だだもれ

2006年5月31日

つよきすが、というかカニがやっぱり素晴らしいのだが、 悲しいのはその思いを共有する相手が近くにいないことだ。 チーフに貸そうと思ったが、もう少しするとかなりヤバい状態に 陥るので、やらせるのは無理そう。 まあ、どうせここに書いてるレベルのダメ人間会話 を生身でやる勇気は私にはないだろうからいいのだが。 つうか、そんなマネできるわけがない。

献血の針って、もしかして1センチくらい刺さってたりしないか?

物知りには憧れる。しかし、私の進む方向でもない気がしていて微妙。 私の周りは物知り系の人が多い。

fate21、さすがに盛り上がってきた。彩雲国8、ぬるいなあ。

プリプリ8。絵が安っぽいのはいつものことだが、 それなりに楽しめた。オリジナルな話だし。にしても思うのだが、 絵がダメなアニメってのは、絵が雑だからああなるのか、 それとも下手だからああなるのか。 どうも後者であるように思えてならない。 今日のなんか体のバランスがなんか変だったぞ。 絵がうまい人なら適当に描いても細部が適当になるだけで 全体のバランスは保たれるものではないのか。 まあいつぞやのシスプリに比べればかわいいものだがな。

2006年5月30日

西の善き魔女6。すでにかなりわけがわからない。 だがそれがいい。

デモンベイン2。よくできてると思うが、なんというか順調な感じがして 驚きはなかった。そして、正直に言えば、萌え要素その他が鬱陶しい。 そういう作品なのだからそれでいいのだが、今の私には それが鬱陶しく感じられるらしい。何故かはわからんが、 私が原作をやってないのと同じ理由かもしれないな。

よし、経済勉強しよう。せっかく本紹介してもらったし、 やるなら心がダレ切ってる今だ。

会社の先輩に丸元の料理本を貸したら大ウケして、マジで試すことにしたらしい。 あれのオモシロさがわかるとは、なかなか見どころがある。 仕事しながらKOTOKOを聞いているだけのことはあるな。 というわけで、次の土曜は朝から築地に一緒に行くことになった。 よし、せっかくの機会だ。自炊習慣を取り戻すぞ。 鮭一本買ってくりゃメシを炊かざるを得まい。

物理ボードが売られているが、あれを有り難がる奴がどれくらいいるのか疑問だ。 あれがないと成立しないゲーム性って一体何だろう。 しかも、その計算力はPhysXというライブラリ経由でしか利用できないわけで、 シェーダが使えるGPUの方がよほど汎用性がある。 好きに使えるPS3のSPUならなおさらマシだ。 どうにもわからん。まあ欧米人はそういうのが好きなのかもしれないな。

ガーゴイル8。原作を読んでいる人には恐ろしく展開が早いように感じられるそうだが、 アニメだけ見ている分には至極普通だ。確かに並のアニメよりは早い気もするが、 それは並のアニメが遅すぎるだけのことだろう。 そして今回もなんかいい話。説教臭いアニメだなあ。テンポいいからいいけど。

fate20。幕間とは言え退屈。原作がそもそもそういうものだった気もするが。

2006年5月29日

乙女さんを見てるとブルーなホルモンが出てくる。 説教臭いとか独善的とかいうのはまさに私の属性だ。 しかしまあ、ここ数年の私は昔よりはマシだと思う。 昔は「おまえはどうなのよ」という反論を封じるために まず自分の落ち度をなくしてから説教を垂れていたのだが、 最近はそんな力はないし、する気もなくなった。 ただ単に私がダメになったというのもあるが、 そのツッコミだけは残しておかなくてはいけない、 ということに気づいたからでもある。 その場では「おまえに言われたくねえよ」と言われても、 後で「それはそれとして言ってることはもっともかもしれん」 と思ってくれればそれでいい。 そう思ってくれない相手は説教するだけ無駄であり、 もしツッコミを封じてしまえば逆ギレなどのより 悲惨な結果につながってしまう。 自分が説教される側になったことを想像してみれば簡単にわかることだ。 私もツッコミ所の多い奴に言われた事の方が素直に聞き入れられるのである。

なお、最近ツッコミどころの残し方がもう一つあることに気づいた。 それは「まあ、あいつはああいうキャラだからな」である。 すでにそれに何度か救われているような気がする。 会社でミューズリ食ってたりするような、そんなどうでもいいことが 大きな意味を持ちうるのが面白い。 ギャルゲオタ、というのもそろそろ加えてみてもいいかもな。 今となっては大したマイナスにもなるまい。 「でもまあオレギャルゲオタだし、偉そうなこと言うのもなあ」 という論理的には何の意味も持たない台詞が案外暴走を止めてくれるものなのである。

なんか内田樹の「ためらいの倫理学」を思い出した。最初の10ページくらいしか 読んでないので内容は良く知らない。今度買おう。

あー圧倒的な強者についていきたいなあ。 これは私の中学生頃からの変わらない願い。 もちろん、そんな圧倒的強者は私なんかに用はないだろうし、 そもそも圧倒的強者などというもの自体私は見たことがない。 ありえない望みである。

つよきす。とりあえずオープニングまで。長いが、楽しい。

産経によると君が代の替え歌が流行ってるらしい。 歌詞を見てみたが、良く出来てる。 ちゃんと普通の君が代に聞こえるが中身は英語で全然別の意味、 という凝った代物。しかも慰安婦ネタ。 無理矢理君が代を歌わされた時にこれを歌って抵抗しよう、 という話なのだそうだ。まあ良く意味も知らないのに国家とか国旗に反発するのは うちらの年代が受けてきた教育を考えれば普通だと思うし、 実際自分にも覚えがあるが、 でも、ああいうのってハシカみたいなもんじゃないのか。 大人になるころには面倒くさくなってどうでも良くなってると思う。 どうでもよくない真面目な人達もいるってことだろう。 きっとそういう人はヒマなんだと思う、なんて言ったら怒られるんだろうな。 少なくとも過去の私は怒るだろう。

つよきす、追加キャラのスナオさん。 ちゃんと普通の人であるあたりが新鮮だが、やはりカニの前では色褪せる。 たぶん実際に横にいて一番マシなのはこいつなんだろうが、 悲しいかな私は変な奴の方が好きなのだ。変はいい。

でも、話はそれなりにいい感じ。それなりなんだが、ちょっと耳が痛いテーマ だったりするのでちょっと点数にボーナス。 ダダ甘モードへの移行が唐突なことはある意味新鮮な驚きがあったので マイナスとはしないが、減点する人も多そう。 元々仲が良かっただけのことと考えれば自然ではあるのだが、 それはそれで面白くないかもしれないな。ツンデレという奴を期待した人にとっては。

こいつだけ絵のバランスが狂ってるような気がするのは気のせいか。

カニは人気がないらしい。あんなにバカで凶暴なのに なんで人気がないのか理解に苦しむ。 皆ヒロインキャラに一体何を求めているのだろう。

フカヒレ、かっこいいよなあ。誉め言葉には必ず「ある意味」がつく かわいそうな子だが、たぶんみんな心の底では一番共感しているんだと私は勝手に思う。

キミキスが大層評判らしい。やらねばなるまいなあ。 ああいうちゃんとゲームになったものは消費エネルギーが 大きいので敬遠していたのだが、それほど評判なら避けられまい。 とは言え正直Star Ocean 3をやる方が気が楽。 たぶんときメモ3がトラウマになっているのだと思う。 どうもギャルゲーと攻略の組み合わせは好かん。 自分が当事者になったみたいでドキドキするのが嫌なのかもしれんな。 TLS2をあれほど熱心にやった自分の心をもはや思い出せん。

なんか最近この日記、現代語で言うと「キモい」な。自分で言うのもなんだが。 昔の水準には遠く及ばないまでも、次の朝には消したくなるくらい恥ずかしいぞ。 何かでタガが外れたんだろうが、なんでだろ。 たぶん、会社の重みが軽くなってるんだろう。 いつ見つかってギャルゲオタであることがバレるかビクビクしていた のがウソのようにどうでもいい。 つうか、継続的に読んでる人いたら名乗り出てください。マジで。 ライブラリのT氏はわかってるんでいいですが。

つうか、ここのところギャルゲー多すぎねえか。頭が悪くなっちまうぞ。 昼休みはアニメで、読んでる小説が荒山徹と佐藤大輔、 なんて状態ではバランスも取れん。 このままではダメ人間度が回復不可能な状態まで行ってしまう。 何かを根本的にどうにかしなければ。

昔さんざん世話になった例の彼は新天地で私の1.8倍近い給料をもらうことに なったと風の噂に聞いた。さすがにへこむ。 まあどうせ二年目はあるまいとは思いつつも、「もしかしたら奴は うちの会社では真の力を発揮していなかっただけなのではないのか?」 という疑問を捨て切れない。いや、私の理性はそんな可能性が微塵もないことを 確信しているが、私の弱い感情がそれを受け入れないのである。 この弱さを断ち切るためには儀式が必要だが、 私はいろいろと言い訳をしてまだそれを済ませていない。 しかしそろそろ逃げられまいな。心に闘争心を呼び起こそう。 戦わなければ死ぬ、という緊張感を取り戻そう。

なのにギャルゲー漬け。

2006年5月28日

なんともつよきすは素晴らしいな。 最初の10分にどれほどのものが込められていることか。 カニかわいいなあ。 まあ、このままダラダラやっているとあれなので、 まずは借りたものを消化するのを先にしよう。 なんだかんだ言っても一度やった作品だからな。 ところで、エフェクトの類がやけに遅いのが気になるのだが、 プログラム的に手を抜いたのかもしれんな。

よっぴーシナリオは無理だよなたぶん。とりあえず最初のパンツも当然なかった。 いい感じに違うシナリオになってたらいいなあ、などという期待は抱いてみる。

今日は拳法の後アホがらみでベトナム料理を食いに行ったのだが、 待ち合わせの時間までヒマがあったので献血してた。 あれは時間つぶしに丁度いい。なんかいいことをした気になって気分がいい上に 血液検査もでき、かつジュースは飲み放題である。 特に今日行った新宿東口の献血センターはサービスが良かった。 ジュースの種類が多い上に、ロッテリアのハンバーガーとかが置いてある。 さすがにそれは一人一個だが。

骨髄バンク登録のパンフを読んでみた。 なんかいいことをした気分になれそうなのと、 一回体験してみたかった全身麻酔や入院が体験できるのと、 いつ誰かに自分の体から取った汁を与えるかわからないとなれば ちっとは健康に気をつけるだろうという気がするのとで、 かなりお得な感じ。 とは言え、いきなり何の前触れもなく会社を4日くらい休む可能性があったり、 失敗こいて体にダメージを負う可能性があるあたりが問題ではある。 骨盤に10個所とか針をぶっ刺すらしいのでもちろん恐い。 目が醒めたら腰のあたりに鋭い痛みがいくつも走るんだろう。 そして2,3日は痛いらしい。ちょっと嫌だな。 まあ親と会社の上司には話を通しておくべきだろう。問題なさそうなら 登録してくる。一応登録した人間の何割くらいが実際に提供する羽目になるのか は聞いておくべきか。

借りたImitation Loverを一回終わらせた。 こういう類の物語はいろいろ感じるところがあっても言葉にはしにくいな。 どういう要素がどう、と分解できるものではないからだ。

主人公の台詞にあった「あいつら宇宙人だ」 みたいな感覚は、ぶっちゃけ私がこの手の世界観のものを見る時に いつも覚える感覚である。 主人公はいろいろあってその「宇宙人」の仲間入りを果たすが、 もちろん傍観者たる私は地球人のままだ。

産経の社説を読んでいて考えた。 私に子供がいたら朝食を作って一緒に食べてやるだろうか。 正直わからない。たぶん放ったらかすだろう、という確信を曖昧に言うための 「わからない」ではなく、本来の意味での「わからない」だ。 嬉々としてメシを作ってやる気もするし、 そうでないような気もする。どちらの私も不自然じゃない。 と考えていて「あれ、普通メシ作るのって母親じゃねえか?」と今思った。 しかしたぶん私は家事をするのに抵抗がないし、 別にメシを作りに一回会社から帰ってくるくらいは平気でやりかねない。

にしてもこの社説は幻想を抱きすぎだろう。 まな板を包丁が叩く音とともに目を醒ます子供なんて、日本に何人いるというのか。 少なくとも私はそうではなかったが、それなりには育った。 社会の形が変化すれば家庭の形だって変化する。 でもまあ、一緒にいる時間の長短が愛情の度合を左右する重要なパラメータ の一つであることは間違いないわけで、 一緒にメシくらい食った方がいいとは私も思う。

キウイを5個食った。激痛。 タンパク質加水分解酵素のアクチニジンがすごい憩いで口内の粘膜を 破壊していく。パイナップルに匹敵する破壊力だ。 しかも舌に対するダメージはパイナップル以上のものを感じる。 3個目くらいから味がわからなくなった。 とにかくキウイは一個で十分だ。

肉をキウイ汁に浸して前処理するのは面白そうだな。今度やってみよう。

そういやなんかで女性が輪切りにしたキゥイを顔に張りつけて 皮膚の手入れをしていたが、どうなんだそれ。 まあ表面にたまった古い角質を破壊するためなんだろうが、 あまり度を越すと良くない気はする。 そういえば雑誌の広告か何かで化学物質で皮膚表面の古い角質を剥がす 処置を行っているという話を見た。 確かに一時的に見栄えは良くなるかもしれないが、 防護されてた下の皮膚が出てくれば当然ダメージになりそうな気はする。 なんとも女性のやることはわからん。 でも、その手の技法を開発する側が常に女とも思えないよなあ。 化粧品の類だって研究開発してる人間には男がかなりいそうな気がするし。 営業とか企画だって女性ばかりとも思えん。 そう考えるとなんかイヤだな。デパートの数フロアを占める あの女性専用商品の数々を見る度に、 それを仕掛けている側について考えて嫌な気分になる。

Imitation Loverを終わらせた。96%とかだが、たぶん終わってるんだと思う。 なにやらハッピーエンドで喜ばしい限りだが、 そこに至るまでの過程がげんなりするくらい面倒くさいイベントに 満ち満ちているのを思い出してしまう。 もちろんその面倒くささがこの作品の魅力なので、別にそれは嫌ではない。 そういうところに作者の人間観みたいなものが出ていて、 そこが面白いからだ。キャラがどうとかいう面白がり方は この作品に関してはしていない。 それぞれのキャラクターがある種の役割を負っていることが あんまりにも明確なので、一人一人をあんまり人間として感じられない。 それは構成や設定が良く出来ていることの証拠でもあるし、 この作品に関しては欠点ではないと思う。ただキャラを好きになることはない。 話も細かいところではスパイスが効いていていいが、 びっくりするような展開はない。 雰囲気、という言葉は便利なので、そういうことにしておこう。 しかしまあ、刺すのはやりすぎだろうよ。あそこだけが過剰で浮いているように 感じる。まああれもスパイスなんだろうが。

キャラ一人一人以上に作者の姿が見えてしまうものとしては 都築先生の作品があるが、あれの場合はちゃんとキャラを好きになれる。 たぶんこればかりは好みの問題だ。本質的な差があるからというわけではなく、 ただ単に好きなタイプだっただけだろう。属性の問題と言ってもいい。 ちなみに、ギャルゲー以外では隆慶一郎なんかがまさにそれ。 どの主人公も隆慶一郎先生が「男らしい」と考える理想が まんま描かれた妄想キャラなので、はっきり言って個体の識別ができない。 まあそこのおでこに手を当てて笑いたくなるような感じが隆慶一郎の魅力なので それはそれでかまわないのだが、 キャラの魅力で言えば秀忠みたいなダメっ子の方が上な気がする。

じいちゃんに曾孫見せてやりたいなあと思っても、 具体的に何をする必要があるのか考えると恐ろしく面倒くさい。 そうなってからの生活に関しては相手との距離の取り方に合意さえ得られれば そう面倒でもないと思うのだが、まあ問題はそうなるまでだ。 なんで結婚相手を自分で探さないといけないような世の中なのだろうな。 ぶっちゃけ互いを利するための共同生活なのだから、 見合いだろうがなんだろうが一向にかまわないのだが、 どうやら現代は恋愛とやらにそれなりな労力を割くことを要求される時代らしい。 恋愛結婚がはしたないとされた時代の方が うちらのような凡人にとっては気楽だったかもしれんな。 容姿が良かったらまた違った考え方をしたかもしれないが。

キウイから5時間。粘膜の再生が8割方終わった。やっと何か食べられそう。 なお、中が黄色いゴールデンキウイは酵素が少ないのでここまでのダメージは 受けずに済むらしい。しかしあれはどうも香りが好かん。それに高い。

ダメだ。カニの台詞聞いてると脳のどっかからいけない汁が出てくる。 カニの中の人を私は尊敬する。かわいらしさと凶暴さとバカさが なんでこんなにハイレベルで共存できるんだろう。

このシナリオ、やっぱりセンス良すぎるわ。 「お前はただの海の生き物だ、バブルでも吹いてな」 ってどういうセンスだよ。笑いっぱなしだよこれ。 やっぱチーフに薦めねば。 終わった後ではそういう細かいことは忘れているが、 やってる間これほど楽しい作品はそうそうないぞ。

2006年5月27日

PS2回収成功。そしてそのまま歩いて帰ってきた。 少なく見積っても45kmは歩いたことになる。 苦痛の最大値だけ取ればこの前の土曜の方がひどかったが、 なんといっても持続時間がケタ違いだし、 今度は体全体の疲労や脚の筋肉痛や膝関節の鈍痛まで加わって まさに苦痛の交響曲状態になっていた。 しかも帰りはPS2の重みつきなので、疲労の進行が早い。 帰りは5時間かかったが、途中かなりの頻度で座りこんでいたことを 考えればかなりの速度と言える。 なお、私の脳は完全に階段を座るためのものとして認識していた。

当分やらねえ。明日は最小限しか歩かないつもり。無理。 拳法そのものすら危険なのに、その後歩くなんて絶対無理。 というか、アホ宴会があるのでそれどころではない。

最初にダメージが来たのがまず豆。これはいつもの通り。 常に針と消毒薬を携行すべきだ。また、この鞋の中敷に改良を加える必要が あるかもしれない。 次がふくらはぎ。ここの筋肉が真っ先にヘタる。 これは行きで速度を上げすぎたことが原因とは言えるが、それでも 弱いことにかわりはない。ここを使わずに高速に歩く方法を会得したいものだが、 どうすればいいんだろう。

時速5km以下は下げても楽にならない。 時速5kmと6kmでは疲労の度合はさして違わないが、 脚の機械的ダメージが飛躍的に増すので、豆ができたり筋肉がヘタったりするのが 目に見えて早くなる。そして時速7km出すと疲労も飛躍的に増す。 7kmで持続できるのはせいぜい1時間。しかも後先考えない場合でだ。 6kmなら1時間ごとにいくらか安めば持続できそうだが、えてして6kmで済まずに7kmまで 上がってしまうので気をつけないといけないし、 たぶん4時間以上はもたない。 本当に長距離歩くなら時速5kmペースでえんえん続けるのが現状では最適らしい。 鍛えればまたかわってくるだろうが。

違和感があったら豆ができてる。なんか熱いのも豆。 即座に水を抜いて拡大を防ぐべき。痛いのは我慢する。

行きで上野毛を通ったので、せっかくだからと二郎を食った。 ハイレベル。本店ほど暴力的ではないが、本店っぽさはあるし、 たまたまかもしれないが麺のゆで具合がいい感じでコシがあったし、 味の濃さも実にいい感じでブタもデカい。 川崎よりいいかもしれない。特に麺は。 なお、不思議とまた普通に食えてしまった。 さすがに川崎より多いだけに物足りないとは思わなかったが、 二郎の量が丁度いいなんて何かがどうかしている。 たぶん、1時間なり2時間なり歩いてから食うと多くても食えてしまうのだろう。 もちろん味もおいしく感じられるに違いない。 ただし、食った後30分くらいは非常に歩きにくかったし、 2時間後くらいに微妙に下した。 私は油を大量に取ると下すので、衛生上の問題でなくたぶんそれだと思う。 なんにせよ、歩いてる最中に食うものではない。

しかしまあ、当分二郎はいいやと思った。いや、機会があれば食えるが、 わざわざ歩いて食いに行こうとまで思うことは当分ないだろう。 それくらい上野毛に満たされた。 つうか、二日連続で二郎食えばそりゃ満たされるわな。 あれは普通の意味でおいしいかはかなり怪しい食い物だし、 どう考えても体には悪い。たまに野蛮さを思い出すために食うくらいでいいと思う。

つよきすを起動してみた。パンツ隠されてる!

LostChildのダメなところは、つまるところ完成していないことに尽きる。 刑事二人組とか、化け物に脱皮したクラスメイトとか、裏ありげな保険医とか、 そのへんが全然活かされてない。 6話から後は明らかに何かがダメになっている。 おそらく大人の事情が発生したのだろうが、知るか。作り直せ馬鹿者。 どんな大人の事情かは私も中の人の端くれだけになんとなく想像はつくが、 それはそれだ。 なお、もっともダメなのは、ヒロインの魅力がまるで引き出されていないことだ。 著者の脳内の藍はこんなものなのか。そんなことはないだろう。 少なくとも私の脳内の藍はこんなものではない。

中の人は、自分が客である時にどんなことを思うかを忘れないようにすべきだと思う。 「これ、おまえ6800円出して買うか?」 という問いを常に発し続けるくらいの気合は求められていいだろう。 まあ、実質単なる作業員にすぎない人々にそれを求めるのは酷だという 現実はあるにはあるが、そのへんはうまくどうにか。

2006年5月26日

LostChild、エンディング。わけがわかりません。 理解してやろうと思えばそれは可能だが、敢えてしてやらない。 どう見てもいろんなものが投げっぱなしだし、後半の展開は無理がありすぎる。 何よりキャラの行動原理が全然わからない。 この踊らされっぷりはいくらなんでもひどすぎやしないか。 5話くらいまではそう悪いものではなかったのに、 一体どこで狂い始めたのだろう。やはりあの予感通りに6話だろうか。 全要素をまとめ切るだけの構成力がなかったのか、 あるいは単純に時間がなくなったのか。 あと、言うまでもないが最後付近の戦闘地獄は単なる苦痛。

早退してきた。調布の弟のところに行ってPS2を取ってくる。もちろん歩いてな。

2006年5月25日

LostChild6話にして、「コンセプショーン」の叫びとともに何かが決定的に崩れた。 そして追い打ちをかける「おまえの〜は何色だぁー」。 一体何が起こったのか。これは一時の気の迷いなのか。 それともこのまま全てが崩壊していくのか。

川崎二郎。油抜きカラメヤサイニンニクマシ、あたりが一番いい。 それにしても川崎の小が量的に物足りなかったのは初めてだ。 よほど腹が減っていたのだろう。 で、ついでにヨドバシでつよきすのPS2版を買ってきたが、 PS2本体は弟に貸しているので起動できない。土曜までおあずけ。

川崎Diceから家まで40分を切った。距離の半分くらいは走ってみたが、 この程度か。30分が目標だな。 計算上平均時速11km出せれば30分。信号その他のロスを考えれば13km程度は必要か。 高校の時3.9kmを18分ちょいで走れたが、計算してみるとそれが時速13km程度になる。 あれを30分続けられればいいということだが、少なくとも今は無理。

走っているとまず脚に来る。それも膝から下。 こればかりは何回も走って鍛える他ないだろう。動作の改良で どうにかするにも限度がある。一方心肺機能はこの程度の速度なら それほど問題にはならない。4歩ごとに吸うのと吐くのを交代する 呼吸を維持できる程度、というのが丁度いい基準になる。 2歩単位でやる呼吸を昔体育で教わったが、それだとペースが上がりすぎるようだ。

一回実家まで歩いて帰ってみたいな、と思って調べたら196.7km。無理。 丸一日で終わらない試みに挑戦できるほどヒマ人ではないし。

うちの高校には34km歩く行事があったのだが、 100kmを二日で歩く行事がある高校もあるらしい。

つよきすPS2版、カニがパッケージから追放されている。本当に不憫な奴だ。

2006年5月24日

技術系の文書を書いて会社webに上げている。 でも誰が読むのかさっぱりわからない。どうにも徒労感。

技術力などというものが問題にならないようなゲームを 作った奴が勝ちなのではなかろうか、と思った。 良いものを作るために技術を用いるのでなく、 効率よく作るために技術を用いるという 思想もあっていい。しかし、そういう考え方をするチームは 私を必要としないだろうな。

1920x1080のギャルゲーは出るんだろうか。 そんなバカな真似を誰が最初にやるのか楽しみだ。 最低でもPS3やXBOX360に移植される場合には1280x720以上は義務化されるだろうから そこまでは出るはずだが、 1920x1080ともなるとなかなか対応作品が出てこないかもしれない。 もっとも、あと何年かはPS2で出るのだろうから遠い未来の話だが。

LostChildの不満点。解像度が640x480であること。 1600x1200のモニタで全画面をやるとさすがにアラが見えすぎる。 字も読みにくい。戦闘シーンとかでハデにアニメーションさせているので 解像度が高いと辛かったのかもしれないが。 というか、解像度とは関係なく字が読みにくいので、 文字ウィンドウの背景色はもう少し濃くした方が良かったと思う。 あるいは調整させてほしい。

レッドサンブラッククロス7まで。ドイツ戦車つえー。 でもそういうかっこいい部分だけでなく、人が戦場でどういう目に遭うのか についても執拗に描かれていて、なんとも複雑な気分になる。 とりあえず漏らすのは佐藤大輔作品においては基本らしいが、 実際そんななのかもしれない。

今の戦争もこんななんだろうか。 現代の兵器で行われる戦争を描いた作品でいいのがあれば読んでみたい。 しかし同等の装備での大規模な戦争はずいぶん長いこと行われていないのでは なかろうか。中東戦争が最後、という記述をどこかで見た気がする。

2006年5月23日

LostChild。文弥に負けた。初めての敗北。 この戦闘シーンおもろいと思ってる奴いるのか。 タイミング押しだけでゲームにしようなんて無茶にも程がある。 攻略法云々の前に結局タイミング押しを上達させる以外にどうしようもないのだが。

二回負けた。攻略法と言われてもな、つまるところ受けつけ時間が長い 組み合わせを探せということだろう。それが打てる状態になるまでは 比較的マシなものを選びつつしのげと。無茶すぎる。

パッチを当てたら難易度を下げられるようになった。一番ヌルい奴に即変更。 こういうパッチを作るあたり、やはり自覚していたということか。 ゲームっぽいゲームを作るならまずは前もってよく考えることが必要だ。 ギャルゲーの類でリアルタイム性のある入力を要求するのは困難なのだから、 紙の上でできるようなルールを考えるべきだろう。

というわけで、第六話。そろそろ物語が盛り上がってくるはずだが。

シムーンを4まで見たが、つまるところ何がしたいのかがさっぱりわからない。 このままスッキリしない話がえんえん続くのは嫌だな。

2006年5月22日

今年初めて蚊を殺した。 素手ではどうにもやれなくて、ちょうど布団の上に止まった時に布団ごとかぶさって 押しつぶしたのだが、布団に血のあとが残ってなんとも気分が悪い。 赤々とした汁が飛び散っている光景は、それが吸われた自分の血だと わかっていても、なにかいかにも生き物を殺したという感じがして嫌な気分になる。 昔から生き物を殺すのは嫌だったが、たぶん昔よりも弱くなっていると思う。 たまに肉を食うことすら嫌になる。

でも蚊は敵。

歌の教室って結構たくさんあるな。体験レッスンでも行ってみるか。 ところで、デビューがどうとか書いてあるのはなんとなく信用がならない。 もっともこれは私に中途半端に音楽体験があることから来る偏見だろう。 一日8時間とか練習しているプロの演奏ですら CDでよくよく聞くとアラが目立つことが多い、 というヴァイオリンにおける事実を元にして全ての音楽を推し図ろうとすれば、 自然と厳しい認識にならざるを得ない。 なにせ、自分で10年以上やってたのにあのザマだからな。 いくら真面目からは程遠い態度だったにしてもだ。 一般人が普通に生活しながらそんな教室に通ったところで どれほどのものになるのだろう、などとふてくされてみたくもなる。 まあ素質と熱意と環境に恵まれれば時間の長短などなんの意味もないのは 知ってはいるのだが。

普段しゃべってる音がその人の音域を表しているとするならば、 それと歌声があまりにかけ離れている人は訓練によって それを身につけたと考えられる。だったら自分だって、 などと思うことがすでに罠なんだろうが。

まず自分の声を聞きましょう、と書いてある所が多い。 ものすごい正論だが、それが一番嫌なんだよな、つまるところ。 そこの苦手意識を取り除くというのは結構有意義な気はする。 自分が他人にどう見えるのかを知ることを私は怖がりすぎているように思う。 鏡見るのも相当嫌だし。

私が会社のデザイナ軍団に対して猛烈な劣等感を持っているのは この中途半端な音楽体験のせいかもしれない。 私にはヴァイオリンを10年習ってたという自負があるにはあるが、 しかし音大やら芸大に行った人達はそれとは比べものにならない 労力を払って生きていて、それでもなおプロとしてはイマイチなまま終わったりする。 それと同じような覚悟と労力を絵に対して払ってきた人達 だと思うともうどうにも及ばないと思ってしまうのだ。 丁度のだめやハチクロを読んだ直後だというのもあるし。 まあたぶんそれは「隣の芝は青い」原理のあらわれにすぎないのだろう。 私がプログラミング5レベルだとしたら彼等は絵10レベルだ、みたいな感じ があるにしても、そんなことを考えても無駄だし、実際私は役に立っているのだから それでいいのだ。

彩雲国はぬるいなあ。パパの正体が暗殺者というあたりの ヌルさ加減とか。ハルヒは相変わらず出来がいいが、なんというか扱いに困る。 ホスト部もなんかぬるくなってきた。もう状況が安定してしまったので あとは一人一人のキャラをどうにかしていくんだろうが、 ハニー先輩の無茶なキャラ立てはいかにもすぎる。 ああ、西の善き魔女はなんか意味不明すぎて、これはこれでかえっておもろい。 よくわからないがものすごい勢いで話が進んでいる気はする。 シムーンはむしろ男女反転させたいな、などと思うのはBL物を読んだからか。 百合っぽいものに慣れてしまったのか、その点に関してはなんとも思わなくなった。 会社で見ていてたまに気まずいかも、というくらい。 むしろ本筋がどういう方向に行くのかの方が気になる。 fateはなんかそれなりに決着がつきそうなので一安心だが、 やっぱり大筋を知っているだけに興奮はしない。ここまで話が進んでくると あんまりラブリーなセイバーが描かれる余地もなさそうである。 まあどれも見ていれば楽しいが、急に見られなくなってもそんなに困らないアニメ群。 正直アカギとかノエインの方が気になる。途中で見られなくなってしまったし。

レッドサンブラッククロス、現在島攻め中。 二次大戦に間に合わなかった幻の兵器が大活躍。50cm砲とか。 そしてやっぱり弱いイタリア軍。やはり男の子分はいいな。 主人公がいるわけでもなく、淡々と世界状況が描かれていくこのスタイルが熱い。 萌えっぽい不純物が一切入らないのも当たり前のことだが新鮮だ。

観艦式で乗ったあの軍艦の人達も、 要するにこういう目に遭う可能性があるということか。 何十キロも遠くから対艦ミサイルが飛んできてあっというまにバラバラにされる戦争。 あんまり考えたくない。

戦争って楽しかったんだろうな。というと不謹慎かもしれないが、 本当に皆が嫌がっていればあんなことにはならないだろう。 上の方だけが楽しんでただけで下っ端は被害者、という考え方は一見 常識的には思えるけれども、 やっぱり下っ端の方にしてもそれなりな率でハイになってたのではなかろうか。 でなければあんなに真面目に戦って死ねるとは思えない。 それとも、本当に皆が嫌がっていてもそういう展開になってしまう 不思議な力が働いたりしたのだろうか。残念ながら私は生身で 経験者からそういったことについて聞いたことはないので、よくわからない。 そして、たぶんそんな機会は訪れないだろう。

面談があった。給料が増えるらしい。5000円くらい。相当上位の評価だとのこと。 そうか、上位で5000円か。

技術の伝道師みたいなのを期待されてるっぽいのだが、 「やってくれると助かる」という以上のことは言ってくれない。 「やれ」と言えばいいのにと思う。「気が向いたら」とだけ答えておいた。

考えるのは後だ。まだやらねばならないことがごまんとある。

2006年5月21日

二郎食いたいよう。しかし明日はどう考えても動けん。 比較的近い鶴見二郎まで歩くことすら不可能だ。 月曜からは普通に仕事があるはずだから7時に帰るなんて無理だしなあ。 本当は土曜の夕方に高田馬場二郎に行くのが最もコストがかからないのだが、 5時半からというのが困る。4時に終わったとして1時間半も無為に過さねば ならないからだ。やはり土曜の帰りにどこかの二郎に寄るのが正しいな。 なお、二郎によってはメルマガがあって、麺切れするとメールが来たり するらしい。つってもよほど良く行く二郎でないと意味ないしなあ。 そもそも二郎にそんなに頻繁に行くのは人間としてヤバい。

シムーンの背景とメカのミスマッチっぷりは意図されたものなんだろうな。

お借りしたLOST CHILD。 私はエロゲ会社の類にいわゆる「大作」が作れるとはまるで信じていない。 だから一番最初から悪い予感しかしない。中田先生の素敵ヴォイスも もはや単なる不安要因だ。

ところで、関係ないことだが、 ホイールで過去ログモードに移るのは最近良く見るが、 別ウィンドウにすると視線を飛ばさねばならず読みにくい。 単に現行のウィンドウに前のセリフが出るだけでいい。 また、そのログモードからの復帰もまたホイールでできた方がいい。 ホイール上でログ、右クリックで復帰というのは一貫性がないし、 指が二本必要になるから操作性も良くない。 あと、クリックした時に声や絵の準備が整うまで文字の表示が遅れるのは よろしくないな。クリックした次のフレームで描画が開始できるように 音声や画面の描画準備は非同期化すべきだ。 どのような操作であれ次のフレームには描画に反映されねばならない、 というルールはここでもそれなりな重要性を持つ。 あとは、BGM、SE、声の音量調整機能は必要だな。 少なくとも私は欲しい。BGMを小さめにしないと声が聞きとりにくいのだ。 というわけで、エンジン側でもそれらを別物として扱うなり 音の作成時に属性を明に指定するなりすることが必要だな。 プログラム上は全部「音」として統一できるのだが、 しない方がいいこともあるということだ。 加えてメニューの構成が悪いな。 なぜセーブ/ロードを選んだ後にセーブかロードを選ぶ、 などという構成なのか理解に苦しむ。

動けないと思うといろんなものが食いたくなるな。 特に甘いものが。

LOST CHILDのいいところを一つ。家族でメシ食ってる絵の藍がかわいらしすぎること。 納豆の糸を見上げてるのが最高。 どうやら無表情なキャラが好きらしいな私は。まあ前からわかっていたことではあるが。

戦闘パートはダメ。何をすればいいのかわからないことが まずダメ。上達のための指針が示されていないので、 とりあえずできることをするしかなく、いろいろ試す余裕がない。 どう考えても最初の戦闘では藍がチュートリアルをやってくれるべきである。 なんか補助するとか言ってたじゃないか話の中では。 あまりの説明のなさに説明書を見たが、これもまったく役に立たない。 完全に理解したわけでもない状態で文句を言うのはなんだが、 ゲーム性としての深み、つまりは上達する要素が見当たらないし、 そもそも上達することの意味が「そこをゲームオーバーにならずに済ますこと」 以外に見出せない。ヴェドゴニアの戦闘もひどいものだったが、 下手に奇をてらっている分こちらの方がタチが悪い。 また戦闘演出もひどい。いまさらこんな2D格ゲーみたいなものを見せられても うれしくないし、そもそもフィニッシュ時の技を選択できるこの機能には一体 何の意味があるんだろう。激しくウザいのだが。

戦闘のアニメーションについて。 ポリゴンを直に動かすのが動作環境等々で不安だったので アニメーションに落としこんだ、 ということは理解できるが、ならいっそムービーにした方がよほど質が上がる。 敵の種類分作らねばならないという問題はあるが、 どうせ大した種類がいるわけでもあるまいし問題ではあるまい。 容量にしてもムービーの類はDVDからストリーミングすれば何ら問題ない。 3D的な制作工程を経た素材を2D的な手法で用いるのは 多くの場合注意がいる。3D的な見栄えから期待される動きというのは 滑らかなものだが、こうしてパラパラアニメーション化してしまうと どうしても30フレームは出せなくなるから動きが悪くなる。

文章ゲーの類にゲーム性のある何かを紛れこませる場合、 その扱いにはかなりの注意を要する。彼のサクラ大戦ですら 戦闘シーンがウザがられていることをまず認識すべきだ。 あれの戦闘シーンはそこにおける行動が好感度等にそれなりに影響するし、 そこそこゲームとしても真面目に作ってある。 それでも評判は芳しいとは言えない。 何故今のギャルゲーはノベルゲーに落ちついたのかという歴史的な経緯を 考えればなおさら慎重になるべきだ。 なお、先達であるヴェドゴニアでは戦闘スキップ機能が後にパッチの形で追加された。 結局そうなるわけで、かかる労力と効果が見合っているとは到底思えない。 なお、ヴィジュアル的にはヴェドゴニアの方がずっと上。 これの戦闘シーンはどうにもスパロボとかKOFみたいにレトロな臭いがする。

アニメみたいに話を分ける構成をするのは結構だが、 それならそれで一話が30分とか1時間に収まる程度にしてくれ。 声まともに聞いてたらたぶん3時間あっても終わらんぞこの第一話。

第三話の途中。本当に1話が長いなこれ。でも、悪くない。 ヒロインが極めてかわいいので、とりあえずそれだけでも悪くない。 不思議少女が普通の主人公の所にやってくるのを 「女ドラえもん」と呼びならわすらしいが、押し入れに寝てたりするあたり かなり自覚的にやってるんだろう。 しかし、出来がいいだけに悪い予感は広がる。現状張られた伏線の規模は相当なもので、 これをまともに解決するには少なくともここまでのボリュームの3倍程度は必要だろう。 この作品が13話構成であるならばなるほどぴったりだが、 この品質を本当に最後まで保てるのか。不安だ。出来が良ければ良いほど不安になる。 たぶんオルタやらセブンブリッジやらのせいで 大作感のあるギャルゲーに不信感があるのだろう。 まあオルタはちゃんと完結してはいるのでセブンブリッジと一緒にするのは 不適当かもしれないが。

2006年5月20日

任意の点集合を包含する最小の球を許容できる計算量で作る アルゴリズム。実装完了。だいたいO(n)で行く。 それにしても頭のいい人はいるものだな。こんなもの到底自力では思い つけそうにない。

地球大進化、最終回。総集編プラスアルファ。 相変わらずうさんくさい演出が光る。よくもまあこんなにうさんくさい 演出を考えつくものだ。それでいて内容の密度はそれなりに確保されているのが偉い。

プリプリ7。やはり出来悪いな。このそこらじゅうから漂う安っぽさは 何をどうしたら改善されるのだろう。 そして、漫画を読んでいて抱く「この描かれていない部分が絵になって動いたら!」 という欲求がまるで満たされないこの構成はどうすればいいのだろう。 まあいいや。見られる限りは見よう。

プリプリの美琴の声を聞いていて思った。 普通にしゃべってれば普通に低音なのに高音にも張りがあっていい。 おそらく使いものになる音域が2オクターブ半くらいはあるのではなかろうか。 いいなあ。ところで、平均的には亨の声や美琴の声の方が 四方谷の声より高いのがちょっとおもろかった。 四方谷の中の人は女性なのだが、特に違和感がない。 ドラマCDでは全員女性だったそうだが、どんなだったのだろう。

私も歌で使える音域は2オクターブ前後あるが、 消耗せずに使える範囲は結構狭い。 時報のラのすぐ上のド(528Hz)まで普通に出せたら どんなにか楽しいだろうと、高校の頃からずっと思って生きてきた。 小学校二年の時に音楽の時間に歌った時に 「高くてしんどいな」と思ったのがその音だから、 もし私がドを出せるようになったならば、それをもって「声変わりを克服した」 と言って良い。ロマンだ。 私は合唱部時代ベースだったわけだが、 華やかなテナーの連中がそれはもううらやましくて仕方なかったのである。 大学に入って歌うのがカラオケくらいになっても、 ほとんどの歌は高音を要求するからベースは肩身が狭いままだ。 修行の甲斐あって一回だけなら仮面ライダークウガを元の高さで歌える 程度にはなったが、足りない。 半年くらい歌の教室とか行って劇的に改善するなら悪くないと今かなり本気で思った。 そういえばもう何年かまともにカラオケには行っていない気がするな。

プレゼンとかでは高めのトーンでしゃべった方がいいのかもしれんな。 高い音の方が音量も増すし、なんか強そうだ。 歌と違って自然な抑揚が維持される必要があるので そこは熟練がいるのだろうけれども。 つうか、声優ってすげえな。 ジャイアントロボの主役の人は始終あんな高い声でしゃべってたわけで、 今思い出すとありえねえ。

今週のファミ通の売り上げランキングの2位から5位までがDS。 しかも345はえらく前に出た脳トレやらどうぶつの森やらだし、 2位だって新作は新作でもテトリスだ。 日本ではすでにハードの販売数で携帯機が据置きを上回ってしまった。 家でテレビの前に座ってゲームをする、というスタイルが 急速に廃れてきている。面白い。

シムーン2。もう絵がヤバいことになっている。 専門用語炸裂の脚本は鼻につくが、コンセプトは面白そう。

西の善き魔女5、わけわかりません。

デモンベインのアニメ。頭悪いけどえらい良くできてる。 1話によくこれだけぶっこんだものだ。

fate19。金色の人が範馬勇次郎並みの乱入をして何もかもが台無しにした。 誰もシロナガスクジラすら眠らせるような麻酔銃を持っていなかったので そのまま蹂躙。まあこれがfateの醍醐味か。

疲れた。そしてそれ以上に痛い。今日の歩行距離は29.3km。 池袋のロケテを覗いてから春日のエスワイルで エクレアを買い食いし、秋葉原のヨドバシで歩数計を買って、 銀座でカレーを食って帰ってきた。 本当は品川でイクラ丼も食う予定だったのだが、 その頃には脳が「疲れた」以外の言葉を発しない状態になっていて、 並んで食う気力もなかったのである。 あと1kmあったらヤバかったと思う。心が折れる寸前だった。 最後の2kmは目が常に座れる場所を探して泳いでいる状態だったし、 最後の500mの間に味わった苦痛は高田馬場池袋間(3.6km) の疲労によるそれをはるかに超えた。 手にミットと傘を持って、かつ背中もそれなりに重い状態だったのが 効いたのだろう。距離だけなら二郎行きとそう変わらないのだが ダメージが桁違いだ。はっきり言ってこの状態なら34kmは無理。 高校の時って体力あったんだなあと改めて思う。 というか、学校のほぼ全員がそれをこなせるだけの体力を持っていたわけで、 今の私がどれだけダメになっているかということを思い知った。 学ランにゲタで完走した奴までいたが、やはりあれは人間ではなかったのだろう。 普段ロクに運動してもいない上にあの体型のアホが 異様な速度で全区間走っていたのはさらに不可解だ。 悲しいかな私は当時も今も普通の人間にすぎないということである。 なお、歩数計の数字は23000。秋葉原からうちまでの歩数である。 銀座を経由したので直行すればもう少し少なくなるはずだが、 後半は歩幅がずいぶん小さくなっていたので当てにはならない。 まあなんにせよ、拳法の練習場所から歩いて帰ってくるという 目標が達せられたのはめでたいことだ。しかもおまけつきである。 本来なら22kmで良かったのだから。

一週間は動けないなこれは。 三日で豆は直らないし、25km級の疲労もまた三日では抜けない。 今日も水曜の二郎による豆と疲労が残ったままだった。 情けない体だ。叩き直さねばならない。

一度重装備で川崎往復を試して荷重による疲労の変化を調べてみるか。 旅行用のデカいリュックを適度に重くしてみよう。

エスワイルのエクレア(320円)は特徴的。あれは食ったら忘れない。 中のクリームの濃厚さ、皮の適度なサクサク感、 そして上面を覆うチョコレートのこれまた濃厚なコク。 正直私は軽いものの方が好きなのだが、 あそこまでやってくれるなら文句はない。絶対太るよあれ。 シュークリーム(260円)もすごそうなので次通ったら試してみよう。 また、銀座のナイルレストランのカレーはすごい。 このスパイス感はそうそう味わえるものではない。 食った後10分くらいは気分爽快である。 味は押しつけがましくなく素朴なものだが、 何をどうやればああもさらりとした感蝕になるのかが全然わからない。 油っぽさがまるでないのも不思議だ。 だいたいインドやらパキスタン料理の店で出てくるカレーは かなり油っぽいものが多いのだが、ここは全然ちがう。 今まで食べたカレーの中では京都のビィヤントが比較的近いか。 あそこもスパイスの爽快感が良かった。同じ路線かもしれない。

なお、今日も体脂肪に目に見える変化はなかった。 体重は1.5kgほど減っていたが、それは単純に汗その他の排出によるものだろう。 とりあえず蛋白質を少し大目に取ってみるか。 筋肉を増やさないとどうにも効率が悪い。 次にニャに会う時までには「たるんでる」などとは言わせない体にしてやる。

一歩を最低でも二つに分解する必要がある。軸足として力を地面に伝えるフェイズと、 その後浮いて脱力しつつ前に着地するフェイズ。 この脱力が重要。これができれば歩くテンポで蹴りが打てるし、 当然疲労も減る。あとは着地して軸足へとスイッチするあたりももっと 精密に認識する必要がある。ここがいいかげんだと衝撃が大きくなって 機械的な疲労が増すし、もちろん拳法的にもよろしくない。

2006年5月19日

次の覇権を握るゲーム機は何か、というのは今熱いテーマである。 欧米ではXBOX360が勝利するが日本ではPS3が勝利、 欧米ではXBOX360が勝利するが日本ではWiiが勝利、 欧米ではXBOX360が勝利し日本では据置き型ゲーム機が壊滅、 等の意見が今のところ有力。欧米でもPS3が勝利、 という意見はあの値段のためにあまり聞かれないし、 全世界でWiiが勝利、というのもかなり無理がある。 仮に欧米でXBOX360が勝ったとしても日本にそれが波及するのには 時間がかかることが予測されるので、 全世界でXBOX360が勝利、という予測も少数派だ。 まあ、こんなものは単なるヒマつぶしの思索にすぎず、 結果がどうなっても大した影響はないのだが。 据置きが壊滅、というのが一番愉快な未来かもしれないな。 それくらい劇的な変化が起こった方が面白かろう。

幻覚剤の類が存在することは、 うちらがいつも見ているこの視界が現実の写しではなく かなり脳が好き放題に加工してしまった結果であるということを 示している。あるものがそのまま感じられるわけではない、 というのは当たり前のことだが、なかなか普段そこを疑う機会はないわけで、 それを認識する機会を与えてくれるという意味では有益なものなのかもしれない。

ユメミルクスリのパッケージを見て今思った。ウソじゃん。 なんかすごい退廃的な内容を装っているが、 中身はえらく道徳的だ。題材が不道徳なだけで。 こう言ってはなんだがAirよりも健康的だと思う。 首締めシーンだけはちょっと外れ気味だが。 そういえばあのシナリオだけ何かが違う気がするな。 最後までヒロインが恐かったのあれだけだ。

2006年5月18日

ガーゴイルは相変わらず説教臭いまでにいい話だが、和むのでいい。

シムーン1を見た。なんだかよくわからないので、もう一話見ないと何とも言えない。 メカのデザインセンスは不思議。

昇給の資料を見ていて気づいた。つまらなくなってる。 制度的に一回の査定あたりの変動幅がきっちりと決まっていて、 しかもその幅がどえらく狭く設定されている。 実際にはつかないであろう最高評価でも8000円くらいしか上がらない。 たぶん、あんまりハデに上がったり下がったりするのは マズイということでこうなったんだろうが、さっぱり面白くない。 これでは「金くれないとやめちゃうぞ」 とか言うことにすら意味がなくなってしまうではないか。 一度言ってみたかったのに。 まあいい。TGSまでは考えないことにする予定だったし、 それを変更するほどの大事でもない。まずは誰も文句を言えないくらい見事に TGSを迎えることだ。

浮動小数点誤差に久しぶりに悩まされた。 まあやることはわかっているのでそれほど難しい話ではないが、 とにかく面倒くさい。 特に計算過程に減算が入っている場合には桁落ちによる誤差まで 見積らねばならないのでなおさらだ。 誤差許容値を考えなしに0.001とかすると必ず後でひどい目にあうのである。

ユメミルクスリを終わらせた。結局全部すごくハッピーエンドだった。 それもかなり極上に感動的なハッピーエンドだった。 どいつもこいつも途中の展開からは想像もつかないくらい ハッピーエンド。良かった。救われた。私が救われた。 まあ最初にあえかのエンディングを見た時に 「この人はハッピーエンドの人だ!」と確信したので 残りの二人は途中のあの悲惨な展開にも関わらず ギリギリのところで希望を持って読み進められた。 さんざん鬱展開しておいて急にハッピーエンドになると 「日和りやがったな!」という気分になりがちなものだが、 今回は何故かそうはならず自分でも不思議である。 おそらく、鬱展開とは言いつつも 主人公が健全さを維持していたからだろう。 まあ、あれだけ流されてコトに及ぶわクスリはキメるわ している状態を「健全」と呼べるかどうかはともかくとして、 少なくとも精神的なベクトルは健全だった、ということだ。 見方によってはどえらく説教臭い作品と言えるかもしれない。

嫌なことに気がついた。最近無駄に歩いているが、 これもしかして「自分探し」って奴なんだろうか。 猛烈にそんな気がしてきたな。 もちろんさまざまな利益はあるのだが、 それらを目的にするにしては正直馬鹿げている。 まあ、それを言い出したら私の場合ほとんどの行動が自分探しと呼べなくもないな。

2006年5月17日

二郎食いたい、と思った。しかし二郎は多い。 最近の体脂肪削減大作戦が台無しになりかねない多さだ。 そこで、二郎の熱量を相殺できるくらいの距離にある二郎に 歩いていかねばならない、という制限を課してみた。 狙いは上野毛二郎。12.6kmのかなただ。19時出発だが、22時までやっているので 余裕を持って間に合う。というわけで出発し、計算通りに21時に着いたのだが、 もう閉まっていた。直前まで開いていた気配(というか二郎臭)は残っている。 これはアレだ。つまり麺切れ。 仕方ないので歩いて帰ってきて 蒲田で旧二郎たる「ラーメン大」で二郎風味なものを食って帰ってきた。 腹は満たされたが、質的には満足に程遠い。味に暴力性が足りないのだ。 しかし二郎っぽいものを食ったことで二郎を食いたいという欲求は消えている。 なんとも微妙。

というわけで、全く無駄に26kmほど歩いてしまったことになる。泣きたい。

8時間歩けば400gの脂肪が燃えることになっている。 これを毎週やれば、月に1.6kgの脂肪が燃える計算だ。 1.6kgと言えば2リットルペットボトルの体積にほぼ等しい量であり、 多少は見栄えも変化するのではないかと思われる。 ワクワクしながら待とう。単なる数値よりは目に見える形になった 方がおもしろいからな。一緒に筋肉もついてくれればさらによろしいが、 筋肉痛は腰から尻にかけて集中しているので自分の目には見えないところにしか 変化がなさそう。尻の脂肪が減るのは歓迎だが。

ヘソ浅くしたいなあ。

任意の点集合を含む最小の球を生成する方法。 さらに進んで、任意の三角形集合を任意の数の球で包含しつつその球集合の体積を 最小にする方法。これが現実的な計算時間でやれるととっても幸せになれる。

2006年5月16日

調布までの距離は23.2kmであるらしい。 るーとMapというサイトで計算してくれた。 高田馬場までは21.3kmだそうだから、要するに歩いて帰ることは 十分に可能だということになる。 また、横浜までが16.1kmと実は結構近いことがわかった。 これは行かねばなるまい。中華食いに行こう中華。 まあ糀谷駅前の中華料理屋がそれなり以上なレベルなので わざわざ遠出する気にはあまりならないのだが。

にしても気になるな。名前が。まさかとは思うが。

エロ師匠(アクセントはエ)に借りたユメミルクスリ中。 主人公の得体の知れなさがなんか魅力かつ不気味。 妙にハイテンションな文章がむしろ冷却材。 生徒会長が不穏なことを言い出した今日このごろ。 いろいろあってあまり気分が乗らないので今日は中断。

ユメミルクスリ、みずき。bad endっぽいが、true endと言われても 納得はできる。一言で言えば、始終ハラハラしたりイライラしながらも どんよりとした気持ちにさせられるお話。 多少はっちゃけても、いやむしろはっちゃければはっちゃけるほど かえって不安になってくる。良いと思うけれども、気持ちよくはない。

あえか。始めてすぐに逃げたくなった。しばらく我慢してたら余計に逃げたくなった。 ほとんどフルタイム次に何か嫌なことが起こりそうな予感がして、 全く心安まる時がない。というか、この子そのものが極めつけに不気味だ。 ミズキの話ではどちらか言って主人公の方が不気味だったが、 今回はそうでもない。いじめを傍観することを強いられた主人公は その時間の不愉快さに対して理不尽な怒りを覚えるが、 それは私も同じだ。なんて不愉快なエロゲなんだろう。 嫌なことばかり考えさせる。

嫌なことばかり思い出す。私だってこういう類の現場を見たことはあるのだ。 小学校でもあったし、中学校でもあった。まああんなにすごいことには なっていなかったわけでヌルいものだが、 それでも見ているのは気分が悪いものである。 私にできたのは加害者側には与しないという態度を明確にすることだけで、 積極的に阻止したわけではない。

この物語のキーパーソンは妹ではないか。 この悲しいまでに良く出来た子がいるからこそ 主人公は致命的なところにはまりこまずに済んでいるのだと思う。

あえか、終わった。こんなに爽やかな首締めシーンは初めてた。もはや美しい とすら言える。どうしようもなさが素晴らしかった。

大人の視点と子供の視点。その両方が過不足なく描かれているように感じる。 大人の視点を身につけた人が子供の視点で物を描くことは難しかろうし、 子供の視点しか持たぬ人には大人の視点は持てまい。 子供の視点で描かれているからこそ、私はいらいらできるのだ。

人の悪意という奴を私は良く知らない。 善意の対義語は悪意だろうが、それは概念上のことで実際には 無関心なのではないかと私はそう思っている。 保留に勝る選択肢が存在することは稀だが、 それは世界におけるデフォルトが無関心だからだ。 善意も悪意も等しくエネルギーを消費する。 人間はエネルギーを消費することを避ける傾向があり、 それは必然的に無関心につながる。 だから、私はこの物語に描かれているような悪意をリアルとは感じない。

とは言え、ちょっとくらいなら私だって言われのない悪意を受けたことはある。 しかし、私をいじめた彼等はただ幼いだけだった。 何かと足を引っかけたり、写真撮影の時にわざわざ後ろに立って肘をめりこませてきた りした彼にしても、 私が雨の中歩いていたら無言で傘を差し出してくるような優しい子だった。 しかしそれは今だから言えることだ。 当時私がもっと凄まじい悪意にさらされたなら、と思うと恐くて仕方ない。 私には悪意の対象になりやすい性質があった。 いちいち目立ったし、性格的にも嫌な奴だったと思う。 何よりも、皆が価値を認めるものを私は否定したがった。 今にして思えば愚かなことだが、その性質は今でも大して変わってはいない。

「言っても無駄だろう」という判断を私はひどく嫌っているが、 それでも本当に無駄であることがあるということを否定できるほどに若くはない。 保留を選ぶことに納得がいかないのは、まだ私が若いからだろうか。

2006年5月15日

佐藤大輔を読んで、夕方6時。なにしよっかなー、 と思ったが、とりあえず今日もちょっとは歩くかと思って川崎に 本を買いに行くことにした。しかし家を出た直後に 一つ思いついた。このまま調布の弟のところまでいって 昨日貸しそこねた本を貸すというのはどうだろう。もちろん徒歩でだ。 「普通そんなことしねえよ」と言う声が脳内でしたが、 「じゃあなおさらやらなきゃ」という返答が即座にあったので決定。 もちろんそれなりな計算はしていて、 3時間で着けばそこで休憩して即取って返して同じ時間で帰れれば2時。 まだ寝られる。悪くして1時間ほど遅れても3時で致命的とは言えない。 が、実際に着いたのは10時過ぎだった。4時間強。途中若干迷って 時間を無駄にしたのは確かだが、それほどのロスではない。 単純に距離がそれだけあったということである。 時速6キロは出ているはずだから、24kmくらいはあったということだろう。 なお、帰りは歩きではなかった。 せっかくなので国領に住んでいるエロゲ師匠たるT氏の家に寄ったのだが、 歩いて帰ると言ったところ「それはありえねえ」といろいろと手配していただき、 無事寝られる時間に帰ってくることができたのである。 ありがとうございます。というかごめんなさい。

でもまあ、歩くのはいい練習になる。なにせ4時間も体重移動の練習を無理矢理 させられるわけだから。他にすることもないし、辿り着くまではやめることも できないあたりが実に素晴らしい。 それに計算上1.6メガカロリーほど余分に消費したわけで、 200gくらい脂肪が燃えた計算になる。めでたい。 それにしても、34kmは行けそうだな。 金曜の川崎行きで足に豆ができた状態であったことを考えれば、 万全な状態ならもっと楽に歩けるはずである。 歩いて帰る覚悟はしていたし、実際帰ってきて自己診断してみても 疲労そのものはさほどでもない。豆はひどいことになっているが。

それにしても、豆ができていて一歩歩くごとに痛い状態で、 次の日が会社である日曜日に、しかも夕方になってから、 4時間もかかる場所に歩いていくというあたり、 我ながらありえない。 むろん、ありえないからこそやったわけで、 逆に昼間だったり、土曜だったり、豆がなかったりと もっと条件が緩かったらやらなかったかもしれない。 私にとってはいまだに「普通でないこと」は価値を持つのだろう。

もう一回言っときます。お二方、ありがとうございました。

体脂肪に目に見える変化はなし。200gくらいじゃ誤差だろうし、 計算通り脂肪が燃えたとも限らないので当然だが、なんか悲しい。

今日の経路を地図を使って距離を測ったところ、直線で20kmくらい。 おおまかに道程を測ると22kmくらい。 道程ベースでは時速6kmを維持できなかったということか。悔やしいな。 迷った時間もあるので仕方ない面もあるが、 やはり時速7kmで長時間歩けるように上達したい。 それにしても、 地図上で二点指定して通る道を選ぶと距離を出してくれるサイトないかなあ。

2006年5月14日

彩雲国6。笑えるほどおいしい展開。 悪党が手加減なく悪党だと話が成り立たないのはわかっているが、 これほど手ぬるいとさすがにな。

自分にとって大きな利害がない事項については 馴れ合いと保留こそが行動の基本であり、 「僭越」という言葉はいつもそれを正当化してくれる。 でも、だいたい納得は行かない。

佐藤大輔「信長新記」3まで。続きはもう出ないのだろうな。 男の子分が過剰に補給されて大層心地良い作品だけに惜しい。

尻が割れ始めるあたりから脚だと思って歩くとちょっといいかもしれない。 できるだけ脚力を使わないで歩いたり走ったりできれば消耗が少なくて うれしいだろう。せっかくだから今日もちと歩くか。

2006年5月13日

西の善き魔女4。本当みんな女装好きだなあ。 まあ、この作品はそれでどうにかしようという主旨ではなく、 単に女子校に舞台が移ってもこのキャラを登場させたいというだけの話だとは思うが。 とりあえず、猛烈な勢いで盛り上がっているので良し。 かなり端折っている印象があるが、原作を知らないので気にならない。

E3の報道見てるとちょっと淋しくなる。 大々的に取り上げられるものを作りたいものだが。 往々にして注目されるタイトルと儲かるタイトルは食い違うものなので仕方ない。 やはり儲けてなんぼだし。

井上和郎「あいこら」。こいつバカだ。しかし、これだけ頭が悪いものが 「普通の漫画」になっているあたりがすごいといえばすごい。美鳥の時も思ったが。

荒山徹「魔岩伝説」。魔風海峡以上のすさまじさだった。 朝鮮通信使に隠されたド肝を抜く秘密。ド肝を抜きすぎだろそれ。 男の子分も豊富で、「あれって絶対ビーム吐くよな」という誰もが持つであろう 思いがあまりにも素直に具現化されているあたり、惚れる。

同時3点ドキュメント4、地球温暖化。「煙と金と沈む島」 というサブタイトルは、見終わった後で心に刺さる。 海に沈むツバル。二酸化炭素を撒き散らして発展する重慶。 二酸化炭素の排出権の取引で利益を上げる企業。 見ていて切なくなる。 しかし「人間の良心だけで温暖化が止まるはずがない。それが利益にならねばならない」 というこのアメリカ人の台詞には深く共感できる。 うちらは確かに今までさんざん化石燃料を燃やして二酸化炭素を出して、 それで豊かになったわけで、今さら中国に出すなとは言いにくい。 言いにくいが、しかしそれはそれだ。うちらはうちらの勝手な事情で 彼等にゴリ押しする他ない。 いっそ資源なんて尽きてしまえばいいのに、 などと思うのはいけないことだろうか。

少なくともツバルという国はなくなるのだろうな。 満潮の度に地面から海水が湧いてくるような状態で、そう長く保つとも思えない。 そして何万人かの難民がどこかに押し寄せ、そこで摩擦と差別が起こる。 そんなことがいろんなところで起こるのか。

ヒマならこっそり試作ゲームを作ってプレゼンする準備をするとか、 現代的なゲーム機向けのライブラリをこっそりつくるとか、 そういうことをするのが社畜というものなのだろうな。 しかし、敢えて言おう。そんなことするわけない。

信濃町にあるタイカレー屋に行った。やはりタイカレーはいい。 甘口にしたのにそれでも辛かったのがびっくりだが、 まああれくらいならなんとか大丈夫。 あと、これはカレーには関係ないが、周りが創価学会施設ばっかりでなんか恐かった。 どうも総本山らしい。ラスボスがあそこにいるわけだ。

高島屋の地下で大七の生原酒を3067円で買ってきた。 うめー。やべー。これうめーよ。開けた瞬間からこの旨味の炸裂っぷりはすげえ。 これ置いておいたらどう変わるんだろう。 がっつかないように気をつけないとな。

プリプリのアニメ、改めて見ると会話シーンの構図とかが下手っぴだなあ。 この微妙なかったるさはそのせいか。間がもってない。 もちろん脚本のせいもある。 思い出したように下手に盛り上がるが、これでは寒くなるだけだ。 あと、目の中の陰いらなくないか?

とか良いつつ、それなりに楽しんでる私は、たぶん品質とかそういうものが 目にはいっていないのだと思う。

古日記のインデクスを書き直した。場所を食いすぎるのでテーブル化。

2006年5月12日

NHKの同時3点ドキュメントの一回目、為替変動の話。 正直関わりたくないと思った。 しかし、だからと言って知らないでいるのは危険すぎる。思えば私は経済については 全く何も知らないに等しい。せめて経済学部を出たのと同じくらいの知識は 持っていた方がいいのではなかろうか。 誰か勉強の仕方を教えてくれ。

PS3はダメだ、という意見が広がっている気がする。 さすがにその値段は舐めすぎだろ、という意見が多い。 ソニーはゲーム機ではないと主張しているが、 消費者が結局ゲーム機にすぎないと見れば、 XBOX360という安く先行している機械が存在していることは決して軽視できまい。 だいたい7.5万と4万の差はあまりにも大きい。ゲームを5本も買える大きさである。 その5本分に相当する価値がPS3にあると考える人がどれほどいるだろう。 XBOX360はすでに600万台を出荷しており、PS3の発売までには さらに300万台くらいは売るつもりでいる。 1000万台近い差がついた状況でその価格差。ダメ押しにMSが 値下げでもしようものならそれこそ一巻の終わりだ。 PS3が2万ほど値下げすれば互角になるだろうが、 さてどう出ることやら。

まあ、PS3がポシャるのは私としては歓迎なのだが。 XBOX360ならば開発環境は整備されていてハードウェア的にも使いやすいし、 PCゲーとの親和性もいい。あとゲーム性として野心的なものはWiiで 出せば、グラフィックに過剰な投資をせずに済む。 ただまあ、感情的にはちと悲しいのだが。

会社からそれなりな速度で走って帰ったら、心拍数が160だった。 私の年齢だと140くらいになるようなしんどさで 運動し続けるのがいいらしいが、それ相当しんどいな。 とりあえず通勤は走るか。

三点ドキュメント2。エチオピアからイスラエルへの移民、 イスラエルからドイツへの移民。日本もそのうちいろんな民族の人で ごったがえすんだろう。その時同じような事が起こるに違いない。 民族や国家の境界は経済という大きな流れの前ではないも同然であり、 その傾向はこれからも強まる一方だ。 そんな時代だからこそ右翼的な物言いが受けるのかもしれないな。 ドイツもそうだと言うし。 にしても、韓国の移民ブームってのはわけわからんな。 世界でも有数の金持ち国家なのになんでそんなに移民したがるんだろう。 まあ、中途半端に金持ちだからこそ、もっと上に憧れるのかもしれないが。

先週だったか、渋谷を歩いている時にビルのスクリーンに 世界の経済格差をなくすことを訴える映像が流れていた。 先進国に有利な貿易の仕組みを変えよう、だそうだ。 美しいお話だが、つまるところ、 それは自分の富を貧乏な人に分配するということで、 自分がより貧乏になるということを意味している。 誰か自分とは違う「金持ち」の金を与えればいい、 などと他人事のように考えてはいないだろうか。 中国やインドの人々がうちらと同レベルに金持ちになる頃には まず間違いなくうちらは今よりずっと貧乏になっている。 それに加えておそらく地球が保たない。うちらが今のヌルい生活を 守ろうと思えば彼等の発展を妨害する他ないのだ。 しかしまあ、平等化は時間の問題だろう。 「経済はより発展できる余地のある所を発展させようとする」 というのが本当なら当然インドや中国、そしてその次にはアラブやアフリカを 発展させてそこに市場を作ろうとする。 どこで読んだか忘れたが、イギリスは産業革命を起こして 技術その他で他国に対して優位に立ったのに、あっさりとそれを 他の国にも広げてしまった。国という単位でどうこうすることよりも、 企業が利益を求める力の方がずっと大きいということの大きな一例だと言う。 日本企業がバリバリ韓国や中国に技術を与えているのもつまりはそういうことだろう。

三点ドキュメント3。臓器移植。 だから嫌なんだ。そんな必要がなくなるくらい再生医療が進めばいいのにと ずっと思っている。どこかで人が死ぬのを望みながら待つというのは 道徳的には極めて良くない。それでももし私が移植以外で助からないような 病気になれば、やはり誰かの死を望むだろう。だから嫌だ。 早くサイボーグでも再生でもいいから進化してほしいと思う。 こんな辛いものを見なくて済むようにしてほしい。 ああそういえば、再生医療の研究所に行こうと思っていたのだよな。 修士の頃は。何故あきらめたのだったか。思い出せない。

先日の、HPに比例したダメージを与え合う話の続き。 A(n) = A(n-1) - B(n-1)*k、 B(n) = B(n-1) - A(n-1)*k、 なわけだが、A(0)=a,B(0)=bで、 A(1)=a-bk,B(1)=b-akである。 A(n-1)とB(n-1)はabを入れ換えただけの式で同じ形だから、 A(n)はA(n-1)よりもkに関して1次高くなっていて、 a,bのどちらかについて見ると一次の項しかない。 係数は二項係数になって、 (x-1)^nと同じ形で偶数次数と奇数次数でabが入れ換わった形になる。 A(4)あたりまで出してみれば納得できるだろう。 例えばA(4)=a-4bk+6ak^2-4bk^3+ak^4になって、まるで(k-1)^4を展開したかのような 形になる。というわけで一般項が出せたわけだが、 知りたいのは、aよりbが大きい場合のA(n)=0となるnにおけるB(n)の値だ。 これがつまり、A側が全滅した時のB側の兵力で、 実質的な戦力比ということになる。が、これをそのままは求められない。 kを0に近づけるとnも大きくなるから、A(n)の次数はとんでもないものになる。 どうにかnを実数にして解析的に扱える形にしないと解けやしない。 実数の階乗と言えばガンマ関数だが、そんなものが入ったらそれこそ もうわけがわからん。 kを0に近づけた時の極限を求めるのは私の能力では無理っぽいので、 試しに適当なところで項を打ち切ってみよう。 1次で打ち切ると、A(n)=a-bnkとなって、bに与えた損害が無視されてしまうのでダメ。 2次で打ち切ると、A(n)=a-bnk+n(n-1)*k^2/2となって、 それなりにダメージが減速されていく。数値計算で出た結果との整合性も悪くない。 しかし、これでもそれなりに面倒だ。A(n)=0となるnを求めると かなり汚ない式が出てくるわけで、それをB(n)に代入するのは骨が折れる。 結局数値計算に頼るのが一番早そうだ。 1:2だとAが全滅する時にはBが1.73になっている、というようなものを いくつかの比で求めておいて感覚として持っておけばいい、という結論。 だいたい比の二乗にちょっとおまけがついたくらいの損害になる。 あとは、多数の兵士が独立に動く何かを作ってみて、 この式にだいたいあてはまる挙動を示すかを確かめてみるのが面白そう。 地形や陣形によってこの比からどれくらい離れたかを見ることで それらの戦術的な評価も可能になる。 極端なのは1人づつしか戦えないような狭いところで戦闘をした場合で、 この場合は1万人対2万人でも両方がきちんと1万人減ることになる。 十分な大軍を揃えた側はいかにまっすぐぶちあたるかを考えるし、 劣勢な側はいかにまっすぐぶちあたらずに済ますかを考えるわけだ。 とりあえずカンネを再現するのが目標だな。

wikipedia英語版でカンネの戦闘について読んでいたが、 包囲することの利点の一つとして包囲された側が味方との間隔を十分に取れなくなって 戦いにくくなることがあるらしい。 味方との位置関係による戦闘性能の変化、というものを入れないと 包囲された側が有利になるという現象が表現できないので、これは重要だ。 ところで、どうも前の日に水をくみに行った兵士を 襲ってみたり、太陽を背にして布陣してみたりと、カルタゴ軍もかなり いやがらせをしたらしい。手は尽すべきなのだな。

先の戦力比法則に従って単に遊兵を減らすことだけを考えれば、 陣形は細長いものになって できるだけ全員が敵に接するようにしようと思うだろう。 両方がそうするので、たぶん一列にクソ長い線がぶつかって一発で勝負がつく。 しかし、兵士と部隊指揮官(小隊長とか)の距離が性能に影響するようなルールを 入れると途端に世界が変わる。 あまり薄い陣形にすると、突破された時に指揮が届かなくなって 戦闘能力が落ちる兵が発生するからだ。ここにジレンマができ、 かけひきの要素が成立する。さらに、指揮官との距離だけでなく、 味方との距離も性能に影響するようにするとよりいっそう複雑さを増す。 最適な距離を保てるような陣形を維持することが重要になり、 無理な移動や敵の圧力による動作遅延が 車の渋滞のような状態を引き起こして致命的な影響を及ぼすようになる。 このような条件では包囲して圧縮することは極めて有効だが、 当然突破されて分断される危険も伴う。ここでまた一つかけひきの要素が生まれる。 さらに、兵士個人個人の性能をバラつかせたり、 編成の際にその能力を考慮して編成したりできるようになると なおさらかけひきの要素は多くなる。たぶんこの時点で普通のゲームとしては 成立し得ないくらいの複雑さになっていることだろう。 さらに兵站や地形、兵種などの多様性を入れていくと複雑さは指数的に増大し、 将軍(=プレイヤー)がパンクする。弓が入った段階でもうわけがわかるまい。 まあ一回作ってみないとわからないが、こんなものは会社で作れるものではない。 もし形になったとしても同人だろう。

プリプリのアニメを坂本様の回だけ見た。キャラデザずいぶんドギツイな。 あと演出が頭わるすぎ。まあ見られるけど、原作の方が出来いいような印象。 あと、ぱくろみ、声いいなあ。 実家でNHK見てたら生身で出てきて、なんかかっこいい人だったのを思い出した。

2006年5月11日

自分でも不思議なくらい機嫌が悪くてこのままでは 何が起こるかわからない状態だったので、 仕事をさっさと切り上げて川崎に行ってきた。歩いて。 行きはかなりがんばって家から川崎Diceまで41分。 帰りは普通の速度で46分。 あとで距離を測って時速を出しておこう。

速歩参加したいなあ。6/7か。実はそう忙しくもないので 時期的には可能なのだが、問題は勇気。

やっぱできるとわかってる仕事ばっかりやってるとダメになる。 機嫌の悪さはたぶんそれのせいだ。 とりあえず少しでも技術的に困難なことをやろう。 そろそろ余った計算器の使い方を本気で考えないとな。 それこそがあの機械のミソなのだし。

今度こそヘソを浅くするぞ。腹周辺の脂肪を抹殺して割れた腹筋を 表わにしてやる。実現すれば生まれて初めての快挙だ。 そういえば弟が腰周り70cmのズボンでもゆるいなどと抜かしよるので、 対抗してみるのも面白いか。まあ70cmはちと辛そうだが。 仮に腰周りがどうにかなっても、たぶん股の太さで引っかかる。

なお、歩く目的の最大のものは「歩くという運動に上達すること」で、 ダイエットではない。179cmで62kg台という段階でこれ以上減っても何も いい事はないのである。本当なら80kgくらいあってもいいのだが、 どうも筋トレは続かない。

どう考えても日に当たらない腹が胸や肩あたりよりも黒いのが不思議だ。 たぶんこれがデフォルトカラーなんだろう。

2006年5月10日

歩くの最強。もう体脂肪率が減りはじめた。 そんなにしんどくないので長時間続けられるし、 目的地に着くまでは続けざるを得ないというのもいいのだろう。 どんな運動も20分くらいは続けないと脂肪が燃えないそうだが、 20分もの間歩く以外の運動をするのは相当しんどいのである。

PS3の値段は「脱ゲーム機」という基本方針を表していると見ることができる。 しかし、本質的にPS3でしかできないことはPS3用のゲームだけだ。 ブルーレイはそのうちPCでも見られるようになるし、 仮に自由にプログラムを書けるオープンなプラットホームになったとしても PS3の演算性能がないと不可能な事なんて存在しない。 奴の主力計算機であるSPUは確かに速いが、 PCの100倍速いわけではないし、10倍速いようにプログラミングするだけでも 相当なトンチを強いられる。 GPUであるRSXは確かに現状では最速クラスだが、 それもあと数ヶ月のことだろう。 確かにそれらの性能が7万で手に入ると考えれば恐ろしく安いのだが、 そこに価値を見出だす人が何千万人もいるのだろうか。 わからん。ソニーのあの自信の根拠は一体何なのだろう。

マシン移行してからまたメール出せなくなってるっぽい。 10通以上メール送ってるはずなんだけど、 全部届いてないってことだなこりゃ。

/etc/mail/freebsd.mcの中のSMATR_HOSTという奴のところをsmtpサーバ名に書き換えて、 先頭のdnlを消し、m4 /usr/share/sendmail/cf/m4/cg.m4 /etc/mail/freebsd.mc > /etc/mail/sendmail.cfし、/etc/rc.d/sendmail restartしたら動いた。 つまり外に出る設定になってなかったのか。

プリンセス・プリンセスのアニメはダメらしい。 しかしまあ、一回くらいは見てみなくては。 ストロベリーパニックも見ておこう。 原作はいろんな意味ですごかった。本気度を測り切れない。

荒山徹「魔岩伝説」中。早くも朝鮮。そしてやっぱり嫌な奴。 朝鮮の支配者階級でかっこよく描かれていたのは 李舜臣と臨海君くらいで、あとはことごとく嫌な奴ばっかりだ。 これ読んで朝鮮好きになる人がそう多いとは思えないのだが。

5万人が5列で2メートルの間隔をあけて行進すると、20kmの長さになる。 佐藤大輔の本にそんなことが書いてあって感動した。 100列に再編成しても1km。 たぶん兵士一人一人をきちんと扱って戦争ゲームを作ると 驚くほどいろんなことが起こると思う。 やるか。兵士一人一人は球で表し、 互いの相互作用はは引力と斥力で表現し、前進や後退は 受けた命令によって個々人が発する加速度として表現する。 どのくらいの単位で組織化するかによっておそらく全然違った振舞をするだろう。

HPに比例するダメージを与えるルールで二人が戦うとする。 初期HPがA,Bとして、それぞれが与えるダメージはkA,kBである。 1単位時間経過後にはA-kB,B-kAとなる。 漸化式はA(n)=A(n-1) - B(n-1)*k、B(n)=B(n-1) - A(n-1)*kだ。 ここから一般項を導出すると、どうなるだろう。 今日は眠いからまた明日。 なお、数値計算でインチキをすると、 A=2,B=1の場合Bが0になった時点でのAのHPは1.73程度である。 0.27減ったわけだ。これを強引に0.25と考えれば、 Bが1減る間にAは0.25減って、元々の戦力比は2倍だったのだから、 「戦力比の二乗の損害が出る」という仮説が立ちそうな気はする。 どっかで見たような法則だが、さて数学的にはどうなのか。 ちなみに、A=3,B=1だと2.828となり、損害は0.17付近。 先程の仮説からはだいぶ外れる。まあ明日漸化式を解いてみるとしよう。

2006年5月9日

金田朋子のネットラジオを聞いて、頭がおかしくなりそうになった。 何者だ?芸であるならばこの捨て身っぷりは素晴らしすぎるし、 芸でなく素だとしたらより一層素晴らしすぎる。 こんな人と生身で一回話してみたいものだ。 考えてみればアニメ声な奴は今まで何人か会ったが、 どいつも話している最中に「うわ、アニメ声だ!」などと思うほどには アニメ声ではなかった。あたりまえだが、どうやらあたりまえではなかったらしい。

つうか、かなり精神を集中しねえと何言ってるか聞き取れねえ。 すげえ。すげえという以上に何も言いようがないくらいすげえ。 相棒の人がかなり疲れているように聞こえるのだが気のせいか。

昔は衆道(しゅどう)すなわちホモはかなり普通に行われていたらしい。 英語版のwikipediaの記事がわかりやすかった。

佐藤大輔の「平壌クーデター作戦」を読んだが、よくわからん。 会話のうさんくささについていけないのが辛い。 ただ、日本その他への皮肉がどうしようもなくあふれていることはわかる。 ものすごくいらいらしながら書いたんだろうか。

テニプリの実写映画のCMを見て、やめておけばいいのにと思った。

PS3は7万越えだそうだ。HDMIやら無線LANやらメモリースティック端子やらが なくHDDが20Gのモデルは6万だがそれでも高い。

2006年5月8日

ニャ電話。おおむね荒山徹。最近の作品はさらにヤバいらしいので 楽しみにしておこう。 あと、時代劇ギャルゲーってないよなあという話になった。

2006年5月7日

実家から帰ってきた。

今日は拳法の後高田馬場から西日暮里まで歩いてみた。 アホがカゼをひいて淋しそうだったので見舞ってやることにしたのである。 が、道を間違えた。気がついたら後楽園。仕方なく北上しようとしたが 本郷通りを選んでしまったために出たのは駒込。 そこからは線路沿に歩いた。激しい無駄。 やはり地図を持たずに知らない道を歩くのは危ないということだ。

アホは思ったより元気だったので、ダラダラしてから帰ってきた。

休み中に読んだプリンセス・プリンセスが著しく好みだったので、 つだみきよの作品を見つかるだけ買ってきた。 ついでにせっかくなので、この人が別の名前で描いているホモ漫画も買ってきた。 アホが言うようにキャラのパターンが恐ろしく少ないのが 気にはなるが、少女漫画耐性がそれなりにあるからかあまり気にならない。 やはり人の行き過ぎた妄想を鑑賞するのは楽しいものである。 ホモである点に嫌悪感を覚えないのかと聞かれると困るのだが、 これはファンタジーであり、 美少年という生物であって我々ホモサピエンスの雄とは別種なのだから 気にしないのが吉であろう。 美少女という生物がそのあたりにいるホモサピエンスの雌とは別種であるのと 同じ事情だ。美しければ許されるし、美しいものを見るのは楽しいことである。 なお、この人の漫画は好きだが、この同人くささにはやっぱり慣れないし、 マリみてと同じく盛り上がりそうなところでいきなりおしまいになる傾向が強いのが 少し辛い。

ところで、私は女性作家が何かと好む フィクションとしてのホモやら女装やらへの嫌悪感はない。 上述のように別種であるというのもあるし、 仮に別種でなくリアルにおけるホモサピエンスの雄においても 本当に美しければアリだと考えている。嫌悪感の有無は単に美醜の問題にすぎない。 例えばもし私にその基準を満たすだけの美があれば女装はやっていただろう。 ホモはまた別の問題だが。

やはり中学一年あたりから普通に少女漫画を読んでいたために 毒されたのかもしれない。 ツーリングエクスプレスを普通に読めてしまうのは男としては少数派なのだろう。 私がシスプリを好むのもそれと同じ原因によるもので、 ああいうおよそありえない美の世界に対する憧れがある。 あんな服を着て似合う人間など私は見たことがないわけで、 女性ですらその状態なのに野郎が着て似合うなどということがあるはずがない。 その「ありえなさ」がプリプリのファンタジーとして魅力なのだろう。

この人のBL世界においてはホモの社会的地位がずいぶんと高いのな。 気持ち悪がる奴が一人たりとも出てこねえ。 スペースの都合上生まれたお約束と見るべきなのか、 あるいは、美少年の存在率の高さによる必然であるとして 受け取るべきなのか、むつかしいところである。 つうか、展開早いよ。エロ漫画も似たようなものだろうが、 BLは精神的な過程を重視しているようには見えるので 多少はマシなのかもしれない。

いわゆる腐女子の方々がこういうものをどう鑑賞しているのかには 興味があるので、是非とも生の声を聴いてみたいものなのだが、 その世界の知り合いがおらずそんな機会はありそうにない。 誰かBL界で評価が高い作品とその見どころについて語ってくれると ありがたいのだがな。 ところで、そういった方々は「腐女子」という 称号をやはり不快に思っているのだろうか。 自分でそう言うのは気にならなくても他人に言われると腹が立つということは あるだろう。「おい、クソオタ」とか呼ばれたら私だって嫌だし。 であれば、どういった称号が適当なのだろうか。

バランスを取るために佐藤大輔のレッドサンブラッククロスを2冊読んだ。 ドイツがワシントンに弾道ミサイルで原爆を叩きこむ作品。 エネルギーに満ち満ちた高濃度の妄想があまりにも心地良い。 ちゃんとそれっぽいので安心して妄想を鑑賞できるのがまたいい。 あと信長が死なない仮想戦記も1冊だけ読んだ。こっちもたまらない。 アメリカが大和民国とかいう日本人の移民国家になってる。 小田原攻めは海上から砲で殲滅。もうたまらん。 あふれ出る妄想と願望を知性を利用して具現化した作品だ。 この人、やっぱりかなり好きかもしれない。

ネウロの4、5を読んだ。推理なんかを説明するフキダシを格納するためのコマにおいて 余った所に何を描くのかは結構悩み所だと思うのだが、 この人のはたまらない。何しろわけがわからないのである。 いちいちわけがわからないものが描かれている。 それでいて、アホ曰く「9割外れてるが1割当ってる」くらいに なんとなく雰囲気的に合ったものが描かれているような気がしないでもないあたりが 不思議だ。 話そのものは比較的どうでもいいし、絵もたぶん下手なのだが、 それでいい。むしろそれがいい。 5巻の余りページに絵コンテがちょっと紹介されていて、 それが見るも無残なくらい適当だったのだが、それがまた好みだ。 何が起こるのかとそれをどう写すのかが決まれば 9割終わったようなものだ、と私は思っているわけだが、 この人もそういう考え方をしているのだろうな、と勝手に思う。

わんこにおいて、「恋」という言葉があくまで肉体的な状態を表す 言葉として扱われているのが面白い。 普通の恋愛物において「恋をする」という時の恋とは全く違った意味なのだ。 このあたりにも都築先生のメッセージが感じられる。 わんこはいろいろすごいと思うのだが、構成やらボリュームやら といった品質について語る時にまず言及される要素群に問題が多いので どうしても人には薦めにくい。

プリンセス・プリンセスにおける「姫」達は、 顔がかわいいだけで中身は普通に男の子である。これがいい。 グリーンウッドの瞬にしたところで、結構中身は男の子だ。 私にはギャルゲーにおいて外見はかわいいが中身はさばさばして潔いタイプを 好む傾向があるようだが、たぶんこれも同根なのだろう。 やはり男らしい性格が良いし、自分でもそうありたいと思う。 もし外見が努力によってどうにかなるものであれば 人格同様に努力していたかもしれないが、 悲しいかな体の形ばかりはどうにもできないのである。

クローズアップ現代、サラ金の話。 20%以上の利息はありえないはずなのに、平気でまかり通っている問題について。 改めて金は絶対に借りないと誓った。 たかが200万の借金が3000万以上の支払いを呼ぶなんて恐ろしすぎる。 早く返さないと無限に支払い総額が増えていくこんなシステムに乗ってはいけない。 こんな商売が存在することすら心情的には許せん。 そもそも分割払いのようなものですら私は嫌だ。 未来の自分に負担をかけうる選択肢に対して強い嫌悪感がある。 物を買うならその場で現金で払って終わりにできる範囲でしか許さない。 だから、よほどの金持ちにならない限り家やら車やらを買うことはあるまい。 こうした気持ちは私が未来の自分を自分だとは思っていないことと関係があるのだろう。 なお、私は金を貸す時には返ってこない覚悟をして貸すが、 本当に返ってこなければ当然相手を軽蔑する。誰に言っているかわかっているな。 そろそろ真面目に考えろよ。返ってこなくても特に困らないのは確かだが、 それはそれだ。

私がいわゆる勝ち組と分類されうる恵まれた人間であることは自覚しているが、 別にタダでそれを手に入れたわけではないし、 今も継続的に何かを払ってそれを維持している。 それを苦にしない人間であること自体が恵みであることは確かだが、 「努力する才能」というものを認めることは人間の意思の価値を貶めることと同義だ。 基本的には因果応報が守られる社会が健全なのだという思いが私にはある。 現実にはいろいろあっていろいろと折衷するわけだが、それは偉い人にやってもらおう。 私はそこで変な優しさを発揮することを期待される階級の人間ではない。 私は厳しいキャラとしてふるまうことが、少なくとも 私の属する小さな社会においては皆にとって利益になると思う。 まあたまに優しくなりたい時もあるが、それは気の迷いだ。 毛の生えていない哺乳類に対しては厳しい、というのが私のキャラとしては良かろう。

昨日見舞いに行く時に、ふと何か料理でも作ってやろうかなどと思ったのだが、 丁度BL漫画を読みながら歩いていたためにあらぬ方向に想像が走って かなりおもろかった。むろんその時点で私や奴ではない、 もっと美しい何かを対象とした空想というよりはむしろ創作に 近いものになっているわけだが、思わず大笑いしてしまう。なにその世界観。 そのへんの奴をギャルゲーキャラ化するのは案外簡単で、 たまに考えては「いけるいける」などと納得してほくそえんでいるのだが、 BLなキャラにするのもほとんど同じだな。それらが文化的に極めて近いことを 実感できた。ちなみにアホはギャルゲーキャラ化するとハルヒみたいな感じになる。 迷惑なところとか。

産経新聞の社説の 「感染力が強いので、患者との濃厚な接触は避け」という部分がおもろかった。 なんだよ濃厚な接触って。昨日あんなものを読んだ直後だから 当然それに直結してしまったではないか。 「プール熱が流行ってるから気をつけようね」というだけの記事なんだが。 ギャルゲーとかBLとかの作家は普段からそういう妄想をたくましくしているのだろうな。 そりゃ偉大だ。創作する変態は尊敬に値する。

荒山徹「魔風海峡」。朝鮮忍法vs日本忍法。時代背景等は高麗秘帖と同じだが、 完全に忍法アクション重視の構成なのでいちいち熱い。 時代劇において熱い要素がこれでもかと詰めこまれていて笑いが絶えない状況だ。 というか、忍術と言えば本当に何をやってもいいのな。 いちいちその忍法について民明書房メソッドで語るあたりとか、 もう素面じゃ読めねえ。男の子分が十二分に補充される逸品である。 それでいて歴史物っぽい硬派さも結構あってバカバカしいと投げ出したく なるようなこともない。半蔵のダマされっぷり等々 ところどころマヌケっぽいところもまた味だ。荒山徹はいい。

魔力とかマナとか気とか、超自然現象のエネルギー源となる ものはいろいろあるが、朝鮮忍法は「恨(ハン)」なのな。 スカウターで数値化したくなるくらいのエネルギーっぷりである。 この人は朝鮮好きらしいが、一体どういうふうに好きなんだろうと かなり疑問に思う。

2006年5月2日

折角だからと雪道をクリアした。途中敵に合わせて戦略を変えねばならないあたりが 良く出来ているし、魔法の覚え方も面白い。 戦闘システムは常に1点を争う戦いになるので緊張感が失われないし、 その割に計算は簡単なので面倒くさくなるほどでもない。見事だ。 しかし、1000歩クリアを目指す気にはならないな。 あまりに運に左右される要素が多すぎるので、 いくら手順を最適化しても届かない部分が出てきてしまう。 また、UIが悪すぎるのも辛い。 windowsのGUI機能丸出しでゲームを作ると どうしてもレスポンスが悪くなる。 やはりゲームループを回して入力を毎フレーム取ってきて 反応する形式の方がいい。 しかしまあ、迸る創作意欲の前ではそんなことなどどうでも良いのかもしれないな。 そんなことを気にしていては完成すまい。

ドラクエ2で3人の国が微妙に競争してて、 3人があわよくば戦後の覇権が強まるような状態で魔王を倒すことを 狙っている、みたいなゲーム作れないかなあ。 米ソ戦後を睨みつつドイツと戦う、みたいな。 もちろん途中でパーティを組んでもいいが、 組むには相手の同意がいる。仲間はもちろんAIで動く。 協力しないと魔王に勝てないうちは協力し、 ここぞというタイミングで裏切って後ろから刺すなり見殺しにするなりする。 協力と競争の間の葛藤を楽しむゲーム。 成立させるにはかなり考える必要があるな。

いろいろ歩いた。歩くのっていいなあ。明日は福島のじいちゃんちに行く。 なお、仙台にいる両親が福島にひっこすらしい。

2006年5月1日

ガーゴイル4まで。なんか路線がわかってきて興味が減ってきた。 でもまあ楽しいし見るだろう。

立花隆のサイボーグの話続編。前回の内容のダイジェストと、 その技術が世界をどう変えていくのかというテーマについて 押井守と話すという内容。 私はサイボーグ技術の発展は歓迎するが、 もちろん「これが本当に人類を幸せにするのか?」 という疑問に即答はできない。 例えばもし私の左耳を機械で復活させてくれるなら少くとも私はうれしい。 しかし、例えば自分の体を他人に乗っとられたりする可能性がある社会になることが 本当に幸せに寄与するかどうかは相当怪しい。 また、それを可能にするための実験や研究について具体的に考えると それなりに嫌な感じがする。 例えば視神経のデータフォーマットを解析するために どんな実験をしたのだろうと考えると結構気分が悪くなる。 ところでこれ、押井を誉める前に士郎正宗を誉めるべきなんじゃないだろうか。 せめて原作者がいることくらい言ったらいいと思うんだが。 知らなかったのかもしれんけど。

日本にもいるんだな。脳をネットで直結して会話しようとか思ってる科学者が。 最初のうちはしゃべろうとして声帯に送られる信号を抜くくらいだろうが、 それが当たり前になってしばらくすれば、 そういう回りくどいことをやめ、声帯を使った音声による通信 であるという制約を受けない次世代の言語が生まれるだろう。 人間が協力して何かをする際に最大の障害になるのは通信速度とその信頼性であって、 これが飛躍的に改善する可能性がある。 しかしその時、そいつらの心はうちらが人間と呼べる範疇に収まるのだろうか。 もちろん、収まる必要があるわけでもないので、それは成行き次第だろう。

マイナス面として軍事利用や記憶改竄が挙げられている。 軍事利用は軍事利用という言葉だけですでに悪であることが決まっているわけだが、 水爆のように破壊力が上がる方向の技術革新がヤバい一方で 機動力や効率性を高める方向の技術革新は人類を滅ぼす方向には行きにくいという 印象はなくもない。どうせ軍事に割くエネルギーは変わらないのだろうし、 破壊力以外に進化の方向がない状態よりはマシな気がする。 もちろん、安全なところからロボット兵士を動かして侵略できるとなると ついやってしまいたくなりそうな気はするわけで、 そのへんの人間の心の性質に由来する問題はいくらでも起こりそうではある。 記憶改竄については、ダイレクトに改竄というのは今すぐには想像ができない にしても、記憶の補助にマシンを使う時にちょっとした細工をすれば 本人に気づかれずに微妙な狂いを誘うことはできるだろう。 記憶の機械化が当たり前になればなるほどそれへの依存が高まり、 機械的に変更可能な部分の変更が当人の人格にまで影響を及ぼしかねない 状況になる。確かに恐いな。

科学者はえてして「使うかどうか決めるのはオレじゃない」 という言い方をするが、それは無責任である一方で必然でもある。 できることをやらないでいられるほど人類が慎しくないのは ここ何千年かでわかっているはずだ。

ハルヒの実写CMはハルヒの中の人だそうだ。なんかえらくいい面構えだなこの人。 若い人が活躍しているのを見る度に焦る。

アホの所に行った時に大七の古酒を飲んだが、 神亀と共通する臭いがあった。つい先日開運の10年物を味見してもやはり 同じ臭いがあった。もしかして、これが老ね香って奴なのか。 暖めるとかなり気にならなくなるし、この臭いがあることをデメリットとしても それを相殺するくらいに味がいいのでそれほど問題ではないのだが、 感蝕が重いのでいつもこれというのは嫌かも。

私が緊急に覚えねばならないのは待つことだな。 「いつ上がる?」と聞かれること自体が重圧に感じられる人もいるのだ。 そういう人との関係を良くするためにも、最適な待ち方をしたい。 催促をするにしても直接するだけでなく、相手の様子を見てメールを使ったり 上司を経由したりと、経路の使い分けが必要だ。 また、自分の機嫌を良く見て、まずそうなら不要な接触を控えるという智慧もいる。 私は下っ端だが、人に何かを頼む機会がそれなりに増えてきている。 そのあたりのコツを今のうちに掴んでおかねば未来がない。 なんてことをカルロス・ゴーン氏の言葉を聞いていて思った。

船と車のエネルギー効率。単位輸送量あたりのエネルギーは船の方が ずっと優秀だそうだ。1/5と言っている文書もググると見つかる。 一つには、エンジンやら運転席やらという 荷物でない部分の率が船の方が圧倒的に小さいからだろう。 水の抵抗によるエネルギーロスはそんな利点を相殺するくらい大きそうにも 思えるが、問題は単位輸送量あたりのロスだ。 計算していないのでわからないが、 たぶん抵抗は形状による差を定数項に追い出せば、表面積に比例しそうな 気がする。つまり大きさの二乗項で、 三乗項である体積が大きくなるほど単位体積当たりの 抵抗はどんどん小さくなるだろう。タンカーみたいに バカげた大きさの船を作るのは、その方が効率がいいからなのではなかろうか。 でも、相手が鉄道になるとかなり鉄道に傾いてきそう。 確か鉄道の摩擦係数はあまりにも素晴らしい値だった。 中学の課外授業で先生が言ってたことなのでイメージしか覚えていないのだが。

全然調べてないので、そこはよろしく。

サーバ移行中。アクセス解析が動かなくなって、 調べたらライブラリのバージョンが違うせいだった。 昔調子に乗ってCで書いた奴だからだ。 そしてソースが見当たらない。若気の至りという奴だなこれは。 どっかのサービスを使うか、もっかい作るか。 サービスを使うと見るのにいちいちログインせねばならなくて面倒くさい。 自力で作る場合はデータがローカルに置かれるので それを見るビューアを別に作ればそれで良く楽だ。

あー今から作るのもアリか。今日の予定が消えたところだし。

SKKがおかしくなった。変換候補のウィンドウが操作不能。 skkinputがすでに保守されてないようで、 何が起こってもおかしくない。というわけで、scimに乗り換える。

アノテーションにも対応しているし、いいなscim。

アクセス解析のソースが発見されたので、ビルド。動いたっぽい。 動いているようならいいかそれで。

世界遺産、万里の長城。確かに絵としてすごい。 しかし、ここまでするに値する効果はあったのだろうか。 ただ壁があるだけでは敵は止められないだろう。 壁の長さに見合う兵力を張りつけることなど不可能だろうし、 単なる見張り台にしかならなかったのではないかと思ってしまう。 とりあえずwikipediaで軽く調べてみたところ、 まるで役に立っていないような記述。国境線の主張にすぎないという 考え方もあるようだ。 そういえばブリテンにローマが作った壁はどうだったのだろうな。

世界遺産イタリア。イタリア行きたいなあ。 なんでヨーロッパはこんなに田舎が田舎のまま残っているのだろう。 アメリカもそんな感じだった。サンフランシスコのような大都市でも 建物を滅多に建て換えていない様子が伺える。 むしろ世界的には日本が変なのか。


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