だだもれ

2011年09月28日

サンプリングの勉強とか。サンプルの点同士がそこそこ離れていて、 データを取れない場所が広くなりすぎないのがいいのだが、 それはそれとして微妙なランダムさがないとうまく行かないという話。 格子状に置いてからちょっとずらせばいいんじゃね? と思うのだが、そう簡単でもないんだろうな。 あれだけややこしい理屈が動員されているということは。

2011年09月27日

カスタードパイはなかったが、カントリーマアムは食べた。 女の子と二人ではなく、30過ぎのオッサン十数人とだが。

この時期にドラッカーを私に読ませたのは神の仕業としか思えん。 もし私がドラッカーを読んでいなければ、おそらくこうはなっていなかった。 己惚れすぎかもしれないが、そうとしか思えない。 少なくとも、今の私はこのような私ではありえなかった。

総理大臣を選んだのはオレら、というのは制度的にはそうなのだが、 実感としてそう思っている人は相当にレアだろう。 制度としてそうなのと、実感としてそうなのの間にはギャップがある。 そのギャップを埋めるものがなければ、制度の形式として問題がなかったとしても、 実際には問題になる。組織において、マネジメントはその間を埋めなくてはいけない。

英語と数式が久しぶりすぎる。だが今度こそその場しのぎにはしない。

児童館の運動会ごっこに行ってきた。アンパンマン体操を真面目に踊ってみた。 ただし、全動作で敵を倒せる感じで。 それにしてもオタマはでかいな。しかし、でかいだけで動きは明らかに赤ちゃん。 オタマより小さい子にも「あかちゃん」と呼ばれていた。 大人はえてして大きさだけで判断しがちだが、子供は良く見ている。

Flux,Irradiance,Intensity,Radiance。ようやく見えてきた。 そのへんの定義もよく知らんままここまで生きてきたことは恥すぎるのだが、 まあこれからどうにかすればいい。 別に概念としては理解していたからな。単に名前と数学的表現を知らなかっただけだ。 ちなみに、こいつらの訳語は知らん。そのうち縁があれば覚えるだろう。

学者って結構出張行くんだな。ちょっとうらやましい。 外仕事なんてCEDECくらいのもんだ。せいぜい九州だが、あれは仕事ではない。 しかし、ひつじこを淋しがらせることになるので、やっぱり出張はいらん。

初めての経験。もっと早くそういう機会があってもいいかと思っていたが、 案外そんな機会は発生しなかった。そしていざ発生してみても、正直どうでもいい。

2011年09月26日

ipodは昨日の夕方届いた。すごいなヨドバシ。当日だぞ。 で、朝からipodの設定。 ipodは壊れる物なので、たまにpcにつないで同期しようと思う。

壊れたipodは appleに送ったら「保証範囲外」と言われた。適正な使用の範囲外なのだそうだ。 確かにタマが踏みつけた可能性がないとは言わないが、がっかりである。 どうも日本のappleは一切中身を調べないという話なのだが、 それが本当なら一体何を見て保証範囲外と判定したんだろうな。

Androidはもっと成熟してくれないものか。 ipod相当品がもっと安く買えるようになるとうれしい。 フラッシュの問題もなくなるし。

2011年09月25日

ゲーム業界が家を買っていいほど安定していると思える人は 何を根拠にしているのだろうか。

給料を上げてもらっても、それで会社が苦しくなれば意味がない。 会社をもうけさせて、その分け前をなんぼかもらう、というのが正しい姿だ。 会社にもらったものよりも、会社にあげたものの方が大きい状態が望ましい。 あのフェラーリ作った人の言葉はなるほど正しい。

給料は一定を超えるとそれ以上は生活に必要なものではなくなる。 共働きが標準であるとするならば、年収300万から400万の間に そのラインがあると思われる。 それ以上は自分の相対的価値を表す評価にすぎず、 経済的必要性とはそんなに関係ない。 自分と同格だと思っている人がいくらもらっているのか、 ということが問題で、もしこの瞬間に国民全員の給料の300万を超えた部分が 半分になったとしても、その意味ではあんまり問題はない。

うち裕福だよな。さっきもipodをヨドバシで注文した。 共働きでもないのにこれだけ余裕があるというのは、 私が給料をもらいすぎているせいだろう。 少し前までは自分にいくら払ってくれるのか、ということが気になって仕方なかったが もうかなりどうでも良くなった。 400万を超えた分の給料はゲームの点数と大差ない。 仕事を変えるとしたら、それは給料ではなくその内容でだろう。

会社の側から考えると、給料は社員に対する最大のメッセージになる。 誰にいくらやるかは、誰が望ましく、誰が望ましくないのかを この上なくはっきりと表現することになる。 なんだかんだ言っても、給料が低いということは、 会社がその人を評価していないということである。 仮に誰か優秀な社員が「給料なんていらん」と言ったとしても、 それをいいことに給料を下げれば、「会社はあの人を低く評価している」 というメッセージを社員全員に送ることになる。だから、 給料は個人個人がどれくらい欲しがっているかとは無関係に、 会社の価値観、評価基準に従って与えねばならない。 完全に年功序列であれば給料と会社の評価が分離してこの問題はなくなるが、 そうすると当然やる気が失せる。 なるほど大変だな。しかし、完全な制度はないのだから、 シンプルなしくみで多少の裁量が認められる柔軟性を保って運用でどうにかする 以外の選択肢はないように思える。

給料って知られたくないものなんだろうか。 仮に全員のが壁に貼られてたらどんな悪いことが起こるんだろう。

この国は主婦なるものを認められるほど贅沢な状況にはない、というのはわかる。 国民全員が働いて金を稼ぐべきだ、という理念には賛成だ。 しかし、そのために障害になっているものは何か、 そして、現在その理念が実現していないのは何故か、 という問題をロクに考えずに、 単に保険や税金の優遇をやめるだけでは事態は改善しない。 そのへん大丈夫なんだろうな。

とりあえず保育園の問題をなんとかしないとダメだ。 何度も言っているが、うちは保育園に月15万出す用意がある。 保育園に月15万払ってもお釣りが来る家庭はいくらでもあるわけで、 それだけ払う気がある人間が保育園に入れられない状態はどうにかしないといけない。 保育園は補助金なしで商売として成立するべきだ。 もちろん片親であるなど厳しい状況にある人には補助が必要だが、 それは保育園にではなく、その人に補助すればいい。 あくまでも保育園の料金は月15万とか20万とかであるべきだろう。 乳児や幼児の世話にかかるコストは中学や高校よりも高くつくに決まっているのだから。

ひつじこが月15万の仕事をしたとすれば、保育園には15万払える。 ひつじこのキャリアが育児によって中断されないことによる経済的利益は 最終的には数年間の収入が実質ゼロになったとしても十分にプラスだ。 だからうちは15万払えるし、短期的なマイナスを許容するなら20万払ってもいい。 それに見合うレベルの保育をしてくれさえすればいいのだ。 多くの共働き家庭にとっても条件は同じはずだ。 ただ、月3万の保育園が存在しているから、それが高く見えてしまうだけのことである。

カゼが治らん。オタマはもうだいぶ元気だが。

シュタゲを最後まで見た。良い出来だった。

ゲートの3巻を読んだ。主人公達がだんだんどうでも良くなってきたぞ。

2011年09月23日

本のライブラリの2010対応は一応できて、渡した。 完全に標準のsin,cosの汚染を防ぐにはSTLを一切使わないようにするしかないな。 サンプルアプリからostringstreamを使っていて、当然stringにつながっているので、 結果math.hが呼ばれるのである。

積分がたくさんある式を眺めていると眩暈がしてくる。 この手のことは私よりも明らかに得意な奴がいるのでそっちにやってもらいたいが、 まあそうも行かん。 教えてもらうにしても、まずは自力で行ける場所まで行ってからでなくては 人としてダメだしな。 しばらくはがんばってみることにしよう。 その過程でまた人の役に立つものが作れるかもしれん。 私のように数式をネイティブで読めないタイプの人間は結構いるはずだしな。

古い論文はちゃんと電子化されていないので検索ができず、また読みにくい。 ただの画像だからな。

自分を理系とは思えないのは、数学が苦手だからだ。 当然物理も苦手だし、統計熱力学や量子力学も苦手だった。 たぶん、これを得意にするには自分で一から積み上げ直さないとダメなんだろう。 私にとって一番合った学び方は一から自分の言葉で積み上げていくことだが、 それを数学では全くやってこなかった。 それこそ数学の本を書くくらいの覚悟がないとできるようにはならないと思われる。 必要になる度に必要になる部分だけを 場当たり的に勉強してきたから、それらが全くつながっていない。 そして、最も重要なこととして、場数を踏んでいない。 何回置換積分をしたか、という話だ。 生まれてから100回やってないと思う。

昨日はひどかった。お昼はオタマが油をぶちまけた。 オタマはヌルヌルの上ですごく楽しそうだったが、残念ながら 楽しければいいというものでもない。 風呂場は今なおサラダ油くさい。 そして夜は吐き気と咳が辛いのか泣きっぱなしで、 ひつじこはほとんど寝ていない。 そして今日、午前中に吐いたと聞いて慌てて帰ってきた。 子育てとは大変なものだと思うが、私にそれを言う権利はないな。

オタマからもらったと思われる風邪が結構辛い。 家にいるより会社にいる方が回復が早かろうと思って出社したが、 頭が働かない。指が震えるのか、トラックポイントの操作がままならないぞ。

2011年09月21日

新しい方のThinkpadX201sが壊れた。オタマによる事故だ。 だがこのための拡張保証である。 ただ、申請書をFAXしないと有効にならないことを今更知ったので、申し込み。 受理されてから修理を頼むことになるので、 またしばらくPCが使えない。 なんて迂闊な。

ipod touchが壊れた。電源が入らない。まさかこれもオタマが破壊したんじゃあるまいな。 ひつじこはすっかり油断して床に置きっぱなしなのでありうるが、 とりあえず今のところ原因は不明だ。 さて保証はどうなっていただろうか。 保証書とかレシートとかの類を保存してあればいいのだが、さっぱり思い出せない。 すぐ新作が出るとか言うなら買ってもいいが、当分出ないらしいし修理すべきだろう。

諸々壊れすぎだ。

GOSICKを最後まで見た。まあこんなもんだよな。ビクトリカはかわいい。

本のライブラリの2010対応だが、sinやcosが漏れ出す原因はstringだ。 stringをインクルードすると中からmath.hがインクルードされ、この結果汚染される。 というわけで、ライブラリのインターフェイスからstringを除いてしまえば いいのだが、ユーザに影響が出ないという保証はない。 コンソール出力でstringを食わせているユーザがいないとも限らないからな。 でもまあ、やるべきか。少なくとも2008までのサンプルコードを 一切いじらずにコンパイルできるようにはなる。 あともう一件、アプリのビルドでデバグシンボルがないというwarningが出まくる。 これもどうにかすべきだろうが、pdbはよくわからん。 昔windowsのデバグの本を買って読んだ気もして、そこに書いてあった気もするんだが、 もう完全に忘れた。 Modules.libを中に入れたGameLib.libなるものがあった時、GameLib.pdbだけでなく Modules.pdbもGamelib.libの横に置いておけばオーケーなんじゃなかったか。 少なくとも2008まではそうしていたはずだが、どうもうまくいかない。 ちょっと本腰入れて調べないとダメそうだ。 そんな時間が一体どこにあるというのだろう。

Javascriptの勉強をしてみたり。これを使えば 今時のブログ風のインターフェイスにしたりできるんだろうな。 なんかゲームの一つも作ってみればいいんだろう。 これも時間ができたら、だが。 なお、言語そのものは特に難しいことはなさそうである。 逆にヌルすぎるゆえに難しい。構文解析時に検出できるエラーが少ないので、 動かしてみないとバグが出ない、ということが多発しそうな気がする。 大規模開発になるとかなり嫌な予感がするが、 大規模なものを作らなければいいという話なんだろうな。 1万行は書きたくない言語だ。 webGL+Javascriptで本格的な3Dゲームを動かすなんて 話になるとしても遠い未来の話だろう。

ブラウザ依存性ひどすぎ。しかし、これでも以前よりはずいぶんマシになったらしい。 シェアが高い順に対応して後は切り捨て、ということもやむを得ず、 また、Javascriptが動かなくても閲覧不可能にはならない、 という範囲でしか使うべきではない。

作品の対価をもらう、という考え方を捨てた先の世界が見え始めている。 最近はアイテム課金ゲームでいかに金をもうけるか、みたいな講演を 良く見るわけだが、こういう講演が堂々と客から見える場所でなされるのはすごい。 公明正大と言うべきなのか恥知らずと言うべきなのか、なんともわからない。

2011年09月18日

英語キーボードに換装。ドライバを入れかえるだけでなく、 レジストリも書き換え。 途中スペースキーがおかしくなっていたので、一旦そこだけ外して組み立て。 ちょっと焦った。

ひつじこが膝を痛めて動けないので、オタマを連れて外に出て、 少しでも休ませることにした。 のだが、帰ってきたらなんか掃除とかしてた。意味ねえ。

昼間はそんなこんなで全く何もできなかったので、 夜寝てからメールの返事書きと、家計簿の書きこみと、 本のライブラリのチェック。 本のライブラリはこれから。もう1時なんだがなあ。 そして明日は会社なんだがなあ。まあさっさと片づけるべきだから、 今日は徹夜になってもやる。

家計簿コミット。Visual C++ 2010 Expressをインストール。 Expressでビルドして実行できることを確認せねばならない。

東京ゲームショーの客入りは過去最高だそうだ。 実は大丈夫なんだろうか。新ハードが出た2005年のデータはないかな。

あった。3.6、6.7、7.2で合計17.6万。 今回は2.5、2.7、8.6、8.3で22.2万。 4日に増えたことを差し引いても増えてる。 認識を改めよう。一般日に行った人にどんなだったか聞いてみるとしよう。

動きそうだ。テスト終わり。2010対応アップ。

2011年09月17日

客が商品について良く知っている場合、 その商品の内容を宣伝する。 客が商品について良く知らない場合、 全然関係ないものでもいいのでとにかく目を引くように宣伝する。 前者はジャンプで後者はマガジンだ。 ジャンプの表紙は中の漫画の絵だが、マガジンの表紙は全然関係ない女性の写真である。 ジャンプは漫画を買おうと思っている人にしか届かないが、 マガジンは漫画を買うかどうかを決めていない人にも届きうる。 同じことがゲームにも言える。 ファミ通に出す広告はゲームを買おうと思っている人間にしか届かないが、 渋谷のビルでアイドルの写真を使ってゲームの広告をすれば、 全然関係ない人間にも届く。 ゲーム画面が全く出てこないゲームのテレビCMは存在しうるし、事実存在する。 比較的ゲームで勝負しているように見えていた任天堂も、 WiiやDSを売るにあたっては、そっちの戦略が強く見られる。 今となっては、ゲームと関係ないものの力を借りてゲームの名前を 刷りこむテクニックを全く使わないということはそうそうあるまい。 話題性などというものでゲームのような高いものが買われるのかと私はずっと 懐疑的に思っていたが、今はそんなことは言っていられないようだ。

ゲームショーの会場にはコンパニオンの女性がたくさんいる。 こんなに必要か?と思うくらいたくさんいる。 ゲームそのものの魅力だけではゲームを売れないと いうことをゲーム業界が自ら白状しているということだろう。 ジャンプからマガジンへ移行した、ということなのだろうな。 ゲームで遊ぼうと思っていない客に向けてゲームを作らねばならないということだ。 そういった客が何を求めているのかを良く見なければ成功は無理だろう。

ドラッカーは、ある程度みんなの給料が上がってくると、 給料を欲しがる気持ちは薄れると言った。必要ではなくなるからだ。 しかし一方で、給料が低いことには昔よりもはるかに耐え難くなるとも言った。 給料が衛生要因になった、という言い方をしている。 ゲームにおける画質も同じだろう。 絵が綺麗であることはウリではない。しかし絵がショボいことには耐えられない。 おもしろいものだ。

夜は麻婆豆腐状の何か。 肉が350g入っている。というわけで、ひつじこはこの二日間で500gは肉を食べた。

肉をミンチにして弱火で炒める。にんにく、粉砕したにんじん、ふやかして粉砕した 干ししいたけ、中国山椒、豆板醤、あたりを加えてそれなりにしつこく炒め、 酒と水を入れて味噌、醤油、胡椒あたりを入れて煮て、 豆腐と茄子を放りこみ、ごま油をたらして強火加熱。

秋葉原にPCを取りに行った。ストレス解消を兼ねて、 西日暮里から秋葉原まで歩いてみた。谷中霊園のあたりはちょっと面白い。 途中上野であんみつを土産に買った。

西日暮里から秋葉原までのルートをgoogleに聞いてみたところ、 今日通った道と同じになった。上野公園の中も通れる場所と認識されている。 すごいなgoogle。 なお、距離は4.2kmと大したことなかった。 結構しんどかった気がするのだが、それだけなまっているということか。 まあその前に数キロ歩いているし、荷物もそこそこ重いし、 さらに靴底が薄く一歩一歩神経を使わないとすぐヒザに来るということもある。 万全な体勢で20kmくらい歩いてみてどれくらい疲れるかを確認したいところだ。

安物のガイガーカウンターの測定数値が不正確だと叩いている人がいるが、 0.2uSv/h以上の線量がある時にそれが明らかに数値に影響していれば それで事足りる、ということをわかって言っているのだろうか。 0.06uSv/h以下が測れないとか言ってるが、そんな線量は0と一緒である。 0.1と0.05の間には差なんてない。 確かに精度が良ければ物の放射能も測れてうれしいのだが、 そういう機械は50万超えだし、デカくて重い。 100gそこそこで5万で買えるものには、それなりの利点がある。 だいたい、マニュアルには誤差が20%あり、0.1以下は測れないと はっきりと書かれているのである。 もっとも、言いたいこともわからなくもない。 何の知識もない素人が踊らされて買うケースがかなり多かったであろうことは 想像できるわけで、そういう人達がこの機械をまともに使えているとは思えない。 値が正確でないことを納得して使えているケースは稀だろう。

2011年09月16日

児童館は良くする動機がないので、良くならない。 良くなるとすれば、それはたまたまだ。 とりあえず区に文句を言おう。それで変わるとは思わないが。

発言で人に影響を与えたいならばtwitterに書きこむ方が良い。

どうすれば良い仕事ができるんだろうかと考えなていたら どうにも気分が暗くなったので、買い食い。すまぬ。

東京ゲームショー。規模の縮小が著しい。 何かとスカスカだし、一般の客を相手にしているとは 思えない電話ゲームや専門学校がかなりの面積を食っている。 すでにゲームの市場の大半はあのショーとは関係ない場所に移っている。 ゲーム市場の大半はショーに置いてアピールするのに適さない。 ああいう場で映えるのは絵が綺麗なゲームであり、 また、遊んですぐ面白さを理解できるのは基本一人用のゲームだ。 絵がショボいネトゲやソーシャルはあそこに置いても何の得にもなるまい。

おもしろいゲームはあっただろうか。おそらくあったのだろう。 並ぶ気力がなかったのでほとんど何も遊んでいないが、 あれだけあれば面白いゲームがないということはあるまい。 しかし、残念ながら面白そうに見えるゲームはなかった。 ドラゴンズドグマとか気になるには気になるのだが、 あんな本気ゲームで遊べる状況にはすでになく、 客としての私にとっては別世界のものである。

ドラコレとかやった方がいいんだろうな。 しかし、動く機械がない。てっきりPCのブラウザでも動くのかと思ったが、 対象外なのな。

アスラズラースのテイストはかなり好きだ。 地球サイズの仏が指先を大気圏突入させて主人公を殺そうとするとか、 たまらんバカさだ。いつぞやカプコンのブースで ムービーを見て以来気になっていた。しかし、当然のことながらそんなものを ゲームにするのは至難の業であり、 馬鹿正直にやれば映画の合間にボタンを押させる類のものにならざるを得ない。 最終的にはどうなるんだろう、あのゲーム。

あのいきなりコマンド入力が入るのをQTEて呼ぶのな。知らなかった。 基本私は好きじゃない。

ストーリーを眺めるだけなら映画や漫画や小説の方が優れている。 ゲームに求められるのは「体験」だ。 ユーザエクスペリエンスという日本語に訳すと珍妙な響きになる言葉について よくよく考えてみる必要があると思う。 日本人の言うゲーム性と、外人の言う体験にはかなりの違いがある。 ゲーム性は、抽象化された概念で、絵や音を別のものに変えても 成立するような何かだと理解されているように思える。 そんな狭いものが体験の核であるはずもなく、 日本人の言うゲーム性は体験の一部にすぎない。 ストーリーも同様だ。いくらいいストーリーでも、 ゲームという形を取る以上は、体験という大きなものの一部として 良くなくてはいけない。

しかし、体験という言葉は、価値という言葉と同じくらい曖昧だ。 企業は商品を売るが、客が買うのは価値だ、とドラッカーは言った。 同じように、企業はゲーム性やストーリーやグラフィックスを売るが、 客が買うのは体験だ、という話になるのだろう。 ともかくも、客はどのように何を楽しむのか、ということを よく考えなくてはいけない。

絵は綺麗だよな。どこのゲームも。 しかし、そのことが絵以外の品質を圧迫しているのだろう。 絵を綺麗にしてもなおゲームが面白くあるためには、 べらぼうな資本を投下するか、 絵にかかるコストを劇的に下げる方策を練るかしかない。 何か手はあるはずだと思う。

マネジメントが足りん。そしてマネジメントは技術だというドラッカーの言葉 を信じるならば、マネジメントは学べるはずだし、ある程度は自動化すらできる。 例えばクソゲーを売らないようにすることは簡単だ。 クソゲーでなくなるまで売れないしくみがあればいい。 経済学的には、クソゲーを作れば売れないので罰を受けるので、 自然とクソゲーを作らないようになる、ということになる。 これは無限の長期であれば正しいが、現実は短期で動いている。 クソゲーを作ったことの影響が本人に及ぶには相当な時間がかかるので、 クソゲーを作らないようにするインセンティブはさほど強くない。 例えば、作ったゲームが売れなかったからといって給料がすぐに下がる 会社はそう多くないだろうし、会社がつぶれるにはさらに長い時間がかかる。 短期では市場が機能しないわけで、市場が機能しない時には規制を入れるのが理屈だ。 つまりクソゲーは売らない、というルールがあればいい。 もちろん、もっといいのは、クソゲーを作ると即座に影響が本人に及ぶ ようにすることだ。これは容易ではないが、そういう方向に持っていく 努力は必要だろう。

2011年09月15日

20時になってから湿布と言われても無理だ。 とりあえずコンビニに売っていた冷却シートを気休めに買ってきた。 明日の朝買いに行く。 コーナンの中のマツモトキヨシが9:30開店だ。 薬局は結構あって9時からやってるかもしれないが、さっぱりわからん。 普段全く目に留めないからな。 朝にそのへんを見て回ってくるか。

湿布くらいコンビニに置けるようにしろよ。 旧態依然とした薬屋が滅亡すれば自然と消える規制なんだろうけどな。 デパートの営業時間に規制があった時代はそう昔ではない。

ひつじこの皮膚にブツブツができている。明日は皮膚科行く。

vaioのHDDの中身を丸コピー。

合間に本のライブラリの2010対応。せっかくなので微妙に中をいじっておいた。 インターフェイスは変えられないが。 あとサンプルプログラムの変換とテストが済んだら、 家に持って帰ってwindows7で試す。 あと、サウンド初期化に失敗しても先に進むようにしないとな。 cpp減らしの実験もしておくべきだし。

2011年09月14日

Thinkpadが来た。とりあえず最低限のものは入れたのだが、 どうにも使い勝手がおかしい。原因はキーボードだった。 日本語じゃねえか。そりゃそうだよなあ。 仕方ないので土曜に若松通商で英語キーボードだけ買ってこよう。

ああ、シフトが小さい!:の打ち方が違うせいでviが使いにくい! スペースも小さい。バックスペースも小さい!escが遠いのは英語にしてもダメだが。 金に糸目をつけずX220にすべきだったかとちょっとだけ思ったりはするが、 液晶や重さではこちらの方が上だし、TDP18Wだから消費電力的にもマシだろう。

とりあえずavastとchromeとvncを入れた。ギリギリ使える状態。

core tempで見てみたが、50度ちょいで安定している。 CPU設定を最低性能に落とすと、おおよそ600MHzくらいで動いており かなりいい感じ。 動画を再生しても、別に落ちない。なんだこんな性能でも足りるのか。 これでキーボードさえどうにかなれば相当快適になるはず。 そして3年は壊れてもタダで直る。

目が痛い。どうにも体がダルい。CEDECに福島だからな、回復には 少々時間がかかるか。

自動化とか機械化とかは基本的にはいい考えなのだが、 たまに手段と目的が入れ換わる。 最初は何か問題があって、それを解決するために道具を入れるのだが、 あまりにその道具が当たり前になると、 元々何のためにその道具を入れたのかを考えなくなるし、 その道具の副作用についても考えなくなってしまう。 例えばメールは手紙にくらべて恐ろしく便利だが、 実は手書きの手紙よりも情報量が落ちている。 手書きの手紙に含まれる書き手の心理状態のようなものがかなり伝わりにくい。 したがって、それが重要になる用途にメールを使うのはマズいということになる。 また、あまりに便利なのでそれまで電話でやっていたこともメールで やるようになっているが、やはり電話よりも情報量が少ないので、 電話なら伝わることもメールでは伝わらなかったりもする。 相手を妨げずに済む利点を生かして隣の人間にまでメールしたりも するのだが、これも度を越せば口頭でのコミュニケーションが減りすぎて 相互理解や結束に悪影響が出る恐れがある。 バグトラッキングシステムの類も、あまりに便利なものだから つい隣の人に声をかければ済むようなことにも使ってしまう。 書面は議論や対話をするには向かないメディアであり、 話せば数分で片づくことに数時間あるいは数日かかってしまう可能性もある。

道具には適用範囲があり、それを超えて使うと害になる。 しかし、適用範囲をきちんとわきまえて使うのは難しいものであり、 したがって、道具の導入には避けがたい副作用が伴うと言っていい。 道具を導入する場合には、副作用を認識し、それを抑える工夫をせねばならない。 最初はわからなくても、道具を入れてしばらくすればわかってくるはずで、 その時点で何かしらの対策は打つべきだ。 そのためには、道具を入れてしばらくしたらその効果と影響について 評価せねばならないということである。 静的解析ツール、スクラム、ライブラリ、バグトラッキングシステム、 外部チェックチーム、オブジェクト指向、組織改変、こういったものは全部道具であり、 全て適用範囲と副作用を持つ。必ず評価しなくてはならない。 そして、新しい道具を使う時には小規模でテストしなくてはならない。

無線遅いな。52Mbpsしか出ない。65出るはずなんだが。

消費電力の大半は液晶であるようだが、 異常にバッテリーが保つ機種は一体何をどうしているんだろう。

会社の社会的責任なるものがあるとすれば、 客に害をなすとわかっているものは売るな、ということに尽きる。 しかしさらにそこから一歩進んで、 客の人生が豊かになる、と作り手が信じられるようなものを売りたい。 客が払ったお金と時間に見合うものを提供できると信じられるようなものを売りたい。 ここを外したらひつじことオタマに申し訳が立たない。 この先どんな仕事をするにしても、これは軸にし続けたい。 少なくともそうあり続けられるように努力はしよう。

うちのサイトにいつまでもCEDECの資料を置いておくのはどうなんだろうと思うが、 会社のサイトに置く場所もないっぽいし、CEDECのサイトに置かれるのは当分先だろう。 仕方ない。ゲーム会社の中には開発者とか志望者向けのページを作って その手の専門的な文書を置いてるところもあったりするんだけどな。

2011年09月13日

放射能うずまく福島に行ってきた。 まあ放射能は大したことはないのだが、 車のラジオからは被災者向け情報ばかりが流れてくる状態で、 福島においてあの災害はまだまだリアルである。 東京の人間はさっさと忘れているようで、それは健全なことではあるが、 福島の人間から見れば許し難いことかもしれない。

オタマは広い家で良く走る。

料理についてまとめておくべきだよなあ。

さすがに眠い。明日から明日から。

いよいよ本のライブラリのVC2010対応をやる気になってきた。 ついでなので、中身を統合する。モジュールごとに分ける意味がわからん。 Sceneモジュールに関してはもし会社で作っていれば分離するが、 あの本においては分離する意味がない。

行ける場所は今いる所から行ける範囲にある場所だけだ。 しかし、その範囲のどこに行っても目的が達せられないのだとすれば、 根本的にダメだということになる。

ゼルダが出る。5年経って初めてWiiの本気ゼルダが出るというのは なんぼなんでも商売として問題あるだろと思うわけだが、 つまらん状態で無理に売られても困るわけで、 ここまで面白くならなかったのであれば仕方ない。 しかし、私の印象としては、開発が長びいてもなお面白いゲームになるというのは 奇跡としか思えない。普通に考えれば長びいているということは、 何か問題があったということで、年単位の時間が経ったからといって その根本原因が解決できているとは思えない。 しかし、私の知る限りゼルダは恐ろしくおもろいわけで、 長期間開発してもおかしくならないで作れるということなのだろう。

ゲームを面白くするためには試行錯誤のループを高速に回す必要がある。 したがって、ループを高速化するための効率化は 単なるコストダウンだけでなく、ゲームの面白さに直結する。 そういう効率化は相当がんばらないとダメなんだよな。

2011年09月10日

PCをどうするか決める。今日決める。決まらなかったら修理する。

15万で4年保証とSSD付きでIPS液晶なX220が買える。SSDをケチれば13万だ。 8.7円でこれ以上の保証もなくSSDでないX201sが帰ってくる。 さあどっちだ。とりあえず8.7万持って若松通商に行って、 そこで決めよう。夕方だな。

建設的な意見という奴は実にタチが悪い。 建設的な意見が求められる状況において、 建設的な意見は大抵問題を解決しない。 そもそも方針が間違っていて、そのままいくら改善しても 目標を達成できないような状況だからだ。 達成すべき目標を達成できないことが明らかなのであれば、 「ダメだろ」という非建設的な意見を言うことが一番建設的であるように思える。 建設的な意見が一番出てくるのは、誰も建設的な意見を言えなんて言わないような 状況においてだ。つまり、正しい方針で、改善や工夫が目標達成の役に立つと 信じられる状況であれば、何も言わなくても建設的な意見はいくらでも出る。

みんなそう思ってたんじゃねえかよくそう。

業務時間内に自分の考えを他人とシェアしないのはプロとして犯罪、 というようなことを奥山氏が言っていた。 実践せねばと思う。

掲示板で楽天に201sが出ていて安いことを教えてもらった。 しかも18WのCPU。これだ。拡張修理付きで9.6万。即購入。 とりあえずマシンを引き取りに行こう。

X220の保証を延長しておいた。うちで使わなくなっても ひつじこ実家やうちの実家に回すので、保証は限界までつけておいた方がいい。

マシンの引き取りはまた今度。HDDを取り出してデータを取り出した後は、 USBハードディスクとなる。なんかこのパターンばっかりだな。 vaioから抜いた60GBはゴミになる。

被曝防御了解。というか、挨拶回りは基本なしで。 祖父母のところだけは行くが、茶はオレが飲む。

祖父が介護サービスのご厄介になる状況。来るべき時が来たか。 まだ意識は明瞭らしいので、ギリギリ間に合うとは言える。

糀谷、上野の順。0811-0900、0912-1000、1003-1100。 まあこの3本のどれかだろう。

せっかくの機会なので、実家用にipad2とルータを買った。ipad2は ニコ動とskypeとradikoを入れ、gmailのアカウントを作った。 PCが同居する弟の部屋にしかなく、 skypeを使うのが面倒くさい状況だったようなので、 ipad2を居間に置けば改善するだろう。 まあそれでも使わないようなら引き上げて誰かに回すなり 売るなりすればそれほどの損害にはならない。 ルータはipad用である以上に、うちらが行った時に オタマにノートPCでニコ動を見せるため。 11gのルータしかなくしかも電波が弱くて不安定なので、 8370N-HPを置いてくることにした。 いいかげん両親をネットに慣れさせたい。 ipad2でダメならたぶん無理だ。 もう一段インターフェイスにイノベーションが起こるまで待つことになる。 これ以上簡単に使えるようになるためには専用機器化するしか ない気もするのだが。あるいは音声認識でのUIか。

ふとテレビ売り場を見ていたら、ブルーレイとHDDがくっついた 一体型のテレビがあった。16万と高いには高いが そうべらぼうでもない。 楽に録画をしたかったりするなら勧めてみようかと実家に電話したが、 さっぱり録画はしてないらしい。 DVDの再生にしてもたまに昔テープからダビングした銀英伝程度だそうだ。 ならいらんだろ。32インチが25万もした時代にプレゼントした シャープの奴がまだまだ健在である。 まあ今の水準からすると画質は相当悪いし、 チャンネルの切り替えも絶望的な遅さなのだが、 まああの使い方だし問題あるまい。

今日20万近く使ったぞ。 X220の4年保証化、i5-520UMを積んだ安いX201sを3年保証付き、 そしてipad2とルータ。 i5-520UMはそんなに長くは使わないだろう。なにせ性能が性能だ。 どちらかの実家か、ひつじこの妹ファミリーに 渡すことになるだろう。頑丈だし保証もかなりの期間残る。

アカチャンホンポでいろいろ買ってきた。ガーゼとか、ペットボトル用 ストローつきの蓋とか。 IFMEのサンダルはなかった。季節じゃないからだろう。

CEDECの講演は質問はtwitterかメールで受けつけることにしたのだが、 全く何も来ない。どうでも良かったということか。

勇気をふりしぼってニコ動で自分のしゃべってる様を見てみたが、 案外まともだった。ひつじこが面白がってくれたのでいい。

2011年09月08日

PCどうしよう。プレゼンに限って言えばiPadでもできるが、 どう考えてもそうは行かない。

15万出せば4年拡張保証つきでX220が買えるが、X201sは解像度高いし軽いしで、 X220にはない利点もある。 でも根本的にヤバイ機種なんじゃないかという気もする。 修理に出して帰ってきた直後にこれ、というのは少々いろいろ信用できん。

X121eを買おうかなと思ったが、キーボードが良くないらしく、 それでは駄目だ。安すぎて不安でもあるし。

「X201s 修理」で調べると結構出てくる。 ただでも高級機で買う人は多いとは思えない機種で、 しかもブログをやっている人に限定されていてもこの数だ。 壊れすぎじゃないか。しかもたいていはシステムボード交換。 この機種、何か無理してないか。つうか、元々14WのCPUを入れてた機種で、 筐体の大きさを変えないまま25WのCPUを入れればそりゃきついよな。 ましてGPUが近くに来たことで熱密度も余計に上がっている。

CEDEC3日目。

基調講演がアホみたいに面白かった。 恐ろしく深い知識と考察を持ちながら、それを感じさせない語り口が たまらない。というか、バカっぽい。 なお、内容は実に良かった。 受け手の差異はそれほど大きくない、というのはいい考察だし、救いだと思った。 コンテキスト依存、という言葉もいい。 言語化できるものはすぐに行き渡るので言語化できない文化の領域で 差別化あるいは価値を作ることができる、というのもいいし、 立体の把握が根本的に異なっていたのではないか、という仮説も面白い。 あれほど興味深い内容を、あのノリで語るのは素敵だ。

ボトムズの人。パワポすらなくひたすらしゃべってるだけだが、面白い。 年寄の昔話の面白さを存分に味わった。 初期のアニメにおいて枚数が削られたことでストーリーで工夫せざるを得ず、 子供向けの枠に収まらないものをアニメの形で作ることが一般化した、 という話は面白かった。 スポンサーから何を言われても、そしてそれを全部受け入れたとしても、 作るのが自分である以上は自分の作品になる、というあの信念は見習いたい。

戦国IXAとかの話。これに限らず、事業は何かを問い直せ という意味合いの話が多いように思う。 客は誰か。客にとっての価値は何か。自分の強みは何か。 そういうことだ。全員ドラッカー読んでるんじゃないかと思うくらい この手の講演の内容はドラッカーだった。 本当に普遍的なんだな、ドラッカー。

レンダリング方程式から出発して作り上げるのは一回自分でやらんと ダメだなあ。あとIKが何なのか理屈がわかったので、 これも自力でやってみる必要がある。どちらも何かゲームと関係ないところで 実験せんとな。家でやるのが正しいだろうが。

2011年09月07日

PCの修理見積りの電話が来た。87000円。おい。 選択肢は、直す、新品を買う、直さず買わない。 直せばとりあえず金は失われるが手間はかからない。 ただし、201sの不満点はそのまま残る。 新品を買えばいろいろ改善するが、87000円よりはかかるし、 2ヶ月かそこらは全くPCが使えない。 直さず買わないのも、PCを外に持っていく予定が今のところないので 不可能ではないが、昼間は全くPCが使えないのでこれも困る。

CEDEC2日目。

基調講演は車その他のデザイナー。 話がうまい。内容もある。説得力がありすぎる。 しかし何より、エレガントすぎておかしい。 一体どういう人生を送ればこれほど強そうな人間になれるのか。 あと、この人いくらの背広着てるんだろう、と思った。

商品を売ろうとするのではなく、客にとっての価値を売ろうとすべきだ、 というのはドラッカーの台詞である。 また、すでに起こった未来を探せ、という台詞もあった。 この人の講演は実にドラッカー。そしてエレガント。 かっこ良すぎて異世界だ。

物理ベースレンダリング。やっぱレンダリング方程式から出発して近似、 というのが王道だよな。一回もそこを通ったことがないというのは 描画をやる人間としてはマズいんだろう、ということがよくわかった。 もっとも、私がやるべきかどうかはまた別問題なのだが。 すでに私は描画担当ではないわけだし。 とはいえ、私がやるべきなんだろう。 あとスキンシェーダは便利そうだが、何分インチキなので 実際やってみたらいろいろ起こるだろうなとは思う。何事も やってみなければわからんので、まずはやってみねばならんのだが。

アニメータの金田氏がスクエニでやってた仕事の話。 とりあえず金田すげー。FF13の召喚獣をやっていたというのは初めて知ったが、 なるほど実際見てみればそれっぽい。 しかし、このテイストのCGに金田っぽいカメラや構図、アクションが入ると なんか変だ。私が単にFFの世界観についていけてないだけかもしれんが。

IKの話。なるほどIKってああいう技術なのか。何も知らなかったので参考になった。 使う数学もおおむねわかった。実際にやってみると山と課題が出てくるだろうな、 ということも想像できた。しかし、理屈そのものは実にシンプルだ。 微分するといい具合になるというのは実に素敵だな。 連立方程式を解いてどうにかするんだろうという大枠は想像していた通りだし、 疑似逆行列は以前似たような用途に使ったことがあるのでおおよそわかる。 おおまかなところの実装はやればすぐできるだろう。

物理ベースレンダリング後編。正直数式は追えてないが、 おおよそ想像はついた。品質向上のための細かい話を一旦全部捨てて 骨子だけを実装するならそれほど時間はかかるまい。 品質向上もさることながら、手間の削減にも効果がありそうに思える。

2011年09月06日

サイトの表紙に8日の講演の配布資料を置いておいた。 パワポは単体では価値がないので、別に書いた文章だけ。 しかし、こっちの方が詳しいので、講演を聞く必要はない気はする。 講演の商品価値を高めるために、パワポをもっとネタ満載にすべきなのか。 でもそれで時間食っても本末転倒だしなあ。 そもそもいまさらそんなもん仕込む時間はない。

ういろう売り、一段落一息は難しいな。できなくはなさそうだが。 講演寸前になって慌てて練習するのはダメだよな。 一ヶ月前くらいから毎日河原でも行った方がいいのはわかっていたのだが、 それに毎日30分かける余裕がない。

祖父がいよいよ怪しくなってきたので、これ以上延期はできん。 オタマを連れて福島へ行く。10の夕方か11の朝出発、12に帰る感じで考えているが、 状況は流動的。いずれにせよ持っていくもののうち送れるものは9日に送ってしまう。 必要なものって何だっけ。 食料、服、薬、重曹ビタミンC混合物、歯ブラシ、オタマをあやすためにYoutube 再生用PC、あとなんだろう。

実家のPCはそのうちどうにかせねばな。表計算を使ったりもするようなので、 PCではあった方がいいんだろう。それと別にipadがあればなお良いが。

台風が恐ろしいまでに大災害になっている。CEDECの参加に支障を来す人もいるだろう。 どこかで「明治以前なら元号を改めているレベル」と言っているのをみかけたが、 そうかもしれない。今となっては変更コストがデカすぎて そうそうできないのだろうが、もっと元号が形骸化させて 気分で換えられるようにするのは悪くない気もする。

女性は卵が出ると眠くなるらしい。ひつじこは今日は「めんどくせー」 ばかり言ってゴロゴロしていたのだが、それか。 本能というか肉体の感覚に忠実なのは喜ばしいことである。 社会的なストレスを受けずにのびのび生きられているということだ。

CEDEC一日目。

基調講演ははやぶさのイオンエンジンの人。おもろかったが、 よしがんばるぞ、と思う以上に具体的に得るものはなかったかもしれない。 好奇心は満たされたが。

スクラム。スクラムって何、というところからよく知らないわけだが、 壁に紙を貼ってタスク管理、毎朝15分ミーティング、 毎週あるいは隔週で点検、職能をまたいだチームで組織化、 といったあたりは合理的に思える。 コンピュータ内でのタスク管理や情報共有は見ない人がいればおしまいだ。 実際私はかなり見ない。 にも関わらずやっていることになっているので形式だけが先行して良くない。 壁に貼って嫌でも目につくようにし、毎朝ミーティングをすれば こうした形骸化は防ぎやすい。人間の本性を良く見た方法だと思う。 機会があれば提案しよう。

流体力学の話を聞きに行って寝た。 勝手に寝ておいて言うのもなんだが、 学者さんはもうちょっと技術者の側に歩み寄るべきではなかろうか。 技術者も学者に歩み寄るべきだ、とは敢えて言わない。 なるほどそうできれば理想だが、現実を見れば技術者はむしろ逆方向、 つまりマーケティングや企画に歩み寄るべきであり、 学問へ歩み寄るのは少数でいいと私は思う。 まあ、あの講演を聞きに行くのはその少数の側の人間で、 そこに自分が入ると思って聞きに行ったのに寝ている私はダメ人間である。

どの講演とは言わないが、宣伝は最小限にして技術の話をしてほしいと思った。 自己紹介も最小限でいいだろう。 最近のCEDECは60分でとにかく時間が足りない。ムービーを流したり 自己紹介をしたりしている時間はないはずだ。 パネルディスカッションの類は大抵こういうどうでもいいことに時間を食われて 本題が消化不良に終わる。複数人でやる講演は面白くならないことが多い。

エースコンバットのカメラの話を聞きに行った。 内容は面白かった。品質が最優先で、プログラマにカメラのセンスがないなら 絵描きがデータを大量に用意してそれをできるだけ反映させるシステムを 作るのは理にかなう。手間の問題を考えればまた話も違ってくるだろうが、 差別化の主力要素であるならば手間をかけても問題ないだろう。 にしても、プレビューは実機なんだなあ。 カメラワークなんてPCで動けばそれで良くね?と思うわけだが。

数学者を確保する話。普通の意味ではおもろくないが、 それだけに問題が良くわかった。大学で講義した時も思ったが、 今の状況においては大学の教育に何かを期待するのは難しい。 よくわからん学生を確保することを考えるよりも、 すでに会社に入った人間を大学に送りこんで勉強させる方が よほど確実に思える。大学生が4年かけて学ぶ程度のことであれば、 会社に入って経験を積む中で「この分野が必要だ」と実感している 人間が集中的に学べば、1年とかからず同程度以上の水準まで到達できるはずだ。 若い方が学ぶ力がある、というのは幻想である。 何のために勉強するのかが見えていない学生の学習効率の低さを 甘く見てはいけない。うちらが今から大学に行くべきなのだ、 ということを再確認した。といっても、今の大学はそれを受け入れられる 体制にあるようには見えないので、 うまいこと理解のある学者さんを見つけて小さなところから協力を 始めていくのがいいのだろう。

ソーシャルゲーのお客分析。大規模計算機クラスタで毎日400ギガのログを 統計処理してゲームバランスその他を調整、という話を聞いて、 なにかしら取り入れられるものがあるなと感じた。 その一方で、あーここまで来てたんだなーすげーと愕然とした。 ところで、JavaでMapReduceを使う程度のことがスキル的に大変で、 わざわざ簡易言語を用意せねばならないというあたりにこれまた愕然とした。 C++で普通にプログラミングできる人間というのは、 実は希少な資源だったのだろうか。 むろん、あの業界ではオーバースペックで、 そんなスキルを身につけるヒマがあったら統計処理や顧客の分析スキルを 学べという話になるのだろうが。

宴会。いろいろ。今年の講演者宴会は食べ物が潤沢だった。 しかし、二日目の宴会は講演者も有料。5000円払ってきた。

私はメインホールらしい。何故そんなデカい部屋でと思う。 そんな大したことはしゃべらないぞ。 なお、メインホールの講演はニコニコ生放送でやるようだ。 タイムシフト再生って前もって予約かなにか必要なんだったか。 ひつじこはプレミアム会員なので、不要かもしれないが、よくわからない。 ひつじこに見られるのが恥かしくもあり、うれしくもある。 私が仕事をしている、ということを示せる数少ない機会だ。

2011年09月05日

著作権は特許と違って人権の一つとして見る流派もあるっぽい。 「自分が作ったものを好きにする権利は天から与えられている」 ということだ。 私は根本的にあらゆる法律は社会の幸せの量を増やすためにあると 思っているが、「絶対の理論」として 人権を唱える人は結構いるわけで、そういう人達の考え方だろう。 しかし、自分一人で無から作れることなどありえず、 あらゆる創作は先人の遺産の上に築かれているということを考えれば、 これも100%そのまま受け入れるわけには行かないだろう。

後でタダのコピーがバラまかれると知りつつ金を払って買う最初の人 は一体どれくらいいて、その人達から取れるお金の総額はどれくらいになるのか。 そして、それで元が取れるように作ると、かけられるコストの限界は どれくらいになり、できるゲームの規模の限界はどのくらいになるのか。 そういう話だよな。 考えてみればそれに近い状況にあった産業はある。 一時のエロゲはそうだし、高かった頃の本もそうだろう。貸し借りは 部数が小さいコピーと実質的には同じだ。 今のDSの市場も結構な程度でそうだと言える。 コピーや貸し借りが蔓延するとかけられるコストは明らかに小さくなるのだが、 さて、小さなコストしかかけられない状況はどれくらい社会にとって害なのだろうか。 そもそも害なのだろうか。

携帯電話のアプリはコピーが難しい。ネット経由でしか買えず、 DSのソフトをコピーするようにはコピーできない。 さて、携帯電話のゲームがほとんど数百円なのは何故だろうか。 数千円にすれば売れないから数百円なのだが、何故数千円にできないのだろうか。 数百円相当の品質のものしかないからだ、とか、 電話の用途や電話を持っている客層の問題だ、というのは 今は言えるかもしれないが、携帯電話がメジャーになって他の機械をのみこんでいく につれて、そういう言い方はしにくくなってくる。 もしそうなった後でもまだ数百円しか取れないのか、 それとも、数千円取れる状態になるのかはかなり興味がある。 例えばゲーム専用機とPCが絶滅して全部電話になったとして、 その上で動くゲームに数千円払ってくれるようになるだろうか。 その上で動く動画に今のDVDと同じ値段を払ってくれるだろうか。

物を作った人は報われるべきか。報われるべきだとすればどれくらい報われるべきか。 また、どのように報われるべきか。そもそも、物を作るとはどういうことか。 これだけ根本的な所で解釈がたくさんありうる問題で、 しかも金が絡んでいる。そうそう簡単には済まない。

とりあえず変化があるとすれば特許からだろうな。 著作権は「たまたま同じものができちゃった」場合は問題にならない。 したがって、すでに著作権が取られているものかどうかを調べる手間はない。 実際には集団で作っている場合に個人が勝手にパクってきたことを 把握できていないケースもあるので難しいのだが、 普通に自力でがんばって作っていればそれほど危険はない。 しかし特許は、たまたま同じことを自力で編み出しても引っかかる。 しかも、特許を認める側は素人であり、「却下する理由がなければオーケー」 という原則でバンバン特許が出る状況にある。 そういうわけで、物を作る人間は原理的には全特許を確認しなければならない。 しかし年間数十万件づつ特許が増えているわけで、 検索の手間と、それで引っかかった時に迂回する手間は大きくなる一方だ。 誰も得しなくなる所まで悪化すれば、「こんな制度はいらん」という話になる。 しかしそこまでは簡単には行かない。 法律をいじるとすれば、期間を短くするか、取得しにくくするかだろう。 審査の中身をいじるのは困難なので、手数料を上げるくらいしかないが。 あとは、自発的にどうにかする方法で、実際大企業は手を組んで、 特許の共同利用契約を結んだりしている。

肉は300g買ってきた。まずはひつじこに食べさせ、5切れ残して「あとはどうぞ」 と言ってから私も食べ始めたのだが、ものほしそうに見ているので 皿を差し出したら3切れ食べた。

2011年09月04日

仕方ないのでvaioを使おうと思ったが、キーボードのzxvnmが反応しない。 日記を書くのも不可能なので、HDDだけ取り出して捨てることにした。 今はX220を持ってトイレ。

昨日は若松商店に持っていってX201sを預けた。 いくらかかるのか、いつごろ直るのかは不明。とりあえず預けただけ。 CEDECまでには間に合わないな。vaioも破壊してしまったので、 X220を借りるしかない。できればどうにかしたいが。PDFが開けて 外部に画像を出せる機械なら何でもいいんだよな。 D-subに吐ければipodでもいいわけで。

会話していること自体が重要な場合があるのはわかる。 しかし、だからといって内容が完全にどうでもいいということになると さすがに話しにくい。

「反知的独占-特許と著作権の経済学」を読んでいる。 著者は、特許や著作権が全く存在しなかったとしても 世界は悪くならない、という主張をしている。 いずれも、何かが生み出されることによって生じる価値のうち、 生み出した人が受け取る率を増やすための制度である。 誰かがおもろい漫画を描けば、それによって楽しさという価値が生まれ、 また、それが流通する過程でもうける人があらわれるという価値が生まれる。 作る人が受けとる率が増えるほど作る人はうれしいが、 作る人が受けとる率を高めようとするほど、価格は上がるし不便になるため、 社会全体に及ぼす価値は減る。 そして、特許や著作権の目的は、作った人をもうけさせることではない。 物を作ることによって生まれる価値の社会全体での総量を最大にすることである。 作った人が全く報われないと物を作る人がいなくなって価値が減るので 守ってあげよう、ということだ。 意見が割れるのは、どれくらい作った人が報われるべきかという度合と、 その報われる状況を作るための手段についてだ。 著者は著作権や特許がなくても物を作る人がいなくなることがないくらいには報われるし、 著作権や特許は結果として社会に及ぼす価値を減らしている、と主張している。

著作権がなければ、10億かけてゲームを作るのは不可能だわな。 しかし、10億かけたゲームを作れなくなるから著作権が必要だ、というのは短絡的 すぎる。ゲームに10億かけられる状況にあることが社会にとって良いか、と問うべきだ。 答えは自明ではない。

2011年09月02日

オタマ、完治。めでたい。 ひつじこがおいしいサンドウィッチをたべたいとか言うので、 品川をうろついていろいろ買ってきた。 カルディ、成城石井、dean&deluca。 ひつじこは普段外に出て好きなものを買ったりできないので、今日は特別 たくさん買った。dean&delucaのサンドウィッチは 素材が高レベルでうまい。チーズとハムの奴とか。 サンドウィッチだけで2000円以上使ったな。 あとはいつものチーズとオリーブオイルとトマト缶。

電車行けそうだなあ。CEDEC終わったら福島行くか。

熱い物を入れても持てて、電子レンジに耐え、硬くて洗いやすく、 衝撃に強く、軽いコップが欲しい。 取っ手がついた強化ガラスのコップがあればいいんだと思ったが、 強化ガラスは万が一割れた時の割れ方に問題がある。 コレールブランドのマグカップがガラスでなく陶器なのは ガラスでコップを作るのがヤバいからなのだろう。 あの形状では強度を確保できないのだと思われる。

コレールは割れた時がヤバいっぽいな。調べが甘かった。 一個どっかでわざと割って試験をしておくべきか。 とりあえず、今すぐどうこうするのでないにしても、代わりになるものは探しておこう。

電子レンジ、洗いやすさ、強度、断熱性、重さ。性能はこんなもんだ。 実質強化磁器しかないか。電子レンジにかけられない皿では話にならん。 プラスチックはいろんなものに侵食されてすぐダメになるからな。

Thinkpad X201sが壊れた。 今はX220をトイレに持ってきてこれを書いている。 なにせ電源が入らない。 バッテリー動作中にACアダプタをつないだら電源が落ちた。 何度ボタンを押してもピクリとも動かない。 一回バッテリーを外して入れ直してみたが、ダメ。 何故こんなタイミングで逝く? そういえば前に、電源ボタンを押した後インジケータが光っては消え、光っては消え、 というのを何回か繰り返してから電源が入ることがあった。 ヤバイか?とは思っていたのだが、今まで放置してしまった。 自分の迂闊さを呪う。 これ、ヒューズが飛んだとか、そういうことだよなきっと。 開けてみれば何かしらわかるんだろうが、 今は金で時間と安全を買おう。 とりあえず9/8だけはX220を使わせてもらうしかないか。 資料はPDFなのでAdobeReaderだけ入っていれば足りる。

調べてみたが、電源が入らなくなることはあるようだ。 すでに保証が切れてしまっており、修理代金は万単位。 しかも基本2週間。前の時の対応は迅速だったが、 一旦修理したものがこのザマなわけで、シテテムボード交換という 大盤振る舞いをしてもらっておいてなんだが微妙に気分が悪い。 とりあえずThinkpadの修理を得意としている業者がいくつか存在するので、 こっちを当たってみる。せっかく東京に住んでいるのだし、 リアル店舗でその場で見てもらえると安心できてうれしい。

明日はピアノだ。ついでなので秋葉原に寄って見てもらってくる。 店はいろいろあるのだが、レポートが何件か見つかる若松商店にするか。 多少金がかかってもいいからしっかり直してもらおう。 怪しいところは全部直してもらうつもりで。

Thinkpadの印象がどうにも良くない。キーボードはいい。そして、 物理的には頑丈だ。値段も高くない。しかし、排熱設計が怪しい気はするし、 運なのか使い方が悪いのかこういうことも起こっている。 とりあえず言えるのは、Thinkpadを買う時にはサポートの延長をつけて 買うべきだということだな。3年保証はつけておくべきだ。

ThinkpadX121eのintelモデルはSSDと3年保証をつけても8万切ってる。 修理で3万とかかかるなら買ってしまいたくなるレベルだが、 根本的にこの安さは不安になる。 最安4万台のモデルで、筐体その他のコストは4万で元が取れるレベルだということだ。 本当にこいつThinkpadの名に恥じないくらいに頑丈なのか。

それにしてもX220は具合がいい。キーボードもこっちの方がいい気がする。 なんといってもescがデカくて押しやすいのがいい。 バッテリーが平でモモに置きやすい。液晶もIPSで見やすい。 熱もずっと少ない。解像度が多少低くてもこっちの方がよほどいい気がするぞ。 ファンはうるさいが。 そういえば201sより重いはずだが気にならない。バッテリーだけが突出して重く 重心が右後に集中しているX201sよりむしろ軽く感じる。

とりあえず直そう。話はそれからだ。 しかし結構な確率で来年また買って、201sを実家に置いてくることになりそう。 あそこのPCをどうにかせねばならない状況にあるのは確かだし。

あー、プレゼンvaioでもできるか。コンセントがありさえすれば。 確かいつだかはそうしたはずだし。延長コードさえもっていけば不安もなかろう。 間に合わなかったらそれで。 X220はすでに家電なのでできるだけ動かしたくない。

2011年09月01日

オタマがゲロを吐いたとの知らせを受けて、走って帰ってきた。 ひつじこもオタマもゲロまみれだった。 ゲロまみれのパシーマを風呂でおおまかに洗い、 タオルで体を拭かせ、ゲロまみれになったひつじこのパンツを洗い、 今に至る。トイレ。

2235、オタマが泣いた。


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