だだもれ

2011年12月30日

えびうまい。今回さかなだマートから買ったえびがうまかった。 すでに殻を外されていて、解凍して食べるだけのお手軽さである。 しかも安い。20尾で580円。

と思ったが、5kgで4000円とかいうえびもある。 姿状態なので加工が面倒だが、いちばんうまい頭がついているので 利用価値は高い。えびってそんなに安かったのか。

豚の角煮ってどういう料理なんだろうと思って、 一切何も調べずに豚肉を圧力鍋で30分酒で煮て、 その後にんにく醤油で味付けしてみた。 なるほど臭い。これをどうにかせんと料理にならないわけだ。 しかし肉は固くなってないし、味付けも酒と醤油だけで事足りる。 問題はこの臭さをどうするかだ。 調べてみると、焼いた後に1時間煮る、とかいうべらぼうな手間をかけており、 正直そこまでやる料理なんてしたくない。 しかしせっかくなのでもう一度だけ試してみよう。 国産の良さそうな肉を使って、1分かそこらだけ下ゆでする。

2011年12月28日

空の色がどうやってできているかを勉強しているが、やっぱり数学と物理が足りない。 だんだん単位がよくわからなくなってくるので、ワットで考えないとダメだ。 つまるところ、どこに何ワット来るんだよ、ということだよな。 色は周波数ごとのワット毎平方メーターだ。 あと、一回自分でやり方を考えてそれなりに答えを出してからじゃないと 他人のやり方を読んでもピンと来ない。 それにしてもきついのはリアルというお手本が厳然としてあり、 扱いやすい近似の理屈を奇麗に構築しても、 リアルと色が違っていればダメだということだ。 リアルと色が一致するように実際の測定結果や大量の計算を投入するのは 正直割に合わない。時刻や天候の変化さえなければ写真を貼って終わりにした方が早い。 まあこういう技術を研究する人がいるのは、時刻や天候の変化をやりたいからなわけだが。

何かにつけて 「現時点での最適解を教えろ。そのまま使うから」と言いたくなる欲求との戦いだな。 そう言ったら負けだ。全面的に優れた技術などそうそう存在しない。 新しい技術が古い技術に比べて勝っているところは大抵近似の精度か 適用範囲で、それは理屈の複雑化と計算量の増大という犠牲を払っていることが ほとんどだ。

radianceは角度あたり面積あたりの強度だが、いわゆる点光源は 食らう側から見た角度が無限小なので、角度あたりの強度は無限になる。 点光源であっても有限の角度を持つ面光源であるとして計算した方が 楽な局面もあるんだろう。無限が物事を簡略化することもあれば、 ややこしくすることもある。

イクラうますぎる。さすがキロ5000円。

家でプログラミングできる奴は本当にプログラマだと思う。

2011年12月27日

波長ごとの強度を色と呼ぶなら、radianceもradiant intensityも色を持っていると 言えるな。ただ、radianceが書かれたテクスチャは絵として人が見るものとは 違う次元を持っているということをはっきり認識しておきたい。 面積あたりの光の量が色だ。

本当は波長ごとに計算して結果が出てから 人間の反応関数と畳み込んでRGBにして初めて色になるわけだが、 今のCGではそこまでやらない。 8波長くらいで計算してからトーンマッピング処理で3つに落とす、 というくらいすると結構いろんなところでマシな結果が得られる気がする。 いつぞやのCEDECで聞いた話がなんとなく実感できてきた。 波長が式に入ってくるような計算はとりわけきついだろう。 空の色の計算なんて最たるもんだ。 適当な波長を「これが赤い光の波長だ」とか決めつけて計算すれば、 どう考えてもすごい誤差がでる。

2011年12月26日

オタマが下痢。ひつじこが腹痛。

下痢のオタマをビクビクしながら風呂に入れ、 少し湿った感じのおならをしたのであわてて出したが、 オムツが間に合わなかった。 窓際まで走ったらしく、カーテンとシーツにゲリをぶちまけるという惨状。 風呂場に持っていってシャワーでおおまかにウンコを取り、洗濯。

どう考えてもオムツをはかせるのが最優先だろう。 なるほど、お尻がかぶれていて薬を塗りたいのはわかるが、 オムツをはかせてから中に手をつっこんで塗るべきだった。 つうか、薬のふたを開けてる間オタマを野放しにして、 窓際まで走られるというのは油断しすぎ。 最近はおしっこの頻度が下がっているので フロから出た瞬間におしっこ、ということはあまりないが、 ただ頻度が下がっただけで危険はなくなっていない。 トイレで排泄するようになるまでは油断は禁物である。まして下痢。

まあ下痢ではあるが元気だ。 むしろひつじこが元気がないのが困る。 ちなみに、私もどことなく腹が痛い気がする。妙に屁が臭いし、 胃腸の調子が良くないのは確かだが、まだまだ軽微だ。

基本、オタマかひつじこのどちらかでも調子が悪くなると 私は働ける状態ではなくなる。 病気になる頻度を下げる方法を考えないといかん。 しかし、児童館その他で病原体をもらってこられると手の打ちようがないのだよな。 食事の品質を高く保つくらいしかやりようがない。 服に関してはひつじこが専門だし。

もしドラの作者すげえな。 本に関しては買った人間にその本を破ったり焼いたりする権利があると みなすのが妥当だと思うのだが。 感想をwebに書く権利があるかどうかは必ずしも自明ではないが、 よほどの内容でない限りその権利はあるとみなされているように見える。 私は私の本を破られようが焼かれようがかまわんし、 どれだけクソよばわりされてもかまわんし、 勢い余って「これを書いた平山という奴はクズ」 「こんな奴がいるからゲーム業界がダメになる」 とか言われても悲しみはするがかまわない。 つまるところその程度のものを世に出した私の罪だ。 ちなみに、こんな奴がいるから云々、 は実際にそう書かれているのを見かけたことがある。 まあ本ではなくCEDECの講演についてだが。

YU-NOの作者が亡くなった。

自閉症スペクトラム指数自己診断、というのをやってみて、 どうやら自分が大丈夫らしいことに安心した。

教育費を現在の普通に合わせてかけるとえらいことになる。 うちはほぼ間違いなくオタマは塾には行かせられない。 そもそも、私もひつじこも塾なるものに行ったことがなく、効果があるとも思えない。 図書館で教育費をどうするか、というような本を借りて斜め読みしてみたが、 ダメな例ではことごとく計画が杜撰な上に、家を買ったことが致命傷になっている。 また、子供を作る可能性の有無に関わらず、貯蓄をしていないのもダメである。 そんなダメな例で危機感を煽っても、うちらには何の参考にもならない。

本当、家は致命傷になるよな。60とかになるまで引っ越さなくて良く、 収入が低下することもない、なんて仮定をできる人間が 一体どれだけいると言うのか。得か得でないかではなく欲しいか欲しくないかだ、 ということは良く言われるが、私にとってはそのどちらでもない。単に不可能だ。 しかしそういう選択をする人はたくさんいるわけで、 よくよく話を聞いてみたい気はする。何かそれを可能にする方法があるのかもしれない。

facebookのゲームのおさそいが結構来るが、全く余裕がないので放置している。 facebookそのものにアクセスすることが稀だ。 facebook、linkedIn、mixi、google+と4つも アカウントを持っているが、 twitterとmailがあれば事足りる気がする。 単純に私にはそういうのが向いてない。twitterごときですらもてあましている有様なのだ。 それにしても未だにfacebookにおける関係の距離感がわからない。 きちんとお断わりのメールを出すべきなのか、 単に無視すればいいのかがさっぱりわからない。 お誘いは定型っぽい英語メッセージが来る程度なので、 きちんとしたレスをするのはやりすぎなのだろうとは思うが、 しかしこう度重なると放置というのも気がひける。

ひつじこにしろ私にしろ、動物園のパンダみたいなものなのではないかと良く思う。 パンダを見るのを好きな人は結構いるが、檻に入って一緒にいたいと思う人は あまりいない。パンダに憧れる人や、自分もパンダだと思っている人は たまにいて檻に入ってくるが、自分がパンダでないことを自覚すると去っていく。 残るのは本当にパンダな奴である。 私にしてもひつじこにしても、 できることなら人間でありたいとは思っているが、 どうにも人間社会に適合できている気がしないし、 本気で人間でありたいと思っているわけではないフシがある。 オタマも結構な確率でパンダになるだろう。

2011年12月25日

クリスマス。オタマはいろいろもらったなあ。 そうか、こういうふうにつながっているのか。 オタマやひつじこが来てくれなければ一生気づけなかったかもしれない。

wikipediaの国鉄民営化の項が面白くてつい周辺ページまで見てしまった。 中曽根すげえ。 過疎とかゴーストタウンとかと関連づけて見るとこれまた面白い。 放射能が原因でゴーストタウンになった町、という項目に いくつか足されることになるんだろうし、 過疎で消滅した集落リストはこれからどんどん増えるんだろう。

「最悪原発170km圏内が死の土地になる」、 という専門家の想定が3月に首相に提出されていたことが発覚したわけだが、 何故今になって出てくるのかがわからない。 漏れたのか、公表したのか。隠したくなるような都合の悪いことなら 永遠に隠蔽しようと考えそうなものだが、 何故か中途半端な時間が経ってから公表されることが多い。 あれはどういう力学によるのだろう。

冷凍スケソウダラで鍋っぽい何かにしてみたのだが、 やはりタラの類は味が弱いな。昆布とホタテで補強して正解だった。 さて、残った二匹はどうしよう。焼いてもたぶんどうにもならん味だろうし、 煮るか蒸すかしかないんだが、身が崩れやすく味も弱いので かなり繊細な処理が要求される。 キロ350円と激安なので、おいしく食べられる調理法さえ確立すれば タンパク源として活躍させられるのだがなあ。

「いいね!」「+1」あたりの意味がわからない。 どういう文脈で何を表現し、どういう目的で存在するのかがわからない。

なんかファイブレインというアニメが流れてるが、 このキャラデザの安っぽさはなんだろう。

2011年12月24日

また来月な。

ミッフィーは思ったよりいい出来だった。そしてでかい。 全長90cmである。なにタマの90cmの服を着ているくらいだ。 ひつじこはどうも相当縫い物がうまいらしい。 ひつじこが私のプログラミング能力を実感できないのと同様、 いまいちよくわからないわけだが、 少なくとも並の人間にはこんなぬいぐるみを作ること自体が不可能だということは 間違いなく、ましてオタマの世話の合間のコマギレの時間で 前もって設計図を用意する余裕すらない状態でこれを作れるということは 相当なものである。 なお、材料費は綿の1500円のみ。布は古着の白い下着。

「私のミッフィー絶対かわいいよ」とブツブツ言っているひつじこ。 市販品の写真を探し出してはそう言う。確かにそうだ。認める。

ブログっぽくここにもっと写真を貼るべきなんだろうが、 なにせ面倒だ。VNC経由でFreeBSD上で日記書くのやめた方がいいかもしれんな。 web経由で日記を更新することもできるような仕組みを用意しておくべきなんだろう。 しかし、正直家でコンピュータいじりをする時間はない。

「インタンジブル経営」がやっぱり面白い。 数字に出てこない要素を「インタンジブルな要素」と呼んで、 そういうところを改善することで企業価値を高めていこうという内容だ。 約束を守る文化とか、リーダーシップとか、 社内で価値観が共有されているとか、戦略がちゃんとあるとか、 そういうことである。

管理職とマネージャーは同じ意味なんだろうが、 リーダーは管理職と同じ意味だろうか。 このへんの用語の定義はたぶん人によってバラバラだ。 正直リーダーという言葉の意味がよくわからん。 メインとかチーフとかシニアとかリーダーとか、もうやめてくれ。意味がわからん。

管理職になるとなにかとビジネス用語を使うようになるが、 それが開発の末端の人間に正しく伝わる可能性は極めて低い。 組織の階層によって視野も関心も用語も異なるのは仕方ないが、 上の人間は下の人間と話す時には降りてくるべきだろう。 下から上に上がることは容易ではなく、 そもそもそんなことは求められてもいない。

技術だけでは面白いとは思えなくなったな。完全に。 手段としては面白いし、数日の単位では夢中にもなれるが、 一ヶ月も二ヶ月も技術のことだけ考えて楽しく過ごせるかと言われると、もう無理だ。 技術の位置付けがよくわからないままだと、ふと空しさを感じることがある。 組織の目的が何で、戦略が何なのか。何が製品の価値を作る攻撃的な活動で、 何が業界水準に劣らないようにする防衛的な活動なのか。 自分の仕事はそれらの中でどう位置づけられているのか。

私は仕事に何を求めているんだろう。 自分の欲求が何かという問いは案外難しい問いで、 そんなものは気分によって変わるに決まっている。 自分が何に価値を置いている人間なのかを何によって知ることができるかと 考えてみれば、結局は自分を外から眺めてみる以外にない。 何をうまくできたか。何をうまくできなかったか。 何をしている時に体調を悪くしたか。余暇を何に使ったか。 そうした統計によって推測するのが一番信頼できる。 食事や睡眠でガラリと変わる自分の感情など考えるに値しない。

今までいろんなことをしてきたが、明らかに向いていないこととして 生物学の実験があった。苦痛だったし、成果も出なかった。 統計処理はたぶん得意で熱心にやれたが、必要な実験をこなせなかったので 成果が出なかった。そして、成果が出なかったことによって 熱心にやって得意気になれた過去が全てどうでも良くなるくらいの苦痛と 挫折感が残った。 つまり、私は手段が楽しければ成果なんてどうでもいい、というタイプではない。 成果が出て人に認められる、という結果が伴わなければ精神の健康を保てないタイプ であり、純粋な研究者や技術者にはなれない。 今考えれば、あれはプログラマになる準備にはなったが、 生物学の分野において私に芽はなかったことは明らかだ。 元々志していた医学研究の分野でも同様だっただろう。 多数のことを覚えることよりも少数の原則から積み上げる方が重要で、 かつ、試行錯誤のサイクルが短時間で回せる分野でなければ、 私はうまくやれないし、成果も出ない。

なお、試行錯誤の方法は基本的に二分検索を使えるとうれしい。 極端なものを二つ試してからその間のどのあたりが良いかを当たりをつける、 ということを繰り返すことで少数の試行で解に辿りつける。 ただし、これができるのははみ出した時に致命傷にならないような問題だけだ。 例えば料理の塩分濃度をどれくらいにするのがいいか、 という問題は二分検索を使えばほんの数回で結果が出る。 しかしハデに失敗して食えないものができるのは困るので あまり大胆な実験ができず、結果試行回数が増えてしまう。 イモの焼き温度と時間の最適解がどこかはイモを30本無駄にする覚悟があれば 一日でわかるが、それは私にしても許容し難い。 また、私にとっては二分検索が適当に思えても、 それを周囲に納得させることが難しいケースはある。 自分一人で完結しない仕事ではそういう戦略は取りにくい。 料理でも食材をいくらか犠牲にして実験をしておいた方が 短期間で解に辿りつけて長期的には無駄も少なくなったりするのだが、 ひつじこにそれを納得してもらうのは難しい。

6年も前にやったシェーダ仕事は素人だった割にはうまくやれた。 プログラマの割には絵のことがわかる部類だったことと、 なんだかんだいって計算速度の問題を解決するスキルが恐ろしく重要で 私にその経験と適性があったことが理由だろう。 しかし、作業工程全体を眺めて設計するというところまでは行けなかったし、 その仕事が製品においてどういう位置を占めているかなんて考えもしなかった。 なにせ3年目だったから仕方ないのだが、 あれでは私の考えが製品のコンセプトとずれた時に致命傷になる。 たまたま成果が出たから良かったが、出なかったら辛かっただろう。 やはり細部の戦略は製品のコンセプトから導かれているべきで、 その方が打率は良くなるし、よしんば失敗しても未来につながる。

ある意味ドラッカーを読んだことで仕事の仕方の幅が狭まったのかもしれんなあ。 自分にはどうにもならんレベルの問題について知りすぎた。 後悔はしていないが、この先どうやって生きるかについては考えざるを得ない。

「インタンジブル経営」はこんなことを考えさせられるいい本でおすすめ。

オタマは寝る時は布団をかけることを嫌う。 寒いことがさして不快に感じられないからなんだろうが、 そういうものなんだろうか。私は子供の頃から布団大好きだった気がするが、 一体何が違うのだろう。 札幌の安アパートで布団から出ることの苦痛は こんな東京の奇麗なマンションの比ではないので、そのへんなのだろうか。

ひつじこに「たかしさんからおなかがすいてる臭いがする」と言われたが、 それ一体どんな臭いなんだろう。 なお、今日食欲がないのは、昼行きがけに食べた品川のすた丼のせいと思われる。 つくづく自分がグルメになったものだと実感するな。 炊いてから時間のたった白米の酸化した風味と、 そもそものエンプティ感がいかにも不快で、 また、ウリであるにんにく風味の強さも にんにくの質の違いがわかるようになったことで苦痛になった。 種子さんのにんにくなら、ペペロンチーノ二人前に丸一個入れるくらいのことをしても、 こんな後味にはならないのである。 もし今二郎食うとしたらにんにくは入れないかもしれない。

ひつじこ、どうも布に線も書かずにいきなり切ったらしい。 定規すら使ってないらしい。それでこれか。 かといって、作り始める前に完成形が見えているというわけでもないようで、 実際胴体の大きさは余った布のサイズから決まっているし、 手足のつけ方も手足を作り終えてから考えたそうである。 大したものだが、もしかしたら人間は得意分野ではそうなるものかもしれんとも思う。 昔漫画の真似事をしていたが、15回くらいの連載で 最終回のことを考えもせずに毎回適当に書いていた割には そこそこ最初から展開を考えていたかのような作りになっていた。 プログラミングはだいぶそうで、適当にノリで作っていても それなりにトップダウンで設計したように見えるものができる。 たぶん作曲もやればそうなると思う。 逆に、そうならないものは得意分野ではないということだろう。

もしかして経営やマネジメントもそうなんだろうかと思わなくもないが、 そういうふうにやってうまく行くような人がゴロゴロしているとも思えないわけで、 やっぱり経営に関しては理屈と努力を積み上げる方がいい気はする。 それに、組織で仕事をする以上、積み上げたものを継承できなくてはならない。 組織のコアである経営やマネジメントに関してたまたま天才が出るのを待つ 余裕はないはずだ。

と考えると、プログラミングにおける私の優位性も、 規模が大きくなったり、組織としての能力を考えたりする場合には かえって害をなす可能性があるということか。 それはよくよく注意せねばならない。 ノリで設計できる限界のサイズはどこか、 そして、自分の仕事をいかにして継承できるかを考えてみよう。 このままではいかん。

それにしてもこのミッフィー、中にオタマが入ってるようにしか見えんな。

しばらく政治がどうでも良くなっていたのでニュースすら見ていなかったのだが、 次の予算案も44兆借金を増やすらしいという記事をたまたま見た。 年収500の人間が1000万使う計画でいるのと同レベルに馬鹿馬鹿しいように思えるが、 ここで妙な絞り方をすると致命傷になる業界もあるだろうし、票田のこともある。 恐くて手がつけられなかったんだろう。 政治家にとって国を良くすることが得になるシステムはなさそうだし、 チェック機構としての選挙は機能していない。 それどころか先延ばしにする方が個人にとっては得かもしれない。 政治家はおおむね年寄であり、20年保つなら改善しようとは思わない公算が高い。 会社ですらうまく行かないのだから、政治がうまく行くと思う方がおかしい。

最近の円高を受けて鬼の首を取ったように 「やっぱり円だよ。外貨とかバカじゃねえか?」と言う人は多いが、 最終的に多少損したとしても、円が暴落した時のダメージを 緩和できるように分散しておくという考え方もあるんだろう。 借金が1000兆を超えたりGDPの200%を超えたりした時に 誰かがつい日本国債をどーんと売って、それが何かの引き金を引かないとも限らない。

そういえば、会社のえらい人にとって会社を良くすることが得にならない ということがありうるんだよな。政治家同様えらい人は年寄なので、 問題が顕在化するのが退職後であればその問題が放置される可能性が高い。 経営陣の誰にとっても放置できないほど切羽つまった時には、 たぶんとっくに手遅れになっている。 えらい人に限らずベテラン社員ほど問題を先延ばしにすることが得になるので、 こういう事は会社のあらゆる階層で起こる。 これを打ち消す何かとは何なんだろう。 組織に誇りを持つ文化かもしれないし、若い人間が影響を持つ可能性が 排除されない制度かもしれない。

田舎の線路は続々と放棄されているが、 すでに田舎の町そのものを放棄すべき段階まで来てる気がしてならない。 そこのインフラを保守するコストが割に合わなくなってくる。 「住むのは勝手だが水も電気もないよ」という状態に追いこまれざるを得ない のではなかろうか。どうにもならなくなる前に移住先と一定の金を用意して 引っ越してもらうくらいのことをした方がいいんじゃないかとすら思う。

2011年12月23日

発表会は今までの人生で最高にメタメタになった。 「みんな練習不足だなあ」とか思ってたことを申しわけなく思う。 でも朝はいい具合に弾けてたんだがなあ。 たぶんそれが敗因なのだが。

ピアノは自分のものを持っていけない。 うちのもので調子良く弾けるようになっていると、 弾き方がうちのものに最適化されてくる。 その度合が激しいほど別のもので弾いた時のダメージがでかい。 前もって触ってみることもできず、しかもいきなり速い曲である。 客がいて緊張しているのも大きい。 ヴァイオリンはイマイチ音が外れたり奇麗じゃなかったりすることはあっても、 ああハデに外したり止まったりすることは稀だった。小2の時の一回だけだ。 発表会に備えるなら複数の楽器で弾いて、最適化されすぎることを 防ぐ必要がある。うちには幸い二台あるわけだから、 もうちょっと利用すべきだった。まあ正座して弾くことしかできない位置にあるので そうしっかりとは使えないが、それでもやらないよりは良かった。 まあいい勉強になったし、今日の朝に気持ち良く弾けた段階で 発表会の目的は達している。あれは上達のための手段であって目的ではない。 まあ豪快な失敗を人様にさらすのは申しわけないのでこれっきりにしたいものだがな。

そういえばピアノの先生がローランドのLX15を買った。あれ良さげだな。 思ったよりデカくなかったし。オタマが本気で弾くようになったら あれを買うくらいのことは正当化されるだろう。まあ3年は先のことだが。 なお、FP-7Fはいい機械だが、打鍵音はかなり激しい。 ペダルまで一体のデカい奴の方がそのへんは吸収されるようだ。 夜中の練習にはデカい奴の方が向く。 あと、FP-7Fの鍵盤はだいぶいいが、それでも上位機種のものに比べると 若干落ちる。同じ機構らしいが、コストダウンで何かが落ちている。

それにしても、妻がピアノの先生、というのは夫としては結構大変 だったりするのかもしれないと思ったりする。 ピアノはメンテも大変だし、家を建てる時には防音に投資せねばならないし、 発表会では椅子を並べるのを手伝ったりする。

猪木って北朝鮮でもプロレス興業をしてたんだな。 その縁で今回朝鮮総連に弔問しているわけか。 師匠の力道山が朝鮮系だったことも関係しているのかもしれない。

wikipediaの力道山のページが面白くて、つい周辺のページまで見てしまった。 木村すげえ。

テコンドーのページで、その起源に関して 日本語と英語で全然違うことが書いてあるのがおもろい。 日本語では「空手のアレンジだ」と書いているが、 英語では元々あった古武術で日本占領時代に徹底して抑圧されたものが 復活したものだと書いている。 真相がどちらかは知らんしどうでもいいが、 これだけ違うことが書かれているという事実そのものがおもしろい。

オタマを見ていると、体なんて柔らかいのが当たり前で、 固くなるのは劣化の結果でしかないとよくわかる。 足を持ちあげるのが楽しければいくらでも持ちあげるわけで、 そういうふうに仕向けるのは親の責任だろう。

2011年12月22日

猛烈に体調が悪くなったので早退。

創造性なるものは存在するのだろうか。 創造性の結果に見えるものは存在するが、創造性そのものは幻影なのではないかと 最近思う。 人によって生きる環境や状況が違うために取る行動が変わり、 たまたまその結果が人にウケると、さかのぼって創造性だなんだと言われる。 それだけの話ではないのか。 そもそも、必要な品質で人の欲求を満たすものを完成させるというのは 大変な積み重ねで、 同じようなものを作っても人によって細部には必ず違いが出てくる。 誉め言葉として使いやすいために独自性が取り上げられがちだが、 真に大切なのは満たすべき欲求を満たす商品として 仕上がっていることの方である気がする。

「こんなの誰だってできるだろ」と思うことこそが得意なことだと言うならば、 私は結構いろいろ得意だな。 例えば英語は自分でも嫌になるくらいダメだが、相対的にはマシなんだろうな。 機械翻訳に利点を感じないレベルまでは達しているわけだから。

phongの正規化係数を積分して求めたりして頭を数学に慣らしているのだが、 よく見る(e+2)/2PIが近似であることに今更気づいた。 垂直入射じゃないと式がすごい形になって、解析的に解けるのかどうかもよくわからない。 水平方向の積分まで変数が混入して嫌な気分になる。 近似であるならば真面目にやるなら誤差を評価しないとダメなわけだが、 この積分が可能なのかどうかを考えること自体が面倒くさい。 いくつかの入射角で数値積分して誤差を出してみれば実用上問題ないんだろう。 もしそれでこれで誤差がゼロだったら、 何か素敵な変形で同じ式に帰着して近似でないことになるだろうし、 ゼロでないならゼロでないでどれくらいなのかを知らないと対処もできない。

lambertがPIで割られてるのも今更ちゃんと確認できた。 半径1の半球の表面積は2PIだが、cosが掛かるとPIになるんだな。 そして加法定理の素敵さを再確認。sin*cosを見たら即座にあの変形が 出てくるくらいに訓練されていないとこの道では生きて行けないんだろう。 面積素片にsinが入っていることは神の恵みだろうか。 って、そんなことを以前も言った気がする。気のせいだろうか。

本当、素人だな、自分。radiance,irradiance,radiance flux あたりの概念からすでに怪しい。ちなみにこいつらの日本語も知らない。 ここから始めてどこまで行けるんだろうと不安にはなるが、 たぶんここからちゃんとやる奴は少数派だから、 この道を逸れずに進めば他人の計算結果を使ってるだけの奴に対して 優位に立てる局面もあるだろう。 要領よく他人の成果を貼りつけてモノを作ることもまた才能だし、 そうでないと困ることもあるとは思うが、少なくとも自分には向いてない。

radianceがどっかからどっかへ行く光の強さで、irradiance がとある場所が食らう光の強さで、radiance intensityがどっかから とある方向に出る光の強さで、radiance fluxがどっかから出る光の全量。 と、ここまではまあいいのだが、 「センサーって何を測ってるの?」みたいなところになると だんだん怪しくなってくる。 あれはirradianceなんだよな。 絞りがあるので方向は限られるものの、 結局飛んできたエネルギーの単位時間あたりの量だ。 radianceは1ステラジアンあたりだが、実際測定されるのは例えば0.1 ステラジアンだったりするのでそれを掛ければ次元はirradianceになる。 まあセンサーの面積をかけて考えればradiance fluxになるし、 レンズが点だと立体角を考える必要もなくなるので逆にradianceで考えても かまわないことになる。 ただ、色は面積あたりのエネルギー密度なので、 色、と言った時にはirradianceであるはずだ。 色だと思ってる数値の次元がradianceだったりradiance intensityだったり、radiance flux だったりしたら何かがおかしいということになる。 何で測ってるのかは自覚しておかないといかん。

食らうirradianceはそれぞれのradianceに立体角を掛けて足したものだ。 ある面が食らう光の量はirradianceである。 で、点光源の強さって何なんだ?足し合わせるには単位をirradianceにしないといけない。 距離の二乗で割るのは立体角をかけてirradianceにする操作ということだよな。 平行光源は二乗で割った後の数値で設定すると考えればirradianceだ。 つまり、単位が違っている。

BRDFってradianceをradianceに変換する関数のことでいいんだろうか。 いや違うだろう。食らう光の量は入ってくるradianceが同じでも距離で変わる。 距離の二乗で割った段階でそれはirradianceだ。 とすれば、irradianceをradianceに変換するのか。 半球からたくさんのradianceがいろんな立体角で来る。 立体角をかけた段階でirradianceだ。それぞれが半球全体に出る たくさんのradianceになって出ていく。 普通カメラの方向以外に出ていくradianceはどうでもいいので、 ある点に来るirradianceからカメラの方向へ行くradianceだけを作れれば事は足りる。 映ってる点全部について、そこに来るirradianceを考えればいいのだが、 radianceがたくさんあると計算が大変なので、前もって足し合わせておくこともある。

まだまだよくわからんなあ。以上はメモで、たぶんまだまだ間違っている。 ここから認識が修正されていくはずだ。

2011年12月21日

120GBなんて無限に等しいと思っていたが、あっさりあふれた。 サーバを増強したいが、まだ2.5インチの1テラは高いし、 まして今は洪水の影響が残っている。もう一年くらいはこのまま行こう。掃除するか。 毎度OSごと入れ直すのも面倒なので、OSは32GBくらいのSSDに入れるようにしよう。

2011年12月20日

自分がリスクを嫌うタイプの人間であることが最近骨身に染みている。 人生逃げに入ったか、と言われるかもしれないが、 大事なものの優先順位が大きく変わった今となっては仕方ない。 価値のある挑戦は何かを真剣に考えて、それに集中しなければ。

ちなみに、人生が守りに入ったとは言え、守るべきものの中に金は入っていない。 今この瞬間に自分の落ち度でない理由で貯金がゼロになったとしても、 そんなに嘆かないと思う。 金に関して大事なのはストックではなくフローだ。 毎月いくら入ってくるかは、いくら溜まっているかよりも決定的に重要である。

とは言え、高い給料を要求すると後々整理解雇の対象になったり、 したくもない仕事ばかりが増えたりとロクなことがない。 「稼ごうと思えば稼げるスキルを持つ」ことは大切でも、 実際に稼ぐ必要は必ずしも無い。 むしろ、会社からもらう額よりもいくら多く会社にもたらすかが重要だ。 会社にもたらす額より会社からもらう額の方が多い人間には未来がない。 会社を儲けさせた結果として給料がついてくるならついてくるでいいし、 ついてこなくても嘆くことはない。 儲けさせたということは、儲けさせる能力を手に入れたということだ。 それ自体は私のものである。

結構な勢いで勉強している実感。 そして思い知る、自分の数学能力の低さ。物理学の知識のなさ。 コンピュータ科学の基礎の欠如。 しかしその一方で、それらを少しづつでも 積み上げてきたことを実感できる。 一見わからないことでも理屈を積み上げていけばいつか理解できる、 と信じられるようになってきた。 最先端に追いつく日は遠いが、 最先端まで行かなくてもやりようはある。 ともかく、「理解できるまで使わない」というルールは完全に守ろう。 動くようになっても、「何故動いているのか」が理解できないうちは 完成とはしない。 他人の成果を切り貼りして出来た気分になってはダメだ。 ブラックボックスは一つたりとも許さん。 時間はかかるかもしれないが、結局はそれが早道だ。 わからないものは必ず後で禍根となる。運用も保守も引き継ぎもできない。

鬼哭街はいいよなあ。沙耶の唄もあったはずなんだが、ダンボールを掘っても出てこない。 一体どこへやったのか。 それにしても、何故これらの作品名を一発で変換できるんだgoogle日本語入力。 ジャンゴ廉価版出ないかなあ。

ゼルダやりたい。だが、どうやって。 WiiU出たらあのコントローラをトイレに持ち込んで出来るんだろうか。 現実問題50時間もの時間を一体どうやって確保できるのか見当もつかない。 本当に全くゲームができなくなっているわけだが、どうしたものか。 VITA買ってディスガイアでもやるべきかと思うが、 今は勉強その他が優先だ。もう私はこの世界の人間としては完全にダメなのかもしれない。 魔法使いの夜くらいは手をつけられるのかな。発売するならだが。

W除算とラスタライザ補間の詳細と、三角形の一部がカメラの後ろに行った時の挙動について よくわかっていないことに気づいた。なんか腑に落ちない。 しかしちょっと調べたくらいでは出てこないんだよな。 後ろに行っても計算上問題ない、ということなのかもしれないし、 一回手を動かして確認すべきだ。

2011年12月19日

5時半から2時間ショパン10-4。 試しに速度を150に上げたら思ったほどにはメタメタにならなかった。 あと三日だが、150でも弾いておこう。 指がついてこなくても脳は鍛えられる。 本番は130で止まらずに弾ければ良し、という程度か。 曲が曲なので味付けや解釈について考える必要は薄い。 デカい音でドカドカ鳴らして「ピアノお上手なんですね」と思われるための曲だ。 12番の革命に比べるとインパクトは薄いが、あれは有名すぎて辛い。

さて今日は仕事するぞ。

2011年12月18日

技術屋としては描画や音響はたぶん向いている。 しかし、それがこれからも客に価値を与え続ける分野かどうかは甚だ疑わしいし、 そもそも私がゲームをする時にはそのどちらもかなりどうでもいい。 それらの技術を私の売り物とすることには躊躇せざるを得ない。 5年後10年後に生き残るために私はどういう仕事をしてどういう スキルを身につけるべきか、と考えると、 OpenGLで遊んでる場合じゃないよなあという気はしてくる。 まあなんにしてもさっさと片づけるに越したことはない。

何の技術でも、その技術を一段上から眺めることを忘れなければ その技術だけが身について終わるということはない。 剣の熟練度を上げていても筋力が上がるゲームはある。 計算機の概念、数学の概念、物理の概念、技術の製品における位置付け、 技術の運用、といったあたりが上位概念になる。 そこを意識していれば、何をやっていても無駄にはなるまい。

VITAはギャルゲーハードになるだろうし、 ディスガイアの3もある。そのうち買おう。 しかし、普通に考えて次世代のギャルゲーハードは普通に考えてAndroid機やiphoneだよな。 ディスガイアにしてもタッチパネルで無理なくできるだろうし。 ボタンがついていることが圧倒的優位であるジャンルは厳然としてあるが、 ボタンがなくてもいいジャンルはそこそこあるし、 時間とともにボタンがないことに慣れる人が増えていく。 仮にインターフェイス的に多少不適でも、ゲームしかできない機械の価値は 相対的に低くならざるを得ない。 昔は「自分でプログラミングできないコンピュータとかゴミだろ」 とか言ってwindowsをけなしていたunix使いを見たものだが、 ボタンもそれと同じ扱いになる可能性は十分ある。

ディズニーのナミナミナという歌があるのだが、 みんなの歌のハメハメハに似すぎてる。

みかん届いた。またオタマが黄色くなる日々が始まる。

無限かとも思えるほどあったりんごがもうなくなる。 もともと15kgあったんだが、すごい勢いで減っていった。 途中で頂いたりして少し回復したが、もうわずかしかない。

会社宴会が肉だった。その話をひつじこにしたら、 肉が食べたいと言う。 なので、スジ肉1kg程度を買ってきて牛丼的なものを作った。 まず肉を酒400ml+水500mlくらいで圧力をかけて煮る。15分。 横で、にんにく2片、たまねぎ3個を炒める。 炒め終わったらエリンギとにんじんも投入。肉の鍋の中身を合流。 しらたきを追加。昆布を入れてしばらくしたら出して捨て、 醤油およそ90ml。あとは落とし蓋をして、さらに蓋をし、ひたすら弱火で放置。 2時間以上。おいしくできた。オタマもだいぶ食べている。 普通の肉は煮れば煮るほど繊維が固くなるのでオタマには辛いが、 スジはコラーゲンなので加熱すればとろけて食べやすい。 ダシ汁のうまみを含んだゼリーになる。

食料調達リストを更新。

たまねぎ農家にたまねぎとみかんを注文。みかん届いたばっかりだろという ツッコミはあるが、年末から正月にかけて注文できなくなって在庫が尽きるよりは いい。どうせ正月はひつじこの実家に大量にみかんを持っていくだろうし。

本当うちらいいもの食ってるなあ。さすがに最近は調子に乗りすぎているので 食費がだいぶ上がってきた。少々注意がいる。

大田区は育児環境が悪すぎる。 しかし、マシな場所へ引っ越せばいいかというとそう簡単でもない。 親戚が近くにいない以上、私が一日3回会社と往復できる立地であることは重要で、 1kmでも引っ越せばその条件は失われる。 そもそも、通勤できる距離にマシな地域があるかどうかすら保証の限りではない。 所詮は首都圏だ。転職も考慮に入れて考えるべきなんだろうが、 少なくとも転職後しばらくは死ぬ気で働いて自分が使えることを証明せねばならず、 やはり今のような家事への参加は不可能になる。 そう考えると、やっぱり自分がいる組織を勝たせないとなあという話になるが、 最近勝つために貢献できることがあんまりみつからない印象。 技術は運用や製品における位置付けまで含めて考えないとダメだ。自分一人が勉強して 難しいことを理解したところで、それがかえって害をなしたりもする。

ひつじこは夢という形で二人目の着床を知ったのではないかという仮説。 ひつじこはしばしばオカルトなので、今回の夢はそういうことだろうと 聞いた時から思っていたが、当のひつじこがその解釈を思いついたのは 数日後のことである。 オタマの時もなんかそんな夢があって、なんだかわからない絵を描いたりしていた。 なお、今回の仮説が当たりか外れかがわかるのは年末。 ちなみに、もし本当にそうなら産まれるのはCEDECくらいになるので、 今年は行くにしても自腹で行かねばな。業務なのに途中で抜けて病院に行く なんてことは人としてダメだろう。 普段会えない人に会う機会だけは逃したくないので、 そこだけはどうにかするだろうが。

2011年12月17日

次の金曜日は発表会。完成度低い。 そこそこ弾けてはいるんだが、一回も止まらずに行ける自信はない。

ミッフィーが一緒に遊んでいる犬は犬なのでしゃべらない。 その犬の飼い主は人間であり、病気になった時にかかる医者も人間である。 また、ミッフィーが持っているおもちゃは人間の人形である。 もう私には何がなんだかわからない。

浅草の「鍋の博物館」という店に行ってみたが、オタマが熱を出したという知らせ。 とりあえずアルミの鍋がどんなものはわかったので、すぐに帰った。

2011年12月15日

利益は目的ではなく条件である、というドラッカーの言葉が浸みる。 利益は確保すべきもので、追求すべきものではない。 利益最大化、なる言葉はなるほど害悪だ。 必要なだけもうける算段ができたなら、後は別のところに気を使うべきだ。 妙な数字の操作でどうこうしようとするとロクなことがない。 もちろん、必要なだけもうける、ということ自体が半端なく難しいことではあるのだが。

よく分厚い本をバイブルとか呼ぶが、聖書はそんなに厚くない。

ミッフィーの歌を元気に歌うが、一番盛り上がってミッフィーを連呼するところだけ 声が小さくなる。何故だ。

オタマはほたてを良く食う。特にワタの部分。5個焼いたら全部食われた。 でも今日は食べない。気まぐれな奴だ。 それにしてもこのほたてうまいな。小粒で焼きやすいのもうれしい。

ひたすらホタテを焼き続ける会とかしたいな。 うちは今鍋食材が豊富にあるので鍋でもいいが。

今回はタコの頭を3kg買ったのだが、1個ごとに密封されているので使いやすい。 そして、うまい。タコって足より頭の方がうまいんじゃないか。やわらかいし。

ミッフィーのキャラで茶色いうさぎがいて、名前がメラニー。 メラニン色素と語源が同じだとすれば、実にわかりやすい名前である。 たぶんミッフィーという名前もそんな感じなんだろう。 実際、絵本の訳では「うさこちゃん」。親は「ふわふわさん」と「ふわおくさん」。 オランダ語ではそういう感じの言葉なんだろう。

昔のRPGをリメイクしようと思っても町が多かったり世界が広かったりして無理、という話。 今主流の画質で全部やろうとすればそりゃ無理だが、 何かが根本的に間違っている。 一番根っこから考えればわかると思うが、 会社の機能は社会の幸せ総量を増やすことである。 つっこんだ労力よりも、客が受け取る幸せの方が大きくなければ 会社は根本的なところで機能していないことになる。 幸せも労力も結局は金で測定されるので、 町一個に1億つっこむなら、その町があることによって客が1億多く 払いたくなるだけの満足が生じなければならない。 木一本から効果音一つに至るまで、原則としてはそういう条件があるということだ。 リメイク云々以前に、新作においても町一個や木一本、武器一つに至るまで その原則を満たしているかを考えるべきだと思う。 それが満たせないというなら、根本的に商売が不可能になったということだが、 たぶんそれが満たせないということ自体がおかしい。 本当に絵に金をつっこまねば客は満足しないのか。 そんなことはないだろうし、つっこむ金の割に奇麗な絵を出す工夫はもっとできるはずだ。

2011年12月14日

ひつじこは、外で働くといろんな人を助けられると思う。

OpenGLに慣れてきた。そしてわかったが、やっぱりこれ嫌いだわ。 もっとも、他人が作ったものは大抵嫌いなので、 OpenGLだけが特別なわけではないのだが。

スクラム、というプロジェクト進行の技術というか思想というか体系というかの 勉強をちょっとした。 「上手に集団仕事を進める」ということに関して洗練させて 体系化したものと理解している。 おおまかなところではドラッカーが言ってたことな気もするが、 あれよりもずっとソフトウェア開発に適した形に具体化されている。 可能な限り頻繁に振り返る機会を作る、というのがたぶん一番大事な点だ。 それには、特に誰かが「ちょっと振り返ってみよう」なんて言わなくても 自動的に振り返ることができるようなシステムがいる。 それが毎朝短いミーティングをするとか、一定周期で振り返る会を やることをルール化するとか、そういう話だ。 人間は放っておけば惰性に流れるが、 それでも必要なことがなされるにはどうすればいいか、 そしてさらにはその惰性を利用するにはどうすればいいか、 という話にもなる。

ただ、スクラムには危うさも感じる。 日本人であるうちらにとっては、用語がとにかくなじまない。 頭がまともな人にとって用語は問題ではないのだが、 頭がまともでない人は用語だけを覚えてわかった気になることが多く、 スクラムの名のもとにデタラメな進行をしかねない。 実際そういう例を見たことがある。 これはスクラムに限らないし、プログラミングに限ったことでもなく、 さらにはおそらく日本人に限ったことでもない。 名前がついているということには副作用があり、 それは人間の性質上やむを得ないのだと思う。 というわけで、本を読んだり実践したりして経験を積んだ後に、 スクラム用語を一切使わないで他人に説明できる形に再構成してみると いいのかもしれない。 それができたならば、おそらくスクラムを理解していると 言える状態になるだろう。

2011年12月13日

忙しい、というのではないが、やることが山積みだ。 2年も3年も遠ざかっていた分野である割には、案外どうにかなる。

さつまいも20kgがもうなくなった。注文。 ヘルシオを使うと一回に10本くらい焼ける。推定3kgくらい。 なので、わずか6,7回焼けばなくなる計算だ。 焼いておくとひつじこがモリモリ食べて、3日とかからずなくなる。 なお、焼くというより蒸すに近い。ウォーターオーブン120度80-90分。 ただのオーブンで焼くと乾くが、ヘルシオだと柔らかく仕上がる。

じゃがいももなくなった。外山農場からまた買うか。 メークインはソラニンがきついので、男爵にしよう。 でもその前に白いかぼちゃの味見をせねば。

オタマの体重増加が止まって久しい。何をどう食わせたものか。 葉っぱ系を食わせる方法を考えないとな。 もう立派な歯はあるので、単純に噛んで食うことを面倒くさがらないように なればいいだけなのだが、それが難しい。 長時間加熱してぐずぐずにして何かに混ぜれば食べられはするだろうが、 それにあまり意味はない。 と言っても、まだ成長曲線を上にはみだしているわけだが。

「朝鮮通信使いま肇まる」を読んだ。相変わらずひどい面白さだ。 この人、本当朝鮮好きだなあ。 ついに朝鮮でない作品を書いたという話を聞いた気がしたが、たぶん記憶違いだろう。

縮小する時にはフィルタ半径を拡大しないといらん周波数が混ざってしまう という理屈についてまだちゃんと考えてない。

サンプリング周波数の半分よりも大きい周波数の成分をなくせば エイリアシングは消える。しかし、元の絵はそういう高周波 込みで成り立っていたため、それを単純に消すと波打ってしまう。 エイリアシングと波打ちをどうバランスすると奇麗に見えるか、 という話で、「こうすればオーケー」と言えるものではないということが よくわかった。

2011年12月11日

自分がどうにも家庭向きでないことを痛感する毎日。 食料以外の面では全くの役立たずだ。

アルミ鍋メーカーの中尾アルミが合羽橋に店を出している。 今度見てこよう。

計画通りに行けば、あと二人子供が増えることになっている。 仮にひつじこと同レベルに食べるとすれば、 12合炊いても二日ともたない。冷凍するまでもない。 ふと考えてみて愕然とした。

19時半にオタマが寝た。私も体調が悪いのでそのまま一緒に寝てもいいが、 こういう時にしかできないこともある。というわけで会社。 トイレは寒すぎるので、物を考えるには向かない。

2011年12月09日

CEDECでしゃべるとかも同じだわな。相手が求めてるものが何かを考えて、 それを届かせる工夫をしないと互いに時間の無駄で終わる。 来年はネタがないなあ。

折れた爪がとれた。これで全力でピアノが弾ける。 明日からがんばる。

凍ったものを解凍するのにアルミの板が欲しくなるが、 アルミ鍋買えば一石二鳥だよな。その用途なら銅の方がいいが、 値段の差が激しすぎる。

冷凍庫を一回空にして、霜取り。すぐ取れる霜はだいたい取ったので、 あとは解けたら雑巾で拭いて終わり。

3.6万円分魚介類を注文。もはや仕入れのレベル。 鮭2匹6kg、たこ頭3kg、たこ足先1kg、イカソーメン1kg、 いかめし25個、ほたて片貝5kg、ほたてむき身1kg、 プレゼント用いくら1kg、さんま刺身1kg、 ほっけ20枚、えび20匹、すけそうだら1kg。

2011年12月08日

オフロスキーを見て、昨日の「呼んだ?」タイミングが完璧だったことを知った。 私の方がズレていた。

ひつじこの携帯電話をPCにつないで写真その他を吸い出した。 新生児時代のオタマの写真やら、ウェディングドレスの加工途中やら、 いろいろ出てくる。なんだろうなこのビックマックは。

時間ないなあ。でも今週爪が直ったらピアノ弾きまくるのでそんなに働かない。 こんな完成度では人に聞かせられん。

2011年12月07日

オタマは段ボールの中に座るのが好きだ。 そんな状態でオフロスキー登場のBGMを口ずさんだら、 そこそこいいタイミングで「おんだ?」と言った。 言われてみれば座るポーズがオフロスキー。

fate/zero9,10。9はいいとして、10は何だ? 二郎を食べに行ったらラーメンが出てきたかのような違和感。 つまらんとまでは言わんが、違和感。

何かあって田舎に引っ越すような状況になれば、 車を買うんだろう。10年後くらいだったら電気自動車になるといいなあ。 ガソリンの臭いは嫌いだ。

電気自動車の問題点の大半はまだ本気で作られていないということに集約されるようだ。 エンジンをモーターに置き換える作りはあくまでも第一歩で、 本当はエンジンを積む時とは全然別の作りであるべきだろう。 車業界の外から乱入してくる企業が増えれば、最初から電気自動車 として設計されたものがバンバン出てきて変わってくるに違いない。

2011年12月06日

wikipediaの寄付を求めるメッセージが日増しに強さを増している。 いつも世話になっているので寄付することにした。といっても1000円だが。

お礼メールがすごい感謝されてる感。 運営の懐を暖めるだけという可能性はなくもないが、 それでもかまわん。彼等がああいうサービスを始めなければ、 こういう便利な代物は得られなかったのだから、何に使われるにしろ それに金を払うのはおかしなことではない。

スティールパン欲しいな。テレビからしょっちゅう聞こえてくる。たまらん。 一枚の板で音階を表現しているために、鉄琴のように音ごとに分離しておらず、 倍音や他の周波数の混入によるうなりが複雑に混ざって、なんともたまらん音が出る。 前に調べたら結構本気な値段だったのでその時はあきらめたのだが、 オタマが音楽やるようになったら改めて検討しよう。

やってみたい楽器。トランペットかサクスフォン。ギター。スティールパン。 ギターはそれなりで良ければすぐできると思うんだけどな。 中学の部活でやってるような楽器はヴァイオリンやピアノに比べれば 少ない練習量でもおもちゃにするくらいはできるだろう。 極める気はない。いずれも問題は騒音と値段と置き場所だ。

fate/zero8話。キレイつよすぎ。「ちゃんと赤いのか」はしびれるわ。 それにしても、ジョージの素敵ヴォイスと、この さっぱりしすぎたキャラデザがどうにも合わない。 もっと臭いのある絵が欲しい。

タマの体重が増えない。しかし、別に心配ではない。 というかこれで心配とか言ったら刺される。 しかし、良いことではないので、もっと食べてもらえるよう工夫する。 精米機を導入してから食べる量そのものは増えているはずなのだが。

タマはレーズンが好きだ。にんじんもピーマンも好きだ。 こうあっさり好きになられると、 私を含めた多くの人が子供の頃には嫌い、ということの理由がわからなくなってくる。 単純に小さい頃から食わせてしまえばそれで慣れるというだけのことかもしれないが、 品質の問題もないわけではあるまい。 実際おいしくないにんじんはあまり食べない。それに比べて今回の にんにく農家の種子さんから買ったにんじんは実にうまい。このさわやかさはなんだ。 カレーに入れると全体がおいしくなる。 これで10kg1500円というのは異常すぎる。 倍額でも払うと言ってるのに1500円でいいと言う。 時給いくらなんだと言いたい。 しかも2トン見込んでたのに100kgしか採れなかったとか言ってたし。 これはなんとしても買い支えねばならん。 レーズンも妙な油で台無しにしていない物を選んでいるが、 別段高いわけではなくキロ500円。アメ横で買える。 少し高いが、ウイグル産の緑レーズンも酸味が強くておいしい。

本当イヤイヤだな、オタマ。ひつじこが持ってきた服を投げた。 気に入ったものしか着ない。まあ無理矢理着せても数十秒も経てば コロリと忘れてくれたりもするが、そうでない時もある。

2011年12月05日

昨日はちょっとジャンクだった。 ひつじこが市販のお好み焼きを食べたことがないというので、 買っていってみた。おいしくないらしい。良い事だ。 まあ私はおいしくなくても好きだけどな。 おいしいかどうかと、食べたいかどうかはしばしばずれる。

ようやく家計簿をつけられた。 11月はカゼのせいもあっていろいろ乱れている。

うちの食い物状態についてちゃんとまとめたいんだが、時間が全く取れん。 まとめた文書を作っておきたいことは他にもあるのだが、それも無理。 さっさと仕事を片づけよう。

アレクサンダーのalが冠詞と間違われて落ち、 何故かksがskにひっくりかえったために、イスカンダル。面白い。 固有名詞が活用するラテン語も素敵だが。 ヘルマンさんがアルミニウスになるらしい。

2011年12月03日

本当積分を忘れてる。exp(-kh)みたいなのを積分したら当然-exp(-kh)/kで マイナスになるわけだが、一瞬 「あれ?マイナスになってるぞおかしくね?積分って面積だろ?」 と焦った。何のことはない。0から無限まで定積分すれば無限側が0で引く方の 符号が反転するから1/kだ。 そういうところの感覚というか感蝕というかが完全に失われている。 たまにこうやって必要になった時に毎度最初から積み上げねばならない。 まあ、積分なんてせずに結論のところにある式を ぶっこめば同じ結果は出るんだけどな。 しかしそれをやると運用できない代物が出来上がるし、 そもそも面白くない。

戦うべき時なのかもしれんと思ったが、この戦い方はダメだ。 機が熟してない。早すぎた。しかし、次善の策を取るには忍耐が必要で、 私の短気な性格では不可能だ。自分の性質を見誤っていた。 根本的に見直す。しかし、その前に整理して形にしておく。

2011年12月02日

動かせない制約は何か、ということは前もって知っておきたいものだが、 そう思わない人も多いんだろうな。 制約を自分のしたいことを妨害するものとしか思えないのもわからないでもない。 しかし、制約がなければ集中すべき問題も見えてこないわけで、 すでにわかっている制約があるなら全部列挙しておくべきだろう。

温度指定できる電子レンジを作ってくれないかなあ。 狙った場所に電波を当てられ、 各部の温度が精密に測定できれば可能だと思うんだが。 電子レンジの最大の欠点は加熱ムラであり、 精密加熱できるようになればオーブンでしかできなかったことを もっと効率良くやれそうな気がする。ダメかな。

技術者したい。技術者仕事以外したくない。 自分の世界を狭く限定して集中しないと到底こなせない。 自分の領域以外見えないような環境を作らないと集中が妨げられる。 できるだけ人がいない時間に働こう。そう考えると朝なんだが、 朝は家事があるからな。

技術仕事が始まるとそれが楽しくなって他のことなんてどうでも良くなる。 予想した通りだ。

コミュニケーションは下手をすると最大のコスト要因で、 「最低限必要なコミュニケーションは誰と誰の間で何についてか」、 という考え方をしないと組織の利点を生かせないと思う。 会議時間は組織の不適切さをはかるいい指標だよな。

甘いミューズリは、カントリーファームのストロベリークランチミューズリ。 やまやで安かったので試しに買ってみた。完全におやつ。

2011年12月01日

仕事仕事。超仕事。技術者するぞ。 しかしなかなか目に見えないので、他人に見えるようにしないと安心できない。 不安だ。不安すぎる。

信号処理を基礎から学びたいが、あの手の教科書は大抵回路から 始まる印象がある。回路図なんて全然わからない。 デジタルに特化した本を探してこないとな。 土曜に八重洲ブックセンターに寄る。 しかし、手を動かしていろいろ実験した経験がないといかんよなあ。 エイリアシングとアーティファクトの関係とか、 そのへんが感覚と理屈の両面からわからないと積み上げられない。 RealTimeRenderingはいい本だが、あれは入口だ。どうにも理屈がわからん。 積分も自分の手でやらないといかんよなあ。

オタマは13kgぴったり。


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