だだもれ

2005年12月27日

希望に燃えてC#とManaged DirectXで書き始めたが、早々に終わった。 DirectShowがない。COM Interopをがんばれば可能らしいが、 ただでもよくわからんDirectShowが余計にわけのわからないものになってしまうので 危険すぎる。それにどうせ似たようなことが他にも起こるに決まっているのでもういい。 慣れ親しんだC++で書く。

DirectXの配布の中にDirectShowのサンプルが入ってない。 古いのを持ってきても入ってない。9.0bの時には入っていたはずだが、 今はもうない。サンプルコードなしで実装するなんて苛酷すぎるぞ。

COMという奴がよくわからないが、インターフェイスというのが重要らしいことは わかった。同じものが複数のインターフェイスを持ってたりする。 QueryInterfaceで抜いてくるのは要するにキャストなんだろう。

DirectShowはPlatformSDKに入っていた。 一体どこにそんなこと書いてあったんだくそう。 DirectX SDKのreadmeに「いくつかの機能はPlatformSDKに依存してます」 と書いてあったから試しに持ってきてみたのが当たりだったわけだが、 最初からDirectShowはそっちに入ってると書けよくそう。

PlatformSDKを持ってきたはいいが、 DirectShowのライブラリはサンプルに入っているものを 自分でビルドしないといけないらしい。しかもVisual Studio のプロジェクトは入ってないので、コマンドラインでnmake。何故。

自衛隊から同人誌が届いた(不正確な表現)。がんばってるのは認める。

いろいろあるんで実家帰ります。以下私信。 29のそれは人多そうだし辞退。1/3に帰ってくるので、 3日のそれには参加するつもり。 あと1月後半に北海道行きたいんだが、どうか。後で話そう。

ではよいお年を。

2005年12月26日

なのは最終話。こんな人間できた小学生いねえ。全員年齢+10してもなお足りねえ。 私より大人だ。ちっとは見習わないとなあ。

「ゲリラの戦争学」。弱い者の戦い方。すごく参考になる。 うちの会社とか応用できるんじゃないだろか。 装備と訓練が不足したうちらには機動力を上げてゲリラ戦を展開する以外に どうしようもない。 いずれ装備と練度が充実すれば正面から決戦を挑めるように なるのだろうが、今は無理だ。最近やらかした決戦は戦果の絶対量はともかく、 戦闘効率は目を覆わんばかりのものだった。 そういえばうちのチームなんてゲリラそのものだな。 戦略的価値の薄い山岳地帯に陣を張ってるゲリラ部隊。 もし戦略的価値が上がってくればたちまち敵正規軍がやってきて 皆殺しに遭うだろう。その時は撤退するしかないわけだが。

考えてみればゲリラ戦術しか取れない能力でありながら正規軍レベルの兵站を 必要とする状態なのか。無駄になってる力を活用して火力と機動力を充実させ、 早く決戦を挑める正規軍にしないと経済が保たない。 しかしだからと言って焦って準備不足のまま決戦をやらかして惨敗すれば元も子もない。 それでも現在存続できているのは 定期的に英雄的な戦果を上げる部隊が現れるからなのだが、 それに頼り切っていてはどうにもならない。

なんかどうしようもなく勝てる気がしないな。

軍事以外のものを軍事の文脈で捉えてみるのは悪くない。 一度別の文脈で捉えてみるということ自体が有益なのだが、 その中でも軍事はかなり使える部類に入る気がする。 科学的視点と人間観察がセットになっていて、何より実用本位である点が素晴らしい。 ただ、もちろんいろいろ違うところはたくさんあるので そこは見落とさないようにしないといけないが。

マリみて。こいつら人間出来てるなあ。なんでこんなに他人に配慮できるんだろう。

趣味のプログラミング開始。C#。いくら足りない機能があるとは言え、 C++でGUIを作る面倒くささを思えばそれ以外に選択肢がない。 コードの大半がCLRやラッピングされたCOMを呼び出すだけであれば C++で書いたのと大差ない性能が出るはずであり、 「できる限りコードを書かない」というのが基本の姿勢になる。 どうしても足りない機能が必要ならCOM InteropやP/Invokeを使わざるを得ないが、 面倒くさいのでギリギリまで避けよう。

座椅子は長時間になるとイマイチなので 椅子を買った。嫌でも背筋が伸びるので、 バランスを取るのにさえ慣れれば相当楽。 もしあんまり良かったら会社もこれにしよう。 もちろんまともなオフィス椅子でも良かったのだが、座り心地がいい奴は10万 (オカムラのバロン)とかするので 家で本当に仕事をしない限りコストが釣り合わない。 たぶん背筋が伸びることだけを考えるなら正座すればいい話なのだが、 体に悪そうなのでやらない。調べても骨格に悪いという話ばかりが見つかる。 なお、子供の頃は2時間やそこらなら平気で正座できた。 うちの家では子供は椅子の上に正座して食うしきたりだったからである。 椅子も机も大人用だったから子供にはそれで丁度良かったし、 たぶん母が躾に関して微妙なこだわりを持っていたせいだろう。 そういえば小学校の授業参観の時、クラスの女の子に 「ねえ、ひらしょーのお母さんって怖くない?」 と聞かれたことがあった。何を見てそう言ったのかは未だに謎だが。

「デスクトップドドド」がたまらん。スクリーンセイバーにしたいな。

2005年12月25日

キングコング見てきた。娯楽ってこういうものだったなそういえば。 久しく忘れていた感覚。 良く出来てると思うし手に汗握って楽しんだが、消耗するなあこれ。 見せ場が多すぎるし、そもそも長い。それは悪いことではないんだけれども、 私は一年に一回くらいでいいな。 ツッコミ所が多いのは様式美なんだろう。

超伝導論文のアレは、やっぱみんなウソだと思ってたんでしょうか。 まあネイチャーはオモロければ載る雑誌、という話を頻繁に聞きましたが、 やっぱりみんなそう思ってるんですね。サイエンスはマシな印象があるんですけど。

アメリカ軍の日本本土爆撃については、番組内では「58万人を殺す予定」 と命令書に書かれてましたが、さてどうなんでしょうね。 一番オモロい資料を紹介しただけかもしれませんし、 あれだけの作戦ですから目的は複数あったはずです。 まあ大まかには「士気を挫く」という奴なんでしょうが。

2005年12月24日

BBC、アウシュビッツ1。悪の帝国丸出しだ。ムチャクチャやってやがる。 よくもまあこれだけやったものだ。あまりにも悪事のスケールが大きすぎて どう反応していいかわからん。 しかしだいたい知っていたことなので知的な意味での面白さはなかった。 それにこの番組が完全にナチの悪業を紹介するために作られているので、 何故ナチがそれだけの悪業をやったのかが全然わからない。 確かに同情の余地がない悪業だが、知りたいのは 何故そんなマネをしたのかなのだ。「ヒトラーが狂っていたから」 というのは確かに説得力がある理由だが、 それだけでは国民がこぞってアレを支持した理由が説明できない。 ナチ関係者のインタビューはやはり不可能だったのだろうか。 つうか、この番組の再現映像やりすぎじゃないだろか。 イメージ映像が多すぎるし、ナレーションは断定的だし。 実在の人物に想像で台詞を言わせるこの「再現映像」はどうかと思う。 空襲の番組でアメリカ側の資料を多く紹介していたのとは 対照的な作りである。しかし、トラックの荷台で殺してそのまま運搬、 というのはすごい発想だな。 しかし「効率的な殺人」という概念は戦争においては普通の考え方だし、 一回慣れてしまえば案外簡単なことなのかもしれない。 人間は慣れられるのだろう。 だからこそそういう状況にしないようにせねばならないのだが。 人類皆兄弟、という標語は一対一のつきあいにおいてはものすごく大切な ものだと思う。それは無防備でいいというのとは違うだろうし、 国単位になればまたいろいろとあるだろうけれども。

BSドキュメンタリー、カンボジア虐殺。 ポル・ポト派ナンバー2がインタビューで「150万虐殺はデタラメ」 と言った直後にナレーションで「150万の虐殺は何故起きたのでしょうか」 と言っているのがちょっと面白かった。話聞いてねえじゃん。 この後もこの人のインタビューは何回か出てくるが 番組としてのコメントはなくスルーされている。 とは言え、番組制作者側の意図が悪の親玉の顔を態度を視聴者に印象付けることに あったとしても、こうやってインタビューを紹介してくれるのは こちらにとっても一つの判断材料になるので有益なことだ。 ウサンクサイ再現映像よりはよほどいい。 さて、ポル・ポト派はアホである。 都市から農村に強制移住させて全国民を農民にするとか、 貨幣経済を否定するとか、家族単位の生活を否定するとか、 人間の性質や周辺情勢を考えればありえない政策である。 ギリシャのスパルタか何かを参考にしたのだろうが、 いきなりそんなことができるわけがない。 あれだけアホなことをやればその歪みはとんでもなく大きいだろうから、 虐殺くらいはせねば収まらなかっただろう。 しかし解せないのは、なんでそんなものの主謀者格が今も普通に生活しているのか である。まして、このナンバー2は今でも 「アレは正しかった」と外国のテレビのインタビューに答えているのだ。 普通それだけやらかせば政権が引っくり返ったと同時に 旧権力者は皆殺しになりそうなものだが、これは一体どいうことなのだろう。 これは異例のことだと思う。旧体制側の軍人や幹部、さらには指導者クラス までが健在で、しかもインタビューにまで応じているなんて。 一体どういう国なんだ。この人が言う通りに150万虐殺というのは でっちあげなのか。 それだけハデだったというのに聞き取り調査が必要なまでに 埋もれているのも妙だ。裁判を今に至るまで行っていないのも不自然だ。 わからなくなった。

でやっぱり中国の支持があったわけね。 ベトナムはベトナム戦争時には もうソ連の支援も中国の支援も受けていなかったそうだから、 ベトナムを「赤い国」と言うのはちと当てはまらないのかもしれない。 ベトナムは少し特殊な国なのだな。カンボジアもまた逆の意味で特殊だが、 その両極端に特殊な国が隣り合っているという事実がまた不思議である。

クローズアップ現代、日韓国交正常化交渉の裏側について。 つうかいきなり韓国元首相が日本語で話してたのに驚いた。 この人かっこいいなあ。言葉がものすごく明瞭だ。 さて、韓国は当時国民総生産が1人あたり100ドルだったという。 調べてみればわかるが、このレベルに貧乏な国は 今ではエチオピアやコンゴなどのアフリカの一部くらいだ。 40年であのレベルの経済発展をするなんてぶっちゃけありえない。 日本は戦争で焼け野原になったとは言え人間には経験が残っていたわけで、 物資さえあればどうにかなるレベルだったと見ることもできる。 しかし韓国はたぶんそういう状況ではなかっただろう。 だからこそ韓国にはそれを補うだけの金が必要だったのであり、 個人補償分を根こそぎインフラに当てたのはそのためだったのだと思う。 せっかくの金をそのへんの農民にくれてやっても 仕方ないと政治の指導者になれば誰でも思うだろう。 まさかそれで国が豊かになった後でもしつこく言い続けるとは思わないし、 仮に言われてもどうにでもなると考えるのは自然だ。 つうか、このゲストの教授はっきり物を言うなあ。 日韓併合は合法だったとか言っちまいましたよ。 「え、併合が合法なんですか?」とか言って司会慌ててる。 一方で番組側が期待していると思われることを巧妙に避けて発言しているのも面白い。 慌てた司会の「具体的に歴史認識の違いはどう解決するんですか」 という質問には「細かいことを言う前に一緒に教材を作ったりもっと できることがあるでしょ」といういい感じな逃げ方だ。 「国として若いし分断されてることもあるので、当分青春期のナショナリズム みたいなもんが残るでしょう。 それをうまく御していくことを指導者に期待したいですね」 みたいなことを言ってるのも惚れる。 それでいて、「国として若い」の前に「歴史は古いけれどもね」 という微妙なフォローを入れるあたりもイカす。 ファンになってしまいそうだ。

やっぱ右翼なのかなあ私。まあそれは他人が判断することだしいいか。

NHKスペシャル、サイパン玉砕で生き残った人々の話。 捕虜になるくらいなら死ね、という思想はどうして生じたのだろう。 何か根拠があったのか、 それとも軍人のアホなロマンの発露に過ぎなかったのか。 バカげている。バカげている、と今の感覚で断ずることが不合理なのは 知っているが、こういう番組であんなインタビューを聞いた後では そう言いたくなるのを抑えることはできない。 地獄じゃねえか。手榴弾で自決した家族の死体が腐敗していくのを 眺めながら二箇月を過ごしたという話は中でも辛いものだった。 しかしそういう悲劇を引き起こすほどの 無茶をしなければあの規模の戦争はできなかったのかもしれない とも思う。むろん、あの規模の戦争をしたこと自体がまともだったかどうかは 私にはわからないが、しかし指導者達は何らかの判断基準でもって そういう選択をしてしまったのだ。それはどうしようもない事実である。 さて、アメリカの捕虜の扱いはどのようなものだったのだろう。 少なくとも13000人が生き残ったのだとすれば、 それはよほどまともな扱いだったのだろうということが言える。 戦略爆撃で民間人を虐殺した国の別の側面だ。

それにしても朝日新聞。「降伏よりも死」とかいう見出しを デカデカと載せるあのセンス。国の方針に従っただけであったとしても、 その責任は大きかろうよ。そういえば敗戦後も朝日新聞は 普通に存続したわけだが、敗戦の瞬間に180度紙面が変化したことを 彼等はどう説明したのだろう。読者はどんな思いだったのだろうか。 仮に「軍に銃をつきつけられて仕方なくやったんですう」 と言っても、それで納得してくれるものだろうか。 今も存続しているのだからきっとそのへんはうまくやったのだろうけれども。

ふと疑問に思った。韓国の発展には日本の賠償金が大きな役割を果たしたという 説があるが、日本の復興にその手のものはなかったのだろうか。 じいさんばあさんががんばったから、というのは聞いていて心地良い理由だが、 本当にそれだけだったのだろうか。 それとも、実は大して破壊されなかったのだろうか。 いや、それはあるまい。富山や多治見が爆撃されるくらいなのだから 大都市圏はもう壊すものもないほどに破壊されていたことだろう。 軍事費がいきなりゼロになって身軽になったという点が大きいのかもしれないし、 実にいいタイミングで朝鮮戦争が起きて景気が良くなったことも 大きかったのかもしれない。まあいずれ。

今日はここまで。さすがに疲れた。 相当勉強になったが、疑問はむしろ増えた気がする。将来の課題としよう。 しっかし毎日NHKでこんなの見てたらものすげえ博識になるだろ。絶対賢者だよ。 と言っても、普通はだんだんダレてきて 眺めてるだけになってしまうのだろうけど。 それが怖いので私はテレビを習慣化したくないのである。 きちんと全力で見なければ時間がもったいない。 WEBと違って単位時間で取れる情報量が番組の作りに左右されるし、 ボーッとしている時間も容赦なく番組は進んでしまう。 今は録画で見ているからわからないことがあった時に一時停止させて webで調べたりもできるけれども、リアルタイムではそうは行くまい。 案外テレビという奴は使い方が難しいメディアなのではなかろうか。 なお、明日から別の用事で忙しくなるので、あまり見なくなると思う。

メールで真面目ないい人よばわりされた。ありがとう。 このweb日記は私の目論見通りの効果を発揮しているということだ、 などと言ってみる。 もちろん心にもないことを書くことは私には不可能なわけで それなりに本心で書いているつもりだが、文章には演出が入るし、 書いているうちに虚栄心のフィルタがかかることは避けようもない。 綺麗事を書けばそれだけうさんくささが増すし、 正直を目指せば目指すだけ「ボク正直ですよー」という嫌な臭いが 強くなる。「オレかっこいいこと書いてるなあ」みたいな感情を 自覚しないことはもう不可能だ。もはや書かない以外にそれを 避ける手段はなく、実際書かないようにしようと思ったこともあったし、 今でもそれは結構続いている。ここ数日の祭は例外で、 モノを提供してくれた人への感謝の表現でもある。 しかしそれはそれとして、書き留めなくては記憶できないのだ。 書き留めておくことは考えを整理することでもある。 それを公開する必要性がないことはずっと前に気づいていたが、 そこはそれ、虚栄心という奴だ。なんか面白がる人もいるらしいし いいだろ、という理由でも正当化している。 今では害にならなければいいだろう、という程度の気持ちに落ちついた。 だから極力争いは避けたいと思っているわけだが、 ちと最近政治とかの話が多いから危ないかもしれないな。 アクセス解析をしていないことにすれば気づかなかったことにできるけれども、 いまさらしていないとも言えないし。 たぶん、ここにリンクを貼ってコメントを書いたサイトはたいがい見てます。 レスしてませんが。まあ最近は滅多にないんですけど。

アドルノF尺度。 私は3.4。一般人らしい。因襲主義4.2、権威主義的従属3.94、権威主義的攻撃3.45、 反内省性3.0、迷信とステレオタイプ2.2、権力と剛直2.55、破壊性と シニシズム6.0、投影性3.12、性4.0。 全項目は1.2から6.0まで。標準は3.6。 なんで0から4とかじゃないのかよくわからない。 ところで「破壊性とシニシズム」が最高得点なんですが。もしかしてヤバいですか。 しかし質問が今の時代にはアレすぎるのであんまりアテになりそうな気がしないな。 まあ仮に私がFにかぶれているとしても、それは自分がいいかげんなことの 裏返しにすぎないので大したことにもならないとは思う。 マッチョにあこがれる三島由紀夫に共感する年頃だということにすぎまい。 一冊しか読んだことないしイメージで言ってますが。

2005年12月23日

終わった。終わったとして良い状態になった。 月曜は出勤はするが、すぐ帰る。そしてその後は1月の中旬(10-13)に何日か 出勤してあとは休み。そういう計画。なので、行動を開始する。 さしあたり明日必要なものを揃えて掃除をせねばならない。

人権は必要か。民主主義は本当に最高か。 そこからしてよくわからない。 「おまえ殺されたくないだろ?人権がなかったら殺されるんだぞ?」 という言い方をされれば「じゃあ人権欲しい」と答えるだろうが、 そんな簡単な理由でいいのか。 「王様の気まぐれで殺されるの嫌だろ」と言われれば 「じゃあ民主主義で」と答えるだろうが、本当にそれだけでいいのか。 結局いろんな事情を鑑みて今は民主主義が一番妥当だから民主主義になっていて、 人権というものがあるとすることが妥当だから人権がある、 という説明以上に説得力がある説明があるのだろうか。 何百年も昔には民主制の国家なんてロクになかったわけで、 それはその時は王政の方が妥当だったからだろう。 まさか「人類の進化が民主制にまで至っていなかったから」ではあるまい。 また、ジャマだからと言って下手に個人の権利を奪うと 結果的に国全体がロクでもないことになるのはいろんな国が証明してくれたし、 事実現状栄えている国は私が知る限り民主主義で人権を重視している国である。 役立たずは少ない方が都合がいいだろうが、 いちいち役立たずが現れる度に弾圧するのはコストもかかるし雰囲気も悪くなる。 役立たずが少数である限りはそれを許容して、全体として役立たずが 生じにくくなるような手を打っておいた方がうまく行く、 というのが「役に立つ立たないで差別はしない」 という基本方針の根拠なのではないのか。 しかしそれはそれとして、役立たずは好ましいものではないのだから、 個々人は自分が役立たずにならないように努力する義務はあるだろう。 ぶっちゃけ役立たずが隣の席にいるのは災厄であり、 その裏返しとして自分も役立たずにはならないようにしたいと思う。 もちろんいろんな事情で役立たずになってしまった人に温情をもって接するのは いいことである。自分に絶対の自信がある人なんてそういないし、 いつ何が起こってどうなるかわからないからだ。 それは「オレには権利があるから役立たずでいいんだ」と開き直るのとは全然違う。

これファシズムなんかなあ。

たぶん、皆に学がない国なら民主制よりも君主制の方がうまく行くんだろう。 実際遅れ気味な国は名前はとにかく実状は君主制になっている。 ちょっと前までの韓国がいい例だ。 しかしそういう国は物質的にはあまり栄えていない。 つまり国民に学があるかどうかは国が栄えるための重要な要素で、 栄えるために学が流行ると君主制のリスクが上昇して 民主制への移行が起こらざるを得ない、ということなのではないだろうか。 これも韓国がそのまんまそうなっている。 だいたいみんなが自分の家の周囲数キロしか知らないような農民だったら 国政選挙なんて不可能だ。情報がなければ判断力なんて生じないのだから。 そんな状態で選挙を強行なんてしようものなら大混乱するに決まっている。 今の日本だってバカが投票するのはやっぱり有害なはずなのだが、 全体としてそんなに国民はバカじゃないだろうというという仮説 が妥当な説得力を持っているからこそ選挙がそれなりに機能しているわけだ。 昔制限選挙だったのは権力者のエゴとかいう以前に、 学がなくて効果が見込めない人間の比率が大きかったからだろう。 女性の選挙権がなかったのも、統計的な意味で学のある女性が少なかったからだろう。 政治の目的は「国をいい感じに発展させること」であって、「宇宙の真理を体現する こと」ではないのだから、それは現実的で妥当な判断だ。 そういえば「学問ノススメ」にはそんなことが書いてあった。 あの本どこにも「人間は平等です」なんて書いてない。皆読んでないだろ。

これがファシズムだと言うなら、それはそれでいいかなあ。 やっぱり強い国に所属したいじゃないか。 負け組の会社にいるより勝ち組の会社にいた方がいいだろう。 同じ会社に無能者がはびこっているのを見るのは嫌だろう。 うちの会社のアホウを見るにつけ怒りがこみあげてくる。 国だって同じじゃないのか。 ただ国は所属を選べないので、自分がいるところが強くなるのに協力する他ない、 というだけではないのか。 まあ、国と会社と家族をほとんど連続にみなす私の世界観がおかしいというなら それについてはツッコミを期待する。

なお、掲示板で紹介されていた文章の 上の方は印象操作を目的としていて論理的ではなく、 今の考察の目的にはかなわないので無視。 下の方はまだマシで、「そりゃソ連にはなりたくないわな」 というのは同意するが、「じゃあ義務はどうでもいいのか?」 という私の疑問には答えてくれていないので保留。 全体に権力者vs民衆という対立構造が前提にあるらしく、 そういうマルクスっぽい世界観は私にはよくわからない。 これだけ国民が力を持った状況で そんな状態を許すとは思えないからだ。そうなる可能性があるとすれば、 このままダルい時間が経って国民がみんなバカになった時だろう。 その時上に書いたように民主制よりも君主制の方が都合のいい状態に 逆戻りしてしまうことはありうる。 だからそれを防ぐためにも国民は努力する義務を負うのだと思うんだが。

あーゲーム会社の下っ端が言っても説得力ねえな。口だけ。

NHKスペシャル沖縄戦。これが負けるということかとまた思う。 こんな悲劇が起こるくらいなら無抵抗なまま国が滅びた方がマシだと 考えるのも無理のないことだと思うし、私だってそう思うだろう。 それでも敢えて抵抗せねばならない理由という奴を皆が共有できなければ 国家は滅びるわけだが、そんな理由が今の時代にあるだろうか。 それにしても軍が自国民を殺傷するようになったらおしまいだ。 ぶっちゃけ「あいつら米軍に食い物もらってやがる。許せん」という理由なのだろう。 それで女子供を並べて手榴弾を投げて殺すなんて、許せない。 しかし私は、もしその時に手榴弾を投げる側の人間だったならば 投げないでいられるとは思えないし、山の中で泥をすする生活をしている時に さっさと降伏した人がマシなものを食っているのを見たらキレずにいられるとも 思えない。そんな状況にならないようにしてもらう他ないのだろう。 上の人が何をやってるかはちゃんと見ておかないとな。

NHKスペシャル、カンボジアPKO。 最新の地雷探知器が「89式」という名前なのがちょっと気になった。 「あらゆる地雷を探知できる」は言い過ぎでは。 それはいいとして、怖いよなあ。カンボジアだもんなあ。何百万人の虐殺が起きて まだそんなに時間も経ってない。 しかし、国連の要請でいろんな国ががんばっているのに うちだけが何もしないというわけにも行かないのもまた事実だろう。 信頼を得るのに金は効果が薄い手段であることはずっと前から知れているのだし、 行かざるを得なかったのだと思う。 それにしても、この人達がどうなったのか、何をしたのかを全然知らない。 私がそれなりにニュースを見るようになる前の出来事だ。 調べておこうと思う。

ディエンビエンフー攻略戦、ベトナムvsフランス。 完成した要塞に1.6万の近代軍。対するは戦車も航空機もないゲリラ部隊。 勝てるわけがない。だが勝ったのである。 ミソは24門の105mm砲を完全に配備するまで動かなかったことらしい。 しかも撃っても場所がわからないように完全に隠蔽。 しばらく撃ったら場所を移動してまた隠蔽。 火力で敵の動きを止めて歩兵突撃。 ロクな輸送手段がなかったので作戦準備にえらい時間がかかり、 そのためにダレたフランス軍が油断しきっていたことも大きかったそうだ。 とはいえそれだけで陥とせるものでもない。周辺の2陣地を奪ったところで すぐに航空戦力による反撃を受ける。 しかしどうせ森なので目標が視認しにくく効果は薄いし、 そしてベトナムには人海戦術という得意技がある。 輸送手段は自転車と徒歩が主力というとんでもない状態でも、 それだけ人数がいればものすごい力になるわけだ。 しかしまともな準備をした要塞を陥とすのは火力支援があっても困難であり、 ベトナム側は塹壕戦に切り換える。 こうなると次第に長期戦になり、フランスとしては本国から離れた一軍で ベトナムの全国民で戦うことの不利が顕著になってきた。 そこでダメ押しに フランス陣地の地下にまでトンネルを掘って陣地を地下から爆破するという 作戦で最も邪魔だった陣地を攻略。あとはもうそのまんまおしまい。 なるほどなあ。 つうか、要塞跡の記念碑に洗濯物を干してる主婦最高。たくましい。

結局国全体が一丸となって本気で戦うと多少の軍事力の優位なんて 吹きとんでしまうくらいの力が出るということなのだろう。 日本が異様に強かったのもそのせいに違いない。 最近の先進国は長びくと国民の世論のせいで不利になるので余計にそうだ。 そんな本気の国を敵に回したくはないよな。 そう考えると何故あそこまでしてアメリカはベトナムに介入したのだろうという 疑問が生じる。ベトナムが赤くなるというのはそれほどまでに脅威だったのだろうか。 結果として赤くなってしまったわけだが、 それでアメリカはどんな不利益をこうむったのだろう。 そしてまたイラクにケンカを売ったりしているわけだが、 ベトナムからどんな教訓を得て、何に気をつけて作戦を立てたのだろう。 興味は尽きない。

共産主義になると虐殺が起こるというのが一部のサイトでは定説扱いされているが、 ベトナムはどうだったんだろう。もっともカンボジア、ソ連、中国、 という3例だけでももう十分で、仮にベトナムで何もなかったとしても 例外として扱ってもいい気はするが。

BSドキュメンタリー、論文捏造。ネタは超伝導だ。 シェーンが現れる前の世界記録は33K。-240度。 それが100K以上にまで上昇したという。しかし誰も再現できなかったのだそうだ。 にも関わらずウソがバレなかったのは、 皆が「オレじゃできないんだ」と思うだけで「これウソだろ」 とは思わなかったかららしい。ノーベル賞を11人も出したベル研という権威、 超一流科学者であるバトログ博士という権威、 それが目を曇らせたと言う。 本人に聞いても「オレドイツでやったんでここにはないよ」なんていう ウサンクサイ返事。そしてついに研究の親分が本人に 「目の前でやってみせろ」と言ったらボロ出まくり。 にも関わらず、まだ論文を書いて賞まで取っていた。 そこまで来てやっと他の人も疑いを抱き出したが、 しかしだからといってそれだけで告発まではできない。 「おまえにできないだけじゃん」と言われればおしまいだからだ。 それがついにバレたのは、複数の実験のはずなのに全く同じデータ になっていたからである。そんなことはありえない。終わりだ。 親分が子分の出した成果をちゃんと確認しないで論文を出してしまった のが問題だったわけで、ひどい話だと思うだろうが、 案外そんなもんだろうとは思う。こうも科学者が増えてくると 全員にまともな神経を期待するのは無茶だ。 アメリカだけでも140万もいるのである。 それに、分野はあまりにも細分化されており、他人の研究を チェックすることはそう簡単ではない。 それは子分と親分の関係であっても例外ではない。 親分が子分の分野を理解しているとは限らないのだ。 それは科学者に限るまい。まして金が絡むと余計に事がややこしくなる。 ところで、今になってなんでこんな番組を再放送したかと言えば、 当然韓国のアレだろう。それもたぶん番組が作られるので楽しみである。

NHKスペシャル「そして日本は焦土となった」。 アメリカ軍の爆撃目標は、軍需工場のようなものではなく、 民家そのものであったという。58万人を殺せ、と明確に命令書に書かれている。 「ヨーロッパでは試せなかった攻撃」だそうだ。 都市爆撃が今後の戦争のスタンダードになるとみなし、 日本の都市で徹底的に実験データを取っておこうという腹だったのだろう。 富山や静岡までやったのだ。富山の場合工場地帯は全く破壊されていないのである。 この番組によれば、新型焼夷弾やB29の開発が終わり、 「よし使ってみようぜ」という声が強くなったのも大きいと言う。 さらに精密爆撃をしようにも日本上空は風が強く困難であり、 やるなら無差別爆撃の方が楽だったという側面もあったという。 ありとあらゆる事が無差別爆撃を支持することになったわけだ。 そして、当時は有効と考えられたのだから 今となっては無差別爆撃を責めようもない。 最初はアメリカは6都市を焼けば日本は降伏すると思っていたらしいが、 6都市が焼かれても日本は降伏せず、 疎開した人を狙う地方都市への爆撃までが行われた。そして原爆。 なんともやるせないが、依然として一番重要な疑問は残っている。 「絨毯爆撃は有効なのか」である。有効ならばまたやるだろう。 道徳はなんら力を持たない。実際、ベトナムでは繰り返されたのだ。

私はさっぱりアメリカを憎んでいない。じいさんばあさんは子供や孫の世代に 事実は伝えても怨念は伝えなかった。こういう番組を見て怒りはこみあげるが、 しかしどこまでも他人事であり、真摯に受けとめるにしても それは未来のためにこの出来事をどう活かすかという視点にしかならない。 これは幸せなことなのだと思う。 そもそも自分が体験していない出来事に対して感情をたかぶらせる権利がある だろうか。自分の体験を聞いた人がもらい泣きとかもらい怒りをしてくれても かえって白々しい気分にはならないだろうか。 我々が泣いでも、それはフィクションで泣くのと同じにすぎないことを 体験者は敏感に感じ取るのではないだろうか。そういう事もあって、 感情は世代を越えて引き継ぐべきではないと私は思う。 怨念の継承がロクでもない結果しか引き起こさないことは、 世界中で実証され続けているではないか。 韓国の人にそれを期待するのは恥知らずなことなのかもしれないが。

でもさすがに、ちょっとアメリカが嫌いになった。憎むのではなく 嫌いになるだけなら、ちょっとくらいはいいだろう。

ところで、無差別爆撃の禁止は国際的な規定だったが、 先に破ったのはドイツと日本であるという。 なんで日本は重慶なんて都市を爆撃したのだろうか。 ドイツが都市爆撃を始めたのはイギリスへの報復、 と松村氏の本に書いてあったが、この番組ではドイツが先と言われていた。 いずれ調べよう。

shuffle!23。再生を開始してふと思った。私って切替え早いなあ。 いや、違う。私の脳は切り換えなくても見られるんだろう。 そんなに器用にできてはいない。そして、やっぱり亜沙先輩が 魔法をつかいたがらない理由がいまいちよくわからない。 魔族である母親を否定してはいないか。しかしそれは言うまい。 子供の決意は理屈を越えるもので、それゆえに強いのだから。 私にも自分で理解できない行動規範という奴がいくつもある。 とか言いつつ、わからないことは正直ストレスだが。

2005年12月22日

なお、今日は終わらなかった。うちらのせいでないところで 起こった間違いなのに対応するのはうちら。ふざけんな。 明日こそ終わるべきだ。

NHKスペシャルだけでも毎回見てたらものすごい博識になると思う。 テレビって結構偉大だな。ただ、演出の影響を受けやすすぎるのが 欠点といえば欠点だ。こんな演出の洪水の中にあっては 冷静な判断力など保てまい。程々にしておくべきだろう。

ローゼンメイデンを9まで見た。翠星石が好きだ。

噂の防衛庁の同人誌(漫画で読む!防衛白書)を注文してみた。 かなりイカしている模様。 ところでそれを探す過程で「国連粉砕!!日帝本国常任理事国入り阻止するぞ!!!」 とかいう感じの見出しがバリバリなブログを見つけて、 ネタなのか本気なのかの判断がつかず戸惑ったりもした。 なるほどこれが左翼かあ。 うわ、すっげえ。米軍のヘリ墜落事故のニュースに対するコメントが 「次は皇居に落ちてくれ」と来たもんだ。 しかも最後の一文が「琉球を解放せよ!」。 なんかドラゴンボール並みに「!」が多いし。 きっとネタだよな。だってこんなに面白いんだもん。ネタに決まってる。 でもリンク貼ると怖そうなので貼らない。ボクは卑怯者です。

もしこれが本気で左翼なのだとしても、たぶん相当イッてる部類に入ると思うので、 参考にはしないことにする。まあこのレベルにイッてる人が それなりな数いるのは事実なのだが。大学にもたくさんいたしな。 「われわれはーうんたらかんたらーなになにだー」 みたいな頭の悪そうな演説がたまらなく不快だった。 私の左翼に対する印象が決定的に悪化したのは奴等のおかげだと思う。 授業妨害しにくるし。朝教室に入ると机にビラ置いてあるし。 読んでみたら全然現実的な主張じゃないし。 「国家への隷属に抵抗せよ!」とか言って、まるでガキのワガママである。 権利が天から降ってくるものだとでも思っているらしく、 そこもまさにガキと同じだ。 権利とは義務を果たしたことに対する報酬のことです、 とはっきりと言ってやってもいいと思うんだが。 少なくとも会社においては働くと金がもらえるわけで、 国家における義務と権利も似たようなものだろう。 おまわりさんに守ってもらうには、誰かがおまわりさんの給料を払わねばならない わけで、誰が払うかと言えば、当然守ってもらううちらが払うしかない。 結局社会とか国というのはそうやって成り立っているのではないのか。 すごく単純なことだと思うのだが。

なお、ある人の親父さんが赤旗を取ってる共産党員だという話を 聞いて、共産党及び左翼の印象が決定的に悪化した。 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの原理に従うのはあまり良いことではないが、 今回に限ってはまあ良かろう。

ダイエットにおいて食欲よりも恐ろしいのは「体重計に乗ろうとしなくなること」 である、ということを今思い知った。二週間ぶりに乗ったら大変なことに。 さあ、減らすか。

2005年12月21日

やっぱり太陽電池だよなあ。 エネルギー効率と製造及び保守のコストが進歩していけば どこかのポイントで爆発的に普及すると思うのだが。 地球上のエネルギーの起源は例外なく太陽光であり、 現在降り注いでいる太陽光を直接用いること以上に 環境負荷の小さい方法なんてない。 実際今の効率でも「太陽光からの変換効率」という意味では 石油など比にならないほど優秀なのだ。 「ビルの壁は全部太陽電池にすること」みたいな法律を 作ってもそれほど文句が出ないくらいに太陽電池が安くなれば いいのだがなあ。 最近は透明な太陽電池もあって、窓に貼っておくと紫外線成分だけを 電気に変換するのだそうだ。効率は悪いらしいが、そんなものが流行ってもいい。 あとは植物か。光合成によるブドウ糖合成を工業的なサイクルに うまく乗せてエタノールもしくはメタノールの形でエネルギー源に 用いる。いわゆるバイオマスだ。 これは私がいた研究室でもやっていて、セルロースから 直接エタノールに変換する「発酵」を行なう酵母を開発していた。 この方法は二酸化炭素の固定化という副作用もあるし、 ブドウ糖やエタノールは石油化学同様の工業原料になりうる。 また、貯蔵が可能な形のエネルギー源だ。 プロセスが複雑なので効率は高いとは言えないが、 農業の応用でできる部分が大きいし大規模化も期待できる。 ぶっちゃけ林業の後に化学工程が入るだけのことだからだ。 早く石油に頼らなくて済む世界になるといいと思う。 石油が枯渇し始めてじわじわ値段が上がり、 そういった代替手段でもコストが釣り合うようになれば強制的に移行が 進むのかもしれないが、きっとそうなるといろいろ嫌なことも起こるんだろう。

NHKスペシャル、アフリカの続き。この番組だけ見ればスーダン政府と アラブが悪なわけだが、本当にそうとも限るまい。 しかし、とは言えアフリカ連合軍の人々が あんな砂漠に駐留しようとしても得があるとは思えず、 やはりそこには少なくともいくらかの善意はあるのではないかと 思いたくなる。それにしても、アフリカはなんとも馴染みがない土地だ。 経済的にそれなりなつながりがあるのは南アフリカくらいである。 おそらく他の多くの先進国にとってもそうなのだろう。 どうすれば状況が変わるのか見当もつかない。

NHKスペシャル地球大進化2。すげえよ全球凍結。 メタン菌が生存競争に敗北→ メタンが減って温室効果が減少→ 全球凍結→ 生物ほぼ死滅→ 火山から出た二酸化炭素が凍った海には溶けずどんどん大気に蓄積→ 温室効果復活→ 海復活と同時に激しいハリケーンで海が攪拌→ 凍結中に海底に溜まっていた栄養分が海表層に移動→ 生き残った光合成生物が高い二酸化炭素と豊富な栄養分を背景に爆発的増植→ 酸素濃度急上昇→ 酸素を利用した高負荷反応でコラーゲンを合成して細胞間結合を確立→ 脱単細胞生物→さあカンブリア爆発だ。 なんと美しいストーリー。この星、神いるって。 まあどれも所詮は仮説なんだが、この仮説のダイナミックさは もう最高にたまらん。また音楽がエグイんだよNHKは。 山崎努のウサンクサイ演技もまたたまらん。

NHKスペシャル、データマップ1。テーマは寿命。 飢餓に苦しむアフリカのシエラレオネの平均寿命は34歳。 食料がないのだ。 しかもその原因は気候ではない。内戦で国土がどうしようもないまでに荒廃し、 さらに手を切断して労働力を奪うなどの、およそ考えられない仕打ち が横行したためだという。その内戦の原因はダイヤモンドの利権だと言うから 救われない。きっとその内戦にもヨーロッパが絡んでいるんだろう。 直接にではなくても銃器をバラまいたことによって その手の争いが引き起こされているという側面もあるだろう。 そしてそんな深刻な話を見た直後に 日本の肥満の話を見るとどうにも切なくなる。 肥満を「もう一つの栄養失調」と呼ぶことはまっとう ではあるだろうが、なんとも腹立たしい。 アメリカでは肥満解消のために胃の大半を無効化する手術が 盛んに行われており、保険まで効くそうだ。年間10万人受けているらしい。 そこまでせねばならないのか。 もう一つの論点はここ15年の平均寿命の変化で、 特にロシアの平均寿命がガタ落ちしている点について触れられた。 社会体制の変化についていけずストレスが溜まった結果だという。 転職率、寿命の低下、そしてアルコール消費量が物の見事に相関していた。 ヤケ酒が平均寿命に5年以上もの影響を及ぼしたわけだ。 これもなんとなく心がグレーにしてくれる。 ところで、出演者のしゃべり方が妙にうさんくさいのが気になるなこの番組。 音楽が過剰だし。そういうわけで番組の出来にはちと不満もあるが、 目のつけどころは面白いし、新しく知ることができたことも多い。 題材の絞り方が良かったのだな。

2005年12月20日

NHKスペシャル東京大空襲。負けるというのはこういうことかと思う。 道路の上のような解放空間で焼け死ぬということが想像もできない。 火の海とは一体どんなものなのか。 一生それを知らずに済ませたいと思う。 だからもう少し勉強しよう。 やはり軍事の知識は基本教養なのではないかという 気がしてきた。「ミリオタが貶められているのは左翼の陰謀だ!」 みたいなことを言うのは嫌だが、 それくらいの意識でいてもそれほど偏っているとは言えない気もする。 何せ今までずっと左翼だったのだから、少しくらい右翼になってもいいだろう。 どうせすぐ飽きる。

この番組はインタビューがものすごく感動的なのだが、 感動的すぎて逆に冷静に見られた。素直に泣きそうになる自分の上に、 それを冷やかに眺めている自分がいる。最近の勉強の成果だろう。 ただ、だからといってこういうものを「そのインタビュー出来すぎだろ」 などと言って貶めるのは許されない。 ちょっと前にばあちゃんが戦争に行った兄の話をちらりとしたことがあった。 戦地で傷を負って日本に帰ってきたが程なく亡くなったらしい。 「死ぬ前に会えたんだから良かったよね」 とひどくあっさりと言う。その話はそれで終わりだった。 一体どれだけのものが中に込められていたのだろう。 この番組のインタビューはどれもその時の感じに似ていた。

「戦争学」によれば戦略爆撃の類は怨念ばかり増幅して 効果が薄いということが「いろんな」経験でわかっているそうだが、 まだまだ有効性を信じている人は多いらしい。 コソボの爆撃なんかはいい例だそうだ。 戦争に勝つためには結局相手の軍を破壊する以外にない、 という松村氏の主張は美しいしもっともだと思うのだけれども、 結局皆がそう思ってはいないからいろいろと嫌な事が起きるのだと思う。

考えたら太平洋戦争がどう進行したのかを全然知らんな。 一番身近な戦争を知らないでドイツの電撃戦の知識ばかりついても仕方あるまい。 そういえばコソボとか湾岸戦争とかも詳しい展開は全然知らないじゃないか。 本当はじいちゃんに話を聞いてみたいと思うのだが、 娘にも話したことがなかったというし余程のことがあったのだろう。 じいちゃんの腹には戦地で麻酔なしで手術した時の傷がはっきりと残っているし、 マラリアの後遺症で若いうちから頭は真っ白になってしまっていたそうだ。

天皇の価値はそのほとんどが伝統によっているのだから、 その伝統を捨てたら何も残らんだろう。 仮に今となっては意味がない事でも、 その意味がない事をずっと続けてきたことそのものが価値なのであれば仕方あるまい。 あれはギネスブックネタのようなもので、 「電柱の上で二週間過ごした」で認められる価値は、 「電柱の上で一週間過ごして降りて10分休んでからまた一週間過ごした」 では認められないのである。 ところで、昔の天皇には妾がそれなりにいたんではなかろうか。 であれば男系だけでどうにでもなっただろうが、今は嫁さんしかいないので、 行き詰まってしまうのも当然という気はしないでもない。 つまり妾を作ればいいんじゃないかなあ、なんて思ってみたりするが、 さすがに今となっては体裁が悪いか。

なんかすごい勢いでNHKスペシャルが手に入りつつある。 超感謝。しかし、これにも出来不出来はあるんだなやっぱり。

某へ連絡。容量には限りがあるんで、すいませんがよろしく。

NHKスペシャル、地球大進化。これ第一回は実家で見たな。 それにしてもなんと作り込んだ番組であることか。 民放がこのレベルのものを作ってくれない限りNHKは必要だと思う。

うおー次よこせー。全球凍結ですよ。全球凍結。金払ってもいいなあ。 払うとも。こういうのWebで配信してくれないかなあ。ちゃんと金払うのに。 でもきっと世の中の結構な人はNHKがなくなってもかまわないと 思っているのだろうな。昔は良く聞いたものな、NHKなんて見るものない、って。

休みに備えて一挙に消化する。そのために今日は8時に帰ってきた。 明日は下手をすれば午前中に帰ってきてそのまま2月まで会社に行かないくらいの つもりでいる。いや、1月に一回だけ登校日があったかな。まあそれくらい。 なので、その休みを最大限に有効活用するためには 今のうちに在庫を空にしておかねばならん。

ノエイン9,10。話の根幹はもしかしてものすごく普通なんじゃないかと 思ったりしつつもたまらなくいいのは デザインセンスによる増幅ゆえだろう。きちんと盛り上がる話に 変なセンスが加わるとこんなにも面白い。動きも独特だ。

絶対少年6。これ、難しいなあ。NHKスペシャルにノエインの後では 時間の流れ方が違いすぎて寝てしまう。 それにしてもクソ田舎に携帯電話。この組合せは不思議だ。 今となってはものすごく馴染んで見えるが、 それがまた不思議だ。特に、この作品に出てくる電話が全部携帯電話 というわけでもないのが面白い。

NHKスペシャル、アフリカ。 スーダンムチャクチャじゃないか。 アラブの進出が現在進行形だ。 黒人勢力はキリスト教化されているので宗教対立にもなっているし、 なお悪いことに石油が出るせいで大国が首をつっこんできてしまった。 もちろんアメリカは黒人キリスト教勢力を支持して 石油を掠め取っている。そして中国はイスラム勢力である政府を支持。 うわあ、最悪。 資源さえ出なければ大国が絡んでムチャクチャになることも なかったのだろうが、そうなればそうなったでアフリカ諸国が 成長を遂げる原動力が失われてしまう。 東南アジアに比べても相当キツい状態だ。 機構的に農業には進めないし。どうにか資源で外貨を得て、 そこから工業化につなげていければいいのだろうけれども、 きっと大国はそれをさせないために相当安く買い叩いて 成長を阻んでいることだろう。石油が尽きるまで。 うちら、ああいう人達を踏みつけてこういう生活をしてるんだな。 こんな私でもこんな番組を見れば少しでも支援したいという気になってくる。

2005年12月19日

9時間ほど働いてきた。やはりニューマシン移植は一人ではできんな。 何がおかしくて動かないのかを調べるのに手間がかかりすぎる。 あとはデザイナの要求祭だが、どうせ休んでるのでいつやってもいい。

奴の開発の利便性を無視した仕様のせいで 試行錯誤にかかる手間が何倍にもなっている。 そのへんの心配りはMSの足元にも及ばんな。そんなものに勝たれては後々厄介だ。 自分がやってるマシンの負けを祈るのも複雑な気分だが、 長期的に見てアレは勝つべきではないと思う。

NHKスペシャル、ローマ帝国1。これ、どうよ。 ローマ帝国の軍事バリバリな面から眼を背けて 多民族との共存を軍事力によらず達成したとかいう 都合の良すぎる結論を強調している。 塩野先生のアレに書いてある事と全然違うじゃないか。 アウグストゥス以前と以後でそんなに明確な線が引けるわけもないし、 全体に都合のいい解釈が多すぎる気がする。 「超大国のあるべき姿」とまで言い、ローマ支配下の平和 ほとんど全面肯定している。 「フロ入って、ゲームして、寝る。これが人生だ」 みたいな落書きをさも人々が幸福に過ごせた時代の象徴みたいな 扱いをするあたりもなんかムカつく。 つまり、現代においてもどこか超大国が圧倒的な軍事力を背景に 世界を統治すべきだと言いたいのだろうか。 確かに反乱が起きにくいようにいろいろと巧みな統治はしていたが、 しかしやっぱりその根幹は軍事力だったと考えるのが自然だろう。 それらの統治の工夫は必要な軍事力をできるだけ減らして 楽をするためのものだったのだから。

どこかのサイトの人が、アメリカがイラクを叩いたのは 世界征服するのにイスラムがジャマで、 その中でもイラクが一番強そうだったからだ、みたいなことを書いていた。 現代に事情に即して言えば「アメリカの自由資本主義と 似たような感じの制度の政府でアメリカの軍事力に逆らえないまま それなりに仲良くできる国ばかりにする」 というのがアメリカの世界征服になるんだろう。確かに、イスラムの人は 政治と宗教を分けるということ自体に抵抗があるらしいので、 アメリカ的にあんまり都合のいい政権ができそうにない。 「イラクをツブしたかったからイラクと戦争した」 というのはえらくスッキリしていてわかりやすいな。 60年前も日本をツブしたかったから日本と戦争したんだろう。

考えたらアフリカの北の方とかトルコとかは 昔からイスラムだったわけではないのだよな。 それが今こんなにイスラムなのは、 どっかのタイミングでイスラムが大侵略をやらかしたからだろうか。 そのへん勉強しよう。

一人では越えられない壁に当たったので移植は一時中断。 明後日を無事に越えたら晴れて一月丸々休む権利が得られる。 デザイナ要求を適度にこなしておけば文句も言われまい。 全部片づけると新しい要求が出るのでいくらか残しておかねばな。

ガンパレがわけわからん展開になっているわけだが、誰か説明してくれ。 販促アニメとして見ればわからなくもないが。

韓国の人が「マンガ嫌日流」を書いているそうだ。是非とも読みたいものである。 期待の内訳は、勉強50%、ネタ50%。ごめんウソ。20、80くらい。 しかし本当にきちんと論破してほしいとは思うのだ。 どうにも嫌韓派の人々の言うことにはまだまだ信用できない点が多い。 それがはっきりするのは歓迎である。

2005年12月18日

戦争学を読んだ。技術が進んでも、結局根本は変わらない。 だから昔の戦争も勉強になる。本当に勉強になった。たぶんこの本は珍しく もう一回読むことになると思う。きちんと勉強しておきたい。 それにしてもハンニバル。アフリカの人なのにイタリアを攻めるのに スペインを経由して北から、ってのはやっぱりすごすぎる。 そしてあまりに美しいカンネの殲滅戦。

こういう興奮を自分の創意工夫で味わえるような 戦争ゲームを作りたいと最近強く思う。しかし本物の戦争のどの部分を抜き出すか、 というのは大変難しい問題である。玄人向けと割り切ったとしても なおうまくまとめ上げるのは困難だ。リアルタイム性が高すぎれば AOEのようになってマウス裁きとショートカットキーに熟練した方が 勝つゲームになりがちだし、あまりに抽象化しすぎれば 戦機というものを実感できない無味乾燥なものになってしまう。 たまにものすごく忙しくなるが、大半の時間はドキドキしながら 命令を与えられた自軍を眺めている、というようなバランスが丁度いいと 思うのだが、それってかなりピクミンだ。 しかしピクミンが100対100で戦争するゲームを想像すれば、 そんなものがゲームとして全然ダメなことは容易に想像がつく。 ピクミンは物を運ぶという動かない目標だから成り立つのであって、 対戦ゲームにするならもっとマッタリ度を上げる必要がある。 などと考えてもそんなゲームをやりたい奴なんていないので、 私の自己満足にしかならないわけだが。少なくとも会社では絶対に作れないので やるとしたら同人だろうな。 もっとも必ずしも戦争を題材にする必要はないのでやりようがある気もするのだが、 さっぱり思いつかない。 そういう意味でピクミンは本当に素晴らしい作品だと思う。 どうもうちの会社では評判が悪いらしいが、 それはおそらくいわゆる「ゲーム」としての評価の仕方にこだわる人が 多いからだろう。ボリュームとか爽快感とか、そういう言葉は便利だが えてしてゲーマーと言われる一握りの人々にしか通用しない気がしてならない。 大切なのは感動だ。

提督って海軍の将軍のことなのな。なんとなく漠然とそういうイメージ だったので間違っていなかったことになる。

そういえば、今日の宴会で仕入れた日本酒がおいしかったのだった。 九平次雄町。香りはそんなに強くないが、ちょっと強めの酸味と甘味のバランスが 取れている。ノイズもほとんどない。 後味もアルコールの苦味が抜けた後はほとんど旨味だ。爽やかである。

ネウロ3巻。やっぱこれいいわ。変なものを書くのが楽しくて仕方がないのだろうな。 途中挟まるギャグらしきものも、普通にやられたら寒いとしか思えないだろうが、 このノリでやられるとかえっていびつさが際立って面白い。

名将たちの戦争学。前二冊と違って、戦史でなく 戦争そのものについて多くの事が書かれている。 「ナメられないだけの軍事力の保持が平和を導く」 というのが首尾一貫した主張だ。 この手のいわゆる「右」と言われがちな主張に さんざん影響を受けて私も次第にそっち寄りになってきていたが、 今回の三冊でその流れが決定的になった。 ちょっと前まで「どうせ攻められたら守り切れないんだし無駄だろ」 とか思っていたのが恥ずかしい。 そもそも二次大戦までは攻められた時に守るどころか はるばるインドまで戦争しに行くような軍隊を持っていたわけで、 この列島を守るという目的に特化すれば、 より小さなコストでそれなりな効果を上げられるに違いない。 少なくともナメられない程度にはやれるはずだ。 幸い今はそういうノリっぽい人が偉い地位にいるので 是非ともがんばってほしい。自民党ラブである。 もし20前にこんな情報まみれになってたら私も自衛隊に行ったかもしれんな。 あの当時は相当に左寄りだったわけだが。

ところで、秀吉の明征服計画は当然無茶だとずっと思っていたわけだが、 この人の本には補給が断たれさえしなければ十分に 可能だったと書いてある。朝鮮の本土にはロクな敵はいなかったし、 中国本体も軍が国土中にバラバラになっていたので 敵ではなかっただろうと言うのだ。 実際地図を見てみると朝鮮半島の南端から北京までは 青森鹿児島間と大差ない距離しかない。もちろん他国だけに補給がしんどいが、 ローマやらモンゴルやらのとんでもない規模の戦争に比べれば 大したことはないのだ。しかも時代はずっと後なのだから技術的にも 有利である。そんな勢いに乗っていた軍隊を、 補給船を襲いまくって撤退に導いた朝鮮の李瞬臣は偉大だったという話だ。 今流行りの右寄りなネット人達が「所詮海賊もどき」 とか言ってるのはやっぱり偏見か。あと徳川政権についても、 鎖国なんぞしてないでさっさと強大な海軍を作って東南アジアを席巻 していれば良かったのだ、というふうに取れるノリに惚れる。 国全体をまとめてちゃんと「日本」 という国になるなんてことが関ヶ原直後の統一国家とは到底言えない 状態で可能だったのかはなんとも言えないが、 秀吉の時にはみんなで元気に朝鮮に攻め込んでいたわけで、 できないとも限らなかったのだろう。

2005年12月17日

トップ2の3を見た。絵はさすがに良く出来ている。 内容は並で悪くはない。じゃあプラスだろ、と言いたいところだが、 根本的にあんまり好きになれない。実は1もそんなに好きではないのだ。 すごいとは思うけれども。

移植作業って本当に嫌だな。しかし輝かしい未来のために明日明後日で やれるところまでやってしまう。だから今日も4時帰り。 デザイナ軍団が夏休み(間違いではない)に入った今が狙い目だ。ジャマが入らん。

デザイナ軍団は休みに入る直前に「やってほしいことリスト」 を残していった。彼等が休んでいる間に私が仕事を片づけてしまう、 なんていう夢のような並列性を期待しているのだろうか。 いいだろう。やれるだけはやっておいてやる。 これも輝かしい未来のためだ。

それにしてもやはり家庭用はいい。何がいいって、開発環境がまともだ。 ゲーセンだと所詮自社ででっちあげた開発環境しかないので 相当無残なことになる。今回は特にひどかった。 これに比べればなんぼ巷で評判が悪いプラットホームでも 天国に思える。使用に耐えるGUIのデバッガがあって、 Visual Studioでビルドと編集ができるのだから、 これ以上何を望むというのだろう。 まあXBOXはこの比じゃないんだがそれは言わない約束だ。

トップ2のメカってビッグOに似てるな。 いや、それらが似ている何かが元にあるのか。

ワインは難しい酒だと思う。 基本的には苦くて酸っぱくて渋いが、微妙に香る。 その微妙な部分をいかに愛でるかということになるのだろう。 コーヒーと同じく訓練が必要な酒なのだと思う。 今日は拳法と買出しと宴会で終わってしまって全然働かなかった。明日にする。 頭痛が辛い。 そういえば、宴会の買出しに行った酒屋でグレープフルーツの酒の試飲を やっていたので試してみたが、ゲロを思い出す味。苦くて酸っぱい。

いつも宴会でさっぱり飲まないのはあんまり良くないかと思って、 自発的に酒を買ってきてみる実験をしばらくしていたのだが、 結局日本酒以外をおいしいとは思わなかった。 ビールやワインは味が大人向けすぎる。 蒸留酒の類はエタノール耐性の観点から戦わずしてパスである。 カクテルとかの混ぜた奴は飲めるには飲めるが、キリがないし 何が入ってるのかよくわからなくて不安なのでパス。 その時に買った数本の日本酒で一番印象が強かったのは獺祭だろうか。 出羽桜は最初開けた時は香りがすごくて 「なんだこのブドウみたいな匂いは」と感動したが、 しばらく仕事が忙しくて放置していたらあっという間にダメになった。 なお、その過程でわかった私のエタノール耐性。 15ml、なんかフワフワしてくる。 25ml、明らかにフラつく。手指の感覚が変化。 35ml、活動する気が削がれる程度の頭痛。 45ml、明らかな頭痛と耐えられなくもないが十分に不快な吐き気。 これ以上は怖くて試してない。昔学生の時にこの上もやったが、 あの頃は若かったということである。 いろんなサイトを見て回った感じでは体にダメージを与えずに 継続的に摂取できる量は15ml/日くらいっぽい。 日本酒はおいしいのでしばらく続けてもいいなという気になる。

NHKスペシャルのサイボーグの話。 「日本負けてるぞ。急いで研究して軍事利用しようぜ。」 というノリにならないのが日本の良心ということだな。 さっき戦争学を読み終わった直後なのでそんなことを思った。 そのうち戦車や航空機を遠隔操縦するようになるんだろうか。 こちらかの信号発信はこの番組によればもう実用直前という印象を受けるし、 視聴覚情報の収集についてもいずれどうにかなりそうだ。 テレビで流れるくらいだから、とっくに研究はずっと先に行ってるんだろうし。 ミサイルとかも操縦したら命中率が上がるんだろうか。 何を聞いても軍事利用のことしか思いつかない。 と、偏った話はともかく、 聴覚を失った少年が人工内耳でヴァイオリンを弾けるまでになった話は 見ていて泣きそうになった。技術の進歩というのはすごいものである。 もっとも今の段階ではかなり小さい頃から慣れてやっと、 という印象なので私の左耳を復活させるには不足だろうが、 それも時間の問題かもしれない。 私の脳の左耳制御ブロックが少しでも残っているうちに実用化してほしいものだ。 耳鳴りがしているうちは大丈夫と信じたい。 あとは、やっぱ耳とか目をLANにつなぎたいな。とても便利だと思う。 「今ハワイ来てますー。見えるー?」なんて感じで、他人の視覚を そのまま共有できたりして。 一方よくわからなかったのは、脳に電気を流すだけでパーキンソン病 が改善する話だ。流したら悪くなったりはしないのだろうか。 電気を流すと悲しい信号が出なくなって楽しくなる治療の話もあったが、 電気を流したら余計に悲しくなったりもしそうなものである。 ちょっとあの「使用前、使用後」っぷりは面白かった。 目が見えるようになったとか耳が聞こえるようになったとかでなく、 ぶっちゃけ気分が良くなっただけにしか見えない。まさに気分なのだが。

そういやマクロスプラスで戦闘機を脳から直接操縦していたが、 あれは時間の問題なんだろう。 乗らなくて済めばもっといいが、 通信インフラとレイテンシの問題がキツそうだ。 どうにか体に何か刺したりしないであの手の技術の恩恵を受ける方法が 開発されないものかな。そうすればゲームにも使えるだろうに。 こめかみになんか貼るだけで信号取れるくらいに進化したら それでバーチャロン作りたいな。

技術は素晴らしい。 その結果人間が何か違うものになるにしても、それはそれだろう。 もし「あー、人間なんて所詮肉でできたマシンなんだな」 という認識がそのへんのヤンキーのお兄さんにも共有されるくらいになったと しても、その時にはその時なりの倫理観が出来ているはずだ。 隣の人とはそれなりに仲良くしないとマズい、という倫理の根本は変わるまい。 「隣の人」の定義は変わるかもしれないが。

技術から離れないで生きたいものだが、今の状態は「微妙」の一言に尽きる。 PS3は確かに最新鋭だろうが、これを使うだけの人間が技術に 触れていると言えるかは怪しいものだ。しかし、逃れられない以上は 最善を尽そう。だから明日は働く。一月丸々休むためにも。

2005年12月16日

皆が10時に帰る中、ひとり日が変わるまで仕事。 これも後で楽をするためなのだが、 早く終われば終わるだけ新たに仕事が湧くだけのことなので それは期待していない。

トップをねらえ2を2話まで見た。絵的な問題、つまり動きや構図 については文句のつけようもないほど良く出来ている。 CGとの融合も違和感がなく素晴らしい。 しかし、内容がこれだけどうでもいいとさすがに辛いな。

久しぶりに二郎食った。やはり小で丁度いい。もしブタを足していたら 食べ切れなかっただろう。

2005年12月15日

給料ゼロでいいから二箇月くらい休ましてほしいのだが、 もう次のケツが決まっているのでどうにもならない。 とにかくないと開発を始めることすらままならない、というようなものだけ 超特急で作ってしまわねば。それも12月中に。というわけで移植作業中。 シェーダ言語も同じなら描画APIも同じということで容易いと思っていたのだが、 ある種の歓迎できない仕様のためにかなり大幅な変更が必要。 「ゲームにおいてはロードするもののバイナリサイズが予測可能でなければならない」 なんて思ってる奴ほとんどいないと思うんだがなあくそう。

私としては単なるベタ移植にする気満々で、 いくら性能が上がるとは言えそれを使い切る努力をしようなんて気は 更々ないわけだが、残念ながらそうも行かない事情がある。 もちろん私が「できなければ」自然とそうなるわけだが、 それには私の株が大幅に下がるという無視できない欠点がある。 それに、おそらくベタ移植では元より性能が落ちて 処理落ちしてしまうだろう。ある程度はマシン依存最適化をやらないと 現状維持すらできまい。 PS2もVUを使わなければドリームキャストと大差なかったわけで、それと同じだ。 そして何よりも問題なのは、そうやってマシン依存最適化をやっているうちに まず間違いなく楽しくなってきてしまうだろうということである。 今回もマシン依存最適化は一切しないというコンセプトで作っていたはずなのに、 気がついてみれば相当大変なことになってしまっていた。 新マシンのトンガリっぷりは現機種の比ではないので、 一旦始めてしまうともっと大変なことになるだろう。 あんな変な機械楽しいに決まってるじゃないか。

新しい一歩を踏み出したいのだが、 それを具体的にどんな一歩にするかを考える余裕がない。 そのまままた一年という時間が過ぎ去ってしまう。

実家からジャガイモが箱で届いていたのを2ヶ月ほど放置していたのだが、 やっと食うことができた。 電子レンジで5分あたためて、何もかけずに食う。 十分おいしい。料理するのがもったいないくらいおいしい。 会社でイモをあたためる人、という称号を新たに得た。

ボーナスをもらった。少し色がついていた。3万円弱。微妙。

コーディング規則を守らせる方法についていろいろ話していた時に出た一言。 「そうそううまく行きゃしないだろう。相手は大人だからな。」 なお、うちの会社にはコーディング規則という概念そのものが存在しないかに見える。

2005年12月14日

次の任務が新しいマシンと共にやって来た。 こんなに早く来るとは思わなかった。

ハードウェアの性能的に可能なことと、 私が許された時間でそれを実装できることの間には大変なギャップがある。 しかし概して人はそれを理解しないし、 その無理解は「信頼」という言葉で美化されるのである。 頼りにしてくれるのはうれしいし、多少は自信もあるわけだが、 ぶっちゃけ今は仕事なんてまるでしたくないのである。 しかし、やるからには全力を尽さねばならないという義務感もあって、 どうにも私の頭の中では整理がつかないでいる。

shuffle!20。恐怖はまだ続く。リン君がトドメを刺してしまった。 修復に向かうに違いないという根拠ない願望がふくらんできたまさにその時に。

21。おまえ、トドメさしといて、よくもまあそんなマネを。しかも説明不足。 しかし事態は急速に収束しつつある。

感動的なシーンになってもビクビクしていた私。 亜沙先輩が抱きついた瞬間に首をかっきるんじゃないかと。 何か悪いものの見すぎだな。良かった。本当に良かった。 そして引き立て役になってしまったシアとネリネ。 すっかりおまけキャラになっているプリムラ。 そんな彼女らを眺めていると 「そうか、負けたら終わりなんだ。勝たなきゃダメなんだ」 と本気で思う。亜沙先輩相当卑怯だったもんなあ。

2005年12月13日

自分が作ってるゲームをやる気にならないというのは どうにもダメ人間だな。しかし、なんというか、 どうやってもうまくなれそうな気がしない。 根本的に「うまくなりたい」と思わないこと自体が問題なのだが。

終わったと思うとやる気しないなあ。まだまだ次があるんだが。 しかし次のエンドは一年後だと言われるとどうにもやる気がしない。 同じゲームをあと一年も作れというのか。

とりあえず本当に終わるまでに移植の準備をしてしまって、 そうしたらしばらく休んでも文句は言われないはずだ。 うん、一回よく考えよう。ぶっちゃけ終わるまでつきあう以外に選択肢は ないんだろうが、それにしても心の整理という奴が必要なのは間違いない。

shuffle!の16話。絵がひどいことになっていた。17、18。 本命があの二人のどちらでもないというのは確かにうまいな。だが、 こわい。水面下で進行する何かがこわい。そして噂の19を迎える。

19。噂は本当だった。

表現したいことは見事に表現されているし、 演出は文句なしにうまい。特にプリムラの案内役っぷりが素敵だ。 でも、リン君がひどい。 このアニメの素晴らしいところは、 ギャルアニメにも関わらずヒロインが全て並列で扱われることだが、 それを成立させるために生じる歪みが全てリン君に集中してしまっているような 印象を受ける。今回はその最たるものだ。

2005年12月12日

稲荷5。話はどうでも良いが、とにかく幸せ。 話のどうでも良さはオチのしょーもなさを考えると最悪といって良いが、 しかし何故か異様に幸せだった。私がヤバいのかもしれない。

先輩とぼく5。つばさ先輩に改めて惚れた。つばさ先輩に振り回されたい。 しかし正直に言えば、むしろ私はつばさ先輩のようになりたかったのである。 それはともかくとして、幸せ。こんなぬるい世界に行きたい。

ボクのセカイをまもるヒト。すっげえ殴り書きな印象があるのだが、 私だけだろうか。途中からあまりのどうでも良さに苦痛になりかけた。 それでも読めるあたりはさすがなのかもしれない。

新・戦争学(文春新書)。本当は新がついてない方が読みたかったのだが、 ちょうどなかったのでこっちにした。勉強になった。 戦争のやり方がどういう要素に左右されるのかがわかりやすく説明されている。 特にベトナム戦争でアメリカが負けた理由について書いてあるところは 面白かった。 アメリカが政治の都合で「ラオスやカンボジアに入らない」というルールを 設けてしまったために、ラオスやカンボジア経由での補給や敵の移動を 許してしまってどうしようもなくなってしまったのだそうだ。 そりゃそうだろう。ベトナムとラオスは南北にえらく長い国境線で接しているのだ から、ラオスを経由すればベトナム内のどこにでも移動できることになるのだ。 政治家が軍人に口出しすると負ける、ということらしい。 「ゲリラを防ぐには疑わしい奴を全員逮捕するのが効果的」 というのも、ミもフタもなくて素敵だった。 あとは 「アメリカの対日本戦における戦争目的は日本という国家を抹殺することだった」 というのも明快すぎて驚いた。 どっかのサイトでは「ドイツに喧嘩を売るための方便として日本を 挑発した」みたいなことも書いてあったが、 この本では対ドイツと対日本に投入したエネルギーの違いから言って 本命は日本だと言っている。このへんは他の本も読んでみたい。 とにかく、全体に軍人らしい男らしさに満ち満ちていて惚れる。 なお、なんでこれを読もうと思ったかと言うと、 上述の「ボクのセカイをまもるヒト」にこの書名が出てきたからである。 新がつかない方も買おう。 なお、帯に経営や人生にも応用可能みたいなことが書いてあるが、 中身はほとんど完全に軍事のことしか書いてないので、 たぶん普通の人に売るために無理矢理でっち上げた売り文句なのだと思う。

アラブが見た十字軍。フランク(=西洋人)の 蛮行をどうこう言う前にアラブがダメすぎて泣ける。 こんなにダメだったなんて。著者も敵より味方に対する怒りの方が大きいようだ。 敵が攻めてきてもさっぱりまとまらず互いに足を引っぱってばかりで、 全然真面目に戦わない。 あまりにもえんえん同じノリで足を引っぱり合う描写が続くので、 途中から嫌になってきたくらいである。 おまえら相手を野蛮人扱いするなら戦争くらい勝てよ、と言いたくなる。 日本にも同じことが言えるだろうな。 北朝鮮や韓国が攻めてきてもあっさり撃退できるくらいの力はないと情けなさすぎる。 それにしても、この手のものは地図を見ながら読むといいな。 三日の工程、とか言われた時にそれが地図上で確認できるとイメージがふくらむ。 あと、途中モンゴルまで攻めてきたのには驚いた。同じ時期だったんだな。 世界史の知識がさっぱりないのでこの手のことは何でも新鮮だ。

それにしてもイスラム教。 どれくらい真面目にイスラム教徒をやっているかは地域差もあるだろうが、 少なくともキリスト教に比べると本気度が高そうである。 この世界中が技術によって均一化していく時代に、 彼等はどうやって宗教と技術の折合いをつけていくのだろう。 特にイスラム教は生活習慣にモロに食いこんでいる宗教なので、 技術開発や経済の競争には相当ジャマになりそうな気がする。 もしそのへんにうまく折り合いをつけて循環的な社会システムを 構築できたらそれは素晴らしいことだとは思うが、そんな余裕があるとも思えない。

また韓国のパクリについてのサイトを眺めていた。 ロッテは韓国企業で、奴等本国ではポッキーの偽物を売ってるらしい。 ものすごい勢いでロッテ製品を買う気が失せた。ロッテリアも行かない。 2chで嫌韓の嵐が吹き荒れているのもわかる気がする。 そういや新大久保あたりに明らかに朝鮮系の人が住んでいる地区があって、 そのド真ん中にロッテの工場があった。なるほどと思った。

私が嫌韓に染まるのを誰か止めてくれ。

インドネシア。民族とか文化とかのあたりを読んでいた。 やっぱり熱帯の人ってのんびりしてるんだなあと思った。 北の方の人はがんばらないと生きられないからその差も当然だろう。 しかし、こうも経済で地球上がつながるとそうも言っていられないのだろうな。 インドネシアの人々もだんだんヨーロッパ的な意味での普通に染まっていくんだろう。 日本と同じように。

今日も仕事なんてしてない。ただいただけ。 しかしめでたく終わりを始めることができた。いわゆるロム出しと承認待ち。 数回は叩き返されるにしても、もはや大きな更新を加えることはない。

shuffle!15。原作を補うとこうなるわけだ。 この設定なら普通こうするよな、というレベルのものをやっただけにすぎないのに えらく良く見えるのは原作と比べてしまうからだろう。 もしかしたら、原作は魔界なんかを明に描いてしまうことを避けた結果 ああなっているのかもしれない。今時魔界なんて言葉が出た瞬間にギャグ 決定なわけで、それを真面目に描くことに耐えられなかったのか。

ところで、ネリネの耳を見る度にちょっと怖くなる。 デカい耳飾りをしている人を見た時に感じるのと似たような感覚。 あれ引っぱるだろ。痛いって。 しかし、ふとジャイアンがかあちゃんに耳を引っぱられるあのシーンを思い出し、 ついでにジャイアンンが魔族耳だったらと想像したところ、 急に楽しくなってきた。だからネリネの耳はアリだ。あれ動かないかなあ。 それなシーンとかでは是非ともそのへんを活かしてほしいと思うのだが、 私だけか。

それにしても、美観を損ねずに人間でないことを示すには 耳くらいしかいじれないのだな。角なんかもアリだろうが、 さすがに角が生えたヒロインは知らない。 現実に即して言えば目、皮膚、髪の毛等の色でもいいのだが、 現在のギャルゲー系のキャラデザにおいては それは差別化要素とならないのである。

誰か西洋人から見た十字軍の本でいい奴を教えてください。 あとイスラムとかアラブとかについて。

どうもあのへんの名詞に慣れてないので人の名前が全然頭に入ってこない。 すでにサラディンとザンギー以外思い出せないのだが。 やはり馴染みのない国の名詞は覚えにくい。 何故かドルゴルスレン・ダグアドルジは覚えてしまったが。

2005年12月10日

私は呆れるという感情を良く知らない。そのことが残念だ。 呆れることができればこんな思いはさっさと捨ててしまえるだろうに。 思えば彼がしでかしたある不都合が一向に直らないことが、 私に仕事が回ってきた原因である。 私はやけくそになって全部を書き直した。 結果不都合は修正され、おまけに性能も大きく向上した。 今日メシの時にそのことをはっきりと告げたのだが、 彼はその不都合は直したはずだとひたすらに言い張って聞かない。 メシから帰って二時間かそこらした頃、彼は 私を呼んで画面を見せ、「見てくださいよ、直ってますよね」 と言った。満面の笑みを浮かべていた。 不思議なことに、彼はそれをもって元のコードに戻せと言っているわけではない。 ただ、「オレは悪くない」ということを言うために二時間の時間をかけ、 私を呼びつけたのである。 私はどう言っていいかからず、「そうか。今更無益なことだが。」とだけ言った。 彼は満面の笑みのまま「これを見せたかっただけですから」と言って、帰っていった。 私はあれほど不愉快な笑顔を今までに見たことがないし、 おそらくはこれからも見ることはないであろう。 そういえば彼は数日前私のモジュールにケチをつけたが、 どうやら彼は私にのみならず他の人にまでその話をしていたようだ。それを聞かされた彼の同期は彼を諌めようとしたが、 全く聞く耳を持たなかったらしい。 彼の脳内では「奴のモジュールはダメだ」と言うことで自分の価値を高めようという 意図だけが突出して大きく、聞かされる人間の反応などどうでも良いのである。 そのような言動が自分の評判にどう影響するかにまで頭が回らないあたり、 利己主義とすら呼べない。 彼が帰った後は彼の話で盛り上がったが、笑い物にするには私はあまりにも 被害を受けすぎた。復讐せねば気が済まないが、私の復讐は決して成就しない。 彼には恐ろしく強力な自己正当化回路が備わっており、 論理は通用しないからである。

まあ、自分があれと同じような属性を持たないとは言えないのだがな。 自分の非を認めるのが苦手なのは私も相当なものだ。 私が辛うじて許されているのは、私にそれを自覚している時間がいくらかでも あることと、何よりも仕事がそれなりにできているからである。 結局会社では能力が問題だ。使い途があれば人格が多少アレでも どうにかなる。いや、それも使い途がなくなるほど人格がアレでなければ良い、 と言い換えれば人格の問題に戻るが、 能力と人格を分けて考えるのは非現実的なのだからどうでも良い。 つまるところ、私には使い途があるがあれにはない、というだけのことだ。

2005年12月9日

今日は仕事なんてまるでしなかった。ずっと インドネシア専科 を読んでた。詳しく、読みやすく、かつあまり偏っている臭いがせず、 何よりも現地に肌で触れた人っぽいのがいい。 まずはマレーシア。ブミプトラ政策という言葉が妙に懐しかった。 マレーシアは半分くらい中国系で、どうにもマレー人が弱いのを どうにかしようとしたらしい。5人子供を作ると国から補助、 ってのもまたあからさまで面白い。 シンガポールが「東洋のイスラエル」みたいな国だということも 初めて知った。 一方インドネシアの方は分量が多いのでまだ途中。 話が戦争になると少々読んでいて辛い。 やはり日本軍はムチャクチャやっていたようだ。 結果的に独立の助けになったというのは事実のようだが、 もちろん日本の上の方は独立なんてさせてやる気はさらさらなかったわけで、 居丈高に「あの戦争はアリ」とは言えないだろう。 右っぽい人も左っぽい人もやっぱ偏ってるんだなと確認できた。 「許す、しかし忘れない」という台詞は前半の後半も等しく大切なのだろう。

ところで、インドネシアってデカいのな。日本の5倍もある。 スマトラ島だけで日本よりデカい。そんなものを何百年も支配していた オランダはやっぱりすごいのかもしれん。 いろいろあの手この手でじわじわと侵略していったらしいが、 まさに尊敬すべき悪人っぷりだ。 もっとデカいインドを支配していたイギリスはそれ以上だが。

shuffle14まで。カメラワークとカット割り、奮ってるなあ。もっとも改めて見れば、 ということだから、どんな作品でもこれくらはちゃんとできているのかも しれない。12,13,14あたりの高速展開がたまらなかった。 このアニメは複数キャラが並列なのがいい。キャラ間の摩擦が 辛くなりすぎない程度に描かれいて心地良い。 ところで、ネリネがプリムラに会わせたくない理由がよくわからない私は ダメなのだろうか。

2005年12月8日

発言の内容よりも誰が言ったかの方が重要な場面というのはあるのだな、 ということを改めて知った。メシの時に 彼が私が作ったモジュールにケチをつけたのである。 とは言え、自分でも到底満足している出来ではないから その指摘はそれほど的を外したものではない。 ただ、その台詞を言ったのが 彼だったということが気に入らなかっただけのことだ。 というようなことを考えることで怒りを散らした。 にしてもあれわざとやってるよな。絶対。 「おまえが言うか?!」と言い返せないように、 「僕が作ったんじゃないんでアレなんですけど」 と御丁寧な前置きまでついていた。

ああ、くそ。あんな台詞を吐かれるくらいならもっと真面目に作れば良かった。 もちろん、当時は当時の事情があったわけで、どうしようもなかったとは思う。 むしろあの条件を思えば今のでも上出来だ。 しかしそれでも、もし数回の休日出勤と徹夜で こんな目に遭わずに済んだのだとしたら、私はやるべきだったのだと思う。

ついに我慢できなくなって 「ちょっと直しといたから見といて」と言ったら、返事が普通だった。 ほとんど丸ごとコードを書き直されてるのに反応がそれかよ。 自分が1年かけて作ったコードが数日で 他人にクラスごと別物にされてたら多少はショックだろうと思っていたのだが、 全然ダメージがないっぽい。 バグは消せたし速くもなったわけで、 勝利と言っていい成果だとは思うのだが、何だろうこの徒労感は。 こんな有意義な徒労があっていいものか。 私の動機が歪んでいるからそういうことになるのはわかっているのだが、 それなしでは到底他人の尻拭いをする気になんてならなかった。

2005年12月7日

「なあに、かえって免疫力がつく」が流行っている。 調べれば調べるほどキムチが食えなくなるな。 もちろん、寄生虫なんてなんにでもつきうるし、 寄生虫以外にも怖いものなんていくらでもあるが、 そういう言い方は私が嫌いな陣営の人がよく使う言い方なので大嫌いだ。 なお、この元ネタコラムを書いた東京新聞の記者は きっと素朴な人なんだと思うので、この人をバカにすることはしない。 カゼや虫ごときで何をごちゃごちゃ言っていやがる、 というのは実に男らしくてよろしい。私も基本的な姿勢は結構共感できる。 しかし、寄生虫は最初の1匹で致命的なことになりうるので 免疫もクソもないし、タミフルが効くかどうかは別問題として、 インフルエンザはちょっといい変異が起これば 億の単位で人を殺し得るかなりヤバい病気だ。 だから、一人のオッサンのぼやきとしては納得できても、 それ以上の扱いをするわけにはいかない。 というわけで、そんな素朴な人にコラムを書かせて発表する東京新聞は 素朴では済まない何かである。この新聞社の名前は記憶しておこう。

キムチ好きなんだけどなあ。 ところで、韓国ではキムチ業者が国を訴えたそうである (記事)。 逆ではない。詳しいことはわからないので何とも言えないが、 これはかえって悪い印象を広めることにはならないだろうか。 少なくとも私は嫌になった。 ところで、売り上げはどれくらい落ちたのだろうか。 近くのセブンイレブンには韓国輸入キムチが置かれているので、 壊滅的というほどではないのだろう。 今度スーパーのキムチ売場を確認してみるか。

ニュースを得る媒体としてはネットが最上だが、 結局世間はテレビで動いている。 情報そのものではなく、どの情報がどれくらいの強度で 流されているのかを知る意味でテレビは重要だ。でもいらない。

盟神探湯(くがたち)で火傷せず無罪になった奴なんていないよなあ。 無罪になった奴がいないような裁判がまともな意味での裁判として 機能しないことは裁判をやる側もわかっていただろうから、 つまりやる前から有罪で決定ということだ。 全員グルならそんな面倒をかける意味はないのだから、 なにかしらグルでない人を納得させるものは必要で、 かつそんなものがその役に立ったということなのだろう。 たまになんかのトリックで無罪になる芝居が行われたのかもしれないな。 現代にもそういう、根拠はよくわからないが 皆が納得するために必要なこと、という奴がたくさんあるのだろうか。

2005年12月6日

日曜の15時から今まで起きていた。1/3くらいの時間がA君に費されているので 効率はあまり良くないが。で、8巻まで読んだ。 なんか私が説教されてる気分で新鮮。 自分が知っていたらいいなあと思う事を知っている人は基本的に 尊敬の対象なので、喜んで教化されることにする。 普通に考えるとこんなに読者に説教を垂れるのはどうかと思うが、 私は嫌いじゃないので気にしない。 私は偉そうな人が好きなのだ。 ところで、最近ゴーシ君がちょっとかっこよすぎて淋しい。 スフィアもこんな気持ちだろうか。

コード完全置換。いろいろ直ったと思うけど、なんか空しい。 「おめーのコード根こそぎ書き換えといたから」 とか言う気にもなれず、何も言わないままコミットしてしまった。 彼が書いたクラスはそのまま置いてあるが、一行たりとも通っていない。

なのは10。早っ!クロノ君が予想もしなかった大活躍。つうか早いって。

2005年12月4日

30分だけ仕事して、A君。4巻まで。何やってるんだろうな。 せめて横で誰かが働いていればもう少し働いたかもしれないが。 さて、A君だが、いい。1巻の無理に崩している雰囲気は 2巻でほぼ消えた。マジさ加減が押し留められなくなったようだ。 4巻のあとがきなどは、現在の世界情勢がいかに危ないものかを説く 実に熱いものになっている。そうだよ。隣にヤバい国がいるんだよ。 それも控え目に言っても二つ。

全体に状況がちと把握しにくいな。皇国のように図がないので 位置関係がさっぱりわからない。また、カタカナ語が 人名なのか種族名なのかわからないことが多くて混乱しがち。 その区別がついても、知らない種族名だとイメージすらできない。 私でもその手の用語には並よりは詳しい方だと思うが、 それでもわからんものがいくらかある。大丈夫だろうか。 まあそれに限らず全体に説明が足りない印象。 「わからんならわからんでも支障はない」というコンセプトなのかもしれないが。 それと、話に切れ目があんまりなくて一息入れるタイミングが見つからない。 一冊読み終えても仕事に戻れないじゃないか。 3巻の終わりなんてポカーンだった。

佐藤大輔と同一人物かはわからないが、 佐藤作品ネタがものすごく多い。 ファンだから、とかいう理由でそんなことするか?

完全移植、という言葉に対する印象が決定的に悪化した。 元のコードが余程素晴らしいものでない限り、 そんな作業はほぼ間違いなく地獄だ。 それを行った物や人には敬意を払わざるを得ないが、 積極的に肯定する気にもなれない。 あんな作業をするくらいなら新しい物を作るのに労力を使った方が ずっといいと思ってしまう。

2005年12月3日

昨日彼奴が直したと言っていたところは全く直っていなかった。 「あはは、一行消したらなおっちゃいました」 とか言ってたらしいが、確認もしないで言うあたりさすがの浅はかさである。 だがこの際直っていないことに気づいていないのはむしろ好都合だ。 月曜までに置換が完了すれば、自分で直したと思い込んだまま 終末を迎えることになろう。エンド後に真実を知って 絶望の淵に沈むが良いわ。今度こそ極上のタイミングで屈辱を プレゼントしてやる。

書いてて空しくなってきた。 まあいい。直ってないならオレが直す他あるまいよ。 正当性を云々言う前に、バグ入りのものを売るわけには行かんのだ。 こんな仕事でも、意味があるということがせめてもの慰めとなる。

体をいじめたくなって、コンビニでえらくデカい焼きそばを買ってきて食った。 食っても食ってもなくならない。さすが1.1メガカロリーである。 なるほどストレスとは恐ろしいものだ。

shuffle!7まで。本気で気持ち良くなってきた。 昼休み顔緩みっぱなし。もう人前で見られないレベルに達しつつある。 プリムラの描写の丁寧さに感服。 一人でいることが淋しいことだったのだということを思い出した。 私も同居人が欲しいな。この年になって同居人といえば つまりはお嫁さんになってしまうわけだが、それでもいいよ。 誰かいないかなあ、私でいいというような人が。

猛烈に見たくなって、もう4時近いってのに8話。 ヤベエ。シア異常にかわいい。 原作はここまでバカじゃなかった気がするんだが。 バカな子はかわいいなあ。

続けて9話。8話がなかったことになってないのがえらい。 そしてますます進展している。一見引き返せないレベルにまで達しているように 見えるが、一体どうなるんだ。 一方でプリムラがすっかりボケ役になってしまってうれしい。 あと真弓の胸のなさが眩しかった。あんなになかったんだ。

A君(17)の戦争1。皇国の守護者と同じ作者だと聞いて買った。 なるほど要素は似ている。 軍事的な要素もそうだし、主人公もそうだ。 文体は一見崩れているが、なんとなく「がんばって崩している」 臭いがするし、 それなり異常に盛り上がってきたところでは軽口など欠片もなく 緊迫感に満ちている。しかしまあそんなことはどうでもいいのだ。 所々のくだけすぎたネタ文章がジャマくさいが、 芯がしっかりしているので普通に感動できる。これは良いものだ。 出てるだけ買ってくるとしよう。

さてフロ入ってから仕事するか。

2005年12月2日

先月の労働時間、登録しただけで296時間。うち23時以降が73時間。 登録しないで土日にも働いているのでそれを入れると350時間くらいか。 おそらく最高記録だ。これからはちゃんと登録するか。 金欲しさに無理矢理休日出勤してると言われたくなくて登録しなかったのだが、 さすがに馬鹿馬鹿しくなってきた。金でももらわんとやってられん。 シュークリームごときでこの荒んだ私の心を癒せると思うなよ。 でも差入れのシュークリームはうれしかった。

メモリリーク地獄を抜けたと思ったら、また尻拭い。 もう嫌になったので、今度は修正ではなく作り直す。 同機能を持つ別クラスを作り、完全に同等の動作をするようになったところで 元のコードと置換する計画。本人もそれに勘づいたのか急に焦って 直していたが、馬鹿め今更止めてなどやるものか。 すっかり置き換えて屈辱にまみれさせてやる。 しかし辛い。辛すぎる。 そんな自分でも不毛とわかっている動機では到底全うできそうにないくらい辛い。 まず意図がわからない処理が多すぎる。そして、不必要に複雑だ。 さらに関数分けが不適切な上に、メンバを介したデータ参照が 無駄に多くてデータの流れがわかりにくい。 何より変数名が意味不明で、命名規則などなきに等しい。 また、計算過程にある処理については 間違っているとわかっているものまでそのままにせねばならないのも気分的に辛い。 すでにその間違った処理でパラメータ調整されているのでどうしようもないのである。 一箇月前にこうして丸ごと書き直す決心がついていればと思うが、 そうすると残り一箇月間彼に他の仕事を与えねばならず、 それはあまりに危険すぎた。 完全とは言えないまでも最良の選択だったと言う他ないだろう。 結果的には彼を大勢への影響が小さい飾り要素に縛りつけることができたのだから 良しとすべきなのだ。 自分がそんな仕打ちをされたらと思うと多少は憐れにも思うが、 「愛のムチ」という言葉を以って肯定的に捉えることとする。 そもそも一番害を受けているのは私なのだ。憐れんでなどやるものか。

ちなみに「君にはできないようだから他の人にやらせるよ」 はちゃんと上司が言った。ちょっとオモロかった。 本人が「できます」と言い張るのをどうにか抑えこもうとして かなりムチャクチャ言ってたからだ。 彼はとにかく私が修正を終える前に直してしまえば勝ちだと思ったらしく、 すごい勢いで修正コードを上げて帰っていったが、 私がそんなことで止める気はないのは上述の通りである。 同等の動作をしていれば置換しても気づかれないし、 もう一度不具合が出たらその時は大手をふるって置換できる。 私が仕事をやり遂げられさえすれば彼のコードが生き残る術はない。 1年かけて書いたものが製品がから消えてなくなる気分はどんなものかな。 待っていろよコンチクショウ。やる気が出てきた。 彼が一年かけたものを私は二日で越えていくのだ。 今日は徹夜しても良かったな。

しかし空しい。私は悪人なんかにはなりたくないのに、 悪人であることを楽しむ以外にやる気をひねり出す方法がないなんて。

そう、これがストレスだ。ヤケ食いしたいなあ。あるいは酒か? やめとこう。いいことなんて何もない。

2005年12月1日

shuffle!アニメを見始めた。原作よりよほどおもろいなこれ。 あの出来が悪い原作をよくもまあこれだけ味付けしたものだ。 もっとも原作は「からっぽ」なので、設定だけもらって あとは好き勝手に肉付けすればいいとも言える。 多少やりすぎてうっとうしい部分も多いが、これだけやれば上等だろう。 とは言え、「おもろい」と言うには足りんので 見続けるのは辛いかもしれんが。

5話目の出来が異常。 これほどうまくアレンジできるものなのか。 楓の怖さもいい感じに増幅されているし、 プリムラの受信っぷりも素晴らしい。 ただノルマをこなすのみならず未来に向けて伏線も張り、 最後にオチまでつけるこの余裕。なんと詰まった30分であることか。 あくまで「原作に比べて出来がいい」だけで 根本的に「面白い」とまでは言えないわけだが、 それでもこのレベルなら十分見たくなる。 そしてなにより、私の顔はにやけている。

つうか、シアがかわいいです。

メモリリークをほぼ撲滅。メモリリークに見えていたものの大半は gccのアロケータのお節介だった。GLIBCPP_FORCEE_NEWを 環境変数で定義しておくとそのお節介がoffになる。 そして明日はたぶん奴の尻拭い。奴のコードから出た不具合が一向に 修正されないので、 上は彼から仕事を取り上げて私にやらせようとしているのである。 私はそれを引き受ける条件として、上の人から直接奴に 「君にはできないようだから他の人に回すからね」と 宣言することを要求してみた。 そうしないと私が自分で「おまえのバグオレが直すから」 と言わねばならず、仕事を奪われたという怨念がこちらに向きかねないからである。 私としてはあくまで「上から言われたからやる。恨むなら上を恨め」 というスタンスでいたい。 もっとも仕事を奪われて誇りが傷つくような繊細な神経をしていれば ここまで事態が悪化することはなかっただろうがな。 今日も10時頃に帰ったし、直す気なんてないんだろう。 昼間は一体何をしていのか。

これで給料1万しか違わないんだよな。院卒だから基本給も一緒だし。 次の査定では「奴と1万しか違わないのは理不尽だ。 私を上げなくてもいいから奴を下げてくれ」と言う予定。 それくらい言ってもバチは当たらん。 ちなみにこのセリフはすでに彼の同期二人が査定の際に言ったそうだ。 同期二人にここまで言われるというのも並大抵のことではなかろう。

本人が私のこういうマイナス感情に気づいてないらしいことが最大の謎。 私は物事のウソはつくが、感情のウソはつけないタイプの人間である。 全部顔と態度に出る。自分でも「マズイよなあ」と思うくらい 奴に対してはぶっきらぼうになるのだが、奴は特に何とも思っていないようだ。 普通に話しかけてくるし、メシにもついてくる。わからん。 まあさすがにこのweb日記を見られたら理解するだろうが。


もどる