だだもれ

2010年3月31日

大学で講義やってくれという話が来て、望むところだと思ったのだが、 詳しい話を聞いてかなり困った。プログラマじゃないのかよ。 講義ならまだどうにかなるが、どうやら演習らしい。 明日の昼までに浮かばなかったら断わるしかないな。

むしろこれを利用して例の計画を実行に移すべきなのか。 余暇でコンパイラを作れるか、という話になる。VM部分はすぐできるんだろうが、 コンパイラはなあ。

仕事、結構進んだのに終わらない。そりゃそうだ。今日やったのは今日湧いた仕事 なのである。明日もわくんだろう。 5日までにある程度片づけておかないと、安心して休めない。

肩が回ってるうちはまだまだ。もっと落とさないと。

2010年3月30日

つきそいで病院。会社は休み。

善意や道徳には罠がある。いいことをするという動機は 結果を考えることを妨げがちだ。 ひつじこはいい子なのでその罠にはまりやすい。 人に借りを作ることを嫌がる。 でも借りは後で返せばいい。予定通り行けばずいぶんと長いこと一緒にいるのだから、 返す機会はいくらでもあるのだ。 もっともこっちは貸してるつもりなどないのだが。

望みに優先順位をつけて、一番上にある物のことだけをまず考える。 その望みを持った理由と、かなえられた時に得られるもの、 そしてその望みをかなえるに際してのデメリットを考える。 デメリットを上回るメリットがあれば、まずそれをする。 2番目以降はそれをした後で考える。 全部ごっちゃにして考えると混乱して一つも満たせないことになりがちだ。 本当に大事な時には全体を見て判断しないといけないこともあるが、 それは本当に大事な時だけでいい。 今大切なのは元気に産むことで、 それ以外のこと、例えば私が会社を休みまくっていることや、 湯沸しポットをむきだしで持ち歩くことや、 メガネが若干欠けていたり寝癖が立ってたりすることなどはどうでもいいのである。

プログラマに対してこれを説明するには、 ナップサック問題が指数オーダーで、貪欲算法で近似しないとやってられない ということで十分だろう。 あるいは行列で考えてもいい。大抵の問題では対角要素が支配的なので 他の要素を0と近似してもそれほどズレない。 とにかく、複数の欲求を限られた制約でバランス良く満たすのは難しい。 大抵は優先順位をつけて上から順に片づけていくことになる。 つまり問題を線形化して考えるということだ。 もちろん線形化には限界があって、本当に大切な局面では 全体を見て最適解を探す努力をしないといけないこともある。 常に寝癖がどうでもいいわけではない。 しかし、線形化していい問題がたくさんあるということは重要なことだ。

数学やプログラミングを日常と結びつけて考えられると便利だと思う。 血肉が通った理解をしていれば細部に囚われることはなくなるはずだ。

英語で血の通った文章が書けたら、私が伝えられる人の数はどーんと増える。 「スティグリッツ教授の経済教室」を読んでいて、 本当に教育が必要な人は日本の外にこそたくさんいるのだよな、と思った。 私ができる範囲で最も効率良く世界の幸せの量を増やせることは何かと 考えると、やっぱり何かを書くことなんだと思う。 それを英語でできたらどれだけいいだろう。 そのためには恐ろしく高い英語力と、 それをやっていても生活できる状況の二つが必要になる。 その二つを手に入れる最短の道は何だろう。

と思いつつ、そのレベルの英語力は無理だし、 文化の差異はそうそうなくならないのだから、 その文化圏内でそういったものがそれぞれ提供される方がいいとも思ったりする。 日本人に教える方法とアメリカ人に教える方法は根本は同じでいいはずだが、 表現は違うだろう。例えば比喩として何を出すのが適当かは完全に文化に依存する。 私は大抵技術書は海外のもの(翻訳を含む)を買うが、 それは日本人がまともなものを書くケースが 少ないからにすぎず、もし同レベルのものがあれば元々日本語のものを買うに 決まっているのだ。

ライブラリという奴は何ができるかと同じくらい何ができないかが重要だと思う。 ライブラリというのは電車の路線と同じだ。 電車は駅という空間中の代表点間の移動を高速化する。 それ以上でもそれ以下でもない。 駅に近いところから駅に近いところまで移動するから意味があるのであって、 駅から遠いところへ移動するのに無理に電車を使うことはない。 そしてだからといって駅をそこらじゅうに作って解決しようとするのは間違いだ。 客には電車を使わないという判断をできる自由度が必要だし、 電車を提供する側にはどれくらい駅を増やしても釣り合うかを判断する頭が必要だ。 家が駅から遠い時に選べる選択肢は結構あって、 駅を近くに作るというのはその一つにすぎない。 駅の近くに引っ越すとか、車を買うとか、そういう選択肢だってあるはずだ。 駅を作るほど電車の速度は遅くなるし、運用にかかるコストも上がるのである。

2010年3月29日

鍼灸院。横で見てた。気持ち良さそうだったのでよかった。

朝7時出社。日曜が停電だったので何も動いておらず、かなり寒かった。 最近休みまくりなので、朝はできるだけ働こうと思う。 まるで終わらない。そして今日も仕事が増えた。

処理落ちとメモリ不足。いつまで経ってもこの二つから自由ではいられないのか。 今回は下のレイヤーで相当がんばってるつもりなんだが。

2010年3月28日

鍼灸院を試すことにした。手遅れ感はあるが、 逆子が治らなくても健康状態が良くなったり 何が悪いのか助言がもらえたりすればそれで十分である。 というわけで、明日の午後は付き添いで休む。 朝早く行かねば。

8Lのフィスラーを注文した。これで一度に13合炊けるようになる。 あとはタッパーとザルとボールだな。 タッパーに関しては500mlでは数が増えすぎて面倒なので、 800mlあたりのタッパーを大量に買ってくる予定。 人数が増えて消費速度が上がったので単位量を増やした方が効率がいい。

冷凍庫はどこで買うかが問題だ。 価格comで安いところで買うと5万。ただしトラブルがあった時が面倒である。 一方ヨドバシで買うとポイントを考慮に入れても6.3万。 設置まで込みになるし、責任の所在もはっきりするので安心感はある。 川崎行ってくるかな。

あと、リバーライトの30cm炒め鍋を買う予定。ひつじこの誕生日に 買ったフライパンは実に具合のいい代物だったのだが、なにぶん小さくて 炒めるのには向かない。これは来週東急ハンズで買う。

2010年3月27日

私にそんな影響力があったらこんな苦労をすることもないだろうに。

newしすぎるな、という意味だと補足しとく。

STLのコンテナは中でnewしまくるが、明には見えないので 気づかないうちにとんでもないことになりがち。

冷凍庫を選んでいる。200L級では エレクトロラックス、三つ星貿易、三洋、アビテラックス、 パナソニックの5つがある。 値段、冷却性能、寸法、動作音、重量、電気代というあたりが基準になる。 パナソニックは値段が他の倍するのでいきなり脱落。 電気代は三洋が一番優秀で、動作音も記載がある中では最小。 三洋でいいな。40kgあるんだが、設置一人でできるだろか。

逆子って回して直せないものかなと思うが、たぶんダメなんだろう。 できるものならとっくにやられているはずだ。 しかし、医者には帝王切開をするインセンティブがあるので、 敢えてやらないという可能性はある。 いずれにせよ、うちらにできることはおちびに 呼びかけて回ってもらうようお願いすることくらいしかない。

今日のひつじこはおならしすぎ。食欲もないし。何か変なものを食べさせたか。 キャベツの漬物を煮た奴がマズかった可能性はなくもない。 なにせ自家製だ。うまいんだがなあ。

ひつじこは、おちびが他の子と会話する時に困らないように、 ハンバーグやカレーなどの「定番の食べ物」を一通り経験させてやる つもりでいた。 しかし、すでに日本の多くの家族で食事が崩壊しているという 話をラジオで聞いて、考えを改めたようである。 仮にうちの子がごまとじゃこと玄米ごはんと野菜の蒸し物、みたいな 弁当を持っていくことになったとしても、 もっと変な弁当を持ってくる子はいくらでもいるはずだ。

逆子がなおらず帝王切開になることが避けられないのであれば、 じたばたしても仕方がない。しかし、とりあえずできるだけのことはすべきだ。 というわけで調べてみたら、拍子抜けするくらいあっさりと まともな情報が見つかった。 とある鍼灸院のサイトがあって、 ここに「つまるところ母体が不健康なのが原因」というようなことが 書かれている。正しいかどうかは判断できないが、 論理展開は自然だ。母体の血行が悪いなどで温度分布がいびつになると、 胎児が心地良さを求めて姿勢を変える、というようなこともあるかもしれない。 もしそうならば、血行を良くし、 温度が均一化すれば状態は改善しやすいはずである。

不健康が原因で、鍼灸で健康にした結果逆子が治るのだとすれば、 健康にすれば良い。 逆子のことばかり考えてもストレスになるので、 とにかく健康になるための努力をきちんとしよう。 なお、鍼灸に関してはひつじこはどうやらそれなりに知識があるようで、 サイトに書かれているツボを自分で押したり温めた石を当てたりしている。 鍼灸院の類は当たり外れがあるらしく、自分でやった方がいいらしい。

今日はゴージャスに重曹大匙5、塩大匙5、クエン酸大匙2、 ビタミンC小匙0.5、を風呂に投入した。 普段の倍以上。実際不気味なほど温まった。

言い訳になるが、私が今まであんまり真面目に調べなかったのは、 調べて出てくるのが大抵体験談だからである。 何かをして治った人は、その何かが原因だというふうに書く。 しかし、そこに因果関係があるかどうかは全く証明されていない。 宝くじに当たった人が「宝くじって当たるよね」と書くのと変わらないからだ。 だから、体験談には心の持ちようを参考にできる以外の効用はない。 また、逆子体操は常識なのかと思えるくらいたくさん出てくるが、 それで何割治る率が改善するのかというようなデータは全く出てこず、 これも信用できない。やって悪くなることはないだろうから やるのはいいが、気休め程度だろう。

2010年3月26日

newすんな。それだけを言いたい気分。

"STL is evil."と言ったGDCの講義があった。完全に同意する。

「産褥ショーツ」の言いにくさはすごい。医者はちゃんと言えるのか。 言えるとしたら絶対練習してる。

明日ちょっと働くかな。

自分が作ったものを誇るのは難しいはずなのだ。 世界で一番その欠点を知っているのだから。 商売でもないのに自分が作ったものを無邪気に誉める奴は ほぼ間違いなく信用できない。

2010年3月25日

ひつじこは仏だと思う。

本が出て1年半とかになるが、まだ増刷されるくらい売れている。 出るまでは穀潰し感でいたたまれない生活を送っていたが、 さすがにその感覚もなくなった。 十分会社と出版社をもうけさせただろう。 私も金はもらってないが名誉は十分すぎるほどもらった。 さて、それにしても不思議なのは、 こんなに売れることがわかった割には似たような本がまるで出ないことだ。 誰か書けよと思う。

と言っていたら、ひつじこが「たぶん書けないんだと思う」と言った。 時間、技術、作文、教える意欲。4つ全部が私くらいにないとしんどいのだとすると、 確かに辛いのかもしれない。私より技術を持っている人はいくらでもいるが、 そういう人の大半は他人に教える気なんてさらさらない人だろうし、時間もないのだ。 また、技術書を書くのに、面白さを重視する人はあまりいまい。

考えれば考えるほど、本を書くのは私の使命のような気がしてくる。 もちろん次に書いたものが豪快にコケることもありうるだろうが、 それで損するのは私じゃない。どうにかしたいものだ。

仕事。なんでこんなに文書がないかな。 聞いてもよくわからないし、近くにやってる奴いないし。

私はサンプルよりも文書を重視する。 サンプル通りにすれば動くという保障は誰もしていないし、 別のプログラムである以上厳密にサンプル通りにすることはそもそも不可能だ。 だから、サンプルはあくまで参考にするだけに留め、 文書に「やっていい」と書いていないことは やってみて動いたとしてもやらない。 が、文書に書いてあることだけだと全く何もできない事がある。 そういう場合にはいろいろ試して規則を推測し、 それについて確認を取るという手順を踏まないといけない。超めんどうくさい。 しかし、こういう経験を積むことで、 自分がこういうものを作る時に何に気をつけるべきかがよくわかるので、 それも悪くないかもしれないとは思う。 文書の充実度は使い勝手を大きく左右する。 また、サンプルを用意する際には1行でも無駄なものを削るべきだ。 サンプル作りを楽にするためかサンプルフレームワークみたいなものを 良く見るが、あれはいらんコードを客に見せる悪影響の方が大きいように思う。 実行して見せることを目的とするデモと、 ある機能の使い方を説明することを目的とするサンプルは分けて考えるべきではないか。

CEDECは高速化チュートリアルで出しておいたが、たぶん通らないだろ。 結構たくさんの人が応募したらしく競争率が高そうだし、 高速化なんて地味すぎて誰も来なさそうだ。

高速化は大抵狭い専門化された話として語られる。 SIMDがどうだの、キャッシュがどうだの、コマンドバッファがどうだの、 実にしみったれた話ばかりだ。それはそれで必要だが、 もし授業をやるというならその前に語るべきことがある気がする。 レイテンシとスループットという一番基本になる概念は カレーを作っていてもレジに並んでいても遭遇するものであり、 専門用語をたくさん覚えていい気になるのはカレーで理解した後でいい。

友達来た。プリンありがとう。

ところで、うちに来る人は前一時間は禁煙してくれるとありがたいなあ。 子供できるし、なおさら。 つうか、みんな禁煙した方がいいと思う。大人には自由があるから おねがいするに留めるけれども、 私はできるだけ長く友達付き合いをしたいので、 寿命を削るようなマネはあんまりしてほしくない。

よく、「犬は動物抽象基底から派生して...」みたいな説明で クラスの派生の説明をするのが抽象的で無味乾燥だと言われるが、 そう感じる人がたくさんいるということに問題の本質があるのだと私は思う。 説明する側は別に抽象的で無味乾燥な説明をしているつもりはないはずだが、 現実にそれが抽象的で無味乾燥であるとみなされている以上、 説明する側とされる側に何か違いがあることになる。 たぶん、多くの人の頭の中ではプログラミングがリアルではないのだ。 プログラミングをプログラミングとしてしか考えてない。 カレー作りやレジの行列と同列のリアルな現象としてプログラミングを見られていない。 問屋と小売の関係と、メモリとキャッシュの関係を同列に見られていない。 もっとプログラミングは自然にできるはずで、 そのためにはプログラミングをリアルにすることが必要なのではないか。 「コンビニ店員抽象基底から派生した佐藤君」という理解は そのままプログラミングに使えるはずだ。 誰であってもコンビニ店員であれば客にとっては同じように機能するのである。

2010年3月24日

久しぶりに仕事したが、問題の切り分けのために かなり面倒な作業をせねばならず気が滅入る。 gdcの成果を形にするのはもう少し先だな。

いきなり親来た。平日だっつうの。 弟の卒業式だとかで福島から出てきたのだが、 ついでにうちを見ていった。 ようやく子育てが完了して仕送りも終了、ということで感慨深いんだろう。 まあ、平日なんだけどな。くだものはありがたく食う。

英語のメールってどうやって書けばいいんだろ、とか考えつついろいろ。 慣用表現はむつかしいな。これ命令文じゃないんだよね? みたいなところからすでによくわからない。 英会話に50万払って「相手が聞いてくれる前提ならどうにかビビらずに話せる」 という所までは行けたわけだが、実用になるレベルってのはさらに相当上だ。

CEDECでなんかやれとか言われた。無理だと思うんだがなあ。 つうか、9月は絶賛デスマーチ中だと思う。 そして、やる内容も問題だ。 去年のはどう考えても失敗で、もしやるなら同じことはできない。 でもまあ一応やるとしたらこんなもんか、というのを明日の昼までに考えて、 あとは上司の判断というところか。

ライブラリの作り方とか、みんな興味ないだろうし、 正直自分でもまともにやれてるのかわからん。かなりの確率で恥をかく羽目になる。 最適化入門とか、そんなしみったれた事にはみんな興味ないだろうし、 そもそもどこの会社にもその手の達人はいるだろう。 わざわざ金と時間を払って聞きに来る価値がある何かってなんだ。 というか、一体誰を対象にすればいいんだ。 どうせ学生は来ないのだろうし。

本。結構会社をもうけさせてると思う。 もう一回やっても黒字にするくらいまでは行ける気がしてきた。

翻訳の分厚いゲームプログラミングの本が出るのだが、 ページ数が私のより多く、値段は私のより安い。かなり悔しい。 内容は私のより相当専門寄りっぽい。誰か買ったら借りて読もう。 勉強になりそう。

2010年3月23日

産婦人科。医者的には帝王切開で決まりという感じで、 リスク等々の説明も非常に適当だった。 「いろいろあるがキリがないので書いてない」的な。 100%の安全なんてないんだし選択肢はないだろ?ということだろう。 帝王切開であれば産道にどんな菌がいようが関係ないので、 そっちの説明もなし。まあ、安全な方法がそれであるならば異存はない。 問題は学年だな。ひつじこは4月2日以降に産んで 1年下の学年になることを強く望んでいるが、 帝王切開は陣痛や破水の前にやらないと面倒らしく、 医者的には3/30から4/1あたりでやりたいようだ。 ひつじこの強い希望により4/5としておいたが、 その前に陣痛が始まればそこで手術となる。 クラスで一番若い子になるのは 何かと大変かもしれないが、その分がんばって生きてくれるかもしれないし、 私らでどうにかできることもあるだろうと思うので、 私としてはどちらになってもかまわない。 優先順位はひつじことおちびが元気でいることが第一で、 他のことは気にしないつもりでいる。

歯医者。矯正の金具が外れた。2ヶ月後に見て変な方向に動いていれば 再度装着ということになるが、このまま安定してくれれば めでたく終了ということになる。 ずっとあったものがないのは不思議な感覚だ。

鳥ささみを100g39円で買ってきて、ミンチにして麻婆豆腐。 だが違う何かになった。明らかにとりそぼろと豆腐の唐辛子煮込み。 しかし麻婆豆腐と考えなければこれはこれでおいしいし、 油が少ないのでひつじこには食べやすいようだ。 これからはこれで行こう。うちではこれを麻婆豆腐と呼ぶことにする。 味に力がないのが気になるが、 そのへんは肉を味噌漬にする時間を長くしたり、 オイスターソースでドーピングしたりすることでかなり解決できるだろう。 次回である程度完成させたい。

ぶどう、味しねえ。所詮100g39円か。

10刷らしい。すでに心情的には他人事だが、 windows7の64bit版で動かないらしいのでそこだけはどうにかしたい。 だが、それにはPCを買わねばならん。

2010年3月22日

いっぺいが泊まりこみでプログラミングの勉強をしにきた。 とりあえず倉庫番を作らせてレベルを判定し、 あとは足りなさそうなことを教えた。 一週間でだいぶいい具合になったと思う。 やる気と能力が両方揃っているので上達は速い。 メインイベントである高速化の話までは行けなかったが、仕方ない。次回としよう。

PCで動いて、正常動作しているかどうかのテストさえ提供されれば、 コードに文句をつけたり改善のヒントを出したり最適化したりすることができる。 そういうのって商売にならんかな。 しかし、できればこっちで何かをしてあげるというよりは、 自力でできるようになるための手助けをした方が社会のためだ。

ゲーム専門学校とか大学でプログラミングを教えるバイトとかできんかなあ。 副業禁止なので何かをどうにかしないとダメだとは思うが。

会社の中でそういうことをするのが筋な気もするのだが、 一時間授業聞いて終わりってわけには行かないわけで、 やるなら丸一日課題をやらせて私が後ろから文句を言いまくったり、 全員にどう考えてどう作ったのかをプレゼンさせたりと かなり大規模な話になる。 私を教育という用途に使うのであれば、 社内の少人数相手にやらせるよりは、 本でも書かせて薄く広く効果を及ぼす方が社会として効率がいいはずだ。 やっぱ本書こう。

教育用言語は実用言語とは分けるべきだと前から思っていて、 今もその考えは変わっていない。 VisualStudioはインストールするだけで障壁だし、 画面に絵を出そうと思うと追加のライブラリやらwin32やらが必要で ただでも弱い初心者の意思を挫くには十分すぎる。 pythonやperlはunix使いでもない限り導入ポイントとはなりにくいし、 やっぱり何か入れないと絵が出ない。 文法がメジャーな実用言語に似ていて機能が最小限で、 特に変なことを覚えなくても画面に絵を出せ、 開発環境のインストールが簡単で、開発環境の使い方を勉強する手間も最小、 というものが用意できれば大学生のプログラミング演習向けにも丁度いいだろうと 思った。 教育用プログラミング言語でググるといろいろ出てくるのだが、 いまひとつピンと来ない。日本語ならいいのか?カメが動けばいいのか? そういう問題じゃないんじゃないのか? 小学生を対象として見ると妙なことになる気がしてならない。 高校の物理や数学で初めて使う、というくらいでいい気がする。 だったらカメはいらん。日本語は使えてもいいけどな。 内部ユニコードにすれば自然にそうなるし。 全角スペースと半角に同じ文字がある記号類だけ気をつけてやる必要はあるが。

開発環境もexe一個でいいよな。メモ悵で書いてそのアプリにドラッグアンドドロップ すれば実行、というので十分すぎる。 変なIDEを作ると障壁が高くなるからな。

最近マイケルが熱い。体の使い方がうますぎる。 こんなキレる動きができる奴は格闘家にだってそうそういないのではないか。 この動きを真似するのはいい練習になる。 音楽も洗脳度が高くて素晴らしく、なるほど偉大な人だったのだなと今さら思った。

いっぺいものじりんもなんか軽くて良さげなPCを持ってて、私も欲しくなる。 出張中もメモが全部手書きでしんどかったし。 しかし、次に出張の類があるのがいつになるかはわからないわけで、 今買わないといけないわけではない。しばらくはこのままでいいかと思う。 ThinkPad X201sが13万で買えるのだが、微妙に悩み所ではあるのだよな。 カメラとマイクは内蔵しててくれるとskypeとか使いやすくてうれしいし、 スピーカーがモノラルだとひつじこ的にしんどいだろうから 外部スピーカーが必要になってまた邪魔になる。 そのへんはvaioTなんだよな。

出張中に書いた日記を上げた。 それぞれの講義の感想を書いてもいい気がするのだが、どうなんだろう。 会社の金で行ったのだからダメだという考え方もあるだろうし、 GDCの発表は公開されているのだから問題ないという考え方もあるだろう。 心情的に前者の考え方をする人が多い気がするので、 とりあえずは書かないでおく。

帰りの飛行機で出たメシのマズさは殺人的だった。 基本的に私は許容範囲が広いので、 「おいしい」「おいしくない」「まずい」の3つに分類 すると、9割以上の食べ物が「おいしくない」に分類される。 滅多においしいとは思わないが、積極的に食べて苦痛を感じる食べ物に出逢うことも そうそうないのだ。それだけにあのメシは衝撃だった。 二口食ったところで吐き気を催してそのまま残す、なんてのは一体何年ぶりだろう。 もしあれが行きの飛行機だったとしたらその後の予定に影響したかもしれないわけで、 基本的に飛行機のメシは食わない方が無難なのかもしれない。

そういえば、GDCの後の宴会の中華料理もひどかった。 でもあれでも「おいしくない」なんだよな。 炒め物は作り置きしちゃダメだろ。 大人数向けに料理を用意する場合は煮込みとか蒸しとかにすべきだ。 実際蒸し物の点心はちゃんと食える代物だったのである。 味の素は多すぎだったがな。

C言語の学習の際にどこに罠があるのかが、教えていてよくわかった。 どのくらいの抽象度で考えていいのかがわかりにくいのだ。 「変数という箱があります」みたいな考え方は、始めてしばらくはいいが、 文字列処理のように低レベルな話になると途端に害になる。 「配列なんてものは存在しない」と言ったらあっさりできるようになったので、 そのへんに罠があるのは明らかだ。

unix使いであれば日々の作業の効率化という欲求から自然にperlやpythonを 学ぶことができる。しかし、あれとゲームや科学技術計算はだいぶ違う。 メモリと計算器が直接見えている方がかえって簡単なのではないか。

今日から平常モードだ。まず保留になっていた買い物を全部片づける。 冷凍庫、炒め鍋、圧力鍋、ザルとボール、タッパー。 冷凍庫はヨドバシにでも行って現物を見てくるべきだろう。 今のところ三洋のHF-21CPあたりか。

おならの音がe3で、ひつじこが「携帯?!」と反応した。 携帯電話が床の上で振動する音がちょうどe3なのである。 大したものだ。

赤ちゃん布団を買おうと思ったのだが、 よく考えてみればひつじこが添い寝することになる気がするわけで、 いらない気がしてきた。 今の布団はひつじことおちびが使い、 私は離れて寝袋ででも寝ていればいい。いずれはおちびも頑丈になって 川の字で寝られるようになるだろう。 パシーマくらいは買うべきかとも思ったが、今あるダブルサイズのパシーマを うまく使えばいらん気がする。あれ、何もいらないじゃん。 腹から出て来る前に買っておかないといけないものなんて何もないのかもしれないな。

考えてみれば、しばらくはおちびが夜中に泣きまくるのは間違いなく、 私は仕事に差し支えが出ないように離れて寝ざるを得なくなる。 たぶん玄関で寝袋に寝るんだろう。であればやっぱり布団は足りてしまう。

23日はひつじこの病院に付き添うので、会社休む。 直さないといけないバグが残っている状態で大変申しわけないのだが、 この埋め合わせは明後日以降。

2010年3月15日

帰ってこられた。いろいろあるが、日記は後で。 あしたは早起きしてレポートを書かないと。 そしたらしばらく会社を休む。

ちょっとだけ。this is itを見た。丹田動かないこの人。 カイジ見た。かけひきはゴミになっているが、 心理的なところだけは漫画よりわかりやすい。 そりゃ映画だから当然だが。 思ったよりはダメじゃなかったが、面白いとは言わない。

「さよならピアノソナタ」。まともに読める。ヴァイオリン弾こうと思った。 あと、ギターってある程度まではすぐできるようにならんかな、とか思った。

2010年3月14日

朝、風呂に入った後のお湯で服を簡単に洗って干した。 一週間くらいなら着ていった服ともう一セットあればいい。

スーパーで土産代わりにピスタチオを買った。 ただでもまともなものを食ってない人が多いので、 チョコレートはやめておいた。 これくらいの方が健康にいいと思う。

いかん、土産もう一個買わないと。明日の朝だな。

朝一番で聞いた講義は面白かった。 プログラムはデータを変換するもの、という基本に立ち返って設計すれば いろんなことが単純になるというお話。 実際に可能かどうかはともかくとして、 その視点を忘れないことは大切だろうと思う。

終わった。最後の講義はフランス語圏の人が英語でしゃべってて、 聞き取りがしんどかった。がんばって英語のリズムに慣らしたのが全て 裏目に出た感じ。難しい。

宴会。人多い。でも、何人かといろいろ話せておもろかった。 私くらいの人でも管理に回る人多いんだな。 私は階級としては下っ端なわけで、ベテランとか言われると違和感あるんだが。

やっと帰れる。帰るよ。 といっても、こっちの13時くらいに出発で、11時間飛んでいるので、 7時間引いて、月曜日の夕方5時くらい。

全体に、がんばらなあかんなあと思う。 みんながんばって作ってる。 私ももうちょっとがんばろう。

2010年3月13日

昨日はPCを使わせてもらっている先輩と別行動だったので日記を送れなかった。

あんまり思い出せないので、風呂のことを書く。 広いが浅い。シャワーと蛇口の切り替えも、お湯の温度の設定も 妙にわかりにくい。そして、風呂桶の外はすぐトイレなので、 風呂桶の中で体を洗わねばならず、洗うと洗剤まみれになるので 一旦風呂桶も流さないといけない。 彼らの入り方は日本的なやり方とは全然違うんだろうな。

夜はまっすぐホテルに戻ってもっていったパンを食って寝た。

金曜日は雨だったが、気にせず走って会場へ行った。 折りたたみ傘は壊れていたのでもってこなかったのだ。

個々の授業で思ったことをここに書くのはなんかグレーゾーンな気がするので、 とりあえず今は書かない。帰ってから書くかもしれない。

プログラミングの講義がない時間があって、聞く予定でなかったビジネス関係の 話を聞いた。やっぱりみんな同じようなことを感じているんだなと思った。 アメリカでは車が普及するにつれてスーパーマーケットがシェアを伸ばして、 小さな小売店は駆逐されてしまった。 サービスの質が多少下がったとしても、人は便利で安い方を選ぶ。 ゲームも同じで、実際ゲーセンは家庭用に取ってかわられているのだ。 もう一段階進んで、パッケージ販売が駆逐されて web配信になっても不思議はないし、たぶんそうなるだろう。 キーワードは便利と安さである。 ゲーセンに行かないといけないのは不便だし、単位時間あたりのコストは高い。 家でできればもっと便利だし、一回買ってしまえば長く遊んでもコストは増えない。 家庭用に移植したものの出来が多少しょぼくても、 便利で安い家庭用の方が有利だったわけである。 同じように、ゲーム屋に買いにいかねばならず数千円もする 今の家庭用ゲームよりも、ダウンロードで買えて最低でもディスクと流通コスト分は 安いダウンロード販売のゲームの方が、多少しょぼくても売れるだろう。

金を払ってもいいから高品質なものを求める層はなくならないのではないか? という反論がある。質問でも出た。 しかし、ここで考えねばならないのは、 これから出てくるショボくて安いゲームの客は私ではないということだ。 今までゲームをしてきた人間なんて相手にしていないのである。 これまで面倒くさくてゲームなんてしてこなかった人間はもっとたくさんいて、 そっちがメインの客になるのだ。 であれば、ショボイかどうかは問題ではない。 新しい客はより出来がいいものと比べもしないのだから。 何万円もするでかい機械をテレビにつないで何千円も払わないと できないようなゲームはそもそも眼中にないのである。

新しい客が古い客と別の世界にいるなら、ほうっておけばいいんじゃないかという 意見もある。だが、それは無理だ。 新しい客が増えると、そこで競争が起きる。安い割にはそこそこいいゲームが 出てくるだろう。そうすると、「高いが出来がいいゲーム」で 「すごく安いがそこそこできがいいゲーム」 のコストパフォーマンスに対抗するのはどんどん難しくなる。 「値段分はすごいんだよね?」という圧力がどんどん増してくるのである。 もうそういう状況は起こっており、何十億とかけた大作を6800円で売られてしまうと もううちらには対抗のしようがない。 しかし、だからといってそういう大作を何百万と売った会社がしこたまもうけている わけでもないのである。

なお、私はこの状況を悲観的に考えてはいない。古いやり方にこだわってる 会社は消えてなくなるだろうが、それは自然の摂理で悲しむべきことではないからだ。 しょぼいものが蔓延していいものがなくなるのは駄目だと思う人もいるかもしれないが、 たぶんそういうことにはならない。 技術でどうにかなる類の品質は時間が解決してくれるし、 ゲームの面白さに関する品質は競争が解決してくれるだろう。 たとえば画質の話をすれば、 10年後の無料ネットゲーは今のPS3のゲームより高い画質になるのだろうし。

みんなこのへんをどう考えているんだろうな。 今もうかるかどうかだけでこれから作るものを決めるような マネをしていなければいいのだが。 人的資源の割り振りも大作中心のものから転換しなければならないだろうし。

健康系のスーパーを案内してもらった。でかい。豆の量り売りとかしてる。安い。 土産はそこで買っていこうと思う。 長い米とか買って帰る。あとスパイスかはちみつか、そのへん。

夜は肉食った。10ドルで鳥一羽の半分。400か500グラムあったと思う。 あとでかい芋とパンとサラダ付き。味は肉なのでまあいいのだが、 戻ってすぐ下痢した。いくらなんでも早すぎるのでこのせいかどうかはわからない。 しかし気持ち悪い。ひつじこなら即座に吐いてそうだが、 私は吐くのに抵抗があるので吐かない。

ひつじこが大変そうなのですぐ帰りたい。でも、あさってまで帰れない。 23は会社を休んで医者の説明を聞いてくる予定。

他の会社の人の発表を聞いているとがんばらなあかんなあと思う。 自分にできることはやらないと。

2010年3月11日

戻って20時には寝た。でも起きたら真夜中だった。 仕方ないのでテレビをつけながらファインマンを読んだ。 自然数から整数、有理数、実数、複素数と数を拡張していく 話の流れが素晴らしかった。 こんなに美しい教え方が何十年も前にされて記録に残っているのに、 これよりもさらにいい教え方をしている人がたくさんいるとは思えない。 うまくアレンジすれば子供に教える時にも納得させられると思うのだが。 ひつじこで実験したい。

テレビはアニメのチャンネルをつけておいた。 ポテトとシェイクと肉の塊の三つのキャラがなんかやってるやつは 衝撃だった。マクドのポテトに顔がついてるのが浮いてて、 ポテトがにょろにょろ動いて物をつかんだりする。なんだこのセンスありえねえ。 名前は普通にシェイクとかミートとか呼んでた。 ポテトと呼ぶところは聞けなかったが。 さっぱり聞き取れないので話はわからんが、とにかくおかしい。 つうか、普通の人間もそのへんにいるのだが、一体どういう世界なんだろう。 最初に悪の科学者くさいのが出てきたが、あれで説明したつもりなのか。

あと、何かと血が飛ぶ。何かと食われるし、撃たれるし、バラバラになる。 とてもひつじこには見せられない代物だが、 どうやらこれは笑うところらしい。実際絵はシンプソンズみたいなもんなので、 見た目にグロいわけではないのだが、 変にリアルなよりよほどえぐい気がするのは私だけだろうか。 そして、そういうアニメよりも、なんか神父が売春婦を買ってるアニメの 方が対象年齢が上だった。この国の道徳観は面白い。 クレイアニメみたいなのが普通の平面アニメと同じくらいの数あるのも面白いし、 全体に適当な絵なくせに口パクだけは妙にちゃんとしてるのも面白い。 感性の違いが伺える。

音楽番組は、黒い人が露出の激しい美女に囲まれてラップしてるものか、 露出の激しい美女が歌ってるもののどちらかしかなかったような気がする。 露出の激しい美女は必要条件なのだろう。 ところで、テレビを見てるとそういうケバイ女性がたくさん出てくるのだが、 その割には町でそういうケバイ人を見る率は低い。 化粧してない人の数は日本に比べて遥かに多い気がする。 気のせいかもしれないが。

テレビに150kg超と思われる体格をしている人がしょっちゅう出てくる。 町を歩いていて見かける率より高い気がするくらいだ。 太っていることを肯定するような番組つくりを意識的にしているのかもしれない。 もちろん単なる気のせいかもしれないが。 ただ、いずれにせよでかい人が多いのは間違いない。 あまりに見慣れてしまって、100kg級程度ではまるで太っては見えないのである。 大量生産と大量消費の行き着く先がこれかと思うと、恐ろしくなる。 デパートの地下の食品売り場には成城石井並みにまともな食品が売られているが、 値段は高い。金持ちだけがまともなものを食えるという状態なんだろう。

今日は一日物理の話を聞いた。 前半はもうおおむねわかってることか、 やる予定もないことのどちらかだったので考えるきっかけになったという 程度だったが、 最後のネットワークの話はおもろかった。 4人がネットワークでつながったゲームをやる時とかに、 それぞれの機械がうまいこと自分の周りだけを計算して、 その結果を互いに送りあって全体としていい感じにするという話。 通信は下手すると秒に近いくらい遅れるので、 うまくやらないと妙なことが起こるわけだが、どうやらどうにかなるらしい。 そのうち試してみたいな。

GPUで物理する話もおもろかった。すごいとんちだ。 しかし、どこか釈然としない。 CPUよりべらぼうに速いGPUを使うというのはわかるのだが、 結果的にCPUでやるよりも遥かにたくさんの計算をしている気がする。 言うならば、給料が高いベテランを使うよりも、給料の安いバイトを 大量に使う、という感じであり、確かに人件費は減っているが 仕事の量そのものは増えているのだ。 仕事の量を減らすことが真の効率化だというイメージが私にはあるので、 どうにも釈然としないのである。 まあわからなくはないのだが。安い人件費で大量に雇うのが今の正義なのだし。 なお、発表は日本の人で、ちゃんと英語でしゃべってて大したものだと思った。

夜はタイカレー。10ドル。結局食いに行ったな。まあ仕方ない。 結構辛かった。メーヤウの星2つくらいか。多いが高い。

空き時間におもちゃ屋に行って、前入った時に気になってた動物のフィギュアを買った。 schleichというメーカーので、たぶんドイツ。造形のレベル高い。 本当はカバが良かったのだが、なかったので子供のひつじにした。 イボイノシシとかあるのになんでカバがないのかと思う。

でかい成城石井みたいな店はいろいろあった。最終日の昼にもう一回みて、 土産になりそうなものを買おう。 チーズが安かったのだが、さすがにチーズは買えないよな。冷蔵できん。 エダム100g200円台は相当安いと思うのだが。

せっかくアメリカ来たのに、アメリカ製品を土産にする気がまるでしない。 おもちゃ屋にはアメリカ製のぬいぐるみとかもいっぱいあったが、 造形が悪すぎるうえにセンスについていけない。 食べ物もめぼしいものが見当たらない。

2010年3月10日

朝水浴びをしてから出た。 よく寝たはずだが、何かヴァイオレンスな夢を見たようで いまひとつ気分は良くない。

DirectXで綺麗な絵を出す話を聞くはずだったが、 気が変わってMicrosoftの話を聞きに行った。 そして、英語がやっぱりまるで駄目なことがわかった。 一対一で相手が自分の言うことを聞いてくれるというのが どれだけ実際の状況からかけ離れているかを思い知った。 私は耳が駄目なせいか、 マイクを通した声は日本語でも苦手だし、 生の声であっても初めて聞く声を 唇が見えない状態で聞くのは難しいのである。 それが英語ともなるともう完全に駄目だ。 まあ何の話をしてるかはおおまかにわかるので ただポカーンとして過ごすというようなことには ならずに済んだが、それにしても 払ったコストに見合うだけの実りがあったかどうかは 疑わしい。

一個は帰ったらやろうと思ってた事だったので そこそこ役に立った。 やり方をゆっくり考える時間が得られた、 というだけのことかもしれないが。 他は勉強にはなったが「ふーん」くらい。 結局技術というやつは使う必要性が ないとピンと来ないのだ。 たくさんものを出すものを作らない限り、 たくさんものを出すのに使える技術を まじめに考える気にはなかなかなれない。 頭の片隅にでも残っていてくれれば いずれそういう機会があった時に役に立つだろうが、 悲しいかな脳の容量は有限だし、 私の脳の容量はあんまり多い方でもない。

もうDirectX9は過去の存在なのだなあと思う一方、 それを過去に追いやるべき理由があまり見つからないという 現実もあって難しい。 そもそもDirectX10以降を試す環境が手元にないのだ。 そのうち家に新しいPCを導入したら試してみよう。 例の本に関してちらほらWindows7で動かないとかいう 報告が来ているわけで、いい加減こっちでも 対応しないとまずいだろう。 DX11版を提供する、というところまでやらないまでも、 せめて動作確認くらいはしたいところだ。 64bitの問題もあるし。

会場が寒かった。でも、たぶん多くの人にとっては あれでも暑いんだろう。半そで半ズボンの西洋人が ごろごろいた。多数派がそうなら我慢する他ない。

夜はカレー。日本で言うバイキング形式。14ドル。 しくじった。豆と野菜のカレーは普通に食えるので 文句はないのだが、他のものがまずかったし、 14ドルは使いすぎだ。 というか、私はどう考えても外食する必要がないだろう。 もってったもので足りてる。

2010年3月9日

ひつじこを実家に届けてから成田。 100ml以上の流体を持ち込めないという話を聞いてあせったが、 日焼け止めはギリギリ100mlだった。透明なジッパー付きの袋は ちりめんじゃこを移して対処した。面倒くさいが、 それくらいものものしい方が威圧効果があっていいんだろう。たぶん。

朝早くついたが、チェックインはすぐできた。 3人でチャイナタウンの方に歩いていって、 できるだけそのへんの人が食ってそうな店で シューマイその他を食った。7ドル。 蒸し具合などは申し分ないが、味の素。

フィッシャーマンズワーフあたりまで歩いていった。 晴れてて景色は綺麗で、肥え太ったウミネコが警戒心のかけらもなく そこらじゅうを歩いている。 今まで「絶対まずいからやめよう」と思って避けていた クラムチャウダーを食って、想像をはるかに超えるまずさだったことに満足した。 アサリをこれほどまずく料理するには一体どれだけの条件を クリアしなければならないのだろう。 鮮度が悪く、かつ加熱が過ぎ、さらにおそらくどこかで煮汁を捨てたのか ダシの味が微塵もない。つうか、くさい。後悔を堪能した。

海沿いを歩いてmarketストリートまで戻り、 明らかにやばそうな雰囲気になる6thあたりまで歩いた。 道一本でこれだけ雰囲気が変わるのは素敵だ。 しかし、雰囲気が変わる前の4thや5thでも普通にこじきの人がいて、 気まずい雰囲気をかもし出している。

ゲーセンがあったので少し見た。 古い機械と新しい機械がこれだけごちゃ混ぜに置かれているのは 日本ではたぶん珍しい。スト2とスト4が一緒に置いてあるとか、 湾岸ミッドナイト3とデイトナUSAが一緒に置いてあるとか、そういう状態。 こういうところを見ていると、昔ゲーセンが元気だった頃は 日本の存在感はすごかったのだなあと思う。

野菜ジュースと水と歯ブラシを買った。歯ブラシは鍵がかかった棚に 置かれていた。野菜ジュースは無塩のがなかった。 1.3Lで4.5ドルもするが、なしで済ませて体調を悪くするわけには行かない。

戻って昼寝。起きたら舌がひりひりしていた。 クラムチャウダーの呪いか。栄養を取らないとまずいと本気で思った。

会場に登録に行って、晩御飯。タイ麺。 ベジタリアンな感じで、おいしく食べられた。野菜の炒め加減がうまい。 ダシもやさしい感じで味の素は感じられなかった。 ナンプラーを足して食べた。8ドル。

この国、やっぱり金かかる。明日からは金を使わずに生きられるといいが。

なお、この日記は先輩が持ってきたノートPCで書いている。 その先輩は横で寝息を立てている。申し訳ない。 そういえばネット接続料金も会社もち。いい具合に寄生しているな。

2010年3月7日

ThinkPad X201sが買える状態になっている。13万で620LM+4GB+250GB。 安いし、タッチパネルもあるのでひつじこも違和感なく使えるだろう。 しかしどうせなら660UMまで待ちたいとか思ってしまうのは たぶんまだ本気で欲しくないからか。 出張に間に合う時期に出ていれば買っていただろうが。

64GBでいいから安いSSDの選択肢があればいいのに。 うちの用途だと250GBは過剰だ。windows機側には重要なデータは置かないからな。 あと640UMが選べない。 値段の割に性能が悪くて人気がないからだろうが、 私にとっては消費電力の方が重要だ。 あと不安なのは内蔵ビデオの動画再生支援がゲフォ7400 よりショボいかもしれないということか。

アクセス解析がなくなって、不便な気もしてきた。 とりあえずgoogleでアドレスを入れて検索したら、 検出してなかったリンクが結構みつかった。 レスしなくてすみません、みたいな。 たまにググればそれで足りる気もしてきたが、 データ構造の実験も兼ねて作ってはみるか。 どう貯めこんだら高速で小さくできるか。

でも家でプログラミングする気にならねえ。 ノートのキーボードと、ノートのタッチパッドと、 ノートの液晶。プログラミングには甚だ向かない。 まあcgiを書くならvi+gccで十分なのでVisualStudioほど解像度は必要としない のではあるが。

200lの冷凍庫が5万くらいで買える。しかし、電気代が月500円くらい増える。 判断が難しい。場所も食うし。冷蔵200+冷凍200の冷蔵庫があればそれで足りる というのに。スペース的には縦に長い方がありがたい。

1920x1200のモニタが余りそうだが、とりあえず3/16-3/22は 人にプログラミングを教えるのに使う。

ノートPC、買うのはいいんだが、古いのをどうするかが問題だ。 リカバリすればたぶん問題なく動くのであげてしまってもいいのだが、 PC慣れしてない人にあげるには耐久性に不安がありすぎる。 中古屋に売って5000円にでもなるのならそれでもいいんだろうが。

そば粉、11kgで6000円。こねて焼くだけでパンもどきが作れるし、 もちろんそばも作れる。買おう。

やっぱり冷凍庫は必要だ。 これがあれば、一度に鍋2個分米を炊くことができ、 飯炊きの手間が圧倒的に減る。 あんこだってリットル単位で作れる。 ひじきの煮物もリットル単位で作れる。 たらこは3キロの樽単位で買えるし、 鮭だって2匹買ってきて一匹は丸のままで保存できる。 イカを箱で買ってきてまとめて保存することもできる。 量の問題だけではない。 毎晩一旦プラスまで温度を上げて霜を溶かすような 温度安定性のない冷凍庫では長期保存などできるわけがないのだ。 量産効果によるコスト削減があらゆる局面で得られることを 考えれば、月500円程度の電気代をケチる事に正当性はない。

あとの問題はどの機種を買うかだけだな。 一回秋葉原をさまよって見てこよう。 冷凍庫はマイナー商品なので川崎のヨドバシ1軒だけでは 雰囲気がつかめない可能性が高い。 あとは、フィスラーの6L圧力鍋をもう一個と、ザル、タッパー等々を 倍に増やせば飯炊きにかかる手間は大幅に削減される。 あとは、パンこね機があるといいらしい。 調べたら600gこねられる機械が4万くらいだった。 1kg行ける奴もあったが、普通に買えるのは旧型だけで、 新型はパン教室経由でしか買えないらしい。なんでそういう商売をするかな。

ビタクラフトの圧力鍋があるならいいかなと思ったが、 3.5Lまでだった。話にならん。

荷物のかなりの部分が食料に占められている。 今回はデカいリュックはやめて、普段使っている小さいリュックだけにした。 預ける荷物はない。 今までデカいのを使っていたのは洋書を大量に買いこむためで、 持っていくものそのものは多くなかったのである。 今回は洋書を買う予定はないのであんなデカいものはいらない。 最軽量を目指す。

一週間もひつじこと離れるのは初めてだな。

久しぶりに肉食った。和牛のもも肉が400gで500円だったので、 買ってきてステーキにした。 丸元の教えにしたがい、限界の弱火で5分、裏返して3分、 その後側面をちょっと焼いて終わり。 切ると真っ赤な汁がしたたるくらいのレアだ。 加熱するほど固くなって味も抜けるので、これくらいがうまい。

バカテストは見たいな。原作もちょっと読んだ。

2010年3月6日

「人口現象の経済学」。人口が減るのが困るのは、 単純にいろんな制度が人口増加と高度成長を見込んだものだからで、 それを直せば別に問題なんてない、ということが書かれている。 私もそう思う。人口が減ることが悪いことだとはまるで思えない。 その分女性と高齢者が働けばいいし、今の働き方が十分に効率的とは思えない。 このへんを改善する手を尽していけばそれでいい。 そして、年金なんて大した問題ではないということがなんとなくわかった。 金が足りなくなれば支給額が減る。減るしかない。 支給額を据え置くには負担を増やさないといけないが、 一定以上増やすと負担する側の抵抗に耐えられなくなるから限度がある。 どっかのタイミングで抜本的にどうにかせざるを得なくなるだろう。 抵抗勢力はだんだん減っていくのだし。 その時にはこの本にあるように全部税金にして、その年取れた分だけ支給するように してほしい。今の若いのが、今の年寄を支えればいい。 税金にしてしまえば年金のための組織とか徴収コストみたいなのも なくなるし、運用成績による不確定性もなくなってすっきりする。 この本に書いてあることに同意。

この本は基本的に金勘定を土台に据えて話をしているので、 感情的に違和感を感じるところもあるだろうなとは思うが、 長い目で見れば世界は金勘定の理屈で動くものなので、 遅かれ早かれこういう方向には向かうんだろうと思う。 例えば、高齢者の介護の問題がある。 介護は家族でやるものだというイメージがまだ根強いが、 単純な金勘定の問題として、要介護者を一箇所に集めて 専門の業者に介護させた方が一人あたりのコストは安く済む。 介護する家族がそれを理由に仕事を減らしたりやめたりすれば、 その機会費用も問題になるからだ。 また、じいちゃんばあちゃんの家には休みに孫が遊びに来て 泊まっていく、というようなイメージも、金の問題によって だんだん消えていかざるを得ない。 単純に人が泊まれるほどの広さの家に二人で住むのは非効率すぎる。 子供が独立した時点で2DKくらいのマンションに引っ越すなり、 施設に入るなりした方が安上がりであり、浮いた金を別のことに使えるはずだ。 そしてそれは、土地の利用効率が上がることも意味するので 社会全体の利益になる。 100平方超の一軒家に二人で住むような非効率は社会としては 歓迎できないのである。土地の有効活用は日本の大きな課題だが、 それを妨げているのが便利な土地にある無駄に大きな一軒家だったり するわけだ。

やっぱり家なんて買わねえ。子供が一人なら2DKで足りる。 退職した後ならこんな家賃の高い土地にいる必要がない。 生活必需品を買うことに困らない程度の地方都市に引っ越すだろう。 そして、人口が減れば基本的に地価は下がる。 土地所有にロマンを感じる年代がいなくなれば 土地の流動性が増して利用効率も上がるだろう。 これも地価を下げる要因になる。 長い目で見れば今より住環境は良くなるはずだ。 今買うことはない。

産業革命のすごいところは、生産性が上がったことではなく、 大して人口が増えなかったことだ、という話がある。 生産のために高度な教育が必要なので、一人当たりのコストがかかる。 子供は生産に参加できないので、子供が労働力でなく単なるコストになる。 さらに、技術の進歩で人が死ななくなるから、たくさん産まないと いけないわけでもない。 多産多死の社会というのは子供が多くてにぎやかに思えるが、 いつ人が死ぬかわからない社会であり、あんまり楽しいものではない。 高齢化社会は活力がないとか言うが、人が理不尽に死なない社会なわけで、 こんなに喜ばしいことはない。なるほどと思った。

「未来をつくる資本主義」。感動した。原題から訳すと「岐路に立つ資本主義」。 金持ち相手の商売はパイが小さい。 貧乏人相手に商売をするなら、今までの地球に負担のかかる商売はできない。 だから、地球に負担がかからず貧乏人向けの商売を編み出すのがいい、 という話になる。 そして、貧乏人向けの商売というのは、貧乏人が貧乏人のままでは 先がない。貧乏人向けの商売とは、貧乏人を貧乏人じゃなくする要素を 含んだものであるべきだ。 地球に負荷をかけず、地域の反感を買わず、みんなが幸せになれる商売を 考えていこう、という話である。

例えばバングラデシュで電話を売る話がある。 大半の村には電話なんてない。ここにどうやって電話を売るかだ。 まず、巨大なインフラ整備なんてやってられないし、 そういうデカい話をすると腐敗した政府の役人やらがかぎつけてきて 厄介なことになる。そこで、携帯電話という先端技術を使って、 多少ランニングコストが高くても初期投資が小さく目立たない方法を取る。 また、そもそも電話が必要とされているかどうかも重要だ。 「電話って何?」的な状況にある人が大半なわけで、 それを導入することがわかりやすい利益をもたらさないといけない。 この場合、村の人が街まで行って穀物価格情報を仕入れてくる必要があるのだが、 人がわざわざ行くのは危険もあれば金も時間もかかるわけで、 電話があればここのコストが大幅節約できる。 まあそういうのがたくさんあって、もし村に一個電話があれば 総合的なコスト削減がその電話一個の値段よりも大きくなるという算段ができれば 電話を売ることができるわけだ。 あとは売り方だ。電話会社の人間が現地に電話をかけるサービスを提供する店を作る、 というような方法だとどうしてもよそもの感があってうまく行きにくいし、 電話会社の人間の人件費は高くつきすぎる。 そこで、村でヒマしてて意欲のあるおばちゃんにいくらか融資と訓練をして、 電話サービス屋をやってもらう。おばちゃんの自宅でいいので建物がいらない。 おばちゃんは村の情報ステーション的なものになって 地位も高まるし、田舎では珍しい貨幣収入も得られるのでお得感がある。 会社はあまり欲をかかず長い目で見ていくことが大切だ。 そういう村が何万もあれば、何万も電話が売れる。そして、使用料を継続的に取れる。 将来的に電話の魅力が認知されれば売れる数も増えるのである。 村のおばちゃんは商売のしくみや電話のことを覚えられるし、 村の人はコストを削減できて情報に触れやすくもなる。 さらに、女性の教育レベルが上がることは人口抑制のために高い効果があり、 子だくさん貧乏を防ぐ布石にもなる。 みんながちょっと幸せになる。だいたいそういう寸法だ。 たぶん実際にはいろいろあったんだろうし、今でもいろいろあるんだろうが、 そういうふうに個々の場所の事情を良く見ながら みんなの生活が良くなるような商売を提案することが 重要だというのはなるほどと思う。これは道徳の話でない。 すでに飽和して多大な開発費を投じて次から次へと新製品を出さないといけない 先進国市場よりも、ずっと魅力的な市場が今まで無視していた場所にあるのだ。

ゲームに置き換えながら読んでいた。もちろんいきなりこの本を間に受けて 「よし、じゃあバングラデシュ行ってゲーム売るか」とか思うのは まるでダメだが、自分の会社にある資源でバングラデシュに対して提案できるものが 何もないのかどうかについては考える価値がある。 バングラデシュの話ではないが、 よく知的財産権がないがしろにされる国で商売をするのは無理だ、 ということが言われる。私もそう思っていた。 しかし、彼等の立場に立って考えれば、とにかくゲームは高すぎるし、 そもそも知的財産権という思想の正当性を納得できていないのだから、 金を払って買おうと思う方がおかしい。 もしゲームを売ろうと思うのであれば、知的財産権が守られない前提で 商売をする方法を考えるべきだし、また値段を最低でも10分の1くらいまで 下げる方法を考えるべきだろう。 また、先の電話の例にならうならば、単にこっちで作ったものを 画一的に売るだけでは良い商売とは言えまい。 彼等の好みに合ったものを、可能な限り彼等が参加する度合の大きな形で 作るべきである。それはコストを下げることにもつながるはずだし、 もしそれによって何らかの教育効果があればなお良い。

まあ、それで商売になるかと言われると私にもさっぱりわからないし、 ぶっちゃけゲームなんてものは衣食が足りるレベルまで どうにかなった国に対してしか売れないものなので、 さっきの電話の例とは一緒にはできない。 しかし、方向性としては同じだ。 PS3や360でゲームをやる層に向けて多額の開発費をかけて ゲームを作ることがおいしいとはもはや誰も思えまい。 違う層に売るべきだという話はとっくにされている。 サンシャイン牧場やiPhoneはそういうものだが、 あれも結局先進国でゲーム以外の娯楽が吐いて捨てるほどある環境での ことなので競合が多すぎてイマイチ効率は良くない。 実際サンシャイン牧場よりおもろいものが出たからといって 皆がそれに夢中になるとも思えないし、iPhoneはゴミが多すぎて もはや商売ができる状況ではなくなっている。 これからは中国だとか言ってるが、 もしそれが富裕層を見ているのであれば、結局は同じ壁にぶち当たる。

ゲームそのものが地球の未来のためになる産業ではないので なんともうしろめたいものはあるのだが、 それにしたって社会のためにはなりたいところだよな。 とりあえず、コンピュータ技術の応用の一つとして見たゲームには 高い教育効果が期待できるので、私としてはその線から貢献したい。 もう一冊書かねば。副業は禁止なので許可が出なければ出版はできんが、 最悪web公開でもかまわん。ここに置いておいて、 「好きに本にしていいよ」と言う分には副業にはならないからな。

kindleとかで読めるようにできたらいいのにな。 ああいう技術系の本は電子的に検索できる方がずっといいし、 画面写真はカラーの方がいいし、というか動画を入れられればもっといい。 紙の本のシェアは減っていくはずなのだから、 是非とも出版社の人には新しい書籍の形をもっと積極的に模索してほしい。

そういえば、ゲームには「資源を使わずに労働力と余暇を消費できる」 という良い点もある。旅行は移動にエネルギーを使うし、 物は作るのに資源を使う。 しかし、ゲームは作るのにもやるのにも電気くらいしか使わない。 今はまだ円盤に焼いて流通させているが、 そのうちほとんど電子配布になるだろう。 そうなればかなり地球に優しい産業になる。 社会が豊かになるほど人は生きるために必要な作業をする時間が減っていき、 余った時間に何かをしなくてはならなくなる。 この時に資源を使う何かをするよりは、資源を使わない何かをする方がマシだろう。 なお、その意味ではピアノを習うのも相当優秀だと思う。

デカいインフラを作らずにやる、は大事なキーワードだと思った。 太陽光発電の利点は、コストとかエコとかそういうこと以上に、 インフラがいらないことなのだ。 どっかにドーンと発電所を建てて線をひっぱるというのは、 その初期コストに耐えられて、かつ作ったインフラをずっと 使い続けるのであればコストは安い。 しかし、人口減少で田舎から人が減っていく状況で そんなインフラに金をかけるのは馬鹿馬鹿しい。 すでにインフラの整備が重荷になっている場所もあるんじゃなかろうか。 田舎がプロパンガスであるのと同じように、 多少ランニングコストが高くても再配置が容易にできて 分散型のシステムが構築できる太陽電池の方がずっと勝る。 だから太陽電池はこんなに流行っているのか。 アフリカの田舎の村に電気を導入しようと思ったら太陽電池以外は ありえないだろう。風力すらデカすぎる。 そして、電気さえあればいろんな機械を持ちこめる。 そして無線だ。これもインフラがいらない。 もし基地局と太陽電池を組み合わせたものを 一定間隔で置ければ、相当な田舎でもネットにつなげるようになる。 コストは量産で下がるだろうし、天候によって不安定なのも、 先進国なら文句を言われるだろうが、元々何もない場所に持ちこむ以上問題にならない。 情報格差を埋めることは教育水準を上げるのに一番重要なことなわけで、 そのために必要な電気と無線をインフラなしで実現できるというのは ものすごいことなんじゃないだろうか。

今日は二冊の本を読んで、自分の発想の貧しさを思い知った。 どちらもおもろいのでおすすめする。 私は大抵の本は批判的に読めない人なので、 あきらかにおかしいことを間に受けているかもしれない。 そういうことがあれば教えてもらえるとうれしい。

アメリカに何か本持ってくかな。DS持ってってドラクエ5やるとか不毛すぎるし。

2010年3月5日

バグもあるがおおむね片づいた。

うまく行かんなあ。

最適化仕事があと何個かありそうだが、 並列化しやすそうなネタなので簡単だろう。 すでに片づけた奴の方がよほど厄介だ。

何年かしてPRAMだかMRAMだから使えるようになれば いろんなことがガラリと変わるんだろう。 性能がどうとか言うよりも、 消費電力の軽減と、いつでも電源を切れる利便性が大きい。 NANDが延命できてるうちはそっちは進まないんだろうが。

トランジスタが1億個とか使えるなら、昔のコアなら10個以上入る。 キャッシュもなくコアごとの専用メモリに自分でDMA、 みたいな仕様ならトランジスタも無駄遣いせずに済むし、 プログラマががんばる前提なら最強だ。 ツリー構造みたいにポインタでつながったデータを そういう機械に合った形で作れるなら そういう機械ばっかりになってもいい気はする。 たまに考えるがあんまりいい手が浮かばない。

もっとも、より根本的な問題として、 マルチコアが流行りつつある割には、それを使う動機がどんどん弱くなっている ということがある。サンシャイン牧場でいいんだとしたら うちらがやってることに未来はないだろう。 客の数だけコンピュータがつながった、そういう形の分散処理とか 並列処理とか言うならまだ目はありそうだが、 CPUにコアが何個、とかいうレベルでの並列化に未来があるのかどうかは 甚だ疑問だ。まあやるけどな。嫌いじゃないし、今はまだそれが必要だ。

2010年3月4日

GDC飲み会の申しこみが18時までだった。 まさか時間制限があったとは。まあ仕方ない。

それなりに仕事した。明日で片づくといいなあ。

2010年3月3日

今のメモリ量は中途半端だ。 8GBとか積むのが普通になってしまえばあきらめて8バイト整数を 使うようになるだろうに。 64bitのintが普通に使えるようになるのは一体いつになるんだろう。

おおまかにどうにかなったが、まだ仕事が残ってる。 明日中にどうにかなったら歯医者に行こう。 そろそろ終わらんかな矯正。2006年9月からやってるはずなので、 そろそろ終わってもいい頃だ。

仕事が尽きないせいでGDC何見るかまだ決めてない。 明日中に決めたいところだが、仕事次第だ。

最終日の宴会どうしよう。申しこみ明日までらしいんだが、 なんか150人とか来るらしく、正直苦手だ。 でもまあ、明日覚えてたら申しこもう。 あの国で2000円でメシが食えると考えればそれほど悪くないとも言えるし。

今回はひつじこの協力を仰いで大量のパンを持っていくので ほぼ外食せずに済む予定。現地でビタミンのサプリと野菜ジュースだけ調達すれば 死なない。大抵5日目くらいでカゼを引いて便が出なくなって散々な状態に なっていたので、今回はそうならないように策を練る。 あの国は自炊するか大金を払うかしないとまともなものが食えん。 10ドル以下の外食で安心できるのは吉野家だけだ。 アジア料理はマシだが、当たりの店を引ける保障はない。 実際タイヌードルの店は微妙な味だった。 ホテルの近くにインドなカレー屋があってあそこはうまいのだが、 それでも10ドルとかするしな。 なお、あのカレー屋はナンだけでなくローティも置いている。 全粒粉なのでそっちの方がうまいし栄養もマシだ。

2010年3月2日

do whileをwhileに変えたら動くようになったのでとりあえず様子見。 そういうことがあるあたりコンパイラのバグくさい。 でも、do whileなんてマイナーなものを使う方が悪いという意見もありうる。

出張寸前だったのを忘れて大改造を始めてしまった。 明日中に動くようにしないと本格的にまずい。

熱すぎてひざの上に置けないというのがこいつの最大の欠点だな。 絶対火傷する。

C言語の組み込み整数型の仕様はややこしい。移植性を考え出すと大変だ。 たぶんどこぞの会社のルールみたいに、 「普通の整数型で使っていいのはintだけ、後はint8_tとかを使え」という のがいいんだろう。 しかし、実際問題intが2バイトのマシンなんて今後現れるとは思えないし、 shortが4バイトになったりもしないだろう。 そう考えると、そんなこと気にするだけ無駄という気もする。 所詮ゲームだし。

Cの仕様では、 charは必ず1バイト、shortは最低2バイト、longは最低4バイト、 intはshort以上、longはint以上のサイズ、というあたりの決まりがあるらしい。

void*を引数に取る関数にvoid**を渡しても通る。たまに事故る。 char*をバイト列として使うという合意があるのであれば、 引数としてはvoid*よりchar*の方がマシなのではなかろうか。 reintepret_castまみれになるが、バイト列を処理するコードなんて そんなにたくさんはないだろうし。

無符号型の使い方。いろいろ考えてみて だいたい結論が出た。まず大抵の場合はいらない。 負にならない値に使う、という使い方はたぶん間違いだ。 明に範囲チェックする方がわかりやすい。 残る使い方は符号点きだと入り切らないものを入れるという使い方だけだ。 20億以上になる整数とか、 2バイトにしたいけど50000くらいまである変数とか、そういうの。 面倒くさいのは前者だ。ファイルとかメモリとかの量が丁度そのへんの スケールなのである。64bitなCPUが普通になっても当分はいろいろと ケチるために4バイトで済ませようとするだろうし、 しばらくはuint32_tを使う羽目になるのだろう。

符号付きはネイティブなサイズより小さいと符号拡張が必要になって ウザイという問題もあるか。本当移植性とか速度とか考えると面倒だな。

2010年3月1日

特定のコンパイラで最適化を有効にしないと起きない類のバグ。 演算誤差に対して脆弱なために起こっている可能性もあるが、 単にコンパイラのバグである可能性もある。 printfをはさむと起きなくなったりするあたり後者の可能性も高い。 せめて実行を止めて逆アセでも見られればいいのだが、 それすらできなかったりする。 こういうバグを見ていると不確定性原理を思い出す。 観測しようとすると状態が変わってしまうのだ。 でもまあ、たぶん演算誤差だろう。 コンパイラのせいにするのは最後にすべきだ。

誤差に対して頑丈なアルゴリズムというのは難しい。 線分と三角形の交差判定みたいな単純なものでも ちゃんと書こうとすると難しいものだ。 まして、反復解法なんて導入するとえらいことになる。 連立方程式を毎フレーム解くような本気シミュレーションを しているゲームはそのへん相当がんばってるんだろう。

逆アセを眺めていても、関数名さえわかっていれば 元のソースのどのへんにいるのかがだいたいわかる。 ちょっと前までそんなスキルはいらんと思っていたが、なかなか便利だ。 しかし、たぶん私はそういうスキルと引き換えにゲームを作るスキルを 得られなくなってしまっているのだと思う。

「もしかしたら、オリンピックは終わったのかもしれない」と 唐突にひつじこが言った。どうやら今回は私の勝利のようだ。 今日たまたまwebのニュースを見ていたら閉会式という言葉が 出ていた気がする。

性能が2倍になればfloatのかわりにdoubleを使っても いい気になるかもしれない。 しかし、やはりfloatを使えばboubleより性能が高いのだとすれば そっちを使いたくなるのが人情だ。 そういえば良くdoubleの方が性能が高いみたいなことを言う人がいるのだが、 それってx87の話だよな。元々double精度の演算器だから floatに切り捨てるのに無駄な計算をすることになる。 しかし、もはや浮動小数点演算はSSEでやるものだし、 仮にx87を使うとしてもdoubleの容量がデカいこと はメモリに負担をかけるのでやっぱり不利だ。 ましてゲーム機のCPUなんて真っ先にdoubleを切り捨ててるわけで、 下手すると計算そのものができなかったりする。 doubleが使い放題になる日は当分来ないんだろう。 floatが使えないハードがなくなる日はもうそろそろ来るかもしれないが。

RAG FAIRすげえ。音楽のレベル高すぎる。 しかし、レベルが高ければ支持されるという ものでもないだろうし、 支持していても金を払うかどうかは別問題だったりする。 私にできるのはどれみふぁワンダーランドを楽しく見ることだけだが、 がんばってほしいと思う。

適当に作曲してその場のノリでピアノを弾けるようになりたい。 始めて3年も経つが、まだまだその境地は遠すぎる。

平均律9番のフーガがむつかしすぎる。 プレリュードは楽勝ムードなんだがなあ。 とりあえず30回弾いてから考えよう。 モーツァルトなんて弾く気しない。


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