日記

2002年3月31日

入寮完了。しかしこれサバに上げられるのはいつになるのやら。

まわりが全員超人に見える。次第に薄れてくれば良いが、 そうでなければおしまいだ。

自分が人と通信してないと死んでしまうような性質の人間でないことがよくわかった。 携帯電話の必要性は他の多くの人ほど切実ではない。 日記を通信に使わないことも無関係ではあるまい。

東京初ラジオ。京都ではみやむーだった時間が、どっかの演劇専門学校の生徒と おぼしき者共がやっているものになっていた。どこの学芸会だおまえら。 ルミナスに出てきた放送部と大差ない。 あとドラエモンのパクリをやっていたが、異常なほど寒い。ネタが寒いのみならず 演技が下手すぎる。 なお、何故かさくらいたかひろ(漢字調べてない)のいっぱいいっぱいはちゃんと 入っている。にしても、明日入社式なんだが、こんなもん聞いてていいのか。

バカな。しっぽは2時からだと。ふさけるな。シスプリ終わったら2時間寝る。

ところで、30日にはキャラコンに行ったのだが、結局桂名君に2度会っただけで 何もしないで帰ってしまった。シスプリの公開録音くらい遠くから眺めてから 帰ろうかと思ったが、人が多すぎてどうしようもない。 交通費600プラス入場券1000円も払った上に 入場に50分もかかったのに、 会場にいたのは一時間足らずだった上に何も買わなかった。 一体何しに行ったんだか。 元々なんとなくで用事もなかったし、それ以前に何のイベントだかもよく知らなか ったので当然と言えば当然だが、やはり空しい。 古山きみこが握手会やってて一瞬魅かれたが、どうも私はそういうキャラでは ないような気がするし、そのために不必要に金を使うのもアホらしいのでやめた。

ところで、羽田空港から有明行きのバスが出ているという情報を得て、 それで行くことを思い立ったわけだが、間違いだったのは 羽田空港が近いと思いこんだことだ。 確かに羽田空港の敷地に侵入するまでならば寮から歩いて10分かからない。 しかし、実際にターミナルに辿りつくまでには推定5キロ以上歩かねばならなか ったのである。あの人工島の外周をグルリと歩いたわけで、かなりアホだ。 帰りはゆりかもめで帰ったのだが、無駄なことにJR蒲田から歩いて帰ってきたために さらに数キロ以上歩いてしまった。地理はだいぶわかったものの 足の裏には巨大な豆ができている。 無駄に辛い。疲れはしないが足が痛いのはどうにかならないものか。 全て地面が固いから悪いのである。もっとクッションのある靴を買うべきか。 もっとも、こういうマネを繰り返していればいずれ足が適応して強くなるだろうから 問題ないと言えばないのである。20キロ歩くくらいは平気であるべきだ。

ところで、31日も自転車屋を探して歩き回った。 その途中でPIOホールの前を通ったのだが、何かイベントをやっているっぽい。 覚醒夜。まだやっとったんかリーフイベント。 そういや今日なんかやってると桂名君に聞いた覚えがある。 外からガラスごしにイベントパンフを見ると、覚醒夜6とかのがある。 まだまだやる気らしい。こみパイベントもあった。根強いものだ。 で、彼も行くと言ってたしどうせだから入ってってみるかとも思ったが、 行った時間が3時ごろで、すでに撤収しているサークルも だいぶあるようだったのでやめた。まさかおらんやろ桂名君も。 カタログが売れ切れて入場フリーになってれば入る気にもなったのだが、 さすがに用事もないのに600円払う気にはならん。

しかし、昔わざわざ新幹線で来たような場所に家から歩いて行けるってのは 不思議な気分だ。

2002年3月28日

何故か更新できてしまう今日。しかし明日からはまた当分更新できないでしょう。 なお、IEで保存して書き加えているためにDTD指定文字コードその他が変わってます。 なんでこういうことするかなIE。

アニメディアで連載してたらしいしっぽ漫画。普通にダメだ。最高。 理性はダメだと言っているが、 感情がそんなことはどうでもいいと言っているので、感情の勝ち。 かわいい。とにかくかわいい。 もう完全に目が濁っているので出来がどうなどということ自体馬鹿らしい。 話がありきたりだとか、なんかいきなり良い話っぽくなっててどうしようもないだとか、 そんなことはまったくもってどうでもよいのである。 しかし不思議なことに、同じように目が濁っているはずなのにシスプリ漫画はダメだ。 あっちにはキャラのイデアがない。こっちにはある。 断言していいものかどうかよくわからんが、 そう感じるのだから仕方あるまい。なお一つ断っておくが、 わたしもこの漫画が客観的あるいは通常よく 使われる意味でおもしろいとは言っていない。 ただかわいいといっているだけだ。しかし、 それはわたし内部のおもしろいの定義の一部であり、つまり わたしにとってはおもしろいのである。

ノワール16まで。かっこいいんだが、 ひょっとしてこれ内容ないんじゃないのかという疑いが 微妙に生じてきた。 おまえら早く撃てよという禁断のつっこみをいれずにいられなくなる。 いくらなんでも頭悪すぎやしないかこいつら。 頭の良さとかっこよさは両立しないのか。 結局一番かっこいいのは一話のネクタイハンギングなような気もする。 しかしなんだかんだ言いつつもおもしろいしかっこいいので 総合的にはかなりプラス。最後まで見ねば。

あいまいみぃストロベリーエッグ完結。熱血教師物は本当に久しぶりでなつかしい。 ところで、何故これがダメアニメ扱いされているのかがまるでわからない。 普通に見られると思うが。 萌えアニメの一種という見方をするのは何かが濁っているような気がする。 わたしは普通に楽しめた。

ぷにぷにぽえみぃ。クソアニメのイデアを体現したような出来。 辛かったが、価値のある辛さだった。 しかし、この手のものはもう要らない。一度で十分だ。 なお、小林由美子がかなり偉大な人であることが わかったのは収穫だった。こんなに捨て身な人だったとは。当分衛の声をまともに聞けない。

ONE3巻。思った通りまったくさっぱりわからない。 わからなすぎてもういいや。しかしどうせ最後まで見るんだろう。 ところで、みさおの声がもっちー(望月久代)でびっくり。きづかんわそんなもん。

オネアミス。なるほど名作名作言われるわけがよくわかった。作り込みが半端じゃない。 あんなに美しい背景にはそうそうお目にかかれまい。

KANON9話まで。8,9と完全に置いてきぼり。 さっぱりわからない。舞の話は元以上にわけがわからんし、 栞の話はラブラブになる過程が抜け落ちているためにいい シーンもほとんどギャグにしかならない。 ところで、あゆの奇跡もないのに栞が元気に生きてるっぽいのだが、それはいいのか。 それにしても、もう舞も栞も出てこないのだな。 きっと。最後にチョロっと出て終わりか。

おねティ最終話。初めてみたのが最終話。実に最終話。うる星やつらを思い出す。 なお、この歌をまともに聴いたのも初めてである。 折戸氏が適当にメロディだけ作った後 高瀬氏がいつもどおりの伴奏をつけてどうにか形にしたのではないかと 邪推したくなるくらいちぐはぐな曲だ。 この終わり方のやる気なさは一体どうしたことだろう。 なお、エンディングは一点の濁りもなく高瀬氏の曲調。 ちなみにわたしがI'veくさいと言うのはこの高瀬氏の曲に限る。

monster完結。すげえや。 うまい漫画ってのはこういうもののことを言うのだ。が、前半を読んでたときほど ハラハラしなかった。

天は赤い河のほとり完結。 とてもよく描けている少女漫画。うまい。しかし、あまりにわかりきっている。

やるな東大アニ研 (3/28の更新情報参照)。行かねば。 にしても、なんでこんな企業サイトまでトップにリンクを張って欲しがるのか。 おねがいされては聞かない訳にはいくまいが、いまひとつ動機が不明だ。 もっともそう書いた本人にも動機はよくはわかっていないのかもしれない。 わたしも最初japanese onlyと書いたときは 何故そう書くのかについて考えてはいなかった。

しっぽラジオが次で最終回。 シスプリラジオがどうでもよくなって久しいこの状態にあっては、 もはやラジオをつけようという気にすらなるまい。次の日が仕事となればなおさらだ。 さようならラジオ。あるいは他の番組を開拓してみるべきか。

人がつまらないといっても別に気にする必要はない。 その後たくさんの物を見ていれば嫌でも比較が行われてランク付けがなされるのだから、 その前につまらなくすることもあるまい。 ただ、人がどのような意味でつまらないと言ったのかを知っておくのは 悪いことではない。 つまり何が言いたいかというと、あいまいみぃはおもしろいと思う。

それではまた。ここ数日書きたくて仕方なかったので、 たぶん就職してからも書くでしょう。 人に伝えたいという以上に、自分が何をしたのかを記録しておきたいのです。 本当はこんな中途半端な状態で更新する気なんてなかったのですが。

2002年3月23日

エンジェリックレイヤー16くらいまで。みさきち声高すぎ。なんでそんなことに。 何か圧力があったのかくそう。亞里亞を思い出す。

現時点をもってコンピュータを封印します。 新天地における通信環境が整うまではインターネット経由での通信は不可能です。 電話機は私がここにいる限り使用できますが、 いつまでつながるかの保証はできません。 引越した後に電話が使用可能になる日時は未定です。 生身関係の人々には落ちつき次第連絡します。

みなさんさようなら。また会う日まで。

2002年3月22日

お魚パーティー2日目。よく食った。

冷蔵庫停止。残った食料は廃棄。

しっぽ5.5。幸せ。話が進まないことが最上だ。 毒天も1や2とは違ってそれほど外してなかった。というか、正直おもしろかった。

東京行きの荷物が出発するのは明日。 こうして日記を書けるのもせいぜい土曜の朝までである。 そして、行った先でADSL接続が開始されるまでは更新できない。 いつのことになるのやら。

プロバイダ変更は保留。しばらくはここにあるでしょう。 自前でサバ立てて云々とかする意欲が完全に失せたので、 つながればそれでいい。

本棚、冷蔵庫消滅。どんどん物が消えてゆく。だが、失われたKANONは出てこない。 貸しているとしか思えん。

とりあえず連絡先は後ほど。なにせ電話もまだ決まってません。

こんなどうでもいい状態で何日も放置されんのかこのサイト。 なお、会社が忙しくてサイトどころじゃないと思ったら閉じます。

いろいろあって、DNAチップ解析プログラムの公開を取りやめました。

金を出した組織2つが隠せと言うのだから逆らえるはずもないが、 でもなんか腹立たしい。 こうなって初めてあんなものに対しても「オレのもんだ、オレが書いたんだ」という 意識が強くあったことに気づいた。

2002年3月21日

鈴木宗男。 何をやった人かさえ知らなかったが、これを見て嫌いになった。 センスが悪すぎる。それだけで十分な理由だろう。

リヴァイアスおしまい。えらく円満に終わった。 おもしろかったとは思うが、なんとなく空しい。 よく出来ているとは思うが、迫力を感じない。何故だ。 黒田洋介が嫌い、という偏見のせいか。 うまく言えないが、おそらくわかりやすすぎるのだ。 例えば、人間はむつかしい、ということを簡単に言いすぎている。 言葉ではっきりと言えるような悪いところはなかった気はするが、 何か腑に落ちない。

2002年3月20日

カラオケ終了。7時間。最後の2時間は本当に辛かった。 4人で回し続ける。

現在7時12分。 これから市場行きます。夕方には刺身部を始めるでしょう。 てきとうに来てください。てきとうに。昼に人が揃ったら食い始めるかもしれませんが、 どうせ余るので焦る必要はないです。ボチボチ来てください。 なお、明日は加熱系がメインです。

戦利品。アジ(25cm級)×6、鯛(2kg)×1、ブリ(5kg)×1、スルメイカ×10。 今解体作業が終了したところ。 ぼちぼちてきとうに来てください。 今日の目標はブリ、鯛、イカの刺身を可能な限り減らすこと。 この時、鯛は絶対に保存が効かないので今日中に消す必要がある。 そして、明日はアジを焼くなり蒸すなりして食う。同時に ブリと鯛のアラを使って大根を煮る。本来なら混ぜたくはないが緊急事態だ 仕方あるまい。また、同時にゲソを消滅させる。 なお、この時点で何かが残った場合はもちろん誰かが持って帰るのだ。 うちの冷蔵庫は明日をもってその任を解かれるからである。

Kanon5話。もう何の違和感もなく普通に見られる。完全に慣れた。

昼メシにイカの足をゆでて食う。おいしい。まだたくさんあるぞ。

2002年3月19日

電話帳に中華包丁で斬りつけたら500ページくらい斬れた。 もっときちんと斬りつけたら貫通しそうな予感。 この包丁をKOH君にあげる。ぜひ有効に使ってくれ。 全長80cm級のタラバガニを一撃で両断して絶命させた業物である。

もう一回試してみた。900ページ。固定されていれば1200は行けそうな予感。 もしこれで刃渡りがもう少し長ければ確実に裏まで届く。 しばらく研いでないので、研ぎ直せばこのままでも届くやもしれない。 すごいぞ中華。

いかん。電話帳をボロボロにしてしまった。これ備え付けの奴なんだが。 もうすぐ新しいのが来るだろうから、そしらぬ顔をして捨ててしまえ。

金曜宴会がどうのということを言った人々へ。 考えたら金曜は道場のお別れ会だったのです。ド忘れしてました。ごめんなさい。 いろいろ吟味した結果、水曜朝買物、水曜昼か夕方刺身、 木曜その他、というのがかなり有力な選択肢になってきました。 二日あったら最低どっちかは参加できるでしょうたぶん。事実上二日連続宴会。

理研行き。向こうにプログラムを渡して使い方をとりあえず教えてきた。 ついでになんとかいう会社の人に説明もしてきた。 誉められて調子に乗っている。 しかし同時に別のところでへこんでもいる。 私はもうまともにはしゃべれないのではなかろうか。 常識を知らない厨房と思われた可能性大。私が社会で生きていく上で この弱点は致命的になる気がする。そして、半分手遅れくさい。

光瀬龍「百億の昼と千億の夜」。すごすぎる。なにがなんだかよくわからんがすごい。 科学用語がなぜこうも幻想的に響くのか。科学と芸術は両立するらしい。

アニ同耐久カラオケのために説明が終わったら即帰ってきた。 理研の滞在時間は3時間だ。 しかし、話しすぎて声がダメになっていてガッカリ。 下のレが難なく出るということは上は3音以上下がっているということだ。 これでは最近身につけた技は何一つ使えない。 今の私にはヤマトすら高く感じられる。なお、今(23時)は中休みだ。 第三部が0時から7時まである。本当なら昼から参加して計16時間歌うという 暴挙に出たかったのだが仕方あるまい。そして終わったら即市場。

2002年3月18日

昨日の日記長すぎ。一日中家にいるとこういうことになる。

鶏肉を買ってきて醤油をかけて蒸したが、マズい。臭い。 こしょうを使うべきだった。まともな肉なのであれば妙な匂いはしないので こしょうはかえってノイズになるのだが、これはまともな肉ではない。 やはり肉なんてなくても生きられるのだ。植物と海産物と乳製品。

粗大ゴミ収集が26日。最低それまではいます。

せっかくなのでプログラムを上げた。が、誰も必要とせんだろうこんなもの。 論文になってどっか一流誌にでも載れば別だが、 明らかに書く時間ねえ。誰かが書くことになるだろう。 書けるように材料だけは揃えていかなくては。 修論をもう少し詳しく書いておく必要がある。 いくらか書き加えておかねばなるまい。

クーラ及び換気扇がはけました。

例会後人を無理矢理連れてきていろいろ押しつける。つい調子に乗って あげる予定じゃなかったものまであげてしまった。 ルーミス先生の本とかtexブックとか山口美由紀の本とかエミールとか 朝永先生の量子力学とか。そのうち買い直すかもしれないが、それもまた良し。 なんか、金なんてどうでも良くなってきた。どんどんあげちゃえ。 本なんかはもう読んだ私が持っているよりも、まだ読んでない人が持っていた方が ずっと有意義だ。まだ未来のある人にこそ必要なものだろう。

2002年3月17日

ラブひなOVA2。なんといっても桑谷夏子。「お兄ちゃん」がアレ以外の 何者でもなく可憐だ。「お兄ちゃん」を聞くごとに吹き出しそうになる。 あの人はもうお兄ちゃんでしか生きていけない体になってしまったのか。

アーケードゲーマーふぶき。何がしたいのかさっぱりわからないが、 それはわかることを拒んでいるからだ。つまり冗談をハデにやりたかった のだ、と理解すれば良い。そんなこんなでラブひなよりも数段辛かった。 懐しいゲーム画面が出たからといってうれしくなる年でもないのである。 だいたいゲームセンターあらしなんて読んでねえ。 ダサい演出もひどいネタも全てわかってやっているのかもしれないが、 それでもダサいのだしヒドいのである。

ニャからの情報。Flashという写真週刊誌で「妹特集」。1ページシスプリ。 それも12人をきちんと紹介している。せっかくだから買っておいたが、 こんなもんを買う経験は二度とするまい。 基本的にタバコの宣伝が乗るような雑誌は私とは違う世界に位置している ものなのである。永遠に交わらない。

ふと思いついたもの。正字正かなモードつきギャルゲー。 微妙におもしろそう。

修論をフィルタにかけたらものすごく偉そうになった。

それ、かっこ良すぎます。 フロレアールがそんなにおかしくないのはフォントのせいでしょうか。

昨日書き忘れましたが、変換フィルタは以下から手に入ります。

何を言うても逆のことを言う人が出てくる。だいたいそういう時は 互いに同じ物の別の側面を見ているので、まず互いにどういう見方をしているから そういう話になったのかという話になり、その上で両方の意見が融合して結着する。 意見は文脈の中で出てくるものだ。意見はたいがい他の意見への反発と して出てくるのである。そのへんのことを言う専門用語があったと思ったが忘れた。 ともかく、そういうことを思うと何かを言い張る気が失せてくる。 互いにどういう見方をしているのかを説明し合う作業というのは ことのほか面倒くさいものだ。本来楽しく価値のある作業であるはずなのに、 なぜこうも面倒くさいのか。要は、そこまでして他人と話をすることそのものに 価値を見出だせないからである。話をしている状態が楽しいというのは別のことで、 その結果何か価値のあるものが手に入ると思わねばわざわざそんな危険な会話はしない。 相手をわかりたいと思わず、自分をわからせたいとも思わなければ当然のことだ。 世間話はしても議論はしないのである。

ところで、世間話と議論は連続であり、定義も時と場合によって異なる。 前者は世間話と議論が同じ直線上のある2点を表しているということ、 後者はある空間におけるその直線の選択の仕方が 一通りではないということを意味する。 この例に限らず、 これは対立する二つの概念やら言葉においてはいつでもそうだ。 桑谷夏子の声はどうか、という話が世間話であるか議論であるかを考えることには 何の意味もない。

戦うにあたっては自分と敵の姿をよく見る必要があるのだが、 人はしばしばそれを忘れてしまう。相手が宇宙人でなく理解可能である、 という前提に立たなければ議論は不可能だし、 もちろん自分は相手にとって宇宙人であってはならないのだが。 そのへんを戦いに際して実践するにはやはり場慣れも必要かもしれない。 最近流行りの相対主義は、相対的であるということまではいいとしても 相対的だからいいやというあきらめにつながることが非常に多いように思う。 理解しあえないという前提に立ってしまう。それは会話を全て世間話に堕とし、 交流を否定する態度だ。世間話でしかない議論がWEBにはいくらでも見つかる。 せめて自分が他人を異星人だと思っていること を自覚しておくくらいはしても罰は当たらないと思うが、それすらもむつかしい。

何を言いたかったのか忘れた。たぶん大したことではないのだろう。 久しぶりに大量のWEB日記を読んで回ったらこんなことを考えてしまった。 WEBは考えるネタがあふれているので精神衛生にはあまり良くない。 考える以上にすべきことはいくらでもあるだろう。

いかん。片づけせねば。鬱ってる場合じゃないぞ。こういうときはレインボーマン でもかけながらメシ食って部屋を片づけよう。リヴァイアスは却下。 本当はエンジェリックレイヤーが見たいんだが、お隣がフィールドワークに出ていて 数日帰ってこないので帰ってきてからにする。

レインボーマン46まで。日本人全てをサイボーグ奴隷にして日本を手に入れようという 壮大なスケールがすごい。もちろん親友がサイボーグ化されて襲ってくる。 それにしてもミスターKの演技が恐しくうさんくさいというかショボいというか、 そんなの。この人下手なんじゃないのか。それともわざとなのか。 わざとなのだとしたらあまりに真に迫りすぎているが、そんなことをする理由が さっぱりわからない。

レインボーマン完。悪の首領ミスターKは本来の目的を忘れてレインボーマンへの 憎しみのみを燃やし、東京都民全てを人質としてレインボーマンの引き渡しを 要求する。そしてレインボーマンは東京都民の命を救うべく十字架にかけられるのだ。 すごい展開である。日本人を抹殺するのが目的の悪の組織、 という段階ですでにすごいが、それだけに終わらない。

部屋片づけ中。次から次へといらないものが発掘される。 思い出グッズ(使うわけではないが捨てるに忍びないものの総称)が かなりたくさんある。次は押し入れの上。なんかの箱とかが大量に 入っていてさっぱりわからない。

現段階で処理に困っているもの。電気ストーブ、ウォーターバッグ、クーラーボックス、 中華鍋(39cm)、金属製本棚、換気扇、折りたたみ机及び椅子。プラスチック製 収納箱(100x40x30程度)4つ。これらは明日市に電話して処分してもらう。 が、実際に取りに来るのはそこそこ先になるので、欲しい人いたらそれまでに。

TRPG本あげます。ガープス文庫版、同じくルナル、同じくマジック、同じく 妖魔夜行、あとソードワールド完全版、それとアメリカのドラゴンマガジン 箱一個分。ドラゴンマガジンは 遠くの人でもかまいません。送りますので。捨てるのは忍びないのですが、 寮は荷物の量の制限が厳しくて持っていけないのです。

いっぺいが嫌がらせに置いていった「となりの山田くん」。 10分ほどで嫌になって止めた。これが100分続くのは耐えられん。 いっぺいが「不愉快だ」と言って押しつけてきたのがよくわかる。

リヴァイアス。これイデオンだろ。もしくはバイファム。加えて沈黙の艦隊。 それだけ混ぜれば大したものだ。良かろう。全部見るとしよう。 しかし果たしてイデオンほどの迫力があるかな。

リヴァイアス8話まで。なかなか悪くない。しかし、人間性の描写に何か説得力がない。 良くは出来ているようだが、違和感がある。違うだろう。何か違うだろう。 まだ言葉にならない。最後まで見ればわかるか。

川澄綾子の歌。曲も詞も普通。どっかで聞いた。不自然に合ってないギターが 点数を微妙に下げている。歌はやはり素人だが、素朴で実直な下手くそさ なので好感がもてる。歌い方に妙な工夫をする気がまるでなくとても素直な声だ。 普通は慣れてくると本質的なスキルも上がらないうちにロクでもない工夫を するものなのでこれはけっこう貴重である。

守護堕天使。プッ。しかも名前がユダとかルカ。 そら聖闘士星矢以下のセンスだ。冗談でやってるにしても程がある。 そんなにバカにしてほしいか。

2002年3月16日

ラーゼフォン。台詞聞いてないのでわからんが、どっかで見たようなアニメ。

おねティ。台詞聞いてないのでわからんが、どうでも良さそうなアニメ。

安楽椅子探偵がどうとかいう深夜番組。つまらん演出に凝りすぎて遅い。

w3mは添え字(sub)や累乗(sup)がまんま表示されて困る。 _(a)とか^(a)とかしてくれればいいのに。 数学関係のページを見に行くといつも混乱する。

実行前に実行できるところのうちサイズがあんまり増えない割に速度が速く なるところを選んでコンパイル前に実行してしまう、ってのをうまくやる方法は ないものだろうか。数値がバカスカソースに入っているのはあまりに嫌らしい。

昨日のqsort対sort。sortにはless()を与えていたのだが、 これを省いたらさらに速くなった。 less付きだと30秒だったのがなしだと15秒になる。おかしい。

発作的に文語で書きたくなる。もちろん歴史的かなづかい+旧漢字で。 どう考えてもあっちの方がかっこいい。 生身で書くなら旧漢字は画数が多くてしんどいが、フォントで出るなら 何も悪いことはない。 そういうわけで旧漢字+歴史的かなづかい変換フィルタがあったら 一回かけてみたいものだ。

フィルタにかけてみた。 受ける印象は別物。しかし中身は同じ。慣れの問題だが、そう簡単に慣れるものか。 C言語が明治時代からあったような錯覚を受けてしまう。 究極超人Rは目のつけどころがいい漫画だったと思う。 いかに正字正かなに慣れてないか、 逆に言えばいかに今のかなづかいに慣らされているかがよくわかる。

会社行ってヴァイオリン弾けるだろか。ヒマより場所。音担当の人が 設備使わしてくれたりしたら最高なのだが、会社はそんなに甘くはないだろう。 私のヴァイオリンが使い物になるくらいうまかったらやらせてくれるかもしれんが、 残念ながらまるでダメだ。

元々漢字なんて外来なんだからできるだけやまとことばを使え、 という考え方がある。一方で、方言やらなにやらで言葉なんて 一定しないんだから、文字に意味がくっついている漢字をバンバン使うのは 理にかなっている、という考え方もある。結局間のどこにしようかという話に 落ちつくのだが、しゃべる時には前者に、書く時には後者に偏るのが 自然なバランスだろう。最近は言文一致は無茶だという主張にだんだん 染まってきた。 昔高島俊男の本を読んだ時はしばらくアンチ漢字だったことを考えれば 今回もはしかみたいなものだろう。 しばらくしたらいいバランスで落ちつくと思う。

1.サイトをつくってしばらくはいろいろやる。2.そのうち毎日更新して人を 呼ぼうと日記を始める。3.日記が主内容にとってかわる。 4.日記以外が化石と化す。5.いずれ日記すらも飽きて消える。 というふうな経過を辿るものとすれば、今は第四期だ。 一番安定性の高い時期と言ってよかろう。正のゆらぎが大きくなると 何か新しいことを始めたりもするが、負のゆらぎも等しく大きくなるので、 初期の活性を取り戻すことはまずありえない。そして、負のゆらぎが 一定以上に達した時に発作的にサイトを畳むのである。

2002年3月15日

コンピュータで本当の実数は扱えない。だったら数式の変形をして、 最後の最後にに数字を代入すればいいんではないのか。 とりあえず誤差がどうのこうのというのは最小限に抑えられるはずだ。 誰かやってるに違いないが、それがメジャーにならないのは 実用的な応用の役には立たないからだろう。 誤差が無視できる範囲ならそれでいいからだ。 しかし、ギリギリまで演算を先のばしして、ここぞとなったら誤差が最小限になる 順番に並べ換えてから計算する、 というのを自動でできるようにするのは遊びとしてはおもしろい試みかもしれない。 今は人間が計算量が最小になるように変形してから処理させているが、 うまいことやればその変形を勝手にできるようになるかもしれない。 厳密解が求まる場合と近似をせねばならない場合を自動識別して くれたりするかもしれない。何回か使う計算途中の式をとっておいて 使い回したりできるかもしれない。もちろんそれをやるのは実行時ではダメで、 コンパイル時にできてこそ意味がある。がんばったらできそうな気もするが、 しんどそうだ。どんな関数をブチこんでもいい汎用の積分関数を 速度も精度も犠牲にすることなく実装できたらどんなにかいいだろう。

吉田武「オイラーの贈物」(ちくま学芸文庫)。数学の教科書を文庫で 出してしまったというすごい本。中身はものすごくわかりやすく、 内容も豊富である。たまにまだ出てきてない式を使って解いたりするので 困る時もあるし、厳密さという面では甘いところもあるが、 実用上はとても便利だ。計算精度や近似の話にも触れられていて、 現実的な問題から離れすぎないようになっているのもいい。

それにしてもベルヌーイ数を出すならそれが何なのかの説明くらいしてくれ。 x/(e^x-1)のテイラー展開係数らしいということは調べた結果わかったが、 なんでそれでガンマ関数が求まるのか。 とりあえずT分布計算関数を実装するのはやめだ。 仮にパクってきたとしても表を引くよりは 速度が遅くなるのは間違いないわけであまり歓迎できることではない。 一回計算した結果をある程度溜めておくように実装すればその問題は かなり軽減するが、勝手にそうするように書くのはかなり面倒くさそうである。 計算の途中経過を勝手に溜めておくようにすると さらに速くなる気がするが、もちろん余計にややこしい。

valarrayというのを見つけた。動的メモリ確保がないvectorらしい。 何故今まで気づかなかったか。 問題は速度だが、いちいち数値演算用と言うのだから配列と同じ速度だろう。 それを確かめてもし同じ速度なら配列を全部これに差し換えてみよう。 多次元配列も楽に表現できるらしい。

1万個のlongを確保して、a[i] = a[j] + a[i]をi,jそれぞれについて10000回 回した結果。valarrayで13.4秒、vectorで23秒、配列で4.83秒。 勝負にならん。なんでこんなに遅いのだ。何かテストのやり方が 間違っているのか。それとも配列の時だけ何か最適化がされているのか。

C標準関数のqsort対C++標準アルゴリズムのsort。 本によればsortでは比較関数をインライン化しているので、 比較関数のポインタを参照する手間が 省ける分速いと書いてある。そこで試してみた。 1000万個のlongにrand()でてきとうにブチこみ、昇順にソート。 結果はqsortで40秒、sortで30秒。 qsortよりもsortの方が速いということは本当のようだ。 呼び出し回数が半端でないだけにインライン化が相当に効くのだろう。 と思ったが、使った比較関数でvoidポインタを読みかえるのに無駄な変数を 使っているのに気づいた。これはフェアではない。というわけで その変数を使わないようにしたところ、qsortの時間が20秒になった。 やはりqsortの勝ちらしい。比較関数の種類によっては逆転するかもしれないが、 数値の単なる比較においてはqsortの勝ちだ。 とりあえず比較関数を書き直しておこう。 しかし使い勝手を考えるとそれほど速度が気にならない時は標準アルゴリズムを 使った方が賢い気がする。1.5倍というのはその程度の差だ。

ガンマ関数とかのプログラムはたいがいわけのわからん数値定数が プログラム本体にドカドカブチこんである。円周率の2倍だとか、 ベルヌーイ数の対数だとか、前もって計算した結果が生で入っているのだ。 最適化した結果なのだからそれは賢い方法なのだが、 もう少しどうにかならんものか。一回できたらもういじらないのだから それで困ることは何もないのだが、見て何の数値なのかわかりにくいのが 気に食わないし、数値を書き間違う可能性だってあるだろう。下の方の桁なんて 書き間違ってもかなり長いこと気づかないかもしれない。 そういうわけで、ソースを見れば一目瞭然という状態が保たれながら 実行時の速度は一切損われないようにする方法が欲しい。もちろん それはコンパイル前に式を評価して結果を書きこむという話であり つまりマクロなのだが、さらに一連の定数をコンパイル前に計算して 配列に叩きこめると自前で表を書きこまずに、 かつ機械ごとの精度に合った表を入力できて楽だ。 スチューデントTの表をどうするか考えてたらふとそんなことを思った。

レインボーマン40-42。やっぱおかしいわこれ。さすがに集中して見るのは辛いので かけっぱなしにしておくことにしよう。FreeBSD上でDVDが見られさえすれば。

2002年3月14日

エンジェリックレイヤー13まで。スポ根。 もう何から何まで読めてるのだが、 そんなことはどうでもいい。燃える展開は安心できる。 なお、ネタが懐しいのはZOEと同じだが、ZOEと違ってこっちは今のものである。 ZOEはネタどころか全てが古い。

エンジェリックレイヤーのオープニング歌ってるのは主役だった。 言われてみりゃ同じ声。その歌はもう歌える。 ところで、なんかだんだんみさきちの声が高くなってないか。 微妙に無理してないか。それは鳩子もそうなのだが、たまにわざとらしく感じる。

家庭科実習と生物学実習が混ざった夢を見た。 カレー作る横で培地作ってる。私はそのさなかで混乱しているのだが、 矛盾には気づかない。こういう状態は夢に限ったことではないのだが。

ToHeart映像特典3-6。高橋本人が脚本書いた話はものすごく他愛なくていい。 他は普通。にしても、琴音ってこんなキャラだったか。原版の印象が まるでないのでさっぱりわからない。

Xを4に入れ換えた。はやーい。今まで本当に遅かったのだな。 完成度が低いとかいう文句にビビってたのがバカみたいだ。

マウスが暴走した。調べたら/dev/sysmouseというのがあって、 そこには実際のマウスの種類に関わらずmouseSystemsというプロトコルで 信号が流れてくるようになっているのだという。そうしたら動いた。 めでたい。

非を指摘するのはいいが、それで実際に相手が改心した後に「成長したな」 と誉めてやるのは気に食わん。親父と息子くらい格に差があればいいが、 同格であるはずの関係でそんなことを言うのは「それ見たことか」と変わらんだろう。 それも「それ見たことか」の意味で言うなら悔やしいだけなのでまだいいが、 本人が本気の善意で言っている場合にはかなりやるせない。 例え実際に自分の非を認め、それを指摘してくれたことに感謝していたとしてもだ。

私は説得力に弱い。普通ならば理屈ごときでは覆せないような強固な 直観が形成されているはずなのだが、私はあまりいろいろなものを見て育たなかった のか、いまひとつそれが弱い。ダマされやすい。影響されやすい。 自分でも嫌になる。エミールを読んで共感するのはそのあたりのこともあるのだろう。

福田恆存「私の國語教室」(文春文庫)

  今のかなづかいは間違いだという主張を書いた本、 と書くとかなりイヤな印象になってしまう。 日本語はこういう言語なので今のかなづかいは このへんが無茶だと指摘した本、と書くとなんぼかマシか。 なんにせよ説得力の固まりのような本である。 私はこういうのが大好きなので 今のところ圧倒されてしまって疑いをさしはさむことがまるでできない。 そういうわけで何もかもがもっともに思えてならないのだが、 この本が書かれた時から状況はずいぶんと変化してしまった。 日本語の特質は変わらんにしても、 すでにうちらの世代は現代かなづかいの洗礼を強烈に受けているので もはや元の状態を想像することすらむつかしい。 敵艦と敵機は「てっかん」「てっき」と読むのになんで前者は「てきかん」で 後者は「てっき」なのかと言われても、すでに私の内部では敵艦の読みは 「てきかん」なのである。どっかのアニメでも「てきかん」と言っていた。 また、歴史的かなづかいを読むのは 別にむつかしいことではないし違和感も感じまい、 と言っているが、今の人はおそらく違和感バリバリである。 「せう」と書いてあったら頭の中では「せう」という音が鳴ってしまう。 「しょう」にならない。「しょう」と鳴らそうと努力はしているし慣れてはきたが、 まだ不完全だ。究極超人Rはそのへんの違和感をうまくネタにしていると思う。 なんぼもっともだと思ったからといっていろんな理由から 歴史的かなづかいに切り換えられるわけではない。 とりあえず「づ」と「ず」くらいは気をつけてみようか、というくらいである。 しかし、えらいおもろかった。理を尽して他人の説を否定しようという試みは いつもおもしろい。その説が定説であればなおさらだ。 この人の人柄ももなにやら魅力的に感じられていい。

  このご時世に歴史的かなづかいで文章を書くのはキャラが立ちすぎる。 強すぎる属性はキャラの本質を見えにくくするわけで、あまり口グセやムチャ 設定に頼るとロクなことがないのはAirの例を挙げるまでもない。 もちろん歴史的かなづかいで文章を書くことには何の非もないのだが、 しかし実際問題他人からはそういう極端な属性に見えてしまうのである。 一人称がボクの女の子は所詮「ボク女」の称号で呼ばれざるを得ないのであり、 「ボク女」というカテゴリーの一例として扱われてしまう。 彼女がどんな人間であるかはなかなか問題にされない。 そういうことが確実に起こる。「あの歴史的かなづかいの人」 という称号が押されてしまう。それが興味を引いて実際にどんな事を言っているのかを 知ろうとする人が出てくればいいが、なかなかそれはむつかしい。 ポチとタロは両方とも犬だからこそその微妙な差が問題になるのであり、 これがポチとタマであれば所詮犬と猫という以上の扱いを受けないのである。 しかしこの本を読んだことでいろいろわかったし、 こだわる人々が何にこだわっているのかが微妙にわかった気がする。 違和感を感じない範囲でではあるが取り入れていきたいし、 まともな文章を書くということを頭に置くいい機会になった。

  ところで、実のところ自分としてはいきなり全部歴史的かなづかいにして字を古い奴に 変えてもおもしろいと思うのだが、周りからの見え方がガラリと変わるのは 困るのでやらない。特別なことやってえらくなったつもりかオラ、 とか思われるのは目に見えているし、実際そういう心理が自分にないと 自信を持って言うこともできない。修論をそれで書いたら死ぬほどおもしろいと 思うのだが、確実に書き直しを要求されるだろう。

2002年3月13日

起きたら3時18分。KANON見逃した。やってたのかすら定かではないが。

エミール上巻おしまい。この人、こういうふうに育ちたかったんだな。 私もだ。こういうふうに育てなかったからこそこういうことを考えて あこがれるのだ。

ファンブルなんていう言葉を使うのはTRPG者に決まっている。 まして指輪物語。しかも意思判定。修正が-10ということからして ガープスをやっていたと見た。 下方ロールのゲームはメジャーなものにはそう多くはない。 スケールからして100面ではなく、かといって6面2個でもない。 懐しいのうガープス。訳が無惨だったので自分で訳し直したことがある。 車で襲ってくる敵に対して射撃を行った時に起こる事を決める表、 なんてのがあって「やりすぎだこいつら」と思ったものだ。 額にパスゥと当たって車が横転とか、そんなんだった気がするがもはや覚えてない。 とにかくクリティカルやらファンブル表の類はかなりバカだった。 遠距離修正表も30万キロくらいまでなかったか確か。 日本で一番ガープスに詳しい男とか筆者紹介に書いてあったのを見て、 「バカめオレの勝ちだ」と思ったのが昨日のことのように思い出される。 しかしルーズリーフに手書きだったのでもう失われてしまった。 そういえばグリモワ(追加魔法集)も訳したが、それも失われている。

ガープスはシミュレーションそのものにこだわりすぎている。 そしてその割には体系が美しくない。 しかし、キャラ作るのはたぶん一番楽しいし、キャラが強くならないから 戦闘万歳なシナリオになるのが自然に避けられていい。 妖魔夜行なんてあからさまにムチャだから、かえって強さとか有利さを考えるのが バカらしくなってまたこれもいい。 魔法もどれ覚えるか考えるだけで丸一日消費してた気がする。 グリモワが手に入ってからはなおさらだった。 殺菌が65レベルあると1秒でかけられてかつ射程距離が50mを超えるので無敵、とか。 それはもうバカな事を考えていたものだ。牛乳屋のオヤジが暗殺者なのに違いない、 とか言って盛り上がって。だが今はもう昔のことだ。 私が高3のころにはすでにTRPGは衰退し始めていた。 寮の中にあっては外の世界がどうであろうと関係なかったが、 しかし雑誌がギャザに侵食されていくのを見るにつけ淋しい気分になったものだ。 もうあのころ読んでいた雑誌は跡形もないに違いない。

XHTML

  もうHTMLは古いのだと言う。総本山(w3c)がすでにこれからはXHTMLを使えと 言っているらしい。そこで XHTMLについてちょいと調べてみた。が、面倒くせえ。終了タグ必須、 アラインメントのクオテーション必須、空エレメントの終了指定必須。 これは生身で打つなという事だ。 もちろん論文やらでなにかの情報を発信しようという場合 であれば構造とかそういうことが大切になるので 私だってきちんとやるしそのためにはXHTMLだって使うが、 こんな駄文にそんなことをする価値はない。 再利用だの検索性だのが問題にならない文章もこの世にはあると私は思う。

  もっとも、このサイトをXHTMLにすることは一瞬でできる。 変換スクリプトをサクッと書けばそれでおしまいだ。 ブラウザにできることは当然自分でもできる。 しかし、自分でできることはブラウザにもできるだろう。 証明したわけではないが、 htmlにおいては100%間違いなく補えるようなものしか省略は許可されていないはずだ。 そして、100%そうであるかどうかはDTDだけから判断可能に なっているはずで、人間の経験的判断など介在する余地はない、はずだ。 にわか知識なのでよく知らないが、たぶんそういうふうに DTDというのは作られているだろう。そうでなかったらDTDなんて役立たずである。

  何か技術偏重の人々は文章を全てデータベースだと思っているような気がしてならない。 構造もクソもなくダラダラとリニアーに書き殴られる種類の文章も 確かにあって、しかもそっちの方がずっと多いと思うのだが。 それに、技術はだんだん抽象的になっていくので、どんどん素人は置いてきぼりに なっていく。はっきり言って文書の構造がどうのという段階で8割以上の人は さようならしているだろう。これがさらにエレメントを自分で加えて云々という 話になると完全にアウトだ。時と場合によって必要とするレベルが違うのだから、 いろんな種類が並存していていいと思う。できる人は使い分ければいいのだ。 日記が書ければいい人にXHTMLは凝りすぎだろう。 そしてDTDから解釈して対応できるのであれば、 何を使われようとやることは一緒のはずだ。

  ただ、もちろん何か人にきちんと情報を発信したい時には それが標準なのだしこれからはXHTMLで書くことにする。 加えてそのうちXHTML化スクリプトを書いて片端から変換してしまうことにする。 というかアップロードするときにフィルタをかませばそれでいい。 結局手で書くのはhtml以下の代物だ。コンピュータは手を抜くために使うものだと 思う。

  XHTMLはプログラムのサイズが小さくて済むのでどこにでも入れられる、という 利点があるという。しかし文書の構造把握ってのはそんなプログラムのサイズが デカくなるほど大変なのか。その後のレイアウトが重いのはともかくとして、 今問題なのは構造の把握までの段階だろう。終了タグがないとか、 そんな程度でそんなに実装が大変になるのか。自分でやってみんとわからんが、 とりあえずはそんなに大変だとは思えない。しかしやってみんと何も言えんな。 SGMLやらXMLやらをどうにかするもんを一回書いてみようか。 自分のサイトの変換もしたいし。

2002年3月12日

メガミマガジンを立ち読みしてきた。さすがに買わない。 しっぽに3人追加されていたのだが、文章がショボい。 わかっていたことではあるが、ショボい。 公野先生の強烈なアレに比べてあまりに見劣りする。 アニメになって動かん限りしっぽに勝ち目はないということがはっきりした。 そしてペンギンが関西弁で非常にムチャ。痛々しい。 イルカも「でちゅ」。助けてください。やめときゃよかったのに。

ギャルゲーのキャラというものは一種ベクトルなのであって、 同作品内においてはそのベクトルは直交しているほど良い。 だが、表面的な属性で描き分けられるキャラの数などたかが知れているのだ。 萌えという空間が同時に12本もの基底ベクトルの存在を許すほど高次元だとは 私には思えない。ネタとしか思えない設定やら声、そしてストーリー があって初めてどうにか辛うじて成立してはいるが、それだって限界がある。

掲示板を設置しようと思って手続きして、ふうできたと思ってw3mを 閉じて気がついた。まだリンク張ってねえ。そして番号覚えてねえ。 もういいや。また思い立つ日も来るだろう。

今日のチップ

  FreeBSDで動いてたMakefileがwindowsにもってったら動かなくなった。 $@.oなんてターゲットはないとかぬかしよる。 とりあえずベタで書いておこう。調べねばなるまい。

  cygwinでコンパイルしたら他のマシンで動かなかった。 なんかcygwinに依存してるくさい。仕方ないのでminGWというのを拾ってきて インストール。これで動く。

  構造体まんま書き出したらwindowsとFreeBSDでサイズが違った。 double2個とlongなのだが、windowsでは24、FreeBSDでは20になる。 CPUどころかOSによっても違うのか。 ということはバイナリ化したものはもうどうやっても持ち運べないということだ。 設計をしくじったかもしれんが、大した問題ではないだろう。 確かにバイナリの方が小さくて運びやすいが、わざわざそうやって運ぶ理由も あるまい。どうせエンディアンとか浮動小数とかで互換性がなくなるのだから 放っておいていい気もする。

  同じ長さのものを書いたはずなのにファイルによって長さが違う。 バカな。おかげでその後がムチャクチャだ。

  原因が判明。改行コードのせいだ。OSの改行コードに合わせて いらぬ変換をしてくれるので、それで狂ったのである。 binaryフラグつきで開けないといけない。あと、構造体のサイズが違う時には、 それを識別してはじくようにしておこう。

  めでたく動いた。デカい配列をスタックに置くのはやめたから、 それで落ちることもないはずだ。

  バグ発見。2MBの配列をスタックに取ってるのを見落としてた。 どれくらいでダメになるのかさっぱりわからんが、 100KB超えたらヒープに取るくらいの心構えの方がいいかもしれん。難儀だ。 ともかく、これで全部動いた。他の環境では落ちるかもしれないが、 わからんものはわからん。netscapeのようなプロのソフトでさえsegmentation falut で落ちるのだから移植性を高めるというのは本当に大変なことなんだろう。

2002年3月11日

仁後真耶子、すごすぎる。きみきみ、もっちーに続く3人目の超人だ。 素でそれかあんた。ファンになってしまう。

しかし、考えてみればあいつにしたところで素でそれかおまえ、 と言いたくなることは多々あるのである。考えてみればあいつは声も けっこうすごい。案外超人はそこらへんに満ち満ちているのかもしれない。 願わくば、会社に行っても超人に出会えますように。 親密になれるとなお良い。

いかん。仁後真耶子のおかげで神崎ちろがゲストだったことが脳内から 消されていた。実に普通。弱い。もっとしゃべってくれ。 なお、ふとん話は実にイマイチ。足りぬ。 可憐と花穂はすごかったんだが、どうもその後がいけない。 声優のせいなのか脚本のせいなのかは微妙だが、とりあえず脚本は気に食わない。

とか言うのが研究室の奴に読まれてるんだな。 こんだけオタクなネタに特化したものを書いてるのに、何故読める。わからん。

あんだけ書いたのにと思っても、圧縮したら30KBしかない。 量の問題ではないとわかってはいるものの、やっぱり淋しい。 圧縮してメガ単位のソースってのは一体どうやって書くのだろうか。 やっぱりプログラマというのは超人なんではないのか。 そこらへんのソースはたいがいメガもしくは数百キロあるわけで、 ということはその量書ける人が星の数ほどいるということになる。バケモノだ。 ツールキットとか使ってると変数名が長いだけとかいうこともあるだろうが、 それにしたって5倍にもならんだろう。メガは想像を超えている。 この30倍とすれば9万行だ。そういう人種になれるのだろうか。 ならないと食えないので、たぶんなれるのだろうが。

考えたらmallocでメモリとってくるのがわからんとかほざいてた時期もあったのだ。 今では何がどうわからなかったのかさっぱりわからない。 とりあえず「ポインタムズい」 とか言ってみたかっただけじゃないのか。 そういうわけで、数ヶ月後には「何をバカなことを言っとるんだ昔のオレ」 と思えるようになっていることだろう。そうでないと困る。

なぜかいまさらToHeart映像特典1と2。1はよくある入れ換えネタで普通。 2は吐くほどかわいいがしかし琴音ではない何か。とても良い。

うちのボスはソフトウェアを売り物だと思っているらしい。 確かに売り物になるものもあるだろうが、ならないものもある。 なるわけないだろこんな80KBの素人ソフトが。

4回生の残したファイルのファイル名がうっとうしい。 'とか@とかが平気で入っているし、まともな命名規則もないから どれがなんなのかさっぱりわからない。そして本人はニュージーランドだ。 敢えて暴言を吐こう。そんなこともわからねえ奴はチップなんてやるんじゃねえ。 確かに教えなかったが、それがなんなのかわかるように保存するなんてのは 研究では常識だ。研究でなくても常識だろう。自分がわかればいいと思ってるん だろうが、未来の自分は他人である。

excelでテキスト形式で保存したら、壊れてた。コンマ区切りで保存しても 同じところで壊れてた。仕方ないから選択してコピーしてメモ帳に貼りつけて保存した。 これなら大丈夫。そういうわけでもうexcelなど信用しない。 いまさら「これからは信頼性だ」 とか言い出す会社などさっさと消えてなくなってしまえ。私は困らない。

ZOEおしまい。燃える。ガンダムとかジョーとか見て育った人達が 作ってるんだろうかと思う。最後なんて逆襲のシャアじゃないのか。 しかしそうは言いつつも見ていて安心する。もう次に何が 起こるかなんてわかりきっているんだが、しかしそれでもワクワクする。 いつの間にか世界を救ってるのがよくわからんのだが、 それはそれだ。ところで、しっぽもこれと同じ世界の人が作ったのだろうと思う。 何か大きな事件が起こらないと話にならない人達だ。 琴音がゴミを捨てるだけでアニメになるとは夢にも思わない人達なのだろう。 私はなんだかんだ言うてそういう世界の住人なので、古臭いといいつつも好きだ。

まさひろがすき屋の牛皿1kgに挑んで勝利した。あんな量食えるのか。

まさひろらに昨日のシスプリふとん話は鈴凛だったがどうだったと問いつめ られた。私にとってはあれは実にどうでも良い。なぜなら、あれによって 鈴凛の新たな面が明らかになったわけではないからだ。 鈴凛といえばこう、という範囲を出ない。確かに他の奴等がもう寝ちゃったの の一点張りなところを奴は早く寝て明日に備えようなどと言うあたりが おもしろくていいのだが、なんというか、足りない。 「これは鈴凛」という認識は「これも鈴凛」という認識には遠く及ばないのである。 私を安心させるな。ワクワクさせろ。悠歌さんに共感。

2002年3月10日

冷蔵庫がはけた。これで最も手強い物が消えたことになる。

寛容で多様な価値観を認めて云々とかいうのは 「わからんけどまあいいや」を美しく表現したものだ。 わかって認めるにはまずわからねばならないのであって、わかるというのは そんなに甘いものではない。

エミール。話がポンポン飛ぶ。思いつくままに書いているようだ。 だからこそおもしろい。この人の頭の中がどうなっているのかが 伝わってくる。不自然に整理された論理的な文章は内容そのもの以外の おもしろさを期待できないが、こういう文章は内容以外こそがおもしろい。 プラトンもそうだった。

プロバイダどうしよ。変える理由はないが、どうせフレッツやらなにやらを どうにかせねばならんのだからなにかしら手続きはしないといけない。 気分転換の一種として換えてしまうのもいいかもしれん。 就職は私にとっては一種リセットボタンなのだ。 だから部屋のものもたいがい捨てる。

cDNAチップの解析プログラムを書くことにした。こっちも売り物がカスい。 しかし、画像からやってる余裕はないのでとりあえずそのカスソフトが 出したファイルをどうにかする。

できるだけ再利用するために関数をこまぎれにしてまわる。 しかし、こまぎれにしすぎると再利用してもうれしくなくなる。 バランスが問題だ。総量が減ればいいというものではない。 にしてもけっこう書いた気になってたのに81KBしかない。 しかし量なんて少ないほどいいのだ。もっと減らせるだろう。

make便利。ないよりはずっと便利。しかし、便利さが足りない。 まだ真の使い方をわかってないのだろうから勉強が必要だ。 とりあえず/usr/srcの下をえんえんたぐりながら見ていったらよさそうな気がする。

研究室でスキャナを使おうと思ったらマウスが抜かれてた。 マウスは再起動しないと認識しない上に そのマウスが見つからないので、スキャナを他のマシンにつないでドライバを 入れることにした。が、NECのサイトにはドライバがなかった。ダウンロードサービス やってない。ますますNECが嫌いになった。いろいろ理不尽だ。

9年も漫研にいたことになるが、自分の持つ最高のスキルは漫画ではない。 いかに真面目に描いていなかったかがよくわかる。楽しく過ごしたから いいといえばいいが、空しさは拭えない。

2002年3月9日

私が行く会社。ムチャクチャだ…。退屈はしそうにない。

t分布の表を書きこむのがアホらしいので計算しようと思ったが、 ガンマ関数を計算しないといけない。 ガンマ関数を計算するプログラムはそこらじゅうに公開されているので パクってくればいいのだが、中身がわからないので腹が立つ。 ベルヌーイ数を使って求めるらしいのだが、それ一体なんだ。 理解の域をはるかに超えている。 勉強するか目を背けるかのどちらかしかないようだ。 どっちにしようか迷うが、とりあえず保留。

makeを使ってみた。今まで使ってなかったのだが、さすがにヤバかろうと思ったのだ。 しかし、これそんなに便利なのか。bashで書いた方が早いんじゃないのかと 思う。もちろんそれは間違いなくmakeの機能をわかっていないからなのだが。 とりあえずヘッダの扱い方を知らねば話にならん。

ヘッダの依存関係をどうにかしないとダメだ。このままでは中途半端に自動化されてて 余計に危険。ヘッダにインライン関数とかテンプレートとか ドカドカ書いてある状態でこれはあまりに危険だ。 絶対何かあるはず。他人のマネをしよう。

ZOE母さんと再開。古臭いんだが、いい。ちゃんといい。 ゲームの設定がわからんといまいちわからんらしいが、まあいいだろう。 偶然エンディング付近を見ているのでなんとなくわかる。

2002年3月8日

修論提出。だがまだ終わらない。

うにともりりんにしっぽを見せた。おかしい。なぜこんなにおもしろい。 これが成長だ。

コタツ処理。

布団のクリーニングに1万以上かかってしまった。 まあそういうもんなんだろうたぶん。この期に及んで金をケチってはいられない。

今日か明日にレンジと炊飯器も処理予定。

折りたたみ式の机(幅71、奥行55、高さ69、重量推定5kg前後)と 椅子。誰かいらないでしょうか。 たたむと数センチの薄さになります。あと最大800Wの電気ストーブ。

うちに伊集院のカセットテープを山ほど置いていった奴誰だ。捨てるぞ。

枕として最適な布の安物キックミット2つ、誰かいらないか。

部屋が片づき始めた。今日中に見違えるようにしてやろう。

まさひろにタブレットをやった。どんどん減っていく。

洗濯機を3回まわして気がついたのだが、どうせ全部持っていきやしないのだから 捨てるだけ捨ててしまってからにすればいいのではなかろうか。

モモの新キャラデザはとても不評だが、私はけっこう好きだ。 アクが強いのは認めるが、それはそれとしていいからまじまじと見てみろ。 そしてクリクリ動くのを想像してみろ。かわいいから。 前の髪型は前髪はゆれなかったが、新しいのはゆれるのである。イメージ的に。

ハピレスの最初のラジオドラマを聞いていた。主人公を始め全員ニセモノ。 むしろ、元はこうだったのになぜ今ああなのか。この二人のせいじゃないのか。 やはりハピレスはいい。作品がじゃなくてこの二人が。

すごい。ルルは115cmだ。私が幼稚園を出た時が126cmだから、それは小さい。 ちょっと大き目の幼稚園児より小さい。それ、本気でガキやんか。当たり前だが。 雛子なんて目じゃないぞそのガキさは。実は雛子はけっこうデカい。 ところで、先週のラジオのシスプリふとん話のせいで雛子と聞くと直に ペリーに接続してしまう。ちばちえみ恐るべし。

勉強するという選択肢に気づいたなら勉強しろ。

2002年3月7日

「世界ノ全テ」オープンニングテーマ。 前奏関係ないじゃん、とかいろいろあるにはあるが、それっぽいので良し。 なんか古臭いのはそういうのを意図したからなんだろうたぶん。 それにしてもしめっぽい歌詞だ。

そういや長いこと自分がヴァイオリンを弾く人間だったということを 忘れていた。

「蜜柑星の城の中」と解釈されて困るこの歌。

2002年3月6日

何故まだ修論が終わらんのか。いくら埋めても後から後から 理論的欠陥が発見される。本当にヤバくなってきた。 あと2日。そして、修論を出しても、今度は研究室の 引きつぎが必要。cDNAチップ解析用にプログラムを 改造して、マニュアルを書いて残していかねばならない。 さらに、4回生が残した研究も中途半端なので、カタをつけておかねば 後の人が困る。もちろん引越しの準備もせなならんし、 借りたビデオも片づけねばならんし、 もういっぱいいっぱいだ。とりあえず修論を片づける。 これが片づかねばそれこそどうにもならない。

漫画を考えようとしてもいろんなものがジャマして何も考えられない。 ごめん。できない。描けない。思いつかない。

あの時描けなくなって以来ずっと引きずっているのだろうかなどと思ったりするが、 単に今は本気でせっぱつまってるだけだ。

KANON4話。 内容はいつも通りイベント詰めこみまくりで休むヒマもない。 どうにか全員出そうとして知恵を絞っているのがありありとわかる。 犬に襲われる栞など「ああこれしか手がなかったのか」という感じで感慨深い。 均等に全員出そうなどと考えるからこういうことになるのだが、 そうせねばならん星の下に生まれたアニメである以上仕方あるまい。 シスプリに比べればかわいいものだ。 ところで、佐祐理さんの声が微妙にキツい。 微妙に白々しい。しかし、こんなキャラなのかもしれんと思えば 気にもならないかもしれん。あと、犬の面ゴツすぎ。それはクリーチャーだ。 で総合的に言って、舞がかわいいので良し。そして 堀江由衣。偉大なお方だ。

現在昼11時。原稿はごめんなさい。 修論が本気でヤバくなってきました。 次々見つかる理論の欠陥とバグ。

本気で守護天使でも降りてこんもんかと思う。 それくらい非常識なことが起こったら修論なんて投げ出してやるのに。 悪虐非道の限りを尽してきた私には絶対に降りんだろうが。

たぶん複数の分布の和の平均値は平均値の和で、分散は標準偏差を s1からsn、標本数をf1からfnとしたら、sqrt(Σsk^2/fk)で表せるような 気がする。サイコロをたくさんふらせたらそんな感じになった。 引き算でも分散は一緒。だと思う。 証明しないと使えない。これを対数変換すれば商の平均値も積の平均値も一緒だ。 が、もちろん正規分布を対数変換したら正規分布じゃなくなるので、 この手は使えない。

2002年3月5日

研究室も追い出しコンパ。 「大阪」と「オヤジ」と「酔っぱらい」の三身合体。 これ以上なく理想的に「酔っぱらった大阪弁のオヤジ」が表現されていた。 あれのおかげで本来予定していたであろう出てく人間のあいさつみたいのを やりそこねたのではないか。9時すぎてやらんかったらやらんやろ と思って逃げてしまったが、あの後やったのだとしたら申し訳ない。

研究室の奴がこれを読んでいたことが発覚した。 わかんねえだろ。

2002年3月3日

漫研も追い出しコンパ。 さすがに6年もいるといろいろあった。 小学生が中学生になる時間だ。 モモがランと同い歳になるのにかかる時間である。それはすごい。

電子レンジと炊飯器がはけた。ところで関係ないが、私が知らない人も これ読んでたんだということを思い知った。ずっと忘れてたのだ。 こんだけ好き勝手に書いてて 読んでくれる人がいるってのはあまりにも驚きだ。アクセス解析してたころは なんかそうであることに慣れて鈍感になってたが、最近は新鮮で仕方ない。 生身で会う人以外が読んでることを想像するなんて無理もいいところだ。 もっと日記を通信手段として使うべきなんだろうし、それが流行りなんだが、 しかしどうにも面倒くさい。もっと淋しくなったら変わるかもしれんな。

texで書くと全部texになる。なにか微妙に気に食わないが、wordになるのに比べたら 何万倍もマシだ。ところで、まだ表が全部できてない上に実験操作も参考文献も まるで書いていないのに28ページ。48KB。 文章が多すぎる。ボスに直されたところを書き直すというか書き加えると だいぶ増えるので、おそらく60KB程度になる。命令とかで目減りしても 50KBくらいは文章があるだろう。2万5000字。しかし考えたら一月の日記よりも少ない 気がする。最近はだいぶ減ったが、それでもまだ60KB程度はある。 間違いなくもっと少なくていい。脳の外で考えるクセは改めるべきだ。

大事なものが大事なもののまま失われるってのは私の場合滅多にない。 大事なものは大事でなくなって、失われたことすらどうでも良くなってしまう。 悲しいことだが、悲しいと思わないのがミソなのであって、それなら 別に悲しかないんじゃないのか、と思うのであるが、それがまた悲しいのである。 結局人と話す時に「オレはこれを大事にしている」と言いたいから 悲しいにすぎないのであって、 別に人と接触しなければ自分の立場もキャラもないのだから、 大事なものがないことなどどうでもいいことだ。 しかし、人に接触せざるを得ないし、してないと淋しくて死んでしまうわけだから、 やっぱり切実な問題ではある。どうも私の飽きっぽさは度を過ぎているような気がして ならない。

昨日のカラオケで高い声を出すコツをつかんだ。 しかし、消費MPが大きいのでそうそう続けられない。 ソまでであれば4、5曲、ラが入ったら1曲で撃沈だ。クウガとか、地獄。 ダメージを受けずにいられるのは ファが限度だという結論に達した。しかしダメージを受けた後ではもはやミすら 出ないわけで、本当に消費がないのはレまでなのだろう。そして、 MPが0になったらもう後は私が高校の時に身につけた合唱的な歌い方しかできなくなる。 基本的に声が低いのだから技術でいくら補っても所詮ニセモノだ。だいたい男の分際で 女の歌を元の高さで、それも何曲も続けて歌えるというのは一体どういうことだ。 技術でどうにかなることには限界があるらしい。しかし、限界があるとは言っても、 私が辛うじてとは言えクウガを歌える音域を手に入れられるとは 夢にも思っていなかったわけで、やはり技術は尊いものである。

ところで、千影歌の一番高い音はたかだかクウガ+1半音である。 雛子歌の一番高い音も、やはりクウガ+1半音である。 エネルギーが満タンならばクウガが歌えるわけだから、 もうすこし精進すればそれらもどうにかなるのではないか。 ちなみに、Gガン前期のオープニングも同じ高さだ。

2つの分布があって、その間の関係を求めたい。という時にいろんな手があるが、 一番簡単で確実なのは、バカスカ乱数で試して分布を 得る方法だ。2群から値を一個づつ出してきた時の比の分布 求めるなんて簡単な話である。2群がなんらかの理論分布でありさえすればいい。 が、遅かろうな。やっぱりちゃんと根拠のある近似式には勝てん。 積分すればいいんだが、その積分が解析的に解けないことも多かろう。

シスプリふとん話、雛子。なんでだろ。山崎なんとか 宮崎吐夢のペリーを思い出す。 これって芸としては似たようなもんなんじゃないのか。 いかん、一回ペリーだと思ったら本当にペリーにしか聞こえなくなってきた。 誰か止めてくれ。まともに聞けやしねえ。

2002年3月2日

ところで、4月以降このサイトが存在するかは不明です。

毒天2。とてもどうでもよくて良い。 ところで、この企画やってる奴等絶対何かをわかっていない。 女の子がワラワラでてくるといううわべだけはマネてみたようだが、 何か根本的に違っている。 前時代的な設定万歳な世界観の人間がギャルゲー世界を作ればそりゃこうなるか、 とい気はするが、そのちぐはぐさがあまりに微笑ましすぎる。 アニメのムックも全体からわかってないオーラが出ていてそれはもう良い。 かわいい小学生がバカをやるのを眺めているような気分だ。 ただ、私はその小学生に金を払っているわけで、そう考えるとなにかしら 間違っているような気はする。 たまには問答無用で打ちのめしてはくれんものだろうか。

おまけのフィギュアを見て癒される。そして、癒されている事実に焦る。

2002年3月1日

23日にうちから荷物がなくなります。 そのあとは掃除してさようなら。

10%経験が少なかったら20歳では2年分も幼くなる。 4年あれば小学校6年生が高校生になるのだ。

ボンクラでもそれを恥じていれば腹は立たない。

wordを使うのに挫折。改行が解釈されてしまうことに耐えられない。 TEXでやる。長いこと使ってないので思い出さねばならないが、 今日、明日、明後日の3日の間にはどうにか体裁も整うだろう。 さしあたり危機は3日後に先延ばしできたので、 漫画を1枚くらいは描かねばなるまい。その前に掃除だが。 いや、さらにその前に寝る。

6年。今までの人生の4分の1。

人に説教をした。言う権利が自分にないことがわかっているだけに辛い。 そして、この説教が徒労であることがわかっていることも辛い。

シスプリポケットストーリーズ2。 この異常なほど他愛のない話は一体どうやったら書けるのだろう。 以前の作品に比べていまひとつ何か足りない気はするが、 まあ良い。原作は貴いものである。 ところで、今回はほぼ完全に声優の声が聞こえてきた。 亞里亞の声が後期バージョンだったのが多少気に食わないが、 他は総じて理想化された声だったので至極良い。

あげます

  寮には電化製品を持っていくことはできそうにない。 コンピュータ2台は私の宝なので持ってゆくし、ビデオデッキは小さいので 持っていけるが、その程度だろう。 なにせ4畳半である。 そういうわけで、誰かうちにあるものが欲しい人は申し出てほしい。 無条件で差し上げる。送料を払ってもいいし、汚れはこちらできれいにしてもいい。 捨てるくらいなら人に使ってもらった方が私の良心が満足する。 こんな大きな物を捨てるのは人道に反する罪だ。 なお、うちにあるいらない大物は以下の通り。

  それと、タダではやれんが相談次第で安くゆずってやらんこともないもの。

  といってもスキャナの方はタダ同然でいい。メシ3食とか。 プリンタの方はドラムを換えたばかりなのでさすがにそう安くは売れない。 どうせあんまり使わないだろうし、持っていくのも面倒くさいし、 しかし捨てるのもあげるのもちょっとな、という状態。 あと、どうせ接続はADSLなのだろうから、TAもいらない。 もっとも今さらISDN引く奴なんているわけないな。これはゴミだろう。

  あと、掃除が始まったら一切料理しなくなるので、その時点で余っている備蓄食料 もだれかに差し上げる。大豆、玄米、大麦、小麦全粒粉等がある。たぶん 今ある量まんま残るだろう。すでに料理どころではない。


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