日記

2002年6月30日

私は手をにぎった時にその小ささに驚く方で、大きさに驚く方ではない。 シスプリにならんのは例えばそのせいだ。 そして、おそらくはシスプリが好きなのもそのせいだ。

ジンジャーに乗るカナ坊とほうきに乗るスフィーでは 科学的であるという点において前者が勝る。

トマトが余っていた。生でも食えるが一応調理用と銘打ってあるトマトなので 一回くらいは加熱してみたい。そう思ってとりあえず輪切りにして 焼いてみた。しかしこれだけでは料理にはならない。 そこでちょうどあったしめじを入れてみた。 しかしこれでも料理にはならない。そこで別に使う予定だった 鳥もも肉を入れてみた。味がしみやすいように切れ目を入れる。 さて、なにやら肉にソースをかけた物に見えなくもない。 しかし問題は味付けだ。本来なら塩こしょうしたり、スパイスやハーブの 類を入れるべきなのだが、そんなものはないのである。 そこで、とりあえず豆板醤を入れてみた。赤さが増す。 もちろんこれでは味が足りないので醤油を足してみた。 何か違うものになりつつある。どことなく甘みが足りなそうだったので 酒を少し入れてみた。そのまま数分蒸す。 で食ってみたのだが、そう悪くない。醤油の匂いよりもトマトの方が強いので、 あまりミスマッチ感はない。鳥肉のトマトソースがけ、と言っても通用しそうな味だ。 豆板醤の辛みも悪くない。どうにかなるもんである。 ただし、トマトに醤油をかけて食ってうまいかどうかはまた別の問題であり、 いずれ試してみねばなるまい。 また、トマトがもし普通の桃太郎トマトだったら確実に失敗していただろう ということも言える。確かに甘くて匂いがなくて食べやすいが、 どうも金を払って買う気にはならない。

似ねえ。かわいくねえ。

普通に描きゃいいや。下手にこねくり回してバランスが狂って無惨になるくらいなら オレの絵を描く方を選ぶぞ。

ごめんなさい。下書き第一段階が終わりました(22:10)。 これから線をきれいにして細部を描きこんでペン入れをします。 朝までに上がるか極めて謎です。ごめん。

なんかかわいく見えてきた。加えてなにやらおもしろいような気すらしてきた。 病気が始まったらしい。行けるか。なお、今描いてるのは まさひろんとこの鈴凛本の原稿です。ゲスト。いい響きだ。新鮮だぜ。 なお、たぶん当日売り子してます。いやー久しぶりだなあ同人誌即売会、 というか漫画、というか絵そのもの。

2002年6月29日

いまさらのようにチームの新人歓迎会。 そしてカラオケで歌われる物が大学の時とほとんど一緒。 しかも、漫研でなくてアニ同の方。 キャシャーンみたいな古典で攻める人がいるのはいいとして、 そこに何故ドリルやセンチやときメモが入る。 しかも半分くらいの人はそれがなんだか最低でも知識としては知っている。 そういうことなら次からは容赦はしない。 だが、元エロゲや現エロゲ、 増してシスプリともなると多少は慎重にならざるを得まい。 でも正直たぶん普通に受け入れられると思う。

なお、うちの会社全体がこうなわけではない。 実際他の人に連れてってもらった時は普通だった。 なんといいチームに入ったことか。

おねティ番号がわからんで歌えんかった。 やはり新曲リストは常に用意しておかねばならんな。 せっかくHyper Joyだったというのに。

原稿。のあいまに「ジサツのための101の方法」を片づけた。短いのですぐ終わった。 なんかわからんなあ。理屈は共感できるが、釈然とせん。 出発点はよくわかるが、全体としてこういう形になってるところがよくわからん。 こねくり回してるうちに自分でもなんだかわからなくなってたりしないか。 高いところに行きたいのはわかる。 しかし、いろんなものにひっかかって飛べていない。 エロゲの文法とか。 いや、しかし飛びたくても飛べないというのが テーマだと考えれば実によく表現できているということになるかもしれん。 登場人物達もみな飛ぼうとして飛べない奴等だ。 結局なんかよくわからん。ただ、その飛びたいんだが飛べん、という感覚には いたく共感するものがある。飛んでる奴は飛びたいとは思わないのだから、 飛びたいと思う奴は飛べない奴だけなのだ。それがわかっても飛びたいと思う この理不尽さ。そのあたりか。

しかしだ。飛んでる状態と飛んでない状態を まっぷたつに分けることがそもそも間違いなのではなかろうか。 だが、例えば自分にセンスがないと思って苦悩している人間には そんな理屈は通用しない。なぜなら、 そこで言うセンスは何か問題にしているある能力に限定されているからだ。 私がかわいい絵を描けないという現実の前では私にだってセンスがないわけじゃない などと言ったところで救いにはならない。そういうことを言う時 私は能力の欠如を漠然とした「センス」というもののせいにして逃げているに過ぎない のである。そうやってあきらめに浸っているのは楽しいことではないが、 改善する努力のしようがない(と決めつけている)が ゆえに行動に移すエネルギーを消費せずに済む。 ぬるいわ。やってできないことなんてあるわけがない。 そしてやれないのは自分のせい以外の何者でもない。 ここで言う自分は決意する存在としての自分で、能力値の集合体として 客観視できる自分ではない。オレの能力が低いせいだ、というのは まるで自分のせいだとは思っていない。 自分のせいだと思う前に行動している奴だけが本当に自分のせいだと思っている。 確かに、自分の意思を自分で好き勝手できるわけでないのも事実ではあるのだ。 しかしそこで自我とはなんだとか言う知的な問いにすり替えるのも私にとっては やはり逃げにすぎん。 オレはなんて弱いんだくそう、と思うことも逃げだ。 何かが欲しい時にそれを手に入れる努力をする以外のことは ことごとく逃げである。そして、こういうふうに考えることもまた逃げだ。 行動できん奴は軟弱者である。せっかくなのでこれをヘタレと定義しよう。

久しぶりにダダ漏れ。恥じろ未来の私。 ヘタレを披露するのに勇気などいらんのだ。 何故ならヘタレは恥など感じないのだから。

いかん。限界思考量を超えた。わからん。こういう時は2Lのペットボトルに 水を入れて両手に持ち、雲手。そのうち砂にしよう。

さて鈴凛だ。

就職活動の時にIBM行く度に「ソリューション」 という言葉を何度となく聞かされたからだろうか、 どうも気に食わん。言葉なんて何かを差すものにすぎず罪はないのだが、 言葉が嫌いになるのはそういう理屈ではどうにもならん次元の問題なので仕方ない。 なお、自由とか権利とかも嫌い。 結局のところ、そういう言葉を使う奴が好きか嫌いかという話に落ちつくのだが。

2002年6月28日

プログラマって普通どんな仕事してるんだろ。 たぶん私や私の周りの仕事っぷりは普通ではないと思う。 こんなに好き放題てきとうにスケジュールらしきものもロクにないまま 突き進んでいくものとは到底思えない。だいたい 「いつまでにこれをやってくれ」という形式で命令を受けたことは いまだかつて一度もないのである。 「このへんが君の担当。じゃ、後はまかせた」 という感じで、実にてきとーになんとなく状況が推移している。 プロジェクトが大規模になるとそうは行かないのだろうな。

それです。そんなのです。 なんとなく立って「○○さーん、これどーしましょーかね」、 という以外にプログラマのミーティングがないという。 ともかく恵まれた環境にいることがわかったので、がんばろう。 しかし、PGというのは初めて聞く言葉です。 ヘボ詩人のことをポエマーと言ってバカにするような感じでしょうか。 なお、2/3は遊ぶ時間、というのはいまのところわかりません。 確かに先輩達は時間中に平気でジャンプ読んだりしてますが。 たぶん今はそこそこ忙しい時期なのだと思います。

しかし、100人って。4人でもコードの合体が面倒くさくて難儀なのに 100人ですか。そんなの誰かが関数レベルで仕様を考えて割り振らないと 無理なんじゃないでしょうか。 なんというか、単位時間あたりの作業量はプログラマの人数をnとすると せいぜいlog(n)くらいか、という感じ。

2002年6月27日

仕事が楽しい。先に恐ろしい困難が待ってるのはわかっているが、今はいいや。

ニャに借りた「ジサツのための101の方法」をちょっとだけ見てみた。 なんだこりゃあ。なにやらすごげだが、すごい。 ネタは雫系だが、ストーリーをちゃんと見せようという気がハナっから ないように感じる。30分ほど読んだがさっぱりわからん。 しかし、さっぱりわからん芸風なのはよくわかるので、 なんとなくわかる気もする。とりあえずすごいので良い。 なお、絵は恐ろしく下手。塗りのレベルもMOON.レベル。いや、それ以下かもしれん。 そして異常に武骨なインターフェイス。本当にDirectXを使っているのか。

私は暴力鬼畜系は嫌いです。でも、これはなにやらすごいのでとりあえず読む。 一歩間違ったらネタにしかならんような状況が次から次へと起こるのだが、 わけのわからん迫力のせいで全く笑えん。「締めて」。

四葉のクローバー、と普通に発声することはもはやできない。 コンビニでそんな歌詞の歌が流れてきて著しく反応してしまった。 もう引き返せないのか。「四葉の」は所有格である。

もし会社から歩いて2分以内に松屋あるいはそれに類するものがあったとしたら 私の食生活は劇的に変化していただろう。 もっとも、夕飯を松屋で食うのとそもそも食わないのとでどちらが 体に悪いのかは微妙な問題ではある。 金銭感覚は確かに変わったが、たかがメシを食うためだけに 外に出るのが面倒くさい。 そして、金なんて使わなくていいなら使わないに越したことはない。

表記の仕方は重要だ。「っ」を「ッ」に換えただけで すずねえがバキになってしまう。
「オミくんッッッッッッッッッ!」
なんか中途半端で気持ち悪い。「ごはん」はひらがな、とこだわった水無月先生は よくわかってらっしゃる。

2ちゃんねるの一日1,600万PVを支える云々、と書いてあったのだが、 PVは何か。ペタボルトならすごく強そうだが、そんなわけない。

DMA。DMA。間にあわないと即ハング。

同居人がエターナルアルカディアをやっている。 音楽がすげえそれっぽい。大作系正統派ロープレの曲といえばこう、 という感じ。やはりドラクエだけが抜きん出ている。

下級生2。シナリオ原田宇陀児。本当なのか。

2002年6月26日

私の尻はやわらかい。私程度の鍛え方でこれなのだから、 すもう取りとかは抱きついたらすごいんだろう。嫌だが。

もう少しだ。もう少しで手のひらがベターっと地面につく。 地面に指先すらつかなくなるほど堅くなってたのに 一箇月ちょいでこれだ。なんと良くできていることか人体。 足前後左右180度という境地もこの調子でやってればすぐかもしれない。 生活リズムが変化しないので一度習慣になってしまえば持続する。 その点において学生よりも有利と見た。

2002年6月25日

だんだん帰る時間が遅くなっていく予感。 そうこうしているうちに今日また給料がもらえる。 夜WEBを見るのをやめよう。とても良くない。

2002年6月24日

そんなにシュガーっておもろいのか。誰か貸してください。微妙に見たいです。 ところで、アンカーについて。 それだとリンクしても一月したらつながらなくなっちゃいます。 たぶんこの場合は "http://web.kyoto-inet.or.jp/people/gandhi/daradara44.html#020623" になるのでしょう。 ところで、 シュガー。 ちょっと前にコンビニで見てビビりました。

2002年6月23日

リーフのサイト のまじかる☆アンティークの画像alt文字列が 「ま☆ンティーク1」となっている。その略し方は正式なのか。 私はフルコン☆ワールド 以外で見たことがない。

なんで表紙のすずねえはカナ坊をお姫さまだっこしてるんだろう。 さっぱりわからん。折りこみのはるぴーもニセモノっぽい。 オミくんが化けているという作者の説の信憑性は高かろう。

痕のデモムービーを見た。すごく売る気満々だった。 最近薄ぬるい作風に慣れてたので、妙にこの手ものが新鮮に見える。 ピンクと紫の違い。この絵もこれはこれでありなような気がする。 是非調子に乗って雫もリメイクして頂きたい。 どんなことになるのかとても興味がある。 あと、ホワイトアルバムをシステムだけどうにかしてもう一回出してくれ。

この二人はいいコンビだなあ。

ゴーヤともやしの炒め物。それに半額になってたマグロのカマを焼いて食う。 ゴーヤの方は余ってたので入れたネギのせいでなにかバランスが崩れてしまった。 食えるには食える。マグロのカマはいまひとつ。鮮度は味に大きく影響する。

ちらりとテレビを見たら京都の話をやっていた。すげえ。公家ってやっぱり まだいたんだ。そして、京都がなにやらものすごい町に見えてくる。 なんでこう演出が効きすぎてるんだろうNHKは。 でも、ちゃんとした豆腐屋の豆腐がおいしいのは本当です。 豆腐食ってちゃんと豆の味がすることなんて滅多にないのだ。 そして、微妙に甘い。変な匂いは微塵もしない。 豆腐が嫌いな子には本物の豆腐を食わせればオーケーだ。何もかも解決します。

誰と何を埋めたんだろう、そういえば。僕夏が急に気になり出した。来週にでも。 でも、貴理の顔が目に浮かんで想像するだけで辛い。

2002年6月22日

「哲学ってこんなにすごいんだぜ。すごがれ」 とか平気で本に書くような人は素直な人だと思うがな。 もっとうまく隠すだろ普通。こんなに調子に乗ってる様子が 手に取るようにわかる文章を書く人が悪人とは思えない。 「うおお、オレの思う哲学ってのはこんなんなんじゃあ」 とかドハデに書いて、しかも自分がその理想から そう外れてないと確信しているらしいあたり、 とても無邪気だとは思わないか。 そして、このこれみよがしに哲学しようとする姿勢にまた親近感が沸く。 自分が超人でないことをきっと頭のどこかでは理解しているのだろう。 だからそれが常に焦りになって心をさいなみ、 無理矢理に頭を哲学に向けさせるのではないか。 私も超人にあこがれるタチなのでなんとなくわかる。 というわけで、どんな人なのか微妙に興味があるので 一回授業で話を聞いてみるくらいはおもしろそうだとか思うわけだ。 と、そういうふうに私がこの人を好ましく思っているということは そうそう伝わるまいな。「こんなに頭がすごいのがゴロゴロいるのか」 とか書いたのも、この人が理想的に描いているような哲学する人達が ゴロゴロいるのならすげえよな、いねえんだろうけど、という半ば皮肉であって、 中島先生みたいなすごいのがゴロゴロいるのか、という意味ではない。

もっとも、そう誤解されても私がこんなのをすごがるアホウだと 思われるだけで誰を不快にするわけでもないのだし別にかまうまい、と そう覚悟して書いたつもりではあったのだが、やはりそんな覚悟は 私にはできないらしい。 複数個所で「あんなのをすごいと思うなんて」と言われては 弁解したくもなる。

ああ、少しわかりやすく言えば、仮に15、6歳のかわいい女の子がこんな感じで 調子に乗っている様を想像してみると良い。かわいらしいとは思わないか。 別に女の子である必要は微塵もないが、 この御時世だ。イメージとしてはそれがわかりやすいだろう。 鉄鍋のジャンのジャンとかもこのタイプでかわいいと思う。 私は所詮そういう汚れた物の見方をしているのであって、 書いてある内容そのものがどうだとか、そんなことは実際どうでもいい。 実際に生身で会わない人間であればどんな欠点も自分に害を及ぼすことはないのだから せいぜいいいところを探して好ましいと思っておけば良いのだ。 生身で会う人間ではそうは行かないのだから。

いいわけおわり。すずねえに会ってきます。

武術。脚が弱ってた。気が上がってた。無理もないことだが、 やはりできたことができなくなるのは我慢がならん。 いいきっかけだろう。また少しやってみることにする。 どうしようもなく状況が許さなくなったらあきらめるだろうが、 そのあきらめは今のあきらめとは質の異なるものだろう。

すずねえ。くそおもしれえよこれ。全然小説になってないのだが、 そんなことはどうでもいい。たぶんなにもかもが全然ダメなのだが、 到底電車の中で読めないくらいおもしろい。 笑いをこらえるのが辛くて辛くて。 なんでこんなに都合がいい状況なのにあざといと感じないのだろう。 とらハもそうだが、不思議だ。次回作 買ってしまうかもしれん。なにせ今や私はエロゲーの一つや二つ衝動買いしたところで 生活には何の支障もないほどの財力を手に入れたのである。これが力というものか。

本当にやってやがる。 にしてもこのURLはいいのか。絶対別のものと間違えられるぞ。 www.cricket.gr.jp。

2002年6月21日

中島義道という人はそんなに評判が悪いのか。 あこがれを忘れない、素直でいい人だと思うのだが。 たぶん普通はそんなことは評価対象にならんのだろう。

文章はむつかしい。伝わりゃせん。やはり絶賛する時と、 けっこういいかげんに誉める時でもっとあからさまな変化をつけないとダメか。 せっかくだしできるだけいいところを探すか、という貧乏くささが良くないのだろう。

あとあれだ。モノを見た時に、自分の体験やらなにやらが重なってくると だんだん主題がそっちに行ってしまって、 モノそのものはどうでもよくなってくる。 しかし一応文章の主題はそのモノということになっているため、 外から見るとそのモノについてえらく熱心に語っているように見えてしまうわけだ。 純粋にとらハについて語っているかどうかは大いに謎だ。

いいわけがましい。やめだ。手遅れ。

プログラムなんてものは、この上なく完璧にできていてもゼロ、 それ以下は全てマイナスだ。プラスの評価を与えるべきものじゃない。 マイナスが小さいことを誉め讃えても空しいだけだ。 プログラミングなど知らん人間からどう見えるかを考えれば そう思っておいた方が健康である気がする。

2002年6月20日

確信に近い感覚。私もそう悪くはない。 そして、私の与えられている仕事はかなり恵まれている部類に入るのではないか。 立場はともかくとして、仕事の上では対等に扱われているように感じる。 入って2ヶ月やそこらの人間にこれだけ好き勝手させてくれるなんて 思っても見なかった。

ボーナス。現実味なさすぎ。新入社員は正規の額に比べればカスみたいな 額しかもらえないのだが、しかしそれでもボーナスはボーナスだ。 働いてないと言う気などもはやないが、 そんな金をもらえるほどのことをした覚えはあまりない。 ともかくも一回京都に行って遊んでくるくらいの金が空から降ってきてしまった。

今時代は16色。泣きたい。

ギャルゲーってすごいわ。あんな巨大なフルカラー画像を使うなんて。ありえない。

とてもじゃないが美由希やレンや真雪先生に萌えなどという失礼な言葉は使えん。 しかし渋川剛気なら許可。とすると渋川剛気先生には無礼じゃないのだろうか。 もしかすると、女の子に萌えと言うなんて普通すぎてつまらないから嫌だ、 とか言うことなのだろうか。わからん。しかしとりあえず鈴凛に萌えという言葉は 使えん。違和感がありすぎる。

ふと思った。こういう日記って、その名前がキャラの名前であることが わからん人間が読んだらどう思うのだろうか。想像するだに恐ろしい。 何の説明もなくキャラ名を直書きするのは良くないのかもしれない。 何の作品の話をしているのかすら書かないのだから、普通はわからんだろう。 でも、面倒なので改めない。

2002年6月18日

目が乾く。ギブミー涙。今まで乾くというわけではなかったのだがなあ。 日曜に目を酷使したのが効いているらしい。寝る。

秋桜小説が素晴らしく良いと弟からの知らせがあった。 だが私は週末まですずねえには会えない。

2002年6月16日

ファントム小説版。途中で投げ出すほどつまんなくはないが、 元の味の半分も出てない。これではまったくもってどうでもいい。 こんなに普通にしてどうすんのというくらい普通だ。まるでダメである。 はしょりすぎて何がおもしろいのかがさっぱりわからない。 面白かったのはむしろ後書きだった。 やはり何をどうやってもエロゲは日向に出していいものではない。 しかし、私もかなりの部分この後書きで「厨房」と呼ばれている 種族に当てはまっている気がする。

私は未だにエロゲ屋に入るのに抵抗を覚える。 にもかかわらず、こんなにおおっぴらにエロゲをやっていることを 表明している。論理的には矛盾していると言わざるを得ない。 実際には人間の頭の中では一切の矛盾は起こり得ないので 私の中ではこれは矛盾ではないのだが、外から見て矛盾に見えるものは やはり矛盾として扱うべきなのだ。だから、私は エロゲ屋に入るのに抵抗を覚えるとか言うのをやめて 実際に抵抗を覚えないように訓練するか、 そもそもエロゲなどやらないかどちらかにした方が良いといえば良い。 前者と後者では適応する社会が違うが、 どちらにせよよりうまくその社会に適応できるようになるだろう。 しかし、そこまでする気もしない。中途半端は自然の性質だ。 人間の知性のレベルに合わせてそれを無理にデジタルにねじ曲げることもあるまい。 本当に淋しくなったらまた考えよう。 この中途半端な位置が仲間を探すにはあまりにも不利なのは確かだが。

私にまで七夕コンパへの招待状が届いた。 行かねばなるまいよ。人として。何もなければ行きます。 ただし、何かある確率は低くはありません。 近々何かに出典するらしく、それに合わせて仕事が地獄になる可能性があります。

毎週土曜日は本当に今日が土曜日で休みなのかどうかとても不安になる。 まさかサボってしまったのではないかと本気で不安になって カレンダーを見て安心するというのが毎週繰り返されている。 カレンダーを見るまでの数秒間 必死に今日が土曜日であることをサポートする 事実を探して頭がフル回転するのがアホだ。

私はむしろ、女の子に対しては萌えという言葉を滅多に使いません。 でも、意図する所はそんなに違わないかもしれませんね。

とらハのおまけシナリオの1で一番かわいいのは真一郎君。 声、女ですよ。だって。少女少年のノリ。 そして一番すごいのは唯子の声。のたうちまわる。 全員立ち絵が描き直されてて別人だったが、あれはあれで丸くてかわいいので良し。

とらハのおまけシナリオの2は立ち絵がまんまで違和感がすごかった。 音楽もあのままで、とてもショボイ。 幸せ満載だが、なぜだろう。おまけシナリオ3つの中で一番どうでもいい。 ショボいシナリオの記憶がすでに彼方に忘れ去られている今となっては 1の印象がものすごくいいものになってしまっている。 3の時代における彼等の描写もあって、あいつらのイメージが ものすごく強化されているのだ。

なんであんなに奴等人間できてますか。 あいつらに対して私はとても萌えなどという言葉は使えません。 私内部で萌えはあまりいい言葉ではないからです。 あくまで身分証明書にすぎません。戯言モードでしか使われ得ない言葉です。 ネタの範疇にある言葉です。あるいは、一種自虐のための言葉でもあります。

現在、今までにこの日記で「萌え」という言葉が使われた回数は236+アルファ回。 正確でないのは一行に複数回使われているのはカウントしていないから。 サイトが出来てから1355日というのが本当なら、 6日に一回程度使っていることになる。 多いか少ないかは比較していないのでわからない。

秋葉原から東京まで歩いてみた。銀座のあたりはサクラ大戦風味だった。 あのゴージャスな建物のデパートはなんだ。とても入れん。

「哲学の道場」(中島義道、ちくま新書)。この前の長電話でニャに勧められた。 哲学は無理だとあきらめさせてくれる本である。 こいつら絶対どうかしている。哲学科というのはこういう頭の凄まじいのが ウジャウジャいるに違いないと思うと、やはり尊敬せねばならんなと思う。 たぶんいないんだろうが。しかしそれはそれで、 私は幸せになりたいので哲学は無理だし、本気であこがれはしない。 絵のうまい同人作家にあこがれるのと大差ない程度のあこがれだ。 ところで、こう言ってはなんだが、正直そう私も悪くはないとは思う。 素質がゼロというわけでもないだろう。しかし、 私は何よりも幸せに生きたいのであり、 そのためにイヤなことを考えなくて済む方法の方がよほど大切だ。 例えば死なんてものは考えるとパニックになる。 何の前触れもなく「自分は何故ここにいるのか」などという疑問が 大量の不安ホルモンと一緒にやってくるあの感覚はいいかげんにしてほしい。 あの感覚はまさに「ふざけるな」である。 何かの間違いだと思う。 昔と違って理性以上の水準に思考が登ってこないようにブロックをかけることが できるようになったので、こうしてパニックにならずに 文章にも書けるようにはなったが、やはり不意にこれが来た時の ダメージはまだ激しい。叫びでもしない限り追い払えない。 独り言のクセは大半がこれのせいだ。 やはり無用の疑問は抱かないに限る。ハナっから抱かないのが一番だが、 抱いてしまったものは仕方ないので速やかにそれを追い払う方法を学ぶのが 次善の策である。哲学書なんてのはネタ程度が好ましい。 「オレ哲学書読んでるぜ、すげー」とか言って悦にひたっておれば良いのだ。 とらハをやるのと同レベルの覚悟でいい。 書いた人について何事かを感じられればばそれでいい。

やはり世界は科学である。 痛みは脳ミソの産物である。それで良い。 自我本体と物理現象の間には無限の距離があり それは未来永劫ゼロにはならないが、電気信号が自我に痛みを連れてくる ことに違いはない。京都から東京に間違いなく何かが来た、 という時に科学ができることは京都大阪間はJRで、 大阪名古屋間はバスで、ということを明らかにすることである。 確かにどこまでやっても駅からうちまでの区間はどんな交通機関を調べても 決してわかるまいが、そんなことはどうせわからんのだ。 交通機関だけわかって得意気な顔をしていればいい。 それより目が痛い。寝るべきだ。今日は本やとらハを読みすぎた。

ついで。「哲学の教科書」(中島義道、講談社学術文庫)。 やっぱり無理だ。哲学者はおかしい。加えて本気で役に立たん。 この人がこの人の言う哲学者かどうかはわからないが、 哲学がそのようなものであるという定義、あるいはイメージには賛成できる。 哲学研究者と哲学者は違うもののはずだ。その方がかっこいい。 この人も多分にそういう超人へのあこがれを元にして書いてるっぽい。 それだけにこの人もまだ超人ではない。 超人でないからこうやってまともに本が書けるんだろう。

とらハおまけシナリオ1の2完了。豪快に夢オチ。 やっぱりこの3人はいい奴なのである。 ところで、久しぶりにとらハ1を起動して少々やってみたが、 真一郎はこんなにかわいくなかった。たぶん書いてるうちに 頭の中でかわいくなっていったに違いない。 間違いなく一番かわいいのはこいつだ。そのくせ、やけに男らしい。惚れる。 にしても、フルインストール2ギガというのは衝撃だった。 おまけシナリオオンリーで。

ほのぼのストーリー、と言う響きが微妙に気に食わない。 断じて違うと言い張ることもできないが、なんとなく違う。

創作。普段している仕事は今のところ頭の中では創作に分類されていない。 他人がやったものなら創作に見えるが、自分がやったものだと見えない。 完成して市場に出て人の評価がチラつくようになっても、 「オレどうせ言われた通りコード書いただけだし」ということになる。 物を作って人前に出すためには、私みたいに嫌な奴が したり顔でそれについて語ったりするのを見て辛い思いをすることを 覚悟せねばならない。その覚悟を引きうける準備がまだできていないのである。 だが手を離れて市場に出るまではとりあえずそのことに関しては保留だ。 やるだけのことをやろう。もっとも、そのような決意をせずとも 会社に毎日行っていれば自動的に私はそのように行動するのだが。 意思などというものを仮定する必要は微塵もない。

秋桜の小説買うの忘れてた。なんということだ。来週までおあずけ。 まあ、まだレンズマン読んでないのでそっちが先だ。

自分のことを棚に上げる勇気ってのがあるんだと思うが、 その勇気を使って敢えて棚に上げてるのと、 ただ気づかずに棚に上げてるのの区別はそう簡単にはつかない。困りものだ。

2002年6月15日

はずみで昔作ったMIDIを聞いてしまった。 出来が悪いとは思わないが、所詮MIDIだ。 この頭を揺さぶられるような不快感はどうにもならないのだろうか。 ハナっから電子音で勝負すればそうはならないのだが、 私に電子楽器を使いこなすようなセンスはない。

ついでなので timidiyのパッチへのリンクが切れてたのを直しておいた。 説明書きは失われているのでモノだけ。

手はなまっているが、昔より音楽がわかる気がする。 弾いても流れに乗れる。だが、やはり手は動かない。 歌はうまくなったのだがな。

ヴァイオリン並みにピアノが弾ければ作曲でもするかという気になるのだが。 MIDIやら楽譜では劣化が激しすぎてとても頭から外に出せない。 加えてそれが吐くほど面倒くさい。

ミューズリーでも食うかと思って皿に盛ったら、牛乳がなかった。 面倒くさいのでこのままにして秋葉原に行ってきます。

かつて台所の三角コーナーにはショウジョウバエ(2ミリくらいの奴)がわいていた。 別にゴミがたまっていたわけではない。 にんじんのヘタ一個でも奴等は健気にエサにして生きていくのである。 だが、今はいない。手軽に抹殺する方法はないものかと思って 試しに台所用洗剤をまいておいたのだ。どうやらそれで全滅したようである。 なにか悪いことをしたような気分だ。 別に害があるわけでもない。ショウジョウバエは実は清潔な生き物である。 便所にわくハエとは違うのだ。

これで君もハエ博士。 WEBという奴はちょっとしたはずみで驚くほど知識が手に入る。

とらハDVDおまけシナリオ。最高。繊細。愛。 これほど幸せに辛い思いをできる時間はそうなかろう。 ああいう空間にいる資格を自分は自分でパーにしてきたのだ。 そして、これからもパーにしていく。

タツモリ家の食卓1(古橋秀之)。これもおもしろい。 話そのものは実にほのぼのとしているが、微妙に 古橋チックなところがあってそれがいい。 この人って、けっこうギャグ感覚で人の命をどうこうできるのではないだろうか。 深刻なものを無理に明るく扱っているような感じはまるで受けない。 元々生き死になんてそんなもんだという感覚があるのではなかろうか。 ブラックロッドシリーズもえらく明るかった。 そのへんが隆慶一郎チックである。 ところで、萌え小説を一応は志したと後書きにあるが、たぶんこれは違う。

2002年6月14日

だから、返せ。こういう時は何か手近なものに責任があることにして 改善するのに一生懸命になろう。さしあたって栄養にするか。 確かに毎日無惨なものしか食べていないわけであながち間違いでもない。 どうも能率が上がらないのだ。もっともその原因の大半が 目の疲れなのは間違いない。すでに疲れなどという段階ではない。 モニタにフィルタをつけてみよう。 なんぼかマシになるならそれで十分だ。

会社中サッカー。社長から直々に勤務中にテレビを見て良いという 沙汰が出た。正直どうでもいいのだが、 それでも見ているとおもしろい。とりたてて自発的に見ようとは思わないが 見ていればおもしろい、というレベルにおもしろいものはそこら中に あふれかえっている。私は無趣味な人間なのかもしれん。

2002年6月13日

デッドオアアライブ3をえんえん同居人がやっている。 すごい。スカートだけでポリゴンを何百枚使っているのか。 なにせ裏返るのである。そういうわけでXBOXはいい機械だ。だが、売れない。

同居人とあと一名、 えんえん「これ、色っぽいよ」とか言いながらやってる。 あれはギャルゲーだ。桑島とか堀江とかいるし。 マルチの声で「押忍、お疲れさまでした!」は卑怯だ。

それ、おもしろい。

考えないし見ないので、書くことがない。

2002年6月11日

眼科の医者が達人くさかった。 ドラゴンボールで神さまが操ってたオッサンみたいな感じ。 いきなり喉元に指が突き刺さりそうだ。

責任がないのと無責任は違う意味だ。なんかおもしろい。 「これを使って何が起こっても私は無責任です」 は全然意味がわからん。

バキ。笑いをこらえつつ読むのに苦労した。 一緒に喜ぶ人がいない限り買う気にはならないので、立ち読み。

2002年6月10日

モンティパイソン。職場の先輩から借りた。 なんだかわからんうちに借りたが、イギリスかどこかのお笑い番組らしい。 ただ、すげえ。教養に満ち満ちている。ちゃんと笑える。 45回分はさすがに見ないだろうが、 もうちょっと見てみようとは思う。

しかし、このノリが45回分続くとしたらやはりマンネリかもしれん。 日本のお笑い番組も初めて見たらおもしろいのかもしれんな。

呼び捨てされるというのはプロの名誉だと勝手に思う。 しかしそれはプロが観賞する側から手の届かない場所にいる存在 であればこそだ。もはやそうとは言えない。

古橋のノリって、隆慶一郎っぽい気がする。 花のような笑顔を浮かべて手榴弾で自決したりするあたりとか、 まあいろいろあるが、思いつき。

そういやいっぺいに「パダヤッパ」という映画を勧められたのを思い出した。 面白がってる人が他にもたくさん見つかるのでどんどん見たくなってきた。

2002年6月9日

今年も今日から夏だ。

ウシオに誘われて運動してきた。体が濁ってて思うように動かなかったが、 久しぶりにやるとけっこういい。

「ブラックロッド」(古橋秀之)。ニャに勧められて読んだのだが、なかなか良い。 「機甲折伏隊」のルビが「ガンボーズ」だったりしてなんだこりゃと思ったが、 それだけのものではなくちゃんとおもしろい。 局所的になにやらいい話になっているし、それを粉砕するような最後のオチもいい。 「50メガ祝福単位(クライスト)」とか、そのへんのムチャクチャな造語も いいアクセントになっている。話を聞いた時はどんなバカ小説かと 思ったが、これはいい不意打ちだった。 昔から女神転生のようにオカルトと科学というか技術を結びつけたものは たくさんあったのでもう何を見ても驚くまいと思っていたが、 これだけムチャクチャな言葉を並べられるとさすがに驚く。 もっとも半分も読めば慣れてしまうのが残念なところではあるが。 ところで、太字が気になった。ところどころゴシックになっており、 いかにも「ここが山場だ」と書いてあるようで気に障る。 そんな小細工をしなくても良いレベルだと思う。格を下げる効果しかあるまい。 関係ないが、WEBサイトでフォントをデカくしたり色を変えたりするのも 逆効果になることが多いように思う。 下手にやると本人の意図が生で出てしまって品がない。 うまくやっていればいいのだが。

その第二弾、ブラッドジャケット。こっちはかけ値なしにおもしろかった。 ちょっと切ないけどよく考えたらスプラッタというあたりが新鮮でいい。 ヒロイン内蔵ブチまけて死ぬし。主人公は死体処理業者だし。 ブラックロッドに比べると変な言葉はあまりないが、 聖光効果が強力すぎて可視光域に及んでいる(=後光がさしてる)、みたいな 描写があったりしてやはりいい。 ケチくさい倫理感が全然ないのもいい。粋だ。 ただ、主人公理不尽に強すぎる。あと、イラストがショボイ。 どちらもどうでもいいことだが。

第三弾完結編「ブライトライツ・ホーリーライト」。 とりあえず日常見る論理や倫理と違う次元で動いているので、 人がどれだけ爆散しようといちおう何万人の命を救う奴が 気まぐれでそのへんの人を虐殺しようと、あまり気にならない。 それにしても、戦闘描写において用語を仏教にするだけで こんなにおかしくなるものなのか。機動明王、走輪自走菩薩、重機動如来。 敵を撃破した時のオペレータのセリフが「目標の仏性上昇、仏法下に帰依します」。 最初の10ページでド肝を抜かれて正常な判断力を完全に奪われてしまった。 宗教+SFなんてのはエヴァもあったことだし今やられるとかなりダサいのだが、 ここまでやれば大したものだ。 話もなにやらきちんとできているようですごい。 読みこむということができなくなって久しいので細かいところで きちんとしているかはまるでわからないが、とにかく強い作品であることだけは わかる。

総員合掌。いい言葉だ。

いい奴と悪い奴がさっぱり分かれてないのがとてもいい。 HANA-BIを見た時も思ったことだ。「それ、本当にいい奴なのか?」 という疑問が拭えないが、なにかその場の雰囲気というか空気で いい奴と定義されてしまうような感覚がある。 もし今私の隣にいれば絶対にいい人とは思えないだろうということを承知の上で そう感じてしまう。みんな精一杯やっているのだ。 精一杯生きないことなどできないのではなかろうか。 精一杯生きていないという時、それは今この状態を精一杯生きていない状態 であるとなんらかの規範に照らして定義しているにすぎない。 だが、それはそれとして、普通の意味で精一杯生きるのは良いことだろう。

フリクリ完結。異常なほど質の高い作画。コミカルな動きもすごい。 デザインもすごい。 だが、内容はわからん。なにやらおもしろかったっぽいので良し。 やはりGAINAXはすごいということか。ただ、何か好きにはなれん。

「サムライ・レンズマン」(古橋秀之)。まだ途中だが、これ バカ小説か。ちゃんとおもしろいし設定もかなりきちんとしてる ようなのだが、ところどころ気の効いたギャグが散りばめられていて 笑いがこみあげてくる。ある意味失敗だったかもしれない。 そもそもまともなレンズマンを一冊も読んだことがないのに こんなキワモノを読んでしまうなんて。 こんなんじゃないんだろたぶん。しかしそれにしてもおもしろい。

マジでおもしれえ。これ、すげえいいわ。熱い。実に熱い。 そして、SF。豪快なSF。小難しいところのない、本当に豪快な世界観。 ところどころの笑いどころがまたいいアクセントになっている。粋だ。 にしても元のはどんなのなんだろか。せっかくなのでオリジナルのレンズマンを 一冊読んでみることにする。それも古い奴がいい。

古橋秀之。この人はうまい。陰気になりそうなところが まるで陰気にならないあたりはものすごく気を使っているのか あるいはそういうノリの人なのか。どちらにせよとてもいい。 なんとか家の食卓という奴も書いているようだが、 そっちもたぶんおもしろいのだろう。買ってくることにした。 文庫本程度なら平気で買えるようになった自分の金銭感覚が頼もしい。

キャベツ、豚肉、人参を炒め蒸し。味付けは醤油とトリガラスープと 豆板醤とオイスターソース。さあ食うかと思って炊飯器を空けたら、 米が生だった。スイッチを押し忘れたらしい。 やはり慣れない機械を使うものではないということだ。

だが、これも仕方ないのである。同居人の実家から米が20キロも送られてきており、 別に玄米を買ってくるのも気がひけるのだ。 ともかく消費してしまい、なくなった瞬間に20キロ注文するという作戦である。 ところで、料理はなかなかおいしゅうござった。 即席粉末トリガラスープは野菜があまりうまくなかった時のための苦肉の策で あまり上品な味にはならないのだが、量を控え目にすれば使えないこともない。 ただ、米がほしい。炊けろ。

2002年6月8日

最近おもしろさを表現する言葉が尽きた。

今木さん経由で いろいろピアノアレンジ。なんか、ピアノ曲。 演奏の問題なのか編曲の問題なのかはわからんが、ピアノ曲すぎる。 生楽器という奴はどうしても敵がプロになるので、 見る目が厳しくなるのかもしれない。

そのうちのアトラク。改めて聞くと流れが感じられない。 頭を両手でつかまれて揺さぶられる気分。 伴奏が伴奏なのがいけないのか。ピアノはよくわからんが、 伴奏は何個目かのメロディなのであって、 和音が淋しいから足すというようなものではないはずだ。 とりあえずかなりの部分演奏に咎がある気がする。

バッハ弾きたくなってきた。今度会社の防音室使わせてもらおう。

コンピュータで音楽やるのはまだるっこしい。 入力形式としては一番楽なSted2でも いちいち数値に変換しないと音楽にならんのは変わらない。 一時期そこそこやったが、作りこむのが面倒でどれも音をブチこんだだけで 放置してしまっている。 そもそも曲の表情なんてもんはその場の気分でなんとなく勝手につくものであって、 うんうんうなりながら数値に変換してつけるものではない。 せめてキーバインドがvi風なMIDI作成ソフトがあればもうちょい やる気にもなるかもしれんが。

2002年6月7日

衛。ええ子や。それにしても、完全に声が鳴る。 シスプリ12人に関しては脳内再生は完璧に近い。 もっとも本当に聞こえるのと区別がつかないレベルにはほど遠いのだが、 そうなると恐い人なので遠慮しておく。意識が朦朧とした時だけで十分だ。

しっぽもだった。他にもあるな。to heartも弱いが鳴る。 とらハは…、2と3ならけっこう鳴る。1は唯子以外全く鳴らない。 ところでふと思ったんだが、痕。声つくんかな。つかんか。

とらハDVD。メッセサンオーの通販がもう終わってる。 店頭予約も終わってる。 ネット通販の受付なんて始まってからまだ3時間も経ってないのに。 まあいいか。ネタ半分で買ってしまっては本気で欲しい人に悪い。 来週普通に買いにいこう。

って、まさか、今日金曜日なのか。すると明日は土曜日なのか。 バカな。今週何をやった。早い。早すぎる。返せ。

2002年6月6日

全体の作業量が100として、一日あたりがんばると2、がんばらないと1できるとする。 この場合、50日経つまではどちらにせよヒマにはならない。 他人が律速になるところまで作業を進めればヒマになるが、 現状では仕事の独立性が高く、当分そういうことは起こりそうにない。 後で間に合わなくなりでもしたら大変なことになるため、 結局可能な限り働く以外にないということになる。 長いこと勤めてればそのへんのペース配分がわかってくるのだろうが、 今は無理だ。とりあえずの掟は、土日は休むことと、 基本的には11時ごろ帰ることの2つだけである。

妙にリズミカルなキーボードの音はコピペの音だ。 できるだけしなくて済むようにしたい。

2002年6月5日

明朝体で「……くしししししし&heart;」。やはりすごい。

君望の主人公はヘタレだ。しかし、あんな状況になったら 仕方ないだろうと思ってた私もたぶんヘタレに違いない。 さて、ならばヘタレでない人ってのはどんなもんなのか。 このフヌケ野郎、と主人公を罵れるだけの自信が必要だが、どうだろう。

考えたら水月シナリオやってない。 どっかからすごいプッシュがあったらやろう。 僕夏の貴理以外に関しても同様。

気になる衛。

一見理不尽に見えるが、無知ゆえにそう見えるだけかもしれない。 相手はプロなのだし、そうである可能性の方が高かろう。 だが、現時点の知識ではどう考えても理不尽にしか見えない。 かくなる上は、自分で理不尽でないやり方を実践するしかなかろう。 できれば理不尽だったと証明できるし、できなければ 自分が浅はかだったことがわかる。どちらに転んでも悪いことはない。 ただ、時間がかかるという欠点がある。

2002年6月4日

G'sはシスプリにしか用がない。単行本になるのを待つべきだろう。 だがしかし、ああ言われると気になる。

噂のバキを見た。これ、バキをネタにした同人誌だろ。 ときメモ本とかでよくバキのような濃い物を使ってウケを狙う人がいるが、 それと変わらん。アホすぎる。

元々速く考えるのは苦手でパズルゲームや麻雀の類はまるでダメなのだが、 近頃余計にダメになってきた。きちんと場合分けしないといけないような 類のプログラムを書くのにえらく手間どる。 そもそも基本的な頭の性能が良くないのかもしれない。 頭の回転が速かったらこんなに会話で苦労することはないだろう。 自分でも嫌になるほど理解が遅いし、言いたいことを整理できない。 文章は時間がかかってもいいので楽なのだが。

2002年6月2日

おねティ完了。8、9、10あたりは本気でおもしろかった。 声優の力によるところが大きすぎるが、それもありである。 だが、11がいけない。そして12もいけない。 覚めた。しゃべりすぎだ。作られている。 どうしようもなく作られている。裏切ったな。この私を裏切ったな。 11、12あたりはたぶん良く出来ていた。テストの答案のようだ。 だが、私はそんなものは欲しくなかったのだ。 昨日覚えた下品という言葉をここに使おう。 いつもなら「それはそれでいいかもしれん」とでも言うところだが、 言わんぞ。今日は言わんぞ。

このアニメの見方を間違っていたのは認めよう。 いろんな感想を読むにつれ、この回はパンチラがどうのだの、 それはもう知的な感想が主流であることがわかる。だが、そんなもんは知らん。 だいたい最後の山田先生と縁川のくっつけ方はなんだ。 いいのか。貴様らそれでいいのか。ふとメガミマガジンの 黒田先生直々のショートストーリを読んでみる。 ああ、黒田先生。それでいいんですね、あなたは。

細かいところ。9話だったかの苺さん。胸に手当てるのは悪ノリしすぎです。 思えばあのへんで覚めるに十分なネタは揃っていたような気もする。 確かに覚め始めてはいたのだが。 画面に選択肢が出るんだよという中将さんの言葉が今になってわかる。 私はバカだ。

おねティ。おもしろうございました。 また一段と黒田洋介先生が嫌いになりました。職人としては大したものですが、 なんか釈然としません。今度リヴァイアスの小説を読んでみようと思います。

考えたらリヴァイアスも最後のまとめのあたりがとても気に食わなかった気がする。 おねティはモノがシンプルなだけに余計に気になったのかもしれないな。

いけない。つまらん知性が沸き出して過去の記憶を汚して回り始めた。 最後が気に食わないのと見ている途中おもしろかったのは別のことなのに。 これだから自分の印象などアテにならないのだ。 印象は記憶として残っている。その記憶は後から書き換えられる。 だから本当の印象などどこにもありはしない。 文章はそれをどうにかして残そうとする試みではあるが、その力はあまりにも小さい。

長いがついでだ。読むのが面倒だから長くするなとか言うのは好意を示す 軽口であると定義する。で、何かと言うと メガミマガジンについてるしっぽのデカい絵のことだ。 折りこみのやつ。なんか悲しい。すごいんだが、悲しい。 置いていかれた気がする。いいんだ。それでも。

こういう話をすると、憐れみを交えた微笑みを 浮かべながら聞き流してくれるんだ。きっと。

あずまんが3-5。あー。幸せー。批評なんてする気はもはや起こらない。 見たということを記録するだけの文章でしかない。

人見知り直せよ。でも、なんで人見知りって人見知りって言うのかな。 字面見てもそういう意味にぜんぜん見えないのだけれど。

今のプロジェクトが終わるころには 「オレはこれを作ったんじゃー文句あるか」の一言で あらゆる劣等感を駆逐できるようになれるだろうか。 できないだろう。できないことは無限のマイナスだが、 できることは所詮プラスマイナスゼロの価値しか持たない。

作る側の理屈など使う側にしてみればどうでもいいことだ。 常に使う側の理屈が勝つ。つまらんゲームを作る奴が100%悪い。 作り手の技術力は常に使う側の欲求を満たすだけ高くなければならないし、 使う方はそれを前提として話をしている。だから、使う人間は 作り手の事情など無視していくらでも文句を言っていい。 ロードに10秒かかってタルかったら、それは作った奴が悪い。 例えそれがやむを得ないことであったとしてもだ。 使う側が変に賢くなって「仕方ない」と言ってあげるのは不健全だと思う。 これは金を払ったか払ってないかは関係ない。 物を世に出すということに関してそれくらいの覚悟があるべきだ。

ウシオが散打に出るらしい。で、練習会に誘われた。 鈍り切った体で動けるかどうかはわからんが、 とりあえず行ってみることにする。

2002年6月1日

仕事を7時で抜けてソガさんと中将さんに会いに行く。 中将さんはアニ同なので何度か会っているが、 ソガさんは初めて。ドキドキする。

アンナミラーズで食事。メシという言葉は使わない。食事。 バイトの人がたくさんいて、目のやり場に困る。 いや、本来じろじろ見るべきなんだろうが。

その後ソガさんち。ダラダラ話しながらいろいろ見る。 りぜるまいん1話。うぐぅ。かわいいけどなあ。声とか。 くるみpure1話。うぐぅ。痛い。一人えらいちっさかった。 ヒカリアン2話。すごく子供アニメ。よくできてる。 しかし毎週見るかと言われるとたぶん見ない。 そもそも毎週見てるアニメなんて一つもないので当たり前ではあるが。 ラーゼフォン1,2話。あーこんなんやったんやー。デザインはおもろい。 話はない。演出はダサい。絵はきれい。たまにギャルゲー。総合的には微妙。 一生懸命いろいろ探したりしながら見てほしいんだろうが、 そんなことをする気になるほどすごそうでない。 カット割りがダメだ。叫んで空とか、先にビルのある風景写しといて そこにデカいものが落ちてきてビルが崩れたりとか、ありがちすぎる。 音楽と個々のオブジェクトのデザインが見どころで、あとはそこかしこで感じる デジャヴを楽しむものか。 シスプリ四葉と鈴凛の回。絵ひでえとか言いつつなんかまともにおもしろいと 感じる私はもうダメだ。

ソガさんも言ってたが、よほどのもんでない限り見てれば慣れる。 問題は慣れたいかどうかだ。しかし、慣れたいと思わなくても、 縁あって見ることになれば、慣れてしまう。 そして、慣れるどころか悪くすれば好きになってしまう。 こればかりは止めようがない。つまんないと念じながら見ることが いかに愚かなことであるかはすでに学んだ。 せっかく見るのだからいいところを探したい。 だからもう慣れるのも好きになるのも止めることはできない。全ては 巡り合わせの問題だ。くるみpureですらおそらく3か4話程度見れば 慣れるだろうという確信がある。ただ、所詮生身の人間なんてのは 立体としてそこにいない限りかわいくは見えないので萌えーとか言うことには ならないだろう。そもそもあの人あんまりかわいくない。

ああいう変な服をそれっぽく作るのは不可能なのだろうか。 コスプレの衣裳とかと同様にたいがい安っぽい。ニセモノくさい。 しかし昔見たKANONのコスプレ衣裳はえらく作りがよかった。 中身の人がかっこよかったせいもある。舞だったというのも当然ある。

ところで、ああいうなんか知らんが美少女が押し寄せてくるタイプの話というのは、 世間的にはあざとくてダメということになっている。 そんな都合がいいもんはダメだということらしい。 しかし、本当に都合がいいか。本当にうらやましいか。 考えてみるとたいがいのは本当にあったらたぶん困る。 妹12人にせよ、守護天使12人にせよ、国家機密のロリ妻にせよ、間違いなく困る。 だって、どうすんねんそんなん。 でも、守護天使12人は本気でいてもいいと思ったりもする。 それだけの異常事態なら他のことがどうなってもかまうまい。妹も可。 国家機密のロリ妻程度だと他のことがまだ気になるのでいらない。 しかしまだ一話しか見ていないので、仮に全話見たとしたらわからんかもしれん。

あ、でも来てしまったら追い返せないな私は。あの主人公には共感を覚える。

私に5たびメガミマガジンを買うという過ちを犯させようというのかね君は。 もう4回も後悔してるんだぞ。だがもはや仕方あるまい。

おねティ8まで。ごめんなさい。本当にラブコメど直球でした。 「致してしまいました」。岩田光央がけっこう好きになった。 そして縁川は強い。でも、私は人を意識的に好きになったことが たぶんないので、彼女の辛さは想像の範囲でしかない。

東京に現れたいっぺいと秋葉から上野にかけてうろつく。 すごくダラダラした。東京ミュウミュウを読ませて辛がらせたりした。寿司。

秋葉原でVIAのEdenを見た。CPUが直づけされたマザーボード。 小さい。一辺が手を広げた長さくらい。17cmと言ったか。 もしそれがギリギリ入るくらいの 箱があったら買っていただろうが、なかったので買わなかった。 とりあえずEdenでDVDを見られるようになるまで待つとしよう。

そういえばミルキーシーズン。ソガさんちでえんえんやってた。 夜中で一人でダラダラ声を聞いている分にはかなりよさそうな予感。

メガミマガジンとカラフルピュアガールをまとめて買うという暴挙に出た。 仕方ないので端から端までながめることにする。 痕リニューアルは絵が不自然で前の方がいいと思った。 本人二人が手がけるというのはいいことかもしれないが、 もはやファンとは到底言えない状態なのでどうでもいい。 そんなヒマがあったら新しく作れ。

やっぱりエロゲ雑誌は恐いのでいらない。

カラフルピュアガール。色がついた部分は痕の変な絵しか見るところはなかったが、 最後の方の文章はおもしろかった。 「ほしのこえ」について書いてあった奴とかだ。なんか頭のいい人っぽい。 なんか昔見たものを組み合わせて今の技術とかで味付けしてる、 というのは私も思ったことで、「そうだよな」なんて思いながら読んでいた。 もっとも自分と同じ意見の文章は気持ちいいというだけの話かもしれない。

ふと型をやってみた。そこそこ動く。体のそこかしこにつっかえがあるが、 つっかえが明晰に感じられるということは、かえって頭は冴えているのかもしれない。 でも人と殴り合いができる気はしない。今物を殴れば止まるだろう。


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