だだもれ

2006年9月30日

HDR(High Dynamic Rendering)なんてこけおどしだとずっと思ってきたが、 案外悪くないかもしれんな。本当のやり方でやらねば意味がないと 思ってきたが、ニセモノもなかなかどうしてやるものだ。

でもheavenly swordはやりすぎだと思う。 あんなまぶしいままでゲームをさせられるのは目に悪いし、不自然だ。 「まぶしい=次世代」はいつまで通用するのだろう。 あと「セピア色=リアル」というイメージも打破したい。

ますますインタビューされたくなってきた。 誰か取材に来ないかなあ。でもきっと私は知らされないんだろうけど。

怒涛のように押し寄せる素材のおかげで講義の準備はどんどん後回しに。 この分だと前の日にちょろっと準備してぶっつけ本番だな。 でも仕方ない。開発ももう末期なのだ。 そんな時期によく毎週講義を8週間もやらせるなんて話になったもんだと思うが、 「授業でもやったらいいのに。なんなら私も協力するぞ」 なんて言ってしまった手前断われるはずもない。 自分で撒いた種だ。

十分な確率で銀行の利子以上の収益を上げるなら 株もいいのだろうが、その「十分な確率」が曲者だ。 それを絶対的に判定する方法はなく、判断に委ねられるべき性質のものだからである。

ムービーやらサウンドやらはライブラリを買ってもいいと私も思うが、 それも開発が1000人もいるような会社なら中で作った方がコスト が低い可能性はある。まあそれは重要なことではない。 大切なのはゲームループの構造や描画パスくらいは自分で決めないと ヤバいということだ。ハードウェアが良く見える距離でゲームを 作る人が会社の中に何人かはいないと将来が不安になりすぎる。

2006年9月29日

経済学がおもしろい。結局何もかもがシンプルだ。

株ってどうなんだろう。 デイトレーダーのようなマネは能力的にも心情的にも 無理だが、適当にいくつか買って放置しておくのは 良い選択なのかもしれない。

2006年9月28日

PS3はPS2の10倍以上のメモリを積んでいる。 しかしディスクは10倍速くない。 ということは、フルに性能を使って絵を出そうと思うと、 ロード時間は絶対伸びることになる。 誰か解決策を教えてくれ。

2006年9月27日

Black Blood Brothers6を読んだ。盛り上がってきた。 しかし、何か突き抜けない。 あるいは私の側の問題かもしれないが。

敢えて低解像度で遊んだ方が快適かもしれない。 高解像度でfpsが落ちる時でも普通に回る可能性が高くなる。 綺麗な絵は確かにいいが、視認性その他に問題がないならば 解像度が低くてもゲーム性に影響はないのである。

今日は病院なので会社はサボリ。まあ夕方になったら一回行くが。

池田秀一ヴォイスの素晴らしいうさんくささに乾杯。 うたわれと彩雲国を連続で見てそう思った。 そしていい人をやっている方がよりうさんくさい。

ゼロの使い魔アニメ12。アニメ版のはしょりっぷりはすごいな。 デカい話を片端から捨てて、開いた穴に都合良く必要なキャラを放りこむと 確かにこうなる。それなりに埋まっているあたりが偉いと言えば偉いが、 原作を読んだ後だとたまに辛いな。 時間がないからラブ描写も足りてないし。 しかしまあ、13話だしこんなもんか。 ところでカット割りが妙に不自然に思えるのだが何故だろう。

2006年9月25日

着陸車輪氏と一日ダラダラした。着飾ってはどうかとアドバイスも受けた。 私は自分の容姿に自信がないのでまだ思い切りがつかないが、 そのうちこっそり一人で試してみるかもしれない。 つうか、着飾らないと女性と会話できない、というのは大変な事実だな。 世の中そんなに非効率にできていたのか。 経済学には、広告そのものは非効率だが、広告を打つものほど良いものであるという 判断は合理的である、みたいな考察があるようだが、 たぶん同じなんだろう。高い服を着て着飾っている人間は優れている可能性が高い、 という判断は統計的に合理的なのだ。 彼女らがそういう理を自覚していないとしても。

嫌な言葉だな。「合理的」。

まあ見栄えがいい分には損はないので、 多少は気をつけてみよう。とは言えもう私も年だし、 あんまり若者っぽい格好をしたいとは思えないのだが。 あと、まあせっかくだし、脇腹の脂肪削減作戦を再開するか。 入院やら何やらでさっぱり止まってた。最近ズボンがきついしな。 水泳は確かにいいかもしれない。実はずいぶん前にそう考えて水着も買ったんだが、 結局2回くらいしか行かなかったのだ。 根本的に泳ぎ方を知らんのでうまくなれる気がしなかったのである。 どうせやるならうまくなりたいものだが。

昨日ひらたにに会った。なんか貫禄。あまり時間はなかったので さして話せなかったが、なんか活躍してるっぽくてうれしい。 私もちょっと活躍してみよう。とりあえず来週から授業だから それをどうにかせねばな。

昨日寄った同人屋でギャルゲー音楽をやっているオケのチラシを見つけた。 サイトに練習時の録音が置いてあったので聞いてみたが、 弦が足りていない様子。う。ちょっとおもしろそうとか思ってしまった。 でも悪くないよな。無理矢理でも弾く機会があるのは悪くない。 まあ無理だとは思うが。

インタビューとかされてみてえなあ。

いい加減PS2をS端子で繋ぐのも嫌なので、アップスキャンコンバータで D2からDVI-Dに変換してつなごうと思ったのだが、4万近い。 ちゃんと動くならD2までの中途半端なテレビを買うよりはマシな選択だろうが、 しかし4万だ。我慢する。XBOX360を買ってから考えよう。 さすがにS端子でXBOX360をつなぐのは冒涜としか言いようがない。

2006年9月24日

昼間から酔っ払いに遭遇。すげえ。あれが酔っ払いか。 なるほど迷惑である。知ってる人間であれば その人と一緒にいることを私が選んだ結果だから 仮にあれくらい迷惑になってもまあいいが、 見知らぬ人がいきなりやってくるのは桁が違う。

ゼロの使い魔。9まで読んじまった。もうダメ。 私はオリジナリティを重視しない人間なのだということを思い知った。 たぶん私にオリジナリティがないからだろう。 私の言葉の大半は誰かのパクリで、 極めて高い確率で言った直後に自己嫌悪に陥るのである。 でまあそれはそれとして、いいじゃん。題材やストーリーの要素や キャラのラインナップその多諸々がパクリと借り物でも、 その並べ方にはその人だけの何かがあるはずで、 私はそれがそれなりに好きらしい。 さて、この作品の魅力は何と言っても劣等感。 ルイズもサイトもアンも劣等感の虜。誰かを見てはそいつの長所をうらやましがる ダメ人間。それが嫌になって無理に開き直ろうと自分の 長所を誇ってみるが、やっぱりすぐに自己嫌悪。 もうすごい親近感。てっきり釘宮ヴォイスでイカれていたのだと思ったが、 今回がシャナの比ではないのはその劣等感のためかもしれない。 誇りと劣等感がぐちゃぐちゃになった結果としてのツンデレである。

次世代機ではさらにゲーム開発のコストが上がるという観測がある。 普通に考えれば事実だ。しかし普通に考えない方法もある。 まず、性能が高いのだから、適当に作ってもそれなりに出る。 今まで低い性能のマシンでもなんとか綺麗に見えるように頭をひねっていた のを、まんま力技でやれればコストは下がるのである。 あとは、そうやって手抜きをしても問題になるほどショボく見えないように 作り方を前もってよく練っておくことである。 これは実際に人数が投入される前に2、3人でやればいいので 多少時間がかかってもさしてコストはかからないし、 一回うまいこと編み出せたらそれでゲームを複数作ればなおおいしい。

楽に作ってもそれなりに見える絵を出すには、まず動的計算による部分を 増やさねばならない。アーティストが作るテクスチャの数が多いほど コストがかさむ。 遮蔽マップや照明マップなどは使わないか、使うにしても 動的生成で可能な範囲に抑えたい。動的計算が増える分だけ計算量がかさむので 絵としては粗いものになるが、そこは「動いて気持ちいい絵」 を目指せば良いのである。静止画が綺麗なゲームは金がかかるのだ。 確かに静止画が綺麗な方がプロモーションは有利だが、 そこで勝負するのは金のある奴等にまかせておけば良かろう。

というわけで、私は敢えて時代に逆行して、 動的計算部分の多い絵づくりをすることを提案したい。 光がたくさん動いて、それに対して影もバリバリ動く、そんな奴。 止め絵で見ると粗くはなるが、変化するものが多いほど動いた時の 気持ち良さは大きくなるものである。後はデザインコンセプトをうまく まとめて、テクスチャの解像度をあんまり必要としない絵作りを目指してほしい。 その方がロードも早くなる。ゲームのロード時間の大半はテクスチャによるものなのだ。 まあ、そういう絵のゲームは向こうの市場では「キッズ向け」と言われて 大人は見向きもしない、という悲しい現実があるにはあるのだが、 どうせ向こうが好む洋ゲーっぽい絵づくりは金がかかってできないのだから バッサリあきらめて、それでもどうにかなるような商売を考えた方が 良かろう。金もないのにマネをしてもどうせ勝てないのだ。

プログラムの中枢部は買えばいいし、素材は中国人に作らせればいい、 という意見もある。そうやってコストを下げつつ物量をさらに増そうという作戦だ。 私は正直賛成できない。コストダウンの努力がいけないと言うのではない。 物量の増大を止めようとしないことが問題だと言いたいのである。 次世代では9億から20億程度の開発費が普通になる、 などという予測を本気で肯定するつもりなのだろうか。 10億回収するためには、1本で2000円もうかるものを50万売らねばならないのである。 この多様化の時代に50万というのがいかに恐ろしい数字かは ファミ通を毎週見ていれば骨身に染みているはずだ。 そんなリスクを引き受けるのは無茶が過ぎるというものである。 性能の上昇をもっと別のことに使う研究をしたらどうだろう。 そのためにもプログラムの中枢は各自で考えるべきなのだ。 むろん使い回せるものは使い回すべきだし、 物理などの専門的なものは買う他あるまい。しかし、 絵作りの方針はゲームエンジンの設計とあまりに深く関わっており、 分離は困難である。そこを外に任せると自由度がなくなりすぎる。 それにゲームエンジンとその周辺くらいであれば神プログラマが一人いれば どうにかなるものであり、それなりな会社なら一人くらいは神がいるはずだろう。 であればコストは大してかかるまい。

2006年9月23日

ゲームショー行ってきた。ほとんどのゲームは30fps以下で、 20どころか15や10まで落ちるゲームも結構あった。 みんな気にしないんだなあと思った。 ソニックなんて気持ち良さが命のゲームのはずなのに、 バリバリ落ちてる。スタイリッシュなモーションがウリだった デビルメイクライすら敵がいると30fpsだ。 次世代機は30fpsが標準なのか。 ふと見たガンダムSEEDは当然60fpsで、大変癒された。

時代に逆行して60fpsどころか120fpsにしてやりたい。

リッジレーサーが「60fps」と書いたポップ付きで展示されてて、 ショックだった。60fpsであることがウリになるなんて、 PS2の時代には考えられなかったことである。

まあ、64で60fpsのゲームなんて稀だったようだがな。調べてみると。 というか、プレステサターン64の時代はポリゴン黎明期なわけで、 性能的に60fps出せないのも無理もないし、 初めてポリゴンを見たような時期であればそれも気にはならなかっただろう。 実際普通にゼルダもやってたし。 同じように考えれば、XBOX360及びPS3はシェーダ黎明期なわけで、 そのために60fps出ないのも無理もない、と言えなくはないわけだ。 私は納得行かんが。

PS3が5万になった。実質2万くらい値下げしたことになる。 これがきっかけになって値下げチキンレースが始まるのか。 もっとも、BOXはPS3発売までに1000万台近くリードでき、 性能差もさほどでなくPS3の生産能力が低い ことからPS3が急激に伸びて追い抜く可能性は低い。 そう考えればMSは焦って値下げしたりはしないかもしれない。

XBOX360もだいぶゲームが出てきた。 何かきっかけがあれば買ってもいいかもしれない。 正月実家の大画面テレビで親に白い目で見られながら アイドルマスターをやるのもいいなあ、とちょっと思った。

テクモの乳シリーズは進化を止めてしまったようだ。

120fpsのデモ作って見ようか。 時間方向に2xのスーパーサンプリングをするわけだ。

びっくりするようなゲームはなかったな。次世代機で金かけて作るのに冒険 はできないということだろう。変そうなのはシーマン2くらいか。 ただ内容はよくわからない。

ジョジョ1部のゲームは絵が似てないのと、スタイリッシュさがないのでガッカリ。 あんな普通のアクションゲームではどうしようもない。 ポージング画面も激しくかっこ悪いし。 あと、少しくらいライティングした方が馴染んで見えると思う。

PS2は急速に収束しつつある。新作の数がガクンと減った。 XBOX360はまだヤバい状態だが、カプコンやバンダイナムコがそれなりに 大作を投入しつつあり、年末にはかなり改善される予感がある。 特にブルードラゴン付き29800はかなり悪くないセットだ。 一方PS3陣営もかなりのメーカーが参入しており、値下げもあって 善戦できそうな雰囲気だ。PS2上位互換が本当であればその安心感もあって 特に日本ではPS3に流れる可能性も高い。面白くなってきた。

うたわれらじお12。堪能した。

2006年9月22日

djbってなんだろ。

明日は楽しいゲームショー。

とりあえず6800円で売って、もう1000円払ってもいいと思う人に ネット配信で追加データを売るというのは商売としては悪くない。 初回特典商法がこれだけのさばっているのを見れば、 客の側もそれほど問題視していないのだろうとも考えられる。 それに、そのゲームが本来7300円取らないとどうにもならないコスト だったとすれば、6800円で買えた人は得をしたことになるのだ。 が、そういう理屈はともかくとして、どうかと思う。 客は作り手の事情なんて知ったことではなく、 理解を示す義務もない。客の感情というものを無視しては この手の商売は成り立たんだろう。

普通仕事をする人は、仕事に必要な書類を持っている。 だから、現実世界にある分業の概念をプログラミング言語に持ちこむなら クラスが関数とデータを一緒にしたものであることは自然なことだ。 そして、その書類はその人の机の引き出しに入れておけば良くて、 別の人からいつも見えないといけないわけではないことが多いだろう。 机の上に置いておいて醤油をこぼされたりしてはたまらない。 それを表現しようとすればprivateなんて機能がやはり自然に出てくる。 しかしもしかしたら順番が逆で、オブジェクト指向という奴は、 「書類にそれを使う人の名前を書いておこうよ」 という「書類を軸にした考え方」なのかもしれない。 実際そう考えた方が自然なクラスもあって、例えば行列クラスやベクタクラスは そうだ。この場合、 「vector4dクラスにはmultiply関数がある」というのは 「じゃがいもは包丁によって切られる」という感じに置きかえるべきで、 「じゃがいもは包丁で切られるという仕事をする」と読むのは変である。 しかし、そういうクラスは 設計の観点から問題になるようなものではないことが多いし、 私は「便宜上クラスなだけで、所詮メソッド付きの構造体」 というイメージを持っていた。 「プレイヤークラス」のように何かをする主体と見るのが自然なクラスの方が 私が見かける頻度がずっと高いので、 自然とそういう考え方に落ちついたのだろう。

私はよくクラスインスタンスAがクラスインスタンスBに「手紙を送る」 とか「頼む」とかいう表現を使う。クラスインスタンスを擬人化して見ているためだ。 また、インスタンスでないクラスそのものやファイルも擬人化されるし、 モジュールも擬人化される。 人はみな秘密を持つものだし、いらない通信は非効率の元だから、 擬人化されたそれらの間には必要な通信だけを残して塞いでおくのが自然だ。 privateとかconstとかはその当然の帰結として利用されるが、 例えばC言語ならprivateはないので、 言語の機能以外で(名前のつけ方とか、書く場所とか) でその「秘密であること」を表現すればいい。 それは本質的な差違ではなく、この考え方は言語を限定しない。 やりやすい言語とやりにくい言語があるだけだ。

なんて考えているわけだが、オブジェクト指向とは違うっぽい。 出発点が違っても結果は一緒だと思っているのだが、 たぶん専門家に言わせればそれも違うのだろう。 なるほど話がつながらないわけだ。 とりあえずオブジェクト指向という言葉はやめよう。

でもこの考え方で困ったことないけどなあ。 つうか、「オブジェクト指向はデータをまず考えてそれに関連する処理をくっつける 考え方」という説明は本当なのか。 みんな本当に「じゃがいもに料理法を書いたもの」 をクラスだとイメージしているのだろうか。 そんなことはないだろう。 XmlParserなんてクラスを作る時に、 機能よりも先にデータについて着目する人がいるとは到底思えない。 「オブジェクト」は「データ」を意味しないのではないのか。 「オブジェクト」というのは「処理とデータが不可分に結びついて何かをする主体」 のことなのではないのか。データ気味のものから処理中心気味のものまで いろいろあるが、そのいろいろを含めて「オブジェクト」と呼ぶなら なんかしっくり来る。だいたい、「オブジェクト」なんて言葉は いかにもあいまいな言葉だ。敢えてそんな単語を選んだことの意味を考えてしまう。 「データ指向」じゃない理由があるんじゃなかろうか。 まあ英語は良く知らんのでわからないが。

いつも思うのだが、プログラマの人にはプログラム用語以外の言葉で説明してほしい。 「辞書引く時に最初に使うのがハッシュ法、 次に使うのが内挿検索、最後が線形検索」って言われたら誰でも すぐ検索について理解できると思うんだがなあ。 まあ、こんなこと言ってるからいつまでも自分をプログラマだと思えないで いるのだろうが。まあいい。別に私はプログラマになりたいわけではないのだ。 プログラマというのは他人が私を規定する称号であって、 私が私を規定する称号である必要はない。

ゼロの使い魔は相当けなされてるが、好きな人もたくさんいる。 というか、けなしてる人と好きな人が同一人物だったりする。 確かにそういう作品だ。他人に言われるくらいなら先にオレが言ってやる、 という気分になる。けなすだけけなした後ならば好きなだけ愛でていいよう な気がしてくるのはどうしてだろう。 好きなら悪い所について言及しなきゃいいのに、と昔言われたが、 そういうものじゃないんだと思う。 それだけ欠点が見えているにも関わらず好きでいられるほどの 長所があるのだという熱意を感じとってほしい。 それに、布教するにしてもただただマンセーでは説得力があるまい。 しかしさすがにゼロの使い魔を布教する気にはならんが。 そんなにハマってるわけでもない。久しぶりにかわいいと思うキャラ に出会ってうれしいだけだ。

ルイズがかわいいのは、 サイトがルイズをかわいいと思っているからかもしれない。

ゼルダは64版が20fpsでキューブ版が30fpsらしいです。 この前やった64版がびっくりするくらいやりにくかったのはそのせいか! モニタの残像のせいかと思ってました。 キューブ版は脳内で美化されてます。

継承とかテンプレートとかも同じじゃないんだろうか。課長は人間で社員だし、 じゃがいもでもにんじんでも包丁で切って煮ることに変わりはない。 というようなことをプログラミング言語で表現するのに便利だからつけた機能だという だけの話だろう。自然なことだ。なくても同じ概念をそれなりに表現する ことはできるわけで、そのための言語の拡張は本質的な問題ではない。 なんか「オブジェクト指向」とか「カプセル化」とか 「多態性」とか「総称」とか言われると違う話をされているような気分になる。 というか、そいう言葉使わないとあの世界ではダメなのか。

とりあえずもうオブジェクト指向とは言わない。自分がわかってるとも思わない。

2006年9月21日

オブジェクト指向という奴の正確な定義は知らないが、 私は「他人を信用しない態度」そのものがオブジェクト指向だと思っている。 他人を信用しないという態度をもって、C++の文法を与えられれば 自然とprivateになるし、constもつけるだろう。 Cであればprivateはないが、その場合でもファイルの分け方なんかが 工夫されていることだろう。言語に関係なく、他人を信用しない態度を持てば 使えるものを使って見えなくていいものを見えないようにするはずだ。 私の「オブジェクト指向」という言葉の使い方は間違っているのだと思うが、 根本的な思想としてはそんなに間違っていない気がする。 「他人を信用しない態度」は「相互作用を最小化する分割」 と密接な関係があって、結局やることは同じになる。 分業の法則をプログラミング言語で表現したものがオブジェクト指向だという だけの話ではないのだろうか。 他人の仕事について必要以上に知ることは非効率だし、 他人の仕事に必要以上に割りこめることも非効率だ。 非効率は危険であることも含むから、 他人を信用しない場合も同じことをやることになる。

とりあえず、オブジェクト指向って言葉使うのやめよう。 なんか別の言い方考えないとダメだ。

ゼロの使い魔のルイズがやけにかわいく見えるのはアニメの声のせいだろうか。 しかし弟に「シャナと一緒じゃんそれ」と言われてショック。 あの声ならなんでもいいのか私は。 それにしてもツンデレ好きだな私は。昔からわかっていたことではあるが、 あの頃は名前がなかった。

2006年9月20日

授業やる話。考えれば考えるほど構成が決まらない。 とりあえず知らないとヤバイことを教えるのが一番大切だよな。 newしたポインタをfreeしてはいけない理由を書け、 という問題に正答できる人あんまり多くないんじゃないかなあうちの会社。 クラスメンバを全部publicにするような人がメインプログラマやってたりするし。

デザイナとかプランナでも聞ける奴をいくつかやりたいな。 今時これくらいやらないとヤバイだろ、という焦りを共有してもらうためにも。

オブジェクト指向って奴が浸透してないんだよな。 つまるところオブジェクト指向ってのは「人を信用しない思想」だと思うのだが、 多くの人は言語の文法やらパターンがどうとかいう用語やら から習うもんだから、体で理解できてない。 「未来の自分を含めた他人を信用しない思想」と言えば、 理解は容易いはずだ。 constだってつけるしprivateにだってするだろう。 あるいは、全部publicにするような人は大層頭がいい人で、 自分で何でもできて時間が経っても自分がやったことを正確に覚えている 人なのかもしれない。でも、そういう人が作ったフレームワークに沿って ボンクラどもが同じ作法で作ればとんでもないことになるのは目に見えている。 やはりそこで必要なのは「他人を信用しない」ことで、 それを浸透させる必要がある。

あとはあれか。ツールを整備することの重要性が理解されないのは、 並列性の観点からチーム運営を見る視点がないからだ。 いわゆる絵出しプログラマに依存する方法はツールがいらないかわりに デザイナ側でできることが少ないのでデザイナを増やしてもあんまり 早くならない。 相互作用がなく並列化できる部分を増やせるなら 総作業量が多少増えたとしても全体にかかる時間は短縮できる、 ということを体と頭の両方で理解することが必要だ。 これはマルチスレッディングが必要な理由と全く同じで、 マルチスレッドがむつかしいという人は プログラミングの外の概念で理解していないのだろう。 デバグが困難という意味では難しいが、必要である理由やその原理を 理解することはそう難しくないはずなのだ。

やはり人間の知性のうち一番重要なのは抽象化能力だ。 りんごとみかんを見てくだものを認識する能力だ。 プログラミング手法をプログラミングでない言葉で説明できなければ それはわかっていないのである。 クラスとかマルチスレッドなんて、日常に似たようなものがあふれているではないか。 それらは元々そのへんにある概念をプログラミングに持ちこんだものであるはずなのに、 プログラマはしばしばそれをプログラミングの中だけで理解しようとする。 アセンブラのパイプライニングみたいに専門的と言われる技術ですら、 概念そのものはお湯をわかしている間に野菜を切る、 というのと同じレベルの話でしかない。そういう日常で馴染んでいる概念を 結合できないから理解できないのではないのか。

教育って難しいな。とりあえず最初だしあまり多くは求めず、 「それくらい知らないとヤバいよね」 という空気を作り出すことを目的としよう。 毎回「知らないとヤバイSTL」みたいな感じの題名にするのもいいかもしれない。 多数派でないことが恐怖になる国民性を最大限に利用せねばな。

シュヴァリエ4まで。このアニメの主人公が実在の人物だということを 知った。エンディングで生没年があるのでまさかと思って調べてみた。 女装して外交官をやったりした人らしい。 それをこのアニメでは姉ちゃんの魂が憑依する、 というふうにアレンジされているわけだ。 ちょっと興味が出てきた。

2006年9月19日

いきなり現れた休日を有効に使う手立てが見つからなかったので、 時をかける少女を見に行ってきた。出来いい。 あのあっさりした原作からよくこれだけのアレンジをしたものだと感心してしまう。 全然けなすところが見つからない。声優の棒読みテイストはこの場合むしろ魅力。 主人公がおバカさんなのがとっても心地良い。青春。若いっていいなあ。 ところで、私は今までの人生で一度も自分を若いと思ったことはない。 あんな青春を見てみたいと思いつつも、 自分には関係ないものだという絶望的な確信がある。

ところで、一人で行くのもなんなので弟を呼び出して行ったのだが、 そこで女の子と行っていればまさにデートなのだろうなそれ。 見た後もなんか帰るのつまんなくてファーストフード店で終電ギリギリまで ダラダラ話してたし。 近親相姦ホモは漫画だけで十分なので、できれば女性とそういうマネをしてみたい ところである。

目黒二郎を食った。やはり下した。

ゲームのfps(Frame Per Second)は60 もいらないのではないか、というのは良く言われるが、 これはゲームの動きの激しさに依存する。 あまり動きのない2Dロープレなどであれば20fpsもあればゲームにはなるが、 これが3Dロープレになると視点の変更時に画面全体がかなりの速度で動くため 30fpsくらいはないとガクガクに見えるようになる。 ff12を始めとする多くのロープレは30fpsでほぼ満足の行くものになっているが、 60fpsに慣れた目には物足りなく見えることもある。 ロープレでもそうなのだから、これがアクションゲームともなると 事態はもっと深刻だ。 実際、今30fpsのゲームを見れば到底満足できるものではない。 疑う方はプレステ初期やサターンの格ゲーを見てみればいい。 闘神伝やファイティングヴァイパーズは30fpsであり、 現行の格ゲーに比べると明らかに動きがガクガクしている。 64のゼルダも30fpsだ。60fpsであるキューブ版と見比べると差は歴然としている。 また某ゲームを4人対戦でやると処理速度の都合で15fpsになる。 内部処理は60fpsなのだが、描画が間に合わないので描画だけ 1/4に落としているのである。ぶっちゃけ、ゲームにならない。

なお、60fpsあれば十分かと言うと実は必ずしもそうとは言えない。 人間の目の性能は60fps以上を見分けるほどの性能ではないが、 ガクガクして見えなければいいというものではない場合があるのだ。 例えばキャラクタが剣を一周振るのに4/60秒しかかからないとする。 この場合1フレームに50度も60度も剣が回っているわけで、 剣はそんなに太くないから間の空間には剣が一切描画されない。 結果飛び飛びに見えてしまうことになる。 剣を振るゲームで剣の軌跡にエフェクトを出しているのはかっこいいから という以外にも理由があるのだ。 またテニスゲームならばボールは小さいので当然飛び飛びに描画されるだろう。 この場合も軌跡に尻尾を引くようなエフェクトを出して飛び飛び感を軽減 していることが多い。 これをもし120fpsにすればその効果は軽減されるから、 エフェクトなどという非現実的なものを出さなくても ゲームとして見難くない画面を作れる可能性がある。 120fpsなどという過剰な値にすることにも意味はあるというわけだ。

また、これは見栄えとは別の問題だが、 多くの場合ゲームの内部処理(剣を動かすとかボールを動かすとか) は描画の頻度と同じ頻度で行われる。 もしボールが飛び飛びになるような頻度でしか計算を行っていないとすると、 当たり判定の際に抜けてしまうことがありうるのだ。 具体的には、1フレームでボールの直径よりも大きな距離を進むような場合に 薄い壁に当たったことを検出できない可能性が出てくる。 fpsを大きくすることにはこのような不都合を防ぐ効果もある。 実際、以前関わったゲームでは銃弾が速すぎて敵をすり抜けるバグに 悩まされたことがあった。 そんな速い弾ないだろと思って作ってみたら、ゲーム調整の人が 勝手に速いパラメータを入れてバグの原因になる、というパターンだ。 「速度が飛翔体の直径と最小の目標物の厚さの和を越えてはならない」 なんていう制限をプログラマ以外の人に課すのは面倒この上ない話である。 そうならないようなやり方で衝突を見つけることは可能だが、 それにかかるコストはゼロではない。

ところで普通映画は24fpsだが、それほどガクガクして見えない。 それは、シャッタースピードが有限であることによって 1枚1枚の絵がボケているためだ。 しかしゲームの絵はどうしようもなくくっきりしており、 24fpsの映画よりも30fpsのゲームの方が明らかにガクガクして見える。 CGでボケさせるには1フレームを細かく割って何度か描画して それを合成するのが一つの手で、例えば30fpsのゲームでも 1フレームにつき2回の描画を行って合成して出すと 60fpsに近い品質になる。むろんだったら60fpsで最初からやれば良く意味はないが、 60fpsのゲームでも倍の120fpsで処理して 2枚づつ合成することには意味がある。なぜならテレビは普通秒間60回しか 絵を出せない機械だからだ。倍速で処理すればその限界を越える絵を出せる 可能性がある。しかしこれでは当然2倍の処理時間がかかってもったいないので、 最近はいろいろとインチキをする手法が編み出されているが、 それはまた別の話だ。

ところで、fpsについてはお国柄というものがあるようで、 アメリカ人はfpsにあまりこだわらないようだ。 どうも彼等の原点はPCゲームにあるらしく、PCゲームの場合 性能がマシンによってまちまちなために fpsが常に一緒であるような保証は不可能で、 重い場面や遅いマシンでFPSが下がるのは 普通だと思っている人が多いのだろう。 一方日本人は普通に60fpsを亨受してきたためか、 fpsの低下に敏感な人が多い。 また、fpsの問題は必然的にティアリングに対する感受性と深く結びついている。 テレビは1秒に60回描く機械であるため、 例えば40fpsとか50fpsなどという中途半端な値は取れない。 結果、画面の上半分が今のフレームで下半分が前のフレーム、 などという望ましくない絵が出る時間がどうしても出来てしまう。 これがティアリングである。 場面やマシンによってfpsが変わるのが普通だった向こうでは そんなことは気にしても仕方ないことだろう。 しかしfps固定が普通だった日本人は そういう現象にはあまり慣れていない。だから起こるとかなり過敏に反応する。 fps固定で作ったからティアリングが起きないのが普通になったのか、 ティアリングを割けるためにfps固定で作ったのかは定かではないが、 どちらでも今となっては同じことで、とにかく日本人はティアリングに 敏感だということは定説になっている。 まあ私は日本人でもたいがいの人はそれほど ティアリングに敏感ではないのではないかと踏んでいるのだが、 ゲーム製作者にはそれを絶対に許さない人が多く、 ティアリングを許容するような洋ゲー風ゲームデザインがなされることは滅多にない。 ティアリングを許容すればちょっと処理落ちしても60fpsが59fpsになるだけで たぶんバレないのだが、ティアリングを許容しない場合 60fpsから少しでも落ちたら即座に30fpsになって明らかに処理落ちとわかってしまう。 そのリスクを引き受けてでもティアリングを許さないという美学が 妥当かどうかは私には何とも言えない。 私はティアリングもアリだと思うのだがな。 ちょっと処理落ちしただけでいきなり1/2倍速になるのはあまりにももったいない。 特に今作っているゲームに関してはそれを強く思う。

やべえ、上の書いてたら5時だ。今日もイベントドリブンかよ。

仕事にならなかった。寝る。

会社の技術レベルがヤバいので授業とかやったらいいのにと言っていたら、 私がやることになった。まあ当然そうなるんだが、まさかこれほど動きが早いとはな。 で、修論以来一回もプレゼンの類をしてないので どうなるかさっぱりわからん。一回目で愛想つかされたら辛いなあ。 なんか8回くらい毎週講師やるらしい。

2006年9月18日

明日休みか。

マンキューのマクロ編を読み始めた。 最初の100ページくらいがミクロ編と一緒なのでちょっと損した気分。 経済学に2万くらい使ってることになるが、たぶん すすめられた本を読み終えたあたりで飽きるのでこれ以上の出費はない。 2万でこれだけの収穫があるなら安いものだ。 そのうち縁があれば法学なんかもかじってみたいが、 経済ほど面白くはないだろうなという気がしている。

PSUが大変なことになっているらしい。ネトゲは永久に関わりたくない。

アイドルマスターのXBOX360版は勝算があるのだろうかとずっと疑問に思っていたが、 なんとなく見えてきた。 ゲームが出た後も追加データやら何やらで金を取れる体勢になれば 10万も20万も売れなくても少数の人から継続的に金を絞り取る 商売が成立するわけで、あの無残なXBOXの普及状況もさほど不利にならない 可能性がある。だいたいあんなゲームをやる人にはハードごと買うくらいの ことは平気でやってのける人が多かろう。 見えにくい所に置いたら客の付きが良くなったという話もある ゲームだけに、家でできるなら家でやりたい人は多いのではないか。 その場にいる人に見せびらかすタイプのゲームでない以上 ゲーセンでなければならない必然性は薄い。 家庭用でも少数の人から金を絞り取るシステムを確立することは 結構重要なことだ。でないと10万売れないゲームは作れない、 みたいな話になってしまう。

プリンセスメーカー5ではキャラデザが元に戻るらしい。 売れなかったんだろうなあ。

朝からうたわれらじおを聞いてニヤニヤする不健康さ。 急に休みになられてもなあ。まあラジオ聞き終わったら経済の勉強でもしよう。 聞きながらできたらいいのだが、無理。 日本語の解釈は片手間にできるような処理ではない。 にしてもまあ、おもろい人はただくっちゃべってるだけでおもろいんだなあ。 同じように、おもろい人はなんぼロクでもないweb日記でもおもろいんだろう。 私のも相当ロクでもないが、さてどうだか。

今日の昼御飯はレタス。湯をわかして一枚づつ色が変わるまでゆでる。 1秒とかからない。 上げたら油をまぶして、そこに醤油をかけて食う。 ドレッシングには酸味がほしいので酢かレモンが欲しいのだが、 手元にないので仕方ない。まあこれでもそれなりにうまいが。 原則的には生で食えるものは生で食うのがいいのだが、 虫やら菌やらを確実に抹殺しつつかさを減らせるという意味で ゆでるのも悪くない。生では丸一個は食えまい。 まあゆでてもちと多かったが。

2006年9月17日

岩田規久男「日本経済を学ぶ」。 バブルってのはなんだったのか。ここ10年景気が悪かったらしいが、 それは何が悪かったのか。ゼロ金利やら量的緩和やらがどういう効果を持つのか。 だいたいそういう感じの話。わかりやくてためになる。大変勉強になった。 これでやっと経済関連のニュースを見たり政治家に投票したりする 権利が得られたのだな、というような感じ。 細かいことについてこの本が正しいかどうかはよくわからないが、 経済学的な考え方というものがだんだんわかってきた。 自律動作するオブジェクトがたくさんある系に対して 介入できる項目がちょっとしかない時に 何をどうしたら系の状態を目的に近づけられるか、 というのがマクロ経済学なんだろう。たぶん。 ミクロ経済学との違いはそれほど明瞭ではないような気もするが、 マクロ経済学は系を「いじる」ことに主眼を置いた学問という気はする。 教科書も読んでいないので正しいかどうかはわからんが。

経済おもろいな。研究の手法はぶっちゃけデータ収集と解析で、 実験もロクにできないものを自力で研究する気にはならないが、 理屈を理解して、ある程度時事ネタで演習を積んでおくのは この世界で生きるのに相当有益だ。 別にこれで金持ちになるわけではないが、 世界の見方が一つ増えるのは有益だし、 選挙に行くならこれくらいのことはわかっていた方がいいだろう。 失礼ながら私は法学と経済学は美しくない学問だとずっと思っていたわけだが、 少なくとも経済学についてはそういう印象がなくなった。 根底にある理論はえらくシンプルであることがわかったからだ。 もしかしたら法学もそうなのかもしれない、と思うとそっちにも 興味が湧いてくる。

経済は実験できないんだろうか。うまくシミュレーションを組めば 結構いい線行くと思うんだが。ところで、 ゲームにうまいこと使えないかな。

「ヤバい経済学」。 アメリカの犯罪発生率の低下は中絶の合法化のためだった。 相撲には八百長がある。みたいなことをデータから導き出す話。 テストでインチキしてクラスの点数を上げようとする教師を 見つけだして対策を立てる話なんかは最高だ。 経済学っぽくないのが面白い。 まあ、書かれているように経済学者と社会学者の違いは 人間が合理的な行動を取るという仮定を どれくらい重視するかにあるとするならば、確かにこれは経済学なのだろうな。 物事の因果関係を導き出す例をいくつか見られたのは役にも立った。 なお、内容的に一番驚いたのは親と子供の相関。 環境要因と親の行動による要素を取り除いても親の能力と子の能力には かなりの相関があるという話。 つまり遺伝子はそれなりに重要だということだ。 だいたい環境要因と同じくらいの寄与があるという。 私はずっと環境要因の方がずっと大きいと信じてきたので、 これは本当なら結構ショックな話である。 アホの子はアホである可能性が高い、というのはなんとも嫌な話ではないか。 ところで、題名の日本語訳がおかしい。 元が造語だから仕方がない面があるのはわかるが、「ヤバイ」はないだろ。

合唱の練習に行った。全力はまだまだ出せないな。

シュヴァリエ3まで。こんな地味アニメ久しぶりだ。 いろいろそれっぽいし、まあ良く出来ているんだろう。 よく考えるといろいろ間抜けだったり都合が良かったりするが、まあ気にしない。

提供されている物理演算ライブラリの出来が悪いことが今更わかった。 うちはどうにかなるからいいが、まともに使うところはどうしているのだろう。

2006年9月16日

流体力学云々言う前にベクトル解析をマスターしないとダメだ。 全然ダメ。しかし時間がないのでどうにかする。

本屋に行ったついでに高級スーパーである青山の紀ノ国屋に行ってみた。 生のハーブが普通に売られていたり、豆腐や納豆や味噌がえらく高そうだったり、 とにかく面白い。あんな店が近くにあれば結構使うのになあと残念に思う。 で、鳥レバーと見慣れないキノコを買ってきた。 新鮮な鳥レバーは黄色いという話を聞いていたのだが、本当だった。 ソテーで食ってみたが、臭みなんて微塵もない。 ただただ深い味わい。感動した。鍋に出た汁がもったいないので そこでキノコもソテーしたが、このキノコがまたうまい。 直系10cmくらいあるマッシュルームだろうか。とにかく旨味が強くて 肉厚で、レバー汁を吸ってえも言われぬうまさである。 ちなみに調味料は敢えて塩だけとしたが、十分だ。これ以上何もいらないが、 トマトを炒めてソースを作るくらいはアリかもしれない。 ハーブやスパイスの類はおそらく邪魔だろう。 久しぶりに食べ物で感動した。 なお、合わせる酒はもちろん開運。久しぶりに味覚で幸せになった。

鳥レバーは偉大だ。高級スーパーであっても100g126円と安い。 実際キノコの方が高かった。 これは定期的に食べたいものだがなあ。 そのへんで売られている赤黒いレバーなんてもう食べる気がしない。 しかしいい鳥レバーを置く店を近くで探すのは困難だろうな。 なにせこれまで生きてきてあんな色のレバーは見たことがなかったのだから。

なお、これまで生きてきた中で最高のレバーはカワハギのそれ。 あの感動にはさすがに及ばない。なにせあれは生で食えるし、 シメて数時間しかたっていないわけで鮮度も最強である。 アンコウのレバーもあれに比べれば大味だ。 また鳥の場合は加熱が必要だが、料理の腕に問題があるので 加熱の度合を完璧に仕上げられないというのもある。 あの感動をもう一度味わいたいものだが、一人ではな。 鳥レバーは一人で消化できる量を買うことができる唯一のレバーなので どうにか入手方法を確立したいものである。

すすめられた経済の本3冊と、流体力学の本を3冊買ってきた。 しかしまずはベクトル解析だな。この土日でどうにかしたい。 何か鍵になるイメージがあるはずで、どうにかそれを掴みさえすれば 実装に必要な最低限の理解は得られるだろう。

5.1チャネル対応のテストをしていた。 5つのスピーカーの真ん中に座ってゲームをやっていても、 やはり私には右からしか音が聞こえない。 聞こえないのに、そこにはご立派なスピーカーがある。無性に腹立たしい。 私にとって無価値なもののために6個もスピーカーを置く人がいることが 腹立たしい。そのためにCPUの処理が割かれていることも腹立たしい。 一回考え出すとどんどん心が黒ずんでくる。 やはりこんなことで暗くなるだけ損だし負けだ。 総合的に私は恵まれた人間なのだから その程度のハンデはスパイスとみなすべきだ。それがいい。

ガッテン、マーボー豆腐の回。 肉はダシのために存在するから十分加熱して 旨味を吐き出させる。豆腐は高温で加熱してタンパクの加水分解を進ませる。 そのために煮る工程で油を加えて沸点を上げる。 片栗粉を加えてからも加熱を十分に行って糊化を完了させる。 なるほどなー。 しかし家でマーボー豆腐を作ることはそうそうない気がする。 あのしびれは家では得られないからな。

40インチ1920x1080でゲームが動いているのを見た。しかもHDMI接続。 確かにすげえなこりゃ。 しかしどれだけの人がこんな豪華なマネをしてくれるだろう。 まあショー会場すごいと思ってもらえればそれで十分か。 たぶんTGSでも1080pで展示するゲームはそう多くはないだろうし。

2006年9月15日

Wiiは25000円。もう少し下げてくるかと思ったが、敵のPS3が あんな値段なのでこれで十分と判断したのだろう。 実際十分に安いので問題はない。現状ゼルダ以外に欲しいものはないが、 定番タイトルはいずれ出てくるし最初から十分安いので 買い控える必要も薄い。買いそう。

2006年9月14日

うたわれるもののネットラジオを聞いた。たまらん。 ハクオロの中の人のオロオロしっぷりがたまらん。 3回目くらいになるとそれなりに形になってくるが、 それでもエルルゥの中の人が攻勢をかけると あっと言う間に崩れ出す。実にたまらん。 声かっこいいのになあ。

かっこいい声っていいなあ。 もっと胴体を共振させたらマシになるかもしれん。 体が治ったら修行修行。別に何の役にも立たんが、 私の声をかっこいいと言ってくれる人がたまにいるので ちょっとくらい鍛えておいても損はないだろう。 ちなみに今回の病気で腹式呼吸レベルが激しく上がった。 もう二週間くらいほとんど胸をふくらませていない。 あとこれは関係ないが、あくびができなくなった。 あくびは胸呼吸そのものなので止めてしまうクセがついてしまったのである。

西の善き魔女5まで。どうも5は外伝らしくアニメにはない話だった。 お姫様と平民の出会い、と見せかけて、実はタダの平民でないという この王道パターン。まさに乙女向けの物語だ。 私は乙女からは程遠い存在だが、物の嗜好だけ見れば乙女チックな部分もあるので 結構燃える。ルーン好きだし。

なお、最近のラノベやらは全部会社。例のラジオも会社で聞いてた。 どうにも調子が悪いが休むわけにも行かず、 とりあえず何かを頼まれるまでは読書して過ごすという不良社員状態。 イベントドリブン、というやつだ。 自発的に仕事をできる状態じゃない。 まあこの時期に至って発覚したバグの修正以外の仕事が残っているのは ヤバいわけでこれでいいとは思うのだが、 他の人がまだ新しい素材をバリバリぶっこんでいるのを考えると ちと後ろめたい気持ちにはなる。 一応それでも人からは十分働いていると思われているっぽいが、 しかしうちのチーフの仕事量が尋常ではないのでさっぱり安心できない。

ネットラジオって時間適当なんだなあ。30分どころか50分もあるぞ。 しかし、これすげえなあ。こんなただただくっちゃべってるだけの代物が 商品価値を持つわけだ。つうか実際おもしれえ。言うことが巧みだったり するわけでもなく、むしろ慣れてないのが丸出しなのだが、 それがこんなにもおもろい。 こういうものを聞いてファンになるのはかなりわかるな。 つうか、第四回おもしろすぎます。沢城みゆき氏が素晴らしい。

他人がこれを読んでるということがもう相当どうでも良く思えているのだが、 しかしやはり顔を知っている人間が見ていると思うと多少は妙な気分になる。 あと、親のPCのブックマークに入ってたのを今思い出した。まさか見てるのか。

明日は幕張でゲーセンマシンのショーがあるが行かない。どうせ見るものないし、 胸痛いし。展示物の大半がプライズやらメダルになっている現状では 行っても淋しくなるだけだ。 でも来週のゲームショーは行くけどな。自分が作ったもん展示されるし。 でも人がたくさんいると嫌なのでビジネスデー。 ギャル師匠たるT氏、またご一緒しましょう。

もう一冊切り口の違う経済学の本を読んでおこう。知識の定着をもう少し 進めておいた方が使える。

うたわれるものの双子、男の子だったらしい。 「あんなかわいい子が女の子のはずないじゃないですか」 という素晴しい台詞もあるが、それはそれとして、 アニメだけ見ていれば男の子と見る理由は見当らない。 まあどちらでもかまわないがな。かわいいし。 キャラの性別はそれが問題にされない限りは問題にならないものだ。 女の子よりかわいい男の子が普通に存在していればリアルでもそうなるだろうが、 悲しいかなリアルはそのように夢に満ちた世界ではない。

うたわれ24。なんか大変なことになってきた。あと2話で伏線回収しきれるのか。

おもちゃが見つかった。流体力学。そうだよ。次世代機なんだから 流体力学くらいやらなきゃダメだよな。 というわけで、明日は本屋に行く。 ついでに紹介された経済の本も買ってこよう。 上司の許可も取ったし、堂々と遅刻できる。

ゼロの使い魔4冊目+アニメ11まで、 かなり好きかもしれん。私もツンデレ萌えのクソオタということか。 いいさ、結構だとも。 にしても、釘宮ヴォイスはいいなあ。 アニメ版の再構成もなかなかだ。この絶妙なはしょりっぷり。 本一冊を2話にまとめるとは。

アホはこの作品の魔法の扱いが間違っているという理由で 気に入らんようだが、私はそういう知的な理由で物を評価することはまずないので どうでも良い。まあ確かに名前だけ取ってきてそれっぽければ良し、 という態度は私もどうかとは思うが。 それにまあ、仮にそういう所が正しくてもアホには合わんだろうな。 キャラクターに重点が置かれた作品を愛好するには奴は知的すぎる。

2ヶ月以上放っておいた開運を久しぶりに開けた。 おいしいじゃないかやっぱり。いい酒は放っておくほどおいしくなるのだということを 再確認した。 香りも控え目ながらきちんと保っているし、何より味がしっかりしている。 なお、同じくらい放置している緑川は酸味が突出してバランスが崩れていた。残念。

ペルソナ3のエンディングについては解釈を放棄する。理由はだいたいAirの時と同様。 同じエンジンを使った別のゲームを強く希望。 むろんエンジン及びゲームデザインには多少の改良を期待するが。

ストパニはエロい。だが、欲情するのは視聴者ではなく世界の中にいるキャラだ。 それが違う。まあコンセプト的に 百合描写を我々に見せるのが目的なのだからそれは必然なのだが、 単にそれだけではないと信じられるだけの迫力がある。 いや、ぶっちゃけ笑いをこらえ切れないシーンがあったりして 必ずしも素直に見ていられるわけではないのだが、それはそれだ。 そういう頭の悪さもこの作品の魅力である。

ああ、若い静馬さま、普通にかわいい。 シスプリは同人を描きたくなるのを抑え切れなかったものだが、 これは美しすぎて触れない。 私もしかして一番真面目に見てるアニメはストパニなんじゃないか。 会社で見られないのもそのせいかもしれん。真面目に見ると顔に出るからな。

流体力学ではたぶん連立方程式を解くことになるのだが、 その場合できる行列の性質が致命的に効いてくる。 対称かつ対角優位であってくれれば良いが、どうなることやら。 実装例がある以上そのへんは大丈夫なんだろうが、なんとも不安だ。 にしてもワクワクするな。あれだけ勉強してついに使わなかった 連立方程式の数値解法を実際に役立てる日が来るだから。 アルファを過ぎてベータも近いこの時期に こんなことを始めるのはどうかと思うが、 やる気になってしまったのだから仕方ない。

2006年9月13日

ホッチキスの針を抜いてきた。 ここんところの発熱とかについては特にコメントはなかった。 そのうち治るんだろう。

病院が早く終わったので会社に行った。ちょちょいと小さな仕事をして 帰る予定だったが、何故かこうして日が変わっている。 しかも、全てやり終えて帰ってきたわけではない。 死ぬバグを見つけたがすぐには直せないので帰ってきただけだ。 明日も行くハメになる。あれはたぶん私にしか直せん。 体ダルいんだが、人様に不様なものを曝すのは耐えられん。 絵が多少アレなくらいならともかく、死ぬバグだけは絶対に許せん。

神様家族2を読んだ。やっぱりギャルゲーシナリオみたいだった。 神が奇跡をやり放題という設定で1巻のいろんなことがうやむやにされている 気がするあたりもなんかギャルゲーっぽい。 昔の私の言い方だと「非物理シナリオ」。 青春っぽい頭の悪さが心地良いので私は結構好きだ。

ゼロの使い魔を3まで読んだ。なんか戦争とか始まったりして、 単なる萌え小説からちょっと外れてきた。すでにヒロインとラブラブなので ツンデレ臭はかなり薄まっており、 この先は適当に浮気しかけて電撃を食らうのをくりかえすくらいしかなさそうな感じ。 しかしそれでもなお結構楽しいから好きだ。たぶんダメなんだろうけれども。

西の善き魔女を4まで読んだ。アニメで見たシーンがちらほら出てくるが、 アニメと展開か同じなのかはよくわからない。 アニメの方は結構コード書きながら片手間に見てたからな。 アニメには詩人がロボみたいな描写はなかった気がするが、もう覚えてない。 とりあえず、ルーンかわいい。しばらく前からフィリエルを尾けてたんだろうなあ、 やきもきしながら。

最近何かとツンデレと言うが、 これほど一般的な性質にこんな便利な名前をつけた奴の罪は重い。 一時の「せっかくだから」と同じくらい罪。 ルーンもツンデレだなあ、とふと思った瞬間に なんか妙なレッテルが貼られたような気がして嫌な気分になった。

マンキュー経済学は素晴らしくためになった。マクロ編も買う。 放っておいていい感じに収まる場合と収まらない場合があり、 前者は介入せず放っておくべきだし、後者はいい感じに介入して 改善してやる必要がある、というのは漠然とは知っていたが、 明瞭に理解していたわけではないし、 どういう場合がどちらに当たるかはよくわからなかった。 いわゆる囚人のジレンマとか、そういうの。 あとは所得税と消費税の比較なんかがおもろい。 ところで、この本を読んでいると経済学って基礎を学ぶだけなら えらく簡単なのではないかと思ってしまうのだが、どうなのだろうか。 とりあえずこの本は一回通して読めば概念は大方理解できるし、 細かい数式についてももう一度吟味しながら読めばたぶんほぼ掴めるだろう。 というか、概念がわかっていれば全てその場で導出できる程度の数式しかないから その必要すら感じない。まあたぶん学部の一年目の最初にとりあえず読んでおく ような扱いの本なんだろう。 経済学の真髄はこういう理屈を使ってどれだけ現実を説明する場数を踏んだか、 ということにあるのだろうな。たぶん。

ファンタジー世界だと思ったら実は未来だった、みたいなタイプの どんでんがえしは良くみる。 スターオーシャン3は「実はネトゲ」というちょっと変わったパターンだが、 まあ同じだ。 西の善き魔女やうたわれるものもそういうネタっぽい。 ああいうのって人によっては台無しにされたと 思ってしまったりするんじゃないだろうか。 実際スターオーシャン3は相当叩かれたそうである。

いいなあ。技術に関してインタビューとかされてみたいなあ。 しかしそれには圧倒的に技術に優れた何かを作らねばならんわけで、 少なくとも今回は無理だ。新マシンで動かすのがやっとで それ以上の余裕なんてありゃしない。 結局プログラム側だけでできることはかなり少ないのだ。 性能や品質は素材の作り方に決定的に依存しており、 それをどれだけ早い段階で確立できるかにほぼ全てがかかっている。 作り始めてしまった後にもっといい手が浮かんでもそれは手遅れなのだ。 今回のように素材の流用が前提である場合は何をどうやっても 最適には程遠いものになるし、 シミュレーションなども実装と素材の作成が並行して行われる ために実装が進化しても素材側の制限で採用できなかったりもする。 同じマシンで続けて似たようなゲームを二つ以上作る事の利点はそこにある。 でも、今回確立した技術はたぶんそのまま埋もれるんだろう。 文書に残すくらいでどうにかなるものではないのだ。

2006年9月12日

経済学のとゼロの使い魔を3まで読み終えた。 なんか調子悪いから感想は後で。寝る。明日は病院でホッチキスの針を 抜いてもらう。

2006年9月11日

ここ何年か夢が悪化の一途を辿っている。学校の夢がとにかく多い。 私は懐しいという感覚が嫌いである。私を未来へ向かわせまいとする引力だ。 たぶん、フィクションを見すぎたのだろう。 他愛のない学校生活の1シーンがこれだけ私をブルーにするのは、 そういったものがパステル調に見えるような眼鏡が私に備わってしまったからだ。 起きかけのボーッとした状態で、私は何故か見た夢を脳内で漫画にしていた。 内容はなんてことない。でも絵柄は少女漫画みたいだった。最悪だと思った。

何にせよ今日は寝すぎたのだと思う。昨日の夕方あたりから記憶がない。

掲示板で紹介してもらったサイトを読んでた。 異論はないが違和感はある。その違和感が単なる逆切れなのか 根拠があるものなのかはよくよく検証する必要があるな。まあ後で。

物理化学におけるエネルギーや平衡、反応速度等の概念を人間社会に適用したものが 経済学なのだろう。と、勝手に感じた。 両方学ぶとより理解が深まって良いのではなかろうか。 経済学は全員必修にしたらいいのにと思うくらい有用な学問だと思う。 あの本を半分も読めばそれだけで全然違う。

2006年9月10日

安倍氏って評判どうなんだろと思って調べたら、 出るわ出るわ、誹謗中傷の嵐。 著書の「美しい国へ」の題名は「美国」すなわちアメリカを表していて 対米従属を是とすることを暗示しているのだそうだ。なかなかの想像力である。 あとは統一教会がらみのがたくさん出る。 なんでも統一教会のイベントか何かに祝電を送ったらしい。 まあ政治家なんて叩けば埃が出るんだろうし、その真偽はどうでもいいや。 言ってることがまともかどうかだけを見よう。 悪い人は巧妙なのでそれでは不足な場合もあるだろうが、 それは私の能力を越えることだ。

それにしても、ああいう文章を書く人が左翼の足を引っぱっているのだろうな。 左翼の人も悩みが尽きまい。もっともその点では右翼も同じだろう。 右翼的な言説をするサイトに何も考えてなさそうな人間が よってたかって万歳丸出しなコメントをつけているのを良く見かける。 光に集まる虫は結局光を覆い隠すだけの存在でしかないのだろうか。

ところで、誰かまともな左翼のブログを紹介してくれないだろうか。 何分右翼が流行りなので左翼的な言説はあまり見つからない。 見つかるにしても、結局右翼サイトからのリンクで至ることになるために、 上に書いたような誹謗中傷に終始するものや、 ひたすらに感情的なもの、さらには到達する術もない天空の理想を無邪気に語るもの ばかりが目についてしまう。右翼の人は当然自分が有利になるようにリンクを 張りがちだろうからそれは仕方ないのだが、おかげでまともな左翼にさっぱり 辿りつけずにいる。 webなんて信用できんから本を読め、と言われるかもしれないが、 私はwebを信用できないとは思わないし、本は金も手間もかかりすぎて困る。 右翼右翼言われるのはなんとも腹立たしいので左翼側の言説も 少しくらいは知っておきたいのだがな。 それにブログは毎日少量の文章を読めてとても気楽な媒体なのだ。

私には話し相手と逆のスタンスに立とうとする習性がある。 例えば、相手が右翼気味なら左翼気味にシフトし、 相手が左翼気味なら右翼気味にシフトする。 左翼の人相手には「攻めてきたらどうすんのよ」と言い、 右翼の人相手には「オレには銃剣持って旅順に突撃なんてできそうにないが、 君はどうなんだ」と言う。しかし両方私の思うところであってウソではない。 だいたい会話は対立点がないと盛り上がらない。単なる同意は得る物が少ないのだ。 だからわざと自分の考えの中でも相手と違いそうなことを口に出すし、 場合によっては普段の自分の意見から多少ズレた事でも敢えて口に出してみて 反応を見ようとしたりする。 と言えば見栄えもいいが、たぶん始まりは 「相手に同意するのがなんか負けた気分で嫌」 とかいう程度の幼稚な感情によるものなので、もう少し自覚的にやれるように したいとは思っている。 知らんうちにクセになっているようで実にいかん。

にしても、私右翼じゃないだろ。「君は右翼じゃないよ!」 というメールも頂いたが、それがなくてもやっぱり私は右翼じゃないと思う。 そもそも、右翼とか左翼とかそんなのは所詮レッテルで、 個々の分野についての意見が別々に存在するのが自然であることを考えれば 意味がある言葉とは到底思えん。 本当は私もそんな言葉は使うべきではないのだろうが、 何分便利だし言いかえると恐ろしく長くなるのでとりあえずは仕方ない。

リーンの翼を見た。30分間全く会話が成立しないのがすごい。 さすが富野である。ただし、モノそのものは全くポカーンだった。

自分でキャラに会話させてみればわかるが、普通は会話が成立する。 自分一人の脳内で作るとキャラとキャラが別の人間で ちゃんと言葉が伝わるとは限らないということを忘れがちになるし、 仮にそれをわかっていたとしても、普通はわざわざ会話にならない 会話を書いて見る人を不安にさせるようなことはしない。 にも関わらずあれだけ成立していない会話を続けさせる富野は すごいと思う。なにせ30分間ほとんど会話が成立せず、 言うならば皆が独り言を言い合っている状態なのだ。あの不安感はそうそう 味わえるものではない。が、不安なのが楽しいわけもなく、 やっぱりあれはどうかと思う。

合唱行こうかと思ったが、やめた。 胸で呼吸した瞬間に激痛が走るこの状態は ジョジョ2部のマスクみたいな効果があってある意味練習には丁度いいのだが、 しかしその拍子に中身の切れ目が開きでもしたらたまらん。 せめてこの脇のホッチキスの針を抜いてもらってからにしよう。

ゼロの使い魔を10話まで。アニメはだいぶ原作をいじってていい感じ。

うたわれるもの。ロボが世界の軍事バランスをメチャクチャに。 そんな兵器を持ってる国に誰が攻め入るというのだろう。 強いという噂だけしかなく実際どんなものなのかは誰も知らないという 設定なのだろうが。

いきなりとんでもない展開に。 そんな衝撃の設定を出してこなくても十分良く出来てると思うんだがなあ。 何の説明もなくケモノ娘を出すのに耐えられない繊細な人が書いているのだろうか、 なんて思ってしまったりもする。 でもまあ、たぶんうまくまとまってくれるのだろう。楽しみにしておく。 ゲームは買おう。

2006年9月9日

うたわれるものを11まで見た。おもしれえ。かなりおもしれえ。 こういう話好きだ。

シミュレーションRPGが優れているのは、キャラをかなりたくさん 扱えること、そしてストーリーも普通のロープレに比べると 大きなものを扱えることだ。そして、普通のロープレよりも ゲーム性を凝ったものにできる。 さらに、普通のロープレほど物量頼みにしなくてもゲームを成立させられる。 確かに同人で作るには荷が重いが、不可能というほどでもない。 面クリア型に帰着させてしまえば物量負荷はかなり軽減できるし、 やろうと思えばもっと凝ったこともできる。 その割に大手が手を出さないのは、その手のゲームに面倒くさい作品が多く 愛好する人があまり多くないからだが、同人ならばそんなことは知ったことではない。 面倒くさいのが好きな人が5000人いれば十分割に合う。

こんな時間に待っていた物が来やがった。1時なんですがもう。 というわけで、土曜夕方から仕事。

描画と内部更新を非同期にするというのはなかなか面白いアイディアだ。 それを前提にエンジン構造を考えてみてもいいやも知れぬ。

奴等の最大生息数を減らすためには部屋の中の物体の表面積を減らせば良い。 水場を奪うのは困難だし、食料もすでに部屋の中で物を食っていない以上 改善は困難だ。まずは表面積に絞って改善を測ろう。

信じられないほど頭の悪い企画が通ってしまって、 あーだこーだ企画会議をする夢を見た。 「キモオタに売るならまず自分がキモオタになるのだ!!」 とかいう頭悪い台詞が飛び出す一種の理想郷。 こんな頭悪い願望を夢に見るようでは私ももうダメかもしれん。

それというのも外注に作らせてるとある新作があんなにオタ丸出しな キャラデザと声優なのが悪いんだ。くそ!社内で作ってみせろよああいうのを! そしてオレを参加させろ!

私が就職して最初に作ったのはオタ気味なゲームだった。 そして今作っているのは最もオタから遠いタイプのゲームである。 なにせスポーツだもんなあ。

DSで5万売れれば元が取れるような小さなゲームをサクッと作ろう、 と言うと、金がかかるから中では作れないと言われる。 何かが間違っているとしか思えない。

うたわれるもの14話。何この異常な作画は。 顔がえらくいい感じに崩れてて、ギャルアニメには到底見えない。 そして動きがかっこ良すぎ。手が飛ぶ足が飛ぶ。 やっぱり、この手のものはアップになった時だけ普通に綺麗な絵が出れば、 後は多少崩れてもダイナミックな動きをした方がいいな。

やっとまともに体を洗えた。ボロボロボロボロ、出ること出ること。

うたわれるものは結構話が飛ぶ。いまいちわけがわからんところがある。 何より戦争が起こる原因が一番意味不明だ。 まあそれでも特にストーリーを追うのに支障はないのだが。

右翼っぽい人々は日本の文化を誇りがちだが、 それは親父が金持ちなのを自慢するのとあまり変わらん気がする。 自分で作ったものではないのだから。 ただ、親父から継いだ金を有効に使えたならば、それはその人の実績と言えるだろう。 文化もたぶん同じことが言える。 まあ私は分類によれば右翼らしいので、そういう言い訳をしたところで 手遅れなのだろうが。

2006年9月8日

やっぱザ・サード好かんなあ。 いいからまず主人公を描けよと言いたい。 設定を愛しすぎだろう。 世界の構造とか言い出すのはもう少し後でいいと思うのだが。 たぶん古い世代の作品なのだと思う。

またライブラリの更新待ち。いいかげんにしてほしい。 この時期に来たものがバグまみれというのは一体どういうことか。

あと二週間でTGSか。ありえない。

うたわれるもののアニメを見ているとシミュレーションロープレを作りたくなる。 キャラ性とストーリー性とゲーム性をかなりいい感じな水準で満たせる 可能性のあるジャンルだ。単なるロープレよりずっと魅力的。 寝り込みさえきちんとやれば必ずしも物量が必要でないという点でも 小規模チーム向きだろう。

口だけ野郎にならんためにもやはり形にせんとアカンなあ。 せっかくデュアルコアマシンも買ったことだし、 このままでは何のためにVisual Studioを買ったのか全然わからん。 とりあえずゲームにならんでも挙動を調べる実験くらいはしてみないと。

だれかが「次世代機で求められる画質を出すためには60fpsを意地するのは厳しい。 30fpsに落としてでも画質を上げるべきだ」みたいなことを言ってるらしいが、 到底同意できん。明らかにゲームがカクカクする。 テンポが遅いゲームならそれもアリかもしれんが、にしても私の趣味ではない。 むしろせっかく性能が上がったんだからいっそ120fpsで ゲームを動かしてみたらいいのにとすら思う。 一回試しに240fpsのゲーム作ってみようかな。

2006年9月7日

ゴミを4袋捨てた。ほとんど服。持っている服の半分くらいは捨てたことになる。 次の段階は散乱する本の処理。本棚を買って収めるか、 あるいは本そのものを捨てるなり売るなりして部屋から追放するか。 どちらも力仕事だな。 それにしても疲れた。そして痛い。まだ早かったか。

PS3の発売がヨーロッパのみ延びた。半ば予想通り。

ザ・サードを読み始めたが、挫折気味。文章に違和感。 読んでもさっぱり情景が浮かんでこない。 何が悪いのかはよくわからないが。

なんかダルいので熱を測ったら39度。バカなと思って良く調べてみると、 体温計がおかしいだけだった。

2006年9月6日

私の病気は気胸と言って、肺に穴が開くものである。 痩せ型の男に多い病気で、成長期に骨格の成長に内蔵の成長がついていかなかった せいだとか、ストレスのせいだとか、まあいろいろな説があるが、 直接的には肺の組織の弱い部分が気圧に負けて薄くのびてしまい、 それが何かの拍子に破れて空気漏れを起こすものだ。 肺の機能が低下するので息苦しかったりすぐに疲れたりする。 通常放置しておけば穴は塞がるが、弱い部分が存在することに変わりはなく 極めて高い確率で再発する。治療するにはその薄くふくらんだ部分を切除する 事になるが、私が入院した玉川病院では切除後に生体吸収性の網をかぶせて 補強して再発率を下げるなどの工夫がされているそうである。 私の手術は31日だった。

使い捨てのふんどしの上に手術着を着ただけの状態になって 点滴を開始した。 その後胃の内容物が逆流して喉を塞ぐのを防ぐためだったか の理由で鼻から胃まで管を入れる。胃カメラすら未経験の私には これが思いの他辛かったが、鼻から入れる場合は口からの場合のように 舌の根本に当たらず吐き出そうとする反応が起こりにくい利点があり そのおかげで比較的あっさりと終わった。 その状態で移動式ベッドに載せられ、手術室に運ばれた。 この上を向いたまま運ばれるというのはなかなか不安なものである。 視界に入るのは天井ばかりで、自分がどこにいるかもわからない。 鼻に管が入っているので横を見ることすらままならない。 そしてそういう状態で見たこもない銀色の天井の部屋に運ばれる。 私が知る手術室は天井だけで、周りにどんなものがあったのかは何一つ知らないのだ。 しかしその銀色という印象も今にして思えばずいぶんと曖昧である。 そうして手術用のベッドに体を移し、 左腕を横の台に載せて脇を開ける。そうしている間に心電図の電極が 体につけられた。鼻の管が何かにつながれて、胃の中身が吸い出される。 ゲロを吐けなくするためだろうか。 そして最後に、視界に看護婦さんの顔が入り、 顔にマスクが近づけられた。これが全身麻酔のガスかと思った。 少し変わった匂いがすると共に、肉体と重なった自分の何かがベッドに めりこんで落ちていくような感覚。私は「おもしろい」と一言言ったが、 たぶんその後2秒と意識を保っていなかったと思う。

次の瞬間に見えたものは知らない天井だった。手術が終わったらしい。 どうやら親が来ているらしく、何かを話しかけられて私もそれなりに 何かを返したが、その内容は覚えていない。 麻酔醒めたての状態では意識が朦朧としているものらしいので無理もないが、 それにしては明晰に答えていると誰かが言っていたような気もする。 自分でも「なかなか明晰だ」と思うくらいではあったような気もするが、 その後の記憶がまるでないところを見ると、そう明晰だったとも言えないようだ。 次に目が醒めた時にもやはり視界は天井だった。 いいかげん天井も飽きたので周りを見回してみたが、カーテンしか見えなかった。 とは言え天井以外のものが見えたのはうれしかった。 そして、もうしばらく観察してまず鼻の管がなくなっているのがわかった。 ただかわりに鼻のところに酸素供給の管がくっついていたが、 これは刺さっているわけではないので別に辛くはない。 それと脇から管が出ていて、そのせいで動けそうもないこともわかった。 ここが手術の傷だ。管は地面に置いてある何かの機械につながっている。 音はしないが、私の左耳は聞こえないので聞こえなかっただけかもしれない。 そして最後に、自分のおちんちんに管が刺さっていることに気づいた。 看護士さん達はこれを「お小水の管」と呼ぶ。 要するに、動けない間小便を溜めさせずに垂れ流させるためのものである。 動くとこれのせいで痛い。ずっと同じ姿勢で寝ているとどうにも気分が悪くなるので 身をよじろうとするのだが、その「お小水の管」による痛みが邪魔をする。 そうやってまるで動きが取れないまま私はその部屋に次の日の朝までいた。 手術が終わったのがおそらく1時くらいのことだっただろうから、 20時間くらいはいたことになる。その何割を起きていたのかは わからないが、とにかく今回の入院で最も苦痛な時間だった。 まず時間がわからないから何時間耐えたのかがわからない。 寝続けるにも限度があるので目が醒める。そして時間が経つにつれて 麻酔の効果が弱まってきて痛みが強くなってくる。 その間風景はまるで変わらない。とにかく「お小水の管」を抜いてもらうことだけを ずっと想像して過ごした。 そういえば一つだけ変わったことがあった。 その部屋は昼間の間は精神安定のためかクラシック音楽が流されていたのだが、 どうも適当にベートーベンとモーツァルトのCDをかけていただけらしく 途中でモーツァルトのレクイエムがかかったことがあった。 丁度看護士さんが容態を見に来たので「これまずくないですか?」 と言ったが、よくわかっていないようだった。

ひたすら私の心を独占したお小水の管を抜いたのはその次の朝である。 看護士さんはまず私に上体を起こすように言い、その後息を吸ってゆっくり吐く ように言った。当然緊張するが、力を抜かないと痛いらしいのでどうにかがんばる。 看護士さんはその管の途中に出ているでっぱりに注射器を当て、 何やら液体を吸いとった。と同時に私の膀胱に何とも言えない変な感覚が走る。 どうもその管の先端は風船状になっているらしく、管の途中から注射器で そこに水か何かを注入することでふくらますことができる。 膀胱に先端が入ったところで水を入れてふくらまして栓にしていたのだろう。 抜く時はその水を抜いて先端を細くしてから引っこぬくというわけだ。 そして、引っぱられた。痛いというより熱かったとだけ言っておく。 変態の人の中にはあの感覚を好む人もいるそうだが、私には共感できそうもない。 その後2日ほど小便の際には微妙な痛みがあった。

その後は基本的に病室で寝て過ごすだけの日々だった。 食事も普通に取り、その他の時間は読書し続ける。 なんとなく寮生活や修学旅行の夜を思い出して懐しい気分だった。 時間ぴったりに食事が出てくるのも新鮮だ。食事はおいしいとは言えないが 十分許容範囲内だし量的にも過不足ないものだった。 何の仕事もしないのに勝手にメシが出てくるのが微妙に居心地が悪かったりはしたが、 まあそれはそういうものだと思えば慣れる。 とは言え、そんなに余裕のある気分になったのはもう少し経ってからで、 手術の次の日は寝ころがって本を持ちあげることすら億劫なくらい調子が悪く、 本当に3日やそこらで元気になるのかとかなり弱気になっていた。 その時期に見舞いに来れば一番病人らしい姿を見られただろう。 その後は手術後二日で脇の管の先につながった機械を外し、 退院の前の日には管そのものも抜いた。そこまで回復しても 朝起きる時には胸が痛く、鼻をかむことすら難儀する状態だったが 朝食後に痛み止めを飲んでしばらく経てば自分でもびっくりするくらい 普通に行動できた。なお、脇の管はてっきり脇にくっついている程度のもの だと思ったが、10センチ以上ズルズルと出てきた時にはびっくりした。 痛みはさほどでもなかったが、自分の体の中からプラスチックの管が ズルズル出てくれば驚きもする。そうやって引っこぬいた後 ホッチキスに似たもので傷を塞がれた。 腕を上げて脇を無防備に人に曝し、そこによくわからない器具で微妙な痛みを 伴う何かをされるのはなんとも恐い。自分の臆病さを再確認できた。

そんなこんなで5日に退院してきた。結局かかったお金は25万。 親が来たりその他もろもろいろいろな費用を考えれば30万を越えている。 病気になんてなるものではない。しかし、 前の日のところにも書いたが、値段分の経験はしたように思う。 お見舞いがあんなに待ち遠しく、来てくれた時に嬉しいものだというのは 一番大きな発見だった。何かしらの機会に私も少し優しくなれそうな気がする。

入院中読んだ本。「カルメン」。カルメンそのものは結構どうでもいいが、 一緒に収録されていた他の作品に面白いものが多かった。 裏切者であれば我が子でも殺してしまう親父の話とか、 嫉妬でひどい目にあう貴族の話とか、奴隷船の話とか。 なお、何故こんなものを読む気になったかはわかる人だけがわかればいい。 志賀直哉の短編集。あんまりにも何でもない話が多いので感想は書きにくいが、 とりあえず文章がうまい。言うならば、長い俳句、という感じの印象。 なんだかよくわからないが微妙な余韻が残る。しかしぶっちゃけ内容はさっぱり 思い出せない。読み終わってどういうあらすじだったのかを言えそうにない 作品も多い。小僧の神様はその中ではずいぶんわかりやすくて巧みな構成に思えたが、 オチの外し方は反則っぽかった。しかしその反則っぽさ故に余計に印象に残るのだから それでいいのかもしれない。 「ゼロの使い魔」。良いとは言わないが悪くない。なにしろ楽しい。 たぶんアニメも見るだろう。 「ヰタ・セクスアリス」。森鴎外の青春。文章うめえ。 しかし内容そのものはさしてはっちゃけていないので微妙な印象。 これくらいでも発禁だどうだと問題になる穏かな時代だったのだなと思う。 今の状態を見たらどう思うだろう。 「マンキュー経済学ミクロ編」。まだ途中で、税制の話まで。恐ろしくわかりやすい。 今のところ私はすでにおぼろげに知っていたことに名前をつけて 整理しただけで新しいことを学んだわけではないと言えないこともないが、 名前をつけて知識として固着させることの重要性は決して軽視できるものではない。 それにこの本は具体例が多くてとても助かる。 排出権取引のような不思議なシステムがどういう理論の裏付け で存在するのかを知ることはずいぶん刺激的なことだ。 馳星周「不夜城」。良く出来ていて面白い、と言うと普通だが、 この作品の特徴は解説にもあるように どいつもこいつも悪人でさっぱり同情のしようがないところにあるのではなかろうか。 全然かっこ良くない。しかしそのどうしようもなさがまんま描かれるところが いいのだと思う。一時流行ったというのもうなづける話だ。 ブラッドベリ「火星年代記」。SFのフリをした文明批判。 何かとメッセージ性が見える。しかしそれだけではなくちゃんと面白い。 短い話がいくつもまとまって大きな流れをつくっている構成はさすがにうまい。 今の科学的常識からすればメチャクチャだが、そんなことは問題にはならないだろう。 そういえば最近は「科学はこのまま行っちゃって本当にいいのか?」という 疑問があまり聞かれなくなった。水爆以降規模を増大させる方向の発明が 後を断っているからだろう。しばらくは細かい方向に進歩が向かうはずで、 それは人類の寿命をいくらか伸ばしてくれるかもしれない。 生物学が若干危ないが、おそらくはそれほど生物はヤワではあるまい。 3万の遺伝子の相互作用を記述して操作するのは人間にはちと荷が重い仕事だ。 私は記述しないで操作する方向ならなんぼ手があるのではないかと思っているし、 そういう方向性を持った研究者もいるが、まあすぐどうこうなるものでもないだろう。 「西の善き魔女」。アニメでわけがわからなかったところがすっきりした。 まだ一巻だが、こうなると続きも買わないといけない。 塩野七生のローマの奴24-26。トライアヌス、ハドリアヌス、ピウス。 ローマやっぱすげえ。これを読んでるとアメリカの属国として平和を亨受するのは アリな気がしてくる。アメリカが日本との関係を変えないでくれるなら そのままでいい気がしてきた。もっとも変えないでくれる保証がないからこそ 保険をかけておかねばならないわけだが。

他にもあった気がするが思い出せないな。

DS版のFF3は風水師が強すぎた。吟遊詩人も相当強い。 もぎチンはアクション性が高くて傷に障るので中断。

退院したことだし、家にはびこった奴等を抹殺するぞ。 しかしTGSギリギリまではどうやらそれなりに面倒がありそうなので困る。 それに、まだ重いものを持つ気にはならないので、 当分はゴミを少しづつ捨てる程度になりそう。

すぐ解体できる段ボールとペットボトルとビンを捨てた。 大した量じゃないのにえらく疲れた。どうやらそれなりに弱っているらしい。 今日は散乱する燃えるゴミをまとめて捨てようと 思っているが、あまり進まないかもしれないな。

PS2を値下げとのことだが、いいのかこんな時期に。 PS3買えばPS2もできるから待とう、と思ってる人が買ってしまうかもしれないぞ。 もっとも、PS2ですらPS2のゲームが全部動くわけではなく、 PS3でPS2のゲームが全部動くとは到底思えない。 そういえば最近は互換性について何も言わないなソニー。 昔は100%上位互換とか言っていた気がするが。

荒山先生の「柳生雨月剣」を読んだのを忘れていた。モスラとアンドレとオスカル。 面白かったが、そこまでネタっぽくしなくてもいいような気はした。

彩雲国の原作を一冊読んだ。思っていたよりもまともで読める。悪くない。 アニメでよくわからないこともちゃんとわかるし、もう少し読んでみるのもいいな。 誰か貸してくれるとありがたいのだが。

「神様家族」を読んだ。まるでギャルゲーのシナリオみたいだが、悪くない。 ヒロインはかわいいし、バカっぽいところはちゃんと楽しい。 青春な描写も奮っている。会社で読んでいてちょっと危なかった。 いろいろ頭の悪い要素はあるが、たぶん頭の悪いものを書ける人だというだけで、 頭の悪い人が書いているのではないのだろうというのがわかるから安心できる。 ところでこのシリーズはもう8冊も出ているそうだが、 1冊目でちゃんと閉じているように見える。どうやって続くというのか。

脇から脇以外の臭いがする。脇には傷があるわけだが、 これはもしかして私の中の臭いなのだろうか。

2006年9月5日

出てきた。25万かかった。病気はやめた方がいい。 しかし、値段分の経験はしたようにも思う。 あんなにも見舞いがうれしいものだとは知らなかった。 推し測るだけなのと自分で体験するのでは全然違う。

いろいろあったが、後で書く。3時間ほど仕事したらえらく疲れた。 明日もたぶん早退してくるだろう。

なお、医者が撮影した私の中身の写真をいくつかコピーしてもらってきたので そのうち載せる。 本当に肺表面に白いフーセンガムみたいなのができていて面白い。 私の場合は大きいのは根本を紐で結び、 小さいのは電気的に焼いた後生体吸収性の網で補強という手を取ったらしい。


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