日記

2000年1月30日

タクティクス・オーガの気になるところ1。 レベルがクリティカルすぎる。 1レベル上のキャラと戦って勝てることはほぼありえない。 2レベル上はもはや神である。 トレーニングで自軍を2つに分けて戦わせられるのだが、 その時に5レベル3人と4レベル5人で戦わせたら5レベル軍団が圧勝した。 ちなみに3レベル3人対5レベル1人でも5レベルの圧勝である。 それくらいレベルがクリティカルだ。 一方からのダメージが10やそこらな時に逆は50近いのだからそれも当然である。 オレの場合ほとんどトレーニングをせずにやってきたので、 こちらの平均レベルが4で、3の奴までいる。 ところが敵のレベルは最低で5。 さすがにきつい。 トレーニンングは面倒なのだが、そうもいっていられないようだ。 もっと頭を使えば大丈夫なのかもしれないが。

タクティクス・オーガの気になるところ2。 序盤は重い武具がほとんど手に入らないため、 ほとんど全員を軽装歩兵として扱わざるを得ない。 接近戦をしかけられるに足る防御力をもたせられるキャラがほとんど皆無なので、 ほとんど全員で逃げまわりながら矢を射かけるという状態になる。 おとりを出してそこに食いついてきたところを包囲、殲滅する というおきまりの技を使うにもおとり役がいないのだ。

というわけで、高いとこに陣どって矢を射るのが基本で、 リーダー以外は特にジャマな奴しか相手にせず、 徹底的に包囲して射殺すのがオレのやり方になってしまった。 しかし、このゲームは近接攻撃に関しては殴られるたびに殴り返すルールなため、 こちらから4回攻撃すれば、4回殴り返されるのだ。おかげで多数であたっても まるで有利にならない。 ボスともなるとレベルに2くらいの差があるのが普通なので、 近接戦闘をしかけると食らわせる打撃の4倍くらい食らうハメになる。 そういうわけで反撃を受けない射撃しか手はなく、 かくしてナイトもアーチャーも関係なく弓をもって チキン戦法をとるはめになるわけだ。 なんとか他に手はないのだろうか。

ところで、マップ移動中に用もなく出てくるリザードマンの類 はジャマだと思うのだが、どうか。 しかもかなり強いのでけっこう難儀する。

今日は引越しの手伝いをした。おもしろいことに引越し先はうちのとなりの部屋だ。 しかし、おもしろいのはそんな程度ではない。

早々と引越しをおわらせてメシを食いにいこうという時に、 ふと目にとまったのが雀卓だった。 レンタカーは夜8時までかりているらしく、早く返してしまうのもつまらない。 ここから導かれる結論は、そう。レンタカー内部で麻雀をすることだ。 かくして、京都を一周しながら麻雀を打ち、各所で証拠写真をとるという アホ極まるイベントが発動した。いい、思い出だ。

夜、大半は麻雀に行ったので、大半からあぶれた連中であつまって イデオンの上映会をした。10話一気に見たが、幸い誰もたいくつ する者はなく、 ツッコミをいれたりもしながら楽しんでいたようだ。 イデオンが富野の最高傑作だと信じて疑わないオレとしては うれしい限りである。

ヴァルキリープロファイルというゲームをみせてもらった。 プロローグが秀逸らしい。だが、オレの目にはそうは映らなかった。 あまりにも脚本がよくなく、かつ展開がおかしいのである。 泣かせシーン的なセリフをそのキャラがどういう人間なのかをまるで表現しないうちに 展開してしまうため、感情移入もクソもない。 いきなりお涙ちょうだいである。いきなり不幸に死ぬそのキャラの不幸にしても、 いきなりでそのまんまだ。演出もなにもあったものではない。 なんでもかんでも最後まで言葉で説明してしまうあたりも出来が悪い。 シナリオのコンセプトそのものは天界の戦争のために優秀な魂をかきあつめるという 斬新でイカしたもので期待大なのだが、どうも中をみていると つまらなそうで残念である。戦闘はけっこうおもしろそうではあったが、 待ち時間は長くタルい印象は拭えないし、 横視点アクションゲームな要素がバリバリな割には 戦闘がいちいち画面がきりかわって非アクションな戦闘になるのが いまひとつよくわからない。 なお、絵はすこく幸が薄そうで、リアルっぽくて、いい絵だ。 すごく気にいった。塗りも流行りのセル塗りでないのがいいのだが、 どういうわけかオープニングムービーは普通のセル塗りで なにもおもしろくなかった。これまた残念である。 結論。コンセプトと絵は買い。 実家に帰った時にころがっていたら一応やってみるとしよう。 脚本や演出がダメでも、よほど他におもしろいところがあるに違いない。 でなければ、この評価の高さは説明できないではないか。 それが絵だけ、というオチだけはごめんこうむりたい。

2000年1月29日

実験と道場で一日は終わった。 酒の後遺症はさほどなかったので、そうひどいことにもなっていない。 ただ、ちりめんじゃこと酒をふるまって尽きてしまったのが けっこう痛かったりもする。 もはや金はないしので、かつおぶしも、しいたけも、ちりめんじゃこも ない状態で生きていかねばならないのだ。

考えるのに疲れた。今日のところは考えるのをやめることにする。 いつか地球に落ちる日もくるだろう(ネタ)。

2000年1月28日

笹鳴氏の家でのみ会。引越しいわいということらしい。 うちの酒2本と、ちりめんじゃことたらこを放出して 全てきれいさっぱりなくなった。 こういうのはすごく気持ちいい。 しかし、胃がいたいので寝る。

16000。ありがとうございます。 更新予定ですが、 たぶん次はタクティクス・オーガ感想文でしょう。 今はそんなことやってる場合ではないので、それは原稿の後の話でしょうが。

2000年1月27日

あーあ。やっちまった。 強は実験の合間にハードディスクを売り払いにいった。 すると、新型のK6-3の450MHzがあった。 テスト結果は追って別文書にするので、 興味のある人はそちらをどうぞ。

2000年1月26日

timidityが古いバージョンながら動くようになり、 sted2も苦闘の末コンパイルに成功して動くようになったので、 MIDIもいじれるようになった。 BT848ドライバもいれてキャプチャーもできるようになった。 夜になったら新しいtimidityを入れて、 これでもう何も恐いものはなくなるのだ。さて、漫画かくか。

FreeBSDはDebianのLinuxよりは慣れるのがむつかしい。 慣れる難易度を言えば、MAC<Windows<Debian<FreeBSDといった感じだ。 その分だけ慣れればわかりやすく合理的に作られているようなので、 慣れることによっておいしくなる度合はおそらくFreeBSD>debian>windows>MACと なるはずだ。なにしろこれに慣れるということはUnixそのものに慣れるということで、 それだけいいことがいろいろある。Debianの時は楽をしすぎてしまって、 知識をつけるのをやめてしまったのだ。 自動化はいいことだが、自動化する過程は知っておきたいものである。

久しぶりにフロにいく。 「久しぶりに」という言葉の次に「フロ」という名詞が並ぶのは、 日本語としては正しくても、 その言葉が発せられる状況に何らかの間違いがあるに違いない。 間違いは正さねばならないのだが、 残念ながらそれはもろもろの事情によって許されないのである。

そろそろ古いハードディスク(4.3GB)がお払い箱になる。 じゃんぱらに売り払ってこよう。 こんなものでも5000円になるのだ。 というわけで5000円で買いたい人がいたら売ります。 ディスク1枚なので4.3GBの中では最速クラスです。

2000年1月25日

はじめてFreeBSDで日記を書く。やったー。 でも、音はならない。なぜ?

いろいろインストール中。やはりコンパイルはいい。 だが、どうもうちのCPUがヘタれていることが発覚。 400MHzでも回らない体になってしまった。 ながいこと112x3という妙なことをしてきたせいなのかもしれない。 そういうこともあってk6-3がますます欲しくなる。

2000年1月24日

夜9時ごろまでまでやる気なく寝ていた。 起きてもなにをするわけでもなく、「くそーくそー」と わめきながらごろごろしていたのだ。 でふと思ったのだが、日本語をあまり知らない人がそれを聞いたら、 「大便ー大便ー」とわめいているように感じるかもしれない。 いや、しかしもう少し考えてみると、英語なんかでも "Shit!"とか言うので、ひょっとしたらそこら中の言語に こういう「大便悔やしがり表現」があるのかもしれない。 しかし、だからどうだというわけでもないので、 「くそーくそー」とわめく。 しかし、それでもどうにもならないので、 試しに「ねこーねこー」とわめいてみたが、特に状況は変わらなかったので、 大人しく起きてすることをすることにした。 やることで短期的なものは、実家に荷物をおくることと、 部屋の掃除をすることと、昨日のあんこう鍋ででたよごれものを洗うことと 風呂屋に行くこと。 もう少し長期的なことは、MIDIの改訂をすすめることと、 漫画をかくこと。 そして、今日の11時からすることは、FreeBSDいじり。 予定ははっきりしているのだから、 運命のマリオネッテとして生きるのみである。

自分の行動が何かいやなことをひきおこすと、まず他人のせいにする。 それに飽きると、自分のせいにする。 そうすると何もする気がなくなるので、何もしなくなる。 そのうち何もしないのにも飽きて、少しづつ元にもどる。 が、その原因になった行動は避けるようになる。 かくして、禁止された行動が増えていくことになる。 自分が削られる過程だ。

2000年1月23日

近頃どうも夜に用事が入ってまともに日記を更新することができなかった。 しかし、もう安心だ。たいがいのことはとりあえず去ったからである。

21日夜。拳法が終わったあとkikuがそのままついてくる。 で、いきなり「あんこう鍋」をやりたいなあという話になり、 ちょうど次の日に引越しをする人がいたのを思い出す。 引越しといえば手伝い、手伝いといえはメシであり、 手伝ってくれた人にメシをおごるのが常だ。 そこで、その機会を利用して、 あんこう代を出してもらって、それをおごってもらうという形にすることにした。 で、電話をかけると、了承。

22日朝、kikuとともに七条千本の中央卸売市場に行って、 5kgのあんこうを買ってくる。ブニャブニャして不気味な魚だ。 帰りに錦で野菜や豆腐を買いこんだりもした。 引越しの後月刊誌の締切があり、その後が鍋大会というスケジュール。 土鍋を買ったり、ちょうどいい機会だとおわんを5個買ったり、 メシを炊いたり、ダシをとったり。 メインの魚をさばくのはできるだけ多くの人に見せてウケてもらいたかったので 最後にしたのだが、だいぶ麻雀に行ってから 来るという人も多かったので、5人(後にプラス1)で始めた。 食えるだけ食って眠くなった23日3時ごろ、 麻雀組が現れた。しかしながら、 気の毒だが始めて数時間たった鍋などうまいはずもない。 もっともだからといってどうできるわけでもなく、眠かったので寝ていた。 第二部においてどんな会話がなされていたのかはさっぱり知らない。 さて、なにやら片づけるらしい気配で起きて片づけを始めた のが5時くらいだっただろうか。同じく寝ているkikuをたたきおこして 荷物をオレのうちにはこばせ、全ては終わった。

参加人数が不確定な食い物イベントはリスクが大きい。 高額な材料を使うのならなおさらである。 また、鍋は味の劣化が激しく、食べ方をこちらで指定するのがむつかしいため、 いろいろと面倒である。時間がたつにつれて味がおち、 後から来た人には本来の味を提供することができない。 そういうわけで、こういう後から人がくるかもしれず、 長時間ダラダラ食べる料理としては、鍋は優秀ではないのだ。 一度で食べきってしまえれば、おいしいし楽しいいい料理なのだが。

2000年1月21日

Windowsの呪いで全てが破壊される。 呪い返してどうなるものでもなく、残念。

2000年1月20日

ktoreishi氏の協力でなんとかFreeBSDのインストールに成功。 あとはデータを移したりwindowsをいれたりすれば終わる。 徹夜なので眠い。

2000年1月19日

日本橋に行く他人の用事ができた。 またコンピュータを組む。 今度も報酬をくれるのでかなりうれしい。

音色セットが完成した。倉庫(xoom)の方に置くことにする。 しかし、14MBもあるものを誰がもってゆくのだろう。 それもxoomから。

ハードディスクを買いにパソコン工房へ行く。おめあてのFB lct10はあった。 10.2GBで12980円。新製品だけに高めだ。さて、買おうとして財布をあけると、 金が足りなかった。400円。わずか400円。 変な食いものを買ってるうちにけっこうな額を使っていたのだ。 時間は18時。金を得る手段はない。 そこでふと横をみるとK6-3の400が9500円。 うっ、と思って見てみたが、2.4Vの旧式だった。 じゃあ、いらない。仕方なく店内をまわっていると 前おめあてだったキーボードを発見。 しかし、キーボードは昨日買ってしまったばかりなのである。 そしてそのおめあてのキーボードというのは、 ファンクションキーから矢印、テンキー、その他もろもろがない まさにマニア仕様のキーボードで、 慣れねばならないという意味では昨日買ったもの以上なのだ。 というわけで、まだいいやという結論。 よく考えてみれば矢印はエミュで遊ぶ時に必須なので、 ないのも困るのだ。 もちろん、とあるキーを押していると他のキーに化ける機能がついているので 矢印も使えるには使えるのだが、始終そのキーを押しっぱなしというのもイヤだ。

結局3日連続買えなかった。買うなという啓示だろうか。 さすがに4回目は成功するだろうが、だんだんアホらしくなってきた。 もうこの際このハードディスクのままでKondaraに移行してしまおうか。 容量は足りてはいないがそんなに悲惨でもない。 ゲームはかたっぱしから消していけばなんとかなるし、 ルートパーティションも700MBで足りなかったら何かがおかしいのだ。 というわけで、ハードディスクは後まわしにする。 優先順位一位はメモリ、二位はCPU、三位はハードディスクということに決定。

音色セットがデカすぎるようだ。 どうせ圧縮しても減らないので、生でバラで置くことにする。

2000年1月18日

じゃんぱらでパーツを売りさばいた。 その後 ドスパラに行ったのだが、ハードディスクの品揃えが悪すぎて買いようがない。 仕方ないので、安売りしていた小型キーボードを買って帰る。 小さくて無駄なキーもなくわりとよさそうだが、慣れるのがちょっと大変。

kanon全年齢対象版を目の前にして数分。 ついに買わずに帰ってきた。 人間いざという時には臆病になるものだ。

例会にいくが、何もしなかった。

いろんなものがたりない。

食ってもたまらない

寝てもたまらない。

疑うことも知らない愚かさが、いまはほしい。

精神を高揚させるためにMIDIをいじる。 ハルマゲドンをオーケストレーションしたら、 偽物になった。 どの音色セットで聞いてもさほどおかしくならないので、 前より互換性は高いだろう。

timidity用音色セットをつくった。 GMのだけだが主要なものは入っているし、 ドラムセットは全部入っている。 単音できれいなことよりも、 合わせた時に他とかちあわないような音を優先的に選んだ。 その結果、そこそこいいものができたと思う。 だいたい人がえらんだものから選んでいるのだから、 いいものになるに決まっている。 で、現在圧縮して14MB。ファイルが151個あるが、 本来GMには音色128にドラム47個の計175個の音色があるので、 25個足りない。どれが足りないのかを探すのは面倒くさいので、 適当にMIDIを聞いていて鳴らない音があったらその度に追加することにする。 たぶん足りないのは電気系か効果音系の音だろう。 そういうのを使うような曲はまるでもってないのだから そうに決まっている。 というわけで、ほしい人がいるようならどこかに置きます。 デカいですが、残っている電気系の音はたいがい小さいので、 完成してもせいぜい16MBくらいにはおさまるだろうということが救いです。 もっとも、効果音系なんて鳴らなくたっていいようなもんばかりなので (電話の音とか、鉄砲の音とか)このままでもいい気もしますが。

2000年1月17日

今日の日記は3日分なので、長い。 近頃毎日更新されないのは、かなりの頻度で清水んちで夜を明かすからである。 書いてあってもテレホーダイ時間に家にいなければ更新しようがないのだ。

土曜の夜から日曜の昼にかけてえんえん清水んちで絵をかいたり、 サークルのサイトの更新をしたりしていた。 描いていたのは漫研の月刊誌で恒例になっている みんなで適当なメッセージをかくページのイラストなのだが、 どういうわけか毎回パンチラをかくことが不文律となっている。 というわけで、挑戦しようとしていたところに 清水がポーズ集を出してきて、「これをかけ」 というので描いてみた。 とりあえず写真をまんま模写して、 その後イヤなところを多少変えたり、顔をギ○○にしたりしていたのだが、 服を着せる段階になってふと気づくと、 かなりイヤな絵になっている。ヨゴレだ。 自分で先にいっておくと他人に言われずにすむ。 ヨゴレヨゴレ。しかしまあそれはいいとして、 ポーズ集を買っておくのはいい考えかもしれないと思った。 だいたいの体のバランスはブロック組み立てでなんとかなるとしても、 細かいところ(足のラインやらなにやら)はどうにもならないからだ。 ギャルゲー本を作るならそういう技はほしい。 金がある時に丸善に行こう。

ハードディスクがほしい。で、金はないでもないのだが、 これが使っていい金なのかがわからない。 後々の印刷のことを考えると使ってはマズいような気もするが、 ドタンバになったら稼げばいいという考え方もある。 それに、ハードディスクに関してはかなり切羽つまって必要なのだ。 うーん。金をおろしてドスパラに行ってこよう。 日本橋まで行きたいところだが、他人の用事がないのでは仕方ない。 自分の用事で行ったら電車賃を払わねばならないのだ。 1360円もかかるので、けっこうバカにならないのである。

雨にも負けず結局行った。が、ドスパラがじゃんパラ(中古パーツ屋)に化けていた。 と思ったら、別のところにドスパラができていたが、閉まっていた。 どうやらできたてらしい。 どうしようもないので、J&PにKANON非18禁版を見にいくが、ない。 どこにもない。仕方なく帰った。 とりあえず、いちいち日本橋にいかなくても パーツが売れることがわかったので、 明日売りにいく。たんぶんドスパラの方も開いているだろう。 ハードディスクも買ってしまう。 さあ、Kondaraだ。すみません。ボクは大衆に迎合します。 FreeBSDはまた今度ということで。

古本屋で「コンデ・コマ」2冊と「いただきます」2冊を買ってきた。 で、「いただきます」だが、すごくおもしろい。 やはり山田貴敏の漫画は安心して読める。 ハデさはないが、漫画としておもしろい。 次はどうする、どうなる、という機転のおもしろさを楽しめる 今となってはそう多くはないタイプの漫画だ。 そしてコンデ・コマ。絵は拳児で知られる藤原芳秀。 絵はかなり汚ないのだが、たぶんデッサンはおかしくないし、 それよりもなによりも迫力があって、独特で、かっこいい。 書き文字まで独特で、しかもかっこいいのがすごい。 漫画の構成もうまいし、ストーリーがさすがに実話が元だけにおもしろく、 これも買いだ。立ち読みした「なつきクライシス」のような今風の 格闘物とくらべるとかなり泥くさいが、おもしろいからいいのだ。 やはりこの人には熱い格闘物がよく似合う。 しかし、こういうものを参考にして漫画を描いていたら 同人誌即売会では売れないだろうとは思ったりもする。でも、いいじゃないか。 これだけかけたらもう何もいるまい。

藤原芳秀はデビューが84年。その時19歳だったという。 84年といえばおそらく「拳児」の時期にあたるわけで、 デビュー当時からこんな独特で濃い(あるいは古くさい)絵だったということになる。 この人の作風は昔からまるで変わっていないのだ。 そして、この絵をひっさげてきた新人にいきなり20巻も続くことになる 漫画の絵をまかせた当時のサンデーの編集部もすごいと思う。 今のサンデーにはそういうパワーがあるのだろうか。 それにしても一体どうやったら19歳でこんな渋い絵を描く人になるのだろう。 天才と呼びたい。

MIDIを知らねばMIDIはいじれない。というわけで、 どのようなものなのかを調べることにした。 .midファイルのフォーマットから、GMの音色リスト、 拡張はいかにして行われてきたのかなどなどを調べなければ どうしようもない。 それにしても、打ちこみソフトが欲しい。 sted2はよくできているが、使いにくい点も目立つし、 なにより古い時代(x68000)を引きずっている。 現代にマッチした単純明解なステップ入力ソフト(すでに矛盾)があるといいのだが、 結局自分で作るのが一番速いのかもしれないなどと思ったりする。 MIDI打ちこみソフトというのは、 要は音の長さ、強さ、音色、効果という4つのデータの羅列を 一定の形式でファイルに書き出すソフトなわけで、 打ちこむ人間の頭とmidファイルをつなぐものだ。 作るのは文字の操作と、インターフェイス作りだけだろうから、 大変だとしても知識がメチャクチャいるということはないのではなかろうか。 しかし作りたいプログラムがたくさんできてくるものよ。 そういう時に簡単に作れるようなら世の中には もっと便利なソフトが満ち満ちているに違いない。 たぶんとんでもなく大変なんだろうが、 やってみねばわからない。

プログラムといえば、欲しいものがいっぱいある。 漫画をかくのに十分な機能をもった小さい絵描きソフト、 ステップ入力のMIDIシーケンサ、 ノベルゲー汎用プログラム及び開発環境。 世の中にはプログラムのすごい人がいっぱいいるのだが、 そういうものを作ることに才能を割いてくれて、 かつそれをタダでバラまいてくれる人はそんなにいないらしい。 では仕方ない。オレが挑戦するしかないではないか。 そんなこといいな。できたらいいな。あんなことそんなこといっぱいあるけど、 さしあたって時間を作ろう。

こみパの音声を編集しまくったやつを落としてきて聞いている。 ああ、こういうふうにするとものすごくおもしろそうなゲームだ。 だが、実際は、うーん。 いや、つまらなくはないのだ。けっして。断じて。 だが、面倒くさいゲームだったのが致命傷だ。 セーブデータをいじって能力値を全部99にしてやっても面倒なのはそんなに かわらない。それにしても、最後の「6冊も…売れました…」 がやけに心に響くのはどうしてだろう。 Passing Tension にあります。

MIDIの規格そのものについて詳しく書いたサイトはなかなかみつからなかった。 とりあえず、まだ持ってない音色セットがあったので、 もってきてみる。

GMの詳しい規格を発見。いままで使っていたシーケンサが その規格にあった設定になっていなかったことが発覚。 まるごとやりなおす必要に迫られる。 ついでに、音色ごとの音域もわかったので、 それからはみだしているものは直してまわらねばならない。 ちなみに、今度もってきた音色データは。 eawpatsだ。サイズもそう大きくない。 いい音も入っているが、ショボイ音も入っている。 一体どれでまともに聞こえるように作ればいいのかわっぱりわからない。 こうなると、実際の生楽器での演奏を常に想像しながら作る以外にはないではないか。 どの音色も生音に近づける努力をしているのだから、 それが一番確実である。 あとは、できるだけ生音に近い音のする音色を手にいれるということぐらいか。 結局自分の音楽経験がものを言うわけで。 ヴァイオリンとか、トロンボーンとか、 聞いたことのある音だけで勝負するのがよさそうだ。 電子系の音や打楽器はどういうふうになるか想像もつかない。

2000年1月14日

icewmでktermをキーボードで起動する方法がわかった。 icewm万歳である。軽いしそこそこ見栄えもいい。

でじこだった。 例会のあといきなり上映会となり、うちで「デジキャラット」 全話を見ることになったのである。 なんだかさっぱりわからないアニメだが、たまらない人にはたまらないのだろう。 事実、横に数人たまらなそうな人がいた。けっこうおもろかったかもしれない。

ウラシマンだ。でじこに続いてえんえんとウラシマンを見ていた。 ギャグやセンスはさすがに古くさく名作とはいい難いが、 さすがにタツノコである。動きがかっこいい。 カメラワークがかっこいい。どこを見てもかっこいい。 顔なんかはかなりいいかげんに描いているが、 そういう細部にとらわれすぎず全体の動きに執念を注ぐ その姿勢がたまらないではないか。 なにせ立っているだけでかっこいいのである。 最近のアニメではあんなにちゃんと動くものはなくなってしまった。 一枚一枚の絵はきれいだがまるで動かないアニメがはやりだが、 こういうかっこいいものも少しは出てきてほしいものだ。

2000年1月13日

年賀状を書こうと絵にペン入れし、 とりこんで修正して字を加えて、さあ印刷と思ったが、 どうもハガキに印刷できない。 紙のサイズがA4に固定されているせいだ。 なんとか紙サイズを定義しているファイルを探しだしてa6(はがきとほぼ同じ) にしてもうまくいかない。今度は印刷の位置がズレるのである。 これ以上の挑戦は印刷機に重大な傷を残しかねないのであきらめた。 うちでは、紙→電気までが限界で、紙→電気→紙、 というところまではいけないようである。 とにかく仕方ないのであきらめることにする。 描くのにかかる数倍の時間と労力を 印刷するのにかけてしまった。こんな落書き一枚にオレはなにをやっているのだ。 やはり絵の印刷用にはWindowsの画像編集ソフトがいるようだ。 まてよ、Windows?

Windowsにも画像ソフトが入っている。デジカメについてきたようなソフトだが、 印刷くらいはできるに違いない。 で、やってみるが、こいつがやはりPNGを読めない。 仕方なくIEで読んでBMPに変換しようとするも、 とんでもないことが発覚。IEはPNGを読めないのである。 ドラッグしてIEにたたきこんでも反応がない。 しかし、WEBサイトにあるPNGは読めるではないか。 そう思って、適当なHTMLを書いてはりつけると、読める。 これはどう考えてもPNGへのいやがらせとしか思えない所業だ。 まあともかくも表示できたので、試しに印刷してみるが、やはり解像度が 72dpiでしか印刷できないようなので、仕方なくBMPで保存。 これをそのカスソフトで読みこんで印刷。Windowsのドライバだから当然 はがきサイズなんていう設定ができる。 だが、結果は無惨だ。到底600DPIとは思えない物体が印刷された。 怪しいディザリングを自前でかけた結果だろう。 仕方ないので、GIMPで前もって完全に白黒にしてから印刷することにしたのだが、 これがまた無惨なディザリング。断念。 やむを得ず、Windowsに戻って汚ないものを印刷。 誰かなんとかしてくれ。PHOTOSHOP一つあれば全てがうまくいくのだから、 偉大なソフトといわざるを得まい。

買ってきた年賀状はがきは10枚。うちに来た年賀状は5枚+メール1通。 6枚でとりあえず返事はOKだ。しかし余るのももったいない。 そこで漫研の名簿をみながら適当に選んで送ることにした。 漫研以外の連中に送ってもいいのだが、住所を書きとめた紙を探すのが面倒くさいので 今回はパスだ。たいがいいいかげんな絵なので、 もらった人が怒りださないことを祈るのみである。

さて、今度はサークルサイトにおく自己紹介をかかねばならない。 しかしまあ、その前にとりあえず来たまさひろの分をおいてしまうか。 オレのも文章だけ先に書いてしまおう。

うちのLinuxはDebianであるが、もうそろそろこれに頼りきっていてはダメだ。 Debianの長所は楽なことだが、日本人が作っているわけではないため、 日本語がまともにでないものが多い。 加えて異様に複雑なためやけに不具合がおこる。 それを避けて安定版を使うと古くて使いものにならない。 ふと別のところをみるとKondaraというのがある。 こっちは日本人がやっているので、 日本語がまともでないものは一つたりともないだろう。 そろそろのりかえを考えねばならない時期にきている気もする。 試しにGIMP(お絵かきソフト)をKondaraからもってきてみる。 これでいい感じなら、 当分は問題になるソフトだけKondaraからもってくるようにしよう。

軽いと評判のicewmだが、ktermを実行するショートカットを作れない。 極限までマウスを使わないで済ますにはどうすればいいのかと考えれば、 結局どんどん原始的なウィンドマネージャになってゆくことになる。 次はtwmを試してみよう。

カウンタが15000だ。しかし近頃更新ペースが遅い。申しわけない。 しかし、すでに同人サークルは発足し、ゲーム作りは正式に後戻りできない 状態になり、実験は卒論の提出が近づいて忙しさを増し、 もうパンク寸前である。 漫画、絵、サークルサイト更新、ゲームプログラム、実験。 これだけ「やらねばならないことリスト」が増えると さすがに自分のサイトの更新は後まわしになる。 日記は時間がちょっと開いたときに書いている一種の気晴らしだからいいが、 ちゃんと文章やらなにやらを書こうとするとかなり時間を食う。 真・女神転生の全曲MIDI化もやりたいのだが、いくらなんでも無理だ。 TRPGもちゃんと上げてしまいたいのだが無理だ。 太極拳の考察もネタはあるが書くヒマがない。 ゲームをやるなどもってのほかである。 今日ペルソナ2の感想を書いたのは、逃避行動の一種だ。 早く寝ないと実験がヤバいのに、ギリギリになって逃避してしまった。 ああ、サークルサイトの自己紹介もかかねばならぬのに。 漫画のコンテも切らねばならぬのに。 ああ、パンクパンク。でも、これでいいのかもしれない。 ちょっとくらいヒマになってもそんなにいいことはなかったのだ。

しかしペルソナ2のギンコはかわいい。 オレが絵から入った希有なキャラだが、 妄想が膨らんで頭の中で人格を持ちつつある。いかん。そんな場合ではないのに。 ついペルソナ本でも作ってみようかな、などと思ってしまった。 忙しい時ほどやりたいことが増える。

2000年1月12日

清水が朝までいて、ダラダラ更新したり絵をかいたりしていた。 その後寝ないで市場に行き、 そのまま実験。どうせ鮭が解凍するまでさばけないので、 その間実験でもしていようという計画だ。 そして、予想通りウケた。研究室に全長60cmの鮭をもっていけば それはもう驚かれるだろう。目的は果たしたので、実験をしながら ある程度解凍して、かつ待ち時間になった時に家に帰ってさばいた。 今ひといきついたところなのだが、強烈な眠気が襲う。 だが、オレは行かねばならないのだ。 でないと、タンパク質が流れきってしまうのである。

2000年1月11日

市場は開いていなかった。

KANONの名雪シナリオと真琴シナリオをテキスト化したものを 印刷して冊子にした。KANON漫画を描くための資料である。 どんなささいなことから話が浮かぶかわからないからだ。 ちなみに紙の枚数は100枚近くにもなる。 それも4ページを1ページに印刷してだ。シナリオライターというのは とんでもなく大変な仕事なのだなと思った。

ハードディスクがうるさい。こころなしかどんどんうるさくなってきている気がする。 静粛をもって知られた富士通だが、 今となってはSeagateもWestern Digitalも敵ではないほどうるさい。 早く新しいのを買ってデータの引越しをやらないと いつか突然全データが消滅しそうである。 だがしかし、残念なことに日本橋に行く機会がないのだ。 自分の用事で行くのでは電車賃を払わねばならないので損だし、 京都で買うと道具屋筋にいけないし高いのでおもしろくない。 誰かコンピュータを組んでほしいだとか、改造してほしいだとか、 部品を売り払ってきてほしいなどという要望があるといいのだが あれだけ連続してあったのだから、もうそうそうあるまい。 そうやっている間にもどんどんうなりは大きくなっていく。 Fireball lct の10.2GBが一万ちょいで、とてもお買い得っぽいのだが。

サークルのサイトを作っていると、HTMLというのがいかに悪い意味でも 便利かということが骨身にしみる。 なにもかもテーブルにたたきこめば相当なレイアウトが可能なのだ。 HTMLの十分な知識があれば、 見栄えと機能性は両立できるのである。

2000年1月10日

清水(=小泉氏)の家でえんえん我々のWEBサイトを作っていた。 HTMLの思想を無視しつつ文法は正しいという何か間違ったサイトにはなったが、 これなら絵系の人にもナメられることはなかろう。 さっさと内容を作らねばなるまい。

年賀状の絵を描いたのだが、清水んちに忘れてきてしまった。 ペン入れしようと思ったのだが、まあいいや。 明日やろう。

長月氏に呼ばれて、コンピュータをいじってきた。 電源はつくが画面が映らない、という症状だったのだが、 こういうときはたいがいCPUがちゃんとささっていないものだ。 そしてやっぱり今回も例外ではなかった。 考えれば八雲氏のコンピュータを組んだ時から の伝統だった気もする。ついでにドライバを適当にいれて帰ってきた。 サービス、サービス。

次の本の漫画のネタが決まった。2つある。 どちらも4〜8ページ程度だから、あわよくば2つ描けそうだ。 サイトも立ちあがったことだし、そのくらいはなんとかせねばなるまい。

徹夜でWEBサイト拡充作業。 IRCで清水と会話しながら決めてゆく。 なんとか朝までに形にはなるかな。

サークルサイトの体裁がなんとなく整った。 内容がないが、それはこれからの話だ。 あとは人を呼ぶためのネタを提供せねばならんのだが、 オレも自分のでかなり手いっぱいである。 どうしたものか。メンバーのサイトのものに 直接リンクをはって一見内容が多いようにみせかけるというのもアリかもしれない。 たとえばオレの小説にリンクはるとか。イヤイヤうそだようそ。

これから市場にいってみるが、開いてないかも。でもまあいいや。休みだし。 雨もやんだし。

2000年1月7日

京都に戻ってきた。汚い。この部屋をなんとかせねば安寧の日々は訪れないだろう。

年賀状をかくことにした。去年は返事すらかかない状態だったが、 今年はそうもいくまい。道場から帰ってきたらかくことにする。 さらにイベントの申込書も出さねばならないのだが、 サークルカットが必要だ。小泉氏を訪ねてちょちょいと描いてもらうことにしよう。

部内月刊誌で4回ほど描いた漫画がすでに半年近くほったらかしになっているのだが、 ここらでとどめをさしておこうと決心する。今月が最終回だ。

2000年1月6日

たきぽん氏に会う。明日も会う約束をしてわかれた。 とりあえずそんなに深刻な話はしなかったが、 すでに語るべき時は過ぎており今が実行のときだ、という認識では一致した。 やるべきことはすでに決定されており、 あとは実行するだけなのである。 一度実行してしまえば、 あとは惰性で続くだろう。 努力を始めるのに必要な勇気を考えれば 努力を続けることなど惰性と呼んでも良い程度のものなのだ。

エヴァンゲリオン劇場版をみる。 見よう見ようとずっと思っていて今まで機会がなかったのだ。 とにかく、すごかった。 何がすごかったかについて語るのも今となってはそう危険でもあるまい。 よって、語ることにする。

とにかく絵的には申し分ない。 構図、色使い、カメラワーク、すべてで最高水準だ。 デザインも秀逸である。立体スクリーンや、状況表示、 建物から武器、車両にいたるまで例外なくかっこいい。 これは別に劇場版に限ったことではないが、 もう一度誉めておこう。

さて、ストーリーであるが、イヤだった。 主人公はいじけて何もせず、しかもそのまま最後まで何もしない。 その心理描写のしつこさや展開のイヤさはイデオンをはるかに超えるほどだ。 しかし、主張というかメッセージははっきりしている。 自分と他人の関係、そして生きる実感についてである。 とある状況にたたきこまれて行動を余儀なくされたときに 人が行動するのに何が必要かということだ。 手法としてはガンダムと同じで、 「人を救うため」とか「世界を救うため」とかいう理由で戦いを強要される。 そして両作品に共通した結論は「根拠なしに行動はできない」ということだ。 客観的に理由(生きるため、正義のため、その他もろもろ)がはっきりしていても、 本人がそれに意味を感じなければ行動はできないということである。 意味を感じるには理由だけでは足りない。理屈によらない実感が必要だ。 実感と理由は別次元のもので、 理由がないことでも実感をもって信じられるものだし(宗教はいい例だ)、 実感のないことはいかに理屈がはっきりしていてもただの知識にすぎないわけだ。 ここでエヴァンゲリオンがガンダムと違うのは、 ガンダムでは仲間との連帯によって居場所、 つまりは行動する根拠が構築されて本人が救われていくのに対して、 エヴァンゲリオンでは最後までなんの根拠もえられないという点だろう。 だから、主人公は最後まで何もしない。 理屈は通っているが見ていてとてつもなくストレスがたまる。 腹が立つ。とっとといいたいことをいって終われという気分で数十分を すごす羽目になる。主人公にシンクロして見られるくらい 実感のない人生を送っている人は酔えるだろうが、 普通に理屈よりも実感が優先して育った人々には面白いはずもない作品だ。 これがうけるというのは(絵的にはまるオタクを除いて) よほど実感をもたず生きている人が多いという証拠であろう。 また、実感のない世界観を強調するためか、 作中では徹底的に主人公の身の回りしか写されない。 アメリカがどうとか世界がどうとか言っても、 絶対に画面としては写されないのである。 だから、えらく絵空事っぽく見える。現実感がない。 キャラクターもわざとそういうふうに薄く薄くかかれている。 これをリアルと感じる人には世界は絵空事のように写っているのだろう。 視界がテレビの映像と同価値になり、 聞こえる音もラジオと同価値になる。 そういう世界を表現したこの作品には敬意を払わねばなるまい。 でも、嫌いだ。何がエンターテインメント的かは人によって異なるが、 これはかなりエンターテインメント的ではない。 嫌いだ。すごいけど、嫌いだ。 しかしながら、こういうものだという前情報は得ていたので、 「うわ、本当に気持ち悪いでおわったぞ!」とか、 「おいおい、実写だ実写」などと喜ぶという楽しみ方はできた。 だが、もし映画館で見ていたらとぞっとする。

実感というやつが重要だ。実感とは、 「これをしたら苦痛だった」「これをしたら気持ち良かった」 という過去形の積み重ねだ。「これをしたら苦痛だぞ」と おしえられても実感にはならない。 その意味で理性の有効範囲は限られている。 「やっても無駄だ」は弱くて、「やったら無駄だった」は強い。 よほど致命的なことででない限り、 「やったら無駄だった」ことをも覚悟してやった方が良くわかるのだ。 というわけで、漫画をかこうかなぁと悩んでいる人には ぜひ描いて見ていただきたいと思ったわけである。

2000年1月5日

AKIが来る。なにをするわけでもなく、ダラダラしゃべったり、 ゲームをしたり。いま横で寝ている。 年に一度会う程度だというのに 特別なことをしないのはおかしいだろうか。 普通、旧友に会ったりした時にはどういうことをしてすごすものなのだろう。

印刷所に電話し忘れた。ごめんみんな。

いましがた検索サイトにまとめて登録してきた。 かなり面倒だったが、もうそれくらいしてもバチはあたるまい。 あとは、実際に登録されるまでに体裁をととのえるだけだ。 MIDIをつくっても誰にも知られず、 中国拳法の情報も誰にも知られず。 とりあえず見てほしい人には見てもらっているのでそれで十分とするのが つつましい態度ではあるが、こういうのも楽しみのひとつだろう。 あとは、これで新しく来てくれた人をいかにがっかりさせないか勝負だ。

「沈黙の艦隊」全32巻を読み終わった。 おもしろかった。良く考えたら無茶なんだろうが、 それを発見するための思考を許さないような迫力がある。 「考えさせられる作品だった」などというのは嫌なので言わないが、 こういうことを考えることも娯楽になるのだ、 という発見があったのは喜ばしい。

2000年1月3日

windows版emacsを落として、早速日記をかいてみる。 skk(仮名漢字変換ソフト)がデフォルトでは動かないようで、 仕方なくime98。やりにくい。明日いじってみよう。

さて、実家にたどり着くまでの経過を書いてみよう。 まず、28日21時半に京都駅へバスでむかった。 京都駅についたのは22時。大垣夜行はすでに絶望的だったが、 どうせだからといけるところまでいくことにする。 まずは新快速で米原。そこからとりあえず大垣まで向かうが、 当然夜行は出た後。さらに鈍行で名古屋へ向かう。 そこですでに日は変わっていたのだが、 まだ電車があったのでもっと先へいってしまった。 だがそこでやめておくべきだったのだ。 なぜなら、町の大きさによって寒い中一晩過ごす難易度は著しく変化するからである。 コンビニやら24時間営業ファミレスやらはこういう時のためにあるのだ。 そんなこともまるで考えずにたどりついたのが大府。 どこだかさっぱり知らない土地である。そうして電車がなくなった。

どんな町かなと駅をでてみると、ああ、町。 都市でも、街でもなく、町だった。 人影もほとんどなく、開いている店など皆無である。 ついたのが1時半で始発は5時51分だから、たっぷり4時間半はある。 空がからりと晴れあがった気持ちのいい夜で、 当然相当寒い。しかもこの寒さは これから数時間でさらにきびしくなるのである。 そういうわけで、かなりこの時点で後悔していた。 しかし、こうなってしまったものは仕方なく、 とりあえず開いている店、すなわちコンビニをさがしてみることにした。 ところが、周りにはまるでない。駅前ともあればありそうなものだが、 これがまたない。5分か10分か歩いてやっとみつけた。 入ろうとしてふと先を見ると、みえるギリギリの距離に 中華料理屋らしきものの看板ががある。 時間などいくらでもあるのだといってみると、 奇跡的にまだあいていた(といってもまだ1時半で、京都の下宿の周りならあいて いてあたりまえなのだが、周りのゴーストタウンのような雰囲気からすると、 奇跡とも思えたのである)。 まだそう腹が減る時間でもなかったのだが、 やることがないのと、寒いのが手伝って ラーメンの一杯も食べてみることにした。 看板を見ると「台湾料理」とある。 それがどうなんなのかは不明だったが、この際どうでもよかった。 中に入るが別に変なところもなく、普通に台湾ラーメンというのを注文する。 480円。そこでふとテレビをみると、違和感。 よく見ると中国の番組らしい。日本語の字幕がついている。 内容はどうも西遊記らしいが、 ショボイCG特撮をバリバリに使った最近のもののようだ。 どこか新鮮というか妙なセンスで、つい見入ってしまった。 仏法の議論のようなものが絶妙に本格的くさくて妙におかしい。 ちなみに、ラーメンの方はやけに辛いという印象しか残らない物体だった。

さて、腹もふくれたところでとりあえず寝る方向でいこうと駅へ戻る。 駅はもうシャッターをしめていたが、トイレが駅の下にあり、 駅に上がる階段がいい具合に風をふせげて屋根があるので、 そこに荷物をおいて寝てみようとした。 いろいろな姿勢を試して「これだ」という姿勢を発見し、寝てみる。 ところが不意に目がさめた。寒い。 そう、寒いのである。おきている分にはまだいいが、 寝ると急激に体温が下がる。 おそらく5度もなかっただろう。 風がなければいいというものでもないことを知り、 やむを得ず寝るのを断念した。こうなるとコンビニしかない。 というわけでコンビニで4時半くらいまで延々と立ち読みをする。 アカギは面白いらしいということをとある本を読んで思った。 そうして駅にもどるが、まだシャッターは開いていない。 かといってコンビニにまた居座るのは抵抗があったし、 気温はさらに下がっていて寝るのはさらに無理だった。

そんなとき、いきなり声をかけられた。 おっさんだ。どうも、娘が大垣夜行で東京から帰ってくるのを 迎えにきたのだという。そりゃはやすぎるだろう、という話からはじまったのだが 話が妙に盛り上がり、おっさんの車の中でぬくぬくと時を過ごす。 そうして5時半。駅が開いた。同時に大垣夜行が到着。 娘さんが降りてくる。おっさんに別れを告げて、オレも岡崎行きに乗り込んだ。 そこからはまあ単調に乗り換え地獄である。 岡崎、豊橋、浜松、静岡、熱海、東京、秋葉原(これはヤボ用)、上野、 大宮、宇都宮、黒磯、福島、ときて仙台。 もういっかいくらい乗り換えがあったかもしれない。 ついたのは29日の22時くらいだった。 とにかく、次は大垣夜行をちゃんと使おうと心にちかった。 冬でなければ田舎で夜を過ごすのも悪くないのだが。

ついてから毎日何をしていたかというと、 ペルソナっていたのである。罪である。 「ペルソナ2罪」を4日間サルのようにやりつづけて、ついさっき 終わったところだ(45時間)。感想は1とあわせて後でちゃんと書くが、 とにかく凄みがあるゲームである。 一番最近やった女神転生である「ソウルハッカーズ」 がどうもストーリー面で印象が薄かったのに比べて、 今回は非常に良い。キャラ、ストーリー、主題、演出、 絵、動画、音楽。ここまではほぼ満点をあげたい出来だ。 里見氏(シナリオ担当)や金子氏(キャラ、絵その他担当)の趣味 が丸出しといえばそうなのだが、それがエンターテインメントになっているのが 女神転生のおそろしいところであり、今回もそれが炸裂している。 人によっては説教くさいとか、青臭いと感じる人もいるだろうが、それを できるだけ防ぐようにさまざまなところから娯楽性を高める努力をしている。 ちなみに、ゲーム的な部分ではかなりしんどいので、 ぬるいのがお好きな人にはすすめない。 もっともしんどいだけでなく出来が悪い気もする。 ゲーム面だけからいえば前作のほうが上だろう。 なお、ペルソナ発動待ち時間は相当短縮されているので、その辺は心配なされぬよう。 ストーリーの根幹テーマは「終の空」と似たようなもので、 「人は生きている意味を知れるか、あるいはそれにかわるものはなにか」 というところなのだが それをどこまでエンターテインメントにできるかというところで雲泥の差がある。 目指したい。


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