だだもれ

2006年1月31日

いまさらだが、借りたカウボーイビバップを2話まで見た。なんとも。 かっこよさに酔えればいいのだろうが、なんとも。 ちゃんと良く出来ていることに疑いはないのだが。 まあしばらく昼休みはこれだろう。なにせ26話もある。

教育基本法に「国と郷土を愛し」みたいなことを書くべきだと 産経の社説が主張していた。私は根っこは左気味なので なんか怖いと感じてしまうが、みんなどうなんだろう。 ちょっとしたきっかけがあれば昭和初期の祭を繰り返してしまうのではないか、 という不安を持っている人は結構いそうだし、 ああいう言葉には過剰に反応するのもわかる。 でも、別に愛していないわけでもないだろう。 日本人には「こんな国に住みたくないよ」とか言って海外に移住したり、 よその国で子供を産んで子供に外国の国籍を与えようとしたりする人は 滅多にいないし、スポーツで日本人が勝つとえらい喜ぶ。 「言葉にするのはちょっとな」という人が多いんだろう。 そういう奥ゆかしさは好ましいと私は思う。 特に確固とした理由があるわけではないので、 誰かに説得されればあっさりひっくり返るかもしれないけれども、 今のところはわざわざ書かんでもいいかなあと私は感じた。 それにしても、なんで今さらそんなことを言い出したんだろうな。 今まで議論にもならないうちに蹴られていたのが、 最近になってちょっとそういうのが許容される雰囲気になってきた、 ということだろうか。

もらった動画に「教えて!Mr.ゴーン」ってのが入ってた。なんだこりゃ。 見てみたら、日産のゴーンさんが、いろいろいいことを言ってた。 「いいアイディアを思いつく秘密は?」という質問に対して、 「一心不乱に一つのことを考え続けることです」とのお答え。 でも、いいと思ったのはその後に続く 「そうすれば、ありきたりのアイディアでは満足できなくなります」というところ。 大切なのは満足しないことだ、というのは最近思う。 前のプロジェクトではちと満足しすぎた。 あと、「人が信頼できるかどうかを知るにはどこを見ればいいですか」 という質問に対して、「親との関係を見ましょう。特に高齢の親を持つ場合には いい試金石になります」とのお答え。なるほどなあ。 まあ、親との関係なんてそうそうわからないんだけどな。まして会社では。

ああっ。ピースかわいいよピース。ヤバいってこれ。手触りたい。 腹触りたい。これ取っておこう。

3月になったらカピバラ触りに行く。絶対行く。

人類かわいくねえなあ。ピースの足元にも及ばねえ。 それでも触れるならいいか、と思ってしまうあたり、私もかなりダメになっている。

私が参加した物がもうすぐ世の中に出る。 自慢したいと思う一方で、所詮黒子だしなというションボリ気分がもたげてくる。 自分の個性が問題になるものを作るということには本当に憧れる。 その恐しさを乗り越える勇気は今の私にはとても絞り出せそうにない。

日本酒は暖めて飲めるのが特徴だ、と誰かが言っていたので、 試してみた。大七という酒。すごくおいしい。 一方、前買った獺祭は暖めるとダメになった。変な匂いがする。 冷たければ香りも華やかで苦みや渋みも少なく飲みやすいのだが、 妙に甘ったるい気もしてきた。もう完全に暖めた大七が基準になってる。

なお、暖めると回るのが速くなる。数分で回るので、 絶対飲みすぎない。まあ私の場合1合以上飲むことはまずないので 飲みすぎるなんてことはありえないのだが。

以前一週間でダメになった出羽桜(純米吟醸出羽燦々)は生酒だったようだ。 調べてみたところ「生酒は牛乳だと思え」 と言われるくらいダメになるのが速いらしい。 私の消費速度から言って生は無理なのでやめよう。

米を削るほどタンパク酸が減って酵母の成育に不利になり、 中途半端な代謝産物ができる。 吟醸香と言われるものの中身はそういう物質らしい。 それをうまく制御するのは大変で、吟醸酒を作るのは難しいのだそうだ。 ところで、この大七は精米歩合65%で確かに香もかなり控え目だが、 十分おいしい。精米歩合は選ぶ基準にはならないと思った。

調べると日本酒は本来変質には相当強いものらしく、 日を置いてダメになる奴はそもそも出来が悪いのだと言う人までいる。 光線に当てたり温度変化がきつかったりしない 限りはそのへんに放置していても問題ないそうだ。 開けてしばらくしてから味が良くなる酒も多いらしい。 私の場合一升瓶を消費するのに1ヶ月は平気でかかるので、 そういうのを感じるには好都合かもしれない。

なんか、すっかり日本酒ファンになっている。 他の種類の酒も試してみたいとも思ったが、ちょっと後込みしてしまう。 焼酎も昔なめた時においしいと思ったが、何分エタノール濃度が高すぎる。 水で薄めてもちゃんとおいしいのかが不安だ。 そして、ビールやワインはたぶんわからない。 そしてウィスキーは匂いでもうダメ。 私のように味覚が子供な人間には日本酒が一番合うと思う。 基本的には甘味と酸味と旨味なわけで、渋味とか苦味が弱い分だけわかりやすいのだ。

人が花に食われていくホラーな夢を見た。 どういう帰結かはわからないが、 「誰かが死んで、その死体を誰かが食えば解決する。誰が死ぬべきか」 とかブツブツ一人で考えるんですよ主人公(厳密に自分ではないが視点がある人)。 よくわからないがこわい。なんか起きても疲れてる。最悪。

2006年1月30日

vaioSZ買っちまった。 まあ前の機種の評判はいいみたいだし、まさかそんな恐ろしいことにもなるまい。 yonah1.66GHz、1GB、60GB、そして目玉はGeForceGo7400TC。

今のメインマシンであるSharpのPC-MV1-5CAは 中古屋の売値上限が79000で売りたくなったが、 せっかくだからFreeBSDマシンにするのがいいか。 もうシステム管理の類は完全に忘れているが、 こういう本もあることだし、丸一日かければどうにかなると思う。

サバは Sizkaにするのも捨て難いが、 キーボードを差しておく必要がない分場所を食う度合は変わらない気がする。 いじる時にモニタも差さなくていいし。 それにDVDが読めるというのは緊急時には大きいと思う。

無事移行できたら現在のファイルサーバである EPIA-M6000を使ったマシンが余る予定。 600MHzに256MBに40GB。 ケースの大きさは260x210x65。PCIには挿せない。 たぶん、UNIX系でサバにするくらいしか使い途はない。 誰か欲しい人いるかなあ。

2006年1月29日

半分の月がのぼる空の2話目を見たが、面白くなる気が全くしない。 何の変哲もない恋愛物だけに、微妙な何かが物を言う。 原作にはその何かがあるのだろうか。 そう思って一巻を読んでみたところ、その何かは確かにあった。 一見どうでも良く見えるが主人公の行動を説明するためには大切な描写、 みたいなものが地味にたくさん散りばめられている点が一番大きいだろうか。

2006年1月28日

「田中宇の国際ニュース解説」 を見ていた。深いなあ。中韓を怒らせてるのはワザとだ、という分析は 面白かった。米軍が日本から撤退するので、その穴を埋めるのに自衛隊の増強が 必要で、そのためには世論を好戦的にしないといけなくて、 そのためには中韓を怒らせればいい、という筋書らしい。 本当かどうかはともかく、そういう見方ができるということが面白い。 しばらく読んでみよう。 なお、webで評判を調べると「何でも陰謀にする人」という評価もちらほらあるので、 一応それは踏まえておこうと思う。

韓国のキリスト教はちょっと異質だと聞いたが、本当だったらしい。 新大久保あたりを歩いている時に通りがかった教会に説教の あらすじが掲示してあって、ものすごい現世利益っぷりだった。 「正しい行いをした人が会社で出世しました。あなたもそうしなさい」 みたいな感じ。これ異端扱いとかされてないんだろうか。

黄文雄という人が有名なようなので調べてみた。結局2chのスレが一番わかりやすい わけだが、アンチとマンセーの慢性的な戦争状態。なんでアンチの人って 「こんな本読んでると人格疑われるよ」とか 「日本に媚びすぎててうざいよね」 みたいな事だけで済ませるんだろう。 その感想はその感想でいいのだが、 そのスレにいるマンセーな人を納得させるためには もっと理性的な理由が必要だろう。真面目に啓蒙する気もないのに アンチな書きこみをする意味がわからない。 「君が熱心に見ているものは全然ダメだ」と言うならば、 ダメな理由を挙げるべきだし、 さらにできれば「こっちの方が優れている」という何かを提示すべきではないのか。 そうでなければ、言われた方の気分が悪くなるだけの効果しかない。

ちなみにサンプルとして「台湾は日本がつくった」を読んでみたが、誉めすぎ。 負の側面はまるで書かれていない。 しかし、負の側面ばかりの物に対する反論として出たという事情があるのだから、 それでいいのかもしれない。 あと感情が昂ぶりすぎなのも気になるが、これは専門書というよりは 一般人に問題を提起する本という位置付けなので、 それもそれでいいのかもしれない。 なお、内容そのものに関しては現状の知識との矛盾はあまりないので、 今のところはマンセー派に若干賛成だが、感情的な部分では アンチ派にも共感するところはある。 また、誉めすぎと書いたが、誉められているのは戦前の日本人で 現代の日本人はむしろ責められている。 まあこれはたいがいの右翼的な言説もそうで、 賛美されているのは戦前の日本人であってうちらではない。 それで素直に喜ぶ方がどうかしている。 むしろプレッシャーを感じるべきだと思うが。

2006年1月27日

急にカレーが食いたくなったので、ずっと気になっていた 銀座のナイルレストランに行ったのだが、閉まっていた。 従業員がインドに帰省しているらしい。3/1から。くそう。 なお、もちろん歩いて行った。 15km弱に2時間半くらい。疲労はかなり深刻。情けない。 高田馬場から帰ってくるにはさらに5kmほど追加せねばならないわけで 相当不安だが、たぶん途中で休憩してメシを食うので大丈夫だろう。 なんか行軍ブーム。

本当はナイルレストランで特製カレー粉を買ってくる予定だったのだが、 手に入らない以上は仕方ない。そのへんの輸入食料品店に 何かあればそれにして、なければSB。ランク落ちるなあ。

ゴミメールの文章が多様化されてきて、ゴミと認識する条件を なかなか決められない。最近は「未承諾広告」とか書いてないのがほとんどだし、 「先日はどうも」みたいなsubjectだと本文まで見ないと危なくて捨てられない。 さらには英語のゴミメールもかなりたくさん来る。どうにかならんのか。

近くにパキスタン食材屋を発見。向こうの人っぽい人が向こうっぽい言葉で 話していた。豆類とスパイスはあそこで買える。挽いてないスパイスを あの値段で買えるのはかなりすごい。しかし、問題はどうやって挽くかだな。 すり鉢で挽けるんだろうかあれ。胡椒くらいならペッパーミルを買えばいいが、 あんなに多様な形をしているものをどうしようもない。

カレー。前の晩に大豆を1合水に漬けておく。 玉葱4つを炒めている間に、じゃがいも5個をゆでる。 じゃがいもが柔らかくなったらツブしてドロドロの液体にする。 玉葱がいい感じになったら挽肉と炒め、そこに じゃがいも液と豆をブチ込んでしばらく煮る。 豆がいい感じになったら塩で味を整える。 この段階で料理として成立していることが必要。 その後カレー粉投入。大匙1杯もあれば良さそう。 カレー粉は香りつけ兼防腐剤くらいの感じでいい気がする。 それなりに煮込んだら火を止めてさらに数時間放置。 これでカレーっぽい香りのスープっぽいものが出来る。 米はなくても問題なく主食。

肉なしで旨味を出せないかなあ。昆布とか椎茸で 置換できないものだろうか。

2006年1月26日

とりあえず「音と音楽の基礎知識」を読み終えた。 後ろの方には予想を遥かに超える数量的な分析が説明されていてビビッた。 旋律や和音について周波数比や人間の聴覚特性を元に 分析を行っている。和音コード等前提とされる知識がいくらかあって読みにくいことを 除けばかなり面白い。特に差音という概念は始めて知った。 cegよりもcge'の方が調和がいいが、これは間隔が開くほど 周波数比の分母が大きくなるというだけでなく、 周波数の差になる音が聞こえるからだという。 要するに音として聞こえるくらいに周波数が高いうなりである。 例えば440Hzと660Hzの音を同時に鳴らすと220Hzの音が聞こえる。 ceと鳴らすと、差が下のgなので、cegと聞こえる。 もしceaという和音だったとしてもgが鳴るので、cegaとなって不協和音 になってしまうわけだ。だからこの差音の影響を鑑みて音を決定しなくては ならない。なんとなく音はそれなりに離した方がきれいという ことはわかっていたが、こういう根拠があったわけだ。 また、リズムや旋律について明るいとか暗いとかがどうやって生まれるのかを 定量的に分析しているのも興味深い。また、和音についての解析は、 何故今の世界が西洋の7音階に席巻されているのかに対する説明にもなっている。 これはいい本だ。安いし。 なお、周波数が低いほどわずかなズレでも不快に感じるものらしく、 合唱でベースだけやけに低い位置に置かれているのはそのせいらしい。 バリトンやテナーとの距離が近いとズレた時のダメージが大きいわけだ。 まあ考えてみれば当然だ。 うなりは周波数の差によって生まれるので、 その値が小さいほどうなりが良くわかることになる。

しかし実際問題こういう理論が役に立つかどうかはよくわからない。 作曲する人はこんなのをいちいち考えているわけではないはずだからだ。 私程度でも脳内で鳴らすだけで調和の程度はかなり想像がつくわけで、 たぶん作曲家ともなれば脳内で差音まで聞こえてくるのだろう。 私にも聞こえないかなあ差音。訓練しないとダメだな。

昨日川崎まで姿勢を崩さない範囲でできるだけ速く歩いてみた。 約5kmに40分。時速7.5km。 軍隊すげえなあ。もう少し遅いテンポでいいとは言え、 35kgも背負った状態で2時間も 歩けないといけないのか。ありえねえ。 なお、尻がかなり筋肉痛。使う筋肉が体幹に近づいているのはいいことだが、 できれば腰まで持っていきたいものだ。

差音。cfと鳴らすと、4度なので周波数比は3:4になり、 差分は1/3。1/3=1/2*2/3なので、オクターブ下のcからさらに5度下げた eが鳴ることになる。ドミファはヤバい。 そこでcをオクターブ上げるとファドだから5度になり、周波数比は2:3 差分はファの1/2で、オクターブ下のファが鳴るだけで済む。 ドファとファドは全然違うということだ。よし大体理解したぞ。

その時歴史が動いた、戦艦大和。 航空機が大切だということに気づいた頃には手遅れだったわけだ。 方針を変えてから準備が整うまでの時間は日米の間で天地の開きがある。 ところで、「大和沈没まであと三年」はネタか。

デカいプロジェクトほどつぶすのが難しい。が、つぶさないことによるダメージは それだけ大きい。そんな失敗プロジェクトに私もいたことがある。 数億の会社の金と、そして何よりも私の10ヶ月が無駄になった。

にっぽんの現場「秋葉原」。こうしてテレビで見ると痛いな。 相当痛いな。いや、半端じゃなく痛いな。 一応私も同類なのだが、 「私そんなにオタじゃないし」と言ったら裏切りに当たるだろうか。 オタの度合というよりは、オタであることを露出することへの抵抗感に 決定的な違いがあるように思う。 なんぼ愛好していてもどこか引け目を感じるのがオタ文化なのだと思っていたのだが、 最近はもはやそういう時代ではないらしい。 私は正直どうかと思うが。

ひぐらし10万かあ。すっげえ。つうか、家族経営かよ。すっげえ。 親父さんが教室爆破に必要なガソリンの量を調べたりしてたらしい。 まさに家族の絆だ。いいなあ。ああやって自分の個性が問題になるようなゲームを 一度作ってみたいものだ。言ってるだけだけど。

番組の作りが実に良い。民放の似たような奴と比べると歴然とする。 演出が効果的ながらも押しつけがましくない。 いや、押しつけがましくないフリをしていながらも効果的、 と言った方が適切か。 戦後の大量生産大量消費に対するアンチテーゼ、 というのはなんとも美しいまとめ方だが、正直そこは笑うところだと思う。

2006年1月25日

呉善鼻「続・スカートの風」。韓国の文化に興味が湧いたので追加。 大変な違いだと思った。茶碗を置いてスプーンでメシを食うのが上品、 とかいう程度であれば知っていれば対処できるのでどうにでもなるが、 賄賂が人間的な行為として肯定される文化に慣れろと言ってもそうそう 慣れられるものではないだろう。 インドネシアの文化について読んだ時を思い出してしまうが、 かなり共通するところがある。法や規則についての感覚や、 人間関係の距離感などが日本とは根本的に違っているらしい。 もっとも、日本にしても50年前は今とは全然違っていたはずで、 むしろ韓国と似たようなところもたくさんあっただろうから、 時間の問題という面もあるだろう。 商売相手に兄弟の感覚を持つようなことは次第に減っていくだろうし、 すでに減りつつあるはずだ。 そうでなければ国際的には生き残れないし、 今のような地位は築いていないはずだからである。 ところで、韓国人の反日は天皇が「日本が間違っていた。許してください」 みたいな詫びを入れれば消えてなくなるはずだと筆者は分析している。 首相でないのがミソ。 加えて、「反省しております」とか「遺憾」とかいうのはダメなのだそうだ。 そんなものは言う人間の気持ちの持ちようだとは思うが、なにせ翻訳されるので そう簡単でもない。 向こうにいかにも謝っていそうに聞こえる言葉に翻訳されるような日本語で 言わねばならないということだろうか。 謝ればさらにつけあがる、という説がネットでは多く見られるが、 韓国人の性質から言ってその公算は低いそうだ。 とは言えちょっと試してみるというわけにも行かないので実際には難しかろうが。 それに、この本は91年の段階だからそう言えただけで、 今ほど盛り上がってしまってはもう手遅れという可能性もある。 ただ、本気で日本を恨んでいるというよりは、現状の不満をとりあえず 日本のせいにすることで発散しているという部分が大きいらしいので、 案外うまく反らすことはできるのかもしれないと期待してみたい。

黒田勝弘「韓国人の歴史観」。嫌韓と分類されるであろうブログの 著者が薦めていたので読んでみた。鋭い。 韓国の反日は国内をまとめるためのもので、言わば韓韓問題であり、 また日本側の進歩的知識人が靖国やら教科書を云々言うのは、 ぶっちゃけそれをネタに日本政府を攻撃したいだけで、言わば日日問題 と言える、とある。 よく朝日とかで「韓国の反発が予測される」みたいに書いてあるが、 あれは「韓国、このネタでよろしく」というメッセージらしい。 ずいぶん皮肉な見方だ。 それをもって「日韓問題など存在しない」は言い過ぎかもしれないが、 言われてみればそういう面はある気がする。 ところで、反日とつけばなんでもいいという韓国政府の姿勢は 前から聞いていたが、理路整然とこうやって書かれるとすごい。 昔測量用の鉄の杭を日本がそこかしこに埋めたのを撤去することが 議会で決議されたらしいのだが、理由が「日帝が地脈の力を弱めようと呪いの鉄 杭を埋めこんだ」かららしい。他でも聞いたことはあったが、一部の極端な人 がやっただけだと思っていたが、わざわざ議会で決議していたなんて。 あと独立してから50年も普通に使っていた朝鮮総督府の建物を 今更ぶち壊したという話もある。 しかも寸前に内部を博物館に改装したばかりだったらしい。 ちょうど大統領が変わった時でイベントが欲しかったのではないかという分析。

向こうの人と知合いになって歴史やらの話になった時に それなりなことは言えるようにしておくのはつきあう上で有益だと思う。 逃げたりつっぱねたりするのは最悪だと呉善花の本にも書いてあった。 韓国の人が言っているのだし信じよう。 思えば何年か前に私も逃げたわけで、一時的にちょっと気まずくなっても ちゃんと話をすべきだったのかと今になって思う。

大塚英二「サブカルチャー反戦論」。この人のものはサイコくらいしか 読んだことがないので、生の声を聞いてみようと思って適当に手に取った。 いきなりものすごく強気な発言でビビッた。 憲法を原理主義的に解釈して、一切戦争には協力すべきではない、とか、 北朝鮮に対してもああなる原因は日本にあったのだから平和的な交渉を最後まで 行なうべき、とか。そしてさらに、それらを皆がデモやら何やらの形で 表現することを推奨している。曖昧さがない、潔い主張だ。 もちろん「じゃあアメリカの機嫌を損ねても大丈夫なのか」 とか、「攻めてきたらどうすんの」とかいう問いには答えてくれないわけだが、 おそらくこの人はそういう問い方をする人間の姿勢を問題にしている。 「日本の国益のためにイラクの人を殺すことを選ぶ」 という精神的負荷を受けずにただ被害者意識だけで 語ることを戒めているのではなかろうか。 そういう意図であれば、具体的にどうすべきかはともかく 姿勢としては賛成できる。 議論できるほどの明確な根拠がなくても 戦争反対を叫んで良いし叫ぶべきだ、という主張はそういう文脈でないと 理解できない気がした。 それにまあ、国民が皆反戦気分になってデモをしまくったり 選挙で反戦側に入れまくったりすれば議論もクソもなくこの国は反戦側に 立つわけで、「ただ反戦と言う」だけでも効果があるのは確かだ。 その意味でも「いいから叫べ」というのは理解できる。

しかしそれはそれとして、議論に耐える論拠なしに 反戦を叫ぶことは私にはできそうにないし、たぶんそれは私だけではないだろう。 むろん同じように戦争賛成とも言えないわけだが、 筆者が指摘するように最近は戦争を肯定する論説はかなり多く出ていて、 それを借りてくれば戦争賛成と言うことは容易いのである。 だから自然と賛成に偏ってくる。 であればこそ、反戦を訴える人は議論に耐える論拠を 示す努力をすべきではないのか。 朝日新聞なんかはその責務を真っ先に果たさねばならないと思う。 そうすれば、みんなの中にある反戦イメージがきちんと 言葉になって出てくるだろう。その条件なしに「いいから反戦と言え」 と言われてもそうそう実行できるものではない。 無責任な発言は悪という雰囲気が漂っている状況においてはなおさらだ。 自分の足に包丁を刺した状態を想像すればそれだけで気分は反戦になれるし、 アメリカの連中はもう少しそういう想像をするべきだと私も思うが、 それだけで世界を動かせるとは私には思えない。

そういえばもはや題名も著者も覚えていないが、本屋でちらっとめくった奴には 「攻めてきても国としての防衛はしないが、個々人が戦うのは勝手だよね」 とか書いてあるものがあった。ある意味潔いのでその点は評価できるが、 皆に支持されるとは思えない。 あるいは「隕石が落ちてくることを心配しても仕方ないのと同じ」 という考え方もある意味潔いかもしれない。それは 確率で薄まったリスクよりコストを取るという一つの理性的な選択ではある。 しかし、普通それは無責任と言われるだろう。

現状の私の意見。「わからないから保留」。 仮にどちらかに偏っても積極的に保留にしようとする保留。 私は指導者ではないし、さしあたって選挙が近いわけでもない。 だから決断は必要とはされない。情報を集めてその都度自分の感想を どこかに書き留めておいて、未来の判断に備えるくらいにしておく。

大蔵康義「音と音楽の基礎知識」(国書刊行会)。 いわゆる音楽理論ではなく、認知あるいは数学的 な側面が強い。PCMの説明とかいらんものもあるが、こういう切り口のものは 少ないので参考になる。まだ途中。 それにしても、音楽を少しでも学ぼうとするなら、まずは聞かねばならんな。 10年以上ヴァイオリンを習っていたとは到底思えないくらい私は音楽を聞いた 経験が少ない。それは素直に恥じるべきことであるように思えてきた。 一回作曲をしてみたいとはずっと思っているが、 脳内で鳴っている曲はほとんどニセバッハで幅というものがまるでない。 ちょっと意識すればニセクラシックくらいには広がるが、 そのクラシックの幅はあまりにも狭いし、 せっかくメタルを聞いたりした経験もまるで溶けこんでいないことがすぐわかる。 もっと大量に無作為に音楽を聞いて無意識下に溜め込まなくては これ以上は望むべくもない。あと一回歌を真面目にやってみたいと 最近思った。まあこれは思っただけに留まると思うが。

よみがえる空3。何という後味の悪さ。これを「きちんと描いた」 と見るか「無駄に嫌な話にした」と見るかは人によるだろうが、 私は前者の立場を取りたい。

2006年1月24日

はだしのゲンを全部読んだ。壮絶の一言に尽きる。 小学生くらいで読んだら一生残るだろうな。 戦争反対以外の台詞を吐きようがない。 やはり物語という奴は強力で、 単なる理屈として「あの戦争はやむを得なかった」 みたいな話を聞くよりもよほどイメージに訴える。 これを読んだ直後で「軍隊持つのは国として当たり前だろ」 みたいな台詞を吐くには相当な抵抗を押しのけねばならない。 たぶん、こういう風景をイメージとして持った上で、いかに理性を働かせるかが 問われているのだろうな。 イメージだけで戦争反対だけを叫んでみてもロクなことにはならないだろうし、 イメージがない状態で理をこねくり回すと暴走しかねない。

ところで、ここで描かれている物語は作者の 体験を元にしているのだろうけれども、随所に盛り込まれた主張には 大人の感性が強く感じられる。 特に後半に行けば行くほど自分で体験したわけでなく後から知ったであろう事の 比率が高くなっていき、生々しさよりも思想的な臭いが強くなってくるのだ。 もちろんそれも込みで名作なのではあるが、 イメージとして心にしまい込んでおくべきはやはり前半の リアリティの方なのだと思う。

ちょっと前に見つけたサイトで、 「孫たちとの会話」 というものがある。あの戦争を相当肯定的に捉えた主張だ。 これを冷静に評価するのはむつかしい。 ましてゲンを読んだ後ではなおさらだ。 間違ってもこれを朝鮮や中国の人には読ませられない。 「普通に」考えれば「都合のいい解釈しやがってふざけんな軍国主義者共めが」 というのが「妥当」な感想だろうし、実際私もそう思う。 しかしどうなんだろうな。見るべき点が全くないとは言えないだろうし、 ダメなら何がどうダメなのかは考えないといけないだろう。

絢爛を一回あきらめることにした。 何日かしてから電源を入れれば多少変化もあるだろう。

よみがえる空2まで。これ、結構いい。地味だが、きちんと作ってあるし、 目のつけどころが面白い。

アカギ16。これ、たまらんな。一体どうなるんだ。このムチャクチャなルールで 一体どうやって。面白すぎるよこれ。 つうか、こいつとの対戦が原作でも 終わってないって話なんだが、一体どうするんだ。 それにしてもワシズの中の人最高。

ガンパレのアニメはやっぱり不愉快だ。何こいつら。もういい。

ノエインおもろい。むっちゃおもろい。

怪。天野絵に似た何かが動いてる。 この人相の悪さは大したものだが、それだけで見るのもなあ。

2006年1月23日

鄭大均「在日・強制連行の神話」。やっぱこの人いいわ。うさんくささが全然ない。 気付く範囲での話だが、全て根拠を挙げる。 その点カン・サンジュンは相当うさんくさい。北と仲良くせなあかん、 という話は見方のサンプルが得られて有難かったが、 その前に読んだ奴はものすごく酔っぱらった臭いがした。 評判を調べてみると、いい評価を下している人は多いがほとんど 典型的に贖罪チックな 人かルックスやら声やらに惚れてる人で冷静とは言えず、悪い評価を下している人は 「キモい」みたいに感情的なものが多い。 テレビに良く出ているらしいが私は見たことがない。 一方で鄭大均は評判がよく、いわゆる嫌韓と分類されそうなスレで もなにかと参照されている。 ところで、本屋でシン・スゴ(辛淑玉)という人の本をちらっとめくったが、 あんまりな文章にびっくりした。 しかしまあ有名な人みたいだし、いずれがんばって一冊くらいは読んでおこう。 なお、「シンスゴ」でググるとかなり悲惨な評価ばかりが目につく。 カン・サンジュンも2chにスレがあって、妙なテンプレになっている。 どうも独特なしゃべり方をする人らしい。

なお、正確に定義した「強制連行」はだいたい否定されているが、 だからと言って日本人による搾取や差別がなかったというわけではない。 そりゃあっただろうよ。極端な言い方は良くないという話だ。

そういやカン・サンジュンの「在日ふたつの祖国への思い」 って本の表紙が豪快に本人の写真で、相当自信あるんだろうなと思った。 確かに背も高そうだし、身だしなみには気を使ってそうだ。 たぶんこれに好感を持つ人とキモいと思う人が分かれているんだろう。 私は今になって写真に気付いたくらいなのでどちらでもない。 一回テレビで見てみたいものだが。

韓国の人の名前って漢字で書いた方がいいんだろうか。 それとも、なんぼかでも原語に近いカタカナで書いた方がいいんだろうか。 鄭大均氏の本にはふりがなが「ていだいきん」と 日本読みで書かれているが、他の人はたいがい韓国っぽい カタカナの名前が書いてある。よくわからないが、 ペ・ヨンジュンとか漢字知らんし、たぶん今はカタカナが主流なんだろう。 しかし同じ発音で二つ以上漢字があったらおしまいだな。

キム・チャンジョン「朝鮮総連」。著者は半分中の人で、 「拉致」と同じ。あれがえらく面白かったのでこっちも買ってみた。 次から次へといろんな話が出てくる。 共産党の再建資金がほとんど朝連(総連の前の組織)から出ているとか、 大会ではキム・イルソンの肖像が飾られているとか。 というか、発足して数年でキム・イルソンの完全な手下になっていたらしい。 在日の人々から搾取して北に送金するだけの組織になってしまい、 朝銀も融資の際に一定の率で北への送金を条件としたというムチャクチャな話まで 出た。さらには、帰還事業で帰国した人を人質として、まだ日本にいる親族に 「いくら送金したらこいつをピョンヤンに住まわせてやろう」 みたいな取引までしたのだそうだ。 ものすごい悪っぷりである。さすが北だ。 拉致が発覚してからは肩身狭いだろうな。 きっと最初は理想に燃えた組織だったのだろうけれども

A君9。まだ反撃が始まらない。始まりかけ。引っぱるなあ。

フルメタ新刊。まだかなめ奪回が始まらない。それどころか死にかけてるよソースケ。

本代がえらい事になってるな。今月20冊以上買ってるぞ。 まあ賢くなればいいか。

本読んでから言えと言われたのでとりあえず目につくものを読んでみたが、 もういいだろ。特に鄭大均氏の本は参考になる所が大きかった。 なお、軍事には引き続き興味が尽きない。単純に知りたいというのもあるが、 いつかゲームにしたいというのが大きい。軍事丸出しである必要はなく、 軍事における思考のコアみたいなものを表現できる系を作れればそれでいいのだ。 国とか軍とかいうマクロな挙動と人単位のミクロな挙動の間にある関係、 あるいは地形や気候といった環境との関係に関する洞察がもっと欲しい。 あともう一つは、軍事的な考え方を 日頃そのへんに溢れている「勝負」に応用できないかということもよく思う。 うちの会社のダメなところを考察する材料として面白い。 あとは経営とか経済とかを学んでみたい気もするな。

かしまし。とまりちゃん田村ゆかりかよ! そして男の時も植田佳奈なはずむ君。男使えば良かったのに。 声が変わったとか言われても説得力ゼロ。 原作にだいぶ肉付けしてるようなので楽しみ。 ちとうっとうしい部分もあるが。

2006年1月22日

呉善花(オ=ソンファ)「スカートの風」。韓国は異文化の外国だ、 という当たり前のことが良くわかる。半端な違いではない。 1990年の本なので今は多少は違うにしても、根本的なところは 変わらないだろう。情報として知っておいていいし、 うちら日本人の変なところを相対化する意味でも有益だ。

メイド喫茶とか、やっぱ怖いわ。秋葉原のそういった面を強調する テレビ番組の録画をもらって見てみたのだが、数分で耐えられなくなって止めた。

「自衛隊vs.北朝鮮」。12年前に自衛隊が作ったというシミュレーションの紹介。 なんぼ勝てるからと言って米軍が北に侵攻したり すると日本もタダでは済まないという話だ。まずミサイルが200発飛んでくる。 核でないとしてもそれなりに死人は出るだろう。 そして難民が押しよせる。もちろん難民には工作員が混ざっていてテロられる。 そのうち一部の人が「米軍がいるから攻撃されるんだ!」とか言い出して アメリカと気まずくなって北にとってはウマーな展開にもなりかねない。 嫌だなあ。

「朝鮮半島をどう見るか」。典型的な見方をする 右や左は結論が先にあるからまともに考えられないだけで、 トルクメニスタンとかウガンダとかと 同じように何も知らない状態から眺めていけば、それでいいという話。 「アメリカの正しい見方」なんてものはなく、同じように「韓国の正しい見方」 なんてものもないわけだ。植民地支配にしても、他の国がやったのと よく比べてみれば冷静に見られるとのこと。 植民地が経済発展するのは普通だし、 その結果貧富の差が激しくなって庶民が苦しくなるのも普通。 文化の押しつけが起こるのも普通。 強制的に労働や兵役を課すのも普通。 異文化の奴等が我が物顔でやってきてムカつくのも普通。 解放後に元支配者が詫びを入れないのも普通。 にも関わらず朝鮮と日本がこんなにこじれてしまったのは、 朝鮮人が自力で日本を叩き出すという展開にならなかったせいだと筆者は言う。 ぶっちゃけ気分が晴れるようなネタがないということだ。 うちらにしても、朝鮮人に叩き出されていれば「あー負けたしな」 と思えるから、お互いに「まあ、水に流そうや」 ということになっていただろう。 せめて日本としては朝鮮に対して「ボクらの負けです」と言う儀式のようなものを やっていれば似たような効果があっただろうとのことだが、 日本人にしても負けた気がしない状態ではなかなかそうは言えなかっただろう。 日韓の話し合いが恐ろしく長びいたのはそのへんのせいらしい。

台湾はどうだったんだろうか。台湾にしても自力で叩き出したわけではないはずだが、 あんなことにはなっていない。

2006年1月21日

絢爛の勝利条件が敵艦隊を全滅させることであることがわかった。 バカな。そんな退屈な殲滅作戦をやれというのか。 戦闘になった瞬間に逃げ惑うくらい敵の士気は落ちているが、 とは言えそれなりに手間はかかるし、 魚雷を打ちながら逃げる奴もいるので危険がないわけでもない。 停戦合意とか和平とか、そういう要素はないのか。 一回発生した敵艦隊は撃滅するしかないというのか。 なんかこのゲーム、クリアしようと思うと恐ろしく 単純作業になる。

北朝鮮のエリートは25kgの荷物を背負って4時間で50kmを移動する 訓練を受けたそうだ。真面目に工作員を育成していたんだなあと思う。 というわけで、明日の拳法の帰りはイヤになるまで歩いてみるかなあ。 高田馬場から羽田。20kmくらいありそうなので、 たぶん渋谷か、せいぜい品川あたりで心が折れるだろうが。

松村劭「海から見た日本の防衛」。 海軍国家の陸軍は敵の港を背後から攻略するためにある、とか、 防衛線は国境線とは異なる、とか。 例えば韓国が日本に攻めてくるとすれば、 それを博多で迎え撃つのは下策で、 韓国の海軍基地の背後に迅速に陸軍を上陸させて 基地を使用不能にし、その間に海戦で敵主力を撃破する、ということになる。 日露戦争はまさにこの方針で行われ、 旅順を陸から抑えつつ黄海海戦で撃滅、となる。 本来元寇に対しても同じ手を使うべきだったが、あまりにも海軍 力が不足したためにやむを得ずそうなったというだけなのだという。 実際このために対馬と壱岐は敵に蹂躙されてしまったわけで、 これでは国民を守っているとは言えない。 ところで、この本は秀吉軍vs李舜臣にかなりの分量を割いていて、 李舜臣の有能さが強調されている。すごいじゃん李舜臣。 嫌韓系の日本人がよく李舜臣を「所詮海賊」などと貶めているが、 この人の分析が正しいならばそんなものは偏見の産物にすぎない。 韓国の人が誇るのも当然だと思う。 しかし、李舜臣冷遇されすぎ。一回目の侵攻で素晴らしい働きをしたにも 関わらず、無能な上司から妬まれて牢獄送り。出てからも一兵卒として 陸軍に所属。二度目の侵攻でヤバくなってからまた司令官にかつがれたが、 身分は一兵卒のままだったそうだ。そして李舜臣の活躍を台無しにする くらい弱い陸軍と、明に頼り切った国防体勢。 もちろん明は自分の得になることしかしないから、そんなに真面目に 日本と戦うわけでもないし、そもそも軍の強さで日本にはまるでかなわない。 今の日本が同じような状態だったら嫌だなあ。

元寇に耐えたのは神風のおかげ、というのは俗説だそうだ。 ちゃんとがんばって防衛したからこそであるらしい。 二度目の襲来では確かに台風で敵が大損害を受けたが、 撤退を開始してからの事だそうだ。 当時の北条なんとかが有能な軍人だったということだろう。

雪の中、高田馬場から渋谷まで歩いてみた。渋谷でやめたのは 雪が雨に変わりつつあったのと、靴がやはり合わないことによる。 疲労は軽微。体を暖める意味でも、帰りでなく行きでやるのがいいかもしれない。 恵比寿で降りて明治通りを北上すれば一発で高田馬場に着く。

絢爛。急に音声管制が増えた。 一体この音声管制というゲーム要素は何のためにあるのだ。 何一つ面白さに貢献していないではないか。 そもそも、魚雷を打ちまくったり機関もバリバリ動いていたりする状態で 音声管制などして一体何の意味があるというのか。 つうか、今作戦会議で思い切りしゃべってたんだけど。でも管制が解けてない。 是非作った人に意図を聞きたい。 アンケート葉書出すか。つうかメールで感想送りたいくらいだ。 せっかく野心的なゲームなのにどうしてこうがっかりな点が多いのか。

昔98エミュレータをインストールしてたのを見つけてyu-noを実行してみたら 懐しさに悶えてしまった。この曲のせいだ。

2006年1月20日

姜尚中「在日ふたつの「祖国」への思い」「日朝関係の克服」。 前者はいろいろ引っかかるが、後者は理解はできた。

欧米から見たら北朝鮮って昔の日本と似てるんかなあ。 瀬戸際戦略だし、変な王がいるし、東洋人だし。 仮にそうだとすれば圧迫を加えるほどハイになるバカがいて かえって危ないのかもしれない。日本の敗戦寸前とは違って 北朝鮮の軍は手つかずだし、下手をすれば核すら持っている。 さらに悪いことに、連中がキレると韓国があっちにつくかもしれない。 なるほど、拉致とかは放っておいてまずは国交を正常化しろというのは そういうことか。理解はしたと思う。 実際にそうした方がいいのかはわからないが。アメリカとかも考えないといけないし。

金賛汀「拉致」。まるで見てきたかのように詳しく書かれている。 さすがに半分中の人というだけはあるな。 ものすごいスパイ大作戦っぷりだ。 軍事的手段による統一をあきらめた以上は南で革命を起こす他なく、 日本はそのための重要な拠点だったらしい。 最初のうちはまだ日本語を話せる人が多くいたので 日本人を装うのも簡単だったのだが、 だんだんそういう人が減ってきて日本語教師の需要が増したのだという。 また、身寄りのない日本人に工作員が成り代わったりもしていたそうだ。 さらには、世界各国で活動するのに日本の旅券や日本人の身分が 大変役に立ったのだという。 日本人とは関係ないが、韓国に潜入した時にカルチャーショックを受けないように カラオケやらスーパーやらを配置した韓国風のセットまで作って 訓練したという話も面白かった。 しかしまあ、それだけがんばって果たして効果あったんだろうか。 少数の人間で独裁をやってるとだんだん煮詰まってきて わけがわからなくなるのかもしれない。 なお、この本の最後では、日本も戦時中中国人や朝鮮人を万単位で 拉致して強制労働させたが、だからと言って北がそれを言うのは 「めくそ鼻くそを笑う」で恥知らずだ、と断じている。 やっぱやったんだろうなあ日本も。

絢爛。音声管制されるとほとんどのコマンドが実行不能になる。 部署替えもできないので自分で艦長になって終了させることもできない。 「時間をつぶす」コマンドすらことすらできない。 さらに、セーブしてロードしてもまだ続いている。 あと、それとは関係なくどう考えてもこのゲームには「何かが起こるまでスキップ」 というコマンドが必要だと思うのだが、やはり敢えて入れなかったと 見るべきなのだろうか。操作性が全体に悪いのにも意図があるのか。 作った人に聞いてみたいものだ。この面倒くささのせいで 恐ろしく損をしている気がする。

水木奈々が出た音楽番組とやらを見てみた。 やっぱりオタクってこういうイメージなのな。 自ら招いた偏見なのだろうが。

クローズアップ現代「ヒロシマが伝わらない」。 60年も経って記憶が薄れている所に、 9.11なんかでアメリカ人が戦争マンセー状態になっている現状を憂いている。 アメリカ人にしてみれば原爆で死んだのは「悪の大帝国」の国民だし、 それで終戦が早まったのは事実だろうから特に何とも思わないだろう。 今流行りのネット右翼にしてもそういう傾向があるはずだ。 また、原爆の被害を伝えていくにしても、 若い教師が「エグい写真を見せりゃいいってもんじゃないだろ」 と思うのは当然だと思う。 ああいうエグい写真を見せることで 原爆への嫌悪感、ひいては戦争に対する嫌悪感を持たせることは ブレーキとしては意味があるだろうが、 それは感情的なブレーキに留まらざるを得ない。 もちろん感情的なブレーキにはちゃんと効能があるので ゼロというわけにも行かないが。むつかしい問題だな。

あの手のエグい写真が「これCGじゃねえの?」 とか言われる時代が来そうで怖い。

クローズアップ現代「ヒトクローンの衝撃」。 例の捏造事件が発覚する前に、例の研究に関して紹介した番組。 強気だなあファン教授。 「他の国が追いつけない技術を手にした」とか言ってる。 捏造と分かって見ると悲しすぎるなこれ。 この技術で勇気をもらった人が紹介されていて切ない。

NHKスペシャル明治。出来悪いなこれ。変なCGに金を使う余裕があるなら もっと他にすべきことがあるだろうに。

新番はほとんどパス。

誰かが置いていったはだしのゲンの実写映画第一部。 ものすごい反戦映画っぷりだ。 こういう映画が作られて共感を得るくらいあの戦争で国民もひどい目に あったということか。朝鮮人差別の問題も恐ろしくあからさまに扱われている。 主人公の少年の無邪気な差別があからさまに修正されていくが、 子供だけにちゃんと理解してはおらず、見ていて切なくなる。 そしてピカ。特撮もCGもないが、異常な迫力。 そう、このなんか汚ない感じの画面が今の映画にはないのだ。 七人の侍なんかを見ても思うが、迫力が違う。 ちなみに最後は天皇の戦争責任を追及。 原作こんななんだろか。やっぱ読んでおかないとダメだよなあ。

2006年1月19日

NHKスペシャル太平洋戦争1。海上輸送問題。 戦線がこれ以上ないくらい拡大した状態で、ロクな護衛もつけず海上輸送。 普通に考えればありえない。しかし、 潜水艦というものの存在を念頭に置かなかったとすればどうだろう。 制海権があれば、その海域に敵が入ってくることはなく、 であれば護衛は必要ない。しかしそれはあくまで潜水艦さえなければ、 ということだ。 そして、潜水艦に輸送戦が沈められ始めた時にはすでに 手遅れだったわけである。

NHKスペシャル太平洋戦争2。ガダルカナル。 こいつらバカか。 兵力2万に機関銃300門、砲50門という敵に対するにたった900人である。 それも砲も機関銃もロクにない900人だ。 白兵突撃で陥とせると思っていたらしい。 しかしその目論見の甘さはともかく、白兵突撃を過信したのはわからなくもない。 当時の日本陸軍の戦闘ドクトリンは夜間の銃剣突撃を 中心に練られていたのだろう。松村氏の本によれば、戦闘ドクトリンは そうそう簡単には変えられないものらしい。 全ての訓練がやり直しが必要となるし、もし米軍と同じような 戦い方にしようと思っても機関銃や砲が決定的に足りていなかっただろう。 そして、日本軍はこの戦闘ドクトリン で負けたことがなかった。負けた後でも、日本軍は失敗に学ばない軍隊だった。 結果ほとんど同じマネを3回繰り返して2万の損害を出したわけだ。 旅順と全く同じ失敗を30年経っても繰り返している。

NHKスペシャル太平洋戦争3。エレクトロニクス。 日本軍には戦争中敵国が新兵器を開発しないという前提でも あったのだろうか。そして、やはり学ばない日本軍。 サイパンの時にはすでにミッドウェイやソロモンでボコボコになって いたはずなのに、また同じやり方をして負ける。 米軍はレーダーと近接信管砲弾による対空砲火を 開発しており、日本はそれを知ることすらなかったという。 さらに戦闘機そのものの性能すらすでに負けていた。 勝てるわけがない。兵器の性能は戦闘の方法そのものを変える。 すでに優秀な技術力と優れた科学者を多く抱えていた日本に それがわからなかったのはやはりそれまで勝っていたからなのだろうか。

NHKスペシャル太平洋戦争4。インパール作戦。 バカの代名詞として有名なこの作戦の損害は3万。 ああ、見たくない。もう見たくない。現実逃避にドイツのことを 考えてしまうくらい見たくない。つくづくドイツはすごいなと思う。 戦争の規模が違う。ちゃんと名将もいる。新しい戦闘ドクトリンも作った。 日本は全部ダメだ。日本が勝っていたのは相手が欧米の主力でなかった間 だけではないか。真珠湾は例外にすぎない。 さて、そしてインパール作戦はやはりバカのせいだったようだ。 しかし、バカ一人では10万も動員する作戦なんてできないわけで、 もっと偉い人にバカがいたからこそ実行されたわけである。 そしてもっと悪いことに、日本軍にはどうしようもない体質というものがあった。 命令そのものが曖昧だし、責任の所在も不明瞭で、 部下が「絶対大丈夫です」と言った時に上司がそれをきちんと 吟味する習慣もなかった。 うちの会社でも全く同じ事が当てはまるわけだが。

NHKスペシャル太平洋戦争5。フィリピンを敵に回した愚。 フィリピンでの損害は50万近いのだそうだ。 苛酷な統治で住民を敵に回したことがこの数字には大きく寄与しているという。 日本が占領した中では唯一アメリカの植民地だったことも大きかろう。 アメリカは新興だけにあまりエグい支配はせず、 きちんと教育をしてすっかり西洋化していたからである。 そんな人々に天皇を崇めろなどと言えばものすごい勢いで反発されるに 決まっているし、確立した貨幣経済を下手にいじれば 国の全てが崩壊する。しかし、当時の郡部はそれを理解できなかったのだろう。 他でも同じことをやったのだろうが、特にフィリピンでは その害が大きかったわけだ。 占領地の住民を敵に回すのは最悪と言っていい。 情報がことごとく敵に抜けてしまうし、 ありとあらゆる活動が阻害され、 さらに悪いことにその後何十年と怨念を残す。そもそも火力兵力において 米軍は圧倒的であり、そこに現地民の協力が加われば 勝てる見込みなど微塵もない。 地図を見ると確かにフィリピンが恐ろしく重要なことがわかるが、 これではどうにもならない。もっとマシな手はなかったのだろうか。

NHKスペシャル太平洋戦争6。終戦へ。 日本はソ連に和平の仲介を頼んでいたらしいが、 裏ではヤルタの密約が結ばれていたわけだ。 というか、その前に不可侵条約を破る気満々だったらしい。 それを見抜けなかったのは、またバカのせいだ。 軍が勝手に外交をやっていたらしい。 沖縄を攻められ、ドイツが負け、それでも本土決戦を主張する軍部。 ポツダム宣言も拒否。ソ連参戦。原爆投下。 ついに軍は最後まで降伏を認めなかったのである。 何日か降伏が早かっただけでいろんなことがガラリと変わっていただろうに。 まあ日本に原爆が落ちなかったら5年後に朝鮮に落ちていたかもしれないが。

こんな番組を見つつ、横で絢爛が進行中。政治家がものすごくアホで、 何度失敗してもテレビ局の制圧を提案し、 他のバカ共も反対しようとしない。そしてかなりの確率で陸戦隊員が死亡する。 もうこいつ解任しなきゃダメだ。陸戦隊に入れてしまえ。 たぶん状況を見て何を提案するかを決めるような アルゴリズムはロクに入っていないのだろう。 人ごとに決まった候補から提案しているだけのような気がする。 これは全くもって興醒めだな。有利に進めたければ自分で 全ての役割をやればいい、というふうに感じられるのは たぶんこのゲームのコンセプトから外れている。 艦長にコーヒーを持っていくことが意味を持つためには、 艦長がそれなり以上には信頼できなければならないだろう。 配置転換の手間がゼロ同然なのは まさかゲームバランスを取るための苦渋の選択なのではあるまいな。 系を複雑にしすぎてAIが作れなかったのではないかと思ってしまう。

2006年1月18日

まずいワインがまずいことを確認するためにコンビニで400円のを買ってみた。 元々ワインの味がわからないのでそんなにはっきりとは言えないが、 なんか胃の中にある何かに似た味がするのでまずいのだと思う。 とりあえず料理用にしよう。

アカギ、ワシズ麻雀。 こういうルールに修正を加えたギャンブルで福本の 右に出る者はいないだろう。

google earthに感動した。是非とも社会科の授業とかで活用してほしいものだ。 適当に眺めているだけで世界を旅行しているような気分になる。 3Dビデオカードがやっとゲーム以外に役立つ日が来たという感じだ。

よみがえる空。恐しく地味。堅い作りだが、 それゆえになんとなく見えてしまった気がする。 その予測を裏切ってくれることを期待したいが。

ローゼン10。雛苺が。雛苺が。

社内に人が余っているにも関わらず 内作はコストがかかるから外注、 というのはどこかに重大な間違いがあるように思えてならない。

絶対少年おしまい。なんというか、自己啓発的な内容。 物理的な意味でのストーリーはなんかゴマかされている感じだが、 そこは本題ではないのでいい。 ちゃんとウザい人物描写と、象徴的に使われる携帯電話が この作品の特徴だろうか。会話のテンポが非常によろしい。

絢爛の戦闘において戦術を決定づける最大の要素は、 常に母艦が近くにいることである。 敵は基本的に主人公が操縦するロボには目もくれずに 母艦に向けてバカスカ魚雷を打ってくる。母艦が沈めば負けだから、 戦術上の課題は常にいかに早く敵が魚雷を撃てない状態にするかに収束する。 抽象化としては実に美しいが、悲しいかな深みがない。

半分の月がのぼる空。入院してる子を連れ出すのは定番だが、 連れ出す方も病気というのはちと見たことがない。 しかしまるでおもしろくなりそうな予感がないな。 もう一話くらいは見ねば本題に入らないのだろう。

2006年1月17日

松村劭「勝つための状況判断学」。休憩代わり。あとは辛なんとかでも読むか。 学者、親日、と来れば次は反日が良かろう。 この手の新書は薄いからすぐ終わっていい。

呉善花の本に朝鮮の人から見て日本が変に見えるところが いろいろ書かれていたが、結構同意する。エレベーターガールっていらないだろ。 接客の類が何から何までマニュアル化されてて気持ち悪いというのもわかる。 役所に限らず融通が効かないというのもわかる。 でも当然向こうだって変に見える。なんぼ親友でも勝手に部屋に入って服やら 何やらを持っていくのは今の地球ではレアな風習ではなかろうか。

北朝鮮の話は面白かった。李朝社会主義版と考えるとしっくり来るらしい。 「朝鮮のない地球はない」というセリフがヒット。

2006年1月16日

絢爛しつつ読書。絢爛はプレイの仕方によっては待ち時間が長いゲームなので、 こういう芸当ができる。なお、今は全員にハチマキをプレゼントするのに 挑戦中。会議でみんなハチマキ姿だとなんか微笑ましい。 なお、どうも来た敵を叩いていればそれだけでエンディングになるらしい。 叩けば叩くほどいろんな国家から宣戦布告されてバリバリ艦隊が送られてくる。 でもみんな少集団ごとに襲ってくるので各個撃破。 こっちの位置が捕捉できないから相手としては仕方ないのだろうが、 ちと骨がなさすぎるな。 ゲリラを相手にする時には網の目状に少集団を配置して どこかが攻められたら時間を稼いでいる間に他の集団が駆けつけて 包囲殲滅、というのがセオリーらしい。アレクサンダー大王が使った 手なのだそうだ。 ところで、全員美少女の宇宙人というのがいるのだが、 もう千人くらい殺してることに気づいてかなり憂鬱になった。

こいつら実のない世間話ばかりもちかけてきやがって、本気でうっとうしい。 ブチ切れてやりたい衝動に駆られるが、ここはグッと我慢だ。 職場の雰囲気が悪くなると後で面倒だからな。もちろんゲームの話。

鄭大均「韓国のイメージ」「日本(イルボン)のイメージ」「在日韓国人の終焉」。

呉善花「韓国人から見た北朝鮮」「日韓併合への道」。

2006年1月12日

来月10日に北海道行きます。

絢爛。艦橋の入り口でぼーっと眺めているのが楽しい。 でも皆仕事中なのでジャマしてはいけない。 ただ、誰かが居眠りをしそうになったら即座にコーヒーを差し出すとか、 誰かが腹が減って席を立ったら一緒に食いに行くとか、 それくらいにしておく。 たまに席を立った人が話しかけてくれるので、そういう時には 相手をする。仕事について聞かれたら真面目に答える。 でもトイレに行きたそうにしている人は呼び止めない。これ大切。 なんてことをしていると結構仲良くなってくる。 さっき艦長にマッサージを頼まれた。

こんなゲーム他にない。

データの海に振舞いを仕込むと命が宿る。 コンセプトはそういったものだろうが、 これを実際に形にするのは大変なことだ。

絢爛の欠点についてメモ。ただしゲーム性には関係ない部分だけ。 選択肢は上下共に循環すべき(一番下で下を押したら上に戻るべき)。 宇宙情勢画面では隣接しない国家同士の関係も表示できるようにすべき。 航海状況でも各都市の情報を見られるべき。さらに、都市リスト で都市を選ぶとカーソルがそこに動くような操作もあるべき。 メッセージは×ボタンでも進められるべき。ただし×ボタンでは 選択肢は選ばないというのが通例。 マップ移動時はシームレスにはできなかったか。セーブ遅すぎ。 戦闘中移動を選んでから戻るとカーソルが一番上に戻っているのは良くない。 前の位置を保存すべき。人材登用時のインターフェイスが最悪。 部署変更時にはステータスが見られるようにすべき。 ステータス閲覧画面では、基本情報、身体精神状態、技能の どれを見たいかをキャラと独立に選べるようにすべき。 皆の技能を比べたい時にいちいちキャラを選んでから技能を選ぶ手間は わずらわしい。また選択する物が多い時に左右で1ページ分移動できる 機能がある場所とない場所がある。特にステータス画面のように 項目数が多い時にこの機能がないと甚だ困る。 また、ある所でも、左右を押した時に同じ項目に帰ってこないこの挙動は わかりにくい。

2006年1月11日

猿長電話相談。やっぱりそうだよな。

2chのスレのまとめサイトで恐ろしく面白いのがあった。 韓国に近しいと思われる人と嫌韓な人々の論戦の記録なのだが、 前者の発言が電波と言われる水準を遥かに超えている。 到底こんな考え方をしている人間がいるとは信じられない。 文化間の差異で説明できる水準はとっくに超越している。 対する嫌韓な人々の対応はいつも通りで誉められたものではないが、 しかし相手がこのレベルになるとそれも妥当なものかと思えてしまう。 だって、笑う他ないだろうこんなもの。 やはり日本人が何らかの意図でこうした人物を 演じていると考えるのが妥当なのだろうか。 そうだとすれば卑劣極まりなく許し難いが、 正直エンターテインメントとしては極上と言わざるを得ないし、 これをここまで華麗にやってのけるのは相当な技倆だ。 シスプリのなりきり版よりすごい。

誰か「こんなのは日本人のカタリに決まってる」と力強く否定してくれ。頼むから。 なんで調べれば調べるほどこんなものばかりが 出てきてしまうんだ。あの手の悪口が間違いであることを 証明してくれるサイトはないのか。 私は今日は嫌韓サイトを探していたわけではない。 友達に嫌韓嫌韓言うのをやめなさいと諌められて、 その逆のものを探していたのである。にも関わらずこのザマだ。 一体どうすればいいというのか。

一つだけ成果。剣道は韓国起源とか言ってる韓国人は少数派だ、 という話をどこかのブログで読んだ。剣道に関わらず、 いわゆる嫌韓の人が言うようなトンデモ見解を 持っているのが多数派というわけではない、という記述は結構みつかる。 よかったと安心できる一方で、そういった情報が新聞などの公的なものではなく、 知合いの韓国人から聞いた、というような伝聞がほとんどであることにも気づく。 それに、有害性を打ち消すには無害な人の存在を証明するだけでは不足だ。 マイナス1に0を100万個足してもやはりマイナスであることに変わりはない。 「〜〜産の野菜はまずい」という認識を形成するのに〜〜産の野菜が全てまずい 必要はないのだ。 大多数の普通の人が普通にまともであっても、 もし正式な韓国の剣道団体が韓国起源を主張していてその声が大きいなら、 そして普通の人々がそれを止めようとしなかったならば、 それはそれだけで十分有害になりうる。 剣道連盟がこんな文章を公表していることは 何かがあったことを示しているのではないのか。 ハングルは読めないので韓国の剣道団体のサイトが読めず これ以上は何とも言えないのが残念だ。弟いずれよろしく。

なお、私が知りたいのはパクリとかそういうのではなく、 まず歴史上日本がどういう仕打ちをしたのかということと、 うちらに賠償と謝罪をする義務があるのかどうか。 また、在日の特権は正当なのかどうかなども気になる。 あとは普通に韓国のいいところももっと知りたい。 私は未来におけるより良い行動の指針を得るための手段として 情報を得たいのであって、優越感が欲しいとかそう理由ではないつもりでいる。 なので、「犬と日本人お断わり」と書いてある店があるだとか、 キムチに寄生虫が入っていると発表した政府をキムチ業者が訴えたとか、 そういうことは調べる過程で出てきた副産物にすぎず、どうでも良い。 どうでもいいが、どうしてもイメージが悪化してしまうので、 できればウソであってほしいと思う。 嫌韓嫌韓言うのは人間として品格に欠けると私も思うし、 上にも書いたがスレの嫌韓連中の言いようにはかなりの嫌悪感がある。 だから私は嫌韓というカテゴリーの人間にはなりたくない。 しかし、私はあれだけの悪口の数々が真実だったとした時に 嫌わずにいられるほどの自信はないのである。

誰かウソだと言ってくれ、というのはそういう意味だ。 それでも、こういう感想を口にすることは正義の道ではない、 というのであればそう言ってほしい。納得できれば二度とこの手のネタには触れない。 誰か親切な人が説得してくれることを祈る。

先んじて言っておくが、 「そんなこと言ってると君の評判が下がるよ」みたいなのは却下。 今はそんな話はしてない。どうせ私は何年も暴言を吐き続けてきたのだ。 すでに評判なんてロクなものではないだろう。 「韓国人の気持ちを考えなさい」とか言うのも、それだけでは解決にならない。 韓国人の知合いがいることもあって私だってこの手のネタを書く時には いくらかの葛藤はある。しかし、それによって 私が一時的に黙ることはあっても、私の認識が変わるわけではなく、 長期的には再発する可能性が高い。 「そういう事は言わない方が無難だと思うよ」は忠告としては聞くが、 しかし敢えて却下。でもこういうことを言ってくれるのは心配してくれている 証なのでうれしく思う。また、先日頂いたメールでは 「過去を美化して間違いを繰り返すよりは過去を間違っていたことにして 反省した方がずっといい」というようなことが書かれていて私も同意見なのだが、 今回に関してはせめて知る努力はしたいし、事実を確実に知ることが不可能でも 事実を推論するための材料集めくらいはしてみたいと思う。 生まれて25年以上歴史というものが興味の範囲外だったので、 より良く生きるためにもここらで そういう勉強を一回くらいはしてみたいと思ったのだ。 そしてどうせするなら自分に関係あるものがいいし、 自分の生き方の指針になりうるものがいい。

かなりの覚悟を持って書いたが、たぶん明日の私は後悔すると思う。 卑怯にも耐えられなくなって消してしまうかもしれない。 そうなったら許してほしい。

起きた。上のはちといい子ちゃんすぎるな。 私はなんだかんだ言って最近はあの電波を面白がっているのだから、 嫌韓な人々のシンパとみなされても仕方あるまい。 上に挙げたまとめサイトを読んで笑わずにいられるものか。

間違いを指摘された時に、指摘してくれた人を道徳的に非難するのはダメだ。 間違いであることがわかったら訂正するか、あるいは間違いであることを知りつつ 訂正しない理由を出すしかない。しかし現実には 「間違いは認めるが、そういうことを指摘するあんたは嫌な人だ。だから直さない」 みたいなことを言い出す人がたくさんいる。 でも、心情的には理解できるのでそれを傍で見ている人も 指摘された側に同情的になってしまいがちだ。 そもそも「相手の言葉には答えないといけない」 というルールは少なくとも日本ではそう一般的なものではない。 どう答えてもこっちが負けるなら論点をずらして はぐらかしたくなるのが人情というものだろう。 ネットを見ているとそういう「逆ギレ」的な反応はいくらでも目につくわけで、 逆ギレは日本の文化なのかなあと思う。 議論が流行らないのも無理もない。負けたら嫌な気分になるものを 好きになれなんて無茶だ。アメリカの人とかはたぶん議論に負けても そんなに嫌な気分にならないのだと思う。 アメリカの人の議論はスポーツ的な感覚があるのかもしれない。 一方うちらのは人間存在全てを投入してしまうので負けイコール 人間否定みたいな面がある気がする。もっと気楽にやれればいいのだけれども。

例えば私の例で言えば、どこぞで「みかんが売っている」みたいな表現は おかしいと書かれていたのを見てから「みかんが売られている」 と書くようにしているわけだが、普通しゃべっている分には普通に「売っている」 と言ってしまうし、いまさらそんなこと言われてもなあとは思う。 しかし、「だってもう普通に使ってんじゃん」みたいな反論は より強力な反論を呼び寄せて泥沼にはまりそうで怖いし、 これくらいだと「従うの面倒くさいからごめん無理」とも言えないし、 「これがオレのセンスだ!文句言うな!」みたいな言い方はみっともない。 というわけで従ってみることにした。正しいことは尊重したいし。 なお、今挙げた理由の後ろ二つは結構重要だ。 例えば食事の後には歯をみがきなさい、とかいうのは確かにその方が 健康にいいし印象もいいとは思うのだけれども、ぶっちゃけ面倒くさい。 また、「じめん」でなく「ぢめん」と書け、というのはわかっていても、 「うーんぢめんはちょっとなあ」みたいな微妙な抵抗がある。 この二つが大きい論点ほど逆ギレか無視を選びやすくなるわけだ。 自分が逆ギレするメカニズムを知って今後に役立てよう。 そして、相手を逆ギレさせやすいことを言う時にはいろいろ気をつけて うまくやろう。なんぼ正しいことを言っても逆ギレされては目的は果たせんし。

たぶん、受け入れ難い時は無視すればいいのだと思う。逆ギレは下の下だ。 ネットの場合は「気づきませんでした」という建前がつけられるのだし、 なおさら無視しやすい。 なお、私がブログを避けているのは、コメントには「気づかない」 ことができないからである。

韓国資料探しを続ける。

韓国のサイトの翻訳を集めたサイト。 当然資料の選択はサイトを作った人の意図によるし、 翻訳に意図が混入する可能性もある。 しかしそれを鑑みても向こうのサイトの翻訳というのは 貴重な資料だし、「当HPを見て腹を経てても、決してその怒りの矛先を韓国国民 全体に向けないでください」という注意書きにも好感が持てる。なので とりあえず読んでみることにした。 全部を読んだわけではないが、ひどいものは期待を裏切りつつ予想通りにひどい。 しかもテレビや新聞というメジャーなマスコミだったりする。 一番ブルーになったのは韓日合同研究教育会とやらの文書だ。 教師はできるだけ偏見なく子供に日本の姿を見るよう期待するが、 なかなかうまく行かない。そしてそれ以上に、言い訳がましく 教師が自分は親日でないと念を押す記述が入っているのが興味深かった。 いちいち断りを入れないとマズいのかと思ってしまう。 韓国の人がこういう子供時代を経ているのだとすればそれは大変なことだ。 もし実際にこうやって日本を嫌う韓国の人と接したら一体どう対応すればいいのだろう。 今のところは幸か不幸かそういう事にはなっていないが、 これから交流が深まれば機会も増えてくるに違いない。 ところで、日本が韓国のkimchiをパクッたキムチ(kimuchi)を 日本独自のものとしている、などという話は初めて聞いた。 キムチが日本のものでないことを知らない奴なんているのだろうか。 たぶん、日本の企業がキムチを作って輸出まで始めたことに反感があるのだろう。 スーパーで豆腐を買ったらアメリカ産だった、というのを想像すれば わかるんだろうか。いや、むしろアメリカの企業が作るまでに豆腐が 受け入れられたのかと嬉しくなりそうな気がするのだが。わからん。

未だに嫌っているのか嫌っていることにしているのかがよくわからん。 マジで嫌っているなら、その国のマンガや機械を使いたいと思うものか。 それとも、嫌いという感情で製品の好みを左右しないという理性的態度の 表れなのか。韓国の人が書いた本を読んでみよう。一つのサンプルにはなりそうだ。

新聞やテレビがこうだからと言ってそれを見る人間の意見がこうとは限らない。 猿も言っていたが、朝日新聞を取っているからといって左とは限らないのだ。 が、新聞もテレビも商売なのだから、見る人間が喜ぶものを作ろうとする。 喜ばないものは売れない。とすれば、これらのメディアが普通に存続している ことから考えて、全てとは言わないまでも 相当な人がこういう論調に賛意を示していると考えるのが自然なのではないか。 どうなんだ。誰か詳しい人教えてくれ。

在日特権について。 見るべきは本文でなくコメント。多くの在日の方や行政関係者が 書きこんでおられるので参考になる。でも真実は不明。判断は保留。

wikipedia日韓併合。 少々「右寄り」であることは否めないが、 皆が編集しまくるwikiだけに両論併記の体裁を採っている。 具体的に何がわかったというわけではないが、雰囲気はつかめた。 嫌韓側が言う「併合は韓国が頼んできた」はたぶん言いすぎだろう。 しかし、昔の植民地支配なんてものは支配される方の声なんて聞かないのが 当たり前なはずで、韓国が頼んだかどうかなんてどうでもいいことだ。 とはいえ、主権を奪われる屈辱を与えたことに対しては悪かったと言う他ないので、 「日本が支配したからおまえらは発展した」みたいなことを言うのは傲慢に過ぎる。 発展させてくれと頼んだわけじゃないと言われればそれで終わりだろう。 まあ「おまえらが来なければもっと発展していた」 と言われた時にそれに同意するかどうかはまた別の話だが。

これだけの数 マイナスのニュースを集めればどこでもダメな国に見えるだろう。 だから、抜粋資料のみだけ見て韓国を特別変な国扱いするのは不当だ。 というわけで、しばらく 朝鮮日報東亜日報をちらちら見てみることにする。 今となってはどうでもいい記事こそが重要だ。 オモシロ記事ばかり見ていては頭が変になる。バランスを取り戻すためにも 二次資料でなく一次資料に当たるべきだろう。 なお、今ちらっと見た感じではオモシロ記事はなく、 日本が関わらない限りは結構普通。 反米という話を聞いたが、どちらの新聞の社説も アメリカとの同盟を破壊するなという論調で、そんなことは全然ない。 ヒョンデ自動車の記事のグラフがちょっと面白かったが、記事は普通。 大韓民国としてのプライドを持とうという記事は 日本で書いたら右翼決定だなと思うようなノリで興味深い。やる気満々だ。 日本の植民地支配に対しては この記事 がはっきりと主張を述べていて、噂通りだった。 「日本が来なかったらロシアに取られていた」というある教授の説を 「歴史認識が間違っている」の一言で否定しているのはどうかと思うが、 何がどう間違っているのかは国民に広く知られているから説明するまでもない ということだろう。本当に恨まれてるんだな日本。 ただ「長い間、教鞭を取ってきた人としての思慮深い行動とも言えない」 は言い過ぎではないだろうか。 少なくとも親日的なことを言うとタダでは済まないというのは本当のことらしい。

今日はもう終わり。こんなことに8時間も使ってしまった。 いろいろ見たが、あんまり印象は変わってない。まあもう少し寝かせておこう。

2006年1月10日

部長が来たので、試しにやめたいと思っていることを言ってみた。 返答は納得の行くものだったので、とりあえず今のが終わるまではいると約束した。 こういう試すようなマネは良くないなと言ってから思った。 というわけで、あと1年は転職しない。 なお、例の彼はチームを追放されることになった。 年賀状に「迷惑ばっかかけてすみません、次は心を入れてがんばります」 みたいなことが書いてあったので、ちょっと悪いことをしたような気になった。 しかし、昔の私の日記を見直すと、そんな慈悲を持つ余裕なんて 到底なかったことがわかる。仕方あるまい。 うまく遺恨の残らない形を上が考えてくれているらしいが。

私信。北海道行きいつがいい?

2006年1月9日

島から帰ってきた。伊豆大島。いい感じに火山島で、土はほとんど溶岩由来だから 色は黒か赤が多く、例えば砂浜は黒い。 ところで、帰りは浜松町から糀谷まで 歩いて帰ってきたのだが、やらなきゃよかった。 品川あたりまでは調子が良かったのだが、 靴の欠点のせいで大島でマメができかけていたのが成長してきて、 大森あたりではもう心が折れそうになっていた。 どうしてもマメをかばおうとしてフォームが崩れてしまうので、 他の場所にマメができたり、膝に来たりしてしまうのである。 やっぱこの靴アカンなあ。踵側のへりが高いくせに固くて、下り坂でどうしても かかとの上のところにめりこんでしまう。これが続くとマメ決定だ。 それにしてもたった10kmちょいに2時間もかかるとは情けない。 高校の時は34kmを5時間で歩けたのだ。 もっとも今回は疲労という意味では軽微なので、靴を改めて再挑戦すれば 大丈夫だという自信はある。今度歩いて秋葉原に行こう。 もし帰りも歩ければだいたい30km歩くことになる。

歩兵の行軍速度は一日あたり20kmから25kmだったという。 私でもその距離を一日に歩くことは可能だが、 彼等はものすごい荷物を持った状態でその速度を出し、 しかもそれを1ヶ月も2ヶ月も継続したのだから、とても及ばない。 高校の時に34km歩いた時は筋肉痛とマメでその後3日くらいは ロクに動くこともできなかったのである。 歩くのは一番基本的な運動なのだから、 もっと真面目に研究してみてもいいのかもしれない。 時間を食うのが欠点だが、逆に言えば強制的にそれだけ長い時間練習を 強いられるわけで、きちんと集中してやればかなり効果があるのではないか。 毎週拳法の帰りにおいて最低京急分は歩く、というのは悪くないルールかもしれない。

正月の間に4kgも太ったことがわかった。ありえない。

fateのアニメを見た。まるでギャルゲーアニメのようだ。 原作知らないとポカーンな感じで、 消化することが目的になっているかに見える。まあ第一話は仕方ない面もあろうし、 まあもう少し見守ってみるか。もっともどうせアニメ特有の要素など ありはしないのだから見る必要もないのだがな。 気になるとすればストーリーをどう編集するかということくらいだ。 なお、声はまあいいかという感じ。桜がそこまでせんでもというくらい うっとうしいのが気になるが、ギャルゲーなのだしいいのだろう。 あと凛がかわいすぎるのも気になるが、まあギャルゲーだしな。 結局のところ、中田譲二はおいしいなあ、というのが最大の感想だろうか。

時間が中途半端なので絢爛をやった。 変わってないと思っていたが、実はいろいろ変わってる。 このゲームは電源を切っている間にも話が進むので、そのせいだ。 で、まずいろんなキャラがいちいちこっちに会いに来るようになった。 あと、艦長がテレビ局を占拠して演説をしようとか言い出した。 敵艦隊をこっちから叩こうとか言い出した時に前までは 皆に反対されてたのに、皆が賛成するようになった。 それと、敵もロボが出てくるようになった。 そして母艦をやられてゲームオーバー。そんなバカなと言いたくなるくらい あっさり。ところで、眠そうな奴に頭がスッキリするジュースを プレゼントしたら、今度は腹をかかえてトイレに走っていった。

絢爛のコンセプトが面白いことは間違いない。ただし絢爛がゲームとして面白いか どうかは多分にやる側の問題だ。人を選ぶ、という言い方でもいいが、 むしろやる人間に努力を強いる、という方が近い。 想像することを怠けた瞬間に単なる作業になる。

2006年1月8日

早速メールを頂いて勉強になりました。皆さんバリバリ教えてください。 特に右寄りな人への反論を論理的にやっているサイトを紹介してくださると ありがたいです。

なんか島に行くらしいので行ってきます。 猿と超絶長電話してたら出発まであと4時間とかいう状態に。ギャー。

「嫌韓嫌韓言ってると君の評判が下がるよ」との忠告をたまに頂く。 それはそうなのだが、ガンダム裁判とかデパート崩壊とか、 そういうネタが真実だとしたら印象が悪くなるのは仕方ないことだと思う。 今のところそういうのがウソだという資料は知らないし。 じいさんばあさんの代がえらい迷惑をかけたからそれくらいはなんでもない、 という論調はこの際無効。それはそれだ。

2006年1月7日

短調が暗くて長調が明るいというのは、西洋音楽の文脈でそうなっているだけなのか、 それとも何か物理的あるいは生理的な根拠があるのだろうか。 少し考えた感じでは、 基準音とその他の音の間の周波数的な距離が鍵になっている気がする。 ドレミbと短調で鳴らした時に短調的な印象が生じるのは、 頭の中でまだドが鳴っているからだ。 これをシbドレミとしてみれば頭に残るのはシbになり、 もうそれだけで短調には聞こえなくなるし、 当然のことだがドレミbの各音の間に十分な 間隔を置けばそういった印象は消えてなくなる。 基準音との距離で言えば、ドミの距離は短調では3半音、長調では4半音で、 4の方が良く調和する。たぶん、基準音との調和度が低いほどイヤな感じに 聞こえるのだろう。基本的に調和が悪いのは1,3,6あたりの距離で、 これを多用するとイヤな感じになる。 後は、調和が悪いことと暗く聞こえることの因果関係がわかれば だいたいわかったと言えそうだが、これはわからない。 ちなみに「さくらさくら」の音階は0,2,3,7,8の5音から成り、 あからさまに調和の悪いのは3くらいである。 私などが感じるもの悲しさはこの3に 由来しているが、その他は比較的調和の取れた音であり、 短調のようなあからさまさはない。 一方君が代はそれとも違う。最初の音を基準音と取れば、 その音階は0,2,5,7,9の5音となる。調和の悪い音がほぼ排されており、 「さくらさくら」のような物悲しさはないが、調和が良すぎて いささか単調に聞こえる。旋律のうねりは調和の度合の変化によって もたらされるものだからだ。ちなみにドラえもん音頭もこの音階である。 「さくらさくら」を日本的短調とするならば、こちらは日本的長調とでも言えるかも しれない。

私は音楽理論を勉強したことはないんで、ウソかも。 一冊くらい本読むか。

古橋のシスマゲドンを読んでみた。ダメすぎ。しかしダメな割に読める。 さすがということか。でもダメ。

産経の論説委員が書いた「社説の大研究」をちらっと読んだ。 朝日と毎日ってダメなんじゃないか? 「平和」と「人権」を唱えればそれでどうにでもなると 思ってないかこいつら。なんか気に食わないことがあると「慎重にしろ」 を連呼する。まるで具体的なことを言わない。 産経は産経でたまにどうかと思うのもあるが、 朝日に比べればなんということはない。 つうか、一番売れてるのが朝日っていうのは一体どういうことよ。 受験に出る、とかいうのをウリにするあたりがムカつくので 内容と関係なく嫌いだったが、最近は主要5社の社説は毎日読んでいるので 内容としてもダメなことがわかってきた。

産経は偏ってるとよく言われるが、私には普通に見える。誰か説明してくれ。

wikipediaで各新聞社の項目を見てみた。それぞれの経営基盤や、 今のノリになった経緯などは知っておいて損はなさそうである。 産経と統一教会とか、毎日と創価学会とか。 主要な事件なども会社のノリを知るのに参考になりそうだ。 結局のところ、どこもいろいろ問題を抱えているということを 知っておかないとマズいわけだ。

粘度の高いカレーは好ましくない。まず鍋その他を洗うのが面倒くさい。 次に再加熱の際にコゲないように常にかき混ぜねばならない上に 時間がかかる。やはりいわゆるスープカレー的なものの方がいい。 玉葱を十分な量用いればそれなりなとろみはつくのである。 しかしそういうのを作ろうとすれば、それなりにダシは取らねばならないし、 味の調整も高度になる。

「社説の大研究」おしまい。本当にいろいろだ。左右で簡単に分けられない。 朝日ですらアメリカのテロに対する報復攻撃には「やむをえない」と 認めているし、読売は靖国に関しては反対の立場だ。 なお、猿にも言われたが、この本は産経に有利になるようなネタを 集めてあるので、そこは注意が必要。

靖国ってどうなんだろうな。靖国に参拝したことをもって小泉は外交がダメ と良く言われるが、そのへんについて納得のいく説明は知らない。 反対するのは参拝すると損をすると思っているからだろう。 同様に、賛成するのは参拝すると得をすると思っているからだ。 その何が得で何が損なのかについて具体的なことを誰も言ってくれない。 関係が冷えこむと具体的にどんな損があるのか、 毅然とした態度を貫かないと具体的にどんな損があるのか、 そのへんがさっぱりわからない。各紙で見解が違うのは損得の計算結果が 違うからだろう。なら、その計算の過程と結果をそれぞれが示してくれれば いいのにと思う。でないと単なる印象操作以上のものではなくなってしまう。 最近いろんなものを見て、参拝することそのものは正当なのだろうという 印象にはなっているが、それと損得は別の話だ。 なんぼ正当な理由があっても、それで中国の機嫌を損ねると国が危ない とかいうのならやめるべきだろう。逆によく右の人が言うように、 ここで譲歩するとさらに譲歩を求められてキリがない、 というなら参拝は続けるべきだろう。実際どうなんだかさっぱりわからん。 目の前で両派が議論してくれると助かるんだが。

産経も すっげえトンデモ記事が載るので気をつけよう。 どうも統一教会系らしい。やっぱり金をもらってると逆らえないんだろう。 毎日は創価学会、朝日は中国、みたいなのはあるらしい。

2006年1月6日

DirectShowの勉強をするのが辛くなってきたので、 カレーを作ることにした。じゃがいもを消費するためだから仕方ない。 得てして現実逃避でやることはつい無用に凝ってみたくなるものだが、 今回は普通のルーを使うことにしたので食えないものができる心配はないだろう。 具に大豆や干し椎茸を入れてもたぶん大丈夫に違いない。余ってるし。

レーザー式のマウスがいい。布団の上でも畳の上でもガラスの上でも動く。

椅子が来た。なんか相当良さそう。今日一日これで作業して様子を見る。

2時間後。少し膝に来た。要するにヌルい正座なわけで、こうなるのもうなづける。 おそらく膝を深く曲げた状態でいることに慣れていないだけだろう。 なお、それ以外はすこぶる快調。背筋が伸びざるを得ないので自然に酸素が脳に来る。 休み中様子を見て、問題ないようなら会社用にも買うか。 背もたれがないので途中で寝たくなっても寝られないという弱点はあるが、 寝たくなるくらいなら帰ればいいのである。 まあ実際のところ昼間も結構寝てるけどな。

今まで読んだ推理小説の大半においては、 動機は犯人が判明した後ででっちあげられていた。 ひぐらしも同じだ。 本来動機は犯人候補を確率によって優先度付けするための有用な道具のはずだが、 フィクションにおいてはそんなものは何の役にも立たない。 むしろ動機は読者に先入観を植えつけて間違わせるための道具で あることが多いような気がする。

「殺った方も殺られた方も人生は終わりになるんだ」というのは何の台詞だったか。 私にとって、そして他の多くの幸せな教育を受けた人にとってはまったくもって その通りだろう。 しかし、そうでない人は実は結構たくさんいるのではないか。 殺人を何とも思わないことはさして異常とは言えないのではないか。

考えてみれば殺人と殺人でない行為の間には無限の段階がある。 殺す気があるかないか、というのは一見明確な基準に思えるが、 都市爆撃をした人に殺す気があったかどうかは結構難しい問題である。 自分の行為で人が死ぬことを知っていたかどうか、ならばいささかマシだが、 今度は知らなければやってもいいのかという問題が発生する。 だいたいうちらが普通に生活しているだけで貧乏な国の人がそのツケを 払わされて餓死するということだってある。 そこでふと絢爛舞踏祭を思い出した。 極度に抽象化、記号化された戦闘シーンの後で 「殺害数」というパラメータが1000も増えているのを見た後のうすら寒さ といったらない。考えてみればこういう感覚を仮想とは言え味わえるのは ゲームくらいのものだろう。殺人者の述懐を聞くより、 自分でやってしまった方が当然のことながら良くわかる。 殺人者の述懐を聞いた後で仮想的にとは言え殺人を犯すのが、 おそらくリアルでやる以外の手段で最も身に染みる方法だろう。 殺人者の述懐を聞くというのは、リアルでもいいし強調されたフィクションでもいい。 そして次の仮想的に殺人を犯すという段階を提供するのに最適な媒体は やはりゲームなのではないか。どうしたらゲームに積極的な意義を 与えられるか、という課題はうちらにとっては他人事ではないはずだ。 暇潰しでないゲームを作るには何かそういう視点が大切な気がする。

アルファシステム雇ってくれないかな。一回どんな人々がアレを作ったのか 見てみたい。

カレー中。余っていたワインも入れてみた。 最初干し椎茸とワインの香が一緒に来てヤバげだったが、 できたものは普通にカレーだった。 所詮カレーの前では無力ということだ。 しかし大豆はもっと入れても良かったな。 じゃがいもと大豆を入れればもう主食だ。

DirectXのPresentメソッドはインターバルを1にしていても ウィンドウが隠れているとウェイトが0になってCPUを100%食いつぶしてしまう。 1ピクセルでも見えていればきちんと垂直同期に合わせて待ってくれるのだが。 ウィンドウが隠れているかどうかを判定する方法を探さないとダメだなこれは。

2006年1月5日

絢爛舞踏祭は撃破100になっても何も起こらないので中断。 これはダラダラやるべきゲームだ。徹夜をボーンとして終わる類のものではなく、 つまり今やるのにはあまりにも不適切である。

以下ひぐらし話。感想ではあるが、感想を書くのに必要な ネタバレはしてしまう可能性があるので、ネタバレを避けたい人は この下は読まないでほしい。

ひぐらし7終わり。いい話だった。感動。 いい話であることと感動的であることに関してはいささかの文句もない。 今も8がきっと素晴らしい大団円になるであろうことを 確信しつつ朝の清々しさを味わっているところだ。 6の終盤ではあまりに白々しく感じられたお題目も、 今回はすんなりと受け入れられる。 集団になって初めて現れる「悪意」に対して あくまで戦略的に立ち向かう、という姿勢が新鮮で、かつ説得力があるからだ。 人間の統計的な挙動をずいぶんとしっかり見てきた人なのだろう。 最後のイヤなシーンも後味を悪くするというよりは 次への期待を高めるプラスの役割を果たしている。 6のラストが「やっぱりそれかよ!」とこちらの期待を粉砕する役割を 負っていたのとは全く逆だ。構成のうまさはさすがと言う他ない。 と誉めちぎっておいてなんだが、話そのものに関しては絶賛はしない。 まあ最後に明確な悪がいないと爽快感がないので この展開は娯楽として正しかろうし、 結局この方が私も楽しめるに違いないのだが、それでもだ。 思えば私はこの作品に対しては「妙にどんよりしたリアリティが魅力」 という印象を持っており、「部活」部分については一種の 「サービス」という程度の認識でしかなかった。 レナのマッハパンチや沙都子のトラップなどは あくまで別物として楽しんでいたわけである。 しかし今回は「部活」が持つ非現実感が 現実感を持った本筋にだいぶからんできており、 せっかくのリアリティが傷つけられたように感じてしまっている。 また、1や2あたりでゲームのルールがわかっていなかった 頃に私が抱いた感情を「被害妄想」の一言で片づけられることに 対する拭い難い不快感もある。 私は本気で針が入っていると信じて恐怖したのだ。 当時持っていた情報ではそれを「被害妄想」の一言で片づける ことは不可能であり、後から「友達を疑うなんてひどいよ」 などと綺麗事を言われても易々と納得することはできない。 6のクライマックスがむしろ痛快でさえあったのはそのせいだろう。 しかしまあ、8がそれと同じことをしないという保証はないのだから 完結まで態度は保留しておく。 もっとも結局のところ私は盛り上がってハッピーエンドに なることを望んでいるわけだが。

なお、謎解きについては特に文句はない。 検証は得意な人に任せよう。正直そこにはさして興味はない。 そもそも今回与えられた答を見れば、 推理小説的な推理だけで推理可能な事実なんてあまりないことがわかる。 それとは別に ミステリーサークルを見てUFOの仕業だと言うのと良く似たプロセスが必要で、 おそらくそれをあれこれ言うのがこの作品の醍醐味なのだろうが、 私はそういうのは苦手だ。

2006年1月4日

絢爛舞踏祭のキャラデザはどうかと思っていたが、見ているうちに だんだんかわいく見えてきた。やはり動いてるのはデカいな。表情も変わるし。 少し、歯が気になるが。 あと、やはりこのトゥーンシェーディングもどきは失敗していると思う。

せっかく買ったレーザー方式のマウスが壊れた。バッファローの奴。 ボタンが押したままの状態から戻らなくなっている。 安物はダメなのか。安いから買ったわけではないのだが。

2006年1月3日

戻ってきた。実家でもプログラミングしようと思ったが、 もはや1024x768一画面でやるのは無理。結局何もしなかった。 まあわかっていたことだが。

弟がメタルギアソリッド2をやるのを眺めていた。ゲームは実に良く出来ている。 ゲームの根本がしっかりしている上にボリュームやおまけ要素も申し分ない。 200万売れるゲームというのはこういうものかと感心してしまう。 ストーリー以外には欠点らしい欠点は全くない。しかし一方でストーリーはひどい。 それともあれは笑うところなんだろうか。 そもそもメタルギアというロボの存在意義がさっぱりわからない。 ゲームが先にあって無理にストーリーをつけるとこうなるといういい例だが、 売れているところを見るとそこは皆気にしていないんだろう。 とは言え、 対抗商品のスプリンターセルはストーリーにトムクランシーを雇っており、 やはりそこを意識しているのかもしれないとは思う。

絢爛舞踏祭をちらっとやった。いろいろ安いし、ゲームを「接待」として 考えると出来の悪さが目立つ。しかし、新しい何かを作ろうとしている雰囲気は ひしひしと伝わってくる。 戦闘パートも抽象的すぎて取っつきが悪い上に安っぽく、 さらに今のところこれが面白いのかどうかさえよくわからないのだが、 しかしゲームデザインのセンスは感じられる。 海の中で潜水艦やロボが魚雷を打ち合う戦闘、 というものをああいう形でモデル化するなんて到底考えられない。 ガンパレの1もそうだが、この会社はボードゲーム的なゲームデザインに 長けているという印象がある。TRPG文化の人間がいるのかもしれない。 キャラの行動のパラメータ化にしても、未だかつて「尿意」 などというものを設けてトイレをゲーム的に意味のあるものとして扱った 例などあっただろうか。ただし、これも面白さに寄与するのかどうかは まだわからないので評価は未定。 なおメモリーカードに空きがないまま撃墜数が20になるまでやったところで電源断。 くそう。続きをやりたい。

弟が半熟英雄4をやるのを見ていた。ゲームの根幹は結構しっかりしていて、 なるほど良く出来ている。しかし、それだけでは何十時間もの時間は 遊ばせることはできず、何らかの変化や味付けが必要だ。 このゲームではそれに大量の小ネタを用いており、 どこか間違っているような印象がある。見ているとほとんど同じことを 繰り返しており、どう見ても作業にしか見えない。 やってない人間が言うのもなんだが。

豪屋大介のデビル17を出てるだけ読んだ。性と暴力丸出し。マッチョである。 考えてみればA君もマッチョだった。美人を見て欲情しないのは異常者かチキン、 と決めつけるこのノリは、若干の抵抗感もあるもののそれなりに納得できる。 この作品そのものは正直好みとは言い難いのだが、 しかしこういったあからさまな種類のものは新鮮なのでその意味では面白い。 いわゆるハードボイルド小説(でいいのかは不明)はいくらか読んだが、 ハードボイルド小説に慣れ親しんでいない読者に読ませることを前提として、 そういった要素を極端に強調しているところがそれらとは少し違う。 また、純愛ギャルゲー的に清潔な恋愛や、 努力や愛などの道徳的な善だけで物事を見ることへの反感が、 下品とも言えるほどのあからさまさで描かれており、 A君と同じく「教育臭」とでも言うべき雰囲気が強く漂っている。 それにしても、富士見ファンタジア文庫ってのはここまでやっていいのだな。

神坂一の日帰りクエストの漫画を読んだ。薄いなあ。 A君を読んだ直後だけに比べてしまう。比べるべきではないのだが。

上のを書きながらガンパレアニメ12を流していたが、あまりにどうでもいい。 なんだこのギャルゲーシナリオは。本当にダメだな。

NHKスペシャル民間軍事会社。 イラクでの警備などを請け負う民間の会社が相当な規模になっているのだという。 世界に目を向ければ アメリカ軍の兵士よりも命の値段が安い人はいくらでもいるのであり、 日本企業が中国に工場を作るのと同じ原理で、まるで関係のない人が イラクで危険な労働に従事している。爆弾の処理や警備などだが、 イラクの過激派はアメリカ軍の仲間として区別なく攻撃してくるそうだ。 ケガをして生き残った人は自分の選択を悔い改めるかもしれないが、 うまく無傷で生き残れれば手元には金だけが 残るわけで文句はないし、死んでしまえば後悔することもない。 だから志願する人は絶えないのだと言う。辛いな。

自衛隊の人も同じ扱いなのだよな。 アメリカ軍の関係者がよく泊まってるからという理由で 車に爆弾を満載してホテルに特攻する奴がいる国だ。 うちらはそういうところに人を追いやってしまったと いう自覚は持たねばならないのだろう。 もちろん、自覚を持ったところでどうなるわけではない、 ということもまた自覚する必要がある。

そういえば本屋で「自爆テロは自分探し」みたいな題名の本をみかけた。 中身は見ていないが、なんとなくそんなものかもしれないと思った。 ロクな教育も受けられない状態で自分にできることなんてどうやって見つけたら いいだろうか。生きがいなんてものが見つかるだろうか。 もしかすると「神のために自爆して天国に行く」という選択肢を選ぶことは 彼等にとってはとても自然なことなのかもしれない。わからないが。

ちくま学芸文庫の「コーラン入門」をちらちら読んでいる。 細かいことばっかりでよくわからん。コーランの各章が書かれた順番なんて知らんわ。 しかし、ムハンマドが生きた時代がどんなものだったかとか、 ムハンマドがどういう人だったかとか、そういうのは面白い。 ムハンマドがユダヤ教やキリスト教に詳しくなるにつれて コーランにそれらの影響が強くなってくる、というのは面白かった。 例えば「ガブリエルから啓示を受けた」と言い出したのは結構後らしく、 最初はアラーから直に啓示を受けたと思っていたらしいのだが、 キリスト教のマリアがガブリエルから受胎告知を受けたという話を誰かから聞いて 「じゃあオレにも神が直接言いに来たってのはなさそうだな」と考えを 改めたのだと言う。ムハンマドはイエスやらモーゼやらが受けた啓示も 本物だと考えていて自分が唯一の預言者だと思っていたわけではないので、 ユダヤ教やキリスト教との整合性をそれなりに重視したらしい。 にも関わらずそれらに対立したのは、 イエスやらモーゼやらの受けた啓示は解釈の段階で間違いが入っていると 考えたからなのだそうだ。例えばキリスト教は イエスという唯一神でないものまで神扱いをしているのがダメなのだと言う。 文化の伝播ってのは本当におもしろいものだ。 あとは各種の戒律がどのような理由で決まっていったのかという問題の考察も面白い。 例えば「嫁さんは4人までOK」という奴は、 どうも対異教徒の戦争でハデに男が死んだ時に行った政策の名残りらしい。 コーランには 「お前たちが、孤児を公正に扱いかねると心配ならば、気に入った女を二人でも 三人でも四人でも娶れ。公平に扱いかねると心配ならば一人だけにするか、 奴隷女のみで我慢せよ。」みたいな感じに書いてあるらしく、 これを「嫁は4人まで」と簡単に掟として解釈するのはどうかと思うが、 しかしまあ、そういうものなんだろう。


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