日記

2000年7月31日

空を見てみたが、星がまるで見えない。 木曽駒高原は本当に星まみれだった。よく星が降ってくるというが、 本当にそんな感じである。運良く流れ星まで見えた。 夜中空を眺めてボーッとしていたが、それで退屈もしなかった。 それ以前に何も考えていなかったのだろう。感じるにまかせて 言語を忘れていた。もしここで言葉を持ち出せば、 「星が多い」ということしか感じることはできなかったはずだ。 それに付随して、「空気がきれい」とか「暗い」とかいうことがいろいろと 出てきただろうが、 言葉によらぬ大きな感覚の前ではカスにすぎない。 まして文字にすればなおさらカスになる。 文学のむつかしさは、感動という言葉、ましてや文字になど到底ならないものを いかにその文字で表現するかというところに尽きるだろう。 言葉を一度忘れて感動にひたり、またそれを言葉にしなければならないのである。 それが原理的に不可能なのにもかかわらず文学が可能であるのは、 人がそれぞれに体験してきた世界をもっているからだ。 言葉を受けとって、そこから自分の世界を呼び起こし、感動に昇華させる。 言葉を受けとっても世界を呼びおこせない人や、 世界をもっていない人はそれに何の価値も感じることはできない。

つまり、「眼鏡っ娘」というものを見た時にそれに萌えられるのは 「眼鏡っ娘」という記号から自分の世界を喚起して、 そこに感動(この言葉は広い意味で使っているので誤解なきよう)できる人である。 ただし、だからといって眼鏡っ娘が芸術的であると言うつもりもないし、 それを見て萌えることが真に高度だとも言わない。 なぜなら、こういった記号から世界を喚起して感動するのは次元としては高度だが、 一方で極めて短絡的でもあるからだ。次元として高度というのは理屈としての 話であって、現実的には眼鏡っ娘に萌えるのは極めて簡単である。 特殊な思い出があればそれで事足りるからだ。 物に触れて言語を絶した感動を得る感性とは無縁だろうし、 ここにはその記号を選ぶことのむつかしさもない。 言語を超えた感動を言葉、もしくは記号に落とす時の葛藤がない。

情報には質と量がある。ここで言う情報は 世界を喚起させるために必要なものと定義しよう。 芸術(ギャルゲーすら含む広い定義でだ)を考える時の定義だ。 もちろん量が多いとそれだけ感動させやすい。 が、量の多さは把握できる時間や空間を必要とするので、 それはそれで大変だし、飽きるという問題もある。 だから、質が問題になるのだ。 質がいい情報とは量の割に世界を喚起させやすいもの、あるいは 喚起される世界が大きいものといえるだろう。 俳句などは質が極度に高くなければそれこそカスになってしまう恐怖の芸術 である。

ところでオレがギャルゲーで一番重視するのは キャラの人格がオレの頭の中で形成されることである。 実在感と言ってもいい。 作者の中でそのキャラが確固とした人格を成していたのなら、 その描写が矛盾していると感じられることはそうそうないはずだし、 それを受けとってオレの中で構築されたそのキャラが作者のそれと それほど大きく外れることもないだろう。 もちろんキャラ描写が魅力的でなくてもおもしろいものはいくらでもある。 しかしそれにしてもオレの頭の中でキャラが構築されるのを妨害するような ものは辛い。早い話描写が矛盾してるやつだ。 いかに描写が少なくて出来が悪くても、矛盾さえなければまだ耐えられる。 勝手に妄想することができる。しかし、矛盾した描写があればそれすらできない。 都合の悪い情報を見なかったことにしなければならないわけで、 それはとても興覚めだ。しかし実のところ、 キャラ描写に矛盾がないという条件を満たした作品はそう多くはない。 ストーリーが人間によって語られるのであれば、 その人間には人間としての重みがなくては ストーリーもおもしろくないというのがオレの考えなのだが。

イベントで我々が使えるスペースはたかだか90センチ×30センチの机だけだが、 本が増えてくるに従ってその制限がキツくなってきた。 このスペースに普通に置けるのはせいぜい6冊までである。 前は単純に置くものを増やしてにぎやかにしようと思っていたが、 そうはいかないのがよくわかった。 これを打破するには、もっと売れる本を作る以外に手はない。 他の手もあるにはあるが、どれもその場しのぎだし、いろいろと面倒が伴う。 人が買いたくなるほどのものを作ればいいのだ。がんばる以外に手はない。

「国民の歴史」という本を読んだ。面倒なので詳しいことは書かないが、 おもしろかった。ただし、 そのおもしろいの種類がどういうものかは説明がむつかしいし、面倒だ。 700ページもあるのに2000円という異常に安い本なので、 よほど売れているに違いない。新しい歴史教科書を作る会の中心人物が 書いた本といえばだいたいの主張はわかるだろう。 なお、オレはこの内容にまあ賛成っぽいらしい。 オレには何がウソで何が本当か確かめる術はないし、 筋が通っているっぽい主張にオレは極めて弱いので、 賛成している自分が正しい自信はもてない。

氾濫する情報を取捨選択して自分の意見を持てというのは苛酷にすぎる。 そんなに人間は頭が良くないしヒマでもない。 例えば「先の戦争で日本は間違ってたか否か」とかいう問題も、 いくらでも資料や他人の意見はあるが、どれが正しいかなんぞわかるはずもなければ、 結論が出る問題でもない。一番波長の当った資料やら意見やらに 感化されてそれに近い意見を持ってしまうのがせいぜいだ。 筋が通っている主張が正しいとも限らなければ、 賛成する人が多い主張が正しいとも限らない。 そして、たいがいの人は一番声の大きい意見に染まることになる。 仕方ないのだ。

2000年7月30日

やりすぎた。おまえはやりすぎたんだぁ。「Refrain Brue」。

感想文の前にリフレインブルー感想(ネタバレ含む)

  シナリオと呼ばれるものを3つの要素に分けるとすると、 コンセプト、ストーリー、シーンとなるだろうか。 コンセプトというのは例えば「さみしさ」とか「郷愁」とかそんなやつだ。 リフレインブルーの場合は「田舎」とか「悲恋」とかそんなのがコンセプトだろう。 ストーリーというのは誰々がいつどうなって…というおおまかな筋書きや 場面のつながり方。物語の物理層と言ってもいい。 そしてシーンは個々の表現。具体的な描写だ。 こう分けると、リフレインブルーはコンセプトは非常に良い。 売る気満々なコンセプトながらも、確かにこの業界では他にないものだ。 そして、場面も良い。感動的という言葉では誤解されやすいだろうが、 他にどう言えばいいかもわからない。泣ける。 だが、マズかったのはストーリーだ。 思い出を持ったままいかに前へ進むかというテーマが 存分に表現されたちなつシナリオは強烈だった。 しかし、次の奈緒シナリオは結局ラブラブである。 いや、これも「気づかぬうちに別の女にほれてしまい、 あの人を裏切っているのではないか」 という葛藤に悩むあたりがいいのでまだ良い。都合良く人が死ぬあたりもまあ許す。 そして次のつぐみシナリオ。なんじゃー、である。いいのか? さらに由織、雫と確かにシーンそのものはきれいでいいのだが、 ストーリーというか人物の心の流れを見ていくとなにかおかしい。 加えて、5人のストーリーで過去にあったことが全部違うことになっている。 回想シーンが互いに矛盾しているのだ。本命の筋が一応物理的事実を語るシナリオ だろうから5人のシナリオにおける回想シーンは全て心理的にはともかく 物理的にはウソということになる。それは、どうか。 一番お好みの思い出を本当だと思ってくれと読者に言っているのかもしれないが、 いいのか?それは。 加えて最後のシナリオ。やりすぎた。明らかにやりすぎた。 泣けといわんばかりの大攻勢。途中で止めてくれ。 頼むから止めてくれ。

2000年7月29日

編集が終わった。あとは上がってない原稿にノンブル(ページ数)をはって 終わりである。が、その原稿が上がらねば目次に打ち消し線をひくハメになるのだ。 頼むから上げてくれ。まさひろに清水。特に清水。

というわけで、これから清水の家に手伝いに行く。 進んでるといいな。

原稿入稿。葵本68ページ、ONE・KANON本同じく68ページ。 見事に我々は勝利した。というわけで清水を手伝ってくれた もりりん氏、菊村氏、みやざき氏には深くお礼を言いたい。 だが、形のある礼は清水の方がするのでそのへんはよろしく。 そもそもオレも1000字以上の活字貼りを担当してかなりしんどかったのだ。 メシでもおごってもらわねば割に合わん。

68ページのKANON・ONE本だが、つい勢いで300部も刷ってしまった。 92200円。一部あたりの単価は約310円。500円で売ったとすれば 185部、600円で売ったとすれば154部、700円で売ったとすれば132部で それぞれ元がとれる。さて、68ページB5表紙カラー本のリーズナブルでありつつも 慣例から大きく外れることのない値段とはいかほどであろうか。 ご意見をお聞きしたい。

元をとるということには2つの意味がある。 一つは単純に続けるための条件としてであり、 早い話毎回大きな赤字が出ていては活動が続けられないということだ。 そしてもう一つは満足感である。自分の作ったものをわざわざ金を出して買ってくれる 人がある一定数いるというわかりやすい証明になる。 というわけで、せめて元くらいはとれるようになってみたい。 いや、なってみたいでは弱いな。なろう、と言うべきか。

2000年7月28日

すごく疲れて、日焼けがいたくて、しかしペン入れは調子がいい。 だが眠い。どうするか。

衝撃なことに清水がまだ下書きをしていた。

さらに衝撃なことに、原稿を落とす人が出た。ONE本は12ページ減った。

もう衝撃でもないが、まさひろはまだ葵本の下書きを終えていないらしい。

今日までに送られてきているはずの原稿でまだ届いていないのが4ページある。 それはもういくらなんでも絶望的だ。

原稿は直に届けてもらった。しかし、一人分作者紹介が足りないことに気づく。 オレがなくしたのか、まだ送られていないのか。 申しわけないが時間がなさすぎる。とりあえず本人に確認しよう。

送っていなかったらしい。オレのおちどではなかったが、深刻なことに変わりはない。 とりあえずそこを除いた部分だけ完成させておこう。目次及び作者紹介ページだ。 計6ページ。もはや絵など入れているヒマはない。

夕方6時。まさしろはまだ下書き。上がるのか。

こんな状態では清水の手伝いになど行けん。誰か、誰か行ってくれ。

ありがとう、もりりん氏にみやざき氏。清水を手伝ってくれて。 オレはがんばって編集するからな。こんなもん書いてるヒマないだろ。おい。

2000年7月27日

旅行から帰ってきた。木曽駒高原は涼しかった。でも日には焼けた。 痛い。

帰ってきたら自転車がなくなっていた。泥棒にとられたのか、公権力にとられたのか は不明だが、非常に困った。どうしたものか。

帰ってきたが、原稿はそろっていなかった。 少くとも全部そろえてから編集をするというのはもはや不可能なようである。

2000年7月24日

明日は旅行。原稿はまだまるで集まらない。

やつでかずき氏が原稿を出しに来たが、まだ上がっていなかったのでもって帰った。 こう書くとなにがなんだかわからないが、つまりは 昨日の段階では今日の昼には上がっているはずだったということだ。 結局うちでウダウダしただけ。友達になったので良しとする。

研究室の行事をサボったことに気がついた。もう手遅れ。 実は気がついたのは行事が始まる前だったのだがな。

清水がまだ表紙を上げていないという、アルベルト並みの衝撃事実。 葵本、ONE・KANON本ともに締切に間にあった原稿は半分もない。 予想された事態なので驚きはしないが。

2000年7月23日

30000。ありがとうごさいます。 しかし2万超えてから文書いくつ増やしたんでしょうか。 どうもヒトケタな気が…。まあ、アレルゲンもうちの中身だと思えば たくさん増えていることにもなるんですけどね。

更新まともにしてたのはカウンタが10000超えるまでだったかもしれない。 夏コミ終わって、単位そろって、研究が軌道にのったら、 定期的な企画を何か考えようか。ちと条件がタイトなのがチキンだが。

にわとりかわいそうだよ。でもブタは自業自得だと思う。 これが偏見か。

考えてみたらアレルゲン総計48ページ中オレが描いたのはたったの14ページ。 平均したらたった毎号2.3ページだ。 うち6枚は単なる表紙なのでモノはたった8枚。 加えてそのうち5枚が半ページ4コマなわけで、 1ページちゃんと使って漫画を描いたのはわずか3回だ。 それは情けない。せめて毎回4枚はオレのものにしてやる。

道場。体が堅い。柔軟だ。ストレッチだ。 背中の上の方とか、肩とか、首と肩をつないでるやつとか、 そんな奴が堅い。よくのばそう。 それにしても足が治らない。もう大丈夫だろうと思って右ローを打ったら、 やっぱり激痛。これで試合出るんだろうか。 なんか雰囲気的に出ることになりそうなのが恐い。 右の蹴りなしとなると右直拳及び左ローでとびこんで、 あとは連打するしか戦法がない。あとは十字腿とか。 近頃習っている「ぎょくじょうせんさ」が使えるとおもしろいのだが、 さすがにワンツーしながらつっこんでくる相手に使えるかどうかは とても疑わしい。はたして大丈夫なのだろうか。

リンクを増やす。ついでに体裁も整える。 ところで、バナー使ってほしいでしょうか。 「バナー使ってくれー」というメールが来たらバナーも表示するように変えます。 重くなりますけどね。

おもしろいサイトをみつけたのでリンクに加える。 やはりすごい人のサイトのリンクはすごい人のサイトにつながっているようだ。

自己紹介をスリムにして、ちょっと加筆。いらんこと書いてもしゃーないわ。

このサイト の「浩之さんに花束を」を読むのだ。多くは語るまい。

今木氏のサイトのリンクをたどっていると、 世の中にはよく考えている人が本当にたくさんいるのだなということを 知ることができる。ギャルゲーだけでこれなのだから惜して知るべしだ。 モノを考えるということは、あるシステムに入力を入れて出力を得ることなわけだが、 考えるということに限っていえばシステムは入力の関数でもある。 「今まで何を見て生きてきたか」がその人の思考を支配しているということだ。 つまり、手遅れ?いいもん。

いっぺいが「OH!スーパーミルクちゃん」というよくわからないもの (アニメでいいのか)をもってきた。 よくわからないが、異常な作りこみと、異常なネタ度がすごい。 おもしろいと言っていいのかわからんが、全部見よう。そのうち。

昼間に寝ていると妙に寝苦しい。暑いのは確かだが、 気温はだけ見れば大したことはないのだ。それ以外に何か日差しのようなものを感じて それが暑い。一体何がだろうと思っていたが、なんのことはない天井である。 あたたまった天井が赤外線を放って我々をさいなむのだ。 光る天井である。直射日光と違って赤外しか出ていないとは言え、 赤外が出ていれば暑いのだから、それだけでもう問題であろう。 というわけで、デカい布を天井と水平に張って、天井からの赤外線を防ぐという手が 考えられた。イズミヤに布が入りしだい決行する。 ちなみに、この赤外線輻射を「背景放射」と名付けた。 壁の3方も天井ほどではないが赤外線を放つので、壁にもカーテンのように シーツをたらしておくと良いかもしれない。

とらハ2の感想文を改訂した。というのも、あの文章ではオレがあの作品が好きだ ということが伝わりにくそうだったからである。批評だろうが感想だろうが、 評価をしようとする限り書いてる人間がそれをどう思っているかが絶対に出てしまう。 巧妙に客観性を保って書かれたものもあるにはあるだろうが、 そういうものは何かこねくりまわされているようで好かない。 「こうこうこうだが、好きだ。文句あるか」というふうに、 感情は別ということを表明しているほうが 何か気持ちいいのだ。というわけで、そういうふうに書き直した。

感想文を書くネタになりそうなゲームに目星をつけた。 けっこうたくさんあってうれしい。昔は友達がおもろいと言うものをやっていれば それでよかったが、だんだんそれも尽きてきたのでネットで評判になっているものを さらう必要が出てきたのである。実際さらってみると話題になるものは多い。

原田ウダル氏がまたシナリオを書いているというウワサがある(ウワサの出所はアホ。 本人から聞いたとか)のだが、一向に出てこない。 ウダル文はネタ的におもしろいのでそろそろ欲しいのだが。

2000年7月22日

研究室の掃除のために拳法を早退して待っていたが、 なかなか来ない。仕方ないので前から気になっていたサイトの文章を 片っぱしから読んでみることにした。 その結果、いろいろとわかったし、いろいろと考えることができた。

今日から日ごとにidをふって、リンクの到着アンカーにできるようにする。 もしヒマがあればスクリプトを作って過去のも全部idをふる。

電話。未来のオレのために記録しておく。 自分を小さくしよう。

ONE本は1ページだけ描くことにした。

ペン入れ終わり。とりこんで、修正、ワク線、フキダシ、セリフ、擬音、 ベタ、トーン。それにしても絵が下手すぎる。 ただでも下手なのが余計に下手になってる。 原因は努力不足。体がなまるのも努力不足。 なにもかも努力不足。ところで、努力すればできるはずだと思って努力するのも、 努力しても無駄だと思って努力するのも、同じように心に悪いらしい。 努力しても無駄かもしれないけど、まあてきとうにやってみるか、 くらいがいいらしい。失敗しても痛くなく、成功すればうれしいという おいしいラインだからだ。なんてむつかしいのだろう。

2000年7月21日

葵漫画。場所を考えるとあまり混雑した紙面はよくないので 4コマ6つはやめて1ページ漫画3つにした。 そして、全部葵がイジめられる漫画であることに気づいた。 なんてかわいそうなヤツなんだ。

パロディしやすさについて

  To Heartは異様にパロディがしやすい作品だ。 キャラがとにかく使いやすい。 To Heartのアンソロジー(辞書によれば「複数の作者の作品からなる本」のことだが、 ここではある作品のパロディ漫画を集めて作った本のことを言う) は20冊以上出ているそうだが、これは人気だけで説明がつくのだろうか。 その一方でONEのやりにくいことといったらない。 いや、大抵のギャルゲーはパロディしにくいものであって、 To Heartが例外なのだと考えた方が正しかろう。 そのことだけでもTo Heartが恐しく強烈な作品であったことがわかる。

  まず、キャラどうしの関係を妄想すればその場でストーリーができる。 n(n-1)/2だけ発想点があると言ってもいいわけだ(nはキャラの人数)。 加えて、キャラに特有のネタが使いやすい形で用意されているので、 それを使うだけでもパロディができる。マルチがメカであることは いくつもの発想を呼ぶし、超能力、格闘技などもその線でいくらでも拡張可能である。 加えて元々語られるストーリーの分量が少ない上に完結した出来なものは 一つもないので、 いくらでもイベントを考えることができる。 学校行事を設定するだけでそれこそ無限に漫画が描けるし、 サイドストーリーだろうが、アフターストーリーだろうがやりたい放題である。 他の作品にもそういう点を満たすものは数あるが、 やはり設定の使いやすさが群の抜いている。 細かな性格の違いなどは漫画にするのにスキルと妄想がいるが、 メカやら格闘技やらはスキルも妄想も愛もクソもなくそれだけでネタになるのである。 ちょっと考えればおもしろいかどうかは別にしていくらでも 漫画のネタが浮かんでくる。 ONE漫画を考えていて急にTo Heart漫画が浮かぶこともあるほどだ。 そして、詳しく語られないキャラやモノが山とあり、それを勝手にいじればそれだけで 話ができる。坂下やセリオなどがいい例だ。全般にゆとりのある作りなのである。

  さて、一方「痕」もパロディはやりやすい。 To Heartに比べると使いやすい設定が弱くキャラも少ないという欠点を持つが、 そのかわりにストーリーがおもしろいのでifものやアフター・サイドストーリー を描きやすいという利点がある。 長いパロディを描くとなるとこちらに軍配があがるだろう。 しかし、やはり短いギャグものを描きにくいので全体を通してのパロりやすさは To Heartには遠く及ばない。ちなみに、雫は作品内で話が見事に完結しているので ストーリーを作りにくいし、キャラも少ないし使いにくい。 かなりパロりにくい作品であるといえよう。

  ところで、近頃KANONのパロディが多いのはなぜだろうか。 考えつく点を並べてみよう。

  というわけでモロモロの点でパロディが非常にやりやすくなっているのだ。 パロディがやりにくいと書いてきたONEは、これに比べると、

  等々の理由によってパロディが非常にしにくい。 マジにストーリーを描いて原作に挑むか、 原作にない穴を狙ってギャグを描くか、 キャラが適当に会話している日常漫画を描くか、 他からネタをもってきて二重パロにするか、 特にONEである必要のない話を作るか、 それくらいしか思いうかばない。キャラの人格はよくできているので 会話日常漫画は描きやすいはずなのだが、スキルがなくてはのんべんだらりとした 山もなにもない漫画になりがちなのでリスクも大きい。 加えて少し間違えば別人になる。 舞はてきとうに無愛想にしておけばそれっぽくなるが、 みさき先輩はあの口調だけではみさき先輩にはならないということだ。

  というわけでパロディしやすい作りにするために必要なのは、 第一に使いやすい設定(属性)。 第二にそこそこでいろんな余地のあるストーリー、設定。 これにつきる。完成してしまったものはいじれないし、 使いやすい設定がないと発想の原点が得られない。 KANONは出来の悪さゆえにやりやすくなってしまったという 事故っぽい側面が否定できないが、 To Heartは見事の一言につきる。 ときメモ、TLS、とらハ、同級生…。どれをとっても遠く及ぶまい。 また、パロディしやすいことは同人をしていない人にとっても 妄想のきっかけが多いということで、それだけハマりやすくなる。 完成度が高い作品は確かに満足度が大きく、インパクトもあるのだが、 継続的な妄想を引き起こす度合でどうしても劣るのだ。 「ああ、いいゲームだった」というしみじみとした思いと、 「うおお、マルチィィ」という暑苦しい妄想とどちらが強烈か。 言うまでもなかろう。

  さて、うちの次の本はKANON秋子本だと言う。 いまさらかと思わないでもないが、 確かにあれほど使いやすいキャラもそうあるまい。 いくらでもデッチあげられる上に「これがあれば秋子」という 記号もちゃんと用意されているわけで、好き勝手できるわりに逸脱しすぎない。 パロディの餌食になりやすいキャラであることは認めよう。 だけど、KANONはもう廃れてると思うな。10月には。 もともと出来いいわけじゃないんだし。

2000年7月20日

今日は祝日だったのか。どおりで研究室の人が少ないわけだ。 もっとも今日実験をするようにしくんでしまったので 行かないわけにはいかなかったのだが。

いっぺいが置いていった中に判決というゲームがあった。 半端に時間が開いたのでやってみたのだが、これがまた変だ。 一応レイプ犯人の裁判の話なのだが、 裁判シーンでのライバル弁護士がおもしろすぎた。 内容はただただ女の子をひわいな言葉でいじめているだけなのに、 それがなにやら裁判っぽい形式になっているのがものすごくバカなのだ。 加えてその声が妙にダンディなのがバカさに拍車をかけている。 出来がどうとかいう前にこれはバカだ。 ちょっと感想文を描く気にはならないが、 インパクトはあったかもしれない。 なお、絵はうまいし綺麗なので、清水の奴なんか好きかもしれない。

一緒に入っていた夜勤病棟というのを起動してみたのだが、 まるで受けつけない。 何がイヤなのかと考えてみると、主人公だ。 こいつが悪意に満ち満ちていてイヤなのだ。 話もひどい話だが、なによりも主人公がひどい主人公だ。 エロゲとしてはよくでてきているのだろうが、 オレはイヤだ。イヤなもんはイヤだ。 好き好き大好きの主人公もたいがいだとは思うが、 あいつは悪意に満ちているのではなくおかしいだけなのでまだ許せる。 と、そんなことを言っているオレは青い奴なのかもしれない。

ONE本はあの手を使おう。急に神でも降りてこん限りたぶん描けないだろうからだ。

猿山に久しぶりに会った。いきなり。 ああ、あいかわらず、バカだ。巻き添えを食ったのか、 同期の女の子に車を運転させての登場である。 一緒に漫画を読みながらダラダラしていたら、 奴がいきなり京都いこうと言いだして、そのまま出発するはめになったのだという。 その勢いが欲しい。

電話。そして落胆。問題はオレにあるので人のせいにもできない。 まだ一人で戦う覚悟ができないのだ。決定的な出来事がおこらなければ ふっきれないのかもしれない。

あることのせいで腹痛。原稿どころじゃねえ。 それにしても近頃腹痛多くないか? それも原稿描く時に。 ひょっとして、ガキの登校拒否と同じ原理だったりして。 とするとオレは原稿を描きたくないことになる。

2000年7月19日

リアルタイム地震防災についてのレポートをわずか20分で書いてしまった。 けっこうそれっぽい出来だ。単位くらいくれるだろう。 さて、それでは研究室に行ってのこったレポートを片づけるとするか。

残った夏休み前最後のレポートも終わった。

家を密封して出ていったところ、帰ってきたらサウナだった。 生ゴミの匂いがこもっている上に、気温は38.2度(体温計)。 即座にクーラをつけて、買ってきたアイスを食いながら外で冷えるのを待つ。 オレもブルジョアになったものよ。

葵ちゃん。改めて見てみるとものすごく輝いている。 まぶしくて目がツブれそうなほどに。 一所懸命生きているという自負がない人間にはちとキツすぎる。 そうだ。がんばりが足りん。根性が足りん。日本人のウリである盲目的なド根性が。 誰か葵ちゃんみたいにがんばる人に引っぱってもらえればオレもがんばれるのだが、 なんて言ってるようじゃダメだな。

葵漫画。牢屋で手足に枷をはめられながらえんえんと形意拳の練習をする葵とか、 どこへ行くのにも崩拳でズンズン歩いていく葵とかがチラついて ロクなネタがうかばない。1ページ漫画3枚って、一体どうすればいいのだ。 加えてONE漫画も描かねばならんのに。ヤバいぞ。本当にヤバいぞ。

だから餓狼伝はやめてくれ。バキもだ。出ていってくれよ。 頼むからオレの頭から出ていってくれよ。

1時間で4コマが6つ浮かんだ。即座に描こう。 明日中には片づけてしまわねばONE本が間にあわんわい。 それにしても、やっぱり餓狼伝は抜けない。 それとわからん人でも大丈夫なようにはなっているとは思うが、不安だ。

とりあえず部屋を片づけよう。今日は修羅場だ。

クーラ力不足。屋根から押しよせる熱波には到底抗い難い。 うちの最大の熱源は天井である。 換気扇で天井近くの空気をおいだしながらいくらクーラで冷やしても 天井付近の気温は41度程度だ。 床付近の気温が測定不能、つまりは32度以下であるにも関わらずである。 太陽が出ているうちはもうどうしようもないということだろう。 床付近は涼しいので、立たなければ快適なのだが。

掃除機の電源を入れたらコンピュータがリセットした。 電源容量がそろそろヤバい。 もっと電気を食わないコンピュータにしたいものだが。

2000年7月18日

中間報告資料は作った。図もなにもないが、別にいいだろう。 だって結果なんて何も出てないんだから。

これからディジタル通信工学のレポート。 Bluetooth(小規模無線ネットワークの規格)について調べて書くというもの。 一体どこまで調べればいいのかはわからないが、適当にやってみよう。

クーラは高かった。木造6畳で使えてうちの窓枠にはまる奴は 安くても55000はする。4.5畳用だと40000で買えるのだが、 さすがに部屋全体を28度程度まで下げるパワー がないと意味がない。30度切るだけでもえらく違うのは確かなのだが、 どうせ買うならと思うではないか。覚悟して安いのを買うか、 覚悟して高いのを買うか、 あるいはもっと覚悟してあきらめるか。

ねむい。疲れた。こんな状態でレポートか。明日は実験せんぞ。

レポート書いた。1時間半で書いてしまった。 内容はいいかげんだが、 専門じゃない人間だし、単位くらいはくれることと思いたい。 テストっぽいからレポートでは決まらないかもしれないが…。 ちなみに顔は覚えられたのだが、 オレが情報屋じゃなくて生物屋だとは夢にも思っていないだろう。 たぶん、あの授業を受けている人間で情報屋じゃないのはオレ一人である。

中間報告は無事終了。レポートも無事出せた。 残るレポートは2つだ。期限は両方とも来週の月曜だが、 そんなところまで残しておくわけにはいかないので、 今日か明日には片づけておこう。片方は手書きとの条件なので、 研究室で勉強するフリをしてやるのが吉である。 それさえ片づけば、あとは9月締切のレポートが3つと試験が3つだけとなる。 9月なんてはるか先なので無視だ無視。

クーラ導入。木造だと4.5畳用なのだが、安いのでこれで我慢することにした。 うちは7.5畳程度の広さがあるので、 冷えるのに相当時間がかかることが予想されるが、この際仕方ないだろう。 5畳用になるだけで1万ほど高くなるし、窓用クーラでそれ以上はないのだ。 かかった金はほぼ4万。ただ今試運転中である。 部屋を28度に冷却して機械が止まるのに いったいどれだけの時間がかかるか実験しているのだ。 実用上は30度まで下がればもう大丈夫なのだが、 せっかくだから28度まで下げてみよう。 もし何時間たっても28度まで落ちなかったら…かなり悲しい。

ところで、うちが暑くなるのは風通しが悪いことと、 屋根、壁が日光で加熱されてそれがモロに伝わってくるためである。 特に壁。白い壁で反射しているはずなのだが、内側から触ってもかなり熱いという ことはそれだけ日光がキツいということだろう。二階であるが故の悲劇である。 窓から入ってくる日光をアルミホイルで遮断したにもかかわらず、 思ったほどの効果をあげなかったのはそのせいであろう。 下が空いたら引越したいところだ。

いっぺいが熱烈に勧めてきた「ラブ・エスカレーター」のプロローグを読んでみた。 確かにおもしろい。プロローグにしては異常に長すぎるという欠点があるが、 読み物としておもしろかった。それにしても「失敗が恐いから努力しない」 というのは耳が痛いものよ。

2000年7月17日

ヤバくなってきた。 今日までのレポートが一つ。これはさっき上げた。 明日までのレポートが一つ。これは資料をとってきただけでまだ読んでもいない。 明日は中間報告会。英語の資料を作らねばならない。これもこれからな上に、 ロクに進んでいないので新しいネタなどロクに提供できない。 今奈良でやってるネタでどこまでひっぱれるかが勝負の分かれ目だろう。 そして、来週の火曜までのレポートが一つ。これは今日奈良にいる間に片づける。 残りは9月までないので安心だが、どうやって漫画を描けというのか。 なお、葵本の表紙は上がってもう焼いた。あとはまさに自分の原稿だけである。 オレが描かねばならんページ数は8枚。 葵3枚に茜5枚。見開きがひとつあるだけで、 あとはどれもバラバラに1枚づつだ。 ネタをそれだけ考えねばならないわけで地獄である。 まして締切当日からオレは旅行だ。避け難い研究室のつきあい旅行だ。 最悪旅行中にまで隠れて原稿を描くハメになる。いや、隠れては無理だろうから、 堂々とだ。そんなのは最悪と言って良い。今日は17。今日は使用不能だから、 18から勝負である。一週間で8枚。できないことはないが、 いつどんな予定が入るか知れたものではないし、暑いし、 そもそもネタがまるでない。 さあ、一体どうなるのか。

とりあえず親に泣きついてクーラを買わせてもらうことにした。 こんな状態では原稿など描けない。ポタポタと首筋から汗がしたたる状態で 漫画を描くなんてほとんど不可能だ。今日奈良帰りに日本橋に寄って買ってこよう。

朝8時でこの暑さ。助けてくれ。クーラが来るまでは誰かの家に避難するしかない。

2000年7月16日

裏表紙をとりあえず描いた。が、自信をもって出せる出来ではない。 困った。

Thunderbird(新Athlon)の750MHzがもう少しで2万円。 Duronの650MHzはもう少しで1万円だ。 でも、いままでいろいろと使いまくった上に、 さらに旅行やらなにやらで金が消えるので 当分おあずけ。9月か、10月か。

もう昨日のことだが、23歳になった。オッサンだオッサン。 思えば、6歳だか7歳のころに 「21世紀になるころにはオレも23歳かぁ。気が遠くなるほどの未来だなぁ」 と思った覚えがある。確かに気の遠くなるくらい長い時間だったことは確かなのだが、 過ぎてしまえば気が遠くなるもクソもない。関係ないが、中学の時に 「これでX分死に近づいた」というのが口グセな先生がいた。 いつ死ぬかはともかくとして、10分後には確実に10分死に近づいているのである からこれは正しいといえば正しい。 しかし、授業が終わった後に「これでみなさんは45分死に近づいたわけです」 などと言うのはすこし問題がありはしないだろうか。 そう思うのは今だからで、当時は単なるギャグだとしか思っていなかったのだが、 それは今ではあの当時よりも未来に期待しておらず、 かつ未来を不安に思っている証拠だろう。 なんにでもなれた時代はもう過ぎ去っているのだから、それも無理はない。

もっと拡大・縮小・回転を基本的な操作として組みこんだソフトはないのか。 文字を傾けて配置する時とかに非常に面倒でイヤになる。 リアルタイムに選択範囲を変形するショートカットキーが欲しい。 しかし、ラスタ系グラフィックソフトにそれを求めるのも酷か。

石が遅い。374MHzは相当に遅い。ベースが100から83に落ちただけで これだけ遅くなるとは思ってもみなかった。 レイヤを大量に重ねていると合成描画で遅くなってくるのだが、 これが今日はかなりヒドい。 しかし、クロックを上げればハングする。 今日一度たりともハングしなかったことを考えると、 かつての連続ハングの原因は明らかにクロックだろう。 金だな。金。サカイで稼げばすぐに手に入るのだが、いかんせん時間がない。 とりあえずまた貧乏生活に戻るとしよう。ここのところあまりにも浪費しすぎている。

もりりん氏の日記にあった 宇宙論サイト に行ってみた。時間がないにも関わらず読みふけってしまったが、 内容はよくわからん。話の筋はわかるが、 ネタがむつかしいので真偽のほどは判断できない。 しかし、あれだけたくさん物理学者という奴がいるのに、 素人が考えたことの方が正しいというのは相当レアな事態であって、 たぶん学者の勝ちなんだろうなという気もする。 もちろん、数の問題ではないし、素人だけに考えつけるアイディアというのも 確かにあるのでそう馬鹿にはできないのだろうが、 たいがいの場合素人は専門家に勝てはしないのだ。 もっとも宇宙論というある種どうしようもない学問分野だけに 学者も素人も「実際に見て確かめたことはない」 という点においては同じではあるが。

朝方。恐ろしいことがわかった。今度の本の表紙がまだ上がっていなかったのだ。 衝撃の事実である。 オレの担当分もまだ片づいていないのでえらそうなことは言えないが、 本来6/25が締切だったことを考えるとさすがにキツい。 とりあえず葵本の穴埋めをさっさと片づけよう。3枚。一日で上げる。 その次はONE本の穴埋め5枚。

昨日漫研の連中が飲み会をやっていたらしい。 例会にも行かなかったのでわからなかったのだが、 金もないし仕方なかろう。関東からわざわざOBの人が来ていたりしてなかなか ビッグなイベントだったようだが、済んだことは仕方ない。

D.C氏から表紙も届き、自分の表紙とくっつけてCDに焼いた。 これで準備完了。次は自分の原稿を上げねばならん。

原稿どころじゃないクソ暑さだ。 松尾象山が道場破りにやってきそうなくらい暑い。 部屋の気温は37.8度を記録した(ただし体温計なのでたぶんいいかげん)。 スっぱだかでも汗が止まらず、あまりのひどさに寝ても、 すぐに水分不足と暑さで起きてしまう。 起きた時には喉がカラカラに乾いている上に、もう汗は出なかったほどだ。 24時間ぶりに寝ても寝ていられないほどともなると、もうどうしようもない。 クーラ導入を本気で考えねばならない状況のようだ。

電気で絵を描く時の環境と、手順についての考察

  未来の自分のために今考えたことを整理しておこう。

  電気で絵を描く時にはかなり用意周到に 手順を考えてから始めねばならないらしい。 原理上は生身と同じ描き方もできるはずなのだが、 機械的な制約から行きあたりばったりに描くのは生身に比べて効率が悪い。 まず第一に、生身であれば手元に絵があるところが、手元に絵がない。 手元を見ずに前を見ながらやるわけで、慣れるのに時間がかかる。 目も疲れるし、首も疲れる。 次に、解像度の問題がある。うちのモニタは15インチだ。 たいていの場合ダメージを与えない最大解像度は800x600だが、 300DPIにおいて800ドットはわずか6.8センチであり、 画面上には最大でも(ツールバーなどを表示しなければ)6.8センチしか表示できない。 精度を半分にすれば13.2センチ、 精度を4分の1(25%表示)にしてやっとB5(横置)を編集することができる。 実際にはツールバーがあり、 かつ縦置なので全体を編集するには8分の1程度にせねばならない。 が、生身では1/5ミリ程度の精度で描くことはあたりまえであり、 4分の1では精度が悪すぎる。8分の1など論外だ。 もしここでモニタの解像度が1600x1200にもなれば、 画面のDPIは118DPI程度であり、等倍でも13.5センチの表示が可能だ。 精度2分の1でほぼB5(横置)を編集することができるわけで、 おそらく4分の1程度で縦置の画像を実際に編集できると思われる。 そこそこ実用的ではあるが、そんなモニタは当然高い。 さらに、入力装置の感度の問題がある。 安いタブレットは感度が悪い。傾きも検知しないし、筆圧の検知もおおざっぱだ。 小さいのでいくら画面が拡大できても細い作業がやりにくいことに変わりはない。 極めつけにタブレットは紙と違って回転させにくいため、 好き勝手な角度で線を引くことはできない。これは修行でなんとかなる問題だが、 オレのような初心者には辛い。 加えてトドめとばかりに、処理が遅いという問題が出る。350DPIのCMYK画像は B5サイズで33MBにもなるのだ。 レイヤが複数になればそれこそ莫大になる。 さらにそのサイズに比例した演算時間がかかるわけで、 メモリがあればいいというものでもない。

  というわけで、印刷品質のCGをある程度快適に描くためには 以下のような装備が欲しい。本体の性能とは別にである。

ディスプレイ
水平同期100KHz付近、ドットクロック220MHz付近まで 出るもの(これで1600X1200でも安定する)。 この条件を満たさないなら1600X1200で使うのはよした方がいい。 ダメージが蓄積する恐れがある。 おそらく相当高級な17インチか、19インチ以上であろう。
タブレット
A5サイズ以上で筆圧検知感度の良いもの。できれば傾き検知もほしい。

  が、オレは貧乏であるから、 フォーカスがぼけた15インチCRTとB6しかない小さなタブレット で勝負せねばならない。 したがって、 できるだけ電気で「絵を描く」という作業をしないで 済ませないようにするのが基本戦略となる。 あくまでレイアウト、文字入れ、直線、円・楕円描画、範囲選択、塗りつぶし、 境界線描画などの微妙な操作を必要としない作業を電気にやらせ、 微妙な動きを必要とする、自由曲線の描画(つまり絵を描くってことだ)、 均一でない色塗り、範囲選択なしでの色塗りなどは 生身でやっておくか、 そもそもしなくてすむようにするかどちらかが望ましい。 そのためには、スキャンする前からどういう手順でやるかを考えておかねばならない。 ペン入れの途中でスキャンして人物だけの主線を保存しておいたり、 できるだけ線が閉じるように意識したり、合成した方が楽なものは 別の紙に描いたり。 範囲選択を乱さないように紙を汚さない工夫も必要だ。 トーンなどで影を入れるなら、主線だけでまず取りこんで、 さらに影の線を何かで描いてとりこんで、それを使って 範囲選択し、フィルで影をつけてから影ガイド付きレイヤを消すという 手順をふんだ方が、いちいちタブレットでがんばってやるより楽である。 また、線を密集させたい場合(カケアミ、髪の毛、斜線影等)場合は、 それをやる前にスキャンしておく必要がある。 描いてしまってからでは範囲選択が使えなくなるからだ。 とにかく、どの段階でスキャンするか、どう部分に分けてスキャンするか。 この2つが最大の命題であろう。

  このように面倒なので、まともな機械が導入されるまでは 機械に頼らずに全部生身でやるのが一番いいとも思うが、 やはり文字入れやワク線、均一な塗りつぶしなどは電気の力を使うと おどろくほど速くきれいにできる。味はなくなるかもしれないが、 紙面が汚くなるよりマシだし、何よりラクをしたい。 トーンを買ってくるのは最大級に面倒である。 まして、色を塗るともなると生身でやるのには画材もいるし、いろいろと大変だ。 こればかりはなんとしても電気で塗る技を修得せねばならない。

2000年7月15日

ついでにWEB上でエロゲの批評というものをてきとうに読みあさってみた。 そうすると、オレのは少数派らしいことがわかった。 評価するところが全然違う人が多いのだ。 そういう人達から見ればオレはキャラ萌え系の人ということになる。 確かにオレがほめるゲームはたいがい「おまえはええ奴や」と思うキャラが いて、それが活き活きしているものだ。それさえ満たしていれば それだけでもけっこうオレは幸せになれる。つまり萌え系のダメ人間ということか。 困ったものである。

忘れていたが、昨日小林よしのりのゴーマニズム宣言(戦争論)を立ちよみした。 えらくまっとうな人だと思った。 表現は過激なのだが、言っていることはあまりにも素朴でまっとうなのだ。 いい人に違いない。いろんなことをわきまえていて、好感がもてる。 ところで、南京大虐殺をはじめとしてあったかどうかわからんことは多い。 なんぼ他人が「こうだからあった」「こうだからなかった」というのを 聞いたところで、どちらが正しいかはわからんわけで、 決めつけないで「あったっぽい」 「なかったっぽい」程度の認識ですませておくことに するのが無難だ。ちなみに、オレの認識からすると、いまのところ南京大虐殺は 「なかったっぽい」といったところ。小林よしのりの言うことが、 それに関しては至極まっとうっぽいからだ。出してくる証拠もそれっぽい。 高校の時に歴史の先生が 「そんなもんあるわけないでしょ。 あの局面で民間人殺す弾なんてないし、銃剣でそんな 人数は殺せないよ」と言っていたのもやけに説得力がある。 戦争を体験した世代の先生の言葉だ。 しかし、この手のことは触れると恐い人が来そうでイヤだな。 「これこれこれだけの資料がある。 だから南京大虐殺はあったんだ。なかったなんて言うな。戦争賛美主義者め!!」 などというお怒りメールが来たりしたらイヤだが、 そんな奴がいないことを期待しよう。 ところで、やっぱり徳川家康は関ケ原で死んでてほしい。 死んでないという証拠はないのだし。 歴史なんてそんなもんだとオレは思う。

色塗るのがむつかしい。むつかしいというより、やり方がわからない。 これは困った。これから開発せねばならんのか。

2000年7月14日

奈良。成功。以上。

さて、帰りに大阪に行こうと思ったが時間がなかったので、 寺町ですずうたを探してみた。が、見事になかった。 6軒回ってもなかった。ソフマップすらなかった。 ONEもMOON.も同棲もばらタクもあったのに、すずうただけがなかった。 やはり大阪に行くしかないのか。

エルフがずいぶん前に出したビジュアルノベル「リフレインブルー」。 なぜか全く話を聞かない。しかし、WEBで感想を探すと かなり評価が高い。やはり触れておかねばなるまい。

2000年7月13日

奈良先端大学に行ってきた。まわりに何もなかった。中にもなにもなかった。 人もほとんどいなかった。新しく山を切りくずして作った大学というやつは こういうものらしい。ちなみに明日もいく。 困った。めんどうくさい。原稿いつかきゃいいんだ。

旅行の幹事。誰一人として行くことを望んでいない旅行だ。 誰もやる気がないので、誰も「これがしたい」などとは言わない。 にも関わらず、オレが 何時から何をして、何時から何をして…と何からなにまで決めねばならないそうだ。 案を出してから出欠をとるのが筋らしい。 「案を出さなきゃ吟味もなにもできないでしょ」と言われ、 「案もない状態で行くかどうか決められるわけないじゃない。 それじゃ行かないっていわれても文句言えないよ」とも言われた。 オレが何かを提案してそれを人に受け入れさせたいのならそれはもっともだが、 そもそも旅行をするのはおまえらではないのか? 誰一人何がしたいとも言わず、オレに何をするか決めさせておいて、 それで向こうに「それなら行かない」という権利があるとしたら、 一体オレはどうすればいいというのだ。

もっとも、「そういうものなんだから仕方ないよ」という考え方をするならば、 「そういうものだということを理解できない」オレが全部悪いわけで、 人のせいにしているオレはとてもみっともない存在であることになる。 確かにそれは一理ある。そろそろ人のせいにするのはやめようと 思っていたところでもあるのだし。しかしだ。気に食わねえよ、やっぱり。

「そういうものなんだよ」なんていう言葉は大嫌いだ。 つながったものに我慢できない某格闘家同様に、 理不尽なことや理由のないことには我慢ならないのである。 たぶん一生かわるまい。もう手遅れです。

奈良帰りにハライセにDuronでも買おうと思ったが、勇気が足りなかったので ONEとMOON.の設定資料集を買ってきた。 オレの勇気は2000円。

がんばれYET11。インタビューを読んでそう思った。 クリエイターは尊いので、機嫌をそこねるわけにはいかないのだものな。

2000年7月12日

ここ数日の日記が エセポエムといってバカにされたので、ションボリしておこう。 それはそれとして葵本のページ数がだいたい60ページ前後であることがわかった。 小説、漫画イラストのバランスがなかなか良い。あとはオレが編集をがんばって、 いい穴埋め原稿をかくだけだ。さあ、裏表紙かくか。 生まれて初めてのカラーCG。 カラーで漫画かくなんてなかなか楽しそうだ。

次のアレルゲンをみさき本にして、やりかけの原稿を使ってしまうというのが てっとり早いかもしれない。しかし紙のサイズが違うので描きなおしにはなるな。 いいか。それでも。

ヨゴレだよ。オレなんて。オレはヨゴレたくなんてなかったのに。 みんなが「ヨゴレロ」っていったんだ。たいようも(以下略)。

まず理想の状態を決める。次にこれと現実の違うところを探す。 このギャップが問題だ。問題を認識したところで、今度は解決策を探すわけだが、 この時に問題、 つまりは現実と理想のギャップを0にすることは不可能なことが多いので、 ギャップそれぞれに優先順位をつけ、達成目標を定める。 「この点が、ここまで理想に近くなれば良し」という点だ。 そして、「ここだけはなんとしても改善せねばならん」 という最優先課題を置く。ここまでが前準備だ。 あらゆる問題に適用できる考え方であり、知っているといろいろと便利である。 これをふまえて解決策を模索していけば、的外れになることはあまりないだろう。 で、これをあることに適用すると…「オレががんばる」以外に策がない。 自分を変えるなんてのは他人を変えるのに比べれば屁でもないほど簡単だ。 がんばるだけでいいのだからたかが知れている。

29000。記念でもないが、とらハ2の感想を書く。評価がむつかしい。 さて、次は何を更新すべきか。漫画を描いてのせるのが一番いいのかもしれない。

研究室の同期と旅行の手配の関係で生協へ行った。 電話が話し中とかで少し待っている間にダラダラ話をしていた。 ドイツ語の話でゲゲーベンとかなんかすごいよなとかいう話をふると、 「そんなキャラいたなぁ」と返された。 安永航一郎の陸軍中野予備校…。一体何年前のネタだろう。 さらにその後、しいたけヨーグルトとかあったよなという話になった。 県立地球防衛軍である。こいつはマニアだ。マンゴーの種を植えたり、 鉄鍋のジャンの話をしたり、ぽっぷるメイルを88エミュでやってたり。 いい友達になれそうである。ちなみに、この男はネオジオエミュを 研究室のパソコンに入れて夜中に遊んでいるようだ。 ずっとパソコンの前を動かない彼の姿を不審に思ったオレの上司が、 うちの助教授にそのことをもらしていた。危険だぞ。がんばれ。

いきなり強烈な腹痛が来た。牛乳をしこたま飲んだ後に、 スーパーで特売だったエネルゲン500mlを一気飲みした直後のことだ。 何か化学反応でもするというのだろうか。ともかくも 数十分経ってもまるで治る気配がなく、寝ることすらできないほどの痛みだったので なんとか気を紛らわせようととらハ2。 やりのこしていたシナリオをやってみた。 刀の精のシナリオだ。で、びっくりした。関西人大の時と同じくらいびっくりした。 出来がいいのだ。確かに霊剣がどうので、必殺技がバンバン出るような キワモノではあるのだが、そのへんの 設定を無視してやればなかなかシナリオとして 出来がいい。流れがいい。展開がいい。そして、やっぱりいい奴だ。 その刀の精も、主人公も、まわりのみんなも。 ヨゴれたオレにはまぶしすぎる世界だ。 ところで、自分ではけっこう純粋で 単純な人間だと思っているのだが、ダメか。

熱暴走が頻発するので、クロックを83×4.5の374MHzに落としている。 あからさまに性能が落ちたが、やむを得まい。 CGを描く時にキツくはなるが、いきなりハングされるよりはずっとマシだ。 そういうわけでますますDuronに換えたくなってくる。 そういえば明日は実験しに奈良に行くのだった。 大阪に寄っても悪くはないな。 いや、それはいけない。トラブルの種が増えるだけだぞ。踏みとどまれ。

2000年7月11日

リュックサックの口が一つふえた。肩にかける帯の一方が壊れたので当然片方を もってぶらさげることになるのだが、おかげでその一方の根本に負担がかかり、 力がかかるごとにビリビリとうなるようになった。今では そうやってできた口は本来の口に匹敵するほど大きい。 修繕不可能なレベルだ。これではさすがのオレも使い続けようがない。 もつところはすでになく、袋の体裁すらなしていないのだ。

夜中逸平が来た。オレが起きたら彼は寝ていた。今も寝ている。朝9時だ。

顔がかけない。みさき先輩が描けない。 なんかスランプなのかと思って他のキャラを描いてみたりすると いつも通りなので、別に絵がかけなくなっているわけではない。 みさき先輩が描けないのだ。似ない。識別不可能なほど似ない。 なぜか千鶴になってしまったりもする。 無理に似せようとすると、これまた見るも無惨な絵になるし、 緻密に測量して(中心線をひいたりうんぬんして) 描いても何かバランスがととのわなくておかしい。 こんなところでハマるとは。構図としてむつかしいわけでもなんでもないのに、 ただ一つ顔がかけないために作業が進まないのだ。 そこの下手くそめ。絵がうまくなればこんな苦労もしないものを。

みさき先輩シナリオはやはりすごい。 ちとみさき先輩のボケっぷりが不自然なところがあって やっぱり久弥はボケは苦手なのかと思ったりもするが、 流れがいい。シーンがいい。ところで、やっぱり先輩は先輩だ。 お姉さんだ。年上だ。甘えさせてくれ。

いかん。無茶だ。この漫画。ちょっとヒネりすぎたか。 ちょっと学校行ってる間に考えてみよう。

頼まれていた原稿だが、諸般の都合でいらないことになった。 かといってONE本にいまさら足すこともできないので、 この原稿は凍結。

じゃあ、葵本の裏表紙といくか。

葵本も申告締切。さあ、台割を決めるか。

Airのデモ。田舎ノスタルジーでひきつけて、ファンタジー泣きで勝負という感じか。 内容はなんだかわからんが、KANONと同じ路線っぽいのはわかる。 これであけてみたらMOON.並みのキワモノってことはたぶんないのだろうな。

2000年7月10日

下書き1ページおわり。ものすごい遅い。 近頃4コマばっかりかいていたので コマ割りを忘れているのだ。構図も困る。 いかんいかん。

2000年7月9日

原稿をただ並べても本になるのだが、 それでは芸がない。編集という人種はそのためにいる。 すずうたのファンブックをみていてそれを強く感じた。 もしこの本の編集がいいかげんだったら、たぶんまるでだめな本になっていただろう。 同時に、これくらいやらなければ「編集も大切なんだよ」 という台詞を納得させることはできないだろうとも感じた。

「う?」は新しいと思うのだが、考えたら身近な誰かの口ぐせじゃないか。 すずうたのそれはもともと娘太丸氏の口ぐせで、 それをそのまますずにしゃべらせたそうだが、 考えたらけっこうそういうのはありふれている。 ただ、現実世界にありふれていても、それは文字としてではなくて音としてだ。 作品として文字にするのはやはり新しい。 そのへんの人がしゃべっているのを文字に起こしていったら、 けっこう新しいセリフまわしが生まれるのかもしれないな。

ところで、ドモるキャラというのをけっこうみかける。 「と、とと、とんでもない」のように表記されるのだが、 実際にこういうふうにしゃべる人をみつけてしまった。 有機の先生。「こ、ここ、これはLDAじゃないか」 「そ、そそそ、そこが反応いかないんじゃない」 マジでいるのかと思ってびっくりした。 今までウソっぽくて記号的な表現だと思って使わなかったが、 いるとなれば話は別だ。オレも使おう。 しかし、ドモりがちなのか、あわてているのかの区別がむつかしいので、 なかなか使いにくい。 セリフ始終この調子だったら読みにくいというのもある。

漫研の部誌に描いた漫画の3人のキャラが全部オレだと言われた。 キャラにものをしゃべらすときにはもうちょっと自分から距離をおかないと こういうことになってしまう。 みさき先輩漫画を描く時もオレにならないように気をつけなければ。 ちなみに、ぎゃるげ主人公を描く時には、ほぼ完全にオレになっている。 なりきってというとおかしいけど、入りこんで描いてるとそうなってしまう。 彼等にもちゃんと人格があるんだからそれじゃいけないんだけれど。

スキャナ売約。

起きて、なんとなくふらふら歩く。 途中コンビニに入ってジュースを買ったり、 パン屋でパンを買ったりしながら。 風景は明るくて光で霞んでいる。 オレの脳が側方抑制でコントラストをあげすぎてこんな風景を見せているのだ、 なんてことを考えながら、ゆれる空気を進む。 肌にはちくちくとささる光と、少し重い風。 夏だ。

暑すぎるのでとらハを片づけた。 退魔師。これはたぶん、ちゃんとかわいい。 ギャルゲー的にかわいい。悪く言えば普通。 でも、いい奴だ。 ところで、やっぱりストーリーそのものはションボリなわけで、 このゲームはそういうゲームなのだ。

1の瞳も出てくるので攻略。何事もなく終わった。おまけだ。

とらハのシナリオライターが男だということを確認した。 都築真紀は「つづきまさき」と読むらしい。 あの感性は女っぽいかなぁと思っていたのだが、 今時そういう印象は本当にあてにならないということだろう。 サイトの自己紹介がウソだったらわからないが、 たぶんそんなところでウソはつかないに違いない。 男的とか女的とかいう分類は美しさを奪う。 男と女が違うのと同程度にオレとあいつは違うのだから、 男と女の違いに意味なんてないのだ。 いらない言葉を増やすだけ。

原稿を描こうと思ったが、暑すぎる。寝ておこうか? コンテはできたのだけれど、これがおもしろいかどうかいまひとつ自信がない。 寝る直前か起きた直後の素直な頭にもう一度吟味してもらおう。 きっかけはいつもその2つの時間に降ってくる。

ふろの帰りに猫がいた。まるっこくてふかふかしてそうな猫だ。 なんとなくそいつの前にしゃがんでみつめていると、 ゴロンとねころがった。ゴロゴロころがりながらたれている。 しばらくみていると、うしろから声。「その猫つかまえてもらえん? うちの猫なんやけどぬけだしてしもうて。なんもせえへんから」 おばあさんがベランダに立っていた。 ちょっと迷ってから、そいつに手を出す。 やっぱり、ふかふかしてまるっこい猫だ。 飼い主に返して、帰路についた。 風はもう涼しい。

頭をからっぽにして歩いていると、いろいろ見える。 言葉にならないそれは、言葉よりも確かだ。 もっとからっぽに。もっと無防備に。 そうすれば世界はもっとやさしくなる。 それをもう一度言葉にできる人が、詩人だ。

ねんざして微妙にはれていたところを蚊にさされた。 ハリ治療の効果くらいあればいいけれども、そうでなかったら損した気分だ。

2000年7月8日

とらハ。2が出たということは1がそこそこ売れたということだ。 まして3が出るということは2もそこそこ売れたということである。 しかしそれが不思議でならないのだ。 どう考えても売りがない。 ダラダラと幸せな日常描写というものを求めている人が多いともおもえないし、 絵が売れ線とも思えない。シナリオ兼キャラデザの都築真紀のファン というのもいるにはいるだろうが、元がとれるほどの数いるような メジャーな人でもなかろう。 わからん。このゲームが売れた理由はなんだ。 それともロクに売れていないのに続編を出したのか。

奈良からの帰り、日本橋に寄ってCD-Rドライブを買った。 書きこみ4倍、書き換え4倍、読み込み32倍。 16800円。悪くはないけれど、普通。

あの時はどうかしていたんだと思う。 いや、ここのところずっとどうかしている状態なのだと思う。 ソフマップで、すすうたとホアルバと雫・痕の設定資料集をまとめて買って しまったのだ。 確かにどれもファンだから、買ってもおかしくない。 でも、たぶん普通だったら買わなかったと思う。 確かに同人誌を描くための資料としてはもっておいて当然だと思う。 でも、それならどうしてONEやMOONのを買わなかったのか説明がつかない。 すずうたの資料集はノリもいいし編集も凝っているし、 なによりも楽しげな雰囲気に満ちていて 見ていると理由もなく幸せになるのだけれども、 それはきっと何か違う。 とらハもそうだけれど、そういうものを見て心が和むのは エネルギーが満たされるのではなくて、 エネルギーがないということを忘れられるからだろうと思う。

「オレのことなんて眼中にねえでやんの…」と本気で思った。 オレじゃ足りないんだ、オレじゃダメなんだ、と本気で思った。 悔しさをバネにしてがんばるのと、ただガッカリしてしまうのと どちらが得かは考えるまでもないことなのだけれど、 損得で割りきれないあたりがまだ青いのだろう。 ガッカリしているヒマがあったら、それを怒りにかえて立てよ国民、 なのだ。波はあるものの、ここ一年くらいはどんどんションボリしていっている。

もう一人称にオレを使うほどのエネルギーはないかもしれない。 ボクがお似合いなくらいよわよわしい。 どうしてこうも調子にのれなくなるのだろう。 今まで見えなかったものを見てしまったから? それともただエネルギーが減っただけ? そういえばなにかを主張するのがひどく面倒だ。 「ジョジョは第一部が一番好きだな」と言うことすら面倒なくらいに。

漫研のコンパだった。途中から行って、ただいた。 ロクにしゃべらなかった。そして、そのまま帰ってきた。 カラオケにいくのも面倒だった。 清水もそこで帰ったのだけれど、オレは自転車の鍵をなくしてしまって 歩きだったので、彼は先にいってしまった。 背中が見えなくなって、 一時間ぶりに一人になって歩きながら、 ひどく今日が涼しい日であることに気付いた。 そして今、頭に浮かぶことをそのまま書いていったら こんなに狙った文章みたいになってしまうのか、ということに気付いた。 やっぱり文章を書くことは向いていない。

2000年7月7日

疲れて寝て起きたらもう朝6時半。嘆いても仕方ないので とりあえずアレルゲンの6号を掲載した。

原稿かこう。さっさとすませないととんでもないことになりそうだ。

実験の待ち時間にこっそり帰ってきてとらハ。 美緒とリスティ。すごいダメっぷりだ。特に後者。 前者は展開がすごくダメなだけで楽しげな雰囲気は損なわれていないので そんなに文句を言うつもりはないが、後者はすごい。 To HeartPC版の琴音シナリオのダメさを、 さらに強烈にしたような感じといったらわかるだろうか。 言いたいことはわかるが、ああ、ダメだ。 最初まるでなつかないキャラがだんだんなついていくタイプのシナリオ ではあるが、その過程がちと雑すぎていまひとつこない。 もしそれさえちゃんとしていれば多少のションボリなストーリーくらいは 目をつぶれただろうに。

IT革命らしい。新聞をちらと見るとそんなことが書いてあった。 ITというと猪狩・鳥羽かと思うが、もちろんそうではない。 それならばなんなのかと聞かれると答えに困るのだが、 早い話情報関連の技術やらなにやらのことだ。 パソコンやらの情報端末が普及して、世の中が変りつつあるという話である。 それに伴って、情報格差というものが問題になっているらしい。 パソコンを使える人と使えない人の格差が問題だというのだ。 福祉のようなシステムを導入して、情報技術を使えない人を 救済しようという考え方もあるらしい。 しかし、パソコンを使えないのが金の問題であることはほとんどなく、 たいがいは能力的な問題である。野球ができないというのと同じだ。 基本的に本人ができないのが悪い。 人それぞれ苦手なことがあるというのはもっともだが、 だからといって努力しないでいいということはない。

しかし、オレが野球を練習しないのと同様に、 そういう人もコンピュータを練習しようとはしない。 できないのではなくやらないだけなのだが、 やらないという意思も、できないという思い込みも、 結果ダメだという意味で同じであり、どうにもならないのである。 であればこそ、アホでも使えるようにコンピュータの機能の一部を取り出して 単純化するのは金になるのだ。 どこもインターネット端末という奴をいっしょうけんめい作っているようだが、 これはどこまでできることを減らせるかが運命の分かれみちになる。 ページを保存する必要もないだろうし、せいぜい設定とアドレスのキャッシュ さえ蓄えられればいい。PSのメモリーカード程度で事足りる。 処理速度もそういらないので、それこそゲーム機以下である。 必要な性能といえば画面の解像度くらいのものだ。 しかし、作る方はやはり誇りがあり、作る人はできる人だから、 できない人を理解しにくい。それでつい多機能にしてしまう。 今売られている携帯電話の異常な高機能さを考えればそれもわかるだろう。 多機能にしたくなるプロフェッショナルの心を押し殺していかに少機能にするか。 設計する人にしてみれば淋しい話だろうが、たぶん携帯電話の全機能を使っている人は そう多くはないのではなかろうか。 むしろボタンが多くてジャマだと思っている人の方がおおかろうに。

とらハ2、知佳(すなわちニセ初音)終了。 その結果、絵とキャラ属性は初音だが、中身は 似ても似つかないものであることがわかってうれしいびっくりだった。 こいつもいい奴だ。暗黒面もそこそこ描かれているのがこの「いい奴さ」 の理由かもしれない。先に攻略したリスティもこの知佳シナリオにおいては かなりいい役どころになっていて好感がもてる。 姉の漫画家もやっぱりいい奴だし、 クソまじめにがんばる主人公もまたいい奴だ。 いい奴ばっかり。うさんくさい絵空事のようないい奴さじゃなくて、 実際にいても許せそうな、むしろいてほしいタイプのいい奴さ。 これほどキャラ描写のイキイキしている作品はほかにないかもしれない。 (もちろんセリフのふしぶしがあざとかったり、 展開が都合がいいのはお約束ということで目をつぶるのが条件) ただし、泣けるかどうかを重視する人や、即物的な属性を欲っする人、 さらにちゃんとしたストーリーを読みたい人にはまるですすめられないのでご注意。 キャラの存在感から言えばホワイトアルバムを抜いて堂々の第一位である。 最初の「らぶひな?」という印象は間違ってはいなかったが、 それだけではなかった。ONEも「ニセTo Heart」と言われたものである。

2000年7月6日

旅行が25から27になった。帰ってくるのは27の夕方と思われる。 編集時間が一日しかない。29の昼には大阪に持っていかねばならないのだ。 死んでしまうよ。本当に。というわけで、25から26の間に原稿がついても わからないので、逆に言うと25に間にあってなくてもオレにはバレない。 呪うぞ、研究室。

リュックサックが本格的に壊れた。いままでは穴があく程度で、 縫えばまだまだ使えたのだが、今度は肩にかける帯がちぎれた。 もはや背負えない。ヒモで結んでも耐久性に問題があって信頼性に欠ける。 さすがにこいつの寿命は尽きたと考えるべきかもしれない。 誰かに「いいかげん買えよ」と言われたら買おうと思っていて、 事実数人に言われたので買う条件は満たしているのだが、 やはり完全に壊れるまでは買う気にはならないものである。 このリュックサックは父が旅行する時に使っていたものであり、 オレが受けついだのもオレが小学一年の時だ。 そう考えればよくもったと誉めてやる気にもなる。 しかし買い替えるとなると事は簡単でもない。 高いからだ。 ショボいものを買うのはイヤだし、かといってちゃんとしたものは高い。 しかし考えてみればリュックサックなどという大層なものである必要はないのだ。 早い話手を使わずに運べればいい。 デカい麻の布さえ手に入ればどうにでもなる気もするのである。 というわけでヒマができたら布を探しにいこう。 そういえばのじりがシーツで運んでいた気がするな。 さすがにあれだととっさに取り出せなくて困るだろうが。

ペンネームをヲサムにすると、このサイトの名前が「ヲサムの六畳間」に なってしまう。没だ没。

CD-Rドライブを買ってこねばならないのだが、 大阪に行く時間が惜しい。京都で買うか、通販か。 2倍でいいから安く売っていないものだろうか。

2000年7月5日

ふと思ったのだが、ペンネームで呼ばれるのはあまり慣れない。 「ひらしょー」と呼ばれるのはあだなだったので慣れているが、 「ひらしょーさん」になるとモノが違う。 それにひらしょーは久しく呼ばれてないので、やはりどうもしっくりこない。 ということは、ペンネームを本名にするか、現在呼ばれているあだなにするか すれば楽になることになる。だが、本名にするのはなにかといろいろアレだ。 とすると今呼ばれているあだな。…ヲサム。 しかし考えてみればヲサムに「さん」がついても違和感は変わらん。 むしろ逆に激しい。やはり「ひらしょー」が無難か。 本名出まくりなのでペンネームにさしたる意味があるわけではないのだが。

夏コミ本の穴埋め必要ページ数が確定したので、妄想に入る。 それにしても2ページ漫画×1+1ページ漫画6、ってのはどういうことだ。 目次を独占してやる。

時間軸上の優先順位。

  1. たのまれた原稿(3枚?)
  2. 葵本裏表紙(1)
  3. エネルゲン夏コミ本穴埋め(8)
  4. 葵本穴埋め(?)
  5. 葵本中身(?)

これが7/23まで。ずいぶんとまた地獄だな。 試験も中間報告もあるというのに。

ブルー。だが、このブルーをレッドに変えるために必要なものと ジャマなものはもうわかっている。ならば。

サークルを軸に物を考えると、キャラ限定タイプのイベントは 出るべきではないのかもしれない。全員参加したオフセットを新刊とし て出すことはまずできないからだ。考えただけでも 澪、栞、真琴、初音、楓、来栖川、KANONサブキャラ、と山ほどある。 このうちKANONサブキャライベントは秋子本を出すことで合意したので 参加するが、他は出たとしてもオレのアレルゲンだけ。 参加しないのが吉なのだろうな。きっと。

2000年7月4日

28000越えてますな。たぶん昨日。明日の昼の発表が片づいたら 日記でも書くとしましょう。ついでにアレルゲンの6号の公開も。

有機合成の発表は終わった。さんざんボロクソにいわれた。論外だそうだ。 具体的な反応条件なんて書けるものか。やったこともないのに。 経路と戦略を示しただけでは足りんのか。合成戦略そのものは 他の人とそう変わらなかったというのに。 まあ、もう忘れる。一生やることもあるまい。単位くらいくれるだろう。

研究室の旅行の手配。いろいろ面倒だ。 何をしにいくのか、何がしたいのかが決まっていないのに 旅行をすることだけが決まっているというのは根本的におかしい。 何がしたい、とか、何を見たい、とかそういうことがあってはじめて 旅行に行くということを決めるのではないのか。 恒例というのは人から思考力を奪うものなのだろう。 もっとも、仮に旅行をするか否かから決めるとしたら、 しないことになってしまう確率が高いわけで、 恒例にでもしないとしないからだというのが本当のところだろうが。 それにしてもわざわざ遠くまで行って、 どこでもできるテニスやら麻雀やらをしようというの はどう考えてもおかしい。 ふらふらと歩くだけの方がはるかにマシではないか。 オレは知らん。ふらふらしよう。そこまでは幹事の役目ではあるまい。 テニスコートの予約までしたのだ。

ちなみに、重大な問題がこれに伴って生じている。 日程が「7月24日から26日」なのだ。 25は葵本及びエネルゲン本の締切。 入稿期限が29だからなんとかなるにはなるが、 かなりキツくなった。面倒がなくスムーズに編集できる状態になることを 祈るのみである。

アレルゲン6号の公開は少し待ってほしい。具体的には明日まで。 今日は気力が足りなさすぎる。 あんな作業でも一時間くらいはかかるのだ。 windowsを立ちあげるのも面倒だし。

Athlon新型(Thunderbird)が1GHzまで出た。SlotA版も潤沢にある。 清水の奴買わないかな。 ちなみに、Duronの700MHzは16000円を割り、チップセットさえ出れば 即買いな状態。しかしそのチップセットが…。 今のところは AMD750マザー+SlotA版Thunderbird700MHzというのが一番まともだろう。

完全データ入稿の同人誌を発見。そんなことができるのなら是非やってみたい。 ショボいレーザプリンタの呪縛から逃れられるし、手間も劇的に減る。 が、印刷所の技術レベルがモロに出るのだろうな。

7月1日から7月3日まで

  ここ数日の狂気な状態を書いておこう。 あったことを書いているだけなのでつまらないかもしれないが、 あったことがけっこうおもしろいかもしれないのでそのまま書いておく。

1日

  7月1日土曜日。研究室の停電当番も終わり、論文を読むのもてきとうに切りあげて 出発。午前11時のことだ。道中は新幹線だったので何のおもしろみもなく到着した。 吉祥寺の成蹊大学漫研の部室についたのが16時ごろだっただろうか。

  かたはらもアホも来ないので、 部室でゴロゴロする。えんえんゴロゴロする。あそこの部室には アホが持ちこんだ10週うちきり漫画の類が大量に置いてあり、 ヒマつぶしとネタにはもってこいだ。キックボクサーマモルが最悪につまらなくて かなり良い。それとは関係なく最終兵器彼女もまたけっこうおもしろくてよかった。 そうしてしばらくして時計を見ると17時。 そろそろ二郎の時だろう。

  「大つけダブルとうがらし少し油少しあと全まし」。 つけはその名の通り皿に冷した麺がのっていて、それをスープにつけて食う タイプの二郎である。終わった後にスープに湯を足してもらい、 これをすするのがまたいいのだ。しかし、ちと多かった。 つけは通常のあったかいのに比べて量が多いのである。 ブタがダブルであったために腹もかなり圧迫され、 かなりの苦境におちいった。しかし、どういうわけか8割食ったあたりで フっと楽になり、最後はそれほどの辛さもなくスープでフィニッシュ。 ああ、やはりこれが二郎だ。しかし、次は小にしておこう。 たまにしか食えないからと大を頼むと、味がわからなくなる上に しばらく活動不能になってしまうからだ。

  二郎から出ると、清水とかたはらが並んでいた。「待ってたっていいじゃないか」 などと言われても、いつくるかもわからない奴を待って貴重な二郎 を逃すわけにはいかないのでオレの決断は間違ってはいない。 18時すぎて二郎を食うのは危険極まることなのだ。 部室へ帰る。

  部室に帰るとJAGIやらアホやらがいた。 えんえんグリコーゲン(アレルゲンに対抗した東京人の企画)の製本をしている。 オレはというと二郎で苦しくてそれどころではなかったので、 二郎くせえと文句を言われながらもダラダラする。 ちょうどジャイアントロボのビデオをみており、みなでツッコミを入れながら 楽しんだ。それぞれ楽しむところが違うのが顕著にわかるので、 アニメそのものと同じくらい他の奴等の反応がおもしろい。

  成蹊は警備会社が管理している都合上部室をたたき出されるらしく、 21時ごろには撤収となった。清水は色紙を描くためにかたはらの家に行き、 JAGIはせまいので帰り、オレは汚ないアホの家へ。 確かにあそこで色紙は描けまい。清水の選択は正しかろう。 日曜の最終新幹線で帰るために、荻窪でのぞみの切符も購入しておいた。

  荻窪駅。駅前にはなぜか果物屋がある。いつもどういうわけかわけのわからない 南国フルーツを売っており、かなりの確率でドリアンが置いてある変な店だ。 今日もあるのかなと通りがかると、なんとドリアンが割って売っていた。 まるごとだと7000円とかして到底手が出ないドリアンも、 6分の1くらいになってしまうと1200円である。ネタとしては十分におもしろいし、 新幹線やらイベント参加費やら印刷費やらで金の感覚はほぼマヒしている。 つまり買ってもよい。買った。

  後悔した。買って5秒はたっていなかった気がする。 匂いが尋常ではない。この匂いは今までの経験上 「大豆を煮て、そのまま放置してクサってしまった匂い」 に酷似していた。生物に「食うな。これは毒だ」と知らせてくれる匂いである。 微生物が「これはオレが先にいただいた。おまえの分はない」と我々にささやくような 匂いである。ラップにくるみ、新聞にくるみ、それをビニル袋にいれて手から 下げている状態で、かつ歩いているのににおってくるのだからその程度が知れよう。 途中あまりに喉がかわいたのでコンビニに寄ったのだが、 多少の注目を浴びた気がする。

  アホの家につき、「おもしろいおみやげがあるぞ」 とアホに見せると、その瞬間に立ちこめる悪臭。 「なんてことしやがる」と歓迎された。即座に冷蔵庫に封じたが、 あの冷蔵庫の中にあったものは一つとして助かるまい。 疲れていたので風呂あがりに食うことにしてかたはらを待つ。

  かたはらが来る。清水はそのまま色紙を描いているらしい。 というわけで3人で風呂屋へ行った。ああ、ダラダラしていた。

2日

  アホの家に帰ってくる。1時すぎだっただろうか。 オレはもう疲労困憊で、アホにいろいろもらう予定も忘れて 寝くさってしまった。なぜかかたはらもいっしょに。清水は一人で行くはめに。

  朝5時。まさひろから「行けない」との電話が。 とんでもない時間に、しかもおもしろくない電話をくらったので、 みなで死ねコール。その後8時くらいにダラダラと用意して 一路Bright Seasonへ。なぜかウシオと荻窪で合流。

  Bright Seasonの会場は蒲田にあった。ずいぶんと遠いところである。 品川からのりかえていくつかあったから、かなり横浜寄りのところなのだろう。 帰るのがめんどくさく思われた。新幹線は東京から出るものなのである。

  会場。場所を間違ったりといろいろはずかしいこともしたが、 ともかくも設営完了。客の押しよせてくるのを待つ。 しかし、考えてみれば長い間新刊を出していない。 最後に出したのが4月の23だ。実に2ヶ月以上である。 グリコーゲンとアレルゲンの2冊では主力兵器にはまるでならないので、 かなり淋しい事態が予想された。 そして、事実まるで売れなかったどころか、 タダのものすらもっていってもらえなかった。 なゆけっととは客の質が違ったということもあるし、 そもそも何も買ってもらえない状態では、 買ってくれた時におまけにむりやりつけることもままならない。 やはり新刊は必要なのである。

  清水やらJAGIやらと5人もメンバーがいるのでみんないてもジャマだろう、 ということを口実にアホといっしょに会場をまわる。 そしてそのうちに、どうしようもなく自分の作風というか、 オレそのものがこの空間で異質なように思えてきた。 たいがいの同人誌は絵というか内容というか雰囲気というか、 そんなものがもっとあたたかいのである。和やかなのだ。 比べてオレのはなんだかおかしい。アホにそれを言うと、 いまさら何をいうかと言われた。ウシオにオレのを見せると、 「おまえのが一番ションボリした」と喜ばれた。 おもしろがってくれているのは確かだが、ウシオだしあてにはならない。 アホもまた然り。しかしこれでおもしろいと言ってくれる人が 奴等だけではないことも事実らしいので、たぶんこれはこれでいいのだろう。 とすれば、オレにできることは絵をうまくすることと、たくさん描くことだけである。 一度ハートフルで恥ずかしくなるような幸せな漫画も描いてみたいとも思ったが、 アホに「それはおもしろそうだ。是非やってくれ」と言われてかなりションボリした のでいつやるかはわからない。ともかくもアレルゲンくらいは もっと原稿をかかねば。8ページ中4ページくらいは描かねば情けなさすぎる。

  あ。っというまにBright Seasonは終了。11時開場で2時終了は短すぎると思うのだが。 ちなみに、数えてはいないが本はまったく といっていいほど売れていない。新刊がないのだから仕方あるまい。 もう売ることはほぼあきらめているので大してこたえやしなかったが、 やはりタダのものまで大量に余ったのは淋しかった。 さて、その後は色紙オークション。オレには関係ないが、 清水とかたはらが描いてきている。しかし1サークル1枚というのが掟だったので、 話し合いの結果かたはらのを出すことになった。 だったらと清水のをサークルのスペースで値段を決めて 売りに出したらどうだと提案したが、 もってかえって親に見せるとのことで、売りには出さなかった。 オレは親に自分の作品を見せるほど自信はないので、 その程度の自信がつくくらいにはならねばならんなとも思う。 色紙描いて値がある程度つりあがるようになったら自信もつくのかもしれないが。

  オークションは遅れに遅れた。イベントの準備会が イベントの規模が大きくなったということをよくわかっておらず、 昔の小さい規模の体制のままだったのが最大の原因だろう。 大きくなるとやり方も変えねばならないのである。 「イラストを送ってくれたサークルは参加費割引。 そのイラストはカタログにのせます」 などということをやっていたが、案の上カタログが大変なページ数になってしまって 大変そうだった。オークションも「1サークル1回」という制限を設けたにも かかわらず120以上のサークルが参加してしまい、時間がかかりまくった。 手際うんぬん以前に体制を考えねばもたないだろう。 わざわざあんな大変な思いをしてイベントをひらいてくれているのだから 文句を言うのはアレだが、ちと考えてもらわねばやはり困る。

  オークション開始。プロジェクターに写された色紙を前にして、 数十人がモノをゲットしようと火花を散らす。数千円はあたりまえ。 数万円すらそう珍しくはないという狂気のイベントである。色紙一枚に、だ。 しかし、さすがに今までの尋常じゃない価格がヒンシュクものだったらしく、 今回は出品者が必ず上限を定めることとなった。 おかげで今回はたいがい1万円でリミットとなり、それ以上いきそうなものでも あとはジャンケンとなるパターンが大半だった。 自分で上限を決められるとは言え、色紙一枚に「10万円」などと自分で言える ようなツラの皮の厚い人はなかなかいないので、これは見事な作戦であると言えよう。 しかし、ハナっから買う気のない人間としては値がつりあがっていくのが おもしろいので、多少おもしろみに欠けた気もする。

  横を見ると、かたはらは死んでいた。 オークションから意識をそらそうとそらそうとして、 目をつぶったり、ねころがったりしていたが、 心臓の鼓動は100%増しである。 自分の絵がいつ出るかわからないというのは なかなかにロシアンルーレットであろう。 自分の絵にいくらつくか、というのは絵描きとしては相当なスリルであるに違いない。 しかし、いつになってもかたはらの絵は出てこない。 結局出てきたのは120番中110番くらいであり、 さすがのかたはらも緊張が冷めてきていた。 80番くらいでいきなり出ていたらショック死していたかもしれない。

  「どんなものでも最初は100円」。 司会の声とともにかたはら色紙のオークションははじまった。 数秒間、立つ人間が出ない。緊張が走る。まさか。いや、しかし このオークションにおいて買い手が出ないということはほぼあり得ないことを 知っていたので、さほど心配はしなかった。事実すぐに1000円と声があがる。 2000円。3000円。また止まった。4秒か、5秒か。 かたはらが出したのはONEの繭。みゅーを抱いて寝ている。かなりかわいい。 5000円くらいはいくのではないかと予想していたほどだ。 これを読んでいる方は「色紙一枚5000円?」と思われるだろうが、 あのイベントはそういうイベントであり、あの空間はそういう空間なのである。 独身でサラリーマン歴数年のヒマはないが金はあるという人種が いかにおそろしいものであるかを思い知ることができる。 そういうわけで5000円はせいぜい中堅程度と言って良い。 さて、7秒はたっていなかったと思う。5000円の声があがった。 さすがに落札。はじけるかたはら。

  買ったのはBSのスタッフの人だったらしい。ただでもうれしいのがもっと うれしくなることがあったらしく、かたはらはかなりうれしそうだ。 オレもいつか出してみたいと思ったりもするが、ここで「が」という接続詞が つくあたりがオレの限界だなとも思う。

  全て終わって会場を出た。時間はもう17時をまわっている。 が、この後どうするかはすでに決まっている。 オレは新幹線の切符が21時18分東京発だったのであまり時間はない。

  18時半くらいだっただろうか。目的地につく。 清水は会場から群馬の実家に帰ってしまったので、 かたはら、オレ、アホ、JAGIの4人だ。 ちなみに、東京発の切符はキャンセルして新横浜からのにしておいた。 これで少し長くいることができる。

  というわけでストライク平助さんの家におじゃました。 会って数分でタメで話そうということになり、 なんの違和感もなくタメで話すようになってしまった。 北海道弁がなつかしい。エセ関西弁と標準語に駆逐されて久しい言語の響きだ。 ずいぶんとハイになってしゃべってしまった。後で少し反省。

  楽しい時間は経つのがはやい。最近はそんなことを忘れていたので、 ずいぶんと新鮮である。かくして時刻は9時近くになり、 お別れとなった。新横浜まで出てのぞみ号にのらねばならない。 しかし、ちと出た時間が遅かった。あんまりいごごちがよかったので、 帰ることなど考えたくなかったのである。 新横浜まで30分くらいだということで30分前に出たのは間違いだったのだ。

  加えて小田急のダイヤは乱れた。歩くのよりも遅いような速度でしか走らない。 なにやらアナウンスがあったようだが、まるで聞きとれなかった。 車内をウロウロしながら絶望的な気分にひたる。 JRにのりかえる駅についた時にはすでに20分を経過していた。 あと14分。のりかえに走るオレ。

  電車は何分だ?あといくつで新横浜だ? その疑問に駅の掲示はすぐに答えてくれた。 電車は新幹線が出る5分前。新横浜まで駅7つ。 世界の色が少し変わった。 絶対に間にあわない。朝一番の新幹線で帰ろうかとJAGIに電話しようと思ったが、 電話番号がわからない。かたはらのもわからない。アホは移動電話をもってない。 今から平助さんのところに戻っても奴等がいるという保証はない。 つまり帰るしかない。そもそもすでにJRの改札をとおってしまっているわけで、 ここで帰らねば乗車券が無駄になってしまう。

  駅員にたずねて、京都まで最速でつく方法を聞く。 寝台特急があった。京都着6時34分。ゼミの発表が4時からだったから、 電車の中で論文を読んで理解し、1限2限をサボって資料を作り、 3限もサボってわからんところを図書館に行って調べれば間にあうかもしれない。 とにかくあと5分で無効になるということで 急いでのぞみをキャンセルしたが、それでも寝台券代を買えるほどの 金にはならなかった。 アホに借金を返したために手持ちがキャンセルで帰ってきた金を含めて 5000円程度しかなかったのである。無謀極まる状態だが、 ともかくも横浜まで出ることにした。 こうなれば大垣夜行しかない。ムーンライトながらにのれば 朝には大垣(名古屋と京都の中間くらい)につける。 だが、京都に何時につけるのかはまるで謎だったし、 万がムーンライトながらの指定席券が売り切れていたら最後である。 小田原まで先回りして自由席でのるという手はあるにはあったが、 あまりにも面倒で、電車で寝るという計画が崩れさってしまう。 だが考えてもしかたない。

  横浜。切符は買えた。だが電車が来るまで2時間くらいあった。 ひたすら駅のホームで論文を読むが、疲れて眠い。腹も減るが金もない。 これから先何があるかわからない以上100円や200円が命取りにもなりかねないのだ。 考えればロクに寝ていないうえにこのメチャクチャなスケジュールだ。 当然ねむかろう。 だが、寝るわけにはいかない。論文を一刻も早く理解せねばならなかったし、 何よりも寝ている間に電車が来てしまうのが恐しかった。 ここでのりそこねればここで夜を明かすハメになる上に、 郵便局で金を降ろすまで帰れなくなり、結果京都に着くのはどんなにがんばっても 13時近くになってしまう。昼の勉強会をサボるハメになる上に、 資料を作る時間は確実に足りない。「すいません。用意してません」 という最悪な台詞を吐くハメになる。もっと下手をすれば「今、東京なんです。 間にあいません」という電話をせねばならなくなり、「なんでそんなところにいんの」 という質問に答えざるを得なくなる。みじめである。それはみじめである。 その思いがオレの目を覚ましてくれた。 結局ムーンライトながらが来たのは0時11分のことである。 一体大垣まで何時間かかるのだろう。考えないことにしてのりこんだ。

3日

  ふと目がさめる。名古屋の少し前だ。アナウンス。 名古屋着6時XX分、大垣着7時XX分…。遅すぎる。 大垣夜行って各駅停車だったのか? そう。完全にかどうかは忘れたが、起きたころには各駅停車だった。 というわけでベラボーに時間がかかるのだ。 仮に大垣に7時についても鈍行で京都まで2時間はかかる。 9時すぎだ。バスの時間を足すと下手すれば家につくのは10時すぎ。 2時間で資料を作って学校に行くのは不可能に思われた。 こうなれば新幹線しかない。 名古屋で降りて新幹線で京都まで向かう。 万が一特急券を買う金がなかったら、その時は玉砕しかなかった。 京都についてもバスにのれないという事態にすらなりかねない。 だが、それしか選択肢はなかったのだ。

  新幹線は速い。名古屋京都間が40分である。 結局7時すぎに京都に着くことができた。新幹線の特急券が2500円と 余裕をもって払える額で、金が2000円近く残ったのでもう安心である。 タクシーで帰って時間を節約しようかなどと思っているさなかにバスが来た。 家についたのは8時前。 だが、まだ戦いは終わらない。

  論文にわからないところは山とあったが、もはやそれを考えている時間はない。 ともかくもわかるところもわからないところもてきとうにまとめて文章にしてしまい、 図を切り貼りして資料らしきものを作る。誤殖まみれで日本語になっていないところ も多かったが、推敲しているヒマなどあろうはずもなかった。 月曜の一限は必ず出ることにしていた「情報ネットワーク」の授業なのだが、 今回ばかりは仕方がない。二限もうちの教授の授業で出ておかないと心証が悪そうなの だが、今回ばかりは仕方ない。こうして資料の印刷ができたのが11時50分。 急いで学校へ向かう。

  勉強会を終え、再び論文に向きあう。わからないところをわかるためだ。 いつもなら3限の都市設計論とかいう授業に出るところなのだが、 今回ばかりは仕方ない。 結局論文をいくら読んでもわからず、それの参考文献をあさりに図書館へ行き、 さらに2本の論文を拾ってくる。一気に読んでみて、半分くらいは理解できたが、 まだ実験手法の細いところが謎なままだ。時間は3時過ぎ。 そろそろ資料を20部刷っておかねばならない。

  刷って帰ってくると4時10分前。そこで人に言われた「今日5時からね」。 論文に再び向きあう。

  5時5分前、土壇場で「そうか、わかったぞ」が訪れた。 まだちょっとだけ聞かれて困ることが残っていたのだが、 ここまでやったら誰も文句は言わんだろう。 自分で言うのもなんだが数時間の成果としては立派なものだ。 WEBに置いたら人見てくれるだろか。見んか。

  本番である。バーッと説明して質問を待つ。が、みんなわかってないようだった。 オレは説明が下手だし、ただでもみなには見慣れない分野だったからだろう。 けっこう寝てて腹が立ったが、人のことは言えない。 先生が来ていれば山と質問されたはずなのだが、 先生も今日はいなかった。大した質問も出ずにおひらき。 1時以降にオレがやったことは完全に無駄だった。

  助教授に呼ばれる。土曜日に奈良先端大学にDNA Chip実験をしにいくから どうのこうのという話だった。土曜日がうまった。 それに関連してさらにイヤなこともあった。 上司が教授から「土曜行くなら車で送ってあげようか」と言われたらしく、 一応そのことを助教授にも言っておこうと言ってみたところ、 「なんですか。それは。ただ近いから送ってあげるとか言ってるだけじゃないですか。 私は教授にそれに関して何も言っていませんよ。あなたが言ったんですか。 教授にも失礼じゃないですか。向こうの人は田中先生とじゃなくて 我々とやる約束になってるんですから向こうにも失礼じゃないですか。 確認はとったんですか。…」 5分ほど続いたので、てきとーに返して終わらせた。 はっきり言えよ。教授がジャマだって。 車で送ってくれるっていうのは電車で行くよりも楽なのでありがたい話であるし、 教授もDNA Chip実験を見てみたいのだろう。それをああまで理屈をこねくり回して 拒否せんでもよかろうに。あの助教授とは近いうちに決裂する予感がする。 いわれないことで罵声でもあびせてくれれば院をやめる口実になるのだろうが。

  漫研例会。「いやあ、死にそうだよ」と逸平に言って楽しむ。 しかし事実死にそうだ。 まるで寝ていない上にこの2日間は異常に活動量が多かったのである。 加えてあのイヤミ助教授だ。しかし、月曜日はまだ終わってはおらず、 そうタラタラとダベっているヒマもないので帰った。

  火曜日には防災情報論という授業がある。そして、この授業は毎回レポートが出る。 次の授業の前の日までにそれをメールで出さねばならないのだが、 当然やっていないに決まっている。それどころかネタになる資料も読んでいない。 パっと見た感じでは2時間くらいかかりそうだったので 9時ごろには帰ってきたのだが、あまりに疲れてやる気がしない。 だが、やらねば単位は出ない。単位は大切だ。 そこで気力をふりしぼって読んだがやはり内容は頭に入らないのである。 やむを得ず、 てきとうなキーワードと概念を抽出して自分の勝手な考えを書いて水増しし、 30分で終わらせた。やるなあ。オレ。

  終わった。眠りにつく。もし平助さんに「締切のびました」と言われなかったら オレはここからさらに次の昼までに原稿をかかねばならなかったのであるから、 さすがにそれは無理だっただろう。だから安心して眠ることができた。 が、実は火曜には火曜で有機合成の発表があるのである。 ちょうど研究室の同じ授業をとっている友達とはなしている時に自分の合成に 穴がみつかったので、もう一度やりなおさねばならなかった。 だが、今は。今だけは。4時に目覚しの「コンバイン」をセットして寝る。 4時からで間にあう保証はなかったが、専門にしているわけではないのだし 許してくれるだろう。

  一体何時だ?まさひろが来る。平助さんの締切がのびたのを知らなかった ようで(そりゃそうだ)、うちに修羅場りに来たのだ。 しかし、何を話したのかまったく記憶にない。帰るのも見ていない。 オレが意識朦朧としている横で同人誌を読んでいたのはなんとなく覚えているが、 コンバインで目覚めた時にはもういなかった。 疲れはまるでとれていないが、起き出して有機合成をがんばる。

  その後は火曜の日記に続く、だ。 実は前半(1日〜2日夜)はもっといろいろあったのだが、 いろいろとアレなので書かない。 ところで、「〜〜なので書かない」と書くのは読者にとっては 気になるだけだろう。はっきり言ってオレはそういうのは嫌いである。 「書かない」とも書かなければいいのだと思うのだがどうだろう。 しかし、「こんなことがあったんだぜ。聞いてくれよ」 と言いたくても言えないその心を汲んでみればそれも無理からぬことなので 責めはしないが。オレにもそういう時はある。

2000年7月3日

忙しいんじゃー。ここ2日間はいろいろあっておもしろかったので、 きっと日記もおもしろいに違いない。少し待ってください。 ああ、でも頼まれてる原稿の締切がもしのびてなかったらと思うと ものすごい恐い。今のこのヒサンな身体状況で明日の朝までに原稿 かかなきゃいけないなんてそりゃいくらなんでも無理だ。 よかった。本当によかった。といっても今週末には片づけねば 葵本が死んでしまう。死なりよ。そういや、明日ってエネルゲンの夏コミ本の 締切だった気もするな。ま、オレは編集だからいいや。特権特権。

2000年7月1日

起きてチャットで明日のことを話して、清水とラーメンを食って、 今に至る。論文論文。

なぜだ。とらハ2の猫娘の声が耳にこびりついて離れない。 しばらく聞いてないのに。「なんなのだー」。

4時半。一本目をまとめ終わる。でもあと2本。 疲れたよー。こうやってある程度で切れ目がある仕事が一番ダレるのだ。 論文一つ読んで説明するのなんか楽なのだが、 「最近のあるトピックについて説明せよ」といわれると どうしても複数読まざるを得ない。 さすがに全然知らないことをやる時間はないので、 去年までやっていたDNA修復の話を選んではいるのだが、 それでもあまり勉強していなかっただけにさほど楽でもない。 むしろツッコまれたときに答えられなかったらヤバいという罠の方が 重大かもしれない気がしてきた。

頼まれた原稿のネタがうかんだ。あとは電車の中やらでコンテを切ってしまい、 あわよくば帰るまでに下書きを終えてしまおう。 そうすれば楽勝であがる。そうすれば有機合成ももう少しいじる時間もでてくるし、 今回のゼミの資料も余裕をもって作れる。 ああ、とりあえず朝までに2本まとめられれば大丈夫だろう。 2本はここ数年の研究の流れについて書いた総説というやつで、 これはちゃんと読んでまとめねばならないのだが、 あとの一本は最近の一研究の論文なので、どういう実験をしてどういうことが わかったかだけわかればことたりる。論文の半分くらいは細かい操作や、 その実験をした理由、研究背景なのでいらないのだ。 そういうわけで、まとめさえ終われば、 あとはそれらを合わせててきとーに文章の形に直して図やらなにやらをつけるだけ。 もっともそれだけでも結構かかるのだが。

3本目が強敵だった。どういう戦略で、どういう原理の実験をしているのかが えらくややこしい。そういうところは質問が集中するところなので いいかげんな状態でやれば必ずひどい目にあうのだ。 日曜の夜に帰ることはもう決定。新幹線の最終電車を確認しておかねば死あるのみ。 なんという忙しいスケジュールだ。

電話をかけようとしたら話し中。おかしいなと思って時報にかけても話し中。 ということは、TAのハングである。もうダメだ。 とりあえず電源を切ってさましてからもう一度かけてみる。

TAをあけてみた。熱い。むりやり冷してからもう一度。どうだ。


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