だだもれ

2006年11月30日

ルルーシュとエウレカセブンの歌の区別がつかない。

2006年11月29日

バグ祭。発売するためにはハードメーカーの検査を通らねばならないのだが、 これを通る基準がよくわからず苦労する。

今回はゲーム本体のプログラミングはしていないから、 性能表をコピペし損ねてバランスが狂ったり、 特定の武器の段数制限がなくなって無敵キャラになったりという 恥ずかしいバグをやらかす可能性はない。 その分死ぬバグが出る可能性は大きいので楽にはなっていないが。 ゲームエンジンがマルチスレッド化されているおかげでデバグはかなり困難なのである。 度重なる建増しのせいで自分でもよくわからないところがあるし。

あれくらい格好良くポテトチップスを食べたいものである。

シグルイ1巻冒頭の忠長切腹シーンで、短刀の代わりに扇子 が置かれていることに今頃気づいた。

2006年11月28日

物の評価には三種類ある。作った人間の内心の評価。 作った人間が外に向かって言う評価。物を見た人の評価。 これらがあんまり異なるとだいたい不幸になる。 作った人間の内心の評価が高すぎれば、評判に不満を持とう。 作った人間が実体以上に宣伝すれば、物を見た人間が不満を持とう。 往々にして作る人間には「質に相応の評価を受けたい」という 思いがある。だから作り手自らが好んで「絶賛発売中」と銘打つ事は稀だ。 この時、作り手のそういう思いを無益なものだと一蹴するのは浅はかである。 こうした謙虚さは長期的にみて品質にプラスの影響を及ぼすことが多いからだ。 しかしかといって、宣伝や販売努力を無用と言い切る 作り手もまた浅はかである。結局のところ我々は商売をしているわけで、 それで食っていかねばならない。広告が無用ならば 世界がこれほど広告で満ちているはずがないではないか。

さて、これが同人の場合はどうか。 私がやるならプロモーションの類は二の次になる。 何故なら商売ではないからだ。金を稼がねばならないという縛りが消滅した時、 広告活動の必要性の大半は失われる。 むろん、それでもできるだけ多くの人に見てほしいという欲求はあるから なにかしら考えはするしそれなりの行動もするだろうが、 それはあくまでも自分が思う評価に相応の範囲で行うだろう。 私が今一番思うのは、一度自分の力で完成させてコミケの あの机で売ってみたいということであり、その他のことはどうでも良い。 売れないことには慣れているから、それで絶望することもあるまい。 むろん、ゲーム作りのプロという称号を得てしまった今となっては 内心「作りゃそれなりに出るんじゃねえ?」という思いがあることは否定しないが、 それを相殺するだけの不安があることもまた事実であり、 結局プラスマイナスゼロといった所なのである。 なお、金を稼ぐことが目的の一つを占めるのであれば、 それはもはや商売であり、広告の重要性は増すだろう。 結局のところそれはやる人間のスタンスに依存し、 全宇宙で共通の最適解は存在しない。 一切の広告は無用という作り手はいていいし、そのことだけを以って 馬鹿にされるべきではないのだ。

こんな事を何年か前にも考えたのを思い出した。 あの時はこれほどはっきりとは言葉にできなかったが、 しかしあの時から私のスタンスに変化はない。今回に前回と違う所があるとすれば、 それは前回よりもはるかに自分に自信が持てるということだ。 しかし、逆に言えばその程度の違いでしかない。

他力本願な考えは罰を受ける。今までバラバラに存在していた経験が今つながった。 おぼろげにはわかっていたことだが、 それを真正面から受け入れる勇気がずっと出なかったのだろう。

2006年11月27日

ディスガイア12話。まちがって「敵を強くする」というルールを発動。 敵のレベルが2割増しに。こっちも2割増にしないと対抗できねえ。 長期的に見れば1レベル上げるのにかかる時間は変化しないから、 明らかに損である。 まあ、せっかくだからこのまま行こう。

子供にすら子供騙しよばわりされるストーリーだが、私は気にならない。 何故ならどうでもいいからだ。たまにクスリと笑えるだけでプラスだろう。 この程度のボリュームであればまったく邪魔にならない。

ディスガイアですら快適とは言い難いな。 戦闘のエフェクト長すぎ。最近は高レベルな技が増えてきたので 5秒以上かかることが増えてきた。かなりのストレス。 私が作るなら何かボタンを押してるとフレームを間引くとか 丸ごと省略するとか、そういう機能をつける。

私、オリジナリティないなあ。なんかどっかで見たゲームの寄せ集めプラス改良、 みたいな状態になってる。悪いことではないが、見たくない現実だ。

要求マシンスペックの問題。 自分と共同作業者(あるいはデバグやテストプレイの協力者) の環境で快適に動くこと、というのが唯一の縛りではなかろうか。 3Dモデリングが不可能な段階でそんなに重いことはできないのだ。 ちゃんと気をつけるべきことに気をつければ普通に動くものが作れるはずである。

で、前やってわかった「気をつけること」。 頂点処理をソフトウェアにすること。 ピクセルシェーダは使わないこと。 線形合成と加算合成以外のアルファブレンドを行わないこと (つまりADD以外にしないこと)。 テクスチャの解像度は1024x1024までとし、正方形かつ2羃解像度に限ること。 マルチテクスチャは使わないこと。 板ポリに関しては複数の物体を一度のDrawPrimitiveで 描画できるよう動的頂点バッファ書きこみを使い、テクスチャはまとめておくこと。 完全な2DゲーならZバッファは使用せず優先度でソートするシステムにすること。 性能を犠牲にしてでもDirectXのリソース管理はManagedにすること。 フレームバッファとテクスチャは16bitを選択できる作りにし、 その場合はディザリングをONにすること。 せいぜいこんなもんだろう。 この縛りであれば、GeForce2MXあれば上等だし、もっとショボイのでも速度はともかく 動きはする。DirectX6以上のハードウェアであればほぼ動くと見ていい。 他は、メモリ256MB、CPUは1GHzもあれば十分だろう。 XP以外のwindowsは相手にしなくてもいい。2000でも動くはずだ。

ちなみに以前やった奴の最低スペックは過剰に低かったので大変苦労した。 VRAM8MB、テクスチャ解像度は256x256まで、CPUはPentium2以降、 メモリは128MB以上、OSは98SE以降。という感じ。 ロード後にテクスチャを256x256に分割したりとか、 かなり嫌なこともやった。 まあノベルゲーだったという背景はあるのだが、 どこまでやれるか試してみたかったということもある。 たぶんノベルゲーであってもそこまで下げる必要はない。

なお、DirectXを使わなければさらに必要スペックを下げることもできる。 しかし、ティアリングの問題を解決するのが非常に難しくなるので 到底おすすめできない。ちなみに、リフレッシュレートがいくつかは環境依存なので、 フレーム間の時間を固定にした作りはまずい。 毎フレーム前との時間の差を計測してそれに応じて動かすこと。 なお、DirectXを使わないことでGPUの要求が減っても、 その分CPUへの要求は上がることになるのであまり意味がないとは言える。

2006年11月26日

京都行ってきた。のじりん宿をありがとう。 結局漫研のひとびとには別れも言わず出てきてしまった。すまぬ。 起きたらギリギリだったのだ。

のじりんに薦められて講談社現代新書の「武士道の逆襲」を読んでいる。 皆が武士道と呼んでいるのは明治以降に作られたパチモンで 本物は全然違う、というのが主旨だが、 著者が狙うような効果は私には及ぼされなかった。 何故ならば、私はそこで言うところの「本当の武士道」しか知らないからである。 極端な話武士と言えば、いくさ人か虎眼流なわけで、 生きるか死ぬかの局面では死を選び、 主君が侮辱されれば即座に斬り捨てる、そんな連中しか知らない。 というか、それは私に限らないだろう。 武士道のロマン性はその無茶さ加減にこそあるわけで、 みんな武士道ってのはそういうものとして理解しているのではないのか。 「葉隠」で理想とされているような極端な武士が実在したかどうかはともかくとして、 武士と言えばあれだろう。 新渡戸の武士道にしても、ロマンティックな場所だけ取り出してみれば だいたい似たように無茶なものだし、ロマンティックでない所は印象が薄いので まるで覚えていない。おそらくそのロマンティックでない部分が「パチモン武士道」 と言われている部分なのだろうが、なにぶん印象がないのでさっぱりどうでもいい。 「侮辱されてすぐ相手を斬り捨てるのは天下太平のためには害だから我慢しろ」 なんてのが武士道なわけがないではないか。 武士たるもの主君を侮辱されたら柔を用いて打返しに及ぶに決まっているのである。 まあそれはそれとして、この本は大変おもしろいし、 武士道について良くまとまっているので整理もできるし、 なにより武士エピソードの数々がたまらない。 そして、何が一番おもしろいかと言えば、たぶん著者も武士道ファンだということだ。 全体に漂うロマンティックな憧れがたまらない。 明治以降の武士道がニセモノだ、と叫ばずにはいられないくらいの 武士道ファンだということだろう。 お気にいりの武士エピソードを紹介する様は、 好きなアニメの名シーンについて語るアニオタとあまり変わらない。 むろん、ずっと知的だとは思うが。

「もし武士がマジであんな連中だったとしたらすげえな、というかありえない」。 という思いがずっとある。 そんなにすごい人間がゴロゴロいるわけがないだろうと思ってしまうのだ。 しかし、考えてみれば武士ほど無茶でなくても十分無茶に思える 史実は山ほどある。60年前には普通に鉄砲かついで海の向こうまで 命のやりとりをしに行った人が何十万人もいたわけだが、 そもそもそれが信じられないことではないか。 事実を信じない、ということではなく、 自分がその一人だったとして、本当にマジで命のやりとりをやれるとは思えないし、 そんなことをできる人間がそんなに集まるとも思えない、ということだ。 だが、事実は事実である。 さらに前には旅順の機関銃に日本刀で立ち向かって万単位で人が死んでいる、 という事実もある。 事実がある以上、それは可能だったのだ。 教育や時代の雰囲気というのはそれほど大きなものなわけで、 であれば武士だってマジでああだったのかもしれないと考えることは可能だろう。 今の我々の感覚で命のやりとりが日常化した社会を想像するなどというのが 土台無理なのだ。つまり、虎眼流くらいの武士っぷりは実在したと、 そう考えて良いということである。

某掲示板を見ていて思ったこと。なんかあそこは書きこみにくいし長くなるので。

同人のリスクってそんなに大きいか? 自分の人件費を無視すれば、コストは自分以外の人件費だけであり、 それは同志を確保できればタダだし、金で頼むにしてもボリュームを よく考えれば許容できる範囲に収められる。 そもそももうけようと思わなければリスクなど存在しないのだ。 最初に問題なのは金ではなく名であるし、 さらに重要なのは「やってみた」という経験と自負、そして結果出来上がる プログラム、ツール群のノウハウである。 だから一発目は売れる必要もなければ有名になる必要すらない。 プロのゲームプログラマであれば、大した労力をかけずに 見た目の「売り物レベル」を高めることは可能だし (メニューとかの見栄え、挙動とか)、 操作性などのゲームルール本体以外の部分もそれなりな出来にできるだろう。 「それなりな絵」という最も重要な要素を確保した上で、 自分のやりたいように作ってみればいい。 ゲーム制作の大半はつまらん作業なのであって、第一作ではその作業が特に 膨大かつその量が不確定になる。わからないことが多すぎて適切な見積りは不可能だ。 そもそもゲームプログラミングの全領域をやったことがない人間なら やったことがない分野(描画システム、モーション、シーケンス、AI、カメラ等々) でそれなりに時間がかかるはずである。 まずはやってみてその作業の総体を身体で知り、 未来のための礎としておくべきだ。 まあ、最初からキャラ設定を固めたりストーリーを固めたりしていくのなら 絵描きや文章書きは外注でなく同志であることが望ましかろうが、 それはそういう人に恵まれたらの話になる。 恵まれなければ一度一人で作って、絵だけ頼んで差し換える、というやり方に なるだろう。グラフィックは2Dあるいはビルボードになるが、 同人ならそれで良いのではなかろうか。 3Dモデリングや、それに伴うモーション作成は匠の技であり、 人材の確保はコネがなければ不可能である。

いきなりうまく行くわけがない。これは絶対の真実だ。 ひぐらしだって最初は売れなかったと聞いている。 だったら、うまく行かないものとして始めればいい。 同人なら途中でリリースしてしまうという手もあるし、 デバグを客にやらせるという荒技すら可能だ。 どちらも商業で例のある手法であって同人をバカにしているわけではない。 とにかく「リリースする」ということに絞って、それを容易にする方向に考える。 SRPGを作るなら、 序盤(北斗の拳で言えばシンを倒すまでくらいの感じか。ジードじゃダメ)だけ、 かつデバッグも一人で可能なところまでやった段階で もう出してしまい、そのフィードバックを活用して次につなぐ。 プロだってロケテをするわけだから、同人で客の意見を聞く場がないのは あまりにも無茶だろう。また、デバグは一人では不可能な代物なのだ。 むろん、そんな代物であまり金を取るわけには行かないし、何より数を稼ぎたいので、 単価はメディア代程度と割り切り、ダウンロードを主体とする必要はある。 つまり「体験版」あるいは「ベータテスト」だ。 これが出る数はその後の品質に影響するため そこである程度の数を見込むための戦略はそれなりに必要にはなるが、 分を越えたことをする必要はない。 知り合いで比較的人が来るサイトを持っている人がいれば、 そこに置かせてもらえるよう頼み込む程度でいい。 大切なのは物の出来であって、プロモーションのことなどを最初から考えるのは 絵に描いた餅、取らぬ狸の皮算用である。

同人で最も難しいのはリリースすることである。それさえ可能であれば 残りの要素はどうとでもなるのだ。 仮にリリースまで行ったものが芳しくない結果に終わったとしても、 リリースまで行かなかったのに比べればはるかに多くのものを得ているはずであり、 次につなげることは遥かに容易になる。 みんないらんことを吹きこんで惑わしすぎだ。

同人ゲーも武士道の心構えだな。敵が何万人いようと全員なで斬りにする覚悟で つっこんで、失敗したら死ねばいい、というあの明快な考え方。 つうか、同人ゲーで失敗して失うものなんてたかだが金と自分の時間くらいで、 金なんて分を過ぎたマネをしなければせいぜい20万程度で済むし、 自分の時間は損害のうちには入らん。失うものなんてないじゃないか。 それで慎重になるのは、リスクを恐れているのではなく、 単にやる気がないだけのことなのである。と、自分に向かって言っておく。

私も餅の絵を描いてみよう、と思って 今考えてる(というか微妙に作ってる)SRPGの作業量見積りをしてみた。結構へこむな。 これを一人でやるというのか。結局物量に比例しない部分のコストは 会社で作ってる売り物とあんまり変わらないんだよな。 作業量の増大を防ぐためにポリゴンを避けても それでもなおかなり嫌な量になる。 しかも私が一人で絵までやって、後で頼んでテクスチャだけ 差し換えるという方式を取るから、 戦闘のアニメーションの類もてきとうとは言え全部描かねばならん。 キャラが20種類とかいたら発狂するぞこれ。 ディスガイア方式のクォータービューだと全アニメーション4方向いるし。 いっそSFにしてなんかサイバーな雰囲気の模式図みたいなのを戦闘画面にしちまった 方がいいんじゃないかと思えてくる。 フロントエンド(タイトル画面とかメニューとか) 系の素材もそれなりな量にはなるな。 序盤だけでデバッグも完了しない状態で出すにしてもなお辛い作業量だ。 ゲームバランスの調整はゲームの魂だから手は抜けないが、 それに人を使えないというのはいかにも危うい。 まあここは友達に協力を仰ぐ他ないだろうが。

ニャがすすめるので「電波的な彼女」2。あー1よりは悪くない。 オチはかなり早い段階で読めたし悪役もまんますぎるが、まあ良かろ。 キャラがどいつもこいつも普通じゃなく、かつやけに強いという 都合のいい世界にはいまだ慣れないが、まあこういうものかと思える程度には 良く書けている気がする。私が慣れただけかもしれんが。 ところで、この話のオチはちと問題があるぞ。 ネタバレはマズかろうと思うので多少くるんで書くが、 要するに、そういう状態になった人間を養育するコストは半端なものではない ということだ。また、そういう取引をもちかける相手の選定を一歩間違えば 一瞬で事が露呈する。 まあ、「後味の悪い犯罪」というコンセプトの一つの表現としては 成功しているのかもしれないが。

にしても、ヒロイン。毎度のことながら窓から入ってくるのは素敵だ。 私のところにもそこのベランダから侵入してこないかなあ。 いや、マジで来たらたぶん腰抜かすと思うし、 現実にそんなことが起こったらたぶん私の命はないだろうな。 そんなの強盗に決まっとる。 武術を学ぶ人間である以上、そういう時でも 冷静に枕元からナタを取り出して応戦すべきなんだろうが。

ニャに借りた、石川賢「魔空八犬伝」。すげえわこの人。ぶっとびすぎ。 永井豪のパチモンだと私も思っていたが、若干路線は違うようだ。 メカもなかなかイカしている。初めて読んだが堪能した。 荒山徹作品を漫画化するならこの人はうってつけかもしれない。 魔界転生くらいは読んでおこうと思う。

2006年11月23日

つうか、金曜は普通に平日だもんな。ダメか。

今日とあることがあって、 自分がこの仕事に飽きてるのをものすごく実感した。 ダメだ。腐ってる。自分がこれほどダメ人間だったとは。

2006年11月22日

凄まじく豪快なメモリリーク。ごめんなさいな状態。 しかも人のせいにした。

健康診断で、前の人がレントゲンのために脱いだのだが、 ものすごく白かった。びっくりした。 やっぱりデフォルトカラーの段階で差があるんだなあと思った。 ここ半年実験のために以上極力紫外線を避けて生きているわけだが、 もういい加減限界が見えた。だいぶ白くなったが、ああはならない。 つうか、あんなに白いのはなんか病気っぽい。あの人どんな生活してるんだろう。 ニャも白いが、あんなに白くはなかった気がする。

皮膚に油性のものを塗布して水分の蒸散を防ぐ実験。 友達から「これがいい」とか薦められたものを買ってきて試す。 成分を見ると、エタノール、グリセリンあたりを溶媒にして ポリエチレングリコールのような高分子や ステアリン酸エステルのような脂肪酸でコーティング、という感じか。 この手のものの研究開発ってのは一体どんな感じなんだろうな。 化学産業ではそれほど顕著な技術革新は起こりにくいので、 とうの昔に限界に達して今は単なるブランドイメージ戦略でしかないという 可能性もある。あの手の新製品に毎回有為な改善が なされているとは考えにくいだろう。 まして人体に用いる以上安全性の検証が大きなコストになってくるはずだ。

その手のものを探していた時、補酵素Q10という記述をよくみかけた。何それ。 皮膚に塗ってどうなるものとも思えないのだが、きちんと実証されているのだろうか。 年齢とともに減少するということが真実であっても、 補給することで細胞の老化を防げるということと、 皮膚への塗布で細胞に届くということの二つを実証できなくては意味がない。 どれもそこには触れていないようで、インチキの臭いがプンプンする。 コラーゲンも同様。当然人体実験した論文があるはずなので 調べてみたいのだが、もうアクセスできないんだよな。

タンパク質はなんぼ食ってもアミノ酸にバラされるので意味ない。 特にコラーゲンなんてアミノ酸組成がかなり偏ってるので取りすぎるとゴミが溜まる。

24日に会社をサボッてもいい許可を得た。 が、さすがに月曜まで時間が丸々空いた、というわけではない。 まず土曜夜の合唱はマズい。3日の本番の前の最後の練習っぽい。 明日の第九も12/10本番なのに一回も全部歌ったことない状態なんで かなりヤバい。土曜昼の拳法はここぞという時には休みにしてしまってもいいと 思うが、できれば避けたい。 とそう考えると、明日の夜に京都入りして土曜の午前に帰ることになる。 そんな時間にOBいるのか? 私を知ってる人間が一人もいない状態だったら辛いなあ。

2006年11月21日

11話。途中えらく安全に敵をくっつけて殺せる場所を見つけて ちょっとだけレベル上げ。敵のレベルが170とかになるので上がる上がる。 しかし、どういう計算なのか銃や弓でないとロクなダメージが当たらないので、 それ以外のキャラのレベルを上げるには連携しかない。

キャラクターを作った時に、それを誰かの弟子にすることができる。 師匠は弟子と隣接していると弟子の魔法を使うことができ、 何度か使っているうちに本当に覚える、というルールがある。 そうか。フロンはそうやって使うのか。 攻撃力が弱く死にやすい割に何も覚えないのでどうしようかと思っていたが、 弟子を取ればやりたい放題ではないか。 魔法関係のスキルはそれなりに高いので、モノさえ覚えればかなり使えそう。 気づくの遅すぎだ。とりあえずはこのまま弓兵として使おう。

マップ上に置いてある槍に話しかけられることを今頃知った。 各武器の説明してくれるじゃないか!

銃が強すぎる。これほど強いからには何か欠陥があると疑っているのだが、 未だに欠陥は見つからない。確かに装備が全部めがねなので前衛に出すと 瞬殺されるが、欠点はそれだけだ。いや、十分な欠点ではあるが。

2006年11月20日

10話開始まで。7、8、9は案外すんなり進めた。 転生祭が一段落してかなり強くなってきたからだろう。 それにしても銃が凶悪。射程も長いし、何一つ悪いことがない。いいんだろうかこれ。

話がショボいと評判だが、なんか私は嫌いじゃないけどな。 正直でベタないい話。FF12やスターオーシャン3よりはいいと思うのだがどうだろう。 ギャグが大変寒いという意見には同意するが、何故かそう嫌いになれない。 理由が自分でもよくわからない。 そしてふと考えてみれば、何故FF12やスターオーシャンの話が好きになれないのか を思い出せない。何が違うんだろう。

つうか、そうだよ。話の質云々を言う前に FF12とかスターオーシャンはものすごくおつかいだ。 そして、そのおつかいには数時間の時間がかかり、 いちいち仰々しいイベントシーンやらムービーやらが入る。 「おつかいを正当化するためのお飾りの分際で忌々しい!」みたいな気持ちになる。 一方ディスガイアはおつかいなどというレベルをはるかに通り越している。 ダンジョンの入り口は一つしかなく、そこで行けるダンジョンが毎話 増えているだけのことだから、何を言われようがそこに行くことに変わりはないのだ。 「ピクニックに行こう」みたいにして始まった話なのに、 結局新しく出たダンジョンに入って戦闘を繰り返すだけというこの理不尽さは、 もはや世界法則とでも呼ぶべきものである。 物理法則に文句を言うのはノヴァ教授くらいなのであって、 こうなるともう大して気にならない。なにせそういうゲームなのだから。

敵を敵に投げつけると合体してレベルがその和になる。 基本的にNレベル2匹よりも2Nレベル1匹の方がはるかに厄介なのだが、 確実に殺せる体勢を整えた後にやれば一挙にレベル上げができる。 が、仕損じて殺されること多数。 レベルを加算してまだ手におえるということは 成長速度が線形に近いということだ。指数関数的な要素は薄いのだろう。 レベルが倍になってHPが倍以上になるようならさすがに手に負えなくなる。 パラメータ上昇を記録しておけば良かったな。

なお、前のレベルの値の10%を足す、とかすると指数関数になる。 元がいくつであれ10足す、というのが線形。 さらに、レベルに応じて線形に増す成長率を加算するタイプだと二次関数で、 これはFF3なんかがこれに当たる。 どれが良いかは物によるし論争もあることだろう。 線形はそのうち成長してる気がしなくなる。 指数関数はいつでも「5レベル上の奴は無理」みたいな見積りが成り立つが、 あまり成長率が高いとすぐケタが爆発する。 二次関数型はその中間。 ディスガイアのようなやりこみ型はレベルが3ケタになるため、 線形をベースにしないとすぐ数字が爆発する。せいぜい二次。

にしても、一日に3面もやるとさすがに辛くなってくるな。作業は作業だ。

ローニンの上位職であるオブギョウ。強いのはわかるが、 せっかく黒髪のローニンさまが茶髪になってしまうので保留。 忍者はかわいくないという理由だけで外すかもしれんなあ。

機能の豆汁にカレー粉を追加。ああ、もう普通にカレーだ。 ここから肉を抜いて味を整える実験をしてみよう。

噂のキャベツを見た。緑の球。こりゃすごい。 こんなアニメを作ってどうするんだろう。 クソゲーと同じでいくら安く作ろうが結局売れなくて赤字なんじゃないのか。

何度も言っているが、おとボク。原作に比べてあまりに普通に女の子しすぎてて、 スリルが足りない。

PS3のブラウザが使えないと評判。すぐメモリ不足に陥る上に ハングするという話も。まあまだまだこれからということだろう。 256MBあればブラウザくらいは普通に作れるはずである。 ただHDDをスワップに使えないと辛いだろうが。

2006年11月19日

歌ってきた。いやあ毎度のことながらムチャクチャだ。

昼寝して、えらい夢を見た。この手のアクション巨編な夢は良く見るが、 だいたい追いかけられる側で、しかも都合良く 切符がなかなか出てこないとかそういう要素まで盛り込まれていてとにかく焦る。 いいかげんにしてくれ。だいたい昼寝すると眠りが浅いのでこういう目に遭う わけだが、今日は6時起きだったのだ。仕方あるまい。

37インチのフルHDテレビをPCモニタ代わりにするのはかなり魅力的な案だが、 問題は金。出せるが、そんなものに30万近く出していいのか。 私はそんなに裕福だろうか。そんなはずがない。

デパートを見る度にみんな金持ちだなあと思う。 弟が良く言うことだが、デパートの数フロアは女性の欲望を満たし、かつかきたてる ために存在していて、なんとも怖ろしい世界だ。皆それだけ金があるということで、 それはすごいことである。なんかテレビなんて買ってしまうと私もそれと同じ 世界にいることになってしまいそうでちょっと嫌だ。 いっそ今この瞬間に銀行が爆発して預金がなくなってしまったりしないだろうか。 そうすればこんな物欲に悩む必要もないし、 もっとギリギリの生活を楽しむ気になるだろう。 贅沢というよりバカな願いだが、とにかく最近自分の堕落を強く感じるのでそう思う。 学生時代、私は貧乏ではなかったが、 しかし全て親の金だという意識は度を越した無駄遣いから私を守ってくれていた。 今はそれがない。

幕末機関説いろはにほへと。なんかおもろいぞこれ。 すげえちゃんとできてるじゃないか。 エンタ-テインメント度では最強かも。

たまねぎと挽肉をしつこく加熱。湯を足して乾燥いんげん豆をぶちこんでさらに加熱。 うめー。これならバランスが取れる。やはりたまねぎだけではダメか。 どうにか肉に頼らないで旨味を出したいのだが。

2006年11月18日

顔の皮膚がボロボロだ。乾燥のためっぽい。 油性のものを塗って水分の蒸散を防ぐ他ないか。 まあそれ以前に栄養状態が悪いとか、ディスガイアで夜更ししすぎとか、 そういう原因もありそうではある。

ディスガイアのドット絵はかわいい。 この技術は失われつつあるのだろうか。 少なくともうちの会社にはもう残ってはいまい。

2006年11月17日

1410本。PS3のゴルフゲームの初週売り上げ。どうコメントしていいかわからないが、 当然の結果だと思う。500本とかじゃねえの?と冗談めかして言っていたが、 大差ない結果になった。 XBOX基板のゲームの移植のくせに処理落ちしていたからな。絵もまんまだし。

金色のコルダ。あからさまに女性向け恋愛ゲームのノリだが、そんなに悪くない。

NHKのゲーム業界分析。おおむね同意。 ところで一つ疑問がある。PS3の性能ってXBOX360に比べてそれほど優位にあるのか。 確かにギリギリまでやればPS3が上だろう。 SPUの計算能力は莫大だし、GPUが使える帯域も有利だ。 十分に習熟した状態ではピーク性能だけが問題になるので、 使いにくいかどうかは問題ではなくなる。その意味ではPS3が有利であることは 間違いあるまい。 しかし、XBOX360とて侮って良いものではないし、 そもそも今出ている絵のレベルで見れば顕著な差などないように私には見える。 つうか、さすがに出てしばらく経つだけあってBOXの方が綺麗だろ。 PS3の絵を一度見てしまうともう戻れない、みたいな発言がメディアで多く 見られるが、私にはアオリ文句にしか見えない。 そもそもメディアが言うほどPS3は盛り上がっているのか。 どうにもメディアの印象操作の臭いを感じるのだがな。 なにせゲーム会社にいる私ですら買ったという人間は数人しか知らないし、 買う予定の人間も滅多に見ない。 まあ私がBOXびいきなのは否定しないけれども。

SPUの有効活用は困難だと思うがな。 結局アセンブラで書かないと言うほどの速度は出ないし、 256KBでダブルあるいはトリプルバッファリングできる程度に 計算を分割せねばならないという縛りのために 途中でメインメモリに退避するようなコードが増えて性能が無駄になりがちだ。 普通の整数演算タスクをSPUに振るのはさらに面倒で、 乗算が16bitしかないとか、除算命令がそもそも存在しないとか、 if文のペナルティがでかいとかいうあたりが猛烈に効いてくるし、 ベクタ命令しかないので自力でベクタ化してやらないと計算能力の大半が 死んでしまう。よほどうまく書かないと普通の使い方はさせられない。 その用途ならXBOX360の方がずっと便利だし性能も高かろう。 マイクロソフトの人が「整数演算なら3倍だ」と言ったのも、 整数演算の定義を「ゲームの普通の処理」と拡大解釈すれば あながち間違いでもない。 そもそも、SPUを使いたくなるような要素がそのゲームになければどうしようもない。 シミュレーション系の計算密度が高いものがない限りは余らせてしまうことになる。 描画の補助にも使えばGPUの負担を軽減してよりいい絵を出せるが、 それもかなり困難だ。 まず普通の描画処理は256kBしかメモリがないので テクスチャにアクセスできず実質無理。 ポリゴン単位カリングをやらせるにも、256KBには頂点バッファが全部入らないので、 前もってインデクス形式をを生頂点データ配列に変換してから送るか、 頂点バッファが256KBに入るように細工をするかせねばならず、 いずれにせよ実装は面倒だしオーバーヘッドもでかい。 スキニング等の頂点シェーダの補助は比較的望みがあるし効果もあるが、 今度は書き出し用頂点バッファをダブルバッファ化せねばならず メモリを圧迫する。 ポストプロセスくらいなら可能だが、 それも256KBに分けてやるのは結構な悪夢だ。 と考えていくと、相当がんばっていろいろ試さないとダメだということだけは わかる。やってられるかそんなこと。

明日はなんか朝から歌いに行ってくる。

2006年11月16日

転生メンバー強いなー。 現在26時間、30レベル。

授業7回目。計算量理論を本屋で本を探す例で説明。 その後STLのすすめと使用例の紹介。 うちの会社はまだC言語の人が多いので、STLを使ったこともないという人は かなりいるのである。 議論のしようもない低レベルな事実ばかりなので 質問も感想もほとんどない。つまらんと言われているわけではないし、 わからんと言われているわけでもないが、 この反応のなさは萎える。アンケートを見る限り評価は高いのだが、 やはり欲しいのは反応だ。デザインにも聞ける内容だった頃は 過激な語り口が功を奏してかなりおもろい質問や反論もあったのだが、 最近はめっきり減った。 やはりもっと笑いを取るか、何かもっと過激で不穏当な発言をするかせねば ならんが、前者は授業の内容を薄くする危険があるし、 後者は度合を間違うとシャレにならなくなる。

しかしあと一回かあ。その後はデザイナがやるそうだ。 デザイナの視点からの話を聞けるので楽しみだが、 それはそれとしてなんかこの立場を人に譲るのが惜しく思えてきた。 衝突検出と衝突応答についてとか、そういう少し専門的な分野も やってみたかったのだが、かなり先まで予定ができてるから 当分私がやることはない。 ちなみにそのデザイナは同期なのだが、入社時から大変有能だったらしい。 しかも私より4才も若いし。彼を見てると自分がダメ人間に見えてくる。 しかしまあ、私の場合「隣の芝は青い」病が慢性化しているからそう思うだけで、 私もそんなに捨てたものではないはずだ。 やっとそういう自信を持てるようになった。

NFかあ。しかし私は土曜は無理なので一番OBがいる時間にはいられない。 土曜の夕方急行すれば可能と言えば可能だが、時間短かすぎる。 平日ならサボってもOKと言いたいところだが、 木曜は最後の授業があるのでサボれない。木曜の夜から行って 土曜の朝に帰るプランは可能だが、平日じゃOBいないだろうしなあ。 もっともロム提出2週間前なので金曜サボれるかどうかも微妙なのだが。

つうか、うちの会社たいがい年末ごろエンドだから11月末はちょっとなあ。 去年もゲーセン版のエンドが確か12/18とかだった。 もし年明けくらいから新しいのを作り始めたらやっぱり12月くらいに エンドが来る。そりゃそうだよ。3月売りなら必然的にエンドは 12月あたりになるのだから。

嫌なものを見た。でも、その内容をここに書いたらたぶん会社から暗殺者が来るので 書けない。

恥ずかしくないものを作ろう。 コストとか期日とかの話ばかりしているが、それは 恥ずかしくない品質が保たれているという前提での話だし、 むしろ品質を上げるためのコスト削減であるべきだ。 良心を悪魔に売り渡すことがないよう、自分を律していこうと改めて思った。

2006年11月15日

ディスガイア7話。ここを越せば半分か。 調子に乗って主要メンバーをまとめて転生させたために戦力がガタ落ち。

2006年11月14日

ディスガイア7話。4話のボスは遠隔攻撃をしながら逃げ回れば あっさり勝てる。それに気づいたのはレベル上げを済ませてからだった。

授業もあと二回。その先は別の人。妙な淋しさが。

2006年11月13日

ディスガイア4話。ボス強すぎ。基本的にレベル上げ必須なのな。 ここまでギリギリでやってこられたが、4面のボスは絶望的に不可能。 ところで、ようやく成長のシステムが見えてきた。 例えば、武闘家のレベルをいくらか上げると師範代という上位互換クラスが 出現する。同じレベルなら圧倒的に師範代の方が強いし、 弱いうちに作ったキャラは才能レベルが低くてあまり強くならない。 そういうわけで作り直した方が圧倒的に有利だ。しかしレベルが1になる上に、 それまで育てて覚えた技やら何やらがことごとくパーになる。 技の熟練度の類は使用回数の変数なので、とりわけ惜しい。 というわけで躊躇していたわけだが、転生というルールがあることがわかった。 ある程度育てると、いろんなものをそのままにして別のクラス、 かつ別の才能レベルのキャラになれる。レベルが1には なるが失うものははるかに小さい。 あーなるほど、これで何度も転生させてうまいことどうにかしろってことなのな。 そしてやろうと思えば全スキルを持ったキャラが作れるわけだ。 ウィザードリー方式をやりこみ用途に特化させた感じか。 なるほど良く出来ている。しかし、転生できる条件というのが、規定の敵を 一人で全滅させることで、クラスによってはかなり途方に暮れる。 僧侶とかどうしろっちゅうんじゃ。 一応武器の装備制限はないので、レベルを高めにしてチクチク殴るしかない。

ちなみに、一番ショボい才能レベルが「どうしようもないクズ」。 キャラメイク時にもらえるウィザードリーの特性値ボーナスみたいなのがマイナスで、 どれがいらないかなあと考えながら減らしていく作業はかなり ブルーになれる。しかし最初は実質これしか作れない。 うちのパーティーにはこれが3人いて、いないと困るくらいには使っているが、 後から入ってきた「おちこぼれ」に比べると遥かに見劣りする。 これだけ差がつくと転生できるところまで育てるよりも 捨てた方が早い気もするわけだが、やはりそれは忍びない。 せめて「平凡」くらいに転生させてやろう。

さすがだ。物量を用意することなく長時間遊ばせる設計のお手本と言える。 作業感はあるが、ゲームのロジックを理解していくという上達の要素もあるので、 時間を強さに変換するだけのゲームでもない。 しかし安いなあ。 ムービーなんて一つもありゃしないし、ポリゴンモデルだって ステージくらいしかない。店やらがあるお城は完全2Dで 狭い上にまるで変わらないし、アイテムの類は単なるデータで絵なんてない。 絵の数はそれなりにあるし、必殺技のエフェクトの類もそれなりにあるが、 所詮それなりだ。解像度が低いのもなんか慣れてきた。 やはりミソはゲームのルールとパラメータなのだ。ゲームの魂はそこにある。

とは言え作業なのだが。 今日がヒマじゃなかったらそのまま投げ出していたかもしれん。

ストレイン2話。なんかおもろくなってきた。絵はなんかショボいが。

2006年11月12日

日曜がヒマだな最近。何をしていいかわからん。

PS3が出た。世間は盛り上がっているのだろうか。 一方で私はもうなんか終わった気分だ。PS3はいいおもちゃだった。

いま外で誰かが演説してる。共産党。 自分達の主張を「国民の皆さんが求めています」「国会で問題になっています」 みたいな言い方で正当化する手口。 教育基本法の改正案に反対するのに、 その中身に触れず、やらせ事件があったからいかがわしい、 という言い方をする。気に食わないが、効果的だ。 さすがに洗練された手口と言うべきだろう。 なんか共産党の演説会みたいなのをやるらしく、その内容の説明と 宣伝が主旨らしいな。赤旗の宣伝もしてる。

fateとひぐらしが揃って延期か。 金があるのか、延期のコストが安いのか、それともただスケジュール管理が 適当なだけなのか。 確かにどちらも多少延期しようが変わらず売れそうなタイトルではある。 うらやましい話だ。 スポーツゲームの類だと選手との契約に時間制限があるため、 その期限を越えると一切生産も出荷もできなくなる。 つまり、遅れれば遅れるほど売れる期間が短くなり、損害を被る。 日本と違って向こうでは比較的長い間ダラダラ売れ続けるのが普通なので、 海外の売上を見込むスポーツゲームの場合は余計に損害が大きい。 だからうちらは絶対に遅れることはできない。 できればそういう面倒のないゲームを作りたいものだが、それでも遅れるのは嫌だな。 コスト、期限、品質の3要素のバランスを取るのが大人の仕事というものだし、 仮にそういう汚れたことを抜きにしても、安く早く作る工夫を最大限に導入しなければ 好きなものを作ることなど到底許されないのである。

実写のデスノート見てる。かなりアレンジされている。 リュークがなんか変におせっかい。やはりあの原作のモラルのかけらもない 雰囲気は実写ではマズいということか。 しかし、うまく要点をまとめてはいるし、なかなか面白い。 ところで、これ演技どうなんだ? というか正直かなりどうかと思うわけだが、 私にはこれが今の俳優の水準に照らしてどうなのか、 ということを判断するための知識がないのでなんとも言えない。 まあ見られんレベルではないので別にかまわないが。

そういやアホがドラマの演技がひどいと前言っていたな。 どれくらいの金をかけたものでどれくらいひどいのか、が問題なので 鵜呑みにはできんが。 しかしアニメで声優が下手で辛いというのはあまり例がないな。 いやなくもないが、 そういうアニメはだいたいそれを味にする仕掛けが備わっているので あまり問題にならん。

2006年11月11日

ディスガイア、タイトル画面で放っておいたらずっとそのままだった。 ちょっと衝撃。放っておくとデモプレイやらムービーやらが始まるのが 常識だと思っていた。 そんなものが必要なのはゲーセン用だけだ、ということに今更気づいた。 そもそもゲームの面白さには何の関係もない。正しい。これでいいのだ。

2面クリア。アイテム界で条件を満たさないと3面へは行けない仕様。 なんて無理矢理なおつかいだろう。限りない作業であるが、 これはアイテム界の楽しさを知ってもらおうという意図だろうから まあわからなくもない。 なにせモノが良く出来ているので頭にほどよい負荷がかかって心地良い。 ただ、ふと長期的展望について思いをめぐらせた瞬間にかなりげんなりする。 自動生成ベースのゲームはどうしてもそうなる宿命にあるし、それは 悪いことではない。ほどよく知的な単純作業こそがこの手のゲームの真髄だからだ。

amazonのディスガイアのレビューに、小学生が「ゲームってせいぜい中学生 までのものですよね。僕は中学生にまでなってやろうとは思いませんけど(笑)」 みたいな事を書いていて、大変ブルーになった。(笑)でダメージが倍加。 ちなみに私はどうも(笑)にいいイメージがない。全部(嘲笑)に見える。

2006年11月10日

授業6。コンパイル高速化の話。コンパイルが遅いのは設計が間違ってるからだ、 という暴論を展開。しかしいまいち無反応。アンケートを見る限りは みな理解できているようだが、本当なのかどうなのかさっぱりわからない。 前回は妙に評判が良くて面くらったが、 今回は評判すらわからない。アンケートもレスする必要があるものは一つも なかったし。なんとも困る。

次回は計算量理論とSTL。実はあまり言うことがない。 マジな最適化ではなく、アルゴリズムやデータ構造の選択を間違えないようにする、 という消極的な狙いしかないからだ。 vectorはまずreserveしとけ、とかいう即物的な事はたぶん パワポの最後に小技集みたいな感じで書いてはおくが、授業では扱わないと思う。 まずは計算量オーダーの感覚を身につけてもらわないといけないから、 それに絞ることになるだろう。 まあ今回も基本的な内容に絞った結果「全部知ってることだった」とか書かれて 微妙に嫌な気分になったりもしたのだが、 実は高度な内容の「高度」というのは「基本の後でやる」という意味にすぎず 内容が難しいという意味ではないのである。 ちゃんとした最適化をやる人にはハードウェアの知識やら何やら のそれなりな知識を持ってもらわねばならないが、 それは授業では到底無理で、自主的に勉強するのを期待するしかない。 そういうレベルになると授業というよりはディスカッションになるわけで、 そんなものは50人でやることではないのである。 授業は底辺の押し上げを目的としているわけで、 考えなしに3重のforループを書くのを思い留まらせられればそれでいい。

クラス設計実演大会、みたいなのもいいかもな。 1時間でどうにかなるテーマで、その場でライブ実装。 ぶつぶつ説明を口にしながら実装するってのは難しいが、 試してみるのも面白い。丁度8回目のネタはC#でのツール作りで、 スライドだけでは無理だと思っていたのだ。

PS3の消費電力は最大380W。XBOX360は最大254Wで実測だと165Wくらい。 あの熱くてうるさいXBOX360の1.5倍ってのは相当ヤバいんじゃないのか。 ところで、XBOX360のCPUは来年1Qあたりでプロセス縮小版の生産が始まるらしい。 ACアダプタがそれで小さくなるなら買いだなあ。

ディスガイアを買ってきた。これ、プレステか? 解像度が320x240に見える。

ルールをきちんと作ることで「世界」を作り、後は自由に遊べという コンセプト。安くておいしい。 そのへんの武器屋の店員がレベル84とかでHPが主人公の50倍あったりするし、 そのへんにいるドラゴンなんてレベル300でHPが26000とかだ。 つまり、ここまで上がるゲームだということが始まった瞬間にわかる。 第一話をクリアしてみて、ゲームが良く出来ていることはわかった。 寒いと評判のストーリーは確かに寒いが、別にそこは良かろ。 しかし、早くも莫大な作業の予感が。 アイテム界なんてとても無理だ。1階進むのでさえそれなりに時間を食うのに、 10階単位で一気にやらないといけないというこのルールはしんどい。 まあ序盤のレベルでは到底無理なのだが。

アイテム界というのはアイテムごとに発生する自動生成ダンジョンのことで、 深くもぐって敵を倒すとそのアイテムが強くなる。 なるほどそういう手があったかと思う。ここがやりこみのミソらしい。 しかし、あまりに遠い道程だ。

最大の欠点はカメラだな。用意された4つの角度のいずれでも 障害物がジャマで見にくいことが良くある。 高低差があるタイプのゲームなので尚更見にくい。

2006年11月9日

また4時だよ。授業の資料まだできてない。今までで一番やべえ。 ビルド高速化って、かなり高度な話題な気がしてきた。 そもそもC++の知識がそれなりにいるという段階で辛い。 それがどうにかなっても、 分割の原則を理解しないと単にお題目に従うだけになってしまうから きちんとした説明が必要だが、それがまた面倒だ。 単なるお題目集でも効果はあるだろうが、それは目指すべきところではない。

そういや、まだ頭の中がCの人が結構いるんだよな。 foo.cppとfoo.hが対になって存在してて、その単位でクラス一つを表現する、 というのはC++的なお作法であって、Cではそんな作法は生まれにくい。 うわー、完全にその構成を前提にした構成になってる。 どれくらいCな人がいるかがわからないが、とりあえず今回はこのまま 行くしかないか。 場合によってはC++初級講座みたいなのを別の機会にやるべきかもしれん。 freeじゃなくdeleteを使わないといけない理由を言える人が 半分いるかどうかはかなり怪しい。

2006年11月8日

Kanon5。怖ろしいほどの盛り上がりのなさ。 しかしじわじわと忍び寄る何かの存在感。 この連中はKanonを完成させる気なのだろうか。

奏光のストレイン1。もう一話見て路線を見極めよう。 しかしたぶんそれ以上は見ないと思う。

どっかの記事で読んだのだが、 PS3はPS2のチップを内蔵して互換性を確保するそうだ。 ただし、ソフトウェアエミュレータが完成し次第チップを外すつもりらしい。 これでPS2が動かないという最悪の事態は避けられたことになるが、 エミュレーションになれば互換性はかなり落ちるだろうから 初期ロットに人気が集まることになるかもしれない。

2006年11月7日

4時まで話しこんでた。

今日の仕事も尻拭い。

他人のコードを読まざるを得ない仕事はストレスが溜まる。 しかし、これはストレスというよりは使命感と言った方がいいかもしれない。 こんなコードを放置してはダメだ。 コードそのものというよりは、そういうコードを書いてしまうに至る状況がダメだ。

プログラミングの根本ルールはえらくシンプルなのだと思う。 分割統治はほとんど唯一の原則だ。 ファイルの分け方も、クラスの分け方も、そして仕事の振り方さえも この原則に従って決定される。 しかし、そのシンプルなルールにいつでも立ち帰ることができる人は たぶん少ない。そのあたりを教育する方法はないものか。 私のプログラマとしてのレベルは大したものではないはずだが、 しかしそれでもなおあまりに目に余る。

複雑性の総和は、各部分の大きさの二乗の和に、 部分間の通信の総数を加えたもので、 これが最小になるような分割が最良の分割である。 というような、エセ定量的な理解は基本方針をイメージする上で 大変な助けになる。のだが、そんな話をしてもたぶんダメだろうなあ。 なにせこれは私が勝手に思っているだけだし。

同人ゲーム作ってる話を聞いた。立ち消えず完成するといいなと思う。 そういえば私も同人ゲーの企画に関わっていた気がする。 まだ「終了宣言」は出ていないから現在進行形で関わっているはずなのだが、 立ち消える企画の特徴は終了宣言がないことだ。まあそんなものだろう。

ところでCDのプレスって安いのな。500枚でも15万くらいらしい。 なんか作ってみたいよなあ。

一応関わったゲームが2つ世に出ているわけだが、 悲しいかなどちらも友達に自慢できるほどの代物ではない。 最初のはPS2で12万ほど売れたがさんざん叩かれて半ばトラウマだし、 次のはゲーセンである上にスポーツでしかもあんまり売れてない。 今やってるのはそれの家庭用移植だが、やっぱり目立たない。

今週の授業はコンパイル高速化にかこつけて「分割」の思想を語る予定。 しかし、cpp一つごとに読んでいるヘッダをつなげてコンパイルしていくのだ、 ということから説明せねばならないだろうから あんまり丁寧な説明はできないかもしれない。 N個のcppがそれぞれN個のhをインクルードする最悪のケースの場合、 コンパイルの処理量はO(N^2)になる。 そして、現実に許容できる計算量オーダーはO(NlogN)程度であり、 O(N^2)になってしまった場合はだいたい何かが間違っているのだということを 実感してもらわねばならない。

2006年11月5日

「電波的な彼女」と「紅」を読み終えた。正直いまいち。 紅はたまに7才ヒロインのセリフがヒットするし、 確かに7才はかわいいが、 「7才である」ということだけでポイントが加算されるようなルールは ないのでそれだけでは辛い。とにかく全体にチープな印象が辛かった。 また、電波の方は紅よりも引っかからない。 話のフォーマットが普通すぎるせいだろうか。 あと主人公がよくわからない。というか、不良を使ってヒロインを暴行しようとした あたりでなんぼ途中で改心して阻止したとは言え私としてはアウト。 にしても、この人ので一番辛いのはネーミングセンスかもしれないな。 「柔沢紅香」あたりですでにアウト気味だったが、「堕花雨」 はもう完全にアウト。それでも読めないわけではないのだが。

頭の中で漫画にしてみたら、それほど悪くない。 演出でいろいろ加えてやらないとなんか足りてないのかもしれない。

まあ、ニャはロリだしな。気持ちはわかる。 7才のヒロインと一緒に銭湯、みたいな場面を 並び立てられては私とて冷静ではいられん。 かわいいのは認めるし、そこは評価する。 あと、7才にしては人間ができすぎているという点は、今回はマイナス。 都築先生の作品だとこれがプラスになるのが不思議だが、 もうあれはそういうものだということで納得できているというだけかもしれない。

2006年11月5日

心肺機能が弱すぎる。合唱で徐々に鍛えられはするだろうが、生温い。 やっぱ走らないとダメか。歌うことに消費する酸素の供給が間に合ってない感じ。

声帯って、弦みたいなもんか。 振動するものが堅いほど固有振動数が大きくなって高い音が出る。 振動するものが短いほど固有振動数が大きくなって高い音が出る。 声帯の筋肉を弦のようなものと思えばたぶんそんなに違わない。 振動するのは筋肉なので、 高い音を出すためには、筋肉を固めるか、筋肉を短くするかどっちかだが、 後者は機械的構造の問題なのてとりあえず無視。 とすると前者しか残らないわけだが、 これには喉を締める以外の方法もあるっぽい。 むしろ力を抜いて腹からエネルギーを流し込む感じの方が出るのは 経験的にわかっているからだ。しかしこれはつまり何をしているのだろうな。 共鳴がどうとか言う前に、声帯の操作そのものをもう少しなんとかしないと 上には行けない気がする。

ラが無尽蔵に出せないとテノールはやれないそうだ。そりゃ無理だな。 あと2半音上がればどうにかなりそうだが、2半音は辛いよなあ。 無限の距離にも感じられる。

うたわれを終わらせた。 ゲームはともかく、話やらキャラやらは楽しんだ。アニメでよくわからなかった ところもかなりよくわかったし。良作と言っていいと思う。 だがそれだけに何かが惜しい。

このゲーム、難易度は高くはないが、何度かは死んだのでヌルいというほどではない。 しかし、もしもっとゲームが面白ければもう少し難しくした方が良かっただろう。 「ストーリーを邪魔せず気分転換になる程度のゲーム性」 という意味では成功しているのだが、やはりそれでは物足りない。

2006年11月4日

アニメで言うところの23話くらいか?もう終わりそう。 ここのところずっとまともな戦闘がないが、 戦闘なんてどうでもいいので問題ない。 ちなみに全部攻撃力にふっておくと古参の連中はほぼ一撃でザコを殺せるし、 新参の連中でも二人でかかればやれる。そのかわりフクロにされると 一瞬で死ぬので突出するのだけは避けねばならないが。

アニメがずいぶんとアレンジしていたことがわかる。 アニメで削れられエピソードも多いが、シケリペチム、ナトゥンク、クンネカムン あたりの話はかなりふくらまされていた。アニメ職人は偉大だと思う。 あるいは原作は限られた数の静止画しか使えないので、ふくらませたくても 限度があったということかもしれない。 しかしその分ウルトリィやトウカのエピソードは充実していてゲームにはゲームの いいところがある。 これでゲームが面白くて操作性が良ければどんなにか良かっただろう。

まあ、ゲームも難易度は高くないので作業とは言えそれほど辛くはない。 シミュレーションRPGを素直に作ればまあこうなるだろう、という出来ではある。 一度作ってみたいジャンルではあるな。 月25万払ってくれるなら、1年くらいそういうのを作ってる会社に行ってみるのも 楽しそう。 まあ、そのためには手みやげに自分で一回作ってみるくらいのことは せねばならないだろうが。

2006年11月3日

カルラ来た。アニメで言うと10話くらいか? ゲームはつまらないが話はいいなあ。

2006年11月2日

明日の授業のネタはマルチスレッディング。 前回のようにデザイナを敵に回すことはないので比較的気は楽なのだが、 しかしうまく説明できるかどうかは不安だ。 理屈はむつかしくないが実践は困難、という 一見矛盾した性質をきちんとわかってもらいたい。 まあプログラマにさえわかればいいのだから簡単と言えば簡単なのだが、 なぜかデザイナや企画も何人か来るし、 そもそもプログラマであるということに私はあまり期待をしていない。

前回売った喧嘩を買われた。和気あいあいと笑顔を絶やさず 喧嘩をしようじゃないか。面白くなってきた。 議論は掲示板で行われるので誤解を生まぬよう細心の注意は必要だが、 これはチャンスなのだから積極的に利用したい。 つまるところそのログを見た第三者に考える機会を与えられれば十分な収穫なのだ。 もし私がヘタを打ってきまずくなり、 会社にいられなくなったとしても、辞めればいいだけのことで、 それは大した問題ではない。

でも、そんなに腹立たしいかなあ。 「おまえ一人の好みでシェーダとかを決めてる」と非難されたので、 「そりゃ私が研究から実装まで一人でやってるんだからそうなるでしょ。 嫌なら知識をつけてから文句を言ってくださいよ」 と返したところ、「だったらおまえも絵の勉強を一年くらいはするべきだ。 毎日3時間くらい練習しなさい」と返された。 しょっぱなから「は?何言ってんの?」 と返したいのはやまやまだが、それはまずいので 「プログラマ側にもデザイナを理解しようとする努力は必要ですね。 しかし分業は会社の原則ですから、必要以上に相手の仕事を知ろうとするのも 非効率です。とは言え確かに今の状態は理解が足りなさすぎますから、 もっと互いに歩み寄りましょう。 その意味でもデザイナの方にも授業をお願いしたいですね」 というあたりをベースに考えてみよう。あまりジェントルすぎると スルー感が強くなるので匙加減が難しいのだが。

まあ、今作ってるゲームの絵がこうなったのは、リスクを回避するために 不確実な手法を避けたという点もあるが、それ以上に私の能力不足による 部分が大きい。個々の技術を実用的なレベルに持っていくまでに時間が かかりすぎた。つまるところ余裕がない状態で要求なんて聞けるわけがないのである。 話をわかりやすくするために敢えて「できるが敢えてデザイナの要求を切り捨てた」 と聞こえるような言い方をしたわけだが、それが反発を生むのはわかっていた。 ただコストやリスクという概念があまりに軽視されすぎている現状を考えて そうしたのである。その選択は私の責任だ。結果は引き受けなくてはならない。

覚悟足りねえなあ。非難されるとやっぱり気が重い。 へこむくらいならやらなきゃいいのだが、今回は使命感のなせる業ということ にしておこう。だってな、安く作らないと好きなもの作れないんだよ。 それ以上に重大な事実なんてどこにもありゃしないのだ、と私は思う。

まあいい、レスは良く考えてからつけよう。

おとボク4。今回えらい良かった。しかしまあ、瑞穂ちゃんはすっかり女の子である。 母性本能に目覚めたことを自覚して落ちこむ瑞穂ちゃんが見られないのは ちと淋しい。

ニャに薦められた「紅」を読み始めた。どうなんかなあこれ。 ちょっと設定がチープすぎないか。 まあ、それが気にならなくなるくらい何かがいいなら文句はないのだがな。

「もっとやれたんじゃないか」と言われると痛い。それは事実だし、 自分でもそう思っているからだ。事実として私は全力を尽さなかった。 しかし、全力を尽さないようにしようと思って意図的に尽さなかったわけではない。 他の多くの人と同じようにただ結果として全力を尽さなかったというだけのことだ。 こういう漠然とした悔いはどこまで行ってもなくならないものだから 考えないのが一番いい。いい、というよりそれ以外にどうしようもない。 しかし、こうやって人に言われるとさすがに考えてしまう。 もしかしたらものすごくがんばれば 「オレは全力を尽した」と本気で信じられるくらいの 自負が得られるのかもしれない。 「総合的に言って、まあ良くやったと言っていいと思う」 なんていう歯切れの悪い台詞を言わなくて済むのかもしれない。 だが、それほどの努力を私は自分の意思だけでやれるだろうか。 やれるはずがない。やれるはずがないのだ。

ラ・フランスうめー。最近あさごはんは梨かりんご。

授業終わり。おおむね好評。


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