日記

2003年7月31日

かもねえ。そんなに悪くなかった。加えて、なんだかんだいっても バカだけで十分おもろい。たぶん私の側のチューニングが進んだためだろう。 そういえば、なんかフラグ立ってて驚いた。何人クリアしたかで 何かが変わるらしい。俄然やる気がでてきた。

この姉は甘いなどというものではなく、むしろもはや甘くない。 すずねえには甘えたいが、こいつらはたまらん。わざとだろこれ。 ひたすら下品なバカシナリオといい、理不尽なまでの鬼畜それシーンといい、 これは「これでも萌えるか貴様ら」という挑戦なのではないか。 コンセプトは「やりすぎ」と見た。 そういうことであればそのように楽しめば良い。

SNOWに声がなかったと聞いて「え、そんなバカな」と思ってしまった。 声がなかったという記憶がないのである。 確かにいろいろと声があったにしてはおかしいことがあるので 一つ一つ挙げていけばなかったということも納得できるのだが、 しかし感覚的にはやっぱり声は鳴っていたのである。 弟もそうらしい。

壁の向こうの便所の換気扇の方がPCよりうるさい。 うなる音の大きさや高さが周期的に変動して 寝ぼけている時には呻き声に聞こえたりする。 こいつのおかげで変な夢を見ることも多い。 オロロロォォンとかいう音が後ろから聞こえて来るが 決して振り向けないというようなイヤな感じの奴だ。 起きてからも音が続いてて本気で恐かった。 どうにかしてやる。

コミケどうすっかなー。自分で参加せんから用ないんだよなあ。 ともかく人に会いにゆくか。なにせ今回は移動電話があるからなんでもできる。

2003年7月30日

ピアノも内勁だ。背中を柔らかく保つと途端に動きがなめらかになって ずっと表情をつけやすくなるし力強さも増す。 たまにやけに鍵盤が重く感じられる日があるが、 たぶん背中が固まって力が伝わりにくくなっているに違いない。

キノの旅最初の一話。「ふーん」としか言えない。 おとぎばなし風なのはいいのだが、このあからさまに説教臭い話はなんだろう。 いきなり「ボクはね、たまに自分がどうしようもない愚かで矮小な 奴ではないか?ものすごく汚い人間ではないか?なぜだかよくわからないけど、 そう感じる時があるんだ。」ときたもんだ。何もわからないところでいきなり そんな気障なことを言われて私はどうすればいいのだろう。 表現も好みではない。 バイクをモトラドと呼ぶのはいいが、即座にカッコつきで 「注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す。」 などと入るのはいただけない。 鉄砲をパースエイダーと呼ぶ時も 「パースエイダー(注・パースエイダーは銃器。この場合は拳銃。)」 なんて感じだ。気障すぎるし、いまひとつ意図がわからない。 おとぎばなし風のわりには言葉も美しくなくて、 「猛烈に安かった」なんてのはちと品がない。 雰囲気で売るつもりのわりには寒いギャグ風味なところもあったりして、 どうにもコンセプトが伝わってこない。しかし 流行りのものでもあるし、ともかく一冊読んでから考える。

買った本は会社に積んでおくのが習慣となっている。 皆フィギュアやCDなどでそれとなく自分の趣味を主張するのが うちの会社の流儀らしく、それにならっているのだ。 そういうわけでキノの旅やらブギーポップやら宇宙の戦士やら電気羊やら 吸血鬼ドラキュラやらが積んであるわけだが、 今日ついにめでたく先輩が罠にかかった。 「なんか、さっぱりわからない組み合わせだなあ」 その言葉を言わせてしまえば勝ちである。 そういうわけでそんな話で盛り上がった。

誰だかが娘に「もな」という名前をつけた話を聞いて 先輩が爆笑していた。それは笑っちゃアカンやろ。

キノの旅二話目。また同じパターンだった。 どうもこういうのは合わない気がする。 確かにそれっぽい空気は表現されているのだが、 それを愛でる感性が私にはない。

キノの旅おしまい。ちょっとおもしろかったりもした。 キノ誕生秘話みたいな奴とか。 しかし、どうにも無理に洒落た感じにしようとしているような印象が あって気分が乗らない。もっと洗練されてくれば望んだ効果が得られそうな 気はするのだが、まだまだ粗い。

2003年7月29日

グリーングリーン小説。とらのあなで並んでる時に手が勝手に伸びた。 なんであそこはいつもレジで並ばねばならないのだろうか。 人垣がジャマで小説の棚が見にくくて困る。それはいいとして、 予想外におもろかった。前読んだヤマグチノボル氏の方は 野郎共があまりにうっとうしすぎるのと、 作為的に盛り上げようとしすぎるところが若干辛かったのだが、 この桑島由一氏のは直球かつ爽やかでいい。 文章としては大したものではないし、話の筋自体もありふれてはいるが、 奴等がやけに生き生きしている。それでいてネタくさくない。 下手に萌えどころを作ろうとしない堅実さも好ましい。 男子寮描写も地味なところでリアリティがある。 ゲーム版メインキャラ共が脇役以下の扱いというのも新鮮で良かった。 それにしても総長のセリフが全部あの声であの抑揚で鳴るので 奴がしゃべる度に笑いそうになる。声優うますぎだ。 例の暴走族ネットゲーではみんなああいうしゃべり方をして ヤンキー気分を楽しんでいたのだろうか。

グリーングリーンの作品世界がもし漫画化されれば、 それは野郎が描いたグリーンウッドになるだろう。 女が想像した男子校と野郎が想像した男子校の違いがこれ以上なく はっきり出そうだ。しかし、那須雪絵レベルに漫画をおもしろくできる 人が描かねば意味がない。漫画化くらいされてそうなものだが 仮にあってもガッカリしそうだ。シスプリもKANONも実にどうでも良かった。

いいかげん掲示板をどうにかするか。 コンパイル時に設定が決まってしまっているので 後からどういう設定でやったかもわからずメンテしようがない。 加えていろいろ不都合が出てきた。 人様のを使うのが無難だが、それはつまらん。 今の知識を最大限に生かして無駄に高度なものを作ってみるか。気が向いたら。

さっきちょっと姉3やったら、なんかおもろかった。 なんだかんだいってバカはすごい。 朝奴に受ける仕打ちの2回目にはたぶんみんな相当驚いたと思う。 だからこそ奴のシナリオはあるべきなのだ。 むろんまだないと決まったわけではない。最優先でコンプしてしまえ。

キノの旅とブギーポップを一冊づつ買ってきた。 あれだけ評判がいいのだからおもしろいんだろう。

ブギーポップ。なるほど評価が高いのもわかる。 構成も凝ってるし描写もうまい。展開も意表をついてくれる。 なぜいちいち着替えるのか等々 どうでもいいことが気になったりはするが、そのあたりはつっこまないでおく。 ところでこれに限ったことではないが、 最近ロクに準備もせずに宇宙人とか改造人間とか、そういうムチャ設定を出す ものが多いように思うのだが、皆気にならないのだろうか。 いきなりマンティコアとか言い出すのはどうだろう。 いきなり出てきた怪獣に名前がついていて変、というのに似た違和感がある。 キャラとそれっぽさ(=雰囲気)を最優先に考えるのであれば それは大した問題ではないのだろうとは思うが。 そういえばこの前読んだ「学校へ行こう」の作者はそういうそれっぽい名前を 説明もなく出すのを相当嫌っているような気がして好感が持てた。 ハルヒにせよ学校へ行こうにせよ、非日常に対する態度に硬派さが感じられる。

ハピレス4話。ハピレスのくせになんでこんなにちゃんとおもろいんだろう。 ギャルアニメを疑問に思わなくなったということか。 ところで、さすがにAthlon1700ともなると動画再生に不安はない。 たまにコマ落ちしている気がしないでもないが、たぶん気のせいだろう。 キャノンボールを動かしてみたらえらく速かった。 もしかして製作者が意図した速度に遠く及ばない状態で やっていたのだろうか。

2003年7月28日

宇宙の戦士。訳者あとがきを読んだせいでよくわからなくなった。 確かこの作品はおもしろかったような気がするのだが、 それが妙な横槍によってぼけてしまったのである。 この小説は少年が軍隊に入って次第に成長していく物語で、 軍人万歳の雰囲気が濃厚な作品だ。軍に入ることに反対した父が 後に軍に入って息子に再会した際に自分が間違っていたと 涙ながらに告白するシーンなどは特にわかりやすくこの作品の態度を 表していると言えるだろう。 さて、あとがきの話だが、ここには何人かの書評が載せられている。 基本的には「ふざけんなファシズムかよ」という調子だ。 ベトナム戦争当時だったこともあってそういう文脈で読まれたのだろう。 知る術もないことだが、作者もそういう文脈で書いたのかもしれない。 しかし、私はあとがきを読むまではそんなことは知りもしなかったし、 アメリカ的な力づくの正義が云々なんてことは微塵も考えはしなかった。 国のために命の投げ出すのが最高のことなのだと解く 教師が尊敬されるキャラとして描かれているあたり多少戸惑いはしたが、 確かに宇宙人の攻撃によって地球のいくつかの都市が壊滅するような状況にあっては そういうことも当然だろうと自然に納得してしまったのである。 私は社会的な現実と作品を結びつけて考えるようなことを 一切せず、ただ主観的なイメージに基いて物語を観賞したにすぎないのだと言える。 それは頭の悪いことかもしれないが、間違っているとは思わない。 しかしそれでもなお、 このあとがきを読んだ後ではファシズムなじいさんが自分の理想の軍隊 を妄想した小説にすぎないような気がしてきてしまった。 これはおもしろかったはずで、そのこと自体を否定する気は毛頭ないにも関わらず、 何をどう誉めてよいのか、そしてそもそも誉めてよいのかどうかが まるでわからなくなってしまったのである。

なお、この作品が後のSFに多大な影響を与えているらしいことはおぼろげながら わかった。アニメの類でもこれっぽいのがたくさんある。

ちゃんと全部やったわけでもないのに言うのもなんだが、 姉3がつまらんのはキャラがつまらんからである。 キャラとバカは連動していなければならないが、 もともとシナリオ的にいい奴として造形されたものに 無理にバカをふっているだけなのでまるでダメだ。 一回バカだけ観賞しておしまいという匂いがプンプンする。 一回目はその場の気分で選んで楽しんでいたバカ選択肢だが、 二回目は異常に辛い。選んでないものを見なければならないという強制 が興を削ぐのと、あのどうでもいいお話を 見てしまっているという巨大な不利のせいである。 あのクラスにどうでもいいお話をあと二人分見せられるという可能性を 考えるとさすがに辛い。 スキップが遅くて曲が変わる度に数秒止まるというのも 二次的なことではあるが、確かに効いている。 それにしてもなんでこんなに絵が変か。 絵のうまさだけ見れば秋桜もかなりヤバかった気がしないでもないが、 あれはまだ今風にかわいい系統の絵だったので気にならなかった。 カレーはうまくてもうまくなくてもカレーだということである。 キャラに関しては、現状では途中参加のあいつだけでいい。 逆に言えばあいつだけは認める。あいつを出せ。 そしてラブラブにしろ。あの生命体とラブラブになる過程を 私の脳内で繰り広げられる想像を超えた完成度で描かれたならば、 もはや私は他に何もいらん。

なお、ただでも話の展開がヤバかった所にきて それシーンが文章を読むことすら耐えられんほどに 腹立たしい代物だったのが今の私の怒りの原因となっている。 好意的に解釈しようとすれば、私がモエかんに対して無理矢理こじつけた のと同様、これは萌えを悪意を持ってバカにしている作品で まさに作者の意図したものなのだと考える他ない。

昨日の最初の感想は奴が出てきてしばらくした所で書かれたので 頭が麻痺してマンセームードだったのだが、 その後秋葉に行って返ってきて数分後に全てが崩壊を始めた。 そして一旦崩壊を始めるやいなや、奴のおかげで辛うじて 奥に引っこんでいたあらゆる疑念が一挙に吹き出して、 私の頭を埋め尽してしまったのである。

こんなにノリノリに物をけなしたのは久しぶりだ。 昨日ニャと電話した時に「もっと書かなアカンかなあ」 と思ったことが効いていたりもするのだろう。 確かにあの電話がなかったら宇宙の戦士の感想なんて 3行で終わっていたに違いない。 記念に一昨日書いたがコメントアウトしておいた部分を 復活させておくことにする。書いて寝て起きて 「そんなこと言ったってやっぱりヤブキシリーズはおもろかったし 衝撃だったよなあ。SNOWだって、D.C.だって捨てたもんじゃない」 などと思い直したが消すのもなんなのでコメントアウトしていた文章である。

拳児読んで数ヶ月にわかってマジでマネし、 数年後に本当に道場に入門してしまうような 人間をプチハルヒと呼ぼう。つまり私だ。 非日常への憧れはいまだに消えはしない。 むしろ非日常などありえないという矛盾した思いと一緒にふくらんできている。 いきなり妹が12人できるとか、いきなり元動物の少女12人を扶養するハメに なるとか、本当にそんなことがあるなら本気で人生を棒にふってやってもいい。 そこまで非現実的でなくても、マルチみたいな可憐な外見の アンドロイドに脳移植されるとかいうなら喜んで実験台になってやる。 悪いが本気だ。それを自分の手でやるために大学に行ったはずなのだが、 負けに負けを重ねた挙句ゲーム屋である。たまに本気で悔やむことがある。 しかし、この手の戦いは負けを宣言せぬ限り負けにはならないのだ。 まだ人生はたぶん半分は残っている。

それにしてもハルヒは他人とは思えん。 何故私が美少女に生まれなかったのかと思う。

たぶん今日はハイだ。朝消したくなることは間違いない。

もうヤバい時間にも関わらず眠くない。 ところでどうでもいいことかもしれないが、 hatenaなんとかの日記はキーワードとやらに勝手にリンクが貼られる。 これがうっとうしい。作者が意図的に貼ったものと区別がつかない。 もっとも誰も何も言わないということはたぶんIEで見たら区別がつくのだろうな とは思う。色が違うとか、下線が引いてあるとか、なんかそんなので。

奴と奴がラブラブになっていく様がえんえん想像されて眠れん。姉3の話である。 貴様がいらんなら私によこせと言いたいが、 残念ながら私は奴に見合うだけの男ではない。 あとたぶんだが、早くも私の頭の中で奴のイメージはオリジナルからかけ離れて しまっている。KANON舞の経験があったからこその早さだろう。 ところで名前が似ているので思い出したのだが、 カケルはシリーズが進むにつれてどんどんしおらしくなっていく。 試しにナディアとカケルの性別を交換してみたら、 それがかなりそそることに気がついた。 加えて一人称を僕のままにしておいたら何か大変なことになってつい笑ってしまった。 まあそれはいい。 ともかく、私は基本的に凛々しい系だけど何を考えているかわからない 変な奴が好きらしい。しかし、この好きはどちらかと言えばあこがれだ。 ギャルゲーヒロインの名前を挙げて「〜〜になりたい」 と言う人は私の知る限りあまりいないので、 たぶんこういうのは少数派なのだと思う。 あるいは思っていてもあまりの恥かしさに言えないだけか。 確かに可憐になりたいというのは正気の沙汰ではない。 いや例えが悪すぎた。舞であれば問題ない。舞といちゃつく祐一は 大してうらやましくはないのである。祐一に構ってもらう舞はうらやましい。 もしかしたら他力本願な性格の現れなのかもしれん。

こういう話題になるといつも思うわけでおなじみの話題なのだが 年々深刻さを増していくことがある。つまり、 この年まで異性とおつきあいをしたことがないんだがそれってマズいのか、 ということだ。そう言うだけでシャレにならんほど恥ずかしい ことだったりしてるのではないかとかなり不安になる。 一週間に一回しかフロに入らないんだけどそれってヤバいだろうか、 と言ってしまって引かれるような状態だったらどうしようと気が気ではないのである。 なお私は就職してからというもの毎日フロに入っているのでそこは心配しなくていい。 漫画で徹夜してイベントギリギリという時に「シャワーだけでも」と 懇願した清水の気持ちが今ならわかる。また脱線したが、それは良い。 そういえば実際、会社の同期とそういう話になった時に正直に言ったら 一瞬空気が凍ったような気がした。みんな一斉に大丈夫だよ、そのうち相手も 現れるよと声をかけてくれたあたり、もしかして本気でヤバいのではないかと 不安になった覚えがある。 むろん、毎度そんなことはどうでもいいという 結論になるのであるし、所詮ギャルゲーの文脈上でしか捉えていない 思考上のお遊びにすぎないことは自分でもわかっているのだが、 精神の安定と好奇心の満足のためにも他人のケースを知りたいところではある。 生身でよく知っている人間に話を聞かんとよくわからん。 やはり女性に会った時に 豪快にバックに花を散らせつつ「これって、恋?」 とか思いこんでみたりして遊ぶのは精神衛生上良くないし失礼だ。 案外自覚のあるなしの差にすぎず所詮そんなものかもしれんとは思うのだが。

放熱シート偉大なり。250円で買ってきた変なゲル状のシートを はさんだら一発で安定動作した。必須の品らしい。 そういうわけで、Duron850(spitfire)とAthlon1600+(palomino) が余った。身内で欲しい人がいたら言ってください。 それにしても豪快に金を時間を無駄にした。

2003年7月27日

姉^3中。ただバカなだけのクソゲーかと一瞬不安になったが、 ここまでバカなら合格だ。相変わらず話がたてこんでくると ガッカリするほどショボくなるのだが、今回はそれすらネタ かと思えるほどバカ度がアップしている。 むろん頭を使って考えるとどう見ても秋桜の再構成品にしか見えないのだが、 だからなんだそれがどうした別にいいじゃんということで問題なし。 キャラが追加されてからというものバカさがさらに増幅され、もう処置なしである。 主人公がツッコミに回らざるを得ないほどのバカキャラっぷりが素晴らしいのだが、 たぶんこれは単に性別が女というだけで主人公そのものだろう。

秋桜の時も思ったが、 この人の話がショボいのはこの人がいい人しか書けないからである。 あるいはいい人以外書く気がないからかもしれない。 バカもボケも習慣あるいは反射であって、魂の本質ではない。 魂の本質として設定されてはいない、というべきか。 ともかく、なんだかよくわからん奴として本当に作者も頭の中が わからんような作りにはなっていないということである。 KANONの作者はたぶん舞が何を考えているかをわかって書いていたわけでは ないと思うが、それとは違うということだ。 そういうわけで、こいつらは自分の役割というものをきちんとわきまえていて、 そこから逸脱しない。逸脱しないバカしかやらない。 要するに誰一人として本当のバカではない。 こんなにできた人間集団が存在するはずがない、 という意味においては人間味のない人物描写だが、 作者の理想とする人間関係があまりにわかりやすいという意味では 人間味あふれる描写だとも言える。作者萌えはこのようにして起こるわけだ。 明らかに拙いのだが、作者のいい人を求める態度があまりに 好ましいのでどうでも良くなってくる。もちろんこれの場合は バカがおもしろすぎるということがあってこその好ましさではあるので、 いい人ならなんでもいいというわけではないことは主張しておこう。 フィクションに過剰にいい人を見出そうとするのは不健康だと思うし、 それが過ぎればフィクションにおいて獲得した「いい人」という概念を 現実に適用するという逆転現象が起こることにもなりかねない。 私の場合すでにそうなっている。 それが何故悪いのかということに関しては生きていくのに不都合になるから としか答えられないのだが、それは十分な理由だろう。

ところで、Athlon1700は動かなかった。電源を入れても数秒弱々しくファンが 回った後電源が切れる。マザーボードが対応していることは確認したし BIOSも更新したのだから、おそらく電気が足りないのだろう。 しかしこの電源もまた昨日買ってきたものなのである。 それにこの電源の箱にはAthlonXP対応とか書いてあった。 そもそもMicroATXで200W以上の電源などそうありはしない。 250Wの電源もあるにはあったが高いし、もしそれを買ってきて 足りなかったら傷口が広がるだけである。 そしてそれ以上の電気が必要となればもは箱ごと買うか、 あるいは箱に入らないことを承知の上で400Wとかの電源を買ってくるかしかない。 デカい箱を買うのは嫌だが、かといってはみ出した腸のように ゴロンと電源が転がっているというのも嫌な気分である。 そもそも電源のせいでなかったらそれすら無駄になる。 だいたいベアボーンでもAthlon用にも関わらず160Wとかいうものが あるのだから電気が足りないというのもこれまた信憑性が薄い。 CDROMドライブを外しても変化がないあたり電源のせいではないような気もする。 しかし余剰部品はないのでCPUが壊れているかどうかとか、 マザーと相性が悪いかどうかとか、そういうのを確認する術はない。 一体どうすれば良いというのか。 明らかにベアボーンを買ってきておしまいというのが解なのだろう。 だが今ある箱やマザーはどうしたらいい。3台目はいらんのであって、 ゴミになるしかない。それはそれでまた嫌だ。

結論。旧コアのAthlonとデカくて安い電源を買ってきて試す。電源は予備用。 なにかしら問題が起こった時に予備部品があると便利なのでそれはいい。 昨日買ってきた1700はthoroughbredなので、palominoを試すのが吉である。 あるいはmorganなDuronの1300でもspitfireなduronの850に比べればマシだろう。 中古でクソ安ければそれも予備に買ってくる。 時間と金が両方そこそこ惜しいので10000円に納まる範囲で 最善を尽すことにしよう。余った部品は中古屋に直行させれば 損害も軽減できる。昨日どこの店に何があるかはあらかた見てきたので たぶんすぐだ。ついでに昨日ニャに言われた本も買ってくる。 金遣いが荒いがトチ狂ってノートPCを買ったりするのに比べればかわいいものである。 ところで、だんだん「たかだか70Wか」という気分になってきた。 P4が100Wなのに比べればかわいいものだし、50Wも70Wも大差ない。 10Wを超えたらファンが必要なのだから、もうなんでも一緒である。

私はプチ涼宮ハルヒを経てちょうど今キョン君状態にあるのではないか。 けっこう長いことかめはめ波は出ると思っていたし、 数年前までそういうのの延長で無理に普通であることを避けたりしていた。 そういう意味でプチハルヒである。 そして今はちょうど変なことなんてないんだという現実にブチ当たって その反動からか「普通になろうぜ」 と心にもないことを言っているようなキョン君状態である。 たぶんそういう人はけっこう多いのではないだろうか。 もしかしたらキョン君のように私がハルヒに選ばれたかもしれない、 などと思ってみたりしてしまう、そんな人がターゲットなのだろう。 夢見がちだった自分を恥じつつも捨てきれないそんな年頃。 まあこれは私の話で、他人がどう思っているかは知らない。 ところで不粋な話になるが、確かにこれはおもろいにはおもろかったが、 そうは言ってもそんなに大したものではないように思う。

「学校を出よう」。なるほどまともに書ける人が今風に崩して書いている らしいという印象は間違ってはいなかったようだ。 ハルヒを読んだ時に感じた悪意ある冗談くささはここに来て確信になった。 本質直観なんていう単語が出てきたり、 到底若い人間が使うとは思えない語彙にあふれ返っているあたりから考えても、 若さと勢いと勘違いで書いているような類のものとは1ランク違うようである。 そもそも字が多い。ページの半分字があるというだけで別格と言うに足る。 あと、つけ加えるようにこんなことを言うのは硬派さに欠けるので嫌なのだが、 敢えて言っておこう。かなり萌え。特に茉衣子。好きなのは真琴。

3600円で買ったpalominoなAthlonXP1600もダメだった。 電源を1980円で買った350Wのものにしてもダメ。 何回かやっているうちに、CPUファンを押しつけながら電源を入れると 稀にBIOS画面が一瞬出てから消えることがあるのに気づいた。まさか熱か。 熱が一定以上に上がると勝手に止める機能がついているとすれば 確かにそうなるかもしれない。とりあえずシリコングリスがないとダメっぽいが、 電源投入後2秒で止まる状態が シリコングリスごときで安定動作まで持っていけるのかは疑問だ。 そもそもDuronとて35W超である。それがシリコングリスもロクに塗らずに 安定して動くのに20W増えただけで2秒で止まるようになるというのも納得できん。 しかし他にすがるものもないので来週シリコングリスを試すことにしよう。

いいかげん何もかもが嫌になってきた。 静かに安く必要な速度で動きゃいいだけなのになんでこんなに苦労する。

なつねえ。やっぱこれバカだけかもしんない。 秋桜を数段グレードアップしたショボさだ。一体どうしろと。 それにしてもなんで曲が変わる度に10秒近く待たされるんだろう。 CD-DAを演奏しっぱなしなのなら回り直す必要もなさそうなものだが。 うちのドライブがヤバいのか。

2回目に挑んでいたが、私の中で決定的な何かが切れたので中断。 何もかもがショボく見える。絵も、曲も、インターフェイスも、話も。 唯一バカは冴えているが、それも奴が出てきてからのことだ。 そして、どうも奴のシナリオがないっぽいということに気づいて 何もかもがどうでも良くなってきた。宇宙の戦士を読んでピアノ弾いて寝る。

2003年7月26日

紆余曲折を経て、無駄な努力をしていたことが明らかになった。 残ったのは知識と経験だけ。それが残れば十分とも言えるが、 しかし何も進んでいないのは事実である。

新宿後秋葉原の予定。Athlonと電源を買ってくる。

AthlonXP1700と電源を買ってきて、敗北。 動かない。起動しないというよりも、そもそも電源が入らない。 数秒弱々しく回転音がした後プツンと止まる。

イマイチ

   最近モノを見てもあまり衝撃を受けなくなった。 むろん過去の私がそんな大層な衝撃を受けていたのかどうかなど 思い出せるものではないのだが、昔の日記を見る限りは 何かを見る度に大層衝撃を受けているように見える。 仮にそれが事実だとする時、その原因は一体なんなのだろうか。

   まず真っ先に思いつくのは、仕事に脳を食われて それどころではない、ということである。 しかしいくら忙しいと言ったところでモノを観賞する時間がまるで なくなったわけではない。読む本の数などはむしろ増えている気すらする。 思考の方向性が仕事によって制限されているということは確かにあるが、 別に本を読んでいる時に仕事のことを考えているわけではなく それもそれほど大層な問題ではない。

   また、ギャルゲーに慣れてしまったということも原因として考えられる。 今となっては観賞するモノの大半は小説であり、 ギャルゲーは到底メインとは言えないのだが、 しかしそれでもなおギャルゲーは特別である。 それはそもそもモノについて感想を言うという習慣を私にもたらしたのが ギャルゲーだからだ。 ある時期のギャルゲーの流行がなければそんな習慣は生まれなかっただろう。 ギャルゲーに慣れて感想を言う気力が失せたことが ジャンル問わず感想を言うことそのものの気力を失わせたということは ありそうなことではある。

   このことは話し相手がいなくなったということとも密接に関係している。 学生をやっていた時は週2回も3回も生身で趣味の会話をしていたわけで、 自然と見たものからは最大限に何かを得ようとするクセがついていた。 そうでなければネタが続かないし、何よりそうすることが楽しかったのである。 それが今では何かの感想について生身で話す機会など月に一度もありはしない。 感想は確かにモノを見て思ったことなのではあるが、 他人と話しているうちに言葉になっていなかったことが言葉になったり、 他人の言葉を聞いて気がついたりすることはいくらでもあるのであって、 それなしでは思考も広がりようがない。 繋ぎ留める何かがない限り、 見たものの印象は見終わった時点から薄れる一方なのである。

   こう話を進めると、過去の私は人と会話をするためにモノを観賞していた、 というふうにも見えなくもない。間違いなくそういう一面もあっただろうが、 私はそれを自覚していなかったし、そういう外からの解釈にさしたる意味が ないことはこれまでにさんざん学んだ。そのような濁りなしに常に作品に 真剣に向き合える人を私は本気で尊敬するが、 そうなるように努力することは無駄でもあり、また不純でもある。 ことさらに真剣に向きあうフリをしようとすれば、 しまいにはモノが何かを言うための手段と化してしまい、 これもまた意味がないことだからだ。

   しかしながら、今の状況は正直言ってつまらない。 これからも次から次へとおもしろい作品に触れてゆくであろうことは疑いないが、 そのおもしろさは毎回別のものでなければ意味がないのだ。 それは言い換えれば、 作品に触れる度に新しいおもしろがり方を発明せねばならない ということである。それを怠れば、あらゆるおもしろさは 色を失って灰色になってしまい、ただ楽しく時間を過ごせるという 以上の意味を持たなくなる。 そして、いかに本来言葉にならない感覚であるべきおもしろさとは言え、 言葉にしないものは残らないのである。 言葉にせずとも残るほどの強烈な印象をフィクション から得るなどということは、物語に自分の体験との接点が ない限りはまずありないことなのだ。

   ところで、単純に文章にするのが面倒くさいということもある。 こうして書いていても、実は面倒くさいのである。 自分でも驚くのだが、以前はこうやって長いのを書く時は 恥の感覚も忘れて言わばハイになっていたものだった。 しかし今はそんな感覚はまるでない。面倒だから消して寝ようという 衝動が常にある。頭の中に膨張する風船のようなものが入っていて 常に頭蓋骨を内側から圧迫してくるような感覚があり、 これが思考を寸断するのである。思考の能率は落ち、自然と眠くもなる。 ここで面倒くさいと表現している感覚は、だいたいそのようなものになるだろう。 そんな状態なので推敲も満足にできない。 だからこの文章は書いてから一晩放置しているのである。 そのまま上げればきっと無惨なことになるだろうからだ。 ともかくそれくらい何かを表現しようという欲求が希薄になっている。 この言葉は所詮一方通行であり、この文章を書いたことなど 明日の私には関係の無いことなのだろう。そういう感覚がべっとりと 貼りついてやる気を削いでいるらしい。 とある事があってから後文章を書くことに恐怖を感じるようになったのだが、 それもまた無関係ではあるまい。 それを書くことに意味があるのか、と自問してやめさせようとする圧力が 常にかかるようになったため、こうやってガードがゆるんだ時でもない限り 長い文章など書けやしないのである。

2003年7月25日

イテレータという奴が便利であることを知った。 リストだろうが配列だろうが同じやり方で扱える。 C++にはまだまだ知らない機能があるに違いない。

仕事でいっぱいいっぱい。

D.C.3話。もうオチをつけることすら放棄した模様。 そしてどうも次に続く気配もない。追い打ちをかけるように声優実写映像。

それにしても3秒に2秒しか動かないのはやはりどうにかすべきだ。 AthlonXP1600+を5000円でゲットして急場をしのぐ作戦で行こう。 これが一番マシとは言え50W。さすがに電源のファンを復活させないと恐い。

P4の上の方は100Wを超えるそうだ。 いっそP4に移行しようかと思ったがやめた。

2003年7月24日

哲学者の密室、おしまい。 とにかくものすごい作品だった。ハイデッガー大活躍。哲学の嵐。 そして微妙に恋愛小説というか青春。 カケルがだんだんかわいく見えてきた。 そういうわけでいろいろとすごいので、 何かしら考えるネタになってくるだろうが、今はいい。 そもそももう3時になる。寝る。

あまりよくは知らないが、たぶんこのシリーズには探偵物のお約束を これ以上ないくらい詰めこんであるのだろう。 キャラやらトリックにそういう匂いがプンプンする。

2003年7月23日

今日からハノン増量。15番まで。秋までに20番まで増やす。 今年中それを続ければきっといいことがあるに違いない。

哲学者の密室。まだ半分くらい。 殺人事件のトリックそっちのけでナチ描写に衝撃を受けていた。 毎日何千人もガス室で殺している施設で 普通に一人殺されてその捜査をするなんて タチの悪い冗談としか思えない。たぶんそういう意図なのだろう。 ナチのことは一般的なイメージ程度しか知らないのだが、 もしこれに書いてあるようなことをやっていたというなら本当に ムチャクチャだ。 いちいち人を動員して探し出して捕えて列車に積みこんで運び、 いちいち面倒な手間をかけてガスで殺して焼いて埋める。 そんなことを占領した各地で繰り広げたというのは 理解の範疇を越えている。

2003年7月22日

たぶんヴァイオリンがうまくなるような生き方というのがあるのだ。 おもしろい漫画が描けるようになる生き方というものもあるだろう。 何かを上達させるためには当然練習せねばならないのだが、 おそらくそれだけでは足りない。 練習をするということも含めて、 もはや生き方としか言えないような漠然としたものが問題になるのではないか。 向いているかどうかというのはそれが備わっているかどうかのことのように思える。

哲学者の密室、前編。あやうし名探偵。先読ませろ。 しかし寝ないとまずい。

そういえばハピレスの新しいやつも見た。 ハピレスのくせになにやら普通にちゃんとおもろかった。

2003年7月21日

毎度のことながら実家ではダラダラしていた。

D.C.アニメ二話まで。普通だが、ハナッからさくら対音夢の 戦いに焦点が合わせられているのがなんかいい。 KANONのような大変なことにならないことを望むが、 なったらなったで面白いのでそれでも良い。 期待はしていないが好きだし見る。

グリーングリーン二話まで。野郎の声優がまんまっぽくて安心。 内容は元よりあんなもんなので問題なし。 どこまでも野郎が目立ってくれればそれで良い。 下手に全員分のシナリオをこなそうなどとしないでほしいものだ。 執拗なまでのパンツと胸も、あの年のガキの救い難い脳内世界を 表現しようとしたと考えれば世界観の一部と言っていい。 あと音楽が好きだ。 全話見る。

ちょっとだけ新しい北斗の拳。どう見てもつまらなそうだったので数分で挫折。 子安のあたたたは別にかまわないのだが、そんな問題ではない。

比較のために昔の北斗の拳アニメを見てみたが、 どう考えてもあっちの方がおもしろい気がする。

覚悟のススメ。今さらだが最後まで読んだ。バカ笑いしながら絶賛してやりたい。 どこまで冗談なのか判然としないのが素晴らしい。日本語のおかしさに敬礼。

地雷震。あまりの男らしさに声も出ない。一気に読んでしまった。 よくもあれだけ濃厚な話を描き続けたものだ。 新宿ってそんなに恐いのか。

天は赤い河のほとり。さすがにベテランの技だけあって読ませられる。 豪快に王家の紋章の二番煎じではあるが、おもしろけりゃいいだろう。 古臭い少女漫画だが、よくある同人くさくて底の浅いものに比べれば 漫画としてのレベルははるかに上であるように思われる。 ただうちの母親が言っていたように多少引き伸ばしすぎたという感は ないでもない。ところで、 自分を巡って美男子が壮絶な戦いを繰り広げるというのは 女性にとっては相当に萌えるシチュエーションであるらしい。 しかし私が男女をひっくり返した状況を想像しても、 まるでうらやましいとは思えない。何故だ。

いや、そんな状況は願い下げだが、そんな状況を発生させる元凶になるような 自分には憧れるということか。そうであるならば確かに私もあこがれる。

ジパング11まで。かわぐちかいじは漫画がうまい。 どうやったら読まざるを得なくなるかを見事に心得ているように思う。 それにしてもこういうまともな漫画を読むにつけ考えるのは、 きちんと取材したり構成をよく練ったりして 物語に説得力を持たせるということの大切さである。 むろんいかにも調べました臭がするのはダメだが、 自分の知っている狭い世界のことだけで描いても大抵おもしろくはならない。 それでおもしろい例もあるにはあるが、それでプロとして長年生きていくという わけにはいかないだろう。むろんギャルゲーのシナリオやら ライトノベルやらに関して言えば、 いきなり現れてあっという間に消えていく個性の輝きを観賞するという 側面があるのは確かだが、しかしそれでも稚拙さは歓迎できるものではない。

薔薇の女。おもしろかったのだが、感想はよくわからない。哲学者の密室と あと一冊読んで一息ついてから考える。

仙台の大きな本屋にも涼宮ハルヒはなかった。気になる。

弟がyu-noをやってるのを横で見ていた。 本当によくできている。 作る側としても興味津々で、 あれだけ複雑なフラグ管理を一体どうやってやったのだろうなどと考えてしまう。 それにしても思うのだが、あの手のものにはある種の保証が不可欠である。 すなわち、詰まった時にそれがバグではない、という保証だ。 バグである可能性が否定し切れない時、やる気は確実に失せる。 もし2時間も3時間も先に進めないでいる時に それがバグのせいであるという疑いがわずかでもあったならば もはやゲーム自体が成立しない。 そして、そのような疑いはその作品自体によってもたらされるとは限らない。 別のバグまみれのゲームをやった経験がいくつか積み重なればそれで十分なのだ。 何年か前の私であれば「バグじゃないだろうな」などという考えそのものが 浮かばなかったはずであり、自信を持って「オレが見落としているだけだ」と 思えたはずなのである。

2003年7月18日

サマー・アポカリプスおしまい。 今はおもしろいとしか言えない。 おもしろいことにかけてはここのところ見た物では最高クラスだ。 人に勧めて回りたいが、今のところ勧めるための言葉がみつからないので しばらく寝かせておく。

涼宮ハルヒの憂鬱というのをよく聞くが、本屋で見たことがない。

ダイエットにはほぼ成功した。一番太った時よりも6Kg減少。 6Kg減ったということは、だいたい6リットル減ったということで、 2リットルのペットボトル3本分の体積が減ったと考えるとすごい。 あとはヨガやら何やらでじわじわと体脂肪率を下げていけばいい。 ヨガがヴァイオリンやピアノにも役立ちそうだと気づいたので 俄然やる気が出てきた。

ちょっくら実家行ってきます。

2003年7月17日

赤マンゴー。切ってから気がついたのだが、固い。 そういえば青い。早すぎたのだ。 切ってしまったものは仕方ないので食ったところ、 予想外におもしろかった。 味そのものは熟れたものとそれほどの違いはなくそれなりに甘いのだが、 妙に弾力があってまるでこんにゃくゼリーのようなのである。 これはこれで新鮮だ。

仕事で軽い失敗をしてブルー気味だったので ヴァイオリンを弾いても気分が乗らない。 と思ったが、シャコンヌを始めたあたりで何かが降りてきた。 ここのところ移絃後のEの開放弦がうまく鳴らなくてずっと気分が悪かったのだが、 原因がわかったのである。絃と弓の接触位置が悪かったのだ。 絃が細く、弓の速度が遅いほど駒に近いところを弾くのが常道なのだが、 それができていなかったのである。あまりに基本的すぎて まるで気がつかなかった。自己流でいい加減に弾いているうちに 少しづつずれていったのだろう。改めたら、当たり前のように鳴った。 「ヴァイオリン奏法の知識」(菅原英洋、レッスンの友社) はこのあたりの基本的なことが整理されており役に立つ。 思えばヴァイオリンの弾き方のことで本を買うなんて 夢にも思っていなかった。

暗譜していない状態は弾けるとは言わない。 いまさらながらに実感した。インベンション5曲が弾ける気になっていたが、 楽譜を見ない状態だとまるで弾けない。楽譜を見ずに 指使いに不自然なところはないかを確認しながら弾く練習は必須である。 今年中に15曲が目標だが、所詮目標は目標だ。焦る必要はない。

朝っぱらからシャコンヌ。目覚ましに丁度いい。 15分近くかかる曲なので、体もほぐれる。なんか弾ける気がしてきた。

予期せずばあちゃんから米。 白米の寿命は短い。もらったものは食べなければならない。 というわけで、休みの日に大量に炊いて冷凍し、 日頃はそれを納豆とキムチで食う、という生活にシフトすることにする。 ロクに米を炊いていなかったのでちょうどいいかもしれない。 米が尽きるまでそれを続けられるようなら昔のように玄米20kgを注文しても いいだろう。今度築地へ行こう。じゃこを買いこんでこなくては。

2003年7月16日

まおちゃん1話。あまりのことに見てられなくて、 今木さんが教えてくれたサイトを読みながら流してただけ。 がんばれば慣れられると思うが、どう考えてもその価値がない。 しかし古山きみこの声だけは感動した。まんまだ。

矢吹駆は何をしたいのかさっぱりわからない上に やってる行動だけ見れば嫌な奴なのだが、 かっこいい上におもしろいので嫌いになるわけにも行かずタチが悪い。 ナディアも大変な奴と知り合いになったものだ。 もっとも、ナディア本人もそれなりに大変な奴ではある。

サマー・アポカリプスがどんどんうんちく度を増している。 本気で容赦ない。殺人パズルを求めて買った人間は途方に暮れたのではないか。 それにしてもここに書かれたものをきちんと受け止めるには あまりに教養がなさすぎる。

矢吹、哲学対決。あまりのことに昼休みをオーバーしてしまった。

2003年7月15日

26歳になりました。 祖母と祖父から祝いの電話が朝7時にあって、 眠いよとか思いつつも何やらぐっと来るものがあった。 最近年を取ることについて考えることが多い。 親にせよ祖父にせよ、昔よりずっと頻繁に顔を見たいと言うようになった。 死ぬまでに何回会えるだろう、というような漠然とした焦りについて 想像せざるを得ない。私もそういう年になれば そのように思うのだろうか。 しかしそれ以前に、会いたいと思う人がいるかどうかの方が問題だ。 そういった不安は 結婚して子を育てる動機としては比較的大きなものなのかもしれない。

2003年7月14日

サマー・アポカリプス中。前の本を読んでいることを前提としているのか、 最初から飛ばしている。早くもおもしろくなってきた。

エリュシオンの冒頭で、 人はただ生まれてくるだけでは人間にはならないのだろうか、 という問いが出てくる。狼に育てられた人間はついに人間になれなかった、 というような例を出してきたりしているのだが、 最初のうちは何をあたりまえのことを、と思っていた。 しかし最終シナリオにおいて主人公の過去が明かされた後で 同じフレーズが繰り返された時、それがそういう問題でないことに気づいた。 あれは、単なる問いではない。額面通りの意味ではないのだ。 殺人犯にどうして殺したと被害者の関係者が詰め寄る時、 それは単なる疑問ではあるまい。それで何の話かと言うと、 もし私が最終シナリオをやらなかったらそのことには永遠に気づかなかった だろうということである。 もしこれが現実の会話であったらどうなるか。 最後まで話す機会がいつも与えられるとは限るまい。 むしろ、普通に会話している時にはそんな親切な展開はまず起こらない。 その場で言ってしまったことが全てでフォローはまずないと考えるべきだ。 言葉を額面通り受けとってその真意を推測しようとしなかったなら その結果は悲惨なものになるだろう。 実際WEBを見ていればそんな例はいくらでも見かけるのである。 私は私の言葉について説明する機会を与えられないだろうし、 他人の言葉の真意を知るのに必要な情報も与えられないだろう。 恐くなった。

2003年7月13日

エリュシオン、おしまい。 すげえやこれ。 よくもまあこれだけ詰めこんだものだ。 科学も思っていたよりはひどくなかった。 むしろこの手のものにしてはよく勉強していると言っていい。 魔術に科学に歴史に文化にお約束、 まあそれはもうたくさんのものが詰めこまれていた。 はっきり言って無茶でごった煮でバランスも何もあったものではないが、 大筋において因果上の破綻がないあたりは大したものである。 辛いフラグ立てに耐えて最後のシナリオまで見た甲斐があったというものだ。 これは話のネタが全てなので、普段は気にしないネタバレを 恐れてこれ以上詳しいことは書かない。 イメージ的にはEVE the Burst Errorと同世代の作品だが、 萌え萌え言ってる作品ばかりになった今となってはむしろ新鮮である。 エンターテインメント的な出来だけ言えばEVEの方が上である気がするが、 詰めこまれたメッセージ性や蘊蓄の数々においてはこちらに軍配が上がるだろう。 主人公がアクションのできるキャラではないので どうしても展開が地味になるのだが、それはそれで雰囲気が出ている。 あの手の話が好きな人で古典的なフラグ立てゲーに耐えられる人には おすすめしたい。ゲームの形式そのものの是非を問わなければ、 ゲームとしての練り込みも十分になされているので、そのあたりの不安もない。

にしてもなんでこんなに古いのだろうか。 話、絵柄、ゲームシステム、塗り、音、 全てが前世紀の代物だ。 いや確かに2000年なので前世紀なのだが、 Airと同じ年のゲームとは到底思えん。 ちなみに、難易度は今の選択肢ゲーに慣れた人間には相当辛い。 操作の速度が要求される場面すらある。 マウスでは厳しいだろう。 即死選択肢が大量に埋めこまれているのも凶悪だ。 またセーブを日付変更時にしかできないのも痛い。 おそらくフラグ管理上の理由だろう。

スマトラカレー共栄堂という店でカレーを食ってきた。 正直よくわからんがおいしい気がする。 ちゃんとスパイスの香りがするというだけでカレーとしては上位に入る。 食前に出るコーンポタージュがまた良い。 それとこれはどうでもいいことだが、 店のオヤジの顔があまりに出来すぎていてたまらなかった。 見ればわかる。笑顔が眩しい。

で、秋葉原にはPCをどうにかしに行ったのだが、 例によって何も買ってこなかった。 理想的な手が存在しないためだ。 何をやっても無視できない欠点が残る。 デカ目のノートPCであれば要求は満たせるが、 ノートPCと言いつつ持ち運ぶ気にならないような巨大な物を 買うのであればモニタなど無用であり、ただ高いだけのものである。 そして小さいノートPCは性能的に不安がある。時期尚早ということだ。

一つエリュシオンにつっこみたいことを思いついた。その医者博学すぎ。 それにしてもいろいろなことが語られていた。 冒頭の語りの意味がエンディングを20近く見て初めて明らかになるという 相当な忍耐を強いる作品だ。いろいろな意味で常軌を逸している。 ふと思い出したシーンがきちんと意味づけされていることに気づいて驚く。 だからドイツ語なのか、とか、積荷の比喩はそのことだったかとか。 そういえば宗教描写がやけに詳しかったのも印象に残っている。 なにかにつけこれみよがしな印象があるにせよ、 終わってみれば確かにあれは必要だったのかと思いもする。

けむたさに目を覚ました。こんなゲームをやった後だったためか 一瞬火事かと思って焦ったが、なんのことはない、 向かいの集合住宅で焚火をしていただけだった。 塩化ビニルなんぞ焼いてはいないだろうな。 と思ってからはたと気がついた。塩化ビニルを燃やすとダイオキシンが 出るって本当か。それ以前にダイオキシンってなんだ。そんなにヤバいのか。 いい機会なので調べてみたところ、真っ先に クロロフィル というグループのサイトが引っかかった。 早い話燃やす物とダイオキシン発生量は関係ないという主張である。 それは森が焼けても出るということだ。であれば何故そんなものが今になって 問題になっているのかの説明がつかない。 そうして他のサイトなども見てうるうちに、 その手のサイトがだいたい塩化ビニル生産業者の関連であることに に気づいた。一様に敵はグリーンピース。どうやら何年か前にグリーンピースが 塩素が原因でダイオキシンが出ているから塩素製品を追放しようという 運動を行ったらしい。ダイオキシンで盛り上がったのはどうやらそれが きっかけのようだ。だいたいわかってきた。 いくつかのサイトを見る限り、塩素が少しでもある状態で中途半端に物を焼けば ダイオキシンが出る、というのは本当のようだ。 そして、生物の体やそのへんのゴミはそれに必要な量をはるかに超える 塩素を含んでいる。また、ダイオキシンそのものの毒性が、 塩素を含まないで同様の構造を持つ芳香族化合物に比べて 大差ないということも本当らしい。それらの毒性が本気で危険なのは 確かなのでダイオキシンが出るような状況で 物を焼くことが悪いのは確かだが、塩素の存在は問題ではないということだ。 キリがないのでこのへんにしておこう。 ともかくダイオキシンについては、 中途半端に物を焼くのはやめておけ、という結論で良しとする。 むしろグリーンピースがそのような運動を行った動機の方に興味があるが、 どうせ適当な憶測しかできないのでやめる。 ああいう団体は嫌いなので、どうやっても批判的な憶測しか出てこないだろう。 考えてみれば嫌いな理由も単なるイメージにすぎず、 到底正当とは言えないのだが。

クライマックスで館が燃えるのはやはり外せないのだなと思った。 本当にいろんな作品で館が燃えている。 私にとって一番鮮烈なのは「館は全焼ッ!」で知られるアレだ。

「ヴァイオリン演奏のコツ」。ハーバート・ホーン著(音楽之友社)。 ウリは「科学的」だそうだが、宇宙の摂理とか、神の意思とか、 男女の関係とか、動物の活力とか、そういう言葉で説明する かなり特殊な本だ。メンタルなトレーニングを重視し、 一見非常に抽象的な本である。受け入れ難い人も多いだろう。 しかし私の場合は驚くほど素直に納得することができた。 それは拳法のおかげである。なにしろこの本に書かれていることの 大半は道場で先生から言われたことと同じなのだ。 自然や脱力はまさに拳法におけるキーワードである。 動物の動きを取り戻せというのも同じだ。 意識を捨ててもっと大きなものに動かされる、というのもまさに共通している。 この本ではそれを神と表現しており、 うまくなろうとか名声を得ようとかいう邪念は演奏を妨げるだけだと説いている。 拳法の思想と完全と言っていいまでに一致する。 実はこの本を読む前にも拳法の思想が応用できないかと思ったことはあった。 しかし、結局のところアレはアレ、コレはコレと納得してしまっていたのである。 そして今改めて試してみて、全く同様に応用できることがよくわかった。 この本には抽象的なイメージを実際の演奏に応用するための 足がかりを数多く用意してくれており、そのおかげである。 例えば、弓は押しつけるのではなく、重さで絃に力を伝えるのだ と書かれている。私は今まで肩や腕の力で絃を押さえつけていた。 むろん慣れてくればその力はある程度は制御され、必要以上に 力を使うことはなくなってはくる。しかし基本はあくまで 筋力であり、何よりもイメージがそうなっていた。 これが私の右手の動きを制約する一番大きな原因だったのである。 だが右手は落ちれば良い。肩から先の力を抜いて 腕は背中から出る力で動かす。肩も腕も手首もそれを伝えるパイプにすぎない。 試してみると明らかに音が痩せたり不規則に変動したりしにくくなった。 音量も増した。この電気ヴァイオリンでこれほどの音が出るのかと 驚くほどである。そして同時に今までいかに楽器の力を引き出していなかったか を知って愕然とした。 もう一つ驚いたのは、弓は端から端まで使えてナンボという主張である。 私は元弓が苦手だ。事実上下3分の1はないものとして扱ってきた。 だから長い音が苦手で、またきちんとゆっくり弾くことができなかった。 それがおかしいということは薄々感づいてはいたものの、 根本的に直そうとまでは思わなかったのである。 しかし、この本はきちんと力を抜いて自然な姿勢を保てれば 弓のどこでも同じ使い方ができると断言している。 本当かどうかはまだできないのでわからない。 しかし、脱力を意識すると元弓が以前ほどむつかしいものではないということが はっきりとわかる。前に買った本に書いてあった小指による重心の補正 も駆使すれば、本当に弓の全域を同じように使える気がしてくる。 録音によって私の技術がいかにひどいものであるかが知れて 少しやる気を失っていたが、この本によって少し元気が出てきた。

たまらん。なんだこの解放感。こんなに楽しかったかヴァイオリン。 いや、楽しいというより気持ちいい。 腰背を意識しただけでこれか。無論細かな制御が効かないので 音がズレたりもするのだが、音の躍動感がまるで違う。 私が気持ちいいだけではない。実際音がいい。 順番が逆だったのだ。制御が先ではない。 まず本来の力を引き出すことこそが先なのだ。 まずは相手を倒す打撃力がなければ話にならん。 そしてそれをジャマしないようにちょこっと力の方向を変えてやると けっこう簡単に制御できる。精神を針のように研ぎ澄ませて 絃に弓が触れる瞬間に適切な制御をかけ、あとは自然にまかせて動かすのみ。 まさに拳法じゃないか。世界のいろんなスキルは実はつながっているのかもしれん。 たぶんだが、絵もそうなんだろう。

しかし、集中力が続かん。拳法と同じで体の流れを止めないまま制御するのは 恐ろしく神経を使う。気がついたら3時間以上弾いていたので無理もないのだが。

自分のあまりの下手さに一時の勢いで録音を上げてしまったことのみならず ヴァイオリンの事を日記に書いたことすら後悔したものだが、もういい。 体の快楽の前では無力だ。

東京まで出て笠井潔の残りを買ってきます。

何年ぶりにかCDを買った。いやそれは言いすぎか。 グールドのインベンション・シンフォニアと クレーメルのバッハ無伴奏。モロに研究用である。 で今グールドを聴いているのだが、すげえ。 こんな解釈想像もしていなかった。 そして噂通り鼻歌。ピアノ演奏のCDに鼻歌が入っているのである。 加えて明らかに改造ピアノと思われる音。 きっとこの人はチェンバロのつもりで弾いているのだろう。 トリルなどはもはやピアノの音ではない。 これほどに硬質で透明なピアノの音を私は知らない。 そういうわけでこのおっさんはすごい。 そして同時にそもそもこの曲がすごい。

ヴァイオリンにせよピアノにせよ、私はこの域までは絶対に達しない。絶対にだ。 さて、それでも意味はあるか。 これは「好きだからいいのだ」の一言で片づけられる問題ではない。 続ける限りその問いはついて回ることになる。

BLOOD LINK3巻。のはずだが話が飛んでいる。 たぶん私が覚えていないだけだが、いつカンナは感染したんだろうか。 意識不明の重体で主人公が愛の力で呼び覚ましたことは覚えているが、 感染の話はさっぱりだ。 そう思ってちょっと読み返したらわかった。ああなるほど。 そういや主人公は感染者がなんとなくわかる能力を持っていたっけか。 真面目に読んでない人間が言うのもなんだが、 たぶんこの小説はかなりひとりよがりっぽい。 この熱は嫌いじゃないが、 ところどころふっと展開がわからなくなることがある。 ところで、3巻は妙に内容が薄かった気がする。 たぶん話が終わってないからだろう。 クレーメルを聴きながら読んでいたからかもしれないが。

でクレーメルだが、本当にバッハかこれ。 好き勝手弾いてるだろオッサン。 演出が過剰である。はっきり言えば期待していたものではない。 しかし、期待していたものではないにしろ、 これはこれでまたすごい。 燃える激しい音だ。音に強さがある。一つたりとも弱さを感じない。 聴いているうちにこれもまたバッハの形であるような気がしてきた。 演出が激しすぎて曲のフレージングがムチャクチャになっている 気がしないでもないが、しかしこれはこういうフレージングなのである。 BGM的に流しておいていい気分になるということを許さない。 聴く方に本気で演奏に同期することを強いる演奏だ。

2003年7月12日

「バイバイ、エンジェル」おしまい。 さて感想を書こうとしてはたと気づいた。 気の効いた言葉がみつからない。 ここのところずっとそうで、 何がどうおもしろかったのかを説明するのがえらくむつかしいことのように感じる。 むろんつながりのない要素を挙げることは簡単だ。 例えば主人公が嫌な奴でいい。 例えばヒロインが微笑ましい。 例えば散りばめられた哲学風味なネタがいい。 例えば推理小説そのものについて言及しているそのメタ性がいい。 そうやって並べたてるのは簡単だが、そんなものに意味はあるか。 最近思うのだが、キャラが立っているだとか、 話がよく出来ているだとか、演出がいいだとか、 そういうのはもはや単なる定型文にすぎず、そんなものは 話の枕になるべきものすぎない。 興味があるのはその先にあるものをどう自分が言葉にするのかであって、 何か見る度にそのような空虚な定型文を書き連ねたところで時間の無駄だ。

それにしてもどう書いたものか。 それ以前に、私は何をどのようにおもしろがったのかが思い出せない。 あるいは言葉にならない。 とてもおもしろかったのは確かだが、そういうものほど感想を書くのは むつかしいのである。 読んでいる間は夢中であり、今日などはトイレに行く度に持っていって 半ばサボリ状態になっていた。謎解きの途中で昼休みが終わってしまい、 到底耐えられなかったのである。それくらいおもしろかった。 しかし、そういうおもしろさについて何を言えばいいだろう。 だがそれでも何かを言わなければ、これを読んだことが記録としてすら 残らないのだ。

ドリマガに高橋名人が出ていた。時代の流れを感じた。 ゲームは終わったのだろうかなどと思ってしまう。 昔を懐しむのは良いことではないが、 できるだけ客観的に見ても今より昔の方が活気があったように思う。 ところで、スターソルジャーはプログラマとサウンドの二人で 半年もかけず作ったらしい。当時はゲーム一本に半年以上かけることは ほとんどなかったと言う。昔の人が超人だった、ということもあるにはあるだろうが、 それ以上に規模の問題だろう。大きくなるほどいろいろなものが失われてしまう。

カレー食いてえ。明日秋葉原に行く気になったらついでに 本でも調べてカレーを食いに行くか。

それにしても動画をまともに見られる環境をゲットせねばならない。 しかしあまりに情報が足りない。 すごい性能のマシンをドーンと買うことは容易いが、電気食いすぎだ。 例のterminatorとかいう小型ベアボーンを買ってくることもできるが、 どうせならノートという気もしなくもない。 いくら電源にファンがなくてもCPUには相当にゴツイファンをつけねばならず、 そんなものはやかましいに決まっているのである。 一時の感情にまかせてやかましいマシンにしてしまえば必ず後悔するだろう。 とりあえずカレーを食いに行く。調べたところ、 神田あたりにスマトラカレー共栄堂とかいうのがあって、かなりのものらしい。 京都のビィヤントよりうまいかどうか。

e線がかすれるのはやっぱり私のせいだ。 もっと優しくしてやらないといけない。 昔起きなかったのは3重音あるいは4重音にEの開放弦が混ざっているような曲を それほど弾かなかったからだろう。 バッハはこれが多発するのでわかりやすいのである。 もっと吸いつくようにしないとけない。 左手は最近進歩があるように思うが、右手は相変わらず下手だ。 その音が鳴ればいいんだろう、というような低レベルな音楽観が いまだに体を支配している証拠である。 外出前に一発弾いとくかと思ったら一時間経っていた。

体脂肪率がじわじわ減っている。喜ばしいことだ。 しかし数字だけでは不十分で、 実際にこのジャマくさいブヨブヨが駆逐されてこその勝利である。気は抜けない。 たぶん先に尻やらももの脂肪が減ってきていて、腹はこれからなのだと思う。 大して腹の脂肪が減ったわけでもないのに昔のズボンをはけるようになったのは そのせいだろう。 ところで、体脂肪率という奴は体の抵抗値を測ることで得られる数値なわけだが、 体の抵抗値なんてものはそれこそコロコロ変わる。 抵抗の大半は皮膚なので、皮膚の状態にはとりわけ敏感だ。 実際、フロに入る前と後では6から7%もの違いが出てしまう。 また、時間帯の違いによっても2から3%の違いが出る。 そんなもん信頼できんのかとずっと思っていたのだが、 夜帰ってきてフロに入った直後に測定すると決めておけば この誤差の大半は消すことができ、誤差はせいぜいプラスマイナス2%に 納まる。自分のおおまかな状態を知るだけであれば 数日測ればほぼ信頼できる数値が得られるだろう。 長期間の変動を見る場合には おそらく前後3日分づつを取って平均した値(移動平均)で見るのが妥当かと思う。 と言っても、そんなものをいちいち記録する気はさらさらない。 最低値だけ更新していればだいたいわかるものだ。 今のところ17%台が一回あった。おそらく真の値は18%から19%の間だろう。

2003年7月11日

今日も赤マンゴー。今日は二個買ってきた。 熟れてきたようでさらにおいしさを増している。 売り物としては明日あたりが限界だろうが、 まだ20個くらい積んであった。どう考えても仕入れすぎだ。 たぶん私しか買ってない。しかしまあ、また仕入れてくれるように できるだけ買うことにしよう。

昼休みに読んでいる「バイバイ、エンジェル」がやけにおもしろい。 事件そのものは地味なのだが、主人公がおかしすぎる。 初対面の人間にここまで容赦なく哲学的な話し方をするあたり並大抵ではない。 それはつまるところ、推理小説なのにここまで哲学をやって しまうこの作品がおかしいということでもある。 もっとも私は推理小説なんてせいぜい数十冊しか読んだことはないので 実は大して変ではないのかもしれない。 そういえば読者が犯人とかいう反則としか思えない作品もあった。 それにくらべれば普通か。

11時前後に帰れるとバッハ漬けになれる。 ピアノもバイオリンもバッハ。 で最近はもっぱらヴァイオリンがおもしろくて仕方ない。 今日はいつもと違う無伴奏ソナタを弾いてみた。やはりかっこいい。 自力でこんな曲があることを伝えたいという思いがどんどん大きくなってくる。 たぶんこの無伴奏ソナタは一生の課題だ。 それにこれがまともに弾けるならたいがいのものは弾けるだろう。 それくらい技術的にも高度である。 それに比べてピアノはひたすら筋トレ状態。 いつになったらショパンやらリストに挑戦できるのだろう。 ペダル踏むようなゴージャスな曲を弾いてみたい。 そもそもピアノが練習しているのはヴァイオリンでは逆立ちしても不可能な 豊かな和音を表現してみたいからなのである。 バッハはその目的からはちと外れるが、 しかし複数の旋律を同時に鳴らすというこれまた ヴァイオリンではほとんど不可能な技が使われているので やはり価値がある。

ドクロちゃん。なんか慣れたら普通に読めて、たまにクスリと笑ったりしてた。 楽しい悪ふざけ。そんなに悪くない。 しかしそれはそれとしてどうでもいいことは確かだ。

誤差誤差誤差ッ。そんなにでかいのか誤差ッ。 という感じに苦しんだ挙句あきらめて帰る途中にひらめいた。 この瞬間のために生きているような気すらする。 しかし最近精神的に余裕がないので、 うれしいというよりもホッとする。

2003年7月10日

煮詰まって中途半端に早く帰ったのでエリュシオン、ミレイ。 なんじゃそりゃあ状態。 こういうネタは初めて見たが、だからといって絶賛状態というわけでもない。 まあ「ほほう」くらい。 なお、まだ話の一部しかわからない。 全員やらんと全貌はわからないのだろう。

ちなみにもう自力での攻略はあきらめている。 こんな面倒なフラグ立てやる気になるか。 いいから話を見せろ。気になって仕方ない。

会社がおもしろくなってきた。仕事でなく会社がだ。 しかし日常やることが変わるわけでもないので大したことではないとも言える。

今日も赤マンゴー。大量に入荷して余っているらしい。 いくらでも買いたいところだが、デカいのでそう大量には食えん。 朝飯用に買っておくか。

久しぶりに とある性格検査サイトを試したら そこまでかと思うくらいひどい結果が帰ってきた。 昔やった時はここまでひどくはなかったはずだが。 試しにもう少し大人しく選んでみたりもしたが、結果は同じだった。 いくらでも思い当たるフシはあるのであって不安になる材料には 事欠かないのだが、いくら不安になっても一つもいいことはないのでやめる。

2003年7月9日

うまく行かない。しめきりは迫ってくる。 そもそも手が浮かばないのだから時間をかければできるというものでもない。 加えて私はもう新人ではなく、できてあたりまえ。 去年よりも状況は厳しいと言える。 さらに私が想定していなかったことも私の管轄と思われていた。 「え、やらないの?」という言葉がショックだった。 その後に「まあ、君のやる気次第だから」と続けられたが、 それはやる以外の選択肢が存在しないことを意味している。 これは戦いだ。

2003年7月8日

マンゴー、うめえ。 向かいのスーパーで300円で売られていた赤マンゴーである。 黄色マンゴーもおいしいが、赤マンゴーは大きくて甘くて 本当においしい。

種ガンが初代からゼータに移ったと周りで評判。 まあ全話見ようという気にはならないのだが。

2003年7月7日

理系は何を考えるのかを考えないことが弱みであり強みだ。 文系は何を考えるのかを考えることが弱みであり強みだ。 私の理系と文系というのは今のところこんなイメージである。 あることを考えることの価値や意味について考えるような脳は 決して作業的な思考を許容すまい。だが、 仕事は何を考えるかを外から与えられた状態で常に始まるものであり、 そのためにはその根となる課題から遡って思考することは 単に非効率なだけである。実際には両方がバランス良く混ざり、かつ自在に 切り換えられる必要があるのだろう。

ある問題が与えられた時、 y = f(x1,x2,x3...)においてyが特定の条件を満たすxの組を求めよ、 という形式の問題に帰着されることがある。 この形式に帰着したが最後、それはもう作業だ。 解く第一歩は関数形を予測あるいは近似することである。 関数形がわかれば解決の目途はほぼ立ったようなものであるし、 仮にわからなくても十分な数の入力と出力の対を得られれば これを関数の近似として用いることで現実的な精度で問題を解くことができる。 むろん関数形を予測するには入出力の対応のサンプルを取る作業が必須であり、 その意味ではどちらにせよ最初にやることは変わらない。 よって、問題はどれだけのサンプルから予測が可能か、 あるいはどれだけのサンプルで近似の精度が十分になるか、 ということになる。 解を検索する方法は与えられた課題によって異なるだろうが、 ともかくもこの形式になった問いはそのような手順を踏まざるを得ないように思われる。 例えばドラクエで何レベル上げてから進むべきかとか そこで武器を買うべきかとかいう問題は結局のところこういう手続きになっている。 エリュシオンをどうやったらさっさと面倒なくクリアできるか、 というのも広い意味で同種の問題であり、 パラメータがゲームの中だけにあるか私の精神的な性質も混ざるかという差しかない。 アクションゲームであれば肉体的な動作の性能も混ざるだろうが、 それも大した差ではない。目的が量的に設定され、 それを達成する手段を考える時 問題は常にこの形式を取る。問題によってその抽象度は異なるが、 例えばゲームの場合は多くの場合非常に具体的な問題として現れ、 数値に直結した関数形であることが多い。 ゲームの場合に私が 特に気に入らないのは、 その解そのものや関数形を作った人間が確実に知っているということである。 なんで誰かが作った俺ルールをいちいち必死こいて解析せねばならんのか。 解く過程がおもしろい、と言うのは確かによくわかるしそういう気分になること もよくあるのだが、ふと我に返った時に空しさを感じる。 ニャが言っていたが、女性の多くはゲームのおもしろさがわからないと 答えているのだと言う。それはもしかしたら脳を このような形の問題のために限定して用いることを好まない人が多いからでは ないだろうかと思ったりするが、そのあたりはわからない。 などと考えていて、ネットゲーや対戦がおもしろいのは 人間が混ざることで系が製作者の意図を遥かに超えた 複雑さを獲得し、また現実世界における常識が ゲームに持ちこまれることにより 俺ルールの押しつけ感が緩和されるからではないだろうかと思った。 実際やっていることは変わらぬレベル上げで あったり、反応訓練であったりするのは事実だが、 その目的や受け取る結果が人間が混ざる ことによって全く違ったものになってくる。 しかしそれでもなお私はネットゲーをやる気にはならない。

思いつきのひどい文章で接続もおかしいが、 誰の害になるとも思えないのでメモとして残しておく。 下手に書き直したり考え直したりすると全部なくなってしまいそうだ。

LOOD LINK2巻の生物学関連の記述が豪快に間違っている。 しかしそんなことはどうでもいいことだと知っているので追及はしない。 ところでここでの問題は、 私がそれをどうでもいいことだと本気で思えないでいることである。 それはえうーが辛いと言ってSNOWを酷評する人がいることを 私は受け入れねばならないということを意味するが それに関しては知ったことかと言うことにする。

D.C.アニメ第一話。なるほど予想通りにカスだ。 ゲームの序盤をまんま並べただけ。 そしてこの野川さくらはなんだ。 どいつもこいつも声が驚くほどパッとしない。返せ。 杉並すら元の方が良かった。 いっそさくらを古山きみこにするくらいの暴挙をしてくれれば 見応えもあったのに。

そういえばまおちゃんは古山きみこの凄まじさを聞けるという意味で 見る価値があるとのことなので、いずれ見ようと思う。

ところで、唐突に機械を買い換える理由が生じた。 しかし、何を買っても150W電源では動くまいな。 とすれば電源もか。悪くすれば箱ごとになる。当然デカいんだろう。 想像するだに嫌なので本気でノートにすることを検討する。 性能が足りなくなったら売り払って買い換える、 という思想にシフトすべきかもしれない。

そういえば昼間に松下のキーボードの前が割れてCDを入れるかっこいい ノートパソコンを見かけたが、jとfにでっぱりがついてなくて辛い。 一応へこんでるがいまいちわかりにくい。 もっともどうせ普段は別キーボードを差すんだろうから問題にならんか。 普段は単に今ある奴の置き換えとしてしか使わんだろう。 そう考えるとAthlon積んだ安い奴もアリだが、 せっかくなら持ち歩く気になるものでないとおもしろみがない。 しかし恐ろしいのは、そんなノートパソコンを買ってあっという間に 性能不足に陥った場合だ。十分ありうる。

選択肢。ひとつ、AthlonXP2400とかを買ってくる。 ただし電源必須。同じサイズで250W級のがあれば可能だが、なければ手はない。 うまく行ってもファンはうるさい奴に換えねばならなくなるので つけっぱなしで寝るのは辛くなる。 ふたつ、せっかくだからマザーごと買う。当然ビデオもなにかにする。 メモリも変わるだろう。むろん電源もいる。面倒だが確実に性能は上がる。 そして当然うるさい。 みっつ、ノートパソコンを買う。持ち歩くという新しい世界が開ける上に 予備モニタが手に入り、さらに小さく静かで電気を食わないという理想の選択肢だが、 値段ほど役に立たせるかどうかは甚だ怪しいし、 何か突発的に性能を必要とする用途が湧いた 時に対応がしにくい。結論、どれも微妙。第四のこのまま耐えるという 選択肢も考慮に入れるべきか。少なくともあれに関しては 2秒に1秒くらいしか動かなくても観賞にさほどの支障はない。 しかし、そうは言っていられないようなものもこれからいくらでも出てくるだろう。

ドクロちゃん。3分の1くらいで頓挫。これ、つまんねえ。しかも普通に。 普通に読んだらつまらんのだろうということは題名とこれを 紹介していたサイトの文章から予測してはいたが、 しかし皆が騒いでいるその電波がかけらも見つからない。 食事がカレー続きという状況においてヒロインが吐く 「胃の中が黄色くなっちゃうよ」 という台詞に衝撃を受けはしたが、 現状でそれだけとあっては如何ともしがたい。 あとは至って普通である。 これが電波なのであればしろー駄作劇場 (しろー大野が昔マル勝PCエンジンだったかで連載していたヒデエ漫画の単行本の名前) は正真正銘の電波であろう。 しかし、私はあれは電波とは言わず「頭が悪い」という言葉をもって 称賛したいと思う。 だから同様にこれを「頭が悪い」という言葉でけなすことにしよう。 とは言いつつも、 どうせ時間もかからんので隙を見て最後まで読んでしまうことにする。

2003年7月6日

しっぽオンリー行ってきます。

土曜は秋葉に本を買いに行った。 ついでにエリュシオンを買ってきた。

でそのエリュシオン。第一印象は昔のゲーム。 どこから見ても98ゲーにしか見えない。 方向キーでキャラを動かして目的地に行く、 同級生あるいは闘神都市のような移動システムである。 加えて絵も横田守。絵柄をどうこう言うつもりはないが、 やはり印象としては到底2000年のゲームとは思えない。 背景等もあからさまにドット絵であり、16色当時の手法で 作っていることは明らかだ。 で、シナリオだが、 しばらくやった感じ知識が相当豊富な人が書いているのだなということはわかった。 READMEの後ろ95%以上が本編の註釈というのもすごい。 外国との文化の比較や政治、軍事の蘊蓄をえんえんと並べ立ててある。 しかし、今のところそれらは並んでいるだけであり ハッタリとしては良いが迫力を感じない。 いきなり「イタリアというのはどういう意味は知っているかね」 とかいう感じな台詞が出てきたりするあたりなかなかに好みではあるのだが、 人間の行動とそれが今一つ結びついてこない。 そして何よりもゲームシステムがあまりに古く、攻略という作業によって ストーリーが薄められてしまっているのが辛い。 難易度が高いというのが一般的な言い方であるが、 これは正確とは言えないだろう。 難しいのではなく、面倒くさいと言うべきだ。 どうすれば良いのかは知れている。 結局あらゆる状態で行ける場所全てを当たり、 起こるイベントを整理して書きこんで 条件を探すだけだ。 現状のところバッドエンドを数個とあからさまにどうでもいいと思われる ハッピーエンドを一つ見ただけであり、話の全容は一向に見えてこない。 ただ秘密の根幹と思われるネタのいくつかは上がっており、 EVEやDESIREのような感じに政治やら組織の云々と科学が からみあった話になっているのだろうという想像はできる。 その科学部分がショボイのももう確定だろう。 まさに典型的に「仕組まれた系」と私が呼んでいる類のものだ。 あれも現代的にアレンジされればEver17のようなものになるとは言えるのだろうが、 その距離はそう近いものではない。 とりあえず二度ほど詰まるまで進めたが、まだ本筋に入るルートが見つからないので 今度はちゃんとメモを取りながらやることにする。 さっさと攻略を見ながらやるべきであるようにも思うが、 それはやる時の気分に任せよう。

今日はまさひろに呼ばれてしっぽイベントに行ってきた。 T中氏にコバンザメしてサークル参加扱い。 しっぽイベントはたぶん最初で最後であろう。サークル数の少なさと 物のなさには驚いた。昼過ぎにコピー本を出すサークルがなかったら 本当に開始後1時間で全てが終わってしまっていただろう。

その後まさひろがバスに乗るまでダラダラした。 有意義な時間をありがとう。

BLOOD LINK2巻。おもしろくなってきた。前半の主人公の悩みっぷりが あまりに今風で食傷気味だったが、最後にずいぶんと盛り上がったので良い。 そしてこの作者おそらく本気だ。 忘れる前に完結するようなら最後までつきあおうと思う。

宮部みゆき「ドリームバスター」。 社長室のガラクタの中にあったもの。 宮部みゆきというのは名前しか知らないのだが、有名なのでおもしろいのだろうと 思ったのだ。実際当たりだった。 とは言うものの、おそらくこの作品は本気で書いたものではないのだろうとは思う。 ネタのチープさと文章や展開のうまさのギャップが激しすぎるからだ。 試しにライトノベルを書いてみようということなのかもしれない。 しかしそのライトノベル部分は比較的どうでもいい要素として分離されており、 本筋はあくまで現実的な人間ドラマなので、あまり気にならず結構読める。 下手に異世界の設定を凝ったりせず、話の組み立て上必要なこと以外は この世界と同じといういいかげんさもかえって強味になっているようだ。 悪夢を退治する賞金稼ぎの話ということになってはいるが、 主役はあくまでその悪夢の主であり、 本筋は悪夢の原因とそれに立ち向かう主人公の成長ドラマなのである。 最初の一行でそのへんのライトノベルとは一線を画している ことがわかるのもいい。 きちんとした本職の作品を読んでおかねばなるまい。

でこれを読んで思い出したのが、田中芳樹のとある作品だ。 なんとかの事件簿とかいう比較的新しいシリーズで、 恐ろしくつまらなかったのを覚えている。 ネタがまるで三流漫画並みなのである。 そこでバケモノって、それ何のひねりもないじゃねえかと激怒した。 母親と二人で駄作と罵しったものだが、 今考えてみればあれはライトノベルだったのではなかろうか。 バケモノやら魔法やら超科学やら古代文明やらを さしたる説得力もなく導入して平気でいられるという特異なジャンル の作品なのだと考えれば納得が行く。 別に銀英伝が硬派だとは絶対に言わないが、 銀英伝とBLOOD LINKを比べてどちらが硬派かと問われれば 返答に迷う必要はない。

昨日今日買ってきた本。宇宙の戦士。BLOOD LINK2巻。 アンドロイドは電気羊の夢を見るか。 シャーロックホームズの冒険。撲殺天使ドクロちゃん。吸血鬼ドラキュラ。 バイバイ、エンジェル。 バイバイ、エンジェルはちょっとしか読んでいないが相当におもしろそう。 そもそも現象学を駆使する探偵って一体なんだ。それだけでも興味津々だ。 つかみはバッチリと言える。

2003年7月5日

ニャ長電話。明日秋葉原に行く用事ができた。 エリュシオンというのがすごいらしい。 PS2版もあるができればPC版を手に入れたいところだ。

BLOOD LINK(山下卓、ファミ通文庫)。 社長室に溜まっていたガラクタを勝手にもってけというメールが来たので 行ってみたらこんなものが混ざっていた。読んだ形跡はない。謎だ。 で、そこそこ普通におもろかった。 むろんよくある感じの話で、別に飛びぬけて良く書けているということはない。 急に話を畳みにかかったような印象があるあたり たぶんうまい方ではないのだろう。 いきなり主人公が特殊能力者なのがあからさまに知れてしまっているあたりも 驚きがなくストーリーとしてのおもしろみはあまりない。 説明係丸出しの雑誌ライターも興を削ぐ。 嫌な感じというような説得力のない説明を使いすぎるのも良くない。 カンナの天才っぷりもあまりに便利すぎる感がある。 が、しかし確かにカンナはかわいい。 ニャの言うことはなるほどわかる。

どうでもいいことだが、カンナの声は北都南で決定。 D.C.のさくらの元ネタなのだろうか。 隣のばあさんの孫で窓から入ってくるハーフでロリ で天才で帰国子女、まで一致して偶然はないだろう。

美春がクラシック音楽が嫌いという設定を見てちょっと悲しくなった。 腹立たしいので明日覚えていたらD.C.のファンブックを買ってくる。

2003年7月4日

録音できるということがずいぶんと便利だということに気づいた。 自分の演奏を客観的に聞ける。 何が素人くさいのかをよく考えるためのいい材料になるということだ。 今日わかったのは、音程がふらついたり 音量が不規則に変わったりすると途端に素人くさくなるということだ。 当たり前のようだが、こうやって形になると説得力もひとしおだ。 たった一音上がり切らない音があっただけでもうダメなのである。 そしてこれも当たり前のことではあるが、 同じ技量であればむつかしい曲を弾くよりも簡単な曲を弾く方が上手に聞こえる。 バッハの無伴奏パルティータとタイスの冥想曲を 録音してみて、その差に愕然とした。 タイスはまだどうにかなりそうだがバッハはまるで救いがない。 シャコンヌがあまりにしんどいので SARABANDEという奴が最近お気に入りなのだが、 これを人に聞かせられるレベルにするには相当な修練が必要だということが はっきりした。

エレキヴァイオリンの重要性が日に日に増している 半年と経たずして高級品に買い換えそうな気さえする。

コンピュータが離散値しか扱えないということがどれほど恐ろしいことか だんだんわかってきた。何か一つ間違っただけで キャラが宇宙の彼方へ飛んでいく。

そのへんに転がっていた キャノンボールのテレホンカードをまじまじと見てみる。思い切り裸やん。 絶対人前で使えねえ。まあ裸でなくてもこの手のものを使うのは勇者だろうが。 ところで、メルクリウスの鼻のところは ずっと照明が下から当たっているものとばかり思っていた。 どうやら本当に色が違うらしいと気づいたのはかなり後のことである。 一体あれはなんなのだろう。

2003年7月3日

ずいぶん働いたように思うが遅れている。 集中力とその持続力には自信があるが、 それはいつも不安の裏返しとして現れるので楽しくもないしうれしくもない。

いまだにハノンを10番連続でやるとで指が痛くなる。 筋肉のこともあるが、それより指先に豆ができてしまう方が深刻だ。 豆といってもできはじめなのでふくらんで見えたりするわけではないが、 痛いものは痛い。フロ上がりにやると特に弱い気がする。 左手がなんともないのはヴァイオリンで鍛えられたせいだろう。 一応インベンションは5番まで 引っかかりながも弾けるようにはなったのだが、 ハノンがこんな状態なので進むのは保留している。 体作りが不十分なうちに高度なことをやろうとしても無理だ。 意識しなくても体が動くくらいにならないと音楽性も何もあったものではないし、 そのためにもとにかくピアノを弾くことに耐える体が必要だ。 今年中に2声のインベンションを征覇するという目標はそう甘くはあるまい。

2003年7月2日

帰り、寮まで一緒に帰ろうと人を待ちつつ会社の前をウロウロしていた時のことだ。 そのへんを歩いていた女性と一瞬目が合って、 その次の瞬間その人は「こわい!」と叫んで 走っていってしまった。 私はそんなに怪しいか。むろん夜のことでもあるし、 確かに同じところを行ったり来たりしているのは不穏ではあろうが、 だからといってそこまでか。一方でいちいち「こわい!」と言ってから 逃げるなんていうことを本当にするのだなあと妙に感慨深かったりもしたが、 基本的にへこんだ。ダメかもしれん。 誤解のレベルがもう一段階上がると痴漢とかそういう犯罪レベルになるのだろうか、 と思うとゾッとする。

アルゴリズムの基本なんてものはみんな当然のように通ってきているのだろうか。 いまごろ二色木すげえとか言ってるのは笑止千万なのだろうか。 仮にそうでも私にはどうすることもできん。 ところで私は会社二年生だ。 情報系の大学二年生はきっとこんな勉強をしていることだろう。 そういうわけで、 4年目に情報学で卒論が書けるくらいのレベルに達すれば上々と言える。 むろん皆が新しいアルゴリズムを思いつくとも思えんし、 生物系の学生の卒論の無惨なことを思えば それほどすごいものでもないのだろうが、 しかし少なくともその分野の論文を読んで理解し自分なりの 考察や検討を加えるのだから、今の私から見れは十分に天上の世界である。 そういう連中に一目置かれなければ生き残れないという危機感が 日増しに高まってくる。責任があるというのはこういうことか。

2003年7月1日

残りあと少しになった牛乳を口に流しこんだら 微妙に口の容量をオーバーしてしまい、 数秒こらえた後吹き出す。


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