日記

2002年1月31日

道場関係で台湾からの客を出迎えた。 女性空手家3人。けっこう美人だった。 しかし、なんで拳法でなくて空手なんだろう。

メガミマガジンを再び買ってきたが、まったくもって 読むところがない。わかっていたことではあるが、やはりショックだ。 三度は買うまい。新しい守護天使3人を見られたのは収穫ではあるが、 あの12人があれだけ閉じている以上、この3人はロクにからんではこないだろう。 ところで、急に前回実行に移さなかったことを後悔し始めた。 あの時は半端な気持ちでそんなものを書くことが とても悪いことに思えてやらなかったのだが、 今はけっこうすがすがしい気分だ。そんなに邪念なく好きだと言えそうな 匂いがする。ドラマCDで不覚にも 感動してしまったのが効いたらしい。あんなベタベタなもんで 感動するとはまったくもってアホなのだが、仕方あるまい。 それにしても先月号のプレゼントにあった清水茅衣のサインは欲しかった。 あんなネタになるサインは見たことない。 バカ正直に「めい」と2文字デカデカと 書いてあって、申しわけ程度に横にカエルのルルとか書いてある。 字体もすばらしく実直である。 何事につけても実に気持ちのいいお人だ。13歳も年下の子供にお人などと言うのも なんだが、すでに立派に働いている以上私よりもずっと偉いので、 そう呼ぶに値する。プレゼント応募葉書の方だけでも送っておけば良かった。

ところで、絵の方の自信がまるでなくなった。この前友人に 絵を見られて「この絵じゃどうやっても売れねえな」と言われたのが そこそこ効いているらしい。下手なので売れないのは当然だが、 当然その「売れない」は「かわいくない」の意味なのである。 世の中にはかわいいものとかわいくないものしかないのであって、 自分の絵が後者に属するならば、つまりそれは無価値なのだ。 そしてやっかいなことに、他人が描いたならばかわいいと認識するものを仮に 描けたとしてもかわいいとは思うまい。 自分で描きたいものと見てかわいいと思うものはどこかでズレているのである。

エロいとエロいとみんなは言うが、何がエロいかよくわからん。 このぶらさがっているものがこの瞬間に消えて なくなったとしても、それで性欲も一緒に消えてくれるなら私はあまり惜しくはない。

以下グチ。

Visual Basicに慣れてきた。そして、それにつれてどんどん不満が高まってくる。 オブジェクトの代入にいちいちset構文を使わねばならない理由がわからない。 いちいち戻り値のない関数をsub、ある関数をfunctionとして分けている理由も わからない。そして、何故カッコつきのsubには callをつけないと呼べないのがわからない。 さらにcallをつけない場合には引数をカッコでくるんではいけない。 「call なんとか(引数)」か、「なんとか 引数」のどちらかの形に限定される。 謎すぎる。それと、excel2000は自動バックアップ機能がない。 それと、実行してしまったプログラムを途中で止める術がみつからない。 実行している間は他のexcelウィンドウに切り換えることもできない。 これらが結託して大変なことになってしまった。 デバグ用にmsgbox関数(クリックしないと先へ進まないprintf) を入れたらそこがループの中で数万回 OKをクリックしないといけないようになってしまったので そこのスクリプト実行部分と思われるものを タスクマネージャで殺したところ、excelが丸ごと死んだ。 そして、自動バックアップがないため、数時間分が白紙になってしまった。 保存しないのも悪ければタスクマネージャで強制的に落とすのも悪いのだが、 そもそもあれで走ってるスクリプトだけが死なないなんてひどすぎるし、 途中でスクリプトを殺す手段も用意されていないのもひどいし、 自動バックアップがないのもおかしい。vimですらついているのに。 調べたらexcel XPの新機能として 自動バックアップがついたという記事があった。何故今ごろ。 まだある。worksheetのnameプロパティの文字数制限がたった31文字なのだ。 処理するごとにワークシート名に文字を足していくとあっというまに越えてしまう。 そして、エラーが起こると問答無用で止まるのもうっとうしい。 同じ名前のワークシートを作ろうとした時とか、そういう時は失敗を表す 値を返してくれればそれでいいのに問答無用でエラーメッセージが出て止まる。 この場合は同じ名前がないか全部確認してから入れないといけない。 しかし、その方法も実はわからない。 有効なオブジェクトを指しているのかどうかを確認する方法が見つからないからだ。 例えばfooという名前のワークシートがすでにあるかどうか調べるとする。 とりあえずworksheets(foo)としてnameでも見てみるわけだが、 もちろんなかったらその場で参照エラーで止まる。この方法はダメだ。 worksheetsオブジェクトのメソッドにその名前をもつ奴の index値を返すやつとか、あるかどうかを返すやつとかがあるはずだが、 探した限りでは見つからない。それがなければどう考えても無理だ。 あと、代入演算子が=しかない。i++とかできない。不便だ。まあこれは 大したことではないが。とにかく全身全霊で気に食わない。 しかしこれしかexcelを操作できる言語はないわけで仕方ないのである。 いっそwindows上のソフトを何もかもこれで動かせたらいいのに。 フォトショップとか。あとギャルゲーを自動で動かすなんて無意味でいい。 自動再生を自分で付けられる。

/usr/X11R6/lib/mozillaの容量が52MB。ソースが350MBあったのを見て その時は間違いだと思ったが、どうやら本当らしい。圧縮して27MBある 段階で絶対おかしいと思うんだが。 933MHzあって遅いようなブラウザを誰が使うというのだろう。 ともかくこれだけ莫大なソースである以上、普通にwebを見る時に使うところは ほんの一部なはずだ。とすれば、そのどこかにクリティカルに遅いところが あるはずで、そこを速くしさえすればほとんどの用途では劇的に速くなるに 違いない。誰かどうにかしてくれ。 そしてたぶんそれはgimpにも言えるような気がする。 メモリの割り当てやら読み書きとか、拡大縮小とか、表示とか、 そんないつもよく使う処理が遅いから遅いんではないのか。 それさえどうにかなればアレを使わなくて済むのに。

発作

  急にたくさん書きたくなった。クソ長い。

  動物化するポストモダンの話だが、あれそんなに画期的なのか。 おもろかったが、それはあのような言葉で表現されたことに対してであって あの発想がものすごく新鮮だったというわけでもない。 ちらほらこじつけにしか見えないところも多い。 作り手と受け手の距離が近づいているとか、共有できる評価軸が なくなってきているとか、そんなのはみんなとうの昔から気づいていることだと 思うが。

  ところでふと思ったのだが、 作り手と受け手の距離が近づいているというのは、金属がなんで 電気を通すか、という話によく似ている。 リチウム原子2個では状態が2状態しかなく その間には大きなエネルギー差があり、結果その遷移確率が低く 電気は流れない。しかし、リチウム原子がたくさんあれば状態数が著しく増え、 結果状態間のエネルギー差が小さくなり、遷移確率が飛躍的に増し、 結果電気が流れるのである。電気が流れるところはともかくとしても、 集団の数が増えれば状態間の差は小さくなり、 明瞭な境界は見えにくくなってくるものだ。

  また、価値観の多様化についても、通信量(情報受信量)を考えればそれは 当然の結果にしか思えない。 どうせ人間なんてたまたま受容体に伝達物質がくれば感動するのだ。 メガネっ子受容体。人死に受容体。政治受容体。ボク呼称受容体。家族愛受容体。 それらに違いなどあるものか。昔は通信量が少なかったから受容体の種類も 少なくみんな似かよっていたが、今は通信量が多いから受容体の種類が増えて 同じ受容体を持った人の数が減った、というだけの話だろう。 元々人格は時間の関数であり、極端な話時間が違えばそれは別の人格である。 昔は通信量が少なかったからその周波数が小さく一貫しているように見えやすかったが、 今は通信量が多いので周波数が大きく、その結果一貫性が失われてくる。 人間の脳ミソの記憶容量は有限であり、いくら圧縮が優秀であるとは言え 後から情報が入ってくれば古いものは追いやられていくものだ。 過去の記憶は確かに保存されてはいるが、間違いなく改変され、劣化してもいる。 だから情報がバンバン入ってくれば当然人間はコロコロ変わってゆくことになる。 それに今は周波数を抑えるような社会的圧力もあまりない。 一貫した人は尊敬されるが、当然一貫した人は別の社会には適応しにくいのだ。

  よく「しょーもないことを知りつつハマる」と言うが、それは しょーもないと思う時の自分とハマっている時の自分は別人格なのだから なんら矛盾しない。切り換えの周期が分とか秒単位になれば外からは 切り換わってるようには見えんが、しかし中では確かに切り換わっているのだ。 周波数の小さい人は一貫して同じ基準で物を見られるために「しょーもないが敢えて」 というような思考をしにくい傾向にある。 周波数の高い人間はコロコロ萌えキャラが変わったとて なんら不思議はないし、別のキャラを同時に好きというのも実は 切り換え周期が短いだけなのだから実は同時ではない。 全く同時に全く同じ物を嫌いでかつ好きであることは不可能である。

  そもそもここで言う人格は、結局のところ 入力情報とホルモン状態の対応のことなのであって、 つまり同じことを考えても時と場合によって気分は違うという程度の単純な話だ。 ビリーミリガンレベルの多重人格が説明できるかどうかは知らんが、 そういう人は見たこともないので知らない。 例としてこれを書いてる私がいる。 今はこんなことをダラダラ書いても何とも思わないが、今までの経験からして後で見たら 間違いなく恥ずかしくなって消したくなるだろう。しかし、 その二つの状態にある自分は等しく「この文章を書くことは良いか」 ということについて考えているのであって、そのことに関してはほとんど差がない。 未来の自分が消すべき理由として挙げるであろう理由もたいがい想像がつく。 痛い人に見えるだとか、調子こいてるように見えるだとか、 長いもん書いて人のこと考えてねえだとか、読んで不快になる人がいたらよくないとか、 まあせいぜいその程度だ。 しかしそれでも今の自分は別にいいやと思える。そして、未来の自分はおそらく いいやとは思えない。何かが確かに違うのだが、理性で把握できる 範囲において等しい以上、それはもう別の人格だから仕方ない、というふうに 片づけるくらいしか手が残っていないのである。

  自分を見るにつけこのように思う。他の人は違うのかもしれんが、 それについて知る術はない。そして、こういうことを考えるほどに 私の人格の周波数を高める要因の最大のものは間違いなく こうやって文章を書くことだという確信が強くなってくる。 整理するということは、異なるものを別の場所に分けて 置くことであり、つまりそれは分裂である。いっしょくたになって混ざりあって てきとーになるという自然の機構を阻害しているのだ。 書けば書くだけ分離していく。分離しないような言葉の使い方もこの世にはあるのだが、 私はそれを学ばなかった。詩的な感性なんていまさらつきゃしない。

  なお、久しぶりに他人の日記を読んで回ったらたまたまツッコミを発見した、 というのが発作の直接原因。最近これが人に読まれることなんてまるで考えてない。

2002年1月30日

Visual Basicが不満。 なんであんなしくみになってるんだろう。 どうせC++で書かれてるならC++的なインターフェイスにしてくれればいいのに。 場合によって戻り値の型が違うなんて。 文字列を数値に変換する関数(cInt)は、変換できないとまんまそれを返すらしい。 当然文字列型だ。だから整数型変数に代入しようとすると型が違うと文句を言われる。 加減乗除も同様だ。0除算エラーになると思ってたのに型不一致エラーが出て えらく混乱してしまった。あと、戻り値ないくさい関数が多すぎる。 あるのかもしれないが 少なくともリファレンスには書いてない。ダイアログを出す関数とか、 戻り値一体どうなってるんだ。個々のダイアログ関数の説明がどこにも見当たらない。 あの莫大なMSDNのどこかにはあるのだろうが。

ところで、windowsの開発環境というのも大したものではある。 入力する端からエラーチェックをしてくれるため、 カッコを書き忘れたままになるようなことがそもそもありえない。 勝手に予約語を色分けするのも大したものだ。 メンバ関数を勝手にメニューにしてくれたり、関数名を入れた瞬間に 引数の解説が出てきたりする。大したもんである。 が、作るのは死ぬような思いをしたことだろうし、 実のところあまりありがたいと思わない。下の行が見えなくなってむしろ ジャマということも多い。しかしあれだけ莫大にあることを考えれば これなしでは辛いものがあるか。やはり。 そういやwindowsのテキスト入力のコマンドを全然知らんのでえらく 効率が悪い。さっさと知らねば。一行消すとか、単語単位移動とか、 検索とか。マウスなんざ使ってられるか。

2002年1月29日

KOH氏から借りた「動物化するポストモダン」。 これについて一回いろいろ書いたが、なんかどうでも良くなった。 書いてるうちに書いてることを信じられなくなる。

しっぽドラマCD高校生編。おかあさん。

しっぽドラマCD小学生編。学芸会。

出会いアンド別れ。長谷川静香はナナやってる時はひどいが、 そうでなければそんなに悪くもないように思う。普通に子供だ。 ところで、菅沼久義。なんでこんなに演技が白々しく感じるんだろう。 下手というわけではないんだが、なにか恐い。もっと動揺してくれ。

聞き終えた。かなりいいんですが。特に菅沼久義が退いてからは。 説教臭いのが鼻につくが、それはそれとして、いい。 もしかして、私はけっこう善良なのかもしれない。今まで動物に加えてきた仕打ちを いちいち思い出して辛い思いをしていた。 もちろんそれはそれとして 兎って本当にさみしいと死ぬのかとか、それはおまえが悪かろうとかいうような 理性的判断や、 野上ゆかなの演技やりすぎだよおいとかいうような半理性的判断を下していたのだが、 もはやそれすらブッ飛んだ。 そして、それはそれとして毎度出てくる女の子(守護天使ではない) がかなりいいキャラで、ありきたりに言えば萌えなのである。 守護天使本人よりも強烈なのが何人かいた気がするんだが、そのへんはどうか。 声優の演技が守護天使と違って無理がないのがいい。 語尾変化付きのキャラの声優は特にだ。不自然な特徴づけを私はあまり歓迎しない。

2002年1月27日

逃避。音が出るプログラム。本当に波だよ。音。

敗北。Visual Basicを勉強する。Excel。 ところで買ってきたはいいが、 この本はたぶん三日後にはゴミになっている。 Visual Basicがどんな言語かわかり、どうやって excelから使うのかがわかればもう用はない。

濃縮還元ジュースは100%と言ってもうまくない。 香料と酸味料がドバドバ入っているものばかりだ。 ちなみにミニッツメイドのオレンジ。リッター148円だったので文句も言えん。 なお、野菜ジュースとしてはナガノの菜園紀行はかなりおいしい。おすすめ。 かなりまろやか。カゴメのオールベジにはかなわないが、 あれは高いし体調によっては味が濃すぎるように感じることがある。 それにあれはセロリがちと強すぎるかもしれない。

必要なことは知れた。Visual Basic。 なんでforはbreakできて while ではできないのかとか、なんか中途半端に型宣言があるとか、 やっぱり組み込み型はオブジェクトじゃないらしいとか、 デフォルトでスコープが広くて恐いとか、配列の宣言がサイズじゃなくて 添字の最大値だとか、とにかくなんか気に食わないし疑問もあるが、 たぶんよく出来たものなんだろう。なにせ簡単だ。 それに、windowsの全てがオブジェクト指向の名のもとに まとめあげられているというのはやはり大変なことだろう。 実はwindowsってかなりすごいんじゃないだろうか。excelもwordも オブジェクトで、同じ手続きで操作できるというのだから。 絵がゴテゴテついているのは本当に飾りにすぎないらしい。 さて、では実際に使うとするか。

しっぽの中学生チームの歌。何故か頭に浮かぶのはムテキング。恐しく古い。 ジョークとしては寒いが、もう好きになった後でありそんなことはどうでも良い。 好き嫌いなんて所詮量の問題だ。 私は属性その他による第一印象選抜をほとんど行わない上に、 大して目が肥えているわけでもないようなので、 好き嫌いはほとんど運と時間の関数である。そして、よほどのことがない限り 時間が増えれば好きになる。 そういうわけでもはや自分の物を見る目という奴が全く信用できない。 私はあの手この手を尽して良さを誉め讃えるが、それは半ば自分を説得するためであり ほとんどゴミである。むしろどうやったら誉められるかというゲームにすぎない。 浅い。薄い。ふと考えてみれば、本気で嫌いとか本気で 好きとかいうことがすでにわからない。以前好きだったらしいものが 今好きであるかどうかが確認できない。それは果たしてどのような感情であったか。 好きということにしていることと、好きであることの違いがわからない。 自分でも「このような行動をしているのだから好きなのだろう」と現象から 推測する以外に手がないありさまだ。本を買うのだからしっぽは好きなのだろう。 シスプリの歌を歌うのだからシスプリが好きなのだろう。 その程度なような気もするし、そうであって欲しくないような気もする。 わからん。わかるはずもないことだ。そして、どうでもいいことでもある。

ちょっと待て。ラジオをつけるということは、もう日曜か。 今週何してたのかさっぱりわからん。衝撃だ。 狂ったようにC++勉強して、それが短期的には完全に無駄だったことがわかっただけか。 いや、最初からわかってたんだがもちろん。よほどのことでもない限り 作るより使う方がいいに決まっているのである。 ただ勉強したかっただけですごめんなさい。 ところで会社の入社書類読んでて思ったのだが、 思いついたことや知ったことをベラベラ 垂れ流して一切咎められないってのは、すげえいい立場だな。 そしてもしなんかいいことを考えたりいいものを作れたりしたら、 タダでバラまくのが当然であり美徳。タダでバラまくために 汗を流す。無駄に美しい。学者っていいわ。 社会人ともなるとそうは行かん。ましてそういう企業だ。 ひょっとして趣味と仕事は分離せんとアカンってのはそういう意味なのか。 ともかくも4月はあと2ヶ月で来る。想像もつかん日々が待っているに違いない。 楽しみだ。

先週聞こえたのは本当に古屋徹だったのか。ふぶき。ネタアニメの匂いが プンプンするんだが、そのうち見ることもあるかもしれん。 くそーさっさと片づけてゾエ見てえ。リヴァイアスも。レインボーマンも。 うぐぅ。

2002年1月26日

マザー入れ換え完了。間違ってまんまCPUをつけてしまって933MHzで動いているが、 速い。明らかにコンパイルが速い。クロック落とす気が失せてきた。 ファンはついてないのだが、エラーが起こるまで置いておこう。 よほど連続して負荷をかけない限りほとんど加熱しないようだ。 試しに147x7=1029MHzにでも挑戦するか。おそらく何事もなかったように動く ことだろう。

SiS630で問題。なぜか液晶モニタの自動タイミング合わせが失敗する。 おかげでボケボケ。xvidtuneと手動調整の末どうにか合わせたが、 なかなか大変だった。もし合わなかったらデジタルのPCIビデオカードを 調達せねばならないところだったわけで、それは大変だ。 なんにせよ無事終わったので良し。

トラブルは続く。スクロールがとんでもなく遅い。 一行スクロールするごとに画面が波打つのがわかるほどの遅さだ。 Xのドライバのせいだろう。 Xを4にしたらマシになるかと思ったりもするが、 文書を読むと630用のコードは新しくて問題が残っているとか書いてある。 面倒くささを思えばあまり割のいい賭けではない。 あるいは余っているpermedia2(もちろんPCI)を差すという手もある。 もっとも、遅いのはktermの 縦スクロールだけで、絵をゴリゴリ動かす分には大して遅くない。 つまり、ダラダラとkやjを押しっぱなしにする悪いクセさえ除けばほとんど 問題はないということだ。

そういうわけで、K6-2(500MHz)、SiS530マザー、SiS900ネットワークカード、 が余っている。ビデオは内蔵、音源はsolo1が乗っているので別に用意する 必要はない。余らせようと思えばハードディスク4.3GB(DTTA)、 メモリ64MBも余らせることができる。また、多少ボケ気味だが15インチモニタ が余っている。CPUファン、オーディオケーブルも余りがある。 さらに実はCDROMドライブも52倍の奴をどこからか調達できる可能性が高い。 あとはケースさえどこからか手に入れればマシンが完成する。 実は身内にその道にいながらコンピュータを持っていない という不幸な男がいるので、もしよければタダで全てゆずろうかと思う。 組み立て指南と手数料にメシでもおごってもらえれば良い。 良いか。タダだ。もう金がないという言い訳は通用しない。おまえはコンピュータを 持つべきだ。とこんなところで言っても仕方ないのだが、 漫研の人間には誰のことか想像がつくと思うので、 これを読んだ人で当人に会う人がもしいたら伝えていただきたい。 もちろん自分でそのうち言うが。

ジャンプ(スラムダンク以前に限定)の洗礼を受けた世代というのは私の年あたりが 限界なのだろうか。どうもジャンプ的な人とそうでない人は明確に分かれるように思う。 今バキが好きな人は多くの場合その意味でジャンプの人である。 同じくギャルゲーを愛しても、ジャンプ的な人とそうでない人には かなり大きな違いがある。バキとシスプリをくっつけて遊んだり、 しっぽを見て車田車田騒いだりするのは明らかにジャンプだ。 ジャンプ的なものはアホで単純で熱意だけでどうにでもなる世界観で、 つまりはそれが今となってはネタである。そしてそもそもこの 「ネタとして」という思考法そのものがすでにジャンプだ。 ある意味あまりにも濁った視点である。そういうわけで、 そういうものをひっくるめた意味でいいかげんジャンプに 別れを告げてもいいような気がしてきた。もうそんな時代ではない。 実際問題ジャンプを引きずっていては若い人と話が合わないのだ。 最近自分がかなり時代遅れな人間な気がしていて、そんなことを考える。

「秋桜の空に」の小説が出る。 シナリオ書き自ら執筆するらしい。 加えて焼き直しでなく完全オリジナルらしい。買うしか。

カラオケ3時間。シスプリ歌を数人でいれまくる。 それにしても声の高い人がうらやましい。

2002年1月25日

プログラムというのは中で何をやってるかを知らないとそもそもできないのだ、 ということが今日改めてわかった。

returnは関数じゃねえ。なぜ今まで気づかなかった。たいがいの場合 カッコつけても動くからまるで気づかなかった。バカな。

C3-933MHzが届いた。こいつはwindowsマシンにとりつけ、 そっちについてる800MHzをメインマシンに回してやろう。 これで250MHzとおさらばできる。ファンなしで回る周波数がどの程度かは わからんが、これまでの実験では533MHz程度は平気だった。そして、 いくらなんでも500MHzを超えればいかにC3とてK6-2の250MHzに遅れは取るまい。 コンパイルが倍速くなれば十分に目的は達せられる。 しかし取りつけ面倒くさいな。昔はよろこんで そんなことをやっていた気がするが。

ヒマができたらハードディスク買おう。4.3GBはうるさいし遅い。 量は足りてるんだが、とにかく遅い。なにせultraDMA以前なのだ。 こんなに差があるものかとびっくりする。しかしハードディスクのつけかえは あまりに面倒くさい。昔はそんなのも楽しかったものだが。

C++のさらにゴツい本を探しにいったが、みつからなかった。 「入門」とか「やさしい」とかが圧倒的に多い。必要根性量の多い本ほど 得るものが大きいものだ。厚さだけならC++ Primerという本が 圧倒的だったが、あんな高くて重いものを買うのは辛い。 まあいい。たぶんこの本で足りるはずだ。 これだけぶ厚くて読みにくいのだから書いてないことはほとんどないだろう。 最初は何が書いてあるのかまるでわからなかったが、 今ではがんばれば全部わかれるという確信がある。進化はしているのだ。 ともかくできるだけ早く「この本を理解した」という称号がほしい。 そしてあわよくば「C++特有の問題で詰まることは皆無」という状態になりたい。 そのためには「C++コンパイラが何をやっているか」を知らねばならない。 そしてさらにそれにはおそらくマシン語をいくらかは 知らねばならんだろう。道のりは長い。

壁紙がしっぽなのだが、たいがいktermで埋まっていて見えない。 が、さっき落とすためにktermを殺したら見えた。瞬間感動。 なにせ壁紙があることすらずっと忘れていたのだ。それだけに 恐しく良い。なお、この壁紙はPETS公式サイトをwgetでねこそぎ抜いてきた中に あったもので、アニメ以前なのでデザインが違う。 いまひとつ主張が弱いのが弱点ではあるが、こちらの方がモモはかわいい。 KOH氏の主張はやはり正しかった。

2002年1月24日

夢を見た。妹がいた。といってもそのようなものではない。 萌えとか言う言葉を使うのがはばかられるように普通だ。 が、もちろん現実には私に妹はいないのである。 悪くない。極めて悪くない。

2002年1月23日

バイキュービック法とか言う前に座標変換がわからん。本買ってこよう。 ただの2次の行列ならわかるが、平行移動を含めると3次いる。わからん。 というか、知らん。WEBで調べれば出てくるが、理屈がきちんとわかってない というのは腹立たしいのでこの機にわかることにする。

本買ってきたはいいが、わからん。落ちこむ。数式がわからん。 だが、理解なんてのは所詮数の問題だ。たくさん見て慣れればわかる。

関数オブジェクトはデータを持てる。それゆえに この集合の平均とって、と言わないで、 これから送る奴の平均とって、と言える。「この集合になんかして」と言うのは 「これに何かして」と言うより使い道が少ないわけで、できるだけ 多くの関数を同じ形式で呼びたいとするならばバラバラに送り つつも合計の計算やらなにやらができるのはおいしいことである。 他にもたくさん利点があるに違いない。lessとかは溜めこむ必要もない のに関数オブジェクトなのだ。

2002年1月22日

この前「冷凍」という文字を 見た時、なぜか私の頭はそれを「鈴凛」として受信した。 確かに並べて見ればけっこう似ているが、 だからといってそのような受信を許すとは思わなかった。 もっともこの歳になって三日三晩ピクミンの夢を 見るような奴だから、その程度は驚くには値しないのかもしれない。

関数オブジェクトは何か微妙にインチキ臭いが、使える以上仕方ない。

逃避シスプリ話

  シスプリ12人はロクにケンカもせず、仲が良いことになっている。 むしろ、そうされている。 おかげで表面的に取れば妙に和やかで異様に華やかだ。 しかし多少歪んだ見方をすれば恐しく不気味な雰囲気になる。 かなり絵空事な雰囲気を漂わせつつも、 奇妙なところでちらほらと異様な説得力があふれている。 その紙一重なところがシスプリらしさなのではないか。 思えばアニメにおいてはその異常性がまるで表現されていないので、 ただ変な妹が12人いるだけの楽しい作品になってしまっていた。 アニメの奴等はどいつもこいつも隣にいても良いと思える奴等である。 しかし原作は断じてそうではない。一人ならともかく、 あの12人が同時に横にいることを考えるとさすがに耐え難い。

  ところで、シスプリの不気味さを象徴するキャラクターは 可憐だと思う。12人とも何かが抜け落ちているのは確かだが、彼女は特に激しい。 幼い奴等は問題ないし、特殊スキルを持っている奴等はそれがあるだけまともだ。 千影や亞里亞はもはやネタなので気にならないし、 咲耶や春歌なども妙なロマンスに取りつかれているだけで、 あさはかでかわいいものである。やはり、可憐は圧倒的だ。 シスプリに漂う女くささ(多分に偏見)があのキャラには濃縮されている。 まさにシスプリ・オブ・シスプリである。 キャラコレを読んでもいまひとつ起きた出来事なんかは覚えていないが、 恐かったことだけは強烈に覚えている。 常識のモノサシを当てはめるのであれば、彼女等も実は裏でいがみあったり、 そうは言わんまでも好き嫌いがあったりしているに違いないと 思うところではあるが、キャラコレの一人称はそういう邪推を許してくれそうにない。 なお、私が鈴凛がいいと思うのは一番シスプリくさくないからである。 それとこれとは話が別だ。

  ところで、しっぽの12人はこれとは全く性格が違う。奴等はまともに人間である。 キャラが立っているとか実在感があるとかいう話とは別に、 そのへんにいても何ら問題のない奴等である。何の変哲もない。 それだけに親しみやすい。ご主人様大好き、というところ 以外になんらおかしいところはないのである。そしてその「ご主人様大好き」すら アニメでは絶対のものとして描かれてはいない。いたって健康的だ。 めいど服だとかご主人様だとか、狙っているつもりなのかもしれないが もはや寒いジョークにしか感じない。迫力がないのだ。誉めてるように思えないかも しれないが、これはこれで心地良いものである。なにせ12人そろって隣にいても うるさいだけでそんなに悪くない。 しっぽの奴等は話せばわかる奴等だし、人の話はそこそこ聞く。 対してシスプリキャラはどいつもこいつも人の話を 全く聞きそうにない。どいつもこいつも自己完結してしまうクセがある。 だから、下手をするとこちらが何をやっても向こうのこちらに対する感情が 変わらないような気がして恐い。しっぽは一応「飼っていて過去に 愛情を注いだ」ということに対して相手は好きになってくれたのであり、 であればこれからも好きでいてもらうために、こちらとしてもいろいろ してやらなアカンなと思うわけで、やりがいがあると言うと変だがとても 健康的である。シスプリはそのへんが何かおかしい。ゲームは特に変で、 ムチャクチャな選択肢を選んでも向こうはこっちに絶対に愛想をつかさない。 こっちは罪悪感にかられるが、向こうが変化しないのを見ていると 本当にこいつは人間なんだろうかと不安になる。ゲームは出来の悪さも手伝って 確かに参考にはならないが、原作もやはり話を聞かなそうな雰囲気が満ちている。 あの問答無用さはすごい。

  なお、どっちが好きかという話ではない。別腹だ。

2002年1月21日

また口先三寸でくぐりぬけた。いいかげん気付け。 しかし、これで最後である。次は論文だ。ごまかしようがない。

2002年1月20日

明日は最後の中間報告会。終わったら次は修論発表。ヤバいって。 借りてるものの観賞が著しく遅れます。ごめんなさい。 明らかにC++上達してる場合じゃない。 努力の甲斐あって昨日一日でC++の抽象化技法の概要 (テンプレート、関数オブジェクト、標準アルゴリズム)はつかめたが、 だからどうした。エクセル使って1ファイルづつ処理してでも 片づけねば死あるのみなのだ。むしろそれが本道な気もしてきた。というか、 そうしないだけの余裕がまだあると思ってるのだ私は。度し難い。 しかし、いまからエクセルのマクロの使い方を勉強して、 あまつさえエクセルを研究室からパチってきてインストールするというのも 余計に狂気の沙汰であるように思える。正当化完了。

七人のナナ。すごい。ななっぺ。ななっち。どんなやねん。なお、 その名を持つアニメにあまり用はない。そもそも見てない。 原作の方はそこそこ嫌いじゃないので一応見てはみたいのだが。

テンプレート様々だが、どんどん分割コンパイルできなくなっていく。 どうやって整理したらいいのだ。テンプレート使った関数定義は ヘッダに入れておくしかないのか。なんかイヤだが、それしかないっぽい。 って、作ったもののほとんどがテンプレート化できる気がする。いや、この際無視だ。

しっぽの曲かけっぱなしで力尽きてたせいなのかどうか、 聞いてるとえらい心地良い。このバカっぽく楽しげで何の不安もない雰囲気に かなりケッという感じだったのだが、そんなこと微妙にどうでもよくなってきた。 清水芽衣の声も元気があって良い。が、それはリアルロリになってしまうのでは なかろうか。89年生まれだそうである。小学校の運動会で疲れて寝てしまって ラジオの収録不参加なんていうこともあったそうだ。

二重のvectorの内側に対してはresizeできないらしい。 何事もなくこなしたように見えて、実は確保していなかった。 まあ、どうやってそれをやるかと言われたら大変だしどうやっても速くはなり そうにないので、無理なのもうなづける。 とにかく、どうやらやってはいけないらしい。他にも何か起こらないとも限らない。 二重にするのはやめよう。大した手間ではない。

friendの意味がわかった。ただ中身にアクセスできるだけじゃないか。

なんでみやむーのラジオで中島みゆき。そしてパンツラジオドラマ。 続いてシスプリ。久しぶりに聞いたが、だんだんマシになってるようなもっちー。 今日の朗読はけっこうえげつない。とか言ってたら何してる途中だったか忘れた。

二日前にテンプレートを理解していればこんなことにはならなかったのに。 言うならば1ページ目と最終ページでキャラの顔が違う、 というようなことだ。ペン入れがうまくなってきたせいで1ページ目が ショボく見えて仕方ない。そういう状態。 ある意味上達が止まらんと物は完成させられんのかもしれん。

おかしい。見た目に同じ文字列なのになぜ一致しない。これはまさか 空白が入っているのでは。やむを得ん。とりあえず人間の目で一致していることを 確認したらそれで良しとしよう。後だ。チェックを外そう。 加えて時期によってヘッダの文字列が変わっているので、そのチェックも外そう。 実に困る。

しっぽラジオ。大活躍や3人組。というか、大した子達だ。 前聞いた時はもっとえらい弱そうだったんだがなあ。 しかし誰が誰だかいまひとつわからん。 いや、わかる。とりあえず清水芽衣最強。その名は刻んだ。是非 5年後には立派な偉い人になっていて頂きたい。カエルのポイントが急上昇。 実際3人の中では一番演技がうまいような気もする。

2002年1月19日

アユミを描いたら瑠璃子さんになった。アカネを描いたら恐怖新聞になりかけて あわてて直したが氷河になった。しかしそれはいいのだ。問題は別にある。 野望は頓挫。

テンプレートってのは、つまりコンパイルの時に関数やらクラスやらを 作ってるのか。もしそうならできてしまったものが遅くならないようにできる。 ムチャクチャ頭いいじゃないかC++。これは是非ともわからねばならん。

コンパイルできない。と思ったら、分割したせいだった。 テンプレート使って書いたものをコンパイルしても、結局具体的な型が わかってないから実物のコードができるわけじゃないのだ。 テンプレート入りのソースは実体のソースと一緒にコンパイルしないといけない。 とりあえずincludeしたら動いた。進化したマクロみたいなもんか。

関数オブジェクトというのがわからんと標準アルゴリズムが使えない。 使えたら楽だ。というわけで、今わかることにする。

微妙にわかった。オブジェクトにoperator()が定義されている時に、 オブジェクト名(引数)と書けば、なんか帰ってくるわけで関数として使える。 y = f(x)が、y = オブジェクト名(x)になるだけだ。 しかし、そのオブジェクトが宣言されていないことにはどうしようもない。 だから、とりあえずコンストラクタを呼んでオブジェクトを作る必要がある。 ここでどうやってコンストラクタ呼んでるんだろと思ってつまっていたが、
クラス名 オブジェクト名(引数);
という書式以外に、
クラス名(引数);
という書式があったのをさっぱり忘れていた。int(100) == 100だ。C++くさい。 たとえばless()でコンストラクタを呼べて、これがオブジェクトになる。 それに()をつければoperator()を呼べるのだ。less()()となる。 実際less()(0,1) == 1だった。 これがオブジェクト名()と同じ意味だとわかってしまえばこっちのものだ。 えらい巧妙なしくみで感動。バカスカ関数の数を減らせる。 これでアルゴリズムも使い放題だ。自分で書くものがどんどん減る。 もっともそれ以上に勉強にかかる時間の方が大きいので 明らかに今回は損をしてるんだがこの際仕方ない。

つまった。lessは型であり、型がわからないでは関数の引数にできない。 less型とgreater型は違うので、引数のところに何て書けばいいのか わからない。いっそどうにかして関数ポインタの形にして渡すかと思って 試したが、ダメだ。とか言ってSTLのヘッダを眺めてたら、唐突にわかった。 もう一個型を変数として与えてやればいいじゃないか。template とかいうふうに。それで引数にCmp cmp_functionとでも書いてやればいいのだ。 あ、動いた。わからんことを書くと他人の手をわずらわせることになるので、 十分に調べてわかってからわかるまでの過程を書くことにした。

2002年1月18日

作曲したいなあ。他人がやっているのを見るとやりたくなる。 しかしいくら考えてもどっかで聴いたものにしかならない。 〜〜くさいサウンド、とか言うのを切り拓いた人はいかに 同じ曲ばかり作っていたとしてもえらいのである。例えば最近ならI've。

しっぽ関係のものを借りた。CDドラマ中学生編。いきなり古くせえなんだこりゃ。 しかし今ならわかる。私はこれに慣れることができる。 古くさいとかダサイだとか まあそういうことをそれとして認識しながらなお、慣れることができる。 これは確信だ。ああ、早くもこれを誉めるための口実を見つけつつある。 シスプリは曲がどこかおかしいことが頻繁にあったが、 これはダサいことはともかくとして曲がおかしいこともないし編曲も構成も いたってまともなのだ。アニメ同様の特性と言えよう。 シスプリと違ってほぼ全てのものをコアメンバーが担っているっぽいので 良くも悪くも一貫性がある。うわ、BGMまでハマりすぎてダサい。 ボケ方から話の構成からネタから何から何までダサい。素晴らしく それっぽい。確かに誰がやってもこうだろと思うが、それを恐ろしく きちんとつくってあるのが悲しくもすごい。 ところで、ランの声(田中理恵)、ひょっとしてかわいくないか。普通以上に。 ツバサの声(野川さくら)は言うまでもない。くるみの声(仁後真耶子)も慣れてきた。 にしてもこいつらえらいおちゃめやな。シスプリキャラに比べるとストーカー 性あるいは粘性が低くて親しみやすい。 うわ。また、これまた急速にいい話に。速い。速すぎる。 車田はCDドラマでも健在だ。

いっぱい出る方。ピクニック。声の識別つきません。誰でございますかこれ。 というか、なんだいきなりほとばしるこのクサいセリフは。 2曲目。う、このアレンジすげえ。作曲家のスキルは間違いなく高い。 ただ、ダサイだけだ。このCDは一人づつらしい。 ユキ(氷上恭子)、おばさんすぎ。そりゃおかあさんよばわりもされるわな。 あ、これひょっとして次の奴を指定してる。 ナナ(長谷川静香)。さすがガキンチョ。 すげえヘタ。しかし、それはそれで慣れそうな気もする。 ひょっとしたらもっちーとあんまり変わらんのではないか。 にしてもアユミ(川澄綾子)の声はさっぱり識別可能にならない。 なんで同じ人の声がこんなに違って聞こえるのだろう。 ルルすげえ。なんじゃこりゃあ。この脚本なんじゃあ。 ミドリ(小林晃子)すげえ声。モモ(平野綾)、こいつけっこう上手 かもしれない。決定。モモが3年生。オフィシャルファンブックで モモが「ナナお姉ちゃん」と呼んでたのはバグであるようだ。 アカネ(千葉沙子)。こっちもごつい声。これで6年生はウソだ。 何人か言及してないのは普通ということで。

ダサいんだ。とにかくダサいんだ。わかりやすい。 それだけに中高生にはなじみやすいのだろう。 著しく公式掲示板にたまる人間の年齢が低いのもうなづける。 たぶん、これを動かしてる連中は今の流行というものをまるで わかっていないのではないか。だからこそしっぽはあんなに健康的に 見えるのだろう。 なお、私が思うにハピレスもしっぽほどではないとは言えかなり古くさい。

だからといって嫌いになるわけではない。それは別のことだ。

サクラ大戦その他。 だからなんだという感じのあずまんが、大きな車輪が遠くで回っているのを 眺めているような感覚だったでじこ、恐ろしく古くさいスレイヤーズ。 今ひとつ意味不明なサクラ大戦。ファンであったならおもしろかったかもしれないが。

アユミ描いてたら瑠璃子さんになった。 アカネ描いてたら恐怖新聞になった。 もっかい描いたら氷河になった。 ママンとか言って海に潜りそうな顔をしておる。

2002年1月17日

ルネ前最長記録。1時近くまでいた。明らかに逃避行動。 さまざまな衝撃的事実が明らかになって有意義であったので良し。 その後KOH君にtimidityを布教。

文字列を数値にするのが面倒だ。変なポインタをやらないと成功か失敗か判別 できない。加えて標準のstrtodは最初の数文字が数字であればそこまで変換してしまう ので、それを防ぐには自分で書かねばならない。 失敗したら例外を投げる変換関数を作るのがC++の流儀にかなっているように 思うが、例外の使い方がいまひとつわかってないのが残念だ。この機にわかろう。 また、数値を文字列にするにはどうすればいいかと思ったが、 結局sprintfが一番楽な気がする。stringstreamで整形するのがC++風なのかもしれない が、いまひとつ表記が長たらしくなってうっとうしい。 とても一発の変換をやるためだけにヘッダを読みこんで宣言して、という気には ならない。 例え性能を度外視したとしてもC++風が常に優れているというわけではない ということだろう。

例外強すぎ。デフォルトでは例外を放置するとまるごと プログラムが死んでしまうのだ。 特定の例外のみ放置しても良しという指定ができればいいが、その方法は見つからない。 やはり例外はヤバいエラーをどうにかするためにあるものなのであって、 そういう起こって当然の出来事を検出するのに例外を使うのは間違いということだろう。 いちいちtryやcatchなんて書いていられない。

ソート自分で書きたくないなあと思って見てみると 標準アルゴリズムというのが用意されていた。 が、これを使おうとすると、また発想の転換を迫られる。 ガラリと書き方を変えないといけない。 ループカウンタがねこそぎ消えてなくなるのだからすごい。 コードの量を減らすためなら何でもやるのだなC++は。

2002年1月16日

だから四葉かわいすぎるわ。半場友恵万歳。 で、そんな状態でえんえん関数を書いていた。文字列データの行列を どうにかする関数群。コンストラクタを何種類も作って、 行列両方で平均・標準偏差を取る関数を作って、添字を用意して、 云々。ちょっと汎用にしただけでこんなことになるとは思わなかった。 甲斐あってクラスの使い方がだいたいわかったが、今はそれどころではない。 ところで、22分後に研究報告があるのだが、 当然間に合わない。まだソート、組み合わせ引き算、組み合わせ割り算、中間値報告 ができてない。できてないので解析ができない。 つまり、外から見れば進度ゼロである。 エクセルでやってれば一括解析は無理でも1ファイルづつ チマチマ進むのでなんらかの報告はできただろうし、 他の人はそうしているのだからそれでもいいのだが、イヤなもんは仕方ない。 自業自得だ。あやまるしかないです。行ってきます。 くそう。絵を書かねばならんと言うのに。

クラス万歳。名前空間万歳。これなしでこみいったものを書くなんて想像つかない。

2002年1月15日

しっぽしっぽ。これからPETSはしっぽと呼ぶ。あくまでしっぽはアニメの名前であって 正式名称はP.E.T.Sなのであるが、しっぽの方が呼び名としては優れているように 思われるし言いやすいからだ。だからしっぽと呼ぶ。かわいらしい方が良い。

バレンタインストーリーをmp3化してたれ流していたが、 雛子が強烈すぎる。到底プログラムしながらかけておけるものではない。

しっぽの掲示板とか葉書とかは本当に中高生が多い。 それとこれは推測だが、どうもハピレスとかのラジオのお手紙も かなり若そうな匂いがぷんぷんする。そういうもんなのか。

バレンタインストーリー四葉。ダメだ幸せすぎる。どうしようもない。 なんということだゲームの方まだやってないじゃないか。 しかしあと数日は忙しさがとてつもないのでまるでダメだ。 片づき次第ちょっとしたお遊びプログラムを作ろう。実にちょっとしたものだ。 そのために、CPUとマザを換えねばならん。加えてバレンタインパーティーも コンプリートせねばならん。

画像処理のことを調べるついでに映像信号やら動画フォーマットについて 読んできた。フーリエ万歳。YUV空間とか、かなりおもしろい。 ところでそれは良いとして、名前だけはよく聞くバイキュービック 法とかニアレストネイバー法ってのがなんなのかやっとわかった。 座標変換の前にローパスフィルタをかけるとかいうのも意味はわかった。 しかしいまひとつ納得がいかないので愚直な方法でも試してみて 比べてみることにする。単純に面積比で割りふれば良さそうに思うのだが、おそらく なんか罠があるのだろう。自分で確かめねばわからん。

縮小だけなら前と後の解像度の最小公倍数のキャンパスを用意してそこに拡大して 書きこんで、縮小後の解像度になるように割ればなんの面倒もないと思ったのだが、 よく考えたら4000x4000を3997x3997にする時とかは死あるのみである。XとYを独立に できるとは言え、どう考えてもムチャだ。最小公倍数が小さい時は 座標変換に整数しか使わなくていいので速そうなのだが、 そんな利用範囲の限られたものは使い物にならん。

バレンタイストーリー鞠絵。まるで目立たないので忘れがちだったが、 これはけっこうすごいかもしれん。ちょっと油断したら大変なことに なりそうで気が気でない。

金曜日の朝あずまんがその他を見に行きます。同行すると微妙に割り引かれます。 この機会にどうぞ生身で会う方々。

フロから帰ってきたらエディタが死んでた。 元のファイルをひらいてみたら関数が5個くらい少ない。 2時間分くらい戻ってる。あわてたが、vimの機能のおかげで助かった。 vimは全キー操作をファイルに保存しているので、 "vim -r ファイル名" で落ちる直前まで復旧できるのだ。 自分が打ちこんできた操作が高速でリプレイされる様がなにかおもしろい。

シスプリ禁止。かけながらプログラムは不可能だ。亞里亞、花穂、雛子は特に凶悪。 鈴凛、四葉は幸せが致死量。

2002年1月14日

鈴凛オンリーイベント。行くしか。出るしか。 まさひろが出ると言うておるのでオレも描く。そして可能な限り行く。 自分で行きたいと思うイベントは久しぶりだ。

いいかげん映画見に行こう。あずまんがとかのやつ。 セガから来た手紙の中に同封されていたのだ。 一緒にいく人いませんか。2人で行けば半額に、3人で行けば2/3の金で見られます。

なんでも誉めようと思えば誉められるもので、あんまり誉めてると 最初それが本気だったかどうかなど関係なくだんだん本気になってしまう。 PETS。なんとなくシスプリと違って病んだ感じがしないのがおもしろい。 シスプリの無茶にゴージャスなノリに比べるといかにも普通で素人くさい のがいい。なにやら無駄に設定とかストーリーとか作ってて、それが 痛々しいくらい素人くさくてショボいのだ。めいどの世界とか、 メイドと冥土をかけてるんだが、めまいがする。守護天使とか、 四聖獣とか、いかにもダサい。車田扱いしていたのはそのへん であるが、むしろ車田に失礼だ。あの絵もいかにもアニメで、 なんというか素朴という言葉がよく似合う。CG全盛のこの時代に、 何を思ったかイラストの大半が生セル絵なのだ。懐しい。 物とは関係ないが、公式な本がアレとアンソロジー一冊しかないあたりの 流行らなっぷりもいい。そしてサイトの毎日更新4コマに代表されるように 妙にがんばってるっぽいのもいい。シスプリが異能者二人とプロの商売人によって 運営されているっぽいのに対して、 しっぽはいかにも凡人が寄り集まってがんばっているような感じを受ける。これも 何か好ましい。ちびっこ声優3人の存在も謎だ。 送られてくる葉書も低年齢層が目立つ。イラストも素人ががんばって描いたような のが大半だ。微笑ましい。と、このように欠点ばかり列挙しておいて それが好ましいと言っても説得力はないのだが、そこは間違ってはいけない。 好きになったから欠点も好ましいと言っているのであって、欠点があるから 好きになったと言っているのではないということだ。むしろ 「そのような欠点があるにもかかわらず良い」というふうに取る方が事を良く理解 できるだろう。 好きということを理解している人であるならばその点は賛同頂けるに違いない。 みスをでも言われていることだが、好きという言葉はすでに好きの意味を濁らせて いるのである。

現在のギャルゲー及びそれに類する文化は必ずしも恋愛を主題としない。 キャラを好きになることは必ずしも恋愛感情を意味しない。 つまり、ギャルゲーは必ずしも性欲の存在を前提としない。 シスプリキャラが好きな女性がいたとして、彼女がレズであるということには ならないことを考えればこれは自明である。 女性は概してかわいいものを好むが、同様のやり方で男がかわいいものを好まないと いう保証はない。男がトトロのぬいぐるみを買っても良いのである。 そして、トトロのぬいぐるみを買うのと同じ仕方で花穂のキャラグッズを買うことは 可能である。そのあたりが古い人々には理解できないようだ。 その原因はおそらく古い人々の多くが我々よりも男性的であることである。 いくらかの皮肉をこめてこれを健康的と呼んでも良い。 物を手に入れるという方法で満足を得ようとする傾向が強い人間 であればあるほどこの手のことは理解しにくくなるだろう。 自分の持ち分を増やそうとする傾向と、自分の不足分を補おうとする傾向は 似て非なるものである。ここで言う男性的というのは前者のことだ。 少々ずれる危険はあるが、 物を集めたという意識と、物を集めるという意識の差と言い換えてもいい。

こんな季節にゴキブリがいた。茶羽である。妙に動きが鈍い。 ついまじまじと見ていたが、なかなかどうしてきれいな形をしている。 機能的だ。羽の模様も足のギザギザも全て機能的な要求によって存在している。 昔は油虫と言ったそうだが、その名前もうなづけるくらい光沢がある。 触角も見ると細かいギザギザがあり、生命というのがどれだけ精密なものなのかを 納得させられる。見れば触角が片方短い。苛酷な生活をしているのだろう。 殺す気にはなれないし、かといって捕まえて外に叩き出す気にもならない。 さすがに人並にゴキブリは嫌いなので触るのはためらわれるのだ。 とか思っている間にどこかへ行ってしまった。

2002年1月13日

画像処理みたいなもの。 問題点はコンピュータに人間が蓄積している経験を全部持たせられないことと、 人間のように物事を全体的に把握していないことである。 人間にできることはコンピュータにもできる。向き不向きの話がよくされるが、 そんなものは所詮はやり方を考える人間側の勝手な都合にすぎないのであって、 根本的な問題ではない。人間がやり方を知らないから コンピュータにやらせられないのだ。コンピュータはいいかげんなのが苦手、 というのはそういうふうなやり方しか人間が思いつかないせいである。 そしてそれは人間が自分でどうやって物を把握しているかを知らないせいだろう。 それがわかればそのように把握させる経験を繰り返させることで学習させることが できるわけだから前者の問題点も消えるわけで、 人間のやり方をまんまやらせることができる。 不正確な全体認識から正確な部分認識まで好きなように 抽象化レベルを設定できるとしたらどれだけ強力なことか。 などと考えてみたりもしたが、 結局やり方がわからんのが問題なのであってどうにもならない。

なんてそんなことを考えるかと言うと、研究のせいだ。 画像ファイルに方眼紙のようなものが描いてあるのだが、 所詮スキャンしたものなので 微妙に傾いていたり歪んでいたりノイズが入っていたりする。 加えて解像度が低く、マス目一個の幅はだいたい7から8ドットの間と小さく しかもボケている。このマス目をキチンと認識する (=全座標についてどのマス目に属しているかを決定する)にはどうすれば良いか。 あまりに方法が思いつかなくて精神が逃避に走ってしまったのである。

ラインごとに幅を決めて平行移動することで回転を施そうとしたが、 3/4733ほど正方形でないために頓挫。 1セルが7ドットしかない以上3ドットは大きい。1ドットですら許容できない。 移動幅が1増えたところで明らかに不連続になっているのも気になる。 できればドットそのものはいじらずに済ませたかったが、かくなる上は仕方ない。 大人しく平行移動、回転、拡大縮小を施そう。誤差はがんばれば減るに違いない。 だが、幾何の勉強しないとできん。同次変換とか完全に忘れてる。 どうせ就職したら使うんだから今のうちにやっておこう。

アクセス解析も掲示板もないもんだから反応を知る術がない。 おかげでえらく日記が適当だ。人が読んでると思ってない。 書いても上げ忘れてたりする。しかしこれでいいのかもしれん。

カゼ。10時間以上休みなくプログラムをして夕方になったらアニ同の例会、 加えてほとんど飲まず食わずと来ては無理もないか。 というか、アニ同の宴会あったの金曜じゃないか。昨日なにやってたっけ。 木曜10時ごろ帰ってプログラム夜3時くらいまで、金曜は10時に起きて研究室、 3時ごろ帰って8時半すぎまでプログラム。アニ同の宴会。 2時半に帰って寝て10時に起きてプログラム、 寝たというか力尽きたのが今日の4時すぎらしくて、10時ごろ起きてプログラム。 1時ごろ煮つまったので統計の勉強。 土曜が壮絶だな。連続16時間。トイレ以外休んでない。 加えて考えたらアニ同から帰ってからさっきメシ炊くまで何も食ってなかった。 液体もココア一杯。かなり体に厳しいことをしている。精神は修羅場れるが、 体はもたないらしい。

統計学の本(初等統計学-P.G.ホーエル著)を読んでいた。 ちと簡単すぎる本なので、 もう少し高度な奴を改めて読む必要はあるが、例が豊富で読みやすく だいたいの概要はつかめた。 おもしろかったのは自分の直観的な認識がかなり間違っていたことがわかったことだ。 例えば3個のサイコロをふった時に1個も1が出ない確率と1個以上1が出る確率は それぞれ0.58、0.42で、 6種類目があって3個ふるんだし半分くらいか、などと漠然と思っていたのは 結構あさはかだということである。私は賭事は向いていないということだ。 たとえば麻雀。

さて、現象の分布の性質を前もって知ること何よりも大切である。 データが少なくてそれが得られない場合にはモデルを立ててそのモデルの 有効性を評価し、使えればそれを使うことで判断の材料を増やす。 DNAチップ実験の性質をもっと知るべきだ。 1からnまでの番号がついた遺伝子についてその遺伝子が使われている度合である v1からvnが与えられている。 この時に、違う条件間のデータで何番の遺伝子の値がどの程度有為な変化をしたかを 評価することが目的になる。元々のソフトウェアはv1からvnのうち 最大から2%、最小から2%を除いたものの平均値を平均値とし、 これをある特定の値になるようにスケーリングした後2つの実験データの 差を取っている。しかしそれは果たして妥当だろうか。2%除くというのは いかにも場当たり的な方法に思えるし、けっこう指数的な分布をする値に対して 算術平均(足して割るやつ)を取っていいのかどうかもわからない。 多くの学者がその方法をまんま使って、その上で3倍開けば有為な差だと言っているが、 3倍も違わないと有為でないというのは何か間違っていないか。 対数を取るべきではないのか。一回きちんと統計学の手順を踏んで検討すべきである。 まずはそれに必要な数々の値を計算する汎用的なプログラムを作ろう。 こんないいかげんなものをそのまま真に受けていられるか。

2002年1月12日

バレンタインパーティーでやってたあの亞里亞朗読が ラジオでまた流れた。しかし、似て非なるもの。 これはあまりにやりすぎである。 バレンタインパーティーの朗読はあんなに素晴らしいのに。 そんなに無理して高くせんでいい。

BMP(DIB)フォーマット。調べても食い違う。時代とともに仕様が変わっているっぽい。 で、その仕様書はどこにあるのだろう。 ところで気づいたのだが、BMPにも解像度指定ができる。 ちゃんとヘッダに書くところがあるのだ。 なのになんで使わないのだろう。ちなみにこれの解像度指定は ドット毎メートル。勝手に略せばdpm。無駄なこだわりが見えるが、無駄だ。 インチを捨てようという心意気は買うが、 よりによってメートルはないだろう。直感的にわけがわからない単位である。 96dpi=3800dpmだ。デカすぎる。

pngの仕様書を試しに見てみたが、わからん。ややこしすぎる。

2002年1月11日

閉店間際のゲーマーズに駆け込んでP.E.T.Sオフィシャルファンブック。 元々どっかの誰かが勝手にサイトで始めた企画だという話。 最初は3人だったのがだんだん増えていったらしい。 その増え方やら増える時のエピソードやらがまんまアニメ化されたようで、 あのアニメの辛い部分はかなりのところが元々設定を作った人のせいだということ だろう。にしてもこの小林多加志という人のキャラデザは 大したものだ。顔の中身はのっぺりしていまひとつすごみは感じないが、 服やら色やら髪型やら表情やらの決め方がうまいので、 見た目だけできちんとキャラが立っている。

affymetrixのGeneChipのスキャナから出てきた画像(.DATファイル)を BMPに変換するプログラムを書いた。ともかく動いているっぽい。 512+(Xピクセル数×Yピクセル数×2)というわかりやすすぎるファイルサイズ だったのでためしにヘッダと思われる512バイトを飛ばして 残った部分を1バイトおきに拾ってグレイスケールのビットマップを作ったら なんとなくそれっぽいものになった。 しかしながら何故か1行ごとに4ピクセルずつズレているのでタイミングの狂った テレビみたいでそのままでは使えない。 そこで無理矢理それを直してどうにかほぼ完全なビットマップを得たのである。 ほぼ、というのは直す過程で端4ピクセルのデータを横にのけてしまい、 かつそれをどこにはめこんだらいいものか皆目見当がつかないからだ。 しかしデータ部分にはるで関係ない端っこなので問題はない。 なお、1ピクセルあたり16ビット階調なのだがBMPにはそんなフォーマットはないので、 無理矢理16ビットBMPに詰め込んだ。下位バイトはGGGBBBBB、上位バイトはXRRRRRGG なので、緑と青は事実上ノイズ。残った赤も32階調なので画像ソフトで 赤チャネル以外切って見てもはなはだ粗い。 一応256階調グレイスケールで記録するモードもつけたが、 こんなものをきれいに見たいのはプレゼンでハッタリをかましたい時くらいだろう。 なんか画像ファイルをどうこうするプログラム、なんてのを書くと 大したことはしていないのにプログラミングをしてるような気がしてくる。 なんか気持ちいい。ところで、なんでBMPフォーマットってこんなに意味不明 なのだろう。何故か下から上へ記録するので 多くの画像ソフトの座標系と合わない。加えて何に使うのかわからん フィールドも多い。あとは劣化せず圧縮解凍が速くてかつ部分だけ取り出す ことができるような画像フォーマットにして置いておければ言うことはないだろう。 さて、次はこれを実際に解析するプログラムを書く。 うまく行けば何百万もするのソフトに頼らずに、しかもあのうっとうしく 装飾過剰で作業効率の悪いGUIから離れてコマンドラインで解析ができる。 もし元のソフトと同じ結果を出せるものを作れたらバラまいてやる。

誰か天使のしっぽラジオを録音している人はいないだろうか。 シスプリを聞ける時は続けて聞いているが、 滅多にその時間がヒマなことはないのである。 流行りのMXでさらえばいくらでも出てくるんだろうが、 ISDNでやるものでもあるまい。

なんでも誉めて好きになる節操のない人と思われそうな今日このごろ。 触れる前は嫌悪すらしていたシスプリは半年も前からこのザマであり、 ついにはあれだけバカにしていたP.E.T.Sすらもが好きの圏内に入ってきた。 なんでもけなすよりは楽しいのでいいが 何事も度合なのであって、嫌うこともまた必要な気はする。 こうなんでも誉めちぎってると誰も信用しなくなるに違いない。 それに、何が好きで何が嫌い、というのをある程度一貫して 持つことはつきあいの上では大切なことだろう。 人は時と場合で変化するのでそんな一貫性とか個性とかキャラとか 属性とかを期待されても困るのだが、ある程度はそれを受け入れないと不便な ので仕方ない。 そういやみスをのテーマの一つとしてそんなことが語られていた気もする。 わかりやすい称号で人を理解した気になるのは人類発祥以来 変わらない伝統だとは思うが、確かに数が増えて裕福になるに従って その傾向が高まってきたかもしれない。それを差して 「人間はいなくなってしまった」というのは表現としておもしろい。

家族計画と加奈を同じ人が書いたということを聞いて すこし驚いた。加奈は泣けやオーラが強い上にそれしか印象にないので だいぶ好きじゃない。なんぼ家族計画が好きだからと言って その人がてがけたもの全部をやろうという気にはまるでならないのだ。 もちろん私が変わったのかもしれないので今やったらおもろいのかもしれないが、 その賭けはちと分が悪いように思う。

上の画像がズレる件。数え間違えてただけだった。

2002年1月10日

電話を買おう。時代に取り残されるのはかまわないが、 時代以外のものにも取り残されるのは辛い。

借りたラジオ録音を聞いてたが、いまだに水樹奈々の声が識別できない。 それはいいとして、半場友恵は偉大なお方だ。

2002年1月9日

下手くそは罪なんだが、責める気にはあまりならない。 どうでもいいからなのかそうでないのかすらもよくわからない。 何の話かと言えば、pritsのCDの話である。 シスプリ12人の中の4人(桑谷夏子、望月久代、小林由美子、水樹奈々)の ユニットだ。声優にまともな歌を求めるのも酷な話であり、 むしろ作曲や指導の方にこそ責めがあると言うべきだろう。 そしてソロになるとやけに浮く水樹奈々。 特殊な歌い方をマスターした者はもう戻れないのか。 また、不思議なのが桑谷夏子。シくらいでそんなに辛いのか。 誰か声の出し方くらい教えてやったらどうかと思う。 ラジオでしゃべってる声の音域から推し図るにシごときが辛いはずはない。 明らかに声の出し方を知らないだけだ。 知らないのは他の二人も同様ではあるが、その二人は 声質が強烈で思い切りがいいのでこれもアリかと思えてしまう。 ところで関係ないが、ハピレスドラマCDの古山きみこの歌はすごい。 あの人も歌がうまいわけではまるでないのだが、そんなことはどうでも良い。 作曲も実によくわかってらっしゃる。

2002年1月8日

京都に戻ってきました。

2002年1月6日

仙台に戻ってきました。京都には8日に戻ります。

小池一夫・小島剛夕「首斬り朝」1から12で完結。ただし9だけ抜け。 侍漫画。こーへーが読みたがるかと思って買った品だが、 自分でかなり好きになってしまった。 一冊だけ間違って買わなかったのが悔やまれる。昔の名作は いろんなバージョンがあるので「確か6巻は持っていたはず」 とか思ってもどのバージョンかによって全然違ってくるのだ。 もっとも一話完結なので途中が抜けても流れとしては痛くもかゆくもない。

ピクミン三昧

  寝ても覚めてもピクミン。夢までピクミン。 家族で歩いているだけでピクミンな気分になる。 すっかり毒されてしまった。

  で、一回目は30日ぎりぎりでクリア。 ダイオウデメマダラに手間取って150体ものピクミンを犠牲にした。 死んだピクミンの総数は900匹近くにも及ぶ。 というわけで、二回目の挑戦。今度は21日でクリア。死亡数も500を割った。 そこで今度は限界まで短い日数でクリアすることに挑戦してみることにした。 が、挫折。二日目に四つのパーツを集めて樹海のヘソに いけるようにせねばならないのだが、 これが実に難しい。 数十回の挑戦の後どうにか達成できたが、ピクミンの総数が少なすぎて 次の日の捜索に差し支える。 あと30秒短縮すればピクミンを数十体増やすことが出来るのだが、 この30秒が辛い。あらゆる操作を完璧によどみなく行わねばならないわけで、 オレには無理だ。ピクミンの解散・招集操作が特にミソで、的確に必要なピクミンを 高速で選別しなければならない。秒単位での最適化が必要だ。 なお、理論上九日でのクリアが可能であり、実際にやった人もいる。 一日目は遭難地点で選択肢はないが、全員を花ピクミンにする。 二日目は希望の森で4つ以上のパーツを取る。 三日目は樹海の森でこれまた4つ以上パーツを取る。 四日目は遭難地点でピクミンを極限まで増やす。 五日目は希望の森をクリア。六日目で樹海の森をクリア。 七日目、八日目で大水源をクリア。そして九日目は一日で最後の試練を片づける。 地獄のスケジュールだ。 二日目はどうにかできそうだが、それ以上にしんどいスケジュールが どかどか襲ってくる。オレには無理だ。

  ちなみに二日目の詳細スケジュール。

  これを得るまでに何十回やったか知れない。 しかも最後の死骸回収をやれるだけの時間はまだ残せていない。 赤68、黄16で、先に進めないことはないがかなり厳しい。 操作のもたつきがゼロなら30秒くらいは短縮できるはずなのだが。

  いかん。挫折したとか言ってるくせに頭の中はピクミンで一杯だ。 ピクミンは危険すぎる。

2002年1月1日

年が明けたらしいが、明けた瞬間私はそれどころではなかった。

家族計画終了。Air以降では最大の作品となった。 細かいところではいろいろとおかしいところとか表現がいまひとつなところとか くさすぎるところとかもあるが、いい。そんなことはいい。この際無視だ。 三日もすればそんなことは全部記憶から抜けてしまうに決まっている。 春花の最後のおしまいが気に食わないとか、そんなのはどうでもいいことだ。

果たしてこれがONEやらAirのように「何かがおかしい」作品であるかと言えば おそらくそうではない。物事にきちんとした因果があって、 不幸の原因が取り除かれれば幸せになってしまえるあたりかなり普通だ。 確かに圧倒的に仕方ないことが原因であることの悲しさをテーマにしてはいるのだが、 その割には話はきちんと整理がつくきわめて後味のいいものになっている。 物語に山場を作ってハッピーエンドにするためにどうしても 話を単純にせざるを得なかったのだろうし、 なによりもシナリオ書きがそうしたかったのだろう。 春花シナリオのとどめのマフィア抗争話あたりは「全ては仕組まれていたんだ」 という感じで微妙に浮いているような気もする。 しかし、それくらいでなくては救いがない。 救われない話を見てなにが楽しいというのか。 後味の悪さを愛でる自分に酔うのはあまり健康とは言えない。 と言う理屈で自分の中の「結局ハッピーエンドかよくそ」という思いを粉砕しようと しているが、それもまた不自然だろう。微妙な違和感と満足感が同居している。 ただ満足するよりも長く記憶に留まることだろうから、それは悪いことではない。

ところで、青葉シナリオ分岐以前の青葉はとてもまともだ。ものすごくわかりやすく いい奴である。そして青葉シナリオでどうかと言えば、一部とてもわかりにくいが もっといい奴である。いい奴というよりは、いとおしい奴と言った方が近い。 なにせ私の感情は最初から最後まで作者の手の内にあったわけで、 主人公の台詞によって完全に青葉その他に対する印象は操作されていた。 主人公が怒れば私も怒るし、主人公が許せば私も許す。 それが青葉に関して一番強烈に働いたのだと思う。

いつものことだが、今日はかなり文章変。きちんと書くことを怠ってる。 すでになんで文章書いてるのかよくわからない。こんなこと伝えてどうするんだろうと 思うが、別に義務感で書いてるわけでもないし、かといって書きたくて書いてるのかも よくわからない。が、とりあえず書こうとしてしまうし、事実書いている。 なんかしらんが書こうとしてしまって書いてしまうことを指して「書きたい」 と言うのであれば確かに書きたくて書いているのだろう。もはや自動化されている。 立っていると馬歩になってしまうのと同じくらい自動化されている。 私は自動化万歳主義者だが、果たして文章を書くという行為は自動化されて いいものだろうか。人に何かを伝えるという行為は最後まで自動化されるべきでない ことなのではないだろうか。こんな状態で書いている文章が 意志の力によって書かれていると言えるのだろうか。 原稿用紙に向かって生身でペンを持って文章を書くというのは 自動化を起こさせにくいという意味でとても意味があることなのかもしれないと思う。 WEB日記というのはあまりにも書くために必要な段取りが少なすぎる。

失敗してひどい目に遭えば同じことを繰り返す確率は下がる。 それは原則としては正しいが、現実に適用するには少々厳しい。 いくらひどい目に遭っていくら自分を責めても同じ事を繰り返すことはあるのだ。 感情が化学物質の濃度である以上必ず時間とともに薄れるし、 一度自動化され完成された回路が破壊されるほどの 衝撃を与える「ひどい目」はそうそうあるものではない。 それはその人間の責任ではなく、ハードウェアの制約だ。 人間の脳、特に大人の脳はおそらくそれほどの可塑性を与えられていないのである。 学んで理解したとてできあがった回路は依然として存在しており、 その回路にひとたび信号が流れれば理性などクソほどの役にも立たない。 そのような状況においてできることは決してその回路に信号が流れ込まないように 前もって仕組んでおくことだけだ。だが、それが逃げであることもまた事実ではある。

パスポートブルー最後まで。少年漫画はこうでなくては。 この世界観で生きる自信はもうないが、 こういう世界観がこの世に存在していることが気持ちいい。 がんばって悪いはずがない。

一家そろってばあちゃんち行って来ます。数日更新され得ません。


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