日記

2003年9月30日

グールドのゴルトベルクを聴いていた。あまりに雅な演奏だ。 聴いているとえらく簡単な曲のように思えてくるのだが、 そんなはずはない。 いつか弾けるようになりたい。

愛生のお怒りのセリフは私に直接向けられていたように感じた。 まさにガキンチョだしと思って切り捨てることを正当化しようとしていた からである。五人の中で一番かっこいいのは彼女だと思う。

佐藤友哉「エナメルを塗った魂の比重」。 普通の意味ではショボい。こんなムチャは推理小説でなくても許されまい。 端的に言ってダメだろう。謎解きシーンなどはあまりのことに呆然としてしまった。 しかしどう考えても作者の視点はそういう普通の意味での話というところにはない。 人肉をを食ったり、人がハデに死んだり、常軌を逸したいじめが描かれていたりと とにかく目に鮮かな要素が目立つが、 それ自体と言うよりはそれを使って表現されているものこそが本体だろう。 しかしそれが何だかは説明できない。 西尾維新のようにわかりやすく論理的な言葉で説明されてはいないので もはや雰囲気としか言いようがないのだ。 事実として残っているのは、 私がこれを途中で投げ捨てたくなることは一度もなかったということだけである。

会社合併宴会。何事もなく普通に宴会。やはり苦手だ。 せっかくだから食うかと思ったが、油がきつすぎて大して食えなかった。

2003年9月29日

ニャ電話。魔術的な話からオタ話まで、いつも通りいろいろ。 筋トレについていろいろ聞けた。先達がいるのはありがたいことだ。

炎の門という小説がある。 ペルシャの何十万という大群にわずか数千のスパルタ兵が 命を賭けて立ち向かう話だ。 隆慶一郎は海の向こうにもいたのか、と思ってしまうくらい 何もかもが男らしい。行動も言葉も全てが男だ。 読み終わると同時に筋トレをしないといけないような気分になる 素晴らしい作品である。 しかし、ニャによるとgoogleで検索をかけても 100件やそこらしか出ないくらいマイナーなのだと言う。 ニャと「なんで流行らんのかなあ」などと話していた。 ニャのところを参照するとより詳しいことがわかります。

今日は弁当を持っていった。冷凍したごはんと納豆とツナ缶。 飲み物は会社で一括注文している弁当のおまけのみそ汁が 大量に余っているのでこれを頂く。 あとゆで卵くらいは作っていってもいいかもしれないな。 やはり健康にならねばならない強制力が外から働くというのは いいことである。

近くの公園で練習しているのだが、 今日とてもいいものを見つけた。 動物を形取った塊が地面とばねでつながっている奴だ。 足を乗せる棒と手でつかまる棒が両側に出ている。 その棒が実にいい高さなのだ。 棒をつかんれ背筋で引っぱれば即座に筋トレ器具と化す。 ただ、なんぼ力を入れてもほとんど動かないので どれくらい力を入れているのか自分ではわからないのが欠点か。

2003年9月28日

プリブラ。スキを見つけては迫ってくる女達。恐い。 ついに聖(きよみ)までがレースに参加するに至って あまりの辛さに選択肢のところで中断。僕に勇気を下さい。 こんなのはホワイトアルバム以来だ。 ところで、やはりシエルは別格らしい。下手をすると 一回目では攻略不可ということもありうるが、一回目は自分に正直に やるべきだ。しかし現状誰を攻略するかは決めていない。 その意味において主人公と私はかなりシンクロしている。 それにしてもどうしよう。 なし崩し的に断り切れずシエルと二度目を致してしまったが、 それ以上に断りにくい状況が眼前に出現しているのだ。

絶対私はそんな状況には耐えられんだろう。 仮にこんな状況に置かれたとしたら、 逃げるという選択もまた決断をする 勇気を必要とする以上、 私にできることは耐えること以外にない。 耐えられないものを耐える、 より正確に言えば耐えたくないものを耐えなければならない。 私は全然こいつをうらやましいとは思わない。

ハピレス最終回。最終回のイデアに満ち満ちている。 全体通して驚きなど微塵もない普通のアニメだったが、 しかしおもしろかった。

弟から本が山と届いた。マリ見て、森博嗣、清涼院流水、島田荘司、小野不由美。 摩耶雄嵩、西澤保彦。計30冊くらい。ありがとう弟二人。 しかしまずはプリブラを片づけるべきか。

プリブラ、聖とシエル。慣れてしまった。脳が攻略モードになってしまった。 あそこで聖のカードを受け取った時に決定的にスイッチが入ってしまったのだろう。 盛り上がらない。話がというより私がだ。 とりあえず残り3人を片づける。

プリブラ、愛生。「ここはもう僕等の領土、僕らの時空」。言葉が光っている。 話そのものは大して盛り上がらないが表現がいい。 話が盛り上がらないのはむしろ私のせいだ。

プリブラ、遥菜及び葛城。そしてたぶんこれでおしまい。 葛城が好き。最初のキス顔の不自然さは性格の問題かと思っていたが、 それだけでもなかったのやも知れん。

おもろかったし、葛城好きだし、愛生も好きだし、 それはいいんだが、気分は乗らない。二回目にしてもう脳が攻略モード になっていたというのは少し衝撃的なことだった。 一人選んで他の奴等を捨てねばならない、という苦悩は あっという間にフィクションの彼方に去ってしまったのだ。 むろん、面白がるべきところはたくさんあったが、 そういうところに関しては私よりももっとうまく書いてくれる人がたくさんいる。 主人公がヒロインであり攻略される側の視点であるという点や、 おとぎ話的なものとロマンのかけらもない現実的なものが うまく混ざっている点など、まあいろいろあるが、 それらについては私にはあまりおもしろく書けそうにない。

困った時の要素分解。絵。普通。うまくないと思う。チェロ弾いてる絵が不自然。 歌。オープニングは好き。曲もわかりやすく楽しい。 仮にカラオケ入っても歌うのしんどかろうな。 エンディングは歌詞が好き。特に二番。 しかし曲そのものは寒気がするほどいいわけでもなく普通にI've。 システム。普通。問題がないということは良く出来ている証拠だ。 歌以外の曲。ちゃんとしていて高水準だが、特に印象はない。 ただし曲名はちょっとおもしろい。 あとチェロだけどうにかしろ。そのへんの大学オケの人でもこれよりは よっぽどいいと思う。まあこれは私がヴァイオリン族の楽器に思い入れがありすぎる せいであって、たいがいの人はそんなことを気にしたりはしないのだろうが。 声。いい。特に関西。シエルさんの声はやりすぎ臭がして好みではない。 あと主人公がああなのは作品のコンセプトと思われるのでノーコメントとする。 それ。作法通り良くできているのだろうが、 いきなり主人公がエロ大魔王になってみたりその逆だったりして、 ちと節操がないように思われる。しかし初夜のそれはどれも非常にキャラが 立っていていい感じだった。なお、愛生のみ全肯定。恐いくらいに。恐いんだが。 にしてもシナリオ量に占めるそれの割合が高いなあ。 にも関わらずきちんと話が進んでいるのは大したものだとは思うが。 話。なんじゃそりゃあ度となるほど度がいい感じに配合されていて 全員やると全部つながるという構成も素晴らしい。 が、盛り上がりには欠けた。日常シーンに「日常シーン」 と書かれているような気がして自分の温度が下がっていくのを感じた。 もうそのあたりはこっちの問題なのかもしれない。

ところで絵と言えば一つ気になることがある。 コミカルに驚いた時あるいは泣いた時に目が白丸になる デフォルメ手法を最近異常に良く見るのだが、何故だ。 あまりにどこでも見るので見る度に「またか」と思う。 他人が発明したデフォルメ手法をああまであからさまな形で 使うのはあまり感心できない。あれになった瞬間にその人の絵は消えてしまうのだ。 まあどうでもいい話ではある。

フィクションに入っていく能力が落ちてきているような気がする。 あるいは、私からフィクションへの集中力を 奪うような何かが存在しているのだろうか。

実は仕組まれてたけど結果オーライ、という考え方がそこら中に表れているが、 それはギャルゲーという形式ではあるけれどもそこから何をやってもいいよね、 というメッセージと取れなくもない。最近読んだ推理小説からも そういう傾向が感じ取れる。今いる環境で何をするか、 そしてさらに言えば自分がどう感じるかこそが問題なのであって、 環境そのものをどうこう言っても仕方ない、という考え方は 流行りなのかもしれない。 大きな物語がどうこうという話ともつながってくるのだろう。

2003年9月27日

1ヶ月弱の間ほぼ毎日運動をしてみて、とりあえず体が拳法モードにはなった。 しかし到底足りない。なにより圧倒的に足腰。 試しに最初の裏拳っぽい奴左右を100回ほど繰り返してみたところ、 軸足が弱いこと以上に背筋が弱いことが発覚した。 それと、足が上がらない。柔軟性の問題はストレッチによって 軽減しつつあるが、問題は筋力だ。上げたまま保てない。 上げられるだけ上げて止められるだけ止めるのをひたすら繰り返そう。

片方が黒鍵のトリルがヤバい。特に左34で4が黒鍵の場合は最悪。 次にヤバいのは左12で1が黒鍵。 音が切れるわ重なるわ片方だけ弱くなるわ、もう最悪。 しかし今すぐどうこうなる問題でもないのでしばらく様子を見よう。 手が出来上がっていないのにその上のことをやろうとしても無理だ。

生ヴァイオリン全開。最高。土曜の昼に窓閉め切ってやる分には大丈夫なはずだ。 信じよう。それにしても早くピアノをこの段階まで引き上げねば。 三声インヴェンションを征覇した頃には頭の中で 三声鳴らせるようになっているはずで、 そうなればヴァイオリンでも三声を意識して弾けるようになる。 今は脳内で単に重音として処理されているので音楽的とは到底言えない状態なのだ。

佐藤友哉の残りと水滸伝の4、そしてヨドバシでプリンセスブライドを買ってきた。 川崎はもはや十分便利だ。アニメイトの類さえあれば完璧なのだろうが、 どうせ滅多に用事などないのでいい。

体にいい運動と言えばなんといっても水泳だ。せっかく近くに屋内プールが あるのだから利用しない手はない。というわけで泳いできたのだが、 あまりのしんどさに愕然とした。肺活量が足りない。 胸筋が弱くて水をかく力がみるみるうちに落ちていく。 まあ体力以前に泳ぐのが下手だから遅いのだろうが、 そういう技術的なことを言う前に体の元気が足りない。 一体一箇月前だったらどんなに恐ろしいことになっていただろう。 できれば毎週行くようにしたい。9時までやっているので 平日でも7時に帰れればしばらく泳げる。一応2時間使えるのだが、 どうせ2時間も保つはずがない。今日も1時間で力尽きていた。 25mプールを10往復くらいはしたかと思うが、それってたった500mじゃないか。

考えてみれば泳ぎ方を知らない。 体育でやったはずだがあまりに昔の話な上に回数が少なすぎて 全く身についていない。てきとうにクロールらしきもので泳いではみたが、 正しいやり方を知らないので遅い。 平泳ぎらしきものもやってみたが、これもやり方がわからんので進まない。 なんぼ体力増強のためにすぎないとは言え、こう遅いと嫌になる。 誰か基本だけでも教えてくれんものか。 文章にできる範囲だけでもないよりはマシだろうから 後で本屋で立ち読みしてこよう。

トレーニング直後に大量のタンパクを食え、という教えをWEBで見つけて、 本当かと思いつつ試してみることにした。卵、納豆、油なしのツナ缶。 安く手に入って油が少なくすぐ食えるタンパク源と言えばこれくらいだ。 タンパク質を云々言う前にそもそも食う量が圧倒的に足りていなかったので 動く前後にこれらを食うのは悪いことではない。 まあとりあえず一箇月ほど実験をしてみよう。

プリンセスブライド以下プリブラ。プリンブラも捨て難いが、 慣習を重視してプリブラとする。 とりあえず5人と事を済ませるところまで。すでにタダでは済まない 匂いがプンプンしている。ちらりちらりと未来の痛みを想像させるこの周到さが恐い。 一体どんな目に遭わされるのか。 そういうわけで、顔見せたる毎晩のそれの出来も相当にすごい。 皆がそれそれの形で自らの心の炎を表現している。恐い。 もう恐いとしか言いようがない。小さい人などはまあガキだし救いもあるかと 思っていたが、あのシーンを経てそんな逃げ道は完全に塞がれた。

ところで、ここを一度に片づけてしまったのは失敗だったやも知れない。 さすがに5人も連続されるとだんだんこっちの感性が鈍ってくる。 衝撃とまで言えたのは最初の二人だけだった。 チェロの人などは少々あからさま過ぎるような気がする。

そのチェロを生演奏にしろ、というのは過大な要求だろうか。 プロまで行かないが十分上手に聞こえるレベル、 という人はそこら中にたくさんいるはずなのだが。まあどうでもいいことではある。 チェロを弾いている絵が何かおかしいとか、そんなこともまあどうでもいい。

それにしてもヴァイオリン人としてはあのチェロの低音にはずいぶとあこがれがある。 自分の声より低い音を自分の声のように出せる楽器なのだ。 しかし、そもそもあんな高いものは買えない。 モノがデカいのでヴァイオリンの倍以上になる。 私のヴァイオリンと同レベルのものを買おうと思えば100万は超えるだろう。

2003年9月26日

ゆめりあまでアニメ化らしい。 しかし自分の関わったゲームがアニメ化されたら たまらないだろうな。そんな作品に関わってみたかった。

水滸伝24話まで。人妻を墜とすぜ大作戦。 本当にいろんな話があってまるで退屈しない。 しかし、本筋はどうなっているのだろうか。 そもそもそんなものはないのかもしれないが。

みんなTGS。私は面倒なのでパス。土産話を聞いておもしろそうだったら 明日行こうと思っていたが、どうもパッとしなかったらしく行く気が失せた。

水滸伝27話まで。不倫のためにジャマな夫を毒殺したが 夫の弟にそれがバレて殺される女。 まあ自業自得ではあるが、躊躇なく殺す方もさすがだ。 むろん間男の方もきちんと殺している。 あと通る人を殺しては饅頭の具にして売るすごい夫婦が出てくるのだが、 まるで悪役ではなく普通に準レギュラーキャラとなっている。 これが中国人のノリなのだろうか。 何故か既知街を思い出した。

後輩のためにデータ管理自動化ツールのサンプルを書いた。 おせっかいが過ぎたのではないかと思わなくもない。 プログラミングは拳法や楽器と違って生身の先生が必要ないスキルだ。 であれば、求められる前に教えるのは良くないだろう。

2003年9月25日

健康診断。やっぱり体脂肪が多い。

舞城王太郎「煙か土か食い物」。 なるほど特徴的な文体だ。 汚ない言葉と暴力的な表現がどぎつく感じられるが、 殺伐とした感じはしない。 また、パッと見た感じでは改行が少なく字が詰っていて読みにくそうなのだが、 これが不思議と読みやすい。きっとリズムがいいのだろう。 内容的には一家の過去を描いた部分が印象に残った。しかし何がどう印象に 残ったのかはいまひとつ説明できない。 ところで、殺人事件物としてのストーリーは甚だどうでも良い。 オチもパッとしない。展開も盛り上がらない。 盛り上がっているとおぼしきシーンはあるのだが、 何故か盛り上がって見えない。 ラストの犯人の乱入などはまさにクライマックスであるはずだが、 あまりに唐突に出てくる上に犯人の描写が全くといっていいほど されていないので、主人公が活躍するために出てきたようにしか見えないのだ。 明らかに主眼はこの兄弟の描写にあるので、 そのあたりのことは気にするべきではないのだろうが、 それでも普通の意味での「おもしろかった」という感覚がないのは少し淋しい。

2003年9月24日

おかしいなあ。なんで脂肪が減らないんだろう。 運動し始めて三週間経つが体脂肪率の低下は全く見られない。 しかし焦っても仕方ないし、目的は痩せることではなくて 体が動くようにすることである。 確実に動くようにはなっているのだから良しとしよう。 筋肉が増えれば基礎代謝が増して勝手に脂肪が減るはずだ。

本屋で大葉健二の写真集みたいなものを見た。アクションポーズ集である。 これがムチャクチャおもろい。 ギャバンがおもろいのも当然だ。 こんなムチャクチャやりすぎな動きをしていればおもろかろう。 ただ歩いているだけで次にどこから敵が出てくるかわかるあたりがさすがだ。 漫画描いてた時だったら即買っていた。

ニャが答えてほしそうなので答えるか。

  1. ×。ただ、他人が驚くようなおもしろいことを言えればいいなあとは思う。 しかしオタレベルを高めるための修練を積む気はさらさらない。
  2. ×。自信のあるジャンルなど一つとしてないし、ジャンルというものを 念頭に置いて話をするのはできるだけやめようと思っている。
  3. ○。しかしまあ、敵と言っても別にケンカをするわけでもないし、 苦手とか理解し難いとかそのくらいにしておこう。
  4. △。自分がいつからこの手のものに関わって、どのようにその嗜好が 変化しているのか、ということを考えるのに歴史やら 流れのようなものを利用するのは便利だが、 所詮それはそれだけのことだ。
  5. ×。自分にとって何か、ということ以外は単なる興味にすぎない。 しかし、興味は興味としては存在しうるわけで、 そういうことを他人から聞かされるのはいつもおもしろい。
  6. ○。つまり自分に対してその作品がどういう作用を及ぼしたのか、 ということに最大の興味がある。他人の感想を読む際には、 その作品によってどのような作用を受ける人格なのか、 ということが興味の中心となる。なお、学術用語やらを使っても なお主観的な感想になっているような人も実際にいるので、 言葉や形式は問題ではない。設問の意図はそこではないと思うが一応確認。
  7. △。非オタの集団においてキャラを立たせるための道具として 自分がオタであるという記号を用いることがある。 これを政治的と言うのであればそうだろう。 しかし私自身は自分のオタ性を信用してはいない。 主体的に何かを愛好していると言える気がしないからである。 だから、私はオタの集団において自分がオタであると主張することはできない。
  8. △。客観的事実に即して言うならば○と書くべきではあるだろうが、 しかし主観的にはそのようなコミュニティにいる気はあまりしない。 私は一方的に書き一方的に読むだけで、それが対話になることは滅多にない。 なお、一年半前であればそれでも○と書いていただろう。 オタ系サークルに所属して生身で会話をしていたからだ。 しかし今では生身でオタ会話をする相手など ニャと弟くらいしかいない。
  9. ×。少なくとも数週間のスパンにおいて、実際なくても生きていた。 今見ているD.C.やハピレスのアニメが私の人生において必須のものだとも 思わない。 ただ、話をエロゲ、アニメ等の個々のジャンルでなく「何か作品」 というレベルにまで広げるのであれば、少なくとも今後数年は なくては生きている気がしないような重要な位置を 占めるだろうという予測はできる。 しかしそれはオタクに限ったことではあるまい。
  10. ○。意図がはっきりしないので自分なりに解釈しよう。 「オタであるためには、自分はオタであると いうことを常に自分に言い聞かせねばならない」 とするならば、私にとってはまさにその通りである。 だから私は主観的にはオタクではいられない。 むろん客観的にオタクであることは知っているが、 しかしおそらく私が「オタク」と認めているような人々は 私をまがいものだと思うだろう。
  11. ×。よく長電話してるだけに意図はだいたいわかる。 しかしこれを点数にいれてどうするのだ? というかそもそもこの点数の総和が高いと 何がどうなのかが全くわからない構成になっている。
  12. ○。うわおまえら北斗の拳読んでないのか、というような驚きは 確かにあって、それは確かに世代と言うべきものなのだろう。 昔のアニメって絵汚ねえし、とか言われると辛い。 しかし、結局こういうことを考える時に念頭にあるのは 具体的な個人でしかなく、あの人はギャルゲー嫌いだけどオレ好きだし、 みたいなものの総和でしかない。世代と言うほどの サンプルを私は見ていないのである。 膨大な数のサンプルが取れるはずのWEBにおいても 私がサンプリングしているのはたかだかヒトケタだ。

11点。点数に興味はないのだろうが一応足しておこう。 ところで、「私はオタクなのか」という問題は 「自分はオタクである」という認識を持つ人間の集団に属していない以上 もはや意味のある問題ではない。

いつもの3ギャルアニメを見る。13話物はそろそろ片付けにかかっているようだ。 D.C.は相変わらず。

2003年9月23日

萌え不足。あるいは、オタ不足。 どちらもなしで生きられることはすでにわかっているが、 それでもたまに軽い禁断症状が出る。

「ああ、泣ける話が見たいなあ」と言ってみて嫌な気分になった。

創作はえらいので奨励すべきだ、ということ自体がすでに疑わしい。 世界はこんなにも創作に溢れ返っているではないか。

ピアノのおかげでヴァイオリンでも小指を使うことを覚えた。 小指は苦手なのでできるだけポジション移動でゴマかしていたのだが、 そんなことをするよりもきちんと小指を使った方が いいことがやっと理解できたのである。ありがとうピアノ。 ピアノとヴァイオリンは車の両輪だ。

消音器で足りる気がしてきた。実はニセヴァイオリンなどいらないのではないか。 ガッチリ押しつけるとニセヴァイオリンと大差ない音量まで落ちる。 消音器はゴム製がおすすめ。楽器を傷つける心配がないし、1800円と安い。 押しつけ具合で音量を制御できるのもおいしい。 ニセヴァイオリンは録音用ということで持っておこう。

ファウストはわからんなあ。 編集後記やライナーノーツ及びその裏を読んで余計にそう思った。 謎のコミュニティの人々が内輪で互いを誉めまくっているようにしか見えない。

とある場所で見つけた ソンディ・テスト。 結果はこんなの。

診断結果

性衝動 00タイプ
全般的に性欲が見られない性欲解消型。
性欲が表面にあらわれないのは、性欲が充足して解消された後。
意識的な性欲の禁止。身体的条件で性欲が弱い、不感症的な傾向、
の4つの理由が考えられる。 

発作衝動 -0タイプ

道徳的抑制をかいた激情爆発型。
荒々しい感情、激怒、憎悪、憤怒などが爆発寸前であるから気をつけること。
復讐心にもえたり、猗疑心にかられたりする。 

自我衝動 0+タイプ

宇宙への無限な空想発展型。
自我拡大、夢見がちで未来思考。極端な場合では色情狂、宗教妄想者もでるが、
詩人、哲学者にも多い。思春期に一時的に見られることもある。 

接触衝動 00タイプ

他の人やものと接触感覚を喪失した接触喪失型。
愛の対象や心の中の観念などのすべての対象が、
本人には無意味に感じられ、世界との接触を失って、
固着、執着、離別、探究のどれもしなくなった状態。

当たってるかどうかの判断は他人にまかせる。 しかし原理がさっぱりわからない。

川崎を見てきた。さくらやはどうでもいいが、その上の本屋と 東急ハンズが重要だ。特に本屋はかなり品揃えが良い。 せっかくなので佐藤友哉「フリッカー式」と舞城王太郎「煙か土か食い物」 を買ってきた。両方ともさわりだけ読んだが、 ノリはファウストまんまだった。このノリで推理小説になるのかと思ったが、 どうやらハナっから推理小説を書く気はないらしい。

そういえば西武は見事につぶれていた。上の紀伊国屋だけが残っていたが、 今となってはさくらやの上の本屋で事足りるので、もう行くこともあるまい。

ヨドバシのポイントが相当たまっているはずなのでゲームでも買ってくるか と思ったのだが、いざ買おうと思うと欲しいものがない。 トゥルラブは気になるが、こうまで堕落した私にはあんなにゲーム的なものを やることはできないだろう。デモンベインは気になるが、気になるだけで 金は払えない。誰かが強硬に薦めてくれば買うのだろうが。

佐藤友哉「フリッカー式」。新鮮。変。おかしい。こらおもろいわ。 もうムチャクチャ。謎解きはひどいし、オチまでひどい。 ToHeartネタが出てきたりもして到底まっとうなものではない。 しかしまあ、そんなことはいい。 なるほどセンスという奴は圧倒的なものだ。 才能しかないとか言う評価をどこかで見かけたが、 ありゃ誉め言葉だろう。もう一冊読んでみようと思う。

思い返してみると、ファウストの短編はこれに比べればずいぶん大人しい。

2003年9月22日

自分の仕事が行き詰ったので、 なんとなく後輩を一日中教えていた。 私が人に教えられる立場になったなどとは信じられん。 そもそも未だに自分の書いたものが動いていることが信じられない。 すでに売り物に入っていて大した問題も出ていないのだから できているのは間違いないのだが、それでもなお信用できん。

水滸伝21話。 夫を脅して金を取ろうとして殺される嫁。なぜこうも金がらみなのか。

2003年9月21日

流行りもんだしファウスト読んどくかと今思った。 知らん作家に手軽に触れるいい機会でもある。

えーくそぉーだすぅー。あの歌を欲しいとちょっと思った。

今干しいもを食っていて思ったのだが、 やはり食料は備蓄せねばならない。 すぐ食えるものが大量に置いてあれば無駄に買わなくて済む。 それに小さな袋単位だとついなくなるまで食ってしまうが、 キロ単位で備蓄されていれば適量で止める気になる。 実際今250gの干しいもを全部食ってしまった。 150gくらいのところで「とりあえずいいかな」という気分になったのだが、 半分も残ってないような状態で放置するのがどうにも我慢できなかったのである。 そして空しい達成感。これはいけない。 それにしても、干しいもうまい。ヤバいうまさだ。 WEBで通販を探したが、けっこう値がはる。 とりあえずアメ横をうろついてこよう。雨が止んだら明日にでも。

雨は止んでいなかった。仕方ないので洗濯してヴァイオリンを弾く。 もうニセヴァイオリンには我慢がならないので窓を締めて 消音器付きで生ヴァイオリン。しかし気分悪い。 練習と考えるとこれでもニセヴァイオリンよりはマシなのだが、 あっちにはイヤホンをつければデカい音が鳴っていい気分になれるという 利点があり、分気張らしにはいい。しかしあれは本当に練習にならない。 ますますヤバさがわかってきた。 同じ場所を押さえても音が違う。 たぶん何か寸法がおかしい。胴体が振動しないから音程がよくわからない。 指板との距離が近すぎてローポジションが弾きやすすぎる。 指板との距離が通すぎてハイポジションが弾きにくすぎる。 絃さえ振動すれば鳴るのでボーイングがどうしても雑になる。 そんなわけで、 人々が寝静まるような時間でない限りは消音器つきで生ヴァイオリンを 弾こうと決心した。

渋谷のヤマハでエレキヴァイオリン(EV-205,EV-204)を触ってきた。 結論から言って、あれはヴァイオリンではない。 出力される音は問答無用でエレキ化されており、 生ヴァイオリンのフリをするつもりなど全くないということがはっきりとわかる。 また、和音を鳴らすと何故かノイズが異様に大きくなって ギャリギャリ度が増すため、和音をきれいに聞かせるのはもはや不可能である。 ああもギャリギャリした音だと4分の1半音程度の音程のズレは まるでわからず、純正調がどうだなどと考える必要は微塵もない。 あれはあれで面白いが、少なくとも私の用途には合わない。 また、5絃のヴァイオリン(EV-205)も触ってきたが、 あれはおまけと考えた方がいい。G線をゆるめてドの音まで下げたのと大差ない。 張力が弱いので音が不安定なのだ。 もっとも、音がエレキ化されることを考えれば多少音程が不安定でもさしたる問題には ならないため、押さえるのに必要な力を減じるために張力を下げたのは 本来の目的から言えば正解と言えるかと思う。 あくまであれは別の楽器であって、 ハナッからエレキ楽器と合奏することを考えているのでなければ使う意味はない。 一方、いくらかでも生ヴァイオリンのフリをするというコンセプトで作られた サイレントヴァイオリン(SV-200)の方の出来はなかなか良い。 弾きやすくするためか妙に張力の弱い絃が張られていたが、 それは絃を取り換えれば済むことである。指板の形もきちんとしているし、 出る音もノイズが少ない。録音するにしても DEV-1000よりはよほど本物くさい音が出るだろう。 発音初期の「キュッ」という音もある程度鳴る。 もちろんE絃を強く鳴らしたからといってオクターブ下の音が混ざるような トラブルもない。軽いのも良い。また、いくらか胴体も共振するため 音程を体で感じることができる。 エレキヴァイオリンの割にはよく似せてあると思う。 そういうわけで、そのうち買いに行く。 うまくなって合奏する仲間が見つかったら 5絃のエレキヴァイオリンを買うのもいいかもしれない。

エレキヴァイオリンと生ヴァイオリンの決定的な差異は、 胴体の振動が発音に必要か否かである。 エレキヴァイオリンは絃さえ振動すればそれを取り出して電気的に増幅する ので胴体はどうでも良い。 しかし生ヴァイオリンは胴体こそが増幅装置であり、 その胴体を無視しては音を鳴らすことができない。 結果、エレキヴァイオリンは非常に反応が速く、 生ヴァイオリンは個体差こそあれ反応が遅いということが言える。 エレキヴァイオリンで軽々と音を出すのに慣れてしまうと いざ生ヴァイオリンを弾いた時にまるで音が出せなくて困惑してしまうのだ。 違いを理解した上で使わなくては非常に危険だろう。 しかし、それをわきまえた上で、特に左手の正確さや速度を強化する 練習をする時には十分に便利である。

渋谷後アメ横。トルコ産干しいちじく1kg(900円)、干しぶどう1kg(500円)、 緑干しぶどう300g(200円)、ドリアン切身(300円)、ザーサイ1kg(350円)、 野菜ジュース2リットル(150円*2)、バナナ大9本(300円)、 赤い干しなつめ500g(350円)。それとパイナップルを買い食い(100円)。 ここやっぱり便利。じゃこなどの海産物系は晴れた日に買おう。 明らかに雨でしけているものを買うのは何か気持ち悪い。

アメ横後秋葉原。ファウストを買った。

ドリアンすげえ。ちゃんと味がする。 何年か前の漫研合宿に持っていった奴はやっぱり熟れてなかった。 そもそも前のはこんなにドロドロじゃなかった。 シュークリームの中身に匹敵するくらいドロドロなのである。 ドロリと濃厚で、すっぱくて、ちょっとあまくて、 くさくて、たまに苦い。パイナップルのような刺激もある。 そして胃の中で何か暴れている感覚。これは一体なんなのだ。

水滸伝20話まで。首尾よく盗みに成功した7人だが あっと言う間に官憲に嗅ぎつけられて辛くも逃亡。 行きつく先は梁山泊。やっと徒党を組んでいる感じが出てきた。 ヤバいくらいおもしろい。 それにしても、もういい加減慣れたとは言え、 「おれさまたち兄弟三人は、かねてから火つけ人殺しが大すき」 という台詞には参った。 それ、脅すための方便じゃないだろ。本気だろおまえ。 そして 「義侠心があり」と来ると次に来る言葉は必ず「金離れも良く」である。 何度となく繰り返される「金を渡されて一旦は拒むが 諭されて渋々受け取る」シーン。そしてとにかく宴会。肉と酒。 ものすげえわかりやすい世界観。 ところで、訳語がたまにおかしくないか。 会議室とか捜査部長とか言われると、 どうにも現代のそれを思い浮かべてしまって妙な違和感がある。 急にキャラ共が刑事ドラマにワープしたような感じである。 その一方で与力とか目明かしとか庄屋とかいう訳語もあって、 いきなり時代劇になる。何かがミスマッチだ。 そして決定的に違うだろと思うのが「係り長」。どこの会社よそれ。 警部とか逮捕とかはマシな部類だが、 やはり古代中国物で使われると不思議におかしい。

なるほど。メビウスのアレは本物でしたか。 絵まで似ててすげえと思ったんですが、本物なら当たり前ですね。

舞城王太郎「ドリルホール・イン・マイ・ブレイン」。 なんだかわからないがすごそうだった。たぶん何かすごいんだろう。 よくわからんにも関わらず途中で投げ出したくならなかったということは おもしろかったことを意味するのだろうか。 「これはこれこれを意味していて云々」と勝手にこじつけていけば 何かしら解釈らしきものは出来上がるのだろうが、面倒なのでそんなことはしない。

佐藤友哉「赤色のモスコミュール」。迫力のある文章。 ネタの色が鮮かだから迫力を感じるだけ、という気もしなくもないが、 それはそれとして共感するところは大きい。放っておいたら何もせずに死ぬぞ、 という危機感は私にとっても身近なものだ。 だからこうやってたまにつきつけられるのは悪いことではない。 ちょっと拳法とかプログラミングとかピアノとかをやってみたところで 何か根本からひっくり返るような変化があるわけでもない。 しかし、だからといっていきなり自衛隊に入ったりもしなければ 進んで犯罪を犯したりもしない。私はたぶん死ぬまで普通だ。

それにしてもこの二人の普段の作風が気になる。 まさかこんなノリのものを書いているわけでもあるまい。 誰か何を読んだらいいのか教えてください。

西尾維新「新本格魔法少女りすか」。この人はやっぱりいつも通りだった。 トリックも何もあったものではない。魔法少女なので当然だが。 それにしても3作続けて朗らかかつハデに人が死ぬ小説だとちょっと胸焼けがする。

東浩紀「メタリアル・フィクションの誕生」。 こういう論文調のノリの文章は基本的に理系である私にとっては 目新しいものだ。 いや目新しいというよりは胡散臭いと言った方が正直だろう。 何をギャルゲーごときでそんなむつかしいことを語っているのかと 反発するのを抑え切れない。 何をどう考えても例えば「罪と罰」 と「KANON」を同列に考えることができないのである。 できるだけ同列に扱おうと思ってはいて 日記なんかではそう振る舞ってはいるが、 本心から同格だと考えているとは思えないのだ。 そんな感じで読み進めていたのだが、けっこうおもしろい。 「小説がキャラクターしか描けないことを主流文学は知らないがライトノベルは 知っている」という一文には少し驚いた。そういうものなのかと思った。 話の中で人が死んでも所詮キャラじゃねえか、 というのはもはやどうしようもない常識だと思うのだが、 確かに文学を読んでいる時には 「いや、せっかく文学だし真面目に読むか」という気になって できるだけ現実の人間と同格に考えようとしていた事を思い出したのである。 それとever17の話が印象的だった。確かにおもしろかったのだが、 そこまで言われるとものすごいものだったかのように思えてくる。 ただ、私はあれには感情移入(物語と現実が連続するような錯覚という意味での) はまるでしなかった。 「うわ、オレ、ココに挨拶されてるよ!すげえ!」という 感じに喜びはしたが、それはネタを楽しんでいるようなもので、 別に実際にそう感じたわけではない。 あれで本気で物語につながった感を味わった人はどれくらいいるんだろうか。

ところで関係ないが、 私はKANONその他において「オレが選ばなかった奴がどうなる」 みたいなことを考えたことはない。 実に自然に彼女らのストーリーで悲しんだり喜んだりしていた。 しかし確かに考えてみれば なんでそんなふうに都合良く他のことを忘れられるのかは不思議だ。 さっきまで舞シナリオで泣きそうになってたくせに、 数十分後には舞に「ごめん」とか言いつつ真琴シナリオに突入して 舞のことなんてさっぱり忘れてこれまた泣きそうになっているのである。 などと言っておいてなんだが、ウソだ。そんなのは全然不思議じゃない。 宿題のことを意図的に忘れてドラクエやってしまうのと何ら変わらないだろう。 宿題は後で怒られるがギャルゲーは怒られないというだけの差しかない。

いや、キャラとは言え仮にも人の生死を宿題と 同レベルに考える気になるのがヤバいのか。 そのあたりが「所詮キャラしか書けんことを知っている」 という話なのかもしれない。 なるほどそう考えていくと不思議に思う人がいるのもわからなくもない。 所詮キャラだしとか言いつつ目の前で泣きシーンが展開されている時だけ 変に人間扱いする。 そもそも自分に利も害ももたらさない他人なんて やらないと怒られる宿題以下の存在なのではないのか、 などとそのへんを自覚した上で快楽のために 泣きシーンで泣くというのは、確かに救い難いものがある。 しかしだからといってどうするわけでもない。 泣くのも笑うのも反射で、人が死ねば悲しくなるが、 見なかった死は悲しみようがない。 西尾維新はそのへんを実にはっきりと言葉にしていて、 たぶん私はそういうところに魅力を感じているのだろう。

ところで、もし真琴に走った結果栞が死ぬ結末を見せつけてくれる ゲームがあったとしても、それはそれでいいとは思う。 確かにそんなに都合良く視野から消えてくれるのは なんぼなんでも不自然だ。 宿題をやらなかったら怒られるべきだ、という感覚は理解できるし、 私もたまにそう思う。仮に自分で書く時にどうかと考えてみると、 そういう都合の良さは許容できないかもしれない。

清涼院流水インタビュー。そんなにすごいのかこの人。 というか、すげえ自信満々だ。最低でも「コズミック」を読むことが決定。 弟の話を聞いていると単なるネタにしか思えないのだが、 こうまで自信満々に語られると「それほど言うなら読んでみよう」 という気がしてくる。

月姫を作った人と笠井潔の対談。よくわかんねえ。 そもそもこの会話が成立しているのかどうかすらわからない。

2003年9月20日

キングゲイナーおしまい。最後の数話がなにやらさっぱりわからない。 キャラが何をしたいのかよくわからん。特にアスハム。 オーバーマンって何よ、とかいうような細かな疑問も山ほど残ってしまった のも気になる。やはり短すぎたのだろう。 せっかくの魅力的な設定が生かされていないように思う。 しかしそれはそれとして、動画の質やら、 一話一話の構成やら演出やら、まあそういうところは十分すぎるほど 良くできていたのでまあいい。 結局残った感想は「ザブングルほどおもろくはないが、まあいいか」。 たぶんあまり記憶に残らんと思う。

秋葉に行ったらデカいのがいた。なんかしゃべりつつ本屋とか行ったり。

水滸伝2冊追加。14話まで読んだ。 しかしこいつら客がくるととりあえず肉と酒だな。 量の単位がよくわからないが、たぶん多いんだろう。 それと、なんぼならずものだからってケンカふっかけて殺していいのか。 しかも丁寧にトドメまで刺している。 理由もタダで刀よこせとか言われただけで、実際に力づくで奪われそうに なったというわけでもない。 あとさっき気づいたのだが、賄賂多いなあ。 そういえば今まではどいつもこいつも豪傑タイプで区別がつかなかったが、 やっと呉学究という非豪傑タイプのキャラが出てきた。 しかしいきなり金品強奪計画の作戦立案。 どうせ不義の金だから奪っても良い、という一言で みんな納得していそいそと準備を進めるのだが、いいのか。 そもそも梁山泊の奴等は盗賊で荒稼ぎしているらしいのだが、いいのか。 そのへんの通行人を殺して金品を奪っているんだろう。 しかしだんだんそのへんのことにも慣れてきた。 義侠心があればいい人、という世界法則がだんだん理解できてきた気がする。

SNOWを作ったスタジオメビウスがまたパロディらしい。 SNOWも要素要素はパクリの嵐だが、終わってみれば そんなことはどうでも良くなる出来だった。 ちゃんと作れば作れる人々だということだ。 しかし、現実問題モノを作り始めるには企画がいるのであって、 そこで第一印象として十分魅力的なものが出てこなければ 先達に倣う以外に手はない。 「とりあえず○○(作品名)な方向で作ってみるが、たぶん作ってるうちに独自性が 出てくるだろう」というのはたぶん良くあることだ。 「つまりこのゲームはどんなゲームなんですか」 と聞かれて「何々がどうこうな○○(作品名)」 と答えるしかないような企画というのは珍しいものではないだろう。 元ネタが露骨にわかるレベルでそれをやるのは私は好かんが、 SNOWが話題になったのはああだからこそだろう。 しかしまた同じことをやるとは。

SNOWがああでなかったら誉めてもバカにされなかっただろうにと思いつつ、 ああでなかったらやることもなかっただろうなと思う。 少なくとも私に対してはあの戦略は成功していることになる。

2003年9月19日

キングゲイナーおもろい。ちゃんとおもろい。 あまりにちゃんとおもろい。 単純にクオリティが高い。すげえ。現在14話まで。 それにしても何か会話になってない。不思議だ。 どう考えてもセリフがつながってない。 そうだこれが富野だ。

今私の体には2リットルペットボトル6本分の脂肪がついているらしい。 いろんなところを掴んでみると確かにそんな気がしてくる。不愉快だ。

ボディービルダーは体脂肪率を5%程度まで落とすらしい。すげえ。可能なのか。

2003年9月18日

ヘロヘロ判定に合格するまで運動するという掟を設けた。 かなりヘロヘロだ。毎日やってりゃなんぼ食ってもやせるだろう。 よしんば痩せなかったとしても筋肉が増えて元気になるなら問題ない。

2003年9月17日

口の中がまだ二郎くせえ。ありゃ本物だ。

仕事中も口の中が二郎だった。

なんとなくスーパーの水コーナーを見ていた。 10種類くらい置いてあって、硬度やらPHやらを比較できるようになっていたのが 目立ったのである。特に買う気もなく見ていたのだが、 一つだけ目を引いたものがあった。Contrexという水で、 他のものは硬度がせいぜい300やそこらなのに こいつだけ1500とかいう数値だったのである。 水の味なんて普段考えたこともないが、 これも縁だろうと思って買ってみることにした。 で、その味だが、かなりおかしい。 味というよりは飲み込む時の感覚がおかしいと言った方がいいだろうか。 後味もこれといって味がするわけではないが何か変だ。 これはかなり面白いので是非他の味の薄そうなものと比べてみねばなるまい。 なお、成分的にはカルシウムと硫酸イオンの量がケタ外れである。 それぞれ483mg/lと1187mg/lだ。 カルシウム濃度が牛乳の半分と言えばわかりやすいだろうか。 マグネシウムも豊富(84mg/l)である。 WEBで調べるとダイエットをする人々に評判らしく、 牛乳のような高脂肪食品を避けてカルシウムが取れる のが人気の理由であるようだ。 1.5リットルで350円もするが、 何も入っていない水や茶、あるいはカロリーばかり多いジュースよりは マシかもしれない。 しかし単に栄養源として考えるならそのものズバリの錠剤を買う なり煮干を食うなりした方が安かろう。

ちなみに、こいつで茶を入れたりダシを取ったりすると 成分がカルシウムと結合して沈殿して大変なことになるそうだ。 茶も含めて日本料理系に硬水は合わないということは知っておくべきである。

そういや二郎に行った時に灯油の18リットルポリタンクに入った 醤油を見かけた。二郎専用醤油とか書いてある。そんなものがあるのか。

澄乃を愛するならばなおさら全エンディングを見ねばならんのですよ。 それ以上は断じて言えませんが。

ギャルアニメ3連発。 おねツイははあの引きからどうつながるのか楽しみ。 モノそのものはいつも通りの恥かしいアニメという域を出ないが、 しかし安心して楽しめることに変わりはない。 グリグリは相変わらずのクソアニメっぷりながらも最後の電撃的に意味不明な 引きに衝撃。D.C.は相変わらずの内容のなさとますます意味不明な後半部が強力。

2003年9月16日

実家の居心地の良さが想像の域を超えていた。 体がまるで動かせなくなるほどのダレ方。 その間に読んだ本はDクラ短編2冊、 西尾維新のクビツリハイスクール、サイコロジカル、ヒトクイマジカル。 水滸伝11話(岩波版1巻)まで。弟(大)が清涼院流水とか島田荘司とかを薦めてきたが 読まずに帰ってきてしまったので、後で代表作を探して読んでみることにする。 なお、弟(小)は私が持っていったDクラ全巻を読んでしまった。 どうやらおもしろかったらしい。

推理小説を推理せずに読むのはいいのだろうか。 実は刺身にソースかけて食うくらい変だったりするのではないだろうか。 推理小説愛好者のサイトを眺めているとそんな気がする。 むろん「ちゃんと推理して読まないとおもしさの半分も 理解できないよ」などと言われたところでそれに従う気はさらさらない。 私の脳はそういう作業には甚だ向いていないようだからだ。 しかしそのくせさすがにあんまりムチャな真相だと「えーそれでいいのー?」 という気分になるわけで、実に勝手なものである。 今回読んだ西尾維新3作品はどれもそんな感じだった。 そもそもこれは推理小説ではないだろう。 じゃあ何なのかと言われるとよくわからないが、 よくわからないなりにおもしろいのでいい。 ただ、いいかげんノリに慣れてきた。 クビシメロマンチストが一番おもろかった気がする。 それ以降のは超人パーティーと化していてどう反応していいかわからない。 特にサイコロジカルはわからなかった。 どうも私は動機が納得できないと話が納得できないという ずいぶん古臭い頭をしているらしいのだが、 たぶんそこを捨てないとこいつは理解できないのだと思う。

しかし「新手のスタンド使いみたいなファッションの…」 とかいう文章はいいのか。対象とする読者が 同じ棚に並んでいる他のものと違いすぎている気がする。 そういえばその棚にファウストというのが置いてあって中身を 眺めては見たが、あれはたぶんガラじゃない。

水滸伝はやっと梁山泊という単語が出てきた。 それにしてもひどい話が満載である。 一人殺してこないと仲間にしてやらんと言われたからといって あっさりと通行人を待ち伏せて斬りかかるキャラってのはどうよ。 私の感覚で読んでも仕方ないのはわかっているのだが、 仏門に入ったくせに酒かっくらって暴れる奴とか、 すぐ怒って人を撲殺する奴とか、 どうもロクな奴がいないような気がする。 しかもけっこうみんなそういう豪傑系なキャラなので 実はあまり区別がついてない。 とは言いつつ、なんだかおもしろくなってきた。 キャラが実にいい感じに絡んでくる。 いい感じにあっさりした描写もスピード感があっていい。 ただ、たぶん歴史への興味がないと 普通におもしろいだけになってしまうのだろうなという気はする。 まあ、普通に楽しんでファンになって歴史にも興味を持つ、 という順番が普通なのだろうからそれはそれでいいだろう。 読み終わったら誰かさんに蘊蓄を語ってもらえるだろうから、 それも楽しみである。 ところで結構挑戦的な訳だと聞いていたのだが、 それはこの変にくだけた言葉遣いのことだろうか。 後で他と比べてみてもよかろう。

会社の後新宿に用事。魔がさして高田馬場二郎。 あれは本気で二郎だった。多いしキツいし、チャーシューじゃなくブタだ。 苦しい。動けん。

ニャが話していた論理哲学論考をちょろっと眺めてみたが、 言葉の定義がわからないので歯が立たない。 事実ってなんだ。成立ってなんだ。 1ページ目から謎が満載である。 訳注を見てもかえって意味不明になりそうで役に立たない。 ただ、後ろに行くほど饒舌になっているので もしかすると後ろの方がわかりやすいのではないかと思う。 一度きちんと読めば言いたいことの概要くらいはわかるかもしれない。

デルモンテの飲むサラダが値段の割においしい。 味の濃さにおいてはカゴメにかなわないが、 私は若干セロリが苦手なのでこちらの方がずっと飲みやすい。 加えて200mlあたり46Kcalである。3リットル飲んでも太らない。飲まんが。

2003年9月13日

アクアリウムの夜。不思議だ。正直よくわからないが、 何か雰囲気を感じる。明らかにライトノベルではない別のものだ。 作者は英文学の研究者らしい。そう聞くと根拠もなくなるほどと思える。 ただ、ここに描かれている少年達の姿はあまりに馴染みがなくて 何か昔話をされているような気分だった。 それも含めておもしろかったのは確かだが、 もし私がこの世界観を実感として共有できるような人間だったなら この本の価値はもっと高くなっていただろう。

ニャんとこで現代系オタがどうこう。 前者は0,0,0,0,0,1,0,1,1,0で3点。 後者は2,0,1,1,0,1,0,0,1,0で8点。 そういえば小説に関してはなにかと手を染めている一方で 漫画の好みは非常に保守的だ。自分のことながらおもしろい。 あと、大塚なんとか等知っていないと 設問に答えようがないものは間を取って1点とした。 後者の7番などは東浩紀のを読んだ上で 賛同できるか気に食わないかを聞いていると思われるので、 賛同できるということで0とした。 動物化するポストモダンには 興味深い点があったのは確かだし、反発は特に感じない。 私が自分をあれで分析されているような類のオタクだと思っていないからだ。

ちょっと実家に戻ってきます。

2003年9月12日

おねツイ8。一人脱落。そんなオチかよ。 そろそろ盛り上がらんものか。 それにしてもマイク君のセリフは もうすでに本命が決まっているかのように聞こえる。

脂肪って減らんなあ。動く分以上に食ってるので当たり前だが。 まあ食わんで動けば減るだろうが、 食っていても動いていれば健康にはなっていくので 別に気にするほどのことでもない。 しかしせっかくなので、試しに計算してみよう。 脂肪1gあたり7Kcalという話なので、 例えば5Kg落とすには35000Kcal消費せねばならんわけだ。 35メガカロリーである。 仮に一日あたりの不足カロリー量が500Kcalになるような生活を続けたとして、 これだけ減るには70日かかる。 私のような職種の人間が普通に生活してちょっと運動して、 という感じだとだいたい消費カロリーは1500Kcal程度だ。 よって、1000Kcal以上食ってはならないことになる。 1000Kcalというのは相当少ない。普通に二回食ったらもうオーバーだ。 なるほど大変である。 ダイエットという奴がどんなものなのかこの計算でわかった気がする。

2003年9月11日

Dクラ6。たまらないところで終わっている。そして続きはまだない。 外伝でも読みながら待つしかあるまい。

さて、愛する人を忘れてしまうというのは今となっては定番の 泣かせシーンである。しかし、知識としては覚えているが 実感その他が失せてしまうというのは少し新しい。 むろん、知識を完全に残したまま実感だけ完全に失せるというのは あまりに説得力がないため、本作でもそのあたりの区別は都合良く ごっちゃになっているようだ。 しかしそれでもその基本的なコンセプトには脳に刺さる何かがあるように思われる。 思い出せるきっかけがあれば昔のことというのは結構思い出せるものだ。 しかし、思い出した時にその当時の精神状態までが完全に蘇えるわけではない。 たまらないことがあってその思いを文章にして残したとして、 それを後から読んだからといって同じくたまらない気持ちになるわけではないのだ。 日記を書いている人ならたやすく理解できることだろう。 当時はえらく興奮しながらAirの感想文を書いていたはずだが、 今読めば「ふーん」としか言いようがない。 仮にも自分で書いたものだけに他人の文章を読むよりはマシだが、 それでもなお「ふーん」と表現できる範囲に留まるような感情でしかないだろう。 これは当たり前のことでとやかく言うことでもないが、 複数人が関わってくるとそれで済まされない事態になってくる。 問題は同じ時を共有した人々でも、その思い出の薄れる速度は まちまちだということだ。長くその印象を保っている人にとって、 仲間からその印象が失われていくのを見ることは悲しみ以外の何者でもない。 過去に自分が熱意を持っていたことを示す文章を読んだ時に 頭をよぎる罪悪感は、他人との関わりにおいて感じるそういった感情から 類推して生まれているものかもしれない。 当時の熱意を保ったまま今に至る自分というものを仮定して それを他人として扱う時、私は彼に対しては裏切り者であることになる。 また、同時に私は未来の私に裏切られるだろうという思いも避け得ない。 別にそんなことを思って書かれたものではないだろうが、 千絵の悲痛な叫びは私にそんなことを考えさせた。

ところで、梓が思い出すの早すぎ。もう少し思い出すまでにてこずるべきだろう。 こういう言い方はなんだが、千絵一人だけ覚えていて辛いという せっかくの「おいしい設定」が十分に生かされていないような気がする。 この日のために千絵はカプセルを飲まずに来たのではないのか。 もちろん愛以外の理由もなく梓がさっさと思い出してしまうことそのものも 何か気に食わない。とは言いつつ、ストーリーの都合を考えなければ 彼女は十分すぎるほどにひどい目にあっているとは思う。 3人組との会話の最中に泣き崩れるシーンなどこっちが泣きそうだった。 確かにそんな辛いシーンをえんえん描写しても嫌なだけかもしれない。 しかしそれは大切なことであるような気がする。

景が他人に思えない。作者はまるで見てきたかのように語る。 景が梓に救われるしかなかったとするならば、 梓のいない景が救われることはないのだろうか。 景は梓にとって王子様だが、 同様に梓は景にとって王子様なのだと思う。

あとがきにメガテンに影響受けましたとか書いてあって、 おいおいそれは言わんでいいんとちゃうか、と思った。 まあ、メガテンのアンソロジーとかに書いてる人だし そんなもんか。

体が復活し始めたらしく、少し蹴れるようになってきた。 あと20日もあればもう少しマシにはなるだろう。

2003年9月10日

D.C.、中身ない。なんで見てるのか自分でもわからなくなってきた。 ハピレス。相変わらず安心して見られるが、 相変わらず説明がない。 何か帰らねばならない理由があったんじゃないのかおまえ。 「いい話的文脈」だけで話を作るのはさすがにまずいのではないかという 気がしてならない。

それではこちらもリンクなしで。 ブゾーニ版ですか。なるほど面白そうです。 本来は演奏者がその場のノリで弾くべきものなのでしょうが、 確かに最初は何かしらの指針が必要でしょう。 その指針として考えた時には 市川版の解釈は場所によっては多少くどいように感じられます。 しかし、書いてある事そのものはさすがに研究者の言だけに興味深く、 手を動かしてばかりでまるで音楽理論を勉強したことがない私にとっては かなり新鮮なものでした。 そういうわけで指使いや装飾音も含めてあの解釈に一度従ってみるというのは 意義あることかもしれないと思うのです。 もちろんどうしようもなく弾けないとなれば 装飾音を外すことになりますが、もう少しあがいてみたい気がします。

それにしても本当にグールドはたまりません。 ゴールドベルグを聞いていると気が遠くなります。 私があれに手を出せるようになる日が来るといいのですが。

Dクラ4。かなりいい感じになってきた。友情が熱い。 レギュラーキャラ供がたまらなくいい。展開も熱い。 千絵最高。オレにもそんな説教してくれ。 今回のボスは異常にショボかったが、明らかにショボイ悪役という 位置づけなのでこれで良し。むしろ次への期待が高まる。 あれだけ薦めておいてショボかったらどうしてやろうかと思っていたが、 完全にその心配をする必要はなくなった。 そして2時半。バカな。

久しぶりにまともに仕事をした気がする。 それでもなお9時帰り。

Dクラ5。お約束通りニセのエンディング。今回は景くんに惚れた。 いい奴ばっかりだ。地味な茜でさえけっこう光る。 その分今回は若干千絵がいいとこなし。そしてますます奮う悪役軍団。 こりゃおもしろい。

2003年9月9日

装飾音が弾けない。いらいらする。 特に5番の装飾音地獄は到底越せる気がしない。 だが、弾けない原因はこれ以上なくはっきりしている。 肉体ができていないからだ。 ピアノに慣れてないとか曲の練習が足りないとかいう高度な理由ではない。 ただ単純に、所望する速度と強度で鍵盤を叩くことができないのである。 パワー、スピード、スタミナの3つが圧倒的に足りない。

ハノン増量。当社比200%。20番までを二回。疲れた。 やはり疲れてこその筋トレである。 こんなバカらしいまでに単純で非音楽的な 練習が正しいかどうかはわからないが、 少なくとも前に進んではいる。この4ヶ月の効果は想像以上のものだ。 ハノンの効果が得られる限りは突き進もう。

2003年9月8日

Dクラッカーズ2巻。もうすでにスタンドバトル小説であることには慣れていたので 準備不足は感じない。そういうものとして最初から楽しめた。 明らかに一巻より文章がうまい。 そして相変わらず千絵の萌えキャラっぷりがたまらない。 壊れていく景君を心配しまくりな梓もいい。 若干悪役その他が典型すぎるが、まあそれはそれだ。 あと暴走の描写がいまいちで、1巻同様に最後のアクションシーンが けっこうどうでもいいという淋しい結果に終わった。

景君はちょっとカケルっぽいかもと思ったりした。思いつき。

ところで、言わゆる「イッてる人」というのを私は見たことがないので、 良く見かけるそれ系のキャラの描写がリアルなものなのかどうか よくわからない。ただ、その系統のキャラの言動や口調や行動、 それに絵がある場合にはその表情に至るまでが 多くの作品であまりに似かよっている。 それは「イッてる系」に限らず勝気な幼なじみだろうが 無口眼鏡だろうが同じことなのではあるが、 なまじアクが強い属性だけに妙に気になるのだ。 たぶん、「イッてる人」なんてのを見たことがないので 自分が見た作品における描写に影響を受けすぎてしまうのだろう。 加えてそういう系統のキャラは多くが悪役であるために あまり突っこんだ描写がなされない傾向があり、 その印象に拍車をかけている。「チンピラ・ヤンキー属性」も同様だ。 なお、最近のキャラで私のイメージする「イッてる人」の殻を破壊したのは フェイスレスただ一人である。

ところで、Dクラの絵がかわいくないのが悲しい。なるほど絵は大切だ。 千絵の変装シーンの価値なんかは絵の良し悪しで大変に違ってくるように思う。 もっとトーンの貼り方を研究して線に躍動感が出たらいいなあと 勝手なことを言ってみよう。線が細くて落着きがない上に トーンを貼りすぎて全体に絵が灰色になっているので、絵にまるで力を感じないのだ。 あとは表情が下手。2巻の表紙の後ろの人などがいい例だ。 たぶん全ての問題は同じ根から出たものだろう。

好き嫌いなどの感情は瞬間的なもので、 それを時間に依存しないパラメータとして 扱うには平均値を取るしかない。 クビシメロマンチストにおいてそんな類のことが語られていて、 同じことを考える人はいくらでもいるのだなと思った。

蒲田で二郎。普通のラーメン。 帰る途中に、なんでオレはこんな平日の8時などという時間に わざわざ自転車で10分もかかる蒲田まで行ってラーメンを食えるくらい ヒマなのかと猛烈に腹が立った。 どう考えてもこんな時期なのだからもっと忙しいはずだろう。 なぜこうもやる気がしない。 寝不足でもないはずなのに眠くて仕事にならなかった。 精神がたるみ切っているのだ。 去年の今頃はTGSの準備でかなりせっぱつまっていた気がするし、 そもそも今年の3月までは11時前に帰るなどまずありえないような 充実した生活を送っていたのである。 8時に帰って拳法とピアノの練習をし、WEBを見て回って ちょっと読書とかできてしまったりするような、そんな 異常な生活などあっていいはずがない。オレに仕事を強制しろ。

そして帰りに買った調整豆乳のあまりのマズさに怒りが倍増。 この味の素風味は一体なんだ。soyfreshと書かれている豆乳はマズい。

Dクラ3。加速の快感。今回は描写に不安を一度も感じなかった。 さらに、準備不足やネタのショボさも感じなかった。 進化したのかこっちが慣れたのかはわからないが、おもしろい。

メガテンとか好きなんだろうなあこの人。つうか、メガテンだろこれ。 もはや気にならんが。

モダンなんとかデザインとかいう感じの名前のC++の本を読んでいた。 基本的な考え方は非常に納得が行くが、個々の細かな方法が頭に入って来ない。 まだ自力で行ける所まで行っていないので、 先人の賢さに触れてもその価値がわからないのだろうと思う。

「太極拳ハンドブックシリーズ3簡化二十四式太極拳入門(李徳芳、呉増楽)」。 24式を覚えねばならなくなったのだが、順番だけわかればいいやと 一番安いのを買ってきた。しかしけっこうまともなことが書いてある。 型ももう少し真面目にやらんとマズそうだが、 その前に元気を取り戻さないといけない。

2003年9月7日

土曜はアホらと宴会。詳細は略す。何か特に思い出したら後で。

日曜はウシオにつきあってもらって体育館。決定。

クビシメロマンチスト。とがってた。 無理に感想をひねり出すのもなんなので、 今はこの時点で読んだということのみ記録しておく。 いずれ思い出した時に言葉になるだろう。

2003年9月6日

同期に誘われてビーシャビーシャというものを見てきた。 どんなものか全くわからないまま8000円も払ったりしてしまったのだが、 その価値はあったと思う。なにしろ、終わった今でも あれが何だったのかよくわからないくらい異次元だったのだ。 なんか人が宙吊りになってて 水とか降ってて、光ったり音が鳴ったり、なんかそんなのとしか言えない。 さっぱり意味はわからんが、やけにおもろかった。 最後はよくわからない勢いに乗って びしょ濡れになりながら跳んだり跳ねたり叫んだりしていたが、 これがまた実に気持ちいい。 それにしてもあれは一体なんだったのだろう。

そういえば帰りの電車で今度クラブに行こうと言われたが、 これまたよくわからない。なんだそれと聞いてみると、 今日の最後の方のなんかみんなで踊り狂ってるような状態で もっと音がうるさくて不健康な感じで夜を明かすもの、 という答えが返ってきた。まあだいたい想像はできて 明らかに私のガラじゃないが、一回くらいは行ってみるのも悪くはないだろう。 誘われてヒマなら行ってみることにする。

そうだ。あれが8000円で、飲み会行ったら5000円以上はして、 たぶんクラブとやらもそれくらいの規模の金なのだろう。 であるならば、ゲームの値段は確かにあんなものかもしれない。 しかし、そう考えるとなお一層書物というのがいかに安いものであるかが よくわかる。オイディプス症候群は3000円もしたが、 まるで高いとは言えない。 まして1000円に満たない文庫であればなおさらのことである。 私は結局のところ本で足りる人間なのだろうが、 せっかく私の知らないことを知る人に誘ってもらえるのだから その機会は最大に活かすべきだろう。 今日のは本当に驚きだった。

しかし、この国の人間は本当に金持ちなんだな。 赤坂あたりを歩いていて本気でそう思った。 あの街においてはマクドすら高そうに見える。

このニセヴァイオリンはやけに絃を押さえやすい。 ずっとおかしいとは思っていたのだが深く考えずにここまで来ている。 しかしいくらなんでもおかしいと思い、さっき調べてみた。 明らかに指板の形が違う。本物のヴァイオリンは指板が微妙な弧を描いており、 そのために絃と指板の距離が少し開く。 しかし、逆にハイポジションでは距離が縮まる。 これによって絃がめいいっぱい振動しても指板に当たらず、 かつ可能な限り指板と絃の距離を縮めているのだ。 ところが、このニセヴァイオリンはそんな工夫がされていない。 だからローポジションにおいては指板と絃の距離が近く変に押さえやすくなり、 ハイポジションにおいては逆に距離が遠くなって押さえにくくなる。 何故こうも弾いていて感覚が違うのかと不思議に思っていたのだが そういうことだったのである。 あまりポジションが高くならない曲はやけに弾きやすく、 自分がうまくなったような錯覚に陥ってしまう。危険だ。 特にあまり正確に指を動かさなくても重音が弾けてしまうのがいけない。 バッハの無伴奏がやけに簡単に弾けておかしいとは思ったのだ。 こっちとしては練習用という位置づけなのだから、せめて外形くらいは 真似てもらわねば困る。そういう視点で他のものも見てくることにしよう。 まともなのが見つかったら誰かにあげます。もらい手募集。 もちろん今すぐ買うとは限りませんし、マシなものがそもそも存在しないかも しれませんが。

ピアノでも同じことが起こっているのではないかと思うと恐ろしい。 ヴァイオリンよりは起こりにくいはずだとは思うが、 それはピアノに親しんでいないだけである気もする。 定期的に生ピアノに触れねばならんとは思うが、 一体誰が弾かせてくれるというのだ。 いとこんちに行った時くらいしかありえない。 良くて年に2回くらいだろう。こればかりはあきらめるしかない。

2003年9月5日

いろんなものがちょっとづつ重いような場合一体どうしたらいいんだろう。 全部速くするしかないが、ことごとく私の管轄ではない。 仕方ないのでできることをしよう。未来のために。

ひどいという評判を良く聞く学校を出ようは何故か好きだ。 読んでしばらく経っても印象に残っているということは たぶんそこそこ好きだということだろう。 ハルヒに比べてキャラが動いていないからダメだ、 とか、構成が悪くてかったるいとか、まあいろいろと言われているのだが、 まるで気にならない。私はキャラでしか見ていないのだと思う。 その一方でマシになったと言われる2は普通なのでどうでも良い。 なるほどいろいろと凝っている気はするが、 おそらく私はあの手のものに凝った話とか巧みな展開とかいうものを 期待していないのだろう。結局のところまともなものを読みたければ 漁る本棚を変えればいい、という意識が少なからず私にはある。 明らかにハズレ率の高いあの手のものに手を染めるからには、 まっとうなものではまず得られないような種類のものを期待しているわけである。 それは、萌えと言ってもいいし、あるいは共感と言い換えてもいい。

ひたすら奇行に走るハルヒを見て「キャラが動いている」 と言うのは何か違う気がした。私はあの小説を「悪い冗談」だと思う。 これ以上なく極端な非日常へのあこがれに対する返事が、 これ以上なく何のひねりもないそのまんまな荒唐無稽さであるという、 その構造そのものがタチの悪い冗談だ。 ひどくいい加減で唐突に明かされる設定と同レベルにハルヒの 奇行もネタじみている。ハルヒの基本的な性格は好きだし 他人とは思えないくらい共感を感じるが、 それはそれとして個々のイベントはネタにしか見えない。 文章にも無理に崩したような印象があって気にいらない。 直球が好きな私としては少々ひっかかるものがある。 一方、学校を出ようもムチャな非日常と普通の日常の対比という意味では ハルヒと似ている気がするが、ハルヒのような悪意あるいはネタ臭さは感じない。 あの徹底的に動かない主人公とお祭り騒ぎな非日常の コントラストがやけに楽しかった。 祭りと地味な日常の両方がきちんと両方の価値を主張している。 どちらかが上、というような印象がないのがいい。 祭りは祭りだが、でも祭りなんだぞ、という感じだ。 大人になると能力が消えてしまうという設定がいかにも祭りっぽさを感じさせる。 それに、あの作品にはライトノベルにありがちな 準備不足をほとんど感じなかった。 ハルヒの場合は徹底的にわざと準備をしていないので もはや準備の「不足」は感じないが、それはネタだしやはり反則だろう。

準備不足はいかんと思う。 Dクラッカーズもあれだけ周到に地味な描写をしておきながら いきなりスタンドを出して戦うのが萎える。 その間の距離を埋めるものが提供されていないからだ。 そもそも薬でラリって超能力バトル、というのは何も新しいものではなく、 ああやって学校という身近なところで麻薬がはびこっている のを地味に描いたあたりにむしろ私は新鮮味を感じたのである。 キャラに対する誠実さを強く感じるので全体的には好きなのだが、 できればもう少し周到に事を進めるようになってほしいものだ。 そのあたりはニャによると期待して良いらしい。 ブギーポップくらいになると準備不足はさほど感じないが、 やはりいきなり「マンティコア」とか言い出すあたりで ちょっとがっかりした。BLLOD LINKは特にそこがダメだ。 作者が真剣なのでちょっと応援したくなったりもするが、 一人で勝手に盛り上がっているような感があっていまひとつ乗れない。 基本的に若すぎるのだろう。 重いテーマを描きます、という意識ばかり先走って そのための準備まで頭が回っていないような印象を受ける。 そのテーマを描くための材料がことごとく借り物というあたりも辛い。

同じ時期に「オイディプス症候群」や「ぶっぽうそうの夜」を読んだが、 そういうものは明らかにモノが違った。 もっと近いものとして「十二国記」あたりを挙げてみてもなお違う。 娯楽小説と言えば夢枕獏やら今野敏あたりが思い浮かぶが、まるで何かが違う。 そりゃ違うだろ、と自分でも思うが、 だからといって脳の別の領域で観賞すべきだなどと言うのも淋しすぎる。

ライトノベルやギャルゲーの類を殺那的な共感を 感じるための道具として使っているのではないか。 そんな気がしてか今は読書が止まっている。 毎日運動をすることに慣れてきたらまた読み始めるだろう。 きっと体の元気が頭の元気を連れてくる。

ギャルゲーキャラの殻をかぶった人間と、 人間の殻をかぶったギャルゲーキャラ。誰のこととは言わんが、 例えばD.C.やとらハやハロワ、それに控え目ながらSNOWも前者だと私は信じている。 ギャルゲーでないはずのものでも、中身がギャルゲー的なお約束の集合体と 化しているキャラが多く見受けられるような気がしてならない。

2003年9月4日

猿長電話。サポート電話対応とかやってるらしく、 とんでもない電話がかかってくる例をいろいろと聞けた。 昔見たサポセンなんとかの世界まんまだが、あれよりもおもろい。 気違いじみた電話がある一方で、 迷惑だがしかし微妙に人情味があふれている例があったりもして素敵なのだ。 そして気がついたら2時。ヤバイ。

考えてみると、私が何をやっているかはこれのおかげで筒抜けだが、 逆に私は読んでいる人のことはまるでわからない。 たまに電話や生身で話した時にそのへんの不均衡を強く感じる。

昨日書いた凝ったメールが、同じ文面でまた来た。単に腹立たしい。

おねツイが大人しかった。恥ずかしい台詞回しに慣れてきたせいだろう。 もうひとひねり欲しいと思うのは欲張りだろうか。 しかし構成的にそろそろ何か谷がありそうな気はする。 ちょっとハラハラする展開になるのではと思うと楽しみで仕方ない。 それにしても、特に萌えーなキャラがいるわけでもなく、 こんな普通にベタベタな話なのに何故こんなに好きなんだろう。 自分でも疑問に思う。

2003年9月3日

猫が轢かれてた。ちらりとしか見なかったが、腸もしくは脳が出ていた。 確認はしていないが、死んでいただろう。 誰があの死体を処理するのだろうかなどと考えて暗い気持ちになりながら帰ってきた。

ハピレス、カンナ。普通にいい話だが、むしろ気になるのは 犬が轢かれる話だったことだ。

D.C.。なんだこれは。このやりすぎな萌え波動はなんだ。 あまりのことに唖然としてしまう。これが萌えビジネスか。

なお、今回はそれも含めて実に楽しめた。D.C.の割には まともな出来である。などと言えるあたり、私はよほどD.C.世界が好きらしい。

やけに手が込んだゴミメールが来た。 題名が「ごめんリンク切れしてたみたい」。 本文は「ごめん。この前、話したサイトだけど…」と始まって 後ろにURLが記されている。よくもまあこんなことを考えるものだ。

2003年9月2日

アホ電話。久しぶりに自慢され、久しぶりにバカな企画に誘われた。やらねえ。

ひでえ頭痛。ビール一杯でこれか。

ひでえ筋肉痛。もっと悪化させてやる。

パデ近似が発散するような類の関数に有効であることがわかった。 例えば正接関数がいい例だ。 tan=sin/cosだが、cos(x)は0付近で1だし、sin(x)は0付近でxだ。 ということは、tan(x)は0付近でxであり、1/tan(x)は=1/xなのである。 1/tan(x)=tan(PI/2-x)ということを思い起こすと、 xが小さいうちは普通に多項式近似を使い、PI/2に近づいてきたら 1/xベースの有理多項式近似に切り換えるという方法が浮かんでくる。 いつか使うこともあるだろう。

BSPの使い方がわかった。 BSPというのは空間を半分に割って、 どちらかに注目することでもう片方を切り捨てる技法だ。 部屋の中にボールがいくつも転がっているとして、 それらが互いに当たるかどうかを知りたいとする。 そのままやると10個なら10*9/2で45回だ。 ここで部屋をまっぷたつに割って、各々がどちらに属しているかが わかれば、同じ側にいるボール同士でしか判定をしなくて済むようになる。 仮に半分づつ分かれたとすれば、5*4/2が二回で20回になる。 こうやって割るのを繰り返せばどんどん減っていくわけだ。 そこまではわかっていたが、空間を割る時に一つのボールが 分断されてしまったらどうするかとか、ボールが動いていたらどうするかとか、 まあいろいろと問題があったりして放置状態になっていたのである。 それが今日考えてみたらあっさりと解決してしまった。 それが問題になるほどデカかったり速かったりするボールは滅多にない、 と決めつければいいだけだ。 いつか使うこともあるだろう。

勉強し放題なのはありがたいが、 少しはモノに関係のある仕事がしたいとも思う。

とある用途ににぼしを買ってきたのだが、うますぎる。 全部食ってしまいそうだ。

2003年9月1日

京都に行ってきた。あまりにおもしろい話を聞いて、少しはそんな マンガみたいな物語に貢献してみようかなという気になってきた。 少し真面目に体を動かしてみようと思う。 速ければ3週間、遅くとも5週間のうちに何かが始まるだろう。 そのためにさしあたり速度を取り戻す。

ニャのところでいろいろロクでもないものやらすごいものやらを見せられて、 なにやら満足。詳細は面倒くさいので ニャのところ(31日も)で。

焼肉。何事もなくいかにもな飲み会。

誤差の評価という奴はむつかしい。 10000くらいの値が1ズレるのと10くらいの値が1ズレるのはまるで価値が違うが、 だからといって全部をズレた割合で評価しようとすると、 大きさが0付近の時に割れなくて困ってしまう。 そういう時はズレた量そのもので評価すべきだろう。 現実的にはその二つをてきとうに混ぜて使うことになる。


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