だだもれ

2006年12月29日

ムービー作ってる部署を見学しに行った。 何十人もの人が共同作業するしくみが出来ている。 あんなにちゃんとやらないといけないような何かを作るのはなんか恐いな。 しかし大したものだ。そして、その場で動かすCGと前もって作っておく CGの絶望的な距離を感じた。 シェーダ時代になって少しは近づいたが、少しだ。 所詮それはO(N)の範囲でできることが増えただけで、 O(N^2)以上の計算量を必要とするものに関してはリアルタイムでは もう手に負えぬ。根本的にこの距離を縮めるには、 どうにかしてO(N^2)以上の計算量を必要とするテクニックを前もって 計算してその結果をロードする必要がある。 その意味では、ムービー品質を目指そうとすればするほど 計算量以上に容量を圧迫することになるのだ。 ライトマップにPRT。最近流行りの技術はそんなのばかりである。

動的に可能なライティングは、現在のポリゴン数及びテクスチャ解像度を 鑑みるにO(N)の範囲でしかない。これをマルチパスレンダリングを駆使することで O(kN)に拡大するのがせいぜいだ。本質的にO(N^2)以上の手法を適用することは 不可能ではないが、それを加速するようなハードウェアは存在しないので 全てソフトウェアでやらねばならず、これは極めて高くつく。 PS3のcellを使ってラジオシティ計算を行うことは可能かもしれないが、 cellがたかだか通常のCPUの10倍かそこらの性能しか持たないことを鑑みれば おそらくそれでも満足な品質のものを毎フレーム生成できるレベルには及ぶまい。

ラジオシティの計算量は、交差判定分と、連立方程式分に分けられる。 交差判定分はたぶんいろいろやった結果十分許容できる範囲になるので、 問題は連立方程式だ。ここで、連立方程式を複数CPUを使って解く方法を 考えなくてはコアが増えることの恩恵に与れない。 こらでやり方を確立しておくべきだろう。

2006年12月28日

ゼロの使い魔10。マリみてクリスクロス。 仕事してないな私。感想はあんまりない。 普通に楽しかったが、それ以上でもない感じ。特にマリみては寸止めだし。

ゼロの使い魔のラジオを聞いてみた。いいキャラしてんなこのひと。 どこまでマジなのかはわからんが大したものだ。

声優の声とか聞いてて思うが、やっぱいい声いいよ。鍛えよう。 もっと明瞭にしゃべりたい。 また授業回ってこないかなあ。あれは練習に最適だ。 ちなみに授業は全部録画録音しているのだが自分の声を聞くのが怖くて まだ見てない。しかしやはり自分の状態を知らねば上には行けまい。 勇気を出して聞いてみようと思う。

起きたばっかの時に低い声が出しやすいのはどういうしくみによるんだろう。 なんか自分の声が妙に渋くて変な気分。

そういえば「こいついい声してんなあ」と思った奴が 今まで何人かいた。その一人が隣に座ってるうちのチーフ。すげえ渋い。 でも、その声でねこみみモードを歌うのは反則だと思うぞ。 キモいを通りこして恐い。3年くらい前だろうか。 チームでカラオケ行って、丁度チーフがそれを歌ってる時に 店員がジュースを持ってきたのだが、まったく動じることなく 歌い続けてた。あれには皆感嘆したものである。 あとは大学院の時の留学生。あれは今思えば萌えヴォイスだった。関西弁だしな。

メガネ買った。古い奴は表面がボロボロになっていて、どうも熱のせいらしい。 まさかメガネが熱に弱いとはな。傷にはそれなりに気をつけていたのだが。 コーティングとレンズ本体の熱膨張率が違うために熱変化が繰り返されると ひびが入ったり剥離したりするらしい。

今日はラジオシティとレイトレースの勉強。実装に必要な知識は得たが、 まあ使う機会はないな。 ラジオシティはポリゴン数の二乗に比例した計算量で相互反射まで考慮した いい感じの絵が得られるのだが、ゲームで使うにはそれでも重い。 何かデザイン上の工夫を凝らしてものすごい少ないポリゴン数でも いい感じに見える何かを作れば別だが、まあないな。 レイトレースの方はさらに絶望的。実用に耐えるものにするために 必要なインチキや工夫の類が素人には到底手を出せないレベルだ。 しかしまあ、両手法とも技術的には面白いし、 いつか必要になる日が来る可能性がないとも限らないので、 何らかの形で試しておくのは悪くない。 ちょっとしたミニゲームならば絵がショボくても許されるので、 敢えてそういう技術の実験場に使うのはアリかもしれないな。 例えばキャラや背景を高度に記号化したバーチャロンもどきを作って、 リアルタイムラジオシティ計算するというのは面白い。 弾を全部光源として扱うことでかなりダイナミックな絵が出来上がるだろう。 理論上は前に弾を撃つ度に自分の後ろに影ができる。 固定項は事前計算で動的に変化する項だけ選び出して計算すれば 案外実用的な負荷でゲームにできそうな気もするな。 ロボは箱の集合体になるだろうが。 一方レイトレースはそれすら辛い気がする。やれる気がしない。 たぶんザラザラした画面がえんえん続く代物になるのだろう。

2006年12月27日

励まされた。

伊集院のラジオの昔の奴を聞かされた。「モテない選手権」みたいなロクでもない回。 一位はうちの会社の先輩だった。きっと本当にトロフィーを会社に 飾ったんだろうな。ずいぶん前のことだからもういないだろうけど。

鬱だとかで精神科のご厄介になる人はずいぶん多い。 遠い世界のことだと思っていたが、実際にあれだけ目にしてしまうと 無関係とは言えなくなってきた。 聞く所によれば、それは性格ではなく病気なのだという。 それに異議をさしはさむと後が怖いので多くは言わないが、 違和感はある。 皆そんなにあっさりと自分が 肉でできたマシンであることを認められるものなのか。 まあ、認めるも何も事実なので、それそのものに文句はないが。

あまりにヒマで会社のSNS日記に小説やらアニメの感想やらを書きこむ始末。 オタ丸出し。もうどうでも良くなってきた。 あれ、誰がいつ見に来たかあからさまにわかるのがいいな。 つい無駄にサービス根性を発揮してしまう。サイトを始めたばかりの頃を思い出す。

2006年12月26日

12月のバージョンから DirctXがwin98,winMeを切り捨てた。一つ前のバージョンでやろう。

昔作ったルプさらだのコマンドライン移植版が出てきた。 動く動く。 考えてみれば今ならあっさり絵付きで作れるのだ。 エンジンとステージエディタを作って公開したら みんなステージ作ってくれるだろうか。 みんなが作ってくれたものを再構成してパッケージングして配布、 なんてのは楽しそうだ。

元の作品をDSにでも移植してくれたら買うのに。 調べたがすでにPS版を手に入れるのは困難だ。ヤフオクで一件あったが、 その程度である。

昔テスト用に作ったステージデータが残っていたので遊んでみた。 たぶん原作の最終面だと思う。 解けねえ。まるで解けねえ。 抜けのない列挙をするには私の短期記憶は小さすぎるのか。

ゲームを作るのに必要なモジュール。 ファイルローダ、サウンド、入力、グラフィック、ウィンドウ初期化、 スレッドAPIラッパ、シーングラフ、テキストフォーマッタ、 ムービーデコーダ。そしてこれらをまとめるフレームワーク。 ここまでやればアプリコードは機種非依存になる。 同人ゲー程度ならそこまで周到にやらなくてもいいのだが、 周到にやればやるだけ再利用できるし、 後で作り直したくなった時のダメージも最小に抑えられる。 今回のプロジェクトで良くわかった。遠回りに見える近道はたくさんある。

Visual Studio 2005についているC++/CLIを試してみた。 使える。C++なのに.NETを使い放題なので、 OS機能の利用やGUI作成が圧倒的に楽になる。 Managed C++に比べればかなり拡張文法もマシな見栄えだし、 既存のコードはほぼ動くようなので、移行の面倒もそれほどない。 .NET Frameworkのインストールが必要なので 客に配るものをこれで作るのは時期尚早だが、 開発ツールの類では積極的に活用していきたい。 むろんC#の方が向いている分野もあるので、そこはうまく使い分けていこう。

アマゾンのレビューを見た。ひどい。 続けて2chのスレを見た。ひどい。 某ゲームの話だが、切ない。 うちらのはああはならないと信じたい。

PS3の性能はそんなに高いのか。今出ている作品を見ればすぐわかる。 イメージ戦略にダマされず良く見ることだ。 同じゲームが両方で出ている場合に、PS3の方が優れていた例を私は知らない。 確かにPS3は使いこなしにくいハードであり、 そこを考慮に入れれば2年後には逆転している可能性もあるが、 その差はもっと微妙なものだ。 差がつくにしてもせいぜいPS2とゲームキューブの差程度だろう。 素人目にわかるほどの差がつくのは技術力の欠如以外の理由ではありえない。

2006年12月25日

誉められた時に自分が喜んでいることに最近気づいた。 ずっと誉められて喜んでいる自分を見たくなかったのだと思う。 自分が喜んでいることに気づかないんだから「ありがとう」なんて言葉が 出てくるわけがない。礼儀がなってないと良く言われたが、 そういう問題ですらなかったのだ。 とか言いつつ生身で誉められると未だに「大したことじゃありません」 とか言ってしまうのだけれども。 メールで誉められると普通に「ありがとう」とレスできるのに。

正確に言うと、誉められた時に普通に「ありがとう」と 返せるようになっている自分に気づいた、というのが先なのだが。 それは良い変化ではあるのだけれども、 それをもたらしたものが何かということに関して考えると かなり嫌な結論が出そうな気がして恐い。 それはつまるところ、最近の私が自分でも驚くほど猫好きなのと 同じ理由なのではないのか。

メリークリスマス。メリーって何だか言ってみろ、と言ったら たいがいの人は答えられないのだろうな。むろん私も答えられない。

「楽しい」とか「うかれた」とか「陽気な」とか、そんな感じらしいが、 英英辞典で調べないと細かいところはわからないな。

液晶の残像度合を調べる簡単な方法。「ファイル名を指定して実行」 でcmdを起動してマウスでウィンドウを動かす。白い字の白さが弱くなるほど残像が きつい。16msのdellモニタはまだマシだが、vaioの本体液晶は相当ひどいな。 シャープのが楽しみだが、さていつになることやら。

石川賢「魔界転生」を読んだ。もうわけがわからない。 今時「原作に勝つ」なんてことを目指して原作物を作る奴がいるだろうか。 そもそも客はそんなことを望んではいない気がする。 京アニのAirがもてはやされることを考えれば、少なくともアニメでは そうだろう。

掃除中。鼻水が止まらない。いけない埃が私を蝕む。

NHKビジネス英語。うわー。やべえ。昔なら何もなくてもほとんど聞き取れたぞ。 とりあえず3月のTOEICはさっさと申し込んでしまおう。 問題はTOEFLだ。スピーキングがあるのが怖いが、一度やってみないことには 勝手がわからない。

あ、数分で慣れてきた。行けるかも。しかし単語がわからん。 もちろんのこと慣用句もわからん。やっぱダメだ。 普通の人はこんなに明瞭にしゃべってはくれないわけで、 これを聞き取れないようでは向こうに行ってもまるで役に立たない。 まあとりあえず1月からテキスト付きでがんばろう。

高校の英語の先生に教わった英語の練習法。 聞いた英語を間髪入れず声に出して繰り返す。 一文終わってからなんてことはせず、間髪入れずだ。 脳が回り出す感覚が味わえるはず。シャドウイングという訓練法らしく、 これは猛烈に効く。なお、その先生は日本人なのだが ワシントンでアメリカ人に英文法を教えて いたという変な過去を持つ人で、私は非常に尊敬していた。 NHKラジオを聞くことを教えてくれたのもその人である。 なにせNHKラジオ英会話は英語の試験の範囲だったのだ。 なお、その人は授業中は一言も日本語をしゃべらなかった。 私は非常に運が良かったのだと思う。 それでも今まるでしゃべれないというのは情けない話だが。 って、前同じことを書いた気がするな。

ああ、懐しい大杉先生がまだ番組やってる。

2006年12月24日

アホんとこで宴会。メガカロリー。あのケーキきついわ。1/3ならおいしいおいしいで 済んでいただろうに。

弟と共同でXBOX360とWiiを買った。 Wii楽しい。はじめてのWiiでかなり盛り上がる。 XBOX360はデッドライジング。 今日川崎のビックカメラがあるショッピングモールに行ったのだが、 人がえらいたくさんいて、 「これは避けられねえ。せめて鉄パイプがあれば」とか思った。 風景がまんまデッドライジングで、みんなゾンビに見える。

16msごときの液晶でゲームは辛いということが良くわかった。 dellの2001につないでやっていたのだが、スクロールすると相当ブレる。 テレビ用なら大丈夫かと言うとそうでもなく、 店頭で液晶とプラズマを見比べてみると圧倒的にプラズマがいい。 フルHDなんてどうでも良く、動画がブレない事の方が余程重要である。 でも、プラズマデカすぎるよ。PCモニタ兼用にするなら37以上というのは無茶だ。

ブルードラゴンは相当まとも。 テンポもいいし、ロード時間も相当がんばっている。 脚本がかなり胡散臭いが、まあそこは仕方ないわな。 ゾンビの合間にちらちら進めていこう。 そういえばロストプラネットもやりたいなあ。買うか。

携帯電話を変えた。電話帳を移せないらしいので、 ぼちぼち手動で打ちこんでいこう。 私はハイテク機器は苦手なので、新しい機械にはなかなか慣れないのだが、 今度の機械はマニュアルが薄いのでそれなりにちゃんと読んでから 使おうと思う。にしてもこの電話角がとがってて痛いな。 やすりで削って丸くするか。

10万くらい使ったんじゃないかこの二日間。 Visual Studio 2005とか掃除機とか買ったし。

沖田なんとかのおおかみさんシリーズを二冊読んだ。 圧倒的なくだらなさ。でも嫌いじゃない。むしろ好き。最近そんなのばっかだな。 「こんなのオレでも書けるんじゃないか?」と勘違いしてしまいそうな くらいダメな臭いがプンプン漂っているのだが、 冷静に考えてみれば私なんかには到底書けない代物なのである。 このロクでもないテイストはそうそう出せるものではない。

2006年12月23日

結界師のアニメを今更見た。悪くないが、あまりに優等生。しかし、悪くない。

シャープの32インチfullHDテレビを買おうと思っていたが、 どう考えても高すぎるのでしばらく保留。なにせ37インチより高い。 今買ってもどうせ正月の間は実家だしな。

2006年12月22日

コーエーがガンダム無双を作るらしい。 名前だけでこれほど明確に想像できる企画はすごい。 想像と違うものが出来てくることを期待する。

真面目に考えてみて、今更ながら深刻さに気づいた。 本気でその道に行くならば8年もの時間を ドブに捨てていると見られることを覚悟せねばならない。 結局この現在は逃げた結果として存在しているのだという ことを今更ながらに思い知った。まあいい。 まずは調べねばな。論文もアブストだけならWEBで読めるだろう。 ダラダラしていればそのままだ。

英語力が凄まじく衰えている。 英語のサイト見ただけで拒否反応が出た。これは相当やばい。 ビジネル英語だけでも聞こう。 本当は金払って習った方がいいんだろうなあ。それも見繕っておこう。 誰か英語習ってる人情報ください。

入院してた時にもらったR.O.Dを今更読んだ。 普通。まあ悪くはないが、明らかにアニメ向きだ。 考えてみればアニメはロクに見たことがないな。OVAを一話見て 「うーん良くできてるけど普通」とか思った記憶が微かにあるという程度。

聖剣4がヤバイという噂で興味が湧いてきたので、 4000円を切ったら買うことにする。二人で金を出しあう予定。

「なんだかんだ言ってPS3は日本では売れるよ」と皆が思っている。 その予測が外れる事態を強く希望。 XBOX360版を作っておきながら日本でだけ売らないゲームがあることが なんとも腹立たしい。がんばれXBOX360。 私も買って応援したいのだが、 できればACアダプタがどうにかなってからにしたいよなあ。ヘタレ。

XBOX360ソフトを勝手に作れるという話だが、 作ったものを実行できるのはMSに金を払った人だけなのだそうだ。 実質配布は不可能である。 PS3でも勝手にゲームを作れるのではと期待されていたが、 そっちはそっちでlinux上で動くものしか作れない上に、 グラフィックのAPIが非公開なのでGPUを全く使えないらしい。 結局のところ同人ゲーは当分PC向けしか作れないようである。

Visual Studio2005買ってこよう。もし2003に比べてヤバいことなどありましたら 誰か教えてください。

2006年12月21日

おとボクアニメ。バレた。次で終わりだからここらでバレないと仕方がないのは わかるが、なんぼなんでも唐突。とりあえず、このまま会長シナリオ突入 というわけには行かないだろう。まりやフラグが立ち気味、くらいの状態で 無難に終わると思われる。

アニメを見て瑞穂ちゃんが好きになった人には原作をやってほしいなあ。 堀江ヴォイスでないのが物足りないかもしれないが、 キャラの魅力はこんなものではない。

調べたらおとボクのシナリオの人がシナリオを書いたゲームが出ていた。 うーん。読みたいが、しかし今はそれどころではない。

かわいいという概念は私をダメにした。

2006年12月20日

昨日の推敲してないんで変な文章かも。リアルタイム感想文なので、 メモみたいなものと思ってほしい。今から整理するのも面倒くさいので。

当分新プロジェクトへの配属はないということを偉い人に確認した。 なので、2ヶ月は完全にヒマで、さらにうち1ヶ月は有給消化で会社に行くことすらない 状態になる。さてどうする。

とりあえず大学院の入試について調べてみよう。 学者は無理だとしても、研究職をやるなら博士号は必要だ。 まあ、この年ではもう不可能ということであればあきらめるが、 それも含めて調べねばならんな。

もしこのまま残ることになるならば、もう迷いは必要ない。 この会社を勝たせるために全力を尽す。そこで手は抜かん。 ここ一年の腑抜けっぷりは自分でも嫌になる代物だったからな、 もうこんなことは許さない。

小説ストパニ3。完結。技術的にどうとか、そういうことはとりあえずいい。 話すら印象に薄い。全ては変態。これに尽きる。それなりに美しい何かが 描かれているはずなのに、何故こうも変態ばかりが印象に残るのか。 執拗な香りの描写といい、過剰な肉体描写といい、 ネタなのか本気なのかもうわからない。 「少女」という言葉一つでロリータを読んだ時と 似た、妙に湿った空気を感じてしまう。 明らかにマリみてインスパイア作品なのに、 変態が加わるだけでここまで恐ろしいものになってしまうのか。 到底薦められないけど薦めたい。 薦めたいと思う数人の顔が浮かぶが、うん、薦めない。責任取れないし。 にしても、この作品はどういう層がターゲットなんだろうか。 なんだかよくわからない。私みたいなのを狙い撃ちにしてたら嫌だなあ。

にしてもアニメと相当設定違うのな。深雪と静馬学年違うじゃん。 次から次へと衝撃の展開をしまくるあたりはアニメよりも無茶。 特に静馬がすごいところに嫁入りするみたいな話があって、 そのすごいところが、ちょっとそのへんのラノベではお目にかかれない すごいところだったりする。

アニメは結構丁寧な代物だったんだなと今にして思う。 同じ題材でもいろんな料理の仕方があるものだと感心する。 地球温暖化コンビは素晴らしかった。

wikipediaでストパニの歴史を調べてみた。ああ、いろいろあったんだなあ。 G'sという雑誌の恐ろしさをひしひしと感じる。

公野先生の文章はバラの匂いがする毒ガスだ。体調が悪いと耐え切れない。

自分でゲーム作って発表してるってすごい。 なんかいつもそこにいる人なのに、それがわかった瞬間に違って見えた。 結局のところ、私が最初から最後まで自分でゲームを作ったことがないことが この劣等感の原因だ。一回経験してしまえばこんな意識は消えてなくなる。 やるべきだ。

TOEICとTOEFLを受けよう。これを受けないと院試すら受けられないらしい。 院試のことをおくにしても、やっぱり英語に苦手意識があることは絶対に損だ。

2006年12月18日

リーンの翼を全部見た。ぶっちゃけわけがわからないのだが、 迫力だけは伝わってくる。本気だ。 脚本のポカーン度ではイデオンより上かもしれない。 しかし知性では良くわからなくても私の感情はそれなりに受け取れているらしく、 不思議なことに私は結構納得できている。 それにしても富野という人はやはり物が違う。堪能した。

プラネットアースを見ている。ピューマかわいい。ヒグマかわいい。 ゲラダヒヒかわいい。警戒ポーズがものすごく警戒っぽくてかわいい。 ユキヒョウかわいい。なんか太くて不恰好なのがかわいい。尻尾も太くて長くて、 触りたい欲をかきたてる。なんか、かわいいばっかりだな私。 ところで、こういう映像を得るのにどれだけの準備が必要なのだろうか。 雪崩のシーンとか、これカメラ埋まってるだろう。

薦められるままに「日本人のための憲法原論」を読んだ。 リアルタイムで感想を書いていくので、最後には最初と全然違う感想に なっているかもしれない。 とりあえず第一印象は「この講義っぽい構成、わざとらしくて寒いなあ」。

「憲法違反をしても罰せられないのだから、憲法は死んでいる」。 その考え方、どうなんだろうか。法は憲法だろうがなかろうが、 強制力がなくては働かない。しかしその強弱は状況による。 アメリカの憲法制定当時にはその強制力が弱かったというだけで、 それをもって「憲法が死んでいた」と表現するのはどうなのか。 憲法はそれを生かす慣習が成立しなければ意味がなく、 成文法というよりは慣習法だ、と書かれているが、 守らせる強制力が、破ろうとする力を上回らねば成立しないという意味では 憲法だろうがなかろうが同じであるように思える。 明治に作られた決闘を禁止する法律はまだ廃止されていないから生きていると 著者は言うが、しかし日本国憲法は廃止されることなく死んでいると言う。 そこが憲法と憲法でない法の違いなのだという理屈は、 この時点では理解できない。

「日本の不況や家庭の崩壊は憲法が死んでいることに由来する。 憲法を復活させるためには憲法学を学ばねばならない」。 話の始め方としては刺激的だが、胡散臭さの方が強く臭ってくるように 思うのは私だけか。

刑法には「人を殺したら懲役何年」と書いてあるだけで、人を殺してはいけない とは書いていない。この法は「司法側は人を殺した奴に 懲役を何年当与えねばならない」という「司法側」に対しての命令である。 なるほど、これは知らなかった見方だ。 また、裁判は犯罪者を裁くものではなく、行政の犯罪に対する調査の手続きの 正当性を裁くものである、というのも面白い。 国家権力が間違いをやらかすのを防止するために、 提出された主張の吟味ではなく、その主張を形成する過程を吟味するものだから、 検察側の手続きに一つでも問題があれば被告は無罪とする、 ということになる。有罪が決定するまでは犯罪者ではないので、 裁判の段階では犯罪者は存在しない、という立場だ。 例え限りなくクロな奴でも、警察の捜査手続きに問題があったなら 無罪にする、という徹底した考え方である。 言われてみれば当然のことだが、守られているとは言い難いのが現状であるらしい。

「憲法は国家に対する命令だから、国民が憲法違反をすることはできない」。 それがどこに書いてあるのかは知らないが、妥当な理屈ではある。 親が子供に「黙れ」と言ったからといって憲法違反ということはあるまい。 しかし、では国家とは何なのかという疑問は残る。

「憲法と民主主義には関係はない」。別に驚かないが。 マグナカルタは議会民主主義の成果としての 憲法の原点などではない、というのはそりゃそうだろう。 1300年とかだろあれ。国王という出る杭を、 貴族という出てない杭の連合が打っただけのことで、単なる権力争いの結果だ。 しかしそれが後に民主主義を成立させる際の助けになったというのは 面白いことではある。

「民主主義、資本主義はプロテスタントの教えによって産まれた」。 そうなのかもしれんが、信じるには材料が足りない。 思想とか信仰と言ったものがあの規模の人間の行動を決定するには それなりな背景が必要だというイメージがある。 確かにそれについても説明はされているが、筋道が美しすぎて どうにも胡散臭い印象を拭えない。 経済学があれほどしっくり来たのは「人間は私利私欲で動く」 という事がほとんど即座に納得できたからである。 確かに「人間が私利私欲で動く」ことが即座に「人間は利益を最大化しようとする」 ことを意味するかは難しいところだが、 その二つをつなぐのがプロテスタントの教えであるという話になると にわかには納得し難い。 「中国やアラブは当時ずっと発展していたが資本主義はなかった」 というのが著者の主張だが、それは資本主義の定義次第でどうにでも なるのではないのか。仮に著者の主張通り今の日本が未だ資本主義でない としても、それは資本主義が唯一原則であるというわけでもない というだけのことであろう。しかし、「利益を最大化する」 という発想が一種の発明であり、社会の多数の人間がこの考え方に 行きつくためには特別な条件が必要であったというのは同意する。 その考え方が広がって理論として確立したのが キリスト教に支配されたヨーロッパであったということは事実だ。 ヨーロッパ文明が特殊な代物であり、その特殊性の多くが キリスト教の影響によるものである、という理屈はありえそうな気がする。

「働くほど富が増える、という概念はロックが発明した」。 それまでは土地イコール財産で、土地は有限だから富も有限だった。 だから、放っておけば争いが起こる。しかし、働くほど富が増えるなら 争う必要などなく、ひたすら働けば金持ちになれる。 そして、そうしてできた富は自分が無から生成したものだから、 自分のものであり、私有財産の権利が正当化される。資本主義はここから生まれた。 と、なるほど美しい筋書だ。 私はこういう美しい筋書が好きなタイプの人間で、 自分でもよくそういう筋書をでっちあげて人に説明するわけだが、 不思議と今回はあんまり納得できない。しかし、有効な説明であることは認める。

「日本の国家権力が巨大で国民を顧みないものになっているのは、 社会契約の概念が理解されていないからである」。来た。来たよ。 思想の力を信じる人はこういうことを言う。 しかし私は思想の力を信じるようになる経験を経ていないので、 こういう事が信じられない。 「社会契約の概念が浸透していれば、政府が無茶をやれば国民が革命を起こすので 政府は無茶をできなくなる」という理屈だ。 しかし、戦後の日本は命を賭けて革命したくなるほどヤバい状況になったことがない。 多少汚職やら何やらがあったとしても、同時に日本は凄まじい経済成長をしており、 また同時にみんなの生活も見る見るうちに豊かになっていった。 この本が書かれたのは平成不況の真っ只中だから不満も多かったろうが、 平成不況は日本人が十分すぎるほど金持ちになった後に起こったもので、 大勢を見れば大した問題ではない。成長が止まったのにシステムが前のまま だったから欠点がやたらと見えるようになったというだけのことで、 思想を持ち出さねば説明できないとは考えにくい。 しかし、たぶん順序が逆なのだ。 著者が問題にしているのは日本人の「思想の欠如」であり、 それを責めるための道具として平成不況を使っているだけ、という方が 真実に近いのだろう。筆者は日本人の精神性を憂いているのであって、 金銭的に豊かになったことをあまり評価していないのだと思う。

イギリスの昔の政治家で、首相が公約を違えようとした時に 「国難だろうがなんだろうが、そういう公約で 当選したんだから今更変えるな。変えたければ首相をやめろ」と 言った人がいた。いろいろあって、その首相は選挙で落ちて、 野党が政権を握った。そういう話を出して、「公約を守るのが民主主義」 「契約は絶対」「日本人は契約の重みをわかってないから民主主義なんてない」 という話の展開をしている。まあそうかもしれん。 村山が自衛隊を認めた話は確かにどうかと思わなくもない。 しかしそれはそれとして、たぶんこういう極端な思想は世界的にはレアだ。 「契約絶対」というように極端に理屈にこだわる 態度が欧米人の特徴であることは確かだろう。 その善し悪しはともかくとして、それが世界を支配しているのも事実だ。 単純な考え方は切り捨てられる面も多いが、圧倒的多数のケースにおいて 効率が格段に上がるものである。それが彼等の強さの源泉だと考えるならば、 日本人が彼等の考え方についてもっと学ぶべきだというのはもっともだろう。

「九条には別にオリジナルがあって、そのオリジナルでは自衛戦争はアリと解釈 されている。だからコピーである九条でも自衛戦争は許される」。 これが常識なのだそうだ。そして、著者はそのことを皆が知らないことを嘆いている。 来た。これだよ。これが専門家だよ。知るわけねえだろそんなこと。 それとも、そのへんの人は憲法なんて知らんでいいと、そういうことか。 文章は最も自然に取れる意味をその意味とすべきだと思うが、 そういう素直な考え方は間違っているのか。 「国の交戦権は認めない。でも自衛戦争はあり」と最初から書けよと言いたい。 法律は言葉だと著者は言った。何が違反で何が適法かがはっきりとわからなければ 法ではないと著者は言っている。この憲法の解釈はその原則を満たしているのか。 また「無邪気な平和主義は戦争の元になる」と言っていて、 これは同意できるのだが、自衛隊が合憲であることを意味する説明はしていない。 スイスは常備軍を憲法で禁止しているが明らかに軍を持っている、 という例は示しているが、他が違反しているからうちもオーケーというのは 法学の態度として普通なのか。

読み終えた。この人相当国を憂いているらしい。マジだ。 民主主義には平等の概念が必要で、平等の概念は圧倒的超越者の存在が あって初めて成立する、という筋はわかった。 天皇を人間に引きずり降ろしてその超越者をなくした時に、 平等の概念が崩れ、損得計算の結果としての民主主義もどきが猛威を 奮うことになったと、そういう主張だ。筋はともかく言いたいことはわかる。 ここに至るまでの話の展開には上に書いたようにいろいろ疑問があるが、 一番言いたいことには同意する。権威の崩壊が望ましいことではないこと。 国会にまるで魅力がないこと。官僚に期待することが困難であること。 私は権威大好き人間なので、こういう調子の主張は好きだ。 昭和初期までは日本にもまともな議会民主主義があったわけで、 大日本帝国憲法が劣っていたわけではない、という主張は どこか他でも読んでいたこともあって納得できる。 論争を避けるためか明言はしていないが、この人は昭和憲法は好きではないようだ。 大日本帝国憲法を若干修正してそのまま使えば良い、という説を 紹介していたりもする。憲法の本の割に日本国憲法についての 言及が異様に少ないのは、さっさと改憲しちまえと思っているから かもしれないな。正当性や解釈を論じるのもバカバカしいということか。

とにかく、何もかも「憲法が死んでいるせいだ」と言っているのが 胡散臭く見えたわけだが、これは「日本人がたるんどるせいだ」 と言い換えると実にしっくりくる。たぶん、著者にとってこの二つは 同じ意味なのだ。キリスト教を何かと持ち出してくるのも、 日本人が欧米人と同レベルになるには欧米人の思想について学ばねばならず、 まずはキリスト教だ、という考えによるのだろう。 明治時代の文明開化キャンペーンを今もう一度やるべきだ、ということなのか。 欧米の文化がこれからの時代最適だと言えるのか、 という点についての考察はないが、現実に今の世界を支配している 彼等の思想についてきちんと学び、かつ必要なところは身につける べきだという考えには同意する。

細かいところでいまだ納得しかねる事も多いが、 疑問に思っただけで否定するわけではないし、 その疑問も「納得するにはもう少し情報が欲しいな」という程度の疑問なので、 この先また情報を仕入れることで納得できるようになる可能性は高い。 おおむね勉強になった。

2006年12月17日

KANON。アレンジ度合が予想を遥かに越えている。 ところで、これこんなに絵かわいかったっけか。

敵が来た。浄水装置を売りつけに来たのでお帰り頂いたが、感じ悪い。 きっと皆こういう経験をして関西弁を嫌いになっていくのだなあ、 と思うような関西弁だった。 もっと華麗に撃退していればこんな嫌な気分が残ることは なかったのだろうが、そういうのは苦手だ。 リアルタイムに智恵が回る人がうらやましい。 カゼかつ起きぬけで朦朧としている所につけこんで来たことは許し難いが、 そのような油断をした自分に一番腹が立つ。 ドアの向こうは常に敵、というくらいの心構えを持たねばな。 どうせピンポンを押して尋ねてくるような輩の大半は敵なのだから。

昨日の議論番組を見て改めて思ったのだが、言葉は弱い。 「子供にもプライバシーはあるんだ」とか高校生が言っていて、 それはそうなのだが、しかしそれでもなお「ダメなもんはダメ!」 としか言いようがない事は確かにある。 丁寧に説明するのが絶望的に感じられるほど多くのことが 背後にあるからだ。まじめに「おまえにプライバシーの権利があるという 根拠を言ってみろ」というところから議論を始めたら 永久に終わる気がしないし、普通は途中でどちらかが切れるだろう。 いつの間にか私は議論とか説明とかの力を以前ほど信じられなくなっている。 経済学的に言えば「議論をすることに誘引がなければ議論はなされない」 ということに気づいてしまったのだろう。 そもそも「理があることには従う」というルールが合意を得ていない 場合には議論なんて何の役にも立ちはしない。 理に従うのは、理に従うと得をする時か、理に従わないと損をする時だけであり、 その損得の算定基準は人によってまちまちなので信頼できる法則はない。 そういえばいつだったか清水とそんな話をしたな。 清水の方が正しかった。ムカつく結論であることは今も変わらないが、 世界がそういうふうに出来ていることを認めないと先へ進めない。

あさっての方向。がいい。こんなにダイナミックな偶然は久しぶりに見た。

ブラックラグーンをそれなりに見た。出来いい。英語がんばってる。

スーパーにブラックベリーが置いてあったので買って食ってみた。 酸っぱ苦くて、たまに甘い。ダメだこれ。

2006年12月16日

日本のこれから。ネット功罪について生放送の議論。 ToHeart2のこのみの中の人がいる。 素でああいう声なのかこの人。いや、それは別にいいのだが。 議論の進め方にかなり難があるが、ネタがネタだけに仕方ないし、 それを参加者がその都度指摘しているのがおもしろい。 指摘しすぎてかえって邪魔くさい気はするが、まあそれはそれ。 知識レベルに差がありすぎる現実が良くわかってちといたたまれなくなったが、 10年も経てばそのへんは改善されていることだろう。

見てて一番ヤバいなあと思ったのは、子供の携帯電話。 特にメールやらサイトを見る機能がついてる奴。 うかつにも自分の写真をサイトに曝す子がいたりして、見ていて 本気で心配になる。 勉強の最中にメールがバンバン来て勉強にならない、なんてのも言語道断だ。 ダメだろ携帯。持たせなきゃいいじゃんと思ってしまいはするのだが、 しかし真面目に考えるときつい。 娘がいて、小学校入って、友達がみんな携帯もってて、 メールがないと友達づきあいが不可能な状態だったりしたら、どうするよそれ。 持たせざるを得んぞそれ。電話とメール以外の機能が一切なければ それほど大きな問題にはならない気もするので、 それで許されるならそうしたいものだが、どこぞのサイトの掲示板で 「明日遊ぼうぜ」とか書くのが常識になるような状態にまで進んでいたら それすら許されまい。うわー考えたくねえなそれ。

韓国は掲示板に書きこむ際に国民番号と名前を入力することを義務化したらしい。 別に入力した名前が掲示板に表示されるわけではなく、 後で何かあった時にどの書きこみを誰がやったかわかる、 というだけのものだろうから、特に問題になるような書きこみをしたい 一部の困った人以外はそれほど書きこみにくくなるわけではない。 可能性の話をすればいくらでも悪い面は出てくるが、所詮それは可能性だ。 それでロクでもない事を書きこむ馬鹿が減ればそれはそれでいい気もする。 むろん零細な掲示板はいくらでも違反するだろうが、 2chみたいに人が集中して来るところだけでもそうなっていれば それで良いのである。 しかしネットに国境がないという特性を鑑みれば、長期的に見ればいずれ破綻するし、 その「長期的」が下手をすると10年どころか5年だったりする可能性も高い。 国がそのための組織を作って予算を出して、取締り要員を雇って、 なんて事をして割に合うだろうか。たぶん無理。韓国はいい実験になるだろうな。 どこの国も興味津々で眺めてるんじゃないだろうか。

ネットは20才からでもいいと私は思うけどな。 私がそうだったから、という以外の根拠はない暴論なので別に 誰かに主張するつもりはないが、実際そう思う。 そこから始めても私は今それなりに使えてるわけで、 もっと早く慣れるべきだなんて思わない。 今使ってる子供は智恵を絞ってネットで受けている恩恵について 語るんだろうが、知るかボケ。私はなくても育った。私にとって それ以上の実績はない。私よりも8才下の弟はまた違う意見だろうが、 彼は彼で「ネットは12才からでいいと思う」とか言うかもしれんな。 とりあえず中学高校ラサールに叩きこんでテレビも携帯もない6年間を 過ごさせてやりたい気分で一杯。成長過程において一番オモロイ期間を見られないのは 淋しいが、普通の環境で世界の毒気から保護するのは困難を極めるだろう。

子供の教育の話を私が考えても仕方がないな。空しくなってきた。何せ私はもてない。 自分では外も中もそんなに悪くないと思うんだが、 まあ自己評価なんて当てにはならんしな。 このサイトのカウンタの回り方から推測するに、 どうやら離れて眺めている分にはおもしろいらしいのだが、 それは動物園のパンダと一緒だ。まあ私は半ば自発的にパンダをやっている わけなので、それに関して文句はないが。 それにしても、噛みつかれる危険を犯してでも 私を近くで眺めたいという人は現れないものかな。 また正月帰ったら言われるんだよ。結婚はまだかって。 結婚どころじゃねえっての。なにせ29年半生きてきて 異性のお相手がいた期間なんて1秒たりともないのだからな。

気が重い。もうすぐ正月だよ。 ゾンビパラダイスアクションで過ごす素敵な正月、 というだけでは済まないのだろうな。例年にも増して。 こんな状態で「会社辞めるかも」なんて言ったらどんなことになるか。 親はともかく、祖父母には絶対に言えん。

討論番組ってSN比悪いよなあ。言葉にならない微妙な何かを 得ているとは思うので、たまに見る分にはいいのだが。

ストパニ小説の3巻を買ってきた。相変わらず素面では読めない代物。 ちらりと読むだけでもう漂ってくる変態の匂い。これだ。でも今は辛いので後で。

2006年12月16日

提出ロム。あとは文句が来るのを待つばかり。 なお、うちでもマスターアップという言葉は使うらしい。 ただしそれは、出したロムが承認されることを言うようで、 必然的にマスターアップの前数週間はヒマな時期となる。 なんかいまいち巷で聞くマスターアップという言葉のイメージとはズレている。

偉い人を微妙に問いつめてみたところ、 次の仕事は当分決まりそうにないことがわかった。 短く見積っても一ヶ月は「基礎研究」と称する放置状態になる。 さてどうする。辞めるなら今だ。 しかし、ゲームを作るのは嫌いじゃないし、次に作る時に試してみたいことは 山ほどある。いざこうなってみると勇気も出ないし、未練も残る。 幸い土日はヒマだ。考えよう。

年内土曜はもう歌はないので、夕方以降ヒマです。日曜も第九が終わったので ずっとヒマ。

Wiiを買いに川崎へ行ったが、入荷していなかった。 入荷していなければどうしようもない。こりゃ年内に買うのは無理だ。 それにしてもDS。発売からこれだけ経ってまだ列ができてる。ありえねえ。

ブルードラゴン付きのXBOX360が売り切れ。ちゃんと売れていたのか。 ヨドバシのポイントがかなり溜まっているので、ヨドバシで買いたい。来週改めて。 クリスマスまでは入荷するだろう。 しかし、XBOX360はやってみたいゲームがやけに多いな。 ゾンビとか、ロストプラネットとか。

ドリームキャストのバーチャロンは通信対戦できたが、 遅延のためにかなり違うゲームになってしまっていたという話だ。 条件が良くても1/6秒くらいの遅延は覚悟しなければならないし、 たまに情報が失われたりもする。無理もないことだ。 だから、本来ネット対戦ができるゲームは遅れたり情報が 消え失せてもゲーム性に大した変化がないような 「もっさりした」ゲームである必要がある。 車ゲーのように入力にそれほどの不規則性がないゲームであれば 入力が抜けた時にとりあえず前のフレームと同じボタンを押しておく というインチキもやれるが、 格ゲーのように不規則な入力が来るものはそういうインチキはやりにくい。 シリーズ物のアクションゲームを作る時に上から「次はネットで」 とか言われたら嫌だろうな。 ネット対戦を重視してもっさりしたゲームに変えてしまうか、 その場対戦が本当の対戦と割り切ってネット対戦では遅延丸出し にしてしまうか。考えたくない。

つうか、スポーツゲームとか辛いよな。 例えばテニスのサーブは250km/hとか出るわけだが、 ボールの移動距離はたかだか20mである。 250km/hは69.4m/sであり、つまり20メートルを移動するのに0.3秒しかかからない。 それで0.2秒も遅延したらゲームになるわけがない。 ここで取れる策はスピードを落とす事だけだ。 どうせバレないので表示だけ大き目にしておくことになるんだろう。 でないと「誰誰のサーブは何km/h出るはずだ!」とか怒られるからな。 車の場合は道を広くかつカーブを緩くすれば同じことなので まだ楽だが、これもリアル地形でやるゲームの場合やりすぎるとバレる。

NHK3点ドキュメント。レバノン紛争の話。 互いに人質を取り合う無限地獄。解決できる気がしない。 あのへんのややこしさは度を越している。 とりあえず、この番組だけ見たらイスラエルが悪役だな。 それだけは間違いない。NHKはそれを承知でこういう番組を作っているということだ。 イスラエルの兵士のかあちゃんの感じの悪さは、 ヒズボラ兵士の弟のうさんくさいまでの格好良さとあまりにも対照的に見える。

最悪なものを見てしまった。誰だこんなの置いた奴。

2006年12月15日

何を作るかというイメージを最も強く持っている人間が ディレクターをやるのはまあ当然として、 ディレクターと制作進行が同一人物でなくてはならない法はない。 ここを分離できれば問題を一つ解決することができる。

はっきりしゃべる訓練したい。なんかやろう。 人前でしゃべる時に不様をさらしたくない。 ここ数年手でしゃべる方が多いものだから口の筋肉が萎えているのかもしれない。

2006年12月14日

炎症が引きつつあるが、咳が出始めた。ウィルスを排出する機能が やっと発動しはじめたわけで、めでたいと言って良い。 完治まであと3日というところか。いかにも遅い。

提出ロム。

ゲーム会社にいるというのに、考えることの大半が「開発の効率化」。 本来これじゃダメだろ。おもろいゲームを作る事を考えるべきだ。 だが、状況はそれを許さない。 あまりにも金がかかりすぎて何もできないからだ。 面白くするためには時間が必要で、時間とはすなわち金のことなのである。

だから、金かかりすぎなんだよ。 そして金のかかりどころの60%は絵。それも控え目に言って60%だ。 ハードウェアを叩くのは絵を出すためだし、 デザイナが20人もいるのも絵を出すためだ。 実際絵が適当で良ければ私は必要なかったのである。 同じものをより安く作る方法を考えねばならないのは言うまでもないことだが、 根本的に絵に凝りすぎなのではないか。 どうせマジでやってる所には勝てないし勝つ気もないのだから、 もっと思い切ってしまえないものだろうか。 結果的にその方がロードも短くなるし、 その分だけゲームをおもろくすることに執念を燃やす余裕ができる。 というか、絵を捨てた分ゲームがおもろくないとマズいので必死で おもろくするはずだ。その方がずっと健全だろう。

作ってる途中のゲームっておもろいよなあ。 すげえリアルな顔がアニメーションパラメータのバグで 寄生獣みたいに変形したりとかして、最高。 客にお見せできないのが残念だ。

2006年12月13日

会社のSNSに急速に順応しつつある自分。たぶんmixiも簡単に順応するんだろうな。 でもやらない。

シャープから32インチで1080pのテレビが出る。 これを買えばほとんどの悩みが消え失せるが、25万。

OSが裏で動いていて、ボタンを押したらいつでもOSに戻らねばならない のが今世代機の特徴であるようだ。 OS側が勝手に適切にプロセスを殺してくれるならこちらがやることは 何もないのだが、ボタンが押されたというイベントが来たのを 検出してきちんと終了処理をせねばならないとなるとそれなりに面倒くさい。 起動が終わってない状態で押された時とか、 セーブ中に押された時とか、 そういうヤバそうな瞬間を全部チェックしないといけないのだ。

炎症部位が喉から鼻と口の連結部あたりに移動。

2006年12月12日

今度は風邪だ。

会社でSNS。mixiみたいな奴であるらしいが私はmixiは知らない。 とにかく触ってみてだいたい利点がわかった。なるほどと思う。 荒らされないというのは大変な利点だが、 意図しない人が見に来ないということはつまらないことでもある。

猫が私の脚に頭をすりつけてくるのは、「オレのもんだ」ということを 臭いをつけることで表現しているのだそうだ。マーキングと言うらしい。 「オレ、猫に所有されてる!?」とか思うとちょっと不思議な気分。

病気になると思う。横に誰かいてメシ作ってくれるとか、すげえいい。 そして、誰かが寝こんでいる時に、私が横にいてメシを作ってやるのは もっといい。

次のドラクエはDSだそうだ。PS3が売れる理由がまた一つ減った。 今度のことが日本での致命傷になるかどうかが見物だろう。 ついにPS3で出る予定のビッグタイトルはFFとメタルギアだけになってしまった。

ペルソナ3完全版。大して変わっていないようだが、 アイギスのコミュがあるっぽい。買うのか、それだけで買うのか。 そして、またあの長いゲームを最初からやるのか。

XBOX360やPS3は処理速度向上のためにマルチコア化したが、 未来の携帯ゲーム機は低消費電力のためにマルチコアになるかもしれない。 据置き機が滅ぶならマルチスレッドは不要かとも思ったが、 やはりそうはならない気がしてきた。 というか、すでにしてDSはマルチCPUではないか。

屁から強烈な硫化物の臭い。カレーに入れたタマネギのせいだが、 健康ならこうはならない。 たぶん胃腸が弱っているために良からぬ菌が良からぬ化学反応をさせているのだ。 体調を甘く見すぎたのである。事実今はモロにカゼだ。のど痛いの辛いよう。

2006年12月11日

実は鳥はむは二枚作ったのだ。しかし、金曜に謎の病気を発症してしまった ために、煮汁ごと冷蔵庫にしまったまま丸二日が過ぎた。 不安だったので今一回加熱してから取りだして切ってみたのだが、 うめえ。二日前よりさらにうめえ。 汁につけっぱなしだったために味は多少薄れているが、 なんというかまろやかさを増した印象。 熟成が進んだのかもしれない。元があのパサパサした胸肉とは信じられん。 今度はカレーの具にしてしまおうと思っていたのだが、 具にするにはあまりに惜しい出来。だが、もう玉葱を炒め始めている。 具が何もないのも悲しいので、カレーの具にする決定は覆さない。 ただし、汁が出来てから合流させる方式にしつつ、 肉にカレー粉をまぶして身をしめて、肉のうまさは保つようにする。 汁は玉葱と鳥はむの煮汁だけでもすでに相当うまいのだが、 豆を入れて主食度を上げよう。今回は米を炊く予定はないからな。

おお、キャベツがあるじゃないか。この前ソバ屋に行った時にもらってきた 奴が放置状態だった。まだ食えそう。良し、これも具にしよう。 キャベツは長いこと煮てると嫌な臭いを出すので、 加熱終了と同時に千切りにしたキャベツを投入してすぐに食うのが無難。

料理楽しいなあ。真夜中にやることじゃねえけどな。今作って一体いつ食うんだよ。 まあカレーは一晩寝かせた方がおいしいので丁度いいとは言えるか。

カレーうめー。しかしカレー粉入れすぎたな。 せっかくなのだし、もう少し鳥のダシと玉葱の甘味を直接に味わいたい。 後味がカレーすぎてダシの余韻が残らなすぎる。 胡椒で鳥の臭みを消すくらいで十分だったかもしれん。 しかし、カレーとしては悪くない。 ダシの味がよくわからなくても、食ってる間味気なさを感じないということは しっかりと支えられている証拠だ。

もう判断を保留できないところまで来た。まず掃除をする。

2006年12月10日

朝7時。身体をチェック。良し、動ける。 いやあひどい目にあったわい。 しかし、腹が減っている割に食欲がないあたり完治とは言い難いし、 頭痛もまだ残っている。 まあいい。今日一日活動できればそれでいいのだ。 月曜は休んでも良かろう。第一マスターアップは終わったし。 第二マスターアップは金曜だ。

なお、マスターアップが何度もあるのは、提出先がたくさんあるのと、 どうせ向こうのチェックで引っかかって 2,3回は戻ってくるのがわかっているからである。 何回で通るかは前もってわかるものではない。 さすがに発売日ギリギリになるとゴネて多少の不具合があっても 出してしまう場合もあるようだが、 基本的にはPCゲーのように自社のチェックだけしかない場合とは事情が異なる。 そう考えるとPCゲーって恐いよな。 ヤケになって「ああもう!出しちゃえ!」なんてことになったら 出てしまうわけだから。しかしまあ、パッチが当てられるという事情もあるし それでいいのかもしれん。これからはコンシューマゲームも パッチが当たるようになるだろうしな。 そういえばXBOX360のカルドセプトにもパッチが当たる予定だと聞いた。 乱数から線形合同法の臭いがプンプンするようなひどい代物で、 サイコロの目で奇数と偶数が交互に出るらしい。

ちなみに、うちではマスターアップという言葉は使わない。 上のような事情があるので、本当に終わりの提出というものがないからだ。 ゲーセン版なんて発売後に直したロムを上げたりもするし、 なにせ「最初の一台を出荷した日が発売日」なので発売日自体がいい加減だ。 ゲーセン部署ではどうにも期限の意識が弱くて困っているのだが、 そういう文化が背景にあるのだろう。

第九終わった。体にガタが来ていたし、 そもそも申しこんでいなかったので宴会はパス。ロム提出でいつ呼び出される かわからないしな。寝よう。

今日は生まれて初めて、人前に出ても全く緊張しなかった。 脚もふるえないし、手からも汗が出ない。 客がそれなりにいたようだが、さっぱり気にもならなかった。 関係者に見られたら怒られそうだが、つまるところ、ナメ切っていたのだろう。 リハーサルで自分の声の寄与のあまりの小ささを知って安心してしまったのか。 客には聞こえてたりするのかもしれないが。

実は練習をサボりまくっていたせいで今日初めてオケ付きで歌ったのだが、 市民オケもなかなかやるなあと思った。思っていたよりはうまい。 しかし、やはりプロとは違うなとも思った。 まず、途中何度か分解しかけた。指揮に対して遅れがちだし、 自分のことで精一杯で周りや指揮者の様子を見られてない人もちらほらいた ように見える。速くなるとよりヤバい。 あとは人数が少ない楽器が突出しがち。 一番高い音がする管楽器とか、一番低い音がする管楽器とか、 ラッパの口に手をつっこんで演奏している奴とか。 管楽器の類は素の音だと倍音組成が単純なので、 まんま突出すると「ポペー」と平板な音が出てしまう。 チェロも音が乱暴だと嫌な倍音がジリジリ鳴るのでヤバい。 あーなるほどこれが技倆の差かとしみじみと思った。 ヴァイオリンは音さえある程度合ってれば十人以上いるので それほど問題にならないかもしれない。一回参加してみたいな。

オケ、楽譜いらなくないか?暗譜できるんじゃないのかなあ。 まああれも何か事情があるんだろうけど。

反省。一番足りないのは肺活量。保たない。しんどい。 肺の容量の問題と、吸う速度の問題と、声帯への空気の投入量と 音量の比の問題と、体に無駄な力が入って酸素が無駄になる問題。 そのあたりか。 とりあえずは同じ空気量でよりデカい声を出す方法を知りたいものだ。

掲示板のレス。長いからこっち。どうせ見てるし。

憲法を変えたくない人は「インチキだけど保留で」以外にも 「そのうち自衛隊をなくすからこれでオーケー」という人もいるのではないか という話。まあいるんだろう。でも、そんな奴はそんなに多くはないんじゃないか。 もしそんな奴が自衛隊をアリだとする勢力に対抗し得るくらい いるのだとしたら、今こんなにあからさまに自衛隊が存在していること 自体が不思議なことになる。 だいたいあの共産党すら「自衛隊をなくせ」とは言ってないように見える。 究極目標はそこかもしれないが、 私が知る限りポスターにはせいぜい「軍事費削減」としか書いていなかった。 ということは、「自衛隊をなくせ」は今の皆のノリに照らすと行き過ぎで、 いきなりそんなことをうるさく言うのは逆効果だと 共産党自身が認識しているということなのではなかろうか。 もし国民の2割とか3割とかが自衛隊をなくすべきだと思っているならば、 そういう人にアピールするためにドドーンと「自衛隊消滅」を叫ぶのが自然だろう。 まあ全部今適当に考えた推測なので当てにはならんが。 「いつか自衛隊をなくせる日が来るかもしれないからその時まで憲法を取っておきたい」 なんて呑気な人が結構いるかもしれないし。

あと、今の憲法でも十分解釈の余地もなく自衛隊は違憲だと思う。 「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」 なんて文章に解釈の余地があると言ってる奴は 大人の事情でそう言ってるだけで自分でも信じてないだろう。 wikipediaによれば今の政府は「戦力」じゃなくて「実力」と言ってるらしいが、 どう見ても大人の事情だ。 英文では戦力は「war potential」で、「戦争に使える何か」 みたいに聞こえなくもないが、そうなると「自衛隊って戦争できないの?」 という話になる。自衛戦争だって戦争だ。 自衛戦争ができないんじゃ自衛隊の意味なんてあるわけがない。 そういうわけで、やっぱり違憲。どう見ても違憲。 そもそも解釈がどうあれ、事情を知らない外国人が 自衛隊の演習を見たら普通に軍隊だと思うだろう。その事が一番大切だと 私は思う。国際協調を云々するならそういう「普通の見方」を大切にすべきだ。 国内でしか通用しないわけのわからん理屈をこねるのはかっこ悪い。 しかしまあ、大人の事情も立派な事情だ。それが今でも大切な意味を持つなら そのままでもいいのだろう。その判断は偉い人に任せる他ない。

いかんいかん。これ以上書くと「右翼認定」されかねん。 これくらいならまだ中立っぽいだろう。 なにせ私を「左翼」呼ばわりする奴もいるくらいだし。 「おまえ旅順に日本刀で突撃できるのか?」と言ったのが 左翼認定の決め手だったらしいが、できないだろ、普通。 戦争では程度の差こそあれそういう無茶がまかり通るわけで、 たまたまやらされるのが自分である可能性は常にある。 それを想像することなく「戦争オッケー」とか言うのは卑怯者っぽくて嫌だ。 自衛隊賛成と言うにしても、現実に自分が自衛隊にいないということは 常に負い目としてある。 むろん負い目があればいいというものでもないし、 負い目があるのが上等というわけでもなく、 そのへんの扱いをどうすべきかは自分でもよくわからない。

なんだかんだ言って、BBBアニメ全部見た。いやあわかりやすいわ。 構成がいい。アニメの長所を活かした構成だ。 原作の内容を順にやらずにいい感じに再構成しており、 かつ12話でそれなりに終わった気分になれるように設定を いい感じに明かしてもいる。 そのせいで最後のバトルから重みが失われているが、まあいいだろ。 最後のバウワウ卿が発見されるあたりはちと気障だが、 アニメの演出としては悪くない。 まあ、オープニングの歌がなあ、とか、アイキャッチがなあ、とか、 根本的にキャラデザがなあ、とか、 モーションも何かかっこ悪いしなあ、とか、 エロヴォイスが浮きすぎだよなあ、とか、 まあそう言うのはたいがい「なんか古くさい」という言葉で表せるような欠点で、 そこを気にしなければまるで問題がないとは言える。

開き直ってクサい台詞をぶちまける素敵ド根性ヒロインは この人の作品の魅力だが、現状Dクラの方が上。 素敵に憎めない悪役軍団もこの人の作品の魅力だが、 それもまだDクラの方が上。 まして、話を複雑化した分キャラが増えて一人当たりの印象が薄くなってる。 アニメに出てきた範囲でもすでにキャラが相当多いしな。 吸血鬼物とは言え結構設定は斬新だし練られてもいるので、 これはこれでいいと思うのだが、Dクラのとんがりっぷりを思い出すと どうにも物足りない気分になる。 だが、まだこれからだろう。ややこしい分助走も長いということに違いない。

やはり絵で損してるかなあ。それは原作からしてそうだが。 考えてみればDクラも挿絵がイマイチだった。そういう運命にある人なのか。

2006年12月9日

下痢。発熱。吐き気。悪寒。最悪。でも今日はマスターアップだから 会社にいなければならなかった。これほど辛い時間は久しぶりである。 そして土曜は第九と拳法、日曜は第九の本番。 とりあえず土曜は休もう。 あと5時間で練習に行くなんてどう考えても不可能だ。

これ流行りのノロウィルスかなあ。 何の兆しもなく数時間でここまで悪化するとはただ事ではない。

朝はまだ元気だった。鶏はむを持っていって食ってたりしたからな。 しかし夕方にはもう完全にダウン状態。 胃が猛烈に弱っているらしく、いつまでたってもゲップが鳥はむの臭い。 消化できてねえ。そして、社内の購買には食えそうなものがなく何も食えず。 今土曜の朝4時だが、やっとゲル状カロリーメイトが口にできる状態まで回復した。 下痢も止まったし、熱も一時に比べれば下がって37度程度で落ちついている。 このままどうにか回復してほしい。

年とってからこんな状態になったらそのままってこともあるんだろうな。 最近病気がすごく怖くなった。

アニメ消化中。頭痛の中できることはそれくらいだ。

武装錬金は寒いなあ。普通に作れば普通に盛り上がるものを、 普通を無理に外そうとしてただ寒いだけのものになっていることが何よりも寒い。 とりあえず、もういいか。蝶野も死んだし。

あやし。漢字がどうとかいうのがちょっと新鮮。テンポがちと遅いが。 雲七の処理は絶妙だなあ。

自衛隊って違憲だろ。 それでも必要なもんは仕方ないだろ、と開き直ってるだけのことで、 そんなことは皆承知だろう。 解釈次第で自衛隊がアリになると本気で思っている奴なんているのか。 要するに憲法議論ってのは「インチキはもうやめようぜ」 と「インチキでもいいからこのまま保留で」の対立なんだろうな。

変えちゃえばいいじゃんと思うけどな。 法律は実用のためにあるので、変えて当たり前だ。 逆に、天皇なんかは実用のためにあるわけではないので 変えないことに意味を求めることもできるわけだが。 今のインチキ状態が利益を生んでいるならば それはそれでアリだとは思うけれども、 あまり長いことインチキを続けるのは何かと悪影響が大きいのではなかろうかと思う。 インチキをしている自覚がなくなるくらいインチキに慣れてしまうのは 良くない。

2006年12月8日

バグがーバグがー。 書きかえたばかりのフラグが元に戻されてるー。 他のスレッドが妨害しに来てるとしか思えない。 これ調べるのは骨だなあ。

今日の授業は聞く側。なるほどこれがデザイナの視点か。 ああいう人がチームにいれば私なんかに絵の仕事が回ってくることはあるまい。 私は「絵なんてショボくていいからロード時間ゼロにしようぜ」 と本気で言う人間である。

度を越したわがままが本人の不利益になるようにルールが調整されていれば、 人間は自分のわがままをギリギリのところで抑えようとする。 経済学的な考え方としてはそうだ。 実際度を越したわがままはつまるところ他人のわがままと衝突するので リスクを生む。だから、一人があまりに大きな力を手にするような ことがなければ、わがままは抑制されるだろう。見えざる手という奴だ。 しかし、これをある側面から言葉にすると、 「自分の不利益になるギリギリまでわがままでいるのが合理的だ」 となり、にわかに嫌な臭いを発しはじめる。 「人に迷惑をかけない限り何をやっても良い」というのは この言葉の派生型だ。 これらの表現は確かに事実ではあるが、 人間の認識というフィルタを通すと途端に有害な働きを始めることは疑う余地もない。 人間は度合の差こそあれアホであり、 他に及ぼした結果自分に返ってくるような間接的な 害を過小評価しがちだからである。 結果、直接目に見える利得を過大に求めて結局自分にも害になるほどの わがままをしでかしてしまう。 つまり、個人個人が「最善」を尽した結果、 社会の福祉の総量は最大値よりも小さくなり、皆が損をするわけである。 私は「人に迷惑をかけなければ何をやってもいい」という言葉は役立たずだと思う。 確かに本当に人を迷惑をかけなければ何をやってもいいのだが、 実は本当に人に迷惑をかけないでやれる行動なんてほとんどありはしないのであって、 であればそんな言葉は役立たずだ。「わがままはいかん」 という単純な教えの方が余程実用的だろう。

私わがまますぎる。ちゃんとデバグしよう。

塩漬け肉を塩抜きしてボイル。2ch発のレシピによれば煮汁にそのまま漬けたまま 数時間放置しておけばいいらしい。ダシが出てしまうのでこれは多分最良では ないが、まあまずは言われた通りにやってやろう。 出てしまったダシは何かに使えばいいしな。 なお、素の味を確認するためにスパイス類は加えていない。 かなり生臭いが、そこは二回目以降に考えるとしよう。

2006年12月7日

ゲーム始めて、ロードして、ちょっとやって、タイトル画面に戻って、 というのをひたすら繰り返す作業。デバグって辛いわ。バイトの人々はすごいと思う。

給料というのは、第一には「これ以上もらえないと辞める」という レベルよりも上であればいい。しかし仮にそれだけを考えて決めると、 無言で仕事をこなす人よりも、折に触れて「くれないと辞めるぞ」 と恫喝する人の方がもらえることになってしまう。 現実にはもっといろんな要素を鑑みて給料を決めているが、 しかしそれでも声が大きな人ほど貰えるという事実が厳然としてある。 考えてみれば、私も「次つまんなそうなら辞めるんで」と 面談の度に公言しているわけで、これは「もっとくれないと辞めるぞ」 という恫喝とも取れる。今回私は給料を上げてもらったが、 それが私の台詞を恫喝として受け取ったが故のことだとしたらなんか嫌な気分だ。 さてこの半年、私は相当怠けたし、非協力的でもあった。 そんな自分とは対照的に、自分の守備範囲でなくとも 積極的にテストをしてバグを潰している人がいる。 比べてみて自分が嫌になるわけだが、しかしそれでも、ああいう単純作業デバグ があっと言う間に嫌になる自分を変えることは容易ではない。

次はもっとうまくやる、という気持ちと、 もういいよなこの仕事、という気持ちがせめぎあう今日この頃。 限定された最適化問題を解くことの快楽を求める心と、 その問題が限定されていること自体を嫌う心の葛藤。 今日はそれを特に強く意識した。

ここ数日ヨガ風ストレッチをそれなりにやっている。 やっと前屈で親指が床に着くところまで回復した。 ところで、ちょっと屁理屈を考えた。二つの仮定を置く。 一つ。ストレッチにおいて耐えられる痛みの総量は一定である。 二つ。ストレッチの効果は筋肉の伸ばされ具合に対して線形よりも大きな オーダーで相関する。 こう仮定すると、一度に多くの筋肉を伸ばす体勢よりも、 一つの筋肉だけを伸ばす体勢をいくつかやる方が効果が出るという 経験則に理屈がつく。 例えば前屈は片方を曲げて逃がすことで片足づつやった方が効果が出るし、 また、前屈よりもアキレス腱、膝の裏あたり、尻あたり、左右背筋、 と分解して伸ばす姿勢をやった方が効果が出る。 ヨガは実に良く出来ているわけだ。

2006年12月6日

鶏肉を塩漬けにしてみた。とりあえず3日待ってみる。 酵素による筋肉の分解が進んで旨味が出るとのことだが、 さてどれほどのものか。

遺体を処理する仕事の人のブログを読んでいた。 即座に連載漫画にできてしまいそうなドラマの数々。なんか感動した。 「特殊清掃」で検索すると一番上に出る。

2006年12月5日

バグがーバグがー。

2006年12月3日

ストレッチしながらラジオを聞くことにしている。 今日はおとボクラジオ。うーん。波乱がないな。 なんつうかえんえん女性の過剰にかわいらしい声が鳴ってると頭が悪くなってくる。 それが快楽になる精神状態の時もあるにはあるのだが、 ここ最近は荒んでいるので無理だ。

5時半に起きて、埼玉のデカいスーパーで合唱してくる。

10日は第九。やばい。

太った。合唱のせいで運動量は増えたが、それ以上に食っている。増して冬だから 空腹感がブーストされているし、食ったものは確実に脂肪になる。

Sバグが取り切れない。助けて。もう三回くらい神が降りないとダメだ。

噂の柳生大戦争を読んだ。ひどかった。いくらなんでもこれはひどいと思った。 続き読みたい。

BBBのアニメ、やっぱなんかダメだ。 それほど金がない中それなりにがんばっているのはわかるし、 普通に見られはするのだが、拭い難いダサさ。 まるで富士見ファンタジア文庫のようだ。 4話のエロヴォイスも、感嘆する前になんというか、心がしおれた。

構造体のポインタをfwriteしちゃダメ。 構造体のメモリレイアウトはコンパイラ依存だし、 C++だとメンバ変数として見えるもの以外のものもメモリに入っているので 特にヤバい。 さらに、intのポインタもfwriteしちゃダメ。エンディアンが違うと読めないから。 さらにfloatもfwriteしちゃダメ。浮動小数点の表現形式はマシン依存だから。 よしんばそのへんが全部運良く一致していたとしても、 半端なアドレスにロードしたものをキャストするとアライン制限に引っかかって 落ちるかもしれない。 と、こういう細かいが知らないまま行くと致命傷になりかねないことを いつ教えるべきかは結構面倒な問題である。 ぶっちゃけ、そういう事が問題になる仕事はそれほど多くないし、 たいがいの場合はそんなことを気にしなくても「運良く」同じレイアウトになるし、 mallocは切りのいいアドレスになされるのでアラインで死ぬことも少ない。 だから、ともかくもバイナリファイルに慣れることを優先するなら そのあたりは捨て置く方が勉強はしやすい。しかし、そのままにしておくと 後でヤバい可能性がある。中途半端にやり方を覚えた人が 何年か後になって実務でやらかすことがあるのだ。実際あって私が直した。

確かに田村くんはギャルゲー丸出しなのでキャラの造形も話もかなりどうかと思う。 しかし、それでも私は好きだ。そして、とらドラ!はもっと好きだ。 どちらも、キャラの造形が可愛いから好き、というよりは、 キャラの相互作用の形が好き。何より主人公の心理が。 とらドラ!のヒロインは造形としても好きだが、 ぶっちゃけ田村くんの方の二人は造形としてはどうでもいい部類に入る。 ハズレを引かせた言い訳は以上。

にしてもとらドラ!の3巻は巡航モードに入っているのでいまいちではある。 このままめぞん一刻のように続いていきそうで、それはそれで悪くないが、 うれしいとも言い難い微妙なところ。

妖奇士。異人が出てきたかと思えばアステカ人の末裔かよ! いきなりテスカトリポカとか言い出すから何かと思ったが。 もう時代物はそれくらいの無茶はしないとダメなのか。

2006年12月2日

やっと終わる。結局2年半もやっていたのか。途中一回ゲーセン版として出した とは言え、ゲームとしてはずっと同じものを作っていたことになる。 あれほど単純なゲームにこれほどの人と時間を投入せねばならないことが 私にはなんとも不条理に感じられるのだが、 偉い人によれば「ずいぶん安く上がった」とのことである。 確かに他と比べればそうだろうが、しかしこの今の全体的な状況そのものが 何か間違っているように思えてならない。

評価。金はもらえそう。だが、圧倒的に不安だ。 数年ぶりに悩みブームが来ている。一歩間違えばこれが人生で最後の悩みブーム になるかもしれない。だから今回はしっかりのたうっておこう。

ルルーシュ見てる。秘密兵器少女が想像だにしなかった変な子で素敵。 帝国のお姫様もやっぱり変な子で素敵。 それにしても、なんというかエンターテインメントだなあ。 ちょっと悪っぽい主人公がいきなり 制限つきの特殊能力でデカいことをしようとする、 というあたりはデスノートみたいだし、 日本が占領されるなんていう今時ウケそうなネタだし、 なにやら学園で転校生だし、 なんというか面白がられそうな要素をこれでもかと詰め込んである印象。 どことなくそういうのは気に入らないのだけれども、 しかしなんだかんだ言っておもろいので見ている。

つうか、あの子の位置付けはリュークだよな。制限についてはあまり語らないし。 なんか一緒にいるし。この先どうなるのか楽しみ。

Wii、ふらっと店をのぞいて買えるようなら買おう。 がんばらないと買えないうちはいいや。

PS3のソフトの不作っぷりは異常だ。来年の年末までは 売れそうなソフトがまるで出ない。

4文字ギャルゲーは、つまりユーザが略称を作る手間を省いているのだろうか。 放っておけば4文字略称が自然と生まれるが、それが正式名称そのままであることは それなりに利益である気はする。 「夜明けな」から元の題名を浮かべられるのは知っている者だけだが、 「つよきす」はまんま「つよきす」なのである。 問題は増えすぎると他と混同しやすくなることと、 それを避けるために奇抜なものにした結果意味不明になることか。 いいかげんもう無理が来ている気がする。

ハレルヤ。4パートが入り混じりながら主題をかわるがわるやるような奴 を一人で練習するためには、 脳内で他のパートがスイッチしつつ鳴らないといけない。 メロディのパートだけ鳴らしておけばいいのとは話が違う。 midi作ってそれを聞きながら練習するのはいい方法だが、 移動中にはそんなことはできない。それに、そういう訓練も悪くない。 やっぱピアノをやってないのがハンデだな。 楽譜を見て複数の音が一気に鳴るような脳が出来てない。

第九の作曲が異様に周到なことに、自分で歌ってみて気づいた。 和音の展開が練られすぎている。いじりすぎの感がなくもないが、 これはこれで個性だろう。

2006年12月1日

死ぬバグを一つ直せた。絶妙なタイミングで発生したことと言い、 その時に私が考える気になる状態にあったことといい、運が良いとしか言いようがない。 いろんなものに感謝したいが、とりあえずそれらを総称したものを神と呼んで 感謝することにする。恥ずかしいものを世に出さずに済んだ。

授業最終回終わり。びっくりするほど無反応。 評判が悪いわけではないようだが、しかしこの無反応っぷりはへこむ。 ツッコミ所がなかったのが良くなかったのだろうか。 その場で1からプログラムを書いて動くところまで持っていくという かなりドキドキ物の趣向を凝らしたのだが、効果の程は不明。 やはりもっと暴言を吐かねばダメなのだろうか。 まあそれはそれとして、来週からデザイナの人がやってくれるので楽しみ。 少しくらいは私を意識して対立項を押し出してきてくれるとうれしいのだが、 さあどうだろうな。

ところで、アンケートに「またやってくれ」と書かれてて実はかなり感動した。 授業も悪くない。今日は腹痛もなかったしな。 でもまあ、できれば本業でそういう感動を得たいところではある。 作ったゲームを面白がってくれる人を眺めたい。 そのためにも同人ゲーは作りたいと思う。 会社でそれができればいいのだが、なんとも先行きが不透明だし、 どうせやるならできるだけ自分の責任が大きなものを披露したい。

にしても、あと一週間で終わるのに次の仕事が全く決まっていないなんて。 何もかもが不安だ。


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