だだもれ

2012年09月30日

私やひつじこの日記やtwitterは、公開している以上、 どういう反応があっても仕方ない。2chで叩かれようが、twitterで叩かれようが、 さらされようが、馬鹿にされようが、仕方ない。それは起こり得ることだ。 ただ、そういう発言をwebという公開の場で行う人は、 我々を友人とは思っていない人だろう、ということは言える。

ホラーマンはじゃじゃまるとスネオ。

水族館作戦は失敗。まあそうなるだろうという気はしていたが、 薄暗いのが嫌っぽいというのは想定外。魚に興味を示さないとか、 そういう可能性は想定していたのだが。 イルカショーはどうやら人がたくさんいる上にアナウンスがうるさかったのが 気に入らなかったようだ。しかしペンギンはそれなりに見ていた。 3歳になるまではどこにも行かなくていい気がする。 まあ実家で十分だろう。 来年の春になったら、またどこかに行くのを試してみるか。

オタマの体重が増えないが、最近脂肪が落ちてきている印象がある。 だとすれば正味では増えているということだが、どうなんだろう。 もうちょっと頻繁に測るか。

2012年09月28日

風邪。予防するには、感染を防ぐか、免疫を強める必要がある。

うがい、手洗いの類は効果があるのか? どれくらいまともな研究がされているのか? 粘膜にウィルスが付着してから細胞に入り込むまでの時間が数時間以上であれば、 定期的にうがいをして流すことは可能だろう。 しかしこれで流れるのは所詮喉で、 単に飲み物を飲むのと大差があるかどうかはわからない。 鼻の中に関しては鼻洗浄でもしない限り無理で、これは手間の問題がある。 次に手洗いだが、これはさらに怪しい。 ウィルスって食べても感染するのか? 胃で一瞬で壊れないか?

免疫を強める方向が一番効果的だろう。 一番大切なのは食べ物で、次が休息かと思われる。 精神的ストレスも効くが、これに関しては何か具体的な手が打てるとも限らない。

うがいの効果に関する研究がある。あるのだが、 夏井氏によれば、信用できるかは怪しい とのこと。水でうがいしたら4割カゼが減ったと言うが、この4割をどう見るかだ。 多少胡散臭くても4割違いが出れば十分と見ることもできるだろう。 とりあえず誰か追試してほしいものだが、 こういう大規模試験よりは理屈と実験で検証してほしい。 「ウィルスつけてうがいしたら何割落ちた」とか、 「ウィルスはどれくらいの時間で細胞に入る」とか、 そういうことを積み上げてくれよ。 なんといっても、うがいの習慣は日本にしかないのである。 ある程度以上効果があるなら世界中でやっていても良さそうなものだ。

結局確実なのは、ベースになる健康度合いを高めることだ。 そして、ウィスルがたくさんいそうな場所は避けることくらいだろう。 あと、うがいは効果がなくもないだろう、という程度だと思っておく。 うがい薬の類は粘膜を破壊してかえって感染率を上げかねない。

橋下氏が領土に関して、全部裁判で片をつけたいと言っている。 こういう一発で政治生命を失いかねないことをツイッターで 流していいんだろうかと不安になる。 池田信夫氏も大反論だ。

第三者から見れば日本も他の国も「オレのもんだ」と言ってるだけで、 どちらが正当ということもない。 日本が対抗して吠えたところで決着にはならない。 かといって、軍でどうにかするというのは嫌だ。 だったら、裁判でそれなりに正統性のある解決を目指すのがいいのではないか。 まあそういう主張だと思う。 根本的に、相手に嫌われた状態のままでは商売に影響が出る、 という問題意識があるんだろう。 また、裁判で負けて領土を失うとしても、 いつ火を噴くかわからない火種を抱えてやっていくリスクよりは マシだと見ているのではなかろうか。 もちろん、裁判になっても勝てば問題ない、と言っているし、勝てるとも言っている。 しかしそれを本気で信じているかどうかはわからないし、 読んでいる人がどう思うかはまた別の話だ。

日本は尖閣は明白に日本のもので領土問題なんてないよと言っている。 一方で、竹島は日本のもので、韓国は不法占拠していると言っている。 中国は、尖閣は明白に中国のものだが、日本が不法占拠していると言っている。 韓国は竹島は韓国のもので領土問題なんてないよと言っている。 この状況を第三者から見た時に、日本が変に見えかねない、というのは同意できる。 経緯を知らずに主張だけ聞けば、 日本は韓国の領土をいちゃもんつけて分捕ろうとしているくせに、 中国に対しては文句を聞かずに門前払いをしているわけだ。 いろいろ事情はあって、私から見れば日本の言い分がそうおかしいとは思えないが、 外から見てどうかは無視できないことである。 日本が竹島を返せと言うのは、つまるところ 「文句言ってる国があるんだから話聞けよ」と迫ることであり、 それは尖閣に関しては日本に返ってくる言葉だ。 竹島を返せというなら、中国が文句を言っていることに関しては聞き入れるべきだし、 尖閣は日本の物で話は聞かないというなら、 韓国が竹島に関して話を聞いてくれないことに文句を言うべきでない。 理屈としてはそういうことになる。 竹島に関して裁判で白黒つけようと言うなら、 尖閣に関しても中国が訴えれば裁判所にでなくてはならないわけだ。 橋下氏は理屈に合わないのが嫌いなんだろうから、 こういう意見を持つことはすごくわかる。 私だって理屈に合わないのは嫌だ。 あるいは、私と同じで、領土を絶対視していないのかもしれない。 政治家としては絶対に言えないことだろうが、 領土を失っても裁判で白黒ついてすっきりするならそれでいいんじゃね? という考えはありえない考え方ではないだろう。

世界は弱肉強食であり、理屈もクソもなく、 領土は全力で守るものだ、というのが常識と思われている。 しかし、命の重みに差があり、経済的には命が金に換算されることもある、 というのが現実なのと同じに、 領土も重みに差があり、経済的には領土が金に換算されることもある。 建前は建前として、本音では比較的どうでもいい領土と重要な領土があり、 また、「いくらで守れるなら守りたいが、これ以上かかるなら捨ててもいい」 と思うラインはある。

「領土は大切」という建前がある以上、日本から「あげます」とは言えない。 仮に大して欲しくなかったとしてもだ。メンツを失って禍根を残すことになる。 中国と韓国は特にナメられてはいけない国だろう。 しかしかといって、武力や経済制裁をちらつかせるやり方をやりすぎると、 野蛮だと評判が悪くなる上に、 相手の国民感情を刺激して想定外のダメージを負う可能性がある。

優先順位は何だろうな。「島そのものの領有権」 「周りで漁ができる状況」「相手の軍艦が好き放題通れない状況」 「資源を掘れること」 「相手国民が領土ネタでキレるリスクをなくすこと」「日本のメンツが立つこと」 などなどの要素があるわけだが、どれを優先して確保するかでやることが変わってくる。 ただ私が思うに、仮に領土をくれてやったとしても、 あの二国の人は日本を嫌いなままだろう。余計に居丈高になったり、 別のネタでキレたりしてロクなことにならない気も濃厚にする。 その意味で、「キレるリスクを減らすために領土をくれてやる」という選択肢はない。 日本の国力を高めて迫力を身につけるとか、 経済的なつながりを強めて対立で大損する状態に持って行くとか、 国のブランドイメージを高めて尊敬を集めるとか、 そういう当たり前のことで頑張るのが一番重要な気がする。 自衛隊を軍にしたり、核を持ったりするのも、 その一環として効果的ならやればいいだろう。 裁判は一つの手だとは思うが、あくまでも戦術の一つと考えるべきではなかろうか。 それだけで劇的に問題が解決するとは思えない。

政治家って大変だな。損得や優先順位を軸に考えようと思っても、 その考え方そのものを人に説明できない。 定量的な考え方は、定性的な考え方をする人には通じないのだ。 「こうするほうが相対的にいいのでこうする」という説明は、 「これが正義だからこれ以外ありえない」という信念を持った人には通じない。 領土に関してこういう考えを示そうものなら売国奴決定だろう。

もちろん建前が邪魔をするのは領土問題だけでなく、 維持が割に合わない田舎を切り捨てるべきかとか、弱者救済をどうすべきかとか、 そういうこと全部で言えることだ。 ただ、国内問題の場合には、切り捨てられる側の 評判を落とす策略を使えばどうにかならんでもない。 農家が補助金でウハウハとか、生活保護の不正受給とか、 そういうネタで評判を落として切りやすくしてから切ればいいわけだ。 しかし、領土の場合は相手が国だ。この手が使えない。 相手を悪者にするような策をやり過ぎると相手の国民感情が悪化して禍根を残す。

橋下氏は大丈夫だろうか。考え方そのものは全然嫌いじゃない。 ああいう考えをツイッターで書くことは誠実だとすら思う。 しかし、政治家としては不利すぎるし、 あの人の周りに集まった人がどう思うかを考えると心配だ。

本当政治家ってすごいな。友達が一人くらいなったら面白いのにと思っていたが、 どうやら一人も出そうにない。 思えばNHKの中曽根インタビューはカッコ良かった。 なんだあの迫力。やってる組織が「世界平和研究所」という ギャグとしか思えない名前であっても、どこか笑えない怖さがある。

中曽根インタビュー。 前見た奴じゃなく、もっと新しいのがあったらしい。すごく政治家っぽい。 このインタビューはこの人が原発推進をやった張本人で あることから猛烈に叩かれている。 私は昭和期の政治はよく知らないので、中曽根が正しいか間違っているかはわからない。 しかし、福島第一に関して言えば、最大の間違いは2011年まで動かしていたことだろう。 作ったこと自体ではないのではないのか。 オイルショック等を経て石油の安定供給に不安がある状況であれば、 原発によってエネルギー源の多様化をはかる戦略は大まかには間違いとは言えない。 やってみたらいろいろあったわけだが、それは始めた人の責任というよりは、 いろいろ情報が出てきてもロクに 修正しなかった人の責任が重いように思う。 予想外に原子力の技術がしんどくて進歩しなかったとか、 予想外に石油が尽きなかったとか、 ガスが思いの外便利だったとか、 いろいろあったわけで、そういう状況で修正ができなかったことが一番悪い。 しかし、始める時に後の修正の手続きまで決めておかなかった、 という責任はあるだろうな。 計画を立てる時には、計画を変更する条件や見直しのタイミング、 手続きに関しても計画しておくべきだろう。

損得しか考えてない奴は国会議員の器じゃないのか。 過去と未来に責任を持たねばならない、 というのはなんかちょっとそうかもと思った。 祖先に申し訳が立たない、という考え方を私は持っていないのだが、 それが日本人の強さにつながるなら、そこも無視してはいけないんだろう。 そのためにも北方領土や竹島を取り戻す必要がある、というのは一つの考え方か。 それに、何もかもパラメータの問題だと思っているような 人間は意思の強さでどうしても劣るからな。

さすが中曽根という名前は強い。 そのへんのブログにそう書いてあっても何とも思わなかっただろう。 まだまだ私も修行が足りない。誰が言ったかに影響されるようでは駄目だ。 もちろん現実には、誰が言ったかは非常に重要な情報で、 それを全く考慮しないのは不利なのだが。

2012年09月27日

増税先送りを主張って、本当だろうか。 日銀の国債買い取りを増やして、制御できる範囲でインフレさせて 債務圧縮を図ろう、ということだろうか。 インフレによって支出が増えず、収入だけ増えるという都合のいい想定をすれば、 2.5倍にインフレすればトントンになる計算だ。 例えば年率5%で2.5倍になるには、 1.05^x=2.5だから、対数を取って、 x*ln(1.05)=ln(2.5)。19年かけてそこまで持っていくということになる。 その間年金や医療費、社会保障、公務員の給料などが額面で据え置き、 という恐ろしいことが可能で、かつ税収がインフレ率通りに上がるのであれば、 20年後には財政が正常化するわけだ。 経済成長率次第では目論見に近い結果が得られるの かもしれないが、よくわからない。 そもそも、市場は待ってくれるのか。

2014年に引き上げをしなかったらどうなるんだろう。 「日本の財政駄目だ」という雰囲気になったらそこでハードランディングだ。 そうならずみんなが安心するだけの支出削減やら経済成長の策が示されるだろうか。

軽減税率とか言ってるのが本気なのであれば嫌だなあ。 政治の役割を拡大する方向は賛成しない。 だいたい、「マクドを持って帰る方が安い」みたいな意味のわからん制度に正当性があるとは思えんし、 食い物が贅沢品でないなんて言えるはずがない。

カツカレーでGDPが微妙に増えたんじゃないだろうか。 昨日から今日にかけて万単位の人がカツカレーを食うだろう。 普段の食事より高くつくはずで、経済が活性化したはずである。 みんなその功績を褒めてやれよ。

高橋洋一氏は、あと10年くらいのうちに財政再建すれば問題ないと言っている。 専門家から見ればそうなのかもしれない。 専門家だから、定量的な判断をしているだろう。 定量的な判断には数字の実感が必要である。 いくらなら大丈夫で、いくらならヤバくて、みたいなことは数字に接する 実感がないと言えない。それがあるかないかが、専門家と一般人を分ける最大の違いだ。 一般人には数字の実感がなく、 せいぜい「借金が無限に増えても大丈夫、というのはおかしくね?」 という具合に「無限」や「ゼロ」といった極端な値を代表に取ることしかできない。 専門家が「いくらだから大丈夫なんだよ」 と言っても、その真偽は一般人にはわからないから、 決して安心はしない。放射線の話と一緒だ。わからん以上、 保険をかけておくしかないのだが、定量的に考えられないので いくらの保険料をかけるのが妥当かの判断が難しい。 なので、理想的には一般人でもある程度は定量的な判断ができるような状態を 作って欲しいと思う。放射線の安全基準値みたいなものだ。 しかし、その判断が専門家の中でも割れてたりするわけで、もうどうにもならない。 専門家は専門家の責任を果たしていないと思うが、 専門家に専門家の責任を果たさせるような環境作りをするのは、うちらの役目だ。

資本主義と自由の解説が高橋洋一氏だった。

古典古典言うからどれだけ読みにくいのかと思ったが、最近の本と区別がつかないくらい普通に読めた。 厚い本ですらない。 そして、1960年代とは思えない。所得税の累進性が緩んだり、変動相場制になったりと、 変化はあるが、まだまだ残っている課題の方が多い。 時代がまだフリードマンに追いついていないのだろう。 それにしてもソ連であるべきところがロシアなのが気になるな。

これでいいじゃん。ちょっと探したくらいでは、これが駄目だというまともな意見は見つからない。 しかし、前読んだ税制の本の方が進んでいるところも当然あるな。 とりあえず「累進課税は有害」という主張についてはもう少し考えたい。 金持ちから取る、という理念でも、現実にそういう効果になってない、 ということがあるなら有害ということにもなるだろう。 単に変な控除や節税手段がたくさんあって骨抜きになっている、という話であれば、 それはまた別のことだ。 累進課税そのものの問題ではない。

この国で一番直さないといけないのは、若い人から金を吸い取る仕組みだろう。 解雇規制、年金制度、というあたりがガンか。 あとは長期の課題として、教育。「とりあえず公立」という今の状況をぶっ壊して競争原理を入れないと 良くならない。国公立の学校は企業が参入できないような場所を除けばなくなってもいいんじゃないのか。 そして、できればそこはオタマがでかくなる前に片付けて欲しい。 そのためには、やっぱりさっさと破綻してもらった方がいいのかもしれんよなあ。 オタマのため、と考えると20年待つ余裕はない。 この二点が最重要と考えると、安倍氏で悪いことはなさそうな気はする。 「自助自立」というのがキーワードっぽいし、前に総理をやった時もバラマキ方向には行かなかった。 それに、安倍氏は教育バウチャー論者だ。消費税の軽減税率とかは気にいらないが、 支持してもいいのかもしれない。

2012年09月26日

ヨーロッパが落ち着くにはまだかかるのかもしれんなあ。 もしそうなら日本の財政問題が顕在化するのはもう少し先だ。 しかし、3年も4年もこのままということはないだろう。 アメリカだって表面上落ち着いて見えるようになるには さほどの時間はかかっていない。 ドイツが折れてギリシャに金を払う覚悟ができたようだし、

資本主義と自由、をほんの少しだけ読んで、 この人が本気で自由を重視していることがわかった。 国家の権力は制限しないと自由が脅かされてしまう、と本気で言っているように聞こえる。 この人筋金入りなんだな。

自由を守るのは難しい。とりわけ、多くの人が自由を欲しがっていない点を どうにかすることが難しい。 自由はいざという時のために必要なのだが、普段はなくてもあまり困らないどころか面倒くさいので、 ついつい捨ててしまう。 鍵を閉めるのが面倒でだんだん閉めなくなっていく、というのと同じだ。 「源泉徴収は自由を制約しており、全員確定申告すべきだ」という意見はあって、 思想としておかしいとは思わないが、多くの人は面倒くさいので嫌がるのである。

自力で貯金できず老後に困る、みたいなことに対する備えは国が面倒見てやるべきじゃないだろう。 そんなのは生活保護に一元化すればいい。 公的年金って、そもそも不要なんじゃないのか。

糖質制限の例が増えてきた。誰か乳幼児に厳格に適用する実験してくれないかな。 うちは糖質がカロリーの30%を切っているとは思えないので、かなりゆるい。 20%とか10%とかまで落としても問題がなく、恩恵も大きいということが ある程度の規模で確かめられれば、もうちょっと進めてもいいんだろうと思う。

それにしてもバナナは芋の一種としか思えない澱粉量だな。西洋かぼちゃが20%。バナナが22%。 蛋白質も少ない。さつまいもが30%、じゃがいもが20%。 どれも、同重量のごはんに比べれば澱粉の量はまだ少ないのだが、蛋白質も少ないのが困りものだ。 糖質制限的にはバナナやかぼちゃ、芋はどう考えてもアウトということになる。 でもかぼちゃもバナナもオタマが好きなので、止めない。

たぶん、糖質はアルコールと一緒で、食べないでいると耐性が弱まるのではなかろうか。 今なら昼にバナナ3本食べると起きていられないくらい眠くなり、 数時間後に低血糖の症状と思われる発熱と汗が出てくる。 糖質制限すればするほど糖質に耐えられない身体になっていく。 これが良いか悪いかは現状わからない。普通の感覚で言えば「何かヤバイ」ということになるわけだが、 血液検査の数値は目に見えて良くなってるし、眠くならないし、調子もよく、 身体のたるみも取れ、しかし体重は一定以下に減っていない。 体脂肪率は10%で止まった。

でも、一つ問題がある。空腹感が強くないため、あまり食べない。 その結果、絶対カロリー量や蛋白質が不足する可能性がある。 でも、そのへんが不足すれば真っ先に体温が下がるはずなので、 体温を監視していれば検出できそうな気はする。 四肢への血流を減らして体幹が冷えないようにすることもありうるので、 四肢が冷えていないかどうかもチェックが必要か。

昨日の夕方、左の手に多少の震えがあった。低血糖が疑われる。 その数時間前に、余っていたナツメヤシをドカ食いしているので、 たぶんその反動による低血糖だろう。 ナツメヤシを食べきったことで、 うちに残っている澱粉系食料のうち、あげたり、捨てたりするのが 惜しいものはおおよそ食べきったことになる。

血糖値測る機械買うかなあ。そうすれば単なる予測で終わらせず、データが取れる。 調べたら測定一回あたり100円くらいはかかり、機械本体は1万から、 といったところのようである。払えない額では全くない。 ひつじこと相談。他に家で測れる値って血圧、体重、体脂肪くらいか。血圧計も買っておこうか。 ランニングコストがかからないので、初期投資だけだ。あって悪いことはない。 しかし、血糖値に比べれば重要性は低そうだ。というか、面白さに欠ける。 たぶん買っても滅多に測らない。でも、たまに測るだけでも価値はあるか。なにせ安いからな。

土曜に新橋の二郎で食べた。蒲田にあるインスパイアと比べると差は歴然としている。 二郎欲が出てきたらあそこにしよう。でも、当分はいいと思う。

新橋は二郎の中ではかなり「綺麗な味」なのではなかろうか。 しかしそれでも立派に二郎だった。 横で食べてた人が「大ダブルましまし」で見た目に圧倒された。

そういえば、二郎の後すぐには眠くならなかった。運動の後であり、 また、食べた後もそれなりな荷物をもってそれなりな距離歩いていたため、 血中に放出された糖がバンバン使われて血糖値が上がらなかったものと考えられる。 要するに、食前食後にそれなりに運動していれば、澱粉の害は軽減できる。

というか、食べられたんだよな。ほとんど苦労もなく。 量が少なかったとも思えない。もしかして、脂に対する耐性が上がってるんじゃないだろうか。 これは検証してみなくては。しかし、食べた後数時間胃がきつかった。

なるほど、領土問題を放っておくと悪化する要因もいっぱいあるのか。 中国も韓国も若い人は経緯を知らず反日教育を受けているので、 そういう人ばっかりになった後でこういう揉め事が起こるともっとひどいことになると。 金持ちになって経済の結びつきがどうしようもなく深まればあんな島どうでも良くなるんじゃねえの? と思ったりもするわけだが、確かにそうなる保障はないわけだし。 韓国人や中国人の所得の中央値が日本レベルになる日が来るかどうかは怪しいわけで、 「金持ちになって」というところからしてすでに怪しいのか。考えてみれば。 普通に策略と実力で確保すれば良く、国際社会とか言わんでよろしい、というのも正しいっぽい。

その時の考えを記録して公開することにはメリットがたくさんあるな。 誰かが突っ込んでくれる。 もっとも、間違うことを恥ずかしいと思う感性がゼロになるのも問題ではあるか。

高橋洋一という人がいる。すごく頭のいい人らしいので、ちょっと眺めてみよう。 金の量を増やせと言っている。 しかし、金余ってね?企業の貯金が増えてるのは、金が余ってるってことじゃないのか? 銀行が国債ばっかり持ってるのは金が余ってるってことじゃないのか? よくわからんなあ。 とりあえず、この人の主張は自由主義的なので共感できる。

原発は割に合うか。高橋氏は割に合わないと言っている。爆発した時に備える保険料、 ゴミの始末、技術開発、といったところのコストまで入れて計算すると ぶっちぎりで割高らしい。 数字の大小で結論が変わるような問題に関して、何の情報も持たない私が どっちに賛成とか言っても意味がない。 ただ、「割に合うなら行われ、割にあわないなら行われない」という当たり前の状態に なっていけばいいと思っている。原発が普通の商売になるべきだ、ということだ。 しかし、国防やら何やらが絡んできてどうしても普通の商売にはならない。 だから、そのうちなくなるんだろうとは思っている。 今すぐやめるべきかどうかは私にはわからない。 すでに作ってしまって、燃料も買って入っているのだから、 そこまでのコストはもう考える必要がない。すでにある燃料を燃やそうが燃やすまいが ゴミ処理コストは変わらないだろうし、止まっているからといって事故らないわけでもない。 そう思ってたんだが、違うのだろうか。

資本主義と自由。変動相場制の合理性は理解した。逆に言えば、金本位制がどう駄目かがよくわかった。 為替変動への追随が大変、というデメリットはあるが、誰かが間違った方法で為替レートをいじって 面倒なことになる危険がない。言うならば、たまにヤバイことになる危険を薄めて、 常に多少コストがかかる状態になる。その方が全体としては安定する。 そして世界は実際にそうなった。

金をどれくらい流通させるかについても、人が決めるのをやめろと書いてある。 「今はこういう状況だから、いくら金を印刷しよう」みたいなことをやると、 間違った判断をしかねない。なので、いくら金を印刷するかを自動的なルールで決めてしまえと言う。 そうすれば、「日銀はどうするだろう?」なんて変な読み合いをすることもなくなって、 将来の見通しも立てやすい。しかし、これは変動相場と違ってまだ実現していない。 たぶんこれはそんなに自明ではないのだと思う。 お金がどれくらい必要かは、お金をどれくらい使う文化かにも依存する。 日本人は現金をたくさん使うので、欧米よりは金が必要なはずだ。 また、「お金」の定義に入らないお金もたくさんある。ヨドバシのポイントや クレジットカードはお金なのだろうか。そういうものに関してはもはや操作ができない。 そういうものがたくさんあれば、お金の量を操作しても望んだ効果が出るかどうかはわからなくなる。 そういうわけで、そもそもの「自動ルール」を決める段階で裁量と判断が入り込み、 そこでしくじった時に備えて修正可能にしよう、ということになれば、 つまるところ毎度考えて決めるということになる。 だから、これに関してはこの人も「絶対これで行ける」という感じではない。 「やってみて駄目ならまた考えよう、でも今よりはマシだと思う」というくらいのノリだ。 みんなの行動の結果、誰かが決断をしなくても必要なだけ金が発生してくるような素敵な 経済システムを思いつけば、きっとこの人はそれがいいと言うんだろう。

たぶん、「国が決めた公式なお金」が存在しない状態がそれなんだろう。 ヨドバシのポイントや楽天のポイント、さらにはビール券や図書券、電車の切符などが 全て「お金」として相互に変動するレートで取引され、 「円」や「ドル」みたいな「国家のお金」が全く存在しない状況、 という感じか。普通に考えて、面倒くさすぎる。 基本的には一種類のお金だけ使って生活できる、ということの便利さは半端無く、 金融政策をしくじってヤバイことになるリスクは、 その便利さの代償ということなのだろう。 基本的に「誰か少数の人が意思決定して決める方がしくじった時のコストはデカい。ただし平時のコストは安い」 という傾向があり、お金もこの一つなんだろう。 公的なお金がなくてもさほど不便ではない状況がもし技術その他の変化で出来上がるのであれば、 国がお金を作らないというすごい世界が出来上がる可能性もあるのか。 人類はそれを使いこなせるほど賢くはならない気もするが、 公的なお金の価値が今より減じるような事態は考えられなくもない。 実際、資産を金属や原油など特定のお金に結びつかない形でもっている人は結構いるわけで、 それらがお金の一種に見えている人も全然いないわけではない。 ヨドバシのポイントにしたって売ったり買ったり誰かに渡したりできるならば、 十分お金になるんだろう。

安倍氏か。

分岐と関数入力。便宜を考えれば、先に関数入力を済ませておきたい。 分岐が入ってくるとプログラムが複雑化するため、その前に書法の改善は やれるだけやっておきたい。 8章はどうにかして関数入力の使い方を教える章としたい。 7章に編入することもできるが、7章はあまりにも重要な概念を扱ったため、 これ以上分量を増やすと重くなりすぎる。 しかし、関数入力は章を一つ与えるほどの内容になるだろうか。 それに、その章でできるようになったことが「コードが読みやすくなっただけ」 というのでは、面白味がなさすぎる。 できれば何か一つでもテトリスに近づけてやりたい。 しかし、まだ配列を導入していないのでステージ情報を管理することはできず、 分岐を導入していないので衝突判定もできないし、 落ちてくる速度を遅くすることすら困難だ。

とりあえず、何も進まずただコードが綺麗になるだけの章として8章を書いてみよう。 分量的に章として扱うのが妥当でないようなら7章に編入することになるが、 たぶん無理だ。

教育バウチャーが合理的すぎて素敵なのだが、日本でも当てはまるのだろうか。 「公立の学校は税金で運営されているが、私立の学校は税金をつっこまれておらず、 私立に行く人は公立の学校に通う子供の学費まで税金で払っている」と言うが、 日本でもそうなんだろうか。 私立の学校にも公立の学校と同額程度の補助をしてるんだろうか。 もししていないなら公立は不当に安いことになり、 郵便局の金融事業と同じで民業を圧迫していることになる。 これは調べないとわからんなあ。 でもなんにせよ、学校の大半が私立になることは正しい方向だろう。 公立は私立の学校が作られないような地域に限って作られることになるはずだ。

安倍氏、総理大臣になるんだろうか。順当に行けばなると言われているが、 そう簡単に行くんだろうか。行ったとして、この人何をどうする気なんだろう。 選挙の日取りが決まったらまとめて調べよう。

私は政治のことはよく知らん。結局まともなことを言っているように見えるどうか、 という理屈でしか判断できない。 普段から政治家の振る舞いを見ていれば言葉に出てこないものも 判断材料にできるのだろうが、そんなコストを政治に払う気は私はない。 おかしいと評判の原口氏にしても、私が見たのは発言を文字化したものだけだからな。 リアルにしゃべっているのを聞いている分にはまともだという話も聞くが、 私はそういう時間をかける気がない。だから、原口氏は信用できない、 と言うしかなくなる。

現状橋下氏はそうおかしなことを言っていないように思える。 ただし、この空気の中で今敢えて共同管理なんていう言葉を出してしまうのは、 政治家としては不利だろう。そう思っていても政治家であれば言うまい。

安倍氏ってなんでこんなに叩かれてるんだ?早速叩かれてるぞ。 赤字国債発行に賛成せず執行できなかったら自民党のせい、って理屈おかしくね? 中国と関係悪くなって株価が下がるだろう、とか、 もうとにかく悪いことばっかり書かれてる。 ちょっと調べたくなってきた。この人の政策ってどんななんだろう。

公式サイトにポスターがあった。

脱原発依存。
脱原発とは言ってない。
教育委員会や教科書検定を見直す
サヨクの敵だな。
基礎学力の向上、高等教育の国際化
ゆとりを見なおせ、ということか。
教員組合の適正化
サヨクの敵だな。
日米同盟強化。自衛。集団的自衛権。
軍としたいらしい。そうはっきり言うと嫌がる人も多そう。
道州制
よくわからない。
自助・自立を基本にした社会保障
保護する、という考え方を薄めたいということか。
攻めの農林水産業
これも、保護する、という考え方を薄めたいということか。

はっきりしたことは書いてない。とりわけ、経済については何も書かれてない。 ただ、とりあえず教育がサヨクの温床になってるのをどうにかしたいらしい、 ということはわかる。あと、中国よりインドとオーストラリアらしい。 武道必修は死亡事故が多すぎるという問題をどうにかせんといかんよなあ。まともに教えられる先生少なかろうし。 で、憲法を変えたいと。それはいいと思うが、それでどれくらい困ることがあるのかがよくわからないのでイメージだけ。

8章書いた。230ページくらいになってるが、最低でも15章は行く。 まあ、ページ数はどうにでもなるよね。二色刷りをやめればページ数増えてもコストそんなに増えないみたいだし。 しかしできれば400に収まって欲しいところではある。 表現を削って磨く工程は入るので、そこでごっそり落ちるだろう。 伝えたいという思いがほとばしりすぎるとウザい文章になるからな。 ただ、前回もウザさを売りにしてキャラを立てる方向性を完全には捨てなかった。 今回も客観性を保ちつつ、ほとばしるキモさを完全にはなくさない、 という絶妙なバランスを目指したい。 著者の本気度、暑苦しさ、キモさ、みたいなものを生々しくお伝えしたい。 ただし、説明の邪魔になっては駄目だし、引かれるレベルになっても駄目だ。 あくまでスパイス程度でなければならぬ。 それに関しては第三者に評価をお願いせんと駄目だなあ。 「キモイ」と言われて凹みながら削るんだろう。

まあ前回もそれはやった。この日記はキモさを一切削らないのが売りだが、 紙資源に限りのある本でそれをやるわけにもゆかぬ。 だいたい、読者はキモい文章を読みたいのではなく、目的を達成する手段としてキモい文章を読むのだ。 目的達成に役立つ範囲でしかキモいことは許されない。 マーケティングは事業の根幹をなす活動だ、とドラッカー先生も言っている。 折に触れてマーケティングの方針に反したものを作っていないかをチェックせねばならんな。 それがどんなに苦しくても、必要なことだ。

前も辛かったが、今回も辛いな。普通にゲーム作ってる方が楽だ。 全責任が私にある。誰もせいにもできん。しかもこの本の評価で私の人生が変わりかねない。 この重圧感を普通のゲーム開発でも味わえれば、私はもう一段成長できるのかもしれん。 つまり、リーダーをやれば、ということだが。 未だかつて一人の部下がいたこともなく、製品の核心的な部分に関して 決断をする責任を負ったことは一度としてない。 技術的貢献に関しては一応の自負はあるが、核心とは言えなかった。 自分が得意なことだけにでなく、製品そのものに責任を持つことを求められる立場に 立たなければ、私は成長しない。 まあ、そんな機会がないならないで、自分の守備範囲を広げ、事実上の責任を追う状態に すればいいだけのことか。一時はそれを目指してたわけだが中断してしまっている。 また次の機会にやろう。

猪瀬氏や橋下氏がツイッターでレスしまくってるが、あれもしかしてそのへんの一般人にレスしてるのか。 池田信夫氏とかの有名人だけでなくて。半端ねえ。

ああいう人たちには是非公式リツイートや公式返信を使って欲しい。 でないと第三者が議論の流れを辿るのが大変だ。 最近ついた機能だろうから、古い作法に従ってるんだろうなあ。 「ちゃんと元の発言を引用してレスするのが作法」って言ってたし。 あるいは使っているクライアントが対応してないのかもしれん。

あのレベルの人たちに対しては呼び捨てする方が礼儀にかなう気がするのだが、 ツイッターとかだと「さん付け」の方が正しい気もして、 結局よくわからないので「氏」をつけている今の状況。 10年前なら歴史上の人物と大差ないレベルに雲の上だっただろう知事とか市長とかいう人たちに対して、 匿名のわけのわからんのが直接話しかけてレスが返ってくるとか、 本当信じられん時代になったものだ。 これは政治家に限らず、漫画家とかゲーム開発者とかでも同じだ。 漫画家なんて基本雲の上の存在だったはずなのだが、友達やら先輩やらが そういう立場になってたりするし、ゲーム開発者なんて自分がそうなってしまった。 webに感想を書いたら作者が読むかもしれない、という段階でもうどうしていいかわからなくなったが、 ツイッターで直接対話する可能性が出てくるとなると、さらにもう一段わけがわからない。 私、全然この時代に適応できてないんだな。

私が「格」みたいなものを気にしすぎているのかもしれないとは常々思う。 昔同人誌ごっこをしている時もそこをものすごく気にして、こっちからお付き合いを広げることは 全くしなかった。今もゲーム開発者の宴会とかでこっちから話しかけられない。 自分が知らんうちに本書いたり講演したりする、10年前の自分からは「雲の上」の存在になっていることを 認識してはいるが、私はヘタレのままで大して変わってはいないから、 とても自分が偉くなったとは思えない。ああいう雲の上に見える人たちも たぶんそんなふうに思っていて、話しかければ普通に会話して、あわよくば楽しんでもらえたりするのかもなあ、 なんて思ったりもするが、自分に自信がなさすぎて無理だ。

CEDECの飲み会とかで新人とか学生に話しかけられて長い時間会話してても、 私はそれ自体を時間の無駄だとは思わない。 無駄だと思うこともあるが、それは学生だからとか新人だからとかじゃなく、有益な会話にならなかったからだ。 そりゃすごい人と会話できるほど有益な会話になる率が高いとは言えるが、 圧倒的すぎてこっちがついていけないこともある。そうなると、自分の駄目さが申し訳ない。

社交スキルがないことは常々弱点だと思っている。猪瀬氏の「言葉の力」にも、 そういう会話が下手なのは駄目と書かれていて、またへこんだ。 結婚においてもそれが不利なのはほとんど毎日思い知っている。 内容よりも、態度の表明としての会話が重要な局面がある、 というのはわかってはいる。わかっているが、どうしていいかわからんのですよ。

駄目だ。駄目すぎて駄目だ。

見知らぬ人に自分が書いた本を勧めるってすごい自信だよな。 まして、「これを読んでから改めて質問しろ」なんて言えるのはすごい。 絶対無理。

2012年09月25日

国際法は国を裁けないので無意味、みたいな意見があって、 そりゃそうだろうと思った。間違いなく、裁判で勝っても竹島は帰ってこない。 竹島で裁判をするなら、尖閣で中国が訴えてきた時には受けて立たないといけない。 裁判に出れば、負ける可能性があり、 負けたのに居座れば日本の評判がヤバい。 つまり、裁判をやるとなれば、竹島は帰ってこず、尖閣を取られる 可能性がある。マイナスしかない。だから裁判なんてありえん、 という意見なわけだ。領土を最優先で考えればその通りである。 しかし、竹島が帰ってこず、尖閣を取られたとしても、 白黒がつくならそれでいい、という考え方はありうるだろう。 竹島と尖閣をゲットしたとしても、 それで両国を敵に回すようなことになれば、 それによる損害の方がはるかにデカくなる。 こう話が大きくなってしまった以上、 今までみたいに保留にすることは難しいだろう。 保留できるなら保留が最高の選択肢だと思うのだが、 保留が許されない状況なのであれば、領土を失ったとしても裁判で白黒つけた方が 害が小さい気がする。そういうわけで、結論はない。よくわからん。 天秤次第だ。両国の人に嫌われたままでいることがどれくらいのデメリットか、 ということの見積り次第である。 もっとも、尖閣と竹島を放棄したとして、それで好かれるようになるとも思えんが。 単にくれてやるだけではナメられるだけなので、 メンツが立ち、相手にナメられないような形で放棄する方法があれば、 ということになる。まるで思いつかない。

100年くらいは反日される覚悟でいるしかない気もしてきた。

保育園が空いていても、ひつじこが働く場所がなければそれまでだなあ。

2012年09月24日

これまでの30年も相当にいろいろあったが、 これからの30年はそれ以上にいろいろある可能性がある。

人間は結果からさかのぼって考えるべきだ。 その方が脳の構造に合っており、 より小さなエネルギーでより高い効果を得られる。 だんだん確信が強まってきた。

まず、何かをやる時には、目的を決める。目的というのは最終目標のことだ。 手段にならない目標のことだと言い換えてもいい。 まずここから出発して、その実現のために必要な手段を考え、 その手段を小目標として設定し、さらに手段を考える。 考えた手段は、最終目標まで至る上位の目標全ての達成の邪魔をしない ことを確認する。つまり、基本はトップダウンである。 分解が進んでかなり小さくなった後であればボトムアップ、 すなわち、「やってみてどうなるかを見る」という方向もありうる。 情報が足りない時にはとりわけ有効で、 目的を達するための手段が複数考えられるが、 それらについて情報が足りず実際にやってみないとわからない、 という時にはやってみる方がいい。

もう一つ重要なのが、ある目的を達成するために障害になることを 事前に考えておくことである。 これも結果から原因へとさかのぼって考える方がいい。 「こういうことが起きたらどうなるか、ああいうことが起きたらどうなるか」 という順番だと、「こういうこと」や「ああいうこと」 の列挙に漏れがある危険と、「こういうことが起きたら、こうなる」 という推論に誤りがある危険の二つが問題になる。 結果、障害を確実に除けない。 リスク回避についてもやはり結果から原因にさかのぼって考えるべきで、 「目的が達せられなくなるにはどうなればいいか」 という一見妙な思考をすべきだ。 例えば今回の本であれば、 目的は「日本におけるプログラミングスキルの価格を下げること」 である。これが達成されなくなる原因としては、 全然売れないこと、本の出来が悪いこと、思想が間違っていること、 などが想定される。次にこのそれぞれについて考える。 「本が売れなくなるためにはどうすればいいか」 「本が出来が悪くなるにはどうすればいいか」 「私の思想が間違うためにはどうすればいいか」 といった奇妙な問いが必要だ。こうやって出てきた答えを 避ければ、そういうったことにはなりにくいはずである。 「原発がメルトダウンするにはどうすればいいか」 と問えば、「温度が上がらないといけない」となり、 そうなるためには冷却が止まる必要があり、 そうなるためには冷却への電力供給が途絶えたり、壊れたりする必要がある。 そういうふうに考えていけば、「想定外」はそうそうない。 「冷却が止まるには何mの津波が必要」というようなことは事前に 考えられているはずで、「そんな津波はこないから対策は不要」 と判断して津波にやられたとしても、それは想定を間違えただけで、 想定していなかったわけではない。 誰がどう間違えたかは記録に残り、責任も明らかになるし、 今後の対策も立てやすい。

労組が本当気持ち悪い。なんだあれ。 原発もオスプレイもうちらの労働に関係ないじゃん。 割を食わされている社員を救うことを通して、 会社を良い場所にしていくのが労組の目的だろう?なぜ原発やオスプレイの話になる? こいつらは自分が何のために存在しているのかわかっているのか? わかってないんだろう。これは政治結社の類であり、 労働組合という名前はふさわしくない。 これで支持を得られると思っているのか。 正社員比率がどんどん下がって派遣や契約、バイトが増えてくる中で、 正社員の待遇改善を叫ぶような組織がどう見えるかを想像できないのか。 まして、結婚して子供がいるような状況がすでに 多数派でなく勝ち組であることになぜ気づかない。

正社員を簡単にクビにできるようにすべきだ。 幸か不幸か、解雇の4要件は法じゃなく判例だ。 社会の雰囲気が変わればひっくり返る。 その意味では労働組合の類は私の味方かもしれんな。 連中がああも醜悪な姿を晒すことで、 正社員全体が悪であるようなイメージが強まれば 改革が早まるかもしれない。 私は全力で正社員を裏切るぞ。 こんな危うい既得権益はいらねえ。

左翼思考はインテリ層の思考だ。 話が大きく抽象的な概念を多用するから、頭が良くないと理解できないし、 使いこなせない。しかし、そういう人は稀だ。 大半の人は能力に見合わない抽象思考をしようとして、 自分が何をやっているかもわからなくなるか、 私のように単純に用語で拒否反応を起こして去っていくかのどちらかになる。 一方保守思考は「空気」の思考だ。 伝統、継続、常識、といった現実の中で生まれてきた仕組みに 立脚している。だから、頭が悪い人が背伸びをするような要素はない。 議論にならないのは同じだが、気持ち悪さはないし、 人をだますようなことにもならない。 その意味で、「普通の人の思想」としては左翼よりも保守の方がマシに思える。 私には今更夫婦別姓で揉める理由がわからんので、 保守思想が好きなわけでもないのだが、 「空気でなんとなく反対する」ということによって変化が減速され、 劇的におかしなことが起こりにくいことの利点は確かにある。 基本的に問題は先送りして解消されるのを待つ、という日本のやり方は 悪いことばかりじゃない。悪いことも多いが、 過激な処方がどういう結末を招くかは民主党が証明してくれている。 維新の会に関しても良くみていかないといけないんだろう。 今のところ投票できるなら入れてもいいと思っているが。

左翼の対義語がもはや右翼じゃないよな。 日本での右翼は軍事に関する意味合いが強すぎて使えなくなっている。 さっき久しぶりに街宣車が走ってるのを見たが、あの痛々しさは半端ではない。 でも、もしかしたら左翼にも極端な人を指す意味合いがあるのかもしれんなあ。 小林よしのりが「サヨク」とカタカナにしたのはさすがのセンスだと思うが、 聞いて区別がつかないのは不便だ。何か「保守」くらいのマイルドな言葉はないのか。 日本の場合はどう考えても「リベラル」じゃないからな。

尖閣も竹島も北方領土も放置してきた自民党が悪いと言う人がいるが、 必ずしも放置が悪いとは限らない。どれも相手は欲しがっているが、 日本としてはそんなに欲しくはないわけで、 コストとリスクのかけ方は考えるべきだろう。 もちろんメンツは重要なのでそれなりにプロレスはすべきだが、 今の状況はプロレスとは言えんだろう。 プロレスだとしても力道山にやられる木村みたいな状態では困る。 石原が買っていればまだプロレスで済ませられたんじゃないのかと思うのだが、 それは石原を高く買いすぎだろうか。隣に猪瀬氏がいる以上、 それなりに考えてやっているんじゃないかと思うんだが。

それに、日本の場合、島を取られるところで止まるんだよ。 大陸を分け合っている場合とは少々違う。 ああいう国の人達にとって領土は連続量なので、 変な妥協をすると際限がなくなる怖さがある。 そういう感覚を前提としてルールややり方を決めているはずだ。 しかし、日本は島の集合体で、メインの島とそうでない島が はっきりしている。沖縄を取られる、ということに関してはリアリティがあって さすがにヤバイと誰もが思うだろう。実利を考えてもヤバい。 しかし、周辺にある無人島の類がどれくらい重要かは、 必ずしも明らかではない。維持管理防衛するコストが、 持っていることの利点に勝ることは自明とは言えないのではないのか。 もちろん、領土を経済的合理性で考えていいとは限らないのだが、 昔に比べて経済的合理性の重みが増していて、余裕もなくなっているのは事実だ。 人口が増える見込みもなく、周辺部の島に町を作る予定もない。 北海道があんなに過疎ったまま放置なのに、そのさらに外側の島 にどれくらい重要性を置くのか。

結局、「いくらかけられるか?」という話はせざるを得ない。 領土が無限に重要だ、とは誰も言えないはずだ。 例えば「竹島を100兆円で買うので一人100万円の税金を取ります」 と言ったら、みんなちゃんと賛成して払うのか。 絶対払わないだろ。「日本のものだから買う必要なんてない」 とか言うのかもしれんが、だったら「韓国を追い出すのに100兆円かかる」 と言ってもいい。でも、やっぱり反対するだろう。「9条があるから軍は出せない」 とか、「先進国として恥かしくない対応を」とか言うんだろうが、 結局のところ本気じゃないってことだ。 橋下氏は政治家だから言わないが、そういう「本気じゃないくせにああだこうだ言う」 奴等に対して怒りと軽蔑の念を持ってるんじゃなかろうか。 なんて思いながらツイートを読んでたら、だんだん好きになってきた。

つうか、メンツなんだよな領土問題は。 実利があるかと言われれば、ゼロではないにしても大してない。 国後や択捉を仮に取れたとして、そこを開発して町を作る気なんてあるか? そんな気があるなら、とっくに根室も稚内も大都会になっているだろう。 北海道がど田舎のまま手付かずという段階で、島なんてもらっても開発しないだろ。 さっき書いたことだが。 ロシアにとっての択捉と日本にとっての択捉では価値が違いすぎる。

尖閣と竹島は隕石でも落ちて消えてなくなったら最高なんだろう。 国際法で「無人島は海扱いする」みたいなことが決まったら それでもみんな幸せになるかもしれん。 メンツのために反対するポーズは取るだろうが、結局は 「国際社会の意思を尊重する」 とか言って渋々引きさがるような演技をしつつ、内心ホクホクなんじゃないか。 日本の領海が少々狭くなるが、いさかいの種がなくなってすっきりするし、 警備その他のコストも減るだろう。 漁業と資源に関しては損害があるが、 漁業従事者は減る方向にしか行かず、すでにしてGDP比0.2%とかだ。 資源はあるかもしれんが、日本はもう開き直って「資源はない」 と思った方がいい気はする。だいたい今ないんだし。 その海域が日本領であることによるプラスよりも、 隣の国といさかいがあることによる経済損失の方がどう考えてもデカいだろ。 まあ国防上の理由でちょっとでも領海を広く取りたい、 というのはなくはなさそうだが、これも結局金に換算せざるを得ない。 そのための損害で金が失われれば、人も雇えないし武器も買えないのだ。

せめてもう50年棚上げできれば、 少なくとも今よりは解決が楽になると思うんだがなあ。 どこの国も高齢化して人口減少が始まり、都市集中が進み、経済成長が止まる。 グローバル化が進展して、経済と政治の力関係が一層経済に傾く。 そうなれば、島なんて今よりはどうでも良くなるだろう。 もう10年もすれば中国が手に負えないほど強くなるから今叩け、 という人もいるが、そういう考えがいいのかどうかは私にはわからない。

猪瀬氏の本は、副知事になってからきっとたくさん売れてるんだろう。 何か見習えるところがありそうな気がする。なので、図書館で借りて読んでみよう。

ひつじこが働くためには、私とひつじこのどちらかが自営業にならないと駄目 な気がする。

芝村さんかっけえなあ。たまにツイート見よう。 生身の講演を聞いた時は若干きつかったが、なるほど面白そうな人だった。

さつまいもって栄養的に見るべき点がないんだな。 蛋白質少なすぎる。ジャガイモも大差ないが、まだマシ。 そして、それらよりも蛋白質が多いかぼちゃ。 かぼちゃだけは今年も買うかなあ。10kg。

猪瀬直樹「言葉の力」。完全に斜め読み。むっちゃ新書っぽい。メッセージ性は強くて、 主張にもおおむね同意だが、200ページはいらない気がする。 長めのweb記事でいい気はした。斜め読みでいらないところを 飛ばしているので問題はないのだが。

言葉を大事にしろ。伝える技術を身に付けろ。そして、そのためには本を読め。 おおよそそういうことだろう。 私の読書量は「中央値よりは大きかろうが、 平均値に及ぶかは怪しい」という程度なので、 本を読めば表現力がつく、ということを確信はできない。 また、引用する力が重要と言っているが、私は引用力において甚だしく劣っているので、 そこで勝負しろと言われても素直には頷けない。引用力がある人たちには憧れるのだが、 自分がそれを身につけられるとは到底思えないのである。 なにせ、読んでも読んでも本の内容はすぐ忘れてしまうのだ。 読みながら自分で考えた経験は残るが、それしか残らない。

橋下氏の竹島に関する考え方は賛同できる。 両方が「オレのもんだ」と言ってる以上、口喧嘩をいくらやっても無駄だ。 「まあここまで来ちゃったら仕方ないよなあ」と思うくらい実効支配の実績を作るか、 武力でぶんどるかしかない。武力でぶんどる覚悟がないなら、 国際法で白黒つけるか、白黒つけずにじわじわ何かをしていくか、 みたいなことを決めるしかない。 確かに、相手に「お前の言ってることおかしいよ」と言っても仕方ないよなあ。

メンツがつぶれない方法で竹島をくれてやることができるなら、 それでもいいんだろうな。 裁判で負けるのは一番いいシナリオなんじゃなかろうか。 向こうがさんざんズルをして勝ってくれれば、 「試合に負けて勝負に勝った」的なことになるかもしれない。 「竹島を取られたら次は対馬だ」とか言う人もいるが、 そういう増長を招かないようにしっかり力を見せておく努力は 竹島云々に関係なく日頃からすべきだろうよ。

韓国と組んで北や中国に当たる、ということにはならない気はするなあ。

経営、経済、政治、法律、マネジメント、 みたいなのを総合的に学ぶ方法ってなんかあるんだろうか。 ちゃんと役に立つ奴。早稲田だか慶応だかのMBAコースとか 行ったらなんかできるようになるんだろうか。 もしそれに価値があるなら行きたいが、まあ無理だ。

なんて思うのは明らかに逃避だ。本書こう。

「資本主義と自由」を借りた。いつ読めるかな。こんなの100%逃避だ。

前から何度も言っているが、人は二番目にやりたくないことを一番やる。 少なくとも私はそうだ。 あまりにも本を書くのが苦行すぎて、本来なら苦行なはずの経済の勉強が 驚くほど面白いしはかどる。もし本を書いていなかったら、 アニメ見たり、ギャルゲー読んでたりしてただろう。

MBA、2年で200万かそこらか。全く問題なく払える額だが、終わった後の就職に関して 見通しがないと死ぬ。なにせここは日本だからな。 あと、入試の問題見て、根本的に受かる気がしなかった。

2012年09月23日

気になって歯医者のことを調べた。

そもそも医療は成長市場だろうか。人口が減るので長期的には患者は減る。 高齢者率は増えるが、高齢者の絶対数が増えるわけではないので、 その意味でも患者は減る。ただし、都市部であれば人口はほとんど 減らないので、人口減少の影響は受けにくい。 ただし、都市部であっても若年層は着実に減るため、 子供メインの医療は客単価を上げないと先細る。 もし虫歯の多くが子供であれば、虫歯治療による収入は減少すると考えられる。 ただしこれも、これから子供を作る年代の人間が濃縮された地域を選べば 別で、例えば大田区のように工場が次から次へと消えてマンションに なっているような地区では子供もさほど減らない。 地区の年齢組成を長期で見積る必要がある。 あと、国家の医療費負担率が おそらくこのままではいられないだろう、ということがある。 財政破綻に近い状態に陥るにせよ、回避するにせよ、 財政再建の過程で大幅に国の医療費負担額が減らされる可能性がある。 自己負担率が上がった場合、医者にかかる動機は薄くなる。 とりわけ、対処を急がなくても良さそうに見える病気や、 自分で処置できたり、薬で済ませられる病気で医者にかかる人が減る。 虫歯の場合は自力処置はできないし、痛みがあるので医者にかからない ということはないだろうが、医療費が高くなれば 予防が合理的になるので、やはり患者数は減る方向に行く。 そもそも、虫歯の発生数は次第に減少している。 これが景気の悪化と連動しているのか、単に予防の意識の高まりや 技術の進歩によるものなのかはわからない。

国民医療費における歯科の割合は次第に下がっている。 歯科医療費は横這いだ。これだけ医療費の全体が 伸びているのに横這いというのは、医療の中では例外に属する。 また、歯科医師は過剰であり、競争が激しく収益が安定しない。 歯科医院数は6.8万とコンビニの1.5倍という数字がある。そんなにあったのかよ。 wikipediaに「歯科医師過剰問題」というページがあるような状況だ。 多くの歯科が保険外の自由診療(クリーニング、矯正、差し歯などなど)で 収益を確保しようとしているのは当然の 流れだろう。しかし、それでもなお保険診療が9割を占めており、 自由診療のシェアはなかなか増えない。 また、歯科は通常の医療費と異なり 景気や収入変化の影響を受けやすい。とりわけ自由診療はそうであり、 収益強化のために自由診療への依存度を高めれば高めるほど 経済変動に弱い体質になるという矛盾した状況がある。 これは「所得あたり医療費 歯科」とかで検索するとデータがたくさん出てくる。 つまり、通常の医者以上にマーケティングを考えなくては立ちゆかないと思われる。 このへんは「歯科医院開業経営状況」というサイトに詳しい。

一つの打開策として、歯科が他の病気も診るようにすることが言われている。 医療費削減のためにも余った歯科医師の有効活用のためにも、 歯科医師を他の用途に流用するべきだという意見があるそうだ。 これは歯医者でカゼを診てもらえれば歯医者は多いので近くて楽だよね、 という事でもあるだろう。医者からしても多角化で収益が安定しやすい。 ただ、現状は法的に無理っぽい。歯科医は医師ではないそうだ。 まあ医者側の負荷も問題だよな。Drコトーくらい万能ならいいが なかなかそうも行かんだろうし、設備の問題もあるだろう。

医療はもうからんと思う。教育はまだ成長産業に変え得るが、 基本日本は貧乏になっていくわけで、貧乏になるほど予防が合理的になるから 医者はいらなくなるし、そもそも貧乏になれば医者にかかれなくなる。

虫歯は治療より予防だよなあ。 たまにそのへんの子供が虫歯まみれなのを見ると切ない。 歯医者にかかることが高くつくようになれば、 予防側にコストのバランスが偏ってああいう子供を減らす圧力にはなる。 国としてそっちを重視すれば、水道水にフッ素を入れるように なるかもしれないし。

うちは菓子は「ごちそう」と位置づけていくつもりでいる。 幼稚園でも行けば外で食うのは止められまいし、 あまりに激しく禁止すると副作用があるので匙加減は難しいだろうが。

菓子は楽にカロリーを与えられ、 かつ子供の不満を柔らげることができるので、 親にとっては便利だ。 カロリーさえ与えていれば死にはしないからな。 小麦系の菓子なら蛋白質や脂質もそれなりには入っているし。 だが、楽をしたツケは何かしら払わされることになる。 栄養状態が悪ければ病気にかかりやすくなる。 オタマは風邪をなかなかひかないし、ひいても軽いが、 他の子はそうでもない。 私やひつじこの遺伝子が特に優れているとも思えないし、 環境要因の大半は食い物だ。それだけ食い物に差があるということではなかろうか。 皮膚がこうなったのも同じように食い物によるだろうから、 そこは反省せねばならないが、栄養の質としては間違っていないように感じる。 菓子で楽をした分は、病気になった時の手間であっさり相殺されているのでは なかろうか。しかもタイミングが予測不能なのでなおさらタチが悪い。 料理の面倒さは予測可能であり、改善もできる。

単純に親が菓子好きで、隠れて食わず一緒に食べているのかもしれない。 私は親が隠れて食うのは悪いことではないと思っている。 食わないのが最も良いが、隠れて食うのは隠れないで食うよりは良い。 隠れて食うのは卑怯だ、などと言っている人は、 道徳的側面だけでなく、その結果についても天秤にかけているのだろうか。 それで子供の味覚が狂ったり栄養状況を損なうことの害は、 大人が菓子を食うことの比ではない。 子供には甘味や塩気が激しいものを食わせるべきではないのではないか。 幼稚園にでも行ってしまえば仕方ないが、 少なくともその前まではほぼ防げるはずである。

オタマデカくなってきたらバレやすくなるだろうし、 菓子を食う頻度は減らさざるを得なくなるな。 家に箱アイスを置いて食えるのは今のうちだけだな。 まあ、自分で菓子を作って食べていた頃に比べれば菓子的なものの 消費量は激減している。あんこもパンもクッキーも、もう作ることはあるまい。 ドライフルーツすら、おそらくもう買わない。 オタマのヨーグルト用のレーズンが唯一か。

人間が結果から原因を推測する方向の思考が得意であるとして、 逆方向でないとうまくいかない思考をどうにかして 得意な方向に変換するにはどういうパターンがあるか、 みたいなことを考えている。 「この政策にはどういうデメリットがありうるか」は苦手な方向の思考だが、 「こんな嫌なことが起こる原因になる政策にはどんなことがあるか」 は得意な方向だ。得意な方向の思考を十分な数やる方が、 苦手な方向の思考をして抜けが出るよりはいい気がする。 「原発が爆発するような原因は何があるか」と問えば、 「どういう対策をすれば大丈夫か」なんていう曖昧な問いを発しなくて済む。 対処すべき結果の列挙が抜けるのと、 原因から結果への推論に抜けが出るののどちらがマシか、 という話になるな。たぶん前者の方が制御しやすい抜けだと思うが。 商売をする時も、「この商売が失敗するとしたら原因は何か」 と考える方がいい気がする。「こういうやり方をするとうまく行くか」 の方向は難しいだろう。 いまいち考えがまとまらないが、こんなことを最近考えている。 もしかしたら、これで私の思考法がかなりの修正を受けるかもしれない。

猪瀬氏は副知事をやって、それを本業の作家業に生かしている。 コアコンピタンスはあくまで作家なのか。 私は自分のコアがよくわからなくなってきた。 希少価値から言えば人に何かを説明する文章を書く方が希少性のレベル が高い気がする。私よりコードが書けたりCG技術があったりする人なんて いくらでもいるからな。だとしたら、 私は本を書く手段としてゲーム開発をしてもいいということになる。 もちろん、逆でもいい。本を書くことによって自分の理解を深めて、 それによってゲームを作ると考えることもできる。 いまのところ見えない。でも、もしかしたら私の最大の能力は 技術力ではなく伝える力なのではないのか。

出版社に送った私が文章を書くコンセプトみたいな文章を ここに置いてみるか。感想を聞きたい。 この段階で間違っているなら修正せねばならないわけで。

2012年09月22日

ワットチェッカー。201sが18Wくらい食ってる。 でかい。56Whのバッテリーなので、4時間しかもたない。 輝度を下げると12Wになるので、液晶だけで6Wは食っている。 スリープ時は0W。 というか、このワットチェッカーが1W以下を測れないことに絶望した。

消費電力量は0.01KWhから測れる。10Whだ。 まともな精度が期待できるのは50Whからと考えれば、 スリープのまま100時間くらい置いておけば、スリープ時の消費電力が わかるんだろう。無理。3万円の機械が欲しくなるな。 0.3Wから測れるらしいし、消費電力量も一桁小さいものが測れる。 でも3万は無理。haswell入りを買ってもスリープ時消費電力を知ることはできんなあ。

ひまわりの種失敗。圧力かけて蒸したら酸化した油の固まりになった。 ピーナッツに比べて酸化に弱いらしく、加熱ですぐダメになる。 また今度少量で試してみよう。

ふと気になった。高い扇風機って何がどう高いんだろう。 そう思って東芝のサイトを見たら、吹き出すくらい面白かった。 バカか。扇風機にここまで求めてる奴がどれだけいるんだよ。 大抵の奴は何も考えずに中国製の2000円の奴を買ってるに違いないのだ。 しかし、これが日本だよな。ちょっと勇気づけられた。

羽が7枚で、バッテリーを積んでてピークシフトできて、 横だけでなく上下にも振れるらしい。直流モーターで低消費電力かつ静からしい。 そんなものを2万で売る東芝が素敵すぎる。 もし今度扇風機を買うことがあれば考えておこう。こういうのは嫌いじゃない。

うちの三洋のは弱風でも26W。強風で47W。しかもかなりうるさい。 東芝の奴は最強で22Wだそうだ。今すぐ買ってやりたくなるな。 でもバッテリーはやめてくれ。いくらなんでも無駄だし、 重くなって使い勝手が悪くなる。

冷凍庫を掃除。取れた霜でオタマが雪だるまを作って遊んだ。

魚2.8万円分注文。鮭15kg、ほたて5kg、つぶ貝1kg、ほっけ開き3kg、干物5kg。 数日前までサバがあったのだが、売り切れ。 やはり良さそうなのが入ったら即座に買わないとダメだ。 冷凍庫を掃除したいとか言ってる余裕はないし、 送料に配慮する余裕もない。 しかし、大物があるうちは掃除はできないんだよな。 冷蔵庫の冷凍室には到底入り切らない。 半年に一回はほぼ空になるところまで持っていかないといけないのが難点だ。

18W中6WちょいがLEDバックライト。画面を真っ白にすると1Wくらい減る。 真っ暗なところで暗めにして使っていると11Wくらい。 5時間もつかどうか、というところか。 CPUやGPUをどうこうしたところでこれが10時間になるとは思えないのだが、 どうするんだろう。

ETFにしようかと思ったが、国内ETFはまだ規模が小さく、時期尚早。 ベンチマークに追随できる状況になってない。 債券系のファンドは毎月分配で目減りが激しい。 海外ETFにすればいいが、手数料が高い上に、ドルに換える際に目減りする。 仮に移す前の投資信託と、移した後のETFの資産比率が同じとした時に 何%分損して、どれくらいで取り戻せるのかを計算しないといけない。概算でもいいが。 一回やっておかんといかんよなあ。 あと、投資信託は売る時にペナルティかかるからそれもか。

売る時に0.5%、手数料が100万円について2500円とすれば0.25%、 為替手数料が行き帰り0.3%として0.6%。というあたりが概算か。 悪くても1.4%くらいだろう。投資信託の信託報酬が0.5%程度で、 ETFが多くて0.35%くらい。0.15%の差で1.4%の損の元を取るとなると、 10年近くかかる。もうちょっと真面目に計算しても5年より短くはない。 最近の安いインデクス投信とETFの差はさして大きくはないな。 移さなくてもいい気がしてきた。

増税は消費税が10%になる前に15%にする法律が通るくらいの 勢いじゃないとまるで間に合わないだろうと思う。 しかし、この期に及んで社会保障比を削るという決断ができないでいる段階で、 無理だ。 プライマリーバランスを+3%かそこらにしないと借金のGDP比増大が 止まらないわけで、GDP比-8%とかで赤字を垂れ流している現状から 考えれば、GDP比10%以上の増税が必要になる。 50兆円とかだ。消費税を20%上げても取れるかわからない莫大な額である。 しかし、無駄なんてそんなにない。 公務員の給料なんて大した額でもなく、公共事業費とて10兆もない。 単純に社会保障を削らない限りどうにもならない。

法人税は取りにくい税だ。なんだかんだ節税され、海外に逃げられる。 日本から雇用を奪う原因にもなる。こんな頼りにならない税は縮小した方がいい。 所得税も取りにくい税だが、取りにくいのは個人事業主で、 大半を占めるサラリーマンからは簡単に取れる。 なので、ここからちゃんと取るべきだ。変な控除はなくして できるだけ多くの人から取るべきだろう。そうすれば税率も下げられるから、 高額所得者が節税に走る動機を薄められる。 所得税は多くの人から確実に取れて、かつ累進課税できるので 富の再配分機能も持たせられる。なるほど重要な税だ。 そして消費税は、もっとたくさんの人から取れる。 しかも、なんぼ節約しても限度があるので、景気に左右されず税収が安定する。 やっぱりどう考えても税収のメインは消費税であるべきだ。 逆進性があると聞いていたが、よく考えてみればウソだ。 500万稼ぐ人はいつか500万使うし、 200万の人もいつか200万使う。 金持ちほど貯蓄するから税金を払わない、と言うが、 死ぬ前には使うのである。金持ちほど使うタイミングが遅れるだけだ。 そうでなければ相続税でごっそり取ればいいだけだ。 そして、軽減税率はロクなことがないのでダメだ。

日本の年金は若い人から老人に金を移す制度で、人口が増えてる時しか成立できない。 積み立てにすればその問題はなくなるが、 払えてない人はもらえないわけで、老後に生活できなくなる可能性がある。 となると、根本的に負の所得税で完全に置き換えてしまう方がいい。 生活保護、年金、雇用保険などを負の所得税に一元化する。 収入がなくなったら負の所得税をもらって生きていけば良く、 収入がある間は何ももらわなくていい。 老人は年金をもらうもんだ、というのが常識になっているとしたらおかしい。 特殊な病人や障害者など生活コストが高い人に対する配慮は別の制度でやる。 そういう人は少ないのだからさほどのコストではないし、 比較的確実にチェックできる。別制度にした方が悪用されにくい。

投資で稼いだ所得に累進課税すると、節税されたり海外逃避されたりする。 労働による所得と、資産による所得は分けるべきだ。 それらは別計算にして、節税も海外逃避もしにくい 労働所得には累進課税を、さっさと逃げられやすい資産所得には 節税したくならない程度の固定税率で取るのがいい。 なるほどそれは言われてみればそうだ。 税率を上げると逃げたくなるような類の所得と、そうでない所得は 分かれている。おおよそは労働と資産の二分法となるわけだ。

というようなことを「日本の税をどう見直すか」を読んで学んだ。 今のところ同意。私の知識の範囲ではおかしなところはない。 大変勉強になった。半分以上はよくわからないが。

橋下氏に投票できるならするかもなあ。数日twitter見てるが、 成長過程という感じで好感がもてる。 老成した感じはなく不安定にも見えるが、 間違ってたことがわかるとあっさり改めるのはいい。 知らないから教えてくれ、と言う態度もいい。 「勉強しなさい」とか言ってしまうあたり人格的には不安だが、 少なくともどういう国にしたいのか、そして何が一番問題なのか、 ははっきりしている。 金がないから成長しないとダメで、 そのためにはモラルハザードやタダ乗りが起こる余地を削らないとダメだ、 ということだろう。そう大きく見れば、私は完全に賛成だ。 まあどうせ選挙まではずいぶんと時間があることだろうし、 ゆっくり見ていこう。

2012年09月21日

消費電力チェッカーくらい買うか。サンワの奴は高いが、精度がいい。 エコワットという奴は安いが精度は悪い。 ここで2000円をケチる必要はないな。かといってすごく精度がいいが3万円する、 なんて機械はいらないが。 X201sとX220の消費電力は特に知りたい。

電気代って結構高いな。1Wのものがつけっぱなしになっていたとすると、 一日24W時で、一ヶ月30日なら720W時。0.72kWhだから、 1kWhあたり30円として21.6円かかる。 10Wの機械の電気代は一ヶ月あたり216円だ。

リアル系CGの「足りない感」はどうしたらいいんだろうな。 性能が足りないからなのか、根本的に無理なのか。 昨日メタルギア見てて大したもんだと思ったわけだが、 しかしそれでもなお越えられない壁は確実にある。 最新のPCで先端技術を突っ込んだところでさほど 改善しないのはわかってることだし、 だいたい手間がかかりすぎて商売として成立しなくなる。

挙動のリアルさが足りないのは間違いない。 崖っぷちで敵を殺したら死体が半分宙に浮いてるとか、 敵は斬った角度で真っ二つにできるのに、宝箱は開くだけとか、 そもそもその宝箱なんだよとか。 ゲームなんだからいいじゃんと言えればいいし、 そんなことにつっこむのは野暮というものではある。 だが、なにせこのご時世だ。 絵がPS2レベルなら大して気にならなかっただろうが、 一瞬実写っぽい今のレベルではそういうのがかなり気になってしまう。 動きそのものも辛くて、軽快なアクションとリアルっぽい見栄えは食い合せが悪い。 現実の動きは「速度が連続」という縛りから逃れられない。 衝突など速度が不連続に見える現象もあるが、 人間はそういうのを例外として扱っている。例外には情報があるから、 人間は速度が不連続な動きに敏感だ。 だから、単に方向転換したり、物を振り回したりしてるだけの時に そういう例外的な動きになってしまうと、 頻繁に違和感が発動してしまうことになる。 これも絵がPS2レベルなら「そういうもんだし」で済まされるのだろうが、 ここまで綺麗になると問題になってくる。

なんとかならんのかなあ。外人みたいに「じゃあ動きもリアル通りにしちゃえ」 というアプローチもアリだとは思うが、よく考えないとゲームにならんだろう。 方向転換の度に溜めを作るようなことをすれば、軽快なゲームプレイは 確実に失われる。あんなテンポの速いゲームでそれはできん。 リアルさを妨げないようにゲームプレイを考える、という順番で ゲームを作って面白くするのは至難だろうし、 とりわけ日本人にはできそうな気がしない。 となればこれしかないんだろう。 多少挙動が不自然でも、それはそれとして絵はできるだけリアルにした方が 支持が得られる、と踏んでこうしているのが、現代の妥協点だ。 全体の違和感を削るために、絵そのもののリアルさを敢えて下げる、 という選択はそうそうなされない。

根本から考えることは重要だが、考えること自体がコストであるという立場に立てば、 考えることを節約するような方法も合理的か。 とりわけ、考えられる人材が希少であればなおのことそうである。 馬鹿しかいないなら馬鹿でもできるようにすることが合理的だ。 しかし、長期で見ると、馬鹿でもできるようにすることによって馬鹿が増える という問題が出てくる。馬鹿でもできるようにする時には、馬鹿を減らす方策も やらないといけないのだが、 教育は不確定性が高くコストが高いのでだいたい放置される。

例えばコーディングスタイルは、理想的には各人が自分で編み出せるだけの スキルを持った上で擦り合わせるのがいい。 そうすれば何のためにあるかわからんルールを盲目的に守るような 状況にならず、また、擦り合わせの段階で自分と他人の何が異なるから 出来てくるルールが異なるのか、というところをわきまえる機会も得られる。 ルールが状況に合わなくなるリスクにも気付きやすい。 しかし、これをやれる人間が少数で、そのための時間も惜しいとなれば、 「とりあえずこうしとけ。理由は問うな」という運用になるのもやむを得ない。 だがそうやって運用している期間が長びけば長びくほど、 ルールの意味を知り、それについて考える人間の率は減っていく。

オブジェクト指向って何のためにあるの?この状況では本当に使うべきなの? と考える人はたぶん少ない。それは、オブジェクト指向が発明されて 広まっていった頃のプログラマに比べて、今のプログラマの知的水準が 落ちているとは言えないか。利益が明瞭なことについて疑ったり考えたりする 時間は無駄なので、無批判に乗れば良い、と考える人は多かろうし、 経済的にそれが合理的であるケースが大半なのは理解している。 しかし、気に食わない。

昔ながらのゲームに本気なのはカプコンだけになったか、という印象。 圧倒的に強いもんな。ほかはソーシャルソーシャルモバイルモバイル。 それが悪いわけではないし、むしろそうすべきだろうと思うが、 TGSでやることの合理性が良くわからん。 あそこに来る客はそういうのを見るのか? TGSの主目的は何なんだろう。 比較的熱心な客に対して新製品を展示することが主目的ではないのだろうか。 熱心な客が興味を持たないものを置いておいても意味がない気がする。 熱心でない人はあんな所まで行かんだろ。 生プロレスしてたりしておもろかったが、それ客が求めてるのか?

専門学校もどうなんだろうと思うが、 作り手になりたい若いのにアピールできる可能性があるとは言える。 でも、専門学校生の制作物とロスプラ3とかの間のギャップが 激しすぎて逆効果なんじゃないかと思ったりはする。 ロスプラとか見てて、「オレはこんなのを作れるようになるぜ!」とか思えるのかね。 私は学生時代クレタクとか見て 「どうやって作るのかさっぱり見当もつかんが、内定もらえちゃったし行くか。 まあクビになったら博士行こう」 と思っていた。今の絵は10年前の比ではなく高度で、 もうどうしていいかわからんのではなかろうか。

専門学校ブースは絵描いて展示してるだけのところも多い。 小奇麗だが、うまいと思える絵は稀だ。 光が見えてない作品多すぎ。根本的な立体把握能力とか、 色彩のセンスとかが欠けてる気がするぞ。 ソーシャル向けに消費されるだけの絵師なんてなんぼ量産しても 未来がない気がするのだが。

2chのサイレントテロスレがちょっといい。協力しよう。 といっても、私は別に社会を破壊したいのではなく、 オタマが大きくなる前に極力膿を出して欲しいだけだ。 なので、金の溜め方と無駄な消費的支出の抑制については協力するが、 それ以外は駄目だ。 それに、消費的支出も減らすには限度がある。ラーメンは当分いいやと思っているが、 ひつじこにはアイスが必要である。

うちの糖質系食料。澱粉系の豆類。米。バナナ。 一番捨て難いのはバナナだろうなあ。 米は尽きたらそのままになるかもしれないが。

大阪市が局長を公募しとる。すげー、こういうの応募してみてー。 もちろん、無理とわかっているから言っているわけだが。 経営と管理の実戦経験者が対象なわけで、 私がそんな経験を積むようになる公算は限りなく低い。 しかし20年後にこういうのに応募して別の場所で貢献できたらと思わなくはない。 生き方を模索していこう。

利率1%の国債を1万円持っているとする。 1年後に10100円になって返ってくるべきものだ。 しかし、そこで利率2%の国債が売られ始めたとする。 そんな時に、急に現金が必要になってしまった。 国債を売ろうと思うのだが、いくらなら売れるか。 まず、10000円で売ろうとしても、売れない。 1万円払えば1年後に10200円になる手段があるのに、 10100円にしかならないものを同じ値段で買う人はいない。 9900円ならどうか。9900円払って10100円になるものが買えるのだから、200円の得だ。 これなら10000円払って10200円になるものを買うのと同じである。 売る側は10000円出して買ったものを9900円でしか売れないので100円損する。 1円下げて9899円だとどうか。 買う側は9899円払って10100円になるものが買えるので、201円得をする。 これなら買ってもいいと思うかもしれない。 売る側は損が10000円払って9899円しか帰ってこないので101円損する。 これが、「金利が上がると債権の価格が下がる」という事だ。 金利さえ上がらなければ9999円でも売れたはずなのに、 9899円でしか売れなくなったからである。

銀行はみんなから集めたお金で国債を買っている。今いきなり利率が上がると、 もし国債を売って現金を用意しないといけなくなった時に、 この値下がりによって損をする。 銀行が仮に1万円のお金を自分で持っていて、 みんなから100万円のお金を集めているとする。 100万円のお金で全部国債を買っているとしよう。利率は1%だ。 ここで、急に新しい国債の利率が2%になったとする。 これだけなら何も起こらないが、誰かが1万円を引き出したとしよう。 1万円分の国債を売って9899円を得て、これを渡す。 101円足りないので、自分のお金1万円から101円出して 渡すことになる。銀行は101円損したことになる。 さて、100人引き出したらどうなるか。 100万円分売って989900円を得る。10100円足りない。でもお金が1万円しかない。 かくして破産するわけだ。 国債の利率が上がると銀行が破綻するというが、理屈はつまりこういうことだな。

なお、国債は1年でお金が帰ってくるものは少なくて、10年とかの長期のものが大半だ。 そっちの方が利率が高くてもうかるからである。 10年後にお金に変えられる国債の利率が1%から2%になるとどうなるかと言えば、 価値の下落が10倍になる。10000円払って11000返ってきていたのが、 12000円になるのだから、 9000円で売っても買う人はもうからない。 買い手がもうかるには8999円で売る必要がある。 さっきの例では全額引き出されない限りは破産はしなかったが、今度は違う。 1万円引き出されただけで1001円損をする。 10万円引き出されれば10010円損をするので、この時点で破産だ。 実際には銀行は自分のお金の25倍までしかお金を集めてはいけないことになっているし、 10年国債がたくさんあっても時期はバラバラなので平均すれば損は半分になる。 また、でかい銀行は長期の国債を減らして短期に切り替えつつある。 なので、多少利率が上がっても、よほど引き出されない限りは大丈夫だろうと言える。 しかしそれも、金利がイタリアのように7%とかになればさすがに耐え難いし、 ダメージに耐えても銀行の経営状況は激しく悪化する。 銀行は経営がヤバくなると人に金を貸さなくなるため、 お金を借りないと死んでしまう企業は死ぬ。 こうして国全体で倒産が連発して経済全体がダメージを受けていく。

なお、一番国債に依存しているのがゆうちょ銀行なので、真っ先に死ぬ。 地方の銀行は期間の長い国債をたくさん持っており、大手よりも早く死ぬ。 あと、実は銀行だけでなく、保険会社も大量に国債を持っている。 なので、利率が上がってダメージを受けると、 保険金が払えなくなって死ぬ可能性がある。 さらに、年金の組織も国債をごっそり持っている。以下同様。 これらの組織が死ぬと経済がおかしくなるので、 影響が大きすぎる時には税金を渡して支えることになる。 ますます財政が悪くなるわけだ。恐ろしいスパイラルである。

財政破綻まで行かなくても、単に国債の信用がちょっと傷ついて利率が上がれば、 それだけで結構なダメージを受けるわけで、 「国債は国がつぶれない限り安心」はウソだ。 1%台で安定したまま随分長い時間が過ぎたので、 そんなことは起きないだろうとみな高をくくっているわけだが、 財政赤字が積み上がれば積み上がるほど、 何かのきっかけで利率が上がってしまう可能性は高まる。

理屈間違ってないよなあ。これを否定するには、 「利率が激しく上がるようなことは起こらない」 という否定の仕方しかないはずだ。他に仮定は置いてないよな。たぶん。

2012年09月20日

私は幼稚園は一年しか行ってない。 そしてあれの教育効果がどうだったかは記憶がないのでよくわからない。 しかし、とりあえず幼稚園はオタマのために行かせるものではなく、 ひつじこが楽をするために行かせるものだと割り切って考えたらどうだろう。 楽をしたければ行かせればいいし、そうでもないなら行かせなくていい。 幼稚園で身につくような社会性なんて大して重要とも思えない。 小学校に入ってしばらくは大変かもしれないが、まあそれは仕方ないことだ。 ただ、自分以外の人と妥協しながら生きていくことを学べるなら 学んだ方がいい、というのは確かなので、兄弟ができるといいなあとは思う。

ひつじこは先生以外は向いてないので、 先生をやれないなら無理して働かなくてもいい。 素質としては普通に会社員やっても有能だとは思うが、年が年だからな。 やってた時期もあるようだが。 というわけで、 仕事を通してひつじこの人生が良くなる、そんな仕事でなければ意味がない。 金なんてどうにでもなる。そのためにうちは貧乏ごっこをしているのだ。

ひまわりの種が発芽させられそう。試しに買ってみる。 油系ナッツで発芽が早そうなのはこれくらいだ。

投資がプラス4%に。率としては最高記録かもしれない。 ここ数年、大半の時期はマイナスだったからな。 年利1%くらいと考えると話にならんリターンだが、 それでも並の定期預金よりは高い。

年200万あれば余裕で生きられるわけだが、年率1%だと2億貯金がないと そんなに利子はつかない。利子で生活というのがいかにありえないかがよくわかる。 ちょっと前に見たweb上の投資シミュレーションは控え目の利率で3%とか 無茶苦茶なことを書いていたが、今でもそうなんだろうか。

投資は増やそうと思わず減らないことを考えるべきだ。ますますそう思う。

そろそろETFに変換するか。枯渇したらだな。

ベーシックインカム。年100万みんなもらえる、みたいな。 1億人いて100万だと、年100兆円かかる。 税収40兆しかないじゃん!と言うかもしれないが、 みんなが払っている年金の類が税金に一元化されるから税収は増える。 ベーシックインカムの利点は、制度が恐ろしく単純になって効率がよくなることだ。 ただし、欠点もある。 この年100万円みたいな額は「普通の人がかろうじて死なないレベル」 に設定されるだろう。そうなると、 障害者や病気の人など、生活コストが恒常的に大きな人にとっては足りない。 そういう人を別途救う方法がないとまずい。 純粋なベーシックインカムはありえないということだ。 加えて、今の制度からかけ離れているので一撃で そういう制度に持っていくのは不可能である。 しかし、橋下氏が将来的にそういう方向を ありと考えているのは賛成できそうな気がする。

世の中は複雑なので、対応して法律や制度が複雑になるのは自然だ。 しかし、どちらかと言えば、制度を単純化しておいて、運用の柔軟性で吸収する方が 使い勝手はいい気がする。あとは、行政でなんでもやろうとするのがまずくて、 ボランティアとか企業活動を込みで考えるべきなのではなかろうか。

国債の海外保有率8.7%らしい。ユーロが落ち着けばまた下がるとは思うが。

TGS。ゲーム機メーカーが1社しかおらず、 正味3ホールのうち1.5ホールくらいしか使っておらず、 しかもそのかなりの部分がソーシャル。 これが時代の変化というものか。

ソーシャルの類はやったことがない。 この稼業に携わる者としては不勉強であり、弁解の余地はない。 だが、やる気がしねえ。 人とコミュニケートする楽しさがあることは認めるが、 それにゲームの類を使うべき理由が私にはない。 やってみたら楽しいのかもしれんが、やる気がしないものは仕方ない。

こういう世の中である以上、「ソーシャルなんて嫌いだ」 などと言おうものなら愚か者決定だ。 しかし、今日グルグル回りながら見てみて、やっぱ無理だと思った。 私は根本的にゲームにおいて他人の存在を必要としてない。 一緒に遊ぶのが楽しいこともあるが、それは生身で横にいる人だけで十分だ。 非同期のコミュニケーションとか、世界への参加とか、 いらねえ。私はゲームなんてなくても今この世界に生きて 人とコミュニケートしている。いうならば私はリア充であり、 別の世界を必要としていない。 ネトゲも結局一回もやらないまま今まで生きてきてしまったが、 たぶんあれも私には無理なんだろう。

「もし小泉進次郎がフリードマンの『資本主義と自由』を読んだら」を読んだ。 いろいろわかりやすすぎて危ない気はするが、わかりやすいしいいんじゃね。 これをきっかけにして勉強を始める人が現れれば十分に勝利だ。 それにしても、中途半端。本当の戦いはこれからだ、的な終わり。 2巻を出すつもりなのか。

国債が積み上がっていけば、いずれはインフレになる。 たぶんこれは否定できない。ただ、「いずれ」がいつかはわからず、 いろんな人がいろんな意見を持っている。 しかしそれでも、「いずれは」インフレになる。 また、そのインフレがどのように始まるかもわからない。

一つは「借金もう返しません宣言」をするケース。 円が売られまくって暴落し、輸入価格が上がってインフレになる。 いっぱい貸してる人ほど損をするので、つまり預金が多い人ほどダメージを受ける。 また、当分国債は発行できなくなるので、財政赤字は無理矢理ゼロにせざるを得ない。 全ての問題を一撃ですっぱりと解決できるが、 ダメージが大きすぎて再起不能になる可能性もある。

もう一つは、「誰も金貸してくれなくなりました」というケース。 「おまえ十分借りてるじゃん。返すか怪しいから貸さない」と言われる。 つまり国債が売れ残る。この場合、金利を上げないと売れないので 金利を上げて無理矢理売るか、 日銀が買い取るか、 売れ残る事実を受け入れるかで分かれる。金利を上げれば、 借金の返済が厳しくなって火の車になる。 いずれは日銀に買い取らせる以外の手がなくなる。 日銀が買い取れば、それはお金を印刷することなので、「いずれは」インフレする。 売れ残ることを認める場合は無理矢理財政支出を切り詰めることになる。

激しいインフレにならないようなペースで日銀に買い取らせつつ時間稼ぎをして、 その間に無駄遣いを減らしたり、経済成長の邪魔になっているものを削ったりするのが 一番現実的なんだろうと思うわけだが、何かの拍子に金利が上がった時のダメージは 時間が経てば経つほど大きくなる。 ちんたらやっていると突如として祭が始まりかねない。

しかし、祭にして一挙に片づけた方が今30代以下の人間は得をする。 早く祭が始まるように、私は国債を売ろう。

野村、個人向け国債をwebから売る方法が見当たらんぞ。まさか電話しろと言うのか。

円高と言う割にはうちの損害は小さい。外貨建てがたくさんあるにもかかわらず、 損害どころか5年で4%の利益が出ている。 多少円高になっても大して損しないということだろう。恐れず外貨にしたい。

PCに詳しくない人にはもうPCは勧めない。 PCでなければできない用途があるかどうかは聞いておく必要があるが、 仮にあったとしてもPCと別にiPadを持つべきであるように思う。 skypeやweb閲覧、メールはiPadに振った方がどう考えてもいい。 設定も楽だ。新しいiPadは買ってみて思うが、 この解像度を活かす用途がほとんどないので、一般家庭には無駄だ。 iPad2で良ければ安いし、提案してみよう。 PCは来年haswellが出たら201sを回せばいい。

でも、haswellがそれほど劇的に使い勝手を良くするかは疑問ではあるな。 本当にバッテリーが倍もつならいいが、もしivy bridgeでも今の1.5倍もつと言うなら 今すぐ買いたくなる。調べてみたら、201sが8.1h、230が9.4hで、10%くらいは 伸びていると思われる。 これがhaswellで12hとかになるならいいんだが、 消費電力のかなりの部分は液晶なわけで、CPUが変わった程度では どうにもなるまい。しかし、スリープ中の消費電力が劇的に下がれば、 かなりマシにはなるか。

肉、ほたて、イカ、エビを全部放りこんだレンズ豆カレーでも作って、 盛大に冷凍庫を空にしようか。 しかしその場合、十分にレンズ豆が柔らかくなるまでは植物だけで煮て、 その後65度まで落としてから動物を入れて、その温度を保たねばならない。 面倒くさすぎるな。

2012年09月19日

日本と中国の間に「尖閣は棚上げで」という合意があったという話を聞いた。 それが本当ならなんで国有化なんて言い出したんだろう。 中国に喧嘩を売っていいところを見せたかったのか。 しかし考えてみれば、中国側も海底のガスを掘り始めたりして ちょっかいを出してきているわけで、日本が一方的に悪いわけでもない気がしてきた。 あの記事は中国寄りすぎるのか。 判断のプロセスを知りたいがなあ。それがわからないと妥当かどうかなんてわからない。 よく自分の意見を持てとか言うが、意見なんてものは情報次第で変わるのが当たり前で、 一般人はロクな情報を持っていない以上意見なんて持ちようがない。 情報によって影響を受けない意見はただの思いこみだ。

選挙で政治家決めるって本当に優れたシステムなのか? 少なくとも、選挙のやり方は改良が必要だろうし、 政治でやる範囲も考えなおした方がいいだろうし、 政治のやり方も考えなおした方がいいんだろう。 しかし、考えなおすことを決めるのは考えなおす前の今の政治でやることで、 考え直したいと思わなければ考えなおすことはない。

blogosに「領土問題とか知ったこっちゃねえよ」的な意見が載っていて、 コメントで叩かれたりしているのだが、 大半の人はこう思っていると思う。 「関心を持て」とか「意見を持て」とか言っても無理な話だ。 この規模と豊かさの国で民主主義とか国家帰属意識とかを機能 させるのはそう簡単ではなく、少なくとも今のままでは無理だろう。 自分が参加することで何かが変わるという実感がなければ無理だ。 フィードバックがない状況で政治なんかに関わる気になるわけがない。 すごく広く言えば企業で働くことや、物を買う事自体が政治参加なのだから、 そういうところを強調した教育をしていくのがいいんじゃないだろうか。 政治に比べればまだフィードバックが速いし強い。 また、政治にしても、地方分権を進めてフィードバックと個人の寄与を強める ことが必要だろうし、特定の分野に関しての政治活動を もっと緩い感じにやれれば、それもまたフィードバックを強めることになる。 少なくとも、何年かに一回ある選挙を政治参加のメインイベントに据えるのは無理だろ。

政治に興味が出てきた今日この頃。しかし、政治は「ある意味選ばれた人間」 がやるもので、一般人が関係できるものではない。 興味を持ったところで単なる遊びにすぎない。 その遊びに時間を使うことは、 その人間が本来社会で果たすべき役割を犠牲にすることになる。 ミクロに見れば、政治に興味を持って時間を割くことは害悪だ。 どうせ何一つ変わらないからである。 マクロに見てもそれが本当に社会にとって有益かどうかはわからない。

糖質制限については、大半の人は社会の多数派がやるようになるまではやらないだろう。 「多数派は多数派がやるようになるまでやらない」ということは、 つまるところ、永遠にやらないということである。 副作用があるかも知れないとはいえ、 肥満と糖尿病という壮年期以降の健康レベルを下げる 二大要因が消えることの利点は計り知れないと思うのだが、 食習慣はそうそう急には変えられないからな。 私だって未だにラーメンを食べたくなるわけで。

結局新しい考え方というのは世代交代しないと広まらないんだろう。 新聞はwebで、という文化にしても、 今紙で買っている人の大半は死ぬまで買い続けるのだろう。 大店法を廃止させたのは外圧だが、それは廃止を早めたというだけで、 商店街を構成する人の数が減っていったからこそ廃止できたのだろうし。 私はできれば新しい考え方には適応しながら生きていきたい。 中には間違いであることがわかって定着しないような新しい考えもあるだろうが、 理屈として妥当でデータがそれなりにあるのであれば試してみたい。 糖質制限が本物かどうかがわかるのは20年は先のことだろうが。

夏井氏には感謝せねばならんな。仮に糖質制限や湿潤治療に 重大な欠陥があって捨てることになったとしても、 自分に染み付いた習慣を疑う訓練を積めればそれだけでも利益だ。

現状、糖質制限のデメリットは金銭面と外食の不便さくらいだ。 澱粉を多く食べた次の日は皮膚と頭から大量に脂が出て閉口するのだが、 糖質制限前はこれが日常だった。 身体を洗うのに洗剤を使わない習慣は糖質制限とセットでやらないと うまく行かないと思われる。

ピーナッツと大豆以外に油系の豆ってないんだろうか。 乾燥重量で糖質が20%以下、蛋白質が20%以上の植物って何かないかな。 アーモンドは蒸しても柔らかくならないのが困る。 どうも発芽に1ヶ月とかかかるらしい。 そりゃ無理だ。腐るわけである。

草系ナッツと言えば、ピーナッツ、ひまわり、かぼちゃ、すいか、というあたりだ。 ひまわりとかぼちゃは生のものがある。もやしにできんか? と思って調べたら、ひまわりは行ける。試そう。

発芽の利点は、保存が効く種に野菜の栄養を持たせることができる、 という点にある。買い物に行かなくて済む野菜ということだ。 大量購入して保存しておけるため、極めて安くて済み、 しかも通販でいい。 払う代償は、手間と場所だ。一日2回くらいは洗わないと腐るし、 ザルを置く場所が必要である。しかし、生野菜として食べる本当のもやしでなく、 ちょっと芽が出た豆として食べるのであれば、栽培期間は短くて済むし、 発芽率が多少悪くても腐る前に終わらせることができる。 場所も手間も軽減できる。 また、もやし状態まで待つと蛋白質がほぼ使い果たされてしまうが、 ちょっと根が出た程度なら蛋白質の量はさほど減っておらず、「柔らかく消化のいい豆」 という程度のものとして食える。

ザル置き場の問題。流しの横に置けるザルは2個が限度だ。 同時には一種類しかやらず、常に何かしら発芽させている状態が望ましいんだろう。 しかしそうなるとタッパーが足りんな。

やはり冷蔵庫のサイズが足りん。買うか。

電車は当たり前にあり、今の社会は電車があること前提で作られている。 これは、電車という技術が当たり前になったということだ。 車も同様だし、電話やテレビも同様に前提の技術だ。 それらが使える時には必ず使われる。 その点コンピュータとネットワークはまだまだ当たり前の技術とは言えない。 コンピュータでいいのにまだテレビや新聞や電話が存在している。 投票も選挙活動もできない。 こういうのが消え去ってコンピュータネットワーク前提の社会が出来上がるまでは、 ITは枯れた技術とは言えないんだろう。 政治や行政、法制度などもそれ前提で作られたものになるのには どれくらいかかるだろうか。 これも世代交代が必要なのだろうな。 旧来型のインフラがあまり整備されてない途上国は いきなりそこをすっ飛ばしてネット時代に突入していくのかもしれない。 そしてすごい勢いで追いぬかれて行ったりするのだろうか。 そうなったら面白い。

移動ってもう革命的に進化しないんだろうか。 エネルギー源が劇的に変化しない限り無理だよなあ。 物をある速度で運ぶのに必要なエネルギーの下限は物理で決まり、どうにもならない。 飛行機はあまり速くすると燃費が悪くなるからエネルギーが アホみたいに安くならない限り 速度は上がらない。 宇宙まで出て空気抵抗をなくそうなんて話もあったが、空気中の酸素を燃料に できなくなるのでよほどエネルギー密度の高い 燃料を積まないと積荷が大半燃料みたいな 状態になる。

民主党は自民党のせいにするのやめたらいいのに。 印象悪くするだけだろう。 せめて国債の発行量が減ってれば説得力もあるだろうに。

ドア留めとく奴を踏んで、足の指に激痛。 これ、骨だなあ。歩けるレベルなので折れたとかじゃないはずだが、痛い。 ビブラムは油断できん。

2012年09月18日

あと5分早く寝ていれば虎鉄に食べに行けたんだがなあ。残念。 まあ大して期待はしてないんだが。

凛は日月と祝日が休みで、夜は21時までと絶望的に無理な店だが、 蒲田にあるインスパイア系では一番まともである。

2012年09月17日

たまに二郎を食いたくなる。土曜の帰りに目黒、 というのが一番妥当だが、ひつじこを待たせるわけにも行かない。 夜中に行く以外にないが、そうすると蒲田の大がせいぜいだ。 虎鉄がどうか確かめておきたいが、オタマが寝たのは 0030で、日曜は0時までなので間に合わなかった。 2時までやっている大なら行けるが、大ごときではなあ。

ドラム式、いい。

2012年09月15日

人間は結果から原因をでっちあげる方のが得意だ。 あるいは、原因から結果を推測するのが凄まじく苦手だ。 どちらでもいいが、そう考えるといろいろなことが腑に落ちる。 そして、この制約をどう利用するかという話になる。 つまるところ、目的を設定してそのための手段を考えるというのは、 仮想的な結果である目的を出発点として、そうなる原因、 つまり手段をひねり出すということだ。 現実の世界の存在という結果から創世神話をでっちあげるのと、 目的を設定してその手段を考えるのは、それほど違わない。 人間が相対的に得意な思考法がそれなのだ。 もし人間がコンピュータのように正確な推論を高速に積み重ねられる ならば、多数の推測を行なって最も良い結果を選び取れば良い。 これはコンピュータがやっていることである。 だが、人間はそれに向いていないため、何かしらの結果をでっちあげて 目標と呼び、それに至る原因を手段と呼んでひねり出すのだ。

コンピュータは極めて正確かつ高速に推論を行うが、 人間は全くそれができない。逆にコンピュータは適当な結果をでっち上げる ことができず、仮に結果があったとしても、そのための原因を 逆算で求めることはできない。そのため、 コンピュータは人間が得意なタイプの解探索でも下手くそなケースが多い。 将棋や囲碁が弱いのは、基本的にはこの根本的な差異があるからだ。

プログラミングは人間が行うことである。 人間が行う以上、人間の脳が得意とする思考の形式で行われねばならない。 だから、プログラミングは結果から原因へと至る方向の思考で 行われる必要がある。プログラムの動作そのものが原因から結果へ至る方法である としても、それに釣られて人間までそれをやろうとすれば非効率すぎて失敗する。 プログラミングをうまくやるためには、人間とコンピュータの分業体勢を うまく作ってやるのがいいということだ。 コンピュータが得意なことを人間がやろうとしてはいけない。 例えば、デバグの際に脳内でロジックを追うようなことは極力避けるべきだ。 それはコンピュータが得意とすることであって、 コンピュータにやらせることを考えるべきである。 「なぜか思ったように動かない」という時に、 コードを真面目に追うのではなく、 「実行結果がこのようになる間違いはこのようなものが考えられる」 「このような間違いが混入していると仮定すれば、 ここにこう手を加えればこのような結果になる」 というような、「結果から原因に至る思考法」を使うべきだ。

というようなことをうまく書く方法を考えている。 今はこれを素直に本に書いてしまっているが、それでは初心者には読まれないだろう。 自然な形で入れたい。

2012年09月14日

DiXiM Digital TV plus。BIOS初期化したら動いた。 しかし、動画の再生が始まるまでにかかる時間が長い。 LANを有線にして変わるか見てみよう。

途中returnがある場合最後の行はreturnでなくてはならない、というルールを追加。 これで「戻り値が不定」というケースをなくせる。 それで混乱してた奴がいたからな。 まあ不定だったのは私のバグなんだが。 もともと0を入れていたのが、命令セットを変えた時にそこの動作を変えたため、 スタック上の不定な値が返されていたわけである。

あとはIDE周りか。デバグ情報について考えよう。

停止ボタンを押すと止まって、その時のコールスタックとローカル変数が 見える、というだけのデバッガを考える。 停止ボタンを押すと実行スレッドがそれを検知して実行を停止する。 その時のマシンの状態をIDEが引っこ抜いて、 デバッグ情報を加味して現状を解析する。 「PC→ソースコード行番号」の変換はインライン展開やテンプレートがなければ一意だ。 ある行が複数命令に分かれるのは珍しくもないが、逆はない。 だから、この対応表を作るための情報がデバッグ情報にあればいい。 コールスタックは、現在のFPから巻き戻していけば得られるから、これもできる。 あとは、関数ごとのローカル変数リストと、そのFP相対アドレスの対応表があれば、 その時点でのローカル変数は全部見られる。 コールスタックはリストボックスに表示し、 選択中のスタックフレームにおけるローカル変数を 横のグリッドビューに表示する。

デバッグ情報側だな問題は。全命令についてどのファイルの何行目から来たかを 覚えておかねばならないが、これはコード生成まで行情報が行っているので そう難しくはない。あとは、関数ごとにPCの範囲とローカル変数情報を入れて、 PC範囲でソートしておけばPCから二分検索で関数が見つけられる。

おおよそわかった。しかし気分のいい日に丸一日、 という感じの仕事だな。面倒くせえ。 そこができてしまえば、ソース行番号指定のブレークポイントは難しくない。 マシン側に指定PCで停止する仕組みをつけ、ソース行からPCに変換するテーブルを どこかに作っておけばいいだけだ。1行は複数の命令になるので、 一番若いPCだけを取り出せばいい。 テンプレートやインライン展開がないならこれだけでうまく行く。 最適化もないわけだし。

正直、デバッガなんてなくても困らないんだけどな。 ちゃんとTDD(テスト駆動開発)すれば こんなクソ環境でも1万行くらいのものは楽に書ける。 TDDは開発環境がクソなほど威力を発揮する。 逆に言えば、開発環境が優れていれば、TDDの旨みは減る。 取るべき手段は状況によって変わるはずなのに、 なぜかあるやり方が絶対的に良いように言われるのが不思議だ。 オブジェクト指向もアジャイルもTDDも、全て適用しておいしい条件がある。 その条件を満たすかどうかのチェックは事前にやれよ。

糖質制限は宗教みたいなもんだと言われている。 さて、「宗教みたいなもんだ」と言う時、それはつまりどういうことなんだろうか。 そう考えてみると、「手段が目的化すること」が根底にあるように思われる。 キリスト教を何かの手段として信仰している人はまずいまい。 手段であるうちは信仰ではないと言えるだろう。 だから、逆に言えば糖質制限が手段であるうちは宗教ではない。 「健康になるための糖質制限」という視点が失われないならば、 糖質制限が健康にとって害になる証拠が上がれば即座に捨てられる。 洗剤を使わない洗濯も、それによる害が利点を上回れば即座に捨てられる。 それらが手段であって目的でないことを定期的に確認していれば、 宗教と言われるような状況にはなりえない。

実のところ物事を否定する時も同じである。否定が目的でなく手段であれば、 否定すべき論拠がなくなれば即座に肯定に転ずる。 糖質制限を否定することが、健康を維持するためなのであれば、 糖質制限が健康につながる証拠が示されれば即座に肯定に転じるはずである。 何かを否定する時は、肯定する時と同様に、それが何のための否定なのかに関して 自覚的でなければならない。 「嫌だから否定する」というのであれば、単に嫌だと言えば良い。 もっともらしい理屈をつければつけるほど、 否定する目的を問われることになる。

もっとも、厄介なのは「否定的な印象を与える疑問文」なのだが。 「これ効果あるの?」という書き方であれば、 「いや、否定なんてしてないよ。疑問だから」 と言い訳し得る。しかし、他人に対しては言い訳できても、 自分に対しては言い訳などできるものではない。 自分が何のためにそういう表現を使ったのかを自分に問いかけてみれば、 ウソはつけないのだ。とりわけ公開の場で何かを否定する時には、 自分が何を目的としてそうしているのかを自問すべきである。

私はプログラミング手法の類にたいてい懐疑的で、そのことを隠さない。 たぶんそっちの人には嫌われていることと思う。 そういう嫌われるようなことをなぜ私が書くのかを、私は考える必要がある。 そうすると自分の汚い精神が良く見えてくるわけだ。 良いとされるものをけなすことでいい気分になろうとしているかもしれないし、 自分にできないことを否定することで自分の無能を覆い隠そうとしているかもしれない。 しかし、それはそれとして、 オブジェクト指向なるものの教え方が間違っているのではないか、 という私の考えを多くの人に伝えたいというのは確実にある。

「手段の目的化」が、ここ数日のキーワードだ。 プログラミングはとりわけこれが起こりやすい。 最初の目的はそのままでは大きすぎて手に負えないので、 よほど小さなプログラムでない限り、何度となく分解と置き換えを繰り返すことになる。 この過程で出てきた小さな目的を達成する手段が、上位の分解前の目的に合致するかの チェックがしばしば忘れられるのだ。分解と置き換えの回数に比例してこの危険は増す。 例えば、「プログラムをわかりやすくする」 という目的があった時に、分かりやすさを量と質の側面に分解したとする。 行数とややこしさに分けるわけだ。 そして、前者の行数を減らすことを小目的として、その手段を考える。 この時、この小目標を達成する最高の手段は、 たぶん「すごくややこしいが短いプログラム」を書くことになるだろう。 なにせ今の目的は「短くする」ことなのだから、短くなれば良い。 しかし、これは上位の「わかりやすくする」という目的を 達成する手段としては合致しない。 だから捨てなくてはならない。だが、これが往々にして忘れられる。

自民党の総裁選は投票できないしどうでもいいなあ。選挙となったら、 その時点でどういう人が総裁になったのかを知るために さかのぼって調べることはあるだろうが。 そして、民主党の代表選はさらにどうでもいい。比例で民主党に入れることはない。 個別にはわからんが。

真面目に考えてない人でも投票した方が国の幸せのためには良いか。 また、「真面目に考えている」とみなせるレベルはどの程度か。 投票率が小さいほど組織票が増えて、 そういうのの意思が反映されやすくなるのは確かだ。 流通量が多い通貨ほど変動が小さい、というのと同じである。 だから、考えなしな投票であっても、それによって薄まるのは悪くない。 その意味では投票率は高い方がいい。しかし、やはり通貨と同じで、 しかし、投票率が高いほど、ロクに考えずに投票する率が上がるため、 イメージ戦略の効果が大きくなる。これはこれで不安定性を高める。 しかも、すぐに損得がはっきりする投資と違って、 政治の損得はそうそう簡単には現れて来ない。フィードバックが弱いので、 さらに無責任になる。寡頭制が民主制に劣るとは言い難い。 民主制が機能するためには、うちら皆がそれなりに政治参加にコストを かけなくてはいけない。そこを日本人はできていない気がする。

賢い人の分散投資。 すごくわかりやすい。

ぷよぷよ及びコラムスは連鎖が発生する。 連鎖そのものはアルゴリズム的にさほど難しくはない。 各マスについて下が空白であれば一つ落とす。というのを再帰的に行えばいいだけだ。 消去判定は次のフレームに持ち越せば良く、消去判定を何度も回す必要はない。 しかし問題がある。落下速度を人間が把握出来る程度に遅くせねばならない。 マス目単位でしか落下しないアルゴリズムにしたとしても、 毎フレーム落下すれば速すぎる。 落下と消去を1フレで片付けると何が起こっているのかわからなくなる。 また、落下済みのマス目に色情報を保存せねばならず、1ビットでいい テトリスに比べればはるかに複雑だ。また、消去のアルゴリズム自体は テトリスとは比較にならないほど複雑になる。 まともな速度で動く消去処理を書くにはそれなりな努力が必要で、 下手に再帰などで書こうものなら壊滅的な速度になるだろう。 Sunabaはちょっと計算量が多い処理を書こうものなら一発で処理落ちするので、 今回は計算速度の話は一切したくない。

プログラム要素の擬人化(≒いわゆるオブジェクト指向)と、速度に関することは、 もし売れれば続編でやりたいネタではあるな。

3マスブロックのテトリスもどきを作ってみた。 斜めにつながっている場合を作ることで、 6種類となる。一応ゲームにならんでもないが、これは激しく苦行。 でもまあ、これでいいならこれで行こう。 ちょっと書き換えれば4マスの本物のテトリスになるから、 それは読者に挑戦課題とすればいい。

なお、斜めつなぎをなしにすると2種類だけになってしまい、全くゲームにならない。 斜め接続ありだと3マスがかろうじてゲームになるので、 これが複雑性から言って限界だろう。

初心者向けの本には葛藤がある。丁寧に書けば書くほど、 それは読者を馬鹿にしていることを意味しかねない、 という葛藤だ。読者が「オレを馬鹿にしてんのかゴルァ!オレは超やる気だぜ!」 と思って怒るかもしれない。 「先人のソースコードや英語のRFCを読んで勉強するのが王道だよキミィ」 みたいなエリートにしか適用できない正論がまかり通る世の中で、 こんなに読者に期待しない本を書くことは危険に過ぎる。 たぶん、猛烈に叩かれる。前の本でも技術を制限したり、 技術用語を極力避けたことに対して 強い批判が出たが、今回はその比ではあるまい。

「わかるように説明しない方が悪い」と言って良いのは教える側だけである。 教わる側がそう言う時、それは99.9%逃避だ。 逆に「努力しないからできるようにならない」と言って良いのは、学ぶ側だけである。 教える側がそう言う時、それは99.9%責任回避である。 しかし、多くの人は立場によって言って良いことが違うことを理解しない。 だから、私がこの本において「教え方が悪いからできるようにならんのだ」 と言うことは、読者がそれを間に受けて「自分ができないのは教え方が悪いからだ」 と開き直る危険をもたらす。 だがもちろんのこと、「勉強を続けてこそプロです。努力しましょう」 などと言ったところで、そんなことは何の役にも立たない。 それができる奴は勝手にそうしている。私ごときに言われるまでもない。

他の国は通貨安にするためにお金を刷りまくっている。 だから日本もやれ、という意見を良く見る。 日本企業が耐えられる為替レートはドル80-85円で、 それ以上高くなるともうアウトだ、という意見もどこかで見た。 金を刷るといっても、具体的なやり方は結構あって、 日銀が株や債権を買いまくって値段を吊り上げつつ金を供給するという すごい手もある。国債を買い取る、どころの騒ぎではない。 市場原理とか、自由競争とか、中央銀行の独立性とか、 そんなことを言っていると、 国家戦略で産業保護をやってる他の国に負けて死ぬのだそうだ。 それが正しいかどうかは私にはよくわからんなあ。

単純に日銀が株を買いまくったとして、何が起こるよ。 株価は上がるな。で、株を持ってた人が金を受け取る。 この金、やっぱり株に使うだろ。経済が活性化する気がしない。 単なるバブルしかもたらさないんじゃないのか。 根本的に、私には金融政策の有効性がわからん。専門家の間でも効くか効かないかで 意見が分かれ、副作用についてもよくわかってない。 問題が構造的でない「たまたま」のものなら効くんだろうとは思うが、 今の日本の状況が構造的でないとは到底思えない。 制度が腐ってるのは確かだろうし、根本的にグローバル化と他国との経済格差がある限り 避けられない大きな流れというものもあり、しかも高齢化に人口減少だ。 金融政策や財政政策にこだわりすぎじゃないのか。

インフレとは、欲しいのに物がなくて買えない状態のことだ。 デフレとは、買う気がないので物が余っている状態のことだ。 インフレを収めるには、物の生産効率を上げればいい。 デフレはどうか。生産能力が過剰なのだから削ればいい。 あるいは、生産性を上げてより安く作れば良い。 この二つは生産側の問題だ。あとは、買う気がないことをどうにかすればよく、 金をバラまくという手段が一番簡単なのでよく使われる。 しかし、バラまいた金が薄く広く回らず一部に滞留していては効果は薄い。 麻生の定額給付金のような反則にも一定の根拠はあるわけだ。 しかし金をバラまくのは所詮応急処置であり、持続可能ではない。 買う気がしないのはなぜか、というところを考えて、そこを解決する必要がある。

買って使う時間がない、という可能性が一つある。 何かで忙しいのが原因であり、これは生産の時間効率を上げる、 つまり労働効率を上げて時間を削れば軽減できるかもしれない。 あとは、買う金がないという可能性がある。 しかし高度成長期は今よりずっと貧乏だったわけで、金の絶対量は問題ではないはずだ。 次に、欲しいものがないという可能性がある。 最大の問題はこれじゃないのかと私は思うんだが、どうなんだろう。 家とか車とか、今更ダサいだろ。技術の進歩や、都市の利便性の向上によって、 家や車の重要性は下がってきている。 コンピュータなんて5万円で十分なものが買えるし、最近はそれでも高い。 国内海外問わず旅行の魅力は薄れている。 食費なんて微々たるものだし、そこは成長産業ではない。 高いものを見せびらかす競争をするのがバカバカしくなったのだとすれば、 本質的に必要でないものに金を払うこと自体の魅力がなくなったのではないのか。 しかし、昔よりずっと金を使っている分野は確かにあって、 携帯電話その他の通信費はかなりの額になっている。 価値を感じれば人は金を使うのだ。本当に余裕がないと言っている人でも、 携帯電話を持っていないことは稀だし、テレビがないことも滅多にない。

このデフレはすごく幸せなデフレなんだと思うんだよな。 そりゃ会社は潰れるし職にありつけない人もたくさんいるので大変なわけだが、 それでも生存可能ラインよりはかなり上の生活ができている。 技術革新と、過去に溜め込んだ資産がそれを可能にしている。

商売をする上で、「何を必要としているのか」「何があったら役に立つのか」 「何をして楽しみたいのか」というあたりを考えないといけない。 生活必需品がそのまま見せびらかすのに役だって楽しみにもなった時代は もう終わった。冷蔵庫や洗濯機になんぼ金を使ったとしても、 それは単に必要だったり役に立ったりするからで、楽しむためではない。 だから払える金も自然と低くなる。 25万のドラム式洗濯機が飛ぶように売れることはないし、 ましてスマフォで操作できる洗濯機が売れるとも思えない。 すでに「必要」は満たされている。他を当たるべきだ。

何があったら役に立つのか、ということに関してはまだまだ余地がある。 例えばうちで言えば、「栄養と価格と味で折り合いがつきつつ 料理の手間を激減させる何か」 があれば金を払うだろう。今のところ自炊だが、手間が馬鹿にならないのは事実である。 相当に削減しているとはいえ、減らせるものなら減らしたい。 ただ、栄養と味と価格の制約から、これ以上削る手段がみつからないだけだ。

洗濯についてはドラム式が革命的に改善してくれた。 今ならわかるが、買う前にはこれほどの改善が行われることはわからなかった。 その冒険に13万は出せない人は多いだろう。 縦型の乾燥つきでも乾きさえすれば問題ない気もするが、 やはり理想は5万でドラム式が買えることである気はする。 時間と電気代と使用水量を犠牲にした安物のドラム式って作れないんだろうか。 独身男性にとっては電気代も水代も大した問題ではないぞ。 それで何年も過ごした後結婚したとすれば、 ドラム式以外の選択はないはずで、自然と高いやつを買うだろう。 そのためにも、独り者用の小型で安いドラム式を作ることは 重要な気がする。

とりあえずスペースインベーダー的な何かは作っておこう。 案外簡単に書けるのかもしれんし。

代入演算子が今は<-なわけだが、 これだと不等号の隣に右辺値のマイナスがくっついた時に 誤認識してしまう。演算子とオペランドを離さねばならない、 というルールをつけるのは 何か負けた気分だ。->を使えば問題ないが、Cをやってる人にとっては メンバ参照演算子なので気持ち悪いという欠点がある。 だが、:=とか意味がわからないし、=だと等号で意味を取り違えるのでもっと悪い。 <-だと「右辺を左辺に入れます」的に読めるし、 ->だと「左辺の値が右辺になります」と読める。 どちらでも意味は捉えやすい。 ->に変えるかなあ。しかしそうするといつか構造体を作った時に、 ポインタ経由でメンバ参照するのに->が使えなくなる。 あーでもいいか。p[0].memberと書いてもらえば。 同じことするのに二つ以上書き方が存在する必要はないからな。 なにせ最初の100時間を過ごすための言語で、それ以上は守備範囲外なのだ。

石原の息子がどんな人か良く知らなかったのが、なんかがっかりな感じだ。 失言の多さが半端なく、しかもショボイ。

2012年09月13日

テトリス並に簡単に書けて、ゲームとして一応成立していて、 リアルタイム性があり、ステージデータを必要とせず、 改良して自分の独自性を加える出発点になる、 そんな素敵なゲームはないか。 しかし、ゲームデザインにどの程度の知的財産権があるか、 なんてことを考え始めると、 多少自力でゲームを作ったとしてもそれがグレーで ある可能性について考えざるを得なくなり、極めて面倒くさい。

テトリスは単純すぎていじる余地がない。 複雑化させずに別物にするのは相当に難しい。 単純化して3マスにするなどの小細工は可能だが、 「どこまで違えば別物と言い張れるか」 に関して確証が得られない状態だと何もかもが厄介だ。

先に既知のバグを直しておくか。 定数同士の演算をコンパイル時にやってしまっているのだが、これがバグっている。 「n/2*2」みたいなのがあった時に「n/4」になってしまうバグだ。 致命傷すぎる。事前に計算していい条件をはっきりさせないといけない。 まず、「全て定数なら事前計算していい」は正しい。 しかし、「2+3+b」みたいな式は「5+b」にしたい。 とすると、左から評価していって、定数しかない間は計算する、となる。 でもこれだと「a+4+6」を「a+10」にできないんだよな。でもまあいいか。 それをできるようにしようと思うと演算子の中身を見て分岐させないといけなくなる。

行には、if開始行、while開始行、代入行、return行、 関数呼び出し行、のいずれかしかない。 関数呼び出しをするがその戻り値を何にも代入しない場合、関数呼び出し行となる。 で、このパースがバグっていて、 その後にゴミがついていてもエラー判定にならないケースがあった。 修正。

変数定義が有効になるのが「変数定義のある行」なのが問題。 初出で「n <- n +1」 とか書けてしまう。nの「定義されたフラグ」 を立てるタイミングが左辺を処理した後だったのが問題。 しかし、直すのがちょっと面倒くさい。 定義済みなら初期化していなくても書けはするからな。 書けるが読めないという状態が必要で、フラグがもう一ついる。修正。

memoryは現状予約語として扱っている。しかし、前もってmemory及びメモリという 値0の定数を自動で登録すれば同じことになる気がする。 Cと違って定数でも配列アクセスできるからな。 これでだいぶパーサとコード生成が短くなった。

関数定義が前になくても有効になっている。これはこれで必ずしも悪いとは言えないが、 どうしよう。 文法から言って、いきなりf()と書いた場合、fが関数であることはその瞬間に確定する。 括弧がついている識別子は関数名以外ではありえない。 1パスでコンパイルせねばならない理由もなく、実際複数パスで実装しているので、 コンパイラの都合上は前にある必要はない。 さて、定義が前にないといけないようにすることにメリットはあるか。 利便性は下がる。安全性が上がるだろうか。上がる気がしない。 ということは、後ろでもいいということにならないか。 C/C++も定義や宣言が前にあっても後ろにあっても気にしない作りにしたら だいぶ楽になるんじゃないのか。定義や宣言の上書きはできず、 同名のクラスや関数は複数存在し得ないのだから、前にある必要ないだろ。 マクロの場合消して上書きできるから駄目だが。

あー関数のフリをしたマクロと関数で挙動変わるのが面倒なのかもなあ。 マクロはundefできるから、後ろでもいいようにしようと思うと undefという機能をつぶさないといけない。 C++なら関数のフリをしたマクロなんてassertくらいしか使わないし、 undefなんてwindowsとかがひどいマクロを定義していない限り使わないから、 それでもいい気はするんだが。

WiiU。メモリ1GBかー。システムに1GB食わせておくのは贅沢な作りだが、 1GBフルに使えるなら十分すぎるだろう。 半分くらいはファイルキャッシュ領域及びメモリリークや断片化を取りきれない場合の 安全バッファとして使うのが良さそう。 今までの感覚で「やったー倍ロードできるぞー」とか言って作ったら ロードが長いクソゲーができること必至。

平均40Wか。並のノートPCよりでかいわけだが、 これ以上消費電力を下げると携帯型とキャラがかぶってしまう。 携帯型に対して十分に優位に立てる性能でありながら、 邪魔にならず静かな筐体、というバランスを取るとこのへんになるんだろう。 さすがに携帯機器が追いつくには短く見積もっても5年、 たぶん10年はかかるだろうからな。 メモリがチップの中に入って帯域がすごいことになれば 話が変わるかもしれんが、 今まだ製品がないようなものが大量に安く出荷されるまでには 相当な時間がかかるだろう。 なんだかんだ言って技術が研究段階から普及段階に 入るまでの時間は大して縮んでない印象がある。

税抜2.5万かー。出せる額だが、問題は時間がないことだ。 この問題が解決しない限りゲームどころか全ての娯楽が無理ということになる。 現状アニメを見る時間すら全くない。かろうじて電車移動中に読書できる程度だ。

NANDがもっといい何かに置き換わり、メモリがCPUの上に積層されるのが 当たり前になって帯域がすごいことになり、SRAMとDRAMが不揮発の何かに置き換わる。 とここまで行けば全然違う世界のコンピュータになれるのかもしれない。 でも20年は先か。

ipod touchの新しいの買ったら生活改善になるかなあ。 1136x640と、長い方が960から176画素増えている。 面積比は1.18倍。しかし、処理速度に不満ないし、 電池の持ちが悪化してたら嫌だし、様子見だろう。

正社員の待遇を非正規と同じところまで落とせば格差なんて消えるだろう。 と思ったが、正社員という法的存在はないらしい。 単に会社と個人が「正社員」と言われるような感じの契約をしているだけだ。 なのだが、厄介なことにとある裁判の結果、正社員を圧倒的に利するようなルールが できてしまっている。 「契約期間を決めて雇っている人間を全員切り、 新規採用をゼロにするくらいのところまでやらない限り、正社員は切れない」 という謎のルールだ。このルールのせいで、比較的裕福な年寄りが温存され、 職にありつけない若者が増え、雇用が不安定な人が増えることになっている。 このルールは厄介なことに明文化されていない。 過去の裁判でできた「空気」みたいなものである。 これをどうにかするには、「こういう時は解雇していい」 というルールを法律として作って上書きしてしまうしかない。 労働組合みたいなのが元気だった頃にできた判例なんだろうが、 状況が違いすぎる。

こういうの見てると橋下氏に入れたくなるな。 こういう叩き方をする人の敵なのであれば、私の敵ではあるまい。そう思える。 維新の綱領は「頑張らない奴は死ぬ」と書いてあるようなものである。 頑張る覚悟がある人だけが入れる政党だろう。 私は頑張らないといけないと思っているがイマイチ頑張りきれないので、 頑張らないと死ぬ社会にしてもらえば強制的に頑張れて楽である。 その意味では入れてもいい。 ただ、実際に入れるかどうかは具体案が出てからだし、 仮に比例では入れたとしても、小選挙区で入れるかどうかは候補がどういう人かによる。 あと、過去の橋下氏の発言はおおよそ見ておかないと行けない。

こういうの見てると安倍氏を応援したくなるな。 こういう叩き方をする人の敵なのであれば、私の敵ではあるまい。そう思える。 blogos見てると、こういうはじめ方で文章を書けそうなネタが満載で、正直疲れた。 ロクに選別せずそのまま載せるコンセプトは長所もあるが、欠点もある。 品性を欠く発言が多すぎる。 同じ内容でももうちょっとまともに書けるだろう。 せめて、本名を明らかにした人間しか書けないようにはできんだろうか。 確かに時代が時代だし、 twitterやfacebookにくっついているだけで 十分に無責任な書き込みを防ぐ抑止力になると いう考え方はありうる。 匿名でもコテハンがあるだけで自分の評判には気を使うだろうからな。 しかし、それでもこのザマだ。

でも本名だけだときっと過疎るんだろうな。 やっぱりアゴラくらいでいいかもしれない。あれくらいの規模で選別されてて、 facebookアカウントがないとコメントをつけられない、 というのはかなりの抑止力になる。ただアゴラは偏っている。基本右派しかいない。 blogosは公明党とか共産党が書き込んでたりして左派の意見が聞けるのが面白いのだ。 良質な左派の記事もバランス良く載るようなアゴラがあればいいのに。 もっともblogosで良質な左派の記事を見た覚えはないのだが。

blogos編集部のツイートが邪魔。変な感想とか書かなくていい。 記事の新着だけ自動ツイートしててくれればそれでいいのだが。

赤旗って本当にあのノリなんだ。 赤旗の記事がblogosに出てて、読んだら本当にあのノリだった。 企業に社会的責任を求めるのやめようぜ。企業は儲けたいだけの存在でいいじゃん。 儲ける過程で、その分野において社会貢献するが、企業にとって社会貢献は目的でなく 手段であってもかまわない。そうでしかありえないのだから。 悪いことをする企業が出ることもあるだろうが、それなら皆で叩いて潰せばいい。 企業は叩かれて潰れないように悪いことは控えればいい。それでいいじゃないか。 雇用創出とか、地域活性化とか、そういうのは企業の役割じゃない。 企業は企業の都合で経済上の都合で土地を買い、ビルを建て、人を雇い、 そして、人をクビにしたり、工場を移したりしたりする。 それでいいじゃないか。 みんなそういうものだと思って生きていけばいい。 もちろん今すぐは到底無理だが、そういう方向を目指すことに間違いはないだろう。 企業に社会的責任を求めれば、それは企業に権力を持たせることになる。 出ていかれて困るような状況に地域があるから、 企業が居丈高になって搾取を始めるのだ。 「都合が悪くなったら出ていけばいいよ。勝手にすれば?」と 地域が言えるくらいの状況であれば、企業はそう無茶なことはできず、 企業城下町みたいな状況にはなりにくいだろう。

会社は常に「おまえがいなくなっても困らない」と言い、 逆に社員は「会社がなくなっても困らない」と言う。 そんな緊張感がいい。少数のできる社員に依存するのは、 マネジメントが足りないせいだ。 組織で仕事をする体勢になっておらず、たまたまいる個人に頼っている。 会社に依存している個人は会社が潰れれば即死するし、 そんな個人がたくさんいる会社は脆弱である。何もいいことがない。 お互い「お前なんてなくなったってそんなに困らないよ。 でも今はお互い利用価値があるから一緒にやるか。」 と言うスタンスでいる方が会社も社員も幸せになるし、 結果的に安定して長い期間協力関係を維持できるだろう。

葉隠ではないが、毎朝「今日クビになったら」 と考えるのが習慣になるくらいがいいんだろうな。 最近は結構そういうことを考える。「今日クビになったらまず何をするか」 を毎日考えるのはかなりいい。

ThinkPadX230はスキップしたわけだが、201sのバッテリー駆動時間は正直つらい。

戻り値がない関数の戻り値を何かに使おうとした場合はコンパイルエラーを 吐くようにしよう。現状returnがなければ0を返す仕様だ。 これで詰まってる人が結構いた。 そのためには、関数が戻り値を持つかどうかを知らないといけない。

案外簡単にできた。戻り値を使わない関数呼び出しは、 関数呼び出ししかない行以外にありえない。 関数とプロシージャを分けたくなるのもわかるな。 あと、returnがある関数はreturnなしで終われないようにしないと。 これが面倒くさい。

あとはmainからもreturnできるようにするか。戻り値は終了後に表示しよう。 これでデバグしやすくなる。で、これはあっさりできた。 あらゆるプログラムは最初にmainの戻り値領域をpopするので、 終了後にスタックの開始番地を読めばそれが戻り値になる。

DiXiM Digital TV plusの会社からレス。著作権関係らしい。 だったらエラーメッセージにサーバとか書くなよと言いたいが。 DRM情報は消しようもなかったので、あとは機械の構成くらいしか疑うものがない。 どうもBIOSの設定項目も見ているらしく、思い当たる節がある。 HT無効化したんだった。発熱がえぐいので。 とりあえず出荷時の設定に戻すか。それで動く気がしてきたぞ。

あと構造体を足せないかな。 プログラムの形を人間の思考の形に近づける最大の道具は関数で、 次が変数だ。人間は名前で考える。 関数は手続きに名前をつける。変数はデータに名前をつける。 そして、構造体はデータの固まりに名前をつける。 構造体をC++のように名前空間の一種として扱い、 そこに関数を所属させることができれば、 データの固まりと手続きをセットにした何かに名前を付けられる。 ここまで来ればおおよそ現代のプログラミング手法の根本を それほどストレスのない形で実現できる。 しかし、文法の拡張度合いが激しい。 配列とインデクスを表す定数でだいたい似たことはできるんだよな。 構造体はそれを自動化するだけの仕組みなわけで、根本とは言い難い。

関数がない言語は「面倒くさいけど書ける」という 範囲をはるかに逸脱したクソ言語になる。 たぶん100行書くだけで頭が爆発する。 #includeを関数の代わりに使うような最悪のテクニックが 横行することになるだろう。 コードサイズの問題からマシンレベルで関数コールをサポートしている以上、 それを使う文法は必須だ。次に、変数がない言語を考えると、 全く不可能というわけではないが、 これも泣きたくなるほどのクソ言語になる。 何番のメモリを何に使うか全部決める羽目になり、 これも凄まじい苦行だ。 しかし、構造体がない言語はそれほどの苦痛とは言い難い。 確かに2000行を超えてくると泣きたくなるが、 2000行までならさほどでもない。 クラスやらメソッドに近いことがしたくなっても、 多少の工夫をすることでおおよそ同じことができる。 今回相手にする読者はたぶん最長でも2000行を超えられない。 1000行を安定して書けるようになった段階で他の言語に行くべきだし、 行っているだろう。 そう考えると、構造体があってもまず使われない。 やっぱいらないか。関数ポインタも簡単に足せはするものの、 今年の授業ではそれを使いこなせるレベルは一人しかいなかった。 ああいう学生は本来こんな言語で遊ぶ必要はないわけで、彼は客ではない。 関数ポインタもやはりいらん。

ポインタの実体参照演算子もいらんよなあ。*aと書けなくてもa[0]と書けるんだし。 あとは論理演算子もいらん。短絡しないから普通の演算子で代用してもかまわない。

2012年09月12日

娯楽は社会から嫌われない物である必要があると思う。 それなりし文化だとか言って開き直ってもロクなことにならない。 パチンコは完全に賭博場と化しており、民間賭博が違法である以上 真っ黒である。法を変えるか、換金をやめるかどちらかだろう。 しかし、放っておけば衰退するわけで、特に手を打たなくても かまわないとも言えるのだが。

市場規模は20兆円程度だが、パチンコの場合売上のかなりの部分が即座に客に戻るため、 それを差し引くと20%程度が正味の売上規模だと言う。4兆円。 これでもデカい。ゲーム産業の8倍とかだ。 ここ10年で2/3になったが、まだまだでかい。

英語教育を早めた方がいいか。何も失わないなら早い方がいい。 しかし、失われるものは絶対にゼロではない。 それに、多少早めたところで効果が上がるかと言えば、それは疑問だ。 というよりも、効果が上がらないと私は確信している。 根本的に中学高校の6年もやっていてできないのは、 コストのかけ方が足りないからではなく、教え方が間違っているからだろう。 間違った教え方を5年延長しようが10年延長しようが、効果は薄い。 普通、効果が上がらなければ、やり方がまずいか、そもそも無理であることを疑う。 しかしなぜか行政のような予算で動く組織は努力が足りないからだと考える。 6年間も費やしてロクに喋れず読めも書けもしない状況で それ以上コストを突っ込んでも無駄だろう。 他の条件を一定にして「何々をした方がいいか」と問いかけるのはやめてくれ。 それは詐欺だ。必ず何かが犠牲になる。それを示さないのは詐欺だし、 そこに気づかず騙されるのも詐欺の片棒を担ぐことになる。 詐欺の被害者は純粋な被害者ではない。

少量づついろんなものを食べるのがいいと言うが、本当なのか。 牛は草ばかり食べている。ライオンは肉ばかり食べている。 おおよその生き物には主食があり、他のものを食べることがあるにしても、 それはたまにだ。人間の生物学上の主食は何なのか。 そしてもう一つ。同時に胃に複数種類のものを入れるのは良いのか悪いのか。 例えば朝に肉を食い、昼に野菜を食い、夜に果物を食べる、 というような生活は体にいいのか悪いのか。 胃の消化能力は多種類が混合していることで上がるのか、落ちるのか、変わらないのか。

肉だけ食うことが悪いとは思えないんだよな。肉と大量の澱粉を一緒に食うことで 肉の消化が妨げられているのではないのか。 本当なら胃でおおよそ終わる工程が腸まで持ち越されてしまうのではないのか。 食物繊維は重要と言うが、それも本当なのか。 ライオンは便秘しないだろ。胃の中身を食べているというのは本当か? 本当にゲロを食うのか?

DiXiM Digital TV plusが動かない件。 解決策としては、再インストール、DRM情報削除、 GPUドライバ更新、の三つが見つかるので、 順に試そう。といっても再インストールはすでにやった。 C:\ProgramData\Microsoft\Windows\DRMの 中身を全部消せばいいらしい。それ、やっていいのか? まあそのうちSSD化すればOSごと再インストールするのだし、 多少の危険は冒してもかまうまい。 あとは最新のドライバがあってもWindowsUpdateでみつかるとは限らないらしいので、 lenovoに取りに行く。

GPUドライバ更新したが駄目。DRM情報は空だったので消せない。 とりあえずいろんなメーカーが作ってる 著作権保護機能チェッカーを走らせて異常が出ないか調べよう。 あとは、一旦USBに刺さったものを全部抜いた状態で再インストールしてみよう。 それで駄目ならサポート待ちか。

糖質制限が流行ってきている。 ある程度真面目にやろうと思うと澱粉系の豆や果物を削らねばならないが、 どうなんだろうなあ。アトキンスを厳密にやりすぎて 体調崩した奴はいっぱいいそうだが。 「人間は野菜なんて食べなくても大丈夫」ということになれば 一気に気が楽になるわけだが、さすがにそうは行かないだろう。 穀物と砂糖と芋を避ける、という程度でいいんじゃないのか。 豆は重要で、澱粉系だからといって排除していては食べるものがなくなる。 ただし、豆類は発芽させて食べることで野菜度を増すべきではある。

穀物は糖質の量の割に蛋白質の量が少ないが、果物はもっと少ない。 蛋白質と脂肪以外の微量栄養素の問題があるので食べ物は分散したいが、 意味がない分散はしたくない。 レーズンとナツメヤシは在庫がなくなったらもう買わないだろう。 あーでもオタマがヨーグルトに入れる分は別枠か。 とりあえず明日残っているレーズンのうち一袋を会社に持って行っておやつにする。 グリーンレーズンが古くなって色がおかしくなってたし、あれからだな。

私の本の感想は検索すれば出てくる。それがtwitterやブログである場合、 私はそれに直接レスできる。 私が何か感想を書いた時に作者がレスしてきたら驚くだろうと考えれば、 そういうマネをしていいかどうかは何とも言えない。 しかし、生身でああだこうだしている状態とちがい、 web上に書けば作者が見る可能性はあり、また、レスする可能性もあるのだ。 そういう時代になったということであり、 そういう時代になる前の感覚を持ちこむことが妥当とも限らない。 というわけで、著者がレスするのはいいか悪いかはよくわからん。 でも私はやってしまったし、たぶんこれからもする。

2012年09月11日

節約で財政再建するには、 使った金の分だけ税収が増えないような使い方を減らす必要がある。 1円減らして、1円税収が減るような節約は意味がなく、 1円減らして1円以上税収が減るような節約は有害だ。 税収が40兆円で予算が100兆ということは、 減らしても税収が全く減らないような節約を60兆円分しろということになる。 純粋な節約路線が辛いのはこういうことだ。 逆に1円増やして税収が2円増えるような使い方を新たにすればいい、 という考え方もできる。これが成長路線と言われている奴だ。 例えば教育やインフラ整備はうまくやればそういう効果を及ぼすはずで、 これは軽視できることではない。 ただ、すでに先進国であるということは、 そういう投資をする余地はそれほどないということだ。 やり方の方が問題で投入する額はそんなに問題ではない。 教育がいい例である。

結局のところ、増税と節約だろう。1円取って税収が1円減らなければ増税の効果はある。 1円削って税収が1円減らなければ節約の効果はある。 私は削る方を優先してほしいが。 変な補助金とかはまっさきにやめてほしい。 はやぶさに国が金をつっこむべきかどうかはよく考えた方がいいと思うがなあ。

blogosというサイトがあって、いろんな意見が出てくるのが面白い。 twitterでフォローしておくと流れてくるので便利だ。 自分からサイトを見に行くのは面倒なので、 基本農家とかニュースとかはtwitterでフォローしておくようにしよう。 しかし、どうでもいいニュースの比率が高いサイトを フォローするとタイムラインがゴミで埋まる。 本当、twitterでフォローして耐えられるのは15かそこらだな。 これ以上になると「たまたま見た時に視界に入ったツイート以外は見ない」 みたいなルールを作らないと時間を無駄にしすぎる。

消費税を地方税化するとか言ってる人がいるが、 ダウンロード販売や通販はどうするんだろうか。 売る側から貰う場合、会社の登録上の住所次第になって面倒だ。 買う側から貰う場合、売った側が買った人間の住所ごとに複数の自治体に納税するか、 買った人間が自己申告することになる。 地方分権とか言うが、地理的な制約を受けないものが増えてくれば 成立させるのはどんどん難しくなる。 そのへん一体どうする気なんだ。

何度か書いたが、放射線の安全基準値が10倍だったら原発事故なんて大した問題には ならなかったんだろう。 そういうことを池田信夫という人がテレビで言って大炎上しているらしいが、 そのこと自体は賛成できる。 ただ、こうなった後でそれを言っても、炎上するだけでどうにもならんだろう。 本人も炎上覚悟で言ってたみたいだが。 石破氏も原発は必要だという立場で語ってて、これも理屈の上では賛成だが、 やっぱり叩かれるのは避けられない。怖いのはどうにもならんのである。 しかし、みんなが怖がってるのを利用して、 脱原発とかいって票を集めようとしている人は信頼できないし、 政治家本人が本当に放射線を怖がってるようならなおさら駄目だ。

小泉政権って何か問題あったのか?なんか失敗したみたいに言われてるが、 その論拠が良くわからん。 格差が広がったのは、グローバル化の進展で賃金の 下落圧力がかかってる中で正社員の立場を温存した ままだったからで、それは改革の方向が間違っていたからではなく、 改革が不足だったからだろう。 グローバル化から日本を隔離すれば良かったとでも言うのだろうか。 また、あの時期は財政が多少は改善していたはずで、 それが悪いことだったとは思えない。 ハゲタカの手下という評価は良く聞くが、ハゲタカが儲けられるのは 歪みがあるからだ。それはそれまでの日本が歪みを積み重ねてきたからで、 それを解放する引き金を引いたからといって責められるほどのことだろうか。 規制とか補助金とか文化的社会的な障壁とか、 そういう歪み要因を少しでも削る方向に持っていったのは 正しいんじゃないのか。

CDSおもろい。 これは、「借金を貸して返してもらえなかった時に別の人から 保険金をもらうためにいくら保険料を払うか」 を表していて、70点といえば年率0.7%だ。 1万円貸した人が、返してもらえなかった時に備えて保険を掛ける場合、 1年あたり70円払う、ということである。 一年以内に100%返してもらえない状況に陥ると思っていれば、 1万円ギリギリまで保険料を払っても得をする。 例えば9999円払っても1万円もらえるのだから得をする。 なので、実質、CDSの値は「1年以内に借り手が破産する確率」を表していると言える。 日本国債が今70点くらいで、だいぶ低い。 しかし、安心できるわけではない。何年か前はもっと低かったし、 今年一番高い時は150くらいあった。 じわじわと「日本ヤベエ」と思っている人が増えているということだ。 それに、2008年のギリシャのCDSは50点くらいだった。 しかし、今年の3月には26000点で 「破綻確率260%」という意味のわからない数字になった。 今低くても5年後に大丈夫かはわからない。 高橋洋一という人は「CDSが低い。だから破綻しない。論破完了」 みたいな感じでだいぶ感じが悪いのだが、 その理屈がどれくらい正しいのかよくわからない。

それにしても、国の場合お金を刷って借金を返すという荒業がある。 これは返すうちに入るのだろうか。CDSが支払われる条件ってどうなってるんだろう。 あと、CDSの値段ってどこでどう決まるんだろう。 そのへんまだわかってない。

CDSって売り買いできる商品なんだな。ただの保険契約じゃなくて。 普通の人間には手に負えない複雑性を生み出す原因にならないか? この金融商品は存在していいのか? 証券化マジックが過ぎないか?

リーマンの時とかに起こったことを調べれば調べるほど、 「リスクをコントロールするには限度がある」ということがよくわかる。 株と債権をバランス良く持てば大丈夫とか言っても、両方落ちることは珍しくない。 例えば外国の株と債権を持っている場合、為替レートの変化に対しては一緒に動く。 また、世界中のものをバラバラに買えばいいと言うが、 これすら世界的に不景気になれば一緒に落ちる。 金を持てばいいとも言うが、これとて人の気分次第で意味不明な値動きをするものだ。 「持っている金はゼロになりうる」という覚悟を持つことほど大切なことはない。 銀行のシステムが狂うかもしれないし、犯罪で奪われるかもしれないし、 いきなりすごい病気になって全部使い果たすかもしれないのである。 私が外貨シフトをしているのは、確率を上げる作業でしかない。 結局は「金を稼げる人間であり続けること」と 「少ない金で幸せに生きられる人間であり続けること」 の二つが最高の防衛手段だ。

複雑な金融工学を駆使するとゼロ以下にもなる。 売りから始めたり、デリバティブは個人には過ぎた道具だろう。

電車のピークシフト。 こういう、価格で調整すればいいじゃん的な思想は、 経済学の教科書を1冊読めば当たり前のように出てくるのだが、 なぜか世間的には受け入れられていない。なぜだ? よく見ればそういうものは多くて、深夜の電気料金とか、 飯屋が昼夜で値段が違ったりとか、 いっぱいある。 とりあえず電気代はもっとダイナミックに時間によって変えた方がいいと思うのだが。 いっそその時の需要で刻一刻と変化するくらいのことはしてもいいんじゃなかろうか。 予測可能であることが重要な人に対してはそういう料金プランを別に用意すればいい。 電車賃もできるんだろうが、切符が絶滅しないと難しそうだ。 切符で時間帯によって違う金を取るなら、今の料金別のボタンを押して切符を買うシステムを改めないといけなくなる。 結構大変なんじゃなかろうか。 しかし、それで混んでる時間と空いてる時間を平滑化できれば、 電車会社的にもコストダウンができるはずで、それが割にあうならそのうちそうなるのかもしれない。

4章を2章に分割。前半は繰り返しの応用編。後半は関数の導入。関数はあまりにデカい要素なので、独立して扱いたい。

ピーナッツ10kgと、レンズ豆3kg。それに3種類ほど豆を1kgづつ買ってみた。キロ500円から700円で安い。 澱粉系の豆だからといって避けていては 食材の多様性を確保できないし、澱粉系の豆はスープ料理を作る上でも欠かせない。 とりあえずは、発芽させてから蒸して食べてみよう。大豆と違って30分も蒸せば食えるはず。15分でも行けたはずだが、 オタマが食える硬さが望ましいから、多少蒸し過ぎになってもやむを得ない。 そういえば小豆もそれで食えるはずだし、試しておくか。 ただ、小豆は苦味が強いのが厄介である。海外では苦い豆と認識されているとwikipediaに書かれていた。 そりゃアク抜きせずにスープに放り込めば苦いよなあ。

2012年09月10日

今日の朝は洗濯しなくていいぞー。すげー。

布団を買った。これが届けば、布団干しから解放される。 あと、安物の掛布団カバーがガサガサうるさいので、高級品を注文。 スザキーズはおすすめ。

散髪ばさみを買った。うちで鉄は無理。ステンレスのまともなものを買うべきだ。 2本セット11000円。安くはないが、モノがまともなのであれば高くはない。 これだけ評価がついていればいいだろう。

排卵検査薬を2周期分追加注文。

子供は大人の趣味かもしれんなあ。

プリキュアの報道は妥当。 何かおかしいと思って考えたが、完全におかしいわけでもないという結論。 元々報道した連中はたぶん何も考えてなかったので、 その意図に関しては特に考えないとして、 単純に「ある犯罪者がどういう趣味だったかを書くことはいいか悪いか」 と考えると、いいという理由もあれば、悪いという理由もある。

アニメ好きとペドの相関があるかは、調べない限りは明らかにはならない。 この記事を書いた人はあると言い切っていて、その判断はそんなに おかしくないと思うが、それを言い切っていいかどうかはまた別の問題だ。 あと、倫理云々は無視してデータとして見れば、役に立たないわけではない。 「犯罪者がどういう趣味だったか」というデータをたくさん集めれば、 「こういう趣味の人は犯罪率が高い」という相関は得られる。 因果関係じゃなくて相関だ。 「アメリカで夜中出歩いたら殺された」、という事例は、たくさん集まれば 「アメリカで夜中歩く」と「殺される」の間の相関データになる。 趣味の自由は守られるべきだ、 みたいな思想を無視して、単純にデータが欲しい人にとっては、 なんであれデータはデータだ。アメリカで夜中歩いたからといって殺されるとは 限らない、といくら言ってみたところで、確率が高いなら避けたくなるものである。 夜中歩きたい人を貶めるのか、とか、夜中歩く自由を奪うのか、 とか言ってみても意味がない。 アニオタが危険人物である率が高いというなら、個別に見る手間をかけずに 丸ごと回避するのはそれほどおかしなことではない。 外見だけみて近づかないようにするなんてみんな当たり前にやってることだ。

倫理的には悪とみなされるかもしれんが、役に立たないとも言い切れない、 という感じで、有用性と倫理を天秤にかけて決めるんだろう。 「アメリカで夜歩いたら殺されました」と報道していいかどうかと 構図は同じだ。ただ、有用性と倫理の比重が違うだけのことだと思う。 それはそれとして、元々の記事を書いた奴はなんとなく書いただけだろうが。

あと最低35年は金を稼がねばならないという前提に立つ時、 どういうふうに生きていくかは考えねばならない。 定年まで働けたとしても不足なわけだから、職が変わることは大前提となる。 こう考えた時、自分を露出させることは絶対に必要なことになる。 それも、専門性によって高いレベルの仕事をして、それを発表するのが一番いい。 いい製品を作る、という事はその基本になるのだが、 製品は一人で作るわけではないから「この人がやった」という見られ方はしにくいし、 忘れ去られやすくもある。別の手段も用意した方が確実ではある。 そう考えると、私の場合は本を書くというのが一番合理的な手段であるように思える。 ブログやtwitterはその補助として便利だし効果的だ。 また、人とたくさん交流することも重要だろうが、 これは苦手なのであまりそこにエネルギーを突っ込む気はしない。 昨日改めて思ったが、私は4人以下じゃないとまともに会話ができない。 耳の性能的にも性格的にも、たくさんの人がひしめいて移動も自由みたいな状況で 会話をするのは不可能だ。10人で飲み屋、とかいうのですら辛い。 行かないよりは行った方がいいと思うのでCEDECの宴会なんかにも行くが、 結構大変である。 人が話してるところに割り込むスキルがないと無理だし、 適当な世間話から徐々に間合いを詰めていくみたいなスキルも全くない。 私は双方向通信よりも独り言の方が向いている。 独り言メディアにより多くの労力を費やす方が合理的なはずだ。

でも単純に、本を書くのが一番社会に貢献できると思う。 プログラムを書ける奴はほかにもいて、私なんて二流だ。 しかし、プログラムの説明をするならもう少し上へ行ける。 市販の本を読んでいてわかりやすいと思ったことがほとんどないが、 それは単に自分が馬鹿なわけではなく、やっぱり書く側の問題なんじゃないかと 最近思う。読者が何を知りたいか、どういう理由で読んでいるか、 何を知っているか、何をわかっているか、みたいなことを考えているとは 思えない本が多すぎる。そりゃ何を書きたいかも重要で、 それを捨ててかかればつまらん本ができるわけだが、 それだけじゃダメだろ。

金を貯めこんで将来のリスクに備える考え方もあるが、 貯めた金は大した安全装置にはならない。 資産の価値なんて経済的な変化でいかようにでも変わる。 そもそも、社会参加なしに時間を過ごせば心を病むだろう。 金のことを度外視したとしても、なんらかの社会貢献はしなければならないのである。 そして、金を稼ぎ続ける能力を保つと同時に、 日々の生活コストは下げていかねばならない。 そうすれば、収入が下がっても耐えられる公算が高くなる。 金は基本的には投資として使うか、あぶく銭としてあからさまな形で消費すべきである。 日々の食べ物や着るもの、住む所が高いことは最悪で、 生活スタイルとして体に染み付いてしまう。 洗濯機や掃除機、調理器具、 コンピュータなどは高級でも良いし、英会話学校に100万払うのもいい。 旅行などして散財するのもかまわない。 しかし、定期的に中途半端な値段の外食をしたり、装飾性のために高い服を着たり、 利便性以外のものを求めて高い家賃を払ったりすることは、 コストの高い生活スタイルを定着させ、未来の選択肢を奪うことになる。 省力化や生産性に関する設備には金を惜しげなく注ぐが、それ以外は貧乏風味、 というアンバランスな状態が一番いい。

アイスを買うのが定例化するのはその意味では若干好ましくないのだが、 長期的に見ればアイスを買う数は減っていくだろうし、 今はひつじこが辛い時期なので、例外とする。 脱澱粉の食生活がまだ確立できておらず、 妥当な手間で安定した食事を提供できないので、 間食が増えるのも今のところはやむを得ない。

洗濯が極限まで省力化され、布団干しが無用になり、 いらんものをごっそり捨てて掃除の手間を下げ、 ストレスフルなTVチューナを捨ててnasneに移行が完了すれば、 だいぶ余裕が出る。 今日の朝も洗濯しなくていいというだけでびっくりするくらい気が楽だった。

今までは夜に洗濯はできなかった。干すからである。 しかし、これからは夜に洗濯できる。その日着た服をフロの後に放り込んで、 即座に回し、朝には着られる状態になるということだ。 このために、必要な服の数が激減する。 オタマの服などは雨で洗えない場合などに備えて多めに 持っておかねばならなかったわけだが、この予備が不要になるのである。 私の服なんて1セットでいい。毎日同じものを洗濯しながら着られるのだ。 不慮の事態を想定したとしても、ズボンもシャツも2枚あれば十分ということになる。 これで収納コストが激減する。そこまでわかっていれば もっと早く買っていたな。考えが足りなかった。反省する。

と思ったが、洗濯の後にまた会社行ったりしてると放りこめないじゃん。 でもやはり2セットあれば足りる。

ドラム式のメリットは大きい。 仮に外れの機械を引いて15万くらいドブに捨てることになったり、 数ヶ月に一回故障して面倒くさかったり、 イマイチ融通がきかなかったりしたとしても、 それを補ってあまりあるメリットがある。 とりあえず日立のBD-S7400Lは激しくおすすめしておく。 たぶんたいていの家で置けるはずだ。 もう少し様子を見て問題ないようなら、ひつじこや私の実家にも勧めよう。 年だからな。面倒は少ない方が良かろう。

ただ、最初に搬入されてくる時にはちょっと引いたな。デカすぎだ。 とんでもないものを買ってしまったんじゃないかと思った。 ヨドバシに並んでるとよくわからないが、家に来るととにかくデカい。 並の洗濯機よりも15cmくらい前に出っ張るので、圧迫感もすごい。 90kgもあるので、もう一人では動かせない。

古い洗濯機を家電引き取り業者にお願いしよう。 近くに回収業者がいるが、やっぱりまたwebで頼む。 規模が大きくないと大型の洗濯機みたいに動きの悪い家電を 引き取るのはリスクが大きいわけで、結果買取価格は下がるはずである。 日本のどこかに欲しい人がいれば商売が成立する、 というのと、店舗のある地域に欲しい人がいないと商売が成立しない、 というのでは雲泥の差がある。 もちろん遠距離輸送の非効率と天秤にかけた時にどうかはわからないので、 本当にIT化された業者の方がいいかはわからないのだが。 ローカルにはローカルの強みがあるはずだし。

来年の予算は100兆円を超えるらしく、過去最高だそうだ。 もちろん予算案であって、これから議論して修正するんだろうが、 しかし全く削る気がないのはわかる。 まだまだ国債を発行できると踏んでいるんだろう。 国債をちゃんと消化できるなら、景気を良くするためにバラまくのは 理屈としては間違っていない。ただ、所詮理屈のことなので 私は疑っているが。

蛍光灯をLEDにかえるのに10億単位の予算申請とか正気とは思えんな。 そんな道楽はうちみたいに金が余ってる家庭がやるもので、政府がやることじゃない。 白熱電球ならまだわかるが、蛍光灯はかえる必要ないだろう。 効率大して上がらんぞ。あと2,3年待てばアホみたいに安く買えるんだから、 それまで待てばいい。補助金の代わりだとすればなおのこと悪質だ。

駅前で、数分だけみんなの党の人と話をした。まずやるべきことは円安にすることだ、 と言っていて、それ自体は悪いことではないと思った。 ただそれは金を刷ってドルを買いまくるということだろうし、 今時政府が市場に抵抗するのは無理なんじゃなかろうか。 そもそも今の水準が本当に円高かどうかは怪しい。 海外で作った方が有利な理由が為替レート以外にある可能性は十分にあるわけで、 そこをどうにかしないといけない。単純に日本人が労働力として魅力的でないとか、 電気が高いとか、土地が高いとか、まあ考えるだにいくらでも出てくる。 そもそも、みんなの党ってそういう政府の介入を良しとしないんじゃなかったか。 そして、パンフレットには脱原発とか書いてあり、なんだかなあと思った。 せっかく小さな政府路線なんだから「何で電気を作るかは市場にまかせる」 とか言えばいいのに。 隣では誰かが演説で「増税の前にやることがある」というお決まりの事を言っている。 それ自体は悪くはないかもしれんが、そんな猶予があるのか、 それだけ成長できるのか、といったことはよくわからない。 結局「社会保障を削ります」とはっきり言えるかどうかが問題ではないのか。 内容を聞く時間はなかった。

小さな政府は賛成だ。私は市場原理主義者寄りなので、それ自体はいい。 しかし、みんなの党が本当に小さな政府路線なのかどうかが良くわからん。 もし選挙になるようなら調べてみないといけない。 それと、政党としての考えがどうであったとしても、個人に投票する時には その個人単位で見て一番マシそうな人を選ぶ。どこの政党かは見ないつもりでいる。 政党が基本単位で個人なんてどうでもいい、という考え方もあるんだろうが。

三橋という人は、まだまだ国債を発行しても大丈夫と言っている。 インフレにならない限り、お金の量を増やして政府が民間からいろいろ 買いまくれば経済は回り続けられる。 もう駄目だと言う人もいるが、まだ大丈夫だという人もいる。 藤巻という人はもう駄目だと言っていて、三橋という人はまだ大丈夫だと言っている。 単純に数字の見極めが違うと考えればわかりやすい。 その意味では別に変なことを言ってるわけではないんだろう。 国が金を使うのをやめれば、その分誰かが損をするのは確実だからな。

みんなの党とかは「無駄を削減」と言うが、 その無駄で生きてる人を切り捨てる行為であることを 隠しているので気分が悪い。 言ったら負けるから言わないのは合理的だが、誠実とは言えない。 高齢者に「息子さん娘さんの世代のために痛みを受け入れてください」 とお願いして回るくらいの マネはしたらどうか。まあ、したら負けるんだろうが。

単純に言って、私はオタマを利する政党に入れる。

農業なんて会社でやればいいじゃん。農 業や農地が共同体のあり方の根本だから規制で守らないと共同体ごと死んでしまう、 というのはわからなくもないが、 それで守るべき共同体なんてとっくになくなってるんじゃなかろうか。 基本的に補助金や規制がないと滅ぶような産業は、滅べばいい。 ただ、農地は一旦荒廃したり別のことに使ってしまうと農地として復活させるのが大変、 という事情がある。これに関しては必ずしも規制を取り払うべきかどうかはわからない。 全部の規制を取っ払っていいとも思えないのは事実だ。

つうか、みんなの党って全然小さな政府路線に見えないんだが。 こんなに項目が多い段階で小さくないし、 最低賃金を引き上げとか書いてる段階で全然違う気がするんだが。 維新はさすがにちゃんと小さな政府路線なんだろうが、 現状からあまり離れた所へは行けないわけで、 実現可能な道筋を示してくれるかが甚だ怪しい。 党首が仮にまともでも、そこにより集まってくるのがまともかどうかはわからんしな。

維新八策というのを見たが、理念自体はおおむね賛成。 ただ、これを適切な形で実行できるかと言えば、甚だ怪しい。 長期的にこうしたいということはともかくとして、 今何から手をつけるかは聞きたいところだな。

2012年09月09日

友達二人を呼んで夜まで話す。盛り上がって良かった。

洗濯機。昨日ヨドバシに行くまではNA-VX5100Lを買う気だったが、 売り場の人が「入るなら正直日立をすすめます」と言ってきて、 気がついたら日立を買う気になっていた。 ひつじこに検討機種のサイトを見てくれと言ったところ、 ひつじこ的にも日立がいいとのこと。 パナソニックはナノイーとか言ってどうにもうさんくさいからな。

搬入設置見積を頼んでやってもらったところ、 BD-9400LやBD-5400Lは無理とのこと。 蛇口が干渉する。ビッグドラムの本領を発揮できるのはその二機種であり、 それがダメならパナソニックでも大差ないと思ったりもしたが、 BD-S7400Lという幅の小さなタイプでもパナソニックに比べればドラムがデカく、 基本的な洗濯乾燥能力は勝ることが予測される。 風アイロンという名前の乾燥機能がうるさいとの話だったが、 そこは運用でどうにかすることにした。 というわけで、12.8万で購入。ポイントの半分を払って5年保証。

第一回。結構大量に洗える。所要時間は合計5時間弱。 乾燥までできている。使用水量も少なく、 風呂桶にお湯を溜めてそこから風呂水ポンプで供給したが、 ちょっと余った。これに関してはあとでホースや器具を買ってきて 風呂場の蛇口に直結する予定。 音も気になるレベルではない。掃除機レベルとも言われるが、 高周波が多いのでドア一枚でもかなり遮断できる。 脱水も問題なかった。お手入れは明日してみる。

スザキーズ敷布団を追加購入。これで布団干しを要する布団が消える。

風呂場の電球を810lmのLED電球に交換。NEC製。 雰囲気はまったくないが、オタマの皮膚が良く見えるようになった。

2012年09月07日

調理実習の主目的は、調理を教えることであって、 冷蔵庫から盗むことが悪いことを教えることじゃないだろう。 そもそも、「盗むなよ」と言われたとしても、 まともな頭の奴なら「そんな奴いるのかよwww先生も大変だなwww」 で終わりだろう。自分に向かって言ってるとは夢にも思うまい。 それで「オレは信用されてないのか!」とか思う奴は どこかやましいところがあるとしか思えん。 冷蔵庫から盗まれるような状況で調理実習をせねばならないという段階で かなり無理ゲーだと思うんだが、 その中でも調理実習で期待される成果を上げる方法を模索する姿勢は 尊敬に値する。

ネトウヨの一部が見るに耐えんな。私も相当ネトウヨだが、 あれはさすがに見るに耐えん。

家事をどうにかしたい。とにかくどうにかしたい。

物が多いと摩擦のように生活コストを押し上げる。 家事負担を減らすには物を減らすことだ。 洗濯機を買って落ち着いたあたりで「家にあって良いものは何か」の見直しをしたい。

私のエア演奏はヴァイオリンでしかできなかったが、 今ピアノモードに切り替えようとしたら切り替えられた。 和音を頭で鳴らせば、ちゃんと指の感触がある。ずいぶんできるようになったんだな。 だが、今はさようならだ。

布団の構成、収納の形式、なども再考を要する。 布団干しなる行為が必要な段階でアウトだろう。 ポリエステル系の敷き布団にすれば干さなくても良くなるので、 買い換えるべきかもしれない。 ただ、スザキーズ敷き布団は踏むと音がするので、そのへんは どうにかしないといけないが。

調理器具、食器の類も、 使用頻度が低いものは容赦なく捨てたいし、 買い換えた方が効率がよくなるものについては 捨てて買い換えたい。

nasne+ソフトがまともに動いてくれて、録画番組がある程度たまれば古いチューナも 捨てられる。あと、卵型USBスピーカーも音は好きだが、 幼児がいる家に置ける代物じゃない。売れるような扱いはしてないので、捨てる。 スキャナも使ってないしいらんだろう。最後に使ったのは前に本を描いた時だが、 今ならカメラで写真撮って終わりにする。変なパースがつかないように注意さえすれば、 トレース用の下書きあるいは仮素材としては十分だ。その他、 売る日が来るかもとおもって取っておいた箱の類も根こそぎ捨てよう。 結局後で売れるような扱いはできてないからな。 あと、使う日が来ないであろう合成洗剤の備蓄。 UVカットのものなので、そのへんでは買えない。 欲しい人がいたらあげてしまおう。小麦粉やスパゲティも欲しい人がいればあげ、 いなければ捨てる。さらに、思い出グッズの類を親と交渉して実家に送りつけよう。 あるいは気合を入れて捨てる。過去は過去だ。それで押入れの中がかなり整理できる。

洗濯が新しい機械で安定すれば、物干しグッズも大半を捨てられる。 たまに自力干しすることもあるかもしれないので一つくらいは残すにしても、 それで十分だろう。 布団を干さなくなるなら物干しも不要だ。

生活をシンプルにしないと駄目だ。それらは毒の沼地のように体力を消耗させる。 少しでも身軽にしないと。 いらないものだけでなく、 いるかもしれないと思いつつここ半年使わなかったようなものは ことごとく捨てるべきだ。防災系は例外だとしても。

今の洗濯機が不要になったとして、 リサイクルショップで買い取ってくれるものだろうか。 ちょっと近くの店に聞いてこよう。駄目ならヨドバシに持って行ってもらう。

食器洗い機はうちで有効か。たぶん駄目。どうせ鍋は自力で洗わねばならず、 デカい機械があることの 邪魔の方がよほど問題だ。それよりもいらん皿をごっそり捨てる方がずっと重要。 アルミバットがたくさんあるおかげで、実は皿はあまりいらなくなっている。 特に大型の皿は不要だ。丸い皿は面積効率が悪く、 狭い食卓に並べると非効率なのである。 情緒のかけらもないが、情緒なんてことを言っていられるような状態には到底ない。

結局子供は何を与えてもすぐ飽きるので、おもちゃはひつじこが作った方がいい。 レゴくらい高度になれば別かもしれないが、積み木やままごとグッズの類は なんぼ高品質でも飽きられ、しかも捨て難い。

古いPCが2台ある。捨てたいがカネがかかるのでどうしようと思っていたが、 どうやらタダで持って行ってくれる業者がいるようだ。 ついでに液晶モニタも持って行ってもらおう。HDDも40GBとか60GBとかでは どうにもならんので、一緒に持って行ってもらう。

散髪ハサミが錆びている。ひつじこの誕生日プレゼントに東急ハンズで買ったものだが、 鉄で錆びやすい割に、大した切れ味でもなかった。 ステンレス製でもっとマシなものを買ってこよう。気軽にオタマの毛を切るには、 湿気まみれの風呂場に置きっぱなしにできることが望ましい。

2012年09月06日

ひつじこの5日の日記はすごく面白い。

ひつじこが経済学を本質的なところで理解している。 経済行動としての犯罪や、外部性の概念そのものだ。

本当容赦ない。見習わねば。

コンパイラの警告を全てエラーとして扱うというやり方がある。 警告を放置することは問題なので、これは妥当な態度だ。 ただ、何がエラーになるかは言語仕様の問題である一方、 何が警告されるかはコンパイラの問題である。 つまり、コンパイラによって同じコードが通らなかったり通ったりすることになる。 未来のコンパイラが何を警告にするかわからないので、 そのコードは未来のコンパイラではビルドが通るかわからない コードということになるわけだ。

大枠賛成で警告は極力ゼロにしているのだが、 これもバランスとしか言いようがない気がする。 例えばwhileの条件文にtrueとだけ書いて、 ループ脱出はbreakでやることが結構あるのだが、 これに対してVisualStudioは警告してくる。 ウザいので警告を無効化するpragmaを書くか、 妙なbool変数を作ってtrueを入れて警告を回避することになるが、 前者はVisualStudioでしか意味を持たないコードを書くことになるし、 後者はコードの読みやすさも安全性も低下する。 理想的な解決とは言い難い。警告を放置する害とどちらが大きいかは 必ずしも明らかとは言えまい。

何事に関しても、こういうことはある。妥協が不要な分野などどこにもない。 妥協を許さない姿勢、とか言うとカッコ良いが、実際にはロクな結果をもたらさない。 それは単なる宣伝文句であって、本当に素晴らしいのは、的確な妥協を模索することに 関して妥協しない態度である。 もちろん、的確な妥協を模索する手間に関しての的確な妥協も模索するわけだが。

血糖値の下限は70程度っぽい。80を切るとインスリンの量が極端に減るらしいが、 元々出てる必要ないだろ。というわけで、70だとすると、それに対応するHbA1cの値は、

血糖値=HbA1c*28.7-46.7
HbA1c=(血糖値+46.7)/28.7
という式から、4.07となる。このへんが下限なわけな。前の血液検査で4.5だったので、 おおよそ下限に近づいてきているわけだ。 いきなり全力疾走するとふらつくので、 確かに糖の不足は瞬発力の面からは不利かもしれんが、 中程度の負荷で長時間動く分には問題はなさそう。 走って川崎往復してみようか。 それでしんどいようなら糖質制限に問題があるとも言えるかもしれない。 単純になまってるだけかもしれんが。

河野太郎氏のブログ。 論点が二つ混ざってるような気がする。 原爆そのものを持たず原子力発電技術を持つことが核抑止力になるか。 なるとしたら、この先原発を維持するかどうかがその核抑止力に影響を与えるか。 まず前者についてだが、ウラン型の原爆を作るなら ウランを燃やす必要はないので原発は関係ない。 しかしプルトニウム型の原爆を作るならウランを 燃やす原発があることは必要条件になる。 というわけで、必要条件を満たすことは言っているが、 それが抑止力になるとは言ってない。寸止めである。 で二番目だが、日本はすでに数百発原爆を作るだけのプルトニウム持っているので、 この先原発をやめても、原爆を作れなくなるわけではない。

プルトニウムを作れる設備を持っておくことが核抑止力になるかどうかについて、 河野太郎氏は否定も肯定もしていない。 ただ、テロられるリスクなどを述べているので、 たぶん心情的には否定的なんだと思う。 で、仮に核抑止力があるとしても、 原発をやめてもプルトニウムはたくさんあるので問題ない、 だから原発はやめよう、ということだろう。この文章のメインの主張は、 「原発やめよう」なんだろうな。

なんか微妙な物言い過ぎてすっきりしない。 「核抑止力なんてまやかしだ!原発はやめよう!」と言えばいいんじゃないのか。 たぶん、そうも言えないんだろう。核抑止力のために原発は捨てられない、 という人を論破したい、という思いもあるが、 核抑止力があるという前提で話をするのも嫌だ、 みたいな微妙なところで揺れ動いた結果 こういう文章なのかなあ、と想像する。

こうやって考えをネットにあげてくれるのは助かるな。 平氏はどうなんだろう。twitterは頻度は高いものの情報がないし、 ブログも大して更新されてないようだ。 動画とかが結構上がるようだが、見るのしんどいなあ。 今のところ、賢そうな人だとは思うが、それ以上はよくわからない。

橋下氏はとりあえず嫌いじゃない。理屈がわかりやすい。 ただ、理屈がわかりやすい人を短期で判断すると ロクなことにならないので、長期で見ないといけない。 その日その日の言ってることはすごく筋が通って見える人でも、 数ヶ月前に言ったことと猛烈に矛盾することは珍しくない。 誰だって間違えるし迷うので考えが変わるのはいいんだが、 どういう経緯でどう考えが変わったのかは明らかにしてもらわないと、 単純に矛盾した人に見えてしまう。 そのうちなんか発表されるらしいので、されたら読もう。

ドラッカーは「マネージャーに一番大切なのは真摯さだ」と書いた。 この「真摯さ」は元々Integrityで、 誠実さとか高潔さとか訳されることが多い単語だ。ロングマンの辞書によれば、 正しいと信じることに対して正直かつ強くあることらしい。 一つのものとして矛盾なく欠けがない、というのが元の意味らしく、 そこから派生してそういう使われ方をしているのだろう。 「言ってることが本心からのものであると信じられるか?」 がintegrityがあるかどうかのわかりやすい基準だ。

私にintegrityがあればいいんだが、自分を鏡で見る のが苦痛なようではダメなんだろうと思う。

まともなことを言ってるかどうかを判断材料にしてはダメなんだよな。政治家って。 少なくとも、判断材料の一つにすぎないと考えるべきだ。 原口氏とか、岡田氏とか、小沢氏とか、 30分かそこら喋ってるのを聞くとえらくまともに聞こえる人は結構いる。 しかし実際はよくわからん。 やっぱりブログとかtwitterで長期的にウォッチしていけると楽だよな。 integrityがあるかどうかを判断する一番ラクな方法だろう。

平氏が「2回首相の首を取った」とか言ってるが、その言い方はどうなのよ。 確かに最悪すぎる首相だったから、とりあえず潰すことは重要だったとは思うんだが。 あんまり勝ち誇って欲しくないなあ。 でもまあ、まともなこと言ってるぞこの人達。 ただ、まともなこと自体はそれほど重要じゃないからなあ。

この人「喋りが調子良い人」という印象だな...リアルタイム系の人なんだろう。

平氏が何かに関する役所の試算が適当であることに怒っている。 しかし、ドラッカーを読んでると、数字が適当であることは当然で、 怒っても仕方ないんじゃね?という考えも出てきたりする。 それぞれの人はそれぞれの利害や思想があり、 その影響が全く入らない数字を出すことは たぶん人間にはできない。まあそれにしたって限度があるだろ、 というのはその通りだが、 相手がそういうものであることを前提として一番効果的な手を考えるならば、 単に「いい加減な数字は許さん!」とか言うだけでは足りん気はするなあ。 いろいろやってるんだろうけど。

自分と相容れない考えの人とは、まず話をしないといかんと思う。 それも個人的に、生身で、時間をかけて。 それぞれの人にはそれぞれの人の現実があり、言語化された意見や感想は、 その現実から出てくるのだ。意見や感想からその現実を推測するのは困難であり、 おおよそ実際に話した方が早い。なぜそう考えるのか、 考える優先順位がどうなっているのか、 といったことは言葉だけ聞いてもなかなかわからんものである。

まあ私の人生においては、まずは清水だよな。 あれほど根本的なところから違ってる人間と あれほど長い時間会話をしたというのは、本当に大きかった。 奴が生きている現実が見えてくれば、 仮に同意できない意見であっても許容はできるようになるし、 そのような意見が出てくることを納得することもできる。 あいつ本当何してるんだろ。

もちろん最大の異文化接触はひつじこである。 年単位で一緒にいるが、未だに異文化である。死ぬまで異文化だろう。 しかしお互いが生きている現実がどんなものかはだんだん見えてきているように思う。

私が「あープログラマだなあ」と思う人は何人かいるが、 まともにプログラミングについて話をできているのはせいぜい一人だけだ。 就職前に知り合った人が何人かいるが、 当時は私がプログラマですらなかったので 当時そういう話は全く無理だった。 学生時代には近くにすごい人がいたが、 やはり私のレベルが低すぎて対等の話にはなりようもなかった。 他の会社の人で「この人すげえ。何一つ勝てる気がしねえ」と思う人が一人いるが、 会話の機会もさほどあるわけではないし、 会話できたとしても学生時代のあの人と同じだろう。 レベルが違いすぎて「兄貴!ついていきます!教えてください!」的な感じから 先へは行けない。 ともかく、ここ数年CEDECやらのおかげで、 他社のプログラマっぽい人と若干の接触を持つ機会が 増えているが、少人数で長く話す機会はまずないため、 やっぱりよくわからない。 そういうわけで、プログラマっぽい人とまともに お話をした経験がほとんどないわけである。 そういう人達がどういった価値観で、 どういうふうに考えているのかはまるで知識がない。 最近はネットを使って離れた人とでも手軽に手紙を交わせるが、 結局文章ごときではよくわからんのだ。 私が知りたいのは結果としての意見や感想ではなく、 その人が生きている現実というか背景というか、そういうものなのである。 それなしには、その人の意見も単なる情報にしかならない。

CGに関しては本当に本でも書かんと対等の地で話をできんな。 それでもなおあの人達が10年以上前に通った場所に辿り着けるかどうかという ところだろうが、それでもやらんことには話にならん。 私のCGの理解は寄せ集めだ。棚に各種技術が陳列されている状態にすぎん。 それは単に「知っているだけ」であり、棚から取ってはめこむことしかできない。 知識が集まって一つの構造物を作り上げているような状態からは程遠い。 理想は、知識と知識の境界が溶けてしまう状態だ。 名前を思い出せなくなるくらいに当たり前になることが望ましい。 自前で再発明して初めて、その知識を自分の体の一部とすることができる。 「クラスの派生って、コンビニの店員みたいなもんだろ?」 というような日常語による理解をCGでも得なければ結局は使い物にならん。 そして、自分がそこまで到達するには、他人に教えられるレベルに ならねばならず、そこまで持っていくのには本を書くのがもっとも手っ取り早い。 その副産物としての本が、社会や会社の役に立つなら これほど都合のいいことはないのだが、 さてどうすればそうなるか。

2012年09月05日

そのへんの人に「原発はないほうがいいですか?」と聞けば、 そりゃ「はい」と答えるだろう。 しかし、そういうことは多数決で決めていい問題ではない。 もし多数決で決めるにしても、それによって犠牲になることを ちゃんと提示しないといけない。 「国民は馬鹿じゃないのでそういうことはちゃんと考えて応えてくれる」 はウソだ。逆に「国民は馬鹿なので何を説明しても無駄」 もウソである。いずれにしても、説明しないのは駄目だ。 意思決定は過程まで含めてちゃんと説明しないといけない。

それに、極端なやり方は大抵は駄目だ。 関係者が増えれば増えるほどそうなる。 政治なんて最たるもので、今いる場所から一歩づつ歩くしかないのである。 もちろん、一回破壊した方が早いこともあるが、 破壊と再生でしくじる危険は国というレベルでは到底冒せない。 政治もアジャイルでやるべきだ。PDCAのイテレーションを高速化、並列化 することで蓄積的に大きな変化を起こすやり方に持って行って欲しい。 私はますます保守になってきた。

つうか、原発をどうするかなんて大した問題じゃないだろ。 よほどの事がない限り新しく作れないのはもう確定で、 20年もすれば今動いているものは全部退役するのだから、 放っておけばゼロになる。 その間に事故りそうなところは洗い出して補修するなり、 補修が割に合わないなら止めるなりする必要があるが、 それだけのことである。 原発が全部退役する前にほとぼりが冷めたり、 技術革新があったりするようならその時に考えればいい。 今ゼロにすると決めようが決めまいが、 やることに変わりはない。そもそも10年以上先のことについて決めたって、 また政権交代すれば全部なかったことになるのである。 だから原発をメイン論点に据えようとしている奴は信用しない。

安全保障や経済は技術よりも社会に依存する所が大きい分野であり、 政治が力を発揮でき、かつ、しないといけない所だ。 政治はそこに力を注ぐべきである。 エネルギー政策は技術に大きく依存するわけで、 政治家なんておおよそ技術には疎いのだし、 この複雑化したご時世に国家が技術開発に介入したり、 未来技術を予測したりすることはほとんど無理である。 国家100年の計、みたいなのはよほど確定的な流れがある事に 関したところでない限り、ただの絵に描いた餅だ。 実質、「人口が減る」「新興国との経済格差が減って、存在感を失う」 みたいなところから予測できることしか言えない。 社会保障や税の形について議論するのはいいが、 原発なんてどうでもいいし、なんぼ議論しても実質的な意味はない。

電池がすごいコストダウンをするというのは甘い予測かもしれんしな。 そうならなければ風力も太陽光も役立たずのまま終わる。

社会保障費を削るしかないんだよ。とりわけ、 高齢者向けの社会保障は削らないといけない。 今さらそっちに舵を切るのは裏切りだし、 悲惨な状況の高齢者が多くいることは テレビでもよく出てくる通りである。 しかし、こればかりは金がないのだからどうにもならん。 もちろん、ただ削るだけではダメージが大きすぎるわけで、 効果の薄いところから削り、削った分のいくらかは効果の高いところに投入する、 という具合にちょっとづつやらないといけない。 また、「削ってもそんなにダメージを与えない場所」を探して、 そこから削っていくことも必要だ。 なんなら、「自発的に社会保障を受けない人募集キャンペーン」 をやってもいいんじゃなかろうか。 年金を自発的に減らすとか、医療費を自発的になんぼか払うとか、 児童手当を自発的にもらわないようにするとか、 そういうことをする人を社会が褒めてあげるような ことはできないだろうか。もちろん、最初は綺麗事から始めつつ、 最終的には「金あるのに児童手当をもらうとか国賊だよね」という 雰囲気に仕立てあげていくのが目的である。 節電キャンペーンみたいなもんだ。 「みなさんのおかげでこんなに金が浮きました。政府も がんばって無駄を削るので、これからもよろしく」的な姿勢をちゃんと出せれば、 多少は効果がありそうな気もするし、 それを足がかりに制度的な削減を始めることもできそうな気がする。 まあ、政府が信頼できる雰囲気を全力で出してくれないと無理なので、 その時点で無理かとは思うが。

でもまあ、そういうキャンペーンをもし本当にやるなら、 オタマの医療費くらいは払うかな。 大した額じゃない。児童手当も正直もらわなくていい気はしている。 くれるならもらっておこう、というだけだ。 「貰わない方がカッコ良いよね」という風潮になるなら、もらわない。 現状は「くれるのにもらわないとか馬鹿だろ」という風潮なのでもらっている、 とも言える。

糖質制限が流行ったら国の医療費激減するだろうな。結構本気でそう思う。 肥満と糖尿病が消滅するだけで、どれだけの病気が道連れになって消えるだろうか。 仮に多少の副作用があったとしても、国全体で見ればプラスの方が大きかろう。 糖尿病や肥満でない人の平均寿命が多少下がったとしても、 それらの病気で早死する効果の方がはるかに大きいだろうから、 全体としては平均寿命は伸びそうな気がする。

10月21日に京急蒲田付近の高架化が完了する。踏切が24個も減る。なんか楽しみだ。 しかし、そこで話は終わりではない。その後、工事中のために作った高架や、 地面にある線路の撤去作業が行われ、 場所によっては線路だった場所が空間になったり、 今まで通れなかった所が通れるようになったりする。 通れる場所が増えれば、線路による分断の度合いが軽減し、人の移動パターンが変わる。 ひいては商店街がそれに影響を受けるはずで、店の分布や組成が変わってくるだろう。 よく観察しておかねば。

JR蒲田駅も高架化しないかなあ。西側と東側の行き来には、 少し離れた所にある地下道を通るか、だいぶ離れた道を通るか、 歩いて駅の2階に上がってからまた降りるしかない。 駅の一階に穴を空けて東西の行き来が楽になれば、 蒲田という町の使い勝手はかなり良くなる気がする。 川崎もそうだよな。しかし、 工事費に見合うかどうかは厳しくチェックされねばならない。 高架化したほうがうれしい線路や駅なんて日本中にいくらでもあるわけだし。 そもそも京急蒲田が高架化されるのは、 交通量が多い環八と第一京浜の流れを妨げていて害が大きいからで、 駅の使い勝手のためじゃないという記事があった。

10月21日から蒲田に止まる空港行き快特ができるらしい。 蒲田なんて京急的にはどうでもいい駅だろうから 大した本数はないんだろうが、 今の品川で最大20分待たされる状況が改善するならうれしい。

nasne買った。今日中に届くらしい。ヨドバシすげえな。

みんな貧乏になってきて相続でもめるケースが多いという記事を見た。 長男が相続するという慣習と、 兄弟は平等という新しい考え方が衝突する時期でもあるらしい。 大した財産でなくてももめるのだそうだ。大変だな。

うちらは何ももらわない。そして、 うちらが死ぬときには、オタマにやらずに全部社会に還元してリセットしたいと 私は思っている。貴族や農家なら大きな資産を子孫に受け継ぐことに意味もあろうが、 うちはどちらでもなく、相続に意味がない。 今からそう思っておけば、 オタマが家を出ていく時までにオタマに渡せるものは全て渡す、という覚悟が固まる。 もちろん渡すのはモノじゃない。教育と愛だ。 重要なのはストックではなくフローであり、 金を渡すよりも、金を稼ぐ能力を渡したい。 まあ、今そう思ってるだけのことで、また後になれば考えも変わるかもしれんが。 オタマに渡すのが一番社会にいい使い方になるかもしれんしな。

相続税とか贈与税とかって、よほど目立つ人でない限り取れないだろう。 不動産みたいに名義変更が伴うならまだしも、 財布から現金を出してボンと渡すような場合に どうやって課税するのかさっぱりわからない。一応「通常必要なお金を渡す」 とみなされる場合は贈与税の対象にならないそうだが、境界は曖昧だ。 結婚式の費用を300万出してやる、みたいなのは贈与に当たらないらしいが、 そのへんは微妙すぎる。調子に乗って全く申告しない人もかなりいるんだろうが、 人間はうかつなので、不用意に「300万あげちゃったー」とか人に言えば、 それで発覚して罪に問われることにもなる。 110万1000円渡して100円納税する、みたいなことは結構行われているようだが、 それは100円で「叩いても埃が出ない状態」を買っているのだろう。

こういう税金って駄目じゃね?とも思うが、 きっと富裕層を富裕層から引きずり下ろすのが主目的なんだろう。 金持ちの子供は金持ち、というループを断ち切るのが目的なんだろう。 一般人から取ることはそもそも想定してない。 しかし、それは消費税でもできるんじゃないのかなあ。 貧乏人並にしか金を使わない金持ちが何代も続く危険はあるだろうが、 それは社会にとってそれほどの害だろうか。 それに大抵はどこかで散財して財産を食いつぶしていきそうなものである。 相続税や贈与税はなくてもいいんじゃなかろうか。 古来の身分を反映した古くからの金持ちみたいなのがたくさんいた時代向けの税制で、 今となってはいらんのではないのか。 ただし、制度を作るのは大変だが税率をいじるのは簡単、 というのは事実であり、社会が変化した時にすでに制度が存在していれば 税率をいじるだけで対応できる。制度ごとなくしてしまうと必要になった時に 導入するのが難しくなる。その意味でいろんな税が存在していることには 根拠もあるわけだ。

でも、最終的には大半消費税になるような気はする。15%くらいまでは上がるだろう。

借金が1000兆円あって、借金の金利が1%で10兆円とする。GDPが500兆円あって、 経済成長率が借金の金利と同じ1%とする。 今の借金GDP比は2。次の年は借金が1010兆円に増えるが、GDPが505兆になるので、 やはり借金GDP比は2。問題は借金の額ではなくGDP比なので、問題ない。 プライマリーバランスさえプラスになればオーケーという理屈がわかった。 借金がいくらあっても変わらない。 しかし「借金の金利と経済成長率が同じ」という前提は無茶すぎやせんか。 仮に経済成長率がゼロ付近あるいはデフレでマイナスだったりすれば、 国債の金利はプラスなのだから前提を満たさない。 しかも、「日本国債ヤベエよな」と思えば、より高い金利をつけないと売れなくなる。 この「ヤバい分より高い金利」をリスク・プレミアムというが、 それがある分だけさらに金利側が増える。 そして、経済成長率が借金の金利に負けた時のダメージは、 それまで溜まった借金の量に比例する。 借金が多くなれば、ちょっと経済成長率が落ちただけでも 大ダメージを受ける状態に陥るわけだ。 過去の議論でも、プライマリバランスをGDP比+2% くらいの黒字にしておかないと安心できず、 そうなるまで増税もしくは支出削減をすべきだという人がいたが、 そういうことだろう。

私は破綻すると思うなあ。例えば自民党は消費税の 増税でできた金の半分くらいは「防災」の大義名分で 公共工事に突っ込むつもりらしい。 ハゲタカが手に汗を握りながら祭を発動する タイミングを待ってる所だと思うんだが、どうだろう。 ユーロがもう少し落ち着いて、日本に何か悪いニュースが出た瞬間に何が起こるか。 増税が延期とか、消費税を増税したのになぜか国債発行額が減ってないとか、 そういうニュースがあれば国債の格付け低下を合図に祭が始まりそうに思える。 他の人にも意見を聞いてみたいなあ。 みんなお金をどういう形で持ってるんだろう。

「国の借金は日本人の中のやりとりなのでなんぼ増えても問題ない」。 こういう理論をできるだけ簡単に論破するにはどういう理屈がいいんだろう。 一言でわかってもらう方法はないものか。 それが見つからないうちは、私自身がよくわかってないということなわけだし。

日記だと流れるのでそのへんのことをwikiにも書いておいたが、 正直まだ良くわからんな。モデルを単純化しすぎている気がする。 こんなに簡単でいいなら、あんなに論争になる意味がわからない。

twitterでプログラマの人から前の本についてご意見をもらった。 レスをしたいが、twitterなので長文での論述は難しい。どうしよう。

なんつうか、プログラマの人って頭いいんだよ。本当そう思う。 でも、こんな本を読んでる人はそんなに頭は良くない。 この本を書いた私も頭は良くない。 だから、「これがオブジェクト指向だ!」とか言われても、 「それ何に使うの?なんで使うの?なんでおぼえないといけないの?」 とブツクサ文句を言っておしまいなのである。 勉強を手段だとしか思っていないので、 必要性が納得できないことを勉強することはないのだ。 私や、おそらくは平均的な人にとって、まずあるのは問題あるいは目的だ。 例えば「状態遷移が楽に書けたらいいのになあ」という願望 というか問題というか目的というかがある。 その上で、「どうしたら楽に書けるかなあ」と考える。 「とりあえずはelseifで書けるが、switchの方がマシだよな、 でもswitchだとこういう問題もあってイマイチ楽じゃないから もっとここをこうしたい。それにはこんな機能がC++にあればいいと思うんだよな」。 で調べてみたら、「あるじゃん!継承と仮想関数!これだ!」という話になる。 どこにもオブジェクト指向なる用語は出てこない。 ステートパターンなる用語も出てこない。 出てこないままとりあえずは使えるレベルの解決策が出てくるのだから、 その手の用語を知る必要を感じることもない。 別にそれでかまわないではないか。一応問題は解決したのだ。 他にもやりたいことはたくさんある。 ここでわけのわからん用語に満ち満ちたオブジェクト 指向の本を読む必要性を感じないのは そうおかしなことじゃない。 学習意欲がないとか叩かれるかもしれんが、 他に勉強せねばならんことはいっぱいある。 とりあえずこの例で言えばCGやる方が先だろう。 読者はそう思うだろうと、私は思った。 私ならそう思う。だからああ書いたわけである。

もちろん、オブジェクト指向なるものの勉強をしないとまずいかなあ、 と思うような問題にぶち当たることはあるかもしれない。 実際私はそういうことがあった。 イマイチ綺麗に書けなくて、私が知っている書き方では満足が行く 解決にならなかった。もしオブジェクト指向の本に そこを解決する方法が書かれていたならば、 私は喜び勇んでそれを採用し、オブジェクト指向大好きっ子になっていただろう。 しかし、残念ながらそのときにはそういう幸運には恵まれなかった。 「これ、いつもやってることじゃん。そういう名前がついてるんだへー」 という程度にしか思わなかった。今では名前はほとんど忘れている。 名前をつけることは重要だが、その利点は主に人とコミュニケートする時に発揮される。 「あれステートパターンが良くね?」「ああそれで」みたいに、一言で通じて楽だ。 しかし、おおよそ一人でプログラミングすることが多いうちらみたいな仕事だと、 その利点はあまり生きない。むろん、 多数のプログラマとやり取りしながら仕事をするような状況になれば、 たぶんオブジェクト指向用語を覚える気にもなるんだろう。 ただ今までそういう気になるような 状況にならなかったということである。

問題がある時には、それを解決するための手段を考える。 満足が行く方法が見つかればそれで終わりだ。 勉強をするという選択肢が浮上するのは、ここで満足が行かないときである。 とは言え、「なんとなく流行ってるみたいだし勉強しとくか」 みたいなこともあるにはある。 何を買うのか決めないまま店をうろつく、みたいなものだ。 そういう偶然の出会い的なものは、たまには必要である。 そうでなければ行き詰まる。 しかし、あくまで「たまには」だ。 多くの場合には、目的を持って店に行き、 必要なもの以外は見ずにさっさと買って帰ってくる。 その方が効率がいい。 何に使えるかわからない知識を前もって大量に貯めこむことは、 おおよそにおいては非効率だ。 何に使うかわからん状態で勉強するよりは、 明らかな問題意識をもって勉強するときの方が 圧倒的に効率はいい。私はそう思っている。

というようなことなわけだが、twitterでどうレスしていいかわからん。 長文は書けんし、一言でズバリと書く方法も浮かばないし、 かといっていくつものレスに分割して書こうと思うと、 まず長文を書いて推敲してから、100字かそこらに 分割しつつ連続投稿することになる。

プログラマというのは、 「オブジェクトとは、 問題領域を分割する責任の単位であり、 複数のオブジェクトがインタフェースを介して 協調することで1つの責任を全うすることもある。 オブジェクトはインタフェースを実装し、状態と動作を持つ」、 といった言い方が明瞭かつ具体的なものに感じられる人種なんだな。 私は明らかにプログラマじゃない。 私はこのままではよくわからないので、日常語に置き換えないといけない。

「オブジェクトってのは会社の人みたいなもんだ。 人は何かしら仕事を持ってて、それに責任があるだろ? また、人と人とがいろいろとやりとりをしつつ一緒に働いていくこともあるよな。 で、それぞれの人はそれぞれの仕事のやり方に熟練してるし、 仕事に必要な書類なんかもそれぞれでもってたりする。 他の人にはその仕事のやり方の細かい所はよくわからなかったりもするが、 他人の仕事の詳しいところまで知るのは無理ってもんだから、 それはそれでいい。ただ、一緒に仕事をやるのに 必要なやりとりが過不足なくできるようにはしておかないといけないよな。 まあそのやり取りのことをプログラミングではインターフェイスなんて呼ぶわけだ」 という具合だよな。私としては順番が逆で、 現実に行われている組織や人の振る舞いのイメージを プログラミングの中で応用することで、 本来人間の思考にマッチしにくいプログラミングを 人間にとって楽な形でやることができる、というように考えている。 だから、あくまでも、ふだんリアルワールドで やってるような概念をプログラミングに持ち込むという方向であり、 逆方向の翻訳は発生しない。従ってプログラミング特有の用語は出てこない。 「書類」とか「仕事」とか「やりとり」とか「人」とかいう比喩的な日常語で事足りる。 これで十分明晰で、十分具体的だ。 「比喩使わないで具体的に言えよ」とか言われることはあるが、 意味がわからない。プログラミング言語を使えばそれで具体的なのだろうか。 だいたいオブジェクトって言葉は意味不明すぎるだろ。 なんか言ってる人によって意味が違ってる気がするんだが、そんなことないのか? というわけで、何度も言っているが、私はオブジェクト指向は知らない。 何か心境の変化がない限り、知る日は来ないと思う。

いかん。マジでどうレスしていいかわからない。根本的な価値観が違うと思うので、 たぶん言葉のキャッチボールを数十往復以上しないと お互いの言いたいことが伝わらない。 それこそ宴会の出番だよなこれは。 twitterでそのキャッチボールをやるのはお互いリスキーすぎるだろう。 記録が残るし、ギャラリーまでいるのだ。 というか、文章で伝えるのは至難だ。そして最悪なことに、 たぶん私は相手が大事だと思っていることをどうでもいいと思っている。 「オブジェクト指向とか、ソフトウェア工学とか、そういうのって手段でしょ? 必要性を感じてから、必要なだけ勉強したらいいよね?」 ということなわけである。それを先にみっちり勉強してからやるべきだ、 という考え方があるのは知っているし、たぶんそっちが多数派だ。 しかし、よほどの出来事がない限り私がそれに同意する日は来ないと思う。

人は必要かどうかわからないことを自発的に勉強なんてしない。 する人もいるが、それは変な人だ。 しかし、必要であることが納得できれば、多少背中を押すだけで勉強を始める。 これは明るい未来を予感させるうれしい事実である。 だから、必要であることを納得させることは何よりも重要なのであって、 そこをクリアした段階で問題の半分は片付いている。だが、まだ半分だ。 勉強の具体的な手段が優れていなければ、 せっかくやる気になっても挫折して終わりだからである。

先方のレスが消えてる。私がこっちで考えをまとめててすぐレスしなかったから、 無視されたと思ったのかもしれない。もしそうなら申し訳ないなあ。 プログラマ的なご意見に対して私がどう答えるべきかを 考える上で、大変ありがたい意見だった。すぐに何かしらレスすべきだったか。 でも、文章コミュニケーションを推敲もせずにリアルタイムでやるなんて怖いことは 私には無理だ。 最低でもこの日記同様一晩置いてチェックしたい。 twitterでリアルタイム議論とか、どれだけ勇気があるんだろうと思う。 あるいは自分に自信があるのかもしれない。

私はネット上のコミュニケーションのレイテンシは日単位でいいと思っている。 twitterで何か来ても、それに答えるのは一週間以内ならいいだろう。 そもそも返す義務はないのだし、気づかないフリをしたっていいはずだ。 お互いそうであるはずである。 携帯電話のメールに30秒で返さないと村八分にされる社会もあるそうだが、 twitterまでそんなことになったら居心地が悪くて仕方ない。

今日全然進まんなあ。でも、「プログラマという人種はどう特殊か」 というかねてから考えていたネタについて考える機会が得られたのは幸運だ。 これについて考えることは、本にも影響してくるだろう。 ある時点で必要な知識は前もって持っておくべきだ、という考え方は根強いのである。 その考え方に対して納得の行くアンチテーゼを与えられねばならぬ。 もうちょっといろんな人と議論したいなあ。ネットでは不便なので、生身で。 なんかこのへんのことについて生身で数時間に渡って会話をする機会はないだろうか。 できれば4人くらいで。近くに問題意識を共有してて話に つきあってくれる人いないかなあ。

今回の本。まず最初の論点は、 「いかに少ない行数で多くの仕事をさせるか」ということになる。 画面の画素を一個塗るのに一行必要だとすれば、 行を減らすテクニックは死活的に重要だ。 1万画素塗るのに1万行必要では話にならない。 というわけで、第三章ではループを導入した。これで劇的に短くなるわけだが。 現状変数もないので、コードはひどいことになっている。「自分で名前をつける」 という行為が一切できないので、 50行くらいでも耐え難いほど読みにくい状態になるのだ。 先に変数を教える方がこのカオスを軽減する上ではいいのだが、 「行を減らす」という流れに乗るなら、先に関数を出すべきである。

関数はまずはNHKのような略語として導入する。 よく使う16行に短い名前をつけておいて、 それを使いまわす、みたいなものだ。 「日本放送協会をこれからNHKと呼びます」というのが、 関数定義である。入力や出力は機能上の要請によって導入され、 「入力と出力をつなぐシステムとしての関数」という側面は最初は全く無視される。 単に「楽譜一つを歌詞だけ変えながら繰り返し歌いたい時に、 歌詞を変える方法がなかったら役に立たないでしょ」 という要請から入出力機能が導入されるのだ。歴史的には正しくなくても、 読者にとっての論理展開としては自然である。 そして、この「最初は省力化するための道具」にすぎなかった関数が、 いずれは「物を分けて考える」という問題解決の基本を プログラミングに導入する道具になるわけだが、それは後の話だ。 少なくとも関数を使うことが当たり前になり、 その恩恵を無意識にではあっても感じられる状況になっていないと、 いくら説明をしても心に響かない。物を理解するには、 理解する準備ができていなければならない。 その前に理屈だけとうとうと語っても心に刺さらない。 なまくらな包丁がピーマンの表面を滑るように、 虚しく終わるだろう。

多重ループの外と内を入れ替えることでループをマージする手法を紹介したが、 これが可能だからといっていつもやっていいわけではない、ということも説明した。 わかりにくくなったら元も子もないからだ。 となれば、繰り返し出てくる部分に名前をつけて関数化することで、 短くしていく方向に 行くしかない。短くするには二つの方法があって、参照とループだ、 ということはすでに説明してある。先にループを説明してあるので、 ここでは参照を扱おう、という言い方は自然だ。 問題は「もっと短くしたい」と読者が思うかどうかだが、それは問題ないだろう。 ループが3重になっている段階で、こんな本を読む読者のレベルでは 手に負えない状況のはずである。順序を追って書いて行くことはできても、 三日経ってから見たらわけがわからなくなること必至だ。 どうにかしたいと思わせるのはそれほど難しくないはずだし、そうせねばならない。 それに成功すれば、あとはループ同様にこっちから一方的に関数を 説明してもかまわない状況になる。 必要性は理解してもらえているわけだからな。

関数は入力を受け付けることをどう説明するかだよなあ。 インライン展開されるという説明がこの段階では一番わかりやすいだろうが、 その場合入力変数をどう扱うかは結構面倒な問題になる。 すでに同じ変数名あったらどうするんだよ、と言われた時に、 具体的なスタック操作まで降りない抽象レベルで 十分に納得の行く完結した説明を与えねばならない。 まあ最初は引数も戻り値もないままメモリでやりとりするので その問題はないのだが。引数は5章以降かなあ。

2012年09月04日

日立とパナソニック。日立の方が洗う力は強く、乾燥も奇麗に仕上がる。 ただし幅がデカい。奥行きは狭い。重い。サポートが感じ悪いという報告。 脱水時の偏りエラーが出易いという報告。 また、振動と音がかなりでかいらしい。 パナソニックはなんというか、無難。 ただ、標準で使うと洗う力が不足するという報告が多い。 時間をのばして、変なエコ機能を切ってしまえばよさそう。 それと、ヒートポンプ式は埃が溜まることを避けられないらしく、 いずれ修理に来てもらうことになるのは確実、という書きこみもある。 3年に一回くらいならかまわないけどな。 ヘルシオに比べればかわいいものだ。 最近まともに使えてないので故障もしないが。

とりあえず日立を置けるのか確認しよう。

洗剤なしで落ちないのはドラム式だろうがなんだろうが変わらないと思われる。 しかし、合成洗剤はいまさら使えない。 石鹸は粉だとドラム式には使いにくい。事前に溶かすのが面倒くさい。 縦型ならそのまま放りこむだけで済む。 ドラム式の場合液状のものを使えばいいが、べらぼうに高い。

お湯を入れるとすれば手順は今の機械と同じ。バケツに湯を入れて、 風呂水ポンプで入れる。ただし、バケツに余った湯を手で入れるのは無理だし、 不要。洗いの時間が増えるので、すすぎでもギリギリまで熱いお湯を供給 したいとなると今より面倒なことになるが、 多少冷めても良ければそう面倒でもない。 風呂桶にすすぎまで足りるだけの湯を入れて、そこからポンプで抜けばいい。 冷めるのは蓋で軽減する。

パナソニックなんだろうなあ。風呂に入った直後に 液体石鹸で洗濯、という感じか。

政府がなんでこういう政策をやってるのかを知りたい。 どういう選択肢があって、どういう評価基準で比べて、 結果こうなっている、ということを知りたい。 もっとも、これは会社に関しても知りたいことであって、 会社レベルですら末端の社員には知り得ないことを鑑みれば、 国のような巨大なものについてその過程を知るのは無理ということだろう。

せめて、家族くらいのスケールまでは決定の過程を透明にしておきたいし、 もし将来私が何らかの組織の長になるようなことがあれば、 その考え方を広げたい。 結局は透明にした方が広く意見も集まるので良い手を打てる可能性が上がるし、 士気も高まるだろう。別に民主的にしろとは言わない。決める権限がある人間が 決めるのは当たり前で、多数決や全会一致は機能しないと思っている。 しかし、透明性だけは損なってはだめだ。

まあ、以前三人で寄り集まって意思決定しないといけなかった時には 透明性なんてガン無視してたけどな。情報を出さずに勝手に決めてた。 反省はする。

だんだん偉くなりたくなってきた。しかし、 そのための努力をする前に本は書いておかねばならぬ。

韓国が折れて、海兵隊の上陸訓練をやめるらしい。 しかし、変わらず船と飛行機の演習はやるようで、 韓国的にはこのへんが折れられる限度なんだろう。 とは言え、竹島の上を飛行機が飛べば領空侵犯だし、 軍艦が近くに来れば領海侵犯だ。 すでにして立派に侵略行為なのである。 もっとも今までだって警察と言いつつも鉄砲を積んだ 船で出かけてきてバリバリ日本人を撃ち殺したりしてきたわけで、 今更感はあるのだが、今回は立派に軍だ。 軍が来るのは初めてなんだろうか。 もし初めてではないなら今更なので放置してもいいだろうが、 初めてなのであればおおごとで、 出かけていって追い払うべきという話にもなる。 とは言え、自衛隊が出かけていけばそれこそ大変だ。 しかし、出かけていかなければ舐められ、後々 さらに面倒な事態に発展しないとも限らない。 やっぱりこうなった段階で外交が失敗してるんだよ。 うまく韓国の人が納得するように花を持たせる方向で交渉して どうにか中止させてほしいものだが、さすがに時間がないよなあ。

アメリカの圧力で中止、とか、 何か別の事件が起こってそれどころじゃなくなって中止とか、 そういうのがありがたいが、アメリカは関わりたくないだろう。 調度良く北朝鮮がどこかの島でも砲撃してくれないかと思うが、 そんなはずもない。

教育を軽視するのは、人間を信用して、人間に期待しているからなのかもしれない。 人間は素晴らしいものだと思っているのかもしれない。 自分で努力しない人間を見るとその期待が裏切られたように思って辛いから、 目をそむけてしまうのかもしれない。 でもな。自分を見てみろよ。そんなに上等か? 私にプログラミングができているのはたまたまだ。努力した覚えがない。 なるほど並に比べれば努力していると言えるかもしれないが、 それは客観的評価での努力であって、 主観的評価の努力ではない。私は努力のコストが安いのである。 大して辛くなく努力できるように 生まれ育っており、それはつまるところ運だ。 「あいつは駄目」と言う時、そいつに責任があるように言うか、 単なる事実として感情抜きで言うかは 全然違う。前者の人は人間に期待している。 私はずっと前者で、今でも完全に抜けきってはいないが、 おおよそ後者になってきている。駄目なのは駄目な原因があるのであって、 その原因はおおよそ環境要因だ。 そこに人間の自由意志とか個性とかやる気とかいうものを入れる必要は 必ずしもない。粗悪な石炭には粗悪になる原因が外にあったのであって、 石炭に責任を求めても無駄だ。 人間を人間扱いしないこともある程度は必要なのではないだろうか。

ただし、具体的に教え方を考える際には人間を人間扱いしないとうまく行かない。 それぞれ凄まじくバラバラだ。個性を考慮しない方法は確実に失敗する。 そして、個別に教えるということは感情のやり取りでもある。 事務的であってはならない。 しかし全員を最低レベルまで持っていく段階だけを考えるなら、 やっぱり個性はコスト要因なのであって、 個性を考慮すればするほど教え方が複雑化、 個別化して時間と手間を食う。 画一化と個別化のバランスをどこに置くかが極めて重要だ。 また、人間には潜在的には全員が教師になれるという特性があり、 これを利用して大幅なコストダウンができる。 人とのつながりが多そうな人に狙いをつけて教えてできるようにし、 そいつから周りに教えることを期待するわけだ。これは効果が高い。 加えて教えること以上に効率のいい学習法は存在しない。 一番できない奴であればこそ、人に教えるという勉強法が効果を発揮する。 演習の時間中べらべら喋ってるギャルっぽいのとかは、教えるのは大変だが、 一度わかるようになると波及効果が大きい。 また、こちらとしても「そんなところでわからないのか!」と勉強になるので、 できるだけ早めに接触しておくと、教え方を修正する上で有利である。 できそうに見えないタイプができるようになることはインパクトもあるし、 そういうのの横で時間を割いて教えることで、 私が本気で教えようとしていることをアピールできたりもする。 大抵の教師はそういうのを放置するだろうからな。 演習の面倒を見る際に誰から教えるかは極めて重要な戦術となるわけだ。

なんてことはやってみりゃすぐわかることだろ? なんて言いたいところだが、かなりの部分はひつじこからヒントを得ている。 ひつじこ、マジ優秀な教師だぞ。これを家の中にしばりつけておくのは社会の損失だ。 私が一人で独占していい人間じゃない。 早く働かせてやりたいのだが、 本人が一日中オタマと遊んでるのを嫌がってなかったりもするし、 もう二人くらい子供欲しいよね、というのもあって難しい。

ちなみに、人間に期待しない態度はひつじこからかなり学んだ。本当に容赦ねえ。 私は人間に期待しすぎて勝手に裏切られたと思っては スネることをずっと繰り返してきたわけで、 今でもそれが抜けきってない。 ひつじこから容赦のなさを学んでバランスを取りたいと思っている。 根本的なところの人類愛とそれが両立しているのは本当に稀有だと思う。

教育という生産プロセスを考える時に、革新のための鍵になることは、 「人間は全員が教師になれる」ということだと思う。 教える側と教わる側が別のものだとみなすと失敗する。 このことをどこまで活用できるかで、効率が全然違ってくるはずだ。 学校の授業とかも、もっと隣の奴とやり取りしながらやった方がいいと思うんだよな。 教師以外しゃべらない授業って非効率にも程があるだろ。 しかし、学校が変わるとは思えん。 どこかで実験するか。会社でなんかやるかな。

3章一応書き終えた。次のループで文章直したり図の場所を空けたりいろいろする。 whileループってこんなに説明難しいのな。

Computer Graphics Gems JP 2012という本が出ている。3000円台というから驚きだ。 最近専門書が安くていい時代になったものだと思うのだが、儲けは出てるんだろうか。 デカいし、そこそこ厚いし、カラーページも多そうだし、 結構コスト高そうなんだけどなあ。 なにせこのレベルの本を読む必要があって、 このレベルの本を読める人って日本に1万人もいないんじゃなかろうか。 しかもネタがネタだけに、5年は売れないだろう。 印税をなくしてその分コストダウンするものもあると聞くが、これもそうだろうか。 まあそういう商売の話はともかくとして、安値でこういう 本気度の高い本が出るのは本当にいい。 私は正直読めるレベルではないので、 その前にもっと基本的な本から勉強せねばならんのだが。 もっと理論的な基礎から書いてある本をみっちり読みたい。GPUとか後でいいよ。 まあ、すでに持っているphysically based renderingをちゃんと読んで、 自分でレンダラを作れ、という話になると思うんだが。

私もCGの本は書きたい。なぜならCGを勉強したいからだ。 これまで一応してきてはいるが、 正直全然駄目である。根本の理屈がわかってない。 私は前の時も「わからないから本を書いてわかるようになった」と公言しているが、 次の本もそうだ。この先書く本は全部そうだろう。 今書いている本は、「自分がどのようにわかっているのかがわからないので、 それをわかりたい」 という欲求があって書いている。 もちろん「日本人のプログラミングスキル習得コストを下げる」 という遠大すぎる目的があり、それが最優先なのだが、それを果たすには 自分がどのようにプログラミングをしているのかを これ以上なくはっきりと知らねばならない。 そしてそれは、自分が物を考える仕組みを知ることでもある。

CGについては、ソフトレンダラを書かないと絶対にわからんという確信を得た。 そして、ソフトレンダラを書くなら最初はレイトレから出発するのが楽だ。 あれは速度さえ度外視すれば 理屈も実装も簡単そうだからな。 レイトレから出発してひと通りやり、 それを順次並列化可能なアルゴリズムに置き換えて CPUのスレッド実行でその効果を確認し、 それが済んだらGPUに移していく。 ついにはDX9/OpenGLES2世代、つまり360/PS3レベルの絵を出せる 絵を出せる描画エンジン的なものが一つでき上がり、 アンドロイドのスマフォで動いてヒャッホウとか言って終わる。 その過程で最適化、ハードウェアアーキテクチャ、並列計算、数学、物理、等々の 周辺領域も合わせて理解できる。必要な知識は高校2年までの数学とC++だけ。 そんな本が欲しい。私が書く前に誰か書いてくれたら買う。 本当にそんな本が出るなら1万でも惜しくない。 1500ページくらい必要そうだけど。

今書いてる本は1500円で5万部売りたい。 そうすれば前と同じ印税率でも私の人件費は払えて、かなりのおつりも来る。 そうすれば会社に負い目を感じなくて済むようになる。 赤字では会社に負い目ができてしまうから駄目だ。 まあ、本には金以外の副次的な効果もあるから、 本当は赤字黒字にこだわる必要はないんだけどな。 面接で「この本読んだ?」と聞いて、どのへんまで読んだかを聞いたり、 その内容について2、3質問してどう答えるか見たりすることで 容易にレベルがわかる。これはとても便利である。 もちろんそれを狙って書いたわけだが、 書いてる最中にはこんなに売れるなんて思わなかったので、 本当にそういう効果が出るとは思っていなかったのである。 苦労は報われるなあ。次もそうあって欲しい。

洗濯機は基本性能で日立最強との評判。だが、騒音と振動がえぐいらしい。 ドラムがデカいのでモーメントがデカいのだ。しかもすごい風速の風で乾燥するので、 掃除機みたいな音が乾燥中ずっとしているらしい。 デカいことで洗濯と乾燥の性能がいいわけだが、振動と騒音は犠牲にしているわけだな。 それでもできるだけのことはしているようだが、 ドラムが小さい他社に比べればいかんともしがたい。 「マンションの2階より上には置きたくない」とまで言われているとなれば、 いつ引っ越すかわからないうちで買うわけにも行かないだろう。 洗濯と乾燥の性能不足は時間をかけることで補う他あるまい。やはりNA-VX5100Lだな。

ドラム式洗濯機や冷蔵庫はドアの開く方向が違えば別の製品だ。 途中で引っ越してレイアウト上逆のものがいい、となった時にこまる。 まあ引っ越したら買い直せばいい、といえばそうなのだが。 冷蔵庫と洗濯機合わせても30万しないわけだし。 引越しなんてそんなに頻繁にはやらない。

洗濯機とかそういうデカいものもヤマト運輸で運んでもらえるのか。大型家電が余って どこかで使ってくれるならそういうのの厄介になることもあるのかもしれん。

nasneはDiXiM Digital TVで見られそうだ。 番組が溜まってくるまでの間今のチューナも併用するとなると、 ケーブルが必要になるな。それは用意しよう。 土曜に洗濯機を見に行く前に注文してしまうか。

nasneの録画時間が3倍モードでおおよそ150時間くらいっぽい。30分で300番組か。 多いとは言い難いな。今のPCチューナは1/7圧縮で使っているが、 容量が240GBくらいなので、 やっぱり150時間くらいだ。減るわけではないし問題ないだろう。 予約をipodから出来るのは相当ありがたいはずだし。

2012年09月03日

ひつじこにプンスカされた。でもなあ。 外の世界はどうだった?とか聞かれても、 読書するか考え事しながら移動してて、 移動するからには目的があるわけで 移動が終わればその目的に集中しているわけだ。 なので、そのへんの人が何着てたとか、 空が何色だったとか、覚えてない以前に見てない。 私が興味を持ってゴリゴリ考えてることについて話しても なんかどうでもいいみたいだしなあ。 私は話す時は話すことに集中してしまうので、 「オタマを見て!」とか言われると二者択一になる。 会話はあきらめてオタマの相手をすることにならざるを得ない。 同時に二つのことができるような人間ならこうなってはいないわけで。

冷蔵庫と洗濯機は真面目に考えたいがなあ。 冷蔵庫はリンゴ10kgを余計に入れるくらいは大きくなるはずで、 それでも結構違うはずなんだよな。ただ、7cmでっぱるのは痛い。 洗濯機も今より15cmも奥行が増すのでかなり狭くなる。

ドラム式もここ2年くらいでかなりマシになっているという意見を見る。 バランスを取りそこねることはかなり減っているらしい。 乾燥で蒸気が外に出てえらいことになったりはしないし、 冷却に水をバカみたいに使うこともないようだ。 といってもプログラムがバグってていきなり終了したりする ケースもあったようなので、どうにも信用できないというのはある。 家電全般に言えることだが、 ソフトウェア制御が関わってくるとどうにも信用ならん。 ヘルシオとか明らかにソフトで損してるからな。

nasneあれば同時に2台のPCから録画を見られたりするんだろうか。 また、録画しながら録画済み番組を再生できたりもするよな。 このバッファローの機械でそれがれきない意味がわからんのだが。

なんつうか、世の中のソフトウェアが徹底的に信用できん。 使用人数が半端なくて揉まれてるか、オープンソースで趣味人がたかってるとか でない限り、基本ダメなものが世の中に出回っているのだと私は思っている。 家電だろうがデジカメだろうがPC用パッケージソフトだろうが同じだ。 そして恐ろしいことにゲームは比較的マシなのである。 本来ならゲームみたいな役に立たんものにではなく、 家電とかの人の生活に密着したところのプログラムこそまともであるべきだし、 そういうところに人材が集まるべきだ。ゲーム屋になるのは変な奴だけでいい。 にも関わらずそうなっていないのは、その手のメーカーが まともな金をソフトウェアの人材に払ってないからだろう。 まさか未だに形がないものに金をかけることが理解できないとか言うんじゃあるまいな。

洗濯機。設置搬入は可能っぽい。マニュアル操作でできる範囲も確認した。 評判もおおよそ調べた。NA-VX5100Lであればたぶん買っても大丈夫で、 干すという労働から開放される。

日本から技術者が流出しているという。会社がもうからなくなったり、 競合が育ってきたりすれば、 他へ行くことの魅力は相対的に増してくるわけで、止められることじゃない。 愛国心とか裏切りとかそういう心の話をしているのは的外れで、 これはもっと自然科学に近い捉え方をすべきだろう。 温度が上がれば反応が活発になるというレベルに自然なことだ。 止めたければ平衡が元に戻るように条件を変えてやればいい。 簡単に言えば、会社がもうかればいいし、競合に対して労働条件を良くすればいい。 会社がもうからないままで条件を良くするならば、 技術者の技術者以外に対する待遇を相対的に 良くする必要がある。事務屋や管理職などの給料を下げろということだ。 たぶんそれは難しいし、 それが正しいとも限らない。技術だけが重要なわけではない。

流出すること自体を問題視しないという考え方もありうる。 日本は製品輸出国から人材輸出国に変わればいい、とか言えばいいんだろう。 そういう経済を成立させられて、それが持続可能であれば、 新しい日本の形として考えられなくはない。 しかしそれは無理だろう。 人間を売って生きていくためには、人間の対価を貰わないといけない。 日本が海外から金をもらって人間を売れればいいが、そうはならない。 日本で教育された人は勝手に海外に出ていき、海外は日本に何も払わないからだ。 会社にしても、ヘッドハンティングした側がされた側に金を払うわけではなく、 個人が勝手に行ってしまうだけである。 そこで金をもらう方法を何かしら思いつかない限り、 人間が抜かれることは損害でしかない。 抜かれないようにするか、相手から抜き返すかどちらかしかないだろう。

しかし、抜かれるということは、そこに欲しい人がいるということだ。 十分に人材が育っていればわざわざ抜こうなんて思わない。 熱いお湯の熱が周りに散るように、 人材に関する格差がゼロになるまで引き抜きは収まらないということでもある。 自分の温度を下げたくないなら、断熱材を使うか、相手の温度を上げてやるしかない。 制度や待遇改善で軽減するか、相手に積極的に教えてやって 人材の格差をゼロに近づけるかのどちらかだ。 後者は実は合理的で、抜かれるくらいなら相手から 金を取って技術を教えてやる方がマシ、というのはありうる。 合弁するとか、ライセンス供与するとかいうのはそれなんだろう。 良く海外の企業とそれをやると裏切りとか言われるが、 タダで人を抜かれるのに比べれば 金をもらっている分マシとは言えるわけである。

でもまあ、相手がほしがってるのが技術でなくて人そのもの、というケースでは どうにもならんよなあ。例えば3DCGのスペシャリストみたいなのが ゲーム会社にいたとして、 それをソーシャル会社が引きぬくとする。欲しいものが3DCG技術なのであれば、 ゲーム会社がソーシャル会社に技術を教えてやることで引き抜きを防げるかもしれない。 多少でも金を取れるならなおいい。 しかし、欲しがっているのが「3DCGでスペシャリストになれるような人間そのもの」 だった場合、引き抜き以外の選択肢はない。 それに対する防衛は金を積む以外にはないだろう。 結局、会社をより魅力的な職場にするという根本的な努力が一番重要で、 それが一番確実だということか。 それにはまずはもうけることだろう。もうかってないとあらゆるところが駄目になる。

円高は国益、という人の本をちらほら見た。おおよそ考え方はわかった。 円高になれば資源高になってもダメージが少ないし、 海外資産に投資して、そこから上がる利益で生きていけるじゃん、 というわけである。もう日本は老人みたいなもんなんだから、 自分で働いて儲けようとか思わないで、 今まで稼いだ金を他人に増やしてもらえばいいじゃん、ということである。 年を取るとフローよりストックが重要になる、というが、 国に関してそれを当てはめるのはどうかと思う。 若い人は一体何をして生きていけばいいというのか。

生産と消費はどっちが大切というわけでもない。 しかし、個人レベルで見た時、消費は連続的に量を変えられる一方、 生産は採用されるかされないかで間がない。 働いてない人がいることのマイナスは少し大きく見積もった方がいいんじゃないのか。 能力のない人を雇うことの非効率さについては良く言われるが、 人をどう教育するかという観点がゼロなのもまずいだろう。

ドラム式。劣るのは、時間あたりの汚れ落ちであって、 時間をかければ縦型と同じだけは落ちるらしい。 ドラム式を買うということは、 つまるところ「もう自力で干さない」と決意することである。 そうでなければ買う意味が全くない。 自力で干さないのであれば、時間などいくらかかっても関係ない。 洗濯周期が一日一回であれば、24時間以内に 終われば問題は出ない。現実には4時間かそこらであり、全く問題にはならない。 多少時間が長くなっても全く問題ないわけである。 洗濯に時間がかかることが問題になるのは、 途中で介入が必要になる場合か、一日に何回か洗う時だけだ。 ドラム式が最後まで勝手にやってくれるなら前者の問題はなく、 一日あたりの洗濯量がドラム式の乾燥容量に収まっているなら一日一回で済む。 毎日5kg以上出るって相当大家族だろう。 というか、洗いすぎだ。

パナソニックと日立に絞られる。 東芝は異様なほどサポート関連で叩かれているので念のため除外。 問題が起こらない運がいい人にとってはいい機械であるようだが。 パナソニックはヒートポンプで、ドラムが小さい。 日立はヒーター乾燥で、ドラムが大きい。 ヒートポンプの長所は熱による痛みが少なく、終わってすぐ取り出せること。 欠点は、埃が溜まっていつか修理の人を呼ぶことになる公算が大きいこと。 ドラムが小さいとバランスは取りやすいが、洗浄力では劣る。 大きいと洗浄力は高いが、バランス取りで不安がある上に、そもそも図体が大きくなる。

単体乾燥機は熱と湿気が周りに漏れる。 水冷式ならこの問題はないはずだが、水を消費するし、 そもそも水冷式の単体乾燥機があるかわからない。 そして、洗濯後に移す手間がかかるため、 ボタンを入れて放置という訳にはいかない。 洗濯乾燥が一つの機械であれば、その手間はない。理想的に動くなら手間は最小だ。 問題は、理想的に動くのかどうかが不安だということである。 しかし、この不安はいつまで経っても買って試さないかぎり解消されない不安だ。 金の問題を度外視していいなら、試すのは早いほどいい。 楽をできる期間が増えるからである。 ドラム式とて発売後それなりに経ったモデルなら15万未満で買える。 数年耐えたところでこれが5万になるとも思えないわけだが、さてどうするか。

石鹸ならオタマに害を与えないのか。確認するには実験せねばならない。

日立も捨てがたいが、幅735はきつい。 デカいよ。あと、最大電力が1130Wとパナソニックよりデカいので、 ブレーカーが落ちる危険が高まる。しかし、全体に日立の方が質実剛健なイメージ。 サイトの使い勝手が悪いのは悪印象だが、ナノイーとかスピンダンシング洗浄とか、 そういうイメージ重視すぎるネーミングがないのはいい。 でも、日立の方が会社としては好みだ。 サポートが嫌な感じという意見は多いが。 パナソニックはそこにコストをかけてるんだろう。

2012年09月02日

家計簿。 コンビニ増えすぎ。ひつじこへの貢ぎ物と、 まともに食べられなかった時にコンビニで買い食いしているのが原因。 あと、ガス代、電気代、水道代がハネ上がっている。 オタマが痒がって昼間フロに入れてるのと、洗濯頻度及び洗濯の方法による。 それと、ハイドロコロイドの出費がエグい。

つまるところ、オタマの皮膚由来の出費をどうにかせねばならんということだ。 あと、糖質制限導入後の食生活を確立すればコンビニはかなり収まる。 逆に以前に比べれば衝動的な外食は減っているからな。 でんぷん系の外食はブレーキがかかる。 二日連続ラーメンを食べた時のダメージを思い出すに、 ああいうマネはそうそうしないだろう。 たまの機会にちゃんと二郎を食べる以外のことはしないと思う。 インスパイアはやっぱダメだ。

昨日ちょっとだけドラム式洗濯機を見てきた。なんつうか、未来だな、あれ。 nasneどうしよう。

2012年09月01日

排卵検査薬は中国製のDAVIDがいい。べらぼうに安いし、 日本の妙な法律のせいでネット販売ができなくなった日本製よりむしろ買いやすい。 あんな法律を作ってる段階で、日本は改革する気がないことを雄弁に語っているよな。

あの法律いつなくなるのかな。 零細薬局が消滅する日次第なんだろう。 私の行動範囲内に薬局だったとおぼしき建物が3軒ある。 うち1軒は私がここに住み始めてからつぶれた。 たぶん注意して見ればもっとあるだろう。 10年以内に廃業しそうな薬局も1軒ある。 町の電器屋さんよりも消滅ペースが早い気がするな。


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