日記

2003年3月31日

正気とは思えないことがあった。それによって私は得をしたので 文句はないが、しかし信じられん。ありえない。

待ち時間の間ゲームを作ることを考えていた。 作ったものを使うかどうかは甚だ疑問だが、いい経験になるに違いない。 しかしゲームを作るとなると何を作るにしても仕事でやったことを まんま応用することにならざるを得ないが、それはいいのか。 アニメーションの再生機構、 素材の管理機構、物体の生成や消滅の機構。 他にもいろいろあるが、ほとんど同じコードで動く気がする。 特にperlで作ったツール類は丸ごとまんま使えそうで恐い。 情報を漏らしてはいかんと言うが、どこまでがなんなのか判断し難いものがないか。

しっぽ漫画2巻。このどうしようもなくどうしようもない漫画が私は好きだ。 ルルかわいい。

2003年3月30日

普段会わない人々に会いに行って、とてもいろいろ話をした。 コタツの上に食い物を置いて漫画読んだり話したり テレビ見たりしながらダラダラ深夜まで過ごし、 一人また一人と寝ていく。あまりに懐しい光景だった。 ところで考えてみれば、会社の人間以外は全て普段会わない人々なのである。

グリーングリーンの小説版を衝動買いして読んだ。 ゲーム版のシナリオの人が書いているらしいので雰囲気は同じだろう。 悪くはないが、とにかくバカ供が腹立たしい。そこまでバカか貴様ら。 そして虚淵先生の絶賛コメントがいろいろと謎で、 何をどう誉めているのかがさっぱりわからない。 ともかく悪くはないし何やら気になりはするので 機会があればゲーム版をやるかもしれないが、 おそらくそんなことはあるまい。

なんとなく入った新宿の小田急の本屋で電子ピアノを見つけた。 鍵盤を叩くと音が鳴る。案外音もショボくないし、叩き心地も悪くない。 値段も高いとは言え容易に買えてしまう値段だ。 そんなわけで、電子ピアノが欲しくなった。 生ピアノはあまりに場所を食いすぎるが、あれならどうにか置ける。 値段も買えない値段ではない。 加えて今日エレキバイオリンというのを見つけた。 試しに弾かせてもらえないかと言ったら、電気は入れられないと言われた。 電気が入った時にどんな音が出るのかが知りたいわけで、 それができないなら用はない。まあわかったところで買いやしないのだが。 とりあえずピアノは欲しいと思った。録音機能がついてる奴ならなお良い。 あとはこの欲しさがある程度の期間持続することを確認し次第実行に移す。

2003年3月29日

もう3時じゃん。ところで明日(29日のこと)は条件つきでヒマとなった。 たきぽんに呼ばれたので鍋に行くことにする。 しかし夕方会社に電話してヤバいことが起きていれば断念せざるを得ない。

ニャからまた変なCDを借りて聞いている。 RhapsodyのLegendary Tales。 シンフォニック・オペラ・メタルだそうだ。メタルというのは何にでもつけられる 言葉なのだろうか。 オケっぽさとメタルっぽさが違和感なくかどうかはともかくとして混ざっている。 とにかく聞いてて気持ちいいのでむつかしいことは考えないことにしよう。 すげえかっこいい。

Children of Bodomを聞いていて不意に思ったのだが、 ニャの言う疾走感というのはこのことだろうか。 テンポは一定なはずなのに何故かどんどん速くなっていくような気がして、 それに体が丸ごと引っぱられて行く。 ヴァイオリンを弾いていると似たようなことが起こるが、 あれの場合実際に速くなっているのでダメだ。そのせいで昔から合奏は苦手である。

スパロボαを見ていた。 良く言ってプレステ、悪く言えばスーファミと変わらん。 この妙にドット職人芸っぽい2D絵といい、本当にPS2なのか。 この前見たGジェネNEOとの格差は一体なんなのだろう。 しかし、見栄えなど飾りにすぎんのであってそんなことを言っても仕方ない。 実際80万とか売れているしファンもかなり熱心だ。 元ネタを知っている人間ばかりがやっているとは到底思えないので 元ネタを知る知らないに関係なく楽しめるように作られているのだろう。 あれが元の作品へのインターフェイスになっているということも あるのかもしれない。

2003年3月28日

メガテン。ニヒロ機構中。LV30。 タルカジャとメディラマを持った女神サラスヴァティを作ってウハウハ状態。 今回は一回作ったら図鑑に登録しておいていつでも金で呼び出せるのでとても便利。

こうやってゲームやってると本当にヒマになったんだなあと思う。 積んであるものが片づいたら試しにゲームでも作ってみようか。 仕事で下端をやっていると一から自分の手で組み上げたい欲求に駆られる ことがある。仕事でそんなことをできる機会は当分訪れないのだから 趣味でやるしかあるまい。自前で描けるテクスチャとモデルで作れて かつうちの貧弱なマシンでも動くもの、となるとちと面倒ではあるが やってやれないことはない。もっとも一番の問題は特にこんなゲームが作りたい というイメージがあるわけではないということなのだが。

2003年3月27日

久しぶりにメガテン。コッパテングのタルカジャを使ってトールを倒したはいいが、 そのへんのザコが強くて到底先へ進めない。 しばらくザコ狩りをして力を溜める必要がある。 とにかく今回はauto戦闘で楽ちんにレベル上げをすることができない。 レベルが5も低いザコと戦っていてもけっこうな頻度でヒヤっとさせられる。

終わる、かも。ともかくも11時前に帰ってこれた。 それにしてもエンバグは恐ろしい。 触らなければバグは出ないのだが、触らなければバグは潰せない。 設計というか構造というか、そういうものがこういう局面で効いてくる。

2003年3月26日

1時半を過ぎているというのに何か悪いことをしているような感覚。

ユーシィというのがおもろいらしい。終わったらどうにかしよう。

終わり、気味。日が変わる前に帰ってこれた。 このまま何事もなければ良いのだが。

もしかしたら見ているかもしれない人に私信。 名簿を会社に置きっぱなしなので電話は明日します。 なお、土曜は昼間道場があるものの5時以降はヒマです。 仕事の方は日曜朝あたりに顔を出せばたぶん大丈夫でしょう。 久しぶりに電話を発掘したら留守電に二件も入っていました。ごめんなさい。

いいかげん携帯電話が必要な匂いがしてきた。ヒマな時に見てこよう。

おさそいありがとうございます。 是非見たいです。なんとなくなんとかなりそうな雰囲気なので そう遠くない未来にヒマになりそうな予感。 遅くとも3週間以内には全てが終わってすっきりした気分になれると思います。 はっきりしたらまた書きますね。

ベーマガ休刊。投稿していた人とか、記事を書いていた人とか、 愛読していた人とか、まあそういう人がうちの会社にはたくさんいるので ずいぶんと話が盛り上がっていた。 私自身は中学生くらいの時にちらほら見たことはあったがそれくらい。 当時の私はプログラミングなんてものには完全にこれっぽっちも縁のない 人間だったので無理もない。

2003年3月25日

終わるぞ。終わるはずだ。 とか言いつつ今日もいろいろ直していた。

世間はシスプリ2一色だが、そんな世間があるはずはない。WEBは感覚を狂わせる。

どんなにレアなバグであっても、そのレアな状況を任意に起こせるのであれば もはやレアとは呼べない。後にどこかで自分がやらかしたバグの 話をしているのを見てしまったりしたら絶対嫌な気分になるだろう。 そう考えると最後の瞬間まで戦い続けようという気にもなる。 しかしそれでもバグは出るものであって、 たぶんみんななにかしら「そのバグはオレのせいだ」 という罪の意識を背負って生きているに違いない。

2003年3月24日

会社でヴァイオリン。すこぶる調子がいい。重音がいつもよりきれいに鳴る。 3重音や4重音でも下の2音がきちんと響いて上の2音に重なってくれた。 ところで、はっきり言ってバッハの無伴奏は無茶だ。 4本しか絃がなく同時に鳴らせるのは2本までという絶対的制限がある にも関わらずそこら中に3重音や4重音が散りばめられており、 さらにそれらが独立したメロディを構成している。 普通3重音や4重音は複数の2重音や分散和音に分解することになるが、 それによってそれぞれのメロディをバラバラにするわけにはいかない。 そのため、同時に二本の絃を鳴らしつつも、 それぞれの音に違いをつけねばならないという あまりに無茶な要求が発生する。 曲そのものはシンプルなだけに難易度とのギャップが激しく、 そこがまたたまらないのである。

もうすぐだ。もうすぐ全てが終わる。そうすれば溜まったものを消化できるだろう。 私の仕事はあまりないが いつバグが見つかるかとビクビクしながらギャルゲーやメガテンに うつつを抜かすことはできない。 ところで、ヒマがなくなってみて思ったのだが、ノベルゲーをやるのは楽だ。 文章を読んでればいいだけだし、別に考えねばならないこともない。 メガテンは集中力がなければ即死だし、 しっぽのように中途半端にゲームになっているものは いかにギャルゲーと言えどもいくらかの気合いがいる。 ルールのあるものをやる時にはそのルールを把握するという作業が どうしても発生し、それが楽しみでもあるわけだが、 今の私のフヌケ具合ではその作業を耐えることができない。 能動的に何かをしなくてもいいゲームなんてノベルゲーくらいである。

なんで他人の作ったルールを血眼になって解析せねばならんのだ、 と思うとゲームができなくなる。ゲームの面倒くささはそこにあり、 誰だかが「映画はゲームと違ってプレイしなくていいという利点がある」 と言ったことの意味が今ではわかる気がする。 しかしそれでもやはりゲームとはルールのことである。 おもしろいゲームとはおもしろいルールのことだ。 ただ、そのルールが楽しく感じられるようになる前に そのルールに違和感を感じさせるわけには行かない。 ゲームを作っていれば当然作っているゲームに慣れるわけで、 慣れた後でおもしろいかどうかしか気にならなくなる。 しかし、慣れる前の状態というものは確かに存在していたのである。 作り手であるという絶対の強制力の助けを借りて 慣れるに至ったのだ、ということを忘れるわけには行かないだろう。

2003年3月23日

7時。明日からは普通に会社なので今日は日が変わる頃には帰るとしよう。 行くのはまた夕方になるだろうが。

2003年3月22日

また6時帰り。

これが説得力というものか。 久しぶりに人をすごいと思った。 尊敬というのがどんな感情だったかを思い出した気がする。 一人前の大人というものがどんなものなのかが少しだけわかった。

会社行かないでマブラヴ純夏。とてもよく出来てます。 いろいろと実に良く出来てます。マイナス感情はなし。 しかし、何をどう誉めていいのかよくわからない。 無理に変な誉め方をしなくてもちゃんとおもろいので言葉は無用だ。 絶賛しようにも「おもしろい」を連呼したところで絶賛っぽくはならないわけで むつかしいものである。 まあどうせ評判高いんだろうし無理をして言葉にせずともよかろう。 なお、無理をすればけなすこともできるが、 別に「また思い出しモノかよ」とか「大人どもクセエ」とか 言ってみたところでどうなるものでもあるまい。

そういえばうる星やつらってこんな感じだったなあと今思った。

それにしても恋愛がこんなに面倒くさいもんならいらんよなあ。 他人のとかフィクションとかで十分だ。 状況が外から来ない限りは一生何事も起こるまい。 だんだん憧れるのも面倒になってきた。

ところで、スタッフロールがえらく長いのだが、どういうことだろう。 これはもう何億の規模ではないのか。 確かに思い返してみれば素材の量が異常すぎる。 ハロワといいこれといい、 ギャルゲーにもコンシューマゲーと同様に物量の時代が来ているらしい。 同じ金を払うなら豪華な方を選ぶ、というコンシューマ的気風が 漂ってくると弱小は辛かろうに。

ところで、メガテン3は20万売れなかったらしい。ZOE2に至っては10万も売れなかった らしい。どちらもかなりの資源を投入して作られたものだろうから、 おそらく赤字だろう。そして、あれだけやって赤字だとしたら 一体何をどうすればいいのだろうか。私にはわからん。

2003年3月21日

6時半に帰ってきた。もちろん朝。 今日は休みなので昼まで寝られる。 その後もちろん仕事。 仕事の密度は低いが問題が発見された時にその場にいなくては どうにもならない。それにこういう時は自然と雑談モードになるもので、 職場の人と話をできるいい機会なのである。

シスプリ2が出たらしいのだが、買ってすらいない。 物理モードの脳にとっては眼中にもないようだ。 ところで、そのへんに積んであった漫画雑誌を何冊かめくってみたところ、 やけにかわいい絵の漫画がたくさんあることに気づいた。 そういう時代であるらしい。それはともかくガウガウわー太はやはり買いか。 さっぱり話がわからんがどうやら大変なことになっているっぽい。

しっぽCHU。2話まで。1話は相変わらずでいい。問題は2話だ。 一応萌えアニメにはなってるが、 無理にいい話路線というかなんというかに 持っていこうとして大変なことになっている。都合良すぎ。 わけわかんねえ。 確かに前作もそんなではあったかもしれんが こんなにひどかないだろう。 おまえら一体どうしたいんだ。 伊藤真澄がかかった瞬間に吹き出してしまうのは 私の心が汚れているからだけではあるまい。 ところで作画が悪い悪いと聞いていたが、 シスプリのアレに比べればまだまだだ。 内容のいいかげんさに比べればどうでもいいことだし、 要はデカく写った時にまともな顔をしていればそれでいいのである。 しかし確かに動画の質が落ちたので、動作に新鮮なかわいらしさを感じることが まるでなくなった。顔を上げるだけで何枚描いてるかわからないような 前作に比べれば淋しいことではある。

話がわけわかんない物になるために 製作者の頭がおかしい必要はない。 ちょっと時間がないだけで簡単にわけわかんないものになれる。 たぶんこれもそういうことに過ぎまい。 そう考えればsilenceなんて特筆するには値せん。

ところで、サルポイント上昇。カメポイント同じく上昇。 元から好きだったがな。 それにしてもウサギはなんでああもああなんだろう。 キャラとしてはいいのだが、 あのデザインは目のやり場に困るというかなんというか、つまり気に食わない。 しかし完全にバカサブキャラとして固定してしまったことを憐れには思う。

ありがとうまさひろ。空に顔的なイメージで感謝する。

2003年3月20日

5時に帰ってきました。もちろん朝。 このまま寝ると遅刻確定なのでフロ入ってメール見たらまたすぐ出ます。 なお、プログラマで一番早く帰ったのは私。

2003年3月19日

確かにいろいろと記憶を掘ってみれば今日は火曜日だったということも 理解できないことではない。 しかし、下の文章を見るまで月曜日のような気がしていた。 時間が恐ろしく希薄になっている。

書くことがないというよりは、書けることがない。

2003年3月18日

今日は月曜日だった。これで今週は7日間となる。

十分に腹が減るまで食べてはいけないのだと思った。

2003年3月17日

トール攻略のためにせねばならないことを考えて疲れたのでマブラブ。 まだたぶん序盤。ちゃんとおもろい。

それで終わらすのもなんなので今の時点の印象。 まずデカい。素材の量がハンパじゃない。 モーション指定(絵のスクロール、拡大、回転)の細かさもハンパじゃない。 こんなデカいものを良く作ったなと思う。 文章量も多そうだ。なるほど売り物っぽい。 作るのは相当大変だっただろうと思う。 しかし、それが時としてうっとうしく感じられるのは何故だろう。 効果音やら画面エフェクトやらBGMやらがいちいちタイミング良く 織り込まれていて腹が立つ。 そんなにわかりやすくせんでもネタでちゃんと笑うから黙ってろと言いたくなる。 しかし、そう思いながらもやってるうちに慣れてきてあまり 気にならなくなった。作り手のテンポに逆らわず 笑えというシグナルに合わせて笑うのもそう悪いものではない。 実際泣けというシグナルに合わせて泣くのは実に簡単なことであり、 笑うのも一緒といえば一緒だ。 パロディネタのやりすぎっぷりにも慣れてきた。 むしろ、あんなバカネタにもきちんとそれっぽい絵を描いて演出を載せてしまう その根性が良いとすら思える。そういうわけでいつものことだが だんだんおもしろいような気がしてきた。 某キャラの棒読みくささももはや気にならない。 けっこうゲラゲラ笑いながらやっている。

ところで凝っていると評判の演出だが、どうも絶賛する気にはなれない。 なんぼやっても静止画は静止画だし、平面の絵は平面の絵だ。 いくら動いても動いている静止画なのである。 大きさで距離を表現したりもしているが、 それも平面の絵が小さくなっただけにしか感じられない。 しかし似たようなことをはるかにショボい素材でやっている娘3のことを考えると、 センスの問題なのだろうという気はする。

ところで、とあるネタに激しく反応してしまった。 しかし、どうせなら実際に動くものを作ってほしかった気はする。

2003年3月16日

メガテン。イケブクロでトールに瞬殺された。 運悪く2体も電撃に弱い奴がいたせいだ。 このゲームの場合相手の攻撃を弱点とする奴が一人でもいれば事実上負け決定となる。 弱点を突くと攻撃回数が余計に増えるというシステムなので、 ダメージがデカいだけでは済まないのである。 ところで、ザコに全滅させられる一番の要因は 敵に先手を取られる率が異様に高いことだ。 5割というのは言いすぎだとしても、間違いなく2割以下ではない。 加えてバックアタックされるとさらに1ターン無防備な状態で殴られるため、 最悪2ターンの間サンドバッグになる。 敵が多ければまあ全滅だ。 防御力低下の魔法を使う奴が4体出てきて バックアタックで1ターン目にそれを連射されてヘロヘロになったところで、 2ターン目で殴ってきて死亡、なんてのは私の責任じゃないだろう。

FF-X2のデモをダラダラ見ていたが、 あれはあれでかわいいような気もしてきた。 表情のモーションキャプチャーまでしたそうで大したものではある。 顔中にセンサーをつけて歌ったり笑ったりするんだろうか。 しかしやっぱりメガテンのリリムの方がかわいいと思う。 金子絵ではあるのだが、微妙に個体差があってリリムは何故かかわいい。 いくら原画が金子でもモデリングしたデザイナー によって微妙な違いは出るだろう。

トールに負けた。3回目。強すぎ。 メガテンはレベルを上げてもどうにもならないゲームなのだということを いまさら思い出した。ボス専用の対策というものを立てなければ絶対に勝てない。

会社でバグをちょこっと直してヴァイオリン。 やっぱりドのシャープはレのフラットよりも高いのだ、 ということを体で実感できた。和音の響きが全然違う。 指もなんとなく動くようになってきたし、このまま行けば 中国の太鼓くらい弾けるようになるかもしれない。 ああいう技巧的な曲を弾けることに対して昔ほどの魅力は感じないのだが、 それでもそういう曲は一つの指標としてありがたい存在だ。

2003年3月15日

今日付け打ったら土曜って書いてあったんだが、間違いだろ。 間違いであるはずだ。

最近一週間が一日少なくなる原因がわかった。 土日はダラダラするので日記を書く。が、 月曜は会社なので日曜は日が変わる前に寝てしまう。 そして月曜会社に行って帰ってくると火曜になっているので日記は火曜として書く。 その次は水曜、次は木曜、次は金曜、となる。 つまり、一週間は土日、火、水、木、金の6日となる。 こんなに一日が希薄になっているのは最近の仕事内容があんまりだからだ。 バグバグー。しかしそれもあと数日で終わるはずである。

メガテン。ギンザまで。これ、かなりおもろいわ。 やっていることは昔のまんまな気もするが、 それでもおもろいものはおもろいし絵もなにやらすごい。 そして、やっぱり気を抜くとザコに殺される。

2003年3月14日

PS2ゲット。ただしピンク色。いまいち。

しっぽゲーをちらりと。すげー解像度低いー。 ゲーム機は本当に進化したのだなあと思う。 それにしてもミカの新デザインだけは慣れない。 ところで、ギャルゲーの分際でやけにゲーム臭さを醸し出しているあたりが何か違う。 そしてあまりに対象を限定した作り方に好感というか心意気を感じる。 しかしこう言ってはなんだが、これは平日の精神ではできんゲームだ。

一緒にメガテン3を衝動買い。 金子絵が動いてる。変。内容はまだなんとも。 この手のノリには慣れてしまったので、 それだけで万歳というわけにはもう行かないらしい。 しかしゲームでこれだけストーリーをきちんと見せようとしているのは さすがだと思う。

ブラウン管が必要かもしれん。残像が辛い。 だが、この狭い部屋のどこに置けると言うのか。 ともかく一回ヨドバシにでも行って眺めてこよう。

2003年3月13日

ソガさん 経由で バーチャル龍神村。 また冬が来た時にまだSNOWを覚えていて同志がいたら 行きたいなあ。やけに条件の厳しい希望。

考えてみればそういう口実のようなものがなければ 旅行に金を使おうなんて思わないのだから、 こういうのも悪くはない気もする。 思えばおねティを探す旅も何かを補充できてとても良かった。 元来私は田舎者なのでこんな都会にいるとだんだん何かが減ってくるのだ。

PS2を求めてWEBをさまよったが、ついに見つからなかった。 playstation.comとかいう直販サイトですらダメ。 コンビニに予約しに行ってみたりもしたがそれもダメ。 売る気あんのかソニー。 秋葉に通っていればいつか見つかるだろう。 それにこう忙しくては買ってもできん。

いっぺいの立てた 漫研アンテナ のおかげで巡回がとても楽になった。ありがとー。

2003年3月12日

帰りに野菜ジュースを買った。 自転車のハンドルにぶらさげて帰ってきたのだが、 降りた瞬間に自転車が倒れ、 野菜ジュースの紙パックが炸裂してしまった。

2003年3月11日

PS2は通販でも見つからない。近くの店に取り寄せてくれるよう頼みに行ったが、 断られた。売る気あんのかソニー。 いいだろう。これは仕事しろという啓示に違いない。

2003年3月9日

宴会。生郎。秋葉原。ガッカリ。仕事。

大人しく通販します。物を買う方法が店で手に取って買う以外にもあるということに そろそろ慣れるべきだ。

鼻からマヨネーズを飲む夢を見た。

2003年3月8日

5時過ぎちまったよ。バグバグー。 こりゃたぶん4月になるまではしっぽには触れんな。 SNOWは恐ろしく絶妙な時期にはさまったことになる。

もうそんな年か。考えたらこの年でうちの母親はオレを産んでいる。 じいさんばあさんにひまごを見せてやりたいのはやまやまだが、 相手がおらんことには仕方ない。最近子供ができた先輩は 子供の話をする時えらく楽しそうで、ちょっとうらやましかったりする。 「子供なんてすぐデカくなってかわいくなくなっちゃうんですよ」 とか言ったら「いやいや、子供は生まれて3年で一生分の親孝行をしているんだよ」 などと言い返される始末だ。そんなにかわいいか。かわいいんだろうなあ。 昔清水が「ちゃんとした職についてちゃんとした家庭を持ちたい」とか言っていたが、 なんとなくその気持ちがわかる気がする。 カタギの職業できちんと社会に貢献して子孫も残す、 というのはけっこうかっこいいことだ。 つまり今の私は全然ダメである。

とかいってる私がSNOWの影響下にあることは言うまでもない。 ますますカス人間だ。 ところでSNOWのシナリオ書いた人は子育てしたことあるのかなあ。 母親の母親っぽさとか、子供の子供っぽさとか、えらく真に迫るものがあった。 そういや父親の父親っぽさって滅多に見ないな。 この手のものでは 父親が欠けた家族はしょっちゅう見るが、母親が欠けた家族はあまり見ない。 そりゃこの手のものなので当たり前だが。

小夜里さんは土の匂いがするおかあさんキャラで、 もうおかあさんにしか見えない。あんた漬物とか漬けてるだろ絶対。 なお、私のじいさんちは雑貨屋で、だいたいあんな感じの店だ。 えらいリアリティを感じてしまうのはたぶんそのせいだろう。 奥からじゃがいもの詰まった箱をうんしょと運んでくる絵が鮮明に浮かぶ。

2003年3月7日

2時半。眠いー。疲れたー。

また知らないうちに金曜になっていやがる。

結局結ばれるのは澄乃っちなわけで、 芽衣子シナリオがないのもまあ仕方ないかと思ったりもする。 旭はああだし、しぐれはかなり反則気味な手を使って他の奴等を 除いた末のことである。そういうわけでヒロインは澄乃っち。 しかし、芽衣子様大活躍のおまけシナリオでも書いてくれんかなあとは思う。

なんてこった。しっぽ始まってるじゃん。 だが衛星を受信する手配をする間もなくこんな日々。 しかし今は耐えるしかない。 生まれて初めて就職して金をもらって働いてしかもそれで物を作って さらにそれがゲームでそのへんで売られるのである。 そんな大イベントのクライマックスとも言えるこの時期に 他のことをしていられるはずもない。 なんの罵られようとも、私はまず働く。

スターオーシャン3のフリーズバグ騒ぎはソニーのライブラリの バグのせいだという。 他のゲームでも似たような話を聞くので、 おそらくある期間に出たゲームは全部ダメなのだろう。 たまたま売れたものが目立っているというだけの話に違いない。 バグの責任は重大だ。気をつけよう。

パイプラインを深くすることで性能を上げたが 分岐が入ったり割りこまれたりするとパー、 というのはCPUの話なのだが、なんか他人事とは思えない。

条件転送命令の使い方がひらめいた。なるほど分岐が消せる。

2003年3月5日

ぜんぜん早くない。こんな時期だ。仕方なかろう。 次から次へといまさらな問題が噴出してくる。

不穏な話を聞いてしまった。4月になってもヒマにならないかもしれない。

サイバーフォースという組織は現に警察の中にあるようだ。 名前をつけた奴はえらい。

2003年3月4日

弟もSNOW。ほぼ私と同じ症状。

「なんで最後の"ッ"だけカタカナなの?」 という質問に答えるにはかなりの労力がいる。

早く帰れるといいなあ。大物が積んである。

2003年3月3日

ゲーム作るのに忙しくてゲームやってるヒマなんてない。 やるのみならず、考えることすらできない。 日常にフィクションが入り込んでくる余地は全くと言っていいほどない。 健康な生活というのはたぶんそういうものだ。

話題のネギまを会社で読んだ。パンツ消した、のあたりで 改めて恐れ入った。すごいよ。たぶんもう読まないと思うが。 そういえばラブひなの最終巻も読んでない。

SNOWの感想をちらっと検索してみた。 そして私はバカにされる人種なんだということを再認識した。 SNOWに限った話ではなく、この手のものは エロかネタを基本に置いた価値観で見なければまともとはされないものらしい。 確かにそれはもっともなことなのだろう。 素晴らしい物語として広く認知されているものなど 他にいくらでもあるのだから。 そして、「そんなものをおもしろがるなんておめでたいね」 と言われるのは「このおもしろさがわからんのか」と言われるより はるかに屈辱的なことである。 だがそんなことは知らん。

2003年3月2日

SNOW、しぐれ。Snowがつまらんとか言った奴、ここに座れ。 むっちゃおもろいじゃねえか。 こういう趣向で来るとは全然予想だにしなかった。 加えてこいつのこの萌えキャラっぷりと言ったらもう。 ever17の時と同じくらい楽しい。 そう、楽しいのだ。Airとはそこが一番違う。 もう脳内でAirとSnowをつなぐものは「パクリ」と書かれた 細い糸一本になった。そのパクリという言葉すら単なる称号にすぎず、 もはやパクリだとは微塵も思っていない。

桜花編途中。そう来るか。完璧だ。つぐみさんがそうなった 直後で肉体的事情により中断したのだが、 これから先には幸せ以外のものは待っていまいと確信できるほどの幸せさ。 澄乃っちの時は、「さあこれから不幸にするんだろ。来るなら来てみろや」 と半ばやさぐれながら幸せに浸っていたものだが、 今度はそんな予感が全くない。これで閉じるのだ。 きっとこの物語は幸せに閉じる。そうであるはずだ。 そして願わくばしぐれやあさひ、そして芽衣子様もその中に。頼む。

しぐれ編はあの手のものには珍しい選択を提示してみせた。 しかし、それが全くの正解だというふうには描かれなかった。 かといって、伝統的な選択が全くの正解であるというわけでもない。 人間のスケールの物語だと思うのはそういうことだ。

SNOWおもしろいよーとか言って人に勧めてまわると 絶対バカにされるに決まっているのでしない。 生身ではSNOWの話なんてするものか。 D.C.もみんな「ただの萌えじゃん」とか言って認めてくれないし、 ハロワなんかやってる奴自体少ないし。 どうやら私の趣味はマイナーらしい。 君望とか誉めたら多数派でいいんだろうけど、正直あれは好かん。 心地良くない。

ダメ人間に共感して悦に浸るのは良くないと思うのだ。 確かにうちらは自分がダメであることを知らなければならないとは 思うのだが、それはそれを克服するために越さねばならない 段階の一つであって目標地点ではない。

SNOW完。タイトル画面に春が来た。やっぱりそのままでは終わらなかったが、 そんなことはわかっていたことだ。そして、そのままでは終わらなかったが、 最高の終わり方だった。 しぐれもあれを見て癒されているだろうと思う。思え。 これだけファンタジーな話なのにこんなに地に足がついているなんて、 今まで見たことがない。 桜花の本当の両親は誰なのか、そんなことは確かに知る術もないことだ。 しかしそれでも、おかえりなさいはおかえりなさいなのである。

今アニ同のギャルゲーレビュー本の原稿を出すとしたら私は10点つけます。 いい話上等。泣けオーラ全開で悪いか。ありがとう。 おなかいっぱい気分で、 秋葉原まで行くのが億劫だ。なんか後でいい気がしてきた。

澄乃っちのそれなCGをまるで見てないので達成率は低いようだが、いらん。 一回間違って選んだ時にはそのあんまりなオヤジっぷりに あわてて時間を巻き戻した。しかし今にして思えば そういうところもやっぱり彼方さんであるような気もする。 改めて集めて回る気にはならないが。 なお、桜花にそれ絵はない。どうも最初はあったらしいのだが、 おそらく自粛したのだろう。サイトに「わかってくれよ」と書いてあった。 旭の段階ですでに十分ヤバいと思うが、 しかし確かに桜花となると冗談やお約束では済まされないものがある。 これで良かったのだ。あのストーリーをそんなものでブチ壊されたら 私は切れていただろう。

いろんな台詞が脳に刺さってる。「俺は彼方だぞ」とか、「腰はこう!」とか。 後者はちと意味が違うが。

この礼儀正しくて気配りがよくて善良で精一杯な空気。 どこかで見たような気がしていたが、ソガさんとこを読んでわかった。 なるほどとらハっぽい。

恥というよりは恐怖だと思う。 もしそれによって溜まっていくだけのものが私にあるなら、 それは何か別の形で発散されるのだろう。

そういうわけで出掛けることにする。

秋葉原をうろついたが見つからず、 そのうちに頭痛がひどくなってきたので探すのを中断して戻ってきた。 秋葉原は身体に良くない。

そういえばSNOWは終わってしまった。今日は暖かかった。

SNOWのエンディング曲はなんかパッとしない。残念。 序盤のあたりが なんか無理にこねくりまわしたようで気に食わない。 前奏とかすごくいいのに。9度の和音が刺さる。 でも音楽が刺さることでAirに並ぶものはまだない。 鳥の詩と夏影のコンボにはそうそう勝てんだろう。

2003年3月1日

とても高価な落とし物。 あんなものに頼ったのが間違いだったのか。 だが使わなければ会社の思うツボだ。 ともかく今日はヤケ食いのあげくSNOWで癒すことにする。

SNOW澄乃の途中。たぶん一番幸せで、つまり話的には一番つまらないところ。 だが、ここから先へは行きたくない。 絶対嫌なことが起こるに決まっている。 そう思えるくらい幸せだ。 私はこんな形の幸せには絶対に耐えられないということを 知っているので、なおさらに眩しく映る。

それにしてもなんでこいつらこんな狂った状況で こんなに前向きなんだろう。 なぜ「負けだ」の一言でそんな狂った状況を受け入れて、 さらにそれで本当に幸せになってしまえるのだ貴様は。 一生を左右するような類のことをえらくあっさりと決めてしまう。 出来が悪いと言って片づけるのは簡単だし実際そんな気もしないでもないのだが、 とりあえず幸せなので文句はない。

SNOWがAIRのパクリなのは間違いないが、 パクリなのは表面上だけのことで、中身はまるで違う。 キャラや話のネタ、構成に音楽までパクリにもかかわらず 中身が違うと言ってもたぶん一般には通用しないのだろうが、 違うと言ったら違う。 なにしろAIRは変である。しかしSNOWは変ではない。これだけで十分な違いだろう。 何がどう変でないかと言われるとむつかしいのだが、 とりあえず澄乃は観鈴と違って見ていても不安にならない。 端的に言えば、澄乃は萌えキャラという生物だが、観鈴はそうではない。 AIRのすごさはあの見ていて不安になるところにあって そのせいでこれだけ印象に残っているわけだが、 別に印象に残らんでもいいから幸せな時間をくれ、と言いたいこともある。

ルートが決定すると それ以外のキャラに関して今後出てこないことがはっきりと示される。 「おまえは切り捨てたんだ」と言わんばかりだ。旭、すまん。

「私は今幸せだ」と思うということが想像できない。 しかし、「私は今幸せだ」と人に向かって言うことは想像できる。 澄乃っちのはたぶんそれだ。 状態の説明ではなく、むしろ意思の表明なのだろう。 本当に幸せであるかという疑問はここでは無用のものだ。 さて、WEB日記に書かれる「このゲームはおもしろかった」という言葉にも これと同じことが言えるだろうか。 言えそうな気もするし、違う気もする。

澄乃っちに「今幸せだよ」と言われることを想像するとむしろ恐い。 その言葉は一歩間違えば人間を縛る呪いとしても機能する。 澄乃っちの恐ろしいところは、自分の行動や言葉がそのような意味での 呪いになりかねないことを自覚しているところだ。 彼方君が受け入れてくれて本当に良かったと思う。 私には「断わるなんてかわいそうだから受け入れてやれよ」などとはとても言えない。 君望の序盤で断るのも悪いしとか思いながら主人公が遥の告白を受け入れる シーンを思い出すだに本当にそう思う。

これ以上寝られないくらい寝たので、さあ秋葉原でも行ってみるかあ と思って外に出ると、雨。

SNOW再開。澄乃とりあえず終わり。しかし明らかに終わってない。 そしてタイトル画面に夏が来た。 まさにAIRのパクリである。しかし、もうAIRのパクリというのは 単なる呼称にすぎず、私には全くもって別物にしか見えない。

こんなにビクビクしながら読んだのは久しぶりだ。 奇跡が起こってからも音楽が途絶える度にまた あの奈落に叩き込まれるのではないかとビクビクしていた。 無意識にうちに音楽を識別信号として扱っている自分がいる。

「私今幸せだよ」という言葉がまさに呪いと化している。 奇跡が起こった後ではそれを支えと呼ぶことができるが、 起こらなかったなら果たしてそう呼ぶことができただろうか。

今になって家族計画の司君の心情がなんとなくわかってきた。 しかし同時にそういうものにああも元気に反発してるうちはまだ大丈夫だ なと思ってしまう。普通はもっと静かに避けるものだ。 厄介事は嫌だな、などと感じたことに気付く間もなく 厄介事を避けるスキルを持つに至る。 自分で避けたことも覚えてはおらず、よって罪悪感が疼くこともない。

落とした封筒が届いていますという警察からの葉書。 これが生かされているという実感か。社会ありがとう。システム万歳。 会社の福利厚生制度で物を25000円分タダで買えるというものがあるのだが、 買った後でその領収書をどこぞに郵送するとその分給料に上乗せされる というしくみ。 で、その領収書の入った封筒を会社に行く時に落としたのである。 なお何を買ったかと言うと、鮭8kgとししゃも100匹とみかん5kg。 特定のカタログ内のものしか買えないので、 だったら宴会に使ってしまえということになったのだ。 一応宿泊とかにも使えるのだが、旅行なんてするはずがない。

Snow、Legend。娘かよ。加えて妹かよ。 それはともかくとしてSnowはおもしろいと思います。 LegendはAirのSummer編と違ってちゃんとつながっていていい。 Snowは全体に話がきちんとつながっていて、 説明が足りないところがない。人間のスケールを超えない。 だから不安にならない。悲しいシーンでも安心して悲しめる。 それはすごくないということでもあるのだが、悪いことではない。

芽衣子様が一番萌えなのは仕方ないことだった。 そういえば、旭が戻るところの描写がなんか違和感があったのだが、 それは視点が主人公か旭かの違いということで納得しておく。


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