日記0107

2001年7月31日

うにんち でえんえんダラダラ。

なんだかんだ言うてかわいい女の子が寄ってくれば心地良いに決まっている。

漫研夏合宿にドリアンを持って乱入。逃げる人多数。

久しぶりに海で遊んだ。日焼け止めのおかげでいらんことを気にする必要もない。 くらげを見てははしゃぎ、くらげに触ってははしゃぎ、 くらげを壊してははしゃいだ。やどかりもいた。なんかガキまんまだ。

帰りの車の中でひろせこうみ(漢字不明)という人の歌 がかかっていて、そのレベルの高さに感動した。独自性、声のパワー、 歌詞、そして歌スキル。全てで相当なレベルだ。たいがいどこぞで 聞いたことがある歌だったが、全然誰の歌だとかは知らなかったのである。 また、続いてメタルっぽい奴(曲目・演者は不明) がかかっていて、これまた感動した。 朦朧と聞いていると単調なドラムラインがだんだん溶けてきて 聞こえなくなり、それまではドラムに隠れて見えなかった歌の旋律が持つ 波のように緩急のあるリズムが現れてくる。 リズムが一定な曲は深みがないとずっと思っていたが、とんでもない。

出る前にいっぺいの家でCCさくら2冊。なんだおもしろいじゃないか。 引き、各話のまとめ、伏線の張り方、数話単位での構成、全てがうまい。 昔読めなかったのが不思議で仕方ない。

日焼止めの効果が絶大だったことを知った。フロ屋に行って 熱いお湯をあびたところ、日焼止めを塗ってない所がかなり痛かったのである。 背中は面倒なので塗らなかったのだ。 できるだけ太陽に向けないようにしていたのだが、鏡で見てみたらまっかである。 しかし日焼止めを塗っていたところはまっしろ。 50倍強くなると言う看板にいつわりはないらしい。 しかし、逆に言えばそれだけオレが紫外線に弱いのだとも言える。

ところで、この日焼止めは水をはじく。一度つけるとそうそうとれない。 洗剤つけて洗ってもすぐにはとれないほど強力だ。 化学の力はすごい。女でないのでよく知らんが化粧品も化学の力で 進化しているということだろう。 テレビを見ていると頻繁に新製品が出ているようだが、 目立たんところで見栄え以外の何かも進化しているに違いない。

上の歌の話について補足。私はここ8年以上にわたってロクにテレビを見てません。 もちろん同じくらいラジオも聞いてません。 このサイトを始めてからであれば、 テレビを見た、あるいはラジオを聞いたと書いた日以外はたぶん一切見ていません。 見たものは全部感想を書いてる気がするわけで、それくらいしか見てないのです。 よって、広瀬という人も会話の中で登った時に聞く以外に 聞いたことはありません。しかし、生きていればどこかで音楽を聞くもので、 曲の盛り上がるところくらいは知ってたりもします。 そんななので、今の人なのか過去の人なのかすらわかりません。 ただ、ああ歌がうまくて強い人がいるんだなあ、と思っただけです。

2001年7月30日

好きになる理由はいろいろあるが、一度好きになってしまったら 理由はもうどうでもいい。そして好きになったものは換えが効かないから もっといいものがあると言われても関係ないのである。

2001年7月29日

もう木曜の話になるが、シスプリ16話、春歌。 異様に作画が(シスプリにしては)良く、春歌の萌え度は相当にアップしている のだが、萌えシチュエーションを作り込みすぎている感がある。 妙に普通のギャルゲーアニメになっている気がした。

アニ同夏旅行。松山(愛媛県)。楽しかった。リーフファイトTCGのルールを だいたい理解したり、松山のアニメイトは妙に男愛系が充実しているということが わかったり。わざわざ行って何やってんだと思われるだろうが、 ちゃんと観光はしたので問題ない。あくまでおまけの話である。 それにつけても坊っちゃんとみかん。みかんジュースはおいしい。

資料用にシスプリゲー攻略本。ウソだ。こんなに絵きれいじゃなかった。 元絵がこれだったとすると、なぜゲーム版はあんなに汚いのか。 ところで、これだけ読んでると猛烈によく出来たギャルゲーに見えてくる。 罠である。 絵はきれいだし、シーンは美しげだし、なにやらいい話っぽい。実際のゲームの カスいシナリオや、 汚い絵、音質の悪い声、その他もろもろの欠点に わずらわされなくて済むのだ。 話はだいたいわかるし、これだけでいい気がしてきた。 むしろこのあらすじだけを見てそれをヒントとして細部を 妄想した方がはるかに萌えるだろう。形にできればなお良い。

ドリアン。開ける前から阿鼻叫喚。開けたら開けたで阿鼻叫喚。 本体より入っていた箱の方がクサい。そして箱よりも箱を包んでいた 緩衝ビニールの方がクサい。こーへーが逃げ出すほどのクサさだ。 見ていろよ。あっと驚くような使い方をしてやる。 それにしてもドリアンゆかりのものを全部出したというのにまだ部屋がクサい。

まざまざとシスプリ本。ボーッと見ていると全て同じ顔に見えてきて なにやら不気味な雰囲気に。髪を下ろしたりパジャマを着てたりすると もう識別不能。顔の中身レベルでの描き分けも、顔の輪郭レベルでの描き分けも、 体レベルでの描き分けも甚だ不十分なのだ。もっぱら表情、髪型、髪の色、 服装に頼っている。しかしこの人の服装、髪型での描き分けには 並の絵描きなど比ではないパワーがあるので別にいいかという気もしないでもない。 それにしてもこいつら見るからに高そうな服着ていやがる。 四葉の服装とか尋常なセンスじゃない。春歌も今気づいたがあの和服の下は すごいブーツだ。シスプリによって得た最大の恩恵は、 自分には致命的にそういうのを見る目がないのだということを再確認できた ことかもしれない。特殊なジャンルでもない限り漫画を描くのに 服やら髪のデザインセンスはあった方がいいのだ。 描く段になって 付け焼き刃でその手の雑誌を見ながら描いていたのでは どうしてもダサくなるだろう。普段生活しながらそういうことに目が行き、 自分でもある程度実践している人間でないとこのへんは辛いような気がしてくる。 いまさら手遅れな気もするしさらさら実践する気などないのだが、 まあ気持ちだけでも。

2001年7月26日

研究室のコンパで飲まされまくってゲロ。帰って死。 昼から呼び出されたためにアニ同の会誌の原稿も描けず、 編集にも参加できず、無念なり。12時間経った今でも胃はむかむかするし 体もフラつく。頭も痛い。

飲み始めるまでブルーだったが、飲み始めてしばらくすると 思考に集中力が失なわれてきてブルーでいられなくなった。 さらにしばらく経つと吐き気とめまいに耐えるのに精一杯で ただ時間の経過を待つ以外のことがなにもできなくなった。 末端もしびれていたし、頭のクロックもガタ落ちしていた。 動くものを動くように認識できず、コマ送りの間が微妙に補完されたようなイヤな 感じである。人間はキーフレームを補完して動きを感じているとは聞いたこと があるが、おそらくその補完機能が低下していたのだろう。 それにしても、 ひょっとしたらオレは気持ちいい酒の量の範囲というのが とてつもなく狭いのかもしれない。 ビール一杯でも頭の中の圧力が高くなるような感じがして不快 なのである。それが起きずに思考の鈍化が起こる程度の酒の量というのは ビール100mlかそこらなのだろう。

考えてみたら昨日のコンパっていわゆる合コンだ。日本女子大。 思い出してみればきれいな人がたくさんいた気がする。 ところで、おぼろげな記憶をたどっても彼女等が酔っている映像がまるでない。 オレがゲロ袋をぶらさげて帰ろうという時に彼女等はうちの元気な連中を 引き連れて二次会へ出発していったのだ。この差はなんだ。 今度PCRかけてエタノール分解遺伝子が変異してないか調べてみようか。 それで壊れてればあきらめもつくし、酒は飲まんと言う確固たる口実もできる。

F・ポール・ウィルスン「ザ・キープ」。二次大戦中 ルーマニアの山奥の砦に陣どったドイツ軍は謎の連続殺人に遭う。 焦ったナチはその砦の伝承に詳しいユダヤ人教授を連行して 事件解決を図るが…。なんかハデハデで漫画みたいな小説である。 ジョジョなんかはこういう味だろう。 なお、「漫画みたい」と言うのは話や設定のハデさの話であって、 出来が悪いというわけではない。事実おもしろかった。 ただ、作者がホラーを指向しているわりにはまるでホラーじゃないのが いいのか悪いのか。

歎異抄。筆者の真意がわかるほどオレの魂は高レベルではないが、 善を成そうとか思うこと自体がすでにおこがましいのだと言うのは感じ入る所がある。 日々生きるための仕事をする以外に人間にできることなどなく、 念仏を唱えていれば良いのである。 善人だろうが悪人だろうが所詮ちっぽけな人間であることに 変わりはないのであって、どっちがマシだとか思うこと自体に意味がない。 自分を善だと思うことは極めて醜いことだとは言っているので その点だけ見たら悪人の方がマシと言っているようにも思えるが、 マシだと思うことは自分が善だと思っていることと等しいのだから、 それもまた責められるのである。 著者は意思のパワーというものを徹底的に認めないのだろうか。 善業も悪業も等しく宿業による、と言うのは解釈によっては人に自由意志など ないという意味にも取れる。 より良くなろうとして勉強することすら否定されるのだから、 その徹底ぶりはすさまじい。 成長は自ずとするものであって、目的であってはならない。 目的は満たされれば満足をもたらすが、その満足は自分がより善あるいは良い 状態に近づいたという満足であるから、つまり醜いのである。 強くなろうとする努力すら女女しいとするその強烈な雄度よ。

今日の夜から29まで旅行に行ってきます。

つくる会の公民教科書。 クローンにせよITにせよどうにもイヤな書き方がされていて、 そんなにおまえら科学技術が嫌いかと 言いたくなるのだが、それ以外はまあそれほどヤバさは感じない。 災害救助でがんばる自衛隊の写真とかいかにもだが、 事実だし問題ではなかろう。むしろ自分の国の軍隊がここまでやっかい者 だと言うのはちょっとかわいそうである。 というわけで、オレとしては問題なし。 いろいろ間違ってるところがあるとは聞くが、オレにはよくわからない。

CUBIC

  ここ。 冗談でやってみたが、だいたい想像通りだ。なんかこれセガの入社試験 でやった気がする。もっとゴツかったが。

性格の側面 普通 指数
 思索型    内閉性 : 社交意識が低い    ***********      53
  客観性 : 思考的思慮深い   ****************   77
 活動型    身体性 : 機敏な・気軽な    *********       41
  気分性 : 感情のまま行動   **************    70
 努力型    持続性 : 几帳面・忍耐力    **          8
  規則性 : 常識的・順法的   *******        32
 積極型    競争性 : 勝気な・積極的    ****************   78
  自尊心 : 気ぐらいが高い   ***************    73
 自制型    慎重性 : 見通しをつける    ***********      52
  弱気さ : 取越苦労・遠慮   ************     58

  自己顕示欲が強く、目立ちたがりで勝気なところがあります。批判されると感情的に なることもありますが、その対立意見にムキになりすぎて、自分のリズムを崩してし まうことがあります。また、喜怒哀楽などの表情が激しかったり、感情を表に出した り、反面、感情を抑えたように何事にも動じない冷静なときなどがあります。感情的 である時と理性的であるときとが交互にでたりするということです。そして、自分が 評価されていると感じることが最大の満足とするところがあり、プライドを傷つけら れないように注意をはらっています。どちらかといえば、広く浅い交友関係をもつこ とよりも、限られた友人との深い交友関係を大切にしています。社会への関心はあり 、世間に対する配慮もみられ、時として非常にユニークなアイデアを出すこともあり ます。しかし、あまり関係のない相手にはあまり人情的にのめり込むようなことがな く、一歩外から物事を眺めようとし、冷静な態度で客観的な判断をしようとします。 そのためか冷たいとの印象も与えがちですが、内面は豊かで自己を深く内省している 人です。

2001年7月25日

自分の「もうしません」が全く信用できません。 前の自爆の際も罪悪感でこれくらい辛い思いをしましたが、 それでも今回やっています。それも同時に二つです。 一体どれだけの辛い思いをすれば二度としなくなるのでしょう。 反省すれば反省したで反省している自分に醉う自分が発見できます。

2001年7月24日

各方面の迷惑かけた方々へ。いろいろごめんなさい。私の頭が足りないのです。

2001年7月23日

2001年7月22日

サブングル21-28。21から26にかけての異様な盛り上がりは本当にすごい。 ヤバさのイデオンとおもしろさのザブングルか。 なんかガンダムが色褪せてきた。また見たらそらおもしろいんだろうけど。 それにしてもトロンがいきなり死んだのはビビった。 手違いとしか思えない。ボク呼称女であり、かなり活躍しそうな 予感がしたのに。ひょっとしてあれが生きてると三角関係が四角関係 になるから殺してしまったのだろうか。

最近四六時中体の動かし方を試行錯誤しているおかげで、 なにかいろいろつながってきた気はする。たまに足の裏から 手の先までつながる瞬間があって、もしあれで当たったら けっこう効くんだろうななんて思うととてもうれしい。 が、体の基礎性能そのものは最近まるで鍛えていないので 実用となると全然ダメだ。結局強さというのは速度なのであって、 速く動けば強いし、速く動かなければ弱いのだ。 本当に基礎は大切です。

オレがギャルゲーと言う時、それはあの手のキャラやら設定やらコンセプトやらの 世界のことで、ゲームであるか読者参加企画であるか漫画であるかなどは まったく問うていない。ギャルゲー的世界と言うべきか。 これをうまいこと差す言葉はないものだろうか。

四葉は3階に窓から入ってくるので、つまりドイルである。

拳正武館と交流スパーリング。2分のを3試合やったが、 とにかくヘバった。あのお面がツラいのである。 こもるので呼吸がかなり苦しいし、視界は狭くなる。 加えてグローブも慣れてないので重くてパンチが飛ばない。 結局蹴りに頼るのだが、どうしても読みやすいので飛びこまれで組まれる。 投げやらの技術はまるでないのでどうしても辛い。 加えてスタミナが猛烈に奪われる。 一試合目は組み手がどんなもんだったか思い出せずロクに動けなかったが、 二試合目になるとけっこうノリノリにはなっていた。 しかしやっぱりパンチは出ないしスタミナは持たない。 三試合目は身内の先輩で、何をやっても通用せずボロボロ。 やはりスタミナが大切だ。そして破壊力。 あんなものがあろうがなかろうが関係ないくらいのパンチが欲しい。 そして何よりも速度だ。体が動く速度が足りない。 体のパワーが足りない。これではダメだ。 これから毎月やるそうなので、次までにもっと動けるようにならねば。

シスプリ歌集に一言がたくさん

  かけっぱなしでなんかやってるとたまにいろいろ気がつく。 が、別にけなしているわけではない。ただなんとなくだ。

  それにしてもどいつもこいつもどっかで聞いたような曲だが、そんなことは 指摘しても消されるだけで得をすまい。歌スキルの上手下手すら問題ではなく、 あのキャラが歌っている絵が思い浮かぶか否かのみが唯一の評価基準である。

  オレ、これ好きなんだろか。なんか訓練の教材に使ってるだけのようにも思えるし、 こんなもんを聞いてあまつさえしつこく感想を書き、あろうことか 気に入っているということをネタとしているのも事実だ。 しかし、のわりには目覚まし時計(cron)として仕掛けたりしてるし。うおー鈴凛だし。 まあ好きという感情はそう単純なものではないのだしこれでいいのだ。

2001年7月21日

かなり間違いなくオレへのツッコミなんだろうけどリンクは貼ってない しオレの名も書いてないという時、 こちらからリンク付きツッコミ返しをすることは 避けてきた。だが文脈がわからんままなんか反論くさいものが 置いてあるのも気分が悪かろう。次からリンクすることにする。

激同意。人気の秘密ね。

チェキって、"Check it"か。それくらいしか浮かばない。 ホームズ英語で読んだらわかるとか言うんだろうか。 なにしろ公野先生は異様なほど教養のあるお方のようだし。 にしても四葉は英語をちゃんとしゃべれるのだろうか。 ゲームの「シーユーアゲン」がカタカナ発音だったのはいいのかなあ と思ったりするのである。にしても四葉は実にアホでかわいい。 「実に」が「アホ」にかかるか「かわいい」にかかるかは想像におまかせしよ う。マラソンでゴールする兄に妹供が声援を送るシーンがあるのだが、 他の奴等が兄呼称を連呼する中奴だけは「チェキー」なのである。 アホが人気の秘密か。ただ、隣にいたらどうかと思うと多少ごめんなさい。

ゲームの雛子が両手を上げる絵に何やら違和感を感じていたのだが、 この度原因がわかった。顔の表情が伴ってないのだ。 体全体で喜びを表現しているわりには顔が普通。 これでは暗黒舞踊と同じになってしまうぞ。

シスプリゲー春歌非血縁完了。どーでもいーぞー。存在自体がネタ。 そもそも主人公からしてかなり辛そうなわけで、 そんな状態でプレイヤーが萌えるものか。 ハナっからこれで萌えさせようと思ってないだろう。

シスプリゲーはいくらやってもキャラの印象が悪くなるだけでいいことはない んではなかろうか。

好き好き大好きとシスプリ小説の咲耶・可憐はけっこう似ている。 何かおかしい前提の上で非常に妥当な推論が重ねられているあたりがだ。 つまり、明らかにおかしいにもかかわらず説得力があるのであり、 説得力があるにもかかわらず何かおかしいのである。 自省とか、相手の立場で考える とかいうものが巧妙にロックされているのだが、相手を思いやる気持ち そのものがないわけではない。だから咲耶も可憐もかわいいしいい奴なのだが、 しかしその一方で底知れぬ怖さがあるのだ。 何故か2×3=5(足し算と混ざったんだよ) と覚えてしまって答えが大変なことになるような、 そんな感じ。

しかし、人間はそういう変なエラー回路をたくさん持っているのが普通である。 例えば「洗脳」という言葉を聞いた瞬間に超絶悪イメージを思い浮かべてしま ってその意味を考えられないとか言うのは 2×6の答えが4×6の答えにすりかわるようなものだ(にろくにじゅうし。 けっこう自然でよく間違えたものだ)。ウケたいと言う言葉を聞いた瞬間に 話者を悪人と認定したりするのもそうだし、他人の非を鳴らしながら 自分がそうでないのかの考察を行えないのもそれである。 そういう不自然さ、あるいは不連続さもまた人間らしさなのであろう。 それが愛らしさにつながるか、怖さにつながるか、憎たらしさにつながるか、 うっとうしさにつながるかは場合によるが、 現実で多くみかけるこの手の不連続はたいがいの場合害にしかならない。

ハピレス(Happy Lesson)アニメ第一話。 壹条氏はDVDを持っていないにもかかわらずDVD版を買ったのだが、 にもかかわらずDVDのない彼の家で上映会ができるのが不思議である。 なお誰も機械は持ちこんでいない。 ああ壹条氏はなんと素晴らしき男であろう。 で内容だが、まずママティーチャーです。オレの負けだ。 テンポも良く、動かすところは動かし、ムチャクチャやりたい放題しておきつ つもなんかいい話っぽく終わるというあたりが素晴らしい。 小ネタも入りまくりでえらく楽しそうである。 おかげで一発で番号と属性の対応を記憶でき、 つまりは名前と顔と属性が一致した(名前がうづきとかさつきとかなのだ)。 ところで、映像特典として5人の声優が生でなにかしゃべる というのが入っていたのだが、井上喜久子先生だけ何か別格。 何か時空が歪んでいるようなすごさがある。あれが演技であったとしても 天然であったとしても同様にすごい。 あとうづきの人の声が衝撃だった。生身で写ってるのに 役のまんま。あのものすごい萌え声で。 まさかあれが地とかいう恐ろしいことはなかろうなと不安になる。 あんなんで日常会話ができるはずがない。 普通ん時とのギャップが楽しみだったのだが、そんなことがどうでもよくなる くらいすごかった。本当に声優ってすごいです。

G'sを見て思うが、シスプリ以外の企画は本当に弱い。コンパニオン5人だろうが ママ教師5人だろうが、女子寮で12人だろうが、 そんなことは問題ではないのだ。妹12人の前にはカス同然である。 そして実はさらに重要な要素があって、 それは絵の力ではないだろうかと思うのだ。 シスプリの絵師は他の絵師に比べてズバ抜けて絵のパワーが強い。 特にデザインセンスがド肝を抜いており、髪型から服装、 メカに至るまで目が痛いほどにセンス爆発である。 亞里亞のキャラデザができる段階で常人ではないのだ。 それに加えて公野先生のあの文章があるわけで、 到底他の企画には勝ち目はあるまい。 なるほどオレがハマるのも無理のないことである。 今度まさひろから過去のG'sをまとめて借りる予定。 ぜんぜん片づかないじゃんシスプリ。 たぶん漫画描くわ。鈴凛と千影どっちにしよう。 両方描いちまうってのもいいな。どこに接点が。

シスプリは大衆受けするタイプのギャルゲー(的世界)では 最終形態に近いものであり、この先には進化の袋小路 が待っているのではないかと思う。 マイナー指向の進化にはSense offやら Phantomやらの方向があるが、やはりマイナー化の方向 であるし参加型の盛り上がり方はしない。 そう考えればシスプリは相当に歴史的なもの なのではないか。

最近シスプリの話しかしてない。 某アンテナで「シスプリ話」という註釈がつけられていて 実はガッカリしていたのだが、まったくその通りである。 もう開き直った。

シスプリアニメ衛小学生説浮上。雛子、亞里亞、花穂と同じ制服で 他の8人とは違う制服だったというのがその根拠であり、 これはある意味決定的と言えよう。白雪よりも、四葉よりも下なのか。 だが、衛は到底小学生な描かれ方はしていない。 絵的にも話的にもだ。 作画のゆらぎであるとしてなかったことにすることをオレは提案する。

シスプリキャラ分類まとめ

分類ゲーム小説アニメ総合+オレ妄想
問題なくかわいいぞ鈴凛鈴凛、千影衛、鈴凛、千影
バカだけどかわいい四葉、白雪四葉、白雪鈴凛、 四葉、咲耶、白雪、千影四葉、白雪、咲耶
よしよしええ子や-雛子、花穂-雛子、花穂
ようわからん千影---
普通衛、花穂、鞠絵鞠絵、衛鞠絵、春歌可憐、鞠絵
うっとうしげ可憐、雛子亞里亞、春歌可憐、亞里亞、雛子、 花穂春歌、亞里亞
寄るな春歌、咲耶、亞里亞咲耶、可憐--

  こんなに変わるかおい。なお、これら3メディアを加味して 奴等のヒロイン度とサブキャラ度、そして強さを採点してみた。5点満点。 ヒロイン度はそいつを主役にしたシナリオの想像のしやすさ。 サブキャラ度はワキ役としての性能を評価している。 強さはそれら2つを加味して算出したキャラのインパクトである。 一般的な萌え属性強度ではないため、眼鏡等による補正はかけていない。

名前ヒロイン度サブキャラ度強さ
可憐514
花穂322
423
咲耶434
雛子233
鞠絵412
白雪152
鈴凛252
千影245
春歌222
四葉131
亞里亞333

  なお、点数とオレの好みは必ずしも一致しない。 白雪や四葉は憐れみの情もあってけっこう好きだし、 オレが一番好きなのは言うまでもなく鈴凛である。 にしても、人気投票の結果に一致するような採点の方法をあみ出したら それ社会学的に意味があっておもしろげだ。

2001年7月20日

昨日書き忘れたが、千影はうなじだ。

ここの格闘シスプリ小説がおもしろい。というか、このサイトそのものが 異様におもしろい。これを書くためにあのゲームを全部やったんだろうかと 思うと讃えたくなる。

シスプリ小説

  シスプリ小説全12冊征服。楽そうなのから読んで後で死ぬ目に遭うのもイヤ だったので順番に挑戦した。以下感想。

可憐:頼む消えてくれ
よ、寄るな。いや、ご、ごめん。 ボクは君のそばにはいられそうにない」。 という感じ。アニメなど勝負にならないほどの怖さ。 もう少しお兄ちゃんの身になって考えてあげられないのか。 というか、もう少し頭良くなりなさい。春歌をはるかに上回る妄想 暴走っぷり。
花穂:よしよし
まともにかわいい。ガキンチョだと言うのがいいのだろう。 アニメで気になった「見捨てないでね」もさほどキツくなく ちょっとした味付けになっている。 しかし、兄に対する感情が恋愛感情にまで行ってないからこその微笑ましさであり、 これがもう少し成長して生臭さを増せば「ごめん」にクラスチェンジ することは間違いない。
衛:ごめん
一箇所「アニキ」なんですが、これ指摘すると消されちゃうんでしょうか。 というわけで、比較的どうでもいい部類。この子、何も見えてない。 握力30キロ超という段階で小学生ということはないだろうし、 中学生にもなってこれでは不安だ。部品部品はかわいいのだが、 やはりやりすぎたという感じであろうか。
咲耶:寄るな
妄想が走りすぎ。この子はハナっから兄弟愛など超越して恋愛する気 バリバリな上に猛烈に嫉妬深いので、彼の身になって考えてみれば到底 耐えられるものではない。確かに人間味あふれると言い換えることも できんことはないし、何よりこの子はエロいという点では卓越しているの だ。だが、すまん。
雛子:ええ子や
花穂同様ええ子である。劣等感が皆無な分素直にかわいがれるし、 カエル等のオブジェクトが魅力的だったので非常にいい印象だけが残った。 「くふふ」、「しみつ」等の雛子語が多少気にはなるが、まあよかろう。 勝手につきまとうイヤなイメージもあまりない。 それにしても「しみつ」と書いてあると「ひみつ」に変換される前に なんかイヤな漢字(「死密」等。「屍蜜」とかメッチャホラーや)に 変換されて非常に困る。声ならよかったのだがな。
鞠絵:世界の果てを見せてやろう
この子は物を知らない。とにかく元気になっていろいろ知って頂きたい。 病人属性の子にそんなことを言っても仕方ないが、 この素直さとひたむきさを持ったまま成長してもらいたいのである。 自分の黒さをある程度自覚しているあたりが非常に良い。
白雪:おもろい子や
実におもしろいええ子である。見てて飽きん。 無邪気な割に害がない。バカな子はかわいいのである。 さすがに一人称の小説ともなれば サブキャラ度も下がり、実にいい感じだ。 ただ、「むふん」はどうか。
鈴凛:ええやっちゃ
実に良い子であり、おもしろい子である。ベタベタ度が他メディアに比べて 若干高いが、それはどいつもこいつもそうなので特に気にならない。 話の出来も良い。ハナっからオレが鈴凛を気にいっていたという事もあるが、 やはりいい奴である。にしても、メカ鈴凛の型取りって、やっぱり そういうことを自分でやったのかおまえ。
千影:オレを連れていけ
なぜか異様にかわいい。キューピッドのくだりは萌え死ぬ奴続出であろう。 一人称で語られるとわけわからなさもかなり軽減し、 何か前提のあたりでズレてはいるが論理は通っているという オレ好みな変さになっている。話のネタのおかしさも手伝って非常に楽しめた。 なるほどこれを読んだ奴がたくさんいるなら一位にもなろうよ。
春歌:この子大丈夫か
ようやく春歌というのがどんなのなのかわかった気がする。 しかし、妄想系と言うほどの破壊力はなく、 妄想なら可憐や咲耶の方がはるかに上だ。 むしろやりすぎた一途さと頭の悪さをこそ強調すべきだろう。 この子に限らないが、もう少し兄の姿を直視すべきかと思う。 ただこの子は他の奴等に比べて明らかに兄の幻想を見ている度合が高いのだ。 まあ、ドイツなので無理もないか。
四葉:あははバカだなあ
この子バカすぎだ。不快ではないしかわいいが、バカすぎだ。 でもかわいいからいいか。以上。
亞里亞:私にしつけさせなさい
ゲームに比べて殺意は茅生えない。勝手だが、しつければまだ間に合う。 というわけで、さしたるマイナス感情は抱かなかった。 しかし話そのものはつまらない。
まとめ

  公野櫻子先生の恐ろしさがふんだんに味わえる素晴らしさである。 この人の恐ろしさは明かにネタとしか思えないベタベタ妄想飛びっぷり にもかかわらず、異様にディティールが詳しくて説得力があることだ。 セリフからもオーラが出ている。 これだけネタネタした骨格にこれほどの肉付けを行えるというのは まさに脅威と言う他ない。咲耶や可憐ではそれがマイナス方向に作用して オレを引かせてしまったが、適度に抑制が効いていれば不快感を与えず 萌え地獄に引きこむことなどワケもあるまい。

  これ買っといたら20年後に振り返った時に爆笑できそうだ。 オレが24歳のころにはこんなものがあったんだと。 けっこう迷ったりする。

2001年7月19日

シスプリ15話。花穂の話。今回は特筆すべき点はなく極めて普通だった。 加えて作画がヒドい。モノが普通だと作画などに目が行ってしまうのである。 あーりーあーのーおーりーぼーんー並の破壊力を 期待していただけに残念だ。確かに声の破壊力は花穂が最強なのだが。 にしても千影は何に出たのだろう。パン食い競争あたりだろうか。 非常に絵にならなくて萌えだ。

センチJの4話。微熱少女。あんなポエムをワザと書くのは大変だろう。 いろんな意味ですごい話だ。一方1話は非常に出来がいい。 センチといいセラフィムコールといいかなり実験アニメである。 ふと見ると監督に望月氏の名前が。やっぱり。

ザブングルとあしたのジョー2をまとめて借りてきた。 まさか持っている人がいようとは思わなんだ。 DVDが尽きても続きが見られる。さあ、一気に見るぞ。

2001年7月18日

ライアル・ワトソン著「アフリカの白い呪術師」。 イギリス人の青年がアフリカを徒歩で旅して現地の部族に迎え入れられ 呪術師となったという実話である。 何一つ持たずにアフリカのブッシュに分け入って生きる術を学んだ彼は 人類300万年の進化を身をもって体験したとも言える。 彼の冒険によって石器時代以前に骨を道具として使った骨器時代があったこと や、石器が最初は叩くためのものとして用いられるようになったことが 明らかになり、同時に滅びつつあるアフリカの伝統的で高度な文化が 紹介されることになった。学術本としても冒険譚としても 十分におもしろい本だ。科学と呪術の間に境界などなく、 いかに無意味に見える儀式も根拠と意味、そして利点があるのだと言う。 なんでもかんでも「意味がない」「非効率的だ」などと言う ことを強く戒めているようにも感じた。

毎回何かを書いては言い訳している。それだけオレの書き方が悪いということだが、 それほどオレは悪人なのだなと思うと悲しくなる。 がっかりする前に自分の人徳のなさをこそ責めるべきであったな。 人を責めても何にもならない。 こうなることがわかっていたから物を見た感想と起こったことの記録だけを 書くように努めていたと言うのに。

「書きたいから書く」というセリフを特別扱いしすぎたのかもしれない。 何故書きたいのかを問うてみればさしたる理由などありはしないのだ。 沸き上がる表現欲求などと言ったところで、その根にはどのように黒い動機が あるか知れたものではない。

成長、上昇、そして勝利

  勝たねば意味がないと思える時がある。 だが実際に戦ってみればそれが空しいことであることがわかる。 研究でちょっと変わったことをしていい格好してみても余計にコキ使われる。 無駄な意地で漫画を描きまくってもロクに上手くならず一人浮い ているだけだったことに気付く。何事も経験だとクソアニメやクソゲーを 見まくって見ても、本当にただの時間の無駄だったことに気付く。 サイトの更新を取りつかれたようにやってみても もっと優れたものが他にあることを知り、 自分の行為が無駄だったことに気付く。 そういうことの繰り返しだ。 だが勝つことや勝とうとすること、あるいは成長しようとすることに 意味はないのかと言えばそうではない。 それが空しいことに気付くことがすでに有益なのである。

  だが、一度の経験ではそれを本当に思い知ることはできまい。 何度もその空しい試みを繰り返すうちにいずれ本当に気付くのであろう。 そしてそれが空しいことに本当に気付くころには、 実際に同じ道を辿った者にしかその空しさはわからないのだということも 悟るのではないか。人は社会から「動け、勝て、変化せよ」という呪いを受けて 育つのであり、この呪いはその空しい経験を数多く 経ないことには到底破れるものではない。 勝負を放棄することで一見呪いを破ったように見えることもあろうが、 果たしてそれが本当の意味で呪いを破ったと言えるかどうか。

  オレは未だその呪いの真っ只中におり、成長することこそ最大の善である。 働き、成長し、動き続けねば周りから糾弾され捨てられるという現実 が産んだ価値観であることは承知しているが、 だからと言って捨てられるものではない。 最終的には自分の魂を満たすために行動することこそが最大の喜びなのだ という真実に到達するのであろうが、自分の魂を満たすということが いかなることなのかがわかるためにはその空しい挑戦を気が遠くなるほどの 回数繰り返して思い知らねばならないのではないか。 挑戦をやめることが断じて負けへの恐怖に 屈したためではないのだ、と断言できるほどの 悟りはそう簡単に手に入るものではない。

  言葉は論理式ではない。同じ言葉であっても どのような人間が言うかで全く価値や意味が変わってしまう。 自分がその言葉を言う資格があるかはよく考えるべきだろう。 ちなみにオレにはこんなことを言う資格はない。 本当に挑戦したことなどないからだ。

訂正、でも…

  悪魔の飽食の件訂正。別に教師が云々でなく市民グループの合唱に参加 しているだけらしい。それと、とんでもない歌詞なのは二曲目だけなのだと言 う。次の曲の歌詞をもらったので紹介。すまん弟よ。

>次の曲の歌詞

もしもあなたがわたしの娘に会うことがあったなら
このことを伝えて欲しい。
父は約束を守れない、仲秋節に家に帰り
おまえと一緒に月を見るという、約束を。

もしもあなたがわたしの娘に会うことがあったなら
この靴を渡して欲しい。
父は何も残してやれない、せめてこの靴を履いて
できるだけ遠くまで歩いていっておくれ。

十歳のおまえには、つらい一人の道だろうが
父は、寄り添って、やれない。
人よりも速く一人歩きするおまえに
せめて、せめて
この靴を履いて欲しい.....

>その次「反乱」はやさ一分に付点四分音符144個

打つなら打て!
マルタは立ち上がった。
私たちはマルタではない。私たちを釈放せよ!
しからずんば死を与えよ。
マルタはモルモットとして生きるより
人間として死にたい。

>繰り返し。

兵士達は知っていた。正義は彼らにないことを。
兵士達は確かに聞いていた。マルタの切々たる訴えを。
マルタは立ち上がった。人間として立ち上がった。
そのとき、与えられた....死。
マルタの生より人間としての死。
死への跳躍、その誇り、その誇り。

>ネクスト「37年目の通夜」

わたしはストップウォッチを握った。
ガラス張りのチャンバーのなか
ロシア人母と子のマルタ。
ここに生まれここに育った女の子は4歳、栗色の髪
母マルタの胸に顔埋めていた。
顔を上げる子供マルタ、そのあどけない瞳。

>なれーしょん

わたしはストップウォッチを押した。
我が子を我が胸に抱き寄せる、ロシア人母のマルタ
そのとき吹き出した青酸ガス、母は子をかばう、吹きかかるガス...
母マルタは体を盾にした。
ガスに覆われる子供マルタ、その何も知らぬ瞳

なぜ、ストップウォッチを押せたのか
なぜ、目を背けなかったのか
なぜ、わが妻、わが子を思わなかったのか
なぜ目を開いてみていられたのか....

わたしはロシア人親子マルタを殺した
あのときあの子の澄んだ瞳
悔やんでも流す涙は届かない
37年目....

>「友よ白い花を」

同士よ生きよ、殺される最後の時まで生きよ
私たちに明日はなくても、次の世代には明日がある
この暗い監獄にも日の光の射し込むことを
信じよう。
妻よ子よ、いつの日かこの地にきて欲しい
そのときは忌まわしい傷跡もなく
人は古い恨みを忘れるだろう
空には明るい太陽があり、
地上には和やかな集いがあるだろう

友よ、愛しい人よ。
私たちの墓が見つからなかったとき
白い花をただ置いていって欲しい
人が殺し合いをやめた証に
地上を白い花で埋めて欲しい。

マルタの死を、歴史の戒めとし
永久の不戦を誓い合って欲しい
永久の不戦を誓い合って欲しい

  なにやら感動的な歌詞であるが、本質あまり変わってないような…。 こういうテーマ丸出しな歌は悪趣味だと思うんだがな…。 もののけ姫が気に食わないのと同じなんだが。

2001年7月17日

Silence感想文。 一度は日記に書いたがジャマくさいので別ファイルに追放。

よほどの作品でない限り誉めるよりけなす方が楽しい。 そして、よほどの作品であればあるほど誉めるのはむつかしくなる。 「〜〜がいい」を連発したところで良さは伝わらないからだ。

ゲーム感想文の目次に ちょっとした点数と日付をつけた。点数は現在の点数なので、 点数が低いのに文章は誉めちぎってるとか、点数高いのに酷評してるとかいう ことがある。そんなもんだ。オレは忘れるのが早いので、むかしおもしろかっ たからと言って特別扱いはしない。いまさら痕をご本尊に据えておいても 仕方あるまい。歴史的価値はもちろんあるが。

二重影完了。やっぱり思った通り誰がヒロインでも同じだった。 エロシーン回収以外の意味はない。 むしろエロシーンの媚薬の註釈を読むためと言うべきか。 それにしても、 オレはこの作品のどんな要素をおもしろがっているのだろう。 間違いなく良くできたシナリオや、謎解きのおもしろさが第一だ。 そして次に来るのは熱い展開とかっこよさ。 そして次は服装やら武器やらしゃべり方やら無限の住人丸出しノリに 対するツッコミだ。 けっこうキャラの人格はどうでもよかったりしてるかもしれない。 双厳がかっこいいのは確かたが、魅力的かと言われると微妙なのである。 楓玲とか桔梗とか命とかはそういう役割を負ったヒロインであれば そのうちの誰でもいい。十兵衛はかっこいいし魅力的だが、別に十兵衛萌えー と言うほどでもない。 そうやって考えていくと、実はキャラとしては作者(SCA-自氏) が一番好きなのではないか という気がしてくる。隆慶一郎の作品を読んでいるとキャラよりも むしろ隆慶一郎に魅かれるのだが、それと似たような感じだ。 作者の視点モロの地の文といい、 いちいち現れる註釈といい、あの謎解きといい、熱い展開と剣術ロマンといい、 硬派な世界の割に炸裂するご都合主義な女の子といい、 何もかもが実にいい。作者の心意気というか趣味を讃えたくなるのである。 思えばファントムもけっこうそうだった。 ただ、二重影の方が変で独自臭いのでこっちの方が評価は高い。 それに「何!そうだったのか!!」がオレは大好きなのである。 ファントムにはそれがない。

例の歴史教科書

  新しい歴史教科書という奴を立ち読みしてきた。話題になったものだし 買っておいてもよかったのだが、ああいう類のものは持っているだけで オレの人格が疑われかねないのでやめた。

  さて読んだ感じだが、そんなにすごくはない。 ちと情緒的な描写が多いのが目につくくらいだ。 書いてある内容はともかくとしておもしろいのも確かである。 ちと情緒的すぎるし一方的な記述が多い気もするが、 今までのつまらん教科書を打ち破ろうという 最初の本なのだからこれくらいは仕方ないだろう。 教科書の選択肢の一つになったというだけでこれを使えと言っているわけでは ないのだし、そんな大した問題ではない気がする。 確かに部分だけ取り出せばヤバげなところもたくさんあるが、 必ずその後にはフォローが入っているのでそれほどでもない。 検定前はけっこうヤバげだったようだが、検定の結果どうにか体裁は整った ようである。いろいろ未熟で学術的なレベルは低そうだが、 歴史を単なるデータベースからストーリーに変えようとする志は良く出ている。 もっと勉強してレベルを上げればちゃんと従来の教科書に対抗できるものに なるのではないだろうか。

  ただ、これが有害だという意見もわからんでもない。 きちんと文脈を理解して「所詮教科書と言っても誰かが書いたもんだ」 ということを理解して使えばいいが、 教師が自分で信じたいことを補強するための道具として 使うとかなりの害になる。つまりバカ右教師が使うと困るということだ。 そしてこの教科書は実にそういうふうに使いやすい出来になっているのである。 幸か不幸か従来の教科書は無味乾燥でつまらないがゆえに そういう使い方がしにくかったのだ。

  また、芸術について「美しい」のような言葉を書きすぎているのが目につく。 見て美しいと思うかどうかは本人に任せられるべきで、 美しいと言葉で言われても困る。もっとも、ガキんちょがあの手の芸術を見て もなんとも思わないのが当然なわけで、美しいとでも書いておかないと 何も感じてもらえないというのも事実ではある。ただ、もうちょっと書きよう はあったのではないか。そのへんは書き手のレベルの問題だろう。

  結局のところ、おもしろかったが自分が教師なら使わんな、という程度。 教室に参考として一冊置いておくくらいはいいかもしれない。 立場の違う複数の資料を見るのは歴史の勉強をする上でかなり大切なことだろう。

  そういえばあまり関係ないが、 うちの弟が七三一部隊の蛮行を題材にした歌を合唱部で歌わされたらしい。 歌詞をメールで受けとったが実にひどい歌詞だった。せっかくだから少々紹介して おく。混成合唱組曲「悪魔の飽食」だそうだ。 二曲目の題名が「生体の出前いたします」。 歌詞がしょっぱなから飛ばしていて、 「より取り見取り お好みをおっしゃってください。 男、女、若いのから年より、大中小、細いの太いの、白いの黄色いの何でも、中国 人、ロシア人、モンゴル人、朝鮮人。 どれでも実験材料のリザーブをどうぞ」。 挙げ句の果てには、 「発病し、生き延びたマルタは凍傷実験。 飢餓、水断実験、感電にやけど実験、空気静脈注入実験、胃腸の位置を逆転する胃腸 返し、馬や猿による代用輸血実験。 どんな実験も731では思いのまま」。 こんなものをクソ真面目に正義面して歌わせようというアホ教師 が公立高校(仙台一高)に存在しているのだから、 あれくらいの教科書が出てくるのも歴史の必然であるような気がする。 少なくともこの歌よりはあの教科書の方がずっとまともだろう。 そしてこんな歌を歌わせようとする教師よりは、 あの教科書を書いた連中の方がまともだ。 もちろんこんなひどいものと比べても意味はないが。

  なお、オレはこの歌に歌われた事がウソだと言うのでもないし、 この歌に歌われた事が本当であっても大したことではないと言うのでもない。 ただ、こんなセンスの歌詞の歌を歌わせて悦にひたるのがどう考えても アホだと言うだけだ。誤解されぬように。 なにせ「悪魔の飽食」で検索かけるとコンサート聞いて感動した とか言う文章が山と見つかって怖いのである。 なんでそんなに純真でいられるのだろう。 ところで、検索しても歌詞全文は見つからなかった。 リンクを貼ろうと思ったのだが残念。

2001年7月16日

ザッブングル6-10。ヘコむほどおもしろい。ヤバいほどおもしろい。 なんといっても、全くつまらなくないのである。 何かしら目をつむってやったり前提を認めてやらねばおもしろくない ようなものとは雲泥の差だ。 こんなもん人類に作れるのかとまで思う。一発で性格までわかるキャラデザ。 見せ場もありつつ少しづつ全体として進んでいく見事な構成。 そして一見コミカルな出来にもかかわらず異様なほど荒んだ世界と キャラクター。ぬるい漫画を描いている自分が いかに低レベルであるかを思い知ってしまう。 せめて心意気だけでもこういうものに対抗するつもりでいなければ 永遠に上には登れまい。良い物に出逢ってヘコむことを繰り返すのが 自分のレベルを上げるのに必要なのだということがよくわかった。

アニ同、漫研、研究室の合宿がそれはもういい感じに並んでいる。 せっかくだから全部行くか。いくらかかるか知れんが、最後だと思えば それくらい。

昨日久しぶりに洗濯して、これまた久しぶりに外に干したのだが、 あの雨が直撃してしまった。 久しぶりの洗濯だったので着る物がほとんどない。 天気予報は便利なものだったのだなと本気で思う。 もう8年は天気予報を見て行動を決めることをしていない。

ザッブングル11-15。勝てねえ。絵がうますぎる。立ってるだけでかっこいいのは 何かウソをついているからで、そのウソのつき方こそが絵のうまさなのだと思う。 小綺麗な絵なんてクソくらえだ。 そしてすばらしく荒んだ世界。楽しげなフリしているが、 その実体はイデオンと変わらない。みんな一生懸命に、しかし勝手に生きている。 キャラはみんなしてガキで、思いやりなんてかけらも感じないのだ。 人間なんて所詮一人なのだという監督の人間観がモロに出た素晴しい作品である。

リリちゃ箱のDISK2のレーベルに「Date Disk」と書いてある。DATAだよな…。

Silence(シランス)。とんでもなくシナリオがクソで電波だという評判なので 借りてみた。さしあたりいきなり発症してバッドエンド。 主人公がいきなり脳腫瘍で入院というのは新しいかもしれん。 病院ギャルゲー。今のところはあまり電波は見えない。

2001年7月15日

24歳になった。オレは今日生まれる子よりも二回り年上であることになる。

某所でキノコが流行っているらしい。気になる。ニャ氏もやりたいそうだが、 身近な人の中では一番ヤバい気がするぞ。

二重影(にじゅうえい)。 メチャクチャおもしろい。いろんなおもしろさをたくさん持っている。 ストーリー重視の人には特におすすめ。キャラごとエンドがあるのかどうかは 知らないが、今日見たのは命エンド。どっかから分岐するのだろうが、 これヒロインが変わったくらいでは 本筋は何も変わらないような気がする。 それにしてもおもしろかった。どうしようもなくおもしろかった。 やっぱり題材が新鮮でストーリーがよくできているのはいいことだ。 最近まともなストーリーものを見ていなかったので切にそう思う。 エロゲーとしてはストーリーの出来は文句なく最高レベルだ。 それでいてキャラまでいい味を出していて、さほど致命的じゃないツッコミ どころも残してあって、さらにタチの悪いことに絵までかわいくてかっこいい。 前作でほとばしっていた電波もいい感じに残されている。 まったくもって好みさえ合えば完璧だ。無限の住人F&C風味。 久しぶりにちゃんと感想を書こうと思う。本当に久しぶりだが。

シナリオと絵が同じ人くさい。どういうことだ。色まで塗ってる。 そんなことが人類に可能なのか。このハイレベルなシナリオと どっかで見たような絵とは言えハイレベルなこの絵を両方こなせる人間がいるのか。 ファンになってしまう。むしろなった。借りているだけでは満足できん。 終の空ともどもゲット決定。

あー、オレなんてダメだー。なんもできんよーな気がしてくるー。 ともかく就職してから考えるかー。しかしその前に何かを成し遂げておきたい。 自分で志して自分の力で成したという事実がほしい。 人に見せびらかせるものを作ったという事実が。 何をやっても素人の下手の横好きレベル を出ないような気がするというこの呪いを断ち切ってやりたい。 口ばかりではダメだ。作らなくては。物を生産しなくては。 アマチュアだということに甘えててきとーなものを作って満足していては話にならん。 いかに今の自分のレベルがカスであっても超えるべき 目標は最高のプロであらねばならないだろう。 比べるのも愚かに思えるほどの差を敢えて直視せねば上には行けん。

2001年7月14日

ダメだと言おうが嫌いと言おうが、 当人オレがそれを低く見ていることに変わりはない。

「萌える」の他動詞として「萌やす」を提唱したくなったが、日本語の破壊を 率先してやることもない。だが不便なのだ。 「萌えさせる」とわざわざ言わねばならないのは。 萌やせるものなら萌やしてみろシスプリ。

上のは例えばオレが「AKIRAはすごいけど嫌い」というような場合の話で、 一般的な話ではない。所詮オレの話。

ドリアン遅れてます。28到着の予定。

ザッブングル5話まで。銀河万丈の語りはどう聞いてもザッブングルだ。 それにしてもおもしろい。イノセントってなんやねん、という疑問が かなり強烈にある。3日たったことにはこだわらないのが普通という 設定もかなりそそる。ところで、見たい奴はいないようなので オレは勝手に見ることにする。こーへーにはオレがいない時に勝手に 見るように言っておいたので問題ない。

ゲームのシスプリに萌えないことの原因として、作者のキャラへの愛が感じられない ことがある。とらハと比べれば差は歴然だ。作者がキャラを一人の人格として 扱い、かつ愛を注ぐということが絶対に必要なのである。 作者が愛さないキャラを読者が愛するものか。 亞里亞を愛している者があんなシナリオを描けるはずがない。 このことは萌えキャラだけにあてはまることではあるまい。 嫌われる悪役を描く時でもやはり作者はそいつを一人の人間として扱わねばならない と思うのだ。 ただ、この場合は作者はそいつを愛する必要はなく、 嫌ってもいい。作者がそいつを嫌いだという気持ちが 強ければ強いだけ本当に深みのあるイヤな奴になるだろう。 なんにせよ深い想いなくてキャラが立つものか。 オレにとってつまらない作品の多くにはこの欠点がある。

順応

  最も耐えられそうにない世界だと思っていたシスプリに ここまで見事に順応してしまう自分が怖い。 ちょっと前まではバカにして忌避していたのだ。 人は成長するのである。 ところで、この文化に染まってみて初めてわかったことがある。 萌えもまた順応であり訓練であるということだ。 どんなに辛くても「辛くない」と言い聞かせながら観賞していれば いずれ辛い部分に慣れ、それ以外のおいしい部分がどんどん大きく 見えるようになってくる。 思えばこれは人間の性質として本質的なものだ。 コーヒーやら酒やらは普通に考えたら到底おいしいものではないが、 苦味に慣れるに従って苦味に覆い隠されていた良さが見えるようになる。 漫画を描くのだって最初は絵を描く辛さに覆い隠されて楽しさが 見えなかったが、慣れるに従っていろいろな楽しさが発見できた。 全てはそのようにできている。

  ただ問題は本当に慣れてしまっていいのかどうかだ。 例えばコーヒーが苦いのは体に悪いからである。 苦いのは体が拒否しているのだ。苦いけど体にいいものも確かに 多くあるが、多くの生物はこの感覚を信用して繁栄してきたのである。 コーヒーを常用すれば胃を悪くするが、 ギャルゲーを常用するのも何かヤバい気がする。

  しかし、別にいいやというのが結論である。 シスプリ萌えの怖い人という評判が立ったところで人にネタを提供するだけで 誰に迷惑をかけるわけでもない。「君がこんな人だったなんて!!」と 何度か言われたしこれからもっと言われるような気もするが、 まあいいや。考えないことにしよう。

  考えないことにしようと思えるあたり何者かの罠に落ちているような気もするが、 まあいい。

KANONドラマCD

名雪

  この娘眠い。そしておまえ何歳だ。頼むから普通にしゃべれ。 かわいいとか萌えとか言う前にこいつ大丈夫かという気がしてくる。 国府田先生いくらなんでもムチャすぎませんか。

  「お母さん…気をつけてね」
フィッシャー提督の後ろ姿を見送る気分。 あるいは戦場の兵士が家族の写真を出したのを見たような気分。 事故る気満々。

  あゆと名雪、クロックが違います。

  名雪シナリオ。秋子さんが事故らなかったら、あるいはもっと巧妙に事故ってれば けっこういいシナリオかもしれん。いや、要は見る方がそういうところを無視 してやればいいということだ。

  泣き作りしすぎていて覚める。もう少し泣き時間を短くするなり、 緩急をつければよかったのだろう。だが、これでいいのかもしれない。 KANONはそういう作品なのだから。つまらない理性を ちゃんと鎖につないでおけば感動できるはずだ。 動いてはいけない。動かされるのが感動である。 もっと受動的にならねばこれの本当の力を味わうことはできない。 もっと素直になろう。これも訓練だ。

  最終章恥ずかしー。うわー恥ずかしー。こりゃすげー。悶えるぞこりゃ。 このCDの真価は泣きシーンよりもここだ。もっとも泣きシーンがなければ ここまで恥ずかしくはなかっただろうから、やっぱりあれでいいのだ。

あゆ

  事故るやら風邪ひくやら、 何かとダシにされる秋子さん。名雪聞いた直後だから余計にそう思う。

  これ、すごいわ。シナリオがすごいのか、このCDの作りがすごいのか。 なんにせよ目つむって微動だにせずに聞いてるとかなりくるものがある。 やっぱりこういうものは真面目に聞かねばいかん。

  名雪と違って最後の幸せ部はあまりこない。しかしその分泣きシーンの迫力が違う。 もっとも名雪のはツッコむ気満々で聞いていたので オレの心構えの差かもしれない。

まとめて

  この手のこっぱずかしいものを聞こうという時には理性などジャマだ。 評価してやろうなどと思った段階で真の味はわからなくなる。 目つむって感覚を砥ぎ澄まして聞かねばならん。 札幌生まれはこういう時に役に立つ。 雪やらなにやらの感蝕や風景が鮮明にイメージできるのは KANONを聞く上でかなりお得である。

  にしてもKANONに限らず作品は素直に観賞すべきだ。 ネタやら出来やらを考えるのは2回目以降でいい。特にこの手のものはだ。 それにしても改めて聞けば久弥も悪くない。むしろいい。 あゆ、ええ奴や。名雪、ええ奴や。

  にしても、祐一のヤサ男っぷりが多少気に食わない。 なんか妙に不自然だ。観客を意識しすぎているように感じる。 舞台くさい。

シスプリ挫折

  シスプリ亞里亞。途中から怒るのに疲れて心を閉ざしてしまった。 加えてイベントが少なすぎる。何も起きない。 結果ランクが「殺意」から「ネタ」に変化。つまり、どうでもいい。 あと気になるのは春歌と鞠絵くらいか。片づけちまえとっとと。

  春歌を始めたが耐えられなくなった。やめだやめ。こんな辛いことはやめだぁー。

  12人妹がベタベタ貼りついてきて辛い、というのがコンセプトなのはわかるが、 であればこそ一人一人は十分に魅力的でなくてはならないのではないか。 1電子系なら解けるが12電子系ともなると手に負えない量子力学のような そんなものであるべきだ。1電子ですでにお手あげであれば、そんなものは ハナっから挑戦する気にもならないのである。 善良で主人公を慕っていればそれでいいと思うのは間違いだ。 亞里亞だってだんだんまともになっていく話だと思って期待していたのに。 最後までアレ。オチもアレ。 ダメだ。もうダメだ。鞠絵とか春歌とかどんなシナリオだか興味はあるが、 今までやった4人から類推するにシナリオと呼べるものなどありはすまい。 あるのは場面だけ。つまりはシチュエーション。 つながりもなくただバラバラに置かれた小石にすぎない。 下手に出てりゃあつけあがりやがって。萌えツールの称号を冠するならば オレを萌えさせてみろ。

  断言しよう。ゲームのシスプリはクソゲーである。最初からわかっていたことだが、 こうもはっきりするとやはり腹が立つ。 やはりシスプリは自分で作り上げて萌えるものだ。 他人の作ったものに依存して萌えるものではない。もうよいわ。 さしあたって小説をよこせ。 ゲームの印象によってシスプリ全てを嫌うようなマネはすまい。

2001年7月13日

「ブレードランナー」。歴史的な作品だが、おもしろくはない。 オレは一人で映像深読みゴッコをして面白がっていたが、 横で見ている連中は辛そうだった。確かに普通に考えたらつまらない。 オレも辛くないと言えばウソになる。

「TAXI」。娯楽映画。車アクションはおもしろいが、それ以外はどうでもよかった。 そもそもオレには頭が悪いキャラを見て楽しいという回路はない。 クレイジータクシーにハマっている人はなにかとおもしろがれるようだが、 オレには無縁だ。娯楽としてよくできた映画ではある。

免許を更新してきた。

シスプリ15話上映会に参加。 亞里亞の話だが、かなり飛ばしていた。センチJ的な芸風が 強くまるでシスプリくさくない。これはこれでおもしろかったが、 あまりウケは良くなかったようである。確かにわかりやすくツッコむところが まるでないので無理もなかろう。基本的にシスプリ上映会は えんえんツッコミを入れまくりながら見るスタイルになっているようなので、 無言で真剣に見て後で語り合うのが良いと思うオレの姿勢は異端だ。 もっともギャルゲー文化初心者も混ざっていたので、 無言では到底耐えられなかったことと思う。

まさひろとえんえん娘太丸の絵はうまいなあという話をする。 ギャルゲーの絵描きで娘太丸ほど絵がうまいように思える人は知らない。 オレは絵のことはわからんが、 リズムとか流れとかそんなものがある気がするのだ。 感情とか空気とかが伝わってくるのがいいのである。 基本的に一生懸命(がんばって測量してそうな、あるいは試行錯誤してそうな、の意) しながら描いてそうな絵よりも、 サラリと流れるように、あるいは勢いで描いていそうな絵の方がオレは好きだ。

シスプリキャラ分類アニメ版。

問題なくかわいい
衛、鈴凛、咲耶
バカだけどかわいい
四葉、白雪
わからんけどかわいい
千影
ノーマル
鞠絵、春歌
大丈夫か
可憐
ごめん
花穂、亞里亞、雛子

「寄るな」とか「殺意」とかがないことから、 アニメ版はキャラの魅力が総合的に高いのだと言えよう。 とりあえず咲耶の躍進ぶりが素晴らしい。 なお、「ごめん」は苦手という程度の意味だ。 「寄るな」や「殺意」は相手を責める気持ちがバリバリだが、 「ごめん」はどうにも付き合ってあげられそうにないという罪悪感が絶妙に混ざった 感情で別に嫌いという程でもない。微妙である。 なお、そのうちまさひろから小説を12人分借りて読んで またこういう分類をしてみる予定。

ザブングル到着。土曜の朝から見るが、見たい人は来るように。 ありがとうございます滝沢様。

今日のアニメ地獄は辛かった。セラフィムコールはともかくその後のが致命傷。 明日のザブングルが楽しい時間になることを切に願う。

設定、絵、声、ストーリー、シチュエーション。この5つだけではオレは萌えない。 結局のところ大切なのはそいつがどんな奴であるかが伝わってくることであり、 伝わってきたキャラの人格がオレの好みであればなおよろしい。 さまざまな状況に及んでキャラがどう行動するのかを見て、 オレはその人格を想像し、頭の中に像を構築する。 萌えるのはその後だ。シスプリのゲームが萌えないのは その段階がまるでないからである。あまりにお約束に頼りすぎている。

ザブングル第一話味見。これ、たぶんメッチャおもろいわ。 明日耐久レース決定。見たい奴は朝早く(10時とかには)来ること。 こーへーとオレが起き次第始める。 一話は見てしまったが、人が来たら一話からやるので安心してよい。

DVD微妙にコマ落ち。Duronの600MHzで足りないわけがないと思うが、 PowerDVDって遅いんだろうか。ビデオがSiS730だから遅い、 なんてことはないと思うんだが。とりあえず一時的にクロックを上げてみよう。

セラフィムコール

  セラフィムコール全話。 読者参加ゲームだったらしいが、コンセプトがわからない。 世界観と言ってもいいだろう。シスプリなら妹でわかりやすいが、 これは一体なんなのだ。未来、というのが大きいのは間違いないのだと思うが。

1話
主人公の上がり症がやりすぎで辛い。 町が爆発するって時になにやっとんねんおまえ、と思ってしまう。 が、そういうものなのだと思えば見られないこともない。 なんにせよ背中から生える服やらベッド、それに巨大ロボットといった 小ネタを楽しめばそれでいいのだろう。
2話
カメラがぬいぐるみに固定されているというのがおもしろい。 が、話そのものやそこに込められたキャラの心情は単調。 おもしろくはない。
3話
離婚家庭を舞台としたシブい話。家族と夢の間で揺れる主人公の心。 オヤジがシブくていいしよく描けている。 ただ、地味だ。
4話
ありがちな女の子の喜びに目覚めようという話だが、 場面の順序や構成がややこしくておもしろい。 技術的にはおもしろいが、それで表現したいことがいまひとつわかりやすすぎるのが 辛いところか。なお、最後のオチはかわいそうでいい。
5,6話
双子のそれぞれの視点。対称構造。 夢と現実の区別が次第につかなくなってくる。 最後にケガでそのへんがわかるあたりがおもしろいが、 けっこうそのころにはいろいろ覚えてなかったりする。 最後にオチもつくし、まあいいか。
7話
数学話。変で良し。少々鼻につきはするが。
8話
サンダーバード。痛い。
9話
青臭い話だが、シブくいい。ただやっぱり青臭い。
10話
漫画家の話。主人公の描いた漫画のコマが次々と映されるの演出がおもしろい。 ただテーマが見えすぎる。複数の人間の間で世界の共有が可能か、というテーマは 昔から根強いものだが、こうまでハデに語られては引かざるを得ない。 漫画家であることを隠しているあたりのムチャさは微笑ましくて気にならないのだが。
11話
一人芝居。2話のぬいぐるみ隠しカメラと同様に試みとしておもしろい。 脚本やカメラもふるっている。主人公の演技もいい感じだ。
12話
キャラが2人づつ出てくるのだが、リレーのように一人づつ入れ換わってゆく。 まさに総決算。話はどうでもいいが、会話がバラエティーに富んでいておもしろい。

  実験アニメという感じでなかなか興味深かった。だが、それだけだ。 全般にやりたいことが技術とか構成についてのことなので、 キャラの心を表現することは二の次であるような印象を受ける。 キャラ萌えの男としてはあまり歓迎できない。 言うならば技術に心がこもっていないように感じるのだ。 「ふむ、おもしろい」という感じか。 萌えさせろとは言わんが、もう少ししみ入るものが欲しい。

有象無象

アウトランダース
そこそこ動いてはいるが、そんなことはどうでもいいのだ。 話がクソ。真鍋譲治という段階でオレにとってはダサくて辛いのだが、 ここでは敢えて真鍋譲治は無罪としたい。脚本がダメすぎる。
アイドルプロジェクト(2話だけ)
あの人体がそれはもうよく動く。そしてやりたいことが非常にはっきりしている。 煩悩に満ち満ちたストレートな作品であり、作り手の男っぷりが よく現れている。が、オレはどうでもいい。
妖精姫レーン(第一話のみ)
大地丸出し。昔の定石ストーリーをことごとくバカにしようという コンセプトなのだろうが、それにしても痛い。超高速の空回り。
バブルガムクライシス(最初3分)
う。今日は勘弁してくれ。

2001年7月12日

シスプリ1st。千影非血縁バッドエンドかと思われる。 とりあえず、どうしようこれ。 少なくとも言えるのは、オレを萌えさせようという作りにはまるで なっていないということだ。 典型的なパターンをやりすぎにやりすぎてネタにするという コンセプトにしか見えない。 その中でも鈴凛や衛は普通にかわいいので萌えられるかとも思うのだが、 これが亞里亞ともなると確かに殺意を覚えるほどになる。 現状の分類は以下のようになっている。あと数回はやる予定なので、 これがどう変わるかはまだわからない。

問題なくかわいい
衛、鈴凛
バカだけどかわいいかも
四葉、白雪
うっとうしげだが普通
可憐、鞠絵
微妙にジャマくさい
花穂、春歌
ネタ
千影
寄るな
咲耶、雛子
殺意
亞里亞

なんで人気ありますか亞里亞。アニメの方がけっこう別人なのは英断だと思う。 こんなガキには付き合い切れない。

シスプリ2nd。鈴凛血縁エンド。どういうふうに妹じゃないことが 発覚するのかを見たかったのだが、まあ仕方ない。 一体どの選択肢で血縁度が変化するのかが全くもって謎なのでどうしようもないのだ。 あと、このゲームは攻略ターゲット以外に情をかけるとロクなことにならない ことがよくわかった。情にほだされて衛と朝ジョギングに行ったばかりに 鈴凛のイベントを一つ逃したっぽい。CGも6割くらいしかない。何故。 ところで、鈴凛はやはりいい奴である。 さて、次は殺意を覚えた亞里亞。嫌いな奴の印象がどれくらい好転するのか 興味がある。

シスプリvsハピレス。学者が書いた文章とは思えない。 あんた一体いくつなんだ。ところで、ゲームとして楽しませることを意図していない という意味で萌えツールというのは正しかろうが、 それは今に始まったことではない。ゲーム性を云々するのであれば 雫の時点ですでにシナリオツールであってゲームではなかろう。 To Heart以降のそれはほぼ全て萌えツールである。 ただシスプリやハピレスが少々あからさまなだけだ。 確かにこのあからさまさは革命的であろうが。 しかし本当にシスプリは萌えツールなのか。 おいしい設定ではあるが、 こいつらが横にいたらと思うと到底耐えられるものではない。 いや、衛と鈴凛は別だが。

ところで、この最初に攻略対象を決めてしまうシステムには どういう意味があるのだろうか。加えてこれを決める前にセーブできないので 妹の数だけオープニングを見ねばならない。バッドエンドが存在しない ゲームならばこれも意味があろうが、12人平等エンドが存在することは すでに確認済みだ。12人分のパラメータ管理やら分岐管理をやるのが 面倒だっただけなのではと疑ってしまう。 あと音質悪いです。

ごめんなさい。亞里亞を選ぼうとしたら手が勝手に衛を。 てなわけで3rdは衛非血縁。極めて普通のシナリオ。 妹じゃないことが発覚するにしても驚きというものがない。 もうちょっと何か理由はないのか理由は。 ところで、この複数回やる気にならないシステムはどうにかならないのだろうか。 あまり頭の沸いたシーンもない。

20017月11日

FreeBSD機がうるさいので電源のファンを止めてみた。加えてCPUファンを ただのヒートシンクに換えてみた。元から300MHzだったが、ファンを外すと温度が 上がってくるので250MHzにして電圧を2.2Vから1.8Vに下げてみた。安定。 K6-2も500MHzを250MHzにまで落とすとけっこう低電圧で回るようである。 これでめでたく回っている機械はハードディスクのみとなった。 こうなると際立ってうるさいハードディスク。 だが問題はFreeBSDマシンよりもむしろwindowsマシンなのだ。 Duronだけに絶対に静かにはならない。 ところで、250MHzに落としても実用上さして問題がないのが感動だ。 文章打ってサイト見て回ってメールなんて状態では200MHzあれば 十分なのである。

まさひろからお借りしたシスプリを開始。オープニングの 兄呼称12連発でさしあたり死。今夜ゆっくりやろう。 にしても画像粗いな…。

女と美少女は違う生物なので、萌え萌え言っているからといって 必ずしも女の一面だけを見ているとは言えない。 しばしばオッサンと美少女が異った文法で描かれるという事実から考えれば これは妥当な考え方であろう。同様にやおいファンにとっては 男と美少年は違う生物なのだと考えられる。 しかし、同一視している人がいないとは言わない。いや、いるだろう。

ときメモにせよTo Heartにせよシスプリにせよ製作者側は半ば以上ネタ (=冗談、あるいはギャグ)の つもりだったとしか思えないが、観賞する側が必ずしもそういう視点 でいるとは限らない。この3つの例で言えば確実にマジ萌えしている人が たくさんいるはずだ。冗談を楽しもうという気持ちで入った後 しだいにマジ萌え化してゆくならまだしも、ハナっからマジ萌えなのは 多少怖いものがある。しかしながらハタから見ればハナっからであろうと 後からであろうとマジ萌えはマジ萌えなのであり、結局は怖い人だ。 そのへんも自覚がないと社会生活をまともに営めない。 さあオレもだんだん怖い人になってきました。みなさん引かないでください。

生身シスプリのCDを借りた。一曲聞いたが、さしあたりこうやって数人が 合ってない音程かつ地声で歌う奴はちと辛い。昔から光ゲンジとかは辛かったが、 同じだ。これが対抗しているモーニング娘とやらもそんなんなんだろう。 曲も何やら痛い。無理に今風にしようとして空回りという感じだ。 遠くて大きなものがゴウンゴウン回っているのが見える。 ちゃんと聞いてから感想を言うべきだろうが、耐えられないというか 聞く気にならない。とか言いつつもう一曲。シャカシャカ言ってる伴奏が やかましい。メロディが弱い曲は好みじゃない。 しゃべりが入るのも痛い。 これも無理をしてそれっぽくしているようで非常に辛い。声が聞こえんのだ。声が。 これが今風なのだと言うならオレは今に生きなくていい。

ホームズ

  名探偵ホームズのアニメについてさる方からお便りを頂いたので ここに掲載します。

  名探偵ホームズはイタリアの国営放送局との合作で、 もともとは両国でテレビシリーズとして同時放映する 予定だったのですが、イタリア側の事情により制作が 中断され、フィルム4話分と作画2話分が完成した時 点で未放映となっていたものです。 その後、84年3月の「風の谷のナウシカ」の併映とし て「青い紅玉」と「海底の財宝」が公開され、その後 製作開始から3年半を経て1984年11月からTV朝日系で 放映されました。

  「青い紅玉」と「海底の財宝」はTV公開版と劇場公開版 で一部キャスト、役名、セリフ、BGMなどが異なります。 宮崎駿が制作に関わったのが「小さなマーサの大事件」、 「ミセス・ハドソン人質事件」、「青い紅玉」、「海底の 財宝」、「ドーバー海峡の大空中戦」、「ねらわれた巨大 貯金箱」の6作品で、御厨監督制作「ブンブン!はえはえ メカ作戦」の原画の3/4を宮崎駿が当時在籍していたテレコ ム・アニメーションが担当している。 これらは国際共同制作という潤沢な資金環境のもとに、当時 のTVシリーズ30分ものが普通3500〜6000枚のセル枚数だった のにたいして、毎回10000枚前後という尋常ではない数が描 かれていたのである。

  86年8月に「天空の城ラピュタ」と併映された「ミセス・ハ ドソン人質事件」と「ドーバー海峡の大空中戦」はTV放映さ れたものを劇場公開したものです。

  勉強になりました。

2001年7月10日

停電の時終了処理をし忘れてガチャンと停電したのだが、 その結果ハードディスクがクラッシュ。まさかこんなことになるとは。 幸いシステムごと止まったわけではないので可能な限りのデータを退避させ、 ハードディスクを新調して入れ直す予定。 研究室のファイルサーバとして立ちあげた奴であり、 すでにけっこうみんなが使っている。 誰かの大切なデータが飛んでなければいいのだが、どうだろう。 もし書きかけの論文が飛んでパーとかいう 事になったらオレの立場は極めてヤバくなる。 とにかく言えるのは無駄なことはしないに限るということだ。 50センチ隣にある機械にフロッピーで運ぶような状態も このような事故と無縁であることを考えれば悪いとは言えない。 それにしてもハードディスクは電源を切ると飛ぶのだということが よくわかった。もう絶対しない。

名探偵ホームズのうち2話。こんなハイレベルなものをどうやって毎週 作っていたのかまったくわからない。超人としか思えないレベルだ。

研究室サバ。unixである限りオレ以外の人間は手も出せない。 停電の時にはshutdown -h nowしてね、と言ったところで徹底されるかどうかは 不安だ。こうなれば非常電源を買って停電したら シャットダウンを自動にやるようにするしかない。 今日手配しよう。

やぶうち優「少女少年」I、II、III。全部同じようなお話だが、 続けて読むとその差が際だっていい。楽しく安心して読める漫画だ。 しかし、やはり破壊力はない。それでいいのだが。

ヴァイオリンを弾きながら歌えれば単音楽器という弱点が克服される。 宴会芸としては相当に魅力的だ。 そんな単純なことに気づかなかったのは弾きながら歌うのが不可能だと 思いこんでいたからである。両方に意識を回すのは確かに無理だが、 どちらかを無意識に自動化できれば勝機はある。 ピアノで両手をバラバラに動かすのと同じようなものだから可能なはずだ。 ちょいと練習してみよう。

某所で昨日の日記が 「幸せは身近なところにあったちうことに気づいたオタクの遺書」と 評されていた。その意図するところはよくわからんが、それよりも オレがオタクと認識されていたことが新鮮だ。 そりゃ考えてみれば当然オタクなのだが、 自分では本気でそうではないと思っているということが オタクと言われたのに違和感を覚えたことによって逆にわかったわけである。 なかなか興味深い。にしてもどういう意味だろう。 フィクションに満足を求めるのに飽きて現実を見始めた→ オタク廃業、という流れで「遺書」と言っているのだろうか。

DVDゲット。附属のソフトもちゃんと動くようだ。 ただ、windowsマシンの駆動音がうるさくてどうにもイヤな気分である。 FreeBSD機でDVDを見るようにすればいいのだろうが、 K6の300MHzではたぶんムリだろう。 CPUファンを静かなものに換えればいいのだが、 どれが静かかなんてわかりゃしない。どうしたらいいのか。

明智抄の始末人シリーズ(花ゆめ)。全体としてはいい話なのに ネタが圧倒的におかしい。空気がおかしい。 こんな感性はどっから生まれるのだろう。

2001年7月9日

山口美由紀「朝からピカピカ」全9巻。宇くんが。宙くんが。小夜ちゃんが。 本当にいい奴らなのに報われない。こうして大人になっていくのだな。 ああオレにはなぜそんな経験がないのだろう。 そしてたぶんこれからも永久に死ぬまで。 ところで、山口美由紀はオレが 少女漫画家の中でたぶん一番好きな人だ。一番すごいと思うとか、 一番おもしろいと思う人ではないが、一番好きだと思う。 幸せだ。正確に言うと幸せであろうとし、幸せにしようとするパワーだ。 だから例によってオレがこの世界には含まれていないことが悲しい。 一番こっちよりな宇に共感してしまうのはそういう思いがあるからだろう。 またストーリーに関しても安易に宙と小夜がくっついてしまわないあたりや、 最後にはみんな下宿してしまうあたりがどことなく真摯でせつない。 円満なエンドにしまいたい気持ちは少なからずあったことと思うが、 それではいけないと本気で思ったのだろう。この漫画家ぜったいええ人や。 しかし、若干真朝の先走りすぎっぷりが気になりはする。 比較的ストーリーに引っぱられた作品と言えるかもしれない。 1冊分しかなかったのを無理矢理引きのばしたとしか思えない漫画だけに無理もないが。

この手のいい人パワーが満ち満ちている漫画家はやっぱり少女漫画家に多い。 吉村明美とか山口美由紀、あとは全作品ではないものの樹なつみ なんかもそうだ。やっぱりこういう感性を男が持つのは相当に稀なことなのだろう。 そう考えると都築真紀先生がいかに恐しいお人かがよくわかる。 最初のうちは絶対女に違いないと思っていたのだ。

最近文章が悲惨だ。てきとーな感想文しか書いていない上に推敲していない のだから無理もない。可能な限りけなさないという 掟を設けたせいで緊張感がなくなったのだろう。 もっとまとまりのある話題でちゃんと文章を書けばいいのだが、 考えついたことを書くのはなんか恥ずかしくなったし、 どこかで議論されているネタに参入するのも怖い。 それにどうも他人にわかるように文章を書く能力が決定的に欠如しているような 気がしてならないのだ。

自転車が入院しているのでDVDドライブは退院までおあづけ。

すごいのを作るのは難しいがカスを作るのは簡単だ。これはあらゆるメディアで 言えることである。 しかしオレは作曲を長い間特別扱いしてきた。 それは明らかに一定以上の独創性や完成度がないものは作曲とは呼べない という思いがあったからである。 だが、まわりを見てみれば 幼少のころから音楽の修練を積んだわけでもない若造が作曲をして いる例など珍しくもない。思えば現代の流行音楽には形式性が見られ、 和音の進行も定式化されている。リズム楽器と低音さえ決まれば それに合うメロディを歌詞を加味してつければ良い。民族音楽やクラシックから 題材を取ってその風味をつけられれば独創性も高まる。 そんな悲惨で安易な作り方をしている奴はそう多くはないだろうが、 いないというわけでもないだろう。そして、そういう安易なやり方であっても 曲はできるわけで、独創性がなくても音楽としておかしいものにはならない。 似た曲を検索しさえしなければ別に問題はないのだ。時間とともに消える芸術 だけに絵や文に比べると似ていることがバレにくい気もする。

シスプリCDドラマリアルタイム感想文

  ヘタッピな歌。

  いきなり「大好きなおにいちゃん」爆発。 飛ばしてます。やりすぎです。 そしてBGMはカノン。やはりやりすぎです。 全くもって爆笑せずに演技をできる声優という人々は本当にえらいですね。 この脚本書いた奴前へ出ろ。ちょっぴりが、ちょっぴりが。初めて会うのに 大好きってどういうことですかあなたがた。運命の人とまで言います咲耶。 おまえドイツだったんか。だからその反動でやりすぎに日本文化人なのな春歌。 にしてもやっぱり激しいBGM。四葉…飛ばしてますな。雛子は 存在自体がやりすぎです。やりすぎのイデアが具現化したような声。 鞠絵は普通だな。慕いっぷりがおかしいのは他の11人と同じだが、 それさえ認めれば普通。白雪BGM春かよ、しかも第三楽章。 あの曲好きなんだがこの白雪のやりすぎ度とのギャップが。 ぐわあ白雪。なんでこんなにサブキャラっぷりが爆発してますか。 こいつは生まれついてのサブキャラだ。鈴凛もその点は同じだなこりゃ。 サブキャラのイデアな具現化したような奴等だ。しかし鈴凛はまだマシか。 衛。普通だなこいつ。ヒロイン度高い。千影。キャラとしてはやりすぎっぷり が高いのに、あまりそう感じないのはどういうことだろう。このキャラのくせに ヒロイン度高い。「実際に兄君のくちびるから私の名前を呼ばれるのを 聞くことができる」は名台詞かもしれん。にしてもあかりと同じ声ってのがわからん。 こんな感じだったらKANONの香里も別に違和感なかったような気もするんだが。 おや、咲耶と可憐と雛子が出逢ってるが、 12人終わったのか。と花穂が出てきた。忘れてたわい。花穂…本当にドジ属性 しかないのかおまえ。転ぶだけでは戦いには勝てないぞ。 咲耶、そこの「そうねぇ」は誤解されます。 後のセリフをかっさばいたら即マッドテープだ。 ちょっと待て亞里亞出てないぞ。あ、出た。くすんしかないのかおまえ。 しかしこのしゃべり方だけで十分武器になるか。 こいつら。こいつら。あ、終わった。

  花穂かこの歌。声の聞き分けは苦手だ。

  感想文というよりはむしろツッコミ。 今回思ったのはシスプリの声マッド作ったら 死ぬほどおもしろいんじゃないかと言うこと。 あと、声だけだから必然的に聞き分け能力が育つなあということ。 それと、今回で漢字全部覚えました。SKK(漢字変換エンジン)が。 まあいいや。終わる。

シスプリ歌集

  最初に断わっておくが、オレが買ったんじゃないぞ。CDドラマも。まさひろだ。 借りたんだし感想言わな失礼であろう。

可憐の人
ヘタッピである。あまり味にもなってないし役にもなってない。低音が辛いのだろう。 3つくらい上に移調してやれば歌いやすそうだが。最近は多くの人が調によって違う曲 に聞こえる耳をもっていないのだから。と思ったが高音もダメだな。 単純にヘタッピということか。4度のジャンプでこれだけ外れるというのは訓練 を積んでいない証拠だ。曲はどっかで聞いたように普通。
花穂の人
ヘタッピ、か。たぶんヘタッピだが、この声だと味になる。 うん、ヘタッピだ。確実にヘタッピだ。わざと外しているわけじゃない。 しかしこれはもう味だ。かなりのパンチ力だと言って良い。 なお曲は普通である範囲内で妙だ。つまり作曲も下手ということか。 終わり方もかなり唐突。進行も変。やっぱ変だ。うん、変だ。よし、変だ。
衛の人
役で歌えてはいる。そう下手でもない。良し。 曲は何かおかしいがそこそこいい感じで普通。 と思ったがこんな変なメロディは歌いにくかろう。ボロが出る。ああ出てきた。 役で歌えてない。低音を使いすぎたのだ。 この人は220Hz以下で演技をできる人じゃない。 加えてこうも音程ジャンプが多くてテンポが速いとついていけない。 結局まともに役で歌えてたのは最初の20秒だけで、一回ボロが出てからは ついに戻ることはなかった。
咲耶の人
おお、曲が普通だがズバ抜けてまともだ。明らかにランクの違う人が書いている。 あるいはパクリ度が高い。どっちかはオレには判断がつかん。 しかし歌の方は普通。4分の1半音ほど上がり切らないのが気持ち悪い。 あと思い切りがない。下手ではないが、その2つのために印象が悪いのだ。 音が上がり切らないのも思い切りがないからだろう。 それにさして役でもない。普通に歌ってどうしますか。 あああ、こんな変なことやっちゃって。あまりスキルを必要とする作曲 はよくないなあこの手のものには。ところで終わり方が多少拍子抜け。
雛子の人
達者だこりゃ。役だし。うまいし。ただ音量バランスが良くなくて 伴奏がデカすぎるのが痛いか。作曲もいい感じかもしれん。 あとはおそらく2つから4つほど上に移調した方がいい。 この手の萌え声と低音は相性が悪いと思かろう。 それでも不自然でないあたりもこの人のレベルが高いことを伺わせる。 ただ、この声がやりすぎなのは変わらんが。
鞠絵の人
曲がそれっぽい。歌も下手じゃない。が、歌いやすいというのもあろう。 さあ最後までボロが出ないといいが。う、ちょこっとボロ。 しかし総合的に言って高得点。このレベルなら役と言える。 にしてもこの曲繰り返しがくどい。ここしか考えてなかっただろ。
千影の人
千影ということがわかりやすいでだしでよろしい。邪教の館につなげたくなる。 う、音程が。それに千影度が低い。 やはりある程度うまくなければ演技どころではあるまい。 それにどうやってもこうなる気もする。そもそも千影度が高い歌い方というのが 想像できない。仕方ないか。もうちょっとドスが効けばいいんだろうが この力量では無理だろう。曲は普通このCDの中では標準的なレベルか。
春歌の人
これまたわかりやすいでだし。パクリくさい。非常に切り貼りくささが目立つ。 連続6音以上音程・リズムで一致するのは危険です。 まあそれはいいとして、この人歌下手だ。下手である以外は普通。 春歌というキャラの印象が薄いので役が云々も言えない。
鈴凛の人
これもまた達者。曲もいい感じ。歌がそんなにうまいわけではないが 役になってるし、外れ方も味だ。ただ、芸音域から外れて高い音が 突発的に入るとボロが出る。そのへんは精進を期待する。 役度がいいリズムで変動するので、全体としての役度がかなり高く感じる。 そこだけ聞いたらまるで鈴凛じゃねえ、という場所がいい感じに散らばっているのが いいということだ。
四葉の人
わかりやすすぎて眩暈がする。いきなりチェキ、チェキ、チェキだ。 歌の方は思い切り不足。スキルに不安があるからだろう。 お、だんだんマシになってくる。最後付近の思い切りが最初からあれば印象が だいぶ違うのだが。 ところで曲の方は変だがまあ元気があってよろしい。 オチのついた終わり方。
白雪の人
歌詞が異様に聞きとりやすい。そして白雪以外ではありえない。 しかし、悲しいかな声の白雪度がさほど高くない。 しかし卒直な感じのこの声は好感がもてる。 それに歌が下手じゃない。最後の方には白雪度もかなり上がってくる。 この転調した後の裏返りっぷりは白雪っぷりと言い換えても良かろう。
亞里亞の人
もう亞里亞もクソもない。普通に歌ってどうしますかあなた。 曲はちゃんとしてるし歌もまともなのだが、それでは意味があるまい。 もっとも、あの芸風で歌うなんてのはほとんど不可能か。 前言撤回。この曲なんか構成として変だ。ローカルにはいいのだが、 グローバルにおかしい。終わり付近が唐突。

  後ろに12人からのお手紙が。相変わらず音楽と中身のギャップが狙いすましている ようで良い。演技も中身も申し分のないシスプリっぷりだ。 咲耶これはすごいなおい。 それにしても鞠絵は普通のキャラである。 千影やっぱおもしろいわこんな脚本書けるか。ぶは、ないわ! (「兄君もそんなことないかい」に対するオレの声)。 「新しいお振り袖を新調」はちょっと。な、「なれますか」。なりたいじゃなくて 「なれますか」。これ書いた人かなりふるってるわ。ネタだネタだと思っていたが ひょっとしてこの脚本すげえかもしれない。四葉アホ度高くていいなあ。 歌もこの調子でやってくれりゃよかったんだが。白雪キャラ立ってるのう。 しかしこのサブキャラっぷりが哀れでならない。亞里亞。アニメほどおかしくないな これくらいのテンポだし。アニメがやりすぎているだけとも聞くが、 だとすると亞里亞まるで特徴ねえ。アニメのやりすぎは正解だろう。

  終わった…。

  皆がどういう動機でこの手のものを買うのかは知らないが、 やはり役でなければダメなのではないだろうか。 タイムボカンシリーズの3悪の役っぷりを見習って頂きたい。 まああれは達人の域なので比べるのも可哀想ではあるが、 これでは生身で売り出すなど夢また夢であろう。 是非歌のスキルも磨いて頂きたい。下手でも味になるといいのだが、 それにはまず思い切りだろう。 やっぱり、あのキャラが歌ってる絵を想像できるような出来を期待したいものだ。 歌ってるところをアニメにして頭の中で再生できるくらいがよろしい。 部分的にそのキャラっぽくないのは、かえって全体としてのキャラっぽさを演出 するのでいいのだがなあ。このCDは鈴凛の人が一番そのへんがいい。 花穂の人も良し。雛子の人は出来すぎててもう何も言いません。

  ああ疲れた。最近日記ネタがないからってここまでやるこたあなかったか。

2001年7月8日

アニ同七夕コンパ。やっぱり楽しい初対面。今木さん。 加えて屋外でのコンパは久しぶりだったのでとてもいい気分。 にしても、さすがにアニ同だけあってみな異様なほど物を見ている。 見ねば。さしあたってDVDドライブを入手してこよう。今日にでも。

その後場所を移動していろいろ。「ぱんだこぱんだ」 はすごかった。ストーリーの大筋は単純でいかにも子供用だが いろいろとツッコミどころが満載な上にどういう発想をしたらこうなるのかが 全くわからない。宮崎駿がいかに恐ろしい人物であるかが思い知れる作品だ。 実に竹薮がいい。それと「ポピーザぱフォーマー」。 変なCGアニメ。一回5分くらいでテンポが良くとにかく爆笑物だ。 これもセンス爆発である。世の中には絶対に勝てない人がたくさんいるのだ ということをこれ以上ない形で思い知れる。 最後にNOIRのプロモーションビデオ。プロモーションビデオとしての作りが あざとくてダサかったので点数が若干下がったが、 モノはそこそこおもしろそうである。見事なファントムっぷりだが、 まさかそれでは終わるまい。そういえば部分的にジーンシャフト。 顔が丸い以外にいまひとつウリがなさそうだ。とにかく全体にダサいし、 テーマであろうことをまんまセリフでしゃべっていて痛い。 でも顔は丸いのである。ほっぺたをひっぱったらよくのびそうだ。 さらに部分的に星界の紋章。なんかおもしろそう。原作は萌え度が低かったのが ネックだったが、アニメの方はなんぼかその点で強そうである。

話に登ったおもしろそうなもの。ようこそヨーコ、トランスフォーマー、 カムイの剣、ザブングル、セラフィムコール、アレクサンダー戦記。 手あたり次第に借りてやる。あと、やはりときメモはやらねばならんなあ と思った。シスプリ同様に。

「エンジェリックレイヤー」7話まで。だが6話がない。 なぜだ。慢心して一度コテンパンにやられて身の程を知る という大切な熱い話がなぜない。ちゃんとした奴を借りねば。 なお、このアニメめっちゃおもろい。もう第一話を見ただけで 最終話までの展開が予想できてしまう王道っぷりなのだが、 レベルが高いのでまるでそんなことは気にならない。 熱い展開が熱い。いいから次よこせ。 ところで、4話の鳩子くしゃみはかなりの萌えだ。 とか書いてると人格疑われるというか確信されそうだが、まあかわいいんだから いいじゃないか。

真下、覚えた。イートマンの監督だ。まるで動かないし原作と全然関係ないが 妙にかっこよかったのを覚えている。 NOIRの監督なのだが、そうと知れれば見ねばなるまい。 次第に監督とかの知識が増えてくるのが快感だ。 あとは声優の声を聞いてわかるようになるといい。 さあ、がんばってオタクの仲間入りをするぞ。 おもしろいものなんでも見せれー。

萌えは訓練だ。萌えられると信じて萌えればいずれ萌えられるようになるのである。 と、ここらで黒澤とスピルバーグでも見てバランスを取っておくか。

「影武者」。七人の侍などと違ってテンポが遅い。時間の使い方が倍くらい長いので、 どうしても今の感性にはかったるくなる。初めてカラーになったのが うれしくてついすごい絵を映そうとしたのかもしれない。 しかし、それ以外はイカしていた。トランペットも渋いし、 合戦シーンの馬の数はハンパではない。

研究室停電中。復旧したはずだがサバが動いていない。 停電復旧当番が電源を入れ忘れたようだ。オレが行かねばならんのか。

2001年7月7日

思えば当分パロ漫画を描く予定がない。 もう1年半の長きにわたって事実上パロしか描いていないわけだが、 それによってオレは所詮パロが描けない男なのだというのがはっきりした。 そもそもオレは原典を読みこむという作業が嫌いなのである。 キャラ萌えの男であるだけにキャラ以外はどうでもいいし、 キャラも一度オレの脳に入った後は原典など必要ない。 キャラが脳内で変質するのは当然であり、オレはそれを修正するために原典を 参照することにほとんど意味を感じないのだ。 パロディの長所は説明しなくてもある程度の了解が得られるとか キャラや根本設定を自分で作らなくていいとかいうことなのだが、 多くの作品ではこれがむしろ制限として重くのしかかってくるのである。 結局KANON以外のパロディは全てなにかしら辛かった。 なぜKANONがああまでやりやすかったのかはよくわからんが、 あれだけ流行ったことから考えてやりやすかったのはオレだけではあるまい。 KANONはオレにとって最初で最後の、つまりは唯一の花火だったのではないか。

正直に言おう。つまりパロに飽きた。 発作的にネタが降りてきて描きたくなることはこれからもあるだろうが、 パロを描く予定が外から与えられるのはもう耐えられんし、 パロを描く予定を他人に提供することにも意味を感じない。 わがままと言うかもしれんが、わがままで結構である。 物を作るのには本質的にわがままさが必要なのであり、 ましてそれが趣味の範囲なのであればわがままだけでやる方が自然だと言えよう。 ちなみに、シスプリで漫画を描くのが楽しそうなのでネタが降りてきたら まさひろのシスプリ本に便乗させて頂く予定。 シスプリは設定というきっかけしか与えられておらず後は好き勝手やって良いので 非常に楽しそうなのだ。アニメとゲームですでに設定が食い違っているという事実 からして、つまり公式なものなど存在しないとして良いのである。 つまり自分の描いたものも立場としてはアニメやゲームと対等なのだ。 なにしろ与えられるのは絵と兄への呼称とおおまかな属性だけである。 萌えるかどうかはどれだけ自分でそれに肉付けをして人格を作り上げたかに依存する わけで、実に積極的かつ能動的な遊びだと言えよう。 ところで、千影と言いたいところだが 奴は何故か人気があるそうなので多少引いてしまう。 そんなに萌えキャラなのか。オレはわけわかんない奴が大好きなので ツボなのだが、そういう人は少数派だと思っていた。 それともみんなネタとしておもしろいから投票してるだけでマジ萌えではないのか。

なんかもっともらしい理由をつけて、シスプリに萌え あまつさえ同人までやろうとすることを正当化しているかのような文章である。 だが、断じてそうではない。

弟(高1)の部活では麻雀とギャルゲーが流行しているそうである。 高1にしてシスプリというギャルゲーの最終形態と言えるようなものが存在している というのは果たして幸せと言って良いのであろうか。

2001年7月6日

漫画を描くのは大変だ。ワク線とかケシゴムかけとかベタとかフキダシとか、 なんか単純作業くさいことがかなり大変なのだ。 長いことコンピュータを使って楽をしていたのでそんなことも忘れていた。 特にベタははみ出さずに塗るだけでもかなり大変なのである。 思い通り体が動かないことをこれほどいまいましく思うこともそうない。 所詮オレのは漫画のマネごとにすぎんということだ。

自分の原稿をともかくも上げた。だがいきなり中表紙を描くことになったので まだ戦いは続く。ただイラストを描いても仕方ないので 何かネタを探さねばならない。

やぶうち優著「少女少年IV」及び「EVE」。いつの間にこんな流行り臭い 絵柄に変わりましたか。加えて中身まで微妙にキャッチーに。 にしても頭が何か沸いてるとしか思えないほどの恥づかしさ。 オレがこんなん描いたらあっと言う間に爆笑されてしまう。 こういうのけっこう好きではあるんだがなあ。

未来世紀ブラジル。頼むから誰か解説してくれ。 いろいろすごいのだが、つまりなんなのかがわからないので居心地が悪い。 一体作者は何を言いたいのか。しかしながら、それはそれとして 映像のセンスがズバ抜けている。特に異様なまでに爆発がすばらしい。 破片の飛び散り方から炎の加減、爆発と爆発の間隔やタイミング まで全てが完璧に思える。 もっとも爆発の質に着目するようになったのは最近なので もっといい爆発はいくらでもあるのかもしれないが。

アニ同例会の帰りに自転車が壊れた。変速機をいじった瞬間に車輪が ガクンと止まってしまい、何かと思って見てみると スポークに変速機がひっかかっていた。 絵にしないとわからないであろうかなり特殊な症状だ。 調整がおかしかったためにこんなことになったんだろうと想像はつくが、 何より困ったことにとれない。かなり強烈に噛んだらしく、スポーク が曲がっているほどだ。 やむを得ずスーパーの前に置いて歩いて帰ってきた。明日通った時に ルネまで運び、月曜に修理してもらうことにする。

アニ同でシスプリ話。オレも立派なダメオタクになったものである。 ともかくもゲームをやらねばなるまいな。 ところで同人をやるという上ではあれはけっこう強烈である。 あれは元から話がないというのが最大の強みなわけで、 制限らしい制限がないからだ。 ゼロから思いつくのに比べればはるかに楽でとっかかりやすく、 かつ発想を制限するほどのジャマはない。なかなかだ。 もっともオレが何回もアレで漫画を描けるとは思えんが。

ドリアンは16日前後に到着するものと思われる。心して待て。

2001年7月5日

コマ多い。よって人が小さい。ペンがちょっとブレるととんでもないことになる。 直径1センチ級の顔はザラだ。5ミリ級までいる。ペン入れさえうまければ。 ペン入れさえ。漫画スキルをおおまかに話、絵、演出と分割したなら、 絵は絶対必須スキルだ。話や演出はなくても漫画は描ける。 また、絵をデッサンやらペン入れやらデフォルメやらに分割すると、 ペン入れは絶対必須スキルだということがわかる。デッサンやらデフォルメは ショボくても見せられる漫画は描ける。 なお、必要であることと重要であることは必ずしも 一致しない。絵がうまかろうが話や演出がショボい漫画は総合的に点数は低い。 ペン入れがうまくてもデッサンができてなかったりデフォルメのセンスがショボければ やっぱり総合的に点数は低い。 描いて人に見せることができる最低条件として絵、普通の漫画の場合にはその中でも特に ペン入れ(正確に言うと思いうかべた通りに手が動く技術) というのが必要なわけだが、やっぱりそれだけでは話にならない。 むつかしいものだ。しかし必要なんだからやっぱりペン入れはうまくなりたい。 下書き段階でさしておかしく見えなくてもペン入れでズレた結果とんでもない 人体になったり画面が汚ならしくなったりするのはあんまりにも悔しいではないか。 言うならば頭が指令したもの、あるいは思い描いたものを見せてないことになるのである。 しかし同時に、オレは別にペン入れを見せたいわけではないのでペン入れを特に 練習しようという気にならんのがまた困ったものだ。 必要であることと重要であることは心理的には必ずしも一致しない。 設計が楽しいのはいいけどコーディングしないとか、 曲を思い浮かべるけど楽譜に書かないとか、 拳法の理屈はわかってミット殴る分にはいいけど いざどつき合いになるとうまくいかないとか、 オレはそんなのばっかりである。出力がショボくては話にならんと言うのに。

今日の気温(15時45分現在)。38.4度。換気扇2基フル稼働中。 アゴから汗がポタポタと落ちる中原稿。 ちなみに水道から出てくる水の温度も40度超である。

シスプリ14。可憐の電波っぷりが心地良い。がそれとは関係なく動かなすぎだ。 動くところでも秒間4コマ。一枚一枚が綺麗なことを重視すると言っても 限度というものがある。アニメは第一義的には動くからアニメなのである。 ところで次回は眠さで存在感をアピールする他に なす術がなかった亞里亞が主役らしく期待が持てる。

スクライドだったかスクライブだったかストライドだったかそんなの。 すでに通過したアニメだった。若本のナレーションが相変わらず企んでいて良いが、 そのために人生を30分も使えるか。

2001年7月4日

バンチ8。どうでも良さが読みたさに勝ってきた。そもそも親はが 復刻ってのはどういうことだ。新連載もよくわからんし。 あ、中坊が載ってるかわりに北斗2が載ってない。そんなバカな。 北斗が間に合わないことを隠すための細工かもしかして。

理性をもてはやしすぎるのをやめよう。だって理性はかわいくない。

朝6時コマ割り終了。

7時45分。配置構図アタリ終了。

学校行ってスケジュールを確認してきたところ、恐ろしいことがわかった。 明日中間報告会。どうしろと。

ある程度下書きしてると急に頭のクロックが上がって視界が晴れ上がり、 いくら作業をし続けてもまるで疲れないというハイ状態になるのだが、 まだそれが来ない。あれが来ないと、あれが来ないと、オレは。 ところで、もしあれがどつき合いの時に来たらすっごく便利なのではないだろうか。 どうにか意図的に呼べるようにならんものかな。なんか出てるんだろ絶対。 その出てる物を飲んだら即そうなれるんだろが、そういう薬ってメチャクチャヤバそう。 たぶんバキのアレ。

たわむれに雫・痕原画集、何回見てもスッゲエ絵だよ。こんなの似るわけない。 ハナっから似せる気はないが。

10時半。フリートーク完成。ついでなので前回同様 トップ肖像画コーナー更新。

13時半。下書き全部完成。ではコピーを送る。明日の10時までに着くからねー。 完成原稿は一日待ってください。我ながらひどい奴よ。

17時。中間報告資料作成完了。

酷暑。天井付近の気温が39.8度。床付近の温度が32度以下(体温計なのでそれ以下は測れない) 。高度1メートル付近が34度。ちなみにクーラーをつけている。天井付近に たまった熱気を天井の換気扇から排出しつつクーラーという非常に間違った状態だ。 しかし、窓を開けて換気扇で排出しても外の湿気た空気が流れこむだけだし、 外の気温も30度以上はある。クーラをつけた方が湿気がとれる分まだマシだ。 原稿なんて描けるかオラ。紙が汗でシケてくる。

フロ帰り、photoshopで描いたような空が広がっていた。

キノコ食ってラリルレロなのじりが来た。 あぶねー。あんまり放っとけないので一時原稿中断。

のじりと絵がうまいということについて話す。まだラリってるのでなんか怪しいが、 ともかくもバンチで一番絵がうまいのはこせきこうじということで結着した。 「絵がうまい」ののじり定義は一般的な意味とはだいぶ違い、 一般的な絵がうまいはのじり的には「器用」となるようである。 これはBSマンガ夜話でいしかわじゅんが「絵が達者」 と表現していたのと同じようなものだろう。 確かに北条司の絵はきれいでていねいで器用だが、一方で何か微妙に変だ。 のじりは表情が死んでいると言っていた。確かに山下たろーの生き生きした表情に 比べるとあまりに死んでいる。のじりによれば部分は正しいが全体としては変なのだそうだ。 「こいつは目から描いてるな」などと言うあたりさすがにのじりである。 絵がうまい奴は絵に興味があるからうまくなるわけでさすがにのじりは そのへんの見る目があるらしい。絵に興味があまりなく よって上達しないオレから見るとのじりなんか超人に見えてしまう。

のじりが寝てるので原稿。久しぶりに生身、それもGペンでワク線とフキダシを描いたら えらい時間がかかった。生身の方が自由度が高いのは事実だが、 圧倒的に泥臭くなる上に時間がかかる。あんなもんは電気で十分だ。 しかしもう引き返せないので今回はセリフ以外フル生身。

思考機構

  考えるとはどういうことか。言葉と思考の関係はどんなもんだろうか。 イメージで考えるのか、言葉で考えるのか。しかしその前に言葉とかイメージとか言うのが そもそも何なのかが問題になる。結局脳のデータ保存フォーマットの問題だ。 たぶん脳はあんまり言葉とか画像とかを区別してないのだろう。 だいたい言葉で考えると言っても字の画像イメージやら声の音イメージやらが どうしてもついてくるわけで、純然たる言葉なんてものはなかなか頭には浮かばない。 脳の構造を考えれば全部の情報が同じような置かれ方をしていると考えるのが自然なわけで、 コンピュータ内部がjpegだろうがwavだろうが所詮01なのと同じではなかろうか。 しかもたぶんjpegやwavのような明確な種類識別子はないと思う。 50%音チックで50%絵チックな情報とか、20%言語チックで30%画像チックで 50%感覚チックな情報とか、そんなのが無限に存在しているんではなかろうか。 フォーマットがいろいろあるのは出力装置や入力装置への配線の都合であって、 言うたら目から来てるところは画像チックで、 目から配線的に遠くなるほど画像チック度が下がるとか、そんなもんな気がする。

  ところで普通の人間はかなり言語に頼って生きている。 それゆえどうしても言語を他のフォーマットから特別扱いしたくなるし、 するのは当たり前だ。しかし、思考とは何かということを考える時に そこから抜け出せないのではいまひとつ面白くない。 また、言語以外のフォーマットとしてはどうしても 視覚から来る画像イメージが支配的なので、 イメージの世界で考えると言う時は多く画像イメージのことを差している。 しかし、やっぱり画像もフォーマットの一つの極限にすぎないわけで、 本当に脳ミソの能力を全開にしようとするなら画像イメージのみに限るのも間違いだと思う。 情報を画像単位ベクトル、音声単位ベクトル、言語単位ベクトル、感覚単位ベクトル… 他いろいろの線型結合と考えたら理系な人はわかりやすかろう。一つの成分だけ 非ゼロならそれは純粋にその形式ということになるが、たぶんそんなのはないのである。 というわけで言語も音も感蝕も画像も全てゴッチャ混ぜに出るにまかせる 状態が脳ミソ全開状態ではなかろうか。 言葉よりな人かイメージ寄りな人かというのは、要は今まで扱ってた情報が どのフォーマットに寄っていたか、つまりはどの単位ベクトルの係数が大きい傾向が あったかで決まるのだろう。言葉のウェイトが高くなるように育った人は 当然考える形式も言葉寄りになるのである。

  思えば論理という奴も怪しい。 論理は数学的には厳密に定義できるが、人間の頭の中の論理はたぶんあんまり数学的でない。 数学としてはフェルマーの定理がn=1000まで成り立ったと言ってもあんまり意味はないし、 n=10までとn=100まででは証明されてないということで価値はほとんど同じだが、 人間の頭の中はそんなに上等なものではないだろう。 10年間太陽が東から登り続けたのと、10日間太陽が東から登り続けたのはずいぶん意味合い が違うだろうし、たぶん1000年間太陽が東から登り続けたのと、 無限の過去から無限の未来まで太陽が東から登ることが証明されるのはあまり違わない。 そりゃ論理じゃないだろと思うだろうしまあ論理と呼ぶのも語弊があるだろうが、 とにかくも並の頭の中ではそういういいかげんな方が支配的なのだ。 頭に浮かぶ事象と事象の結びつきのことをさしあたり論理と呼ぶことにするならば、 スーパーでジャンクフード見た時になんとなくイヤな感じがして手にとらないのも、 沸いてるやかんを見て警戒するのも、涼しい風が吹いた時になんかすがすがしくなるのも、 論理と言えば論理なのである。 そういう意味での論理は画像やら音声やら言語やらのフォーマットを問わないから 途方もなく豊かなものになり得るし、一方では表現しようのない困ったものということ にもなる。この論理はその人が経験してきたことで決まるために 数学的な意味の論理からかけ離れてしまう場合も多いし、 それが度をすぎれば人との会話などできるはずもない。 WEBでこれが特に問題になるのはオレのようにてきとーに文章を書いている 例が多くいるのでよくわかると思う。

  ところで、言語は抽象的なものである。一次的なフォーマットというのは肉体からの 直な入力であり、たとえば視覚とか、聴覚とか、触角とか、温度感覚とか、 脳の中のいろんなホルモンが出た時の感覚とか、そんなのである。 そんなのが言ってみれば一番具体的な情報なわけで、これが土台となる。 言語はそれらから生まれてくる一段抽象性の高いものなのだ。 人間は一度生まれた情報フォーマットはどれも分け隔てなく同じように扱える 機能があるらしいため、一度言葉が定着してしまえば下の具体的感覚と結びつけなくても 言葉をそのものとして扱うことができるっぽい。 しかし、これはオレが勝手に思うのだが、人間はそういう上位の情報フォーマットは 直接は感じられないのではないか。 扱えるが感じられない。理解できないと言い換えてもいい。 ここで理解できるというのは実感としてなんとなくわかることである。 「赤い」は画像イメージの赤いのと結びつかないとダメだし、「うるさい」は そういう音声イメージや、その経験をした時の不快感という感覚と結びつかないと わからない。わからないというか、意味がない。 だからあんまり言葉ばっかりいじってて一番下の土台から離れすぎると困ったことになる。 自分でも何を言ってるのかわからなくなるし、そういう言葉は他人が聞いてもわからない。 数学的操作で言葉をいじっているとしばしばこの落とし穴にはまることになるため 注意がいるわけだ。そういう文章は往々にして普通の人にはおもしろくないものになる。

  何言いたかったんだっけ。とりあえず、 ちゃんとわかる言葉に直す訓練はした方がいいですね。 加えて言葉だけに頼りすぎると頭を巡るものが制限されてセンスが出にくくなりそう。 あと、やっぱり感覚的にわかる文章がいいなと思う。できたら論理的な説得力も 一緒にほしい。とりあえず、この文章は数学的意味においてはかなり非論理的なので、 ごめんなさい。

  たぶんたいがいの人の思考は文章にする前には矛盾なく論理的なのだと思います。 その論理的というのが数学的な意味での論理的とは 違ってしまうことも多いのでしょうが、あんまり違わないこともあるでしょう。 しかし言葉にするときにはちょっとした手違いが起こりがちなものなので、 元々けっこう数学的意味で論理的だったのに文章にしたら支離滅裂ということも けっこうあります。私もそうです。そういうのは社会生活をする上では未熟なので バシバシ直してやるべきでしょうが、ちょっとくらいやさしさを持ってあげたいなあとも 思います。あんまりちゃんと文章を書こうと意気ごみすぎると、 元々言語じゃなかったものが言語に侵食されてわけがわからなくなってしまうのです。 ちょうどちゃんとしたゲームを作ろうとするあまり元々もっていた変なセンスが なくなってしまってガッカリというような感じでしょうか。 またMOON.みたいなの作ってほしいなあとか思いませんか。 まあそれはいいとして、 そうならないギリギリまでちゃんと論理的にする努力ができればいいのですが、 ギリギリを越えてしまっては元の子もないと私は思います。 もちろん他人が読んで誤解しまくったりわけがわからないようなヒドすぎるもの はどうにかすべきなので、私も反省。

2001年7月3日

漫画ネタが降りてきたので描き始める。毎度のことながらギリギリ間にあわない くらいにならないと降りてこない。ごめん。

暑い。あまりに暑い。原稿に汗が落ちる。ダメだ。 というわけでシスプリ6〜13。 辛くない。まったく辛くない。驚くほど辛くない。漢の心変わりは恐しいものよのう。 というわけで次よこせオラ。それにしてもチェキしかない四葉や 何だかわからないありあはかなりかわいそうだ。 きっと毎話どのキャラが出たかチェックしながら脚本作ってるに違いない。 うっかり誰か忘れてたりしたらとんでもないことになりそうだ。 にしても、なんだかんだいうてこんなもんでようアニメ作るわと素直に感嘆する。 13人目のニセモノの使い方や、どうでもいい友達の使い方もなかなかうまい。 もはや妹どものまとわりつき具合はほとんど気にならなくなり、 むしろ主人公のふがいなさ の方が辛く思えるようになってきた。 そういえばプールの話はまさひろが大喜びだった ことだろう。今のところ衛が咲耶と並んで一番まともな描かれ方を しているのではなかろうか。 サブキャラ的な良さとしては千影の意味不明さがかなりおいしい。 後でヒロイン度とサブキャラ度でランキングでもつけてみようか。 13話の扱いの差がキャラの地位を表していてなかなかに興味深い。

ああだんだん涼しくなってきたなあ、ラブひな。17〜24(最終回)。 シスプリに比べれば地味だ。地味で良い。 極めて良い。なんでこんなにいい話になりますか。 にしてもベタベタだ。 こんなにベタベタって気持ちのいいものだったか。 最終回もしのぶ大活躍。アニメのしのぶはほど良く黒いので 非常に好感が持てる。全般に気持ちのいい作品であった。 しかしアニメの印象は 数ヶ月もしたらまるで残っていないのではないかという気もする。 ラブひなの漫画をまるで覚えていないことから 類推すればそうだろう。だが一方で、あの漫画を読んだ時から オレが随分と進化していることも事実である。 漫画を読んだ時は読みたくて読んだというよりも 自分があれを読むことができるかどうかという挑戦の意味合い 強かったのだ。しかし今なら好きで読めるような気もする。 そう考えれば もしかしたらけっこう強く刻みこまれるのかもしれない。 そろそろ原作も読み返そうか。 確かニャ氏が全部持っていたはずである。

どうせこんなギャル物がいつまでも流行るはずがない。 この時代の記憶として刻んでおくのも悪くなかろう。 最近は一緒に名作映画も数多く見ていることだし、 総合すればダメではないという言い訳もきく。 そうだ。オレは硬派なのだ。

アリジゴクの餌食になりそうになるアリを女の子が助けた時に 別のキャラが「アリジゴクだって生きるためにアリを捕えているんだ」みたいなことを 言う。それに対して女の子が「それはわかっているけど、見てしまったから助けずには いられないの」みたいなことを言う。どの作品の話だかはどうでもいいとして、 オレは女の子の方を支持する。 こういうのは 「あなたの言っていることは正しい気もするけど、でも何かそれではいけない気がするの」 と定式化できるが、オレはこういうのが大好きである。 真摯かつ素直な感じが良い。オレは論争をやる時にもそうでありたいと思う。 今まではそれとは程遠い状態だったし、すぐには直らんだろうが。

2001年7月2日

「パットン大戦車軍団」。二次大戦のアフリカ・ヨーロッパで大活躍した パットン将軍の漢っぷりを描いた映画。戦争映画のフリをしているが、 キャラ萌え映画である。パットン萌えだ。戦場が好きで熱い体育会系の将軍だけに 政治に疎く、戦争では勝つが暴言を吐いて疎まれ、戦争が終わったら用済み。 クビになった後の哀愁がただようラストシーンがまたいいのである。 軍人だけに人殺しなのだが、どうにも憎めないいい人だ。 戦争描写は総じて明るくひたすら進撃進撃というノリなので 戦争反対な人はとても見られない出来ではあるのだが、 まあ50年経てば時効であろう。誰も三国志は戦争をかっこよく描いているからダメだ などとは言わんわけで、これも同じだ。「パットンかっちょいい」の一言を感じれば それでいいのである。なお、オープニングが秀逸なのも特筆すべきだろう。 いきなり画面一杯にアメリカの国旗が映り、何かと思っていると下からパットンが 出てきてそれがステージの壁の模様であることがわかる。 そのあと数分間ひたすら口汚い演説。 「戦争は人殺しだからいかんとか言ってる奴もいるようだが、 不幸にして同胞が敵の弾に倒れその遺体に触れれば 自分が何をすべきかすぐわかるだろう」 みたいな台詞が熱い。実におもしろく、かついい映画だった。

サルにとっての絵は人間にとっての代数論と同程度に抽象的なものなのだと言う。 人間と、絵に描かれた人間の間の共通性を発見できないのだ。 人間の知性がサルのそれよりも高等だとするならば、 知性が高等であるとは共通性を認識する能力が高いことを意味する。 それはつまりより抽象性の高い概念を理解できることと同じだ。 サルと人間が等価であるという考えが人間を貶めていると主張するのであれば、 人間はサルよりもよほど抽象性の高い概念を理解できねばならないし、 さらに高い抽象性を持つ概念を理解するように務めねばサルに失礼であろう。

「プロジェクトA子3」。壮大な悪ふざけ。オープニングのビリヤード描写が 異様にかっこいいが、中身には全く関係がない。

とある拳法道場公式サイトの拳法理論

科学と中国拳法の相性は、SFとオカルトの相性によく似ている。

2001年7月1日

「プロジェクトA子」。モノはバカだが、動く、動く、とにかく動く。 飛び散るガラス、凝りに凝った爆発、 とてつもないカメラワーク、あふれるスピード感、そして80年代ミサイル。 動きということだけ言えばこれほどのレベルのものなどそう見たことはない。 パロネタのオンパレードも好き放題やっている様があまりに強烈で かえってすがすがしいくらいだ。 なお、2はパワーがガタ落ちしていて辛かった。少ない労力でできるだけ楽しませようと いう工夫は随所に見られたが、やはり1を見た直後であるだけに比べてしまう。

「風まかせ月影蘭」。殺陣が異様にかっこいい。カメラも動きも一級だ。 スピード感とメリハリの効いた動画がかなり気持ちいい。 なお話はどうしようもなく普通で、ネタだと思うにも本気だと思うにも寒い。 大地監督の芸風に見慣れてしまったということもあるだろう。 微妙に空回りしているように感じる。

メモリ512MBで8000円しないってのは一体どういうことだ。もうわけがわからん。

どうやらボタンが3つ以上あるマウスはダメということらしい。 というわけで2ボタンを買ってきたら動いた。もうわけがわからない。

とらいあんぐるパーティーでとらハ本完売。あんまり大量に送りつけても 売れ残ってジャマだろうと思い150冊中80冊だけ東京に送ったのだが、 2時間で完売してしまったらしい。正直そんなバカなである。 実にありがとうございました。 しかし、一体どうしたものか。残りの70冊余りを売る場所がない。 とらハオンリーなどないし、オールジャンルにはうちは出ないし、 コミケは落ちたし、key系やらリーフ系で売っても意味がない。 全くもって売りようがないなこれは。

自分ツッコミは見苦しい。だから(X)は嫌いだ。X=ピュア、なんてのはかなり嫌いで、 余計にバカにされてる気分になる。アニメで色男が目を輝かせて歯を光らせて、 背景に花とかよくわかんない模様とかが飛んでたりしてる状態で 「本気だよ」なんて言ったらそれは絶対本気じゃない。それと同じ。 最初は真面目さを表す表現だったとしても陳腐化すれば裏の意味だけが残るのだ。 貴様だって最初は敬称だったわけで、まったく同じことである。 であればハナっから怪しい表現を使わずに まともに書けばいいとオレは思う。まして他愛もない話でない場合ならなおさらだ。 確かに(笑)が便利であることはよく知っているし、 それをうまく使うことで味にしている人は何人もいる。 表現など氷山の一角にすぎず書いてる人の人柄が問題なのだということは わかっているのだが、どうにもあの手の表現技法には慣れない。

文章でいい人

  piro氏の日記(6/30あたりから数日さかのぼって)を読んでかなり共感した。 そのこと。

  議論の内容よりもそこに感じられる話者の感情の方が大切な場合が ないとは言い切れないのです。もっと正確に言えば、そういう人がいないとは 限らないのです。何を言ってるかはわからないけど何を言いたいのかがわかるような 気がするなんてよくある事ではないですか。 議論の技術が未熟だったり論理的に多少のほころびがあったりしても、 つまり何を言いたいのかを読み取ろうとする態度は読む側には 必要なのではないでしょうか。社会をうまく渡っていくためにはいらないとしても、 人から愛される人になるためには必要なように思えます。 もちろん書く側はそれに甘えてはいけないのですが、それは別のことでしょう。 論理的に正しいだけのツッコミをして相手に対するやさしさの 見えない文章を書く人が他からどう見えるのかを想像してみれば、 到底美しいものではありません。それを自覚しているならばそれはまた人のあり方 として美しいので私も尊重しますが、それを自覚していないのであれば それは悲しいことです。

  などと言う文章をいい子ちゃんなら書くのだろう。実に反吐が出る文章だ。 しかし、オレは今とらハの影響バリバリでいい子ちゃんになりたいので、 正直こういうことを本気で思っている。いい子ちゃん万歳である。 だが結局オレに直接に害の及ぶことに関してそう寛容にはなれないし、 常にこういう考え方をするなんてできるはずもないのも同時にわかっていることだ。 過去どれだけ無思慮で無慈悲で勝手な意見をここに書き連ねてきたことか。

  ところで、「君、何言ってんの?」と「馬鹿野郎」のどちらがイヤかと言われたら、 絶対前者の方がイヤだ。なんかえらそうだし、真面目に話す気なさそうだし、 自分がかなりみじめになる。 それに、馬鹿野郎なんて言葉をドカンと吐く人はよほど根性が座っているか 超バカかどちらかだが、文章を読めばどっちかはすぐわかるので 安心できるのである。根性が座っているのだとわかれば、 どういう意図で言ったのかを考える気にもなる。 丁寧なのが無条件にいいことだと思うのはあまりに極端すぎるだろう。 そして人をバカにするのが無条件で悪だと思うのも同様に極端だ。

  ところで piroさんからの早速のツッコミに対して。 私も標準でそういう思考になるように人格を改造していきたいと思ってます。 いい人はあとは頭を良くするだけで済むので事は簡単ですが、 下手に知恵がついたイヤな人は自分がイヤな人であることをあの手この手で正当化 してしまうのでなかなかいい人にはなれないのです。 かなりの部分とらハの影響というあたりがかなりダメ人間なのですが。

妹地獄

  まさひろからお借りしたシスプリアニメ、1〜5。 ここまで見て耐え切れなくなった。もう少し待ってくれ。 3話くらいまではまあ普通でそうしんどくはないのだが、 4話、5話と進むにつれどんどんものすごさを増していく。 メールの話なんざ最強で、12人のメールが次々と読み上げられるに至っては ほとんど画面を見ることもできず、 聞こえてくる音波に怯えるようにうずくまっていた。 これは断じて「はずかしい」という感情ではない、と思う。 「12人の妹」までならオレはそうかの一言で耐えられたのだろうが、 こいつらが基本的に善良ではあるものの頭が悪く、 かつ兄貴にくっついてくる理由がわからないのが何よりも辛い。 そこまで含めて設定というかお約束というか、つまりは前提なのだが、 いくらなんでもやりすぎだ。出来が云々とかは言わない。 雛子の声がやりすぎくさくてキツいとか、そういうこともどうでもいい。 こんな設定でアニメを作れと言われてもちゃんとがんばって作っているし、 実際いろいろと工夫が見られてそう辛くはないのだ。 だが、どうもそういうところではないところで 致命的なダメージがある。さしあたって12人いっぺんにメールが送られてきて、 それに返事を書かねばならんような状況をもう少し想像しろおまえら。 ガキ共はいいとしても、上の方の奴等くらいは気付け。 可憐やらさくや(漢字面倒)やらは比較的まともな頭をしているんではないのか。 一応そういう描かれ方をしていると思うのだが。 というわけで、おもしろがれるものの辛いという微妙な評価である。 なんというか正直言って、こんなもんにハマるなおまえら目を覚ませという気分だ。 まあ、たぶんファンにとってもシスプリの真骨頂は読者参加イベントとしての シスプリにあるのだとは思うが、しかしこれはいくらなんでもものすごすぎる。

  それにしても5話見てもなお全員の名前がスラスラとは出てこない。 可憐、さくや、かほ、ひなこは比較的早く覚えたが、 残りの連中がなかなかむつかしかった。その中でも、衛、りんりん、ちかげ、ありあ あたりはまだマシだったが。問題は残りの4人である。 はるか…がエモノで、まりえ…が犬メガネで、しらゆき…が爆発料理で…… うー最後誰や…あ、チェキの四葉か。一応覚えられたらしい…。 これで話題についてはいける。


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