だだもれ

2012年10月31日

献血の結果が来た。ALTが急上昇。標準値ギリギリ。 糖質制限ごっこの副作用かもしれないので注意。 肝臓の破壊が疑われる。 γ-GTPは13しかないのでアルコールによるものではないようだが。 あと総蛋白が少ないので、蛋白質をもっと増やそう。 HbA1cは4.5で変わらず。ほぼ下限ということだろう。あとは、 白血球や血小板が少ないのが気になるな。 下限に近い。赤血球も多くはない。 いずれにしても蛋白質の摂取量を意識して増やそう。 ただ、献血だと腎機能を見るための検査が入ってないので、 あまり増やすとそっちに負担がかかった時にわからない。

献血が5月まで受けられない。年間1200ml縛りがあるなんて知らなかった。 400mlだけでやるなら4ヶ月空けないとダメということか。 もっと頻繁にやりたければ200mlにすべきで、 その場合は2ヶ月で行ける。200を年6回受ける方がお得か。 でも、向こうにしてみれば手間が増すので400mlにしてほしいだろう。 400mlをやった人には血液検査をタダで受けられます券を1枚配るべきではないだろうか。 そうしないと血液検査目的の人には200にされて余計な手間がかかることになる。 血液検査目的でない人はそんな券は使わないし、券の有効期限を半年くらいにして おけば大半は使わずに消えるだろうから、大したコストにはならないのではないか。 最初は期間限定キャンペーンにでもして予想外のことが起きないか様子を見るのも いいと思う。なんて考えても仕方ないんだけどな。

次から4ヶ月おきにしよう。しばらくは頻繁にやってデータを取りたかったのだが、 仕方ない。

献血の結果を見るサイトはグラフを出してくれるが、何故棒グラフ。 折れ線にすべきだろこれは。 もっとも理由はわかる。折れ線グラフの方が動的に 生成するプログラムが面倒くさいからだろう。 棒グラフなら独立に長さパラメータだけ変えれば済むが、 折れ線はそうは行かない。適当なJavascriptであっさり描ける気はするんだが、 私は知識がないので断言はできない。

メモリがCPUやGPUのチップの中に入るようになると劇的に変わるんだろうな。 とりあえずタイルベースのGPUはなくなりそうだ。 あれはデータ転送の速度と消費電力が十分でない時に合理的なやり方っぽいし。 360みたいにフレームバッファ専用メモリがあるやり方は ゲーム機では良く見るが、それ以外であまり見ないのは 高解像度を考えた時に厄介だからだろうか。 ゲーム機なら「D4出ればいいや」みたいに割り切れるが、他はそうは行かない。 100メガくらいなら今すぐ入れられるのかもしれんが、 100メガだと2560x1440のHDRでMSAAなバッファを一回で描けない。 4K2Kを見越して考えるならギガ量いるんだろう。まだまだ遠いか。

4K2Kって1920x1080の4倍だよな。4倍性能があってもそれだけで持っていかれる。 なんて割に合わない使い方なんだろう。 周波数ドメインで描画できたらいいのに。無理だが。

周波数が低い成分の計算頻度を落とす工夫はもちろんする。 CPUと頂点シェーダとピクセルシェーダ、という3段階が古典的だが、 テッセレーションが実用になるならこれを使うことで段階を増やせる。 しかしこれを調整する手間はかなり大きい。

レンダリングは本質的に空間ドメインにおける現象であって、 動画のような完成品を周波数ドメインに変換することはできても、 一つづつ物を足して絵を作っていく過程を丸ごと周波数ドメインでやるのは無理だ。 物を一つづつフーリエ変換しては周波数ドメインで描画し、 最後に逆フーリエ変換すると絵が完成する、なんて無理だろ。 だいたい周波数ドメインでライティングとか、 周波数ドメインでテクスチャを貼るとか、 意味がわからない。 ちくちく計算頻度を変えるしかないんだろうな。 レイトレなら物という概念が消えるので多少はやりやすそうな気もするが。

輪郭が最悪。輪郭は無限に高周波だが、その内側は低周波成分しかない。 輪郭に合わせてピクセル単位演算をしないとしゃーないわけだが、 内側に関してピクセル単位演算をするのはどうしようもなく無駄だ。 木とかで適応型の再帰分割して計算頻度を調整するような方法はありうるのか? いやー無理だろ。ライティングもスペキュラ部で高解像度演算、それ以外の 全然光ってないところは低解像度演算、みたいなことが自動でできたらいいんだろうが、 無理くさい。低解像度で描画して、変化率が高ければそこを倍解像度で描画、 みたいなことをしようとしても、スペキュラが鋭すぎれば変化を捉えきれなくなる。 なんか素敵なサンプリングで改善できたりはするんだろうが、 時間方向に不連続になってじらじらしそうな気もするし。

まあ、CPUでレンダラーを書くことがあればいろいろやってみよう。 いつになるかなあ。できれば来年前半にやってしまいたいのだが、本業次第か。

糖質制限によって、30kmくらい水だけ補給で走れるようになった、という報告が 夏井氏のところにあった。 脂肪の貯蓄量はたかだか数十キロ走る程度で枯渇するような量ではないので、 問題は貯蓄量ではなく燃焼速度ということになる。 燃焼速度が許すエネルギー消費速度で収まっていれば、それでいいというわけだ。 試してみないといかんなあ。今の私は何キロ走れるんだろう。 10km以上連続で走ったことはないわけだが、走れるのだろうか。

統計的に見れば、人は変わらない。社会の変化は人の変化ではなく人の入れ換わり、 つまり世代交代によって起こる。 なので、社会の変化は技術が変わっても加速しない。 開発した技術が浸透するのにかかる時間は 短くなってはいない。受け入れる側だけでなく、 技術を生み出した人間がそれに対応するのにかかる時間も考えねばならない。 さて、ゲーム機でゲームをしている人は、 ソーシャルに移っていくのか。移っているのか。 これは統計を見ないとわからないが、 世代交代の速度でしか衰退しないとするならば、 ゲーム専用機はそう簡単には死なないことになる。 加えて、シフトを急ぎすぎると、作る側の人間の世代交代も間に合わず、自滅する。 組織は安易に外科手術をしてはいけない。次の枝を掴む前に枝から手を離せば落ちる。 のだが、シフトが遅れると博打に出る以外に 手がなくなるところまで追いこまれてしまう。 まあ、その段階でアウトなんだろうが。 企業が小さいうちは仕方ないにしても、 一定以上大きくなった後は博打であってはならないのではなかろうか。

シャープ大丈夫かなあ。大丈夫じゃないよなあ。でもIGZOはノートPCに積んでほしい。

社長になれんかなあ。社長が何やってるのか知りたい。 そのためには社長になるのが一番確実だ。しかし、なるために努力する気になれんし、 もしやろうと思えば会社を作る以外に手がない。無理。

長距離走る時の最大の障害は足に豆ができることだろう。 その次はふくらはぎの疲労。どちらも何かが間違っているせいだ。 変にかばうと今度は膝に来る可能性もある。 とりあえず10km走ってみないとわからないな。いつやろうか。

ドラクエ7は悪い評判ばかりで、その理由も納得できるものだが、 私はそんなに嫌いでもない。 まずフリーズだが、私も二回食らった。 宿屋に泊まるのがあんなにスリリングなゲームは後にも先にもない。 しかし3DS版ではまさかそんなことはないだろう。 ボスが異様に強いのも確かに辛かった。 4人パーティで行くべきダンジョンに3人でつっこめてしまい、 しかもボスを倒すまで出られない。 2時間以上そこで足止めを食ってレベル上げをした覚えがある。 石版集めが苦痛というのは私はそれほど感じなかった。 確かに水増し感は強かったが、しかしそれぞれの小さなシナリオは いい具合にスパイシーで良かった。あの苦味がたまらない。 堀井節の暗黒面を楽しむなら7だろう。

正直私は8の方が好きになれない。戦闘中にロードが走る。技や魔法に時間がかかる。 ストーリーに黒さや悲しみを感じない。3Dが大してうれしくない。 開発コストは7に比べてどれだけ大きくなったんだろうなあ、なんて思うわけだが、 それだけ得る喜びが大きくなったような気はしない。 作るのは大変だっただろうけどなあ。 なお、メタルスライムのグレアエフェクトがやけに綺麗で、 今思えばあんなのどうやってPS2でやるんだろうと思う。 頂点シェーダしかないんだぞあれ。

WiiU出たらバーチャルコンソールでたくさん遊ぶんだ... 3DSもダウンロードソフトに気になるのが結構あるんだよな...

仮にWiiU買っても当分つなぐモニタというかテレビというかを買わない気がする。 Wiiのソフトをあのコントローラだけでできることが確認できればだが。

納豆は自作化したい。圧倒的に安くなる。 キロ100円ちょいまで落ちるから、市販品が最安で200g100円とすれば 5分の1になる。一方味噌だが、一年かかるのはやりすぎ。 あと、味噌臭を発する樽をマンションの一室に置くのはどうかと思う。

やりたいけどな。いい奴は買うと高くつきすぎるので。 今回買った奴はキロ2000円超えだ。さすがに常食できん。 自作すればこのコストがかなり落ちる。 しかし、やっぱり無理。一年先のことなんてわからないし、 失敗のダメージを考えると複数の樽を用意せねばならない。 そんなのんきな生活をできる身分じゃない。

麦味噌味見。うまい。なんだろうこの不思議な甘味は。 塩麹味見。うまい。酒っぽい風味があるが、別にエタノールが入っている わけではないのだよな。 どちらもダシ調味料として申し分なく使える。 今日は鶏肉につけて食べたが、 野菜でもうまいだろう。だが、高すぎて肉の漬け込みには使えん。 その用途にはもったいなさすぎる。

2012年10月30日

結構な頻度でwindowsがフリーズして、しばらく置いておくと再起動される。 数日に一回くらい。これがこのままなら外でのプレゼンには使えない。 SSDのせいなのか。それ以外考えられない。

無線LANモジュールって取り換えられるのか。ちょっと調べよう。

鶏肉。胸肉であっても胃に重い。何かいけないものを食べている感覚。 肉の質の問題なのか、鶏である限りどうにもならないのか。 それを知るために地鶏でも買ってみるかと思ったが、 キロ3000円。それくらいするよなあと納得はするが、買えない。 とりあえず次は皮を捨てよう。たぶん脂だ。 それで大丈夫ならささみにするしかない。 豚の脂でこういう感蝕はないのだがなあ。

トリウム原子炉の記事を読んだ。なんでもいいんだが、 原子炉はまだまだ改善の余地がある未熟な技術だ。 しかし、国防やら何やらのかねあいで自由な研究開発ができず、 競争のメリットも受けられない。だから、技術が未熟なまま何十年も放置され、 ああやって爆発することになった。そういうことなんじゃないのか。 もっと盛んに研究開発してコストダウンと品質向上がなされていれば あんなことにはならなかったんじゃないのか。 しかし今となってはもはや核を使うのは絶望的であり、 だましだまし古いのを使ったり、修理と称してこっそり新型に取り替えたり していくしかない。5年もすればみんなコロリと忘れるだろうから、 その頃には多少やりやすくはなるだろうが。 しかし、その間に太陽電池や地熱が使い物になる状況にならないようだと 結構辛そう。

太陽電池は研究しておいて損はない。 しかし、エネルギー効率は今の10倍にもならないし、 一定以上安くなれば今度は土地が制約条件になる。 単体で主力になるとは思えない。風力も同様だ。 しかし、蓄電池が安くなりさえすれば、どちらも使い道が大きく広がる。 でも、化学反応ベースの電池ってそんなに改善する余地があるんだろうか。

風車が回る運動エネルギーで何かデカいものを回しておいて、 必要に応じてそこから発電する、というなら、運動エネルギーのまま貯められる。 太陽熱で何かを温めておいて、そこから発電する、というなら熱のまま貯められる。 電気ができた場合も、水を電気分解して水素を貯めておくこともできる。 しかし、それよりも電気で貯める方がいいくらいには 電池が進歩したということなんだよな。

体重が60kgを切る日がある。さすがにマズいか。

SKKの辞書をネットワーク上に置いて 適当な頻度で同期するようにできたらいいのになあ。 変換の度にサーバに聞くのは遅いし無駄だ。 そういうのすでにあるかな。

会社の社長がインタビューとかで答えてたりするが、 その会社の人がそのインタビュー読んで驚いたり感心したりするようだとマズいよな。 その内容はいつも社員に向かって言っているべきことなのだから。

「公然と事実を摘示して名誉を棄損」。名誉毀損罪の話。 どうも「事実」という言葉の意味が日常語と違うな。 「事実の虚偽は問わない」という文言がwikipediaにあり、 「ウソの事実」という日常語ではありえないものが 法律には存在することになる。ここでいう事実とは、 「何かの情報」くらいの意味でしかないのだろう。 本当のことであっても、それがすでに秘密ではなくなっていても、 「奴はハゲでカツラ」と言えば、それは名誉毀損になる、ということだ。 さて、「ソーシャルゲー向けに絵を書いたがボツになって金を支払われなかった」 とブログに書くことは名誉毀損か?これは微妙だよなあ。 契約が秘密であるならば、それは秘密を漏らす罪になるから、名誉毀損ではない。 「ブログに書くぞ」と言うと、これは脅迫に当たりうる。 しかし、その前段階に「金をもらえてない」 という事情があってもなお脅迫になるのかどうかはさっぱりわからない。

ネットって司法権の分散化の側面がある気がする。何か争いがあったら、晒す。 すると、みんながああだこうだ言うことでどっちが どう悪いのかという空気みたいなものができる。 法的な強制力はなく賠償が発生するわけでもないが、 両者のその後の行動はネットの評判に影響を受けざるを得ない。 なにせ曖昧なので限界はあるが、それほど重要でなく、 判断に白黒つけるのが難しいケースでは このしくみが結構うまく働くような気はする。暴走や操作の危険もあるが、 市場経済がそれなりに動いていることから考えて、たぶんそれなりには動くんだろう。

すでにネットは匿名が支配的な場所ではない。 仮に匿名であったとしても、固定したハンドルがあれば、 それは純然たる匿名とは言い難い。 であれば、こういう司法的なしくみはそれなりに力を持つだろう。 もちろん生身の社会も同じような機能を持っているが、 引っ越しても逃げられないあたりは違う。

立法権とか行政権も分散化できないのかなあ。 行政は企業やボランティア組織の寄与が大きくなれるはずで、 おおよそそういう方向が良いとされている。 最後は立法だ。地球で決めること、国で決めること、 地方で決めること、地域で決めること、組織で決めること、 みたいな区分の境界が変わってくればいいんだろう。 ただ、国単位で決められず、事実上地球全体で決まってしまうことは増えている。 グローバル経済には逆らえない。 地球で決めることと地方で決めることの比率が増せば、 自然と国で決めることは減るだろう。

有機ELってなんでノートPCに使われないんだろう。 数が出ないからバカバカしい、 という話ならデジカメにつくはずもない。 まさか、10インチ程度でも許容できないほど高いのか。 10万かそこらで済むなら薄さとか消費電力次第では売れると思うが、 そういう製品はない。技術的に無理な理由があるのか、 ありえないほど高くなってしまうのか。

facebookみたいなものを作るのって大変なんだろうか。 大変だとして、何がどう大変なんだろうか。全然わからない。 webプログラミングはやってみないとマズいよなあ。 しかし、あれが大変なのはwebプログラミング自体よりもインフラ側な気もする。

無線LANモジュールを取り替えよう。そうか。中身を取り替えればUSBを使わずに済む。 そんなことができるなんて思ってなかった。

2012年10月29日

ヤマト運輸に集荷をおねがいしようとしたが、 PHSお断わりの電話番号しかない。 うちにはPHSしかない。 ネット申し込みをしようとしたが、 荷物がデカくて160cmに納まらない。 そういうものはヤマト便という扱いになるが、 何故かネット申しこみがない。 仕方ないので、がんばって160サイズに納めた。 運賃も安くなったので良かったといえば良かったのだが、 それはそれだ。PHSだけつながらない電話番号があるのは 一体誰が悪いんだ。

こういう時にIT革命がまだ中途半端なのを思い知るな。 実質的に電話が消えるのに、あと何年かかるんだろう。

血圧計を購入。手首式のシチズンの。3000円。 あと、婦人体温計。480回分自動記憶で、 3周期経つと排卵タイミングなどを図示してくれる。 また、felicaでPCにデータを移せる。タニタの。4000円。

甘いものが駄目なら、同じ理由で澱粉も駄目である。 朝からクッキーやあんこを食うのがアウトだと言うならば、 同じ理由で米を食うのもパンを食うのもアウトになる。 澱粉は砂糖と変わらないからだ。 クッキーより白いご飯に栄養がある、という根拠は考えてみればあまりない。 でんぷんの方が吸収が遅いとは言っても、血糖値が急激に上がるには十分だ。 こういう記事は まだ当分はびこるんだろう。何一つ科学的な考察がねえ。

利害調整力、多数派工作力、権力闘争力。これらがないと状況を変えられないと言うが、 それを私が身につけるべきなのか。

太陽電池業界がヤバイことになっているという記事をしょっちゅう読む。 やはり機が熟してなかったんだろう。 他にないかなあ。ドラッカー的にアウトな技術開発。 一見成長分野とか言われてるが機が熟してないものはないか。 逆に、機が熟しているのに手をつけていないネタはないか。

ゲーム関連技術で「これができればこんなに変わるのに」という鍵になる技術ってあるのかなあ。 長年困らされてきた機種依存性の追放はいい具合に進んでいる。 それに関してはブラウザ実行が究極型なんだろう。 いずれブラウザとOSの区別がつかなくなる日も来るかもしれんし。 計算機側のCPU-GPU統合が進んで、GLとCLをブラウザから叩けさえすれば、 性能不足は劇的に軽減する。 ただ、そうなるにはハード・ソフトの両面であと5年はかかるだろう。 旧世界の人間が生き残るために手を打てる時間はそれほど残されていない。 しかし大規模コンシューマに特化した人々にもそれなりの強みはあるわけで、 10年後に使える物を選び出していくべきだ。

ターンAガンダムの小説を読んだが、この別物っぷりはすごいな。 キエルお嬢様が嫉妬マシーンになっている。 アニメの牧歌的な雰囲気は微塵もなく、 人類は殺し合いをしてナンボの生き物であることがしつこく見せられる。 核で収まらず、毒ガスに枯葉剤、ついには月面ビーム兵器で地球の都市を丸ごと蒸発だ。 よくぞここまで別物にしたものだと思う。

SKKをインストールしてみた。しばらくしたら慣れてきた。 こっちの方がいい。google日本語入力は便利すぎる。 変換候補に脳内になかった言葉が入っていると、それに引きずられてしまう。 漢字に変換しすぎる傾向があるし、 送りがなも少なくなりすぎる印象がある。正しい送りがなが何か、 ということについては正直自信がないので、あれでいいのかもしれないのだが。

しかし、便利という意味ではgoogleはすごい。 適当に打っても、それなりな変換結果が返ってくる。 メールとかメモならあれで十分だし、むしろあれがいい。 だが、使い分けるコストを払いたくないし、大切なのは大切な文章の方だ。 なので、skkに一本化することにする。 インストールが面倒なのが欠点だな。 corvusSKKというのを使っている。辞書も適当に入れてくれたらいいのに。

ドラッカーのネクストソサエティを読み直している。

どうしても技術に目が行きがちだが、技術はもう軌道が見えている。 変わるとしたら、その使い方によってだ。また、人口構成が世界をどう変えるか、 ということについてもドラッカーに書いてある以上のことを自分で考えられてはいない。

計算と情報蓄積のコストが劇的に落ちた結果何が起こるのか。 元からできたことが安くなる、というのはとりあえずのことで、 最終的な結果とは言えない。 それが、人の考え方や政治に与える影響は何か、 というところまで考えないとダメなんだろう。 でもこれはおおよそ見えてるよな。情報が一箇所から大量に配られる、 という形式は過去のものになりつつある。もう20年くらいはかかるだろうが、 それくらいすればごっそり変わっているだろう。 それが政治に影響を与えないはずもないし、社会も大きく変わるのだろう。 それがどういうふうに変わるのか、ということは当たらないにしても 考えておいて損はない。

文化は人口比率の伸び率が高い年齢層が規定する、とドラッカーが言っている。 今の日本ではどの年代だろうか。

ドラッカーは2000年にコンビニを配達スポットとして使うことを予言している。 流通、マーケティング、配達が分離する、というのはすでに起こっている。 プライベートブランドも現実に増えている 。

輸入と輸出についてもっと考えるべきかもしれない。 海外の子会社に物を送るのは輸出に勘定されるが、輸出ではない。 アマゾンで物を買う時、 アメリカ人の労働の成果であるシステムを使って物を買っている。 これは日本のアマゾンで日本の産物を買ったとしても アマゾンのサービスを輸入している。 もしかして、何が輸出で何が輸入かがすでに曖昧になっているのではないのか。 海外の子会社で作った物を輸入して、 日本で組み立て、それを輸出する商売を考えてみれば、 円安で有利になるとは限らない。

週に一回くらい勉強できない子供を教えるボランティアとかできんかなあ。 ひつじこが本当に書道教室をやるなら、 そのついでとしてやることもできるのかもしれんが、 今のところ全く実現性がない。 調べてみると児童養護施設で教えるボランティアがあるようだが、 さすがにそこまではな。 それに、私がそんなことをやってみたいのは、単純に私の欲望だ。 知りたいとか、試したいとか、そういうことにすぎず、 客たる子供側の事情のことを考えて 言っているわけでもない。 あの公園にたむろっていたクソガキ共はどうにかならないのか、 という思いはあるが、それも私の勝手だ。 あいつらにはあいつらの現実があって、 少なくともあいつらの主観では合理的な考えで行動しているはずだ。 部外者に口出しされる筋合いはないだろう。

オタマに教える前に実験台が欲しいというのは大きいおんだが。

素人に教える本を書いていてどうにも不安なのは、 素人の事情を理解できている気がしないことだ。 3回の大学の授業でなんぼかマシにはなったが、どう考えても足りない。 売ってからフィードバックを得て直すことを前提としてとりあえず出してしまえ、 と思ってはいるが、あまり出来が悪ければフィードバックすら得られない。 できれば、それで誰かの目にとまって、 教える機会を得ることにつながればという思いもある。

何に関しても、自分ができるようになることそれ自体はそれほど重要でもない。 自分がいる場所まで他人をいかに安いコストで連れて来られるか、 ということの方が重要だ。 自分がどうやってできているのかわからない、というような上達の仕方では駄目だ。 結局のところ、そういう上達でないと自分のスキルも砂の城になる。

ピアノというか音楽に関してだけは、自分のためだけの上達でいいと思っていた。 捨てざるを得なくなったのはそのためかもしれない。

2012年10月28日

iPadがまた壊れた。アップルには申しわけないと思うが、 しかし今回は物理的破壊ではない。とにかく起動しない。 バックライトはつくが、色は真っ黒だ。 3秒周期くらいで一瞬少し明るくなる。 iTuneをつなぐとリカバリモードと言われるが、 復元しようとすると1602番エラーで失敗する。 そして、iTuneで認識できなくなる。 DFUモードとやらにするとまた認識して復元できるようになるが、 やはり同じように失敗する。 この間、画面は変わらず黒い3秒周期だ。 電源を落とす時には正常に白黒のリンゴが出るので、 液晶が死んでいるわけではない。 というわけで、お手あげ。 別のPCからの復元を試すなどできることがないわけではないが、 普通の人ならとっくにあきらめている。 webで調べても、こういう症状は見つからないから、助けにならない。 修理を依頼した。

秋葉原で飲み会をするというので行ってきた。 コロナという喫茶店があったはずの場所だが、 メイド酒場になっていた。

血圧計は3000円から。なんでもいいが、シチズンのが シンプルで良さそう。高くなるとメオリーが増えたり、 PCに送れたりするが、値段だけの価値がある気はしない。

婦人用体温計。480回分自動保存、PCとfelicaポートで通信、 排卵日等々を予測して表示、20秒で予測検温。 というのが一番凝っていた。4000円。 買ったほうがいいだろう。毎度実測で5分かけるのも面倒だし、

2012年10月27日

マルカワという味噌業者に味噌注文。4種類を少しづつ。 使い分けが面倒くさくなって一種類に収束する気もするが、 とりあえずは味見してみないと仕方ない。 ついでに話題の塩麹。

塩麹はたぶんうちには定着しないだろう。 米ごときのアミノ酸では物足りない気がする。 しかし、蒸し野菜にかけて食うとかならそれくらいで丁度いいのかもしれん ので、とりあえず試してみる。

味噌は、豆味噌、麦味噌、1年物の米味噌、2年物の米味噌の4種。 キロ2000円を超える値段のものもあり、 うまいと思っても常食するかどうかはまた後で考えることになる。 なにせ、十分にうまいと思える生の仙台味噌がキロ800円程度なのだ。 大して変わらないからスーパーでいいや、 という結論になることも十分ありうる。

5GHz帯のUSB無線LANを買おうと思ったが、 デカい奴しかないことがわかった。 ハナッから内臓してる奴を買わないとダメだ。 ますます201sが辛く感じられてきた。

ThinkpadX201sの気に入らない点。 バッテリー駆動時間と、液晶の視野角と、スピーカーのクソさ加減と、 2.4GHz帯の無線LANと、bluetoothがないこと、escキーが遠いこと。 230を買えば多くが改善するが、解像度が落ち、重くなり、横幅が増える。 何もかも改善しろとは言わないが、ダメになる要素がこうも多いのは辛い。

生ハムの蛋白質含有量は25%程度。1.25倍になっていると考えれば、 キロ1250円までは躊躇なく出していい。 タンパク質含有率で出してもいい値段の目安をつけることにした。 タンパク質20%の食品でキロ1000円が目安である。 なお、ゴーダチーズも25%程度だが、うちはキロ1800円のものを買っているので、 これはかなりお高い部類に入る。基本的には脂ボーナス。 あと、グラナパダーノは40%くらいなので、 キロ3000円でもまあいいかなと思ったりする。

バルサミコって何なの?調味料として常備する価値はあるのか? しかし、ワインと同様物によってバラつきが激しすぎる類の ものだとすれば、かなり買いにくい。 ワインの場合値段と味が比例するとも限らんし、 輸入品だけに評価の高いものを引くのも難しい。 味噌くらいのバラつきならまだ許せるんだがな。 スーパーの激安品ですら味噌の味はするわけで。

500mlで1000円という値段でも、3年熟成で混ぜ物なしのものがある。 一度試すべきか。煮つめてポーチした鮭にかけて食う、とかいう感じだよなたぶん。

ニッセンからカタログが送りつけられてきたのだが、ひどい。 ヤンキーってこういう所で買ってるのか。 ヤンキー趣味のデザイナーがヤンキー向き商品を作っているのか、 普通のデザイナーが悪魔に魂を売ってヤンキー向けをデザインしているのか。 般若心経を彫ったライターとか、 ダイヤ付きなのにミッキーマウスな腕時計とか、 とにかく意味がわからない。

2012年10月26日

昨日の夜は異常な眠気に襲われて、22時前に寝てしまった。 そして朝7時半。異常な空腹感で目が覚めた。 これ、懐しいな。昔はこの感覚が普通だった。 毎日こうだったかは思い出せないが、 少なくともこれを異常だと思わない程度には普通だった。

澱粉主体の生活はヤバいよ。運動していればいい、とかそういう問題じゃない。

経済だけ見てるとユーロは非合理的な代物らしく、 ユーロを続けるにはドイツがギリシャに金を払いつづける仕組みを作るしかない。 そして、ギリシャが過疎るか、ドイツとの差が縮まるかするまで待つ。 国をまたいで金を払い続ける仕組みが嫌だというなら、 ユーロはやめるしかない。経済学者はそう言うわけだ。 しかし、政治的な面もあるはずだ。ヨーロッパの中で戦争をしないための 道具として考えるならば、経済的には多少無茶でもやるだろう。 しかし、多数派が「ギリシャなんてヨーロッパじゃねえや」 と思えば、ギリシャが叩き出されるくらいのことは起こるのかもしれない。 スペインやイタリアは誰がどう見てもヨーロッパだが、 ギリシャは結構最近までイスラムだったり赤だったりしている。

どうなるかはわからないな。因果が複雑に絡みすぎていて、 予測なんて無理だ。何かが起こってもいいように備える、ということすら難しい。 経済学者の人たちにしても、ワクワクしながら眺めているだけで 特にどうこうしようなんて思ってないだろう。 商売上意見を求められると偉そうに言うが、 当たらなくてもいいやと思っているんじゃなかろうか。

長生きに対する準備について。 自分で金を貯めようと思うと余らせる可能性が高く、非効率だ。 何らかの年金に頼る方が効率はいい。 自力で運用した場合に比べてリターンが低いのは、 リスクを軽減するためのコストとして 許容すればいい。1000万払って900万の期待値だとしても、 それはリスクを軽減するという サービスの価格が100万円、ということである。 それが高いか安いかは別途判断すればいい。 最大の問題は、その他のリスクだろう。 年金をやる会社が潰れる危険は常にある。企業の平均寿命は人間の平均寿命よりも短い。 また、インフレの問題がある。いくらもらえるかが契約時に決まってしまう場合、 その後にインフレすればダメージを受ける。 保険料を払っている最中であればまだいいが、払い終わったころにインフレすると ダメージをモロに食らうことになる。 もっともこれは、もらえる額が不定になってもいいなら回避する手はある。 変額保険という奴がそれだ。しかし、払い終えた所で支払額が固定されてしまえば、 やはりインフレへの対応は不十分となるし、 まともに運用されるかどうかという問題も出てくる。

選択肢としてどういうものがあるかくらいは調べておくか。 しかし、たぶん「いつまでも稼げる状態を保つ」と 「少ない金で楽しく生きられるように自分を持っていく」 が一番大切で、あとは何をやっても大した効果はないと思われる。

世界経済は年率3%くらいで成長している。理想的にはそのおこぼれをもらって 年率3%くらいで資産を増やせるということを意味する。 しかし、この成長率は落ちていく運命にあり、いつまでもそんなことはできない。 何か産業革命みたいなことが起きて世界全体が成長期に入らない限り、 不労所得に期待するのは無理ということだろう。

気ランニングを読みながら考えたこと。

足の裏全体で接地していれば、ふくらはぎを緩めたままで立てる。 しかし、走っている最中は踵は接地しない。遅い時には触りはするが、 圧力がかかるほどでもない。 そして、足の裏は真ん中が凹んでいるので、踵が着地しなければ、 拇指球が着地するしかない。 だが、拇指球で立てばふくらはぎの筋肉を使ってしまう。 これをどうするかだ。 オタマに踏まれると激しく痛いということは、 ふくらはぎの内部が凝っているということの証拠である。 動きに問題があるのは間違いない。 末端の筋肉から順に緩めていくべきだということであれば、 ふくらはぎは下半身の中では 真っ先に緩めるべき筋肉である。真面目に考えるべきだ。

一番先にあるのは足の裏で、これは指を曲げる筋肉である。 親指を地面に押し付けて蹴ろうとすれば、 この筋肉を使うことになる。 これに関しては親指を押し付けないようにすることで緩和できる。 逆に親指を持ち上げようとすると足の甲の筋肉を使ってしまうので注意が必要だが、 最初はそうすることで足の裏の筋肉を使わないで走るのに慣れることができる。

この次がふくらはぎと、すねの前の筋肉だ。 すねの前の筋肉は、つま先を上げようとする時に使う。 踵から着地するような走り方をすると、 着地前につま先を持ち上げようとしてこれを使いがちだ。 だから、踵から着地しようと思わなければ良い。 踵が触ってはいけないというわけではなく、 実際速度が遅ければ触りはするのだが、 意識としてはそういうことだ。 足の裏が地面と水平になるように意識するとおおよそそういう感じにできる。

問題はふくらはぎだ。これはつま先を下げようとする筋肉で、 逆に言えば足首の関節を伸ばして 体を持ち上げようとする筋肉である。 さて、着地と同時に体が下がることは避けられない。 重心が全く上下動しない、というのは不可能だ。 そして重心が下がった分は上げなくてはならず、 何らかの力で地面を蹴って体を持ち上げる必要がある。 これにふくらはぎを使わないことは可能か、という問題なわけだ。 持ち上げるのに使える筋肉には、ももの前の筋肉と、 背中の下の方から尻の内側にかけての筋肉の二つがある。 体幹に近い筋肉を主体とすべきだとすれば、メインで使うべきは後者である。 背中の下の方から尻にかけての筋肉だ。なんかできなくもない気はしてきた。 さて、あとはどうやってふくらはぎにかかる負荷を低減するかだ。

かかとが地面について固定されていれば、ふくらはぎをゆるめたままにすることは 簡単にできる。しかし、かかとが浮いている状況でそれをやらねばならず、 それには、ふくらはぎに力を入れなくても足首をのばすような力が かかる必要がある。これを実現できるとすれば、 それはふくらはぎからアキレス腱にかけてをゴムのように使うことだろう。 筋肉には弾性があり、力を入れなくても一定の抵抗力は持っている。 ふくらはぎを筋肉とみなさず、バネか何かだと思えばいい。 理屈の上ではそうなるし、感覚的にもそれはできそうだ。 そもそも、完全とは言えないまでも、私は実際にそうしている。 さて、あとはこれをもっと良くするための練習方法と、 改善を確認するためのチェック方法を確立しないと。

リュックを背負って走ると、腰から上が極力左右振動をしないように走ることになる。 その分だけ上下振動が増えるし、腰の動きの自由度が減った分だけ脚に無理がかかる。 昨日の痛みは単純にそれだけのことだろう。ただ、無理が右膝に集中したのは良くない。 左右非対称な動きをしていることの証拠だからだ。 検証してみたところ、右の方が足が外を向きやすいことがわかった。 足を内側に向けてひねろうとすると、右の方が抵抗が大きい。 これだろう。走る時に親指に意識があるのを、中指に移すことが改善に つながるかもしれない。 あとは、膝関節と股関節の柔軟性を高める何らかの運動をするか。 これも本にあったな。試そう。

毎分180歩ペースで、腕は畳んで後ろに振れ、とある。 秒間3歩か。確かに私もそれに近い感じだが、 これに関しては体のサイズで勝手に決まるはずなので、 変にいじるのは良くない。脱力の精度を上げることだけを考えよう。 あと腕はあまり振ってないのだが、振った方がいいんだろうか。 正直、速度が遅いならぶら下げておいて 前腕だけで調整してもそれほど邪魔にならないのだが。 1時間以上走るとなれば話が変わってくるかもしれない。

腿を持ちあげないらしい。足を後ろに持ち上げろと。すでにそうなっている気もするが、 意識してみよう。たぶん私は脇腹の伸縮を混ぜることで骨盤を傾け、 それによって脚全体を 持ち上げている。それはそれでいいんだろうとは思うのだが。

足を後ろに持ち上げることを意識して走ってみたが、 これをやるとももの後ろの筋肉で地面を後ろに蹴るような状態になる。 力を抜けば勝手にそうなる、と思った方が良さそうだ。 腕は言われるまでもなく後ろに振っていた。 そりゃそうだろう。上半身の水平回転の結果として腕が振られるのであって、 自律的に腕を振るようなマネをすれば、それは無駄な動きだ。 そして、勝手に振られるとすれば、前方向の移動距離は大きくなりようがない。

本の書き方として参考になる所は多い。 同時に、マネをしてはいけないところ、気をつけるべきことも見つかる。 熱意がほとばしりすぎると鬱陶しい。前置きが長いと鬱陶しい。 精神論が多いと鬱陶しい。図があるべき所に図がないのも良くない。 「東洋」を何か妙な権威のように使うのは、マーケティング上はいいかもしれないが、 誠実なやり方とは言えない。英語のアマゾンレビューにも、 「気とか言ってるが、全然気じゃないじゃん」というものがあった。

それにしても、こんなレベルで太極拳を使える人がそんなにゴロゴロいるのか? 3メートル飛ばされたとか、ナイフ持ったギャング6人組を倒したとか。 真偽どちらであったとしても、 そういう話を紹介することはマイナスにしかならんだろう。

体の声に耳を傾けるのは大切なことだ。しかし、主観は容易に騙される。 クッション性のいい靴の方が走り心地はいいだろう。 だが、それが正しいかどうかについては議論がある。 その意味で、この本の後ろの方は主観以外での 検証を経ていない内容が多すぎるように感じた。 食べ物や生き方の話まで持っていくのは正直どうかと思う。

糖質制限についても主観の罠に陥らないように注意せねばならない。 「調子がいい」は錯覚である可能性がある。 眠くなる、といったもう少し測定可能なことについても、 起こる頻度が下がっていることを証明するには記録をかなりの期間取らねばならない。 そんなことをしていない以上、「眠くならない」と断言することはまだできない。 現状測定によって確実になっているのは、 血液検査の結果が改善して何の問題もないことと、 体脂肪率が落ちていること、体温が高く維持されていること、くらいだ。

主観と客観のバランスに気をつけて書こう。 ネタがプログラミングであるだけに感覚や精神論は入り込みにくいのだが、 しかしそれでも普通の本に比べると「心がけ」的な色彩は強くなるし、 比喩を多用して「主観的に理解した気になる」ことの効果を利用してもいる。

味噌漬けの鮭をポーチした。これはありじゃないか。 ただ、味噌漬けだけに、どうしようもなく味噌だ。味を変えようがない。 ポーチした汁は味噌汁気味になるが、これは味噌とちりめんじゃこ少々、 それになにかしらの具を足せば味噌汁として飲める。おいしくはないが。

加熱時間が多少長くなっても良ければ、袋に入れた状態で湯煎だろう。 その方が味が逃げない。 あるいは、片栗粉をまぶしてポーチすれば多少は逃げにくくなるか。 その場合は汁を捨てる前提になる。

ThinkpadX230がWindows8入りで買える。ちょっと欲しい。 201sの電池のもたなさが辛い。だが、解像度が落ちるのは許せん。 良さそうな構成にすると15万以上になる。 CPUが2世代変わるので、電力性能比はだいぶ改善するのだろうが、 しかし本命は来年のhaswellだろうし、windows8が安定するのにも 時間がかかるだろう。

あーでも、本用のプログラムがwindows8でまともに動くかは確認すべきだよな。 まあ友達に頼もう。誰か買う奴いるだろうし。 あと、今回は中をGLにしたので、intelの他のチップでも まともに動くのかはかなり不安だ。 DirectXのバージョン依存の問題をなくしたいからGL1.1にしたわけだが、 今度はドライバが不安になる。

2012年10月25日

味噌が蛋白源だったと言うが、 1gの蛋白質を取るのに8gの味噌が必要だ。 しかし8gの味噌には1gの塩が入っている。 10gくらいとらないと蛋白源とまでは言えないと思うが、 そうするとそれだけで塩を10gも食べてしまう。 どれくらい味噌は重要だったんだろう。 しかし、塩分をほぼ全て味噌からとっていたとすれば これくらいの量はありうるか。

味噌は溶くのが面倒だし、味が強すぎて何を混ぜても味噌味になるしで、 なにかと不便な調味料である。 最近使用量が少ない。しかし、どうにかもっとうまく使いたいところだ。

味噌のダシはグルタミン酸主体だ。なので、動物系の味とは合うはずである。 魚が合うのは当然だが、肉も合うはずだ。 例えば味噌をすりこんだ固まり肉をステーキにするような料理は ありうるだろうし、味噌で塩気を整えた汁で豚肉をポーチするような 料理もありうるだろう。とりあえず、2kg買った鳥の胸肉の前処理に 味噌を使ってみよう。塩胡椒は鉄板だが、鉄板すぎて面白味に欠ける。 ヨーグルトカレー粉漬けはうまいが、オタマには食わせにくい。 ここは味噌だろう。

一度味噌は自作してみたいがなあ。なにせ時間がかかるので、 どうしても大量生産せざるを得ず、消費も大変だし保管も大変だ。 さすがに無理だよなあ。しくじって腐った時のがっかり感もひどそうだし。

塩麹が気になる。それ、米の蛋白質が分解して旨味に変わった何かだよな。 味噌マイナス大豆。米味噌の豆比率ゼロの極限と考えていいのか。 逆に米ゼロの豆味噌も気になるのだが。

マルカワという味噌屋のサイトが驚くほど充実している。 味噌屋が自作を勧めるというおもしろい状況。 味噌自作グッズの通販をしている。

調味料を再考すべきかもしれない。 醤油は外せない。味噌は醤油をキャラがかぶるのだが、 逆に言えば醤油を使っている所で味噌を使える局面を増やせば バリエーションが出る。味噌は醤油に比べて塩1gあたりの蛋白質量が多いので、 栄養源としての価値は醤油より高い。

また、重要な調味料としてナンプラーがある。 こちらは動物性で核酸系のうまみも入っており、 かければそれだけでうまい。 蒸し野菜などはナンプラーが鉄板である。醤油ではグルタミン酸だけ になって弱いからだ。ナンプラーがあれば肉魚の力を借りずに味を出せる。 ただし臭いので、臭いを飛ばすための加熱が必要なのと、 安易に頼りすぎてマンネリに陥りやすいことに注意がいる。 なお、納豆に醤油をかける人は多いが、実はこの組み合わせは 若干非効率だ。両方大豆なのでグルタミン酸を増強する効果しかない。 ここでナンプラーを使うとうまさは倍増することが想像される。 ただし加熱処理が面倒なのでまだ試したことはない。明日試そう。 まあ臭いのに慣れれば加熱はいらないのだが。

塩麹は一度試そう。 あとは酢の利用も広げたい。例えば鮭の刺身に粕酢は合わないか。 オイスターソースは単純な牡蠣エキスのものがないので、使いにくい。 市販のものは砂糖が多すぎてくどいからだ。 豆板醤は好きだが、オタマのことを考えると使いにくい。 スパイスの使用は胡椒と生姜、インデラカレー粉程度にしておくべきだ。 ハーブ類は香が飛ぶのが早く、使用頻度が低いことを考えると常備するのは コストが高い。以前デカい袋で買ったバジルはスパゲティを 食べなくなったせいでまだ余っている。パセリは使うが。

塩気は、塩、醤油、味噌、ナンプラー。酸味は粕酢と、たまにレモン。 あとはせいぜい芝麻醤と、豆味噌、塩麹あたりか。 ブドウ酢は試したいが、 ワイン同様ブランドが多すぎてどうしていいかわからない。 カルディで適当なのを一回試すことからか。

アフリカの一人当たりGDPが1700ドル。そんなに増えていたのか。 一部内戦でえらいことになっている国もあるが、 全体としては発展のさなかにある。 ある程度以上の企業なら斥候を送り込んでおくべき段階に来ているのだろう。 ゲームもアフリカで売ることは考えるべきなのではなかろうか。

太陽電池業界がえらいことになっているらしい。需要が伸びないそうだ。 生産能力を増強しまくった割には売れない状況である。 電池がまだなのが一番大きいんだろう。 太陽電池それぞれに蓄電池をつける気になるくらいに安くならないと、 結局太陽光の不安定さがネックになって使い物にならない ということなのではなかろうか。 送電や需要側に自動制御が入れば幾分ましになるのかもしれないが、 インフラ的にも制度的にもまるで間に合っていない。

ドラッカーは、「一つ技術を開発すればバカ売れするものが完成する、 という段階にならないと、技術開発で大儲けはできない」 というようなことを言っていた。 がんばって技術を開発しても、それでバカ売れする製品が完成しないのであれば、 その投資を回収できる保証がない。 電池がない状況でいくら太陽電池をがんばっても、 大した結果にはならない、ということではなかろうか。 その一方で、電池は太陽電池なしでもたくさんの利益を産む技術であり、 太陽電池の状況と関係なく進歩させたい。事実するだろう。 そう考えると、太陽電池の本気開発は、電池がどうにかなってからの方が割がいい。 細々と続けるくらいならともかく、大々的に工場を作って大増産するのは危なすぎる。 もっと早く電池がどうにかなるという読みがあったのかもしれないし、 各国の政府が大量に補助金を出すことを見込んだのかもしれないが、 そういう読みは危険な賭けだ。少なくとも制度に依存した商売は危ない。

かつての商店街は大店法という制度に依存した商売だった。 だから、それがなくなった時にあっさりと滅んだ。 太陽電池も固定買取制度がなにかのきっかけで消えれば、ひどいことになるだろう。 鍵は電池なのであって、電気を蓄えるコストが劇的に下がらないと 太陽電池は離陸できない。

電池は世界を変える鍵になる技術だ。そういう技術は他にもあるが、 社会に与える影響のデカさに関して言えばこれほどのものはないように見える。 しかし難しいことに、すごい電池を作っても、そうやってできたものを売るだけでは まるで儲からない。液晶やLEDがどうなったかを見ればそれは明らかだ。 電池の技術によって可能になる製品はいろいろあるわけで、 電池そのものは単なる必要条件だ。電池そのもので儲けるのは無理で、 電池を積んだ車を売る方が付加価値を付けられる。 たぶん実際には車を売るだけでは駄目で、 電池を積んだ車を使った何らかのサービスを売る、 というところまで話を持って行かないといけない。 今の世の中において、物を売るのは割が悪い。 「ユーザ体験」という言葉がある。 客がその製品によって何を得られるのか、どういう体験を得られるのか、 ということを考えろということだ。 すごい電気自動車ができたとしても、 それが維持コストの安いガソリン車、 という程度のものであれば大した価値にはならない。 あっという間にコスト低減競争が起きて、 一台売って利益が何百円、みたいな状況に陥るにきまっている。 日本人はどういうわけか、そこを考えるのが苦手らしい。

とはいえ、ソニーのウォークマンみたいなものはちらほらあるわけで、 個人単位で見た時には日本人の発想力は悪くない印象もある。 しかし、組織になるとこれが絶望的に駄目になるらしい。 日本人は組織で仕事をすることができない、と工業デザイナーの人が言っていたが、 そういうことなんだろう。組織が大きくなればなるほど全体としてバカになっていく。 つまり、日本においては規模の長所が出にくい。 にも関わらず、制度や文化が大企業を優遇するものになっているために、 本来中小企業で力を発揮すべき人間が大企業に流れて、腐っている。

大きな会社は自由主義的な考えを入れないと腐る。中央集権は不可能だ。 他の国がどうか知らんが、少なくとも日本では無理な気がする。 日本人は組織が大きくなった時の腐り方が激しい民族なのではないだろうか。 規模の大きさは、効率化よりも多様性確保のために利用することを考えた方がいい。 それぞれの部署がバラバラに非効率なことをやっているのは、 その意味では悪いことではない。 間違った思想による中央集権は全体を危機にさらす。 ただし、部署ごとにバラバラでもいいのは、それぞれが自分の収益に責任を持つ状況が 出来ている時だけだ。赤字をこいても給料が減らない状況では、人は真面目になれない。 部署ごとにある程度独立採算である必要があるし、 同時に、人事権は分散していなければならない。 誰にいくら給料をあげるか、どんな人を採用するか、といったことに関して 権限がなければ、それは独立しているとは言えない。 そこが中央集権のままだと、手を縛られて水の中に落とされるような状況になる。 組織の構築は下手、ということを前提として考えるのであれば、 日本の大企業は小企業の寄り合いのようなものにした方が良い気がする。 建物、事務、資金調達、設備、などは共有するが、 それ以外は実質独立企業、 というくらいにしておいた方がうまく回るんじゃないだろうか。 たまに中で競争したり、同じ問題にバラバラに当たったりもするだろうが、 そういうことは交流の努力によって軽減できる。 とにかく、「規模によって人が腐ること」 を避けることを最優先にすべきではないだろうか。 決断の遅れや無責任、間違った大改革などのリスクを 避けるためにはそうすべきである気がする。

給料の60%は中央で、30%は部署で、10%はチームで決められる、 みたいにして、現場にも部分的に人事の権限を 渡すことを考えた方がいいと思うんだよな。 中央はその人がどんな人かを良くしらんわけで、評価するのは現場だ。 そこが給料を左右できない状況では困るだろう。 もちろん、全部現場に渡してしまうと、派閥争いなどで個人がひどい目に遭うのを 止められないので、それもまずい。しかし、 予算の自由がなければ結局は何もできないのだ。 地方分権するには財源を移さないといけないわけで、 同じことが会社にも言える気がする。

iphoneは今回だいぶ薄く軽くなったと聞く。 電池が減ったわけではないので、外側の改良だろう。 同じ改良がiPadに対しても行われれば相当に軽くなるという話だ。 一緒に消費電力が削られて電池も減ってくれれば、さらなる軽量化ができる。 電池が少ないiPad2は50gも軽いのだ。というわけで、次のモデルを楽しみに待とう。 今のヤツを誰かが買い取ってくれるなら買い換えてもいいかと思っていたが、 やっぱり待つ。 また修理する権利も一回残ってるし。 来年の3月にまた出るんじゃないの?と言う人もいたりするし、 最悪あと1年だ。それくらいなら待つべきだ。

体脂肪率が7%とか出る状況に。さすがにカロリーが足りなくなってきたか。食べないと。 しかし体温は下がってないので、倹約モードにはなってない。 澱粉主体では、なんぼカロリーが不足しても体脂肪率はさして落ちなかった。 歯の矯正を始めてから数ヶ月はひどい有様だったが、それでも体脂肪率は12%を 割らなかったし、体重も60キロは割らなかったのである。

食べ過ぎても太らないが、食べ足りないと体脂肪率がダイレクトに落ちる。 そんな都合のいい話があるかと思うが、どうやらそうらしい。

納豆はナンプラーをかけるとうまい。ただし臭いので、先に皿にナンプラーを垂らし、 電子レンジで数秒加熱して臭さを飛ばしてから納豆を乗せてまぜるといい具合になる。 醤油と納豆の組み合わせは所詮大豆同士なので相乗効果が期待できない。 動物性のダシが欲しいとなればナンプラーだ。

考えてみれば、チーズもアミノ酸系のダシだ。核酸系のダシじゃない。 核酸系の調味料としてメジャーな鰹節には面倒くさいという欠点がある。 そう考えるとナンプラーの重要さが際立つな。 臭いのは加熱とスパイスで消せるから、ほとんど何にでも使えることになる。 もちろん肉魚を食べるならそれ自体が核酸系なので、アミノ酸系のものを 足せば良く、ナンプラーは不要だ。しかし、豆や野菜を 肉魚なしで美味しく食べようとするならナンプラーは素晴らしく助けになる。

しいたけは核酸系のダシであるグアニル酸を含む。 のだが、これが調べてみると案外難しい。 まず、しいたけはグアニル酸の原料であるリボ核酸をたくさん含んでいる。 また同時に、リボ核酸からグアニル酸を作る酵素と、 グアニル酸を破壊する酵素も含んでいる。 これらの酵素は、水がないと働かない。また、80度を超えると破壊される。 作る酵素は、冷蔵庫では働かない。常温以上では動き出し、70度くらいで一番よく働く。 破壊する酵素は冷蔵庫では働かない。常温以上では活発に働き、 70度くらいになると働かない。 以上のことから、まず戻す時は冷水で冷蔵庫で戻す。これによって、しいたけの中の リボ核酸と、すでにあるグアニル酸を水に移す。酵素は寝たままだ。 十分な時間が経ったら、この汁を一気に70度まで加熱する。 中途半端な温度だと破壊酵素が働いてしまうから、ここは一気に行く。 その後、70度あたりでしばらく加熱して、グアニル酸の生成を進める。 もういいかなという所で、さらに温度を上げて酵素を破壊する。 これで冷めても大丈夫になる。

面倒くさいダシグッズだなしいたけ。だが、肉も魚も使わずに核酸ダシが得られるのは 貴重である。一回正しい取り方でダシを取ってみよう。 それがどれくらいうまいかでしいたけを レギュラーメンバーとして使うかどうかを決める。 大量に取って汁を冷凍しておくという手もあるので、 手間は削減できる。しいたけ本体も絞って別に冷凍しておけばいい。

しいたけダシを取る時のパラメータ。水しいたけ比。冷蔵時間。70度保持時間。 濃い方が楽だし、極力濃くしよう。 70度で保持する時間がどれくらい必要かはわからんが、 10分くらいが我慢できる限度か。 その後沸騰させてアク取りをして、冷まして小分けして冷凍と。

1章の論理展開が不自然すぎる。もうちょっと見なおさないと駄目だ。 くどい所を削る程度では話にならん。

品川二郎。小、煮卵。予想外にペロリと食えた。 糖質制限で衰えたと思っていたが、これは逆だ。 胃が強くなっている。脂耐性が上がったのが大きいのだろう。 汁の上の方に浮いている油の層もおおよそ飲んでしまった。 味は満足。新橋の麺のゴワゴワさ加減も好みだが、 やわめでモリモリ食えるのも悪くない。 あと、卵は微妙なので、豚を足すべき。

その後立会川まで走った。3.5kmくらい。23分かけているので、 かなりペースは遅い。時速9kmだ。リュックのせいでバランスが取りにくいのと、 ビブラムなので慎重にやったというのがある。 実際、膝に嫌な気配があったので立会川で走るのをやめた。 リュックがなければ問題を調べながら走り続けたのだろうが、 リュックがある状態では集中が甘くなるのでやめた。心肺機能に不安はなく、 脈拍、呼吸ともに余裕をもって会話できる程度。 この感じからして、たぶん体力は落ちてない。 というか、二郎を食べた直後に20分走れるあたり、 昔よりも良いとすら言える。 今度ひざに痛みが来た原因をはっきりさせて、 10kmくらい走ろう。

「気ランニング」という本を借りたので読んでいる。すごくいい。

ふくらはぎの筋力は必要か。ずっと答えを出せずにいる。 真面目に考えてないだけかもしれんが。 ここの筋肉は、足首の関節を動かして、足先を下に動かす筋肉である。 かかとをつかずに立っている時には、この筋肉を使っているように見える。 私は、歩く時には踵は地面に触れる程度にして圧力をかけず、 走る時にはほぼ踵は接地しない、というふうにしている。 それほどふくらはぎに負荷をかけている実感はないが、 単に鍛えてしまったので負荷と感じないだけなのかもしれない。 こんな末端の筋肉に負荷がかかるのは間違いだ、 ということになるなら、何か別の歩き方や走り方があることにならないか。

2012年10月24日

第四iPad。性能アップのみ。重量変わらず。電池容量変わらず。解像度変わらず。 いらんなあ。重さがどうにもならないのは、 液晶の消費電力のせいで電池を削れないのと、 サイズと薄さの兼ね合いで強度を上げるために重い外装が必要なのが原因だろうか。

8インチiPad。重さが半分というのは大きな長所だ。 視力に問題がないならいい選択肢である気がする。 これから買う親戚にはこっちを勧めよう。安いし。 しかし、やはり理想はiPadが軽くなることだな。

appleでなくて良ければもっと安いのもあるようだが、 管理の手間を考えるとapple以外ありえない。 乗り換えるとしたら、 明らかにAndroidの方が優れている状況になってからだろう。

サンマを煮たが、思ったほど骨が柔らかくならず、身は固くなりすぎた。 前どうやってたっけかなあ。とりあえず、水が多すぎたなたぶん。 全部浸かることを重視しすぎた。味が薄くなりすぎる。 若干酢を垂らしてPHを下げるのも効果的か。 あと、加圧時間は増やすべきか。5分も加熱したところでもうどうしようもなく 固くなっているわけで、時間を伸ばして筋繊維を破壊する方がいい。 骨も柔らかくなる。 酸素はおおよそ追い出しているので、酸化は気にしなくていいだろう。 次はそれでやってみる。 一度に20匹とか作るなら鍋の大きさもこれで問題ないだろう。

サンマ1匹140g程度。可食部100gとすればキロ1000円ぴったりだ。悪くない。

味は冷める時に染みこむと言うが、別に温度が下がっていくことが必要なわけではない。 単に加熱はすぐ終わるが調味料の拡散には時間がかかる、というだけの話だ。 拡散も温度が高い方が早いので保温が効果的だが、ガス代が無視できるなら 火をつけっぱなしにしておいてもかまわない。 そういうことだよな、たぶん。

ピーナッツカレーは悪くない出来。 鶏がらの煮出し汁を使うとか、水のかわりに牛乳を使うとか、 ココナッツミルクを入れるとか、いろいろとアレンジはできそう。 しかし、ピーナッツを入れた段階ですでに油まみれなので、 牛乳やココナッツはやりすぎな気がする。

オタマウンコに豆の皮が出てくる。豆は皮なしだけにすべきか。 しかしそうすると発芽は諦めることになる。

ブラウンはブレンダーなら練りゴマが作れるらしい。試さねば。

LinkedInで「つながりましょう要求」が来た。まあそれ自体は珍しくない。 大抵は人材系の会社だから無視していて、今回も無視する。 ただ、要求を出してきた人の写真が猛烈にギャルっぽかった。 もしかしたら偏見かもしれん。偏見かもしれんが、ビジネスマンとして つながりを持とうとしてこういうSNSを持っている人が、 こういう写真を使うのだろうか。いや、私の考えが狭いだけなのかもしれん。 どういう格好をするかは自由だ。真面目に商売をしているのかもしれん。 だが。

まあ、言うまい。どうせ無視するだけだ。500人以上とつながっているあたり、 誰でもいいんだろうし。やっぱりアカウント消そう。いらんよどう考えても。 将来必要になったらまた作ればいいんだろうし。

2012年10月23日

新世界より。全然わからん。原作読めばいいんだろうが。

結婚式コストはバブルだ、という記事。 なるほど、確かにバブルだ。皆が貧しくなっていく中、 お祝いとして渡す額の相場は維持されている。 結婚件数が落ちている割にブライダル業界規模は落ちておらず、 結婚年齢が上がって余計に金をかける余裕が出てきたことや、 兄弟が少ないために親の援助が大きくなったことなどが打ち消していると思われる。 しかし、値下げできないなら数を減らすしかないのであって、 「賃金を下げられないので採用しません」 と同じ構造になる。つまり、ご祝いを出したくない人はそもそも出席を断るようになる。 たぶんすでにそうなっている。親が裕福な時代はそろそろ終わるし、結婚年齢の上昇も 生物学的な限界から言って止まるだろう。 その時、「金がなくてお祝いを払えない」ことがダイレクトに結婚業界にダメージを 与える状況になるはずだが、どうなるんだろうか。

つうか、思い出に残る結婚式なんて金では買えないだろうに。 確かに結婚式の「品質」は金で買えるだろうが、その「品質」は「思い出」 の質には大した影響は与えまい。しかしそれも人によるか。 いい料理を出すことで思い出が良いものになる人もいるんだろう。

根本的に、祝ってくれるのはうれしいが、祝って欲しいとは思ってないんだろうな、私。 まして、祝ってくれ、と頼む気はしない。 祝ってくれる人をもてなすための準備をするためには、 人が祝ってくれるという前提が必要だ。 それは、祝ってくれと頼む気はない、という気持ちと矛盾する。 だから、豪華な宴会の類はしなかった。 あんな田舎まで来てもらっておいてもてなさないのはどうか、 というのは確かにあるが、金がかかるもてなしは、 高額なお祝いを前提としないと無理だ。

人工甘味料でインスリンが出る、という話だが、どうも話が混乱している。 論文に書かれていたのは、 「膵臓に直接人工甘味料をつっこむとインスリンが出る」である。 実際にどうかということに関しては、 舐めただけで出る、飲んだら出る、膵臓に直接突っ込むと出る、 の3段階考えられるわけだが、どこなのかで話が全然違う。 舐めただけで出るとすれば、甘いものはすべてインスリンを出すことになる。 吐き出しても無駄ということだ。 飲むと出るが舐めただけでは出ない、というならば、 人工甘味料が血に入って膵臓に作用することになる。 膵臓に直接突っ込むと出るが飲んでも出ない、ということならば、 実際には問題にならないことになる。 この実験は血糖値を測る機械を買えば自分でできる。 やはり買うべきか。あと血圧計。 腕に巻く奴はマジックテープが消耗品になりそうなので、 そういう問題がない機種にしよう。今度ヨドバシ見てくる。

澱粉を食って眠くなるのは低血糖症状だ。 低血糖に落ちるのは、インスリンが大量に出て、 血糖を減らしすぎるからだ。立派なグルコーススパイクであって、 糖尿病の気があることになる。 これが幼少期に日常的に起きていると、ダルいし眠いし勉強にならんしで、 成長におびただしい悪影響をもたらすと言う。

ピーナッツ同様に油の多い種でメジャーなものと言えばごまだ。 そういえばまだうちにごまがあった。 ごまはすらないといけないのが面倒くさくて使わなくなってしまった。 すること自体はいいのだが、そのあとすり鉢を洗うのが面倒なのである。 ブラウンで粉砕できるんだろうか。試すだけ試すか。 しかし、ごまは殻が固いのが厄介だ。 ピーナッツみたいに粒がでかくて殻も薄いタイプの種が使いやすい。

ですますじゃなくて良かったんだよなあれ。途中で変えたら良かったかなあ。 にしても、私は期待に応えられてるんだろうか。 きっとだいじょうぶなんだよな。出来が悪ければ容赦なくボツにされてるはずだ。 本を作るというのはそれくらい厳しいことのはずなわけだし。

でも、叩かれるんだろうな。そして、叩かれる様を自分から探して見に行くんだろう。 私はそういう人間だ。

バクマン読んで、自分が大それたことをしていることを思い出した。 本を書くってのはそれくらい大それてるんだよ。 いずれ、本という媒体がwebその他に溶けて行く日が来るのかもしれんが、 それまでは本というのは大それたものなのだ。

国連の予測では2083年に100億人達成。 ずっと国連の予測は下へ下へと修正されてきた。 すごい勢いで途上国の出生率が下がったからだ。 しかし、2010年の予測では修正の方向が上になっている。 人類はまだ1.5倍近くになるのか。水やエネルギーをめぐって戦争にならねば良いが。 経済的な手段で奪い合いをする分にはそう悪いことにはならないと思うが、 その他の手段を使い出すとひどいことになる。

ごまを煎って粉砕してみた。練りゴマにはならなかった。すりゴマレベル。 でもそこまでは行ける。 しかし、煎りすぎたせいかまずかったので捨てた。 ちょっともう一回煎って食べてみよう。 それでまずければ古くなったせいと断言できるから、捨てる。

ひじきどうやって食べようかなあ。煮るしかないが、 砂糖みりん系の味付けはしたくない。 とりあえず、煮て醤油かけてどういう味かを確認するか。 それをやらんとどういう味が合うかはわからんだろう。 でもダメそうだなあ。ひじきの煮物ってかなり無理矢理食ってる印象がある。

ピーナッツカレー。案外違和感なく食えそう。 あとサンマを解凍。明日生姜と醤油と酒で圧力をかけて骨ごと食える ものを作る。

本がすごく進んだら、夕方に二郎の品川店に行くんだ。

とか言わないと進められない。1章の文章を考えるのが苦痛すぎる。 ここが満足の行くものになれば後は早いはずなのだが。

土曜は無理だし、日曜食える二郎はあまりに少ない。 平日行けて許容できる距離にある二郎は品川と川崎だが、 品川は行ったことがない。

甘味がなくてもなんとも思わないような方向に持っていかないとなあ。

2012年10月22日

使うエネルギーが一定であれば、食ったエネルギーが余れば太るし、 足りなければ痩せる。 しかし、使うエネルギーが一定であるという仮定はたぶん間違っている。 食べる物やタイミングによって使うエネルギーが変わると 考える方が実感にも理屈にも合う。 例えば、朝大量にでんぷん(=ご飯やパンや麺)を食べたとする。 すごい勢いで血糖が増える。 インスリンが出てこれを脂肪に変換する。 さて、その後一日何も食べなかったとしよう。 一日で見ればカロリーが足りなかったとしても、 朝蓄えた脂肪はすでに脂肪になっている。これを燃やしてくれればいいのだが、 脂肪を燃やす回路が回りだすには糖質が足りない 状況がある程度続かないといけないので、 遅れる。そこで、燃やしやすい筋肉をバラしたり、 体温を下げてエネルギー消費を抑えたり、免疫などの不要不急のエネルギー消費を 抑えたりする。だるい気分にして運動を抑えるのもひとつと思われる。 そういうわけで、エネルギーが足りないと消費エネルギーを減らす。 しかし朝食べた澱粉がもたらした脂肪はそのまま残る。 つまり、カロリー制限をしても、食べる物と食べ方次第では太り続ける。

もちろん、血糖が上がってきた時に運動をしていれば、 この血糖が筋肉に使われるので脂肪になるのは防げる。 だから、澱粉を食っても運動していれば害は少ないわけだが、 血糖が脂肪に変わってからでは手遅れである。 血糖値が上がっている最中に運動をしているかどうかだ。 それを意識しなければ運動は役に立たない。

大福と、カレー内レンズ豆のコンボで昨日は凄まじく眠かった。 22時くらいまでには寝ていたっぽく、そのまま朝8時まで起きなかった。 ひつじこも昼間猛烈に眠くて、私がオタマを自転車に乗せて連れ出す羽目になった。

もう和菓子は無理。実家帰ったり、もらったりした時だけにする。 果物と、脂こってりで炭水化物の比率が低い洋菓子を基本としよう。 そして澱粉系の豆も少し比率を下げよう。眠すぎる。 レンズ豆の代わりにピーナッツを砕いてカレーに入れてみようかなあ。 ピーナッツバターを入れている担々麺屋が近くにあるが、あれはなかなかにうまい。 ああいう感じになるならいいんじゃなかろうか。

牛乳及び乳製品由来の飽和脂肪酸にまみれた生活を何ヶ月もしているが、 少なくともひつじこの血中の中性脂肪の濃度は並よりも低い。 肝機能、腎機能への影響も、血液検査の結果から見れば異常はなく、悪い兆候すらない。 飽和脂肪酸はおそらく悪くない。 食ったものがそのまま血に現れるわけではないのであって、 血の中に飽和脂肪酸がなんぼ多くても、 それは飽和脂肪酸を食った結果とは限らないということだ。

しかし、調査によれば、飽和脂肪酸の摂取量と血管系の病気の間には相関がある。 これはどう考えればいいか、ということになるわけだが、 この手の統計調査は良く見ないといけない。 本当に飽和脂肪酸量だけが変化しているかどうかが問題だ。 例えば、飽和脂肪酸をたくさん食う人が一緒に澱粉もたくさん食っていれば、 もはやこれは飽和脂肪酸の問題とは言えなくなる。 摂取カロリー、蛋白質、 糖質などの摂取量が同じままで飽和脂肪酸のみが増えるとどうなるかを 見なくてはならない。しかし、現実問題そんな調査は不可能で、 統計に処理を加えて他のものの影響を除くことになる。 しかし、その操作自体がうさんくいさいし、 おそらく糖質の摂取量の影響を除外するような 操作はやっていない。糖質が有害だなんて誰も言っていないからだ。 そう考えていくと、この手の調査はおよそ信用ならないことがわかる。 まだ放射線の影響を調べる方が容易い。

オタマが最近ペンギン好きで、ペンギン動画を良く見ている。 本当ペンギンって魚ばっかり食ってるなあ。 内臓ごと食えばそれで栄養は足りるんだろうなと 思わなくもない。人間の場合は内臓ごと食わないし、加熱で破壊されるものも多いので、 その分いろいろ食うことを強いられる。そういうことなのかもしれない。

菓子どころか果物もまた贅沢品で栄養的に必須というわけではないんだろう。 種は栄養豊富でも、その周りの部分は動物に食わせるためのエサであり、 植物的にはあまりコストを払いたくない。 植物にとって、澱粉やその構成要素である糖は比較的安いものだ。 光と水と二酸化炭素があれば作れる。 高くつくのはミネラル蛋白質といった、水と二酸化炭素からは作れないものであり、 そういうものは種に集中して、その周りにはほとんどない。 リンゴやミカンの可食部は、まさにそのエサではないか。

果物の多くが酸っぱいのは、種が完成するまで食われないようにするためと 思われる。「腐ると酸っぱい」は自然の法則であり、 酸っぱいものは食べないのが普通だ。熟すと酸味が薄れるのは、 その頃に食べてもらって種を遠くへ運んでほしいからである。ちなみに、クエン酸も、 水素と炭素と酸素でできており、枯渇するような材料を使わない。 植物にとっては安い物質なのだろう。 しかし、人間な変な生き物で、 「この酸味がたまらん」とか言って緑のミカンを好んで食ったりする。 セロリやネギの刺激も食われないための工夫のはずなのだが、そのせいで余計に 食われることになってしまった。人類は変な種だと思う。

チキンピーナッツカレーのレシピを見かけて、これだと思った。問題は肉だが、 ニンニク、トマト、人参、ナス、 といった野菜と砕いたピーナッツがあれば、肉を入れなくても十分味は整うと思う。 入れるとしても、別に真空気味調理をしたものを具として載せるに留めたい。 どうしても味が欲しければ、鶏がらのダシを取るとしよう。 私は、基本的には肉は煮ないことにした。

アーモンドって粉砕して煮たらドロドロにならんかなあ。 アーモンドにせよピーナッツにせよ、 60%くらいは油だ。50度以上の温度になれば液体である。 ピーナッツやアーモンドがでろでろにならないようにしているのは、 セルロースの繊維だ。 砕いてこれをある程度破壊し、その後煮込んで分子レベルで粉砕すれば、 中の油が出てきてでろでろになるように思える。 ピーナッツバターができるならアーモンドバターだってできそうなものだ。 ピーナッツバターは練ることでセルロースを破壊するが、 どうせ煮るなら煮た方が早いし、水のある状況で加熱した方が破壊は速く進む。 アーモンドも煮たらドロドロになるんじゃないのか。 とりあえず、一度実験してみるとしよう。 そのへんで売られている炒ったアーモンドは硬すぎるので、 また生アーモンドを買って水につけて柔らかくし、 粉砕した後で煮てみる。 もしうまくいくならアーモンドカレーも作れるはずだ。若干高くつくが。

デイリーポータルZの記事がおもろい。 なお、100g100円のサンマで計算すると、蛋白質を確保するのにおよそ300円かかり、 900kcalくらい取れる。あとなんか野菜食えばそれでいいんじゃね?と思うわけだが、 そうすると一日400円とかになって、これは結構高い。 キロ1000円を超えるものを主力に据えると食費が高くつくということだ。 豆をどう有効活用するかなんだが、それはそれとして 安くて使い勝手のいい魚の探求は続けていかねばならん。 イワシは身が崩れやすく扱いが難しい。鱗も立派だ。 アジは丸のまま買えるものはブランド物が多く高い。ゼイゴの処理も面倒だ。 サバが狙い目なのだが、信頼出来る業者からいいものを 買わないとヒスタミンが怖い。とりあえずはサンマと鮭か。

果糖は温度が低い方が甘い。しかし、甘さ受容体は体温付近で一番反応がいい。 そう考えると、低温での果糖の甘さはすごいということなんだろう。 また、甘さにも種類があって、持続時間は物によって違う。 ブドウ糖は結構長く甘いが、果糖は一瞬だけ甘い。 砂糖はその間だ。人工甘味料の中にはいつまでも甘くて気持ち悪いものもある。 何にせよ、もううちでは砂糖は買わないだろう。 ヨーグルトに入っているものが溜まってきたらチーズケーキを作る。それだけだ。

黒目豆(パンダ豆、ブラックアイビーンズ)のサラダはうまい。 蒸した後酢と油をまぶして冷蔵してある。 ただ、こういう皮が残る食べ方はオタマの下痢が不安だ。 あと、今回買った奴は発芽率が悪いので、あまり発芽させる気がしない。 発芽しない豆は腐るのみだからだ。 そもそも澱粉系の豆なので、あまり大量に食うと胃に重い。

野菜の食べ方はどうすると栄養効率がいいのだろうか。 加熱で壊れるのは事実だが、 加熱して細胞壁を破壊しないとそもそも吸収できず素通りする 可能性もある。誰か厳密な実験で確認してくれないものか。 生野菜重視派は宗教がかったノリの物が多く、全く信用できん。 しかし、科学的手続きにも限界がある。 食い物の影響なんて微妙すぎるので、 よほど大規模な実験を派手にやらないとどうにもならないが、 現実にはそんなことは滅多にできないのだ。 結局いろいろやれってことなんだろう。

果物は生で食う。野菜は加熱して食う。これでいい気がする。 レタスはオタマが食わないので、 滅多に買わなくなってしまったが、ほうれん草などの葉野菜も煮てしまえば食える。 キャベツのように煮過ぎると嫌な味になるものでなければ、 煮てカレーにしてしまっても いい気はしてきた。今回はブロッコリーとオクラをカレーに入れてみたが、 特に問題はなかった。

ジョジョのアニメ。この上なく良くやったと思うが、 どうしても馬鹿っぽい。原作からしてある意味では馬鹿っぽいわけだが、 作者が本気であることは明らかだった。 当時の作者にとってあれは全力だった。そうでなければあれほど面白かったわけがない。 アニメも全力なんだと思うし、実際これ以上どうできるとも思えんのだが、 しかしそれでも、原作の全力とは少々違う。

こうやって編集されてわかるのは、原作がどれだけゆっくり進んだかということだ。 バクマンで描かれるようなアンケート至上主義っぷりは、 荒木先生に関しては例外だったとしか思えない。

つうか、石仮面かぶるシーン、親父素早すぎだろ。 カメラをずっと向けといたら一体どんな動きをしたんだろうか。

コーディングの見学ってたまにしたいよな。誰かがコード書くのずっと横で見てるだけ。 10時間くらい。 そういえば、学ぶ側でなく教える側としてそれをやったことはある。 そうやって一年下を教えてた時期があった。 何かあると突っ込みを入れる役目。 なかなか高く付く教育手段だが、効果は間違いない。

2012年10月20日

牛肉の薄切りを買ってきて、70度くらいのコンブダシでゆでて食べた。 驚くほどイマイチだった。ゆで汁に醤油や酒を入れて調味したが、 やはり驚くほどイマイチだった。牛ってダシとしてはダメなんだな。 そして、牛がうまいのは固まりをステーキにした時だけなんじゃないかという 気がしてきた。牛でハムを作ることが稀なのは 単に牛が贅沢だからということではない気がする。 脂肪の融点が高くて生で食ってもおいしくない、というのが主因だと聞いてはいるが、 単純にうまくないんじゃないのか。 同じことを豚や鳥でやれば、少なくともダシ味がイマイチになることはない。 臭みが問題になるので工夫はいるが。

昨日は鮭をポーチした。塩胡椒とレモンを入れた湯に鮭を入れて、 沸騰しない程度で加熱する。これはなかなかに良かった。 最適に近い加熱を短時間でできる。若干汁に味が逃げるのが欠点だが、 水の量を減らせば軽減できるし、スープとして飲めるので栄養的には損失がない。 ただ、スープの味はだいぶ工夫しないと微妙。 飲んでしまわず保存しておいて、カレーか何かを作る汁に使うのが賢いかもしれない。

豚や鳥も同じ調理法で手軽に食べられる気はするが、 塩をまぶして数日熟成させないと味が出ないので、それほど手軽とは言えない。 魚も塩はするが、熟成というよりは、調味と、脱水して身を締めるのが主目的なので、 時間は半日もいらないからな。 とにかく鳥や豚を買ってきてすぐに食べるのはもったいない。 1%程度の塩をまぶして2日くらいは置いた方がいい。

もしかして、牛も塩振って3日くらい経ってからステーキにした方が うまいのだろうか。

2012年10月19日

そういう物言いが良くないのはよくわかったのでがんばる。

宴会は苦手だ。しゃべりすぎる。聞く側に徹したいが、 一旦話し始めると止まらなくなる。 対人スキルが低すぎるのはどうにかせねばならん。 これから仕事の対人度が増す予定である以上、 聞く技術を鍛える必要がある。 とりわけ、相手の考えを引き出す必要がある。 黙って聞いている人が賛同しているとは限らない。

議論するスキルよりも、議論させるスキルを優先せねばいかん。 何かを決める際にも、そこにいる人全員が自分で決めたように思えることが理想。 権限があるなら私が決めてもいいのかもしれんが、 そういう権限が手に入る予定はないし、 あったとしても、自分で決めたと思ってもらった方がその後が楽だ。 そうでなければ結局は意味のある決定にならない。

一方的なプレゼンスキルは、たぶんそう悪くない。 文書に書くにしろ、話すにしろ、前もって設計しておけるような ものに関してはそれなりにやれるようになった気がする。 しかし、リアルタイムに反応を見て調整するスキルはまだまだだし、 相手から情報を引き出すことに関してはまるでダメだ。 だが、それができねばマネジメントの仕事はできん。

でも今は本書かないとダメだろ。

TARITARIは開始1分で何の話なのかわからんのが辛いな。 面白いかどうかわかるのに30分かかるのは当たり前だ、 と少し前までは思っていたはずだが、今はそうは思えない。 時間がないというのはこういうことか。

メモリって4GBで1500円とかなのか。 メモリなんて一定量あればそれ以上には性能が上がらないわけで、 大半の人は1500円以上かける必要がない。DRAMって本当終わったんだな。

スワップパーティションって必要なんだろうか。 その分実メモリ増やせばよくね? メモリ1ギガ+スワップ1ギガと、メモリ2ギガスワップなしでは 後者の方がいい気がするのだが。 今スワップが必要だとすれば、それは16GB積んでも足りないような 恐ろしい使い方をしているか、 メモリに比例したスワップの量がないとまともに動かないような アルゴリズムでOSが書かれているかのどちらかだろう。 後者はありそうで怖いが、メモリが足りてるのに敢えてHDDに書き込むような マネをする理由がわからないし、やっぱりそんなことはなさそうな気がする。 しかし、なしにして得られるものがあるわけでもないわけで、 敢えて実験する理由がない。 SSDで書き込み回数を気にする、とかいうことがあれば別だろうし、 HDDに触る頻度が低いほど壊れにくかろうとは言えるだろうが。

そろそろOSから仮想ページに関するコードが消えても誰も困らない状況に なったりしないんだろうか。16GB積んでも1万円しないわけで。 コードも短くなってうれしいと思うんだが。

レジスタ、キャッシュ、メモリ、SSD、HDD、光ディスク、ネットワークの向こう。 記憶の階層はそんな感じになっている。 光ディスクはほぼ消えた。HDDもSSDの容量単価が下がり、 小型の機器のシェアが増えるにつれて、 マニア向け以外は消える。 次はメモリだよなあ。レジスタとキャッシュはCPUの中に作りこまれている。 CPU側に食われるか、ストレージ側に食われるかだ。 ストレージ側に食われるには、ストレージがコストを保ったまま メモリに匹敵する速度にならねばならず、 ソフトウェア側もガラリと変えないといけない。 それには時間がかかる。 CPU側に食わせると拡張が不可能になり容量も制約されるが、 ソフトウェア側から見れば何も変わらないし、 大半を占める普通の機械では問題にならないだろう。 加えて、劇的に高速化するだろうし、部品が減って安くなり、電気も食わなくなる。 別のチップで居続ける限り性能は上がらないし、 小さくもできないし、電気も食うわけで、 メモリが独立した部品としては消えるだろう、ということは間違いないと思う。

電子の数は整数で、離散的だ。1.5個の電子、というわけには行かない。 しかし、電子の数が離散的に見えるくらい小さな世界でも、 まだ抵抗は連続的に見える。なので、抵抗の変化をメモリとして使えば、 電子の数で記録するよりも小さくできると。なるほど面白い。

情報を記録するには位置なんかも使える。左に置くか右に置くかで1bitの記録ができる。 左、左気味、右気味、右、と4段階にすれば2bit記録できるし、 左右を判定するための距離を半分にすれば、1bit記録するのに必要な空間は半分になる。 抵抗が何によるのかは知らないが、何かの位置の変化が電気的には抵抗として現れる、 ということなのであれば、わかりやすい話だ。 原理的には、位置が量子化されるようなスケールや、 不確定性原理から位置を見分けられないスケールまでは微細化できることになる。 しかも、容量を増やす手法が多値化と微細化の二つあるので、自由度も高い。

何かを記録することの物理的な限界ってどうなんだろうな。 以前何かの本で、エネルギー量を記憶媒体として見たときの 限界みたいな話を読んだ気がする。 位置もスピンも結局はエネルギー状態の一種として見ることができるので、 これが一番大きな見方だ。 そして、エネルギーで見る場合、保存媒体が安定的な物体であるとすれば、 質量あたりの記憶密度、という概念になる。 「鉄原子一個あたり何bit」みたいな話だ。 不確定性原理と、使い得る質量から記憶密度の限界が示されていたが、 それは今の何兆倍とかいうレベルですらなく、無限としか思えない値だった記憶がある。 惑星まるごとの質量を演算装置あるいは記憶装置として使った場合の限界性能、 みたいなスケールのデカすぎる話があってワクワクした。完全にSFだ。 なんぼなんでもそれを限界として採用するのは楽観的すぎるだろうが、 まだ人類には伸びしろがあると思っていてもいいんだろう。

今の電子回路は、電圧の高低を使ってビットを送っている。 電圧の高低はノイズの影響を受けやすいので、あまり認識に必要な電圧差は小さくできない。 変化の周期を速くすれば電気を食う。 結局速度と電力を改善する最大の手段は距離の短縮ということになるわけだ。 遠距離の輸送が光ファイバーになったのはその限界を突破するためだろうが、 チップ内みたいな短距離の輸送を 光に置き換える方法はまだわかっていないし、 そうすべきかどうかもわからないと。 配線が原子レベルに小さくなってきた時、 電圧変化で情報を輸送することに不安は ないんだろうか。

なんつうか、このへんの技術はよくよく考えてみるとすごいな。人類すげえ。

今の半導体技術は「すごい印刷」なので、記憶密度は面積あたりだ。 これが高さ方向に伸びて体積あたりになれば可能性はぐっと広がることになるが、 それを面を重ねることでやればコストが重ねた数だけ増えるのでおいしくない。 三次元的に成長する何か、みたいなもので三次元的な素子を作る何かが 出てこないと、本当の意味では三次元化しないんだろう。 そういうことをしようとすると惑星表面で 重力があることが邪魔になったりするんだろうか。 普段惑星表面で生活していて、重力が当たり前にある状況であることが、 3次元を平等に扱うようなアイディアが出てくることを阻害している、 なんてこともあるのかもしれない。無重力が日常になるような状況でないと 出てこない発想、というものはありそうだ。 もっとも、その環境に生物学的に適応できるかどうかはかなり怪しいわけだが。

2012年10月18日

経済学者やら政治家やらの人にはいろんな人がいていろんな意見がある。 それぞれがそれぞれに反論したりしているので、 全部ウォッチしていれば誰が誰とどの点で違うのかがわかるのかもしれない。 だが、こっちはそんなことをするほど暇ではない。 従って、誰かが「誰と誰は何がどう違っていて、それはなぜか」 というのをまとめて伝えてくれることを求める。 それをやる審判役が信用できるかという問題があるのであれば、 問題の人数人を一箇所に集めて話をすればいい。 頭がまともで議論のルールがわかっている人間が集まれば、 それぞれが「オレは奴と何が違っていて、その理由はなんだ」 ということを自覚するだろう。それを集めて整理すれば目的は達せられる。 しかし、これもまた「議論のルールがわかっている頭のまともな人間」 という条件が現実にはそうそう満たされないので難しい。

高橋洋一氏はwebに頻繁に考えを書いている。 さて、問題は誰が違う考えを持っていて、どう違い、それはなぜか、 ということがよくわからないことだ。 だから、高橋洋一氏が正しいことを言っているかどうかの判定はできない。 少なくとも私にはできない。

判断は、ある種の関数の出力である。y=f(x)なる関数があって、 判断がやるかやらないかなのであれば、例えばyは0か1かだ。 問題は関数fの形がどのようなものかと、入力のxはどのような値か、 ということに依存する。 何人かの専門家が同じfを共有していて意見が違うのであれば、 それぞれの人が考えるxが違うことになる。 xは測定可能なはずだから、客観的な手続きで合意に達しやすい。 しかし、おそらくほとんどのケースではfがそもそも異なる。 そこで、まずは誰がどういうfを持っているのかを明らかにせねばならない。 その上で、それぞれのfの違いを何らかのパラメータで表現できるような、 別の関数g(x,p)を設ける。gはpさえ変えればf1にもf2にもなれるような関数だ。 こうすることで、関数gについて、入力x,pは何か、という問題に帰結するから、 合意しやすくなる。

この手続きは複数人が関わるあらゆる判断についてやらねばならないことだ。 AとBが違う意見を持っている時には、まず、 「こういう状況ならこうすべき」という考えに違いがあるかどうかを考える必要がある。 例えば、利益を優先すべきなのか、ブランド力を優先すべきなのか、 というところに違いがあるとする。f1,f2だ。これらを包括してgにするためには、 「利益がいくら増えるなら、ブランドをこれくらい犠牲にしてもいい」 といった交換比率的なものを考える必要がある。この交換比率がpだ。 そうすれば、利益とブランドという二つの要素が入った関数gが出来、 どちらをどれくらい重視するかというパラメータpを決める問題に帰結する。 あとはpがいくつなのか、といったことを話合えばいい。 また、同時にxについても認識のずれがあるならば正す必要があり、 それぞれが実は違う数字を見ているような場合にはすり合わせる必要があるし、 そもそも全く違う数字を見ているようであれば、これをgに反映させる必要がある。

fやgというのは判断のプロセスであり、思想そのものである。 これがずれたままではそもそも議論ができない。 しているように見えても、それは議論ではない。悪くすればただの言い争いだし、 良くても雑談だ。雑談が必要な局面もあるが(いわゆるブレスト)、 何かを決定しようとするならば生産的ではないし、後で必ず問題になる。 もちろん、完全に合わせることはできないし、 時間の制約から合わせる手間をかけられない事もあるが、 これを根こそぎ放置したまま決定を始めようとするから問題になるのだと 私は思う。これまで社会における意思決定をいろいろと見てきたが、 「何についての問題で、どういう考え方で決めるのか」について合意 する段階を踏んだ例を見たことがない。 だが、これを済ませて問題がパラメータの違いに落ちてしまえば、 合意はできなくても理解はできる。 誰が何で妥協したかがはっきりとわかるし、 後々正しかったか間違っていたかを検証することもやりやすい。

増税すべきか、歳出削減すべきか、といった問題でこうも割れているのは、 論者の間で関数型が共有されていないからだ。つまり、まだ議論になっていない。 小学校のクラスからEUの首脳に至るまで、ありとあらゆるところで これが問題になっているのだろう。 しかし、それぞれの利害がある場合には、そもそもそれぞれに議論をする 気がなかったりもするので、これは解決しない問題なのだと思う。

私はたぶんこのことを小学生の頃から知っていたんだと思う。 クラスで議論がまとまらなくなるとだいたい私がしゃしゃり出て整理していた。 しかし、それは私がどうでもいいと思っていることについてだけで、 私がこうしたい、こうあるべきだと考えることについては、 そんなことを考えることはできなかった。 私もまた議論にならない言い合いに参加する有象無象に成り果てていた。 これは今でもそうなのだが、いいかげん脱するべきだろう。 自分に考えがあるケースであっても、 それを相対化して見るスキルを身につけないといけない。 そうした方が自分の考えも通しやすい。

糖質制限にしても投資にしても教育にしても、答えを知ることが目的であって、 特定のやり方を信じることは目的ではない。 糖質制限についても「似非科学にはまってまともな判断ができなくなっている」 と心配されているようだが、これに関してもそれぞれのfがどのようなものかを はっきりさせ、gを作り、入力pとxについて議論する、 という手続きをせねば話が始まらない。 そういった話をする場がない以上、私は自分で肯定否定両方の情報を集めて、 自分の関数型fにもとづいて判断するしかない。

毎日5万円くらい資産が変動する。サブプライム直後も変わらず買っていたせいで、 為替レートがこんなでも海外株と海外不動産はえらい値上がりだ。 不動産は5年で+20%とかで、年率4%と考えると相当いいリターンである。 そして、海外債権も円安時代に買っていたファンドはマイナスだが、 ファンドを乗り換えた後の分はプラスになっている。 たぶんドル78円くらいというのは安くも高くもない水準なのだろう。 生産力的には過大評価だろうが、資産収入まで考えれば過大評価とは言えまい。 この過大評価によって生産力が十分に落ちて、資産収入も落ち込んでくれば、 また円安に振れるんだろう。

暴落タイミングは大変なチャンスである。安く買えるからだ。 値下がりのスピードが速い時にはまず一旦売り、十分下がってからまた買い直す、 というのが正しい戦略だと言う。しかし、これで得る利益が手数料を上回るかどうかは 難しい賭けだ。 落ちたところからどんどん上がって行ったりすると買い戻すタイミングを つかめないまま機会を見逃すことにもなる。やっぱり自動でいいや。 このまま行くと、年明けくらいには普通預金の在庫が尽きて 個人向け国債や日本債権投信を売っていく状況に移る。

次世代不揮発メモリがモノになったとして、 それがうちらに何がしかの影響を与えるのはどういう形になるか。 最初はキャッシュに使われたりするくらいで影響は大して見えない。 最初はメインメモリの置き換えだろうか。 容量は大して多くなくて済むから実現は早いだろう。 何もしてない時間はメモリの電源を切ってしまえるようになるから、消費電力が下がる。 その後十分安くなったらストレージも統合されるんだろう。 最初は部品が減るだけだろうが、まずはRAMDISK的な扱いでやり、 いずれはハナッからファイルシステムなるものが 存在しない作りに変えていくことになる。 データ転送の消費電力も減るし、ロード時間もなくなる。劇的に使い勝手が変わる。 で、最終的にはCPUをメモリの一部に作りこんでしまうようになると。 CPUとメモリの間のデータ転送が安くなり、部品も減る。 ここまで何年かかるんだろうなあ。 それにどれだけの経済的な利益があるかによるんだろうが。 性能や消費電力は先進国の金持ちにとっては意味があるが、 一番重要なのは安さだろう。部品が減れば安くなる。 熱が出なくなれば排熱の設計その他のコストが安くなる。 電気を食わなくなれば電池を小さくできるので安くなる。 次世代不揮発メモリが携帯端末の値段をどれくらい下げるか、ということだよな。結局。 最終的には1980円とかで買うのが当たり前な代物になって、 金はサービスで取るような状況になるのだろう。

バクマンを9巻まで読んだ。面白い。 ジャンプ漫画の範囲でジャンプ漫画を漫画にするってのはすごいな。

iPadが重い。あと、見開きで読む場合、解像度的は足りているが、大きさ的に辛い。 そして、そもそも液晶という自分で光る機械を見続けること自体が辛い。 なお、解像度的には十分で、texbookすら読める。脚注の文字にも不満は感じない。 しかし、白いドットの光が黒いドットに漏れてくるため、 解像度が足りていても字が読みにくい。 これは液晶という機械の限界だと思われる。光ること自体の問題だから、 有機ELでも変わらず駄目だろう。 電子ペーパーの類が超進化をしない限り、 見開きで本を読むなら画面サイズはもっと大きい必要がある。 そういうわけで、私は結局見開きでは読まなかった。 ただ、文字だけの本なら白黒反転でだいぶマシになるとは思われる。

一番不満なのはやはり重さ。3時間も読んでいるとだいぶ辛い。 見開きを諦めるなら、ここまで大きい必要はない。 ipod touchなら重さの問題はないが、今度は小さすぎるし、解像度が足りない。 そう考えると、7インチ程度で、 解像度は1536x1152程度を確保したまま極力軽くしたような機械があれば、 PDFを読むのには現状最適解ということになる。 もちろん、10インチであっても重さが半分とかになるならそれはそれで歓迎だ。 しかしそれは難しかろう。 次のiPadはおそらく電池も減ってなんぼかはかるくなるんだろうが、 500gを切るというわけには行くまい。 なるほど、7インチのタブレットにははまる用途がある。

iPadの小さいのが出るという噂だが、噂によれば解像度は1024x768。 それは足りん。texbookを読めない。 ジョブスは7インチはゴミ、と言い張って出さなかったそうだが、 それは理想形を見ていたからなんだろう。 確かに画面サイズが中途半端だ。 しかし、現状10インチの機械を十分に軽く出来ないのであれば、 過渡期の製品としてはアリだと思う。

iPhone5は性能ではゲーム専用機並かもしれん。 しかし、APIがGLではオーバーヘッドがでかすぎて 同じ性能の機械には負けることになる。 とは言え、もう一回世代交代すればオーバーヘッドが なんぼあっても逆転できないレベルになりそうだ。 あるいはもうなっているのかもしれん。 もっとも、電力制約があるので全力で何分回していられるかという問題は残るだろうが。 ゲフォ7800と同等の性能を1W未満で出せるようになる日はそのうち来るんだろうが、 まだ結構かかるだろう。

2012年10月17日

投資もうかってんなあ。 日経平均が8700円しかなく、ドル78円でもプラスになれる。 もっとも、ファンド別に見れば激しくマイナスなものもあるわけだが。 日本株はマイナス10%、海外債券はマイナス4%。 日本株はずっと悪化。海外債券は要するに為替レートの問題だ。 投資してると経済の状況が数字でわかっておもろい。

ひつじこ血液検査。何もかもが優良。空腹時血糖値81、 HbA1cが4.7と糖尿病の気配は全くない。 中性脂肪も40。これだけ油まみれの生活をしているのに並以上に正常。 コレステロールも正常範囲の中央付近。 高タンパクで不安だった腎機能や尿酸も、正常範囲の中央付近。 肝機能も完璧と言っていい。栄養状態もいい。総蛋白も多いし、アルブミンも並だ。 よかった。ひとまず安心だ。そんなにおかしなものを食わせているわけではない。

もうちょっと蛋白質を増やしてもいいな。ただ、アミノ酸スコアが悪いと 腎臓に負担がかかるので、増やすなら動物性のものか。

もしかして、魚と乳を主体にしてたまに野菜、という程度で十分なんじゃないだろか。

ベルセルクの映画。CGここまでやれるようになったかと思うと感慨深い。 しかし、モブの顔はCGそのまんまで生気がなく、変。

西洋が戦争まみれだったのは、経済的合理性が略奪の側に傾いていたからだろう。 皆が生産をがんばればみんなで幸せになれるが、 それをぶち壊しにする奴を止められない状態だと、うまく回らない。 治安や所有権が保護されない状態では、生産をがんばる気にはなれない。 結果略奪に走る。そもそも、土地の生産力が低すぎて長期の 定住農業が困難なので、移動の頻度が高い。 当然衝突は起こりやすく、略奪したくもなる。 西洋はずっとそういう状態だったということか。 そういう状況で何世紀と過ごした筋金入りの野蛮人が、 今文化だ秩序だと言って地球の支配者になっている。

みたいなことをベルセルクを見ながら考えるわけだが、 日本も戦国時代の戦争のマジっぷりは凄まじく、 土地の生産力が高い分人口も多く、戦争の規模は比にならないレベルだった。 万単位で本気の殺し合いをする状況は歴史上それほど多くない。

江戸時代は制度はクソだった。しかし、建前としては厳格にクソな制度だったが、 運用がザルだったので、クソさを十分には発揮せずに済んだ、 というのが「もうダマされないための経済学講義」にあったことだ。 江戸時代がどれくらい豊かな時代だったかはよく知らない。 クソな制度だけを見れば、経済成長なんてロクになかったはずだという結論になる。 抑圧されたものが明治になって解放された、という見方だ。 しかし、それだけでは説明はつかない。教養のある人間がそこかしこにいて、 庶民のレベルが高くなければ明治の飛躍は無理だ。 それほど制度は厳格には運用されていなかったと見るのが妥当なんだろう。 地方分権の度合いも今の日本よりは高かったわけで、中央が押し付けるクソな制度が それほどの実効性を持たなかったと考えるのは理にかなう。 正直よくわからん。

江戸時代のせいで今の日本人が平和ボケしているという説は一理あるが、 あれがあったから白人でない民族が破滅的な敗戦にまみれた 後わずか数十年で先進国になっているという見方もある。 なんにせよ歴史に関しては実験が出来ない以上、 現代は過去のすべての出来事の上にあると 考えるのが基本だろう。何かが違っていれば、今はこうなってはいなかったはずだ。 何が効いたかはわからないが、 とりあえずこうしてヌクヌクと私が暮らせているのは事実なわけである。 戦争をふっかけて原爆を落とされたことも、この現代を実現するためには 必要なことだったと考えるべきなのだろう。 さて、オタマも同程度にはヌクヌク暮らせるようにしてやりたい。 私の家は明らかに裕福だったので、「相対的な金の量」に関しては無理だが、 技術や社会の変化分を加味すれば十分プラスなはずだ。 喫煙率は顕著に下がっているし、住居の快適性も上がっている。 コンピュータに関しては比較にならない。 デフレとか関係なしに、1円の価値は30年前に比べて桁外れに高いと言える。

中曽根はインタビューで、今の政治はスケールが小さくで駄目だと言っていた。 経済的合理性だけで考えると経済的合理性すら失う、ということはあるんだろう。 橋下氏は私にとってはわかりやすいが、 ああいう人から見れば小さく見えるのかもしれない。

tex的なもの作りたい。たぶん一回作るとtexがもっとよく分かるようになる。 出来が悪いものにしかならず、 結局自分でも使わないで終わるにもかかわらず自分で作る、 ということの価値は何よりも学習にある。確実に一段上の自分になれる。

しかし、今必要とする水準でいいならあっさりできそうな気はするんだよな。 最終的な組版は出版社でやるのであって、必要としているのは、 校正のためにそれなりに見えるものを作ることと、 他形式への変換を自由にやれる状態にすることだ。 それを、texの不満なしにやれればそれでいいわけである。

絶望的にできない気はしない。もし半年くらい時間があるのなら、 目的は十分果たせるだろう。 パーサを手書きする経験はもうある。グリフ情報についての知識もある。 簡単な文字列配置は書いたことがある。 texの配置アルゴリズムは以前texブックを読んだので おおよそ知っている。どういうマクロが欲しくなるか、 マクロ定義にどういう問題点があるかも なんとなくわかってきた。あとは、PDFを出力する事についての知識と経験があれば、 とりあえずいい加減なものは作れるんじゃないのか。

でも今はtexか。しかし、もし自分で組版して電子出版、 みたいなことになるのであれば、 HTML5とかの知識も仕入れた上で、 何かしらtexでない手段でやりたいとは思うようになるだろうな。

解像度や動作速度が無限で、 重さや電力などを無視できる電子ブックリーダーがあると仮定する。 この時、文書を「固定サイズページ」によって分割する 今の紙の本のやり方を残すべきか。 HTMLにおいては、とっくの昔に固定サイズのページの概念はなくなっている。 美観の問題を無視した時、固定サイズのページ分割は 人間にとって利益のあるやり方だろうか。

最後までスクロール、でも横に目次が出ているなどして 好きな場所に自由に飛べるし、戻っても来られる、 という場合、ページという単位に分割する利点はなくなる。 電子書籍においてページの概念は不要な気が濃厚にしてきた。 現状の電子書籍はUIに問題があるために 本と同じ構成にせざるを得ないだけなのではないか。 HTMLでだらだら長いと読みにくいが、あれも単純に表示性能やUIの問題があるだけで、 それらが解決されたらあれでも困らなくなるんじゃなかろうか。

文書はどういう構成がいいんだろう。時間は一直線上で枝分かれしないのだから、 人間の認識もおおよそ一直線上だ。だから、 ハイパーリンクが張り巡らされたような構造で 文書を構造化するのはたぶん変で、 ページを使う使わないにかかわらず、基本は一直線の並びになる。 とそう考えるのは自然だが、本当にそうか。 もしかすると、この先ハイパーリンクに慣れ親しんだ人類は、 一つのものを最初から最後まで線形に見る、 ということをしなくなるのかもしれない。 youtubeは数分の動画がリンクでつながった構造と言える。 30分番組を、数分の場面が複数線形につながったものと見れば、 オタマはすでにそういう見方はしていない。 しかし、アニメなどは構成要素がすでにして数十分から数時間と長いわけで、 こういうものは切りようがない。 もし世間がこういう長いものを嫌うようになっていけば、 いずれ長いものは作られなくなることになる。

やっぱ線形でいい気がする。それでいい分野は絶対に残る。 ただ、つまみ食いできるように作るべき範囲は 確実に増える。そんなところか。 あるコンテンツを見る前の脳の状態と、見た後の脳の状態は違う。 現在がすべての過去に依存する一直線の時間の中に、脳はある。 長いものが好まれなくなる傾向は増すかもしれないが、 しかし長さが本当に必要なのであれば、それは受け入れられるはずだ。 どういう順で読んでも構わない、というような作りは、 それが可能ならば歓迎されるだろうし、 その場合にはコンテンツの並べ方もそのようにすべきだが、 依存関係があるなら無理に変な構造にする必要はない。 コンテンツ側でも必要な配慮をし、UIに必要な工夫をきちんと凝らし、 機器側の問題を除いていけば、 いずれ電子書籍は普及に値するものになるはずだ。 そういう段階の電子書籍は、もはや紙の形では表現できない何かなのだろう。 逆に言えば、紙にできる形式をしているうちは、 それはまだ本当の電子書籍にはなっていないということかもしれない。

texでページ高さをすごく長く設定してレイアウトさせたら、 だらだら下に伸びていくようになるんだろうか。 そう思って試そうとしたが、紙のサイズに変な数字を設定する方法が見当たらなかった。 仮にあったとしても、pdf化の際に紙のサイズを指定しているので無理だ。 巻物みたいに長いpdfも作れるんだろうが、 dvipdfmxというプログラムが対応しているかはわからない。

制約がなくなるということは、レイアウトが動的に変わりうるということだ。 例えば文字の大きさはカスタマイズされうる。 根本的に、組版は実行時に行う処理になる。とすれば、 画面に映るところだけを組版するような形になるべきで、 それを可能にする方法も提供しないといけない。 なんか試してみたいなそれ。

職場の女性比率が低いことはたぶん損害になっている。 もしかしたら、多少無理をしてでも女性比率を 高める工夫はした方がうまく行くかもしれない。 1/10すら怪しいからな。せめて1/5くらいまでは持っていくべきだ。 しかし、もちろん理想は「優秀な順に取ったらそうなった」であって、女性がもっと うちに来てくれる状況を作らないといけない。プログラマであっても、 若干率は下がるかもしれないが、こんなにレアな状態は絶対良くない。 性差はあるにしても、それはあくまで統計的なものであって、個別に見れば話は別だ。

性差があるとするならば、女性にとって学びやすい プログラミングの教育法というものはあるはずである。 今のところそれがどういうものかはわからない。 しかし、とりあえずは男女関係なく、 あからさまに駄目な所を直すところから始めよう。

なお、九州大学で講義をさせてもらったことで、 女性がどういう所で引っかかるかがなんとなく見えてきている。 論理の鎖をつないでいく力が弱い人が多い。 「こうなって、だからこうなって、だからこうなって」を連鎖させられない。 しかしこれに関しては程度の差こそあれ男も苦手なのであって、 そういう考え方を強く要求する教え方や覚え方自体がアウトだと考えるべきだ。 また、どうしても必要な部分はあるのだから、 そういう考え方をする能力そのものを鍛えることも 平行して行う必要がある。 そこを端折って何もかもを丸暗記でカヴァーしようとしたことが間違いだ。 体験は理屈でつながないとバラバラなままであり、 体験を重視する教育そのものは悪くないが、 それだけでは役に立たない。

なお、サンプルは少ないものの、丸暗記に関しては女性に分がある印象がある。 女性に対しては、まず丸暗記して何かしら目的を 達せられる状態を作ってモチベーションを保ってから、 仕組みの理解へと進めることが有利になる可能性はある。 男女の性差を質的な違いとみなすのではなく量的な違いとみなせば、 同じ教え方のシステムでパラメータだけを調整する、 というような考え方ができるはずだ。 「記憶論理比」みたいなものは人によって違うはずで、人によって最適なバランスで 教えることができれば、その中に男女の性差が織り込まれることになる。 真っ二つに分けて別々に考える方が早いかもしれんが、それをやるとそれぞれの集団で 外れた人が犠牲になるし、最終的には効率も悪い。 現実問題男女でクラスや教材を分けるのは 現実的ではないからな。

女の方が丸暗記が得意、ということに関しては調べると結構出てくるな。 一応裏付けがあるということか。

DiXiM Digital TV Plusのサポートにメール。再生開始が遅いんじゃー。 30秒以上かかるのはいくらなんでもおかしいだろ。 ネットワーク環境とは到底思えん。CPUが足りないとも思えん。 ディスクアクセスでもなかろう。 nasneのせいかと思ったが、もしそうならもっと問題になっているはずだ。 というわけで、わからないのでサポートに投げ。 あー帰ったら私のマシンに体験版を入れて、他のマシンでも再現するか確かめておくか。 体験版が一週間で動かなくなるので、 問題が起こる度に入れなおす羽目になってすごく面倒くさい。

こういうソフトウェアメーカーってもうちょっとどうにかならんのかな。 ユーザ体験って言葉知ってるか?と言いたくなる。 SoftDMA2という競合ソフトはまだnasneが動かないらしいし。

texbook読まないと話にならん。さすがに内容忘れたし、 細かいことまで覚えていられるわけもない。 どこまでがtexでどこからがlatexなのかを知らないと 藤田氏の本は読めないという結論。

日本語訳を中古で買うか、英語の原著を買うか、タダで置いてあるPDFを読むかだ。 今だけ考えれば日本語訳を買うのが正しいが、英語のPDFは山ほどあり、 それを読むのが苦にならないようにしておくことには大変な利がある。 しかし、クソ長いPDFをデスクトップのモニタで読むのは苦行であり、 作業しながら読みたい場合にはとりわけ困る。 となると、別の機械が欲しいわけだ。 PDFを読むのに丁度いい機械の特性は何か。

解像度は極めて重要。1ページづつ読むことは適切ではなく、 見開きで読めてナンボである。 見開きで字の小さな英語の本を読むには、縦解像度が1200程度は必要だ。 正直これでも脚注が読みにくく、この1.5倍くらい欲しい。 と考えると、現状選択肢はiPadしかない。ビューアのUIを云々する以前に、 解像度という条件で他の機械が全部消える。話にならんわ。

原著はリング製本なので、開いたままにしておける。これすごい重要。 PDFでも同じことができる。これだけ取っても日本語訳を買うという選択はない。 翻訳がやばいリスクもあるからな。

当たりをつけて1操作でおおよそ目標に近いページを開く、という操作ができる PDFアプリはないのか。これをコンピュータ上で自然なUIで できるようになると全然違うぞ。 とりあえずはスライダーでページナビゲーションができるだけでいいのだが、 そんな簡単なものをなぜ実装しない。

texをまともに学ぶには、texとlatexの原典をそれぞれ読む必要がある。 texbookを読まないと、レイアウトのアルゴリズムがわからない。 他の本には基本すら書かれていないからな。 また、何がtexオリジナルの命令なのかがわからないのでマクロを書く時にこまる。 次にlatexの原典を読まないと、latexが何をしようとしているかがわからない。 それがわからないと、どこまでlatexでやるべきで、 texを直接触ってもいいのはどこからか、 ということがわからない。望ましいやり方も見えてこない。 日本語の有象無象の本は、手っ取り早くとりあえずやりたいことをやるには使えるし、 日本語特有の問題を扱うには必須で、まともな仕上がりの本を作るのにも必須だが、 それは後のことだ。 問題なのは、原典二冊の要点が初心者に伝わるような 日本語の本がないことである。そりゃ先細るだろ。 「ここの四分アキが云々」みたいな話は上級者向けなのであって、 そういう話をする前にやることがあるはずだ。奥村本は細かいことが多すぎる。 一番大切な所を200ページくらいでうまくまとめて、2000円で売るべきじゃないのか。 そして、マクロを作ったりできる中級者以上に持っていくための本を その続編として500ページ3000円くらいで用意することも必要だと思う。 texを普及させたくて本書いてる人なんて何人かしかいないんだから、 結託してある程度すりあわせて本出せばいいじゃん。

何かと不満に思うことが多い今日この頃だが、自分で作ったらいいんだよな。 作ってみれば、それが仕方ないことであることが理解できるかもしれんし、 そうでないかもしれない。いずれにしても、作ってみることは高密度な学習であり、 無駄にはならん。作ったものは99%無駄になるけどな。

「不満に思ったので自分で作ってみる」をうまく職業化できないかな。 その成果や過程を商品化する方法はあるはずで、 前回の本はそうだし、今回の本もそうだ。 しかし、基本的にモノは金にならないのであって、 例えば望みのUIを持つPDFビューアを 作ったとしても、それで金が取れるとは思えん。 社会の役に立てるならやりたいとは思うが、 金になる算段が立つか、別の手段で金が確保されるかしない限りはやれない。

コーディング能力と文章能力は私の柱だ。 10年以内にもう一本マネジメントの柱が加わるようがんばろう。 現場でリーダーやってる人を見てると、差が開く一方なのを感じる。 部下がいない気楽な立場のままでは世界が広がらない。 本書き終えたら本気で上に行くことを考えたい。 この場所で上に行くことが必ずしも解決策とは限らんかもしれんが。

texの本は「数式がこんなに簡単に書ける!」とか言うのをやめた方がいい。 wordの方が簡単だと思う人がいる理由をよくよく考えてみれば、 そういう言い方はできないはずだ。 wysiwygな手法に比べて優位だという考え方は捨てるべきだろう。 「wysiwygじゃないやり方もあるんだよ、 オレがそれを気にいってるのはこういう理由だ」 という程度の書き方にすべきだ。 wordをいくら貶した所でどうにもならんし、かえって旗色が悪くなる。

電子書籍はEPUBというXMLベースの方法になるのか。 とは言え、配布ファイルはバイナリなわけで、手書きできるわけでもない。 XML部分は手書きできるはずだが、その後何らかのソフトで固める必要があるのだろう。 さて、そのXML部分はLaTeXみたいな感覚で手書き出来る代物なのだろうか。 構造化された文書として扱える代物なのだろうか。 もしそうなら、TeXを離れてハナッからEPUBに行くという手もあるはずである。 しかし、仮にできるとしてもまだ時期尚早だろう。 まだ全然枯れてない。

XMLとその他をいい具合に配置してzipし、 拡張子をepubに変えたら終わりらしい。そこまで簡単なら、 もしかして行けるんじゃね。本文もXHTMLとCSSだ。 本質的にページの概念が存在し得ない。XHTMLのバージョンは1.1が普通らしく、 それなら私も知っている。そのうちHTML5が入るようになるんだろう。 いずれは電子書籍内でゲームを動かすことすらできるようになるはずだ。

これ、レイアウトの品質だけ言えば、どこまで言ってもPDFほどにはならんだろうなあ。 嫌なら画像で入れとけということであり、まったくもって賛成だ。 しかし、texを愛している人たちはそれに賛同しない気がする。 奥村氏にしろ藤田氏にしろ、入門書のはずなのにかなり 最初から「四分アキが云々」というノリだ。 そこがすごく大事なんだろう。 そうでなければこんな細かいことに熱心になるはずがない。 いかにも日本人という感じである。

ともかくも、私はいずれEPUBに行くんだろうということはよくわかった。 その場レイアウトなら待ち時間もない。 ただし、今は紙の本を作っているのであって、ページの概念は重要だし、 たまに数式がある関係上texの方が楽だ。 もしやるならtex→XHTMLの変換を考える方がいいし、たぶんそういうツールはある。

だいぶ電子書籍の技術的な側面がわかってきた。 長期的に考えれば、texに精通しておくことは得だ。 texbookを読む手間をかけることは理にかなう。

iPadでtexbookを表示してみた。解像度的には読めるが、 サイズ的に辛い。余白を自動で削って拡大してくれる機能が欲しいものだ。

2012年10月16日

なんとなくtexのソースを見てみた。謎の言語で書かれてる。pascalかな。 これが文芸的プログラミングか。 にしても、コード量少ないな。学者が片手間で一人で書ける程度のもの であるはずだからな。もちろんクヌース先生は並の学者ではないわけだが。

川崎まで30分で行ける。オタマ乗せてゆっくりこいでもその程度だ。

「もうダマされないための経済学講義」。 思ったよりわかりやすくなかった。ひつじこが楽しく読めるレベルではない。 しくじったなあ。 ある程度知識を持っていればわかりやすいのだが、知識なしでわかりやすい本ではない。 歴史と経済の知識がないとどうにもならない。

わかりやすい説明とはどんなものかと考える。 まず、出発点は現実でなくてはならない。 いきなりモデルを持ってきて、モデルから演繹して現実にたどり着くやり方では 眠くなる。必要なのは、説明したい現実をまず持ってくることだ。 現実として何を持ってくるかは極めて重要である。 次に、その現実から法則性を抽出する。もちろん全部は説明できないにしても、 「あー、そういうことってあるよね」と素直に思える法則を抽出する。 例えば、「高いと買う気失せるじゃん」と言えば、そりゃそうだと思う。 「売れ残ると安売りするよね」と言えば、やはりそりゃそうだと思うだろう。 こういうのをいくつか束ねて、ルールを作る。 この本は何を抽出するかはうまいと思うが、抽出の過程が不親切だ。 実感がこもった現実から、インセンティブ、トレード、トレードオフ、マネー、 の4つのルールをうまく取り出せると前半がわかりやすくなったはずだ。 次にこのルールを、「現実に似て見えるが、恐ろしく単純化されたモデル」 に適用し、演繹で説明できることを示す。 「勇者と王様がいる国」みたいなモデルだ。 この本にはこれが根こそぎ欠けているので、「説明する」という過程を体験できない。 その後で、誰もが知っている現実の出来事をこのルールで説明できることを示す。 さらにその後で、誰もが聞いたことがあるが知らない程度の出来事で、 歴史的重要性が高いものについて、その出来事の紹介を混ぜながら それもルールで説明できることを示すと、好奇心をくすぐる。 江戸時代を出してくるのは、歴史を知っている人には面白い。 ただ、よく知らない人には面白くない。もっと紹介を混ぜて丁寧にやらないと駄目だ。 新井白石って誰?みたいな人には、そこからもっと物語的に説明してやらないと 面白さを発揮しない。 最後に、ルールで説明出来ない例を何かしら出して、完全じゃないけど、 おおよそこうだよね、というふうにして終われば、親切だが、この本は そういうことはしていない。

「日銀は金を刷るべき」ということを言いたいんだろうな。それが強すぎるのが 辛いんだろう。 そのへんの人にとって日銀は遠い存在である。 政治や経済はただでも遠いが、金融政策ともなると天気と大差ない。 こういうものをクライマックスに持ってきても、「ふうん」で終わりになりかねない。 もっと生活感覚に刺さる作りにしないと。

もちろん、この本のターゲットは「知的な人たち」だろうから、 そういう親切をする必要はないのだろうが。

プログラミングの説明についても、どこまで日常生活感覚に刺さる説明ができるか、 そしてどこまで「物語的に正しい展開」に近づけられるか、ということが問われている。 可能な限りいろんなたとえ話を入れて、誰にとってもその80%くらいは 刺さるようにしていかないといけない。あまり料理に偏っても駄目だな。そう考えると。

藤田氏のLaTeX2e階梯。

tex系の本がわかりにくい理由がわかってきた。書いてる人が賢いんだ。 自分と読者の間のギャップを意識してないんじゃないか。 経済の本でもそうだが、texは特にひどい。 こんなもんを使いこなして本まで書くような人だもん、仕方ないよなあ。 しかも学者だし。

「とりあえずやりたいことをできるようにしたい」と「仕組みを理解したい」 の間のバランスの取り方が問題だ。texの場合、 かなり初期から仕組みを理解しないと手も足も出ないはずだが、 記憶容量の大きな著者はついついそこを後回しにしがちだ。 普通はたくさんのことをバラバラに覚えることが苦痛であること、 バラバラに覚えている内に共通の法則性を見出す能力なんて普通はないこと、 といったことに目が回らない。 例えばプログラミングの素養があれば、 \begin{foo}の括弧の中に入れた文字列には\がつけられて、 {\foo ... }という形に変換されるんじゃないか?という推測はできなくもない。 そして、著者はおそらくこういう推測ができることを前提に本を書いている。 しかし、この推測ができなければ、 itemizeやverbatimと同列にemと書いていいことがわからない。 emという環境が別にあるようにしか見えず、バラバラに覚えることになる。 だから本来emを入れてもいいと言うなら、仕組みを説明すべきだ。 beginとendが何物なのかを説明すべきだろう。

\hfillとか\mboxとか、まあ次から次へとバラバラに話が出てくるが、全く その後ろにある理屈の説明がない。 バラバラに教えられても気にならない賢い奴ら向けの本だ。 私はそういうのが苦手なので、出てくる度にその後ろにあるであろう理屈に関して 仮説を立てながら読むことを強いられる。でないと眠気が襲ってきて終わりだ。

つうか、「そんなこまかいことはいいから、 まず全体としてどうなってるのかを説明しろ」 ということなんだよ。プログレッシブJPEGみたいにだんだんくっきりしてくる書き方を すべきなのに、いきなり詳細レベルが高すぎる。 「これはおまじないですから」と書けば初心者向けだと思っているのではないか。 とりあえず体験コーナーを終えた後は、 texのレイアウトの基本を短くでも説明すべきだろう。 「箱を横に並べていって、右端まで行ったら下にずれます」というのは この手のことの経験があったり、プログラミングでやったことがあれば常識だ。 しかし、普通はそこすら知らんのであって、 そんな状態の人間にhfillやらmboxやら言ったって わかるわけないじゃん。 そういう説明もしないままに、 「ルートの横棒が短くて気持ち悪いから、中の数字を全角扱いにして棒を伸ばそう」 とか言ってどうするんだ。 なんでこう、「いきなりマックス詳細レベル」なんだ。 これが学者のやり口だ。学者は反省した方がいい。 学生の大半は学者ほど賢くはないんだから、 それを考慮に入れないと。

プログラミングは民主化すべきだ。 一部のエリートが操る道具にしておくには重要すぎる。 普通のそのへんの人が理解できる形で教えられねばならん。

グルーとか出てきてない用語をいきなり使ってる...この本、 説明としては全然駄目だ。 二回読まないとわからない本や、 途中で他の何かを調べないといけない本は、失敗だ。 私はそう思っている。 しかし、たぶん学者はそういう作りは許されるし、むしろ当たり前だと思っている。 他に説明があることを説明することは罪だとすら思っているかもしれない。 だが、それは普通の人間にとっては苦痛だ。 \leavevmodeってなんだよ。

\leavevmodeは「垂直モードを脱出する」。 と思われるが、垂直モードが何かがわからない。 ぐぐっても出てこないし、web上に日本語のリファレンス・マニュアル すら見つからない。 たぶん、行を縦に並べようとしているならそれをやめて、 行の中を詰める状況にしろ、ということと思われる。 これがあると段落の字下げが行われる。段落が始まるということだろう。 これがないと、段落の字下げが行われない。 段落が始まったとみなされていないということだろう。 そして、そういうことの説明が全くなく、webで探すことすら困難。 latexの本を読む人はtexの仕組みがわかっていることが前提ということか? texブックを読んでからlatex本を読めとでも言うのか?

texの命令とlatexの命令の区別が、この時点の読者にはつかない。 なので、「texの命令だけでやるとこうなる」と言われてもさっぱりわからない。 texブックを読んでから来い、と言ってるとしか思えない。 実際問題、texブックを読まないでマクロを 自作するのはほとんど不可能としか思えない。 だが、日本語のtexブックはとっくの昔に絶版だ。 学生の頃は持っていたが、誰かにあげたか、売ったか、捨てたかした。覚えてない。

2012年10月15日

食彩ネットから紙の分厚いカタログが届いた。見やすい。 そして考えた。なぜwebカタログはああも見難いのだ?

まず、めくりがデジタル操作なのが良くない。紙なら 力加減を連続的に変えることでバラバラバラッとめくることができる。 辞書なんかで経験していると思うが、慣れてくると1000ページ以上あるような ものでも2秒程度で開きたいページにかなり近づくことができるのだ。 コンピュータ上でもこういうなんとなくなめくり操作を導入すべきである。 従来型の操作でやるなら、 動画の再生位置スライダーみたいなのがとりあえずは選択肢になる。 それと、紙の場合は全体の情報量が多い。しかし、注目する場所を変えたり、 距離を変えることで、ズームが直感的にできる。 これには、極力少ない操作でなめらかにズームできることが必要だ。 ミップマップを作っておいてトライリニア補間をするようなゲームの技法が応用できる。 解像度が高ければ全体の情報量を増やせるが、それだけでは駄目なのは明らかである。 細かすぎれば読みにくいからだ。 しかし、現状のPCのモニタが解像度不足なのは間違いない。 ノートでも1920x1080くらいはあってもいいだろう。 あとは、単純に反応性が悪すぎるので、これは劇的に改善する必要がある。 ゲームの例から考えるに、1/60秒程度の遅延に抑えないといけない。 最悪でも1/30秒だ。押してからそれに対応した絵が出るまでの時間は その程度である必要がある。たぶんこれが満たされるだけでも劇的に変わる。 キャッシュや先読みなどのゲームで当たり前の技法を駆使すれば 不可能とは到底思えない。今できてないのは単なる手抜きではないのか。

これだけやれば、なんぼかマシになる。検索、ハイパーリンク、ポップアップ、 などのコンピュータ独自の手法を加えれば、総合的には紙カタログを 超えられるはずだ。

家電メーカーとかの、別窓で開く独自操作のwebカタログは最悪。 消えてなくなるべき。ただのhtmlの方がまだマシだ。 家電メーカーはなぜああもwebサイトの出来に注意を払わないのか。 わけのわからんIT会社に外注出してるのが原因だろうと思うが、違うのかね。 普通に考えて、注文を受けた側は要求さえ満たせば それ以上質を良くしようとは思わんだろう。 適当に安いところに発注して物ができてくればそれでいいや、 程度にしか家電メーカー側が思っていないとすれば、なおさら真面目にやる気は失せる。 そのへんの問題意識はあるのか。 物を作るところと、それを客に知らせる所の連動が ちゃんとなされていないのではなかろうか。 マーケティングの部署が別にあるのは弊害も多いような気がするぞ。 別にあってもいいが、プロデューサ以外はマーケティングの人間と接触がない、 みたいな状況だとしたら絶対駄目だ。

そういう無駄なUIの独自操作ビューアはスーパーのチラシでもたまに見るな。 高解像度のデータをそのまま置いておいてくれれば、 OS付属の画像ビューアで見て終わりなんだが。

コストダウンは重要だが、それは何を客に提供するかを決めてからの話だろう。 無駄を削るのは結構だが、副作用ゼロで削れることなんてまずないわけで、 それが削ってもいいどうでもいい要素だ、 ということを判定してからでないと話はできない。 そして、何が重要でないかを決めるのは、つまり客に何を提供するかを決める段階だ。 最大の無駄は作らんでいいものを作ることなのであって、 それが設計の段階で除かれていれば、副作用のあるコストダウン手法を積み重ねる余地は それほどないはずなのだ。 日本人、そのへん大丈夫なのか。 外から見てるとそこがちゃんとしてないように見える場合が多すぎる。

昼飯後眠すぎる。やはり澱粉系の豆は駄目なのか。 まあそれだけではない気もするが。

「コードを書くのが楽しい」という奴らを、どう使いこなすかだよな。 私はコードなんて手段としか思ってないが、 それゆえにコードを書くのが楽しくて仕方ない奴らには勝てない 部分が多い。しかし、そういう奴らだけが集まって好き放題やっても、 客の要望からはかけ離れてしまう。 専門家をどうマネジメントするか。そして同時に、 専門家を多少は歩み寄らせるような方法も 考えないといけない。私はマネジメントに行くか、 教育と著作にシフトするかどちらかだろう。 いずれにしてもコーディング能力は維持せねばならないが、 全精力をコーディングに割くことは割に合わない。 奴らには絶対に勝てん。時間が経てば経つほど不利は大きくなる。

texworksというtexを楽に書けるソフトがあるのだが、 こいつのビューアが見開き表示できないっぽい。 それでは話にならんなあ。

CEDECみたいなものに行ったとして、レポートを書いたりするわけだが、 人が読む気になる代物になることはまず期待できない。 ましてそんなレポートが50も100も並んでいれば、余計に読む気が失せる。 なんつうか、ああいうのってなんとかならんのか? 根本的にレポートを書かせること自体に意味がないとすら言える印象。 行ってない人間と行った人間の間には「体験」という 凄まじく大きなものの違いが横たわっており、 行ってない人間が読んでもおおよそ無駄だろう。

技術発表について書くなら、その技術を試してどうか、というところまでやった上で、 技術系の人間に対してのプレゼンと、 それを使う側に対してのプレゼンは分けてやるべきだ。 試さずに印象だけ書くならほとんど役立たずである。 また、商売のやり方や組織運営など導入して終わりではないネタについては、 「こんなこと言ってましたぜ兄貴」では役立たずであり、レポートを書くなら それは意見書のレベルでなくては話にならぬ。 夏休みの読書感想文レベルのものや、謎の観光日記はいらん。

しかし、そういう「人に読ませて価値のあるレポート」 を書けない人間は行かせるべきでない、 という話にもならない。刺激を受けて返ってきて、 参加費の元を取るいい仕事をすればそれでプラスだからだ。 レポートを全員に書かせるのは無意味どころか有害だろう。

藤田眞作氏のtex本3冊を買おうかと思うが、1万円。モノを見ずに買うには勇気がいる。 本屋に寄る時間もないし、時間を金で買うべきか。

本出たら前書きは無料公開したいなあ。買いたくなるような前書きを書きたい。

2009年のcedec用に書いた資料を読み直す。なんでこれを1週間で書けたんだ私は。 2008,2009年あたりの私は凄まじい。自分でも信じられん。 オタマ生まれたの2010年だろ?2010年4月。結婚は2009年4月。 結婚後じゃねえか2009年のcedec。そりゃそうだよな。 デドリズのグラフィックスは全部ひつじこに 描いてもらったわけだし。子供の有無ってデカいなあ。 そして、当時私がどれだけひつじこをほっぽっていたかが今更身に染みた。 当時のひつじこの日記読んだら吐きまくりだった。

単純に当時の私には見えていなかったものが、今の私には大量に見えている。 それがいろんなことを邪魔しているのは事実だが、 進みが遅くてもできるものが良くなるならそれでいいし、 その過程で誰かに犠牲を強いなくて済むならその方がいい。

ひつじこがいきなり、「皇室の茶会とか出るのってどうしたらいいんだろう」 と言った。言われてみれば、どういう人が行っているのか良く知らない。 調べたらビートたけしとか政治家とかオリンピック選手とか、 そういう感じだった。 そういうレベルの人間になる見込みはない。 別に本気で出たいというわけではないだろうが。

家族3人で自転車で川崎。tex本買った。 あとユニクロでオタマ服。二郎食べたくなった。 土曜新橋がない以上、平日の夜川崎以外に可能な二郎はない。

8000x4000とかの解像度でテレビ放送しようとしてる人がいるんだな。 品質向上より手軽さ向上の方が先に進むわけで、 携帯端末で見られるyoutubeの画質がそれなりになる方が先決だろう。 しかし、そもそも電波に乗らんだろそんなデータ量。

電波の帯域幅にSN比をかけた分が理論的な最大速度。 電話線の帯域幅は3.4KHzで、SN比が1000くらいだと10bitで、34キロビット。 昔のモデムの速度はこういうことだったわけか。

2012年10月14日

bluetoothと無線lanの干渉が激しい。 無線lanは全部5Ghzにしないとダメだ。

牡蠣。キロ1600円の価値があるかはオタマが食うかどうかにかかっている。 で、食べた。そこそこ食べた。 内臓ごと食える動物は貴重であり、今のところじゃことほたてしかなかったが、 牡蠣も加えられる。魚のワタは鮮度が不安だと食えないし、食えても苦いから オタマには辛い。

ドリップが出ない解凍法と、縮まないで中央部を85度まで加熱できる加熱法が欲しい。 とりあえず、冷蔵庫にて60分、半解凍状態で水を拭って、 片栗粉まみれにしてから使う、が答えのようだ。 卵白も一緒にまぶすといいらしい。

とりあえず、サンマとカキを注文するか。サンマは超便利。 ついでに鳥の胸肉2kgもつけておくか。

鳥は胸肉が最上。塩と油と胡椒をまぶして3日置いてから65度2時間。

「いくら以上送料無料」は効率の悪い小口注文を減らす効果はあるが、 「じゃあいくらだけ買えばいいや」となるデメリットもある。 本来なら2万円分くらい買ってもいいかなと思っている人に 5000円づつ買わせることにもなる。 しかし、そのデメリット以上に数百円とかの小口注文を減らす効果が 大きいのであれば理にかなう。 客が素晴らしく合理的であれば、 送料を注文額に反比例させるようなシステムにすれば この問題はおおよそ解決できるが、連続量を把握するのは難しいので、 単純な閾値でゼロにすることに落ちついているんだろう。

運送業界とピアノ業界の間で何か協定があるんだろうなあ。 電子ピアノのようにピアノとは名ばかりの電子機器を、 ヤマト運輸は自分では運んでくれない。専門業者に丸投げしてその分高くなる。 福山通運を見ると、同じように電子ピアノは運ばないと明記しているが、 エレクトーンは運ぶようだ。どう考えても妙な協定があるとしか思えん。

P120をひつじこの妹に送ることにした。

と思ったら取りに来るらしい。

ウラド豆。もやしにしても発芽率が悪くイマイチ。 発芽後にカレーに入れて煮ても、あまりやわらかくならず敗北。 というわけで、今回は普通に水に漬けた後、圧力鍋で15分加圧。 その状態で食べてみたが、慣れない後味はあるものの、基本味がない。 小豆に似ているが、小豆ほどの深い味はない。 また、小豆と違って、煮た時にドロドロになる。オートミールに近い。 小豆は粉っぽい豆だが、ウラド豆はそこが違う。 というわけででろでろになった後、生姜、にんにくを炒めたものに合流。 塩、トマト缶、インデラカレー粉を入れて調味。 いまいち。ナンプラー25mlを追加。食えるものにはなった。 あとはカレー粉や塩がなじむまで放置。明日の朝どうなるかだな。

ウラド豆。蛋白質25%、糖質40%。小豆よりは蛋白が多い。

豆は使い方に熟練しておかねば。肉魚が高くつく局面では 豆をどれだけ上手に使えるかが問題になる。 にしても、ウラド豆は今までで一番使いにくいな。 小豆の一種だけに、発芽タイミングがズレるのが困る。 発芽してる奴がいるかと思えば、まだ水を吸ってない奴がいたりする。 小豆ほどサポニンが多くないのでゆでこぼしがいらないのは楽か。

レンズ豆最強だなあ。ただ、煮るなら皮なしのものが適する。 皮は普通に煮たくらいではやわくならず、オタマが消化できない。 緑豆も使いどころがどうもな。レンズ豆でいいじゃんという結論になる。

2012年10月12日

オタマがどんどん早起きになっていくが、寝る時間はあまり変わってない。 困る。眠い。

ヴァイオリンは私が見てる時なら大丈夫だが、 いつ事故るとも限らんし、やはり破壊してもいいものを用意しよう。 しかし、あれ送りにくいんだよな。 まあ頼むだけ頼むか。

身長95cmでは1/16すらデカいな。まだなんぼなんでも早すぎるわけで、 単純に破壊してもいいおもちゃとして考えるか。 もうカビてたりするし、オタマが盛大に破壊してもかまわんだろ。 まともにやるなら買うだろうし。

改革は大抵問題がある時に行われる。 うまく行っている時に、よりうまく行かせるために改革が行われることは稀だ。 そのため、改革の大半は失敗するように運命づけられている。 とりわけ、うまくいかない理由は、過去にうまく行っていた理由であることが多く、 その記憶が鮮明であればあるほど、改革は失敗しやすい。

生物は基本メスでオスは改造仕様、みたいなことを誰かが言っていた。 しかし未熟な社会においては暴力が物を言うので、 暴力において勝るオスが我が物顔で闊歩してきた、ということになる。 現代において男性優位であることはむしろ非効率であり、 本来の女性の優位性が発揮されるべきだ、という主張も多い。 そうなればいいと思うんだがなあ。 ゲーム屋なんて男女がおおよそ半分半分になるような職場になったっていいはずなのに。

最低限、教育の生産性を劇的に向上させないと、 教育にコストがかかりすぎて子供なんて作れない。 男女の性差を社会制度やテクノロジーでいかに削るか、 という話にもなる。生物としては不自然になるんだろうが。

死ぬ前に見られる最大の個人用ストレージはどれくらいの容量になるんだろう。 1エクサバイトくらいのストレージが家庭にある状況になっていてほしいものだが、 何に使うのかと聞かれると全く答えられない。 まず間違いなくそういう方向には行かないだろう。 しかし、十分に容量があれば、 一切データの削除をせず全て履歴を取るファイルシステム、 なんて芸当も合理的になる。これは今でも結構欲しいけどな。 文章やコードの大改造をする前にコミットすること自体が面倒くさい。 自動保存履歴と手動でのコミットは分けて考えたいからな。

texのマクロ本も買うべきか...

texはオープンソースと同じで、みんながバラバラに物を作る文化で、 パッケージによって 作法その他がバラバラだ。統一的な思想が感じられず、 探したり覚えたりするのが得意な人が有利な場所である。 しかし自分で作るのがしんどすぎるのは確かで、結局探して覚えざるを得ない。 texが今時のプログラミング言語として見た時には辛いのも問題だ。 グローバル変数まみれで名前空間がひとつしかないことによって、 パッケージ間の依存関係がえらいことになって、 ますます複数パッケージの導入を厄介にしている。

なんでコードを枠で囲むだけでこんなに苦労せねばならんのだ。 もし本気でtexの出力をそのまま出版するのであれば、 マクロを自分で作る道に入っていくだろう。 覚えたり探したりするコストよりは総合的に見て安いはずだ。 あっさり使える簡単なマクロならともかく、verbatimやwrapfigの類は どういうコードで実現されているかがわからないと制限事項がわからない。 自前環境の中にverbatimを入れられないとか、一体どういう制限なんだよ。 しかも、処理系はマクロを展開した状態でエラーを出すようで、 Cのマクロでコンパイルエラーがわかりにくくなるのと同じ問題に陥る。 そろそろ、誰かtexを今のプログラミング作法で丸ごと組み直した方が良くね? と思うが、過去の資産がデカすぎるのでそうも行かない事情があるんだろう。

だが、wordよりはマシ。そして、生テキストそのままで全く 組版できないまま出版社に渡すよりもマシ。 ある程度レイアウトしてみないと感じがつかめないのである。 html+cssでもいいのかもしれんなあとも一瞬思ったが、 ページの概念がないとやっぱ駄目だ。 html+cssでもページくらい表現できそうな気はするんだが、よく知らない。

毎度思うが、いろんな人がいろんなところで 作ったものをたくさん組み合わせて物を作る気になる人が 信じられない。「良さそうなものがあったらちょっともらってくればいい」 とああも気軽に言えるのが信じられない。 私の場合、探すのにも、覚えるのにも、 それぞれの適用範囲や問題点を把握するのにも、えらい労力がかかる。 基本的に新しいことを覚えるのが苦手なのだろう。 だから極力、基本の理解から演繹でたどり着く方法をとろうとする。 その方が楽だからだ。 しかし、ああいう人たちがプログラマとしては主流なのは間違いない。 逆立ちしてもかなわない。そういうタイプのプログラマにどう力を発揮してもらうか、 という方向で私は考えた方がいい。ガチ勝負をしては絶対に駄目だ。

本当、何で勝負しようか。しかしまあ、環境が変わるのはいい機会だ。

なんてことを考えながら、今日一日は「LaTeX2e美文書作成入門」を読んで、 インストールしなおしたり、マクロを作ってみたりしていた。 本当、texという文化は私に向いてない。 ただ、道具としてこれが一番マシだから使うだけだ。 この本の著者が属する世界に、私は入れない。なんでこんなにバラバラなんだよ。 このバラバラっぷりをまとめなおさなくても気にならないくらい、 学習速度が高く、記憶力に優れた人たちしかいられない世界だ。

プログラミングという世界が本質的にそうなのだとは思う。 私が今までやってこられているのは運としか思えん。

2012年10月11日

コンピュートシェーダが使える機械が世に満ちるのはいつになるんだ。

プロトタイプを作り終えて、「これで行ける!」となった段階で、 売り物に必要なボリュームを実現するために工場を作る。 プログラマという製品を生産することに関しても、 そろそろ量産するための工場を作るべきだ。 現状いるプログラマは量産前の試作品でガンダムみたいなものである。 ちゃんとしたジムを作れる体勢にはまだなってない。 教育カリキュラムと、その一部を占める本などの教材。 そういうものについて考えたい。

なお、ゲーム作りでも試作品ができた段階で、絵素材や音素材、 ゲーム要素などの 量産を行う前に量産準備の期間を置くのがいいとされている。 工場の建設に当たる段階だ。 しかし、しばしば工場を作らずに、 試作品を作っていた実験室でそのまま大量生産に突入するという愚を犯す。 また、工場を作った後になって全然違うものを作り始め、 工場そのものを作り直す場合もある。 これは、試作品段階での練り込みが足りないせいだ。 いずれにしても、ゲームは工業製品であるという視点が欠けている。 工場生産が嫌なら、工業製品を作ることを諦めれば良い。 工芸品ならば家内制手工業のままで済む。 しかし、工芸品の高いコストを正当化するだけの魅力を持てなければ、 競争に負けて滅びるだけだ。 そういう上位の意思決定は何にも増して重要なのに、 大抵の場合ここが一番駄目なのである。 末端の技術力に不安があるケースもないとは言わないが、 幸いにしてそういうケースは多くない。

しかし、「マネジメントさえどうにかなれば」というのは幻想なのだよな。 単純な技術力などよりもはるかにマネジメントの方が高くつくスキルだ。 しかも技術よりも早く劣化する。 マネジメントに問題があるならば、現場にいくら精鋭が揃っていても何にもならない。 「売れない製品の設計図を見事に書く」とドラッカーが言う状態になる。

ドラッカーを読む際に、基本的な経済学の概念は暗黙のうちに 前提とされているように思える。 別に用語を知る必要はないが、 人がインセンティブに反応するということと、比較優位の概念、 そして外部性の概念は感覚として知っていなければならない。 もちろん、これらの概念は経済学で言われるまでもなく常識の範疇であり、 誰でも程度の差こそあれ知ってはいる。しかし、それを経済学の助けなしに 明瞭な形で理解するのは凡人には難しい。 学問は一種のデータ圧縮であり、時間をかけてなんとなく理解するのに 近い効果を、記号化によって素早く得られる。 もっとも用語を使わないと説明できないようでは、実はわかっていないのだがな。

プログラミングに関しても、プログラミング用語を極力使わずに説明できて初めて 説明できたと言える。日常の感覚と結びつけた理解ができていないようでは、 所詮は促成栽培にすぎん。 プログラミングを通して現実世界の理解も深まるくらいでなくては駄目だ。 相互にフィードバックがある状況になって、初めて理解できたと言える。

知識量、記憶力、回転の速さ、といったものでは私は絶対に勝てん。 昨日話していて思ったが、プログラミングの能力に関しても、 私より上はいくらでもいる。 あそこで勝負しちゃ駄目だ。

火を発明する前の人類は生肉を食べていたはずだが、 どれくらいの頻度で食中毒になったのだろうか。 鼻と舌で判断できる範囲では、微量のウイルスや細菌は識別できまい。

糖質制限派なら、「炭水化物が胃の殺菌能力を阻害している」とか言うかもしれん。 ありそうではあるけどな。明らかに消化が遅くなるし。

粥は消化が早いわけではない気がする。 単に、水分が多く、消化すべきものが少ないだけではないか。 カロリー当たりの消化時間で言えば、粥と飯に差があるとも思えないのだが。 加えて、噛まずに飲み込むために唾液のアミラーゼが働く時間がなく、 余計に胃に負担をかけるような気がする。

糖質制限派にもわかってない人はたくさんいる。 きな粉は駄目だが豆腐はいい、とか言ってる人がいるのがその例だ。 重量あたりの糖質量には意味がない。 意味があるのは、最終的に食べた糖質量である。率ではない。 量が多くても食べやすいものはあるし、量が少なくても食べにくいものはある。 きな粉を100g食べる人はまずいない。無理だ。 正しくカウントしていれば、その枠に収まる限り何を食べてもいいはずである。 面倒なのでカウントしたくない、ということであれば食べられるものを前もって 選別しておくことも理にかなうが、 この場合でも重量あたりの糖質量はいい指標とは言えない。 むしろカロリーあたりの糖質量や、蛋白質あたりの糖質量の方がマシだろう。 水で戻した豆と戻す前の豆で、前者が糖質率が低いから良い、と言う人はいまい。

本書いてると逃避したくなる。とりわけ甘いものに逃げたくなる。 罠だ。保存のきくゆで卵があれば、机においておくのになあ。 というか、やはりアーモンドを会社に置いておくべきか。 ピスタチオは味はいいんだが、高すぎて無理。キロ3000円を超える。

人工甘味料は体を混乱させるという。甘味がカロリーが入ってくることを 予見させ、体はそれに反応するが、カロリーが入ってこない。 こういう肩透かしが体に悪影響を与えるのだという。 しかし、実際に血糖が増えるものを食べることの害とどちらがマシかは なんとも言い難い。 こんなに甘いものを食べるのはここ100年にも満たない習慣だ。 甘いものは大好きで、私はとりわけ和菓子が好きだが、 そういう大好きなものを日常にするのはもったいない。 特別な日に上等なものを食べる、という方向に持っていくように 考えなおさねばならん。普段から糖質貯金をしておいて、 たまにそれをドカッと消費する、というような感じにしよう。

菓子や外食による糖質量を一日あたり20gに制限すると考える。 2日に1回アイスが食べられる程度の量だ。 二郎は推定300gくらいなので、お菓子外食断ちをすれば半月に一回 食べていい計算になる。 このルールは悪くないかもしれない。

好きなものを好きなだけ食べても大丈夫なように医学を進歩させればいい、 という人がいる。文化や科学の進歩を否定して昔の食べ物に戻そうなんていうのは 人類の素晴らしさを貶める行為だ、とまで言う。 どうかと思うが、そういう考えもあっていい。 ただ、病気になればしんどいし、金もかかるし、家族も大変だし、 国家財政にもダメージを与える。 いずれ医療費や社会保障費がごっそり削られることは目に見えており、 10年後20年後に病気にならない生き方を今から模索しておくことは 有利なはずだ。うちらがじいさんばあさんになる頃には、 まず間違いなく今のような水準の医療は受けられない。 医療技術の進歩によるコストダウンが相殺してくれる可能性もあるが、 怪しいものだ。

糖質制限の問題がもう一つ。便秘。 うちの生活で食物繊維が足りないとは考えにくいが、 食物繊維には二種類あるわけで、偏っている可能性はある。 一つは繊維っぽい繊維。水に溶けない奴だ。 これはうちだと間違いなく足りている。 もう一つは水に溶ける繊維。海藻や果物、芋にあるヌルヌルした奴だ。 これは最近足りていない気がする。昆布もダシを取って捨てているし、 果物はそれほど多くは食べていない。

腸内細菌が食い物の変化に適応するまで待てば落ちつくらしいのだが。 変に糖質が入ってくるから適応が遅いんだろうか。

2012年10月10日

「覚悟のススメ」をふと思い出した。凄まじい作品だった。 ああいうものをひつじこと一緒に鑑賞することはできない。 ひつじこも私と鑑賞したいと思っているものはあるだろうから、 これはお互い様だ。 ただ、ひつじこが私に見せたいものは、時間さえあれば見ることはできる。 一方、私がすごいと思っているものの多くはは、時間の問題ではなく無理。

レンズ豆カレーが眠くなる。もう澱粉系の豆すら駄目なのか。

コーラはアスパルテームであっても禁止だ。茶のみとする。 茶も、紅茶が尽きたらカモミール茶などのハーブティーに限定し、 カフェインを断つ。

コンビニで買えるのはもはやゆで卵くらいだな。 もう3ヶ月くらいしたら卵をオタマに食わせてみよう。 大丈夫なようなら卵を日常食材にできる。

草しか食べてない羊や牛は、リノレン酸を多く含み、 リノール酸は大して含んでいなかったようだ。 それならバランスが狂うこともない。 結局、リノール酸まみれの穀物を食わせて、リノレン酸優位な 草を食わせていないからこうなっているのだろう。 こうなると肉では健康は保てない。 やはり肉はぜいたく品なのか。 豚ヒレ肉が安い時のみ許すことにしよう。 その代わり、安い時には3kgくらい買ってきて真空気味調理して 冷凍しておくことにする。

製品に対して客が払うのは金だけで良いが、 金しか払ってもらえないような製品しか作れないようでは、 金すら払ってもらえなくなる。

ノーベル賞。税金で研究費を出すことには価値がある、という主張が増えそうだ。 はやぶさの時も思ったが。 問題は割に合うかであって、いいか悪いかという二分法ではない。 税金で研究費を払うことが100%悪いとは言わないが、 基本的な方向としては良くない気がしている。 役に立つかわからないものに全く金を払わなくなるのは良くない、 というのは正しいが、問題は誰がどういくらの金を払うかだ。 税金として知らんうちに国民全体から薄く広く徴収するのは正しいのか。

でもまあ、個人がリスクを負わずヌクヌクしている方がいい仕事ができるケースは なくもない。私がいい例だ。 自由主義の原則から言えば、私は会社を辞めて本を書くべきである。 出来が悪ければ困窮し、出来が良ければもうかるから、 私にモラルハザードは起こらない。 こうしてヌクヌクと給料をもらっている状態であれば、 死ぬ気で本を売れるものにしようとは思わなくなるかもしれない。 とは言え、会社を辞めないと書けず、その出来が生活を左右するという話になれば、 私はそもそも本なんて書かないだろう。 個人ではそのリスクを負いきれないからである。 科学研究にも同じことが言えるとすれば、税金で負担を分散した状態でないと できない類の研究を切り捨てることになる。

個人が負いきれないリスクをどう分散させて負えるようにしてやるか、 しかしそれでいて、リスクを軽減しすぎてモラル ハザードにつながらないようにすることも重要だ。 自由主義度合いの設計はまさにそこに尽きるわけだな。

歴史上社会を大きく変える技術の大半は政府と 関係ないところで生まれてきたという主張はよく見る。 政府から出た金で生まれた技術もあるが、問題は費用対効果だ。 理論上政府がやるべきことであっても、実際にやってみたらうまくいかないことなんて 山ほどある。政府がやるべき、というのは、政府がちゃんとやれば、 という前提での話だからだ。 しかし、これは個別に見るべきことで基本原則だけで片付けていい問題ではないし、 評価も困難だ。 ある技術について政府が関与したときとしなかった時で比べる、なんてことはできない。

科学技術はどこで発明されてもその果実は人類全体が共有することになる。 企業は国籍なんて見ない。その意味で、発明を一番安くやれる国が発明するのが 経済的には理にかなう。ただし、日本は人間しか資源がないわけで、 「世界で最も発明を安く生産できる国」を目指さないと未来がないのは確かだ。 また、科学技術には正の外部性があり、 投資した企業が投資の利益を100%独占できないから 企業が投資を渋る可能性があり、そこを政府が補わねばならない、 というのが一応経済学上の理屈だ。しかし現実に研究開発は企業がたくさんやっている。 科学技術の外部性は、企業から投資意欲を奪うほどには大きくないのだ。 一方、同じく正の外部性を持つ子供の教育については、 こっちは間違いなく企業だけではうまく行かない。 金がない層を教育することは国全体の利益になるが、 金がない層からは金を取れないわけで、企業は無力だ。 ここには確実に政府の役割がある。 そのへんの中学校のレベルの低さを見るに、どうにかせねばならんと思う。 金の突っ込み方が足りない、というよりは、金の突っ込み方と制度が駄目なんだろう。

会社で給料をもらって書くことには私、会社、出版社の三者に利益がある。 私にとっては、会社のネームバリューを利用できる。 会社の名前がついている方が数が出る。 私の目的は社会への貢献と、それに付随する名誉であり、 それは出た数に比例する。給料をもらっている以上印税なんて不要だから、 印税が得られないことはデメリットではない。 会社は私を囲っておけるし、印税も入るし、 社会貢献というイメージアップもうまく行けば手に入るから、丸損ではない。 辞められるよりはプラスだろう、と自惚れている。 出版社はもちろん会社のネームバリューで利益が増える。 出版社にとってはこれがとりわけ重大かもしれない。 前の本は明らかに会社のネームバリューで売ったからな。

実のところ1年くらい会社を辞めて本を書いていても 負いきれないリスクというわけではない。再就職できない、なんてことには たぶんならんだろう。しかし、辞めずに書くことのメリットはあまりに大きく、 とりわけ出版社にとっては辞めた私に価値がないということもありうる。 結局のところ、私は「あの会社の平山」にすぎない。

体脂肪率11%、体重61kg。このへんがベストなのか、安定してしまった。 澱粉をたくさん食べた次の日は1kgくらい増える。

ひつじこに血液検査を受けさせたい。 そのへんの病院でやってくれないものかと思ったが、 何か症状がないと保険適用にならず面倒だ。 なあなあでやってくれそうな気もするが、何かインチキくさいのでいかん。 献血ならタダだが、時間がかかりすぎる。 そう思って調べたら、家で指から血を採って郵送する血液検査サービスがあった。 7000円。これだ。 すぐ妊娠するようなら病院でやってもらえるだろうが、 HbA1cの項目がなければ意味がない。

糖質制限は血液検査を定期的にやりながらやらんとな。 血液検査によって血糖、腎機能、肝機能、血中の脂肪濃度、栄養状態が おおよそわかる。あとは体重と体脂肪率、それに体温、血圧だ。 このへんを監視しながらやればおかしなことは起こるまい。 ビタミンやミネラルの欠乏に関してはそういう簡単なチェック方法がないが、 うちでそのへんが足りないことは考えにくい。

献血の項目では血中の中性脂肪や腎機能関係の値がわからない。 しかし、会社の年一回の健康診断でわかるからいいか。 血液検査キットにはその手の項目があるので、ひつじこに関してはこれで足りる。 一方、献血でわかる赤血球や白血球の数はキットではわからない。量がいるんだろう。 オタマがもうちょっと大きくなったら献血を主体にしたいが、 それまではキットに頼るのがいいか。 献血を定期的にできるようになった後も、 キットでしかわからない項目に関しては半年に一回くらい キットで調べるのが良さそうだ。 もちろん理想的には年一回人間ドックなのだが。

デメカルの血液検査を注文。送料込み7500円。

2012年10月09日

ハゲに関してはもうどうしようもないなと思っているのだが、 ハゲるような生活習慣は健康に有害なので、多少は考える。

インスリンが出る状況はハゲを促進する。 男性ホルモンからハゲ原因物質への変換を促すらしい。 つまり、糖質はハゲを促進することになる。 さらに、人工甘味料がもたらす甘味だけでもインスリンが出てしまうらしい。 じゃあコーラは駄目だな。

戦後日本ではハゲが急増しているそうだが、 いわゆる食の西洋化が原因と言われている。 高タンパク高脂肪が原因のように言われるが、 一緒に糖質摂取量も増えているわけで、本当に蛋白や脂肪が原因かはわからない。 また、睡眠時間の減少も同時に進行しており、食べ物だけが原因かどうかは怪しい。 運動も減っている。 ただ、少なくとも糖質はインスリンを出すし、高血糖状態は血流を妨げる。 減らして悪いことはたぶんないが、あまり極端に減らしてどうなるかはまだ未検証。

なお、男性ホルモンからハゲ原因物質への変換を止めるのがフィナステリド。 効果があるとはっきりしている唯一の薬である。

夜10時とかに寝たいがなあ。

基礎代謝の測定ってなんか嘘くさい気がするんだが。 ずっと寝っ転がってるんだろうが、脳の消費エネルギーについてはどうなんだろう。 何も考えずに歩いている時と、猛烈に頭を使って寝転がってる時では、 歩いている時の方がエネルギー消費が大きい、ということが 確認できないと基礎代謝の測定には意味がない気がする。 それに、基礎代謝の測定は、当然糖質主体の食事をしながら行われたものだろう。 糖質がマイナーな状況での測定値はないはずだ。 また、摂取カロリー量に応じて 基礎代謝がどう変わるかを測定したデータはあるのだろうか。 十分食べてればたくさん燃やすが、足りない状況なら燃やす量を減らすかもしれない。 基礎代謝に関する記述は多く見つかるが、 どうやって測定したデータなのかについては滅多に出てこない。 論文をたどって行かないといけないんだろうが、 それが現実的に無理ということであれば、 そもそも信用しない方がいい気がする。

河野太郎の本を読んでいて、「政治家の事務所に出かけていって話をする」 という政治参加の方法があることを知った。 本人がいなくても、スタッフは当然政治家と志を共にしていて、頭もまともだから、 議論になると。それが本当かどうかは知らんが、 確かに理念から言えば地元にいる政治家に直接言うのが政治参加の本道である気はする。 選挙が終わった段階でできることは何もない、というわけではないわけだ。 デモやら署名やらよりよほどその方がいい。 しかし、デモやら署名やらは祭なのであって、 問題解決の手段として考えているのは少数派だろう。 それに実際そうやって事務所に押しかける奴が増えれば、それはそれで困りそう。

一つのものに複数の値段をつけるのは商売のテクニックとして重要だ。 特売には、特売を狙うような気合が入った人には安く売り、 そうでない人には高く売ることで、 複数の値段をつけることができる。値段を変えるコスト、他店との競争に与える悪影響、 などのデメリットの大きさ次第ではあるが、おおむね有効なテクニックだ。 とりわけ日本ではこれなしで戦うのは困難なようで、ウォルマート傘下の西友は 未だに値段をコロコロ変えている。 そういうことをしないのがウォルマートの戦略だったはずなのだが。 そういえば、lenovoは夜だけ安くなったり、休日だけ安くなったりするみたいだが、 これは、企業購入は高く、個人購入は安く、というふうにしたいからだろう。 クーポンという僅かな手間をかければ安く買えるシステムも、 その僅かな手間をかける気にならない人に高値で売るためのものだろう。 仕事でPCを買う人は、多少高くても自分の財布じゃないので大して気にしない。 だから平日の昼に買うし、クーポンを探すことに血眼になったりもしない。 一方個人は休日の夜まで待つことに抵抗はないし、 クーポンを探す数分間の手間で値引きされるなら 当然やる。金の価値が安い人には高く、 金の価値が高い人には安く売る、というのは合理的だ。 ソーシャルゲームの類でもこういうテクニックは当然使われているんだろう。 良く知らんが。

ゲーム屋が経済学を学んでおくことの重要性は明らかだと思うのだが、 そういう話にはならんなあ。プロデューサだけじゃ駄目だろ。末端の開発者まで 経済と経営の基礎くらいは学んでおかないと、意識のギャップが悪影響を及ぼす。 「作品と言うな。商品と言え」というセリフが当然のものとして共有されるような 職場でなければうまく行くまい。

100ページくらいにそのへんの基礎知識をまとめて、 このサイトにPDFを作って置いておこうと 思っているのだが、需要はあるだろうか。 私ごときの知識ではなあ、と自分では思うが、 誰もやってくれないのだから仕方ない。 「この本とこの本を読めばいい」みたいに言うのは簡単だが、 読むわけないじゃん。ゲーム屋の末端開発者でも 学ぶ気になるような内容の並べ方、例の出し方、 といったところを工夫した教材がないと何の役にもたたない。

だいたい、プログラマに「Effective C++読め」とか言っても大半は読まないんだよ。 それは、それを自分にとって大切だと思っていないからだ。 同じように「利益のことを考えて仕事をしてください」とか言っても、まず効果はない。 自分がやりたいことに関して「これは利益につながる」と強弁するようになるだけだ。 「意識が低い」とか責めたところで人間関係を損ねるだけで無益である。 すべきことは、そういう人でも読む気になるような代物を作り上げることと、 そういう人に学ばせるためにはどのような形式 にすべきかを模索することだ。 学ばない人に学びたくなるような圧力をいかにしてかけるか、 といった戦略も当然重要になる。 つまり、説明の質を上げる努力と、勉強したくなる動機づけ、勉強しないとまずい圧力、 という3つの点から攻めないと何の効果もない。

物を教える、人材の質を高める、といったことをやる時には全て同じことが言える。 ただ、場合によってそれらのバランスは違ってくるだろうし、 3つのどれに大して自分が貢献できるかも状況次第だ。 私が本を書きたいのは、日本全体を対象として、 説明の質を上げる試みをしたいからである。 会社の中だけに限るなら別のことも考えねばならない。 しかし、それにしてもまずは説明の質を上げることが重要になる。 「プログラミングとCGの本をバラバラに読んでもゲームは作れない」 と前書いた。結局、実際のニーズから出発して基礎へと逆に辿らない限り、 実になる勉強になどならん。それを各人が自力でやれれば理想だが、 現実はそうなっていない。であれば、 そこを補った教材を用意するのは次善の策として必要だ。

化学反応の考え方を知っていると理解が早い。 反応前エネルギー、反応後エネルギー、反応時に必要なエネルギー、 の3つがある。反応前エネルギーを上げる、 つまり今の状態が不安定なほど、反応をしたくなる。 これは、勉強しないと居心地が悪くなるように仕向けることに当たる。 反応後エネルギーを下げる、つまり反応後の状態が安定なほど、反応をしたくなる。 これは、勉強するとおいしいことがあるということを示すことに当たる。 反応時に必要なエネルギーが下がれば反応しやすくなる。 これは、化学反応では触媒の役目で、 勉強しやすい環境や、効果的な教材を作ることに相当する。 勉強に限らず、何かの変化を起こさせたい時には全てこの考え方が使える。 問題解決や成長戦略は、この三つに分けて考えることで整理しやすい。

例えば糖質制限が正しいとして、これを推進することを考える。 糖質制限をやる圧力をかける。糖質制限によってもたらされるバラ色の未来を強調する。 糖質制限を楽にやれる方法を提供する。つまるところこの3つだ。 「糖質制限しないと糖尿病になる」とか言うのは第一のものだし、 「糖質制限すると痩せてモテる」 と言うのは第二のものだし、 「エリスリトール入りチョコレートで甘いものも食べられる」 というのは第三のものだ。

澱粉系の豆は、基本的には崩れるまで煮て塩で調味するだけで食える代物になる。 レンズ豆またはマスル豆、緑豆またはムング豆、 ブラックマッペまたはウラド豆。この3種類がメジャー。 にんにく、人参、なすを炒めた後、別の鍋で豆を煮てアクを取っておいたものを投入し、 トマト缶、塩、カレー粉をたすと、結構おいしいカレーっぽい汁料理が出来る。

appleから電話。修理の受付でしくじっていたらしく、 カードの決済に失敗していたらしい。 番号その他を電話で聞いてきた。おいおいありなのか?と思ったが、 考えてみればネットであろうが何であろうが、 番号その他を教えてしまっていることに変わりはなく、 電話だから危険というものではない。 周囲に聞かれる危険を避ければ、ネットと変わらん。 それに、かけてきた番号は正しくappleのコールセンターだった。 なので、番号を教えた。

カードが一定周期で更新されるのはそういうことかと改めて思った。 同じ番号がいつまでも通用するのは危険なわけだ。 後ろのセキュリティ番号もどれくらい意味があるのかよくわからんな。 限度額下げておこうか。30万あれば十分だ。

章=chapter、節=section、項=subsection。 subsubsectionは長い時に分割して見出しをつける ために使う。図などで文章が占める面積を調整できれば不要。 また、意味段落間に無理やり見出しを挿入してもそれほどおかしくはならないので、 subsubsection見出しの存在によって文章を買える方法はそれほどない。 後から紙面を見て挿入すれば足りる。

今日の夜は家で書いてみたが、texを走らせられないので レイアウト状態で読めないのが問題。 家PCでもtexの実行環境を作らないと。

昼飯後と夕飯後、やけに眠くなった。 レンズ豆カレー一人分の推定糖質量は40g程度なので、 確かに眠くなりうる量ではある。 これがダメということになると澱粉系の豆が全滅だ。 さすがに辛いので考える。

2012年10月08日

レアチーズケーキ。クリームチーズ350g、クリーム150ml、砂糖48g、 というあたりからカロリーを計算すると少なく見積っても1800kcal程度。 たぶん今日中に二人で食べてしまうので、それだけで1000kcal。 今日はあと野菜食えばそれでいい気がする。

オタマは一口食べて、もう食べなかった。豆腐に味噌をつけて食べている。 生き物としてこっちの方が正しい。

食彩ネットという業務用仕入れサイトが個人購入可能であることがわかった。 品質を知るためにIQFのサンマ、アジ干物、イワシ開き、カキを購入。 さかなだマートほどの加工レベルは期待していないが、 魚に限らずいろいろあるのが良さそう。 肉もあるので、ここで肉を買ってモノがまともなら スーパーで買うことは皆無になる。 買い物がどんどん楽になるぞ。

スーパーにも輸入肉はあるが、当然解凍状態である。 一旦解凍してしまった以上、さらに冷凍すれば味はガタ落ちする。 というわけで、冷凍したまま通販で買うのが正しい。 手間も減るし、安い。問題は質だ。

IQFというのは、Individual Quick Freezingの略。個別急速冷凍。 くっついていないので一個づつ取り出せるし、こう名乗っているものは おおよそ品質も高い。固めて冷凍するブロック冷凍はどうしても 冷凍に時間がかかるので、品質が落ちる。 サンマやホタテなどはIQFでなければ到底家庭では使えない。

食彩ネット、そんなに有用でもないか。めぼしいのは鳥胸肉くらい。 2kgで560円。ささみは1kg990円。骨除去済みの魚の切り身が充実しているので、 オタマ用に買っておいてもいいかもしれないが。 とにかくメインはサンマだ。脂が多く、うろこを気にせずに済み、 安く、鮮度の問題がない。

チーズケーキ食べきった。さすがにこれだけ食うと胃に重いな。

脂肪は胃に長く留まって胃酸の分泌を促し、胃潰瘍その他の原因となるという 記述がたくさん見つかる。 糖質制限的にはどう答えるんだろう。

しかし、莫大に脂を食べた割には大した胃もたれではないな。 それに、よく考えたら豆結構食べてたんだった。澱粉系の豆なので、 糖質は多い。

糖質制限で睡眠時間が減った、という報告。もうなんでもありだな。 しかし、確かに睡眠時間が足りてない割には動けている印象はある。

みなとみらいのレゴ屋(クリックブリック)。 オタマはまだまだブロックを組むことに興味がない。 何か意味のあるものを作ってやればそれで遊ぶのだが、 そうでなければ動物のフィギュアでままごとをしている。 男女差は大きいのかもしれんなあ。 レゴを組み立てて遊ぶようにはならんのかもしれん。

デュプロは基本ブロックが2x2と4x2しかない。 2x3とか、厚さが半分の奴とかもあるが、一部のセットにわずかな数 含まれているだけなので数が揃わない。

男女差があるとして、女が得意な能力を使って金を稼げる職業って 何があるんだろう。例えば一つのラインとして年収1000万を考えた時、 ここに達し得る職業のうち、女が有利なものはどれくらいあるだろうか。 マネジメントは男女問わずやらねばならん仕事のはずだが、 ドラッカーのやり方はどうにも男っぽいように思える。 別に女っぽいやり方というのがあって、同じくらい有効に働くのだろうか。 オタマは性別上有利な部分を伸ばすべきなのか、 それとも、比較的女が苦手としがちな部分を補うべきなのだろうか。 両方あるとしても、そのバランスはどれくらいなのだろうか。 まあ結局は自分で決めるんだろうとしか言いようがない。

音楽は何かしらやるようになったらいいなあと思うが、 時代が悪すぎるかもしれんとは思う。 ボタン一つで音楽が流れてくるのが当たり前の時代だ。 1000円のおもちゃですら録音を再生する能力を持ち、 youtubeにはなんぼでも音楽がある。 また、娯楽として見た時、楽器で遊ぶことはあまりにも不利だ。 安くて楽に楽しい娯楽は他にもごまんとある。 よしんば楽器を何かやるとしても、ピアノやヴァイオリンのように 一日1時間10年が最低ライン、みたいな楽器では不利すぎる。

ボタン一つで音楽が流れてくるようなおもちゃは避けたかったが、 そういうものが予想以上にあふれかえっていて、避けようがなかった。 電子ピアノすら、デモボタンを押せばデモ曲が流れてくる。 P120に関しては、オタマはそれを自力で見つけ出してしまっており、 デモボタンしか押さない。 FP-7Fはデモ曲再生の手順が複雑でまだ見つけてないようだが、 それでもメトロノームはボタン一発なので、そっちを押す。 一つの操作で曲が鳴るのに、何故わざわざ何百何千と操作して 初めて曲が鳴るようなことをやろうと思うだろうか。 楽器を練習するなんていう悠長な過程を経るのはもはや不可能な気がする。

2012年10月07日

鳥もも肉を真空気味調理してみた。最初はうまいが、飽きが早い。胃にも重い。 あと、鳥は脂がやっぱり臭い。鳥はささみに限るか。

乳脂肪は飽和脂肪酸が多いが、リノール酸は少ない。鳥の脂はリノール酸が多い。 リノール酸は過剰摂取している油の筆頭格でもあるし、いらんよなあ。 豚や鳥はリノール酸が多い。だが、牛はそうでもない。特に輸入牛は。

胃に重い脂とそうでない脂はあるのか。感覚的にはオレイン酸は軽い印象がある。 かなり馬鹿げた量のオリーブオイルを食べても、それほどつらくない。気のせいか。

炭水化物は消化がかなり遅く、2時間経ってから吐いても原型を留めているらしい。 蛋白質系の食品は跡形もないそうだ。 こういう話は複数の所で見たので、本当である可能性が高い。 自分で確認してみればいいのだろうが。

糖質制限で消化機能が高まったような気がするという報告は多い。 なにせ「気がする」なのでどれくらいあてにできるかはわからんが、 これは私の実感としてもある。 以前より脂を食えるのだ。 チーズを100g食べてもなんともない。 脂肪40gであり、結構べらぼうな量である。

しかし、今日の鶏は辛かった。多く見積もっても300g。脂肪量はその14%とすれば42g。 チーズで同じ量を食べたとすれば屁でもない量だ。 なぜああも重く感じられたのだろうか。 脂肪酸の種類によって重かったり軽かったりするのか? あるいは、一緒にいる蛋白質の影響があるかもしれない。 鳥は当然加熱してあり、蛋白質が変性して凝集しているから消化しにくい。 一方チーズの場合、加熱しても変性、凝集しない蛋白質が大半である。 これが消化が良い理由かもしれない。 牛乳を沸騰させても沈殿したりはしないわけで、少量が膜を張る程度だ。

オリーブオイルと大豆油を飲みくらべてみれば実験できるがなあ。 大豆油は大半リノール酸だ。

炭水化物が胃の中で消化を妨害し、それが蛋白質の消化を遅くして アレルギー症状を起こしやすくする、という仮説を見た。 感覚的にはありそうに思える。

糖質制限は理論的にはまだ疑いどころがたくさんある。 脂肪がたくさんあっても問題ないのか。蛋白質がたくさんあっても問題ないのか。 消化酵素を酷使しないか。本当に炭水化物は必要ないのか。 などなど。しかし、ここ数カ月の感覚では、問題はない。 また、江部氏やら夏井氏やらのところに集まってくる報告を見る限り、 問題が起こっているケースは稀だ。 27日からまた献血できるので、行ってくる。血液に異常が全く出ないままで 健康を損ねることはそんなに多くないだろう。

一般理論と隷属への道は読んでおきたい。

ひつじこは私を誉めすぎるが、私もひつじこを誉めすぎている気も しなくもないので、これでいいんだと思う。 互いに尊敬の念がない状態で一緒に暮らすのはたぶん無理だ。

2012年10月05日

ワセリンカット2回目。酸素系漂白剤が効果を発揮しているかはよくわからないが、 液は茶色がかった灰色で、汚れがたくさん取れているのは間違いない。 なお、30L容器にいっぱい服を入れた場合、これにさらに洗濯物を足して回すのは無理。 ワセリンカット中の通常の洗濯物は別に扱うこととする。

ワセリンカット1回目に洗ったパシーマはおどろくほど白くなった。 ただし、あくまでも相対的にであり、新品同様というレベルではない。 完全にワセリンを除くには最低でももう一回やらねばならない。 しかし当分はこれで十分だろう。 なにせワセリンカット洗いは重労働なので、こんなことを頻繁にやるのは辛い。

過炭酸ナトリウム漬け込みで若干ビブラムの色が落ちたところがある。 靴に対しては炭酸ナトリウム洗いが無難か。

明日ペットボトルを買って帰ろう。粉石鹸を溶かしておく。

動画の解像度は1280x720もあれば十分な気がする。 解像度が必要なのは静止画であって、動画ではない。 それ以上はエネルギーと金の無駄遣いだろう。 これはゲームに関しても言えるが、 ゲームの場合は動画的なものもあれば静止画的なものもあるため、 解像度が高いことが重要なケースもないわけではない。 文字情報が多い場合などは解像度が重要だろう。 しかしそれでも1920x1080いっぱいに文字情報を並べるような 真似をすれば情報過多になるのは間違いない。

1280x720が必要十分な解像度であるならば、解像度は変数でなく定数となり、 そこをどうするか迷う必要はなくなる。 フレームレートも可変で許されればあまりひどくない限り チェックが不要になるからコストダウンにもなる。

性能Pを所与とした時、P=f(x0,x1,x2,...xn)という式が成り立つ。 xはフレームレート、解像度、ポリゴン数などの品質指標値で、 それらを変数として性能との関係を 式にしたものがこれだということだ。 この式を満たすようにxを注意深く調整するのが最良なのは確かだが、 これには手間がかかるし、一つのPに特化した調整となる。 つまり、性能が異なるマシンで 同じものを動かすことは難しくなる。 そこで、x0からxnまでの指標のうち一つを従属変数として考える。 好き勝手xを設定すれば当然性能Pに収まらなくなるわけで、 たとえばx0が増えればx1は減る、 というような関係が成り立つ。式を、xi=g(P,x0,x1,...,xn)という形に変形し、 xiは調整項目に含めない。結果として勝手に決まるものとする。 こうすると、Pも変数として扱うことができる。性能が違う機械で動かすと、 xiが増えたり減ったりする、ということだ。 xiは性能に応じて自動的に増減する指標である必要があり、 一番簡単なのはフレームレート、次が解像度やMSAAなどのレンダリング設定となる。 フレームレートは最も楽で、自動で増減するように作るための手間がゼロで、 しかも変化幅が大きい。ゼロから無限まで好きな値を取れる。 もちろん現実的な範囲はあるが、かなり広い範囲を取れるのは間違いない。 だから、特に理由がない限りは可変フレームレートが最も楽である。 しかし、Pの幅が大きいとフレームレートだけで吸収することが 合理的でないこともある。 例えば、上のマシンでは60fpsだが、下のマシンでは常に5fps、 というのは売り物にならない。 こういう時には従属変数を増やせばいい。 例えば、フレームレートが30を切ると解像度が下げられていく ようにシステムを作っておく。 解像度の調整は遅れるので一時的に30fpsを下回ることもあるだろうが、 おおよそは追随できるはずである。さらに賢くしたい場合には、 ゲームの場面によって限界フレームレートを設定できるようにすれば、 静止画的なシーンでは低フレームレート、動画的なシーンでは高フレームレート、 といった場合分けができる。

解像度以外にも二次的な従属変数にできるパラメータはいくつかあるが、 連続的な変化が可能で、データの変更を伴わないという 条件で考えるとほとんど残らない。 テッセレーションのレベルなどは連続的にできるかもしれないが、 画面が急に変化して見苦しい可能性がある。 同じ理由でMSAAを切ったり入れたりすることや、 ポリゴンモデルを切り替えること、 シェーダを切り替えることなども適さない。

そう考えると、このような自動追随が可能な作りにするための条件が見えてくる。 まず、CPUは最も低い性能の機械でも 下限フレームレートを達成できる程度にしておかねばならない。 CPUで行う仕事に関してはこういう自動追随は困難である。 また、データそのものは最も低い性能の 機械でも使える程度のデータにしなくてはならない。 重要なのは頂点数及び容量である。これらは最も低い機械でも、 下限フレームレート以上が出せる 程度に抑えておく必要がある。テッセレーションが実用になる時代になれば、 頂点数に関して自由度が増すことはありえなくもない。

みたいなことは何年も前から毎回考えているわけだが、イマイチうまくいかない。 こういうことを考える前に、 コスト削減が重要であるということに関して合意しなければならないからだ。 コストあるいは時間が重要でないならば、 マシンや場面ごとに最適な設定を調整してもかまわないわけで、 自動化しようなんて思わない。 また、そのための手間の見積りが大きいか小さいかによっても判断は分かれるので、 そこも合意せねばならない。 いちいち調整しても大した手間はかからないとみなされれば、 自動調整よりも手動調整の方が好ましいという結論になりやすい。

手間が過小に見積もられるのは、見積り担当者がその作業を好きな場合が多い。 好きなことはいくらやっていても苦にならない。 しかし、好きだからといって掛けられる時間が短くなるわけではなく、 大抵の場合長くなる。 残業や徹夜も厭わずやるならばともかく、そうでもなければ結局時間という資源は 失われる。また、過小に見積もることが利益になる場合も過小に見積もられる。 例えば、個別調整を行えば品質は上がる。だから、品質に重きを置く人にとっては、 それを過小に見積もることが利益になる。 逆に、過大に見積もられるのは、その作業が嫌いな場合が多い。 やりたくないので過大に見積もる。 また、責任回避のために過大に見積もることもある。 見積り以上にかかってしまった時に 責任を取りたくないので、多目に見積もっておくのである。 あとは、その作業によって得られるものを軽視していれば、 その作業のコストを大きく見積もる動機になる。 「画質なんてどうでもいいんじゃー」と思えば、 画質向上のための調整は相対的に高コストに見える。

このように考えると、見積りに含まれている偏向の度合いと 方向をある程度見積もることができる。 どういう考えを持っている誰が見積もったかで、 その見積が過大である可能性が高いか、 過小である可能性が高いかはおおよそわかるということだ。 見積もる人は普通専門家で、それを聞く人は専門家ではないので、 見積りをチェックすることは基本的に無理である。 しかし、見積りの見積りには専門知識は必要なく、人間洞察だけできればいい。 もっとも、「誰に、何を価値として売るのか」という上位のイメージが 共有されていれば、偏向そのものが少なくなり、 こんなことを考える必要はなくなるのだが。

洗濯は私の仕事になった。なので、出来が悪い時に言ってくれるのはいいが、 自分で洗濯をしようとは思わないでほしい。 乾燥工程を止めて自分で干すとか、絶対ダメ。 どうしても今すぐ洗わねばならないという状況になったとすれば、 それは服を増やすべきだということであって、根っこをどうにかしよう。 洗濯というのは要求水準さえ満たされていればあとはどうでもいい仕事なのであって、 どうでもいい仕事は一人が集中してやった方がいいと思う。 その方が熟練が速いから、効率化が速く進む。 ひつじこは遊んでいるよりは仕事をした方がいいと思う真面目な人だが、 やらなくていい仕事よりは遊びの方が有意義だ、と考えてくれるとうれしい。

洗濯に関しては、ここ数日の勉強によって、 圧倒的に私の方が詳しくなった。しかし、その内容はまだひつじこに説明していない。 まだ最適な洗剤の量や温度、すすぎ回数などが確立していないこともあるし、 そのへんが確立して、洗濯に関してのマニュアルが出来るまでは 集中的に私がやった方がいい。 一応wikiに書いてあるが、まだ流動的だ。 最低限の手間で許容できる結果が得られ、曖昧さのない手順を編み出して初めて、 「誰がやってもかまわない」という状態になる。 ノウハウの標準化、自動化、機械化といったことについては、 ひつじこよりも私の方が速い。

仕事でもそうすべきなんだろうが、やったことがないな。 ノウハウを共有したり再利用したりする必要が出てくる予定がないから、 ノウハウを整理して文書化するコストを正当化できない。

料理もそうやってマニュアル化すべきなのかなあ、と思ったが、無理だし不要か。 料理は喜びをもたらすが、うちの場合は掃除や洗濯は単なる雑用にすぎない。 雑用は要求水準を満たしさえすれば、後は低コストであればいい。 こういうことにはマニュアル化や自動化が効果を発揮する。 しかし、喜びをもたらすものは出来が良いほどいいのであって、 品質を犠牲にしてマニュアル化しても得るところは少ない。 塩加減や火加減は一定のところまではマニュアル化できても、 そこから先は獣の感覚に属するものだ。茶の入れ方にしてもそうで、 正直私が入れた方がおいしくなる理由が未だにわからない。 何か気をつけてる気がしないぞ。 実はプラシーボなんじゃね、とすら思う。 これを一つ一つ原因を明らかにしてマニュアル化していくことはできなくもなかろうが、 私がやった方が早い。茶くらいはマニュアル化できそうな気がするが。

沸騰時間と牛乳の入れ方は重要だよな。 塩素が飛んでないとおいしくないから少し沸騰させておく必要があるが、 別にそれほど重要でもないよなあこれは。 あと、牛乳は一気に入れないと部分的に蛋白質が壊れて味が落ちる。 本当は牛乳に茶を注ぐのだが、面倒くさいのでそこまではしていない。 他に何か気をつけてたっけか。

オタマから目を離した隙に掻きむしられて流血、なんてのは仕方ないことで、 気に病む必要はない。むしろ、一定の頻度でそうなる、という前提で考えるべきだ。 目を離しても掻きむしられにくい工夫を考えるべきで、 それをやるだけやったら、後は事故。 仕方ない。根本原因が除かれるまではどうせ完治はしないのであって、 掻く気にならないところまで治らない限り、 どんなに注意をしても掻かれるケースは出てくる。 その度に気分を暗くしているとロクなことにならない。機嫌が悪くなると私も困る。 血が出たらハイドロコロイドを貼ればいい、と単純に考えよう。

あと、オタマは人間であっても、オタマにできた傷は現象にすぎない、と考えよう。 分けて考えないと判断を誤るし、ストレスも溜まる。 現象に関することは改善できる。気に病むより、改善の方法を考える方がいい。

私がそうやって割り切りが良すぎるのもマズいんだよな。 私に欠けているのは共感する力だ。本当に欠けている。 俯瞰して見る癖がつきすぎて、目の前にあるものを見ない。 私は自分がひとでなしであることは結構前から良く知っていて、 別にそれでもいいやと思って生きてきた。 しかし、結婚した結果この欠点が決定的に大きなものになっている。 結婚は徹底的に生身のつきあいであり、 私が一番ダメな所をどうにかしなければ成立させられないのだ。

本当キリツグさんには親近感が湧く。あとキュウべえ。

日本酒は好きだが、事態が好転するまでは買わない。 そんなものを飲んでいる余裕がどこにもない。 朝オタマが起きた後も寝ていると邪魔になるので、 寝起きを悪くするようなものを飲むとまずい。 糖質制限気味になってからどうもエタノールの代謝も遅い気がするし、余計にダメだ。 今残っている分は少々もったいないが、積極的に料理に使っていくことにする。 でも今回はカレイを買ってないので、煮魚にする魚がないんだよな。

でも、この仙亀うめえ。

オタマはサバはダメっぽい。スーパーのサバは鮮度も怪しいから、 ヒスタミンが出てきて害を及ぼしている可能性もある。干物は加工の品質も問題だしな。 マグロ、イワシ、サンマ、アジ、サバ、カツオあたりは避けよう。 さかなだマートから買っているサンマは鮮度がいいので大丈夫だが、 他で買うのは危険だ。今旬でスーパーでも安く買えるのだが、念のため避けておく。 つうか、さかなだマート以外から魚を買うのは当分やめておく。

調理済みの肉は冷凍すると味が落ちる。組織が壊れて水が出てしまうからだ。 かといって、家でそう急速冷凍できるわけでもない。 温度計に連動して出力を自動でいじれるIH器具があればいいのになあ。 あるいは、水槽の温度を保つ温度計付きヒーター奴みたいなので高温まで行ける奴。

カツカレーが食べたくなったが、無理なので、カレーを作った。 ナスとニンジンとレンズ豆のトマト煮にカレー粉を少し入れただけのものだ。 あとは回答した豚ヒレ肉と一緒に食べれば、まあおおむねそんな感じだろう。 これじゃない感がいっぱいだが、日本式カレーライスは糖質制限的にアウト過ぎるので 家では作れない。糖質枠は二郎のためにとっておきたい。

個人向け国債のラインナップが増えている。 消化が順調ならこんなことをする必要はない気がするのだが。 預金はどうせ国債になるのだし、投資信託を介して国債を買う方法もある。 単純にヤバいのかと思ってしまう。 なお、個人向けは購入単位が小さくて流動性が保証される代わりに金利が低い。 1/4カットの白菜みたいなものだ。少量だが割高である。 実際に買って比べてみた感じ、投資信託の方がリターンがいい。 利率の高い古い国債が混ざっているため、信託報酬を払ってもなお 個人向けより高い利率になる。

満期まであと7年以上あるが、 たぶんその前に換金するだろう。資産がまだまだ円に偏っているので、 リターンの低い円資産から順に売って行くことになる。

ボイルのツブ貝を買ったが、くさすぎて食えない。腐っているわけではなく、 特有の臭いがきつすぎるだけだ。なんというか、有機溶媒。 酒と醤油で煮てみたが、 蒸発するエタノールと一緒に出てくる臭いが到底食べ物とは思えない。 これだけ揮発性っぽい臭いなら煮れば抜けるだろうと思ったが、 臭いがきつくなって余計に食えなくなった。 どうも、毛つぶ貝は、普通のつぶ貝ではないらしい。 つぶ貝という種類の貝がいるわけでもなく、 エゾバイ科の貝をまとめてそう呼ぶらしいのだが、 毛つぶ貝はエゾバイ科ですらなく、フジツガイ科のアヤボラという貝なのだそうだ。 臭いせいでほぼ加工用らしい。どうやったら抜けるんだこれ。

特許が引っかかった。アルカリ処理してるらしい。いや、アルカリってなんだよ。 ナトリウム系のアルカリなら後で塩酸をかけて中和すれば 塩になるわけで安全性に問題はなかろうが、家庭でやることじゃない。 根本的に、臭いのが何の物質なのかがわからないと、 除去の方法を化学的に決められない。

その特許。 炭酸ナトリウムと塩をぶちこんで一週間冷蔵、その後酢で中和して、 醗酵までさせている。 ありえない。

生のまま塩で脱水して酢漬け、あるいは佃煮か。 とりあえず、煮ると異臭、というのはその通りである。 あれは異臭としか言いようがない。 そして結論が、一応どうにかなったが手間が割に合わない、というものが何とも悲しい。 最近になって製品が出てきたのは、 普通のつぶ貝が採れなくなってきたからだったりしないだろうな。

どうも最近まで土地から出てこないマイナー食材だったようだ。 このくさみを抜く方法が確立してなかったんだろう。 慣れた人間だけが食べていたのだろうか。 ちらほら商品はあるが、どういう加工をしているかはわからない。 いずれにしても家庭でやることじゃねえ。 塩漬け脱水後に酢漬け、というのは、まず脱水して酢を染み込みやすくし、 酢に溶ける成分を除去、ということだよな。 疎水性の成分なのであれば油でも抜けるかもしれないが、 オリーブオイル漬けがあるということはたぶん違うな。 もし疎水性で油に溶けるとしたら、 オイル全体が臭くなってひどいことになっているはずだ。

足の部分だけ取り出せば甘くてうまい、と寿司屋の人が言っていたりする。 もしかして、丸ごとゆでたために内臓部分にある臭い物質が 全体に回ってこうなっているとか、 そういうことなんじゃないのか。 あるいは、茹でてしまうと何かが壊れてこの臭いになるとか。 うまいと言っている人は生の刺身について言っている。 ボイルはアウトなんじゃなかろうか。

捨てるべきだなこれは。剥き身キロ1000円の貝なんてあまりにも胡散臭いわけで、 まあダメでもともとだ。月曜に捨てよう。いい経験になった。 知らない食材は最低限名前で検索してから買うべきだ。

カキとアジかサンマを冷凍で通販したい。味はイワシの方が好きだが、 鱗の処理が面倒くさすぎる。 アジは通販するようなものは高級品で高くつく。 やはりサンマか。冷凍サンマは10kg4000円とかで買えるのだが、 10kgはちょっとなあ。かといって、 サンマやアジの干物は加工品質次第でヒスタミンだらけに なりそうで怖い。タマが食えなければ仕方ないからな。

サンマの通販は考えておこう。ただ、脂の多い魚だけに保存が効かない。 ブロック冷凍されていると個別にバラせないし。 でもIQF冷凍の商品もあるなあ。それは買いかもしれない。今が旬だ。

ワセリンカット第二回のパシーマもかなり白くなった。 しかし過炭酸ナトリウムを足したことで落ちが良くなったかはよくわからない。 とりあえず、昨日洗ったタマズボンはイマイチ綺麗にならなかった。 汚れがひどすぎるんだろう。 今日もう一度洗ったので、どうなるかを見る。 明日の第四回は最後で、落ちが悪かったタマ服をもう一度洗うのと、最後のパシーマ、 それに巻き添えになってワセリンまみれになっている私やひつじこの服と、 余裕があればタオル。明日で洗濯に時間を食われる日々が終わる。

しかし、またしばらくすればワセリンは溜まってくる。 通常のお湯石鹸洗いで新しく付着したワセリンがおおよそ落ちてくれるならいいのだが、 そうならず蓄積していくようなら、 数カ月後にはワセリンカットの出番がやってくるだろう。 もちろん一番いいのは、オタマが完治してワセリンを使わなくなることだが、 すぐにというわけには行くまい。 しかし何にせよ、ワセリンカットを買って手間さえかければ 相当に蓄積したとしても落とせる、 ということがわかったことは大きい。

ワセリンカットは送料込みで考えると500gで4000円。 今回は120gづつ4回使う予定で、明日で使い果たす。 つまり、4日間の洗濯で4000円が飛ぶわけだが、 ダブルサイズの厚手シーツであるパシーマ4枚、タオル10枚以上、幼児服20枚以上を その値段で洗えている以上、そう悪くはないと言えるだろう。 洗濯機を回すコストを一回200円と見積もっても、 5000円でこれだけ洗えているわけだから、 クリーニングに出すよりは安いと言える。 それに、今回のワセリンカットは相当に割高だ。 まとめ買いすればかなりコストは下がる。 1.5kgまとめて買えば8000円で、500gあたり2666円。 3kgまとめて買えば13500円で、500gあたり2250円だ。 将来的にそれくらい使うと考えれば、まとめて買っておいても損はしない。 仮にワセリンを使わなくなったとしても、単純に「恐ろしく強力な洗剤」 と考えれば、それを使いたくなる局面は結構あるだろう。 しかも強力とは言っても基本的には石鹸であり、 合成洗剤でなく素性がはっきりしているというのもうれしい点だ。 高温の液でなければ皮膚についても大した危険はない。 しかも融点が高いタイプの石鹸で酸化にも強いはずだから、 残っても黄ばみは発生しにくいだろう。 なお、12kgで39000円なので、500gあたりのコストは1625円までは下げられるのだが、 12kgとかどこに置くんだよという話になる。 しかも小分けされてないので、丸ごと湿っていきそうだし。 多少割高でも500gごとに分けてある方がいいだろう。次回は3kg買う。

パシーマにワセリンカットの臭いが多少残っているな。所詮石鹸と酵素なので、 多少残ったところで害はなかろうし、 4回注水ですすいでいるからアルカリ剤が残っていることもあるまい。 過度に気にすることはないだろう。 汚れが落ちる代償と考えれば、総合的にはプラスだ。

日銀の使命は物価の安定であって、その他のことはどうでもいいんだろう。 そういう組織として作ったのであれば、それで正しい。 確かに物価は安定している。デフレとしても年率1%もない。 日銀は請け負った仕事を忠実にこなしているだけなのではなかろうか。 「物価の安定を通じて経済に貢献する」みたいなのが使命っぽいが、 これはつまり、物価の安定以外の方法で経済に貢献する気はない、ということだろ。 金をたくさん刷ってインフレを起こす危険を冒すことは日銀の仕事ではない、 ということになっていれば、なんぼ経済が衰退しようが、 日銀のせいではないことになる。 高橋氏がさんざん日銀は無能と言っているが、もし「日銀は何をする組織か」 というところに根本的なズレがあるとすれば、 そこから直さないとどうしようもないのではないか。 前原氏が会議に出たらしいが、たぶんそのへんを探りに行ったんだろうな。

この日記、何のネタがメインなのか本当わからんな。

2008年の本を書いている当時の日記を読み返していた。 ピアノ弾いてんなあ。また、本がちゃんと進んでいる。 だが、精神状態は悪い。不安しかない。 何度となく全てを放り出して逃げ出したい衝動に駆られたことを思い出した。 しかし、たぶん今回の方が状況が悪い。 とにかく集中できない。私から集中を取り去るとこれほど駄目になるのかと思う。 集中とは切り捨てであり、鈍感であることである。 切り捨てられず、鈍感でいられない状態では、集中は不可能だ。 脳の切り替えが遅いのが問題なのだが、 切り替えが遅いことが集中力の源泉であるという側面もあった。 今更切り替えの早い人間になるのはおそらく無理だ。

音楽は捨てた。趣味もほぼ捨てた。しかし、まだ足りない。 洗濯を私が引き受けることになったのでその分時間が減った、というのはあるが、 それに関してはここ最近の改革でほぼゼロにできる。 洗濯に時間をかけるのは明日で最後だ。 あとは料理にかかる時間を大幅に減らす方法はないか。 一日一回しか料理せずに済ませたい。それでも質が落ちない方法はないか。 もっとも、前回の本を書いている時、 ピアノを弾いている時間は大した妨げにはなっていなかった。 体を使っていても頭は止まらない。 頭を止めることを削らないと効果が薄いのは事実である。 しかし単純に時間を食う行為を削ることには恩恵が大きい。

ただし、一番優先すべきことは別にある。 常にそれを最初に考えないと駄目だ。 それが見えなくなると確実に問題につながるし、 それをきちんと見ることが幸せにつながるはずだ。

健康にダメージを与えずに睡眠時間を減らしたい。可能か。 たぶん無理だな。しかし、食事の質を上げることは多少事態をマシにするかもしれん。 糖質制限をしてから眠りの質が改善している気がする。 あとは寝る時間をどこに持ってくるかだ。 しかし、オタマが寝ている時間は極力有効活用したい。 12時から6時までの6時間、とできれば6時に起きて多少は書ける。 2時まで書いて8時まで寝る方が実践はしやすいが、 太陽光がある時間に起きている方が体にはいい気がする。 夜多少はやるにしても、日が変わる前には帰って寝るべきだ。 今日はもう3時だから手遅れだが。

twitterから政治家を除いた。当分そんなのは見ない。 ついでに大整理。 あと、結構な数のメルマガを止めた。 通販をきっかけに送られてきて放置していたものをごっそり消した。 政治経済IT系のニュースがまだ少し残っているので、これも後で消す。 ブックマークも結構削った。ニュースとかいいよもう。 世の中の動きはひつじこに教えてもらう。

mixi退会したい。メールを止められないのが邪魔くさい。 日記に何か挨拶でも書こうかと思ったが、かえって良くない気がしてきた。 mixiでしかつながっておらず、今後もつながる可能性があり、 このサイトを知らない可能性がある人にはメッセージを送っておこう。 あと退避するデータがあるかを確認しよう。そしたら決行する。 SNSはfacebookに一元化したい。

LinkedInもいらないんだが、 こっちは仕事で知り合った人がすでにつながってるからな... 何も考えずにアカウントを作ったことが悔やまれる。 実質的なやり取りは何もしてないので、消してもいい気はするが。

google+は即座に削除。誘ってもらっておいてすみません。 ロクに使っていないうちに消さないと LinkedIn同様に消しにくくなりそうなので。

SNSの類が自分に恐ろしく向いてないことがよくわかった。 もうよほどのことがない限りアカウントは作らない。 twitterは本質的には放送であり、webサイトも同様だ。 一方通行のリンクが「たまたま双方向にある」という程度の結合が私にとっては 丁度いいのだろう。明示的に双方向のリンクが存在する状態は辛い。

以前どんなもんか見てみようと高橋洋一氏のサイトのユーザ登録をしたが、 結構な額を払わないとまともに見えないことがわかったし、 今はそんなことをしている場合ではないのでアカウントを消すことにした。 でも、消す方法が見当たらない。とりあえずメール配信だけ止めた。

明日明後日に家のいらんものを捨てたい。体についた垢を綺麗にして、 本当に大事なものがよく見えるようにしたい。 会社の机の周りにあるいらん本も捨てたいな。選別しよう。 会社に買ってもらった本は区別しないといけないが。 あと、いいかげん台所の窓に遮光フィルムを貼る。

この「とにかく捨てたい祭」自体が逃避なのだがな。

2012年10月04日

ユーロが落ち着くまではヨーロッパからはお金が逃げたままになる。 それにしても、ドイツにとっては今回のユーロ危機は大して悪いことでもないような 気がするが、どうなのだろう。ユーロ安は輸出を有利にする。 ギリシャがキレないギリギリのところで強気に出てゴタゴタを長引かせた方が 得なのではなかろうか。ギリシャにしても通貨安なら輸出産業を立て直しやすい。 プロレスだったりしないんだろうか。

ワセリンカット12時間後。茶色がかった灰色の汁になっていた。 石鹸を使って普通に洗濯した後の布でこれということは、通常の洗剤による洗濯では どうにもならなかったということであり、 かつ、ワセリンカットが有効に働いているということでもある。 だが、液の表面はどう見てもワセリン。 乳化できていない。かき回しても泡立たない。洗剤を使い果たしている。 液に触れた手袋の表面はワセリンで覆われ、洗っても落ちる気がしない。 ミセル化しきれていないということだ。 120gのワセリンカットでも手に負えないほどのワセリンが存在しているのだろう。 色もさほど白くなったようには見えない。 ワセリンがとれているのは確かだが、100が50になっても0でないことに変わりはない、 ということだろう。 これはもう一度洗わないと駄目な気がする。 しかし、とりあえず全部の服に同じ処理をしてからの話だな。 というわけで、あと三日同じことを繰り返す。面倒だが仕方ない。

今日はアルカリ助剤を入れてみよう。ワセリンカットの成分表示を見る限り、 助剤が入ってないっぽく、 石鹸であればアルカリに傾けた方が効きがいいはずだ。 でも配合してないことには理由がある気もするので、メールで聞いてからにすべきか。

バケツに過炭酸ナトリウム20gと靴を入れ、お湯シャワーで溶解、つけおき。 激しく酸素の泡が出ている。 これで匂いが取れるかな。

自然丸の粉石けんが来た。 今ある液体石鹸を使い切ったらペットボトルで溶かしてみよう。 助剤入りなので、アルカリを敢えて入れる必要はない。

洗濯も案外奥深いな。あとでwikiにまとめておこう。

ワセリンカットに関して質問したら答えが電話で来た。 グラムあたり何グラムくらいのワセリンをミセル化できるかはデータがないとのこと。 そんなに大量にくっついてる状態を想定していなかったらしい。 また、洗剤使用量と汚れの量が比例するのは当然だが、 濃度は一定以上に上げるよりは水量を増やすべきであるとのこと。 ミセルが分散する空間が必要。 それと、助剤については単なるアルカリよりは酸素系漂白剤が効くとのこと。 過炭酸ナトリウムを放り込んでみよう。 あと酵素。酵素はワセリンに対しては無力で、 その他の汚れを落とすために配合しているとのこと。 そりゃ炭化水素を切れる酵素なんてないからな。 しかし、プロテアーゼ、アミラーゼ、リパーゼあたりが複合して入っているのであれば、 ワセリンの中に閉じ込められていた蛋白質汚れや脂肪酸汚れ、 澱粉汚れを取る力は増すはずだ。 この力を消さないために、温度は80度以下にしてほしいとのこと。

丁寧な回答で好感が持てる。対抗商品のサポアヒルのものに対する優位点も明らかで、 酵素配合によってワセリン以外の普通の汚れが落ちやすいことと、 助剤がない分だけ石鹸含有量が多いから多くのワセリンをミセル化できることだ。 ワセリンが大過剰に存在するうちみたいな状態だと、 サポアヒルのものは多く入れねばならないことが推測される。 まあそれでもサポアヒルの方が安い気はするんだが。 倍使ってもキロ4000円で、ワセリンカットの500g3000円に比べれば安い。

それと、ワセリンであっても表面についたくらいなら温度を上げて石鹸を使うだけでも 取れるとのこと。これは、以前タマ服を鍋で煮た時に確認している。かなりとれていた。 その一方で、繊維内部に染み込んでしまえば煮ても駄目だということ。 これも煮た時に確認している。完全に綺麗にはならなかった。

というわけで、今日の洗濯では水量をギリギリまで増やす。 容器から溢れない範囲で増やそう。 濃度は3g/Lあれば十分で、それ以上は濃度を上げる必要はない。 そして、酸素系漂白剤を入れる。 過炭酸ナトリウムの溶解度はリットルあたり200g以上あるので、 30Lあれば6kg溶ける計算になる。しかしそれはなんぼなんでもやりすぎだ。 とりあえず10.6g/Lで11.7程度のPHになるので、300g入れればそれくらいのPHになる。 まあこれはやりすぎだということで1/10にすれば、PH11程度。まあこんなもんだろう。 30gほど入れてみる。

酸素系漂白剤を使う際、温度が高すぎると分解速度が漂白速度を上回って 無駄に漂白剤が消費されて効きが悪くなる。50度くらいがいいらしい。

数日でずいぶんと洗濯に詳しくなったぞ。 wikiにまとめておいた

腕時計に価値を感じたことがない。もう最低でも10年は使っていない。 そんなに時間が重要な仕事をしなくて済んでいるのは幸運なことだ。

本書くのしんどい。行ける!売れる!みたいな確信が出てくるまでは 苦しみ続けるしかないんだが、なんというか没頭できん。 洗濯の問題はこれでおおよそ解決する。 そろそろ洗濯グッズをごっそり捨てても良かろう。 これでオタマの皮膚が軽減するかもしれん。 ワセリンで汗の吸収が悪くなってたことが治癒を遅らせていた可能性もある。 ワセリンカットによってかなりワセリンが取れることがわかったのは良かった。 もう一度ワセリンカットで洗えばほぼ完全に取れると思うが、 コストがかかりすぎるので、もう少し汚れてからにしよう。

2012年10月03日

今日の洗濯はアルカリ助剤入り。効果があるのかよくわからない。 やはり再現性のある試験をしないとわからんなあ。 オリーブオイルに浸した布がどれくらい落ちるか調べるとか、 そういうことをすればいいのか。

アルカリ入り、結構落ちた。目に見えて違う。

金増やせば解決するんかなあ。高橋洋一氏はそう言っているし、安倍氏も そういう方向で考えているようだ。 確かに一理あるんだよな。 「インフレ率が2%になるまで断固としてお金を印刷し続けます」 と宣言されれば、「2%になるのか」と皆が思う。 2%になるものとして将来の計画を立てるならば、 金利が上がるのだから借金は早めにしておこうと 思うだろうし、それがトリガーになって景気も良くなるだろう。 たぶんそうしないのは、 しくじってインフレが制御不能になるのが怖いからかもしれないし、 金利が先に上がると財政がヤバイという事情もあるのかもしれない。 また、インフレすると皆が思っても、金を使いたい用事や、 金を稼ぐアイディアがなければ、 とりあえずインフレに強い資産に移そうと考えるだろう。 それで土地や株、外貨を買えばそれらがバブルになるかもしれないし、 そもそも国債が売られて国債の消化に支障を来す。 そうなれば、景気がよくならないまま財政を危機に陥れることにもなる。

とある記事。 会社の中のつきあいが薄まっているのに、 会社の外との付き合いが深まらない状況は危ない。 定年後に付き合いが全くなくなってしまったり、転職が難しくなったりする。 濃い友達よりも、社外にいる「知り合い」程度の人をたくさん作ることが 重要らしい。超苦手だよそれ。 しかし、自分の能力を社外から見える形で表現することで なんぼかは補えるだろう。そのための手段としても本は重要なのである。

ワセリンカットが来た。どこでやるか。風呂桶は一度に済ませられるが、 保温性に難がある。発泡スチロール容器だろうな。 一気にやって手に負えなくなっても厄介だ。 炊事用手袋と発泡スチロール容器を買ってくる。

二人称はまた「君」にしよう。もうこういうノリで売る。 「読者」として中立化しようと思ったが、 二人称が君であることにむかついた、という書評はないし、問題ないだろ。 「あなた」はもはや敬称ではないし。

iPadのガラスを割った。いつ誰が割ったかはわからないが、 今日ひつじこが割れていることに気づいた。 踏んだか、落としたか。 こんな時のためのappleCare+である。 しかしデータが入ったまま返ってくる保証はないので、 データは全部PCに退避せねばならん。 つうかあれ?写真類もクラウドにあげられるんじゃなかったっけ? この際だから調べておくか。

写真以外はどうにかなった。 メモはiCloudに保存することを明示的に指示しないと上がらないが、 そうすれば上がる。 だが、写真は丸ごとwebに送られるものではないらしいし、 そもそも全く写真が上がらない。新しく写真を撮っても上がらない。 iCloud上にどんな写真があるのかを知る術がないので、 上がっているのにiPadから見えないのか、そもそも上げていないのかもわからない。 とりあえずフォトストリームを入れたPCからも見えないので、 たぶん上がってないんだろう。 そして、PC側から一枚アップロードしたが、 iPadから見えない。有効化そのものがされてない ように見えるが、他にスイッチないよなあ。 iPodのiOSは4のままなので、そっちからの確認もできないし。 とりあえず、写真は手動でPCに退避しよう。 今日の夜やって、引き取り修理の手続きもする。

後で何かしらtexの本を買う。マクロ作れないと話にならん。 図の横に文章を回りこませる方法すらわからん。 wordでも500ページとか1000ページとかの本を書けるのかもしれんが、 重要なのは論理構造であって見栄えではないのだとすれば、 wordにする必要性はかなり薄い。

ワセリンカット実験。30Lの発泡スチロール箱を風呂場に置き、 パシーマ1枚とタマ服を詰め、 バケツにお湯を入れてワセリンカット120gを溶かして投入。 ひたひたになるまでお湯を入れる。 蛇口からのお湯が55度程度で低いので、4Lほどコンロで湯を沸かして追加。 蓋をしめ、風呂場も閉めきって保温体勢。 明日の朝取り出してすすぎから乾燥までを回す予定。

糖質制限で失敗する人は、たぶん蛋白質と脂質が足りてない。 相当おかずを増やさないと駄目だが、 普通のおかずは白米を前提とした味付けなので単体では多量に食べられない。 つまり、根本的に何を食べるかを見直す必要があり、 「主食とおかず」というような考え方自体を捨てる必要がある。 だが、多くの人はそれができない。 だから糖質制限が仮に正しいとしても、そう簡単には定着しない。

今が円高かと言われれば、そうでもないという気がする。 サンフランシスコの飯屋でちょっと食えば20ドルくらいは簡単に飛ぶ。 これが2000円と言われるとギョッとするが、1500円と言われれば まだ納得できなくもない。もし1000円と言われればそれは明らかに安いので、 ドル50円はさすがに円高だろう。 今の為替相場で利益が出せないのは構造的に駄目なのであって、 円安になることを期待したり、円安にしようとあがいても無駄である。

最低賃金の制度が合理的な状況はありうるのだろうか。 制度によって雇い手が損をしても、それを働き手に転嫁できない時、 最低賃金制度は雇い手の力を弱めることができる。 働き手に転嫁できない状況とは、雇う数を減らせない状況で、 そんな状況はおもいつかない。 ただし、問題になるような低賃金の仕事を社会から抹殺して高付加価値の産業への 移行を促すという効果はありうるかもしれない。

2012年10月02日

ワセリンカットを作っている ラムスという会社がなんかおもろい。 小企業らしいカオスなサイトで、どこに何があるのかさっぱりわからないが、 しかし面白い。洗剤と手作り蒸気機関車とサラダ油コンロ。もうわけがわからない。 絹屋本舗、天使のお洗濯ショップ、ラムス、 と組織名なのかブランドなのかわからないものが 混ざっているのもわからないし、どうも洗剤はメーカーが別にあるっぽく どういう関係なのかもわからないあたりもわからない。

重炭酸ナトリウム(重曹)、セスキ炭酸ナトリウム、炭酸ナトリウム、過炭酸ナトリウム。 前3つは単純なアルカリ。洗濯の効果はPHがアルカリであることによる。 アルカリとしては炭酸ナトリウムが最強。重曹が最弱。セスキは間。 ただし重曹は水に溶けにくいために粉が残り、これでこすると研磨効果がある。 また、煮ると二酸化炭素の泡が出るので、これで汚れを引き剥がす効果もある。 なので鍋洗いなどこする用途では重曹が力を発揮する。 最後は過酸化水素入り炭酸ナトリウムで、酸化して漂白する力を持つ。

普段の洗濯は炭酸ナトリウムでいいんじゃね? アルカリが強く素手では触りたくないくらい なのだが、洗濯機に放り込む分には問題がない。 溶解度が20g/100mlとそれなりに高いので、溶け残りもないだろう。 リットル1gくらいでPHは十分にアルカリになるため、それならすぐ溶けると思われる。 まさか洗濯機の中身がアルカリに弱いとかいうことはあるまいが、 それは確認しないといけないな。

漂白剤って何なの?と思ったが、色素を酸化して壊すことで色が見えなくなるという のがメインであるようだ。高分子を切って溶けやすくする効果もあるようで、 単なるアルカリ洗濯よりは効くのかもしれない。

過炭酸ナトリウム注文。 炭酸ナトリウムや過炭酸ナトリウムの欠点は、危険物であることだな。 オタマの届かない場所に置かないといけない。 しかし、洗濯は私の仕事だ。私しか届かない高い場所に置けば問題なかろう。

日経もういらないかなあ。ロイターとかJBPressとか、他にもいろいろあって、 登録さえすればタダで読める。 記事の質に大した差があるとも思えないと考えると、月20本しか読めないのは邪魔臭い。 1記事100円とかならまだ考えなくもないが、月4000円はありえない。

mixiをそろそろやめるか。ひつじこもやめたことだし。 SNS度が高いサービスは肌に合わん。twitterのフォローくらいで十分だ。 やめますと日記に書いて、mixiでしか連絡が取れない人にメールを書いて、 念のため残すべきデータがないかを確認して、それで終わりかな。

石鹸を使わないアルカリ助剤のみの洗濯は効果が薄いらしい。 そりゃ石鹸を使うのに比べれば落ちないだろう。 水だけよりは脂肪酸を多少落とせる分マシ、 ということで納得してやればいいと思うんだが、 コストに見合うだけマシかどうかは定量的な問題だから、測定せねばならない。

「大して汚れてないものは洗わない」が一番重要。 着たから洗う、はやめた方がいい。高コストになりすぎるし、服の消耗も激しくなる。

AMDの新型はしょぼいらしい。外GPUなしでそれなりに動くというのが売りのようだが、 CPUが絶対性能でも 電力効率でも話にならんほど劣っているようだ。使える範囲が恐ろしく狭いなあ。 インテルよりも速いGPUが欲しいが、別GPUを差すほどではなく、 電気は多少食っても良い、 という人か、とりあえず安く動けばいい人か。 値段下げる以外に売る方法がないのは悲しいことだ。 本当に将来CPUとGPUのメモリ空間が一体になって キャッシュのコヒーレンシが保たれるようになれば かなり話が変わってくるだろうが、ドライバで吸収しておしまいというのでは 本当の力は発揮できない。アプリ層がAMDに最適化しないと意味がないだろう。

児童館には仕事をうまくやる動機が薄い。子供に喜んでもらう動機も薄い。 向いてない職員をクビにする動機もない。 自分の行動の結果が自分に帰ってこないような組織においては、 よほどモラルが高い人間しか高い成果を出すことはできない。 私は自分のモラルを信用できないので、こうして会社にいる。 役立たずになれば捨てられるので役立たずにならないように努力を強いられる。 そうやって、努力を強いられる環境にいなくては、私は腐ってしまう。 その強制力なしに高い成果を上げるための努力を 続けられるのはほんの一部の人間だけだろう。 会社というシステムは良く出来ていると思う。

クエン酸もカルシウムを除ける。しかし、石鹸とカルシウムの結合の方が強いので、 石鹸と一緒に使うことはできない。EDTAが必要ということか。 ミヨシのそよ風はEDTAをどれくらい入れてるんだろうか。 0.1g除くのに1g必要らしいが、硬度100なら40mgくらいカルシウムがいる計算で、 1Lあたり400mg、30Lあたり12gも必要なことになる。そんなに激しい量の 生分解性が悪い物質が添加されているのはさすがにマズくないか。

いろいろ調べて思ったが、 カルシウムが多い首都圏で石鹸を使うのはかなり不利だ。 石鹸を多く使えばカスが出る。そしてそのカスはカビのエサになるので、 洗濯槽がすごいことになる。 普段の洗濯は単なるアルカリ洗濯で済ませるのが良い気がする。もちろん、 それで済む程度の汚れしかなければの話であり、 激しい汚れがあれば石鹸は必要だ。合成洗剤を使えばそんな面倒もなく、 物によっては紫外線防止効果までついてくるのだが、 オタマの皮膚に悪影響がある可能性を否定しきれないので、まだ保留。 石鹸は界面活性効果を持つ限界濃度が合成洗剤よりは高く、 また、石鹸は皮膚にいる菌が食べるので、無害ではないにしても 害が少ないだろうという推測はできる。 合成洗剤も食うかもしれないが、物によるだろうし確認をするのも面倒だ。 たまにワセリンカットで本気洗濯、いつもはアルカリ洗濯、 というのでもいい気がする。とは言え石鹸は注文済みなので、 なくなるまでは試して知識を得る。

石鹸は前もって熱湯で溶かしてポリタンクに入れておければ 毎度溶かす作業をしなくて済んでいいのだが、 溶けた状態で置いておけるかがわからない。 まずはペットボトルで実験すべきだ。1Lに何グラム溶かせるか、 そして溶けたものが安定して保存できるかを確かけないといけない。

「せっかく来たのに」はすごいなあ。もう幼児なのか。

児童館は会社経営にならない限り変わらないと思う。 がんばってもがんばらなくても金銭的に何も変わらないような状態では無理だ。 客からのフィードバックとしての金銭が封じられている状態では、 改善させる手なんてほとんどない。どう考えても無理だ。 それでも敢えてお節介をするなら 本人に直接言うのが一番いいだろうと思ったが、 ちゃんと教えようと思ったら一言声をかける程度では逆効果になるから無理とのこと。 そもそもオタマはその職員を無視して遊んでるわけで、 その親がああだこうだ言うのは不自然すぎる。

きっと保育園やら幼稚園に行っても似たようなことは起こるんだろうな。 競争的な市場とは言えないわけで、児童館と同じ問題がありそうだ。 そしてそれは小学校や中学校でも同じである。 教育が全部民営化してしまえばいいのに。 そういうところで、橋下氏の考え方には共感できる。

2012年10月01日

洗濯について考察する。

汚れには、蛋白質、油脂、 砂などのどうやっても溶けない粒子、その他水溶性のものがある。 蛋白質は酵素、酸、アルカリでバラせるが、酵素+アルカリが最も良い。 酵素がなくてもアルカリで煮れば破壊できる。 油脂は界面活性剤でミセル化して排水と一緒に流すのが良い。 砂などは撹拌しつつ布から引き剥がして、排水と一緒に流すしかない。 水溶性のものは洗剤など不要であり、勝手に落ちる。

以上から、理想的には、強力な界面活性剤をアルカリ条件下で使うのが一番いい。 ただし、アルカリが強いと布自体も破壊される。 蛋白質系の繊維は蛋白質なのでアルカリに弱いし、 綿などのセルロース系の繊維もアルカリで加水分解される。

界面活性剤とは、長い炭化水素分子の端が酸か塩基になっていてイオン化できるものだ。 相手の酸や塩基との力関係によって、イオン化できるPHも違うし、水溶液のPHも変わる。

石鹸は弱酸と強塩基の塩なので、アルカリ性でイオン化する。 石鹸はアルカリ性を保たないと性能を発揮しない。 酸性に傾くとプロトンを得て脂肪酸になり、水に溶けない。 なので、石鹸単体で使うと洗浄力は弱く、 一緒に炭酸ナトリウムのようなアルカリを加える。 また、石鹸はカルシウムイオンとくっついて沈殿するため、 少量だと水の中のそれらと結びついてしまって洗浄力がゼロになる。逆に言えば、 薄めれば界面活性効果はゼロになる。このため、皮膚刺激は小さいと考えられる。

合成洗剤は強酸と強塩基の塩なので、おおよそ中性でイオン化する。 アルカリ性を保つ必要がない。 また、カルシウムがあっても沈殿しないため、 わずかな濃度でも、濃度に応じた洗浄力を発揮する。 薄めても洗剤であり続ける。 これは皮膚刺激が大きいと言われる理由でもある。

ワセリンを落とすには、まずワセリンが液状になるだけの温度がいる。 個体の表面から界面活性剤で削り取っていくのは時間がかかりすぎるからだ。 次に、ワセリンの長い炭化水素鎖とよくくっつく、 長くてまっすぐな分子を界面活性剤として使うことが望ましい。 パルミチン酸主体の洗剤はその一例で、ヤシ油や牛脂由来の洗剤となる。 この場合、水には凄まじく溶けにくいため、事前にお湯で溶かす必要がある。 一旦溶けてしまえば水温が下がっても洗浄効果そのものはさほど落ちないとのことだが、 布にくっついたワセリンを液状にするためには高温が必要なので、 やはり高温での洗濯が望ましい。

というように考えていくと、ワセリンを日常の洗濯で落とすのはほとんど無理である。 手間がかかりすぎるからだ。従って、 たまに気合を入れてワセリンを落とす別の洗濯をすると考えるべきだ。 通常の洗濯はワセリン以外が落ちれば良いとして、分けて考える。 そうすると、通常の洗濯は弱い洗剤で十分で、適当な石鹸で事足りる。

で、ワセリン洗い。保温容器を用意する。そこに60度以上のお湯を入れて、 牛脂などの融点の高い油脂由来の石鹸を溶かす。 そこに洗う物を入れて、棒か何かで撹拌して全体を行き渡らせ、 蓋を閉めて何時間か置く。その後、 絞れるだけ絞ってから、洗濯機に入れて脱水だけやらせる。 あとは、普通に洗濯機で最初から洗ってもらう。この工程で 布についたワセリンの大半は取れるはずだ。

実験。とりあえず、鍋で湯を沸かし、灰色になったピンクのオタマ服を入れて煮る。 その後適当に液体石鹸を入れてみた。 量は普通に洗濯が出来る量なので、大過剰と考えられる。 およそ純石鹸10g程度。 良く混ぜると、灰色に濁ってきた。ミセル化してきたものと思われる。 ワセリンに取り込まれていた砂の粒子も一緒に出てきているために、灰色になっている。 その後静置しておくと、汁の大半は白濁しているものの、 表面に透明な層ができている。 完全なミセル化はできていないということだ。上の層はワセリンである。 その後服を取り出して、湯ですすぎを2回行い、水で洗って絞った。 手がワセリンでべっとりになった。 繊維の中にこれだけのワセリンが居座っていたということか。 かなり重量が軽くなったので、大半は落ちたんだと思うが、 甘いのは確かである。

ミセル化が弱い。ついていたワセリンがあまりに多すぎて、 石鹸が足りないだけである可能性はあるが、しかしなんぼなんでもないだろう。 煮ればワセリンをかなり除くことができることはわかったが、 単に液状になっているだけなので、再付着しやすい。 やはり完全にミセル化してから除く方がいいだろう。

というわけで、落とすことはできるが、 より融点が高い油を使った洗剤を使いたいところである。 そこでワセリンカットという製品を注文した。 500gで3000円とべらぼうに高いが、とりあえずは試してみなくては仕方ない。

東京の水は硬度が高いらしい。 このまま使うと石鹸の使用量を増やさねばならなくなるし、石鹸カスもたくさんできる。 硬度を下げるには、 グルコン酸やEDTAなどのキレート剤を入れてカルシウムをくっつけてしまうか、 前もって炭酸ナトリウムを入れて炭酸カルシウムを沈殿させてカルシウムを除くか、 イオン交換樹脂を通してカルシウムを除くか、というあたりになる。 最後はやり過ぎだろう。そこまで本気になれない。 風呂水で洗濯するなら炭酸ナトリウムを放り込んでおくのは楽でいいだろうが、 その後しばらく待たねばならず、その間に温度が下がるという致命的な問題がある。 となると、キレート剤入りの洗剤を使うか、石鹸を余計に入れるかということになる。

石鹸洗濯のサイトはだいたい環境負荷の話がごっちゃになっている。 皮膚刺激を避けたいのであって、環境負荷などどうでもいい、 という人はいくらでもいるはずだ。 別にうちはエコなどに興味はない。 他の条件が一切悪化しないなら環境負荷は小さい方がいいが、 それだけのことだ。

「無添加石鹸を配合した」ってアウトじゃね?配合する相手は大丈夫か?

まとめ。ワセリンは専用洗剤でつけ置き洗いする。 必要なものは、専用洗剤、発泡スチロールの箱かクーラーボックス。 通常の洗濯は、そのへんで買える炭酸ナトリウム入りの粉石鹸を事前に溶かしておいて、 そこそこぬくい風呂水を使って洗う。

粉石けんを事前に溶かす手間がどう考えても面倒くさい。 デカいタンクに事前に作っておくのが楽だろう。 問題は腐らないかどうかだが、無添加の液体石鹸が売られている 以上は大丈夫だろうと思われる。 粉石けん1kgを水2kgに溶かせば33%で、 こんなもんかという気はする。バケツで湯を入れて混ぜて、 ポリタンクに入れておく。少量取り出しやすいポリタンクを 手に入れておく必要があるな。 しかし、面倒くさければ多少高くてもいいから 液体の石鹸を買ってきて終わりにする手もある。 なので、これは後だ。とにかく溜まりに溜まったワセリンを落とすことを優先しよう。

生活保護の審査を厳しくするとかいうのは手間がかかる上に、 本当に必要な人を排除してロクなことにならない んじゃなかろうか。 根本的に、「マジで死にそうな人以外もらってもうれしくない制度」 に変えることが重要な気がする。 現物支給化するとか、職業訓練の受講とセットにするとか。 負の所得税に一本化、というのは理屈の上では悪くなさそうだが、 誰もやったことがない以上問題が 出てくる可能性はあるだろうし、そもそもそう簡単には実行されんだろう。

5インチで1920x1080とか、アホかと。 しかし、そのデメリットが問題でなくなればそれでも良くなる気はする。 iPadは解像度が上がった時に消費電力が大きく増えたと聞くが、 そういうことがなければいいんじゃないだろうか。

親戚のところのルータがエラーを起こしているらしい。見に行けばたぶん一発で直るが、 遠隔でどうにかする手はないよなあ。何にせよ、PCは一般家庭には難しい。 混信による面倒を回避するためにも、 5GHz帯が使える無線ルータとiPadというのが一番いい組み合わせな気がする。 調べたらiPadはどの世代でも5GHzが使える。 ルータのエラーが直っても、根本解決とは言い難いし、 どうにかした方がいいと思うなあ。 ひつじこの実家はすでに整備が終わっていて、ほぼ問題なく運用できている。

ITに詳しい人がいない家を考えれば、機械は少ないほどいい。 モデム、ルータ、有線で繋がってPC、 というのはどう考えても最悪だ。ACアダプタが2つ、ケーブルが3本もある。 理想的には、wimaxなんだろう。 端末そのものがwimax対応していれば余計な機械がゼロになる。 たぶんそれが最適解だ。あの家は車に乗ることも多いので、 その間webが使えることは便利でもあるだろう。 だが問題は、うちで試してないものをいきなり 導入するのはリスクが大きいということだ。 とても責任を負いきれない。 薦めるならまずうちで導入して使い勝手や導入手順を確認しておかねばならない。 これがあればipod touchやPCがいつでもどこでも webにつなげる素敵な機械に化けるわけで、 そのために月4000円払う価値がないとは言えないが、 今の生活スタイルでは必要な場面が想像できない。 「家の外でネットにつなげればこんなに良くなる!」 ということがまるで見当たらん。 いずれ電話と融合する日が来るんだろうから、 そうなれば全部IP通信にして携帯電話を捨てるんだろうが、 まだ数年以上はかかるだろう。 短期間でも試しに契約してみて使い勝手を試すというのは 流行りものではあるし悪くないのかもしれないが。 使えるようになってみたら劇的に生活が変わる、 ということがありえないとは限らないわけだし。

新しいiPadの電池容量がiPad2の80%増、 という話を知っていれば、古い方を買っていただろう。 確かに綺麗だが、実際の用途で恩恵を受けることは多くないような気が濃厚にしている。 大半のアプリはその解像度を有効活用できていないし、 下手にされて電気を食われても困る。

平均寿命が長いんだから年金支給開始年齢は高くて当然なのだが、 それなら定年も遅くないといけない。みたいなことを考えていくと、 根本的に年金とか定年とか、 そういうもので構成される今の制度がもう無理なんじゃないのか。

twitterからたどって見つけた 栄養学の人の糖質制限に対する反論。 やっぱりこういう感じか。 二糖類であれ多糖類であれ、加水分解した後は単糖類になる。 上がるのにかかる時間は異なるにせよ、結果は同じで、 そこを区別する重要性は低い。それに、 メシを断って一切他に食べない状態とメシも食う状態を比較することに意味はない。 そりゃメシを断てばメシに入っている分の蛋白質やビタミンは失われる。当たり前だ。 しかし、その分蛋白質やビタミンに関して 含有量の多いものを食べれば補えるし、自然にそうなるだろう。 「メシを食わなければ」という仮定は思慮が足りないか、 悪意に根ざしているかのどちらかとしか思えぬ。 また、カロリーが足りている状況であっても筋肉は日常的に分解されており、 問題が起こるのはそれが再建されない時だ。 そうなるのは蛋白質が足りない時であって、糖質が足りない時ではない。 カロリーが足りていない状態は当然駄目だが、 カロリーを糖質から取らねばならない必然性はないのではないか、 というのが糖質制限派の主張だ。 「摂りすぎても摂らなすぎてもだめ」という常識的な物言いに逃げず、 なぜ糖質が必要なのかを語って欲しい。 そこが突破口になって糖質制限を否定できるかもしれないのだから。 つうか、否定論者は真面目にやってくれ。 こっちとしては正しいかどうかを知りたいのであって、 正しいと思いたいわけではないのだ。 否定する材料は歓迎なのである。

グローバル化で日本が死んでいくというのは事実だろう。 生き残れるのはグローバル企業だけであり、 労働者は没落する方向にしか行かない。 しかし仮にそうだとしても、 日本人が落ちぶれた分だけ豊かになる人たちがどれだけの数いることか。 生きるか死ぬかの状態から脱する事が出来る人達がたくさんいることを思えば、 飢えや薬さえあれば死なない感染症で死ぬことがない範囲で貧しくなったとしても、 地球全体としての幸せの収支はプラスだろう。 であればこそ、世界はグローバル化に向かって 突き進む。日本人がああだこうだ言ったところで無駄だ。誰も止められない。 むろん、自国の幸せを求めて、国内産業を保護し、 強力な規制によって鎖国体勢を敷いてもかまわない。 そうする自由はある。 しかし、そうすればグローバル化を達成した 他国との競争に敗れて地位を失っていくことになるし、 競争できる企業は日本を出ていくだろう。 日本は資源を買わねばならないわけで、そのためには何かを輸出せねばならない。 輸出できる産業が死ねば、輸入もままならない。 自給自足できる範囲で生きていくという 決断は必ずしも誤りではないが、その生活水準は今と比べればはるかに低いだろう。

否定するなら対案を出せ、は必ずしも正しいとは思えない。 対案が思いつかなくてもこの路線じゃ駄目だということだけはわかる、 という状況は結構あるからだ。 「このまま行けばこう駄目だ、思いつく選択肢はこれとこれだが、 これもやっぱりこう駄目だ」 というだけの意見になることは多い。 「このまま絵を綺麗にして大作路線で行けば死ぬ。 だが、ソーシャルソーシャル言ってもいきなりうまくやれるはずもないし、 本気でそれに打ち込める人間ばかりでもない。コストダウンに走っても未来がない」 みたいなことはあるだろう。 そういう状況で「解決策もないのに文句を言うな」と言うことに意味があるか、 という話である。グローバル化に関しても同じことが言える。 なお、グローバル化に対抗する理想的な戦略は、 「国民全体が先進国水準の高い賃金に値するだけのスキルを身につける」 というものだ。そして、結局はこれが一番現実的な戦略でもあるように思える。 鎖国を強めようとすれば、短期的には良くても未来を失うことになる。 私はオタマのために、 日本がそうならないようするために出来るだけのことをせねばならない。

粉石鹸は自然丸というのがいいっぽい。3kg1100円。ただ、大豆や菜種油、 パーム核油が主成分なので、ワセリンには無力だろうな。 ワセリンは別にやれということだろう。 香料やEDTAが入ったものは念のため除外。 サポアヒルというメーカーのは2.5kgで2300円と高すぎる。 グルコン酸でカルシウムを除外できるのが売りなようだが、 なんぼなんでも高い。米ぬかということはリノール酸 が多いはずで酸化にも弱いだろうし。 しかも、使用量がやたらと多い。とりあえず除外。 ワセリンカットのメーカーのホワイトコースという奴が 5kgで5000円と論外な値段なのだが、 プロ向けだから質が違うと言っている。 とりわけ洗浄力の割に泡が立たないのでドラム式でも問題なく使えるらしい。 また、使用量がかなり少ない。30Lあたり10-30gらしい。 油脂汚れがさほどないのが普通であれば、 1g1円と考えると、洗剤代は10円で済む計算になる。 安くはないが、ちゃんと落ちるというならまあ良かろうという気はするなあ。

とりあえず自然丸を試すのが良かろう。 ホワイトコースはレビューが全く出てこないからな。


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