そして、うまくやればこれらは同時にやれる。 マネジメントの道と、教育の道と、技術者の道。3つくらい同時に歩きたい。 これらはどれか一つだけ集中していいものではないのだ。

それにしても本が進まない。編集の人に実行環境を渡そうとしたら バグッてたので直したりサンプルを整備したりしているのだが、 いろいろと首をつっこんだせいで時間が寸断されてまるで進まん。 しかし、これは今やらんといかんことだから仕方ない。 今集中してやっておけば事態が勝手に回りはじめるはずだから、 関与は減らせるはずだ。はずみ車を回せ、という奴である。 さて、本のデッドラインは今期中かなと考えているので、 そう考えるとなんぼ遅くても1月中には全体が書き終わっていないといけない。 そろそろ本格的にヤバイのだが、最悪もう2ヶ月くらい遅延しても やむを得ん。そうなれば3月中だ。だが、それ以上遅れると 個人的な計画に重大な支障を来す。年が明けて進展がないような状況なら 一旦首を突っ込むのをやめないとダメだ。ひつじこにも いろいろと苦労をかけることになる。 それにしても、もう一冊書きたいんだがいつになるんだろうそれ。 それを書くことで技術者としての私をレベルアップさせたいのだがなあ。

今年もCEDECは何も出せんなあ。 というかよく考えてみれば、私ってプログラマとしては二流だし、 リーダーやったこともなくそもそも部下すらいないし、 今となっては製品開発ですらないしで、 もしかしてもうああいう場所で講演するとかありえないんじゃなかろうか。 技術編み出しました、も、マネジメントでこういう工夫しました、も、 この製品ではこういうことしてます、も言えない。 でもまあ、しゃべるネタを無理矢理ひねり出すのは間違いだ。 自然と「これはしゃべったら人の役に立てるかもしれない」 と思うようなネタが出てきて初めてしゃべる価値がある。 ああいう場所でしゃべるのは目的ではなく結果だ。 真面目に仕事をしていれば、自然にそういうネタが出てくるだろう。 ああいう場所でしゃべるのは結構快感だし、 尊敬できる人と話す機会も得られてうれしいのだが、 そのために何かを曲げるのは筋違いだ。何かが降りてくるのを待とう。

ただいまと言ったら、おかえりと言われた。ちょっと感動した。 オタマ、すげえな。

給料上げて退職を早めよう、というのはなんか矛盾してる気がするな。 給料が高いほど会社にとって重要な人物なはずで、 それは辞めた時のダメージもデカいわけだろ。 でもまあ、給与が仕事に対して後払いの側面が強いとすれば、 すごくがんばってさっさと辞めるのは会社的にはプラスなのか? まあそんなことはいいか。 会社を良くする仕事をしたいことに変わりはないし、 それを通してでなければ自分を鍛えることにもならん。 単純な技術力だけなら会社ガン無視で鍛えることもできようが、 単純な技術力で勝負する道は私にはない。 勝てる気がしない奴等がゴロゴロしている。 あいつらと同じ土俵で戦うのは非効率にも程がある。 私はあんなにプログラミングを愛せない。 でも、もう一年くらいしたら数ヶ月はプログラミング漬けにならんとマズいな。 一定レベルは保たないと他のこともできなくなる。

なんか素敵な投資テクニックで労せず金を増やせれば理想なんだろうが、 それをゼロサムゲームでやる気はしない。 保険の意味で多少のテクニックを使うのはアリだが、 それをもうけるためにやるのは何かが違う気がするし、やれる自信もない。 やっぱり無差別分散投資で放置、以上のことはできないし、やるべきでもないんだろう。

最近の円安で資産評価額が上がってきたわけだが、 まだ過去にやらかした外貨預金のダメージが癒えない。 バカなことをせず全額国内債券投信につっこんでいれば今より100万以上 もうかっていた計算になる。もっとも、あれをやらなければ こんなに勉強することもなく、今でも普通預金に放置状態だっただろうから、 それと比べるとそれほどの差はない。 あれのおかげで分散投資や損切りといった概念を学んだし、 経済や経営に興味を持てたのもそのせいだろう。

2012年11月19日

「これからの正義の話をしよう」を読み終えた。 こまぎれにしか読めなかったことが惜しい。

結果的に全体として幸せが増すようにすれば正義もクソもない、 という考え方が功利主義で、問題はあっても重要な考え方だ。 何を最大化するかという基準に人間の好みが入って危ないのと、 そもそも幸せの量なんて計算できないという現実上の問題があるが、 損得の勘定をやる努力は必要だ。邪悪にならない範囲においては、 会社でやる意思決定はおおむねこの考え方に基くだろう。 会社の場合、幸せを利益に置き換えてしまうことが多いので 適用しやすいというのもある。

正義を理屈から導き出す試みは面白かった。 もしみんなが自分が社会の中でどういう位置にいるかがわからず、 多数派なのか少数派なのか、貧乏なのか金持ちなのかもわからなければ、 少数派を犠牲にするようなやり方がいいとは思わないし、 貧乏人に割を食わせるやり方も選ばないだろう、という。 おおよそ平等であることを選ぶはずで、 金持ちに高い税金を課して貧乏人に回すことや、 思想宗教の自由、奴隷の禁止などが自然に正当化されるわけだ。

私は結婚から国が手を引けばいいのにと思っているわけだが、 同性愛を認めるか認めないかという話でその考え方が出てきた。 認める、認めない、結婚という制度を国としてはなくす、 の三つの選択肢がある。 認めるべきという考えは、特定のやり方を優遇するのはおかしいという 意見から来るが、「だったら一夫多妻とかもアリだよな?」 という具合に際限なく広がってしまう問題がある。 認めないという考えは、「国はある程度何が良い行いかを決めて、それを推進していい」 という考えに基いている。それはある程度ならもっともだ。 ただ、なぜ男女間に限るのかと問いつめられると弱い。 子供を作るためだと言うなら、生殖能力がない人間の結婚は禁止すべき という話にもなる。

やっぱりもう制度をなくしてしまえばいい気がするのだが、 それで何か大事なものが壊れてしまいそうな気がするという人はいるだろう。

戦争犯罪を、戦争してないうちらが謝罪することの根拠は何か、 というのもおもしろかった。 自分でやってないことについて謝るのはどういう理屈によるのか。 これは、「頼んでなくても良くしてもらったら感謝すべき、 というのはどういう理屈によるか」と同じ問題だ。 自分で選び取ったものについてだけ責任を持つ、という理屈が正しいのかどうか、 という話だ。これも結局はケースバイケースなんだろう。 親の借金を返す筋合いはないが、先祖の罪は謝罪しないといけない、 というのは理屈の上ではおかしな話だが、 現実にはそういうことはいくらでもある。

ちゃんと書き留めながら読みたいがなあ。

ひつじこのママ友の家に家族でおじゃました。 近未来なマンションだった。なんかすごい。 うちはああいうふうにはならんなあたぶん。

個人向け国債は店頭でしか売却できないようだ。さすが野村證券。 そういう商売をしているから置いていかれるのだろう。 にしても、またいろいろ勧められるのか。気が重い。 野村には外貨MMFが眠っているのだが、いっそ精算してしまおうか。 とにかく明日気合があれば朝行こう。大した額でもないけどな。

今日はオタマが1830に寝た。昼寝なし。これが昼寝にならないことを祈る。

澱粉はもう食えない体なのか。

KOBE HALAL FOODは商品説明がほとんどなく、買ってみないとわからない。 どこの会社の製品かもわからず、原材料もわからず、 原産国もわからない、という状況だ。 商品写真に運良くそれらが写っていることもあるが、 おおよそわからない。分類が間違っていることもあり、 カシューナッツが豆に入っていたりナッツに入っていたりする。 グトカマトン、とかあって、グトカで 調べても謎の習慣性の嗜好品しか出てこない。これはメーカー名なのか? なんつうか、たまらん。 アールティのように楽天を使う方が使い勝手はいいんだが、 どこかこういう方が応援したくなるな。

にしても安い。広く知られたら注文が殺到したりしないだろうか。 しないか。羊肉をいきなりキロ単位で注文する人間がそういるとも思えん。 次は10kgとか買うと思う。

鶏はリノール酸のせいか胃に重い。 豚は塩漬けして真空調理するとこの上なくうまいが、外れを引くと臭く、 脂の少ないモモ肉は少し高い。 牛はステーキにはいいが、それ以外には適さない。 羊はあの店から買うと骨付きなこともあって煮る以外に どうしようもなかったりはするが、 うまいし安いし通販で買えて冷凍したままにできる。 焼いて食える羊を通販したいところだが、高いのしかないのが残念だ。

栄養的には、融点の高い飽和脂肪酸が害になるのかどうかが気になるところである。 食べた脂肪ってどこへ行くんだ?そのまま血中に流れこむなら 融点が高いことは問題かもしれないが、 どこかでバラされるならあまり問題ではない。 あとは、融点が高いだけに乳化して取りこむ効率が悪かったりしないだろうか。 吸収率が悪いとすれば、それはコストパフォーマンスが悪いということになる。 「ラム肉は脂を吸収できないので低カロリー」とか行ってるサイトがあるが、 それが本当なら食料としては問題があるぞ。

政治は政治家にやらせておくには重要すぎるだろう。 選挙のハイリスクっぷりはいいかげんわかったはずだ。 「皆で会社を良くするようにがんばろう」と言うことすら 絵空事と取られかねないのに、それを国スケールでやって 機能するはずがない。自分が国政に参加して責任を負っていると 真面目に考えられる人間がどれだけいるというのか。 もちろん、ある程度は何が正義かを決めねばならず、 そのために市場に侵食されない政府とか政治の領域が必要、 という意見はわからんでもない。 外交、国防、治安維持、といった話になると確かに市場でどうにかするのは そぐわない印象はある。しかし、人が市場を望むなら、 それはそう簡単には止められないし、 こう複雑になった世界において選挙という影響力が大きすぎるバクチに まかせるのは怖すぎる。地方分権と民営化を進める以外にどうにもならん 気がするのだが。

選挙どうするかなと思いつつ、投票まだまだ一月近くあるので、 近づいてから調べる。私はたぶん自由主義者だ。 そして、経済をそれ以外より上に置いている。 そういう感じで投票するんだろう。 でも、経済しか見てない人間を政治に置くのは怖いというのも事実だ。

え、石原が代表?そんなことになってたのか。 市長を投げ出すわけにもいかんが、 しかし今回のチャンスを捨てる気にもなれないということか。 まあ、後で調べよう。

うち4000万とか借金して家買えるんだろうか。 うん、無理。即答せざるを得ない。 それに、ひつじこの特性を鑑みるに、 高層マンションは無理だ。ひつじこは地面から離れると弱ってしまう。 田舎に一軒家、というのが唯一の選択だろう。 それが可能になるまでは賃貸。 会社に所属しないで金を稼げるようにしない限り、住まいを固定することはできない。 不動産はすぐに売れるわけではないし、売れるとしても大幅な値下がりを 覚悟する必要がある。到底許容できるリスクではない。

自分で持つと維持費がえぐいよなあ。 年数十万かかるという話で、 つまり月々の返済額が賃貸の時の家賃よりもそれだけ安くないと 耐えられないということになる。 うちの家賃は8.5万なので、この枠で生活しようと思うとかなりきつい。 維持費が3万円と仮定すれば、5.5万円しか借金を返せない。 しかも家を買ってしまえば会社の家賃補助が消える。1.6万なので、 これを差し引くと3.9万だ。無理すぎる。 みんなそんなに家が欲しいのか。 経済的合理性ではとても説明がつかない。

家賃補助って猛烈に家を買うことを妨げてるよな。 これは家を買わせないための制度なのか? それとも、その程度では家を買う欲望を抑えることはできないのが普通なのか? 実際買う人多いしそうなのかもしれん。

肉って煮て食べるのが一番楽だな。味はともかくとして。 野菜と一緒に食べられるし、豆も入れられる。 オタマに食べさせるのも楽だ。 鍋一杯作ってひたすら消費すれば良く、こんなに楽なことはない。 明日の朝はマトン1.5kgをにんじんとねぎと大根と一緒に煮よう。 豆も何か入れるか。味噌ベースで。 魚は加熱で油が酸化するのでマズくなる。半日以上かけて食べる煮物は作れない。

2012年11月18日

羊味噌汁。部位がわからないごちゃまぜだったため、 焼くのは断念。ひたすら大根とねぎと一緒に煮込んで(100分くらい)、 味噌を入れた。うまい。もつ煮というかとん汁というか、よくわからんがいい。 脂は乳化している。

解凍後に焼いても食えるんだろうが、部位が違えば焼き加減がずれるから 選別しないといけない。それは無理だ。 煮ればいいか。これだけうまいんだし。

にしても、牛って本当使いにくいな。ステーキ以外は見るべき点がない。 牛でこんな何も考えずに煮たらよほど調味しないと食えたもんじゃなくなる。 ダシが強いのがいい。昆布と野菜と煮て塩で調味すればそれだけで十分 うまいものができる。いい味噌があればなおいいが、なくても料理にはなる。

鶏レバー解凍中。明日ソテーにする。茸と一緒に炒めるとうまいのだが、 ブロッコリーでいいか。

川崎の動物園に行った。ペンギンは3分と見なかった。 しかしオタマにしてみればあれで十分堪能しているのだろう。しまうまもいたし。 帰る前に丁度横でやっていた祭でフラダンスを見てから帰った。 さて、オタマはライオンが見たかったらしく、そうなるともっと大規模な動物園に 行かねばならない。野毛山動物園にでも行くか。 上野に行くのと時間的には大差ないんだけどな。

帰りは寝てだっこ。カルディでトマト缶と冷凍ブルーベリーを補充。 糀谷から家までは歩いてくれた。

オタマが気に入ってエンドレスで回っているマダガスカル3の予告編が苦痛。 CGやら音楽の品質は高いんだろうし、 飽きずに見られるような見せ方もたぶんうまいんだろうが、 なんでこんなに内容がどうでも良さそうなんだろうか。 向こうのCGアニメって大抵ああいう感じな印象があるんだが、 それは偏見なんだろうか。とりあえずカールじいさんは このカテゴリに入る。

神戸ハラールフードは使える。マトンは次回10kgくらい買おう。

2012年11月17日

羊シチュー。客に出すならカレーにするなこれは。 だがうちならこれくらいの臭さは問題ない。 それにしても、骨の率高いなあ。キロ850円と言っても、 感覚的には倍額。しかし、骨ごと煮ているといいダシが出るわけで、 汁の味は良い。

いや、うちで食うにしてもわずかにカレーを入れるべきか。

じゃがいも、さといも、小豆、黒大豆、かぼちゃをもらった。 大豆はいいが他はどうしようもなく澱粉だな。 じゃがいもは会社に持っていってラップでくるんで電子レンジに入れれば食える。 安いシュレッドチーズを会社の冷蔵庫に入れておこう。 これで消費できる。 さといもは普通に煮物だな。 あまりもたないし今日食おう。味噌で煮る。 ダシの主体を何にするかだな。かつおぶしが最上だが、 この量に味をやるだけのかつおぶしを削るのは手間だ。 かといって魚を使うと一食で食わねばならなくなる。 鶏か豚だろうが、ここは羊だろう。一番酸化しにくい。 もはや日本料理ではなくなる気もするが、試してみよう。 あとごぼうもあったな。入れるか。

納豆菌注文。市販の納豆から作るより安定するはず。 あとは温度管理だなあ。発泡スチロール箱は案外保温性能が低い。 しかし本気のクーラーボックスは高いし邪魔すぎる。 発泡スチロール箱は処分しようと思えば容易にできるところが良い。

黒大豆は納豆にするか。小豆も納豆になるらしいが、それはちょっとな。

やけに株価が上がって円安に振れているが、これが解散の効果か。

ひつじこの食欲がないのでさといもは延期。 なかなか受精しないものだなあ。 まあ病院の予約は取ってある。原因がわかれば対処もできるだろう。

かぼちゃって栄養的にじゃがいもの上位互換だな。 ビタミンCすら負けてるじゃないか。 毒もないし。皮剥かなくていいし。

2012年11月16日

羊で作ってみた。味見段階ではうまい。臭みは心配しなくていいようだ。

オタマが寝る時間が不規則すぎて料理計画が狂う。

オタマはアトピーと言われる人に比べると軽い。 しかし、何事も起こらない大多数の人に比べれば重い。 あと、ひつじこがかまってあげる度合が大きいので退屈耐性が低く、 ストレスが溜まりやすいかもしれないとは思う。 力も強く掻いた時のダメージもデカい。

2012年11月15日

尿酸。ビタミンCの代わりになる抗酸化物質らしい。 尿酸がそれなりにあるからビタミンCを作れなくてもいい、 ということでビタミンCを作る機能が壊れたままになっているわけだ。 そういうわけで、尿酸が少なすぎると酸化耐性が落ちて 良くない可能性がある。 しかし、尿酸が多すぎれば痛風という 病気が待っている。尿酸が水に溶けにくい物質で、 あまり溜まると結晶化してしまうのがその原因だ。 ひつじこの尿酸値は標準だったから問題ないんだろう。 私も測っておきたいが、献血じゃわからないんだよな。

コンビニでかまぼこを買ってみたが、おいしくない。 魚肉加工品は高級品と安物の味の差が激しすぎる。 化調と砂糖なしで作れと言っても難しいだろうし仕方ないんだろう。 また、でんぷんが多く、 70g中のでんぷん量が10gにもなる。つなぎとして使っているせいだ。 ある程度はやむを得ないし、 入れる方がなめらかな食感になるのでわからんでもないが、 私は極力少ないのが好きだな。 一般的なかまぼこのゴムみたいな食感は好きではない。 でんぷんを使わないかまぼこはもっとボロボロしていて あんなにゴムっぽくはない。 かまぼこだと思えない人も多いだろうな。

というわけで、コンビニで糖質制限食品を発掘する試みは いまいちうまく行っていない。 ゆで卵くらいだ。揚げ肉もだいぶ澱粉多いしなあ。 あと、チョコレート菓子の類も、 脂肪:糖質比が1:1より脂肪に傾いているものは見たことがない。 シュークリームやロールケーキの類で稀に1:1以上に 脂肪が多いものは見るが、その程度だ。

部署を変わってから、それなりに時間を守るようにしているため、 自分の食事をする時間がなくなっていることが多い。 1分で準備できて持ちはこべる食品の準備をしておこう。 チーズとかも固まりから切り出すのに時間がかかりすぎるから、 一定のサイズで切っておくべきだ。 蒸しピーナッツは丁度いい量で常に準備しておかねばならんな。 食事よりも睡眠の方が優先度が高いので、 ついギリギリまで寝てしまうのもある。

まあ、裁量労働制だから会議の予定とかなければ 好き放題でいいんだけどな。制度上は。 でも実際にはそれなりな規律というか空気というかがないと マズいことになる。コミュニケーションの密度が ある程度ないとこの手の仕事は回らん。 そのためには、机にいる、ということは結構重要だ。 本だけ書いてりゃいい状況になれば別なんだろうし、 独立して走ってもいいフェイズに至れば そんなことよりも効率の方が重要になるんだが。

話す時にメモを取るべきか。 これは話す目的が何かということによって違う。 互いに認識することや、相手の人間、感情を知ることが重要であれば、 メモを取ることはマイナスになりかねない。 一方、情報そのものが重要ならばメモは重要である。 しかし、メールやチャットなどの文字通信手段が多くある現代においては、 それらを併用することで「確実に伝える必要があること」「忘れてはまずいこと」 に関してはかなりの部分が補える。 文字で伝達できるものでないからわざわざ生身で話すのであって、 文字で済まない何かをやりとりすることに集中すべきだ、ということはありうる。 さらには、文字情報以外の何かをやりとりしに来たということを、 メモを取らないことで示すということもありうるだろう。

偶然遭遇して始まる(ことを装った)ような会話が 一番文字以外の何かに関するやりとりに向いてるんだけどな。 事前に「何時からここで」みたいなことになってると、 会議というわけではなくても身構えてしまう。 「何の話をする」みたいなことを意識してしまうこと自体が マイナスになるような事はある。 文字で済む情報をやりとりする以上の目的がなければ、 わざわざ場所と時間を合わせるというコストを払う意味がない。 多人数が参加できるチャットは旧来の会議をかなりの部分置き換えて いいはずなのである。 古来は飲み会をそのために使っていたのだろうが、 それは実質的に残業であり、給料の減額でもある。 業務時間内に、無駄な金を使わず、また、飲み会よりもより高い効率で その目的を果たす手段があるならば、その方が良い。 まあ飲み会が好きな人もいるんだろうけど。

文字で済むことを伝えるだけならメールでいい。 議論もチャットなら場所を合わせるコストを削れるし、 ログも残り、多少の非同期性も足される。トイレくらいは行けるからな。 会議は、メールでもチャットでもできないやりとりをするためにある。 そして、会議でもメールでもチャットでもできないやりとりもあって、 そのための一つの手段が、「突然発生する雑談」だ。 コミュニケーション手段はいろいろあるが、それぞれ特性があり、 かかるコストや確実性、ログの残り方、時間効率、やりとりできる情報の種類や質、 場所の共有の必要性、時間の共有の必要性、多対多か一対一か一対多か、 などなどが違う。どう使い分けるべきかを考えねばならないし、 たぶんその使い分けは実践の中でしか身につかない。

ああ、電話を忘れていた。これも重要な手段だが、 本来ならskype的な何かに置き代わるべきである。 声で話しつつもチャットを併用することで文字情報を送れ、 表情なども送れる。ファイルだって送れるはずだ。 声しか送れない機械を使う必要を私は感じない。 電話を使うべき局面でskype的な何かで置き換えられないケースって何があるんだろう。 社内ネットワークから出ていかないskype的なものって、何かあるだろ普通に考えて。 わざわざ番号を入れるとか面倒くさい。 コンタクトリストをクリックしてかけられないとかもう無理。 あと、音声通信ごときで専用の機械が別にあるのも邪魔くさい。

ガールズ&パンツァーを見た。なんでふた開けて乗ってんだよ死ぬだろ、 というツッコミはその通りだ。なるほど、これは死ぬわ。 砲で岩が砕けてるからな。 でもまあ、このバカッぽさは悪くない。悪くないぞ。

にんにくとにんじんを炒め、横で牛の尻尾を水で煮てアクを取る。 合流後、塩で調味、トマト缶を投入。あとは3時間くらい煮る。 そうやってできた汁物的なものがそれなりにうまくできた。 上3mmくらい脂の層。豆腐にかけて食べるとおいしい。オタマもよく食べる。 次は、ほぼ同じ方法で、肉を羊のスネに変えて味がどうなるか試してみる。 これがおいしければ、キロ850円と安い肉を有効に使える。

ソードアートオンライン。こうなるとアスナとかどうでもいいだろ。 妹レベル高すぎる。メインヒロインに魅力がないのは 構造上そうそうどうにかなるものではないが、この作品も例外ではない。 物語上の要請が制約になってどうしても魅力が落ちる。

2012年11月14日

体重が58kg台。中学生時代以来の水準。 体脂肪率8%。これくらい低くなってくるとあてにならないので、 実際はもっと低いだろう。別に不調もないが、さすがに不安だ。 食べる量が少ないのは事実なので、もうちょっと食うか。

夜にひつじことアイスを食べて、朝起きたら不快な空腹感。 昔はこれが毎日あったんだなと思うと信じ難い。 澱粉、本当にいらないんだな。 血圧、血液検査、体温のいずれにも異常がない以上、 これがマズいとも思えない。 筋肉を削って節約モードに落ちているなら体温が落ちるはずだが、 今測ったら36.7度ある。全く問題ない。

オタマに関しても、うちら二人と同じくらいの澱粉比率まで 落としていい気がする。現状オタマだけは澱粉多めで、 バナナや果実、米を結構な量食べているのだ。 しばらくはごはんを食べたがるかもしれないが、 いずれ腹が減れば何でも食うのである。生物だからな。 十分ムチムチだから、体重が500gかそこら減っても 健康状態に悪影響はない。 澱粉はすぐ腹が減るから公園に行くにも何か持っていかないといけないし、 甘味に依存しやすくなり、他のものを食べにくくなる。 糖質制限で皮膚が良くなるかどうかはわからんが、 澱粉を削ることは他にも利益が大きい。

実験動物か何かだと思っていると思われそうだが、まあ仕方ない。 いろいろオタマには苦労をかけるが、必死で考えてやっていることだ。 しかし、オタマと同年代の子供には、 遊んでいる間からジュースや菓子を食べている子も多く、 そういう子は体も小さい。 オタマは元気だ。風邪もめったにひかない。ひいても軽い。 38度超えは一度もないのではないか。 運動能力は高いし、情緒も豊かだし、よくしゃべる。 本当にいい子である。 問題は皮膚だけであり、これは遺伝とうちらのミスが重なった結果だろう。 離乳食が早すぎた上に、繊維が多く消化に悪影響がある食べ物が多かった。 人類が元来肉食であるとすれば繊維などそう大量に必要なはずもない。 そもそも乳児は繊維ゼロの生活をしているのが普通なのであって、 そこから連続している乳幼児がそう繊維を必要とするはずがない。 なぜそんな簡単なことに気づかなかったのか。 結局問題が起こるまで真面目に考えないから悪いのだが、 今更悔いても仕方ない。これからのことを考える。

台湾MSの萌えキャラさんからフォローされたが、 これ公式なんだろうか。 公式にしてはフォローされてる数が少ないが、 発言は公式っぽいなあ。中国語と日本語が半分づつな感じ。 フォローの一番上がゲイツなあたりが素敵。

調べたら次女の人だった。キャラデザ的には一番好み。

会社の利害と個人の利害が一致すべきだと言ってみたところで ダメで、実際に一致していなければ仕方ない。 組織全体のために行動することが求められている、 とか言ってみたところで無駄だ。 それぞれにとってそれが得でなければそうしない。 人類は猿の一種であり、 猿は服従を求めれば抜け道を探す生き物である。 服従で快楽が生じる犬とは違う。 禁止や命令は生物学的に言って効果を発揮しにくい。 喜んでそうするように仕向けるべきで、 つまりはインセンティブをそのように操作する以外に、 社員を操作する方法はないということである。

コミュニケーションの問題。 コミュニケーションをいかに促進するか、というのは間違った問いで、 「そもそもコミュニケーションは必要か」 「何のために必要か」「どこでどんなものがどれだけ必要か」 みたいなものが先にあって、 その後で「それをどうやって実現するか」が来るはずだ。 コミュニケーションもまた手段にすぎん。 だから重視しすぎてもいかん。 もしコミュニケーションなしで問題なく仕事をする方法があるなら、 それは極めて高効率なはずだ。それがダメであることを 確認してからの話になる。

全てが自動化されていればコミュニケーションはいらん。 パン工場のパイプラインにおいて、隣の人との コミュニケーションはパイプラインの設計と動作に内包されている。 会社の仕事がそういうふうにできていれば、 コミュニケーションはいらん。 しかし、現実にはそうは行かない。

仕事を、データをもらって加工して渡すものと考える。 もらったデータそのものと、誰からもらって何をして 誰に渡すかみたいな仕組みに全ての情報が含まれていれば、 コミュニケーションはいらない。 ゲーム屋においてはこれがまるで成り立たない。 「描画ライブラリつくっといて」という言葉だけが入力であれば、 情報量が圧倒的に足りない。 結局、何のためにどういう何を作るのかという情報は 別に得る必要がある。それを誤解と漏れがない形で 伝える方法があればいいが、それすら無理だ。 例えば素敵な文章を書いて渡すということがある。 企画書とか仕様書とかいうものはそういう試みだ。 しかし、結局文章には漏れがあり、間違いがあり、 解釈のされ方によって間違って伝わるので、 文章は助けにはなっても十分ではない。 だから、仕事を発注する側とされる側は結局生身で 話をする他なくなる。 仕事が流れる経路ではコミュニケーションが必要だ。 よほど規格化できていない限りは不要にはならず、 とりわけソフトウェア、それもゲームで使うようなものに関しては 規格化が困難である。

加えて、発注-受注が何段も連鎖すると、 「そもそも何を作るのか」という情報が劣化、脱落していく。 なので、「そもそも何を作るのか」は、それがわかっていないと 仕事をうまくやれない人間全員で共有せねばならず、 そのためには一対一コミュニケーションで伝言ゲームをするのは 効率が悪すぎる。大本でそれを決める人間が演説なり何なりを すべきだろう。また、そもそもそれを決定する段階で 現場からのフィードバックがないと実現不可能なものに なったりもする。そもそも何を作るのか、 ということを決める段階でコミュニケーションが必要だ。

なんか、そういうふうに考えていくと、 それなりに問題は明らかで、どうすべきかも見えてくる気がする んだがなあ。たぶんそう簡単には行かない理由が 何かあるんだろう。

「こういう状態なんです」と言うと、 「それは誰誰が悪いよ」ということになったりするが、 それで話が終わりになっては何の意味もない。 その誰誰をどうにかする方法を考えるべきだし、 そのためには、その誰誰が今なぜそうしているのか、 という現状把握が必要になる。 「誰誰は責任を果たしてない」とか言ったところで、 責任を果たさせるためには何かをせねばならない。 責任を明らかにすることは問題解決の準備にすぎず、 その後が必要だ。クビを飛ばすかもしれないし、 説教を垂れるのかもしれないし、 やってほしいことをやるように仕向ける方法を 考えるかもしれないが、ともかくも何かが必要だ。 「それは誰誰の責任だ」「それは何々が悪い」 までは話がすぐ進むが、「で、どうすんの?」 というところまで話が進むケースは稀なように思える。

実験してみないとわからんなあ。 出世すればこの実験ができるようになるわけで、 出世をとりあえずの目標にするのは悪くないのかもしれない。 ライブラリも作ってみて初めていろんな問題がわかった。 なるほど既存のものの出来に満足が行かない原因はこれか、 と得心することも多かった。 その一方で、案外うまくやれることもわかった。 プロジェクト運営やらマネジメントやらも 同じように、やってみないとわからんし、 やってみたら案外うまくやれるかもしれん。 もちろん玉砕する可能性も高いが。

私はマネジメント向きではなく、 チクチク研究開発してるのがお似合いの人間と 思われてきている。自分について、自分よりも他人が良く知っている ことは多い。「案外うまくやれるんじゃね?」 と思っている私が壮絶な勘違いをしている可能性は高い。 確かに人心の問題に関する経験は足りないだろうな。 私は人間の心がよくわからん。 それに、本質的に「マネジメントという実験がしてみたい」 というのが根本動機であることは間違いなく、 こういう邪悪な動機でやることが 悪影響を及ぼすこともありえなくはない。 もちろんそれはライブラリ仕事やシェーダ仕事も同じで、 産物そのものへの興味よりも、 それを作る過程への興味の方が強かったのは事実だ。 それを否定したら大抵のエンジニアは使えなくなってしまう。 書き終わったものに興味がないエンジニアなんて なんぼでもいるが、えてしてそういう人の方が優秀な印象がある。 結果的にうまく行くなら、動機はなんでも良かろうよ。 ただ、やはり動機が結果に大きく影響する分野がないとは言えない。 ひつじこと話していると頻繁にそう思う。 そういえば、 昔漫画の真似事をしていた時にもそれを指摘されたことがあった。 「あんたの漫画はいつも実験だ。本気がない。だから好かん」 と言われた。当時は今ほどその言葉の意味をわかっていなかったが、 今はもうすこしわかる。動機がなんだかんだ言って結果を 左右してしまうのだ。臭いのようなものが残るのである。 結婚してそれが甚大な影響を及ぼすことを知った。 だから私はひつじこに怒られるのである。 ひつじこですら怒るくらいなわけで、 本当ひつじこ以外とは結婚なんてできなかっただろうと思う。 しても確実に相手を不幸にしただろう。

前も書いたが、うちらはパンダみたいなもんだ。 檻の外から見てる分にはおもしろかったり可愛かったりするが、 檻の中で一緒に過す気はしない。 案外凶暴だったり臭かったりするからな。

日本語は子音と母音がセットで一つの音だとみなされている。 一方英語は子音と母音を分けて使う言語だと みなされている。それはそうだが、単純にそう考えると たぶん間違える。 streとか、blとか、そういう良くある組み合わせ は事実上セットになっているのではなかろうか。 子音だけ、母音だけで数を数えると20もなく 音の種類が少なく感じるが、 そういう小さな単位をいちいち組み合わせるとは連中も思ってない んじゃないか。同様に50とか100とかいうくらいの数の 音パターンみたいなもので考えている気がする。 そう考えないと、英語の歌なんて歌えない。 youtubeにあるmother goose clubのとある歌にある "swimming, swimming, swimming in the pool." という歌詞は、"swi-mming, swi-mming, swi-mmin-gin-the-pool" みたいな具合にハイフンで区切った9個の音として認識しないと 歌えない。それぞれがひらがな一個、というくらいのイメージだ。 poolとかmingというひらがながあると思った方がいい。 それができてないと発音もできんし、聞き取れもしない。 英語でひらがなに当たるものは、アルファベットではない。 アルファベットの組が表す一塊の音だ。 幼児が歌う歌がそんなに難しいわけはなく、 うちらに難しく見えているとしたら、それは認識の 仕方が間違っているからだ。 「きらきらひかる」と"twinkle,twinkle,little star"は 同じくらいの子供が歌うわけで、 同じくらいの難易度のはずなのである。

日本語も母音は結構落ちている。 「めでたく動いた」と言う時に、「く」のuを発音している人は たぶん少ない。また、「動い」のoiは二重母音であり、 oとiを別に言っているわけではない。 別に言うよりも時間が短いはずだ。 だから音の数として言えば、「うごいた」は「う-ごい-た」で 3つで、4音分の時間は使っていない。 そういうふうに考えていくと、 日本語も文字の数ほどには音は多くないし、長くもない。 外人は日本人の日本語を異様に早口に感じると聞いたことがあるが、 そういうことだろう。

「関数」という機能の本質が「名前をつける」ことにある。 それはコンピュータと人間の認識方法の断絶を埋める 最大の手段だ。このことを5章の段階で おぼろげにわかる状態まで持っていきたい。 まだそれが成功してない。もうちょっと直さないとダメだ。 あらたまった専用の説明なしに、 それを感じさせるにはどうするか。 ここでそれがわかっていないと、この先障害になる。 コンピュータは名前なんて必要としないし、 何万行と単調なコードが並んでいてもわかりにくいとは 感じないのだ、 ということを知ってもらわないといけない。 それがわかってはじめて、プログラミングという行為の 困難さがどこにあるのかがわかる。

報酬体系。 もうかると給料が増える、もうからないと減る、 ということは絶対に必要だが、 どれくらいダイレクトであるべきかは場合による。 例えばある製品に参加して、その製品がもうかった場合に、 報酬を上乗せされることは正しいか。 場合による。 その製品がもうかったのが、参加者の努力によるところが 大きいほど、そのやり方は正しい。 しかし、他の部署の協力がゼロなはずもないし、 また、その人でなければもうからなかったかがわからない。 もし他の人を当てても同じように努力して同じようにもうかる のだとすれば、それは、そこに参加するかしないかという 個人ではどうにもならない運に左右されることになる。 これは究極的には、できる人の給料が高いことは正当か、 という話にもつながるし、 所得税とその累進課税は正当かという話にもつながる。 成果を上げたり、努力したりすることは、 実は運ではないのか。運であったとしても成果には 報いるべきなのか、運であるならば報いるべきでないのか。 人によって考え方は違うし、 実際にはゼロか一かの話ではなく、度合いの問題になる。 できる人は給料を多くもらうべきだし、 もうかった製品に参加すればやはりもらうべきだろう。 問題は額である。 あまりに額が少額であればいっそゼロにしてしまった方が 弊害が少ないケースもあるので、その意味ではゼロも含めて 度合いの問題となる。

欲しい効果は、もうかるようにがんばることだ。 しかし、「もうかる」という結果を得るための手段として 「がんばる」以外のことがありうるのであれば、 そういうズルを助長することにもなる。 人間は抜け道を探す猿なのだ。 例えば別の製品の参加者にうまいこと自分の製品の仕事を させるなどの手はあるわけで、 それをやればやるほど表面上のもうけは大きくなる。 もうけに対して報いることにはそういう危険が伴う。 しかし、「がんばる」に直接報いるのも危険だ。 「もうからないがんばり」を評価することになりかねないし、 また、「がんばる」を客観的に評価する方法がなく、 何らかの指標を使えば、そこでもズルをする可能性が出る。 例えば労働時間を指標にすれば、ただダラダラする馬鹿が 出るかもしれない。

金銭的な報酬でどうこうするのはゼロはマズいにしても、 それほど頼るべきではないんだろうなという気はする。 ドラッカーは20倍が限度とどこかで言っていたが、 確かにそんなもんかもしれない。 それで足りない分は、名誉とか責任とか仕事そのものの充実感とか、 そういう何かで報いるべきなんだろう。 しかしそれはそれとして、行為と報酬の フィードバックが弱くなると共産主義と同じ効果が出てくる。 難しい問題だ。しかし、難しい問題だということを理解するのは 簡単であり、つまるところ調整し続けるしかないのだと わきまえてしまえばいい。 「この改革で良くなる!」みたいに考えて 大改造をして、そのままチェックしないままになる、 というのがダメなのであって、 常に「もっといいやり方があり、今のやり方はダメ」 という視点でい続けさえすればそう悪いことにはならない。 こう考えるならば、報酬の問題は難しい問題ではなくなる。 たぶん、難しい問題の多くは、完全な解がないことを 認めさえすれば、実質的には簡単な問題なのだ。 常に今のやり方に欠点があると思い続け、変える前提でいればいい。

それ、簡単じゃないのかなあ。何かで実験してみるか。 デフォルトが廃止か変更で、継続にならないような 仕組みを何かしら用意しておけばいいんだよな。

HTML5でテトリスくらい作ってみるか。 これは本に入れられるわけだし、 元々入れる気でもあった、今すぐやってもバチは当たらない。

2012年11月13日

本を進めるにはどうしたらいいんだろう。 周囲で起こっていることに無関心になればすごく進むと 思うんだが。あと、オタマの問題。

オタマを寝かすのを手伝う時に何より大変なのは、 私が全く役に立たないことだ。 役に立たないどころか、大抵邪魔になる。 この無力感は半端ない。 ひつじこが結婚式で一日いなかった時には、 オタマもあきらめて私を頼ってくれたわけで、 単純に「私よりひつじこ」ということなんだろうなあ。 オタマの行動は合理的であり、情け容赦ない。

ハイドロコロイドを貼れば、はがす刺激で悪化する。 極力貼りっぱなしにして治癒時間を稼ぎたいが、 どうしても周囲からはがれてきて、そこに汚れが溜まるのか かぶれる。こうなると元より悪くなったりもする。 よほど運が良くない限り二日はもたない。 だが毎日貼り換えとなると、よほどうまくはがさないと せっかく上皮化した部分にダメージを与える。 ハイドロコロイドの下にあって 一回も掻かれていない場所でも、次に貼った時に 汁が出ているのは、そういうことだろう。 はがし方をしくじったのだ。 あの程度なら一日あれば上皮化しているはずだからである。 人間の細胞の分裂回数は限られており、 傷の治癒を繰り返せばそれを無駄に消費することになる。 あまりに申しわけない。 そういうわけでできれば接着剤がないものを使いたいが、 そうすると固定する手段がない。 テープごときではオタマが嫌がって剥がして終わりだし、 テープを貼ったところがかぶれる。 顕著に皮膚に穴があいていなければ、 そもそもハイドロコロイドを貼らず、 ワセリンをしょっちゅう塗ってどうにかする手もある。 しかし、オタマは顔を布にこすりつける趣味があるし、 何かの拍子に顔をかきむしればひどいことになる。 眠くなってくると手の甲で目をこするが、 この時に頬が巻き添えになる。 オタマのこすり方は全力なので、まぶたが真っ赤にはれたり するようなレベルだ。治りかけの頬などひとたまりもない。 そんなに眠いなら寝ればいいのだが、 そこまでしてでも寝たくないらしい。 また、ワセリンを塗ると違和感があるのか、 余計にかきむしったり、 布でワセリンを拭い取ろうとしたりするのも困る。 もちろん、ワセリンを塗らず放置すれば、 乾燥して傷が治らず、空気の刺激でかゆくなったりもする。 もはやアレルギーの問題ではない。 傷が治るまでどうやって保護するかという問題だ。

私ならどうするかなあ、と考えても、 それをひつじこが実行不可能なら意味がない。 結局大半の時間はひつじこが見ているわけで。

何か劇的に解決する手段はないか。

ハイドロコロイドの中央部にわざとワセリンを塗って 皮膚にくっつかなくしておく作戦はどうだろう。 全くくっつかずアウトという可能性もあるが、 試してみる価値はある。 うまく行けば中央部だけでも治りが早くなるはずだ。

糖質制限でアトピーが軽減するという報告は多くある。 血糖が低いので血流が良くなって治癒が早まるんだろう。 また、蛋白質の消化が早まってアレルゲンの侵入も 減ると考えられている。 さて、本当か? ありそうなことではあるが、検証するには 結構まじめに糖質断ちをしないといけない。 確証もないのに、オタマがバナナや米を欲しがった時に 与えないというのは大変だろう。

まずはIgG/IgEの検査を受けよう。これでアレルゲンを確定する。 梅屋敷にある病院でやっている。7万で 96種の食べ物と花粉その他の吸入抗原がはっきりする。 食べ物だけなら4.3万だ。これでいいか。 一応問い合わせて幼児に負担になりすぎないかは確認する。 幼児にとっては大変な検査だという話を真に受けて これまで考えていなかったが、 採血してアメリカの会社でテスト、というタイプであれば 採血して終わりなはずだから注射一発だ。 でも一応電話で聞く。 そもそも幼児から採血なんてできんのか?とも思うし。 こんなムッチリしていて、血管がどこにあるかなんてわからんぞ。

とりあえずオタマを幼稚園に入れて一人でいられる時間を作るのが 無難な気はする。 あるいは、もう少し都会度が低い場所に引っ越す。 航空写真で見る限り、緑が多そうなのは川崎の内陸部だ。

幼稚園。私は必要だとは思っていない。 小学校の最初2年くらい苦労したっていいだろう。 幼稚園に行けば社交性が身みつくとも限らないし、 社交性がそもそも必要なのか、 あるいは、その時期に他に学ぶことはないのか、という事もある。 幼稚園に行く第一目的は、うちらが楽をするためだと 割り切ったらいい。教育は二の次だ。 楽をするために幼稚園に入れる、 と言うことは一般的には不道徳かもしれないが、 それは事実だ。そう認識することで問題がはっきりする。 入れるかどうかを決めた後で、 その次の問題としてどの幼稚園を選ぶかを考えればいい。 その時には教育の質や距離を問題にする。 もちろん、「いい幼稚園があればいかせたい」 というように、行かせるかどうかの決断と どこに行かせるかの決断が完全に切り離せるものではないことは 承知している。 だから、行かせると決めても、 あまりにもダメな幼稚園しかなければ断念することもあるだろう。 しかしそれでも最初に決めるべきは「行かせるか行かせないか」だ。 それが決まらないと、準備もできない。 何を決めるのかが曖昧になる。

といっても、そういう決め方、考え方が正しいとは 私も思ってない。決め方も考え方もいろいろあっていい。 ひつじこにはひつじこの決め方があるだろう。 しかし、とりあえず私はこう思っている、 ということは書いておく。 これはすでに話したことだが、 大抵オタマの世話で話が断片化してしまうので、 こうして文章にしておくことにした。

私はたぶん頭が良くない。 だから、行動の目的を一つにして、 他は全て副産物と考えて単純化しないと考えられない。 副産物を良くするために 目的から遠ざかることはしたくない。 副産物はあればうれしいし、目的から遠ざからない限りは できるだけいい副産物が得られるように努力するが、 それでも副産物だと思う。 一番大事なこと以外は後回しだ。 そうでないと、妥協するにしても何が妥協なのかすらわからなくなる。 そうすることで大事なものを切り捨ててしまうことは わかっているが、そうであってもそうしないと進めない。

でも、もしかしたら、進まなくていいのかもしれない。 幼稚園に関してはまだ半年ほど間がある。なんとなくぼんやり考えながら 待てばそれでいいのかもしれない。半年先の状況なんてわからないわけだし。

前の本の韓国語版ができてきた。 自分の名前のハングル表記だけは解読してみた。 ひらがなと一対一対応している。 向こうの人には人名に見えそうにないが、 「こういう感じなら日本人の名前」というイメージは 出来てるんだろうなとも思う。また、 日本語みたいに語順が適当でなく、中国語や英語のように 場所から品詞が確定する言語であれば、 名詞が来る位置に変なものがあれば、何らかの固有名詞 であることは明らかだ。 日本でのカタカナの使い方は、 語順が自由なために固有名詞を識別するのが困難、 という事情があってやむをえず発生したのかもしれない。 「カタカナを使えば外来語が識別できて便利」 とか思ってると間違いなのかもな。

あの国の人口と産業規模で何部売れるんだろう。 元取れるんだろうか。 48000ウォンっぽい。今日のレートで3500円。 ビッグマックが3700ウォンなので13個分。 日本より相対的には安いのだろうか。よくわからないな。

そもそもこの本を英語で書いていればいろんなことが 楽だったんだろう。しかし私は英語では書けるようにならないと思う。 純粋に知識を伝えるだけで良ければ書けなくもないと思うが、 むしろ知識がいい加減でもいいから体験を伝えたいと思うタチだ。 読む側は知識しか求めてないかもしれんが、 それなら私の本はたぶん合わないし役に立たん。

それにしても、4冊ももらったが使いみちが全くない。 最終的には焼くしかないんだがなあ... 記念で一冊置いておくことすら嫌になるこのデカさ。 我ながら良く書いたものだと思う。 あと、韓国語の本って文字デカいのな。 この本だけか?1000ページを超えているあたり、 別に文字数の割に情報量が多いとかいう話ではなく、 単に文字がデカいだけだと思う。

厚生年金基金って何だろうと思ったが、 企業側で積み立ててる年金な。 国でやってもらってもいいが、運用に自信があれば 会社でやってもいいと。 将来のリターンが怪しくなってきたのでやめて 国に任せるということか。

退職金という制度もやめたらいいのになあ。 給料を払わず溜めておいて運用して、 後で払う、というのが合理的なのは、税制がそうなっているのと、 運用のリターンが見込めたからだ。 税制は変わってないが、運用のリターンが読めない状況に なっている。税制も変えるべきだよな。 給料として渡す方が不利なのは 終身雇用を促進するためなんだろうが、 今となっては足枷でしかないだろう。 じわじわと消費税の比率を上げて法人税や所得税を 下げていく計画だったんだろうが、 いろいろあってあまり進んでいないまま今に至っている、 ということだろうか。

対肩凝りトレーニングを開発中。 両手を肩幅肩の高さで固定(何かをつかむ等)して、 極力肘が下を向いたままで円を描くように動かす。 動きの主体は肩になる。 ひじのとがった方が横や上を向かないよう注意。 まずは左右別々に時計回りと反時計回り。 慣れてきてなめらかに回るようになったら、左右同時に回す。 左右が時計回り、左右が反時計回り、左時計回り右反時計回り、 左反時計回り右時計回り、の4種。 肩だけでなく背骨から動かしてもいい。 背中の上の方の中の方が熱くなってきたら当たり。 これをやることで、鎖骨を含めて腕として扱うことができるようになり、 肩甲骨をほぐして血行が良くなり、 肩を動かす筋肉を随意筋化して肩凝りを防ぐ、はず。 人を殴る予定があるならそれにも役立ちそうな気がするが、 それはもういい。今はデスクワーク人の健康をどう増進するか、 ということに興味がある。

これが「誤解の余地なく」「高い効果を持ち」 「チェックが容易で」「苦痛が少なく」「楽しくなる」 ようなものであるためにはまだ工夫が足りない。 しかしおおむねこの戦略だろう。 肩が凝るのは動かしてないからだ。 無駄に力を入れない訓練はかなり難しい。 脱力はそうそう簡単できることじゃない。 むしろ動かす方が楽だ。その結果として動かさずに済むようになる気がする。 腕が鎖骨から始まるような動かし方を習慣付けることが たぶん一番効く。首の動きも良くなる。 手を固定することで、本当に動かしたいところを強制的に 動かせる。立った状態で膝を回す運動も同様の考え方で、 足が固定されているから膝を動かすためには骨盤を動かさねば ならない。その結果股関節の動きが良くなって、 年を取ってもコケにくく健康でいられるようになる気がするが、 実証はできんなあ。 そういうことを言ってる人は他にいて、 本とかもあるんだろうから私が考える必要もないのかもしれんが、 ともかくも自分では納得しておきたい。

ジョジョの主題歌カラオケで歌いたいなあ。 ダサすぎて痺れる。 それにしても、このアニメの台詞の説明くささは半端ないな。 スピードワゴンだけじゃない。

さくら荘の1話見た。なるほど、物作りを志す凡人の苦悩を 萌えとともに描くのか。嫌いじゃない。嫌いじゃないぞ。

知らんうちに物作り産業の一角で仕事をするようになって、 10年も経っている。 目指す、なんて意識は皆無だった。修士が終わりそうに なった時にたまたま思いついただけだ。 博士に行くのも嫌だし、研究室とつながった企業に行くのも 嫌だった。単なる逃避だ。 IBMに受かっていればそっちに行っていただろう。 今いる所しか受からなかっただけだ。 任天堂は最初の試験で落ちたし。まあバイオだもん、そりゃ落とすわな。

10年間、いろいろがんばったり考えたりもした気がするが、 私は記憶が壊れているのかあまり思い出せん。 おおよそのことはここに記録されているはずだ。 私の日記は脳の一部みたいなものである。

クリエイターという言葉は私にはあてはまらない。 いわゆるクリエイティブな仕事、というのが どういうものなのかが私には正直わからん。 この作品に描かれているようなクリエイティブさは 私には皆無だ。 私が創造性を発揮できる場所があるのだろうか。 そもそも創造性なるものが私にあるのだろうか。 つうか、創造性って何のこと?

2012年11月12日

1920x1080以外のパネルって割高なんだな。うちで買うなら その解像度以外ありえない。しかし、作業に使うモニタは 極力縦を長くしたいわけで、割高でも払わざるを得ないだろう。 特にPDFの見開き表示をするならそうだ。 16:9は横長すぎるし、机の縦方向の空間を無駄にする。

PDFの見開き表示さえしなければ、 16:9を90度回した状態で使うのが最良なんだろうけどなあ。 マウスカーソルの移動コストから考えて、 正方形に近い方が効率がいい。 90度回しつつ、全画面使わずに 画面の上か下に寄せて使ってもいいんだろうが、 3840x2160が普通になるまでは解像度が足りない。 長らくPCの画面解像度は進歩してこなかったが、 モバイル側がきっかけになって多少は変化がありそうだ。 これからの展開に期待しよう。

でも、考えてみれば、texのフォントを明朝じゃなくてゴシックに すればかなり小さくても読みやすいんじゃなかろうか。

97の奴のアマゾンレビューが出てこない。

西日がえぐい。モニタを盾にせねばならぬ。

ひつじこの時間は私よりもたぶんゆっくりだし、 時間の価値、みたいな概念もそんなに厳しくないように見える。 時間の無駄、という言い方はあまりしない。 しかし私はたぶん普通よりも時間の使い方に 有意義とか無駄とかいうラベル貼りをしやすいタイプだ。 これは、私が基本的には「目的達成マシーン」 であることが大きいのだと思う。

私は「世界に貢献したい」とそれなりに真面目に思っていて、 そのための一つの手段として 「自分ができることを他人もできるようにする」とか、 「他人ができるような形で自分もできるようになって理解する」 とかいうことに時間を使いたいと思っている。 本を書いたり、変な運動をしたり、 ニュースを見たり、本を読んだりしているのも、 おおよそこのためで、 すでに「楽しい」ということがどういうことかもよくわからない。 ひつじこに「楽しくないの?」とか「楽しかった?」とか 言われる度に、自分は壊れているんじゃないかと思う。

何かの手段として行う、というのは人のありかたではないのかも しれない。なんてことが 「これからの正義の話をしよう」に書いてあった気が する。カントだったか。あとfate/zero。 そうかもしれない。

ひつじこはもっと生物としての人間だ。 そういうあり方であればこそ、 都会で変化のない生活を送ることが魂を傷つけていくのだろう。 元々人類は定住することには向いていないという話を聞いた。 ひつじこを見ていると本当にそうなのだなと思う。 おそらく私も含めてみんな 定住にストレスを感じているのだろうが、 それをフィクションや仕事でごまかしているのだろう。 私は自分でも具体的にはよくわからない「人生の目的」 のために時間を消費することの充実感によって、 物理的な環境の変化のなさを気にせずに済んでいる。 言うならば現実世界に生きていない。 一種のフィクションの中にいる。 都市でストレスなく暮せる人間とは、 言うならばフィクションに逃げこんだ人間のことなのではないか。

仕事の充実感もその意味ではフィクションだろう。 ビジネスは現実に影響を与えはするが、 その影響を自分が実感することはそうそうできないのであって、 主観としてはフィクションであると言っていい。 生活の維持に使うレベルを超えた金銭もまたフィクションである。 私がいくら稼いでも、それは私にしか意味を持たない数字であり、 ひつじこにとっては無関係だ。 私が仕事によって生み出す物は、 自分にとってさえ何かの拍子にどうでも良くなりかねない フィクションであり、 それはひつじこと共有できるようなものではない。

ひつじこが旅に出たいと言うなら、それはかなえたい。 それは、ひつじこの人としてのあり方が 必要としているものなのだろうからだ。 しかし、ひつじこには私がそれを必要としないタイプの 人間であることと、この状況で旅をすることが 諸々の点で大変であることだけは納得しておいてもらいたい。 やりたいことをつぶそうとして言っているわけではない、 ということを納得してもらえたらうれしいのだが。

私が「それ、いいねえ。よし行こう」と思うのが ひつじことしては最良、ということはわかるが、 それを期待されても難しい。 ひつじこがジョジョを読んでくれないことを 残念に思うのと同じだ。 趣味嗜好の問題は一致し難い。 「読むよ」と言ってそのままスルーするのと、 「読まない」と言うののどちらを誠実と思うかは人によって違う。 私は適当に同意して実はスルーというのは苦手だ。うまくやれない。 そして私は、「読むよ」と言われてスルーされるよりも、 「趣味じゃないから読まない」と言われる方がいい。

本質的なところで旅を求めていない私は、 一緒に行けばどこかで邪魔になる気がする。 そしてまた、オタマもひつじこの行動を制約するだろう。 したいことをオタマのためにあきらめねばならなくなることは 必ずある。いっそ、オタマを置いて一人で行くことも選択肢に 入れていいんじゃないだろうか。 ちょっと長い出産入院みたいなもんだと考えれば、 案外どうにかなる気はする。 もし二人目が生まれるなら一週間くらいは私とオタマで 暮らさねばならない日が来るのだ。 それで一番大変なのは最初の三日だろう。 そこを過ぎれば、それが三ヶ月になっても大差ないかもしれない。 とにかく、魂が必要とすることを我慢しちゃダメだ。 私と違って「したい」ということがあるなら、 それを実行する前提で考えた方がいい。 私はできるだけの協力はしたい。

あるいは、ひつじこが、ひつじこにとって意味のある仕事に つけるならばそれが旅の代わりになるのかもしれない。 しかし、それには土浦に行く他あるまい。 それでもいいと思う。

2012年11月11日

羊が高い。近くのビッグライズというスーパーにはキロ1280円の骨付き ラムバラ肉が頻繁に売られていて、これがうまいのだが、 webで探してもこんな価格では出てこない。 切ってパック詰めする手間賃まで込みで1280円なわけで、 だったら切る前の奴ならもっと安く買えるはずなのだ。 だが、見当たらない。肉も冷凍で通販したいのだがなあ。

鶏ささみ、豚モモ、牛モモ、羊バラ、というあたりが候補だが、 どれも通販よりもビッグライズの方が安い。 質に差があるのか、それともビッグライズが本当に安いのか。 鶏の脂は胃に重い。豚の脂はモノによっては臭く、ハズレを引くと痛すぎる。 牛はステーキはうまいが、脂は邪魔で、中まで火を通すとおいしくない。

牛も塩でもんで数日置くとダシ味が増すんだろうか。味噌とか。 でもそうするなら豚の方がうまいだろう。 牛の加工食品がこれだけ少ないことには理由があるはずだ。 脂の融点が高くて扱いが面倒なのが大きいんだろうが。 羊も伝統のある肉であるわりに、加工品が少ない。 牛と同じ欠点があるのか。

神戸ハラールフードという店から羊を通販。実験。 どこの部位かもわからないが、2kg1700円。 部位次第では焼いては食えないかもしれん。その場合はマトンカレーにでもしよう。

普通の人は末端の筋肉を使いすぎている。これを体幹を使うように 修正すると幸せになれるわけだが、 胴体ばっかりバリバリ動かせばそうなるかというとそう簡単には行かない。

肩凝りみたいに、筋肉が使いっぱなしになって血行が悪くなったりするのは、 要するに動かしてないからだよな。 ということは、肩をモリモリ動かして、それに慣れればいいはずだ。 というわけで、鉄棒を両手で掴んだ状態で、肘ができるだけ円を描くように 動かしてみたらいい具合だった。左右は半周ずらす。回転方向を変えると 4パターンできる。これと同じことを下半身でやることもできて、 これは単に膝が円を描くように回せばいい。これも4パターンでき、 いい具合に脳と股関節を使う。

端的に言えば、鎖骨を腕扱いし、骨盤も脚扱いすればいいと思うのだが、 これを極力簡単で、乏しい情報でも間違いにくく、 正しくできていることを確実にチェックできるような、 そんな方法でやれれば、多くの人が幸せになれる。

プログラミングにせよ体の動かし方にせよ、 才能が特になく、それに時間や労力を大して割く気もない人でも 高確率かつ低コストでそれなりにできるようになるような教え方、学び方、 というものが確立すれば結構な人が幸せになれる。 そのために必要なことは、極力前提を必要としないこと、 文章と図、せいぜい動画程度の情報しかなくても間違わず確実に伝わること、 自分が正しくできているかを容易にチェックする方法があること、 極力道具・時間・場所・苦痛を必要としないこと、 そして最後に、やっているうちに楽しくなってくること。

今回書いてるプログラミングの本は、 この理屈を実証するための実験第一段だ。 他にもいろいろ実証したいことはあるが、まずはこれだ。 動き方の改善もそのうち実証したいが、そっちは本を書くほどの自信はないし、 誰も出版してくれないだろうから、wikiにでもまとめる。

体重が59.45。蛋白質が足りてない可能性が高い。

黒目豆のサラダ。酢をバルサミコにしたらかなり良かった。 粕酢よりうまいんじゃないか。

2012年11月10日

nasneが一杯になったので、削除しまくろうとして、 これまたUIがひどいことに気づいた。 正確にはchan-toruというサービスの問題でnasneの問題ではないが、 やりようがないなら同じことである。

一括削除があることはわかったのでまだいいが、 名前でソートする方法が見当たらない。 教育は再放送が多いので、名前でソートした状態で なめていけば重複を消して回れるはずなのだが、 何故かそれができん。 いちいち番組名で検索せねばならず、 その検索も1文字間違ったらアウトだし、andやorも見当たらないので 「プチプチ・アニメ エディ」とか「プチプチ・アニメ ナッチョとポム」 みたいなのが大量にある時に特定番組を検索するのがしんどい。 また、容量順ソートも見当たらず、 逼迫したときにとりあえずデカい順に消す、ということもできない。 そんなことをする奴は少数派で、UIをシンプル化するために 敢えてそういう機能を足していないということなのか?

20件しか表示しないのをどうにかしてくれ。 あと、削除の確認が邪魔だ。いいから先へ行け。 そして削除おそすぎる。一件消す度にwebの向こうに確認しに行くのはやめれ。

この家電的なソフトのUIのクソさは国民病なのか?私に作らせろ。

HDDレコーダーを10万とか出して買えばこういう問題は消えるのかもしれんが、 ソフトの出来と値段は比例しないだろう。ハードは比例するんだが。 ヘルシオも機能はいいがUIはひどいしな。 ソフトの出来がまともな機種はどれか? なんてことになると使ってる人に聞かないとわからない。 そもそも、うちみたいに教育テレビを録画する家庭だと、 録画数があっというまに数百以上になる。 たまに削除をごっそりやらねばならず、 その時の使い勝手は死活的に重要になる。

再生回数と再生時刻、容量から適当に点をつけて、容量が不足したら 数字が低い順に消す、みたいなことって全然難しくないと思うんだがなあ。 UIが複雑化しないようにうまく配置することもできなくはないだろう。 多機能とシンプルさはこれくらいの規模ならそれなりに両立できそうな 気がするんだがなあ。コンテンツ制作アプリのGUIとかになると 爆発するのでそう簡単には行かないのだが。

スペックで買えるものは本当に限られるなあ。 そして、無料のもののUIの方が有料のものよりも明らかにいい。 有料は有料でいられるような参入障壁があり、 それゆえに出来が悪いままでいられるのだろう。

これゲームでも同じこと起きるよなあ。最初は粗製濫造が目につくが、 淘汰と切磋琢磨が進んでくると参入障壁が低いほど出来が良くなる。

二人目三人目できたらオタマ6歳の時点とか無理じゃね? と言ったら、「小学校なんて半年くらい休んでもいいんじゃない?」 と言われた。言われてみたら確かにかまわない気がする。 実際にそれを決行することを想像すると気が重いけどな。 それにしても、一体いくらかかるんだ...

幼稚園のバザーを見てきて、ひつじこは客ならいいが運営側は嫌だなあと 言っている。食い物とか作って出しているが、 衛生管理が大丈夫かとか、用意する量や生産能力、需要の見積りなどが 適当で列ができたり、一瞬で売り切れたりしていてヤバいとか、 まあツッコミどころが満載である。それを気にせずああいうイベントを やる人達に混ざって一緒に何かをするというのはなるほど考えたくない。 それにしても、まだ幼稚園に入れる気だったのかと驚いた。 ひつじこも私も幼稚園の社会でうまくやっていくなんて無理だろ。 小学校も最初は苦労するだろうが、それはとっくに覚悟済みだ。 私もひつじこも周囲とうまくやることに失敗しつつ人生を送ってきた人間であり、 しかしそれなりに充足している。 確かにいろいろ大変だったが、少なくとも私はそれでもいいと思っていた。 ひつじこもそうだろう。そういう親の子が社交性に富んだ人間になると 思う方がおかしいし、どうすればそうなるかを考えようとすること自体 おこがましい。子は親を選べないのだ。それは現実であって、 うちらはうちらが得意なものを伝えればいい。 自分の欠点を子に補わせようとするのは親の勝手だ。

つうか、ピースボートとか言うなら幼稚園とか論外だろ... 義務教育なら勝手に半年休んでもいいかもしれんが、 自分の意思で金出して入れるのにその勝手はさすがにないんじゃなかろうか。

普通は逆か。でも実際問題そうだろう。

ゲーム会社はUIはそれなりに作れるんだから、 そういう仕事も受けたらいいのかなあ。 あーでも高くつきすぎて無理か。 ああいうものって安くうけおう会社がゴロゴロいそうだし。 あるいは、家電大手なんかだと社内にゾンビみたいなソフト部隊がいて、 異様に高コストなのにロクなものを作れず、かといって外注もできない、 みたいな袋小路に陥ってたりするのかもしれん。

あの97の本のレビューが出てこないのは、 買ってるのが中の人ばかりで、とても批判的なことを書けないからではないかと 思ってみたり。2chとかないかな。

録画リストにはあるものが検索で出てこないぞ... 「おしり」で検索するとおしりキッズの5話しか出てこない。 だが、録画リスト上には他もある。 あ、何度かやってたら出てきた。 なんかキャッシュか削除にバグがある臭いがするな。 おしりかじり虫を何話か削った後なのが怪しい。

2012年11月09日

白米で発疹が出るか実験する。 どうせ米は長期的にはフェードアウトしたいわけで、 とりあえずは白米でも良かろう。

WiiUどうすっかな。モニタないとしゃーないわけで、 だったらテレビ買えばいいじゃんというのはなくもない。 しかし、nasneというチューナがあるのにテレビを買うのも 何か負けた気分である。何か「テレビ」という機械が 家にあること自体が許し難い気分。単なる気分なのだが。

しかし問題はスピーカー。HDMIで音が来るとなれば、 モニタ側で音を出さないとどうにもならない。 WiiUがHDMIから音を吐かず、アナログ出力で 音を吐けるようになっていればいいのだが、 PS3と同様にそれができるかはまだわからない。 モニタ買うにしてもWiiUが出てからだろう。

モニタなんて小さくていいよなあと思いつつ、 ひつじこのママ友が家来たりして 一緒に遊んだりもするかもしれんよなあとか思うと デカい方がいいのかと思ったりもして微妙な気分。 そして、デカいものを買おうと思うとテレビしかありえなくなる。 5万払えばチューナ入りスピーカー入り、DTCP-IP入りの 32インチテレビが買えてしまうではないか。

小さくていいなやっぱり。21.5インチは十分大きいだろ。 昔のブラウン管時代は20インチもないようなものでも みんなで遊んでたじゃないか。 そしてそれなら、WiiUがアナログで音を吐けさえすれば 1.5万の出費で済み、動かせないほどデカいものにもならない。 まあWiiUが出てから考えよう。

肉もそれなりに食べて行くのだとすれば、これもやはり大量購入 せねばならぬ。近くのスーパーでも相当安いので それでいいとは言えるのだが、もっと安く買えるか、 より質の高いものを同程度の価格で買えるならそうすべきだ。

鳥胸肉。豚モモ肉。羊のバラ肉。牛モモ肉。 このあたりなんだよな。羊は脂が異様にうまいので、 脂がおおい部位がいい。あの羊がうまいだけなのか。 なんとしても羊肉を安く手に入れたいな。

ピースボート乗りたいかあ。3年後かそこらに三ヶ月船の上。 かかる費用がおよそ500万。会社を辞めて転職する くらいの覚悟がいる。船乗るから3ヶ月休みます、 なんてのはまっとうな会社員のやることではない。 二人目がいた場合はさらに困難になる。しかし不可能ではない。 単純に覚悟の問題にすぎない。 行く前提で考えた時に、今からせねばならないことは何か。 必要な準備は何か。

悪くない気はしている。 それくらいの無茶をして会社のキャリアを放り出す くらいのことを今のうちにしておくことで、 その後の長い人生をプラスにできるかもしれん。 なにせおおよそありえん行動だからな。 ひつじこ以外が言えば冗談としか思えない。 私はそもそも自発的に旅行をしようなんて絶対に思わないしな。

WiiUどころじゃねえ。

それにしても、ピースボート。 詳細資料が何故webにないんだ? 住所その他を入力して郵送を待つ以外にないらしい。 そういうのよくあるよな。資料請求しないと 詳細がわからん。

何せ蓄えがあるので 今500万使ってもそれほど問題になるわけではないが、 12年後あたりから始まるオタマの出費ラッシュの想定を まだ何もしてない。10年後なんて 予測するだけ馬鹿馬鹿しいと思って放置しているわけだが、 それは最初の巨大出費が10年以上先という前提でのことだ。 子供が全員家を出る時点で貯蓄が マイナスにならなければ良く、最悪うちら二人が 生活保護に落ちても死にやせんだろう、 という程度にしか考えていなかったりはするのだが、 概算くらいはしておくか。 オタマともう一人、できればもう二人を大学に 送りこむ程度の想定はしておきたい。

健康に関しては避け難いだろうな。解決しないまま 突入する覚悟を決める他ないだろう。 オタマの皮膚が全快しなかったり、 食べ物に禁忌がある状態でその日を迎える可能性は高い。 全快させ、劣悪な食事を三ヶ月続けても 耐えられるだけの健康レベルにするのが理想だが、 今は食材を制限してやっとこさこれだからな。 仮に全快したとしても、食材制限を外して 加工食品まみれの食生活になっても大丈夫とは到底思えんぞ。 大丈夫でなくてもいい、と覚悟する他ないように思える。

にしても、正直左翼を資金的に援助するのは気が進まない。 オウムに流れるとわかっていて秋葉原の怪しい店でPCを 買うのと同じくらい気が進まない。 似たようなサービスが他にないかは探したいが、 まあないわな。政治的色彩が強いからこそあの値段で どうにかなっているのだろうし。

英語に不安がなければ海外発の船ツアーは結構あるのか。 3ヶ月のもので150万くらいからあるようだが。 いわゆる豪華客船世界一周ツアーみたいなものになると 400万とかかかり、明らかに論外。 うちはそんな金持ちじゃねえ。

うん。まあ覚悟の問題だな。それ以外の何者でもない。 私がどんな質問を投げても、ひつじこが 「そうなったらこうする」か「そうなってもいい。覚悟はした」 と言えるのであれば、それは問題ないということだ。 私は命に関わらない限り大抵のことには耐えるだろう。 そこさえ解決すれば、だいぶおもろいかもしれん。 元来私は非日常を好まず、旅行なんて絶対しないタイプだ。 であればこそ、それくらいの無茶に乗ることで 何かが広がるかもしれん。

2012年11月08日

最近プログラミング自体への興味が著しく失せた。 プログラムを生産するより、プログラマを生産する方や、 必要なプログラムを決定する方に興味がある。 たぶん自信がついたんだろう。 「必要になればできるだろ」と思えるようになった。 私よりうまくやれる奴はいっぱいいるので、 そういう連中を使えるなら投げればいいが、 使えない時には私がやってもそう悪いことにはならない。 たぶんプログラマの平均よりはマシだろう。

それはそれとして、あいつらには勝てん。 有能なプログラマなんてゴロゴロいるじゃないか。

「こうしたいんですけど」と言われた時に、 よく話を聞いてみると「こうしたい」と言っていることが 解決策としてダメなケースは多い。 だから、言われた通りに仕事をしてはダメだ。 客が自分の欲求を言葉にできると思ってはいけない。 そんな能力を客に期待してはだめだ。 満足を客にもたらすことを優先するならば、 客の本当の欲求を引き出さなくてはならない。 ただし、その客が長くつきあう相手であったり、 同じ目標に向けて協力すべき相手であったりするならば、 自分の欲求を正しく言葉にできるようになることを求めることも 必要だ。「おまえが欲しいのはこれだ」というのもダメだし、 「言われた通りやりますよ」もダメだ。 何かいい場所がある。 ただ、それを探るための対話にはコストがかかるわけで、 それを避けたいという事情があるのはわからなくもない。 技術者は往々にして対話が下手で面倒なので、 なおさらそのコストが高く見えるのだろう。

技術サポート部署に異動したので、そんなことを考えている。

新しい部署の現実が見えるまで大人しくしておくという 考え方が一つ。部外者の視点で積極的に発言して 内部者に見えにくい問題を明るみに出すことを優先する 考え方が一つ。後者が良いとされがちだが、 本当に後者が良いかどうかは検討が必要だ。 いわゆる「半年ROMれ」はなかなかの重みがある言葉である。 事実、後者を選ぶ人はおそらく少ない。 下手をすると会社をやめる覚悟がなくてはできないことでもあるし、 単なる傲慢でしかなく迷惑なだけだったりもする。

私は根本的な所で自分が正しいと思っている気がするが、 それはそれとして自信はない。 たぶん、私は「こうならこう」という思考の道筋には自信があるのだが、 結論には自信がないのだと思う。 関数にバグがないことには自信があっても、入力パラメータが 正しいとは思っていないので、当然出力値も正しいはずがない、 というようなものだ。 しかし、大抵の場合他人と議論になれば、問題になるのは出力値、 つまり結論である。人と比較されるのは考え方ではなく、結論だ。 結論が正しくなければ無価値だとすれば、 情報が不足した状態での議論もまた無価値ということになる。 であるならば状況がわかるまでは迂闊なことを言わない方がいい。

でも、結論そのものは大した問題ではないと私は思うんだよな。 どう決めたかは、そう決める際に用いた仮説と前提とセットだ。 仮説が間違っていることがわかれば結論は捨てられるべきだし、 前提が満たされていないことがわかればやはり結論は捨てられるべきだ。 だから、何かを決めた場合、何が起こったらその決定を 覆すべきかも一緒に決めておく必要がある。 プログラミングではそれをテストドリブンと呼ぶらしいが、 何かの判断についても同じ手続きが必要だ。 そして、そうであれば、結論なんて大した重みのあるものではない。

「人のせいだったらいいなあ。きっとそうだ。そうに違いない」。 こんな三段活用に陥らぬように注意せねば。

やりたい理由が情熱であるならば、 それを否定するものもまた情熱でなければならないだろう。 合理的判断によって否定する場合でも、 その判断の合理性を信じる情熱があることを示さないと、 否定された側はマイナスの感情を残す。 交渉において感情は重要な要素だ。 それがITシステムを通すことで抜け落ちれば、将来に禍根を残す。 掲示板やメールで喧嘩するな、というのはそういうことで、 それは喧嘩からは程遠い合理的意思決定に基くビジネスであっても 大差ない。ビジネスは喧嘩から程遠い合理的意思決定などではないからだ。

ゲーム開発者なんて大した能力がなくてもなれると思うが、 私が思う「大した能力」がどの程度かが問題だ。 とりあえず、今書いてる本を必要とする人は、たぶんなれない。 中高生ならいいと思うが、大学生では手遅れだろう。

27インチのデカいモニタは良さそうだ。 見開きでPDFを開いても小さい字まで鮮明に読めるだろう。 ただ、デカすぎる。24インチとか21インチとかだったらいいのに。 欲しいのはサイズではなくて画素密度だからな。 つうか、dellだと1920x1200でも3万しないのな。 縦1080で良ければ1.5万か。しかも重さが5kgとない。

LEDバックライト液晶はやっぱり色が悪いのか。 低消費電力で売るなら白色LEDで、 そもそも赤い波長がロクに入ってないからどうにもならない。 でも、そこは捨てていい気がする。

なんか予定が増えてきたのでgoogleカレンダーを使ってみよう。 あと、特定時刻になると画面にポップアップを出すだけの 用途にも使えると聞いたので、実験。まだ試してない。 本当にポップアップするのか。

2012年11月07日

iPad miniはジョブズが言う通りいらなかったんだと思うんだよな。 ただ、ジョブズはたぶん10インチのままでも重量と価格で競争力 を保てることを前提としていたんじゃないかと思う。 普通のwebサイトを見るにしても、 PDFを読むにしても、人に何かを見せるにしても、 あれくらいのサイズは必要だろう。 重いのは技術が未成熟だからであって、 それは時間と気合が解決すると考えていたのではないだろうか。

解像度を上げずに軽くするという選択肢もあったんだろう。 7インチがのさばっているのは、iPadが重くて高かったからだ、 と考えるならば、軽くて安くすればいい、とも考えられる。 しかし、appleはそうはしなかった。 電池容量とチップのダイサイズの両面で無理をしてでも 解像度を上げた。iPad2をまだ売ってることから見ても、 あれが相当に無茶なのはわかる。 そこまでする理由があったんだろう。

あれ、全力で軽くしようとしたら、どこまで軽くなるんだろう。 iPhoneとの差は、サイズに由来する液晶と筐体、そして電池だ。 それ以外の重量は原理的には変わらないはずで、 ほとんど無視できる。このへんの改良が来年行われることを期待。

モチベーションを維持することは組織戦略としては重要で、 無視してはいけないが、個人としては モチベーションとか言い始めた段階でもう負けている。 気分がどうあれ自動的に実行できないと安定した 出力を期待できない。 歯みがきは半ば無意識でできる。 それなりに時間が経てば、時間通りに会社に行くことも 自動的にできる。プログラムも慣れてくると 気分に関係なく、始めればそれなりにできるようになる。 ドラクエで言えば、最大MPを増やして魔法をたくさん 打とうとするよりも、個々の魔法の消費MPを減らす方向で 考えた方がいい。 ドラクエのMPと違って、人のやる気の総量は増えない。 あるのは、楽にできる作業と、楽にできない作業だけだ。 いかにして作業を楽に、意志の力を使わずにやれるかが 問われている。強い意志とか、そんなものはない。 あるところにはあるのかもしれんが、少なくとも私にはない。

みたいなことを書いている こんな記事 があった。おおよそ同意。

今しんどいのは本を自動で書けないからだ。 意志力がないと書けない。 どうすれば自動で書ける状況にできるかと思う。 しかし、自動でやれる状態にすべきかどうかという問題もある。 自動化できず毎日ポンポン進まないからこそ出る味 みたいなものは確かにあるのだ。 書けず悶々としながら読んだ本、見たニュース、 見たアニメ、といったものが微妙な影響を与えている。 単純に時間を費すことに意味がないわけではない。

もちろん、さっさと完成さえて売ってしまい、 評判が立った後でそれを見て直す、 というサイクルを経る方がいいのかもしれんし、 少なくともその方が会社をもうけさせる意味ではいいのだが、 なんつうかこの仕事に関してだけは極力妥協を避けたい。

書けないことの言い訳だが。なお今4章。 ようやく進み始めた。そろそろ社内公開して 何人かに見てもらおう。

目標って木構造なんだよな。末端の目標を達成する手段は、 そこより根本に近いところにある目標達成の 妨げになってはいけない。 だから、仮に木の深さが全体の目標数Nに対して logNのオーダーであるならば、 一つの目標を達成する時に必要なチェックはlogNの 手間を必要とする。 つまり、ある目的を目標に分解して達成していく際の 手間の量はNlogNだ。

目的とすることの規模を、 分解される目標の総数によって定義する時、 手間がNlogNになるということは、目的のサイズが倍になると、 それを達成する手間は倍よりも 大きくなるということを示している。 実際には木の深さがlogNになるような目標分割はできないので、 なおさら手間は大きくなる。 つまり、「デカいことを達成しようとすることは、 そのデカさ以上に大変である」となる。 2倍デカいことを達成するのに必要なエネルギーは、 2倍では済まない。

ここで、根本に近い目標との整合性チェックを怠るとNに 落とせて楽になるので、 つい人はそうしてしまいがちである。 これが「目的と手段を取り違える状態」「手段の目的化」だ。 避けねばならない。 そして、避けるためには道徳でなく仕組みを使うべきだ。

「デカいプロジェクトが大変であること」 「手段がしばしば目的化すること」 の二つを計算量理論の言葉で理解しようとすると こんな感じになる。他の言葉でも理解できるだろう。 あることをいろんな言葉で説明することで、 それをより深く理解できるようになると私は信じている。 ファインマンラブ。

関数を「部品」と書いてきたが、 これでもまだわかりにくい気がする。 というか、読者が「部品」という言葉に対してもっている イメージが私とズレている場合に起こることが不安だ。 「部分プログラム」で良くね? ちと長いが、これなら誤解のしようがない。 変数も「名前つきメモリ」にしたのだから、 多少長いのは問題ないだろう。

listingsパッケージを導入して、コードをtex文書に 入れられるようになった。fancyvrbでやっていたが、 どうにも無理があったのである。 専用のものがあるならその方がいい。 もっとも、専用言語だけに文法の認識はしてくれないのだが。 コメントだけどうにかならんかな。

特定部分だけアミかけとか、太字とか、 そういうのをやろうと思うとどうすればいいんだろう。 中にtex命令を書ける抜け道を作ってくれれば それでいいんだがなあ。

2012年11月06日

DiXiM Digital TV plus。X201sでは再生開始まで10秒前後。 遅いが我慢できなくはない。全体的な使い勝手が悪いので 喜んで常用する気にはなれんが、ともかくもX220ほどの遅さはない。 とすれば、X220との間に何か差があるはずだ。 調べる必要がある。もしそれで10秒まで縮まるなら辛うじて使えなくもない。 とは言え、夜はなんか録画してたりするからうかつに動かせん。 ひつじこに確認を取ってからやらんと。

まさかSSD化しないとダメとか言わないよな。 無線もほぼ同レベルだし、CPUはX220の方が速い。メモリも同じ。 他に遅くなる要素が見当たらない。一体どういうことだ。

core tempをX220にも入れよう。 X201sは定格1.07GHzだが、1.5GHzくらいまでは上がる。 ただし、ファン制御を「マックスパフォーマンス」にした時だけ。 「バランス」にすると1.07から全く上がらなくなる。

ラデ7000番台の一番安いビデオカードが7000円くらい。 5000番台の時は4000円くらいからあったのだが、 今はそれより下がってくると内蔵と差がつかないわけか。 そのうち128bitカードまでは絶滅するんだろう。 256bitはメインメモリでは出せないので、そこから上には存在価値 があるんだろうが。

5GHzにしてからVNCのレイテンシがのびた気がするが、そんなわけないよなあ。 0.3msとかで届くならもっと速くても良さそうなものだが。

ワセリンカット大量購入。3kgあれば当分もつだろ。

PowerDVD12を返品前提で購入して実験。 まともに動く。そんなに待たされない。UIもDiXiMに比べればはるかにマシ。 だが、一つ致命傷がある。 録画番組のリストに、日時が表示されないのだ。 「みぃつけた!」や「それいけアンパンマン」がえんえん20個も30個も並び、 どれがいつ放送のものかわからないのである。 番組によっては番組名に番号やサブタイトルが入っているのだが、 入っていない番組も結構ある。 右クリックしたら追加情報が出てくるとかそういうことか? と思ったが見当たらない。どこかで日付を出せるようにできるのか? もしそれがなければ、他が全てまともであっても返品することになる。

DiXiM Digital TV plusは相変わらずX220では再生開始に40秒くらいかかる。 X201sでは20秒程度。AC電源だと15秒なので、CPU速度も無関係ではないらしい。 しかし、当然X220の方がCPUは速いのである。さっぱりわからない。 ファイルIOが頻発しててSSD化が効いてる、という可能性はあるかもな。 小さなファイルをごまんと開けているとパフォーマンスモニタに出てこない。 そしてダメすぎるUI。しかし、日付が出ているので、 「何日のアンパンマンは何」という表を自作しておけばまだどうにかならんでもない。

バッファローのチューナーがいきなり動かなくなった。 いろいろいじってたせいだろうが、何がきっかけかわからない。 もう使わなくなったMonsterTVのアンインストールをしたのが原因だろうか。 明日もう一度MonsterTVを差してドライバを入れ直してどうなるか見る。 core tempを入れたとかはたぶん関係ないよなあ。 あと、CPUのファン制御設定を変えたとか。

DRM関係がわからん。BIOSの設定でダメになったりするのはわかったが、 ドライバのインストールの有無とかでもダメになるのか? 誰が得するんだよこれ。本当にコンテンツ業界の奴等は これが自分の得になると思っているのか?

2012年11月05日

これくらい味噌がうまいと、醤油を使う場所全部に味噌を使いたくなるな。 刺身も味噌でいい気がする。
名前会社乳脂肪価格ひつじこ評価
成分無調整おいしさ直送牛乳森永3.5168薄い
ここは北海道自然がうまい産地直送牛乳北海道乳業3.6188普通
北海道函館3.7牛乳北海道乳業3.7188普通プラス
メグミルク牛乳雪印メグミルク3.7218おいしい
特選北海道丘のまちびえい牛乳北海道保証牛乳3.9268ちょっと臭みがあってすごくおいしい
タカナシ低温殺菌牛乳タカナシ乳業3.6278すごくおいしい

下二つが半額になったら即買い。函館のが標準。 安定的にマルエツで安く買える森永の奴はもう買えない。 あと、400円以上するジャージー牛乳はうまいのだが、さすがに高すぎる。

アボカドも味噌でうまかった。 味噌自作してこれに近いレベルになるなら醤油の使用量が激減するんじゃないか。

麹歩合、豆の品質 パラメータが2つある。理想的には4つに分けて作りたい。 あと豆味噌。 3kgづつとしても15kgできてしまう。一体どこに置くんだよ。

2年物と鮭ハラミ、ネギとワカメで味噌汁。今一つ。 鮭ハラミは脂が出てうまいのだが、ダシ力は弱いようだ。 鮭ハラミを増量した上で、鰹節の粉も足そう。 夜にリベンジする。ネギ買わなきゃ。

DiXiM Digital TV plusで再生が遅い件について問い合わせたら、 とりあえず他でそういう症状は報告されてない、ということはわかった。 環境依存の問題についてサポートは無理、ということのようで、 これ以上は情報は得られない印象。仕組みから言って何が考えられるかを 聞きたいんだが、それを答える気はないらしい。 他のマシンに入れてみろ、ということだが、それライセンス的にいいの? サポートでそう言うんだからたぶんいいんだろう。

サポートが別会社。販売が2箇所あって、ソフトの更新も 販売元別。なんでそんなことになってんだこの会社。

そろそろnasneの容量がいっぱいになってきて、 いろいろ物も貯まってきたので、こっちに移行したい。 そうすると、いいかげん試聴ソフトをどうにかせねばならぬ。

Cyberlink社のPowerDVD12及びSoftDMA2が30日以内なら返品可能。 SoftDMA2はライブチューナーが使えないので、 PowerDVD12を試す。返品で変な手数料ないか確認しないと。 まともに動くなら9500円でも払う価値はある。 ブルーレイ見る方法も手に入るし。 アマゾンのレビュー見てるとソフトの出来そのものは悪いみたいだが...

有料の実用ソフトウェアの出来が満足の行くものだったことがない。 何故だ?市場が狭すぎて十分に競争になってないのが原因だろう。 そして、一定以上市場が拡大すると、無料ソフトが出てきて、 おおよそれで十分な状況になって市場が消えてなくなる。 市場が拡大できない状況では有料ソフトがいつまでも残るが、 それは規制の類が邪魔をしているからだろう。

テレビはコンテンツ流通経路としてまだデカイ。 これがもっと没落すればこんな苦労をする必要はなくなる。

実験の順番。DiXiM Digital TV plusを201sの方に入れて同じ症状か見る。 これでマシン依存性がわかる。 で、どちらにしても220でダメなものはダメなので、 PowerDVD12を試す。まともに動けば良し。 ただし返品に妙な条件がないかは確認する。まともに動いても気に入らないなら 返品して良し、ということであればそうする。 それで同じ症状ならDiXiMのせいとは言い難いわけだしな。

でも、テレビを買ったら負けだと思っている。

何かゲロのような臭いがするなあと思ったら、ウェストポーチだ。 洗剤で洗ったはずなのに、まだ臭い。

コンピュータは難しいなあ。メールアカウントの設定とか、 ドメイン移行とか、もう正直さっぱりわからん。 数年に一回しか問題にならないので、全く覚えられない。 まあ、終わったからいいや。 また数年後に困るんだろう。

ホタテ味噌汁。ホタテ500g、水500ml、豆味噌32g、のみ。 これ、うまいなあ。ネギが尽きていたのが残念だ。 それにしてもオタマは汁を飲まない。 具は食べるので、おいおいだな。

技術者、研究者、マネジメント、と3種類の道があるとすると、 私は適性的には研究者なんだろうとは思う。 根源欲求は「物を理解したい」であって、「物を作りたい」ではないからだ。 技術者は物を作ってナンボだが、私は本質的にはできたものに興味がない。 技術者で生きようと思えば二流止まりだろう。 しかし研究者は金を生めない。 まして会社という組織に入った以上、金を度外視することはできない。 だから、研究者という生き方は半ば封じられている。 仮に研究者をやるとしても、 現実には考えることより調べることや覚えることが重視される 分野の方が多く、私が力を発揮できる分野はそれほど多くない。 となると、もう一つ残った道を試してみたくなるわけだ。 三つのうちで一番向いてない気はしなくもないが、 技術者よりはマシかもしれない。 絶対的な適性以外に、需要と供給の問題もある。 マネジメントの人間が不足しているならば、多少劣っても価値は上がる。 見た感じ、技術者はあふれていて、しかも勝てそうにない。

もう一つ、教育者というのもあるが、これはますます金を生まない。 会社の中では一番役に立たない職種だ。 加えて、純粋な教育者はありえない。教育者として有能であるためには、 一定以上には技術者だったり研究者だったり マネジメントだったりせねばならないからだ。 そうでなければ急激に時代から取り残されていく。 とすれば、教育者である前に、他の何かとしてそれなりの業績を上げねばならない。 今後5年の間に何かを確立せんとその後の人生がヤバい。

預金の金利にかかる税率が25年間上がるそうだ。 復興税らしい。まともに使えなくて余らせたり、全然関係ない用途に使ってる ことからして、単なる増税であり、復興は単なる口実だろう。 なにせ復興予算を他のことに使ってはいけないというルールはないらしいからな。

夜は二年物味噌リベンジ。鮭ハラミ、ネギ、ほうれんそう。 いわゆる赤だしでうまいのだが、豆味噌ほどの深みがない。 次は一年物で作ってみるか。 もしかしたら米味噌の限界はこのあたりなのかもしれん。

普通に言っただけなんだがなあ。結婚ってそういうものだろう。 ハチクロの先生のプロポーズはそれほど大袈裟なものではあるまい。

オタマは素敵だ。のびのび育ってほしい。多少変な奴扱いされてもいい。 嫌な奴の言うことを聞かなくても生きていけるだけの力が身につけば、 きっと楽しく生きられる。私がオタマにやれるのはそれくらいだ。

2012年11月04日

アマゾンからsuicaのペンギンの絵本が届いた。 誰からかわからない。 ありがとう。オタマはペンギンがブームなので夢中である。

つうか、オタマ以上にひつじこが夢中だな。suicaのペンギンの イラストは本当にかわいい。

まあいきなりアマゾンで絵本を送りつけてくる奴なんて一人しかいない。 毎度、どうやって礼をしたものかと思う。

昨日は家族3人電車で移動して、遠くの公園で遊んだ。 のだが、朝からオタマは若干調子が悪かった。 そして帰り、電車で吐いた。 私がだっこしていたので、私とオタマの隙間でゲロを受け止めた感じ。 ほとんど床に落ちなかった。 なんか口臭いなあこいつ、と思ってはいたが、 なるほどゲロの臭いだったわけだ。 ゲロがゲル状で液状じゃなかったのが救いだが、量は多い。 蒲田で降りて、ホームで着替えをさせて、あとは家まで歩いた。 吐いたオタマはめっきり元気になったのだが、 だっこが気に入ったらしく、降りようとしない。 2km以上15kgのオタマを抱えて歩いた。ひどい。 「降りよう?」「いやだ」「なんだってーっ」「ゲラゲラゲラ」 を10回以上繰り返した。

家に帰ってゲロ服を浴槽に放りこんで洗う。 元々洗う予定だったものも合わせると、一度で乾燥しきれないほどの量 になった。持っていたぬいぐるみまでゲロまみれになったのと、 かさだかい上着がやられたのが大きい。 私は祖母に花の手配をせねばならんので、花屋へ。 だが、いつもならウェストポーチに電話を入れるところが、 ウェストポーチが中までゲロ汚染されたためにポケットに電話を入れた。 そして、落とした。

いろいろあったが、結局は交番に行ったらすでに届けられていて、助かった。 おまわりさんと世間話をして帰宅。 最近はせちがらい世の中で大変らしい。 警察官を地域の一員をみなさない人が増えている。 そもそも地域という概念がなく、隣が誰かすらわからないのが 都会だ。このあたりは町工場が多く比較的地域の概念が保たれていたのだが、 グローバル化の進展に伴ってそれも虫の息である。

仕方ないよなあ。止めようがない。止めようとして逆らえば、 途上国に割を食わせることになる上に、この国も沈むことになる。 しかし、地域の分解を防ぐことは必要なことだ。 世界中で課題になる。

それにしてもappleが取りにこない。また電話しないとダメだなこれは

無線LANをIntelの6200に入れ換えた。秒間9MBとか出る。 そして、bluetoothスピーカーを妨げない。最高。

ひどい筋肉痛だが、今日は大田フェスタで、 平和島まで自転車をこいでウサギやヤギを見に行かねばならんのだ。 オタマは皮膚の調子は悪いものの、機嫌は良く元気である。 ということは、外に行かないとダメだということだ。 家の中で退屈させておくとストレスでボリボリひっかいて余計に悪化する。 こいつの皮膚の問題は、ほぼ完全にひっかき傷だ。 顔をこすったりひっかいたりするのが趣味というかクセになっている。 リストカット少女の入り口みたいで嫌だな。

牛とやぎと羊とモルモットとうさぎに触ってきた。 オタマはデカい動物は怖がって近づけなかった。 うさぎとモルモットだけ。 モルモットやうさぎが子供達の手を逃れるために ひつじこの尻の下に避難してくるのが面白かった。 ひつじこは動物に好かれすぎる。

納豆は成功に思える。妙な味はしない。アミノ酸への分解も進んでいる。 表面の納豆が乾燥しすぎて食感がグニグニしていかんことくらいだ。 これは定期的にかきまぜてやればいいのだろう。 さて、発酵物全般に言えることだが、食べて大丈夫なのか を確実に確かめる方法がない。

糸引いてればおおよそ大丈夫らしい。糸は引いているが、 市販品レベルとは言い難いかもしれない。 発酵が甘い気はするな。24時間後にはほぼ室温だった。 熱湯の密封が甘いので湿度も高かったし。

殺菌が重要と言われるが、開始時の菌数から言って納豆菌が 圧倒的なはずだ。ちょっと付着してました、程度の菌数では、 ごっそり混ぜた納豆菌には及ぶべくもない。 重要なのはその後の条件だろう。納豆菌よりも 速く分裂できる菌がいれば、納豆菌は負けてしまう。 最初の菌数など大した問題ではないのではないか。 なお、高温では納豆菌が圧勝。70度でも分裂できる菌など そうはいない。だいたい肉の加熱殺菌は63度なのだ。 なので、最初豆が熱い間は納豆菌の独壇場である。 また、発泡スチロール箱の中に熱湯を入れるなどして 高温にしておけば、なおさら納豆菌が優位に立てる。 あと気をつけるべきは湿度というか水。 水の中では酸素に触れられず分裂できない。 水滴が落ちないように注意する必要がある。 最初に納豆菌を湯で溶いてかける場合は湯の量に注意する必要がある。 まあこれについては、継続的に作っていくなら菌の粉を買えばいいんだろう。 そうすえば粉のまま蒸した豆にふりかければ済む。

というわけで、次作る時は温度管理と湿度管理にもう少し気を使う。 あと、納豆菌を買う。今回の納豆はおよそ1kgくらいで、 500mlタッパー3杯分となった。2個を冷凍。1個は冷蔵で、一週間くらい で食べ切る。

アトランティックサーモンのハラミ5kg到着。 脂としか言いようがない。オメガ3脂はこれで万全だ。 そのまま刺身、焼き、味噌汁に投入、というあたりだな。 80gづつ個別包装されているので、かなり保つだろうし、 使い勝手もいい。問題はオタマが順調に食べてくれるかどうかだな。

キロ2500円超えの豆味噌で味噌汁。具はオクラ、ネギ、ワカメ。 少しのじゃこと鰹節の粉を放りこんでダシを増強。 うまい。豆味噌は味噌汁には最強かもしれん。 そのまま食べる時には甘味が弱くにおいが強いこともあって 合わせられる食べ物が限られるが、汁にすると具と調和して素晴らしい。

一年物1750、二年物2100、麦1540、豆2600。 今回買った味噌のキロ単価。味噌の消費量なんてたかだか一日50gで、 年20kgがいいところだ。年5万は払えない額ではない。 しかし、味噌という枠で考えれば、スーパーの普通の味噌は キロ単価300円からであり、それなりに真面目に作ってそれなりに 熟成しているものでもキロ600円かそこらである。 だが、その600円のものと今回のものでは差が歴然としている。 自作でこの差を埋められるか。

2012年11月02日

異動。労働環境がそれなりに変わる予定。 本書き続けられるのかな。ダメなら家でやる他ない。 まだ終わらせられていない私が悪いのだが。 なんでこんなに集中できないんだろう。

名刺って、どう使うんだろ。どういう役割があるんだろ。 正直わからない。 数十人以上とつながりを持って仕事をしていく、ということが どうもわからない。根本的に向いてないんだろう。

ゴミ捨てまくり。借りっぱなしの本、どうやって返そう。 次のCEDECまで返さないのはどうかと思うし。

atomとcortex-A9がコアとクロックあたりの性能がおおよそ同じ、 という感じらしい。atomはさすがにもうちょっとどうにかしないと マズいだろうと思うが、何をどうやっても命令デコードが 足をひっぱるんだろう。

FreeBSDを動かす分にはx86じゃなくていいので、 armのマザーボードを誰か出してくれ。 同性能で電気を食わないなら歓迎。

個人が家にunix系OSでサーバを立てるとなるとPCにならざるを得ず、 現状x86しか選択肢がない。 そのうちAndroid機に他のOSを入れられるようになったり するのか。それとも、Androidの下の方で動いているunix部に そのままアクセスしてどうこうできるようになるのか。

と思ってちょっと調べたら、root権限をゲットする方法があったりもするらしい。 でもさすがに普通にapache動かしたりするのはしんどいかもしれん。 結局テラ量のストレージが欲しいとかなると箱PC組むしかないわけだし。

適当に買ってきたものが欲求を十分満たすようになれば、自作する意義はない。 性能要求で自作する人は減る運命にあるし、 省スペース、省電力みたいなものもノートに勝てるものではない。 部品点数は減る方向にしか行かないわけで、組み合わせる余地も減る。 すでにメモリはどうでも良くなりつつあり、GPUも内蔵がメインだ。 HDDも多くの用途では足りていて、 いずれSSDが主流になればマザーに直付けした方が安くて速くなるかもしれない。 USBに何を差すかくらいしか差がなくなるとしたら、自作なんてものは残るのか。 実際、私がサーバ用に自作をせざるを得ないのは、2.5インチHDDを2台 ミラーリングする必要があるからだ。 この要求がなければ、適当なノートPCで全く問題ないし、 画面やキーボード、バッテリーがついている分その方が都合がいい。

temashだかkabiniだかのmini-ITXマザーが出たらサーバを増強しよう。 atom N2800でいいかと思ったが、64bitに対応していないらしく、 FreeBSDがamd64で入れられないらしい。 メモリを8GB積んだりする予定もないので実害はないが、 なんかガッカリなので買わない。AMDに期待。 HDDもその頃にはプラッタ1枚1テラになってたらいいのになあ。 できれば7mm厚のにしたいわけで。

私の本読んでうちの会社に来てくれて、それでたくさん稼いでくれれば、 私の仕事も会社に貢献できたことになる。是非そうなってくれ。 今度の本に関してはそうなるのは10年後かもしれんが。 前の本読んでうちに来た人とか、まだいないかなあ。 もしいるなら会いたいものだ。そうすれば多少は癒される。

なんか急に癒された。この本を望んでる人がいるらしい。 最後にその言葉が聞けて良かった。このあたり一帯の人とは 月曜でお別れすることになる。二度と会わない人も多く出てくるだろう。 なんか挨拶らしいことをしてないのが申しわけなく思えてきた。 柄でもないか。

2012年11月01日

モラルハザードのコストをどれくらいに見積るかは難しい問題だ。 無能な人について、 教育して使えるようにしようとするためのコストは 窓際においやって給料をくれてやるコストよりよほど高い、 と言う人はよくいる。教育したが使えなくて邪魔になる、 なんてことになると余計にコストがかかるから、 これはたぶん正しい。しかし、「何もしなくても給料をもらえる人がいる」 ということが組織に及ぼす害というのはあるわけで、 「じゃあオレもそれでいいや」と思う人が次々と現れるかもしれない。 これをどう見積るべきか。

私はモラルハザードのコストは大きく見積るべきだと思う。 長期的な影響は見積りにくく、過小評価しやすい。 だから意図的に過大評価しておくくらいの方がいい。

ひつじこが牛乳の味を覚えた。 こうなるともはや牛乳はコモディティではない。 安定して手に入るブランドのもので どれなら我慢できるかを比べて試さないとな。 しかし、200円以上払うなら260円でもいい気はしてくる。 メグミルクとか明治とかは生産者がどこにいるかよくわからんわけで、 そういうものに200円払うのもどうかという気はする。 一番いいのは賞味期限スレスレの260円牛乳を割引で買うことなのだが。

たまに自分の本の書評を見つける。 PS2がバックグラウンドだからSTLとかBoostとかに疎くて、 doubleでなくてfloatなんかを使ってるんだろう、 とか書かれてるわけだが、 おまえら携帯ゲーム機で作ってみろとよと言いたい。 数百MHz級でメモリが100MBも使えないようなマシンは ちょっと前までゴロゴロしていた。 あの本を出したのは2008年だが、 私は2011年までそういう機械で作っていたのだ。 それに、据置きだって大して速いわけではないぞ。 3GHzあってもインオーダーだ。メモリだってどうせ大半は テクスチャに持っていかれるから、大して残らない。 というか、Unityで高速化する努力があれだけ語られている現状を見るに、 数年のうちに「十分な性能」なんてものが手に入る見込みは薄いと思う。 C++ネイティブ開発が廃れてゲームエンジンやら何やらが 支配する世の中になったとしても、 ああいうチクチクした高速化はいつまでも行われるのだろう。

gmailのインターフェイスが変わったが、あまりうれしくないなこれ。 まあでも行が長くなりすぎるのを防げるのはいいか。

朝納豆を仕込んだ。発泡スチロール箱にアルミバットを入れ、 一時間圧力鍋で蒸した大豆を浅く盛り、アルミ箔をなんとなくかぶせる。 湯をわかしてタッパーに入れたものを一緒に入れる。およそ2.5L。 これで24時間くらいだったっけか?

IGZO液晶は頻繁に書き換えなくてもいいらしい。 もし画面の一部だけ書き換えることができるなら データ転送量はさらに減るだろう。 描画側も差分だけ描くような作りにしていけば 電気を無駄に食わなくなるんだろうし。 ゲームは毎フレーム何もかも描き直してるが、 タイル単位で描き換えの有無をチェックするとか、 動き補償みたいなのを入れてスクロールに対処できるようにするとか すると電気をもっと食わなくなるのかもしれない。 3Dゲームの場合は絶望的だが、 コンピュータの用途として3Dゲームなんてレアケースなわけで、 普通の使い方で電気を食わなくする工夫はもっとされていいんだろう。 また、3Dゲームであっても、タイトル画面とかポーズ画面とかの消費電力を 減らす工夫は求められるはずだ。 動きのない画面は古くさい、ということで意味もなく背景で物を 動かしたくなったりもするのだが、 そろそろ電気のことも考えるべきだろう。

つうか、携帯機器向けのゲームは多少画質その他を犠牲にしてでも 電力消費を減らすことを選べるようにしてやるべきだと思うんだよな。 シェーダを簡略化する、飾りにしかならないシミュレーションをやめる、 解像度を落とす、描画のフレームレートを落とす、 演出を簡略化する、といった簡単な工夫で消費電力は劇的に減る。 ユーザには選ぶ権利があるだろう。 電力云々以前に待ち時間を減らす意味でもそういうオプションが欲しいけどな。

もし据置きで作るとしても、 時期的に考えて負荷に応じて消費電力が変化するチップを積んでいるはずだ。 電気代、熱、騒音などを考えれば消費電力に無頓着でいていいとは言えない。 もっとも、わざわざ据置きで遊ぶのは電気を使わないとできない体験をするためだ、 とも言えるので、無理をして電気を削って品質を落とす必要はないのだろうが。

VRAMがGPUの中に入れば転送や書きこみの電力が劇的に減るから、 タイルごとに変更チェックするとか、圧縮転送するとかいう手間を かける必要はなくなるのか。でもそうなるのが10年とか先になるなら そういう工夫に価値が出てくる。 本当、採るべき手段は問題と状況で大きく変わるな。 特定の状況の最適解を深く学びすぎると、 状況が変わったことに気づかない怖さがある。 なぜ、何のためにそうするのか、ということを常に考えたい。 「こういう時はこうするのがいい」をたくさん記憶するやり方は他人に任せる。 私はそういう物知りを使う側になろう。

自分がいい仕事ができるだけでは不足で、自分ができるようになったことを、 はるかに小さなコストで他人もできるようになる道を作ることも 一緒にやらないといけない。 誰かに教えることまで見越して学ぶ必要がある。 私ができりゃいいというものではない。 歩き方や走り方についても同じことが言えるし、 料理についてもそれは言えるはずだ。

現状私はひつじこが容易に再現できるような形に料理法をまとめていない。 これはダメだ。と言っても、現状はオタマの世話があるので ひつじこが料理をする必要も余裕もなく、今はまだこのままでもいい。 ただ、オタマがある程度自律した生き物になった後は、 ひつじこも私と同水準の料理ができるような仕組みを整える必要がある。 職人技であってはいけない。

もちろん、世界一になる、とかいう考えでやる人は教えることなんて放っておいて 自分ができるようになることを優先すればいいんだろう。 しかし、世界一は一人しかいないわけで、世界一になれない人が大半なのだ。 それでも価値があるようなスキルなのであれば、 それは最初から世界一になろうと思わない方がいい。 世界一効率良く歩ける人になる必要はないし、 世界一おいしい料理を作る人になる必要もないのだから。 多数の他人が実行可能なやり方で、必要な水準に達する方法を確立することが必要で、 私が学ぶ時にもそれを意識してやり方を選ぶ必要がある。

その意味で、オリンピック選手が引退して普通の人相手に教える、 みたいなのはたぶんあまり良くない。 最初から必要な水準を安く満たす方法を考えてできるようになった人が 教える方が成果は上がる気がする。 一流の研究者が教えることは、 一流の研究者になりたい人に教える時にだけ価値がある。 それなりなレベルになればいい人に教えるなら、一流の人はいらない。 下手をすると害になる。

空手道場にしても、競技者になる人を教えるのと、それなりに強くなりたい人を 教えるのでは違う指導者が必要なんだろうな。 最大値が高ければいいのと、平均値が高くないといけないのでは話が全然違う。 逆に、科学的で効果の高いトレーニング、 みたいなのを競技者にやらせてもダメなんだろう。 木村政彦の話とか聞いてると、 競技者になるというのはそういうことではないんだろうという 気がする。

私は一流のプログラマじゃなくていい。 一流のプログラマは本なんて書いてる暇があったらプログラムを書いて 世界に貢献すべきだ。

音楽だけはそういうことを考えずに自分一人で好き放題やろうと思ったのかもしれん。 だからオタマが気に入るようなやり方でピアノを弾く気になれんのだろう。 私が好き放題やってるのを見てオタマが弾きたくなるならそれでいいし、 そうならなければそれでもいいと思っていた。 しかし、自分のためだけにピアノを弾くことが許される状況ではない。 ならば音楽は捨てる他ない。

私にとって音楽は大切すぎるのだろう。 プログラミングや料理に関しては私に誇りなどない。 私を追い抜いていく人が多ければ多いほど、私の価値が上がる。 だが、音楽に関してだけはそうは思えない。 私は音楽教師だけはできないのだと思う。

そうか。私が音楽に対して思うようなことを、 プログラミングに対して思う奴が、本当のプログラマなのか。 そりゃ使いにくい人種だなと思うが、 そういう奴を見事に利用できた時、すごいものができる。 そうなるようにマネジメントすることが組織の使命なんだろう。

クリームチーズにイチゴやらブルーベリーを乗せて食べると結構チーズケーキ感がある。 レモンを香りづけ程度に混ぜてもいいし、 食感を軽くするならクリームと混ぜて泡立ててゼラチンで固めてもいいんだろう。 砂糖はなくてもいいんじゃなかろうか。

塩大福は塩がきつめの方がうまい。だが、そういう製品はあまり多くない。 糀谷駅から北に少し行ったところにある和菓子屋の塩大福はかなりしょっぱく、 いかにも塩大福を食ったという感じになって満足できる。餅もうまい。

大福自体がアウトなんだけどな。糖質制限的に。てきめんに眠くなる。

納豆載せたアルミバットとアルミ箔を滅菌してないな。 でもまあ、納豆菌との数の差が大きすぎて問題ではないだろ。 これで雑菌が繁殖して腐るとすれば、 それは雑菌の繁殖速度が勝ったということで、条件が間違っている。 たぶん納豆が失敗する理由のほとんどは温度が低すぎたか、酸素が足りないかの どちらかだろう。あとは水分が多すぎるというのもあるらしい。マジか。

納豆菌は70度でもそれなりに分裂するそうである。 ならば高温になりすぎてマズいことはあるまい。 発泡スチロール容器の保温性能など高が知れているわけで、 できるだけ高温にしてやった方がいいだろう。

納豆のネバネバは納豆菌の保存食らしい。他の菌は食べにくいが、 納豆菌は食べて栄養にできるのだそうだ。 対数増殖期が終わって栄養が乏しくなってきた頃から ねばりが出始めるのは、後々に備えて保存食を作るからなのだという。 発酵時間を長くしすぎるとねばりが消えてくるらしいが、 これは保存食を食べてしまうかららしい。 おおよそ、表面が白く覆われた頃が完成ということなのだろう。 その頃には増殖は終わり、保存食づくりもおおよそ終わる。 今回は大粒なこともあるし、36時間としよう。明日の夜9時に 冷蔵庫に入れて発酵を止める。 二日くらいアンモニアを放出させ、 その後小分けして冷凍。 冷蔵庫の中の臭いがえらいことになりそうだ。活性炭でも買ってくるべきか。

大豆の原型が残っている状態でも栄養が枯渇して増殖が止まるんだな。 大豆の大半は食えないということか。内部に入りこめないのか、 水やら酸素やらミネラルやらが足りなくて進めなくなるのか。

味噌、作るべきな気がしてきた。麹が多い甘味噌なら発酵時間はさほどでもない。 今仕込めば春には食える状態になる。問題は、量だ。 月あたり500gとか食うかと言われると甚だ怪しい。 手間から考えて5kgくらい作るべきなわけだが、それ一年で食い切れるのか。 というか、月500gしか食べないなら高いのを買っても大した問題じゃないんだよな。 桶という初期投資も結構高いし。やっぱ趣味だな。だが、やる方向で考える。

独立型のGPUボードの性能がCPU統合型に勝てなくなるタイミングがいつ来るか楽しみだ。 CPU-GPUのデータ転送コストが統合型において圧倒的に下がれば、 統合型の方が良いケースが出てくる。 電力効率最優先で技術開発がされている昨今の流れを考えれば、 CPU-GPUのバスを通したデータ転送なんてものは真っ先に目をつけられて 削られるべきものだ。 もちろん、CPU-GPU転送が少ないアプリにおいては独立GPUの価値が大きくなるが、 転送コストが下がることでGPUの汎用利用が促進されれば、 それが統合型への移行を促すことになる。 ハイエンドGPUなんて豪華ゲームとハイエンド計算くらいしか需要ないだろうが、 そのうち豪華ゲームに関してはGPU汎用計算にすぐシフトしそうな気はする。 ハイエンド計算にしてもCPU側の直列計算部とGPU側の並列計算部の 接続コストが問題になってるようであれば、対応は速いだろう。

羊のあばら肉が100g129円だったので買ってきた。 脂が落ちると惜しいので、アルミ箔に乗せてグリルした。 うまい。脂がうまい。しかも胃に重くない。 鶏肉にある重さ、気持ち悪さがない。 羊を見直すべきだ。キロ1000円でごっそり買えないものか。 なお、肉はやはり塊で食うべきだ。薄く切ると火が通りすぎるし、 味も抜けやすい。

羊肉は脂の融点が高く、おいしく食べられる温度帯が狭い。 冷えればすぐに脂が固まる。 だから、冷めないように供する工夫がいるわけだ。 まあ、さっさと食えばいいだけの話なんだけどな。 なお、これがついた器を洗うのは大変である。 合成洗剤は分子が短いので羊や牛の脂は落としにくい。 これに関しては石鹸+お湯がいい。

マルカワ味噌食べ比べ。麦味噌、米味噌1年物、米味噌2年物、豆味噌、塩麹。 キュウリにつけて食べた。 麦味噌は甘そうな感じの香りがいい。 1年物の米味噌は良く知っている味噌でありながら、圧倒的にうまい。 正しく「うまい味噌」である。 2年物は熟成した日本酒と同じく老ねた香りと味わいだが、丸みが増してうまい。 豆味噌はアミノ酸が刺さるほど強く、香りも独特。 塩麹は熟成時間が短いために塩が立っているが、麹の風味が新鮮だ。

1年物がやはり基準。これほどの味ではなくとも、この路線のものは常に 置いておいて頻繁に食べたい。 豆味噌は炒め物に入れたい。麦味噌は香りがいいので、非加熱で食べたい。 ナスやキュウリ、真空調理肉に合う。明日は鮭にも用いてみよう。 2年物は味噌汁が良いのではなかろうか。これも明日試す。 塩麹はドレッシング的な用途だが、塩が立っているので若干使いにくい。 レタス等のサラダが良いかと思われる。また、肉にも合う。魚にも合うだろう。

自作するか。二日かけて仕込んでしまえば、あとは一年間放置するだけなので 場所を食う以外に手間はない。 問題はマルカワから高価上等な原料を買うか、適当に安いのを集めるかだな。 市販の味噌がイマイチなのは、原料云々以前に熟成期間が短すぎることが主因だろう から、安い材料でも時間さえかければかなりマシになると思われる。 海水由来の塩、国内産の大豆、玄米麹、軟水、 といったあたりを使えば、工業生産品よりはよほどマシなものが出来るはずで、 有機栽培の大豆や、岩塩、井戸水を使わなくてもそこそこにはなるだろう。 そう考えると、麹だけをマルカワから買い、他は自力調達するのが良いように思える。 発酵させる菌は味を大きく左右するはずなので、 ここは妥協したくないし、玄米の麹はレアなので他で買っても安くはならないのだ。 あとは桶。マルカワから本気の木桶を買うこともできるが、 6kgサイズで1.2万もする。これはプラスチックかなあ。

texのwrapfigure環境が使い物にならん。latexでは図は余った場所に入れるのが普通だ。 しかし、そうすると「図1はどこにあるんだよ」と探すことになりやすい。 そういう本は嫌いだ。 指定した場所に図を置くというルールは変えずに、その横に余白があれば文章を詰め、 もし図がページからあふれてしまうならそこで改ページする、 というようにしたいわけだが、wrapfigure環境はその要望をかなえてくれない。 ページの下の方にはみだしたまま置いたりする。 加えて、幅の自動測定機能がなく面倒である。 これは作るしかないだろう。しかし、こんな不満はとっくに誰かが感じているはずで、 現状私の要望をかなえるものがないということは、texでは不可能なのかもしれない。 もしこんなことが不可能だと言うなら、 やはりtexは作り直されるべきだということになる。 まあ、ある程度文章ができたら試してみよう。

今回はこっちでおおよそレイアウト案を作ってから渡す予定。 図の横に文章が来てほしいとか、この図とこの図は横に並べてほしいとか、 そういうことは結構ある。 前はtexのデフォルトレイアウトがおおよそそのままになっている。 横に文章を詰めたい場所もたくさんあったが、 どれを詰めて、どれを詰めないのか指定し始めるとえらいことになるので あきらめたのだ。 今度は渡すtexレイアウトPDFの段階で意図が伝わるものにしたい。 単純に絶版後にこのPDFがそのままwebに流通することを期待していたりもする。


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