だだもれ

2012年01月31日

前読んだ「動き出したレアメタル代替戦略」がべらぼうに面白かった。 そこそこ専門的な本なのでよくはわからないのだが、それでも面白い。 現状がどうで、どういう未来を拓くための技術開発なのか、 というストーリーがわかりやすい。 話は技術にとどまらない。人類が現状の経済成長を続ければ 資源がどのように枯渇するか、人類が存続していくためには 長期的にどのような条件を満たさねばならないか、 日本はどのような状況にあるか、 過去の日本はどのような技術的貢献をしてきたか、 といった大きなことがわかりやすく書かれている。 専門的なことについても、大枠のイメージは 大学で量子化学と無機化学をちょっとかじった程度でも 掴めなくはなく、また、著者の書きっぷりのせいか わからなくても面白い。きっと専門ならなお面白いのだろう。

金1gを掘り出すのに何トンの土を掘ったり、何ジュールのエネルギーを費やしたり せねばならないか、というような所から資源の希少性を評価していくと、 携帯電話の価値はほとんどが金によるという話。 もし金を銅に代替できれば、それだけでこの測り方をした時の価値が 何千分の一にもなる。 最終的にはパラジウムやジスプロシウムなどの希少な金属を、 鉄やケイ素、アルミと言ったアホみたいにたくさんある元素で置き換えねば、 人類は永続できない。そのための道具は揃いつつあるのだと言う。 ワクワクしてくる。

いっぺいならこの本を私よりずっと面白がれるんだろうな。うらやましい。 専門家ともなると粗が見えてかえって面白くなくなるのかもしれないが。

うちのカメラはDMC-FT1。今日後継機種のDMC-FT4が発表されたのだが、 驚くほど去年出たDMC-FT3と変わらない。 暗い所に強くなればと思っていたのだが。 しかし、ふと気になって調べてみたところ、 去年のDMC-FT3の段階で相当にマシになっていることがわかった。 あれだけマシになるなら室内で適当に撮ってもどうにか使い物になるのではなかろうか。 とは言え、急ぐこともないので、今年の防水デジカメが出揃って レビュー記事が出るまで待とう。

ソニーのやつはもっとノイズが少ないし豪華機能が目白押しなのだが、 耐衝撃性を謳っていないのでうちではダメ。 ひつじことオタマの暴虐に耐えねばならない。 パナソニックは完全にアウトドアに特化した作りで うちの用途ではいらん機能も多いのだが、 しかし頑丈さは最優先だ。

ThinkpadX220は言うほど頑丈ではなかった。 蓋の強度は201sよりも弱いように感じる。 まあ仕方ないよな。とりあえず修理出そう。 毎度申し訳ないが、そのための4年拡張保証だし、 液晶モニタそのものの破損ではないだろうからそれほど迷惑もかかるまい。

ガウス分布の積分。正規化係数どうやって出てきたんだよと思って調べたら、 恐ろしく賢い方法で計算されていた。 どこでも正だから二乗を求めてから平方根をとっても良く、 二乗すると丸くなるので極座標に変換でき、 あとは内接円の積分より大きく、外接円の積分より小さいことを利用して、 円の半径を無限まで広げれば計算できる。すごいな。 言われてみればそのとおりだが、こんなの絶対思いつかない。 ところで、これを使えばマイナス無限から無限までの積分は求まるが、 有限の範囲の定積分はどうやって求めるんだろう。 もちろん実際の応用では大抵離散化して計算するので、和を取って割れば良く、 そんな積分をする必要はないのだが。

オタマの体重が増えない。平均的には月250gくらいは増えるはずだが、 いまいち鈍い。料理が気に入らなければ食べない、ということが 許されていることが影響しているのだろうか。 母乳があるせいで、オタマにとってご飯は趣味みたいなものなのである。 もちろんすでに母乳では栄養が足りず、 オタマも本能でそれを知っているはずだから、 足りない分は食事を取るはずだ。しかし、やはり弱い。

鍋が足りない。やはり湯沸し用の鍋が欲しい。ビタクラフトだと鍋の熱容量が大きいので 沸くのが遅いのだ。沸かして終了な用途では鍋の熱容量が大きいことは害でしかない。 鍋でなく水を温めたいのである。 あと、ジオポトフ鍋4Lで煮物を作ることが多いのだが、煮物がある間に 小規模な料理をしようと思うと鍋がない。 ビタ1.9Lは小さすぎる。ビタ5.5Lは大きすぎる。 どちらかしかない状況は不便だ。 台所にスペースがあればいろんな大きさの鍋を取り揃えておきたいところなのだが、 なにせ場所がない。

ジオのポトフ鍋4Lは本当便利だ。深いので結構入るし、径が小さいので量が少なくても それなりな深さになる。煮物にはちょうどいい。 焼き物や炒め物用に浅く広い鍋は必要だが、それはビタ5.5Lで足りている。 もう一個ポトフ鍋があってもいいと思うくらい、こいつは便利である。 もともとはパンの型としてオーブンに鍋ごと入れるために買ったものなのだが、 結局その用途に使うことはなかった。大きすぎて、中まで火が通るのに 時間がかかりすぎたのだ。もし本当にそういう用途で使うなら、 もっと小さな鍋が必要だろう。 そして、小さな鍋でいいのであれば、普通にパウンドケーキ型をたくさん使う方が 火の通りもいいし楽である。

葉っぱ野菜が高くて買えない。おいしければ高くても許せるが、おいしくないからな。 チンゲンサイ、小松菜、法蓮草あたりは頻繁に食べたいのだが、 東京でチンゲンサイを買っておいしかった試しがない。 小松菜とほうれん草は年末あたりに寒さで縮んだ奴がおいしくてよく買っていたが、 最近はなくなった。寒さで縮んだ奴を作れる季節は終わったのだろう。 もやし系も見当たらないし、困る。 じゃがいもと玉ねぎを食べて生きるとしよう。

にんにく農家から買った人参がなくなって以来 スーパーで買っているわけだが、驚くほどの味のなさ。 蒸して食べるというわけには行かない。 ダシと醤油と味醂で煮て食べるくらいしないとどうにも味気ない代物だ。

水1gを1度上げるのに4ジュール必要だ。1カロリーである。 アルミだと0.9ジュール、鉄だと0.45ジュールくらいいるらしい。 同じエネルギーをもらっても熱が上がる奴と上がらない奴がいる。 この差は何から来るか。 光ったり電気が出たりするわけではないわけで、 温度が上がらなくても同じだけのエネルギーはもらっている。 温度すなわちエネルギーというわけではないということだ。 原子や分子は、移動だけでなく回転もする。 移動もいろんな方向がある。いろんな方向で、いろんな回転ができる 物質はそれだけエネルギーがいろんな運動に分散するので、 温度が上がらない。 回転が封じられていたり、移動の方向が限定されていたりすれば、 その分だけ特定の方向への移動に集中してエネルギーが使われ、 温度が上がりやすくなる。なるほどな。 温度って何なんだろう、ということから考えないといけないわけだ。 そういえば大学でやった気がするな。統計熱力学か何かで。単位落としたが。

で、鍋である。1リットルの水を300gのアルミ鍋で沸かす場合、 熱容量のほとんどは水が持っている。なにせアルミの4倍以上の比熱で、 量も3倍以上あるからである。 比熱×重量は水が4200で、鍋が270くらい。 ビタクラフトの場合、仮に全部がステンレスだとすれば比熱0.6くらいで、 仮に1kgあったとしても600くらい。 仮に熱効率が同じで一切冷めなかったとすれば、 4470/4800くらいに時間が短縮されることになる。 冷め方や熱効率次第では変わってくるだろうし、 水が少なければ比は大きくなるだろう。 まあ大差ないといえば大差ないかもしれない。 しかし、単純にビタの1.9Lは使いにくいので、あれならメジャーなアルミ雪平の方が マシな気がする。

高い雪平は槌で打ってある。 そのへんで売られている雪平はそんな手間はかけておらず、 型でガシャンと押して終わりである。 打った方が表面積が広いと言うが、 その差による加熱効率の差はどの程度あるか。 槌で打つことによって固くなるとも言われているが、 それに意味があるか、また、どの程度固くなるのか。 データが見つからないんだよな。 2000円の雪平と200円の雪平の性能差がわからない。 とは言え、なんだかんだ言って高い奴の方が使いやすい傾向があり、 2000円くらいなら払ってもいいような気はしている。 そもそも鍋が200円で買えること自体を信じられない。 ゲームを500円で買えるのとはわけが違う。

2012年01月29日

youtubeにオタマの初寝返り動画を上げてある。 久しぶりに見たら、横の関連動画にオーガスの31話が入っていた。 サムネイルは全裸の女体。 まさか、これがgoogleの画像処理テクノロジーなのか。 オタマはオムツ一丁の姿なので、画像処理で人間を認識して、 それが裸であることがわかるなら、同じ条件の動画を持ってくることが考えられる。 でもな、さすがにそれはどうかと思うぞ。

sinAcosBを見たら即座に加法定理。cosAcosBも同様。 A==Bの時には素敵な結論が出てくる。 こんなのCGやってる人なら初歩の初歩なんだろうな、 と思うとなかなかに憂鬱なのだが、 1日後でも、1月後でも、まして1年後でもなく今これが わかったことを喜ぼう。

半球が、cosΘを掛けると半径が半分の球になるんだな。すごい。 感動した。できすぎに思えて、本当にそうなのか疑ってしまうが、 sin2ΘがsinΘcosΘであるということからも、それっぽい。 でも怖いから数値計算したり絵に出したりして確認しよう。 これ、何をどうしたら直感的に「そりゃそうだ」と思えるかな。 そういう何かを見つけないと、理解できたとは言えない。

数学好きになりたい。苦手なだけで嫌いじゃないと言いたいが、 私は好きかどうかと得意かどうかが食い違うことなんてありえないと いう信条を持っているので、たぶん好きじゃないんだと思う。

メールで勉強の仕方を聞かれたので答えたら、なんかおもろいことになっていた。 恥ずかしいが、どうやら役に立てたということなんだろうから喜んでおく。

2012年01月28日

パシーマ2枚注文。綿が入った敷きパシーマ(サニセーフ)は ボロくなった時に綿が出て面倒なので、掛けパシーマでどうにかする。 パシーマの寿命は洗濯100回くらいらしく、週一で洗うと2年弱。 それで7000円をどう考えるかだが、まあいいだろ。

2012年01月27日

テルマエロマエ見たいな。アニメも実写も。

いままで数学ができなかったのは場数を踏んでないからだ。 よくわかった。単純なことだ。 クォータニオンにしても、 具体的な数値の並びを見てそれがどういうクォータニオンが おおよそ想像がつくくらいに慣れれば世界が開けるんだろう。 慣れてくれば回転行列の9個の数字を見ただけでどういう姿勢かわかるっぽいし、 数字が少ない分クォータニオンの方が楽だろう。 どこまで数学なしで行けるかと思っていたが、本当ダメだ。

2012年01月26日

ひつじこの体温がバブルだ。

朝から気持ち悪いと言って、牛乳を飲ませたら落ちついた。 日記を調べると前回は高温期26日目から気持ち悪くなったが、 今回はまだ20日だ。ちと早いな。

朝ゆっくりしている日に限って「できた、できた、できた」をやっている気がする。 子供向けの道徳教育番組で大変良く出来ているのだが、私は耳が痛すぎて苦痛だ。 「うれしいことをしてもらったらありがとうって言おうな」 くらいのレベルでも過去の諸々が思い出されて頭が大変なことになる。 ちなみに、ちょうちょう結びは苦手だ。 この番組を見ても自分の何が間違っていてうまく行かないのかがよくわからない。 オタマはこんな大人になるなよ。まあなってもいいけどな。案外生きられるし。

あーもう見てられない。

2012年01月25日

CG技術がコモディティ化(=汎用品を買って済ませばいいようなもの) してどうでも良くなりつつある今となっては、 いい本なんていらないのかもしれないと思ったりはする。 一部のできる人が作ったものを皆が有り難く使えばそれでいいからだ。 苦手な奴はそもそもCGなんてやらなくていい、と言うならそれが一番いい。 しかし、絵はアートで、アートである以上センスが最終的には物を言う。 そういうものを本当にコモディティとして扱っていいのかどうかは よくわからない。 CGは教育効果も高いしな。

今日もひつじこは熱い。明後日まで熱ければ検査する。

エネポ、というカセットのガスで発電する機械があることを知った。 非常時向けにはいいだろうが、10万出すかどうかという話だな。 こういうものはたまに使わないと不安なのだが、 どうたまに使えばいいのかも難しい。

仕事でも政治でも家庭でも、金の問題は常に大きい。 しかし、そのどれであっても基本的な考え方は、 「いくら必要か」ではなく、「いくらあるがどう使うか」である。 未来から金を借りることが100%悪だとは言わないが、99%は悪だ。 確実に精神的な規律が緩む。 もちろん、より多く予算を確保する努力はしてもいいが、 それを当てにして使う計画を立ててはいけない。 ゲーム機の性能に関してもそうで、 枠を考えずに放り込んでから必死で削るというやり方は非効率だ。 なるほどその方がいいものができるという考え方はあるし、それが事実であることもある。 しかし、それでは本来力を注ぐべきであったポイント以外に 無駄な労力が投入されていることになる。 漫画や小説は多めに書いてから削る方が良いものになるが、 それを組織レベルでやるのは怖い。

まあ、うちは金の問題は現状ないのだが。 問答無用で貯蓄に回るように設定してずいぶん経つが、 銀行の預金がなかなか減らない。 普段は徐々に減っていくが、ボーナスでほぼ元の水準まで復活する。 貯蓄に回す量は20万なので、月20万余っているということだ。 年間貯蓄量が240万ということは、もらった金の半分以上は使わずに 溜めていることになる。 とはいえ、別にケチっているわけではない。むしろ最近ちと緩いな。 たまには家計簿を見直すか。記録はしているが分析をずいぶんやってない。

家賃だけで年間100万払ってるわけだから、それ以外の消費は およそ年間100万強ということか。 月あたり家賃以外に10万くらいは使っていることになる。 そういえば子供手当をもらっているはずなので、もう少し多いか。 しかし、オタマがデカくなって、さらにもう二人増えると考えれば、 油断はできない。

以前「あんたの給料は安い」と言われたことがある。 しかし、業界平均は超えているし、 周りを見渡してもたぶんそう悪くないレベルにある。そして現実問題足りている。 金をたくさんもらえば、もらうことが当たり前になり、 いざもらえない状態に陥った時に大変なダメージを受けることになる。 私個人としては、毎月給料がバギクロスのダメージくらいに 変動する方が緊張感が保ててありがたい。 給料は増加していくとは限らないし、安定するとも限らない、 ということを感覚として持っておかないと危機に対応できなくなる。

ところで、「子供一人2000万円」というよく聞く計算で考えると、 今後20年で6000万円余らせねばならず、年あたり300万貯蓄に回せる 余裕が必要ということになる。給料を今の水準に維持できるという 相当楽観的な見積りをしても、なお相当にきつい。 今後税金がごっそり増えると考えれば、ほぼ不可能である。 こんな数字は何の役にも立たない。

うちのような裕福な家庭が子供手当をもらえること自体がおかしいんだよな。 そもそも子供手当自体に反対だが。

2012年01月24日

借りた「のうりん」を読んだ。実にひどい。 これがラノベの最前線か。ある意味漫画以上にフリーダムだな。 イラストをきちんと内容の一部として使ってくるのは良い。 考えてみれば当然のことだが、 ラノベできちんとやっていたのを見たことがない。 挿絵がなくても一向に困らない作品が大半だった。 小説と考えず、文章を主体にしたエンターテインメント、 というくらいにゆるく考えれば、これくらいのことはアリだ。 字の大きさをいじるのも、漫画で当然のように行われているのだから ラノベでやって悪いはずもない。

内容は、なんとも言い難いな。確実に5年後には風化している代物だが、 旬のものとしては悪くないのかもしれない。 それにしても、ギャルゲー的フォーマットというのは 俳句の17字制限のように結構有用なものなのかもしれないな。 鑑賞する側もある程度の前提の上で鑑賞できるので楽だし、 作る側も差別化ポイントを絞り込んで勝負できる。

最後にとってつけたように真面目な農業ネタが 入ってくるあたりもギャルゲーフォーマットだ。 その内容の中身自体は良く調べてあるようだし悪くはないのだが、 それはそれである。 萌え萌えの日常から急にトラウマ展開になる、古来から続く ギャルゲーフォーマットが今日も生き続けていることを確認できた。

電子書籍がメジャーになったら、動画や音声、文章や静止画などが 渾然一体となった何かが流行るんだろう。 ギャルゲーが制作コストと得られる楽しみの間のバランスを いい具合に取れる場所に落ち着いたのと同様に、 新しいメディアにおいても新しいバランスに落ち着くのだろう。 コストから言って文章の占める割合が多いことは疑いないだろうが、 動画や音声、静止画をどういう形と比率で使ってくるのか興味がある。 早くそういうものを見たい。 あわよくば自分で作りたいものだがなあ。

数年ぶりにCGの勉強をしているわけだが、なかなか面白いな。 大抵のことは始めてしまえば楽しくなるので とりわけCGが私に合っているとかそういう話ではないのだが、 それなりに向いていて、嫌いでもなく、 そこそこやる意義がある、という分野は多くない。

クォータニオンがだんだん私の直感の世界に入ってきた。 道具箱に入れておける代物になりつつある。 さらに修練を重ねて、 オイラー角を通さずに回転行列と等価なクォータニオンをいきなり脳内で作れる くらいに感覚的に慣れ親しんでおきたいところだ。 これに慣れ親しめば派生技術へと視界も広がってくるし、 一段上のレベルから眺められるようにもなる。 結局、どんな技術であれ直感で使えるレベルまで修練しないと 使いものにならない。私のヴァイオリンとピアノの差はそこにある。 練習すればショパンエチュードでも楽譜通りに音を出せるようにはなったが、 一回聞いただけの曲をなんとなく弾けるレベルには到底達しない。 ヴァイオリンならそれができる、というのはそれだけの差があるからだ。

私くらい数学が苦手な人間でも最後までちゃんと読めるようなCGの本を知らない。 大抵最初に数学がまとめてあるが、あんなもん読めないし読む気にもならないので スルーだ。基礎が怪しい状態で先の章を読んで、四苦八苦しながら 自分で実装してみてなんとなく動くようにはなるが、所詮は付け焼刃で 中身を理解できているわけでもなく、その先へはいけないし、 数ヶ月以上経ってから同じことをしようとすると最初と同じだけの時間がかかる、 という状態になる。いかん。 なるほど私が数学をできないのが悪いのは確かだが、 私以上に数学ができない奴なんていくらでもいるはずだ。 そういう連中の中にはプログラミングその他で秀でた人間もいるはずで、 数学ができないというだけでCGをやらせられないのは損失である。 CGが得意な奴にCGをやらせればいいじゃん、 と言うかもしれないが、人材が自由になる組織なんて そんなにないはずだ。たまたまそこにいる人間の中で 比較的マシな奴をCGに当てる、というのが現実の姿である。 したがって、そういう奴がCGをやれるような環境を整備せねばならぬ。 誰かそういう本を書くべきだ。誰か書いてくれ。

まあ、私に関していえば、 ここ数ヶ月の勉強のおかげで積分の記号はだいぶ慣れたんだけどな。 以前ほどビビらなくはなった。 回りくどい日本語で書かれるより数式で書けよ、と言いたくなる レベルも見えてきてはいる。 しかし、それはそれだ。 積分その他の訓練を積んでからCGの勉強を始めるなんてことはなく、 大抵はCGの勉強をせねばならなくなって、仕方なくその手段として積分その他の 訓練をするのだ。 ゲーム機は、ゲームをするために仕方なく買うのである。 稀にゲームなしでもゲーム機で満足できる変態もいるが、やっぱり稀だ。 同様に、何に使うかもわからんうちから数学が楽しくできる奴は稀である。 そんな希少な資源に期待して待つのはダメだ。 そこにいる人間を使えるようにするための道筋を作る義務がある。 基礎ができてから応用、というのはたまにいる変な奴にしか当てはまらない道であり、 ほとんどの人間は応用が先にあって、基礎に遡ることになるのである。 基礎科目をそのような文脈で学ぶための手段がないのは困る。 どうにかせねばならん。マジで誰かどうにかしてくれ。

大抵の本には参考文献リストがあって論文がズラリと並んでいるが、 正直あんなものを見に行きたくはない。 webで検索しても必ずしもpdfが出てくるとは限らず、 大学生でもない限り原文を得る手段がないケースもある。 もちろん参考文献リストをずらずら載せることが意味のある本というのはあって、 それが例えばRealTimeRenderingやHighDynamicRangeImagingみたいな本はそうだ。 ポータルサイトみたいなもので、正直本文だけ読んでもその領域について 十分な理解を得るのは無理だったりもする(特にRealTimeRenderingはそうだった)。 まあそういう本はあっていい。 しかし、そうでない本も欲しいのである。 書いてある内容についてはその本だけで充足するようにすることを 目指して書かれた本が欲しい。 何かを紹介して終わるような文章はなしにして、 完全に理解させる気のない内容は徹底的に省いた本が欲しい。 つまり、CGってのは何が問題で、基礎になるのはなんなのか、 ということを根本的に理解できる一冊が欲しい。 まあこの数カ月の勉強のおかげで、そういう本がなくてもどうにかなるくらいには なっているのだが、しかし私と同じような状況にある人は他にもいるだろう。

大学一年であんな微積の授業を受けても無駄だと思う。50人中5人しかできない。 私は残りの45人の側だ。量子力学もそうだった。 有機化学もそうだった。 むしろ、そうでなかった科目の方が珍しい。 なるほど将来の進路はいろいろあって何に使うかはわからんわけで、 特定の応用に即した形で基礎を教えるわけにはいかないという事情はわかる。 しかし、何かしらの具体例がないとやっぱり無理だ。 実際に進むことになる分野ではなくても、 応用側の具体例をいくつかコンパクトにまとめた形で体験できれば、 「ああ、基礎ってこう使われるのな」というイメージが体に残るはずだ。 ゲームプログラミングはその具体例としては悪くないだろうと思って、 九州大学で授業をやってみたが、あの時間では理想には程遠い。 本来なら微積に線形代数、計算量理論やソフトウェア工学などを 総合的に含んだ形でやりたい。それらの「基礎科目」が現実の応用の中で どう使われるのかを体験すれば、ゲームの道に進まんでも役に立つと思うのである。 正直あの本もゲーム屋になる人間のためだけに書いたわけではないからな。 ゲームは勉強の手段でいい。

2012年01月23日

ドアを閉めて、と言ったら閉めてくれた。ここまで来たか。

6月にひつじこは友達の結婚式に行く。 初めて丸一日私がオタマの相手をすることになる。 それまでにどれだけオタマが賢くなるかで全てが決まる。 あとできることがあるとすれば、脱乳くらいだろう。

顔を描くようになった。といっても、大きな丸の中に小さな丸が三つあるだけで、 顔と断言していいかどうかはわからない。だが、たぶん顔だろう。

いちご、とは言えない。「オリゴ」になる。

何をどうすればゲームをできる時間が取れるのか見当もつかない。 徹夜一回で終わるものならこの前のキムラみたいにどうにかならんでもないが。

2012年01月22日

あんこ。小豆1kgを煮て、皺が伸びたら汁を捨てる。 圧力鍋に移し、水2リットルを入れて、加圧15分。 減圧後、塩2g投入。きび砂糖750gを何度かに分けて入れる。 ちとゆるいな。冷えた時の固さを見てから判断しよう。 味はこんなもんじゃないかと思う。

にんにく小一個(一片ではない)、たまねぎ大6個を 粉砕してオリーブオイル90mlで炒める。 水につけておいたレンズ豆500ml、水1.5Lを追加。 塩5gくらい(水に対して0.33%濃度)、胡椒、レモン1個の絞り汁。 あとは煮る。まあこんなもんだろ。 後でじゃがいもでも入れるか。

オタマの皮膚のために図書館。使えそうな本は全くない。 保湿って何よ。保水って何よ。 仕方ないのでアトピー系の本と化粧品系の本を数冊借りて斜め読みした。 ステロイドについては否定的な人と肯定的な人がいるが、 両者の間に実は対立はないのかもしれない。 肯定派も「それで完治する」とは言っていないし、 否定派も「効果がない」とは言っていない。 肯定派は「治せないならせめて症状を抑えないとまともな生活もできないし、 どんどん悪化する」と言うことを言っている。 否定派は「原因を取り除けば治るのだから、対症療法は有害」 と言っている。まあ一冊づつしか読んでいないが、 とりあえずこの二冊は矛盾しない。 あとは、合成洗剤の類を追放することで本当に治るのか、 というところに問題は集約される。 生活から完全に合成洗剤を追放するというのは相当大変なことで、 それをちゃんと試した人間は相当にレアなはずだ。

洗剤の害と、酸化した油が取りきれないことの害の どっちが問題で、どこでバランスを取るかという話な気がする。 しかし、この「体を洗うな」と言う医者の支持でアトピーの 症状が軽減して問題なく生活できている人間がたくさんいるのだとすれば、 酸化した油の害がさほどでもないのか、洗剤なしでもそこそこ落ちるのかの どちらかだということになる。 これも人体実験しないと何とも言えんなあ。

まとめる。合成洗剤を減らす。あわよくば洗剤そのものを減らす。 とは言え、あまりできることはない。すでにやっているからだ。 まず入浴だが、うちはそもそもオタマには洗剤を使っていない。 ここはクリアしている。ここをクリアしている段階で、 他はどうでもいい気もする。 次に洗濯だが、うちは現状合成洗剤だ。 UV遮蔽効果入りなので使っているが、これを重曹にしてみてどうなるか試す。 汚れの落ち度合がどれくらい変わるかを見よう。 もっとも、水溶性の汚れは洗剤などなくても落ちるし、 軽度の油汚れは重曹程度でもそれなりに落ちる。 案外問題ないかもしれない。 正直合成洗剤の残留が問題になる量とも思えないが、大した手間ではないので試してみる。 あとは食器洗い。一時期は液体石鹸を使っていたのだが、 油がきついと歯が立たないので合成洗剤を買い、 使い分けが面倒くさくなってそれ一本になっているという事情がある。 とはいえ最近は全くと言っていいほど肉を買わないし、 動物性の油があるケースでも素早く適切な処置をすればそう大変ではない。 石鹸も置いておくか。

風呂の塩素。これはすでに対策している。ビタミンCを1g。 結構クエン酸を入れていたが、刺激になっても嫌なのでしばらく控える。 重曹は問題なかろう。

保水なのだが、プロペトでいいっぽい。 ステロイド否定派の医者もプロペトや尿素、かゆみ止めの類を処方している。 この二冊の範囲でだが、医者は謎のなんたらオイルを勧めてはいない。 プロペトは500gで2000円と耐えられる値段だ。 食用のオリーブオイルで代用できればそれに越したことはないんだが、 それには人体実験が必要だ。 医薬品グレードのオリーブオイルが500mlで1800円なので、 まずはそれを試そう。

化粧品扱いの油類が高すぎる。 化粧品の値段なんてほとんど雰囲気なんじゃないだろうか。

オムツをしているくらいの幼児のズボンは尻が丸くサルっぽくなっている奴がいい。 動きを妨げない。しかし、そのサルっぽさを嫌う親が多いせいか、 今年のユニクロはサル仕様ではなくなっている。 健康よりも形を重んじる親が増えているということか。 どっちが良いとか悪いとか言うつもりはないが、困る。 まあ、オムツが取れてしまえばサル仕様でなくても大丈夫なんだろうが。

ついでにハゲの本も読んだが、 つまるところ「プロペシア使え」としか書かれてない。 効果はあるようだが、服用をやめるとまたハゲが進行するわけで、 何か根本的な解決をするものではない。

基本的にテストステロンがDHTに代謝されるのを止めるもので、 テストステロンの働きを止めたりはしない。 その意味では副作用は考えにくいと言う。 むしろ、DHTが減ることでフィードバックがかかってテストステロンの 生産が増すことが考えられるらしい。 100日分3000円とからしいし、いいのかもしれんけどなあ。

2012年01月21日

ネットブックがタブレットに置きかわって死んだ。 普通のノートPCの省電力化が進んでatomの利点が薄れた上に、 windowsがatomごときでは重すぎて不快で、 そもそもキーボードはいらないとか、ファイル管理をしないとか、 そういう層がたくさんいることを認識できなかったのが敗因か。

うちはまだwindows機であることは必須なんだよな。 しかし、キーボードは破壊に弱いし使用頻度も低いのだが、 OSの性質上ないと困る。 windows8とやらが解決策になってくれるのだろうか。

トテチテタは軍で使われる音の名前らしく、ソミソミドになるっぽい。 軽機関銃の音かと思ったが、そんなわけはない。

ゲーム機が十分な性能を持った時に一番いい描画技術は何か、 ということをよく考える。

昼はほうれんそうスパゲティ。 ほうれんそうがうまいので、味つけそのものはチーズだけ。

オタマのスキンケアのためにいろいろ調べようとしたが、 webはダメだ。 化学や医学に基いていない雰囲気重視の説明ばかりで、 まともなものを探すのが大変すぎる。 浸透力とか保湿力とか言ってるが、それが何なのかがさっぱりわからない。 明日図書館行って探してこよう。

窓際の寒さをどうにかするために、発泡ポリエチレンの板を買ってきた。 これで窓際の寒さも軽減するだろう。

アルミバットが素晴らしく便利だ。あの料理で使う典型的なバットである。 解凍にもいいし、オタマの食べ物を冷ますのにもいい。 オタマの食べ物を冷ます時にはこの上に皿を乗せていたが、 最近は面倒くさくなってアルミバットをそのまま皿として使っている。 美観さえ気にしなければ一瞬で冷めて便利だし、形も悪くない。 美観以外の欠点があるとすればスプーンやフォークでこすった時の音と感蝕が 不快なことだが、まあそれは仕方ない。 アルミで柔らかいので傷がつきやすいというのもあるが、気にしなければいいだろう。 アカオアルミ製のメジャーな奴で、4,5,6,7,8号を取り揃えてある。

冷凍を高速化するために、冷凍庫に丁度入るくらいのアルミバットを買ってこよう。

八朔2.5kg、デコポン10kg、ポンカン10kgを注文。一気に来ると大変だが、 多少バラけて来るはずなのでたぶん大丈夫だろう。 八朔はひつじこによるとおいしくないらしいのだが、 生産者が「八朔のイメージが変わる」と言っているので、 お試しで2.5kgだけ買うことにした。

もらった紫の芋がすごくマズい。調べたら、紫の品種で味がまともなものはないっぽい。 ほぼ加工用だ。

いつも買っているベニアズマは相当おいしい部類っぽい。 話題の安納芋は試してみたいのだが、水分が多く保存性が悪いという話なので うちでは買えない。20kg単位で買わないと高すぎるからだ。

2012年01月19日

いかん、もう2時半だが、木村がおもしろすぎる。 ブラジル編。めちゃくちゃじゃないかこの人。

柔道はスポーツになって武道ではなくなったと著者は言う。 健康になって熱中できるんだからそれでいい、という考え方はあるだろうし、 根本的に別の宇宙の事なので私としてはどちらでもいい。 しかし、外野としては武道であって欲しいと思う。 武道というのは、つまるところ殺し合いの術だ。 そうであることに外野としてはロマンを感じる。

寝技ってすごいんだな。つまるところ絞め落とすか骨を折るか、ということなわけだ。 殴って倒すよりも確実性が高い。抑え込みの意味は未だによくわからないが。

柔道の投技は、それによってダメージがなければ寝技への導入にすぎないということか。 寝技を得意とする人間は、最初から寝転がった状態で 寝技に誘い込むこともできる。踏みつけていいとしても、 大した威力はなく足を掴まれるわけで、 立っていることは有利でもない。 やっぱ寝技すごいな。

投技によってダメージを与えることはできないんだろうか。 加藤という人はエリオ・グレイシー相手にそうすることはできなかったんだろうかと 思うが、プロレスのリングみたいな所ではそれは難しいか。

ブラジルの日系人の多くは敗戦後何年間もそれを信じなかったらしい。 通信手段がなくポルトガル語を読めない人が大半という 状況では、それほどに恐ろしい状態になるのか。 負けたことを知っている人々と、勝ったと信じている人々の 間では殺し合いすらあったという。 そういう混乱の中で、木村はエリオと戦ったわけだ。 本人の意図と関係なく、日本の誇りみたいなものを背負ってしまうことになる。

エリオvs木村の試合を見た。ありえない。なにこれ。 大外刈りって、こんな速くないだろ。早回しじゃないのか。 現役引退から10年以上経っていて、その間まるで練習していないという。 前の日も酒を飲み放題。全盛期って一体どんな状態だったんだ。

6時16分。読み終えた。泣きそう。 著者の葛藤がそのまま突き刺さってくる。 調べれば調べるほど、「ちゃんとやれば木村が勝った」 なんて言える状況ではなくなってくるらしい。 木村が前の晩に一升以上の酒を飲むほど油断していた一方で、 力道山は最初から仕掛ける気で周到な準備をしていた。 不意打ちで顎に一発入ってしまえば、もはやどうにもならない。 人間の仕組み上無理だということか。

このクラスの人間になると打撃で止めは刺せないのか。 そうなると、殴る蹴るから入って掴んで投げ、寝技で締めるか折るかして勝つ、 というのがなるほど合理的なわけだ。

寝なきゃダメだ。こりゃ明日は仕事にならんな。まあ、もう3時間後だが。

ひつじこが9時半まで寝かせてくれたが、笑ってしまうくらい眠い。

2012年01月18日

「生贄のジレンマ」を読み終えた。

高校3年生の300人余りが、命のかかったゲームをする。 ある時刻までに誰かが校庭の穴に飛び込めば学年全体が生き延びる。 クラスごとに誰が死ぬかを投票して、 投票数が一番多い生徒が死に、クラスの他の人間は生き延びる。 これが複数回繰り返される。 一番効率がいいのは毎回一人が飛び込むことだが、 なかなかそうも行かない。 投票は最初は抵抗があっても、一回やってしまえば その後は歯止めが効かなくなっていく。 逃げたらどうなるんだ、みたいな細かいことは 例えば「逃げると死ぬ」というようなルールによってつぶされているが、 考えに考えた時に粗がないとも限らない。 読む側としてはそういう細かいことは捨ておいて、 倫理的な葛藤と生き残るための戦略の二点に集中して読むのがたぶん まっとうな味わい方だ。

この人はこの手のものがうまい。というか、この手のものしか書いてない。 この作品はゲームのルールを単純化して、その分だけ 倫理的葛藤に重きを置いており、 とりわけ中巻あたりの人間模様のカオスっぷりは素晴らしかった。 まあ単純とは言え私なんかが参加したら即死するのは間違いないくらいには複雑なのだが。

キャラが多くて焦点を絞り込めないことと、 ゲームの展開上キャラに柄にもない行動を取らさざるを得ないことが ちょっとだけ辛い。とりわけ下巻はちと外した感がある。それでも面白いのだが。

書評を漁ると、「黒幕は誰だ」的なことを気にする人や、 ゲームのロジック以外のところの粗探しをする人が結構いる。 私は黒幕については気にならない。 「イキガミ」や「バトルロワイヤル」の設定がおかしすぎることを 気にしても仕方がないのと同じだ。気にするだけ無駄である。 ただ、読者にそこを気にされることを作者が過剰に心配しているのか、 ゲームルールからの逸脱を塞ぐための説明をしすぎてる感があり、 そのためにかえって気になってしまうということはあるだろう。 例えば最初に集められるシーンなんてなくて良かったかもしれない。 「気がついたら皆で学校に閉じ込められていた」でいいんじゃないかとすら思う。 同様にラストシーンも「え、普通に外の世界に出られてるわけ?」 と気になってしまうので、作品の主旨を考えると良くない。 本当に生き残れたかどうかわからんくらいでもいいんじゃなかろうか。 もちろん、そういうラストが嫌いな人はたくさんいるのでそれに 配慮したかもしれないし、 作者の思想を語るために必要だったのかもしれない。

下巻のゲームは単体としては面白かったが、 下巻まで来て別のゲームが出てくるのは少々苦しい。 確かに何らかの形の決勝戦は必要だろうし、 主要キャラ同士が個人として対決するためには 元のゲームでは辛いというのはわかる。

なんにせよ、大変面白かった。3冊一気に読めたら もっと楽しめただろうに、若干惜しい。

本当、私がああいうゲームに参加したらルールを把握することもなく即死だよな。 時間制限の中での論理思考や、相手の心を読むスキルはどちらも私には欠けている。 麻雀などのボードゲームの弱さは自分でも嫌になるほどだからな。

早く読んで返さないといけないので、ちょっと無理して読んでいる。 そして、同じく借りている木村も読みたくなった。読んじゃえ。

2012年01月17日

X220の液晶の一部がおかしい。 液晶の開き具合で症状が変わるので、どこかが接触不良と思われる。 IBMには申し訳ないがまた修理してもらうしかない。 それにしても、再発防止をどうしようか。 なにぶん開閉頻度が高いので単なる損耗かもしれないが、 オタマが何かをしでかしている可能性は高い。 であるならば、モニタだけ別に用意してPCの蓋を閉めたまま運用した方が 壊れにくい。よしんば壊されてもモニタなんて安いものだ。

普通に買えるPCの中では最強であろうThinkpadでもこうなるということは、 根本的にノートPCでどうにかするのは諦めた方が良いのかもしれない。 とりあえずipad3が出たら買う予定なわけだが、 テレビは見られないので完全な代替は無理だ。 とりあえずしばらくは修理だけしてもらって様子を見よう。 だんだんわかるようになってくるだろうし、こういうことが起こるということ がわかったので気を使うことはできる。

IPSなモニタが1.2万で買えるのか。すごいなこの時代。1600x900の20インチで、 用途を考えれば十分すぎる。これ買って様子見るのもありかもしれんなあ。

ニャが来た。声優オタクになっていた。それはそれとしてがんばって生きろよ。 筋トレ以外でも。

2012年01月16日

毎度すみませんが、休日は電話に気づかない率が高いです。 24時間マナーモードな上に、夜間オタマを起こさないよう 遠く離れた玄関に置きっぱなしなことが多いので。 月曜の朝に気づくことがよくあります。 ひつじこも同様に電話機はあまり見ていないので、 うちの家族への連絡はtwitter、gmail、skypeがおすすめ。

つうか、泊めてくれとか寸前に言うな。

木村政彦は何故力道山を殺さなかったか、を読んでいる。 昔の人の修行の仕方って本当尋常じゃない。

2012年01月15日

個人のブログで特定の会社に有利な記事を書くのは有効な手だよな。 匿名であれば実際に個人のブログかどうかなど確認しようもないし。 他社のイメージダウンを狙うならこれほどいい手はないように思われる。 しかし問題はバレないようにやる手があるかどうかだ。 既存の個人ブログと提携する場合、 その個人がアホなら容易にミスをやらかしてバレる原因になる。 かといって、会社として架空の個人ブログを立てて他社をけなすとなると これもまた危険だ。 そういう工作をする業者を使う手もあるが、そういう大きな声では言えない 仕事をする会社はやはり信用できないし、 バレた時にダメージを受けるのはほぼ頼んだ側だ。

全然見ないので知らないが、ゲーム関係でも 特定の会社を貶める記事を大量に書くブログが存在しているらしく、 最近ボロを出したとかで何やら祭になっている。 さてそれが本当に企業と関係を持っていたとしたら、 頼んだ側はどう逃げるかな。 私がこの業界で安定して飯を食っていくためにも、 業界への信頼を失わせるようなマネをする馬鹿者がいるなら 徹底的に暴いて叩いてほしいものだ。

いろいろ見てみて、本当にブラックな気がしてきたぞ。 つうか、個人ブログの主が企業の重役と会って話をする、 とかいう段階で相当おかしいよな。一体どういうコネなんだよそれ。 普通自分の会社の社長ですら話す機会なんてないだろ。 もっとも、本当に裏で関係を持っているとすれば、 会社としてはそんな怪しまれるような行動はしたくないはずで、 ツイッターで「○○社の何々さんと会ってました」 とか書かれるようなマネはすまい。 潔白である証拠と考えられなくはない。 ただ、仮に潔白であったとしても、 悪しざまに特定企業を叩くようなマネをする個人と 仲良くするのは会社として賢い選択ではないな。 どういう合理性があるのかもうちょっと調べたり考えたりしてみよう。

放射線測定器。 感度がいいシンチレーション式と、感度が悪いガイガーミュラー管式がある。 また、電池の保ちが悪い機種しか見当たらない。丸一日放置するとなくなるレベル。 しかし感度はいいので、0.1uSv/h未満でもかなりの正確さで値がわかるし、 数秒でおおよそわかる。派手に汚染されていれば食品の汚染も調べられなくはない。 ガイガーミュラー管式は感度が悪く、0.1uSv/h以下はまず計れない。 食品の汚染はまずわからない。 時間も最低数十秒かかる。しかし電池は数百時間もつ。 感度が比較的高いガイガーミュラー管式のものもあるが、 センサーが壊れやすいマイカという物でできていて、扱いに注意がいる。 というわけで、シンチレーション式はコンセントに差しっぱなしにするか、 計る時に電源を入れて終わったら電源を切るという使い方になる。 ガイガーミュラー管式の場合、数十秒かかることは覚悟せねばならないし、 0.1uSv/h以下は全くわからないが、電源を入れっぱなしにして数日放置できる。

ガイガーミュラー管だとベータ線が見える。ストロンチウムはベータ線しか 出さないので、こいつを見つけたければガイガーミュラー管式のものが必要だ。 しかし、ストロンチウムがいるような場所には一緒にセシウムもいるものであり、 セシウムがたくさんいてガンマ線が強い場所には、 それなりにストロンチウムがいると考えてもそれほど間違いではない。 だいたい、ガンマ線が強い段階で体に悪いわけで、 同じように体に悪いベータ線が多少あろうがなかろうが取るべき行動に差は出ない。 ベータ線が見える機種だと、汚染源に近づくとすごい勢いで値が跳ね上がるために どこが汚染されているかを調べやすいという特性はあるのだが、 精度が高い機械であればガンマ線しか見えなくても同じようなことはできる。

結局、電池の問題だろうこれは。 数日放置することが重要なら感度は悪いがRD1703、 コンセントにつなぎっぱなしにするなら感度がいいTC100あたりが良さそうに思える。 RD1703はうちのRD1503よりは感度が高く、評判も悪くない。値段も3万程度で お手頃である。一方TC100はだいぶ本気なので12万もする。

TC100はUSBでPCにつなげるのだが、この専用アプリがどれくらいまともな 出来かが気になるところだよな。 こういうプログラミングを生業としてない企業の作る専用アプリには いい印象がない。 もし、テキストファイルか何かでリアルタイムでデータを抜けるのであれば、 利用価値が広がる。いっそ通信部をライブラリとして 公開してくれればこっちでプログラムを書くんだが。 あとはPCからのUSB充電も前提だ。しかし全く情報がない。

メーカーにメールして聞いてみた。

2012年01月14日

北海道から輸入したじゃがいも(キタアカリ)がうまい。 小さくて出来損ないかと思ったし実際訳有りなのだが、 味は全く問題ない。むしろうまい。 キタアカリはいい品種だ。男爵ほど形がイボイボでなく、 ビタミンCに富み、甘味も強い。ソラニンは男爵と同レベル。

twitterで誰かが誰かにレスしているのを見つけた時に、 どんな発言に反応したかを知る方法はないのだろうか。 ツイートの頻度が高い人だとどれだけ辿っても出てこない、 ということにもなる。 反応の連鎖を並べてくれる機能とかないのか。

2012年01月12日

がんばって考えてれば理解できてくるものなんだな。 まだ形になってないが。

輸出だけする企業や、輸入だけする企業は為替相場の影響を強く受けるので、 何らかの方法で安定化する必要がある。 このうち、輸入はまだいい。安い時に多く買うとか、 為替に関係ない価格で買う契約をするとか、手がないわけではないからだ。 輸出だけする企業は一番タチが悪い。 何も輸入せずに国内の人件費だけを投入して輸出製品を作る産業。 ゲームなどのいわゆるコンテンツ産業はまさにそれだ。 開発人員を海外に分散配置するとか、 海外への外注を増やすとか、 海外からツールやミドルウェアを買うとか、 そういう努力をしないとダメージを軽減できない。 このままさらに円高になるとすごいことになりそうだ。 もちろん為替が怖いからといって国内市場に留まれば成長は難しいわけで、 輸出することと外で作ることはセットで考えるべきなんだろう。 そして、人材の流動性が低い日本はこの点で不利だ。 円高になったから日本人は減らして、海外子会社の人を増やしてそっちで作ろう、 なんてことは簡単にはできない。正社員率が高く、 簡単にクビにできない大企業はなおさら選択肢が少なくなる。

理論上は円高になったら給料が下がればいいような気もするんだが、 まあ無理だよな。

利益率が十分高くて余裕があれば為替のダメージなんて 気にするに値しないんだろうが、そうも行かないか。 為替レートが20%変わっても利益が出るためには、 20%以上の利益率でないといけないわけで、 そんなにもうけられている企業はたぶんそう多くはない。

韓国はウォン安のおかげでその手の産業は強そうだな。

2012年01月11日

貸してた本が帰ってきて、こんなの持ってたっけと思った。一体いつ貸したのかすら思い出せない。

太った。66kgもある。腹回りが邪魔なので、しばらく体重を減らす努力をすることにする。

ひつじこは、癒し系のように思われがちだが、その見方はたぶん甘い。 基本的に「無能は罪」という世界観で生きているように思われる。 というか、実際「無能は罪だと思ってるだろ」と聞いたら、 少し考えてから思い切り肯定した。 私も比較的そうだがひつじこほどではない。 私はできない人をどうにかしようと思う傾向があるが、 ひつじこはそういう無駄な努力はしない子であるように思われる。 それで教師ができるのか?と思われるかもしれないが、 むしろ逆だ。効果がないことはしないので、注力する点を絞って成果を出せる。 オタマに対して怒ったりしないのも、オタマがかわいそうとかそういう話以上に、 現時点では怒っても何も伝わらず無駄かつ害になると考えているからだ。

一緒にいればいるほど尊敬の念が強まってくるな。マジすげえ。

「この人と一緒になったら幸せになれるだろう」という思いは、たぶん間違いだ。 実際に一緒になれたとしても長続きしない。 「この人と一緒になったら何を与えられるだろうか」と考えた方がいい気がする。 結局、「ここが自分の居場所だ」という感覚なしで幸せに生きるのは無理で、 それには誰かに自分の持っているものを 与えて喜んでもらっているという実感がないといけない。 これはきれいごとでもなんでもなく、大抵の人は実際そうであるように見える。 ラベル先生が「愛ハ、犠牲デス」と言ってたのはたぶんそういうことだ。

結構でっかい改造作業をしたのだが、一発で動いた。ありえない。 ここ何年か、そういう頻度が増えてきた気がする。 どうせ一発目は動かないんだろ?と思いながら適当に書いてるわけだが、 それでも一発で動くのだ。 私は小さな部品単位でテストをするようなやり方は面倒くさくてできないので、 大抵は全体を作ってから初めてテストする。 全体を書き終えるまでコンパイルすらしないこともよくある。 もちろん、頭に入り切らないほどデカイ場合にはそれなりに分割するが、 分割単位は結構大きい。クラス2、3個くらいは普通だ。 そしてテストと言っても適当で、 なんとなく動いていれば先へ進んでしまう。 後々までバグが残ることもあるが、 そういう怪しいコードが溜まってくるとふとテストがしたくなって 怪しい部分を洗いなおしたりもするので、そんなには残らない。 ただし、いつそうしたくなるかは私にもわからない。 こう言ってはなんだが、たぶん私は相当向いているんだろう。 向いていることほど適当にできるものだからだ。 しかし、問題はこのやり方がうまくいく範囲がよくわかっていないことだ。 規模や分野、あるいは私の体力や集中力に依存しているとすれば、 それらの条件が変われば破綻する可能性がある。 それともう一つ、私のスキルを伝えようとした時に この適当さをどう伝えればいいかがわからない。 テストドリブンがいいこともあって私もたまにやるが、 どういう時に良いのかを教えてくれるのは理屈ではなく経験である。 そして私の場合理屈はおおよそ後付けで、大抵は「なんとなく」だ。 あの本はある意味、なんとなくやっていたことに理屈を後付けする作業の集大成だった。

しかし、こういう書き方で成果を出せるプログラミングの分野ってのは、 限られているんだろうな。バグがないことをひとつひとつ証明しながら 積み上げていくようなプログラミングが世界の主流なんだろうし。 バグってもシャレで済むのはゲームくらいに思える。 バグ一個のダメージが大きな分野になればなるほど私の能力は発揮されなくなるのだろう。 ゲーム以外の世界に行ってまともな成果が出せるのかさっぱりわからない。 とは言え私はもうちょっとバグ率の上限を保証できるような工夫をすべきか。 少なくともある程度の期間ごとに見直しが強制される仕組みを作っておかないと 安全性を保証できなくなる。体調と気分がダイレクトに品質に影響するからな。

もっとも、バグを絶対出さないように慎重なやり方にしすぎると かえってバグが増える気もする。 誰にも頭が調子よく働くテンポやリズムみたいなものがあるはずで、 慎重すぎるやり方はそのテンポやリズムを損なうだろう。 安全と効率はトレードオフにあると思われがちだが、 効率が下がりすぎると安全性も低下する。 効率が低い状況で作業することは苦痛であり、苦痛な状況では注意力も低下するからだ。

2012年01月10日

久しぶりに働いたら途方に暮れるかと思ったが、 案外どうにかなった。 まあ本読んだり、デバグしたり、機能追加要求に応えたりしてるだけだからな。

そもそも赤い光ってなんだよ、というところから理解が怪しいことに今更気がついた。 当然RGBの3値で色を表すということがどういうことなのかに関する理解が 怪しいということだ。 まるっきり素人じゃないか。

昔学者が実験をした。 赤青緑の光の強さをいじれるコントローラを被験者に渡して、 それをいじると前のスクリーンに赤青緑が混ざったものが投影される。 赤を強くすれば赤くなるわけだ。赤と緑を強くすれば黄色くなるだろう。 それで、その隣に何か適当な色の光を投影しておいて、 被験者に「コントローラを操作して同じ色を作ってくれ」と頼む。 例えば茶色い光があれば、赤青緑の量を調整して茶色をつくろうとするわけだ。 これをいろんな人にやらせると、だいたい同じ色に対する 配合比率は同じになることがわかった。 波長何ナノメートルの色をつくる時には赤がなんぼ、緑がなんぼ、青がなんぼ、 という比率を可視光線のすべての波長についてやれば、 「すべての色を赤青緑から作るための配合比率がわかったぞ」ということになる。

が、たまにどうやっても作れない色がある。こういう時には仕方ないので、 合わせる色の方に赤青緑を足してどうにかする。 例えば茶色が作れないのであれば、茶色に赤をなんぼか足して、 残りの緑と青でその色にできるかやってみる。 これでうまく行けば、「赤の配合比率はマイナスだ」と言うことにする。 こうしてマイナスも認めていいなら全部の色が作れることがわかった。

で、わからんのはここからである。この実験は、赤青緑の3色の光を混ぜているわけだが、 赤といってもいろいろある。赤い色って何よ、という話だ。 光はつまるところいろんな波長の光がいろんな比率で混ざったもので、 赤い光というのは、 人間の目にある赤専用細胞が反応する波長がたくさん入っている光のことである。 人間に同じ色に見える光でも、波長ごとの配合比率は全然違ったりするのだ。 というわけで、この実験でわかったのは、 「この赤と、この緑と、この青の3色であれば、この比率でこの色が作れる」 ということで、「この赤」を「あの赤」にすれば比率は当然変わるし、 どう変わるかはやってみないとわからない。 なのに、他の3色を使った場合の配合比率は計算で求まるのだと言う。なぜだ。 色空間の変換が可能な理由がわからない、ということだ。 3つの光としてどんな光を使うかは機械によって全然違うはずだしな。 ブラウン管の赤と液晶の赤は別物だろう。 あと、白って何?というあたりもまだよくわかってない。

ある色Aをとある赤緑青の配合(r0,g0,b0)で表現できたとする。 もう一つの色Bも別の配合(r1,g1,b1)で表現できたとする。 この時に、AとBを足した色を、 (r0+r1,g0+g1,b0+b1)という単に足しただけのもので表現できるかどうかは 必ずしもわからない。 しかし、これができない限り、 赤青緑の配合比率を好き放題いじっていろんな色を表すという CGで当たり前にやっていることが根本的に不可能になる。 CGがこうやってやれているということは、 おおむね足し算で表せるということだ。 どうもこの性質のおかげで、 違う3色の組み合わせにした時にどれくらいの配合比率になるかを計算で求められるっぽい。 よくわからんが、一応先へは進める。

LED電球が800ルーメンとかだ。 360度均一に光を出すとすれば、1ステラジアンあたりの光の量は4PIで割って、63。 これがカンデラだな。太陽はその1000倍とか明るいと。 なんかちょっとづつ感覚がわかってきた。空とか、テカってる壁とか、マンホールとか、 そういうものの明るさがカンデラやらの単位付きでどれくらいになるのかを いろいろ調べて感覚を養おう。

早く帰る予定だったが、勉強したり、 今後の予定を立てたりしてたら1時過ぎてた。本当すまん。でも、寝てるよな。

オタマにどうやってご飯を食べさせるか。 たぶん一番重要なのは運動量だろう。 しかし、この寒い中どうやって運動させるかという話になる。 ただでもオタマはだんだん文化的な生き物になってきているせいで、 運動量が減っているのだ。意味もなく走るよりも、絵を描く方が楽しいらしい。 あとは乳が減ってくれば食べるようになるんだろうと思うんだが、 それは難しいよなあ。一度は昼間飲ませないようにしていたが、 体調が悪くなった時に解禁して以来完全に元に戻ってしまった。

ピアノは無理かもしれんが、弾く。なんぼなんでも新曲を一回も弾かないままで レッスンなんていう無礼は許されん。最悪昼間ちょっと弾かせてくれすまぬ。

人間の目ってすごいな。目だけでなく脳か。

じゃがいも来たらカレーつくろう。にんじんと玉ねぎを消費するためにも。 問題は、オタマがカレーを食べないことだ。 カレー粉を入れなければ食うのかどうかを一応試してみることにする。 普通においしい煮物にはなるはずだし。

2012年01月09日

ドル70円、ユーロ100円か。感慨深いな。 こういうののダメージを減らすためにこそグローバル企業なんだろうが。 円高になったら海外で生産すればすむことだ。 為替がますます不安定になるというドラッカーの読みは当たっていて、 そのへんを考えた企業はグローバル化を 進めて為替の状況に応じて生産場所を変えられるようにしているのだろう。 娯楽作品はどうしても文化的側面が強くてそうしにくいだろうが、 大規模になればなるほど文化と関係ない仕事をする人間の比率は増えるわけで、 できないというのは言い訳とも言える。 コアだけ本国で、絵素材の量産はベトナムに投げ、 ミドルウェアで済む部分は買い、入出力の仕様がはっきりした独立性の高い部分は インドに投げ、テストも海外に投げ、みたいなことをしろってことだろう。 嫌な話だが、 全部国内で作れば、ドルが75円になれば、100円な時の3/4のコストで 作らないといけないことになる。 100人月だったのを75人月にしろと言われても、なお同等以上の品質のものを 作らねばならないわけで、単なる努力だけでどうこうなる問題ではない。

じいちゃんの言葉は聞き取れなかったが、妾だったか。 兄弟のことを舎弟って言って意味が取れなかったりするし、 ありうるかもしれんなあ。

北朝鮮が普通に食えるレベルに金持ちになれば、 あの国も普通になるんだろうなあ。 経済的になんぼか開放してくれて、 例えばあそこでユニクロの服が作られたりするようになればいいんだろうが、 それは望めないか。

車の中でオタマに動画を見せていたが、すごい処理落ち。 おかしいと思ったが、すぐに原因がわかった。 揺れている時はHDDを読まないようにするしくみがあるんだろう。 止まったら普通に動いた。 こういう用途があるとわかった以上、是非ともSSDにしたい。 換装した方がいいんだろうが、ivy bridgeの消費電力を見てからにしよう。

中国の教育に関するドキュメンタリー番組を見たのだが、 なかなかに気持ち悪かった。日本の詰め込み最盛期でもあそこまではしていないだろう。 全員のテストの点数を公開して、一番悪い子には「僕がクラスの足を引っぱりました」 と言わせたりする。教師もクラスの成績に応じて給料が変わったり クビになったりするんだろうな。恐ろしい。 テストの点数が全てで運動ができたり性格が良かったりすることには意味がない、 なんて子供が言うような状況だ。 しかし、何がしかの測定できる成果の指標を考えないと改善できないのは事実で、 何もせずゆとりゆとり言うのとどちらがいいかは難しい。 もっとも、あれは相当に極端な例だとは思うが。明らかに富裕層だし。 あんなに余裕のない富裕層は嫌だが、 富裕層と言う言葉の響きほどには裕福ではないんだよな。 家庭教師を雇って海外に留学に出す、みたいなレベルの富裕層ではなく、 大都会にマンションを買って車を持てる、程度のレベルだ。

じいちゃんが寝たきりになった。ロボ技術は間に合わなかったか。 脳からの電気信号を受け取って力を足してくれる歩行補助マシン、 みたいなものが量産される世界がすぐに来るものだと思っていたが、 まだまだだ。きっとそういうものの助けを借りてであっても 自分で歩けさえすれば気持ちは元気でいられると思うんだけどな。

cyberdyne社のHALという歩行補助ロボットが法人向けにレンタルされている。 個人向けはまだないが、無理もない。 月20万とかかかる上に、講習を受けた技師が運用せねばならない状況だ。 到底個人で使える状況ではない。 このことに限らず介護コストを考えると 老人ホームに入るというのが一番合理的なんだよな。 しかし、じいちゃんはばあちゃんが大好きなので施設に入ることは嫌がっている。 ばあちゃんも一緒に元気に暮らせるならありかもしれんが、 ばあちゃんは友達も結構いるしまだ元気だからな。 一族が近くで暮らすのが当たり前でなくなったことで、 いろんなところで無理が出てきている。 うちらの世代は本当どうなってしまうんだろう。

私がそうなる頃には、ロボットの方が人よりずっと安くつく状況だろうし、 迷惑のかからない場所で最後の時を過ごすことに異存はない。ネットもあるしな。

日産で研究職でも役員並みの給料になるかもしれない制度が始まるという 記事を読んだが、これ大変だ。 正社員をやめて契約社員にならないといけないらしい。 そして3年経ってダメならクビかもしれないらしい。 私は嫌だなあ。安定する方がいい。 しかし、絶対的安定などありえず、 何かが起こる前提で危機管理をすることこそが安定に至る一番いい道だ。

おおよそ年間200万のお金があればそこそこ生きられる。 これがあと50年とすれば1億円となる。 子供のことを考えればこれに2000万×3ほど足しておけば余裕ができるだろう。 というわけで、今後の人生において税引き後の収入で合計1.6億稼げばいい。 とても単純な計算としてはそうだ。 しかし、これはあくまで概算だ。 収入の範囲内で生きていくのが正しい態度であり、 未来の予測は完全に不可能という立場に立つべきである。 いくら必要だ、という言い方はすでに間違っている。 いくら手に入るがどうするか、という言い方をすべきだ。

せっかく家計簿をつけてるが、まるでチェックしてない。 何かチェックのしくみは作るべきだよな。 でもあれでいいか。 毎月自動で投資信託を買っているので、 放っておいても銀行から金が減っていく。 これで銀行の預金が減っていなければ、 投資信託を買うだけの余裕を残して生活できていることを意味する。 投資信託を買う額を調整することで、 生活費の枠を決めることができるわけだ。 まあ投信そのものが危険という側面はあるんだが。

2012年01月08日

脱亜論は福沢諭吉が書いた本だと思っていたが、 無署名の社説で今なお福沢が全部書いたかどうかがよくわかっていないらしい。 また、脱亜入欧とよく言うが、少なくとも福沢は入欧なんて言ってないらしく、 そのへんが全部福沢のせいにされているのは良くないとテレビで学者が言ってた。

全文がwebにあって初めて読んだ。 中国や朝鮮はさっぱり西洋文明を取り入れようとしないので、 日本が欧米に侵略されないためには中国や朝鮮との協力はあきらめて 自前でどうにかするしかない、という主旨。 「あいつらと一緒だと思われてはかなわん。悪友とは手を切るべきだ」 なんて表現はなるほどまずいにしても、 西洋の脅威を目の当たりにして儒教秩序にこだわって文化や科学の 受け入れを拒み続け、さらには改革派を弾圧する現実に 絶望した直後であることを考えればそうおかしなことでもない。 それに、そもそも脱亜論は単なる新聞の社説で、政府や政治家が 言ったことでもない。今なお目の敵にするような大したものでもなかろうに。

他の国に「文明開化しろよ」なんて言うのは大きなお世話ではあるのだが、 ただ中国や朝鮮と団結して欧米に対抗できるならそれに越したことはなく、 そうなるように持っていく策を練ること自体は国家戦略として合理的だった んだろう。中朝の国力が上がってロシアに対抗できる レベルになってくれれば日本は楽になったはずだ。 アメリカが中東の親米国家やイスラエルを支援するのと同じに、 朝鮮や中国の改革派を支援するのは善悪はともかく戦略としてはありうる。 ただ、それが崩れ去った時には脱亜論が言うように さっさとあきらめて大陸に手を出すべきではなかったのかもしれない。

とはいえ、当時の状況で朝鮮を併合することが成功だったか失敗だったかは 私にはわからない。中国や朝鮮を放置して国内政策だけでどうにかしていたら 一体どうなっていたんだろう。独立を保てていたのだろうか。 太平洋戦争にしても、輸入も思うようにできない状況で 何もせず黙っている方が良かったのかどうかは私にはわからない。 結果として数百万の人が死んだということはおそらくは失敗だったのだろう。 しかし、それは開戦そのものが失敗だったとは限らず、 戦争のやり方がまずかっただけかもしれない。 当時の人は当時の人なりに考えて「これが一番マシなやり方だ」 と思ってそうしたに違いなく、後知恵でそれを否定することはできない。

戦争に善悪はないと思うんだよな。あるとしても成功と失敗だろう。 そして、成功や失敗があるとしても、それを論じるためには 何をもって成功とするのかという定義が明らかでないといけない。 こんなにヌルイ生活ができている現代は、 果たして失敗の上に築かれているのか。それは定義次第で変わる。

オタマが遅い時間に昼寝をして寝そうになかったので、 2リットルのペットボトルを持って走る遊びをするように仕向けたら、 どえらく気に入って何十回も走り回った。 生まれて以来最大の運動強度だな。 室温15度くらいなのに汗だくになってる。 体重13kgの生き物にとって2kgというのは結構な重さだろう。 小さいほど効率はいいので、60kgにとっての12kgよりは軽いかもしれないが、 こいつは幼児だからそうとも限らない。

ハンモックは禁句。シーツの真ん中に寝てるときにひつじこと二人で四隅を持って ハンモックハンモック言いながら揺らしたらすごく喜んだ。 そして、何回となく要求する。いろいろ注意を逸らしてようやく忘れた。 ハンモックという言葉を使うとそれを思い出す危険があるわけだ。 オタマはかなり言葉がわかるので、 婉曲表現を使ってオタマがそれを思い出さないように配慮することが結構ある。 りんごなら「赤い丸いやつ」みたいに。

3月のライオン。いい話の集合体で、大きな話の流れはなさそう。 それでも面白く読める。

ジパング完結。漫画がうまい。 落とし所も、ラストの原爆の起動も、いい。この人は浦沢より好きだな。

2012年01月06日

四国ってどういう土地なんだろうと思ってwikipediaとgoogle map。 北海道より人少ないのか。合計400万弱で、かなりの勢いで減っている。 全県が札幌より人が少ない。 橋でつながった香川は岡山の経済圏に入れているのでまだいいが、 隔離状態にある高知は相当に大変だ。 そもそも鉄道が電化されてない区間が相当に残ってるような状況らしい。 地図で地形を見たら、平地がない。 数少ない平地も、山で分断されている。 高知に行く道なんて山を無理矢理掘った道で、 これでは拡張なんて無理だろう。高速鉄道を通すにしても、 レールの拡張なしで車体だけでどうにかするしかなくなる。新幹線は無理だ。

高校の時まんが甲子園で一回だけ行ったことがあるが、 空路だったのでそのへんの事情はさっぱりわからなかった。興味もなかったし。 今こうやって調べてみるとすごいな。

児童館。圧倒的な非効率。改善する気がない。客という概念が欠落している。 こんなの現場に言っても無駄だ。上を通さないと。 柱に巻いてあるクッションがへたってて危険な状況なので どうにかしてくれ、と言ったわけだが、 予算がどうとかいう内部事情を言うだけで話にならなかった。 いいからコーナンで何か買ってきてガムテームでつけとけよ。 それができないなら「危険」と張り紙するだけでもいいから。 ぶっちゃけ私が自腹で何か買ってきて貼りつけてやったっていいのだが、 それはダメっぽい。 現場に期待するのは不可能だとよくわかった。 区に改善提案をメールで投げて、そのメールをこのサイトに公開しておくことにしよう。 効果があるかどうかはわからんし、たぶんないが、 うちらにできるのはそこまでだ。できることはしておきたい。 ひつじこにそのへんの案をまとめてもらうことにする。 まあヒマのある範囲でいいからがんばってみてくれ。

つうか、勝手に買って勝手に貼ったらどうなるんだろう。 そのまま放置されてくれるなら目的は達せられるのだが。 試してみようか。

ホラーマンは「あにゃーまん」。何故こんなのが大好きなんだろう。

明日から福島。 道中のオタマ対策に、いくつか動画をローカル保存しておく。

今のところはごはんを食べても、うんちをしても成果なので、 何かにつけて誉めまくっている。最近スプーンをひっくり返さずに口まで運べるように なってきて、一口ごとに誉めまくりである。 子供のうちは学習や成長が成果の大半を占めるので、 成長するような努力は誉められるべきだ。 しかし中学くらいになってきて他人と比べられることが日常化してくると それだけでは足りなくなるだろう。 ちょっとづつ「何のためにやっているのか」を意識するように 仕向けていくことになるかと思う。 結果から逆算して過程を計画するスキルが必要だ。

うちはがんばったからオーケーという雰囲気ではないよな。基本。 私が洗濯物を干しても大抵ダメなところを指摘されまくる。 ひつじこがおいしくないものを作っても私は何も言わないのが常だが、 それはひつじこが自分で反省できる子なので何も言わないだけだ。 言わないと改善されないことはやっぱり言う気がする。 なんだかんだ言って結構厳しい家庭になるんだろう。がんばれよオタマ。

福島の線量が異様に高いという話だが、茨城の測定データに異常はない。 放射性物質の塵がドーンと出て、たまたま北西に風で運ばれていったとすれば ありえなくはないが、一体何だろうな。 測定しながら行くが、まあいわきは大丈夫だろう。 1uSv/h以下ならまあたかだか三日だし気にすることもあるまい。 10とか100とかあるならUターンだがな。

オタマの体重が増えないなあ。20ヶ月で13.1kg。

福島の線量が高い件の検証。 とりあえず、うちのRADEX1503は0.1uSv/h程度と全く異常がないので、 東京南部に空間線量が変化するほどのセシウムは降ってない。 次に文部科学省のデータを見ると、一日に平方キロあたり250メガBq 降った日がある。平方キロメーターは100万平方メーターなので、 250メガBqを100万で割ると、平方メーターあたり250Bqになる。 仮にこれが一ヶ月続いたとすれば、7500Bqが1平方メーターに降ることになる。 1平方メーターに例えばほうれんそうが4本あって、 これが全部吸ったとすれば、ほうれんそう一本あたり2000Bq近くになり、 キログラムあたりにすれば万を超える。 とこれくらいありえない仮定をすれば確かにヤバいが、それだけのことだ。 250MBq降ったのはわずか一日であり、その後は急速に落ちている。 そして、ほうれんそうが全部吸うわけもない。

とはいえ、何かあったのは確実だろう。 それまで数MBq以下だったものがいきなり250まで跳ね上がったわけで、 ハデに放射性物質が舞い上がるような何かがあったはずだ。 ヨウ素が出ていないことから、新しく臨界して産まれたわけではなく、 単に元からある汚染物質が何かの拍子に外に出たものと思われる。 作業にしくじったか、すごい風でも吹いたかはわからない。 いずれにしても、ビビるには値しない。 ただし、良く見ておく必要はある。

250メガBq/平方キロがどれくらいかと言うと、4月並。 5月にはもうこんな量は降っていない。 ただし、現在の汚染の大半は3/21と3/22の二日間に起こっており、 その二日間の量は10000メガBq/平方キロとかいうケタである。 その後で100メガBq級の汚染が何日か降ったところで大勢に影響はない。 これが一ヶ月とか続くなら大問題なので注意は必要だが。

こんな時に幼児を連れて福島へ行くうちら。

ドラッカーを読んでいるうちに財政均衡は重要だと思うようになった。 スティグリッツを読むとまた逆方向に振れるだろうが。

ゲーム業界が縮小しているか拡大しているかを言う時には、 ゲーム業界の定義が自分にとって意味のある定義かどうかを よくよく考える必要がある。 例えば私がグラフィックスプログラマだったとすれば、 グラフィックスプログラマを必要とし、 それが客に価値を与えるような範囲のゲームの市場だけが問題になる。 この時には怪盗なんたらの市場規模がなんぼあろうが無意味である。 自分が持つスキルが意味を持つ市場の規模がどの程度あり、 今後どうなっていくのかをよくよく考えねばならない。 そして、自分のスキルを市場が必要とするものへとシフトしていかねば 生き残ることはできない。 会社単位で見ればいらないスキルを持つ人間を捨てて 必要なスキルを持つ人間を入れれば済む話だが、 自分一人を考えるならそういうマネはできない。 自分が社会に対して何を提供すべきかを考えよう。 専門化しなければ貢献できないのが現代社会だが、 専門化しすぎれば未来はない。 専門化したスキルを題材としてそれを含む広いスキルを育て、 多少なりとも違った領域へと手を伸ばしていくべきだ。 そして新しい分野に関しては、単に勉強したというだけでは足りず、 何かしらの形で実戦投入して試しておかねばダメだ。 それで金を稼げることを確認しておかねば、 現在のメインスキルを捨てる時が来た時に安心して移れない。

私が手を広げられる可能性がある領域は、 マネジメント、著述および教育、他の分野のプログラミング、 というあたりだろう。著述及び教育は一応実績があるが、 これで食っていくことは考えられない。 ただしこの芽は大事にしておく必要がある。 他の分野のプログラミングは一番確実性が高いが、 根本的にプログラミングを道具としか思っていないので 長期的に見て本気になれるかどうかがすこぶる怪しい。 でもまあ、嫌いじゃないし得意なわけで、これは優先的にやっておく必要がある。 ツールをweb化するなどして無理矢理にでもそっちのプログラミングを学ぶのもいいし、 弱点である数学をもう少しどうにかして 数学や物理を必要としつつ今までやったことがない分野に移るための準備を しておくのも必要だ。 で、問題はマネジメントなんだよな。 これは今すぐというわけには行かないが、 機会をみつけてそういう貢献をしていかないと未来がない。 とりあえずは自分を実験台にして一人マネジメントごっこを 日常化していくことからだろう。

自分の性質について。 私はリーダーでリスナーじゃない。 口で言われたことをその場で理解するのは難しいということを自覚しておく必要がある。 会議では他人がしゃべってることを理解できていないという前提から 出発すべきだ。会議が終わってから文章化しながら考えて、 後から意見書を書くくらいの方がいいんだろうとは思うが、 それが常に許されるわけでもないのが難しいところだ。 もう一つは時間スケール。秒から分くらいのオーダーでは 力が出ない。頭の回転が遅いからだ。リアルタイム系のスキルは たぶん育たない。かといって月とか年では 短気なので耐えられない。時間から日、週くらいのスケールが性に合っている。 ここから外れる仕事の仕方が非効率になることを自覚しておく必要がある。 例えば組織としての進行単位が月だったとしても、 自分の進行単位は4分割して週にすべきだ。でないと絶対だらける。

3DS買おうかなあ。ひつじこが夜に遊ぶのにあったらいいかもしれない。 結局ipodでできるゲームは本気ゲームじゃないからな。

2012年01月05日

ドラッカーは本当わかりやすいな。

農民に必要なスキルと、工場や輸送で働くのに必要なスキルはそれほど 変わらない。農業に投資して生産性を上げると人が余るが、 工場や輸送で人を募集していればそっちで働ける。 しかし、知識労働の類はそうは行かない。 プログラマになるには前もって教育を受ける必要があり、 昨日まで工場で組み立てをしていた人がいきなりなれるものでもない。 また、プログラマになったとしても、プログラミングにはさまざまな分野があり、 一つの分野で金を稼げるスキルがあったとしても容易に他に移れるとは限らない。 なので、輸送や製造に技術が投入されて人が余ると、余った人が行く場所がなくなる。 小売や飲食店などのサービス業も工業と同じ性格を持つ。

農業を効率化すると人が余るが、余った人を受け入れられるだけの 工業化を果たせていないといけない。なので、効率化はゆっくりやらないとマズい。 日本は工業化が早かったのでうまく行ったが、中国は大変らしい。 そしてそれ以上にヤバいのが、工業やサービス業の効率化だ。 知識労働ができるレベルに教育水準が上がってから効率化しないと、 余った人の行き場がなくなる。 職がない人間の数が増えると社会がおかしくなるので、 経済的には非効率な選択であっても敢えてしないといけなくなる。 これは日本もヤバいことになっているし、中国はさらにヤバいと聞いた。 しかし、そうゆっくりもしていられない事情がある。 財政がやばい。経済成長して税収を上げないと国が破産する。 そのためには工業やサービス業の生産性を上げて人を余らせ、 もっともうかる知識労働に振る必要があるわけだが、 余った人がそのまま知識労働をできるわけではなく、 移行は簡単ではない。 アメリカの車会社のように、工業に従事する労働者が力を持ちすぎると、 人を余らせるような効率化を余計にしにくくなる。 ギリシアの公務員も同様だし、大阪で祭になっているのもそうだ。

そうだよなあ。ここ10年私の感覚ではのんべんだらりと仕事してきた印象だが、 この間に身につけたスキルを列挙してみると結構すごいもんな。 この積み上げがあって初めて可能な仕事というのがゴロゴロあるわけで、 そうする機会を得られなかった人や、そうしないという選択をした人が 効率化によって職を失った時にどうするかは相当に難しい問題だ。 ハローワークで職業訓練を受けてどうにかなるような問題じゃない。 そう考えると、社会不安なしに工業化の次の階段を登るのは本当に 難しいことなんだろうとわかる。

チーム型組織と言うが、野球型、サッカー型、テニスのダブルス型、 の3種類に分けて考えるとすっきりする。 野球型では、それぞれのやることは決まっていて、 あんまり他の人のことを見なくてもいい。 専門特化しやすいが、柔軟性に欠ける。 サッカー型はおおよその専門は決まっているが、 周りを見て柔軟に対処することが求められる。 チームワークの訓練がより一層必要になる分うまく行くのが難しく、 専門特化も妨げられる。 テニスのダブルス型は明確な役割分担がなく、 より一層のチームワークが必要になる分恐ろしく難しいが、柔軟性は最大になる。 ゲームプログラマについて言えば、ちょっと前まではサッカー型だったはずだが、 今はかなりの部分で野球型になっている気がする。 時代を考えれば不利だ。それは固定的な大量生産向きのやり方であって、 製品からサービスへの移行という長期的展望と、 製品投入サイクルの短縮を考えればなんとしてもサッカー型に戻さないといけない。 もっとも、組織運営の仕組み的なところではサッカー型のままで 実情が野球型になっているだけ、という気もするので、 サッカー型にするのはそれほど難しくない気はする。 言うならば、野球型にすべき時に野球型にしきれずに野球型の 利点を亨受できなかった、という状況だろう。 今更ながらじわじわと野球型に近づきつつあるが、 時代はとっくにサッカー型を求めている。 仕事のやり方、チームのあり方、みたいなものを再定義した方がいいんだろう。

完成した製品を売る、というやり方は縮小されるべきではないだろうか。 続きはDLCで、と言うやり方はとかく批判されるが、 それは値段や売り方、中身の構成が昔のままで、 以前なら最初から入っていたものが後付けになるからだろう。 ゲーセンではロケテストという名前で未完成のものを限定的に 市場投入する慣習があるが、ダウンロードによって家庭用でも 同じことができる状況にある。 ロケテストまでやっても評判が悪ければそこで開発打ち切り、 というケースも結構あるわけで、 家庭用でもそれができれば、誰も欲しがってないものに資源を投入して 社会に害を与えることを防ぐことができる。 それが買う側にとっても納得できるわかりやすい利点と共に導入できれば クソゲーに社会資本が投入される愚を軽減できると思うのだが、 どうにかならんものかな。 誰も喜ばないものに10億とかつっこむのは罪だ。 社会にとって貴重な労働者をそんなことに浪費してはいかん。

社会貢献したいな。それはつまりもうけたいということなのだが。

近くの公園が不良中学生に汚されて実に腹立たしい。 あれを改善するにはどうしたらいいか考えよう。 とりあえず夜帰ってくる時には公園を経由して帰るようにする。 要は彼等がいづらくなればそれで良い。 にしても、彼等には彼等の事情があってああいう状態にあるわけで、 それを取り除かねば根本的な解決にはならない。

いろんな分野について、以下の二つを考える。 得意で本気でやれる分野か、そうでないか。 競合製品と同等の水準になる必要があるか、ないか。 この組み合わせで4つの場合がある。 本気になれる分野が競合製品と同等である必要がある場合、 同等と言わずブッチギってそれで売るのがよろしい。 本気になれる分野が競合製品と同等である必要がない場合、 いらない技術に血道を上げているわけで、未来はない。考え直す必要がある。 本気になれない分野で競合と同等である必要がある場合、 他の本気になれる人にやってもらうのが良い。外注だ。 本気になれないが、競合と同等である必要もない場合、 それは単に切り捨てればいい。問題にならない水準をいかに安く達成できるかだけ 考えれば済む。 なお、得意かどうかと本気になれるかどうかが食い違うのは困る。 得意だが本気でやれない分野はいずれ得意でなくなるので手を打つ必要がある。 得意でないのに本気になれる分野は勘違いあるいは趣味なのでやめた方がいい。

会社単位でもプロジェクト単位でも個人単位でもこれは全く同じに通用する 考え方だと思われる。 さて、私が本気になれて、かつ得意で、さらに他の人よりうまくできることに 意味がある分野は何か。コアコンピタンスって使える考え方だよなあ。

このへんの土地は、育児環境としては相当ダメだよな。 昼休みに帰れる以外のことがことごとくダメだ。 小中学生の雰囲気が悪すぎる。なんでこんなにすさんでるんだ。 といっても将来的には改善の方向に向かうとは思うんだよな。 続々とつぶれる工場跡に建つマンションに入る人は 10万の家賃を払えるか、マンションを買えるだけの財力をもっているので もう少しガラが良いはずだ。 東京は金そのものはあるので、行政サービスが悪いのも改善する可能性はある。 しかし、問題はオタマが間に合うかどうかであって、 おぼろげな長期的展望ではない。 住むには地方都市圏がいいんだろうがなあ。 自転車で中心部まで行って帰ってこられるくらいのコンパクトさで、 それなりな人口があって雇用があり、 年数回東京へ行く際のコストがそれほど高くない、 そんな都合のいい都市があるなら、 長期的には移住を考えるべきなんだろう。 でもまあ、ひつじこの実家が近いのも利点だし、 私の実家も近いとは言えないまでもそれほど遠くはない。 なんといっても東京は最強都市で、これはそうそう動かない。

元々このあたりで町工場をやっていた人は続々と工場を畳んでいるわけだが、 畳んだ後に土地を売って移住するケースと、 畳んだ跡地に数世帯規模のマンションを建てるケースがある。 たいてい後者だ。 数十年前に閉鎖されたとおぼしき釣り堀が 放置されていたりするくらいに土地の利用効率が悪く、 半ばゾンビと化した商店街が残っていたりもする。 経済を考えれば23区内の土地はとにかく貴重であり、 土地をまとめて高層マンションを建てるのが最善なのだろうが、 まあ元々住んでた人にとってはそう言われても困るだろう。 世代交代を待つしかない。

まあ、5年後までここに住んでいるようなら、 1kmか2km以内の引越しをするかもしれないな。 道一本挟んだだけで劇的に空気が違うことは多い。 下手に川を渡って川崎に行ったりするとかえって悪化しかねないが。

新築の高層マンションがあるような土地は少なくとも上品な空気にはなるので ありがたいのだが、しかし私もひつじこも高層マンションそのものに 住むのは嫌だ。この矛盾。

海外に移住して就職とかって可能なんだろうか。 まったく空気がわからないしどうやって育児するのかもとんと見当がつかない。 ひつじこが働けるのか、とかも含めて不確定すぎるよなあ。

ホワイトアルバム2がいいらしい。それくらいならやれるか。

いろいろあってひつじこがごはんを食べないので、 せっかくだからと私だけラーメンを食べてきた。 近くのイレブンフーズ源流。 もう、ラーメンは食べられない体なのかもしれんなあ。 なんか負けた気分。しょっぱすぎる。 たぶんラーメンとしてはそこそこいい出来だと思うんだが、 体が受けつけない。まあちゃんと食べたのだが。

ウォン安だなと思ってたが、韓国はインフレ率がだいぶ高かった。 実質的にはそう安くなっているわけでもない。 しかし、調べたら金利がだいぶ低く、賃金は大して増えてないようだ。 つまり物価ばかり上がっていく状況である。 意図的に政策金利を下げてウォンの魅力を下げることでウォン安に誘導しているわけだが、 結果輸入が不利になって物価が上がってきているわけだ。 輸出産業はそれで強さを増すことになっているが、 何も輸入せずに輸出できる産業でもない限り、 通貨が安くなることの利点をフルに亨受できるわけでもない。

ドラッカーは強みに集中しろ、という戦略を国に対してもあてはめている。 グローバル経済において競争力を持てる産業に集中しろ、と言う。 でも別にそれは、為替を操作して通貨を安くしろとかいう話ではないし、 また、強い産業に補助を出して応援しろ、とかいう話でもないんだよな。 それに、経済より社会が大切なら、経済的に不利な政策を取ることも 合理的だという考えも示している。 ゾンビ商店街がさっさと滅ぶのは経済的には合理的だが、 それが社会的正義を損なうなら経済が割を食ってもいいという考え方はある。 また、社長が普通の社員の100倍とかもらうのは道徳的に許されないとも言っていた 気がする。 このへんのバランス感覚が、人によってはわかりにくいのかもしれない。 「つまりどっちなんだよ」と言いたくなる人はいるだろう。 市場原理主義という批判はありそうだし、 逆に市場原理主義の人々にはいいように利用されていそうだ。

日本はすごい財政赤字だが、景気は良くならない。 さて、ここで緊縮財政にしたらもっと景気が悪くなるというのは本当なのか。 ケインズ的には金をバラまく対象は乗数効果が高ければなんでもいいという 話になるのだろうが、本当にそうなのか。 もしそうならバスの運転手に1000万払っても、 その人がその金を使ってくれるならそれでいいということになる。 しかし、ドラッカーはそこは完全に否定していて、 金をばらまいて景気が良くなったり経済が成長したりすることはないと言い切っている。

いや、やっぱりバスの運転手に1000万払っちゃダメだろ。 心理的な問題が一つあるのと、 資源の配分を狂わせて経済成長に害をなすことの二点からバラまきはダメだ。 真面目で有能であることが得でないことは精神を堕落させる。 どれくらい得であるべきかは度合の問題でいろいろ意見はあるだろうが、 少なくとも得ではないといけない。 そして、どうでもいい分野に投資してより成長と進歩が望める分野に 投資できないことが未来を殺す。 いわゆるバラまきの根拠になる経済学には経済成長とかイノベーションとか 心理的な効果みたいなものが入ってない。 やっぱり乗数効果だけで考えちゃダメなんじゃないか。

努力量でなく成果で評価されるのが正しい。 成果が同じなら努力が少ないほど良い。 これが小さいころから当然と思えるように育つべきだ。 幸いひつじこも同じ考えである。 「授業態度が良くてもエプロンの出来が悪ければ成績は悪くなる」 ということを授業の最初に宣言したそうだが、 生徒は相当当惑したらしく、 「それじゃ上手な人と下手な人の間に不公平がある」とか真顔で言ったそうだ。 それ数学でも同じことを言うのかよ、という話なんだが、 その矛盾に気づかないのも無理はない。 確かに、子供のうちは成果をどうこう言う前に「がむしゃらに努力する」 という訓練を積む必要があるとも言えなくはないからな。 しかしそれはせいぜい中学までだろう。

ひつじこの日記読んで、ドラッカーを読むまでもなく ドラッカーを実践できてることに感動した。 なんか久しぶりに年上であることを思い出した。

体を壊さない程度にいろいろ考えておくといいと思う。せっかくの機会だから。

本当ひつじこはオタマのお世話だけをさせておくには惜しい。 すごく社会貢献してきたんだなと思う。 私の10年は正直趣味だった。趣味でいいと思っていたわけで それ以外の生き方をできたとは微塵も思わないし後悔もしていないが、 これからはもうちょっと役に立ちたい。

2012年01月04日

ますます多くの人が組織で仕事をするようになる、とドラッカーは言ったが、 歌手なんかもそうなっているということなんだろうな。 録音や映像が主体になると歌だけ歌えたところでどうにもならない。 映像を作るプロ、音楽を作るプロ、踊りや容姿、 みたいなものをそれぞれが持ちよって初めて 成果が出るんだとすれば、それは一時的なものではあっても組織で 仕事をしていることになる。

ひつじこがfacebookで初恋の人を見つけだしてメッセージを送るという 面白いことをしている。 私もやってみようかと思ったが、 初恋っていつだろうな。そういえば大学院の時に研究室で一緒だった韓国人の女性を facebookで見つけたのだが、もちろん何も送っていない。

学生の頃は韓国についてはほとんど何も知らなかったな、考えてみれば。 同じ西側の価値観の国で、日本をそのうち追い抜いて行く国なんだろう、 と単純に考えていた。 もっとも、今の方がより理解しているとは限らない。 情報はいっぱいあっていろいろ知ったが、何が本当かを私は自分の目で確認していない。

韓国が日本を追い抜いていくのかどうかは時間が経てばわかることだろう。 ところで、1円10ウォンだと思ってたらいつの間にか15ウォンになってる。 輸出が強化できてうれしいかもしれんが、輸入は大丈夫か。

オタマは、描いた絵を見せて、と言われたら絵を見せようとした。 見える角度ではなかったが、すごい進歩。

ドラッカーは文化、歴史、政治、経済あたりを広く見て物を言うのが とてもわかりやすくて好きなのだが、 それをわかりにくく感じる人もいるのかもしれない。

ユーロは失敗する運命にあった、という論説を読んだ。 後出しかもしれないが、筋は通っている。 通貨を共通化してうまく行くためには、人が自由に移動でき、 また、実際に移動しないといけないという。 そうでないと自動的な最適化作用が起こらない。 産業がより有利な土地に動くことができて初めて 通貨統合による経済成長が可能になり、 その経済成長がバラバラの通貨があることの利点を上回る。 日本はその結果として過疎ったり人口密集が起きたりはしているが、 それは経済成長するなら必然的についてくる問題であり、 総合的に考えればそれらの害より利点の方が大きかったと言える。 しかしユーロになってもイタリア人は結局イタリアから動かず、 結果そういうことが起こらない。 本当はそれでイタリアやギリシアが過疎って島根や秋田みたいな 地方になっていれば良かった、という話なんだろう。 しかし、そうはならなかったし、これからもなる気がしない。 地方の政府が解体されていないし、言語も違うし、 それぞれの人が郷土愛を強くもっていて、 食っていけるだけの収入があってそれで満足している。 ドイツに行けば金持ちになれるかも、と言われても、 まあ面倒くさいわな。社会保証で働かなくても食えたりするわけだし。 特にイタリアやギリシアは歴史と観光がウリなために、 「他から来るのは当然だが、うちらが行くことはない」 という思いがあるらしい。

ギリシアの通貨があれば、ギリシアの財政がヤバくなるとその通貨が下落して、 輸入コストが上がって生活が悪化する。 なので、財政をどうにかして通貨の信用を保とうとする。 しかし、ユーロになってしまえばギリシアごときの財政がどうなっても そう簡単に下落しない。ユーロというのはつまるところドイツとフランスの 通貨であって、ギリシアなんて小物がどうあれ影響は微々たるものだからだ。 仮にヤバいとなってもユーロが下落すればドイツやフランスが困るので、 助けてくれると考えるのは理にかなう。実際今回も金を出した。 なもんで、財政赤字はどんどんデカくなる運命にあり、 それを止めることはまずできない。 一応財政赤字がデカいとユーロ追放されるよ、 みたいなルールはあるはずなのだが、会計を偽るなんて簡単なことで、 こうなるまで問題が発覚しなかった。

なまけても損をしない状況は本当に全てをダメにする。 生活保護は本当にギリギリの条件にして、 相当にスパルタな教育をセットにしないとダメなんだろう。 教育を施したり雇ったりするコストを考えれば 生活保護を与えた方が安いという意見はあって、 それ自体が正しいのは認めるのだが、 そうすると本来働けたはずの人までダメになることを止められなくなる。 真面目に努力して成果を出すことが良い、という社会的正義を 制度の形で示さなくては精神が腐る、というドラッカーの台詞は 強者の意見なのかもしれないが、好きだ。

大阪の公務員組合とか、日教組とか、本当すごいな。 ここまで狂うまで放置されていて、今でもなお放置されているのがすごい。 しかしこの問題もあと20年放置できればやっぱり解決するんだろう。 高度成長期の記憶を持つ人間が減れば減るほど あの時代の状況に依存した制度を改める障害は減ってくる。 私が小さい頃は小規模小売に配慮して デパートの営業時間を伸ばすと怒られるような状況だったが、 今はヨドバシのような量販店が普通に存在している社会になった。 結局、制度変更によって困る人が十分に減れば自然に制度変更はなされる。 毎度思うが、つまるところそうなるまで耐えられるかどうかの問題にすぎない。 ドラッカーも若い頃は「日本の農業と小売の生産性がヤバすぎ。どうにかしないと死ぬぞ」 的なことを助言していたらしいが、気がついたら何もしなくてもどうにかなっていた。 ドラッカーも「私が間違っていた」と言っているくらいで、 日本の保留戦略はそれほど間違ってはいない。 実際、今回の大阪の祭も組合の類が十分に弱体化してきたからこそ起きたことであり、 仮に今回橋下氏が失敗したとしても、 今後さらに弱体化が進めばどこかでまた同じことが起こるだろう。 組合がなくなることで得をする人が、組合があることで得をしている人よりも 増えて力を持てば、そっちの言い分が通るようになる。

それにしても、労働組合って気持ち悪い印象しかないんだが、何なんだろうなあれ。 もちろんまともな労働組合もあるんだろうが、 私が知っているのは 気持ち悪いポスターを貼ったり気持ち悪いビラを配ったりしている光景だけだ。 給料が下がったけしからんと訴えているビラがあったが、 あれたぶん私の給料より高いよな。 「ローンもあって大変なのに」とか言っているが、 こんなヤクザな業界で家を買うとかいうマネをしたとすればそれは自業自得だ。 会社がそれを助けることが成果につながるという確信があるならともかく、 到底そうとも思えない。 結婚するのも子を持つのも自己責任で、 会社はそんな事情に配慮する必要はないだろうと思う。 家賃補助とか家族手当てとかも変で、 私が会社にした貢献だけによって給料を決めるべきだ。 私がいくら必要としているかは会社には関係のないことだろう。 きっとそういうのは企業がコミュニティとしてふるまおうとした 時代の名残りなんだろうが。

客が払う気になる価格に決め、それに合わせて作るのが本道だ。 作ってしまってからかかった金を回収できそうな価格にするのはどう考えてもおかしい。 いくらかかるかから出発してはダメで、 先にいくらかけられるかを決めないとダメだ。 そうでなければいらんところに金をかけたり、 もっとうまくやる方法を考える努力を怠ったりしてダメになる。 あと必要なのは、自分の強みは何かを知ることだ。 会社単位でもチーム単位でもそれが言える。 何が上手で、何に本気になれるのかを把握し、 上手でなかったり、本気になれなかったりする要素は外に任せてしまうべきだ。

私が本気になれないし上手でもないことで今やっていることはなんだろう。 空の色を計算するのは上手ではないような気がするがなあ。 数学はやればできるようになるだろうが、 強みと言えるレベルにはどうやってもならない気がする。 本当何で生きていくべきか。

花粉が25万Bq/Kgでヤバいと評判だが、そもそも何グラム食うんだよ花粉。 1グラム食ったとしても250Bqで、 毎日継続的に食うわけでもない以上大した影響もあるまい。ビビるに値しない。

2012年01月02日

スケソウダラを蒸してみたが、やっぱり味がない。 白身魚フライと同類として扱うならばおいしい部類に入るが、 ああいう類の魚はうちには不要だ。タラ系を買うことはないなあこれは。

紅白をちらりと見たが、あれはその場で歌わなくてもいいものなのか。 パフュームのように元から合成音楽であることがウリなのであれば ああいう場では口パクでも良かろうが、 そうでもないもので口パクというのは理解を得られるものなのか。 とは言え、見た目で楽しませようと思えば踊りが入ってくるのはやむを得ず、 見られる品質の踊りと聞ける品質の歌を両方提供できる人間など 相当に限られている。ましてそれをアイドルごときに期待するのは不可能だ。 結果ああなるのは自然な話ではある。

そういえば、 男性アイドルが生番組中の演奏において録音の声が再生されず、慌ててその場で歌ったが ひどいことになった、というのを見たことがある。 完全に曲の体裁を成しておらず、旋律を 推測することすら不可能なレベルである。踊りながらで声が出ないとか外れるとか、 そういう次元ではない。根本的にどんな曲なのかをわかっていないと見える。 録音においては何度も録音して使える部分を切り貼りして作ることも珍しくないそうだし、 さらには波形をいじって音程を合わせることすらできると言う。 生演奏とそうでないものの差は開く一方なのだろう。 しかし、技術の進歩によって生演奏の重要性が薄れつつある以上、 そうなるのもまた自然なことではある。 歌の上手下手以上に重要なスキルが現れたということであって、 単純に「歌が下手でも有名になれる」という話ではない。 それは、昔は一枚でも多くポリゴンを出すのがえらかったが、 今はそんなことより課金システムですよ、というのと同じ話だ。 どうせ見てる方も口パクであることは了解しているのだろうし、 生放送でやること自体が実情に合っていないのだろう。 歌とか音楽とか言わず、映像、あるいはいっそ芸術とでも言えばいい。 作曲家とか歌手とか音楽家とか言わず、単に芸術家と呼べばいい。 そういえば歌手をアーティストと呼ぶらしいが、なるほど芸術家と言うのであれば 音楽に限る必要もない。適切な言葉であると言える。 アイドルも顔や仕草を芸術と呼ぶならなるほど芸術家だ。

そういえば、生放送と銘打っていたのに地震が起きても何事もなく進行して 録画であることがバレたフジテレビの例があったな。 何故生放送を装う必要があったのかがそもそもわからない。 録画よりも生放送の方が価値があると一般には思われているのだろうか。 そもそも生放送か録画かを知る方法なんて地震くらいしかないのであって、 生放送と言っていても本当に生放送かなんてそうそうわからないのだ。

ドラッカーを読んでいた。できる奴は転職しようと思った時に電話する人間の名刺を 机の引き出しに20枚くらい入れており、また、2ヶ月に一回くらいは電話で話す、 というような事が書かれている。 私、全然ダメだなそういうの。 うまくやる人はそのへんが抜け目ないというのはよくわかる。

この日記は私の思想や信条、さらにはスキルがモロバレになっているはずである。 私が転職しようと思えば、受ける会社の人間は真っ先にこれをチェックするだろう。 今時人名でgoogle検索するのは基本なはずだ。 まったくもって恐ろしい。面接でなんぼハッタリをかまそうが、 これを読めば一発で全て台無しになる。 もっとも、ハッタリで入れたところで後はなく、 これを読んでなお雇ってくれるくらいでなくては続くまいし、 私もまた、これを読まれてもなお雇う気になるように人間を向上させていかねば ならんわけである。とても悪事は犯せないなあ。

そういう転職に備えている人は、必ずしも転職する気があるわけではないそうだ。 ただ、自分の持つスキルを会社が必要としなくなる可能性について 考えているだけの話だと言う。 まあそれはあるよなあ。C++やハード叩きや最適化やシェーダが ゲームに必要な時代がいつまでも続くとも限らない。 むしろ、大勢はそれらを必要としなくなる方向へ進むと考えるのが妥当だ。 それらの技術が客に価値を与える時代は終わっている。 それが言いすぎだとしても、 それらの技術の差が客に与える価値を大きく左右する時代はとうに終わっている。 プログラミングの教育が第二の人生のネタになるのかなあと思いもしたが、 それも怪しいかなと最近は思っている。 プログラミングそのものが不要、あるいは極めて低レベルで済む方向に 大勢は進んでいるからだ。自分を経営しろ、とドラッカーは言うが、 さて何をネタにしたものか。

大半の人間は40代半ばでは出世を終え、 さらには仕事に飽きて成果を出せなくなる。その時になって慌てても遅い。 そうなる前に別の生き方に移れるよう準備しておくか、 そこで出世が終わらない算段をせねば、自分にとっても会社にとっても社会にとっても 悪い結果をもたらす。

テレビで外人の格闘家が合気道を体験する、みたいなのをやっていた。 それなりに面白かったのに、最後にがっかりした。 格闘家のハイキックに合気道家がどう対処するか、 みたいな話で、カメラが不自然に格闘家の後ろからになって 状況がよくわからなくなった。 ハイキックがちゃんと当たる距離と当たる軌道で放たれたのかがわからない。 あれでは誰だって横から写せない事情があったと考えるだろう。 それまでは横から写していたのだから。

PCの電池の保ちは重要だと今更思う。 i5のX201sにしてだいぶマシにはなったが、それでも3時間半だ。 とくにスリープ中の消費電力が大きいのが困る。 次のCPUになったら多少は変わるのだろうか。 来年出る奴は劇的に改善するらしいが、それはまたずいぶんと先の話だ。

2012年01月01日

正月ひつじこ実家。

うちと他で育児のやり方が違うのは当然で、 普段接触がない時にそれが問題になることはない。 しかし、なにかしら接触があった時に、 問題が発生することはありうる。 お互いが「まあ違うよね」と思えばそれでいいのだが、 子供に違う方針があることそのものを知られたくないと思うケースはありうる。 例えば、オタマにはiPad3が出たら早々に買い与える気でいる。 今でもニコ動にしろyoutubeにしろ、なんぼ見せてもすぐ飽きて別のことを 始めるので、見っぱなしになって危険、なんて思いはない。 それにこの時代を考えれば、下手に隠すよりは 積極的に与えて使いこなせるようにした方が害が少ないと うちらは考えている。 しかし、仮に「子供にネットは見せない」という方針の家庭との接触が起これば、 オタマがiPad3を好き放題いじっている様を子供に見せたくないと 向こうの親が思うこともあるだろう。 それがいさかいの種になるかもしれない。 これからそういうことはいくらでも起こるが、そこでうちらはどうするか。

結論は出ている。多少のことは仕方がない。他は他で、うちはうちだ。 なるほど完全な育児などなく、何が吉と出るか凶と出るかはわからないが、 やれることはやろう。 そのために他の家とズレることを避けるのは馬鹿馬鹿しいし、 それを隠す必要もない。殊更に見せつける必要はないが、 よほどの面倒が予測されない限りは隠さない。 ただし、何故そうしているのかを説明できるようにしておく。 違いを知ることは常に学びの機会であり、 相手にとっても選択肢を広げることになる。

だから、正月実家に帰る時には蒸した大豆やにんじんを持っていくし、 親族が集まって話している時でもオタマがつまらなそうにしていれば さっさと近くの学校に遊びに行ったりもする。 iPadに貼りついてアンパンマン体操を見たり、家の中でドタンドタン踊りまくっても 止めない。今それを止める理由がない。 優先順位はオタマが上だ。どうせひつじこはそのようにしか行動できないし、 そのつもりもない。なら私が心配する必要もない。これからもだ。

目が悪くなるからコンピュータは与えない、という考え方はある。 しかし、近視であることが現代社会においてどの程度害かと考えてみれば、 それほど大した問題ではない。 近視であることのコストが、近視になるリスクを冒して得られるものより 大きいかと言われれば、そうは思えない。 現代社会においてコンピュータを使えないこと、情報リテラシーが 身につかないこと、文章を読み書きする力がつかないこと、 などなどの害は近視の害などとは比較にならない。 仮にそれらを重視すれば必ず近視になるのだとすれば、 近視になることを選ぶ方が良い。 むろん、何の対策もなく近視にさせるというのではないが、 必要な勉強を妨げない範囲で近視にならない方法を 考えることができることの全てだ。

幼児期の体の成長に遺伝要因はどれくらい効いているか。 現代の日本人が昭和初期までの日本人に比べて顕著に大きいという 事実から考えるに、体の大きさに関して遺伝要因はそれほど大きくはない のではないかと推測する。 そして、成体の大きさならまだしも、幼児期の体の大きさは古代においては ダイレクトに死亡率に影響したはずである。 そのような致命的な差が遺伝子に残っているとは考えにくい。 つまり、オタマがデカいのは、環境要因による気がする。 そしてそうであるならば、少なくとも統計の数値と比較する限り、 現状のオタマの育て方は間違ってはいないと思われる。 体格だけでなく、知能に関しても問題らしい問題は見えない。 あるとすれば圧倒的に空気を読まないことくらいだが、 1歳から空気を読むような躾をする気は全くないので、困りはするがこれは 覚悟済みのことだ。これがどう出るかはわからないが、 今のうちらはそういう選択をしている。

あらゆる行動には長所と欠点がある。リスクがある。 育児に関しても、完全に正しい方法は存在しない。 うちらが投入できる資源の制約の中で、 相対的に良い結果をもたらしそうな方法を選び取るしかない。 そして全て裏目に出る危険があることは覚悟しておかねばならない。 さらに、他の親がそのような覚悟をしているとは限らず、 完全に正しい方法など存在しない、という認識を持っているとも限らない、 ということもわきまえておかねばならない。

オタマと同年代の子供が周りに何人かいる。 今はまだ「赤ん坊」というくくりで同じような扱いができるが、 もう少し経てばそれぞれの家庭の育て方の違いによって 全く別の種類の人間に分岐していくだろう。 オタマはおそらく相当な速度で分岐していくはずで、 そのことを私もひつじこも覚悟している。 なにせ私とひつじこの子だ。それはどうにもならない。 というか、すでにもう戻れないレベルに分岐している。 こいつ、保育園なんて行けるのか?

オタマは何か我慢する時は数を数える。ただし、7から10まで。 数え終わったら解放されるという気がしているのだろう。 結構高度な心理だと思う。よくここまで育ってくれた。 もうこいつも20である。月で数えればだが。

家に戻ってくると実によく食べる。落ちつけないと食べられないんだな。 まあ一口食べる度に走り回る状態を落ちついていると呼ぶのはうちらだけかもしれんが。

えらくなりたい自分と、えらくなりたくない自分がいる。 自分に権限があればこうするのに、と思うことはあるが、 そんなものは酔っぱらって政治を語るオッサンと同じだ。 一つ言えるのは、自分を含む集団が意味のある目標に向けて 実現可能な計画を持って向かっているという確信があるならば、 単なる技術屋でいる方が幸せだということだけだ。 構成員として割り当てられた責任を105%くらい果たすことに 全力を傾ければ良く、それ以外のことを考える必要はない。 しかし、その確信がない状態で単なる技術屋でいるためには 意識して視野を狭める努力が必要であり、 その努力は長期的には精神の健康を損なう。

そもそも私の給料は何に対して払われており、 どういう行動をすることが期待されているんだろう、 ということをよくよく考えないとダメなんだよな。 組織の構成員としてどう行動するのが最善か。 つうか、上司に聞けって話なんだろうが。

暇を見つけて論文を読んでいたおかげで、 空の色を計算するということが根本的にどういうことなのかが ようやくわかった気がする。

「ちょっと進むごとにt倍になる」の極限がexpになることを いまさら納得できた。t=(1+1/n)と考えて、 これをN回掛けるとする。N=nkと書けるなら、(1+1/n)^nk。 これでnがどんどんデカくなっていくわけだ。(1+1/n)^nのnが無限での極限はeで、 eのk乗と書けることになる。 ここから類推すれば、掛ける回数が倍になればkが倍になることを意味する。 掛ける回数は進む距離に比例するので、進む距離が倍になれば、expの中身が倍になる ということが当然のように納得できる。 だから、太陽の光は1m進む時と2m進む時ではexpの中身が2倍違う。 たぶん普通の人にとって当たり前のことがいまさら腑に落ちた。 ザルな議論だが、腑に落ちるという感覚さえ得られればそれでいい。

どこまで素人なんだろうと嫌になるが、高校でも大学でも数学を腑に落ちるまで考え ることを避けてきたおかげで、「そうなることは知っているが、腑に落ちてないので いまいち不安で毎回wikipedia」というどうしようもない状況のまま 10年ほど過ぎたことになる。今回はいい機会だ。 そこをどうにかするくらいの時間の余裕はあるし、 それがどうにもならん状態では成果など出ない。

幼児は海外旅行を楽しめるか。一般的にどうかは知らないが、オタマに関しては 無理である。海外どころか日本での生活もまだ2年にも満たず、 他の国の文化に好奇心をそそられるなどということはありえない。 また、そもそもうちら親が楽しめない。 オタマにとってストレスでしかないとわかっていて楽しめるほど海外旅行に執着はないし、 単純にオタマの世話が大変すぎて楽しむどころではない。 これは旅行に限らず、外食や外出でも同様である。 まだ動物園を楽しめる年ではない。 何と言ってもオタマは日本に来てまだ20ヶ月なのだ。 電車に乗ったりなんなりするストレスをかけるまでもなく、 近所の公園やお絵描きがすでにして十分新鮮である。 毎日毎日新しいことができるようになる喜びがある。 とは言え、他の親が子供を連れてどこかに行くのは否定しない。 親が強くそうしたいのに我慢すれば、 そのストレスが子供に伝わって良い結果をもたらさない。 多少子供が割を食ったとしても発散すべきだ。 ただ、それを子供のためと強弁するのは少々違うように思う。 堂々と「自分が行きたいから行く」と言えばいい。 うちらが実家にオタマを連れていくのは単純にうちらの都合で、 オタマにとってはストレスでしかないのだ。

さすがに私の祖父がそろそろやばい。今回が最後だと覚悟しておかねばならぬ。 福島に連れていくのは私のエゴだ。ひつじこには苦労をかける。

でも、福島は着いてしまえば楽なんだよな。私の親は孫が来ても 変にもてなそうとか思わないのでこっちも気が楽だし、 家が広いのでオタマも走り放題だ。 客なんて来ないので人口密度の高さにオタマがストレスを感じることもない。 祖父母に会わせる時は泣くだろうが、まあ大した時間でもないし乗り切れるだろう。 もう少し大きくなれば、夏休みにあそこで数日過ごすのは オタマにとっても楽しくなると思うんだが、さてどうなることか。

線量測ってこよう。 もしまだ0.3以上あるようなら今後年単位でそのままだろうからあきらめる他ないが、 さて半年でどれくらい薄まったか。 なお、土地の食材にはまだ汚染があるだろうが、 数日食うくらいでどうにかなる量ではあるまい。 まあそのへんの線引きはひつじこに任せる。 どうせオタマの食料はかなり持っていくし、心配はいらんだろうが。

ひつじこ実家の近くの小学校の校庭が一部ロープで囲まれて立入禁止になっていた。 線量高いのか。木が倒れそうで危ないとかそういう話かもしれんが。

汚染濃度は食べる量をかけ算しないと意味がない。 干し椎茸が500Bq/kgとか言ったところで、水で戻せば大幅に薄まるし、 まして椎茸なんて大した量は食べないのである。 米の5Bq/kgの方がよほど最終的には多かろう。 そして、その米は検査には引っかからないのだ。 その意味で、私は乾物に関しては数千Bq出ない限りビビるには値しないと思っている。 静岡の茶農家が言っていたことは、茶農家自身が言うのは問題であるにしても、 その台詞そのものはおかしくない。

と言っても、コストなしで避けられるなら避けるんだよな。私にしたところで。 そして、福島産を避けるという行動は確実に福島の農家に打撃を与える。 苦しむ人をさらに苦しめる選択を、うちらは自分のエゴで行う。 福島の農家に対して「プロなら毒入りを出荷するとか言うな」 と言う権利は少なくとも私にはない。 そう言う権利は彼等自身にしかなく、彼等が言わないのであれば、 国が彼等に対して命令する他ない。 自分の身を守るためにすぎないことに道徳の皮をかぶせるのは悪だ。 一時そういう意見を見てもっともだと思った自分を思い出した。反省する。

たまに、もし今回の放射能汚染が完全に隠蔽されて誰も知らないまま だったらどうだっただろうと考える。 果たして顕著な健康被害が出ただろうか。 下手に避難することで健康を害したり、コミュニティが破壊されたり、 農家が経済的に追いつめられたり する害よりも大きな被害が出ただろうか。 仮定にすぎないし意味もないが、いろいろな話を聞くにつけ考えてしまう。 情報の隠蔽は不可能だし、やろうとしてもロクなことにはならないわけだが、 そうであればこそ情報の伝え方と、それに先立つ集め方は重要なはずだ。 なんでこんなことになってしまっているんだろう。


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