だだもれ

2007年10月31日

279ページ。スプライン補間の説明してたらすごい分量に。 アニメーションは第二の山だな。数学的にも設計的にも。 というか、後半に行けば行くほど理論的に厄介で 数学記号なしでは説明できない項目が増えてくる。 適当なところで数学の関係しない章を挟まないとマズいな。 ローディングをもっと早くに挟むべきか。

ともかくも、明日からコード書きに入る。文章は止まるが、 コード書いてる最中に文章側の修正も一緒にしていくので、 前の方から順番に完成度が上がっていくはず。

さすがに読みにくいので脱線した場合にテンポを壊さない工夫をせんとイカンな。 しかしそこでコラムに飛ばすのもそれはそれで良くない。 そこで脱線すべきかどうかはよくよく吟味しよう。

11/3、京都行きます。つうてもその日は夜着いてそのまま道場ですが。 次の日曜どれだけ京都にいるかは未定。 何もなければ朝早くすぐ帰るけど。

2007年10月30日

245ページ。更新してありますto関係者。

太陽の周りを地球が、地球の周りが月が、という運動を 二つの相対運動の和として表すお話。これを理解しないと 3Dのアニメーションはできない。あとはスプライン補間を使った キーフレームアニメーション。スプライン補間を理解するには 微分がわからねばならず、高校一年生程度の数学しか前提としないという コンセプトでこれを説明するのは大変だ。

数学は皆が一番苦手としている部分で、「大学教養程度の 数学力があって当然」などという理想論は言うだけ無駄だ。 高校卒業程度の学力があればまだ楽だが、高校卒業直後ならともかく それから何年も経っている人間を相手にする以上 さらに差し引いて考えないといけない。 だいたい自分だって今大学受験したら絶対落ちるわけで、 偉そうなことは到底言えない。 さらにゲームプログラマを志望している人間が高校で理系を選択しているとは限らず、 行列や微積は触れてすらいない可能性がある。 そう考えていくと、前提としていい数学はせいぜい三角関数と 連立一次方程式、二次関数と方程式の解、 さらに合同や相似の初等幾何くらいのものだろう。 そしてそこまで落として考えるならば、対象読者は プログラミングがある程度わかるなら高校2年生でもオーケーとなる。 というわけで「高校一年までの数学しか前提にしない」 ことに決めた。 サインコサインが何なのかまでは説明しないが、 絶対に避けては通れないベクタ幾何、行列、初等的な微分 あたりについては丸ごと説明を加える必要がある。 どうせそのへんは大学出てる人間だって怪しいわけで、 実用に即した形で理解のために最短の説明をするくらいはしておかないと 使い物にならない。私だって会社入ってからだからな。まともに理解したのは。

あー。未知数n個あったら実質的に異なる式がn本必要ですよ、 というのが自明に思える段階に至ってない可能性は高いなあ。

いかん、キリがない。

263ページ。スプライン補間の説明の準備として微分の説明を軽くする。 2次関数と3次関数の微分を求めて、 多項式について法則性があることを匂わせ、実際それが公式なのだが その証明は数学の本でよろしく、という中途半端さ。 しかし必要なのは「微分が傾きを求める操作であり、 傾きは2点での関数値から求まる量の極限であること」の理解であって、 そのために手を動かして 微分を求める操作をやってみるということが重要なのである。 微分の求め方そのものはどうでもいい。 そんなものはググればすぐわかることだからだ。

区間境界で二回微分しても連続である、という性質が何故おいしいのか、 ということを説明するのは結構骨が折れる。 また、点データのみから3次スプラインを求めるには連立方程式を 解かねばならないわけでそれの説明も厄介だ。 なので、実用性が皆無な2次スプラインで考え方の基礎を示してから 3次へ移るという段階を踏むことにした。

ベジェどうすっかな。いらんか。あんな非直感的なものは。

明日中に非同期ロードと圧縮とパッケージ化の話をちょろっと書いて、 明後日からコード書きに突入の予定。

2007年10月29日

今週の速度は90。チェルニー30は4と5。 インベンションは10に2も追加。2番はインベンションの中では 一番ピンと来ない作品で、技術的にも面倒が多い。一つの山になる。 また、ダカンのかっこうは「終わったことになった」。 つまりちゃんとは出来てない。「まあ、こういう曲ね」みたいな。 やはり指がちゃんと回るようにしたい。 でないとこういう不完全な事態がいつまでたってもなくならない。 テクニックを音楽性でカヴァー、なんていうたわごとを私は信じない。 まして、「楽しんで弾ければそれでいいのです」みたいな綺麗事は 断固拒否する。 テクニックはあった方がいいし、一定の水準までは なくては話にならない。普通大人になってから始める人間は そこまでは求めないという話だが、敢えて私はそこを求めたい。 私がピアノを習っているのは、30の人間が子供が習う場合と 同じカリキュラムで学ぶことが可能なのかを知るための実験の意味合いもある。 ここ半年ちょいの実験結果はまあ満足と言っていいものだっただろう。 チェルニーやハノンという到達段階がわかりやすい教材があることは 実験の評価のためにも非常にありがたい。 たぶんチェルニー30の終了くらいまでは挫折せずに行けるだろう。 そうすれば一曲くらいはショパンにも触れられるに違いない。 なお、来週は京都行きの可能性があるのでピアノは休みにしてもらった。

30が終われば40もやるらしい。大人生徒で私ほどマジなのは そういないらしく、先生もガチで教える気満々なようだ。

2007年10月28日

マイセルフユアセルフ1。普通だが出来いい部類だと思う。 おさななじみのうちあるものは一瞬で識別できたのに、 他のあるものは言われるまで気づかなかった、ということの説明が されていないこと以外は。 ところで関係ないがふと思ったことがある。 ギャルゲー主人公の部屋って絶対ベッドだよな。 リアルはどうなんだろう。男の子の部屋にベッドがある率は どれくらいなのだろうか。 また、仮に自分が一人暮らしするとした場合に「ベッドを買う」 という選択をする人が何割いるのかも気になる。またその理由も知りたい。 まあ他にも統計を取りたいことはたくさんあるけどな。 寝る時に寝間着を着る人の率とか。 子供の頃は親の躾で着ていた人が、独立してからもその習慣を保つ率とか。

quota導入せんとダメかもしれんなあ。

ディレクトリへの書きこみは許可するが削除は不許可、 ということをしたければ定期的にそこにあるファイルを 600にして回るしかないんだろうな。それで目的は達せられるが、 自分でもルートで入らないと消せなくなるのは不便だ。

某所の文章で何かしっくりこなかったのだが、ようやくわかった。 そうか。女の子が数人の不良を撃退する、ということを「リアルじゃない」 と思わないのは変なのか。 私は男女差というものについて良く知らない。 統計上差がある、という程度の差は個人的なスケールにおいては 大した意味はないと私は感じている。 私の肉体的能力は常に平均より下であったわけで、 私よりも優れた身体能力を持つ女性など珍しくもなかった。 また、その劣っている私が曲がりなりにも体を使うスキルを 人に教えているという事実は、「男女とかよりやり方と努力の問題だろ」 と考える根拠になっている。 体力的に恵まれた普通の男の子であれば、もっと男女の差を感じる 機会は多いのだろうか。 そういえば、テニスゲームで男と女のキャラが対戦できるのは リアルじゃないからダメ、という話を聞いたことがあったが、 私にはまるで理解できなかった。 もし多くの人がそういう印象を持っていて、 かつそれを不当だとも何とも思っていないのだとすれば、 私は相当ズレていることになる。

もしかしたらフィクションにおける「格闘少女」みたいなものの価値を 私は全然わかっていないのかもしれない。 「男は女より強い」という前提があって初めて そういった設定に輝きを感じるのだとするならば。 例えば、バンブーブレードの主人公にさしたる非リアリティを感じない私は、 あの作品の魅力をイマイチわかっていない、ということになる。 結構普通に「いてもいいかも」と思ってしまうのだ。

女性でも、私より腕太い人とか、背筋腹筋強い人とか、いくらでもいるしなあ。 どうにも「女=かよわい」というイメージが出てこない。 確かに街の人を適当にサンプリングして ロー1発で沈みそうな人間の割合を調べれば女性の方が高いのだが、 なんつうかそれは統計的な話で実感としてどうこうというわけではないのだよな。 まあ単純に女性に接触する機会が少なすぎるだけかもしれんが。 これまでの人生で人間と会話してる時間の9割は男だっただろう。 残りの1割も大半は私の幼少期における母親との会話で、 同年代の女性に限定すれば1%すら怪しい気がする。

中島梓「コミュニケーション不全症候群」。 ここ数日メールのやりとりをしている人に薦められたので読んでみた。 本の感想とは言いにくいのだが、これを読みながら自分が何を感じているかを 考えてみて、自分が以前に比べてとても曖昧な生き物になってしまったことを感じた。 感想が言葉にならない。考えを言葉にする能力が衰えたからだろうか。 それとも、知力が衰えてこういったラノベに比べれば読みにくい本を きちんと考えながら読めなくなったせいだろうか。 まあそれらもあるかもしれないが、たぶん この本の内容に関して必要性を感じられなくなったからなのだと思う。 自分を商品として扱わねばならない現代社会において、 それに耐えられなくなると狭い世界に逃避してしまったり、 過剰反応してしまったりすることを病気と言っているわけだが、 私はどうやら適応に成功してしまった人間らしく、 そういった問題に鈍感でい続けられる状態にあるからだ。 現状私には劣等感を感じる事が大してない。 自分を商品として見ることが苦痛であるほどのマイナスが私にはない。 実際今の私は積極的に商品価値を高める努力をそれなりに苦痛なく行える。 精神的な負荷が大きく軽減したことは、 私が以前ほどフィクションを必要としなくなっているから見ても明らかである。 自分が商品であることを昔はこれほど肯定的に見られなかった。 自分が商品であらねばならない現実を知りつつも、劣等感ゆえに その現実から逃げ続けていた大学時代を思い返してみれば、 ずいぶん変わったものだと思う。 「生きていけるだけの金をもらうに値する能力が私にある」 という認識が私の社会の見方を知らず知らずのうちに変えしまっていたのだろう。 まして最近は安田講堂で講演するだの本を書くだの、 およそ自分でも信じられない状態になっている。 ただ、自分がそれをずっと好ましい変化だと思ってきたことに関しては この本を読んで少し考え直した。 全体的には好ましい変化であっても、それによって切り捨てられる何かは 必ず出てくる。自分がどういう人間でありたいのかを ここらでもう一度考えた方がいいのかもしれない。

なお、まだデカい劣等感が私には残っている。 しかし、その劣等感が解決されるべきものなのかどうかはさっぱりわからない。

「ダイエット症候群」に関しては、私も明らかに軽度ではあるが罹患している。 いや、男性の中でだけ比べれば軽度とも言えないだろう。 しかし、その目的が人に良く見られたいためなのかどうかは自分でもわからない。 人に良く見られたければ服に気を使う方が先だろう。 いやしかしそれは、服に気をつかうという選択肢は 私の過去によって抑制されているが、痩せるという選択肢は私の過去から抑制 されていない、というだけのことか。

何が書いてある本なのかを全く書いていないので読んでない人にはさっぱり わからないかもしれないが、面倒くさいので要約はしない。 私が要約すれば確実に歪むからだ。

この本を読ませたい人がいる。 何が起こっているのかを理解するのに助けになるかもしれない。 JUNEやダイエット関連の内容を読みながら ずっとそのことばかり考えていた。あまりにも思い当たる内容が多すぎる。 でもあいつに直接これ渡すのはキッツいよなあ...。

本屋で同ジャンルの本を見てきた。 キャラがかぶってる本はないなと安心する一方、 キャラがかぶっている本がないという事自体が 私の考えるアプローチに需要がないことの証明ではないかと不安にもなる。 ところで、あの手の本ってなんで偽名ばっかりなんだろう。 中の人が会社にバレないで書くための策なんだろうか。

ゲームプログラミングをしたい人間が常にプログラマを志向するとは 私には思えない。ゲームプログラマという人種は 私が見る限り、プログラミングの技術に驚くほど関心がないのが普通だ。 技術がゲームの開発をする上で利益があると納得すれば勉強するが、 そうでない限り勉強しないように思う。 それはこれからゲームプログラマになろうと考える人だって同じだろう。 だから、私が考えるに、ゲームプログラミングの本は、 プログラミングの本ではない。

2007年10月27日

ライティングの説明を書きはじめて困った。 ランバート反射の実装に必要な情報を書くだけなら1ページで終わる。 しかし、ランバートモデルが何を捨てた結果なのかを 理解させようとすると10ページくらいは食う。 本の目的はランバート反射を実装できるようにすることではなく、 ランバート反射が壮絶なインチキの一種にすぎないということを 理解させることだ。3DCGとは言え、ぶっちゃけ絵なのだから、 何色で塗るかは好きに決めていい。 しかしもし規範として「リアル」というものを採用するならば まずは無限の計算量を要求する馬鹿正直な方法から出発して 順番にインチキを重ねていきながら可能な計算量の範囲に 落としこむという作業が必要になる。その 結果の一つとしてランバートがあるのだから、 当然ランバート反射というインチキを編み出す過程を 説明する必要がある。 でなければ、「ライティングはこうする」 という固定観念を植えつけてしまいかねない。 それは極めてイカン。

225ページ。まだ、描画カリング、衝突検出カリング、演算誤差、 ネットワーク、バイナリファイル、アニメーションとシーングラフ、 モジュール化設計とコンパイル時間改善、計算量理論と最適化、 オブジェクト管理設計、シーケンス遷移設計、クォタニオン、 安全なコードを書く基本戦略、量産工程におけるプログラマの関与、 シナリオスクリプト、 あたりが丸々手つかずだ。つうか、まだ半分書いてないんじゃないのか もしかして。適当な所で打ち切らんと完成せんなこれは。 最低限ここまではないとサンプルゲームが完成しない、 というところまでまず書いて、残りは後回しにしていこう。

品川の伊勢丹でブリードモーというチーズを買った。 モーのブリーの意味か。 よく食ってるブリーチーズの本場物なので期待していたのだが、 とってもくさかった。明らかすぎるアンモニア臭。 殺菌しない牛乳で作るのが本場メソッドらしく、 いろんな菌が複雑な発酵をしてそういう臭いになるらしい。 味の再現性ないんだろうなあ。「今年の出来はどうこう」みたいな。 味は確かに複雑まろやかで何か格の違いを感じさせるのだが、 それをおいしいと感じられるほどには私の舌は開発されていないし、 何より臭い。食った後もしばらく腹の中からアンモニア臭がしてくる。 加熱もしてないのに糸を引くくらい熟成が進んだ代物だったので、 もっと若いものならば同じものでもこれほど食べにくくはなかったのだろうが。

そして帰ってきてゴルゴンゾーラでスパゲッティソースを作って かけて食った。くっさい。くっさいが、アンモニア臭でなくカビ臭なので まだ耐えられる。作り方はwebで調べたものをさらに簡略化したもので、 牛乳を鍋であたためながらチーズを投入。溶かして適当に煮つめて こしょう振って終わり。アミノ酸と塩化ナトリウムと乳酸はチーズ中の成分だけで 十分らしく、旨味、塩味、酸味がいい感じのバランスだ。 牛乳で3倍に薄めてなおこれだけの旨味を持つあたりブルーチーズは恐しい。 臭いはともかくとしておいしく頂けた。 結晶化してザリザリ言っていたアミノ酸も牛乳に溶けてうまみになっているし、 キツすぎたピリピリ感も薄まって食べやすい。 青カビの固まりがそこら中に浮いてたりして見栄えは結構不気味だが、 これならまた食いたいと思う。 なお、懲りもせず今度はそのへんのスーパーで普通に見かける 大量生産品くさいゴルゴンゾーラを買ってきた。 ちょっとかじってみたが、食べやすい。ピカンテという強烈な種類のはず なのだが、今日溶かして食ったドルチェ(=マイルド)よりよほどヌルい。 所詮大量生産品ということだろうが、食べやすいしこれでいい。 アミノ酸濃度の強烈さはだいたい同じだしな。

今日チーズ食いすぎ。こんなもん大量に食ってたら体が臭くなりそうだ。 植物比率を上げよう。

微生物にタンパク質を分解させてアミノ酸に変換してから食うってのは どこの文明でも共通の戦略なのだなあと思う。 カツオブシも納豆も同じだ。カビの類は一緒に脂肪もバラすし、 その過程でビタミンを作ったりもする。若干カロリー的には損失があるが、 吸収率が高まるので収支は合う。

しおんの王。2まで見たが、ダメだ。 「半年前の事件を思い出しているんでしょうか」 という台詞で半年経ったことを表現するのはいくらなんでもダメだろ。 「明日はいよいよ試合だな」みたいなのもダメくさい。 考えてみれば、アニメってどうやって時間経過を表現すればいいんだろう。 考えたこともなかったが、もしかして相当難しい問題なのではなかろうか。 確かに漫画なら適当な風景ゴマに「半年後」とテロップを入れても許されるが、 アニメでそれをやるのは結構マズそうだ。

もっけ。何か違う印象。 たぶん、こんなに盛り上げちゃいけない代物なんだと思う。

ef。わけがわからないが、これはこれでこういうものとしてはまっている気がする。 面白い。ただこの奇のてらい方で10話も続くと飽きそうだが、 そのへんをどうするのかもまた見物だ。 ダカーポの人のみたいだし、原作も読んでみたい。 しかし当分はそんなヒマはあるまいし、 そもそも借りて積んであるものが山ほどある。

中島梓の「コミュニケーション不全症候群」を読んでいる。

2007年10月26日

ソニーの業績発表会の動画がニコニコに上がってたので見たのだが、すげえな。

ディスガイア箱かWiiで出ないかなあ。

2007年10月25日

DSルプさらだのデカブロックはどうなんだろう。買うけど。

バンブーブレードのアニメ。出来が良くて見てる間楽しいんだが、 何も残らないのでいつ切っても惜しくない感じ。 でも、悪くない。

ニコ動でカラオケ録音したのをひたすら流してる奴聞いた。 うめえなあ。 音域が異常だし。C2が歌声として使えるようなバスの人間が何故C5を出せる。 つうか、本当に一人なのか?

そうか。女性ヴォーカル曲でもこれでいいのか。 かえってネタっぽくなってアリじゃねえか。 変に意識して力を出し切れず欲求不満になるくらいなら 全部本来の歌い方でゴリ押しした方がいい気がしてきた。

そういえば音域広がらねえなあ。実用範囲はF2からG4くらいか。 合唱始める前とあんまり変わってない。 そもそも歌が上達してるのかすら自分では全然わからん。 自分の声聞くの嫌だから録音とかしたことないしな。 やっぱり真面目に上達するためには自分の姿を見る勇気が必要か。

三角形と線分の交差判定の説明に一体何ページかかっただろう。 除算の分母が0になる場合が幾何学的にどういう状態かいちいち説明したり、 外積がなんで必要なのか説明したり、内積が要素積の和で表せることを 証明してみたり。「こうやれ」といきなり 書けるならページ数は1/4になっているだろう。 自分で決めたことながらしんどい。 また、そういった処理を行うクラスを どういうふうに設計したら便利に使えるかとか、 形状データはどんなふうなフォーマットで記述して、 どうロードするかとか、そういう周辺の部分にも触れざるを得ない。 サンプルがゲームの体裁をなしてくるようになると、 ゲームオブジェクトのクラス設計とか、オブジェクト管理のしくみなんかも なんぼかは示していかないといけないわけで、非常にしんどい。

演算誤差を実感してもらういい方法はないかなと思っていたが、 一つ思いついた。16bit精度の浮動小数点型を作って、 交差判定で floatの代わりに使ったらどうなるかを身をもって知ってもらう。 びっくりするくらいいろいろ起こるはずだ。 あとふと思ったんだが、速度要求が厳しくないゲームなら 全部doubleで書くのもいい考えな気がする。 doubleにすれば演算誤差をまるで考えてないプログラムを書いても まず問題が起きないからな。毎フレーム1づつ足してってカウンタにする ような用途にfloatを使う事故はなかなかなくらないものだ。

2007年10月24日

200ページ突破。 モデルデータフォーマットの話をせねばならんよなあと気づいて、また増えた。 字句解析の基本とか説明してたし。 ニセxmlなので例えば頂点データなんかをぶっこむと実用には耐えん速度になるが、 とりあえず動けば目的は果たせる。 というか、遅い方が話の展開上都合がいい。 テキストで作る、遅い、非同期ロードしないとゲーム止まるよね、でも遅い、 圧縮かけてみようか、でも遅い、じゃあ特にデカいのはバイナリにしよう、 という当初考えていた論理展開を自然に導入できる。 わざと遅くなるようなフォーマットにしとこう。

なお、今のtexのスタイルは奥村先生のjsbookなので余白が多い。 本番のレイアウトになればページ数はグンと減るはずだから 現状のページ数はそれほど気にしなくていいはずだ。 でもtexファイルがすでに280KBあるんだよな。 本当に1ページ1KBな感じでレイアウトされると相当ヤバいことになる。 まあ普通の技術書よりは文章比率が大きいはずなのでそんなことはなかろうが。

1日25KBでは遅い。ちょっとスピード上げんとなあ。あと6日で200KBくらい書かんと。

どんなに量が増えても「必ず必要性を理解させてから説明を始める」 という掟だけは守りたい。それが今回この本を出す意味だからだ。 「後で使うからこれを勉強しましょう」という話の順番は絶対にやらない。 仮にその方が効率が良くてもだ。 例えば前もって行列やベクタの基礎を一章使ってやっておいた方が ずっとエレガントな本になるのはわかりきっている。 しかし、なんで行列を使うのかわからん人間相手にそれをやったらどうだろう。 私なら絶対投げ出す。 「3DCGには必要なんですよ」と一言書いたところでなんら説明にならん。 なしで突入して「あ、こらアカンわ」 と体でわかって始めて行列を学ぶ気になるのが普通の人間だろう。 また、一見同じジャンルでも用途が全然違うものをまとめて説明していいのか、 という問題もある。例えば行列ベクタ積の計算とベクタの外積は用途が全く違う。 それを同じ章で説明する意味を納得させるのは無理だ。 りんごとみかんは果物という点では一緒だが、 アップルパイを作るためのりんごと、こたつで食うためのみかんには 何ら共通点はない。

挿絵欲しいなあ。くそー勝手に同人で出すなら絶対絵つけるのに。 どうにも見た目が渋すぎていかん。まるで技術書みたいじゃないか。 まあそんなことを気にしている余裕もないし、 いろいろあってダメって言われるだろうからこのままなんだろうが。

体脂肪率が10%ちょいで安定した。喜ばしいことだがいまひとつ面白さが足りない。 せっかくだから行くところまで行ってみるか。 理想の「浅いヘソ」には程遠いし、まだ大丈夫だろう。戻すのは簡単だしな。

本。そろそろそれなりな分量が溜まってきたので、誰かに読んでもらいたい 気分でいっぱい。根本的にコンセプトが駄目、とか言われるなら 今のうちにしてもらわんと修正不可能になっちまうからな。 こんな「玄人志望の素人」向けの本を ゲーム会社の中の人に読ませたってイマイチ参考にならんわけで、 そのへんはどうにかせねばならん。まあ、どうにかするがな。

2007年10月23日

11/3、京都行くかも。何もないか確認中。

とある文章を読んだ。すごく面白かった。そして同時に、 いろんなことを思い出したり、いろんなことを考えたりして、 結果的にものすごくブルーになった。 私、このままでいいのか。本は出すけれども。

本。170ページくらい書いた。でも明らかにまだ半分行ってねえ。 座標変換の説明に予想外のページを食われ、 さらにライブラリ設計の基本なんていう最初書く予定もなかった章が加わり、 さらにはサンプルゲームのゲームロジック実装の詳細も説明しないと ダメだなという雰囲気が濃厚にしてきて、 オリジナルモデルフォーマットの設計とロード部の実装とか、 簡単なシナリオスクリプトのパースとか、 隣のPCとのネット対戦とかの、今時説明しとかんとマズいよなあと思う事項が 猛烈な勢いで浮かんできたりして、 とにかく想定されるページ数がとんでもないことになっている。 10月中に全体の文章を粗く埋めるという予定だったが、 どう考えても無理な気がしてきた。しかし、11月からコードを書き始めるという 計画は変わらない。コードを書いてみないとわからないことが 予想外に多く、全体の構成が決める前にもうコードを書き始めないと ダメだということがわかってきたからだ。 動くものがない状態で「すでに動いているものがある状態の文章」 を書くのにはやはり限界があるということである。 厳密に分野ごとに章を区切ってあって章の間に関連が薄ければ まだいいのだが、この本は前の章の結果をそのまま引き継いで それに新要素を加えていく形で展開していくので、 その段階でどんなものができているのかが文章に大きな影響を及ぼす。 検索性を犠牲にしてでもシリアルな読み物としての性能を高めるアプローチなので どうしてもそうなる。

ゴルゴンゾーラ、食えねえ。 味そのものは慣れてきたのだが、このわけのわからん刺激と、 結晶化したアミノ酸のザリザリ感がどうにも良くない。 たぶん熟成しすぎなんだろう。 スパゲッティのソースにでもしてしまうか。このアミノ酸濃度からして、 溶かして牛乳でのばしたものをかけるだけでも料理になりそうな気がする。

2007年10月22日

箱値下げ。Wiiとあまり値段が変わらなくなる。 Wiiはこのままで大丈夫だろうか。

2007年10月21日

ばあちゃんの誕生日を祝ってきた。

ドラクエ1ミク

記憶だけで作るのには限界があるが、案外どうにかなるな。 和音進行までは思い出せないが、適当にでっちあげても形にはなる。 ただ、結構変な和音が混ざっているらしく、 それなりに苦労はしたし、今でも何か変だ。しかし今の私には直せない。 下手にやると和音がぶっこわれてムチャクチャになる。 なお、同じことを繰り返すのも芸がないので、 二回目のループには上に変なメロディつけようとしたのだが、 下とぶつからずに許される音がまるで見つからない。 あの曲すげえ微妙なところで成立してる気がする。

原典聞きゃすぐ解決するんだが、原典がすぐ手に入るところにないのだ。 一回webでmidiを探したが、どれもこれも明らかに間違っているもの ばかりで話にならん。そうこうしてるうちに、「原典聞いたら負けだな」という 気になってきた。

戦闘と言えばドラクエ2なのだが、あっちはそれこそ 変な和音の固まりなのでそれなりに理屈がわかってないと歯が立たん。 前作ったmidiは理屈も何も知らないままに適当にそれっぽい音を探すという 非効率極まりない方法で作ったため、今聞くとどうしようもなく間違っている。

根本的に音楽がモーツァルトで止まってるんだよな私は。 できるだけ早く近代の曲を弾かせてもらえるようにがんばろう。 せめてドビュッシーくらいまで触れればちっとは和音の感覚が広がってくれるはずだ。

しかし。小難しいことはともかくとしてだ。このおもちゃ面白すぎるだろ。 いい感じに間抜けな音楽が簡単に作れる。というか、 現状間抜けなものにしかならん。声質がこれな上に、 程良く人間を逸脱した感じになるのがどうにもたまらない。 とりあえず歌詞が思いつかないうちは「どるる」とか「ぺれれれれ」 とかにしておけば、どうしようもない間抜けさを醸し出してくれる。 今回みたいにオートビブラートを切っておくと小学生の合唱ボイスみたいで 微笑ましく、これもまた良い。 手前味噌でアレだが、上のをかけっぱなしにしてたら妙にいい気分になってきた。

ドミソとドソミは違う。そりゃ違うに決まってるんだが、 和音の持つ意味みたいなのまでガラリと変わってしまうことがある。 特に、一番下の音と、その次の音の距離が和音の「匂い」みたいなものを決めるのに 相当デカい役割を果たしている。平均律のピアノみたいな楽器だとなおさらだ。 理屈で決められるのはIだとかVだとかいう和音の種類までで、 どの展開形にするかとか、間のどの音を抜くかとか、上にテンションコードを 足すかどうかとか、そのへんは結局感覚でどうにかせねばならない。 理屈はあるんだろうが、そこから先を理屈でどうこうしていては効率が悪すぎる。 「というか、こうだろ」という問答無用のセンスがないと 面倒くさくてやってられないはずだ。

2007年10月21日

よくチーズを買い食いしているのだが、なんとなくブルーチーズを買ってみた。 ゴルゴンゾーラ。開けた瞬間に臭いがヤバい。 口に入れると酸味とか塩気とかいうのとは何か違うわけのわからん刺激がある。 舌がピリピリする。そして濃厚なアミノ酸。 牛乳のタンパク質がここまでブッ壊れるまで化学変化させるとは。 大量には食えんなあ。ブリーとかカマンベールだと平気で100gとか食ってるんだが、 これ10g食ったらもういいやな気分になる。クラッカーでも買ってきて 塗りつけて食うのが吉だろうな。

前「女性は見てねえだろ」とか書いたが、女性の方から見てますというメールが来た。 しかも二通。 どちらもギャルゲー感想サイトだった頃から読んでる人だそうだが、 正直そっちの人はもう誰も読んでないと思っていたので意外だった。 実際最近「ゲーム会社の中の人」という新たな称号がつくまでは アクセス数が相当減っていたわけで、ギャルゲオタの人は 根こそぎいなくなったと思っていたのである。 まあ、見ている人がいるからといって何をどうするわけでもなく、 白色矮星のように熱を失った駄文がえんえん垂れ流されていくのだろうが。 会社のノーマルな女性とかに見られて引かれるのはちょっと嫌だなあ、 などと思っていたが、まあそういう人は見てないだろう。 ハナッからオタクな人なら別に気にもならない。 ましてあの今とは比較にならないほど文章が痛かった時期のここを 読んでいた人ならなおさらだ。 むしろ、ああいう痛い文章を書けなくなったことを申しわけなく思う。

月姫は好きだがfateは辛い、という人が結構いる気がする。 なんでだろうなあ。やってることは一緒だと思うのだが、 fateの方がずっとエンターテインメントになっている印象はある。 わかりやすくおいしい題材、ゲーム的な設定、意表をつく展開、ヒロインとのラブ、 盛り上がるクライマックス。普通におもろそうだし、実際普通におもろかった。 特に一つの選択の違いからあれだけ違う展開になるという作りがいい。 それだけに、月姫のようにマニアックっぽい設定で、 主人公とあと2、3人のキャラだけの 比較的狭い世界が濃密に描かれたものとは感じが違う。 あと主人公が辛いかもしれん。 最初半分くらいはあんまり魅力的に見えない。だいたいあまりにも普通じゃない。 月姫の主人公は一般人からそれほど逸脱していないが、 fateの主人公の行動原理は一般人とは到底言えない。 とらハ3の主人公に対して「スーパーマンすぎて感情移入できない」 という感想を見たことがあるが、あいつもたいがいスーパーマンだ。 早起きしてメシ作る、というだけですでにスーパーマンである。 無理に少年漫画の主人公っぽすぎて浮いているというか、そういう印象。 その「無理に少年漫画」という属性は作者の意図通りで、 まさにそういうキャラであることにも理由があるし、 またそれ故に後半挫折したりするわけなのだが、 そのへんの事情がわかるまでは辛かった覚えがある。 確か私も「主人公ウゼエ」とか書いてたはずだ。

ちなみに、私はfateも月姫も好きだが、そんなにべらぼうに好きではなかったりもする。 また、どちらかと言えばfateの方が好きか。 月姫は設定がウザい印象があってそれほど入りこめなかったが、 fateのロジックのおもしろさは普通に良かった。 カイジとかの面白さと種類が一緒かもしれん。

いかん。貴重な休日がミクいじりで過ぎてしまう。 今日は祖母の誕生日を祝ってくる。

すぎやまこういちすげえなあ。この和音進行はすげえよ。

2007年10月19日

ミクいじり。とりあえず全パートぶっこんで、若干ズラして、 モロにヴィブラートが同期していた問題は改善。 しかし根本的にはヴィブラートの種類を変えねばならない。 選択範囲のヴィブラート種を一撃で変えるコマンドはないのか。 ないようならこのデータは捨てよう。いちいちやってられんわ。

音域下限はG3あたりか。そこから下は何か声でないものがボーと鳴ってる だけになる。まあそれでもいいといえばいいんだが。 上はけっこう広いので、 いっそ全部オクターブ上げたら案外聞ける代物になるかもしれん。 しかしまとめて音程をズラすコマンドが見当たらん。 テンポまとめて1.2倍とか、その手の一括操作がまるで見当たらないのは どういうことだ。

一旦midで出力するとビブラート情報が飛ぶ。これをロードすると ロード時のデフォルトタイプに初期化される。これだ。どうやっているのかは 知らないが歌詞も残っている。 これを利用すればテンポやら音量やらは別のもっと使い勝手のいい何かで調整 するということが可能になる。というか、ハナッから別のもっとマシな UIのあるソフトで通常midiでできる範囲のことを全部済ませた上で こっちに持ってきて歌詞をつけたりヴィブラートをいじったりするのが 良い気がする。

ミクは4人まで。8人もいると試し聞きするだけでえらい待たされる。

強弱つけてこれは終わりにしよう。 この長さで8人もいると発音をいちいちいじるのは無理だ。 次は1トラックで短いのの完成度を上げる実験をする。 しかしこの曲強弱ないと本当に退屈だな。 自分らで歌う時にはこうならんようにせんと。

ヴィブラートのかかり始めるタイミングを適当に散らせないものかな。 複数パートでヴィブラートが同期してるのが非常に気まずい。 ちくちく音符ごとにいじれば可能なんだが、そんなことやってられんわ。

合唱の人にしかわからないラインベルガーミク8人 昔作ったマリオっぽい何かのミク。 だいたい作り方はわかったので、何かネタが浮かぶまで封印。

ルプ☆さらだがDSで発売されるそうだ。このまま忘れ去られるようなら 名曲「山歩き」だけでもミクで再現してもいいかと思ったが、やめよう。

アニメ。 しおんの王。たぶん漫画の方が圧倒的に出来いい。 スケッチブック。今期ゆるいの多くないか。しかしこのゆるさはスゲエ。 みなみけ。ゆるいなあ。背景ポリゴンでばりばり動くし。 バンブーブレード。出来いいけど漫画と変わらん。 なんとかかんとかラビリンス。興味が湧かねえ。

2007年10月18日

紫芋のおいしくなさは異常。何これ。 食べていいのかと本気で躊躇する色してる。 これどうしようかなあ。

2007年10月17日

ミクいじり。 とりあえずそこに転がっていた8部合唱曲をぶっこんで使い方を覚えてみる。 それなりに面倒だが、慣れてきた。 とりあえずスラーを探そう。同じ文字のまま音を変えたい時にエグいことになってる。 あと複数トラックでビブラートが同期してるのを 適当に散らさんとダメだ。

聞ける代物にするにはデータをぶっこむ手間の数倍を調整に費さねばならないな。 とりあえずはおもちゃだしそこまではすまい。

2007年10月16日

キャリアなんたら研修とやらに言ってきた。会社から期待されること、 できること、やりたいこと、という三つの間のギャップとどう向き合うか、 みたいな。そもそも私何がやりたいんだろうな。

2007年10月15日

今週の速度は88。 ハノンは15-19。スケールはfis-moleを追加したが、これが異様に弾きにくい。 集中練習が必要。 チェルニー30-3は1や2より容易い。指定速度も不思議なほど遅いので、 明日中に6割、土曜までには9割、あわよくば10割まで持っていく。 こういう楽なものは一発合格を死守せねば。 インベンション10は左右の切り替え頻度が低く、指使いも楽で、 それほど脳は酷使しない。 その代わりに速度だけは必要なのでこれも反復練習が必要。 音楽的に練りこむ際に一番考えねばならないのはタッチとリズム感だが、 考えずに弾けるくらいに慣れねば霊感が働くはずもないので、とりあえず慣れる。 今週はメヌエットを徹底的にさらうが、手始めに速度60で 問題になる部分をしつこく繰り返す。トリルと後半のスタッカート地獄。 どうにか土曜までに速度80でミスなく弾けるようにしたい。 できれば100以上の速度は欲しいのだが、 ミスる100よりミスらない80の方がマシだ。 かっこうは今週は保留だな。

同期の結婚式に行ってきた。余興に参加。ウケたようでうれしいが、 毎度のことながら自分の上がり症が嫌になる。全然やってる最中の記憶がねえ。

カゼが猛烈に悪化。あんなことをすりゃ無理もないが、 頼まれた役目は果たしたのだから満足だ。 起きて回復していなければ会社休もう。 つうか、ピアノ弾いてる場合じゃなかったかもな。何この寒気。

ミク注文した。

2007年10月14日

ゲームよりVIPスレまとめサイト見てる方が楽しい。ヤベエよなあ。 しかしこの面白さに対抗するのは並大抵ではないだろう。 そしてニコ動。この凶悪な面白さの前で一体なにができるというのか。

でも、やっぱり良い物を作ってナンボだとは思う。 ただ、その「良い物」の定義を一回考え直す必要はあるだろう。 それはニコ動やvipに関係なくそうだ。 WiiやらDSの流れはその意味では追い風なのだが、 しかしやっぱりそれらでも安易な方向に流れる風潮はある。

SAGA2のミクの奴、すげえ。ミクは買おう。しかし今買うと本が滞るので、 「ミクを買うためには本の全章を埋めなくてはいけない」 というルールを作って本を書く動機を強めることにする。

本書いてて思うんだが、絵心欲しいわ。60点でいい。 3Dエンジンを脳に形成できないものかなあ。 つうか、明らかに昔よりも3D度は上がってる気はするんだが怖くて確かめられない。 カメラ動かした時にどう見えるかがだいたい想像できる。絵にできるかどうかは ともかくとして。あと照明。光がある時にどこがどんな色になって どういう感じのコントラストになるのかが想像できる気がする。 でもやっぱり怖くて試せない。 周りが絵うますぎるからな。自分がみじめに思えるのが怖いのだろう。

キャラ絵って奴は大変な効果がある。 本書いててふと思ったのだ。「この本の文章は誰か適当なキャラの台詞という 設定にしたらどうだろう?」と。 まあ文体がこの日記とほぼ同じなわけで相当アレなわけだが、 最初にキャラ紹介で絵をつけて、その後も章の頭に挿絵を一枚入れるくらいして 定期的に記憶を保持させれば、 ちゃんとそのキャラがしゃべってるように感じられるのではないか。 私なら感じる。というか、そういう設定で自分の書いた文章読んでたら なんかそういう気分になってきた。もうちょっと口語っぽくして 邪魔にならない程度に間投詞とかを入れてやったら相当それっぽい。 で、私はたまたま今読んでるラノベに出てくる男口調のおねえさんキャラを 思い浮かべたわけだが、その話をした会社の先輩が 「やけに偉そうな幼女とか?」と聞いてきて、ああ、この人ダメだ、と思った。

それもアリか。そういう本最近多いからちょっとひねらないと ダメだとは思うけど。「萌えるゲームプログラミング」なんて寒いのは嫌だからな。 そういうのいっぱい出してる出版社だった気もするが、 会社の名前もバーンと出てる本だけに そういうマネが許されるかはまるでわからんし。 それに、あんまりそれを前面に押し出すと拒否反応を起こされて読んでくれる人が 減るかもしれない。まあやるにしても程々にさりげなくやりたいものだ。

ニコ動で犬が保健所で殺される奴を見た。だめ。耐えられない。 誰が悪いとか言って済む問題でなく、広い意味での経済活動の結果であるわけだが、 であればこそ余計にやるせない。 経済の原理は感情の問題など打ち消してしまう。 世の中のほとんどの出来事はマクロに見れば経済的に推移する、 ということをとある本で学んだ。 「経済的」というのは「皆が合理的(=得を求める)な判断を下すと仮定して良い状況」 を意味する。その「合理的判断」の中で感情が占める割合はびっくりするくらい小さい。 むしろ、感情が元来合理的、ひいては経済的な代物なのだ、 と言った方が正しい気もする。 覚悟もないのに飼うなよと言うのは簡単だが、 犬の死を考えた上で飼い始められるような強靭な理性を持った人間が そうゴロゴロしていると思う方が不自然だ。 いいことばっかり考えて飼い始めるのが普通の人間で、 そのこと自体を責める資格は私にはない。 私はたぶんペットは飼えない。 私より先に死ぬ生き物を飼うのはたぶん無理だ。

「わんことくらそう」を思い出した。たぶんあれを書いた人も そのへんのことに関して本気だと思う。 人型の犬(というより犬耳の人)が保健所で処理される世界だからな。あれは。 マジでそのシーンが描かれるわけではないにせよ、 何かしら思うところがあるからこそ書いた一文だったのだと私は思う。 あれは世界観自体が壮大なネタだが、ネタだからといって本気でないということには ならない。あれはネタだが悪ふざけではない。あの作品がこうして 未だに記憶に残っているのはその本気ゆえだろう。

とかいう文章が会社の人間に見られてるのかと思うと痛いな。マジ痛い。 まさか女性いないよな。会社の人間ならまずプログラマだろうし、 プログラマの大半は男だ。そしてこんなもん読むくらいならオタだろう。 とそう考えれば、うん、そんなに問題ない気がしてきた。 というか、こんな文章を好んで読む女性がいるなら是非お会いしたいものだ。

個人サイトの掲示板に2chの流儀で書きこむのはどうなんだろうと思っていたが、 最近vipを見てるせいか全然違和感がなくなってきた。 昔から顔文字とか(笑)とかが嫌いだったのだが、 最近見るのは全然違和感がない。むしろ、それがないと物足りないくらいだ。 wもバンバンつけてくれ。 さっききたメールも「テスト」の3文字だけで、せめて用件書けよと思うが、 なんというか「そういう世界」と考えると納得できるから不思議だ。 むしろおもろい。私の側だけ素面なのがむしろダメで、 私ももっと2chっぽい文面で返すべきなんだろうな。たぶん。やらんけど。

見合いの話が復活するかも。あーでも期待しねえ。

vipスレのまとめサイトの中でもやはり恋愛ネタは盛り上がる。 浮気ネタひでえなあ。女性が悪者のスレが圧倒的に多く、 構成員の大半が男であることが伺える。肉体的な構造上 浮気は圧倒的に男の方が多いはずだからな。 誠実な男が女に裏切られる、という展開はおそらくvipにたむろする お相手のいない男共には最も共感を得やすいものなのだろう。 もちろん男の浮気は珍しくもないので物語として面白くない、 というのも大きかろうが。実際男女を逆にしてみるとさっぱり面白くないのである。

まあ、「男の浮気が支配的」というのも単なる知識にすぎないのだがな。 性欲の強弱が本で読んだ通りであるならばそうなんだろうけれども、 それとて私には確認する術はない。 それに人間には大脳があるわけで、単純な肉体欲求の強弱だけでは行動が決まらない。 満腹でキツいのになお肉を食う自分を思い出してみれば、 行動を決定する要因として肉体的な苦痛と快楽だけでは不足なのがすぐわかる。

謙譲語版がない動詞を謙譲語にするために発明されたのが「させていただく」 なのだと考えるとしっくり来る。確かにどうしようもない場合もあるからな。 尊敬語版は結構な種類の動詞にあるし、 なくても「れる」をつければたいがいどうにかなるが、 謙譲語版はあんまり整備されていない気がする。 しかし、ないのは必要がなかったからだと考えるならば、 そんなに謙譲語を使いまくる必要は ないと言えはしないだろうか。

2007年10月13日

インベンション9が暗譜できん。13も暗譜に時間がかかったがそれ以上だ。 何箇所かの指づかいがどうにも体に染みこまず、つい考えてしまって外してしまう。 もっと惰性で弾けるレベルにまで染みこまないと音楽性を云々する余裕が出てこない。 一方チェルニー30-2は6割ならそれなり、7割速度でも なんとか弾けるようになったので、たぶん大丈夫だろう。 ダメな時は速度以外の要因でダメだろうから諦めもつく。

チェルニー30-1を9割速度で弾いている。脳から変な汁が出る。 さすがにこの速度だと音楽性を云々する前に粒を揃えることすらできない状態だが、 しかし指定速度そのままで弾くのもどうやら不可能では ないらしいという気はしてきた。webでは「指定速度は絶対無理」 みたいな論調が支配的に見えるが、 この年で始めた私ごときでもできそうな気がするのだから、そうでもあるまい。 きっと小学生とかがドゥルルルッと弾いているんだろう。 さっさと30番を片づけて「中学生並み」の称号を手に入れたい。

本。できれば家で書きたかったが、 いろいろあって会社でしか書かないことにした。なので基本的に休みでもヒマなら出社。 年内は割と缶詰にならないとマズいので、あまり遊びには行けない。 ところで、イラストとかを誰かにおねがいして アレな感じにしようと画策していたのだが、 「業務だから個人的に頼んだりするのはダメ」と言われてしまった。 かといって業務として会社の誰かに頼むのもそれはそれで いろいろ面倒くさい。 というわけで、基本的に素材その他は自力で作ろうと思っている。 元より音楽は自力でやる気だったが、絵もできる範囲で自分でやろう。 「絵はゲームプログラマの仕事のほんの一部でしかない」 という私の主張を目に見える形で表現するなら絵が変に豪華なのは良くないからな。

1ヶ月以内に初音ミクのアレの第二弾が出てくれたらなあ。

「ピアノとか弾いてるし、仕事してねえんじゃねえの?」 とかどっかに書かれてて、 確かにロクに仕事をしてないことは認めるが、夜通し2chにいる奴に 言われたくねえよ、とか思った。別にいいんだけど。 なにせ客は神だからな。基本的にプロには常に全力ですごいものを 作っているようなフリをする義務があるわけで、 私みたいにダラけた様を見せてしまうのは 反則以外の何者でもない。その意味であのCEDECの発表は論外だろう。 叩かれて当然だ。改めるつもりは毛頭ないが、自覚はしている。

つうかああやって叩いてる人からメール来たら個人的にCEDEC資料渡すのになあ。 すでに公開資料なので、サイトで配布するのはマズくても個人的に渡す分には 問題ないはず。そして渡したものがどこにアップされて誰にバラまかれようが 公開資料なわけで問題なし。つうか、誰かバラまいてくださいと頼みたいくらい。 「手抜き」という言葉ばかりが一人歩きして正直辛い。 でもまあ、もう終わったことだし興味もないか。

DSのグラフィックスが全然ショボいと思えない私は勝ち組か。 PSPは単に中途半端なだけで全然綺麗とは思わない。 私の区分は大きく分けて「ショボイ」「ふつう」「きれい」の3つだが、 「ふつう」が非常に大きく、「ショボイ」も「きれい」も幅が極めて狭い。 そしてよしんば「ショボイ」や「きれい」であっても、 買った後であればすぐ慣れてゲームの内容以外は見えなくなるため、 若干買う動機に影響する程度の効果しかない。 例えばDSゼルダとPSPのモンハンは両方「ふつう」で、差はないのである。 私がPSPに魅力を感じないのはそのせいだろう。 上にPS3や箱があってそこに「きれい」を占有されているので、 それより遥かに落ちるPSPは当然「ふつう」になってしまう。 そして普通の範囲にあるものの間の差は問題ではない。 また、「DSの割にはきれい」みたいな言い方をたまに見るが、 私にはそういう感性は全くない。 WiiでトップでもどうせPS3よりはショボいわけで、 そこでトップを取ることの価値を認める気にはならない。 そのゲームに合った「いい絵」であることの方がずっと重要だ。 例えばゼルダは十分に「いい絵」である。 「携帯機の割に綺麗」みたいな言い方はしないし、逆に 「携帯機だからこれくらいでも仕方ない」というような言い方もしない。 マシンは関係なく全てのゲームは同じ土俵の上で評価される。 だからPS3やら箱が存在する状況下で DSやらPSPやらWiiで極限、とりわけ技術的な極限を 目指すことに私は何の価値も感じない。

さて、問題はこれが私だけのことかどうかだ。 実は世の中のかなりの人が私と似たような感性を持っているのではないか。 むしろ私ですら画質にかなり敏感な部類に入るのではないかと思ったりもする。 法線マップという言葉すら知らない大多数の普通の人が パッと見た印象としてどう思うのか。 それこそが重要なのだ。そしてそういう人に差が認識できない差に価値はないし、 そういう人に良いと思われる絵作りをしてこそ意味がある。

もし、たいがいの人がその3区分くらいしか持っていないのだとすれば、 たいがいの人にとって「きれい」に分類されるギリギリのラインを 見極めることが重要になってくる。 そこに入ってしまえばもう差はわからないわけだから、そこに入ってしまえばいい。 受験は受かればそれで良くトップで受かる必要はない、というのと同じだ。 しかし同時に、落ちてしまえば落ちた中でトップでも意味がないわけで、 確実に合格する算段は立てておかなくてはいけない。 一旦「ふつう」に落ちてしまえば、もう埋もれる他ないのだ。 また、「きれい」区分に入ってもやはり他の作品に埋もれてしまっては イマイチなわけで、やはり何かで目立つ必要がある。 その「何か」を決める作業はそう簡単なものではないわけで、 決して手を抜いていいというわけではない。 ただ、それはそれとして際限なく労力をかける愚も戒められねばならない。 絵なんてゲーム作りの一部なわけで、そこにかまけて他がおろそかになれば 待っているのはクソゲーの称号だろう。

ゲームはアートの一種と言っていいと思うが、ゲームにおける芸術性は 絵だけでもないし音だけでもない。ゲーム内容や操作性といった 部分も全部含めてのアートだ。絵は写真一枚で評価できるので 何かと絵ばかりが取り上げられるが、そんなのは静止画CGに任せておけば良い。 総合得点で勝負せねばなんのためのゲームかわからんだろう。 動いてナンボ、遊んでナンボなのがゲームだ。 技術の使い道も絵だけでなくゲーム全体にまたがっているべきではないのか。

とかいうことを書くのがヤバイと思われるんだろうし、 私も自分でどうかと思うが、やめない。

バウンドチェッカーをかけないといけないような状況に陥ってる段階でもう ダメだと思うんだよな。確かに防火と消火は両方必要で、 消火にもコストをかけるべきだとは思うのだけれども、 バウンドチェッカーくらいに凝った道具になるともはや消火というより 「焼けた残骸から家を再生する研究」くらいの割に合わなさを感じる。 それを使うことが有効な場合もあるのだろうけれど、 それでも防火をしくじって火がついた後の話であることに変わりはなく、 同じコストを防火に回す方がはるかに効果的な状況が多いように思う。 たいだい、そんなものが必要になるほど致命的な状況であれば、 最適解は設計から見直すことだろう。 家が焼け落ちたら大人しく建て直すべきである。 新しいツールや技術には常に目を配っておく必要があるが、 明らかに今できることがあってそれによる改善が見込めるのであれば まずそれをすべきではないか。 性能測定ツールの類もそうで、品質向上のために使うならともかく、 処理落ちしてるのをどうにかしたい、というような火消しの道具として 使うのはどう考えても間違っている。 上流工程で手を打つことがどれだけお得なことかをもっと知るべきだ。 河口付近に巨大なダムを作るような愚を犯すのはいいかげんやめるべきだろう。

これはカゼだ。マズいな。

チェルニー30-3。インベンション10。滞りなく進んだ。しかし、 プチ発表会で弾くメヌエットが放置状態でガタガタ。今週はそれを重点的にやろう。 かっこうはかなりテンポを揺らしてもいいとのお言葉なので、 もっと好き放題やってみる。

2007年10月10日

モンハン3がWii。思い切りの良さに惚れる。

チェルニー30-2。7割速度で弾く目処が立った。左手の 無駄な力を抜けば達成は可能。最初はあんなに絶望的だったのに、 気がつけばこれだ。 人間というのは上達するように出来ているのだなと感心してしまう。

チェルニー30に突入して、明らかに練習負荷が跳ね上がった。 こいつが2曲もあるともう他のことなんてまるでできない。 しかし、とにかく指が動くようにしたいので、こいつを最優先にしよう。 どうにか1ヶ月3曲ペースで進みたい。

仮に私が丸々4ヶ月にわたって本を書いた場合、4人月で400万が飛ぶ。しかし、 本の印税が仮に一冊3000円の5%で2000部売れたとするとたった30万しか回収できない。 なんぼ売れてもその10倍にはならないだろうから、どう考えても赤字だ。 いいのかねそれで。

2007年10月9日

PS3、値下げ。買えなくもないが、現状やりたいゲームは一つもないので まだまだ保留。

2007年10月8日

実家帰ってきた。ゼルダは進まなかった。

おおきく振りかぶって8巻まで。出来いいなあ。 野球がすごく面白そうに見える。

樹なつみ「デーモン聖典」。違う作風に挑戦しようとして失敗した例だとは思うが、 さすがにこの人だけあって読めるレベルは維持している。 失敗は大まかには二点。 女の子の描き方を今風にしようとしてぎこちなくなっているのと、 少女漫画らしくロマンチックにしようとしすぎた結果この人の持ち味を殺して しまっていること。ロマンチックを狙って唐突もしくは荒唐無稽になって しまっている印象。最初のユニコーン速すぎ。構成にも失敗感が漂う。 しかし、こうやって新しいチャレンジをやれるあたりこの人は大したものだと思う。

7seedsの11。シェルター編が終わった。 この人、絶対イカれてる。 これだから少女漫画はたまらないのだ。

動物性タンパク質は、豆をちゃんと食べてれば無理に取らなくて いいと思います。 植物だけだと栄養が偏る部分もあるので卵やら乳製品も 多少取った方がいいと思いますが、 それはタンパクのためではないような気もします。

昼間にテレビで高校の合唱コンクールみたいなのをやってた。 「言葉にすれば」は私が行ってる合唱団でもやってて、 本家の高校生はどんなもんかと思って聞いていたのだが、なんというか納得。 うちの先生は「ポピュラーをクラシックみたいに歌うとダサい」と常々言うのだが、 まさかこんなにダサいとは思わなかった。こりゃいかん。 声出てるし音も取れているのだが、「人に聞かせるための工夫」 が欠けている印象。一人一人はうちらよりうまいんだろうけどなあ。

うちの先生相当まともな人なんだなあ、と思う。 一人一人の技倆は大したことがなくても、気をつけるべきポイントを絞って 改善していくので全体としては聞ける代物になっている気がする。 費用対効果の大きい順に手をつけるあのやり方は私の趣味に合う。

実家に帰る前に友達が所属してる合唱団の発表会を聞いた。 前半だけで失礼してごめん。 中学生が歌うような曲を大人がやる、というのがコンセプトらしく、 いかにもな選曲。だが、面白い。あの手の曲をきちんと錬りこんだ時に どういう音楽になるのかには私も興味がある。

詳しい感想はそのうち電話か生身で。

2007年10月7日

最近PSPの元気がいい。どうやらPS2の後継機はPSPらしい。

世界樹2。ディレクターが変わることがどういう影響を及ぼすか見物だろう。 私はこんな短期間に同じゲームを二度やる気はないのでたぶんスルー。

昼過ぎのヤボ用を済ませたら1日だけ実家帰ってきます。ゼルダ片づけよう。

2007年10月6日

ヨーロッパで今度出る40GBモデルが 399ユーロだそうだ。 日本でも出れば39800で売られるかもしれぬ。ちょっと考えてもいいな。 PS2互換機能を完全に切り捨てたらしいが、 私はPS2のゲームはPS2でやるので気にしない。

これで据置きシェアも上がるかね。PS3が伸びてくればWiiや箱も対抗するだろう。 もっとも絵を度外視すれば、 DSでもPSPでも不可能なゲームなんてほとんどありゃしないわけで、 今更据置き3機種を買う理由はあまりないのだが。

クラナド1。すごい。まるでギャルゲーのようだ。

ネウロ。第一話からDCSとは恐れ入る。 しかし、残念ながら原作の方がおもろい。

野尻抱介「ふわふわ泉」。すっごい久しぶりにこういう科学万歳な SFを読んだ。しかもそう古くない。ラノベっぽい作りにはしてあるが、 ネタは結構ガチ。いい。これはすごくいい。 比重が極めて小さくて強度に優れた架空の素材を発明したことによって 始まるストーリー。やっぱりついには宇宙。たまらん。

SFを読む度に自分が今こんな仕事をしていることを微妙に後悔する。 そして、自分に面白いゲームを作れるという 信仰がほとんど消え失せてしまっている今なおこの仕事に居続けている 事を疑問に思う。 最後の支えであった「最先端の技術研究」への情熱も、 「技術以前に金の問題をどうにかせねば業界そのものが保たない」 という現実の前ではかき消えてしまう。 うちの偉い人はゲーム作りは人の役に立つ仕事だと言った。 私はまだそれを信じたい。しかし、今のままではダメだ。

2007年10月5日

ファミ通の雑誌にまで載った。web記事と論調は一緒。あと、itmediaに記事出てた。 もっとうれしいもんかと思ってたが、案外そうでもない。 カズフサよばわりされることを考えるとなおさら。

初音ミクはおもろそうだ。 本につけるサンプルゲームのBGMをそれで作るのはアリかもしれん。

PS3はPS2に比べりゃ遥かに楽だと思う。 仮にSPUをギリギリまで使うような作り方をしたとしても、なお楽だ。 あのPS2でまともにゲーム作れた人間がPS3ごときで苦労することはあるまい。 今世代のゲーム作りがしんどいのは個人のプログラミング技術の問題ではないのだ。 ゲーム制作の技術が高度に専門化した結果とか言ってる人がいるが、 それは洋ゲーの科学技術導入っぷりを見て驚いた素人の意見にすぎまい。 技術の話ではないと思うのだがな。

2007年10月4日

「地球へ・・・」の原作を読み終えた。 アニメがずいぶん設定をいじっていたことを今更知った。 原作の方が筋はシンプルだが、 にも関わらず圧倒的にわかりにくい。だが、情報量が多いことによる わかりにくさはその情報量に意味がある限り欠点ではない、と私は思う。 逆にアニメはわかりやすすぎたのではなかろうか。これをああ再構成する手腕は すごいと思うし、普通に出来がいいのはアニメの方なのかもしれないが、 原作の持つ問答無用の迫力のようなものが いささか失われてしまっている。 特にラストは整理しすぎた印象。 「なんだかわからないがすげえ」は大切だ。

本来8月中に来ているはずだった仕事が今頃来た。仕方ないのでやる。

2007年10月3日

英語の復習とピアノで3時間が過ぎた。

CEDECサイトに資料が置かれたようだ。 2chで叩いてる人とかに直に渡したい気分で一杯だ。 誰かそのへんに流してくれないかな。公開資料とは云え、 私が個人的にバラまくわけにもいかない。

斑目とか言われるだけでもキッツいのに、 「むしろカズフサ」なんていう追い打ちをかけられて、ちょっとへこんだ。 床屋行ってコンタクトにでもしてりゃ印象変わったんだろうか。 少なくともカズフサとは言われなかっただろう。

いや、カズフサは好きだけど、自分がああなのはイヤ。

矯正が新展開。輪ゴムパワーを追加。しかしこの輪ゴムをつけるのが えらく難しい。コンタクトレンズみたいにすぐ慣れるんだとは思うが。

英語。5回が過ぎた。慣れてきた気もするがよくわからない。 とりあえずあと5回ほどは何も考えずに受けてみよう。

聞いた言葉を英語のままで理解することはいずれできるようになりそうな気もする。 しかし、話す文を日本語を介在させずに組み立てられるようになれるかは 現状まだまだわからない。 英語で考えるための最小のセットをいかに早く手に入れるかが問題だ。 「英語で考える」と言うといかにも難しく感じるが、 「日本語を介在させないで英語にする」と言い換えるといくらか現実的に思えてくる。 内容の絵的あるいは感覚的なイメージと英語をリンクさせられればいいのだ。

矯正輪ゴム。器具を使わず手でやったら簡単にできた。器具いらねえじゃん。 これのおかげでますます物を食うのが億劫に。

mixiが猛烈に読みにくくなった気がする。

2007年10月1日

なんか、今日全然ダメだ。

名刺交換した人からメールが来て返事書いてた。 今まで名刺交換した人からメールが来たことなんてほとんどない。 GDCの後に一人だけ送ってくださった方がいて妙にうれしかったのが 唯一の体験だったはずである。 それが、今回はあんなに。名が知れるって、すごく気持ちいいことなのかもしれない。 でも一歩間違えば大変なことになるので、気を引き締めないといけない。 とは言え、この日記で台無しだがな。リアルタイム恥垂れ流しだ。

そういえば、一年目末に部署をまたいでやった研修が終わった後、 隣に座ってた人と名刺交換して「メールします」みたいな話をしていたのだが、 なんかうやむやなうちに何もしなかった。 というようなことを、偶然その人をみかけて思い出した。 そういや去年某ゲームのインタビュー記事にのっててすげーとか 思ったのも思い出した。元気だろうか。

チェルニー30-2の難しさに絶望する。50%速度ですらきつい。 二週間も練習すれば60%まではギリギリ持っていけそうだが、70%を合格ラインと 仮定すると到底辿りつけそうな気がしない。 つうか明らかに1番より難しいものを1番より速く弾けってのは無茶すぎるだろう。

クソゲーを火事に例えるならば、防火と消火の2つの装置によって損害を 軽減させることができる。火事と同様クソゲーになる原因は良く研究されているので、 適切なコストを払えば防火はかなりの効果を上げる。 消火も同様で、 最悪家が燃えても人が死ぬのだけは防ぎたい、という考えには、 最悪開発費を回収できなくても クソゲーを世に放って会社の信用を失墜させるよりはマシ、という考えが対応する。 みんながそう思ってくれたらどんなにかいいだろう。

起きた後寝る前の気分が継続しているのは稀なことである。 気分とは脳内の化学的状態のことで、寝たり食ったり運動したりすると ガラリと変わってしまうのが普通だからだ。 いかん。いかんぞ。そんな薄紅色の気分はいかん。


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