だだもれ

2012年08月31日

2015年に年間の借金が半分くらいになるって本当か。 消費税5%で25兆も税収増えるのか? と思ったが、半減するのはプライマリーバランスの中での赤字だけだった。 なんだ。ある意味ちょっと安心した。そんなものが半額になったところで、 国債が増える速度は大して変わらない。 なにせ、プライマリーバランスにはここまで積もった借金の利子払いが 入っていないのである。利子払いを無視していい、 ということには一応理屈があった気がするが、 ここまで積もった状態でも妥当な理屈だったかどうかは思い出せない。 後でちょっと考えておこう。

利子分くらいは経済成長あるいはインフレするから無視してオーケー、 というくらいの理由だった気がするんだが、どうだったかな。 極端な話5000兆借金がつみあがったとして、 1%金利なら50兆だ。経済成長で50兆富が増えないといけない計算になるわけで、 やっぱりおかしくね?

オルソケラトロジーが安くなって、 持続時間が長くなれば選択肢に入ってくるんだがなあ。 寝てる間にコンタクトレンズを付けておくと、その形に角膜が変形して それで視力が上がる。毎日やらないといけないが、日中は裸眼でいられる。 変形を長続きさせる技術も開発中で、それがうまく行けば 使いやすさは格段に上がる。普及すれば値段も下がるだろう。

2012年08月30日

ダウン症児を抱える人達の組織が、 ダウン症かどうかを診断する新技術に対して怒っているらしい。 母親の血液検査だけで99%判定可能、 というのが今回の技術で、最初のうちは費用が多少高くつくにしても 手間や確実さ、そして10週で判断できて時間のロスが少ない。 触れ込み通りの性能であれば、普及するに決まっている。 怒ってもどうにもならんよなあ。

中絶や、生命の選別は倫理的に悪か。私にはよくわからん。 「倫理的に悪」ということの意味がそもそもよくわからん。 「社会を幸せにするか、不幸にするか」と言い換えれば多少は わかりやすくなるが、しかし結局は「みんながどうしたいか」 で決まるわけで、一人の人間や少人数の組織が「この技術は善か悪か」 なんてことを考えて判断すること自体に意味を感じない。 普及したならば、それは皆が望んでいたことだということになるし、 普及しなかったならば、それは望まれていなかったのだろう。 このダウン症診断は 中国やインドで問題になっている男女の生み分けと同じ構図だが、 少なくとも生み分けによって起こるような社会的問題は起こるまい。 となれば、それが普及することを妨げるものは何もなくなる。 それに、それでも産む人はいるんだよ。それでいいじゃないか。 もしオタマがそうだったなら、ひつじこは産んでいただろう。 妊娠する前からその事については話し合っていた。 むろん、「今だからそう言ってるだけだろ」、と言われても否定はしない。 正直できないし、もしそうなっていたら相当に慌てふためいただろうから。

水曜の外食で、予期せぬサービスでソバの量が多かったために 糖質摂取が過剰。酒のアルコール分解性能実験はまた今度にする。 単に飲みたい気分だったというだけなのだが。 次は単品で肉料理と豆腐か何かを頼んで終わりにしよう。 定食にすると澱粉を避けられない。多少高くつくが健康のためだ。 残せばいいじゃんと思われるかもしれないが、 私は出されたものを残せない性分なのである。 残す方が合理的だとわかっていても、モッタイナイ病が発症してしまうのだ。

余ってる小麦粉とパスタ本当どうしようかなあ。誰かにもらってもらわないと。 もう確実に食べない。

明日nasne発売。すごい勢いで情報が流れるだろうから、 1日待って問題がなければ注文する。というか、土曜の帰りに買えばいいか。

アメリカの赤ちゃんの半分が白人でなくなったという。 現状人口に占める白人の率は63%だが、いずれはこれが半数を割る。 予測では半分を割るのは2050年とかなり先だが、 重要なのは全人口に占める比率ではなく、 社会に影響を持つ年代における比率だ。 そう考えれば、2050年よりもかなり前に実質的な影響力としては 白人が半分未満に転落するはずである。 アメリカは統計だけ見れば、まだ人口も増えるし資源もあるしで将来有望に見える。 ただし、それは「今のアメリカ」の気質がおおよそそのままで推移していくならだ。 気質みたいなものが変わってくればそうなるとは限らない。 オバマ以前の大統領は全員白人だったわけで、 なんだかんだ言って白人主体の国だった。 そこに黒人その他もいることを「多様性」と呼んでいた。 しかし、白人の比率が減ってきた時に何がどう変わるのか、あるいは変わらないのかは 今のところなんともわからない。 どうなるんだろうなあ。

女性の労働力化率が低いのは社会にとって損失だ。間違いなくそう思う。 しかし、前の商店街の本を読んで、 高度成長期には女性を労働力から外す理由があったのだと理解した。 ありあまる人間を全員雇う余裕はなく、何らかの手段で雇用対象を絞る必要があり、 そこで男女差別という荒業を使ったのである。 そもそも、昔は女性の労働力化率は高かったのだ。 農家のお嫁さんは当然農作業をしていたわけだから。 しかし、農業生産性が上がったり、農作物の輸入が増してきたりすることで、 農業をやる人の数はすごい勢いで減る。 農村で余った人が都市に流れ込んでくることは必然だった。 都市に仕事がないとマズイ。しかし、そんなに仕事はない。 設備や教育コストその他諸々を考えると、 20万円払う人2人よりも、30万円払う人1人の方が合理的なことはある。 企業に人を雇う義務はなく、失業者が町にあふれかねない。 そこで、「扶養されてれば保険料払わなくていいよ」「バイトなら税金優遇するよ」 みたいな、「事実上当てはまるのがほぼ女性」になるような制度を作って 労働者の数を一気に半分にすることに成功した。 もし労働者の数が倍だったとしたら、完全雇用はさすがに無理だっただろう。 それに、男の失業者は男の生物学的特性から言っても害が大きい。 男は何かと行動が極端なので、犯罪に走る確率が高いからだ。社会不安の種になる。 もしあの段階から、機会の平等に留めず 「実際に男女の労働力化率が平等になるようにする」なんてことをしていれば、 男の失業者が増えてえらいことになっていたかもしれない。

しかし、高度成長期にそれがうまく行きすぎた。誰も想像していないレベルに成長し、 あっさり完全雇用してしまった。そしてうまく行ったものだから、 状況が変わっても制度をいじらないままになった。 きっとそういうことなんじゃなかろうか。 そして21世紀である。 理念から言えば103万の壁みたいな不合理な制度はさっさと潰すべきなのだが、 不景気で就職難なために、ある意味戦後と同じ状況になっている。 働きたい人が多いのに、仕事がない。仕事を増やすか、働きたい人を減らすしかない。 働きたい人を減らすために作った103万の壁をなくしてしまえば、 働きたい人が増えて余計に状況が 悪くなるかもしれないと思えば、改正には二の足を踏むだろう。 本来であれば、給料をもっと下げられるようにしたり、 クビを切りやすくしたりすることで 労働者全体に広く薄くコストを負担させ、若者に集中的にババを引かせるような状況を 改善すべきなのだが、そこは既得権益である。 すでに正社員になって甘い汁を吸っている人間は そういう改革を許すまい。それに、40歳50歳になってしまった使えない人を クビにしていい、という話になれば、阿鼻叫喚の事態になるのは目に見えている。 多くの人は「今の収入が維持、あるいは向上し、悪いことなんて起こらない」 という前提で 生活を設計している。それがいきなり裏切られると再起不能な状況に陥る。 自業自得なのだが、 自業自得で済ませるわけに行かないのが政治だ。 JALも東電も自業自得であっても国は援助せざるをえない。 そこを自業自得と言うならば、 その結果起こる混乱をどうするかという対策まで含めて一体でやらねばならず、 制度の改革はそう簡単ではない。 できれば、そういう人が定年するまで、 あわよくば死に絶えるまで、だましだましで行きたいのである。 大阪のバス運転手が異常に高給と話題になったが、 異常だからといってそれを今すぐ是正することが正しいとは 必ずしも言い切れないのだ。そういう人をクビにした結果、 犯罪に走られたり、自殺されたり、 ということが多発すればそれはそれで厄介なのである。 政治というのは結局「うまくやる」ことが求められる。 理念は必要だが、理念と現実の間には道を引いて地味に歩いて行くしかないのである。 橋下さんはそのへんどう考えてるんだろうな。

理想の解決策は、うちら既得権益を持っている側の人間が、 自発的に「俺らはもらいすぎている。削って新人に回せ」 と徒党を組んで要求することである。 そうすればもっと雇えるようになる。女性も増える。それによって会社が若返って 業績につながれば、結局はうちらも得をするのだ。 会社に言われて減らすのではなく、うちらが自発的に減らすことを求めるべきである。 もちろん、その分雇うという確約が取れればの話だし、 そうやって増えた人にきちんと教えていく覚悟をせねば駄目だが。 まあ、そこまでせずとも、何かしら自分でコストを払って 新人や未来の新人のためにできることをすべきだ。 私が本を書いたり講義をしたりしたのはそういう思いもある。 もちろん単純にやってみたかったとか、名誉欲とかの方が大きいが。

既得権益系の問題を解決するには、 既得権益を持っている人が自発的にそれを捨てざるを 得ない状況に追い込むのが基本なんだろうな。 まずは、既得権益を持つ集団のイメージを低下させる工作をする。 そういった集団が抵抗勢力であり、悪の組織であるようなイメージを広めていく。 また、自発的に既得権益を捨てる人が賞賛される状況を作り、内部分裂を誘う。 東京電力だろうが、喫煙者だろうが、正社員だろうが、日教組だろうが、 生活保護だろうが、 駅前再開発反対運動だろうが、先進国の農家だろうが、全て構造は同じだ。 ちゃんとそういう工作してんのか? 多くの問題は時間が経てば自然消滅するものの、 うまくやれば自然消滅を待つよりはるかに早く事を進められる。 反対勢力を結集して正面衝突する方法もあるが、 相手の団結を強めてしまうというマイナス面もあってさじ加減が重要だ。 橋下さんはそのへんどう考えてる人なんだろう。

まあ、大きな視野で見れば、既得権益を持っている人間は自分からそれを捨てつつ、 良い隣人として共存できることをアピールしていくのが最適解だ。 それを怠って争いになれば、 イメージ戦略を仕掛られて社会的な地位を失いながら惨めに滅んでいくことになる。 喫煙者やバイクの有様を見ればいい。正社員がああなるのは時間の問題だぞ。

先進国の国民はそれだけで立派な既得権益保持者だな。考えてみれば。 日本人は世界に貢献することで、 多少いい暮らしをしていても許してもらいやすい雰囲気を作らないといけないし、 あまり目に余る贅沢はしないように慎みを持たないといけない。 私は途上国の人何人分もの給料をもらっているわけで、 彼らの何倍もの価値を生み出して、それを彼らに納得してもらわねばならないのだ。

でも、私もらいすぎだよなあ。100万くらい減っても全然影響ない。 みんな金が余るなんて理解できないとか言うが、 絶対使いすぎだって。身の丈わきまえろ日本人。今の若い人達の状況見えてんのか? 大学出た人間の1/5は就職出来ない状況なんだぞ。 20年後にも給料を貰おうと思うなら、会社全体を強くせねばならんし、 日本全体も強くせねばならんし、 ひいては世界全体を良くせねばならん。 別に正義感とか博愛精神とか利他主義とかを持ち出すまでもなく、 私は私の未来のために社会に貢献する必要がある。

自分で言うのもなんだが、そう思ってそう行動してるから給料が上がるんだよな。 うぬぼれかもしれんが。 知らんうちに到底下っ端と言えないレベルまで昇進してしまった。 まだ休日出勤手当とかが出る身分だし、 それが出なくなる身分に上がる壁は凄まじく高いというので ここで終わりになる公算は大だが、ともかくもそこまでは来てしまった。 広い視野で仕事しろということであれば、その期待には応えねばならぬ。 まあ、本とか書いてて全然駄目なわけだが。さらにもう一冊書く気だったりもするし。 つうか、書きたいネタが5冊分くらいある。あの本もいい加減直したいしな。

竹島なあ。まあこのまま突っ走るだけだろう。韓国が好きとか嫌いとかの話ではなく、 領土問題というのは言うべきことは言って ナメられないようにしないと将来の火種になる。 メンツを守ろうとしていらぬ争いに発展することもあるが、 それはメンツが潰れかけるような状態になったからで、 その原因は日頃からメンツを守るための細かい心がけを怠ったからだろう。 竹島ごときではドンパチには至らないはずだし、 いい機会だからしっかりとナメられない日本に していけばいい。馬鹿にしたり嫌ったりする必要はない。 正々堂々と理性と誠意をもってやればいい。 2chの一部の連中は自重しろ。品格を疑われる。 事実について淡々と言えば十分だ。 もちろんそれは韓国も同様で、韓国は韓国で日頃からどこの国にもナメられないように しっかりとメンツのメンテナンスをしてほしい。お互いがそこをちゃんとしていれば、 協力が必要な時にも余裕を持って話し合いで解決できるはずだ。 せっかく実効支配してるんだから放っておけよと言いたいところだが、 こうなってしまった以上は韓国は竹島が韓国のものであることを、 世界の誰もが納得できる形で説明した方がいい。つうか、その説明聞きたいし。

韓国が裁判を拒否。なんで拒否するのか理由を説明する義務があるらしいが、 どういう説明をするのか興味津々。 webで調べてると韓国領である根拠が適当すぎて、 なんぼなんでもねえだろと思うレベルなわけだが、 実際問題どうなのか。恐ろしいことに、 韓国の人たちはなぜ竹島が韓国領なのかという根拠を良く知らず、 そもそも根拠が必要だとも思っていないと聞く。 もしそれが本当ならさすがに異文化すぎる。

3章はwhileの話なのだが、どう言って導入しようか悩んでいる。

代入文しかない状況において、画素を一個塗るのに1行のコードが必要だ。 VRAMはメモリにマップしてあるので代入文で画素を塗れる。 仮に画面全体を塗りつぶすなら1万行(100x100)のコードが必要になる。 しかし、こんな量は書きたくないし、実際お手本は500行でテトリスが書けている。 ということは、何かしらの方法で行を減らせるはずだし、減らすべきだ。 さて、プログラミング言語にどんな機能があれば行が減らせるか? 行を減らすには同じ行を複数回通るしくみが必要で、 その手段としては自動コピペと反復の二つがある。 自動コピペが関数で、反復はwhileだ。どちらが先でもいいが、 記述と概念の難しさ、そしてプログラムの本質に近いことから考えれば、 whileが先だろう。というわけで、3章はwhileを勉強します、となる。 これで3章が書ける。

私が唯一生身で知っている韓国人はすごくいい奴だ。 弟に頼まれたけどどこで買えばいいかわからないとかで、 ToHeartのキャラソンCDを買いに行ったこともある。 韓国人もギャルゲーが好みかと、やけに親近感が湧いた。 「これから弟は兵役なんだ」とか言ってて、 私は素直に「気合の入ってる国はすげえなあ。 日本とか一瞬で抜かれてくんだろうな」と思った。 実際そう言った。 また別の時に、「最近は韓国や中国も勢いがあるそうだが、 まだまだアニメは日本最強だな」 と私が言ったら、「悔しいなあ」とか言うので、 「まあ日本人は金持ちになりすぎて腑抜けてるし、 兵役とかで緊張感を保ってる韓国がそのうち 抜き去ってくんじゃね?実際アニメのスタッフはかなり韓国なわけで、 そのうち自分で作品を作るだろ」 みたいなことを言った。 そんなわけで、私の韓国人の印象はすこぶる良かったのである。 少なくとも大学院にいた2002年までは。 ここ数年入ってくる情報が残念すぎて辛いのだが、 なんぼwebやらで残念な情報が入っても、一歩引いて見ておきたいとは思う。 いやでも、さすがにきついぞ。

小学生までを除けば、あれが初恋だったのかもしれんなあ。 何分私自身がイマイチよくわかっていなかったし、 一度言い間違いとは言え韓国に対して侮辱になることを 言ってしまったことがあって、それがずっと負い目になっていたということもある。 今でもたまに思い出して後悔する。その時は怒ってるようには見えなかったし、 すぐ謝ったし、言い間違いであることを理解してもらえていた気はする。 しかし、それはそれとして、あれはずっと後悔している。 この前facebookでページを見つけたんだが、 友達申請はしてないので中身は見えない。立派な学者さんになってるだろうか。

みたいなことって、もう前に書いたっけか。書いたかもしれんが、いいや。 韓国ニュースを見る度に思い出す。

私は2000年までは韓国という国に関して全く知らなかったので、 「西側の発展途上国」以上のイメージは全くなかった。 戦争の時に迷惑をかけたらしい、みたいなことはあったが、 それはインドネシアやタイと変わらない。要するに、 タイやマレーシアと同じくくりでしか イメージがなかったわけである。 加えて、2000年に大学院に入って韓国人と同じ研究室になっても、 なにせ日本育ちで見た目も言葉も日本人そのものだったため、 正直外国人だと思ってなかった。 なので、あまり国籍を意識した会話をすることもなく、 韓国についての理解を深めることもなかった。 結局韓国についていろいろ知ったのはだいぶ後になってからだ。

韓国はキムさんが1000万人くらいいるそうだ。 イさん、パクさん、チェさん、あたりのメジャー苗字10個くらいで 人口の大半をカヴァーしてしまう。なお、韓国の苗字が少ないのではなく、 日本の苗字が異常に多いだけである。 それにしても、あの苗字は多くもなく少なくもない苗字だ。 日本同様庶民は苗字を持っていなかった国なので、 レアな苗字ほど貴族である可能性が高そうである。 マジモンの貴族家系だったのかもなあ。親御さんも学者だと言っていたし。

夏井さん、糖質制限の本書いてるのか。面白そうなので読もう。 しかし、いらんことを心配してしまう。

nasneはDiXiMのサイトに動作確認情報が出てからにする。 変にちらつくとかいう情報が出てくるので、待ち。

動作確認情報出た。土曜に買う。 いずれはiOSでも見られるようになる可能性があるが、有料アプリが必要。 現状はまだ不具合があるのか絵が出ないらしい。

種子さんのところのリンゴが売り切れてる。出遅れた。 つうか、去年くらいから種子さんムチャクチャ忙しくなってるな。 とりあえずにんにくだけでも確保しようと思ったが、 贈答品しか残ってない盛況っぷり。 そんなに評判なのか。とりあえず他で買う気せんし、 贈答品を2kg注文。他にも同レベルのモノを作ってる農家はいるはずだが、 探すのしんどいし、キロ単位なので外したくない。 この前ハイ食材室からスペインにんにくを買って外したのがトラウマ気味。 普通にうまいレベルだとは思うんだが、種子さんのに比べれば臭いがきつく、 とりわけ煮物系で少し置くとかなり残念な風味になる。 スパゲティに入れてすぐ食うならいいんだろうがなあ。 あと、形が不規則すぎて使いにくいのも困る。

産直やる農家には是非ともtwitterしてほしい。 こちらから定期的に巡回するのはしんどい。 メルマガがあればまだいいが、ないところも多い。

かぼちゃもとうもろこしもじゃがいもと同様でんぷん食材なので 糖質制限的にはアウトだが、 旬の味覚だし、食べ物の分散の意味でも捨てるには惜しい。 さかなだマートから入荷のお知らせが来たが、ちと高いな。 さかなだマートの人は信頼できるので、たぶんモノは相当いいんだと思うが、 しかしとやま農場の1.5倍くらいする。 これもひつじこに相談。

問題はとうもろこしが下痢につながらないかだな。 福島で少し食わせた時は大丈夫だったが、 うちでキロ単位で買えばそんな少量では済まない。 大量にゆでて冷凍保存するわけで、その光景を隠し通すのは無理だ。

2012年08月29日

EUの祭が佳境みたいだ。スペインの財政危機の記事を見て思った。 結局ドイツが金を出す以外に収まらんよなあ。 ギリシャくらいならユーロから出ていけたりもするかもしれないが、 さすがにスペインは無理そうだ。 緊縮財政するにも限度があるし、政治的な条件を考えればなおさら厳しい。 「金ないんで公務員の給料半分ね」とか言えないと思うんだよ。 あまり無茶を言えば「EUなんてクソ食らえだ!ドイツをぶっ殺せ!」 とかいう勢いになって ヤバイことにもなりかねない。 南欧は甘えていると良く言うし、たぶん事実だろうが、 それはそれとして、こうなってしまっている現実をそう簡単には変えられない。 とはいえ市場は待ってはくれないので、何もしないわけにも行かない。 ギリギリ我慢できつつドイツも納得するような 緊縮具合と資金援助のバランスを探るしかないということになる。 どうなるんだろう。そして日本も似たような状況に陥るはずだが、 どうするんだろうなあ。

政治がひどい。問責とかしてる場合か。 ドラッカーの言う通りだよな。政治の重要性は低下せざるを得ない、 みたいなことを言ってた気がする。 もう機能しないだろう。これだけ経済統合されている状況では、 一国で何かを決められるわけもない。 そして、これだけ民意が多様になっている状況では、 少数の政党で代弁するなどできるはずもない。 しかし厄介なことに、それでもなお政治は重要だ。 政治が重要で機能する前提で制度が組まれているので、 政治が機能しないことがそのままダメージになる。 みんなが政治や行政を見限って、 地域社会やボランティア団体で社会を回していく方向に 行けばいいのかもしれんが、そう簡単にも行かない。

国会は並列化すべきだろう。 500人だかが一箇所でワーワーやってて、何かで処理が詰まると 溜まってる仕事が全部止まる。 問責とかで祭をしてる間、重要な法案の審議は止まってそのままになるのだ。 10個の分野があってそれぞれに50人の国会があって同時に動く、 とかいう体勢にしないと どうにもならないが、そんなことはできるわけもない。 政府がすべきことを減らすしかないということになる。 とりあえず国でやってることのうち地方でいいことは地方に回すべきだ。 JRみたいに国を地域分割してくれ。

私は断然小さな政府派。しかし、敢えて叫ばなくても、 単純に20年耐えれば勝手に小さな政府になるだろう。 経済統合が強まればますます一国の政府ができることは減る。 貧乏になるし、人も減る。余裕がなくなれば公務員に給料は出せない。 インフラの維持も選択と集中が進み、田舎は切り捨てられる。 ギリシャのように助けてくれるドイツはいないから、 この未来を避けられるとは思えない。

10年以上前、私が中途半端に聞きかじった知識で政治に対して怒っていた時、 のじりんが「でも、今の日本に問題あるけ?」と聞いてきたことがあった。 言われてみれば、なかった。なにせ豊かで平和だったのである。 あの頃に比べれば状況は悪くなったかもしれないが、大差ないとも言える。 世界の目から見れば、明日の食料も知れないとか、 いつ戦死するかわからないとか、いつ密告されて粛清されるかわからないとか、 そういうレベルでない以上、問題とは言い難い。 でもそれはそれだ。日本に住んでいれば日本の問題は大きく見える。 それは自然なことだし、 実際生活にも直結してくるので関心を持っておいて損はない。

早くヘッジファンド来ないかなあ、なんて思いながらニュースを見ているわけだが、 買うとお礼のお手紙がもらえる国債が売られるという話を聞いた。 いよいよヤバイのか?そもそも復興債なんてものの存在自体が変だよな。 普通に国債を多く売ればいい。だって国債は安定的に消化できてるんだろ? 売れば売っただけ買ってくれる人がいると言うなら普通に売ればいいのだ。 別物として分けるのは、売れ残るのが怖いということではないのか。 あるいは、普通の国債を増やすペースを少しでも遅く みせかけたいということではないのか。 円売りを加速しようかなあ。ひつじこと相談の上で決める。

大混乱は値下がりで起こるものだ。だから、 値上がり方向よりは値下がり方向に多めに保険を掛けておく 方が良いと私は思う。円高より円安の方が起こる時の速度は速いはずだし、 起こった時のダメージも大きいと思う。

浜矩子って名前は良く見るな。一冊読むか。 あと、三橋という名前も良く見る。借りよう。 ドル50円を煽ってる人と、日本は破綻なんてしないからバンバン 国債を作って日銀に買わせろ、 と言ってる人、と聞いている。論破できるのか、 それとも考えが変わるのか、楽しみだ。

ツイッターの被フォロー数が随分増えた。380。これが現代のアクセスカウンタか。 これの増えた減ったで自分の価値が左右されると思うのも無理はない。 単なるアクセスカウンタに比べれば重みが段違いだし、 ミクシの友達の数のように馴れ合いが入り込む余地もない。

でも、「フォローされたらフォローし返す」とかいう馴れ合い丸出しな文化も あるんだろうな。でなければ、あんなにフォロー数と被フォロー数が 近い人が多くいるわけがない。そもそも、1000人とかフォローしてどうすんだ? タイムラインが音速で流れていくだろ。 全然見ない人でも義理で入れておいて、普段見ないリストに放りこんで放置、 というのが実情なのではないのか。

「初めてでもできる!カレーで学ぶ料理の基本」みたいな本を書く。 見えてきた。 3章どう書こう。5章くらいまで書いたらあとは結構単純作業だと思うんだが、 そこまでが辛い。

1クラス20メソッド、20メンバ変数、1000行未満、というあたりが 「マジヤバイクラス」を発見するための丁度いいしきい値な気がする。 まあ、1万行とかメンバ100個とか、結構よく見るけどな。 あと、一人あたりクラス数が100を超えたらたぶんヤバイ。これも良く見るが。

LEDの効率向上に伴って、ノートPCその他の画面の消費電力も落ちているのだろうなあ。 そういえば、ThinkPadX1carbonが発表されたが、なんか壊れやすそう。 X201sの不満はバッテリー寿命なので、 来年のX240か何かで劇的に改善されていれば買うかもしれない。 噂の技術革新が本当になされるなら、 スリープ状態の電池のもちが劇的に良くなるはずだし。

2012年08月28日

問題があって、選択肢が何個かあって、それぞれの長所短所を並べて、 何を評価軸にして評価するかを決めて、決断して、実行して、チェックする。 オタマの離乳食開始時期についてこのプロセスが機能しなかったのが敗因。 反省する。まあ当時はアトピーなんて運の悪い人がかかるもんで 関係ないし、よしんばかかっても大したことないんじゃね的な 侮りがあり、かつ、一般的に5ヶ月と言われていて問題が起きてないなら まあそれでいいんじゃね、という思考停止状態にもあった。 このことをこそ最も反省すべきだ。

はっきり言って、一般的にどうかとか、他の奴がどうかとかいうのは 全く参考にならない。専門家すら当てにならない。 栄養とか健康とかについての知識が 驚くほど当てにならないのはいいかげんよくわかった。 離乳食の開始時期なんて最たるもんだ。 webをなんぼ探しても、まともな統計を根拠にしたり、 生物学的文化人類学的な裏付けがあったりすることは全くない。 医者のサイトであっても同様。 「うちはこうしたけどこうでした」という報告は一定のデータとはなるが、 これもデータの数とサンプリングに問題がありすぎて参考にし難い。

LED電球がそろそろ高くても買うタイプの人には行き渡った頃だろう。 こうなると、そうそう壊れないというLEDの長所が欠点になる。 新型を出しても売れなくなる。需要が減れば価格を下げねばならなくなり、 あれだけ最初もうかっていたLED電球事業が一瞬でもうからなくなる。 買う側からすれば、もうからなくなってから買うのが正しいけどな。 特に新しもの好きでないならば、電球型蛍光灯が消え失せてからLEDに移行すれば いいと思う。すぐ明るくならないしガラスだったり紫外線が出たりするのが嫌なので 私は高くてもLEDにするが。

円高になる場合、その原因は二つに分けられる。 一つは外貨と円のインフレ率の差。もう一つはそれ以外。 インフレ率の差は損害にはそれほどつながらない。 例えばドルが円より5%インフレ率が高い場合、 おおよそドルで持っている株もおおよそ5%づつインフレする。 債権の金利の追従は遅れるにしても、 おおよそインフレ率が高いほど金利は上がるから、 丸々ダメージになるわけではない。 なので、インフレ率の差による分の円高が直接ダメージになるわけではない。 一方インフレ率以外の要因による円高は 長い目で見ればそんなに大きなものではなく、 待っていれば数年のうちに反転するのが常だ。 なので、インフレ率の差の分だけ円高方向に行くのだとしても、 外貨投資をしてはいけない理由にはならない。 でいいんだよな。

事実、ドル100円超の時代から積立で投資信託を買い続けているが、 おおよそプラスマイナスゼロだ。 サブプライムに、リーマンショック、そして欧州危機と どうしようもない数年間だったにもかかわらず損害はない。 もちろん、全額定期預金だった方がプラスは大きかっただろうが、 それは今だから言えることだ。

韓国国債の格付けが日本と同等に。日本もたいがいヤバいので、 日本と同じであると言うこと自体は それほどおかしくはない。日本全体の国力の評価と、国債の格付け が一致するとは限らないだろうし。 しかし、何故今上げるのだろう。意図がよくわからない。 誰かに買って欲しいはずなんだよな。 買ってもらうこと自体が目的か、 それによって値上りすることが目的か。 値上りが目的なら今持っている人に高値で売らせるためか。 上がった後売り浴びせて暴落させるための仕込みだと言う人もいるが、 そんなに美味しいんだろうか。 そういえば、何日か前に韓国国債が売れてる、 みたいな記事を見たが。

戦争は困る。 まさか、マジで竹島で軍事演習とかしないよな。 ちょっと前のニュースでは9/7にやるとか 言っていたが、「見直します」みたいなニュースもあったので、 さすがになくなるだろう。こんなショボい理由で フォークランド紛争ごっこは嫌だ。 竹島はあと100年くらいはこのままになるのが両国にとっていいと思うので、 韓国側が行き過ぎた分に若干のおまけをつけて押し戻せばそれでいい。 私が知ってる範囲では竹島に関する韓国側の主張は変だが、 向こうがああやって領土問題があることをわざわざ宣伝してくれているのだから、 こっちもすべきことをちゃんとしながら待てばいいと思う。 それより尖閣と北方領土の方がよほど問題だろう。

尖閣は中国自体が「あれは日本の領土」と昔言っちゃったくらいなので、 まあ日本なんだろう。 ただ、相手が中国なのでかなりがんばって争わないといけない。 北方領土はその点どうなんだろうか。 裁判やったら勝てるくらいに日本側に根拠あるのか? ロシアの実効支配っぷりは文句ないレベルで、日本側は70年近く何もしてない。 何兆出しても帰ってくるとは思えん。冷戦が終わった後ロシアが困窮してる時に 行動できなかった段階で負けなんだろう。 高度成長が終わって北海道本島の開発すらこれ以上進まないであろうことを考えれば、 仮に領土が増えたところで何もしないままになる。 もしあそこで資源が出るなら根室でだって出るだろう。 しかし、領土問題は単なる損得を超えたものなので、すべきことはしないといけない。 外交とか安全保障とかの問題だからな。 2島返してもらっておいた方が良かったと言えなくもないが、 それでナメられるのが嫌だったからそういう妥協はしなかったんだろう。

2012年08月27日

ギリシャとドイツの問題は、田舎と東京の問題と同じに考えればいいんだろう。 貧しい地方と豊かな地方が同じ国になれば、 貧しいところはより貧乏になり、豊かなところはより豊かになる。 ユーロの為替レートだけ考えてもそうだし、人間の移動によっても加速する。 日本の場合、東京から取った金を地方にばらまいてこの格差拡大を軽減していた。 そう考えれば、EUとして一つの国みたいなものでありつづけたいならば、 ドイツはギリシャに金を払い続ける構造にすべきだということになる。 田舎が一念発起してすごい経済成長を遂げる可能性がないとは言わないし、 田舎には田舎の強みがあるわけだが、やっぱり限度がある。 通貨統合された状態ではギリシャ独自の産業をがんばるのは不利すぎるわけで、 おおまかには養ってもらう存在になるしかないんだろう。 ギリシャ人が頑張って世界の中で存在感を持ちたいとか言うなら EUからは出ていった方がいいのかもしれない。しかし確実に生活レベルは落ちる。 福島県が独自に通貨を発行して日本から独立する、ってのはきついよなあ。

もしドイツその他の金持ち国が貧乏な国に毎年お金を渡す構造が 出来上がれば、EUは安定化する。 ユーロのレートは田舎な国があることを織り込んで安くなっているので、 ドイツは輸出が楽になって嬉しい。 ギリシャはドイツからもらう補助金を使って、 ギリシャの経済水準からすれば強いユーロの利点を活かして輸入しまくり、 豊かな生活を送る。 ドイツの労働者は周辺の貧乏人との競争にさらされて辛いし、 田舎の国は過疎っていくから、全てがバラ色というわけではないが、 しかし一つの国になるというのは結局はそういうことなんだろう。 それに、過疎るといっても際限なく過疎るわけではない。あんまり土地が安くなれば そっちに農業が移ったり発電所が移ったりといった逆方向の移動も起きるから、 長期的に見ればそれなりなところで安定するはずだ。

そういう状況をヨーロッパの人たちが受け入れれば、今みたいな騒ぎはなくなる。 今までもいろいろあったが、 なんだかんだ言って統合の度合いを強めて対処してきたわけだし、 今回もがんばって乗り切るのかもしれない。そうなれば今回の危機は落ち着くだろう。 逆にEUが終わりになるのかもしれんが、 それはそれで問題は解決するのでやはり落ち着く。

日本の財政は持続不可能で、歪みが日々大きくなっている状態だ。 いつか何らかの形で歪みが矯正されることになるのだが、 ヘッジファンドの人たちが目をつけて祭になる可能性も結構ある。 彼らは一番歪みが激しいところで祭を起こす。それが一番もうかるからだ。 今はそれがEUであるらしいが、そっちが落ち着けば日本に来るんだろう。 ヘッジファンドはハゲタカとか言われて嫌われているが、 本当に致命傷になる前に傷口をあけてくれるのであれば、 感謝したっていいのかもしれない。 平穏無事に推移すれば国債が1500兆円くらいは積み上げられるかもしれず、 そこまで行ってから破綻するとすごいことになる。 その前にハゲタカが日本国債の暴落を仕掛けてくれれば傷は小さくて済むはずだ。 今すぐやってくれないかなあ。

日本国債は安全だよねー、と言いつつ買う。他の外国人も釣られて日本国債を買う。 突然気づいたかのように「な、なんだってー。 日本国債が換金できなくなるかもしれないぞー!」と煽って、売る。 みんな売りまくる。暴落完成。 ただ、国債は大半日本人が持っており、今の状況で外国人が煽っても イマイチ効果が薄い。 空売りを使えば今この時点で外国人が持っている 必要もなくなるので少々複雑にはなるが、 とは言え日本人の保有比率が下がるほど暴落させられる確率が上がるのは確かだ。 じわじわと外国人保有率は上がっているし、国内の国債売り圧力も高まってはいる。 みんなワクワクしながら祭を始めるタイミングを見計らっているのだろう。 そういう仕事って楽しそうだな。ヘッジファンド漫画とかないんだろうか。 ヘッジファンドラノベとか、ヘッジファンドギャルゲーとかでもいいが。

ポンド危機みたいなのが日本で起こるとしたら面白い。 是非ともオタマが大きくなる前に済ませてくれ。 でも、中途半端なところで歪みを解放してしまうと 抜本的な改造に及ばないという危険もあるか。 借金が積み上がる度に2倍インフレして半額にするのが繰り返される、 みたいなのは嫌だ。

こういうビジネス系のセミナーって どんななんだろ。一回行ってみたいが、たけえ。 一体どういう連中がこの額を払って来るんだろうな。 自腹で来る連中がどんななのかも興味があるし、会社の金で来る連中がどんななのか、 そういうのに金を出す会社がどういう会社なのかも興味がある。 それにしても、ビジネス系セミナーって高いんだな。 CEDECの値段を考えれば確かにそんなもんだと思うが、 CEDECは技術ネタであり、何を学びに行くのかは明確だ。 しかしこのセミナーは何の話なのかさっぱりわからない。 それぞれの講演の概要すら明らかでない。 みんな実はその後のパーティーが目当てとかそういうことなのか? 私そんなパーティー行ったら気まずいだろうなあ。全く話しかけられずに終わるだろ。 CEDECのパーティーですら自分から話しかけることはほとんどできない始末なわけで。

糖質制限が二日酔いを軽減させるという。 アルコールの分解が遅い私なら本当か確認しやすい。実験は容易だ。 なお、日本酒には糖質が結構入っているが、100mlあたり5gくらいで、 米飯で言えばわずか17g分である。 日本酒は糖質が多いから焼酎にしろ、 とか言う人がいるが、一体どれだけ飲むんだよと聞きたい。 でも確かに飲む人は日本酒を一回に平気で4合くらい飲めたりするからな。 私はビールですら500mlあたりが限度で、エタノール換算で言えば25ml程度だ。 うちにある日本酒は20%程度ある原酒なので、125ml程度でもう終わりとなる。 でも、十分。

ちなみに、酒はひつじこの方が強い。原酒を 150ml以上飲んでも数時間後には抜けている。 私が同じ量飲んだら次の日にも影響が残るからな。 大抵300mlのマグカップに半分位入れて回し飲みするのだが、 だいたい2/3くらいはひつじこが飲む。

社内に食堂や売店を置く理由ってなんだろう。それは会社の負担になる。 使わない人は無駄なコストを負担していることになり、公平ではない。 全員が同じように恩恵を受けるわけでもないものを会社で金を払って用意するからには、 それが会社の業績に寄与するものである必要があるし、また、何らかの正当性も必要だ。 使わない人も納得させられないと駄目だ。 弁当の補助が支持を失うのはそういうことだろう。 結構難しいな。

社員の健康状態に関して会社が何か口を出すのは越権かもしれないが、 全然何もしてはいけないというわけでもないと思うんだよな。 残業など不健康にさせるようなことをしない、という禁止の方向だけじゃなくて、 まともな食い物を出す社食を置くとか、 自動販売機のラインナップや価格を操作するとか(茶をコーラより安くするとか)、 社内のスポーツ活動を助成するとか、 そういう積極的な手段に出るのはそんなに悪いことでもないだろう。 机の上にカップラーメンが積んであるのを見るにつけ、 うちみたいな業種で健康を無視するのは 長期的な業績を考えるとヤバいんじゃないかと思う。 肥満や極端な痩せ型、左右非対称な歩き方、強度の肩こりや腰痛、 というようなものもかなり良く見かけるし。 もし40歳50歳まで人間を使う気でいるならば、症状が軽いうちに手を打っておかないと、 後々業績を下げる原因になるんじゃないのか。 ここは日本なわけで、好きにクビにしたり給料を下げられたりするような状況じゃない。 そこにいる人間を最大限使える方法を考えないと駄目だろうよ。教育も含めて。

まあ、何が健康にいいかというのは案外難しいんだけどな。 糖質制限が本当にいいとしたら、 油少なめメニューは澱粉多めを意味するわけで、かえって不健康である可能性もある。 健康系の知見は結構基本的なところでうさんくさいからな。 それに、「ヘルシー食堂」みたいなのを作って安値で提供したとして、 社員がペヤングを好めばそれまでだ。 利用者が少なければ赤字も大きくなって持続できなくなる。 この手のことにはそう大きな金はかけられないわけで、 どういう形でやればコストパフォーマンスがいいのかは 結構面倒くさい問題だ。まあ社食はコストがデカすぎるので、 やるとしても他のもっと低コストな手段が軌道に乗って、 社員の健康意識が高まってからだろうな。

オタマにモモアレルギーが出たかと思ったわけだが、 あれたぶんアレルギーじゃないなあ。 風邪ひいて弱ってるところに、モモの太い繊維で下痢を誘発して、 普段なら消化できてる米その他が消化不良になって 腸を抜けて症状が出たと考えるのが妥当な気がする。 下手をするとモモが無関係ということすらありうる。 普段食べてるものの中にアレルゲンがあるんだよ。 普段なら消化で対処できてるというだけで。 米に豆に鮭に乳と、アレルゲンのリストの上位に出てくるもの がいくらでもあるからな。 モモアレルギーなんてレアなわけで、 直接原因でなく間接原因と考える方が妥当な気がする。

野菜の類は92度以上の加熱を3分以上やっているので、 一見固く見えるブロッコリーなどでも 繊維はボロボロになっている。 ウンコのなかにあからさまに出てくることはない。 一方、果物は生だ。一見水分が多くて柔らかそうな モモには太いセルロース繊維がごっそり入っており、 加熱していないのでそのまま出てくる。レーズンやナツメヤシも同様だ。 これが下痢の原因になるということはないだろうか。 モモとかマンゴーみたいに太い繊維が歯に挟まる類の果物は危険な気がする。 ちなみに、ピーナッツやアーモンドは加圧してかなりの時間蒸しており、 固く見える割に繊維はボロボロにしてある。実際ウンコに形が出てきたことはない。 玄米も同様。今にして思えばパンがやばかったんだと思うんだよな。 あれは水の存在下での長時間の加熱、 というセルロースを破壊する条件を通ってない。 下痢一直線だ。あの時にいくつかの食品が腸を抜けて アレルゲン認定されたと考えるのが妥当だろう。 粥にしても、加圧したご飯から作っていれば繊維の破壊が進んでいたはずだ。

果物はそんなに食べさせなくていいと思うんだよな。 もちろん、ビタミン源として、あるいは気晴らしとしての利用価値は大きいので、 いくつかの種類については常備しておく価値はある。 リンゴと柑橘類は保存が効いて安いのが素晴らしい。 これは年あたり合計100kgくらい買っていい。 バナナは楽で安いしいつでも手に入る。 いちごは季節であれば楽だし、冷凍物を買うという選択肢も出てきた。 ブルーベリーも油断せず一回の量を制限できれば冷凍がきくので便利である。 その他の果物は買わんでもいい。栄養的重要性は低いし、 だいたい高かったり保存性に難があったりして面倒くさい。 アレルギーさえ出なければ、もらったり、 どこかに行って出たときには食べさせるが、それだけのことではある。 桃はちと残念だったが、濡れ衣くさいんだよな。しばらくは試す気にもならないが、 風邪をひいていないときに少量食べさせる機会があればはっきりするだろう。

でだ。そうやって相手にする食材を限定すること自体は効率的でいいが、 今まではそれ以外のものが出てきた時にどうするかの対処を前もって考えていなかった。 もらったり、どこかに行った時に出たりした時にどうするかは決めておくべきだ。 本当にたまにしかないなら、 仮にそれで湿疹が出てもその後数日我慢すればいいと言えなくもない。 しかし、年5回以上あるならひつじこの精神が持たん。 前もって対処を考えておくとともに、疑わしい食べ物や、 安全な食べ物をリスト化しておく必要がある。

次の子の離乳は何で始めるのがいいのかなあ。 加圧して炊いたご飯から作った粥の上澄み、というあたりからが無難だが、 別に米じゃなくても良くね?というのがあるわけで、さてどうしたものか。 農耕前って何あげてたんだ?

糖質制限の江部先生のブログが表示されるまでに えらい時間がかかるのは私の環境だけか。 真っ白な時にもソース見ると文章は全部来てるので、レイアウト待ちだと思う。 アフィのデータが全部来るまで表示されないとか、 アクセス解析の何かにアクセスして返事を待ってるとか、そういうのだろうか。

人類は元々3,4年は乳をあげていたらしい。アレルギーやらアトピーやらの主因は、 離乳が早すぎて消化器ができてない状況でいろいろ食べて 感作が起こっているせいではないのか。 次の子は離乳を遅らせる方がいいのかもしれない。 あるいは離乳完了の時期を同じにするとしても、開始時期を遅くすることはできる。 オタマほどデカくはならんだろうが、 オタマのデカさはアレルギーという犠牲を払って得られたものかもしれない。 ただ、母乳をあげる負担もあるわけで、いろいろ考えて決めないといけないのだが。

まあ妊娠してから考えればいいよな。この前買った中国製のべらぼうに安い排卵検査薬が ちゃんと働いてくれればいいのだが。 一回分60円以下と、日本で普通に買えるものの1/3以下の値段だ。

糖質制限を知って以来、 人間の体がどういう生活を前提としてできているのかについてよく考える。 とりあえず離乳はもっと遅かったはずだし、こんなに澱粉を食っていたとも思えない。 6ヶ月より前に離乳を開始するのはたぶんまずい。それくらい小さいと消化器も 澱粉の最適な比率がどれくらいかはわからないが、 少なくとも一般的な現代人の比率は大きすぎる。 webを調べていると1歳まで離乳を始めないで育てて 問題がなかったケースも結構みつかる。 たぶん、うちらが食ってるものに手を伸ばしてくるように なるまでは何もしなくていいんだろう。 そうなってもそれを拒んで乳だけにする、 というのはたぶん不自然だが、そうなるまでは待てばいい。 それどれくらいだったっけなあ。日記を調べればわかるので、後で調べておこう。

オタマの湿疹はうちら二人による人災である可能性が高い。 何を間違った可能性があるのかはよく考えておかねばならん。 それがこれからの症状を緩和する上でも役に立つ。 でもまあ、2歳4ヶ月で15kg、100cm近くで、よくしゃべるし、運動能力も高い。 皮膚以外に問題はないのだ。全てを否定することはない。

オタマの離乳開始は2010/9/29。5ヶ月からだ。やはり早すぎたんだろう。 体重7.6kg。うつ伏せになって後ずさりしたり、寝転がったまま手を伸ばす程度。 この1ヶ月後には座ったり、つかまり立ちをしたり、 行きたい所へ這いずって行ったりしており、 少なくともこの段階までは待って良かったと思う。 7ヶ月の段階で湿疹が出始めているが、これそのせいだったかもなあ。 食う量が少なかったから症状も軽微だったという話で。

皮なしレンズ豆や皮なし緑豆のスープが離乳食としてはいいのかもなあ。 うちらもインド人やギリシャ人なみに そういうものを食べるようにしていけば、自然にそういうものをあげられるようになる。

二日連続ラーメン食べたからか頭の脂がえらいことになっている。 なんかかゆい。こりゃいかん。 CEDECの宴会で糖質を大量に食ったのもマズイし、その前の実家の糖質祭もマズイ。 ここ二週間くらいの食生活が駄目すぎる。 しばらく魚と肉とチーズとピーナッツで生きたい。

ちなみに、抜け毛も多い。ハゲはヤバいな。 次妊娠したら対ハゲ薬でも試してみようか。本当に生えてきたらおもしろい。

ココナッツクリームうめえ。karaというブランドのものがうまい。 何か料理に入れるつもりで買ってきたが、 味見してたらなくなってた。まあ大半飲んだのはひつじこだけどな。 ただ、調べてみたら栄養ねえ。こりゃ単なるカロリー源だ。飽和脂肪酸の塊。 しかし、水で煮るよりはこれで煮た方がうまかったりはするし、 蛋白質もないわけではない。 カレーとかこれで作ってもいいかもな。 問題はオタマがこの味を好んでくれるかどうかだ。

メバルはうまいんだが、小骨が多くてオタマに食わせるのが面倒くさい。 しかもオタマがやけに大量に食うので、5匹分くらい解体して骨を除かないといけない。 よく食べるだけに惜しいが、メバルはもうなしだ。

鍋に水をコップ1杯位入れ、昆布を敷く。上に魚を並べて蓋をして弱火でゆっくり蒸す。 魚には解凍時に塩を振っておく。 鍋の下に昆布ダシたっぷりの汁が溜まる。これをソースとしてかけて食べる。 オタマが良く食べる。同じ調理法をカレイでやってみよう。メバルは面倒でいかん。

オタマがイカの刺身を結構食べる。タコもそこそこ食べる。 消化が悪いというのはイメージだけで事実ではないらしい。 少しづつ量を増やしていって影響を見よう。食べられるものが増えるのはありがたい。

次はスケソウダラを買うか。前買った時は味がなくて残念な感じだったが、 メバル同様に 昆布ダシで蒸し煮して、ホタテを入れてドーピングすればおいしく食える気がする。 解凍時に塩を振って身を締めておくのも重要。 骨がメバルほど多くなく、しかもべらぼうに安い。 頭と内臓を取った後でキロ450円とか意味がわからん。 タラコ用に仕入れて身はいらないってことなんだろうが。 なお、手間とコストをかけて良ければアクアパッツァにしてもおいしいようである。 水で倍に薄めた白ワインで煮る料理らしい。 魚だけでなく貝を一緒に入れるのは明らかにダシだ。アサリがメジャー。 ワインの代わりに日本酒を使ってもたぶんうまい何かができるが、 コストがかかりすぎるのでやらない。 もう久しくうちの酒は料理に使ってないからな。うますぎて惜しい。

エビも結構安いんだよな。オタマが食えるか試しておきたいところではあるが、 エビのアレルギーは出方が激しいらしいので二の足を踏んでいる。 十分回復して体調がいい時に少量試す方向で行こう。冬以降だな。 あんまり怖がって食べさせないままだと大人になってから 猛烈に反応することもあるらしいしなあ。

さかなだマートみたいな水産加工会社は他の地域にはないだろうか。 北海道で揚がらない類の魚を似たような感じで買いたいのだが、 どうにも見つからない。この会社結構稀有なんじゃなかろうか。

在庫があるものだけリストに表示してくれたらいいなあ、 とお問い合わせフォームでお願いしてみた。 あのリストを手動で作ってるなら手間が増えるのできついかもなあ。 データベースから自動で拾いだして表示してるなら自動化できるだろうけど。

脂は必須の栄養で、澱粉を減らすためにも多めに欲しい。 そうなるとイカやタコや貝はあまり歓迎できない。 脂が少なくてカロリーが小さいからだ。うまいからいいんだが、主力にはしにくい。 もっともホタテはダシグッズ及び微量栄養素源として重要。 追加の手間なく内蔵ごと食えるからな。 鮭もできるだけ脂が乗った奴がいいんだが、 一年通して手に入るわけじゃない。 ブナ化した安物は年中買えて、それでもそこそこ食えるからいいんだが、 いつもそれでは味わいに欠ける。

ブナ化した安物の鮭(800円/kg)をおいしく食べる方法を編み出さねば。 一応真空気味調理だと柔らかくできて結構うまい。 オリーブオイルとスパイスやハーブを まぶしてからやったらかなりうまいだろう。 しかし、真空気味調理はとにかく手間と時間がかかる。エネルギー効率も悪い。 単純に焼いてうまければそれに越したことはない。 というわけで、メバル用に開発した昆布蒸しを鮭にも適用してみよう。 あれならあまり脂が落ちず、焼きのように加熱が強くなり過ぎないから 美味しく食べられる可能性がある。加熱時間のコントロールもしやすいし、 昆布ダシで旨みも増強される。

毎日のように洗濯してるんだが、面倒くさい。 ドラム式を本気で考えたい。しかし、ネックはワセリン。 ワセリンを落とすには高温が必要で、洗剤なんて役に立たない。 それにオタマの皮膚を悪化させかねない洗剤はもう使わないと決めた。

パナソニックのドラム式の洗濯機の説明書を読んで、 仮に買ったらどういうフローで洗濯するかを考えた。 まず、洗い+すすぎ2回で設定する。 風呂桶にお湯を入れて風呂水ポンプで洗い+すすぎ1。あとは自動で乾燥まで。 今はバケツにお湯を入れてそこから風呂水ポンプで入れているが、 それは洗い一回ですすぎなしで脱水するという 特殊フローだからだ。しかし、このドラム式でこれをやるには、 洗いが終わった所で一旦止めて、脱水と乾燥を別に 走らせる必要がある。すすぎなしという設定ができない。 それに、使う水の量が少ないので、 なんぼなんでも洗剤なしでは汚れ落ちが悪い可能性がある。 ならばもう一回洗いを追加すべきで、それにすすぎ1を使う。 お湯を使うためにはすすぎを2回以上にせねばならないため、 すすぎ2が走るのは避けられないが、 どうせ乾燥まで放置するのだから多少時間がかかってもかまわないし、 水が多少無駄になっても気にしない。

バランスが取れなくて脱水中にすすぎに入るトラブルは縦型でもあるが、 ドラム型の方が起こりやすいという話を聞く。 しかし、価格コムを調べる限り、近頃の機種ではそういう報告は稀だ。 出てくるのは2009年よりも前の機種で、2006年以前の機種は特に良く出てくる。 改善がなされたということだろう。 水を足してバランスを取ることは起こるにしても、 縦型に比べて水が少ないので時間もさほど増えないという。 パシーマをドラム式で洗う場合の使い勝手についても調べたが、 バランスが取れないという報告は見当たらない。 もしかして、すでにして縦型以上にバランスをうまく 取れるような改良がなされているのか。

洗濯機高いなあ。新型発売寸前に買ってすら11万か。 問題なく使えりゃいいんだが、買ってはじめてわかる不具合みたいなのが あることを考えるときついよなあ。 買うとしたら古いのも捨てずにとっておいて使えることを確認し、 駄目だった時に売り払う時の額も調べて最大どれくらいダメージに なるのかを覚悟する必要がある。

NA-VX5100か?なお、後継機種のNA-VX5200がもうすぐ出るが、 ヨドバシに出ている価格は25.8万。 家電って出たばっかりはそんなに高いのか? 旧型の在庫を残さないためにわざと高値で出してるんだろうか。 で、一年かけて半額くらいまで落とすと。

ひつじこにお誕生日おめでとうお手紙をもらった。感動した。 もちろん手書きで、絵まで描いてある。 いろいろあるが、幸せだ。

後頭部のニキビか何かがなかなか治らない。 食生活と睡眠時間を見直そう。ここのところダメすぎる。 そのためにもオタマの皮膚をどうにかせねば。

2012年08月24日

放射線の安全基準値が10倍だったら原発が爆発しても これほどの騒ぎにはならなかっただろう。 そして実際問題、10倍程度では目に見える健康被害は出ないだろう。 しかし、事の根本は放射線というものが普通の人の理解を超えていることにある。 わからないから怖がる。その怖いという感情を抑えるのは無理だ。 人間は合理的ではない。 もしずっと前から世界的に基準値が10倍だったなら何の問題もなかったのだろうが、 残念ながらそうなってはいない。そうなっていない以上、 いかに科学的に問題ないと言えたとしても、 今更基準値を引き上げることはできない。そして、こうなってしまった以上もはや 原発を新造することはほとんど無理だ。 原発依存度を何パーセントにしようかなどと話をしているそうだが、 原発の建造費を企業が自発的に払うとは思えないし、 税金で作ると言えば皆が怒りまくるだろう。 安全保障や経済から言えばエネルギーの選択肢は多いほど良く、 とりあえず実用にはなっている原子力という選択肢をいきなり捨てるのは無茶である。 しかし、それを普通の人に説得できる人が現れなければ、 原発はいずれ全部退役してゼロになる。 かなりの確率で0になるんだろう。 10年もすればかなりの人が忘れてどうでも良くなっているとは思うので、 こっそり作ることはできるかもしれないが、 ネット時代にそういうマネができるかどうかは怪しい。

太陽電池、風力、地熱、あたりの効率とコストを改善し、 蓄電池を安くし、できるだけ発電所を分散型にして 熱の利用効率を上げ、送電ロスを下げる。 そういう方向でとにかくやれるだけやるしかないんだろう。 いずれにせよ、これからの方向性は分散型だ。

クラウドと良く言うが、それ大規模発電所と送電網、 みたいな集中型の思想だよな。メインフレーム同様に。 端末からメインフレームと同じに見えている何かが 実はネットワーク的には分散しているかもしれないし、 安いPCの集合体だったりもするかもしれないし使う技術も違うだろうが、 しかしそれは実装であって、 使う側にとってどこか遠くでやってくれた結果がこっちに来ることでは同じだ。 データの操作には計算、蓄積、移動の三つがある。 計算と蓄積が集中型になることで 「どこのどんな端末からでも同じサービスを受けられる」という便利さが 出てきた。これが成り立つためには移動のコストが十分に安い必要がある。 帯域だけでなくレイテンシも重要で、ローカルに丸ごとダウンロードしたゲームと、 サーバ実行されて頻繁にロード待ちが入るゲームのどちらがいいかは、 それら移動のコストに左右される。

やっぱりクラウドゲームは絶妙な条件が満たされないと成立しない気がする。 移動のコスト低減の速度は、計算や蓄積のコスト低減に比べるとはるかに遅い。 インストール不要とか、機種非依存とかいうメリットは、 サーバ実行以外の手段でも完全ではないにしろ実現できる。 インストールはバックグラウンドでちょっとづつやられれば、あまり問題はない。 蓄積のコストが下がればローカルにデータがあっても邪魔とはいえなくなる。 機種非依存性についても、 ネイティブで書くのをやめて何らかの標準化抽象化をしてしまえばいい。 性能は落ちるが、計算のコストが下がるにつれて問題ではなくなる。 クラウドゲームとか言うためには、 ネイティブでないと辛い性能が必要で機種依存性をなくせず、 ローカルの蓄積コストが高くつくとかゲームの容量が 馬鹿みたいに多いとかセキュリティの問題とかでローカルにデータを置きたくなくて、 かつ通信のコストが耐えられるくらいに安く、 そのレイテンシがユーザ体験に悪影響を与えない、 という条件が必要だろう。 そのへんの機械では実行できないレベルの すごくハイエンドで馬鹿みたいな容量があるゲーム、 ということになる。とすると、NVIDIAが考えてるのは、 例えば100個のGPUで並列計算して初めて可能に なるようなすごいレベルのゲームなのか。 複数のプレイヤーを1プロセスでさばくようにすれば、 100人が同じステージにいるなら 100人が使うメモリを一箇所にでき、 計算も容量も劇的に削減できるから、 100倍のコストがかかるわけではない。しかしそれは、 クラウド専用の作り方をした場合だし、 バグって落ちた時に遊んでる全員に累が及ぶので作るのはかなり難しくなる。 とは言え、そういうやり方が合理的な領域はあるわけだ。 まともな品質のGIが毎フレーム計算されるような とんでもないものを電話しか持ってない人にやらせることができるとすれば、 たしかにそれはすごいことだ。 しかし、問題はそういう性能が必要なものを求める人が 巨大なインフラコストに見合うだけ存在するかどうかだよな。

オブジェクト指向について。

私はオブジェクト指向というのが何なのかを知らない。 私なりの理解はあるが、いろいろな人の話を聞くに私の理解が 彼らからあまりにもかけ離れていることを感じるので、 私はオブジェクト指向を知らないということにしておくことにした。

人間の脳の構造は連想である。また、作業記憶が小さいことから、 連想を何段階も行った時に その過程を把握するのが困難である。このため、 人間の思考の基本は、「今そこにある現象から原因を推測する」 という演繹にならざるをえない。 「結果を見て原因をでっちあげる」ことが人間の思考の基本だ。

一方、コンピュータは、メモリから数値を読んで、 何かの操作をして、メモリに書き戻す というあまりにも単純な操作を何万何億と繰り返す。 「何をして、次に何をして、その次は何をして」 と延々にある順序で操作を加えていく機械である。 人間がこのような機械を使いこなそうとする時、 人間はどのように脳を使えば良いか。

まず、人間は結果から出発するのが得意である。 これは問題解決能力の源泉だ。 普通なら何もせずにそこにある現象が結果だが、 問題を解決する場合には「こういう結果が欲しい」と欲しい結果をまずイメージする。 そこにある結果に対して原因をでっちあげるのと同様に、 この欲しい結果に対して原因をでっちあげれば、 これが目的達成のための手段となる。つまり、 「目の前にある結果」を「脳内で考えた欲しい結果」に置き換えて、 いつもの考え方を適用する。これが問題解決、あるいは何かを作る時の基本である。

ただし、「欲しい結果」に至るための「原因」、すなわち手段は、一個では足りない。 たとえばカレーを考えればいい。「カレー」に至る「手段」は「料理」 だが、「料理」と一言で言った所で何の解決にもならない。 もっと分解せねばならない。 「欲しい結果」についてよく考えて、 それを複数の要素に分解して、それぞれについてさらに手段を考えることになる。 例えば、カレーが「ご飯」と「ソース」に分かれるのであれば、 それらを別個に扱って、後で組み合わせればいい。 また、場合によっては要素の分解だけではなく、 工程の分解も必要だ。材料から一つの操作でソースを作ることはできない。 「切る」とか「煮る」とかいう時間的に連続した工程に分解する必要がある。 そして、「切るにはどうするか」「煮るにはどうするか」 といった個別の課題についてまた手段を考えていく。

プログラムを作るとは、おおよそこういう作業だ。 欲しい結果に至るために要素への分解と、工程の分解をひたすら積み重ねていく。 分解し、組み上げる。

しかし、この考え方には限度がある。 料理のメタファーが役立つのはかなり小さなプログラムまでであり、 もっと大きくなってくると料理とはいえなくなってくる。 例えば複数の料理から成るフルコースを考えると、 これは単体の料理よりもずっと複雑だ。 さらに、フルコースを出す料理屋を作るとなれば、フルコース単体よりも 複雑である。さらに、フルコースを出す料理屋のチェーン店を作るとなれば、 なおさらである。

確かにこのように大きくなったとしても、 丁寧に分解して行けば原理的には組み上げることができる。 しかし、人間の脳の能力には限界があり、 あまりにも多くの部品に分解してしまうと全容が把握できなくなる。 よしんば分解できたとしても、 それを組み上げて最終的な結果に持っていく段階で頓挫してしまう。 料理ならせいぜい3つくらいの要素に分解して、 それぞれを10かそこらの工程に分解すれば済むが、 フルコースになればそれがいきなり5倍になり、 店を作るとなれば全く別の概念も入ってきてもうわけがわからなくなる。 しかし、現実に料理屋も料理屋のチェーンも存在しているわけで、 一体現実はどうやってこのややこしさを 解決しているんだろう?と考えるわけだ。

答えは、「分業」。今までも、「ご飯とソース」 「切るのと煮るの」というように仕事は分けていた。 しかし、このくらいだと一人で全部担当できるし、使うスキルもあまり変わらない。 だから、分業というよりは仕事の分析というレベルにすぎなかった。 ここまでが伝統的な構造化プログラミングの思想だ。 しかし、フルコースになったり店の経営が入ってきたりすれば、 もう一人でやれることではない。 人を分けてしまった方がいい。 この「人」という概念をプログラムにも持ち込んだのが オブジェクト指向だと私は理解している。 料理人と経営者を別のものとして、分けてプログラムを書こう。 別の人が書いてもいいし、一人の人であっても、 「今ボクは料理人」とイメージしながら書けるようになる。 「人」として考えれば、他の人は他の専門家なので、 他の専門家のことはよく知らなくても一緒に仕事はできる、 という思想に自然に到達する。 経営のことをよく知らなくても自分は料理人なのだから料理に集中すればいいのだ。 考えることが減る。これなら脳の乏しい容量にも優しい。一旦この考え方が出来れば、 「人」を「組織」に置き換えることでもっと大きなものにも対応できるようになる。 チェーンの店一軒一軒をそれぞれ「人」と考えて、 「他の店のことは良く知らなくても、やり取りがちゃんとできれば問題ない」 といったことになる。村、町、市、県、国、 といった何段かに積み上がった階層構造も、 基本である「人」という形でイメージできてしまえばその応用にすぎない。 「アメリカの圧力」と言う時にはアメリカを一人の人のようにイメージしているわけで、 これは普段やっている自然な考え方だ。これをプログラムに持ち込めばいい。 逆に、車の部品のように人ではないものを人として考えることもできる。 例えばエンジンは複雑なので、人のように考えてやることができるだろう。 「エンジンはどういう仕事をする人で、 誰とやり取りをしているのか?」と考えればいい。 オブジェクト指向の考え方の素晴らしさは、 論理とデータの羅列にすぎないプログラムを、 普段の生活で親しんだ「人」のイメージで扱えるようにすることなのだ。

こう考えていけば、オブジェクト指向なんて当たり前のように出てくるし、 それが何のためにあるのかも明らかだし、 適用範囲、つまりそれを使うことで便利になるのはどういう時か、 ということも明らかだ。 「データと処理を一緒にする」とか言うのは本質でもなんでもない。 「その人が知ってることや、その人の状況は、当然その人に属するし、 他の人から必ずしも見える必要はない。 だから、その人がやる仕事と一緒に管理すればいい」。 カプセル化の概念も当たり前のように出てくるし、 それが当然のようにアクセス権のような概念も連れてくる。 経営のことを考える時に料理の手順の詳細を知る必要は必ずしもないのだ。 そこは料理人に任せよう。 ポリモルフィズムも継承も、プログラミング向けに改めて教える概念ではない。 概念は日常生活において皆がとっくに持っているわけで、 それをプログラミングにおいて実現するための手段として教えるものだ。 概念として教えてはならない。

そして、こう考えていけば、オブジェクト指向を過剰に適用する害は自然に避けられる。 家でカレーを作る時に「切る人」「煮る人」と分けるのは馬鹿馬鹿しいではないか。 どちらもそれほど専門特化が必要なスキルではなく、 時間的にも同時ではないので二人いる意味がない。 しかし、工場でカレーを作るなら「切る人」「煮る人」 に分けた方がいいかもしれず、導入の是非は文脈依存だ。 プログラミングにおいては、 「人と考えた方がわかりやすくなるくらい複雑か」が、 関数分割で済むか、クラスに割るかの境界線である。 手続き型で済ませるか、オブジェクト指向を導入するかの境界線だ。 だから、あらゆるプログラムにはその両方の要素が混ざっているはずである。 下の下までオブジェクト指向で書かれたプログラムなんて読みにくいはずだ。 「こうなって、こうなって、次はこう」と頭でイメージできる範囲のものを 何故「これをする人と、これをする人が、こういうやりとりをして」 と考えねばならないのか、ということである。 テトリスでそれぞれのラインやブロック、 マス目といったものをオブジェクトとみなすことが良いとは私には思えない。

題名いい案が浮かんでた気がするんだが忘れた。 家にかえる途中に思いついたはずだが、 メモする余裕がなくなるような何かが起こったんだと思う。 まあ毎度家に帰れば何かが起こるので、 そもそも歩きながらメモを取らなかった段階で駄目なんだが。

プログラムを書き始める寸前までまたゼロから書き直した。 0章と1章。なんとなく方向性が見えてきたぞ。 コーディング第一弾である2章を書いてみて、 考えている方向性で中身の説明もやれるかどうかを検討しよう。 たぶん10から15章構成くらいで、最後に実用言語への橋渡しで終わる。 おまけとして言語リファレンス的なものがつくが、比較的どうでもいい。 印刷する必要は必ずしもない。PDF及びHTML及でデータに入れるだろうし。

若干中二病。ところどころオレ理論を語る場所が入らざるをえない。

よしんば売れて評価されたとしても、激しく叩かれることは間違いなかろうな。 叩かれる覚悟をしよう、と言うよりも、積極的に叩かれるものにしよう、 という方が私の気持ちに近い。

もし売れたらSunabaにクラス拡張と関数ポインタを足して、 オブジェクト指向編を書いてもいいな。 もちろんオブジェクト指向なんて言葉は絶対使わないが。 私が考えるオブジェクト指向はたぶん世間的なオブジェクト指向じゃない。 無用な摩擦を避けるためにも、 使わない方がいいし、そもそも説明のためにその言葉を使う必要は全くない。 単に、「データと関数をグループ化するとこんなに大きなものを混乱なく書けるんだよ」 ということを言えさえすればいいのだ。ゲームは縦シューあたりが無難かな。 クラスや継承、ポリモルフィズムが馴染みやすい。

まあ、売れたらな。今のところ売れる公算は高くない。 これがすごく役に立つ人が世の中にいることは疑ってないが、 商業的な成功は別の話だ。この本がないとできるようにならんような人は、 たぶん本に金を払ってまで真面目に できるようになりたいとは思っていないと思う。 学校が買ったり先生が生徒に勧めたりせん限りは 安定的に何年も売れ続けるというわけには行かんだろう。 どうにか社会人に売る方法も考えないといかんよなあ。 学生及び教師のニーズばっかり念頭に置いて書いているので、 金を一番払ってくれる社会人のニーズについて全然考えてない。

仮に1500円で売るなら、単純計算前の3倍売れないと同じくらいもうからない。 前の本の半分のコストで書くなら、もうけは半分で良かろう。その場合でも、 前の本の1.5倍くらい売らんといかん。 理想的には5万部とかだよなあ。

本は関係者が全員もうからないと駄目だ。 私の人件費を印税でまかなうことは絶対条件だが、 それだけでは駄目で、可能であれば私が他の仕事をすることで もうけたはずの機会費用分をまかなうべきである。 また、売れないかもしれないというリスクを考えれば、 さらにリスクプレミアムを上乗せして当然だ。 危ない国の国債の金利が高いのと同じである。 「金銭以外の形の利益もあるはずだ」、 なんて言うのは甘えであって、それは他の仕事だって同じだろう。 だから、私は敢えて商売であると考えてやりたい。

まあ、ぶっちゃけ本は収益効率が悪すぎるので、 利益のことなんて考えるだけ無駄と思えるくらい絶望的に 駄目なのではあるが、そうであっても利益を出す努力をすることは 私の責任だと思う。 また、当然出版社ももうけなければならない。しかし、これに関しては出版社が 「やらないよりやった方が良かった」と思うラインはかなり低いので、 それほど心配していない。

5万部くらい売りたい。 やってみたら3000部で爆死して私の評判が地に落ちる結果になるのかもしれんが、 ともかくも野望は大きくせんといかん。そして、そのために最善を尽くす。 どういう本が5万部売ってるのか知りたいな。

2012年08月23日

基調講演。

CG映画であっても、結構描いた絵と合成して安く済ませたり、計算では出ない味を 出したりしてるんだなあ。実写が先にあって、そこに絵を合成するわけか。 マットペイントはショットが完成するまで関われるのが良かった、らしい。

ゲームでも事前にカメラが決まればマットペイントしていいんだろうけどなあ。 ガンゲーとか。実際やってるし。 アートを生かす方向性が同時にコストダウンになるならそんなにいいことはない。

アーティストっていうのはこういう言語で考えてるのか。 そりゃ会話を通じさせるのは大変だ。 もっと直接アーティストと会話できるようにせんとあかんよなあ。 でも、この人は技術もわかる人だ。単に絵がうまいというのからは程遠いところにある。

特撮すげーな。やっぱカメラ経験ないとダメなんだろうなあ。 いろんなところでその能力が効いてくる。

編集したらすごくいいドキュメンタリーになりそうだ。

自分の集中力が細かいところに向くか、大きなところに向くか。 人を使うか、自分でやるか。 自分の特性がどっちかは知っておくべきだろう。

アウトソーシングは長期的には利敵行為。将来のライバルを育てている。 しかも現在の経済格差という一時的な条件に依存している。 付加価値で勝負すべき。それはそう思う。 ただ、そう言うためにはコモディティに落ちないようにする何かが必要だ。 価格競争に落ちないためにどうすればいいのかがわからない。

ロボティクス。これ何の話するんだろ。未来UIの話かな。

歴史はいい。この歴史から入るやり方はなんとかならんのかね。 歴史から入るのがすべて悪いとは言わんが、 それがちゃんと伝えたいことを伝えるための 手段として成立しているかどうかだ。

モーションセンサーはどんどん安く高精度になっている。 カメラに関しては深度が取れるようになると変化が大きい。 全方位カメラも。多分野の進歩が相互に影響する。

モーションセンサー。慣性センサ方式。外部参照がない。MEMSってなんだよ。 とにかくそれが安くなって使えるようになったと。 地磁気やGPSなどの外部参照なしでは限度があるけどな。

地磁気+加速度。地磁気で方位が、加速度で重力方向がわかるので姿勢がわかる。

角速度センサーを使うと、積分して姿勢が求まる。しかし、当然誤差が溜まるので、 いまいち使い勝手が悪い。つうか、この場で式変形の説明しても仕方ないじゃん。

地磁気を使うと手ブレ分が追加されて振動する。 角速度は積分演算のおかげで手振れの影響が少ない。 応答性と絶対方位のどちらがどれくらい欲しいかだよな。 両方使ってうまく混ぜるのがいいんじゃねえの。 これそのへんのスマフォではどうなってんだろうな。両方取れるんだろうか。

何に使うかでダイナミックレンジを変えないといけない。 VITAだとそんな速く振らないので精度に振る。 個体差がでかくて面倒くさいらしい。 ARホッケーは微妙だなあ。名前と技術は面白いが、 リアルでいいじゃんリアルでと言いたくはなる。

タッチとカメラ。両面にあることでつまむとかねじるとか の別の入力形態が取れるようになる。 なるほど、つまむとかねじるとかは考えたことがなかった。 カメラは高感度。色より感度を取ったってことか。ARが第一用途ならそうなるよな。 解像度が犠牲になってるのも速度のためと。 カメラは外界情報を取り込むために使って欲しい。写真を撮るためのものじゃないと。 スマフォカメラであっても何かしらそういう方向に持っていければいいんだろうなあ。 帯域と処理速度、消費電力が落ちてくれば高画素カメラでも フレームレートが上がるだろ。

デバッガ。仕組みはどこのマシンでもおおよそ同じ。 ソースコードとデバッグシンボル。行番号、変数情報、スコープ。 命令アドレスと行番号の対応表。行番号にたいして複数アドレスあることは多い。 隣接していれば範囲でいいが、 テンプレートやインライン関数なんかだと 全然関係ないときがあって泣きたくなるな...。 「193行目に止めた時に192行目の処理が終わってない!!」 最適化があるときはどうにもならんよなあ。

デバッガ作る予定あるし、参考になるな。 もっとも、自分で作ってみてからじゃないとピンと来ないんだが。 とりあえず行番号とコールスタックとローカル変数と ブレークとステップ実行は必須だよなあ。 そこまで作れるか?

最近のARMはメモリでブレークする際に書き換え前に止まるらしい。使えるなあ。 ソースレビューにデバッガ使ってね、だそうだ。ありかも。

バンナムのコーディングスタイル。普通の自己紹介とかコトブキヤの話はいいから 本題に入ってほしい...30分しかないのに。社名もどうでもいいし。 この人の語りは面白いんだが、CEDECなわけで中身も欲しい。

「平均的プログラマ」なにそれ。「UTF8-BOM」無理なケースも。 「ファイルの先頭に作成者」邪魔なことも。「NULLポチェック」いらんこともある。 結局何一つ共通化できないと。まあよくある話だ。 強制しようとした、というだけでも驚きだ。すごい勇気だと思う。

コーディングスタイルと開発効率化に因果関係がない。何のためにやるのかという話だ。

保守性、再利用性、可読性は「別に困ってないしいいじゃん」。 計画が遅れるのはマネジメントの問題。 バグや勉強不足や設計は教育の問題。 つまり、コーディングスタイルは大して重要でないというミもフタもない 結論になったと。そうだろうなあ。

結局、問題は勉強不足であり、そこをどうにかするのが目的となる。 勉強会やセミナーの類はメンツが固定されるので、無いよりいいが確実ではない。 試験や評価は新たな問題を持ち込む。コードレビューは良さげ。 基礎知識集をまとめるというのはどうか?それはコーディングスタイルに 近いルール的なものになると。 ドキュメントがバンナムには向いているそうだ。 社員がドキュメントを読まない文化だったらまた別の手を考えるんだろう。

コーディングスタイル「ガイドライン」で手を打つ。 強制はしない。文句は読んでからいえ。

warningは全部消せ。#includeで絶対パスはなし。 #if-#endifの対応をコメントで。等々。

勉強会や社内ラウンドテーブル。勉強したくなるにはどうすればいいか? でもこれは、勉強が業務として扱われないと完全な解決は不可能だろう。 勉強や教育が業務であり、義務である、ということにならないと、 日々の仕事を重視してしまう。だいたい、業務が専門化して、変化に乏しくなると、 勉強の意欲は失われがちだしな。 「会社は勉強や教育に給料を払う」と明確にせねばならない。 でも、やっぱり「勉強はプロたるもの当然やるものだが、 それは家で会社に迷惑をかけずにやれ」 というのが多数派の意見になるんかなあ。

こういうのを会社全体でタスクフォースとか作ってやってるのがすごいな。 しかし、部署によっては我関せずだったりしないんだろうか。 しかし、強制しようとして反発されるということは、 強制する力の裏付けがあるということだ。 それがなければ無視されるだけで反発も起こらない。ということは、 開発全域ににらみを効かせる手段があるということなんだろうな。 いい面も悪い面もあるだろうが。

レンズ。趣味爆発なんだろうなあ。

レンズの個性や絞りが欲しいと。それもできれば自動で。それらしく。 ボケた丸になんか色がつく感じがそれっぽいわけな。 いい具合にテクスチャを用意してマッピングと。 具体的にどうするかはいまいちわからんが、 やってみればわかるんだろう。でも趣味だなあ。

アナモルフィックレンズ。横方向でつぶすレンズ。それを引き伸ばすため、 収差の類が横長にのびる。フィルムグレインも横長に。横に長細い青白いフレア。 青く光るのはかっこいいから。コーティングが青い。

わかっていたことではあるが、私はまだこの域ではないな。順番に勉強していこう。

西川さんの。パネルは消化不良になって終わる率が高いのだが、一応。

人数多いから自己紹介時間食うなあ。

deferredとforward+どっち?deferred派が多いなあ。結局DX11が必要という段階で 当分まともに使うのは無理だから無理もない。deferredが苦手なアンチも最近は 後でいいし。

forward+はテッセレーション走ったらきついよねー。メモリ帯域と計算のコスト比率、 半透明の重要度、そのへんの関数だろう。

リアルタイムなGI。sparse voxel octree GIってなんだろ。勉強不足だなあ。 GPUでボクセル化すると。 SVOGIでは空間可視化判定も一緒にできてGIができるだけじゃない。 アンビエントオクルージョンも一緒にできるって。 つうか、octree化のGPU計算ってどうやってやるんだろ。 考えりゃわかるんだろうが、なんともなあ。 しかも、毎フレームだろ?そんなことができるのか?最近のGPUは。

テッセレーション。使えるの?携帯機を本当に無視していいならの話だよな。 同じデータで上位機種でだけ使えるというのがせいぜいだよなあ。 ただ、例えば元データを曲面にして、低位機種では事前にポリゴン分割しておく手も あるはずだからな。低位機種で性能や品質が落ちるだろうが。 アーティストが自分で割った方が速いし奇麗に決まっている。 帯域計算力比がさらに傾けばテッセレーションの方が速くもなりうるが、 現状そんなに真面目に作られてないからな。携帯機に乗ってからでいいよね。

GPGPU。CPU側の並列化は先が見えているので、これ以外に未来がない。 携帯機であっても途中メモリ書き出しさえ対応してれば何かしらやれるからな。 メモリコピーの問題はメモリが統合型になれば解決するだろうし。 でも、いろんな種類のタスクがあるとパイプラインバブルがエグいんじゃね? シェーダその他の切り替えでバブルができない作りになってるといいがなあ。

人間キャラの表現。そろそろ非リアルや、挙動側での吸収に逃げないと辛いなあ。 マネキンくさいのはもうちょっとどうにかならんかとは思うが、 シャドウマップのノイズが未だに問題になってる現状では新技術どころじゃねえ、 ってのが本音だよな。 今までやってたことをもう少し余裕をもって無茶せずに やるのに性能を使うのが無難だろう。 いろいろやるために解像度やフレームレートやノイズの類を妥協してたのが 今世代なわけで、次世代でそれらを妥協せずに済むなら それだけで満足してもそう悪くない気はする。

オブジェクト指向とコーディング規約。 どうやって教えたもんかと思うからな。ヒントになるといいなあ。

そもそもオブジェクト指向の定義は人によるからなあ。案外バラバラだぞ。 この人の定義は何かな。 手続き型→オブジェクト指向の移行は大変と言うが、本当か? あー本当かもしれんな。「1面、2面」みたいにクラス割るバカがいると。 あーいるかもな。 でも、根本的なクラスの概念を教えてないせいな気もするのだが。

電子部品のイメージ。カプセル化されインターフェイスが 標準化され最小化されたものの集合と。 それは正しいが、さて、それをどう日常語で教える?

「オブジェクト指向エクササイズ(jeff bay)」「ThoughtWorksアンソロジー」。 この先生プレゼン工夫しとんなあ。見習うところも多そうだ。9つのルール。

凝集度、疎結合、無重複、カプセル化、テスト容易性、可読性、フォーカス。 フォーカスって何だ?クラスの意味がすぐわかるか、ってことかな。

1。1関数インデント1段。制御文一つだけ。え? えらい極端だな...理念はわからんでもないが。 分割して生まれた関数は、一箇所からしか呼ばれない。 そんなクラス内のさらにローカルな関数がヘッダに名を連ねてる状態は正しいか? 一つのfor文で一つのことしかするな。 え?ループの分割なあ。しかしこうすると、回転回数が 二箇所に書かれることになり、冗長性が増し、 修正コストが増す。さらに速度も落ちる。 このデメリットを許容できるか? findやaccumulateなどを使うことは有効ではあるが、覚えることを増やすことになる。 C++の糞でかい標準ライブラリの記憶を全員に義務付けるのか?

2。elseifとswitch追放。え?returnがたくさんあるコードの方がいいというのか? 出口が多い関数は対称性が綺麗なら読めるが、 そうでないと規模が拡大した時に全く読めなくなるぞ。 switchは速いぞ? 仮想関数呼び出しのコーディングの手間と処理負荷が許容できないケースもあるぞ? 場合によるとしか言いようがない。

3。基本型をすべてクラスにしろ。 たしかにそうすればメートルとキログラムを足すバカな真似は しなくなる。typedefで型名をつけろと言われたこともあったが、 それではコンパイルが通ってしまうからまだ弱い。 クラスを作ればそれを禁じられる。 だが、手間が半端ない。速度も落ちる。

4。1行に.はひとつ。まあこれはそれほどおかしくはない。 container.animation.node.curve.find()みたいな ことをやめろってことだろ?だが、 こうせねば速度的に耐えられないケースもある。 一旦変数に書き込んで短くすることはあるが、それは本質的な差ではないし。

5。名前を省略しない。まあこれは正しい。とりわけ関数名が長くなるのはほぼ愚かだ。 何なのかがわかってないからそういうことになる。 しかし、変数の場合スコープによって名前の長さは異なってくる。 スコープが大きな変数が絶対にありえないとは言い難い。 メンバ変数はそれなりに長くなることが多い。 クラスの数自体が複雑性をもたらすわけで、 小さいクラスに分割するのが行きすぎればクラスが多くなりすぎて 全体像が把握できなくなる。それは、大した仕事でもないのに人が たくさんいるのと同じ状態だ。一人で複数の仕事を持つようにして 人を減らした方が見通しがいいことはそんなに少なくない。

6。小さくする。関数とか、クラスとか、ファイルとか。 1クラス50行。10ファイル/パッケージ。仕事はひとつ。 だがな。科学技術計算や複雑なAIの計算等々が 入ってくるとどうにもならんことは多そう。 例えばGJKの計算コアとか、連立方程式を解くプログラムとか。

7。メンバ変数は2つまで。いやー。クラス増えすぎじゃね? まあ、確かにメンバ変数多すぎで、中に構造体かクラス作ってグループ分けしろ、 と言いたくなることは多いから、おおよその方向としては正しい。 これは教育のために極限の話をしているわけだから、この考え方は有益だ。

8。ファーストクラスコレクションって何?私本当用語知らんな。 vector、listも基本型と考えてラップしろ。 メンバにその手の集合型は一個にしろと。 まあ、一個であるべきか二個であるべきかは程度の問題だからいいとしよう。 少ない方がいいというのはそりゃそうだ。5個10個はやりすぎだからな。

9。get,set,プロパティを禁止する。 これがたくさんあることは設計ミスの現れだから わからんでもない。だが、ゼロは無理だ。例えばライティングの制御クラスがあって、 パラメータを設定する時にどうする。値がひとつだけ欲しい時はどうする。 そういう要望がある段階で設計ミスと言うのか? もちろんこれは程度の問題で方向性の話を言っているので、それは正しい。 例えばgetして足してsetする、とかならそりゃmove作るわな。

教育用としては考えられる。 ただ、どうしても下位が上位にアクセスする構造になりやすい。 PlayerがRendererを知らないといけないとか。 もしC++に「このメンバはこの関数/クラスに対してのみpublic」 みたいな真似ができれば 複雑度は落とせるが、そんな真似を始めた段階で終わりだ。

このルールでテトリス書くと見通し悪いなあ。 「こうなってこうなって」という自然な考え方が 一切できなくなる。人間の作業記憶バッファの大きさに対して自然なサイズまでは 手続き型であるべきではないか? オブジェクト指向はそこに収まらないものを収めるための手法ではないのか?

言語機能に習熟することを重視するタイプの人だなあ。私とは真逆だ。 記憶と計算のコスト比率によって適正な方法は異なるから、 いろんな流派があっていいんだが。

レンダラーが抽象クラスか。二個以上あって、 速度の問題が無視できるならいいんじゃね?

オブジェクト指向は正直よくわからんな...正直。 ルールを守って体験してるうちに見えてくる、という方向性が正しいのか、 折々どうすべきかを考えながら進むのが正しいのかだよなあ... 果物たくさん見てるうちに果物のイメージが出てくると期待するのは私はきついなあ。 頭がいいやつほど果物のイメージ抜きでリストを丸暗記しちまうんだよ...

jeff bayという人はこれで10万行書く気らしい。 なんつうか、プログラマって変な人種だな。

「アジャイルソフトウェア開発の奥義」。 こういうの読まないとプログラマとしてはダメなんだろう。そのうち。

単一責任の原則。クラスを変更する理由は1つ。状態変数がひとつしかないのが理想。 うーん。クラスって巨大な手続きの集合体を 人間の脳に優しい構造に見せかけるための虚構だろ? 実体はあくまでもアセンブラの列なわけだから。 電子部品の例で言えば、結局VLSIになっちまってるわけだよ。世界は。 unix文化は特殊な連中の文化で、結局 パッケージ化された巨大アプリが世界を支配しているわけだ。 それが人間の脳にとって自然だってことだろ?同じ機能であっても文脈が異なれば 異なる認識をされるわけで、別物として用意してもいいんじゃないか? というか、 そうせざるを得ないんじゃないか? オブジェクト指向が「バカでもプログラミングできるようにする工夫」 であるならば、人間の脳にとって自然になるところで止めておく べきな気がする。

疎結合。問題領域と実装領域か。理屈はわかる。 しかし、sphereがrendererを見るべきか、 rendererがsphereを見るべきか、 rendererがsphereの中身を渡されて終わりにすべきかは場合による。 squareやrectangleなど多数ある場合、最初のだとクラス間関係が増える。 次のやり方だと先に作ってあるであろうrendererを後から改造せねばならぬ。 最後の奴だとgetterまみれになる欠点はあるが、クラス間関係は少なくて済む。

1クラス数百行にはなるんだよな。 100万行のコードを考えた時、100行だとクラスが1万個になるんだよ。 1000行なら1000個で、まだどうにかなる。 もっとも、ゲームで100万行行くのは何かおかしいんじゃないかと いう気もするので、これに関しては保留。 「プレファクタリング」という本がいいらしい。

規約の意味、理念を理解して使おう。それはもっとも。例外はあるからな。 ガイドラインとして使えというのはバンナムも言っている通りだし、賛成。 練習で無理やり試してみるのはいいかもな、と。 「パターン指向リファクタリング入門」。

本いっぱい出てきたなあ。こういうのを読むのがプログラマなのか。

CEDECのレポートとか書いてた。まあ日記をまとめて意見とか書いてただけなんだが。

2560x1440とかのモニタが8万で買える時代になってるんだな。 もし家で仕事するようになったらそういうのを2枚差して仕事しよう。 会社もそのうちそうなるのかなあ。 そういえば私が入った当時はブラウン管だったわけで、ずいぶんと進化したものである。

新聞がヤバイとかよく聞くが、案外しぶとい。 家の周りに新聞屋が3つあるが、そのうち1つでも潰れたら いよいよということだと思うことにしよう。 もしかしたら何年か前の記事になったように、 消費税が崩壊の引き金を引くのかもなあ。 増税と言われると生活の見直しをしたくなるものだ。 新聞が多少値上げしてもそれ自体は大したことではないが、 「どうせテレビ欄しか見てないしこの機会にやめるか」 と思う家庭は多かれ少なかれ出る。 そういう展開を希望。

とりあえず、うちの両親が新聞を取らなくなるくらいの 状況になったら面白いな。惰性以外の何物でもないが、 年を取ると惰性は相当に強力なものになるのだ。 とりあえず解像度が上がったiPadを改めてプレゼントしたいところではある。 文字情報の読みやすさが段違いだからな。 次世代はもっと軽くなるとありがたい。今世代のiPadはちと重い。

実家のテレビが32インチで25万した時代のもの。 10年は経ってないはずで、大した進歩だと思う。 今なら40インチでも6万とかだからな。もう買い直してもいいんじゃなかろうか。 消費電力もエグくてかなり熱出してるし、なんか色もおかしくなってきた。

2012年08月22日

教育をどれくらいすべきか。現場の感蝕から言えば、 教えないとできない奴なんていらない。 自発的に勉強してできるようになる人間を選抜し、 後は放置というのが一番効率がいいと思ってる人はたぶん多い。 「プロたるもの自分で勉強するものだ。もちろん家で」 という雰囲気が漂うところは多いはずである。 教育を仕事として業務の中でやることは短期的には効率の低下をもたらすため おおよそ歓迎されない。使えない新人には単純作業をやらせて放置しておくのが 一番効率がいいのである。しかし、これは言うならば ゴミを家の外に放り出して良しとする思想であり、 長期的には公衆衛生の悪化を招き、皆が損をする。 そこで次に考えるのは、使える奴だけを採用するという考え方だ。 しかし、面接ごときではそうそうわからないし、作品提出だって どこまで自分で書いたかなんてなかなかわからないから、これには不確実性がある。 そしてそもそも、選抜できる贅沢な状況にある企業はさして多くない (採用を絞っているがゆえにその枠の中では選抜できる状況にあったりはするが)。 いい人はもうかる会社に行くに決まっている。 そうなると、「大学で教育してくれればいいんだよ」と大学に期待する 考え方が出てくるが、他人に期待するのは難しいし、 大学には大学の言い分がある。 できる奴を選抜して鍛えれば他が放置状態になり、 やはりできない人が社会にバラまかれることになる。 安易に選抜に偏るわけにも行かない。 しかし全員をちゃんと教えるだけの余裕はなく、 それをやろうとすればレベルに関して妥協せざるを得ない。 全員が50点を取れるようにする教育と、大半0点だが一部が100点を取れるようになる 教育の間でどこを取るか、という話だ。

最高の解決策は、全員に100点を取らせることができるくらいに 教育のコストが下がることだ。これが不可能であるとしても、 その原則は忘れてはいけないと思う。限られた資源をどう分配するか、 という考え方だけでは全体の改善がなされない。 経済と一緒で、どんなに配分を平等にしても、全体の規模が小さければ やっぱり裕福とは言えないのである。経済成長なしではどうにもならないのだ。 今の教え方は十分に効率的なのか、ということは常に考えるべきなのではないか。 いろんな人と話をして、「優秀な人が来てくれるくらい会社をもうけさせればいい」 とか「やる気がある奴に集中して投資すべきだ」とか 「コスト配分や配置に問題がありすぎるのでそっちが先」いう意見の方が まっとうに思えてきたりもするが、 そういう考えに基いた行動はすでにされているし、これからもされるだろう。 私一人くらいは即効性のない地味な効率化に取り組んでもいいんじゃないだろうか。

なるほどwhileループが書けない人を書けるようにする、 ということはうちらの仕事を改善するのにはほとんど役に立たない。 whileループが書けるか書けないかなんてレベルの人はどうせプロになれないからだ。 しかし、例えば大学一年生の5月にwhileループが書けなくて 嫌になってプログラミングから去る人がいるとして、その時点でwhileループを 書けるようにしてやれれば、彼はその後の4年間でプログラミングが できるようになるかもしれない。人間の能力は一次元の数直線上に乗るものではなく、 whileが理解できない時期があったからといって、 そこを理解した後にオブジェクト指向プログラミングに到達する速度が 劣るとは限らない。人は多様だ。いろんな人がいろんなところで引っかかる。 引っかかりが初期に来た人が劣るとは限らない。 初期の引っかかりを除きさえすればあとはグイグイ伸びる、 なんてことは珍しくないのだ。授業でそういう人は何人も見た。 ループで線書けなくてどうすんだよと思ったが、 そこをどうにか越えさせれば2週間で独自のゲームを 作れてしまったりもするのである。

潜在的な能力に、言われているほど絶望的な差はない。 向いていないことでも、現実的な教育コストで一応のレベルまで 到達させることはできる。 やる気が独立変数ではなく従属変数である可能性を考える必要があるのではないか。 やる気があるからできるようになる、というのは本当か? たまたま上達できる人間だったから面白くなってやる気がわき、 それが正のフィードバック効果をもたらしているだけではないのか? 最初につまらんところで引っかかって投げ出す、 というところを防ぎさえすれば、上達して、面白くなり、やる気が出る、 というフィードバックを始動できる確率はグンと上がる。 それを中学高校あたりでしっかりと仕込んでおけば、 全然違う結果になるのではないのか。

だいたい私にしてからが研究から逃げ出した逃避先がゲームだっただけだ。 しかしやってみたらできて、できたので楽しくなり、 そんなこんなで偉そうに本を書くくらいになった。 小さいころからゲームを志して一直線、 みたいな人はそりゃ最高だろうし、そういう人は職場にいてすごいと思うが、 そういう最高の人間だけで組織を作れるかは甚だ疑問だ。 そして、ゲームがなんら新しくもなんともない代物になった現代において、 そういう人が出てくる可能性はそう高くはない。 さらに、昔と違って市販のゲームは高度化しすぎており、 それを自分で作ろうと志すのには無理がある。

2012年08月21日

自民党が解決しなかったせいで民主党のせいじゃない、 という人がいる。しかし、自民党が解決できなかったことも含めて引き継いで 政権を握った以上、民主党は自民党のせいにして逃れることはできない。 嫌なら政権なんて取らなければ良かったのだから。 それに、尖閣にしろ竹島にしろ容易に解決などできない問題であり、 かけひきしつつ一見何もしていないような状態を保つだけでも結構大変なこと のはずである。少なくとも尖閣は実効支配できていて上陸されたり 漁船が侵入したりすることはなかったし、竹島に大統領が上陸することもなかった。 水面下のかけひきを民主党政権が怠ったために今こうなっているとすれば、 これは民主党の責任ということになるだろう。 まあこれは昨日平氏が言っていたことで自民党側の言い分なのだが、 納得できる言い方ではある。 鳩山が基地問題で日米関係にヒビを入れ、 周辺諸国が日本をナメてかかりやすい条件を整えたのは事実だろうし。

尖閣に上陸した人達をそのまま返したことが正解か間違いかはよくわからないが、 逮捕して連中を英雄にしてやることは確かに望ましくないよな。

自民党のせいにする発言をした奴は無責任野郎として信用しない。

CEDEC二日目。

認知科学。プログラム駆動の娯楽は魅力的でありうるか?という問いは面白い。

心の機能、脳と身体。 「ゲームをどういうふうに心のなかで行なっているか」と問うわけか。

目標の意識が強いほど人間として強くなる、ということな。 結果から原因を推測するのは人間が勝手にもっている能力で、自動的に働く。 しかし原因から結果にむけて考えるのは自動ではなく、 不自然な知性に頼らねばならない。 だから予測できる人は少ないのか。 そして、その不自然な知性を前提とするのがプログラミング。 プログラミング教育とは、いかにして不自然な脳の使い方を自然に 学ばせるかというところに帰着する。

感情の機能は、思考のコントロール。

認知科学が急速に発展していると言う。 ここ20年のMRIその他を使った研究がすごいらしい。 さて、それはどう社会を変えるのか?どう応用され、どう幸せを増やすのか? とりあえず本読むか。話聞いてもわからん。

大学教育をどうするか?もともといろんな能力があり、 それをどう発見させるか。どうそれを使って 貢献させるか。そう教育を考えているわけだ。 しかし、そういう言葉だけではやっぱりよくわからない。 そう考えて教育を設計すると、どういう教え方になるのだろうか。 具体例を知りたい。

ゲームによって日常では発揮されにくい問題解決能力を発揮させる、という可能性か。 まあなくもない。しかし、日常にも問題は満ち満ちているはずなんだよ。 学生紛争にのめり込んだバカどもが目が覚めた後何の役にも立たなかったという 過去を振り返れば、ゲームがそういう力を持つとは考えにくい、との話。全くだ。

整理されてない講演だなあ。大抵の学者さんは話すより書く方が得意だろうし、 仕方ないんだが。

コンピュータプログラムによるゲームは認知科学的に面白いか。その問いは面白いが、 これに対して答えようとする過程に予断が入り込まないようにするのは難しいよな。

しりとり対戦。コンピュータと遊べと言うと一瞬で飽きる。 「実験だ」と言われると面白くないが、続けられる。 相手が人だと思うとルール違反をしにくくなる。 なるほどこの実験は面白い。 一人用はどんなにAIがよくできていても限度があるということだからな。 逆に実は人間であっても、コンピュータだと言うとつまらなくなる。 AIの品質は問題じゃない。もちろん全く問題じゃないわけではないが。

優れたAIはネットワーク対戦ゲームで相手がいない時の ダミーとして投入するくらいの意味しかなく、 そもそも過疎らないようにする方が重要ということか。 しかしそれもそれで夢がない。

プログラム無敵仮説。「どうせ勝てないからやる気しねえ」。 この疑いをのぞいた後であっても、 同様の結果になる。コンピュータ相手であることのつまらなさは、 論理的に出てくる類の欠点があるからではない、ということが推測される。 何か見落としてるだけかもしれんけど。 これはもう少しリアルに近い形で実験しないとダメだよなあ。 ゲーム屋にはこの事を理屈によらず体験として知っている人が多く、 「一人用は作業」と言い切る人までいるが、 それが何故作業になるのか、そして作業であっても耐えられるものと耐えられない ものがあるのは何故か、というのはよくわからない。

一人用を「作業」と言う時の「作業」は、たぶん最適化問題を解くことに 帰着するからなんだろうな。多人数参加のゲームを長期にわたって やる場合にも同じように作業になるのかもしれない。 個別のかけひきが統計に埋もれて、確率に関する最適化問題に落ちてしまうからだ。 それでもたまにドラマが生まれるだけ一人用よりはマシなんだろう。

しりとりの何がおもろいかわからんが、案外やってくれる。 いったいなぜか。よくわからんわけだ。 そこの仮説はないのか。

人間とロボットのインタラクション。リアルな物体があり反応することの影響は何か。 ジェスチャ、注意の共有、などをロボットにさせると何かいい具合になるらしい。 確かに「話聞いてますよ」的な仕草を示すのはいいよな。 不気味の谷問題を回避する上でも、「人っぽい挙動」を追求するのは重要な気がする。 壁のポスターを指さして見てと言っても、 ロボットがどこを見ているかで全然違った印象になる。 人間の情報処理は対人に特化した部分が多く、 記号的な論理処理はサブにすぎないからだ。 そこのギャップをコンピュータ側でちゃんと埋めてやらないといけない。 感情を刺激する情報を入れてやることも必要と。

こういう実験で確認してるのはおもろいな。 ここまでせんでもわかる奴はわかるんだろうし、 この手の実験は実験であること自体がノイズになるので その正当性には多少疑問があるわけだが、 それでも科学にしようという姿勢は面白い。 経済学と同じ罠に落ちそうな気もするが。

メンタルシミュレーションという切り口。心の動きの特徴を掴んでデザインに生かす。 これは、私がひつじこと話すときにどう振る舞うべきかともからんでくる。 私の対人スキルの低さはそのへんがよくわかってないからなんだろう。

対象の年令によって何をどう考えるか、というのも重要だよな。

次は外人の話を聞くか。と思ったが絶対記事になるな。 PICAか、新人研修か。研修行くか。 考えることはその方が多いだろう。 PICAがなんぼ面白かったとしても、 スマフォに乗って億単位で売れるとも思えないし。 数が出るのは標準化されたデバイスだろう。

PICA200。

思想はまっとうだと思う。 これに特化してモノを作れるならすごくいいと思う。 このハードウェアを前提として絵作りの設計から全部やれるなら。

固定シェーダでピクセルライティング。 マテリアル切り替えが少ないならたしかにありだよなあ。 切り替えが多いとステート切り替えパラメータが多くなって不利そうだが。 計算式を入力するところをデカいテーブルを入力するハメになる。 それにしてもプロシージャルテクスチャは機種非依存にしにくい。 絶対できないわけでもないが、シェーダコードをモジュール化するとか始めると シェーダのバリエーションがエグいことになるし、 ハードで積んでなければプロシージャルテクスチャの シェーダコードは相当に遅くなる。 前もってテクスチャとして吐き出しておく手もあるが、 せっかくの拡大耐性が失われていまい、同じ絵にはならない。

「専用にモノを作れるなら」の一言に尽きる。 マルチとか後の移植とか素材や設計の流用が 全くないならいいんだが、辛い。 そして、専用に作るとしても、実機が大量にないのが普通と考えれば PCで動くエミュレータみたいなものを作らない訳にはいかない。 この特殊すぎるハード仕様をシェーダでエミュレーションするのはなかなかに大変だ。

さて、一番聞きたい電力の話だ。CMOSの話から。 電気を食うのはキャパシタの充電と放電。なるほど知らなかった。

Power=Pleak+CV^2f。チップ内のドメインごとの電源分離はミリ秒オーダーに近く、 そう頻繁にやれない。ガラケー300-400mW。チップだけなら200mW。 寝てると100uWとか。へー。 スマフォは2-3Wも食うのか。それはきつい。

PICA200はいらん回路を削減。固定ハード化して規模縮小と周波数低下。 これを徹底したと。

回路のシミュレーションって億単位の値段の機械を使っても1MHzとかなのか。 ハードに向いてるアルゴリズム。パイプライン化簡単、データ依存が局所的。 検索と順序がとにかく辛い。並列化できるものはハード化しやすいわけな。 プログラマブルシェーダにすると2.2倍くらい電気食う。

プログラマ募集中らしい。GPU作ってる日本の会社ってすごいレアだし、 どんな仕事してるのか興味がある。 しかし、こんな会場で募集とか言って、いったいどんな人材が欲しいんだろ。 ゲームプログラマなんてGPU作りには役に立たんだろうに。 きっと博士とかそういう人が対象なんだろうな。

中東。うーん。しゃべりが特徴的だなあこの人。うわ、自己紹介だよ、とか思ったが、 いきなりヨルダンに留学という話でびっくりした。 なるほどそういうバックグラウンドがあって、この講演内容なのか。 こういうサプライズがあるなら、自己紹介もアリだ。 つまるところ、おもしろければ何でもいいのである。 ただ、大抵の自己紹介はつまらないし、講演にあまり関係がないというだけの話だ。

アラブ3.6億人。若者多し。人口増加率2.5%とかあって、恐ろしく増加中。 比較的英語が通じる。といっても富裕層オンリーじゃないのか? 後で調べておかないと。

話好き。新しもの好き。携帯電話の普及率も高く、スマフォもすごいことになっている。 コミュツールに金を使う度合いが凄まじい。 「普段何個のスマートフォンを使っていますか」なんだよその質問は! 2個と答える人が30%近くいるらしい。

facebook好き。4300万。湾岸諸国の人たちは凄まじく金持ちだが、 貯金せず使う傾向がある。企業にとってはうれしい民族特性。 モールで消費しまくるらしい。また、子供のおねだりパワーが半端なく、 子供向け消費がすごいらしい。

アラブ全体で10億ドルくらいのゲーム市場規模。年率10%の成長率。 モバイル、ソーシャル。売れるタイトルは西欧とあまり変わらないらしい。 ネトゲ市場も1億ドルくらいある。 娯楽の選択肢が少ないためにネトゲ廃人になりやすい。 映画禁止。男女交際も制限。スポーツする場所も少なく、そもそも暑い。 サウジ、一週間5,6日、5時間以上。ネトゲ廃人すぎる。 コンシューマは違法コピーまみれで収益化は困難。 300万本/年のうち1万かそこらが正規品。 アラビア語コンテンツ不足が深刻。 ローカライズ面倒くさいもんなあ。

サウジ。最大の市場。テストに最適。 一番保守的なガチイスラムなのでゲームくらいしか娯楽がなく、 また、サウジで通るゲームは他のアラブでも文句は出ない。 欧米留学者が多いのも追い風。

アラブ首長国連邦。一人あたりGDPも半端ない。 出稼ぎ労働者を除くともっと高い。5万ドル以上か。 スマフォも普及。クウェートは3番目。エジプトはサウジ並にでかいかも。

ヨルダンにはゲーム産業がある。石油が出ない。GDP島根県。 文化的にリベラル。女性も普通にスカートはいて歩いてる。 周りが不安定な割に国内の治安はまとも。 警察の信頼度で日本と大差ないレベルらしい。 教育人材に大きな投資。エンジニア多し。起業家の40%が女性というのもすごい。 宗教的なしがらみがない新産業に活路を求める人が多いのだろう。 ゲーム関連の授業も多いらしい。国王主催で高校生iアプリコンテスト。

日本ゲーム・アニメはかなり受けている。グレンダイザー大受け。 欧米があんまり行ってないので、まだ参入余地がある。 地に足がついた地味なアプローチでやっていくべき。 マス広告ドーンみたいなやり方はうまく行かない。 アラブは単価が高く人間が多いリターンの大きな市場になる可能性がある、 とのこと。

居酒屋の注文端末で動くちょっとしたゲームの話。 三択とか。これをネタに会話が始まる。 「酔っぱらいはゲームを真剣にやらない」は鋭いよな。考えればわかることだが。 居酒屋の客の行動パターンデータを取るというのは居酒屋的には需要がありそうで、 そっちから金を取るビジネスモデルは成り立ちうる気がする。 より直接的にゲーム内で注文を促す方法もありそうだし。 質疑応答の最中にポンポンアイディアが出てくる。この人、すごい。

次はモバゲ聞きに行こう。

題名が変わってた。まあ技術の話であることに違いはあるまい。 どんな技術なんだろうな。まあレンダリングでないのは確かだが。 web系の技術がどんなもんか見当もつかんので、キーワードだけ持って帰れればいいや。

JAVAが得意、というのは一体どういうレベルなんだろう。C++が得意とか言っても 何言ってんの君って感じだが、JAVAならきっと違うんだろうな。

基本現地のサービスを買ったり提携したりしてちょっとづつ広げてく戦略なのか。 すでにあるコミュニティを押しのけるやり方はしないわけだ。 銀行の合併みたいな感じなのかね。

HTML5は技術か?技術という言葉の定義がこっちの業界とうちらでは違う気がする。 うちらは技術をテクニックとかスキルとかだと思ってるが、 HTML5はどちらでもないもんなあ。HTML5は仕様にすぎないが、 それを使える能力は技術だと感じる。 だが、いわゆるカタギのプログラミング業界では、 私にとって仕様に見えるものが技術と呼ばれている気がする。 それとも何かが省略されているだけなのだろうか。 「HTML5(を使う能力)」のように。 でも「HTMLは難しい技術」とか言うと、やっぱりそのものが技術ということだよな。 よくわからん。そういう業界に行けばわかるんだろうが。

webか?ネイティブか?安く作れるのはwebで、互換性やテストその他の問題も小さい。 ただ、性能面の問題が今はまだ大きい。でも、ネイティブと言っても マシンコードではなかったりするわけで、GPUアクセスさえできれば webでいいんじゃなかろうか。問題が良く見えない。

ngCoreみたいなエンジンを使えばそれなりにどうにか低コストになるらしい。

webのHTMLベースは確かにユーザ体験としては悪いよな。 A要素でジャンプしたらダメだろと思う。 しかし、ブラウザが単なる実行環境になり フラッシュみたいな感じで動いているのであれば問題はなく、 そういうwebアプリはネイティブに比べてユーザ体験が劣るとも思えない。

FlashPlayerが入ってない機械が多いので、 モバゲで用意したExGameというフラッシュプレーヤーを使うことを推奨している。

旧型電話向けにフラッシュで作って、ExGameでスマフォブラウザでも動かす、 というのが今のおすすめらしい。当然海外にも出せよと。

この人達「長期」の概念がうちらと違うんだろうな。時間の流れが速いから。 5年10年後にどうなるかについて考えることの重要性が 違うのか違わないのかが気になる。

webは帯域に注意。アプリは容量に注意。みたいな。 webでもローカルキャッシュをうまく使えば問題ないらしい。 webゲーの画面遷移ベースの作りが飽きられる可能性もあると言うが、 ブラウザゲーでも性能を除けば同じようなものを作れるんじゃねえの?

いまそこにいる人材を教育なしに使うこと、今まで作ったものを使いまわすことが 凄まじく重要なんだろうか。そういう前提で聞くとちょっと見えてくる気がする。 速度が至上なのであればそうなる。

なんか、問題点や問題意識がよくわからん。 遅いから速くする、みたいな当たり前のことが なぜ今更問題になっている? 今高速化できるなら、最初から高速化しておればよかったのではないのか? 人材がおらんのか?それとも何か新しいハードを使えるようになったのか?

全然ピンとこない。もしこっちの世界が何をやっているのかを知りたかったら 転職でもしないと無理だろう。全くわからん。彼らにとっての現実を見ないと、 彼らの話を理解できない。

とりあえず、HTML5を使えばうちらが いつも作ってるようなものを形式としては使えるんだな。 たぶん。webゲーと言ってるものにも二種類あって、 リンクで複数画面が繋がってなんかしてる タイプの奴と、HTML5でその場で画面書き換えが行われるようなものがあるんだろう。 ただ、アニメーション再生に関しては依然としてフラッシュに頼る方が 素材の開発環境の面から言ってお得だと彼らは考えている。 しかし、もしうちらがこれからやるならそこのしがらみはないのだから、 そういうアニメーションを作る開発環境をどんと作る方が安い可能性がある。

フラッシュがプラットフォームからアニメーションミドルウェアに変わると。 フラッシュを延命させろと。そのためのpost ExGameというライブラリと。 モバゲはそういうふうに考えているわけだ。

「HTML5は技術的にハードルが高い」というのが一般的なイメージなのか。 とにかく教育コストをかけない前提が動かしがたいんだな。

五反田さんの。なんかよく顔を見かける人たちがたくさんいる。

素材作成工程の設計は大きなテーマだったんだがなあ。その手の仕事をする機会が この先あるかはわからん。半年前は本気でCGをやる気満々だったが、 需要がなくなっては仕方ない。しかしむしろこれを好機として、 基礎から積み直すいい機会だろう。 バラバラの技術を一つの体系の中に位置付けて理解する時間が欲しい。

アート側の話。特にテクスチャ。

チェックリスト。リニア空間でレンダリング。 トーンマップして出力。テクスチャの色空間。 シェーダが用意できているか。

ディフューズアルベド。大抵は一番大事だが、全くないケースも。 金属にディフューズはいらない。シェーダも別物を用意すべき。 カメラで撮る場合スペキュラ分を消さないといけない。 手動で描くなら非現実的な値は使わない。 非現実的って?webで参考になる値があるらしい。 写真撮るなら露出に注意。ライト複数用意しようね。 変なスペクトルの光は使わないでね。蛍光灯とか。 カラーキャリブレーション。X-riteのを使え。ColorCheckerPassportというのがあって、 ソフトもついてて自動でできるらしい。 このへんはやってみればわかるだろう。必要に迫られないとピンと来ない。

例えば単色の絨毯の写真はアルベドマップとは限らない。それグロスとか法線じゃね? という話になる。

そういうのをアーティストが自分で理解するところまで持っていくには どうすればいいか。最低でもチームに一人はそこをわかって周りに教えられる アーティストが必要になる。しかし 私の感覚では、シェーダ側を物理ベースにして素材がムチャクチャなのと、 従来型なんとなくシェーダで素材がムチャクチャなのでは、 前者の方が数段マシだ。リニア空間ですらないおかしな素材であっても、 昔のシェーダにロクに調整してない素材を放りこむよりはマシになる。 多少おかしくてもとんでもなくおかしな絵にはなりにくい気がする。 おおよその傾向として、アーティストが用意するものが少なく、 自由度が低いほど、絵はまとまりやすい。プログラムがまとまるように強制するからだ。 素材を作る人の能力がバラついたり低かったりするほど、 そういう自由度の低いやり方が有利になる。 その意味では、物理ベースレンダリングの特性をまるでわかってない人が 物理ベースレンダリング向けの素材を作る害と、 絵心がなかったり時間がなかったりして絶妙な調整を期待できない状況で 今までのなんちゃってレンダリングの素材を作る害では、 後者の方が大きい可能性が高い。 ダメとダメを比べても五十歩百歩なんだが、しかし現実には 絵素材のコストダウン要求はすさまじく大きいのだ。 それに、物理ベースレンダリングの特性をわかっていない人でも、 おかしなものを作らないように強制する手段はそれなりに存在する。 すごく奇麗な絵を出すための手段としてでなく、 それなりな絵を安くつくるための手段として考えることもできるはずだ。

スペキュラ除去。PLフィルタで結構消せる。 絨毯の類でも案外スペキュラしてるので注意。10-30%くらいスペキュラだったりする。 良い角度でスペキュラをPLフィルタで消した絵を別に用意して、それを手本にして テクスチャを調整するといいかも。なるほど。

これ、プログラマ側が知識あってもそれだけじゃ運用無理だな。絵かき側に 理屈からわかってる人間がいないと。とはいえ、すでに書いたように、 まるでわかってない状態で作っても、従来の状態に比べて落ちるかと言えば 必ずしもそうは言えない。後でどうにかする手もあるし、自動化やチェックも 可能だからな。 従来型の手法であってもそんなにちゃんと調整に時間がさかれているわけではない。 リニアとかsRGBとか知らんでやってる人なんてなんぼでもいるし。 ガンマ補正が何だか知らないでグラフィックプログラマやアーティストやってる なんてザラだろう。

現実的な値。1-90%。32-243(sRGB)、2-230(RGB)。 反射率100%とかの物体はないわけだ。そりゃそうだよな。

ノーマル。本来モデリングの範疇で、普通に作ればそれでいいはず。 つまり細かい立体を作ってから法線マップをツールに吐き出してもらえばいい。 ハイトマップから作るとすごいエラーが出ることがあるので避けた方がいいそうだが、 それは何故だろう。やってみたらわかるか。 画像フォーマットの量子化誤差の問題ならfloatフォーマットにすれば 済むが、そうでない事情があるならまた別だ。

リフレクタンスマップ。スペキュラの垂直反射率。間接的には屈折率。 屈折率から反射率を計算して、適当にテンプレート化しておく。 そういう画像を作っておいて、そこからスポイトで抜いて塗ると。 なるほどそうすれば良かったのか。 基本グレースケールでいい。金属だけは別。シェーダ別にすると速いかもな。

シャイニネス。本当は法線マップ同様細かく作った立体から吐き出すべきだが、 まあそうも行かない。 本当は一番最初に作るくらい重要。 ノーマルマップとシャイニネスマップの分担が難しい。 遠くに行くほどノーマルとシャイニネスの分担をずらしていかんといかんからなあ。 あとエンコードに注意ね。対数で保存するのかそのまま保存するのか、何を 掛けて使うのか、みたいな。もちろんチャートを用意しよう。 面光源と点光源で見え方が違うよ。 点光源に合わせると値を下げすぎてしまうので、面光源を当てるとおかしくなる。 あーこれ面倒くさいな。ここはシェーダ側で光源の大きさを考えみて shininessをハックしてもいい。

何も作らないくらいならノイズテクスチャを適当に足した方がいい。 3種類くらい作っておいとけ。あるいはプロシージャルをレンダラでやるのもあり。

LEANマップというのがあるらしい。そのうち調べる。

ノーマルマップのミップマップ作るときにシャイニネスを 修正して自動生成すればいいよね。 Toksvigマップ。これRealTimeRenderingにのってたな。読んでおこう。 最小二乗法でフィッティングするともっといいよとのことなので、 これもそのうち試さないと。 オーレンネイヤーは粗さが影響するのでなんかいい具合になるかも、 ということだが、式がやけに複雑だったのでハナッから無理だろと思って 作ったことがない。テクスチャに焼いたりすれば行けるんだろうが、 シェーディングに負荷かける余裕があったことがないからなあ。 解像度を先に決めるやり方だとまずシェーダは凝れない。 解像度詐欺で良ければ解像度は最後に間に合うように決めればいいんだが。

勉強になった。

2012年08月20日

今日の日記はCEDEC中のメモなので極めて読みにくい。

朝蒲田駅に寄って、平将明の演説を眺めてから横浜に出発。 普通のことを言っている。喋り方そのものに熟練や特別な魅力は感じない。 駅前演説ではいろいろと限界があるのもわかるので、これでは真価はわかるまい。 TVタックルに出るというので、そっちを見よう。 結局のところ対話にならないとその人の価値はわからない。 そういえば、時々拡声器が途切れていたのが気になった。 無線マイクは信頼性的にダメだろう。無線マイクを電波で妨害することは可能なのかな。 あの人しょっちゅう演説を妨害されるとか言ってたが、 まさかあれがそうなのか。まあ違うよな。

CEDEC開始。スポンサーが金を出した順にGREE、DeNA、続いてソニーMS任天堂。 そういう時代だということか。

桜井さんの。「あなたはなぜゲームを作るのか」。ゲームの歴史から入った。 あの人42か。見た目若いなあ。 昔のゲーセンは機械式だったりメダルだったりしたんだが、 インベーダーでビデオに塗り替わった。それが最近また戻ってきたというわけか。 それにしても、もっと主観で語って欲しいな。本読めという話なんだろうが。

ファミリーベーシックかー。触ったことないなー。 やっぱり楽にスプライトを出せることは重要なのかもしれん。

分業が社会を成立させているという根本的なお話が。 それを「人の仕事によって生かされる」 と表現するのが面白い。 専門特化する道を目指す根拠としてそういうことを出してくるのは大したもんだ。 で、現場主義と。

内圧を高めて創作につっこめ、というのは正しいよなあ。

何かしらのゲームのルールに新しさ。メテオスのアイディアは5分だって。 根本はリスクとリターン。リスクを犯してリターンを得るのがゲーム性。 リスクを軽減する工夫が攻略。あれ?宮本さんの講演でも同じこと聞いたなそういえば。 もっとも、外人が良く言うユーザ体験に占めるゲーム性の比率は それほど大きなものではなく、FPSのような定番ジャンルで 変にゲーム性を追求しても失敗するだけだという話は聞く。 絵が奇麗とか、話がいいとか、そういう要素は軽視はできない。

「ゲーム性が上がると一般性が下がる」。ちょっと考えよう。 自分が楽しみたいものを作るのはまた別のことか。自分の役割を果たせと。 「自分の社会的な役割は何か」。 つまり、「向いているからやる」には積極的な意味があると。 「好きなことをやる」というのは甘いという主張か。

「ゲームの社会貢献とは何か」か。 これにたいして「売れる、つまり対価を払われていることはすでに社会貢献」 と言うのはそうだな。ドラッカーと言ってることは一緒か。 金は社会の燃料。消費は人を活かす手段。 競争原理。同じことをできるひとが多ければ競争が激しくなる。 自分を商品として見ろということだな。いかにして市場を独占するか、か。 市場が大きければ同職が多くても許されるので、 大きな市場に自分を置き続けることも考えるべきだろうが。

ソウルキャリバーの話。この部屋無線LANつながらない。

ライティングの話しないのか。ポスプロだけな。

絵担当プログラマが速度、画質、ゲームしやすさをバランスする役目として重要と。 絵担当プログラマにその権限があればいいが、しばしば若いのがそこを担当して 強く言えない状況になるんだよな。シェーダを書くのとパイプラインの設計を 完全に分業できればいいのだろうが、そうも行かんだろう。 大抵のチームにはそこを分業する余裕はないし、 共有社内ライブラリが整備されることを望むのも難しい。

リアル寄りの絵作りで見えにくくなりやすく60FPS死守で、エフェクトまみれと。 PowerVRでは厳しそうな仕様だな...

60FPSは30FPSの1/3しか計算できない。まあそうだわな。多少余らせないと危ないし。 しかも、アップになっても落ちられないとなるときつい。 ましてDOFみたいにクソ重いエフェクトまでかけてればなおさら。 でもまあ、きついとは言っても、ぶっちゃけ可能なことしかできないんだよ。 優先順位をつけてやれる順にやれることをやって、 できた結果が全てだ。そこに葛藤なんて贅沢なことをしている余裕はあまりない。 なんて言うとまた叩かれるのか。

2体で9万indices。drawCall110。テクスチャ220万。 背景が15万indices。 このへんの数値はあとでパワポ落として確認しよう。 キャラ2体で4.5、背景に4。SSAOに0.62ms。GodRayに0.63。 解像度を犠牲にするしかないよなあこれ。 PS3は気合でSPUに持ってかないといかんだろうしと思ったらMLAAだけSPUか。 ポスプロは半々解像度か。 エフェクトは縮小ブレンドバッファと。あとで合成するわけな。 そのへんは運用が面倒くさそうだから試みたことがない。 必要になったら試してみよう。フィルがエグいなら合理的な手段だろう。 空間周波数が低ければさして問題にもならんだろうし。

モーションブラーを入れて動きの速さによる見にくさを緩和すると。 あーこれカメラだけか。GPUGems3にあるやつな。ポスプロで全部やるやつ。 速度バッファがいらんから楽ちんだし。9サンプルと。 で、動く物は除外と。Z見て上書きするしないを決定。 ただしZは4サンプルしか見ないと。 妥協につぐ妥協だなあ。DOFと一緒にやってるのか。なるほど。

DOF。前作は小さいボケ幅のみしかも固定。今回は9サンプルで、幅調整可能。 サンプル位置はモーションブラー向けテクセル位置と線形補間。 補間係数はモーションブラー強度。 つまり、モーションブラーがきついとDOFが消えるが、 まあ問題ないわな。ぼけてるわけで。

SSAO。まあ欲しいよな。欲しいとは思うが、 動くと汚かったりするのが辛いところではある。 「やってるけど汚い」と「やってない」のどちらを選ぶかという問題はきつい。 まして、動かないと汚いことがわからない場合が厄介だ。 往々にして静止画だけみて判断しがちで、 動いた時にエグイことが後々になるまでわからなかったりする。 手法はToyStory3の奴らしい。4点サンプリング+ランダムテクスチャ。 キャラ以外はステンシルで除外。結果はブレンドバッファに入れる。 結果ライティングすべてに対する係数になって間接光以外も影響されて変になるが、 まあいいやと。

動的解像度変更...涙ぐましいな...。 キャラ寄るとシェーダ重いからきついもんなあ...。 負荷が上がるとまずMSAAを切る。PS3はそもそもMSAAかけてないのか。HDRだからかな。 ゲフォ7はHDRでMSAAかからないし。なのでMLAAでどうにかと。 急激に重くなった時にフレームレートを落とすか画質を落とすかという トレードオフだな。 ただ問題は、「重い」ことが発覚するのは1フレーム描画してしまってからで、 一度たりとも落ちずに、というわけには行かない。 まったく引っかからずにやれるわけではなく、 そこは妥協するしかない。

色調整は行列乗算か。低コストで見かけが変わって嬉しい。3サイクルだもんな。 最終合成は大抵テクスチャフェッチで詰まるから、 内積3回くらいならタダでできることが多い。入れておいて損はないわな。

3Dフォントのアンチエイリアス。DLAA。+5%。出てる時だけ。いろいろやってるなあ。

サウンドスレッドがスパイクしてCPU落ち。これデコードとか多いと起こるよな。 わかるわかる。1フレームだけ落ちる現象は本当どうにかしたいよな。 しかも不定期に起きるために修正が困難だ。 まあサウンドの同時再生数を減らしたり、短い音はデコード済みにしておいたり、 変にエフェクトをかけまくったりしないようにしたりと、 まっとうな対策をするしかなかろうよ。

テクスチャカスタマイズの話。 カスタマイズパーツの類を全部用意するのはアホみたいに手間がかかるからな。 好きな場所にテクスチャを貼れるとなればだいぶマシになる。 あとは色変えの自由度な。 極力パラメータと、ユーザ生成データでどうにかせんと耐えられない。 法線まで別にいじれるのか...。

テクスチャ投影時の法線の扱いは面倒くさそうだ。接空間に直さなあかんからな。 まあ必要になればできるだろ。キャラクリ中60FPSを出そうとすると いろいろ面倒くさそうだが、まあやってやれないことはない。 キャラクリ中は一人しか出てないわけで負荷には余裕がある。 圧縮は終了後でいいはずで、 本番と別パイプラインを用意すれば面倒だがそれほど面倒ではあるまい。 と思ったら、ここではDXT圧縮もGPUで高速化してどうにかしているらしい。 まあこれも必要ならやるか。PS3はSPUだったりするのかね。 圧縮で汚くなるのはがんばってどうにかするしかないよな。 限度はあるのでそこは諦めるしか無いし。

タテフクさんと昼飯。スピード速いっていいなあ。

午後。数学。自己紹介はいいから本題に入れと。 まあ、そうしたくなる気持ちもわかるんだが。 日本人は誰が話すかを重視するからな。 でも、自己紹介は文字情報で事足りるわけで、 事前に資料に書いておけばいい。というか、書いてある。 だから、場所と時間を共有するという極めて高コストな60分を そんなことに使うべきじゃない。 これは製品紹介ムービーも同様。 講演専用に講演の内容を説明する目的のムービーを作ってくるならともかく、 単なる販売促進用のムービーを持ってくるとか言語道断じゃね? それにしてもこの部屋も無線LAN通らんのか。

空間において、入力を制約として最適化問題に直す。ああなるほど。 そういう言葉にできるのか。動画補間とかだと次元数がエグいことになるが、 これをPCA的に次元を減じるわけだな。

画像の補間か。人がモアイになるみたいな。 今度は変換全体の空間を考えて、一番いい経路を見つけると。

「音楽そのものとしての音楽」なんて古来からほとんどなかったわけで、 数学も同様だと思うんだがなあ。 純粋数学って、専業主婦くらいに特殊なごく短い期間にしか存在してない概念 だと思うんだが。

古典的アルゴリズム。手動で点の対応を指定し、 あとは点を移動させつつ歪ませて色をクロスフェード。 対応点が足りないと背景が壊れたりするのが問題。 あれだよな。次元が多いものに関して素直な 補間をすると直感的な「近さ」を破壊した変形に なりやすいということだろう。

メッシュをくぎって形を保たれるように変形する、というのが改良案。 三角形分割して、それぞれの三角形の変形を最低にする。 でもこれ、三角形の対応全部指定しないとダメじゃん。 で、それぞれの三角形に掛ける行列を決めればいいと。 行列は入力の6点から一意に決まる。 その後全部の変形が整合するようにするらしいが、そこもわからんな。

輪郭抽出して三角形分割。その後、三角形の対応付けをする。 組み合わせ同型な三角形に分割。 凸分割してそこを経由すればできるらしい。

三角形単位の変形は、回転と歪みの合成とみなして、独立に補間する。極分解。 連立方程式をとけばオーケーな形に。三角形の貼りあわせも最適化問題に。

主題は数学者に物を頼むときの言い方なのな。そもそも身の回りにいねえよ数学者。 この講義は何を言いたいのか結局わからなかった。

教育パネル。話を聞きながら自分で考える時間としよう。 議論が聞きたいが、議論はされないだろう。 事実上ショートセッション3つ、とかになるのが日本的パネルディスカッション だからな。下手をするとそれぞれの内容がバラバラだったりするし。 そして、やっぱり思うが自己紹介やめろ。

バンナムのプログラマは半年研修して一人一個何か作るらしい。 一週間flash。今年からunityらしい。3週間実機というが、 実機ってなんだ?PCじゃねえの? その後3ヶ月本番らしい。他社から人呼んでみてもらうらしいな。

他社に見せられる代物になるということは、それなりにできる人間ばかりいるのか、 よほどお膳立てが整っているのかどちらかだよなあ。 後者だとすれば、それはみんなでプラモを組み立てて塗装で個性を競うような 状況になりそうで怖い。

クリエーターという言葉は聞いてて少々はずかしい。 大半の人間はディベロッパーにすぎないのだが。

マイコンチップ研修あるんだ。へー。ゲーセン店員研修もあるのか。 それにしても、長い。これやっぱりショートセッション3本立てだな。 パネルディスカッションを名乗るなら、 3人の対立軸が明らかになる形で整理してほしいものだが、 たぶんバラバラにパワポ作って発表するだけなんだろう。 時間配分もどうなってるのかよくわからんし。

技術はあとでいいや、という考えらしい。ひと通り全部体験させたいと。 それは悪いことではないが、まあデメリットもあるわな。

CC。インターンシップ。なぜイデオン。入社後にどうにかするのではなく、 その前にどうにかしたいということか。上流でやるほどいいわけで、これは正しい。 会社側も参加する側もコストが許容できればだが。 しかし、体験版やF2Pが定着する昨今でもあるし、人間の採用においても同様の思想を 取り入れてリスク軽減するのは正しいわな。 教えることほど勉強になることはなく、インターンシップをコストでなく機会と考える ことは正しい。単純に、入れちゃってからどうにかするよりは、 入る前に選別できる時間を作る方がリスクは軽減できる。 インターンシップなしでいきなり採用することの利点を逆に聞きたいよな。

5人中3人内定、アルバイト1人。従来のやり方では一人も採用できなかったと。 正直に言ってくれるとありがたいな。 つまり、あまり割がいいわけではないんだろう。 それでも未来に投資しているのはえらい。 インターン生が社内をうろついていることが当たり前になり、 文化がそのようになったと。 それは緊張感を保つ意味でも大きかろうなあ。 空気が腐ることを防げるだろう。腐ったあとではとてもできんだろうが、 それでもやれば荒療治になるやも知れぬ。 擬似的にでも人間の流動性を高める施策の一つとはなるだろう。 まあその前に人間の部署間流動性を高めた方がいいところは多そうだが。

東京工科大学の教育のお話。あー学者さんだなあ。 メディア学部500人の2割かそこらがゲーム志望と。 「ゲーム学部」だと認可がおりない、とかどうでもいいよ。 つうか、ゲーム教育って必要か?

高校まででゲームやプログラム経験がないのが多くて、 入学時点でできるかわからんので教えるのが大変。 いやそりゃそうだろ。それは会社にとっても大差なくて 困っているわけだが、大学のレベルでそう言われたらうちらはどうすりゃいいんだ。 4年もありゃどうにかなるはずだし、どうにかするための大学だろう。 どうにかなるように教育してくれよと言いたい。 もっとも、片足つっこんだこともあって、大学がそこをどうにかするのが 極めて難しいのも理解してはいる。だから私は大学に期待してない。

前読んだ本にもあったが、社会のセクターで 時間の流れが特に遅いのが教育だ。 最も速いのが企業なわけで、時間の流れのギャップが大きすぎる。 つまり、企業と大学の協力は根本的に困難であり、 よほどの条件が揃わない限り不可能だとすら言える。 双方の認識が違いすぎる。利害関係もズレるし、時間の流れも違う。 であれば、学校には社会の動きに左右されにくい、 つまり時間の流れが遅い場所に向いた教育をしてくれればいい。 変にメディアだゲームだと言わず、「まともに頭のいい人間」 を作ることに集中してくれればいい。 そのための手段としてメディアやらゲームやらを利用するのはいいし、 効果的だと思うんだが、それはやっぱり手段なんだよ。 普通にカタギのプログラマになる人間の教育にゲームを使うのは悪くない。 だがその場合はUnityだなんて話にはならないだろ?

1-3年一貫型の演習があるっぽい。それはそれで悪くないが、 まともに役立ってるのかは学生を見せてもらわんとわからんなあ。

え、いきなりC++で3Dゲーム?1年後期に? これを80%の学生がこなせるのだと仮定すれば、 相当なお膳立てがなされていると考えて間違いあるまい。 ロクなコーディング能力や理解がなくても通ってしまう。 逆に20%の学生しかこなせないのだと仮定すれば、 抜け落ちた80%は放置ということになり、それはそれで 社会にできない人間をバラまくことになる。 必修ではなく、落とす奴がたくさん出る前提で厳しくしてるという話だが、 それはつまり後者に近いということだ。 教育よりも選抜の色彩が強くなる。 今時ゲームなんてヤル気があれば家で作れるわけで、 機材やソフトを用意する程度では大したサポートとは言えん。 大学が社会の中でどのような機能を背負うべきか、 と考えた時に、「やる気のある奴に環境を提供する」という役割は だんだん小さくなっているはずだ。Unity使えば家でタダで作れるんだからな。 同志だってネットでつながればいい。 大学というか教育機関でやる意味は、「自力でやれない奴」 「自力でやってもできるようにならない奴」をどうにかする システムというかカリキュラムというか、そういうものを提供することでは ないのだろうか。

やっぱり事実上ショートセッション3つだったか。もうあと20分しかねえぞ。

3Dって必須じゃないよ。2Dでいいよ。ボンバーマン作るだけでも相当むずいんだぞ。 だいたい、今もうかってるのゲーム3Dじゃないじゃん。 それに大学でエンジンとか使うなよ。エンジンの使い方を学ぶのと、 根本を学ぶのとの比率がどうしてもエンジンに寄るぞ。 まあこれは「技術は後でいいからゲーム作りの楽しさを体験させる」 ということを重視するならエンジンでもいいんだろうが。 コミュ能力とか組織化を優先するのかな。 私は批判的だが。技術がまるでない状況では話にならんだろ。

東京工科大学のメディア学部に来る人間のプログラミング適性レベルが、 九州大学の芸術工学部に来る人間と比べてどうかが気になるなあ。

研究と教育は別物だと思うんだよ。もうはっきり分けちまおうぜ。 研究を教育の手段として使えば研究が適当になるし、教育としても効率が悪い。

100人中10人しかゲームのプロに行こうとせんわけか。 しかも全員が就職できるとは限らんと。 残りの人間が何をどれくらいできてるのかが気になる。 ゲーム屋にならなくてもいいが、 脱落した人間が4年間を無駄にせずちゃんと糧にできているのかが気になる。 選抜と底上げのバランスは一体どうなんだ?

そろそろ日本の会社でも職種によっては英語しゃべれれば仕事になるようにせんと イカン気がするがなあ。

研修期間は来る人間のレベルや、やってる仕事の種類、 すでにいる社員の特性などの関数だよな。 放っておいても優秀なのが来るなら何もせんでいいだろうが。

積極性、コミュニケーション能力、みたいな? それが先にあって、技術があとからついてくる、 というのも、先に技術さえあれば積極性やコミュニケーション能力が育つというのも 同様に間違いだわな。問題はバランスだ。 バンナムは熱意は個人に期待でおしまいと。まあそうだわな。 それは社内文化でカヴァーすべき問題だよなあ。

なぜインターンか?そりゃリスク軽減だろ。使えない奴は欲しくないし、 合わないところで働きたくもなかろ?お互いメリットがある。コストはかかるがな。 むしろバンナムになぜ新人研修でやるのか、と問うべきだろ。 当然、そのコストを避けたいからだろう。 インターンシップのコストについてもっとくわしく話すべきだよな。 それに、人数が小さいほどインターンシップが合理性を増すだろう。 ハズレをとる余裕がないからな。まあ簡単にクビにできるならいいが。 中小はむしろそっちがあるのかな。クビにできるなら採用基準は緩くていい。 とは言え、そこを緩くすると社内の規律が緩むわけで、それも嫌だ。

バンナム。社内大学、みたいな?まったくもって日本もやればいい話なのだが、 欧米で可能で日本でできてないのには当然の理由があるはずだ。 何か合理的な理由があるんじゃね?でもまあ、日本は個人の社会だからな。 組織力が弱いのは民族の特性だ。 そこをどうにかするにはかなりの無茶をせんといかん。

すげー。業務外で本かいて、それで社内表彰かー。 いいなー、とか思ったが、そうでもないわ。 できるなら業務内で書く方がいいよ。リスクゼロだし、かけられる時間がケタ違いだ。 印税も表彰もいらん。3万部売れたとか言っても、給料2年分にもならんわけで。

社内教育を組織的にやるのが合理的なのは当たり前だ。 勉強は個人が自分でやるものだ、なんて思ってる人間が上にいる会社は不幸だ。 小さいうちはいいかもしれんが、 大きくなればなるほど能力の平均値は下がるのが世の常だ。 最大値よりも平均値が重要になる以上、平均値を上げる施策は考えねばならぬ。

短期的に大学につとめてみるって面白そうだなあ。 ただ、逆は難しそうだ。大学の先生がリアルなゲーム開発に参加するのは難しかろう。

リアルタイムGI。何の話するんだろ。 それにしても、もうPCの電池がないな。2本ないと無理か。 充電できるかと思ったが無理そうだ。帰ったらもう一本も充電しておこう。

インスタントラジオシティな。原理だけは知ってる。 ラデ6990で31msか。解像度落とせば次世代コンソールではどうにかなるのかな。 やってみんとわからんよなあ。 そもそもDX11前提という段階でちと遠い未来になるのだが。

VPLの選別はミップマップを使うのか。へー。あとでゆっくり考えよう。 VPLからの可視性をシャドウマップを作らないといけないのが面倒だな。半球必要だし。 パラボライドでやると。面倒だなそれ。 低解像度でいいとはいえ面倒くさすぎる。

で、ImperfectShadowMaps。すげー、シャドウマップ大量に一括生成しとる。 64x64を大量に敷き詰めている。このへんはあとで論文読んで理解せんとダメだな。 ポイントスプライトでやるとかよくわからん。 よくわからんが、とにかく間引いてるのな。 ポイントスプライトの大きさを変化させて問題を軽減するのはいまいちで、 接空間上にスプライトを置いていい具合に、みたいな。やってみんとよくわからんな。 もう電池ない。

あれだけ工夫して、調整できるネタが満載な状態で、30msか。 二流チームが中規模タイトルに実戦投入できるようになるには数年かかるな。 DX11相当の機能がそのへんのスマフォで走るようになるのが何年後かは わからないが、3年はかかるだろう。そう考えると今すぐ飛びつくべき ものじゃない。今すべきことは 360レベルのハードでできることをきちんとCG全体の体系の中に位置づけて整理し、 誰でもそこまで学べるようにし、ワークフローやらコンテンツパイプラインやら まで含めて無理なく低コストでそれなりな品質を出すための具体的な設計を やれる人間を増やすことだろう。まあエンジン買えよ、 で終わりにしてもいいんだろうが、そうでない考え方があってもいい。

最後は開発環境のお話。

開発者ひとりひとりが最高のパフォーマンスを発揮するには?という問いはもう古いと。 ほう、話を聞く気になるな。 組織としての力はどう確保するか、というところを重視しようということか?

機械は安くなったのでどうでもいいが、規模拡大、分散化、 コミュニケーションコスト増大。 そっちをどうする? 人数にリニアな効果を得るためにはどうすればいいか? それをスケールアウト型と呼ぶと。 まあ名前はどうでもいいよ。最終的には、コミュニケーションコストの削減に行き着く。 道具としてスクラムやらアジャイルやらを使うと考える。

標準化が重要。人に依存しないように。 言語、スタイル、その他もろもろ可能な限り統一と。 それがパフォーマンスが落とさねば良いが、そこが問題だよな。 教育レベルが高ければ無理やり統一しても対応可能なのだが。 しかし、メンテコストを考えると最初に動くまでのコストがなんぼ安くても危ないと。 この会社はpython統一らしい。 Excelもpythonから叩けるそうだ。DataNitro,PyXLL。へー。 さらに環境も統一。凝ったコード書くな。ライブラリ勝手に入れるな。 まあそうだよな。C++にしても同様のことは言えるが、 反発する人多いから難しいよなこれは。 「進歩的」な人のやる気を削ぐと悪影響が大きいので、そこのさじ加減はかなり難しい。

スタイル。とにかく統一。まあそれもいいだろうよ。 pythonはPEP8というのがあるらしい。

フレームワークなー。穴埋めすればモノができるよ、 というのはそれで済むケースが大半ならいいんだが。

MVCって何?smalltalkなんて知らんよ。squeakというのが開発実行環境らしいが。 Model?View?Controller?全然わからんが、 UIと本体のやりとりの設計の枠組みみたいなもんか。 View、つまりUIの見た目のことをアプリ側が知らんと いかん作りにはしないということな。 あー、でかいUIを持つアプリを作ったことがないからなあ。さっぱりピンと来ない。

プラグイン設計。DCC上のUIとか作ってる会社なんだな。 何作ってるかよくわからんかったが。 で、いろんな機能をプラグインという単位で作ってテストしたり組み合わせたりすると。 プラグインのカスケードはXMLで書くと。レンダリングパイプにも応用できるな。 ただ、複雑化するので私はしないが。

文書化。コードと別に用意する。 これは義務化してチェック機構を作らんとダメだが、可能か? まして図を書くのは余計に面倒くさい。チートシートって何?日本語で言えばカンペ? マニュアルより実例がいいと言うが、実例通りで終わりにはならんよなあ。 まあそれも場合によるか。

wikiはオワコン。タグとか無理だと。まあ、HTMLが書けない人向けの妥協の産物と してwikiを考えればそうなのかもしれんがなあ。 google siteというのがいいらしい。GUIで作れるwikiみたいなもんか? google docsのコピペがかなりできて楽らしい。ふーん。 ただ、googleに頼ることになるのが厄介。 似たようなシステムを自分でサーバにおければいいんだろうが。 wikiの編集がGUIでできる素敵システムが理想とのこと。 でそれがmoinmoinらしい。調べておくべきか。 wikiはいつも過疎るからな。

プロジェクト管理。redmine+backlogsplugin。よくわからんけどわかる人に聞こう。 メール極力使わない。チケット発行。ふーん。覚えておこう。 メールは可視化できんから論外というのは確かだ。

やっぱ私はマネジメント側に行かない方がいいのかもしれんなあ。 いきたい人いっぱいいるだろ?

ああ、電池が尽きる。デイリー報告は難しいよなあ。 離れて開発してるとどうにもならんだろう。 顔あわせてやる方がいいよね。

極力zip展開で終わる環境構築を。これはそうしたい。 リポジトリからチェックアウトすれば終わる、 というのが理想だよな。 この講義は具体的に何作ってるのかをちょっと見せて欲しいなあ。 イメージがわかない。たぶんここに来てる人たちはわかってるんだろうし、 私が場違いなだけなんだろうが。

「こんなこともあろうかと!」はしない。同意。極めて同意。 つかうところだけ作る。極めて同意。 「書かれたコードはゴミ」「ダメなら捨てる」「とりあえず動かす」。超同意。

テスト駆動は多少は考えんといかんのかなあ。gitだよなそろそろ。 テストが書きづらい時は設計が間違っている可能性。 ああなるほど。コストはたぶんそんなに下がらないかも。 ちゃんと自動で動くようにするのはエグい手間がかかる。

メモ終わり。その後若干の飲み会。転職楽しそうだな。

国防とか領土とかについて考えることは悪、みたいな風潮が抜け切るのには もう少しかかるよな。しかし抜け切るまで待てる状況でもない。 日本は普通に軍を持って普通に領土を防衛すべきだと私は思う。 日本の国益の話だけでなく、そうすることが世界を安定化することにつながる。 国家間には緊張感が必要だ。経済統合の度合に合わせて その緊張感は薄まっていくのが自然ななりゆきだろうが、 まだ国家の役割は終わってない。少なくとも東アジアでは。

かぜひいた。

2012年08月19日

日経平均9150円でドル79円とかでもプラスになるのか。 定額積立っておもろいなあ。

照明。20%くらいでもそこそこ明るい。普段こんなもんでいいかもなあ。 消費電力10Wとかだから、もはや気にするレベルじゃない。 横の冷蔵庫が100Wとかだからな。 器具そのものの値段が高いのが問題ではあるが、 その後の電気代に関してはすでに十分安くなっていると思われる。 消費電力はまだ下がるんだろうが、器具効率が倍になるとも思えん。 モノとしては使えるレベルになったと言っていいだろう。 あとは器具が半額になれば完全に普及期に入りそうだ。

柳生大戦争がいつも以上にひどい。だが、柳生をダシにして 明から清へと交代する時期の朝鮮について紹介する、 というコンセプトは面白く、いろいろと勉強にもなった。 「武力を侮っているとロクなことにならんぞ」と 現代日本に警鐘を鳴らしているあたりも、 こうひどい朝鮮の状況を見せられれば素直に納得できる。 だが、それにしても、ひどい。捏造大会に濃厚ホモだからなあ。 柳生の人達どう思うんだろこれ。

この人、朝鮮が好き過ぎるんだなあ。汚していいのは自分だけだとでも 思ってるんだろう。

そういえば竹島御免状も読んだが、ダメだった。 やっぱり妖術のウェイトが大きくなると歴史ロマン度が下がって、 ゲテモノに近づいていくからな。 竹島に関する韓国側の主張がわかりやすく整理されていたので勉強になったし、 それを説明するやり口がいつもの通り悪辣で実に面白かったが。

日本人のパネルディスカッションは編集なしに見られる代物にならない 印象がある。海外も大差ないのかもしれんが。 ラウンドテーブルはどうなんだろう。 パッと行ってみたら人数多すぎで参加できそうもなく、 仕方なく他のセッションに移る、みたいなことになると面倒くさいので 今までラウンドテーブルは参加したことがない。

明日はちょっと早めに出て蒲田駅で政治家の演説を見物していこう。 平将明という人がどういう人かちょっと興味がある。 まあ起きられればの話だが。

明日はレンダリング物が多そうだ。 マネジメント系は興味があるものの、 仕事として責任をもってその手のことをしたことがないので ピンと来ないことが多いという問題がある。

「海島の蹄」を読んでいる。 「妖説・李舜臣」がヤバい。その前の至極まっとうな李舜臣伝と対比 されているのが面白い。この人は徹底的に調べた上でそこに書いてないことに 関して徹底的にウソをつくタイプの人だと私は思っている。 そうであるならば、史料からはどちらの李舜臣像も否定できない、 というようなものを書いてのけているはずだ。 むしろ、妖説の方が説得力がある気すらしてきた。 戦争終結が確定しているのに、 撤退する小西を追撃して無駄に人死にを出した上に自分も死んでる、 というのは確かに不自然で、 戦後の保身の材料を増やすためにやった、という説明はそれっぽい。 最初のうちは全然戦わず、隣の管轄の将軍がボロ負けしているのだが、 「助けに行こうとしたが管轄が違うのでできなかった」 と取るか、「管轄が違っても助けに行くことはできたが、自軍を温存し、 競争相手が脱落するのを待った」と取るかは解釈の違いでどうとでもなる。 信長だって描く人によって人柄が全然違うからな。 かっこいい信長が多数派だが、他人が全く信用できない小心者という評価もあった。 能力に関しても、「土地が良かっただけ」と言われているのを見た覚えがある。 武田や上杉、今川といった大名がもし尾張の大名であったならば、 もっとあっさり天下を取っていただろう、みたいな。

済州島って一時モンゴルだったのか。馬の生産に適するとか、 日本征服の基地として使うとかで直轄だったらしい。 その後モンゴルが衰退した際に朝鮮が宗主国を明に乗り換え、 済州島を制圧して朝鮮領土としたわけだ。面白い。 元々独立国で、文化的にも朝鮮本土とは違っていたようだし。 日本で言う沖縄や北海道みたいなもんか。

CEDEC3日目の飲み会はどこに行こうか。 さすがに決めないとと思って見てみたら、裏CEDECの方が圧倒的に 人が少なかった。PG_CEDECというのは行ったことがないので そっちに行こうかと思ったが、もうほとんどいっぱいいっぱいだ。 でもまあ、どうせ結局最大まで詰まるだろうし、人数は変わらんだろう。 行ったことがない方に行ってみる。

2012年08月18日

採点終了。去年より出来いいなあ。膿を最初の時間に出してしまったのが 良かったんだろう。どうにかして1年生に教えたい。 さらに言えば、高校生や中学生に教えたい。 でも部活は教育手段じゃないから、部活でってわけにもいかんだろうし、 授業はやること決まってるわけで授業に呼んでももらえまい。 単なる有志では強制力が働かないし、時間も足りないだろう。 大学がせいぜいか。 高校までの教育でプログラミングをまともに教える場面はなかろうし。

全員の大学メアドをもらい、それぞれに直接コメントをメールした。 何点を何故つけたのかを本人に知らせるのは義務だろう。 去年まではコメントも先生におくったが、 一対一の関係を強調するために、直接とした。 コメントを先生が見ない、ということを保証したかったのである。 8時間くらいかかった。今年がヒマだからできた話だな。 感想を書いて提出してもらったが、それへのレスなども含めて書いた。 「ぶっちゃけどれくらいスキルないと採用してもらえないんですか」とか 書いてあったが、私は採用に関わったことはないので 「これくらいできる人がいいなあ。理想的には」という答えにならざるを得ない。 だいたい、入社直後の私なんて素人みたいなもんだったわけで、 口が裂けても「DirectX叩いで3Dゲームを一人で作れないと話にならん」 なんて言えない。3Dなんて完全に未知だったからな。3Dどころか 2Dの絵を持ったゲームすら作ったことがなった。 あーでもCのコンソールベースでルプさらだが作れたわけで、 あの簡易言語ですらテトリスが作れんレベルとは雲泥の差か。 さすがにそれくらいはできんと入ってもきついよなあきっと。

プログラミングは応用だから、その前に基礎たる数学と物理をやれ、 という意見があるが、私はそうは思わない。 基礎たる数学や物理を学ぶためにプログラミングを手段として 使う方法はあるはずだ。プログラミングそのものは基礎でも応用でもない。 単なる技術あるいは道具にすぎん。それを基礎に使うか応用に使うかは自由な はずである。数学も物理も普通の学び方だと抽象度が高すぎるのだ。 大半の高校生はあんなに高い抽象度で物を考えることに慣れていない。 私だって辛かった。もっと具体性の高い、つまり低い抽象度で考える経験を 積まないと上へ行けない。さらに言えば、異なる抽象度の間を 自由に行き来できることが絶対的に必要なのであって、 仮に高い抽象度における記号操作だけに習熟したとしても 結局は足をすくわれることになるのである。 味噌汁の塩分濃度を計算して50%となっても平気でいられるような馬鹿が 量産されるのは抽象度や文脈の切り替えができないせいだからな。 物理を手段として数学を学ぶことで、微積分を一段低い抽象度で捉えられるようになる わけだが、ここでさらにプログラミングを用いることで、 さらに一段抽象度を下げられるようになる。

0830にひつじこ出発。オタマは落ち着いて見送った。全く泣かなかった。 そのまま遊び、1000ごろ秘蔵のjam the housenailのDVDを投入。 そのまま4回以上再生しつつ、オタマは気にいったところだけ見て、 それ以外は私と遊ぶ。木琴、ヴァイオリン、ウクレレも投入。 しばらくヴァイオリンでどうにか音を出そうと苦闘するも、 まともな音が出ずあきらめ。「バイオリンおしまい」とのこと。 私が弾くのも許さないので、そのまましまう。 1140ごろ眠くなってきたっぽいので、駄目押しにぬるい風呂。 尻を掻かれぬよう細心の注意。傷にハイドロ救急パッドを貼り直し、 尻全域はプラスモイストDCをおむつにはさんで、さらにズイコウパッドを 入れて防御力アップ。2、3分機嫌悪くゴロゴロした後、あっさり就寝。1210。 このままひつじこが帰ってくるまで寝ていてほしい。

大家さんから照明のシーリング取り付け器具工事の許可が得られた。 「今やります?」と言われたが、照明がないとまっくらになるので 後にしてもらった。ひつじこが帰ってきたら川崎のヨドバシに行って買ってこようか。 そうすれば今日からやれる。 少しづつあかりを絞れればオタマを寝かすのはかなり楽になるはずだ。

問題は、どの程度の明るさの器具にするか。 引越し時に置いていくなら元ある蛍光灯と同レベルの明るさは必要だろう。 いなくなった後誰かが下見に来た時に照明がないと不便だから、 元ある照明器具に相当する程度のものは置いておくべきだろうし。 となると、居間が20型3本、台所が20型4本で、 おおよそ光を拡散する覆いによる損失が30%と見積れば、 居間が1470x3x0.7=3087lm、台所が1470x3x0.7=4116lm。 ただし、元々安い白色蛍光灯がついていて三波長にとりかえたこともあるので、 1470を1230で置きかえると、居間2583lm、台所3444lmとなる。 調べてみたがこれくらいのスペックのものならそう高くもないな。 引越し時に置いていっても痛くない。 どうせその頃には買い換えたくなってるだろうし、持っていく気も失せているだろう。 その頃には半額くらいで買えるんだろうが、蛍光灯の不便に耐えられなくなったので 買い換える。

LEDシーリングライトの利点。点灯が一瞬で安定する。色が変えられる。 明るさが変えられる。交換が不要。紫外線が出ず虫が寄らない。 効率はスタータータイプとなら互角以上。 値段はだいぶ高いが、これだけ長所が揃えば導入してもいいだろう。

交通費に靴にご祝儀に照明。それにnasneだ。今月10万以上飛ぶな。まあいいけど。

LEDシーリングライトを買ってきた。東芝の6畳用のたぶん最上位機種。 周囲の明度を測って勝手に光量を調節するらしいが、現状よくわからない。 色と明るさを変えられるだけで十分すぎる。一番暗くすると消費電力7%で 仮に光量が線形であるならば252lm。1%刻みだったらもっと良かったのに。

東芝のマニュアルがダメすぎ。異様にわかりにくい。技術者視点すぎる。 リモコンの出来も悪い。

400万かあ。100人から3万づつもらえる前提であれば所詮100万だが、 祝儀は代金ではないわけで、金をもらえることを前提に計画を組むのは どうかと思うよな。1円ももらえなくてもそれだけの金をかける気になるか? と問うべきだ。あと、会場がどうあれそれによって祝儀の値段を変えるのは 何かおかしいし、主催側が客にその配慮を期待するのはさらにおかしい。 なんにせよ、皆が貧乏になってきている現状において、 バブル期の相場がそのまま生き残っていることは異常だ。 親の顔を立ててるとか、そういうことなのかもしれんがなあ。 いずれにしても、それを許容できる余裕がある人間はどんどん減っている。 祝儀に3万円、という相場が変わらなければ参加人数が減るだろうし、 参加人数を維持しようとすれば祝儀の相場は下がる。予算は削らざるを得ない。 結婚式場の類がバリバリ淘汰されるのは時間の問題だろう。 すでに起きているんだろうか。

うちらはべらぼうに安かった。会場たるラサール高校に払ったのは2万円にすぎない。 あと花屋に自分で飾りで注文して1万以下。 授業を受けるために何度か行ってるので、その交通費の方がよほど高いくらいである。 どういう計算の仕方をしたとしても50万は行ってない。

時間を費して祝ってくれるだけでありがたいのに、金まで払わせるのもなあ。 開く側としてはそう思ったものだが。

つうか、結婚はイベントじゃなくて生活なんだよ。非日常ではなく日常だ。 受験と同じで、そこしか見えなくなるんだろうが、それじゃうまく行かんぞ。 同様に、人が死ぬのも、死んだ後の日常の方が重大だ。 葬式も、その段取りで悲しみに浸るヒマが なくなることには価値があるかもしれんが、 それ以上のものではない。 宗教心がきちんとあるならイベントとしての重みが増すのでまた別だろうが。

2012年08月17日

肩にかけた袋がズリ落ちることに我慢がならず泣くオタマ。 自分で直せよと思うが、どうすればいいのかがわからないし、 どうにかしようとも思わないのだから仕方がない。 問題がある時に、それを解決したいと思い、解決するにはどうすればいいかと 問いを発し、その解決策を思いつき、実行する。 そういうことをできるかどうかということだ。 問題が簡単ならオタマでもできるが、この肩の袋くらいになるとオタマには無理だし、 大人でももっと難しい問題になれば同じ状況に陥る。 解決したいと思わなければそれまでだ。 解決するにはどうすればいいかと問いかけなければそれまでだ。 問いかけても思いつかなければそれまでだ。 思いついても実行できなければそれまでだ。 なるほどオタマはまだアホだが、大人と異なるのはアホさの度合にすぎず、 オタマと私は連続しているのである。

13から15まで実家に帰ってきた。 じゃんがら踊りなる謎の風習に参加というか見物というかするのが目的。 新盆、つまり亡くなった後最初のお盆に、 亡くなった人の家に盆踊りが宅配されるみたいな感じである。 青年団の人達がやってきて太鼓を叩きながら踊って去っていく。 その後、オタマの皮膚が悪化したので早く戻ってきた。 やはり家から離れると皮膚の手入れや食い物のコントロールに支障を来す。 どうしても糖質が増えるのでうちらの体調も悪くなるしな。 しかし、糖質はうまいんだよ。おはぎとか、なんだかんだ言って好きだ。

明日はひつじこが友達の結婚式に行く。最低6時間オタマと二人。 しかもオタマに紫外線を当てないために、8時から16時までは極力外出したくない。 皮膚が健康ならいいが、傷があると紫外線に凄まじく弱くなる。 さて、どうやって凌ごうか。児童館とか、ダメっぽいしなあ。

へうげもの14まで。終わってないことを読み終えてから知った。不覚。 いい漫画だ。アニメはダメだったと聞いたが、そりゃダメになるだろうなあ。

もやしもん11。嫌いじゃないが、面白くはない。 7seedsは終わってからにしたいので読まずに帰ってきた。

明治のチョコレートアイスクリームバーは森永のパルムにチョコレートの品質で勝る。 アイス本体は大差ない。箱がないのが残念である。 パルムは6本298円なら買ってもいいかと思われる。

まんが甲子園のTシャツを福島から持って帰ってきてしまった。 こっちにあるとすぐボロボロになるから、記念として保存するために 実家に置いていたのである。当時私は何もしなかったけどな。 15年以上続いてるってことは、ずいぶんと由緒ある大会になってるんだろう。 当時は「地方が町おこししてんなあ」的な印象しかなかったんだが。 有川浩のアレを読んだことでもあるし、一度まともに観光してみたいものではある。

2012年08月13日

ハイパーインフレという言葉を使うのはやめた方がいい。 勝手な定義を元に「ありえない」と言われるのがオチだ。 インフレ率が10%以上になることが数年続けば、 それだけで円で預金を持ってる人にとってはダメージだ。 物の値段はダイレクトに変わるが、預金の類は金利に応じた変化せず、 金利は反応が遅れる。「5年以内にインフレ率が10%を超えるかどうか」、 と言う命題で争えばそれなりに議論になる気がする。

三橋って人の本を一冊くらい読んでみるか。

時刻ごとの紫外線量は緯度が上がるほどピークが午前方向にずれる。 そのへんなんでかちゃんと考えよう。 ヒマならシミュレーションするソフト作るか。3Dで。

2012年08月12日

大森のマトゥ。本場感がかなり薄まるレベルに日本化されている。 スパイス文化圏の味付けとは思えない。甘味をつけすぎているんだろうな。 まあそれはそれとしてなかなか食える。多くて安いのもいい。 この手のものの持ち帰りで一人前650円は安いだろう。ナンもデカいし。 でも、バターチキンのカレーはなんぼなんでも砂糖入れすぎだな。 ダールにすれば良かったか。

天井から配線直接出てる。工事してソケットをつけてもらわんと何もできん。 風呂場の水漏れの件もあるし、台所の器具は寿命でもあるので、 まとめて大家さんに相談してみた。たぶんお盆明け。

作ってみたが使ってない楽天証券口座から全額引き出し。 chromeで動くようになったみたいだし、楽天銀行との連携も それなりに整備されたようだが、私はSBIだけでいいや。

ビブラムKSOを、ひつじこ分も買った。ただし、川崎ルフロンの 店の人が知識もなく売る気もない様子で、サイズも色も揃ってなかった上に 「すぐに取りよせてお送りします」みたいな話にもならなかったので、 帰ってから本家で通販。チャンスをみすみす捨ててどうするんだろ。 やる気がないなら扱わなきゃいいのに。 結構な面積を食っていい場所に展示しても、これじゃダメだろ。 こういう本気度の高い商品は、買う側もかなりの覚悟をもって来ているはずで、 店員にもそれ相応のサポートが要求される。 私が買った御徒町の店は店員がビブラム履いてたくらい本気だったし、 履いて走ったり歩いたりする時のアドバイスまでしていた。 わざわざリアル店舗に場所を作って入荷して、というコストを かけてくれているのだから、できればそこで買いたいのだが、 ああもやる気がないとどうにもならない。 「店で選んで、通販で買う」みたいなことはしたくないのに。

靴も返品前提で返品時の送料無料、なんて売り方が流行ればリアル店舗は死ぬ しかないかもしれんなあ。

5GHzの無線LANアダプタ買おう。どうも2.4GHzは調子が悪い。 周りにいっぱいあって混んでるんだろう。

2012年08月11日

今周期もダメ。中国製の排卵検査薬を購入。 一本56円なので、一日2回使っても痛くない。 万全の体勢で臨む。まあそういう問題でもない気はするが、 確率は上がるだろう。

ビブラム買ってきた。かかとの上のところがすれて痛いので、 しばらくは靴下をはくか、そこに絆創膏でも貼っておくかする。 靴底はべらぼうに薄い。アクアソックがかわいく見えるレベル。 衝撃はほとんどはだし。

オタマが寝ない。眠いくせに無理矢理寝ないようにがんばり、 蛍光灯を消すと怒る。そこで、調光機能つきの照明を導入することを思いついた。 それならじわじわ暗くしていける。 理想はLEDシーリングライトだがなあ。

あのリモコンついてて単体で調光できるシャープの電球はなくなったのか。

E17で460lmの調光対応の奴を3つくらい使えば蛍光灯1本に匹敵する光量は出せる。 それらの根本に調光器をつなげばいい。フックを壁につけて、 そこにひっかけておけばおおよそ大丈夫だろう。 まぶしすぎるので紙か何かでシェードを自作する。 できなくはない。しかしあまりにも不恰好だ。

LEDシーリングライトにとりかえるというマネは可能か? これ、取り外せるんだろうか。 一回試みてみよう。元に戻せるなら問題ないわけだし。 奥の部屋は引っ掛け型のソケットだから簡単だが、 こっちはそうではなさそうなんだよな。

LEDシーリングライトの器具効率は低い。 しかし、蛍光灯スペックの効率は当然むきだしの場合で、 半透明のプラスチックで覆われているだけで30%くらい効率が落ちるとも聞く。 加えて、点灯管を使うタイプはそもそも効率が大して良くない。 器具効率で言えば、今のLEDシーリングライトでも それなりな戦いができていると思われる。 3000lmあれば十分なので、1.5万くらいで買える。

器具効率で80lm/Wとかある機種が出てきている。 ついに完全置換が射程に入ってきたということか。 無段階で暗くできたりするのは蛍光灯では無理だから、付加価値もつく。 明日外して見てみよう。規格化されたソケットや固定金具が出てくればいいのだが。

韓国の大統領が不法入国した。日本の立場から見るとそうなる。 韓国の立場から見れば何ら問題はないが、今まで50年も争ってきつつも そこまではしなかったわけで、今回はそこで一歩踏み出したわけである。

水田って、並の雑草を根腐れさせて稲だけ残す作戦なのか。 苗を植えるのは、成育速度で雑草に差をつけるためか。 考えたこともなかった。

2012年08月10日

原発依存度を今数字で決めることに意味があるとは思えない。 最適解は状況で変わる。「利益は40%を目標とする」 というような数値目標に意味があることもあるが、 それは「最低限それくらいないと商売が維持できない」 といった条件から導き出されるものであって、 45%にしたからといって劇的に何かが変わるものでもない。 優先順位や方向性を決めるためのものだ。 今、「20年後の原発依存度は5%です」と決める時、 その根拠は何か。5%とか15%とかいう数字の根拠は何か。 何がどうなれば5%なのか。何をどうするために5%なのか。 全くわからない。

原発が不経済であることは間違いない。いろいろ考えるととにかく高くつく。 しかし、原発を置換するほど太陽電池や風車を置くためには、 必要な技術革新がどれくらいの可能性で達成できるのかを 考えないといけない。ワット当たりコストだけで評価しては駄目だ。 それだけ大量にその手の不安定な電源を導入するなら、 蓄電などによる安定化コストや、設置できる数の限界などを 一緒に考えないといけない。 それらを試算した上で、「20年後に期待できるそれらの率はこんなもんだろう」 という見積りをする。もちろん、余裕を持って低めに見積もらねばならない。 また、原発も20年後にはかなりの数が退役してしまう。 20年後に生き残っている原発の発電容量がいくつか、ということも当然考えるべきだ。 それによって新造せねばならないのかどうか、するとして何台いるのかが計算できる。 また、火力用のガス代がどのていどになるかは厳し目に試算しないといけないし、 ここには輸入し続けられるかどうかも考えないといけない。 安全保障上の観点から、多少割高でも原発を捨てずに続ける選択肢もありうる。

「日本はクリーンエネルギー大国になる」みたいなことは、政治で決めてはいけないと 私は思う。それが可能かどうかは技術の進展に依存する。 すでにそれでしくじったじゃないか。 高速増殖炉があっさり使い物になる前提でアホみたいに原発を作ってしまった。 今の原発の問題はそこに起因する。将来の技術に対する見積りは慎重であるべきだ。 技術的に可能でも経済的に不可能であることはいくらでもある。 とても予測できるものではない。 エネルギー政策は、あくまでも政治と経済の範囲で収まる範囲で考えれ良く、 つまるところ「ガスを買うかウランを買うか」の バランスくらいしか決められるところはない。 現状の技術水準では太陽光や風力は「足しにはなる」という程度のものであり、 今決めておくことがあるとすれば、 それらが増えてきた時にガスを減らすのかウランを減らすのかのどちらを選ぶか、 ということくらいだ。 そういうわけで、「自然エネルギーを推進します」とかいう政党には入れたくない。 そんなことは企業や個人の総和としての国民が「なんとなく」決める。 根本的に、「日本の重点分野はこれだから、そこに税金を投入します」 と言う政党には入れたくない。そういう大きな政府思想は嫌いだ。

国家予算で科学技術の研究をすることに意味はあるんだろうか。 さらに言えば、大学の研究機能は公営である必要があるんだろうか。 教育は配分の一種でもあるので、企業ではやりにくい。 しかし、研究はつまるところ投資だろう。 国にとって有益な研究だが企業がやらない研究、 というのはそんなにたくさんあるのだろうか。 多少はあるのかもしれないが、全く金につながらない研究が そんなに大量にあっていいとも思えない。 金につながるなら企業がやれば済むし、やるだろう。 「いろんな会社が同じ研究をしてお互い秘密をばらさないのは非効率で、 大学でやって公開する方がいい」 というのは、「北朝鮮は同じことをする企業がないので効率がいい」 というのと同じ論理であり、そんなに正当性はない。 テレビはこんなに性能が上がったじゃないか。 見た目の効率性よりも、競争による効率化効果の方が大きいのが人類社会なのである。 いっそ、大学の研究と教育機能を分離して、研究機能の大半は民営化したって それほど悪くないんじゃなかろうか。 一流の研究者が教育に関わることには意味があるので人の交流は絶やすべきではないが、 教育に向いてない人が教育に関わることは資源の無駄遣いでしかないし、 研究に向いてない人が研究に関わることも同じだ。 別組織に分けて、片方しか向いてない人は片方だけやらせればいい。 もちろん両方向いてる人は両方で活用してもいいだろう。 所属はどちらかにして、もう片方がサービスとして購入すればいい。

と思ったら、十何年か前に始まった大学院重点化ってそういう意図なのな。 一応考えてはいるということか。 もう少し時間が経たないと見えてこないのかもしれない。 あるいは、大学の現場に行けば結構見えてるのかもしれんな。10年も離れてるので 大学がどうなってるか全然知らんわけだし。

大学院重点化はブルジョアの陰謀、みたいな文書が出てくるな。 まあその側面もあるよな。 金にならないことはしない。富国強兵バンザイ。そう考えるノリの人はたくさんいる。 そういう考えに敵対する人たちは、 地球人類のために政治や経済に左右されず基礎研究に勤しむのが大学の姿だ、 と言いたい。 それは一つの理想としてアリだ。 しかし、その単純な善悪でできた世界観は現代において役に立つのか。 結局予算のぶんどり合戦が行われており、 3月になると「200万余ったから何か買っといて」とか教授が言ったりするわけだよ。 本当にそれでいいのか?それが理想か? 私があの2年間で、使った金に見合うだけの知識を 人類に提供できたとはとても思えない。 企業ならもっと人材の配置を効率化できたはずだ。 明らかに実験が向いてない私が時間の大半を苦手な実験に割いて試薬と時間を 無駄にしていたのは、上の立場から見れば配置が効率的でなかったからだ。 大学は研究室という名前の小組織の寄り合いで、 それぞれが小さすぎて効率化ができない。 しかも採用が自由にならず、2年やら5年やらで去っていく人間ばかりなので 教育しても組織が恩恵を受けない。どうしても適当になる。 結局研究と教育の両面で非効率だったように思う。 うまくやってるところもあるんだろうが。

役に立たない研究は好きだが、組織でやることもないんじゃないかという気はする。 昔の芸術家みたいにスポンサーを探してどうにかする形態でもいいんじゃないのか。 税金ぶっこんだ組織で予算をつけてやらなくても良くないか。 商店街でゆるキャラ作ってフランスデビュー、みたいな記事を読んでいると、 日本人は上から何か言われなくても勝手にいろいろ始める気がするんだよな。 ニコ動とか2chとか見てても思うし、同人誌だってそうだ。 ゲーム業界だってそうやって始まった。 結局、組織じゃなくて個人がどうにかする文化なんだと思う。 根本的に組織化そのものが向いてない気すらする。

なお、私が言う小さな政府は、財政予算規模が小さい政府という意味ではない。 消費税を50%取ってそれをごっそり社会保障でばらまいても、 それでうまくいくならかまわないといえばかまわない。 ただ、シンプルであって欲しいだけだ。 役人の数が少なく、規制の数が少なく、税金の種類が少ない、 そんな政府であれば、予算規模そのものは大きくてもかまわない。 私は消費税増税には全然反対しない。 ただ、その結果政府の複雑度をさらに上げる方向で考えている 臭いがするのが気に入らないだけだ。

戦後の産業政策が高度成長を助けたと言う人と、 産業政策は邪魔にしかならなかったと言う人がいる。 どっちなんだろうな。政府は邪魔さえしなければいい、ということなのか、 積極的に何かをしなければならないのか。よくわからない。 研究者同士でも未だに議論が絶えないわけで、たぶん永遠にわからないんだろう。

飲み会か。人が数十人いて屋内だと声の聞き取りが極端に困難になるので、 どうにも気が進まない。 そしてそれ以上に、今は自分が駄目に見える時期なので、人に会いたくないんだろう。 今まで会ってきた一流の人たちに再開するのが怖かったりする。 CEDECまでに本がある程度書き終わってるつもりでいたが、 全然無理。全く駄目。そもそも出版社の中で企画すら通ってない。 余計にニート感が激しい。 ちゃんと形になれば行けると自分では思ってるんだが、客観的な材料はない。 強気な前書きを書いては、弱気になって直し、また強気になって、 みたいなことを繰り返しており、さっぱり進まない。 前書きは企画書、あるいは要約みたいなもんなので、 それがしっかり書けてないということは骨子ができてないということだ。 どうにかせんといかん。

DiXiM Digital TV Plusの体験版が動いた。なんか起動がやけに遅いし、 UIもイマイチな気もするが、 起動が遅いなら起動しっぱなしにしておけばいいし、 UIにしてもバッファローやSKNETのアレよりはマシだ。 単体ソフトとして売られている以上、 ハードにくっついたオマケごときとは違うレベルの完成度を 持っているはずである。

DiXiM Digital TV Plusって、 マイドキュメントのビデオに入った動画しか見られんのか。 ドラッグアンドドロップできない。 しかも、.tsとか、.mtsは見られない。一体誰がどう使うことを想定 しているんだろう。

うちのDT-T70/U2は圧縮はできるがDTCP-IPに対応していない。 なので、DiXiM Digital TVを再生ソフトとして使うことはできない。 DT-T71/U2はDTCP-IPに対応している一方、圧縮ができない。

う。nasneって1/3の圧縮しかないのか。 500GBあっても現状の1/7圧縮で取れる量と大差ないぞ。 外付けHDDをつないで大増強することが前提なのか。 もっと容量がでかいのを出してくれればいいのに。 どうも自力で1TのHDDを買ってきて差し替えることもできるようだが。

領土問題は実効支配してる側は何も言わないのが普通だ。 なにせ実効支配してるので、放っておけば既成事実になる。 北方領土がどうなったか見てみればいい。 ロシアは「北方領土はロシアだ。日本のものだとか妄言吐いてる日本人は黙れ」 とか言うことはなかったし、これまでもない。 ただ淡々と町をつくり、軍を置いている。 さて竹島だが、何故か同じ展開になっていない。 人が住める島ではないので「もうこんなに人住んでて産業もあるのに今更言うなよ」 という状態にできないところが北方領土とは違うのだが、 それでも騒ぎ立てて韓国が得することがあるとは思えない。 関心を持って調べる人が増えれば増えるほど韓国は不利になる。 単純に国内の団結とか、選挙対策とか、そういうことなんだろうがなあ。 逆に日本側はもうちょっと盛り上がっても良さそうなものだが、静かなものだ。 まあ、尖閣が盛り上がってきたことで、ついでに竹島も盛り上がるかもしれないが。

2012年08月09日

ニュースを見ると政治が大変そうだ。 理想を言えば、非効率な金の使い方をしている部分を削り、 経済成長を妨げる規制をなくして本気を示した上で、 消費税を派手に増税してほしい。 しかし政治的にたぶんそれは不可能だ。 結局、財政がどうにもならなくなって大混乱の中でゼロから作り直すんだろう。 それ以外の未来が見えないし、正直その未来を見てみたい。願望だ。

消費税もどうなるかわからんな。 「景気が悪くなければ」みたいな条件がついているので 実際に上がるかどうかはわからない、 上がったところで全てが借金を減らすことに使われるわけでもない。 今以上に手厚くなる分野があるのは資料に書いてあるとおりだ。 今年は50兆円も借金をしている。これが45兆円になったところで、 焼け石に水だ。復興関係やら、住民税の所得控除の枠が減るやらで、 他にも増税ネタはたくさんあるが、どれも小さい。 こういうちびちびした増税はどうしても借金削減には使いにくい。 結局は増えた分使ってしまうことは目に見えている。

自民党が「近いうちに解散」で納得して、明日法案が通ると聞いた。 一説によると、自民党は増税を自分でやりたくないので、 できれば民主党が政権にいるうちにやらせたいと思っている。 なので、強いことを言って戦う不利をしつつも、結局は賛成するだろう とのことだった。結果から考えるにそうなのかもしれない。 それにしても、自民党、民主党、公明党は、なぜ消費税を上げたいのだろうか。 それぞれの利害はどこにあるんだろう。 国を良くするためではあるんだろうが。

貧乏人から金を巻き上げて金持ちにバラまくための準備で、 金持ちからの賄賂で操られている、という見方もある。 そういう要素もゼロではないだろう。 「成長産業に集中するために、非効率な産業から投資を引き上げる」 と言ってもおおよそやることは同じであり、言葉の問題にすぎない。 結局国は金持ちが動かすものだし、 理由がどうあれ、幸せの偏りが許容範囲に 収まったままで幸せの量が増えるのであればそれでいいや。

おおよそ「ジニ係数が許せる範囲に収まりつつ、GDPが増えているか」 を見ればチェックできるのか。でも、この手の尺度は完全には当てにならない。 もう少し詳しく見ていく必要はある。 幸せの量を測るパラメータと、幸せの偏りを測るパラメータは いくつか用意しておくべきだろう。

消費税の脱税方法についてはいろいろ聞くが、 今のところ所得税や法人税に比べればずっとマシなんじゃなかろうか。 自分が払っている所得税の額の小ささには愕然とするが、 自営業や農家はこの比ではないと聞く。そもそも所得を捕捉できてないとか。

真空気味調理した鮭から予想外に汁が出たので、大根を煮ておいた。 自画自賛するようでなんだが、こういう機転だよな。料理ができるってのは。 レシピをなんぼ覚えて、包丁さばきがどんなにうまくても、 分業が許されない家庭料理においては大した意味はない。 プログラミングも同じだろう。結局、最上位から最下位までのレベルを全部見てないと まともなものは作れない。水平分業してもいいが、その場合はそれぞれのレベルの産物が 最終産物と呼べるだけの大きさを持つ必要がある。 あまり細かく割ると全体としては駄目になるだろう。 分野ごとに縦割りして分業することの害は良く叫ばれるが、 「あることについては最初から最後まで面倒を見る」という意味では悪くない。 ただ、その「あること」を細かく分け過ぎることが問題なだけだ。

オタマがかきむしったとかで緊急で帰宅。冷たい風呂に入ってバリバリ遊んで、 その後ハイドロコロイド。 私が思うに、オタマの皮膚を治すということに関しては、感情の入り込む余地はない。 何をすべきかを考え、実行し、効果を検証する。 これを繰り返すだけだ。ハイドロコロイドの貼り方一つにしても、 ある貼り方をした時にどうなったかは検証しないといけない。 でないといつまでも時間がかかったり、はがれやすかったり、 無駄に消費してしまったりし続けることになる。 「本気で痒がってる時を見ていないから言える」とか言われるが、 たぶん私はそうなってもあまり変わらんと思う。 なんぼ泣いてもやるべきことをやり、改善を反復し続けるだろう。 しかし、私の非情さは異常なレベルなので、同じようにしろとは言わない。 ひつじこには素晴らしい優しさがある。 とは言え私が仕事で日中いないのはそう簡単に変えられることでもなく、 私が全てをやるわけにも行かない。どうにか、ひつじこにもがんばって 工夫してほしい。共感は素晴らしいが、そればかりでは疲れてしまう。

ハイドロコロイドの貼り方についてwikiに追記しておこう。ノウハウの共有化は重要。

私は家事や育児も会社の仕事とあまり違わないものだと思っている。 思いやりは仕事でも必要だ。顧客に対して思いやりがなければゴミしかできない。 コスト意識は家事でも育児でも必要だ。金も時間も体力も有限なのだから。 むしろ会社以上に大切だとすら言える。なにせ二人しかいないので余裕がない。 会社なら多少社内ニートがいても回るが、家庭はそれでは回らないのだ。 しかしそれはそれとして、家で必要な思いやりは恐ろしく具体的で生々しい。 そういう生々しい思いやりに私は慣れてない。それをどうにかしないとダメだ。

財政破綻しない論者のサイトはいくつかあるが面白い。

資産ゼロの国と、100円持った一人の個人Aがいるとして、 100円の国債を発行してAがそれを買うと、 国は100円分お金を使えるようになり、Aは100円に替えられる国債を得る。 これで経済規模は200円になった。しかし、お金は100円しかない。 国がその100円をAにあげたとすると、Aはまた100円分国債を買える。 やはりお金は100円しかないが、経済規模は300円になった。 まるで魔法である。国債のように「お金を貸す」行為はお金の量を増やす魔法なのだ。 普通国債はお金のうちに入れないが、似たようなもんだろう。

国債のような借金は特別で、例えば資産ゼロの国が何故か庭でリンゴを作って、 これをAに売るとする。国は100円を得るが、Aはリンゴを食べてしまうので、 経済規模は100円のままだ。消えてしまう物を売る場合、経済規模は増えない。 土地のように消えないものを売る場合は、消えないだけに元々存在していたので やはり経済規模は増えない。壊れないものを作って売る場合は、 価値の落ち方が遅いほど経済規模は大きく増える。 その極端な場合は国債や預金のような借金で、 こいつらは時間が経っても価値が減らない。 インフレやら金利やらを無視すれば額面通りに経済規模が増える。 信用創造が何なのか今更だがわかってきた。

上の例では、国債は無限に増やせる。同時にリアルなお金を100円以上 使わないままでいれば、無限にお金に相当するものが存在できる。 現実にも、国が国債で得たお金が 全て国に帰ってくれば国債は無限に増やせる。 財布の中やタンスの中、レジの中などにお金が残ったままになっていると、 全部が国債にはならないので、国債の発行量は無限ではなくなる。 毎度半分が国債になる場合、100+50+25+12.5+...と減っていって、 経済規模は200円で止まる。 今の日本では、国債で政府が得たお金がほとんど国債に帰ってくるので あたかも無限に国債を増やせるような気分になっており、 これが「国債は無限に売れ続ける。財政破綻なんてない」という論拠になっている。

もし、急に国債が売れなくなったらどうなるだろう。 例えば、経済規模が国債ループで10倍になった時点を考える。 Aは100円の金と、900円の国債を持っている。 Aは国債を買うのをやめて、別の物を買うとしよう。 実はA以外にも国民はいて、Bからリンゴを買うとする。 貯金が10倍になって気が大きくなったAは、Bが「値段10倍にするわ」 と言っても買うかもしれない。そうすれば、10倍のインフレということになり、 実質的な経済規模は国債ループ前と何も変わっていないことになる。 もちろん10倍は払わないと言うかもしれず、それならインフレしない。 しかし例えば、Aが実はBに肥料を売っている人で、 Bも同じように国債ループで1000円の資産を持っているとする。 Bはりんごを作るために肥料が必要で、それは多少高くなっても買わざるをえない。 Aが「肥料の値段10倍な」と言えば、Bは従うだろう。 そして、当然できたリンゴも10倍になる。というわけで、やはり10倍にインフレする。

これをえらく複雑にしたのが現実だが、 私の理解がおかしくなければ、結局はこれを複雑にしただけで構図は変わらない。 理論上金の量に上限はないので、 永遠に財政破綻しないことが絶対にありえない、とは言えない。 どんなに金が余っても、高値で売りつけようと思ったり、 高くても買っちゃえと思う人が出てこなければ、インフレにはならない。 輸入があるので、誰かが勝手に値上げをしても、 「じゃあ輸入品を買うよ」と言われやすい。 給料を上げろ、とか言っても、「じゃあ外国人雇うわ」と言われやすい。 コストダウン競争は激しいので放っておけば大抵のものは安くなるし、 グローバル経済に組み込まれればインフレはなかなか起こらない。 だから今こうしてデフレ気味でいるわけだ。

現実に金はどこに余っているのか。個人には余ってない。 一部の金持ちがすごい量溜めこんでるかもしれないが、所詮一部だ。知れている。 今は企業に金が余っている。 企業はもともと借金で回っていたが、借金を返して逆に金を貯めこむ側に なってしまった。商売してももうかる気がしないので、 商売するより銀行に預金して利子をもらった方がいいやと思っているわけである。 インフレはしない。海外から物を買ったりするかもしれないが、 これもやはりインフレはしない。外貨を買うので円安にはなるが。

そういや、任天堂って借金してないんだっけ。昔から。 そこだけ見れば効率を捨てて安全を取っているように見えるが、 あの会社はその分だけ安全から程遠い商売をしているので、 並の企業よりもリスクテイカーなんだろう。 私が受けに行った時も莫大に預金があると言われた覚えがある。

銀行は企業や個人から大量にお金を借りている状態にある。 しかし、誰かに貸さないと儲けがない。 国はそれを借りて、ばらまいている。これが国債だ。 企業も人も金を使わないので、政府が無理矢理使ってあげている、 という構図とも言える。 もし政府が金を借りなかったらどうなるだろう。銀行は儲ける手段を失う。 借り手がいなくなるからだ。 となると、預金の金利をマイナスにして、 その分で生きていくことが理論上は考えられる。 しかし、それで皆が預金を全部おろして自分のうちに溜め込めば、 銀行は何もできなくなって死ぬ。 そもそも、全部おろそうとされてもそんなに現金はない。 だからマイナス金利にはできない。 ああもう一つ、海外に金を貸す手もあるにはあるか。 しかし、借りてくれる外人がたくさんいなければおしまいだ。 銀行ってもしかして結構厳しい仮定に依存した存在なんじゃなかろうか。 資本主義そのものがそうだとも言える。 みんなバリバリ金を借りて商売してもうける、 ということに依存してるわけだろう?これ持続可能なのか?

金の借り手がいないのが問題なんだな。つまるところ。 しかし、本来個人は借金してまで金を使う存在ではない。 借金していいのは、それを元手に金を儲けられる時だけだ。 それをやるのが企業である。 個人がほとんど貯金を増やさなくなった以上、 企業が投資したくなる状況になれば、国債を発行する必要性が 減って、結果財政赤字も減るわけだ。 しかしまあ理屈としてはそうでも、それって国債が売れ残るってことだよな。 今の規模の予算が組めなくなる。個人の貯金が増えるどころか減り始めたり、 企業が貯金を減らしたり金を借りたりして商売を大きくしだすと、 国債が売れ残る事態になり、歳出削減をする必要が出てくる。 それはめでたいことのはずなのだが、 年金みたいに「仕方なく国が使ってあげますよ」という類でない財政支出が 相当な額あって、それだけでも国債が必要な状況になってしまった。 こうなると、増税して無理矢理金を集めるしかない。 国債は借金なのでお金の総量が増えるが、増税の場合は増えない。 増税によってしんどくなった人は金を借りるのをやめたり、 貯金を減らしたりするため、「金の貸し借りで金の総量が増える現象」 が逆に回りだす。つまり、経済が縮小する。 だから増税はできるだけしたくない。しかし、 国債が売れなくなれば減らせない支出をするために増税をやるしかない。

金の貸し借りが減れば、金の量が減る。この減った分が貧乏な人に集中して 押し付けられているということか。格差拡大というのは。 金の貸し借りが増える、つまり企業がバンバン商売を大きくできる状態になれば、 金の総量が増えるので、それなりに均等に行き渡ればみんな幸せになる。 そうなるように政府が無理矢理金を使って景気づけをするわけだな。 公共工事とか子供手当とか。

信用創造と信用収縮の意味がようやく腑に落ちてきた。 政府の無駄遣いはそれ自体が悪とは限らないのだな。そりゃ後々役に立つことに 使う方がいいが、全く役に立たない浪費であっても効果がないわけではないし、 そうしないと銀行に金が積もって銀行が死んでしまうわけか。

結局みんなが物を買わず、結果企業が商売をする気がなくなってしまうのは何故か、 という話になる。政府が代わりに金を使いまくっても、 昔ほどの効果はなくなってしまったので、 何か別の手を考えないといけない。 で、これはもうそろばんの問題じゃないということなんだよ。 金を使う気が失せるような社会であることそのものをどうにかしないといけない。 まず「金持ってないと不安」という人のために、 将来の不安を取り除いてやらないといけない。 「商売したくても邪魔が入ってできない」という人のために、 邪魔を取り除いてやらないといけない。 例えば規制緩和がその手段だし、 時には規制を作ることで邪魔を取り除けることもある。 「金を使いたくても金がない」という人があふれていれば、 「金が余っているが使う気はない」という人からぶんどって来て渡す方法が必要になる。 ぶんどる手段は例えば税金や、年金や医療などの支給の削減だったりする。 渡す手段としては、生活保護や失業保険、あるいは教育費の肩代わりだったりする。 金融政策や財政支出ばかりでは駄目で、そういう「社会の雰囲気を変える政策」 をちゃんとやるかどうかが重要な状況になっているのではなかろうか。

財務省が「増税しないとヤバイ」 と言いながら、格付け会社には「日本はまだまだ大丈夫っすよ。金利だって安いじゃん」 と言っているのが不誠実、という意見があるが、 日付けを見てみれば、格付会社に文句を言ったのは10年前のことだ。 意図的に時代のズレを無視しているのか、単に気が付かないのか。

財政破綻はありえないと言うことで個人はどういう得をするだろうか。 普通の人は何も得しないと思うんだが、 何故ああも熱心にありえないと言わねばならないのか。 善意であると仮定して、それはどんな善意だろう。 外貨を買って資産を目減りするのはかわいそうだから、 そんな馬鹿なことはしないように 本当のことを教えてあげようということだろうか。まあ有り得る話ではある。 逆に、財政破綻がありうるという人は、どういう善意で言うだろうか。 単純に「何かあったら大変だから備えた方がいいよ」ということだろう。 藤巻氏は「仮に何も起こらなくてもそんなに大損こくわけじゃない。 保険ってそういうもんだろ?」 というようなことを言っていて、書き方に問題がありはするもののわかりやすい。 起こると思って起こらなかった時の損害と、起こらないと思って起こった時の損害は、 おおよそ後者の方が大きい。 だから、起こるかどうかよくわからん以上保険をかけておくに 越したことはないのである。 ただしそれと別に、そういうことを言ってる人が善意以外の 理由で言う可能性はもちろんある。 「ありえない」と言うことで得をする可能性も、 「ありうる」と言うことで得をする可能性も同様にある。 例えば、自分が円で全財産を持っていれば、「ありえない」と言うことで、 みんなが「ありえない」という気分になってくれれば、 実際に起こらなくなって得をするかもしれない。 しかしこれは弱い。自分の影響力なんてたかが知れているし、 仮に日本人全員が今のまま安心して国債を持ち続けたとしても、 外人が何かやらかせばどうなるかわからないのである。 一方、「ありうる」と危機を煽ることで得をする可能性もある。 円が暴落したらもうかるような方法はいくらでもあるからだ。 こっちは凄まじい大儲けも可能で、それを狙っている可能性がないとは言わない。 しかし、すでに言ったように、わからんのだから保険をかけるのが無難なのであり、 その合理的な行動を皆が取った時に得をするように何かを仕掛けておくことも、 そう外れたことでもない。

「起こらないこと」を証明するには厳密に証明するか無限の時間が必要だが、 「起こること」を証明するには、証明なしでも起きてしまえば有限の時間で済む。 「起こらない」という側に立つのは不利なことが多い。 数学でも何かがないことを証明するのは大変なものだ。 というわけで、「ない」という立場に立つなら条件に時間制限をつけておく方がいい。 「5年以内には起きない」であれば、それなりにいい賭けだろう。 借金がプラス200兆、というのはギリギリ耐えられる範囲かなと私は思っている。 しかし、「10年以内には起きない」であれば、わたしはそちらには賭けない。 プラス400兆に耐えられるとは思えないし、 そうならないように借金を止められるとはさらに思えない。

あ、「起こらない」と言う人は、 その意見を広めることで増税や緊縮財政を止めたいのかもしれんなあ。 予測じゃなくて意見なのか。 自分のブログで他人に影響を及ぼせると思っているということか。

動機ってどうでもいいよな。 別に財務省の陰謀でも、ハゲタカの陰謀でもいいんだよ。 結果として良くなれば。誰かが大儲けしたとしても、 それを相殺するほど皆が幸せになるなら それでいいんだよ。動機は議論の要素としては全くもってどうでもいい。 総理大臣になった人間が10億くらい私腹を肥やしたとしても、 それで国が良くなるなら歓迎だ。是非とも発覚しないようにうまくやってほしい。 どんな悪党であっても、結果が良ければ文句は言わない。 もちろん、傾向としては腐敗度が高い政府ほど人を不幸にするので、 傾向としては汚職はやめていただきたい。 しかし、それはあくまで「傾向としては」だ。汚職はゼロにはならないだろうし、 汚職やら癒着やらと断言できないグレーなゾーンはいくらでもある。 皆の幸せを増やしつつ、そのおこぼれを貰う人は、どんなに腹黒い悪党であっても、 結果として悪党ではない。

とか思ってることが巡り巡って私を家庭に向いてない人間にしているんだろうか。 明らかに心を軽んじている。 場合によっては、仕事にすら向いていないかもしれない。 動機は大切だと皆が思っている組織であれば、動機はどうでもいいと言うことは 組織を乱すことになる。それは組織の性能を損ね、実際に結果を損なうだろう。 人に信頼されなければいい結果は出せない。

SBI銀行の振込手数料は月3回までタダで、特典付きのみずほと変わらない。 もし、入出金ログがみずほより見やすいなら、振り込みこっちからでいいかもなあ。 カードの引き落としも。そして、給料の振り込みも。 ATM手数料も、セブンイレブンならタダ、ローソンや郵便局でも月5回までタダだ。 あれ、もうみずほ銀行いらなくね?ブラウザでの操作もイマイチだしな。

民主党かっけえ。「近い将来解散、というのは党首同士の約束だ。党首が変われば無効」 とか言ってるらしい。人間として信用できなくても、そいつが一番マシなら それに投票するのがうちらの務めなんだろう。 一番マシなのが民主党や公明党や自民党や共産党で ないといいなあ。心情的にこれらにはいれたくない。

みんなが金を使えば社会がよくなる。貯めこむのは悪だ。 そしてどうせ使うなら、それで世界が良くなるような使い方をしよう。 良い物を作る会社に金を払おう。 さて、うちは余裕あるんだから率先して金を使うべきなんだが、 将来が不安だったりもするので、残念ながらあまり使えない。 そのうち子供が増えたりして金を使うようになるはずなので、 それまで金を海外に貸しておくことにする。 国内に商売を広げたい人は少ないようだが、海外にはもう少しいるだろ。 先進国はどこも金融緩和で金余りなので日本と大差ない状況だが、 それでもアメリカはだいぶマシだし、新興国もあるからな。 というわけで、円の比率はもっと下げる。

ちなみに、ここのところ毎晩のようにひつじこに貢ぎ物を買って帰っているので、 以前にくらべると浪費が増えた。 また、オタマの皮膚炎のせいで、治療材料の購入費が馬鹿みたいに増えているので、 湿潤治療市場には結構貢いでいる。 国内の農家や漁師にも結構貢いでいると思う。 lenovoがThinkpadを劣化させなければlenovoに毎年一台分くらい貢いでもいいんだが、 残念ながらもう無理だ。

政治経済おもしろい。人に教えられるくらいのレベルで勉強したい。 勉強したければ本を書け、と言われるが、当然こんなことで本は書けない。 今ならwebだ。そのうち自分が勉強したことをまとめておこう。 そうすれば間違いを誰かが指摘してくれてもっとわかるようになる。

nasne。PCから録画、予約録画できることは確認済みらしい。 放送中にPCからテレビを見られるかどうかは現状未確認。しかし、 それくらいなら今あるチューナを使えば足りる。 そして一番重要なのが、録画した番組がPCで見られるかどうか。 これの確認が取れれば即座に買う。 「DTCP-IP対応ソフトがあれば見られるはず」とは聞くが、 実際にやれたという報告が出るまでは買えない。 iOSで見られると最高なんだが、それも未確認。

DiXiM Digital TV Plusというソフトを使えば見られるとの報告を見つけた。 複数件の報告があり、これで行けると思われる。 そのソフトの体験版が動作することだけ確認したら、 nasneごと買っていいな。

2012年08月08日

献血結果。全て正常だが、兆しは見て取るべきだろう。 ALTが32と上がってきている。肝臓に念のため注意。 ガンマGTPは12で正常。総蛋白、アルブミンALBは上昇。 以前はこれが下限以下だったりもしたので、栄養状態が改善したと思われる。 やっぱり蛋白質が足りなかったのだ。米だけじゃダメだ。 アルブミングロブリン比は2.0で上限ギリギリ。下がる方が良くないので、良しとする。 コレステロールは204と上昇。脂を食べるようになったからだろうか。 グリコアルブミンは13.5で13.8から低下。HbA1cで言えば4.5。正常だが、 せっかくなのでもう少し極端に糖質を断ってみてどこまで下がるか実験する。 下限である12.6で下げ止まるのか、さらに下がるのか興味がある。

赤血球数499、ヘモグロビン量15.4は安定。少々少なめだが貧血はありえない。 HbA1cが低すぎると貧血が疑われるそうだが、こちらの二つが安定していれば いくら下がっても問題ないと思われる。 ヘマトクリット値45.4、平均赤血球容積91、 平均赤血球ヘモグロビン31はいずれも標準で変化なし。 白血球数は40と低下。感染が減ったか、免疫が落ちたかは微妙。 血小板17.7は低め。6年前に比べると低いが、前回よりは高い。

糖質制限ごっこによる悪影響は見られない。微妙に改善している可能性はあるが、 大きな変化はない。この調子で実験を継続しよう。もう少し徹底しても良さそうだ。 買い食いがますます難しくなる。

真空気味調理だが、牛より豚の方がおいしくできる。 国産だからなのかなんなのか、臭みもない。 ただ、値段は大差なく、輸入牛肉は国産豚より安いことも多い。 いつも行くスーパーでは輸入豚はおおよそ薄切りになっており、 塊で売られていないから選択肢に入らないのだが、もしあれば試してみよう。 というか、考えてみれば薄切りでも構わないな。どうせスライスして食べてるし。 昔安いバラ肉を煮たら猛烈に臭かったが、 あれが輸入物だからかバラ肉だからなのかは今となってはよくわからない。 エサが肉にかわる効率は豚が牛の3倍とも聞くので、 エコ貢献のためにも豚比率を増やそうか。 所詮気分だが。なお、栄養的には豚も牛も大差ない。 どちらも脂が少ないヒレ肉が食べやすいが、少々高いのが残念だ。 いずれ穀物価格が上がってくれば肉も値上がりしてぜいたく品になるのかもしれないが、 今はまだ普通に買える。

偏っているとは言われつつもわかりやすく面白い、 世界史コンテンツ(うち「元祖」とあるもの)。 良く書けてる。内容の正確さや偏りについては判断できないのでおくとしても、 とにかくわかりやすい。 ラーメン屋の比喩が誰にとってもわかりやすいかはともかくとして、 ラーメン屋なる比喩を一貫して使うことで、 個別の事柄でなく、全てに共通する構図を理解 させられる。比喩は悪用すると間違ったことをあっさり 納得させることもできるので危険ではあるし、 これがそうではないとは言えないが、ともかくもわかりやすい。 「わかった」と感じるためのハードルが低い。 また、一般的常識の類をキャラに代弁させることで読者が 参加しやすい構造になっている。 これも悪用すると危険だし、これが悪用でないとは言わないが、 ともかくもわかりやすいし、 興味をひき続けられる。また、歴史という下手をすると 「オレに関係ねえや」的な印象を抱かせるネタ であっても、現代との関連を常に失わないように話を持って行っている。 アニメネタがわからんとどうにもならんので対象読者は狭いという問題はあるが。

上の奴に触発されていろいろ作られているのだが、ちょっと見た感じ質が大幅に劣る。 例えば韓国ネタにしても、元祖は「いや、いくらなんでもそりゃねえだろ」 と思い続けられるように配慮されている。 あからさまにウソ資料が混ざってたりするしな。荒山徹や鈴置高史の小説と同じだ。 作者が意図しているのは、読者が「まさかマジなのか?」と思って 別の資料を調べることだろう。 読者を説得することではない。 だが、他の人間が似たようなものを作ると「韓国はアレです」が結論になり、 そこに向けてまっすぐに突っ込んでしまう。読者を説得しようとすることが目的だから、 どうしても押し付けがましい。結果「ネトウヨ」 という感想しか残らなくなるわけである。 まあ、五十歩百歩か。単純に元祖はおもろいが、 他はつまらん、というだけの話かもしれん。

そういえばナチ虐殺否定論も実に面白かった。 事実かどうかなんてどうせうちら部外者にとっては どうでもいいからいいんだよ。 そういう考え方ができるということ自体が面白いのだから。 「実は江戸時代なんてなかった」とかいう説であっても、 それが理路整然として面白ければそれでいいのだ。事実に反したとしても勉強になる。 読者が真に受けるような馬鹿にならないように、 この人はそれなりに配慮して書いている。 まあ触発された連中を見る限り、その努力が実を結ばないケースは多いようだが。

対話的に構成する長所は大きい。これは大いに取り入れるべきだ。 ただし、明示的にキャラを入れて対話にするとすると軟派になりすぎる。 私はメイン顧客として中高生を考えているが、 実際に金を出してくれるのはたぶん大人だ。 あまり偏ったことはできん。 いっそ萌えでもなんでもつっこんで偏ったものを作る戦略もあるし、 ぶっちゃけ私としてはそういうダメ丸出しなものと書いてみたいわけだが、 会社に人件費を払わせて会社の名前で売るものでそれはやりすぎだ。 それは今回のが不十分に終わった場合に打つ次の手としてとっておくことにする。

「対話的」であることの核は、問いと、それに対する複数の選択肢だ。 本のどこを開いてもそれが軸として保たれている必要がある。 普通に文章の内容としてそれらを扱ってもいいのだが、 案外形式として明示的にやってもいいのかもしれない。 例えば章や節の題名は全て問いにする。あるいは最初の文を問いとして、 枠か何かで囲ってもいい。 そして、必ず問いに対する選択肢を複数示して、例えば枠でかこって箇条書きにする。 その後、それぞれの比較、選択、検証といったものを明示的に見出しをつけて行う。 この構成が本の全ての場所ではっきりと示されるのはどうだろう。 どの章も、どの節も同じ形式に従って書かれていれば、 読者にとってはダラダラと文章が続くよりも伝わりやすかろう。

「大変だから応援して」とメールをされて、帰らないでいるのは難しい。 帰って来いという意味ではないと言われたし、 実際帰ってもロクなことにならなかったのは事実だ。 しかし、それで「がんばれ」とメールするだけで済ませることが賢いとも思えないし、 そもそも思考が中断されてひつじこが心配になっている段階で、 帰る帰らないにかかわらずそれ以上の仕事なんて不可能なのである。 だからといって、一人でしっかりやってくれ、 なんてことは言わない。ひつじこがオタマのことで大変なのは知っている。 私はひつじこの負担を減らしたい。 しかし、手伝おうとしたところで私が役立たずなのはもうさんざんに証明されているし、 役に立てるように努力することすら難しい。 努力の過程で私は必ず失敗し、オタマは泣くのだ。ひつじこはそれを許さない。 これだけオタマスキルに差が開いた今となっては、 その差をいきなりゼロにすることなど無理である。 となれば、とにかくオタマに関する問題を何らかの方法で減らし、 また、ひつじこでなくてもできることや、 私の方が向いていることを私が引き受けるのがいい。 洗濯や料理を引き受けるといったのはそういうことだ。

もっとも、連日オタマが9時を過ぎても起きないので洗濯できないでいる。 布団も干せない。 「言ったのにやらない」と責められても文句は言えないが、 だからといって遅刻してまで 洗濯をするわけにはいかない。 まあこれに関してはオタマを起こしてかまわないということなので、 今後は問題ではなくなる。

次に生まれる子は私も寝かしつけられるようにすべきだ。確かにそうだが、 そのためには子供にとっての私とひつじこの比重が かけ離れないようにしないといけない。 オタマ同様にひつじこが全力で愛情を注げば、時間と能力両面で大きく劣る私が 対抗できるとは到底思えない。ベビーベッドに寝かせて添い寝しない、 人工乳にして私も授乳に参加する、などしてひつじこの関与を減らせば別だが、 そうも行かないだろう。オタマにしても、最初は私だって寝かしつけていたのである。 しかし、オタマに知恵がつき、自我が芽生えるにつれて、 オタマにとっての私とひつじこの価値の開きは大きくなる一方だ。 一週間くらい実家に帰っててくれればもしかしたらこの格差を減らせるかもしれない。 しかし、ひつじこは「二人で協力したい」のだ。家族として。だからそれはダメだ。 だが、現実に私がオタマの世話をしてうまく行くのは、 基本ひつじこがいない時だけである。 その状況が望ましくないのは私だってわかるが、実際どうすればいいのかが見えない。

オタマは合理的な生き物だ。私から劣ったサービスを受けるよりは、 ひつじこから優れたサービスを受けたいと思う。 客がクソゲーを買わないのと同じで、そこに情け容赦はない。 もちろん、私を選ぶケースもある。体を使う遊びは私だし、 外で歩きたくない時のだっこも私だ。15kgを超えているであろうオタマを、 腹に命がいるかもしれず非力で疲れやすいひつじこに だっこさせるわけにはいかないから、 「かあちゃんはだっこしない」ということをオタマにも理解させている。 さて、ひつじこはそういう合理性と別の価値基準で、 私にもオタマの相手をさせたいと思っている。 それはとても大事なことだ。なにせ家族だからな。 ただ、それをオタマが許さない。また、私の長年の行動習慣がこの価値基準の変化に 対応できないでいる。 そんな中、皮膚炎の問題でオタマの世話の 手間が凄まじく増してしまったのが今の状況だ。

オタマに接する時間を増やすことはできる。 しかしそれで状況が改善するかはわからないし、 その分の時間を私は捻出せねばならない。 すでに音楽は捨てた。会社にいる時間を削らねばならない。 ぶっちゃけまるで本に集中できていないので会社にいる時間を減らしたところで 大きく作業効率が落ちるわけでもないのだが、そうすればますます遅れる。 そして、仮に一緒にいる時間を増やしたとしても、オタマはひつじこを選ぶ。 事実、夜帰って手伝おうとして良い結果になった試しがない。 オタマにも「とおちゃんダメ。かあちゃんだけ!」と何度言われたかわからない。

ベビーベッドや人工乳を選ばなかったのは正しいと思う。 ひつじこもそうしたかったし、 オタマもその方がうれしいだろう。 しかしそれは、父親が子育てに関与しなかった 古来の日本スタイルに近づかざるをえないのではないか。 なまじ私の家事負担が並より多いばかりに、 ひつじこはより多くの時間をオタマに注ぎ込むことができ、 格差はさらに開いてしまった。もしひつじこが家事を全てやっていたとすれば、 オタマにかまえる時間は減っていただろう。普通の母親はたぶんそうしている。 だが、うちらははそうしないという選択をした。 だから今こうなっているのはうちらが望んだことだ。

そういうわけで、私の家事負担を増やしてひつじこの時間を空けても、 事態がさして好転しないことはわかっている。 しかし、現状それしか手がない。 オタマから目を離せば、ふとした拍子に掻きむしられて、傷の回復が遅くなる。 とにかく傷が全快するまではひつじこがオタマから離れずに済む状況を作るべきで、 そのためには家事の類は私が片付ける必要がある。 私がオタマを見ていてもいいのかもしれないが、会社を休まねばならないし、 私はどうしても何かのきっかけで考え事をしてしまって目を離してしまう。 私がダメなのは事実だが、だからといってすぐに直るようなものでもない。 本気で直そうとしてないからだ、と言われてしまえばそうかもしれんが。

ある種の人にとってのプログラミングは、 私にとってのオタマの世話と同じかもしれない。 そう考えるとプログラミングが難しいということをよりリアルに感じられる。 できなくて、できるようになる道筋も見えない状況。 隣に圧倒的にできる人間がいて、同じレベルを要求される状況。 「努力がたりない」「やる気がない」「どうしてできないのかわからない」 と言われる状況。プログラミングに関してそういう状況にいる人に、 何か役立つものを提供しよう。 その過程で私もオタマの世話について何かが理解できるかもしれない。 できない、わからない、ということがどういうことかを考えるいいチャンスだ。

最近料理しても食べる暇がないな。余って会社に置いていたナッツ類もなくなったし、 どうにかせねばならん。コンビニで何か買って済ませようにも、 糖質制限を強めることに決めたこともあって買えるものがない。 だいたいマズイし栄養もないから、あんなもんでは話にならん。 すぐに弁当としてチーズやナッツを持ち出せる体勢を作っておくべきか。

お盆は祖父の一周忌だが、私だけで帰ることも考える。 オタマの皮膚炎のケアができん。移動の準備でひつじこに負担をかけさせてもいかん。 二日以上前ならキャンセル手数料は安いので、10日中に決断する。 つまり明後日金曜日だな。暑くても寒くても皮膚に良くない。 遊びに行くのは秋でもいい。

熱い食べ物や飲み物はガンリスクを高めると言う。そもそも不快だ。 熱いものを良いと思わなくなった。 昨日慌てて茶を飲んだら口の中をやけどして不快だ。 飲んだ直後も胃が熱くて不快だった。60度くらいある液体を200も300も胃に入れれば 細胞が間違いなく死ぬ。そりゃ発がんリスクも高まるだろうよ。 なにせ細胞の分裂回数は有限で、回数を重ねるほど壊れてがん化しやすいのだ。 茶は冷めてから飲もう。熱いものを良いと思うのは教育の結果で、 生物としては変だからな。 「これは殺菌されてて安全だ」という印象があってうれしいだけのことだろう。 肉は冷めてると脂が固まってマズイが、これも教育の結果なんだろう。 でも、さすがに脂は溶けててほしい。

昨日だったか、久しぶりに砂糖の入った本来のコーラを飲んだ。100mlあたり45kcalで、 350mlあたり39.55gの糖が含まれている。直後に異常なほど調子が悪くなった。 アスパルテーム入りの奴はマズイし、飲んだ後の微妙な不快感もあるが、 これほどの不快感ではない。あれを過去には平気で飲めたのかと思うと興味深いな。 現状体重は62kg程度で安定している。 摂取カロリーはどう考えても一日1000kcal行けばいい方だが、 不足感はない。そもそも体重が減っていない。 2000kcal必要というのはウソだ。確信した。

たまに頭痛がする。カフェインの取り過ぎかもしれない。 紅茶を良く飲むが、コップにティーバッグを入れてお湯を注ぎ、 ティーバッグを取り除かずに そのまま飲んでいる。ティーバッグを捨てるのは次に飲む時だ。 しかしそのため、冷めるまで放置してから飲んだりするとえらい濃さになる。 コップが400mlとデカいので味としてはそうおかしくはないが、 しかしカフェインの総量は結構なものになるだろう。 一日2杯を越えて飲むと汗が妙に出たり頭痛が出たりする。 根本的に茶を飲むこと自体が余分なんだよな。 会議前に間違って入れたりすると慌てて飲んでやけどしたりもするし、 いいことが何もない。 安いペットボトルの茶を箱で買って机の下に置いておくかと思ったが、 一日2Lは飲めないな。 開けたらさすがに保存できん。冷蔵庫は遠いし空いてない。だが500mlは割高だ。 そもそもペットボトル茶はまずい。 ティーバッグは湯のコストを無視すれば1杯5.5円でアホみたいに安い。 どうがんばっても数十円はするペットボトルは論外だ。 というわけで、今ある茶を飲みきったらカフェインのない茶に切り替えよう。 糖質を食べないなら眠気はこない。カフェインは不要だし、むしろ有害だ。

やる気が出ない。だが、ここを乗り越えれば私は一段上のステージに立てる。 自分一人で何もかもを決めてやる仕事を、どのような状態であってもやり遂げる、 ということができるならば、将来の選択肢は大きく広がるだろう。 普通の仕事は会社に行きさえすれば自動的にやれるような類の仕事だ。 締め切りも、目的も、手段の大枠も与えられている。 通常のプログラミング作業は設計まで含めても自動的な仕事にすぎない。 精神状態がどうあれ、家庭の状況がどうあれ、会社に来さえすればできる。 勉強せねばできない技術を投入する場合は多少きついが、それでも 勉強は何を考えるかを考える作業ではないから、集中するのはまだ容易い。 集中できない状況でも何を考えるかを考えることが必要な作業をやれるようになる、 というのは私にとっては凄まじく重要だ。 そのためにどうすればいいのかを学ばねばならぬ。

最初に書くのは「この本からあなたが何を得るのか」だ。 何を提供する本かを一言で言わねばならない。 そして、「私が考えるあなたとは誰か」を書く。 これがないと、次の話に進めない。手に取った人が「私が考えるあなた」でない場合は、 そこで終わりだ。しかし、これは明示的に書かなくても伝わるかもしれないので、 実際に書くかどうかは未定。例えば題名次第では「絶対こんなの上級者は手に取らない」 という状況は作れる。 そうすれば対象しか手に取らないはずだから、説明する必要がなくなる。 次に、「何故他の手段ではないのか」だ。 他の本、授業、webサイトなど、手段はいくらでもある。 その中から選ぶ理由を短く示さねばならない。 しかし、ここで完全な理由を示すことはできないから、 ここは箇条書きに近いものになる。 それぞれの項目についてはこのあとで詳しく論じる必要がある。 そして、改めて、「以上の考えに同意できるならば、 この本は良い選択肢である」ことを示す。 この段階で、この本を使うことを仮にかもしれないが納得しているはずなので、 ここで進み方を説明する。細かい前提条件があればここで触れるべきだが、 前提スキルがゼロであることを売りにしたいので、プログラムの起動、インストール、 フォルダの概念なども必要であれば全て説明する。必要なくできれば理想だ。 IEからダウンロードされると「実行しますか」と言われるはずなので、 そこではいと答えれば デスクトップにショートカットができて、 あとはデスクトップ上で完結するのが望ましい。 インストール嫌いの人向けに単なるzipも用意するが。 サンプルコードを見てみる、 みたいなことを実際にやるのは比較的上級者に限られるだろう。 主力読者はサンプルコードを一切見ないと仮定する。 だから、最低限見てもらわないといけないサンプルコードがもしあれば、 アプリにボタンなりメニューなりを作って対処する。 エクスプローラの操作方法を知っていることを仮定しない。 ここがやれればOS非依存に近づける。 もっともmac版やunix版を私が作ることはなかろうが。 面倒くさすぎる。ソース置くから誰かやってくれとしか言えない。 機種依存部は綺麗に分けてあるので、そこだけ移植すればあっさり動くはず。

2012年08月07日

靴本当どうしよう。ビブラム買うならリアル店舗で見ないとなあ。 でも高い。1.3万も靴に出す文化は持ってないんだよな私。 しかし他に選択肢がなさそうだ。川崎ルフロンの8Fで扱ってるようなので、 そのうち行こう。にしても、これ寿命短そうだな。

アディダスの奴は屋内用らしいのでダメだ。5000円も安いのに。 EvoSkinというのもあって、こっちは5000円で買えて安いのだが、 見た目のうさんくささがビブラムの比じゃない。 なにせ半透明のシリコンだからな。足のコンドームとか言われてしまう外見。 あと、国内ではそうそう売ってないっぽく、サイズ合わせが絶望的だ。 wiggleというイギリスのサイトで買えるが、 返品可能と言われても実質無理である。イギリスまで送料いくらかかるんだよ。

男女産み分けは禁止すべきだとか言っても、やりたい人がいれば止まらない。 超音波の機械なんて当たり前に普及していて、もはや止めるのは無理だ。 とはいえ、産み分けをしたくなる事情という根本原因を消し去るのは 簡単ではない。時間が解決する問題かもしれないが、 時間が経つほど悪影響は大きくなるわけで、 応急処置にすぎないとしても規制を導入することは妥当かもしれない。

女性の90%以上が結婚していた、ということが驚きだ。 男も80%以上だったわけで、これも相当に驚きだ。 そして1970年には98%以上が結婚していたというのが本当に信じられない。 そりゃ親より上の世代と話がかみ合わないわけだ。 今となっては結婚をしないことが何らおかしなことではない、 ということはなかなか理解されんだろう。

やってみて思うが、結婚に向いている人間はそんなに多くないと思う。 私なんか相当向いてない。 ひつじこでなければ到底成立しなかった。 なお、生涯未婚率は測定の時点で50歳の人の結婚率を見ているため、 例えば今35歳の人の生涯未婚率は15年後まで測定されない。 2010年度の調査では30-34歳の男は47%が結婚していない。 この半分が今後15年以内に結婚するかと言えば、かなり怪しいだろう。 15年後の生涯未婚率は30%くらいにはなりそうで、 30%結婚しないとすれば、それはもはや少数派ではない。 そしてさらに、この生涯未婚率には離婚した人は入っていない。 「結婚した状態でいる人間の率」はこの数値より高くなる。 結婚数に対する離婚数の率は35%であり、結婚の数は実体としては2/3程度だと言える。

愉快なくらいに少子化だ。その割に出生率が1.35 あたりでうようようしていて減らないのが不思議だな。 2人投入して1.33人ということは、 3人投入して2人ということだ。3人中1人は子作りに参加せず、 残りの2人が2人子供を作る。 そう考えると結構子供多いぞ。同年代の男を適当に3人拾って来た時に、 2人の子供を産む女性と夫婦になっている奴が2人いるはずだということだろう? 感覚的にはありえない。 私が属する社会は外れてるということだな。ゲーム会社にせよ、 大学の友達にせよ、高校の友達にせよ。

私の同い年の人間は200万人いるが、オタマと同い年の人間は100万人しかいない。 すごいな。 子供向け市場の客単価は上がる方向に行くのか、 それとも、単に市場が縮小して終わるのか。

良く出てくる出生率は、正確には合計特殊出生率と言う。 15歳から49歳までの人それぞれについて「一人当たり何人産んだか」 を調べて、それを足し合わせる。 簡単のために20歳の人と21歳の人だけが子供を産めるとして計算すれば、 20歳の人が100万人いて100万人産み、21歳の人が100万人いて50万人産んだとすれば、 (100万/100万)+(50万/100万)=1.5となる。 これを「一人が生涯何人産むか」を推測するための目安としているわけだ。 というわけなので、今15歳の人が生涯何人産むかは今年の出生率からは全くわからない。 出産の大半は25から39歳の人によって行われるため、 「今年の出生率」はおおよそ「今年30歳あたりの人は生涯どれくらい産む人々か」 を推測する目安だということだな。

元々子供はリスク回避のために必要だった。 自分が働けなくなったら誰かに養ってもらわねばならない。 赤の他人とそういう契約をしてもいいのだが、 他人が信用できないなら親族が一番の選択になる。 親族の中で数を自由に増やせるのは子供だ。だから子供を作るわけである。 子供を作ることが経済的な合理性を持っていたから、何もしなくても子供は増えた。 しかし、社会保障を国やら何やらがやり、労働力にもできないとすれば、 その合理性はなくなる。 子供は単純に欲しいから作るだけのものになった。 めでたいことだ。しかし当然少子化する。 皆が子供を作らなければ社会が維持できず困るわけだが、 それはゴミを家の外にばらまいても自分は困らない、というのと同様に、 自分は直接的には困らない。ゴミをばらまけば社会から制裁を受けるわけで、 同じように子供を作らなければ制裁を受けるようにすればいいのだが、 人権やら自由やらと言い始めるとそんなことはできない。 子作りは労働や税金同様社会的なものであるにもかかわらず、 社会が個人に強制できる仕組みがない。詰んでいる。 加えて、子作りのための行為の魅力が相対的に薄れている。 娯楽なんていくらでもあるのだ。 勢いで作ってしまった、的なことは期待しにくい。 避妊や中絶という手もある。 少子化を解決するには、少子化の原因を除くか、 無理矢理歪めて経済的合理性を持たせるしかない。 社会保障を削るか、子供を労働力として使える状況を作れば多少は復活するだろう。 今後社会保障は削られるだろうからもしかしたらそれが 出生率にプラスの影響を与えるかもしれないが、 単純に「不安だから子供作る余裕ない」とマイナスの影響になるかもしれずわからない。 そして教育を受けていない子供を労働力にできるような社会ではすでにない。 となると、「子供を作るとお得です」的な状況を無理矢理作るしかないが、 子供手当程度の額ではまるで話にならないが、財政はそれ以上増やすことを許さない。

対話形式の利点を取り込めないだろうか。 本は私から読者への一方的な語りかけになる。 私がそれぞれの時点での読者の状態を読み損ねれば、 そこで読者はついてくるのをやめてしまうだろう。 しかし、読者の分身を本の中に用意して、それと私の対話を見せることで、 読者は自分と本の中の分身のずれを自覚しやすくなる。 また、よくできた対話形式は単純にわかりやすい。 歴史ネタでアニメキャラが対話形式で説明する コンテンツがああもわかりやすかったのがいい例だ。 むろん、あんな手間のかかることをやれば冗長になりすぎて かえって歓迎されないだろうが、 あのいいところを部分的に取り込むことはできなくもないのではないか。

大学の講義において個別に教える時には対話を基本とし、 答えをこっちから教えることは極力避けた。 あれだよな。「待て、何がわからないのかまず考えろ。 お前は今どこにいて、どこへ行きたいんだ?」 という台詞を何度言ったか知れない。

ソクラテスは自分の教え方を産婆になぞらえたらしい。 これだ。私はプログラミングを理解するのを助けるだけだ。 実際には情報を提供して教えるのだとしても、 読者の主観においては自分で理解したように感じられるべきだし、 そうであればこそ理解できる。本来本という形式はそれに適さないが、 プラトンはその制約の中でどうにかする手を編み出して残してくれている。

なんか対話を取り入れた技術書ないかな。参考にしたいのだが。 もっとも、明示的に対話形式にする気は今のところない。 あれは場所を食い過ぎる上に手間がかかりすぎる。 もし本気でやるなら小説を書くくらいの気持ちで臨まねばならなない。 いっそそれもいいかなと思わなくもないし、 案外オモロイのが書けるんじゃないかと思ったりはするが、 ちと飛躍が大きすぎる。 その手の試みを実際に技術書でやった例はないんだろうか。

ふと思い出した。昔清水が挿絵書いたUNIXの技術書って対話形式じゃなかったっけ。 あーでも萌えキャラ会話部分だけで、説明本体が対話だったわけでもないか。 つうかあいつ何してるんだろ。たまには11月に京都行きたいがなあ。 誰か予想外の人に会えるかもしれん。

調べていたら、「講義は印刷物が高かった時代の遺物であり、 講義をしている段階でダメ」 という意見があった。そんな気がしてきた。講義は一方通行なので学生はダラける。 印刷物ならページをたぐるのは自分なので、 参加度は高いし、時間と空間の自由も大きい。 では講義の意義はなんだ?CEDECの講演の意義にもつながることである。 そう考えていくと、講義は講義でしか伝わらないことを伝える場であると言える。 双方向性は人数が一定以上あれば限りなくゼロになるわけで、 講義やら講演やらで伝わるのは声や表情、仕草である。ビジュアルとオーディオだ。 内容ではなく、講演者の人間の形を伝えるのが 講義やら講演やらの意味だと思うべきなのではないか。 内容は重要だが、それだけでは存在価値がない。 もっとそこに注意を払わないと価値がない。 しゃべる内容に価値があることをしゃべる人間を担保にして説得する試みだ。 一方、単純に内容が欲しい人は別途文書にされたものを見れば良く、 それを用意するのは客の時間を無駄にしないためにも義務なのではないかと思える。 CEDECの講演の類は全て別途「それだけを読んで内容がきちんと取れる」文章を 用意すべきではなかろうか。もっとも、 しゃべるのはうまいが文章はダメ、という人は珍しくないし、 単純にその手間をかけられないという事情もあるだろうから難しかろうが。

自民党は日本再生債とかいう国際と別枠の借金を作ってバラまく気でいるらしい。 民主党よりは自民党がマシに見えるが、 入れたくねえ。よりマシに見える党があればそっちに入れるだろう。 だが、みんなの党も最近党首が語ってた内容見るに具体性がねえ。 遠い未来の話はそれはそれでいいのだが、最初に何をするのかがよくわからない。 市場原理主義者の私としては、何の規制を緩和しようとしているかと、 財政支出を削ろうとしているかを見ればいいんだろう。

私はある意味非国民かもしれんなあ。 先進国の農業が途上国との競争にさらされるようになれば、 途上国は外貨を稼ぐ手段を得てマシな生活ができる。 それにあぐらをかいて工業化が遅れるという 可能性もなくはないが、とりあえずは外貨を稼ぐ手段を得て、 投資する金を稼げるのはありがたいだろう。 出生率の低下にもつながり、環境や資源の面でも価値がある。 そのためなら、日本の農業が壊滅してもいいや、と私は思っている。 でも、きっと壊滅はしないだろう。果物なんて芸術的だ。逆に輸出してほしい。 鰹節とかどうにかして輸出できんかなあ。 何か素敵な工夫で海外の富裕層が買いたくなるような商品にできないか。

世界的には人口減少より人口増加の方がずっと問題なので、 日本が率先して人口を減らし、 人口減少の乗り切り方を世界に示すのは悪くない。 また、先進国の生き方、デジタルな娯楽、安い技術、 効率のいい教育、といったものをバンバン輸出して、 途上国の出生率を下げることで貢献できる。 世界中を無線通信網でつなぎ、電力は蓄電池と太陽電池でまかない、 安いタブレットをばらまけば、 おそらくすごい勢いで出生率を下げられる。 幸いにして情報機器は大した電気は使わず、多少不安定でも生き死にには関わらない。 大規模インフラがなくても事足りる。途上国は熱帯が多いので、太陽電池の効率もいい。 世界人口の予測は直線的になされているだろうから、 そういった技術によって生活スタイルをすごい速度で 変えられれば予測を上回るスピードで人口増加を抑制できるんだろう。

フランスは出生率が妙に高い。子供を3人産めば働かずに 暮らせるくらいの給付があるそうだし、 子供を育てるのに協力的な雰囲気があるという。 しかし何事にも影はあり、税の負担率や、社会の硬直性などが問題としてある。 GDPの伸びは案外好調に見えるが、 順調に借金が積もっているのは事実なので、どこかで修正が入るのだろう。

経済成長が始まると金利が上がる。 金利が上がると国債の利子払いが増えて財政がやばくなる。 経済成長して財政が悪くなるなんてありえないだろ、と思うが、 考えてみればそうでもない。 利子払いは借金の総量に比例する。大した借金の量でなければ、 税収が増える効果の方が大きいが、 借金が大きければ逆転する。どれくらい借金が大きいと逆転するのかは知らないが、 ともかくもありうるということだ。ただ、 まだまだそうなるほど借金は多くないという説もあって よくわからないわけだが。でも、成長できるならすべきだし、 インフレでチャラにすれば済む話だ。 インフレは歪みが修正されるところまでしか進まない。

「対話型WWW開発」とかいうのを見て、脳内で笑い声が響いてきた。困る。

2012年08月06日

韓国がアメリカ側か中国側かってすでに微妙なんだな。 中国のGDPが増えてくる以上、 距離が近い分だけ中国寄りになるのが自然ではある。 日本も同様。 中国であっても会社があって物や人が金が動く経済のシステムの中にあり、 政府がどうあれ経済的に付き合うことはできる。 民主主義じゃないと経済発展しない、というわけではないことは 中国が証明したわけだし。

「朝鮮半島201Z年」という小説が面白いのだが、 これ、「柳生が出てこない荒山徹」じゃね? どう面白がっていいのか困る面白さである。 「ネトウヨが調子に乗って願望を丸出しにした代物」と叩かれてもおかしくない。 なんぼなんでも韓国と左翼を馬鹿にしすぎだ。場所によってはほとんどギャグである。 しかし一方で、朝鮮日報やらのリアル韓国メディアの社説を読むと、 実際にノリがこうだし、左翼の言説のノリもおおよそこうだ。 現実がすでにギャグなのである。 また、著者の本業である記事はいたってまともに見える。 もしかして、これは結構マジなのか。

韓国って実際のところどれくらい反米反日なんだろうな。 あとは左右のバランスも気になる。 日本の60年代70年代に左翼がカッコ良かったのと同様に、 韓国では今左翼がカッコ良い、という話だが、本当か。 もう20年くらい何も起こらずに過ぎれば 韓国も中国も先進国的な停滞に陥って落ち着くんだろうが、 20年何も起こらないとは思えない。 調子良く発展してる時はいいにしても、発展に限界が見えてくれば 調子がいいうちに済ませておくべきことについては考えるだろう。 領土問題や軍事力の増強は調子がいいうちに片付けておくべきなわけで。 やっぱり日本の財政破綻は早い方がいいよなあ。

日本版ポリティカルコンパス。 (-1,6.11)。リベラル右派らしい。「伝統的価値観はいらない。経済は新自由主義で」 という意味であればおおむねその通りだと思う。 あれ?自由主義って左派じゃなかったっけ? とか思うが、左右の呼び方は文脈でコロコロ変わるので、 このサイトの定義では右なんだろう。 女性は働けないと困る。出生率なんて何をどうやっても下がるのだから、 放置すればいい。 上げる方法は存在しないと確信した。なんぼバラまいても無駄だ。 前から言ってるが、結婚という制度自体法的に消してしまえばいいと思う。 それにしても、リベラル度が低いな。 たぶん二次元では足りないということの現れだろう。 国家観を三つ目の次元として分ければもう少し精度が良くなるかもしれない。

結婚している人が配偶者以外と恋愛関係になるのは許されるか?と言われれば、 「あんまり良くないと思うが、個人の自由だろう」というショボイ意見になる。 しかし、結婚という制度がなくなれば、配偶者以外と恋愛関係になった段階で 共同生活は終わりになるはずで、それを止めるものはなくなる。 もしそうならずに複数の関係が同時に続くとすれば、それでもいいだろう。好き好きだ。 国が関与することじゃない。

そして、たぶん放っておいても自然とそうなるんだろうと思う。 結婚制度の利点が減っていけば、まず制度が有名無実化し、 それが十分に進めば制度も変わることになるだろう。 制度が残り続けることは影響力を持つが、大きな流れを逆転させるほどのものではない。 自衛隊は今でも十分軍だ。それと変わるまい。

さて、こういう私はどこに投票したらいい? 経済は自由主義、伝統的社会は否定気味、安全保障は「普通に軍持てよ」。 そんな政党はないし、そもそも多様な考え方をせいぜい5個か6個の政党で 代弁すること自体がもう無理だ。 先進国はどこもそういう状況になっているのだろうと考えると、 中国のように民主化しないことは悪くない選択肢であるように思う。 もちろん、為政者がうまくやってくれればの話だが。 うまく行けばいいがうまく行かないと最悪な独裁と、基本うまく行かない民主制と どちらがいいか、というのは昔からのテーマだな。

国をどう考えればいいのかよくわからない。愛国心なるものが私にあるかと言われれば、 たぶんない。ただ、自分が住んでる場所は居心地がいいほうがいいし、 自分の目に入る所に不正義や非効率があるのは自分の目に見えない所にあるよりも嫌だ、 というだけのことだ。何かの拍子にもしアメリカに住むようになったとしたら、 日本よりもアメリカの不正義や非効率が気になるようになるんだろう。

女性の労働力率は上がるよなあ。M字カーブの問題にしても、 結婚率や出生率が下がれば自然と改善するだろう。 離婚率の上昇や、男の収入の低下、特権階級たる正社員の減少もこれに寄与する。 ひつじこにはそのうち働いて欲しい。金はどうでもいいが、 私とオタマで独占するには惜しい人材だ。

お習字教室がやりたいと言っているが、いいかもな。全く儲かるとは思えないが。 もしやるなら私もオマケとして勉強教えたいとか思ったが、邪魔か。

「苦しんで覚えるC言語」というサイトがなんか私の考えに近い感じで面白そうだった。 つうか、これ秀和システムから本出てるじゃん。

題名に関しては考えないと。 「苦しい」は本気度を込める意味で考えていた案の一つだったが、 この本があるなら使えない。 「未経験者向け」「本質の理解」「覚えるより考える」というあたりのコンセプトが 一撃で伝わる素敵な題名はないか。

詳しく読んでみると、違いが見えてきた。 言語を説明することが主目的で、具体的にプログラムを組み上げる所は対象外だ。 それに、私が思う「くどい」のレベルに比べれば全然くどくない。 私の考える意味では初心者向けじゃないしなあこれ。

文字列処理は基本だと思われがちだが、実はそこそこ熟練せんと難しい。 状態遷移が複雑になるからコード量が多くなりがちで、 しかも例外処理がどうしても増える。 十分なカヴァー率を持つテストコードを書くのも難しい。 メモリの確保はどうしても動的になる。 正直、文字列処理よりもGPUの最適化の方が楽だと私は思う。

メモリをロッカーになぞらえるのはイマイチな気がする。 ダイアルの方がいいんじゃないだろうか。なにせ数字しか入らないし、 「何も入っていない」ということができない意味でもダイアルの方が近い。

ソードアート・オンライン4話。また外伝か。しかも、萌え要素...。

シャープ大変だ。だが、全く他人事じゃない。 日本人の技術者の大半にとっては他人事じゃないはずだ。 単なる技術者ではいかん。ずば抜けて優れた技術者か、技術以外も見える技術者の どちらかにならんといかんが、できれば両方がいいなあ。 とりあえず技術以外については具体的に何をしていいかわからんので、仕事として 取り組むならまずは技術だ。私が技術を磨くには何をすればいいだろう。 とりあえずレンダリングの本でも書こうかな。そうすればレンダリングについて 勉強せざるを得なくなり、その過程で物理や数学もわかるようになるだろ。 「勉強しようと思ったら本を書け」と言われるが、 全くもってこれは本当だと思う。できた本が売れるかどうかにかかわらず、 勉強という目的は達せられるからな。 もちろん売れた方がいいし、売れないのはマズイんだが。

日本再生戦略。 後で読む。これだけ酷評されているのであれば、是非とも読んでおかねば。 たぶん途中で嫌になると思うが。

ちらっと読んでもう嫌になった。この空虚な数値目標は一体なんだ。 そもそも、「2020年までに電気自動車が倍走るようにする」 って国が言うことじゃねえよ。 そもそもそれを日本人がやるべきだという根拠はなんだ。 日本がやらんでも誰かがやる。それが儲かるなら誰かがやるのだ。 そして、誰かがやれば、それが日本人でなくてもその恩恵は受けられる。 仮に日本人がやるのだとしても、政府は関係ないだろ。 産業政策の類が未だに通用すると思っているのか? ゲームがあれだけ貿易黒字を稼いでくることを政府は予測したか?支援したか?

医療はイノベーションの対象としては優先度低かろう。 もう十分健康で、これ以上は投資効率が悪い。 どこかの国で平均寿命が90とかになってるなら、まだ伸びしろがあると言えるだろうが、 そんなことはない。事故死その他がある以上、平均寿命は85あたりが限界だ。 だいたい、21世紀に生まれて成人まで生きた女性の半分は100歳まで 生きる公算が大きいとか言われているわけで、医療は重点目標ではない。 儲かるなら企業が勝手にやるだろう。 ガンが治るようになったとして、経済が良くなるか? 同じ金を教育につっこむよりもいいと断言できるのか? 国民はそこに税金を突っ込むことを是とするか? 中国の人は日本の老人が外で運動しないことを不思議がるとどこかで読んだ。 それが本当かは知らないが、 日本人は健康に対する意識が弱く、他人の金で医者にかかればいいや程度にしか 思っていない、というならば、そうかもしれない。 うちの親も祖母も健康のために何かをしているようには見えない。薬飲みすぎ。 だが、健康は個人の問題だ。健康でいることが自分にとって得なら、 そうなるように個人が努力すればいい。 医療費の国家負担を削ったらかえって平均寿命は上がるかもしれんとすら思う。 「国には頼れん。健康は自力で得るもんだ」という意識が 高まる方がずっといいんじゃないのか。

食料自給率50%というが、カロリーベースだ。 そんなのジャガイモを大量に植えれば簡単に達成出来るわけで、意味があるとは思えん。 儲かる作物の栽培を妨げない限り達成できない。 農家が儲かる所に集中投資しているのを邪魔する気か? そもそも、自給できることはそれほど重要か? 小麦や大豆、さらには米といった、日本で作ることが 割に合わない作物を作ることによって、 どれだけ効率を犠牲にするかがわかっているのか? 国内で作るべきなのは、輸送が困難で多少高くても国内生産が許されるものや、 ノウハウやエネルギーの集中投入によって高い付加価値が得られる分野だ。 補助金つっこんで飼料用米を作らせるとか、気が狂ってるとしか思えん。 最も付加価値が低い分野だろ。 そもそも、先端産業による輸出の結果としてこれだけ円高になっているわけで、 先端産業に匹敵するくらいに生産性を上げられない限りはその円高水準に耐えて 輸出することはできない。 農業で輸出をするということは、農業がトヨタとかでやったのに匹敵するだけの 生産性向上を果たさねばならない。 そうでない場合は、補助金をつっこんで下駄を履かせることになる。 ダメだろそれじゃ。 農業分野で輸出するとすれば、それは農業向けの機器や、種、ノウハウ といったものであるべきではないのか。

観光はここに書くほど重要なことじゃないだろう。GDP比何%だ? それにそもそも円高だぞ?誰が来るというのだ? 本当に観光をどうにかしたいなら円安にするのが一番早い。 観光は製造業と違って円高に対処する有効な手を持たない。 高くても来てくれるように魅力を高める、なんて言っても限度がある。 日本の魅力は人工的な手段で増すものではなく、 昔からあるものの魅力そのものだ。あるがままの姿こそが観光で、 道が整えられて便利になるから来る、というようなものではない。 できるとしてもせいぜい東京と大阪にまともな国際空港を整備することくらいだろう。 しかし、それも根本解決にはなるまい。 海外旅行を増やして余計に国内観光にダメージを与える可能性もあるしな。 青森に新幹線を通すことが青森の過疎化を加速するように。

クールジャパンとか言ってるが、アホかと。ゲーム業界が一番輝いていた時代、 政府の関与は皆無だったはずだ。アニメも漫画も政府とは何の関係もない。 輸出の促進にしても、円高なうちはどうにもならん。 伝統的な製法で作ってる日本酒なんかは、 技術革新で劇的にコストダウンできる望みはない。 コンテンツにしても同様で、イノベーションで生産性が上がる、みたいなものではない。 嗜好品の価値というのはそういうものだろう。 結果為替レートがダイレクトに輸出を左右する。 もし日本酒を本気で海外で売ろうと思うなら、蔵は海外に作るしかないだろう。 製造業がしているようにすればいい。政府の望む姿ではないだろうが。

雇用についても何も書いてないに等しい。女性や若者が活躍できてないのは何故か? そんなの正社員の既得権益を放置しているからだろう? クビにしたり給料を減らしたりすることが簡単になれば、 使えないオッサンに使うコストを減らして若者や女性を雇うだろ。 うちらはもっと簡単にクビにされるべきだし、クビがまずいと言うなら、 給料を減らすことだけでも簡単にすべきだ。 大企業の中の社内ニート率は凄まじいことになってるんじゃなかろうか。 たぶんだが、保育園がナンボできても大した足しにはならない。 これだけ出生率が下がっている以上、働ける女性はたくさんいるはずだ。 それを受け入れられないのは、そりゃ偏見もあろうが、 単純に今居座っているオッサンが邪魔だからだろうよ。

ちなみに、うちの周りの保育園に空きがないのは事実だが、 本気で保育園に入れたいなら引っ越せばいい。空いている区はある。 その意味で、大田区の保育園が足りていないのは大した問題ではない。 保育園に入れて働くことで得られる収入は、 区をまたいだ引越しをするコストよりは大きかろう。 保育園の不足が女性の労働を阻む根本的な原因とは到底思えない。 下手に税金をつっこんで拡充しても、状況の変化で無駄になる危険は大きい。 みんなが老齢の親を介護してるとか、家を買ってしまって引っ越せないとか 言うならわかるが、そうでもないだろう。 男性の育児参加とか言ったところで、そんな個人の行動パターンを 国がどうこうできるはずもない。 企業に対して男性社員が育児休暇を取るように促進するとか言うなら、 それによって企業が得をするような呼びかけ方をする必要がある。 それも税金をつっこまずにだ。それができないなら放っておいた方がいい。 単純に女性が賃金の高い職を得るケースが増えれば 勝手に男も育児参加せざるを得なくなる。変な規制や指導は害にしかならない。

低所得者に持ち家取得を促進するとか、アホかと。 人材の流動化を目指すのであれば、移動や所得変動は当たり前になる。 家なんて買えるわけがなく、賃貸中心の社会に移行するのは明らかだ。 うちくらいに恵まれててもリスクが怖くて家なんて買う気にならんのに、 低所得者に家を買わせるとか、ありえんだろ。 そんなに破産する人間を増やしたいのか。

これだけ空虚な文書をよく100ページも書けるものだ。 「2倍にする」とか「20件に増加」とか、数値はたくさん書いてあるが、 何一つ根拠が見えん。 意味のわからんカタカナ語を使うのをやめろ。アルファベット3文字の略語が何の略だか どこにも書いてないじゃないか。ごまかす気満々としか思えない。 そして、こういうものを書く前に、 10年前に書いたこの手の文書の振り返りをきっちりやってくれ。 PDCAのCがごっそり抜け落ちている。 政権に連続性がないから、というのは言い訳にはならん。

本業が忙しい間はこういうものを見る気になれないので、気づかない。 しかし、本を書く、みたいな仕事になると煮詰まってしまうことが多く、 ついいらんことまで情報収集してしまう。そしてこういうものを見つけるわけだ。

何をやるかを列挙しただけものは例外なくゴミだ。 本気であれば必ず何をやらないかを列挙しているはずである。 それがなければ本気ではない。あらゆることについてたぶんそうだ。 うちも「何か資源が足りない」というタイプの問題が発生したら、 何を削るかを先に考えることにしよう。 まあそう思って音楽を捨てたんだけどな。あれは正解だった。明らかに時間が増えた。 ただ、何か魔法のようなアイディアで複数の問題が消えてなくなるという 可能性を最初から捨てるのは良くないので、ちょっとは考えたい。

一人産む女性は大抵二人以上産む。どこの家も一人っ子、というわけではなく、 子供がいない家と、二人以上いる家に二極化しているだけだ。 子供が一人いるのも二人いるのもそれほど差はないので、 産む人がたくさん産んで、産まない人は全然産まない、というのは合理的に思える。 二人に一人が三人産めば、出生率は1.5だ。今より高い。 まあこれでも人口が減り続けるわけで、 どこかで出生率を2まで上げたいなら不足なのだが、 2に戻る日は50年は来ないだろう。 50年もすれば社会の状況が違っているだろうから、その時に改めて考えればいい。 とにかく、子供を産まない人が相当数いて、そういう人は労働力として不利を負わない。 男女差別を減らすためにも大活躍してほしいし、 それを邪魔するものはなくなってほしい。

ひつじこは子供を産まなかったらそういうふうに活躍していたんだろうなと思うと、 申し訳なく思う。実際活躍していたわけだし。 私が会社をやめて松戸以北で再就職するという選択をしなかったわけで、 私がひつじこのキャリアを奪ったのは間違いない。

2012年08月05日

一番速いSDカードを買ってきた。高いので8GB。確かに速い。

献血してきた。データはいつwebにのるかな。 糖質制限ごっこの効果が出ているのか。

靴、全然ない。靴底が厚くて地面が遠い靴ばっかりだ。 踵ほど高くなってたりする奴も多く最悪である。 サンダルでいいやと思ったが、足首を固定できるサンダルは ことごとく地面が遠い。そんなに分厚い靴底はいらんだろ。 靴底が固くて曲がらないと足の形を変えられず具合が悪い。 ビーチサンダルくらいペラペラでいいのだが、固定できないので用途が狭い。 そして、大半の靴は小指が窮屈。

これはもうビブラムしかないか。もう外見とか気にしなくていいや。 さて問題は、これがどこで買えるかだな。 それにしても高い。

2012年08月04日

靴買ったが、片方は小さくて狭く、のびそうな気もしない。 片方は小さいものの生地が柔らかいのでどうにかなりそうではあるが、 土ふまずの所にいらない工夫があって窮屈だ。 調べたら1割の手数料で返品できるので、そうする。 28cmじゃダメということがよくわかった。29cmを買わないと。 だが、滅多に見つからない。

結局リアル店舗に買いに行かないとどうにもならん。 とりあえず足首を固定できるサンダルを買うか。それなら多少外れても履ける。 何年か前まではサンダルで会社行くのもマズいだろ、 みたいな思いがあったが、もうどうでもいいや。 出来が悪いと擦れて痛くなるのでサンダルも難しいが、 靴に比べれば狭いとか小さいとかいう問題は出にくい。

靴とトマト缶と献血とSDカードとUSBメモリをどうにかしたいな、今日。

2012年08月03日

韓国が面白い。鈴置高史という人が日経に書いている記事を まとめて読んでみて、そう思った。 日本も最近は中国とアメリカのどっちにつくかという議論が 出てきているが、韓国の場合その切実さがケタ違いだ。 19世紀末にロシアと中国と日本のどこにつけば生き残れるかで さんざん揉めたそうだが、それと似たような状況になっている。 地理的には中国に近く、北朝鮮を止めてくれるのも中国だ。 加えて中国向け輸出も大きくなっており、中国の機嫌を損ねると経済が死ぬ。 アメリカや日本との関係もまだまだ大きいが、 日本は衰退のまっただ中だし、アメリカも「世界の警察」みたいなことは 言わなくなってきている。今のままの傾向で中国依存度が高まるとすれば、 アメリカや日本とは手を切って、中国にくっつく方が合理的ではないかと いう声があるわけか。

どうなるんだろうな。日本以上の速度で高齢化と少子化が進行するのは わかりきっていて、2030年までには人口減少が始まる。 経済発展が速かったために制度の整備が間に合っておらず、 社会保障がロクにない状況で高齢化社会に突入する。 おおよそ発展が激しい国ほど反動が激しい。 子供を減らして扶養の負担を下げ、社会保障を犠牲にして発展するからだ。 高齢化と人口減少、社会保障の不足は運命づけられている。 それがあらわになる前に十分発展して経済的な余裕ができてくれば、 日本のように社会保障もそれなりに手厚くすることができ、 問題を多少先延ばしにできるが、 今の状況を見ればわかるように、手厚すぎる社会保障は足かせにもなる。 欧米が100年かけてやってきたことを50年あるいは30年でやれば、 当然歪みも出るだろう。 同じ祭が中国でも起こる。中国の人口減少は2026年からだそうだ。

「カロリーオフ」の基準は100mlあたり20kcal。 さて、さっき100円に釣られて買ってしまった アクエリアスビタミンガードを見てみよう。 17kcalと、カロリーの基準は満たしている。100mlあたりの糖質は4.3gで、 500mlあたり21.5g。バナナ一本分に近い量であり、 カロリーオフは全く信用ならない表現である。 ちなみにポカリスエットはスポーツドリンク系の中でも特にカロリーが多く、 100mlあたり25kcalだ。しかも、原材料の筆頭が砂糖、 それに続いて果糖ぶどう糖液糖とあり、 血糖値の上がり方は凄まじいと推測される。 アクエリアスの場合、主成分は高果糖液糖であり、 大半が果糖だから血糖値は上げず、インスリンの分泌にはつながらない。 その意味では、ポカリスエットに比べれば眠くなる 効果はそれほど強くないだろうと推測できる。 肥満にはつながるが。

果糖は冷たいと砂糖の1.7倍甘い。しかし、暖かくなると砂糖と変わらない甘さになる。 あんこを果糖で作る時は冷たい食べ方に限る必要があるということだな。 もうやらないと思うが。

本の最後で実用言語への導入を軽く書いておくつもりだ。 どの言語にすべきか若干悩んだが、Javascript以外の選択肢がないことがよくわかった。 まず、ほぼ単体で絵が出る必要がある。絵が出せて、 時間がはかれて、キーボードを取れれば機能としては足りる。 これらが標準でできるか、最悪でも準標準のライブラリ一つでできることが望ましい。 さらに、開発環境がタダであることが絶対に必要で、 かつ、開発環境のインストールや使用が 極力簡単であることが望ましい。動かすための手順も最小であってほしく、 コンパイルの手間が必要なものは避けたい。 以上から、javascript+HTML5に勝る選択肢はない。 ブラウザさえ新しければ、ソースコードをつっこむだけで動くはずだ。 本当に動くのかは実験せねばならないが。

題名が出てこないうちはイメージがまだ固まってないってことなんだろうな。 自分の中で「これだ」と思う題名が出てくることは、まともな本を書く必要条件だろう。 もっとも、前の本の題名は結局自分ではつけなかったので、たぶん今回もそうなる。

題名って本当難しいよな。副題を使ったら負けな気もするし。 副題なしと考えるとプログラミングという言葉を入れない題名は困難だ。 何か「初心者向け」でありながら「本気度」が伝わり、「本質」とか「根本」 を「理解」できることがイメージできて、あわよくば「覚えるな。考え抜け」 というイメージもあるといいんだが。 帰納と演繹、具象と抽象の行き来を果てしなく繰り返すループの中で 脳の使い方をプログラミング向けに最適化していく行為、 みたいなのが伺い知れる題名はないものか。

既存の本の題名をダラダラ見ていると、大半は普通だが、たまに光るものがある。 「13歳からはじめる」とか、うまい。あと、「ゼロから」とか「以前」とか、 そういう言葉は使用済みなので、何かしら考えないといけない。 中身書いてるうちに出てくるかなあ。 でもやっぱり、何かしらのピンと来る題名もないうちに中身を書いても 迷走するだけだろうか。 コンピュータ上での作文は切った貼ったが簡単なので、 いきあたりばったりで書くことこそが合理的という側面はあるのだが。

ストレートでひねりがない名前にするか、ちょっとひねったかわりに副題がつくか、 という選択に陥るんだろうな。ただ、国内のプログラミング書籍でひねった名前のものは あまりなく、仮にあってもそれは読み物だ。海外の科学ドキュメンタリーなんかでも 邦題はどうしようもなく遊びがない代物になるのが常だしな。 そう考えると遊びのない題名になるんだろう。前みたいに。 なんか突破口はないかなあ。まあ適当な仮題をつけて先へ進もう。

2012年08月02日

結婚関係の記事 をちょっと読んだ。面白い。

経済的には、子供を産むことに利益はない。 欲しいから産む、という純粋な欲求以外の理由で 子供を作ることはもうないということだ。 現代において子供は労働力にはならないし、親の老後の面倒も見てくれない。 家が持っていた機能が国に移ったため、家は単体では存続できない代物になっている。 なるほど。「それが当たり前」とかいう程度の理由で子供を作ると後悔することになる。 作る前にちゃんと覚悟をしておくべきだ。

仲の悪い夫婦が離婚しない理由ってなんだろうな。 経済的に自立できない状態にあればわかる。どうにもならない。 しかし、そうでないなら離婚しない理由は世間体 とかそういうよくわからんものしか残らない。 子供にとっても、仲が悪い両親を見て育つのは苦痛だろう。 専業主婦はよほど仲がいい夫婦でしか合理的ではないのだろう。 離婚が合理的な選択であるケースなんていくらでもあると思う。

というか、日本は法律から結婚という概念を消してしまえよ。 それほど暴論でもないだろう。 そんな個人の問題に国が首を突っ込むことはない。 みんな個人として国に登録すればそれでいいじゃん。 それで、結婚や離婚に関する手続きコストがゼロになる。 税その他のために扶養関係を法で扱うことが必要にはなるが、 別にそれを「家族」という枠組みでやる必要はない。 この個人とこの個人の間に扶養関係があります、ということを登録すればいいだけだ。

この記事は結婚みたいな心の問題が大きいものを科学で扱っているので、 違和感や嫌悪感を覚える人も多かろう。 しかし、経済的、生物学的な条件を度外視して結婚や子育てをすることは無謀だ。 もちろん大抵の人間はそれらを無視なんてしておらず、建前上隠しているだけなのだが、 そうやって隠すことは、本当に無視しているよりもなおタチが悪い。 なんだかんだ言って、一緒にいる方がお互いに得になるような状況がある方がいいし、 一緒にいることが害になるような状況は結婚を害することになる。 そういうことについて二人で定期的に考えた方がいい。 うちはたぶん大丈夫な部類に入る。十分すぎる蓄えと稼ぎがある一方で金に執着がない。 生物学的な問題も、イマイチ体が弱いこと以外にない。 お互いにいい臭いと思えれば、遺伝子的な問題がある可能性は低いからだ。 本当は遺伝子診断したいところだが、とりあえずは野生を信用しよう。 また、五感に関して相手を不快にさせるような行動習慣も互いにない。 視覚に関しては私もひつじこも見栄えをさして気にしない。 味覚に関してはひつじこの調教がおおよそ終わっているので問題はなくなった。 というか、元来ひつじこの方が野生動物に近く、今でも私よりも進んでいるくらいだ。 私はまだラーメンを食べたくなるが、 ひつじこはそんな欲求すら消えるくらいに完成している。 臭いに関しても、にんにくを食う時は一緒だし、 私は口が臭くなるようなことは極力しない。 体の臭いに関しては、石鹸で洗うのをやめたら劇的に臭いが消えた。 頭ですら無臭に近い。 また、宴会から帰って来たら、真っ先に服を全部脱いで洗濯機に叩きこみ、 普段は使わない石鹸で全身を洗う。 いつも不思議に思うのだが、タバコ吸ってる人の夫婦仲は大丈夫か? 上の記事にもあったが、タバコによる臭いは 離婚の潜在的原因としてかなり大きいと思うぞ。 ところでひつじこの口が臭くなることがあるが、それは体調が悪化した時だ。 シグナルとして活用している。 唾液の分泌が悪くなったり、免疫が低下したりすれば細菌が繁殖し、臭う。 胃や食道、肺に異常があっても、やはり臭う。 こういう時はまずは水分補給。次に栄養を改善して、とにかく寝てもらう。 互いの体調悪化を早期に発見するためにも、頻繁にキスすることは望ましい。

裸足に近いが、怪我くらいは防いでくれるような靴が欲しい。 薄くなれば必然的に消耗が激しくなるので、値段は安いことが望ましい。 みたいなことを考えると、ウォーターシューズ以外の選択肢がなく、1000円からある。 これは通販で複数適当に買ってみるのがいいんだろうな。 返品する前提の店ってないかなあ。複数サイズ取り寄せて合わないものは返品する。 と思ったら、アマゾンがやっているjavariがそれだった。 しかし、品揃えが良くない。安物が少ないのだ。 システム上利幅の大きいものしか置けないんだろう。 安物はゴミ覚悟で普通に買うしかない。とりあえず安いのをアマゾンで普通に買おう。

結局楽天で2足買った。両方2000円未満。

CEDEC3日目の夜どうしよう。なんか裏CEDECとは毛色が違う飲み会があるっぽいのだが。 先端技術でがんばってます、なんてことはもはや言えない状況なので、 裏CEDECに行くのはためらわれる。 「僕、ここにいて、いいの?」みたいになる可能性大。 かといって、「もうマネジメント側なんで技術から遠ざかって悲しい限りですよハハハ」 とか言えるわけでもない。未だに部下がいる状態になったことがないからな。 階級的にはそうなっていてもおかしくないのだが、 たぶん技術少佐みたいなもんなのでマネジメントに関わる気配は全くない。 なんぼ勉強しても、結局下っ端が提案してみましたでおしまいだ。 この社内ニート状態を終わらせないと、自信を持って人と話すとか無理。

やろうと思えば、九州大学でやったこともCEDECネタにできなくもないんだろうな。 しかしそれはやるにしても来年だ。そういう可能性を残すためにも、 なんとしても今年中に出版せねばならぬ。 もっとも、まだ出版社内でも企画通ってないんだけどな。 自分が律速になるのは嫌なのでいいんだが。

明日から本気出す。書く内容、コンセプト、守るべきルール、 等々を箇条書きにしてとにかく並べ、 大枠の設計をなんとなく定める。一旦仮でいいから前書きと目次を書こう。 章、節のレベルまでとりあえず目次を作る。

章に属しているがその中のどの節にも属していない文章、というものはあっていいか。 前の本では章の扉ページにある文章がそれだった。同じにしていいかな。 しかし、章ごとに前書きとなる節を設ければ、全ての文章は節に属することになる。 これは、プログラミングで言えば、「データを持つのは葉だけにすべきか、 それとも節にも持って良いか」 という問題になる。文章の場合節や章の終わりは明示されず、 始まりに見出しがつくだけだ。 扉の文章はあってもいいかもな。 前の本と体裁を似せることで売ろうとすることもありうるだろうし、 それをして困る理由もない。 あと、各章の最後にはまとめの節を入れよう。これも前と同じだ。

章、節、の下にもう1段階層を作るべきか。作るべきだな。これも前の本と同じか。 たぶん、1500字の小節が5個くらい集まって、 7500字の節を作り、それが5個くらい集まって 37500字の章ができ、これが10個位集まって375000字の本ができる、 という感じになるのかね。 新書2.5冊くらい。前の本の半分の文章量だ。 紙を薄くして本を軽く薄くしてもらうことはできるので、 多少文章量が多くても圧迫感を与えない見かけにはできる。

たのしいRubyはA5で1行35字。前の本はB5で1行40字。行の縦幅は私の方が圧倒的に狭く、 ページあたりの文字数は比較にならないほど多い。 A5で薄い紙を使えば多少は圧迫感を減らせるかと思うが、 字を小さくするか、詰める必要は出てくる。 とは言え、一回A5で試してもらおう。持ち歩いて読める重さと大きさとしたい。 前回は「こんなもん持てるか」とお叱りを頂いた。 本気度を大きさと重さで示すためにわざとやったという側面もあるが、 不便なのは間違いない。もしまだ売れるなら改訂版を小さくして出したいくらいだ。

つうか、なんかまだ売れてるみたいだしやってくれないかなあ。 今回の書き終わったら言ってみよ。もう一回買ってくれる人もいるかもしれんし。 CDROMを削ればコストダウンできるので、売値も多少下げられるだろ。

TEXのソースはA5にしとこう。A5を仮定して書く。

2012年08月01日

日本の市場規模は縮まない。人口減少以上に一人当たりGDPが伸びる。 そう言う記事があった。しかし、世界の中のシェアが減る一方であることは確かだ。 グローバル化がこのまま進むとすれば、 シェアが減ることは、日本国内の外資に務める率が増えることを意味する。 ヨドバシで買える家電がおおよそ日本企業製品である現状も 長くは続かないかもしれない。 床屋や八百屋が外資になることはないだろうが、それらが残るとも限らない。 ウォルマートが日本でイマイチうまくいっていないことを出して、 「小売に外資は入ってこない」 と言う人は多いが、ああいう工業社会パラダイム丸出しの商売はすでに古いのだ。 出すならアマゾンだろう。 統一されたインターフェイスでどこの店から買ってるかすら 意識せずに品物を得る、 という方が良いとされるようになれば楽天を駆逐するかもしれない。 今のところそうなる兆しはないが。

金を奪い合うゲームである以上に、時間を奪い合うゲームなんだよな。 それにしても、時間の希少価値が増すほど、どうでもいいことに使える時間は減る。 昔のようにゲームの害について言われることはなくなるかもしれない。 相対的に魅力的でなくなり、 昔のように多くの時間をつぎ込んでくれる人は少数派になるからだ。 人がどういうふうに時間を過ごしていて、どこに隙間があるのか。 そういうことを良く見ておかないといけない。

自転車とか車を運転しての移動って、本当時間効率悪いよな。何もできない。 せいぜい英語の音声教材を聞き流すとか、ビジネス書の音読を流すとか、 そんなもんだろう。電車と自家用車について比べる時には、 その点も合わせて考える必要がある。

軽減税率とか、そういう馬鹿なことはやらないといいがな。 バターとマーガリンで税率が違う、なんてことをやるのは大きな政府のやり方だ。 団塊の影響力が消える前にこの国が仕組みを変えられるかどうかが見所になるだろう。 できれば私も積極的にそこに参加したいのだが、 投票と普段の購買活動以上のことをする経路ってあるのかね。 起業して大きくなって社会に影響力を発揮する、 というのが一番まっとな道なんだろうが、 それは政治家になるのと変わらないくらい大それている。 一般人が一般人の分を越えずに社会に関わっていく方法って、何があるんだろう。

結局、自分の職業において、 自分の専門性によって社会に参加していくのがまっとうな道か。 あと投票と購買。それにしても、 日に日に技術がどうでも良くなっていく。この先大丈夫か。 私の非情さが武器になるような分野がある気がするんだが、現状はただの末端技術者。

3DS欲しい。だが、遊ぶ時間を確保しようと思えば夜中か電車。 夜中にやれば次の日は活動不能になる。今日のように。 電車では細切れすぎて私が求めるゲームはできない。世界樹とか絶対無理だ。 このままではWiiUを買っても埃をかぶることになる。 金で解決する問題は簡単だが、時間の問題はそうそうどうにもならない。 ともかく本が片付くまで保留だ。 まあ、ゲームやれる暇があるなら音楽を捨てることはなかっただろうが。

ひつじこはオタマを治療する時間が欲しい。しかし、 そうすると睡眠時間が削れ、体調が悪化し、 結局私の負担も増す。そういうわけで、洗濯をひつじこから私に移すことにした。 今後、洗濯は私の仕事である。天気が雨でない限りにおいて、 毎朝目についたものと、洗濯機内のものを洗う。 干すまでは私の仕事であり、取り込みも昼休みもしくは夕方で良ければ私がやる。 ただし、洗濯し忘れが生じたり、ネットに入れるべきものを入れなかったり、 干し方が適当で乾きが悪いなどの デメリットが生じることは覚悟すること。改善の努力はするが、 根本的に「漏れたら明日でいいし、夜までには乾けば良くね?最悪室内で」 と思っている人間であり、そのこと自体を修正するのは容易ではない。 洗濯に本気で取り組むことは考えにくい。 ひつじこは、自分の時間が増えることのトレードオフとしてそれを受け入れること。

私は、買い物、調理、片付け、ゴミ捨て、洗濯及び布団干しに関して責任を負う。 まあ無理なこともあるが、無理な時はごめんということで。 これによって時間が細切れになることが避けられれば 私の本も少しは進むようになるだろう。 掃除も入れてもいいかもな。調理と洗濯は待ち時間が多い作業だから、 間に詰めれば時間のロスはさほどない。

洗濯。5kgの繊維に、100gの汚れがついているとする。 ここに50Lの水を入れて汚れを希釈する。 脱水後重量を1.5倍とすると、7.5kg。 つまり、最初の汚れ濃度は100g/5kg。希釈後が100g/55kg。 脱水によって、47.5Lの水が排水され、 100(1-47.5/55)=13.6gの汚れが7.5kgの洗濯物に残る状態になる。 乾燥後の汚れ濃度は13.6g/5kgというわけだ。1回の洗いで到達できる理論値であり、 つまり、86%程度を落とせるということになる。 これを多いと見るか少ないと見るかは人による。 もう一回洗う場合、さらにこれが13.6%になるため、98%の汚れを落とせることになる。 2回洗うことの効果は比率で見れば大きい。 しかし、一回目の洗濯で86gも落とせたものが、 二回目の洗濯では12gしか落とせていない。 そのために同じ時間と水を消費することが良いかどうかは やはり人による。それに、実際には繊維にくっついて 何回洗っても落ちない類の汚れがあり、 理論値通りに落ちては行かない。

なお、仮に汚れが繊維そのものには分散せず 付着しているだけだとするならば、もっと見積りは良くなる。 これは悪くない仮定だ。 5kgの繊維に100gの汚れがついているとして、50Lの水を入れる。 脱水時に47.5Lが排水されるが、 この時に汚れのうち47.5/50*100=95gが排出される。 分母に繊維の重さを含まなくていい。 というわけで、この計算だと5gしか残らない。 たぶん実際はこっちに近いのではないかと思う。 この場合、ますます二回目をやる意味は薄くなる。

というわけで、一回だけ洗って終わりにして、問題が起こるかを試しておくことにする。 臭くもならず、プロペトが残ったり黒かったりしないならそれでいいだろう。 時間と手間が大きく減る。 これでやっぱり二回いるわということになるなら、 ドラム式に買い換えることまで含めて再検討する。 しかし、ドラム式はたぶんうまくパシーマを洗えない。 実際パシーマの公式ブログではトラブルが相次いでいることが報告されている。 しかし、パシーマさえどうにかなるなら、 放っておいても乾燥まで行く機械の利用価値は大きかろう。 情報収集が必要だ。場所さえあれば二台あってもいいんだが、 さすがにそうも行かない。

私が今一番欲しいのは、連続した時間だ。本を書く作業は普通の仕事と違って、 夜通し焚き火の周りで踊りながら神が降りるのを待つのに近い。 神が降りない限り、進行度はゼロだ。 1時間が5回あっても、何の役にもたたない。 5時間が1回あれば、4時間50分経って神が降りたとしても、 10分でできる分は進むのである。 言い訳だと思うかもしれないし、正直私すらが言い訳なんじゃないかと思う。 しかし、実際問題全く進まないのだ。脳の準備が整うだけの時間が全くない。 一回家に帰れば、その前後1時間くらいは家の問題に脳が占領される。 プロトタイプを書き散らす段階はそれでもどうにかなったが、 今必要なのは、ここまで得られた情報を総合して全体を設計しなおす作業だ。 集中力が途切れた瞬間に全てが崩れ落ちて最初からやり直しになる。 連続した時間が得られるなら、使える時間の総量が減ってもかまわない。 というわけで、私の家事負担を増やす。 トラブルの多くには家事が関係している。 ひつじこが家事をする際にオタマの世話がおろそかになって掻きむしられて出血とか、 家事のために外に遊びに行けずオタマが寝ないとか、そういうのだ。 不確実性を減じるためには私が全部片付けてしまう方がいい。 オタマは何もかもが不確定だが、家事は確定的に処理できる。 確定的に処理できることは私の方が適任だ。

ひつじこは子守がうますぎる。私とひつじこでは、オタマスキルに差がありすぎるのだ。 その結果オタマの要求水準が高くなりすぎている。 こうなると、赤魔道士二人という体制は無理で、 白魔道士と黒魔道士に真っ二つに分けるしかない。 ひつじこはとにかくオタマに集中させ、その他の雑務は私が片付ける。 ぶっちゃけ、家事はルーチンワークで何一つ重要なことなんてない。 一定の水準さえ満たせばあとは自動機械のようにやればいいのだ。 「一定の水準」をかなり低いものにしておけば、かかる手間は知れている。 また、アルゴリズムを前もって決めておき、 その都度判断をするのをやめれば、頭は別のことに使える。 干し方をその日の天気や洗濯物の量で変えるようなことをすれば、 その間別のことを考えられなくなるわけで、それは私にとっては凄まじく非効率だ。 洗濯物が素早く乾かないと困るというなら、乾かないと困る理由を除く方が先だろう。 全ての服を二倍用意することで解決するならそうしてしまえばいいし、 ドラム式を買って解決するならそうすればいい。問題はより根っこで断つべきだ。 ひつじこは料理を除けば臨機応変に高品質な家事ができるが、 今はそこはあきらめていいはずだ。 それよりも、オタマの治療とひつじこ自身の 睡眠時間にできるだけ振るべきである。 とはいえ、そうやって分業が進むと私とオタマが 接する時間が減ってひつじこ的にはそれも許せないわけで、 まったくもって難しい。

オタマは私とひつじこがいればほとんど常にひつじこを選ぶ。 オタマの中で私を求める用途とひつじこを求める用途は明確に分かれており、 私を求める用途は暴れる系の遊びをする時だけだ。 ひつじこが体調不良等で寝込んでしまうと私がオタマを引き受けるわけだが、 オタマは泣き叫びながら私を押しのけてひつじこの方に行こうとする。 オタマには私が見えていないし、私の声も聞こえていない。 そういう状況ではひつじこに怒られるわけだが、正直どうしていいかわからない。 しかし、結婚式でひつじこがいない日は、さして泣き叫ぶこともなく、 いたって穏便だった。普段は私とはやらないお絵かきすらできたほどである。 ひつじこが家にいない時には、オタマはひつじこと私を比べない。 私で我慢するのである。 霊長類は本能からして狡猾だと言うが、オタマを見ていると本当にそうだと思う。 都合の悪いことはスルーするし、ウソ泣きで要求を通そうとすることも多い。 困ったサルだ。だが、我々も自分を良く観察してみれば、 狡猾なサルであることがよくわかる。 普段自分がそういう生き物であることを忘れていられるのは幸福なことだが、 それを思い出せなくなるとロクなことにならない。 なお、サルであるがゆえに、叱ったり禁止したりすると抜け道を探す方向へ行く。 犬は命令と服従で動くが、サルは違う、 というのをこの前本で読んだ。 幼児なんてサルそのものである。褒めて育てるべきだ、 という意見には、生物学的な根拠があるのである。

ひつじこと結婚し、オタマが生まれ育っている。 時間が経つほど自分の異常性が自覚されてきて、なんとも微妙な気分だ。 次から次へと起こる問題に対処するために、元来の非情さが増幅されている気がする。 タフでなければ生き残れない、という奴か。 複数人間がいれば、それぞれには自分のキャラを立てるように圧力がかかるものだ。 これもそういう枠組みで考えられるのだろうか。 非情キャラはより非情な方向に行くしかないのだろうか。 とにかく今はカイゼンに次ぐカイゼンしかなく、 私にとって家事は仕事以上にドラッカーを応用する場所になっている。 これなしでは、今の食材の買い方も、 料理法も、ハイドロコロイドもなかっただろうから、 有効であることは間違いない。何かがダメな気はするが、 本当の理想的な形がどんなものかが見えないし、そこに行く道があるのかも、 それが可能なものなのかもわからない。 それにしても、ドラッカーを仕事で使いたいものだ。

プロレスをオリンピックに。 ネタだと思ったら、思いの外正論だった。 フィギュアスケートや体操みたいに難度とか芸術性とかで 点数つけたらいいじゃん。全く問題なく成立するぞ。すごくおもろい気がする。 それにしても、オリンピックって何なんだろう。 部外者の分際で人生を賭けてスポーツをやっている 人間にああだこうだ言う権利があるとは思えず、 負けた時になじる権利がないことはもちろん、 勝った時に喜ぶ権利すらないのではないかと思ってしまう。 メダルの数を問題にする姿勢はさらに解せない。 サッカーと野球の成績を足し算するのは、キログラムとメートルを足すようなものだ。 そもそも意味がわからない。まして、 その数字で喜んだり悲しんだりする論理がわからない。 私は同じ高校の野球部が試合で勝つか負けるかについても同じように思っていた。 さて、その延長で考えれば日本の国力が どうとかいうことも全くもってどうでも良いはずだが、 私は不思議とそこまでは思えないでいる。 円高でいくら日本企業が傷ついても、 それを上回る量の幸福が世界の他の場所でもたらされるならそれでいいと言える はずなのである。日本に住んでいるので、 日本の状況が悪くなるのは困る、というのはあるが、 それだけではない気もする。そこまで考えて、 オリンピックで盛り上がるのはそれの延長かと 少々腑に落ちてきた。でも、やっぱり解せない。

エネファームって出力750W程度なのな。うちは20A契約だから、最大2000W使う。 全然足りねえ。電池で平均化されれば平均400W程度だから足りるが、 普通の家では全然足りないだろう。 1/3をまかなった上で毎日風呂用のお湯が溜まる、 という程度のものなのか。季節と天気に左右されるが、 おおよそ太陽電池の方が寄与が大きい。 ガスはバックアップ電源+給湯、という程度のものなんだな。 ガスコンロの出力は4KWとかで、発電効率が40%なら1.6KWとなる。 その半分というのは妥当な値かもしれない。

燃料電池車というのがあるらしい。水素を燃料にして発電しながら走る。 無理っぽいなあ。インフラを整備しないとダメなものはダメだろう。 ガソリンに比べて圧倒的に燃費が安いとか、 乗り心地がいいとか、そういうことがない限り、 中途半端すぎて普及しないのではなかろうか。 その点電気自動車はシンプルで、 ガソリン車を置き換えることはできなくても共存ができる。 家からあまり離れない人にとっては充電や航続距離の問題はない。燃費は圧倒的に安い。 電池さえ安くなれば構造が単純で安く作れる。 少なくとも公共交通やタクシーでは実用になる。 「普及した後を考えれば、今のものより有利」は大抵ダメだ。 「今こうなっている」は軽視できない。 「今すぐ使える場所がある」ことは普及するための絶対条件である。 燃料電池車が今有利な用途はたぶんどこにもないが、電気自動車はすでにある。 ガソリンを燃料に出来てガソリン車より圧倒的に 効率がいい燃料電池車が作れるなら話も違うとは思うが、 電気代より安くなるとも思えない。 また、もし水素を水の電気分解で作るなら電気代よりは原理的に高くなる。


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