オトモと挨拶をするのは会話よりも難易度が高い。オトモのような子供は挨拶をされても返せないパターンがいくつかある。
オトモに挨拶を定着させるスモールステップは以下のようになる。
このようなことが毎回行われば、オトモのような子供も自分からの挨拶が定着していくのだが、先生達はとても忙しくて挨拶自体が目的になっており、その先の楽しさや喜びを分かち合う時間がとれないので実行が難しい。
また、挨拶についての考え方が(挨拶は大きな声で元気よくするべきだ・挨拶しないとダメだぞ!)と注意をしたり叱る方向にベクトルが向いているので、このようなスモールステップの考え方を受け入れて実行してもらうことがとても難しい。
先生たちはコミュニケーションの第一歩が挨拶だと考えている方がほとんどで、オトモに挨拶を無視されるとそのまま通り過ぎてしまい、オトモと会話をする段階に踏み込んで貰えなかった。忙しくてオトモと仲良くなる時間が確保結果、オトモは先生に挨拶をされていたことも気が付かず、一年が終わってしまった。
サポートで私が「わー!〇〇先生だ~!〇〇先生、おはよう~!」とハイテンションで挨拶を返すと、オトモも小声で「〇〇先生、おはよう」とは言っていたが、そのあとに挨拶を交わした先生との楽しいやり取りがなかったので、オトモにとっては、挨拶はただ唐突に私の発声の反芻させられる時間になっていた。
でも、オトモは顔を認識していてコミュニケーションが取れる人を見かけたら、駆け寄っていってハイタッチをして会話を始める。挨拶の文化は、仲良くなくても挨拶だけしておけば丸く収まるよね?という、すごく消極的で高度なコミュニケーションマナーだから、オトモのような子には本当に難しいということを、先生方には理解してもらいたい。
先生方に対してのオトモはそんな感じで一年間無反応だったから、先生たちはオトモをコミュニケーションをとることができない、重めの知的障害のある自閉症児だと思っているだろう。だから、指示の理解を確認せずに手を引っ張ったり背中を押して歩かせるし、一年間、学習教材をもらえず、勉強を教えてもらえなかった。もう本当に色々仕方がない。
だから、オトモの会話力が伸びて、先生と会話ができるようになるまでは、療育や家族でオトモを育てていった方がよい。先生がオトモと会話する技術がないと先生に教育は施せないんだよ。何をするかをオトモに伝えられないまま、クレーン状態で強引に積み木を積ませたり、土を掘らせたり、着替えをさせたりするのはオトモに適した学習ではない。
1年間学校に通ってみて思ったこと。小学校の先生たちは、合理的配慮やインクルージョンを知らない。善意や真面目さでマイクロアグレッションを行い、子供の学習権を奪う。それが学校全体の常識で主流。
小学校の教育は、個々の学習理解を深めるよりも、授業中に我慢強く静かに座り、指示通りの行動ができる子供の育成が大事。それが社会性を養うことで学校教育の目的だと信じている。まあ、実際に国家に役に立つ国民の育成が公教育だから間違ってはいないのかもしれないけど、管理職をはじめ学校全体がそうだから若い先生も疑わない。
また、先生方にとって自分の評価は、クラスの子供の問題行動を抑えて一年間を無事に過ごすことと直結している。だから教室を静かに保つことが何よりも大事だと信じて行動する。クラス児童の学習到達度を上げることに力を入れても誰からも評価されないから重要度は下がる。
更に厄介なのは本当は先生の指導力の評価は存在しない。職員同士が空気感や周りの視線で自分達をなんとなく評価している。結果、問題を起こさず、同僚に迷惑をかけず、誰にも嫌な思いをさせないように大人しく真面目に過ごすことが第一目標になる。
だから、教室の後ろで立ちながら集中して授業を聞く子供とか、リズムをとって独自のスタイルで計算を解く子供とか、アイパッドを使用する等は、そのスタイルならスムーズ学習活動ができるとしても、先生はそれを認めない。他の先生に見られたくないような特別なことは、許容できず注意の対象となる。
オトモは、教室は唐突にいろんなことが起こって怖くて居られないという。先生の脅すような声かけや、他児童への叱責、分かりにくく感じる指示やプリント、小さな文字を書くこと、読むこと、子供の暴言。これらが怖くて教室にいられないという。
オトモが教室に居られるには先生の協力と環境調整が必要だと相談したが、普通の子供は怒鳴って脅さないと言うことを効かないため、指導の変更はできないという。そして、そのような強い指導に慣れて教室に入れるようになることが成長であり、その程度で教室に入れないと大人になって社会に通用しないとオトモと私を諭す。
また、オトモのような子供を許して教室でフラフラさせていたら、他の子がずるいと騒ぐという。子供には優先順位があって、オトモを教員がみると他の子の教育ができなくなるという。本来、うちのような状態の子供が教育を受けることが学校教育としてあってはいけない。だから、今のままでは教職員はオトモを見られないと言う。その意識が、インクルージョンや合理的配慮と極めて相性が悪い。先生たちはオトモのような子供がいると、他の子が犠牲になるからオトモに教育を施せないと本気でいう。我々ではお子さんに教育を受けさせることができないから、高い学費を払って私学に移られてはどうかと管理職が話す。
うちの子はそんなアウェイでしかない状態なのに、なぜか学校が好きで毎日行きたがる。教室に入れないが勉強はしたい。なので、オトモが教室に行っていたらやる予定の学習を教えてもらいたい、私が下駄箱で教えることで少しずつ教室で勉強する自信をつけさせますとお願いしたが、用意はできない、まず教室に入らせて席に座らせてくださいと言う。
管理職はそう言ったが、教室に入れても勉強をやらせてもらえるのではなく、あと10分静かに座っていないと滑り台で遊べないよと言われたり、物理的に押さえられたり、一人だけ粘土やお絵かき帳や電車の図鑑を勧められたりする。それを本気で適切な教育だと思っている。保護者の立場ではその意識は変えられない。
なので、1学期の終わりには、教室に行かせることは無理に促さなくなった。毎日私が学習内容を考えて校庭の木の下や下駄箱で勉強を教えた。休み時間には、友達とおしゃべりをしたり、鬼ごっこをしたり、笑ったりできるようになった。広い校庭で四季の移り変わりを体感した。定型の子供の様子を外野から見ることだけでもオトモにとっては勉強になった。管理職には、教室に入らないから個別指導計画が何も進んでいないが良いかと確認されたが、毎日下駄箱で勉強をしているオトモを見ていて、本当に学習指導計画が何も進まなかったと思っているのかと疑問に思う。アセスメントを一度も行わなかったが知らないのだろうか。
先生たちの世界の常識では、オトモは「席に座っていられない、教育を受ける状態にない子供」だから先生から勉強を教わることはできない。一年間、そういう扱いを受けた。仕方がない。下駄箱で私と勉強すればいい。それが今のオトモにとって最善の状態だ。学校を間借りして必要な教育をすればいい。
ただ、先生達に子供のいる前ではオトモを無視しないでほしい、時間があるときはいつでも話しかけて欲しいとお願いをした。それさえしてもらえていれば、子供たちがオトモを無視するようにはならない。望むのはそれだけだ。
一年間のまとめはこんな感じ。外部の児童相談支援員に話し合いに参加してもらうことも叶わなかったし、先生たちの意識を変えることもできなかった。今の学校にオトモを任せたら、オトモに負荷がかかりすぎて精神的につぶされて二次障害が起こることが目に見えている。だからしばらくは、私とたかしさんでオトモの学習を進める、先生からの差別や偏見からオトモの守る。
オトモ「けんかしている人をけんかしていない人が叩きに行くと巻き添えをくらうよね。だから叩くはしないけど、僕はでもちょっとイラついちゃうから、腕と腕をこう離しに行くよ。」それも巻き添えを食らいますよ。オトモは子供を怒っている先生に対してもやるからなぁ。
先生はとても真面目で素直な人が多い。自分より周りを大事にし、常に「周りの人がどう思うのか」を基準にして行動している。自分がどう思っていて何をしたいかよりも「きちんとしっかり、周りに何か言われないためにこうする(しない)」を優先する。
そんな先生の影響で「周りの人がどう思うかを考えて行動しよう!」が目標みたいなクラスが生まれる。監視・密告主義状態になる。先生の「やらなくていいよ。できなくていいよ。」という配慮風の声かけを、子供はずるいと思うようになる。先生も本心はずるいと思っているから、子供に説明する言葉を持っていない。
オトモは、気持ちと発言にズレがない言葉以外は無反応になる。もしくは不安になって逃げ出す。1年間、先生の言葉や指示をオトモが全く理解できなかった理由は、たぶん、先生の本心と声かけ内容が乖離しているからだ。
先生は「話をしたい」から話しかけるのではなく「先生として話さなくてはいけない」と思って話しかける。だからオトモは先生の言葉に反応できない。自分と話したがっていない人の声は、話しかけられていると気づかない。これは結構真理だと思う。
学校全体が「周りの人がどう思うか」を基準で動いているから、先生達は何も言われていない状態でも、伸び伸び自分らしく振舞えない。そんな中、私みたいに時折本当に何か言う人がいたら、怖くて生きた心地がしない。耐え切れず排除する方向に動くのも理解できる。
先生は子供に「これができないと社会で通用しません!〇年生になれません!」みたいなことを言う。確かにオトモは先生が想像する社会では生きていけない。将来は近寄らないだろう。オトモの特性は、日々の先生の厳しい指導で改善するものではないから、今、オトモを追い詰める意味はない。
学校が居づらいのは、先生たちが「周りの人がどう思うのか」を基準にして行動しているからだ。自分はどう思っているのか、何をしたいかよりも「周りの人(子供や同僚)に何か言われたくないからこうする(しない)」を優先させて動いているからだ。
先生の振る舞いは子供たちに影響する。「周りの人がどう思うかを考えて行動しよう!」がクラス目標みたいな空気のクラスになる。監視社会というか密告主義みたいな状態の中で、浮きまくるオトモに子供たちは寛容になれない。
オトモは、気持ちと言葉が一緒の本気の言葉を発しないと、心に届かずに無反応になる。もしくは理解が追い付かずに怖がって寄り付かない。先生の言葉や指示がオトモに届かない理由は、たぶんそれだ。
先生はオトモと「話をしたい」から話しかけているのではなく、「話さなくてはいけない」と思って話しかけている。だからオトモは反応できない。自分と話したがっていない人の声は、話しかけられていると気づかない。これは結構真理だと思う。
学校は「周りの人がどう思うか」が基準だから、先生達は何も言われていない状態でも、伸び伸び自分らしく振舞えない。そんな中、私みたいに本当に何か言う人がいたら、もう怖くて怖くて生きた心地がしないだろう。そりゃ病むよ。
だいぶいろいろあった。
まず、2月第一週は支援級の教室で勉強ができていた。暖かいし、机があることで本当に勉強がしやすかった。第二週の調理実習の日に確認して座っていた席だったのに3回も別々の先生に「そこをどいて」と言われて移動せざるを得なくなり「僕はどこに居てもいいんですかー!」と叫んでも場所を教えてもらえず。その日以降、教室に入れなくなり、帰りの挨拶も交流級の先生のところに行ったり。
その後、2月第二週はまた下駄箱に戻って勉強をしていた。雪雪詐欺の日に教頭が「寒いですねー」と声を掛けてきたので「どこか良い場所はありませんか」と尋ねるも「難しいですね」と。なので「じゃあ、PTA経由で空いている会議室を取るとかいいですか」と言ったら「それはちょっと。旦那さんに電話で今度お話ししましょう」というので「今すぐ呼びます」と言って。そんなでヒーターのある教材室に居させてもらうことになった。
教材室3日目。教頭に夫が呼ばれ「教材室は6年の領域だから自分の教室に移ってほしい」と。(教頭は直接言わず、担任に言わせるところがさすがだなと。)
まあ、そんなこんなで。教室に入れないオトモには、学校で安定して居てもいい場所は相変わらず無い。が、オトモは毎日楽しく学校に通い、そこで本を読み、勉強をして帰る。それだけですごいんだよ。
相変わらずの日々ではあるが、でも、なんか、急に風向きが変わった感覚もある。1月中旬の教育相談の影響か、下旬の児童相談所の先生との立ち話の影響か、2月に入って先生方が前日に授業内容を教えてくれるようになった。行事の前に内容を教えてくれるようになった。何か急に意識が変わったのか、指導があったのかはわからないが、私に対する接し方も含め、とても感じが良くなった。
12月の終わりに発達支援サークルみたいなのに参加して専門家に相談したのが効いているのかな。そのとき「諦めてください。その場から離れて。これ以上お子さんも保護者も傷ついてはいけない。ただ、ここにいるみんなが憤ったから、時間はかかるかもしれないけど、あとはこの人たちがやります。」みたいなことを言っていただいたんだけど、それかもしれないし。とにかくわからないけど、なんか確実に風向きが変わった。
中旬の教育相談の時に「今の学校の状況についてを市長に伝えると言っている方がいて。その方ひとりにそんな大変なことをやらせてしまうのは悪いので、その際は私も全面的に協力するつもりでいます」と話したのも大きいのかなぁ。何にもわかんないけど。
まあ、わかんないし、変わったといっても、普段のオトモの学校生活のリズムは変わらないから、あまり関係ないのだけどね。
「先生が一年間もあったのに、仲良くなれなくて本当にすみません。教室から追い出そうとしたことはないし、本当に教室に居てもらっていいのですが、なかなかこちらも相手ができなかったり、ちょっとどいてもらったりすることが続いちゃって、オトモくんに居ちゃいけないと思わせてしまうんですよね。」みたいに謝られて本当にびっくりした。
やっぱり意識が変わったんだね。
児童相談所に行って療育手帳の更新の発達検査とヒアリングをしてきた。
ヒアリングが面白かった。「福祉をフル活用しましょう。学校は行かずに、放課後デイや療育を3箇所、4箇所と増やして一日のスケジュールを立てたほうが、良いと思います。お子さんは、我慢強くて極限まで頑張ってしまうタイプです。今、十分頑張っていますが、本当は学校がとても大変で負担になっていると思います。学校は特別支援の専門性はないので、通うことで誤学習をさせて二次障害を引き起こす可能性が高いです。福祉サービスで専門家に接してもらったほうが絶対にいいです。」みたいなことを1時間位力説された。
まあ、そのとおりだわ。
児相に行くのは2年ぶり3回目なんだけど、年々行くのが楽になる。オトモと一緒に出かけるのが本当に楽になった。
まずおむつが取れたこと、それからトイレを怖がって入れない!みたいなトラブルが無くなったこと。この2つがクリアできたのが本当に大きい。それから疲れてぐずることも無くなった。それから、ファミレスに入った時、料理がくるまで、全員が食べ終えるまで、席でそれなりに待てるようになったのも楽になった理由の一つ。
兎に角成長した。よきよき。