日記

2001年12月31日

最近キャラが不自然だとか存在感がないだとか思うこと自体がよくないような気がしてきた。 そういうことを思うには二つの前提が必要である。一つは読む人間がそれが作品、つまり フィクションで作り物だということを前提としていること。もう一つは読む人間が 「人間ってのはこういうもんだ」というイメージを持ってそれでキャラをはかろうとしていることだ。 思うに両方ともあんまり好ましくない。そもそも作り物だなどという思いがある段階で 作品そのものを見ていない。後ろにいる作者なんてものを見ている段階で不純もいいところだ。 そして、「人間ってのはこういうもんだ」なんていう勝手な尺度でそこにすでに存在している 人間(キャラ)をはかろうとするのは傲慢だしつまらない。不自然だろうがなんだろうが現にそのキャラは そういう行動をしているのであって、勝手になかったことにするのはただ単に目を背けているだけである。 家族計画を読んでてそんなことを思った。 もちろん後ろにいる作者のことを全く考えないというわけにはいかないだろうし、 キャラの行動に矛盾があったり行動原理がわからなくて不快になることは仕方ない。 やはりショボイものはショボイのだ。 ただ、もうちょっとそこにあるものを素直に受け止めて、意識的に自分がその作品について どう思うかを考えるのは後回しにしようと思うのである。 見てる途中に「おもしろい」と思うことはすでに不純なのだと思う。 というわけで、「シスプリを好きでいるのは踊らされているようで好かん」とかいうような 嫌い方は極力やめようと思うし、「エヴァは途中で金がなくなって監督が先も考えずに作ってたからなあ」 とかいうような嫌い方もできるだけやめようと思う。ただし、見終わった後で考えるときに そういうことが考慮されてしまうのは当然であるので、そこはそこだ。

2001年12月30日

幸運にも家族計画をやる機会を得た。というわけで、 プロローグ。なげえ。いつ終わるとも知れぬプロローグに 何度か中断しかけたが、なんだかんだ言うておもしろいので先へ進んでゆける。 楽しい雰囲気としんみりした雰囲気の混じり具合がとてもいい。 少々そのしんみりが鼻につかんでもないが、まあこのくらい屁でもない。 主人公がキャラの心情説明を一手に引き受けてくれるのは今の流行りなのだろうし、 君望に比べればかわいいものだ。 あとどっかの透くんもどきがえらく気になるが、まあそれもネタということで許可。 だいぶ長丁場になりそうなので、今日はここらで寝よう。 ところで、とらは3の時も思ったのだが、やっぱり日が変わったときには日付表示がほしい。 でないとどうも切れ目がなくてダラダラ続いているような 印象を受けてしまう。日付表示以外にもそういう効果がある演出はあり得るとは思うが、 どうも思いつかない。小説であれば空行やら字下げやら改ページやらが そういう効果を司っているのだが、3行しか表示せず画面書き換えが こうも頻繁にある形式ではどれもそうした区切りには使えないのだ。 章に分けて見出しをつけるのは効果があるだろうが、もう少し細かい区切りもほしい。 いい手はないものだろうか。まあそれはいいとして、続きは明日。といっても今日だが。

フルバ7巻まで。いろいろ耳が痛い。タイムリー。しかし漫画として 面白いかと言われれば正直あまりレベルの高いものではないという気はする。 しかしそれは単純に技術の問題で、センスそのものはすばらしいと思う。

家族計画、青葉と真純。本気で長かった。本と違って、どれくらいで終わるのかがまるで想像がつかないというのが 辛い。が、中身はきわめておもしろかった。いや、面白かったと言うよりは、強烈だった。 いうならば、面白いAir。ただしAirと違ってきちんとした救いがあるし、物事には説明がつく。 それを指して凡庸と言うこともできるかもしれないが、それはともかくとして本当にいい話だった。 そして、フルバ同様にタイムリーだった。これのキャラに比べればカスみたいなものだが、 自分も同じようなネタについて考えないでもない年頃なのである。耳が痛かった。 半年前にもしこれを読んでいたらと思いはするが、どうせ半年前だったらこういう思いは抱けなかっただろう。 身をもって知るまでわからないものなのだ。こういうことは。

青葉シナリオについて。崩壊が始まってからの彼女は本気で殺意を抱くほどとんでもない奴だった。 しかし、爺さんの話の後ではそんな思いは完全に消滅。自分の心がシナリオ書きの意のままになっているのが 痛いほどわかる。確かにどう考えてもあの爺さんの話はとってつけたようないい話なのだ。 そんなことで何もかもが丸く収まるようなわけにはいくはずがない。 しかし、それでもよかった。最後はやっぱりハッピーエンドではくてはいけない。辛すぎる。なんでゲームで辛い思いを せねばならんのかと思う。不幸で救われないシナリオを見て「ほーらやっぱりこの世は甘くないんだよ」 などと歪んだ満足感を抱く趣味はオレにはないのだ。負の感情から得る満足感はことごとく自分を不幸にする。 しかし、青葉以外の奴がどうなったのかは語られないので、その意味においては完全なハッピーエンドではないかもしれない。

真純シナリオについて。真純嫌い、だった。またもや主人公にシンクロしていたわけで、シナリオ書きの手の内である。 それに、こうして終わってから考えてみれば彼女を責めるのもためらわれるのだ。実際にあんなのの世話を自分がするか と言われると微妙だが、それはそれとして全部彼女が弱いせいだと言い切るのはさすがにためらわれるように思う。 なお、エンディングはもうこれ以上なく大団円で、さすがに「いいのかそれで」と思わなくもない。 しかし、いいのだ。それくらいでも。ところで、青葉が別人のようにまともなんだが。 確かに青葉シナリオでない進行にもかかわらず青葉があんなになってしまったら辛すぎるのでいいといえばいいのだが、 なんかインチキくさいような気もしないでもない。ところで、大半のテキストが既読だったにもかかわらず 2時間以上かかってた気がするのだが、これはスキップが遅いからなのか、それとも半端じゃなく長いからなのか。 前者と後者の比率は2:8といったところか。長いよこれ。やはり日付表示は欲しかった。

メインなヒロインを読んでない段階で言うのも何だが、最近では最高の出来。家族愛なんていう クサさ爆発なテーマのわりにクサさはほとんど感じない。 ギャグにも寒さはまるで感じない。ケッと思うところがないというわけではないが、 たいがいそれはシナリオ書きの手の内で踊らされているだけで 後でそれがプラスの感情に反転される。オレが単純なだけだろうし、なによりタイムリーだったというのが大きいのだろうが、 たぶんこれが好きな人はおおいはずだ。

2001年12月29日

ONEアニメ2話。わけわかんねえ。とりあえず長森も七瀬もニセモノ。 やりたいことはわからんでもないが、ダメだこりゃ。 消えるところ以外何一つ合ってないという評価はまことにもっともである。 ともかく、氷上と浩平のキャラデザが似すぎているところだけはどうにかしてほしい。 ただでもむつかしいのにそんなくだらんところで余計にむつかしくする必要はないだろう。

あいまいみぃストロベリーエッグ8話まで。たまらない青春ドラマ。 テンポもいいし、見てて楽しい。しょーもない話ばかりではあるが、 おもしろけりゃいいのだ。ブルマの話とかバカっぽいながらも青春で最高。 続き早くでんだろうか。

メガミマガジンというのを買ってみた。P.E.T.Sがどんな形で連載されているのかを 見たかったのだ。しかし、いまひとつよくわからない。 ところで新しいキャラを作るとかで5種類の動物から絞り込む みたいな企画をやっているようだが、これ以上どうやって増やすというのか。 小一から高三まで一人づつ配置、という状態を崩さずにキャラを追加するのはもはや不可能だろうし、 そんなことを無視するにしてもこれ以上かぶらないようにキャラを増やすのは至難の業だろう。 候補としてあがっている動物も、イルカ、コウモリ、ペンギン、ウマ、フクロウとどうやっても ペットにならなそうな奴らばかり。とりあえず次号も見ねば。 なにかはめられている気もするが、気のせいだ。 なお、他に読むところはまるでない。オタクから金を吸い上げるための策略にしかみえん。 もっとも手の内で踊らされているという事実程度でしりごみするようではチキンなのであって、 むしろ制作者がビビるほどうまく踊ってやろうと思うくらいでなくてはオタクは名乗れんのだろう。

この雑誌を冗談とは言え買ってしまったのは致命的な出来事であったかもしれない。 いや、うまくすれば致命的な出来事にすることができる、と言うべきか。

メトロポリス。激しくぽりごーん。加えて激しく説教くせー。そして下手なのかなんなのか 異様にわかりにくい展開とテンポ。 今の技術はこのくらいか、ということを確認するだけのものと認識。 あのポリゴンがポリゴンとしてはすごいものである、ということは否定しないが ああもあからさまなポリゴンだとすごいとも思わないし、そもそもあの画面が美しいとは到底思えない。 確かに人物はよく動くが、今ひとつ動きにキレがなくて躍動感がない。 全般に細かいだけだ。正直もののけ姫の3倍くらいつまらなかった。 やはり大友は過去の人だと思う。それに加えてさらに過去の人であるりんたろう。 そして原作が手塚。最悪の組み合わせではないかとすら思える。 そもそも脚本が大友というのがまったくわからない。

2001年12月28日

このはちゃれんじ終了。いつものノリからは想像もつかない、 わけでもないが総じていい話に。 しかし、いい話が何かとってつけたようにいい話なので、 いまひとつ「いいのかこれでひたってて」という引っかかりはある。 全体に楽しいノリで会話がおもろいのでそのへんはどうでもいいのだが。 それにしても、自分のメッセージをわかりやすく 出してしまうのは今の流行りなのだろうか。 そこまでいわんでもわかると言いたいところがずいぶんと多い。 この作品に限ったことではないにしろ。 なお、やけに下ネタが多いのが特徴だが、 こうもあけっぴろげだと 気にならないどころか気持ちいい。

ゆえあって水夏とメモオフは延期。

ピクミン最高。童心に返ってわめく叫ぶ。食われては叫び、おぼれてはわめく。 真珠貝の化け物に食われたときが一番印象的だった。あいた瞬間に投げつけてアタックをかけ、 貝が閉まる直前に集合をかけて貝に食われるのを防ぐのだが、タイミングが遅れて 何匹か犠牲にしてしまったのだ。この空しさ。歩くコース取りのせいで赤ピクミンが 水に落ちておぼれたときの自責の念も激しい。一匹回収し忘れて野生動物の餌食になったときも 悲しかった。ワラワラと100匹のピクミンがついてくる。花ピクミンになると戦死しても種を 残したりすることがあるのだが、泣ける。

2001年12月27日

ニャにいろいろ見せられた。エロゲのデモとか、いろいろ。 黒魔法少女なんとかとか言うのの歌がサイトにあって聞かされたのだが、 一つはキューティーハニーのパクリ、もう一つはナレーションだけ ベムのパクり、そしてエンディングテーマは意味不明な歌詞で曲は演歌で 歌手もたぶんけっこうまともに演歌の人。 エンディングのみおもしろいので許可。それらはサイトにあるが、忘れた。 あと、はじめてのおるすばん。最悪。133cmと言えば亞里亞よりも背が低いのである。 オレが幼稚園を出た時の身長が126cmだから、おそらく小学生3、4年の女の子 なのであろう。そんなのでアレだ。そんなグロいものはいらない。それとあと、逸脱。 絶賛する感想文を読まされたが、オレはいらない。

「マリア様が見てる」読み終わり。おもしろい。意外にちゃんとした文章で読ませる。 なによりネタとしての女子高描写の中に微妙に現実の女子高の性質が 表現されていそうなのがいい。オレは男子校出身で 女子高はおろか共学すらどんなものか知らないために余計に新鮮に見える。 同年代の普通の女の子、というのとまともに話したのは思えば中学校が最後だった。 生涯で最後になる可能性も十分にある。というか、そうだ。 これから会う同世代の女性は女の子ではない。悲しいことだが、別に 大して切実でもないのが仕方ない。

大学に入ってからある程度の期間話をしてたことのある女性と言えば、 実験で一緒になった始終漫才をやってるとしか思えない大阪人、 お嬢学丸出しの物腰で妙に高そうな服を着てるくせに (並の女性は住まないようなタイプの)寮暮らしで サークルが落語という何かズレた人、 「自分の研究が人の役に立つなんておぞけがする」とか言う理由で 数学に走った(らしい)音楽マニアチェロ人、 どっから見ても日本人でオレも日常外国人であることなんて まるで忘れてる関西弁バリバリの韓国人、そんなだ。 最初の3人は授業やら実験やらの一緒にいる条件がなくなったら当然のように 関係が切れたわけで、 もったいないといえばもったいない。実に見てて飽きない奴等だった。 ところで、もうちょい普通の人と話す機会が本当になかったのか と考えてみるとけっこうあやしい。いくら理学部とは言え 女性がいなかったわけではないし、ましてうちのクラス(50人くらい)には 5人もいて語学の授業なんかでは一緒だったはずなのだ。 しかし結局そういう人とは会話をしようとしなかった気がする。事実覚えてない。 これも仕方ないことだ。

そういやあいつが行ってた女子高って、なんぼかでもリリアン(マリア様の高校) みたいなんだろか。もっと聞いておけばよかった。お茶の水大附属なんて かなりお嬢学っぽい響きなんだがどうなんだろう。 なんにせよオレには想像もつかない別世界にいたということをあいつの 物腰やら服やらしゃべり方は語っていた。考えたら名前も マリア様に出てきても違和感ないような代物だ。できすぎ。

てなわけで、帰ります。じゃ。

今仙台。雪だよ雪。でも、積もってはいない。そんなもんか所詮。 なお、当分アンカーつけません。last-modifiedも更新しません。 アンテナでどうなるかは謎。あと、IE通ってるのでHTML的には むちゃくちゃになってる可能性があります。DTDとか。

秋山瑞人「猫の地球儀」。なるほど、絶賛されるのも納得だ。 センスが良すぎる。あの類の文庫にはまるでいい印象がないのだが、 明らかにこれは別次元である。きちんとしている。 時代が時代だからああいう文庫なだけだろう。他にも このレベルのものがごろごろしているのであれば偏見を捨てねばなるまい。 ところでSF描写はけっこう硬派で前読んだ神林長平を思いだしたりしたが、 あんなにこれみよがしなSF描写ではないので親しみやすい。 これでもかと設定を見せつけるのではなく、あくまでキャラクタが主役だ。 それがとてもいい。同時期に出た作家はさぞや大変だろう。 少々メッセージ性が強すぎる気もするが、大したことではない。 そして展開がいい。省き方も気持ちいい。 一冊読み終わるまで決して投げ出させず、かといって満足させ尽くさないのが うまい。でも、かぐらが死んでしまった。

同じく、イリヤの空。2冊。最初はあまりにべたべたなキャラにマジかと思ったが、 次第にどいつもこいつもまともに奥深い人間であることがわかってきて バンバン引き込まれていく。猫に比べれば普通だが、普通なのがいい。 確かにどっかでみた綾波で、なんか微妙に最終兵器彼女なのだが、 そんなことはどうでもいい。続きが読みたい。

2001年12月26日

このはちゃれんじ何も起こらないエンド。妙に楽しげでバカだが、微妙に 説得力があるセリフがちらほら出るのがいい。 ねがぽじもそんなだったそういえば。 こっちの方がバカさを重視した作りに なってはいるが、ノリは似ているかもしれない。 出てくる奴等みんなして妙に人間ができてるのもよく似てる。 理不尽な状況に叩きこまれた主人公がやけに力強く生きているところもよく似てる。 強引な親友がいるところもよく似てる。 不気味に人間できたサブキャラがいるところもよく似てる。 そういや画面の感じ(特にロゴ)もよく似てる。 そういうわけで、ねがぽじ同様にけっこう好きになれそうだ。 こういうノリは好きなのである。 パラメータ条件がうっとうしいので全部のシナリオを見るのは微妙にホネだが、 まあそれくらいはいいだろう。攻略を見ればそのへんの苦労はだいぶなくなる。

明日実家帰ります。しばらく更新されませんたぶん。 水夏、このはちゃれんじ、メモオフ、ピクミン、月姫の追加シナリオ、等々 やるものがいっぱい。

2001年12月24日

ハピレス声優イベント。生まれて初めての声優イベント。 客に痛い奴が若干いた以外はかなりおもろかった。 あの声でしゃべる人が目の前で動いてるだけでも大したものだし、 その他もろもろ予想外におもろかった。演歌歌手のディナーショー とかにオバサンが群らがるのもなんとなくわかるような気がする。 イメージ的に似たようなもんに見えるんだが、どうだろう。 ところでそのざきみえはすごい人だ。歌もうまけりゃノリもいい。 きみきみのフリもかなり似てた。芸人だ。笹島かほるも芸人だ。 きみきみは芸人もクソもなくすごいお人だし、浅野るりも ハピレスで鍛えられてきたのがありありとわかる。 また機会があればこの手のものを見に行くこともあるだろう。

いっぺい、まさひろ、こーへーとオレの4人で天使のしっぽ上映会。 1話を見たあたりでは全員かなりグロッキーだったが、 2話以降急速に辛くなくなり、次第にツッコミを入れつつ楽しむ余裕も 生まれてきた。ひょっとしてこれおもしろいかもとか思いつつ 最後まで見ることができたのである。四聖獣のあたりはかなり辛いが、 1話のように辛いところが30分も続くわけではないので容易に耐えられる。 見終わるころにはもう辛い思い出が頭から排除されていて、 あゆみかわいーとかつばさかわいーとか言いながら盛り上がる始末だった。 もちろん年齢順に12人きちんと言えます。オレはともかくギャルゲー 嫌いのこーへーまでが全員覚えてしまうあたり この作品のパワーはすごいのかもしれない。ところで、このアニメは車田だ。 次から次へと衝撃の事実が明らかになるとか、次から次へと猛烈にクサい 展開になるとか、出てくる奴出てくる奴どいつもこいつも典型すぎるとか、 なんか知らんがバトルになるとか、ものすごく車田だ。 そもそも「イヌのナナ」とか「ウサギのミカ」とかって、 「バルゴのシャカ」とか「キャンサーのデスマスク」とかとまるで一緒ではないか。 ジャンプ。聖闘士星矢。「そうか、これは車田なんだ。ギャル の皮をかぶった車田なんだ」と気づいてからはさらに辛さが減退して 楽しくバカにできるようになった。結局のところは脚本はカスで、 演出のセンスが超絶にダサいので到底誉められたことではないのだが、 そのカスさがいい感じに車田テイストを醸し出していて笑いどころになってしまった のである。変にはしょってるおかげでまるで意味不明になっているのもポイントが高い。 さて、キャラについて上から順に述べていこう。せっかくだから。

ヘビのユキ
ただでも声でオバサンくさいのに色指定のせいでさらにオバサンくさくなり、 さらに「おかあさん」と呼ばれる以外にいいイベントもない薄幸キャラ。 たまに目立っても シナリオに関わるところなために所詮上からの電波を受けているにすぎず魅力など 出やしない。もっとかわいく描いてやれよ。ちなみに作品内では 死因すら発表されなかった。焼死らしいのだが。
ウサギのミカ
非常においしいキャラ。(春歌+咲耶)/2+かしましさ2倍。 目立ちすぎ。出番多すぎ。あんまり上からの電波を受けて 不自然な挙動をすることもなく、実に恵まれたキャラである。 が、こいつ本気でわがままだ。 なお、こいつも死因は発表されていない。
カメのあゆみ
こいつも非常においしいキャラ。川澄綾子のどうしようもなく普通にかわいい声と あの髪型だけでもかなり強いのに、加えて帽子。それもグリーンベレー。 さらに出番は多く、しかもいい役どころばかり。 あまり上からの電波にさらされることもなく、萎える場所も少ない。 見てた4人の間ではこいつが一番評判がいいのだ。 スキのない奴である。なお、死因は未発表。 そういや途中からトラウマなんてまるでどうでもよくなってたな。
金魚のラン
最初から最後まで上からの電波のみで動いているかわいそうな奴。 まっとうなヒロインキャラだけにやむを得ないのかもしれないが、 それにしてもかわいそうだ。言わされているセリフしかない。 なお、第一話登場キャラなのできちんと死因はネタにされている。 微妙に。プールのころにはそんなこと忘れてました。
インコのツバサ
電波受けまくりでシナリオ書きのあやつり人形のような彼女だが、 ボク属性に加えて声やらなにやらが異様にかわいいため総合的にはプラスである。 出番も多いし、おいしい役どころも多い。 死因すら発表されないキャラがごまんといる中で こいつだけ2回もトラウマをネタにされているのだ。
ハムスターのクルミ
最初は目立ってたが次第にうるさいだけのキャラと化してしまった。 ラーメンねだるな。 第一回登場キャラでは最も影が薄い。うるさいだけならミカには勝てやしないのだ。 人気なさそう。
キツネのアカネ
赤いきつね。男口調キャラは強い。こんなの強いに決まってる。 うどんとそばの回は実に良い。しかし出番そのものはあまりないので 残念ではある。出番さえあればカメに匹敵するパワーを持てただろう。 なお、死因は元々銃殺なのだがこの作品ではイヌに襲われて云々になっているようで イヌのナナとのからみでネタにされていた。イヌといっても猟犬なので、 トドメはもちろん銃殺なのだろうが。
タヌキのミドリ
みどりのたぬき。アカネとセットだが、アカネに比べれば弱すぎる。 影の薄いかわいそうな子。変な声なのはいいのだが、 それが魅力に結びつかない。れす〜ももう少し不自然でなかったら良かったのにと 思うが、結局なによりも出番がないのが致命傷。
ネコのタマミ
12人いたらこういうのが一人くらいは欲しいかと思うが、なってしまった彼女は かわいそうである。猪名川系。四聖獣にさらわれる4人の中でも格段に扱いが 悪く、まるで言及されない。脇役街道まっしぐらだ。人気最下位はうなづけるが、 であればこそアニメではもっとどうにかしてやるべきだったのではないのか。
サルのモモ
リアル小学生声優だったか確か。下手は下手だが、悪くない。むしろ良し。 影は薄いが的確にポイントをつかんで出てくるのでタマミやミドリに比べれば はるかに恵まれたキャラだ。 それにしても主人公以外に惚れる奴がずいぶんいるあたり この手のものとしては変である。そういやあの小学生の男の子を泣かせた 話は一体何が起こったのか。3人で男の子を泣かせた、という結果がシナリオ上 必要だったのでとりあえず泣かせたが、 何をやって泣かせるのかがいまひとつ浮かばないので省略、 とかいう話だったら最低だ。 話の流れからすれば(この手を云々、ケガはないかい等) たぶん殴って泣かせたんだろうが、それはすごい絵だろう。 6、7歳の女の子が二人して男の子をフクロにする図。サイコだ。 ちなみにモモは泣かせるのに参加はしてない。下の二人。 もっともこいつも止めずに傍観していたようだが。
イヌのナナ
リアル厨房声優。中学生だけに下手クソだが、声がけっこう強烈で あっという間に慣れた。かわいいじゃないか。泣く演技だけはさすがに うなったが、済んでしまえばそんなことはどうでも良い。下3人はセットなのだが、 いい感じにキャラが立っていて良い。出てくるのが早かっただけに出番も多い。
カエルのルル
しっぽねえじゃん。しかしそれはそれとしてこれもかわいい。 下3人はいいキャラである。らお〜のつけどころがもう少し的確だったならなあ と思わないでもないが、まあいいかそんなことは。 スキルがあれば変なセリフもそこそこに言えてしまうものだが、 なにせ声優が小学生なわけでそんなことを望むのも酷だろう。 それにしてもこんな邪悪な世界に子供3人をひきずり込むのはどうかと思うが。

終わってみればけっこう楽しんでる。しかし、明らかにクソアニメだ。 なんぼ動こうと作画がきれいだろうとあの脚本と演出のダサさはいかんともしがたい。 むしろ作画がきれいなので余計にダサさが鼻につく。 しかし、考えてみればこの設定はけっこうすごい気もするのだ。 12人の中に微妙にグループができているのがいい。 下3人とか、きつねとたぬきとか、うさぎとかめとか、そういうのだ。 元の動物で考えればいくらでも組み合わせで話がつくれる。 ネコはハムスターに強いとか、ヘビはカエルに強いとか、 それはもういくらでもあるだろう。言われてみればペットが12人帰ってくる というのもなかなか浮かばないアイディアかもしれない。 というわけで、総合すればおもろかった。あくまでナマモノなので何週間かすれば 記憶が薄れていくのは間違いないが、まあそれはそれ。

起きたら夕方。今は8時半。いっぺいは帰ったが、 横でまさひろとこーへーが寝てる。すげえダラダラしたクリスマスイブ。 女の子とイチャつく日だという話だが、そういうことになってる奴が 周りにいないっぽいし、いたとしてもそういう奴は隠しているのでわからない。 女の子とイチャつく日という認識がどの程度認知されているのかは オレにはわからないのである。どうせフィクションの中だけの話なんじゃないのか。

ところで、天使のしっぽの絵はなんかのっぺりしてる。フィギュアくさい。 黒目がデカくて輪郭が丸いからだろう。 そういうわけであまりかわいいとは思えない。 しかし不思議なことに、これが動いていると けっこうかわいいのだ。アニメのためのキャラデザなのであって、 シスプリの絵とは根本的に何かが違う。もっとも現実の女の子からして 止まっているとアラばかり見えてあまりかわいくないものだし、 そもそも顔だけでかわいさを感じるものでもない。現実の女の子も動いて ナンボである。写真家の力量が問題になるのはそれ故だ。 ともかくそういうわけなので良し。 雑誌連載とかは全然知らないので動かない状態でかわいくなかったにしても オレには全く関係ないのだ。 ただアニメも アゴ付近の影指定が変なおかげでたまに二重アゴっぽく見えて イヤだったりする。

オレがシスプリの絵を見て覚える感情を他人に伝えようとするならば、 他人にそのような感情を覚えさせる絵を描くのが一番てっとり早い。 なるほどこのような動機であれば努力しそうな気もする。 そもそも、かわいいことはいいことなのだ。 この世にはかわいいものとかわいくないものの二種類しかないのである。 もちろん自分がそのかわいいものであれば一番良かったのだが、 それが望めない以上はかわいいものを作って 間接的に自分をかわいいものとするしかない。 シスプリに関する感情の大部分はオレの場合愛でたいという欲求であるが、 それに次ぐ大きなものとしてあこがれがある。 それはもちろんあのような境遇の主人公に対するものではない。 あくまであのようにかわいい奴等そのものへのあこがれなのである。 ネコを見てかわいいと思うのも、ネコに触ってると幸せだからというのを別にすれば、 ネコを意のままにしたいと言うよりはむしろネコになりたいという欲求である。 そのような理屈からすればオレがエロを求めないのも当然であろう。 エロを求めるまでに成長していないだけと言っても良い。 などと言うと余計に株が下がるのだろうが、もういい。 たまに本名出してるということを忘れそうになる。というか忘れっぱなし。

2001年12月23日

アニ同クリスマスコンパ。人数が思ったよりも少なかったせいで バカみたいに食い物が余って満腹。加えて手作りのケーキまで。 会長交代劇も爆笑物でした。カラオケではlittlestone(まじかる☆アンティーク) を歌えたので良し。HyperJoyは実にギャルゲーソングがよく入る。 千影ソングとか亞里亞ソングとか咲耶ソングもあったので 歌おうかとも思ったのだが、自分で歌ってもそんなにおもしろくないのでやめた。 やるとすれば鈴凛か白雪だが、永久に入らない公算大。

最近音域が広がってきた。 ラ(440Hz)が徐々に実用範囲に入ってきつつあり、 オクターブ下げないで女性の歌を歌える可能性が微妙に出てきたのだ。 カラオケの調整はマイナス4半音が限界なので 今でも最大がドでそれが瞬間的なものであれば歌える。 なお、雛子ソングは何故か異様に低くシbまで出れば生で歌える。 千葉千恵巳は確かに声がそんなに高い人ではないが、 あそこまで低くしなくてもいいのにと思う。 音域も狭く12半音しかない。音域的には楽な歌だ。 また、亞里亞ソングは水樹奈々のスキルを考慮したのか あの手のものにしては少々音域が広く、ラ(220Hz)からレ(587Hz)の17半音となっている。 もちろん広いといってもあの手のものにしてはという話であって、 銀河鉄道999では19半音、宇宙戦艦ヤマトや嗚呼逆転王では20半音に及ぶことを 考えれば大したものではない。 単純で歌いやすいように思うそれらだが、音域的には相当キツいのである。 もちろんさらにキツいものもある。例えばGガンダムのオープニングは21半音、 ガオガイガーはゴルディオンハンマーの叫びを含めれば22半音にも及ぶ。 よほど訓練を積んでいなければまともには歌えるものではない。 ちなみに、今まで見てきた感じではだいたい15半音程度の歌が一番多いようである。

2001年12月22日

ハピレスドラマCD。 ラジオをさらに倍のパワーにしたような、ある種手に負えない代物。 始終ツッコミ入れっぱなしで休むヒマもなかった。 テンション高すぎ。

にせルプさらだがどうにか遊べるようになった。次は自動解検索だが、 その前にソースをきれいにしてやらねば死。よく整理して アルゴリズムもよくよく見直さねば先へは進めない。 ここが遅ければこの後は全てダメになってしまうのだ。

2001年12月21日

研究室のアレを始末した。全ての証拠は残さん。 でそれはいいとして、今回も予想通り予想外に苦労した。 FreeBSDでsambaを立てていたのをwindows2000にするだけなのに えらい目にあったのだ。まず最初はバックアップ。 隣のコンピュータにwindows共有経由で ドラッグアンドドロップ一発だろうと思ったが、なぜか転送中に止まる。 どこで止まるかはランダムだが、とにかく止まる。 すでにあるファイルはコピーしないなんていうマネは どうもできないようなので、止まる度にどこまで行ったかを確認して 次のところからやるしかない。しかし、あまりに面倒すぎる。 そこでsamba経由でなくFTPでやることにした。しかし、 sambaでファイル名のCAP変換をやっていたためにFTP経由では 日本語ファイル名がわけのわからんものになってしまう。 やむを得ずファイル名を元のsjisに直すperlスクリプトを書き、 全部元に戻した。さらに念を入れてtarで固め、できた4ギガのファイルを FTPで転送して。ようやくバックアップに成功した。すでに12時間が経過している。 サバがDMA転送に対応していない上にPIIの266MHzと遅いのも これだけ時間を食う原因になっているだろう。ネットワークが10Baseなのも もちろん効いている。 さて、それでようやくFreeBSDを殺して windowsに生まれ変わらせたのだが、今度は FTPサバとWEBサバが動かない。いろいろあって、 TCP/IPだけでなくwindowsネットワーククライアントやら共有も 入れておかないとIISは動かないのだ、ということがわかって事無きを得た。 できるだけ動かすサービスは少ない方がいいのではないかと思ったりもするのだが、 まあいいだろう知らない。 そこですでに16時間が経過している。さて、バックアップを書き戻す作業である。 しかし今度はFTPがバンバン止まる。tarで固めた4ギガのファイルを 転送するわけだが、運が良くて600MB、運が悪いと10MBてもう止まる。 バックアップに使った機械はルータの向こうにあるためグローバルIPを持っていない。 そのためにサバ機からregetかなにかで継続ダウンロードというマネができないのだ。 もちろん一度止まると15分たってタイムアウトで切られるまで復活はしない。 FreeBSDの時は一発で行けたということを考えると、windows2000のftpdが ヤバいのではないかと推測できるわけだが、そのへんは不明である。 ともかく、やむを得ず止まらないかビビリながらwindowsの共有でバラのまま 転送したが、今度はうまく行ってるっぽい(17時-20時間経過-現在転送中)。 さすがに本家本元だけに windowsネットワークではsambaよりも優れているということなのだろうか。 というわけで最後の最後まで経験になった。 そういう機会を与えられたことに感謝すべきだろう。

さて、掲示板を手配せねばな。

とある用事でアニメイトに行ったのだが、無関係に偶然ばったり そんなものを見つけてしまって購入。帯の文句は「僕のいもうと。」。 ちらっと読んでまたド肝を抜かれた。慣れたと思っていても 公野先生は必ずその上を行ってくれる。これだからシスプリはやめられないのだ。 ところで、シスプリの世界はオレからすればバキの世界並みに非日常である。 確かにあこがれやらなにやらがあってまともにすごいとか好きだとか思いはするのだが、 しかしそれはそれとしてどうしてもネタとして見ることをやめられない。 両方とも「人間のあり方にはこんなものもあるのだなきっとたぶん」と 思わせてくれる、そんな距離にある。

2001年12月20日

身内へ。研究室のサバの引き継ぎをするのですが、 ある程度私がいる状態で運用訓練をさせる必要があるので、 けっこう早くwindows2000にしてしまう必要が出てきました。 FreeBSDのままにしたいのはやまやまなのですが、とても そんなものを教えるのは無理です。みんなwindowsすらまるで知らないのですから。 てなわけで修論で忙しくなる前にやってしまいます。 アクセス解析、掲示板、アレはそれまでで終わりです。 ヒマな時にやりますので、時期の予告はしません。 動かなくなったらそれまでと思ってください。

2001年12月19日

一日遅れた。ハプニングはいくらでもある。

ナイトハンター読み終わり。 燃える展開とか迫る恐怖とか言うんじゃないんだが、 これでもかと描きこまれたカルト知識がたまらない。 そういうわけでおもしろかったのだが、ハマるとまでは行かなかった。 もし8年前に読んでたらおもしろいどころでなくハマってただろうと思う。 あのころはTRPGの影響で寝ても醒めてもファンタジーやらオカルトだったのだ。 きっとこれをきっかけにしてもっといろいろ調べたりしていただろうと思うと惜しい。

以下研究の愚痴。同じことやってる人が検索で来たりしないかなあと思って書いて おく。そのために検索にかかりそうなワードをわざとたくさん入れておく。 同業者の方は連絡下さい。お話しましょう。

DNAチップ。affymetrics社が独占してるオリゴヌクレオタイドアレイ。 DNAとDNAは配列が相補的だと強くくっつく。そこで、 チップ上にいろんなDNAをくっつけておいて、それにDNAを含んだサンプルをかけると サンプルの中にどんなDNAがどれだけあったかがわかるという代物だ。 検出はサンプルのDNAに蛍光物質をつけておいて行う。 1センチ四方に500×500で25万種類のDNAを貼りつけることができるので、 酵母くらいだと全遺伝子を一気に見ることもできる。 微細加工技術が可能にしたバイオの最先端である。しかし、 それをスキャナで読みこんだ後の工程に重大な問題があることがわかった。 解析ソフトがあまりよろしくないのだ。同じものをスキャンしたのに出てくる数値が まるで違う。1.5倍は誤差と言わんばかりの状態だ。 スキャンした画像にマス目を切ってそのマス目ごとに光り具合を計算するのだが、 どうも毎回そのマス目の切り方が違う。だから当然数値が変わる。 解像度が1センチあたり4500ドット程度と相当に高いので、 スキャンごとに微妙にズレたり回ったりするのを補正してちゃんとマス目を あてはめる機構が必要なのだが、 まるでできてない。マス目一つあたりの大きさはだいたい8×8ドットなので、 1ドットズレると見るも無残なことになる。せめて 水平・垂直な線でマス目をひけるように画像を回転してから マス目に切ればいいものを、それもしない。当然ズレる。 どんなにサンプルを注意深く調製してもここで誤差が出てはお話にならない。 こんなものが数百万で売られているというのか。 スキャナの解像度が倍あればだいぶマシになるだろうが、 そうするとただでもでかい(43MB)画像ファイルのサイズがさらに4倍になってしまうし、 ハードウェア的なものの進化はいくらか時間がかかる。 それにスキャナは何千万もするのだ。 どうにか自分でこの工程をもっと賢くやるソフトを書けないものか。 そう思って必要そうなファイルを全部探してパクってきた。 画像ファイル、座標と遺伝子種の対応表、アルゴリズムやパラメータの説明 があるヘルプファイル。あとはその手の論文と統計の知識と実験の特性が わかっていれば書けるはずである。 画像ファイルは特殊フォーマットだが、 ちょうど各ドット16ビット×4734ドット四方として推定されるサイズ+2KBなので 2kBのヘッダの後にバカ正直にデータが詰まっているものと思われる。 あるいは横が8の倍数とかいう決まりのおかげでかさが増しているだけかもしれない。 なんにせよ単純な形式であることは間違いないだろう。 が、どうやったら最適にマス目を切れるかがまるでわからんし、 そもそもいじった画像を表示するプログラムを書けないとちゃんとできたか 確認することもできない。3ヶ月で修論書きながらじゃ絶対無理だ。 誰かサクっとやってタダでバラまいてaffymetrics社のド肝を抜いてくれないものか。

そういえば今度うちの研究室に入る オリゴじゃないcDNAチップの解析ソフト(ImaGene)もアホウだった。 データに影響する根本のところはともかくとしても、 自前でグラフを印刷できず別に画像ソフトを用意しろとかいうのは論外だし、 異常なほど操作性が悪すぎるなんてのは使ってみれば誰でもわかることだ。 自動ですべきでしかも簡単に自動化できそうなこと(スキャナの感度調整とか) を人間にやらせているのも腹立たしい。 DNA量と蛍光強度の相関関係をきちんと調べて検量線が引けていれば スキャナの感度によってデータが狂うこともないだろうから、 自動化は可能なはずだ。人に押しつけるのは責任回避以外の何者でもない。 ヴァージョンが4.2にもなってそんな状態というのでは悲惨と言う他なかろう。 そしてそれがやっぱり数百万円するのだ。 そういうわけでバイオインフォマティクスがまるで信用できなくなってきた。 バイオしかわからん奴はプログラムを書けないしプログラムが何をやっている のかもわからんので踊らされる。 プログラムしかわからん奴は生物学がわからんから 何が望まれているのかわからずにプログラムを書く。 世間はバイオの専門家とプログラムの専門家が手を組めばいいと 単純に思っているようだが、 結局それは2つのブラックボックスが隣合って置いてあるだけでまるでダメなのだ。 そういうわけで両方わからんとダメだが両方わかる奴はめったにいないし、 そもそもそのどちらか片方でさえちゃんとわかっている人間はあまりいない。 えらそうなことを言ってるオレも生物学は疎いしプログラムも書けないので まるでダメなのだが、それにしても目に余る。

2001年12月17日

横浜行ってきます。明日までさようなら。

2001年12月16日

クリスマスストーリー。内容がない。が、いいや。

一例として、鞠絵に嫉妬する鈴凛はかわいい。 その他とにかくわかいいわけで、すばらしい脚本及び 朗読である。ところでオレ内部では鈴凛は実に女の子らしい女の子であり、 よって鈴凛のテーマソングは実に鈴凛らしいと 思うのだがあまり賛同を得られないようだ。 男の子っぽいサバサバした性格ゆえに女の子的なものへのあこがれが 強くある。その二面性が彼女の魅力であり、あの歌は その女性面を実によく表しているものとオレは勝手に解釈している。 他の連中は自分が女の子だとことさらに言う必要もなく女の子だが、 そこを敢えて主張するあたりが鈴凛なのである。 鈴凛=メカだけでは鈴凛の5%も理解したことにはならないのだと 主張したい。

ところで、春歌はやはり苦手だ。 媚びてるのがイヤだとかネタ臭いのが気に入らないとかいう 高次元な話ではなく、ただ単にこの子は苦手だという低次元な話である。 あざといとか媚びてるとか言うが、 春歌からはそういう印象をほとんど受けない。 少なくとも春歌は自分勝手だ。自分がしたいようにしている。 兄君様のためにと言っているのはウソではないのだが、 しかし結局したいようにしている。 兄の反応を気にかけてはいるが、結局自分の望むように解釈してしまうあたりが あさはかであり、かわいさであり、オレが苦手である所以でもある。 それが媚びた印象を与えないのだろう。 また、自分がうっとうしいのではないかという不安を 中途半端に持っているのも見逃せない。 それを気にしているような態度をしょっちゅう取るのだが、 所詮それも中途半端であるため、直後にはそんなことはないという結論で 落ちついてより距離をつめてくるのだ。 この強引さが春歌であって、それ故にオレは苦手なのである。 ポッとかなにかとエロを連想させるワードを連発するとか 言うのはネタであって春歌の一部でしかない。 今まで春歌はどうでもいいキャラだったのだが一気に 他の奴等と同程度の存在感を持つようになった。でも苦手は苦手だ。

偶然見つけた吉野屋の元(4/7)。まさか日記のパクリだったとは。

2001年12月15日

吉野屋のアレを初めて読んだ。今までは話に聞いていただけ だったのだ。すごい。狙わねば書けないが、 狙って書けるものでもなさそうだ。合成音声を使った朗読も あって、これがまた良い。さらにはアフガンネタのやつもあって 強烈だった。しかし一体どういう文脈であれが出てきたのか。

ピュアストーリーズ。半端じゃない長さの朗読が12人。 さしあたって鈴凛と白雪。横手久美子先生すごいです。 そしてやっぱりこの脚本は凶悪だ。 目をつむって聞いていると頭がどうにかなってしまいそうである。 ところでオレとしてはそんなものが12人分あるというだけで 値段分の価値はあるかと納得してしまえるのだが、 あまりの内容のなさに激怒した人もなんぼかいるのではないだろうか。 とにかく使い回しが多すぎるのである。一体新しい絵は何枚あるのだろうか。

身内へ。そのうち研究室サバの整理をします。 最終的にはサバのOSをFreeBSDからwindows2000に差し換えるため、 アクセス解析、掲示板、その他は完全に消えてなくなります。 年が明けてしばらくしたら決行する予定。

2001年12月14日

目が痛い。せっかく買ったのに後回し。

2001年12月13日

多方面からのプッシュがあったので次にやるのは水夏に決定。 同様にプッシュされている家族計画もやりたいのだが、ないものは仕方ない。 あと、memories offというのもやってみようと思う。ファンが多い以上 なにかしら見るべき点があるに違いない。

反応気味にプリズマ感想補足。正直な話、 やって損したか得したかと言われれば間違いなく得していると思う。 無駄に80回も回してしまったくらいだ。おそらくほとんどのイベントは 見ているものと思う。ハっとさせられる考察もけっこうあって 考えさせられたりもした。 イベントがやけに普通だが、 おそらくはありがちなイベントにおけるキャラの心理を 理論的に説明するという狙いがあるのだろうから、それはまるで欠点ではない。 しかしあれの楽しさは主にその変な哲学くさい描写にあり、 その部分だけ取ってみれば例えばコリン・ウィルソンを 読んで得られる楽しさに似ている。そして当然のことながら 洞察の鋭さやにじみ出る人格のかっこよさやネタの豊富さにおいて コリン・ウィルソンには到底勝てない。 であれば何か他に楽しみが加わってほしいと思うわけで、 当然それは絵や音やキャラやシステムになる。 しかしまず絵が好みでもなく曲が普通で声もない。 システムは発想はおもしろいししばらくは楽しめるが、 次第に作業になってくるし覚える記憶とイベントの相関関係もいまひとつ おもしろみがない。 そういうわけで総合するとプラスはあまり大きくないものになってしまったのである。 Sense Offではけっこう考察部分と魅力的で存在感あふれるキャラ描写 が同居していたので、それとつい比べてしまうというのもある。

ついでだ、もう一段階正直に書こう。 プリズマのシナリオがいいと思う最大の理由は共感だ。 同じことを思って同じことを考えて、そしてその結論に同じように 満足していないんだなというのが伝わってくる気がすることだ。 たとえば「放置以上の選択肢があることは稀だ」という結論を 作者は出してはいるがその結論に満足してはいないし、そもそもそういう結論が導き 出されざるを得ない現実世界に不満を持っているのがありありとわかる。 どう考えてもその言葉は自分を納得させようとする言葉にしか聞こえない。 その苦悩の様に共感するのであり、つまりは共感している状態が気持ちいいのである。 そしてそれが結局は自分を肯定して悦にひたっているにすぎない気がして不快なのだ。

嫌いじゃなくつまらないとも思わなくても不満な点を書き連ねていると やっぱり嫌いなように見えてしまう。というか、実際のところ 不満な点について考えている時は嫌いだし、 おもしろかった点について考えている時は好きなのであって、 常におもしろいあるいはつまらないのどちらかに固定されているわけではないのだ。 これだけ愛してやまぬ(ということになっている) シスプリでさえゲーム開始直後の可憐の媚びまくりなセリフを聞いた 瞬間に全否定したくなる衝動を抑え切れない。 そんなのは本当の好きではないと言われれば返す言葉もないが、 もしそうなら全く否定するところなく好きなものなど一つもない以上 オレは何一つ好きなものなどないということになる。 はっきり言うが、AIRはつまらない。KANONもONEも出来が悪い。 特にAIRは数年以内に再び読むことはあるまいと確信できるほどつまらないと思う。 しかし、あれだけの衝撃を受けたし、無視できないし、すごいと思う。 こういうのをきちんと伝えられるように文章を上手にしたい。

チャンピオンで始まった飼い猫と飼い犬が人間に生まれ変わって 元ご主人様に仕える話の第二話を読んできた。男女が反転していて 2匹しかいない以外はしっぽというかP.E.T.S。しかし描いている人が女性系なためか ノリはむしろそっちだ。男性向けと女性向けの差は大きく、 設定がいくら似かよっていてもかなり別物である。 絵も漫画もあまりうまくない人なのが残念なのだが、 案外そのうちおもしろくなるかもしれない。 さしあたってはトラウマ設定の有無と、 追加10人が出るか否かに注目すべきだろう。 さすがに漫画で10人は無理があるので追加はないと思うのだが、 ネタに困るごとに新キャラとして1匹づつ増えていくというのは あり得ない話ではない。ひねくれた3匹目が当面の悪役として登場、 というのもありそうな話だ。メスが混ざってて妹属性というのも萌え。 なお、しっぽが生えているという設定なのでヘビやカエルはありえないと見て良い。

買ってきたが、寝てから。

2001年12月12日

プリズマ澄香。シナリオはともかくとして、フラグが全部消された。 エンディング直前でセーブなんてするんじゃなかった。もういいや。 さらに3時間以上をこれに捧げる価値はあるまい。 いくら人間の性質についての考察に共感するところが多くても、 キャラを愛せず話もおもしろくないギャルゲをやるヒマがあったら 歴史上偉大な人の本を読んだ方がはるかに有意義だろう。 ギャルゲーはキャラが好きになれなければオレにとって意味などない。

藍川さとるの漫画を5冊借りた。センス良すぎる。「飛行少年」は 最初はいいかげんなファンタジー系SFかと思っていたが、 だんだんそんなことがどうでもよくなるほどおもしろくなる。 作品によってはキャラの関係がわかりにくかったり誰がしゃべってるのか わかりにくかったりして微妙にひっかかるのだが、 慣れればどうにでもなる問題だ。オレが最近ずっと男漫画しか読んでいなかった ためにこの手の文法と疎遠になっていたためだろう。 ところで、これに出てくるキャラは成熟しすぎている。少なくともほとんど全員 オレより大人だ。小学生ですら大人だ。こういう描かれ方をされると、 現実にも実はみんなこんな大人なのに オレがガキで気づかないだけなのかと微妙に不安になる。 あとどうでもいいが、安西君はシエル先輩そっくりだ。 思えば月姫の絵もこういう系統の絵だと言えないこともないから似るのも当然である。 あとこれもどうでもいいが、どうやら自分は「男言葉属性好き」であるということを 琴子さんのおかげで確信できた。ほとんど出てこないのにやけに気にかかる。 そうだ、たぶんこれが属性萌えなのだ。ガンパレの芝村舞が好きなのも要はそれか。 自分に明確に好み属性らしきものを見つけたのはこれが始めてである。

エミュの調整のためにシスプリを起動するが、恐い。ちょっとブランクがあいただけで これほどダメージを受けるとは。妹生命体が襲ってくる。どうせすぐ慣れるんだが。

トバルNo1をエミュの調整用にまた480円で買ってきた。 動くが重い。解像度が高いのでとても画面がきれいなのだが、 それはそれとして2倍以上速くならないとゲームにならない。 640x480と320x240であまり速度が変わらないので、 おそらくエミュ本体の計算量がデカいのだと思う。 つまりCPUが足りないということだ。 これがまともに動く日は来るのだろうか。 ところで、トバルはオレが今まで見た3D格闘ゲームの中で 一番動きがかっこいいゲームである。しかしゲームそのものがつまらないため 誰もそんなことは誉めてくれない。作りこむ時間がなかったのだたぶん。

prismaticallization感想文

  またギャルゲーじゃないものをやってしまった。 みスを並みにギャルゲーじゃない。自分と他人の関係をどうとらえて 生きてゆくかというテーマが根底にあり、ふしぶしでそれを語ってくれる。 が、それが強すぎてキャラの存在感など微塵もない。あるのは主人公の 皮をかぶったシナリオ担当者の人格だけだ。人間というものについて 語るにはいろんな方法があって、人間というものの性質を抽象的に語るのも アリなら具体的にある人間を描写してそこから人間を感じさせるのもアリである。 普通はその二つの方法を折衷するものだが、これは前者に偏りすぎだ。 またテーマの表現のしかたも、あくまで出来事を通してテーマを語る方法と、 直截にテーマについて論述してしまう方法とがあるが、 これに関しては後者に偏りすぎだ。ギャルゲーにしてはあまりに理性的なのである。

  ミソであるシステムについてもふれておこう。 同じ一日が繰り返す中で5つだけ記憶を次のサイクルに持ちこすことができる、 というのがゲームシステムの根本だ。記憶できる場面は30程度である。 たとえば誰かと話した内容を覚えておけば もう一度同じ場面になった時により深い内容を聞くことができる。 選択肢を制限つきで選べるヴィジアルノベルであると思えばよく、 そう新しいものではない。どの記憶を持っておけば新しいイベントが起こるのか が比較的わかりにくく、同じことを繰り返すことでイベントが進む個所も多いため、 おそらく何十回かサイクルを繰り返すことになる。 いくらスキップがあるとは言え下手をすればプレイ時間のほとんどを スキップされる文章を見て過ごすことにもなりかねない。 さらに、持ちこす記憶とその結果起こるイベントにあまり物理的な因果関係が ないため、考えてどうにかなるものではない。結局新しい記憶を得たら それを持ってその記憶を得た場面まで進めて新しいイベントが起きないか 確認する、というのをえんえん繰り返すだけになる。おもしろい作業とは言い難い。

  結局のところウリはシナリオの変さだけだ。人間関係についての考察には 共感するところも大きいし、シナリオ書きが悩んで 考えたことをブチまけているというのがよくわかるので親しみもわく。 オレであれば日記でダラダラ書いてしまうところを ああやってきちんと作品にしているのだから大したものだとも思う。 しかし、オレとしてはギャルゲの形式でやるのであればキャラクタに存在感がほしい。 とにかくキャラが人間に見えないのだ。 人間という種族の性質をわかりやすく表現するための例として5人ほど 用意されている、という感じをどうしても受けてしまうのである。 下手にギャルゲー的属性を割りふってあるのが余計に寒い。 そういうわけで、興味深い作品だし無視できないのだが、好きと言う言葉を使うのは そぐわない。

2001年12月11日

ZOE13話まで。異常なほどよくできた脚本にうなりっぱなし。 伏線の使い方も絶妙。設定もきちんとしているし、キャラも立っている。 とんでもなく優等生なアニメである。 しかし主人公がオヤジでヒロインがロボットで息子も娘も 微妙に薄情、という設定がただの優等生アニメに終わらない おもしろさを出している。確かに古典的で 新しさがないと言われればそうだが、今オレはちゃんとおもしろいものに 飢えているのだ。ノエルかわいい。

ヘルシングをもう一回見てみた。話が進まなくてかったるい 以外にはさしたる欠点も見当たらない。 確かに原作はもっとチャチャの入る軽薄なタッチで こんなにシブい作りではなかったが、 アンチアニメ派はそのあたりが気に食わないのだろうか。 なお、次回予告が寒いのが気に食わないというならオレも同意する。 とりあえず2話と3話くらいは見てみることにしよう。 原作と照合もしてみねばなるまい。 なお、出来が悪くないと言っているだけでおもしろいと言っているのでは ないので「こんなダメなものおもしろがるんじゃねえ」と怒るのは やめてください。ZOEの方が何倍もおもしろいです。 にしても原作読んだはずなのになんでこんなに覚えてないんだろう。 それと、体から犬とかいろいろ出てくる奴を月姫でも見た気がする。 ヘルシングの方が先なはずだが、ひょっとして月姫のあれはパクリなのか。 それとも、ああいう能力はけっこう典型的なネタでどこにでもあるものなのか。

「超読書体験」読み終わり。「がんばらないとダメだ」という 思想をさんざん「がんばってもダメだ」という感覚と戦った末にようやく手に した人の言葉なのだと思うととても力強く感じられるが、 どうせ小さいころから神童扱いされて本当の挫折なんて知らないんじゃないのか と思うと素直に聞けなくなる。しかし、本当のところがどっちでも がんばらないよりがんばった方が幸せに近くなるのは間違いなく、 つまりオレは素直に勇気づけられてがんばっていればそれでいいのである。 にしても本読まないとなもっと。

コリン・ウィルソン「賢者の石」を読み始めたが、なんか著者の自伝みたいで つかみがないし、ウンチクが多すぎる。この人は普通におもしろい小説を 書くことには向いていない気がする。とりあえず保留。 超読書体験で「偉大な小説」と紹介されていた「罪と罰」と「戦争と平和」を とりあえず読もう。

いたる絵が回されてる。衝撃だ。 クソアニメの匂いがぷんぷんするので楽しみである。 いいかげんにすればいいのに。

2001年12月10日

たきぽん宴会。

超読書体験続き。まだ読み終えてないが、とにかくこの人は 西洋人なのだなという思いがますます強まった。 漠然とした違和感がどんどん強くなっている。 そしてなによりも、一体哲学というのがなんなのかが ますますわからなくなった。

レインボーマン26話まで。M作戦編終結。 25、26は内容がスカスカだ。 魔女イグアナとの戦いなどはバカすぎてさすがに辛い。 しかし最後の構図はたまらなかった。登る太陽を背にして 座禅しヨガの眠りにつく主人公の下に太陽によって絶命した 魔女イグアナ。たまらない。

2001年12月9日

ZOE9話まで。おもしろいよこれ。おじさまムッチャかわいい。 9話のドロレスたん超やりすぎで最高。 あとエンジェリックレイヤー3話まで。これもおもしろいよ。燃える展開。 さらにレインボーマン24話。M作戦編も大詰めだ。戦えヤマトタケシ。

たきぽん来襲。

昨日書いたようなこととは別に、肉体的に酒は苦手です。 くらくらして眠くなってしまいます。 せっかく人と話せるのに寝てしまったのではもったいないと思うのです。

2001年12月8日

キャラコンの座談会。続いて宴会。朝まで。

prismaticallization中。キャラは相当どうでもいいが、おもしろい。 フラグによって変化するイベントを平行世界に見立てた話で 新しいコンセプトではないが、久しぶりだったので新鮮だ。 そしてそのシステム以上におもしろいのがしょっちゅう出てくる 学問的なネタ。特に人間関係について語った言葉はおもしろい。 初回からいきなりコーランネタが披露される。 例えば「2人、あるいは3、4人の妻をめとることも可能だが、 2人以上を平等に扱うのはむつかしい、などとコーランには書かれているが それはできるものならやってみろというムハンマドの半ばやけくそな気持ちを 表しているのではないだろうか」みたいなことが 書いてあるとその真偽はともかく惚れる。 当時戦乱によって男女バランスが著しく崩れていたことからして 一夫多妻にも根拠があった、とか書かれるとこれまたその真偽はともかくとして惚れる。

プリズマ(以下略)の文章は知的だ。 この前の乾いている湿っているの話で言えば、これは乾いている部類に入るだろう。 オレは乾いた人間なので湿ったものにあこがれる傾向があるが、 オレは乾いた人間なので結局のところ乾いた物に接している時の方が安心する。 それに湿った物について語って その良さを他人と共有するのはむつかしいが、乾いたものははるかにそれが容易だ。 湿り気はオレの乾いた風にさらされて乾き果ててしまうため、 オレの言葉からは元の作品の湿り気を知ることはできない。 ところでオレはしばしば忘れがちだが、他人も同じ問題をかかえている。 どんな人でも言葉から伺い知れる以上の世界を持っているということだ。 本人の意図に関わりなく言葉は常に深遠なのである。 ただ、オレが至らないばかりにそれを受けとれないだけだ。感受性がほしい。

家族計画は4軒回って売り切れ。この文化圏においては ゲームというのは計画的に予約をして買うもの なのだということを初めて知った。ところで、 ということはピュアストーリーズも同様なのか。 もしそうならばもはや手遅れだろう。 出てから店行って、なかったら出回るまで待つことにする。 どうせ特典をありがたがる人間ではない。 計画的な行動はオレが最も苦手とすることだが、 ズボラな人間はオタクにはなれないということか。

酒は人を素直にするということで腹を割って話そうという 時に用いられるが、その結果都合の悪い発言が出ると 「酒の勢い」と称してなかったことにされる。 しかし、そのなかったことにしたことこそ本気なのだということを思うと オレは恐くて仕方がない。そしてたぶんそれはオレだけではあるまい。 酒で乱心した奴の台詞をみんな実はきちんと覚えているのではないのか。

髪切った。普通に。

2001年12月7日

レインボーマン24まで。日々の食料に困って暴動を起こす大衆。 本当に子供に見せる気あるのかこれ。人間の尊厳とか道徳とかを 説こうとするあたり志が半端ではないが、しかしこれは子供番組なのである。 直後にあんなショボい造形のものがショボいアクションをしていては まるで説得力がない。でも、オレはその志を高く評価する。 ただバカ扱いすることはすまい。

ZOE5話まで。ちゃんとおもしろい。こういうちゃんとおもしろいものに 最近飢えていた。こーへーがノエル萌えーとか言ってて、同意。 ドロレスたんが表のヒロインならノエルは影のヒロインだ。

学校の怪談2話。普通におもしろい。 続きを見るかどうかはZOEを見終わってから考えよう。

キョロちゃん2話。黒いぞこれ。しかし、うーん。とりあえず レインボーマンとZOEを処理してから考えよう。 しかし、そいつらを見終わったころにはフルバとしっぽが襲ってくるような 気もする。

見ることから全ては始まる。よく見よう。 ところで、chocolateという綴りを見ると最初の3文字がアルデヒドで イヤな感じがする。 そんなことをいったらいっぺいに変な顔をされた。 オレも誰かがそんなことを言ったら変な顔をすると思う。 われながらいいボケだとか思ってしまったが、別にボケで言ったわけではないあたり ひょっとしてオレ天然とか思っていい気になった。 でもいい気になるようでは天然ではない。天然はいいなあ。 ところで、次の2文字はCOでカルボニルだが2級なのでケトン。 さらに語尾がateなのでエステルだ。実に化学な名前である。

コリン・ウィルソン著「超読書体験」。まだ途中だが、この人頭よすぎる。 自分が天才であることを確信したのが13歳とか言う話だ。 アインシュタインの相対性理論を読んで衝撃を受けたのも13歳らしい。 格が違うというのはこういうことかと本気で思う。 この文章からわかるようにオレは極めて傲慢な人間なのだが、 こんなのを見るとそんなプライドなんざゴミにすぎないということを イヤというほど思い知らされるのである。 なんか思いつく度にいい気になってなんかを書いている自分が 本当にアホウに見える。こういう時は決まってサイトをたたむべきか悩むのだが、 次の朝にはそんなことは忘れているのだ。

日記は度を越すと人格に害を与え始める気がする。最初のうちは 文章の練習にもなるし交流のツールにもなるし自分をみつめるいい機会にも なるのだが、ダレすぎると悪い面ばかりが肥大化してくるのだ。 しかし、そのころにはもう中毒になっているので書かないでいるということに もはや耐えられない。 「書かずにいられない」ということそのものこそが最大の害なのだが、 書かずにいられないのだから仕方ないのである。 薬物中毒もこのようなものだろうか。 実は先月の中旬ごろは意図的に書かないようにしていたのだが、 これがまた辛かった。つまらんことを書いては消すというのを 何回も繰り返したものだ。 ここ数日書きまくっているのはその反動だろう。

ヘルシング1話。出来が悪いと評判だったが、それは原作の熱狂的なファン にとっては、という話だろう。アニメとして出来は悪くない。 雰囲気は出ているし、けっこうかっこいい。 絵もきれいだし声も豪華だ。 話は進まないが、この雰囲気作りには時間が必要なので仕方なかろう。 続きも見ること決定。ただ、オレはどうもこういうセンスをかっこいいと思う 感性はあまりないらしく、そんなに絶賛する気にはならない。確かにセンスの ある漫画家だとは思うが、そんなに新しいセンスなのだろうか。 けっこう古典的なノリに思えてならない。

2001年12月6日

家族計画というエロゲが気になって仕方ない。買うべきか。

キョロちゃん1話。主人公がチョコボールのアレ。 普通に子供用な気もするが何か微妙におかしい。 次回予告を見てその思いは確信に変わった。これは変だ。 そしてなんだかよくわからんが、なにやらおもしろい気がする。 一気に見るものではないので、ちらほら見よう。

ZOEを全話借りた。一気に見よう。

こーへーとションボリ会話。真面目に漫画を描いてない自分が許せない。 卒業前に一回「真面目に描いた」と正直に思えるようなものを 描かねば後々までオレの精神に傷を残す気がする。 しかし、そんな焦りだけでは漫画など描けやしないのだ。

写真を見ていて、燃えよペンみたいに写真漫画ができるなという話になった。 誰か数ページでコンテを切ってくれる人はおらんものだろうか。 殺人事件だろうがMMRのパロティだろうがなんでもいい。

藍川さとるという漫画家の漫画を2冊借りた。「純情エレキテル」 「週末のこいびと」。いわゆるボーイズラブ系なのだが、そういう描写は少ない。 テンポはいいし、心理描写も自然だし、なによりセンスがいい。 普通以上ににおもしろかった。けっこうこの系統の絵は毛嫌いしていたのだが、 この人はたぶんうまいので気にならないし、確かにこれもまたかわいい。 どいつもこいつも似たような絵、というのがイヤだっただけで 別にこの絵柄が嫌いなわけではないのだ。 そして作者の美少年へのこだわりがいかんなく発揮されているのもいい。 やはり作者の変態性は漫画をおもしろくする。 ところで、こういう少女漫画系のものは少年漫画や青年漫画系に比べて はるかに雰囲気が湿っている。なにか粘着質だ。 女性の作品にはこういう湿気が感じられるものが多い。 男の漫画でも浦沢直樹なんかには同じ湿気を感じるのだが、やはりそういう人は稀 である。オレにはどうやってもこの湿りは出せない。どこまで行っても たぶんオレは「男の子」のままだろう。どうせ男の子なのなら隆慶一郎くらい 魅力的な男の子になりたいものだが。

ところで関係ないが、シスプリの絵にも何かそういう湿気を感じる。 あの人の絵はどちらかいって女性的なのではなかろうか。 精神的粘着性があの絵には感じられるのだ。 文章及びコンセプトを出した人も女性なのでシスプリ全体がどことなく女くさい。 ハピレスは健康的でシスプリは変質的、というイメージはそのへんの問題だろうか。 シスプリを嫌う人の中にはあの病んだ空気が嫌な人も多いのではないかと思う。 ちなみに、アニメのシスプリは非常に乾いている。別物だ。

オレ、男の子だなあ。

2001年12月5日

カメラっていいおもちゃだなあ。ところで、普通の写真でも白黒アミカケ 加工すると途端にうさんくさくなる。銀行の監視カメラの画像というか 指名手配というか、そんなのだ。コントラストを適度にいじるとより良い。

このカメラ体積あたりいくらかなあ。 なんて考えるとつい安い方がいいような気がしてきてデカいものを ありがたがるアメリカンと同じになってしまうので危険だ。 しかし、だからといって体積あたりの値段が高いほどいいということは断じてない のであり、やはり安い方がいい。そもそもこういうものにおいては 体積と値段はまるで関係ないのだが、 どうしても食い物や飲み物からそういうイメージが連想されてしまうのである。 ちなみにこのカメラの容量は36cc前後。ヤクルト一本入らない。

また変な夢を見た。最初と最後でまるでコンセプトが違ってる。 最初はゲームくさかった。自分が悪魔だかなんだからしく、 3Dのフィールド(というか見た目は現実)を ひたすら進んでいきながら要所要所で敵と闘う。 なんかのはずみで武器がパワーアップしたり、翼が強力になったりする。 最初はまるで飛べないので3D化されたマリオみたいなものなのだが、 だんだん飛べるようになるとナイツみたいになってくる。それも 言うたらソウルエッジ付きのナイツだ。しかも多人数同時プレイ。 一人の敵を協力して倒す。変なゲームだった。 もちろん夢だけに自分はそのキャラになってリアルに進行していくので あまりゲームとは認識していない。 それが途中でどういうわけかはわからないが アクション怪奇映画に化けた。なんかよくわからんが吸血鬼かなにからしく、 バラバラになってもそのうち再生する。そしてなんか知らんが数人のグループで 何かと闘っている。たまに誰かがバラバラになってやられるのだが、 なんというか悲愴感がない。「骨もうちょい拾っとけば早かったか」とか紅茶を すすりながら言ってる。メンバーも普通のサラリーマン風の男とかが 入っていて、まるでヒーローっぽくない。 そしてよくわからん経緯で自分もやられてた。体育館でヴェドゴニアに出てきそうな 武器を投げあっていた気がするが、最後には爆弾を食らって木ッ端微塵になった 気がする。爆発の瞬間誰かの顔がアップになったのがおもしろかったが、 この顔がオレじゃないあたりもう意味不明である。 レインボーマンの影響がモロだ。そして最後には さらにわけのわからんことに子供達がまとめて毒殺されるのを 助け出すというか阻止するというかそんな話になった。 監禁されて飢えていた子供に毒入りのうどんが出される。よろこんで食う子供達。 そして潜入した同志、というかオレが吸血鬼化チョコを子供にバラまく。 やっぱりよろこんで食う子供達。 というわけで、その結果どいつもこいつも吸血鬼になってしまうのである。 その怪しい監禁施設はガキ吸血鬼パワーで内部から破壊だ。 巨大な吸血鬼軍団が結成されてしまう。もう誰が悪役なのかすら わからない。最後にナレーションが入って、 「日本という国は地図から消えた。しかし、他の国もその後を追うことになる」 とかだった。レインボーマン万歳。 夢ってのは本当にわけがわからんなあ。微妙に使えそうだったりおもしろかったり することがあるのが実にいい。

そういえば普段萌え萌え言ってるわりにはそういう夢を見ない。 だいたいこういうアクション系だ。結局オレはそういう人間なのだということだろう。 夢で会える域にはなかなか到達できそうにない。加えてもしかしたらオレは萌え文化 そのものが大して好きではないのではないか、という気もするしそれはかなり 確からしいのだが、それに気づいたところで空しいだけだろう。 萌えのえらい人の文章を読んでいると到底その道ではかなわないと思うし、 自分は本当に萌え文化を楽しんでいないのではないかと感じざるを得ないのである。

水樹奈々の亞里亞声がやはりやりすぎに思えてならない。 最近さらにネタくさくなってきたので余計に辛い。 そういやラジオでみんなでアレのマネをしてバカ笑いしていたが、 声優本人にとってもやはりそういうネタだということだろう。そりゃそうだ。 雛子は千葉千恵巳がああいう人なので必然だろうが、 水樹奈々は明らかに無茶をしているので、 上からどういう指示があったのかは興味深い。 なお、それはそれとして亞里亞に罪はない。雛子も同様。 そして、それはそれとしてやはりあの亞里亞声はすごいし、雛子声も同様にすごい。 シスプリキャラの声の評価を分類すると以下のようになる。

完璧以上白雪(横手久美子)、四葉(半場友恵)
普通衛(小林由美子)、咲耶(堀江由衣)、 鞠絵(柚木涼香)、春歌(かかずゆみ)、千影(川澄綾子)
ブハッ可憐(桑谷夏子)、花穂(望月久代)、鈴凛(神崎ちろ)
やりすぎ雛子(千葉千恵巳)
ムチャ亞里亞(水樹奈々)

そういえば、シスプリアニメはやはり上から「毎回全員出せ」という指令が あったそうである。数人に脚本を書かせて一番マシな奴を採用するとかいう 試みも行われていたそうだ。作る方も相当にグロッキーだったのだろう。 途中で監督が変わったのもそのへんだろうか。 それだけにあのアニメを誉めてもたぶん作った人は喜ばないのだろう。 もちろんけなされてうれしいわけでもないわけで、 おそらくそっとしておいてほしいに違いない。

ついうとうとしてしまってまた夢を見た。 今度はその夢を見たという日記を書くところまで見た。だから詳しくは書かない。 妙にうまくまとまったロボットアクションだった。事件の発端の種明かしまである。 一体これは何が混ざってるんだろう。しかしおかしいな。 最初はカニの入った発泡スチロール箱をかかえて走っていた気がする。 あ、そういえばおいしいごはんを炊くべく、釜に水と米を入れて 山の中を疾走していた気もするぞ。しかし、それがどうやってメカになったんだ一体。 そうだ。なんか知らんがジャマしに襲ってくるのがメカなんだ。 ジャマしてくるのがメカなら自分もメカだわな。だからメカに。 そして気がついたら米の話は消え去って よくわからない壮大な陰謀の話になっていたのである。本当に夢ってバカだ。 オレの頭の中はそんなのばっかりってことなんだろうな。つまりオレがバカ。

ロープレの武器とか防具とか

  ロープレの武器や防具の話をする時にはまずダメージというものを定義 せねばならない。斬られるダメージとブッ叩かれるダメージは別の物であり、 そもそもヒットポイントを一つの数値として設定する時点でウソなのである。 しかし、ゲーム性をもたせるためには、つまり単純に把握できる系 であるためにはヒットポイントが1つの数値であることが要求される。 つまりは殴るのも刺すのも同じにならざるを得ない。 だから腕力+剣の破壊力、とかいう粗い近似になってしまうわけだ。 wizardryなどは分布を変えることで(メイスより剣の方がバラつく) それっぽさを表現しているが、たいがいはそれすらしていない。 さらにその攻撃力だが、今のロープレの形式からすれば、 ダメージにおける能力と武器による寄与は ほぼ同等であることが望ましい。能力に偏れば新たな武器を入手する楽しみが 薄れるし、武器に偏れば能力を高めることの喜びが薄れるからである。 そのため「5倍強い剣」という現実にはあり得ない代物が出現せざるを得ないのだ。 現実においていい剣というのはよく斬れる剣である以上に、 壊れにくい剣であり、扱いやすい剣である。 刀なんてのは研いだ瞬間の斬れ味にはさしたる差はないし、 そもそも同じ重さで同じ質量分布の剛体メイスなら 衝撃は一緒である。それこそ「魔法の武器」でない限り ダメージが変わることなどない。武器を剛体とみなす限りにおいては ダメージはほとんど使う者の能力に依存するが、それではゲームにならないのだ。 かといって武器を剛体でないとすると、手入れだとか破壊だとか いらない面倒ばかり増えて何もおもしろくない。 結局ウソをつくことになる。

  ゲームというのはつまるところ数値化である。 数値にされたものは明確に把握し得る。そして明確に把握し得るが故に 提示できる数には限りがあるのだ。 だから、数値化してプレイヤに提示する限りロープレはリアルなものには できないのである。リアルに「見える」小細工が大切になるのはそのためだ。 先にあげたwizardryの分布変化や、タクティクスオーガにおける 高度による弓矢の射程修正はいい例である。 しかし、そのような工夫をするゲームすら少ないという現実は、 そんな工夫が「おもしろさ」にほとんど寄与しないということを物語っている。 つまり、たいがいの人はリアルなんて求めてはいないのだ。 しかしそれはリアルさをおもしろさにつなげられた人間がいまだかつて ほとんどいなかったからであるかもしれない。もしそうならまだ望みはあるだろう。

  ダメージを貫通と衝撃に2分割する。防具の防御力も、武器の攻撃力も そのように分割する。武器の衝撃力は質量、重心、使う者の筋力、 当たり方に依存する。当たり方は攻撃者の攻撃スキルと防御者の防御スキルで 決定する。これから防具の衝撃吸収を除いて衝撃ダメージとする。 衝撃吸収は武器の面積に影響を受ける。槍は防具が綿だろうと影響をほとんど 受けないだろう。 衝撃ダメージは体勢を崩す力のみ持ち、一定時間行動を制限する。 これによって回避の能力が下がり、直撃を受けやすくなる。 時間とともに制限が弱まっても良い。 貫通力は武器の打撃面積、先に出した衝撃力、摩擦、当たり方に依存する。 摩擦は刃物における切断力補正を直感的に表現したものである。 反った刃物はこの値の基本値が大きくなる。 当たり方は衝撃の時に加えて、防具の表面形状と硬度に大きな影響を受ける。 固ければはじきやすいし、形が鎖状であれば槍などが刺さりやすい。 これから防具の貫通耐性を除いて貫通ダメージとする。 貫通ダメージは直接に体を破壊するダメージである。 打撃系の武器は衝撃が大きい一方で面積が大きいため貫通力はさほど高くない。 しかし、仮に相手の鎧が厚くても巨大な衝撃で相手を圧倒することはできる。 逆に斬撃系の武器は多くの場合軽いので衝撃はさほど大きくないが、 貫通耐性の低い防具を相手にすれば 極めて役に立つ。刺突が有益なのはその速度・軌道による避けにくさと 武器を長くしやすいことによるため、主に当たり方に関して寄与がある。 よって打撃面積は刃物とほぼ同等で良い。

  このルールにおいてミソなのは「当たり方」である。 相手が万全な体勢にあれば直撃を避けるように体を動かすため 直撃はしにくい。しかし、一度大きな打撃を受ければじりじりと 動きが制限されていずれは直撃を食らうことになる。いかに貫通力が低い 打撃武器であっても直撃すれば貫通ダメージは0ではなく、いずれは死に至る。 イメージ的には貫通というより内蔵破裂や骨折だが、ルール上は同一とする。 逆に相手が強力な防具に身を固めていたとしても、非常に武器のスキルが高ければ 薄い部分を狙うこともできようし、そのようなルールがなかったにしても 直撃を与えることができれば貫通ダメージが0にならないように調整する。 堅い武具ほど表面ではじかれて直撃しにくくなるが、 スキルがあればそれを両断することもできよう。 摩擦を考慮に入れるのもそのためである。 素人では動かない鎧でも両断はできまい。 素人と達人を分けるのがこの「摩擦」である。 武器ごとに最大の実効衝撃力(当たり方によって減殺された後の衝撃力)を設定すれば、 仮に破壊ルールがなかったにしても弱い武器では大きなダメージを与えられなくなる。 武器の質は使う者のスキルがあってこそ意味を持つ。

  あとは、これを式としてまとめれば良いんだが、むつかしい。 加えてプレイヤにとって複雑に見えないようにうまく提示する方法と そしてなによりも調整がミソになる。このルールはロープレには向かないので、 タクティクスオーガ系のキャラ数が多い物に用いるとよさそうな気がする。 武器の強さが相手になる防具との相性によって変わってくるため、 武器防具の選択が戦略として重要になるからだ。 わけのわからん多種多様な敵が襲ってくるロープレでいちいちそんな選択は してはいられまい。それに シミュレーションであれば武器の破損や破壊を入れても拒否反応は出にくかろう。

2001年12月4日

cardcaptorsを見せていたのだが、どうせだから元のと照合しようという話になった。 でついでにいろいろと借りてきた。

CCさくら31話
cardcaptorsと比べるために借りてきた。 結論はとにかく、別物。 声がどうとか言う次元でないどころか、話がどうとかいう次元ですらない。 コンセプトそのものが別物である。 cardcaptorsは女の子がかわいくてどうとかいうのは完全にどうでもよく、 キャラクタの魅力がどうとかいうのもどうでもよく、 コメディ部分すらどうでもいい。 キャラ描写として大切なシーンが根こそぎカットされて 本当に単なるアクションアニメになってしまっているのだ。 そもそも元のサブタイトルは「さくらと名前のない本」なのだが、 アメリカ版では「Dragon Slayer」である。確かにドラゴンは出てくるが、 そんなことは所詮ネタであって主題ではない ということをわかっていないのだ。 元版の偉大さを改めて確認できた。と言いつつ実は一話通してちゃんと 見たのはこれが初めてだ。確かに異様な出来だしおもしろい。が、 さすがに全話クソマジメに見る気にはならないかもしれない。
レインボーマン14話
友達にDVDを借りることができたので見た。いきなり 死ね死ね団の葬式。前の話でやられたらしい324人の戦闘員の死を ボスたるミスターK自ら悼んで演説をする。まるでギレンだ。 そして泣き崩れるオペレータの女。 おかしすぎである。そしてやはり展開が速い。そしてなにより恐ろしいまでに やりすぎな引き。全編爆笑物だ。これは見ねばなるまい。もっとも あんまりマジメに見るのもアレなので、 何かしながら横でかけとくというくらいだろうが。
ZOE1話
シブいオヤジアニメと見せかけてドロレスたん。 かわいさは顔だけの問題ではない。全話見ること決定。
学校の怪談1話
何が怪談だ。怪談をネタにしたただのおもしろいアニメじゃないか。 というわけでおもしろい。断じておもしろい。これも全話見ること決定。
ゴーゴーファイブ22話
この前見たPower Ranger the Rescueの相当する話。 明らかにこっちの方が安いのにこっちの方がずっとかっこいい。 もちろんお約束をふまえているからこそ感じられるかっこよさでは あるのだが、いくらなんでもあれよりはマシだと思う。 なにか自分達には作れないと感じたものがあるから日本のものをわざわざ 使ったのだと思うのだが、そのわりには何か勘違いしているのではないか。 なお、あっち版では6人目の戦士が なんか知らんがヘビの呪いを受けて、それを解くべく地下の怪しい神殿に赴いて 闘う話がある。あそこだけインディ・ジョーンズで 超絶な違和感なのだが、もちろん日本版にそんなものはない。 そもそも6人目なんていやしないのだ。 やはりちぐはぐはよくない。
キャシャーン1話
なんじゃこりゃと言わざるを得ないほど説明的な第一話。 悪の組織の成り立ちからヒーローの誕生まで実にしっかりと説明されてしまった。 先も長いしさっさと済ませようということなんだろうが、いいのかそれで。 なお、動きは異様にかっこいい。

アルゴリズム本を買ってきた。オーム社刊新コンピュータサイエンス講座 「計算とアルゴリズム」。硬派すぎず、かといって軟派すぎない。 たぶんちょうどいい感じだろう。たぶん生物学で言うセルのように 「アルゴリズム勉強するならこれだろ」 という定番の超硬派な本というのがあるはずだが、 とりあえず入門書でどんなもんかをわかってからでないと 挫折することは目に見えている。

上記の作品を見たい漫研部員は連絡せよ。なければ勝手に見て 勝手に返してしまう。

キャシャーン2、3話。変わらず説明的。しかしそろそろ説明すべきことも 説明し尽したらしい。確かにけっこうおもしろいんだが、 さすがにこれ以上自ら進んで、まして金を払って見る気にはならんかも。

レインボーマン。15話以降たれ流し。 トラックごと木ッ端微塵になって「つづく」。 毎回とにかく引きは異常だ。 第二部はニセ札で日本経済を混乱させる話で、 そのニセ札を流通させる手段は新興宗教おたふく会による無差別施し作戦。 かなりすげえ。納谷悟朗のナレーションもたまらない。 キャシャーンも納谷悟朗だったかそういえば。

昔のものはとにかく速い。時間の流れ方が今とは違う。 ズバットだけが異常なのではなく、たぶんあのへんの時代のものはみんな ああだったのだ。確かにズバットの速さはあの中でもズバ抜けていただろうが、 うちらが感じるほどおかしいものではなかったに違いない。 実際レインボーマンも十分速い。キャシャーンもけっこう速い。思えば ウラシマンも速かった。今のものがそんなに速くないのは 出来事の連続としてのストーリーよりも、雰囲気や心情といったものに 主眼を置いて表現しているからなのだが、これは一歩間違えばただ内容がないだけに なってしまうという危険がある。毒にも薬にもならん雰囲気アニメよりは 多少バカで速くても中身が詰まってる方がオレは好きだ。 けっきょくオレもオールドタイプらしい。

2001年12月3日

シスプリラジオ。もっちー以外やっぱり識別不能。 普通にしゃべってると小林由美子すらわからない。 ところで来週は堀江由衣。別にファンではないが気にはなる。

ぎびん(滝沢千円氏)来る。ザブングルを返還することができた。 ごちそうさまでした。

2001年12月2日

pokemonを見せようと思って人をたくさん連れてきたはいいが、 ビデオデッキが壊れた。なんでビデオはデッキでプレイヤじゃないんだろうと 今思ったが、それはいい。ともかく壊れた。前からかなりおかしかったが、 本格的にダメだ。そもそも電源ボタンを押しても電源が入らないのである。 しかしビデオを入れようとして押しつけると電源ランプはつく。 でもビデオは入らない。入れようとがんばるとたまに入るが、 何もせんのにすぐに排出しようとする。そして、なぜか排出に失敗する。 修理するしかないのだが、修理か。

寺町に新しくディスカウントストアが開店して、その目玉商品として プレステ2を27800円で売っていた。ところが、まるで売れてないくさい。 限定10台なのに午後4時を回ってなお残っている。 大丈夫かプレステ2。値下げしてもダメなんじゃないのか。

バカな。ビデオデッキって1万円で買えるものだったのか。知らないうちに時代は 変わっていたらしい。最上位機種らしきものすら4万もしない。 そもそも売り場の主役はビデオでなくDVDプレイヤだし、 最高級品はハードディスク録画装置やらDVやらになっている。 そんなもの見たこともない。何か取り残されていた気分だ。 というわけで、シャープの最下位機種(VC-HF910)を1万円で買ってきたのだが、 買ってみてもう一度驚いた。軽いし小さい。安っぽい。 そりゃもちろん安いんだが、なにかそういう問題ではない気もする。 たぶん、これも時代の変化という奴だ。

ところで、前のビデオよりも写りがいい。もうだいぶダメになっていたのか、 手入れを怠ったせいか、それとも技術の進化なのか。

例のアメリカビデオを改めて回してみたら フルハウスが入ってた。ちゃんと内容を聞けばいいのだが、 適当に聞き流していると十数秒ごとに入る笑い声がとてつもなく寒々しい。 おいてけぼりにされた気分だ。ちゃんと見りゃいいんだがな、つまり。 にしてもなんでこんなにアメリカンなのか。 昔からノリが変わってないんじゃないのかこの国。 てっきり日本人が思うアメリカンなものだけを輸入してくるから アメリカンな国に見えるだけだと思っていたのだが、こうやって 向こうで流れてるものをまんま見てるとどうも本当に アメリカンな国なのではないかという気がしてくる。 というわけで見られるようになったので、見たい漫研部員はてきとうに来るように。 それにしてもCM長いな。2分くらい流れてたんじゃないか。

笑い声何パターンか作って編集の時にてきとうに混ぜてるとかいうことだったら どうしよう。なんか合理的でイヤだ。

借りっぱなしのビデオを消化しようと思って再生したら、いきなりイヤボーンアニメ。 弾劾鳳。オープニングからして見てる奴置いてけぼり。これはネタなのか。 この80年代丸出しのものすごい絵とネタは。 確かに作画はいいが、辛すぎる。いいやもう。 他のもとりあえず最初だけ見てみたが、辛すぎる。いいやもう。

ルプ★さらだ計画。樹形図において根っこから末端に至る経路がいくつあるか 数えるのと、どの経路が最短なのかを判定する問題。 合流があり得るのでむしろ網と表現した方がいいか。 しかし状態から状態への道は一方通行。 前者は解法の数を数えるのに必要で、後者は最短の解法を導くのに必要。 全部の解法を並べて出しても大丈夫と踏んでいたが いっぺいにそれが天文学的な規模になる可能性があると言われたので どうにかすることにしたのだ。 アルゴリズム本かなにかを読んでいた時にこういう話を 見たような気もする。ともかくアルゴリズム本を一冊買っておくか。 間違いなく役に立つだろう。

顔のいい人なら等身大の看板とかにしてもいいと思うんだが、 そうでないとけっこう辛い。声優でいくら声が良くても容姿は別の問題だろう。 特に最近思うのは女よりもむしろ男の方だ。誰とは言わないが、 アニメイトに飾ってあったあの等身大看板は少々気になった。

2001年12月1日

イクラパーティー。鮭の粕汁という重たいおまけがあったこともあってか 半分も食わずにグロッキー。結局残りは分けて持って帰ることとなった。

どつぼコンプリート。後ろに行くほどムチャなことが起こる。 最終面なんて隕石が式場を襲うのだ。ものすごいゲームだった。 そしてその場にいた奴等は全員風水の知識をそこそこ身につけてしまう。 ところで、エンディングの音楽を誰か吸い出してもってないだろうか。 著作権もなにもあるまいこんなもの。「どつぼどつぼどつぼどつぼ…」。 洗脳だ。

pokemonとcardcaptorsを見る。 つまりポケモンとCCさくらのアメリカ輸出版だ。 アメリカに出張した人が録画したものなので完全に英語である。 それにしても絵が同じなのになんでこんなに違いますか。 ポケモンはピカチュウの声だけまんまということもあってまだマシだが、 CCさくらは身悶えするほど違う。さくらの声はまるでかわいくない上にアメリカンだし、 ケロちゃんの声はそもそも男な上にアメリカンだ。CCさくらのアニメは 一度もきちんと見たことはないので元のイメージはあまりないのだが それにしたってこれが尋常でなくひどいのはわかる。 脇役の女の子の声がそこそこかわいいのが余計に腹立たしい。 加えて放映時間のためか中途半端な所で切ってしまっていてオチがついていなかった。 妙にCMが長いのだ。さすが資本主義国家である。

パワーレンジャー。ジュウレンジャーの生身パートだけをアメリカで作り直したものだ。 特撮パートになった瞬間に街並が日本になって死ぬほどおかしい。 逃げまどう人々とかあきらかに日本人だ。 主人公5人も顔が見えないからいいと思っているの だろうが、その体型はどう見ても西洋人ではない。 そして異様にアメリカンで金のかかった生身パートは スタートレックやらなにやらにしか見えない出来だ。 違和感くらい抱くだろいくらなんでも。

間に入っている宣伝も笑えた。セラムン人形の宣伝があったのだが、 これがその場にいた全員が叫ぶくらい出来が悪い。そもそも髪型が違う。 さらに髪の色まで違う。顔もものすごくなにがなんだかわからない。 日本製品をコピーしようとはしたのだがつい自分の美的感覚がほとばしって しまってごめん、という奴だろう。 オレが中途半端にギャル絵を真似てひどいことになるのと同じである。 確かに人間に近いバランスではあるような 気がするし青い髪の毛が気になるのもわかるが、ダメだあれは。 あとおもちゃの宣伝が例外なく子供が手で持って 動かしている映像でショボい。しかしおそらく勝手に動くような映像にすると 「なんだこの野郎、このおもちゃ勝手に動くんじゃなかったのか」 とかいう無残ないちゃもんで裁判になって金をむしり取られるに違いないので、 やむを得ないのだろう。他にも我々が20年前に通過したような空気を持つ 宣伝が目白押しでいたたまれなかった。遅れていると言わず違っていると 言うべきなのではあろうがいくらなんでもあれはヤバかろう。

しかしたくさん民族やらなにやらがいると共有できるものが 少なくなるので「金」とか「論理」とかそういう単純でわかりやすいものが 強調されるようになるのも無理もない。共通の基盤がない連中を相手にして おもしろいものを作ろうとしたら、どうしてもハデで下品なものにならざるを得まい。 そういうわけでわからんでもないのだが、あんな文化オレはいらない。

みんなでルプさらだの話をしていて、 ああ一人じゃ大したことはできないんだなと身にしみてわかった。 オレが考えてたのがことごとく修正されてずっと速いアルゴリズムになったからだ。 人は助けあって生きていくのだなあなどと思いつつも、 オレ全然ダメじゃねえかとかなり本気で思って微妙だった。 というか、オレよりよほどプログラマに向いてるだろおまえら。

SPYZというデジタルカメラを買ってきた。8000円。やや衝動買い風味。 寸法は60x39x15で、重さはわずか34g。電池は単4一個。 640x480までだが、28枚もとれる。320x240なら107枚で、おもちゃとしては十分だ。 液晶などという高度なものはついていないが、そんなもんはいらん。 暗いところではシャッタースピードが 猛烈に遅いので手がちょっとでも動くとボケる のだが、そんなのは人間側で どうにでもなる問題である。暗いとそもそも撮影すらできないという 欠点もあるが、それもまあ仕方ない。かなりいいおもちゃを手に入れた。 画質は悪いが、それもどうでもいいことである。 四葉に買ってあげたい。

ハピレスのCDドラマを予約してきた。目当ては声優イベントだ。 卒業する前に一度は体験しておかねばと思っていたが、 どうやら間にあったらしい。

金をバカバカ使っている気がするが、TAの臨時収入分と思えばかまうまい。 SiS630ETのマザが売っていたので買って一気にK6追放というのも考えたのだが、 別に250MHzで困ることなんてない。250MHzで重いものは500MHzでもやはり重かろう。 もっと速いのが出たら買って今のを回せばそれでいい。


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