日記

2004年2月28日

桜花の声がそれっぽすぎて少し辛いがすぐに慣れると思う。

少しづつ三声を感じる余裕が出てきた。 1番だけなら四月までにはどうにかなりそうだ。

次に読む本は「嵐が丘」に決定。たまたまWEBで見かけたものが ちょうど積んであるものの中にあったというだけのことだが。 読みやすい小説ばかりが消化されてゴツい本がどんどんたまっていくのは ここらでどうにかせねばならないのだが、しかし移動中や昼休みに読めるのは そういう小説ばかりだし、本を読む時間の大半はそういった細切れのものなのである。

蹴りにおけるボトルネックは今や柔軟性ではなく筋力だ。 足を支える力が圧倒的に欠けている。 もし脚が弱くなったのでないならば脚が重くなっているのだ。 明らかに以前よりも上がらない。

京都行くのも悪くないがどうしよう。アニ同の追いコンらしいし。 日曜には漫研の人が遊んでくれたりしますか。

某所の「由来は本名を少しいじっただけです」という文を見て、 「少しとかいう問題じゃねえ!」とついツッコミを入れてしまった。 ちょっとうらやましい。

体が固かった頃の感覚がまだ残っているらしく、 これ以上脚を伸ばしたまま上体を起こしたら痛い、 と思ってかつい膝を曲げてしまう。 しかしそんな呪われた習性ともおさらばだ。

2004年2月26日

ニャが 達人写真リンク集 を作ってくれたので興味ある人はどうぞ。 特に練習に来てくれている人は見てすごそうだと思ってください。 すごそうに思えない時は自分でできるか試してみてください。 そして、その姿勢で自由に動けるか、まして戦うことができるかどうかを 考えてみてください。 秘宗拳の写真が特におすすめ。たぶん一番わかりやすく無理。

すげえ太った。体重そのものは71kgで普通なので気にしていないが、 体脂肪率21%ってのは一体どういうことよ。 毎日の練習によって筋力も柔軟性も増しているのに何故脂肪が増えるのか。 型を重視してもっと疲れる単純練習をあまりしていないせいか。

作っていたサイトは許可が下りなかった。 半ばわかっていたことだが。現状維持の方針で。

鬱だSNOW。などというたわけた駄洒落をまさにまんま実行してしまうことになるとは。 大人の社会はむつかしい。もはや私にできることは私に命令が下ったことだけなのか。

2004年2月25日

コリジョン場合分け地獄。

モンテクリスト伯6/7。佳境。 4人の敵もあと二人を残すのみとなった。それにしても盛りだくさんである。 毒殺サスペンス、株取り引き、結婚詐欺、亡国の姫、そして決闘。 そらおもろいだろこんなもの。 ところで価値観の主たるものは金と名誉らしい。 金と名誉が相反するものでないあたりがフランスなのだろう。

14番が思いの他楽そうなので調子に乗って三声の1番をやってみた。 二声とは別次元。初めて二声の2番を弾いた時と同じくらい絶望的な感蝕。 ということはそのうちできるということだ。 ただ、指が動くようにするのと同時に脳を三声に改造する作業も 進めねばならないので、多少は手間取ることが予想される。 まだまだ指の性能も不足しているが、 それに関してはハノンと二声を継続してやることで強化する。 最近はハノン5番までやった後二声をランダムで5曲くらいやって、 もう一回ハノンをやって終わり、という感じでまるで時間をかけていないが、 練習量はゼロでない限り上達するのだから焦ることはない。 4月で一年になるが、それまでに1番がどうにかなって脳が三声に慣れてくれれば 十分な成果だ。

弟が受験に来たのに母親がついてきた。 弟が試験を受けている間母がヒマになるというので 私も会社を休んでつきあった。ダラダラしていただけだがたまにはいいだろう。 それにしても今回の仕事は一体いつ忙しくなるのだろうか。 みんな平気で10時に帰っているし、土日は来ない。

モンテクリスト伯完結。すげえおもしろい。並大抵じゃない。まさに娯楽。 こういうひたすら出来事がつまっているタイプの話は新鮮だ。 あらすじの段階でもう面白いのである。センスがどうとか言うまでもない。 ところで、母親にその話をしたら中学の時に読んだと言われた。 読書量に関しては一生母には勝てまい。 名のある文学はたいがい高校前には読んでしまっていたのではなかろうか。 古典文学である限り何の話をしてもちゃんと反応してくれる。 母やWEBのえらい人を見ているとまるで 読書体験が足りていないということを実感するのだが、 周りの人を見る限り私よりも読まない人が大半だ。 本を読まないことよりもテレビを見ないことの方がよほど問題なのは 十分実感しているが、改める気はない。

親にまで「おまえと結婚してまともに暮らせる人はそうはいないと思う」と言われて、 やっぱりそうだよなあと思った。

日渡早紀のGlobal Gardenの一巻を読んだ。 前やってたのがハズレだったのでどうかとは思ったのだが、 今回はかなり行けそう。

水木しげる「猫楠」。南方熊楠ってこんなすげえ人だったのか。 水木節を差し引いてもエピソードだけでも十分おかしい。 「気に入らない人にゲロを吐きかける」って、それは いくらなんでもキャラ立ちすぎじゃないのか。

2004年2月24日

久しぶりにhtml書いてた。いつも書いてるのは もはやhtmlとは言えない。AとPとH2しか使ってないし。 いや、今回のもそうか。掲示板もあったらいいかもしれんが荒らされるとダリーな。 とりあえずお伺いを立てて様子を見よう。

2004年2月23日

新マシンの設定にはまだまだかかりそうだ。

拳法の本部サイトに一応情報が載っていた。しかし。

函館ラサールで自殺者が出た件についての週間新潮の記事を見せてらった。 いかにも「進学校の歪みが引き起こした悲劇」という感じにまとめてあって、 「外から見りゃそう思うわな」と納得できてしまう。 一年生が暮らす100人部屋においては便所くらいしかプライバシーがない、というのは 正真正銘の事実だし、メシはマズイし、建物はボロいし、 テレビは学年に1つしかない上に持ちこみ禁止だし、 まあ常識的にはありえない場所と言える。 私がテレビを寮に持ちこんだのがバレた時には 先生に悲しみすら浮かべた表情で責められたものだが、 今にして思えばそれほどのことかと思わなくもない。 しかし、そんな生活をしていた人間として言えば、あれは教育の形としてはアリだ。 プライバシーとかテレビとか電話とか、そういうものは生活必需品ではないのである。 そういうものが奪われていることをもって「かわいそう」と言うのは 大きなお世話としか言いようがない。 あまり「かわいそう」と言われると「え、オレもしかしてかわいそうなの?」 と思ってしまってかえって不幸になる気すらする。

しかしもちろん、あれは人を選ぶ。 あの中で楽しく生きるにはある程度の素質がいるのは間違いない。 何せ何もないのだから自分でそれを発明せねばならないのだ。 それに、閉じた空間だけに情報の伝達は早く、 一度嫌な奴という評判が立てばそれを覆すのは容易ではない。 下手な目立ち方をしたり、人間関係に失敗したりするとかなりの確率で村八分になる。 運悪くそういう状況になってしまった人は寮を脱走してそのまま下宿したり、 ひどい場合には退学してしまう場合すらあるらしい。 しかし、ひどいことを言うようだが、私は運良くそういう人間ではなかったので そういう人間がいるからといってあれが間違っているとまではまるで思わなかった。 実際たいがいの人間はそれなりに慣れてそれなりに生きていたように見える。 むろん「早く出たいよなこんなところ」とは言うのだが、 言えばそれで発散できる程度のストレスにすぎない。 1年生の5月頃には多くがホームシックにかかって布団の中で むせび泣くものだが、それさえ過ぎれば皆ケロリとしたものだ。 ところで、これは間違いなく言えることだが、高校一年生の一年間は 今までの人生において最も長かった一年である。 高校三年間は大学六年間よりもはるかに長かった。 イベントが起こる頻度がまるで違っていたのである。

なお、この記事には間違いがある。 函館ラサールは鹿児島のラサールと並ぶような進学校ではない。 レベルは格段に落ちる。東大に毎年たかだか5人も行かないようなレベルだ。 北海道内では有数かもしれないが、なにせ北海道のことであるし、 しかもその有数というのはたかだか5番目に入るかどうかという程度である。 全国的に見れば所詮田舎の二流進学校にすぎない。

いくらでも思い出が出てくるな。いや、思い出というよりはもはやネタ。 あれを人に見える形にするとするならば漫画以外の形は思いつかない。 しかし、考えてみれば前に4話ほどやった 奴を私は持っているのだろうか。原稿が残っているかどうかすら怪しい。 せっかくだからWEBに上げておいて反応を見ようなどと一瞬思ったが 見当たらないし、それに考えてみると一晩で8ページ描いた書き殴り原稿なので 恥ずかしすぎる。ひでえ絵だった気もする。

いっそキャラ全部女にしてギャルゲーにでもしてくれんものかな。誰か。 ちょっと想像してみたが、面が萌え絵なだけで同じことをやっていても許せる 気がするのが不思議だ。ギャルゲーのキャラなんてどいつもこいつも現実感が ないのだから、内面が全員野郎だったところで誰も文句は言うまい。

あ、今気付いたのだが、「寮生はライバル関係」とかいう見出しがついてる。 そう思ってる奴もいたんだろうけどなたぶん。 でも考えてもみろ。ライバルとして重要なのは同じ高校にいる人間なんかよりも 日本に散らばるもっと出来のいい奴等だろう。 そんなこともわからんでそのへんでゴロゴロ漫画読んでる奴等に対して ライバル心を持つような奴は単なるアホウだと思う。 生活の彩りとして勝った負けたの話をすることもあるだろうが、 別にそれが受験そのものに影響するはずもないのは明らかであって、 それで人間関係がどうこうなるのは少し真面目すぎるのではなかろうか。 まあ、うちらの部屋は有名な「遊び部屋」だったので他とは違うのかもしれない。 「おまえらはあんなふうになるなよ」と先生が下級生に対して 名指しでうちらの部屋を挙げたこともあったとか聞いた気がするがどうだったか。

2004年2月22日

見せてもらえましたか。函館ラサール高校寮名物二段ベッド地獄。 二段ベッドが50個並んだ部屋二つに200人が住んでいるという およそありえない寮。 プライバシーなんてなくても人間は生きられます。

いろいろ買ってきた。160GBのハードディスクとそれを入れるUSB2.0接続の箱。 40GBの2.5インチHDD。EPIA-VE5000(C3の533MHzがのったマザー)と それを入れる小さいケース(procase-60B)。電源はACアダプタ。 いまさらながらにPC133メモリ128MB。中古。 FreeBSD5.2.1をニューマシンにインストールしてみるが、 毎回途中でpage faultで死。メモリを旧マシンのと交換したらあっけなく動いた。 中古のメモリはもう絶対買わない。 現在160GBの巨大ディスクをwindows ノートにつないでsamba経由で旧マシンのバックアップ中。 当初の予定では旧マシンを動かしながら新マシンのインストールを進めていって 移行できる状況になったところで旧マシンを置き換える予定だったが、 メモリがダメなのでそれができなくなった。 やることリストを作って一気に片づける。

ちなみに新マシンの大きさは62x293x270。PCIが使えるので少し大き目だが仕方ない。 値段も9900円で他のバカげた高さのものに比べればマシだ。 EPIAはM6000にすれば新しいコアでメモリもDDRになって今風だったのだが、 消費電力がデカい上に新しいのはXが恐いのでやめた。 絵を伴う重いことは全部windows機でやるのでエディタやメーラやw3mが普通に 動けばそれでいい。

今からやれるだけやるのでしばらく止まります。

2004年2月21日

立位体前屈がマイナスでないということの幸せ。 手が床に触れたままで何秒でもいられる。 少し辛いが拳もつく。一瞬ではあるが掌だってつく。 最近は正座のまま上体を寝かせるのもだいぶ楽になってきた。 頭と手で支える逆立ちをして足を開くポーズも1分くらい耐えられる。 しかし、まだまだだ。さしあたり必要な柔軟性が手に入るまでには なお半年程度はかかるだろう。 幸い生活が安定しているので習慣を乱す因子はほとんどない。 退屈ではあるが、こうした低レベルな鍛練を行う上では理想的と言える。

拳法の日。参加者の分布はD2+D3-1くらい。今日は何人かな。 見学その他超歓迎。そして一向に本部サイトには情報が載らない。

由乃さん、本性を表す。しかし、いくらなんでもそれはやりすぎでは。 しっかし毎度おもろいなあ。

モンテクリスト伯企みすぎ。こんな用意周到な企みっぷりは見たことがない。 読み進めるにつれてあらゆることが仕組まれていることが明らかになってくるのが たまらなく刺激的だ。と言っても、 明示的にモンテクリスト伯が仕組んだとは言わない。 ハメられた人が自分が今の境遇にいる理由をモンテクリスト伯に告白する シーンがあったりするのだが、その話の中にでてくる謎のキーパーソンが 明らかにモンテクリスト伯本人なのである。むろんハメられた人間はそれを知らない。 監獄を出てからというもの常に視点がハメられる人々の側にあるため、 「モンテクリスト伯って一体何者?」という疑問を登場人物と共有できるし、 緊迫感もある。実にうまい。 話そのもの以外もとにかく教養に満ち満ちていて退屈しないし、 当時のフランス人の感覚が伺えるような描写も興味深い。 また、ナポレオンと王の権力争いなども話に絡んでいて 歴史小説的な面白さもある。おもろい話のお手本のような作品だ。

モンテクリスト伯4/7。 ついに伯爵の陰謀がその姿を現し始めた。全ては伯爵の掌の上である。 吸血鬼ドラキュラを思い出した。おそらく意識されていることだろう。 実際伯爵はひどく顔色の悪い紳士ということになっている。 非の打ちどころがな気品を持ち、加えて気前のいい紳士であるにも関わらず どことなく不気味さが漂っている、というあたりがそれっぽい。

SNOWは26日に延期だそうだ。

棚を買ってきて整理。床に散乱していた有象無象が美しいまでに収納。 棚なしで済まなくなるほど物を買わない、 という方針を捨てざるを得ない状態だったのである。 ところで、掃除中にPCに衝撃を与えて落としてしまった。再起動すると HDDのUDMAがエラーとかでPIOモードになってしまう。もう一度再起動しても同じ。 来るべき時が来た。こうなってはもう長くは保たないだろう。 ここらでこのPCをどうにかしておく必要がある気はする。 電源がゴロンと転がっているのはやはり問題だ。 それにせっかく棚があるのだから棚に乗せられるくらいの大きさにしたいとも思う。

蒔いた種が次から次へと実を結ぶ。直接の対象ではない多くの人々を犠牲にしながら。 モンテクリスト伯5/7。

2004年2月20日

SNOW出てたの忘れてた。

モンテクリスト伯3/7。ものすごい娯楽小説。 毎話の引きが素晴らしくいい。 連載というのはこうやってやるものなのかと感心してしまう。

2004年2月19日

声優イベントのためにはるばる北海道まで行っている 想田ひかる氏(あるいはKOH氏)から電話。いいなあ北海道。 そして気づいてしまった。 土日にもう一日もあれば北海道ごときは十分に行けてしまうのである。 いつか行こうと思っているだけでは永久に行かない。

モンテクリスト伯に出てきた「さだめしお困りでしょう」。 「さだめし」ってなんだろうと調べてみたところ「定めし」らしい。 意味は「さぞ」と同じ。 堅苦しい文章でたまに使われる程度のものであるらしく、 すでに生きている言葉とは言えないようだ。 ところで、発音は「下上上下」でいいのだろうか。

2004年2月16日

川崎にて「The load of the ring」。 ギムリ!レゴラス!レゴラス!アラゴルン!ガンダルフ!メリー!ピピン! サム!サム!サム! なにかとヘタレなフロドとか、どう見ても武将にしか見えないガンダルフとか、 ポイントをしっかり抑えるギムリとか、毎回人間離れした活躍をしてくれる レゴラスとか、とにかくおもしろい。今回は何よりサム。 あまりの興奮に「my precious!」を連呼しながら自転車で疾走して帰ってきた。 なお、www.myprecious.co.uk というサイトがある。中身は見ていないが明らかにそれだ。

モンテ・クリスト伯2.5/7。これ、本当におもろいな。雌伏の時。

髪を切ってきた。刈ってきたと言った方が正確かもしれない。

東急ハンズで枕を見ていた。 実際高校を出てからずっと使っていなかったのでいまさらなくても問題ないのだが、 もしそれがあることでなんぼかでも睡眠の質が良くなるなら悪くはないかと 思ったのである。で、また例によって「科学」属性の枕に目を奪われてしまった。 それもなんとNASAの御墨付である。よりによってNASAだ。 実際触ると「ふはぁぁぁあ!」というくらい気持ちがいいのだが、 この類の物の常として値段がヤバい。12000円というのは本当に枕の値段なのか。 言うまでもないことだが、結局何も買わずに帰ってきた。 とりあえずそのへんのもので枕を作って効果のほどを実験してみよう。 ただ頭を高くするのではなく、首から頭にかけての曲線を直立時と 同じに保つような形状にするのがコツなのだそうだ。 首筋を高く、後頭部は少々低めにするのが良いらしい。

映画の前の宣伝の中にPKOのがあって、BGMをもののけ姫の人が歌っていた。 米がつく人。それで裏声もおもろいなと思った。 あれが天性のものなら私ごときには手の打ちようもないが、 鍛えてどうにかなる部分もあるだろう。ちょっとした余興程度に使える水準まで は強化できそうな気がする。 それに普通のと裏声を連続的に推移させる技があれば最低でも 7半音は上に広がる。 なお、中学生の頃までは裏声で880Hzのラの上のドまで出せた。 せめて880Hzのラまでは出したいものだが、今ではたかだかその下の ファ止まりである。

枕の効果は不明。測定誤差が問題にならないくらい効果がないと何とも言えない。 ところで、2chには枕のスレまである。大したものだ。

2004年2月15日

アホイベント。24時間ガストに居座る計画。 何の益もないただ迷惑なだけの代物だが、まあそういうアホなことを やることそのものが面白い。 とは言いつつ、あと5時間というところで力尽きて帰ってきた。 拳法の後で参加したので私がいたのは16時間くらいか。

2004年2月14日

ロサ・カニーナ。この速さは名人芸だな。 それでいて飛んだような印象はない。

モンテ・クリスト伯1/7。これはおもろい。まさに面白い話の王道だ。

最近「神」という言葉が余計に安い。「すごい奴」より「神」の方 がイメージ的に格下であるような場合すら珍しくない。

今日はいつも確実に来てくれる人が休みなのでかなりの確率で一人になってしまう。 人が来なかったら早めに例のイベントに行くだけのことだが。

windowsのソースが漏れたらしいが見てみたいな。 プロの書く実用になっているコードがどんなものなのか興味がある。

2004年2月12日

アホ電話。またロクでもないことを考えついたようなので、 土日はそれに参加することにする。ああいうバカなマネはこれで最後かもしれんし できるだけつきあってやることにしよう。

アホ経由でこんなの。 うまい人は雑でもうまいんだなあやっぱり。

2004年2月11日

野望4巻まで。柿崎vs征二郎テレビ討論。 しかし本当にすげえなこの漫画。選挙に続いて新興宗教まで出てきた。 川崎こんな恐い町なのかよ。一般市民が暴力団に怯えて暮らす町なんて 日本に存在しているのだろうか。

ところで、征五郎はそんなに自分の組織を弱めてどうするつもりなのだろうと 思うわけだが、もうどうでもいいやそんなことは。 頭の悪さは熱意で十分に補われている。 今の漫画にこれだけのパワーを感じるものは滅多にない。

今になってライブラリが高速化され、自分で作ったものが無用になった。 今日は自分のコードを捨てて回っていたわけだが、なかなかにみじめだ。

会社に得体の知れぬ人間が電話をかけてきた。イベントがどうのこうのと わけのわからないことを抜かす。要するに私に何かを売りつけようというのだろうが、 わざわざ会社までかけてくるとは何事か。 あまりの不愉快さに何を言っていいかわからない中、 どうにか一言「切ります」と言って電話を切った。 電話を一方的に切ったのは生まれて初めてである。 私は気弱なので今までそういう応える義理のないような電話でも 比較的最後までつきあっていたわけだが、 今回で何かが決定的に変わったように思う。奴等は敵だ。

賢者の石、終わり。不思議な小説だった。脳に隠された能力を引き出すことに 成功した二人は幾多の妨害をくぐり抜けて 人類の起源や人類以前の知的生命体についての真相に迫っていく、 と要約すると全然違う話になる。 読む前にそう聞かされたらもっと普通のものを思い浮かべただろう。 おおまかに言えば「ジャンプ漫画的」な話を期待してしまっていたに違いない。 しかしこの小説ははっきり言って地味である。妨害というのは、 車を運転していたら急に眠くなって事故を起こしそうになるだとか、 同居人がおかしくなって強姦を犯してしまうだとか、 重要な資料に情報を読み取れないようにする細工がされているだとか、 そういった物だ。戦いとは言うものの、二人がやることはつまるところ 研究であり、重要な資料があるところにでかけていって調べたり、 文献を読んだり解読したりするだけなのである。 それが何故こうも面白いのかと言えば、 まずはそこに込められた圧倒的な知識量と、 そしてそれらをまとめるテーマがあまりに刺激的だからだろう。 広げられた風呂敷の大きさはデビルマンに勝るとも劣らない。 人類の精神的進化などという大風呂敷を、真面目に、 かつ元気一杯に語るこの力強さに触れていると、 「オレも進化しなければ」と無邪気に高揚してしまう。

ところで、この作品においては クトゥルー神話ネタは言いたいことを言うための道具として使われているに すぎないように感じる。クトゥルー関係のところはこじつけ臭さが感じ られるし、あまり感銘を受ける表現もなかった。ラストの 来るべき「古きものども」の復活に備えて精神的に進化した人々を増やさねばならない、 というくだりは、作者にとって自明とも言える「人類は進化すべきだ」 という主張に作品としての説得力を持たせるためにひねり出されただけのものに 感じられる。明らかに物語よりも思想が優勢なのだ。 しかしそこがいい。「いま私にとって生を全き善として感じさせるこの観照的な離脱 の境地に、私ばかりか、私の周囲にいるすべての人たちが入れるようにならなければ ならぬのだ」というようないかにもノリノリの文章がこの作品のメインである。

この人は基本的に陽気な人であるらしく、 「がんばって強くなる」という事を本気で信じている人であるように思われる。 アウトサイダーにおいても、偉人は必ずしも幸せではなかったという 事実は述べつつも、明らかにバカよりはマシだという態度が見えていた。 こういうのは落ちこんだ時に読むと余計にやさぐれてしまうもので、 実際私が以前アウトサイダーを読んだ時はそうだったように思う。 あれを読むことになった経緯にも複雑なものがあったこともあって、 偉人に憧れる気持ちを素直に言葉にすることなど到底できない時期だった。 しかし今の私は生活が安定して灰色の日々を送っているためか そういう偉人への憧れがあの頃とは比較にならぬほど強い。 賢者の石がこうまで面白く見えるのはそのせいもあるだろう。

ところで、これを「真の時間旅行」と称するのはやはり反則であると思う。

やっぱ修行だよ。修行。修行せざるを得ないような異変が起こってはくれないものか。 極端な例だが、 今もし理不尽な理由で会社をクビになったとしたら、もちろん途方には暮れるし 困るし嫌だが、しかしたぶん私の活力は何倍にもなるだろう。 いきなりサイバーテロか何かで銀行の預金が0になるとかいうのでもいい。 自分の不手際によるものでない異変ならば、 おそらく私は嬉々として状況を受け入れるだろう。 この「自分の不手際によるものでなかったならば」という条件が重要なあたりが チキンだが。

か、片岡ーッ!というわけで野望の王国終わり。 マジですげえ。なんだこの漢らしさは。 本気だ。こいつ本気だ。ストーリーも、絵も、台詞回しも、 全てが絶妙にかみあっている。最初のうちはネタとしてバカにしつつおもしろ がっていたが、中盤に入ってからはそんな余裕は全くなくなった。 恐ろしいことに後書きの雁屋哲の言葉までが熱い。美味しんぼの作者とは 思えない熱さだ。これほど勢いが凄まじい漫画があったのかと思う。 5000ページを超える長期連載にもかかわらず全く その勢いが衰えないのも恐ろしい。 最後の戦いなどは明らかに片岡を殺すためだけに 作られたおまけのようなものであるにも関わらずのあの力の入りようだ。

しかし、単体で絵を一つ取り出してみると、そのあまりの力の入りように つい笑ってしまう。全体のストーリーはもはや荒唐無稽と言っていい域だし、 個々のシーンにしてもヤクザが戦車に乗って政治家の住む城を攻めたりしていて もうさっぱりわかがわからない。 というか、征二郎はもっと疑え。あんなことになったのは全部征五郎のせいだ。 赤寺が征五郎を殺していれば平和な日々が戻ってきていただろうことは間違いない。 とにかくこの漫画は頭が悪すぎる。 いや、正確に言えば、 論理的な整合性や妥当さを保ったまま表現するには作者が熱すぎたのだ。 そういうことも含めて私はこれを面白いと思うが、人には薦められん。 仮に人に薦めるとすればネタとして扱う他ない。 それくらいにこの頭の悪さは致命的だ。

2004年2月10日

賢者の石。敵出現。挙句の果てにクトゥルーまで。 それにしても変な小説だ。話がどうとか、展開がどうとか、 そういう普通の評価基準では全く扱えない。 私はたいがいのものを出てくる人を中心に見てしまう癖があるが、 この小説は全くの例外だ。 話がどうとか、キャラがどうとか、そんなことではないのである。 純粋に書いてあることが面白いから面白いというのは新鮮な体験だ。 ただし、書いてあることが面白いとは言っても、私がそれをちゃんと理解 できているというわけではない。むしろ、まるでわからないと言った方がいい。 とにかく文学作品やら作曲家やら思想家やらが これでもかというほどに出てくるのだが、そのほとんどはまるで知らない。 シェイクスピアの作品を書いたのはフランシス・ベーコンだった、とか言われても、 シェイクスピアの作品なんて本当にちょろっとしか読んだことはないし、 フランシス・ベーコンに至っては大学の授業で名前を聞いたことが あるだけなのである。しかしそれでも面白いのは、 そもそもそういうのが新鮮だからというのと、 全体に満ち満ちた説教オーラがたまらないからだろう。 これほどわかりやすく、かつ力強く「頭を使え」と 訴えてくる作品などそうそうあるものではない。

今日の朝は野望の王国に使ってみた。頭は悪いが力一杯の暑苦しさがたまらない。 キャラが不自然に立っているのもいい。それにしてもまだ5分の1も読んでないのか。 赤寺キャラ立ちすぎ。そして初めてのピンチらしいピンチにわくわくしてしまう。

そこら中に使えるセリフがちりばめられすぎだこの漫画。 「十分経ったら立ち直れ。そして二度と動揺するな」 は一度言ってみたいセリフである。

2004年2月9日

せっかくだから出張の前に指輪物語を読んでおくか。 今ちっと読んでみたがなんとかなりそうな気がする。 できれば日本語訳も手元に置いておきたいが、そこまですることもあるまい。 映画のおかげで粗筋は知っているのだから推測もしやすかろう。 とは言うもののまずはハリーポッターから。 コリン・ウィルソンの賢者の石を読み終えたら挑戦してみよう。

6時半に起きる生活に挑戦してみる。むろん朝起きたら拳法をするのだ。 もし成功したらそれはもう革命的である。 fateとか賢者の石とかスピカとか、そういう元気系のものを見ていると 自分もどうにかしないといけない気がしてくる。

おまえ見たものの影響受けすぎ、と昔から言われてきたが、まだ治る気配はない。 死ぬまで治らなければ楽しい人生が送れるだろう。そうなることを願う。 さしあたり復活への布石として2年ぶりに米を注文した。玄米20キロ。 週末に何か見て元気をもらうが、平日にすり減って元の木阿弥、 というパターンをいいかげんどうにかしたい。

6時半。寒い。眠い。腹減った。 しかしがんばって外に出て24式を3回ほどやってみたところ、 少なくとも前の2つはどうにかなった。 しかし3つ目ばかりはどうにもならない。すぐ食える食料などないのである。 腹減りは倦怠感を催させ、せっかく克服したはずの眠気を復活させてしまう。 よしんば6時半に起きて拳法を軽くやる というところまで成功したとしても、その後二度寝してしまっては何の意味もない。 万全を期すためには起きてすぐ食える食料を用意しておく必要がある。

朝ピアノ。1月はほとんど丸々サボっていたのでひどく衰えていたのだが、 ようやくどうにかなってきた。トリルが鋭いと気持ちがいい。 ハノン5番までをみっちりと丁寧にやる。

飯食ったら眠くなってきた。バカな。こんな状況で読書なんて危険すぎる。 さっさと会社に行って仕事するというのもアリかもしれん。 あるいは会社で読書するか。

今日は一日眠かった。しかし一日でへこたれるわけには行かん。 三日坊主という言葉もあることだし三日は続けなくてはなるまい。 しかしそのわりに今日はちょっとしたひらめきがあったので すっと問題になっていたことがどうにかなりそうな気がしてきた。

動く平行六面体同士の衝突検出はかなり死ねるな。 直方体にしても内積がいくつか0になって計算が簡単になりはするものの 根本的に変わるわけではない。そんなことすんな、というのが正しい解答だろう。 まあ作ってはみるが。

2004年2月8日

桜。このエンディング、ちょっと来た。

よくぞ三つのシナリオをこれだけ違うものにしたものだ。 一つ目は王道テイスト。二つ目は泥沼の勢力争い。 そして三つ目はひたすらに没落。これで締めるのはアリかおいと思うくらい しんみりしてしまった。エンディングが二つ残っているが、 おそらく後味のいい終わり方をするという程度のものだろう。 しかしそれでもそれなしでは耐え切れないので見ておく。 タイガー道場もゲットしたいしな。沈んだ心を癒すには藤ねえだ。

このまんが肉はなんだろうか。さっぱり意味不明だがやけに出来のいい アニメーションが見られる。こういうものをセンスさえあればサクッと作れるような 開発環境が整っているのだとしたら大したものだ。 そういうエディタがあるんだろう。 というか、なんでうちにそういうのがないんだろうな。どうかしている。

すげえおもしろいけどいまひとつ刺さらない、というのが昨日までの感想だったが、 桜シナリオを見たのでそれは撤回する。いままでさんざん美しい絵空事を 振りかざしてきたことはこの伏線だったのだろうか。 後半に最大の和みキャラである藤ねえが出てこなくなったのは あのどうしようもない空気を最大限に味あわせるためだったに違いない。 ジャンプ漫画ばりに理不尽な勝ち方をする シロウをうさんくさく思ったのも、全て製作者の計算通りということだろう。 などと言っておいて、残ったエンディングがバリバリのハッピーエンドだったら どうしよう。たぶん心地良く眠れるとは思うが何かが許せなくなる気はする。 いやしかし、正直言えば私はそれを期待しているのであって、 許せないなどというのもどうせ形だけのことにすぎまい。

遠坂には憧れる。千絵スケの次に尊敬しよう。学ぶべき点は多い。

アニメ見てえ。月姫と違ってこっちは絶対つまらなくはならんだろう。 これだけ面白くなる要素が並んでいれば普通に作るだけで余程面白くなるはずだ。

ありがとう。トゥルーエンド万歳。ラスボスも貫禄たっぷり。 伏線も消化し尽してスッキリ。やっぱりハッピーエンド。しかもこれだけ やってくれれば全然問題なし。そんなのアリかよとか思う生き返りっぷりだが、 必須条件なのだから無視。 加えてあんなオマケつきなのだから文句なんてあるはずもない。最高。 ただ、あそこにいるのがセイバーでないことだけが悲しい。 しかしそればかりは無理な注文 であることがわかっているので、駄々をこねるのはやめよう。

終わってみればたいがいの奴は好きだ。 悪役も悪役なりにいい。約一名どうしようもなくどうしようもない奴がいたが、 まああれは仕方ない。憐れんでやるのも偽善だし正直に腐れ野郎と言っておく。 同じ名前を持つ人が可哀想に思えるくらいに糞野郎だった。 自分と関わりのない所にいる分には憐れんでもやるが、 もし自分の近くにいたならば全力で嫌うだろう。

セイバーが帰ってきた。帰ってきたよ。ありがとう。ハッピーエンド最高。 セイバールートのセイバーを見てしまった後だとえらく都合良くてきとうに見える わけだが、しかしそれでもこのエンディングが一番うれしい。 さて、これで全エンディングを見たことになる。 タイガー道場は大量に残っているが、あれを探して回るのはかなり骨だ。

戦う人はそれだけで大幅に印象が良くなる。 どうも「かわいらしいが戦うと滅法強い人」というのがツボらしい。 その手のキャラで好きにならなかった奴なんてほとんどいないんじゃなかろうか。

設定資料見ると慎二はそうひどい奴でもないように描いているつもりっぽいのだが、 全然そうは見えねえ。無理に察してやれば確かに可哀想だが、 可哀想以上のものではない。そもそも桜にひどいことをするようになったのは 一体いつからだったか。数日の話ではあるまい。 あの設定資料が本当なのであれば、 おそらく慎二はシナリオの都合でやむなくクソ野郎にされていったのだろう。 全ての悪を押しつけられた男というのはまさにあいつのことではないのか。 士郎や凛の持っている慎二像はおそらくそうひどいものではないのだろうが、 その「そうひどくもない慎二像」は作中のどこにも見出だせなかった。 ところで、 ああいう人間にとっては士郎のような人間は最もムカつく種類の人間だと思う。 あのような状況下において殺意を覚えるのも無理からぬことだ。

タイガースタンプ回収中。残り9個。なんでオレこんなことしてんだろ。 コンプなんてしないんだがなあ普段なら。 たぶん、コンプすると何かが出る、 という事自体が相当に久しぶりで嬉しかったのだろう。 こういうロクでもないオマケが大量についた作品は大好きなのだ。 正直、私はオマケが出ないと終わった気がしないタイプなのである。 最近はそういう作品にまるで出逢ってないので淋しい。

仕事でも隠し要素バンバン入れましょうよとは言うのだが、 隠し要素のデバグもちゃんとやらないといけなくなってコストがかかるので ことごとく却下される。じゃあバグ技扱いということで、と言っても やっぱり却下される。シーケンスに関わらないような、 つまり「なんとかモード」みたいなものを作らなくていい隠し要素なら 作業も少ないし問題も起こりにくいのだが、 シーケンスに影響が出るものは企画の人がちゃんと仕様を書かない限りまず入らない。 コンシューマのゲームにおいてはおまけ要素ややりこみ要素は重要だと思うので、 できれば企画の人にはそういうのをバンバン入れてほしいのだが、 そのために作業が発生してプログラマやデザイナが文句を言うという図も ありありと目に浮かぶので現実はむつかしい。 せいぜい私は自分の守備範囲内でやれるだけのことをやるとしよう。 守備範囲を広げる算段もしておかねばな。

さっき拳法の問い合わせの電話があったが、 新宿でやっていると言うと「そんなに遠いとは思いませんでした」と言われた。 東京のどこかという前提で聞いてきたはずだが、新宿はそんなに意外だろうか。

さようならfate。ありがとうfate。タイガースタンプを征覇した。 こういう「遊んでくれてありがとうメッセージ」が出るとなんか心地良い。 そのへんの好みはいろいろあるとは思うが。

コリン・ウィルソン「賢者の石」中。前振りむっちゃ長い。まだ話が始まらん。 しかしおもろいので問題なし。ところで、 コリン・ウィルソンの本は何を読んでも同じことが書いてあるという評判だが、 なるほどと思う。「気合い入れて生きろやゴルァ」と要約してもそう間違って はいまい。世界を常に新鮮なものとして捉えるように努めろということだ。 そのためにはなんとなく自動的に生きることがないように、 常に世界に驚きを感じられるように努めねばならない。 また、感情はその多くがそれまでの人生で築き上げられた自動的な反応 なのであるから、それに流されることなくしっかりと考えることを身につけ ねばならない。 小説にも関わらずそういうことを一切遠回りをせず訴えてくるあたりがいいのだ。 100万人いたらそのうちの99万9999人の人生は無駄だ などという暴言も、もはや爽快と言っていい域だろう。 人生そのものを精神の鍛練とみなすこの考え方は 至極単純で勇気づけられるものである。 最近忘れてたことを思い出させてくれたのでうれしいが、 それを実践することがひどく難しいように感じられるのは おそらく私が堕落したからだろう。 ただ、私はまだ知性というもののイメージをはっきりと持ってはいない。 コリン・ウィルソンの言うような知性の形はわかりやすいが、 しかしおそらく別の形だってある。積んであるお固い本を読み終える頃には 少しはそのイメージが確かなものになっているだろうか。

スピカ13まで。ものすごくわかりやすい人情ドラマが繰り広げられている。 こういうのをバカにすることは私にはできん。安心して自分に見せられる作品だ。

金銭的あるいは時間的なコストとモノの質のどちらを取るか、 という決断は完全には避けられない。 しかし、努力することでそういう選択を迫られる頻度を下げることはできるし、 うまくすれば「明示的に」決断をすることは避けられるだろう。 そういう決断はいつも心にしこりを残す。 物語において質よりコストを優先するのは常に悪だ。 我々はいくら現実を知ったところでそういう道徳観を持っているのだし、 結局のところそれが正しいことを知っているのである。 「時間が足りないし一面削るか」というような決断は 自分が最善を尽してきたという自負があって始めて受け入れられるものだ。 後悔しないためにも少しがんばってみよう。他人を責めても始まらん。 スピカを見ていてそう思った。

しかしそれはそれとして、えらい人には下々のものにやる気を起こさせるように 振る舞う義務がある気はする。 どんなゲームを作るか考える人はそれがどんなに面白いのかを 我々下端に納得させねばなるまい。それを理想論と言うのならば こんな業界に存在価値はないだろう。なにせ誰の役にも立たんのだ。

2004年2月7日

セイバーが!すげえ気になるけど拳法してきます。

拳法二人。来週はそう低くない確率で一人になりそうなので、 どなたか興味ある方は参加してみてください。土曜2時高田馬場。 無駄と知りつつ書く。実際二人もそれで釣れた実績があるのだし。 道場の公式サイトの方でちゃんと情報載せてくれれば問い合わせくらいは 来ると思うのだが、一向に載る気配がない。

2004年2月6日

桜編。愛情不足で死。セイバーむっちゃかわいい。遠坂むっちゃかわいい。 遠坂にせよセイバーにせよあのにらみっ面がたまらなくいい。 特に遠坂は手を顔に当ててる絵がもうたまらん。 すまん桜。君も大したものだが、しかし他の二人が強すぎる。これが萌えか。 にしてもこれ本当におもろいなあ。マーボーとか、そういうギリギリ セーフな範囲でのバカっぽさもいい味を出している。 いや、よく考えてみればマーボーはアウトな気もするが、もう冷静な判断などできん。

2人以上立ち絵が出ている時に、 しゃべってない奴の表情もいい感じに変わるのがいい。 作りが実に丁寧だ。立ち絵の地位が高いのはこの作品のいい点だと思う。

キャラも設定も実にいじり甲斐がある。さぞ同人はやりやすかろう。

6時間寝れば大丈夫らしい。 そう言われるとそれ以上寝てはいけない気がしてくる。 ここのところfateのおかげで6時間くらいしか寝ていないのだが、 確かに耐えられないほど辛いわけではない。 できれば12時に寝て6時に起きる生活にしたいものだ。 今の3時に寝て9時に起きる生活はあまり健康な気がしない。

2004年2月5日

遠坂true end。シロウ君強すぎるだろ。いくらなんでも。 サーヴァント相手に生身の人間では話にならないのではなかったのか。 それに最後のアーチャーはアリなのか。 あとは遠坂。セイバー編であんなだった彼女が、こっちではこんなだ。 本当に同じ人なのかと思ってしまう。しかしかわいいので良し。 まあそのへんは些細な問題である。何よりも展開がいちいち意表をついてくれて おもろかった。さて後は桜らしいが、一体どうなるんだろう。

ラジオの周波数を合わせても、しばらくするとだんだんノイズまみれに なってくる。そして、少し周波数をずらすとまたまともに聞こえるようになる。 ラジオの周波数は時間によって変化するのか。 それともこの機械の方がだんだんズレていくのか。 さっぱりわからないが実に困る。自動的にどうにかしてくれたりしないものなのか。

衝突判定。基本図形が点、球、線分、平行四辺形、というところまで ならまあ簡単にできる。実際それだけあればゲームを作ることはできるし、 今のところそれしか作っていなかった。 が、これに円柱を足すとなると一気に事が面倒になる。 まして平行六面体まで加わるとかなり気が滅入る。 移動する場合にはなおさらだ。 しかしやらないといけなくなった以上仕方がない。 円柱は両端に球の半分がくっついたニセ円柱に置き換えることでかなり楽になるので それで我慢してもらおう。 あと平行六面体は構成する面にバラせば速度はともかく動くので とりあえずはそれで様子を見よう。 あとはこいつらを呼ぶ回数を減らす方法も今一度考え直さねばなるまい。 コリジョン系全体を作り直すくらいの覚悟で臨もう。

基本図形が増えるとすごい勢いでそいつら同士の衝突関数が増える。 なにせ二乗だ。関数そのものを書くのも面倒だし、保守も面倒だし、 そいつらを呼ぶ振り分け関数内の二重switch文もどんどんデカくなる。 関数を書くことはどうしようもなく避け難いのであきらめるとしても、 あのswitchはどうにかした方がいいかもしれない。 せめて関数テーブルにすべきか。

fateをやっているとメニューを出してもsave以外出なくなることがある。 そうなると読み返しも効かない。てっきりゲーム的な都合かと思っていたが、 起動し直すと治る。バグっぽいな。

2004年2月4日

遠坂編がムチャクチャおもろい。展開が全然予測できない。 よくもまあこれだけ違う話にしたものだ。 いまいち行動の動機がよくわからないところはあるが、 展開が面白すぎてそんなことはどうでもいい。最後まで一気にやりたいが、 もう3時だ。死んでしまう。会社休みたい。

2004年2月3日

アーチャーに対してムカつく理由がだいたいわかった。 ちと強引だが筋は通っていると言えるだろう。 あとは遠坂のことが少しづつわかってきたおかげで昨日の違和感がほぼ消えた。 あのぎこちなさが遠坂だ、と納得できた気がする。 まだ個々の行動に関して納得の行かないことは ないでもないが、他人のやることなのだからそれも当然だろう。 とは言うものの、やはり昨日の追いかけっこはあまりに楽しすぎて浮いていた ような気がする。選択肢を選びそこなったらああなるような場面にも関わらずの あのほのぼのっぷりは何かがおかしい。

12時に寝て6時に起きる生活にはあこがれる。 そんなに早く起きればなんだってできそうだ。 7時間寝ててもこんなに眠いのは堕落しているだけなのだろう。

2004年2月2日

シロウ君、ちとバカすぎないか。お約束とは言え、やりすぎだ。 一周目で案外抜け目なく機転が効く人であることはわかったが、 その一方で抜けすぎている。都合が良すぎないか君は。

あの慎二にあれだけ寛大でいられる彼が、アーチャーを一発見ただけで「嫌い」 などと言うのは何故だろう。あの「嫌い」は「気に食わない」とか「油断できない」 という程度の意味なのだろうか。 実のところ、まだ彼の人柄がよくわかっていない。 彼は慎二をよく理解しているが、 矯正してやろうなどという押しつけがましい善意とは無縁だ。 そういったことや、戦闘の際に見せる抜け目なさから受ける彼の印象は 単なる熱血バカとは程遠い人物像である。好きな奴だけを助ける、 などとはっきりと言い放ち、しかも実行しているあたりからもそれが伺える。 しかしその一方で時折彼はひどい理想バカになるのだ。 一体それはどうやって両立しているのだろう。 今のところそれがわからないので「都合良くねえ?」と思ってしまうのである。

萌えが悪いとは言わん。実際楽しい日常シーンは大好きだ。 しかし、遠坂がからんでくるとどうにも居心地が悪い。 私の頭の中では殺伐とした部分と和む部分がまるで同居してくれない。 先程の追いかけっこはコメディっぽくて楽しかったが、 それは楽しくていいのか。何か違うだろう。

小麦粉1kgは多い。力が足りないのでこねるのにえらい時間がかかった。 これで握力を鍛えるというのも悪くはないし、 音を立ててもいいなら掌の練習にもなりそうだが、しかしやめよう。

2004年2月1日

fateおもしろいよー。幸せだよー。もしかして、これが萌えですか。 なんかステータス画面とかあるんですが、もしかして途中でゲーム になったりするんですか。いや、それはねえだろ。さすがに。 寺に殴り込んで殺されたところまで。

シミュレーションRPGの類とか作りたいんかなあ。もしかして。 そういや作ってみたいよなあシミュレーションRPG。 今の会社いたら永久に作れないだろうなあきっと。 しかし、「何々みたいなゲームを作りたい」などと言っている人間は その時点で敗北しているのであって、まるでダメだ。 たぶん私が設計したらタクティクスオーガみたいなものにしかならないだろう。 いろいろと考えていることはあるが、おそらくゲーム性の大枠は あれそのものになってしまう。 あれを数百人もしくは数千人オーダーにして全員を独立してAI化し、 操作できるのは各隊の隊長だけとしたらどうなるか、という思考実験もしているが、 プログラミングの問題はともかくゲームとして成立するかどうかがまるでわからない。 要はファイヤーエムブレムの各ユニットが数十人以上の団体となって それがある程度の面積をもって分散するということだが、 隊長の個性がどう隊員の能力に反映されるかはかなり難しい問題である。 また、これは先程の集団化とは関係ないことだが、 どうしてもあの類のゲームは詰め将棋のような無機的な印象を受け、 敵軍と知恵比べをしている感覚が味わえないように思う。 数値的な条件が厳しいことイコール難しいこと、 という等式が十年以上にわたってまかり通っているのは 本当にまっとうなことなのだろうか。 ユニットの攻撃力やらの性能が高いから、 あるいは敵の数が多いからむつかしい、というだけではなく、 敵の作戦が賢いからむつかしいというようなことも盛り込んではいけないものか。 製作者側は数値の調整でむつかしさをいかようにでも設定できるわけだが、 それとは違う強さをプレイヤーにぶつけたいのだ。 それも、個々のユニットの賢さゆえではなく、あくまで司令官が賢いから むつかしい、というのがいい。 「うわ、そう来たかよ!」という負け方をしたいではないか。 しかし、おそらくそれは非常に難しく、しかも仮にできたとしても 多くの人に受け入れられるものにはならないかもしれない。

一人用ゲームというのは詰まるところ接待である。 あらゆる困難は克服されるために存在している。 だから、敵と自分が同じ原理で動いていることは滅多にない。 製作者と敵AIはつるんでおり、敵AIは製作者から裏で情報を受け取って インチキをしているのである。 しかし、敵AIを製作者から分離し、こちらと同じ土俵に立たせられたなら どうだろう。一つ一つのステージが対戦ゲームであるかのような感覚を 与えられるのではないだろうか。 また、正統なAIはゲームには使えないというのはもはや常識とされているようだが、 本当にそうなのだろうか。 ゲームとして成立するための条件、というものについてもっと考える必要がある。

しっかし安いなfate。少ない絵を実に効果的に使っている。 移動、回転、拡大、マテリアルの4つの基本アニメーション 実に効果的に使われている。これだけのことをやるなら おそらくアニメーション定義は別ファイルだろう。 メインスクリプトに直書きしたらおそらく死にたくなる量だ。 当然ビューワーの類も完備していることだろう。 マブラブの時もよくあそこまでと思ったが、 あれと決定的に違うのはセンスがあることだ。 あれは無理して動かしてるだけだったが、こっちは本当に動いて見える。 2Dアニメーションに関してはよほどの手練れがいるに違いない。 娘3動物園の時もさすがと思ったが、あれは使えるアニメーションが移動だけ だったのでさすがにバリエーションに関して難があった。 あのノリは大好きだが、洗練されているということに関しては システム的にも映像表現的にもこちらが上だろう。

OPアニメがどうでもいい。せっかくアニメを作るならもっと動かせ。 それもかっちょよくだ。ゲーム内のインチキ静止画アニメーション の方がよほどかっこよく見えるというのは一体どういうことか。

fateを始めて15時間が経った。そろそろ限界だ。たまに意識が遠のく。 しかしそろそろ洗濯しないと着るものがないので洗濯だけして寝る。 それにしても面白い。エンターテインメントだ。説明モードもさして気にならない。 能力の強さに関してAだBだ言うのがゲーム的でちとついていけないが、 これが現代風というものだろう。 ところで、初めてそれシーンが発生した時には「え?これ、エロゲだったの?」 と本気で驚いた。お約束なので文句は言わないが、 今にして思えばあれもアリであるように思う。

4時間の睡眠の後再開。第1回目終了。素晴らしい。 批評する気は今はないので、何がどういいのかは考えないことにする。 また、ネタバレを恐れて詳細については何も言わない。 たぶんずっと記憶に刺さったままになるような類の作品ではないのだろう という感覚はあるが、しかし今これだけ心地良いのだからそんなことはいい。 こういう感覚はどうやったら後になって反芻できるものなのだろうか。

最後にとってつけたようなハッピーエンドが来ることを恐れつつも 期待していた自分を情けなく思う。そのような半端な真似をしてくれなかったことを 感謝しなくてはならないのに、感謝しきれないのだ。

思いついたものは仕方ないので書いておくが、音楽が残念だ。 何故こうも厚みのない、不躾な音を出してしまうのか。 戦闘のように盛り上がる場面の音はそういう無遠慮さがかえって心地良いが、 エンディング付近のああいうシーンではもっと繊細な音が欲しかった。 それでいつも思うのだが、何故生楽器を使わないのだろう。 20年級の演奏者など大学のオケ等にはいくらでもいるのである。 プリブラの時にも思ったのものだが、皆そんなことはまるで気にならないのか。

2回目のオープニングムービー。やっぱり動き悪いなあ。 アーチャーが歩いてるのとかかなりおかしい。 しかし、なんかそんなことはどうでもいいことのような気がしてきた。 ムービーだけ見てどうか、という評価はもはや不可能なのである。

藤ねえが!桜が!楽しすぎるよー。まずいよー。 会社なんて行ってる場合じゃないよー。 FFやるから休みます、なんて言う奴がいるような会社なんだし いいんじゃないだろうかと思うが、やることがないわけでもない。うー。 せめて早く帰ろう。


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