だだもれ

2006年10月31日

ばあちゃんの誕生日を祝ってきた。 そしてついでなので昔の話をいろいろ聞いた。 なんかすごいリアリティ。 母方の祖父母にも聞いてみたいのだが、 娘すらそういう話を聞いたことがないという話なので、 ものすごく思い出したくないことがあったのではないかと思ってしまう。 でも、ここ何年かそういう話になりそうになる頻度が高くなってきている気はする。

また3時だよ。まあ仕方ないよな。なにせ大詰めだ。 でも、まだ出てない要素があるらしい。まだ尻拭いは続きそうだ。

村上龍「愛と幻想のファシズム」をようやく読み終えた。 最初は「頭の悪さが足りない野望の王国」というような印象だったが、 「頭の悪さは足りているが何か微妙な野望の王国」 という印象に落ちついて終わった。 前半からかなりひどかったが、後半のハッタリ度合は目に余る。 当時はこんなハッタリが通用したのかと愕然としてしまった。 リングにかけろの「mv^2/2」と大差ない。そしてラストも微妙。 どう書いてもどうにもならないと踏んで曖昧なままにしてしまったのだろうか、 などと勘ぐってしまう。

うたわれ1面。ダメージの計算式を推定してしまわないと。

うたわれ、意味のない選択肢がうっとうしい。あと、オートモード ないってどういうことよ今時。

うたわれ。エルルゥとハクオロさんの会話が、まんま中の人の会話に聞こえる。 つうか、やってることも同じじゃん。

トゥスクルの物真似、吹いた。この人、モノマネは本当にダメだわ。

2面。ムティカパ様。操作ミスでエルルゥを倒されたが、間に合った。

ササンテ撃破。

このゲーム、能力値割り振りがかなりクリティカル。 攻撃は最大の防御であり、集中力を研ぎ澄ませて読み切れば それが一番効率がいい。そう考えれば攻撃力が最も重要だが、 それほど真面目にこの手の将棋ゲームをやるのは疲れるものだ。 とすれば、防御力を固めて長期戦に持ちこむのもまたありうる戦略となる。 エルルゥで回復可能な範囲にダメージが収まるならば、 攻撃力はいくら低くともダメージさえ当たれば問題ないからだ。 しかしこれは敵にも言えることで、回復能力のある敵が出てくれば この戦略は通用しなくなる。結局未来の敵の配置がわからない以上、 できるだけ得意不得意がない平凡な能力値を作るのが安全ということになる。 敵に弓兵が出てくればこちらの弓兵もダメージを受けることになるので、 やはり防御も軽視できない。

それにしても、シミュレーションRPGはどうすれば面白くなるのだろうな。 何かゲームの肝のようなものがないと、どうしても作業になる。 今のところかなり作業。 FEのように1点単位で完全に予測しないといけないほどの厳密さはないので 気は楽だが、しかしその分だけ何か大きな戦術要素があるのかと言えばそうでもない。 単純に単調だ。 キャラが増えてくれば多様性も増すだろうが、 キャラごとに経験値を持つタイプだから、 そうそうポンポンキャラを入れかえられず、ある程度固定せざるを得なくなるだろう。 まあ、まだ序盤だ。そう悲観的になることもあるまい。

なんというか、一手一手の価値の問題なのだよな。 決定的な一手のようなものがない。 「そして次におまえは○○と言う」みたいな決めゼリフを吐きたくなるような、 そんな一手がない。結局経験値のことを考えると可能な限り敵は殺さざるを得ず、 その結果一匹づつ袋叩きにすることを繰り返すことが基本戦術になる。当然単調だ。

2006年10月29日

授業は録画している。 当然私は見ていない。そんな恐いものは焼き捨てたいくらいだ。 しかし、自分の声を聞く機会なんてめったにないのだから ちょっとくらい見てみた方がいい気もする。勇気が出たら見よう。

そういえば前回はちょっとヤバいところもあった。 インタビューされてる某チームの手法をどう思いますか、 みたいな質問に対して「嫌です」とか言っちまった。 いや、別に価値がないとか言ってるわけではない。 実際よくあそこまでと感心していて、焦りを感じたりもしているわけだが、 それはそれとして自分でやることを考えるとどうしても二の足を踏んでしまうのだ。 近似手法の適用は適用範囲が良く研究されたものに限りたいというのが 正直なところである。検証の手間が恐ろしい。 まあ次があれば次はもう少しいろいろできるだろうが、 もしデザイナがごっそり違う人であれば全てがやり直しになるので それもかなうまい。プログラマが実装することは比較的容易なのであって、 問題は許容できるコストでその手法をデザイナがうまく使いこなせるかどうかなのだ。 そこに期待できない場合はできるだけ単純な手法を汎用的に使って 絵作りをするのが妥当だろう。 選択肢が少ない方が品質が高まるということは往々にしてあるものなのだ。

2006年10月28日

アンケートにレスしてたり、尻拭いを終わらせて新たな尻拭いの 準備をしたりで、朝6時。

2006年10月27日

授業。デザイナに喧嘩売りまくり。 クォリティを上げる努力を否定したように聞こえたかもしれん。 しかし半分以上はわざとで、 コストvsクォリティという対立軸を明確にするという目的だった。 しかし実はコストと品質はトレードオフの関係にはない。 そうであるような作り方も確かにあるが、 それなり以上の品質のものを前提としている開発においては コストを下げる努力は品質向上の機会を作ることにつながる。 さんざん長引いて人も大量に投入した作品がえてして びっくりするくらい品質に問題があったりするものだ。 結局おかしな開発体制や低い開発効率は品質を下げ、かつ、コストも上げる。 いろいろな実験をして品質を上げる努力は、 その努力にかかるコストを許容するだけの余裕を作って始めて 可能になることだ。また、リスクという概念をデザイナは軽視しすぎる。 実装そのものが簡単であっても、それで良く見えるための 調整に時間がかかるという危険があるのだ。 「パラメータを調整すればいいんでしょ?」とデザイナは言うが、 一般に、調整するパラメータが2倍になると手間は2倍よりも大きくなる。 その調整を効率良くやれるようなシステムやツールの整備が あって始めてそういうことを許容できるのだ。 実装そのものが簡単だからといって即採用して良いということにはならない。

そういう話をすると「プログラマの都合と好みで言ってるようにしか思えない。 リスクやコストの話は言い訳だろう」 なんてアンケートに書かれるわけだが、それは仕方ないし、 狙い通りでもある。対立があって、そこから対話を経て 相互理解に至るのだ。最初から下手に私が歩み寄ってしまっては 何が問題かがわからなくなってしまう。 要するに私は悪役を買って出たということになるのだろうか。 もちろん私だってそれなりにはがんばったしいろいろ工夫もしてるんだが、 それはあまり言わなかった。 ほぼ毎日日が変わるまで働いてやってきたことを 怠慢呼ばわりされるのは腹立たしいが、今はそれでいい。 この会社の最後の仕事のつもりでいたりもするしな。本当にやめる度胸が 私にあるかはまだわからないけれども。

あーでも、こんな生臭いこと言ってちゃ取材に来てくれるようなゲームは 作れんよなあ。

おとボク3。やっぱ脚本気になるよ。敬語変だもん。 敬語以外も日本語が変で、「もう一度再考」とかありえない。 あとこれは言葉の話ではないが、 なんか瑞穂ちゃんがかわいくない。絵とか声とかじゃない何かが足りない。 なんというか、このアニメには匂いが足りてない。

うたわれるものを買いに行けなかった。明日も仕事をサボるわけには行かない。 文句なく終わらせてさっさと帰るのが吉だ。そう簡単には行かないだろうが。

2006年10月26日

私って有能だなあと思うことが多いのだが、 同時に私にはできないことがたくさんあることもだいぶわかってきた。 総合的な人間力では隣に座っている人には逆立ちしてもかなう気がしない。 それがわかっただけでもこの会社に入った甲斐はあったと思える。

わたしたちの田村くん。その引きは反則。続き買わなきゃ。

身悶えするような恋愛物は女性作家の専売特許なのか。 竹宮ゆゆこ作品は、たぶん未だに恋愛に幻想を持っているであろう 誰かさんに極めておすすめ。頭の悪さが評価を邪魔することもなさそうだし。 多少ギャルゲーくさいけど、まあいまはそういう時代だ。

某チームへのインタビューがwebに出てた。 うわーうらやましーとか思うが、 あんなすごそうな記事にはならんなあ。 つうか、私もあれ読んで本気で「すげえ!マジか!」 とか思ってしまった。それにすごく焦りがある。オレ、ヤベエ。 考えれば考えるほど何かイマイチだ。 「ギリギリを目指しました」なんて言えないもん。なにせ目指してないから。 それなりにいろいろ試すには試したんだが、いまいち使い物にならなかったり、 素材を作るのが面倒くさすぎたり、デザイナに理解させるのが絶望的だったりと、 いろいろ欠点があって結局普通の手法に落ちついてしまった。 まあ、自慢したいこともあるのだが、 それが自慢になるということ自体を説明することができない事情があるので、 結局自慢できない。まあ、そういうことってあるよね。大人の社会だし。

明日の授業も「クリエイターとか言う前にまず間に合わせろ」 「階段は一段づつ登れ」「初心者は独自の工夫なんてする前にまずパクって慣れろ」 みたいな美しくない話になってしまうわけで、 なんか自分がすごい汚れてるような気がしてきた。 手間がどうとか言ってないでギリギリを目指すその姿勢はやはり美しいのだ。 でもなあ。いいよ。私はヨゴレで。だって、間に合わないともうからないじゃん。 ちゃんとコストと期限を守るという条件の範囲内でできるだけのことをすればいいさ。 その範囲なら土日も出るし、こうやって毎日でも日が変わるまで働いてやる。 私個人がやれるだけやるのは勝手だが、 他人にまでそれを強いるようなシステムを組むわけには行かんのだ。 新しい技術を実装した直後なんかはついそれを忘れそうになるから 注意しないといけない。

何日か前に書いたグチの話だが、今私がやっている尻拭いの仕事は 本来私に全然関係ない仕事で、本来の担当者と私は ほとんどやりとりをしない関係だ。 だから、そのようなシステムが作られていることは 私には知らされなかったし、知る必要もなかった。 にも関わらず今こうなっているのは、 この大詰めの時期になってまだできていないことが発覚し、 本来の担当者が手一杯で、かつ私が先にヒマ気味になってしまったからである。 つまり、聞いたこともない種類の仕事をいきなり割り当てられたわけだ。 だから、「私がやっていれば」というのは無茶な仮定なのである。 なにせそんな仕事があることすら知らなかったわけだから。 しかし、実のところ前にも似たようなことがあって手伝ったことがあったわけで、 普段から他の人の仕事がどうなっているかを見ておくのは悪くない。 私にそんな責任がなくてもだ。 システムを構築している時期は他の事なんて考えたくないので無理だが、 システム構築は当然早い時期に落ちつくはずだから、 その後は比較的余裕ができる。その余裕の使い方を もう少しプロジェクトの利益になる形にしてもいいだろう。 自分の責任を果たせばいい、 という時期は気がつかないうちに終わってしまっていたのである。

2006年10月25日

メールの返事は後日。今日はもう4時過ぎてるので。

つまらない仕事ははかどらない。本当にまるでできてないことがどんどん 明らかになる。 でもそのくせ歴史的制約がいろいろあって、他人が作ったファイルフォーマットを 解析したり、設計思想が理解できないクラスのコードを読んだりしないといけない。 結局それが嫌になってほとんど一から作り直してしまったのだが。

2006年10月24日

ありえない。他人から回ってきた仕事が、相当ありえない状態であることがわかった。 データの変換ツールから作らないといけない状態。 一応あるにはあるのだが、1ファイル処理するのに10分とかかかる。 ファイル100個とかあるんだぞ。ありえねえ。 ファイルを開くアプリケーション側のクラスも含めて根こそぎ 新しく書くことにした。

そんなわけで、エクセルのデータを所望のデータ形式に変換するツールをC#で 書いているわけだが、異様に遅くてびっくりした。セルを一個づつなめて 取り出そうと思ったが、明らかにセル数に比例した時間がかかる。 考えてみれば、エクセルは別プロセスで起動しているのだ。 とすれば、たぶん各関数は中でプロセス間通信をして 別プロセスのエクセルに何かをさせているのだろう。 1000のオーダーで呼び出すようなことをさせるのはマズそうだ。 エクセル上で動くVBAで片づければ問題ない速度で動くのは わかっているのだが、エクセルの明示的な起動なしで 事を済ませられることにはやはり利点がある。 というわけで、別プロセスのエクセルはタブ区切りテキスト形式で 一時ファイルにセーブさせることだけに使い、改めて読みこんで そこからデータを作ることにした。 xlsをcsvやら何やらに変換するライブラリがあればもっとスマートに行くのだが、 探した範囲では見つからなかったのでとりあえずはこれで行く。 最後にセーブしたファイルにロックがかかっていて開けられないとか、 すでにそのファイルがあるとメッセージダイアログが出て 自動化がブチ壊しになるとか、いろいろあったがどうにか回避。 明日はやっとエクセルに関係ないところを作れそうだ。

元々の担当者がやればもっと簡単に終わるだろうにと思うが、 別にやることがあるというのであれば仕方あるまい。 私はエクセルへのアクセスの仕方から勉強せねばならなかったわけで 非効率ではあるのだが、私の時間が相対的に安いと判断されれば 私に振られるのは道理だ。そう思うことにする。 そういえば前もエンド寸前になって他人が作ったものを根こそぎ 書き直したことがあったなあ。 やはり毎回そういう目に遭う運命なのだろう。 コードフリーズ数日前にこれというのはあんまりな仕打ちだと思うが。

2006年10月23日

うたわれらじお15。なんか今回いつも以上に恥ずかしいぞ。 なにこのラブラブ度。

ああー!声優の収録横で聞きてえ!なんで行かなかったかな4年前のオレ! 若本さんとかいたってのに!普通にしゃべっててもかっこよかったとか 言ってたし! あー。くそー。今回のゲームは声優私達だしなあ。 フンッとかハァゥとか言いましたよ。でもなんか誰が誰の声だか わからないんだよな。エフェクトいろいろかけてるし。 私の声は入ってないかもなあ。

とりあえず26日にはゲーム買いに行こう。 やっと出るしなあ。 って、その日授業の日じゃん。早退できねえ。なんてこった。

開運はもう3ヶ月以上放置してるのに未だにいい匂いがするし、 味もますますおいしくなっている気がする。 同時期に放置しはじめた緑川はさすがにバランスが崩れている。 やはりこういうところにも造りの良さが出るんだろう。

2006年10月22日

南浦和から歩いて帰ろうとして渋谷で挫折。 やっぱり休憩を軽視すると豆ができて本当の限界点よりもはるかに早く 限界に来てしまう。何よりも休憩が大切。 しかし、22時出発で渋谷着が4時半だから、仮に順調に行っても 家に着くのは8時以降になる。 前回は午後4時ごろ起きてそのまま出発して朝までだったので せいぜい14時間程度しか活動していなかったが、今日は 普通に11時に起きて拳法、合唱1、合唱2と活動した後だから 連続活動時間が17時間を越えている。その上荷物も若干重いし ミットも持っている。 それを考えればこんなもんかもしれないな。 そういえば板橋あたりを歩いている時に一回心が折れそうになって どっかで始発まで待てないかと本気で考えたりした。 確かあのあたりに知り合いが住んいでた気もしたのだが、 いきなり連絡するのもなんだしと思ってやっぱりやめた。

にしても、東京にそれなりに知り合いがいるはずなのにまるで会わないな。 むろん会おうとしないからなのだが。

村上龍の「愛と幻想のファシズム」を読んでいる。まだ上巻すら終わってないが、 とりあえずの印象は「何このハッタリ小説」みたいな感じ。 なんつうか、能絛のゴッドハンドを思い出した。 経済がどうとか言って それなりに緻密な雰囲気を出そうとはしているが、 この人の経済は荒山先生の朝鮮みたいな感じであんまり緻密に感じない。 もっとも、つまらないわけではなく、この広げきった風呂敷をどうやって 畳む気なのかはかなり気になる。

PowerVR。考えたら頂点シェーダ通すまで画面のどこに書かれるか わからないのだから、本当に無駄なフィルを避けようとするなら 全頂点を頂点シェーダに通して結果を保存してから ピクセルの処理を始めないといけないことになる。 溜めておく場所の問題や並列性のかねあいもあってそこまでは しないのだろうが、そこをいいかげんにやればやるほどピクセルの 重ね書きが発生しやすくなるし、半透明のソートは不正確になる。 そこをどう解決しているのだろうな。 触る機会がなかったのでわからないが、 それは間違いなく幸運なことだと思う。

説明の仕方の話。考えてみたら、640x480と良く言うが、 その乗算を実行してみたことがある人は極めて少数なのではなかろうか。 だから、「点の数は横の点の数かける縦の点の数で、解像度の640x480というのは 横に640個、横に480個点があるということですから、つまり640x480という解像度の 画面には640かける480で25万個くらいの点があるのです。」 というくらいに詳しい説明をする必要がある。 「640x480」という「名前」で呼ばれる解像度の画面には点が640x480個ある、 というのは自明ではない、という認識が必要だったのだ。 つまり、 640x480という数字を、数字でなく文字列、つまりは名前として見ている可能性は高い。 そもそも、解像度という概念を持っていない可能性すらある。 バカにしすぎかとも思うが、それくらいの疑いを持って説明の方法を考えていかないと たぶんダメだということは間違いない。 わからなかったら質問してくれればいいのだが、 人間は質問しないものなのだということを改めて実感した。 だから、質問されないということを前提にしてギリギリまでレベルを下げて説明 する。一つでもわからないことがあるとその先の理解をあきらめるという 習性があることを考えれば危険は犯すべきでない。

なんてことを考えれば考えるほどムカついてくるのだが、それはそれだ。

仕事しに行ったが、いろいろと嫌なことがわかった。 データをぶっこむのに人手が足りんから頼む、と言われたはずだったが、 そもそもデータをぶっこむ経路というかシステムというかが まったくできていないことが判明した。これから作らねばならない。 ふざけるな。この時期まで放っておくなんておよそありえない。 とりあえず関係者が全員揃わねば何もできないので 今日は帰ってきた。明日関係者を一通りなじってから 一挙に終わらせる。明日一日で片づけないと今週の授業の準備ができん。

他人との相互作用イコール効率の低下というイメージが 私には厳然としてある。人にやらせるより自分でやった方が速いし、 人を教育する効果の不確実性は耐え難いものだ。 しかし、一定以上の規模になればそうは言っていられなくなる。 問題は私がそのような規模に責任を持つ立場になりたいかどうかだ。 私が自分の仕事だけで満足して、それが全体の中でどう位置づけられるかに 興味を持たなければ下っ端のままでもいいのだが、 全体として品質や開発効率に問題がある状況は見ていて腹立たしいわけで、 それらの非効率を改善する権限がないことにはやはり苛立ちを覚える。 偉くなることを選んだ人はきっとその苛立ちが大きな人なのだろう。

働きマンを見ようとしたが、ものすごい拒否反応が出たのでやめる。 出来がどうこうとかではなく、なんかそういう職場の話を見たくない。

なんかなし崩し的に土曜夜の合唱団に正式登録されてしまった。 嫌でもないし有益なんだけど毎週それに縛られるのもなあ、 みたいな微妙な感じでいた結果がこれである。 なので、これからは土曜は午後以降丸ごとつぶれる。 第九の練習が土曜主体になってしまったので逆に日曜は空いたのだが。 でも、毎週確実にあるわけではないっぽいので、 なんかあったら誘ってください。おもろそうなら練習サボるし。 基本的に実家に帰るなどの特殊イベントは練習に優先するという 自分ルールでやっていく予定。

にしても思うのだが、やっぱり根本的に私は歌を上達させたいわけではないようだ。 デカい声とか高い声とかが出したいだけで、他がおまけなのはあんまり変わってない。 合わせて音楽やるならむしろオケの方がおもろい気がする。 でも合奏は無理そうだしな。

低音なら胃あたりから上を全部振動させられる気がしてきた。 しかしそのためには胴体を望ましい形に保つ必要があり、 腹筋及び背筋の下の方が必要な気がする。 腹から出すと良く言うが、むしろ 「腰を入れて声を出す」と言った方がわかりやすい。 大根ひっこぬく感じで。これも拳法と一緒かもしれんな。

蒼天の拳。ダメだこれ。もう見てらんない。 いや、まあ、ある意味では面白いのだが、この面白さの種類は嫌だ。

作画崩壊との呼び声も高い夜明けな。2話は見てないが3話を見てみた。 なるほどこりゃひどいな。2話ってこれよりひどかったんだろうか。 まあ、今期のギャルゲー作品はおとボクだけで十分だ。他は切る。

ヤマトナデシコ七変化。視聴終了。3話にして決定的に絵が破滅した。 加えてこのノリももう見飽きた。 ときメモ。見たくならないから見ない。いや、1分くらい見てみたが、 ものすごい拒否反応が出た。らぶドル。これも見ない。

私がやれば1時間で終わることに別のある人が5時間かかるとする。 しかしもし私の一時間のコストよりもその人の5時間のコストが 安ければその人がやるのが正しい。それが比較優位というものだ。 だが、出来たものの品質がそんなコストの問題を吹き飛ばすくらい重要なことは 結構ある。結局そのシステムの効率はいろんな人の作業効率に 大きな影響を与えるからだ。 メッセージウィンドウに出すテキストデータをどう作ってどう読みこんで どう画面に出すか、というような大したことのないシステム一つ取っても、 適切なシステムと不適切なシステムの間には天地の開きがある。 そして実際今になって私が作り直すハメになっているわけで、 だったら最初から私がやるべきだった。 だが、それでは人が育たない。

少年陰陽師。悪くはないけど、面白くもない。

2006年10月21日

なんか他人の仕事が回ってきた。ああ最悪。 しかし、これを一瞬で終わらせれば私の株も上がるな、 などと思ってワクワクしていたりもして、我ながら度し難い。 なので日曜は仕事。

秋葉原エンタまつり。ゆるせん。

シュヴァリエ8まで。こういう史実にウソを混ぜて娯楽にしてしまう 才能は大したものだと思う。要するにこれ伝奇なんだよな。

2006年10月20日

ドリームキャストなどのPowerVR系のグラフィックチップは 半透明ポリゴンをハードウェアが勝手にソートするという 今考えるとおよそありえない機能を積んでいた。 あれは、画面を小さなタイルに分割して、そのタイルへの書きこみ要求を 全部並べて本当に書かないといけない分だけ書く、 という動作をすることでピクセル書きこみを軽減するしくみだ。 その副産物として半透明ポリゴンのピクセル単位ソートという 凄まじいマネが可能になっていたわけである。 その記憶がいまだ消えないデザイナの人々は 今のハードウェアが半透明をソートしてくれないことに対して頻繁に不満を言う。 「ドリームキャストにできたことがなんで今できないの?」 というわけだ。しかし、今それが主流でないことには何か理由があるのだろう、 ということくらいは想像してほしい。

もし仮にシェーダ実行可能なPowerVRが出るとして、それが XBOX360の分割レンダリングみたいなことをもっと細かい単位でやっているだけ、 と考えて良い仕組みだとしたら、頂点シェーダを通る回数は莫大になるはずだ。 複数のタイルにかかった三角形の処理は、そのかかったタイルの数だけ重複するだろう。 スキニングのような重い計算を頂点シェーダでやっていたら どうなるか考えただけで恐ろしい。 また、ピクセルシェーダの実行の効率も悪いはずだ。 一つのタイルの中で10種類のシェーダが必要とされた場合、 タイル単位でシェーダを10回切り換えねばならない。それをタイルの数だけ くりかえすハメになる。 ユーザから透過的にそれを行なうには、シェーダ切り換えの度に行われる シェーダ定数設定もチップ側で全て覚えておく必要も出てくる。 さらに、そもそもユーザが全描画命令を投げ終わるまでは 処理を開始できないということになりかねない。さすがにそんなことはないだろうが、 理屈だけ言えばそうだ。ユーザが全部の描画命令を出し終わらねば 並べ換えもできないし、どのピクセルが本当に必要かもわからないのである。 これは並列性を大きく損うだろう。 まあこれらの考察は所詮推測で、実際にどうやっているのかはわからないが、 素人目にも面倒くさそうなのは予想ができる。 NVIDIAもATIもそんなやり方を採用していない、というだけでも 無理があることが想像できそうなものだ。 確かにチップ内のメモリでやれるくらいの規模のタイルに処理を分割すれば、 外部メモリへのアクセスを書き出し時の一回だけで済ませられるから、 VRAMが遅くても大丈夫という利点はあるかもしれないが、 元々無駄に重ならないようにユーザ側で考慮して描画すれば そういった利点はどんどん小さくなる。 それに、テクスチャ読み出しは結局外部メモリからやらざるを得ないのだから、 高速なVRAMなしでは性能は低下するだろう。 まあ、そのへんをどうにか解決しているからこそ売り物になっている のだろうが、なんとも信用できん。PowerVRの後継は 携帯向けとかにかなり採用されていて、 実は地味ながら結構メジャーな存在なのだ。 しかしそれがゲーム機やPC向けには出てこないところを見ると 性能に関しては全然ダメなんだろう。

2006年10月19日

PS3。Linuxは別売か。まあそうだろうよ。 しかしそれでも、勝手に同人ゲーを作ってバラまいていいということになるなら 歓迎だ。とらのあなにPS3のゲームが並ぶ光景を見たいし、 できれば私も参加したい。だいたいコツはわかったし。 しかし最大の問題は焼いたDVDからゲームを起動できるかどうかだな。 Linux上のコマンドラインで起動、なんて話になると 一部のマニアしか触れない代物になる。 Linuxが入っていない普通のPS3で起動できねば意味がない。 それをやる勇気があの会社にあるかどうかは甚だ疑問だが。

たぶんダメだろうなあ。HDDへのアクセスとかの規約を同人ゲーで守らせるのは 無理だろう。Linuxが動く領域の中に限ればファイルアクセスを好き放題 にできるだろうから、やっぱりLinux上で動くだけになるんだろうな。

授業。いまいち。人少ないし、寝てるし、アンケートの回収率は悪いし、 アンケートに匿名は多いし、むつかしかったとか書かれるし。 あー悔しい。練り込みが甘かったか。今回扱ったのは、 GPUのスペックの読み方と、テクスチャフィルタリングの説明と、 FSAAの紹介と、Zバッファの説明。 申しわけないくらい低レベルな項目ばかりだと思っていたが、 どうもGPUスペックの説明が不親切すぎたらしい。 「32GB/sの帯域を持つメモリで 1920x1080x4バイトのバッファを一枚コピーするのにかかる時間は、 1920*1080*4/32Gで0.0005秒くらい。これは60フレームのゲームで言うと3%。」 みたいなのの説明ってどうやったらわかりやすくなるんだろうな。 「時速100kmの車が20km進むのにかかる時間は12分」 というのと大差ないレベルの算数なのだということをまず理解させるべきか。 いや、細かい数字には意味がなく流れを理解すればいい、 ということをまず理解させる方が先か。 この例で言えば、「要するに帯域という性能を表す数値があって、 この数字から実際にゲームでやる処理がどれくらい食うかを試算できたりするんだよ」 ということだけわかってくれればそれでいいわけだ。 やはりそう明示的に言うべきだったのだろう。 だが、具体的な計算例の一つも出さずにそう言っても仕方がないわけで、 やはり計算例は出さざるを得ない。しかしスライドに数字が書いてあると引かれる。 どうすりゃええんじゃ。

とりあえず、数式(というかもはや数字)は鬼門だ。 いや、ゆっくりやればおそらく理解させることも できるのだろう。しかし、アンケートに「数字とか出てきて難しく感じた」 とか書かれるくらいだから、たぶん数字を出した段階で少なからず 拒否反応が出ている。寝ている人の数がそれを物語っていると言えるだろう。 それに、目的は数式を理解させることではなくて、 その数式が意味するところを理解させることだ。 数式を使わずに済まそうと思えば定性的な理解で良しとせねばならないが、 それでいいのだろう。しかし、「帯域が広いほどテクスチャが貼れます」 「帯域が広いほど解像度を上げられます」というくらいなら いちいち帯域というものの説明をする必要などないではないか。 難しい。物を教えるってのはこんなに難しいのか。

根本的に扱う内容と聴衆がマッチしていないのだ。それは理解している。 ぶっちゃけ絵のうまさで勝負しているデザイナや、 おもろいことを思いつくことで勝負している企画に GPUの帯域の話をしてどうなるものではない。しかし、 デザイナにも「なんとなく」くらいには理解してもらわないとこれからはマズい。 帯域という資源があって、それに制限があることくらいは知っていないと なんでミップマップを作らねばならんのかとか、 そういうことをきちんと理解できない。理解できないお約束が守られないのは 過去の歴史が証明している。では企画の人はどうかと言えば、 ぶっちゃけ別に知らなくても困らない。困らないが、 プログラマやデザイナと話す上でも、見る目を養う上でも、 ある程度は広く浅く知ってもらいたい。 それに、そういう技術的な話に拒否反応を起こさないように訓練する、 ということ自体に価値がある。「難しいこと言うなよ」と言って 話を聞くことを拒む企画が普通に存在していることは益にはならない。 今回来てくれた人はやる気がある人なのだろうから、 できるだけ大切にすべきだと思う。

来週は今うちのチームで作ってるものの絵作りがいかにして今の形に定まったか、 ということを説明するのだが、これがまた困難だ。 ストーリーがある分聞きやすいだろうが、 そのロジックを理解するにはかなり多くのものが必要とされる。 わかった気になるのは簡単だろうが、ちゃんとわかるのは相当困難だろう。 我々の思考と実験の流れを辿ってもらわねばならないのだ。 「もっとデモをやれ」という意見が最近多いが、 次回はデモなんてやりようがない。過程でボツになっていった実装なんかは もう残っていないし、仮にプログラムがあっても それに対応した素材は残っていないから見せられない。 そんな状態で、没になった数々の技術を紹介するのは無茶もいいところである。 結局相当大まかな所だけで良しとせねばならないが、 そうしたらそうしたで「抽象的な話で難しかった」とか言われるわけで、 具体例を示すことは絶対に必要なのだ。 かといって、SH展開によるグローバルイルミネーション近似なんかを 出したところで、「ふーん」という反応がせいぜいだろう。 なにせ理屈の説明なんて不可能だからな。相手がプログラマでも無理だろう。 どうすりゃええんじゃ。

とりあえず、自分が知っていて相手が知らない可能性がある項目を 洗い出していく作業をもっと丁寧にやろう。 かなり真面目にやっているつもりではあったが、まだ不十分だ。 用語だけじゃなくて概念についてもきちんと洗い出さないと。 「ポリゴンが小さくてテクスチャの縮小を伴う場合にフィルタリングが必要になる」 という説明をする際に、私の中には「ポリゴンを遠くに書けば小さくなるから 縮小はありふれた現象であり、縮小の際の処理の説明は必要」という 自分でも気づかない隠されたロジックがあった。 しかし、もしかしたら「遠くに書く」ということと「縮小」の間に リンクがない人がいて、「なんで縮小すんの?」 とか思っていたかもしれない。こういうのがマズい。 必要である理由がわからない項目を理解するのは極めて困難だ。 だからそこは最優先で洗い出す必要がある。あとは能力的な問題だな。 「時速100kmの車が5km走るのにかかる時間は5/100時間である、 ということが即座に理解できる」という前提は妥当ではない。 それが妥当であれば、あれほど「難しい」とは言われなかったはずだ。

今から気が重い。毎週終わった後は胃が痛いわけだが、今日は特に悪い。 なるほどこれがストレスかと思う。自分が恥をかくだけならまだいいが、 来た人がつまんなそうだったり寝てたりするのを見るとどうにも いたたまれなくなる。なんで私こんなことしてるんだろ。 あと5回もある。だが、あと5回だ。それにこれは確実に私にとって経験になっている。 名声が高まるかどうかはわからないが、多少は名も知れるだろう。

あと、ちょっとしたがっかりがあった。そのがっかりはそれほど深刻な ものではないのだけれども、結構がっかり。

Project Blueとかいうのを見た。昔のSFのアニメ化。 絵柄そのものは今風だしCGもバリバリなのだが、謎の円盤とか、 パイプとか空にのびてるいかにもな未来都市とか、 そういう昔SFテイストがかなり強調されている。 なんというか、扱いに困る。もちろん出来が悪いとは思わない。絵も綺麗だ。 しかし、今更そんな昔テイストなものをやられても困る。 懐しいとも思えないし、笑えるわけでもない。 ハイビジョンでウルトラマン見てるような違和感。 なんというか、ネタくさく感じられていかん。 というか、前半の終わりのアオリ文句とか、次回予告とか、それネタだろ。 なんだかなあ。

2006年10月18日

急にたまねぎのスープを作りたくなったので作った。 今一つうまく行かない。 たまねぎを炒めて、湯を足して、塩とこしょうで味を整えるだけなのに難しい。 とりあえずわかったのは、 濃度が高すぎるとたまねぎの甘味が激しく押しつけがましい代物になるということ。 中一個あたり1リットルくらいに薄めてもいい気がする。 あと、油入れすぎた。ちと重い。 味としてはやはり何かが足りない気がするが、 それは動物性の強いダシに慣れすぎたからという気もする。 とりあえずもう一度だ。

豆を煮て作るインド風のスープがあって、 ただその豆を水で煮てもそれなりに食える。しかし、それなりだ。 どうも味が単調でいかん。 トリガラでダシを取ればおいしくなるのはわかっているが、 そんな面倒なことはそうそうできないし、 自分で作るものくらいもう少し押しつけがましくない味付けにしたいものだ。 そこでたまねぎである。 たまねぎだけでおいしいスープになるなら、 あの豆の味を加えればかなりいい感じになることが期待できる。 ダシ野菜としてはたまねぎとトマトは双璧だが、 トマトにはまともな完熟ものがなかなか売られていないという欠点がある。

ベジタリアンなカレーをおいしく作りたいものだ。 絶対肉食いすぎ。自分で作るものくらい植物でどうにかしたい。あと魚。

あさっての方向2。悪くはないが、展開遅い。ちゃんと集中して見て 雰囲気に浸らないとダメそう。パワポ作りながら見てたんじゃダメだなあ。

シュヴァリエ5。これもパワポ作りながらではダメ。地味だから 会話をちゃんと聞いてないと話がわからなくなる。

2006年10月17日

今日はびっくりするくらい仕事してない。 なんか猛烈に申しわけなくなってきた。 でも明日は授業の準備だからやはり仕事しない。 グラフィックハードウェアの機能についてテクスチャマッピングや Zバッファから丁寧に説明する予定。 それをしないとFSAAや異方性フィルタの説明なんてできないからな。 メモリ帯域の話もしないといけないし。

のだめのドラマを見ている。 出来がいいのか悪いのかは良くわからん。 思ったよりは見られるし、おもろいにはおもろい。 再構成もそれなりにきちんとしているようだ。 しかし、ギャグは寒い。ギャグがというより、全体が寒い。 それに題材が音楽なだけに音楽が気になる。 あと、一時間は長い。もういい。わかった。

天保なんとかあやし2。台詞の意味がよくわからないのだが、 私の頭が悪いせいなのか。とりあえずもう一話は見よう。

あさっての方向1。もう一話見てから考える。 とりあえずつまらなくはない。

日に当たらないと白くなるんだなあ。 自分の体見てしみじみとそう思った。 でも、なんで尻みたいに日に当たらない所の方が黄色いんだろう。 下腹部や尻は腕や脚よりも黄色い。これがデフォルトカラーなんだろうか。

脇腹をのばしても痛くなくなってきたので、 久しぶりにストレッチした。絶望的だった。だが、絶望はしない。 希望だ。希望を持って元に戻す。

2006年10月16日

太平洋見てきた。歩いて。

とりあえず関内について二郎を食ったわけだが、 妙にハイになっていたせいか「まだ道が前にあるじゃないか!」 なんて思えてしまって、そのまま南下することにした。 20時30分くらいだったと思う。 上大岡あたりが帰れる限界点だったのだが、 ここまで来て意味もなく帰ってはならないと勝手に思いこみ、 さらなる南下を決意した。この段階で始発で帰るプランになっている。 つまり、月曜は働く気がないということだ。 で、目的地の候補としては横須賀と鎌倉があったのだが、 そういえば鎌倉ってとあるアニメの舞台だったよなあと唐突に思い出し、 さらに、せっかくだから太平洋を見られる一番近い場所にしようという ことで鎌倉になった。行ったこともないし。 この時点ではそれほど疲労は致命的にはなっておらず、 また今回はそれなりに休憩を取るようにしたので豆もできておらず、 おかげでかなり順調に進めた。とは言え途中何度かおじけづいて 磯子から帰るプランや大船から帰るプランを検討したりもしたのだが、 どちらも間に合わないことがわかったのでそのまま鎌倉。 ついたのが1時30分くらい。本来ここで夜明けを待って 海を見て、ギリギリまで観光をして帰って会社、というつもりだったわけだが、 この時には疲労がかなりヤバい状態になっていて、 それ以上何かをする気がまるで起きなくなっていた。 加えて、休憩できるファミレスや漫画喫茶の類がまるで見当たらない。 途中明け方までやっている喫茶店のような店で一度休憩を取ったが、 私しか客がおらず店の人に悪い気がしてすぐ出てきてしまった。 夏ならそのへんに座りこんで休憩できるが、 さすがに10月中旬ともなるとそれなりに気温が低くて、 動かないでいるとたちまち寒くなる。 筋肉痛に耐えて歩くのと寒さにこごえるのとどちらを取るか、 という選択に悩んだ末、どうせならもっと先に進んだという実績を残そうと 進むことにした。目標は江ノ島。 何キロにも渡って左手には海。夜だが一応見えなくもない水平線。 望みがかなったわりにあまり嬉しくない。 右手には単線のいかにもな線路が走っていて風情はあった。 この頃には疲労はかなり深刻で、加えて二郎のせいか謎の腹痛に悩まされた。 左足の裏には豆候補が出来ており、深刻な状態ではないとは言え タイムリミットが近いという考えが不安を誘う。 星が綺麗だなあ、などと自分をごまかしながら歩いたが、 あまり効果はない。で、どうにか江ノ島。 3時30分くらいか。始発を調べてみると5時15分とか、そんな感じ。 例によって時間をつぶせる施設は見当たらない。 高級マンションの玄関ロビーは風が防げていいのだが、 とても長居はできなかった。せいぜい数分。 たまに監視カメラか何かが妙な音を立てて脅すので落ちつかなかったのと、 そのまま寝てしまいそうで怖かったせいだ。通報されたらたまらないし、 そもそも人としてどうかという気がした。 で決断をせまられたわけだが、鎌倉の時と同じ理由で さらに進むことにした。目標は藤沢。その3時間前には小田原まで行けるかなあ などと考えたりもしていたが、そんな考えは微塵も残っていない。 また、鎌倉を出たばかりの頃には 橋を渡って島のはしっこまで行って日の出を拝もうなどと思っていたのだが、 それも例の理由で却下。で藤沢についたのが4時30分くらい。 異様に時間がかかったのはまさに疲労のせいである。 その後始発で帰ってきた。一時間ちょいで着いてしまって何か悲しかった。

今回の道程はだいたい52kmくらい。ほぼ12時間。 距離だけなら調布往復の方が若干長いくらいだが、 まあ似たようなものだろう。それにやはり同じ道を往復するのは つまらないから、こういう方がいい。 それにしても今回は疲労が顕著に軽いし、豆もできていない。なかなかだ。 強いて言えば、横浜までのペースがはやすぎたことが悔やまれる。 なにせ横浜まで20kmくらいあるのに3時間半くらいで着いてしまった。 時速6km超で3時間以上歩いてしまうとその後はないのである。 しかし、あのペースでなければ二郎は食えなかったのも事実なのだ。 ちょうど後ろ10人くらいで麺が切れていた。

そういえば、16号線を通って横浜から関内に向かう途中、左の壁に えんえん絵が描かれていて驚いた。数百メートルに渡っていて、 しかもけっこういろんなのがあって飽きさせない。大半は メタルだかパンクだかアメリカンだかな感じのいかにもなものだが、 それも結構構図とか計算されてるっぽくて大したもんだと思った。 後半はポップな感じのとか、何か音楽的なものを訴えようとしてる奴とか、 そんなのがいろいろあってまた面白かった。 行政は黙認してくれているのだろうか。それだけが心配。 今度昼間にゆっくり歩いてみたい。

帰りに「とらドラ!」を読んだ。和んだ。幸せだった。 とりあえずそれ以上に言うことはないが、それだけでいい。

いかん。急速に眠気が来た。寝たら絶対起きないので 今から会社行って寝る。今7時。

おとボクのアニメは危惧したほど悪くはないが、期待したほどおもしろくもない。 とりあえず台詞がなんか変な気がする。敬語もおかしかったような。 原作もこんなだったかなあ。

念のため、はぴねす!をもう一話見てみた。そんな面白くなりそうなネタを 最初からツブしてしまわなくてもいいのに。つうか、うん、ダメだなこれは。 絵も台詞も構図も死んでいる。死んでいるという以外の形容が思い浮かばない。

KANON2。ああ、構図とカット割りでもう格が違う。 他のギャルゲーアニメもこれくらいセンスがあればなあ。 作画までは求めないから。

ああ。カッター。

このアニメが面白いのかどうかは正直私にはわからん。 技巧的にすぎる気がしなくもない。だが流石だ。

自分がどのゲームで何やったか、ってのは出たゲームに関しては 言っていいのだよな。スタッフロールにも出ているのだし。 しかし、こんなところに書くと検索で引っかかりかねんので恐ろしくて書けん。 なにせ戦犯の一人だからな。 特に最初に出た方のゲームに関しては大変申し分けなく思っている。 汚名返上の機会が与えられなかったのが本当に悔しい。 そして、その機会はどうやら永遠に与えられることはなさそうだ。 なお、二つ目に出た方はぶっちゃけあんまり責任がない仕事ばっかりだったので そういう罪悪感はあんまりない。まあ「絵がショボい」と言われたら かなりの部分は私のせいなのだが。

今のプロジェクトはもうすぐ終わるわけだが、 次に何やるかわからんのでこの先のことを決めようがない。 TGSが終わる頃には見えてくると思っていたのだが、 この分だと本当に終わるくらいまでは何もわからないかもしれないな。 基礎研究という名の放置状態が続くような状態なら 辞めた方がいいよなあ。

本物の太平洋まで96km。九十九里浜。歩いては絶対無理だ。 比べると小田原70kmというあたりはまだ可能性があるが、かなりの確率で挫折する。 昨日のにプラス20kmなんて想像するだに恐ろしい。 しかしそれをやりとげたという事実は魅力的だ。

脚の防寒は何か手を考えたい。 温度の低下は性能の低下に直結するからだ。やはりモモヒキしかないか。 ところで、女性の中には冬でもスカートな人がいるが、 あれはどうなっているのだろう。 がんばって耐えているのか、それとも あのストッキングというやつの性能がそれほど素晴らしいのか。 もし後者なら男用のものにもその技術を使ってほしいものだ。

2006年10月15日

うたわれらじお14。いつにも増してグダグダ。いいなあ。

いかん。日曜って何もないとこんなにヒマなのか。

ふた付きのゴミ箱が何のために必要なのかわかった。奴等の補給を断つためだ。

Giftをもっかい見てみて、何が苦手だかわかった。ヒロインだ。声含めて。

ヒマなので横浜行って二郎食ってくる。歩いて。 たぶん帰りは電車だが。

2006年10月14日

彩雲国22。また色男だよ。まあそういうものなのだから当然だが。 しかし、この節操のない世界観は実にいいな。好き勝手で。 全体にこの作品は生ぬるいのだが、その生ぬるさは心地良い。

ストパニ23。六条さまが急に人でなしになってませんか。 静馬さまのヘタレっぷりは前からだが、六条さまは最近いい人っぽさが 出てきた所だったのでちょっと意外。 とか言ってるところで、なんかとんでもない展開に。 それ、アリか?完結に向けて何かが狂ってないか?

BlackBllodBrothers1。とりあえず歌かっこわるい。 原作はやっと盛り上がってきた、というくらいで到底終わりなんて見えない状態 なのに一体どうするつもりなんだろう。 とりあえず出来は悪くないようなので見るが。

Gift。オープニングの王道展開ですでに辛そう。 おもろいという評判が伝わってくるまで無期限で延期。 ギャラクシーエンジェるーん。辛い。中断。 はぴねす!。顔がまんじゅうっぽいのはちょっと魅力。 それだけでしばらく見ていたが、微妙に見られそうな気がしてきた。 なにその強引すぎる展開。さすがギャルゲー。 ネギま1。いい感じにネタアニメっぽくなっているが、 ネタアニメはネタアニメで辛いなあ。いいや。もう。 カット割りとか、変ないたずら書きとか、大したものだとは思う。 大したものだとは思う一方でそれだけではなんとも。

また会社の誰かに知れやがった!

ストパニ24。何それ!今時記憶喪失ですか!いくらなんでもそりゃねえだろ! そんなにネタアニメにしたいのか! いや、私が気づかないだけで最初からネタアニメだったのか。 あと、渚さんの「かわいそう」という台詞もかなりどうかと思う。 そして六条さまがやっぱり人でなしに見える。私は彼女が ああいう物言いをする理由を見落としているのか。 いや、理由と言えるものもなくはないのだが、もっと言いようがあるだろう。

クルーグマンなんとか。これも題名忘れたが経済の本。 まだ途中だが、知りたいことがかなり知れた。 保護貿易がどれくらいいけないのか、とか、そういうことのイメージ。 「いけない」という定性的な理解でなく、「どれくらいいけないのか」 という定量的な理解が欲しかった。むろんそれは 個別のケースにしか当てはまらないことではあるけれども、 その個別のサンプルもいくつか知ることで何かが見えてくる。 財政赤字や貿易赤字がどれくらい悪いのかについても同じような感じ。

いわゆる特定の団体によるロビー活動を「私利私欲」と断言するのも 無茶な気がしてきた。例えば社長は社員に対して責任を負っている。 だから、会社がヤバくなれば、例え国の利益に反することであれ 全力を尽そうとするのが自然だし、それが美徳とすら言えるだろう。 これは会社くらいだとまだ納得されないかもしれないが、 国にするとかなり納得が行くと思う。 国の偉い人は国民のことを考えるのが仕事で、そういう約束で仕事をしている。 その選択が地球のためにならないからといって責められる筋合いはない。 そもそも、自分が責任を持つ範囲を超えたことを考える義務など負っていないのだ。 私に会社全体の利益を考えてプログラミングをする義務がないように。 というようなことを考えると、結局何とか 全体の利益と部分の利益が一致するような仕掛けを作る以外にできることは ないということになる。

ストパニ完。25はいい感じだった。26は輪をかけていい感じだった。 渦巻く嫉妬、緊張感。 台詞だけではなくカット割りでも嫉妬の構図を顕にしている。たまらない。 そして、こええ。静馬様は何をしでかすか不安でこええ。 玉緒ちゃんもこええ。そのへんの描写が設定や展開のネタっぽさ にも関わらず妙な緊張感を醸し出している。 嫉妬の表れ方が人それぞれであるあたりも素晴らしい。 それにしても最終回のドキドキさ加減と言ったらもう。 ブチ壊しに来る!静馬様がブチ壊しに来るぞ!よし、来た! それにしても、そのラストシーンはこええ。

総じて楽しんだ。22-24あたりの超展開はいただけないが、 ネタアニメなコンセプトを考えればまあ我慢すべきところだろう。

2006年10月13日

講義二回目。今日もあんまり記憶がない。 そして終わった後腹が痛くなる。どちらも先週と同じ。進歩がないことだ。 でも仕方ないだろう。 どれくらいのレベルかわからず何を知りたいと思っているのかもわからない 70人を前にして講義をやれというのだから。 今日はえらい人が別のミーティングでいなくて、ちょっと張り合いがなかった。

1年目のおしまいごろにあった合宿の時に隣に座ってた他部署の同期 が聞きに来てた。名前を言われて思い出したのだが、 これは私の場合相当珍しい。だいたいの場合は顔ごと忘れるか、 せいぜい顔は微妙に覚えてるが名前は完全に忘れているかのどちらかだからだ。 まあたぶん合宿の時にそれなりに話していたからだろう。

コードギアス。なんか好かん。出来が悪いとは思わないけれども、 いろいろ出来すぎでやりすぎ。たぶん「あざとい」という言葉はこういう時に 使うんだろう。

天保なんとか。なんか懐しいキャラデザがいい感じ。 中身もとりあえず悪くない。もうちょい見ようと思う。

12日の朝日の社説、ひでえなあ。内容以前に品位の問題だ。 こういうのを書くから「ホルホルしてる」とかいってバカにされるのに。 左翼も人材不足に悩んでいるのだろうが、 こんな社説が通るということは上の方までダメなんだろう。 まあ、そうでなくとも「受験に出やすい」なんてことを売り文句にしている 段階で報道機関としてダメダメなんだと思うが。

ゴーストハント。おもしろい臭いがしない。銀色のなんとか。 おもしろい臭いが全くしない。

ヤマトナデシコ七変化。たぶん何かが間違っているが、ある意味面白い。 これはこれでアリだ。安いが、安いことがダメージになっていない。 腐女子の方の評判が気になるところである。

経済学で現代社会を読む、みたいな感じの題名の本を読んだ。 会社で読んで忘れてきたので正確な題名はわからない。 いろんな問題を通して経済学的な考え方の応用を学べるいい本だが、 妙な寸止め感があってどことなく物足りない。

これまで読んだ限り、経済学の本には 「市場にまかせるのが一番」ということばかり書いてある。 それほど自明なことならば、世の中もそうなっていそうなものだが、 当然世の中はそうなっていない。 利己的な人間が政治的な力を持つせいだとか、 外部性のせいだとか、まあいろいろと言いようはあるが、 本当にそれだけなのか。 また、政治家の人々はこの経済学の主張を知っているのだろうか。 規制や保護を叫ぶ人達はこれを知っていてあえて私利私欲のために それに反した主張をするのだろうか。

「私という星を軽く凌駕するほどの、君はスターだ!」。 ストパニの脚本が素敵だ。改心しつつあるカナメ様だが、 その素敵な性格はまだまだ健在。

護君なんとか。絵はそれなりに綺麗だけど、いろんなことがよくわからない。

2006年10月12日

会社サボって演劇見に行った。罪と罰。 原作が長いのでさすがに説明不足な点が多く、 原作を読んでないとポカーンじゃなかろうかと思うシーンも結構あった。 しかし、原作を読んでおくことが前提と考えてしまえば悪くない。 場面転換もきびきびしているし、うさんくさい台詞も ちゃんと原型を留めていてそれっぽい。 全体にキャラがやりすぎだったが、 カメラワークが不可能で演出の自由度が低い以上 演技が多少やりすぎなくらいで丁度いいのだろう。 なお、生の演劇なんて自分の意思で見たのは初めてなので 善し悪しはよくわからない。 にしても、小山さんはいい体をしていた。一瞬上半身裸になるシーンが あったのだが、結構ヤバい。 某氏が「鼻血物だ!」とか言ってたのは誇張ではないのかもしれん。 あと、やっぱり声かっこいい。いいなあ。

なお、いきなり当日券をカウンターで買って入ったので、 「うたわれらじお聞いてきました」とか言う勇気は出なかった。 また、会場には明らかに大方の客層とは違う私と似たような感じの 客が何人かいて、ラジオ経由だと思われた。 それと、会場には「うたわれるものスタッフ一同」 みたいな花輪がたくさんあった。ほとんど小山さん当て。

講義の準備をしていた。パワポ70枚。平均一枚30秒くらいになると思う。 なにせ30文字以上書いてあるスライドは極めて稀だ。もしかしたら 一枚もないかもしれん。こうやって分割しておくと テンポが取りやすくい。原稿もいらないし。でもバカっぽいんだよなこれ。

有川浩「図書館内乱」。この人に限らずオバサン作家の多くに 言えることだが、 30前後のオッサンがとてもかわいらしく描かれていて たまらない。20前後の若造よりは頼りになるが、でもまだまだ完成には至らない、 そんな中途半端さが醸し出す魅力を作者が全力で愛でている印象。 そしてヒロインはやっぱり20前後で、こっちは完成なんて程遠いが、 ひたすらに若さが心地良い。このへんの構図はハチクロも同じ臭いがする。 男が10くらい年上、というカップルを描く作家は多いが、 やっぱり男は若くてもかっこ悪いだけでいいことないってことなんだろう。 それにしても、今回も主人公の乙女っぷりがたまらないわけですよ。 ドロップキックをかますヒロイン。でも乙女。悶えずにいられようか。 電車の中でえんえん悶えてた。 そして今回は最後に爆弾が炸裂。次よこせ状態。

やはり恋愛物は女性が書いたものの方がしっくり来るな。 しかもこの人の作品は設定の説得力も素晴らしいし、 人間観察が深いのでキャラにも実在感がある。 それでいて微妙にファンタジーな部分が残っているこのバランス感覚がたまらない。 で関係ないが、罪と罰は明らかに男が書いた話だよなあ、 なんて劇を見ながら思った。

猫か赤ん坊かわからない謎ヴォイスが響き渡っている。たぶん猫だろう。 それも子猫。圧倒的に子猫。ああ、何か欲しがってるに違いない。 だんだん放っておけなくなってくる。 勝手にいけない想像が広がって、なんとかしてやりたいという思いが大きく なってくる。いけない。それは罠だ。わかっているとも。

図書館内乱には難聴の子が出てくる。 ずいぶん詳しく調べてあって、ものすごく共感してしまった。 2週間早く気づいていたら治っていたかもしれない、とか、 みんなで話していると聞き取れないからつい黙ってニコニコしてるだけに なってしまうとか。 しかし、私なんて片耳で全然大したことない。共感なんて言ったらむしろ失礼だ。 やっぱり私は耳のせいにしないで努力で克服すべきなのだと思う。 もっともその努力を想像するだけで挫けそうになるのだけれども。 仮に耳がまともだったとしてもたぶん私は宴会は苦手だっただろうし。

片耳難聴で調べたら同じ症状の人の声が山ほど見つかる。 って、何年か前も同じことしなかったっけ? まあ覚えてないしいいや。 とりあえずみんな大変そうに見えるが、こうやって書きこんでる人はたぶん 弱音を吐きがちな人が多いだろうから、実際には多数の人が なんら問題なく生きている可能性もある。 しかし、「周囲がうるさいと耳が生きている側からであっても聞き取りにくい」 というのは私の思いこみではないらしい。 たぶん耳が二つあることで特定の音をフィルタリングして取り出すような 処理がやりやすくなっているのだろう。 あと「音楽なんて無理」と言う人もいて、 それは言いすぎだろうと思いつつも、確かにその道で秀でるのは難しかろうなと 納得してまう自分がいる。ステレオの調整を片耳づつでがんばって やっている人もいるようだが、やはり不利は否めない。

2006年10月11日

ランバートとかフォンとかの説明からしないとシェーダなんてわからんよなあ。 CGソフトでメニューから「ランバート」を選ぶとランバートになる、 というレベルでしかわかってない状態でシェーダなんて書けるわけがない。 そのへんを一から懇切丁寧に説明するというのはかなり気が滅入る作業だ。 どこまでわかってないのかがわからない人間に授業をやらねばならない というのはなんとも気が重い。 加えて、聞く人が知りたいと思っていない可能性すらある。 なにせ企画の人まで聞きに来るのだ。 企画の人はプログラマやデザイナの仕事に対してある程度の イメージを持っていなければ意思疎通がうまく行かないものだが、 その「ある程度のイメージ」を手に入れるのに何を学べばいいかと 言われると答えに困る。 シェーダの知識は、たぶん「仕事のイメージ」を つかむ役には立つだろうし、今時の技術のトレンドを 知っておくことは見る目を養う意味でも重要だろう。 しかし、それがないと仕事ができないというわけではない、というのが厄介なのだ。 こういう「知っていた方がいろいろいいが、ないと 仕事ができないというわけでもない」類の知識を教えるというのは なんとも困難なことである。当人に興味や意欲があればいいが、 そうでない場合は手の打ちようがない。 強制的に授業を受けさせても寝られておしまいだ。 うちの企画職はプランナ、ディレクタ、プロデューサなどを含んだ ぶっちゃけ一言では言い表せない職種なので、 彼等が何を学ぶべきかという話になると容易に結論は出ない。 どうすればいいのか私にはわからん。 私にできるのは聞いてくれる人に向かって話すことだけだ。 「関係ない話で苦痛だった」とかアンケートで書かれても それは統計的な傾向を知る材料としか考えないことにしよう。 いちいち嫌な気分になっていたらたまらん。 なにせタダ働きだからな。

アンケートの結果を何十枚も見て、結局記憶に残るのは厳しいことが 書かれていたものばかりなのだよな。 「非常に有意義です」とか書かれてもいまいちうれしくない。 「講師の質はどうですか」とかいう質問で5段階の3とかついてると、 「あーなんか1とかつけんの感じ悪いから3って書いてるだけなんだろうなあ」 とか思って暗くなる。 まあ、こういう機会があるのはありがたいことだし、 何か自分が役に立っている気がして充実した気分にはなれる。 だから引きうけたことは後悔していない。

なんかその手の文章書いてここに置こうかなあ。 シェーダとかアルゴリズムとか、そういうの。 PVSとか衝突判定とかも含めて、ゲームで必要な手法を一通り説明するサイト。 と思ったが、まあ無理か。

法線マップで立体的にライティングした2Dシューティングってどうかな。 あと1920x1080を2枚横に並べたダライアスみたいな横シューとか。 そんなのをできる環境をもってる奴なんて滅多にいないと思うが。

2006年10月10日

実はみんなもっと自分の音が聞こえてるんじゃないだろうか、 と疑ってしまう。それは考えるだけ無駄なことだが、 しかし合奏をやりたいという気持ちに確実にブレーキをかけている。

合唱とか、合奏とか、宴会とか、やっぱり恐いんだよな。 本当に耳のせいなのかがわからないのが余計に腹立たしい。 克服すべき問題であるにも関わらず、もし肉体的な問題であれば 完全な克服は不可能だ、ということを考えると本気で克服する気になれない。 だからいつまでもこんな状態だ。

redgarden1。なんか良くわからない。どうする気なんだろうこれ。

パンプキンシザーズ。なんか良くわからないが、出来は良さそうにみえる。 少なくとも悪くはない。しかし現状なんとも。

おとボク。ちゃんと原作見て作ってるみたいでちょっと安心。 まあ、見事にギャルアニメだし、いろいろ頭悪いがそれはアリ。 そしてありえないエンディング。うん、悪くない。 にしても、瑞穂ちゃん適応はやいな。原作は一人称の心の声が たくさんあったのでそのへんの経緯がかなり丁寧に感じられたが、 これだとさすがに唐突に見える。

2006年10月9日

某所でヴァイオリン弾いてきた。単体スキルとしてはどうにかなりそうだったものの、 合奏の難しさに打ちのめされる。 元々何かに合わせて弾くということをほとんどやったことがない上に、 自分の音が聞こえないから合っているのかわからないのが恐ろしく不安。 勘以外のものがまるで頼りにならない状態だ。みんな良く弾けるなと思う。

さてどうしよう。かなり悪くないんだが、 さしあたりは第九があるから日曜が使えない状態だ。 土曜は言うまでもなく拳法が絶対優先でどうにもならない。 そして何より、かなり真面目にやっているっぽいので あまり適当な態度では申し分けなさすぎる。

と思ったら後半の第九がほとんど土曜じゃないか。 考えなしに登録してしまったがかなりヤバい。 この先の練習には半分以上出られないことになる。 まあ本番に出ることが目的なわけではないのだが、 とは言えここまで顔を覚えられた状態で「出られない」とか言うのは かなり気が引ける。とは言えどうしようもないのだが。

2006年10月8日

拳法後仕事。もう3時。 しかしこれは私がなんとなくやりたかったからやっただけで、 強いられているわけではない。 うちはまだまだぬるい方だ。順調と言ってもいい。

30人いるプロジェクトが一ヶ月延びると4000万くらい飛ぶ。 半年延びると2.4億くらい飛ぶ。 仮にヒットして最終的に黒字になったとしても、本来見込めた利益から考えれば はるかに損をしているわけだ。 延びたのが質的な向上を追求したためであればまだしも、 単に迷走の結果であった場合は単純に罪であり、恥である。 だが、そう思わない人がたくさんいるからこうなっているのだろう。

クリエイターは金のことを考えてはいけない、という態度には いい面もあるが、今は圧倒的に悪い面ばかりが目につく。 そもそも、このように大規模なゲーム会社において 自らをクリエイターと称して恥じない人間は ほぼ単なる勘違い野郎なのではなかろうか。

Kanon見た。歌が始まった瞬間に何かいけないものがこみ上げた。 中身の評価は保留。ただ、気合が入っていることだけはわかる。 いちいち実に細かい。 適当なギャルアニメならばあんなカット割りはすまい。

マリみて新刊。ここに来て柏木さんが絡んでくるのか。 妹もできそうだし、クライマックスは近いだろう。楽しみに待つ。

狼と香辛料II。ホロが素敵。ロレンスも素敵。題材も新鮮味があって楽しい。 描写の遠回りさ加減が鼻につくところがあるけれども、 このシリーズは好きだ。でも、好きである一方で、続きをよこせとは あまり思わない。実際二冊目もずいぶん前に買ったのに今日まで 読まないできてしまった。何故だろう。

ローマ27,28。ローマ帝国素敵。インフラ万歳。 ところで、ローマ皇帝はいわば皇帝の元ネタであるにも 関わらず、どうも我々がフィクションやらなにやらで目にする皇帝とは違っている。 世襲ではないし、支持を失えばあっさり失脚する。 また、私費で公共事業をやるのが半ば義務だったりもする。 ちょっと不思議な気分だ。見慣れた悪の親玉っぽい皇帝は 一体何を元ネタにしているのだろう。

ローマ帝国の時代から人間のやってることは あまり変わっていないのだな思う。 塩野先生も書いておられるが、民族自決を叫んで紛争が絶えない 今よりも、圧倒的強者が安全保障をしていた当時の方が マシだったのではなかろうか。 実際日本はアメリカの傘の下にあるが、私はそう悪くないと思っている。 世界に100以上もある国が全て自力で防衛できるだけの軍をもって 睨み合うというのは自然ではあるが非効率だ。 しかし、このままどんどん経済の重みが増していき、 世界のあらゆるところがその支配力の下に置かれるようになれば また違った形の平和が現れるのかもしれないなとも思う。 大きな流れだけ見れば、 どんどん戦争がしにくくなる方向に世界は動いているのだから。

ディスガイアでもやるかあ。1と2どっちがいいのかな。 1はthe bestになったから安く手に入るし、 拡張がなされる前であれば根本的なコンセプトがわかりやすそうな気はする。

2006年10月7日

同期宴会。なんかいろいろで、いっぱいいっぱいだった。

日々世界を観測していると、世界の速度と加速度を数値計算的に推測できる。 そこから、何らかの時刻にある大きさのわかっている力が世界に与えられた時に、 世界の加速度から逆算すると世界の質量が推測できる。 何の話かと言えば、要するに誰かが何かのアクションを起こした時に その集団にどれくらいの影響を与えられるかということだ。 私の授業がどれくらいの加速度を与えられるかは 今までの経験からある程度推測できるが、 その結論は「世界の質量は相当大きい」というものである。 しかし、授業によって与える力は 対象の数によって対象一つあたりの力が減ずるものではなく、 言わば電磁場のように対象となる電荷がいくつあってもそれぞれに 同じ力を及ぼす類のものだ。 80人も一度に力を与えればさすがに何らかの影響はあるかもしれない。 そう信じて少しがんばってみることにする。

なんていう回りくどい言い方をするのは、 脳内の知識のリンクがどれくらい動いているかのチェックになるからだ。 全然違うジャンルのものが結びついてこそ使える形になると 私は信じている。応用力というのはその総和ではなかろうか。 そしてまた、それはおそらくセンスと呼ばれるものと同じものなのではなかろうか。

なんとかかんとか瑠璃色なのアニメを見た。 あまりにギャルゲーアニメすぎて辛い。出来と無関係なところで拒否反応。

朝日の社説に「昔のことを今の尺度で評価すべきだ」みたいなことが書いてあって、 驚いた。しかし、なんでそれがいけないんだっけか?と考えて一瞬詰まった。 昔の失敗を見て繰り返さないようにしよう、というのは 建設的な考え方である。その意味では今の尺度で評価すること自体は 悪いことではない。とそこまで考えてわかった。 連中は善悪の話をしているから変なのだ。 昔の善悪と今の善悪は違うわけだが、であれば今の善悪と未来の善悪は違うだろう。 にも関わらず今の基準で昔のことを善悪いずれか判断するのは 所詮一時的なものでしかない。それを絶対的なことのように言うのが おかしいのだ。「アレは損だった」と言うならそれは問題ないのである。

なお、昔の失敗を見て繰り返さないようにしよう、という発想は健全だと思うが、 にも関わらず世界はずっと似たようなことを繰り返してきた。 たぶんこれからも繰り返すだろう。今が特別でこれからは別の歴史が始まる と信じるに足る理由は見当たらないように見える。 例えばローマ帝国はずいぶんといろんなことをやらかしてきた わけで、あれを勉強すればたいがいのアホなマネは避けられそうな気がするが、 当然そうなっていない。ということは、たぶん何を言おうがこれからも 大して変わらずアホなマネをするだろうということだ。 もちろんそうであったとしても努力する姿勢は大切で、 過去の人にその姿勢があったからこそ 今こうして私が生きていられるのだとは思うが、 だからと言って「努力すればすごい理想の世界に行ける」みたいな信仰を持つのは 愚かだと思う。 普通の人は一段登ることをまず考えるべきだ。 能力のある人は二段上を見つめつつ登るかもしれないが、 しかし最初に登るのはやっぱり一段である。 私の知る限り、左翼の人々にはそういう堅実さが感じられない。 星を仰いでいくら叫んでも決して届きはしないのである。

「何かが特別である」という判断は多くの場合間違いである。 日本は特別ではないだろうし、私は特別ではないだろうし、 現代は特別ではないだろう。もちろん特別という言葉の定義によっては 特別かもしれないが、ただぼんやりとした意味で特別という言葉を使うならば それは否定される方が妥当だ。特別を肯定した時の結論はたいがい極端に走り、 極端は常にリスクが大きいものなのである。 この「特別ではない」という判断はえてして逃避の手段に使われがちなので、 場合によっては敢えて「特別である」という判断をして勇気を奮い立たせる ことも必要だが、それはあくまでも自覚的に行われねばならない。 というわけで、授業もうちょっとがんばってみる。 今授業をやる、という意味に限定すればは私は確かに特別なのだ。

道徳は社会の便益を大きくするためのシステムであって、 天空から与えられた絶対の真理ではない。 人命が尊いのは、自分が殺されたら嫌だという感情と、 人が死なない方が社会がうまく回るからという効率上の理由によるわけで、 明らかに絶対の真理ではない。 同様に、権利は存在する実体ではなく、それが存在するとみなした方が 社会がうまく回るからそうしよう、という約束事である。 権利などどこにもないのだ。 その実際にはないものがどの程度あるとみなされているかは 場合によって異なるのであって、 状況を把握せずに常に権利を声高に叫ぶのは愚かなのではないか。 普通の人はそれを言葉によらず理解しているが、 理解していない人がたまに現れる。 そして、その約束事を否定することが罪とされる風潮を利用して 反論を封じるのである。それは卑怯だ。

なんか頭がグルグル回っててそんな感じのことを考えた。寝なきゃ。

2006年10月6日

知ってる人の連載が始まったので、 今月からアフタヌーンをもらうことになった。 とりあえず全体をちらっと見てみたが、 それなりに変な雑誌っぽくて安心した。 まあゆっくり読もう。

シミュレーションRPGは魅力的なジャンルなんだが、 ゲーム性のコンセプトを考えようとすると案外むつかしい。 ただ漠然とよくあるタイプのを作るのは簡単だが、 それでは何かがいまひとつだ。 「なんかこういう感じの快感がほしい」 みたいなのがはっきりすればそれを軸にルールを作れるのだが、 なかなかそれが出てこない。 「チマチマ詰め将棋をやるんじゃなくて、微妙な布石が一気に効果を発揮して ドカーンと勝つ感じ」みたいなイメージはあるが、もうちょっと具体化しないと ルールに落としこめない。しかし難しいだろうなこれは。 なにせ実際にそういうのを実現してるゲームを見た事がない。 まあ、実際に作ることはないだろうから所詮妄想なわけだが。

講義終わったら腹が痛くなった。私は自分が思っているよりもさらに繊細らしい。

競馬みたいなS-RPGもいいかもしれない。最初に作戦を全部指示してあとは見てるだけ。 あーでもそれ智代アフターのおまけと同じになるな。 あれは練って練ってドカーンという感じが良く出ていた。 実に良くできている。

2006年10月5日

半分の月がのぼる空の実写の奴をちらっと見た。 なんか猛烈に辛そうで見られなかった。 コミカルな演出って実写だとあんなに痛いんだな。

ポリゴンが増えても、シェーダを凝っても、 実写との間には依然として越えられない壁が存在している。 どうせ越えられないなら、スペキュラ(映りこみとかハイライトとか) をバリバリ入れて「ほらー次世代ですよー」みたいな 絵にした方がいいのではないかとも思えてくる。 実際シェーダ時代になった途端にみんなスペキュラとグレア (眩しいように見えるエフェクト)まみれになってしまった。 実際PS2時代と差別化するなら、法線マップとフレネル付きスペキュラ及び 環境マップによる映りこみほど効果的なものはない。 それをやっておけばとりあえず次世代に見える。グレアがかかれば完璧だ。 しかし、それはやはり何か違う気がする。 負けおしみかもしれんが。

間接照明遮蔽項、すなわちアンビエントオクルージョン項は やっぱり有用だ。その意味に気づけなかったのが今回最大の悔いになるかもしれん。

次のレベルのリアルさを出すには 光の反射だけでなく透過をシミュレートする必要がある。 大理石や人間の肌など、透過なしでやるといかにも作り物に見えてしまうものが たくさんあるからだ。 それを導入すると格段にリアルさが増すはずである。 透明感のある肌をやるには絶対に缺かせない。 しかしPRTは嫌だな。静的な手法はいつもロード時間を増す。

授業やった。人が80人もいた。もうなんか記憶があんまりない。 いわゆる真っ白状態。しかしそれなりに好評。 まあいいか。いろいろ文句も出たが、 敢えて激しめの調子でやるというのが今回のコンセプトなのでそれは覚悟の上だ。 にしても、これ毎週やるのかよ。割に合わねえ。 業務内ということにはなったが、実質ボランティアだからだ。 これをやるからといってプロジェクトの仕事をしなくていいわけではないのである。 せめてメシくらいおごってもらわんとなあ。

デスノートのアニメ見た。出来良かった。演出過剰なくらいが丁度いい。

武装錬金のアニメ見た。頭の悪さがいい感じ。展開の早さもこの際心地良い。 しかし、打ち切り食らった漫画がアニメ化ってのもすごい話だな。

「低コストです」の意味で「安いです」と言うのはあんまり 一般的ではないらしい。講義でその表現はどうかという意見を頂いた。 なるほど、他にも意識せずにそういう言葉を使っていそうだな私。

2006年10月4日

授業の準備してない。あと一日半しかないのに。 次から次へと仕事が来るので仕方ないのだ。 プロジェクトに配属されている以上プロジェクトの仕事を優先するのが筋だが、 参加者70人ともなるとあまりひどい授業をやるわけにもいかない。 やべえなあ。つうか、70人ってのがありえない。 誰かが話を大きくしてしまったせいだ。

ゼロの使い魔アニメの最終回を見た。いろいろぶっとばされてる感じ。 13話に収めるためのアレンジとしてはまあこんなもんだろうとは思うが、 原作を知っているとどうにも物足りなさばかり感じる。 サイトはあんなにためらいなく機関砲を人にぶっぱなす子でしたか。 あとせっかくのルイズの魔法にまるでカタルシスがねえ。 どちらも演出の問題だが、時間がないからやむを得ないのかもしれない。

うたわれるものアニメ最終回。なんか終盤はぶっとばした感じだが、 全体として良く出来てたので良し。 ゲームの発売日が10/26とのことなので、楽しみにしておく。 でもゲームそのものにはあまり期待できんかもしれんなあ。 智代アフターのおまけゲームくらいの 手軽でかつ奥深いシステムを期待したいところだが。

うたわれらじお。一人称がボクの女性っているんだなあと思った。 この声ならアリな気がする。

小山さんが出てる芝居見に行こうかなあ。平日に仕事サボって。 舞台劇なんてまともに見たことないもんなあ。

開発末期のこの時期に会社をサボるのはどうなんだろうと思わなくもないが、 すでにチーム内の仕事はほぼ片づいている。デバグと雑用と思いついたら高速化。 しかし高速化の余地はもうほとんどない。素材レベルで最適化しないと プログラマだけでは限界があるのだ。

3時間で50ページのパワーポイント資料を作った。 やればできるな。もっとも大半は1枚あたり20文字もないような いわゆる「高橋メソッド」的な代物なので大したことはない。 準備不足な時にはこの方法は便利だ。話の筋がそのまま資料になるので たぶんやりやすい。何より作るのが楽。 頭が悪そうに見えるという欠点はこの際甘受しよう。

2006年10月3日

泊まりに来たSが黒い奴等に怯える様をみて、 自分がずいぶんと強くなってしまったことを実感した。 たぶんこの強さは多くの局面では不利になるのだろう。 まあ丁度良くこれから冬だ。奴等の繁殖速度が鈍ったところで 一気に根絶やしにしてくれる。

60fpsで毎フレーム3840x1080のバッファから縮小しつつ1920x1080のバッファに 書きこむ処理をすると、必要な帯域は1.424GB/s。 650MHzDDR、128bitのメモリの帯域は20.8GB/s。 つまり、その処理だけで7%もの時間を食うことになる。 実効帯域が8割なら10%近い。 高解像度は暴力だ。バッファのコピーを一回減らしただけで 多少のシェーダサイクルなんて問題じゃないくらいの高速化がなされる。 逆に言えば、そこを間違えばもうどうにもならないということだ。

それなりにやればいいと思っていたが、 終わりがちかづくにつれて後悔に囚われるのが恐ろしくなってきた。 やれることがあるならやらないとダメだという気になってくる。 しかし、そういう気持ちはえてして他人にも向けられてしまうので注意せねば ならない。他人にそれを期待する権利はないし、 品質を上げるために余計なリスクを背負いこむのは 間違いであることも多いのだ。

「この絵は周波数が高い」という言い方を理解してもらうと いろんなことの説明がとてもシンプルになる。 問題はその理解が万人に可能かどうかだ。

2006年10月1日

高田馬場から西日暮里まで後楽園経由で歩いた。道を間違えただけ。 不忍通りにつながっているのは目白通りで、新目白通りではなかった。 で、アホんとこで鍋食ってた。その後ねて起きて合唱。 ちょっと本気を出しすぎたらしく、一瞬中に妙な痛みが走って怖かった。 まだ本気は出せないようだ。その後弟と噂の靖国を見にいった。 案外普通だった。ヤバいと評判の博物館は時間がなくて一階しか見られなかったが、 とりあえずゼロ戦とカノン砲がでんと置いてあっておもしろかった。 解説に「優秀だった」としか書かれていないあたりがたぶんヤバい とされているのだろうが、優秀だったことが本当なら別にいい気もする。 あの弾にえぐられたカノン砲を見て「横にいた人きっと死んでるよな」 と思える人はあれを見て戦意高揚云々なんて事は言わないだろう。 がんばって戦争行って死んだ人に関して 「あんたらは犬死にでした」と言うのがいいのかどうか、というのは うちらのように無関係な人間には答えの出ない問題ではなかろうか。 ところで、あんな神社は時間とともに単なる観光名所でしかなくなってしまうだろう。 関係者は減る一方だろうからだ。 左翼の人は必死にああいうノリをこきおろそうとするが、 放っておけば消えてなくなるようなものに何故めくじらを立てるのかと 不思議に思う。

人が来るので少し掃除した。


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