だだもれ

2012年07月31日

パワポを作って何かを人前でしゃべるようなことは今後一年はないはずだ。 しかし、「「超」文章法」を読んでからというもの、 もしやるとしたら何に気をつけるべきだろうかと考えてしまう。 まず、最大の原則は、二つある。 「面白くて」「ためになる」。全ての技術はこれを 実現するために導入されねばならない。 ただし、面白さと、ためになる度合いのどちらがどれくらい重視されるべきかは 場合によって異なる。簡単に言えば、 客がやる気満々であるほど「ためになる」を重視すべきだ。 逆なら逆となる。ただし、「ためになる」度合いを損ねない限りにおいて、 面白くなるよう 努力はせねばならない。他の条件が同じであれば、 面白くないよりは、面白い方が良い。常にだ。

1分間のスピーチは、せいぜい400文字程度となる。 30分なら1.2万字、60分なら2.4万字となる。 ただし、長くなるほど緩急をつけたり、 その場で思いついたことを挿入したりするために 余裕を多く持たねばならない。30分なら8000字、 60分なら1.5万字が前もって用意するなら適性であろう。 時間が余る分にはおまけを用意するとか、 途中時間稼ぎをするとかいろいろと手があるが、 足りなくなるとどうにもならないからだ。 予定通りに終らないことほど客の評価を下げることはないし、 そうならなくても、終盤焦っている姿は無様だし、 焦り始めてからは説明の質が大幅に落ちるため、客の満足度が低下する。 15万字で新書一冊であり、1.5万字はそれが10章で出来ている場合の1章だ。 おおよそ1章分の主張を行うのがCEDECの講演となる。

さて、内容の最小単位はどれくらいか。超文章法によれば、1500字程度であるという。 150字でパラグラフを形成し、それを10個並べて一つの単位とする。 30分なら5単位、60分なら10単位程度まで許される。 前置き、概要、論題1、論題2、まとめ、というあたりが30分の構成だ。 60分なら論題を増やせば良いが、単純に5個増やしたのでは散漫になる。 複数の論題をまとめて大きなテーマを作ることで階層構造を一段増やしても良い。 前置き、概要、論題1の概要、論題1-1、論題1-2、論題1のまとめ、 論題2の概要、論題2-1、論題2-2、論題2のまとめ、まとめ、 というあたりが60分の構成となるだろう。 つまり、60分とは言っても、盛り込める内容はさほど多くない。 30分ならなおさらである。

説明の質や細かなテクニックについて云々する前に、 この分量と構成の問題は解決しておかねばならない。 これが解決しない限り全ては無駄になる。 そして、これを構成する際の大前提は、 「言いたいことは一言で言えるか」であるという。 30分であれ60分であれ、話を聴いているだけで理解できる内容など大した量ではない。 客にこれだけは訴えたいと思う中核的な内容は何かをまず考えねばならない。 単なる情報はパワポにだけ書いておいて講演では扱わなくても構わないのだ。 後でパワポを見ればそれで済むようなものは中核的な内容ではない。 わざわざ同じ場所、同じ時間に人を集めて口で伝えようというのであれば、 そうでなければ伝わらないものを中核に据えるべきである。 それが何かをわかっていなければ、講演は良いものにならない。 そして、それがわかっていれば、上記の分量に収めることは大して難しくないし、 分量が適切になっていれば、説明の詳細度をどれくらいにするか、 どの程度具体例を入れるか、などについてもある程度は自然に定まってくる。

今年のCEDECではそのへんのことを考えながら他人の講演を聞くとしよう。 社内勉強会の類をもっとやりたいな。 プレゼンや講義の技術は磨いておくにこしたことはない。 人に考えを伝える、ということにもう少し真剣になるべきだ。 それはもしかしたら収入をもたらす手段になるかもしれない。 そして、伝える技術が備われば、伝えるコストが下がる。 伝えるコストが下がれば、伝える内容が欲しくなる。結果、 もっといろんなことを勉強するようになるかもしれない。 覚えた空手は使いたくなるものだ。自分がそういう生き物であることを期待しよう。

女の子より男の子が欲しい社会に、 簡単に性別がわかる超音波の機械が入った時に何が起こるか。 当然中絶祭が起こる。機械がない時には生まれてから殺していたわけで、 それよりは凄惨さに関してはマシだが、 生まれてから殺すよりも簡単であるがゆえに、 殺される女児の数は段違いに増える。 そういうわけで中国やインドでは男の方が多いのだそうだ。 女の子が結婚する時には持参金が必要とか、 親の葬式で男の子でないとできない儀式があるとか、 相続できるのは男だけとか、 そういうしきたりが消えてなくならないかぎり問題は解決しない。 男がたくさん余ると女性の価格が上昇し、売春や人身売買の価格が上がるために この手の行為が増える。女性が減るほど女性の身分が危うくなる。 さらに、独身男性は満たされない性衝動が暴力に直結しやすく、社会不安の種になる。 2050年くらいまでは男が余る状況が続くはずで、 その間に余った男がどういう影響を及ぼすか不安だ。 といったことが、「女性のいない世界」に書かれているのだが、斜め読みなので 細かいところは読めてない。論説文が読みたいので、 今はこういうドキュメンタリー仕立てのものは読む気になれないのだ。ネタは面白い。

海外の本は結構な率でこのノリだ。気分が乗ればこういう方が面白いんだが、 「いいから中身だけよこせ」という気分の時には回りくどくて読む気が失せる。 「インドの何々さんはその日…」みたいな書き出し の取材ビデオみたいなのがたくさん出てくる 本は、あまり好きではない。テレビ番組でもそういうのは好かんのだが、 テレビの場合はそれが当たり前すぎてそうでない番組がレアなくらいなので、 仕方ないとは言える。 そもそもテレビなんて実家にでも帰らない限り見ないけどな。

流行りのスクラムについて勉強するかと思ったら、 すごい勢いで参考文献を教えてくれた人がいて、とりあえず見てみた。 スクラムの思想と利点は石畑さんの講演やら何やらを聴いていたこともあって、 おおよそわかった。 そして、私に必要なのは勉強ではなく実践であることがわかった。 本読んでもダメだ。一回プロジェクトの進行に責任を負う立場にならないと、 たぶん本当にはピンと来ない。やっぱり保留。 とりあえずこの社内ニート状態を脱しないと。本が出ないと何も始まらない。 自分が会社の利益に貢献してる気がしない状況は良くない。 本が出て評判になれば広告費くらいの役割は果たすだろう。

あと、スクラムは日本語への翻訳に問題があるように見える。 最初は日本語の資料は見ない方がいいかもしれん。 英語で読まないと意図が見えてこない。 「成果物」と訳されている「Artifact」は、 おおよそ人が技を用いて作った物という意味である。 自然のものに対する対義語であり、転じて人為的な歪み、 さらにはファンタジーで「古代文明の超科学遺跡」 みたいなものにも使われる。日本語にちょうどいい訳語はなく、 場面に応じて遺跡やら歪みやらに意訳するしかないわけだが、 「成果物」という言葉からは スクラムの提唱者がこの語を使っていることの意味は伝わってこない。 たぶん、スクラムの思想にのっとって物を作っているうちに溜まってくる記録の類を、 古代の生活の跡である遺跡になぞらえているのだと思うのだが、全くわからん。 こういう単なる技術を超えた思想的なものについては、 明治期に行われたような丁寧な日本語化が必要な気がする。 あるいは、大人しくアーティファクトとカタカナにしておくべきだったのではないか。 成果物は製品だと思う。まだ副産物の方が意味が通る。 もちろん、副産物などというレベルでなく重要だからこそ その言葉は避けたのだろうが。

2012年07月30日

夜にテレビで体操が映っていた。 体操ってテレビでやるほどメジャーだったっけかと思ったが、 どうやらオリンピックだったらしい。それくらいに無関係だ。

LED電球が好きだ。進歩が激しくて外れをつかまされる率が高い状況では、 選択が重要になる。その選択が面白い。 経済的に考えれば電球型蛍光灯に対してそれほど 優位があるとは言えないのが残念ではあるが、 最近はその点でもそう悪くはない選択になってきた。 すでに消費電力ではかなりの差がついている。 蛍光灯は110lm/Wでまだ及ばないと言われるが、 その数値は業務用メインのhf型の数値だ。 32Wの直管蛍光灯なんて一般家庭にはほとんどない。 普通のは電球型を含めて80lm/Wを超えない。 NECの104lm/WのLEDは色もそうおかしくなく、現状最強。 4分岐型のソケットに4つ差せば、20W蛍光灯1.5本分くらいの明るさは出せる。

富の未来、という本を読んでいるが、 ぶっちゃけ散漫で何を言いたいのかわからない。 いや、わからんでもないが、構成が下手なせいか、翻訳のせいか、 どうにもぼけている。「基礎的条件」、 たぶん元の言葉はファンダメンタルズだと思うんだが、 それがどうなりつつあるかから未来を予測するという主旨で、 その構成要素一つ一つについて考察していくという展開なのだが、 まとめたり、今後の議論の方向を指し示したりといったことがなされないので、 「どういう位置づけでこの話してたんだっけ?」ということがわからなくなってくる。 しかし、個々の項目は面白い。とりわけ「何を根拠にして真実味を判定するか」 という「真実輪郭」という話は面白い。権威、宗教、常識、科学、のような ものがそれぞれの意思決定においてどれくらいの比率で頼りにされているか、 ということが社会の行く方向を決定的に左右するという考え方。 社会は非マス化、つまり皆が同じものを見ているような社会ではなくなることから、 常識の効力は薄れる。 また、変化が激しくなることから、「長時間真実であったこと」による権威 の効力もまた薄れる。 糖質制限や湿潤治療はまさにこの動きだよな。 というか、単純に夏井さんがそういう人だということなんだろうが。 あの人の言う糖質制限は、 糖尿病治療としての糖質制限という枠から完全にはみ出している。

今回の九州行きで、普段糖質を削っているとたまに食べた時に来る眠気がすごい ということを実感した。ただし、それが良いのか悪いのかはわからない。 糖質に対する耐性が弱まることが体にいいか悪いかは必ずしもわからない。 筋肉が衰えることを適応と言うことが馬鹿げていることと同じに 考えるべきかもしれない。 しかし、普段眠くないのはいいし、少なくとも澱粉を食わなくても短期的に害はない、 ということ自体が面白い。澱粉食わないと力が出ないとか言ってたのは何だったのか。

あ、ようやく思い出してきた。ファンダメンタルズと言われているものが、 すでに本当のファンダメンタルズではなく、 その奥にあるものについて考えるのがこの本の主旨だった。 で、特に重要なのが、時間、空間、知識の3条件だ、という話だったのだ。 これ、序論で具体例を出さなすぎたのが敗因だな。 確かにそういうことは書いてあったが、それが具体的に何の話なのが示されないまま 各論に突入したせいでよくわからなくなったのだ。 最初のあたりで多少は例示した方がわかりやすかったんだろう。 抽象から具象へという流れそのものは問題ないが、 分量が増えるほどその原則だけでは足りなくなってくる。 文章は階層的な構造をなしているが、 結局は一次元でしか把握できない。時間が一次元だから こればかりはどうしようもないのだ。

時間の話も思い出してみれば面白かった。 社会の中の部分ごとに時間の速度が違うことが 摩擦になっているという話だった。企業や技術はすごい勢いで変化するが、 政府や教育はほとんど全く動かない。 このズレが社会全体に税金のような歪みを及ぼしている。 教育は本当どうにかした方がいい。

昨日、ひつじことオタマの教育について話をした。 ひつじこは日本の教育を受けさせたくないと思っている。 と言うと省略しすぎだが、大まかにはそういうことだ。訂正と補足はひつじこの方から なされるだろうから、ここではこのまま進む。 自分が受けてきた教育や、教師としてやってきた経験から、 日本の教育が改善されることは期待できないということである。 私はぶっちゃけ勝ち組で、古いことはバンバン忘れていく性分なので 自分が受けた教育がどうだったかなんてあまり思い出せず、 あまりそのへんについては考えてなかった。 しかし、言われてみれば確かに問題だ。 気持ち悪い左翼が力を持っていたあの時代に比べればなんぼか マシだろうとは思いつつも、 「自分が受けた教育をいいと思った人が教師になる率が高く、 そう簡単に呪縛を抜けられない」 というひつじこの意見にも一理ある。 また、なにせ親がうちら二人なわけで、 オタマがはみ出した子になることは避けられない。 そして、避ける気もない。 私は周りを気にしないくらい強くなってくれればそれでいいやと簡単に考えていたが、 女であることはそう簡単ではないらしい。男なら函館ラ・サールに放り込めば 信頼できるが、オタマはその手が使えない。このあたりで良くみかける子供やその親を 見ているに、ああいう中で育っていくことには確かにリスクがある。 ひつじこは海外で教育を受けさせることを真剣に考えている。

海外に行くのは悪いことではない。ただ、問題は山積みであり、 本気でやるなら今から取り組んでおかねばならない。 まず一つは私が海外で戦えるかという問題で、まあこれは私の気合の問題だから 比較的どうにでもなる。気は重いが。 最大の問題は博打になることを覚悟せねばならないということだろう。 アメリカが最大の選択肢になるだろうが、あんなにばらつきが大きい国だと 場所やかける金によって無茶苦茶な格差が出る。 日本ならどこに行くにしてもおおよそ想像がつくが、海外は全くわからん。 下調べするといっても容易でない。 日本にいるから日本の問題点が良く見える、という側面は確実にあり、 「隣の芝は青い」というだけの話であってはならないのだ。

私は「学校なんて信用しねえし、勉強はオレが教えるからどうでもいいや」 と思っていたが、親が信用しない場所に子供を行かせることは、 子供にとってもストレスだし、うちの子だけが教師の権威を認めないような 状況になればそれによって孤立することも避けられない。 お受験することで問題が軽減するならいいが、 それが必ずしも当たりとも言い切れないしな。 近くにお受験率の高い幼稚園があるそうだが、 そこの子供は皆が同じ絵を描くようになるらしい。 紙からはみ出すことを極度に恐れるような子にはしたくない。

しかし、今のままでは金の量がネックになってそれほど大胆な選択肢は取れない。 そこの解決も必要だが、ちょっと望みが薄いな。

データにはタダになる圧力がかかる。 これを正しいとした場合、本を書いても収入にならない。 印刷されたバージョンを高付加価値版として有料にすることは考えられるが、 電子書籍が支配的になった世界でどれくらい紙に金を払う人がいるかはわからない。 結局、本自体で儲けるのは不可能になるんだろう。 まして、電子配布が支配的になれば、挿絵をカラーにしたり、さらには動画にしたり、 リンクを貼ったり、といった電子配布でしかできない付加価値がどんどん増えていく。 動的に文字の色や大きさを変えて好きにカスタマイズする可能性すらある。 小さな字の方が好きな人もいれば、明朝よりゴシックが読みやすい人もいるだろう。 そのうち紙の本として売ることが不可能になるような進化を遂げる可能性は高い。 音楽をyoutubeでばらまいて、それを広告としてライブで儲ける、 というようなビジネスモデルがあるが、本もそれと同じになるかもしれない。 本を無料でばらまいてそれを広告として使い、 講演やらセミナーやらで儲ける。 多くの知識は本だけで完全に伝えるのは無理で、 生身のコミュニケーションによる補完を必要とする。 例えば今回私が本に書く内容にしてもそうだ。 本が出た後であっても、私が出向いて講義をすることには意味があるだろう。 むしろ本が出た後の方がその価値が増すかもしれない。 本から取れる情報は本から取り、本だけでは取れない情報を生身で補完できれば 効率はずっと高まる。

個人でiphoneアプリの類を作って儲ける、というような望みもなくはないんだろうが、 難しいだろう。データは無料になるのだ。 サービスですらデジタル化されていれば無料に向かう。 間接的に金をもらうビジネスモデルは仕組みが大きくなりがちで個人では難しい。 人気ブログのような広告モデルはあるが生身の信頼関係が増えないので脆弱である。 もちろんネットワークサービスの類を一人でやるのは困難だ。 一部の人が金を払ってくれればいい、 とする「無料版-有料版」モデルは一人でもやれるが、収入が読みにくい。 一人で商売をする経験は何かしら積んでおきたいがなあ。 それが難しければ、組織の中でもっと商売に関わる仕事をすべきだ。 一番簡単なのは出世して製品の利益に責任を持つ立場になることなのだが。

今年の授業で、確信した。このアプローチで救われる奴はいる。それもそれなりな数で。 大丈夫か?と思う奴でもかなりできるようになっていたからだ。 「この言語は自分で関数が作れて、関数の中身を自分で理解できるのが良かった」 というような感想を書いてくる奴がいて、自分が正しかったことを確信した。 javaやCの授業では関数を作らせていなかったのだろう。 彼らは関数を誰かが用意するものだと 思っていたらしい。たぶんonDrawみたいなイベントハンドラの 中身を一個書かせて終わりなのだろう。 Cだって関数は自分で作るものなわけだが、 それすら伝わらないような授業しかしていないのであれば わかるはずがない。

「クラスと関数がどう違うのかわからん」とか言ってる奴いたな。 クラス作ってもstatic関数しか作ってなかったんだろう。教え方がおかしい。 来年やらせてもらえるなら対象を一年生にして欲しいが、それは難しいんだろう。

高級言語から下に潜っていく覚え方もあっていいと思うが、 とりあえず私は低級言語から行こう。高級言語から行く場合、 高級言語を作る手間が半端ないという 問題がある。他のやり方もあるはずだが、私はまずはこれでやる。 高級側はenchant.jsとかいろいろあるらしいし。 いじったことがないので良く知らんが。

精子濃度7000万/ml。4年前は3200万/ml。 ある調査では子供がいる男性の平均が1.2億程度だというので、 それが本当ならかなり劣っている。 テストステロンが薄いのはほぼ間違いなかろうし、仕方ないわな。

くるみは酸化が早い。砕けてる上でオメガ3やオメガ6が多いので仕方ない。 もう買うのやめよう。 会社に置きっぱなしにできるものではない。

お好み焼き屋は客に労働をさせている。ネットで航空券を買う時、 本来航空会社がやっていた労働の一部を うちらが肩代わりしている。鍋は消費である以上に資本財であり、 うちが鍋を買って自分で 生産を行うことで、そうせずに外で食うよりも経済規模は縮小している。 なるほど、GDPに含まれない労働というのは実は重大で、 GDPだけで見ると不適切な場合があることは認識しておかねばならないわけだ。 世界の極貧国はGDPが少ないが、かわりに貨幣経済に入らないサービスの比率が高い。 実質的な経済規模を、 金のやり取りの量で測れるものよりも大きくすることは、 ビジネスモデルを設計する上でも意味がある。 ゲームによくできたキャラエディットを入れることはそのいい例だ。 遊ぶ側が労働を提供し、それを楽しんでくれる。 それは金では測れないが立派に労働で、サービスだ。 ゲームは客が改造して、それを共有するところまで含んで設計すべきなのかもしれない。 最初からソースコードやツール類ごとバラまくことを前提とするようなビジネスモデルは ありえないものだろうか。広告モデルのような間接収入モデルは 人を集めることに依存する。 人を集めるためのものと割り切ってゲームを作ることは不可能か? できなくもないし、実際すでに行われている。

デジタルデータが支配的になる世界というのは、 つまるところタダ飯が当たり前の世界だ。 その結果、GDPと実際の経済規模の乖離は大きくなる。 wikipediaによって得られる利益はGDPにはほとんど含まれていない。 あ、この本おもろいわ。少しづつストーリーが見えてきた。 アメリカは財政規模が国の大きさに比べて小さく、税金も安いが、 その不足分はボランティアという形で国民が払っている。 日本の財政規模はどういう方法かはさておき近い将来に半分になるはずだが、 そうして生まれた不足は何らかの方法で埋めなくてはならない。 ボランティアによって埋めるのかもしれないし、 今までGDPに含まれる形で受けていたサービスを、 含まれない形で受けるように変えていくのかもしれない。

私がここに何を書くか、twitterに何を書くか、 といったことは地味に将来に影響を及ぼしている。 以前拳法を教えていたことは結婚という形で凄まじく大きな影響を及ぼしたが、 他の形でも影響があった。人と知り合えたからだ。 そう思うと、真面目に真剣に生きていくことは大切だということになる。

素人の存在感が増しているのは間違いなく、プロの存在感は相対的に低下する。 プロがいらなくなるとまでは言わないが、プロが生産して皆が消費する、 という考え方はもう古い。素人の生産者まで含めた形でプロが設計する必要がある。

教育は工場でやるには適さない。学校というのは工場だ。 画一的大量生産を行う場所だが、 それは教育には合わない。 ただし、全く完全に適さないというわけでもない。学校はないよりはあった方がいい。 そういう形でやれるには限度があり、 先進国はとっくの昔にその限度に達しているというだけのことだ。 教育はたぶん自己増殖的な過程を取るのが一番いい。 誰かがまず学ぶ。それをその人が接触できる範囲の数人に教える。 教わった数人はまたそれぞれが接触できる範囲の数人に教える。 そうやって増えていく。何らかの枠組みはあった方が良く、例えば本のようにタダで ばらまけるものはそれを加速するだろう。しかしそれだけで済むわけではない。 この前の授業でも、誰かに教えると、その教えた誰かが隣に教える効果は広く見られた。 今ならネットがあるので、近くにいない人に教えることもできなくもない。 また、その過程で教える人や教わる人に合わせたカスタマイズが勝手に行われて、 効率も向上していく。そういう「勝手に回る仕組み」をどう作り、 より良く回るように手助けしていくか、 ということを考えるのが教育を設計するということなのだろう。 基本的に、同じ時間にどこかに集まって何かを一方的に教わる、 というのは非効率の極みだ。 時間と空間がバラバラでも機能すべきだし、 個人に合わせたカスタマイズの可能性を許さないといけない。 確実性をどう担保するか、つまり落ちこぼれの率を下げたい という欲求にどう応えるかという ところだけどうにかすれば、 分散非同期型の教育システムをメインに据えることができるはずである。 少なくともプログラミングは集中型のシステムでは教えられない。 それで出来るようになった奴なんてほとんどいないはずだ。

GDPで計測できない経済、つまり金を経由しない 経済こそが経済の大部分を占めているのだとすれば、 金融政策が機能しないのは当たり前だということになる。 案外真実をついているのかもしれん。 GDPに含まれない最大の経済活動は子育てだ、という主張は面白い。 少子化を止めるために金をばらまく行為の効果が薄いのは、 それが元々貨幣経済の外のものだからだと考えれば納得が行く。 金でどうにかなるのは一部であり、子育ての問題の ほとんどは金でどうにもならない所なのだろう。 実際やってみてそう思う。10億もらったからといってあと10人育てようとは思わない。 足りないのは金ではなく時間や精神的な余裕の方だ。 しかし経済政策はそこを改善することはできないのである。 子供手当は下策だ。金で解決する部分を過大評価している。 もちろん、あれが少子化対策などではなく、よく言っても景気対策にすぎない。 そして実際のところ単なる人気取りであることは疑いようもない。

財政破綻するなら早くしてほしい。その方が対策が立てやすい。 情報は遅く手に入るより早く手に入る方が価値が大きく、 財政破綻して何が起こるのかという 情報は早く手に入る方が良い。 国債に流れる形の資産は全部他の何かに変換してしまおうか。

野村のMMFの利率が0.094%なのだが、これすごいよな。1万円の利子が年間9.4円だ。 余剰資金をとりあえず野村MMFにまとめて移したのが何年前だったか忘れたが、 あの時の利率が0.5%そこそこだった。あれから毎年のように世界中で爆弾が炸裂して こんな状況になっている。ちなみに、みずほの普通預金の利率は0.02%で、 これは1万円につき2円である。 はっきり言って、一般的な個人にとって1%以下の金利に実際的な意味はない。 日常ちょっと節制するかしないかで相殺される程度のリターンだ。 「牛乳を178円でも買うか、158円でないと買わないか」という程度の違いでしかない。 「お金に働いてもらう」と言う人がいるが、 そういう人が出してくるシミュレーションの 利率は5%以上と極めて非現実的だ。現実的には2%がいいところだろう。

オスプレイという言葉を良く見かけていたが、今日たまたまそれが何か知った。 輸送機の愛称な。で、開発中よく事故ってて、 そんなもん配備して町中に落ちたらどうするんじゃ、 みたいな感じで揉めてると。いや、軍用機って事故るもんだろ。兵器なんだから。 兵器の有用性を評価する時に、事故るかどうかはそれほど重要ではないだろう。 あらゆる場合に事故率はゼロではないし、仮に凄まじく事故るとしても それを補うくらいの利点があればそれは使われるだろう。 安全でなければ採用しない、とでも思っているのか。 軍には軍の論理があるというのに。

あらゆる意思決定はトレードオフで、いいと思う方を選ぶのである。 結果外れて悪いことになったとしても、 それが決める前に想定されていた事態であれば決定そのものが 間違っているとは言えない。 例えば、私が九州に授業をしに行くとして、飛行機が落ちる可能性はゼロではない。 それと授業をやって得られるものを天秤にかけて、 行くべきだと思ったからこそ行くわけである。 飛行機が落ちるというリスクが想定されているのであれば、仮に落ちて死んだとしても、 それは間違った決断ではない。 もちろん、その結果は私にとっても家族にとっても取り返しがつかない 失敗であって、ひつじこは送り出したことを一生後悔するだろうが、 そうであったとしてもそれはそれで、決断自体が間違っているかどうかは別のことだ。 決断自体の評価と、その結果は分けて考えなくてはならない。 まあこれは極端な例だが。 原発にしても、たまたまこうなったから原発はダメだと言うならば、それは間違いだ。 こうなる危険性を勘定に入れた上でやっていたかどうかを問うべきである。 もっとも、原発に関してはそこまでは考えていたとは思えない。 本来は核武装の可能性を残すこととか、高速増殖炉まで行けるとか、 原油が枯渇するとか、 そういう見積りがあった上でやったのだろうが、結局何一つ予定通りにならないまま 惰性で放置し、結果ああなった。

「何かあったらどうするんだ」的な意見は嫌いだ。 うまくいった時の利益を無視している。 あるいは、何もしないでいた時の損害を無視している。 放っておけば確実に許容できないほど事態が悪くなる、 というのであれば、決断しなくてはならない。 オタマの教育についても、糖質制限についても、あるいは他の何かについても同じだ。

原子力は私は好きなんだけどな。政治や軍事がからまずに純粋に経済的側面から 研究されていればこんな未熟な状態のまま止まってはいなかっただろう。 高速増殖炉ができてないのは不可能だからではなく、 まだ研究が全然進んでいないからではないのか。 儲かる産業にならないままではナンボ予算がついても進歩はすまい。 でもまあ、あんなもん政治や軍事をからめずに研究できるわけもない。 核分裂炉は何をどうやっても爆弾につながってしまうからだ。 核融合炉はどうにかならんかなあ。爆弾にはならないわけで、 もっとオープンに研究できるはずだ。 コンピュータだって昔はデカくて量産できるなんて思われていなかったわけで、 本当にそれが産業として成立するなら、いずれは量産だってできるようになるだろう。 人類はそれが儲かると思えば大抵のことはやってしまう生き物だと私は思っている。 生きているうちに商業運転する日が来ることを願おう。たぶん無理だが。

お金は、物々交換が非効率だからこそ価値を持つ。 売りたいものを買いたい人がそこにいないと 成り立たないのが不便なわけだ。 しかし、ネットによってこの不便さはある程度解消されている。 実際、金(gold)や小麦は遠く離れた人同士で高速に売ったり買ったりできる。 実際に倉庫から動いていなかったとしても、 所有者は変わっていて、事実上これらはお金に近い何かとして機能している。 技術の発展によって、お金として機能するものが 増えていくというのはありえないことではないわけか。

資本主義は皆が欲しいものが有限であることが前提にある。 しかし、経済の大半がデジタルデータのように無限で減らないものになった時、 同じ形を保てるだろうか。その問題意識はなかった。 根本的に経済の大半がデジタルデータになるようなことが 起こるのかどうかが私にはよくわからない。 それはつまり、住んだり、着たり、食べたりするのにかかるお金が可処分所得の ごくわずかな部分になって、残りは電子書籍とか動画サービスとか、 そういう何かになるということだよな。 確かに食費の割合は先進国ほど低いわけで、絶対にないとは言えないが、今のところ イマイチ想像できない。

日本の不調は、時間の流れが速い部門と遅い部門の調整が とれていないことだという分析。 そう言うことも出来るか。 しかし、日本において、 その手の問題は世代交代によって解決することを基本に置いてきた。 今回はその手ではうまく行かなかったわけだが、 それは平均寿命の伸びによって世代交代による解決が遅れたせいかもしれない。

女性の労働力化は急務のはずなのに、扶養控除の法律は放置状態で、 103万円の壁なんていう 馬鹿げたものがある。昔は女性を労働市場に入れることを阻止する、 という積極的な意図があった んだろうが、今となってはどう考えてもまずい。 何故こんなものが更新されないままなのかを行政の人に聞いてみたい。 何か意図があってわざとそうしているのか、 いろいろあってそうなってしまっただけなのか。 政治や行政で働く人に知り合いがロクにいないので、そのへんの話が全然聞けない。 政治家と官僚の友達欲しいなあ。そういや医者すらいない。 博士はかろうじているんだが。 一流大学を出たはずだが、全然そういう人脈はダメだ。 落ちこぼれみたいなもんだったし仕方ないか。

円高によって雇用が海外に流出している。 これによって、流出先の国民には雇用がもたらされ、 技術やノウハウが伝えられた。アジアの経済発展の理由の一つは、円高によって 日本から雇用が流出したことだという。 円高によって貧富の差が縮小し、世界の富の総量は増えているのかもしれない。 うまく出来ているものだと思う。 日本はもうちょっと没落してからでないと復活しないかもな。 団塊世代が退場すると同時に旧世代の制度を支持する人がほとんどいなくなって、 急激に変わるはずだ。 しかし、それを待っているのも芸がない。 少しでも変革に手を貸せるならやれることはやろう。 とりあえず国債でも売るか。

オタマが国内で生き生きと働けるなら、それが一番楽で いいんだが、その望みがないなら別の手も考えねばならん。 というか、海外移住に関してネックは私なんだよ。 私はなんだかんだ言って日本が好きだし、外国語を覚えるのはどう考えても苦手だ。 しかし、ひつじこはたぶん日本の外の方が元気に生きられるし、 外国語のスキルが適当なままでも難なくコミュニケートしそうだ。 ちょっと本気で考えよう。

たけひこオレンジ農園の人がtwitterをやっていることに気づいてフォローした。 何故フォローする必要があったかと言えば、バレンシアオレンジを買いそこねたからだ。 いつもはメルマガで注文受付開始が告知されていたのだが、今回のバレンシアオレンジは 告知がないまま在庫切れになっていたのである。おかしいと思ってサイトを見ていたら、 twitterのログが出ているのに気づき、たどってみたら、twitterでは告知されていた。 というわけでフォロー。他の農家その他もアカウントを持っているかもしれんので、 調べておこう。 なお、バレンシアオレンジは別のところから10kg買った。 十分おいしいと言える水準ではあるのだが、 毎度たけオレから買っているようなレベルの感動はない。 柑橘類とリンゴは他の農家も開拓しないとなあ。 うちにとってこれらのフルーツは死活的に重要なので、 供給を途絶えさせる訳にはいかない。 10kg4000円程度で買え、栄養的にも優れ、何より長期保存ができる。 こんな素晴らしいものはない。ブドウ、メロン、さくらんぼ、いちご、ブルーベリー、 などなど果物はいろいろあるが、これらの条件を満たすものは他にない。

ブルーベリーはキロ1800円で買え、冷凍保存が可能だ。 しかし、あれはそんなにおいしい果物でもなく、やはりキロ1800円は高い。 いちごは冷凍可能なはずだし、安くあればアリかもしれない。オタマも好きだし。

鰹節を1.2万円分買った。送料無料ラインを超えるためにこの量を買ったが、 ちと早まったかもしれない。 初めて買う所からいきなりこの量はいかん。

2012年07月29日

久しぶりに祭の会場に行った。人多い。 祭なんてどうでも良いと思う性分だが、ひつじこの説明を聞いてそうかと思った。

SDが遅いので速いのに買いかえたいが、速度がよくわからない。 最低10MB/sでも最高速度に差がありすぎる。 速い奴はギガ500円近いが、安いのはギガ50円。

2012年07月28日

今年の授業終わり。びっくりするくらいできるようになっていた。 予想外でうれしい。やはりできないことを隠せない状況を作って、 できない奴から順に教えていったのが正解だったということか。 去年まではCのコードをコピペしても動くケースが多少はあったが、 今回は細かな記号までほとんどCと互換性がないので、 コピペでは動かない。たかが書式じゃんと思っていたが、 どうもそこが重要だったようだ。去年や一昨年は 最初のうちはもうすこしできるように見えていたが、あれはまやかしだったのだろう。

マルセイバターサンドのパチモンか?と思う土産を持って帰ったが、案外うまかった。 菓子としての完成度はこちらの方が高いのではないかとすら思う。 ただし、マルセイバターサンドほどにはキャラが立っておらず、弱い。 なにしろ、マルセイバターサンドの材料表示は、最初がバターなのである。 小麦粉や砂糖より前にバターが来るのだ。 糖質制限的にはアリである。

糖質制限ごっこ中の場合、チーズケーキやシュークリームなど、 炭水化物より脂肪が多い菓子は重宝する。 そして、いままでヘルシーだと思っていた和菓子が全滅という面白い事態。

2012年07月26日

「FREE」。今時読んでないとマズイ本という雰囲気があったが、 図書館に見当たらず、わざわざ予約するのも面倒で放置していた。 今回たまたま普段行かない2階に行ったところ、 実用書コーナーに置いてあったので借りてきた。 実用書→マーケティングと分類されてしまうと、経済や経営とは 隔たってしまう。図書館の分類は本当にこまる。 境界領域の本を扱える分類になってない。 ファイルシステムみたいな木構造がいいのは確かであるにしても、 ファイルシステムみたいにシンボリックリンクを併用する必要はあるだろう。 つまり「メインの分類はこれだが、こっちの分類もあてはまる」みたいな。

経済学の原則通り、限界費用まで値段は下がる。 デジタルの場合それが限りなくゼロに近づく。 もちろん全くのゼロではないから、その理屈で言えば デジタルのサービスであっても例えば0.0001円取るようなことはしていいはずだ。 しかし一方で、「タダ」と「1円」の間には無限とも思える壁がある。 人は0.000001円であっても、払えと言われると躊躇する。 これは人間の本能のようなもので、 損失に対してはその量と関係ない恐怖を覚えるのである。 このため、値段をタダにするということの意味は極めて大きい。 ただ人間はアホなので、支払いが間接化されていたり、払うものが物でなく時間や労力 だけだったりするとそのチェック機構が甘くなるのだが。

限界費用がタダに近い状態になれば、それはタダになる。タダにすべきだ。 タダにするためには他でもうけねばならない、というのは古くから 知られていたことで、ヒゲソリの替え刃やゲーム機のソフトのように、 採算を度外視して片方を安くし、もう片方でもうけるというビジネスはありふれている。 その意味では新しくないように見える。 また、広告モデルも新しくはない。ラジオの時代からだから、 もう100年近い歴史がある。 しかし現在においては、タダであるがゆえの圧倒的な市場規模が前提としてあり、 「基本タダだけど、たまに払ってくれる人がいればいい」 という無茶なビジネスを可能にする。 有料版を5%の人が買ってくれれば成り立つソフトウェアや、 10000人に1人が書き込んだり寄付したりしてくれれば成り立つwikipediaなど、 一部の人だけがコストを払い、残りは全員タダ乗り、というシステムが出てくる。 wikipediaのように、圧倒的多数のタダ乗りユーザの存在が、 少数のコストを払うユーザの存在理由になっている こともある。ソーシャルゲーも同じ構図だ。 さらに、タダであることは圧倒的な使用人数を前提とし、 金を取るシステム以上に人を集めるシステムが重要になる。 この結果、「とりあえず人を集める方法を考えて、 人が集まってから、どうやって金にするか考える」 という過去とは逆転したビジネス設計が可能になった。 グーグルはその思想で動いており、とにかく人がよろこぶものを作って集め、 その様子を見て金にする方法を後から考えるわけである。

理屈で考えれば、ゲームはタダになる。 ビジネスモデルは、広告か、一部の人が金を出してくれるか、 はたまた多数の人が集まってゲームをすること 自体が価値を生み出す労働であるような何かを生み出すか、 といった多様なものになるだろう。 最後のは、例えば多数のプレイヤーが 遊んだ結果それが蛋白質構造決定に役立つ、とか、そういう ことが可能ならそうだ。

ブログの読み書きという「遊び」は、ブログを書く人が労働を提供し、読む人もまた どのブログが人気があるかという 統計データの提供に協力するという労働を提供している。 ブログというコンテンツと、 それらから得られる統計データが金を産むことにつながれば、 そのシステムを構成する検索エンジンやブログサービスは無料で提供しうる。 実際行われている通りだ。

インターネットサービス、という枠で商売を考える時、 人を集めることは最優先になる。 金をどうやって取るかは後で良く、選択肢はそれほど多くない。 「基本無料」は動かしがたい前提だからだ。

この本が面白いのは、「タダ同然になればどんなものでも考え方が変わる」 という視点だろう。 もし電気がタダ同然だったらどんな社会だったか、という考えは面白い。 計算能力、記憶容量、転送帯域はタダ同然になり、それが今の状況を生み出した。 他にタダになりうるものは何かあるだろうか。

ちょっと見回してもないな。 電気代が1/100になったりはしないだろう。核融合炉が家庭に 置かれるようにでもならない限りはありえない。 送料がタダ同然に安くなると何が起こるかについては予想ができるが、 実現には時間がかかる。 今のところは別のものに価格転嫁して送料無料を実現しないといけない。 靴屋の例は面白かったな。 とりあえずたくさん買って、気に入らなかったものを返品する。送料無料。 ただし客の「無駄に運んじゃって悪いよなあ」という罪悪感が邪魔になる。 これは送料がタダ同然になれば軽減されるから、 こういう商売の仕方は送料の下落につれて増えてくるはずだ。 水やガスは安くならないだろうし、あとインフラとしては何がある? 明かりはすでに十分に安いよな。照明に割く電気代も器具代たかが知れている。 LEDや有機ELで改善はされるだろうが、劇的な変化はない。

車の車体をプラスチックで作ることが現実的になってきたらしい。 キロ当たりの価格が鉄の10倍以上するらしくまだ勝負にならないが、 重量が半分なら同じ形でもその半分だし、 強度が上がればもっと薄くできたりするのかもしれない。 すでにそういう車は存在しているようなので、あとはコストの問題なのだろう。 それさえ解決すればそのうち家もプラスチックで作れるようになるのかもしれない。 炭素と水素というありふれた元素を主原料として必要な性能を持つ材料が得られるなら そんなに素晴らしいことはない。 何かが安くなるというのはすごい威力を発揮するのだな。

車本体が1000kgあれば、4人で250kg、プラス100kg荷物を積んだとしても、 動かす物の重さの大半が車ということになる。 車体の軽量化はエネルギー効率を上げる上で 重要なわけだ。理想的には、重さが半分になればエネルギー消費も半分になる。 実際にはそこまで行かなくても、 車の重さがもし半分になるならエネルギー効率は1.5倍くらいには なるのかもしれない。エネルギー密度で不利な電気自動車にとってはうれしいだろう。 もちろん、ガソリン車の燃費も上がるので差が縮まるわけではないのだが。

骨とか木って密度が小さい割に強いと思うんだが、 何故だろう。ああいう素材は作れないのか。

注目と時間は資源制約としては重要だ。 金がさして問題ではなくなる状況はすでに来ている。 ゲーム機を買わない人は、金が惜しいという 以上に時間がもったいなくて買っていない可能性がある。 注目も重要だ。時間と注目はゼロサムで、 誰かがそれらを独占すれば、他の人たちはそれを得られない。 金や資源は技術で増えるが、注目と時間だけは増えない。 できることは、使えていない部分を使えるようにすることだけだ。 これら二つにどう注目して商売をするかが重要なんだろう。 もちろん今はまだ金も重要なわけだが。

バナナの成分を調べてみて、 完全にでんぷんの塊であることを知った。蛋白質も脂肪もえらく少ない。 これ主食にしてたら栄養足りないだろう。 というわけで、猛烈な眠気。 昼休みはいろいろあってオタマを連れてマルエツで買い物したりしたので 食事をする暇がなかった。やむを得ずバナナを買い食いしたわけだが、きつい。 すごいな澱粉。てきめんに効く。

渋谷駅改造計画とか、京急線蒲田付近の高架化とか、 そういう工事を見ているとワクワクする。 しかし、その過程で切り捨てられているものがあることは認識しておくべきなのだろう。 まず直接的に引越しさせられたり店をたたまされたりする人がいる。 そして、税金をつっこむことで、他の何かに使えたかもしれない資源を使ってしまう。

2050年には島根や鳥取は40万人を切るらしい。2100年には20万以下だそうだ。 これからうちらは人が住んでいた場所が 自然にかえっていくのを目の当たりにすることになる。 もっとも、市街地が自然にかえっていく様を見るのに、過疎化を待つ必要はない。 福島の実家から20kmほど北に行けば見られる。

ダウンロード販売やネット通販の類の消費税をどうするのかって、 考えたことがなかった。 そもそも漏れ無く課税するなんて可能なのか?経済は国境を無意味にするなあ。 EUは「販売する会社のある所で課税する」ルールなのだが、 ルクセンブルクがいきなり電子書籍の消費税を3%にしたらしい。 他は20%だから、すごい勢いで会社が引っ越す原因になる。 他のEU諸国は大激怒で、揉めてるそうだ。 地理的な事情がどうにでもなるようなビジネスの比率がこれから増えてくるわけで、 いろいろ起こるんだろう。ワクワクする。

もしかして、遠い未来には税金がFREEになるのかもしれない。 それでも成立するような政府や社会の形というのもありえないわけではないだろう。 生きているうちに見ることはないだろうが。

太陽光発電は立ち上がりが早すぎる気がするがなあ。 スケールメリットが大してない太陽光発電でメガソーラーとかよくわからん。 官民癒着の補助金ビジネスしか想像できない。 ローソンは店の屋根に敷き詰めるらしいが、やるならそれが賢い気がする。 もっとも、都市部のコンビニはビルの1Fがほとんどで使える屋根なんてないだろうが。

ソードアート・オンラインを3話まで見たが、原作読んでない奴や 読んでも忘れてる奴は完全無視な作りだな。 原作は文庫一冊でそれなりに完結しているわけで、 外伝ネタは控えめにして丁寧にやれば問題なく完成度が高いものを作れるはずなのだ。 しかし、商売として考えれば、円盤を買うのは原作を読んだ人間がほとんどなはずで、 原作ファンが映像化してほしそうなシーンを映像化することが優先する。 客が一つのアニメ作品として見るなら話は別だが、 あくまで「ある作品のアニメ版」と見る人が多いと読んだのだろう。 悲しいことである。だいたい、1,2,3話、ほとんど全部外伝じゃないかこれ。

アクセル・ワールドが棒すぎて仕事の妨げになるので見るのをやめた。 ココロコネクトは沢城の芝居を聞くためだけに見てもいい。 トータル・イクリプスはマブラブそのものを忘れているので辛いな。 どうもオルタまでは読んでいるようなのだが。おぼろげに覚えている。

マブラブはそこまで設定を作ったならゲームでも作ればいいのにと思ってしまうが、 これでまともにゲームなんて作ろうものならえらい金がかかるわけで、 こういう形が最良なんだろう。 それにしても、「alternative」は「オルタナティブ」が妥当じゃね? 「オルタネイティブ」はどうかなあ。 アクセントないところに二重母音は来ないだろう。

ひつじこへ。夏雪ランデブー、いろいろ不快だけど面白いよ。ノイタミナだし 見られるんじゃないかなあ。

私はひつじこをこんな目には合わせない。といっても、先に死なないという話ではない。 平均寿命から考えて私が先に死ぬ率は高いし、 ひつじこはがんばって私より先に死なないようにすると 言っているので、その目標は達成させてやりたい。 しかし、その後の時間をできるだけ素敵なものにできるようにがんばろう。 そのためにも二人揃って生きる時間は極限まで長くせねばな。 糖質制限はそのいい手段になりそうな気がする。これ、きっと体にいいと思う。 隠れた危険性があるかもしれないので慎重にはやるけど。 あと、もちろん運動もな。

企画書書いてみよう。これ、事業は何か?みたいな話だよな。目的があって、 顧客がいて、目標があって、資源制約と達成手段 について多少掘り下げて書けばいいのか? 私の目的は、プログラミングの根っこをわからせること。 顧客は、プログラミングをわかりたい人。商業上のメイン顧客は、 プログラマの称号を得てしまったものの、 関数の呼び方をえんえん覚えたり、パターンを暗記してあてはめてたり、 他人のコードの一部を修正することしかしてなくて、 なんとなくその上に行ける気がしなくて やきもきしてる人。サブでありつつも私が本来最も重視したいのは、 小学生中学生高校生といった、夢と希望に満ちた子供達を こっちの道に引きずり込むこと。 まあ小学生は無理だろうな。日本語を読む能力が厳しかろうし。 また、プログラマという称号はもたないが、スクリプトやら何やらでプログラミングを やれないとマズイ雰囲気が漂っててどうしよっかなーとか思ってる 社会人も商業上の顧客として扱える。 うちの会社で言えば、デザイナーや企画の人々だ。 いわゆるテクニカルアーティストを増やすことと、 自分でゲームを実装できる企画を増やすことは 決定的に重要だ。Unityやらなにやらで 分業の境界が溶けてくるならばなおさらそうである。 次、目標。それらの人がテトリスを作れる程度のスキルを一冊で身につけさせること。 ただし、ギリギリ必要なIOのAPIだけを与えて、だ。 コンピュータの日常操作ができること以外の前提スキルは一切求めない。 また当然売れる必要もあるが、その数量目標は誰かが考えてくれる。ただ、 もうかって関係者全員が「やってよかった」と思う程度には売れる必要がある。 初心者向けであれば単価は前回よりもはるかに安くなるから、 前回の半分程度の利益を叩きだそうと思えば2万冊とか3万冊売れねばならないが、 まあそれは結果の話だろう。何をやったらいくら売れるかなんてこっちとしては 計算のしようがない。 そして資源制約は私の人件費と時間だけなのであまり問題にならない。 期間はひとまず8月末までに一応β版的なものを作ること。 年内には完成してこちらの手を離れている必要はある。 目標の達成手段は、ロジックの具体化の過程を体験させること。 「体験」という最近外人が良く言う言葉が キーワードになってる状況はちと腹立たしいが、 今のところこれ以上にいい言葉が見つからない。差別化ポイントは「体験(仮)」だ。 知識、ましては情報ではない。腑に落ちてもらわねばならぬ。 逆に、腑に落ちてさえくれれば細部は全て切り捨てて良い。 あと、差別化という話で言えば、私が調べた範囲で、初心者向けの書物であっても 関連知識ゼロで立ち向かえる本はない。C言語であれば開発環境を入れねばならぬ。 PHPであればHTMLが必要だ。それともう一つ、それらの本には「読者の目的」がない。 何をやるためにそれを学ぶのか、という視点から構成されていない。 そんな読者の中にあるはずだろ、と思うのは出来る人間の傲慢さではないか。 普通は目的は曖昧で、それに至る手段を自分で綿密に設計できるわけでもない。 「なんかすごいゲーム作りたいな! で、最初に変数ってのが出てくるけど、これなんでいるの?」 みたいな話になり、それが続けばちょっとお盆休みか 何かで中断しただけで容易にそのまま離れてしまう。 むろん人によって目的は違うだろうが、仮の目的を与えることはできる。 読者は自分の目的と与えられた仮の目的の差分だけを考えれば良く、 全く目的がない状態に比べればはるかに見通しが良くなる。 そして、「目的に近づくには何をすればいい?何を学べばいい?」 という問いかけを行うことができる。 確かに仮の目的があまりに読者の目的から離れすぎていたり魅力がなかったりすれば、 それが仇になることもあるだろう。だが、それは信じてもらうしかない。 まあ授業なんかだと課題という形で仮の目的が与えられるわけで、 そうしててもできてないじゃんという反論はありうる。 しかし、プログラミングの授業が機能していないのは明らかで、 それは説明の質の問題が大きいから、 ここでは「あんなものと一緒にするな」と言うに留めれば良かろう。 だいたい「テンソルを計算するプログラムをかいてください」 とか言われて楽しくやれる奴が何人いるか、 という話でもある。

差別化ポイントは「体験」だ。命は細部に宿るので、 一言で表していい気になっても仕方ないのだが、一言で言えないようでも困る。 つうか、もっとマシな言葉があるはずだから、それは探し続けないといかん。

みたいなことをまとめてみた。 「体験」より「物語」の方がいいかもなあ。結局 プログラミングの教科書ってストーリー性がないからつまらないんだよ。 前の本はそこは相当考えて書いたつもりだが、伝わったかどうかはわからん。 なにせ分厚いし、技術そのもの説明の分量が支配的だからな。 しかし次はもっとそこを重視しないといけない。 前の本よりもさらに目的が曖昧な人たちが読むはずだから、 何かしらの物語を作って、その主人公になってもらわないとうまく進めないだろう。 うまく誘導されつつもプレイヤーが自由であるように感じるロープレ、 みたいなものを作ればいいんだよな。きっと。

私の頭の中のゲームがどうにも古い。 何故急にラストハルマゲドンを思い出したりするんだろう。 今思えば、昔のゲームって本当無茶だったよな。 あの時代に活躍してた人のインタビューがたまに出るが、 おかしすぎてツッコむことすらできない。 うちらはもう完全に会社員で、そんなことではあの狂気は出ない。 作品がおかしかったのは、作ってる環境と、作ってる人がおかしかったからだ。 おかしな作品はそうでなくては出てこない。 私がそういう時代のかすかな残り香を嗅ぐ機会に恵まれたのは幸運だったんだろう。

昔のロープレの類にはストーリーが異常なほど凝っていたものがある。 ストーリーに付随する作業量がほとんど文字だけだったからこそできた芸当だよな。 いちいち絵を作って芝居させて音楽を流して、なんてことをしなくて良かったのだ。 その意味で、今の方がストーリーの自由度は低い。 ヘラクレスの栄光3はやっておきたいよなあ。 WiiU出たらやろうかなあ。VCはあのコントローラだけでできるんだろ?きっと。 ちなみに1はやったはずだが話の印象はなく、明らかにクソゲーだった。 ラスボスからのダメージが全部1だったぞ確か。バランス無茶苦茶すぎる。 ところどころの謎解きも意味不明だし。

テレビの類がないままWiiUを買いかねんなあ。

2012年07月25日

CDSというものを知った。クレジット・デフォルト・スワップ。 これは、簡単に言えば、「ある会社がつぶれたら勝ち、つぶれなければ負け」 というギャンブルのことだ。 例えば私がどこぞの会社の株を大量に持っていて、そこがつぶれると困るとする。 そういう時に、 誰かが「潰れた時にはいくら払いますが、潰れないようならいくらください」 と言い出したとする。潰れるのは怖いので、 保険をかけたい。そこで、そういうサービスを 利用することになる。ここまでは問題ない。 普通保険は自分の命とか、健康とか、事故とか、そういう 自分に関係あって、嫌な出来事が起こった時の備えとしてかける。 うれしいことが起こった時にお金がもらえるような保険は存在できない。 そのうれしいことが起こるように本人が努力してしまえるからだ。 しかし、CDSの場合「それが起こった時にこまるので」 という理由がなくても買うことができる。 全くそんな会社の株を持っていなくても、 所定のお金を払えば潰れた時にお金がもらえるのだとすれば、 これはギャンブルだ。むしろ、CDSを買った上で、 その会社がつぶれるように積極的に陰謀を 巡らすことだってできる。 普通CDSを買うのは会社であって、個人のように何もできない存在ではないのだ。 そのへんがどうなっているのかはよくわからない。

さて、日本国債にもCDSがある。 国債がダメになったらお金がもらえるが、ダメにならなければお金を払う、 というものだ。ダメになる率が高いほど、ダメにならない時に払うお金は増える。 なので、CDSがいくらで売られているかを見れば、 みんながどれくらい日本国債がダメになる可能性があると 思っているのかがわかる。 どうやら2008年くらいからじわじわ値上がりしているようだ。

欲望ゲーム。こんなギャンブルアリなのか。 一応保険として使えて、実際そういう使われ方もされているのだから、 それでいい、ということなんだろう。

財政赤字の拡大と、高齢化、人口減少、などなどが積み上がりつつあるが、 何か大変革は起きるのだろうか。それともじわじわ変化していくのだろうか。

文章の書き方本を何冊かまとめて読んでおこうと思って、適当に借りてきた。

「大人のための文章法」。散漫。水増し。この人すごい数の本書いてるらしいが、 みんなこのノリか? とは言え、「書かないとうまくならない」「設計が大事」「読まれてナンボ」 「表現より内容」「つまらん人間に面白いものは書けない」 といったことは当然のことなので、受け止めておく。

パターンをたくさん持っておいて当てはめる、というのがこの人の基本戦略なのだろう。 数学なんて暗記だ、という主張の本を書いたらしい。 それに効果があることは間違いない。 具体的な例をたくさん入力しているうちに勝手に理解なるものが 生じてくるのが、自然の順序だ。仮に理解に至らなくても、大量の具体例を記憶して、 一定の手続きで当てはまるものを検索することに習熟すればかなりのことができる。 画像認識などの検索問題はまさにそれで、 複雑な理屈を持ち込むよりも並列度とデータ量で勝負する方が 結果がいいことは知られているし、 そもそも人間の脳みその構造だってそうなっているのである。

プログラミングを教えるに際して、大量の具体例にとにかく慣れ親しむことで、 その背後にある世界を理解するのを待つ、 という教え方がこれまで標準だったように思う。 たくさん書き、たくさん読む。 理解はそのうちやってくるし、やってこなくても仕事くらいはできる。 それは事実だ。しかし、私はそれが嫌で仕方ない。 そんな中、CやJAVAを学んだはずの学生が少し見た目が違う言語を提示した瞬間に ループ一つ書けなくなるのを目の当たりにした。 「プログラミングってこういうことだろ?」という確信のようなものが出てくる まで一体どれだけかかるのだろう。向いた人は一瞬だし、 向いていない人はいくら経っても無理だ。 それを向いていないで片付けて良いのか。

覚えることより考えることが重要、という考え方は正論に聞こえるだけに批判される。 和田という人はその批判をやることでベストセラーを作った。 実際のところどちらが重要というよりは、どちらも重要なのであって、 問題は順番と配合比率である。 全く考えずに丸暗記することが良いとは誰も言わないはずだ。

考えることが必要というのは正論だが、さっさと覚える方が費用対効果は高かった。 考えることが必要と言う人は、 考えることができるようになった運がいい人が言っているだけである。 そんな一流の人間を目指すより、 とりあえず仕事ができるレベルの人間を目指す方が費用対効果は高い。 問題が費用対効果なのであれば、何故「考えることが大切よ」とする勉強法の 費用対効果が低いのかを考えるべきである。 そもそも、そう言う人はどんな勉強法を提案していたのだ? まさか、「自発的に考えるクセをつけましょう」 なんて言ってそれで放置だったのではあるまいな。

覚えるコストは高く付く。とりわけ、その分野での経験が浅い場合には高く付く。 個々の知識に関連が見えないので、バラバラのものとして覚えねばならないからだ。 したがって、覚えるコストが下がってくるまでは、 極力覚えることを減らしつつ学習できる方が有利だ。 まずはその分野がどのようなものなのかという イメージを最小限の記憶負荷で構築せねばならない。 ある程度世界の形が見えてくると、記憶のコストは大きく下がる。 それは、新しい知識がそれまで覚えた知識との関連において理解され、 覚えられるからである。 そういう段階に達したら、 少数の知識の応用で無理をさせるよりも、次々に新しい知識を入れていく方がいい。 プログラミングはまさにそのようにして学習できるはずだ。 そして、私が出す本は、 「プログラミングってどういうことなの?」という根本的なイメージを 構築するところまでで良い。 その後いろいろな手法を覚えて実務能力を上げていく段階は他でやれば良い。 プログラミングという行為が何なのかをわからせるために、 最小限覚えさせなければならないことは何か、 と考える。もちろん、その範囲であっても、 道具が少なすぎて非効率になることは避けねばならない。 ifや変数や関数がないプログラミング言語でも プログラミングのイメージはつかめるだろうが、 それには多大な手間がかかる。 それに、それらの知識は、それらなしでは見えにくい世界を感じるための 重要な呼び水になる。クラスまでは行かなくても、関数までは行かねば 「分割によって複雑性をコントロールする」という極めて重要な概念を学べない。 だから何をどういう順で導入するかは考える必要があるにしても、 「覚えることは後」ということを基本に据えることは悪くない選択だろう。

「すっきり!わかりやすい!文章が書ける」。 恐ろしく即物的だが、確認しておくのには丁度いい。 ところで、主語って日本語に存在しない気がするんだが気のせいか。 あれは修飾語の一種で、「誰が」を、 「いつ」「どこで」「誰に」「何を」と別格にする必要を感じない。

「妻が支えてくれたおかげで、仕事に集中できた」 ってそんなにダメかな。この場合に「妻が」が「集中できた」 につながって聞こえる危険はほとんどないと思うんだが。 「私は」を補う必要あるか? 文脈上登場人物が他にもいるなら別だが。 補う必要があるとすれば、 前半と後半の長さを近づけてリズムを整えるためではなかろうか。

修飾関係が二つ以上に解釈できる文はゴミだ。 しかし、人が修飾関係をどのような仕組みで推測するかを 知っておかないと役に立たない。 確実に信頼できる法則は、「修飾は後ろにしかかからない」という法則だろう。 「激しく動いて疲れた」において、 「激しく」は「動いて」につながるか「疲れた」につながるかは 必ずしも明らかではない。 しかし、「動いて激しく疲れた」と書けば、「疲れた」にしかつながらない。 基本的には配置を動かすことで修飾関係の曖昧さを除くべきだ。 「点をまたいで修飾することは稀」は文章では使えるが、 「美しい、アルプスの少女」みたいに点を打っても、 脳内で音読するタイプの読者であれば さほど読み間違いの確率を減らさない。 点は語や文節レベルの接続を示すためには使わず、 節や文レベルの接続を示すために使うべきだ。 例外は列挙の時くらいだろう。「りんご、みかん、なし、といった...」 みたいな時だ。こういう列挙を含む文は単独で終わらせ、点でつなぐべきではない。 あとは「近いものにかかると思われやすい」も絶対ではない。 「激しく動いて疲れた」は、聞いた順番で理解すれば、 「激しく動いて、疲れた」だろう。 この例ではまず誤解する奴はいない。しかし「美しいアルプスの少女」となると 少女にくっつく率は一気に上がる。それぞれの言葉によって接続のしやすさは違うし、 意味的につながり得ないとなれば近くてもつながらない。 しかし、意味で接続を限定する場合は理解が遅れるかもしれない。 意味のつながらない接続であることを認識して つなぎ変える手間がかかる可能性がある。だから、極力避ける方がいい。

とか文章書きながら自分の文章がどうなってるか見てみると、結構悪くないな。

私は点が嫌いだ。極力打ちたくない。 長い文であっても、修飾関係に曖昧さがなければそれほど読みにくくは ならないと思っている。 例えば今の例で言えば、「長い文であっても」で点を打つのは好みではない。 私は脳内音読タイプなので、点があろうがなかろうが読みやすさに差が出にくいのだ。 こんなに点を打つようになったのは、例の本を書く時にさんざん直されたせいである。 調べてないが、2007年以前の日記はもっと点が少なかったのではなかろうか。 なので、「活発に議論しながら、食事した」のような文は私は書かない。たぶん。 文脈次第だが、例えば「食事中の議論は活発だった」と書くかもしれない。 伝わり方が変わるのでこうは書き直せないかもしれないが。

「青森県の赤く色づいたおいしいリンゴ」はダメな例だが、 どうしても青森県を先に持ってきたいことはあるだろう。 しかし、その場合にはごっそり文を直す必要がある。 いつも「赤く色づいた青森県のおいしいリンゴ」としていいかは怪しい。 悪い例も、修飾関係に曖昧さはない。 「青森県の」は「リンゴ」以外にはつながらないからだ。 にもかかわらず悪いのは、 「赤く色づいた」という青森県と関係ない修飾関係を処理している間、 青森県を脳内に保留しておかねばならないからだ。 なるほど、曖昧でないだけではダメで、 現在処理中の修飾関係でない修飾関係が 途中で割り込むような書き方はダメだということか。 当たり前だしたぶんそんなことはやってないと思うが、言葉にするとわかりやすい。

「真冬の風が針のように肌に刺激をもたらす」 が良くて「真冬の風が肌に刺激を針のようにもたらす」 が悪いと言う。それ自体には賛成だが、 この場合「針のように」は「もたらす」にかからないから後者には ならない、と説明すべきではないか。 「針のように」は「肌に刺激をもたらす」全体にかかっているのではないか。 副詞は形容詞と違って文や節を丸ごと修飾しうるのではないか。英語同様に。 「針のようにもたらすは聞きなれないからダメ」という説明は何か違う気がする。

「地球が温暖化し、北海道海域の水温が上がり、釧路沖に熱帯の魚が泳ぐような状況」 というように大きな話から順に並べるべきとあるが、 これは大きい小さいではなく因果関係の話だろう? この順番で書けば、 前のものが後ろのものの原因と読める。単に「状況」にかかる修飾をどの順にすれば わかりやすいか、なんていう簡単な問題ではない。 逆に、因果関係を表現する意図がなく、 単純で並列であるならば、こう書くことは誤解の原因になる。 この人何か取り違えてないか?

いらんものは一文字でも減らせ、は正しい。 この原則に反していい場所はそう何箇所もない。 何箇所もないからこそその飾りを強調できる。順に並んだ文章は基本的には順接になり、 後ろの文の結びが「だからだ」と書かれればそれは理由になる。 「なぜなら」と書くのは飾りであって強調だ。頻繁に使えば飽きられる。

文を始めて数文字で点を打つのは嫌なんだよな。 接続詞だけで点を打ったり、主語だけで点を打ったりするのは 本当に嫌いだ。しかし、こんなふうに接続詞だけで点を打ってしまうクセはついていて、 たぶん売り物の文章としてはこの方がいい。 嫌いだが。もちろん敢えてそこで点を打ちたいこともあるが、 それはジョジョの「スポーツッ!」みたいなもんであって、やはり強調なのである。 毎度「しかし」で切ってると、しかしが死ぬ。

「の」や「が」が重なるのは論外。同意。これは再構成で100%避けられる。

肯定文と否定文を仕分けるとあるが、これは問題がある気がするぞ。 文の順序を変えると、強調したい内容がずれることがある。 「輸送に関してのクレームは受け付けない。 製品そのものに関しては受け付ける。輸送に関しては輸送側でしか 受け付けないと言ってあるはずだ」。というのはダメな文章だが、 これは「受け付けないって言ったじゃん」ということがメインである。にも関わらず、 「輸送に関してのクレームは受け付けない。輸送に関しては輸送側でしか 受け付けないと言ってあるはずだ。ただし製品そのものに関しては受け付ける」 と置き換えてしまうと微妙にずれる。最後に聞いた台詞が印象に残りすぎるからだ。 これは、受け付けることを最初に回すのが妥当だろう。 あるいは、最後の文章をいかにもおまけっぽく 書き換えてもいい。最後に「が」をつけるとおまけっぽくなる。次に文がつながるなら その「が」が逆説に聞こえかねないので避けるが。

「が・は」「に・へ」が混乱してる人なんているのかよ...それはマズイだろ。

曖昧な終わり方の文はやめろ。 「〜と言っていいだろう」とか。私は本当は全部断定したいが、 断定しすぎて怒られることもある。 「基本的に」をつけるのがクセになっていて嫌になるなそういえば。

「「超」文章法」。一言で言えるメッセージはあるか。一言で言えるかなあ。 体験という言葉がキーワードになったおかげで言いやすくはなったが、 それだけでは意味を伝えにくい。 もう一段変形しないといかんな。 盗まれて怒り狂うようなメッセージか、というのが重要らしいが、 その点は落第だな。私が思っていることを誰かが本にしてくれるなら手間が省ける。 それで一向にかまわない。だからこそ日記で考えを垂れ流している。 本ができる頃には本の内容は全てここに書かれているかもしれない。

内容を狭く絞れ、というのはもっともだ。 しかし、今回に関しては絞っていいのかがよくわからない。 たぶん一回全部書いた後でそれを捨てて書きなおす、 という過程を一回経ないと見えてこないだろう。

「ためになり、面白いか?」 それが満たされればあとは品質の問題だけだ。需要の問題は解決している。 プログラミングができなくて困っている人はたくさんいるからためにはなるだろう。 問題は面白いかだ。この「面白い」が難しい。 そもそも必要とされていない可能性すらある。 もちろん読み始めたあとはつまらないと大変なので面白くなくてはならないのだが、 面白さに対して金を払う意思があるかと言えば、そうでもあるまい。

「旅に出て、仲間が加わり、悪と戦い、家に帰る」。 実用文章でも同じことをやるといいという。 これまでの初心者本を悪として、それとどう戦うかは確かに重要な視点だな。 それまで何が足りなかったのかをはっきりしないと差別化できないし。 仲間が問題だが。主張を補強する材料という意味では大学の講義と、前に書いた本、 そして会社での経験を使えばいいだろう。 英語で似たようなことが起こっていることも触れていい。 最後に家に帰るのも重要か。 めでたくテトリスが作れたとしても、それを読者の本当の目的に つなげてあげないといけない。テトリスは仮の目標で、言うならば旅だからだ。 だからJavascript版を最後にのせてみるとか、他の言語への移行について触れるとか、 次に何をしたらいいかを示すとか、そういうことが必要なんだろう。

違って見えるものが同じ、 同じに見えるものが違う、善悪を反転させる、分類の境界を変える。 なるほど使える切り口だ。

一段落150字、中に「しかし」は入れない。 ちょっと難しいが、段落10個で一つの見出しがつくと考えれば、 可能ではある。見出し10個で一つの章をなすわけだ。

比喩。あとは、適当な名前をつけること。 比喩はたくさん入れるつもりでいる。すでに使う比喩リストを 作っているくらいだ。だが、甘かった。 「とりあえず人体が使えないか考えよう」というのは具体的すぎてすごい。 問題は名前だな。 何か本の中の特定の内容に名前をつけたくなることはあるかもしれない。

数字を示すことも有効。たぶんやらない。面倒くさい。あまり意味もない。

引用は捨てる。無理。性に合わない。やったことがないし、やる意思もない。 向こうの本だと章の頭に素敵な引用があったりするが、あんなのはとてもできない。

この本は非常に役立った。そもそも面白かった。著者の人間が出ているからだろう。

あと2冊借りたがまともに読む気にならないので省略。 片方はそれなりに流し読みしたが、 基本的すぎる上に文法用語が邪魔くさい。 もう片方は「書いて生きていくプロ文章論」という本だが、 字がでかくて読む気が失せた。読みにくすぎる。

「「超」文章法」が圧倒的。木下なんとかの理科系のなんとか並に使える本だと感じる。

2012年07月24日

一回激しくインフレしてリセットした方がオタマにとってはいい世界になる 気がするし、そもそもどうにかなる気がしないぞこの財政。 いい加減戦後は終わってもいい頃だ。 明治維新から70年で敗戦してリセット。そこから70年でまたリセットというのは それほどおかしくない。そして、リセットするなら早い方が助かる。

政治の重要性は昔に比べれば落ちており、そのせいかみんなあんまり真面目に考えない。 その割に世界は複雑になっていて、 いくつかの政党でみんなの意見を代弁できるような状況でもない。 利益関係が複雑になり、素人には理解できない経済や科学の比重が増し、 もはやどうにもならん気がする。 政治というのは少数の人がいろんなことについて コントロールしようというシステムだが、 それ自体が無理なんじゃないかという気がしてくる。 政治とか行政とかでなければ原理的に不可能なこと以外は 民間に放り出す方向で進まないとダメなんじゃないのか。 少なくともエネルギー政策とか科学技術政策とか、 そんなものが政策として存在している段階で 越権だろう。しかし、 政府を小さくするならドラッカーの言う非営利組織みたいなものが 一緒に育ってこないとまずい。あぶれた人が死ぬしかなくなる。 アメリカは元々そういう風土があったからああいう政府なのか、 それとも、ああいう政府だからそういう組織が育ったのか。

金をどういう風に使うか、どういうふうに置いておくかは、 選挙に行く以上に社会に影響を与える。 選挙に行くのが責任だと私は思うが、 であれば、金についても自分が国が良くなると思うように扱うのは責任だろう。

邪魔になったのでnetlogというSNSのアカウントを消した。 全く使わないのだからいらない。 正直Facebookすらいらない気もするが、 消すなら先にmixiだろう。あっちも全く見ていない。 SNSは性に合わん。facebookも浸透してきたし、 私を探したい人はそっちでやるだろ。mixiは本名は稀だし。 まあ、名前でググればここが引っかかるわけで、 facebookすらいらんと言えばいらんのだが。

洗濯機のエラー率と、融通のきかなさはなんとかならんか。プログラム組ませろ。 ひつじこは脱水でバランスが取れない場合に注水するのが嫌で、 水道の蛇口を止めてしまっていることを今日知った。 バランス調整に失敗した場合には、水待ちのまま無限ループするため、 たまに見に行って正常に動いているか確認せねばならない。 また、洗いやすすぎの時には洗濯物の動きをチェックしているらしく、 水が足りないと判断すると水栓を開く。しかし水道が閉じているため、 供給待ちになって無限ループすることがある。 これを防ぐために、最初から水を多めに入れておかねばならないらしい ということを今日知った。 知らないうちに洗濯が妙にノウハウを必要とする作業になっている。まずい。 また、デカいシーツ(パシーマ)を洗う頻度が高く、 それなりに気をつかわないとバランスが取れない事態になりやすい。 かなりの頻度で、途中で電源を切って途中の工程から手動運転することになる。 これでは何のための全自動かわからない。

モバイル機器やPCから状態が見られて司令を与えられるようにしてほしい。 webカメラとかつけて中身見えるようにして。 調べたらサムスンがwifi付きの洗濯機を展示していたらしい。 そんな馬鹿な機能は先に日本がつけるべきだろうに。

乾燥機能付きに乗り換えることを考える。 しかし、ドラム式はバランスに関して縦型よりシビアらしい。 加えて、うちが望むような運転ができるかどうかは 買ってみるまでわからないだろう。 設置場所や床の強度、湿気、洗濯容量などの問題も無視できない。 乾燥機能付きとなると高い買い物になるが、 どうせ初めて買うものは失敗する運命にある。 どんなに努力をしても当たりを引けないと考えるべきだ。 となると、機械を変えないで楽をする方法はないか。 とりあえず私が今の状況で洗濯を何回かやって うちの機械のクセや問題点を洗い出す必要がある。 明日やろう。

ヒートポンプ式の洗濯乾燥機が10万そこそこで買えるようにはなっている。 電気代、乾燥時の湿気、使用水量あたりの問題はない。 実際の使い勝手や、設置場所の問題が先だろう。

お湯洗いを始めたのは、ワセリンが落ちないからだ。 ワセリンが落ちる洗剤があるならこの問題は解決する。 調べたらあった。ワセリンカットという商品名。 しかし、事前につけ置き洗いしろということで、 そんな面倒なことはするはずがない。 だいたい、ワセリンはオタマが着た服だけではなく、シーツにもつくし、 うちらの服にもつくのである。結局全部になるのだ。 そう考えると、ワセリンの融点以上のお湯で無理矢理溶かし、流すしかない。 完全には取れないが、少なくとも普通の洗剤よりはマシに落ちる。 洗濯機の説明書には「50度以上の湯を入れるな」とあるが、無視。 50度と書いてあるなら60度も行けるだろう。 だいたい少しは冷めるので55度がせいぜいだ。 なお、東芝のドラム式洗濯機では40度以上は入れるなとある。 それは守れないな。

いっそ二槽式はどうか。よくわからんプログラムで望まない動作をされることもない。 しかし2回湯で洗って脱水する場合、3回の移し替えが必要になる。 2回分以上の洗濯物があるケースはそれほど多くないし、 かといって2回分以上洗濯物が溜まるまで待てるほど服はなく、干す場所もない。 これはないな。

財政破綻はないという人の意見。ハイパーインフレの定義は一年に130倍に なることで、そんなことはありえないとのこと。 インフレ率は物と金の量の比率で決まるので、 いきなりみなの手元にある金が130倍になれば、供給能力が打撃を受けなくても 130倍のインフレになるだろう。理論的にありえないとは言えない。 ただ、なんぼなんでもそこまで行かんだろ、ということであればそれは同意する。 しかしそもそも、ハイパーインフレの定義なんてなんだってよく、 倍になるだけで十分ダメージなのだが、この手の人は何かと定義にこだわる。 もう一つ、デフォルトはないということ。金を刷れば返せるのでない。 これも、やっぱり形式にこだわりすぎだ。 つまるところ財政破綻は「国民が激しく損をするような状況に陥ること」 と曖昧な定義にしておいた方がいい。 インフレすれば預金がダメージを受ける。 理屈で言う人は趣味の人で、自分の生活があんまり絡んでないんだろう。

長期金利が落ちているので国債は暴落しないという説。 まだ10年経たないと帰ってこないような国債を買ってる人がいるのだから、 危険だとか言ってるのは少数派、よって安全、ということだろう。 しかし、だったらバブルなんて起きないわけで、市場がいつも合理的だなんて言えない。 国債を買う以外の選択が奪われているような状況ではなおさらだ。 しかしもちろん、国債を買う以外の選択が奪われているのは確かで、 それがすぐに変わることもなさそうなのも確かだ。 誰かが預金を引き出し始めれば銀行も売るかもしれないが、 それが来るのか、いつ来るのかはよくわからない。 年金の方はすでに金が足りなくて売り始めてるらしいが、 それが銀行に入れば差引ゼロだ。 ゆうちょやかんぽ、普通の銀行が売り始めないと祭にはならない。 あとどれくらい国債を買えるのか、ということだよな。 買えなくなるのが早まるには高齢者が預金を取り崩し始める必要があるが、 そういうことは考えられるか。すでに無職の高齢者家庭では 取り崩しが始まっている。

この話題は面白い。いろんな人がいろんな推論をする。 どれもそれらしいが、今の自分の知識の範囲内でそれらがどう見えるかを一つ一つ 考えることで自分の理解の程度がわかる。 「理論的にありえない」系の主張はだいたい否定できるようになった。 理論的にありえないことが間違っているケースは少なくて、 理論的にありえないとしても問題がないわけではない、というケースが多い。 ハイパーインフレがいい例だ。 あとは、「今成立している前提が保たれれば」という前提がある場合が多い。 例えば経常収支が黒字とか、民間貯蓄が減らないとか、他の国が不況続きとか、 そういう条件だ。条件が失われた時にどうなるかはまた別の問題だ。 つまるところ、この手の予測が当たらないのは、 「他の条件を固定として、ある条件だけを変えた時にどうなるか」 という予測の仕方をするからだろう。 経常収支も民間貯蓄も、他の国の不況具合も、みんなそれぞれ変化していて、 しかも互いに影響しあっている。 それらが正負どちらのフィードバック機構を持つかも定かではない。 大抵両方あるからだ。ともかく、何が正しいかはわからないし、 予測はまず当たらない。当たったとしても たまたまだ。しかし、考え方が正しければ、 打率は高くなるし、最大のダメージは確実に減らせる。

経済おもしろいなあ。欲望のうねり。 もっとダイレクトに経済を感じる仕事をしてみたいとちょっと思った。 やったらやったですぐ飽きるのかもしれないが。

背中の下の方は立っていれば反ってS字になっている。 座った時でも、単純に立っている状態から脚だけ曲げたような 状態であればS字が保たれるだろう。しかし、椅子に座れば 骨盤が多少は回ってしまう。つまりヘソが上を向く。 その分だけ背骨の下の方は後ろに傾くので、S字はもはや保てない。 しかし、会社の椅子は座っていてもS字を保たせるためか、 背もたれの下の方が反っていて、背骨のS字を無理矢理維持 させるようになっている。 座った時には腹がへこんで、背骨がゆるやかに前に曲がった姿勢になるはずなのに、 そのでっぱりが邪魔をするのだ。

あと、同じ姿勢でずっと座ることはそもそも無理なんだと思う。 尻や腿の同じ場所にずっと圧力がかかっていると不快だ。 体圧分散が上手な椅子ほど長く同じ姿勢でいられるだろうが、 何分かおきに体をずらすしかない場合は多いだろう。

2012年07月23日

企業が銀行から金を借りないので、国債を買うほかない。 したがって、国債が売れなくなることはない。 という感じの文章を見た。しかし、それは企業が銀行に金を返したり、 預金が増えたりした量以上に国債の総量が増えれば話は別だろう。 私が知りたいのは「国債は無限に発行できるのか」で、 次に「有限であるならばその限界はどの程度か」だ。 無限に発行できる、という記述はとりあえず見当たらない。 日本人が海外投資するようになったとしても、 その際に売った円は誰かの手元にあるはずで、 それは結局国債に流れてくるから海外投資によって国債の需要は減らない、 という説もあった。 あれ?簡単に反論できないぞ?と思ったが、反論する必要がなかった。 「円の使い道は国債だけ」が成り立つならそれは正しいのだ。 ただ、円安になってグローバルに見た時の国債の価値は落ちるから、 国債の需要が減らないからといって 問題がないというわけではない。円安になれば輸入インフレにはなる。

空売りを効果的にするためには、下がるようなネタを自分でバラまくのが良い。 例えば、「これからはこれが上がるぜ!」と言って買い、 みんなが注目してきて値段が上がるようにする。 その影でこっそり空売りしておき、 程よいタイミングで「ああ、これは大変だ!」と下落しそうなネタを出してくる。 例えばギリシャなら「財政赤字がウソだった!本当はもっと大きいぞ!」 と後から言い出せばいい。 もちろん最初から知っててやるわけだ。 それでパニックになったフリを装って最初に買った分を売ると、 みんなが一緒にパニックになってついてきて、値段が暴落する。 かくして大儲けできることになる。 日本の国債でこの手は使えるか。少々難しい。 ギリシャごときとは規模が違うし、なにせ国債は円建てだ。 日銀はいくらでも国債を買い支えられる。 「もう日本の財政はおしまいだー!」とか叫んでも、 日銀が無限に国債を買い支えれば値段は落ちないし、 それをやられると皆もパニックに陥りにくい。 仕掛けた側が撤退したら、日銀は買った国債を放出して終了だ。 日本でこの手を使うにはもう少しアレンジする必要があるだろうし、 日銀が買い支えにくく、パニックが強まりやすい状況になるまで 待つ必要がある。これがきっかけになって祭が始まる可能性は低そうだ。

普通に国債が消化しきれなくなって祭が始まるのが一番ありそうだよな。 インフレから始まることは考えにくい。値上げしても買われる状況に ならないとインフレにはならないからだ。円安から始まることも ないとは言えないが、円は何も起こらなければ高くなるだろう。 経常収支が定常的に赤字にシフトしてくれば円安圧力が増すだろうが、 それにも数年かかる。 円安やインフレに備えると言っても、 数年は為替損を垂れ流すだけであまり意味はないかもしれない。 他の通貨も一緒にインフレすれば相殺されて円安にはならないわけだし。

アメリカもヨーロッパもインフレ率がそれなりに高いのに、やけに金利は低い。 そりゃドルもユーロも安くなる。通貨安にして輸出を強くしたい、 という欲求は根強いので、 これはしばらく続くはずだ。日本は金利を下げることができない上に、長い間不況で みんなが不況を前提とした行動をするようになってしまったので、 多少金を刷ったくらいではどうにもならない。円安にもならないしインフレもしない。 円安やインフレは外からの影響で来るんだろう。 例えば消費税が上がるタイミングで値段がなんぼか上がる。 5%だけきっちり物価が上がることはありえないので、余計に上がるはずだ。

母乳は鉄分が不足してくるので補おう、と言う人がいる。明治乳業とか。 しかし、2歳とか3歳では感染症のリスクが高く、 その時期に鉄分がいっぱいあるのは危険だ。 「迷惑な進化」によれば、細菌の増殖速度は鉄の量に比例するそうである。 それが本当なら、 多少生育が悪くても細菌に栄養を与えない方が生き延びる率が高い、 ということはありうる。 鉄分が減ってくるのはわざとかもしれない。 現代は感染症リスクが低いので鉄をバンバン与えても問題ないのだろうが、 しかしそんなに無理して発育を良くしなくてもいいような気はする。 大きくなる速度が速いほど体の部位ごとの成長速度のばらつきが 大きくなって歪みが出てくる ような気もするし。オタマは少々早く大きくなりすぎたのではなかろうか。 確かに早く大きくなった方が物理的に頑丈になるので安心ではあるのだが、 例えば消化管が育つ前に体がでかくなれば、 それを支えるだけのカロリーを取らねばならなくなって 消化管の負担が増す。そういうことが起きてはいないだろうか。 昨日計ったら14.9kgあったが、ちとでかすぎだろう。 他の子に比べて明らかにでかい。3歳、下手すると4歳児並だ。 2歳半で16kg、なんていうのに比べればかわいいもんだが、それにしてもなあ。

触覚フィードバック付きタッチパネルが早く出てこないものか。 それが普通の技術になると物理ボタンの重要性がさらに落ちる。 あとは圧力を測定できて、かつマルチタッチなものが出てくるともっといい。

肩こりと腰痛による経済損失ってどれくらいなんだろう。 何か安い方法で何割かでも改善できたらと思うが、 所詮肩こり所詮腰痛と言ってしまえばそれまでだ。 行動に移そうと思うほど深刻じゃないからな普通。 何かできるとすれば、対策のコストパフォーマンスと 確実性を上げることによって行動に移す気になる人を 増やすことくらいだろう。 簡単で時間がかからず苦痛が少ない方法で確実に改善できる手段を考え、 また同時に、どの程度改善できているか、 あるいはどの程度改善が必要かが容易く評価できる方法も 用意する必要がある。それが数値化できると理想的だ。 何か変な器具なしで自分の肩こり度を数値化でき、 しかもそれが他人との比較で意味を持つような数字だと最高。 肩こり軽減ゲームになる。しかしそれは難しそうだ。

apache2のmod_perlに対応したwikiはないのだろうか。 というか、apache1を入れなおすべきなのか?

糖質制限で肉ばっかり食うのはマズイだろ。まして揚げ物。 野菜の量を増やすべきだし、蛋白源には豆をかなりの比率で入れるべきだし、 肉より魚を増やすべきだし、レバーは定期的に食うべきだ。 米や小麦は澱粉まみれではあるものの、ビタミンやミネラルも入っており、 それを捨てる分はどこからか持ってこなければならないのである。 糖質制限をやったら体調を崩した、という人は結構いるが、 肉食いまくり酒飲みまくりで野菜も豆も果物も食べてないなんてことになれば、 それは糖質制限のせいじゃない。 根本的に、外食主体で糖質制限をやるのは相当に難しい。 買い食い主体ならまだ手はあって、ナッツ、チーズ、 豆腐と納豆、あたりをメインにして、 どうにかして野菜と果物をとれれば生きられる。 しかし、野菜と果物を買い食いするのはかなり難しい。

近くにいるほど悪いところが見えるわけで、 日本と同等以上にアメリカやヨーロッパに問題があるとしても、 日本ばかり悪く見えてしまうというのはあるかもしれない。 実際そういう理由で円が暴落などしないと言っている人は結構いる。 これはまともな意見だ。

経済ってゲームっぽいシミュレーションにならないかな。 自分で作ってみると理解も進むだろうし、どういう単純化をやるかを考えるのも面白い。 極めて単純な仮想の経済を考えて、そこに要素を一つづつ足していった時に、 どこで面白くなるかだな。 現実の経済の振る舞いがかいま見られる瞬間が出てくるはずだ。 バブルとか。100人くらいのAIを3集団くらい 動かしてできる範囲で面白いものが作れないかな。

家電マシンであるThinkpadX220iの排熱が危険。 テレビチューナCPU負荷高すぎ。アホかと。1GHz制限をかけていると コマ落ちしまくるのでもう制限を緩めた。 アルミバットを逆さにして敷くことで放熱はだいぶマシにはなったが、気が滅入る。 もう絶対17Wを超えるCPUを積んだマシンは買わない。 あと、USB端子のがたつきはどうにかならないのか。

fswikiのmod_perl2化ができた。速い。チューナーの文句をメモ。 その他いろいろメモに使おう。

2012年07月22日

レバーはカレー粉とヨーグルトをまぶして置いてから焼くと臭くない。 実験成功。

家計簿集計。最近緩んでる。でも買い食い以外は引き締めない。 実験への出費は無駄じゃない。

資産状況の把握。まだ60%くらい円なんだなうち。 新しく買う物の円比率は下げてるが、すでにあるものを売るまではしてない。

先物という手法について良く知らなかったのだが、 それを使えば国債の国内比率が95%でも全く安心できない。 外国人が兆単位で空売りすればやはり下落させられる。 もちろん、実際に下落させられなければ敗北するわけで、 よほど自信が持てない限りはそんなマネはしないだろう。 しかし、ポンドはああなったわけで、歪みが溜まってくれば時は来る。

1年以内に国債が落ちるという確信があるとする。 例えば80%になるという確信があるとする。 そういう時に、1年後に国債を90%で売るという取引をやれれば、 80%になった時点で国債を買い、期日に90%で売ると10%分もうかる。 売ると決めた時点では国債なんて持っていなくていい。 何かが起こって暴落した後にパニックを起こして安くても売りたくなっている 日本人から買い叩けばいい。おもしろいな空売り。

日経にあった藤巻氏の文章に対するコメントを読んでいた。 「ハイパーインフレはない。せいぜい1/2から1/4だろう」 と言っている人がいて、それ否定じゃなくて肯定じゃんとか思った。 タクシー100万円とかいうあたりは煽りすぎだが、 問題は円で持っていることが十分大きなダメージになるほどの 円安が来るかどうかという話だ。 コメントを見ている限り、それくらいの円安インフレはありうると思っている 人がそれなりに多いように見える。 とりあえず、「無限に国債が増えてもインフレ円安にならない仕組み」か、 「無限に国債が増える前にどうにかなる根拠」のどちらかが知りたい。 どちらかがあれば円安はこないと納得できる。

供給過多な今の状況でインフレとかありえん、 というのの意味がまだよくわからないな。 これから起こるとすれば、需要が多すぎるとか、生産が足りないとかいう 原因によるインフレではないだろう。 電気代が上がったから値段が上がるとか、円安になったせいで原料 が高くなって値段が上がるとか、そういうのが先導するように思える。 賃金が増えないまま物価だけ上がるタイプのインフレだ。

2012年07月21日

A-4A-4A-8B-8B-8A-8G-8A-8G-8E-8A-4A-4。 「おーぱい、おぱいぱいぱい、おぱいぱいぱい、ぱーいぱい」。オタマの初作詞作曲。

2012年07月20日

オタマ関連と洗濯物干しに関しては私はひつじこには任せてもらえないことが多い。 オタマを寝かせることに関してはまず任せてもらえない。 私がやると泣くからだ。 もしかしたら何度もやっているうちに私も上達するしオタマも慣れるので 泣かなくなるかもしれないと言っているが、そうなるまで泣くことが許せないようだ。 洗濯も、私はどう干せば乾きやすいかをよく知らないために適当に干してしまうが、 それが許せないらしい。私は早く乾かないと困る状況になったことがなく、 「こう干すとこれくらいで乾いた」というデータを蓄積する機会もなかったので 下手くそなのは仕方ないのだが、放っておけば永遠に上達しない。 「役立たずなので任せられない」し、 また同時に「任せないからいつまで経っても役立たず」 なのである。もちろん、任せてみても出来るようにならないかもしれないわけで、 それを重視するなら任せないことは合理的かもしれない。 向いていないことをできるようにするには手間がかかる。 しかしそれはそれとして、オタマが夜中に起きた時に私が寝っぱなしだと不機嫌になる。 私がオタマをうまく寝かせられるわけでもなく、そもそも任せる気もない以上、 私は寝ておいて次の日の仕事や家事の効率を上げた方が合理的だろうと思うが、 心の問題は別だ。 「つまり、私が起きても何の役にも立たないし、 オタマの寝かしつけを任せる気もないが、 それはそれとして起きて欲しい、ということだな?」 と私が言ったら、プンプンしてたのに笑い出した。整理するとそういうことになるが、 その身も蓋もなさが面白かったらしい。 私としては「役立たずでいいので起きて欲しい」と言われるならそれでもいい。 しかし、ひつじこ的にはそう断言するのも気がひけるというあたりがまた難しい。

理屈で考えれば私が起きる必要はないことはひつじこにとっても自明なのだ。 二人で協力してオタマを寝かしつけるとか、私が交代してひつじこが寝るとか するなら私が起きることには実質的な意味があるが、 ひつじこは私にそれをさせる気はないのである。 ひつじこの体力的に限界な時に私がオタマを寝かしつけることはあるが、 基本号泣しながら疲れ果てて寝ることになるので ひつじこ的には最後の手段だと思っている。 号泣するのは私とオタマが共に不慣れなせいだと思うんだけどな。 何事も失敗を重ねて上達していくものだろう?

2歳を過ぎたがひつじこが抱いていないと寝ない。 一人で寝るように促していないのだから当然ではある。 せめて私でも良くなれば負担が軽減するはずだが、 母乳期にはずっとひつじこが添い寝していたわけで、 オタマ的にはそれが当然の権利だと思っている。 満たされなければ怒るし泣く。すでに母乳はないのだからその必要もないのだが、 オタマが泣くようなことはひつじこはしたがらない。 オタマにそれだけの手間をかけることをひつじこは良しとしている。 それ自体はひつじこの考えだから私に異存はない。 しかし、それによってひつじこの体調が損なわれたり、その結果妊娠が遠のいたり、 私の仕事能力に影響が出たり、 私が料理を作る余裕がなくなってさらに健康状態が悪化したり、 という悪影響が出るならば何かしら手は打たねばならないだろう。

気功か。マッサージということであれば効果はありうる。 いわゆるオカルトに属する気功については、 私は実感として何かがあるとは思っているが、科学的な意味では期待はしない。 ひつじこの分娩時にしても、つわりの時にしても、私は気功的な何かをしていて、 ひつじこはそれで楽になっているようだから、 それが何なのか、科学的に言って効果があるのか、 などについては敢えて追及しないでいる。他人に対して主張する気はないが、 私の感覚としては確実に何かがあるのだ。 ただし、そうは言っても科学的に検証可能な要素が先である。 全部やった上での話でなくてはならない。 お祈りと同レベルの重要性しか与えない、と私は決めている。 というわけで、わざわざ一時間もかけてそこまで行って お金を払ってやることに意味があるかどうかは私はわからない。 それならアトピーの病院にでも言って根掘り葉掘り聞く方がマシな気はする。 少なくとも知識は得られるし、 ステロイドの軟膏が出ればそれが有用な時もあるだろう。 さらに正直に言えば、私よりうまくやれる奴がそうゴロゴロいるとは思えない。 加えて、アレは相互の信頼関係が不可欠で、受ける側の状態も重要である。 オタマが未知の場所で未知の人間に対してそういう状態になるとは思えない。 だいたい私ですらオタマは跳ね返してしまって効果がなく、 ひつじこ越しに間接的にやらざるをえないのだ。

でもまあ、行ってみたらいいと思う。同じようにアトピー外来とかも行ってみたらいい。 一緒に行って欲しいというならば行く。

ひつじこは左の脇のリンパ節付近や左の上腕のあたりに血のめぐりが 異様に悪いところがあって、 体調が悪い時にはおおよそそれが悪化している。触ればわかるし、 悪い何かを引っこ抜いたり、無理矢理謎のエネルギーを押し付けてつぶしたりできる。 私の主観としてはそれができ、ひつじこの主観としては改善しているらしいから、 それが客観的事実かどうかは問わないし、 それを気功と呼ぶか呼ばないかも問題としない。 なお、今ひつじこは左肩から腕にかけてトビヒが出ているが、 無関係ではないかもしれない。 とにかく、こういう弱さがオタマにも受け継がれているのは確かで、 ひつじこが悪化するようなことをすれば、オタマも悪化する。

オタマの皮膚に関して一番避けるべきことはプツプツが出ることだ。 今のところ、下痢とアレルゲンを避ければプツプツは出ない。 下痢はブドウを皮ごと山ほどたべるなど消化困難なものを大量に食べると起こりやすい。 アレルゲンとしてはっきりしているのはくるみで、小麦と卵は100%の確度ではなく どちらかである可能性も高いが避けている。 そもそもそれらはなくてもあまり困らない食品だ。 あとは念のため一種類をあまり大量に食べるのも危険なので分散させたい。 最近牛乳の摂取量が尋常じゃないので若干不安ではあるが、 見た目にわかるような反応は出ていないし、 牛乳は便利すぎるのでこれはこのままだろう。 次に避けるべきことは掻かれることだが、 これは何かで覆ってしまうのが一番手っ取り早い。 とは言え、貼られていることの違和感で余計に攻撃が強まることもあるので難しい。 ワセリン塗りまくりで回復できるならそれに越したことはない。 ただし、あからさまに皮膚に穴が空いている場合には選択の余地がないので、 ハイドロコロイドを貼る。 しかし、皮膚が乾燥したままなかなか回復しない場所が何箇所かあるので、 これらについては 何か手を考えるべきか。なにせ範囲が広いのだが、 厚みがあって曲げにくいプラスモイストの類は 固定が難しい上にオタマがすぐに剥がそうとする。ハイドロコロイドはマシだが、 接着剤のかぶれと刺激が問題になりやすい。毎日貼りかえるのは手だが、 貼りかえるには剥がさねばならず、皮膚の状態が悪いとその刺激で悪化する。

一日素っ裸でワセリンベッタベタの状態で過ごせばかなり改善するはずなんだよな。 オタマの場合傷が治る状況さえ作ってやれば、大抵の傷は三日でなおる。 皮膚がガサガサの状態はつまるところ軽い傷であり、丸一日、 悪くても丸二日治る状況に置かれれば 治る程度のものだ。ただ、面積が広く、 しかも服で擦れやすかったりオタマが手でかきやすかったりして 治る状況にならない。だからいつまで経ってももうちょっとというところで治らない。 そういう状態は痒いし、ちょっと爪が引っかかっただけで 皮膚に穴が空いてさらに悪い状態に逆戻りする。 できればこのガッサガサを一気に完治させてしまいたい。 しかし、裸だと引っ掻き耐性がないのが問題になるので、 全力で掻かないように見ていないといけない。 こっちもかなり消耗するだろう。でもそれ以上に障害なのは、 オタマが洋服大好きっ子なことだ。 たぶん服を着せないと泣きまくる。現実的に無理だ。 全身ワセリンラップ作戦が次善の策だろう。 嫌がることには違いはないが、服を着せないよりは怒らないだろう。 ただ外に出られないという問題は裸と同じだ。 ラップで密封されると凄まじく暑くなるのでエアコンが必須になるのである。

結局このままだましだましになるのか。以前に比べれば相当に改善しているので、 それは無理な話ではない。 仮に丸一日かけて完治まで持って行っても、 皮膚が弱いという根本が治るわけではない。 服を着て動きまわっていれば擦れて皮膚が痛むことはあるはずで、 そうすればまた同じ状態に戻ってくる。

最も根本的な解決策は、大きく強く育ってもらうことだ。 他のことは全て対症療法にすぎない。 対症療法はこの根本を邪魔しないようにしないとダメだ。 何をどれだけ食べるかは最優先課題と言える。

幼児の蛋白質所要量を調べなおしたら想像以上に多かった。45gとからしい。マジか。 蛋白質系食材(20%含有)で225gとか、それ結構な量だぞ。 ほっけの干物を一匹ペロリと食べてギリギリという量だ。 オタマは間食も多いしたぶん足りてるとは思うが、 もう少し余裕を持って確保すべきだろう。 となると、常に食物を出しておくくらいがいいのか。 蒸し豆、酸化に強い果物、割干し大根などの干し野菜、 というあたりをだしっぱなしにしておいて、 夜まで残った分はうちらで食べる、というのを毎日やるのが妥当な気がする。 劣化に強い食物でないとダメなのが難しいな。 とにかく一日三食なんて決めてしまうと胃に負担がかかりすぎる。 糖質が少ないものであれば、歯への悪影響もない。

レバーは頻繁に食べるべきだ。しかし、 美味しく食べる手を見つけないと飽きやすく、食べにくい。 まず加熱が過ぎるとすごくまずくなる。 煮るなんて論外だ。カレー+ヨーグルト漬けにして真空調理が一番無難だろう。

2012年07月19日

インフレは起きない、財政は破綻しない、円安は起きない、と言ってる人よりも 逆の方が信用できる。理屈がそれっぽい。20%程度の目減りを許容してでも 保険をかけておく価値がある。 調べてみると、年金まで国債を売り始めているじゃないか。

「1ドル50円で日本経済が変わる!」。読むに値しない。 何故こんな本を作れるのかわからんし、 銀行ってこういう人を雇ってるのかと思うと辛い。私の理解がおかしいのか。 根本的に話題が散漫で論理構成がおかしいので、 仮に個々の内容がまともであったとしても ダメである。そして、個々の内容はどう見てもおかしい。 あんた、アメリカが嫌いなだけだろ。 だいたい、1ドル50円と言われれば円高を想像するが、 著者は円高ではなくドル安を言っている。 1ユーロ150円が想定レートなのだそうだ。アメリカに輸出できなくてもヨーロッパに 輸出すればいいじゃない、ということである。 ドルがユーロに比べてそんな勢いで下落する理由が全くわからない。 読めば何かしら書いてあるのだろうが、悪いが読めん。 なお、長期的に貧乏になるけど高負担高福祉な中つつましく生きて行こう、 という主張そのものは好みの問題なので妥当性については言わない。 しかしそのような生き方はグローバル化が前提となる現代では不可能ではないのか。 円高になれば輸入が楽なんだから問題ないと言うかもしれんが、 円高で国内産業が国外との競争に負けて空洞化し、 輸出産業が国外逃避するか滅びるかした状態で、 円高が維持できるか。だいたい、輸入するには外貨を買わねばならぬ。 その過程が円安をもたらす。所得収支がいつまでも黒字ならいいが、 状況が悪くなればこれは当然減ってくる。 外貨を一体どうやって手に入れるつもりだ。

「超円高社会」。ほぼ同レベル。政府が破綻しても日本は終わらないそうだ。 何がどう大丈夫なのかは書いていない。 また、円高になれば株価が上がるというのも理屈がない。 グラフを好きに解釈すればなんとでも言える。 輸出産業なんて一部で円高になればみんな裕福になるというのも、 理屈がないし実証もされていない。 無駄遣いをするなということ自体は間違っていないのだが、 税金なんて他人の金なのだから無駄遣いはするものなのである。 その構造について考えなくては意味がない。

消費と生産のどちらに重きを置くかで意見が分かれるのだろう。 消費が楽になるのは円高だ。一方生産が楽になるのは円安だ。 私は圧倒的に生産が重要だと思う。 円高になれば、海外との競争が不利になる。 円高になって多少国民が相対的に豊かになったからといって、 「より安くて良いものを買う」という基本的な指向は変わらない。 輸入品と国産品は常に比較される。そして輸入品が選ばれる率が高まれば高まるほど 国内の産業がしぼむ。日本は内需の国だ、という主張を受け入れたとしても、 円高によって貿易可能なものを生産する産業はしぼんでいく。 貿易不可能なサービス業の雇用も間接的にだが影響は受ける。 輸入食材を使う飯屋の値段が下がれば、国産食材を使う飯屋の価格競争力は落ちるので、 結局国産食材を使う飯屋も値下げせねばならなくなる。 松屋が安くなれば、全然関係ないレストランも無関係でいられないということだ。 また、外国人を雇うことが楽になるため、 貿易不可能なサービスでも外国人が雇われるだろう。 コンビニは小売業という貿易不可能なサービスで、店員はかなりが外国人だ。 日本人の雇用は失われる。 円高を利用して世界中から人材を集めたり、 資産を世界中から買ったりすることはできる。 しかし、それによって日本にいる人間の職は増えないし給料も増えない。 確かに企業の視点からすればそれでもかまわない。誰を雇おうが儲かれば良いのだ。 競争に負ける日本人が悪いと言うことはできる。 しかし、失業の外部性を受け止めるのは国であり、住民としてのうちらだ。 自分が失業者の一人になる恐怖も問題だし、 失業者が社会不安の原因になりやすいのも問題だし、 失業者を国は放置できず社会保障費がかさむのも問題だ。 外国人を雇う分だけ日本人を国外に叩き出せればいいが、 そんなことはできないのである。

結局のところ、豊かさが何によってもたらされるかといえば、 高い生産性によってだ。人材が有能で、 優れたものやサービスを安く提供できるからこそ豊かなのであって、 たまたま資源が出たから豊かとか、昔の人が大量に金を残してくれたから豊かとか、 そういう理由による豊かさは有限で持続不可能なのである。 「誰も欲しがらないものを作っても仕方ないだろう」と言うかもしれないが、 ここで言う生産性は「欲しがられるものを作る能力」のことだ。 別に資源を浪費して物を作ることばかりを意味するわけではない。 生産とは人を喜ばせること全てであって、 ゲームだってアニメだって床屋だって生産だ。 そのような意味で生産性が高いことはおおよそ 経済的な意味での生産性の高さと一致するし、 そういう生産性が高いからこそ豊かな生活を送れるというのは当たり前のことだろう。 消費は生産の結果だ。需要が足りないので金をばらまこう、 みたいなのがまともな考えとは思えん。 ケインズ全否定かもしれんが。

もちろん、円安が続きすぎるとまずい。コスト削減努力が生ぬるくなれば、 製品自体の競争力で劣る事態にもなりかねず、それはまずいからだ。 結局、適正な水準が望ましい、という当たり前の言いようになる。 今の78円程度というのが適正な水準かどうかはわからない。 購買力平価からすればそうおかしな値ではないが、 購買力平価そのものがどのように変化するかが わからなければ、為替と購買力平価の関連がわかってもあまり使えない。

自分を個人投資家と呼んでるブログが山ほどみつかるが、 「豊かになるしいいじゃん」「円安がいいというのは洗脳だったんだ」 とか言ってる人がうじゃうじゃいる。私がおかしいのか。

この手のことを勉強することに意味があるかと問われると弱い。 自分の資産を防衛するなんてことは大して重要なことではないからだ。 いきなり貯金がゼロになっても、うちは再起不能になるほどのダメージは受けない。 この手のことの勉強は、何かしら仕事に生かされるか、 あるいは自分の能力を高めるためでなくては意味がない。

あとは、資産がダメージを受けることが致命傷になる人が近くにいるなら、 なにかしらアドバイスできるかなというのはある。 とは言え、アドバイスには責任が生じる。 「オレはこうするのがいいと思うけど自己責任でよろしく」 という台詞は通らない。論理としてまっとうであっても、人間関係を破壊しかねない。 もし私が何かしらのアドバイスをするならば、私はそれを実践しておく必要がある。 そして、失敗した時には一緒にそのダメージを受けねばならない。 それだけ重いということだ。

本来ならそれぞれがフィナンシャルプランナーにでも相談しに行けばいいんだろうが、 本を出してるような名の知れた人が無茶苦茶言ってる例は多い。 銀行に相談に行くなんてカモられに行くようなものだ。

まあ、今こんなのを読んでるのは「説明の仕方」のヒントが欲しかったからなのだが。 もっとも、10冊ほど斜め読みしてみて、 上手に書けている本は少ないことはよくわかった。 しかし逆に、どういう書き方がわかりにくいのか、 どういう進め方がムカつくのかはよくわかった。

財政は破綻しない、と言う人の論拠。その一。 円建てなので円を刷れば返せないことはありえない。 これは正しい。しかし、インフレして円の価値が 暴落する事態を破綻と呼ぶか呼ばないかは言葉の問題だ。 国債を100万円分買った人は、インフレのせいでそれが50万円相当になれば 当然怒るのである。ハイパーインフレになるかどうかは言葉の定義次第だし、 そもそもあまり問題ではない。 10倍のインフレでも10000倍のインフレでも100万円が10万円以下になることに かわりはないからな。10倍で収まっても財産はほぼ消えるし、 2倍でも半分だ。ハイパーインフレにならないから大丈夫、とは言えない。 その二。経常収支が黒字なので絶対に破綻しない。 破綻の定義を「国の外に借りた金を返せなくなる状態」 とするなら正しい。家全体として黒字であれば、 夫が妻からいくら借りても家としては問題ない。 ただ、一つ重要なことを忘れている。まず、妻が持っているお金には限度があること。 1億貸してと言われても、持っていなければ貸せない。 そんな借金はしなければいいだけだが、国の予算は借金が出来る前提で組まれてしまい、 いざ借金できると思ってできないとなると大混乱になる。 公務員に給料を払えなくなったり、 生活保護を払えなくなったりするということだ。 夫が妻に給料を払っている状況を考えてみればいい。 妻から金を借りないと夫が妻に給料を払えない、 という状況で妻が貸してくれなくなるわけだ。 国でこれが起こると大変である。 破綻ではないと言われればそうかもしれないが、しかし大変である。 そしてさらにもう一つ。妻が夫に金を貸すかどうかは妻の自由だ。 一応日本は財産は好きにしていいことになっており、 「金持ってるなら強制的に借りるよ」 とは言い難い。言えばこれまた大変なことになる。 国民には国債を買わない自由がある。銀行に預けるかわりに、 車を買ったり、豪遊したり、 株を買ったり、米国債を買ったりすることはいつでもできる。 あまりしないから問題になってないだけだ。 何かのきっかけでそういう行動が流行すれば、国はお金を借りにくくなる。

破綻するかしないかは破綻の定義次第である。 しかし、何を破綻と呼ぶかはともかくとして、大変なことにはなる。 破綻しないという人は、大変なことになることを軽視しているのだろう。 あるいは、それは遠い将来のことだから関係ないと思っているか、 そうなるまでには誰かがどうにかするだろうと思っているのかもしれない。 しかし、今後10年から15年でその「大変なこと」がやってくるなら 残念ながら他人事ではないし、 それくらいのスピードで来るならたぶん政府は間に合わない。 2020年度に黒字化するつもりらしいが、 あと8年でどうやって40兆以上の赤字を埋める気なのか具体案を知らない。 元々は2011年には黒字化するつもりだったわけで、早くも9年のびている。 リーマンやらギリシャやらのせいにするんだろうが、 今後もいろいろ起きるだろう。そのたびに 延びるということで、期待することは無理だ。 そういうわけで、インフレしても、 国債が売れなくて予算が執行できなくなっても、大変なことになる。 無理矢理買わせれば大変だし、 買ってもらうために利子を上げれば雪だるま式に 借金が膨張してやはり大変なことになる。 どういう形で大変になるかで、誰がどれだけダメージを受けるかが変わってくるが、 基本的にはどうなってもインフレと高金利と 円安が一緒に襲ってくるはずなので対処はあまり変わらない。

ダメになるなら早くダメになってくれた方がありがたいな。 20年後に起こったのではうちらも50代半ばだ。 危機対応能力はだいぶ落ちているだろうし、 先延ばしになればなるほどダメージはでかくなる。 何が起こっても金をもってない若い人が受けるダメージは比較的軽微なので、 若い人のためにもさっさと破綻した方がいい気がする。

2012年07月18日

ヴァイオリンで 適当に3音くらい弾くと手が勝手に続きを弾き出すのと似たようなもんか。 イントロ検索機能。でも、ヒットしないとその場で作曲される。

nasne延期。残念。ソニー製品なしでまともに使えるとなれば即買うんだが。 激しいバグでもあったのか。

「円高の正体」。円高になると貿易黒字が減る。事実減ってきた。 貿易黒字があると円高になるのは間違いだと言う。 貿易黒字があると海外で売った金を円に変える円買いが発生し、これで円高になる、 というのが「弱い日本の強い円」での説明だったので、これを否定していることになる。 しかし、貿易黒字があるので円高になるという説明は論理的だ。 そして、円高だと経営がきついので貿易黒字が減るという説明も論理的だ。 したがって、貿易黒字が円高を維持し、 それが貿易黒字を減らしていくということはそれほどおかしく感じられない。 もちろん、貿易黒字が大きいほど円高維持の力は強く働くわけで、 貿易黒字が減ってくるにつれて円安にシフトするはずだ、とは言えて、 そうなっていないのはその理屈が間違いだからだとも言える。 しかしそれは、 結局貿易黒字以上に所得収支の黒字がデカいので影響が小さいとか、 短期的に他の国の状況が悪すぎて円買いが盛んになっていることと 相殺しているとか、そういう複合要因かもしれない。 貿易黒字が円高の主要な原因ではない、という程度であれば正しいだろう。 とりあえず円安こそが問題解決の特効薬であるという主張であり、 それは「弱い日本の強い円」では否定も肯定もされていない。 藤巻氏ともそこは一致する。

資金逃避の原因になるから円安はダメだ、なんて言ってる奴がいるのか。 日本は輸出の国だとするならば、 海外投資が増えるほど円安になって輸出産業がうるおい、 景気が良くなるだろう。むしろ海外投資を歓迎すべきだ。 そういえば「大半は国内取引で輸出は一部」と言う人もいるが、ウソだと思う。 日本は内需の国ではない。 輸出産業に寄与する国内取引というのはたくさんある。 自動車の部品を自動車会社が買う取引は国内取引だが輸出が前提だ。 ただ、それは程度の差こそあれどこの国でもそうだ。 どこの国も得意なものを輸出するわけで、生産性が高い産業は 輸出産業なのだ。それをコアにして産業構造ができるのは自然なことだし、 それに依存するのも自然だろう。 だから、大抵の国において自国通貨安は歓迎される。 その意味ではグローバル経済にからんでいる国で 内需の国なんてあんまりないんじゃなかろうか。 どこの国も通貨安合戦をするとなれば、全体としては それぞれの国の意思がどうなんてことは関係ない。多少介入しても効果は知れている。 日本が円高のまま放置状態なのは、政府が何もしないからというよりは、 日本という国の構造が非効率でどうにもならんからだろう。 政府のせいと言ってもいいし、それを許す国民のせいと言ってもいいが、 どう言っても問題は解決しない。日本の場合、たぶん外圧と時間が解決 してくれると思う。それ以外のことは期待しない。 私は私にできることをやろう。

円の価値は、購買力平価や、国内の金の総量におおよそ追随する。 金の総量を見る際には、単純に金の総量をみるのではダメで、 銀行がちゃんと使っている金の総量を見ないとダメだ。 日銀の当座預金に放置されている金は金のうちに入れない。 そうするとおおよそ一致する。 なるほど。しかしその後の「予想インフレ率」の話はちと単純すぎやせんか。

量的緩和は銀行が国債を日銀に売ることで行われるらしいが、 その場合銀行が金より国債が欲しければそれまでだ。 国債より金が欲しくなるには、金を使うとおいしい状態にないといけない。 企業に貸すなり、株を買うなり、外貨を買うなりしたくなればいいのだが、 どれもリスキーだ。国債でショボい利子をもらっている方が楽だし、 銀行というのは根本的に危ないことをしないものだろう。それが責任でもある。 とすれば、財政支出を増やして金を 直接国内に回す方が効果が大きいと考えるのは合理的だ。 子供手当てにしても年金にしても直接人に渡る。 それが丸ごと貯金されて銀行で眠ればやはり意味がないが、多少は使われるだろう。 しかし、これだけ巨額の財政赤字を垂れ流している割にさっぱりインフレしない。 回っている金の総量が増えていればインフレするはずと考えるならば、 回っている金の総量が増えていないと考えるしかなく、 せっかくバラまいた金が結局預金されているということになる。 インフレするとすれば、ばら撒いた金が預金されなくなってからだろう。 ためる余裕がなくなるくらい皆が困窮してくればインフレするかもしれない。 しかし、預金されなくなれば国債を買えなくなるので 財政赤字を垂れ流せなくなる。 ある意味詰んでいる。もはや金の量がどうとかいう問題ではないのではないか。

この著者は量的緩和をもっと派手に徹底的にやればいいと主張している。 財政赤字や貿易黒字についてはどうでもいいことだと切り捨て、とにかく金を刷れと。 それもインフレになるまで金を刷り続けると宣言しろ、と言っているわけだ。 そうすれば、「本当にインフレになるなら国債なんてもうからないし 株を買ったり外貨を買ったり企業に貸したりするか」 と銀行が思うはずだ、と言う。 しかし、銀行はそういうことはしない会社っぽい。 じゃあダメじゃん。

「こうなれば、こうなる、こうなれば、そうなる」みたいなものが 5段階くらいつながった理屈はやっぱりダメだ。 どこか一箇所でも思った通りにならなければダメになる。 この複雑な経済がそんなに単純なはずがない。 複雑な問題に簡単な解決があるケースはそれほどない。 私はそんなものを信じない。

円安円高は操作できない。インフレも操作できない。 この前提で考えていいんじゃないのか。 やるべきことは非効率性を一つ一つつぶしていくことだけだ。 無駄遣いを減らし、無茶な制度を改め、 比較的ダメージに耐えられつつ成長に寄与しないところに痛みを押しつけ、 みたいなことをとにかくやるしかない。なにせ金がないのだ。 政治がすべきことはすでに利益をどう配分するかではなく、 不利益をどう配分するかということになっている。 誰に不利益を押しつけるのが国として一番マシか、ということだ。 しかしどうせそういうふうには進まないだろうし、 多少やったとしても間に合うまい。 もし間に合うならそれに越したことはないが、間に合わないケースには 備えておかねばならない。 国債の買い手が足りなくなっても、 その分予算を切りつめられるとも思えない。 国債は日銀に積み上がるのだろう。 そうなれば政府がバラまいた金が国債にならずにちゃんと消費される状況が訪れる。 そうなってもインフレにならないという理屈は私にはわからない。

投資の調整。一番もうかってるのがREIT。海外のなんて20%以上もうかっている。 サブプライム後の暴落時に買っていたからだろう。 次が国内債券。デフレ停滞まっただ中というのはそういうことだ。 国内株は一番ひどい。円高で不利な海外債券よりひどいあたり、本当にひどい。 そして、ダウがこんなに高いのになおマイナスな海外株投信。 円高ってすごいな。

ひつじこ、字うまいなあ。私なんてひどいもんだが。

2012年07月17日

病院行ってみた。実は結婚寸前にも検査をしたことがあって、 「精子はちょっと少ない。精巣はちょっと小さい。 精索静脈瘤がある。でも活発に動いてる奴もいる」 と言われている。どう解釈していいかいまいちわからなかったのだが、 さっぱりそんなことを忘れて生活していたらオタマが生まれたので、 まあいいかと思っていたわけである。 で、今日行ってとりあえず超音波で見てもらったところ、 静脈瘤は悪くなってはいないとのこと。悪くなってはいないが変わらずあるわけである。 あとは精子を見ないとわからんらしい。 まあそこまではいい。先生がポロリと、 「まあ前のデータのままなら妊娠は不可能ではないな」 と言ったのがちょっと衝撃だった。どうやら「不可能ではない」というレベルらしい。

数値次第では人工授精でもするか?とか思ったが、 そういう遺伝子を無理矢理のこすのが良いかどうかという倫理的な問題はあるな。 しかし本来不利な遺伝子が諸々の要因で不利にならずに受け継がれてしまうことは 自然に起こることでもある。10歳で近視になる遺伝子があったとしても、 今の世の中なら淘汰はされないだろう。子孫を残すのに不利にならない欠陥は 生物学的には欠陥ではない。むしろ、不妊治療を受けられるような財力を持つ人間は 子孫を残すのに有利、なんてことにもなりかねないわけで、 そういう不妊遺伝子が勢力を増していくことすらありうる。

うなぎの輸入が規制されれば、完全養殖に移ることになるんだろう。 今はコストが高くて成り立っていないが、 輸入が規制されれば高コストでも許容できるようになる。 というか、今くらい高くなってればそろそろ成り立つんじゃないだろうか。 それにしても、そこまで高い金を出して食うほどの魚とも思えない。

安価で脂っこい魚が買えないことはうちの悩みである。 いわし、さんま、あじ、といった類の魚はさかなだマートでは扱っていない。 これらを常食できればオメガ3油に関してはかなり不安がなくなるのだが、 そのへんのスーパーで買えるものは鮮度に不安がありすぎる。 また、買ってきてすぐに料理せねばならず、面倒くさい。 サンマは一応さかなだマートで扱っているが、キロ3000円の刺身向けフィレで、 これは完全に贅沢品だ。オタマの食欲がない時の切り札として常備しているが、 うちらが食うものではない。

「はだかの起源」を超斜め読み。この人の文章は好きだ。 面白さを重視しているのがいい。 中身も面白いが、webで見た概要通り。 アタマジラミとコロモジラミが別の種になったのが7万年前 くらいということなので、毛が抜けたのは7万年前あたりじゃないか、とのこと。 これが正しければ、他の人類はみんなサルみたいに毛むくじゃらだったことになる。 ネアンデルタールやら北京原人やらいろいろとあるが、全部である。 で、人間が裸なのは有利だったからではなく、あからさまに不利だったにもかかわらず 生き残れる状況にあったからだ、という。 その後裸だったことが数々の発明につながって 今の人類無双状態を作り出している。 ちなみに、アクア説に関しては、「アザラシは毛が生えてる」ということで一蹴。 しかしまあ、裸でも保水できる環境だったのは確かだろうから、 たぶん水からはあまり離れないで暮らしていたんだろうとは思う。

説明の仕方、興味の引き方でこの本は参考になった。ただし、これを読めるのは 科学大好きっ子だけだ。内容が内容であり、完全に娯楽である。 しかし私が書く本は実用性を求めて買われるはずであり、娯楽ではない。 したがって役に立つこと、実際にできるようになることが最優先だ。 しかし、面白さがなければそもそもまっとうされない。最後まで読まれない。 本をどう面白くするかは全力で考えねばならない。

藤巻健史「日本破綻」。円安万歳、市場原理主義者でたぶん一番極端なのを 斜め読み。いや、これ、まともなこと言ってないか? 借金は無限にはできない。返さなくていいとしてもだ。 経済成長しない限り金の価値の総量は不変で有限だからである。 日本はどこかの時点で借金をやめる必要がある。 つまり財政均衡に近い状態まで持っていかねばならない。 持っていけるならいい。しかし持っていけそうな気がしない以上、 インフレで歪みを修正することになる。 ゆっくり起こるか、速くおこるかはわからないが、それ以外の未来が全く見えない。 金融に関する規制が必要か不要か、みたいな話はこのさいおこう。 それは私にはわからない。「規制があるから市場が小さいままで値動きが不安定 になるのだ」というのは理屈としてはありうるが、 「どんなにデカい市場でもおかしな値動きをする危険が無視できない」 なら規制は理にかなう。

「円高と円安の経済学」。頭の悪い左翼が書いた本。 図書館で題名だけ見て借りたが読むに値しない。 高になれば海外に生産を移すのは当然だ。 企業は利益を上げる義務がある。それは欲望の問題ではない。義務だ。 論理的には日本人が高賃金に値するほどに 生産性が高い労働力になれば解決するかもしれないが、ありえない。 読んでないのでこの文章量が何に費やされているのか知らんが、読めたものではない。 世界感が「日帝と米帝」なので、何もかもが陰謀に見えているのだろう。 つうか、マルクス経済学って存在するのか? マルクスって今の基準に照らせば経済学者じゃないだろ?

まともな左翼の人にとってはこういう奴こそ敵だろうに。 なぜこんなのをのさばらせておく。 今更マルクス経済学とか言ってる奴が本を出したりするのを何故止めない?

「弱い日本の強い円」。これはちゃんと勉強になる。

世界の景気がいいと、対外投資が増える。 金を持っているのはアメリカ人や日本人なので、 それらの通貨が売られて他の通貨が買われる。結果、景気がいいとドル安円安になる。 逆は逆。ああなるほど。 円高なのは日本人が対外投資を引き上げて国内に閉じこもっているからでもあるのか。 それはつまり円を買うということだからだ。

財政赤字が積み上がってもすぐには円安にはならない。 まず金利が上がるが、金利が高いのは魅力なので国債が売れるし、 外人も国債を買うかもしれない。そうなれば円高になる。 ただし、誰もが逃げ出すほど財政赤字がヤバくなれば話は別だ、 ということは著者も認めていて、そうなれば円安になるだろうと言う。 円安が来るという派はそれくらいやばくなった後の話をしているが、 円安は来ないという派はそこまでやばくなる前の話をしている。 「すぐには円安にならないが、いつかは円安になる」というのは 前半と後半で矛盾はない。両方正しいことを言っている。 たぶん考えている期間が違うだけのことなんだろう。

やばくなってきた時にどうするかというところでも判断が分かれる。 藤巻氏みたいな人は海外に資産を移すと言うが、 この人は逆に海外投資を引き上げて円にすると言う。 将来が不安な時に円を買うか売るか、というのはどちらに転ぶ理屈もあり、 実際にどちらが支配的になるかはわからない。 しかし、普通の人は対外投資なんてしてないし、 国外に移住するなんて選択肢もありえないのである。 その意味では、相当にヤバくなってきたとしても円高は崩れない。 しかし、円安を想定する人々が考えるのは相当にヤバくなってきたその先だろう。 すでに貿易収支はマイナスになりつつある。

普通の人にとってはデフレの方がマシだろうという物言いには無理がある。 「普通の人」が「すでに正社員で毎年昇給していく人」を指しているからだ。 それは勝ち組であって普通の人ではない。 結局企業がもうけなければ貧乏は克服できない。 企業がもうけないと雇用が増えないわけで、雇用が増えないことのダメージは 今就職できていない人に集中的に行く。すでに就職できている人は 強者であって、デフレがそういう人にとって得だからという理由でデフレの方が マシだと言うのはダメだ。 この人が言う「普通の日本人」が多少貧しくなっても、 今どうしようもなく貧しい状況にある人が救われる方が社会は良くなる。 失業率の高さは社会不安に直結するのだ。 ちなみに、デフレデフレいうが、インフレしてないだけで物価が 下がってるわけではないらしい。 インフレ率がほとんどゼロというのは普通ではないが、 デフレと呼ぶのは不正確であるとのこと。 確かに牛丼はいつまでたっても290より下がるわけではないし、 ペットボトルのジュースが150円から下がる気配もない。 ヨーグルトは500g入りだったものが400g入りに減らされたりしているわけで、 分野によってはインフレになっている。 電気代も上がるのだろう?

著者は10年くらいで円が暴落することはないと言う。 それは、経常収支が赤字になるような事態が 当分考えられないからだと言う。貿易収支が多少マイナスになっても、 海外に持っている資産から生み出される金利が日本に入ってくるので、 全体としては大きな黒字だ。 これで国債を買い支えてくれればしばらく持つということらしい。 しかし、経常収支が20兆あっても、つまり毎年日本に20兆のお金が入ってきても、 それを全部国債につぎ込むわけではなかろうし、全部つぎ込んでも20兆では足りない。 国債はこのまま行けば毎年40兆増えるのだから。 なんぼなんでも支出を抑える努力くらいするだろと思っているからかもしれないが、 私は政治家がまともなことをできるとは思えない。 無能だからと言うのではなく、利害を調整することがもはや不可能だと思う。

輸出する企業はもらった外国の金を結局円にしないといけない。 でないと給料も払えないし、原材料費も払えないからだ。 為替が不利でも関係ない。 だから、貿易黒字がある限り円高に振れる。なるほど。 同じように海外投資から得られた利子その他を円に変えていれば、 それも円高を招く。なるほど。 しかし、為替差損を必要以上に食らいたくない場合、 最小限だけ円にして他は外貨のまま寝かせておくという戦略はあっていい。 実際そうしてる企業はあったはずだ。 内部留保とか言われてアホな労働組合が叩くのだろうが、 損をするとわかっているのに円に換えるのは経営の責任を果たしてない。

ドルは放っておけば安くなる。アメリカは経常赤字がデカいので、 アメリカが買ったものの代金は ドルから他の通貨にかえられる。つまりドルは売られまくる。

量的緩和、つまり日銀が銀行に大量に金を貸す方法で金を増やす方法は、 円安につながらないという。 すでに十分金利が安ければ、仮にタダで貸したとしても大した差ではなく、 それによって金を借りる人が増えるわけでもない。つまり、 発生した金は死蔵される。市中に出てこない金は何の影響も与えない。 つまり量的緩和が効くのは金利に下げる余地がある時だけだ。

海外で稼いだ金を円に戻さない、という行動は、 円買いが発生しないことによる円安と、 国内に金が回らなくなることによる低インフレ率に起因する円高 の両方の原因になる。短期では前者、長期では後者が効くのか。

最後は10年は大丈夫だが20年ともなるとこのまま金の量を増やし続ければ さすがにインフレして円安になるんじゃないかと言っている。 20年かかると思う人と、かからないと思う人の違いにすぎないわけか。 このまま財政赤字を積み上げても永遠に円安にならないと思ってる人は たぶんいないんだろう。

アメリカはインフレ率が日本より高いわけだが、 ゲームの値段も一緒に上がってくれればうちらとしては困らない。 しかし、ゲームの値段は上がらない。むしろ下がっている。 なので円高のダメージが半端なく効くわけだ。 ただし、円高によるダメージよりも産業構造や 嗜好の変化によるダメージの方がはるかに大きいはずで、 円高のせいにして国内に引きこもっていれば死期を早めるだけだろう。 日本企業であることをいかに早くやめるか、ということだと思うんだが、 まあ無理だし、文化が重要なこの手の産業でそういう教科書通りの対応が 正しいとも限らない。円高は長期的にはインフレ率の差で起こるのだから、 円高になった分輸出先の額面は増え、つまり高く売れるのだ。 だから長期的には円高は輸出の妨げにはならない。 ただし、「長期的には」だ。大抵の産業にとってその長期はあまりに長い。 「長期的には我々は皆死んでいる」という奴だ。 短期的に為替差損を避ける行動を取るとしても、 それを続ければ最適解からはズレてしまう。

全くの素人で、かつ金融にも経済にも興味がなく、 とりあえずそこにあるお金をどうしておくのがいいのかを知りたいという人に、 この手のことを説明して理解させる本ってないかな。 もしあるとすれば、その本は現実的な必要性から入りつつも べらぼうに面白くなくてはならないし、 本当に大事なことに絞ってきちんと理解させるだけの高品質な説明をする必要もある。 というのは、今書いている本とほとんど同じ条件だ。

書いてる本が詰まっている。この説明じゃダメだ。この順序じゃダメだ。 授業で修正を余儀なくされた。半端ねえ。明らかに甘かった。 相当厳しいことを自覚していたはずだったが、甘い。甘すぎる。

本を買う人には、ニーズを満たしてくれるという期待をまず与えねばならない。 でないと買ってくれない。 そして、そういう期待にそって読んでいるうちに面白くなってこないといけない。 さらに、読者が思っているニーズを満たすために必要な理解が 得られるだけの説明の質がなければならない。 読者は自分のニーズを満たすために何をどれくらい 勉強しなければならないのかを知らないはずで、 たぶん大抵は過小評価しているはずだ。 例えば「ゲームプログラマになりたい」というニーズがあったとしても、 そのためにどれほどの勉強が必要かということについては甘く見ている公算が高い。 まさか850ページ読みながら100時間以上の自習をしてそれでやっとこさ入り口、 なんてことは思わないだろう。買ったにもかかわらず挫折している人が 多いのはつまるところそういうことだ。 挫折しているのは、説明の質が不足しているか、 過小評価していたことを悟ってもなお続ける気になるほど 面白くないからだ。説明がダメならわからないので挫折する。 面白くなければ「あー、そんなのを求めたオレが間違いだったよ」 と思って挫折というか離脱する。 期待を与えることには前の本は成功している。2万も3万も売れたのはそういうことだ。 しかし、挫折率の高さは内容がその期待に伴っていないことを示している。 次はもっと周到にやらねばならん。

買う前にわかる部分、具体的には題名や帯、前書きあたりについては、 ニーズを満たすという確信を与えつつも、 それに必要な苦行の過小評価を正す必要がある。 「絶対にできるようになる」と言いつつも、「それはそう楽なことじゃない。覚悟しろ」 と言わねばならない。過小評価したまま突入すれば挫折する。 労力を過小評価するがゆえに売れるという側面はあるので、 それをやれば売れる数は減るかもしれない。 しかし挫折するようでは意味がないし、裏切りととられかねない。 期待はずれの原因は期待が高すぎることが大半なのだ。

2012年07月16日

チーズを1.3万円分注文。ゴーダ4kg、グラナパダーノ粉1kg、ペコリーノロマーノ粉1kg こうやって万単位で食材を注文する度に思うが、うちおかしいよなあ。 だが、感覚的におかしくても合理性に照らして何の問題もないという不思議。 なお粉チーズは冷凍保存できるため楽。和風ならじゃこ、洋風ならチーズ。

油脂がわからなくなってきた。飽和脂肪酸って本当に有害か? 油脂の害は4つある。酸化した過酸化脂質の害、カロリー過剰の害、 脂肪酸バランスを損ねる害、そして問題の動脈硬化がどうだのと言う飽和脂肪酸の害だ。 酸化は不飽和の方が起こりやすい。しかし、 食った後でも酸化するのか?まずこれがわからない。 酸化していないものを選んで食べた時でも有害になりうるのか。 もしそうならえごま油を飲むようなマネは有害になりうる。 カロリー過剰の害はうちでは無視できる。 脂肪酸バランスについては知られているのはオメガ6とオメガ3で、 オメガ9や飽和脂肪酸のバランスについて何かが言われているのを見たことがない。 最後の飽和脂肪酸の害がわからん。 取り過ぎると大抵一緒にカロリーも取り過ぎになっているはずで、 加えてほぼ間違いなく糖質も食いすぎているから血管に悪影響が出てもおかしくない。

古代の人間が骨にせよ肉にせよ、そういうものを主食にしていたとするならば、 そしてイヌイットやモンゴルの人々に血管系の疾患がなかったとするならば、 飽和脂肪酸が悪いとは到底思えん。

最終的にはえごまの種や亜麻の種をモリモリ食う方向に持っていきたい。 えごま油は扱いが面倒で使える局面がサラダくらいしかなく、 そんなものを置いておくのは邪魔くさい。 レタスを食べられるのは夏の間だけだからな。 そう考えるとオリーブオイルの便利さは素晴らしいな。 5000年食べているだけのことはある。

砕いた果実を放置しておけば油が浮いてきておしまい。 加熱する必要もなく、溶剤を使う必要もない。 加えてそれで出てきた油の酸化耐性が高く、日にさえ当たらなければ かなりの期間常温保存できる。

穀物は草の種だ。元々のニッチで言えばネズミや鳥の食い物らしい。 小さいものが地面に散ってる状態で効率良く拾い集めるスキルがいる。 煮炊きの技術と、種が落ちない都合のいい植物の選択があって初めて可能なわけで、 確かに元々の人類の食べ物ではありえんよな。

昔のことなんてどうでもいいと思うかもしれんが、 健康に余裕がないうちらとしては、とにかく体に負担をかけない食べ物を 見つけ出すことが最優先だ。栄養学や医学がこうも当てにならんことが わかった以上、生物学や文化人類学、生化学を頼りにするしかない。 おいしいから食べる、という順番で考えて許されるほどうちらには余裕がない。 とか言いつつペコリーノロマーノなんて完全に贅沢品だけどな。 「牛に依存するよりは羊も混ぜてリスク分散した方がいい」 というのは屁理屈だろう。

人には勧められんなあ。知り合いが一緒に実験してくれれば サンプルが増えてうれしいが、それはこっちの都合だ。 大抵の人は健康も金もうちらほど差し迫ってはいない。

「子どもが減って何が悪いか!」。著者オタクすぎ。 ネタを散りばめすぎて普通に読むのが辛い。 しかしそれに目をつむれば実にまっとうでおもしろい。

少子化対策は効果がないらしい。効果があるくらい支援すると財政が終わる。 子供を作っても作らなくてもいい、自由だ、と言うなら、 変な支援はすべきでないわけだが、加えてやっても効果がないというなら なおさらすべきではない。 確かに、少子化を食い止めたいなら女性の賃金を下げ、 働きながら育児することが不可能な状況に追いこむ方が効果的だが、 それは無理だ。要するに、あきらめればいいということだろう。

国債の国内消費が限界、金利上昇、円安、インフレ、 と事態が進行する気がするわけだが、そういうふうに進まない要素は 何かあるだろうか。 まず財政再建するとは思えない。毎年の赤字が5兆かそこらになるまで 健全化するには財政規模を半分にするくらいの大鉈が必要だ。 政治的に絶対無理。なので、毎年40兆づつ赤字を垂れ流しながら このまま突き進むだろう。 国債を国内の人が全く買わなくなっても金利が上がらない可能性、 金利が上がって財政赤字が指数関数的に悪化しても円安にならない可能性、 円安になってもインフレしない可能性、 などなどの可能性がどれくらいあるかだな。 実際ここ15年間の日本はその可能性が実現していた。

貿易黒字、海外投資の利子などの収入、高い国債の国内消費率、巨大な海外資産。 こいつらがいる限り、財政赤字をなんぼ垂れ流してもそう簡単に インフレはしないし円安にもならない。 国外から金が流れこんでくるが、それを普通は円に換えるわけで、その円買いが 円高をもたらす。貿易黒字も同様だ。多少赤字がかさんでも、 海外資産を売って円に換えればしばらくはもちこたえる。 もちろんこれも円高につながる。 とりあえず現状、貿易黒字はたまに赤字になるくらいまで減っており、 国債が国内で消化しきれなくなる時は数年で来ると思われる。 悪いが楽しみだ。命に関わらない範囲で動きのある時代に生まれて良かった。

今は大抵の人間が短期で判断しているので、 円が安全だと言って買われているとしても、 あと一年かそこらは安全だという意味でしかないかもしれない。 例えば利払い費とGDPの比をヤバさの指標として見るならば日本国債はまだ大丈夫、 という見方もある。しかし、こういう人は「まだ大丈夫」と言っている。 ずっと大丈夫とは言っていないし、こういう人の言う 「まだ」はたぶん3年かそこらだ。

110lm/Wの電球が出てきた。すごいな。安くなったら買ってどっかにつけよう。

bluetoothスピーカー適当に買ってみよう。置く場所が限られているので 音質は二の次になるが。

家族3人でサイクリング。川崎ヨドバシで買い物。 NECの104Lm/WかつRa80が評判のLED電球、ソケット変換器具、bluetoothスピーカー、 掃除機の紙パック。

bluetoothスピーカーはまだ動かない。 A2DPというものに対応していないといけないようなのだが、 うちのX220はそれに対応していないようだ。 MS標準のドライバのせいと思われる。 lenovoがちゃんとドライバを提供していればこの点の問題は解消されて 音が鳴るに違いない。そうでない場合はチップがどこのものか調べて ドライバを探しに行く羽目になる。 それともう一つ想定外の事件。 接続作業中床に置いていたスピーカーの丸いところをオタマが押してしまい、 戻らなくなった。これで音が致命的にダメになるなら いきなり6000円が失われることになる。 分解しないと戻せない状態だが、ネジ穴が見当たらない。

本当はもっと適当な安物にするつもりだったが、見当たらなかったのだ。 ひつじことオタマを8Fの子供スペースに置いて急いで買い物していたのだが、 その子供スペースが20時までで20分しか時間がなかった。 そのせいで「もういいや」と思って買ってしまったのである。失敗した。 こういうことも含めて、初めて買うものは失敗する運命にあるのである。

2012年07月15日

「親指はなぜ太いのか」。うん、やっぱり糖質制限ですよ。

うちらの手の形、二足歩行、歯の形、などなどの特徴は、 100万年以上の間食っていたものに最適化された結果のはずだ、 という理屈はもっともらしい。 この手で、この歯で、二足歩行することで最もうまく得られ、食べられるものが 主食だったはずだ、ということである。 ネタバレしない方がいいんだろうが面倒だからする。骨だそうだ。

小さい動物は虫を食う。もう少し大きくなると虫では足りなくなって果実を食べる。 もう少し大きくなると果実でも足りなくなって葉や茎を食べる。 基本的に、大きくなるほど栄養密度が低く、そのかわりに大量にあるもの を食べるようになる。人間はウシやウマのように葉で生きるには小さい。 小型のサルのように果実で生きるには大きい。 狩猟は一つの解だが、野生動物だったころの人類は 狩猟向きではなかったからそれもない。 しかし肉食獣が食べ終えた骨なら、立ち去った後でいいから戦う必要はない。 石で割って食べるには石を持てる手が必要で、骨を持って安全なところに 避難するにも二足歩行は便利だ。 また、ゴリゴリとすりつぶしながら食うにはこの奥歯が必要だ。 本当に石で割ったくらいで食えんのか?と思うが、 著者は当然実験してみたらしい。栄養的にも全く問題なく、 骨のすきまは蛋白質と脂肪が満ちていて栄養たっぷりだそうだ。 トンコツスープがうまいことを考えれば当然のことではある。 これを主食として、若芽や果実を補助とする生活だったと考えると 結構それっぽい。

この人、毛が抜けたのは偶然で何もいいことなんてなかった、という説を 言ってるらしい。毛が抜けたのは人類が道具や衣服、家の発明で 猛烈な優位に立ってからの出来事で、毛が抜けてからも 死なずに済んだというだけの話だそうだ。 その本も読みたい。

もし、人類が野生動物でなくなってから起こった遺伝的変化で 栄養要求が変化しているようだと厄介だな。 例えばビタミンCを作れなくなったのが5万年前だったりすると、 それまで100万年単位でやっていた食生活そのままではマズいという ことになりうる。しかし、基本は100万年前からそれほど変わってないだろう。

34歳が昨日で終わった。34歳がどういう年だったかと言えば、 ハゲとオタマの皮膚炎と出力不足の年だな。 今年はオタマの皮膚炎を克服して、ちゃんと出力したい。

骨食ってた仮説への反論は探すと結構出てくるが、 「いや骨はねえだろ骨は」という感じ。 一方毛が抜けたことに関してはツッコミ所が多いらしく かなり反論が見つかる。丸ごと毛が抜けたならともかく、 実のところ人類は毛が抜けたのではなく、濃さが場所によって変わった だけなので、そんな選択的な変化は一発で起こったとは考えにくい という話だ。何万年もかけて適応していった結果だと考えた方がいいという。 それは確かにもっともだ。とりあえず評判の悪い水辺生活説は 私のなかではまだ生きている。

ひつじこリンパ悪すぎる。久しぶりにゆっくりやれたので多少は抜けたと思うが、 ここに何か良からぬものが溜まるのは何か原因があるな。食べ物以外の。 体の使い方だよなあとりあえずは。それだけではないにしても、 それでかなりマシになる気はする。

2012年07月12日

炭水化物恐ろし。おおよそだが、糖質を一定以上食うと体が熱を帯び、 その後に眠くなる。血糖値急上昇、膵臓フル稼働だ。 本当にそうなのかは後で理屈を確認しておこう。単なる錯覚かもしれないからな。 にしても、あんこ食い過ぎた。

牛乳有害説多すぎ。アレルゲンになるという以外の欠点は全て無視していい代物だ。 ほとんどあらゆるものは人間が食べるために存在しているわけではなく、 害がゼロのものもない。いろいろ食べることで毒を希釈しつつ生きるのに必要なものを 取り入れている、ということをまずは確認しておく必要がある。 多くのその手の論説は詭弁の見本市のような状態になっている。

しかし、そうであってもなお、「詭弁だから間違い」とは言い切れないことも 確認しておく必要がある。 正しいことを間違った方法で語ることはできる。 牛乳有害説を語るサイトがいかに馬鹿っぽくても、 そこに真実がないとは限らないということである。 しかし、牛乳有害説に関してはほぼ無視していいだろう。 人類は1000年以上牛乳の世話になっているからだ。 これが原因なら1000年前からアトピーまみれのはずである。 食物の代謝に関して人種間の差異はさして大きくないと私は思っている。 乳を使うことは肉を食うよりもエネルギー効率が良く、 したがって古くから行われてきている。 これを疑うなら米も疑っていい。 もちろんここ50年で摂取量が馬鹿みたいに増えているのは事実なので、 伝統的な摂取量に近いレベルに抑えておくことは悪くないと思うが。 アレルギーの観点からすれば醗酵済みのものを増やす方が安全性は高いだろう。 いずれにしてもこんな便利なものを捨てるのはコストが大きすぎる。 江部氏は液体でカロリーを取るなと言っていて、 それなりに根拠があるように感じられるので無視はしたくないが、 ひつじこもオタマも牛乳大好きっ子なのである。

リノール酸が悪、ということも当然正しいとは限らない。 ただし、牛乳を捨てる事に比べれば 実験が容易い。また、牛乳のようなさまざまな物質の混合物についてでなく、 リノール酸という 単一の物質についての話なので真偽も確認しやすく、理屈もすっきりする。 自給率とか食文化とか、そういうデカい話にしたくなるのはわかるが、 とりあえずは科学的に話を進めたらどうかと言いたい。

たぶんだが、1000年食ってるものに緊急の有害性はない。 しかし慢性的な有害性は否定しきれない。 これは幾多の遺伝病の遺伝子が残っているのと同じだ。 70年生きるのには邪魔でも40年生きるのに役立つならその遺伝子は残る。 食物も同じである。 また、良い食生活は人類の生物学的特性から推測するのが一番もっともらしい。 そして、生物学的特性は生化学や医学から導くよりも、 文化人類学や歴史から間接的に推測する方が妥当性は高い。 理屈はどうとでも言えるわけで、実験済みであることが重要だからだ。 そしてもうひとつ、一番大切なのは自分の体を使った実験である。 サンプル数がわずか3というのが残念ではあるが、感覚は最も重要だ。 科学的すぎるアプローチはうまく行かない。 もちろん、同じようにある程度以上科学的なアプローチで試している人の 情報をうまく取り入れることもしたい。 夏井氏のところには糖質制限関連の情報が集まっているが、 同じようにアトピーに関して情報が集まっている場所がないか探す必要はある。

ガソリンってなんであんなにエネルギー密度が高いんだろうと考えてみて、 思い違いに気づいた。 ガソリンを使って出るエネルギーの大半は 酸素のエネルギーでガソリンが持っていたエネルギーじゃない。 電池は酸素に頼らずにやろうとしているのだからガソリンとは条件が違う。 だから燃料電池なわけか。充電できれば完璧なんだろうが。 充電すると酸素が出てくるというのが 少々危ないな。屋内で充電してたら周りが酸素まみれになって危ない。 そう考えると丸ごと交換式で充電は業者、ということになるのか。 面白味には欠ける。

円高やら量的緩和やらの経済的な出来事は、その結果どうなるかがわからない。 「こうなるので、こうなって、そうなると、こうなって...」 のような連鎖が5段階くらいあるともうアウトだ。 1個でもそうならなければダメだし、相反する効果が一緒に現れたりもする。 さらにはある段階の結果が何段階か前の原因に作用して捻じ曲げることもある。 これだけプロが外すということは、 予測しようとする行為自体が間違っていると考えるべきだ。 分散によるリスク軽減以外の戦略はとりようがない。 藤巻という人が円安が来ると10年以上言い続けて外れていることが叩かれているが、 それをもって資産を円で全額もつのが正しいとは言い切れない。 というか、円安にならない理由が未だに納得できない。 貿易赤字に転落し、国民貯蓄よりも国債の残高が大きくなれば 日本を特別にしている条件が消え失せるのではないのか。

坂道のアポロンを最後まで見た。 音楽に資源を集中するために話が駆け足になっているが、 ギリギリちゃんと見られるレベル。そして音楽は素晴らしくいい。

だが、やっぱ今見るべきじゃなかった。ダメだ。

2012年07月11日

えごまって買えるじゃん。不安定な油より保存きくんじゃないか。 ただし、国産はキロ4500円。油がおよそ50%とすれば、500gの油で4500円だから、 リノレン酸だけで考えれば絞った液体の方が安い。 もうちょっと安く買えないかなこれ。 中国産が700円なので気にしなければいいんだが、でもなあ。

2900円で見つけた。油の含有率50%として、キロ6000円のえごま油相当。 かつ保存性が良く油以外の栄養も取れる。でも高い。

「人類史の中の定住革命」。すごい。すごすぎる。見事すぎて声も出ない。 語られる学問的な内容の面白さもさることながら、話の進め方があまりに華麗すぎる。 そして、締め方は輪をかけてすごい。こういう文章書きたい。 プログラミングの本はこういうふうに書かれるべきだ。 逃避で読んだのは事実だが、読んで良かった。そして、買おうこれ。

農耕を発明して定住できるようになった、という話の順番はおかしい、というのが主張。 狩猟と採集をするための条件が悪化して貯蔵をしなければならなくなった、 さらには水産資源を利用しないといけないところまで追い詰められたのが定住の原因で、 それらのことがなければ人類は定住なんてしたくなかったのだ、と言う。 定住は環境負荷が大きく、同じものを食べて過ごさねばならず、ゴミの処理も面倒で、 人間関係も煩わしい。それでも敢えて定住したのは、せざるを得なかったからだ。 定住から農耕が必然的に発生するという理屈も面白い。 人類はかなり早い段階から火を使っている。 結果、木を切って使う。木を切ると開けた場所ができるが、 そこには元々生えていた木と違う木が生える。 その木がたまたまおいしい実をつけたりすると、その木は切らずに、他の木を切る。 結果都合のいい植物が良く育ち、都合の悪い植物は減っていく。 すでにこれは栽培だ。元々条件が良く採集や狩猟の割合が高い場所では それ以上に栽培を進化させる必要はないが、こういう場所から集団が分かれて もっと条件の悪い場所に広がった場合、 狩猟や採集に期待できない分だけ栽培の比率が高まり、 そういう所で栽培の技術が上がっていく。 農耕は発明などではなく、定住の結果勝手に生まれてくるわけだ。 日本ではそうやってたまたま生えてきた有用植物がクリだったが、 他の場所では麦だったり米だったりした。 弥生時代になって他の民族が米をやって持ってきて、 それがクリより便利だったので日本は米社会になったわけである。

これだけで一冊書いてもいいネタだが、これでは終わらない。 文化は何故生まれたか、二足歩行、手の使用、道具の使用、言語の発明、 などについてまで素敵な考察がある。そして、華麗すぎる締め方。しびれるわこの本。

もっとも、この締め方を華麗と言うか、 「全然関係ないじゃん!なにこれ!」と言うかは好み次第だろうな。

この本の話ではないが、 農耕開始後の健康状態はそれ以前よりも悪かったという。 澱粉に頼ったためか虫歯も多かったし、 栄養は偏った。人口が増えすぎて過密になり、 衛生状態も悪かったから伝染病も多かった。 移動生活であれば、食べるものは多様になるし、 ゴミの問題もなく衛生状態も悪くなりようがない。

えごま油摂取実験を始めた。ひつじこには毎日5mlを摂取してもらい、また、 オタマにも違和感なく摂取できる料理の時にはなんぼか混ぜる。 サラダではいっぱい使おう。

油ナッツは好みでなかったのかあんまりたくさん食べられなかったとあるが、 単純に温暖化で油ナッツが減って澱粉ナッツを食べざるを得なくなったからだろう。 そのために煮炊きの技術が発展したのだろうが。

蛋白質って本当簡単には確保できないんだな。 体重の0.1%とすれば300gの魚や肉、チーズ、ナッツや豆を 食べねばならない。これ、結構多いんだよ。 アーモンドを間食に使って補完しようとすると もれなくリノール酸がついてくる。 蛋白質濃度の低い米のような食材をメインにしていると、 蛋白質不足に陥るか、カロリー過多に陥るかのどちらかな気がする。

ひつじこに生理が来てしまった。 ちょっと私が病院行ってくる。私の問題である可能性は高い。 不妊の原因の半分は男にあるのだ。 栄養状態も見直す。

亜鉛一つとっても、推奨される所要量を取るのは大変だ。 100gあたり3mg程度の食品を300g食わねばならない。 ホタテや牛肉を毎日300gも食うか? 野菜や米の含有量はわずかで、ごはんで取るなら1kgを超える。 これ、一体誰が満たしてるんだ?

文章書きながら坂道のアポロンをおおよそ見た。 中身はどうでもいいや。よく出来てるし面白いが、 それでも敢えて言う。 音楽が良すぎて他のことは添え物にしか見えない。

ピアノをおもちゃにする時間が欲しかった。 練習じゃない。おもちゃにする時間だ。 ヴァイオリンでは普通にやってたことだが、ピアノではそれをやる時間を 取れたことがない。やめた今となっては言っても仕方がないのだが。

見るの半年待つべきだったな。

2012年07月10日

考えてみれば、 うちで大量に食べてるもので1000年以上の実績がないのは大豆だけな気がする。 一回止めて実験してみるのは悪くないのか。 丁度残り少なくなっている所でもあるし。 そもそも、大豆を大量に食ってる状態だと オメガ6:オメガ3比率を1:1にする実験の邪魔になる。 魚の量はそうそう増やせないので、大豆アーモンドくるみを減らすしかない。 オタマにはアーモンドやくるみは食べさせていない。 実質大豆だ。結局大豆か。

調べが進むにつれて食生活の設計がめまぐるしく変わる。 考えてみれば、大豆も玄米もそれほどの検証をしているわけではないんだよな。 発芽玄米が白米よりマシなのは数年の期間では確認済みと言っていいが、 それ以上はわからんわけだし。

食用油は便利さを目指して改良されてきた。 便利さの尺度としてのはコストと酸化に強いかどうかがある。 結果、液体を保てる範囲で極力二重結合を削る方向に行き、 そういう油ほど大量生産でコストが下がる。 オリーブオイルはオレイン酸が多くその意味で最強だが、 オリーブそのものが高コストだ。 大豆は大量生産に最適だが、 リノール酸やリノレン酸が多く酸化に弱い。 そこで遺伝子組み換えでオレイン酸の多い品種を作ったり、 絞った後の油に水素を反応させて二重結合を削ったりしている。 キャノーラ油や紅花油、ひまわり油もオレイン酸が多い品種が作られている。 油に関して「改善」「改良」と言う時、それはリノレン酸やリノール酸を減らす ことだ。 が、健康を考えた時、欲しいのはリノレン酸だ。オレイン酸は 今のところ害はなさそうだがカロリー源以上のものではない。 しかしリノレン酸は酸素に弱く、液体の油として製品にすると 冷凍庫に入れてね!とか、小さい瓶にしてね!みたいな 制約が加わって不便な上に製造工程で加熱が制約されて高コストになる。 結果、えごま油や亜麻仁油はリットル5000円超えの馬鹿みたいなコストになった。 これはたぶん話が逆で、他の油のコストダウンが想像を絶するレベルに 進んだ結果高く見えるんだろう。

油って基本「カロリーしか入ってない食品」 なわけで、調理上の都合で買うだけのものなんだよな。 炒めや焼きにおける加熱のコントロールと、サラダの酸素からの隔離。 あるいは嗜好品。実際スパゲティをやめたら消費量がガタ落ちした。 サラダくらいしか使わないなら、えごま油もいいのかもしれんけどなあ。 大したコストじゃないし。しかし大したコストじゃないということは、 大した摂取量じゃないということで、 つまり効果も大したことがないということになる。 ちなみに、えごま油はサラダに大さじ1かければそれだけで70円かかるという べらぼうな値段である。普通に考えればない。

でも、短期的に実験に使うならアリか。本当に皮膚炎が改善するのか。 しかし、オタマにどうやって食わせるんだろうな。 とりあえずひつじこで実験することになった。

大豆食品として歴史が古いのは味噌と醤油だ。 どちらもしょっぱいのでそう量は食えない。 しかしそれでも蛋白源になるくらい昔の人は蛋白質に飢えていたのだろう。 そして、豆腐はかなり新しい。普及してからまだ500年と経ってない。 しかも、江戸初期は庶民が食べることが禁止されている贅沢品であり、 江戸中期になってすら大都市に限られていたとwikipediaにはある。 つまり、醗酵していない大豆を食べるようになったのはつい最近のことだと言っていい。 そう考えると、ドカ食いの安全性は怪しい。便利だからといって 量を増やしすぎた。少し減らして分散しよう。

ピーナッツは古代の南米で栽培していた歴史があり、メキシコまで広がっている。 2800年食ってるということであれば、大豆よりはマシだろう。 しかし、リノール酸。ピーナッツ100gのリノール酸と 釣り合うリノレン酸をブロッコリーから取るには、 10kg以上食う必要がある。いやありえない。 ブロッコリーはリノレン酸が豊富、とか言ってる人は 何を考えているのか。

これ、最適化ゲームだよな。あるいはパズル。 投資も食生活設計もプログラミングも頭の使い方が一緒だ。 そして、この最適化スキルを鍛えたのは間違いなくゲームだ。 ドラクエなんて始終最適化やってるようなもんだからな。 私にとってゲームは間違いなく訓練だった。

コンピュータで短期的に大きな進化になりそうなのは、 チップ内の積層及び垂直配線によるメモリ帯域の激増と、不揮発RAMくらいか。 実現した時にこっちの考え方をゴッソリ変えないといけない、 なんて類の技術でもなかろうし、単純に楽しみにしておけばいいんだろう。

SSD化しても大して駆動時間は伸びてないな。やはりそんなもんか。

2012年07月09日

何もわかってなかった頃に買った外貨MMFのマイナスが 消えるにはドル100円まで円が落ちないとダメな計算。 あれ以降の投資額の方がはるかにデカいとは云え、 これを含めてプラスに転じるにはドル100円まで戻さないとダメだな。

金の大半は50代以上が持っている。そこに金を使ってもらえば経済が回る。 しかし、そこへの保障を薄くするような政策は政治的に取れない。 このままずるずる行ってインフレで国の借金と高齢者の貯蓄が一緒に消える ことになるんだろう。 大半の人は国外に資産を逃がすようなことはせんだろうし、

生命保険などの保険は「何が起こったらいくら」という形で契約することが多い。 したがって、インフレが起きると受取額が実質的に減る。 状況に応じて運用の利率が変わるようなものでないと インフレになった時にまずいことになる。

大豆イソフラボンが妊娠の邪魔をするとかいうことはないだろうな。 基本その手のホルモンに似た物質は、それを食べた生き物に害を与えて 豆が自分の身を守るためにある。 食べた人間を不妊症にすることで繁殖を邪魔する生き残り戦略かもしれない。 そして今のところ、大豆を豆の形のまま大量に食べてきた民族は今ところない。 これだけ蛋白質と脂肪に豊富であるにもかかわらずだ。 大豆がレンズ豆やひよこ豆のように主食並に食べられていないのは、 それが有害だからかもしれない、という推測はできる。 政府が言ってる「たぶんこれなら大丈夫だろ」という量が納豆2パック分なのだが、 うちらが食べてる量はそんなもんじゃなかった。 しかもイソフラボンは発芽すると量が増えるらしく、 それでもし倍とか10倍とかになるならすごいことになる。 しかし、きりがないだろその手の理屈は。

「醗酵してない大豆を食うのは愚か」と言うサイトが複数みつかる。 この手のサイトの胡散臭さと言ったらないな。 すごいところだとUFO理論と一緒にその手の主張があったりする。 しかしそんな状況にも関わらず、どの理屈もそれなりにもっともらしい。 どうとでも言えるということだ。 糖質制限はデータがあり、自分で多少なりとも実験してもいるのでまだいいが、 牛乳有害説とか大豆有害説とか玄米有害説とかに関してはデータが見えない。 海外の論文の題名がついてたりもするが、 web上に本文があるとも限らず、中身がまともかどうかを確認できるわけでもない。 民明書房同様架空でもバレない可能性もある。 そもそも、どんなものでも叩けば埃が出るものである。 植物は食べられないようにいろいろと手を打っているわけで、 全く害がない植物はたぶんない。その意味で、食べ物は分散した方がいい。 しかし分散しすぎれば手間だし高くつく。投資と変わらんな。

牛乳を飲めるのは、牛乳が飲めると有利になるような環境で選択されてきたからだ。 その結果50年後に良からぬ病気にかかったとしても、 子孫を残すまで生き残れるなら有利である。 そう考えると、多少有害なものでも、子孫を残すまで生きるのに使えるものなら 伝統的に食べてきている可能性はある。 今になって「これ食ってると50過ぎて病気になるかも」というものが ワラワラ出てくることはありうるということだ。 伝統的な食事が80あるいは90生きるために有効かどうかは甚だ怪しい。 たぶん何を食えば健康に老人になれるかについての研究はこれから始まるのだと思う。

眠すぎる。オタマが夜中にいきなり起きて泣きまくるのを一体どうしたらいいだろう。 痒み由来ではないらしいが、それを喜んでいいかどうかも微妙だ。

「迷惑な進化」。遺伝子がどうあれ、環境によって遺伝子の使い方は変わる。 しかも、「この遺伝子使うのやめとくわ」という印(メチル化)は二代先まで 伝わるらしい。 というのも、女の子は胎児の段階ですでに卵子を持っているからだ。 胎児の時に親から受け取った信号で遺伝子の使い方が変化し、 これがそのまま伝わることになる。 例えば、ジャンクフードで生活する親は子供に 「栄養状態悪いから覚悟して生まれてきてね」 という信号を胎児に送る。 すると、エネルギーを節約して生きるように遺伝子の使い方を変える。 しかし、栄養が足りなくてもカロリーは過多なのがジャンクフードだ。 結果肥満になって糖尿病になるわけである。

遺伝子の使い方は生活習慣の影響を受け、それは遺伝子同様子孫に伝わる。 進化は突然変異のみならず、ウィルスの感染によっても加速する。 要するに、遺伝子以外のものも子孫に伝わるということだな。 遺伝子だけが遺伝ではない、ということか。仮説だが。

人類は何故毛が生えていないのかという疑問に対して、「水辺で暮らしていたから」 という説があるそうだ。皮下脂肪がこんなにあるのは陸上動物では稀らしいし、 毛が生えていないのも陸上動物としてはおかしいし、 鼻が高くて穴が下を向いているのも変だ。 また、出産がこんなにしんどいのも、普通の陸上動物であれば不利すぎる。 しかし、カバのように水辺生活をする哺乳類だったとすればこれらに説明がつく。 皮下脂肪があれば浮きやすく泳ぎやすいし保温にも役立つ。 鼻が高くて穴が下を向くのは 潜水に有利だ。毛もない方が泳ぎやすい。 出産も水中であればなんぼか楽である。 産まれた子供は顔が空気にふれるまでは呼吸をしないし、 4ヶ月くらいまでは水中で手を動かすような反射が見られるらしい。 水中出産が一部で行われているが、 それはもしかしたら「発明」ではなく「再発見」なのかもしれない。 なお、この説はトンデモ科学として扱われている。 明確に肯定する化石が出てくるとも思えないので、 ずっとこのままだろう。 二足歩行が始まった瞬間の化石がサバンナの真ん中だった土地から出てきて 否定される可能性はあるが。夏井氏は、魚を食わないとエネルギーが足りないはずだが、 網が発明されたのは最近なので無理じゃね?という意見。

事実上唯一の必須脂肪酸であるアルファリノレン酸及びその系統のオメガ3油。 一日2-4g食うべきだという話だが、古代の人類は一体どうしていたんだろう。 魚を食えば簡単に得られるが、魚を食えない内陸の人間は一体どこからとっていたんだ? 肉にはほとんど入っていない。

昔は肉にもっとたくさん入ってたようだ。現代の家畜は穀物で飼育している。 しかし、草を食べていた動物には草のαリノレン酸が濃縮されていた。 草食動物を狩って食べていた頃は、基本それで足りていたのだろう。 野菜の含有量は微々たるものだが、 野菜の摂取量が今ほど少なくなかったのであればそれも助けになったはずだ。 ただし、多いと言われるブロッコリーですら100g食べて0.1gかそこらで、 豊富豊富言ってる割には大したことはない。

アーモンドを100g食べると12gのリノール酸がついてくる。 くるみは33g。大豆は6g。ピーナッツは15g。 リノール酸とリノレン酸を1:1に抑えるためには、 魚以外に油を含むものを食べないくらいの覚悟がいる。 必要ならそうするが、そこまで気合の入った決断をするにはそれなりの根拠がいる。 アトピーなどのアレルギー症状が出ている大きな原因がこれだとまで言われると、 ちょっと実験してみようかという気にはなるな。

考えねばならないことは二つある。リノレン酸の絶対摂取量だ。 これが例えば2g必要だというなら、 大豆をたくさん食べてもかまわない。リノール酸が8倍ついてくるが、 ともかくもリノレン酸はとれる。 しかし、リノール酸との比をある程度にせねばならないという 話になるなら、根本的に大豆を食うこと自体が許されなくなるし、ナッツ類が全滅する。 今のところ、その手の栄養所要量の根拠は薄弱だ。 研究はネズミでの実験か、 いまいち信憑性に欠け規模も小さな人間での実験のどちらかだ。

2012年07月08日

投資が完全にプラスになるまでにはまだかかるな。 というか、基本的に円高に振れた時にプラスになるようなものがないので、 円安に戻らない限りは大きなプラスは望めない。 円高は世界が不況であることの結果で、日本企業もダメージを受けるわけだから。 しかし一方で、不動産投信は着実にリターンを上げている。 海外REITなんて2割以上プラスだ。 また、相対的には国内債券投信も地味にプラスが大きい。 年率1%を超えている。

今のところは、一切何もせずに全部定期預金に入れていた方がプラスが大きかった ような状態。半分以上外貨だから無理もない。 円安への保険だから別にいいけど。

日本がどうなれば良くなるかはわからん。 しかし、20年後にうちの家族の状況だけを考えるなら、 今すぐ財政が破綻して10年ほど混乱期を過ごす方が 20年後の状況はいい気がする。 増税は財政破綻を遅らせるだろうから、その意味では望ましくない。

国内貯蓄が国債の残高を超える日に何が起こるのか、かなり興味深い。 順調に行けば5年かからないはずだが。

2012年07月07日

直線上の加速器を作ると噂のヒッグス粒子を調べられるらしい。 長さ30kmだそうだ。作るだけで8000億かかるらしい。 毎年さらに金を食うだろう。 それを国家予算で出さないといけない段階で、 素粒子物理に価値が認められてないということなんじゃないのか。 金の臭いがしていればとっくに企業がそれくらい出してるはずだ。大した額じゃない。 金に直結したことしかしなくなるから国の関与は必要、 とか言う人がいるが、企業はそんなにバカじゃない。 多少間接的だったり夢物語だったりしても、 可能性があるとみなせば投資するものだ。 科学技術の支援って国でやる必要ないんじゃね? 大型計算機にしろ、宇宙開発にせよ、 それを企業がやりたくなってからでいいんじゃないのか。 国に将来性のある分野を見極める能力を期待するのって、無理がないか。

ILCのサイトも何に応用できるかは何も書いておらず、 「きっと研究の過程で他に使える副産物が一杯出ますよ」としか書いてない。 そりゃ副産物は出るだろうし、そういう元々目標としてなかったものの 及ぼす効果はバカにできないものがあるが、 だからと言って最初から副産物頼みってのはどうなんだ。 産業への応用とか経済効果とかをもうちょっと考えようよ。 でないと説得できるわけないだろ。 その金で山手線の混雑を軽減できたり、 ダメな原発を作り直したり、 大学生に奨学金を出せたりするんだぞ。 「それをやらなければできたであろうこと」 「それをやったためにできなくなったこと」を無視して、 話をするのはいいかげんやめろ。 そりゃどんな事だって意義はあるだろう。意義がないものなんてない。 問題は、「他のことに比べてコストあたりの意義が高いかどうか」だ。

事業仕分けが間違ってたのは、一個づつ検討していたことだ。 それじゃ廃止できるものなんて出てこない。 「総額はいくらです。皆さんで奪い合ってください」が正しい。 政治というのは総額を決めて配分する機能のことであって、 あれは政治ではない。単なるショーだ。

ひつじこは人のためにエネルギーを使いすぎて不安だ。 オタマが手を離れれば、また誰かのために使うだろう。 しかし、それがひつじこの人間としての形なのだから、私にできることは いくらエネルギーを使ってもなお残るくらいエネルギーを注ぎこむことだ。 さしあたっては健康にする。人間の健康を決める最大の要素は食料だから、 そこからだ。そしてもう一つは、大事でないものを捨てることに慣れてもらうことだ。 世の中、大抵のことはどうでもいい。服とか、金とか、物とか、しきたりとか、 習慣とか、まあいろいろあるが、いざとなったらかなぐり捨ててもどうにかなるものが 大半だ。「いるの?」「なくて良くね?」「どっちでも良くね?」 というような質問に対してはっきりと否定できないようなものは、 大抵なくてもいい。一回捨てても後で大事だとわかれば取り戻せる事がほとんどだから、 気軽に捨てていい。やりたいことはやる。やらないと明確に困ることはやる。 後はどうでもいい。それで多少気まずくなったり、不利になっても、かまわん。 うちら二人はそこに気をつかうような人間の形をしていない。 オタマには申しわけないが、そういう人間を親に持ったことを理解してもらう。 それが不幸か幸せかについてうちらが気を巡らせる必要はない。 「大抵のことはどうでもいい」ということに慣れてくれば、 無駄なことに割くエネルギーが減って消耗が抑えられる。

戸塚ヨットスクールって良く知らないんだが、 民営の少年院だろ?需要はあるだろうし、 中で何やってるかは知らんけど別にいいんじゃね? 本当にヤバいならつぶれてるだろ。 怪我や死亡事故、いじめ、などのマイナス面に被害をこうむる人数を 掛けた数値が相撲部屋より小さいなら、 相撲部屋同様に存在していていい気がする。 別に比べる対象は相撲部屋でなくてもいいが。 ひつじこが戸塚ヨットスクールを石原が支持してるのがヤバい、 みたいなツイートを見ているのを横で見て、なんとなく思った。

暴力が有効な局面がないことを私は証明できない。 世界のどこかにそういう論理で動く場所があることは私には止められないし、 それも多様性だろう。 殴らんとわからんことはあるだろうし、殴ることにも上手下手がある。 私は自分でやろうとは思わないが。 そういうわけで、体罰賛成か?と言われれば、場合によるとしか言えない。 自分でやろうとは思わない、それが最も有効な手段であることを納得できる 根拠がある場合にしか容認しないが、そういう場合がないとまでは私は言わない。

gotoみたいなもんだな。自分で使う気はないが、使うことが合理的である 局面がないことは証明できない。

外で腹減った時にどうしようもないな。糖質制限。 まあ禁を破っているわけだが。 なお、今日は悪あがきして、チーズ100g。 ただ問題はそれがブルーチーズだったこと。 さすがに100gは多いわ。ゴーダやブリーなら楽に食える量だが、 ブルーは無理。まあ食べたけどな。

ナッツ類をちゃんと持って家を出るのが正しい姿勢。 買い食いすること自体がアウト。 しかし、本当チーズしかないな。コンビニの揚げ肉とか、ケンタッキーとかは 食品としての質を無視すればアリではあるのか。 もっと砂糖少ないスニッカーズとかあればアリなんだろうけどなあ。 脂肪が炭水化物より多い菓子は少数派。

2012年07月06日

九州行ってきた。

古いパワポを2010で開くと恐ろしい時間がかかるので、 pdfにして持っていくことにする。 たぶんあの環境が何かおかしいな。

3年生で、他のプログラミングの授業を経た人間の平均スキルがアレかと考えると かなり辛い。そんな中すでにプログラマになっていて 何も教える必要がないのが一人いるが、 退屈させても申しわけないのでそいつには高度すぎる話題を 振って遊ばせておく。 加えて、こっちのサンプルも高度化させて、 「ほら、これくらいやってみろよ、できんだろ?」的な挑発をする。 来週までにやっておかないと。 つうか、intしかないのにテイラー展開でsin,cosを作って、 それで円を描いてやがった。すごい。まあ、円書くのにsincosはいらんけどな。 その方法を教えたらびっくりしてた。まあなかなか気づかんものだよ。 一見原始的すぎる方法だからな。

さて、問題はできない方の大半だ。 60000から69999番までが画面の画素の色を表すメモリで、画素は100x100。 1増える度に右に1画素ずれ、100の位が繰り上がると下にズレて左端に戻る。 今、左上の画素から右にx画素、下にy画素行った点の番号が知りたい。 それを計算する式は、60000+x+(y*100)だ。 ということを説明したが、その式で計算できる理由を理解できない。 10x10の図を描かせて、プラトンの対話篇のノリで少しづつ 考えさせていって、ようやくわからせた。 うまく行ってよかったが、「そこからかよ!」と思う。 他にもわかってないのがいたかもしれない。

メモリの特定の番号に何かを書きこむ文法を教え、 ある番号にある数字を書きこむと番号に対応して画面に点が出ることを教え、 「条件が満たされる限り繰り返す」ための文法を教えた。 「さあ以上を使って、画面左上端から右上端まで線を引いてみよう」 と最初の課題としたわけだが、15分後にできた奴が5人かそこら。

memory[0] <- 0
while memory[0] < 100
   memory[60000 + memory[0]] <- 990000
   memory[0] <- memory[0] + 1

が答えなわけだが、まずこれを自力で書けない。 答えを見せた後、このプログラムで線を描けることを理解できる率は それほど悪くないが、それすらこの段階では100%ではなかった。 次にこれをふまえて、左上端に10x10の四角形を描こう、 という課題を出したが、15分後にできていたのはやはり5人かそこらである。 確かに、完全にプログラミングが初めてなのであれば、 この課題は若干酷だ。多少の飛躍がある。例えばmemoryの括弧の中に さらにmemoryとかを入れていいかどうかが確証が持てない、 みたいなことがたくさんあるはずだ。 しかし、CだかJAVAだかを授業でやっているという話だったわけで、 それらでなにがしかのコードを書いていれば、 多少の推測は働くはずである。その推測をもとに、知らない言語であっても 試してみることはできるはずだ。入力に対してどういう出力が得られるかを いくらか試せばシステムを推測できるのである。 しかし、そういう考えにまず至らない。 情報が不足した時に情報を得るにはどうすればいいか、という考えに 至らない。

さて、どうする。テトリスどころの騒ぎではないぞ。 関数定義や変数の文法も一応紹介しはしたが、 それを理解して使えるレベルにあるのは数人以下だ。 君ら、本当にCやJAVAでコードを書いたのか?一体最後に何が出来たんだ? つうか、大学3年だろ?

授業の開始時に、「覚えることは何もないし、ググっても無駄だ。 これができないとすれば、それは知らないからではなく、 頭が悪いからだ。それに関して君等は一切言い訳ができない」 と言った。彼等にどれくらい届いただろうか。

去年や一昨年も実はこうだったのかもしれん。 去年までは、完全素人じゃないらしいし大丈夫だろと思って 入力取得や分岐まで入れたサンプルをまず出してから、 それを理解し、改造するという流れにしていた。 そして、確かに最後まで関数定義がまともに使えない奴、 変数がわかってない奴、インデントができない奴等々は かなりの数残った。3回もやっているとできる人ができない人を 教えるので大半は何やら動くものを書いてくるのだが、 去年や一昨年も最初はこれくらいのレベルだった可能性がある。 段階を踏まなかったから発覚しなかっただけだ。 だとすれば、今年段階を踏んだのは正解だったことになる。 あー確かに思い起こしてみれば二重のループをまともに書けないまま かなり苦しんでる奴が何人かいたな。 繰り返し制御に変数を使うということの意味がわからない奴もいたし、 概念は理解しても、記号思考に慣れてなさすぎるのか、 「この時点でこの変数はいくつか」みたいなことを整理しながら コードを追うことが全くできてない奴もかなりいた。 今日はそういう奴を見つけ次第紙に書かせながら追わせたし、 「まず日本語で論理を書け、いきなりコードを書くな」と 何度言ったか知れない。そういう意味で今年のアプローチは たぶん正しい。 ただ、一人一人あれだけの手間をかけて説明していれば あの人数は見られない。比較的社交性の高い奴を狙い打ちして教え、 そいつから周りに広がるのを期待するか。 おおよそわかったし。

もしかすると文法と書式のせいかもしれんなあ。 去年まではほぼCだった。今年は代入演算子を変えたり、 ブロックの表現をpython的にしたりしたので見掛けはだいぶ違う。 別に書式が違うだけで中身はほとんど同じだが、極端に応用力がない場合には 記号や字面が違うだけで他言語の経験を応用できなくなるかもしれない。 いやでも大学受かってるしそんなことはないと思いたいが、 仮説は立てておく必要がある。 もちろん、説明のしかたに問題があった可能性もあるわけで、 再検討しないといけない。来週までに洗い直しておかねば。

2012年07月05日

明らかにやる気がない奴の発表による害をどう抑えるかは 少々考えておかないといかんなあ。 まあさっさと次へ行くのが最良であることに疑いはない。

PCを充電できる太陽電池。 うちら未来に生きてるなあ。PCの消費電力が減ってくれば 蓋に太陽電池ついたPCが売られたりするのか?

1平方メートルあたり100Wとして、 一日3時間として300Whが限度。 B5のPCの蓋の面積が0.046平方メートルだから、1日あたり13.8Wh。 PCの消費電力が10Wだと1.3時間動くわけか。話にならん。 太陽電池の利用価値が劇的に変化するような効率ってあるんだろうか。 30%を超えたあたりですごい用途に使えるようになるとか。 LEDなら蛍光灯を超えるかどうかが大きいが、そういうの。 なさそうだよな。

屋内の照明で発電できる量で動く機械が増えれば価値もあるかもしれんが、 電卓以外にそのレベルの消費電力の機械はなさそう。 電子ブックリーダーとかなら行けるようになるだろうか。 携帯電話がミリワットオーダーで動くようになったらいいが、 電波出すだけでもう無理だよな。

太陽電池の最大の欠点は土地という資源を消費することだ。 大抵の論説はそこを無視している。 もちろん、屋根や壁につける分にはただなので、屋根と壁を使い尽くすまでは 太陽電池を使っていい。タダ同然になればそうなるだろう。 しかし、大規模太陽光発電所の類は原理的にはダメだ。 政府の補助金などの歪み要因なしで太陽光発電所が元を取れるとは私には思えん。 効率の問題ではない。今すでに15%あるならどうがんばっても7倍の100%までしか 行かないわけだ。7倍ごときでは面積あたりのエネルギー量において 他の手段にまるで太刀打ちできないし、実際のところ 50年経っても量産型の効率が50%を超えるとは思えない。 宇宙に置けるようになれば話も変わるんだろうが、 そんな日は100年は来ないだろう。

原子力は政治の要素さえなければ最高に有望な気がするんだが、 政治の要素があるから無理か。技術的な課題は金の臭いさえすれば 誰かがやって解決するだろう。量産によるコストダウンすら してないわけで、原子力という技術は経済的に見れば まだ始まったばかりの状態だ。そのまま止まっている。 そして、それを止めているのは政治だ。 しかし止めざるを得ない。 ネット通販でウランが買えるくらいに気軽で、 特に免許もなく勝手に原子炉を作っていいということになれば みんなバンバン研究開発するんだろうが、 絶対にそうはならないだろう。 もしかしたら技術的には「一家に一台原子炉」ということすら 不可能ではないのかもしれないが、 政治的に不可能なので、経済的に不可能になり、 結果技術的にも可能にならない。 仮に原子力以外に何か出てきたとしても、 エネルギー密度が石油を超えるようなエネルギーは 政治として放っておくわけにはいかないだろう。 核分裂や核融合はその観点からするとメジャーにならない可能性が高い。

人口が減ってエネルギー問題が問題でなくなる方が早い気はするな。

ヒッグス粒子。技術ファンや科学ファンとしてはワクワクするネタだが、 商売の観点から見ると別の側面が見えてくる。 夏井氏は「それくらい盛り上げないとみんなが納得してくれないくらい 金を使ってしまっている、というだけのことだ」みたいなことを言ってたが、同感。 金、使いすぎ。

素粒子物理って応用先は見えてるんだろうか。 見えていれば億と言わず兆単位で金が突っ込まれているはずだが、 今のところ政府が無理矢理突っ込んでる印象がある。 例えばインテルが素粒子物理の研究所を持ってるとか 言うなら金の臭いがしているということになるが、 そうでないとすれば素粒子物理が役に立つ気配がないということになる。 当分宇宙に行かないとすれば、まずは計算機に役立てるのが一番考えられそうなわけで、 インテルがやってないならダメだってことだろう。 しかし、電子のスピンをいじって情報を保存、とかいう素粒子のはるか手前の所で 四苦八苦している現状からして、きっと素粒子は遠いよなあ。 そんなに金がかからないなら誰かが先行してやっておくことに意義はあるだろうが、 とにかく金がかかるからな。

計算機の能力が向上するとありとあらゆるところで効率が向上するわけで、 インテルってすごいところを担ってる会社だよな。

知らなかった。車って持ってるだけで月4万とかかかるのか。 そんなものを借金しないと200万のものが買えないような 経済状況の人間が買うというのか。 逆に言えば、それほどの魅力があるということなんだろうな。

家と車は昭和のファッションだが、 平成になって20年過ぎてもこれほど強固というのはすごい。

というか、多数派が正しいとするならば、異常なのはうちの方だけどな。 いいよ、異常で。異常者が多少わめいたところでかまうまい。

扁桃腺除去か。調べてみると意見割れすぎ。アトピーと同様、 意見が割れてるのは何か問題がある気はする。 ガンに関して「みつかっても切らない方がいい」と言う奴はいないからな。 そういうレベルにまでわかっているわけではないということか。 根本的にそれだけ感染を繰り返すのが何故なんだろう。 ひつじこも似たようなものだし気になる。 ところで扁桃腺炎のスレ見たら、 すごい勢いでイソジンやら何やらで殺菌しまくってるわけだが、 これ、夏井理論的にはアウトだよな絶対。

グリコアルブミン13.8でHbA1c4.6。 私が糖尿病であることはまずありえん数値だなこれは。 久しぶりに献血結果見たら昔の検査の値も足されてた。 8月4日過ぎたら献血行こう。

ひつじこも何らかの検査を受けさせたい。 妊娠中血液検査してたはずだが、結果もらってないのかな。

明日は朝から九州。0845の飛行機だから、家出るのは余裕を見ても0745くらいか。 帰りの飛行機は2040着。

投資信託がプラスになってる。日経平均9000でプラスになるほど 悪い時期が続いたわけか。買い始めた時期は13000とかで、 リーマン直後はすごいことになっていたわけだが。

金を使うことが楽しいとか、物を食うことが楽しいとかいうのは 度を越すと面倒だ。消費を楽しむより生産を楽しむ方が安上がりだし 後々生きる可能性もある。皆がそれをやると経済が死ぬわけだが。

2012年07月04日

mod_perl組みこんでないや。そりゃ遅いよwiki。 やらないと。atomのせいにしてごめん。 しかし組みこんで遅かったらatomのせいだ。

コンパイル遅いなあ。やっぱりマザー入れ換えるか。 D2800を積んだ奴に換えるだけで最低でもコンパイルは倍速になる。 LANがギガになるし。7000円ならアリだよな。 それにしても、atomマザーは今後出るのだろうか。 atomそのものが完全にモバイル向けになって ネットブック向けが供給されなくなるのは痛い。 サーバみたいなものには便利なので。

動作。速くなった、のか? 家の中からアクセスしてるのでネットのレイテンシじゃない。 サーバのHDDのレイテンシか? しかしCPU負荷はかかっているので、やっぱりCPUが遅いということなのか。 リクエストの瞬間フル稼働してる。 wikiでF5連打するとその後数秒間すごいことに。 topで見てるとプロセス名がperl5.10.なんとか、とかなんだが、 これ本当に動いてるのか?

動いてない。httpd-confの設定は自力でやらないといけないようだ。 portsのバージョンによってはやってくれるらしいが、うちはダメ。 で、FSWiki側の問題かもしれない。あるいはmod_perlが何か変 なのかもしれない。 mod_perl対応済みと書いてあるが、 mod_perl2ではダメだという報告があってレスがついてない。 同じ状況になった。ダメだ。あきらめる。 CPUを速くするしかないのか。 でもこれ絶対プロセス生成のオーバーヘッドで、 CPUが多少速くなったくらいじゃほとんど変わらないだろ。

プラスモイストDCを注文。試してみてよければ大量に買う。

ジオの7.8Lを検討中。最大サイズ。 家族が増えると仮定すればそれくらいあってもいいし、 仮に増えなくてもオタマがデカくなればそれくらいあっていいだろう。 5.5Lに満杯にカレーを作っても2日でなくなるのだから。 うちのカレーは「ごはんにかけるおかず」ではなく、 それ自体をモリモリ食うものなので、消費が激しいのである。 主食としての煮物で、欧米の伝統的なスープに近い。 soupはeatするものなのだ。drinkしないのである。

鍋がデカいほど熱効率がいい。 径が小さな寸胴は非効率だ。21cmの6.8Lはその意味で不適切と判断した。 28cmの7.8Lはデカすぎるかもしれずジャマになる可能性はあるが、 そうなればビタが追い出されるだけだろう。

いや、カカオマスうまいって。なつめかレーズンと合わせて食うと相当うまい。 メープルシロップもいい。どこぞから99%チョコレートが出ているが、 あれを買うならカカオマスだろう。値段が全然違う。 暖めた牛乳にゴロンと入れて溶かして飲んでもいい。 甘味は足さなくても牛乳の乳糖の甘味だけで案外行ける。 もちろん気分に応じて甘くしてもいい。

GDPシェアを見て構成比率を調整しつつで株と債券を 世界中に分散して買いつけるインデクスファンドがある。 これ一個でいい気がしてきた。0.63%の信託報酬なら問題ないだろう。 というわけで、これを取り入れつつ整理した。 積立総額が増えたので、預金が減り始めるはず。

驚きのだるさ。朝じゃがいもを大量に食べたのが関係していないとは思えない。 全く動く気がしない。 そして、ひつじこは腹が痛いと言い、 食欲がなくて食べられずにいる。湿疹まで出る始末だ。

つうかこれ、ソラニン中毒じゃね?中毒量200mgで、 100gあたり5mg程度であれば到底中毒できるものではない。 しかし、素人が作ったじゃがいもはソラニン含有率が高く、 100gあたり30-90mg含まれることもあるという。 多い方に取れば、200mgの達成は容易だ。

澱粉摂取によるダルさもあるにせよ、今回はソラニンだろう。 確かに味ちょっとえぐいしな。 緑色になっていればあからさまにヤバイが、 そうでなくても舐めてエグ味があるようなら 避けた方がいい。今回はロクに調べずに放り込んだからな。 じゃがいもは扱いが難しい。

昇進。正直困るところもある。 昇進するような仕事の仕方してないんだよな。 「技術少佐」みたいなもんで給料上げるための方便だから、 と言われれば気が楽だが、そうとも思えない。 LEDや電池や不揮発性メモリならまだしも、 ゲームにおいては「商売の中での位置づけが見えない技術」に価値なんてない。 技術をひたすら磨く、という生き方にもはや価値は認められない。 それに価値を認められる幸せな時代はとっくの昔に終わっている。 技術の開発と使用を分担していられるような余裕はすでにない。 昨日も書いたが、技術が進歩する最大の要因は投資だ。 金の臭いがする分野が進歩する。 兆円規模の市場を前提として話をする時、個人の技術力に大した意味はない。 私がスーパープログラマならいいが、そういうわけでもないからな。 比較的手を染める期間が長かったCGだって二流以下だ。 多かれ少なかれ、全ての構成員が商売やサービスの形について 思いを致す必要性に迫られている。 その中で私は何をすればいいのか。

とりあえず本書こう。これの評価が高ければ何かにつながるかもしれない。 前の本もいまいち実感はないが何かにつながっている。 半年以上穀潰しをやっていた人間がこうやって昇進しているわけで、 私が実感している以上の価値を誰かが認めたということだ。 今回も穀潰し感いっぱいでどうにも辛いのだが、良いものを作れば報われるだろう。

前回はよくわからんまま勢いで書いた。 今回はあれに比べれば明確に客の姿と意義をイメージしているのでその点はマシだが、 前回とは比較にならないほど大きい冒険になる。 まず、なんとなくやってみよっかなー、という程度の人は本なんて買わない。 買っても驚くほど簡単に挫折する。前の本も、アマゾンに「投げた」と書かれて 星一つのレビューがあった。あれが連発する状況を想像すると眠れなくなる。 また、前回の本は初級というよりは中級向けだったので、 玄人が読んでくれる余地があったし、むしろ玄人が宣伝してくれた点が大きい。 だが、今回はあまりにも内容が基本的すぎて玄人の読者は全く期待できない。 玄人にとっては全てが当たり前すぎて何一つ技術的な意味では発見はあるまい。 ゲーム会社や専門学校が教材として買ってくれることもありえない。 一応「我々はどうやってプログラミングをしているのか」という裏テーマはあって、 そういう点を面白がってくれる人はいるかもしれないが、 技術的な観点から興味がある人はそのようなことに見向きもすまい。 つまり、読んで欲しい人ははっきりしているが、 その人達が自発的に金を払う姿が想像できないし、 その人達が最後まで読んでくれる公算も高くない。 必要性に迫られた人、つまり社会人になってしまって仕事で必要になった人は 金を払ってくれやすいが、そういう人にアピールするには あまりにも回り道が過ぎる。PHPでCGI、みたいな具体的すぎる目標がある状態で、 これほど基礎的な本を読む心理的余裕があるかどうかは極めて怪しい。 学校の類の組織購入に期待することはできなくもないが、 私が書く本となれば文章量はどうしても多くなる。 中学生高校生は読書経験が少なく、 文字が多いことがダイレクトに不利になる可能性が高い。 「文章を面白くする」ことをかなり優先しているが、それが裏目に出る可能性がある。 したがって、そのような売上を期待するのも難しい。

売りたければ、本を買うほど切実な理由を持っている人間に対して ピンポイントにニーズを満たす本を作るのが基本だ。 しかし、その路線は三つの点から不可能である。 まず、その路線の商品は世にあふれていてすでにレッドオーシャンだ。 次に、私が多数派がいるジャンルの技術を持っていない。 そして最後に、私がそういう本を書きたいと思わない。

といろいろ悲観的に書いたが、実のところ私は楽観的だ。 この市場は間違いなくブルーオーシャンで、何か他の本と競争になることはない。 相対的な要素はなく、ダメなら私がダメだし、売れたなら私が正しかったことになる。 こんなに愉快なことはない。 それに、商業上のメイン顧客はたぶん中高生などの未経験者でなく、 プログラマという名前で就職してしまいはしたものの、 さっぱりわかってない自覚があって困ってる人だろう。 そういう人は実質プログラマではなく、完全な未経験者と大差ない。 あと、もう一つ、ゲーム会社にいる絵かきや企画にも読んでほしいというのがある。 どちらの職種でもスクリプトを書く必要性は高まっているので、 プログラミングの基礎を理解したいというニーズはある気はする。 こっちとしても、彼らにプログラミングというものが 何なのかを理解してもらわないと仕事がやりにくい。

ネットの向こうにHDDを置くことは、 速度や、帯域という資源の不利がありながらも便利だから 普及している。GPUはどうか。結局ローカルに差した方が安くね? というか、CPUに入ってるのはタダじゃん。 それで足りない用途が確かに今はまだあるかもしれない。 しかし、これから急速にそういう用途は少なくなっていき、 ネットの向こうに投げることの旨みは減っていく。 わからん。NVIDIAには何か私に見えてない事が見えている。

スケールメリットの大きな技術体系の後に スケールメリットの小さな技術体系が出てきて駆逐する、 というパターンは結構よくある気がする。 集中化しておいしいのは、スケールメリットが輸送コストより大きい場合に限られる。 発電所が集中型なのは、デカい発電所ほど効率が良かったからだが、 これがだいぶ変わってしまってこれからは分散だろうという話になっている。 太陽電池が屋根という屋根に取り付けられる時代になり、 ビルごとにガス発電機が据え付けられるようになったとすれば、 デカい発電所は今ほどはいらない。 昔デカいコンピュータとショボイ端末という組み合わせが良かったのは、 データ転送に伴うコストよりも、 計算力のデカいマシンをドーンと置くスケールメリットが勝ったからだ。 しかし、普通のPCの性能が上がるとそこはどうでも良くなり、 計算をサーバでやることは廃れた。 一方、データの蓄積についてはサーバに集中させる方が使い勝手がいいケースが多く、 データをネットワークの向こうに置くことが優位になりつつある。 これは通信インフラが整ってきて転送コストが下がったからだろう。 しかし、ネットワークの向こうと言っても分散型のシステムで サーバを作っていたりすると、 昔のようにデカい機械がドーン、というわけではなかったりする。

じゃあGPUはどうだ。まあないとは言えないよな。 全員が同時にGPUを酷使しないのであれば、 100人分別々にGPUを置くより、 同時に使う人数分のGPUをサーバに置く方が理論上は安くなる。 同時に50人しか使わないなら50個でいいからだ。 大量の社員全員のPCに20万のプロ向けGPUを差さねばならず、 機種の入れ替えをバラバラにやるのは面倒くさいし、 複数機種混ざってると互換性で面倒くさい、 みたいなことになるならたしかに中央に集めたくもなりそうだ。 お高い最高性能の機械を大量に必要とし、 常に進歩に合わせて機械を入れ替えていくような業界では 成立しそうな気がする。 どんなに非力なノートPCでも最高のデスクトップと 同じ仕事ができるようになるわけで、 クライアントのハードウェア構成を気にせずに済むのは大きい。 でもまあ、やっぱりそれがおいしい状況は限られる気がする。 例えば私の場合で言えば、いきなり会社のPCが5万のノートに変えられたとしても、 あんまり困らないんだよな。普通にコンパイルできるし、 DirectX9やOpenGL2くらいなら動く。 そういう仕事で済んでいるなら全然おいしくないことになる。 まあモニタは別に買ってきてさすだろうが、それだけのことだ。 というわけで、よくわからない。

電気の固定買取が始まってしまったが、 不安定な電力が電力網に流れこむのは邪魔でしかない。 見切り発車すぎないか。売電はなしにして、 それぞれで蓄電池を置いてそこに充電しながら 使う分にはインフラに負荷がかからないわけだから、 補助金を出すにしてもその範囲で出せば良くね? 風力なら夜でも回るのでまだ平均化できるかもしれないが、 太陽光は何をどうやっても昼間だけだ。発電所を減らすことはできないから、 総コストはあまり減らない。 普通の火力や原子力は分単位で出力を調整できるような代物ではないのだ。 とはいえ事情はわかる。例えばマンションの持ち主が 屋根にデカい太陽電池をつけるとする。 これに意味があるのはこの電気を誰かに売れる時だけだ。 住民に売れればいいが、電力会社以外が電気を売ることは現状禁じられており、 たぶんこの規制は外したくないんだろう。 住民にタダで電気を渡すがその分家賃を上げる、 という選択肢は理論的にはありうるが、実際には無理だ。 なので、電力会社に買ってもらう以外の選択がない。 そのコストは電気代に反映されるので、実質これは税金になる。

太陽電池は平均化能力が風力に劣る。日本全体雨なんて珍しくないし、 夜は日本全体夜だ。全く平均化されない。 こいつが流行るためには、蓄電池が一緒に進歩することが絶対条件になる。 実家は屋根の面積が広く置いてもいいんじゃないかと思った事があったが、 やっぱりまだ早いな。 災害耐性の面から言えば自立運転できるエネファームの方がいい。プロパンガスだし。

拡張子って何?って人はたぶん多い。windowsは標準では隠されるからな。 その状況で「include "functions.txt"」と書かせるのは大変だ。 デスクトップ上には"functions"としか書かれてないわけで。 というわけで、省略されていれば.txtを補うことにした。 どうせエディタはメモ帳なので.txt以外の選択肢はない。

包丁の切れ味がいまいち。研ぎの効果が持続しない。 魚さばいたりニンニクをスライスしたりするとどうにも不満が出てくる。 あと、両刃は研ぐのが面倒だし、単純に角度が大きいので切れ味がそもそも悪い。 片刃がいいよなあ。できれば鋼で。 しかし、濡れた流しの上に平気で包丁を放置するうちの文化から言って、 ステンレスは絶対条件。 さらにうちにはオタマがいるわけで、包丁を複数使い分ける贅沢は許されない。 それだけ危険が増す。 今使っている21cm牛刀を置換できる使い勝手でないといけないとなると、 もっと固い材料を使った牛刀にステップアップか、 ステンレスの舟行か鎌形か。ひつじこ片刃使えるかなあ。

2012年07月03日

脱常識の世界史。 一時原子力はダメ、みたいな風潮に流されそうになったが、 やっぱり原子力だろと改めて思った。 しかし、一番簡単なのは世界人口が減ることだろう。 人口が減れば太陽光のような非効率な手段でも生きていける。 幸いにして、世界人口はどこかで減少に転じるはずだ。 すでに先進国の大半は人口減少に転じている。 新興国の人口増加が続く期間も長くないだろう。 2100年あたりには世界人口は減り始めてもおかしくない。 もしそうなれば、2100年まで耐えられればオーケーということになり、 小型高速増殖炉の量産、という技術的社会的難易度の高い 目標を掲げなくてもどうにかなる。

でも、保険として原子力はやっておいた方がいいんじゃないのか。 それも小規模分散型で。リスクはたかだか放射能程度だろう? ぶっちゃけ地球全域で1uSv/hの線量で汚染されたとしても、 それで得られるエネルギーのメリットの方が大きくないか。 たぶん大抵の人は同意しないだろうが。

一人あたり20平方メートルの家に住んだとして、平均4階建てだとすると、 一人あたりの太陽を受ける面積は5平方メートルとなる。 1平方メートルの太陽電池は一日平均450Whくらい発電する。 5平方メートルあれば、2250Whで、2.25KWhだ。 月あたり67.5KWhとなる。 うちの電気使用量と比べると、「すごく少ない月の半分」だ。 3人家族で面積が3倍だとしても、「一番多い月の2/3」であり、 つまり足りない。太陽電池の効率が1.5倍になっても、 まだギリギリだ。そう考えると、 「補助電源としてはいい線行ってるが、メインは無理」 というあたりが限度だろう。大規模化しても送電ロスその他でおいしくないので、 基本的な使い方は「屋根という屋根、壁という壁に貼り付ける」 となる。土地は希少な資源なので、空いてる土地に 太陽電池を敷きつめればいい、という発想はダメだ。 空いているなら森にしておいた方が環境負荷的に良い。 ただ、実のところうちらが使っているエネルギーのうち 家で使う電気が占める率はわずかだ。 物を買えば、その物を作ったり運んだりするのにエネルギーを使う。 食料の生産にもエネルギーを使う。 うちらがPCやテレビや冷蔵庫に使っている電気など、 それらの間接的なエネルギー使用に比べればゴミみたいなものである。 したがって、今あるデカい原発や火力発電所をなくせるわけではない。 あくまで「発電所死んでもそれぞれの家でそこそこ電気使えるし、 送電コストも減っていいよね」 という物にすぎない。日本は中国に比べてエネルギー効率が高いが、 実のところ中国でエネルギーをつぎこんで作った物や食料を買っているので、 見かけほどエネルギー効率が高いわけではない。 世界全体で考えれば、太陽電池など補助以上にはならない。 まあこういうことだな、著者が言ってることは。 石油やガスを燃やすか、嫌なら原子力にしろ、ということになる。 他に選択肢がない。

にしても、農耕によって生活水準が落ちた、という説は最近よく見るな。 糖質制限ごっこ開始以来、 そういう説に目が留まるようになったという話かもしれないが。 「物語 食の文化」でも、 古代の日本人はクリを主食としていたので他の地域に比べて虫歯が多かった、 という記述があったし。 澱粉、やっぱいらないんだよ。

もっとも、本当にいらないとしたら何故人類が澱粉の分解酵素を持っているのか、 という疑問は残る。澱粉を食える体であるのは澱粉が必要だからではないか、 というのは説得力がある論理だ。 「たまたま澱粉を食える突然変異をした奴が有利で、その子孫が生き残ってるだけ」 という説明でも一応納得できなくはないのだが。 食えないよりは食えた方が有利なことに間違いはないのだし。

農業は人類に合わない、というのは確かだろうし、 農業の主役である穀物は人類の食い物としては不適切なんだろう。 ただしそれは生物学的な話であって、 エネルギー効率と土地効率の観点からは他に選択肢がないわけだ。 「1gの蛋白質を生産するのに必要なエネルギー量」 という観点から生産する作物を考え直せば 効率は随分と変わるのだろうが、そんなマネは無理だし。 とりあえず穀物から豆に移るとだいぶマシになるんだろう。 蛋白質あたりのコストでは大豆が最強であることは以前計算してよくわかった。 必須栄養素の主役は蛋白質である、という観点に立てば、 大豆を主食とするのが一番合理的だろう。 というか、うちはすでにそうなりつつあって、 かなりそれに近い状態。今のところ健康状態に問題はなさそう。 たまに酸っぱい物や甘い物を異様に食べたくなるのは、 時間がなくて野菜の摂取量が減っていて ビタミンが足りてないからだろう。発芽大豆だけではさすがに足りないらしい。 野菜食べないとなあ。それは食生活の設計の問題というよりも、 単純にオタマの湿疹と仕事のせいで料理と買い物の時間が取れなくなっているからだ。

オタマの湿疹がこのおかしな食生活の結果だという疑いはもちろんある。 しかし、ひつじこの体質が強く遺伝していることはおよそ疑いなく、 ひつじこが小さい頃に悩まされた症状と似ている。 したがって、ひつじこが小さい時に比べて症状が強いか弱いかで、 生活習慣に問題があるかないかはおおよそ推測できる。 また、ひつじこは今でも弱いので、オウムの建物にインコを 持って入るのと同様の効果を発揮する。 悪い習慣ならひつじこの調子が真っ先に悪くなるのである。 オタマやインコと違ってひつじこは状態を言葉で説明してくれるので、話が早い。 ちなみに、私もあまり強くないので、体調不良に対する感受性は高い。 おかしな方向へは行きにくいのではないかと思ってはいる。

ミョウバン。硫酸イオンと金属イオンの塩。 金属イオンはおおよそカリウムやアルミ。鉄などであることもある。 これが効果を発揮するとしたらどういう仕組みか。 まず、一部の陽イオンは細胞を殺す効果を持つ。 銀イオンや銅イオンが良く知られている。 しかし、アルミやカリウムにそんな効果はなかろう。 硫酸イオンも安定でそれ自身は何もしない。 ということは、液性だわな。 塩を溶かした時の液性は陽イオンの塩基、陰イオンの酸のどっちが強いかでわかる。 硫酸と、水酸化カリウムと、水酸化アルミニウムであれば、 硫酸と水酸化カリウムは互角だが、水酸化アルミニウムは弱い。 結果酸性になる。酸性条件下では体に有害な菌は増殖しにくいので、 それが体臭などにも効果があるということだろう。

うちではどうか。たぶん効果は出ない。石鹸を追放したために、 皮脂があまり流されずに残っている状態が続いている。 皮脂は微生物が食べれば酸が出る。 だから皮膚はほとんど常に酸性に保たれている。 塩基性に傾いていらん菌が繁殖するような状態にはそもそも なっていない。実際、石鹸を追放してからうちの家族の体臭は顕著に減った。 石鹸を追放していない家庭では効果があるかもしれない。

つうか、アトピーなら石鹸は即時やめるべき。 殺菌消毒も全て害。食べ物に関してはまだわからないが、 ここまではほぼ間違いないと思われる。 保湿クリームの類がほぼほぼ詐欺商品であることも理屈の上からほぼ確実だろう。 水を吸ってゲルになった紙おむつに種をまいても生えないそうである。 水を抱え込んで外に出さないからだ。 保湿クリームの類はおおよそ皮膚から水を奪ってうるおっているフリをしている だけだろうと思う。昔傷口がなかなか治らず 尿素クリームをせっせと塗っていた時期があったが、全く治らなかった。 一ヶ月以上続いたと思う。それがラップでくるんだら数日で治ったのである。

昼は肉じゃがいもレンズ豆煮込みからじゃがいもばかり抜いて食べた。 眠い。明らかに眠いぞ。

wiki遅いな。atomのせいなのか。だがその前にソフト側だ。 mod_perlって標準で有効じゃないよな。まずはそれか。

大豆のリノール酸リノレン酸比率は7.4で、 推奨される4以下に比べると大きくダメである。大豆だけで油を摂っていると リノール酸がとりすぎになる。しかし、 普通の人が食べている比率は7どころではない。 下手をすると20とか50とかいうそういうレベルである。 キャノーラ油と大豆油を除けば、 他の油にはほとんどリノレン酸なんて入っていないからだ。 その意味で、大豆ばかり食べていたとしてもそんなに 致命的に悪いわけではないんではなかろうか。 実際には魚を食べているので比率はかなり改善しているはずだし。 栄養学的な理想形は、「油は魚とオリーブオイルだけから! 豆とかナッツとか肉とか乳とかダメ!」ということになるのかもしれんが、 それはコストかかりすぎ。大豆やナッツは料理しなくても食えるが、 魚やオリーブオイルはそうは行かない。

プロセッサ丸ごと不揮発化しないかなあ。 人類は「可能になるともうかること」は多少難しそうに見えても案外やってしまうので、 すごい電池とか、不揮発化メモリとかはたぶんそのうち実現するんだろう。 結局どれだけ金をつっこんだかが全てを決めている印象がある。 ベンチャーがすごいのを発明して世界を席巻、みたいなことはそうそう起こらない。 最初の理屈くらいは発明したとしても、それで終わりで発明した人は大してもうけない。 大企業に買われて本格的に金がつっこまれなければ使えるレベルにはならないのである。

2012年07月02日

アナログ出力をデジタル化して無線で飛ばす機械と、 無線を受けられるスピーカーの二つが必要。

健康になるほど健康の価値が上がるので健康に気をつける。 高収入な人ほど健康の価値が上がるので、健康に気をつける。 健康になるための行動には知識と知性が必要とされる。 みたいなことから、高収入高学歴で健康な人間ほどより健康に気をつける。 健康に関する格差は放っておけば広がる方向へ行く。 理屈としては正しい。これを止める手はないか。 政府が介入することも必要だろうが、 それ以上に不健康のコストが誰にとっても高くなれば いいんだよな。

蛍光灯は白熱灯を撲滅できなかった。 調光機能、耐候性、単純さ、製造コスト、演色性、水銀の使用、 などの面で大幅に劣っている。 LEDにはこれらをどうにかする可能性があるわけだが、 先に蛍光灯を撲滅する気もする。コストと効率だけ改善すればいいから、 そっちの方が簡単だろう。 いずれにしてもLEDはそれまでの照明を全て撲滅する可能性を持っている。面白い。

LEDって半導体だから、面積にコストが比例するんだよな。 でかくて弱いLEDを作ったら熱密度減っていいんじゃね? とか思ったがコストがべらぼうになるんだろう。 蛍光灯は低コストで広い面積を光らせられる優れた方式なのだなあと思う。 有機ELはそこを解決できるのか。

固定費が自由を奪う、みたいなコラムを読んだ。 何かを維持することにエネルギーが取られて選択肢が減り、 にっちもさっちも行かなくなる。 食費に、家賃、電話ガス水道電気。さらには趣味や教育。 こういうものにいくら取られていて、 毎月いくら残るのか、ということだ。 同じように時間に関する固定費もある。 どれだけの時間が自由にならないのか。

家を買うという選択は、固定費を跳ね上げる。 家賃は通常は固定費だが、いざとなれば引っ越してしまうことができるので 本当の固定費ではない。家にかぎらず借金は未来の前借りであり、自由を奪う。 変化が激しい時代に自由を奪う選択をすることは リスクを高めることになる。 重要なのは欲しいかどうかで賢いかどうかじゃない、と言う人もいて、 ある程度は正しいと思うが、 許容できないリスクを背負い込むような欲求は押し殺すべきだ。 賢い賢くないの話ではなく、家族に対する責任だろうそれは。 本当に家が必要か?欲しいだけだとすれば、それに耐えられる見込みはあるか? 周りで家を買う人がたくさんいることがどうにも不安だ。 しかし、そうやって他の人が家を買って経済を活性化してくれることは ありがたいことではある。 「私以外の人はどんどん金を使ってくれ」という台詞は不道徳だが 本音としてはありうる。

でも、日本は賃貸率を上げるべきだと思うぞ。基本不安定になるわけだから、 マイホームなんていう昭和の一時期の流行を引きずるべきじゃない。 マイホームがファッションにすぎないという認識は持っておくべきだ。 さすがにうちらが老人になる頃には、「老人は賃貸拒否」 とかそうそうなくなってるはずだけどな。 それに、人口がすごい勢いで減って過疎るわけで、 不動産は大都市圏以外では下落するはずだ。 今でも中途半端な地方都市なら1000万でお釣りが来る物件がある。 マイホームなる流行が終われば、賃貸に適応した形の経済に再構成されるだけで、 別にそれで問題ないはずだ。 家を買うというのが一部の金持ちの道楽になればいいだけのことだろう。 嫌でもそうなるはずだし。

そういえばピアノのレッスン費用がなくなったので、月平均の固定費が6000円減った。 どうも昇進して給料が5000円増えるようなので、 自動で投資される金を1万円増やしてもいいかもしれない。 銀行に入る金が増えると無駄遣いしやすくなるので、 その前の段階で止めておくのが重要だ。

返せない借金は、返さないと宣言するか、インフレで借金を軽減するかしかない。 もちろん返すという選択はあって、 対GDP比が増えないレベルに財政赤字が抑えられれば アリではある。 しかしそれは成長率が0なら借金の増加を0にせねばならないということだ。 成長率が1%あったとしても、借金の増加を年5兆円に抑えなくてはならない。 今予算規模の半分が借金で、50兆近くあるわけだから、45兆も予算規模を縮小するか、 45兆増税するかだ。できる気がしない。人口減少で予算規模が自然に減るとしても、 税収も一緒に落ち、GDPも落ちるので相殺される。 そう考えると、日本は高確率で借金を返せなくなる。

結局よくわからんが、やっぱり円安になったりインフレしたりする確率はあって、 保険をかける必要があるように思われる。 わからない時には「ありうる」と考えるのがいい。 そして、リスクは貯金に対してのものにすぎない、という認識も重要だ。 今この瞬間に貯金がゼロになっても、金を稼ぐ能力に影響はない。 貯金がなくても生きていける状態にすることが最優先だ。 極端な話、「毎年貯金に1%税金かけます」とか言われてしまえば 貯金がどのような形であっても守れなくなるのだから。 もちろんそんな税金が出来る率は低く、貯金を守ることには意味があるが、 分散させる以外に有効な手なんてないだろう。なにせこっちは素人なのだ。 管理の手間が許容できる範囲で極力バラしておく、という以外のことはできない。

あの上祐氏が、デモくらいで変わるわけないじゃん、 的な発言をしていて、なんとも重い発言だなあと思って面白くなった。

日本人の大半は大きな流れに対して自分が介入できるとは思ってない。 介入によって得られるメリットが極めて小さいと踏んでいる。 だから、選挙で入れる党を変えるくらい低コストな行動でない限りやらない。 デモに行くのでも相当変人だ。普通はデモに行くコストすら許容しないわけで、 デモ以上のことをやるなんてまずありえない。 しかし、低コストな行動については雰囲気さえ作ればコロリと変わる。 「自民党に入れるのはかっこ悪い」という雰囲気ができたらあっさり政権交代した。 それが何をもたらすのか真面目に考えた人間は少数派だ。 直接的に自分に影響があることについてはそれなりに考えるにしても、 少し間接的になるとすごい勢いでどうでも良くなるので、 TPPやら原発やら国防やらのように間接的な話題については 少数の雰囲気を操作できる人間がどう操作するかでおおよそ決まる。 地デジもそうやって成し遂げられたのだろう。 少数の強い利害関係を持つ人間の力が相対的に強いのがこの国の文化なのだろうと思う。 財政規模を縮小する方向に舵を切ることはおよそ考えにくい。 増税の方が政治的に簡単だ。

こんなに余裕がない中「商店街はなぜ滅びるのか」を読み終えた。 新書なので1時間かからないし、 論理展開が素晴らしくわかりやすくお手本になるという評価だったので、 参考にしようと思ったのもある。しかしまあ言い訳だ。単純に読みたかったのである。 非常に良い本だった。

商店街についてそれが発生してから崩壊していく過程を、政治や経済の状況まで含めて 総合的に語っている。簡単に言えば、 商店街は農村を離れた人間の雇用を吸収し、安定させるために生まれた。 農村から都市に出てきた人間は工場で雇えばいいと思うかもしれないが、 戦前からすでに工場は狭き門になっており、何のスキルもない元農民を 雇う場所ではなかったらしい。しかし農村から都市に出てくる人間は増える一方であり、 都市で何らかの職につかせる必要があった。 小売はそういう職の中では一番有望なわけだが、 あまり適当な小売が増えすぎると消費者側も不利益を被る。 そういうわけで、ある程度身分の保障をしたり、 「この土地にコメ屋は2軒」のような規制を加えて安定化を図ったわけである。 もちろんやりすぎると雇用を吸収することができなくなるため、 そのあたりはさじ加減が難しかったようだ。 そんな頃、デパートが日用品に手を染めて業態を拡大し始める。 零細小売とは比較にならない効率性で、客はどんどんそっちに流れていく。 これではいかんと、零細な小売が集中して店を出すことで 「横に広がったデパート」を形成しようとしたのが 商店街なのだと言う。ここまでは良かったんだろう。 しかし、ここから先はダメだ。 経営努力をするよりも政治力を使う方向に行ってしまった。 なにせ零細小売業は数が多いので、票田としても強い。 政治的な力も強まり、デパートに対抗するために デパート側に規制をかけることに成功する。 政府としても、下手に効率化されて人がいらなくなると雇用を吸収できなくなって 厄介なので、ある程度は言うことを聞かざるをえないという事情もあった。 スーパーが出てきた時にも同じ手で規制をかけて対抗し、それにも成功する。 しかし、当然消費者側の怒りは大きい。安く便利に買いたい消費者を敵に回し、 商店街を構成する小売業者は悪玉扱いされるようになる。 しかも、零細小売業者には時限爆弾があった。 彼らは元々家族経営で、家族以外を店員に雇ったり、 家族以外に店を継がせたりすることを肯定 できなかったのである。結果、跡継ぎ問題が起こって内部から自壊を始めた。 さらに、そこにつけこんだスーパー側がコンビニという業態を持ち込んで、 既存の小売業者をスーパーの論理に染め上げる戦略に出た。 アメリカの圧力も大きい。規制緩和の圧力で、定価販売や大型店の出店規制は 次から次へと撤廃されていった。元々効率化の努力もせず規制にあぐらをかいていた 零細小売業者は完全に詰んでしまったわけである。

2012年現在、商店街の崩壊はおよそ完了している。 ただ、住居と店舗が分離していないために、 店が閉じているのにそこに人が住み続けて他の事に土地を使えない、 という事情から、その跡が未だに残っているのだ。 もう20年もすればそうした土地が整理されて、 今までは郊外にしか作れなかった大型店舗が 都市の中心部に作られるようになるだろう。 そうなれば、商店街なるものがあったことの 痕跡は完全に消えてなくなることになる。 すでにそうなった駅前地区はたくさんある。

ひつじこの実家の商店ことを考えずにはいられない。 いろいろ話を聞いたが、特に興味深かったのは、 近所に安売りをする酒屋ができた時に同業者で連れ立って抗議しに行った、 という話を聞いたことだ。当時は定価販売が当たり前で、 安売りは常識外れなことだったという。 しかし、当時からひつじこの兄は「やったもん勝ちだよ」と洞察していたそうだ。 今にして思えばその通りだが、その当時はわからなかった、 とひつじこの母が述懐していたのが感慨深い。 ひつじこの実家は大手でないマイナーコンビニチェーンのフランチャイズとして 生き残っているが、大手のような統制も上納義務もなく、 かなり緩い業態だ。24時間営業でもないし、毎週水曜は休んでいる。 うまくやった、とひつじこは言う。その通りだろう。しかし、跡継ぎはいない。

また、去年死んだ福島の祖父の家も似たような商店だった。 こちらはコンビニ化することなく、田舎商店のまま店を閉じた。 最後の20年は利益は全く出ていなかったと思われる。 しかし、祖父はずっと役人で、店は祖母がやっていたため、 店がどうあれ年金で暮らせたのである。あれは趣味みたいなものだった。 そういえば、近くにセブンイレブンができたのは結構前の話だが、 そこではかなり長い間タバコを売れなかったと言う。 祖母の店があり、距離規制で許可が下りなかったからだ。 今はさすがに売られているだろう。 確認してはいないが、酒を売れなかった期間も長かったのではなかろうか。 祖母の店の隣は酒屋だからだ。 絵に描いたような「既得権益にあぐらをかいていた」図である。 滅ぶべきだったし、実際滅んだ。しかし田舎であることもるし、 まだ祖母が住んでいるので、あの土地がより経済効果の高い用途に 転用されるかはわからない。されるとしてもかなり先になるだろう。 土地は叔母が受け継ぐが、叔母がそれをどう扱うかはわからない。

今30代より下の人は、「米を米屋以外が売れない時代があった」 「塩を売れる店は政府が認可した店だけだった」 「ほとんど全てのものが定価で売られていた」 というようなことを言えばびっくりするだろうし、 下手をすれば信じないかもしれない。 私もそれを自分の目で見たわけではないが、デパートは18時に閉まっていたし、 スーパーは結構遠くにしかなかった。 今でも「塩」と書いた錆びた看板を見ることが稀にあるし、 考えてみれば「希望小売価格」などというものそのものが歴史の遺物である。 昔「定価」と呼んでいたものが、名前を変えただけだ。 つまり、そんな世界はそんなに昔のことではない。

商店街には積極的な意義もあったと筆者は言う。 それは私もわかる。その土地の社会を作る場だ。 ひつじこの実家には近所の小学生が菓子を買いにくる。 そこに変わらずひつじこの両親がいるからこそ、 コミュニケーションがあって地域社会の形成に寄与するのであって、 完全なコンビニになってバイトがどんどん入れ替わる状況になれば そのような意義は果たせない。 実は祖母の店はまだ微妙に開いていて、近所の老人が世間話をする 社交の場としての役割をまだ保っている。 祖母が死ねばその役割は終わるし、 車を持っていない人は生活必需品を手に入れる術を失うだろう。 街と街の間にあるのだが、片方の街は坂をかなり下ったところにあって、 自転車で行けば帰って来られない。もう片方の街まではかなりの距離がある。 車がなければ生活が不可能な土地である。 車を前提とした新しい世帯がうまく助けていかなくてはならないだろう。 うちの両親はそうしているが、子供夫婦が近くに住んでいない老人は どうするのだろうか。

街にある店がコンビニかスーパーに限られる状態ってのは、 あんまり気持ちいいものじゃない。 もちろん、そこまでは行かないだろう。 コンビニにもスーパーにも置けない商品はあって、 そういうものに関しては専門店が残るだろうし、商売をがんばっている店は 残れるだろう。規制にあぐらをかいている店の代表格 だった酒屋だって、工夫している所は残っている。 ネット通販を始めたり、 店の色を強く出すことでファンを集めたりすることはできるのだ。 しかし、そうやって頑張らない店は消滅するわけで、 20年後の個人商店の数は今に比べればずっと減っているはずだ。 隣が誰かわからん集合住宅と店員とのコミュニケーションが皆無な コンビニやスーパーだけで構成される街、というのはすでに現実で、 すでに後戻りできるような状況ではない。 もう変化は完了している。ただ、個人商店の跡がシャッター街として 残っているだけであり、これもそう遠くないうちに消える運命にある。

まあ、しゃーないな、としか言いようがない。そういうもんだ。 私は先日岩手の布団洗い業者に布団洗いを頼んだ。そういうことである。 にしても、ひつじこの同級生とかで店を継いでしまった人がいる、 というのはさすがに気の毒だ。それなんて無理ゲー。 パナソニック製品しか置かない零細電器屋をそのまま継ぐって、 無理ゲーにも程がある。しかもきっと親父の目が黒いうちは 業態を変えることは許さない、なんてことになったりするんだろうし、 この時代に継いでしまうくらいだから世界も見えてないんだろう。

私が住んでいる糀谷にも商店街がある。 商店街は戦後、繁華街商店街、駅前商店街、 住宅街商店街の3レベルに分けて整備されたらしいが、 繁華街商店街は蒲田、駅前商店街は糀谷駅前、住宅街商店街はうちの前の通り、 という具合に分類するとそれっぽい。 そして、うちの前の通りの商店街は完全に壊滅している。 ただ例によってそこにまだ人が住んでいるので土地の転用が進んでおらず、 そこに店があったことがわかるというだけだ。 看板すら色あせつつそのままだったりするのが余計に物悲しい。 だいぶマンションに変わっては来ているが、あと10年くらいはかかるんだろう。 私が住んで10年だが、その間にもかなり転換は進んでいる。 一方糀谷駅前商店街はもう少し生きている。ただ、環八の北側は長くない。 まだ米屋が存在していること自体が驚きだ。 糀谷駅周辺が再開発され、 駅が環八に面して駅ビルができれば、おそらく壊滅するだろう。 環八の南側は滅んだ店をそのままにせず別の店にしたりしてがんばっているので、 おそらくは生き残れると思われるが、個人商店はやはり多くないし、 マンションになる例がちらほら出てきた。 蒲田は良く知らないが、 大きな通りに面した店は吉野家やらの企業による店がほとんどで、 個人商店は少ない。西側で駅から少し離れると元個人商店のシャッター街になる。

そういえば大鳥居は駅前商店街も壊滅している。あれは住宅街商店街なんだろうな。 考えてみれば空港線はかなり新しい路線なので、 糀谷駅前もそうだろう。ただ、元々人がたくさんいて 賑わっている場所だったというだけのことか。 川崎大師駅の前にも商店街があるが、あそこはどうなんだろうなあ。 近くにイトーヨーカドーとホームセンターと 電器屋がくっついたショッピングモールがドーンと存在している。 元々門前町で賑わっていたのかもしれんが、生き残るのは大変だろう。

オタマはどういう世界を生きていくんだろうか。 30年年下なわけで、きっとひどいギャップがあるんだろう。 うまく話ができるといいが。 とりあえず、テレビ番組はすぐに繰り返し見られるものだと思っているし、 特定の時間に放送されるという概念 も全くない。これから5年くらいのうちにそれは本当の現実になるかもしれないな。 というか、是非ともそうなってもらいたい。

漫画に関して韓国と交流するイベントがあるっぽいのだが、 「韓日連携」と書いてあった。 やっぱり日韓じゃなくて韓日なんだなあ。

比例で受かって離党はないよな。本当ない。 禁止するまでもなく、恥すぎてしないだろそんなこと。 だが、現実はこうだ。それでも騒がれないくらいに 政治がどうでもいいものに成り下がったということだろう。 残念なのは、それくらいどうでもいいにもかかわらず、 結構未来を左右してしまうということだ。

この近所には平将明という人のポスターが結構貼られている。 サイトを見たが、なんかまともそうだった。 一回政治家がしゃべるのを小規模な場所で聴いてみたいものだが、 そういう機会ってないかな。 できれば質疑応答とかある会がいい。ネタが限定されていて濃密ならなおいい。 暇になったら調べてみよう。

2012年07月01日

食材リストを更新した。というかwikiに別ページを作って 旧リストへの表紙からのリンクを外した。リンク貼るの面倒なので貼らない。

栄養、食材、料理法、などについてもwikiにページを作ってまとめた。 旧ページには非推奨と書いておく。 新ページは新ページで実験中なのでやはり非推奨なのだが。

蒸しピーナッツをアホみたいに食うオタマ。 下痢しないといいなあ。 次は30分蒸そう。あと、発芽をもう少し伸ばす。

レンズ豆や小豆のスープをオタマに食わせられないかなと思うが、 汁物を食わせる図が想像できない。 たまねぎ、にんじん、レンズ豆、にんにく、あとベーコンがあれば最高。 そういえば、昆布とレンズ豆って合うのかな。 ちょっと試験するか。

なるほど米、とりわけ白米は消化しやすい。しかし、おおよそカロリーしか取れない。 蛋白質やその他栄養素が足りるだけ白米を食えば、カロリーの取りすぎになる。 モリモリ食べて親の気持ちは癒されるかもしれんが、 実質的な栄養は足りない。菓子と大差ない。 幼児に野菜類を食わせるのは並大抵ではないわけで、 野菜をさほど食べさせられない状況でも栄養が取れるように設計しないとダメだ。 ゆでまくったり粉砕して煮たりした野菜には野菜の価値はなく、 これも気休めにしかならん。 しかし、固い大豆やナッツをそのまま食わせてゲリをされては話にならない。 ゲリ即湿疹だからだ。 穀物に頼らなくても消化がいい料理を確立したいわけで、 豆腐はいいヒントになる。 一番簡単なのは肉と魚とチーズをメインに食べてもらうことだけどな。 それらは加熱しすぎなければ消化しやすさは最強だ。 しかし、加熱が甘いとアレルゲンになるという面倒もあって難しい。

なお、米はまだ食べている。だんだんフェードアウトするつもりだが、 代替がなかなか難しいので、結局残るかもしれない。 飯から粥まで幅広く作れて、いろいろ混ぜられるのがすごく便利。

ゲリ原因候補。レーズン。蒸し大豆。蒸しピーナッツ。 レーズンは「あおいゆうちゃんごっこ」でヨーグルトに入れる以外の用途は ないので、包丁で刻んだりすれば多少はマシになりそう。 蒸し豆は発芽を長くして、蒸し時間も長くするくらいか。

今日のうんこはにんじんが赤いまま出ていた。それ以外は悪くない感じだが。

やなせが自分で描いたアンパンマンは話が意味不明で絵もアニメとだいぶ違う。 こっちが本来のアンパンマンなんだと思うんだが、 なるほど子供に見せるなら漂白されて化学調味料が足された アニメ版の方が使いやすいんだろう。 いやでも、原作の方がいいと思うぞ。意味がわからんが、絵本ってそういうもんだろ。 私は根本的にやなせをさほど評価してないんだが。

スパゲティをゆでるのに丁度いい鍋がないという悩みは、 スパゲティそのものを作らなくなるという驚きの解決を見た。 それはそれとして、デカい煮物を作るのに深い鍋が欲しかったりする。 直径21cm、深さ20cmのジオがいい具合なんだが、どうしよう。

スピーカーがPCの横にあると破壊される。 無線化して遠くに置きたい。しかし、USB音声出力がついていると チューナーが動かなくなる。 アナログ音声出力に差した機械でデジタル変換して無線で飛ばし、 スピーカーを離れた場所に置く、なんてことはできないものか。 ケーブルがつながっていればそのケーブルを引っぱって事故が起こるのは明らか。

あるにはあるな。しかし、音質やら使い勝手やらいろいろと問題がありそう。 使いながら同時に充電できないとゴミ決定だし。


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