それだよそれ

2001年10月31日

野望の王国2巻。微塵もギャグにするつもりはなく本気なのだが、 それがおかしい。しかしおかしくて頭が悪いところがおもしろいだけではなく 漫画そのものが実にうまい。読まさるを得なくなるようにきちんと仕組んであるのだ。 コマ割りやテンポの作り方に構図やセリフと実に参考になる。 ただしジョジョ同様パクるとまんまになってしまって即バレるので それはダメだ。なお、絵は下手。電話をかけてる絵の不自然さがたまらなくおかしい。 しかし、おもしろいと思った後ではそれも味ということで気にならないどころか 讃えたくなってしまう。

日曜あれを聞くのを忘れてた。月に一度のスペシャルな日だと言うのに。 本気で悔やしいのではあるが、しかし同時に仕方ないかとも思う。 結局時計を見てなにかするということ自体がオレには合っていないらしい。 テレビを定期的に見るのもオレにはあまりに計画的すぎて無理だ。 こみパを見るためにンテナ線をつないだはずだが 結局一回しか見なかったし、 その後今日に至るまで一度たりともテレビをつけていない。

採点終わり。コメント全部つけてたのでひどいことになった。疲れたが、 いい経験だ。最初に聞いた時に比べて著しくヘタクソに慣れて ヘタに隠れて見えなかった良いところがたくさん見えるようになった。 サブリミナルにえんえんかかってたので、ひょっとしたら洗脳されたのかもしれない。 でも平均点は4.6。厳しめかな。

小数点以下を切り捨てから四捨五入にしたら平均点が5.01点に。 理想的。なんで小数点が出るかは聞かないで。 それにしても悠久の畑なんとかの歌が頭のこびりつく。歌がズバ抜けてうまいわけでも なく、曲がズバ抜けていいわけでもないが、声がすごい。 何がすごいかよくわからんが、とにかくこびりつく。エンドレス。

2001年10月30日

研究室から古いエクセルをパチってきた。もう使ってないので ライセンスもOK。なのかどうかは知らないが。 ともかくもこれで標準の採点表を使える。

char[4]型へのポインタ、という文を見て唐突にわかった。 多次元配列ってのはそういうことか。 ここらでK&Rをきちんと読み直してみよう。たぶんいろいろ発見がある。

寒くなって参りました。手かじかんでます微妙に。 冬かもう。

疑わしきは洗濯物である。部屋に既洗濯物と未洗濯物が混ざって散乱している のだが、明らかでないものは未洗濯物として扱うということだ。 ちゃんとたたんでしまう習慣がないためにこのようなことになるのだが、 仕方ない。

研究室の同期が会社からもらった「新入社員の心得」みたいなものを読んで いた。聞けば男の靴下は臭くてはいけないとか書いてあるらしい。 女はいいのかとかいうガキみたいな疑問が出るが、 それはともかくとしてどうしたって足というのは臭いものではないだろうか。

シスプリの何がいいかと聞かれると言いたいことが多すぎて 何から言ったらいいのか困るのであるが、 一つには「言い訳が効かない」ということがある。 鍵っ子のようにシナリオがどうの感動がどうの言うことは断じて許されず、 どのように弁護しようともダメ人間のクソオタクの妹萌えの変態という 称号から逃れることはできない。逃れようと手を尽せば尽すだけ余計に みじめになることであろう。 加えてアニメもカスならばゲームもカスであり、 それが余計に立場を危うくしている。 そういうわけで、我々はシスプリを解さない人間に対して 「こうこうこうだから良い」 というふうに主張することはどうやってもできないのである。 この男らしさを利点と言わずして何と言おう。

財布の金をバラまいた瞬間に無意識に「にゅ!」とか言ってしまった 自分に気づいて唖然とした。一時期流行った時に多用していたのがクセになって まだ残っていたらしい。かわいくなければ許されないのである。 なぜかわいくないんだ。自分がむさくるしい野郎であることを これほど理不尽に感じたのは久しぶりである。

しょうゆ(本醸造)(大豆(遺伝子組み換えでない))
というのを見て、Cのソースみたいだと思った。

2001年10月29日

極めてヤバいことに一日中プログラム書いてた。 予定と違う。とりあえず歌の採点を片づけよう。 採点しながら何かできるほど器用ではない。 それが片づき次第漫画にとりかからねば。 ロクなもんが浮かばんもんだからつい逃避してしまった。 なんぼ考えても連載第一回臭くて終わった気のしないものばかり 出てくる。10ページそこそこで描こうってのにそんなでは話にならん。

が、その甲斐あって微妙に慣れてきたC++。しかしそうは言っても 今の状態ではStringとmapとiostreamがあるCという感じで C++の思想に沿っているとはとても言えない。 しかし、charの配列をゴリゴリポインタでいじるようなプログラムでは 仕方あるまい。むしろstringが混ざってることで余計にややこしくなってるような 気すらする。 とにかく、C++くさいところとCくさいところをきちんと分けよう。

ふと気づいたが、起きてから水一滴口にしていない。 27日の夜11時ごろにいっぺいと王将でメシを食ってからだから、 およそ26時間。どうりでフラつくわけだ。コンビニに牛乳を買いに行ったのだが、 異様に自分の動きが速い。頭のクロックが落ちているせいで そう感じるのだ。 起きてから連続14時間ピクリともせずにプログラミングしていたわけで、 体は使わなくても頭が大量のエネルギーを消費しているはずだ。

平成13年10月27日

帰ってきました。テロの影響でブツが届かないのでこの先に進めません。 仕方ないので放置して今度は宝酒造の研究所に出張。

理研で読んだ本。リプレイ。ナイトハンター2冊。アルジャーノンに花束を。 makeの本。Qtの本。感想は後で。

リプレイ。バンチのは偽物。引きこまれるおもしろさだ。無理矢理 読まされるような感じ。 パメラ登場後のものすごい展開は読んでて心が踊った。ラストも気が効いていていい。

アルジャーノン。もりりんが絶賛するだけあっておもしろい。 この本は感動大作として有名なのだが、 そんなことはどうでもよかった。 あるかどうかもわからないテーマなんかよりも、 主人公が破局を悟った後の無気力っぷりとか、ふしぶしにあるいじめられるシーンを 思い出す所とかの方がずっと強烈だ。 自分の破局がわかってもそれをどうにかする研究を続けようとするのだが、 それは別に他の人達を助けるためとか言うのが動機の全てではあるまい。 そうでもしなければ自分という人間の意味がなくなってしまうという 恐怖からだとオレは感じた。頭が良くなったことで人のために何かをしようという 心がなくなって人から好かれなくなったと周りの連中がこぞって言うが、 別に主人公がそれに気づいて改心する話なわけでもない。 知性ばっかりあっても人を愛する心がなけりゃそんなものに意味はないんだと 主人公が叫ぶが、額面通りの意味ではあるまい。 ただ、自分は知性を得てもまるで幸せにはならなかった。 しかしだからと言って元の状態の方が良かったと言うわけでもない。 この矛盾したいらだちと、自分が実験動物であり人間扱いされていないのだという 思いがふれ出した結果がそういう言葉になったのであろう。 そもそも人間愛あふれるテーマなどというものを第一に 置いていたら、最後のあたりはせっかくのアルジャーノンという小道具をもっと いっぱいに生かして主人公の苦悩をこれでもかと書くはずだ。 それをせずただ淡々とダメになっていくあたり、作者の視点がそんなところには ないのだということを思わせるのである。 ともかくも全体として「泣けやオラ」という作りにはなっていない。 にしても、訳大変だっただろうこれ。あと、この作者けっこうイヤな奴だろと なんとなく思う。少なくとも「オレは頭がいい方だ」と自分で思っている人ではある だろう。

ナイトハンター。ニャから借りたものだが、予想以上におもしろかった。 2冊しか持っていかなかったのを悔いたほどである。 豊富なオカルト知識を惜しげなく投入し、かといってハデすぎる展開にせず 一段一段読者を引きこんでゆく。言うならば上手な小説だ。 なお、上手ということについては上のリプレイも負けず劣らず上手な小説である。 読まされるのだ。中断することを許さない。

2001年10月24日

調子よくどんどん関数ができてゆくので ソースを分割したが、依存関係がややこしくなって わけがわからなくなった。一旦関数作るの止めて整理しよう。 直にシステムコール呼んでる奴、標準ライブラリしか見てない奴、 自分で作った関数を呼んでる奴。その他もろもろをきちんと整理しないとダメだ。 きちんと階層を作ってやらないとわけがわからない。 これができないと他人と仕事できまい。くそー整理整頓は苦手なんだが、 そんなこと言ってたらプロにはなれん。 あとmakeの使い方。

どうやってロックしよう。システムコールのロック(fcntl)を 呼ぶしかないみたいなんだが、 それはファイル記述子を要求してくる。open呼ぶしかないのか。 そしてopenで開けたらreadとwriteとlseek。 うわーすごいシステムコールっぷり。 隣ではiostreamとか使ってるのにいいんだろうか。 読み書きまるごとOS依存。 iostreamもどっかでファイル記述子につながってるはずなので、 それを探してどうにかファイル記述子を取ってくれば システムコール直なのはロックだけで済むのだが、 そんな手があるものだろうか。標準の外のことなので、手は出せそうにない。 あきらめてopen使うしかないか。できるだけ読み書きを一ヶ所にまとめないと。

ああっ、ありがとうございます。誰か知ってる人がサクっと 答えてくれたりするかなーなんて微妙プラスアルファに期待して書いちゃってる んですが、こうやって返してくださると目もくらむほどうれしいです。 にしても、本(詳解unixプログラミング)せっかく買ったんだから、 一回は通してちゃんと読まないとダメですね。 こんなところにこんなおいしい関数があるなんて。というか、 これなかったら絶対大変ですもんね。これからは欲しい関数は たいがいどっかにあるもんだと信じてもっと気合を入れて探すことにします。 やったーこれで Cの標準の範囲でほとんどかたづきます。ラクチン。

やっぱりunixってのはCで書いてあるだけあってCだけ別格なんですね。 こんな実装に踏みこんだ関数を 標準として用意してくれているなんて。確かにないとしんどいんで 便宜を考えたら当然ではありますけど。 同じようにC++のfstreamクラスからファイル記述子を抜く方法があればなあ。 ないこたあないんでしょうが、こういう標準になってる方法でないと 胸を張って使えません。

東京行きます。それでは。ああ、くそーせっかくわかって一気に解決できるのに なんでこんな時に何日も中断せねばならんのだー。向こうでmakeの本とか カーネルの本とか仕入れて読んでよ。しかし現物がない状態で本だけ読むのは いかにもつまらない。

2001年10月23日

RNAとって帰ってきたら朝7時。

昨日帰って食おうと思ってたメシがやっぱり腐ってた。 帰れるか怪しい時にはこの季節でも冷蔵しないとダメだ。 実にもったいない。残ってるキャベツ半分炒めて腹をふくらませてから 行くとするか。どうせ向こうさんもセミナーなので昼前についても 待たされるだけだ。

多重定義による抽象化は八百屋だ。りんごもみかんも買える。 わざわざりんご園とかみかん畑とかに行かなくていい。 なんてふと思ったが、この理解の仕方まるで役に立たねえ。

したいことと、いたい場所。

キャベツ半玉を一気に食うのは拷問だと前わかったはずじゃないか。

よく考えたら理研に連絡を入れてなかった。いくらなんでも いきなりは失礼か。メール出して明日行くことを伝えよう。 というわけで今日は寝る。昼までに返事が来て「今からでもOK」とか書いてあったら 行くが。

研究室行きもしなかった。マズかろさすがに。しかしプログラムに夢中になってる うちにもう夜だったので仕方ないのである。 stringとかmapでラクチンな一方でシステムコールをビシバシくり出す。 この両極端ができるのがたまらない。

2001年10月22日

だからみずいろ汚ないって。パクリと思ってもこの和音進行だけで やられてしまうのだ。この野郎。

regexxライブラリ。このライブラリ文書ついてない。仕方ないのでヘッダを読んで わかるしかない。よう考えたら他人のソースちゃんと読むの初めてだ。 これを読む過程で相当またいろいろわかる気がする。なんといっても、 パッと見た感じではまるでわからないのだ。 ともかく卒業するまでにこの本(The C++ Programming Language:プログラミング言語C++) から学ぶことがなくなるくらい読みこんでやる。 この本だけで済むはずなのに世の中に大量にC++の本が出回っているということは、 この本に慣れ親しめる奴はあまり多くないということに違いない。 踏破すれば自信がつく。

バカな。聞き逃したわ。何をかは問うな。本気で悔やしがっている自分がいとおしい。

…、!、?を使わないで文章が書けるか。そもそもこいつらは座りが悪い。 後ろに丸つけても点つけてもしっくりこない。

シスプリ100人組み手じゃなくて質問。 真面目に答えたのでえらい疲れた。好きとか嫌いとか、 そんなのはどっちかに決めるもんじゃない。だからこれでいいと思う。

2001年10月21日

Age of Empireというゲームが流行りだ。研究室でも漫研でも流行っている。 みやざき君ちで見てきたが、確かにおもしろそうだ。しかし、 たぶんオレは苦手だろう。いや、苦手というよりもあれで修練を積む気にならない。 なんというか 必要とされるスキルが麻雀とかぷよぷよとかと似ている気がするのだ。 アルゴリズムを確立してそれを手に染みこませて自動化していく過程だ。 たぶん、「こんなもん熟練してどうするんじゃ」という思いが 上達を妨げるのだろう。麻雀も一年半ほどはやったが、絶望的に好きになれない ことに気づいてさっぱりやめた。オレはああいうのをやるには短気すぎる。 アルゴリズムを確立したところで飽きるならともかく、 最近ではアルゴリズムを確立する方法を推測できたところで飽きてしまうのである。

文字化けしてました。今まではemacsが何故かISO-2022-JPのファイルを作って いたので、それをSHIFT_JISに直してWEBに置いていたのです。 この度全部EUC化したのでそんなことをする必要がなくなったのですが、 SHIFT_JIS化を外すのを忘れてました。 もともとISO-2022-JPはサイズが1割くらいデカい上に IEでソースが読めないという理由でSHIFT_JISにしていた のですが、サイズはEUCとSHIFT_JISは一緒ですし、IEも別にいいです。

フロムソフトウェアのドキャ用メカ格闘ゲーを見ていた。 テクスチャがゴチャゴチャしてとてもクレイジータクシーと同じ機械とは 思えない。プレステくさい。加えて動きに重量感がなくせっかく巨大メカ であるという設定が動きに生かされてない。しかしそういうことを思っていて 思ったのだが、そんなこと実は誰も気にしてないのではなかろうか。 多くの人がゲームに何を求めているのかがオレにはまるでわからない。

日記アンカー付加、アップロードスクリプトを直していた。 その過程でちと不都合はあったが、ともかくも元よりも数段きれいになった。 perlの慣用句をたくさん覚えたのが大きい。

emacsなしの生活が始まった。まだ慣れてないが、慣れてない割には 大して不便じゃない。vi、mnews、w3m、bashの4つでコンピュータ使用時間の 95%まではカヴァーされている。

mozilla0.9.4。ソースが26メガ。デカイ。そしてどうせ重い。いらんわやっぱ。 たまに確認をIEでやれば事足りる。1になったら入れてみよう。 しかしどうせ250MHzでは使えまい。

コンパイル遅い。いや、遅いのはCPUだ。ちょっと直してはコンパイルして 実行、ってのを繰り返してるとけっこうイヤになってくる。 速い機械にしよう。そんなつまらんことでこんな楽しいことに水をさして なるものか。あとファイルの分け方も考えねばな。

もう、Cじゃねえ。C++。まるっきり別のものだこれ。楽すぎる。 反復子最高。今のところ関数一個作る度に何か一つわかる状態。 無限の宇宙が膨張を続けるように成長できそうな予感。 ああ、関数の多重定義最高。デフォルト値設定できるなんて、そんないいことが あっていいのか。

Mesaインストール。これでポリゴングリグリだ。windowsなしで。 ただしOpenGLの勉強をせねばならん。本買ってこねば。 ついでに機械も速くしないと実験に障りがあろう。 ああ、まだわかれるものがたくさんある。 もっとわからないもの持ってこい。片端からわかってやる。 会社入る前に足引っぱらんくらいにはなっておかねば生きてゆけん。

2001年10月20日

アニ同の自主制作に参加してきた。動画描き。とんでもなく大変だ。 原画の絵に似せつつ、動きをイメージして原画にないアングルも それっぽく描かないといけない。アニメータというのは超人なんだな というのがなんとなくわかった。絵描くのは大変だ。

カチンと来た時は理由を問え。怒りホルモンが去るまで問い続けていれば それが大したことじゃなかったことがわかる。所詮肉人形よ。 冷静になったら相手がそれを言った動機と目的と自覚の 度合を推測して最適な対応を取ればいい。そしてそれが面倒なら放置。 多くの場合放置以上の選択肢はない。というふうに自分を無難な人間にすべく 改造を行っている。

みずいろ(みずいろの主題曲)はlast regret(KANONの主題曲)に似すぎじゃ。 恥じよ。これはいくらなんでも他人の空似ではあるまい?

変な曲を聞いた時に不安になるのは、オレが狭量だからなのか曲がショボいから なのか。結局今まで生きてきた経験で「良い」の定義は定まってしまっている。 それから外れるのが良く聞こえないのは当然で、だとすればオレが狭量だから 良さがわからないだけと言える。しかし一方で、みんなの「良い」の定義が ある程度似かよっているとすれば、その範囲から外れるものは やはり一般的にショボいということになるだろう。 また、それを作るのに必要なスキルがあまり高くなければまたショボいと言っていい。 どうなんだこれは。ともかく、好かんものは好かんわけで、点数はやらん。

カゼが慢性化している。この週末を生かして治してしまえ。

このエヴァのなんかの歌、ダイケンゴーにしか聞こえない。ネタで作ったと言えば なんでも許されると思うなよコンチクショー。

アニメがむつかしいのは、速度のイメージを頭の中で作らねばならんことだ。 どんなに正確にデッサンができても、速度が頭の中になければ等速運動しか 描けない。アニメにおいて時間は離散数なので、速度とはフレーム間の距離である。 言い換えれば断絶だ。どれだけなめらかかより、むしろどれだけ断絶するか、 どれだけ飛ぶかに動きはかかっている。日本のアニメは金がなくてフレーム数を 増やせなかったためにそういうことに気づく機会に恵まれたのだろう。 アニメータが絵がうまいのは当然というか 前提条件で、完全なデッサンができるだけではお話にもならないに違いない。 超人の集まりだ。そしてオレはデッサンすらできん。うおー。 しかし実際アニメを見ていて思うのだが、 現実に全てのアニメータが超人というわけではなく、 むしろ超人の数はかなり少ないのではないだろうか。 ところで友達の話によると、あるアニメ専門学校は 最初はケン玉をいろんな角度からデッサンさせるらしい。 そんな初歩的なことから始めて2年とかで間に合うのか。 すでに絵がうまくてデッサンくらいある程度できる奴ばかり集まるのだとばかり 思っていたのに。

なお、今の3DCG動画に欠けているのはその速度だ。形さえできてしまえば 労せずしてなめらかな動画 を描けるものだから、つい動きの方がおざなりになってしまうのだろう。 熟練のアニメータとかを招いて動きを指導してもらったら 格闘ゲームとかの類ももっといい動きをするようになるのではなかろうか。 ときメモ3が気持ち悪いのはそういうこともかなりある。 なんてことをゲームショーの課題レポートで書いた。

ところで、ときメモ3がしくじったのは、ギャルゲーにおいて絵というのは キャラへのインターフェイスであり、 インターフェイスというのは動画のようにかさばるもの ではあり得ないということに思いを致さなかった点ではなかろうか。 形見は故人へのインターフェイスであり、シンプルなものであるほど良い。 同じである。 絵や声を思い浮かべてキャラを思うことは容易だが、動きを思い浮かべて キャラを思うことはかなり困難であろう。動きというのはどうしても殺那的なもので、 見ているまさにその時に気持ちよくなるためのものなのだ。 果たしてギャルゲーにおいてそんなことが問題になるものだろうか。 やっている時間と同じくらいやっていない時間も大切なのがギャルゲーであろう。 いかに強烈な印象を脳に灼きつけるかで勝負は決まる。 立ち絵が少ないということが致命傷になったギャルゲーなどおそらく存在すまい。 もちろん目新しいものを作ろうという心意気は買うし、あれを見てオレも大喜び なのではあるが、ギャルゲーとしては失敗だろう。よほどシナリオやら声やら が強烈でない限りはだ。しかし、思うにこのアプローチそのものは間違ってはいない。 もしかわいいしぐさを見事に表現できたなら動くという新鮮味も手伝って 相当に強烈なものになるだろう。ただ今のアレではそれにはおそらく至るまい。 止め絵としても十分にかわいいものでかつ動きが見事でなければ その目的は達せられないのである。技術の進歩はいつかそれを可能にするものと 信じている。

viからシェルを操作できる。便利すぎ。「:!コマンド」でそのコマンドを実行でき、 終わったら戻ってくる。 そのコマンドの出力をとりこむことも当然できるわけで、本当に死ぬほど便利だ。 viから出なくていいじゃないか。ちなみに、「:.!date」と打つと、 今いる行にdateの出力が貼りつけられる。 かっこいいなあこのエディタ。

変数の名前した関数がコンストラクタ、 と言われてもなんというかよくわからなかったが、 今日はっきりわかった、と思う。 int aというのがint型のaという変数を確保する関数だと思えばいいのだ。 考えたらまんまだ。intじゃなくてもっとややこしい勝手に作った奴 も同じ文法で扱おうと思ったら確かにそういうしくみにするのが賢い。 関数なんだから引数を渡せるわけで、string s(10,'a');とすればaが10個入った 文字列を作ってくれる。定義のフリをした関数だ。

C++はCに比べてややこしくて多いが、しかしそれだけ叡知がつまっている。 Cは結局関数とポインタでなんでもできてしまうのだが、C++はそうはいかないのだ。 標準アルゴリズムの便利なことといったらもう。どんなデータ型でもsortで sortできてしまうんだからすごい。しかし、これ作るの相当大変なんだろうな。

2001年10月19日

RNA採取成功。莫大に取れた。細胞の破壊が不十分だったのが原因。 試薬の注文が間にあわなくて1回分しか取れなかったので、 明日か明後日にもう一回やる。成功するとわかっているので気分は軽い。 横浜行きは月曜日か。

その本ですが、図書館にもデカい本屋にもコンピュータ屋の書籍コーナーにも ありませんでした。東京行った時に探してみます。

string。map。iostream。regexxライブラリ。 慣れたらバラ色の世界が広がっている気がする。 あとはコンパイルさえ速ければ。

vi入門という本を読んてわかったのだが、これとんでもなく高機能なエディタだ。 慣れさえすれば無敵になれる気がする。いっしょになってるexの機能がまた 実にエゲツナイ。 さしあたって日記からと思ったが、 そのために日記管理とアップロードのスクリプトをきちんと 書き直さないといけない。文字コードめ。 ついでにメーラーもemacsがいらない奴にできればいいのだが。

メーラーのmnewsというのを入れてみた。動く。たぶんこれで足りるわ。 しばらく使ってみて不便なことがなければ移行してしまえ。

2001年10月18日

泣いて帰ってきました。初歩的なミスで8時間ほどパー。 しかし極めて初期で失敗したため、準備したものの大半はまんま残って ラッキー。明日に持ちこし。横浜行きがまた一日延びた。

2001年10月17日

今(0時)実験を開始すると 一番人がいる時間に一番やっかいな作業をすることになるため、 今は敢えて寝ることにした。開始して8時間後から16時間後までが一番忙しい。 その時間に人がたくさんいるのは絶対に避けたいのだ。明日の夜8時から 朝4時までが勝負。

データと音が混ざったCDが焼けるようになった。burncdありがとう。 mkisofsありがとう。cdda2wavありがとう。しかし、今の方法では CDの複製にはなってない。もっと低レベルにダラダラ01を読み出して まんま保存して、それをまんま書きこむような技を探そう。 「cat CDROMデバイス > イメージ」でも抜けるんだが、オーディオトラックに 突入したところでIOエラーを出して止まるので気分が悪い。 まあそれを焼いても動くんだが。

アクセス解析。255エントリだけ保存していて、最新アクセス時刻が古い順に 置換していくのだが、検索で来る数がバカにならないために 上位15エントリ以下は見るも無残に消されていく。 日あたり5アクセスくらいないと安定して残ってはいかないらしい。 置換方法を変えないと固定リンク先が検出できない。 新しさ×アクセス回数が最低のものを置換するように明日書きかえることにする。 アクセス解析等々のperlスクリプトは研究室でしか打たないことに決めた。 なお、Cでやりたいことが別にできたので、 perlでいいことをわざわざCでやろうという気は完全に失せた。 やはり適材適所だ。なんでもCでドカドカできてしまうのが一番憧れではあるのだが、 物事には限度がある。

もうずいぶん長いことどうしたものか決めかねていたことがある。 二つの選択肢があってどちらも同じ程度にもっともらしい場合 より消費エネルギーの少ない行動を取るわけで、つまり放置してきたわけである。 しかし、すでにそのことがオレにとってさほど重要なことでないという本心に 気づくに至って、オレの腹は決まった。時はいやおうなく万物を薄める。

生物の多様性は自然界がそもそも本質からして多様性を内包しているからだ、 とかわけのわからんことを言って、それを人間の個性は大切で多様で云々とかいう 話にもっていく人がいるのが腹立たしい。 複数種の菌をフラスコで飼っていても一番強い奴だけになってしまうことはない、 などという研究報告がよくこの手の使い方をされる。 そんなもん平衡位置の問題にすぎないわけで、エネルギー差が有限である以上 0にならないのは熱力学あるいは反応動力学からして当然だ。 そもそも生物は方程式の解だ。 環境は方程式の定数だ。定数が変われば解は変わるわけで、環境が変われば生物の形は 変わる。そして地球にはさまざまな環境がある。だから生物が多様なのは 当たり前であり、いいも悪いもなく必然である。神秘性とか真理とか正義とか そういうのを持ち出すのは気に食わない。個性も同じだ。 個性は方程式の解であり、環境は定数である。定数が変われば解は変わるわけで、 環境が違うから個性も存在する。そして社会にはさまざまな環境がある。 だから人間に個性があるのは必然なのであり、その個性は環境に依存する。 個性の強さや種類を当人の責任にするのは無茶もいいところだろう。 1+1=2であるのは2のせいだと言うのと同じくらい無意味である。 それこそいいも悪いもない。 利己的な遺伝子という本が流行った時も単なる熱力学的必然を 妙な道徳に結びつける輩が多くてイヤな気分になったものだ。 しかし、学んだものをどうにか自分の信じたいことを補強するのに使おうとするのは オレも身に覚えがありすぎるのであって、あまり人のことを言えたものではない。 それに、オレも結局科学を道徳の道具にすべきでない、という道徳感から来る 不快感によってこういうことを言っているにすぎないのである。 自分の行動を動機を探るとたいがいロクでもないものだ。

大手スーパーの帰りに装甲バスに乗ったテロリストとカーチェイスを くり広げて撃ちまくられる夢を見た。なんかどっかの王子とかがこっちに乗ってて 話とかネタは勇午風なのに、場所は大手スーパーだし一緒に乗ってる人間は いつも会ってる奴等。このミスマッチが変なのだが、 逆にそのせいでえらいリアルである。 ついにテロリストの車が横に並び、 こっちに鉄砲を向ける人がたくさん並んでいる。 運転席は威嚇の銃撃を浴びて運転手と助手席の奴(=漫研部員)はパニック状態。 わーわーみんなで叫んでるところで目が覚めた。 テロはイヤである。

なおその前には何故か変な電車でデパートの中を 疾走していてえらいスピード感だった。今になって思い出すと なんで線路ひいてあんねんとか思うが、 覚める前には微塵も思わないのがおもしろい。あの夢の理不尽さをまんま 漫画にしてはメメクラゲだが、あの理不尽さを理不尽と思わないながらも 微妙に論理的判断を下す夢の中のオレはかなり興味深い。 夢はああいうネジが一本飛んだような精神というのを自分で体験できる機会であり、 実に貴重なものだ。 「おまえは世界を破壊する魔王になる」とか言われる夢見たいんだがな。

質点の相互作用をたくさん書けばいろんなことをシミュレートできる。 実際に電子や核子のレベルからシミュレートするのに比べればはるかに簡単だ。 剛体のようにこれ以上高レベルな物を基本に据えると衝突とかモーメントとか 形の種類とかいろいろと面倒になるが、質点ベースであれば計算量はともかく理屈は 簡単だ。ポリゴンが全部三角形なのと同じようなものである。 さて、人工知能においても同じように質点に相当する単位を設けて、 それらの相互作用として精神を表現できはしないか。 元々脳ミソなんて神経細胞同士の接続によって成り立っているものなのだから、 適切に素子と相互作用(=情報通信)を設定すれば人間と同じものにはならなくても なんらかの意味で精神っぽい挙動をするものにはなるはずだ。

ブロックデバイスとキャラクタデバイスの違いをいまさら知った。 シークできるか否かだ。バッファするか否かだ。 ところでisoイメージをまんまマウントしようとすると block device requiredとか出るのだが、 ファイルはブロックデバイスではないのか。 なお、ファイルをマウントするには 「vnconfig /dev/vn0 イメージ」の後、vn0をどっかにマウントすれば いい。仮想CDソフトというのはつまりそれだろう。

「京都,薬,売人」で検索した人、体には気をつけてください。

変な夢で起きた後寝なおしたら、ある意味さらにタチの悪い夢を見た。 夢の中なのでいまひとつ判然としないが、もっちーやら 古山きみこ系の声をした女性がどうも普段よく会う人間らしい設定で 存在しており、えんえん会話している夢。 しかしどうも元となったモデルはもっと普通な人であるらしく、声以外は普通。 どうもギャルゲーの話をしていた気がする。 その人が「こんなセリフ言われるとグッと来たりするわけ?」 とか言いつつそれ系の(具体的なセリフは覚えていないが、まあ「お兄ちゃま大好き」 とでもしておこうか)を言ったりしていた。そして聞いてるオレは平静を装いつつ 内心衝撃を受けているという変な夢。ラジオでいきなり桑谷夏子のアレが炸裂 するだけでもビビるのに、面と向かって、それもそこそこかわいい顔の人 にあの手の強烈なセリフを言われるというのはそれはもうすごいことなのである。 夢ながら動揺の大きさは並々ならぬものがあった。眠りが浅く半ば目覚めている 状態だったのも衝撃を大きくする原因になっただろう。

ところで、かわいい系統の顔だった気はするが、具体的には思い出せない。 実は声も、例の台詞も具体的には思い出せない。無理に思い出そうとしても 何か知っているものに強引に結びつけてしまって、夢で見たものとはおそらく 違うものになってしまう。たとえば声が古山きみこ そのものになってしまったりするのだ。夢という奴は しばしば具体的なものでなく概念の状態で現れるので、もしかしたら具体的な顔は 元から存在しなかったかもしれない。声も。台詞も。夢というのはある意味 イデア界である。そして、現実世界と言われるものが殺那的には 脳内で再構成された精神世界である以上、 理屈としては現実精神と精神世界は等価にすることができる。 心の鈴凛の声を耳で聞き、姿を目で見ることは不可能ではない。 それは鈴凛のイデアとして現れるだろう。プラトンって本当にすごい人だな。

なんかだんだん自分でヤバいこと書いてもあまり気にしないようになってきたような 気がする。半年前ならこんな恥づかしいこと絶対書けなかった。 「命を捨ててオレは生きる」と歌にあるが、それだということにしておこう。 実はハンドルをちゃんとつけて本名を隠しておけばよかったと本気で思っている。 もう手遅れだが。就職先で周りにそういう人だと思われるのはどう考えても いい結果を及ぼすまい。なんか人生に関わることのような気すらしてきたぞ。

ここから真田アサミ(声優)の公式サイト。声のサンプルが置いてあるので聞いた のだが、わかんねえ。同じ声だってわかんねえ。野郎の声はなにをどうやっても あまり変わらないように思うが、女性の声はタチが悪い。 大山のぶよくらいじゃないと何やってもわかる というわけにはいかないんではないのか。

小池田マヤ「すーぱータムタム」。これは大したもんだ。 しかし恋愛漫画として云々と言うよりもむしろ全然知らん世界をかいま見えたのが おもしろかった。職場としてのデパートもそうだし、 そもそもこうやっておしゃれやらなにやらをする人種というものがオレにとっては まるで別世界なのである。ここに描かれているような価値観というか生き方というか 思考パターンというかそんなものが社会の主流だとすれば、オレは全然ダメだ。 わからん。絶望的なまでの距離がある。まあ社会人になって必要に迫られてから 考えればよかろう。で、それはそれとして、おもしろい漫画であった。 4コマの形式である必然性がいまひとつわからんし、 普通に書いたらもっとうまくやれるんじゃないかと思ったりもするが、 普段4コマだからこそたまに見開きを使ったりした時に効くのだし、 この人のテンポは確かに4コマに合っている。 ところで、同じように4コマでありながらストーリーがあって かつ玄人の間で評価の高いものとして「自虐の詩」というのがある。 実家にあってちらっと見たが、なにがどう泣けるのかまるでわからなかった。 もっとも最後まで読んでないのでなんとも言えないのだが。

ありがとうございます。間違いを正していただきました。 シークという言葉は間違いでした。要はなんかたまってるところから とってこれるのと、たまってないので出てくるのを出口で待ち構えてるしかない のの違いというイメージなんですが、それは合ってるでしょうか。 これ読んでなんとなくわかった気になったんですが。 ところで、lsで/dev見たらみんなcがついててつまりキャラクタデバイスでした。 ハードディスクも。なんかこの分類の意味がよくわかりません。 つまりこの分類はすでに意味がないわけですね。

今日長いですが、うまくいったら当分日記は書かないので勘弁してください。 というわけで、これからRNAを取りにいきます。取れたらまんま横浜に行きます。 取れなかったら泣いて帰ってきます。

耳をきっかけにして

  片耳が聞こえない人は多いようだ。WEB上の、しかもこの手の日記だけで すでに2人も見ている。しかし、片耳が完全に死んでいるという状態が 果たしてどの程度不便なのかについてはそういう症状を持っているオレも よくわからない。なにしろ両耳がまともに聞こえる状態というのをオレは もはや覚えていないのである。であればどれほど今の自分が不利であるかなど わかるまい。確かに左から話しかけられれば聞こえにくい。 見えないところからの音がどこから鳴っているかがわからない。 そういうわけで、自然とドラクエのキャラのように相手との相対位置を 保つような不自然な移動もするし、話す時は相手の唇を見て補助にするし、 無理にでも左に回りこむクセがつく。 スピーカーが単体で買えないことに怒りを感じるし、 人がせっかくモノラルに設定したのに無視して 勝手にステレオ出力にするDVDソフトには殺意すら覚える。 新聞に耳小骨移植で治った女の子の話が出ていて 「両耳で聞くピアノは全然違うんです。もっとたくさんのこの症状を持った人に 手術を受けてもらいたいと思います」なんて書いてあった日にゃもう 一日中ブルーだった。オレのはそんな手術で治るような生易しいもんじゃないんじゃ クソはしゃぎよって小娘が呪うぞという感じだ。 しかし、この病気が治る見込みが現代の医学ではない以上、 これがどの程度不利なのかは結局永久にわからないのである。 もっといいものを他の連中が聞いていると言われても、 そんなものは別の宇宙のものであり、ないも同じである。 ないも同じものなら、そんなものはないのだ。ない。 存在しないものを羨むことはできまい。

  とこのように自分を説得し続けてもう何年になるだろう。 しかし、オレは説得の方法が間違っていた。 自分にわからんものをないと言うのでは、なにかが歪んでしまう。 オレがおもしろがれんアニメをカス扱いするのと同じだ。 たぶん、価値がわからんでも、わからんままで尊重するということが可能なはずで、 それは価値をわかろうと実際に努力することと、 価値がわからんから切り捨てることの 二つの極限の中間のどこかに存在するであろう解である。 確かに耳は努力してもどうにもならんのではあるが、 そもそもその「努力すれば」ということにどれだけの意味があるだろう。 する気にならないのはできないと同じことである。 どうやっても勉強をする気になれないのは ハードウェア的な欠陥から勉強をすることができないのと大差ない。 だから、オレにはわからんすごい音の世界があるのは事実だが オレにはわかれない、と真っ向から思うのが正解なのだ。 欠点は欠点ではあり、それでいてそれはそれである。 そう思えば野球が下手なのもなにかといらんことを言って迷惑をかけるのも、 そういうものなのだと思える。そういうものなのだと思えて心が平静になった ところで、ではどうするかを考えればいい。ダメだダメだ思うとかえってダメだ。 ブルーで成功することはない。ブルーは幸せにならない。 だが、それを理解したところで戦いは終わらないのだ。 ブルーを実際に駆逐するには並々ならぬ修練が必要で、 オレも到底それを達成できそうな気はしない。 しかしそれでも、これを理解しただけで何割かは気が楽になったのである。 理屈だけだからといって全く価値がないとは言えまい。

2001年10月16日

アレクサンダーを探す際に ケン・グリムウッド「リプレイ」を発見。裏表紙のあらすじだけしか見てないが、 どうも過去に戻ってやり直すのが主題というわけではないらしい。 何回戻っても同じ日に死ぬ、という悪夢が云々というのがミソらしいのだ。 バンチのアレは果たしてそうなるのだろうか。今のペースを考えると どうにも普通にやり直しを描いて終わる気がする。 なんかおもろそうなので、次に見つけたら買って読もう。

ハードディスクが足りない。下手に細かく切ったのが悔やまれる。 これを切った時はまだ4Gが無限に見えたのだ。 いっそまるごと/にした方がよほど何も考えなくて楽だっただろう。 足りなくなるごとに空いてるところに移してきたので、 /usr/localとか/usr/X11R6が/homeの中に間借りしてたり、 /usr/srcや/usr/objや/usr/portsが元々 windows領域で今ではsambaによってwindows機の外部ディスクになっている /dに間借りしてたり、それはもうメチャクチャ。 もっともこれが仮に一つのパーティションだったとしても、 すでに10G中7G以上が埋まっているという事実に変わりはない。 加えて windows機の空き容量は例のソフトのスワップのために最大限残さねばならないため、 ゲームの類はsamba経由で/dに配置される。今は何も入ってないから空いてるが、 もし何かデカい奴を入れたらたちまち破綻だ。おかしい。14ギガって無限のような 容量だったはずなのに。

tがchくさくなりつつ無闇に強調され、uが英語のuに近くなり、 eがドイツ語のeのように口が横に広がり、 特にrを主体とした子音が妙にwを帯びる。ここ数年そういう歌い方を頻繁に聞く。 英語発音に近づけることでかっこよくしようという 技術なのだろうが、日本語に聞こえないので聞きとりにくい。 あと気になるのが高い音にジャンプする時に一気に上がらず ニョロっと上がる技法。単に下手でちゃんと上がらないだけの人もいるだろうが、 そこそこまともなスキルの人もそれを多用するのでおそらく意図的にやっている 技術なのだろう。確かになにやらいっぱいいっぱいな感情を表現できるので いいとは思うのだが、さすがに多用しすぎではないか。 ここぞというところに使うならともかく、全部やっては味がない。 ああいう楽器として聞けばいいのだが、嫌いなもんは嫌いだ。

アレクサンダー戦記をもりりんと長月に見せた。 これで心おぎなく返せるというものだ。長らく借りててすみません。 ところで、あのアニメのエピソードは場所とか時期とかが違っても けっこう元のアレクサンドロス物語やアレクサンドロス東征記に 書かれているものが多い。また、あの変な回転刃兵器とかも、 「戦車の車軸に鎌をとりつけて歩兵をなぎはらう兵器」というのが 実際にあったと記録されている。そういう文面を見てああいうデザインが できる才能というのはどういうものだろうか。すごいの一言に尽きる。

ついにFreeBSDでデータと音の混ざったCDを焼けるようになった。 burncd万歳。あとは自動化するスクリプトを作れば簡単に複製ができる。 もっとも、あまり多用するつもりはない。なにしろCDを焼くなんてのは とんでもなく面倒くさい作業なのである。

アクセス解析に数字は出てくるのだが、数字というのは実感がないだけに 慣れやすいものだ。50/日で驚いた時期もあったが、今は300/日でも驚かない。 しかし、たまにふとそれがもう一度驚きに変わることがある。 もちろんそれはツッコミがあった時だ。ああ、本当に読まれてるんだこれ、 と思うのである。うれしいか気まずいかは場合によるが、なんにせよ 自分のやっていることが誰かにいくらかでも影響しているのだと思うのは 悪い気分ではない。

物理シミュレーションっておもしろそうだ。 質点と質点がバネで結ばれたものをポリゴンの代わりに用いるのがモデルとしては 一番簡単だろう。 質点が2つまでなら計算によって完全なシミュレーションができるが、 質点が3つ以上になればもはや近似計算による方法しかない。 仮に格闘ゲームを作ろうなんて思ったら質点が何万個もいるわけで、 大変だろう。さて、立体を作るには最低4つの質点が必要だ。 扱いの統一性を考えれば全ての立体が 四面体の結合したものとして扱えるのが望ましい。 物体の堅さは質点の結合強度=バネの強さで決定される。 破壊される強度というのを設定しておけばそれ以上の力がかかった時に 結合が切れて破壊を表現できるだろう。 質点どうしの衝突をどうするかだが、十分に質点の密度が濃ければ、 距離の2乗に反比例する斥力を設定することで立体の衝突もシミュレートできる。 重力も一様にかかる力として設定すればいいだけだし、 まあ原理は簡単だ。しかしこの方法で格闘ゲームを作るのは至難に違いない。 言うならば細胞を一つ一つ積みあげて生物を組みたてるようなものだ。 人型のものを歩かせるだけでどれだけの苦労がかかるか知れたものではない。 そういう用途に使うにはもっとインチキのたくさん入った賢い方法が必要だ。 しかしまあ、練習と称して実験してみようか。十分におもしろい遊びになる。 正四面体が落下して床にぶつかるだけでもスリリングだ。 変形によってエネルギーが微妙に失われるようにすれば摩擦も表現できる。

2001年10月15日

いかん寝すごした。じゃ行ってきます。20まで帰ってこないかも。

くそ帰ってきたよ。明日と明後日で取って、木曜また行く。もっとも、 何かやり方に構造的欠陥があるのは明らかなので改良が必要だが。

アレクサンダー戦記の原作であるらしい 荒俣宏の「幻想皇帝」を見つけて買ってきた。 が、普通。ルイスフロイスが信長に語って聞かせるという舞台設定はおもしろいし、 中も普通におもしろいが、普通。もう一つ、アニメと並行企画として 書かれたのではないかと推察される荒俣宏「アレクサンダー戦記」 も一巻のみ発見したが、こちらはさらにダメ。アニメ同様に荒唐無稽なメカ 設定にしても、この文章では迫力がまるで伝わらない。 この人の小説はなんというか「調べました考えました」 という匂いが出すぎていて、「さて、それで何がいいたい」というのが いまひとつわからないのだ。帝都物語も一冊だけ読んだがそうだった。 勉強熱心な人で設定考えるのが楽しくて仕方ないのはわかるのだが、 それを駆動する大元のパワーがないといまひとつ物足りない。 隆慶一郎なんていくら調べようが考えようが、 結局は「男」の一言になってしまうわけで、そこがいいと思うのだが。

2001年10月14日

0時。実験の合間。朝5時から再開。

試しにURLエンコードをCでやってみたが、やはりまわりくどい。 ともかくも動いたので次。ところで、スペースを+にするってのがよく言われてるが RFC2396を読んでも みつからない。それどころか予約文字と禁止文字以外は印字不可能でない限り 別にエンコードしなくてもいいように読める。~とかまんまでいいんでは ないだろうか。ところで、ちゃんとしたエンコードはURIになる前の部分の状態 でやらないといけない。今回は日本語とスペースをどうにかするだけの手抜き エンコード。

ポインタのポインタ。慣れれ。

実験はめでたく15時ごろ終わったが、チェックはしていない。 どうせ行くのだし、いい機械のある向こうでチェックした方がよかろう。 エタ沈(DNAやRNAがエタノールに溶けないのを利用して回収する操作)の手間も省ける。

帰ってからえんえんC。文字列操作のためにメモリをゴリゴリいじっているので そこら中ポインタ演算。 だんだん慣れてはきたが、いちいちこんなことやってたら いつまでたっても実際に動くブツに近づかないような気もしてくる。 やはり文字列をいじることに関しては圧倒的にperlが楽なようだ。 Cではname=valueをバラすだけで一苦労である。 しかし、オレの無知によって無駄に回りくどくなっているところがごまんと あるはずなので、そのうちどうにかなるものと信じよう。 ところで、メモリをいじるのはおもしろい。 メモリにどうやって置いてあるかを想像しながらやらねばならんわけで、 それがパズルみたいでおもしろいのだ。 それにしても早く数値やらファイルをいじるところまで行きたい。

newでとってきたのをdeleteで返したが、返した後も書けるし読める。 さすがC。いちいち面倒見てくれねえ。OSも使ってる場所じゃない限りは いちいち面倒は見てくれないらしい。

全然ニュース見てなかったので知らなかったが、 これ全然捜査じゃないじゃん。犯罪人ってのは捜査して挙げるもんだろう。 町壊してどうするんじゃ。理屈はともかく 「やったぜアメリカ」という気分にはなれない。

正規表現。もうなしでは生きられない。Cにもほしい。ライブラリ使おう。

シスプリラジオ2回目。可憐声は兵器だ。 ギャップがすごすぎて唐突にあれをやられるとかなりビビる。 一方もっちーはまんまそれ。ギャップも何もない。かわいいよ、この声。 しかも小さいらしいし本人。 是非他の連中が普通にしゃべってるのも聞きたいものだ。 にしても桑谷夏子。普通の波形と可憐波形が頭の中で結びつかない。 どう変調すればああなるんだ一体。 ところで、水樹奈々の波形が微妙に把握できそうな予感。 ただ今のところはまだ消去法。

くそう。本当なら生身で拝んでこれたものを。かなり本気で惜しい。 とか書くとまた「ダメになった」などと言われるのだが、 オレは明確な意思をもってこの道を選んでいるのであるから 心配には及ばない。食わず嫌いは忌むべきことではないか。 そういうわけなので、一定以上の熱意をもって私に何かを薦める人募集。 人に薦めて自分のいるコミュニティを広げるよりも、 人から薦められてその人の属するコミュニティに分け入る方がずっと効率よく 楽しめるし、飽きもこないのである。 それにオレは人に物を薦めるのに向かない人種だ。 今まで人を何かにハメたことなんて数えるほどしかない。 というか、一つも思い出せんのだが。

2001年10月13日

ときメモ3開発秘話。こんなだったらヤだなあ。

やっぱり時代は式だ。2次元からポリゴンに行ったように、動きも式にしてしまえ。 職人と科学のマッチが新しいものを生み出すはずだ。今はまだ科学が足りない。

試しにURLデコードをCでやってみたが、妙にまわりくどい。 たぶんなにか大切なことに気づいていないのだろう。 ところでchar* foo="bar"とchar foo[]="bar"は扱いが違うことがわかった。 考えてみたら理にかなっている。バンバン勉強せねば。 こんな初歩で引っかかっている場合ではない。

2001年10月12日

ウソつきました。サンプルがダメになってて実験不能なので帰ってきました。 まあそれは行く直前にチェックした時にわかったことなんですけど。 加えてとても野宿を二日できる健康状態じゃないというのもあります。 さらにゲームショーの雰囲気というか人混みと広さに イヤ気がさしたというのもあります。 しかしどうせ月曜は先輩の案内をせねばならんので、 もし健康状態さえまともなら 自分の実験そっちのけで月曜まで遊び呆けていたでしょう。 土日で焦ってやっても失敗する公算大ですし、交通費無駄にかかりますし。 というわけで、土日かけてサンプル取り直し。失敗しても月曜行きます。 失敗してたら日帰りですが。それにしてもシスプリ公開録音が 見られないのが実に痛い。本気で。なお、電撃シスプリは3部ほどガメてきました。 もっと持ってくりゃよかったと後になって後悔してますが、 中身ほんとにどうでもいいです。正直私はいらないので、誰かにあげます。 なお二部は予約ずみなので、一部だけです。

で、内定懇親会。新しい場所に行くとみんなが 超人に見える。まあいつものことだ。 しかし、今度ばかりは根拠がないわけでもない。 だって、プログラマで入った人ってみんなすごそうな会話をしてるんだもん。 明らかに実用ソフトをちゃんと作れる人達だ。プログラマ歴20年とか言う人 までいた。これは死ぬ気でがんばってどうにか足をひっぱらんですむかどうか というところだろう。そう思うとやる気がでてきた。 自分が一番未熟で下っぱという理想的な環境が本当に待っているのだ。 ただ、その理想的な環境というのは見捨てられずかつ足を引っぱらない範囲での 話なので、そこまで行くために死ぬ気で修行せねばなるまい。とそう思ったら 帰りの電車の中で妙にハイになってしまって、カゼの症状なんてブっ飛んでしまった。 漫画のプロットも浮かぶ浮かぶ。 しかし帰りついてホっとしたら急激に体調が悪化した。物には限度がある。

ところで、同じ会社に一緒にプログラマで入る人は高校の先輩だった。 2年上か1年上か。マイ研だったそうだ。たぶんruinとかアホは知ってるんだろう。 さらに、セガのどっかに同じく高校の漫研の一年先輩がいることもわかった。 作曲をやってるらしい。そっちは良く知っている。 そういえばあのころから変なキーボードを持ってきていた。 まったくもって妙な縁である。

人間にできることはオレにもできる、と思うことにした。 そしてもう一つ。オレは何も捨てない。 襲ってくるタスクを全部片づけてやる。 オレは基本的に怠け者なので、下手に優先順位をつけて云々したりしようとすると 全部がいいかげんになってしまうのだ。 今までの人生で骨身にしみた。特にこの三年くらい。 だから全部本気で片づける。漫画も描くし、研究もするし、プログラムの勉強もする。 もちろん本も読むしギャルゲーもやる。拳法もやる。ヴァイオリンも弾く。 全部だ。思えば三回生くらいまでは けっこうそうやって生きていたのである。 ただ三回生までと違うのは、これ以上増やそうとはしないということだ。 物事には限度というものがあるだろうよ。

やっぱり、アレだ。先日のスパーリングが決定的だった。やったらできたじゃん。 あれだけダメそうな精神状態でも、覚悟が決まるとできるのだ。 今日もやるぞと思ったらカゼの症状がどうでもよくなって全力で自転車を 飛ばして帰ってこれた。その後こうしてダルいが、それはまあ問題ではない。 さて、このハイが卒業まで続いてくれればいいのだが。いや、続け。 とにかく、ダメだと思った瞬間にあの晴れ上がりがポーンと頭に浮かぶように なるまで念じ続けてやる。「やったらできる」と。

タスク1。ゲームショーの感想レポート。ゲロゲロゲロ。おしまい。

そういやときメモ3死ぬほどおもしろそうだった。 だって、人間がゾイドなんだもん。 明らかに3Dを無理矢理2Dに直してる。おかげでニョロニョロ動く。 もうちょっと元のモデリングが良くて、動きも自然で、 かつ2D化が自然だったらよかったんだろうが、あれでは…。 是非動いているのを見てほしい。ド肝を抜く。やりてー。

2001年10月11日

やっぱ肉はいいや。さて、思えばスパーリングでボコられたあの日以来 フロに入っていないのだった。いやその言い方は正確ではない。 スパーリングでボコられた日の前の前の日にフロに入って以来入っていないのだった。 というのも、スパーリングのおかげでそこら中にすり傷ができて しみるのがイヤで明日にしようと思ったからである。 しかし、その明日は月曜で一番近いフロ屋が休みであった。 仕方なく火曜に行こうと思ったのだが、アレクサンダーにかまけている間に 11時をまわってしまってやむを得ず水曜に行くことにしたのだ。 しかし、そこでカゼをひいたのである。そして、今日は木曜日だ。 出発の日だ。しかしカゼは一向に治らない。この状態でフロに行って悪化するのも イヤだが、今日行かなかったら次に行けるのは一体いつであろうか。 旅先で銭湯に行けばいいのだが、たいがい旅の間はフロに行くようなモードでは ないのが常なのである。しかし、さすがにスパーリング+カゼ寝込みの汗は強い。 フロには行かざるを得まい。だいたい内定式だというのに匂いがしたりしたら 大変なのである。よし、フロに行こう。それまで寝る。

思考の過程をまんま文章にしてみた。接続詞がなんかおかしいが、思いついたまま 書いたのだから仕方ない。画面がゆれて見えるくらい辛いのだが、 寝すぎて目は覚めているので何かしないと耐えられない。こういう時こそ 漫画のプロットを考えるべきか。

体温急上昇。この山を越えれば。しかし越えるのは早くて明日だ。 しくじった。金を惜しまず新幹線にしておけばよかったか。

フロってこんなに辛かったか。

ついに key新作発表。 なんかAIRと同じ匂い。にしてもオッサンとかオバサンにする気がハナっから ないのはもはや潔いと言ってもいいのか。 なお、オッサンが描けないということに関しては 絵のみならず文章もそうであるような気がする。

今日の夜出発します。かなり長い間帰ってきません。20日くらいでしょうか。 たぶん。

2001年10月10日

書いた後でまとめ直した結果段落番号がズレることがあります。 ごめんなさいです。 プラスマイナス一日の範囲で日が移動したり、 日が変わった後追記したりするかもしれません。 たとえば今CD聞いてます。まだ数枚あるので。

東京アンダーグラウンド。なんじゃこの曲ー。2ch。

カゼ悪化。明日出発するんだぞくそ。かくなる上はアンティ・バイオティク (抗生物質)で殲滅だ。医者行こ。

宮沢賢治「銀河鉄道の夜」。知らなかったのだが、これは未完成の作品だ。 ところどころ原稿が欠けている。しかしそんなことはいいのだ。 とにかくすごい。わけがわからないが、美しい。 繊細な感性と滿ち滿ちた優しさ。世界がこのように新鮮に映る感性は どのように育ったのだろうか。 内容がどうだこうだ考えるのがどうでもよくなるような圧倒的な世界観だ。 結局なんだったのかと言われるとまったくよくわからないのだが、 なんとなくそんな感じでそれ、という感じ以上のものを求める気にならない。

アレクサンドロス本二冊をてきとうに拾い読み。やはり東征記で だいたいは尽くされている。註釈で他の資料とのつきあわせについても書かれていて 十分詳しいのでそれだけで事足りる。 というわけでアレクサンドロス関係はこれでおしまいとする。 また別のおもしろいネタを探さなくては。

ハピレスラジオ…。ダメだ、シスプリじゃ勝てねえ…。バカ話してバカ笑いしてる というのは一緒だが、しゃべる内容が圧倒的におもしろい。 片割れ(桑谷夏子)がああも普通では抗し難いし 頼みのもっちー(望月久代)もあまりに未熟すぎる。 とりあえずちゃんとしゃべれるようになってくれ。 そもそも考えたら水樹奈々が食われてない段階でシスプリの方が圧倒的に場が 弱いのは間違いないのだ。もっちーでも勝てまい。 ラジオドラマおもしれえよ。そしてポエム。 笑いこらえながら読む様がおもしろすぎる。

ふと思い出したんだが、 三条河原町あたりにマダガスカルオオコウオリを見せ物にしている店がある。 すごいかっこいい。黒いし。顔は熊だし。羽はプラスチックくさいし。 指強そうだし。悪魔の元ネタになるのも無理はない。

2001年10月9日

いつものことだが停電が復旧しない。正確に言うと、 復旧しているのにマシンが動いていない。うちの上流のルータ のどれかの電源が入っていないのだろう。 管理者に直訴してやろうかと思ったこともあったが あと半年だしいいや。なお関係ないが、 停電準備の時にサバのコンセントを抜かれた。 コンセントを抜かれた無停電装置に意味はあるのでしょうか。

アレクサンドロス東征記は1800円の8時間程度でこれだけおもしろかった。 読書の良さだ。ゲーム(ギャルゲーは入らない) などやっているヒマはないと言うつもりはないが、 この楽しみに味をしめた今となっては もはやRPGやシミュレーションの類をやる気にならないのも 無理からぬことだ。「人生はヒマつぶし」というのも一つの真実だろうが、 それはもっと多くを知ってから至る真実であるように思われる。

カゼ。そんな季節だ。うがいを徹底しよう。筋肉痛とダブルパンチ。 こういう時は運動をしてバカ食いし、倒れるように寝るのが良い。

11日夜出発。12日は内定式でゲームショー。13日もアレでゲームショー。 ということは12日はあのあたりで夜を明かすのが良い。 懐しい土地だ。昔住んでいたあたりを徘徊して感傷にひたるとしよう。

なんかで苛立つことは多い。 それからしばらくはどうにかその苛立ちを理屈にして うまいこと文章にまとめてやろうと思いはするのだが、 反撃されないように整備する過程で文章量がバンバン増えて 何を言いたいのかがわかりにくくなってくる。 そのころにはだんだん面倒になってくるので、「他人の考えを尊重しよう」 とか「人のこと言う前に自分はどうか考えよ」 とかいうお題目を取り出してきては自分を説得し、最後には何もなかったことに してしまうのである。場合によってはそれでも苛立ちがおさまらないこともあるが、 その時にはそのような苛立ちが起こるしくみについて考えることで 意識を逸らすのが常だ。こういうことを繰り返していると、 だんだん苛立ち発生から収束までの時間が短くなってくるのがおもしろい。 つまり「いいや別に」と思うのが早くなるのである。 ところで、この文章もそうやって意識を逸らした結果だ。 だが、やはり文章にすると元の苛立ちまで増幅してくる。失敗。

他人にできることは自分にもできよう。 自分にできることは他人にもできよう。 この二つは両方とも必要だが、前者の方がずっと大切だ。特に若いうちは。

借りたCD

  ニャから借りたCDの感想。一見よくわからんラインナップだが、 ある意味とてもわかりやすい。

ZARD 「〜軌跡〜」
まともな曲だが普通。流行りの変な発音でもなくきれいな声でいいが普通。 なお一曲だけえらく下手なオッサンが一緒に歌っていて何かと思った。
simon and garfunkel 「bridge over troubled water」
名曲ぞろい。このオレが知っているほどに。 自然体な歌声が心地良い。そして存在感あふれるメロディ。
Amorphis 「tales from the thousand lakes」
メロディック・デスというジャンルらしい。きれいでちょっとエスニック なメロディなのだが、楽器はギャリギャリ言うあれで、そして歌声はもう すごい変な声。歌声と言うよりバケモノのうめき。しかし、なんかこれはこれで 妙に心地良い。かっこいいじゃないか。
NIRVANA 「nevermind」
これ、清水んちでえんえんかかってた奴だ。清水んちでかかってたということは ハードロックというものなのだろうが、うわさほど耳障りでもない。 メロディはきれいだし、歌声もちと強いがまともな声だ。 中には普通にギターできれいなハーモニーの曲もあり、 そういうのはギャリギャリ言わない。上のAmorphisもそうだが、 そんなにハードロックというのは迫害されているのだろうか。 迫害する理由などまるでないように思う。 ギャリギャリ言うのは上のZardだって一緒だし、メロディの文法だってそう変わる わけではない。歌詞がわからないので本当に味わっているかと言われると怪しいが。
Queen 「At night at the opera」
いきなりかっこいいなこれ。クロマティ高校のフレディのモデルが歌ってる奴 としか知らなかったが、かなりいい。 全般にこういう向こうの音楽は今の流行歌にはびこった 定式化された進行をしないのがいい。CD1枚全部通して一つの曲と聞いたが、 確かにそういう展開だ。
Queen 「News of the world」
知ってる、知ってるよこれ。ムチャクチャ有名じゃないか。 ところで、ジョジョのスタンド名の元ネタ「シアー・ハート・アタック」。
倉木麻衣「delicious way」
ずいぶん整った顔をした人だ。そもそもこれ何歳なんだろう。 で、それはいいとして曲だが、いまひとつのっぺりして印象が薄い。 普通。歌もうまいにはうまいのだろうが、強さが弱い。 ところで思ったのだが、歌詞を聞いてもなんの感慨もないのは オレが恋愛したことがないからで、男女関係でいろいろある人は もっといろいろ感じ入るところがあるものなのか。 にしても歌詞が聞きとりにくい。聞こうとせんでも勝手に聞こえてくる、 というより耳にねじこんでくる中島みゆきとはえらい違いだ。 オレは基本的に勝手に入ってこない歌詞は外国語と同等のものとしてみなす。 つまり、評価外あるいは楽器の一種。
オーメンのサントラ
好きだなあ。でそれはいいとして、BGMとしてかっこいい。
エクソシストのサントラ
いきなり飛ばしている。イラク。映画の印象はもう残ってないのだが。 にしても、こういう映画のサントラは見てよく覚えてるもんじゃないと あんまり意味がない。BGMとして作ったものは単体観賞にはどうしても向かないからだ。 映画のいろいろを思い出しながら、というところに第一の意味がある。 しかしそれはそれとして、この曲は明らかにおかしい。 相当に実験的な試みがなされている。
フェイ・ウォン「菲賣品」
中国っぽい美人。まあ顔はともかくとして、えらいきれいというかかわいい声。 妙な色っぽさが人気の原因なのだろう。 曲は変さはないがまともにちゃんといい曲。妙に奇をてらった伴奏がたまに 耳障りだが、打楽器に慣れた現代人にはそうおかしくは聞こえないのだろう。 ところで、どうもオレはこういうきれいな声の女の人が歌うものを 愛でる感性がないらしい。特に恋愛歌。ないと思ったらなくなるのだが、 とりあえず今の時点ではあまりないのは事実だ。zardも「そういうもの」として 整理されてしまった。

アレクサンドロス東征記

  アッリアノス著「アレクサンドロス大王東征記」(岩波文庫、青)。まださわりだけだが ムチャクチャおもしろい。脳内であのデザインに変換されるとか言うこと はもちろんあるが、これに関しては正直そんなことはどうでもいいのだ。 あのアニメとは無関係におもしろいのである。 まず戦略・戦術がおもしろい。退却する敵軍に食いついて 門を閉じさせず町ごと殲滅とか、夜にこっそり少数で河を渡って奇襲とか、 戦争物でお馴染みの戦法が次から次へと出てくる。ファランクスや騎兵の使い方が 当時は革命的であったであろうことがよくわかる丁寧な描写だ。 補給や戦利品の扱いなどの細いことも詳しく、その時代がどのような時代だったの かもほのかに感じさせてくれる。 今のところ人柄の描写はほとんどないが、 ないからこそこちらは余計にそれを感じようとして敏感になるということも あるのであって、その結果余計におもしろくなるのである。 ちと分厚いものの文章は自然なので普通に読めるだろう。 おすすめである。

  アレクサンドロス一巻終わり (文庫では2冊だが、元々は7巻から成っていた。 一巻あたりだいたい文庫では80ページ)。 ゴルディオン(現トルコのアンカラの南西100キロ)へ侵攻する直前まで。 本当にアレクサンドロスの男っぷりにはほれぼれする。敵であっても 勇敢な者には敬意を表し、無用な殺戮を避けようとする。 しかしそれが戦略・戦術上の判断を鈍らせることはない。 取るに足らぬエピソード一つ一つの生き生きとしたことといったらもう。 そしてもちろん戦略・戦術のおもしろさも相当なものだ。 強力なペルシャ海軍と直接当たることはせず、 あくまで陸上から港となる都市を攻略して海軍を無力化するという戦略を取るあたり もおもしろい。なおこの本に関して一つ辛いのは、 同じ名前の人がたくさんいるので注意しないと混乱するということだ。 クレイトスが敵にいたりとか、アレクサンドロスにもう息子がいたりとか、 プトレマイオスが死んだりとか、そういうことが多すぎる。 ほとんど説明がないのでよくよく注意する必要がある。 あと、この本は即位したところから話が始まっているので、 即位前の出来事や友人関係などについてはわからない。 それについては前にここで紹介した「アレクサンドロス大王物語」から 推測するしかないだろう。というわけでこれを読み終わったらあっちも最後まで 読んでみることにする。

  こんな漫画描きてえ。読むのでもいい。というか、ないのか。 こんなメジャーな戦記でこれだけ出来がよくかつムチャクチャでおもしろい物 なら誰かが漫画にしていそうなものである。 だがやはりそれよりもオレは自分でやりたい。 もうオレの中にはあのアニメとは全く違う世界とアレクサンダー像が 出来上がりつつある。どこかの小さなエピソードでも描いてみようか。

  アレクサンダー2巻。ペルシャとの対決における第一の山場であるイッソス。 そしてエジプト遠征の第一段階でありかつ苛烈を極めた攻城戦であり かつ同時に海戦でもあるテュロス。 さらにはガザ。名場面まみれである。 例えばガザ戦でのことだ。戦いを前にして占い師が 「戦いには勝つでしょう。しかし御身にお気をつけください」 と言った。最初のうちはアレクサンダーもそれを気にして 身を守ろうと警戒はしていたのだが、戦いは厳しく味方は 苦戦を強いられている。結局それをただ見てはいられず 自ら救援隊を率いて前線に出ていき、 その結果負傷してしまった。 しかし、彼はむしろ占いが真実だったことを喜んだのである。 それ脚色だろと思いつつも、かっこよすぎる。 ダレイオスの「ユーフラテス河より西はやるから和平しようぜ」という提案にも、 「そこで我慢してやる理由なんざまるでない。 下につくと言うなら暖かく迎えてやるが、 それがイヤならせいぜい戦の準備でもしておきな」と容赦ない。 本当にとんでもない奴がいたのだな。

  アレクサンドロス東征記4巻まで。3巻ではガウガメラでダレイウス3世を破って ペルシャを滅亡させ、4巻ではさらに進んで北の山岳地帯を征服している。 しかし、次第にアレクサンドロスにも暗い影が下りてきた。 最大の功労者たるピロタスの反乱騒ぎと処刑、その父パルメニオンの暗殺、 そして思い上がったアレクサンドロスを罵しったクレイトスの処刑、 ペルシャ式の礼を義務づけようとしたことに対して反対した アリストテレスの甥カリステネスの処刑。侵攻も雪と氷に閉ざされた 山岳地帯を攻めるともなればそう簡単にはいかず、次第に苦戦も強いられるし 負けもする。兵士の間に広がるホームシック。支配地域で頻発する反乱。 そしてアレクサンドロスにたかる権力の亡者達。 一体どうなってしまうのかアレクサンドロス。でもそんなになっても まだまだ強いマケドニア軍。

  これ、間違いなく銀英伝の元ネタの一つだ。思いあたるシーンが多すぎる。 ひょっとして、戦争物とか英雄物書く人はみんなこれ読んでるんじゃないのか。 定番のネタ、展開、キャラ、セリフがバンバン出てくる。 ある意味もう手垢がつきすぎてて使い物にならない。

  ところで、当たり前のことだがこれはキリストより前の話だ。 しかし、全然古代くさくない。戦争の仕方といい、考え方といい、規模といい、 今の人間とそれほど違うものがあるとは思えないのだ。 アレでアリストテレスが「だがなアレクサンダー、所詮それらはバルバロイの土地。 真の意味での国家とは言えん」とか野沢那智の声で言っていたが、 本当にすごいよギリシャ。そしてバルバロイ(この本での訳語は「夷狄」) 扱いされるペルシャにしたところでやっぱり古代くさくない。 しかし結局そのころはかやの外だったゲルマンやらアングロサクソンやらが 一気に追い抜いて今覇権を握っているのだからわからないものである。 そいつらを西洋人と呼ぶのならばたぶんギリシャ人は西洋人ではないのだ。 イタリア人はまあ半分西洋人というところか。

  アレクサンドロス東征記5巻。ついにインドのポロスを破ってインダス河流域を 手にしたが、ついに兵士達はこれ以上の前進を拒むようになった。 怒るアレクサンドロス。しかし数々の忠臣でありかつ友人である者達の 説得の末、一つの儀式を行い進むべきか退くべきかを神に問う。 それが彼が自分に撤退を納得させることができる唯一の手段だったのだろう。 というわけで、まだまだおもしろい。ションボリ具合がたまらないではないか。 そしてアレクサンドロスの男っぷりも。なお、この征服行がこのような速度で 進んだのはマケドニア軍の強さのおかげであり、主力は最後までマケドニア軍だった という。新しく獲得した土地の兵を中枢に組みこむほどの時間はなく、 ただひたすらヘタイロイ(元々友人を意味する言葉で、事実上マケドニア人兵のこと) が先陣に立って進んできたのである。そりゃ挫けるだろ。 しかしここまででも十分すぎるほどすごすぎる。考えてもみろ。 ギリシャのああいう顔をした白人達が何を間違ったかトルコの 褐色の人々と戦争をし、エジプトの黒い人々と戦争をし、 さらには何を間違ったかパキスタンやらネパールの北の方の騎馬民族と戦争をし、 あげくの果てあのインド人とまで戦争をしたのである。ムチャクチャだ。 例のアニメの11話あたりはおいおいそりゃねえだろと思うくらい いろんな所で戦っていたのだが、あながちウソでもない。 それまで砂漠で戦ってた奴等がなんで雪山で戦ってるんじゃと思うが、 実際行ったんだから仕方ないのである。すげえ。

  アレクサンドロス東征記6巻。海岸沿いを進んでバビュロンに凱旋するあたり。 行きがけの駄賃にまだ恭順していない部族を征服しながらの行軍だ。 すでに先へ進むとは言い難い状況ながら、海岸線がどのようになっているのか、 どのような土地なのかについて強い探究心を示していたあたりやはり アレクサンドロスである。途中の戦いにおいて彼自ら城壁のてっぺんに 一番乗りしたが梯子の故障で味方がついてこられず敵中に孤立したという シーンもある。瀕死の重症を負いながらも防戦し、どうにか味方が駆けつけるまで 生き延びた。大将のすることではないが、安全なところで指揮をしているだけの 王では断じてなかったということだ。後にマケドニア兵が不平を述べた時にも 「おまえらの中でオレより危険をかいくぐったという奴は前に出ろ。 裸になって見せてやる。オレの体で傷跡のない場所などないぞ」 などと言うほどだ。さすがにこれは言いすぎで気性が荒くなっていたことを 示すエピソードだが、それもまたかっこよさであろう。

  アレクサンドロス東征記7巻。完結。 キルヒアイス、でなかったヘパイスティオンの死。 アレクサンドロスは三日三晩何も食わず遺体の側を離れなかったと言う。 最後は謎の熱病で、毒殺とも噂される。特にアリストテレスが甥の カッリステネスを殺された恨みのために糸をひいていたのではないかという 話もあるそうだ。 死に臨んで「後継者をどうしますか」という質問に 「最も強い男だ」と答えたと言う話で、田中芳樹パクリすぎ。 というか、銀英伝ってこれのオマージュだろう。 まあそれはともかく問答無用でおもしろかった。最後にインド誌がついているが、 インチキインド話なのでまあいいや。そうは言っても後半は体験談を 編集したものだけあってリアルくさい ので当時のことが知れておもしろいにはおもしろい。

2001年10月8日

まさひろがやってるシスプリサークル「イノヴェルチ」のサイトに 私も参加させて頂いたシスプリコピー本が掲載されています。宣伝のお手伝い。 ところで関係ないですが、どうも アレルゲンを思い出して感慨深いものがあります。 次の企画でまた会いましょうと記してあの企画を終えてからもう一年以上に なるのですね。 その言葉をウソでないものにすることが今からでもできるでしょうか。 あの時の愚かさを抜きにして あの時のやる気と熱狂を取り戻すことはできるでしょうか。 残された半年足らずの時間をその方法を模索する期間にしようと思っています。

キワモノC3体験とその他

  コンピュータを欲しがっていたうにに部品を売り払い、 C3(733MHz)とSiS630マザ(ASUS CUSI-FX)を買ってきた。メモリも一緒に買ったが、 512MB一枚が256MB2枚よりも高いのを見ておじけづき、 結局256MBを一枚だけ買ってきた。今一つ論理展開が謎である。 電源ユニット内のファンも止めてしまい、 回っているのはハードディスクだけ。2台起動していても ハードディスクの回転音が2台分になるだけであり、圧倒的に静かだ。 箱も小さくなった。遅くなったがまあ仕方あるまい。

  733MHzでは熱暴走らしき現象が起こる。思ったよりも熱が出るのが謎だ。 データシートを信じるならばK6-2の250MHzの方がよほど危ないはずなのに。 やむを得ず、とりあえず100x5.5でインストールを行う。

  windows上でBIOSを書き換えられることがわかり、早速 試してみた。勝手にモデルに合ったものをダウンロード してくれるので楽である。しかし倍率設定できるようにはならなかった。 ともかく733でしばらく回してみて温度の推移を見てみることにする。 まあダメでもezraがまともに出回るまでこれで我慢すればいいだけのことだ。 あの轟音がしないことを思えば多少のことなど我慢のうちに入らない。

  CPUがどうのこうの言えるのはメモリに入り切ってるうちだけだ。 メモリからあふれたらハードディスクが圧倒的に遅いために CPUのせいにはできなくなる。ファイルを開くのが遅くなったような気が したのだが、ただあふれていただけだった。 C3にしても実用上の問題が起こるということはあまりなさそうである。 さて、せっかくなので実験をしてみることにした。試しにそういうデカいファイル (A4:600dpi:グレイスケール:レイヤ5枚。推定一枚あたり34×5で170MB)を 4枚ほどいっぺんに開いてみる。 すると2枚目の途中で急激に開けるのが遅くなる。2枚目からあふれ出したのだろう。 メモリ使用量は250MBで安定。75%の設定になっているのでそのせいだ。 タスクマネージャで見るとphotoshopの使用量が一回ドカンと大きくなった後 減っているので返してるのかなと思ったりするのだが、 しかし総使用メモリ量は250MBのままなので何かがおかしい。 タスクマネージャのプロセス表のメモリ欄を全部足しても250MBにならないのだ。 また、ハードディスクの 空きは開く前2.73GBあったのが1.79GBになった。開けただけでギガ近くの 一時ファイルができているということになる。次にフィルタを一発かけてみた。 茶をわかせそうなくらい遅いが、ハードディスクにアクセスしっぱなしなのでCPUが 遅いとは言えない。ハードディスク容量が10メガくらい減った。 アンドゥしてみたが、変化はない。さらに鉛筆ツールで落書きしてみたところ、 また10MBくらい減った。アンドゥしてみたが変化はない。 次にファイルを一枚閉じてみた。が、メモリ、ハードディスクともに変化がない。 ということは、ひょっとしてメモリどころかハードディスクも使う一方なのか。 まるで返さないのか。いらなくなった部分も消さないのか。アンドゥもできないのに えんえんたまっていく一方だということになる。

  ということは、漫画を描く時に複数ページを次から次へと処理して いくのは正気の沙汰ではないということか。ワク、フキダシ、主線等々 のレイヤに分けるのが楽であることを思えば1ページあたり 5レイヤはできてしまう。B5原稿で内ワクギリギリに切りつめたとしても 1レイヤで18MB。1ページあたり90MBだ。4ページいっぺんにやろうとすれば メモリが360MB必要になる。 いやメモリは一定量以上食わないからまだかわいいものだが、 ハードディスクは無限に食われてゆくのだからタチが悪い。 そういえばメモリが足りなくて保存できませんとか言われてどうしようもなくなった ことがあったが、あれはメモリでなくてハードディスクだったのだろうか。 さて、結局どうしよう。ある程度枚数あったら生身しかないな。 色付きの絵を描くとか、4ページ以内の時だけにしよう。 というか、色付きを描けねばな。

  いつかそういう用途に特化した絵ソフトを作りたいものだが、 むつかしいんだろうなあ。少なくとも趣味でポンと作ってタダでバラまけるような ものではない気がする。

  FSB133×5.5の733MHzでCPUを100%駆動させていると 温度が1分経たないうちに75度を超える。放っておいたら焼けそうだ。 というわけで、FSB115MHz、メモリ153MHzというヤバそうな設定に挑戦してみる。 起動はしたが即死。やっぱオーバークロックはやめよう。 とかいいつつFSB110MHz、メモリ147MHzに挑戦。 フォトショップにA4で600dpiでグレイスケールの絵の 極座標変換をやらせてみた。温度は終了直前で73度。 100×5.5では71度。あんまり変わらない気がするが 133では明らかに死ぬわけで、その間に限界点があるのは間違いないし、 そのあたりの1度はけっこう重い1度であるような気がする。 なお、極座標変換にかかる時間はFSB100の550MHzで156秒。 FSB110MHzの605MHzで140秒。だいたい1割違うわけで、確かにクロック比だ。 次にメモリだけ速いことに意味があるか試してみた。 前まではメモリクロック=FSB×1.33だったが、今度は同じく100にしてみる。 すると、150秒。こっちの方が速いじゃないか。どういうことだ。気の迷い である可能性があるので、FSBを110にしてもう一度やってみる。と思ったが 112しかなかった。まあよかろう。で、こっちは140秒。やっぱり速い。 調子にのって120MHz。温度が76度まで上がって恐かったが、130秒。 だいぶ速い。が、終了時に怪しいエラーが出たのでこれはダメ。とりあえず、 メモリだけ133MHzとか言うのは、少なくともこういう作業に対してはまるで意味が なかったことになる。 ではメインメモリに間借りしているビデオメモリはどうか。 例のHDBENCHを使ってみる。 他の機械と比べる気はないので数字の意味なんてどうでもいい。 いつも使っている800x600の32ビットでやってみた。 すると、こっちは確かに速くなる。DirectDrawのテストが 112:112では15だったのが110:147では20になるのだ。

  結論。大人しくFSB100のメモリ133。ezraが出回るのを首を長くして待とう。

  DVDがやけにコマ落ちするので焦ったが、なんのことはない。 ドライブがPIOモードになっていただけだ。 DMAモードにしたら100x5.5=550MHzでも見られないほどではない程度には再生できる。 100x7.5=750MHzまで上げればコマ落ちを無視できないということもない程度 にはなる。おそらく133x6.5=800MHzで動けば完璧だろうから、 ezraに差し換えさえすれば全ての問題が解決することはほぼ確実となった。 なお、倍率はH.oda氏のサイト で提供されているツールで起動後に変えることができる。 なお、今は600MHz以上でのファンレス運用は危険なので、 応急処置としてヒートシンクの横に ケース用のファンをぶら下げておいている。ほとんど音はないが、 あんまりにも不格好なので早くどうにかしたい。 ところでハードディスクがやけに遅いと思ったら、ドライブ本体がDMA非対応だった。 フォトショップがスワップし始めるとそれはもう悲惨だ。

2001年10月7日

これが武術家かと改めて思った。あの迫力の前では 何もかもがチンケなものになる。委員長を慰めるアレではないが、 本当にチンケだ。やはり道場に行くと鬱どころではなくなる。

こーへーとションボリ会話。 最近これが実に多いのだが、だんだん切羽つまってきて 前向き度が上がってきている。今回は大部前向き風味。 というわけで誰かここに引越せ。2部屋空いてるぞ。 なお、今現在大家の息子以外の住人はオレとこーへーだけで、 つまり漫研独占状態。

向いてる向いてないとか、できるできないとか、 そんなことは気分の問題であって本質ではないのです。 がんばったらがんばっただけどうにかなるのであって、 そのどうにかなった状況を価値あるものとみなすかショボイものとみなすかも つまりは気分の問題であって本質ではないのです。 であれば縁あってこの道に関わった以上がんばらないよりは がんばった方がマシなのであって、つまりがんばる以外には論理的に 結論は出てこないのです。この先何回でもまたブルーになるのでしょうが、 それはともかくがんばるとがんばるだけうまくなります。ブルーもハイも 気分にすぎませんが、得たスキルは実体なのです。

という理屈でがんばることにした。こんな理屈で本当にがんばれると思うほど 楽天的ではないが、少なくとも今このように思ったということにはそれなりの 意味があるし、もしブルーな時にこれを思い出して本当にがんばれてしまった りしたらめっけもんである。

交流スパーリング大会。上でえらそうな事を言った直後でありながら 一回目は神経が寝ていてボコられた。妙に視界が霞がかったような感じで、 体も動かなかったので、当然のことだ。 それでほとんど戦意喪失負け犬状態だったのだが、 先生に「もう一回やれ」と言われて覚悟を決めたら 急に体が動くようになった。ちょっと飛ばしすぎてスタミナが切れてしまった ので勝負には負けたが、しかしまあどうでもいいことである。 最後までほとんど集中力は途切れなかったし、相手の攻撃も良く見えた。 やっぱりやる気になったらできるのだ。どんなに鬱でも、やらなければならない 状態に追い込まれれば鬱どころではなくなる。 それこそできるできないの問題ではない。 上で書いたことを殴り合いというオレに最も向いていない部類に入る ことで実証できたのはとても大きな喜びだった。やればできるのだという 確信さえあるならば、 後は抜き差しならぬ状態に自分を追い込みさえすればいい。

ところで、やはり圧倒的にオレに足りないのは速度だ。速度の源は 足腰と腰背の強さだが、どちらもまだまだ弱い。 それらが弱いから安定せず、結果連打が遅くなり、 エネルギー消費量も増えるのである。 一息で5発パンチを打てるだけの肉体を作らねば上へは行けそうにない。 エンジンの回転数を上げるべく練習をしよう。

ジオシティーが大変なことに

8日は朝から夜まで研究室が停電しますので、 掲示板とアクセス解析が使えません。

危うく忘れるところだったが、シスプリラジオ。一言で言うとかしましい時間。 芸も何もあったものではないが、もともと求めていないので別にいい。 そしてなにより望月久代は思った通り地くさかった。 マジで舌が回ってない。古山きみこ先生と違ってまともな範囲でかわいい声なので、 演技もクソもなくアレでも特に気にはならない。 古山きみこ先生がある意味格の違うお方なのだという証拠ではあるのだが、 あの声プラスあの調子でしゃべる人が身近にいたらと思うと微妙なので 聞いていて普通に気持ちいいのはやはり望月久代の方かなと思ったりもする。 いや、どっちでもおもしろいので問題なしというかむしろそういう奴誰か身近に来い という感じだが。 なお残りの3人は最初区別がつかなかったが、 次第に小林由美子の声の周波数組成がわかってきて聞き分けられるようになった。 やはりそこそこ特徴のある声である。 しかし、普通にしゃべっている分には普通にきれいな声である 桑谷夏子と水樹奈々の区別が未だにはっきりとはつかないので、 そこは要修行といったところであろう。それと内容に関してだが、 4人いたおかげでただバカ笑いしているだけでも間がもったので安心した。 基本的には2人ということなので大変なことにならないことを祈るのみなのではあるが、 大変なことになった方がおもしろいのは言うまでもない。で、まあそれはいいのだ。 問題は13日に幕張メッセで公開録音をやるという話なのである。 12日には内定式関連で幕張メッセに行くわけだが実験は15からなので、 つまり13と14はあいているのだ。もはや行かざるを得まい。 公開録音などという世にもおもしろそうなものを見られる機会がありながら 面倒だからという理由だけで行かなかったとあってはまさに名折れであろう。 動いている望月久代を拝んでくる貴重な機会である。

目を向けることも忌しいと思っていたはずの文化に易々と踏みこんで行ける 今の状態を、オレは誇りに、そしてやはり不安に思う。成長と言うのがはばかられる にしても変化してきたのは確かであり、おおかたにおいて変化は、 特に自らの意思でもって選びとった変化は 歓迎すべきものだとオレは思うのである。しかし、やはりその変化の種類に 何か問題があるのではないかという本能的な不安は拭い去れない。 もしかしてオレはもうずいぶんと遠くへ来てしまったのではないのか。 オレの変化にとまどう身内も多く出ているのかもしれないと 最近はとみに思う。しかし、見方によっては何も変わっちゃいないんだがな。 この日記の文体とか見りゃ一目瞭然だ。精神修養としてのシスプリという考え方 をオレは大真面目に提唱したい。

学生でなくなるとまるで関係ない分野の専門書に触れる手段がなくなってしまう。 いきなり外科手術とか音響工学とかの本を読もうと思ってもデカい大学の 図書館を使う権利がなければどうにもなるまい。悲しいことである。 ますます今のうちにいろいろ勉強しておかねばならないなと思うのだ。

2001年10月6日

いざスキャンしてトドメを刺そうとしたら、困ったことに ハードディスクがまるで空いていない。ギガくらいは空いてないと あのソフトはロクに動かないのだ。もう容量に怯えて暮らす生活はイヤだ。 そのうち巨大なハードディスク買ってやる。

windos98死亡。謎のファイルがそこら中に増植して ハードディスクの空き容量が瞬時に0になる謎の現象に見舞われ、 もはやどうしようもない。windowsディレクトリ消去。 windows2000を起動して作業を進める。スキャンした後だったので ドライバを入れなくて済んだ。

作業ミス。スキャンし直し。スキャナドライバインストール。 今スキャン待ち。そう、久しぶりにやることは必ず失敗するのである。 ここまでハデにいろんな要因が重なったのは久しぶりだが。 あ、ハードディスクが一杯でこれすらセーブできない。 なんか消さなきゃ。もうイヤだー全てがイヤだー。

どうにか読める状態にした。この環境でこれ以上電気作業をするのは無理なので、 印刷した奴にいろいろ描きこむというかなり間違ったことをせざるを得ない。 実はこれもいつものことなんだが。 とおもったら、プリンタドライバねえ。入れなきゃ。くそーくそーくそー。 あと30分くらいで限界か。

終わった。

なるほどこれが噂のnimdaか。たまたまIEを使ってみようなんて気になったのが 運のツキだったのだろう。 いつものルートから外れたところを見た覚えはなかったのだが。

精神というソフトウェアはその成り立ちから作用まで徹底して 肉体というハードウェアに依存している。 仮に脳ミソだけ取り出してどうにか生かせたとしても、もはや感情はあるまい。 快楽の追求と不快の忌避が感情の根本であり、つまり結局は精神の根本だ。 そうでなければこのように理不尽なブルー状態は説明できないではないか。 思考の内容とそれがもたらす気分は本質的には無関係なのだろう。 マイナス思考が必ずしもブルーをもたらすとは言えず、 プラス思考が必ずしもハイをもたらすとは言えない。 Sense Offの慧子シナリオは別にそういうところが問題ではないのでいいのだが、 しかしおそらくあり得まい。

人間の演算能力と、社会というものの規模と、言葉という伝達手段の限界。 この3つによって人間には決して逃れられない呪いがかけられている。 社会から教えられることが互いに矛盾している時、 人は葛藤せざるを得ない。そして、 その葛藤はその人自身の責任ではないのだ。 まさに呪いという他ないではないか。 全ての掟の根本は「社会的にうまく生きよ」であったはずだが、 しかしそれは具体化の過程でさまざまに分岐して、 その末に互いに矛盾を引き起こす。具体化は言語化によって行われるが、 その過程で著しく情報が落ちるからだ。学べという一方で学ぶなと言い、 信じろという一方で疑えと言う。 もし今の言語以上の通信手段が開発されて人類に根づいたとしたら 人類はいくらかこの呪いから解放されることだろう。しかし、その時には 人類は今あるような人類ではあるまい。 例えばもし人が互いに1ギガビット毎秒で通信できたとしたら世界は全く違ったもの になるはずである。富野のニュータイプはそのような発想から出てきたものなのかも しれないなどと思ったりもする。マルチを作るという試みはそのような性能を持った 人類がいかなるものなのかを知るヒントになるのではなかろうか。

下の文章でみスを完了。あとはwindowsどうにかして、 例の歌批評企画を明日あたり片づけて、 ついでに炎多留一回やって、 風車小屋のプロット書いて、RNAのチェックして、アンケートCGI作って。 積んでるタスクはそんなもんだろう。

おもしろいくらい何考えてもブルーだ。すげえ。思考の内容と気分が独立だと 仮定すると、つまり何をやっても無駄で肉体的環境を変えるしかない。 つまり、食ったり寝たり暴れたりするのが一番だ。精神なんざ肉体の奴隷。 にしてもブルー癖がついてるのをなんとかせねばならん。 変な蹴りのフォームが身についてしまって膝を痛めやすい、 というのとたぶん同じ次元のことなので、フォームを直せばいいわけだ。 さて、何をどうすればいいのだろうか。なお、こうやって考えるフィールドを限定 して知性ゲームをしている間はブルーの影響はあまり受けない。

ウィルスの置きみやげ(*.eml)を消したらだいぶ空いた。 2000の方は感染していないようで一安心だ。 ところでウィルス対策パッチが12メガ。デケエ。

鈴凛は好きかね、という質問はある意味 ソのシャープは好きかね、という質問と同じくらい意味がない。 みスをで言っていたのと同じことだが。

うおお。samba経由でFreeBSDサバの方にまでウィルスの置きみやげが。 これのせいか昨日日記すら保存できなくなったのは。気づけよ。 やっぱりwindowsからホームディレクトリ見えるようにしとくのはやめよう。 怖すぎる。便利なんだが、こういうことがあるとたまらん。

みスを話-悠歌さん(18:18改訂)

  言うまでもないがかなりすごくネタバレ。

  一番しっくり来なかった悠歌シナリオのテーマについて考えてみよう。 まず、どうも絶対の前提として「人はわかり合えない」というのがある。 しかし、どうにも「わかってしまう気がすることがある」。 そして、それがつまらないことだと悠歌は言う。 とこのように整理すれば論理はわかるが、実感がまるで来ない。 まさに主人公と同じである。 とりあえずいかにして実感を得るかを考える前に オレが何故実感できないかを考えてみた。

  まず、間違いなく言えるのはオレはあれでオールドタイプ扱いされていた 脳天気な人類だということである。 人のことがわかった気がすればうれしい。人にわかってもらえた気がすればうれしい。 社会は不確定性が減少することを快楽と思うように人を教育するので、 これは当然のことである。オレはその影響をモロに受けているため、 そもそも人のことがわからん方がいいなんて発想自体が出てこない。 人なんてわからん方がおもしろい、と言うためには「社会においてうまく生きてゆく」 というたいがいの人間にとっての至上命題から外れた別の価値観を持たねばならない。

  しかし、実は問題はそんな理屈くさいことではない気がする。 悠歌がそう思うようになった原因の一つとして語られる エピソードでケガした自分に友達が共感する奴がある。 とりあえず「人はわかり合えない」という前提を認めるとしたとき、 自分がケガしたわけでもないのに泣くのはおかしい。このおかしいは 理論的なおかしいでなく、感情的なおかしいだ。違和感と言ってもいい。 不幸な時に過剰に共感されると腹が立つものだが、つまりそれだ。 別にてめえは痛くないだろ、と思うと妙に腹が立つし覚めてもくる。 この感覚が延長されて人付き合い全てに対しての感覚になったとすれば 確かにわからんでもないのである。こういう感覚があるのは つまり頭の根っこのところで 「人はどうせわかり合わない」と思っていることを意味している。 それが痛みとかの肉体感覚から抽象的な概念に至るまでのどの範囲で どの程度思っているかは人によって違うが、たいがいの人はそういう感覚が あるだろうと思う。 別に共感されて実害があることはあまりないし、他人に共感するのは普通快楽なので つまり何が悪いわけでもないのだが、しかしそれを「わかった気になってるだけ」 と思ってしまうともう肯定できない。

  しかし、そんな偽善に対する嫌悪感が全てであろうか。 それすら何かもっと根本的なものから来る産物にすぎないのではないか。 わかっちまったらつまらないというのは理屈としてまっとうだが、 それをもって「わからない方がいい」などと言うためには相当な 何かがなければならない。表現の一つとして「わかったらつまらない。もっとドキドキ したい」と言っているだけで、それを額面通り、あるいはそれが全てであるように 取ることはできまい。 見ててなんか悩みがあるとか考え事してるとか、 その程度がわかるくらいで「人がわかった」などと思うのはそもそも おかしいのだ。実際にわかるかどうかは問題ではなく、 わかるということそのものに何か特別な意味を見ている。

  それが何なのかを感じとるヒントとして空の悲しみのシーンがある。 空がきれいというくらいのことを共有するなら良いが、 その奥のものがわかることは悲しいという。 その悲しみとは何か。わかるなら人間なんて一人でいいと思うほどの悲しみは どこから来るのか。これはどうもきちんとした理屈にはならない。 しかしもしかしたら、わかってしまうことが悲しいというのは それはわかり合えないことが悲しいというのと同じことなのではないのか。 他人を完全にわかることができるのも、他人を完全にわかることができないのも、 結局は世界に人間が自分一人しかいないという孤独につながる。 現実はその間にあるわけだが、孤独と孤独の間にあるこの現実は やはり孤独なのではないか。うまく言葉にできないが、そういう思いなのではないか。

  というわけで、なんとなく悠歌、ひいては元長先生が どんなふうにああ思ったのかがなんとなく「わかった気になった」。 オレはわかった気になるということにあまり嫌悪感はない。 それで気持ちいいならそれでいいと思う。 いや、それでいいというよりもむしろそれ以外にどうしようもないと言った方が いいか。そもそも自我はその本質において孤独であり、 そのことはいくら悲しもうが変わりない。だったら、そんなことは悲しむだけ 損である。しかしそれでも悲しんでしまうものは仕方がないのであって、 つまり仕方がないのだ。同じことを悲しめないとしても、 そういう仕方なさはわかる気がする。

2001年10月5日

来た。来ました。自分の描いてるもんが根拠なくおもしろく思えるあの症状が。 今までさんざん今回はダメかとか思いながら描いてたくせに、 この変わり身の速さ。そして一回こうなるともう自分の漫画がつまらないなんて 夢にも思えない。理性がわかっていても感性が許さない。 いや、理性につまらないところを見つけさせることすら許さない。もう圧倒的。 ただ今回は遅かった。下書きが終わってからだ。コンテ終わっちまったら もう取り返しはつかないんだからその時点で来てくれればいいのに。 まあ神に文句言ってもしゃーない。なにせ神だし。 しかし、考えたら昔はモノを思いついた瞬間にこうなっていたわけで、 そりゃ電波も来るわ。今ふと昔のものを見てみると異星人が描いたものにしか 思えない。世の偉大な漫画家達が異星人に見えるのは当然だが、 昔の自分が異星人に見えるようではもう終わりだ。 プロの圧倒的なレベルを思うと自分はなんと矮小なことだろう。 しかも描いているのはパロディ同人。だが、それの何が悪いか。

なお、この症状の持続時間は不定なので、下手をするとペン入れの途中に切れ たりする。しかし多くの場合は提出する瞬間まで続くようだ。

12日東京に行きます。そして、おそらく20くらいまで滞在します。 12は幕張でゲームショウ(=内定式)。15からは理研で実験。 ただ、どこに泊まるかは未定。実験の都合や面倒くささによっては 理研の廊下で寝ることになるでしょう。寝袋もってこ。

いかん。ペン入れの前に指慣らしと称してペン一発書きでアレクサンダーやら ディオゲネスやらオリジナルオッサンやらを描いていたのだが、楽しすぎる。 本業そっちのけで熱中してしまった。要は毎日これをやってりゃ ペン入れなんて簡単にうまくなるんだろうな。ところで今日微妙にわかった のだが、ペン入れもパンチと同じだ。いらん力を抜き、必要なところだけ固定して あとは軌道を強くイメージして発射する。 パンチ同様に込めた集中力に比例してまともな線になる。 パンチと同じだとすれば熟練すれば込めた集中力の割にいい線が引ける ことになるが、そりゃそうだ。ペン一発描きは線のみならず形状の イメージ力も育てるので、これはいい遊びである。ということは前からわかって いたのだがなあ。

どう考えてもオレはギャルゲー同人は向いてねえ。 漫画の質がどうのこうの言う前に絵がオッサンだ。 うまくなればそれがいい味を出すかもしれんが、 それにしたってオッサンを描く機会が与えられなければどうしようもない。 あんなツルッとした顔かけるかクソ。とかいいながらけっこうこの鈴凛いいかも とか思ってるあたりがハイパーモード。切れた後が恐いな毎度のことながら。

2001年10月4日

某所から薦められたのでサフィズムWEB配信おまけシナリオ2。 すでにセーブデータが消失していたのでコンプリート済みデータをWEBで 探し出すハメになったが、その苦労の甲斐はあったと言える。 おまけなので本編をやってないと話にならないのだが、 正直本編よりも出来がいい気すらするのだ。バカといい話のバランスがとてもいい。 バカはすごくバカだし、いい話はちゃんといい話だし、その二つが矛盾なく いい感じなのである。多少クサいが許容範囲だ。 また、バカ話部分も妙なゲーム形式になっていてバカ笑いできる。 あれだ。せがれいじり。 絵もゲーム本体とは塗り方が違うのが出てくるが、独特でいい。 マニュアル化できる工業的な塗りでないのはいいことだ。 配信データが4MBもあったので何かと思ったが、 絵が何枚か入っていたわけで納得である。 ところで「それ、萌えか?」という疑問が微妙にあるのだが、 人によって定義は違うのだしまあいいか。 それと。杏里おまえどこの京都人だ?という感じでおもしろかった。 ぼく地球に出てきた京都くらい 京都くさい。たぶん間違っているわけではないと思うので、 字にするとわざとらしさが増すというだけのことであろうが。

ついでにWEB配信おまけ1。ショボい。前作やってないとダメだってのは わかるが、やっててもダメだろこれ。あとおまけで片づいてなかった奴も やったが、特筆すべきものはなかった。これで本当にコンプリート、 じゃないか。アイーシャの奴はホームズになってないし、CGコンプリートを 自分でやったわけでもない。まあいいだろ別に。おしまい。 後は君望を片づけねばならないな。

カリステネス著と伝えられる、アレクサンドロス大王物語。 アレクサンドロスの死後500年以上 経って書かれた上にかなり歴史に関してはいいかげんらしい。 順序がおかしいし、得体の知れない生物と会ったり、アレクサンドロスがフィリポス の息子でなかったりしている。 加えて訳も聖書みたいな文章で多少辛い。しかし、フィロタス処刑とか 食人馬ブケファロスとか、ペルセポリス炎上とか、 アレを思い出させるエピソードが満載だ。 もう一冊借りてきた学者のアレクサンドロス論集の方は、後ろの人名索引を 見ているだけでもアレが思い出されて楽しめるし、中身ももちろんおもしろい。 どうやっても全部あの声であのデザインに変換されてしまうので それがおもしろいというのもある。 次はアレクサンドロス東征記 の方を読んでみよう。そっちは割と正確な記録物らしい。

アレクサンドロス東征記が岩波文庫で出ていることがわかったが、 どこにもない。町まで出ねばならないか。

EDEN6巻。第一声は「え、それで生きてるの?」。 にしても世界観を持った漫画家だ。

検索って本当に大量に引っかかるな。しかもわけのわからんもので。 「FF6,レベル上げ」とか「ドアの効果音」とか「iモード,信長」とか「タオル ってどうやって作るの」とか「トマト腐る」とか「外道は殺す」とか。 なんかもうどうでもいいや。話題に一貫性がないから わけわからんもので引っかかる確率が高くなるのだが、 しかし一方で役に立つ情報なんてまるでないので検索かけた人に申しわけない。 ところで、タオルってどうやって作るんだろ。ちょっと気になった。

2001年10月3日

夜中に帰ってきたらいっぺいがアレクサンダー見てた。

つきあって最後まで見てしまった。やっぱおもろいわ。 で、その後ダラダラしながら二人で徹夜。 そして二人してもう寝られない時刻。行くか。

2001年10月2日

アレクサンダー戦記をいっぺーともりりんに見せる。 回転処刑台とか大ウケ。

Sense Offの方がやっぱり絵がいい。少なくともうまい。 みスをの人は人間を描くことしか考えてない気がするが、 Sense Offの人は人間を含めた世界を描いている気がする。 成瀬と二人で階段を上がってくる所の絵とか見てそう思った。

ネタなのか。どうやらマジな話のようで、科学万歳。

時速80キロくらいで走ってたような気がする夢を見た。 ところで、上半身と下半身が逆方向にねじれる普通の歩き方は 実は理にかなっていないのではないか。十分に下半身と腰が強ければ、 上半身が動かない方が効率がいい気がする。 物を背負ってたり持ってたりする場合は特にだ。 何十キロの荷物を背負ってえんえん歩いていた昔の農民が今のような歩き方を していたはずはないし、 そもそも今の歩き方では刀は振れないのである。 さて、内勁(腰、あるいは背筋)で歩くとどうなるかと言うと、 自然に腰が中心になって上半身でバランスを取る必要がないため 手が振れなくなる。それは、上半身を脱力したままでいられるということでもある。 歩幅は小さくなるが、内勁の回転と等しい速度で足が出るため速度を調節しやすいし、 下半身と腰が十分に強ければ相当に少ないエネルギー消費で高速移動ができる。 加えて一歩が小さいので状況に対応しやすい。 ただ微妙に怪しい歩き方になるという超絶なデメリットがある。 うちの先生は修行時代はえんえんそうやって歩いていたらしく、 さらにメシを食いながら馬歩とかそんな生活だったらしい。 日記書きながら馬歩やってみるかと思ったが、何も考えられなくなるなそりゃ。

みスをの評価が総合的にはプラス、それもそこそこ大きなプラスであるにも 関わらず、どうにも何かふに落ちないのは何故だろう。そう考えた時、 結局は結局好きなキャラがいないということであるような気がする。 「人類史というパースペクティヴにおいて美少女ゲームを定位する」 と作者が書いていて、それはわからんでもないし事実おもしろい。 しかし、なんと言っても好きなキャラがいないのである。 作者がわざとやっているのだから 口を差し挟むことなどできようはずもないが、しかしオレはあれをやりすぎと 感じた。そこまで言わなくても良かったじゃないか。 だが、あそこまで理屈で言ってしまったからこそ怪作の名を 欲しいままにできるのは事実である。やってる間気持ちいいことと やったずっと後まで記憶に残るのとどっちが大切かというのは オレにとっても微妙な問題だ。オレはAIRは好きではない。 だが、やってよかったと思う。むしろやらなくてはならなかった。 そういうことだ。

「せつない」という形容詞は多用されすぎではないのか。なんとなく思った。

2001年10月1日

全ファイルをアクセス解析の対象としたところ、 とんでもない検索で直に飛んでくる人がごまんといることが わかった。特に今回一番すごかったのはgoogleから 「すごい作品ではありました。同時に惜しい作品でもありました」で検索 してAIRの感想文に来た例。一体どういうことなのだろうか。 ちなみにうちのそれしか引っかからない。

アレクサンダー戦記完結。すごすぎ。ところどころ「それ、笑うところだろ」 と思いつつも、目が離せないしとにかく圧倒される。かっこいい。 ネタ的おもしろさであるのは事実だが、断じてそれだけではないということだ。 いろんな意味で突出した作品だった。ピーター先生に敬礼。

最近蹴りの練習をしていたおかげで 足が上がるようになっていい気になっていたのだが、 いざモノを蹴ってみたら蹴りの深さが足りなくてガッカリした。 目先の上達もどきにとらわれて気が上がった結果だろう( わかりやすく言えばタイミングとかフォームとかが狂った、ということか)。 目的は対人格闘において強いことであり、またおもしろい漫画を描くことである。 その手段として限界や効用を知った上で筋トレをしたりデッサンをしたり するのは良いが、手段の訓練に溺れては何にもならない。 確かに筋トレも柔軟もすぐ効果が出るので楽しいし安心するのだが、 それが罠なのである。足が上がっても弱ければカスであり、 デッサンができてもつまらなければカスであり、 単語をいくら覚えても受験に落ちればカスである。 根本の目的を常に頭に置いた上で必要な手段を実行していかねばなるまい。 ちなみに、目的を云々言うくせに手段を実行しないのは論外で、 つまり最近オレは漫画に関しては論外である。

学問とエロゲ一緒くたはヤバいでしょうか。 私は社会的にヤバいのはわかりますが、それ以外ではあまりヤバさを 感じないのでいいやという感じです。そもそも、周りの人が ネタをわかるというのはとても幸せなことに思えます。 ところで、その音ネタに関しては私は本職がバイオなので、 素人の思いつきです。 まさか本職の方に読まれるとは思いもしませんでした。 というわけであれは研究のことを書いたわけじゃないので セーフです。つまりこの日記は研究とエロゲが一緒なのではなく、 エロゲオンリー日記なわけですね。居直りです。 どうかイカしたソフトMIDI作ってください。

フーリエ先生はやはりあんなイカしたデザインだったのだろうか。 アレクサンダーのおかげで古代の人とか数学者とかはみんな あんなものすごいデザインだったような気がしてくる。 Sense Offのライプニッツのあたりを思い出すと 脳内で強制的にキャラデザがピーター先生になる。

PCIになんか差して動かなかったら、別のスロットに変えると たいがい動く。内蔵サウンドがあるマザーだとたいがいこういう 不都合が起こるものだ。またやっちまった。


もどる