日記

2003年12月28日

キャッチャー・イン・ザ・ライ。9割5分の時間を、 なんでこんなムカつく野郎の独白を聞き続けねばならんのだろう、 と思いながら過ごしたが、残りの5分で少し許す気になった。 しかしやはりこんな奴は嫌いである。 文句ばかり言って何もしない。純粋なのはわかるし、 これがリアルであることもわかる。 しかし、こういう純粋さが全くの役立たずであるどころかほとんどの場合に 有害であるということを知った上で、 なおその純粋さを愛するというのは並大抵のことではない。 私には無理だ。そういうわけで、 妹が奴に、あなたは何もかもが気に食わないだけなのよ、と言った時には ずいぶんと晴々とした気持ちになったものである。 とは言うものの、彼を理解できない、というわけではない。 彼が言う「インチキ野郎」のインチキはどれも共感できるものである。 私もそういうインチキをバカにする傾向の強い子供であったし、 今でもそれはさほど変わっていない。 私は彼ほど徹底していなかったし、無邪気に努力することもできたから、 一応社会的な称号としては問題のないものを得ることができたが、 こと社会的な常識や人間関係においてはおそらく落第スレスレだろう。 と、そのようなことを考えるきっかけになったという意味ではいい本だった。 むしろそういう本こそがいい本なのだろう。 全く面白くはないしとにかくムカつくが、それでも読み続けたのは 彼にとってそのバカバカしい反抗が本当に切実であることが わかる気がしたからだと思う。

シャンプーで体を洗うのは不都合が多い。 一方ボディソープで頭を洗うのはまるで不都合がない。 髪が長かった頃は潤滑材が必要だったためにわざわざシャンプーを使っていたが、 今となっては全く無用である。 ある世界の言葉で言えば、シャンプーとボディソープは 人体用液状洗剤という基底クラスから派生したクラスだが、 ボディソープは何も新しいメンバをつけ加えたり上書きしたりしていないので 単に人体用液状洗剤として扱って良い、ということになる。 また、私にとって人体用液状洗剤というのはインスタンスを作れるクラスなのだが、 他のおしゃれな連中にとってはインスタンスを作れない 抽象クラスとみなされているということも言える。 彼等には私がわざわざキャストして使っているように見えるはずで、 実に好ましくないプログラミングスタイルだと思われることだろう。 しかし私はシャンプー型のインスタンスを別に生成するコストを問題にしているので 話がかみあわないのである。

専門的な用語や概念は一度日常のものに落とすことで理解しやすくするものだが、 それではまだ半分だ。 逆に日常のものを専門概念で把握するという作業をしておかないと使えない。 とは言うものの、前の段落のようなものは単なる戯言で、 何の役にも立たない。ただ、本屋で探す時に自分がどういうアルゴリズムを 用いているかを明示的に認識する、というような訓練をしておくと いろんなものがつながって全体的に賢くなる気はする。 修得したスキルはできるだけ応用できるようにしておきたい。 ヴァイオリンも拳法ももっと使い道があるはずだ。 ただ、そうやって別分野に応用しようとする試みはしばしば ジョークとしか受け取られない。そのことを自分でもわかっているので 自分でもほとんどの場合はジョークとして人に話す。 例えば拳法のおかげで引越しのバイトが楽になった、というような話は いかに私でもジョークとして話しているつもりだ。 が、元々は別にジョークのネタを作るためにやったわけではないのである。 これは学んだことだけでなく、観賞した作品についても言える。 ああおもろかったでおしまいになるようなものに時間を食われては淋しかろう。 とは言うものの作品の場合には応用しようとか役に立てようとかいう 考えこそが邪念であるような気もしていて話がややこしい。 読んでいる間面白くてその後記憶に残らないようなものこそが実は いいものなのかもしれないとも思うのだ。 なにせAirはそのような意味においては全然面白くなかったのである。 感動だ共感だとわけのわからんことを言って誉め讃える自分はやはりインチキ野郎だ。 とは言え、結局Airが好きなことは認めざるを得ないのだからこれまた話がややこしい。

何の話かわからんな。たぶんハイなんだと思う。

実家帰ってきます。4日に戻ってくるでしょう。 沙耶の唄とかやってきます。ドラクエも終わるといいなあ。 PHS経由で更新されるかもしれませんが、面倒なのでしない気もします。

2003年12月27日

LV12。ガボが仲間になって4人パーティーになり一気に戦力がアップ。 その後からくり兵編を終了。そして詰まった。石版が足りない。 一度行った場所にも根こそぎ行ったはずだがなお足りない。 あまり前の方で取り逃しているとも考えにくいので、 やはり現在世界に最近現れた島が怪しいと見るべきか。

ところで、今回ストーリーというかシナリオがすごい。 からくり兵編はかなりジーンと来た。 演出と呼べるものはたかだか音楽程度しかないのにこれだけ効く。 現代世界の人間が過去世界の人間のことも知らず ぬくぬくと生きているのがこんなにも腹立たしくなるのだ。 きっと500年生きている人がいたらうちらに対して同じような思いを 抱くのだろう。そんなことを考えてしまう。

それにしてもLV12程度になるまでにこれだけ濃密な内容が詰まっているとは。 一つのまとまったストーリーごとにたかだか2レベル程度しか 上がっていないことになる。 バランスもいい。3人の時の構成はドラクエ2そのものだ。

2003年12月26日

ドラクエLV8。動物にされた町。ここに来てついに進めなくなった。 特にマリベルの防御力が目を覆わんばかりの弱さで、4発も食えば即死である。 とはいえマリベル用の防具は高い。 一方前衛二人に鎧を買うとダメージが2点ほど減って相当楽になるはずだが、 これもそう安くはない。鎧は450。マリベル用防具は700。 しかし買えるまで稼ぐ気などさらさらないので突撃。 リレミトを覚えた以上多少の無茶は可能だ。

ところで、石にされた町の話がたまらなく良かった。 スーファミでもできるような演出だけでこうまで効くものかと驚いてしまう。 というか、やればやるほど容量以外のところではスーファミで良かった 気がしてくる。特に操作性の悪化は深刻な問題だ。 調べたい物に正面から当たれなくてイライラする。

2003年12月25日

ドラクエLV7。第二の島出現。まだ稼がなくても進める。 それにしても人々の堕落をこうまであからさまに描くとは なかなか奥深い。演出も何もなくてもこんなに淋しい気持ちになれる。 まさに内容の力である。FFとはそういう意味でも対極なのだなと改めて思った。 しかし早くもマンネリ化の徴候が見えてきた気がしないでもない。 まだまだ大丈夫だが。

面白いってなんだろう、と常に考えていれば そんなに偏ったものにもならないとは思うが、 たぶん私の面白いは偏っているので信用できない。 テレビを見てないような人間の言う面白さが多数派にウケるとは到底思えんし、 多数派が面白いと言うものは私にとってはたいがいどうでもいいのである。 しかしそれでも、私の思う面白さをちょこっと差しこむくらいのことは できたらいいなあと思うのだ。 しかし具体的にどうしたいのかはさっぱりわからない。 最近ダレてるのはそれが原因だ。

2003年12月24日

2番目の島に着いたところまで。レベル6。 世界のからくりが少しわかってきてすごく楽しい。 昔はまるで気付かなかったが、そのへんの人のセリフが本当によくできている。 セリフから本当にいろんなことが伺えるのだ。 絵的な演出なんて皆無なのに、本当にいろいろなものが伝わってくる。 もしかすると私はやっとドラクエを楽しめるだけの頭を手に入れたのかもしれない。 そういうわけで基本的には絶賛状態なのだが、 一つ難があるとすれば現状戦闘があまりおもしろくないということか。 敵の個性があまり感じられない。 また、全く金稼ぎや経験値稼ぎをしなくても進めることをバランスが良いと 言うかどうかも好みの分かれるところだろう。 ところで気がついたのだが、限られた金で何を買ったら有利かを考えるのって楽しい。 早く先が見たくてバンバン進んでいるので金を溜める気にならないのが こんな楽しみを生むとは思わなかった。 昔はあるもの全部買ってから進んでいたのだから信じられん。 あと今回はかなりパズルが多くて新鮮。 オレもしかしてバカなんじゃないかとかなり不安になる。 最初のダンジョンでは4アイテムを逆順で取ってしまった。 かぶとがあんなに最初の方にあったなんて。

にしても、絵的にはショボイなこれ。そんなことは全くもってどうでもいいが、 とは言えショボい。そして3Dであることに慣れていないためか 操作性を若干損っている。 例えば岩やら木やらに斜めに当たった時に引っかかるのが少しうっとうしい。 こういう時は障害物に沿った方向を変えてやるのが常套手段だろう。 それと、音楽のすぎやまこういち度が高すぎて若干不満。 この上なく良く出来ているとは思うが新鮮さに欠ける。 なお、プレステでこのロード時間を実現したことに対しては素直に称賛したい。 それでもスーファミンよりはテンポが悪いわけだが、 さすがにそれは仕方あるまい。敵のアニメーションは切りたいが。

悪魔のミカタ。かなり当たり。たまに読みにくいがそんなことはいい。 しかし今は寝る。3時半だ。

電源はすっかり静かになってしかもちゃんと回っている。偉大だ油。 しかし本当に大丈夫なのだろうか。一晩保ったとは言え安心はできない。

鍋が帰ってきた。しかも新品になって。モデルチェンジしてしまって 合う蓋がもうなくなってしまったらしく、蓋の値段で本体ごと交換。 よくわからないが得した。

2003年12月23日

そう遠くない関係にある人々が作ったものが 近年稀に見る無残な外し方をするのを見て、 やはり物そのものの出来こそが全てだと思った。 むろん売り方もまた軽視することはできないが、 あそこまで無残な例を見てしまってはそんなことはどうでも良くなる。 作り手が最も頻繁に自問すべきことは「買うか?」であろう。 それが厳しすぎるのであれば「ゲーセンで100円入れるか?」でもいい。 自分で買う気にならないものを売ることに無理があることを どうしても忘れようとするからだ。 物を作っていて「おもしろいような気がしてきた」などという台詞が聞かれたら もう終わりだろう。ましてそれがプログラマやデザイナーでなく ゲームの内容を決める企画側の人間であったならばなおさら事態は深刻である。 売り方のことは良く知らないが、 売る人間がモノのことをよく知っていなければならないという 当たり前の条件が実際に満たされてさえいれば、後は些細な問題ではなかろうか。 営業の人間は物を広めたり売ったりすることに関する知識は持っていて 当たり前であり、問題はその先だからである。 つまり、ゲームであれば「実際に遊べ」ということだ。 これはもちろん作る側にも言えて、 作る人間全員が遊んでいないようなゲームはもうダメである。 極端な例だが、遊ぶのに支障を来すような欠陥が存在するゲームは そのことによって「誰も遊んでいないこと」を示してしまっている。 作った人間は作った物を愛していないし、良い物を作ったとも思っていない ということだ。そう思われても仕方ないし、どう作り手が否定しようとしても 事実としてそうなのである。

うちらはプロですから、というセリフがあんなにかっこよかったのは そういう姿勢が生きていたからだ。 あの感動を忘れたらもうここにいる意味がなくなる。 気合を入れ直さなければ。

ドラクエ買ってきます。でもたぶん途中で挫折すると思う。 これが最後のドラクエになるだろう。

中古を2000円でゲット。ワクワクしてしまう。体が覚えているらしい。 ところで、村上春樹訳のキャッチャー・イン・ザ・ライを買ってきた。 店員に「ライ麦畑でつかまえてはどこにあります?」と聞いたら 「新書と村上春樹の新訳のどっちですか?」と聞かれたので 両方見て日本語として自然な方を選んでみた。 なんでこんなものを買ったかと言うと、ナインストーリーズのテディを読み終えて みて急に何かが掴めた気がしたからである。 それまでは何が面白いのかさっぱりわからなかったのだが、 なんとなく面白い気配というか兆しが見えてきたのだ。 そこで一番有名な奴を買ってみることにしたのである。 なお、ついでに悪魔のミカタの最初の奴も買ってきた。

というところまで書いてPCの電源が落ちた。 このところの轟音をどうにかしようと一回開けて掃除したところ 嘘のように静かになって喜んでいたのだが、そもそもファンが回っていなければ そりゃ静かだろうよ。もう一回開けていじったらファンが回るようなって 電源も入ったが、騒音も元通りになった。静音ファンと言ってみたところで 所詮この程度である。要するに電源ファンなどというものが存在している時点で もうダメだろいうことだろう。回る物を追放する以外に道はない。

ダメで元々と油をさしてみた。回らなくなった。手で助走をつけてやったら 回り出したが、しょっちゅう減速する。怖すぎる。音は静かだが、 たぶん回転数が落ちてるだけだ。長くはないなこりゃ。 また電源の中身むき出し状態で使う日々が戻ってくることになる。 それで夏を耐えてくれるなら別に文句はないのだが、 去年は耐えられなかった。

電源が落ちた。ヨドバシに新しいのを買いに行くべきなのはわかっている。 しかし、今度は手で助けてやらなくてもファンは回ったし、 こうして動いているのを見ているとこのまま何事もなく動き続けるのではないかという 気がしてくるのが不思議だ。

ドラクエムチャクチャおもろいんですが。この冒険感たまらねえ。 オレをこの島から出せ!今から島を出てきます。きっとこの先は別世界だ。

ついに戦いが!この始めて1時間以上戦闘なしというのはかなりすごい。 島から出たいという欲求が爆発しそうになっているところで 期待たっぷりに別世界。そしていきなり不幸な人々。 やっぱおもしろいわこれ。

ホイミを覚えた。メラも覚えた。もう無敵だ。さあ病人を助けよう。

2003年12月22日

とあるできそうな人の文章を読んでいてまた思った。 本当にプログラマとしてやっていけるんだろうか。 これから育てばいい、と言っていられる時代はもう過ぎているだろう。 もうすぐ2年になってしまう。 しかしここで逃げてはカイジで利根川が言っていたように 「今のオレは本当のオレじゃない」と言いながら 何も成さずに死んでいくカス人間になってしまう。 私はもう2回も逃げてしまっているのだ。次はないと思うべきである。 それに、今やっていることよりもマシにこなせそうなことなんて 私には全く思いつかない。

なお、現状具体的な不満は全くなく、会社が嫌になったわけではない。 要するにダレている自分がいまいましいだけのことである。 私は私に鍛練を強いてくれる場所にいたいのだが、それは虫が良すぎるというものだ。 いいかげん自律という事を知らねばならない。

スピカを見て元気を分けてもらった今だからこんなことを考えるが、 おそらく水曜日くらいにはまたダレ切っているのだろう。 しかし、せめて明日くらいは熱い心を保ちたい。

そういえばドラクエ7をやりたいなあと思って店を見ていたのだが、 全然安くなっていなくて驚いた。 最後までやるかどうかはともかく、かつてあれだけ夢中になったものが 今どう見えるのかには興味がある。まあ焦らんでもいずれ手に入るだろう。

そういえば会社宴会のプレゼント交換でチーズフォンデの鍋というか それの一式をゲットしたのだった。 しかしそもそもチーズフォンデって何よという問題があったので調べてみたところ、 暖めてとろけたチーズにパンをつけて食うものらしい。 何故そんなものに専用器具がいるのかさっぱりわからないが、 ともかくももらってしまったものは仕方ない。捨てる前に一度は試さねば ならないだろう。なお、私はまるで面白いものが思い浮かばなくて ハイフェッツのツィゴイナーのCDを持っていった。 案の定「知らねー!」とか言われたが、「まあわかりやすくすごいんで、 優雅な気分の時にでも聴いてくださいよ」などと言っておいた。まあ聴くまい。 せいぜい一回だろう。それは私がこの器具を捨てる気満々なのと同様である。 宴会のその場限りのネタにすぎないと割り切ってもなお空しい。 誰に渡すかわからないプレゼントというのは、 よく知らない特定の人に渡すプレゼントの次に厄介なものである。

調べてみるとけっこう奥が深いものらしい。チーズフォンデ。 チーズの調合やらワインの選定やらハーブやらで、 なにやらおしゃれそうな食い物だ。向いてねえ。どう考えても向いてねえ。 玄米飯に納豆かけて食ってうめーとか言ってる人間には絶対向いてねえ。 しかしやらんわけにも行かん。

SNOWの会社が作ってる作品に芽依子さまが出てきてエロエロらしいわけだ。 どこかの雑誌のインタビューで「SNOWで使えなかったエロシチュエーションが もったいないからそれでゲーム作ってみることにしました。エロいですよ」 みたいなコメントがあって、裏切ったなとか勝手に思って、 それが勝手であることに気づいて、どうでも良いことにした。 事実どうでも良い。シナリオはSNOWの人らしいが、たぶんやらん。

SNOWとかD.C.とかを誉めるようになった私にはどこか嘘臭さを感じている。 そんなメルヘンな人間とは到底思えないからだ。どう考えても似合わない。 そして私に信じられないことを、私を良く知る他人が信じられるはずがない。 また同時に、そうであるからこそなおさらSNOWやD.C.を誉めているのでは ないかという疑念が強まっても来る。しかし、 そういう思考は無益で、たいがいの場合は欲しい結論が決まっている。 好きだと言うことと好きであることの間の距離がどれくらいなのかは たぶん永久にわからない。 ところで、おそらく前も言ったんだろうが、 音夢がヤバいくらい可愛いと言って焦りまくる純一君は 微笑ましくてうらやましい。その躊躇が好きだ。その言い訳くささが好きだ。 彼がああでなければ音夢はこうまで可愛く見えなかっただろう。 純一君は私とは他人だが、ある種のリンクがあった。 感情移入にはそういう形もあると思うし、たいがいの場合私の言う 感情移入はそういうものだ。だから私は 「恭ちゃんには感情移入できない。とらハ3はダメだ」 などという連中を憎らしく思うのである。 ギャルゲーの主人公は個性がないほどいい、という説を私は信じない。

北斗の拳のキャラの名前は一体どうやってひねり出されたのだろう。 ケンシロウは元の読切りの設定が生きているからいいとしても、 トキとかジャギとかシンとか、一体おまえらどこの人間だ。 リハクとかリュウケンとか微妙にわからんでもないのもいるにはいるが、 ジュウザ、シュレン、サウザー、ラオウ、その他諸々さっぱり意味不明である。 たぶん何かあるんだろうが。

スピカの主題歌は好きだが、残念ながら歌があまりうまくない。 フレージングが不自然なので言葉が伝わってこないのだ。 ともかくいつかのために歌えるようにしておこう。 長いバージョンもどこかで聞かねばな。

2003年12月21日

島田荘司「斜しいことを考えるものだ。大したものである。 とはいえそれだけの小説だ。

ふたつのスピカ。これかなりいいんじゃないのか。 展開やら台詞やら、まあ何もかもがどことなく古臭いんだが、 しかしそれでもぐっとくる。 なお関係ないことだが、エンディングの「見上げてごらん夜の星を」 はちと歌い方がくどくて好きになれない。 一方オープニングの歌はものすごくいい。 少し何かに似ている気はするが、なんだったか。

なんていい話だろう。つっこみを入れたくなるギリギリのライン。 もう少しいい話度が高かったらおそらく笑ってしまっていた。

これ、おもろいわやっぱり。基本的にこういう人ががんばる話は好きなのだ。 夢だよ夢。しかし、フィクションの力を借りなくては夢を語れない ようではあまりに情ない。がんばって生きなければ。

4話まで。続きよこせ。

月姫3話。ネロ弱い。この盛り上がらなさは一体なんだろう。

ボーッとしたら寝てた。そしてものすげえ感動的な夢を見た。 しかし、今では何が感動的だったのかまるでわからん。悲しいことだと思う。 Dクラで語られる悲しさはこんなところでも味わえるらしい。

スピカ5話。オープニングを見ているだけでグッと来るのは何だ。 そして今回はネタがそもそも汚ねえ。泣くだろそんなの。あまりにハイレベルすぎる。 そしてこの主役の人の演技がうますぎる。なんでこんなに子供に聞こえるんだろう。 くれよんしんちゃんの人らしく、なるほどとは思う。 しかし、試験の途中でこんなの挟むか普通。

プラネテスはなんとも思わないのに、こっちはいい。何故だろう。 あっちも同じくらい良く出来ているとは思うのだが、不思議と好きにはならない。 結局、私は宇宙ネタであることそのものにはあまり興味がなくて、 キャラがどれだけ好きになれるかが問題なのだと思う。 プラネテスは宇宙でないと成り立たないが、スピカは宇宙でなくても 同じように面白くできるだろう。しかし、宇宙であることによって より一層夢が大きくなって面白くなっていることは確かだし、 何よりこの作品の根底には宇宙があると思う。 だから宇宙でなくてもいいなどとは言わない。 石渡治のパスポートブルーも大好きだ。 しかしそろそろフィクションだけでなくて現実にその熱が欲しい。 コンピュータの進歩もいまいち衝撃が薄れてきたところだし、 そろそろ核融合するなり火星に行くなり生命を創り出すなりして 別の興奮を与えてほしいと思う。

私は自分でそれをしたかったのだ。しばらく学問から離れてみて また学問がすごいもののように思えてきた。 憧れが十分溜まったらまた挑戦するかもしれない。 結婚でもしない限り捨てられないしがらみは生じないだろう。

島田荘司「異邦の騎士」。これはなかなか面白かった。 前の二冊とは違ってまるでパズル臭さが感じない。 最後にタネ明かしはあって少し驚かされはしたが、 だからと言って何がすごいというわけでもなく トリックがどうこうという作品ではない。 かといって話そのものがすごいというわけでもないのだが、 なんというか読まされてしまう。 それにしても、今になって考えてみると一体何が面白かったのかよくわからない。 面白かったのは確かなのだが。 ところで、思い返してみると星占術が一番つまらなかったような気がする。 あるいはまだ島田荘司に慣れていなかったのかもしれない。

猿と池袋二郎。三田ほどではないが、やはり暴力的な味。 二郎はもう耐えられないのかもしれない。食ったが。

猿から NF(京大11月祭)でうまい棒でエッフェル塔を作ったという記事を紹介された。 見たかったなあ。

スピカ8まで。順調に話が進んでいるが、ここらで悪玉が何かやらかしそうな予感。 うまい。構成がうまい。

2003年12月20日

このプール勝負のオチは最高だ。スクラン。 まさにめくりの模範例。ベタベタすぎて新鮮に思える。

固定サイズしか取れないアロケータを作ってvectorに差してみたが動かない。 取ってくる数が要求の度に倍になっていくような仕掛けがしてあって あまり何度もallocateを呼ばないようになっていたからである。 なるほど賢い。それくらいnewというのは遅いものだということなのだろう。 しかし、最初に限界サイズが決まっていて しかもそれを全部使っていいという保証があるならそんな工夫には 何の意味もない。むしろ無駄だ。 STLにはそういうサイズ関連の工夫がたくさん詰まっているようなのだが、 今私が欲しいのはそういうのではなくて、 単純にhashとかlistとかのアルゴリズム部分なのである。 とは言え、標準というだけでなんとなく使わないといけないような気がしてくる。 プログラムで使うメモリなんてモデルデータの巨大さの前ではゴミ同然であり、 そう考えると多少遅かろうが無駄だろうが自作のコードが増えることの悪に 比べれば大したことではないような気がしてくる。

もえたんゲット。受験生である弟にクリスマスプレゼントがわりに贈ろうと 思って買ったものだが、むちゃくちゃおもしれえ。 全体にそこはかとなく匂う自虐臭がたまらない。 しかしやはり使う人間を優先せねばと思うので今すぐ送る。

芽依子シナリオが入るのはPS2版の話か。危うくDC版を買うところだった。 それはともかくとしてオラタンゲット。こんなのに参加したかった。 フォースもおもろいと思うんだが、二人いないといけないというのは辛いわな。

今日の練習は寒かった。手の感覚がなくなっててよくわからないし、 かといってその割にミット殴るとやけに痛いし、もう散々。 ところで、毎週決まったメニューをやるようなことにはまるでなりませんが、 そんなもんだと思ってください。やりたいことがあったら言ってくれれば やります。たいがい忘れてるだけですので。 ついでですが、まだメンバー募集中。 土曜2時に新宿スポーツセンター1階ロビーに行くと私がいます。 ゆるーくゆるーく活動中です。 バリバリ殴り合いがしたい人の役には立てないと思いますが、 ちょっと別の技術体系を覗いてみたい人とか、 とにかく健康になりたい普通の人のお役には立てるかと思います。

2003年12月19日

まともな音を出すスキルは前よりずっと高くなっているはずだが、 肉体性能が落ちていて脳内動作に実体がついてこない。 左手の指の敏捷性と右腕の耐久性が著しく落ちている。 ピアノとヴァイオリンで必要とされる肉体性能がやはり違っているようだ。 つまりヴァイオリンを弾く以外の方法では保つことも向上させることもできない ということである。それにしても たかが宴会芸にこんなに念を入れなくていいような気はする。 ともかく今日が本番だ。

半ば無意識にイメージトレーニングができるようなレベル まで達したスキルはヴァイオリンしかない。 その甲斐あってヴァイオリンのスキルは肉体性能に依存したところ以外は ほとんど落ちていないのである。要は脳にとっては実際に練習しているのと あまり区別がついていないということだ。 ピアノや拳法も同じレベルまで達すれば同じことが起こるだろう。 ピアノは意識してやれば可能なところまでは来ているが、まだまだ念が浅い。 拳法は動かす体の部位が多いせいかそれらに比べると格段に難しいように思われる。 それに、結局あれは肉体性能への依存が大きいので実際に やらないとどうしようもないのだ。レベルが上がってくれば少しは話が 違ってくるかもしれないが、そんな世界はまだまだ見えない。

絵がうまい人は絵でそういう状態になっているのだろう。 そうなれなかったのを今さら悔やんでも仕方ないが、やはり悔しい。

会社宴会。幹事がえらく凝ったことをしてくれたのがおもしろかったが、 おおむね普通に宴会であった。

スクラン3。いい感じに定番。それでいて微妙に意表をついてくれる。これだ。

デバッガでSTLの中に入っていく様を見ているとすごい。 よくもまあこれだけややこしいものを作れるものだ。 それでいて最適化をかけると何もかもがインライン化されてしまう というのだからすごい。アロケータのあたりなどは もう大変なことになっている。

喜び勇んでSTLに置換して回ったが、すぐに問題に気づいた。 メモリ確保である。 標準のnewはえらく遅い上に64バイト単位でしか取ってこられないのだ。 こんなものを知らないところで頻繁に呼ばれたらたまったものではない。 vectorにはreserveがあるので最初に予約してしまえばオーバーしない限り newされる心配はないが、listやらstackやらはreserveがないので 毎度newされる恐れがある。こいつらを使うためには なんぼ頻繁にメモリ確保を行っても屁でもないようなアロケータ を作らないといけない。固定サイズ専用とか、 取った順番と逆順にしか解放しないとか、そういう条件をつけると 相当速くなることはわかるが、汎用となると相当厄介そうだ。 しかし、固定サイズ専用でも使い道はありそうなので まずはそこからやってみることにしよう。

というわけでアロケータ勉強中。テンプレート地獄。 メモリを取ってくる機構もさることながら、それをコンテナに使えるように アロケータを書かねばならず、これがいろいろとあってややこしいのである。 コンテナに渡せるのはアロケータの型で実体ではない。このことが問題だ。 お好みのメモリ確保装置を接続できるアロケータを作るためには メモリ確保装置の型をアロケータのテンプレート引数に入れねばならず、 かつ同じメモリ確保装置であってもメモリ源が違えば違う型にならないと いけないので、メモリ確保装置にはメモリ源によって異なる型になるような 仕掛けをつけなくてはいけない。 考えれば考えるほどややこしいが、このへんを理解して使いこなせば 相当便利なマネができそうな予感がある。 もちろんnewの動作を切り替えるスイッチ関数を作って それで明示的に操作すれば標準のアロケータで事足りるので 楽なのだが、切り替えそこねる危険が常に伴うし分岐も無駄だ。 実際標準のnewはすでに切り替え関数によって別の場所からメモリを取ってくる ような仕様になっているのだが、コンテナの中でやられることを考えると いつやり忘れるか不安である。 とにかく気が済むまで勉強してみよう。

固定サイズ専用と、逆順解放オンリーの二種類を書いてみた。 メモリ源はstaticな変数のアドレスをテンプレート引数にブチこむことで 無理矢理メモリ源ごとに別の型にしてみたが、もっとマシな手があると思う。 固定サイズ専用はスタックで空き領域を管理しているが、 各空き領域を使ってリストを形成すれば省略できそうな気がする。 こいつができたら任意サイズ任意順解放可能な奴を作ろう。 しかしどう考えても確保は線型の手間がかかる気がする。 解放された時に解放された場所をいくつか覚えておくような 仕組みを作ればなんぼかマシにはなるかもしれないが、 解放と確保が交互に来ないと効果がない。手はないものか。

なお、すでにそんな苦労をしてまでSTLコンテナを使う利点なんてないような 気がしてきている。 大半のことはただの配列でもできるのだ。その方が簡単だし速い。 それにSTLアルゴリズムは配列に対しても使える。 コンテナで使えたらいいなあと思うのはhash_setくらいで、 それくらいなら自力で作ってもたかが知れているし、 事実すでに作ってしまっている。 しかし、せっかくなのでやるだけやってみることにする。 後でやっぱりいらないとなれば捨てればいいだけだ。

doxygenというものがある。ヘッダに指定された方法でコメント を書いておくと勝手にhtmlのマニュアルにしてくれる。 ヘッダを直に見る時にはいろいろと邪魔そうだが、 読むだけの他人にとっては利点が大きかろう。 ヘッダにはインクルードやらインライン関数定義やらの いらないものが書かれがちであり、 数プロトタイプとクラス宣言だけが欲しい人にとってはジャマでしかないのだ。 気が乗らんがやるか。

ところで、各人が自分の仕事をきちんとやればいい、 などと思うようになったらおしまいだと思う。

2003年12月18日

仮想関数を使っているクラスへのポインタの先を開けて見てみたら 変なアドレスが入っていた。これが仮想関数などというものを可能にする 仕掛けの実体か。

「effectiveC++」という本を読んでいて驚いたのは、 私にも理解できるということである。さらに考えてみれば、 「プログラミング言語C++」もすでに理解できないところはほとんどない。 しかし本当の戦いはこれからだ。

STLに入ってるようなもののアルゴリズムはほぼ一通り自力で書いた気がする。 だいたい気が済んだ。 STLにないものや明らかに自力で書いた方が速いものだけを残して そろそろSTLに移行しよう。

2003年12月17日

前屈で完全に膝を伸ばしたまま床に触れるところまで回復した。 まだ三日目であることを考えるとかなり早い。 前にやっていたことがおそらく効いているのだろう。 体力測定の度に蓄積してきたこの怨念を今こそ力に変えてやる。

2003年12月16日

今週末の宴会でヴァイオリンを弾いてくれ と頼まれたので久しぶりに弾いてみたら、背筋が凍るくらい勘が鈍っていた。 ピアノ脳がある程度出来上がるまではと思ってヴァイオリンを あまり触らなかったのが見事に災いしている。 どうにか楽に弾ける割にハデに聞こえるアレンジをひねり出さねば。

固くて困っている筋肉の中で一番厄介なのが膝の裏だ。 他にも固いところはあるが、ここが一番ストレッチがやりにくい。 ここの痛みは何故か耐えにくいのだ。 体が固いといえばここ、というくらい定番の筋肉なのは 私だけでなく皆がそう感じているからなのだろうか。

N個の点を通る曲線を引きたいとする。 N個の点を通るN-1次の多項式は必ず存在するし 計算で求めるのも容易いが、普通はそういう手は使わず N-1個の区間に分割してそれぞれを比較的低次の多項式で近似する。 今日はそうする理由がこれ以上なく実感できた。 確かにその点は通るが、その他の場所ではとんでもない挙動をしてくれる。 本当に使えなかった。

朝からヴァイオリン。手首だ。手首で勁力が止まっている。 それに気付いたので手首を解放して肘と人差指を直結したところ、 驚きの軽やかさを得た。昔言われた手首をやわらかく、 というのはこういうことだったか。 前まで一見できていたのは手首から先のテクニックで強引に切り抜けていた からだろう。気持ちの良さが違う。おそらく背中と人差指を直結できる ところまで行くはずだ。 何事にしても一度できなくなるのは見直しという意味でいいことなのかもしれない。 しかし今は困る。

朝ヨガ。朝はいつも絶望的に体が固くて、前屈をやっても床に手がつくどころ ではないわけだが、今日は違う。たった三日でこれほどとは。

2003年12月15日

開脚だけ念入りにやったところで実用にはならないということが よくわかったので久しぶりにヨガをちゃんとやってみたところ、 思ったよりは固くなっていなかった。 とは言うものの満足できるレベルには程遠く、 特に腿の筋肉の固さだけは早急にどうにかしないといけない。 こいつが伸びるといろいろ楽しいポーズが取れるようになるはずなのだ。

2003年12月14日

以下実家にて。

カイジ旧シリーズ全部と新シリーズ10巻まで。 後に冷静に考えてみると微妙にショボくさかったりもするが、 とにかく読んでいる間は手に汗を握りっぱなしで微塵も疑問に思わない。 本当に面白い漫画である。それに絶対に借金とギャンブルはしたくなくなる という意味において健全だ。

仮面ライダーSPRITSを5冊。熱いし面白い。が、原作への思い入れがない私は それだけで終わってしまう。なんぼ正義と悪の狭間で云々とか言われたところで、 「子供番組じゃねえか」という致命的なツッコミを入れずにはいられないのである。 私の人生において特撮の類を面白がった期間は全くなかったのだ。 大学に入ってからそんなに面白がる人がいるなら一つ見てみるかと 見てみたら存外面白かったということはあるにせよ、 すでに不純な楽しみ方を覚えていただけに純粋にファンになることはできなかった。 しかし、本当に愛している人達がいて、 そして作っている人達は本当に真面目に作っていたのだ ということは伝わってくる。 続きが出たら読もう。

その他。からくりサーカスはやはりおもしろい。20世紀少年は本当にすごい。 月下の棋士はとりあえず大原が死ぬところまで読んできたが、 すごいという以外になんとも言い難い。 どんな強烈な演出がこの先に待っているのだろうと思いつつも、 この先いくら読んでもつまるところはこれかとも思ってしまう。 なんにせよ、改めて能條漫画は変だと思った。

屍鬼のネタバレ。 あれですごいと思うことの一つとして、血を吸われて吸血鬼と化した人が 正気を保っているという設定がある。 吸血鬼になった少年は完全な正気を保ったまま友人の血を吸って 死に至らしめねばならないし、 狩られる時も同じく全く正気のまま友人に狩られねばならないのだ。 そのことによってあの作品はそれが発覚するまでさんざん丁寧に高めてきた ホラーっぽさが台無しになってしまうのだが、それは欠点ではない。 あれはホラーではないからだ。 クライマックス付近の吸血鬼狩りのシーンなどは 吸血鬼化したとは言え正気を保っている身内や恋人を 次から次へと追い立てて殺戮していくのだが、 一種祭のように現実感のない雰囲気のおかげで まるで怖さは感じなかった。 むしろ笑いすらこみあげるくらい滑稽な光景だったのである。 しかしこうして時間が経って描写の魔力が薄れてみれば 実は相当恐い小説だったのではないかという気がしてくる。 おそらく戦争、それも特に民族紛争のような人々に近いレベルにある悲劇と 重ねているのだろう。自分の立場によって殺人をせねば ならないという状況は普通は吸血鬼という題材で描かれるものではあるまい。 さっき月姫のアニメを見ていてそんなことを考えた。

テレビで高校生とプロがサッカーの試合をやっていて、引き分け状態だった。 しかも聞けば優勝したチームだと言うではないか。きっと大変だろう。

2003年12月13日

パチンコ屋の手先か。今すぐどうなるとも思えないが、 できるだけの備えはしておかねばなるまい。

そこそこできる気になっているが、WEBでプログラマと思われる人の 文章を読む度に落ちこむ。明らかに勝てねえ。 あのすごそうな人々と同じ人種とは到底思えない。 せめて、誰か「これくらいできたらプログラマ偏差値いくつです」 みたいなことを気休めでいいから言ってくれないものだろうか。 たぶん給料がその役割を負っているのだとは思うが、 こう地味な働きしかしていない状態ではまず上がるまい。

2003年12月11日

平田弘史「薩摩義士伝」。相変わらずの切腹ぷりだ。すさまじく命が安い。 全てが「そこまでやるとは」に集約されている気がするが、 本当に「そこまでやるとは」と思うほどのことをしてくれるので ただただ圧倒されてしまうのである。 どうも中途半端な印象があるが、打ち切りなのだろうか。

Dクラ7-1。200ページにわたって耐えたが、それはこれ以上なく報われた。 まさに「次号最終回」である。

覚えてはいるがそれだけ、という状態は別に超能力の世話になるまでもなく 身近なものだ。必死になっていたことが後になって取るに足りないことだった ように思えることはいくらでもある。むしろ作中に語られていたように、 そうでない事の方がはるかに少ない。全ては色褪せていく。 その中で変わらず大切なものを心に決めるのはどれだけ大変なことだろう。 間断なく突きつけられる「それは本当に大切なのか」という問いに 耐えるほどの決意と実感を持つことなどもはや夢物語のように思える。 だからこそ彼女らが眩しいのだ。しかし、眩しがっているだけでは何にもならない。 千絵スケに負けない生き方をせねばと思う。 がんばることイコール善、成長し続けてナンボ、 という最近なにかとバカにされがちな価値観こそが 私にとっては一番しっくりくるもののはずなのである。 近頃どうも忘れがちになるが、こういう元気な作品は いつもそれを思い出させてくれるので好きだ。

2003年12月10日

Dクラの発売日らしいが、近くの本屋にはあんなものは置かれない。 土曜までおあずけ。と思ったが、早く帰って川崎行こう。 どうせ差し迫ってやることなどないのだ。

昨日調子に乗って蹴りまくってたら内股が激しい筋肉痛。 がんばって蹴ろうとしたら力が入って全然ダメなので、 治るまで蹴りはおあずけ。

最近体脂肪率がまるで減らない。 むしろ増えている気すらする。最近はちょっとした都合で あまり疲れることをしていないからだろう。まあ蹴りまくってれば いい感じに疲れられるだろうと思う。

弟の見舞いに行くので、土曜は練習の後実家に帰ります。 できれば面会時間に間に合わせたいので 練習をちょっと早く終わらせてもらうかもしれません。

チームがどんどんデカくなって、 ついに前のチームのプログラマが全員そろってしまった。 一つのゲーム作るのにプログラマが7人ってのはなんぼなんでも多すぎやしないか。 ともかくそういうわけで明日は会社内引越し。

とりたててやらねばならないことがないので 指数関数や対数関数の近似を書いてみた。 指数関数は指数を整数部分と小数部分に分割して 整数部は普通に羃乗し、小数点部分は多項式近似。それを乗ずれば出る。 なお、整数乗はちょっとした技を使うと20億乗とかでも30回くらいの計算で済む。 一方対数関数は2で割れるだけ割って叩き出し、最後に残った1以上2以下の値を 多項式近似。これは2を底とする対数だが、それに適当な値を乗ずれば 任意の底に変換できる。2で何回割れるかは指数部を見れば目瞭然なので、 浮動小数点の内部表現形式に依存すれば簡単にやれる。 なかなかおもしろかった。 たぶんこんなことはどっかに書いてあるんだろうが、 自力で考えるのが楽しいのだからそれでいいのである。 というか本来ならとっくの昔に誰かがそういうのが 入ったライブラリを作ってくれているはずなのだが。

加えて数値積分の実験もしてみた。単純なオイラー法、 速度の終点を使うように改良したオイラー法、二次のルンゲクッタ法、 四次のルンゲクッタ法の4つを書いて、 単振動において解析解と比較してみた。 結果、速度の終点を使うオイラー法が思いのほか便利だ。 誤差は大きいが、振動系では発散せず、計算も早い。 ゲームにおいて求められるのは何より発散しないことであって 真の値との誤差などどうでもいいことが多い。 それを考えるとほとんどの場合はこれでいいような気がする。 一方二次のルンゲクッタは確かに誤差は小さいが結構発散しがちなので いま一つ使い道がなさそうだ。また四次のルンゲクッタはさすがに誤差が小さく、 発散もしなかったが、何分計算コストが オイラー法の4倍にもなるのでその価値があるかどうかは微妙な問題だ。 もっとも負荷は特別バージョンを書いて最適化すれば 半分くらいまでは減るだろうし、 そもそも回数が大したことがないのであれば安全のためにこれを使って おくのは悪い選択ではない気がする。 なお、こんなことをやってはみたが、 今回これが必要になる局面はなさそうな気がする。

2003年12月9日

鍋のふたが届いたというのでハンズに受け取りに行ったが、サイズが合わなかった。 申しわけありませんと謝られてしまったが、謝るべきはそんな面倒を 持ちこんだ私の方だろう。というわけで謝り合って帰ってきた。 メーカーからの返答が来るまでしばらく米はおあずけ。

蹴りは本当に効率よく疲れられる。が、疲れてくるとだんだん安定しなくなってきて 危ない。今日も危うく関節をねじるところだった。 少し気をつけよう。

余ったツインスティックをもらってきたが、オラタンがない。 仕方ないので買ってこよう。

ずっとやっていたことがなんとか動くようになって気が抜けた。 次のネタが上がってくるまでは7時とかに帰ってくるかもしれない。 ところで、PVSを考えた人は本当に頭がいいと思う。 部屋の中にいる時にドアも窓も見えなかったら部屋の外は見えない、 というのは言われてみれば当たり前のことだが、 そう言葉にできるところまではっきりと認識するのは大変なことなのだ。

2003年12月7日

麻耶雄嵩「翼ある闇」。一度「なんじゃそりゃあ」と投げつけたくなるような 解答を用意しておいて、直後にまっとうな解答を出す。なかなかうまい。 次から次へと驚きの真実が発覚していく都合の良さが気になるが、 たぶんそれは笑うところなのだろう。 全体に読みやすいがいかにもマニアが書いた作品という感じがして 好きにはなれない。少しだけ流水と同じ匂いがする。

弟から送られてきた推理小説もだいぶ減ってきた。まだ残っている 島田荘司と高田崇史は読まれない可能性が高い。

アホのところでダラダラしていた。 ところで、生郎はやっぱりちゃんとおいしい。 おいしいので食べやすいし、大でも三田の小より少ないと思う。 そういうわけで是非まさひろに三田本店で大に挑んでもらいたい。 そういえば二郎系列である「いごっそう」でも食べてきたが、 こちらは量も少ないし味もまろやかな二郎という感じで普通だった。

ところで、本当にダメなコードというのを初めて見た。 4回生が卒論で書いたような物だから出来が悪いのも当然ではあるだろうが、 あれほどひどいとは想像だにしなかったのである。 あれを押しつけられたアホは本当に気の毒だ。

アホの家に散乱している漫画の中に加藤礼二郎の「神掛里霊子アワー童子」 というのがあって、ムチャクチャおかしかった。 初めて書いたエロマンガらしいが、当然エロくない。 なにしろあの絵だし、それ以前にあまりにおもしろすぎてエロさがどうなどという ことを言う暇もない。

スクールランブル1,2。だんだん頭がゆるくなってくる。 この人たぶんいい人だ。グリーンウッド分が満たされていくのを感じる。 しかし、名前が覚えられないので、すまないがキャラ紹介ページを設けてほしい。 ところでやはり線が汚いのだが、 好きになってしまった今となってはこの汚い線が何かいい雰囲気を 醸し出しているように感じてしまっているので別にうまくならなくていい。 このまま勢いを殺さずに漫画がうまくなってくれればそれでいい。 是非ダラダラ続けてくれ。

なお、この人絵はけっこううまいと思う。汚いだけだ。 いちいち動きがあってとても楽しい。

久しぶりに人を心配するという感覚を思い出した。

12.5達成。137度。 やわらかくなるに従って蹴りの練習が楽しくなってくるだろう。 そしてその楽しさはきっとさらに体をやわらかくする。 がんばるということを少し思い出してきた。 この調子で「がんばるといいことがある」という単純な世界観が 戻ってくれば昔の元気さを取り戻せるような気がする。 本気とか努力とか根性とか、そういうものがいいものであることを 自分にもう一度納得させなくてはいけない。

2003年12月6日

ちょうど白泉社系少女漫画と入れ違いにギャルゲーが私に訪れたのだなあ、 などと思った。考えてみれば、白泉社系の前は少年漫画で生きていて、 例えば奇面組やうる星やつらのような類の漫画にやすらぎを感じていたのである。 思えば白泉社系でやすらぎを強く感じたのはグリーンウッドだった。 どうやらキャラがなにやら楽しげに動きまわりつつも 微妙に停滞したような雰囲気を私は定期的に必要とするらしい。 しっかりと話があって過不足なく終わるようなものとは別に、 ストーリーがキャラに従属したようなダラダラしたものが必要なのだ。 マリみてがこんなに楽しいのも同じ理由によるものと思われる。

友達の家に遊びに行くとことが非日常になってしまった。 しかし社会人になるというのはそういうことなのだろう。

台湾でもらってきた武術雑誌を見ていた。もちろん中国語だが、 不思議と意味はだいたいわかる。 健康法や文化面の記事と殴り合いの技術がごっちゃになっている独特のスタイルは 慣れないと奇異に見えるが、 この手の武術をやる人にとっては試合などの 殴り合いはむしろ非日常の出来事なのであって、 日常問題になるのは型や健康法、そして文化的な側面であり、 その要求に沿えば自然とこういう形になる。 以前から日本の武術雑誌である「武術」や「秘伝」を見ては 「型の解説などを雑誌に載せて一体誰の役に立つのだろう」と 思っていたものだが、本場台湾の雑誌がこうなのだから そういうものなのだろう。少なくとも需要はあるということだ。 ちなみに「武術」や「秘伝」の紙面はこれに実によく似ていて、 たぶん真似したのだろうと思う。 なお向こうでは武術のことを国術と言うらしい。日本の国技と同じだろう。 いちいち「国(武)術」と書くことが多いのが不思議だが、 もしかすると何らかの問題が潜んでいるのかもしれない。

そういえば、中国語で工作員と言えば従業員の意味だが、 慣れないとギョッとする。中国語は場合によってはほとんどまんま日本語として 読めてしまうくらい読むのは楽なのだが、 両方にある言葉で意味が全然違うものが少なくないので注意しないと わけがわからないことになる。

2003年12月5日

便所で流されるために演奏したのではなかろうに、 とクラシックが流れているトイレに入る度に思う。

D.C.アニメ19、20話。まるでギャルゲーのような展開。 ギャルゲーのようなセリフ。むしろギャルゲーそのもの。 それにしても二人の戦いがこんなにもきちんと描かれるとは 思わなかった。絵も奮っている。純一をおしのけるさくらの動きには感動した。 そして鈴。20話近くの間あれだけどうでもよかったアニメが 今頃になってかなりいいものに思えている。 などと書きつつ21話サイドストーリーはいきなり意味不明。「ふしぎさぁーん!」。 なんじゃそりゃあ。

21話本題。8割くらい音楽にダマされている気がするが、それでもいい。 放っておけないのはさくら、かわいいのは音夢、いい奴なのはことり。 ただし残念ながらこのアニメではあまりことりは活躍しない。

2003年12月4日

できもしないのに12番。今まで見た中ではかなりの難度だが、 基礎能力が上がっているので以前2番や5番でつまづいた時のような 絶望的な感じはない。ところで、ハノンは最初の5曲だけにした。 時間がないのもあるが、結局あの5曲が一番疲れることに気づいたのである。 全然指ができていないということだ。

8時に出勤するようにして何日か経ったが、日増しに疲れが溜まってきている。 そもそも12時に寝るということに無理があるらしく、 妙に眠りが浅くて疲れが取れない。

2003年12月3日

2声の11番を開始。音が素直じゃないのでなかなか流れを掴めなかったが、 どうにかなりそうな気はしてきた。 とにかく意地でも今年中に15番まで手をつける。

8時出社をまだ続けている。最初は単なる挑戦だったが、 本当にそれくらいしないとヤバい気がしてきた。 7時半に起きて8時に出社し22時に帰って24時半までに寝るというのが、 体調を損ねず、かつ拳法とピアノの練習時間を取れるギリギリのラインだ。 それ以上は何かを捨てなければならない。 そうならないで済ますためにもこの生活ペースに慣れなくては。

一日中うなっていたが進まない。だんだん意識が朦朧としてくる。

2003年12月2日

ニャに借りたスレイヤーを聴きながら仕事していたらなんだか 妙に気持ちよくなってしまった。 頭で聞けば面白い音楽だし、体で聴けば気持ちいい音楽。 こりゃあいい。

2003年12月1日

7時に出社してみて、この条件でも月280時間働くことは可能だという確信を得た。 去年は平気でそれくらい働いていたはずなのである。 しかしもちろんそんなことはしたくない。

久しぶりに負けたと思った。正直悔やしいが、 向こうは私よりも10年も長くプログラミングをしているのだから 同じ土俵で勝負できると思うのは思い上がりだろう。

スクールランブルは近くの本屋にはなかった。土曜まで買えない。

足を開くストレッチを続けている。今日は14まで行った。 14というのは床の模様のパターン数のことで、 壁に向かって足を開いた時に壁から股間までに何個パターンがあるかを表している。 むろん少ないほど良い。一つ平均2.6cmくらいなのでだいたい36cm。 仮に脚の長さを90cmとすればcos(X/2)=4/9でX=132度となる。まだまだそんなもんだ。 しかしこのまま広がっていって、もし壁に腹をべっちゃりつけられるように なったりしたら、それは私にとっては天変地異にも等しい大事件になる。

黒死館を読み始めてはみたが、あまりの読みにくさにまるで進まない。 たぶんしばらく放置されると思う。

アウェイですよ所詮。


もどる しても、こんなに面白がれるとは思わなかった。 ちょっと前の私なら話がショボイとか言って投げ