日記

2003年2月27日

ちょっと修羅場っぽくなってきた。 休み取るなんて夢また夢。 4月くらいまでヒマにはならない気がする。

もう今日だよ。しかし買いに行くのは土曜か。 安心して買いに行けるように明日はがんばって仕事をしよう。

絵にしか計算資源を使ってないのはもったいない。 しかしそうは思いつつも、この今の機械の計算力を何に使ったら おもしろいのかはさっぱりわからない。 ピクミンが100匹出た段階で、もうそれが1000匹になっても大差ないだろう。 数の問題ではないとすれば、一体何の問題にすればいいのだろうか。

何故か9時に帰ってきた。おかしい。

2003年2月26日

危なく読んではならない文章を読んでしまうところだった。 痴…。そういうわけでSNOW完了まで外界の情報はシャットアウト。 なお、私も平気でネタバレ文章を書くので注意してください。

2003年2月25日

バグを叩いてはバグを叩く。これからしばらくはこんな日々が続くだろう。

量が少ないこと以上の美徳はないという確信が日に日に強まってくる。 多いといろいろダメだ。

イングウェイのI'll Never Forgetがかっちょいい。

ついにPS2を買う時が来た。いわゆる年貢の納め時だ。 他に手がないとすれば仕方あるまい。

信じられない話。 会社で笑いころげていた。本当なら笑い事ではないと言うべきなのだろうが、 あまりに次元が違いすぎて到底身近なこととは思えない。

気分がのらないので10時に帰ってきた。さてSNOWだ、と言いたいところだが、 目が痛い。早起きしてSNOW、というのが賢かろう。

最近巷の評価が微妙なものばかりやって、しかもけっこう誉めている。 こいつ結局なんでもいいんちゃうか、と自分でも思うくらいなのだから、 他人は余計にそう思っていることだろう。

見ているかわからないがT氏へ。 一週間くらいで8kg(102匹)の魚とみかん5kgが行くので、 よろしくおねがいします。

2003年2月24日

土日はいつも頭がフンづまり状態になる。 しかし、これは偽りの便意なのであって、出さないままにしておいても 月曜に会社に行けば消える。 仮に文章にして出しても次の週にはまた溜まっているのだから まったくもって無駄だ。 しかし、二度同じものを出すことはできないとするならば、 そうやって出し続けていけばどんどん違うものが出てくることになるわけで、 その末にどんなものが出てくるのは興味あることではある。 ただ、こういう時に出したものはえてして匂いがきついのだ。

アニ同の追いコンは気づかぬうちに過ぎ、 漫研の追いコンの日には予定を入れてしまい、 ああこうやってOBは忘れられていくのだなと思った。

SNOWはおもしろいと思うのだが、ダメか。 パクリであること以外はかなり良く出来ていると思うのだが。 ガキのお守りゲーとしてとても気持ちいい。

2003年2月23日

道場の後秋葉原に寄ってアソビットシティの地下を眺めて回ったが、 何かが耐え切れなくなって帰ってきた。 勢いに乗ったらPS2やら評判のゲームやらを買いこんでこようかと思ったのだが、 やっぱりダメだ。買ったのはCVSの本一冊だけ。

そのまま帰るのもなんなので仕事。

日記の管理はCVSでやればいいのではなかろうか。 前みたいにアホウなマネをする危険はずいぶんと減る。

バッハのシャコンヌをとりあえず楽譜を見ながら最後まで辿れた。 それはもう無惨なもので到底弾けると言えるようなレベルではないが、 ともかくも辿れた。丁寧に一箇所づつさらってゆけば いずれ以前のレベルにまで到達できるだろう。 昔と違って私は私の意思で音楽をしているのだ。 ここ数年でこんなに丁寧に練習したことはなかったかもしれない。

ArchenemyのSnow Bound。なんでこんな妙にいい感じな曲が混ざってるんだろう。渋い。

常識的な事柄の中にもそれが真であると実感できないことがいくつかある。 人間の半分が女である、ということなどはその最たるものだ。信じられん。 知識に感覚が追いつかない。

KANONのフィギュアは5人揃っていた。舞のが欲しくなった。 とりあえず対抗してしっぽのアユミを自分のPCの上に置いてきた。 他の奴等は安定して立たないので台がいるのだ。 仕事中にふと目に入る度になんとも言えない気分になる。ダメすぎだ。

ショックだ。私はたぶん物の善し悪しについて語る資格などないのだ。 だって、地雷であるはずのsnowがこんなにまともに見えてる。 自分の価値基準が全く信用できなくなった。

というわけで、SNOW、あさひ。パクリというのはこのようなものであったのか、 とむしろ感動してしまうほどの徹底的なパクリっぷり。 KANONとAIRの要素を見事に盛りこんで再配置したこの 気合いには脱帽するしかない。 これはそもそも企画のコンセプトからしてパクリなのだろう。 企画会議はきっと「今回は、パクリで行こうと思う」 という言葉から始まったのに違いない。 全てがパクリの名のもとに統制されているというのは、 いかにパクリと言えど見事と言っていいと思う。 絵柄、音楽、シナリオ、キャラ。全てがパクリっぽくする力になっている。 手を抜いていない。 演出などは元より凝っているのではないかと思うほどだし、質も高い。 視線の高さを感じさせたり、おんぶしたりだっこしたりと、 なかなか多彩だ。 背景のクオリティもAIR並みである。 また、効果音の質の高さがまた素晴らしい。 雪を踏む音に感動してしまった。 そして最も衝撃的なのはやはりキャラだ。 どいつもこいつも実によく混ざっている。 今回のはみちるをベースに設定及びシナリオの大筋を真琴にし、 ルックスにあゆを導入して、スパイスにみさきを加えたという 素晴らしすぎるキャラだった。実によく原典を研究している。 絵柄まで似ているというのが素晴らしい。 澄乃が笑った顔なんて長森そっくりだ。 というか、あいつ長森だ。名雪よりそっちの方が近い。

で、そういう部分についてはもうネタなのでいいのだが、 なんかすげえいい話に思えてる自分が嫌だ。 主人公の心変わりの速さとか、すごい勢いで過去を思い出していく様とか、 あっという間に諦める澄乃とか、それはもうシナリオのいいかげんさが たまらないのは確かだが、結局私は 演出さえよけりゃいいんだということだろう。 あるいは、なんかだんだんダメになっていくのをどうにもできずに見守る というストーリーに萌えるという性質が私に備わっているということかもしれない。 ああ嫌だ。最後までゲラゲラ笑いながらやるつもりだったのだが。

なお、KANON及びAIRのキャラの属性はほぼ確認した。 縦軸にSNOW、横軸にKANON,AIRのキャラを取って、 SNOWキャラがKANON,AIRキャラそれぞれのどれくらいの寄与で出来上がっているか というマトリクスを作れそうな勢いである。

そういえばどうでもいいことだがプログラムはまともっぽい。 セーブデータのサムネイルがやけに重いということくらいしか難点はないだろう。 ファイル数が大変なことになっているのもインストールが終わってしまえば どうでもいいことなので気にしない。

ZOEの雪とSNOWの雪には技術的に天地の開きがあるが、 与える効果に大差はない。そんなもんなんだな。中身に影響しない 演出なんてのは。

今日やっとヴァイオリンが機嫌を直してくれた。鳴る。 これは本当のことなのだが、ヴァイオリンは乱暴にするとグレるし、 放っておくとすねて音を出さなくなる。愛してやらなければ決して応えない。 それをやっと知った。そのことをずっと覚えていられればいいのだが。

日記をCVSに入れてみた。なんだ簡単じゃないか。 サバ上げスクリプトにコミットを足しておいた。 ところで、日記の総容量が3メガを超えている。 しかしハロワのシナリオはその何倍もあるわけだ。恐ろしい。

あー、変更する前のバージョンが全部取り出せるよ。すげー。 後悔して消しても残るわけだ。消す前の奴が。すげー。

2003年2月22日

案外はかどらなかった。

このサイトがすでに知られている可能性が高い。 考えすぎかもしれないが、そんな情報を生身で提供したことはないはずだ。 確かに名前で検索すれば一発で出てくるような状態なわけで、 知り合った人間の名前はとりあえず検索エンジンに入れてみる、 などという習慣を持つ人間であればあっと言う間に見つけてしまうだろう。 それがそれほど稀な習慣ではないということをこの前知った。

ところで、2月末くらいに休みを取れるかなあなどと 言っていた気がするが、無理。絶対無理。 今になって作業が噴出してきた。 そして昨日今日とダラダラしたおかげで まだやり残していることが大量にあることに気づいた。 まだ終われない。 一応3月はに余っている休みを全て消化するつもりだが、 そのうちの一日として会社に行かない日はないだろう。

今日はchildren of bodom。メロディがわかりやすくかっこ良くて、 そこにデス声が乗ってて気持ちいい。さほど迫力は感じないが、 とにかく聞きやすい。

イカスミのソースを買ってきてかけて食ったらとんでもなくマズかった。 「これ以上食ったらおまえは吐く」という肉体のサインを受けて 残った3割ほどを拝みながら捨てた。ゴミ袋に緑がかった黒い液体が透けて 見えて、捨ててなお落ちつかない。 そういうヤバそうなものはきちんとした店で食わないとダメなのだろう。 やはりトマトが一番当たり外れが少ない。とりあえずトマトだ

スパゲティは調理が手軽で安い優秀な食いものである。 安いことはけっこうどうでも良くなったが、 それでも手軽なのは強い。タレさえ変えれば別のものになるし、 野菜とも合わせやすく単調になりにくい。そばではこうは行くまい。 本当はメシを炊きたいのだが、台所が共用なのであまり無茶はできないし、 なにより時間と気力がない。

2003年2月21日

下端プログラマからクリエイターへ進化せねばならない今日このごろ。 今日は一日かなりダラダラしていてロクに仕事をしていないのだが、 その甲斐あってやりたいことがいろいろと定まってきた。 明日は楽しい日になりそうだ。

思いついたら口に出す前に形にしてしまうべきである。 形にならないアイディアは消える運命にあるのだ。 既成事実を作ってしまえ。 もちろん作ってもボツになることはなんぼでもあるが、 作らないものは100%ボツなのだからそれよりはマシである。

メガテン3が出た。昼休みに見ていたのだが、なんかおもろそう。 金子絵がポリゴンで動いてる。ポーズも陰影も金子。 顔がかなり恐い。ちょっとやりたい。

たぶん、メガテンNINEはなかったことになるのだろうな。

毎日十数時間もやっていればたいがいのことはできるようになるわけだ。 それくらい漫画に取り組んでいたらきっとうまくなっていたのだろうが、 つまるところそれができなかったということが全てを物語っている。 プログラミングならできても漫画ではできなかったわけだ。 それが向き不向きということだろう。

とかなんとか言っておいてなんだが、漫画描きてえ。 しかしこの気持ちは言うならば「漫画を描くという行為がしたい」 という気持ちであって、明確に「こんなのを描きたい」 というものがあるわけではない。そしてそんなものは形にならないアイディアと 同じく無力なものだ。放っておいたら永久に描かないということが わかっているだけに余計に気になる。

2003年2月20日

理論には適用範囲とか前提とかいうものがある。 それを無視して確率論の話をしてどうするのだろう。

今日はemperorを重点的に聞いていた。 弾け方が凄まじい。そして局地的にすごくかっこいいメロディが入る。 歌声も基本的にデス声だが局地的にきれいだ。 ただ曲の中で何回となくノリが変わるのでなんだかよくわからない。 曲の構成がどうとかいう次元を超越している。 そんなこんなでthe eruptionという曲がえらいかっこいい。 the tongue of fireもいい。 というか、どの曲もいい。

あと一週間。しかし。

2003年2月19日

KANONをやっていない人があゆ、舞、栞の3人のフィギュアを並べて 仕事場に飾っておく可能性はどれくらいあるでしょうか。 私は天文学的に低い数値だと思います。 かくなる上は私も答えねばならないでしょう。

急に気が向いたので日が変わっているにもかかわらず料理。 ほうれんそうと豚肉をカルピスバター、醤油、オイスターソースで 炒めて水溶き片栗粉で仕上げる。少々オイスターソースを入れすぎて どうなることかと思ったが、思いの他おいしい。 このバターを使うとなんでもおいしくなる。香りが良く味に深みが出る。 イトーヨーカドーの系列で扱っているそうです。 川崎のイトーヨーカドーで買いました。

今日もメタル仕事。たくさん仕事した。 それにしてもそろそろ消滅する有休やら振替休日やらがたくさん出てくる。 3月末で根こそぎ消滅だ。 どうにかして消化せねばなるまい。夏休みすら残っているのである。 運が良ければ2月末に取って遊びに行けるが、 それが無理なら休日にしておきつつ出勤するというかなりバカげた事態になる。 遅刻しても給料を引かれない、という以外に何もいいことがない。

やっぱりメロディがわかりやすい奴ほど記憶に残りやすいらしい。

このA touch of Evilという曲、どこかで聞いたことがある。 こっちのAll guns blazingという曲も聞いたことあるぞ。 もしかしてこのjudas priestというバンドはものすごく有名なのではなかろうか。 パクられまくっているか、あるいはこの曲そのものがそこらへんで かかるくらい有名なのか。

いまだに朝ボーッとしていると「うー学校行くにょー」 とか言ってる。会社だっちゅうねん。しかしあんまり変わらん。

2003年2月18日

昨日のは言いすぎでした。 しかし、せっかくいいものなのだから、 できるだけけなされる要素は減らしてほしい、 というのは本心です。だって、人に勧めにくくなるではないですか。 シナリオの不整合とか、プログラムのバグなんていう 内容に関係ない要素のために好きな作品の 評価が下がるのは悲しいことだと思います。

メタルはいい。しかし今日はかなりブルー気味だったので 聞いていられなかった。 気分が良くないとあらゆる音がわずらわしくなる。 明日は楽しく仕事ができますように。

2003年2月16日

アホ達のバレンタインの集いとか称するものに行ってきた。 といっても、金曜の日が変わった頃にTの家に行って 今の今までダラダラしていただけ。 メインの宴会はとっくに終わっていたのでアホが作ったという チョコも食えず。野郎の作ったチョコなんてカスも同然だが、 奴は味に関して不審なまでに自信満々だったので多少残念ではある。 それにしても博識な人というのはいるものだ。 えんえんそこにいたとある人の話を聞いていた。 おもしろい。あれだけいろんなことに興味を持つというのは 並大抵のエネルギーではないように思う。

フッサールを読みながら帰ってきたが、繰り返し読んでいると それなりにはわかってくる。 だが、あの長さを読み通すためには外部記録が絶対に必要だ。

昼間ダラダラしながらそのへんにあったポテトチップス系の菓子を 食っていたら、突然舌の裏側に鋭い痛みが走った。 さわってみるとなにやらふくらんでいて痛い。 口の内側がふくらんでいる時はプチュッとつぶすと 痛くなくなるのが常なので今回も同じようにブチュッとつぶしたのだが、 いつもより多く血が出た上に痛みが余計にひどくなった。 まだ痛い。これは口内炎なのだろうか。口内炎なのだろう。 それにしても、ポテトチップスを食べることがどのようにあの痛みに つながったのかが謎だ。 そもそも本当にその時点でふくらんで痛みを出すようになったのか。 急にけっこうな痛みが生じたので、じわじわ痛みが強くなってきていたのだが たまたまそこで気づいた、というわけではない。ポテトチップスが 何らかの役割を果たしたのか、あるいは偶然なのか。人体は不思議だ。 仮にガンが克服されてもこういう些細なことはずっと わからないままなのだろうと思うとそれもまた不思議なものである。

哲学をする者なら一回はあらゆる前提をかなぐり捨てて考えねばならない、 というような感じのことをフッサールが言っている。 絶対的に確かな前提を何か発見してそこから全てを始めることによって あらゆる学を哲学という一つの学の部分として捉える、 というのはデカルトも言ったことだが、 フッサールはそれが可能であるかどうか、そしてさらには それが理想としてもっともであるかどうかということすら疑ってかかれと言う。 さてそれは大した心掛けだが、そのような境地では考察を進めるにあたって 無意識に前提にされざるを得ない論理学的手続きすら正しいと認められない。 正しいとか間違っているとか推論とか言語とか思考とか、 まあありとあらゆるものが何なのかわからなくなる。 そこからどうやって進むつもりなのか。

フッサールとか見て恐れおののいている時に 哲学的という言葉を見れば「おお、哲学なのか」と思うのも無理あるまい。 しかし、実際のところ哲学的という言葉はずいぶんと安い言葉で、 まるで哲学でないものにも平気でつけられる。 「悪の美学」や「悪のポリシー」と「悪の哲学」は たぶんほとんど同レベルの意味だ。それくらい哲学というのは一般には ハッタリのネタだということである。私も哲学と聞くと「おお、哲学!」 と思ってしまうのでまるで笑えないのだが。

昨日同期の女の人にチョコをもらった。 状況が把握できなくてひとしきり混乱した後バレンタインということに気づいて 「うわ、生まれて初めて同世代の人にチョコをもらった!」 などと感動したのだが、たぶん同じ感動をいままでに3回くらいはしていると思う。 チョコなんてもらってもそれに特別な意味があった試しなどないので もらってもすぐ忘れてしまうのである。

いや、3回はありえんか。小学校、中学校、高校はありえなくて、 大学も最初の4年はありえなくて、そうすると研究室しかない。 研究室には2年いたが、考えてみれば同年代の女の人でチョコを渡すような 属性の奴は一人もいなかったので、たぶんあれは共同研究で企業から来てた人とか そんなだろう。それも共用の机の上に箱ごと置いてあって みんながつまむだけという土産物と変わらない扱いだった気がする。 同年代で、かつ手渡されたとなると本当に今回が初めてかもしれない。

しかし、何故かそのチョコを食った後に猛烈な腹痛に襲われて 電車の中でかなり辛かった。別にチョコのせいではあるまいが。

昨日電車に乗ってる時に知らないじいさんが「このへんには昔泪橋って橋があって…」 とかいう話をしていた。あしたのジョーファンなのかどうかは知らないが、 あの物語の舞台がそんな近くだったとは知らなかった。 京急で立会川あたりを通った時のことだったと思う。 そういえばあれは東京なのだ。 ジョーに描かれていた東京の姿も、ズバットで写っていた東京の姿も、 私の知らない東京である。そして、私がガキの頃住んでいた札幌の琴似あたりの 風景はおそらく今はそのようなフィクションになっているのだろう。 しばらく経てば京都もそうなる。 去年学園祭に行った時には校舎が立て替えられていて、すでにそれは始まっていた。

ニャから大量にCDを借りた。今聞いてるのはjudas priestという奴。

「君は幸せだ」と特定の人に言ってもらうことが幸せの条件である、 という事態はたぶんありふれている。 そして、「僕は幸せだ」と特定の人に言ってうなづいてもらうことが 幸せの条件である、という事態もたぶんありふれている。 幸せと名前のついた概念は人との関係なしに意味を持つものなのだろうか。 そしてまた、幸せという言葉と幸せと呼ばれる状態の間には どういう関係があるのだろうか。

わかるかそんなこと。仕事行こ。 フッサールはおもしろすぎていかん。

会社中止。雨。脳内でできることだけ今日家でやっといて 明日とっとと片づけよう。じゃあモエかん。

鈴希。いい話なんて簡単ですよと言わんばかりだ。 あれだけ見事に盛り上げておいてブチ壊し。 そこで注入かよ。いい話のレベルが高いだけに悪質だ。 あんた本当にひどい人ですな。 そして例によってブチ壊し度の高いアフターストーリー。 それにしても今回の過去の発生っぷりもなかなかのものだった。 凄まじい勢いで過去が形成されていく。 これが御都合主義でないとしたらこの世界の御都合主義など存在しないだろう。 感動しろと言う方が無茶だし、作り手もそんなことは望んではいまい。

なお、リニアの鬼畜シナリオが残っているようだが、 さすがにいたたまれないので保留。

全般に出来が悪いのかわざとなのかの判定がつきにくい。 たぶん混ざっている。 茶を飲んでないのはまさかわざとではあるまい。ありゃ不備だ。 何も起こらない選択肢が多すぎることやら接続の不備やら、 まあ練り込みやデバグが不足しているのは明らかだ。 時間もなかったのだろう。 しかしシナリオによってキャラの設定がまるで違っているのは たぶんわざとだ。ネタとしか思えん。 二重影を作った人間が書いたと言われれば 全身全霊で何かをバカにしていると考えるのが妥当だ。 むしろ、そうであるべきだ。 そうでなかったら悲しすぎる。 ともかくモエかんは終わり。なんて微妙なゲーム。

ねこねこマシン猛レースというのがいろんなところで絶賛されている。 しかしバグの嵐らしい。またか。 できた後たった3日でも皆でテストプレイしていれば、 サポート業務にかかる経費と皆の怒りは激減していただろうに。 もっとも3日間テストプレイをすることがそのまま発売日の遅れに直結 するような無惨なスケジュールだったのだろうから、 それを言っても仕方のないことではある。 仮にシナリオを書く人間がディレクターを兼ねていて 最後の瞬間までシナリオを書いていたとしたら 製作進行など誰もできんだろう。

モエかんにせよハロワにせよ何にせよ、 一回やってわかるくらいの不都合はきちんと潰してくれ。 つまり、開発スタッフの全員が最低一回は通してやってくれ。 いやコンプしなくてもいい。キャラの担当を決めて一人だけでもいい。 せめてそれくらいやってくれ。これはお願いだ。 品質管理とかいう次元の話ですらない。 これはそんなに無茶なお願いなのだろうか。 現状それが行われていないということは、きっとそれは無茶な要求なのだろう。 部外者がそんなことを言っても仕方ないのだが、 しかし自分が物を作る側に回ってみるとどうにも我慢がならない。 あんたらプロだろう。それも初めて売り物を作るわけでもないのだろう。 だったら。

テストプレイは私の仕事ではないと思う気持が私の中にあった ことを認めねばなるまい。だが、それではいかん。私はプロなのだから。

ニャからさらにCDを借りた。cradle of filthにemperor。 両方ともすげえ。なにかが常軌を逸している。

2003年2月14日

引き続きメタルで仕事。しかし目が痛くて今日はダメ。 FireとMagic Mirrorがいい。そのうち全曲名前覚えるなこれは。

積分で詰まる。これ変数分離しなきゃダメじゃないか。昔量子力学の授業で 水素原子を解くのにやった覚えがある。たぶんあれだ。 しかし、かかる力のうち一つは極座標、 もう一つは直交座標でないと分離できないとなると、 もはや打つ手なしだ。片方だけでそれらしく見せるか、 おとなしく数値積分しかない。 てきとうなインチキを考え出すしかないな。

ZOE発売。当然のように誰かが買ってきた。 すげえよ。常時数千個の粒子が動いてるように見える。そしてあの物量。

設定資料集を見たらプログラマだけで20人以上いた。ありえない。 まさか全員がフルタイムそれに携わっているわけではないだろうが、 それにしても多すぎる。

また査定の季節が来た。こんな時に面倒な。どうせ上がりゃせん。

future worldで起きる。悪くない。しかしどういう声帯してるんだこの人。

2003年2月13日

2時過ぎちまった。

今日はJAGに借りたメタル音楽を聴きながら仕事。 ハロウィンとイングウェイマルムスティーンとスリップノット。 まともにいい曲が多くて聴き惚れていた。 今日はランダムで流していたのでどれがどれとかいうのはわからないが、 一番印象に残った奴の曲名を調べてみたらLiarという曲だった。 それにしてもメタルの定義がよくわからない。

妙になつかしい曲調のものがあるが、 これはもしかしてそういう曲調の元祖なのだろうか。

フッサールのこれはたぶんメモを取りながら読まないとダメな 気がする。何がわかって何がわかっていないのかを 忘れてしまうから先に進めない。一歩踏み外せば寝てしまう。 なんて面倒な本だろう。 哲学科の連中というのはえんえんそんなことをやっているのだろうか。

レが出ないとメタルは歌えないのか。男の音域じゃねえ。 ハロウィンの歌の人すごすぎる。高いだけでなくやけにきれいな声だ。 ファが出ましたよ今。女の歌でもファまで行くものはそれほど多くないというのに。

スリップノットという奴は実験音楽臭さがプンプンしていい。 いい曲とは言い難いが、なんかだんだん気分が良くなってくる。 この叫び声いいなあ。 仕事中もこれがかかってる時が一番気分が乗っていた気がする。 Eyelessという奴が今のところ一番印象に残っている。ベースラインがたまらない。

普通に聴けると思うのだがメタル。清水の話ではあまりメジャーではないらしいが、 何故かわからん。こんなに気持ちいいのに。 と思ったが、もしこんなのがコンビニで流れてたら何か違う気はする。 コンビニでかかっているものが流行のものだとするならば、 この路線は外れているだろう。

あまりに起きられないのでSlipknotを聞いて目を覚ます。 覚めました。このInterloperという曲、すごくおもしろい。

2003年2月12日

かずさ。キャラ的に一番好きな奴。そしていい話。 やけに安易に見えるのすらネタかと思ってしまう。 それにしても詰めこんで来たものだ。 人外萌え要素でメジャーなものは全部入れてしまえということか。 まさにモエかんの名に恥じぬ徹底っぷりである。 なお、そんなことを言っておいてなんだが、別に嫌いなわけでもなければ どうでもいいわけでもない。普通の意味での感動は確かに小さいが、 ここまでやられると爽快感がある。

しかし、あれだけバカキャラ丸出しでいたくせに 後になって「出てけと言われる度に本当は辛かったの」 などと言われても説得力がまるでないのだが。 トラウマ娘に変化する速度が速すぎる。もっと加速度を感じさせてくれ。 あるいはそれもネタか。 考えてみれば冬葉もそうだったが、あっちはあまり気にならなかった。 魂のこもり方が違った気がする。 たぶん両方ともネタはネタなのだろうが、 力の入り加減に差があったのだろう。 元のコンセプトなど実際に出来上がったものの前ではどうでもいいことだ。

ところで、今回の主役は飯島で決定。絵も中身もかっこよすぎる。 でもおまえそんなに男気溢れる奴だったか。 他のシナリオではえらい小悪党っぷりを発揮していた気がするのだが。

本当にいいかげんなゲームだ。二重影を作った人間が作ったものだと いうことを考えるとわざとだとしか思えない。 キャラというキャラに後から後から設定が湧いてくる様が もう圧巻である。そしてそのキャラのルートに行かなければ その設定は微塵も見えない。いや、見えないなどという生易しいものではなく、 完全に別の世界だ。そして設定が湧く前と後の姿がまるでつながらない。 別人と言うわけではないが、例えば味覚破壊ボケメイドに あんな設定がつくのはもはやギャグだろう。そしてあの展開。 リニアはある程度本筋なので設定の明かされ方もそこそこきちんとしているが、 それにつきあって明かされる主人公の方の設定は「本当にそれでいいのか?」と 尋ねたくなるほど唐突かつ予想通りだった。ああも予想通りに無茶な展開をされると もう打つ手がない。しかしそれでもあれだけいい話なのである。変なの。

自分でも誉めてるのかけなしてるのかさっぱりわからない。 でもおもしろいのは確かだ。

フッサールの「デカルト的省察」。 30ページ読んだが、何が書いてあるのか全くわからん。 文章は普通だし字もデカいのだが、そんなことと関係なくわからん。 文体や用語のレベルでなく、そもそも内容がむつかしいとしか思えない。 考えながら読まないとどうしようもない文章は久しぶりだ。 こうもわからないと、とりあえず一回 バンと読んでから頭の中に残った印象をまとめて理解の第一近似とする、 という普段の方法が使えない。まったくわからんからだ。 しかし、私が知りたいことがこの本には書いてある気がするので 読まねばなるまい。それに現象学は流行りらしいので 知っておかないと話ができないというのもある。 もっとも誰と話をするかといえば実のところニャくらいしかいないのだが。 なんか電話で哲学の話する、ってかっこいいな。 モエかんの話がメインでそのおかずにニーチェ、 というのが数日前の電話だった。モエかんにはニーチェの話が けっこう出てくるのである。

電子ギターって謎だ。ギターって、はじいたらその後は音が消えていくものだろう。 絃をはじいていればそうなって当然だ。 ヴァイオリンみたいにこすっているわけではないのだから。 しかし電子ギターの音は継続的に鳴っている。どこでどうなっているのだろうか。 一回誰か触らせてくれないだろか。

2003年2月11日

ゲームが出るまでは何をやってもダメだろうし、 何を見ても真剣に受け取れないだろう。 脳が物理モードに固定されて現実的でないことについて考えることを 無意味とみなすようになっている。 しばらくはダメだ。

会社に行ったら誰もいなくて、WEBで調べたら休日だった。 だからか。昨日「水曜でいいよ」と言われて、「何故水曜?半端な!」 と思ったが、そういうことだったのである。 仕方ないので2時間ほど仕事してからユニクロで服を補充して帰った。

それにしても安すぎやしないかあの店。6000円でズボン二本とシャツと 靴下8足とパンツ2枚を買えた。どうかしている。 せっかくなので老朽化した服を全部捨てよう。 B219とか書いてある服はいいかげん消えるべきだ。 思い出に変わるラサール。よれよれになったズボンを ゴミ袋に叩きこみながら合掌。

「ほーら僕にもできた!」という感じの匂いがしてモエかんは好きだ。 付録の冊子の最後に「萌えの季節にサヨナラを告げて、ボクらは新しい旅に出る」 とあるのはそういうことなのだろう。次も期待だ。 とか言う前にモエかんを終わらせねばならんのだが。 話によると残ったシナリオはけっこうガッカリらしい。 かずさも霧島もあんなにかわいいのに。

買ってきたズボンにはきかえて洗濯。靴下は完全世代交代なので全てゴミ。 それにしても尻がキツい。 腰がちょうどいいくらいの奴を買うと尻がキツいのである。 私の尻はデカいのか。 それにしても太ったものである。昔は腰周り73cmでスカスカだったものだが、 もうそうんなものははけない。 あの店の品揃えから推測するに、 世の中は私よりやせた人間に満ち満ちているらしい。 せめて筋肉に変えるか。

歌はうまい方がいいなあ。ネタがなんぼおもろくても。 ニャのところで紹介されてた奴を聞いて思った。 ただし中でもshooting starとかlast regrets 2002とかは もう何か別物で良し。デス声だと音程外れてるかどうかなんてわからんから気にならん。 しかしもう少し原形を留められないものだろうか。 これではピーマンの味がしないピーマン料理という気がしなくもない。

私が聞いた範囲での話だが、 デスメタルの類は旋律だけ見るとやけに伝統的で正統派なものが多い気がする。 パイプオルガンで弾くような旋律だ。私にとって聞きやすいのはそのせいだろう。 デスメタルというのはヨーロッパの文化なのだろうか。

本当の戦いはこれからだ。モエかん霧島。 これはたぶんこういうネタなのだろう。中途半端なのは確かだが、 それも含めてこういうネタとしか思えない。 こんなところまでジャイアントロボか。 それにしても霧島のアフターストーリーが最悪。帰れ。

ところで、この作品シナリオムチャクチャですな。整合性を取る気が ハナっからないとしか思えない。全部ネタなのか。 まあネタであるにせよそうでないにせよ、そういうのは感心できない。 全体としてはおもしろいからそれでいいのだが。

いや。萌えも、いい話も、燃える展開も、 全部ひっくるめて悪ふざけということか。 しかしそれでいて要素要素には本気が感じられる。 実際萌えであるし、泣ける話であるし、燃える展開なのであって、 さらにそこかしこに刺さる言葉が用意されている。本気だからこそ成り立つ 悪ふざけなのだろう。それも面白い。

エンディングのパクリ度の高さも素晴らしい。 全身全霊でバカにしているとしか思えない。

川崎の西武の本屋がそこそこ使えることがわかった。収穫。 川崎は自転車で行けるので便利なのだ。 で、ニャがわからんと言ってたフッサールの本を買ってきた。 最初の1ページは普通だったが油断はできない。 新潮文庫のツァラトゥストラは訳が古くてかっこよかった。 そのうちあっちも読もう。 あと床屋で髪の毛を5分の1くらいに減らし、 出たら雨だった。雨の中自転車でこの距離というのはあまり歓迎できない。

床屋に課長島耕作が置いてあって一冊読んだ。 なんだこの夢も希望もない漫画は。主人公すげえヤな奴じゃないか。 しかしなにやら新鮮でおもしろい。会社員ってのはこんなに大変なのか。 あれが人気漫画だということはいろんなものがそこそこリアルなのだろう。

西武の本屋でなつかしい「新しいヴァイオリン教本」を見つけて めくっていた。1巻の懇切丁寧な説明と3巻初めのザイツのコンチェルトの 落差が無茶である。5巻なんてツィゴイナーまで入っている。 何年で行くことを想定しているのだろうか。 たぶんガキのうちから本気でやったら3年やそこらで行くのだろう。 私なんてツィゴイナーを弾いてみる気になるのに10年かかっている。 ところで、鈴木教本はレコード付きではなくCD付きになっていた。 当たり前だが、すごい。これが時代の流れというものか。

中国の太鼓の楽譜を見つけたので弾こうとしたが、まるで弾けない。 弾ける気がしない。過去の私は一体どうやってあんなものを弾いていたのだろう。 ところで、身体に染みついていた無茶な運指の理由がちょっとわかった。 昔は偶数ポジションが苦手で、ちょっとくらい指が辛くなってでも それを使わなくて済むような運指にしてしまっていたのである。 基本をきちんとやらなかったツケというのはこういう形で出てくるらしい。 頭の中で運指の番号が踊っているうちはまだまだだ。 やっとそれを克服しはしたが、肝心の指がなまって動かない。 腹立たしいので最低でも週一回は練習することにする。

2003年2月9日

道場帰りに会社。そこから日が変わるまでバグ直しをして、 その後テストプレイを6時間して朝6時。 でもプログラマで一番早く帰ったのは私。改めてすげえ職場だと思った。 特にディレクターの人は最近は毎日朝から晩までテストプレイをしているわけで、 本当にすごい。遊びが仕事になってていいなあとか思う奴は前に出ろ。

まさひろが言ってたものを見つけた。 新宿駅の西口のあたりにそれ系のものがわんさか置いてある本屋があって、 試しに見てみたらあった。恐いのでできるだけ行きたくない類の本屋だ。 特に店員のお兄さんが恐かった。 で、ちらっと読んだが、本当にまんまシスプリ。 対応関係がどうとかいう状態ですらない。名前が違うのは誤植だと言い張っても いいくらいまんまだ。しかしさすがに12人全員ではなく5人だけらしい。 今のところ出てきたのは千影と咲耶と鈴凛。あと二人は誰か。

可憐と衛だった。それにしてもニセ鈴凛が大変な人になっている。 鈴凛はこんな子じゃないのにと怒ってみても仕方ないので続きを読もう。

すげえやこれ。よくもまあここまで。しかも声がまんま脳内再生されるので どうしようもなくシスプリ。妹達の苗字がシスプリ声優の苗字に似たものだった りして、それはもうシスプリ。変なものを読んでしまった。

口実があればすぐにでも閉鎖してやるのに、 と思うサイト運営者は多いのではなかろうか。

モエかん、冬葉。なんだこのいい話は。 KANONも真っ青レベルのド直球ないい話。 KANON並みにそれっぽい音楽とも相まってものすごいことになっている。

2003年2月8日

4時すぎ。でもプログラマで一番早く帰ったのは私なのだ。 さすがに差し迫ってくると違う。 明日も道場の後は仕事。明後日も仕事。 2月の末には夏休みを取れるといいなあと思う。 しかし、遊んでいるヒマがあったらもっとすごいゲームにするために 力を尽すのが筋なようにも思われる。社畜。

いろいろあるが、なんかおもしろくなってきた。 たぶんおもしろいに違いない。

夢でギャルゲーと作ってるものが混ざった。 ヒロインは人格がすずねえでもちろん声は桑島。 外見と性能はうちのキャラ。

最近誰と遊んだだとか何して遊んだだとか、 そういうことを全く日記に書いていない。 何故かと言えば、遊んでいないからだ。 とある同期のサイトを見ていると日記のほとんどが誰と何をして遊んだかで 占められていて、ちょっと焦る。 あんたらそんなに平日に遊んどるんかい。 8時やそこらに帰らなければ到底できない芸当だ。

2003年2月7日

ルソー先生の一番有名な「社会契約論」をちらちら見ている。 いつもの調子で安心した。やっぱりルソー先生はルソー先生だ。 しかしさすがにエミールに比べればいくぶん論文くさい。

だんだん学習というものがわからなくなってきた。 失敗の原因になった行動を忌避する、 と単純に考えただけでは説明できない現象が多すぎる。 一見そうは見えなくてもミクロに考えればそうなのかもしれないし、 あるいはミクロにも違う法則が働いているのかもしれない。 一回きちんと考えてみるべきだろう。 マクロはミクロの和以外ではありえないが、 ミクロの和として想像されるものがマクロな見かけと一致するとは限らない。

今日の課題を思いついた。元気に働こう。

2003年2月6日

この粘度の高い鼻水は一体どうやって作られているのだろうか。

ボツにされるのは悲しい。何故ボツなのかの理由も わからない時にはなおさらだ。もっといいものを作ってやる。

うわ。恐ろしく嫌なものを見てしまった。 これはもう時間の問題かもしれん。 腹をくくるか、あるいはたたんで逃げるか。

目覚まし音楽をwhite nightにしてからずいぶん経つが、いまだにビビって起きる。

2003年2月5日

回復してきた気もするが、 フロに入った瞬間に吐き気を催したりして油断ならない状況。

2003年2月4日

たいがいの鳥は鳥目ではないそうです。 前書いたのはウソということで、すみませんでした。 鳥の光受容細胞が明度に対する感度が良くない、 というのは一体どこで聞いたのだろう。 生化学の時間じゃなかっただろうか。あれは特殊な鳥の話をしていたんだろうか。 もうまるで覚えてない。

頭がわんわん鳴るほどの耳鳴り。全ての音が遠くから聞こえる。カゼを治さなければ。

左耳の奥で、ちりちりちりちりちりちりちりちり。 壁に頭を打ちつけたくなるほどうるさい。 壊れたなら壊れたで静かにしていればいいものを、 こうやって耳鳴りだけはせっせと鳴らす。聞こえる右より聞こえない左の方が うるさいというのはどういうことだ。 ところで、 脳は耳からあんまり信号が来ないと自分でノイズを発生させてしまうものらしい。 静かであることを表す擬音「シーン」はこれを表しているのだろうか。

1000万出して治せるものなら治してやる。そのために金を溜めておく というのは動機として悪くない。サイボーグでもいいからどうにかしてくれ。

罪と罰を「つみばつ」と略すのは一回は気に入ったものの、 あまりに恐れ多いので却下。

2003年2月3日

これ、ジャイアントロボ混ざってる。

箱の裏の文句偽りありすぎ。

カゼの匂いがする。吸い込む空気が全てこの匂いになるのだ。

カゼが治らないまま仕事。

2003年2月2日

日記が失われた期間に何があったか思い出そうとしてみるが、 まるで思い出せない。 もっとも、ただ大したことがなかっただけか。

そういえば研修はいろいろ衝撃だった。

浦沢直樹の描くキャラがリアルであるということが 最近なんとなくわかってきたような気がする。 あの人の漫画によく出る飲み屋で若者が飲んでいる風景が実在していて、 しかもありふれたものであるということを、 私は就職して初めて知った。

昨日は18時間くらいは布団の中だった。 妙にすっきりと起きられたが、加湿器の水が切れていて喉がからから。 そうか一晩で尽きるのか。

ニャがモエかんを猛烈な勢いで勧めてくる。それほどのものか。

岩波のツァラトゥストラは註釈がない。 そのかわりに流れをおおまかに説明してくれる 便利な解説がついている。 訳も聖書っぽくすることにかなり注意が払われてて そこらじゅうがかなりそれっぽい。 そういうわけでかなり楽しく読めた。 ニャによるとちくまの方は逆に註釈バリバリらしい。

永劫回帰ってのは、たぶん「死んだら天国よ」系の世界観と 「死んだらそれで終わりよ」系の世界観両方に対して戦いを挑んでいるんだろう。 どちらも今ここに生きていることを軽視する原因になりうる世界観で、 たぶんそれが気に食わないのではなかろうか。 「おまえにはこの人生しかない」が、「それでもそれは無限」なのである。 無限に繰り返されるに値するだけの人生を生きろ、という苛烈なメッセージだ。 ちょうどダレてきたこの時期に、本当にいいものを読んだ。

超人にしろ永劫回帰にしろ思想とか理論とかそういう感じのものには見えない。 なんというか、これは哲学というよりは気合いだ。

そういえばSNOWが出てるな。買う気はないが見たい。

秋葉までモエかんを買いに行って体調がさらに悪化。 まっすぐ歩けないレベル。他にもいろいろ買う予定だったが 到底果たせる状態ではなかった。 今日は会社に行くのもやめておこう。

モエかん、シベリア。サライだよなあこれ。 ケロQとは思えないほどキャラがかわいい。 絵だけでなく中身もちゃんと萌えキャラだ。 でもケロQ。

モエかん、リニア。ケロQとは思えないほど直球にいい話。 そしてニーチェ。 このシナリオ書きの人はずいぶん本を読んでいる人らしく、 そこら中にいろんな教養があふれている。

しかしいまだに設定というか世界観がいまひとつわからん。 主人公何者やねん。いずれ明らかになるのだろうが。

かずさかわいいなあ。こいつも謎まみれでそそる。 SCA-自先生はきちんと先を読みたくなるように仕組んでくれるので素晴らしい。

しかし、「萌えっ子カンパニー」の略でモエかんなのだが、 それであのストーリーというのは誰が想像できるだろうか。 そのへん含めていろんなところでハロワと似ている。

2003年2月1日

高地から低地に降りてくるといつも耳の聞こえが悪くなる。 しかし、今日のは特にひどかった。 低音が根こそぎ聞こえなくなったおかげで、あらゆる音が 遠くから聞こえるように感じるのである。自分の足音が聞こえないのだから かなりのものだ。 駅のホームでは電車が来ますというアナウンスは聞こえたのに 電車が近寄る音は全く聞こえず、後ろから来たために 通りすぎる時の風で初めて気付いたという状態である。 駅を歩いていても何か現実感がなかった。 音も世界を構成する大切な要素なのだということを 感じるのはこういう時くらいである。

豪快にミスッて1月分の日記が消えました。 せっかくなので毎日勝手にバックアップするようにしておきました。 2日分くらい溜めておくのでこんなことはもう起こらないでしょう。

googleのキャッシュから12日までの分を復元しました。

ツァラトゥストラ上巻おわり。言葉がかっこいいというだけでは 済まない展開になってきた。狂って死んだという話にもうなづける。 そもそも聖書のパロディをやろうという段階で並の気合いではない。

家にいても寒いし乾燥しているしで何もいいことがない。 寝袋に入って毛布と掛布団をかけて寝ていてもなお寒さにふるえねばならないという のは一体どういうことか。水分は飲んでも飲んでも小便と鼻水となって抜けでていく。

加湿器を買ってきた。が、その行動によって症状は悪化した。 ついでだと思ってまさひろが言ってた本を探していたのが悪かったようだ。 そして見つからない。

ツァラトゥストラおわり。 この圧倒的な気合いを前に酔わずにいるのは容易なことではない。 一体私はこの言葉をどのように受け止めればいいのだろうか。

ところで、ツァラトゥストラについて考えながら 「さくらんぼキッス」を聞くのはおよそまっとうな行為とは言い難い。 これは案外曲としては普通だと思うのだが、 「好き!好き!好き!」とか連呼されながら 「否!否!三たび否!」とかいう言い回しを思い出すのはどうかということである。 このゲーム買うのかなあ。

なお、「否!否!三たび否!」はかなり気にいった。ネタとして。

神は死んだ、の元ネタがわかって良かった。 神は人間の全てを見られる存在だが、 人間は自分の全てを見られることになど到底耐えられない。 神はその人間の羞恥に同情して死んだのだと言う。 どれだけのイメージがこれに込められているのかはわからないが、 なにやらすごそうであることだけはわかる。 超人とか、永劫回帰とか、そのへんのニーチェ用語もなんとなくわかった。 人間は克服されるべき何かであり、超人への過程なのだと言うが、 要するにヌクヌク偽善にしがみついて生きてるんじゃねえこの畜群が、 ということだと思ってもそれほど間違いというわけではなさそうだ。 そして、永劫回帰というのは、 仮に寸分違わず同じ人生が無限に繰り返されるとしても なおその人生を肯定できるほどに自分の人生を愛せる、 そんな気合いを持て、というようなことなのではないだろうか。 つまるところ、ちゃんと自分で生きろ、目を背けるな、ということだと 今のところ理解しておく。


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