だだもれ

2012年04月30日

ゴーダ4.5kgで買うと安いな。しかしそんなもんどうやって食うんだ。

会社の仕事でもらった名刺は会社のもので、会社で管理すべき、 という意見を読んだ。それはそれでもっともだが、 現実問題名刺の情報なんて会社でどう役立てるんだろうな。 もっとカタギの業界なら違うのかもしれない。

というか、そもそも名刺の価値が私にはよくわからない。 正直、まともに活用したことがない。 たぶん社会人としては落第なんだろうし、ビジネスマナーとかまるで知らんわけだが、 それでも滅多に困らないんだから仕方ない。

家族で外食に行くという実験。結論から言えば、 不可能ではないが望んでやることではない、ということになる。 料理しなくて楽、とか言う人もいるんだろうが、全く意味がわからない。 しかし、外食せざるを得ない状況になることもありうるし、 一回は試しておくべきだったのである。

なお、店はラーメンの壱鵠堂。二人で1250円。 モノは値段の割には良く出来ていると思う。 家族で入りやすいように工夫しているし、 メニューにも工夫が見られる。

ひつじこが掃除その他をしたいというので、 昼間はオタマと川。いまいち運動量が足りない。 無意味に走り回ったりしなくなってしまったからな。 コーナンやマルエツに行く方がよほど走る。 帰りにいつも触らせてくれる猫に会って、 また触らせてもらっていた。あの猫には感謝したい。

川の公園で小学生数人が袋にカニを入れて持ってきた。 どうもどこかでつかまえたらしい。 あのカニは生きては帰れないんだろうな、とか思いながらちらちら 見ていたわけだが、思った通りになった。 ビニール袋に入れたままグルグルと振り回して放り投げて、 落ちてくる袋をキック。 彼等が立ち去った後には、まっぷたつになったカニの死骸が残っていた。 子供というのはそういう生き物だよなあ。

そういえばオタマもタンポポを5本ほどちぎった。 その後「タンポポバイバーイ」と言いながら地面に何度も置く。 どうも元にもどらないことが不思議であるらしい。 妙に淋しそうな顔になったので、私が受け取って元にもどったかのように 装って地面に置いた。

2012年04月29日

ひつじこ実家。オタマのお誕生会的な意味合いもあって行ってきた。

全粒粉スパゲティをカルディで買っているが、結構在庫が切れる。 そして、成城石井は田端店にもいつものチーズがない。 こいつらは通販でどうにかしないとダメだ。 糖質制限ごっこをやるならスパゲティなしで生きられるように すべきかもしれないが、あんな便利な食材を捨てるのは惜しすぎる。

チーズが問題。グラノパダーノの粉はキロ2000円台であるが、 粉ではオタマのおやつにはならない。完全なハードチーズだと 固すぎるしなあ。

タマは2歳になった。3歳になったいとこに比べると赤ちゃんだ。 図体はでかいんだけどな。

カルディで普段買ってるもののうちスパゲティ以外は通販で買える。 何故スパゲティが買えないのかわからない。

ひつじこが髪を切った。小坊主みたいでいい。 たぶんひつじこは坊主が一番似合うので、短いほどいいのである。 残念ながら社会的な事情から坊主にはできないのだが。

ああ、レンホウみたい、って言えばいいのか。

2012年04月26日

最小二乗法。線形結合で書けさえすればモデル関数の形はなんでもいいのか。 しかし、無理にあてはめようと負の係数で辻褄を合わせようとしがちなのが困り物だ。 フーリエ変換でもそうだが、近似に波打つのはつきものなんだろう。 係数が正の範囲で最小化するようなアルゴリズムってないのかな。 最小化関数が線形なら線形計画法が使えるが、この場合はそうも行かない。

カメラ勉強中。実物に触ってないけどな。 小絞りボケという言葉を覚えた。 それにしてもカメラ関係のwikipediaはずいぶんと充実して見えるし、 カメラ関係のサイトはすごくマニアっぽい。 好きな人多いんだな。実に金のかかりそうな趣味だ。

デジカメで動画取れるしビデオカメラいらないじゃん、と思っていたが、 ズームと電池の問題があれば確かに話は変わってくる。 うちのデジカメは4倍しかズームできないし、電池もすぐ切れる。 でかい図体には意味があるわけだ。でかくないと光量を保ってズームできないし、 でかい電池も積めない。 でも、買う日が来るのかどうかはわからない。 運動会で走るオタマをズームで撮る、みたいなことをうちらがしたがるのかどうか。

iPadとか携帯電話とかのカメラのレンズを見るにつけ、 これで画質がいいわけがないと思う。 しかし、おもちゃとしては十分使えるし、メモがわりにもできる程度の解像度はある。 デジタル処理バンザイだ。 そりゃ安物のデジカメの居場所はなくなるよな。 高級機にしか生き残る道がなさそうに見えるが、 高級機の市場が広がるわけでもない。どっかで見た話だな。

1/2インチCCDの対角長さが1/2インチじゃないって納得行かんなあ。 何の規格もないっぽく、実際何ミリあるのかは個別に調べる他ないわけか。 しかし調べてる人はたくさんいるので、どの機種がどうかはすぐわかる。

5月末くらいになったら今年の防水デジカメ比較記事が出るだろう。 そしたらまた検討する。

ショパンエチュードは3番をやっている。いわゆる「別れの曲」。 中盤のごちゃごちゃした所はたぶん慣れれば難しくない。 ごちゃごちゃした感じは楽譜通り弾けば出る。 問題は最初と最後のゆっくりした所だ。 楽譜通りに音を鳴らすだけなら簡単だが、綺麗に弾くのは恐ろしく難しい。 3番は後回しにしてもっと機械っぽいのを先にやるべきだったか。

さすがに夏までにはチェルニー40が片付くんだろう。 今週で39を絶対終らせる。 ここ数ヶ月ロクに弾けてなかったが、 ちょっとどうにかしたい。でも、ダメかもしれない。

オタマは「やめて」を覚えた。後ろ歩きも楽しそうだった。 気がつけば完全に人間になっている。 ちょっと前まで哺乳類の一種だった気がするんだがなあ。 大したものだ。

うちは「とーちゃんかーちゃん」だが、 そのうちはずかしくなってとーさんかーさんに直したりするのだろうか。 なお、私の家はパパママで、小さい頃は結構はずかしかったが、 呼び方を変えることはなかった。 なお、「とーちゃんかーちゃん」は若干の不便もある。 ちょっと前までオタマの発音だと全部「あーちゃん」だったんだ。 「タマちゃん」も「あーちゃん」なので、家族全員があーちゃんである。 でも最近はそれなりに区別ができてきた。

なお、近所の友達は「おとうちゃま」と呼んでいた。いろいろである。 考えてみればその友達には高校の頃に一回会って以降会っていない。 webで検索すると出てくるので連絡する術はあるし、 親同士はまだたまに電話したりしているようなのだが。

2012年04月25日

オタマに「もうすぐ2歳だね」と言ったら「2さい、ダメ」と言われたらしい。 オタマはまだ動詞を活用させる否定形を使えないので、 文末にダメをつけて否定形としている。 「自転車降りる?」「じてんしゃ、おりる、ダメ」といった具合だ。 ちなみに、オタマは今ダメダメ期なので、 意味がわからないととりあえず否定する。

普通はイヤイヤ期と言うらしいが、オタマはダメと言うのでダメダメ期。

会議の議題が会議に行ってみるまでわからないというのは当たり前なんだろうか。 会議が始まってからパワポを見せられて、考える時間もないので 特に何も言わないでいると承認したことになる、 というのは正しい進行の仕方なのか。 言っても改善されないということは、きっと何か意図があるんだろう。 効率ばかり追求すると何かが抜け落ちてしまう、ということは確かにあるからな。 そして、それを説明する必要がないと判断したと。 「大人は説明しない」というのは利根川も言っていることであり、事実だ。 それ自体はおかしなことではない。

「リンゴ、ゴミ、あった」。リンゴに毛くずがついていた。 中学校一年生の英語みたいな状態になっている。

2012年04月24日

糖質制限というものが流行っているらしい。 米や小麦、芋を極力減らして生きていくことだ。 糖尿病の改善のみならず、単純に調子が良くなって太らなくなると言う。 食っても眠くならないし、スタミナもかえって良くなると言う人がいる。 気になって調べてみた。なお、ここで言う糖はでんぷんを含むので注意。

理屈はおおよそ以下の通りである。 まず、糖を食うと血糖値が上がるが、これを放置するとマズイので インスリンを出して糖を分解せねばならない。 しかし、あまり糖が多い状態が続くとインスリン生産機能が疲れ果てて ダメになる。これが糖尿病である。 血糖値が上がるのは糖を食べた時だけなので、 糖を食べなければ糖尿病にはならない。 とりわけ、白米などの精製した糖分だと血糖値の上昇が急で、 インスリン生産機能の疲れ方が激しくなる。 食べるなら玄米や全粒粉にしておけ、と言われるのはそのあたりである。 糖尿病に関しては単純にこれだけのことだ。

糖尿病の原因になるとしても糖は体にとって必要なのではないか、 という意見があるが、これに対して糖質制限肯定派には反論がある。 まず、エネルギー源としては脂肪を燃やせば良く、 糖である必要はない。脳や筋肉はブドウ糖しか使えないから 糖は必要だ、と言う人もいるが、必要な量の糖は脂肪やアミノ酸から 体内で作れるし、そもそも脳はブドウ糖だけでなく、バラした脂肪も食える ことがわかっている。 糖はエネルギー以外の用途もある脂質やタンパク質と違ってエネルギーにしかできず、 エネルギー源として必須でないのであれば糖を食べる必要はない、 ということであるようだ。

本当に糖は不要なのか。 これに関しては大規模な人体実験をやらない限り結論は出ないと思われる。 しかし、人類の生物学的機能を考えてみると多少は見えてくるものがある。 人類が澱粉を食うようになったのは農耕が可能になってからのはずで、 かなり最近である。 歴史が数千年程度しかないのでは遺伝子はそれに対応できていない。 人間のハードウェアは澱粉がない環境を前提に作られているということだ。 農耕以前から芋などはあっただろうが、 澱粉は水と一緒に加熱しないと消化吸収できない厄介なもので、 煮炊きの技術が開発されるまでは非常に効率が悪かったことが想像される。 基本人類は採集と狩猟で生きていた生き物であり、 今のように「主食」などと呼んで小麦や米を食う状態は むしろ本来の道を外れていると言っていい。 数千年以上前の人類はほぼ常に糖質制限状態にあり、 それで生きていたのだから問題ない、ということである。 単純すぎるストーリーではあるが、 人間社会の出来事と違って自然科学に関しては単純なストーリーが 成立するケースが多いので、馬鹿にしていいものではない。 生物学や化学に反する医学や栄養学はありえず、 生物学的あるいは化学的な考え方を最初にしてから 各論として医学や栄養学を考えるべきだ、と夏井さんは言っている。 それ自体はもっともだと思う。

あとは実験が必要だ。 糖質由来のカロリーを減らした食事を続ける実験をしている人は すでにたくさんいて、「調子いい」という報告がかなり上がっている。 うさんくさいものも混ざってはいるが本も出ている。今度借りてこよう。 考えてみれば、オタマは最初の一年ほぼ乳しか飲まなかった。 乳のカロリーのかなりの部分は脂肪とタンパク質で、糖はわずかである。 それでも問題なく大きくなった。母乳で虫歯になるなら歯磨きの習慣なんてなかった 原始人は生きられなかったはずであり、歯にも問題はない。 そういう意味ではすでにそれなりな実験はなされている。 一方逆に糖主体の食事を続けた時に問題が起こるかどうかはここ数千年人類が 派手に実験してきているのでよくわかっている。 肥満と糖尿病は糖質主体でなければ起こらない病気だし、 虫歯と歯周病も糖が少なければこれほど 問題にはならない病気であるように思われるから、 問題点ははっきりしている。

調べてみると、昔アトキンスという人がそういうダイエットを提唱したことがあったが、 いろいろあって廃れているし、ダイエット法の域を出なかったようだ。 wikipediaで調べるとおおむね否定的である。 創始者が肥満なまま死んだというのが致命傷だったようだが、 それは単純に食べ過ぎだった可能性もある。 タンパク質は燃やすとゴミが出て良くないという話もあるし、 脂肪をあまり激しく燃やすとケトン体という毒が出て体に悪いという話もある。 wikipediaには体が臭くなるみたいなことまで書いてある。 このあたりについての反論を探しておこう。江部という人が最近の 糖質制限の開祖っぽいので、本でも呼んでみる。 あとは、アミノ酸価の問題もあるかもしれない。 米と豆は結構補い合う関係にあるので、 豆をたくさん食べる場合はアミノ酸が偏る可能性がある。 たぶん糖質制限をやってる人たちは肉や魚を多く 食べているだろうからアミノ酸価の問題はないが、 うちの蛋白源はかなりの率で豆だ。アミノ酸価は無視できないのではなかろうか。

考えてみればうちは気が付かないうちに結構な実験をしている。 まず、豆ご飯にしている。しかも脂肪の率が高い大豆で、 混合率が米の1/3ともはや「豆ご飯」のレベルではない。 さらに、オリーブオイルの使用量が最近 ハンパないが(二人分のスパゲティで30ml以上は使っている)、 食べていて重い感じもないし、体重も増えていない。 なお、精製した穀類が体に悪いことは実感としてはよくわかっている。 たまに白米をもらうことがあるが、食べた後は大抵体調を崩すからだ。 たぶん、うちの食生活はすでに問題がある水準ではないのだろうという気はするし、 すでにして糖質制限気味な気もするが、 もっと良くできる可能性があるなら試すべきだ。この機会に再検討してみよう。

糖質制限には一つ問題がある。コストだ。 米ははっきり言って安い。小麦はさらに安い。芋も安い。 安い上にそれらは保存が効く。スパゲティの保存性能の高さは半端ではない。 調理も技法が確立しているし、設備もあるので、その意味でのコストも安い。 澱粉系の食材を一切食べないようにしたとすれば食費はかなり上がるし、 手間も増えるだろう。もちろん全く食べないというのは無茶なので、 やるとしても率を減らすくらいにはなるのだが。 あとは保存も調理も面倒くさいじゃがいもをやめるくらいか。 さつまいももこの前買った奴が腐ってケチがついている。 好きなんだけどな。

まだひつじこの意見は聞いていないのだが、 仮に実験するとしたらどうなるだろう。 大幅に変えるのは手間とこれまでの習慣の問題もあるし危険でもあるので、 とりあえず簡単にやるとしたら豆ご飯の豆比率を上げることからだろう。 1/3(9合:3合)を1/2(8合:4合)まで上げるのは簡単だ。 一回試してみよう。味に問題があればやめるが。 そういえば、最近ナッツ類を大量に注文した。 それをおやつ扱いせずにきちんとした食事の一部として扱うくらいに食べれば、 脂質とタンパク質の摂取量が増え、自然と米を食う量が減る。 果物もたくさん買ってるしな。 スパゲティを作る時も何か豆や魚などのタンパク質系のものを入れて スパゲティの量を減らせるといいんだろう。

考えてみると、最近米を食う量が減っている。 550gのご飯を今まで二人で食べていたのに、最近 オタマが結構食うので食べる量が減ってきている。 「食い足りないからみかん食おう」みたいなことになりがちだが、 それをちゃんと食事の一部として考えれば別に問題はない。 ともかくも、「ご飯を食べないといけない」という考え方は一旦疑ってみる価値がある。 何より、常識を疑うのは面白い。結局常識が勝つとしても、根拠があれば安心できる。

コストに関して考えてみると、 カロリーあたりの価格で考えると米はそれほど圧倒的ではない。 うちで買っている米は1kg335円なので、1kgが3500kcal程度であることを考えると、 1kcalあたり0.096円。例えばアーモンドはキロ1500円程度で、 キロあたり6000kcalほどある。 1kcalあたり0.25円だ。3倍にもならない。 別にアーモンドを主食にする気はさらさらないが、 いかにも高そうなアーモンドのようなナッツでもそれほどの差はないということである。 なお大豆でやれば、キロあたり4200kcalで、 15kgを4500円で買えるので、1kcalあたり0.07円となる。米より安い。 アミノ酸価と味の問題さえなければ、 米の代わりに大豆を食ってもあまり問題はないと思われる。 大豆は大量に食うと飽きるので主食レベルに食うのは無理なのだが。

丸元本には「伝統的な文化では穀物と豆を食ってきた。だからそうしろ」 と書いてある。ここ100年しか実験されていない食習慣よりは、 数千年実験してきた食習慣の方がマシだ、という主張だ。 ここ100年人類の平均寿命がそれ以前に比べてどれだけ長くなったかを考えれば 真に受けてはいけないのだが、 しかし単純に餓えてた時代と食事の質を比べるのは無茶な話で、 戦闘や病気で死ぬ率が劇的に下がったことを考えれば、 今の食生活が優れているとは必ずしも言えない。 実際うちの食生活をしていればおそらく肥満や糖尿病は無縁でいられるわけで、 現代的な食生活には罠があると私も思う。 これがさらに進んで「ここ数千年しか実験されていない食習慣よりも、 数十万年実験してきた食習慣の方がマシだ」 という意見が出てきたわけだ。おもしろい。

この視点から見ればチーズの価値は見直されることになる。 なにせ脂肪とタンパク質だからな。 しかし、高すぎる。キロ4000kcalと実は乾燥状態の豆と大差ないが、 キロあたり3000円するとすれば大豆の10倍にもなる。 まあ、あんなに手間がかかるものが 安いわけはない。動物系の食材はエサの分のコストを背負っているわけで、 よほどのことがない限り植物性のものの方が安いに決まっている。 肉をあまり食べない家庭では少々やりにくいな。

ナッツが届いた。うめえ。なお、 オタマはアーモンドを一生懸命噛んで粉砕するところまでは行ったが、 結局出した。味は好きらしいが飲み込めないようである。残念だが、 すでにレーズンやバナナチップはふやかさなくても食べられているので、 時間の問題だろうとは思う。 ソフト干しいちじくと干しアンズも食べさせてみるか。 というわけで、ナッツや果物をおやつから食事の一部に 昇格させるのはアリな気がしてきた。 それらを含めて食事になるように米その他の量を調整してみよう。

よく考えてみれば、うちは豆も米も発芽させてから食べている。 結構な澱粉が発育に使われて分解済みであるため、 カロリーは落ちているし、別の栄養もできている。 夏場は発芽が速いので、自然と野菜度が増し、 実質米の量が減っているような状態になる。

江部氏のサイトはブログなので、理屈が整理されていないのが残念だ。 本を読めってことだろうな。

要約を見つけた。カロリー摂取量は普通に2000かそこらにする。これは当然だろう。 おすすめのやり方では、カロリーの12%を糖質から取る感じになる。 2000のうち12%であれば240kcalだが、米1合が500kcalあるわけで、 一日に米を半合も食べない生活ということになる。 ミューズリーを100g食っただけですでにしてアウトじゃん。 うちでいつも食べてる奴は100g中64gが糖質で、それ由来のカロリーが250kcalもある。 しかしそれでも、アトキンスダイエットの炭水化物20g、 つまり糖質由来カロリーが80kcalかそこらという極端なやり方に比べれば緩いので、 アトキンスダイエットで噴出した問題は出にくいと思われる。 なるほど、アトキンスダイエットはやりすぎたわけな。 しかもダイエットの常で、 食べてもいいと言われたものを過剰に食べ過ぎる人は多かっただろうし。 ましてアメリカだしな。

おおよそ見えてきた。とりあえず豆増やして、 ナッツと果物を多めに食べる生活にシフトするのが うちでできる実験だ。それ以上はたぶん無理。 あと、これは私だけだが、眠い時にもコーラを買わないことにする。 普通コーラは嫌いじゃないのだが、糖質制限実験の妨げになる。 ちなみにダイエットコーラはマズイ上に胃が痛くなるのでもう飲めない。 あと職場の人と外食する時にはどうしようもないので、それだけは例外とする。 どうせ大した率ではない。

2012年04月23日

ひつじこが体調を崩したので会社休み。 オタマは午前中激しく遊ばせたからか、昼寝。 ひつじこも寝ている。 文章を書こうかと思ったが、家では無理だ。読書でもするか。

2012年04月22日

そろそろ文章を直して送らないとマズい。

ドライフルーツとナッツを1万円分注文した。オタマのおやつ。

fate/zero 15話をニコ動で見ている。良く作るもんだ。 それにしてもさすがに画質が悪いな。体験版だし当然だが。

歌を飛ばしてる自分に気づいてふと思った。 2時間とかの尺があるものを10年後20年後の人達はちゃんと見てくれるのか。 簡単に早送りできることが当たり前で、 音楽もゲームも切り売りに近い状態になっているのが当たり前の世の中だろう。 CDだって曲の並びや展開はよく考えて作っているはずだが、 切り売りが当たり前になった。 構成が、とか、テンポが、とか、パッケージとして、とか言う作り手の声は届くのか。

16話見た。マジ外道。しかし、こういう話ほど細かい会話の情報量が重要になるので アニメに向いてない。ただでも時間がない上に、 「アニメは動いてナンボ」という主義の人は多いので、 ある程度は動くシーンに時間を使わねばならず余計に会話に時間が使えない。 確かに会話劇にするなら実写の方がいいのは間違いないのだが、 実写でやれないのは明白なのであれば次善の策としてアニメでやってもいいだろう。 動かないアニメに価値がないと断定することもないだろうと私は思うんだけどな。 fate/zeroを実写では作れないわけだから。

エロゲの「静止画+音楽+文章」という形式はコストという現実の中では かなり優れた形式である気がするんだがな。 それらのバランスをかなり自由にできるし、労力を集中する所も選べる。 もっとも、そこから音楽を除いて静止画を大幅に削ったラノベという形式 の方が安く作れるし、コンピュータも不要で手軽だ。

今日はひつじこの友達の家にオタマを連れて行った。 ネコ触りまくりでオタマもご満悦の様子。

キリツグさんの意見は実に共感できる。 外道に落ちることで十分な利益を上げながらいいゲームを作れるなら いくらでもそうするよなあ。そういう意味でキリツグには共感できる。 しかし幸せなことに、現実に外道と言われるようなアプローチで長期的にうまく やるのはたぶん無理だ。 もっとも、一番効果の高いことをやろうとすると自然に 効果が薄いところは切り捨てることになるし、 結果を出すことを邪魔するものがあれば排除することにもなる。 それが外道と評されることは結構良くあることかもしれないとは思う。 シャッター街と化した駅前商店街の土地を買収して 再開発することは多数の利便性と経済発展を考えれば正義だが、 古くからの住民全員が快く出ていくということにはまずならんだろう。 とすれば、多少はあまり人に言えないような手も打たざるを得なくなる。 先に高架化を進めてしまっているのも、住民の気力を萎えさせる上では 結構な効果があるはずだ。あの威圧感の下で暮らすのは結構気が滅入るだろう。

糀谷駅の周りは再開発計画が進んでいて、 おそらくその構想では環八と駅の間を全部買い上げてロータリーにしつつ 大き目の商業施設を作るようだが、 開発反対派の住民の団結は結構なものだ。 反対派のバックに共産党やNGOがいるという話もあり、 賛成派の思惑通りには進んでいないようでもある。 計画では来年から駅舎以外の建築が始まるようだが、それまでに片がつくのだろうか。 ワクワクしながら見守るとしよう。

経済的には高層マンションは実に理にかなっているが、私は全く住む気がしない。 ひつじこは地面から離れるほど弱っていく生き物なので、 そういう意味でも高層マンションに住むという選択肢はない。 それ以外の手がない状況に陥ることがないとは言えないのだが。 今は幸い土地の利用効率の悪い小規模マンションの方が安いが、 土地の価値が上がってくれば 個人でやっている小規模マンションなんてなくなってしまうかもしれない。 例えば会社が都心部に引越せば、歩いて5分以内のところには 全部高層マンションしかない、なんてことにもなるかもしれない。 まあ仮に引っ越すとしても都心から離れる方向だろうが。

2012年04月21日

イカソーメン1kg(1250)、ほたて剥き身5kg(4750)、たこ頭3kg(2250)、 ほっけ50枚(10000)、えび80匹(2320)、たらこ4kg(11800)、 鮭フィレ5kg(4900)、さんまフィレ1kg(3520)、計40790。 4万円分の魚を一気買いするというのはなかなかない経験である。

今日は家族3人で遠出して、公園で遊んだ。さすがに疲れた。 寝てしまえばだっこになるわけだが、14.1kgは重い。 まして電車で座れない状況だとなかなかにきつい。

成城石井に売られている100g260円の12ヶ月熟成チェダーが棚から消えた。 品川店だけの問題なのかどうかがわからないが、 他の店に行く機会なんてないので同じことである。 あれはうちの生命線だ。オタマの食欲がない時でもあれを出せば大抵食べる。 次行った時にあるといいが。

通販で大量に買おうと思ったが、そんな値段では全くみつからない。 高級寄りのチーズばかりだ。100gで400円を超えてくるようなチェダーは買えない。 すでにダシとしてチーズを使うことはレアなので、 パルミジャーノを買う理由はない。

日本人、チーズ嫌いだろ。雪印とかの味のないチーズが未だにメジャー ということは、日本人の多数派があれを歓迎しているということだ。 輸入チーズはおおむねオシャレ食材として扱われている。 普通に食べる食べ物になっていない。

2012年04月20日

本当致命的に向いてない。ピアノを弾きながらどうすべきだったかを考えて 愕然とする。事後なら答えが明らかでも事前にはわからないらしい。 そして、人が関わる場合には相手によってこっちのやり方も変えないといけないが、 そういう経験が浅すぎる。

実際会う、会議、電話、チャット、メール、ツイッター的なもの、ブログ的なもの、 掲示板、等々情報をやりとりする手段がたくさんある。 それぞれには長所と短所があるので使いわけるべきだが、 それぞれが別アプリあるいはブラウザの別ページであればそれぞれをチェックするのは どうしても手間になる。SNS的なものは統合されていていいのだが、 企業向けは金がかかるし、そもそもそういうものを必要だと思わない人もいて 一括導入は困難だ。 しかし、とりあえず電話とメールの間を埋めるものとしてのチャットは有用だと思う。 相手がいなくてもメッセージが伝わる。 相手がいれば電話ほどではないにしてもそれなりな速度でやりとりできる。 音がしないので周囲に迷惑をかけない。ログが残る。 3人以上でも通信できる。 電話が一人一台ない場合には、席を立ったり人を呼び出してもらう手間がかかるが、 これもなくなる。 メールはそれらの性質を持っているが、新規作成する手間が多く、 やりとりが何十往復もするとログがえらいことになる。 また、普通のもう少しかしこまったメールに「ok」「これから行きます」 くらいしか書かれていないメールが大量に混ざるのは使い勝手が良くない。 これくらいの論拠があればチャットを使うことを許してもいいんじゃないかと 思いはするのだが、否定的な意見があることもわかる。 電話を使うべきケースでチャットを使って時間を無駄にするケースは ゼロではあるまい。 肉声の持つ情報量がチャットでは抜け落ちるので、誤解も生じやすくなる。 しかし、それは今でも電話すべきところをメールで済ませて問題になっているわけで、 チャットであれば若干は軽減される。 つまるところそれぞれが好みで使いわけたらいいじゃんと思うが、 そうも行かない事情がある。 ゴッツイ企業向けソフトウェアを購入するとかいうことになれば金の問題があるし、 無料サービスを個人が勝手に使う場合でも 社外のサーバでやってるサービスだと安全性が問題にされる。 勤務時間に仕事目的で個人の携帯電話での通話を許してくれれば 電話の欠点はかなり改善されるのだが、まあ無理だわな。 かといって会社で一人一台携帯電話を支給するというわけにも行かないだろう。 やってる会社もあるっぽいが、たぶんそれはIT企業くらいのものだ。 会社からデータが出ないskypeみたいなソフトがあれば伝統的な電話機は いらんだろうと思うんだが、リアル受話器とリアルボタンで構成されている方が 便利に感じる局面もあるだろうし、そういうソフトはきっと企業向けだと 高くつくんだろうから、この状況も仕方ないのか。

見える範囲の人にメールを使うようになったらダメだよなと思いつつ、 相手邪魔しても悪いしとか、用件だけ伝わればいいやとか、 そもそも話すの面倒くさい、とか思ってついメールにしてしまう。 ダメだよなあ。私の最大の欠点はコミュニケーションだが、 この欠点は放置してはおけない。将来の選択肢を著しく狭めてしまう。 つうか人間としてダメすぎる。 でもまあ、たぶん治らないけどな。極端な話とりつくろう技術だけでいい。 「こういう時はこうする」というパターンがいくつかわかればそれだけでもいいや。

洗剤使わなくなってだいぶ経つが問題ない。 脂の量もずいぶん減った。 毛が抜ける量もかなり減った。 シャンプーもボディソープもいらなかったんだよ。

毛髪、回復するといいなあ。

2012年04月19日

ブルームは回折で、絞りが多角形だと角のところがとがり、 丸いと丸くなると。波長によって曲がり方が違うので、 赤い光ほど広く広がるのか。たぶん。

積分できない関数はテイラー展開して積分する手があると。 なるほどな。収束が遅くて話にならんケースもあるようだが。

勉強ばっかりしてるなあ。

スパゲティが尽きた上に、冷凍ご飯も尽きたので、 軽く精米してパエリアだかリゾットだかそんなの。 にんにくと玉ねぎとにんじんとピーマンを粉砕して炒め、 トマト缶と塩と米と水を放りこんで煮るだけ。 水加減は多少しくじってもいい。 少なくて芯が残っているなら、水を足して煮ればいつかふやける。 水が多すぎても、粥だと思えばいい。 今日はホタテを大量に入れたのでべらぼうにおいしいものができた。 大人しか食べないならハーブやスパイスを入れるが、 オタマも食うので何も入れない。 カレー粉を入れればビリアニっぽい何かになる。

2012年04月18日

複数のことが同時に進行するのに弱い。 他の人と日以下の時間スケールで共同作業するのに弱い。 基本考えなしなので短時間で再試行できないことに弱い。 我ながらダメすぎる。こんな人間は組織の分業体制の中で専門特化 して働くしかないだろ。 しかし、多少でも改善しないと今後の人生の選択肢が減りすぎる。 明らかに向いてないことに首をつっこんでしまっているわけだが、 ここはがんばりどころだろう。

つうか、根本的に人と交流することに向いてねえ。 しかしそんな私でも、一人でどうにかするより、 交流して手に入れる方が効率がいいケースが山ほどある。 経済の原則はさすがに強い。

2012年04月17日

3歳児に勝ったか。3歳児って14.1kgもないのな。 オタマは成長曲線にあてはめるとまだ帯からはみだしている。 身長は正確に測れないのだが、90cmくらいにはなっていそう。 そうであれば、これも成長曲線にある帯からはみだしている。 原因の全部が遺伝子とも思えんし、 うちの食生活とひつじこの努力がいい具合に作用してるんだろう。 二人目がどうなるかを確認したいところだ。

穴を通った光は回折して広がる。それがいわゆるブルームエフェクトがシミュレート している現象なのだろうか。 しかし、そんなことを真面目にやっている例は調べても出てこない。 このへんって、何読めば書いてあるんだろう。

ブルームにせよ何にせよ、エフェクトはエネルギーが保存されないとダメだよな。 レンズ通ったら光が増えた、とかなったらおかしい。 理屈から考えていくと良く見る手法がいろいろおかしいことがよくわかる。

関数を正規分布の和で近似する方法ないかな。 正規分布はあっというまにゼロ同然になるので、 デカい順に決めていけば簡単な気がする。 で、正規分布一個を決める分には対数を取れば二次関数なので、 3点を通るとして直接決めてもいいし、最少二乗法を使ってもいい。

XY分離可能で丸い関数って正規分布くらいだよなあ。 丸いということはxx+yyという項があるということで、 分離可能というのはxx+yyの足し算が入った関数を、 xxだけとyyだけの関数のかけ算で書けることによる。 しかし現実には「十分丸ければいい」のだから、 こういう数学的な特徴は必ずしも必要ではないのではないか。

絵本ありがとう。何かお返ししたいのだが。 つうか、誰がくれたのか100%確証があるわけではない状況なのがおもしろい。 誰から来たか書いてないし。しかし、99%間違いあるまい。

2012年04月16日

フジコヘミングの番組をちらっと見た。 好き放題弾いてて楽しそうでいいんじゃね、と思うが、 探すと批判が山ほど出てくる。 それを見て、クラシックがクラシック呼ばわりされる一つの原因が 見えてくる。現代求められる演奏レベルを得るために全力を注いでしまえば、 それをどう見せてお客を楽しませるかというところにエネルギーを使う余裕はなくなる。 そして、客もすでにその演奏レベルでなくては楽しめなくなっているため、 演奏家が他にエネルギーを使うことを許せない。 「いいじゃん。生い立ちとか風貌とかキャラクターとかで売ったって」 と言うのが世界の多数派だろうが、 既存のファンが「音楽家たるもの音が全てだ」と大声で言っていれば どうにもならない。 これ、どっかで見た構図だろ。 鉄道が出たての頃は「乗り物の価値は快適さで速度じゃない。 ガッシャガッシャうるさい乗り物でわずか2、3時間しか旅を楽しめないような ものが流行るわけねえよ」と真面目に言う人々がいたそうだが、 案外笑えない話である。

たくみお姉さんとだいすけお兄さんは歌がだいぶ下手である。 聞いていて不安になるレベルだ。 しかし、軽妙な小芝居やらキャラクターやらで子供にウケている。 客はまず子供で、次にその親だ。 音楽にうるさい人間の率なんて微々たるものであり、 そこに全力を振っても意味がない。 ゆうぞうお兄さんは歌もダンスもべらぼうにうまいが、 なんかゴージャスすぎてうさんくさいからなあ。子供にウケていたかは怪しい。 その点けんたろうお兄さんはいいなあ。不安にならない程度に歌がうまくて、 しかもなんかおもしろい。

youtube時代なおかげで、誰がいつのお兄さんなのかなんてどうでも 良くなった。全員現代。おさむお兄さんの直後にだいすけお兄さん、 なんてことも珍しくない。 ゲームも技術的に成熟した末には同じ状態になるのではないか。 共通プラットフォームで動く大量のゲームがアーカイブに溜めこまれて、 検索で時代に関係なく取り出されてその場の気分でちょっとだけ遊ばれる。 どっかり時間を取って遊ぶゲームはそれとは別に存在し続けるだろうが、 オタマが大きくなる頃のゲームの市場はどちらが大きいだろうか。

オタマが成人するくらい時間が経ってもまだ金を稼ぎ続けねばならない、 ということをうちらは理解せねばならない。 長期的にはオタマを客にできる商売でないとダメだってことだ。 高齢化するんだから大丈夫とか思ってる奴がいるかもしれんが、 別に高齢者の数が増えるわけじゃない。増えるのは率であって数ではない。

自分の子供が客になることを想像しないで商売をするのは不誠実だ。 自分が作ったものをオタマが買うことは喜ばしいことでなくてはならない。

ゴッドレイって何が起こってるんだろう。 あれ、光の柱に着目するんでなく、光の柱がない所に着目すればいいんだよな。 本来なら光の散乱で明るくなるところが、 いくらか遮られて暗くなっている、ということだろう。 そうすると馬鹿正直に数値積分すればああなることは想像できる。 問題はそれを馬鹿正直にやらない方法は何か、ということか。

明るいものはぼんやり光が広がって見える。あれ、物理的には何なんだ? 回折、散乱、センサーの都合、というくらいだろうが、 これらは互いに独立だ。何の寄与が大きいんだろう。 回折は微々たるものだよな。デジカメで絞りすぎるとちょっとボケる、 とかいう程度で、何百ピクセルも広がるものではなさそうだし。

うちのLED電球が400ルーメン。2piステラジアン(半球) が光っていると仮定すれば、6.28で割って、63.7カンデラ。 250カンデラの液晶って明るいんだな。

2012年04月15日

ビニール傘がたくさんあったのだが、ついに全て壊れた。 いいかげんまともなものを長く使う方向に舵を切ろうと思うわけだが、 何がまともなのかさっぱりわからん。 すごいのは5万とかして論外だし、1000円未満は確実に粗悪量産品だろう。 2000円から4000円くらいなんだろうが、 その価格帯は差別化競争が激しいようで種類が大量にあってさっぱりわからない。 結局980円のものをそのへんで買って終わるのか。 結局なんぼいいものでも壊れるし、忘れたり盗まれたりするリスクも高いからな。 しかし、やっぱり使えなくなる原因のトップは破壊であり、 破壊までの平均時間が4倍になるなら手間込みで4倍払っても良い。 2000円は払える。

5万の傘が存在しているというのは考えてみれば面白い。 条件が揃えばそういう高級品商売を今でも成立させることができる。 ルイビトンやら何やらはそういう例だ。 問題はゲームでそれをやれるかだが、おそらくできない。 いわゆる高級ブランドは、実体のある物でなくては無理だと思われる。 実体があるものはコピーできない。価格の大半が職人の人件費で 素材コストが微々たるものであったとしても、 実体があるからこそ量産できず、量産できないからこそ高価格が正当化される。 一方ゲームはデータなのでコピーし放題だ。 コピーし放題であるからこそ、超高級品をたくさんの人に届けることができ、 結果価格を下げることができる。 超一流のゲームだからといって特に高いということはない。 5000円で売って元が取れるくらいたくさん売れるということだ。 逆に、超一流であればあるほど値下げする余裕があるとすら言える。 開発費がいくらかかろうが、追加生産コストは限りなくゼロである、という事実が、 高価格を正当化する「オーラ」が出ることを妨げる。 傘や車ではこういうことは起こらない。 いずれ何かが変わって デジタルデータが車や時計のようなオーラを醸し出す日は来るのだろうか。 それには、デジタルデータが実体と同程度に身体的な存在になる必要があるだろうが、 そんなの無理じゃないのか。

版画の価値を維持するために、一定数刷ったら版を捨てることがあると言うが、 ゲームではそれもできない。そしてそもそも、版を捨てることによって 値を維持しようとする行為自体が普通の人の賛同を得られる行為ではない。 同様に、ゲームの体験版と製品版でほとんど同じデータが入っていて 鍵を買うと製品版になる、 という商売に違和感を感じる人はどうやっても出てくる。 追加コンテンツの類も同様だ。 円盤に入っていて鍵を買うのと、データそのものを買うのでは 実質的な差はない、ということを大多数の客が理解する日が 来るのかどうかも私にはわからない。 少なくとも言えることは、円盤に入っているデータの鍵を買うという 行為に違和感を感じる人が現実にたくさんいて、やると叩かれるということだ。

家計簿。アメリカ行きの分まであるので、為替換算が面倒だったり レシートがなく日記から読み取ったりで時間を食った。 にしても、カードと銀行の明細の情報量が少なすぎて困る。 人の名前しかなかったりすると、それがどこの店なのかさっぱりわからん。 その名前でメールを検索するハメになる。 まあ、gmailのおかげでその手間も大したことはないのだが。

アメリカで食った夕飯の合計額が12600円。明らかにそれだけの価値ねえ。 126ドルの食事を1回した、というのであればもう少し 満足感も高かったかもしれないが、たぶん大差ない。 あれは会食のための場所代だからな。

オタマはバナナチップが好きらしい。 ミューズリーから探し出しては食べている。 今度それだけ買ってくる。

マルエツでリンゴ780gが380円。キロあたり500円なので、 10kgで5000円ということになる。 明らかにその値段に見合う品質ではない。 ということは、季節外れでイマイチではあっても 通販で10kg買った方がマシなものが食えるということだ。

10kg買った。季節外れで売れ残りの選別外品だが、 青森産直ショップを名乗る店がそうマズいものを送ってよこすこともあるまい。

たけひこオレンジ農園から何キロ買ったんだろうな。100kgくらい買ってないか。 今回届いたセミノールオレンジは酸味が強くておいしいのだが、 皮がむきにくく、むいても中の皮が薄くて汁が飛び散るため、 手を汚さずには食べられない。職場に持っていくのには向かない品種だ。 包丁で剥く方が早いので、家で剥いてタッパーに入れて持っていくことにする。 カットフルーツ。

にしても清見オレンジとセミノールオレンジはオタマが全く食べない。 オレンジ系の味は嫌いみたいだ。八朔はまだ食べる。オタマは日本人だな。

川の帰り、ひつじこにジャンク欲が湧いてマルエツで天丼を買った。 7割くらい食べたところで「急におなかいっぱいになった」と言って、 私に残りをくれた。エビの尻尾付近とキス半分くらいが残っていた。 その後夕方、スパゲッティを作ったら天丼のせいでおなかいっぱいで 食べられないと言ってプリプリした。 確かに「天丼とかどう?」とか言ったのは私だが、 選んだのはひつじこだし、 7割食ったのもひつじこである。なぜ私が怒られる。 少し経ってから「おかしくね?」と説明したら納得してあやまった。 ひつじこはいい子だが、食べ物がからむと結構アホである。 妊娠中は「妊娠するとアホになるんだな」、授乳中は「授乳するとアホになるんだな」 とか言っていたが、今はそういう口実がないので、しっかり反省すること。

にしても、一口食べて「おいしくない」と言って私によこすだろうという 私の読みが外れたのは残念だ。まだ調教が足りない。 もっとちゃんとうまいものを食わせねばならぬ。

2012年04月13日

ウィダー36個注文。

久しぶりに全然違うポリシーで書かれたコードを読んだ。 たまにこういう機会を作らないとダメだ。 何がこの違いの原因になっているのかを考えることで自分を相対化できる。

名前のつけ方については らくだ記法と小文字アンダースコア記法の二大流派があるわけだが、 どっちのシェアがどれくらいなんだろうな。 しかし見ていると、小文字アンダースコア記法が支配的なプロジェクトの中に らくだ記法が混ざっている事は多いが、逆はあまり見ない。 世代が新しいほどらくだ記法のシェアが増えていることが推測できる。 私はらくだ記法がいいな。文字数が少ない。 あと、同じらくだ記法派でも、関数大文字始まり派と小文字始まり派がいる。 これはwindows派とjava派だな。 クラス名と関数名の区別を何でやるかの違いで、 最初を動詞にすればわかるという考えと、動詞とかわかりにくいから文字種でやれ、 という考えの違いだろう。英語圏でない人間のことまで考えれば後者だよな。 後者にすればイタリア語でもローマ字の日本語でも 名前だけ見てクラスか関数か区別できる。 英語以外でプログラミングするな、という意見は今は多少ムカつき はするものの妥当だが、 この先もし「プログラマの半分が中国人」みたいな時代が来た時に 妥当かどうかはわからない。 そういうわけで、あんまり言語に依存した規則は好きになれない。 みんなが英語ができると思うなよ。 ゲームのコードなんてかなりの部分が作り捨てなんだからローマ字でもかまわない、 という考えはあっていい。 それはそれとして英語は学ぶべきだし、英語で書いてほしいんだが。

「ソーシャルビジネス革命」。 人間には世界を良くしたいという欲求があるので、 世界を良くすることを主目的とする企業があれば 配当なしで元本しか帰ってこなくても投資する。 寄付する人はいるわけで、寄付の代わりにそういう株を買っても 一向にさしつかえない。 配当がないので、その分利益が少なくとも商売が成立する。 ただし、「邪悪なことはしない」ということに関しては 普通の企業よりも強く求められるので、 採算を取ることの難易度はどっこいどっこいかもしれない。 非営利組織でやれよ、と言う人もいるが、 大抵の非営利組織には商売の視点が欠けており、 改善や効率の視線がなくなりがちだ。 結果寄付がなくなると終わる。 そこは「あくまでも商売である」ことが強みになる。 赤字になることはしない、というのでは例えば貧乏な人を減らす活動にも 限度があるのではないか、と言う人もいるが、むしろ逆だ。 非営利組織は他人の金と勝手な正義感を原動力にして動きがちで、 対象の話をちゃんと聞かないことが多く、 また、単にバラまくだけで問題の根本的な解決に至らず、 悪いことに援助に依存させて悪化させることすらある。 しかし、商売であるならばそんなことはできない。 かといって、商売を重視しすぎて邪悪なことをすれば、 そんな企業には誰も投資しなくなる。 投資する人間は「社会を良くする企業に投資することの満足感」 を買っているのであり、そうでない企業には投資しないからだ。 既存の企業が社会を良くする活動をすることもあるが、 そういう企業であっても業績が悪化すると邪悪な選択肢を取りやすいし、 株主は基本金のために投資しているため、そういう株主の意向を無視できない。 配当なしでも投資するような人間は短期的な業績悪化で右往左往することもないし、 マネーゲームのおもちゃになることもないわけで、 ハナッから普通の株式市場と分けてしまった方がうまく回るだろうと言っている。

すごく面白かった。そんな企業あるなら入るわ。 そして別にそういう企業だからといって社員の給料が安いとは限らない。 目的が利益であっても社会の改善であっても、有能な人間は必要だ。 有能な人間を得るには、それに金を払わねばならない。 それだけの金を払える利益を、邪悪なことをせず、 社会の改善という目的と合致する商売から上げられるのか、 ということになるが、不可能とは限らない。 それに、同じ給料がもらえるなら社会を良くするという大義のために 力を使おうと思う人は多いはずだ。同じ給料ならより有能な人間が得られるし、 若干安くても行く人はいるだろう。 配当を払わない分余裕もできる。 また、普通の営利企業が同じ商売を始めて商売敵になったらどうなるか、 という心配もあるが、貧しい人にとって同じくらい魅力的な商品であるならば、 それは貧しい人にとってプラスなわけで、別に誰がそれをやっても目的は達せられる。 普通の営利企業にとってももうかる商売になるという段階に至ったわけで、 要するにそれは改善すべき問題ではなくなった事を意味する。 つぶれればいい。目的を達してそれ以上やることがなくなったのに存続する 必要はないだろう。

経済学は「人間が利益を追い求める」という前提で構築されている。 しかし、必ずしもそうとは限らず、他人を助けたいとか、 社会を良くしたいという欲求は確実にある。 それは単純に「人から良く見られたい」という欲求から出たものかもしれないが、 ともかくも「金が欲しい」以外の欲求は確実にあるということだ。 それを社会のシステムとして活用するなら、 寄付に頼った非営利組織よりもいい気がする。 とにかく他人の金で活動する組織は腐る。児童館がいい例だ。 予算という考え方はとかく人をダメにする。 普通の企業はこれまでも社会を良くしてきたし、 現実問題世界の人的資源のほとんどは企業にあるわけだが、 利益で目が曇る害はやっぱり無視できない。 しかし実のところ金のために働きたい人はそんなに多くないのだ。 少なくとも私が知る限り金のために仕事をしている人は多くなく、 価値あるものを社会に出したい、という欲求が強い人が多い。 ともかくもそういう欲求をうまく社会に役立てるならば 「うちの会社の目的は利益ではない」と最初に宣言してしまうのはいい気がする。

すごく参考になった。しかし、とりあえず身の回りを見回すに、 それ以前の問題を片づけねば話は始まらない。 目的が利益だろうが社会の改善だろうが、 まず組織を維持できるだけの利益を上げねばならない。 そもそも、利益とは何かと言えば、お客が喜んで金を払った証拠である。 客が喜ばない利益は確かにあり、邪悪な企業はそういう利益も上げているが、 率としてはそう高くはないし、そう長く続けられるものでもない。 客が喜んで払うことによる利益だけが持続可能であり、 そうでない利益は何かのはずみで消えてなくなる。 また、普通の人間は自分の仕事が誰かに害をなしていると思えば嫌な気分 になるものだ。邪悪な企業であっても構成員全員が邪悪であるためには かなり小さくなくてはならず、一定以上の規模になれば 邪悪でない社員がその企業の邪悪な活動を妨げる効果が無視できなくなる。 積極的に邪魔しなくても、ちょっとやる気が失せればそれでいい。 結果邪悪な活動はますます維持しにくくなる。 というわけで、おおよそ利益は社会に幸せをもたらした量と比例する。 もうからない商売は、社会にあまり幸せをもたらしていない。 ゲームで言えば、開発費を払うのはお客であり、 もうからないということは、お客が「そんなもんに開発費使うな」と 拒否したことを意味する。つまり、もうからないゲームは人を幸せにしていない。 この意味において、私はもうからないゲームは作りたくない。 もうからない商品を作ることは社会的害悪である。 私はこう思っているが、たぶん少数派だ。 例えば採算度外視でなくてはいいものはできないと思っている人はいる。 しかしその人が言う「いいもの」は社会を幸せにしない。 ごく一部の人は猛烈に喜ぶかもしれないが、そのために他の多数を犠牲にしている。 また、利益を上げることは悪だと思っている人もいる。 確かに度を越した利益追求は悪で、 ガチャで荒稼ぎしている企業を見てああはなりたくないと思うのは 自然な感情だろうが、 だからといって会社の存続を危うくするほど利益を軽視すれば 「利益よりも大事にしている目的」も当然達成できなくなる。 利益は目的にするほど大事でなくてもいいが、手段としては恐ろしく大事 であることを認識せねばならない。

給料は安くていいから、きちんともうかること、つまりは持続可能で、 客が喜んで金を払い、しかも客の人生が良くなるような商売に参加したい、 なんて思ったりはする。 まあ、私の言う「安い」なんて全然安くないんだけどな。 今の生活水準を落とさない範囲で、なんて虫のいいことを言うなら 税引き前400万くらいはもらいたいわけで、それはすでに安いとは言えない。

寝てるオタマが妙に美形に見えた。何故だ。

子供用のハサミをサンスター文具が出している。 必要になったら買うので覚えておく。 ひつじこがフェルトをはさみで切っていたらオタマが欲しがった。 「はさみ、ほしい」と言ってさめざめと泣く。 即座にひつじこが紙ではさみっぽいものを作って回避したが、 いつか回避できなくなるのだろう。 なにせ「はさみ、ほしい」と言って泣くレベルまで成長しているのだ。 びっくりした。

九州大学にソーシャルビジネスなんとかという組織があると言うので サイトを見に行ったが、よくわからんな。 そして、ソーシャルビジネス企業のリストにワタミがあるのだが、 ワタミってそういう会社なのか? よく近くに本社がある割によく知らんな。 外食産業と言えばブラックと決まっているもんだと思っていたが、 そうでもないのか? 確かに日経ビジネスとかにワタミ社長の記事が出てて まっとうなこと言ってるなあと思うことは多いし、 選挙の時の演説もおおよそまともだった。 しかし、社員の労働環境がブラックなら何をやっても台無しになる。 ソーシャルビジネスを名乗るなら労働環境はまともでなくてはダメだと ユヌス先生も言っているし。 見たらユニクロもリストに入ってるな。 ユニクロは最近ズボンが薄くなったので印象が悪いのだが。

オタマはくしゃみをすると「さむい」と言う。しょくぱんまんのマネで、 別に寒いわけではない。

何事もマネから始まるのだな。 マネしまくってるうちに混ざってしまって元ネタがよくわからなくなってくると 個性とか創造性とか呼ばれる、と考えれば妙な幻想を持たずに済む。 その意味では、学習はマネを基本に組み立てるべきなのかもしれないが、 一定の年になったら考える訓練も混ぜていった方が応用力は育つと 私は信じている。だから今年の九州大学の講義でも 去年までと同様に最小限の道具だけから何もかもを自分で発明する 苦しみを味わってもらうつもりだ。 でもまあ、もうちょっとサンプルも用意した方がいいかもしれんな。 最初にあんまり挫折されても困るし。 あとelseくらい足して、全関数をインライン展開する今の仕様は 改めよう。コンパイル済みコードが予想外にデカくなって 仮想メモリに収まらない事故が相次いだからな。 メモリ空間は大きくしたくないし。 あとどうにか音を出してやりたいがなあ。 それだけの改造をするのに三日くらいはかかるはずだが、 どうやって捻出したものか。 それと、メモ帳は行番号が出ないので 行番号が出るフリーのエディタを適当にみつくろって ひいきのエディタがない人にはそれを使ってもらうことにする。 コンパイルエラーは行番号で出すが、それがメモ帳では全く役に立たない。

そうだよ。帰りにヨドバシ寄って電球買う予定だったが忘れてた。 あと、傘が全部壊れたので買いたいのだが。

2012年04月12日

もうすぐ出るCPUはなんぼか電気を食わなくなるようだが、 来年出るCPUを積んだコンピュータはCPUのみならず全体として省電力化に 取りくむらしく劇的に電気が食わなくなる。 プレゼンやらなにやらでノートPCを外で使うことが多いが、 こいつの欠点はとにかくスリープや復帰、起動が遅いことと、 すぐ電池が切れることだ。 とりあえずSSDにとりかえたいんだが、まだギガ120円以上するのか。 容量削ってもっと安いので足りるようにするか。

行けるな。50GBまで削れば60GBで足りるだろ。 この前の東芝の奴をもう一個買っておけば良かった。 64GBで5500円とかだったのに。 あとは、入れ換えの手間次第か。

うちの標準パンもどき。粗挽き全粒粉100、細かい全粒粉100、水100、 オリーブオイルをタラー、でこねる。鍋サイズに合わせてのばす。 暖めた鍋で焼く。以上。チーズは12ヶ月以上熟成したチェダーを推奨。 100g250円ちょい。成城石井で買える。 チェダーはちょっとケチると味がガクンと落ちる。

プロペト1.5kg、白色ワセリン500gを購入。6000円。 大人はワセリン。オタマは一応プロペト。 プロペトの方がやわらかくて塗りやすいし、念のため精製度が高いものにしておく。

普段会わない人と話すと自分の未熟を思い知る。

私の考え方は制約から出発するので、新しいものや突飛なものはたぶん生み出せない。 私はクリエイターではない。むしろ自分がクリエイティブであることを禁じている ような気すらする。

なんでも正直に話すと自然と面白くなる。しかし、 失敗したことや切り捨てたことを隠して 「すげー努力しました」「技術力すげーです」 「厳しい制約に打ち勝ちました」と言う方が良いという考え方は当然ある。 発表を商品の宣伝として考えるならそれは自然な考え方だ。 だが、そういう発表は大抵つまらない。つまらない発表は人の心に届かない。 大抵の場合、成功体験より失敗談の方が面白いし、 成功体験を語る場合でも、成功するために何を切り捨てたのかを 話す方が届く。何故なら、どこでも資源は有限で、 みな何もかもをできない中で何を選ぶかで悩んでいるからだ。 その選択さえできてしまえばあとは細かい話だ、ということは 誰もが知っている。「これが大事」という台詞は案外届かない。 あれも大事かもしれないし、それも大事かもしれない。結局は選択も集中もされない。 逆に何が大事でないのかを示さなくてはいけない。 だから私は足りないこと、切り捨てたことに重点を置いて話す方を選ぶ。 それがダメなら当然チェックで引っかかったりそもそも私にやらせようなんて 話にならなかったりするはずだが、そうなっていないのだからこれでいいのだろう。

2012年04月11日

なんかしゃべってた。いつもは外郎売りを読んでから臨むが、 いろいろ余裕なかったのでなし。 ウケてるっぽかったので時間超過も無視。 そのせいで、本当は結構大人しい感じにしようと思ってたのに つい勢いに乗って盛りすぎてしまった。 本当は他の商売の歴史とか経済の原則を軽く説明したり もっとデータを出して有無を言わせない展開にするつもりだったが、 そんなに準備に時間をかけていられなかったのでどうしても構成が甘い。 社外でやるならあんなに適当な話にはしないが、 まあウケたようだしいいか。 何人敵が増えたかなとか考えるとワクワクする。

2012年04月10日

「ゲーム業界 衰退」でぐぐるといろいろな説が出てくる。 しかし、結局のところ「単なる娯楽の一種になった」 ということだろう。バブル期と今のどちらが経済が大きいかと言えば、今である。 経済成長率と経済の大きさそのものを混同してはいけない。 ゲームも成長期であった昔よりも今の方がずっと規模が大きいのである。 その意味では実のところ衰退なんてしていない。 また、ゲームとその他の娯楽が地続きになった結果、 ゲームの定義次第でゲーム市場規模の値は大きく変わる。 脳トレはゲームか?というのは単純に定義の問題である。 「従来型ゲームをやっている人間にとって衰退したように見える」 を衰退と呼ぶのは正確ではない。 また、日本のゲーム業界が衰退したと言われることを仮に認めるとしても、 それは市場全体における日本の比率が下がったために 投資が海外に向かうようになって、日本国内向けのゲームの充実度が 下がった、ということだろう。企業は買ってくれる人がいる所に 力を注ぐ。企業が力を注ぐ所では投資が行われて進化し、 企業が力を注がない所との差は開いていく。 そのおいてけぼり感を衰退と呼ぶのは感覚としてはありうる。 そして残念ながらその傾向は日本国内向けのゲームしか 見ない人にとってはずっと続く。 日本が占める率は下がる一方だからだ。 しかしどこで作られたかを気にしない人にとっては関係ない。 海外製のゲームはどんどん増えるからだ。 これと同じことは映画ですでに起こった。 アメリカ映画ばかり見ている人にとっては日本映画が 衰退したとしても映画が衰退しているようには感じないのである。 しかし日本映画だけを好んでみている人にとっては今の 状況はどうしようもなく衰退したように映るだろう。

他人事として分析すると至極当たり前の帰結で、 何一つ驚くようなことは起こっていない。 賢い会社と賢くない会社で差は出るにしても、 全体の傾向は変わりようがないことだ。 歴史上いろんな商品が成長しては停滞して没落してきたことを本で読んだが、 それらとあまり変わる所はない。 であれば、未来もそれらの前例からそう外れないだろう。 他人事ならそれでいいんだが、残念ながらそうも行かないんだよな。

2012年04月09日

なんか怒られたので補足。

したくて化粧をしてる人はそれで幸せになるわけで、当然すればいいと思う。 もしかしたら健康には良くないかもしれないが、 本人が選び取っているのであれば問題はない。

ただ、社会的圧力でしたくもないのに化粧をしないといけない状況にある人は不幸だ。 大抵の場合下手な人は練習に時間をかけていないはずで、 それは好きじゃないということだろう。 「化粧をしている」というシグナルを出す意味にしかなっておらず、 本来の奇麗に見せるという目的を達していないことも多いように思われる。

ひつじこは下手なので明らかにしない方がいい。 しかも本人がしたいと思ってない。つまり、しなくていい。健康にもいいし、 時間も金も食わない。本当に自分がしたいことにより力を割けるようになる。 そんなひつじこも全く何もせずに仕事に行けるわけではなかったようだし、 ちょっとした日には妹さんにしてもらっていた。 それはさすがに上手だったが、 しかし私は何もしないひつじこの顔の方が好きだ。のびのびしてかわいい。さわれるし。 なお、ひつじこは化粧をがんばっている人を見るのは好きらしい。 「がんばっている意思が好き」と言っている。 ただ、「似合っているかどうかはともかくとして」、 とか言っているので、たぶん本人にとっては不本意な誉め方なんだろうが。 それに主に対象が高校生だからな。

ちなみに、私の母も下手だし、基本しない人だ。 奇麗な人を見るのは好きだし、奇麗になりたい人ではあるので、 すごく上手にできて元が良ければしていたのかもしれないが、 それらの条件なしでやる気にはならなかったんだろう。聞いてないのでわからんが。 田舎に引っ込んでからすることが増えたのは、 たぶん田舎の近所づきあいの濃厚さによって 社会圧力が強まったことと、年を取って丸くなったせいと思われる。 これも推測だが。

子供を育てる際にはどうしても親の生活に子供が入ってくることになる。 結婚は二人が同格なのでどういう生活をするかを協議できるが、 子供とは協議できない。 親が考える「子供にとって良いこと」をやるしかない。 無論その過程で子供が嫌がれば考えなおすこともあって 修正はされていくだろうし、事実すでにそうなっている。 しかし、とりあえずは親の考えでやってみるしかなく、悩んで決めるしかない。 例えば、携帯電話が欲しいと言い出した時にどうするかはそのうち悩むことになる。

子供にyoutubeを与えるべきか。 今のところだが、与えても問題ないと思っている。 ただしそれには、youtubeが子供にとって特別な娯楽にならないならば、 という条件がつく。 うちはひつじこががんばるので、一緒に外にも行くし、一緒にお絵かきをしたりもする。 だから、オタマとしてもyoutubeは娯楽の一つにすぎず、 結構すぐ飽きて外に行くとかお絵かきをするとか言い出す。 youtubeを再生していても、台詞をシャドウイングしたり、一緒に踊ったりするので そう不健康でもない。 しかし、youtubeを子守を楽にするための道具として導入して、 それで親が知らんぷりをしてしまえば、子供はyoutubeに依存してしまうかもしれない。 それはテレビも同じだし、youtube以外にPCやタブレットを使っても同じだ。 ゲームもたぶん同じだろう。

害はあるだろうが、これからの時代その手の機械を遠ざけて育てるのも無理だろうし、 害が大きかろう。 十分な素養が育っていれば大人になってからその手の機械に触れても対応できる、 というのは一つの考え方だと思うが、 野山を駆け巡って育つことがその「素養」を身につける最良の手段だ、 なんてことは言えない。

つうか、子育てなんてたぶんいきあたりばったりだろう。 方針なんて立たない。99%予測不可能な状況で方針なんて立つはずがない。 どんな子と友達になるかとか、近所にどんな人がいるかとか、何が流行るかとか、 そういう制御できないことに大きく左右されるのが子育てだ。 その時その時に考えるしかない。むしろ、その時その時にはちゃんと考える、 という覚悟をしておくほうがずっといい。 ただ、「オタマが一人で生きていけるようにしよう」 というのは唯一立てられる方針だ。 いずれ私が理解できないものを好きになったりもするんだろうが、そこだけは守りたい。

健康は、夫婦二人ができるだけ長く元気で一緒にいられるために極めて重要だ。 ひつじこは私より長生きするつもりらしいので、それにはかなりがんばらないとダメだ。 従って、うちの生活において健康の優先度は極めて高い。 オタマがその犠牲になって健康を強いられるとしても、それは仕方ない。 健康がオタマの趣味と対立するとしても、ひつじこの健康を害することは私はしない。 オタマには精一杯説明するが、それでダメなら勝手にやってもらう他ない。 協力もしない。 それに、オタマも皮膚は弱いのだ。たぶん大きくなっても大して改善せんだろう。 であれば、皮膚に負担をかけるようなお洒落は並の人間以上に害になる。

Google Playというのが出てきた。映画とか見られるらしい。 ゲームは携帯でもタブレットでもchromeでも同じものが動くのかな。 見てないからわからんが。 長期的にはこういう感じのサービスで電子的に コンテンツを買うのが当たり前になるはずだが、 進展は遅いかもしれない。 例えばアンパンマンを電子的に買う手段は現状ない。 いずれ提供されるとしても、オタマがそれを必要とするうちには無理だろう。 結局買ってエンコードするしかないことになる。 それにしても、借りてきたアンパンマンのうちでオタマが興味を持つ話の率が悪すぎる。 基本ばいきんまんと戦ってる話はどうでもいいようで、 そうなるとかなり限られてくる。 アンパンマンよりミッフィーとかの方がオタマが見る確率が高いのであれば、 もうアンパンマンはやめた方がいいんじゃなかろうか。 つうか、もう借りてこないよなきっと。

そのうちプリキュアとかを見せるか見せないかみたいな話になるのか。子育ては大変だ。 でもまあ、たぶんひつじこが見て面白くないものは自然と見せなくなるんだろうな。 究極的に言えば子供に自由なんてない。それはそういうものだ。 ひつじこによれば、むしろそうである方がいいと言う。 「うちはこういう家だから」という色があることは、 確かに反発の原因にもなるが、支えにもなるのだと言う。

携帯電話は持たせないらしい。 携帯電話を介した友だちづきあいがどれほど子供にストレスを強いるのかを 目の当たりにしてきたからだという。 高校生の間ではメールには即座にレスせねばダメで、5分でもアウトなのだそうだ。 そういう友達関係に入れないストレスと、入ってしまったことのストレスなら、 前者の方がマシだ、ということらしい。 それにオタマにしてみれば、「親が許してくれない」と言えば親のせいにできるわけで、 逃げ道はある。我々が悪役になる覚悟をすればいい。 10年後15年後の社会や技術の状況次第で多少の修正はあるかもしれないが、 ひつじこだからなあ。本当に持たせない気がする。 逆に言えば、友達に即座にレスしなくても全く気にしないくらい精神の強い子になれば 持ってもいいのかもしれんのか。内容のないやりとりで味方であることを 確認しあうような弱さがない子供になるといいなあと思う。 というか、順当に行けばなるだろう。うちらの子だし。

うちらが多少変な生活習慣で生きたとしても、説明があればそんなに問題はない、 ということなのか。誰かに「あんたらの考え方はおかしい」 と言われても、さんざん考えぬいた末に出した結論であるならばきちんと うちらの考え方を説明できるはずである。 その説明はオタマに対してもできる説明だし、 また、オタマが友達に「お前の家変だ」と言われた時にも、 オタマが友達に対してその説明を伝えることができる。 うちらがオタマへの愛を根本的な理由として行なっていることである限り、 そして、もっといい方法はないかと模索する努力をやめていない限り、 うちらはそれをオタマに押し付けることを怖がってはいけないのかもしれない。 「押し付け」とか「強制」とかいう言葉のマイナスイメージでひるんで 中途半端なところで放任することは、むしろ逃げなのか。 とにかく考えることは、「オタマにとって良いことは何か」だ。 それ以外のことなんて何もない。

この手の話をする時のひつじこはサイズが倍くらいに見える。なんかでかい。 本当に大した人と結婚できたと思う。

いきなり昼休みに両親が来た。昨日品川にいる弟のところに来て頼まれもしないのに 掃除をして 泊まっていたらしい。本当フットワーク軽い。福島から200km以上あるんだけどな。 で、オタマに誕生日プレゼントをどっかり置いていった。 「ほら、子供がいると物がどんどん増えるんだよ」って、増やしてるの自分じゃん! うちの親はいろいろ変なのだが、まあそんなもんだよなと私は思っている。 ひつじこの親がなんか親っぽくてびっくりするのだが、 まあ親にもいろいろあるということだ。 自分の育った環境を考えるといろいろおかしいのだが、 ともかくもそこで育ってきたし、正直その変さに感謝している。 自分のいる環境が変であることは自分の支えになる、というのはそういうことか。 私が出た高校も変な高校だが、それが私の支えになっていることは間違いない。 本当に変かは他を見ていないのでわからないが、 100人部屋で生活する高校はあそこくらいだろう。 オタマにもそういう変さを提供できると思えば、それでいいのか。 オタマが「うちの親さあ...」と友達に話せるネタがたくさんあることは オタマに対するうちらからの贈り物だ。そう思ってもいいよな。 まして、うちらはさんざん考えたり検証したりした上で決めているのだし。 それを怠らないようにがんばっていこう。

でもまあ、誰かになんか言われる度にこうやって考えるんだろうけどな。 それは知性が死んでない証拠だからそれでいいんだが。

GDCでおもろいと思ったngmocoの講演が記事になっていた。 で、それが2chで話題になったのかまとめ記事があった。 いろんな反応があっておもろい。

少し前にコンピュータの進化が電力効率向上に大きく舵を切った。 金になる分野に投資が集中するのは当たり前で、 ちょっと前までは絶対性能に投資するのが割にあったが、 今の携帯デバイス祭りのおかげで投資すべき分野が電力効率になったわけだ。 今後数年で大幅に電力効率が上がるだろう。 自然、電池で動くデバイスとコンセントに差すデバイスの性能差は 縮まることが予想される。電力効率が上がっても絶対性能はさほど伸びないからだ。 電力効率が10倍になっても、同じ電気で10倍速い、とはならない。 「電圧を倍にすると消費電力は4倍になるが、動作クロックは倍にもならない」 という単純な事実からも推測できることである。 ゲーム機においても、据え置き機と携帯機の性能差は縮まるだろう。 デジカメは携帯電話のカメラよりも綺麗だが、一般人にとって意味があるほどの 差がなくなればデジカメを別に買う人は減る。事実減っており、 安いデジカメは市場規模がどんどん落ちている。 ハイエンドは生き残るだろうが、それでも「写真を撮れる機械」 全体で考えたシェアは落ちていく。 携帯型のゲーム機は真っ先に電話との競争に陥っているわけだが、 それで終わりではない。 電力効率の改善に伴って据え置きと電話の性能が比べられる水準にまで 縮まったら何が起こるだろうか。 基本、専用機は専用機でなくてはならない理由が失われれば消える。 大抵ゼロにはならないので厳密には消えるわけではないが、 全体の市場に比べて小さな割合になり、また利益も上がらなくなる。 そうなった段階で「死んだ」「消えた」と言っても差し支えない。

ゲーム機は性能の割には安かったが、ゲームしかできない機械であることと、 ソフトが高いことを考えると、すでに安くはない。 性能の優位も上記のような状況があることからそう長くはないし、 実のところ性能を重視する人の数はそれほど多くない。 ゲームの面白さや画質、バグのなさなどは 非ゲーム機向けのゲームであっても向上させうることで、 投資規模が大きくなって競争が激しくなれば自然と向上していくだろう。 うちらが大学生くらいまでは「本当のゲームはゲーセンにあり、家庭用は劣化」 というイメージがまだあったことを思い出す。

明確にゲームがしたい人、というのがどれくらいいるのか、ということも問題になる。 私はゲームが物珍しい時期に少年期を過ごした。ゲームの進化と一緒に大きくなった。 だから、明確にゲームがやりたくてゲーム機を買い、ゲームを買った。 しかし、今の少年や、未来の少年はそうだろうか。 何か面白いことをしたいという時に、一つの選択肢でしかないゲームのために 専用に機械を買ったり、数千円という額をいきなり払ったりするだろうか。 ニコ動がタダで見られるこの世界は、 私が7歳の頃の世界とは大きく違っているのではないか。 確かにうちらの世代はゲームを買い続けるかもしれないが、 後に続く世代が来なければジリ貧だ。 まして、これから先進国になる国々の人々には既存のゲーム機の体験はない。 彼らの大半は携帯電話やタブレットデバイスの無料ゲームが 初めてのゲームになるだろう。 彼らに2万円の専用機を買わせ、数千円のゲームソフトを買わせられるのか。 そういう人々がゲーム人口のかなりの部分を 占めるようになるのはそれほど遠いことではない。 市場の大半をそういう人たちが占めるなら、企業はそちらを見ざるを得なくなる。 さらに言えば、日本のような先進国であっても既存のゲーム機で遊ぶ率は それほど高いものではない。非専用機上の無料ゲームが現れて初めて 市場に入ってきた人間の数はかなりのものになる。

市場が大きくなると、機会に注目してよりデカイ企業が参入してくる。なるほどそうだ。 ゲームの歴史を振り返ってみても、おもちゃ屋同士で戦っている所にソニーが 割り込んできて、さらにはマイクロソフトが入ってきた。今度はアップルにグーグルだ。 zyngaの講演では「まさにこれからがゲームの黄金時代だ」なんてぶちあげていたが、 市場規模で考えれば単なるハッタリと否定できない重みがある。 家庭用ビジネスはギリギリ億の人間に届くかどうかという規模だったが、 これからの成長次第では10億に届くだろう。 「ゲームが熱かったのは俺らが少年の頃で、今なんて全然ダメだ」 なんて言うようではその時点で負けている。 確かに黎明期のメディアはなんでも熱いものなわけで、私だってそう言いたくなるが、 作り手がそう言ったらおしまいだ。 「明日のゲームは今日のゲームより面白い」を信じられなくなったら廃業した方がいい。 GDCのインディーゲームの熱気を見れば、ますますそう思わざるを得ない。

なんてことを考えるに、あの講演は実に説得力があったなあと思うわけである。 むろん、シャネルやフェラーリのようにして生き残る道だってなくはないし、 実際日本のアーケードゲームはなんだかんだ言われながらも結構生き残っているわけで、 局地的にはそのトレンドに逆らっても生きる道はあるだろう。 しかし、それはそれとして、20年後や30年後といった未来を考える時には、 動かしがたい傾向というものを無視してはいられない。 そこから目を背ければ、私はいずれ稼ぐ手段を失うことになる。 みんなそういう危機感は持ってるんだよな。口には出さなくても。 定年まで似たような仕事をして生きていけるなんて思ってないよな。 「まだ行ける」なんて言わないよな。「ダメになるにしてももう少し先さ」 なんて言わないよな。情報革命と、世界経済の構造変化と、人口転換。 これらが一緒に襲ってきているのが現代で、30年後に振り返れば 凄まじい激動の時代に見えるはずである。 今全力で行動しないと未来なんてないんじゃないのか。

ひつじこは化粧がどうでもいいのではなく、 こだわりが強いがゆえに実際にはしないタイプみたいだ。 なるほどすまん。それにしても、 「化粧しないとだらしない」みたいに思う人からの圧力に屈しないで 生きてこられたあたり、やっぱり只者じゃないなと思う。 ひつじこは絶対私より極端だと思うぞ。 一見やさしそうに見えるが。 私みたいに理屈の積み上げと気合でがんばってずれてるのとは違って、 ネイティブで強いしずれている。 オタマにもその強さが伝わって欲しい。

ひつじこが社会参加できる状況にしたいなあ。 どれだけ活躍してくれるんだろう。ワクワクする。

2012年04月08日

横浜まで行く予定だったが、いろいろあって、オタマと川。 オタマの合計歩行距離は2kmを超えている。 昼寝もなしでだ。 なのに1930になっても寝ない。寝る気配がない。

うるおい治療を提唱する夏井睦の本を2冊読んだ。 「新しい創傷治療」というサイトをやっている人である。 おおよそわかった。語り口も面白い。この人がおもろいんだと思う。 治療法は理にかなっているのでおそらくはこれに従って問題ないだろう。 あまり影響のないところから実験していく。

主張は、乾かすな、消毒するな、界面活性剤を使うな。これだけだ。 皮膚の損傷である限り、すり傷も火傷も日焼けも 白色ワセリンを塗ったラップを貼りつければ奇麗に治るという。 消毒も乾燥も菌の繁殖を止めるための処置だが、 消毒では完全な殺菌はできない上に、 菌がいることにさしたる害があるわけでもない。 菌がいて害になるのは、免疫系の力が及ばないような場所が 体の中にできてしまったケースだけだ。 そのようなケースでも、消毒による殺菌は効果が薄い。 加えて消毒薬は細菌以上に人間の細胞を殺すため、傷が深くなる。 乾燥も同様で、確かに細菌の繁殖は止まるが、人体の再生も止まるので 治りが遅くなり、痕が残ったりもする。 さらに、そもそも人間は一部の細菌と共生関係にあり、 そういった細菌が乾燥や消毒で殺されると外来の細菌に対する抵抗力が弱まる。 それらの細菌は皮脂を食べて生きているので、洗いすぎて皮脂の供給が なくなるとそいつらも増えなくなって、やはり抵抗力が弱まる。 もちろん皮脂は乾燥から守る役割も果たしており、 それを除けば乾燥する。

クリームや乳液は脂と水を界面活性剤で混ぜてある。したがって 皮脂を除く効果があり、また、そもそも人間の細胞は脂の膜で 守られているため、その膜が破壊されて皮膚に傷がつく。 これらは例外なく有害だという。

化粧とかやめとけってことだつまるところ。 ひつじこにはそういう趣味がなくて実に良かった。 化粧は電車の中とかで観察してるとオモロイのだが、オモロイ以上の価値を感じない。

この理論が正しいかはわからないが、筋は通っている。 筋が通って見えることが間違っていることがないとは言わないが、 筋が通って見えないことが正しいことよりは多い。

実験はすでに始めているが、 とりあえずシャンプーを含めた体を洗う洗剤が無用であることは ほぼ確認できた。脂やフケが出るのはそれらで皮膚の状態を悪化させているからだ。 やめて一ヶ月もすれば脂もフケも相当に改善する。 ハゲで悩んでいる人は試してみるといいかもしれない。保障はしないが。 オタマはそもそも洗剤を使っていなかったが全く問題なく、 私と同時期にひつじこもやめたがやはり問題がない。 顔が脂ベッタリになることもなくなってすこぶる快適である。

かかとがガサガサするのもワセリンを一日数回塗りこんでおけば改善する、 とあったので、これも実験を始めた。 ひつじこのかかとのガサガサっぷりは半端ないので、 これが改善すればまた一つ信用できる証拠となる。 風呂の後と朝、それと思い出せば昼に一回ワセリンをすりこむ。 そのままだと床がベットリになるので、紙で拭う。 拭っても皮膚の溝には入るので、それで乾燥が軽減できる。 乾燥さえしていなければ次第に中の細胞ががんばって修復する、ということだろう。 また、すりむいた所にもワセリンを塗って乾かないようにしている。 これで治りが早まるのか実験だ。 日焼けでヒリヒリする状態になっても同様にワセリンを塗ってみる。 日焼けや火傷、擦傷がヒリヒリするのは乾燥が神経を刺激するかららしく、 ワセリンを塗ったりラップで覆ったりすれば痛みはすぐなくなると言うので、 これも夏になれば試せるだろう。 オタマがハデに掻いて血が出た場合にも試してみる。 また、かゆみは弱い痛みであり、かゆい所はようするに怪我をしているのだから、 同じように乾燥させないようにする。これもワセリンだ。 そんなに都合良く行くのか実験してやろう。 これで都合良く行くなら消毒薬の類は全てゴミ箱行きになる。

2012年04月06日

洗剤を使わずに入浴するようになって結構経った。 脂は劇的に減った。フケは出るが、当初ほどではない。 たぶん自然の皮膚のサイクルがこんなもんなんだろう。 いらんなあ、洗剤。 なお、毛の抜け方が減った気がする。 測定してはいないが、気がする、というレベルではない。 ハゲの危険にさらされている人は洗剤を使うのをやめて一ヶ月ほど 我慢できれば状況が良くなるかもしれない。保障はしない。 最初の一週間はベッタベタになるので、 熱めのシャワーを丁寧にかけて脂を流すことをおすすめする。 風呂桶の中でやると水面がラードに覆われるので注意。 面白いので一回は見ておいた方がいいが。 また、毛を短くしておくと不快感が軽減する。

膝を伸ばした状態はおおよそ腰に悪い。 腰を痛めた人は体の動かし方を直さない限り完治しないと私は思うのだが、 24時間横で口を出せるわけもないとなると、 「膝を伸ばすな」と言うくらいしかない気がする。 物を持ち上げる時も、寝る時も、歩く時も、とにかく片時たりとも 膝が伸び切らないようにすれば、おかしな負荷がかかることはない、と思う。

歩き方がいまだにわからない。 踵から着地すること自体が間違ってるんじゃないかというのは かなり前から思っていて、最近は気がつくと爪先だけで踵を接地しないように なっている。その方が楽だからだ。膝や腰への負担は明らかに軽い。 一回これで何km歩けるか試してみた方がいいな。 20kmくらい歩かないと本当のところがわからない。 ふくらはぎの負担は大きいはずなので、そこがネックになる可能性は考えられる。 しかし、人類は大半の期間靴なんてはいてなかったし、 靴をはいている期間の大半もロクなクッション性はなく 靴の目的はクッションではなく保護だった。 そういう状況で踵から着地なんて衝撃が激しい歩き方をしていたのか。 踵から着地しても衝撃が大きくならないようにするには、 かなり膝関節と股関節を柔軟に保たねばならず、 一般的な現代人には望みえないほどのレベルの高い動きが必要だ。 私でもかなり気を使わないと衝撃を消せない。 まあもう少し研究してみよう。

薄い靴をはくと嫌でもこういうことを考える。 日常生活がほぼナイキのアクアソックで、靴下もはいてない。 しかも相当にすりへっているのでクッション性は限りなくゼロだ。

私はたぶん交流を嫌うタイプだ。 他人のやり方を聞きに行こうなんてまず思わない。 答えを見るのは自分で十分に苦しんでからだ。 しかし、それではまずいことは知っているし、 傲慢さの表れかもしれないが情報を出すのは大好きだ。 そういうわけで、どうにか人と情報交換をする方向で努力はしている。 さて、私はちょっと前まで、「情報交換は常に善だ」 ということに関しては異論がないと思っていた。 コスト的な問題から実現しないケースが多いだけなのだろうと思っていた。 しかし、どうやらそうでもないらしい。 根本的に情報交換すべきでないと考えている人は結構たくさんいる気がする。 面倒だとか、時間がないとか、そういう消極的理由でなく、 積極的な意図で情報交換や知識共有をさせないようにする人は存在する。 であるならば、彼らがそう考える理由と、 彼らがそう考えるに至った時の世界がどのようなものだったかを知ることが必要だ。 彼らが合理的な思考によってその結論に至っていることを疑ってはいけない。 世界に馬鹿はいない、という前提から始めないと 先入観で足を踏み外す。

2012年04月05日

もしひつじこ語録を作っておいたら、あっというまにギャルゲーの5本くらいは 作れるネタが溜まる。萌えに満ちた明るい家庭だ。 私が慣れすぎてそれが普通になっているのもまたギャルゲーくさい。

オタマがコケて怪我をした。 とりあえずピアノ椅子が鉄製で固いので捨てる手配をして、 かわりに折り畳める安物を注文した。 こうなる前にそうしておくべきだったが、 踏み台として使っていたりもしたし、 高さ調節がまともにできるピアノ椅子はこの類のものだけなので 捨てるというところまでは行かなかった。

根本的にピアノそのものが危険物だし、コケて顔を打ちつければ危険なものは いくらでもある。台所なんて危険物の宝庫で、ピアノ椅子の比ではない。 自分で戸を開けられるようになり、身長が90cmまで伸びて 110cm程度までの高さなら届いてしまう今となっては、 危険物を完全に遠ざけるのは不可能だ。 とりあえず、流しの下の戸は閉じておくことと、 台所の押入の手前の部分に重いものを置かないことか。 いつもスーパーのビニール袋を置いている場所にそろそろ手が届くので、 場所を変えねばならない。使いにくい形の袋は捨てて整理しよう。

ツタヤでアンパンマンを借りてきたが、できればデータで買いたい。 DVD不便すぎる。バンダイチャネルにもないし、どうしようもない。 youtubeにこれだけアップされては消されている現状は 明らかにビジネスチャンスだろうに。 過去の膨大な蓄積があるだけに、課金がわずかでもそれなりな収益にはなると 思うが、DVDの売上を食うのは怖いよな。

違法コピーの類はビジネスチャンスがそこにあることを示している。 阻止に躍起になることが必要でないとは言わないが、 それと並行して商売に変えることを考えてもいい気はする。 もちろん、言うのは簡単だがやるのは難しい。 既存の収益構造を破壊するような革新をやる場合は特にそうだ。 ゲーム機向け5000円ソフトで利益が出ている間は、 同じものをiPad向けに500円で売ろうとはなかなか思えないだろう。 そうやってビビっている間に他の誰かに市場をさらわれて二度と追いつけない、 ということは珍しくないわけだが、 新しすぎることをやって自滅する例も実は結構ある。

パンを売る時、何個入りで売るかは重要な選択だ。 1個づつだと、「1個でいいんだが、2個入りしかないならそれを買う」 という客から2個分の金を取る機会を失う。 2個づつだと、1個でいい人にとっては余分なので、 「1個でいいので2個もあるなら買わない」という人が現れる。 どちらの損害が大きいかを考えて何個入りにするかを決めることになる。 ゲームも同じだ。 少し前まで、1個入りでも2個入りでもゲームの値段は変わらなかった。 5800円とか6800円とかいう値段で売ることが 半ば決まっていたからだ。 従って、同じ値段を払うならたくさん(あるいは豪華なものが) 入っている方がいい、ということになり、大作化は必然となった。 しかし、値段が比較的柔軟になってきて、 追加課金やら何やらといった手段が出てくると、 パンと同じ問題がソフトウェア系の売り物にも出てくる。 小ボリュームのものを低価格で売れば、 それで満足な人からそれ以上の金を取ることはできない。 体験版をバラまいたらみんなそれで満足して全く金にならなかった、 という失敗談は良く聞く話である。 一方、大ボリュームのものを高額で売れば、 「そんなでかいもんいらねえよ」という客から金を取ることが全くできなくなる。 パンと違って小ボリュームのものを2個買っても大ボリュームにならないが、 構図は一緒だ。追加課金で大ボリュームになるようにすれば、 小ボリュームで満足な人からそれ以上の金は取れなくなる。 ここで客の大半が小ボリュームのものしか求めていなかった、 なんてことになると、追加課金分の利益が消え失せる。 「ちょっと前まで大ボリュームのものを6800円で買ってくれていた」 という事実があったとしても、それは実のところ「2個入りしかないから 仕方なく2個入りを買っていただけで、1個で良かった」 ということかもしれないということである。 音楽バラ売り時代になってCDがまさにそうであったことが発覚したわけで、 ここに新規に参入する人間のつけこむ隙がある。 そういう市場においてはそもそも大ボリュームなんていらなかったのだから、 小ボリュームだけを作って安値で売りさばけば既存の事業者を出しぬくことができる。 それが今起こっていることだ。

しかし、既存の事業者が新しいやり方に移行するのには 障害が山ほどある。 今まで2個入りしかなかったところに1個入りを出す時、 今まで2個入りを買っていた人が1個入りしか買わなくなることによる損害よりも、 1個入りがあることで新しく買われる利益が上回るような額をつけたくなる。 例えばつい1個入りを高くしてしまう。 そうすると、今まで2個入りを買っていた人間から見れば 1個入りがやけに高く見えるし、新しい客もあまり増えない。 また、1個入りを安く設定する場合には2個入りを以前の2個入りよりも高く する誘惑に駆られる。これをやると以前2個入りを買っていた客の 怒りを買うことになる。 こういった失敗が起こるのは、新しく売れる数をあまり大きくは見込めないからだ。 値下げすればこれだけ数が増える、ということは自信を持っては予測できない ものである。結果、新しい客が増えなくても同じ利益が上がるように 計画を立てる誘惑に駆られる。 状況が変わっているのに「前回と同じ利益」なんてことを言い出す段階で 甘いわけだが、既存の事業者がそこから逃れるのは極めて難しい。 また、デジタルデータならではの問題もある。 大ボリュームのものと小ボリュームのものの1個あたりのコストは同じだ。 コストはほぼ開発費なので、大ボリュームを作ってしまった段階で 金は全部払い終えている。その後売るものが大ボリュームでも 小ボリュームでも何一つ変わらない。 そして、それをお客も知っている。 コストが同じであるにも関わらず大ボリュームに余計に 金を払わねばならないことは心情的に納得しにくい。 人類は長い間実体のある商品に親しんできたため、 たくさん入っているほどコストも高く、コストが高いから値段が高い、 という理屈は自然に感じる。経済学的にはコストと値段には関係なんて なくてもいいのだが、買う側はなかなかそうは思えないのである。 パンの製法を開発するのに金がかかるが、パンそのものはいくつ作ってもタダ、 なんていう実感に反する状況にはそうそう感覚が順応できない。 この心理を無視して商売をやると失敗する。

パッケージ売りはまだ実体があった。輸送コストがあり、製造コストがあった。 しかし、ダウンロード販売になればこれが完全に消える。 「データなんてなんぼコピーしてもタダじゃん」という実感に反して 商売をするためには、データじゃなくてサービスでお金を取るという 考え方にシフトする必要がある。「手数料」という概念は 広く定着しており、そのようなものとして金を取れば心情的には納得しやすい。 ゲームであれ音楽であれ、手数料として金を取っているように感じられる 方向に行けば、「データなんて作っちゃったらタダじゃん」 という感覚があっても商売として成立させられうる。 その境界線は曖昧だが、開発費だサービス料と 言ってもつまるところは人件費であることを思えば、 説明の仕方の問題にすぎない。 同じ金を発売後の追加データと発売前に円盤に入れたデータのどちらに使うかだが、 固定費を減らして状況変化に対応しやすくすべき、という基本に従えば、 発売後に反応を見て追加する方が理にはかなう。 ましてその方が納得されやすいというならなおさらだ。 円盤に焼くのと違ってダウンロードの場合は余計なデータ転送が 高くつくので、自然と「全部作っておいて一部鍵」というやり方は廃れるだろうし。

雑誌や音楽など、デジタル化できるものは全部同じ状況になっている。 客としては甚だありがたいことで、むしろもっと早く進展してほしいし、 作り手としてもこんなに面白いことはない。 仮にこれで職を失うとしても、それは時代の流れだ。 悲しむにも驚くにも値しない。

GDCで話したngmocoの人、ツイッターもおもろいな。 「EAが最悪の企業、とかいう話が盛り上がってるのは、ゲーマーが情熱的で ネット上で組織化していることを示している。別にEAは最悪でもなんでもないが、 彼等のお客が気まぐれで満足させるのが難しいということは言えるな」 みたいなこと言ってる。 DeNAの子会社の人なんで、家庭用業界に関する発言は 立場を差し引いて聞くべきなんだろうが、分析が素敵だ。 2年前のGDCでウォルマートを引き合いに出して家庭用は死ぬとか言ってたのも この人っぽい。フォローしてみた。

有名人でないのにフォロー数が被フォロー数より大幅に少ないのは異常、 と誰かが書いていたが、意味がわからない。 一番意味がわからないのは、こんなに使ってないのに 被フォロー数が300とかになってる事と、 フォロー数が100を超えるような状況で使ってる人が多数いることだ。 隠れフォロー外し機能とか、タイムラインに出さない機能とかあるんだろうか。

がれき受け入れで揉めているが、反対している人間は 福島に被害を押しつけてそれで良しとしている。 その自覚を持った上で自己の利益を優先するならそれはそれだが、 多少の負い目くらいは持ったっていいだろう。 しかし、そういう感情を持つことが人類には難しいことは心理学上明らか なので、そう言っても仕方ない。

青森の雪を沖縄に送るイベントを「雪に放射能が入ってる」 とか言って阻止した馬鹿共がいたようだ。 首都圏からはるばる沖縄まで避難した筋金入りの連中らしい。 危険物を持ちこむな、と言う連中は、 その危険物の中で生活している一千万単位の人間の事について 考えが及ばないのだろう。 というか、お前が行かなきゃいいじゃん、というレベルなのだが、 何故それを他の人間にまで押しつけるのか。 沖縄の人々を守る使命感に駆られているのだろうが、 その調子で全日本にまで思考を広げれば、 福島周辺で比較にならない放射能にさらされている 人々のことに考えが及んだだろうに。 根本的な動機が利己的なのに変に大義を持ってくるから余計に醜悪になる。 しかも頭が悪いからそれがバレバレだ。

2012年04月03日

1兆=テラなので、千葉の件は毎時10テラベクレル。 これは千葉に降った量ではなく、千葉に降った量から原発の総漏れ量を 推定した値。 1年間出っぱなしになったとして、およそ10万テラベクレル。 数万テラベクレル以上漏れるとレベル7なのだが、 ヨウ素はさっさと消えてなくなるので、 この時点での推測では「レベル7になる潜在能力はありそうだがそこまでは行くまい」 という程度だろう。しかしレベル6は固い状況である。 それにしても思うのだが、何故今になってそういう情報が出てくる? 隠蔽したければし続ければいいのに、今になって「もう出してもいい」 と判断するのは一体どういう基準によるのだ? まさか、「黙っているのが恐くなった」とかじゃあるまいな。 初期は「言うのが怖い」が、時間が経ってくると「言わないでいるのが怖い」 の成分が増えてきて言ってしまうと、そういう人間心理によるものだとしたら 救いようがない。

「おしりの山はエベレスト」が驚くほど愉快だ。 iTuneで売ってくれよ。 DVDがあるが、物体を買うのは面倒くさすぎる。ドライブつなぐ手間とか もはやありえん。

動画配信ビジネスがあんまり広がってないのが不思議だ。 ツタヤは未だに郵送でDVDを送る商売をしている。 一緒にデータ配信の商売もあるかと思ったらない。

2012年04月02日

短い文章を3つほど書いてみたが、難しい。 本当に書くことになったら改めてよく考えないと。

2012年04月01日

マルチスピード化する世界の中で、を読んだ。 途上国がすごい勢いで先進国に追いついてくる、という内容。 先進国の低成長と、途上国の高成長の二極化を指して「マルチスピード」 と言っている。原題の方がそのへんはわかりやすい。 この手の本の日本語名は大抵ダメだ。

自分がわかってることを整理しよう。

経済学の根本は、「分業するとみんなうれしい」だ。 得意なことに集中すると、苦手なことをするより効率がいい。 みなが得意なことだけをして、得意でないことは他の人に任せた方がいいということだ。 個人の単位でもそうだし、国や地方、組織の単位でもそうだ。 豊かになるための最大の原則で、これから大きく外れることは不利になる。 なので、いくつかの条件が満たされるのであれば、 国内で作って効率が悪いものは輸入すべきだし、 社内で作って効率の悪いものは外注すべきだ、ということになる。 ただし、いくつかの条件が満たされる場合であることに注意はいる。

まず、任せる相手が信用できるか、任せられる相手が他にもいることが重要だ。 食料自給率の議論があるのは、基本的には外国を信用できるかどうか、 複数の国から買えるかどうか、といったことに不安を感じるか感じないか ということだろう。何かあった時に売ってくれなくなるようでは困る。 しかし、これに関しては相手もこちらに依存してくれれば危険は軽減できる。 日本が売るものが相手にとっても大切であればいい。 単純に買うこと自体が相手にとって大事であれば、 日本が別の物を売らなくても依存関係は成立する。 「買う」というのは金と物を交換することで、相手にとって金が 大事であればそれ自体が相互依存だ。 しかし、金は誰から手に入れても同じ金なので、 できれば日本だけが供給できるものを何か持っている方がいい。 オタマの世話はおおよそひつじこがやっている。この分業はおおよそ成立するのは 何よりも愛があるからだが、経済学的には私がひつじこに生活費を提供しているから 成り立つと言える。実際、多少愛があってもダンナが金を運んでこられないようでは 育児を伴う結婚生活は成立しにくい。 しかし、金は誰から手に入れても金なので、私は金以外の私固有のものを ひつじこに輸出する方が関係は強固になる。たぶんできてると思う。 ゲーム会社がソフトウェアの部品を外注したり外から買う場合、 ゲーム会社にとってはその相手が信用できるか、他にも同じものを作れる 会社があることが必要だ。相手が信用できる、というのは、 逆に言えば相手からも信用される強固な関係があるということで、 ゲーム会社は相手に対しても何か金以外のものを提供することが望ましい。 日本企業の「系列」というのはたぶんそういうのがあったんだろう。 しかしそういうものがなく金のやりとりだけになるならば、同じようなものを 他の会社も作っている、という状態がいい。 そうであれば、安心してその部品を社内で作るという選択肢を捨てることができ、 得意なことに集中して効率を上げられる。 ゲーム会社で部品を外から買うのが流行らないのは、 「同じようなものを作る会社がたくさんある」状態になっていないから、 というのが大きい。

分業が確実に効率的なのは、「誰からも買え、誰にでも売れる」状態に なり、売り物の使い方が単純な時だ。 しかし、現実世界の商品はそうなってないので、 必ずしも分業が効率的とは限らない。 ソフトウェアの部品は極端に分業の利点が疑わしい例だ。 まず誰からも買えるわけではない。それぞれがあまりに違うものを作っているので、 買うと決めると依存関係ができる。 売る側にしても、大した数の客がいるわけでもないので、 一人買ってくれなくなるだけでダメージを受ける。 ソフトウェアは複雑なので、使う側が持つ知識を何も持たずに 作るわけにはいかない。もちろんイチゴ一つにしても、 客がおいしいと思う味がわからないとうまく作れないので同じといえば同じだが、 その度合がソフトウェアでは桁外れに大きい。 客が少なく、複雑な品物ほど客と作り手の交流は深くないと安定しない。 ソフトウェアは客と作り手の交流を深めるか、単純にしないと 安定しない。安定しないと安心した分業ができない。 標準化の利点は好ましくない依存関係を薄めて安定した分業を促進することだ。 大した理由もないなら 独自テキストフォーマットとか言わずにXMLにしとけよ、ということだな。

別に何がわかったわけでもないが、頭の中では結構整理できた。 しかし文章は整理しない。推敲する時間はない。読んでも何のことかわからんかも しれんな。

中国とインドは人が多いので、それぞれの人が大して金持ちにならないうちに 経済大国になる。国内に貧乏人がたくさんいて問題も多いうちから 国際的な責任を負わされる。

知的所有権は神が決めたものではなく、人間が作ったルールなので、 それが都合がいい場合もあれば都合が悪い場合もある。 今中国にとってそれに関してとやかく言うことは都合が悪いが、 中国国内でソフトウェア産業やらコンテンツ産業やら製薬産業やらが 育ってくればそれらの企業が力を持ってくるために 自然と知的所有権を守る方向に進んでくるはずだ、と書いてあった。

産業は、農業メイン、軽工業メイン、重工業メイン、知識産業メイン、 と段階があって、現代において先進国並みの豊かさを手に入れるためには 知識産業メインの社会にならないといけない。 知的所有権が確保されてないと知識産業は育たない、 というのが大方の見方なので、 当然中国も先進国になるならそのへんをしっかりするようになるだろう、 と思われている。 しかし、知的所有権がしっかりしていないと知識産業が育たないというのは仮説だろう。 知識産業が育つとその政治力で知的所有権が整備される、 というだけで、原因と結果が逆かもしれないからだ。

うちらコンテンツ屋にとって、知的所有権なる概念が 本当にお得なのか、ないと商売できないのか、 といったことについてはよく考える必要がある。 そして、ないと商売できないような状況はビジネスとして脆弱であることを よくよく認識しておかねばならない。 人はコピれる状況にあって、それが得であれば、必ずやる。 以前「あの国ではみんなコピーするのでネットゲーしか作れない」 と軽蔑の意をこめた物言いがよくされていたが、 マジコン騒ぎを見ればそれが国民性の問題ではなく笑う資格なんて なかったことがよくわかる。 知的所有権なる概念は根本的に人類の生物としての感覚を超えている。

ネットワーク前提のゲームにして、ネットワークサービスに対して課金するのが 一番安定するんだよな。今の状況では。 ダウンロード販売であっても買い切りのアプリであれば改造されてコピーされる。 ゲームロジックの核になる部分をサーバ実行にしてしまうこと以上に 効果的な手段が浮かばない。 広告で金を取るモデルは、究極的には客が広告を回避する手段が出てきて崩壊するし、 邪魔にならない広告はスルーされる広告と同義だし。 広告の効果の測定が難しいことに依存してる部分も多かろう。 「実は広告ってそんなにいらなくね?」という風潮にコロッと変わったりすれば 話が変わってくる。テレビでは実際そういうことも起きているわけだし。 今は広告というものが大きく変化している最中である気がする。

市場は触ってみないとわからないものだ。つまり、その市場向けの商品を実際に 投下してみないとわからない。 また金の取り方によって市場が決まるので、つまりいろんな金の取り方を実際に 試してみないといろんな市場に対する理解も深まらないということを意味する。 失敗しても耐えられる範囲で実験をいろいろしておこうということだろう。 しかし、大抵の場合不景気になればなるほどそういう実験をやらなくなり、 それによってどんどん周りが見えなくなってくる。 不景気になるほど新規採用を絞るような企業は、たぶん事業戦略に関しても そういうマネをしやすいと思われる。

サーバ実行するゲームは必然的にログが溜まる。客がどうやって遊んでいるのかに 関する情報がたくさん溜まる。こういうサービスをやると、 パッケージソフトを年1回売っておしまいな商売をするのとは 比べものにならないくらい情報が得られ、 市場の変化への追従も早くできるし、失敗からのリカバリーも早くできる。 変化速度が増し、市場の細分化が激しくなっている現代においては、 市場から情報を得てサービスに反映させる速度は高めなくてはいけない。 今からパッケージソフトを作ろうと言うならよほどの 勝算がないとダメだろう。変化速度が遅く、良くわかっている市場に向けて 作れば良く、要するにそれはコアなファンということになるのだろうが、 開けてみたら実はコアなファンなんていなかった、ということは いくらでもある。大人は2年くらいでは大きく状況が変わらないが、 子供にとって2年は大きい。未成年をターゲットにする商品を 大人の感覚で作るのは危険なんだろう。

逆に言えば、年寄り向けのサービスは一回当たれば比較的安定する、ということか。

商売について勉強するのは面白い。しかし実践する機会はない。 ドラッカー的には下っ端に至るまで商売のことを考えて仕事をすべきなのだが、 まあそうも行かない。 大企業の内部は高度に分業化しているからな。 それによる効率化が大企業の強みなのだが、 専門化すればするほど環境の変化への追従が遅くなるので、 変化が速い時代であればあるほど大企業は不利にもなる。 資金調達や大規模な投資などの規模が効くところだけうまく利用して、 社内の専門化や組織の複雑化はあまり進めないという選択肢もあるだろう。 そうすると「オレ一人なまけてもあまり変わらん」という士気の低下も防ぎ やすいし。効率化が常に正義とは限らない。


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