ひつじこ

2023年03月30日

教育関係の講演会や講座に結構参加している。大抵すごく良いことを言う。現役のトップを走っている先生方の講演で話される授業計画や実践報告は本当に素晴らしい。そして、あれ?自分の周りは全く違うぞ?なぜ?となる。

聴取対象が学校の先生の講演で、先生達もトップランナーのお話を深く頷いて聞いているんだけど、これ、自分が今取り組むべきことだと思って聞いていないのではないか?遠い未来のよその国の憧れの話だと思って聞いていないか?

講演会で発表される実践授業では、合理的配慮が徹底されたインクルーシブ教育に辿り着くまでの過程は語られない。iPadはこう使うと自発的に学習発表をしますよーとか、デジタル教科書を全員使うから授業展開はこんなで板書はしないです、みたいな。

一方、私が見かける現場の授業は、youtubeが止まらない子を注意して、全体責任ですとクラス全員のiPadを制限したり、「写真は3枚だけ撮ります」「タイピング練習しましょう」みたいな。学習を深める手段ではなく、躾けツールが増えて叱る機会が増えた感じ。

そんな現状だから、先生たちは講演で聴いた授業を自分が実践・展開する姿を想像できないと思う。今の先生に必要な講演は、「子供は同じ(感覚、聞き方、書き方、発表方法、評価軸)じゃないこと(多様性)を教員が受け入れることが必要なんです」って内容。

そして「多様性を受け入れると学校規範やクラス秩序の維持ができない!と思うのは間違いです、日々の学校での場面で多様性の受容や合理的配慮について子供や保護者とどう取り組めばいいのか?」の実例集みたいな講演や教師間での話し合いではないか。

研修や講演の内容と現場のレベルがズレている。まだ学校現場は、子どもの人権や学習権が前提になっていない。トップの人たちはそれが当たり前に守られていると思って、色々と考えてトップダウンしているけど理解する基礎がない。子どもを大事にする意識が。

そして、たぶん、先生たちは自分を大事にする意識も薄い感じがする。だから、教員をやっていて感謝されたり、褒められたり、愛されていると思えるような機会を自分たちで沢山作ったらいい。自分を愛して大事にしないと子どもも愛して大事にできない。

学校がもっと開かれた状態になって、保護者や地域の人と沢山触れ合えば、自然と先生達も感謝の言葉を分かりやすく直接言われる機会が増えると思うけど、先生たちは保護者の意見に、苦情・苦情処理って言葉を使うし、最小限の関係でいようと思っているよね。

保護者と良好な関係ができれば、先生が子供との問題を抱え込まなくなって楽になると思うし、先生と学校生活を送る子供も変わると思う。まあ、そんなことを考えたりするのだけど。私一人でできることではないし、私はもっと楽しいことを考えたい。

2023年03月29日

そっか、戒名がつけられたら、逆にお坊さんにならなくてもいいんだな。 うちの場合、戒名は父母が晴れやかな気持ちで最期を迎えられると思うから、やっぱりあった方がいい。私が両親に対して「戒名?任せて!おばちゃんみたいないいお葬式をやるから!安心して!」と言うだけで十分だろうけど。

調べてみたら、「自分でも戒名が作れる!戒名の仕組み」みたいなサイトがあった。ありゃ。一通り分かったか。心情的な問題を置いておけば、もう一応、自分でつけられる。

おお。今度実家に行ったら、父母に説明して一緒に戒名を考えようかな。父母は怖がりだから、考えたくないと突っぱねる可能性もあるけど、自分で考えるって面白いと思う。

って、調べれば調べるほど、お葬式の式次第にしても、お経にしても、戒名にしても、納骨、魂入れ、自分でできることは多いな。そして、その方が自分達らしい、良いなと思える送り方ができる。

できないことって、亡くなってから火葬までの遺体の運搬、棺の手配、保管、管理と火葬場の予約申し込みだね。

火葬場の予約、使用は葬儀業者の登録が必要みたいだ。これは個人でできないから、亡くなる前に葬儀社との契約があらかじめ必要。そうなるとやっぱり葬式自体は葬儀社を通さないとダメなんだなぁ。

たかしさんとすれ違う。たかしさんの考え方は一貫しているので、それを理解して受け入れられずに、毎度辛がっている私が変わった方がいいんだと思う。もう出会って14年になるものね。14年目に突入だよ!おめでたいよ。来年は15年だからお祝いしよう。

かっきーの歌やお芝居を思い出して、定期的に浮上しよう。

どんな物でも購入したい時に、私がたかしさんに決裁を仰いでしまうところに問題がある。私の趣味に関することや私と子供たちの衣類や書籍に関することについては、たかしさんはすぐにOKをくれるから決裁を仰いでもトラブルにならないんだけど、生活用品に関することはたかしさんは結構な頻度で必要を感じないと反対をする。反対をされても気にせずに私が購入すればいいというが、それが私にはできない。そこに多分問題がある。

そして、たかしさんは私がたかしさんがOKを出さないと買えない人だと知っていても、自分の意見に嘘をつくことはしない。「俺は反対だけど買いたいなら買いな、俺は買わない方がいいと思うけど別に買ってもいい」と言い続ける。

そこで買えない理由はなんなんだろう。働いていないから?私が自由に使えるお金は結婚してからずっと無いと思っているからか?

一緒に暮らしている相手が反対するものを買いたくないという思いが強くあるが、意見なんていつも一致するわけないじゃんと言われたら、まあ、そうなんだよね。

「説得しようと思わないでいいから。俺が反対するものでも勝手に買え。」 って難しいんだよ。

シノンが春休みの時間を持て余している。それでおやつを作る。

2023年03月27日

5日学校に通うと金曜日夜には嘔吐して入院していたそうだ。親の立場では、学校が(教員が)我が子に対してどう接していて何をしているのかを知りようがないから断定できないけど、どうやら学校のある科目がとても辛かったのかもしれないとおっしゃっていた。その科目、毎日必ず2時間ある。

いやあ。そんなのお母さんがそう思ったのなら絶対にそれだ。愛情深く育ててきているのは十分に分かる。言葉でお話しできなくても、私にいつも沢山コンタクトをとってお喋りしてくれる子だ。お母さんとなら言葉を超えたコミュニケーションをなんの障壁もなくとれているはずだからお母さんの見方は絶対に合っている。

ああ。ホントに罪深い話だと思う。学校教育とはそういうものです!社会性を教えるために必要なのです!集団教育ですし家庭じゃないので一人ひとりを見て居られないんです!と、上の立場から本気で正義を振りかざして言うけど、現実にいる目の前の子供の状態が答えなんだよ。4ヶ月間、毎週金曜の夜に嘔吐して入院していて、それで転校する現実に対して責任があるとは微塵も思わずに、本気でお別れを残念がる先生達。もっと勉強した方がいいし、保護者も自分の子供を守った方がいい。

普通の保護者は日々、自分の子供を見るのが精いっぱいだから学校との交渉をすることもなくフェードアウトする。転校する本当の理由なんて先生達は知らないでそのまま罪を犯し続けるんだよ。酷い現実だ本当に。

かっきーの舞台が素晴らしかった。今までの色々な経験を全て活かしつつ、新たに相当な準備をし努力を重ねたんだろうなぁと思わせる納得の主役だった。重厚で歴史のある舞台の主役をエネルギッシュで楽し気かつ繊細に演じていていた。成長が止まらない柿澤さんをリアルタイムで追える幸せを感じた。今までの舞台ではあまり聞いたことが無い、深みと厚みのある低音の歌声に感動した。

舞台で役を演じている時の柿澤さんの歌声から感じる煌めきや惜しみないエネルギーの放出っぷりが大好きなんだけど、テレビやコンサートの時はこの歌声じゃないんだよね。(そんな所もカッキーらしくていい!)と思ってしまうファンだけど、今度の5月のコンサートは思い入れのあるミュージカル曲を歌うということだし、さてどっちの歌声になる?ジキハイの『時が来た』は歌ってくれるだろうし、行って確かめるしかない。

ジキハイ、柿澤さんの演じるハイドはただのサイコパスではなく、怒り、悲しみ、恋心、嫉妬、心の傷つきなど、その時々での感情の揺れが強く感じられて「どうにかしたら更生できるのでは?」と思わせるような愛おしい人間味があった。逆にジキルからは完璧な良い人というわけではない、ハイドを生み出す背景みたいなものを感じられた。ジキルとハイドは本当に表裏一体の関係なんだなぁと納得。

柿澤ジキルとハイドはスペクトラムでその時々でジキルとハイドの割合が違っていて、心の中で両者のせめぎ合いが繰り広げられているのが伝わってきてそれが凄い怖かった。去年の今頃は通路を走り抜けていったミッキーの殺意に(ヤバい人が劇場に入ってきた!)と本気で思ってめちゃくちゃ怖かったんだけど、今回は舞台上だし離れていたのに怖すぎて凄すぎた。今回はそれを歌声でも表現されていたのが、もう芸術の域で圧巻だった。

ジギハイ、音楽、衣装、美術、照明、演者さん、とにかくみんな良すぎて大変だ。それから強く思ったのが、かっきーは石丸さんや鹿賀さんみたいに舞台の主役が似合う。だから、恥ずかしがらずにバーンとショーストップを受け止めて、ゼロ番で堂々と拍手を浴びまくってほしい。柿澤さんの歌声と演技に興奮した。再演したら観たいな。きっとまた今回とは違ったさらに成長した柿澤さんがみられるんだろうな。

オトモが成長している。みんなとお弁当を食べたいんだって。

納骨。頑張った。日記は今度かく。

2023年03月17日

カウンセラーと話した。

以前、教頭に他校へ移ってはいかがか的なことを言われたことを踏まえ、公立の小学校以外に通える教育機関があるのかを相談した。支援級だとフリースクールは入れないが、通常級に移ってから不登校児としてフリースクールに入ったケースが他区であると聞いた。

なるほどと思って、近所のフリースクールをネットで調べた。一応、市役所にも行って調べるかな。ただ、たぶん、やるとしてもだいぶ先の話。

カウンセラーと話すのは面白いな。気になっていたことを色々と伝えて、そのことに対してちょっとアクションを起こしてくれそうな感じだったので結構すっきりした。

まあ、そりゃ、時間はかかっても先生たちを沢山褒めて少しずつ教育するっていう考えはあると思うよ。でも、保護者の私はできる立場にないのよ。私は、先生たちの言動でオトモが傷つくことから守るために居るわけだし。それは、私以外の他の立場の人しかできないのよ。

そんな話をして、結論としては現状維持だなぁと。こういう話をできる人は限られているから、本当に話を聞いていただけるだけでもありがたかった。たかしさん、時間を作ってくれてありがとう。

2023年03月15日

オトモ。療育の先生と足し算を20問やった。

そして3時まで遊ぶんだって。ちょっと悩んだらしいけど、私には別室で待機していてほしいんだって。私がいなくなるのはちょっと嫌なんだって。

いやあ、でも成長したよ。1年前は学校では校内も校庭も裸足だったのが、上履きも外履きも履けるようになった。家のトイレはドアの外で待っていてと言われて毎回トイレのたびに付いて行き、お尻も拭けなかったのが、一人で何も言わずに行けるようになった。出先のトイレは怖くて入れなかったので簡易トイレを持ち歩いていたのが、出先でも学校のトイレでも行けるようになった。シールを貼らなくても学校に午前中は居られるようになった。児童書を1冊読むこと、勉強をすることを日課にし、それが終わってから帰るようになった。自ら希望して体育のドロケイに参加し、その時に体操服を着た。

まあ、十分だ。

今度の休みはシノンとコメダ珈琲に行く約束をした。シノンはエビフライとメロンソーダとシノワノロールを食べるのだそうだ。

私は頼めないな。たぶん。シノンがどれくらいで食べられなくなるかわからないから。

2023年03月14日

オトモがこの半年くらいでできるようになったこと

十分ではないか。

警備員さんが椿の枝を折って、花をくれた。昭和だ。

カッキーのミュージカルの評判がすこぶるよくて嬉しい。

観に行ったらCD買うんだ。

え?ライブもやるの??どうしよう。情報過多!色々ありすぎて無理!

2023年03月10日

オタマ、遠足。事前に自分でお弁当のメニューを考え、買い物のリクエストをし、当日は私が用意したおかずとご飯を、自分で用意したお弁当箱に詰めて包んでいく。オタマは小学校1年の遠足の時からそう。たぶん、私のお弁当を詰める技術を信用していない。

なんか、疲れちゃった。家に帰って泣きそうな気分になっているんだけど、分かりやすい理由があるわけじゃないから、全然泣けなくて。気分だけが泣きそうな。

いやあ、小学校はやっぱり大変だなぁと。オトモが馴染むのは不可能だな。

まず、「小学校のタイムスケジュールと常識に馴染んで周りに迷惑をかけることなく団体行動がとれるようになる」というのが正解で目指すべき目標という先生方の意識を変えてもらわないとオトモは絶対に居られない。

それから「周りに馴染めない子供は良くない」という意識もなくしてもらえないと、ああ見えて人の気持ちに敏感なオトモは先生の「悪い子」と思う気持ちに耐えられない。

人ごみが苦手で、大きい音や声が苦手で、子供の声が苦手だから、まあ、無理だ。

2023年03月05日

この間、児童支援相談員と支援計画書の作成のための面談をした。自分の考えをまとめるのに役に立った。

オトモの教育方針について

児童支援相談員と話をしていくなかで、私が上記のようなことを大事にしているのが分かった。

そんな感じ。今読み直してみたら、これは私の目標でもあるなぁ。

2023年03月02日

先生にとってオトモと話すのは本当に難しい様子。先生達と話しているうちに、オトモは気持ちが届けられずに悔しがって泣いたり、パニックになったり、自分の頭を殴り続けたり、叫んだりするような状態になっている。

支援級は子供と会話することが得意じゃない先生が担任になっているんじゃないかと思う。児童と会話をするという発想がない様子。一方的に喋って指示を出したあと、指示が理解できているかの確認をせずに背中を押して腕を引っ張る。

私は先生たちに、背中を押すこと、腕を引っ張ること、押さえつけること、羽交い絞めにすることを止めてほしいとお願いしている。これらを禁止すると、先生はオトモに話しかけても何も気が付いてもらえなくなり、先生の指示が何も通らない。また、先生はオトモからの質問や会話に応えることができない。私が入らないと全く会話が成立しない。

去年の今頃、「オトモと仲良くなってください」と先生にお願いしたのだけど、1年間全然仲良くなれなかった。もしかしたら、先生達は児童と仲良くなろうと思ったことがないのかもしれない。児童と仲良くなることが教育の第一歩だと私は思うけど、教壇から一方的に喋って言うことを聞かせることを何十年もやっていると、仲良くなって信頼を得る段階を踏まずにとにかく押さえつけて言うことを聞かせようとするっぽい。

休み時間、次のお別れ会のレクレーションの練習のために、ストラックアウトや輪投げが用意されていて遊んで楽しかったので、そのまま授業に参加させようと待機していた。授業が始まってオトモが先生に「何をやるんですか?」と聞いたら、先生が「お別れの練習だよ」と応えたらしい。オトモが私のところに駆けてきて「これからお別れの練習をやるんだって。嬉しい要素が一つもないから僕は帰るよ」と言った。

こういう応答のセンスってどうやって磨けるんだろう。前提として、子供が好きで子供と楽しく話そうと思っていないところが問題なのだけど、そういうのって保護者から言っても無理だよね。本田先生とかそこら辺から言ってもらわないと。

なんなんだろう。って思うが、1年間過ごしてもどうにもならなかった。どうしようもない。


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