だだもれ

2011年10月30日

オタマが自転車の前カゴに乗れるようになった。 少し前まで泣いて嫌がったはずだが、今日はあっさり乗った。 ひつじこではダメなのかもしれない。

川崎大師の西松屋まで三人で行った。ひつじことオタマは自転車。私は走り。 子供服のしまむらか。女の子の服の色彩がすごいことになっている。

ゲームを作品だと思って作っていてはダメな市場ってのがあるんだろうな。 そういう市場に向けて物を作る時の意識は、 作品を作るという意識とは根本的に違ってくる。 そこを変えられない人間にはたぶん作れない。 そして、意識を変えるまでもなく、 最初から作品を作る気がない人間が作る方が間違いなく有利だ。

たかだか8km程度だが、結構疲れた。歩くよりは速いが走るというには遅い 程度だったので、距離の割に歩数を費した。

ひつじこを怒らせてまで対策したバグが私のせいじゃなかった時の徒労感。 せめて犯人が見える範囲にいれば気も楽なのだが。

世界のブログ投稿数の37%が日本語ってすげえな。というか、この番組おもろい。 バカ番組なのに、何故か深い。 「うんこなう」みたいな自分に関する本当にどうでもいい情報を世界に垂れ流す日本人。 確かに、「何故だ?」と考えるとおもしろい。 ものすごい数の「かまってちゃん」がいるのが日本という国なのか。 日本の社会の不安度が高まったこととゆとり教育が 1995年のポジティブシンキングブームを生み、 今twitterやブログがこんなことになっているという読みらしい。 バカ番組なのでいろいろ無茶苦茶だが、結構まともに考えられてる気がする。 ひつじこはこの番組を作ってる放送作家のファンで、ブログも見ている。

「うんこなう」で検索したら、本当に山ほど出てきた。 そして、今こう書いている間に21件増えてた。 日本人、すげえな。

2011年10月29日

指の性能の問題が大きいなあ。右手の指を動かす筋肉が根本的に左に比べて弱い。 単純な握力は右手の方が強いが、バラバラに動かすと一気に弱くなる。

ドラッカーもう一冊買おう。事業戦略の奴に書いてあったことを もう一回読み直したい。一緒にオタマに図鑑を買うのだったか。 起きたら話そう。

朝から三人で公園。帰ってきて、芋焼いて、かぼちゃ蒸して、おかゆを作った。 それにしてもひつじこの調子が悪い。 まあ私もなのだが。そしてオタマも若干。

2011年10月28日

じゃがいもも低温で蒸してみることにした。甘くなるのかどうか実験だ。 貯蔵で甘くなるものは全部同じだと思うんだけどな。

東京から仙台に行くのに日本海側を通るのはさすがにやりすぎだろう。 意図してないかもしれんが、相当感じ悪い。

結婚してなかったら、ゆうべは大船くらいまでは歩いてたな。 本当そう思う。

2011年10月27日

二日連続朝から公園。防災非難用の芝生しかない公園で、 オタマから多少目を離しても何も起こらないのが楽。 昨日はかなり積極的に走り回ったが、今日は調子が悪いのか あまり動かなかった。 真夏は日光がきつくて無理だろうし、冬も寒かろう。 今が一番いい季節だと思う。 夏も朝5時とかなら大丈夫かもしれないが。

せっかく前にオタマを乗せられる自転車を買ったが、 激しく泣くのでおんぶしてしか乗れない。 そして、現状自転車がそれしかなく、 ひつじこがおんぶして乗り、私は走っていくことになる。 ひつじこを走らせるのは無理なので、私はオタマをおんぶできない。 自転車が二台あればいいんだと思うが、 最近住人が増えて自転車置き場がギュウギュウなので増やすのはきつい。

さつまいも。ヘルシオで焼くより、鍋で蒸した方がおいしいかもしれない。 それなりに切って、水100mlを入れて、限界の弱火で1時間ほど放置する。 かぼちゃと同じ料理法だ。

頂いたさつまいもがもうなくなる。通販せねばならないが、ブランド系の芋ばかりが 出てきて高いのが困りものだ。スーパーの安値がキロ250円程度なので、 できればそのくらいで欲しいのだが、なかなかない。 一箇所20kgで送料込み4400円というのが一番安いが、しかし20kg。 じゃがいもと違って毒性の問題がなく、カロリーが高く、 ビタミンCの量も大差ないという特性はかなり使いやすいのだが、 問題はどれくらい保存が効くかがわからないということだ。 まあでも試してみるか。

20kg注文した。あと米も20kg注文した。 問題はさつまいもはかなり飽きやすいことだな。じゃがいものように 料理に使うのは難しい。

未熟。自分の未熟さが嫌になる。制御できん。本当ダメだ。来週から本気出す。 明日は過去の自分の後始末。

自分にできること、自分がすることが期待されていること、 自分がしたいこと、自分がして効果的なこと。 このへんの境界を自分の中で整理しておかないのが良くない。 一度に興味を持てることは一つしかない性分なわけで、 新しいおもちゃが見つかれば古いことはどうでも良くなるに決まっている。 それを自分でちゃんと自覚しないとダメだ。 自分の中で優先順位が下がった瞬間をきちんと自覚して、 綺麗に移行しないといけない。

本質的に私にはカウボーイプログラミングと批判されるスタイルが一番性に 合っているのだろう。未来は常に不確定であり、 未来を予測することには不確定性が伴う。 そして、遠い未来であるほど、ありうる未来は増える。 1月に2月の予測をするよりも、1月に3月の予測をする方がはるかに難しく、 考慮すべき未来の数はずっと多くなる。 しかしもし3月の予測をすることを2月まで待てるなら、 2月までに明らかになったことによって3月に起こることの選択肢はぐっと減るため、 予測は容易いし、当たりやすくもなる。 もちろんそれは単に無為に時間を過ごしただけのことだが、 2月になればわかる予定であることのうち、3月の選択肢を最も良く減らすのは何か、 ということがわかれば、優先的にそれを明らかにすることで、 2月を待たずして3月の選択肢を削ることができる。

私は、予測が苦手だし嫌いだ。ありうる事を漏れなく数え上げるという、 緻密な頭の使い方は苦手である。苦手なので好きになれないし、 仮に他人の予測であっても感覚的に信用できない。 だから、もし多少の時間を犠牲にすることで 3月にありうる選択肢を削れるのなら、私はそちらを選ぶ。 例えば三日間かけてとある実験をすることで「この未来はないな」ということが わかるとするならば、三日間をそれに費す方を選ぶ。

さて、計画というのは予測である。 遠くにある完成形とそれに至る道筋を設計するのは、実のところ予測である。 完成形のイメージが正しいかどうかも不確定だし、 そこに至る道筋が実現可能かどうかも不確定だ。 私はその不安に耐えられないので、とにかく手を動かして 不確定性を削る方を選ぶ。使えるかどうかわからない手法に依存した計画なんて 立てたくない。そういう手法5つに依存した計画は、 それぞれが使えた場合と使えなかった場合で32通りの選択肢を持つ巨大なものになる。 不確定性に対して選択肢を持たない計画は、ただの妄想だ。 しかし、少々の時間を使ってそのうちの一つが使えるかどうか確認できれば、 計画の選択肢は16と半減する。

そういうわけで、私は最初に「制約」を数え上げる。 目標ではない。「この条件は満たさなくてはならない」という制約だ。 制約が多いほど未来の選択肢は減るので計画は立てやすくなる。 人材や時間、必要な機能などの制約は普通は 事前にわかり、これらの制約によって未来の選択肢はごっそり減る。 ある意味「この技術は使えない」というのも制約だから、 そういう意味では制約を効率良く増やしていく方向で作業するのが 私のやり方、と言ってもいいかもしれない。 時にはそうやった結果選択肢がゼロ、つまり全ての制約を満たせないことが 明らかになることもあるが、そういう場合はそれまでに現れた制約のうち 外せるものを選んで外し、その制約がなかった所まで巻き戻す。 例えば、「キャラを100人動かさねばならない」という制約があったとして、 いろいろやっていった結果それが不可能とわかった場合、 「キャラを100人動かさねばならない」という制約は外すことになる。 そういうわけで、私は前もって「100人動かせなかったらどうするか」を考えはしない。 どれだけ早く「100人動かせない」ということを確定させるか、 というところに集中する。制約を足す順番は、 その制約が後で外す羽目になる可能性や、他の制約との依存関係の複雑さによって決まる。 私の仕事は大抵の場合「できるかどうかわからん技術、手法」 に何重にも依存しており、これがダメだったらどうするか? なんて考えていたらキリがない。

たぶん、緻密な思考を得意とする人は前もって複雑な計画を立てる方が 楽なんだろうな。手を動かすのが遅い人ならなおさら。 私のやり方は言葉にすれば理屈があるようだが、 ぶっちゃけその場のノリだ。「なんか不安だから先に片づけよう」 という、嗅覚のようなもので決まっていて、他人に説明しにくい。 説明を迫られて、説明を始めてみて初めて「あー、だからこっちからやろうと思ったのか」 と後から納得することの方が多いくらいである。 共同作業をするにあたっては実に困ったものだが、 しかしそれが私の仕事の仕方で、 それが最も成果を出せる方法なのだとすれば、それを変えようとしても無駄だ。

そうか。だからか。 制約が少ないほど、つまり、未来の幅が広いほど、最悪の未来は悪いものになる。 制約が増えるほど最悪の未来は良くなっていく。 最悪ベースで考える私のような人間にとって、制約の数が少ないことは ダイレクトに悪い未来を考えることを意味する。そりゃ気分も悪くなるだろう。 明日の地球の存在に関して制約がなければ、最悪の未来においては地球はない。 しかし「明日地球は終わらない」という制約があれば、 少なくとも未来において地球はあるのである。 もちろん「明日地球が終わる」という制約があれば地球はなくなるのだが、 なくなるかわからないよりはなくなるとわかっている方が今できることは増える。 そういうわけで、十分な制約がなく未来の不確定性が大きすぎる状況では、 自分の関わる範囲を限定してその外を無視することで無理矢理不確定性を減ら そうとする。地球が終わる例であれば、地球が終わるかどうかに関係ない部分 だけを自分の世界とし、その制約がないことを無効にしようとする。 制約が小さいほど、情報が少ないほど、決まっていないことが多いほど、 私は自分の世界を狭くしようとする。 不確定性に耐えられないのだろう。莫大な未来の選択肢がちらついて集中できない 状況に耐えられないのだと思う。

自分の性質がまた一つわかった気がする。

ここ数年CG理論や技法の勉強はほとんどしていなかったが、 数年ぶりに情報を集めてみるとそれなりに世界が変わっている。 「CGはもういいだろ。これ以上は誰も幸せにならん」 と思っていたわけだが、考えを改めた。 いろいろ本が出ているので勉強は楽だ。 皆が試して実用になる手法だけが本の形でまとめられているわけで、 学びやすく、外れを引く可能性も低い。 舗装された道は楽でいい。

本のライブラリの2010版の中身をDX11にするかなあ。勉強のために。 頭がDX9で止まってるからな。 必ずしも新機能が実用に耐える性能と信頼性を持つとは限らないわけで、 多少の熟成期間を置いてから試す方が無駄な労力をかけずに済むわけだが、 さすがにDX10については熟成期間を過ぎたと見ていいだろう。 GLでもいいんだが、ドライバの出来によって動かないケースがあるようで それも面倒だ。

100人いたら1番は1人だけだ。自分が1/100になれると信じるのは難しい。 「1番じゃないとダメなんですか?」という台詞が何かと批判されたが、 私も分野によっては1番でなくてもいいと思うタチである。 1番になるつもりでがんばらないとダメなことがあるのは事実だが、 それは1番になるつもりでがんばることに価値がある分野に関してのことだ。

2011年10月26日

宴会とか。こんな時にすまんひつじこ。

久しぶりにたくさん本読んで勉強するか、という感じになってきた。 本来の仕事に集中したい。

本当に例の運動で花王に目に見えるほどのダメージがあるとしたら 相当面白いが、よくわからんな。 とりあえず、グーグルで花王と入れると不買と出てくる状況まで来ているのは 確かだ。あの手の企業に対してネット民がどのレベルの影響を及ぼせるのか、 というのはみんな気になる所だろう。 今のところ、影響があるかどうかにはまだまだ議論があるようだ。

2011年10月25日

fate/zero4。戦闘そのものは結構どうでもいいなあ。ヌルヌル動いているのは 大したものだが。

4000x2000のテレビを作るらしいが、さっぱりわからん。うれしいのかそれ。 一家に一台から一人に一台へと変化するのが時代の流れだとするならば、 デカいテレビへの需要は減る方向に行くような気がする。 ゼロにはならないだろうが、拡大市場とは思えん。

ドラッカーを布教するのは結構難しいかもしれんなあと最近思い始めた。 あれ、歴史とか社会とか政治とか経済とか文明とか、 そういう感じの人文系の科学に関する広い興味がないと、ピンと来ない んじゃないだろうか。「企業で金を稼ぐには」というような 狭い範囲での興味だけしか共有できないのだとしたら、 ドラッカーからそのための実践部分だけを抜き出す必要がある。 企業が社会の中でどのような位置にあるか、みたいな大きな話を一切抜きにして 話をできるような形にしないと、たぶんダメだ。 顧客からスタートしろとか言っても、 今ある現実の存在感が大きすぎてどう実践すればいいのかがわからなくなる。

仕事の論理と人の論理の調和、みたいなのは一つマネジメントの役割としてある。 ベルトコンベアーでパンの向きを直すだけの人を配置することは 仕事の論理としては正しいが、人の論理に反している。 いくら効率の上から正しいとしても、 長く続けることはできないし、まして、そこに生き甲斐を感じることは難しい。 仕事の論理だけで組み立てると、人がダメになって未来がなくなる。 それで上げた利益は未来からの借金で、本当の利益ではないということだ。 もちろん逆に、人が好き放題やるだけで効率の問題を無視すれば、 やはりそれでは採算が合わない。 ただ、概して人の論理の方が軽視されがちな気がする。

エチュード4番は最低130まで速度を上げないと音楽にならない。 できれば140だ。なお、指定速度は180だが、プロでもその速度では まともに弾けてないことがある。2ヶ月それだけ弾くくらいの覚悟がいるかもしれんなあ。

ふと思った。結婚したんだなあ。すごい。

ここのところ人とからむ仕事が多いので、働く時間を好き勝手できない。 当たり前のことではあるのだが、夕飯をちゃんと作れない状況だ。 しかしまあ、もう少しすれば自分の仕事に集中できる状況になるだろう。 少しの間ひつじこには辛抱してもらうしかない。苦労をかける。

かぼちゃ10kgは7個だったわけだが、もうあと1個しかない。 じゃがいももだいぶ食べた。もらったさつまいもももう残り少ない。 もうちょっと減ったらかぼちゃとじゃがいもは注文しよう。

2011年10月23日

ついにアマゾンのレビューで星一つが現れた。 「投げた」だそうだ。よほど想像したものよりも難しかったんだろう。 「ある程度のやる気と知識が必要なようです」と書かれており、 両方全然なくてもどうにかなると思って買ったのにウソじゃねえか、 という怒りが感じ取れる。 一章で投げたくせに、二章以降で独自ライブラリを使うことを批判してたりして、 よほど怒りが激しかったんだろうと思う。 申しわけないが、まあ仕方ない。

大学の授業でかじった程度では難しかろうなあ。 しかしそれはこっちが難しいんじゃなくて、 大学の授業のレベルが低すぎるだけだと考えてもらわないと困る。 だって、倉庫番作れない奴がどうやって万行単位のプログラミングをして ゲームなんて作るんだよ。九九もできない奴が微分方程式を解くのと 大差ないレベルに無理だろ。 この本が読めないレベルの奴はプロは無理だ。 この本の中身ができてないプロはたくさんいて、 私だって本を書くまではその一人だった。 しかし、もし私が新入社員の時にこの本があれば読めはしただろうし、 読む気になるかどうかはともかくとして、これを読むスキルがないプロは たぶん滅多にいない。そんなレベルでは仕事ができん。

でもまあ、大半はこうやって投げてるんだろうな。 それで「ああ、オレプログラマは向いてないんだ」と悟って 他の道に集中してくれるならそれはそれで意味があるとは思うのだが。 もちろんこの本を投げている大半の人々を救う方法があればとは思うし、 やり方を考えてもいるのだが、 ぶっちゃけそこまでしないとすくえない人間はプログラマにはなれんだろう。 仮にそのレベルをすくう方法が見つかったとしても、 それは中学生や高校生に向けるだろうな。大学生では手遅れだ。

昨日はバグが出て出社したりして、ひつじこを怒らせた。

オタマと遊びに行く時、私は基本的には干渉しない。 どこに行くかはオタマが決めるし、 勝手に自転車に興味を持って触りに行ったり、 鳩や猫を指差したりする。 こいつにとって世界は相当新しいはずで、 私が注意を向けるものを指定しなくてもいいような気がしている。 最大の役目は安全の確保で、あとはオタマの求めに応じてという感じだ。 今日はマンホールの上にべったりと寝転がって、マンホールの穴をのぞいていた。 気になるらしい。あとは、自転車の後輪がモノによって動いたり動かなかったりする ことが不思議らしい。単に止め方の違いで、 棒一本で止めていれば車輪は動かないが、後輪を浮かせるようになっていれば 車輪が動くというだけのことだ。鍵がかかっているので数センチしか動かない。 鍵がかかってないと回りすぎて手がはさまる危険があるので介入するが。 置いてある自転車の車輪を片っ端からチェックしていた。 ブームらしい。

ピアノ。チェルニー40はあと3曲。平均律13が終わって次が14。 ショパンエチュードはまだまだ速度が足りないが、2ヶ月あればどうにかなりそう。 どうにかせねばならぬ。 しかしまあ、もうピアノは本当に潮時なんだろうなあとは思う。 音楽は私の一つの柱だと思っているが、全くもって役には立たない上に、 かなりの犠牲を払わないと能力の維持すらおぼつかない。 私の人生から音楽を切り離す決断をいいかげんすべきなんだろう。

2011年10月21日

マネジメントの要約でも作るか。うちらがすぐに使える形に翻訳しつつ。

2011年10月20日

握力を鍛えるための握る器具があるが、 指ごとにバラバラにバネが付いているものがあり、 そういうものはピアノなどの楽器練習に使える。 で、これを通勤等歩いている時間には必ず握ることにしている。

人差し指を1、中指を2、薬指を3、小指を4として、 1234をかぶらないように並べる方法は4*3*2で24通りある。 繰り返す場合は最初がどれかは問題ではなくなるので、 6通りになる。というわけでこの6通りをずっとやっているのだが、 3434みたいに小指と薬指を集中的に鍛えるパターンが出てこない。 そこで、一番弱い4から始めて同じ指が連続しない、という条件で 組み合わせを作ってみると20通りになる。これで行こう。 ピアノを弾く時の準備運動も、こうやって順列組み合わせで パターンを作ってまんべんなく鍛えられるものを用意しておいた方がいいな。 指が5本になるのでパターン数がかなり増えそうだが。 チェルニーの指地獄は中途半端に音楽性を考えているせいで 単なる筋トレとしては弱い。いっそ自分で作った方が早いだろう。 5本の指がどういう並びで使われても大丈夫な状況を作る、 ということに特化した練習は必要だ。 一度基本に立ち返らないと、とてもショパンの4番は弾けん。 今はまだ遅いからいいが、12月末までにはこれを最低130までは 引き上げねば音楽にならない。そうなれば確実にここが問題になる。

2本を交互に叩く方法には 12,13,14,15,23,24,25,34,35,45の10通りあり、 こういうケースでは指ではなく前腕の回転を混ぜていく必要がある。 練習の力点が異なるので、これらは別扱いにしないといけない。 右手トリルが遅いのはこの前腕の回転運動が左に比べて精度が悪いせいだ。 とりわけ多用されるのは隣り合う指を使うトリルで、 12,23,34,45の4種がある。使用頻度×ボトルネック度で評価すると、 圧倒的に34と45がヤバイ。

2011年10月19日

ゲームにおいて、今となっては音楽だけはちょっと別格な気がする。 芸術性とかセンスとか、そういうものの比率がデカい。 3Dの絵はテクノロジーとスキルで補える部分が多いし、 集団で仕事ができるが、音はそうでもない。 少し違った観点で扱わないとマズイだろう。 適当にそれっぽい音楽を作るだけならいろいろと方法が確立されてるんだろうとは 思うのだが、それでは足りないケースだってないわけではない。

もっとも、大規模豪華路線が飽きられて技術が飽和すれば、 最後に残るのは個性、つまりは芸術なんだろう。 そうなるまでには職を変えねばならんのだろうなあ。

さつま芋。130度60分と温度を下げたところ、さらに甘くなった。 次は110度に挑戦。さすがに生焼けになる気もするが、実験は大切だろう。

かぼちゃは蒸した後に牛乳を足してつぶし、牛乳の0.2%の塩と、結構な量の黒胡椒を 入れてデロデロにした。うめえ。うまいかぼちゃで作ると本当にうまい。 かぼちゃを蒸す時は低温でゆっくりが鉄則。 最少の火力で60分くらい放置しておく。水は90ml。

2011年10月18日

客から出発しなければならないとドラッカーは言うが、 それは、物を作る人間の大半が客から出発すべきだと思えないと無理だ。 「オレが作りたいと思わないものなんて作りたくない」、 という素直な考え方をする人が多数派であれば 客を見ろとか言っても聞かないし、 むしろ、下手に慣れないことをしてやる気が失せたり能力が落ちれば元も子もない。 好き放題作って、爆死したり偶然当たったりしながらなんとか生きていく、 というのも、そこにいる人間が満足ならそれでいいとは言える。 私は嫌だが、それが嫌だと思う段階で、ある意味ダメなんだろうとは思う。 好き放題作ってこそ生まれる芸術もあるんだろうし。 構成員が誰一人として金のことを考えない状況は楽しかろう。

まあ、社会的にはダメなんだけどな。社会として教育コストを払って育てた人間が 役に立たんことをして過ごしている状況になるわけで。 小学校から大学に至るまで、個人が払った額よりもずっと大きな投資が 社会によってなされている。うちらは大学を出た段階で社会に莫大な借金を負っている ような状態だ。明示的にそれを返さねばならない法はないが、 平均的には返すことが期待されているし、そうでなければ社会がつぶれる。

2011年10月17日

夕方帰ってきたら、オタマがすでに寝ていた。 このまま朝まで寝かせておくか迷ったわけだが、 オムツをかえねばならないということで起こす羽目になり、 そして非常に機嫌が悪い状態でフロに入れて泣き、 そのままなかなか寝ない状況に陥った。 私が寝かせようとしたが激しく泣いてしまい、 それに耐えられなくなったひつじこが結局は寝かせることになった。 視界に私がいるとまずかろうと思い、ドアの外でしばらく読書をしてから 家に入った。そして今これを書いている。

現実として、私がオタマを寝かせることはできない。 とりわけひつじこが横にいる状況では難しい。 オタマの機嫌が悪い時に、ひつじこが横にいるのに私が抱くなんて、 泣くに決まっているからである。 もしかしたらできるかもしれないが、かなりの試行錯誤がいる。 その間は当然泣く。私が寝かせられるようになった方がいいと言うのであれば、 ひつじこにはオタマが泣く状況を我慢してほしい。 今日みたいに中途半端に私にやらせて、泣いたらすぐアウトというのでは、 ただオタマが泣くだけの結果に終わる。 優先順位としてオタマが泣かないことが上にあるなら、 私が寝かしつけスキルを修得するのは無理だと思う。

とは言え、気持ちはわかる。いつもオタマの相手をするのはひつじこで、 その結果私とひつじこの育児スキルの差は広がる一方だ。 それをどうにかすべきだ、という気持ちはわかる。 また、私がオタマを寝かせられないということが事実としてあるにせよ、 試みもしないのはどういうことか、と思うのもわかる。 オタマは私がいるとなかなか寝ないので、 今日のように夜に出社しない時にはとにかくオタマの視界に入らないように 隣の部屋に隠れて寝てしまおうとするわけだが、 「そこにいるのに手伝わないとは何事か」という気持ちになるのはわかる。 「家にいなければあきらめもつくが、家にいるのに手伝ってくれないと辛い」 という言い方は何度かされた。それもわかる。 ただ、現実として私がどうすればいいのか、 ということはさっぱりわからない。 「オタマが泣かないように寝かしつけてほしい」と言われても、 それが不可能な時には私はどうしたらいいのだろうか。

子育ての番組で、家事をかなり真面目に手伝う夫に妻が不満を漏らしていた。 「がんばって手伝ってるんだからいいだろ」的な態度が気に入らないのだと言う。 専門家のコメントも、 どんなに手伝ってもまだまだ不足だよね、という控え目な態度でいるべきだ、 というものだった。どことなく釈然としないが、 心の問題というのはそういうものだ、ということはわかる。 男は心の問題を軽視しがちだが、その男の中でもとりわけ私は そこを軽視するタイプであり、たぶんどうにかすべきなんだろう。

早くノートPCの画面が有機ELにならんかな。 暗いところで輝度下げるとどうにもコントラストがひどい。 テレビ用の液晶はもっとマシなんだろうが、 ノート用はかなりそのへんはショボそうだしな。ましてlenovoだし。

2011年10月16日

もしドラを少し見直した。たまたまアニメを一話見て、 ドラッカーを広める上では結構良くできているような気がしてきた。 しかしまあ、顧客って誰なんだろうな。 部活の場合サービスを提供する相手は誰なんだろう。 非営利組織に「顧客」とか「成果」とかいう概念を当てはめようとすると そう簡単には焦点が定まらない。 その点うちら会社員は恵まれている。成果を利益にするのか 何らかの調査による顧客満足度にするのかは場合によるにしても、 その二つは長期で考えればおおむね一致する。 そういうわけで、野球部を題材にドラッカーを応用するのは少々難しいところも あるんだろう。

讃岐うどん関連の記事を読んでいたら、うどんが食いたくなったので、 うちにあるもので作れないか試してみることにした。まあ全粒粉なのだが。 加水55%、塩3%で練って寝かせておく。 問題は、どうやって食うかだが、つゆを作るのも面倒なので醤油納豆うどんかな。 あと、麺にするのはパスタマシンを使おう。切るのは面倒くさすぎる。

マネジメントをちらほら読んでいるとメモしたくなることが山ほどある。 「他人が間違ってると思うな」というのは本当に耳が痛い。 「もしそれが知的で公正な意見だとすれば、彼はどのような現実を見ているのか」 と考えなくてはいけない。世界の見え方が違うから意見が違う、 とすれば、どのような世界の見え方をしているのかをよくよく聞く必要がある。

物を決める時から、それに影響を受ける人を巻きこんでおく。 そりゃその方がいい。例えば、「こんな絵にしよう」みたいな話をする時に、 限られた人間だけで勝手に決めれば反発されるし、 影響を受ける人間に拒否権があればそもそも通らない。 下っ端組織で決めたことを上に対してプレゼンする、というのは そこだけ見れば非効率なんだろう。上が何を望んでいるかはプレゼンするまでわからない。 決める時に上の人間が混ざっていればその問題が解決する。 上の人間の時間が貴重でそれが無理なら、 たまにでも参加してくれるだけでも問題は緩和される。 まあそうならざるをえないケースもあるだろうが、 基本的には何かを決める時にはそれを承認したり拒否したりする立場の人間も そこに参加している方が話は早い。 もちろん、そういう決め方は手間がかかるので、 本当に重要なことを決める時にしか使えないのだが。

うどんはおおむね成功。生地を2時間常温で放置した後、パスタマシンで麺にして15分ゆで、 醤油、かつおぶし、卵、納豆、ねぎを混ぜて食べた。 水で締めたものと締めないものを用意してみたが、どちらもおいしい。 この茶色い物体をうどんと呼ぶのは香川人には許し難いことだと思うが、 うちらはもはや全粒粉でないと物足りない体なので仕方ない。 オタマも結構食べた。

オタマはハトとスズメを識別して、それぞれ「あとー」「めー」と呼ぶ。 基本的にこいつは語尾しか取れてない。かわいい。 1歳5ヶ月というのはこんなもんか。

自転車捨てよう。マウンテンバイクの類は今となっては何にも使えない。 実際数年放置状態になっていて、かなり真面目にいじらないと乗れる状態にならない。 最近うちの建物は住人が増えて自転車も増えたため、 使わないものを置いておくことは迷惑になる。

2011年10月15日

ピアノに行く途中、新橋あたりで見慣れない固定電話からかかってきたので取ったら、 ひつじこだった。一緒に家を出たのだが、鍵を持っていなかったらしい。 ピアノの先生との連絡はPCからメールでしていたので携帯電話からは何もできず、 ピアノの先生の所まで行ってから「すみませんが今日はなしで」と言って 家へ帰った。来週。 小指に豆ができてかなり痛いので、好都合と言えなくもないのだが。

ひつじこは外に出る時に財布や電話や鍵を持つ習慣がない。 家が無人になる時は鍵だけ持って出る。 私と一緒に出る時には鍵を持たなくても 私が鍵をかけられるので、鍵を忘れる危険がある。 そして、電話をかけることもできず、 お金もない状態に陥ったわけだ。 財布、電話、鍵はいつも一緒に決まった袋に入れておき、 外に出る時はそれを持って出る、ということが習慣になっていれば こんなことは起こらないわけだが、今日の事件が起こるまでは そんな危険には気を払う必要がなかったのである。

りんご注文した。知らなかったが、赤いりんごは日光による着色を 妨げないように周囲の葉を取る工程を踏むらしい。 そのために栄養が不足して味が落ちるのだが、 見栄えの方が重視されるためにその工程を踏まざるを得ないのだと言う。 今回注文したのはこの工程を省いたものだ。 「葉とらずりんご」で検索すると、まるで妙なブランドであるかのような 扱いをされていて変だが、 ともかくもそういうものが売れるようになれば、農家もいらん工程を省けて楽になる。

坂本龍一の音楽番組を見た。ハイドンは正直わからん。 聞いてもハイドンだとわからない。 そもそも、モーツァルトとハイドンの器楽曲は弾く側としては興味を持てない。 出来がいいのは認めるし、聞こえてくると気持ちがいいのだが、 自分で弾こうとは思わないし、自発的に聞こうとも思わない。 やっぱりバッハだろ。シューベルト、ショパンあたりは弾くのは そこそこ面白いし、最初の数回は聞いても面白いが、結構飽きる。 ドビュッシー以降になるとなおさらその傾向が強くなる。 音楽の知識を深める上では時代が新しいものを学びたいのだが。

ソナタは出来はともかく結構すぐできそうに見える。 適当な第一主題をでっちあげたら、転調できそうな調の第二主題をでっちあげる。 で、終わり方を考える。 第二を第一の調に転調してつなげつつ派手目に終わる方法を考える。 あとは間で主題を切ったり貼ったりして展開部を作る。 おおむねこの流れで、出来はともかくソナタっぽいものはできるんじゃないだろうか。 脳内でやることはあるが、楽譜に書いたことはないので本当に簡単かはわからない。 しかし、たぶんゲーム音楽とかで出来より「それっぽさ」が重要なケースでは、 こんな感じで適当に作られているのではなかろうか。 現代においては、「ジャズ風」とか「モーツァルト風」 みたいな感じの適当な注文に応じて適当に作るような仕事がたくさんあるように見える。 一人でそれらの注文に応えられねばならないわけで、 いちいち真面目には作っていられまい。 それぞれのジャンルで量産できるためには、それぞれのジャンルのテンプレートを いい具合に用意しておく必要があるのだろう。想像だが。

ひつじこが、ペットボトルに口をつけずに飲もうとして、吹いた。

私はC言語より先にC++に触れ、配列の使い方を知る前にvectorを覚えた。 プログラミング言語C++に書かれていたことは大抵は無理矢理にでも使った。 そのおかげでいろいろと学べたのは確かだが、 結局1年としないうちにほとんど使わなくなった。 メモリを中で確保する文字列というだけのためにstring、 コンテナはmapとたまにlist、アルゴリズムはsort。あとcout。 ostringstreamは遅すぎてsprintfにならざるを得ず、istringstreamも遅すぎて atofの類にならざるを得ず、文字列の操作そのものはnposとか書くのが面倒くさ すぎてCの関数か自作に走る。vectorなんて所詮配列だから、 範囲チェックの問題だけどうにかすれば配列で良く、 stackやqueueやdequeueも 配列で自力管理しても大した手間ではなく、 rondom_shuffleは乱数生成をこっちで握ろうとするとテンプレート引数が増えて 面倒くさい上に、使用頻度が低く使う度に自作してもたかだか数行で困らない。

こんな状況なのでハゲについて調べてみたが、改善するかどうかはわからんな。 頭頂部の骨の接合部が盛り上がっており、どうも骨が大きくなっているようだ。 当然皮膚への圧力が増すので、血流が妨げられる。 一番絶望的な原因がこの頭骨の成長らしいが、私の場合は軽微といえば軽微である。 でっぱり付近の皮膚は揉むと痛いので、このへんは重点的にほぐしてみよう。 あとは、栄養状態による血流の悪化と蛋白質不足、男性ホルモンがらみの物質による 毛髪成長サイクルの阻害、汚れや洗剤による皮膚表面への刺激、 運動不足と睡眠不足、 といったあたりがメジャーな要因と考えられている。 蛋白質は確かに足りない可能性があるが、 うちは米の1/3の量の大豆を常に食べているので、考えにくい。 男性ホルモンがらみの内分泌については、 掲示板で教えてもらったように抑える薬は存在するし、 うちの場合は大豆の摂取量が半端ないのでそちらの効果もあるはずである。 あとはまあ、男性ホルモンが出にくい生活を心がけることだろう。 睡眠不足は十分にありうるので、改善する。 22時から2時までは寝ていなくてはならないとのことなので、 とにかく朝に仕事する。これは健康のためにもいいし、 オタマと一緒に寝られるようにすることは重要だ。 洗剤に関しては単なる石鹸なので、妙な有毒物質が浸透蓄積することは 考えにくい。ただ、あまり真面目に洗っていなかったので、 そこは少しは改める。

物を作る組織と、物を売る組織が分かれているというのは 本当に有効なやり方なのだろうか。 プログラマとアーティストを別組織にするのと同じだから、 いわゆる職能別組織だ。 素直でわかりやすく、同じスキルを持った人間を集めること自体に利点はあるが、 売る側と作る側のコミュニケーションが薄くなることの害は どうやって除けばいいのだろう。 プロジェクトチームに最初から売る人間を入れておくことがなされないことには 何か理由があるのだろうか。

2011年10月14日

PC帰ってきた。ありがとうIBM。そして、本当ごめん。 PCを離れる時はフタを閉める。これ鉄則。

キーボードこっちの方がいいな。X220はちょっと固い。 ただし、escが押しにくいのが困る。 あと、さすが省電力版だ。バッテリー満タンだと4時間ももつ。 X220はフル充電しても3時間がいいところだ。

2011年10月13日

みゆきち不二子違和感なさすぎ。本当芸達者だな。モノマネではあるにしても、 まるで気にならない。

朝8時に出社したのに、帰りが22時過ぎた。しかし、こういうふうに 長くなるのは悪くない。でもひつじこには申しわけない。 明日の朝はかぼちゃを蒸そう。 なお、夕飯は抜き。今から食うのは体に悪い。

元URL貼らずに反応してみたが、twitterで紹介されてて、 どうもそうやって流してる人達は元の記事を把握しているように見える。 すげえなtwitter。というか、すげえな現代。 ちゃんと元URLを貼ってきちんと反応した方がいいのかもしれんが、 向こうはちゃんとしたブログで、こっちは手書きhtmlだ。 どうしてもこの日記は書きっぱなしで一方通行にならざるを得ない。 アクセス解析もやめたしな。そういうわけで、まあいいや。

CEDECのアンケート集計結果が来た。300人くらい客が入って、220枚くらい アンケートが回収されていた。5段階評価で重要なのは、5と、2及び1だ。 3,4は感動がなかったという意味と取っていいだろうから、どうでもいい。 まず、5が一番多く半分以上あったことはうれしかった。 新技術も何もない発表でそれだけ満足してくれたというのは正直驚きだが。 しかし何より気になるのは1が1人、2が2人いたことだ。 下のコメントを見る限り好意的な物がほとんどで、 猛烈にけなしているものはなかった。 その3人はコメントを書いてくれなかったのだろう。 1をつけた人はよほど何かが気に障ったと思うのだが、 一体どういったところが気に障ったのだろうか。 大いに気になる。ドラッカーのおかげもあって、 自分と意見が合わない人にはよくよく話を聞くべきだと思うようになった。 例えば私のSTLに対する考え方に異を唱える文章を書いた人は、 私とは違う何かを見ているからああいう文章を書いたはずだ。 そして、あの人と似た考えの人は社内にもいるだろう。 プログラミングの技術を大切にしている人は多いはずで、 そういう人は手段としか思っていない私に対しては好意的ではいられまい。 そういう人と一緒に仕事をやっていく時に私が気をつけねばならないことは何か、 どうすればお互いの力を発揮して成果を出せるか、 ということを考えねばならないのだろう。

早くて聞き取りにくいという意見がちらほらあった。 これは真面目に受け止めねばならない。 本当は講演の予定がなくても一日一回外郎売りを 読むくらいのことはした方がいいんだろうな。 健康のためにも、明瞭に話すスキルを継続的に高めていくためにも。 あんな大舞台でなくても、複数人に向けて話す機会は日常からあるわけだし。

実はよくわからないのだが、私はプログラミング言語の知識はどれくらいなんだろう。 相対評価で。自分の周りで考えると100人中30番くらいかなあと思ったりするが、 自分の周りであっても範囲を狭めると10番に思えたり、50番に思えたりもして、 よくわからない。 そして、webやらでみかける出来そうな人々ばかりを視界に入れた状態だと、 90番くらいにも思えてくる。やっぱり良くわからない。 ただ一つ言えるのは、私はプログラミング言語は手段としか思っていないということだ。 びっくりするほど愛着がない。そこそこ面白かった時期もあって、 その時期があったから今それなりにどうにかなっているわけだが、 今となっては全くない。言語を学ぶことが楽しいなんて思えない。 とは言えちょっと前にJavascriptの勉強をした時はちょっと面白かったが、 やっぱり本気で勉強する気にはならない。それを使うことがおいしい状況が やってこない限りはたぶんこれ以上何もしないんだろう。 これは「技術者として死んだ」ということなのだろうか。 自分としては単純に、道具を使って何をするかに目が向いただけのことだと 思っているのだが、やっぱりプログラマとしてはそれじゃダメなんだろうか。 プログラミング言語を愛している人達を見ていると、 こんな私でも不安になる。 もしかしたらあれがプログラマとして正しい姿で、 私みたいなのはダメなんじゃないかという考えが、 それこそ就職した直後くらいからずっと頭を離れない。 そういうわけで、未だに私は自分をプログラマだとは思えないのである。

まあ、その意味で言えば、私の周りにいるプログラマの7割はプログラマではないのだが。 彼等はたまたまプログラミングを担当しているゲーム開発者であって、 本質的にはプログラマではないように思える。 そういう意味で、いわゆる職能別組織による縦割りは ゲーム会社にはそぐわないのかもしれんなあと思うわけだ。 たまたまプログラミングを道具に仕事をしてはいても、 それを使ってやっていることはてんでバラバラだ。 そんな人間達をプログラマなる枠でくくって組織にすることに それほどの意味があるとは思えない。

2011年10月12日

急速にハゲてきてどうしようかと思っていたわけだが、 ここ数ヶ月の生活をかえりみてみて、どう考えても不健康だったことに気づいた。 今更ハゲたところで実害などないので放置してもいいのだが、 健康に悪い生活をしていることの現れであると考えればこれをきっかけに 改善すべきだ。

とりあえず一段落したことだし、夜出勤は極力やめよう。 朝早く出勤して、時間を有効活用して成果を出せば、夜は不要だ。 あと、外食や買い食いは可能な限り控える。 栄養状態が悪かったことは確かだ。 そして、何よりそういう行為に走っていた原因を取り除かねばならない。 また、コーラを買う原因になっていた睡眠不足も健康に悪い。 茶で代替すると同時に、極力寝られるようにする。 そのためにも夜出勤せずに済むように朝しっかり働ける体制にしたい。 これはひつじこにも協力してもらわねばならないだろう。

頭の皮膚を揉んでみたらすごく固かったので、 ここ数日フロでよくよく揉んでいたのだが、 だいぶ柔らかくなった。これで症状が軽減されればいいが、されないならそれはそれで 仕方ない。ハゲそのものは今となっては実害はない。 34にもなれば、遺伝その他でどうにもならずハゲる人はたくさんいる。 自分がそのうちに入ったからといって嘆いても仕方あるまい。 とはいえ、進行が急速だったということは、原因が比較的はっきりしている ということでもありそうなわけで、原因っぽいものを一気に取り除けば それなりに改善するんじゃないかと楽天的に考えてはいる。

信念とか思想とかで目を濁らせないように気をつけないといけない。 見る、ということの大切さだな。昔からそれが苦手だったわけで、 たぶん一生苦手なんだろうとは思うが、 苦手なんだということをもっとはっきりと認識することはできる。

かぼちゃの蒸し方を変えたら甘くなった。ただし、元から甘かっただけかもしれない。 簡単なことで、最初から限界の弱火で加熱するようにして、 でんぷん分解酵素が働く時間を長くしただけだ。 時間は余分にかかるが、理論上甘くなる。 何度か試して毎度甘いようならこれで行こう。 さつま芋もオーブンで焼くより、同じ調理法にした方が甘くなるかもしれない。 一回試してみるか。

ひつじこはストレスが溜まった人間の臭いを敏感に嗅ぎ分ける能力を 持っているので、とても助かる。自分でも気づかないうちにおかしくなっている ことは良くあるからな。本当に結婚できて良かったと思う。

2011年10月11日

建設的な意見、という言葉が嫌いになって久しい。 この台詞を吐いた人間の「建設的」の定義から 外れることは受けつけない、という意味にしか取れない。 そして、この台詞が出てくるような状況というのは、もう末期症状である。

マネジメントの言葉が心に刺さる。 しかし、それを味わって終わりにするわけには行かない。 この言葉をどう応用するか、というところは自分で考えなくてはいけない。

プログラミング言語は道具だ。道具は使っておいしい場合にのみその使用が正当化される。 STLがおいしいなら使えばいい。おいしくなければ使わなければいい。 STLがおいしいと思わないのはC++をわかってないからだ、 と言われれば、なるほどそうかもしれないが、 そこにいる皆がわかっていないのであればそれが現実だ。 私は自分がC++を理解しているなんてうぬぼれるつもりはないが、 現実として私は私の視界に入る範囲においては「比較的わかっている部類」に入る。 今からわかるようにすることと、STLを避けることのどちらが 「ゲームを作る」という目的に寄与するかを比べて、おいしい方を選べばいい。 それで私はSTLはおいしくないと思ったし、今でもそう思っている。 しかし、おいしいかおいしくないかの判断は、何を作るのか、 どのような人材がいるのか、などの条件に依存するため、絶対のものではない。 チームの皆がSTLに精通しているなら使わない理由はあるまい。 私は本当のC++なるものがどのようなものか知らないが、 とりあえずそれを知ることでどのようにゲームが良くなるのかを 説明してもらわねば、それにコストを払う気にはならないだろう。 ゲーム作りで発生する問題に優先順位をつけた時に、 言語の機能を駆使できていないことの順位はかなり低い。 そんな時間があるなら、 クラスの割り方や継承の使い方の勉強にこそ時間を割いてほしいと思う。

それはそれとして、私はSTLは嫌いだ。 テンプレート引数でゴチャゴチャしたコードを読みたくない。 デバグビルドだとインライン展開されずに実行速度がえらいことになる。 実装依存な部分が多いので多機種で挙動を合わせられない。 テンプレートが駆使されたあのコードをデバグ時に追う気になれない。 コンパイラの完成度が低いと実装が適当だったりバグ持ちだったり未実装だったりする。 例外やRTTIがまともに動かない環境も多いのに、STLの実装によっては それらなしでは使えなかったりする。 ライブラリがデカすぎて、プログラマ全員がそれに精通することを 期待する気分になれない。私はプログラミング言語C++は全部読んだが、 それでも全部をわかっているわけではないし、 あの本を全員に読ませようとしても読んでくれるとは思えない。 EffectiveC++ですら全員が読んでいるとはみなせない。 ましてモダンなんとかなんて絶対無理。

2011年10月10日

fate/zeroの2話がやっぱり面白かった。 展開はおおむね忘れているのでワクワクする。 しかし、さすがに尺が足りんな。

ペルソナ4のアニメはダメだ。ゲームやってない人お断わり。 3をやってるのでおおむねわかるが、アニメでこれをやるのはどうかと思う。

ひつじこの兄上からさつまいもが届いた。庭で採れたものらしい。 なるほど並大抵のものではなく、太いとかいうレベルをはるかに通りこしている。 イモが6本くらいにんにくのように融合した感じで、 一個で2kgくらいありそうな予感。並の包丁ではどうにもならないので、 中華包丁で両断してオーブンで焼いた。 1個でオーブンが一杯になる大きさ。 同じレベルの太さのものがあと2個あるので、最低あと3回は焼ける。 少々貯蔵した方が甘くなるのかもしれんなあということで、 箱ごと外に出して少し乾燥させておくことにする。 あと、次焼く時は温度を下げて時間を長くすることで、 でんぷん分解酵素が働く時間を長くしてみる。

りんごを注文しよう。送料込み10kg4000円といったところだな。 にんにく農家経由で買えば送料を節約できるが、 直販をやっているりんご農家は他にもたくさんあり、 それぞれ面白そうである。なにやらにんにく農家さんは注文が殺到して 大変そうなので、とりあえずは別のりんご農家から注文してみよう。 にんにくもあと1ヶ月以上はもつし。 今が一番芽が出る季節なので、今買うと長期保存しにくくなる。

2011年10月09日

立花隆「人体再生」。10年も前の本ではあるが、再生技術の状況がわかって面白い。 この本で言われている予測がどの程度当たっているのかを チェックしてみるとしよう。 最大の問題とされている、日本のお役所体質や、商業化の遅れの問題は 多少は解決されているのだろうか。 ちなみに、私は大学の時こっちの道に進む気だった。 結構勉強はしたのだが、いろいろあって挫折したのである。 こういう仕事をしていれば自分が社会の役に立っているという実感は得られた のかもしれないが、自分がどうしようもなく実験に向いていないという 事実はどうにもならない。シミュレーションなどの情報技術で 貢献する道もあったのだろうが、当時の私のプログラミング力は完全に素人だった。 こんなに向いているとあの時にわかっていればと思うが、言っても仕方ないことだ。 それに、この道はとにかく動物を殺すからな。私も学生時代に2匹のマウスを手に かけたが、その程度でも結構こたえた。犬やら猫やらを日常的に手にかけねば ならない仕事をやれたかどうかは疑問だ。

動物実験のエグさは半端ない。例えば、背骨に強い衝撃を受けて神経が切れた 人を治したい、という動機があったとすると、 そういうマウスを人工的に作り出して実験する必要がある。 そして、毎回同じ症状のマウスを作れるように、どういうふうにマウスを固定して、 なんぼの重さのどんなものをどの高さから落として背骨を傷つけるか、 みたいなことが標準化されていたりする。あの世界についていくには 自分の頭のどこかを麻痺させないと無理だ。 脳科学なんかだと、頭蓋骨をいつでも外せるように蝶番つきで固定していたりするらしい。 まあこれは噂だが。

遺伝子診断は実用段階に入ったようだ。400ドルは安い。得られる情報は まだ限定的だが、わかりやすく致命的な遺伝子を持っているかどうかは ほぼ確実にわかる。どうにかアメリカの23andmeを利用する方法はないものか。 日本語で検索してもロクなのが出てこないからな。 太りやすい、とかそんなことがわかっても何もうれしくない。 知りたいのは致命傷になる遺伝子を持っているかどうかと、 将来かかる病気のリスクだ。

仮に私とひつじこが遺伝子検査をして、その結果を面白がってwebに載せたとする。 ここで発生する問題として、 うちらが何かヤバい遺伝子を持っていた時に、今後保険に入る時に不利になるという ことがある。遺伝情報で差別してはいけないという規定があるかどうか知らないが、 仮にあったとしてもどうにでもなるはずだ。 そして、うちらが公開することによって、ほぼ同じような遺伝子を持っている 近親者の遺伝情報も事実上公開されてしまうという問題がある。 特にオタマの遺伝情報についてはほぼ確実にわかる。 うちらが両方下戸遺伝子を持っていないことが確実なら、 オタマは酒を飲めるはずで、「いやあ、下戸なんですよ」なんて言っても ウソだとすぐわかる。まあそんなどうでもいいことならいいが、 もっといろんなことがわかってしまう。

fate/zeroがおもろい。まだ1話しか見てないが。 しかし、原作ではもっとエグいシーンがいきなり入らなかったっけか。 さすがに感情移入できないということで削ったのだろうか。 記憶がもう曖昧なので自信がないのだが。 なんにしてもfateの本編よりよほどおもろい。

ログホライズンの2巻を借りて読んだ。良く出来ているが、 ここまでだろうなあ。話はいくらでも作れるだろうが、 この設定であることはおそらく生かされない。

さっさと全DNA配列を調べてどこかのデータベースに保存して、 治療や投薬の際にはそのデータを参照して最適な選択をしてくれるようにはならんか。 一人分のDNA配列を10万かそこらで決定できるくらいに技術が進歩すれば、 そういう時代が来るのかもしれない。 幹細胞を取り出して遺伝子をいじって培養して増やしてから戻す、 というタイプの治療がメジャーになってくれば、治るガンも増えてくるだろう。

年金はたまたま長生きしてしまった場合に備えた保険であり、 全員が受け取れるものではないと考えた方がいい気がする。 65歳からもらえると決めた時の平均寿命は65歳かそこらだったのではなかろうか。 今70歳からになるのは理屈としてはおかしくない。 知能労働が増えて働き続けやすくなっていることもある。 ただ、そこで漏れる人をどう救済するかはよくよく考えてほしいものだが。

X220の電池の保ちが悪すぎる。 輝度がほとんど最低でweb見て文字を打ってるだけなのに3時間保たないのは さすがにどうかと思う。 新しく買ったX201sはCPUが弱いのでなんぼかマシだが、 それほど劇的でもない。 Intelもようやく電池の保ちを重視しはじめたので、 来年か再来年にはだいぶマシになるんだろう。

appleにはあまりお世話になったことはないが、appleのおかげで 間接的にはいろんな恩恵を受けている。 そういうわけで、この先もapple社が元気だといいと思うが、MACはどうも好かん。 単純に慣れてなくて合わないだけなんだろうが。

2011年10月06日

例えば農家にとって客は誰か。 最終的に買って食べてくれる人は明らかに客だが、 間にいる小売店が客かどうかは難しい。 小売店が仕入れてくれなければ売りようがないから、無視できる存在ではない。 食べる人は、おいしかったり、安かったりするものを喜ぶが、 小売店は棚に置きやすいとか、売り文句をつくりやすいとか、 そういうことも評価するので、重視する品質には違いが出る。 さらに何か新製品を開発した時に、それを売るかどうかを決める権利がある えらい人がいるとする。このえらい人は客か。

客と客でないものの間には無限の段階があり、程度の差こそあれ全員客だ、 という考え方もあるが、度合の問題になるととにかく判断がブレがちだ。 金を払ってくれる人と利害関係者は区別した方が見通しは立ちやすいのではなかろうか。 拒否権を持っている利害関係者がいる場合、彼等が拒否しないための条件は 整えなくてはいけない。しかし、その条件が整いさえすれば、 それ以上はどうでもいい。つまり、利害関係者は制約条件として考えた方が すっきりする。気に入られる必要はなく、単に拒否されなければいいのである。 気に入られた方が都合がいいことも多いだろうが、 そこを追求していいのは、それが客の利益にもなる場合のことで、優先度は下がる。 もっとも、小売店が利害関係者なのか客なのかはやっぱり微妙で、 考え方による。その商品が小売店をもうけさせることも目的としているのであれば、 利害関係者というよりは客になる。そういうケースはなくもない。 業務用ゲーム機はそれに近い状況になる。 ラーメン屋の客が、料理屋情報誌の文章書きなのか、普通に食べに来る人なのか、 というような話も、なかなかに難しい問題だろう。

2011年10月05日

5時台に起きられたぞ、と思ってピアノを弾き始めたが、10分と経たないうちに オタマが起きた。

カレー以来おならの臭いが明らかにメルカプトエタノール。

ひつじこの乳が詰まって発熱。 ひつじこの体調が狂うとどうにもならない状況に陥る。 オタマはそんなことは全く気にせず外へ行きたがるし、乳も飲むわけで、 なんらかの助けがないとどうにもならない状況だ。 これ、私が早く帰ったり休んだりできる状況だからいいものの、 できなかったらどうするんだ?

夫が家事や育児に関してまるで役立たず、という状況はよく聞く。 それでもいいと妻が納得していればいいが、 我慢したまま10年過ぎる、みたいなことになると怨念が溜まりそうだ。 しかし、考えてみるにうちの親はまさにそういう状態だったが、不思議に仲がいい。 お互いに納得できていたんだろう。

コンパイル時間は気をつけているが、リンク時間は何とも思ったことがなかった。 リンカの出来の問題でこっちではどうにもならないと思っていたし、 そもそもリンクがそんなに長くなる状況を見たことがなかった。 関数や変数の個数が多いほど遅くなるように思えるわけで、 まずは規模の問題なのだろう。 また、STLやBoostなどでテンプレートを使いまくると、 うちらが思った以上に関数がたくさんできてしまうということもありそうだ。 ビルド時間は開発効率とうちらの気分に恐ろしく大きな影響を及ぼすので、 気をつけておきたい。

誕生月間イベント第一段として、この前の土曜日は飯田橋の天下一品に行って、 お持ち帰りラーメンを買ってきた。 ひつじこは天下一品が結構好きなのである。 ここのところ私のラーメン欲も高まっていたので、一石二鳥。

菓子パンのような変なものを食うのは当分やめよう。 私が健康でいることは義務だ。それに反することは罪である。 まあ抑えつけすぎると反動が怖いのでうまくやる必要はあるが。

カレーの作り方はほぼ確立した。豆を適当に戻す。今回はひよこ豆3カップ。 うちのひよこ豆はすでに古いので下ゆでが必要。 にんにくと生姜と大量のたまねぎを粉砕して、オリーブオイルで炒める。 たまねぎが6個以上と量が量なので、全体に火が通って刺激物が消えるまでは ふたをした方が無難。ビタクラフトならふたをしたまま放置しておいても結構行ける。 その後、トマト缶、にんじん、じゃがいもを加える。 やわくなったら塩とカレー粉。おいしくなるのは丸一日経ってから。 次作る時は油を減らそう。今回は5リットル鍋一杯作るのに120mlくらい入れたが、 さすがに多すぎた。 しかし問題はおならだな。カレーはたまねぎを減らすと成立しない料理なのである。 分量的ににんにくは大した問題ではない。

道具を使う時の原則みたいなものをドラッカーは説明しているが、 何分原則だ。いつでも使えるが、そのまま使えるわけではない。

ipodが復活した。修理業者に持ってったら「普通に動きますが」と言われ、 確かに動いていた。どういうことだ。 電池を消費しすぎて反応できない状態だった、とかいう話なら、 しばらく充電すれば動くはずだ。一体何があったんだろう。 ともかく、動く状態になってしまったので、うちにはipodが2個ある。 誰か身内で必要とする人がいればあげちゃってもいいな。 ひつじこの妹とかどうだろう。 私はPCさえ帰ってくれば、それだけでいい。旧人類かもしれんが。

なお、このipodはappleから写真一枚と一緒に帰ってきた。 「水濡れの痕跡があり、保証範囲外」とのことで、 たぶんこの写真は濡れてることの証拠写真なのだろう。 しかし、正直この写真がどう証拠なのはさっぱりわからないし、 何の説明もない。実に感じが悪い。 ともかくも、その時には壊れていたはずだ、 ということは言える。まさか電源ボタンを押してみることもしなかった、 なんてことはあるまい。今回の復活は本当に謎だ。

マネジメントを改めて読もう。今読むといろんなことが見えてきそうな気がする。 本当にドラッカーはすごい。予言書かと思う。

組織は人間でできているので、人間を配慮しないと立ちゆかない。 しかし一方で、組織は仕事をするためにあるので、 その構造や制度は仕事を中心に構成されているべきであることも事実である。 人間だけ見れば仕事の性質が無視されるために成果が得られないし、 仕事だけを見れば人間の性質に反するのでやはり成果が出ない。 そのバランスを取る責任がマネジメントにはあるということか。

コミュニケーションは情報ではない。知覚であり、期待であり、要望である、 とドラッカー。知覚であるから、相手に届く形でなければ伝わらない。 期待であるから、聞こうと思う内容でなければ 受け入れられない。要望であるから、伝えるだけでなく、逆に耳を傾けなくてはならない。 前もなるほどと思ったが、改めて読むとなおさらなるほどと思う。 ドラッカーは思考を刺激してくれると言うが、こういうことか。

組織の構成員は、プロとして成果を出すために、 自分の士気を高く保つ努力をするべきである。 したがって、マネージャの立場からすれば、構成員各自が努力をするのであれば、 構成員の士気に配慮する必要はない。 その意味で「やる気が出ないとか言う奴のことは知らん」と言いたくなる気持ちはわかる。 しかし、現実として構成員の士気が下がった状態では成果が出ない。 いくら構成員をののしったところで、それで問題が解決するわけでもない。 結果的にマネージャがその責任を負う羽目になる。 この意味において、 本来士気を保つ努力をすべきなのが個々の構成員だったとしても、 それに関係なく、マネージャは構成員の士気に配慮する責任を負う。 責任を負う、という言い方が嫌ならば、 成果を出すための手段として士気にも配慮せざるを得ない、と言い換えてもいいが、 積極的にそれが仕事であることを認めた方が話は早い気がする。 まして、将来のマネージャがその構成員の中から出てくるのだとするならば、 士気が低い人間の率が高いことは組織を長期的には殺すことになる。 もし私がなんらかのリーダーになるような日が来るならば、 そのことを忘れないようにしよう。そして、 人と仕事をしている以上、今すぐにでもそのことを念頭に置いて仕事をすべきなのだ、 ということを肝に銘じておかねばならない。

おかあさんといっしょは、映像作品としての品質がすこぶる低い。 今日のビゼーの歌なんて特にひどかった。ひつじこ曰く、 「カラオケで流れてる専門学校生が作ったCGアニメ」。 いないいないばぁとか、にほんごであそぼとか、そのへんはあんなにレベル高いのに。 今の人形劇であるポコポッテイトも内容が最悪で、 ひつじこ的にはおかあさんといっしょは見せたくないようである。

今日はひつじこの両親が助けに来てくれた。 ひつじこの具合もなんぼか良くなったので、 会社を休むまではせずに済んだ。

人間は気分で動くので、その欠点を補うためにルールを使う。 しかし、なんぼルールがあっても結局のところ人間は気分で動き、 気分によって成果を出す。 プロが気分とか言うな、というのはまったくもってその通りだが、 そう言ったところで気分の重要性が減じるわけではない。 そして気分は人それぞれ異なるものであり、個々の人間をきちんと見る以外に そこをどうにかする楽な手段はない。

「○○は○○すべきだ」というのが仮に正しかったとしても、 ○○が○○することを「期待」して良いかどうかは別の問題だ、ということを わきまえないといけないんだよな。 とりわけ、その○○が人間の性質に反している場合にはなおさらそうだ。 「どんな状況でも士気を高く保つ」なんてのは明らかに人間の性質に反しているので、 それを期待していいとは到底思えない。 そして、成果と士気に相関関係がないと信じられるような状況は到底ありえない。

私は書くタイプだし、読むタイプだ。 話すタイプじゃないし、聞くタイプでもない。 なるほど文章にしてみれば整理できるのだが、 会話の中でこういうことを組み立てて話すのは難しい。 しかし、文章には対話の回転数が落ちるという欠点があり、 会話でなくては事実上不可能なコミュニケーションというのは確かにある。 会話の中で理解して言いたいことを組み立てるスキルをもう少し高めたい。 自分の考えを相手に届く形でリアルタイムに組み立てるスキル、 相手の言葉を相手の性質や状況を鑑みて解釈してリアルタイムに理解するスキル。 頭の回転が遅いこと、とりわけ言語理解が遅いことに関しては 耳の問題もあっていまさらどうなるとも思えないが、 何かうまい手順を考えて、それを反復練習することでどうにかなる部分はないだろうか。 例えば、相手が何か言ったら、それに対して考える前に相手の表情を確認する、 という手順を加える。例えば、何かを言う前に、それをメインに伝える相手の顔を見る、 という手順を加える。当たり前のことだと思うが、そこをちゃんと見る 余裕がたぶん今の私にはない。どういう意図で言っているのかは かなりの部分表情が語っていることが多い。 指先が震えていることすらある。言葉そのものではわからないことがたくさんあることを もっときちんと認識すべきだ。そして、系統的に訓練すべきだ。 女性は訓練なんてせんでもこのへんは得意なんだろうが、 元々劣った男の中でもさらに劣っている私としては意識的にやらざるを得ない。

自分の気分をどうすれば高いレベルに保てるか、ということも考えねばならんな。 そのためには、自分がどういう人間なのかを良く見ないといけない。 案外よくわかってないものだ。 ただし、よく見ればわかる、というものでもないことも確かである。 今日の自分と明日の自分は別人だからだ。 飯を食う前の自分と食った後の自分には、自分では気がつかなくても 相当大きな違いがある。生物である、ということはそういうことだ。 身近な他人を見ているとそのへんは良くわかるわけで、 自分も同じだろうと考えるのが合理的である。 今私はたまたまいろいろ考えてこんなことを書くような気分だが、 寝て起きた明日の朝の私はまず間違いなくこんな気分ではない。 であれば、2ヶ月3ヶ月後の自分がどのような気分かなど想像するのも 馬鹿馬鹿しいというものである。 できることは、それで変化しない、あるいはしにくい部分はどこかを考えることだ。 私にとって、どのような気分であっても大切に思えるものは何だろう。 その大切に思えるもの、一番大切な価値をいつも思い起こせるようにする方法があれば、 たぶんそれは役に立つ。 まあ、それが「ひつじことオタマのためにクビにならずに給料をもって帰る」 とかになってしまうとプロとしてはおしまいなわけだが、 それ以外に残らないところまで追いつめられる状況というのは考えられなくもない。 もし私がマネージャ的な何かになるのであれば、 それぞれの構成員にとっての大切なものは何か、ということにまで踏みこんで コミュニケーションを取るべきだ、ということになるのだろう。

2011年10月01日

電話が辛い。 メールが一杯になって、いちいち選んで消さないと 保存もできないし、送信もできない。 調べたら受信700、送信300だそうだ。いくら14MBしかメモリがないとは言え、 いくらなんでも少なすぎないか。というわけで、そろそろ買い換える。 スペック上はhoneyBee4でもいいんだが、 UIの設計とかが女子高生用になっている可能性があるので、 一般用のLIBERIOが出るまで待つ。11月は遠いな。

誕生日月間おめでとうひつじこ。

犠牲、というのは日本語がイマイチなラベル先生が直訳したせいで、 たぶん意味は日本語とはズレている。 しかし、自分が与えた分だけ愛が深まる、ということであればそれはそうだろう。

当時ひつじこが仕事をやめないでいるためには、 家を松戸あたりにして、二人とも通勤に1.5時間かかるような状態にするか、 私が仕事をやめるしかなかった。 いろいろ話をしたが、結局今の形になった。 世間的な常識から言えば前者もアリだったのだろうが、 そうするとちゃんと一緒にいる時間がほとんどない状況に陥っていただろう。 オタマが来てくれなかったかもしれない。 今考えれば会社をやめて茨城に移住していたとしてもなんとかなったのかもしれん とは思えるが、当時はまだ本も出ておらず今のように名は売れていなかった。 転職しても条件は悪かっただろう。まあ今の方が年齢が行ってる分 難しいのかもしれんが。

さて、ようやくThinkpadを修理に出せる。月曜に電話しよう。 そうすればもうちょっと日記を書けるようになるだろう。

カレーを作ってみたが、玉葱を炒める段階で焦げた。さて、 どれくらい味に影響するか。


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