だだもれ

2007年6月30日

新人研修終了飲み会。こういう感じなら悪くない。

朝7時に家を出たので会社を出るまで気づかなかったのだが、 今日ムチャクチャ暑くないか。 フロを出て汗が引いたら寝ようと思っているのだが、まるで引かない。

合唱祭とやらをなんぼか聞いて感想とか書かされたりした。 運が良かったな。それなりに聞ける所が多かった。 そうでないところもあったが、まあどうにか。 それにしても自分でやるのは難しのに他人にケチをつけるのは簡単、 というのが悲しいところである。 さて、せっかくなので気になったことをいくつかメモしておく。 テノールは地声が炸裂すると恐ろしく汚い。 一番一人あたりの音量が大きくなるパートだけに致命傷だ。口は縦に開けれ。 音程が悪いことのダメージもテナーが最大。 女声が多少ずれてもうなりの周波数が高いので気にならないが、 男声はただでもうるさい上にうなりの周波数も低く相当気になる。 テナーとバスだとやはりテナーの方がうるさいのでダメージも大きい。 ただしピアノ伴奏がない場合にはバスのダメージの方が大きくなる。 基音がおかしくなるともう何もかもがダメだ。 おばさんの過ぎたビブラートはやはり害。 長い音符で音量が増すのは素人の証という話だが、本当にそうだった。 先生の言葉を借りれば「イモ」。 よく訓練されているかはアルトを見ると一番わかりやすい。 アルトの音域をただの地声でなく歌声にできている団体は極めて少ないように 思われる。アルトに力があるのは鍛えられている証拠だ。

うちの先生が指導してる他の合唱団はなかなかだった。 一人一人の力量が云々というよりは、統制が取れている感じがいい。 コンセプトがブレてないというか。 もちろん、一人一人の技倆も並よりは上で、 男声の声量はさすがだった。よくあの人数であれだけ出るものだ。

にしても、一体いくつ合唱団あるのよ。5日間にわたって毎日30とか団体がやるらしい。 それなりに素人でもやれて、集団への帰属感も味わえて、しかも健康になるという、 相当おいしい趣味なのだということはわかるが、 にしてもこんなにいるというのは信じられん。

私が合唱で鍛えたいのは、声のデカさと、声の高さである。 が、後者は半ば限界が見えてしまった。 しばらくは前者を主眼に据える。デカい声が出るといろいろ便利なのだ。 ちょっとそろそろ真面目にトレーニングもして、 9月末までにはデカい部屋でマイクなしでしゃべれるくらいのうるささを手に入れたい。 まあマイクは使うんだろうけど。

世界平和は云々の2巻。いいなあ、若さって。

若本ヴォイスがかっこいいということを知らない人が増えてきた。 嘆かわしい限りだが、仕方ないよなあ。

夜合唱がないと時間が空く。 ここのところアニメ消化ペースが激しく落ちているので、 とりあえずかなりどうでもいい部類であるハヤテを見てた。 うん。どうでもいい。アニメネタの増強っぷりがかえって寒い。 まあ、いくつかの理由により嫌いじゃないんだけどな、このアニメ。

らきすたちょっと見てなんか見る気が失せた。まるで4コマ漫画みたいで辛い。

初心忘るるべからず、という言葉はたいがい説教臭い空気を帯びるものだが、 実は実際使える言葉だったりもする。 初心を忘れたプロジェクトの末路はいつも同じだ。

何々をするスレッド、という考え方だけで マルチスレッド化をやるのは論理コア数が2までのマシンでしか通用しない。 依存関係のない単位に細分して、片っ端からスレッドプールに投げる タイプの並列化を最初から考える必要がある。 とは言え、CPUの中身の性質を考えると似たような仕事は 同じコアでやった方が良かったり連続でやった方が良かったりするわけで、 厳密に理屈通りにスレッドプールに投げるアプローチもたぶんマズい。 レジに並ぶ時にレジの寸前まで一列で並ぶ形式と、 レジの数だけ列を作る形式は、どちらにも長所と短所があり、 うまく使い分ける必要がある。

まあ論理コア数1のマシンをいじってる分には考えるだけ無駄だがな。 ゲーム機もPCも安物は当分シングルコアだろう。 そして、安物ハードでいいゲームはこれからも存在し続けるし、 5年程度のスパンであればそれが本流でい続けるだろう。 マルチスレッド化フレームワークなんて作っても大半のゲームにとっては 単なる無駄にしかならない。 明日できることは明日やれば良い。 未来のためというお題目で今そこにあるマシンの性能を悪化させるのは 何か気に食わない。

2007年6月28日

ピアノの練習は1時間が限度だ。集中力が続かない。 ヒマになれば朝晩に練習するのだが、今は可能な限り早く会社に行って 働かねばならないので朝は10分くらいしかできない。 考えてみれば ヴァイオリンだってこんなに真面目に練習したことはなかった。

次先生に見てもらうのは2週間ちょい後なので、かなり時間があるのだが、 課題は多い。3度の重音を速度で鳴らさなくてはならない。 インベンションの7番を仕上げて、13番もそれなりに弾けるようにせねばならない。 ベートーベンのメヌエットもそれなりには弾けないといけない。 これにはペダルという新しい要素があり、なかなか慣れない。 あと音階。親指の所で不連続が起きないようにしないといけない。

コルダ14まで見た。柚木先輩、いいわ。おいしすぎ。 やっぱりその道の人に熱く語ってほしいよなあ。乙女ゲー。 会社にも一人くらいはいそうなものだが。

2007年6月27日

凸包を放り出して別のことしてた。 なくてもどうにかなることがわかったからだが、 でもあった方がいいのでそのうちやる。 今日は素人目にもわかる進歩があったので気持ちは良かった。 だが、見た目ほど進んだわけではないのが自分にだけわかる。

OpenGLの勉強をまたしなきゃいけないのか。 前触った時は1.5だったからな。

2007年6月26日

7時半から働いてみた。一日中凸包。 私、やっぱりこういうの苦手だ。頭がスポンジになってしまう。

ネットゲーは作りたくない。どう考えても面倒くさそうだ。

凸包。幾何アルゴリズムの類は苦手だ。 リストのイテレータのリストのイテレータ、とかいう物が出てくる段階で 私の処理能力を超えている。そんなものが出てくるのは設計がおかしいからだ、 と言いたいところだが、私の頭ではこれをどうにかする方法は思い浮かばない。

2007年6月25日

起きたら8時だった。自分的に大遅刻。今日は9時出勤にしよう。 やっぱり11時に寝ないと7時起きは無理。 ついピアノが楽しくなって日が変わってしまったのが敗因だな。

凸包中。何この圧倒的な面倒くささは。 だが、ここを越えれば楽園が待っている。

2007年6月24日

サウジアラビアはすげー。そしてあっさりmixiで発見。

ロミジュリ、あの名セリフの無理矢理な使われ方に吹いた。 また展開もすごくて、偶然の強引な使い方がたまらない。 ベタベタは大好きだが、やりすぎだろこれ。

地味にいろいろ見てるのだが、感想を書くのも面倒になったというのが正直なところ。 今期は普通以上に見られるものがそれなりにあるのだが、 びっくりするほど面白いというわけでもない。

なのは11。始まってるんだろうけど始まってる気がしない。 このままではただのダサいアニメで終わってしまう。 ところでバンクの変身シーンはもうちょっと接続考えて作ればいいのにと思う。 4人分直列に並べただけだとダメダメだ。

もうちょっとメジャーになればゲーム化されたのかもな。 Wiiのドラゴンボールみたいな感じで。

結局凸包化を書くハメになる。webでいろいろ拾えるのだが、 組み込むには豪華すぎるものばかりで、結局一部改変は必要になる。 だったら危ない橋を渡るよりも最初から書いた方が早い。 勉強にもなるしな。

「1点しかなければそれは凸」「すでに凸のものに1点足して凸にすることができる」。 この二つの文をそのままプログラムにすれば完成する、 と考えれば大して難しくはない。しかし高速化するにはそれなりに手間がかかるし、 演算誤差に対して頑健なものを作るにもそれなりに注意が必要だ。 でも丸一日あれば終わるだろ。

今日は7時間ほど働いた。あんまり進んでないが、考えはまとまったので 明日からがんばる。疲労がキツいので今日はさっさと寝よう。

栄養面にも気を配らないと三ヶ月戦えない。 どうも土日は体に悪いものばかり食っている気がするので特にだ。 日曜は何も食べないで野菜ジュース1リットル、というくらいが丁度いい気もする。

バッハを知らない人にバッハのインベンションを弾いてると言っても さっぱりわからないわけだが、ちょうどいい比喩が見つかった。 バッハのインベンションは藤子不二雄のSF短編シリーズみたいなもんだと思う。 楽譜が見開き2ページで収まり音も少ないが、 構成とか、伏線の張り方とか、オチのつき方とか、そういうのがすごいのである。 ただ、玄人でないとそのすごさがわかりにくいという面もあり、 そのへんも似ている。

ベートーベンのメヌエットト長調を弾き始めた。 それに伴って3度の重音を揃えて弾くための練習を重点的に課せられた。 なんだこのしんどさは。 しかし到底できる気がしなかった音階も最近親指で切れなくなってきたし、 やっていればできるのだろう。 音階は胴体と前腕の角度の調整に注目したらだいぶマシになったわけで、 たぶんこれも体の使い方に関して何かを気づけばそれで出来るようになるのだと思う。 指の同期に注目しすぎるとたぶん罠にはまる。 より根本の部分の助けをうまく借りる方法をなんとなく探っていこう。 特に13,24あるいは24,35が連続するような場合には 前腕の回転と組み合わせるうまい方法がありそうな予感がする。 端の指ほど早く鍵盤を叩くので同期が取れなくなる、 という問題をどう解決するかだ。

「バッハの時代にピアノはなかった。だからピアノがなかった頃の音楽を 極力再現しようとすべきだ」という考え方はどうも嫌いだ。 もし当時ピアノがあったらバッハはどうしただろうか、 と考えてピアノの良さを活かす方がよほど面白いのではなかろうか。 再現したければチェンバロで弾けば済むことだろう。 しかし、これから勉強が進めば意見も変わってくるかもしれない。

2007年6月23日

凸多面体の積集合を求めたい。超面倒くさい。 でもまあ和集合よりはマシだ。凸多面体の積集合は必ず凸多面体だが、 和集合はそうとは限らない。

次世代機、という言葉を使ってるのは まだまだ世代交代が進んでいないということの表れだろう。 一方Wiiにはあまり次世代機という言葉が使われていないようだが、 それはつまりもうすでに今世代機として認知されているということなのだろうか。 あるいは任天堂の狙い通り「別物」という印象を与えることに成功した ということかもしれない。

マシン性能は高いに越したことはない。 新技術をぶっこんで自己満足に浸るのは最高の快楽だ。 しかし、それのために犠牲になるもののことを考えれば あまりそこを強調することはできないし、 結局絵以外の要素がそれほど豪華になるわけでもないというのは厳然たる事実である。 高いマシン性能をゲーム性に活かすことは可能だと思うし、 そうするのは半ば義務だとすら思うのだが、 しかし少なくとも世界の大半はそういう方向を望んではいないようだ。 つうか、高性能マシンでしかできないゲーム性、 なんてものについて他人が語るのを私は全く聞いたことがない。

「すごいゲーム」は作れそうな気がするんだよな。マシン性能が可能にする ゲーム性を前面に出せば。 でも、それが「面白いゲーム」になるかどうかはさっぱりわからないし、 「やってみたいと思わせるゲーム」になるとは到底信じられない。

作る側としては高性能マシンラブな私にしても、 遊ぶのはたいがい低性能マシンという矛盾。 稼動頻度が高い順に並べるとDS、PS2、Wii、360となる。 結局、絵が綺麗なのは30分で見慣れる。 作ってる時には絵が綺麗になっていくのがたまらない快感をもたらすのだが、 一度遊ぶ側になればこのザマだ。 そして一旦絵に見慣れてしまうと、 性能が高いマシンほどロード時間その他で不快な部分が多い傾向があるので なおさら低性能マシンの優位性が強くなる。 でもまあ、これからは作る方も低性能マシンが増えそうな気がするけどな。

それがわかっていても早起きしたり徹夜したりして絵を綺麗にすることに 多大な労力をぶっこんでいる自分。 この矛盾は解消すべき矛盾なのだろうか。それとも、 健康的な作り手の心理として肯定されるものなのだろうか。 何をどうバランスを取ればいいのかがたまにわからなくなる。

2007年6月22日

朝7時半から働いてみた。はかどったが、疲れた。

幾何とか、数学とか。地味だ。

2007年6月21日

朝8時から働いてみた。やけに疲れた。たぶんはかどった証拠だ。 しかし、同じ1時間でも朝の1時間はタダ働きだが、夜の1時間は300円くらい もらえる、ってのが何か納得行かないな。 まあ300円のために効率を落とすのもバカらしいのでもう少しこのまま続けて みるつもりだが。何と言っても通勤時が涼しいのがいい。

mixiってわけのわからんつながり方しておもろいな。 ラスベガス支部なんてあったのか。 考えてみると私は自分の団体のことをびっくりするくらい知らない。

今日は幾何学ライブラリとか作ってた。 交差判定とか、多角形の分割とか、主分散軸を求める奴とか、そんなの。 見事に単純作業。しかし、これがないと始まらないので仕方ない。 前作った奴は数値演算誤差の扱いが適当でたまに誤作動していたので 最初から書き直すことにしたのである。 そういうのの権威みたいな人がババーンとライブラリを整備して みなはそれを有り難く使う、というのが理想なのだろうが、 そんな地味な分野で権威な人なんてそうそういないし、 ライブラリなんて作ると保守の義務が生じて面倒なことこの上なく、 当然誰もやりたがらない。 でも結局私は「ライブラリ気味」くらいの位置が向いているわけで、 であればそれなりに公共の利益を考えた仕事の仕方をするのが良かろう、 と最近思うようになった。

3次方程式を馬鹿正直に解の公式で解くのはヤバいと思うんだよな。 3乗したものと何かを加えるなんて、恐ろしすぎる。 だから、3次元の行列対角化に特性多項式を使うのはたぶんヤバい。 ヤコビあたりの反復解法は演算誤差の影響を受けにくいので たぶんそっちの方がずっとマシだ。

「ぼくらの」が最近ヌルいのだが、噂に聞いた監督の仕業だろうか。 アニメが終わったら原作を読むつもりだが、 あの人のことだからさぞかしエグい漫画なんだろう。 私は正直不幸まみれの物語は好きではないので もしかしたらアニメくらいで丁度いいのかもしれないが、 とは言えアニメは少々寸止めが過ぎる気がする。 あと、これは原作からしてそうなのかもしれないが、 ギャルゲーのシナリオよろしくバラバラにキャラの過去が語られる構成は ちと飽きが来るな。そろそろ人も減ってきたことだし、 相互作用による広がりを期待したい。

GJK、いいよなあ。円錐だろうが四角錐だろうが凸多面体だろうが球だろうが、 一つの関数で交差判定できる。まあ、反復法だから遅いけどな。 ゲームで使ってる例あるんだろうか。

2007年6月20日

仕事しかしてないと何も書きようがないな。

結局またグラフィックエンジン仕事だ。 もう「グラフィックの人」という称号がついてしまっているらしい。 当分新ハードは出ないわけで楽といえば楽だが、 実際のマシン性能に合わせて絵作りを一から考えるのはそれなりに大変だ。 世の中にはいろんなマシンがあるからな。

GPUのベンチマークを収集してるサイトとかないかなあ。 できるだけ基本的な性能を測れる奴がいい。 どこぞが作ってるなんたらマークは凝りすぎだし。 つうか、自分で作って公開して協力を仰ぐのが一番楽か。

Visual C++ 2005で作ったものをバラまこうとするといろいろ面倒くさい。 全部スタティックリンクにできないものかな。

生活サイクルを2時間早い方にシフトすることにした。 7時に起きて8時から働き、19時半ごろ会社を出てメシ食って9時前に帰る、 という感じにしたい。寝るのは23時から24時の間。 しばらく仕事が山ほどあるので、できるだけ体に負担をかけたくないのだ。 なので、電話して来る人は早めの時間におねがいします。 22時くらいを推奨。起こした奴はなじるので覚悟してかけるように。

2007年6月19日

ミーティングの日だ。気が重い。

ポリゴン境界という最悪の高周波ノイズ源があるため、 パーピクセルでポリゴンを書くと必ずジャギる。 解像度がいくら上がってもこの問題は解決しない。 画面がCG臭くなる最大の原因だ。さてどうしたものかな。

2007年6月18日

休日出勤。誰もいない会社はいい。実にはかどる。 しかし土曜の疲れが日曜まで残っていて辛い。 ピアノ、拳法、合唱、映画と4連コンボの後ではさすがに無理があったかもしれぬ。 しかも午前中NTTの人が来たのでロクに寝てないしな。 おそらく来週はずっと楽だろう。こんなムチャクチャな土曜が そうそう頻繁にあるわけではない。

何かが少々違ったところで、カレーであることの前では無力である。 それを実証する機会に恵まれることはある意味幸運かもしれない。

2007年6月17日

わずかに開けた窓から雨が吹きこんでルータを破壊していった。 三日間ほど帰ってもPCを触らない生活をしてみて、 その不便さを思い知ると同時に、 あと一週間あれば慣れるなと思った。 なお、NTTはタダで直してくれた。 こういうコストは保険と同様に、たまたま運が悪かった人のためのコストを 皆で少しづつ出し合っているのだろう。

ピアノ、ますます要求が無茶になってくる。 しかし要求云々の前に、手がべらぼうに大きくないと到底無理そうな 指使いが山ほど出てくるのだが、子供は一体どうやってこれを弾いているのか。 人差し指と小指で6度の和音を弾くなんて。 ところで仕事が忙しくなってきたのであまり時間は取れない。 より効率の良い練習を心がけねばならないが、 どうしても曲を60点で試験が通るレベルまで持っていくのに時間を取られるので、 基礎練習にはあまり時間をかけられない。 ハノンは脳トレだけに使うのは惜しいので、 タッチの練習も兼ねるようにしよう。小さい音、やさしい音を出す訓練を しないと「それは音楽じゃないね」とにこやかに詰られるのを防ぐことはできない。

ヘッドホン買ってこないと。今は夜中弾く時は 音量をかすかに聞こえるくらいまで落としてやっているのだが、 やはりこれではダメだ。出力から入力へのフィードバックをかけるのに 出力情報が不足してはうまく行くはずがない。

300を見た。シグルイ、というのは確かにそんな感じである。 アレクサンダー戦記を思い出してしまうくらいやりすぎなペルシャ軍とか、たまらん。 カメラワークもアクションも品のなさが芸になっている。 スタッフロールまで面白かった。下品っていい。 ただ、気になるノイズもある。 「自由」とか「正義」とか「民主主義」とかいう言葉で戦争の 大義を語るあたりがいかにも鼻につく。 せっかくのスパルタだというのに「漢」以外の価値観を持ちこまれたくはないものだが、 そういうのがないとアメリカの人は燃えないのかもしれないな。

原作買うかな。アメリカの漫画らしい。

久しぶりにPS3の週間売上を見たが、健闘していて驚いた。 週5000どころか8000も売れている。みんな何やってるんだろ。

2007年6月14日

特に何をしたわけでもないのに、体脂肪率が11%まで落ちている。 ピアノって痩せるのか?いや、痩せるかもしれない。 筋肉への負荷はないが、地味に有酸素運動だ。

溜まっていたなのはを見た。悪くないが良くもない。嫌いじゃないけど。

2007年6月13日

今回の仕事は前の仕事よりいろんな意味で難しい。

忙しくなってきたので、しばらくはそんなに更新されないと思う。 3ヶ月くらいは今のペースで仕事をすることになるだろう。 月270時間くらいを限度にしたいが、それでも期限内に終われるかは怪しい。 いろんなことがガラリと変わるので、かなり根本の部分から作り直しになるのだ。

2007年6月12日

平日は10時から23時で昼休みを引いて12時間。 日曜日は8時間くらい。という感じで働くと月270時間くらいになる。 健康に異常を来さず、かつ家でもそれなりに時間が取れる、ギリギリのラインだ。 そこは越えないようにしよう。

バイリニアフェッチ4回でバイリニア1回よりマシな拡大フィルタ作れないかなあ。 無理っぽいよなあ。係数をマイナスにできないと単にボケボケになるだけだし。

2007年6月11日

休日出勤してみた。気がついたら日が変わっていた。 これだ、と思ったが、疲労がすごいことになっているので、 もう少し控える。持続可能な限界をさっさと見つけよう。

ハヤテの10話がひどすぎた。

2007年6月9日

残業してみた。3時まで。いやあ、いいわ。残業。 この少しづつ何かが衰えて集中力とかが落ちてくるのに 気持ちだけは前へ前へ行こうとするヤバい感じが。 半年ぶりの残業は実に甘美な代物だった。 まだ私にも残業できるほどの元気が残っていたのだということが確認できたのは 非常に喜ばしい。むろん、いかに短期戦とは云え限度があるので、 日が変わる程度で抑えておくつもりではあるが。

残業はかえって効率が落ちると言われる。 普通はそうだが、条件が揃えばそうでもない。 好きでやっていること。 会社でも十分リラックスして休めること。 仕事が単純作業でなく思考の占める割合が多いこと。 それくらいが満たされると、もう残業という感じはなくなる。 単純作業が山積みになっているような状態でなく、 考えたり何かが降りてこないと進まない場合は、 ずっと手を動かしているというわけには行かない。 リラックスできさえすれば会社でも家でも同じだし、その時間は疲労しない のだから残業の負の側面は考えなくていい。 そして、もし思いついたならばすぐに手を動かせる方が良く、 家のトイレで思いつくよりは会社のトイレで思いつく方が便利である。 しかも、これから夏になれば会社の方が空調その他で快適になってくるわけで、 家でダラけることの意味がどんどん薄れてくる。

でも、大局的に見れば残業は非効率。強制的に定時で会社から 追い出すくらいの方が全体としては良く進むような気はする。

64bit変数って、+とか/とかできるのな。コンパイラが勝手に中の関数を 呼んでやってくれるらしい。32bit演算を組み合わせて やる方法を考えていたのがバカみたいだ。まあ、 いずれそういうマネを自力でせねばならない日が来ないとも限らないので 無駄にはならなかったと思うが。

2007年6月8日

ぼくらのの9話を見た。ああ、一番まともな人が。 こいつが抜けて、一体この先どうなってしまうんだろう。

しばらく料理なんてしているヒマはないので、ミューズリを注文した。

私の脳って、こんなに回る代物だったんだな。 逆に言えば、もし自力でやる気を開放する方法が見つかっていれば、 何ヶ月も前からこれだけ回せたわけか。 しかし、いろいろ本を読めたし、下っ端以上の視点を得るきっかけもつかめた。 意義のある時間だったのだと考えよう。

家にいるのが落ちつかない。他人に依存していない仕事が一つでもあると 今すぐやらないといけないような気がしてくる。 食べられる料理が目の前にあると腹が一杯でも食べないといけないような 気がする、そんな感じ。うん。会社行こう。落ちつかねえ。

2007年6月7日

仕事が入った。ダリーとか思いつつも、異常にハイになってる自分。 自分の中の何かが回り始めたようだ。条件は良い。 比較的閉鎖された空間に関して全権を握れるので横槍も入りにくい。

今日も川崎往復をやろうと思ったが、4日前のダメージがまだ残ってる。 筋肉痛程度なら強行するのだが、膝の外側になじみのない痛みがあって気持ち悪い。 ちと様子を見る。明日走れるといいな。

今度は短期戦だ。土曜は無理だが、日曜が空いているなら使おう。 力を集中すべきは最後じゃない。最初だ。

バッハのインベンション7番を作った奴は神。

2007年6月6日

「デッドライン」。プロジェクト管理をネタにした小説。 手が込んでいておもしろかった。 人間の精神がどういうものかについての考察が鋭く、 対立の仲裁の話は勉強になった。 ただ、あまりにもどこかで見た光景ばかり出てくるので気分が悪くなる。

「熊とワルツ」。リスクとどう付きあうべきか、という話。 50ページくらい読んだところで気分が悪くなった。 あまりにも良く見る光景が広がっている。 リスクの発見を妨げる「美徳」についての話はとりわけ痛い。 「解決法がない問題について口にするな」とか、 「自分で解決する気がない問題を口にするな」とか、 「問題だと証明されていない事を問題にするな」とか、 まあ見事に「美徳」とされていることばかりではないか。 子供の頃に 「文句ばかり言わないで建設的な意見を言え」 と言われた人は多いと思うが、これをロクに考えもせず適用しまくると 単なる言論封鎖になってしまう。 クソゲーはクソゲーなのだ。 「自分で直す気がないなら言うな」などと言われたら、 「そうかい、じゃあ知らん」となるに決まっている。

今上の方にいる人々は、下っ端だった時代に上から命令がなくとも 自発的に組織に貢献してきた立派な人達なのだろうと思う。 しかしそれはそれとして、今の下っ端が自分と同じように行動することを 期待するのは無茶だ。 やる気がない奴が一定数以上混ざった状態で物を作っていかねばならない という現実から目を背けて、 「君等はもっと積極的に貢献すべきだ」などと言ってみたところで 従うわけがない。 そもそもその上の人々にしても、何の利益もないのに組織のために 貢献していたわけではあるまい。 ゲーム業界は今とは比較にならないほどの活況にあって ヒットの規模も頻度も今とは桁違いだったし、 給料も高かったし、活躍すれば偉くなれるという期待も濃厚にあった。 人数が少なかったので個人の意識は自然と高まっただろう。 あまりにも今とは状況が違いすぎる。 ゲーム業界が若い業界であることもマイナス要因だ。 景気が良かった時代に上のポストについてしまった人には 優に20年以上の時間が残されており、 下っ端が出世の夢を見るのは困難である。 夢を見るなら独立あるいは小さいところに転職という話にならざるを得ず、 夢を見るようなやる気満々な奴はいつか転職するという前提でいるだろう。 その状況で一体どういう体制にすればうまく行くのだろうか。

やる気の平均値が低いことに適応したシステムを作ると、 やる気のある人には居心地が悪くなる。 ルールで縛らざるを得なくなるからだ。 しかしだからといって、実際にやる気の平均値が低いのに、 皆がやる気満々であることを前提としたやり方をしていれば、 期待は常に裏切られるだろう。これも困ったジレンマである。

ソースコードを1ディレクトリにゴチャっと配置する手法って メジャーなんだろうか。grepで検索しやすいからそうしている、 というプロジェクトがあるらしい。-rをつけるのが そんなに面倒くさいのだろうか。 そもそもそんなに頻繁にgrepかける状況が想像できない。 クラス定義がどこにあるか探すのが主目的なのだろうが、 どのファイルにどのクラス定義があるのかわからないような ファイル分けをしていること自体がおかしいではないか。 どのクラスにも属していない#defineやらenum やらが大量にあったりするのかもしれないが、むろんそんな設計は腐っている。 さらに、アプリのソースコードのファイル名には必ず アプリ固有の文字列をつけて、他のアプリのコードとマージしても ファイル名がかぶらないようにするのだという。 ディレクトリが違えばいいだけじゃねえの?とか、 ファイル名違ってても中に同じクラスあったらどうせマージできねえぞ? とか、ちょっと考えただけでもボロボロ欠点が出てくる。 そもそも、他のアプリのコードとマージって、それ一体どういうことだ? 使える部分をまとめて.libにしてリンクするだけじゃないのか? 世の中には想像を絶した作法がまだまだあるということだろう。

次から次へと信じられん話ばかりを聞く。 コンパイル通らないコードをSVNに上げても何も言われないプロジェクトとかな。

2007年6月5日

帰ってピアノ弾いてたら、いきなり会社の先輩に呼び出された。飲み会。 会社SNS日記で書いてたことについていろいろ聞きたいとかいう話。 尋問キターとか思って行ったが、比較的理解のある印象の人ばかりだったので だいたい穏便に事が進んだ。ただ、当然いくらかの食い違いはある。 彼等の立場から言えば、 「責任がないのをいいことに好き放題言っているだけ」という言い方は 当然できるし、それは事実だ。痛いところではある。

ベテランの人々は、自分の権限の及ぶ範囲、というものについて あまり厳密には考えない傾向がある。自分が役に立つと思えば何でもやる。 プログラマなのかアーティストなのかもほとんど気にしない。 皆でゲームを作り上げる思想であり、疑いなく美徳だ。 あまり規模が大きくならなければ有効だし、 また、規模が大きくなってもその理念そのものは捨てるべきではない。 部分の和が全体になるような分業は不可能なのだから、 自分の仕事にだけ集中するのが悪であることは間違いないのである。 しかしそれはそれとして、 人が多くなると、そういう考え方をできない人の率はどんどん増してくる。 自分の仕事だけやればいいと考えているような人が多くいる状態で、 性善説を取ることほど恐ろしいことはない。 さらに悪いことに、人数が増えると必然的に能力の平均値は落ちていくのである。 また、仮に能力の問題がなかったとしても、 技術が高度化するにつれて得意分野も細分化されていまい、 すでに全員を曖昧な「ゲームプログラマ」 などという扱いで済ますことはもはや不可能だ。 そのような場合オブジェクト指向プログラミングよろしく 分割と隠蔽によるリスクと複雑性の軽減を行わざるを得なくなる。 こういう状態で、「自分の仕事だけでなく他の部分も良く見よう」 「みんなでゲームを面白くしよう」 などの綺麗事をいくら言ったところで事態は改善すまい。

みたいな言い方は、やはりベテランの人には気に障るようだ。 「やる気がない人がいるという現実があるのはわかった。 だがそれはそれとしておまえがやる気を出さないのはどうなのよ」 という話になる。ならざるを得ない。 論理展開から言えば脱線だが、人間の精神構造からして これを避けるのは困難である。 私が会社のために全力で貢献しようが、ひたすらダラけていようが、 上の段落の文章が意味するところは変わらないが、 そのように分離して考えることは人間にとっては不自然で、 仮に理屈だけで納得しても違和感が残る。その違和感は軽視して良いものではない。 ということは、私が「やる気のない人の側」に立つ限りは そのような発言はすべきではない、ということになる。

結局問題は私がどうしたいのかだ。 見た感じ、ベテランの人達は 皆が会社を良くしたいと思っていることを前提として話をしているように思える。 その前提が全ての人に当てはまるとは到底思えないが、 とりあえず今は私個人の話にしよう。 「私は会社を良くしたいと思っているのか?」。正直わからん。 何かあれば平気で会社を裏切るのが当たり前なこの風潮の中で、 そこまでしたいと思う何があるというのか?

「情熱をもってでき」「生きるのに必要な収入が得られ」「私が得意とする」 ことは何だろう。そろそろまた自分探しの季節である。 あと一ヶ月で30だ。

「下っ端の視点しか持たない人間を昇進させるべきか?」 とこれだけ問うと答えはノーに見える。しかし、 「下っ端の権限しか与えていない人間に下っ端以上の視点を要求することは 可能か?ましてそれを昇進の条件とすべきか?」 と問うと、答えは容易には出ない。

2007年6月4日

ゼロの使い魔11。全部釘宮ヴォイスで鳴る私の脳に驚いた。 でも、ルイズというよりはナギ。 内容に関しては何とも言い難い。 読んでる間はそれなりにニヤニヤしていられるが、 終わると何も覚えてない、という程度。 最近そういうことが多すぎるのは、たぶん私の側の問題だ。 堕落した私の脳には、大層な批評をする能力などありはしないのである。 何かガツンと来るフィクションはないものか。

まあ、今は現実がガツンと来ているから、無理もないのかもしれぬ。 自分の目の前で炎上していくプロジェクト。そしてそれを前に ただ眺めていることしかできない自分。

偶然wikipediaで「ジョック」の項目を見た。 あれだ。ジョジョ一部の最初。あのノリが残ってると思えばいいんだろうか。 アメリカでスポーツゲーが人気になる理由が少しわかった気がする。

2007年6月3日

イタリア行きてー。

ビジョナリーカンパニー2中。 「方法がそれしかないならそうしろ。今すぐにだ」。 できねえよ。その決断はできねえよ。

プログラマがゲームデザイナやアーティストと異なるのは、 集団としての能力値が和でなく積になりやすい点である。 全員1なら1だが、一人0が混ざるとそいつに脚を引っぱられて0になってしまう。 さすがにこれは極端な言い方だが、しかし少なくとも単純な和ではない。 また、全員がそれなりで0.8であっても、何度も乗ずれば0に近づく。 プログラマを並列化するのは困難で人が増えるほど生産性が低下する上に、 例え完全に並列化してもバグというものは密度でなく絶対数 で品質が決まるので、単位当たりのバグ量がいくら低くとも 人数が増えてたくさんコードを書けばバグの絶対数は増え、 品質は低下する。 と私は考えているわけだが、異論は多かろう。 適切に組織化すれば多人数開発を成功させることは可能だ、 という意見には私も同意する。 ただ、「適切に組織化」された例を私は見たことがないので悲観的なだけだ。

インテグレーションの問題もある。 並列性を高めるために依存の小さい複数モジュールに分割して 独立して開発を進める、というのが常道だろうが、 こうやって独立に作ったものをいざくっつけるととんでもないことが起きる。 部分の和は全体にならないのが世の常だからだ。 アーティストやゲームデザイナの場合はこの問題はそれほど深刻ではない。 ステージ上の木と地面を別の人が作ったとしても、 せいぜいちぐはぐな絵になる程度で動かないことはないだろう。 だがプログラムの場合は本気で動かなくなるのだ。 そもそも最初に正しくモジュールに分割できると考えること自体が すでに楽観的である。割った時には気づかなかった相互作用が山と出てきて 分割が仇になるケースもあるのだから。

どう考えても、人を少なく保つこと以上の解決策は浮かばない。 もし権力を握れたら一度プログラマだけで野球の試合ができるくらいの 規模で試してみたいが、そんな迷惑な知的好奇心はダメだろう。

るぷさらだのパクリゲーを作ってバラまくのは容易だ。 しかし、できればオリジナルがリメイクされて広く知られることが望ましい。 これはぐるロジなんかにも同じことが言える。DSに移植したら それなりに出そうな気がするのだがなあ。 たぶんファミコン時代にもそういう埋もれたパズルゲーはあったはずだ。

拳法やっててふと気づいた。コンタクトレンズって、すごい便利なんじゃないか? ミット持って受ける度にメガネが飛びそうになるのが実にうっとうしかったのだが、 私の脳内にはコンタクトレンズという選択肢がそもそも存在していなかったので ずっと気づかぬままだったのである。 というわけで調べてみた。一日使い捨てタイプで一回200円。 メガネで済ませれば200円ケチれると考えると多分そうそうは使わないだろうな。 しかし、メガネが致命的に不便な場面というのも結構あるわけで、 とりあえず一回試してみるのは悪くない。 流行りの矯正手術を受けてしまうのも手ではあるのだが、 身近で受けた人々が何人かいるので1年くらいは経過を見たい。

リアル系のスポーツゲームを作るなら圧倒的に相撲がいいなあ。 塩とか砂とか汗とか肉とか、技術的に要求される水準が恐ろしく高いのが素敵。 誰かPS3の真の力を発揮させて作らないものかな。

ビジョナリーカンパニー2中。 「勝利への確信を失わないまま最も厳しい現実を直視する」。無理だ。 人間の精神にはびっくりするくらい強い慣性が働く。 リスクが高いことを避けるのは理性だが、 えてして精神の慣性が理性を操って「それはリスクが高いから」 と言わせることが多く、「リスクが高いからやめよう」という発言が 本当に理性的であることは少ない。 現状維持のリスクは滅多に正当には見積られないのである。

コンタクトレンズ、すげえな。 平日仕事してる間はまるで利点がないのでいらないが、 それ以外ならものすごく便利なのではなかろうか。 走っても邪魔にならないのがすごすぎる。 しかし、外し忘れて病院送りになる人が後を断たたない諸刃の剣なわけで、 まあ控え目に使うとしよう。高いし。

右手で和音を弾いている時にその中の一個だけ強いとか、 左手のメロディを力強くレガートで弾きつつ 右手の伴奏が軽やかかつやさしいスタッカートとか、 なかなか無茶な要求がされはじめた。むろん、無茶もなにもそれくらい できねば「音楽にならない」のだが、まだ2ヶ月経ってない。 容赦ない先生でよかったと心から思う。

コンタクトレンズの感動をこのままにしておくのももったいないので、 川崎まで走ってきた。見えるって、すごい。 速度さえ問わなければ10kmはもう行けるな。ただ休憩なしだとたぶん 足にマメができる。

祖父の形見のサボテンが花を咲かせた。もう4年くらい経つのか。 写真を撮っておく。

昼間通りすがったPIOで「ぷにけっと」とかいう同人誌即売会をやっていた。 がんばってんなー、とか思いつつ通り過ぎたわけだが、 帰ってwebをチェックしたら、そこに某氏が来ていたことが発覚。

2007年6月2日

ビジョナリーカンパニーの二冊目を読み始めて、余計に辛くなってきた。 いつも思っている通りじゃないか。 「問題はバスでどこに行くかじゃない。誰をバスに乗せるかだ」 という話は、よく非公式には語られる話だ。 結局誰をプロジェクトに入れるかでほとんど全ての事が決まっていて、 そのプロジェクトの進め方などの詳細は比較的どうでもいいのである。 下手をすると何を作るかすら重要ではない。 実際コケるプロジェクトは始まる前にコケる臭いを濃厚に放っているもので、 それはメンバーを見ればほとんど一目瞭然なのだ。 でもそうは言えないよなあ。

るぷさらだ。何故DSや携帯に移植しないのかわからない。するべきだ。 あれを埋もれさせるのは惜しい。 なお、あれは新人研修で作らせるのには丁度いい課題である。 連鎖や何とくっついても消えるブロックのおかげでロジックがそれなりに 複雑だし、ブロックのアニメーションも結構面倒な問題だからだ。 グラフィックなしのコンソールであれば400行くらいで書け、 ソースコード全文を添削することも可能である。 新人のうちから正しい作法を叩き込むことは極めて重要であり、 そのためにはコードの全文をチェックできる規模のものを 作らせる必要がある。その意味でも大変良い。

2007年6月1日

「ビジョナリーカンパニー」。すごい会社は何故すごいのか、みたいな話。 利益を超えるような目的意識があって、そのために団結しているような会社がすごい、 という感じ。明確な理念があってそのために動いている組織は、 それに賛同できる人にはたまなあいだろう。 賛同できない人は辞めていくが、そのために会社の同質性が保たれ、 団結力も高まり、辞めにくくなるので教育にコストがかけられて社員の 能力も増す。キャラが立った会社にいることは自分が特別な組織の一員 であるという念を強くさせ、やる気が上昇する。 ああ、という感じだ。

やる気が失せることほど人間の能力を落とす要因はない。 しかし、「やる気を起こさせればいい」などと安易に考えても たぶん事態はかえって悪化する。そういうポジティブな言葉を皆が 素直に受け取れるような状態であればそもそも何の問題もないはずだからである。 結局、地味にやる気を失せさせる要因を削っていくことから始めねばなるまい。 そして、私が知る限りにおいて、やる気を最も失せさせる要因は、迷走である。

うまく行っていない組織において、下っ端にもできることはある。 しかし、下っ端がやるより偉い人がやった方がずっと効率は良く、 そのこと事態が下っ端から動機を奪う。 ある種の業界においては、「他の会社に行く」という選択肢が当たり前に 存在しており、踏み留まらせるのはなおさら難しい。


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