日記

2004年1月31日

スピカ10,11。絵が気になるようになったのは私にとっては不幸なことかもしれない。 10話の絵はひどかった。しかし、モノがおもしろいので気にしない。 人は夢を持つべきだ。

ホーソーン、緋文字、岩波文庫。 良くできている、ということに関しては文句のつけようがない上に、 キャラが恐ろしく立っていてとにかくたまらない。 芝居がかりすぎているということはあるだろうが、 それは萌えキャラすぎていることと同様にお約束、あるいはジャンルと して考えるべきだろう。 なにかとキリスト教なので、 キリスト教を軸に読み解くのがいいのだろうという想像はつくのだが、 あまりに普通に面白いのでそんなことを考えるヒマはまるでなかったし、 そういう読み方をするには私は物を知らなすぎる。 とにかく文章は理知的で説得力があるし、それでいていろいろと象徴的なものが 使われていて映像的な印象が強く残る。総じて大袈裟な描写が多いのだが、 その大袈裟さが新鮮で気持ちいい。そもそもあらすじのレベルですでに面白い、 というのは大変なことではなかろうか。 姦通した女が胸にAを象った赤い刺繍をつけ、罪の象徴たる赤子を抱いて 処刑台に立つ。その始まりだけでももうワクワクしてしまう。 まあ、処刑台に立っても別に殺されるわけではなくさらしものにされるだけなのだが、 胸にAの文字をつけたまま生活していくことを強いられる、 というあたりはやはり衝撃的だ。 なお、訳文が普通の日本語だったのはとてもありがたかった。 内容がわかればいい、というものなら多少文章が変でも大して気にならないのだが、 所詮私は小説を読む読み方しか知らないので、文章が読みにくいのはかなり致命的な ことに感じる。そういえば今日「アルジャーノンに花束を」の原書を見たのだが、 最初の主人公の語りを見てもいまひとつピンと来なかった。 確かに頻繁にスペルが間違っていて文も短く単純なのだが、 それを見ても「知恵遅れである」ということがピンと来ないのである。 おそらく内容は理解できても本来起こるべき感情の変化は起こらないだろう。 まあこれはそもそも言語が違っているので極端な例ではあるが、 変な日本語も感情が動かないという意味では似たようなものだ。

ニャにもらった「読めリスト」の9割くらいを買ってきた。 50冊くらいあっただろうか。残りはなかったものか、すでに読んでいたものか、 さすがにそれはちょっとというものだ。 積み本が凄まじい数になってしまっているので、 たぶんあと半年は何も買う必要はないだろう。 なお、そのリスト以外にも、ハリーポッターや指輪の原書、 一緒にいたウシオおすすめのフロイト「精神分析入門」、プラトン「饗宴」 なども買ってきたため、本気で大変な量である。 いくら使ったのか計算したくない。本当に全部読むのだろうか。

なお、八重州ブックセンター7階にて原書が軒並み500円で売られている。 ハリーポッターも指輪も500円だった。読むかもと思う人は今がチャンスだ。

携帯を修理に出した。というか交換だろう。来るまで代わりのものを借りているので、 電話は普通にかかる。費用はたった2100円でいいらしく、ありがたいことである。

fateをゲット。一体いくら使ってるんだ。考えたくない。

山口貴由「シグルイ」。痺れた。そういえば迫力というのはこういうものだった。 この漫画はコマがデカい割に時間がかかる。 それはこの漫画が私の時間を支配しているからだ。 一コマ一コマが「持ち時間」のようなものを持っており、 それ済むまでは先に進むことができない。 いや、実時間においては進んでいるのかもしれず、 普通の漫画を読むのと同じ時間しかかかっていないのかもしれないが、 しかし、私の脳内では確実にその時間だけ経過しているのである。 そしてその持ち時間とはむろんセリフの有無の問題ではない。 分析すれば、構図とかコマ割りという話になるのだろうが、 結局のところそれらは「漫画力」とでも呼ばれるしかないような類のものだろう。 作者の時間感覚や視点がそのまま現れているのではなかろうか。

そういえば花の慶二も武士漫画だが、やはりモノが違う。 優劣の問題ではなく、違う。花の慶二は楽しい漫画だ。 元々隆慶一郎作品には悲愴さはあまり感じられず、あくまで娯楽作品らしい 爽快感がある。30過ぎたオッサンが主人公であっても、 絵が原哲夫主人公でも違和感がないくらいにヒーローなのである。 ただし原哲夫でも花の慶二以外は「オモシロ」なので除外。 影武者徳川家康における家康はもちろん原哲夫主人公なわけだが、 それに対するフォローは 「外見は今一つと聞いていたがなかなかの美丈夫ではないか」 というような台詞一言だけだった。あれは笑うところだろう。 あと、平田弘史はまた違う。あの人の作品は武士が日常として描かれていて、 誰が切腹しても「ああ、そういう世界なんだな」と納得できてしまうので 緊張感はあまりない。有体に言えば感動はしない。 いくら今の感覚から言えば理不尽だったり異常だったりする場面でも、 あまりにキャラが人間臭いために印象の異常さを緩和してしまうのである。 言うならば内蔵や糞の臭いがきちんとするということだ。 題材も「興味深い」という言葉がしっくり来るものばかりで、 緊張感とか迫力とかいう感情的なもの以上に知的なおもしろさを感じる。 そしてもちろんあの絵が大好きだ。 あとは子連れ狼や首切り朝なんかも思い出した。 あれも大好きだが、話のパターンや間が完全に時代劇なので新鮮味はない。 しかし漫画としての完成度が群を抜いているので、あるだけ読んでしまう。

内蔵の絵はやはり荒い線がいい。スプライン曲線のように工業的に美しい 線の漫画からは内蔵や糞の臭いがしないように思う。 切腹における内蔵の臭いに関しては平田弘史が最強だと思うが、 山口貴由もかなりのものだ。

ネームを声に出してシグルイを読むとさらに痺れる。 是非試して試してみてほしい。たまらない。精神がどこかに連れていかれる。 おそらくこのことは漫画に限らずいろんなものに言えることなのだが、 この漫画においては特にその効果が大きい。

次に何を読むべきか本気で迷う。困った。

2004年1月30日

マリみて4話むちゃくちゃおもろい。 由乃さんかっこいいなあ。そしてヘタレ令さま。

D.C.アニメ完結。原作以上にさくらが大変なことになっている。 いいセリフを言っているフリをして徹底的にさくらにトドメを刺す純一君。 きちんとああやってトドメを刺せた純一君はえらいと思うが、 たぶんあいつは無自覚だろう。さくらがかわいそうだ。 音夢シナリオはさくらが一番放っておけないわけだが、 このアニメにおいては余計にそう思える。 是非ボインボインになって帰ってきて純一君に目にもの見せてやってほしい。 しかし、音夢はまるでいいところがない。 このアニメだけ見ていたらメインヒロインが理不尽に敗北した ようにしか見えないのではなかろうか。 そして他のキャラもだいたいどうでもいい。 美春や頼子さんの扱いが思いの他良くて嬉しかったが、 全般にイマイチなことりや、どうでもいいという言葉すら生ぬるい萌先輩は 本当に悲惨だ。 ともかく、最後の7話くらいはきちんと面白かった。ありがとう。

携帯電話は帰ってきたが、車に踏まれたらしく液晶が割れていた。 何番をかけているのかわからないので受信専用状態。 仕方ないので機械を新しくしてくる。無駄な出費だ。

2004年1月29日

今頃3話を見ている。 志摩子さんの声にまだ慣れない。祥子さまはだいぶ慣れてきた。 柏木の声嫌だなあ。デコ様えらい地味な面に。令ちゃんかっこいいなあ。 うわ、早っ。「終わっちゃった」の一言で終わったよ。 速いとは聞いていたがこんなに局地的に速いとは思わなかった。 これは速いというよりは飛んだと言うべきだろう。 その台詞が発せられる直前までは全く速いとは思わなかったのだ。

エンディングの曲やっぱりおかしい。 始まり方のまま素直に進めればニセバッハで済ませられたものを。 なお、次回予告の祥子さまの台詞が気に食わん。 「脳味噌」などという下衆な台詞は許されない。 まだ崩し始めるには早すぎるし、 そもそも崩れ始めて後も祥子さまは「いじられキャラ」なのであって 自分から崩れるキャラではないのである。

アニメはできるだけ会社で家からダウンロードして見るようにしたいのだが、 ブチフチ切れるので昼休みまでに落とせないことが多い。

緋文字がかなりおもしろい。キリスト教描写が一番の見どころ だとは思うのだが、話が普通に面白いのでサクサク読める。 どいつもこいつも信仰という言葉を盾にして勝手なことを言うのが 嫌らしいわけだが、 その中で一人だけ違う論理で動いている医者の存在が光るのである。 インディアンの秘術を学んだという設定もその対比を際立たせているのだろう。 悪っぷりが実に心地良い。 ところで、姦通した女に課せられた刑罰が 胸に赤いAの文字の刺繍をつけて生きること、 というのはものすごい発想ではなかろうか。 あるいは本当にあったのかもしれないが、 それにしても誰かが考えたのは間違いないのだから同じことだ。

少し面白くできる気がしてきた。そしてがんばればかなり面白くできる気がする。 しかし、所詮「かなり」だ。これを「すごく」にするためには何か決定的なものが 必要になる。

PHSは明日帰ってくる予定。ありがとう人。

ニャ経由 ちょびっツのコスプレ写真。男らしい。 これくらいきれいならそりゃやるよなあ。うらやましい。 こんなのも。 人種的に超えられない壁を感じる。

2004年1月28日

有益な宴会2。光が見えた。不安な材料はまだまだあるが、 少なくとも働く気にはなってきた。

ゲームにおいてシナリオやストーリーのような文芸部分をどう扱うべきか。 ここで言うゲームはノベルゲーではなく、シューティングゲームなどの いわゆる「普通のゲーム」を指す。 文芸がクソでも面白いゲームはありうるが、 クソであるよりは面白い方がいい。しかし、面白くするために ゲーム本体を損うような場合にはそこに葛藤がある。 理想は文芸がゲームのルールとかみあって相乗効果を上げることだが、 そのような例はなかなかなく、露骨に「おつかい」の内容を指示するだけの ものに留まっている場合も多い。 面の間にムービーが挿入されるだけでゲーム内容はただのアクションゲーム、 というようなものはいいかげん飽きられていると見るべきだ。 話の内容についても、 珍奇なネタを散りばめてはいるが大筋において納得がいかないようなものよりは、 凡庸なネタながらも素直に一貫した流れを持つものの方が望ましいように思える。 殊にゲームにおいてはやれと言われる理由に説得力がありさえすれば それだけでもう最低ラインは超えたと言えるだろう。 面白くするにしても、結局のところ題材そのものよりも 登場人物の間に形成されるドラマや、 ストーリーを通じて表現されるテーマ性に注力した方が 普遍的な面白さに寄与するのではないか。 などと考えて面白いものが作れるわけではないのだが、 ともかくも今の気持ちを整理しておかないと寝られない。 私は私の立場で何ができるだろう、というのが明日からの課題だ。

海外出張。3月にアメリカ。10日近く。すげえ。 英語の発表なんて聞いてわかるのだろうか。 そこでラジオ英会話を再開しようと思ったのだが、すさまじいノイズ。 外ならまともに聞こえるので、 小型のラジオを買って太極でもやりながら聞くのが妥当な選択肢かもしれない。 どうせテキストを見つつきちんとやる気力はないだろう。

PHSを落とした。慌てて落としたと思われる付近に戻ったがなかった。 誰かが拾ったものと思われる。 交番に行ってみて、なければガッカリする予定。 落として困るものをこんなにたくさん持っていなければならないのは理不尽だと思う。

2004年1月27日

寒い。しかし朝起きるちょっと前に自動でストーブが作動して起きる頃にはぬくぬく、 なんていう贅沢が果たして私に許されるだろうか。13000円でそれが手に入るとは言え。

「さきに」が「先に」なのは反則だ。だってその次が「答えられた」 で過去形じゃないか。確かに答えがわかっている今なら未来における完了 であることがわかるが、一発でそんなことがわかるはずがない。

2004年1月26日

ニャ電話。デモンベインはPS2版でやることにした。 ところで、ニャが存在と時間のちくま学芸文庫版を持っていて、 例の部分の訳文を聞かせてもらったのだが、恐ろしくわかりやすい。 日本語のわかりやすさに気を取られて内容は忘れてしまったので 実際の訳文は明日買って来られたら引用する。 結局のところ岩波版の訳がヤバいということであるようだ。 とにかく哲学やら文学に関してはニャが先達なので非常にありがたい。 一度文系の授業をきちんと受けてみたいものだが、 このままでは一生そんなことはないだろう。

皆さんにいろいろと反応を頂いた存在と時間の話ですが、 今木さんの説明がわかりやすく説得力があるように思います。 カテゴリーに関して「概念枠」という言葉を補ってくださったのは 非常にありがたいです。所詮なんとなくではありますが わかった気になれます。文法に従わない口語的な文であるという 指摘はなるほどと思いました。

4月に会社PCが交換されるのだが、次は20インチ液晶モニタらしい。 自宅用に買うつもりだったが、そういうことであれば 自分で使ってその力を確かめてからにすることにする。 そういえばそろそろ査定の話が出始める頃だが、 今回は上がらんだろう。なにせ何もしてない。 3ヶ月かかって作ったものがあるにはあるが、ついに使われない気がする。

ギャルゲー業界の活気を見ていると 一年くらいギャルゲー会社で働くのも悪くないよなあと思ったりもする。 むろん思っただけだ。今すぐ会社をやめる気などないし そもそも向こうは私など必要とはしないだろう。

修論直前、つまり二年前の今頃の私はかなり元気そうだ。 たまたまその頃の日記へのリンクを辿ってしまって読んでしまった。 どうにかせねばならん。こんなに安定して良いはずがない。 なんとか不安定な状況に持っていかなくては。 行動を伴う焦りが必要だ。さしあたりできることをしよう。 近いうちにちょっとした戦いがあるので準備をせねばならない。

存在と時間の例の個所の別の訳。

そしてこの存在論そのものも−−その存在論的基礎概念がどういう 地盤から生いたってきたのかという観点や、これらのカテゴリーの 証示方法がはたして適切であったかとか、カテゴリーがもれなく提示 されているかどうかということに関しては−−まず存在への問いを 解明し解答したあとで、これを手びきにしてはじめてゆきとどいた 解釈を与えられるものなのである。

全然違うじゃねえか。これで読もうと思う。

あれだけ決心していたはずなのに、いざ現物を前にすると心が揺れる。 そして買わずに帰ってきてかじかむ手。 ニクロム線が熱くなるだけのストーブは 空気がまるで暖まらない上に光が当たっている場所が 熱くなりすぎるので論外なのだが、セラミックファンヒーターは結構高い。 加湿機能なしで13000円、ついて18000円。

ニャに薦められた本を大量に買ってきたが、まだ半分といったところか。 次の土曜に残りを八重州ブックセンターで仕入れて来よう。 そういえば指輪物語の英語版が3900円で売られていたが、 その値段とあまりの紙の悪さに躊躇してしまった。 しかし積み本が50冊近くある状態でこれ以上積むこともなかろう。後回しとする。

2004年1月25日

メールの返事を書いていたら電気屋が閉まってしまった。 ストーブを買う予定だったのに。いやおそらくは、 そこそこ歩いて帰ってきた直後で体が暖かかったので もうどうせ2月になるのだしストーブなどいらんかなどと 頭のどこかに思っていたに違いない。足も指もかじかんでいて 今後悔を噛み締めている。そして余計に悔しいのは、 それに気づいたのが店が閉まる8分前だったということだ。 近くの電気屋まで自転車で走ればおそらく5分で行けるだろう。 しかし、自転車でストーブを持って帰るのはおそらく至難であり、 かといって歩いては絶対に間に合わない。しかしそうは言っても 行けば買うことはできるのである。そして今1分前になった。 この程度で悲しい気分になれることはどれだけ幸せなことだろう。 そして20時。

OMGのPC版を買ってきたが、操作できん。 PS2パッドでどうにか遊べるようにならんものか。まあいいや。そのうち。

ゆめりあ2話3話。すまん。あまりの頭の悪さに見ていられん。辛い。 凄まじく辛い。自覚的にダメなものを作っているのはひしひしと伝わってくるが、 これをネタとして笑って見られるほど強くはない。

最強伝説黒沢。とても痛い。いちいち言葉が刺さる。 ギャグっぽい表現も多いしネタとしても超一級だが、まるで笑えない。 バカやってガッカリするのがオチ、というのが普通の漫画だが、 あの漫画においてはガッカリした後のフォローこそがメインになっている。 だから笑えない。私も思う。これでいいのかオレの人生。

D.C.アニメ。頭の中に黒沢のみみっちさが残っている状態でこれを見ると 凄まじく茶番めいて見える。しかし、数分も経つとだからどうしたという気持ちが どんどん大きくなってきた。これくらい幸せな悲しいお話があったっていいだろう。

ことりの「ちわーっす」。というか、ことりのこの凄まじい可愛いらしさはなんだ。 しかし「これからどうやって生きていけば」という苦悩を聞いた瞬間に 黒沢を思い出してあまりの差に愕然とした。 しかし、ふられて微笑むことりを見ていると そんなことはやはりどうでも良くなってくる。

2004年1月24日

有益な宴会は存在する。本来会社を辞める人の送別会だったのだが、 現状を打破するための熱い討論と愚痴の場と化していた。 宴会でも会話の大半が仕事の話になってしまうこの人々は素晴らしいと思う。 しかし、そんな素晴らしい人達の一人がそういう人がたくさんいる会社を 辞めてゆくのである。次の職も決まらないまま辞めるに足るだけの不満が 存在しているということだ。

ずっとゲームのコンセプトは上から降ってくるものだと思っていたし、 ある程度以上の規模のものであればそれが正しい姿だろうとは今でも思う。 だいたいどんなゲームなのかを決めるのはプログラマの仕事ではない。 しかし、常識や理屈はともかく現状はこれだ。 前のプロジェクトで味わった悔しさはもう二度と御免である。 だが戦い方は入念に選び、自分をよく律しなくてはならない。 今までのように勢いにまかせてブチまけても全然ダメだ。 これは議論ではなく交渉なのだ。 少しも自分の望む方向に相手を近づけるのが目的なのであって、 相手を打ち負かして済む問題ではない。 議論に負けたら相手の意見を取り入れるのが筋だが、 現実においてそうなることは稀というより皆無と言って良い。 だからこそうまくやらなくてはいけないのだ。 しかしたぶん結局はケンカを売るだけになるだろう。 今回に関してはそれでも心証を悪くする以上の悪影響はないので その点は気が楽なのだが、できるだけ賢くやりたいとは思う。

夢の中で明晰夢を見た。空を飛ぶのだが、イメージ力が弱く 飛ぶ感覚が不意に消えて落ちてしまったりする。 そしてそれがイメージ力の欠如によりものだと理解しているのである。 しかし、実はそれそのものが夢だった。 もっと速く飛ぶためには速いイメージが必要だと考えて、 クラウチングスタートをやってみたりもするのだが、 地面を蹴る感覚がイメージできなくて失敗してしまったりする。 夢を操作する能力は有益だと思う。綾先輩のように練習してみようか。

2004年1月23日

「存在と時間」の日本語がわからない。ある言葉がどの言葉に接続しているのか すらわからないこともある。

存在論の基礎概念が生い立った地盤について、ことにカテゴリーの明示の適切さ とその完璧さに関しては、さきに明らかにされ、また答えられたところの 存在への問いを導きの糸として、古代存在論が、改めて充分に、 解釈されねばならないのです。

とかいう文章が連発するのだ。実際この文章については なんぼか考えたがやはりさっぱりわからない。 大きな問題は3点ある。 まず「地盤について」は一体どこにつながるのだろうか。 次に「カテゴリー」というのは何だろうか。 また「さきに」というのは一体どこを指しているのだろうか。 最低これだけわからないと意味がわかるはずがない。 内容のむつかしさに辿りつく以前に頓挫してしまっている。 わかるかどうかはともかく英語で見てみたい。

2004年1月22日

電源を新しくして完全に復活しました。 しかし、microATX電源を買ってきたにも関わらず箱に入らず、 ゴロリと転がっている状態。もう知らん。 EPIAにしたいが、マシンを遅くするために金を払うのもバカらしいし、 その金はそう安くもない金だ。キャプチャーボードが差せなければならない という制約が事をややこしくしている。

最悪FreeBSDマシンが死んでもネット環境を死守できるようにと ルータを買ってきた。FreeBSD機が死んでいる間もwindows機から接続できて 便利だし、なにせ設定が楽だ。 もうFreeBSD機にLANカードは2枚なくていい。 今はPPPoE接続をFreeBSD機がルータを素通りして自分でやっているが、 いずれPPPoEはルータにだけやってもらえば済むようになるだろう。 さらにデカくてジャマだったハブもこれでさようならだ。8ポートもいらん。 いろいろ金を無駄にしたが、結果的には電源が箱に入らないこと以外に 問題はない。次はいよいよHDDだ。

ルータ越しでもサーバの公開が可能らしい。 しかし、DynamicDNSの更新をやるにあたって 真のIPをルータから教えてもらわないといけない。 webブラウザでルータにアクセスすれば見られるのだが、 困ったことにユーザ名とパスワードが要求される。 それを自動で入れる手はないものか。 などと数分考えた後、ftpと同じ書式でできるかなあと思ったらできた。 http://ユーザ名:パスワード@アドレス。

the load of the ringの映画の2つ目を借りた。大層面白かった。 大抵の人が面白いと思うものというのはまさにこういうものなのだろう。 サルマンがさっぱりザコっぽくなってしまったのが少々がっかりだが、 元から大してかっこいい悪役ではなかったので良しとしよう。 そして美味しすぎるガンダルフ。指輪物語ってのはこんなに面白かったのか。 是非いつか原作を読まねばなるまいと思うが、 あの日本語訳で読むよりは原語で読むべきだろう。 ハリーポッターとか読んでる場合じゃない。買ってもいないのに言うのもなんだが。

電源はACアダプタにしたかったが、ヨドバシにそんなものはなかった。 平日会社の後に行ける店はヨドバシしかないのである。 秋葉原でもそれ単体を置いてあるところは知らないので探さないといけない。 というか、そもそもそんなものを見たことがない。 この電源のファンがうなりを上げ始める前に手に入れておきたいものだが。 なお、今はまるで音がしないくらい静かである。ただし、箱に入らない。

2004年1月21日

いろいろあって、ここ数ヶ月のメールが消失しました。 不思議に中途半端な消え方をしており、7月9日と10日のメール4通のみ 生き残っています。たぶんファイルをいじっている時に死んだのでしょう。 これはいい機会だと思うので、メーラーの使い方を勉強しようかと思います。 なお、昨日から今日にかけてのメールも失われてしまいました。 大切なメールを送った方はお手数ですが再送をお願いします。

明日電源を買ってきたらまた安定動作すると思います。 今日は恐いのでもう切ります。 どうやら30分くらいで死ぬようです。

the load of the ringはとても面白かった。そして今横で破裂音がした。 恐い。落とします。

2004年1月20日

帰るとPCが死んでいた。電源が落ちたのではなくフリーズである。 そして再起動してもネットにつながらない。 外接続用のLANカードに異常があるらしく、 内側と外側を交換することで外にはつなげるようになったが、 Windows機との接続は断たれた。

VIAのEPIAがFreeBSDでも動くらしい。 このような状況下にあってはそれも良いかもしれない。

調子に乗ると結果はいつも最悪だ。

革命の予感。

スティール・ボール・ラン。さすが荒木だけに映画っぽい。 安心してトップレベルの面白さを味わえる予感がするが、 荒木に慣れすぎたのかもうあまり驚かなくなってしまった。

24式はだいたい覚えたが、覚えただけ。本当の戦いはこれからだ。

2004年1月19日

原作物のアニメやゲームや漫画などをいかなる態度で観賞すべきか。 すなわち、原作の情報のみならず受けた印象も思い出しつつ見るべきなのか、 それとも原作には情報のみ依存してあくまで目の前にある作品を単体として 見るべきなのか、ということだ。 私は現状後者の見方以外のものを知らない。

例えば先程見ていたゆめりあについて言えば、 私はキャラやストーリー、設定といったものについての 情報を記憶から掘り起こしはするが、 演出、進行、そしてそれらによって受ける印象に関しては 全面的に目の前の作品、つまりこの例で言えばアニメに依存する。 途中で原作のシーンや、そこから受けた印象を思い出すことは一切できない。 ここで言う印象のうち特に重要なものは時間感覚であろう。 時間感覚と言うと曖昧だが、つまるところ見ている自分の感情の変化する リズムのことである。起承転結、と言われるものはそれを表現する代表的な 言葉であるが、より細かく見ていけばセリフの間などもこの範疇に入る。 さて、原作は声があるとは言えノベルゲーであり、 しかもテキストは寸断されて瞬間瞬間のシーンのみが現れるため、 量的配分がよほどまずくない限り 自然と時間的配分の帳尻が合わせられてしまい 置いてけぼり感や冗長感を感じにくい形式となっている。 冗長なテキストは読み飛ばすだろうし、 重要なセリフはじっくりと脳内で再生されるであろう。 そのような操作が自分でも気づかぬうちに自然に起こるということである。 一方でアニメは時間配分は製作者側に全面的な支配権があり、 観る者がそれを操作することはほとんどできない。 このゆめりあアニメを私が「クソアニメ」と呼ぶ理由の第一のものは、 原作のストーリーを消化するという目的のために普通の時間配分を放棄して いることにある。要するに原作を知らなければ置いてけぼりだということだ。 そしてここが重要なのだが、この置いてけぼりは情報的な置いてけぼりである以上に 時間感覚的な置いてけぼりなのである。 ゆめりあアニメの例だと、 キャラや状況説明や起こる出来事に関しては原作にあるものをきちんと 消化できており、原作を知らなければならないということはおそらくない。 そのような意味においてこのアニメは情報的には原作に依存していない。 にも関わらず単体で見られないものになっているのは、 この作品が時間感覚を原作に依存しているからである。 私の感覚にすぎないので一般にそうかは疑わしいが、 これを面白がるためには原作で感じた時間感覚を このアニメを見ながら呼び戻す必要がある。 主にこの手のアニメ、特に序盤においては 原作に比べて時間が早回しされる傾向にあるため、 原作の思い出を適宜挿入して自分の中の時間感覚を調整しなければならない。 これに失敗すると感情の流れが作品から乖離してしまい、 情報レベルでの原作との差異の発見に終始する いわゆる「ネタ的な」見方しかできなくなってしまう。

このことはゆめりあアニメに限らないし、アニメに限ったことでもない。 漫画化や小説化の場合にも言えることである。 特に漫画はアニメに比べれば読者に時間感覚を左右する 権利が多く与えられているとは言え、基本的にはページ数と テキスト量によってかなりの部分支配されており、 正直な私の感覚としてはほぼアニメと変わらないくらいに作者の支配が強い 媒体である。 そのような条件に加えて、元ネタのある同人誌の類は一般にページ数が少ない。 内容の少ないもの、例えば一発ギャグの類であればこれは大した問題ではないが、 ある程度の内容を含むいわゆるストーリー漫画であった場合、 このことは重大なものとなりうる。 端的に言えば、カイジやMONSTERと同じ読み方で同人誌が読めるか、 といういうことだ。少なくとも私にはできない。 むろんクロマティとからくりサーカスで同じ読み方をしているわけでもないのだから 程度の問題ではあるのだが、 しかしクロマティとからくりサーカスの距離よりも、 クロマティと同人誌(と言って私がイメージするもの)の距離ははるかに大きい。 それは前述のように原作から情報以上のものを引き出すことを強いる点にある。

例として、同人誌ではないが最近読んだSNOW漫画を挙げよう。 言うまでもないことだが、私はSNOWが好きである。 SNOWを読んでいた時の感情の流れを今でも結構克明に思い出せる自信があるくらい 好きである。しかし漫画からはそのような感情の流れは得られなかった。 端的に言えば、ページが少なすぎるのである。 私に感情の変化を起こさせるだけの時間を、あの漫画は私に与えてくれなかったのだ。 私の感覚としては、130ページであんなものを消化するのは何をどうやっても 不可能である。可能にするための技術は存在しないでもないが、 そのような努力はなされてはいないし、またそれを行うにはあまりにジャンルの制約が 厳しすぎる。具体的に言えば、藤子F不二雄のSF短篇集のように 16ページにあれほどの内容を盛り込みつつもしっかりとした感情の流れを形成 できる作品が存在してはいるが、しかしそれを期待するのは酷であるし、 なによりもあのように比較的コマを大きくして可愛いい絵をメインに持ってこなければ ならないというジャンルあるいは媒体の性質がそれを不可能にしている、 ということである。 その無茶があまりに厳しすぎるが故に、先のゆめりあの例と違って 情報レベルでも原作に依存することになってしまっており、原作を読んでいなければ そもそも筋を理解することすらできないだろうものになっている。 そんな状態であるから、時間感覚もほぼ完全と言っていいくらいに原作に依存している。 原作を思い起こしながら読めない私のような人間にとって、 あれは総集編、下手をすれば次回予告にも等しいものになってしまっている。 一度感情の流れを作ることに失敗してしまえば 先に述べたように情報単位での原作との比較以外にできることはなく、 いかに絵がかわいくても、いかに心憎い演出があったとしても、 そして幸いにしてそれに気付くことができたとしても、 そこには感動が伴わないのである。 少し脱線するが、実際SNOW漫画の絵はかわいい。 澄乃っちの笑顔がまぶしくて仕方ない。芽依子さまだけが何か無表情の意味を取り違え たかのようにぎこちなかったのが残念ではあるし、 彼方さんの面があまりにどうでも良い絵になってしまっているのも漫画の説得力を 損う意味で残念ではあるが、ともかく澄乃っちはかわいい。 しかし、それを感動につなげることは私にはできなかった。 そのような意味において、あのSNOW漫画は私の定義では「同人誌」 に分類されるものであったのだと言える。

複数の媒体で提供された作品に関して、その複数の媒体の情報を うまく組み合わせつつ観賞するという技術は私の知らないものであるし、 またおそらくは世間における多数派のものではない。 しかし、そのような読み方はなかなかできないという意味において高度であり、 また積極的でもあることは間違いないだろう。そうして観賞される作品の 質がどうであるかという問題はひとまず置くとしても、 そのような積極的な読み方ができるということにはあこがれを抱かざるを得ない。 しかし、かつて漫画ごっこをしていた者としては 例え原作があっても原作に依存するところが少ない、 つまりせいぜい原作のキャラや大筋を知ってさえいればそれ単体として 楽しめるものを作る方がより高度であると思う。

なお、原作物を見る時の心情として、他人のレビューを読む時のような 心情が入ることも考慮に入れねばなるまい。 要するに「このような読み方をしてくるとはすげえ!」 というようなもの、あるいは 「同じ女を愛した男だから」というようなものである。 特に同人誌についてはそういった愛、あるいは心意気とでも言うべきものを 評価基準とし、それが単体として完成度が高いか否かといった評価基準を さほど重視しないという考え方もある。 しかし、それこそ同人誌文化において私が最も馴染めなかったものであり、 ゆえに私はパロディをやることの意義が最後まで見出せなかったのである。 とか言いつつ「ギャルゲー批評レース」とでも言うべき空間に 参加してしまっていた気もするが、 批評の類は誰も作品と言い張らないというあたりに健全さを感じるので あまり気にならなかった。今も気にしてはいないが、 どうやらもう疲れてしまったらしい。

補足。上の文章でゆめりあアニメを例に出したのは見たばかりで手頃だった からであり、例としては若干不適当である。 何故なら、あんなものは理屈をこねるまでもなく「早いよ」の一言で 済ませるのが健全というものであるし、 どう見てもネタ重視の作りであるものに感情の流れがどうこう言ったところで 意味などないからだ。だいたいあのケツはなんだ。パンツはなんだ。 そのねねこに何の意味がある。最後の九葉はいらないだろう。 その教師のあからさまなバカっぽさはなんだ。 いいシーンになるの早すぎ。といくらでも文句、 というかむしろ製作者が予期しているであろうつっこみ所に満ち満ちており、 どこをどう考えてもまともな楽しみ方を期待しているとは 思えない作品なのである。センチJのように全く原作を知らなくても 微塵も問題がないようなものがあの手のものにも存在しているのだから、 私としてはああいったものを期待したいのだが、残念ながらそのようなものは 稀なようである。とは言え、事ゆめりあアニメに関しては前日分で書いた ようにモネの声が可愛いのでそれだけで良い。また、私もネタを愛でる性質が まだ色濃くある人間なので、ああいうアホなものにもいくらか耐性がある。 これで九葉がバンバンしゃべってくれればおそらく全く文句を言わなくなるだろう。 どう考えてもクソアニメであったグリーングリーンも 野郎のやりすぎなバカっぽさが気にいっただけできちんと最終回まで見られたのである。

ふと読み返したあ何でこんなことを長々と書いてるのかさっぱりわからなくなった。 久しぶりにまともな本を読んだせいで頭がハイになっているのだろうか。 そういえばD.C.見なきゃ。その前に借りたLoad of the ring二つの塔。 週末見るつもりだったのだがいろいろあって月曜になってしまった。 平日帰った後2時間映画を見るのはちと辛いものがあるが、 借りたものはできるだけ早く見て感想を言うのが礼儀であろう。

炊飯実験。1300W10分、240W30分。完璧以外の言葉がふさわしくないまでにおいしい。 一粒一粒がきちんと分離しているし、玄米だというのにふっくらと弾力に富み、 不思議なまでの甘さがある。飯はこれほどにうまいものであったか。 火を止める前に一度強火にして余剰の水分を飛ばす工程を入れれば 底に残った若干のぬめりも取れるだろう。あとは火を強くした分 若干水を多めにすれば固さもほど良いものとなることが予想される。 それで成功するようなら次は炊きこみ御飯の実験に移るとしよう。 干ししいたけ、昆布、ちりめんじゃこ、大豆を適量混ぜて炊く。 あの頃の感動が蘇るはずだ。 一時はそんな豪華なものを毎日食っていたのである。

金曜の夜はえらく強烈な夢を見たのだ。しかし到底内容を語ることはできない。

起きたらPCが落ちていた。電源が冬に弱いらしい。 なんとか起動させはしたが、ファンが回っていなかった。 助走をつけたら回り出したが、たぶん帰ってくるはまでもたないだろう。 電源を買わないとダメか。

2004年1月18日

帰ってきたらPCが落ちてた。寒さで電源がやられたようだ。

やっぱ練習せんとあかんなあと思った。速度が足りない。 しかしともかく太極拳になるためにも24式をちゃんとやろう。 一つくらい型を最後までできるようになっておいた方が 気持ちが良さそうな気もする。あの中では特に下勢がしんどい。 足首の柔軟性が足りないのでそもそもあの姿勢が取れないのだ。 ヨガあるのみである。

いつもあまりの高さに手を出せないノンホモ(均一化処理をしていない)の 牛乳が半額だったので買ってきた。うめえ。 たまに脂の固まりが浮いているあたりがノンホモらしさを感じさせる。 半額でなお250円する恐ろしい牛乳だが、こんなにうまいなら 買ってもいい。むろん半額の時に限るが。

ブラック「プラトン入門」(岩波文庫)。 題名通りの本である。哲学関係の入門書を読んだのは初めてだが、 こんなに面白いならもっと読みたいと思う。 プラトンが生きた人間だったことがひしひしと伝わってくるのが面白い。 実際の事件が思想に変化を及ぼしていく様がありありと描写されている。 とりあえずこれを読んだ後で元の著作を読めば着眼点を定めやすくなり より深い理解が得られるだろう。芸術的に最高とされるらしい「饗宴」と 晩年の代表作である「法律」は触れておきたい。

ハイデガー「存在と時間」を再開、というか読み直し。 30ページにしてメモを取りながらでないと不可能であることを悟る。 そもそも「存在とは何か」という問いが一体何の意味を持つのかが さっぱりわからない。もっと正確に言えば、その問いの何が面白いのか、 あるいはその問いが何故切実な問題なのか、というのがわからない。 実のところ序章ではそれが語られているはずなのだが、 それが読んでもわからないのである。久しぶりに自分のアホさを思い知った。 だいたい、「存在が存在するものの存在を意味する」って一体なんだ。 わけわかんねえよ。文章の意味でなくてそういう定義をする意図がだ。 しかし、しばらくすると「何故そんなことが問題なのだろう」という疑問が だんだんと魅力的な問題に思えてきて、もう一度挑戦したくなってきた。

それにしてもゆめりあアニメの絵変わってるなあ。微笑んでる七瀬さんの顔変だよ。 というか、萌えアニメのフリをしたバカアニメらしい。脚本がふっとんでいやがる。 元よりこんなもんだったような気もするが、 アニメにするとシステムや素材量の制限が消えるのでいろいろとハデになる。 多少押しつけがましいというか置いてけぼり感があるが、 それもまあ今時のこんなのだしそんなもんだろう。 いや、とは言いつつも、ちと寒いな、いろいろと。無理にケツを強調する構図は きっと笑うところなのだろう。 立派なクソアニメだが、 モネと九葉の声を聞くためだけに見るとしよう。

今ごろになってサップ曙を見た。ひでえ試合だ。 どうせだから曙には相撲を取ってもらいたかった。 つけ焼き刃のフックよりも長年練ってきた張り手の方がよほど強いはずだ。 ルールにおける勝敗などどうでもいいから力士を見せてほしかったと思うのは 私だけではあるまい。

2004年1月17日

WEBで嫌な人はたぶんリアルでも嫌な人だろう、という推測は自然なものだ。 この文章を読んだ人が私をどんな人間だと思っているのかはいつも気になる。 WEB日記を書く人ならば程度の差こそあれそうだろう。 読んでつまらんと思う人は読まないだろうから気にする対象からは除外するとしても、 モノはオモロいが本人にはお近づきになりたくないな、 と思われるのはあまり愉快なものではない。 まして痛い人のサンプルとして観賞されていたらと思うと本当に恐しい。 などと書くあたりが痛い人なわけで、ルソーはまさにそれだ。 ルソーの肩を持ちたくなるのは私に似たところがあるからだろう。 しかしそれはそれとしてああならないように努力しようと思う。

部屋が寒い。手の感覚がなくなってキーボードが打ちにくくなるほど寒い。 そもそも朝などは布団の中に入っていてすら寒い。暖房を買うべきだろうか。 あるいは呼吸法のパワーでどうにかすべきだろうか。 なお、ヨガ呼吸をしつつ意識を集中していると確かに暖かくはなってくる。 ただ起きたばかりなどでブルブル震えている状態ではそれどころではないので ぜんぜんダメだ。大人しくスクワットでもした方が手っ取り早いのが悲しい。

ルソーついで。むすんでひらいての作曲者はルソーです。 オペラの一部らしい。

餓狼伝ボーイが面白い。いつも通りの板垣で驚きはないが、 しかし板垣にはああいうものを求めているわけで満足である。 板垣漫画はもう完成されているのかもしれない。

日曜は静岡。東京からの参加者は私一人。 それでも行かないわけにはいかないよなあ。 なお、今日は練習後アホの家に行き日曜朝に直接静岡に行く予定。

2004年1月16日

ルソーの「孤独な散歩者の夢想」を読み終えた。 刺さる。超一流のダウン系WEB日記だ。 美しい文章とどうしようもなく正直な自分描写がひたすらにやるせなさを 感じさせてくれる。最後に付録としてついているルソーと交流があった人の 手記も「やっぱりダメな人だったんだ」というのを確認できていい。 他人の目に映るルソーは、真面目で善良であることは ひしひしと伝わってくるものの、それが度を越している上に 気分が変わりやすくちょっとしたことで不機嫌になるかなり困った人だったようだ。 そして、周りの人がどんなに誠実につき合おうとしても 彼はもうそれを信じることができなかったのだと言う。 しかし、彼の被害妄想も根拠のないことではなかったらしい。 晩年犬にぶつかられてケガをした時などはパリ中に 「ルソーは犬にぶつかって死んだ」という噂が広まり、 さらには「いや犬にぶつかって死んだのではない。犬のように薄汚れた 死に方をしたのだ」などと言われる始末だったという。 ルソーの顔を知る人は見る度に陰口をたたき、 知らなかった人も知る人に感化されて陰口を叩くようになる。 本当に悲惨だ。才能に恵まれ実際名も売れた人間が 一転して迫害されればひねくれるのも仕方あるまい。 エミールも社会契約論も焚書に処され、逮捕寸前で国外逃亡したそうである。 「これを書いた奴がうちの国に入ってきたらひっ捕えろ」 と行った君主もいたそうだ。それだけの目に遭うほどに強烈な書物を書いた 人物なのだから、非凡なのは間違いない。

ルソーを正直と言うのは間違いだ、と言う人は多い。 「私は善良だ」などと書く奴が正直と言えるか、という主張である。 しかし、悪いところを晒すことのみを正直と言うのはおかしいだろう。 自分が自分を善良だと思っているならそう書けば、それが正直である。 「これを晒すなんてなんて正直なんだ」と感嘆される程度に悪いが、 かつ根本的に人間性を疑われるほどには悪くない悪事を選んで 晒すのに比べればはるかに正直だと思う。 ルソーの場合は子供をことごとく孤児院に捨てたというそれこそ致命的に 人間性を疑われる過去を晒しているわけで、これは正直と言っていいだろう。 エミールなどという教育を論じた書物を書いた人間がそんなマネをしていたと いうのはどう考えてもマイナスだ。 むろん、そんなことを晒すようなルソーはどう考えても痛い人なわけだが、 ただの痛い人で済ますのはもったいないし、何よりも共感が湧く。

本屋で見たルソー関係の本の中にルソーのダメ人間っぷりをひたすらに 暴露するような本があった。悪意のこもったイラストとともに 下劣と言って良い文章でルソーがこきおろされている。 「ゆとり教育はルソーの影響で間違っている」あたりは序の口で、 「日本からルソーの影響を消し去らねば明るい未来はない」とまで 言ってのけていた。あれは極端な例だが、実際ルソーの評価は良くないようである。 WEBでルソーを検索しても、エミールなんぞ書いておいて 実は子供を捨てるインチキ野郎、という評価がかなりの率で見つかる。 しかし私が思うに、エミールを教育論の本として読むあたりがすでに間違って いるのではなかろうか。半ば妄想で全く実践を伴っていないあの本を 読んでまんま使おうと考える方がおかしい。 やってみたがうまく行かなくて調べてみたらルソーが子供を 捨てている事実を知って勝手に裏切られたと感じてブチ切れ、 などという例もあるようだが、それは無茶だ。 ルソーの教育論は机上の空論だからダメだ、などと言ってみたところで そんなことは読んだらすぐわかることであって取りたてて言うほどのこともない。 問題はその先ではないだろうか。 私はまず「ただの面白い本」として読むべきだと思う。 そうすれば読んで印象に残った所についてゆっくりと考えてみる気にもなるだろう。 ルソーの場合は理論云々の前にまずルソー本人の姿を良く見ておかないと さっぱり何もわからない気がする。 人が信頼に足るということと、その人の言うことが真実であることの間には あまり関連はないのではなかろうか。

なお、ゆとり教育の元ネタがルソーというのは微妙に説得力がある。 実際エミールでは将来のために無理に詰めこんで子供時代の活力を失わせるのは 間違いだ、と説いているからだ。しかし、だからといって、 えらい人々が「エミールにも書いてあるしそれでいくか」 などと言って国レベルの方針を決めるなんてありえないとは思うのだが。

やはり告白は読まねばならんな。とりあえず図書館を見てこよう。 なおもしルソーに興味がある人がいたら岩波エミール中巻の途中にある サヴォワなんとかの告白を読むのがいいと思います。 あそこだけでも読めるし、あそこが一番強烈です。

2004年1月15日

炊飯実験。1400W11分(沸騰まで)、150W40分。食える。 次はさらに火力を上げてみよう。 それにしてもこの鍋はすごい。 加熱後すこし冷めた後でふたを持ち上げようとすると本体ごと持ち上がる。 ただ乗っているだけのふたなのだが、加工が精密で隙間がないので気圧差で ふたと本体が離れなくなっているのだ。

ライブラリの行列乗算が 乗算64回プラス加算48回のバカ正直な実装で激しく遅い。 なんべん言っても直してくれないので 別の演算ライブラリを作って自分たちで呼ぶ分は対処したが、 ライブラリ内部で呼んでいる部分は手の出しようがない。 ライブラリの人に聞けば、 ライブラリチームは忙しいのでライブラリの拡張や改良も各チームでやれ、とのこと。 激しく腹立たしいが、まあ向こうには向こうの事情があるのだろう。仕事だしやる。

ライブラリなんて買えばいいのにと思う。 その道のエキスパートが何十人も集まって作った すごい物が金を出すだけで手に入るのに、 何故満足な人数もおらずその道のエキスパートがいるわけでもない 状態で自力で作ろうとするのかさっぱりわからない。 いっそせっかくデカい会社なのだから会社全体から 人間を集めてライブラリを作ればいいのに、そんな気もないようだ。 PS2末期のこの時期に何故そんな問題にわずらわされねばならんのか。 大人の事情はむつかしすぎる。

マリみてアニメ2。絵が大変なことになっていたが、気にしない。 特にダンスでグルグル回る時にかなり大変なことになっていたが、気にしない。 そういえば声も総じて弱っちい。棒読みくささが漂うのは味と見るべきなのだろうか。 内容は予想の範疇で、可も不可もなし。 ところで、エンディングの曲がわけわからん。混ぜ物くさくて好きになれない。 オープニングもいまひとつ。下手な曲を作るくらいなら それっぽい古典音楽のアレンジでも流しておけば良いのに。

2004年1月14日

スピカ9とか、とらハアニメ4話とか。 スピカは今回はいい話系で地味だが きちんと情報は入っているしなにより雰囲気がいい。 いつも通り安心して見られる。 とらハの方はこれもいい意味でも悪い意味でも前までと一緒で、 なんとも言えない。なんぼ幸せで善意に満ち満ちていても さすがにアニメともなると話のショボさが辛い。 話そのものよりも終わった後のレンと晶のどつき漫才の方が印象に残った。 そんなに育つんですかレン。

で、メインモニタ(ナナオL365)とノートのモニタの二つを比べながら見ていたのだが、 やっぱりノートの方がいい液晶だ。メインモニタは 白付近は真っ白になるし黒付近は真っ黒になるが、ノートの方はまるでならない。 なんぼか調整してもみたがダメだった。買うしかないのか。

そういえばハロワが2980円で売られているのをみかけた。それも複数個所で。 どちらも大量に積んであって、いかに店がニトロ作品に期待して裏切られたかを 雄弁に物語っている。あんなに面白いのにと思うが、 賛同してくれる人はあまりいない。 といっても酷評が多いというわけでもなく、 そもそも最後までやり通せた人が稀なので評価以前の問題なのである。 悲しいことだが、仕方ない。

PS2用のS端子ケーブルを買ってきたら見違えた。 コンポジットとSでこれほど違うとは。 これだけ見えるならゲームをやることに関しては全く問題ない。 動画はノートで見ればいいので、 これでテレビ以外は全く問題ない状態となった。 たぶんキャプチャーボードが動かなかったのは何らかの気の迷いと考えられるので もう一回試してみよう。 実は今日チューナーつきアップスキャンコンバータを買う気満々で ヨドバシに行ったのだが、 ちょうど評判のいい奴がなかったので買わずに帰ってきた。 天の助けと言うべきだろう。 そんな金があったら大人しく安いビデオデッキでも買ってきた方が 今となってははるかに賢い。 それにしても、チューナーだけ買うことはできないのだろうか。

M2の冬を思い出す。きっとるぷ・サラダの画面が悲惨だったのもこのせいに違いない。 ビデオデッキをつないでもなんか画面がボケてたのもこのせいか。 当時汚い画面で我慢していた人々にごめんなさいをします。

S端子の威力を試すのに久しぶりにブシドーブレードを立ち上げたのだが、 やっぱりこのゲームすげえ。この危うさがたまらない。 ゲーム性を練り込んでグラフィックをそこそこのレベルにできれば たぶんそれだけで十分面白いのではなかろうか。

S端子の力で物欲が解消された。 現状思いつく物欲は、2/19に出るSNOWのPS2版、 いずれ出るであろう10万を切る1600x1200の20インチ以上の液晶、 FreeBSD5.2が出たら買うであろうHDD、というくらいである。 後はこまごまとした本やら何やらで物欲と呼ぶには値しない。 10W級で今の倍速いCPUが出るまではたぶんマシンも買わないだろう。

川崎に行く途中に「味マコト」と書いてある看板があるのだが、 何度見ても「妹マコト」に見える。写真があれば誰もがうなづくに違い ないのだが、まあどうでもいいことだ。

2004年1月13日

こんなサイトを見つけた。 面白そうな本をつまみぐいするのにかなり助けになりそうな気がする。 やはりその道の先輩を見つけるのが何事も近道だ。 ところで、下の方に日本国憲法のパロディがあって、 あまりのことに吹き出してしまった。後で全部読もう。

英語がまともに読めたらどんなにかいいだろう。 確かに日本語のようなマイナー言語への訳よりも 英訳の方がはるかに数も多いし、たくさんの人に鍛え上げられているはずなのだ。 特に翻訳がまともなものだけ日本語で読めばいい。 そのうち何かの英語訳に挑戦してみるか。読めなかったら読めないで仕方ないが、 プログラミングやら生物学の論文は読めたのだから全くダメということもないだろう。 なお、告白に関してはフランス語ならWEB上にあるのだが、さすがに無理だ。

最初はハリーポッターあたりから行くか。 あまりに弱すぎる気もするが、流行りだしなにしろそのへんで買える。

そういえば社会契約論の岩波の訳は異常なほど読みにくかった。 内容がむつかしいからかと思ったが、 似たようなノリであるはずのエミールがあれだけ 読みやすかったことを思えばそうではあるまい。 あの手のものを読む時にはまず出ている翻訳を列挙して 一番マシなものを選ぶという作業が必要らしい。 しかしあの手のものはすぐ絶版になるのでデカい図書館に行きでもしない限り 絶対に無理だ。大学にいるうちにやっておくべきだった。

そういえば一度東大の生協を見ておかなくては、 と思って調べたら土日休みだ。そりゃそうか。永久に行く日は来ない。

プリコンパイルヘッダ万歳。依存関係を整理することなく コンパイル時間が半分になった。もっとばんばんプリコンパイルすれば さらに速くなるだろう。依存関係なんて気にしないで バンバンぶちこめばよさそうだ。 もちろん実装寄りで公開したくないものは隠すが、 そうでないものは全部入れてかまうまい。 しかしいざやろうとしたら、ヘッダの中に_EXTERNとかいうマクロつきの 変数定義が山とあって困った。 プリコンパイルヘッダには変数や関数の定義を入れられないのである。 .cppファイルに実体を書かなくて良くするための定跡なのだろうが、 一体どういう利点があるのだろうか。

2004年1月12日

家庭があるってどんなだろう、などと考えてしまうのは弱さの表れか。 清水が昔「俺はちゃんとしたいんだ」と言っていたのを思い出した。 結婚して家庭をもつことがちゃんとしていることだ、 というのはいかにも古臭いようにも思えるが、 社会的にはそれが多数派の意見である。 じいちゃんは会う度に「ひまごの顔がみたい」と言うようになったし、 親もはっきりとは言わないがそれを期待している気がする。 これが年を取るということかと思う。 ちゃんとしていなくても誰にも文句を言われない重要人物になる気でいたのはもう 過去の話だ。現実はこのザマである。

ミカタで一番かっこいいと思うのは部長。 あまりにかっこよすぎて実在感がないので 部長本人というよりは、部長の演説が刺さるだけなのかもしれないが。 でもやっぱりかっこいい。ああいう方向で立ったキャラになりたいものだ。

休みだったのか。

何かを買いに秋葉原。そして何も買わない。 あったらいいなあと思っていたものは、ハードディスク、液晶モニタ、 ルソーの告白、ラヴィ・シャンカルのCD、というあたりだったわけだが、 ロクに調べないまま帰ってきた。 だいたい物を買うならネット通販の方が圧倒的に早いし確かなのである。 ただ、電気製品の類は手に取ってみないとピンと来ないし、 普通に手に入りそうな本ごときであれば通販するまでもあるまい。

ハードディスクの相場はだいたいわかった。2.5インチの場合 40Gで14000円程度。同じ値段で3.5インチなら160G買えるわけだが、 やかましいのは困るのでこの際問題ではない。 ただ、どうせならFreeBSD5.2が出た時にシステムごと入れ替えたいので 今焦って買うまでもないと思って買わなかった。 もう4年も入れ替えていないので何か動作が怪しいし、 portsもたいがいコンパイルが通らない。

ちょっとだけルソーの「孤独な散歩者の夢想」を読んでいるが、 すさまじいダメっぷり。 被害妄想と自己弁護と現実逃避の三連コンボがひたすらに綴られており、 まさに引きこもりそのものだ。文章が美しいのが余計に哀愁を誘う。 むろんルソーの場合はさんざんがんばって理解してもらおうとしつつも ひたすらに敗北を重ねてこうなったのであって、引きこもりという 現代的な言葉を当てるのは適さないだろうが、 とは言えこのダメっぷりは目を覆わんばかりで本当にどうしようもない。 あれだけ有名なのだから相当えらい人であるはずなのだが、 まるでそう見えないのである。 ただし、この人が本気であることはこれでもかと伝わってくるし、 本当に苦しんだのもわかる。それが自業自得だとしても、 この気合は認めていいだろう。そもそも面白いのだから他のことはどうでもいいことだ。 すぐ読めそうなのでリハビリ代わりに読んでしまうことにする。

告白が欲しいのだが、すでに日本語訳は全集含めて全て絶版らしく 古本を探すしかない。大学の教養でたまたま取った授業の教授が 「こんなに面白い本はないですよ」と言っていたという以外に ルソーと私をつなぐものはないのだが、本との出会いなんてそんなものだろう。 そんななので、君はこれを読むべきだ、というのがあったら容赦なく教えてください。

2004年1月11日

ニャ電話。千絵を讃えたり、超越を目指す決意を確認したり。 議論あるいは会話をするにはどういう条件がいり、 それが失敗する場合にはどのような原因が考えられるか、 ということを実例を挙げて話したりもした。 私は会話が苦手なのでいい機会だからよく考えてみようと思う。

ミカタ9まで。サービス精神に満ち満ちていて面白いのだが、 何故かわかりにくい。誰がしゃべってて何がどうなっているのかが さっぱり頭に入ってこない。かなり積極的に整理したり映像化したりしながら 読まないとダメだ。何故だろう。リズムが合わないのだろうか。 特に8,9巻はアクションシーンが多いので余計にわかりにくかった。 普通に読んでいるだけで頭の中にアニメが再生されるくらいわかりやすい小説も あるわけで、別に私が怠けているわけではないと思う。 あとは「絶対に切れない糸」とか「絶対にはがれない接着剤」 みたいなドラえもん的道具を自分に納得させるのに多少手間取ったりとか、 撫子さんがそんなに必死になるわけがいまひとつピンと来なかったりもした。 ミサイルに乗って特攻してくるとか、糸一本で車ごと宙釣りになるとか、 そういう無茶はたぶん面白がるべきところなのだろうけれども、 無茶のレベルが度を越してしまっていて緊張感がない。 香港映画を見ているようなもので、失敗即死というスリルがまるで感じられないのだ。 どのくらいの行為がどのくらいリスキーなのかという対応、 あいまいな言い方をすればこの作品の世界法則みたいなものが まるで把握できないのでどこでどれだけ驚いていいのかの判断がつかない。 「つまり何やっても大丈夫なんだろう?」と思ってしまうと スリルなんて生まれようもないのである。 そんなこんなで面白かったのは確かだが興奮するところまで行かない。 今のところ一番面白かったのは5巻だろうか。

そういえば6,7はちょっと毛色の違った話で、 神のいい奴っぷりがたまらなく気持ち良かったりしたが、 とりあえずそんな物のわかった9歳いねえよと言いたくなる。 たぶん9歳だと思って読む必要はないのだろう。 あるいは9歳の定義が違っていると言うべきか。 しかしそれにしてもあのジョウは都合良く見えた。 ゆがみ方もわかりやすすぎているし、改心していく様も なんとなく信用できない。終始やさぐれ気味だった。そして日奈が超人すぎる。

そんなことが気に入らない今日は何かがおかしい。 間違いなく読んでいる間は面白がっていたはずだ。 なのに読んだ後何故それが残っていないのか。 自分でも良くわからない。少なくとも読んでいる間退屈することはなく、 結構頻繁にハッとする言葉に出会って感銘を受けている。 にも関わらずそういう気分が持続しない。 カゼのせいならいいが、どうだろう。それだけではない気がする。 この数ヶ月のあまりに堕落した生活が頭から活力を奪っているのではなかろうか。 毎日ピアノと拳法の練習をしてしっかり働いている、などと言ってもそれが 必ずしも健全さを意味するわけではない。

などという状態にも関わらずDクラはおもろかったのだが、 あれはちょっと特殊かもしれない。 今の私が一番眩しく感じるのはああいう説教なのだ。 一見正しく見える上によく考えれば考えるほど正しく見えてくるような タチの悪い悪の理屈に対して、あんなにあつかましく非論理的な方法で反論する 千絵と梓が本当に美しく見えた。特に梓の方などはジャイアンばりに強引な 論理なのだが、それがかえって気持ちいい。 富士見ミステリー文庫のキーワードはLoveらしいが、 まさにあれこそがLoveだ。

ちょうどカゼをひいていることもあるし、チーズフォンデュ。 WEBで調べて名前を知った適当にえらそうなチーズと適当に安いワインを 買ってきて溶かしてパンをつけて食う。 と、そこまで来て間違いに気付いた。ワインが赤い。赤ワインだったのだ。 何やら全体が紫になっているが、どうせ見かけだけの問題だろうと思って 食い始めた。加熱しながら食う設備を出すのは面倒なので、 十分素早く食えば問題ないだろうと思ったのだが、 思いの他速く鍋の粘性は高まっていく。 それでもそれが均一に固くなるならいいのだが、 困ったことに、チーズ部分と液体部分が分離している。 さらにワインの紫は全てチーズ部分に吸着されており、 紫のスライムが薄い黄色の汁の中に沈んでいるような状態。 時間が経つほどスライム部分だけが固くなってきて余計に嫌な感じになってくる。 なお、味はアルコールの苦味とワインっぽい酸味の加わったチーズで、 要するにしょっぱ苦すっぱいチーズ。 それ以上どう形容していいかわからない。成分組成としてはさほど間違っていない 気もするので、たぶん見掛けはともかくこういうものなんだろう。 何かこの料理を侮辱している気もするので、 機会があったらまともな場所で食ってみたいとは思うが、 まあそんな機会は来ないだろうと思う。

ミカタ10,11。 思った通りだ。頭が寝ている。 面白がる機能が死んでいるとしか思えない。 全然燃え上がらない。今日は本を読んではいけない日だったのか。 少年の戦いはあんなに熱いのに、なんでこっちの頭は熱くならないんだろう。 というか、少年の戦いの話の時は面白いのだが、 それ以外になると途端に感情が平坦化する。 真剣さとか切実さがあまり伝わってこない。 きちんと感情移入するだけの気力がないからだ。 霞がかかったように意識が薄れている。 カゼで半ば寝こみ状態とは言えそれだけでこんなに頭が鈍るものか。 ギャルゲーに慣れすぎて音やら絵の補助を受けることを当たり前と 思っているのではないかとすら思う。 実際たまに挿絵を求めている自分に気づいてハッとする。ありえない。

屍鬼を思い出した。 屍鬼では吸血鬼化するともう日の下にはいられないし、 人の血を吸わなければ飢えて死んでしまう。 もうどうしようもなく人類の敵だ。 だから、吸血鬼は理屈を持ち出すまでもなく自分が生きる為に人間に敵対する。 吸血鬼化する前の自我をまんま保っていても全然不都合がない。 飢えに苦しんで死ぬくらいなら友人を殺すのも仕方ない、という説得力がある。 人間側も吸血鬼側も理屈を持ち出す余裕などなく、 正義も悪もムチャクチャになって泥仕合。印象的な作品だった。 一方、こっちはそのへんの切実さがないので、 吸血鬼が仲間を増やすのは何らかの目的があってのことだし、 吸血鬼化した人間は洗脳される必要がある。 こっちの方が普通にホラーだ。

少年が誰にも頼れないまま戦いを挑むも破れ、真打ち登場。 熱い展開のはずだし読んでいた時は燃えていたが、今はすっかり引いている。 萌えキャラがいると燃えない、なんてことはないはずなのに。 例えばいまひとつサクラとイハナを会わせないようにがんばるエレナと美里 の動機がピンと来ない。理屈としてはわかるのだが。 みんなで猫耳をつけて撹乱する、とかいうことのバカバカしさで醒めているのか。 あと敗北を知った少年がけっこうあっさり立ち直ってしまった ように見えた。コウの思考を理解して、それで立ち直ったのは わかるし、当然それだけの葛藤があったのはわかるのだが、 これまたピンと来ない。 とにかくいろいろピンと来ない。さっぱりわけがわからない。 理屈はわかるがピンと来ないことが多すぎる。 頭がボケているせいか。きっとそうだろう。

カゼが全然治らない。カゼひいた時に安静にしておくのは本当に意味があるのか。 栄養及び十分な睡眠さえ取れば 何をしようが治るまでの時間は変わらないんじゃないのかとも思う。 ところで、寒いとカゼがひどくなるというのは俗説だという話だが、 しかしそれでも寒いと辛いのは確かだ。 なんでこの部屋はこうも寒いのだろう。 呼吸法で体温を操作できるなら是非マスターしたいものだが。 とりあえずヨガ呼吸はできるだけきちんとやろう。 1の時間吸って、4の時間溜め、2の時間で吐く。 吸う時は、腹で吸い、胸で吸い、肩で吸う。 吐く時は、肩で吐き、胸で吐き、腹で吐く。 これを無意識にできるようになったら波紋くらい練れるに違いない。

「練る」の可能の活用は「練れる」でいいのだろうか。 調べてみると「練れる」という別の動詞と考えるべきらしい。

2004年1月10日

千絵スケと結婚したい。が、オレごときでは力不足だ。 そんな感じなDクラ7-2巻。たまらねえ。もうたまらねえ。 こんな説教バトル見たことねえ。もっと説教してくれ。 梓も千絵に比べると弱いとは言えヒロインとしての貫禄を見せつける あのセリフで一気に浮上。などとバカバカしいことを書いても仕方ない。 ともかく、一生懸命生きようと思った。思っただけなのだろうが。

ドラマCDがあったのだった。そういえば。 しかしベル様のマシンガントークで30分、とかいう代物ではないので 大して期待はできない。明日気合が足りていれば買ってこよう。

ミカタ7巻中。そんな9歳見たことねえ。 これが仮に16歳と言われてもなお信じ難いだろう。 しかしだからダメだなどと言う気は毛頭ない。

炊飯失敗。玄米3合に水4合強、1300W16分、75W35分。 芯が残った。新型鍋でも75Wではダメだ。 白米であれば炊けていたはずだが、玄米はそう甘くはない。 ともかく失敗したとは言え多少ボリボリするという程度なので冷凍しておく。 水を少しふりかけて長めに電子レンジにかければ 多少はマシになるだろう。明日また米を買ってきて実験せねば。

2004年1月9日

天一がうめえ。カゼで弱っている時には極端にうまくなる。 なお、これ以上弱ると逆にマズくなって、ひどい時には全く食えなくなる。

今日は10回以上トイレに行った。飲んでも飲んでもおしっこになって出てしまう。

しばらくカゼをひいていなかったのでこの程度でもこんなに辛い。 とは言え、つまるところその苦痛以上の苦痛を与えることをやっている間は それどころではなくなるのでたぶん練習に支障はない。

本で覚えたばかりの「実装とインターフェイスの分離」に挑戦。 抽象基底を作るかポインタだけ持った外面クラスを作るかで悩んだが、 元々ポインタをユーザに渡していたのでそれを変えないで済ますには 抽象基底にするしかない。 そういえばSTLを使うようになってから如実にコンパイルが遅くなった気がする。 プリプロセスした時の行数がハンパでなくデカい。 listを一つインクルードしただけで大変なことになる。 確実に使うところだけでインクルードするようにしないとダメだ。 自分で作っていた時よりも考える事が増えて大変なことになっているが、 これも経験だろう。プリコンパイルヘッダとかいうものを使うと 速くなるらしいので調べてみねばなるまい。

2004年1月8日

いかん。そういえばwindows機がノートPCになったためにテレビが見られなく なっていたのだった。慌ててFreeBSD機に頂き物のチューナーボードを差すが、 動かない。BT848のカードが動いているのにBT878Aのカードは動かない。何故だ。 調べて動くようにできるとしても今すぐは無理だ。 あまりにテレビから遠ざかっていたために今日になるまで気付けなかった私の 負けだ。仕方ないのでどこからか手に入れることにしよう。

昼休みにマリみてアニメ。やはり絵がついて声がつくとかなり強烈で、 つい笑ってしまう。内容そのものはまあこんなもんだろうという感じだが、 ともかくもあれが動いてしゃべってるのが見られたのでいい。 それにしてもあの絵はちと恐くはないだろうか。 特に白薔薇さまの髪の毛が恐い。刺さりそうだ。

カゼ。

昼休みにアニメを消化するのはいい考えかもしれない。 釣られる人もいるかもしれないし。しかしマリみては見られてもD.C.は辛いな。

悪魔のミカタ4まで。今回はすげえおもしろい。 ジョジョはジョジョなのだが、これだけいろいろやってくれれば満足である。 ベタベタなお笑い要素まで入っていてなにやらお得な気分だ。 きちんとアイディアで勝負してくるのが気持ちいいし、 キャラの内面も無茶は無茶なりにきちんと描かれている気がする。 状況がわかりにくいこともほとんどなくなった。 しかしサクラとイハナの周りはまだよくわからない。 そんなに妙な設定でなくてもと思ってしまうが、こういうのが今風なのだろう。 あと、コウとジョウがあまりに超人すぎるのも気になるが、 そういうものなのだし好きだからいい。

あのノリで「ロサ・キネンシス・アン・ブトゥン」とか実際に声に出して言われると つい笑ってしまう。 「私のプティ・スールに」、とか言うのは「君とエンゲージする」 とか言うのと同じような違和感があっておかしい。 生身の人間がネイティブにそんなことを言ってる空間がこの世に存在するのだろうか。 マリみてがおもろいのは第一にはそういう違和感が新鮮だったからだと思う。 最近はそういう違和感はさっぱりなくなって単なる楽しい学園物になっているが、 まあそれはそれでかまわない。

2004年1月7日

ゆっくりハノンが絶大な効果を発揮している。 昨年中に2声全てに手をつけるという目標はついに果たせなかったが、 せめて4月までに3声に突入できるようにがんばろう。 3声において障害になるのは指というよりはむしろ脳のスケジューリング精度であり、 とにかく脳を3声に慣れさせることが肝要だ。 脳の中をポリフォニーにしなければピアノは弾けまい。 そうなればヴァイオリンの無伴奏を ポリフォニーとして弾くことができるようになるかもしれない。

1000字/分の速度で本一冊読めると速いのだろうか。 例の判定サイトでは普段読んでいるのと大差ない速度で判定したはずなので、 だいたいそれくらいの速度のはずだ。 そこのマリみてでは2ページ25秒程度だった。 200ページあるとすると2500秒で40分ちょい。 今は多少速めに読んでいる気がするのでまあ2ページ30秒くらいだろう。 マリみて一冊50分。まあ確かにそんなもんな気はする。

本を読んでいる自分を観察すると面白い。 セリフに来るとセリフをどこか別のところに記録しておいて 目は次の地の文にスキップし、地の文を読み進みながら 別にのけておいたセリフをしゃべるのに比較的近い速度で音声的に再生している。 セリフは音声的に解釈され、地の文は視覚的に解釈されるらしい。 地の文がセリフっぽい場合やセリフが長いには 特にセリフっぽい部分が適当に抽出されてそこだけが音声化される。 また、音声化されるにしてもやはり本当に音読するのに比べると相当速く なっているのだが、何故か違和感がない。これは不思議である。 一秒間に20字とかいう速度で人がしゃべるわけはないのだが、 しゃべったのを聞いたのと同じように受け取ることができる。 なお、地の文にしても本当に字のまま解釈されるのではなく、 若干音声化されている。ただしリズムに影響する部分が 適当に抜き出されて音声化されるらしく、それによって文章の リズムを感じているらしい。 ちょうど5倍速再生なのに音が普通に聞こえるビデオデッキのようなものだ。 また、読み取りや解釈で間違いが起きて理解が不十分な個所が生じても すぐには戻らず、なんぼか先に進んでから不意に戻って確認している。 どうやら解釈中の文章の内容が薄くて解釈に余裕がある時を選んでいるらしい。

このへんのことはコンピュータ的な言葉で書いた方が書きやすいし 理解もしやすい気がする。 入力を一時領域にコピーし、そこから解釈部に流しこむ。 解釈部は視覚的なものと聴覚的なものの二つがあり、 セリフは聴覚的解釈部に送られて比較的ゆっくりと解釈される。 その間にも視覚的な解釈部は動いているのでこの二つは並列動作する。 また、読みとって一時領域にコピーする部分もこれまた並列で動作する。 と書いてみたが、まだよくわからないことがたくさんある。 受け取る情報をどうも無意識に 空気や感情に影響するものと話の筋やら事実に影響するものに分類して 前者を聴覚的に、後者を視覚的に認識しているような気もするが、 よくわからないしその分類は連続的だし基準ははっきりしないしで とにかくいいかげんだ。まあそんな感じ、としか言いようがない。

一度は油で黙らせた電源ファンだが、再び轟音を上げ始めた。 やはり回るものがあることそのものが間違いである。 とは言うもののファンを外したら壊れた経験があるので ファンを止めるのは躊躇してしまう。困ったものだ。

2004年1月6日

ついに薬指と中指がはがれた。ピアノの話だ。 しかし、そのおかげでなおさら薬指の弱さを思い知った。 ゆっくりとハノンを弾く練習をしよう。

18日は静岡で練習とのこと。それまでに正月ドラクエでなまったのを どうにか元に戻さねば。

自分で作ったものを捨ててSTLにして回ったのがやっと動くようになったが、遅い。 重複チェック用のhash_setなどは一回確保したら確保しっぱなしでいいのだが、 それをSTLに教える手段がなく毎回確保と解放をやられてしまうのである。 捨てないでclearできないのだろうか。 さらに、せっかくだからと stable_sortを使おうとしたらSmall DataのGP相対がどうのとか言われて コンパイルが通らない。調べて意味はわかったが、 ライブラリをコンパイルしなおさないといけないらしく、それは無理だ。 STLで楽をするのもなかなか大変らしい。

よく調べたらlistもhash_setもinsertする度にallocateしていやがった。最悪。 listはコンストラクタに初期数を与えても、それを一つづつallocateしやがる。 hash_setもコンストラクタで数を与えられるが、確保されるのはバケツ分だけで コンテナ分はやはりinsertした時にallocateされる。 hash_setは自作ビット配列に戻したが、listの方はまだ決めていない。 そもそも片方向でいい上に一個づつ削除することはないので それに特化したものを作った方が速いのは確かなのだが、 比較的どうでもいい部分ではあるので自作してバグ源を増やすのもバカ臭い。

2004年1月5日

そんな速度で本を読めるのはすごいな。 私は1000字程度。ダラダラ読んでたらもっと落ちるだろう。 なにしろ脳内で音読しているのだから遅いに決まっている。 情報だけ取ればいい時は別の読み方をしている気がするが、 しかしそれにしたって3000字はない。 そんな速度で読んだら内容はさっぱり頭に入らないだろう。

鍋復帰記念に米を炊いた。すごい。米一粒一粒が独立している。 約6合について1300W20分、75W20分という配分だが、 少々コゲついているので強火時間は減らした方がいいかもしれない。 以前はこれでコゲついていなかったので、 それだけ保温効率が高くなっているということになる。 特に75Wで沸騰状態を保てるというのは素晴らしい。

起きたら11時だった。初の大遅刻。しかし何を言われるわけでもないのが うちの会社のいいところだ。 とは言うものの結構ショックだったので今日は早く寝ます。

2004年1月4日

これは日記なので、あけましておめでとうとかいう挨拶は書かない。 などと言ってみたところで何の意味もないのだが。

福島でだらけていた。

ドラクエ終わり。隠しダンジョンがあるらしいが、疲れ果てたので放棄した。 シナリオが無常観に満ち満ちていて素晴らしくいい。 小さな物語がいくつも集まって大きな物語になっていき、 その中で主人公の占める位置が少しづつ見えてくるという構成がたまらなく良かった。 どうでもいい町の人のセリフがいちいち良く出来ているのも見逃せない。 もちろんゲーム的にも見るべき点が多い。 レベルの重要性を下げて職業レベルや武器防具の重要性を増すことで 主体的な選択が迫られる作りになっており、これまでのシリーズに比べて 「レベルを上げればいいや」という感じは薄れている。 また、戦闘の重要性が低いのも特徴的だ。敵の出現率は一様に低く、 パズル性の高いダンジョンにおいては全く敵が出てこないことも多い。 開始後2時間程度は一回も戦闘がないというのも異例の作りと言えるだろう。 ロープレと言えば戦闘、というイメージを覆そうという試みなのかもしれない。 実際ダンジョンのパズルはかなりよく出来ており、 町の人のセリフやアイテムの配置等の世界の作りこみも異常なまでに凝られている。 とにかく新しいドラクエを作ろうという気概が強く感じられた。 が、それが辛いということも当然あるだろうし、 システムとかみあっていない部分も多い。 職業レベルを上げるには戦闘を重ねるしかなく、 結局そのために作業が発生してしまうのはいい例だ。 しかし、そのあたりは確かにどうしようもない気はする。

そういえば3回くらい詰まった。石版がみつからなかったり、 ボスに勝てなかったり、まあ大変だった。 ベホマラーもなくパーティが3人のままグラコスに突入した時が 一番絶望的だっただろうか。一面大洪水でダーマにも行けず、武器防具も買えず、 できることはレベルを上げることだけという状態なのだが、 この作品はとにかくレベルが上がりにくくて、しかも上がったところで 大して強くならないのである。 なお、クリアレベルは40。ラスボスに最初に会った時は30ちょいだったが、 その時は武器防具もひどいし職業は一人あたり2つくらいしか極めていないしで 何をどうやっても勝てなかった。 HPが200もない状態で全員で150食うような攻撃が来たら対処のしようがない。

そういうわけで良く出来ている。

悪魔のミカタ2。急にふつうのおもしろさになった。 新鮮味が薄れてくると途端に日本語がわかりにくいことが障害になってくる。 ジョジョ的な頭脳戦もジョジョの方がいい。 確かに面白いのだが、感じいるものはない。とは言うもののもう一冊読んでみよう。

マリみてバラエティーギフト。どこの同人だこれと思いつつ、まあ普通に おもしろいしいいかと思ったりする。完全に惰性だ。

Missing。凄まじく日本語がわかりにくい。文章のうまさなどというものは 私には判断できないが、とりあえず私の苦手な文体だ。 とにかく最後まで読み通して筋はわかったが、それ以上はなんとも言えない。

沙耶の唄。「燃えません、凍えます」という文句は半分本当で半分嘘だ。 確かに怖い所はある。というか、要素要素はちゃんと怖い。 しかし肝心なところで虚淵先生が「面白く」してしまっているため、 結局怖さよりも面白さが勝ってしまっているのである。 「やりたいシーン」あるいは「やりたいネタ」が先に走ってしまっているためか、 いろんなところで都合がいいのも恐怖感という意味ではマイナスである。 主人公の悪っぷりやら女医の変貌っぷりなどは、 まさにそれのおかげで面白くはなっているものの説得力は欠ける。 もはや「お約束」としてそれ込みで楽しむべきだろう。 そういう意味においてまごうことなきニトロ作品だった。 ボリュームはこの際問題にはしないでおこう。

悪魔のミカタ6までゲット。

3巻。やはりたまにわかりにくいが、かなりおもろい。 やはりコウは妹の話になると光る。彼には気の毒な話だが。 ところでこの作品に関して「立ち絵が欲しい」という評価があるそうだが なるほどと思う。状況の説明が明らかに足りない。

いいものは技術の上に何かが重なって初めて生まれる。 その何かは人間とか心とかいろいろと表現されているが、まあそのようなものだ。 これは今日たまたま立ち読みしたクラシック音楽の本に書いてあった ことだが、たぶん何にでも言えることだろう。 ところで、私はある人に比べれば技術の面を重視しがちだし、 また別のある人に比べれば技術以外の何かを重視しがちだ。 そして、技術を重視していることを自覚している私は、 それ以外の何かを重視していることを自覚している私とは反対の立場にいる。

忘れていたが、「涼宮ハルヒの退屈」も読んだのだった。 いつも通り、という以外に何を言っていいかわからない。これも惰性。


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